モーリス★Maurice Blanchot U★ブランショ

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1
前スレ
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1039370945/

1907年9月27日-2003年2月20日

未邦訳書
『終わりなき対話』 "L'Entretien infini"
『友愛』 "L'Amitie"
『彼方への一歩』 "Le pas au-dela"
『災厄のエクリチュール』 "L'ecriture du desastre"
即死回避
てか、ブランショってついこの間まで生きてたのか!
知らんかった…。
あと四つですか。
邦訳出版の見通しは、どうなっているでしょう。
ご存知の方はいらっしゃいますか?
5名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 11:46:19
文庫化してほしいよ
未邦訳はまだあるよ
ミショー論とか。
20くらいまでは伸ばさないと即死の虞があるそうだ。
Puis-je mourir?
レス番21になるまでは、一日に一レス誰か必ずするよう
よろしく。
>>7-8
そうなんだ。。。では少し伸ばしますか。
未邦訳はミショー論のほかに
デ・フォレ論もあるよ。
ブラブラブランショ♪
>>11
だからといって、分けの分からないレスはつけないでくださいねw
13名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/15(日) 01:15:07
おっ、新スレ!
未訳でカフカ論もあったと思うんだけど、
「カフカからカフカへ」というやつ、
筑摩から出てた「カフカ論」とは違うのかなあ?
14名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/15(日) 01:34:27
ブラブラブランショ♪
去年は政治論集や小説選が出ていい年だった。
今年は何が邦訳されるのだろう?
16 :2006/01/16(月) 22:29:53
ミショー論やデ・フォレ論は短いから
版権を取得した出版社があれば翻訳は早そう。
『カフカからカフカへ』は筑摩叢書の『カフカ論』とは別です。
重なってる作品もありますが、これも早く翻訳できるはず。
『災厄のエクリチュール』 も頁数はそれほどのボリュームはないので、
そのあたりは月曜社や書肆心水にひそかに期待してます。
17名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/17(火) 21:03:17
今年も翻訳が出ますように
(-人-)出ますように
やあ、書肆心水の『至高者』はどうなっているのかね。
今までしっかりとブランショの本を出版しているのだから、そう焦らなくてもちゃんと出版してくれるのでは?
しかし経営状態が心配ではあるけれど。。。
我々ブランショヲタがしっかり買っていれば大丈夫さ!
もちろん買うよ!しかしその人数が問題。
果たして図書館を除いて何人の読者がいるのか?
もともと刷っている数が少ないと思うから大丈夫だと思うけど・・・
結構読者いると思っている俺は楽観的なのだろうか
25名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/20(金) 13:22:15
まず読むべきはやはり「文学空間」でしょうか?
26名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/20(金) 14:14:49
ブランショの小説は大好きだが、評論が読んでも意味不明。
何度も挑戦するのだが、挫折してしまう。
ごめん、書肆心水さん。おれ図書館で済ましてるよ……

金がないんだorz
28名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 15:13:54
マイナー出版社のものは図書館で済ましちゃだめだよ。
29名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 18:30:46
谷口博史 著 言葉と暴力 ブランショ・レヴィナス・デリダ

友愛の思想家たち、思想家たちの友愛

 哲学と文学のあいだにおける、倫理としての言語論。 ブランショを、
レヴィナス、デリダを読み続けてきた著者による穏やかで勁い探究。 「全
ての言葉は暴力である」――これはいったい本当なのか? ブランショのこ
の言葉はありふれたそれなのか? 言葉の本質は〈名〉なのか〈呼びかけ〉
なのか? 三人の思想家の接近と隔たりから考える、言葉と私と他者のあい
だ。

30 :2006/01/22(日) 02:07:13
>>25
最初に読むべきかどうかは微妙ですが、
やはり『文学空間』が最も重要な評論だと思います。
>>28
マイナー出版社のものは放っとくと図書館にも入らんから
リクエストには全く意義がないでもない。
少なくとも、ベストセラーのリクエストを出すより1000倍マシ
32名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 22:41:32
全国の図書館で約500冊とみた。
3000部を刷ったとすると、
残りを2500人が買って一応多少の利益が出る勘定。
支えるなら、買ってさらにリクエストも汁

パンピーのリクエストに任せとくと春樹やハリポタを100冊単位で買うハメになるので
司書も良著のリクエストを渇望している。
3000も刷るのか?
35名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 01:14:35
印刷経費、著作権料(翻訳者含)、エージェント手数料を考えると
3000部刷って7割以上売れないと赤字。
36名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/25(水) 03:47:57
君たちなんで日本語で読んでるの?フランス語で読めばもっと安いじゃん
背伸びしなーいの。

漏れも何とかかんとか読めるよーになった頃は何でも原書と思っていたが
原書だとなんだかんだ言って翻訳の数倍時間がかかるからなー。
トシ喰ってくると千円二千円の差よりも時間の方が貴重になってくるのよ。
原書で読むのはどうしてもその必要のある時だけだな。そんな時も訳があれば併用するし。
>>36
フランス語でも読むけど、日本語を第一言語とする者にとっては日本語でブランショを読む快楽というのがあるのだよ。
快楽は別にないが楽ではあるな
みんなすごいな。俺は単純にフラ語読めないから邦訳で読んでる。
勿論フラ語で読めればいいのだけど、今は言語とか勉強している暇ないお。
毎日実験で疲れるお。
理系は理系で大変だね。

でも文系は文系で、有限の時間内でどれだけ効率良く本を読んでゆくかが勝負なのに
ちっとも大変だと思ってもらえなくてちょい不満w
フランス語読めない(読まない)人も気軽に日本語で
ブランショのテクストに触れられるように、
やはりブランショの邦訳は充実させて欲しいと
願わずにはいられないね。
あと、ちくま学芸文庫に
「白日の狂気」とか「ロートレアモンとサド」を入れてほしい。
バタイユに比べて文庫化が少ない。
演劇の演出にいつ書かれたかはそんなに重要なんですか?
いや、まずは文学空間の文庫化だろw
46名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/27(金) 00:58:57
『文学空間』の文庫化は
実現してほしいようなほしくないような

『ニーチェと悪循環』のときもそんな感じがした
くそー、頼む、頼むよ筑摩、たのむ!
筑摩のことだ。血迷ったようなことを今までも何回もしてきているんだ。
十分期待していいんじゃない?
あまり血迷って筑摩書房新社とかになられても困るが
もうそうなってもおかしくないくらいに血迷ってる(褒め言葉だよ)ことし続けてるわけだし、平気なんじゃない?
以外と好評なんだと思うよ。
既に一度。。。
52名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 01:46:37
フーコーについての本を840円で文庫化してほしい。
ボリュームもそんなにないし。
53名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 08:26:59
このひとつまんない
バタイユに関する血迷い方は常軌を逸している>ちくま
確認していいですか?ここは筑摩書房スレッドですよね?
56:2006/01/29(日) 22:27:04
ペーパーバックで「Death Sentence」という本があるようですが
これはどういった本になるのでしょうか?
リディア・デイヴィス(Lydia Davis)という人の編著でしょうか?
ご存知の方がいたらご教示ください。
リディア・デイヴィスはフランス文学の著名な翻訳家だそうです。
「Death Sentence」は『死の宣告』の英訳版では?
58名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/30(月) 22:08:13
ブランショは基本単語だけで書いてるんだから、わざわざ邦訳読む意味わからん
以下>>37へループ
60$:2006/01/30(月) 23:22:01
>>57
たしかにLydia Davisはミシェル・レリスなどの翻訳もあるようで、
「The One Who Was Standing Apart from Me」のTranslatorですね。

ただ、「Death Sentence」ではTranslatorとして記載されてなかったので、
もしかしてアンソロジーの編者なのかなあという気がしたのですが、
『死の宣告』の英訳版の可能性がありますね。
>>55
遠くはないのだろうけれど、定かにとはいいえません。
明瞭なのは、ここが筑摩書房でないということです。
残念です。
白水社から去年翻訳の出た「ほとんど記憶のない女」は
リディア・デイヴィス(Lydia Davis)の著作みたい。
63吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 21:38:07
>58

同感。ただフランス語を学ぶ時間のない人もいますからね。
教養学部で2年きちんと勉強していれば読めるレベルではないかと。
2年でバルト読ませる教官もいますから。
64吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 22:02:20
でもそんな教官も、飲みに連れてってくれた時なんかに
普段は結構翻訳で済ませてるってこっそり教えてくれるよ。
65吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 16:55:51
2年で辞書ひきまくって何とか解読できるレベルと
一応原語で読めるレベルは、相当違う。
仮免許と本免許10000キロ走破くらい違う。
66吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 18:20:28
以下>>37

つかスレ違いなんで終了。
喪前らの語学力の有無になんざ興味ないわい。
67吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 00:09:01
「ほとんど記憶のない女」って面白い?
68吾輩は名無しである:2006/02/24(金) 00:25:35
ほとんど記憶にない。
69吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 13:40:24
文学評論シゲーよ
書店で覗いたときからほしくてたまらなかったけど
やっぱり買ってよかった

それにしても 大型書店ならあれほど並んでたブランショが今じゃあ…
ちょっとここを遡って読んだら至高者はまた出るプランがあるとか? こんどは買いますからあ 出てくれー
来たるべき書物も期待
やっぱり本物の文学の翻訳があるかないか どれくらいあるかはその国の文化状況を反映するでしょ
ブランショの視点とか抜きの批評だの評論てあり得ねーと思ったり
70吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 17:02:21
何がそんなにすごいの
71吾輩は名無しである:2006/02/25(土) 22:16:33
>>69
「文学空間」のこと?
72吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 05:26:14
あが…文学空間ですた…スマソ

文学作品や作者に関して 言いたいと思いつつ言い淀まざるを得なかったり言い得ないとしか思えないようなことのくさぐさを
言ってのけるブランショの、これはさらに行間を掬って核心を核心をと突いてく、
あり得ないような、あるいはほとんど本来なら禁じられてると思えるような解説書かと思われ

73吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 07:53:33
あとで読み返すと恥ずかしくなるよ
74吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 08:41:00
ま、いっさ
どのみちブランショスレ敷居高いんだから…
75吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 11:03:00
ブランショ『政治論集 1958-1993』
http://cyberbloom.seesaa.net/article/13700771.html
76吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 11:59:07
まあブランショとゆう存在が現にあったのち ブランショなしで 
つまりブランショ的思考なしで文学を語ることなり批評なりをすることは怠慢であり不可能であるな
77吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 12:22:29
はあ
78吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 14:50:23
ブランショの書いたものを読むより
ブランショの書いたものについて書いたものを読む方が
面白いのは漏れだけ?
79吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 15:30:53
俺も俺も
80吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 16:28:59
>>78
例えば?
81吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 21:31:29
批評の批評はあんまり感心しないけどね。
それだけ思想性があるってことなのかもしれないけど
82吾輩は名無しである:2006/02/28(火) 00:59:58
ねえ、
ブランショの創作と批評、どっちがおもしろい?どっちがすき?
83吾輩は名無しである:2006/02/28(火) 21:38:06
創作と批評?



私は「牧歌」がいちばんすき
84吾輩は名無しである:2006/03/02(木) 00:12:06
ブランショスレが出来てる!

ブランショは「文学空間」を読んですっかりやられた。
文学空間っていうのがどういうものか一旦テクストから離れて想像を巡らせてみたら、
実際にぼんやり想像できてほんとに感動した。
あれはただ単に理論の上だけに立っているものとは違うね。

ただ「アミナダブ」は文学論以上に論理的な感じが好きになれなかった。
他にもっといいのがあるのかな?
85吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 14:24:46
至高者篠沢訳ゲト
86吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 17:19:29
『文学空間』読んだほうがいいみたいだな。
ときどき行く古書店で3500円くらいだったが
買おうかな。
87吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 17:23:31
まちがいて消臭空間を買ってしまいますた
88吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 20:09:02
原版謎の男トマが再刊されているようですが、読んだ方いらっしゃいます?
フラ語できないのに昔、篠沢さん清水さんの家へ夜盗に入るしかないとまで思いつめていたことがあります。
その都度、新たに、再び計画を立てるのはじつに楽しいことでした。

>>84
アミナダブの論理が好きになれないってのは分るような分らないような。
去年刊行された作品集はいかがでした? 
「本当のところ、私を魅するのはその公正さなのだ」(「死の宣告」)

ブランショのフィクションは死と死ぬこととの、あるいは死ぬる者と死者とのあいだで交わす
あらがう言葉たちでもあるのでしょうが、きわめて個人的に、「魅力」について描かせたら
この人の右に出る者はいないと思っています。
美的薫陶に陶酔するでもなし、その熱狂に感染するのでもなし、つねに思議ならざる魅力です。
彼の魅力への書き込みはすでに生活の一部分になっているくらいです。

>>85
やたら脱字が多くて損していますよね。天沢訳が再刊されるのでしたっけ?
天沢訳より篠沢訳の方が好きなんですけどね。

書肆心水が三輪さんに死の宣告|永遠の繰言を改訳させなかったのは腹が立ちました、正直のところ。
あの帯はなに考えてるんですかね。いきなり冒頭から「写真が現れても見ないように」っていうお願いがあるのにねえ?笑
でも、読者が増えるのはいいことなんでしょうね…
89吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 21:03:17
>>88
「死ぬる者と死者との間で交わす言葉」というのは具体的だからわかる。
「死と死ぬこととの間で交わす言葉」というのは、
通常では決してたどり着くことのできない「死の空間」の輪郭を捉えるための、
死に接近した人間の言葉ということ?
俺がアミナダブを読んで感じたのはそういうことなんだけど、
死の空間=外から見た窓の中の眺め
生と死の境目=同じ家の二階と三階の境目(だっけ?)
というふうに描くものが抽象的に書かれていて、
それがどんなものなのか直観的に捉えることができなかったっていうこと。
ただ死の空間というものに対するブランショの考えは明確に示されていたから、
そこはやっぱりよかったよ。
それとあなたの言う作品集は読んでない。
90吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 22:36:58
わかりました。アミナダブに話を限りましょう。
文学空間から引用しだすとキリがなさそうなので、ここではさしあたり

ただ、ちょっと確認しておきたいことがあります。
(読んで感銘を受けたのはずいぶん前のことなのでご容赦願います。
こちらにはアミナダブは明確というよりもショックでした)

わたしの死への近接、死の近傍のわたしというのは、
たとえばホイットマンのすぐれた詩のなかにも見られます。
参考:「前庭にリラの咲き初めるころXIV」から
The night in silence under many a star,
The ocean shore and the husky whispering wave whose voice I know,
And the soul turning to thee O vast and well-veil’d death,
And the body gratefully nestling close to thee.
ここでの擦れあうほどにも近づくことのできるあなた
(すっかりヴェールに覆われ茫漠たる死)への歩み寄りは、いわば不動の軸に
沿った漸近線の運動であり、無限接近に終始すると言ってもよいでしょう。
91吾輩は名無しである:2006/03/07(火) 22:38:05
前レス訂正 さしあたり、→さしあたり目移り的に。

(承前)
>直観的に捉えることができなかったっていうこと
トマは彷徨します。「視線が眼前ほんの数歩のところ」を追いかけて、ぐるぐる
回っているうちに「あの接近不能の区域」にいつの間にか入りこんでいるという具合です。
作中で確乎たるものは(もしあなたがトマの発語を信じるならですが)、
「たった一本の道、きみをふたたびいまここに見いださせてくれた道」のみです。
その道をたどり、いまここに「きみ」を見いだしたトマから、卒倒以前の記憶が
失われていることはいくら注意しても足りないくらいかもしれませんし、
おそらく同一人物のバルブとリュシーとの差異は解消することがないのですが、
ここではそのことに触れません。また別の機会にでも。
「きみ」というのは読者のことかもしれませんし、そうじゃないかもしれませんが、
こちらはわたしのことだと受け取っています。

たいした内容もないのに長くなりましたが、問題は、トマが《誤りなき彷徨》の案内人、
魅了された魂のようなもの、あるいは自己を失うにいたるまで苛烈に投企する「熱っぽさ」や
確執の謂いなのか、それとも、もっと直截に、なにか致死性のウィルスのキャリアのようなもの
(たとえば或る種の革命思想)なのかということです。

余談ですが、最近福永の「冥府」を読んで是非再読したいと思っていたところです。
89さん、ブランショはほんとうに面白い!
92吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 12:39:53
俺も読んだのはだいぶ前だから、
「たった一本の道、きみふたたび今ここに見出した道」
がどういう場面で出てきた言葉か覚えてないんだ。
それによってもしかしたら話が変ってくるのかもしれないけど、
俺は確か死というものがトマの体験の中にしかなくて、
読んだ自分自身の体験にならなかったということを覚えている。

でも「文学空間」でブランショは文学空間がどんなものか直接書いてたでしょ。
そっちではぼんやりとだけど感覚的に捉えるができた。
だからその違いに不満があったということ。
もしかしたら、アミナダブを小説として読んだのが失敗だったのかも知れないけど。
93吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 18:04:25
もしあそこで「見出す」にあてがわれているフラ語がre-torouveなら「再探求する」の意味合いを兼ねもするでしょう。
ここでの両義性は止揚されなくても構わないと、勝手に思っています。
そういう意味でブランショのフィクションに不満を覚えない人はいないんじゃないですかね……
ページ数は指定しません。せっかくですし、お楽しみに取っておきましょう!

アミナダブは小説として読んでよかったのだと思いますよ。私見にとどめておきますけど。
訳書にして一行アケなしでぶっ続けに十万字弱、巨魁作と言ってよいものですが、片言隻句各レベルで読めます。
恋愛小説としても読めますし、89であなたの言うような意味合いでカメラ・オブスクール型の冒険小説でもあります。
小説として読みながら思想書に横滑りさせた人も少なくないでしょう。
『文学空間』は最も信頼に価いする註釈書として通用するでしょうが、それは各人の選好というものです。

野暮を承知で訊きたいのですが、でも、感覚的というのはどういうことでしょう?
なにかひそかなものにとどまらせるように仕向けて、とどまることでその近しさの中へ
導いてゆくかもしれないものとしての感覚というなら話は分ります。
打ち明ければわたしの読書に一番大事なものです。
しかし、ここでことさらに対立するつもりはないのですが、上のレスを読むかぎり、
あなたにとって死の空間にまつわる「感覚」という語句の無限定な多義性と、
それの意味する事柄の無統制な多様性がもっぱら反映している昏迷とアテにならなさとを、
開示できるかぎり開示してもう一度ありありと描きだしたのが『文学空間』だった、
そのように取りました。誤解でしょうか。

「作品と伝達」の章に書き込まれたレンブラントのまなざしが大好きです。
ああいう病みつきな読書をしたいっス
94吾輩は名無しである:2006/03/08(水) 18:12:51
誤 re-torouve 正 re-trouve
お咎めなしで宜しくお願いします。

アミナダブ読みやすいソフトで再刊されないかなー
二段組み・三段組みって合わないような
95吾輩は名無しである:2006/03/09(木) 02:34:17
おそらく俺の実感を言葉に置き換えて分析したら、
あなたの言うこととかなり似通ったものになると思う。でもそうだと認めたくはないね。
あなたが言っているのは多様な感覚が好き勝手に結びつき合って生まれた一つの総体、
ということのようだけど、
少なくとも俺の体験には起点となる具体的な像がある。
その像を自分の体験がなぞっていくという感触があったとき、
その体験があったどこかに対して感じる感覚のことを言った。
うまい説明は俺にはできないが、とにかく分類は同じでも、
あなたの言うような無機質な感じとはまるで違う。
96吾輩は名無しである:2006/03/09(木) 03:41:11
w
97吾輩は名無しである:2006/03/09(木) 06:07:26
おはようございます。
  死死ぬ死ぬこと死んだこと死んでいること死につつあること、すでにして死んで尚あること... etc.
ブランショを読むのに親しむあいだ、死を連呼するのはなんだかまずいような気がしています。

入信のお誘いじみるのは火を見るよりあきらかなので、93に対しての自註は控えます。手前味噌のヤワなレスは無用でしょう。
あなたが真剣に書き込んでくれているようなのがうれしいからです。でも、アミナダブが十万字ということだけは訂させてください。
正しくは二十五万字弱です!

モノグラフィー的な作家スレッドなので私事を書き込むのには気が引けますが、じつはですね、
わたしにもあるのです。>たしかにその体験が起ったここ(とはどこか?)みたいな体験が。
なんとなくお分かりになるでしょうが、『文学空間』は罪状と贖宥状とを一緒くたに突きつけられたようなものでしたよ……、
ま、依然いまでもそうですけど。
ただ、恩着せがましいようでもブランショの訳書に出会ってから実生活上、いくらか身動きを取りやすくなりました。

>体験の起点となる具体的な像
「作品の空間と作品の要請」の章は出エジプト記に標された戒律のひとつへの分析が与えられることで締めくくり始められています。
ここでは二段落あるうちの始めのほうのことを言っています。後のほうの段落は締めくくりとはいえ、牽強付会というものでしょう。
(いきなり登場する《イマージュ像/形姿フィギュール》この2つの異様な観念ないし語句に籠められたおそろしさ・禍々しさは、
いくつかの中期フィクション群を読むにあたって大いに参考になるかと思います。平ったく言えばキーワードです)
世間にざらにいる恋愛マニアにとって、これほど耳の痛い記述もないんじゃないかと思われるほどの舌鋒の鋭利さです。
要約はしませんが、外に惹き留められた者たちの陥る状況を、緩寛させるところなく、容赦なく暴くべき欺瞞と取るか、
昔語りの伝承にかくまわれて牧歌的に営まれるキャンプの自律的なエコノミクスと取るか、
あるいは血腥い滅びのあとにペンペン草も生えないようなところに高まる蜂起寸前のざわつきと取るか、人それぞれでしょうね。
いわゆる文学観がモロに反映する条りのように思いますが、あなたはどう思われますか?
98吾輩は名無しである:2006/03/09(木) 06:18:57
あと、もし未読でしたら、来るべき書物のウルフに割かれた章だけでもお読みになってはいかがでしょう。
改訳されたものが非常に読みやすいこともあって、入手困難なのがムカつきますけど、
図書館でもいいですし、古本屋にもたまに見かけますので。

それと、起きぬけからヨタをとばしたついでに…

去年のいま頃「デリーヴ2」という曲の録音が発売されまして、さっきゲソオソ(現代音楽)板を覗いてきましたら、
ファンからあまり芳しくない評判のようでがっかりしましたが、どっこいコレまたブランショブランショしています。
もちろん、これはきわめて主観的に。もし余裕がありましたら騙されたと思って聞いてみてください。
代表作のシャール詩による曲の新録音も収録されています。jpのほうのアド貼っておきます。何枚でもどうぞ。
(日本盤)www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000793AQU/

>>96
なにニヤけてやがる。「飲んだこのお酒からあたしを解放して」これが、窮極の言葉だ。わかったか。
99吾輩は名無しである:2006/03/09(木) 20:50:37
>2年でバルト読ませる教官もいますから。

おいおい、日本語ででさえ大学二年でどれだけの人間が
バルトなんて理解できるんだよ。 すげえ教官だなw
100:2006/03/09(木) 21:18:20
レスが続いていますね。
97に書かれている
>いきなり登場する《イマージュ像/形姿フィギュール》
>この2つの異様な観念ないし語句に籠められたおそろしさ・禍々しさ
このあたりを読者の方々に聞いてみたいのですが。
101吾輩は名無しである:2006/03/12(日) 23:46:29
>原版謎の男トマが再刊
これってホント?
102:2006/03/12(日) 23:52:12
ちょっと待っててね…… ほら、見つけた!

www.amazon.fr/exec/obidos/ASIN/2070776301/

嘘じゃないです。
わたしのブラウザだとPremi鑽e versionって表示されちゃいますけど。
わたしもブランショみたいに思考を研鑽したい笑
103吾輩は名無しである:2006/03/12(日) 23:58:38
第1版の復刊すごい!
翻訳されるかな?
104吾輩は名無しである:2006/04/02(日) 21:13:19
むむむ
105吾輩は名無しである:2006/04/08(土) 20:50:37
ブランショなんか読んでるの?
あんたらスゴイな。
106吾輩は名無しである:2006/04/08(土) 21:38:06
ほんとだね。
俺にはさっぱりだけど。


『踏み外し』と『明かし得ぬ共同体』、
『カミュ論』だけは持ってる。
107吾輩は名無しである:2006/04/09(日) 03:20:01
『文学空間』読み始めたが難しい。。。
どういうことを言おうとしてるのかなんとなくわかる気はするんだが
センテンス毎に細かく意味を捉えてゆこうとするとサッパリ
『踏み外し』は案外理解できたんだけどなあ
108吾輩は名無しである:2006/04/09(日) 08:51:29
センテンスごとに捉えようとしちゃいかんよ

中心は移動するんだから。
各センテンスはジグソーパズルの個々のピースのようなもんなんだから
109吾輩は名無しである:2006/04/09(日) 12:49:21
ブランショじゃないけど

『折りゆく人』 (李春 連 文芸社 2005)

  読んだ人いる?
なんかアマゾンのレビューがスゴイけど。
あとがきによるとこの人はブランショとデリダに
何か自分の答えを送ろうとしたみたいです。
けど、その前に二人とも死んだので
結局届かず、これはそれが浮遊化(?)
したものらしいです。

読んだけど正直全然分からなかった。
会話文でも分からないところがある。
けどブランショを読むような人なら
おもしろいと思うよ。長いけど・・・。

ブランショの翻訳待ちの人は読んでみたらどうですか?
110吾輩は名無しである:2006/04/11(火) 08:18:09
あげ
111吾輩は名無しである:2006/04/23(日) 11:26:54
保守
112吾輩は名無しである:2006/04/24(月) 07:03:37
『来るべき書物』復刊候補なったからみんな投票すれ
ttp://www.kinokuniya.co.jp/01f/fukken/kouholist2006.html
113吾輩は名無しである:2006/04/25(火) 14:19:41
「ブランショ小説選 謎の男トマ 死の宣告 永遠の繰言」(菅野昭正・三輪秀彦訳)
「私についてこなかった男」(モーリス・ブランショ、谷口博史訳)
「言語と文学」(モーリス・ブランショ、ジャン・ポーラン、内田樹訳)

購入あげ。
114吾輩は名無しである:2006/04/27(木) 02:24:49
断章形式の小説ってどれ?
115吾輩は名無しである:2006/04/28(金) 22:58:44
ちょっと立ち読みしてみたけど
『最後の人』って面白そうだね
働けるようになったら購入しよう
116吾輩は名無しである:2006/04/29(土) 12:26:34
『白日の狂気』はみなさんどうですか?
117吾輩は名無しである:2006/05/01(月) 23:11:15
昨日リュクサンンブールの近くのクイックでブランショ見かけたよ
あそこの店最近トイレがダイヤル式になったの知らないらしくて無理矢理ドア開けようとしてたよ
118吾輩は名無しである:2006/05/01(月) 23:14:37
白日の狂気乙
119吾輩は名無しである:2006/05/01(月) 23:26:50
1ユーロ30のコーヒーすすりながら物思いに耽ってたみたいだった。
いっしょにいたおっさんてあれだれ?
120吾輩は名無しである:2006/05/02(火) 04:20:58
いいすね
121吾輩は名無しである:2006/05/02(火) 22:12:22
若い仏文研究者たち(安原伸一朗、西山雄二、郷原佳以)の共訳の『ブランショ政
治論集』(月曜社)をいただく。400頁の大物である。
つい先日谷口博史くんから『私についてこなかった男』(書肆心水)の新訳を頂い
たばかり。どうやらブランショ再評価の動きがひそかに起こっているらしい。
何度も書くけれど、私はブランショの『終わりなき対話』(Entretien infini,
1969)の全訳が20世紀のあいだに出せなかったことを日本の仏文学者の犯した最
大の失敗のひとつだと思っている。
あの本が1970年代に日本語で読めるようになっていたら、おそらく現代の日本
人の知性はコンマ何ポイントが上がっていただろう。
それだけの知的なインパクトのある書物というものが存在するのである。
翻訳というのはアカデミズムの世界では相対的に評価の低い仕事で、学界的な査定
基準では、10年かかって仕上げた1000頁の翻訳よりも一月で書き上げた10
頁のペーパーの方が評価ポイントが高い。
でも、専門家しか(専門家でさえ)読まないようなペーパーを書いて評価ポイント
を稼ぐことよりも、海外のすぐれた作家や思想家の業績を、誰でも読めるかたちで
提供する仕事の方が、学問的な「贈り物」としてはずっと上質のものではないのだ
ろうか。
残念ながら、そのような「雪かき仕事」に打ち込む学者はほんとうに少ない(柴田
先生のような方は例外中の例外である)。
それゆえ、私は谷口くんや安原さんたちの労を多とするのである。
みなさんも訳書買って、翻訳者の「雪かき」の応援をしてくださいね。
ブランショはいいですよ。

122吾輩は名無しである:2006/05/02(火) 23:10:48
誰あんた
123吾輩は名無しである:2006/05/02(火) 23:50:36
俺々
124吾輩は名無しである:2006/05/02(火) 23:54:08
内田乙
125吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 00:40:33
674 :吾輩は名無しである :2006/05/02(火) 16:10:02
ピンチョンは違うけど、ブランショはセカイ系。これはガチ。
126吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 01:53:43
誰よ内田って
127吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 02:16:13
レヴィナス訳者の樹に敬礼!

それにしてもセカイ系っていう語句はすごいインパクトがあるな。
128吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 15:16:35
セカイ系って
ラノベとかエヴァとかのアニメ(批評・分析)から出てきた言葉だっけ?
あんまりああいうの好きじゃないけどなあ
129127:2006/05/03(水) 15:40:49
褒めてくれ。セカイ系でググッたぜ!
好きじゃないああいうのって、セカイ系の諸作? セカイ系っていうカテゴライズ?

大風呂敷ひろげて社会情勢の描写から出発したのに、
いつのまにか登場人物各々が自閉してめでたしめでたし、ってのは単に力量不足だろうね。

以下は上とおなじ出所らしいブログから失敬した文章だけれども。
ブランショの小説はどうだろう。「セカイ系」だろうか?

「ブランショはこう書いていた。

「どうしてただ一人の語り手では、ただ一つの言葉では、決して中間的なものを名指すことが
できないのだろう? それを名指すには二人が必要なのだろうか?」
「そうだ。私たちは二人いなければならない。」
「なぜ二人なのだろう? どうして同じ一つのことを言うためには二人の人間が必要なのだろう?」
「同じ一つのことを言う人間はつねに他者だからだ。」(『終わりなき対話』)」

終わりなき対話、どうしても日本語で読みたいよね。ここは同意のほしいところ。
130吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 16:06:07
>>129
セカイ系の諸作
ってたいして知らないけど

そのいわゆるセカイ系の登場人物たちの自閉の仕方って
ブランショ的な自閉?を無意識にでも「知って」或いは「体験」しているのだろうか?
どこまでも「私」に留まり続け拘り続けるしかない自閉にしかすぎないのではないだろうか?
他者(「私」の中の「他者」でなく)の承認を得られれば癒されてしまう程度の自閉なのではないか?

