1 :
吾輩は名無しである :
2005/12/18(日) 00:23:49 この有名な「無常という事」。 江藤淳の真似をして、アメリカ駐在中もこの文庫本を折に触れて読んでいました。 何十回と読んでいるのですが、未だに分からないのが最後の 「常なるものを見失ったからである」 この「常なるもの」って何ですか?
タイトル間違ってますよ。 「無常といふ事」です。
3 :
吾輩は名無しである :2005/12/18(日) 05:21:05
小林秀雄先生のスレが立った祝いに・・・
.,.v-ー''″ ミ,
,,/ ,,,, ミ
.,/ ,,|||||||,, ミ.
,!′ ,,||||||||||||| .゙゙!;
ノ ||||||||||||||||| ゙`!; 日本人だけの特権!
.\., "|||||||||||||" ..ミ 世界の中心で天皇陛下万歳を叫ぶ!
.\ "|||||||" ,.,v-r|i
) "" ./ ′ .ミ,
.) .,r'′ ミ.
.゙'ー‐'¨¨″ フ∧_∧
r(,,゚Д゚)
〉日本つ
⊂、 ノ
し'
天 皇 陛 下 万 歳 !
日出づる処の極東板より
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1127163463/
ぷ、いまどきさりげなくアメリカ駐在じまんかよ。 よく恥ずかしくないな、おい。
6 :
吾輩は名無しである :2005/12/18(日) 22:46:44
>>2 旧仮名づかいを新仮名づかいに改めるのは、今の時代の常識。
角川文庫も新潮文庫も「無常という事」というタイトルで出版してるよ。
出直してこい!
>>3 ありがとう
>>4 小林秀雄スレ読んだけど、あまりのレベルの低さに自分でスレ作ったら悪いか!!
削除するかどうかは本人が決めること!
君に指図される覚えは無い!!
>>5 君が一番おバカさんだね
江藤淳は国文学を専攻したわけでも、日本の古典を特に愛読したわけではなかったけれど、
アメリカの大学に留学中、月遅れの文芸春秋で小林秀雄の江戸時代の儒学に関する
エッセーを読んでいたんだって。
外国で生活しているが故に客観的に自分の国を眺められるようになる・・・。
君はそんなアホな書き込みしてくるということは、海外生活の無い、日本の片田舎でしか
働いたことの無い高卒の井の中の蛙と見た。
お前みたいなニートがこの国を悪くしてるんだよ。
杉村太蔵クンと仲良くしてな!
削 除 ガ イ ド ラ イ ン 6. 連続投稿・重複 重複スレッド 同じ事象・人物に関するスレッドは、個々に多少の違いがあっても原則的に削除対象になります。その場合、立てられた時期・時間、1に書かれている内容、レスがどれだけついているか、という優先順位で総合的に判断します。 客観的な判断が難しい時は、利用者同士の話し合いを待つか、立てられた時間の遅いものを停止処置をすることとします。 同一掲示板内ではない重複スレッドは、内容にほぼ変化のない場合は悪質なマルチポストと判断し、板の趣旨に合った真面目な議論が続いた場合を除き、全てを削除対象とします。 乱立スレッド 厨房板以外では、内容にほぼ変化のないもの、内容が無意味なもの、などの乱立は全て削除します。
>>6 つーか、ネタにマジレスしてる上に、自分もネタでスレッド立てたことを忘れてない?
11 :
吾輩は名無しである :2005/12/19(月) 08:58:30
ハハハハハ、 その程度の反論しか出来んのか、お前ら!!
946 名前:吾輩は名無しである[] 投稿日:2005/12/19(月) 23:37:04 小林秀雄の有名な「無常という事」。 江藤淳の真似をして、アメリカ駐在中もこの文庫本を折に触れて読んでいました。 何十回と読んでいるのですが、未だに分からないのが最後の 「常なるものを見失ったからである」 この「常なるもの」って何ですか? どなたか教えて下さいませ のんきなスレ立ててるわりに、マジ教えて君だったの?