まあ、たいして知りもせず言ってるんだけどね
131129:2006/05/03(水) 19:09:17
どっかしら険のある書き込みだね。

たいして知りもせず言うのはこちらもそうだけれども。
両者の違いかたをはっきりさせて比較するのは無益だろうしさ。
ましてやエヴァンゲリオンのTV版と映画版との違いかたとか話してもね。
ブランショの小説に見世物の要素があるかな?
野次馬根性ではちょっと随伴できないような気がするな。(『至高者』は別として、かな。)

私見にとどめておくけれども、ブランショの小説が評論と違うのは
閉じられることを宿命とする精神のかたちだからなんだと思う。
「死の宣告」以降は翻訳をたどっていてもこんなふうな読書の感じがあるでしょう?
……(開く閉じる)閉じる(開く閉じる)閉じる(開く……閉じる)閉じる
の各閉じるがひとつの開くの2/3ずつというかな。

ブランショの「私」がどの程度どしがたいか、ってのは難問だね。
だいたいが死んでんのか生きてんのかのどっちかがわからないにせよ、
とにかくいつも瀕死だし、窮すれば通じるっていう神頼みもなさそうだし。
132吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 21:42:22
近代的セカイ系の開祖がボードレールだな
133吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 22:11:59
ボードレールは散文詩のが好きだな
「不都合な硝子屋」とか「年老いた香具師」とか
『悪の華』って今読むとかなり凡庸な気がするんだが俺の読みが浅いのだろうか
134吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 22:19:55


でも IDが ZZZZZZZZ って笑えるなw

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1142299172/876


135吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 22:23:02
その近代的な凡庸がはじめて文学史上に登場した記念碑が『悪の華』ってところかな。
今では珍しくもなんともないが、それまでこんな男はいなかった。

セカイ系詩人の前では全てがアレゴリー!
136吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 22:25:03
あ、ただし女はいた。
137吾輩は名無しである:2006/05/03(水) 22:44:37
セカイ系をアレゴリーにまで煮詰める作家がいればいいんじゃね?
138吾輩は名無しである:2006/05/04(木) 11:34:28
>>88
>つねに思議ならざる魅力

いえてる。良スレだな
139吾輩は名無しである:2006/05/07(日) 18:51:17
前スレ (http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1039370945/)は
まだmentaiのほうで読めないですかね。
140吾輩は名無しである:2006/05/09(火) 19:36:05
『折りゆく人』 age yonde

小さな螺旋を描きつつ、
君に送る歌

金字塔を生みし君へ
墓を見上げた君へ
若き旅人へ
世界を見た君へ
名も無き君へ
141吾輩は名無しである:2006/05/10(水) 17:39:36
宣伝したいんならもっとあからさまにしたほうが面白いのに。
142吾輩は名無しである:2006/05/10(水) 19:57:55
宣伝したいというか読んだ感想がキキタイ
143吾輩は名無しである:2006/05/10(水) 21:02:36
解たん掲示板を荒らしてたゴーグルがついにここにも登場か
144吾輩は名無しである:2006/05/10(水) 21:33:00
詳しく
145100$:2006/05/14(日) 17:19:37
『白日の狂気』を読んだのですが
どうしても乳母車のところがうまく理解できなかったデス。
あれは幻覚なんでしょうか実際に見たことなんでしょうか。
146吾輩は名無しである:2006/05/14(日) 18:01:47
完全に理解できなかった百弗さん。錯乱にいたるまで興奮していますか?笑

「短い幻覚をみた」のは実際のこととした方がよいと思います。
語り手が幻覚をみたことが、断章を分けることで、その幻覚の内容や真偽を宙に吊り下げたまま
物語のなかで光景・出来事となっています。
外で実際に幻覚をみたことを外の外でさらにみているのではないでしょうか。

ちなみにわたしは若い女が姿を消したことについて理解をやさしくするのに、
テープのダビングを何度も何度も繰りかえすと元の音が結局消えてしまうという現象を思うのですが、
幾重もの光の過剰と言いますか
147100$:2006/05/14(日) 22:06:24
>>146
早速のレスありがとうございます。
乳母車のシーンはやはり幻覚は幻覚なんデスね。
そして「幻覚を見た」ことは実際の経験であったと。
>外の外でさらにみているのではないでしょうか
>幾重もの光の過剰
なかなか難しいデスね。
そして、語り手を錯乱にいたるまで興奮させたのはなぜか、
これもよくわからないのデス。。。
148吾輩は名無しである:2006/05/15(月) 15:16:48
あ、なんか詳しい人いますね。ぼくも質問あるんですけど。
「死の宣告」であの女(名前失念)が鍵を盗んで入った部屋のタンスで
見つけたのって何でしょうかね?
その後鍵と一緒にあった名刺の人に連絡して、確か
顔と手の型を取ってもらったって言ってませんでしたっけ?

前に出てたら失礼。
149146:2006/05/15(月) 18:07:29
>147
雑な書き込みでした。ごめんなさい。なぜ錯乱状態にまで興奮せしめたかということにかんして、
初読のときには岩波文庫『精神哲学(上)』の狂行または狂気の章にある記述を思いうかべて、
そこをパラパラやってわかったような気がしていたんですが、
錯乱状態にいたるまでの興奮が幻覚を呼びこんだというようではありませんし、非常に冷徹な話者です。
「そうした瞬間をわたしはとらえたのだ。」とあるあたり、
やはり若い女が姿を消した瞬間がどのような性質のものであったかが問われてしかるべきなのだろうと思います。
あなたは「外では、わたしは短い幻覚をみた」以降の供述を受けて、どのような光景を思いうかべますか。
読者もまた、閾をまたいでいたにもかかわらず、後ずさりしつつ、門のところに控えて、消えていくことを定められたテクストの目配せを感じつつ、
何度でも繰りかえすよりないでしょう。つまり、わたしの読解としては、乳母車を操作する若い女→ テクスト『白日の狂気』
一人の男→ 読者の読み というふうに仮設しているのですが、参考になりますか。
150149:2006/05/15(月) 18:09:10
ぜんぜん詳しくありません。たんに彼の作品を読むのが大好きっていうか、そのレベルです。
でも、どんなふうにみなさんが読んでいるのかな、ということに興味があります。

>148
鍵をあけて箪笥の中にあったものは、あの事件の〈生きた〉証拠品らしいのですけれど、それについては明言されていませんね。
察するに、送りつけて手相を占ってもらった際のJの両手の石膏型なのでしょう。
後日彫像師から返送してもらったものか、それとももうひとつ余分につくってもらったのか、そこまでは読みとれません。
(デスマスクやライフマスクの類ではないと思います。)
「私はその様子をここで描き出すことはできないが、いまもなお私の目の前にあって、生きつづけている。」

箪笥の鍵と一緒に財布の中にしまってあったものが名刺で、その名刺に書いてあった連絡先は彫像師Xのもの。
あの女(名前失念とはお上手ですね笑)は手と顔の石膏型をとってもらったんじゃなくて、石膏型をとってもらう計画をXに持ちかけたんじゃありませんか。
こちらが知りたいのは「なんでそれが危険な手術なの?」ということです。
写真撮影が魂を引っこぬくとか、そういう意味合いかなとか思っているのですが、そちらはどのようにお考えですか。よかったら聞かせてください。

このXという記号なんですけれど、彫像師の名前としてだけじゃなく、書き手の名前として用いられている箇所がひとつあるのですよね。
「X? 可哀そうに、十字架をのせてやって下さい」
石膏型の件を手術と書くことで、そちらへの昏迷の連想水路を拓いているのかな、とか、そんなことを思ったり。

前に出てるとかそういうのは気にしなくていいんじゃないでしょうか。
151148:2006/05/15(月) 21:56:27
>>150
ていねいなレスありがとうございます!
あの部分、なんかすごくやう゛ぁい感じがして、気になってたんです。

だけどもしタンスの中身が両手の石膏型「だけ」だったら、あの女が
「顔と手の」型を取ってもらおうと思いつきはしないんじゃないでしょうか?

ここからはもう、妄想になってしまいますが、
ひょっとして「人形」じゃなかったのかな、と。
昔の西洋の(wすごくアバウトですみません)「人形」って
顔と手だけ陶器だとかで作ったやつあるじゃないですか。
タンスの中に死んだ女の等身大人形……wwwやっぱ違うかなww

だけどそれにしても「危険な手術」とは言えないですよね…
石膏は固まる時にかなり熱くなるからかなあ。
顔だったらびびるかもしれないけど。
152150:2006/05/16(火) 00:47:04
丁寧じゃないです笑 [150(誤)彫像師から →(正)占い師から]
「手術」は、たぶん訳文の不備なんでしょうけれどね。英語のオペレーションだとして、
作業とか、まあ本来はそのようなニュアンスなんでしょう。このあたり、ちょっとこちらには判じかねます。

>>151
鍵をかけてある中に、大事にしまいこんであるものが、ただ非常にうつくしい両手の石膏型のみだったら、
彼に思いを寄せる人はそれを見て、なにかしら不吉なかげを感じるでしょうし、うしろ暗い思いに駆られるだろうと、
そのくらいに思っていたのですが、しかし、人形とは大胆ですね! イメージとしてはアンティークの、ですよね?
たしかに、その方がしっくりくるかもしれない箇所というのもありますが…… うへえ!

前レスを書きこんだときには見落としていましたが(なにぶん久しぶりにめくったもので、すいません)、
あの女は彫像師Xのところへ足をはこんでいるようです。そこでなにを見たのでしょうね。
たぶん、あの女が手だけでなく、顔までも石膏型をとってもらうという計画を思いついたのはそこへ行ってからなんです。
もし目論見が自分の人形づくりだったとすれば、おそらく彫像師のところにあったのはJ版の完成形、
ほんのりとした彩色をほどこされて衣装を着せられたJの人形…… うへぇ!

わたしは、箪笥のなかにあったのは手だけ、彫像師のところにあったのは人形、ということにしておきたいのですが。
いかがでしょうか。
153148:2006/05/16(火) 13:57:19
ほんと、うへえ!ですよねww

だけど人形が関係してるとすれば「生きた証拠品」とか
「いまもなお私の目の前にあって、生きつづけている。」っていう表現や、
タイトルのダブルミーニングとか、しっくりくる感じが
しないでもないwwですよねww
もっと妄想飛ばしましょうかww

ハンス・ベルメール(1902〜1975)。

1934年に自費で人形の写真集出して、パリのシュルレアリスト達にすぐに
指示されたようですね。36年には仏語版出版。

1947年にパリで初めての個展、同年、彼の版画入りの「眼球譚」も
出版されてます。バタイユ経由で接点ありえますよねwwww

1948年「死の宣告」出版。うへえ!

なんてねwww
154吾輩は名無しである:2006/05/16(火) 17:52:36
いよいよ妄想天国になってまいりました!

――写真が現れても見ないように
宮沢賢治の春画蒐集趣味どころの話しじゃなくなってきますね。

球体関節人形のデペイズマンで名を知られた作家であると。
ベルメールというひとは制作した人形作品を写真に収めるという手法をとっていたと。
彼のデペイズマンは、大雑把にこんな感じでいいのですよね?

例文A  シモーヌは/ズボンごしに/猛り立つ/私の/竿を/つかむ(のだった。)
これを順に[頭部][左腕][右腕][胴体][左脚][右脚]としておくと、
例文A´ [左脚]竿を/[右脚]つかむ/[胴体]私の/[左脚]竿を/[右脚]つかむ

バタイユを経由してブランショへの紹介がなされたということも多分にありそうなことですが、
ベルメールが1942年から対独レジスタンス活動に身を投じていたということ、
ブランショもまた、マキに参加していたらしいということを勘案すると、そちらの人脈かなと思います。
各パーツに分解すれば、義手や義足のようなものですから、秘蔵していたという可能性も……

ブランショとスキャンダル。うひー
――あなたはこの財布でいいことばかりはなさっていないのね。
155100$:2006/05/16(火) 23:33:23
>>149
146さん、再び早速の返答に感謝デス。

>あなたは「外では、わたしは短い幻覚をみた」以降の供述を受けて、
>どのような光景を思いうかべますか。
このパラグラフでは話者は冷静に写実的に描写していますね。
けれどこのあとのあとのパラグラフでは話者の身の丈が異様に伸び、
幻想的な描写になりますよね。そのギャップがはかりにくい上に、
そのすぐあとのパラグラフでは、これらは「実際にあったこと」とされる。。。

>つまり、わたしの読解としては、
>乳母車を操作する若い女→ テクスト『白日の狂気』
>一人の男→ 読者の読み 
>というふうに仮設しているのですが、
はぁー! 充分に得心がいったわけではないのデスが、
そういう読み方もあるんだなー、と感心しました。
156148:2006/05/17(水) 11:45:03
>>154
超ウケww最終行の引用やられるww
ブランショねたでこんな笑えたのははじめて。
つきあってくれてありがと。ここらでやめとくわww
またね!
157吾輩は名無しである:2006/05/20(土) 21:58:13
「コミュニカシオン」の空間は歪んでいる。(果てしなき対話)
158吾輩は名無しである:2006/05/21(日) 01:11:40
うぉ〜 ここに書いてあることワケわかんねえ。。。
159吾輩は名無しである:2006/05/21(日) 01:29:04
電波っぽいレスが混じってないか?
160吾輩は名無しである:2006/05/21(日) 01:36:01
俺も端から眺めてただけだが全く訳わからん
もっともブランショの小説は未体験なんだが
現在『文学空間』読書中
161吾輩は名無しである:2006/05/21(日) 01:42:36
まぁブランショ自身が電波っぽいところ無きにしも非ずだからな
162吾輩は名無しである:2006/06/05(月) 21:22:29
今日、行った古本屋に『私についてこなかった男』(2000円)、
『言語と文学』(2300円 )があったので
『言語と文学』だけ買ってきたよ。
163吾輩は名無しである:2006/06/07(水) 12:35:01
☆ブランショの顔写真☆☆
哲学板のブランショのスレでみつけました


http://www.shoshi-shinsui.com/blanchot-tete.jpg

http://www.ne.jp/asahi/artist/nakamura/enkei/photo22.jpg

http://www.mauriceblanchot.net/blog/images/blanchotbest.jpg
(右にいるのはレヴィナス)
164吾輩は名無しである:2006/06/27(火) 22:58:25
新刊期待あげ
165吾輩は名無しである:2006/06/28(水) 02:05:39
>>1
マジアスェッタからw
この部分↓

前スレ
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1039370945/

1907年9月27日-2003年2月20日
166吾輩は名無しである:2006/06/29(木) 04:09:40
集英社の箱入りで
ブランショとグラックの入った巻があるけど(アミナダブ/シルトの岸辺)
あれって相場いくらくらいですか?
1500円くらいで売ってたのですが
ああいう端本って
105円で売られてるケースが多いような気もするので・・・
167吾輩は名無しである:2006/06/29(木) 05:02:38
自慢じゃないけど端本なら「集英社版世界の文学」は十何冊か吾家にあるよ。
訳出されたきり、あそこでしか読めないものがいくつもあるね。
ビニール・函、帯・オレンジ色の月報なんかが揃って並本なら一冊500円が相場かな。
というかそれ以外の値段で買ったことないや。参考にならなくてごめんね。

アミナダブには★(版権独占)印がついているけれど筑摩書房の筑摩世界文学大系のほうにも
5年しか経っていないのに収められているから、将来文庫化なんてこともあるような気がしてならない。
たしか訳の手入れはなかったと思うけれど、二段組みだから、筑摩のものよりかはずっと読みやすい。
168吾輩は名無しである:2006/06/29(木) 08:24:36
>164
書肆心水のHPを見ていたら(試ミズって読んじゃだめなんだよね?)
天沢退二郎の至高者のほかにも(天沢さんは改訳するんだろうか?)
谷口博史氏の言葉と暴力(みすずに掲載されていたやつだよね?)
若森栄樹氏の「日本」精神分析(白日の狂気の訳者だったよね?)
なんかが近刊予定ってあったよ。楽しみだね!
169吾輩は名無しである:2006/06/29(木) 20:44:34
うへぇ〜 うへぇ〜
170吾輩は名無しである:2006/07/05(水) 05:00:42
文庫はもう出ないのかな。
171吾輩は名無しである:2006/07/28(金) 13:25:22
保守
172吾輩は名無しである:2006/07/30(日) 00:42:58
>>166>>170
シルトの岸辺が文庫化されたからアミナダブも文庫化の可能性ありかも。
ちくまさん頼みましたよ。
173吾輩は名無しである:2006/07/30(日) 01:45:20
シルトの岸辺、文庫になってたんですね。それも筑摩。
それなら世界の文学みんな文庫化して欲しいです。
よろしくちくま文庫。
174吾輩は名無しである:2006/08/12(土) 12:39:19
来るべき書物 モーリス・ブランショ 粟津則雄訳 ISBN4-480-83598-9◆初版1989年◆A5判◆402頁 税込6825円
(本体6500円) 筑摩書房
作品とは、作品に対する期待である。この期待にのみ、言語という本来的空間を手段とし場所とする非人称的な注意が集中する。ブランショの主著。
175吾輩は名無しである:2006/08/16(水) 00:41:00
源泉はヴァレリー
176吾輩は名無しである:2006/08/16(水) 04:03:00
『踏み外し』 『文学空間』 『明かしえぬ共同体』は持ってるけど
批評以外は未読なんだよねー

はやくブランショの小説体験したいっっ

さっさと病気治してお金稼がなくちゃ!
177吾輩は名無しである:2006/08/18(金) 13:57:44
>>176
がんばってください。
178吾輩は名無しである:2006/08/23(水) 12:28:18
郷原たんのBBSにとんでもないレスが来てるな。逆恨みか?

言語態について 投稿者:東大関係者 投稿日: 8月23日(水)08時23分15秒
郷原さんにご質問します。なぜ雑誌『言語態』2号に執筆したあと、研究会の手伝いも
なしに退会されたのですか? 『レゾナンス』ができたからでしょうか? 私はこの
態度に当時非常に怒りを覚え、また、西山達也氏や佐藤朋子氏も同様の態度を取った
ことに、失望の念を覚えました。あなたは、東大仏文のホープとみなされているようで
すが、私は、あなたたちほど、<書いていること>と<実際の行動>異なる人間を見た
ことがありません。小森氏も同様ですが、彼も「言語態」を主導したなどと自著にかいて
いますが、「主導」したというより、むしろ「占領」したのです。自分のために、他人
を使い、ノイローゼにし、他人を「殺そう」としているのです。
あなたも執筆機会だけを奪い、研究会活動へ協力しなかったばかりか、『レゾナンス』が
できたという理由で、言語態へのなんの貢献もなしに、退会したことは、小森氏や上記の
人間と同罪です。
私は仏文関係者ですが、あなたをまったく評価しませんし、あなたたちを一生恨んで
生きていくつもりです。あなたが成功しているのは、その地下に、あなたが殺した人間
がいるからです。このことを、私は、学会関係者に伝えようと思います。あなたのみな
らず、上記の人間たちの<人間性>が、いかに人間的でないかをつたえ、このような
人が大学研究者になっては、日本の学問土壌のためにふさわしくないことを、必死に
伝えます。これまでの身から出た錆として、覚悟しておいてください。
179すげーな:2006/08/23(水) 14:43:38
どう対応すんだろうな。
消すに消せないよな。
180吾輩は名無しである:2006/08/23(水) 17:27:28
消しちゃったほうがいいんじゃないかな。
それか適当に答えてお茶を濁すか。
181吾輩は名無しである:2006/08/23(水) 19:47:57
Gさん管理の掲示板ですから、どうなさるでも。
さわらぬ神に祟りなし。としてスルーが良いかと。

逆恨みのようなことは多かれ少なかれ学内であることですし、
あまり気になさらず、Gさんにはご活躍いただきたい。

それはそうと、『来るべき書物』楽しみだなあ。
182吾輩は名無しである:2006/08/23(水) 21:03:18
なんの仕事ももらえず、研究会と称する
しょぼい同人活動しか生き甲斐のない
人文系落ちこぼれ院生の恨みはこえーな。
183吾輩は名無しである:2006/08/23(水) 21:45:29
つかこんなやついるからみんな退会したのでは?
184吾輩は名無しである:2006/08/23(水) 21:53:03
この程度のことで一生恨むって狂ってるな。>>183の言うとおりかもしれん。
185吾輩は名無しである:2006/08/23(水) 22:20:17
いやGもGなんだよ
いいけつしてるからっておたかくとまってんじゃねーよ

きみたちこんなとこで密談してないでGの板にかけよ
186吾輩は名無しである:2006/08/23(水) 22:26:27
くだらんなあ
どうでもいいよ

それよりブランショで一番のお薦め小説教えてちょ
187吾輩は名無しである:2006/08/24(木) 06:43:39
男らしい対応だったね。
Gさんの顔写真くらはい。
188吾輩は名無しである:2006/08/24(木) 13:19:04
まあ一番良い対応だったかな。
それにしても研究者同士の嫉妬って怖いですね。
189吾輩は名無しである:2006/08/24(木) 14:16:46
そら、人生かかってますもんな。
190吾輩は名無しである:2006/08/24(木) 14:53:37
くわばらくわばらww

>>186
すごく個人的には「待つこと・忘れること」だな。
191吾輩は名無しである:2006/08/27(日) 04:47:39
去年出た「ブランショ小説選」アマゾンだと無くなってた。
マーケットプレイスだと6000円近い値が・・・。
192吾輩は名無しである:2006/08/27(日) 08:19:21
そんな……。
絶版になるの早すぎでしょう。
193吾輩は名無しである:2006/08/27(日) 11:19:53
都内の本屋では普通に売ってる。
194吾輩は名無しである:2006/09/07(木) 18:59:19
素人で文学空間しか読んでないけど、すごいねこれは。
本気で詩作の本質に迫ろうとしてるね。
これみたいな文学論ってブランショ以外でほかにある?
日本人のでもいいけど。
195吾輩は名無しである:2006/09/09(土) 01:24:00
んー。

まずはブランショ全部読めば?
196吾輩は名無しである:2006/09/10(日) 05:11:09
だあね。
197吾輩は名無しである:2006/09/13(水) 04:51:51
例の東大関係者、7日付の書き込みってどんなこと書いてたの?
198吾輩は名無しである:2006/09/14(木) 16:09:31
さぁね。
他は消してなくて7日だけ消したってことは相当ヒドイこと書いたのか、
知られたくない事を書かれたのか・・・
199吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 22:30:01
誰か内容知らないの?
200吾輩は名無しである:2006/09/17(日) 22:51:28
>>194
なかなか思いつかないな。これほどの密度のものは。
201吾輩は名無しである:2006/09/18(月) 02:17:52
笑わせやがる 投稿者:東大関係者 投稿日: 9月 7日(木)19時49分8秒

 <書いていること>と<実際の行動>が異なることを、自明のこととして
しまうところ、しかも、それを評価してしまうところが、あんたらの甘いと
ころじゃないの? っていうか、そんなこと大学人として通用するのかね?
 あんたらが作家として自分の筆だけでいきていくならばともかく、文学理
論かなにかに依拠して、文学理論をやっている大学人だから、他者への責任
とかなんとかいっておきながら、結局は、言語態を、なんだかんだ留学のせ
いにして断りもなくやめていった、しかも、なんの貢献もなく、というのは、
人間としてどうなのか、留学して金銭的余裕がなかったからやめました、と
いうのは、あまりに利己主義なんじゃないの? つうか、2000年に留学して
書く予定はなかったとかいってるけど、 あんた言語態2号2001年にちゃんと
執筆してんじゃねえかよ。なんなんだ、この矛盾! やっぱあんた学問馬鹿
か、このやろう!!!!!!!!!! なめてんじゃねえよ!!!
なんかまともなコメントしろよ。どうせ、適当な逃げ口上しかかけないんだ
ろうけれど。あんたを物理的に殺しはしないよ、だって。殺したら、こっち
も同罪だからな、精神的に殺していってやるといってるんだよ。
「ホープであるということはそれに応えねばならないことに繋がり、それは
とても重いはずなのです。その意味での責任をすでに郷原さんは果たしつつ
あり、これはとりもなおさず彼女の優れた人間性の証なのではないでしょう
か。」
 勝手に重いとか言ってんな、馬鹿。責任ってなんだよ、それを果たすって
なんだよ、明確にいってみろ。そして、それが彼女の優れた人間性につなが
っているだあ、なにいってるか、わかあんねええええよ。こら。
私が自分の名前書くわけねえだろ。匿名でおまえを苦しめるのが、目的だか
らな。
202吾輩は名無しである:2006/09/18(月) 03:45:48
どうも見苦しい長文だからスルーしたいが長文だからスルーできん。
言語態って、雑誌言語態か。
部外者のうえに、貼りつけられた文章の出所も、そのやり取りの前後も不明で、
事情はわからんのだが、「彼女」が美人らしいことはわかった。
ここでこそ言えることもあるにはあると思うが部外者がここで触れないほうが
いいことなのか。貼りつけたお前の意見をもとめる。>>201

『期待 忘却』の沁みる季節になってきたね。きっと「彼女」は読んでいたろう。

平井訳  「あなたに正しいとおもえぬところをけしてください。」
宮川訳  《正しくないように思えるところは消して下さい》
豊崎訳  「ぴったりしないとあなたにとって思えるところを消してください。」
203吾輩は名無しである:2006/09/18(月) 03:53:34
書き込んどいて何なんだけど、どうブランショと関係あるの。
いつか出ると信じている『終わりなき対話』の邦訳が出るの
おくれたりしないよね? それはちょっと勘弁してほしい。
204吾輩は名無しである:2006/09/18(月) 07:35:29
どこの世界もそうだけど、よくあることだ。
でもこの業界の愚劣なとこはあまりに口だけでりっぱなことをいいすぎる。
自分もそうだけど、その手の集まりに行くとスノッブの群れで吐き気がする。
205吾輩は名無しである:2006/09/18(月) 08:50:17
201です。ブランショと関係ないですし意見もありませんが、
この書き手も女性ではないかと。

『終わりなき対話』は邦訳予定ありなんですか。
 豊崎訳の未定稿をどなたかが改訳するとか?

206吾輩は名無しである:2006/09/19(火) 20:24:25
うーん全ては書肆心水頼み
207吾輩は名無しである:2006/09/23(土) 01:57:49
まあ、みんな書くだけ書いて業績をつくり、アカポスと
知名度をゲットしたいだけってのはわかるから、「東大関係者」
には何をいまさらいい子ぶってんだよって思っちまうな。
つーかロクな対価もないのに地味ーに同人誌づくりなんて
やってらんないだろ、正直。

あと、他者とか正義とかいってるのはあくまでそういうビジネス
の上での話なんだから、はっきり分けて考えてもらわないと。
論文や発表以外の場所での行動・言動でひどい奴だったとか
言われてもねえ。難民話の翻訳とか格差社会批判とか、金か
知名度もらってするのは構わないけど、そのへんのニートとか
デムパの崩れとかを歓待しろって、冗談じゃないよ。

体制の中で、高級感のあるガス抜きって意味で反体制の
ポジションを与えられて、それでメシ食ってるってことを自覚
してない坊ちゃん嬢ちゃんは崩れになるだけよ。こういうことは、
ロータリーとか給費の金もらって外に行く時点でみんなちゃあんと
わかってるよ。仕事柄言わないだけ。

・・・なんて思ってた奴、一歩前へ出ろ!
208吾輩は名無しである:2006/09/23(土) 16:26:02
ノシ

デリダなんかは良かれ悪しかれ実際に行動したけどね。
209吾輩は名無しである:2006/10/02(月) 01:34:20
ちんちん、ぽくのちんちんが、
かってにgさんのいる方を向いてしまう
ぼっきせいちんちん
210吾輩は名無しである:2006/10/02(月) 01:48:38
思考と行動の一致か。または思考と存在の。
難しいね。でも必ず社会生活で破綻をきたすよ。
211吾輩は名無しである :2006/10/02(月) 02:14:33
うしがもう、ちょうがひらひらとんでいました。
さてなんだったでしょう。
212吾輩は名無しである:2006/10/02(月) 02:22:17
でもそれが不可能な思考なんて何の価値もない。
213おまいら¥むせび泣いて悦べ:2006/10/20(金) 05:40:43
いやー、今日の朝、大学遺稿かと思って地下鉄乗ったんだけど、めんどくさくなってまあい
いやって樹枝うー
で降りたんだよね。でもおれ樹枝ウーの学生ではないよ。でまあモンのところでかわいい子が
散らし配ってたからさー
その子からチラシ貰うために、構内にはいったんだよね。俺が言ってる大学よりはかわいい子多
い気がしたけど、でもここにたら、せいこうしょうのあいてをさがすのたいへんだろーなーってお
もってたらさ、ま、おれがいってうrとこけっこうかんたんだからね
やっぱ、りゅうがくせいねらいめだよ、こないだスロヴァキアのことしちゃった
よ、レットルもデルヌ
学科のサ、俺黒人好きなんだけどサイズとか自身無いから自分からモーション欠け
るのはやっぱ怖じけずいちゃうよね、でま、精神分析学科かなんかでセミネールの告
知とかチェックしようかと思ったんだけど
あそこでかいよね。どこになにあんのかわかんなくてさ。それもめんどくさくなって、自
販機でコーヒー飲もうかなって思ったらそのじはんきがさー
よくあるタイプのじゃなくてよく操作の仕方がわかんなかったんだけど、それで
がたがちゃやって
たら、後ろからね、アピュ家すーすぶとん!とかおっさにいわれてさ
ふりかえったら、こいつみたことあるっておもって、かいりみちでかんがえてたら、あいつだよ
、またなまえ忘れた、ブランショ学者でさ、partenaire invisible書いたやつ。それでそのあとと」

ょかんでさーひさびさに、るりーぶるあぶにーるとかよんでたらさ
ぶらんしょってあんま精神分析ってイメージ無いけど、le reelって言葉の使い方なんかが、あら、
ちょっとラカンぽいなーって思ったよ。まあ、否定進学的とか揶揄されるしこうぱたーんだよね
。でもそれをぶんがくとしてやったんだよね。ブランショは。
さっきさ、ねっとでちょっと調べものしてた時に、その出来事お思い出して、いろいろやってtら
、業腹と言う人の写真出て来たよ。ぽいんとはあれだね、かいのいのじをまちがって、似ている
って字で検索しちゃったkとだね
ほしいか?
ほらよ。大して美人じゃないじゃん。ていうかその逆じゃん。そっぺつるつるっぽいけどね。
http://www.gakken.co.jp/withnet/pickup.html
214吾輩は名無しである:2006/10/20(金) 11:52:04
あははおれ男だと思ってたよ。
215吾輩は名無しである:2006/10/23(月) 00:38:22
時々ここには変な書き込みがあるね。
216おまいら¥むせび泣いて悦べ:2006/10/29(日) 23:20:43
あれリンクが繋がらなくなってる
こんな短期間に、本人が削除要請出したのか?学研に
でも保存してあるからね、写真を
しかもこの写真は、本人同意で、というかむしろ本人の利益もかねて
ウェブ上にアップしてあった写真だから、自業自得だ