14 :
吾輩は名無しである :2005/12/20(火) 01:21:25
本当に知りたいのです それまでの文章は何とか理解できるのですが、最後に唐突に 「現代人には鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。 常なるものを見失ったからである。」 と結んでいるけど、「常なるもの」について、その前の文章ではなんの説明も無いから 自分で考えるしかないのかなぁ・・・ 僕の意見では、文中の言葉を借りれば「後世」、つまり末法思想に追い詰められた当時の人たちが 考えていた極楽浄土、輪廻転生といった死後の世界のことかなぁ???
15 :
吾輩は名無しである :2005/12/20(火) 01:48:16
ベルグソンのいう「持続」のことだよ。 感覚や情緒など互いに比較不能な純粋に質的な諸状態、それらが 相互浸透する多様性、さらにその多様性が「持続」において展開する 有機的組織化・・・こういったことを「常なるもの」という言葉に 置き換えているだけ。
16 :
吾輩は名無しである :2005/12/20(火) 17:57:19
科学的批判精神に支配されすぎて一番大事なもの、肉親への愛、自然への畏敬、他人を 思いやる心などを忘れがちになっているというのが、「常なるものを見失った」という言葉で 言いたかったことなのでは。
学校の試験では(前後の)文脈から同意語のようなものを探すべし。
18 :
吾輩は名無しである :2005/12/20(火) 22:33:51
>>17 じゃぁ前後の文脈から探した同意語のようなものって何?
20 :
吾輩は名無しである :2005/12/20(火) 22:53:28
お前うるせぇーよ!! なんでも質問箱でもろくな返事なんか返ってこないんだよ! それよりこのタイトルのスレ立てた方が小林秀雄に興味のある人間が答えてくれるじゃねぇか!! スッコンデロ!!!!!
21 :
吾輩は名無しである :2005/12/20(火) 23:03:21
>>16 なるほど、肉親への愛・自然への畏敬・他人を思いやる心など、人間として
一番大事なものが「常なるもの」か・・・
その通りかもしれませんね
でも、それを鎌倉時代の何処かのなま女房が知っていたとは、あの一言芳談抄の
引用からは伺えませんけれども・・・
23 :
吾輩は名無しである :2005/12/20(火) 23:19:41
24 :
吾輩は名無しである :2005/12/20(火) 23:56:26
>>15 ベルグソンの「持続」について書かれている本のタイトル教えて
25 :
吾輩は名無しである :2005/12/21(水) 00:03:20
>>22 こういう狭い了見のあなた!!
きっと常なるものを見失った現代人ですね!!
26 :
吾輩は名無しである :2005/12/21(水) 00:04:27
>>18 ちょっとあたってみたら、これは最後のとこだね。
歴史(の魂)、過去、過去を(上手に)思い出すこと=思い出、
(退っ引きならぬ人間の相)・・・・?
30 :
吾輩は名無しである :2005/12/21(水) 00:43:13
↑こいつもしつこいね!笑
31 :
吾輩は名無しである :2005/12/21(水) 00:52:50
>>27 現代人には、鎌倉時代のどこかのなま女房ほどにも、無常という事が
わかっていない。「歴史(の魂)、過去、過去を(上手に)思い出すこと=
思い出、(退っ引きならぬ人間の相)」を見失ったからである。
田村の現代文講義のような受験勉強のノウハウじゃぁ小林秀雄は解読できんぜよ
自分の頭で考えようよ!
なま女房 = 小林 なのか?
33 :
吾輩は名無しである :2005/12/21(水) 02:42:56
高校のころ教科書にあったが俺も同じようにつまづいたな。 小林のもともとのマテリアリズムと持続の考え方が結びついた感じ? なま女房に似た喩えはどっかにもあった
歴史や死人(の思い出)とかでいいような?
35 :
吾輩は名無しである :2005/12/21(水) 09:40:20
>>34 現代人がなま女房ほど無常という事を分かっていないのは、
「歴史や死人(の思い出)」を見失ったから?????