写真見たい人いたら、アップしますよ
217吾輩は名無しである:2006/10/29(日) 23:45:32
アップしてくれ、何の写真か知らんが。
218吾輩は名無しである:2006/10/29(日) 23:50:27
>216
おまえキモイなw
219吾輩は名無しである:2006/10/29(日) 23:55:23
かいたんの写真か。ならうpしてくれよ。
220おまいら¥むせび泣いて悦べ:2006/10/30(月) 00:22:50
upするのはいいがな、おれはpc弱いんだよ
うpできるサイトとその仕方を解説してくれればするよ

いっとくがな俺はこのスレッドの住民が写真見たがってるみたいだから
リンク繋いだんだよ
結局見たのは214だけかい

それにしてもこの動きの速さは何なんだ
本人ここ見てるか、誰かが本人に通報したのだろうか
221おまいら¥むせび泣いて悦べ:2006/10/30(月) 00:27:19
upするのはいいがな、おれはpc弱いんだよ
うpできるサイトとその仕方を解説してくれればするよ

いっとくがな俺はこのスレッドの住民が写真見たがってるみたいだから
リンク繋いだんだよ
結局見たのは214だけかい

それにしてもこの動きの速さは何なんだ
本人ここ見てるか、誰かが本人に通報したのだろうか
222甲斐よしひろ:2006/10/30(月) 00:47:07
キモイおっさん、何か呼んだか?
そんな平均以下の写真upされても
面白くも何ともねえんだよ。
223吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 00:49:05
でも、尊氏顔ですよ?
224吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 00:51:02
失礼。訂正。
でも、尊師顔ですよ?
225甲斐よしひろ:2006/10/30(月) 00:53:30
はぁ? せめてハセキョウ並でないと駄目だ。
しかし、2分後にレスが入るとは思わなかったなw
226吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 00:56:14
いずれ消えるにせよ、いまでもグーグルでイメージ検索すれば
小さいサイズの画像を閲覧可能です。例の誤字で。一件のみのヒットです。
お早めに。
227吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 01:19:31
あ、見つかったw
想像とは全然違ってた・・・・・orz
228吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 01:21:39
本人もチェックしてるんだろうな。光栄なことだ。
229吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 01:25:11
佳以さん、なんで変な方向見てるんですか?
230吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 17:24:40
なぞの男トマぜんぜん理解できませんでした。
231おまいら¥むせび泣いて悦べ:2006/10/30(月) 21:03:38
しょうがない、親切心から少しだけ解説してやる
この写真は学研の家庭教師派遣システムの講師特集に載ったものだ
この女が横向いてるのは、精子に耐えん顔をしているからだろう
この写真にはコメントがついている

[メッセージ]

 ウィズネットの先生は、全員明るくやさしい実力派がそろっています。私は明るさが売り物です!
 学研ウィズネットの先生たちは、やさしくて、しかも高い実力がある人ばかりです。
 そのうえ、インターネット学習のやり方まで教えてくれますから、クラスメイトより一歩進んだ勉強法をいち早く身につけられます。

明るさが売りか。とうていblanchotienとも思えぬこのコメント
232吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 21:04:49
もういいよ。
233吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 21:33:45
研究者だか翻訳者?だかの内部事情なんてよう知らんし興味もないけど
「顔のない作家」と呼ばれてたブランショがもし今も生きてたら
こういう2ちゃん的な名も無い「私」たちの際限の無いやり取り見てなんて言ったかね?
案外、称揚したりしてたかも?さあ?
234吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 22:17:39
やめなさいよ。

235吾輩は名無しである:2006/10/30(月) 23:04:53
おまいら¥むせび泣いて悦べ

東大関係者?
236吾輩は名無しである:2006/10/31(火) 19:25:42
どっちもごみくず

どっちも 正義感ぶってるくず
237ごみくず:2006/10/31(火) 19:48:38
もういいよ。
238吾輩は名無しである:2006/10/31(火) 20:14:09
例の東大関係者は既に特定済。よって終了。
239吾輩は名無しである:2006/10/31(火) 20:25:30
え、マジ? まあ近くの人間だろうからすぐ特定されそうだが。
240吾輩は名無しである:2006/11/01(水) 00:25:42
そりゃそうだろうねえ。

でも特定されたとしても、
あれだけの悪意というのは
すごいものだと思った。
なんかこわかったもん。
241吾輩は名無しである:2006/11/01(水) 11:29:17
中卒の低学歴者ですが
学歴と品性は必ずしも比例するとは限らないというのがよくわかりました
242吾輩は名無しである:2006/11/02(木) 01:16:58
>>241
何をいまさら、そんなわかりきったことを。
唐の時代の人もわかってたと思いますよ。
243吾輩は名無しである:2006/11/03(金) 03:55:20
終わりなき対話
待ちきれないので、英吾で読もうかなって思うけど、

それについてどうおもう。
244吾輩は名無しである:2006/11/03(金) 04:48:00
>>243
« L'attente n'attend rien. »
「期待は何も期待しない。」

いっちゃええぇえ!
245吾輩は名無しである:2006/11/07(火) 17:49:09
東大関係者、特定?
Kですか、Sですか?
246吾輩は名無しである:2006/11/07(火) 18:30:49
まだ言ってんのか
気持ち悪ぃな
247吾輩は名無しである:2006/11/07(火) 19:03:28
248吾輩は名無しである:2006/11/07(火) 19:37:02
彼だって将来がなくなるだろうに。

かわいそうだなあ。
249吾輩は名無しである:2006/11/08(水) 11:33:01
気持ち悪ぃな

250吾輩は名無しである:2006/11/08(水) 12:01:21
あんなことを書き込んだ奴は自業自得だろ
251吾輩は名無しである:2006/11/09(木) 20:59:46
学問馬鹿
252吾輩は名無しである:2006/11/30(木) 14:10:41
「謎の男 トマ」を読み始めましたが、普通の小説を読むような読み方では
ちょっと歯が立ちません。でも、文章自体には不思議と強い魅力を感じます。
この作品を読むうえでの、なんといいましょうか、コツのようなものを
どなたか教えてください。
253吾輩は名無しである:2006/11/30(木) 14:23:01
教えられるものでもないと思いますが、つねに暗誦の一歩手前で寸止めするように、かな。
とりわけIVの第一段落を(第一段落がトマの読書でしたよね?)入念に刷り込んで。
254吾輩は名無しである:2006/12/07(木) 00:13:12
難しい質問だねえ。
255吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 03:02:12
ブランショットおじさんの作品って裏のそのまた裏まで来てほっとしたらまた裏返されて・・・
みたいなかんじで転倒が際限なく続いていくよーな、ある種の不信感に満ちてるよね?
「この人は人を騙しているんじゃないかと思える・・・」っていうハスミンの呟きは
そのへんのところをさしてるのかもしれないね。そーゆーの料理しづらいからきっと
苦手なんだろーね。ひっくりかえされたり梯子をはずされて恥をかかされるのが
嫌なんだろう、偉い人だから。
でも、おれみたいな凡人はそーやって翻弄されながら読ませてもらうのがただただ幸せに
感じられるんだからある意味ブランショットおじさんの特権的な読者なのかもしれないぞ。ピース!
256吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 03:25:14
コツは理屈で考えないことだよ
まあ本当は壮絶な理屈があるんだけどね
257吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 03:27:28
つまりブールス・リーのように読めということですね?
258吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 03:43:45
ブルース・リーの事はあまり詳しくないからわからないけどさ
259吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 03:45:42
「考えるな、感じろ」ですか?w
260吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 04:26:55
ああなるほどね
じゃあその通りですよ
感じた事を考えるべきなんだ
261吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 04:35:18
すごく感じさせる文章ではあるな。あの書き方にはどっかにオリジンが
あるんだろうか?知る範囲ではあまりみたことがない。
262吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 07:22:51
旧ロマン派の誰それの文体を規範にしてうんぬん・・・って話はどこかで
聞いた覚えがあるが、名前失念した。
263吾輩は名無しである:2006/12/11(月) 17:27:33
トマ初版に関してのジロドゥですか。
264吾輩は名無しである:2006/12/12(火) 06:06:35
ブランショの小説が好きなみなさんは他にどんな小説を読んでるの?

ブランショ好きにお薦めの作品があったら紹介してくれませんか。
265吾輩は名無しである:2006/12/12(火) 06:19:27
ヘルダーリン
266吾輩は名無しである:2006/12/12(火) 08:03:55
シュルツいいよ、シュルツ。
267吾輩は名無しである:2006/12/13(水) 21:43:21
手元に近い場所に置いてある小説はヌーヴォー全般、あとプルースト、グラックとか
日本だと吉田健一、福永武彦とか
268吾輩は名無しである:2006/12/15(金) 21:24:30
どーやらハイデガーは真性ナチだったらしいが、おっさんのナチ疑惑論争に
ブランショはなんらかの具体的な反応を示したんだろーか?
269:2006/12/15(金) 22:56:18
>>255に書かれているような「騙し」については
ブランショ自身作品のエピグラフに書いてるね。
たしか『至高者』だったっけ。

>>264
ベケットとか。
270吾輩は名無しである:2006/12/15(金) 23:10:52
でもぶっちゃけベケットの方がずっと面白いよな
271吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 00:56:39
まあそりゃそうだろ
272吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 03:44:11
ベケットとブランショではどっちを読み込んだほうがかっこいいでしょうか?
これからどちらかに手を付けようと思うのですが・・・
273吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 05:22:09
>>272
あんたの言う「かっこいい」の価値観がよくわからんが・・・
国内の知の市場における市場価値という意味では手堅くベケットをお薦めする。
ハスミ周辺の意味不明な批判のおかげでブランショ株は一時かなり下落したからな。
(不幸にも栗本なんかに担ぎだされたバタイユ程ではないが)
逆に言えばふたたび上昇の兆しがみられるブランショ株は今後の狙い目ともいえるが・・・
274吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 06:40:37
ベケットとブランショくらいなら両方読めばいいんじゃないの
どっちもフランス語最低レベルに簡単だし

そしてBruno Clementでも読めばいいんじゃないの

ブランショは日本国内ではほとんど無視されてる感じあるよねー
そのハスミ周辺の意味不明な批判っての知らないんだけど、誰か詳しく教えて

ところでGの写真、第二弾用意したんですけど。
今度は個人的なにゃんにゃん写真なので、upするかどうか吟味中です
275吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 08:57:13
詳しくもなにも、そもそも批判とさえいえないようなレベル。

ハスミ「ブランショってさ なんか嘘つきっぽいよね〜 ゆーこと、ころころ変わるしさ」
浅田「そそ、だからブランショに騙されるやつって馬鹿だよね〜」
ハスミ&取巻き「ほんと、そ〜だよね〜」

以降言及なしみたいな、マジで。批判より悪い無視か中傷に近いなこれじゃ。
276吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 13:16:49
にゃ、にゃんにゃん?
277吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 13:25:02
でも今の駒場ってブランショ信者だらけみたいじゃん
フランス思想系の後継者はそういう発言スルーしてたって事だろ
278吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 13:31:59
単に一時期みんなデリダドゥルーズフーコーを研究対象にしだして、
ブランショが隙間産業っぽく見えただけじゃね?三宅がサルトルやったり。
世渡り上手ではある。
279吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 13:37:11
三宅は駒場って感じじゃないし早々に消えた
280吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 16:07:10
>>268
なにも。例の暴露本が出たときも沈黙してたんじゃないかな。
生真面目なデリダは擁護に走ったけど。
281:2006/12/16(土) 17:32:13
>>270
果たして後期のベケットは果たしてどうだろう?

蓮實は結局ブランショを読めなかったといえるんじゃないかな。
合う合わないの趣味の問題圏を出ていないコメントしかしてないし、
主に清水あたりのブランショ神秘化傾向を揶揄しただけだではないかと。
282:2006/12/16(土) 17:34:23
書き込んだ日本語がとてもへんだ。。。
283吾輩は名無しである:2006/12/16(土) 23:25:59

ブランショの「政治論集」には
ハイデガーのナチ問題のことは書かれてなかったのだろうか
「政治論集」の続編みたいな本の邦訳の企画もあるらしいけど
284吾輩は名無しである:2006/12/17(日) 01:26:33
ナチに反抗した連中は戦後は勝ち組気分だったのかな。
285吾輩は名無しである:2006/12/17(日) 02:27:21
>>281
それはあるかも。
そもそも、マラルメ、ヴァレリー、ブランショのライン(バタイユも
含めて)が嫌いというか、蓮實としては不要なのかもしれない。
いわゆる内省のスタイルがどうしても神秘的傾向を帯びてしまう
ことに警戒して、もう少しざっくりとしたものを好むというのは
いかにも映画の人というかんじだ。

「書くこと」をめぐる問題圏は、フローベールとバルトとロブグリエと
たまにデリダを参照すれば乗り切ってしまえると思っているんだろう。
286吾輩は名無しである:2006/12/17(日) 04:01:29
>>285
蓮實がどーなのかについては明るくないのだが・・・
マラルメ、ヴァレリー、ブランショみたいなラインと
フローベール、バルト、ロブグリエみたいなライン。
この分れ目ってなによりもまず嗜好の分れ目としてたしかにあるね。
昔の、ビートルズとストーンズどっち派だ、みたいなかんじw
287吾輩は名無しである:2006/12/17(日) 04:34:49
ブランショやバタイユの評価とは無関係に、神秘化のラインは俺も拒みたいというか、
バタイユ担ぎ出してるやつでしょうもないこと延々かいてるバカがネット上にはいるので
だったらデリダ辺りの厳密な読解スタイルが流行したほうがマシだとは思う。
そのことがブランショらの評価を、いささかも下げるとは思わないにしても。

俺はロブグリエもブランショもバタイユも普通に好きだけど。
288吾輩は名無しである:2006/12/17(日) 04:55:24
>昔の、ビートルズとストーンズどっち派だ、みたいなかんじw

うわそれぴったりだね。
ハイデガーのナチ問題に関してはね、ブランショ自身もヴィシストだった過去があるし、ヴィシー政府
の文化顧問として金まで貰ってたからな。クリストフ・ビダンの必死の擁護もいまいちね。

蓮見浅田の対談に関しては「ブランショって言うことよく変わる」とあるが、むしろ最初期の
comment la litterature est-elle possible?から、ほとんど言うこと変わってないと言う感じがあるんだが
何に関していってるんだろう?政治的な転向のことか?

そのブランショにだまされてるばかなやつには、デリダフーコーバルトドゥルーズ
バタイユレヴィナスナンシーラクーラバルトも
含まれるのだろうか?
289吾輩は名無しである:2006/12/17(日) 06:10:05
ハスミ浅田といえばさ、ゴダールってブランショについてなんか言ってたっけ?
記憶に無いんだが。あれだけナチだ、ドイツだって言って、数々の哲学者、文人を
引き合いに出す人が、ブランショやとりわけハイデガーに対しての言及がないってのは
不自然というか明らかに避けているとしか思えないんだが。
まあ、それだけフランス知識人にとっては「ヤバイ」話題ってことなのかな?
290:2006/12/17(日) 11:35:32
>>284
ユダヤ人、特にツェランなんかのことを考えると
どうもそういう気分の人は少なかったように思えるなあ。
ジャベスやレヴィナスのことを考えても。

>>285
なるほどね。表層=映画=快楽の人には、
ストイックな内省スタイルが肌に合わなかったのかも。
フローベールから系列を引き出すとすれば、
プルースト、クロード・シモンという流れもあると思うけれど
その内省スタイルはエピキュリアン的だし。
291:2006/12/17(日) 11:38:21
>>287
>神秘化のラインは俺も拒みたいというか
その感覚は同意。
特にバタイユは自身にもそうした傾向があるから
批評抜きの霧に包まれた持ち上げ方をされるきらいがあるし。
ヌーヴォーロマンの作家たちは映画や絵画を持ち込んだけれども、
バタイユ、ブランショ、クロソウスキーには哲学があるのが厄介。

>>288
同感で、ブランショ自身の姿勢は一貫してると思う。
>「ブランショって言うことよく変わる」
というコメントの文脈は知らないんだけれども
おそらく時系列による変化ということではなくて
センテンスの中の、両義的でも逆説的でもあるような、
あのブランショ独自のレトリックのことじゃないだろうか。
それなら理解できるのだけれど。
292:2006/12/17(日) 11:46:45
>>289
ゴダールといえば、たしか「勝手にしやがれ」で
ブランショの本を出したことがあった気が。
293吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 00:41:36
ブランショって名前かっこいいなw
294吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 02:17:11
覆面作家なんだから写真文庫本載せるなよー
295吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 11:37:29
ひそかに画像うPして
296吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 12:33:22
ところでGの写真、第二弾用意したんですけど。
今度は個人的なにゃんにゃん写真なので、upするかどうか吟味中です


297吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 13:37:27
>>99 バルトを理解できない脳構造ってどぅなってんの…?
298吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 13:44:47
>>129 同意。読んでないけどさ
299吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 13:54:03
>>146 なんかわかるよ、あなたの言ってること。わかりやすく言ってくれて、ありがとう
300吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 15:16:35
半年以上も前の書き込みにレスを続けてレスをするのはやめてくれ
301吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 15:45:16
まぁそれで議論が成り立つならいいんじゃねぇの。
過疎スレなんだし。
っていうか、最近は意外に伸びててびっくりだけど。
302吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 15:52:53
ていうかそれじゃあ議論が成り立たないから言っているのです
303吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 15:54:03
一行レスで煽っているだけだから無意味
304吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 20:44:04
>>297
一般的な脳構造だと思う。
一般庶民がバルトなんか理解しなけりゃならない理由などないから。
むしろ他のことにエネルギーを使ったほうが賢い。
305吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 20:45:31
バルトの文章って平明だから、
フランスだとバカロレアレベルだろうに…
『旧修辞学』のような入門書最強なんですよ
306吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 20:54:01
修辞的なことではなく、興味のない人間(つまり多数の人間)にとって
バルトなんてものに価値はない。脳の構造なんて次元でいやあ、そんなもんだ。
あんなもんにかまけてる人間は馬鹿に見えてしようがないだろうよw
307吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 20:58:07
ちげーよ
あんたの読解力もあやしいね
『旧修辞学』ってのは、教科書文体なの。
レトリックを駆使しているんじゃなくて、
レトリックの歴史について平明に書いている書物。

大学入試レベルの文章は、庶民だって必要だろうに
308吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 21:02:00
自演乙
309吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 21:15:46
>>307
だから修辞は関係ないといっているだろ。
修辞的にはバルトよりも難解なものはいくらでもあるし、実生活において
そういうものを読む必要に駆られる場合も多々あるだろう。
「バルトがいっているようなこと」の理解に興味を示す示さないかは
もはや興味の問題であって、これはもはや趣味の問題だ。
趣味だからこそ素晴らしいという考えもあるし、実際おれもそういう趣味を持っているわけだが。
バルトなんてものに興味を示さない、という頭の良さもある。
何をいいたいかといえば、バルトを読む読まないで脳構造wなどというものを
推し量ったような物言いが滑稽だということだ。
310吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 21:24:09
それ誰に向けて言ってるんだろう?
あと、趣味の問題に還元するのってシニシズムそのものだよね
ブランショスレには似つかわしくない
311吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 21:30:31
>>310
趣味で悪ければ一学問でもよろしい。
なんにせよ、脳構造などという言葉を持ち出すのは滑稽だということを
脳構造などという言葉を持ち出した人間に言っているつもり。
312吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 21:33:10
たしかにブランショなんかを研究するよりは利殖の勉強でもしたほうが賢いじゃん?
と言われたら、そーゆーのを否定することはできないかもなw
313吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 21:37:51
ショーペンハウアーなら脳構造に言及しても不思議はないんだが
314吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 21:45:07
日常的な共同性にまみれて匿名で生きるのだ!
315吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 22:10:23
ところで、バルトとブランショって接点はあった?
316吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 22:16:02
あまりない
317吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 22:20:08
>>315
作者の死
318吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 23:19:41
バルトの作者の死とブランショの非人称性ってのは関係あり?
319吾輩は名無しである:2006/12/18(月) 23:36:48
言っとくけど、バルトの文体は洗練されてて結構難しいぞ

バルトの作者の死は、ブランショの非人称性としての文学空間に
思想的なdetteを負っていると、バルト自身言ってるぞ
よって関係大有りだぞ

バルト全集の最後についてる人名索引でブランショの項目に当たるところを最近全部読んでみたけど
バルトとブランショの思想的接合性は大きいよ
ま、俺が言うまでもなく常識だけど

Gのにゃんにゃん写真は公開すると俺が誰だかわかっちゃうからどうしようかと
二の足踏んでる
320吾輩は名無しである:2006/12/19(火) 00:29:31
脳構造って使っちゃまずかったんですかねぇ。。よくわからないけど、ものすごく勉強になりました。
説明すると、自分にとって、バルトは明解だから、使っただけです。一般市民について言うなら別の言い方をします。
321吾輩は名無しである:2006/12/19(火) 00:31:13
ブランショはまだ読んでいないです。ただ読みたい。レス付けて、入り口を作ったまでです。2ちゃんをどう利用しようと自由では…?           バルトもすべて読んでいないけれど、恋愛のディスクール好き。
322吾輩は名無しである:2006/12/19(火) 00:32:58
作者の死かぁ。
本に書き込まれる痛みを、現代人なら誰しも持っているのでは…? よくわかんないけど、悲しいなあ。
323吾輩は名無しである:2006/12/19(火) 01:04:57
郷原ストーカと脳構造馬鹿しかいねーのか
324吾輩は名無しである:2006/12/19(火) 02:56:02
僕はものの考え方の流儀ってきわめておっざっぱに二つあると思うんです。
あくまでも「主体」の「存在」という枠内で思考したハイデガーと
「ある」まで考えたレヴィナスやブランショ(たぶんバルトも)。

この差って大きいですよね?でもどっちのほーが偉いのかな??
325吾輩は名無しである:2006/12/19(火) 03:30:58
ヒント

存在=ある
etre, be...

ヒント2

ブランショ、レヴィナス=フランスのハイデガー主義者
326吾輩は名無しである:2006/12/19(火) 04:02:22
>>325
おまえがなんにもしらないってことだけはよおおくわかった
327吾輩は名無しである:2006/12/19(火) 04:20:42
>>324
世間一般の感覚ではハイデガーの存在論的差異くらいまでは理解されるだろうけど、
「ある」についてはもはや電波扱いだろう。
328吾輩は名無しである:2006/12/19(火) 06:50:04
ハイデガーは立場的に電波なところまでいけないって思ってたんちゃうかなぁ。
バタイユに対して敬意を持ってたくらいだし。
329吾輩は名無しである:2006/12/19(火) 08:19:30
ブランショってヌーヴォーロマンの連中とは交流があったのかな?
330吾輩は名無しである:2006/12/19(火) 09:18:29
交流というか、デュラスやロブ=グリエとのやりとりはあったような・・・
いや、一方的に誉めてただけだったかな。
あたりまえっちゃあたりまえだけどヌーヴォーの連中に対しては概ね好意的だったよね。
331吾輩は名無しである:2006/12/19(火) 23:32:24
ブランショがなんで極右になったのか知りたい。
ハイデガーの民族主義者になれば忘却していた本来性を取り戻せます、みたいな
思想とかぶるんだろうか?
332吾輩は名無しである:2006/12/20(水) 01:15:17
新刊はまだでないのか。
333吾輩は名無しである:2006/12/20(水) 06:27:22
>>325

ほほお、じゃあもっとわかりやすいヒント俺にくれよ。
ブランショはマラルメ論の中で文学は「C est」だって言ってるんだぞ。
レヴィナスの「il y a」と並んで、明らかに『形而上学入門』とか『理性原理』のハイデガーの
敷衍ではないか。存在論的差異というのはc est がレフェランスもシニフィエも持たずに、、、
めんどくさくなったので明日書く
334吾輩は名無しである:2006/12/20(水) 08:06:57
だから>>325はなにもしらないんだってばw
335吾輩は名無しである:2006/12/20(水) 09:00:15
レヴィナスが「il y a(ある)」ってしたのは、ハイデガーの「存在」が
あくまでも固有のものであるされることに対しての批判を込めたんじゃないの?
だから存在=あるってのはおかしくない?
336吾輩は名無しである:2006/12/20(水) 18:08:30
有名な論文「文学と死への権利」を読みたいんですが、所収しているのは
どの書物でしょうか?(翻訳で)
337吾輩は名無しである:2006/12/21(木) 00:52:22
>>336
『焔の文学』 紀伊国屋書店
338325=333:2006/12/21(木) 09:13:35
アンカー付け間違えた。
335は正しい。ただそれはハイデガー批判じゃなくて、「ハイデガー誤読」批判だと思うんだよ。
ハイデガー自身はむしろetre(ハイデガー自身は独語とギリシア語で語っているがここでは差し当たって)を、いわばコンジュゲゾン
可能性として考えていて、そこがハイデガーが存在論的と言われながらも従来的な意味での存在論ではない要点なのだが
ただその用語はやはり誤読を生みやすかったので、レヴィナスやブランショは、il y aやC'estと言い換えたのだと思う。
(それは多分、フッサールのシュティンメ「声」に対してハイデガーがルフ「呼びかけ」と言った場合、いずれにしても、
フォネー「声」の隠喩を使っているために違いが曖昧になっていて、デリダの反論ならぬ異論を誘ったのと同じだと思う。
ただその場合に置いてもやはりハイデガーを批判するのではなくハイデガーをむしろ擁護する意味において)
そして、この点に置いて、ブランショやレヴィナスはハイデガーを誤読から救った。ただブランショの思想自体は
ハイデガーの圏内を(少なくとも50年代においては)出ているとも言えないので、ブランショ軽視にも繋がっている。
俺は「存在」の京都学派的な訳語は「有(う)」なのでそれを「ある」っていってのかと思ったんだよ。
ふつう「il y a」は日本語訳では「ある」って訳されてるのか?俺はそれを知らなかった。すまない。
ただil y a を「ある」と訳すのは、まさにレヴィナスが言いたかったこと、レヴィナスの功績を台無しにしてしまうので
完全に誤読あるいは誤訳だと、指摘したい。
339325=333:2006/12/21(木) 09:16:50
ちなみに言うと、「文学と死への権利」は『カフカからカフカへ』にも再録されている
340吾輩は名無しである:2006/12/21(木) 12:55:08
>>337
それほんとにひどい訳。
タイトルからしてめちゃくちゃ。
341吾輩は名無しである:2006/12/21(木) 12:58:53
何言ってるんです?
これ以上のものはないって言うくらいの素晴らしい翻訳。
何も分からないバカのくせに適当こいてはイケマセンね。
342吾輩は名無しである:2006/12/21(木) 13:01:05
タイトルは火の分け前?
343吾輩は名無しである:2006/12/21(木) 23:16:44
翻訳読んでるレベルのやつに善し悪しなんてわかるのかね。
それにしても『焔の文学』はひどいだろ
344吾輩は名無しである:2006/12/21(木) 23:24:18
例えばどんなところがどんなふうにひどいのだろう?
具体的なエクリチュールを。
345吾輩は名無しである:2006/12/22(金) 00:39:37
原題は「La part du feu」
これが一体どうやったら「焔の文学」になるのか。
訳者はブランショの言わんとすることをまったく理解できずに、
とりあえずかっこだけつくように「文学」と訳してしまったのだろう。
中身もひどい。とにかく誤訳の嵐嵐。
ある意味お笑い翻訳本として後世に語り継ぐべき名作です。
346吾輩は名無しである:2006/12/22(金) 00:52:20
君みたいに誤訳本読んでるレベルの奴に
ブランショの言わんとすることを理解できるのかね。
347吾輩は名無しである:2006/12/22(金) 02:32:50
理解できなくて何が悪い
348吾輩は名無しである:2006/12/22(金) 04:33:55
『焔の文学』は訳者の理解瞳孔って言うより意訳だろうけどね。
もうひとつの『火の分け前』って訳されてる方を読めばいいんじゃないのか。
人によっては『防火地帯』って訳してる人もいるけどね。
タイトルは三番目がいいんじゃないの。
おれ、翻訳読んだことないからわからんけどね


349吾輩は名無しである:2006/12/22(金) 06:44:35
邦訳は一種類しか出ていないんじゃない?
La part du feuを二冊に分けた邦訳
『焔の文学』と『虚構の言語』を
一冊にまとめたのが今出てる『焔の文学』。
訳は確かにひどいです。
新版のあとがきを見る限り、
訳者本人もそのことはわかってたみたいなんだけど
直すこともせず数年前に死んじゃった。

論文の中ではそのタイトルは
『火の分け前』『防火地帯』『火の部分』と
訳されていましたね。
本来のフランス語では二番目でしょう。
350吾輩は名無しである:2006/12/22(金) 10:35:52
ひどいと口先だけで言うのは簡単です。
それならば、そのひどい箇所を具体的に指摘し、
素晴らしい訳のお手本を、実名の署名入りで示してみせてくださいな。
351吾輩は名無しである:2006/12/22(金) 16:06:01
ひどい箇所:タイトル

原書:La part du feu
誤)焔の文学
正)防火地帯

352吾輩は名無しである:2006/12/22(金) 22:24:29
タイトルだけ?
353吾輩は名無しである:2006/12/22(金) 22:41:17
タイトルの翻案ならよくあること。映画ほどじゃないにしても。
354吾輩は名無しである:2006/12/23(土) 00:05:53
『防火地帯』と『火の部分』って相反する意味になるんじゃね?
355吾輩は名無しである:2006/12/23(土) 00:12:50
ほぼなる
356吾輩は名無しである:2006/12/23(土) 11:16:37
タイトルには両方の意味をかけたんじゃないだろうか。
デリダのパルマコンみたいに。
357吾輩は名無しである:2006/12/23(土) 11:26:57
なるよ。混乱するよね。でもだぶるミーニング狙ってんだよ。
彼方への一歩、と、彼方はない、とかね。
faux pasも同じ。
ブランショは常にそのパターンだよね。だから上の方に書いてあった蓮見とかの
不理解に繋がるんじゃないの。

それと多分、『焔の文学』っていうのは出版社サイドの思惑で決まったと思われる。
よくある話だ。
358吾輩は名無しである:2006/12/23(土) 16:00:00
経緯はともかく「焔」ってのはセンスないなあ・・・
Jpopの歌詞とかじゃないんだからさあ〜火でいーじゃん火で
359357:2006/12/23(土) 22:30:54
おっとレスがかぶった
356の言う通り
360吾輩は名無しである:2006/12/24(日) 01:50:26
なるほど、ダブルミーニングというわけなんですか。
となると、翻訳するのはなかなか難しい問題ですね。
どちらかの意味への偏りを避けるために『焔の文学』としたという線もあるんでしょうか?
361吾輩は名無しである:2006/12/24(日) 01:51:47
当時の紀伊国屋の編集のセンスだと思う
362357:2006/12/24(日) 23:24:31
>どちらかの意味への偏りを避けるために『焔の文学』としたという線もあるんでしょうか?

あー、それ鋭い。
基本的にはやっぱり編集者の意向だと思うけど
363吾輩は名無しである:2006/12/25(月) 01:48:19
偏りを避けるために「焔の文学」って、まったく意味が違っちゃってるじゃん。
隔たっているよりもっと最悪だよ。
364吾輩は名無しである:2006/12/25(月) 10:50:03
そうでもない
365吾輩は名無しである:2006/12/26(火) 09:06:18
「焔の文学」はもともとは二分冊のときの「虚構の言語」とセットのタイトル。
366吾輩は名無しである:2006/12/26(火) 12:50:50
>>351
「防火地帯」ってのも本のタイトルとしてはどうかと思う。
直訳するだけではタイトルにならないという典型的な例では?
367吾輩は名無しである:2006/12/26(火) 22:46:35
火の分け前、が一番中立的じゃなかろうか
368吾輩は名無しである:2006/12/28(木) 08:50:37
>>336
亀レスですが「文学と死への権利」は篠沢教授の訳で読むのが一番いいですよ。
的確な訳です。
369吾輩は名無しである:2006/12/28(木) 09:54:46
どこに載ってましたっけ?>篠沢訳
370吾輩は名無しである:2006/12/28(木) 11:29:34
>>369
「現代人の思想」
371吾輩は名無しである:2006/12/28(木) 12:50:58
>>370
詳しい書誌をおながいします。
372357:2006/12/29(金) 20:53:37
このすれの人たちって仏文系ではないんだね
それなのにブランショとか読んでて君たちすごいね
373吾輩は名無しである:2006/12/30(土) 01:09:12
思想系でしょ
374吾輩は名無しである:2006/12/30(土) 03:08:51
いや、たんに文学好きにすぎないと思うが・・・
どーせみんなロブ=グリエとか漱石とかベケットとか吉田健一とか
ナボコフとかも読むんでしょ?
よーするに、たんなる文芸ヲタだよw
375357:2006/12/30(土) 03:52:50
うわ、思いつく限り書いた作家の組み合わせがそれか
しょぼいなー
376吾輩は名無しである:2006/12/30(土) 05:58:22
>>375
うん。
ブランショスレあたりであーだこーだいってる人たち(例えば君)が読む本とゆー意味で思いつく限り。
わりかしいい線いってるよね?もしちがうなら具体的な作家名を言ってみなさいw
377吾輩は名無しである:2006/12/30(土) 06:34:09
ナボコフはわりと好きだ
378357:2006/12/30(土) 22:57:11
>>376

君はさてはLa part du feuに込められた意味さえわからずに誤訳誤訳って騒いでた人ですね
「誤読」って言ってみると、少しだけ大人になれた気がするのかな?
ちなみに言うと、ブランショの翻訳がそんなに酷いわけないんだよ。
誰でも読めるフランス語で書かれてるから
379吾輩は名無しである:2006/12/30(土) 23:08:38
いくらなんでも「誰でも読めるフランス語」は煽りすぎ
380吾輩は名無しである:2006/12/31(日) 00:59:19
「焔の文学」の翻訳は文句なしにひどい。
断言していい。
381吾輩は名無しである:2006/12/31(日) 04:03:20
La part du feuの訳は「防火地帯」が正しいと言ってる人がいるが、
それは違うんじゃないか。もともとフランス語に「faire la part du feu」
という言い回しがあって、これは文字通りには「火に分け前を与えてやる」
というくらいの意味。これは一般的には、火事のとき一部を炎の犠牲にして、
それ以上の火の拡散を防ぐという意味で用いられる。他の部分を守るために
一部を火の「分け前、取り分part」として犠牲にする、害が全体に及ばないように
火に少しばかり捧げものをしてやる、ということだ。それが結果として
火の拡散をくいとめることになるので、一般的には防火のための活動という
意味で用いられるが、part du feuの文字通りの意味はあくまでも
「火の分け前=犠牲として火にくべられるもの」だ。
「防火地帯」という訳語はこの意味をまったく伝えていないので、
むしろこっちが誤訳ではないかと。このタイトルに込められた含意を
一語で言い換えるなら、「防火」ではなく「犠牲」になると思う。

ちなみに1948年に出た『至高者』に掲載されていた広告では、この本は
「犬と狼のあいだ」というタイトルで予告されていた。これはLa part du feu
の冒頭にエピグラフとして引用されているヘルダーリンの詩(の仏訳)
に出てくる言い回しで、「(犬と狼の区別もつかなくなるような)
たそがれどきの薄闇」を意味する。そして新しいタイトルとして採用された
La part du feuは、バタイユの『エロティシズムの歴史』の草稿に出てくる
一節と関係があるのではないか、という説がある(クリストフ・ビダン)。
バタイユはそこで「呪われた部分は犠牲に供されなければならない、
それは火の分け前であるべきなのだ」と述べていて、part du feuという
表現をはっきり「犠牲」と結びつけている。

いつもはROMってるだけなんだが、「本来のフランス語の意味では「防火地帯」
という訳が正しい」という説が広まってしまいそうで嫌だったので
書き込んでみた。ついでに言うとブランショのフランス語はむしろ
明快で読みやすいという意見には同意するが、それでも『焔の文学』
の訳文はものすごくひどいと思うよ。
382381:2006/12/31(日) 05:58:49
誤解を避けるためにもうひとこと。part du feuは上で書いたように
「火の取り分=犠牲として火に捧げられる部分」というくらいの意味だけど、
その火に焼かれちゃう部分、火の犠牲にされてしまう部分は結果としては
防火に役立つわけで、それを「防火地帯」と言い換えることがまったく
おかしいというわけではない、とは思います。でも自分の感覚だとちょっと
変に感じるし(防火地帯というとファイアーウォールみたいなものに
囲まれた場所を思い浮かべてしまう。part du feuにはもちろんそういう
意味はまったくない)、ブランショ的にも「犠牲によって得られる
結果=防火」ではなく「火の犠牲になることそのもの」に力点が
置かれているので、やはり「防火地帯」という訳は受け入れがたい。
383381:2006/12/31(日) 07:51:13
連投すいません。最初にfaire la part du feuが「一般的には防火のための
活動という意味で用いられる」と書いたのは不正確でした。一般的な用法でも
この言い回しは「他の部分のために仕方なく一部を犠牲にする」という意味の
慣用句としてもっぱら用いられており、「仕方なく見捨てる、あきらめる」
の同義語と言っていいです。一般的な使い方でも「仕方なく犠牲にする」
という側面に力点が置かれている表現なのだから、「犠牲によって得られる利点」
を強調した「防火地帯」という訳はなおさらおかしいと思います。
384吾輩は名無しである:2006/12/31(日) 13:35:43
>>381-382
サンクス。
俺も何で防火地帯っていう訳になるのか分からなくてモヤモヤしてたんだが、これ読んですっきりしたわ。
385357:2006/12/31(日) 14:42:13
興味深い指摘だ。
反論はしないが「防火地帯」(きっとそう訳した人もそれが限定的なのはわかっていたはず)
を単にバタイユとの接続だけで退けるのは違和感あるぞ。「防火壁」って言ってるわけじゃないし。
「防火地帯」はたぶんla part du feuじゃなくてpare feuから導いた言葉なんじゃないかな。
pare feuは延焼を防ぐためにその周囲の構造物を撤去する空白としての防火地帯のことで、
両者は音韻連鎖している。調べてないが語源的にも繋がってるかもしれない。(pare chocsはバンパー。
pareは限りなくcontreに近い意味を帯びていてその点ではcontre attaqueを介してバタイユを創造することもできるが)
デリダが最初のブランショ論文集をrivage「海域、境域」と題したのはなぜだろうか。
次の論文集のタイトルは文学空間となるわけだがla part du feuに空間性のニュアンスを
込めるのは当て外れではないだろう。上記のいかにもロマン派的な「犬と狼の間」というのも
力点としてはむしろ両者の境界不在としての境界に注目するべきだと思うが。
昼と夜の中間はある/ない。時間的継起から逸脱するものとして「空間」なのだろう。
そこにヘーゲルとハイデガーの接合があるんじゃないの
386357:2006/12/31(日) 14:59:40
創造→想像
次の論文集→la part du feuの次の論文集

それと、ブランショのフランス語は基本的にはやはり誰でも読めるように書かれてると思うよ
フランス人でも読めないマラルメとかと比べるとね。ただ日本語に訳すると重要な部分では片手落ちになるけど。

勉強になるのでromってないでこれからも書き込んでくれ
387吾輩は名無しである:2006/12/31(日) 15:09:05
いや、だからそれって安い嫌味に過ぎないから
388376:2006/12/31(日) 19:16:55
>>378
ごめん、さっぱり意味がわからん。スキャンダラスなまでに人違いですw
もしかして、アンカー付け間違えたかな?
繰り返すけど、君はどんな小説読んでるの?
389吾輩は名無しである:2006/12/31(日) 19:20:28
ブランショ難しい→詩ね
って言いたいだけだな
郷原ストーカもお前だろ
390376:2006/12/31(日) 19:23:37
>>375>>357
>うわ、思いつく限り書いた作家の組み合わせがそれか
>しょぼいなー
           ↑
あっ、ごめん、書き忘れた。388における質問の繰り返しはこの発言に対しての興味ね。
それだけw
391吾輩は名無しである:2007/01/01(月) 00:18:32
日本はぼんにゅいをむかえました。
392吾輩は名無しである:2007/01/01(月) 00:27:57
ぼなね☆彡
393 【大吉】 【1311円】 :2007/01/01(月) 12:38:55
2007年はブランショ生誕100年。
雑誌特集の一つくらいあるといいね。
394 【大吉】 【264円】 :2007/01/01(月) 12:39:43
2007年はブランショ生誕100年。
雑誌特集の一つくらいあるといいね。
395吾輩は名無しである:2007/01/01(月) 12:42:18
2連ちゃんで大吉〜
って連投は単なるミス。ごめん。
396吾輩は名無しである:2007/01/01(月) 16:22:04
大吉おめ〜
397:2007/01/07(日) 01:03:07
>>381-383
興味深く書き込みを読みました。

>「(犬と狼の区別もつかなくなるような)たそがれどきの薄闇」
という意味を踏まえると、「犬と狼のあいだ」というのは、
「ド」がつくほど、思いっきりブランショ的タイトルだなぁと。
クリストフ・ビダン説によるバタイユとの関連はともかくとして
「La part du feu」に犠牲に供するという意味を汲むとすれば、
「火の分け前」よりも「火への分け前」のほうがしっくりくるような。

最初の評論集「踏み外し」というタイトルも、
第一歩になりえなかったという自戒的な意味を読めるように思うけれど、
この「La part du feu」にも、この書物自身を供物とするような意味、
そういうような意図がブランショにあったかどうか――。
398吾輩は名無しである:2007/01/07(日) 11:58:43
ちなみに、延焼を防ぐためにわざと火にくべられるエリアのことを消防用語で「防火地帯」といいます。
消火活動における作戦上の言葉。
399吾輩は名無しである:2007/01/07(日) 19:47:26
つまり防火地帯ってのは火への分け前って意味じゃばっちりの名訳ってことか。
400吾輩は名無しである:2007/01/09(火) 09:02:30
そうでもない
401吾輩は名無しである:2007/01/09(火) 09:11:46
ループですね
402吾輩は名無しである:2007/01/11(木) 19:15:14
永遠の繰り返しこそブランショ
403吾輩は名無しである:2007/01/11(木) 21:07:28
「謎の男トマ」でさ、トマがさ、本を読んでいて、同じページ(単語)を
ずっと眺めているシーンがあるじゃない?その単語を愛でるように・・・みたいな。
あれってどういうことなんだろ?意味深いようと思うんだけど、
誰かコメントしてもらえませんか?
404吾輩は名無しである:2007/01/12(金) 00:26:03
403さん、それって何ページ?
405吾輩は名無しである:2007/01/12(金) 00:38:03
当スレ>>252-253ページ、とか言ってみたりして。
書肆心水『小説選』pp.30-33かな。(403ではないが。)
406吾輩は名無しである:2007/01/12(金) 00:43:52
>>370
実存と虚無 現代人の思想2 白井健三郎編集解説 

これですか?
407:2007/01/12(金) 01:51:44
>>402
たしかに反復はブランショのテーマですね。

>>403
たしかトマでは海に入ってるシーンにも
それに似た感覚の描写がありましたね。

うーん、何でしょうね。
アウト・オブ・ジョイントの時間でしょうか。
408吾輩は名無しである:2007/01/12(金) 09:27:35
これは俺の勝手な思いつきだけど・・・
トマにとってたぶんそれは「猫」と書くことで猫それ自体を無化してしまった単語「猫」
のよーな言葉で、トマは猫それ自体にはなんの関心もなく、じっと同じページを
見続けているとゆーことから、その本の作者の構築した物語性にも関心がない。
トマはひたすら文学空間でのみ自律的に存在しうる(作者とも引き離された)
「猫」とゆー単語の下にひろがった宇宙(もちろんそれは虚無としての宇宙だが)
に魅入られているとか?
それともそれはもっとなにか特別の言葉なんだろうか?「である」「そうして」、
ブランチョットはこーゆー言葉を極めて重大なものとして位置づけるから、もしかしたら
読書中にこーゆー言葉に出合ったトマの眼がそこで釘付けになっているとゆーことなのかもしれない。
なんにせよ、「書かれた言葉」とゆーものについてに何かを言おうとしている
パートではないかと、推測してみる。。
409吾輩は名無しである:2007/01/14(日) 12:51:04
トマは眠たかったんだよ、きっと
410:2007/01/17(水) 01:06:58
『謎の男トマ』Wについて少し。
408の書き込みと関係があるかどうか。。。

トマは自室で本を読んでいる。熱中して。いつも同じページ。
トマの立場は、雌カマキリに喰われそうな雄カマキリ。
つまり、死に臨んだ存在。

トマは単語たちに実質を与える。
「存在」という単語に自分の存在を、というふうに。
雌カマキリ=単語に喰われる雄カマキリ=トマ?

トマはテクスト自体になる。
「いま現に読んでいるテクストの形態を帯びた自分自身を認めて(後略)」
「私」は「彼」になる。

こうしたブランショの文章から感じられるのは、
読むことは、言葉と刺し違えるような行為で、
自殺行為にも似たものになるんじゃないか、
ということでしょうか。。。
411吾輩は名無しである:2007/01/18(木) 04:29:56
言葉に実質を与える!!!!
どうしてこんな恥ずかしいレス出来るのか不明だ。
授業でこんなこと言っても、失笑さえ買えない
412吾輩は名無しである:2007/01/18(木) 09:03:23
ぶらんちょっと、ワロタ
413吾輩は名無しである:2007/01/19(金) 15:48:54
言葉の実質、ワロタ
414吾輩は名無しである:2007/01/19(金) 17:43:06
揚げ足取るだけのレスでage、ワロタ
415吾輩は名無しである:2007/01/19(金) 23:43:38
まあまあマッタリいきましょう
416吾輩は名無しである:2007/01/20(土) 02:31:20
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【ドイツ発】FKKを語れ ACHT【世界最高峰】 [危ない海外]

つか、おまえらっていったいなんなの?
俺は見てないぞw
417吾輩は名無しである:2007/01/20(土) 13:19:47
ブランショファンは性の探求も怠らないということだ。
幾多の性を知り、そこから死というものの思考に至る一つの道筋をつけるのだ!
418吾輩は名無しである:2007/01/20(土) 19:29:49
「トマ」さっぱり読めない
419吾輩は名無しである:2007/01/21(日) 02:41:33
>>417
エロいだけだろw
420吾輩は名無しである:2007/01/21(日) 10:54:43
【ドイツ発】FKKを語れ ACHT【世界最高峰】
↑このスレ見てるのはきっと一人だけだろうが
リンクが貼られてるってことは相当な頻度で(ry
421吾輩は名無しである:2007/01/21(日) 17:49:29
書き込みの言葉にはその人の人間性が出てしまうね
422吾輩は名無しである:2007/01/21(日) 20:35:43
自嘲気味のナルシスト自演が痛いけど素敵
423吾輩は名無しである:2007/01/21(日) 21:21:51
ああそれなら俺だよ

昔、黄金町が存在していたころは終電で行って三発やって
桜木町のファミレスでブランショ読みながら始発待ちしたものだよ
いっかい本置き忘れて翌日「すいません、外国語の本、落ちてませんでした?」って
とりにいったら「これですか」と言ってle dernier homme 渡してくれたウェイトレスの女の子とそのあと付き合ったりも下
おれが毎晩五回はやりたがるから、半年未満でふられたけどね。
やっぱ俺みたいに15年間虐待されて育つと性欲異常になったりする奴いるみたいだよ。
L entretien infini読みながらマスターベーションしたりするからね、俺。
いまの彼女と付き合い出したときは本当にもう風俗がよい早めようと思ったけど
それも一週間で禁をやぶった。ソープで三発やって部屋に帰って彼女と二発。
歴代のアメリカ大統領で好きなのはクリントン。セックス依存症同士だし
l interminable l incessant
424:2007/01/21(日) 21:43:51
>>411
>恥ずかしいレス出来るのか不明だ。
不明に思われた点があるようですが、
今度もう少し補足してみましょうか。
425吾輩は名無しである:2007/01/22(月) 01:32:18
カマキリの雌は、種づけを終えた雄を食うんだよね? たしか。
411は無視していいと思うけど。『ブランショ|ベケット』から。

「自らの生体もろとも単語の無名の形態のなかに入りこみ、
それらの単語に自らの実質を与え、それらの存在を提供した。」

新訳もってなくてごめ。
てかさ、423はつくづく変なおっさんだよなあ。カタギだったら尊敬するよ。
426:2007/01/23(火) 00:36:39
>>425
そんな文章があるんですね。知りませんでした。

>>410での書き込みについて、実はある別のスレッドでレスポンスをもらい、
わかりやすく丁寧な補足をしてもらったので、引用させてください。

>>トマの立場は、雌カマキリに喰われそうな雄カマキリ。
>>つまり、死に臨んだ存在。
>>雌カマキリ=単語に喰われる雄カマキリ=トマ?
>わたしも同意です。
>雄カマキリに自身をなぞらえたトマは、言葉という雌カマキリに喰われそうな
>恐怖に陥り発狂寸前ですね。
>言葉に殺される、つまり“私”の存在は言葉によって抹消される。
427:2007/01/23(火) 00:38:41
(引用の続きです)

>当初からしてそもそも言葉とは実体をもたないものであるはずなのですが、
>読書していたトマは自身が本のなかの言葉に喰われ、最後には言葉とトマの
>立ち位置が転倒してしまう錯覚におびえました。
>すなわち、実体をもたない言葉が実体を持ち、実体をもっていたトマは
>存在しなくなる。
>それがあの「われ思う ゆえにわれなし」とつながっていくのですね。
>【われ思う】=トマの思考=言葉は存在しても
>【われなし】=私トマの実体は存在しない。

>「私についてこなかった男」の“彼”が白日の光とともに最後に消えてしまったあと、
>一編の物語のみが残されたように。
>もしかして“彼”もトマ同様、言葉に喰われて消された? 残るのは「言葉」だけ。。。
>言葉は“彼”の養分をたっぷりと吸って悠然としている。
428:2007/01/23(火) 00:40:27
(引用の続きです)

>>読むことは、言葉と刺し違えるような行為で、
>>自殺行為にも似たものになるんじゃないか、
>ああ、それはいえますね!
>「トマ」においては、《読む》行為が命取りになり、
>「私についてこなかった男」においては《書く》行為が“彼”を消し去る。
429:2007/01/23(火) 00:51:33
同じページを読んでいる自分に気づくことは時折あって、
それは読解が難しい作品の場合であったり(例えばブランショ)、
疲れて集中力がなくなっている時に字面だけを追ってたりするんですが、
トマの場合はどうもそうではないようですね。

「いま現に読んでいるテクストの形態を帯びた自分自身」を認めたトマは
マラルメ的な書物の世界に、あるいは「世界という書物」に
入り込んだ自分を認めたんでしょうか?

ともあれ、>>408氏も書いていたように
>「書かれた言葉」とゆーものについてに何かを言おうとしている
のは確かでしょう。

そして、『トマ』W章では「読むこと」に焦点があてられていますが、
『私についてこなかった男』では「書くこと」に焦点があてられ、
『トマ』におけるテーマの反復と変奏が感じられました。
430425:2007/01/23(火) 08:07:06
『トマ』を読んでいると、このひとは自分の書いた文章に限っては、
ひょっとして片言隻句もらさず記憶していたかもしれないなって思うことも。
自作にそそぐ視線は生やさしいものじゃないですね。怖いくらい。

IVの第一段落主要部分を聖書へのまぜっかえしじゃないかと思っています。
トマのみとどける単語群への「生よ蕃殖よ地に滿盈よ之を服從せよ」かな、と。

ざっとXIだけ読み返して夜に返事しようと思ったけれど、そうはいかない。
「のべつ まくなし」の読書は無理ですが、時間つくって読んでみます。

先に無駄話をしときます。あすこを読んでいるときには、たいがい100年前の
アカペラ混声四部合唱曲がページから湧き上がってくるんですよ。1907年が
ブランショの生年だということとは別に、どうしようもない連想ですけどね。

「地には平和 Friede auf Erden opus 13」アルノルトシェーンベルクの。
興味があったらここを。ttp://homepage3.nifty.com/Maki-Organ/opera.htm
末尾に訳詩があるようです。リンク先にドイツ語の原詩も。

(『望みのときに』では女性の歌うたいとこんなやりとりがあったりする。。
「歌は火花でした。[……]」「前に言ったことがあるかどうかわかりませんが、
ぼくはあまり歌が好きではありません。」

ハイデガーが歌モノ、リートを偏愛したっていいますけどね。
それと関連があるかもしれないし、いや、ないか。)ではまた。
431吾輩は名無しである:2007/01/24(水) 14:27:32
トマは挫折しました。
432吾輩は名無しである:2007/01/24(水) 17:22:20
文学と死への権利おもしろいね
わざわざ篠沢訳取り寄せた甲斐があった
可能なら火の部分すべてを篠沢さんに訳し直して欲しいなぁ・・・
紀伊国屋のはマジクソ
433吾輩は名無しである:2007/01/27(土) 11:58:55
>>432
どういうところが面白かった?
434:2007/01/27(土) 18:33:21
>>430
>ひょっとして片言隻句もらさず記憶していたかもしれないなって思うことも。
>自作にそそぐ視線は生やさしいものじゃないですね。怖いくらい。
その怖さを感じながら読むのは神経を使うでしょうね。
当方にとっては、『トマ』をトマのように読むこと、あるいはまた、
ブランショのように読むこと、これは難しいですね。
『トマ』50年版は41年版をかなり切り詰めたものらしいので、
ひとつの単語の背後に様々な単語の連なりを見るトマにならえば、
50年版の余白の中に41年版の痕跡を探すような読み方が
求められているともいえるのでしょうか。。。
435:2007/01/27(土) 18:35:02
>IVの第一段落主要部分を聖書へのまぜっかえしじゃないか
なるほど。そういえば、トマが読書をしている姿勢は暗示的で、
たしか額のところで両手を組み合わせてましたね(祈りの姿勢?)。
そういえば、単語と天使のアナロジーも出てきてたっけ。
――「天使に比すべきものである単語の魂」――

>ソプラノが語るように歌う「シュプレッヒシュティンメ」
シェーンベルクいいですねぇ。
ブランショと音楽、というテーマは思い浮かばなかったなぁ。
なにせセイレーンの人ですから。となればジョン・ケージ?

XIの章は「アンヌの死」についての章でしたね。
ここは非常に魅力にあふれた章だった記憶が。

そしてXUの最後のフレーズ、
――「あたかも彼にとって恥辱がはじまったかのようだ」――
これはカフカ『審判』への明らかな参照でしょうか。
436吾輩は名無しである:2007/01/28(日) 21:38:45
トマ初版翻訳キボン
437吾輩は名無しである:2007/02/01(木) 21:25:27
トマよくよめるな
438引用その1:2007/02/02(金) 23:42:37
488 :(OTO):2006/12/01(金) 16:46:58
一方ブランショは詩を憎んではいないようだ。

 まちがいない。これもまた日の微笑みであり、そして、それによって日はいっそう美しくなっていく。
 この微笑みのうちでは、日を保護している皮膜が溶けはじめていくのであり、そしてこの溶解のうちに、
 私にいっそう近い光、よりいっそう人間的な光がしみこんでいくのだと言えるのかもしれない。
 たぶん死んでいくものはみな、たとえそれが日であったとしても、人間に近づいていくのであり、
 死ぬことの秘密を人間にたずねるのである。(234P)

ブランショ「私についてこなかった男」谷口博史訳

>静かな共感と親密な友情でもって≪書き手である私≫を見つめていてくれる「同伴者」。
>彼とともにあって初めて≪私≫は萎縮することなく、≪私≫独自の作品世界を構築できるのですね。
>作中の言葉を借りるならば、「夏の光」のなかの「自由な空間」で、「必ずやらねばならない」こと、
>「至高な出来事」はその瞬間にこそ可能となる。 (前スレC)

>同伴者が現れるのは書いている間だけです。
>しかしその同伴の仕方にはつかずはなれずといった微妙さがあります。
>書くことは、特に、書くことに自覚的に書くことは、
>私という存在を二重にするようなところがあるのでしょう。 (前スレS)

巻頭数ページで我々はこの「ふたり」が書く主体と行動する主体に分離した
一人の男・作家であると読みとるだろう。
しかしこの作品を書き続ける「わたし」が その存在する領域を徹底的に厳密化していく内に、
ふたりの関係は思ったよりも 複雑であることに気づき始める。

 私はますます外部に触れつつあった。それと同時に、私が彼に触れることは少なくなっていた。
 私は部屋を見つめたが、それはかなり遠くに広がっているように思えた。
 私には部屋の境界がはっきりとは見えなかったのだ。むしろ私は空間を思い出していたのである。(42P)
439引用その2:2007/02/02(金) 23:43:47
489 :(OTO):2006/12/01(金) 16:48:19
書く主体、それは言語秩序の枠内でひたすら言葉を紡ぎ続けることによってしか、存在しえない。
「わたし」は「彼」としか話すことはできず、少しでも行動したり、感覚に気をとられ、
言語による思考がとぎれると、そこには「彼」しかいなくなってしまうというわけである。
「わたし」は「水が飲みたい」「ベッドに横になりたい」というところまでは考えられるのだが、
実際の冷たい水の旨さ、ベッドで身体を伸ばす爽快感をリアルタイムで受け取るのは
行動する主体=「彼」である。その感覚を反芻し、言表するのが「わたし」だとしても。
そしてついに、「わたし」は「彼」との境界そのもの、「わたし」のいない「彼」を目撃する。

 大きな窓の方を眺めると─窓は三枚あった─、向こうのほうに誰かが立っているのが見えた。
 私がその人に気づくと、ただちにその人はガラスのほうに向き直り、そして、私に目を止めることなく、
 激しく、部屋の広がりのすべてと奥行きを凝視した。(46P)

作家はおそらくその庭に出てみたのだろう。外の空気、風、踊る光と影、匂いにしばし
「言葉を失って」没頭し、そして振り返って部屋の中を眺めたのではあるまいか。
部屋に戻った作家に言語による思考が戻り、
「わたし」は直前のふと言葉を失っていた「彼」が 部屋の中を見ていたことを想起する=見る。

これほどに厳密な、ふたりを隔てる「境界線」。
物語は書くことの限界を求めて「彼」に近づこうと「私」が考えたポイントで始まり、
ここにおいて「わたし」は「彼」をほとんど追いこそうとしている。

 すぐさま私ははっきりとこう感じた。私のすぐそば─この近さは常軌を逸していた、
 というのも私の手はほとんど動かなくても、それに触れることできたはずだから─、
 そのそばにある肘掛け椅子には誰かが座っている、と。(中略)
 私にはその形がじかに見えていたわけではない。というのも、その形は私よりも少しばかり
 後ろのほうにいたからである。(78P)

我々はあいかわらずブランショの叙述について、それが寓喩なのか、現実なのかと翻弄されているようだ。
それにしても私が彼に「近づく」とは、どういうことなのだろう?
440:2007/02/02(金) 23:57:37
>>438-439でOTO氏という人の文章を引用させてもらいました。
前に>>426-428で引用した人(シリウス氏)とは別の文脈だけど、
先に書いた、トマにおける「読むこと」から端を発して、
「私についてこなかった男」における「書くこと」へのつながりを見、
また、「私」と「彼」の二重性について考えてみる上で
関連があるんじゃないかと思われたので――。
(本当は全部引用するとこの倍くらいあります。。。)

実は、ここに引用した二人とは別のスレッドでレスを交換していて
同時期に『白日の狂気』を読み、感想を書きあったりしてたのでした。
441吾輩は名無しである:2007/02/05(月) 21:59:37
引用していただきありがとうございます。
少し書かせていただきますね。

ブランショは「謎の男トマ」では《読む行為》は「私」が消されることであり、
また、「私についてこなかった男」では《書く行為》は「彼」を消すことであると
しました。

私見ですが、ブランショは闇や墓地をこよなく愛した人のように思います。
闇に抗するものとして「白日」、真昼の光が挙げられますが、
ブランショは白日の光は精神を錯乱させるもの、狂気としてとらえていたようですね。
題名もずばり「白日の狂気」は、白日のなかで幻覚を見て発狂寸前になる「私」の
物語です。
「白日の狂気」において、「私」を発狂させるのは幻覚ではなく、
《視る行為》そのものなのではないでしょうか?
目を閉じてしまえば文字通り視界は閉ざされ「闇」が訪れるわけですから、
闇のほうが安全なのですね。
眼を開けて視ている限り、「私」は《視る行為》から逃れられない、つまり
狂気は白日の光の中でここかしこに落ちている。
442吾輩は名無しである:2007/02/05(月) 22:00:10

「望みのときに」においても病人である「彼」はふたりの女性とまともに
視線を交わそうとはしません。
ガラス越しに、またあるときは鏡越しに、それもためらいがちに視線を交わす
だけです。この作品においては互いに《視る行為》はあたかも冥府への入り口で
あるかのようです。実際「彼」は今にも死にそうな病人です。。。

ブランショにおいては、《読む行為》も《書く行為》も、そして《視る行為》も
すべてが「死」へ導かれるかのようです。
彼がこよなく愛した沈黙。
それは闇のなかや、墓所においてこそ完璧に構築されるでしょう。
彼にとって沈黙に近づく行為とは、闇、すなわち死へ近づくこと。

……それにしても、「私」は言葉に錯乱させられ、次に白日の光のなかで
視た幻覚にもおびやかされる。。。
言葉も白日の光もブランショにとっては狂気に陥れる凶器なのですね。
唯一の安息所は暗闇であり、そこでは誰も彼をおびやかしたりはしないでしょう。
なぜなら、闇のなかでは文字も読めませんし、光による幻覚も皆無なのですから。
そこにあるのは沈黙だけ。彼が安らげるのは沈黙だけ。
443吾輩は名無しである:2007/02/06(火) 02:44:01
レシの中では「白日の狂気」が一番美しい。
444吾輩は名無しである:2007/02/07(水) 08:02:37
開け ごま ごま ごま ごま ごま
445吾輩は名無しである:2007/02/10(土) 23:16:08