一言芳談抄の中でなま女房が分かっていたのは、
「生死無常の有様を思うに、此の世の事はとてもかくても候。なう後世をたすけ給え」
であり、歴史や死人の思い出ではないような・・・
好きな男が死んだりして(?)その男が忘れられなくて、 此の世がやんなっちゃったんじゃ?
わかんなくなった。人間(の形)を見失った?もうやめ。
小林秀雄は歴史とは畢竟思い出に過ぎないちゅう史観の持ち主だからな 自分が生きてもいない鎌倉時代を思い出せる まあ常人ではないはなあ
>>38 史実というものは、でも、確かにあやうい。
昔のものは権力者の意図だと思うし、
最近のものは映像や音声で正確っぽいけど、
所詮一面しか捉えられないし。それも、正確かどうか...
マラソンの中継見てるとき、平面のビュウ見てから
上空からの映像見ると、ああこんなに離れていたのか、
って思ったことない?
タイトルに無常ってついてるし、常なるもの=無常、無常観っていうニュアンスで使ったと思う。 鎌倉時代の女房とか言ってるから、平家物語の「盛者必衰の理」のくだりも意識していたんじゃないかな。 どんなに善行を積み上げても時にはむごい死に方をしたり、栄華を誇っても必ず滅びはやってくるし そういった情け容赦ない無常とか不条理こそが常なるもの、人生の真実なのだということかな。 試験で出すとしたら、不条理、あるいは諦観とかが同義語なんだろうな。
42 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/01(日) 01:01:43
考えるヒント(笑)
43 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/01(日) 01:26:36
小林の文章て簡潔で合理的だから試験にでるんだろうね 筋道はかなりビシッと通ってる でもそれって文学的にはある意味ツマンナイんじゃない?
44 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/01(日) 01:31:40
いやーーー?論証とびこえまくりですよ?
でもこの人、論証いらない分野について書くのが本業のライターでしょ。 文学とか骨董とか音楽とかの感想は、論証なんかいらないんだよ実際。 筋を追えない人が「飛び過ぎで分からない」って言うんだよね。 ただそういう直感派を、勘違いした周囲が理論家や専門家みたいに 見るようになってしまうと危険なわけだが。
問題作る人は>43みたいに考えているのかな
花の美しさはなくて、美しい花があるだけだ
48 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/02(月) 18:02:11
つまり美は要素を取り出して分析出来るものじゃないってことだろ それが正しいかどーかは分かんないけど、言ってることは単純そのもの
50 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/02(月) 20:29:16
現代人には無常という事がわかっていない。 常なるものを見失ったからである。 常なる物を見失った現代人は、将来と呼ばれる一寸先の闇に安楽を追い求め、絶え間ない焦燥の中に生きている。
51 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/02/03(金) 04:08:57
夢精といふ事
現代人には夢精という事がわかっていない。 エロなるものを見失ったからである。 エロなる物を見失った現代人は、自慰と呼ばれる一寸先の闇に安楽を追い求め、絶え間ない焦燥の中に生きている。 といふ事?