>>443

「白日の狂気」は凄みのある美しさですね
「私」の視た幻覚ははたして本物なのか?
ガラスで目をつぶされかけたのは、何かの比喩なのか、あるいは
事実なのか?
「私」ははたして正気なのか、狂人なのか、狂人を装っているだけなのか?
いくつもの疑問が浮かびます

焦点をぼかす、曖昧であることは、ブランショの作品のひとつの特徴でもあります
けれども、その曖昧さのなかに鋭利な「本物」の刃物が潜んでいるのです
「白日の狂気」の美しさは、喩えて言えば、蜃気楼だと高をくくっていたものが
突然、現実のものとして眼前に現れる驚愕
霧の中を歩いていていきなり底なし沼に引きずり込まれるような恐怖・・・
446吾輩は名無しである:2007/02/16(金) 22:27:31
ブランショ入門者にお勧めは?
447吾輩は名無しである:2007/02/17(土) 01:26:02
>>446
「死の宣告」じゃない。一応ストーリーらしきものはあるし、
比較的読みやすい。「白日の狂気」は短いのでとりあえず嫁。
前スレで全文アップされてたような気がするが。

↓の「このスレを見ている人は…」って誰かわざとマイナー板の
変なスレ選んでリロードしまくってるのか?
448吾輩は名無しである:2007/02/17(土) 02:57:10
>>446
「文学空間」
これ以上の入門書ってあるか?気恥ずかしくなるほどご丁寧に書かれた書物。
まずはこれを読んでから一連の小説作品に手をかけるのがベストですよ。
つか、「文学空間」がわかんなきゃ話にならんw
449吾輩は名無しである:2007/02/18(日) 04:03:21
かねのむだ
450吾輩は名無しである:2007/02/18(日) 23:28:27
「文学空間」を90%理解できたらすごいな。
451吾輩は名無しである:2007/02/18(日) 23:47:19
ブクオフで『文学空間』百円で買ってきた。
90パーセント理解したら90円ぶん元が取れるな。。。
452吾輩は名無しである:2007/02/19(月) 01:11:04
なんだか凄く非生産的な気分がするんだが、ちょっと「文学空間」の適当なページを引用してみてくれないか?
3銭ぶんくらい。
453吾輩は名無しである:2007/02/19(月) 01:44:14
作品を生み出す孤独
454吾輩は名無しである:2007/02/19(月) 02:29:43
ブランショ読んで何か生産してるような莫迦とかいるんですかね
455吾輩は名無しである:2007/02/19(月) 02:37:51
3銭ぶんくらい生産してるんだろw
まあ、封筒貼りとか続けるのもブランショ的かもな
456吾輩は名無しである:2007/02/19(月) 02:52:09
非生産的な気分うんぬんは、
たぶんこのスレの進行の仕方の無意味さについて述べているんじゃないかなー。
きみはブランショの本を買い、読んだ、おっけ。
だけど、これだけは述べておきたいような、これといった感想も抱かなかった。
いいよ。難解だしね。でも、なんかレスはしておきたいの?
だったら、そのまま引用しとけばいいじゃねぇ?
気に入った一行だけでも。そこから話が広がらないとも限らないしさ。
そんな意味だと、思ったけど。まっ、いっか、
457吾輩は名無しである:2007/02/19(月) 06:45:06
むきむきまん
458吾輩は名無しである:2007/02/19(月) 07:35:24
わたしはブランショ読まないけど友人が昔「明かしえぬ共同体」を
読んでブランショにはまってたな。卒論もブランショで書いてた。

459吾輩は名無しである:2007/02/20(火) 01:50:46
まさか「生産」だけに価値を置いてるような輩はいないよね?
「消費」のために生産はあるという初歩的なことにも気づかずに。
460吾輩は名無しである:2007/02/21(水) 23:39:00
ブランショにならうならば、
むしろ生産という枠にも消費という枠にもあてはまらない「無為」。
461:「KEMANAI」@タコシェ:2007/03/04(日) 22:26:22
デズーヴルマンはウーヴルとの絡みで翻訳するとどうなるんだろ?
462ブランショスレのあの人:2007/03/11(日) 05:11:18
スレッドを横断して私の行動を予見するのは止めてください。
日本文学で好きなのは、古井さんです。
463吾輩は名無しである:2007/03/11(日) 07:04:20
だからなんだ?
464吾輩は名無しである:2007/03/23(金) 16:11:17
レヴィナスの『モーリス・ブランショ』には『白日の狂気』って全文入ってるの?
それとも批評だけ?
465吾輩は名無しである:2007/03/25(日) 23:04:18
というか、『白日の狂気』にレヴィナスのブランショ論が入ってる。
466吾輩は名無しである:2007/03/26(月) 10:24:44
じゃなく批評だけっしょ
467吾輩は名無しである:2007/03/26(月) 21:58:52
まえにこのスレに「白日の狂気」ウプしてくれた人がいたからコピー取って
モールスキンの手帳に綺麗に貼り付けました。
だって「白日の狂気」中古市場で結構高いんだもんよお!
これくらいのことは許されてもいいよね?
468吾輩は名無しである:2007/03/31(土) 15:28:18
ああ神様、どうか災厄の翻訳もここにウプしてくれないかなあ
469吾輩は名無しである:2007/04/01(日) 01:04:25
ブランショ&レヴィナス好きだった彼はいまどこでなにしてんだか
470吾輩は名無しである:2007/04/01(日) 03:12:30
>>467
いい。
怠慢な出版業界がすべて悪い。
471吾輩は名無しである:2007/04/02(月) 11:52:50
アホな若い女のチラ裏出版してるひまがあったら、
絶版になってる名著の復刊しろや、と。
472吾輩は名無しである:2007/04/02(月) 13:45:27
>>467
通報しますた
473吾輩は名無しである:2007/04/04(水) 04:57:40
ブランショなんてただの小説と政治好きの文学青年あがりにありがちなおやじだろ。
たいしたもん書いてないし。
474吾輩は名無しである:2007/04/04(水) 13:27:43
>>472,473
www
475吾輩は名無しである:2007/04/05(木) 02:03:34
「災厄のエクリチュール」をここでリレー形式で試訳する人いないかな〜。
もしいたら神様仏様大明神様ですよ。
476吾輩は名無しである:2007/04/14(土) 03:34:45
何ページのどこを読みたいのか指定出来るなら
訳してやるが。

ちなみに言うと、近日中にブランショ論の翻訳がふたつ出版される
ひとつはJD、もうひとつはCBの著作だ。ようやくCBのが出るのは、フランス語を読まない人にとっては
最大級の吉報ではないか?

災厄、彼方、対話、については出版予定は全くないぞ
477吾輩は名無しである:2007/04/14(土) 12:52:12
神様仏様大明神様!>476
最初の◆1つをお願いしますm(__)m
最後の◆3つは拙者が訳してみますんで。
478吾輩は名無しである:2007/04/14(土) 13:32:33
ブランショブランショで半年暮らす アヨイヨイ 
479吾輩は名無しである:2007/04/14(土) 13:55:07
CBのブランショ論翻訳はどこの出版社からですか?
480吾輩は名無しである:2007/04/17(火) 17:57:33
いま適当に開いたページにあった短い◆をひとつ。

◆もし、あらゆる単語のなかに非本来的な単語が一つあるとすれば、
それは「本来的」という単語だ。
p. 98

次どうぞ
481吾輩は名無しである:2007/04/19(木) 16:40:58
CBってだあれ?
482吾輩は名無しである:2007/04/19(木) 16:42:29
自己レス。
そうか、クリストフ・ビダンか。

となると、たぶん水声社じゃないかな>478
483吾輩は名無しである:2007/04/29(日) 03:02:07
age
484吾輩は名無しである:2007/04/29(日) 17:19:13
ブランショってヴァレリーを論じた短い文章しか読んだことないな。
仏文にいるのにまずいかいな。
485吾輩は名無しである:2007/04/29(日) 20:56:23
480に続け神々よ!
486吾輩は名無しである:2007/04/30(月) 06:48:01
              /∵∴∵\
            /= =-:',:.-= =-\   
           │  "ー=〓=-.'` │
            \       /
                r|、` '' ー--‐f´
           _/ | \    /|\_
        , -''" ̄⌒ヽ, , `又´``ー;;7''~´`丶、           ̄ ̄ ̄
        (  ,--一''" ~`〜〜''"~ ー--、   )              ___
         |  〈                〉  |          ̄ ̄ ̄
        |  }                {  |             ___
       |   |                |   |            ̄ ̄ ̄
.        | |                  | |
       _/   {                    }   \_
     (__,-、__}                  {__,-、__)
     `┻━┻                 ┻━┻"
487吾輩は名無しである:2007/05/11(金) 11:42:17
なんで誰もいないの
488吾輩は名無しである:2007/05/12(土) 18:09:03
郷原たんがそこそこの年齢になってしまったから
489吾輩は名無しである:2007/05/16(水) 10:45:49
新刊でも出ればなあ
490吾輩は名無しである:2007/05/16(水) 21:59:56
>487
「非人称性」「無為」「無関心」「隔たり」「不在」
491吾輩は名無しである:2007/05/16(水) 23:09:05
なんの概念連続?
てかそこらの馬鹿には読めないんじゃないの






492吾輩は名無しである:2007/05/26(土) 01:45:38
そろそろ何か新刊出そうかな
493吾輩は名無しである:2007/05/30(水) 16:35:55
要するにブランショなんて誰もよんでないんだな
494吾輩は名無しである:2007/06/02(土) 01:54:37
読んでる人を発見。

2007年06月01日
『ブランショ政治論集:1958-1993』評者:中山 元
http://booklog.kinokuniya.co.jp/nakayama/archives/2007/06/_19581993.html
495吾輩は名無しである:2007/06/26(火) 00:26:47
【新刊】
『思想』7月号(6月26日発売)
 小特集=「死」と政治─モーリス・ブランショ生誕100年

  ブランショの革命:宇野邦一
  抽象性と超越論性
   ─ドゥルーズ哲学の中のブランショ:國分功一郎
  奇異なことと異邦のもの:ブランショ
  要請としての異邦のもの
   ─ブランショ「奇異なことと異邦のもの」解題:上田和彦
  「死」で文学を語ること
   ─「文学と死への権利」の可能性:安原伸一朗
  ブランショの幼年─Infans de Blanchot:合田正人
  〈資料〉ブランショ年譜・主要著作一覧
496吾輩は名無しである:2007/06/26(火) 00:29:41
おお!明日買ってこよう!
ブラブラブランショー☆彡
497吾輩は名無しである:2007/06/26(火) 00:33:16
『思想』でブランショ特集!
すげえー!!
498吾輩は名無しである:2007/06/26(火) 08:55:09
丹生谷貴志にも執筆依頼すれば良かったのに
499吾輩は名無しである:2007/06/26(火) 09:57:39
そこが岩波
500吾輩は名無しである:2007/06/26(火) 17:28:57
大型書店にも置いてねーよバーカ
501吾輩は名無しである:2007/06/26(火) 18:14:08
よく調べたら29日発売じゃんかよ
502吾輩は名無しである:2007/06/27(水) 00:12:41
丹生谷貴志ってそんなにいいかい?
503吾輩は名無しである:2007/06/27(水) 01:37:42
あまり好きじゃないなあ。
丹生谷はちょっと軽くない?
504吾輩は名無しである:2007/06/27(水) 23:34:32
> 501
今日、書店に並んでたけど。
さっそく購入^^ 読むぞー
505吾輩は名無しである:2007/06/27(水) 23:43:57
探してみたが、思想ってなかなか売ってないな。
地味な雑誌だからねえ。
506吾輩は名無しである:2007/06/27(水) 23:52:30
それは言える。
ブランショ特集なんてそこそこ売れると思うのに、
いかんせん本屋で見ない…。
507吾輩は名無しである:2007/07/01(日) 03:08:16
思想どこにも置いてないからネットで注文したよ
508吾輩は名無しである:2007/07/01(日) 03:33:40
同じくネットにて注文。
売る気あんのか、岩波?

あ、書店に売る気がないのか^^;;
509吾輩は名無しである:2007/07/01(日) 17:34:24
岩波は大して売れないくせに返本を受け付けないという超タカビーな出版社だから、
メンツを気にしないごく一般的な書店は扱いたがらない。
510吾輩は名無しである:2007/07/01(日) 17:42:45
509に同意しつつも、
ブランショ特集号が欲しくて
アマゾンで買っちまった…。
511吾輩は名無しである:2007/07/01(日) 19:40:24
『思想』読んだ人の感想ないの?
512吾輩は名無しである:2007/07/01(日) 20:19:32
まだ届いてない
513吾輩は名無しである:2007/07/02(月) 14:15:48
届いた
514吾輩は名無しである:2007/07/02(月) 23:19:34
紀伊国屋から届いたと電話が。
金ないがブランショには勝てない
515吾輩は名無しである:2007/07/04(水) 01:18:28
小特集なんてチンケな企画に興味なし。
といいつつ立ち読みはしてみよう。。。
516吾輩は名無しである:2007/07/04(水) 01:23:26
思想って小特集しか面白くない雑誌だろ
517吾輩は名無しである:2007/07/04(水) 01:35:56
特集だろうが、小特集だろうが、
面白ければ何でもよし!
518吾輩は名無しである:2007/07/07(土) 12:06:40
アマゾンで『思想』を注文しようと思ったんだが、
もう「在庫切れ」になってる…。
そんなことってあるの?
519吾輩は名無しである:2007/07/07(土) 13:11:54
地方の人なら県庁所在地の本屋で買うのがいいよ
もしくは大学生協とか
520吾輩は名無しである:2007/07/16(月) 00:25:19
そろそろ『思想』読んだ人の感想ないの?
521吾輩は名無しである:2007/07/16(月) 01:39:19
なんで國分が書いて郷原が書かないのかが謎
郷原干されたのか?
522吾輩は名無しである:2007/07/21(土) 01:31:21
粟津則雄が書くべき
523吾輩は名無しである:2007/07/21(土) 10:43:23
粟津則雄ってまだ生きてんの?
524吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 16:06:22
粟津則雄っていうと芸術批評って印象しかないんだけど
文学論なんかで面白いものがあるんだろうか?
525吾輩は名無しである:2007/07/22(日) 18:24:25
論を書く人って印象が薄い
その意味では現在のブランショ研究者たちも同様だ
526名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 00:55:15
粟津則雄の文学論としてまず挙げられるのは「解体と表現」かな。
527吾輩は名無しである:2007/08/04(土) 00:16:25
来るべき書物購入記念あげ

税込で6800円もした

一週間おやつ抜きだ
528吾輩は名無しである:2007/08/04(土) 02:24:41
おやつ食い過ぎ自重しろww
529吾輩は名無しである:2007/08/04(土) 02:24:49
おやつ代高いなあ
530吾輩は名無しである:2007/08/04(土) 04:50:37
少しずつ読み進めてるブランショ特集の『思想』
ドゥルーズと比較した「抽象性と超越論性」と題したやつが面白かった
531吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 00:56:31
「抽象性と超越論性」って面白いかなあ?
とりあえずテーマだけリストアップしました、って感じで、
もっと練ったものを出してくれって思うがな。
日本の雑誌やアカデミズムのレベルの低さが窺い知れる。

國分と宇野でドゥルーズ色が強くなりすぎてるのも萎える。
それならビダンの紹介に頁割いたほうがいい。
『思想』 編集部にはあまり優秀な人材がいないのか。
まあ小特集を組んだことだけは評価できるが。
532吾輩は名無しである:2007/08/18(土) 23:26:14
> 531
う〜ん、そうかなあ…。
わたしのような「ブランショ素人」な人間からすると、
フランスの最先端の研究を読まされる前に
「テーマ」を「リストアップ」してくれたほうがありがたい、
というのが正直なところだけど。。
533吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 00:36:53
ブランショをあまり読んでない人間にとって
ドゥルーズからブランショを見る視点ってのは
いかがなものかという感じもあるなあ。
ドゥルーズと結びつけるよりも
面白い関係性はもっと他にあるだろうと。
534吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 05:40:13
ドゥルージアンがブランショとの関係を掘り下げるのは当たり前じゃないかな
それまで否定したら國分の価値がないって事になる
535吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 18:02:42
「思想」が國分を起用する価値ってあるのかな?
ドゥルーズ特集じゃないんだから。
536吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 18:10:17
あと安原の最後のとってつけたような締め方も萎えるよなあ。
変な助成金もらってるからなんだろうけど。
537吾輩は名無しである:2007/08/19(日) 22:35:22
もし俺が「思想」編集部だったら、まず101号で特集を組む。
生誕100周年を狙うなら当然このタイミング。
それに小特集なんてちんけな企画は立てず
最低10本の原稿依頼をする。巻頭は菅野じゃなくて清水。
宇野と國分は掲載頁をできるかぎり離す。
デリダに詳しい執筆者を最低2人はいれる。
湯浅でも小林でも若手でもいいだろう。
できるなら海外からの寄稿も入れる。
ブランショの資料として略年譜や書誌だけですませず、
ブランショ論などの二次資料を充実させる。
まあこれぐらいやれば2000円いただいてもOKだろう。
538吾輩は名無しである:2007/08/20(月) 00:25:57
それでも特集が組まれるだけいいよ
539吾輩は名無しである:2007/08/20(月) 01:06:34
「思想」でブランショ特集が組まれただけで驚いたけどな。
ブランショって思想家というより文学者ってイメージだし。

「ユリイカ」の臨時増刊号でブランショ特集が出ないかな〜密かに期待♪
540吾輩は名無しである:2007/08/20(月) 01:51:25
>>537
>宇野と國分は掲載頁をできるかぎり離す。

ワロタ
541吾輩は名無しである:2007/08/20(月) 08:55:53
西山と郷原にも書かせたいな
542吾輩は名無しである:2007/08/20(月) 11:49:56
結局、郷原たんが書いていないのが不満
543吾輩は名無しである:2007/08/22(水) 01:07:13
あとひと月あまり
544吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 03:11:49
郷原タンでオナニーしたことある人って実際問題としてどれくらいいるの?
545吾輩は名無しである:2007/08/23(木) 11:26:37
さすがに彼氏ぐらいいるだろ
546吾輩は名無しである:2007/08/25(土) 01:06:21
西山雄二著 A5 400頁 6510円
異議申し立てとしての文学
モーリス・ブランショにおける孤独、友愛、共同性

モーリス・ブランショの全体像を描く
〔専門〕978-4-275-00539-7 御茶の水書房

西山の博論らしい
547吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 00:09:34
西山の博論は興味がないではないけど、
ちょっと値段が高すぎだな。
548吾輩は名無しである:2007/08/26(日) 00:32:51
でもまぁ楽しみだ
まずは立ち読み&図書館貸借で読む予定
549吾輩は名無しである:2007/09/01(土) 22:42:40
ブランショ生誕百周年ブックフェア@ブックファースト渋谷店

ブックファースト渋谷店4F下りエスカレーター脇のフェア台で、「生誕百年 モーリス・ブランショ」フェアが今週月曜日から始まっています。ブランショの誕生日は9月22日。ブックフェアは渋谷店が閉店する10月14日(日)まで開催されています。

なお、渋谷店の後続店である「文化村通り店」は、同じ週の10月18日(木)にオープン予定。旭屋書店渋谷店が二年前に撤退した「渋谷第一勧業共同ビル」地下1階・地下2階で開店するとのことです。
550吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 01:59:54
つったって売るものがたいしてねーじゃんかよw
551吾輩は名無しである:2007/09/02(日) 06:43:23
アミナダブ面白いね。
どこがって訊かれてもうまく答えられないけど。
552吾輩は名無しである:2007/09/03(月) 22:37:32
546の本、出たみたい。
http://www.ochanomizushobo.co.jp/contents/list/index.html
しかし、高けーな。人文書の宿命か?
表紙の絵が勝負してる。
553吾輩は名無しである:2007/09/03(月) 23:59:28
むぅ・・・高い
特価書籍で買っても6000円か・・・
人文書業界発展のためにも買ってやりたいけどねぇ
古本屋に出るの待つかなw
554吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 06:20:41
異議申し立てってdifferendのことか?
安易な接続には興味ないってビダンが言ってたぞ
555吾輩は名無しである:2007/09/04(火) 10:52:10
>>554
contestation でしょ。
differend はリオタールね。
556吾輩は名無しである:2007/09/09(日) 21:35:22
誕生日までもうすぐだな。ブックファーストのフェアのぞいてないけど。
557吾輩は名無しである:2007/09/11(火) 00:56:38
生誕100年に翻訳は何もないのが残念
558吾輩は名無しである:2007/09/11(火) 03:54:41
• モーリス・ブランショ『書物の不在』中山元訳、月曜社、2007年9月下旬刊行予定。
> 生誕百周年(07年9月22日)記念出版。
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1070168872/581n

これは違うの?
559吾輩は名無しである:2007/09/11(火) 04:58:09
違わないよ。
L'Ephémère版から訳出ってのが売りなのかな?
560吾輩は名無しである:2007/09/12(水) 00:15:32
なんでブランショと何の関係もない中山が訳すのか疑問
561吾輩は名無しである:2007/09/12(水) 00:28:45
これまでにEIからいくつか訳していなかったっけ?
562吾輩は名無しである:2007/09/12(水) 00:40:16
翻訳ゴロの中山のスカスカな訳では
ブランショの文体を矮小化するだけ
勘弁してほしい
563吾輩は名無しである:2007/09/13(木) 02:17:30
『書物の不在』って初訳のものじゃないんだよね
564吾輩は名無しである:2007/09/13(木) 10:29:23
平手伸昭さんが東北大に博士論文として出したブランショ論の評判はどうなんだろう。
565吾輩は名無しである:2007/09/13(木) 10:57:55
>>564
書籍化されているの?
566吾輩は名無しである:2007/09/14(金) 16:34:26
「書物の不在」予約しちゃった。
いくらになるのだろう…
一緒に「阿佐田哲也コレクション文庫1」も予約した。
こちらは580円。
567吾輩は名無しである:2007/09/14(金) 17:12:29
ページ単価30円弱ざんす
たぶん本編は30ページ程度だよ
568吾輩は名無しである:2007/09/14(金) 23:29:32
本編は30ページ程度。。。orz
569吾輩は名無しである:2007/09/20(木) 00:41:36
もうすぐだ。おいで。
570吾輩は名無しである:2007/09/20(木) 22:19:44
『書物の不在』を買った人の報告
ttp://nisegane-tsukai.blog.ocn.ne.jp/sashitsu/2007/09/post_dbe2.html
571吾輩は名無しである:2007/09/21(金) 11:45:01
書物の不在 【写真左、発売中】
モーリス・ブランショ=著 中山元=訳
46判上製カバー装88頁 本体価格2,500円 ISBN978-4-901477-36-9

◎本書の内容について:生誕百周年(07年9月22日)記念出版。晩期ブランショ
における評論活動の頂点となる最重要論考を初出誌版(1969年)より初邦訳。
書くこと、書物、作品、法をめぐる未聞の思考が開示される。著者最大の評論集
『終わりなき対話』の末尾におかれた同論考の単行本版との異同を付す。対話
なき暴力が充満する現代に、ことばの力と可能性を鋭く問いかける新しい
シリーズ、「叢書・エクリチュールの冒険」の第一回配本! 初版限定800部。

◎本書の装丁について:鮮やかな朱色の紙に濃い墨色で本文を刷り、肌触りが
なめらかな漆黒の布クロスで製本しました。漆黒の布クロスには銀色の箔押し
で原題が刻印されています。カバーには本文と同じ朱色の紙を使用し、最小限
の文字情報のみのシンプルな装丁になっています。見た目の簡潔な美しさを重
視しているため、オビは付しません。

◎モーリス・ブランショ(Maurice Blanchot)……1907年9月22日ソーヌ・エ・
ロワール県のカンに生まれ、2003年2月20日イヴリーヌ県に没す。フランスの作家、
批評家。主な著書に以下のものがある。『文学空間』(粟津則雄・出口裕弘訳、
現代思潮社〔現代思潮新社〕、1962年)、『最後の人/期待 忘却』(豊崎光一
訳、白水社、1971年)、『来るべき書物』(粟津則雄訳、筑摩書房、1989年)、
『明かしえぬ共同体』(西谷修訳、ちくま学芸文庫、1997年)、『望みのときに』
(谷口博史訳、未来社、1998年)、『友愛のために』(清水徹訳、《リキエスタ》
の会、2001年)、『問われる知識人』(安原伸一朗訳、月曜社、2002年)、
『ブランショ政治論集』(安原伸一朗・西山雄二・郷原佳以訳、月曜社、
2005年)、『私についてこなかった男』(谷口博史訳、書肆心水、2005年)、
『ブランショ小説選』(菅野昭正・三輪秀彦訳、書肆心水、2005年)、
『謎の男トマ(1941年初版本)』(月曜社、近刊)。

572吾輩は名無しである:2007/09/21(金) 13:48:54
強烈なのがキタな
573吾輩は名無しである:2007/09/21(金) 14:48:10
88頁ってww
そんなもん月曜者のサイトにでもうpしろよ
574吾輩は名無しである:2007/09/21(金) 14:58:02
88頁で2,500円というのは高いなあ。ちょっと買う気がしない。
575吾輩は名無しである:2007/09/21(金) 15:41:08
記念出版にくらい付き合いましょうぜ。半分はお布施です。
フランス語初学の頃、文学部の男にコピーしてもらって挑戦したけれど、
あんまりハイパーであっけなく玉砕した悪い記憶があるw>書物の不在
576吾輩は名無しである:2007/09/22(土) 02:06:03
お布施って宗教法人じゃあるまいし(笑
サバトみたいな方向に行くなよ>月曜社

ところで、『謎の男トマ(1941年初版本)』はいつだろう?
これがこの時期に出ると良かったのになあ。
577吾輩は名無しである:2007/09/22(土) 04:06:37
じゃ、お布施はやめて明日喜捨してこよう。書店にあったら。
にしても朱色(それとも緋色?)の紙に印刷ってのはどうなんですかね。
内容の吟味以前に眼精疲労との戦いになりそうなもんですよ。
半分ばかばかしいッス。押忍

> 『謎の男トマ(1941年初版本)』(月曜社、近刊)
> これがこの時期に出る
出て二年でいくらか分厚い訳書の上梓が実現するだなんて、
どんな社会現象を期待すればいいんだか。むこう二年待とうと思う。
それで音沙汰なしなら忘れるつもり。
578吾輩は名無しである:2007/09/22(土) 16:35:16
「書物の不在」購入記念あげ

朱色は悪趣味。
ブランショに朱色なんて何を考えたもんだと思った。

訳は悪いと思わなかった。おれは昔の方が好きだったけど。今風の風を吹かすと否が応でもこうなるでしょう。

買ってよかったよ。

訳者も月曜社もお疲れさん。
579吾輩は名無しである:2007/09/22(土) 17:34:15
「悪趣味」な装丁本を「買ってよかった」とは、
なんと逆説的な(笑
580吾輩は名無しである:2007/09/22(土) 18:09:27
中山元って時点でやめたよ
梅木が生きていれば……
581吾輩は名無しである:2007/09/22(土) 18:42:39
確かに中山元で萎えるな
582吾輩は名無しである:2007/09/23(日) 00:43:03
中山でも誰でもいいから早く『終わりなき対話』出してくれ
583吾輩は名無しである:2007/09/24(月) 16:31:23
表紙だけじゃなくて全ページ赤なんだな。目がちかちかしそうだから買わなかった。
584吾輩は名無しである:2007/09/25(火) 21:10:31
「終わりなき対話」っておれ持ってるけど
筑摩世界文学大系じゃだめなの?
585吾輩は名無しである:2007/09/25(火) 23:03:17
>>584
それはエッセイのタイトル。582が言ってるのは
そのエッセイ含む同名の本のこと。この本は分厚くて
未邦訳の文章もたくさんある。
586吾輩は名無しである:2007/09/25(火) 23:09:37
>>585
ああ、そうなんだ。無知を恥じます。
丁寧にありがとう。
587吾輩は名無しである:2007/09/26(水) 01:03:07
あの頃の筑摩にはブランショ作品集という野望があったのになあ
588吾輩は名無しである:2007/09/26(水) 09:55:12
589吾輩は名無しである:2007/09/26(水) 14:43:45
浅田と蓮實が嫌いと言いまくったのが響いたんだと思う
彼らに影響されるような層を当て込んでの企画だろうし
590吾輩は名無しである:2007/09/26(水) 21:59:47
単に訳者が払底しただけじゃね

あの人とかあの人とか、みんな亡くなったし
591吾輩は名無しである:2007/09/27(木) 01:05:14
AやHの読者層とはずれるだろうね。
MとかTあたりの逝去が一因かな。
それにしてもSは翻訳に積極的じゃなかったな。
592吾輩は名無しである:2007/09/27(木) 01:08:15
おっと日付が27日になってたか。
593吾輩は名無しである:2007/09/27(木) 01:08:39
蓮実先生は長生きしそうだなあ
現代思想界の森繁=正宗白鳥みたいになったりしてw
594吾輩は名無しである:2007/09/27(木) 11:24:37
       ,ィZ三三二ニ== 、、
 :.    ,. --{シイィ彡彡三三三ミ丶、 :.
   ,イィ三ミ>'"´ __,,  ̄`丶ミミミミヽ
   /シ彡シ'´ _ ,ニ_二 三‐`、 `ヾミミミヽ
:. ,'ilif'彡' ,' _,..-ュ ̄ fニ三三ミヽヾミミミヽ :.
  jlリイ彡! :,ィ彡'"´ :.  :. .:'   `゙' ヾミミミミ',
  l{i{l{lノリ ,'fi´    _, i  :. ';=―一   ',ミミミミ! :.
:. {lilili/{  ' ,.-‐'"´,:,!  ' 、ー-‐ '     Nlハ⊥
  |lilifリハ  .: '、 _,.ノ,'   ,. }、     tf{´i, l|
.  Wリ小! .:     ,ゝ^ ::  ヽ     `!) Vl  :.
  ゞ干ミ} :    /  _J_ 丶     }'´ /    
  ヘ  l        ___ :        : : : : : :,: :-、 ヽ
.   \l    i l{___`ヽ i .      : : : : : く   /: : :}
     l    l l::`´:::::::::::::`ヽl: :    : : : : : : :ノ /: : :/
      l   //::::::/`ー- ーl:    : : し : : : : : : : :/
 ヽ_ (〆――――-〜//⌒~ヽヽミシヽ、`ヽλ__l
  、  ~          λλ___、丶ヽ/'~ヽ、。~ハwwヾ     〉〉
 `、ー―――――-丶// /⌒~⌒ヽ、ヽ、  `ーヽく〃    ,//
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~`( | λ\ヽ冫ノ,冫~          《丿/
    、 、_______| | \__丶´/lノ冫          l /
    ` ー――ヽニ_ーl\_、\\\冫        /,〆
            `ヽl\___ ̄ \ヽ\        /ノ/
    、`――――――ヽ\__ ̄ ̄、, \ヽ\  ,/イ/
     ̄ ̄`――、_ー、!\_ ̄ ̄ノ  \ヽ∨'〃/
              ̄\  〉 ノ 〉    ヽο冫
               ,〉// ノ,|       ~~
               (/,/  '/'l