53 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/02/03(金) 05:15:03
夢精をコントロールできない現代人への嘲笑だべww
54 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/02/03(金) 20:45:46
結局小林秀雄って人はよくも悪くも東大厨なんだよ 柄谷も蓮実も丸谷も寺田もみんな東大 東大以外が小林の物読んでもしょうがない だいたい常なるものなんてなんだっていいじゃねぇか わかってもわからなくても ±は〇なんだから 朝鮮労働党員でもないのに金正日のゴタク理解しようとするのと同じ 物好きもいいかげんにしとけよ
55 :
吾輩は名無しである :2006/03/17(金) 05:06:59
この一説は小林自信も「俺、またいいこといっちゃったな、てへっ」 くらいの認識しかないだろ。常にあるものの意味なんて特にない。 ただ、この『無常ということ』に限らす、小林が一貫して言っているにのは 絶対な価値観があると仮定すれば、そこへ辿りつく為にはどうすれば良いか、 という事を論じている。 それには、第一条件として余計な観念を持ち込まず、その道筋を疑いなくに見据える事が大切である、 とは書いてはいるものの、 小林が非難される原因なのだが、次の行程が書かれいない。 しかもその絶対的なものがなにかもわからない。小林自信もわからない。 しかし、このような視点を応用することで、物事をみる上で、 他とは多少異なった視点を得られたのが、小林英雄。 だから、ただ印象批評と耶喩するのは多少お角違いではある。 ただ、この視点はあくまでアプローチの一つに過ぎないという事を理解した上で小林の書物を楽しめばよい。
56 :
吾輩は名無しである :2006/03/17(金) 07:37:29
もっともらしく聞こえる書き方からして、貴様小林厨だな?
もっともらしく書いてるけど、的を外してるな。
58 :
吾輩は名無しである :2006/03/17(金) 07:55:46
もっともらしく書いているが、よく読むと何も書いていないのと同じである処からして 貴様小林厨だな?
59 :
吾輩は名無しである :2006/03/17(金) 08:22:05
__,,,,,,,,,,,,,,_ ,,-‐''´;;;;;;;;;;;;;;;;;;`;‐ 、 〃;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;心、 ,〃;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;-‐'' ヾヽ ,!;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;-‐'''' ヾヽ |;;;;;;;;;;;;;;;;;;( ヾ! / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ゙i;;;;;;;;;;;;;;;;;ソ ,-‐''''´`i | 君達、うちで赤旗の . i;;;;;;;;;;;;l r‐''''' ̄`i^! 〜 .l < . r‐.v=====l 〜 .ノ .ゝ、_,,,,ノヽ | 配達員をやらないか ! .ヘヾ| ヽ.,,,,. -'' )ヽ. | \____________ ヽゞヘ ノ ゝ--‐'' _, ノ ヽ人 ---‐‐‐'''. ノ . / ヽ,,_ ` ‐--‐'' / `'''''‐.,,,,,,,_____,,,,ノ
60 :
吾輩は名無しである :2006/03/17(金) 16:08:12
>>58 そのとおり。私は小林厨。
ただ、一つ断っておくか、私も小林に関しては「また言ってるよ、しょうがねえオヤジだなw」
くらいの認識だ。つまり、小林が一つの権威の対象として、
賞賛や真剣に非難をされているのかが良くわからない。単なるペテンオヤジだよw
更には、あのオヤジ、太平洋戦争あたりの時なんて、
「無常といふ事」の単行本をよーく読んでほしいのだが、
本当は当時の体制や盲目的になっていた、世間の風潮なんか大嫌いだったくせに、
急に題材を遠く昔のことばかりあげて、うやむやにし当局の目を交しつつ、
この後、更には骨董屋のオヤジとして行き、筆を一時絶っている。我が身が大事な男なのだ。
戦争後、非難をするとすればポイントはそこにあったはずのに、戦争を支持してたなんて的はずれもいいとこだ。
そういう壇上にもあがる資格も彼はないからだ。
ただ、「だって、しょうがないじゃねえか」とでも反論してきそうな小林自体は大変大好きである。
したがって、このレスに非難があっても私はこうとしか答えないだろう
「だって俺も馬鹿だし」とね。
61 :
吾輩は名無しである :2006/03/17(金) 16:36:02
1、つまり14の人、まだいます? あえて誤解を招く言い方をします。まったくの的外れかもしれません。ただ、 自分が勝手に感じたことをいいます。 「常なるもの」とは天皇のことである。無論、象徴的な意味において、です。 反論には何も答えられませんが、黙っていられない方も多いでしょうから、さあ、どうぞ。
62 :
吾輩は名無しである :2006/03/17(金) 16:40:56
常なるものとは明日のジョーのことだよ
>>60 貴殿が、小林厨なものか。テヘっと言う「英雄」というのは誰のことだ?
64 :
吾輩は名無しである :2006/03/17(金) 19:14:35
>>63 わりー、偉そうな事書いといて、おもいっきり誤字ってたorzまじで馬鹿だwすまん。
>>62 さっきは、特に意味はないって書いたけど、ここで言う「常なるもの」を敢えて解釈するとするのならば、
「本来受け継がれているべき日本の伝統の精神」
とでもいいましょうか。まあ、例によって具体的にそれがなのかはっきり書けませんけどwただ、それが彼にとっては能であったり、日本に受け継がれている宗教だったり、いろいろたくさんあるのので、ぐだぐだ書いている訳だ。
だから「天皇」という解釈の仕方もあながち間違ってないと思います。
小林がこれを書いた時代背景と、その時の行動をみれば、なんとなくそう思われます。
戦争時の彼のスタンスは「今の雰囲気ははっきり言って気にくわないが(ヘタレなんでぼかして言っているけどw)、戦争になった以上は、日本人が日本自体を応援しなけゃ、どうしろって言うんだ、だけど俺にはこれしかこんなことしか出来ない」って感じかな。
もろ小林秀雄的アプローチですいませんw
65 :
吾輩は名無しである :2006/03/17(金) 21:23:17
小林秀雄は、戦後になって文学者がみんな反戦的なコメントを出すようになった 風潮の中で、「俺は馬鹿だから反省なんぞしない」と独りうそぶいてたらしいね。 ハッタリぽいかも知れないけど、そういう所は好きだな。
66 :
吾輩は名無しである :2006/03/17(金) 21:27:50
この人も不幸な人だおな
67 :
吾輩は名無しである :2006/03/17(金) 21:30:55
IF YOU HAVE BELIEF YOURSELF
68 :
吾輩は名無しである :2006/04/04(火) 11:07:02
「常なるものを見失ったからである」という最後の一文は良くない。 いついかなる時代でも無常とは人間の置かれる一種の動物的状態である と言ってるのだから、どこかの生女房も現代人も同じはず。 「常なるものを見失った」というのは言葉のシャレにすぎないと解釈するのが 妥当ではないか。
ニーチェみたいなもんじゃないの
この人感性の人 なーんにも系統だって考えてない まあ普通の日本人 文章上手い でもそれだけ 「常なるものを見失ったからである」これも 半分思いつきだと思うよ
71 :
千念 ◆rpi5g182N. :2006/05/03(水) 04:34:56
>>70 >なーんにも系統だって考えてない
システムをむやみにありがたがることからは自由だった人で、
唐心に対する大和心に関わる著作で人生を終わった人だから、
そのような上っ面の批判もあるだろう。
系統だって考えて、アサッテのことを言う人も多い。
系統だっていれば現実性が保証されているかのように
思う迂闊さに気づかなければならない。
小林は、系統だって展開しないだけで、頭脳は
系統だって働いて、即ち思考していたはずである。
物事の本質を的確に把握する力はそのような意識的乃至
無意識的な系統だった思考力なしにはあり得ないからだ。
まあ普通の2ちゃんねらー
に、
ほとんど思いつき
の批判をするな、
というのが無理な注文だとは理解しているが。
>>70 このレス内容のような人物であることのどこが悪いのかよく分からん。
おフランスの哲学者だって「感性がいいただのフランス人」だぞ。
74 :
吾輩は名無しである :2006/06/09(金) 10:24:57
無常≒科学絶対教ってことじゃないか? 人にとっての真実は、後天的に自分の中に刷り込まれている。 だから、常ならんとするなら科学的客観の方法では、不可能といいたい。 自分の中にある、歴史とか記憶そのものを感じて納得することが正しい態度である。と 科学絶対主義がカルトにすぎないという批判の一文と思う。
75 :
吾輩は名無しである :2006/06/11(日) 22:08:46