595吾輩は名無しである:2007/09/29(土) 09:02:07
書物の不在を実際に手にとってみたけど、ひどかった
あんなの買うほど余裕はない
596吾輩は名無しである:2007/09/29(土) 12:46:34
>>595
「ひどかった」って何が?
597吾輩は名無しである:2007/09/29(土) 16:07:32
装丁
598吾輩は名無しである:2007/09/29(土) 17:09:22
真っ赤で読みにくそう
599吾輩は名無しである:2007/09/29(土) 19:40:30
眼にはよくない
チカチカする
600吾輩は名無しである:2007/09/29(土) 19:45:58
外側はあの色でいいから中は普通にしてくれればよかったのに。
601吾輩は名無しである:2007/09/29(土) 23:19:08
装丁をわかってない素人が装丁にこだわってみるとああなるという悪い見本やね
602吾輩は名無しである:2007/09/30(日) 10:01:18
>>601
装丁したのは玄人でしょうに。
603吾輩は名無しである:2007/09/30(日) 10:27:39
たぶん本の装丁に不慣れなデザイナーがやったんだろう
玄っぽさを狙ったのが逆に災厄になった最悪の例
604吾輩は名無しである:2007/09/30(日) 11:11:51
普通の装丁にすれば値段さがったのかね
605吾輩は名無しである:2007/09/30(日) 11:26:14
ふだん装丁はそんなに気にしないけど、読みにくいのは困るよね
606吾輩は名無しである:2007/09/30(日) 16:25:25
薄い本なら変な装丁するより
いっそのことフランス装とかの方が面白かった鴨
607吾輩は名無しである:2007/09/30(日) 16:29:50
そういう意味じゃ小沢の叢書エバーブは良さげ
608吾輩は名無しである:2007/10/01(月) 00:07:20
小沢書店ってとっくに潰れただろ
609吾輩は名無しである:2007/10/01(月) 00:25:42
朝日のポストモダン叢書の装丁も悪くなかった。
610吾輩は名無しである:2007/10/01(月) 00:35:24
フランス装てのはペーパーナイフで
ページ切るやつじゃないのん
611吾輩は名無しである:2007/10/01(月) 00:40:37
フランス装ってのは読者に自分で製本させるため
中身を印刷しただけのものでしょー
612吾輩は名無しである:2007/10/01(月) 00:50:10
月曜社は小説選でも表紙に赤を使うトンマをやらかしたろ
613吾輩は名無しである:2007/10/01(月) 01:13:55
あれは書肆心水
614吾輩は名無しである:2007/10/01(月) 01:22:01
>>611
君は頭悪いと良く言われてるはずだ
615吾輩は名無しである:2007/10/01(月) 01:31:21
単に無知なだけだろ。
安物の本買ってる奴はページの切り方も知らないし。
616吾輩は名無しである:2007/10/01(月) 01:31:33
>>614
どうしてバレたんだ?
617宮川光一:2007/10/01(月) 22:35:12
書肆心水の赤は別にいいじゃん。表紙なんだし。
618吾輩は名無しである:2007/10/01(月) 22:44:59
あの赤は許せる。赤をブランショらしくするとああいう赤になると思うから。
この赤は許せん。ブランショと関係なく、ブランショを貶める赤だと思うから。
619吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 00:25:55
まったく読みにくい本を作ったもんだな月曜は。
620吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 00:29:10
そこまで装丁気にするのかおまえら
ブランショとはまた違う意味で「書物」をずいぶん神聖視してるんだねえw
621吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 09:24:54
厳密に言うと装丁じゃなくて「本文」が問題なんだ
一見の価値あり
あれをどう読めっていうんだ
買わないよ、絶対
622吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 09:35:59
ネットでもたまに背景を赤にしてたりすると読み終わった後目がちかちかしてしょうがないときがあるが、
この本もそんな感じになりそうだ。

>>620
装丁のことじゃねえよ。君は書店で手にとってさえなさそうだなw
623吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 10:08:43
>>620
そういう問題ではない。
知らない人間は下手に口を出さないほうがいい。

昔エピステーメという雑誌が出てたみたいだが、
あれがまだマシに思える。
624吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 10:38:32
立ち読みで読んでみたが2分ぐらいで
目がちかちかしてきてギブアップ。

これこそまさに読むことの不可能性を説いた書物。。。
書物の不在。。。
625吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 15:20:30
まあ出版社サイドの思惑としては
コピーをしずらくするという狙いがあったかもしれんけど、
ありゃいくら限定出版でも買わない。
月曜は普及版を白い紙で作り直すべきだろう。
626吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 15:31:55
価値観と好みのちがいがあることは前提として踏まえた上でだが、
本文の紙はもちろんのこと、表紙の装丁もNGだな。
色だけじゃなく書体も調和がとれてない。ゴシック系はなしだろう。
レイアウトや文字の大きさはまだいいとしても。
値段も1800円がいいとこだろう。
627吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 15:35:50
小林クン涙目
628吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 18:47:44
気が向けば買おうと思ってたんだが、本文のほうまで真っ赤なんですぐ買うのやめたわ。
629吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 19:29:48
756 :当事者:2007/09/12(水) 11:39:45
私が書かないと話が進まないようなので、一度だけ書き込みます。
守中高明は、マジ、最低なやつです。
1)自分の立場を利用して、自分に関心のある学生に手を出す。既婚者でありながら
結婚話を持ち出す。妻と離婚して一緒に暮らそうと言って、くどく。
2)利用するのは2、3万円する都内のホテル。常に現金払い。エッチに関して
私が発言するのはいとも簡単ですが、思い出すのも嫌なので、要するにしつっこい
中年のエッチだったと証言します。今の彼氏に出会えて守中高明のヘンタイ
ぶりが確認できた。私からのキーワード。傷。
3)高い料理をふるまう。いつもおいしいものを私に食べさせたよ。
1.2.3.を見れば事実は明白。要するに守中高明は、ただの「若い女とやりたい
寒い中年」です。
サヨクを自称していますが、私の知る「たか」は、常に他の教授と自分の抗議の差を
神経質に気に病んで、出来を私に尋ねる、小心者の小金持ちのボンボンでした。金払い
すごくいいよ。
このスレを友達に聞いて、久々に「やりー!!!」と叫んだ。
たか、うらまないでね。これでおあいこだよ。
西村THR

758 :当事者:2007/09/12(水) 12:12:59
肝心なことを書き忘れた。
ゴンさん、キミが誰かわかる。キミの「元カノ」が誰かも当然わかる。でもいいよ。
ただ、私がキレたのは、たかが、事情がバレそうになった途端、逃げに入ったから。
法学部長かなんかに泣きついて、組織に守られて、結局は「反体制」とか言いながら
もろ「体制側」の人間じゃん、と痛感した。体制にめいっぱい守られて、
おいしいところだけもらって、安全な地域に逃げ込んで、「活発」な「反体制的
発言」!?どこがサヨク?!どこが。その点で、このスレに書き込む意味ありと判断した。
630吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 19:55:11
まあ文句はいろいろ書いたが
月曜には頑張って欲しいからなー
631吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 22:09:43
月曜社に対するエールです
632吾輩は名無しである:2007/10/06(土) 23:25:31
来月、大人の本棚シリーズに宮川淳が入るね。
豊崎も入るとうれしいんだけど。
633吾輩は名無しである:2007/10/09(火) 00:32:31
西山雄二「異議申し立ての文学」を書店で手にとってみた。
装丁が良かったのと副題が良さそうに思えたので
思わずレジに持っていきそうになったヨ。あぶなかった。
634宮川光一:2007/10/09(火) 17:52:23
買ってやりなよ
635吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 01:23:01
■好評開催中「ブランショ生誕100年フェア」@三省堂書店神保町本店

07年9月25日から10月25日まで、三省堂書店神保町本店4Fの思想書売場前の平台にて開催されています。現在品切れ中の弊社刊「書物の不在」も新刊配本時に納品していますが、もう売れてしまっているかもしれません。

636吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 01:50:08
今日行ったらやってたよ
書物の不在もまだ残ってました
637吾輩は名無しである:2007/10/11(木) 01:53:30
「現在品切れ中」という手はハリポタも使う常套手段。
638吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 00:44:41
>>634
デリダの新刊とドゥルーズの文庫を買ったから予算がもうないよ。
639吾輩は名無しである:2007/10/17(水) 00:51:18
638みたいなまぢめな椰子がいると小遣いわけてやりたくなる…
640吾輩は名無しである:2007/10/19(金) 00:22:42
おいらにも小遣いわけて
641吾輩は名無しである:2007/11/05(月) 23:46:02
西山雄二「異議申し立ての文学」、
なけなしのこづかいで買っちまった。
カバー外したら、なんと布クロス装だった。
どうりで高いわけだ。
642吾輩は名無しである:2007/11/07(水) 23:31:46
来週駒場で西山さんが発表するらしいね
さっき「異議申し立て〜」注文してきた
週末に読んで発表聞きに行くかな
643吾輩は名無しである:2007/11/08(木) 10:29:15
書評が出てたみたい

西山雄二著/「異議申し立てとしての文学」
宇波彰(評論家)/御茶の水書房
http://www.dokushojin.co.jp/71102.html
644吾輩は名無しである:2007/11/18(日) 10:20:15

彼方への幾万歩, 2006/12/24
By 無性的人間 (東京) - レビューをすべて見る

幾人かの人たちが絶賛なさっているようですが、決してそのように上等な著作だ
とは(わたしには)思えませんでした。まず、某ブランショ研究者の掲示板や、
某匿名掲示板のブランショスレッドに、「すごい本あるんだけど、読んだ人い
る?」といった宣伝文を書き込んだりするやり方に辟易してしまうわけですが、
それでもブランショを愛する人間としては、もしかして内容は良いのかもしれな
い、と一縷の望みを抱き、図書館にリクエストして(すみません、自分の財布を
痛めていないのに、書かせていただいています)読んでみたところ、何より文章
が稚拙で、ブランショやデリダに関わってくるような部分も独り善がりの記述が
目立ち、はっきり言って、自費出版された書物の中でも並、というレベルのもの
でした。わたしのように、カスタマーレビューやクチコミの宣伝を参考にして書
物を手に取る人間も微少ながら存在するのですから、いたずらに当の作品の価値
を越えた評価は、なるべくお控えになっていただきたいものです。
645吾輩は名無しである:2007/11/18(日) 12:39:38
・不備・不足に関する具体的な言及が乏しい
・宣伝文に対する戒めを主旨の一つとしているようだが(たしかにこの記述の主旨に賛成できるが)、
 上の点によって、無内容な宣伝と好一対の「反宣伝文」という程度になってる。
・結果、このレビューを貼り付けること自体、どこかアイロニカルではある

と思った。いや、私もこの本買ったまま、積んだっきりで読んでないから賞賛も是々非々な批判もできないんだが。
646吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 07:32:46
尼で抜粋が読めた。
とりあえずエクリチュールについていえば、その初々しいたどたどしさには
おもわず微笑みを誘われたが、いざ人様から幾ばくかの金を取って読ませるともなれば
センス、技術ともにまったくその水準に達していないようにみえる。
ここでひとつの疑問が・・・ブランショスレで取り沙汰されるということは、
ブランショ的な小説ってことなんだろうか?
あの文章でブランショ? ちょっと、それはイメージできない・・・。
647吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 07:51:19
>>646
>おもわず微笑みを誘われたが
あんたのエクリシュールもかなりのものだよ
648645:2007/11/20(火) 08:22:28
すまんかった。>>644
李春連の『折りゆく人』のレビューコピペだったんだね。
西山の本へのレビューかと思って応答した。

まあそれでも通じるか。
649吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 08:52:51
不可解なのは、とりわけその小説作品においては、選ばれる言葉の
平明さにもかかわらず、その言葉のあくなき運動が
眼前で語りえぬものが語られているかのごとき眩暈にも似た感覚を
読むものに覚えさせときに神秘的な感興さえ帯びてしまうといった、
いわば言葉を扱うということにおいて魔術的名手たるブランショのスレで
なぜこの小説が定期的に話題にのぼってしまうのかということなんだが。
650645:2007/11/20(火) 09:58:55
私は>>646が「小説」と言ってるのを見るまでは、
このスレでこの小説の話題が出ているということすら、こんな小説があることも知らなかった。

とりあえず>>644の指摘は舌足らずではあるが、このスレでも
「別にブランショじゃないだろう、これは」という票が多いと見なしたけど。
ブランショブランショ言ってた作家って結構いるしね。昔の片山恭一とかもそうだし。
「ブランショ意識した」ってだけなら、それほど珍しいことでもないかと。
651吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 10:13:40
片山恭一がブランショブランショ・・・!
652吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 10:24:15
このスレでは、
どちらかといえば思想家として捉えてる人と
どちらかといえば芸術家として捉えてる人と
どっちが多いんだろう?
もちろん両方の要素があってはじめてブランショの書物になるのは承知しているけど。
653吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 10:28:12
マジなんだよ<片山が
片山は吉本隆明ファンで、若干関係しているような出自だったはずでね。
スガ秀実だったか、渡辺だったかが、セカチューについてはじめに言ったことは、
「まさか、かつてブランショブランショ言ってた片山がね…」みたいな揶揄だったと思う。
654吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 10:30:00
>>652
私なんかはハイデガー〜デリダを読むうちに興味を持ったよ。だからまあどっちもかな。
この前の思想のブランショ特集号の國分論文がそのへんで興味深かった。
655吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 10:30:52
もとは古井由吉を模倣していたらしいしな。
656吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 10:33:29
>>655
そうそう。初期片山ってそうらしいね。
よく覚えてないけど、ブランショが死んだ前後に
『文学界』でブランショ関係のエッセーを片山も書いてた気がする。
ろくに見ないですっ飛ばしたから、内容は全く覚えてないが。
657吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 10:35:19
ブランショや古井からあのスカスカ文体に移行できるってのは
ある意味で才能豊かな書き手なのかもしれんなw
658吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 10:41:36
>>652
俺は後者。
文体美学において、あるいは小説の技巧において不当なまでに評価が低いとおもう。
659吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 10:44:33
>>658
なまじブランショが思弁的な系譜において際立ってるから、その問題があまり指摘されない傾向にあるのは事実かもしれないね。
英仏圏で何か出てないのかな、などと素朴に思ったりするけど。
660吾輩は名無しである:2007/11/20(火) 21:01:33
探 究──思考の臨界点へ
R・ラポルト 著 山本光久 訳

46判/448ページ/上製
本体3400円(税別)

ISBN978-4-88008-372-8

不可能なものへ、一歩。フランス最大の批評家ブランショの唯一の高弟が、芸術・思想の旗手ツェラン、シャール、デリダ、ジャコメッティをはじめとする19人を縦横に論じる。
661吾輩は名無しである:2007/11/21(水) 01:21:21
もし批評家ブランショが小説家ブランショを論じるとしたら
きっとベケット論みたいな感じになったんじゃないだろうか
662吾輩は名無しである:2007/11/25(日) 11:50:40
だいたい日本の大学でフランス文学とか教えているやつらはさー
まず「終わりなき対話」を訳せ、給料もらうのはそれからだ!
663吾輩は名無しである:2007/11/25(日) 11:53:43
「終わりなき対話」ってそんなに良いの?
「文学空間」よりおもしろい??
664吾輩は名無しである:2007/11/28(水) 10:42:04
この人のカミュ論はどの本で読めますか?
665吾輩は名無しである:2007/11/28(水) 11:05:51
>>664
「ブランショ カミュ論」
でググれ
666吾輩は名無しである:2007/11/29(木) 03:12:45
「文学空間」だけでかなりお腹一杯なんですが・・・「来るべき書物」にも手をかけるべき?
同じようなものですか? それともさらなる展開があるんでしょうか?
もー、マラルメの詩とかレヴィナスの著作にあたるのでけっこう大変なんですが、
「来るべき書物」にも手を出したらさらに大変なことになるんでしょうか?
667吾輩は名無しである:2007/11/29(木) 13:10:04
「来るべき書物」といえば、改訳版ってのはどの程度変わってるの?
旧訳を持っていても手に入れるべきなんだろうか?
読み比べた人がいたらそのへんのところ、教えてください。
668吾輩は名無しである:2007/11/29(木) 14:10:17
改訳版と言っても、80年代ぐらいに出たものだったはずで、つい最近のものではなかったと思う。
私は改訳版しか持ってない。
669吾輩は名無しである:2007/11/29(木) 19:44:32
>>666
「文学空間」も「来るべき書物」も基本的には同じ。
どちらも章立てになっているわけだから、興味のある章、ピンとくる章を
書物を横断しながら読むようにすればいいんだよ。
そういう意味では「来るべき書物」も持っていたほうがいいね。
単純に選択肢が拡がるわけだからね。
いわゆる文学者としてのブランショに興味があるだけなら、エッセイはこの二冊だけでも
充分かもしれない。
670吾輩は名無しである:2007/12/01(土) 10:52:34
「文学空間」はコンセプトブックみたいな構成になってるけどね。
671吾輩は名無しである:2007/12/02(日) 04:29:44
「来るべき書物」は旧訳の装丁のほうがかっこいい。
現行の装丁は汚れやすくて困る。
装丁といえば小説選の装丁は見事だった、もちろん帯をはずせばだけど。
あの帯はいろんな意味でひどすぎる。
672吾輩は名無しである:2007/12/02(日) 15:36:58
政治論集をようやく読了
これから西山本を読むよ
673吾輩は名無しである:2007/12/10(月) 01:01:09
デリダの「○亡」読んでたら
「政治論集」にあったテクストが出てきた。
674吾輩は名無しである:2007/12/18(火) 00:50:12
「文学空間」を読むとくらくらと眩暈がする。
眩暈がおきる書物はそれほど多くない。
675吾輩は名無しである:2007/12/18(火) 22:59:31
おれも初めて『文学空間』読んだときは頭がくらくらした。
なんかどこか遠いところに来てしまった感じ。まさに外だね。
ただ、『来るべき』は『文学空間』の焼き直しって気がする。
外の感覚だすのって、ある意味一発限りだよね。
そこらへん、ブランショはどう考えてたんだろうか。
676吾輩は名無しである:2007/12/18(火) 23:57:35
テーマはいいんだが、文章が難解すぎる。ちょっとわざとらしい。むりしてあんなに難解な説明にする必然性がない。
677吾輩は名無しである:2007/12/19(水) 17:22:34
ハイデッガーを踏まえて書いてるのだから、難解になるのは仕方ないのでは。
678吾輩は名無しである:2007/12/30(日) 00:46:43
この作家のロートレアモン論は明快で読み応えあるね
679吾輩は名無しである:2007/12/30(日) 16:07:00
あけましておめでとう。

ブランショのロートレアモン論は彼の評論の中では例外的なんだよな。
『マルドロールの歌』をほぼ全文引用してパラフレーズしながら
読み解いていくというスタイルを取っている。他の評論では
断片的な引用をある意味では強引に解釈して持論に
引きつけてるところがあるけど、ロートレアモン論は逆に
テクストに粘り強くにじり寄っていくようなところがある。
680吾輩は名無しである:2008/01/09(水) 00:59:37
ぼなね
681吾輩は名無しである:2008/01/10(木) 23:43:10
>>679
なるほど、そういわれればそんな感じ。
ロートレアモンが好きだったのかな。
682吾輩は名無しである:2008/02/10(日) 01:51:37
新刊予定のものまだか。
683吾輩は名無しである:2008/02/18(月) 01:11:32
「踏み外し」入手。4月までに読もっと。
684吾輩は名無しである:2008/02/18(月) 17:54:14
災厄のエクリチュールは誰が訳してるんだ、早く出しやがれバカやろう
685吾輩は名無しである:2008/02/20(水) 11:47:09
>>684
誰も訳してないでしょw
「終わりなき対話」もさっさとやらなきゃいけないってのに手をつけない
686吾輩は名無しである:2008/02/20(水) 15:02:17
ブランショ・・・ダサすぎるw
687吾輩は名無しである:2008/02/20(水) 16:43:45
かわいそうに。
688吾輩は名無しである:2008/02/21(木) 02:54:30
それより02/20はブランショの命日。ナムアミダ。
689吾輩は名無しである:2008/02/21(木) 09:49:31
あみなだぶ
690吾輩は名無しである:2008/03/09(日) 17:44:22
デリダのブランショ論の翻訳は進んでいるのだろうか?
誰か知っている人がいたら情報お願い。
691吾輩は名無しである:2008/03/09(日) 18:57:14
「海域」だよね。みすずではなかったか。たしか。もう流れたかもしれないが。
692吾輩は名無しである:2008/03/09(日) 21:46:59
海域は、書肆心水だったような。近刊からずっと出てないね
693吾輩は名無しである:2008/03/10(月) 12:46:29
『絵葉書』のIIが水声社から出たあとになるのかな?
心水HP上で以前は通例と同じように「海域」だった書名が
いつの間にか「境域」に改められていたことから、
いくらか作業の進展を見せているんじゃないかと思ってる。
694吾輩は名無しである:2008/03/12(水) 01:15:48
「境域」のほうがいいのかもしれないね。
「海域」だと馬鹿な書店員が間違った棚に置くかもしれない。
そんなことないか(笑
695吾輩は名無しである:2008/03/20(木) 23:49:19
若森さん早く翻訳頼みますよ
696吾輩は名無しである:2008/04/14(月) 00:55:39
「海域=境域」が読める日を待ちわびながら生きてる俺。
こんなに発刊日が待ち遠しい本ってめったにないなあ。
697吾輩は名無しである:2008/05/05(月) 06:05:02
ブランショ近刊のお報せ

『ワジム・コゾヴォイへの手紙(1976-1998)
付・上昇する言葉』 ISBN : 2845780788

ttp://manucius.blog2b.net/16912/A+para%EEtre.html
698吾輩は名無しである:2008/05/24(土) 21:20:37
>>690

10年くらい前に、未来社から出てなかったっけ?
699吾輩は名無しである:2008/06/08(日) 00:18:24
こんばんは、鈴木信太郎です
700吾輩は名無しである:2008/07/23(水) 16:12:23
20年位前の、ユリイカのブランショ特集号を古本屋で見つけて、買って読んだ。

ブランショって孤高の謎の小説家のイメージあったけど、結構ジャーナリスト
だったんだね。。

デリダ論文と西谷論文、蓮見×清水徹対談が面白かった。
701吾輩は名無しである:2008/07/23(水) 23:55:44
フランスの吉本隆明って言ってる奴がいた
なんかわからんでもない
702吾輩は名無しである:2008/07/24(木) 08:56:37
ブランショ―ハイデガー―サルトル―吉本隆明


一応こういう図式かなw
703吾輩は名無しである:2008/07/25(金) 19:13:39
>>701

吉田裕「吉本隆明とブランショ」っていう本が確かあったよ。

704吾輩は名無しである:2008/08/17(日) 10:57:33
現代詩手帖特集版
ブランショ 生誕100年 つぎの百年の文学のために
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32113348

これって書店に並んでる?
出てるはずなんだが、なかなか見つからん・・・
705吾輩は名無しである:2008/08/17(日) 12:58:57
詩手帖は地方書店だと全滅の場合も多い
706吾輩は名無しである:2008/08/20(水) 00:14:03
707吾輩は名無しである:2008/08/20(水) 09:45:46
708吾輩は名無しである:2008/08/23(土) 03:24:48
藤壷いたら返事して
709吾輩は名無しである:2008/08/24(日) 01:26:35
現代詩手帖特集版ブランショ2008 ブランショ生誕100年――つぎの百年の文学のために
思潮社 08年7月 2,730円 A5判376頁 ISBN978-4-7837-1866-6

◎翻訳
モーリス・ブランショ『終わりなき対話』より
 大いなる拒否 湯浅博雄訳・解題
 言葉を守り続ける 上田和彦訳
 第三類の関係――地平なき人間 上田和彦訳 
 破壊できないもの――二、人類 上田和彦訳・解題
 日常の言葉 西山雄二訳・解題
 ルネ・シャールと中性なるものの思考 安原伸一朗訳・解題
 語りの声――(「彼」、中性的なもの) 郷原佳以訳・解題
〃『災禍のエクリチュール』より断章
 『存在するとは別の仕方で あるいは存在することの彼方へ』の余白に書かれた断章より 上田和彦訳・解題
ジャック・デリダ「モーリス・ブランショが死んだ」若森栄樹訳
〃「パ」より 若森栄樹訳
フィリップ・ラクー=ラバルト「忠実さ」郷原佳以訳
710吾輩は名無しである:2008/08/24(日) 01:28:02
◎座談会
湯浅博雄+上田和彦+西山雄二+郷原佳以「来るべきテクストのために――ブランショの現在」

◎エッセイ
清水徹「『アミナダブ』をめぐって」
藤井貞和「削除と記憶――ブランショの体験」
吉田文憲「接近」
河津聖恵「私たちの今日の詩のために――ブランショ「再読」」

◎論考
クリストフ・ビダン「R/M、一九五三」熊谷謙介訳
ドミニク・ラバテ「無為について」鈴木俊弘訳
湯浅博雄「モーリス・ブランショにおける言語と虚構」
上田和彦「おそらく、文学の贈与――「人」と「人」の間
西山雄二「文学の絶対的な敵――ド・ゴールに抗するブランショ」
安原伸一朗「完璧なる作品の探求――モーリス・ブランショの一九三〇年代の虚構作品」
郷原佳以「言語のショート・サーキット――マラルメとポーランが出会う場所」

◎レポート
郷原佳以「ブランショ研究の近況――スリジーのブランショ・コロック報告」

◎資料
モーリス・ブランショ主要評論集解題
モーリス・ブランショ年譜/主要著作 安原伸一朗編
711吾輩は名無しである:2008/08/26(火) 01:24:48
昔の特集も復刊してるね
712吾輩は名無しである:2008/08/26(火) 01:38:43
しかし高いな
713吾輩は名無しである:2008/08/26(火) 01:42:02
値段に見合った価値のある特集だと思う。
714吾輩は名無しである:2008/08/27(水) 00:15:41
雑誌の特集もいいけどさっさと『終わりなき対話』全訳してくれよ。
版権は筑摩が持ってるのか?清水徹の訳は諦めて若手に任せなさいよ。
715吾輩は名無しである:2008/08/27(水) 18:19:43
生誕百年特集号によれば、ブランショの『終わりなき対話』『災禍のエクリチュール』が筑摩書房より近刊予定と記されている。筑摩書房のウェブサイトの「これから出る本:翌月刊行予定の書籍」には記載されていないから、近刊とはいえ、いま少し先の話のようではある。

716吾輩は名無しである:2008/08/27(水) 19:53:36
あわせて五千円か金持ちしか買えないよ

五千円で他の本買いたいね正直
717吾輩は名無しである:2008/08/27(水) 23:28:22
筑摩の近刊予定はアテになるのか。。。
718吾輩は名無しである:2008/08/27(水) 23:40:45
旧特集は昔古書で安く買ったから、今回買うのは生誕100年特集のみって人も多いだろうね。
ウラゲツの人なんか絶対もってるはずなのに、景気付けになれば、という意気込みで毎回買って
写真を提示してるからすごいな。
719吾輩は名無しである:2008/08/29(金) 23:32:42
藤井貞和ってブランショ読んでんだね
720吾輩は名無しである:2008/08/30(土) 18:29:15
翻訳待たないで原書読めばいいじゃん。
二冊とも最高だよ。
721吾輩は名無しである:2008/09/03(水) 23:48:56
"L'ecriture du desastre"はどのへんがいい?>720
722吾輩は名無しである:2008/09/06(土) 19:18:51
ドラッグについて語りたいみたいな…
723吾輩は名無しである:2008/09/06(土) 21:10:37
蓮實が嫌ってたためか、受容に偏りが生まれたよね
724吾輩は名無しである:2008/09/07(日) 01:51:49
蓮實の意見に左右されるような輩はクズだろうに
725吾輩は名無しである:2008/09/07(日) 02:00:38
編集者みたいな連中には絶大な影響があったと思うよ
文学空間は文庫になってしかるべきなのになってないとかさ
726吾輩は名無しである:2008/09/07(日) 02:06:16
蓮實だけじゃなく、浅田や松浦も嫌ってたと思う。
ブランショは否定神学って退けるモードがあって、
東浩紀にまで流れ込む。
727吾輩は名無しである:2008/09/07(日) 15:03:26
丹生谷なんかブランショ好きそうだったのになあ。

浅田・松浦・蓮実らへんが嫌ってたのは、言うなれば
ハイデガー以降の系譜に対して鈍感あるいは積極的無視があったからじゃないかしら。
728吾輩は名無しである:2008/09/07(日) 22:25:48
より厳密にはレヴィナスとデリダのユダヤ性への嫌悪だな
729吾輩は名無しである:2008/09/08(月) 08:00:57
そうそう、レヴィナスとレヴィナス寄りになってるデリダの側面に対するものだね。
だけど、きっちり論陣張ってつぶしたというより、それこそ「好み」みたいなレベルで進行したから、
ツケがたまってる気も…
730吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 00:26:24
単に蓮實も浅田もデリダをうまく読めなかったってことじゃないの。
蓮實はフーコー、浅田はドゥルーズのほうに傾いただけで。

最近は、小林、湯浅あたりの影響力が出てきたってことかな。
若手の優秀なブランショ研究者が増えてきたのは小林の影響といえそうだし。
731吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 00:41:41
駒場デリディアン一派が陽の目を見たってことさ
732吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 02:44:22
そもそもブランショ自身は
ユダヤでもなんでもないんだが、
レヴィナスにもデリダにも影響を与えたというので一緒にされてるみたいだね。

ただ、バタイユ、ブランショ、レヴィナスという線
では、小林・湯浅より、西谷修の存在が小さくない
んじゃないか。

西谷が、ニューアカのフランス現代思想受容の流れを
遅ればせながら少し変えたのは良かったと思う。
733吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 02:51:33
>>732
ブランショの『文学空間』という発想にレヴィナスの影響大ってのは常識に属する
734727・729:2008/09/09(火) 09:26:22
>>730
>単に蓮實も浅田もデリダをうまく読めなかったってことじゃないの。
デリダをじっくり読んでると、その気持ちは、よくわかるね。
批評空間近辺でのあのデリダの扱いは何なのよ、座談会で潰してる程度の片のつけ方じゃないの、
こいつら読めてないんちゃうか、とか思う。
柄谷のゲーデル=デリダとかも問題がすごくある。
735吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 11:19:45
蓮実については、フランス語が達者だし、デリダと会談する機会は何度もあったけど、結局全て避けたね。

フーコーとドゥルーズには率先して会いに行ってインタビューしてたくせに。
736734:2008/09/09(火) 11:52:58
蓮実は、デリダよりリシャールの方がいい、と暗に言うほどに無視してるね。
しかしろくに根拠も言ってなく、趣味で言ってるようにしか思えん。
こんな言説がまかり通るぐらいなら、
ハイデガー、ブランショ、レヴィナス、デリダの徹底読解の蓄積がされてた方がマシだと思う。
737吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 12:26:08
デリダはフランスのエスタブリッシュメントに嫌われていた
蓮實はそういう空気を読んでいたのさ
貴族だから
浅田も同様
738吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 13:09:46
文学板的にドラッグってどうなのよ?

209 名前:吾輩は名無しである[] 投稿日:2007/05/04(金) 01:32:23
文学板的には ブランショ


ブランショなにやってたの?
739吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 13:12:16
アルトーとかミショー挙げるのが常道だと思うのだが
740吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 22:48:24
>>737
残念ながらそうではない。
蓮實も浅田もハイデガー的系列に疎かったんだな。
そして彼らが故意ではなく見落とし、関心をもたなかったのは
ハイデガーの存在論をブランショが言語の問題に移植したことだった。
そのへんでレヴィナスとも異なる道を歩むことになったのに。
741吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 22:49:55
駒場じゃなくても優秀な研究者はいるね。
西山氏のブランショ論を読んだけどなかなか良かった。
文学的な部分はエポケーされてはいるのはちょっと残念だったけど
孤独、友愛、共同体という括り方も論の運び方も明快かつ的確。
今度の現代詩手帖も読むのが楽しみだ。
742吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 22:53:36
否定神学的イメージでブランショを避けるというのは、
ある程度はわからないわけではないけれども、
かといって、蓮實が否定神学的でないとはいえない。
むしろ、見かけの明晰さを演じる身振りとは裏腹に
「○○ではなく○○でもなく」という否定のレトリックの駆使に
否定神学的な性向のカモフラージュを感じてしまう。
743吾輩は名無しである:2008/09/09(火) 23:30:47
>>740
737で挙げてる話も間違いではないのですが……
デリダが北米に活路を見出したのは常識に属します
744734:2008/09/10(水) 05:10:00
しかしデリダがフランスでドミナントじゃないからって、彼の価値とは関係ないし、
いいじゃないかフランスにおいてもマージナルであったことは、とか思うのだが・・・。
>>373へのレス)

>>742
>蓮實が否定神学的でないとはいえない。
論述のスタイルと語彙が素朴ってだけで、割と似てるんじゃないかとはたまに思うね。
あとは表象不可能性を遠ざけようとしているけれど、
作品を語ることは無限に触れるものだ、とか言ってるし、似たような構図はある。
媒介に世俗的な膨大な細部を挟むか挟まないかの差なんじゃないの、とか。

>>741
>西山氏のブランショ論
どうでもいい人脈つながりを言うと、学部生時代は
丹生谷とつながりがあったような示唆があとがきにあって、興味深くはあった。
745吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 11:11:05
>>744
蓮實や浅田にとってはそういうのどうでもよくないですよ
746734:2008/09/10(水) 12:36:01
それをどうでもよくないというのは、浅田の理解の仕方としてもズレてると思うが。

浅田はデリダ追悼シンポジウムなどで、デリダをフランスの大学・アカデミズムに対してマージナルな存在で、
哲学コレージュの所長もやっていたとはいえ、東大で覇権を持ってたというのとは大きく違うと言い、
当時教育相になったり外されたりしていたフィリップ・フェリーを腐しながら、デリダを評価する、というスタイルを取っていた。
また、ドゥルーズ追悼のときにも、ドゥルーズはフランス的でありすぎる、というデリダの談話を引用するかたちで
ドゥルーズの潜在的なものの生成論に対してはやや距離をとろうとしていた。
その意味では、単にフランスのヘゲモニーに依存してるってわけでもない。

しかし、その上で、デリダ読みにおける漏れ、系譜的な見落としがある、という話。

蓮実に関しては彼のあまり明示的に語られない趣味や関心の好みがあるので、
フランスのヘゲモニーとの関係はまた微妙だね。
747吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 12:49:05
浅田は、デリダのような用意周到な戦略家タイプよりも
ドゥルーズとかジュネとか、天衣無縫の野蛮な天才肌タイ
プを持ち上げる嗜好があるからね。

ブランショは、野蛮な天才肌ではないので
浅田の嗜好には合わない。

例えば、ジジェクみたいな東欧の野蛮人は、蓮実は唾棄する
けれども、浅田は、ジジェクが有名になる前には好んで
褒めていたし、そのことで、蓮実と対立していたぐらい。

ただ、浅田の場合、彼を取り囲む実際の人間関係は、
エスタブリッシュメントが多く、貧民や知的弱者には
冷たい。NAMなんかでは絶対活動できなかった。
そういう意味では>>737はあたっている。

ま、浅田のことはどうでもいいでしょう。書きすぎてスマソ
748吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 13:16:41
東大仏文や駒場教養の近代文学人脈ってのがあって、
端的に言って外交官を育てる場所だから、
現地国の支配層の空気を読む訓練が重要になるわけ。
蓮實はその流れに逆らってるように見せつつ忠実なんだよね

本当はバルトも天衣無縫の野蛮さに満ちているけど、
一応教師だったから
749吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 13:28:50
そういう野蛮/戦略という対立で考えることそのものが浅田の悪癖だと思うんだけどな。

デリダが周到な戦略家だろうか。むしろ野蛮かつ不器用に迂回するタイプだと思うけどね。
その迂回こそが戦略だと呼ばれるのなら、それに対比される野蛮の方は
無媒介な現前を称揚するという隘路に陥るんじゃないかな。
割と暴力的で無茶なこともしてるって思うけどね、デリダは。

ブランショについてはその是非はよくわからないが…
750吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 13:37:27
蓮実がフランスの支配層に逆らうようにみせて忠実、というのは、
何についてどういう意味で逆らい、あるいは忠実に振舞っているのかを言わないとほとんど意味がないんじゃないの。

たとえば、テルケルが一時フランスで覇権を手にしたけれど、
なぜ蓮実は追随しなかったのか。

ルノー&フェリーがドゥルーズやデリダ、ラカンたちを
「68年の思想」と総括してカント回帰したとき、蓮実はなぜ追随しなかったのか。

フランスでもポモなどと呼ばれてデリダやドゥルーズなどが嘲笑される
事態が生まれているとき、なぜ蓮実は追随しなかったのか。

ブランショに関するコロックは最近英仏で盛んになってきているが、なぜ蓮実は追随しないのか。

新歴史主義に呼応するようにしてフランスの大学では
メディア論的な文学研究が流行ってきているが、なぜ蓮実は追随しないのか。

単にフランスのヘゲモニーに追随してるという話をした途端、
これらに全部答えなくてはならなくなるんじゃないの。
彼の趣味や関心に応じて必ずしも追随しているわけではない、という以外の明晰な答えってあるの?
751吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 13:38:56
もともと浅田はフランス思想のアメリカでの受容を紹介して出てきた人だから、
デリダは認めても、ブランショが好きじゃないのはおかしくないよ
752吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 13:41:01
>>750
ある時期から蓮實は映画に関心をシフトさせているから、
文学研究のフロンティアを80年代以後はフォローしてないでしょう。
フランスでの蓮實のプレゼンスも小津論の著者やカンヌ審査員としてのもの。
753吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 13:52:54
>>751
>浅田はフランス思想のアメリカでの受容を紹介して出てきた人

これは大きな誤解。浅田が日本で初めてドゥルーズ=ガタリを
紹介した80年代初頭は、まだドゥルーズの英訳は殆どなかったし、
たいした受容もなかった。デリダの方が知られていた。
754吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 13:59:53
>>753
誤解じゃないって
semiotext(e)とか知らないの?
755吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 14:11:02
>>754
知ってるよ。ロトランジェのやつね。でも、総体としては
7,80年代北米のドゥルーズの受容なんてなきに等しいよ。
セミオテクストなんかのマイナーな雑誌を意識しつつ、
もっと過激にGSをやったのは、浅田の功績でしょう。
日本にいるとその遠近感覚が狂ってくるけどね。
756吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 14:19:39
うん、初期浅田の時点でGSでロトランジェを翻訳紹介してもいるし、
英米におけるフランス思想の動向の受容を見ていたのはあったと思うけど、
浅田のドゥルーズ紹介が英米越しだってのはおかしいと思う。

85年ぐらいに『理想』西部と対談している記事があってこれはネットでも転載されてるんだけど、
当時の浅田の認識では、リオタールも保守的になっててセールはフランスの伝統を守る人間になり、
ボードリヤールはシニカルに批判する立場にとどまり、デリダは西洋哲学の負の結晶(ひでえ)へと極限化し、
いまでも暴力的にやってるのはドゥルーズガタリだけだ、と言い放っていて、
彼ら極左ニーチェ派による展開をDGに特に見出し、抽出する、という身振りをとろうとしていたみたいでね。
テルケルに載ったj-j.グーの貨幣の象徴性に関する論文を81年には訳出しているし、
何気に浅田における英米フィルターってそんなにないのでは、とは思う。

かなり独特に走査してた人で、かつ経済やアルチュセールを通過してたから、
「こいつは独特なフィルタ越しに紹介してるだろう」感を感じるのはわかるけどね。

まあ、言うならばハイデガー以降としてのリオタールやデリダ、ナンシー、ラクーラバルトというつながりがあり、
後三者でブランショが占めていたものが大きいというのは、西谷や藤原書店の訳出してた本、
鵜飼あたりを通過してやっと日本で認知されたって感じで、浅田の時点ではいろいろ捨象されてたね。
757吾輩は名無しである:2008/09/10(水) 14:47:26
言葉が足りなかったか
浅田は英米経由だから、
日本の仏文脈にありがちな英米(やその他フランス以外)軽視なしに、
フランス思想を紹介できたってことね
褒めこそすれ貶す意図はない
758吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 00:52:52
いや、もう少し浅田を貶したほうがスレとしては活性化するよ(笑
759吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 01:01:37
80年代の浅田と90年代の浅田は
デリダやブランショに対する視点が違ってくる。
ようやくデリダの価値を認めるようになってきた。
そのへんは蓮實のブランショに対する姿勢もそうで、
「表象の奈落」に修められているデリダ論は、
実際のところ「ブランショを読むデリダ論」だけど、
ブランショの読み方が以前とはかなり異なっていて、
「おっ、少しはリベラルに読めるようになってるじゃん、よしよし」
という感じがしないでもない(笑
760吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 01:08:50
そうした日本の批評の世界では
最もデリダに接近していいはずの位置にいたのが柄谷だと思うけれど
語学的障壁もあってド・マンのほうへ流れることになったのは
まあやむをえないとしても、海外思想の「知識」に関しては
浅田や蓮實にはかなわなかったんだろう。
ただ、彼らがあくまで「紹介者」の位置に甘んじていたのに対し、
柄谷は自分なりの独り立ちした思考を目指そうとする気概は感じられる。
まあ怖いもの知らずの利というか知らぬが仏というか。
761吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 01:16:20
おまえらの現代思想評判記はもういいから
762吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 01:50:50
ド・マンもちゃんと訳されなかったよな
英文の富山多佳夫がタンカ切った癖に放置しやがった
763吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 04:18:24
そんなお前はジョナサン・カラー(笑)でも読んでなさいってこった
764吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 04:20:54
英語で読んだからいいよ
765吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 04:25:12
仏語で読むのがド・マン通。これ最強。
766吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 13:23:07
フーコーはさ、ブランショの影響を自認するよな。
でもフーコーにとって大事なのはハイデッガーよりもニーチェなんだよ。
ハイデッガー流のニーチェ解釈に抗してニーチェを読まねばならない。
浅田彰や蓮實重彦のブランショ批判もハイデッガーの重力圏から離れることって意味では同感するね。
767吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 14:09:41
というか日本でのブランショ受容を妨げたのは
レヴィナスに対する嫌悪と言うべき
768吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 14:28:25
でも、ブランショ研究やってる上田か西山は、郷原BBSでよく語り合ってた頃、
柄谷を指して「まるでレヴィナスパクりみたいなことをしてた人」って評してたんだけどね。
大杉や鎌田、東について批評空間HPで柄谷が「人の影響受けてる子犬」みたいにアジってことに対して、
いやはやまるでヤクザだね、という揶揄した発言の中での言い回しだったけど。

昔、赤間が柄谷には妙に「ユダヤ的なものへのカン・警戒が鋭く、彼の他者論は
いわばユダヤ系譜抜きの和風レヴィナスといったような感がある」と対談で漏らしていたが、
柄谷の他者論は妙に国内文壇でヒットした割には、レヴィナスはしっかり読まれなかったという面があるね。
769吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 17:29:03
そこで笠井潔の『哲学者の密室』ですよ。
エマニュエル・ガドナス教授とか出てきて笑かす。
770吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 23:36:27
>>767
残念ながらそれも違うだろうね。
というのも日本でのブランショ受容は
世界的に見ても決して浅くも遅くもなかったから。

そういう意味では、浅田、蓮實、柄谷というメジャー御三家以前に
豊崎とか宮川あたりが地道に受容を促してきたことが大きい。
そのへんのところは今回の「生誕100年」でも触れられていないだろう。
特筆に価するのは、宮川が既に60年代において
デリダとブランショを同じテーマ系のもとに読んできたことは驚嘆すべき。
771吾輩は名無しである:2008/09/11(木) 23:43:12
だから、浅田、蓮實、柄谷以前にブランショ受容の生地ができ、
浅田、蓮實、柄谷以後の小林や湯浅らを経由した若手研究者によって
その生地が織り込まれていっているという印象がある。

今回の「生誕100年」に書いているメンバーはみんな優秀だけど、
対談を読むと湯浅の人柄のよさがにじみ出てるね。
そして上田よりも西山のほうが明晰に感じられもする。
あまりに優等生っぽいところが逆に物足りなくはあるけれども。
772吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 00:16:08
というよりは、ブランショそのものがスカスカでしょう。
んなもんね、一々取り上げる必要もないんですよ。
773吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 00:57:27
というスカスカなレスを書かれてもねえ。。。
774吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 01:03:36
766でフーコーが挙げられてるけど
デリダやドゥルーズよりいち早くブランショに注目したのは
フーコーだったわけで、その慧眼を蓮實は共有しなかったね。
775吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 01:07:10
スカスカなスレだなあ。。。
776吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 01:10:11
あと、同じハイデガーの存在論を踏み台にしたとしても
ブランショとレヴィナスの差は見かけ以上に大きいと思う。
前者が言語と文学の問題につなげていったのに対し、
後者は倫理(非常に宗教的な)のほうにもっていったから。
777吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 02:12:54
>>775
「人は、見ている対象物に自分自身が投影されていることになかなか気づかないものである」
と書いた人を知ってる?

>>769
>そこで笠井潔の『哲学者の密室』ですよ。
ブラッドベリ『超哲学者マンソンジュ』って先駆者も(笑
778吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 02:35:47
>>768
そのBBSの会話って駄目だな
論壇系の言説を軽蔑してるだけか
ああいう場に分け入るつもりがないなら揶揄とかしない方がいいいのに……
779吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 04:27:05
732とかで西谷修の名前が挙がってるけれど
政治論的にブランショを語る傾向の日本での端緒は西谷なのかな。
780768:2008/09/12(金) 09:26:22
当時そのBBSは知ってる人があまりいなくて、当人たちだけが見てるような面があって、
院生たちのダベり&情報交換の部屋だったからね。
批評に対して揶揄的であったり批判的であったりする自意識はもってるが、
かといって介入するわけでもない、というのはあの世代以降の院生には多いよ。
(正確には、小林康夫の世代が批評家になって、研究成果を放棄していったのと、
 同時にニューアカが東大中沢スキャンダルのような喧騒になってうんざりしたのを直面し、
 西谷・鵜飼らのような勤勉で優秀な紹介者、政治派が出てきた、というのを尻目にした、
 現在40代前半の世代、およびそうした層に指導を受けた連中。
 当人らの研究に対して誠実であろうとする意識はさておき、批評に対してはバックラッシュになってしまってる)
そのため、オフィシャルな発言ってよりは、まあ、酒の場の発言ぐらいに聞いておけばいい。

私が違和感を覚えてしまうのは、「あなた、なんでブランショ研究しようと思ったの」
と言いたくなる様な、アクチュアリティの無さが目に付くことかな。

郷原とかにそういう気配全然無いよね。学部生時代に梅木、院生時代に湯浅らの指導を受けたんだね、とは思うし、
勤勉で真面目でがんばってるとは思うが。

批評といったって、文芸作品批評をしなきゃいけないってわけでも、
文芸誌の常連にならなきゃいけないってわけでも、
座談に明け暮れなきゃいけないわけでもないんだから、批評空間近辺の風習を度外視して動いてもいいのにな、と思う。
彼らが揶揄してるのは、所詮「批評空間の連中が不幸にして嵌った短期的悪癖」だと言えるんだから。
それに対して揶揄的であることによって、「じゃああんたなりの批評のあり方は何なの?」
という問いから逃げてるだけにも見える。

まあ、「ブランショ研究の範囲でしかやらない・それゆえできることもある。そこを目指す。批評はしない」
と明言するのなら、その立場の選択ということで理解できるんだけど、
そこまでのことも言わないんだよね。
781吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 09:50:39
>>780
アカデミアの人がリテラシーの無駄遣いになりがちな理由の一端かな
あと日本における金持ち喧嘩せずの悪い発露
782768:2008/09/12(金) 13:06:52
>>781
私見を述べるなら、アカデミーと文芸誌、あるいはアカデミーと批評家
の対立に根ざしているというよりは、階級的な問題なんだ。
・高等教育を受けて古典から現代にいたる一定の教養
 (趣味ではなく、専門職能力の範囲でもなく下地として)をもつ層
・この層や書籍に対して反感も持っていたりする人も含む庶民の層
前者と後者では大学進学率の差が大きい。
この差が強力に刻まれた西欧社会があり、日本社会ではそうではない。
ゆえに、西欧社会では、教養の下地の上で、研究領域の分化を含む専門職能の細分化があり、
その細分化と下地の差が、横断的なある種の場を立ち上げる源泉にもなる。
(ただ、アメリカでは浅田が言うようにその場所が「大学」に集約されているとも言われる。)

日本で文芸誌と文芸批評が擬似的にそうした場に近づいていたとはいえ、
それは戦後日本の教育熱と出版体制が国民-文学とでもいえる下地をたまたま作っていたからであり、
上のような階級差ではなく「国民」的規模の下地を夢想できていた。
しかしこの前提はもろもろの変化(大学進学率の激増)などでもう崩れている。
そうなったとき、文芸誌の批評シーンは、批評空間界隈や文芸誌のショービジネス的性格から、
出来レース性を増していった。

これに対して、「知的に」誠実であろうとすると、出来レース的喧騒が目立つ批評に対して揶揄的に振る舞い、
研究という長期性を目指そうという動きになってしまう。
いわば、社会における階級構造の反映なんだと思う。
そこで、研究の尊重、「かつ」、何らかの批評的な場の再生
・・・・デリダ風に言うならば不忠実にして忠実な遺産相続としての生き延び・・・・
という指針が立ってない。文芸誌的悪癖や一種の名誉社会的悪循環に対しては不忠実に、
しかし何らかの、という相続の仕方がありうるはずなんだが、その下地がないんだろう。
単純に言っても書く場所も難しいかもしれない。
783768:2008/09/12(金) 13:07:43
これは出版構造にも結びついている(流通、再販制などのいくつかの、
全国的頒布や大手に都合のいい日本特有の構造や、専門書/啓蒙書/一般書の比率の顕著な特殊性)。

いろんな意味で、場が無い。横断を動機付ける階級的・知的下地が無い。
一方で出来レース化した批評があり、これは属人的に
誰々の批評家がいなくなったからだという問題ではなく、構造的に予見できる事態だろう。
他方で、各国での研究としのぎを削る研究の場で成果を出したいし、
そうすべきだという、必ずしも日本での研究が果たせていなかった、切実な課題意識も各人にある。
その間で、露骨に日本の階級構造が反映されて、
批評(とでも言うべき何か)の余地への想像力、その場を成立させる動因が消えていく。

蛇足すると、階級差が大事だ、と言っても、
私は貴族的なのが好きだとか言ってるのではないし(むしろ嫌い)、
漠然とエリート待望というわけでもないし、第一私は庶民層に近い出自。
しかし、長期的にはこういう場がないと専門研究ですべてよし、ということになりかねない。
専門研究は大事であり、参照することも多いが、はたしてそれだけでいいのかが問われなきゃいけないのだが、
柄谷が急速にマルクス主義的に国家と資本の問題に移行したことがある意味で陰画と言えるような意味で、
これしかないような光景になってしまっている。そんなわけがないと思うんだけどね。
784吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 13:07:50
>>774 むしろ蓮實が仏文科連中のブランショ熱に逆らったことの方が重要。
785吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 13:15:33
>>782は長文で論理が混乱しとるわ。
階層による大学進学率の差が大きい西欧と、小さい日本。ここまではいいとしよう。
だのに、
>もろもろの変化(大学進学率の激増)などでもう崩れている。
って、大学進学率が激増すりゃ、もっと差は無くなる道理だろ。
もちろん、教養は低い方に均されるんだけどな。そこを言ってないし。
ま、説いてるこたぁ学歴厨ってやつとあまり変らんな。
786吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 13:16:53
ブランショから外れてしまってごめん。

ただ、プロフェショナルな専門研究者を目指す院生が>>768で紹介したようなことを、
たとえ仲間内の雑談としてであろうと言えてしまうアマチュアリズム。
これは、単に属人的に誰々が鈍感だというのみならず、
上記のような下地が無い場にあっては、結局、
「専門的情報交換・意見交換以外は、アマチュアリズム垂れ流しなダベり」
へと、自分たちがプロ候補生であることを忘れたような発言に、無自覚に流されていくんじゃないかと。

よく言われる「日本では専門馬鹿が多い」という言葉があるけど、
まあこの言葉もどの程度の専門性とどの程度の横断性を含意してるのか怪しいとはいえ、
単に「研究者ってサー」みたいな話に収まるんじゃなく、
日本社会の階級構造とか、あとは大学や出版などの制度・産業基盤とかの反映現象なんじゃないかな。


無理矢理ここでブランショにつなげて言うと、
ユリイカのブランショ特集号に載ってる蓮実・清水の対談にある
「ブランショってジャナーリスティックじゃない?」といった
宮川・豊崎的な受容に対する牽制のような発言は、
"そもそもジャーナリズムと階級構造の関係、布置が違うんだから、
その言葉は単に揶揄にもならないし、むしろその側面って面白いんじゃない?"
ぐらいには切り返せるだろうね。
787吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 13:23:00
ブランショのジャーナリスティックな批評活動ねえ?
政治的な論説なんてつまらんし。
フーコー論での無理解っぷりなんかひどかったよな。丹生谷貴志も指摘しとったけど。
788吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 13:23:56
>>782
>階層による大学進学率の差が大きい西欧と、小さい日本。
それについて語った段落の箇所は、「現在の」日本のことだよ。
戦後のしばらくは決して進学率が大きくない。
>もろもろの変化(大学進学率の激増)などでもう崩れている。
といったのは、具体的には70年代よりも後になってのことだよ。

>説いてるこたぁ学歴厨ってやつとあまり変らん
むしろ、こういう階層問題を語ると日本では、あるいは2chみたいなところでは
「学歴」と即つなげられるんだが、そこに集約するって発想がいかにも
日本の階級構造に根ざしたものだと思うけどね。

ヨーロッパやアメリカだと、そもそも学歴の意味や、在学中の成績のもつ意味まで違うんだし、
そんな2chワードで応答されても困る。
789吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 13:27:34
BBSの人の知り合いの知り合いなんだが、
そもそも駒場目指して落ちた俺からすると階級的に腹立たしいけど言い返せないw
790吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 13:28:55
>>788
大学進学率ばかり気にしとると見誤るよ。
教養主義の歴史を筒井清忠でも見て調べてみ。
戦前エリートの一高・東大生でも愛読書は『キング』だったりして庶民と地続きなんだ。
こんなのぁ西欧の階級社会では無いこった。
791吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 13:29:11
字面しか読まれてないな。
蓮実がブランショのジャーナリスティックな面といったのは、政治評論でも時事評論でもなく、
文学者への着眼点や切り込み方、取り上げ方に、
N.R.Fなどのヘゲモニー(だと思うけど)や知的文脈への迎合があるといった批判的な意味だよ。
で、作品への観察力がいまいち弱いように見えるといった話。

たしかにフーコー追悼本はつまんないけどね。
私は「ブランショのジャーナリスティックなところが面白い」と言ってるわけじゃないし、
実際論としてはつまらないのは割と多いんじゃないの。
ただ、ジャーナリズムの布置が違う日仏の差異を捨象して言ったら、見えてこないものもあるのでは、と言っただけ。
792吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 13:29:22
東大でも理Iなら貧民層からののし上がりはけっこう見るよ
文IIIの教養学部組は文化資本に関しては最高クラスですな
793吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 13:30:38
駒場の院生だと言語情報にはけっこう貧民(失礼)が混じってる
794吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 13:33:22
>>791
しかし>>786に曰く。
>むしろその側面って面白いんじゃない?
その側面とはジャーナリスティックな側面以外の何を指したつもりか。
四百字以内で述べよ。
795768:2008/09/12(金) 13:36:40
>>790
いや、大学進学率を重点に置いたってよりも、
比較的わかりやすく例に出せるから一、二行持ってきただけなんですが・・。

大正教養主義の基盤に大卒者があり、当時の大学とは官僚育成であり、
官僚にはならなかった層が教育者、公務員などとなって地方に分散し、
教育に貢献するとともに、上昇志向の欲望も抱えていたっていうのは有名な話だよね。
あと、地方出身の生え抜きみたいな連中が旧帝大に来ることの意味は、地域への還元って投資的な意味もあったし。
・・・まあ、日本特有ですよね。

「大学進学率だけで比較すると、それ自体、彼我の差が見えにくくなるのであって、
裏付けている持続的な階級差が違うのだが」といった一文を誤解を防ぐために入れておけばよかったかな。

>>789
いや、批評でないと駄目だ、専門研究は駄目だ、と言うわけではなく、
専門研究に徹する姿勢も素晴らしいと思うので、それはそれで大事なことですよ。
796768:2008/09/12(金) 13:43:21
>>794
>>むしろその側面って面白いんじゃない?
>その側面とはジャーナリスティックな側面以外の何を指したつもりか。

「フランスの文芸誌やジャーナリズムとの関係、
さらにはその階級的な位置づけなどを(日/仏の差異を分析して)考えた上で
ブランショがとっていた知的文脈との関係を見ると、
単に影響を受けているとか迎合しているとかいうだけではなく、
フランスの文脈上、何か理由があったと考えられるようであり、面白いのでは」

まあ、思いつきのような発言なので、的外れかもしれないけど。


・・・ああ、迂闊だったというか、間違ってたのか
>ジャーナリスティックなところが面白い」と言ってるわけじゃないし
これは「政治評論・時事事評論という意味での」ということだったんだ。
797吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 13:45:08
>>795 依然、論理が混乱しとるがな。
大学進学率が重点ではなく階級差が問題として、ではなぜ、
「教育熱と出版体制」による「階級差ではなく「国民」的規模の下地」とやらが、
「もろもろの変化(大学進学率の激増)などでもう崩れている」ってことになるの。
「大学進学率の激増」は「教育熱」と関係無いとでも?
元々無かった階級差が大学進学率においてすらいよいよ無くなってるってのに?
ね、やっぱり>>782の説明は筋が通ってないでしょ。
798吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 13:46:39
>>788のアンカー>>782は、>>785の間違いでした。
799768:2008/09/12(金) 13:58:27
>>797
>「教育熱と出版体制」による「階級差ではなく「国民」的規模の下地」とやらが、
>「もろもろの変化(大学進学率の激増)などでもう崩れている」ってことになるの。

あ、ほんとだ。まちがってる。

うーん、どういうこと言おうとしてたんだっけな…。

戦時立法を背景に、再販制が定着し、全国的に同じ商品を流通することが可能になった。
この時点では大卒人口も少なく、知的上昇志向もあったため、
百科辞典屋や全集のブームというかたちで教養書籍が流通した。
こうした下地のもとで新聞文芸時評も影響力があった       =国民的な規模
そのもとで取次のもつ位置が他国に比して強力になり、
また大部数の大量販売に力を注ぐ大手版元に有利になっていった。
こうして専門書の比率が下がり、啓蒙書の比率があがる。
その構造のまま、大学進学率が急増した結果、
大衆向け書籍に有利な市場と化し、教養的なものの下地が崩れた。

こう言ったほうがわかりやすいかな。まだ破綻してるかな。
800吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 14:15:01
>>799 無理に説明つけるのは止めたら?
日本の出版界で取次の力が大きいのはもう戦争前からで、
それが力をつけたのはもっぱら雑誌の販売による。
雑高書低って評される業界構造は戦前からあったものなんだ。
だから書籍は冷遇され、専門書の比率は昔から低かった。
大卒人口増えても人文書の初刷部数は不思議とずっと(戦前から)変らず。
戦後の、七〇年代以降に特有の変化ってのは、どこにあるのか。
それを指摘するのは案外困難なんだよ。
801吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 14:21:18
ブランショ読みって、感覚的に周波数を同期させて読むから、論理的に思考するのが苦手なのかね。
802吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 14:25:32
>取次の力が大きいのはもう戦争前からで、(...)雑高書低って評される業界構造は戦前からあったものなんだ。
>戦後の、七〇年代以降に特有の変化ってのは、どこにあるのか。
>それを指摘するのは案外困難なんだよ。

そっか。泥縄式に説明してたつもりじゃなかったんだけど、
私自身の把握がいいかげんで、こじつけと同じだったんだね。

委託配本制なども関係し、階級差の反映として出版構造の差異もあり、
書籍の専門性と批評のすみわけの背景の遠因になっている、
という素描でいけるかと思ってたんだけど、無理な説明だったか。
803吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 14:27:09
ブランショって論理的に読めないかのような言い草だなあ。そんなわけないでしょ。
804吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 14:35:00
日本の階級構造と出版が反映関係にあって、
戦前〜戦後〜現在における推移や日本の特殊性があり、
それが」アカデミーと批評の関係にまで関わってるという論立ては
前提の証明が困難だから却下、ってことでおk?
805吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 14:43:02
間接的関係ならそりゃあるさ。
それがどんな関係でどう変ったかを適確に述べるのが難しいのよね。
ま、出版史とか書物史の仕事さ。長谷川一なんかではどうも駄目だ。
806768:2008/09/12(金) 14:47:39
>長谷川一なんかではどうも駄目だ。
ギャー  あれじゃ駄目な部類なのか。
そうだったのか…
すんません、みだりに高言してしまって。