マジレス 現代人(のインテリ)は、鎌倉時代のそのへんの 生女房と比べても大バカ野郎である。 歴史というのを「飴」のように考える大バカ野郎である。 歴史を知る、鎌倉時代を知るということは 文字通り「鎌倉時代を思い出す」ことである。 鎌倉時代に生きた人間の顔や肉声を(今、目の前に) 再現することである。 本居宣長は古代人の姿を眼前に浮かべることに成功した。 「歴史を思い出すことができず、 理論的解釈ばかりする」現代人は 「常なるもの」がわからない動物的人間だ。 以上が「無常といふ事」の真意です。
聞いてみなきゃわからないものだ… 小林秀雄の真意がそんなに薄っぺらいものだったとは…
77 :
吾輩は名無しである :2006/06/11(日) 22:56:47
>>1 「常なるもの」とは文字通り、人間生活において
「いつの時代にあっても不変なるもの」のことです。
つまり、鎌倉時代なら鎌倉時代だけに通用した
過去の遺物的概念のことをいうのではなく、
「ああ、鎌倉時代の人の身振り手振りがよくわかる。
肉声が聞こえてくる。なんだ、現代と同じではないか。
歴史とは結局、過去を語ることではなく、
現代と連続した不変の常なるものじゃないか。
歴史とは人間や社会が進歩することじゃない。
変化するだけなんだ。なんだ、そうだったんだ!」
と実感することです。
78 :
千念 ◆rpi5g182N. :2006/06/11(日) 23:43:51
>>77 よく言ってくれました。実にわかりやすいよい表現だと思います。
79 :
大手拓次 :2006/06/13(火) 15:57:09
うつろはぬ とこしへのもの かへりきたりぬ わがむねの あをきそこひに
80 :
吾輩は名無しである :2006/06/30(金) 04:59:36
殆ど沈みかけたスレにレスするのもなんですが。 小林自身が言っていたように彼の書くものは随筆で、 「実は、何を書くのか判然しないまゝに書き始めているのである」という物言いを信じるなら 「常なるもの…」云々は前節の「無常という事がわかっていない」から自然と導かれた 形ばかりの結語にすぎないとも言える。 しかし、それをもって言わんとしたことを、全文から探すなら二三見つけられないこともない。 いわく 「あれほど自分を動かした美しさ」 「自分が生きている証拠だけが充満し、その一つ一つがはっきりとわかっている様な時間」 「解釈を拒絶して動じないもの」 「死んでしまった人間」 等々。 ただ此れらを含む文節の力点は、寧ろその前後に繋がる文にある。 つまり、こう言ってよければ此れらの概念の指示内容は、 小林がこの文章を書いている時点で_現前させられない_物達であり、 ゆえに全て否定的にしか言い表せないものなのである (「今思い出せないもの」「解釈不可能なもの」等々)。 「常なるもの」という言葉は、再帰的にこの「無常という事」という文章全体に係る。 概念で出来上がった文章という、いつも肝心なものだけ捕え損なう網目を通して、 そこから零れ落ちたものを最後の最後で肯定的に拾いあげる。 小林が文章を書くのは、それによって何かを捕えるため、というよりも、 それによって何かを捕え損なうためなのだ。 文章を密にすれば密にする程、この「零れ落ちるもの」も限定されて密になる。 現代人が「無常という事」に就てわかっていない、というのは、 現代人が何一つ漏らさないで全てを捕えてしまうという_いじましさ_を戒めている、 ということもできるかも知れない。
81 :
にゃ :2006/07/01(土) 09:58:54