でも、ほんと、適格に跡付けるって難しそうな世界ですね・・・
807吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 15:03:30
ここで強引にブランショに話を戻すと、
マラルメの〈書物〉論を軸とする『文学空間』『来るべき書物』は
抽象的で曖昧すぎるんだ。
ロジェ・シャルチエ流の書物史の歴史的具体性で裏付けていったり
或いは理論的にはドゥブレらのメディオロジーなんかと摺り合せたら、
どうなるかな。
フランス本国ではそんなのまだ無いのかね?
808吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 15:17:41
クリストフ・ビダンの伝記的研究以来、
ブランショ論の傾向が変わったという指摘もあるようだし、
新歴史主義の動きもあるんだから、
ハイデガー以降としてつながってる論旨を跡付けつつ意義を検討するのみならず、
たしかにそういう研究が出てきたら面白そうだね。
809吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 19:18:40
>>807
うわ、つまんね(^ω^;)
810吾輩は名無しである:2008/09/12(金) 23:47:53
ブランショはむしろ抽象性が足りないからいいんじゃねーか
811吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 02:42:43
>>807みたいのって修論のテーマだったりしてw
812吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 02:48:32
そういうやつは情報学環に数人いるんじゃないかw
813吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 03:58:38
既に書かれてあるならどんなもんだか読んでみたいね。
814吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 04:37:07
全然駄目でしょ
勝手に想定された抽象性に対する反動としての具体性なんて、ヘーゲル初歩だろう
815吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 12:00:47
ブランショもデリダもレヴィナスも、
歴史をやらなかった(できなかった)のがフーコーとの差ではある。
デリダの哲学史なんかは、ギリシアから近代までひとっ飛びに連続させる偽史だし。
元はハイデガーか。
ブランショの妙なヘーゲル主義も気になるところではあるが。
816吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 13:58:08
「歴史をやる」ってなんすかね

「やらないか?」、みたいのすか?
817吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 14:01:17
日本の歴史家なんて文書館の管理人に過ぎないから駄目すぎるだろ
フーコーも実証系からは悪評だらけなんだぜ
818吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 14:26:06
「だらけ」とまで言っては可哀想。

俺が読んだフーコーの歴史把握ミス指摘は、
エドワード・ショーター『精神医学の歴史』における、
フーコーの語る精神病者の「大規模の監禁」の証拠は中央ヨーロッパやイギリスでは存在せず、
監禁施設の収容人数は人口との比率で言うと微小であり、事実ではない
という箇所や、
キース・ウィンドシャトルの山形訳論文ぐらい。

こんな記事を見つけたが、
http://d.hatena.ne.jp/ryoto/20061111
たしかに歴史を語ることに潜むフィクションの可能性はあっていいんじゃないかと思うね。

現在の非常に細分化し参考文献量も昔より爆発的に増えたであろう
実証的歴史学を相手取って、こういう仕事をするのは困難になるのだろうか。
819吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 17:57:13
しょぼい知識を披瀝されても答えに窮するよねえ。。。
820吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 19:12:34
暗に「みんな、どういうフーコー批判読んだぁ?」という
方向にもって行きたかったんじゃないの、818は。
フーコーも実証系からは悪評だらけ、ていう結論だけよりはいいだろうという意味で。
知識ひけらかしに見えるのかな
821吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 22:46:09
>>818 ロイ・ポーター『狂気の社会史』も忘れずに。
でも歴史は事実に即して反証可能性があるってことが大事なんだ。
どうとでも言葉を捏ねられる単なる文学論と違って。
822吾輩は名無しである:2008/09/13(土) 22:52:10
また爽やかなバカが出てきたもんだなw
823吾輩は名無しである:2008/09/14(日) 01:19:52
>>821
フーコーの絶望が理解できたぜ
824吾輩は名無しである:2008/09/14(日) 20:36:27
初心者は何から入ればよろしいですか。
825吾輩は名無しである:2008/09/14(日) 20:42:19
文学空間はいかがですか。
ごつい装丁ですが書評集ですし、ブランショの基本的なエッセンスはつまってるかと。
826吾輩は名無しである:2008/09/14(日) 20:57:04
いや、古本になるけど「カフカ論」みたいな方がとっつきやすいと思う
あとは明かしえぬ共同体
827吾輩は名無しである:2008/09/14(日) 22:07:38
なるほど、参考になります。
検索したらカミュ論も書いてるんですね。カミュ好きだし、これから入ろうかな。
828吾輩は名無しである:2008/09/14(日) 22:09:26
筑摩叢書にあった「カフカ論」「マラルメ論」「カミュ論」はブランショの日本語オリジナル編訳なんだ。
カフカ論には、未邦訳の『カフカからカフカへ』所収文章が多く訳されていたと思います。
(未読なので内容については言えません)
829吾輩は名無しである:2008/09/14(日) 23:56:11
なるほどー
ありがとうございます。
830吾輩は名無しである:2008/09/17(水) 00:24:26
ここまで出たいくつかのトピックについて異議申し立てがあります。
まず、現代詩手帖に載った蓮實VS清水の対談での
「ブランショってジャナーリスティックじゃない?」というのは
政治性というよりは文芸時評性みたいなところを指摘してたはず。
「文学空間」を例外として基本的に雑誌に載っけたものを本にしてたわけで、
そのへんのジャーナル性、時事性、時代対応性、というか、
時代にビビッドに対応していたブランショの姿勢があったわけですね。
蓮實の視点としてはその程度の意味なんじゃないかと思います。
だから「表象の奈落」でも、ブランショは高貴さと俗っぽさを併せ持っている、
というような表現をしていて、デリダにはそういう柔軟性がない、
というニュアンスを滲ませてもいます。
831830 :2008/09/17(水) 00:30:53
それからブランショにおけるマラルメ的《書物》というテーマは、
「書物」を歴史的に考察することでも物理的に考察することでもなく、
ブランショのはマラルメ以上にマラルメ的な《書物》であって、
歴史というか時間を脱臼させるところまでいくでしょう。
ここには俗っぽさではなく高貴さがあることになるでしょう。
とはいえ、ジュネットが俗っぽいわけではないけれど(笑

だから、そこで考古学者フーコーと比較するのは場違いの感を否めない。
ブランショと対照させるとしたら、まずバルトではないかと。
832791:2008/09/17(水) 00:43:31
>>830
うーん、その意味でジャーナリスティックと言ってるのだったら、
むしろ蓮実の批評観で言うと、「批評ならではのアクチュアリティ」といったかたちで褒めると思うんだよね。
そうじゃなくて、やや揶揄的に蓮実は言ってたという印象があり、
>N.R.Fなどのヘゲモニー(だと思うけど)や知的文脈への迎合
といった意味もあり、反発込みで言ってたように推測したんだ。

また、ブランショのマラルメ観にしても蓮実は、遠まわしな言い方ではあるけど、
ああいったアクチュアリティ抜きのマラルメよりもヴァレリーの方が、
830さんの言い回しを借りると「俗」ゆえにいいんじゃないか、というかたちで語るわけね。
この俗は歴史研究とは一線を画すというのはその通りだけど、
高貴さをどう評価するかが難しい。蓮実は一見褒めているようで、
高貴さと評することで揶揄しているかもしれない、とも思う。

ただ、蓮実の文脈はさておき、あなたの言う
ブランショのそのジャーナリスティックなアクチュアリティがあるというのは同感だし、
そこは面白い箇所だと思うよ。

デリダに無いかっていうと、そうかなあ? とか思う。
歓待論だって当時のフランスの移民問題からしてアクチュアルな論点をえぐろうとしていた、
とか、見ようによっては違ってくるかもしれないし。
まあ、私は蓮実のデリダ語りは基本的に相手にしないようにしてます。
833吾輩は名無しである:2008/09/17(水) 01:02:36
蓮實は年を取るごとにデリダとドゥルーズに辛くなっていってるよ
仏文学者ってことだろうね
834830:2008/09/17(水) 01:05:31
>>832
あっ、レスが早いなあ。

蓮實が「高貴さ」を揶揄してるのはきっとおっしゃる通りで、
だからデリダにはブランショにさえあった俗っぽさがない、
というような表現になってるね。
「知的文脈への迎合」なら俗っぽさになると思うけれど、
そこを揶揄するとなると、「俗っぽさ」に対しても揶揄、ってことに。
昔の「現代詩手帖」の対談と「表象の奈落」とでは、
かなりニュアンスも違ってるのかもしれないけれど。

「マラルメよりもヴァレリー」というのは、
「ブランショよりもバルト」につながるようにも思うし、
結局、ストイックなブランショよりエピキュリアンたるバルト、
ってことになるんじゃないだろうか。

ブランショのアクチュアリティということでは、121人宣言とか68年5月とか、
文芸批評よりもさらに政治的活動において強いと思うけれど、
そういう政治性にさえ、非歴史的でプリミティブなモチーフを据えるところが、
世俗かつ高貴、ということになるんじゃないだろうか。
835791:2008/09/17(水) 05:02:11
いや、批評のアクチュアリティの方の俗は掛け値なしに重視、って感じだと思うよ。
ただ、知的文脈に沿うことをそれは必ずしも意味しないので、そっちの場合は駄目、って意味かと。
俗が二つの面で言われてると思えばいい。

>ブランショのアクチュアリティということでは、121人宣言とか68年5月とか、
>文芸批評よりもさらに政治的活動において強いと思うけれど、
>そういう政治性にさえ、非歴史的でプリミティブなモチーフを据えるところが、
そう、そこに同時に非歴史性・・とでもいうかなあ、
ある種の抽象化をやるのが蓮実は嫌いってことなんだと思うね。
ただ、蓮実のスタイルだけが俗のアプローチなわけでもないんだし、
また違う読み方は無いものか、と思ったりする。
まあこれはいつか模索されるべき読み、ってところですが。
836吾輩は名無しである:2008/09/18(木) 18:34:56
俺ブランショは小説類の方が好きだ
837吾輩は名無しである:2008/09/18(木) 20:55:36
何かすごい盛り上がってるな〜
本が出たからか?
838吾輩は名無しである:2008/09/20(土) 02:04:52
このタイミングで「終わりなき対話」あたりが出てたら
もっとこのスレも活性化するんだけどね。

清水徹はなんでブランショの翻訳から遠ざかったのかな?
力量不足?
839吾輩は名無しである:2008/09/20(土) 02:51:49
資質でしょ
書物論とか、いわゆるおフランスと外れる志向性があるし、
岩波文庫の優秀な翻訳者になってる
840吾輩は名無しである:2008/09/20(土) 18:34:19
清水さんはビュトールも訳さなくなったよね
841吾輩は名無しである:2008/09/20(土) 18:42:03
少し前に訳してたじゃん
842吾輩は名無しである:2008/09/21(日) 03:05:21
ブランショの翻訳も縄張り争いあるからね。
843吾輩は名無しである:2008/09/21(日) 10:44:21
清水は小説を訳してたけど、批評は粟津が頑張ってたんじゃないの
844吾輩は名無しである:2008/09/24(水) 12:23:48
郷原タンががんばってくれるさ
845吾輩は名無しである:2008/09/24(水) 12:24:36
遠恋の彼氏持ちですけどね
846吾輩は名無しである:2008/09/29(月) 01:50:59
翻訳に関係ないじゃん。
847吾輩は名無しである:2008/10/01(水) 00:13:17
若森、上田、西山、安原などなど
ほかにも優秀な人材がいるからきっといい翻訳が出るよ。
でもいつになるのか。。。

現代詩手帖特集を読了。読み応えかなりあったけど
やっぱ俺のレベルじゃかなり難しかったな。

郷原の文章は鋭いわけじゃないけれど
一番芸があったかもしれない。
湯浅は相変わらず繰り返しが多くてちょっとくどい。
文字数を稼ぐためかサービス精神なのかしれないけど。
西山は安定感があって読みやすいけど
もうちょっと柔らかさが欲しいところ。
上田も同上。

素人って好き勝手なこといえるから気楽だ。
848吾輩は名無しである:2008/10/01(水) 00:16:52
俺もその圏域からすっかり離脱してしまったよ
大衆文化方面へと
849吾輩は名無しである:2008/10/01(水) 02:32:57
言われてみると? おれも、
現代詩手帖をパラパラ見つつ、
この人達は時間があっていいなあと思ってしまった。
大変な力作だということはすごくよくわかるんだけどね。
なんでだろう。
自分も昔はあれだけハマってたのに。
バルトにも似た感じを持つな。
撞着話法には付き合えないという気がしちゃう。
単に仕事忙しくて疲れてんのか、おれ。
850吾輩は名無しである:2008/10/01(水) 02:58:20
一時はこの人たちと似た関心を持っていたんだが、
物質的な基盤が脆弱だとブランショはきついっす
でもなぜかベケットならいける
851 ↑  :2008/10/02(木) 19:39:17
片山恭一
852吾輩は名無しである:2008/10/04(土) 00:41:50
批評はキツイかもしれんけど小説はどうよ?
853吾輩は名無しである:2008/10/05(日) 18:00:36
>>178の東大関係者は結局どうしたのかな
今でも必死で伝えようとしてるのかな
854吾輩は名無しである:2008/10/05(日) 19:48:53
駒場の院生って研究室があってなきがごとしだから、
うかうかしていると負け組になってしまうんだよ
きっとその投稿主はそんな言語情報院生
855吾輩は名無しである:2008/10/06(月) 08:10:49
フーコーのブランショ論ってどうなの?
856吾輩は名無しである:2008/10/06(月) 08:30:05
素晴らしいよ
857吾輩は名無しである:2008/10/06(月) 17:49:27
どう素晴らしいの?
858吾輩は名無しである:2008/10/08(水) 20:26:28
な〜誰かくわしい感想書いておくれお〜
>>現代詩手帖
859吾輩は名無しである:2008/10/08(水) 20:53:10
詳しく書ける奴は正体が割れるからやらないよ
860吾輩は名無しである:2008/10/11(土) 01:24:44
現代詩手帖読了。
翻訳がいっぱいあって、うーん、おなかいっぱい。
861吾輩は名無しである:2008/10/18(土) 14:15:01
ずるいぞ!
862カモミール:2008/10/19(日) 23:53:59
現代詩手帖には「終りなき対話」の翻訳が結構あったね。
一体書物全体のどれだけの%になるかはわからないけど、
「来るべき書物」以降のブランショの思考の方向性が少しだけ見えた。
レヴィナスなんかの他の思考との「対話」にこそ、
思考の中心的なモチーフがあるようだ。
早く全訳してくれ〜

そのほかにもブランショ自身の作品の翻訳、
それから、ブランショについての対談、論考、
それらの中で、バルトとブランショについてのものがあって、
論自体はそれほど興味深いものではなかったけれど、
この2人の関係を考えるにはいいきっかけになった。
863吾輩は名無しである:2008/10/20(月) 23:59:07
結局、何を言ってるのか意味不明なのだが、まさにそのことによって意味不明性を的確に表現しているという点で偉大な作家と評価できる。
864吾輩は名無しである:2008/10/21(火) 19:28:54
いわゆる情熱の文学(スタンダールとか)には目もくれないよね。
苦手なのか、それともあまりにも感情が揺さぶられてしまうから
語る言葉が出ないのか?
ブランショの小説読むとかなり本人はかなりPassionにまみれた体験をしてた
と思うけど(銃殺刑まぎわで命拾いしたとか最愛の人が若くして亡くなったとか)
そういった経験も極度に抽象化してしか語らないしねぇ・・・

チラ裏すまん。
865吾輩は名無しである:2008/10/22(水) 01:57:39
もしかしてスタンダール読んでなかったりするんじゃない?
バルザックやユゴーなんかも。
866吾輩は名無しである:2008/10/22(水) 02:28:00
ブランショをなめてはいけない。
ブランショはありとあらゆる文学を読み込んでいる。
若いときの書評群を読めばわかる。
867吾輩は名無しである:2008/10/22(水) 02:29:16
ありとあらゆるはねーよw
非西洋圏は甘いだろ
868吾輩は名無しである:2008/10/22(水) 10:38:13
キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!!


書肆心水 『アミナダブ』 
モーリス・ブランショ/清水徹訳 
10/- ¥4,410 
869吾輩は名無しである:2008/10/23(木) 00:55:50
新訳?
870中口凹回凸:2008/10/25(土) 14:30:05
カモミールさんサンクスです。中古で買おうかな〜
まずは著作を読んでから。。。

>>864
そんな凄惨な人生の人なんだ〜。知らなかった。
ブランショは怖い作家だよね。さらっとした字面とは裏腹。
具象を覆い隠す事がこんなに怖いなんてね。
871吾輩は名無しである:2008/10/25(土) 20:27:05
離人症
872吾輩は名無しである:2008/10/28(火) 02:12:15
>>330
ロブ=グリエの「覗く人」をクリティック賞(le prix des Critiques)に
推したのは、ブランショ、バタイユ、バルト、ジャン・ポーラン。
ブランショはNRFに、"Notes sur un roman" ていう「覗く人」論も書いている。
だから一応つながりはある。
遅レスですまん。
873吾輩は名無しである:2008/10/29(水) 12:07:08
ア ミ ナ ダ ブ

ブランショ長篇小説代表作、清水徹全面改訳単行本版。

だれかが街を通りかかる。とある家から彼は手招きされたように思う。彼は扉
を押す。廊下にはいりこむ。玄関口に達する。これから、彼はなにを見出すこ
とになるのだろうか、いや、なにかを見出すことができるのだろうか? 『アミ
ナダブ』は、こうした探求の物語、はじめから探求それ自体を疑っている物語
である。

リアリズム的な目標に満足しない説話は、すべて、起伏にみちた語りと結びつ
いてゆっくりと明るみへと出されてゆくような、ある秘密の意味を要求する。
意味が曖昧なところなく話の筋立てと照応し、しかもまた、その話からはなれ
て完全に表現されうる場合、それはアレゴリーだ。反対に、意味がフィクショ
ンをとおしてしか捉えることができず、意味そのものとして理解しようとする
と、たちまち消散してしまう場合、それはシンボルだ。この古い区別は、じつ
に単純なものだが、これを呼び戻すことはつねに正しい。ある物語の意味とは、
その物語自体である。そういう物語は神秘的に見える、まさしく語られること
に耐えられぬもの、そればかりを語るからである。


874吾輩は名無しである:2008/10/31(金) 15:53:25
アミナダブって謎の男トマよりわかりやすい?
875吾輩は名無しである:2008/11/03(月) 01:26:45
全面改訳なら買うか。
876吾輩は名無しである:2008/11/05(水) 02:52:59
で、訳どうだった?
877吾輩は名無しである:2008/11/08(土) 00:49:14
これから読むから来年まで待ってて
878吾輩は名無しである:2008/11/16(日) 18:09:33
アミナダブおもしれえ
次はなにがいいかな。
879吾輩は名無しである:2008/11/28(金) 03:06:36
焔の文学全二冊って全訳なのでしょうか?
880吾輩は名無しである:2008/11/28(金) 03:10:39
「焔の文学  火の部分1」と「虚構の言語  火の部分2」の分冊になっているやつですが。
881吾輩は名無しである:2008/12/01(月) 02:30:40
ようやく詩手帖2冊借りてきた。
札幌市中央図書館に2冊を注文したのはオイラだ、えへん
まだカフカ論と焔の文学も読んでない。
882吾輩は名無しである:2008/12/06(土) 13:14:36
至高者の篠澤訳、やる気なさ杉だろ。。。
883吾輩は名無しである:2008/12/06(土) 22:50:16
具体的に教えてくれるとうれしい>やる気なさ杉
884吾輩は名無しである:2008/12/07(日) 02:40:55
>>883
2ページにひとつは誤植が見つかる。
あと、主人公の家族が母と妹なんだが、ほかの論文なんかだと姉なんだよね。
これはどっちが正しいのか、天沢訳をあたらないとはっきりしないが。
885吾輩は名無しである:2008/12/08(月) 00:51:31
『異議申し立てとしての文学――モーリス・ブランショにおける孤独、友愛、共同性』って読まれたかたいますか?どんなもんだろう。
886吾輩は名無しである:2008/12/09(火) 00:19:00
>>884

回答ありがとう。
誤植については同意。
今度、原著と天沢訳を当たってみる。
887吾輩は名無しである:2008/12/10(水) 02:00:43
>>885
読みましたよ。>>741で少しだけ書いたけれど、
明快かつ的確な論の運び方に感心しました。
非常に抑えもきいていてポエジーに流されてないところにも好感。
その点を「芸が弱い」ということもできるけど、
読みやすさがそういう批判的視点を遠ざけさせる。
レシやロマンについては大して触れられていないのが、
ちょっと残念といえば残念だったけど、これはないものねだりの恨み節。
全体的には非常に満足でしたね。
888吾輩は名無しである:2008/12/10(水) 02:04:05
アミナダブ入手。どれくらい改訳されているのだろうか。。。

装丁のタイトル文字がもう少し太いほうが良かったなあ。
色合いは好みだけど。
889吾輩は名無しである:2008/12/16(火) 00:54:29
次はトマ初版を
890吾輩は名無しである:2008/12/22(月) 02:22:51
ロジェ・ラポルトってどうですか?
あと、ほかにブランショ論でいいのありますか?
891吾輩は名無しである:2008/12/30(火) 00:57:44
>ロジェ・ラポルト
邦訳は2冊読んだ。「探求」は予想より良かった。
>ほかにブランショ論
海外ものだと結構あるらしいけどね。邦訳は。。。
892吾輩は名無しである:2009/01/01(木) 01:15:02
ボナネ。
コランとかヒルの論の邦訳は無理か。。。
893吾輩は名無しである:2009/01/02(金) 11:21:11
かくも不吉な翻訳 投稿者:クロソウスキー 投稿日:2008年11月27日(木)02時37分48秒 ntfkok144175.fkok.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp   返信・引用
翻訳をめぐる論議が喧しい昨今ですが、今回の『かくも不吉な欲望』の
新訳は、本当に「新訳」の名に値するものなのでしょうか。「あとがき」に
よれば、「二人の訳者はそれぞれの訳稿に対して互いが綿密なチェックを行
った」と記しておられますが、例えば第2章の最終文などを見ても、とても
まともな日本語とは思えません。本当に原文を理解しているのかな。たまた
まなのかも知れませんが、私が仰天したその文章とは─「彼らと断絶すれば
するほど、彼は、彼がみずからの内に彼自身を見つけだすことを彼に妨げた
ものすべてと、断絶している」。

894吾輩は名無しである:2009/01/02(金) 17:38:43
原文を出さない事にはなんとも
895吾輩は名無しである:2009/01/02(金) 21:02:27
autant de ruptures avec eux, autant de ruptures avec tout ce qui, en lui, l’empechait de de trouver lui-meme

片方は例の四十女を怒らせた人だったのか
896吾輩は名無しである:2009/01/03(土) 01:18:27
『至高者』のルイーズって姉と妹、どっちが正解なの?
897吾輩は名無しである:2009/01/03(土) 09:40:25
翻訳の出来具合は別にしてだな、クロソウスキーのブランショ論ってどうなん?
今回文庫本でも買ってみたが、訳が難しいのか俺の理解力が足りないのか、
結局判断できんかったわ。

しかしどうしてO森氏で検索してヒットするのが、同一人物の複数のサイトなん?
女性の熱狂過ぎが恐いわ。学問もできてモテル男なん? ギターをスカイプでとは思いつかなかったわ。

>大森晋輔君のフランス便り - リヨン滞在(2004年9月中旬)など。 大森晋輔くんのギターも!
>スカイプでよく弾き語りしてくださいます。
898吾輩は名無しである:2009/01/04(日) 23:51:08
クロソウスキーの本は30%しか消化できない俺。。。
899吾輩は名無しである:2009/01/05(月) 00:51:06
>>893
クロソウスキーがそれを書いていたときに見ていたビジョンと
同等のものをしっいないと分かりにくいことは確か
そのうちわかるよ
900吾輩は名無しである:2009/01/05(月) 19:59:31
研究者の層が厚いブランショとクロソウスキーを同等に扱うのは不公平
もっと大人の目で暖かく見守ってください
901吾輩は名無しである:2009/01/06(火) 02:08:11
ブラン白よりも黒ソウスキーは神学的だから読めたもんじゃない。
っていーか、黒は一般読者に向けて書いてないんじゃないか。
さらにいえば、読者を意識して書いてないんと違ゃうんかいな。
902吾輩は名無しである:2009/01/06(火) 05:13:39
レヴィナスのブランショ論って邦訳出てましたっけ?
903吾輩は名無しである:2009/01/09(金) 16:10:04
女を上手く捨てられなかったことが翻訳の不手際以上に
研究者としての致命傷とならなければよいが
誤訳で謝罪した守中は家庭も地位も失わず逃げ切った
904吾輩は名無しである:2009/01/23(金) 14:40:35
ブランショもハイデガーも深遠ぶって中身すかすかに見える。
死や深淵のイメージ弄んでるだけ。
デリダやレヴイナスもその悪い影響がある。
その点は、浅田や蓮實のほうが正しく思える。
905吾輩は名無しである:2009/02/05(木) 02:12:17
↑いかにもたいして読んでもいない初心的にありがちな空疎でアバウトなイメージ

まあへたくそな釣りなんだろうがw
906吾輩は名無しである:2009/02/06(金) 20:56:35
>>905

↑いかにもたいして読んでもいない初心的にありがちな空疎でアバウトなレス

まあへたくそな釣りなんだろうがw
907吾輩は名無しである:2009/02/11(水) 00:31:58
人は図星のことを指摘されるとオウムになるものである by ドゥンス・スコトゥス
908吾輩は名無しである:2009/02/11(水) 18:49:08
>>907
www
909吾輩は名無しである:2009/02/12(木) 02:27:01
月曜社 『書物の不在 第二版』 
モーリス・ブランショ/中山元訳 ¥2,625
http://www.bk1.jp/product/03085624
910吾輩は名無しである:2009/02/12(木) 02:36:03
『終わりなき対話』はいつ出るんだ?
911吾輩は名無しである:2009/02/12(木) 03:00:06
友愛も頼む
912吾輩は名無しである:2009/02/12(木) 12:40:38
馬鹿みてぇwww
ブランショ(笑)
913吾輩は名無しである:2009/02/13(金) 10:07:07
>>909
増補版かと思ったら
88頁から82頁に減少って orz
914吾輩は名無しである:2009/02/13(金) 11:41:46
赤い頁を止めたのが出るんじゃないか?
あれ、読みにくかったから。
915吾輩は名無しである:2009/02/14(土) 12:45:49
ブランショって、何でこけおどしで中身ないの?有り難がっている奴なんなの?
916吾輩は名無しである:2009/02/14(土) 15:23:19
中身って何ですか
ページ開いたらバナナでも出てくることかな?
917吾輩は名無しである:2009/02/14(土) 17:25:46
つ、詰まんねぇ!
918ぜっとん:2009/02/15(日) 01:22:41
>>914
今度のが白か黄色なら買うんだが〜〜〜
919無名草子さん:2009/02/15(日) 18:21:42
「眺めのよい部屋」も面白いよネ
920吾輩は名無しである:2009/02/15(日) 22:02:24
>>919
ブランショとなんか関係あるの?
921吾輩は名無しである:2009/02/21(土) 23:38:11
ブランショ(笑)
922吾輩は名無しである:2009/02/22(日) 00:37:27
ブラン笑、だな
923吾輩は名無しである:2009/03/07(土) 22:46:17
地方宮廷だが、駒場の学生は全員話が行き渡っていても、
誰も何も対策等を言って上げない。パリでは皆知っていた。
キャッシュだけでも消した方が良いはずだ等、言い様は
あるだろうに何もせず、普段は笑顔で友達付き合いをしていた。
903とか、駒場の学生の闇を見た気がする。
924吾輩は名無しである:2009/03/07(土) 23:14:23
そういうの嫌いだった駒場もいるんだから一緒くたにするなよ
925吾輩は名無しである:2009/03/08(日) 18:35:23
傍観してたんじゃ一緒じゃね
926吾輩は名無しである:2009/03/08(日) 18:45:52
粗雑だろ
ただの駒場コンプにしかならず、問題を捉え損なう
927吾輩は名無しである:2009/04/27(月) 00:21:53
翻訳今年出ねえのかな
928吾輩は名無しである:2009/05/13(水) 12:20:46
何か評論出てたね
929吾輩は名無しである:2009/05/29(金) 00:55:43
930吾輩は名無しである:2009/05/30(土) 00:27:52
>>929
若手のドクター論文かと思ったら
結構な年の教授なんだね。
タイトルがあんまりそそらないけど
今度チェックしてみる。
931吾輩は名無しである:2009/09/10(木) 16:23:06
かいたんとこのBBS停まったね
932吾輩は名無しである:2009/09/12(土) 15:40:24
パラージュ早く翻訳してくれよな
933吾輩は名無しである:2009/09/16(水) 03:43:21
>>766
フーコーはハイデガー経由でニーチェを読み始めた。
ハイデガーを読む前にニーチェを読んでも全くおもしろくなかった、と言ってるね。
死ぬ間際に。


934吾輩は名無しである:2009/12/15(火) 23:54:35
思想じゃなくてフランスの純文学系で面白い論文書く若手っていったら、たとえば誰かな?
935吾輩は名無しである:2009/12/16(水) 00:00:41
ブランショ界隈は全員思想系だろ
936934:2009/12/16(水) 00:19:37
いやブランショに限らず。
フランス文学のスレよりはここの方が賑わってるし、どうかなと思って。
西山雄二のブランショ論も読んでみたけど、もうちょっと文学作品への言及が欲しかったね。
そうすればもっと論として肉厚なものになったと思うんだが。
937吾輩は名無しである:2009/12/19(土) 10:32:40
昔は詩人がブランショを翻訳し、エッセイを書いてたり、
美術系批評家(宮川や粟津など)が論じたりもしてたけど、
最近は、その反動もあってか思想系に傾いてるね。
尾崎のはまだ読んでないけど。
938吾輩は名無しである:2010/01/30(土) 18:43:50
なかなか邦訳が出ないねえ。。。
939吾輩は名無しである:2010/04/13(火) 08:45:20
邦訳出ないな
940吾輩は名無しである:2010/05/08(土) 15:56:55
2010/4/8 8:55
投稿者:IzumiS/Z

 有り難うございます。確かにそうかも知れない。でも、若い友人がか
つて言っていた言葉を引き継げば、電脳つぶやき空間というのは(私の
大嫌いな)ブランショ的空間の下品なパロディのようなものではないの
でしょうか。間違っているかも知れないけど。
2010/4/8 3:42
投稿者:「愚か者の山」より

>皆さん、心からお願いしますが、是非ともご購入下さ
い!!

鈴木先生、そのようなことを広めるために、ツイッター
は意外に有用ですよ。
941吾輩は名無しである:2010/05/09(日) 11:23:21
そもそもブランショ的空間って別に上品なものじゃないんだけどね。
無名の猥雑で混沌とした言葉たちの反響と交錯の空間。
もちろん下品でもありうるし2ちゃん的でもツイッター的でもありうる。
ブランショ的空間を恐れている人がそのような矮小化するのだろう。
942吾輩は名無しである:2010/05/12(水) 09:22:38
ブランショもブランショ研究者もブランショ読んでる凡人も厨2病ばっか
943吾輩は名無しである:2010/05/12(水) 09:39:21
こんな過疎スレ煽られてもな
944吾輩は名無しである:2010/07/08(木) 21:10:20
ジャック・デリダ『境域』若森栄樹訳、書肆心水、5145円
7月刊行はマジか?
945吾輩は名無しである:2010/07/09(金) 00:55:16
そういう造語で訳すしかないのかね
946佃煮マニア
数年前「私についてこなかった男」を読んで大興奮したものでしたが
「謎の男トマ」もグイグイ引き込まれる文章ですね〜。
誰の肖像も明らかにされないまま各々の物語がたばねられ渦のように中心へと巻き込まれて行く過程には息をのみます。