なぜ分かんないのか分かんないぞ。こ難しい言葉遊びもへ理屈思想こねくり回す事も役に立ってないね。 生=常なるもの 死=無常 だとおいてみて、 死(無常)というものは生の裏をなすものであって、死を意識したり感じたりするには生がなければならない。 もし人間が死なないのなら死や生、常や無常という概念は生まれてこないから。 鎌倉時代は女房ですら生というものがあったし、感じていた、生を全うしていた。だから、その裏にある死(無常)も感じられていた。 けれど、現代人は死を感じる為の必須の条件の生すらもっていない、失くしてしまっている(常なるものを失くした)、まっとうに生きていない つまり死を意識しないし、無常を感じられない。。 単に現代社会や、そこに生きる人の生や死・常や無常に対する感覚の鈍磨生を全うしていない事を批判したかっただけのことでしょう。 生は人間の根本をなすものだから、反対側の死から感じ取って、生や生き方を鎌倉見習って考えろよ現代人って言いたかったのね。 常っていうのは人が生きる上で支えになる大切な物ともいえるかな。 それは、人間性、信仰心、道徳倫理 、秩序、体制、人生観などいろいろ考えられるけど。
82 :
80 :2006/07/01(土) 15:05:16
そう単純でもない。 生=常なるもの 死=無常 というのはちょっと単純に過ぎる。 小林が無常という言葉で具体的に思い描いているのは、比叡山で一言芳談抄の一節を 鮮明に思い出していたその心理状況が文章を書いている現在失なわれてしまっている という事実である。 この「自分が生きている証拠だけが充満し、その一つ一つがはっきりとわかっている様な時間」 が常に自分の元になく、いつも上手く思い出せないという生者の特質を、 彼は「動物的状態」と呼んで、死者の完全さから区別する。 死者はいわば時間の埒外に存在し、不完全な心情などに煩わされることがない。 このことだけ見れば寧ろ「死=常なるもの」という風に見えませんか? これも単純過ぎる定式化だが、今ちょっと時間がないのでとりあえずここまで。
83 :
吾輩は名無しである :2006/07/01(土) 15:34:22
「この世を無常と考えるのは、歴史を上手に思い出すことのできない 動物的人間のすることだ」 「無常といふこと」の真意を簡潔に言うなら。 「歴史を上手に思い出す」というのは、本居宣長がかって古代人の身振り、 手振りを眼前に見ることに成功したのと同様、文字通り「思い出す」ことです。 「そんなことは科学的に不可能だ」という迷信から現代人は逃れられない。 だから現代人には「動物的人間」が多いわけだし、多くの人が 歴史の魂に触れることもできないでいる。 「歴史は暗記物」というのが最大の迷信であると言ってもよい。 歴史は暗記したり分析したりするものではなく、「思い出すもの」である。 鎌倉時代を知るということは、鎌倉時代に生きた人間の身振り、 手振りを思い出すということである。分析することではない。
84 :
吾輩は名無しである :2006/07/01(土) 19:07:48
↑この人は結局なにがいいたいのか… まとめようよ 普通の人が理解する上で生と死=常と無常とおいて考えてみるのが一番理解しやすいと思うんだけど。 観念的にはこれほど近似していて密接な観念もないだろうしね。
85 :
80 :2006/07/01(土) 22:16:18
>>84 あなたの言いたいことは解るし、非常に理解もしやすいが、
あなたが、もしそれをこの「無常という事」という文章から読んだのだと言うなら、
もう一度文章を読んでみることをお勧めする。
二三のキーワードから文章全体を一般化、抽象化してしまうなら、
結局「無常」という言葉さえ出てくれば、誰の書いたものからでも
同じ解釈を引き出せるということになるし(だから理解もしやすいのだろうが)、
それなら最早何も読む必要などなくなる。
文章を平易に書くことが称揚されるのは、それがとても難しいことだからだ。
対象が難しければとりあえず適当に折り合って、とにかく簡単にやっつけてしまえ、
ということではないです。
そもそも私の理解する範囲では一般に「無常」といえば「生」のことでしょう?
「死」が「常なるもの」かどうかは置くとして。
86 :
80 :2006/07/01(土) 22:19:12
>>83 「上手に思い出す」ということがここで歴史に歩みよる道として
積極的に描かれているのは確かだが、
この文章の肝は、筆者が今、その「上手に思い出」していた瞬間を、
上手に思い出せないでいるということではないだろうか?
例えば「動物的人間」というのは何も多くの歴史家ばかりのことを指すのではなく、
「生きている人間」全般が未だ人間というには不完全な一種の動物に過ぎない、
と彼は書いている。
「多くの歴史家が…」の文章において見るべきなのは、彼等がそこに「止まる」という点だ。
彼等がその頭を記憶で一杯にし、なにもかも覚えている、もしくは思い出すことが_出来る_と
自負する時点で、彼等は歴史に、また人間に近づこうとする歩みを止めてしまう。
筆者である小林もまた今文章を書いている現在の時点で、ある充ち足りた瞬間を思い出せないでいる。
その点では歴史家達となんの変りもない「動物的人間」であるが、一つ違う点があるとすれば、
小林は自分がそれを思い出せないことを知っており、この文章を書くという行為を通して、
_思い出そうとしている_点だ。
この文章を書いている自分程に無常ということの残酷さを知っているものはいまい、と小林は
考えたろう。捕えた筈の何かは、それを手にしていたことを知る時には、いつもその手に残って
いない。あれは一体なんだったのか、という身を切られるような切実な思いを持たない
ディレッタント達に、お前達は一体「常なるもの」が一体どういうものなのか解っているのか?
と聞いてみたかったに違いない。
87 :
にゃ :2006/07/02(日) 02:43:19
でも
>>1 さんが知りたいのは、
「常なるものとは何なのか」ということでしょ。
「無常といふ事」についての真の解釈や小林秀雄自身がどういう人でどういう考え方をこの本に詰めたのかということは今は必要なくない?
まぁ、理解する手助けにはなると思うけど。
「常なるもの」とは何なのか端的に分かりやすく述べることが必要なのでは?
あなたの考えた内容がどうこうではなくて、
あなたは、質問の根本的な意味を取り違えてませんか?ということです。
88 :
80 :2006/07/02(日) 08:03:01
>>87 もしそう見えなかったのなら「残念ながら」としか言いようがないが、
私は「常なるもの」とは、何かについて書こうとしたつもりです。
>>1 が「常なるもの」という言葉を唐突と感じ、何の事だか解らないと思ったのは、
単なる偶然ではないでしょう。実際この言葉は内容を持っていない。
小林自身が「常なるもの」が何なのか解らないでいるのだ。
彼にはその影のようなものは見えている、ただその正体が見えない。
だからこそ小林は「無常」という言葉を切実に飲込むことが出来たのだし、
「無常という事」について書いたのだ。
そうでなければ彼は最初から「常なるもの」について書いていたことでしょう。
そしてそれが「端的に分かりやすく」書けるような代物なら、
そもそもこんな分かりにくい文章を書く必要はなかったでしょう。
どこかのなま女房「ほどにも」わかっていない、というのは単なるレトリックに過ぎないが、
我々はこのなま女房のもっともらしい解釈「ほどに」無常ということがわかっていない。
「とてもかくても」などと分かったような分からないような事を言って
乙に澄ましていられるのが何よりの証拠だ。
もし無常という事を本当に飲込むことができたなら、心は落ち着いてなどいられないだろうし、
今の自分に欠けてしまった何かを思わずにはいられないだろう。
そしてこの欠けてしまった何かこそは、小林の言わんとした「常なるもの」であり、
それは永遠に我々の手からすべり落ちつづけるものなのだ。
89 :
吾輩は名無しである :2006/07/02(日) 08:59:57
問い:「常なるもの」とは何かを30字以内で述べよ
90 :
吾輩は名無しである :2006/07/02(日) 13:44:09
「常なるもの」とは、現代人が鎌倉時代の人間の身振り、手振りを思い出し、 「ああ、歴史とは過去という過ぎ去った時間を語ることではなく、 鎌倉も現代も同じなのだ、何も変わっちゃあいない」 と実感することです。 もちろん「鎌倉」は「平安」でも「江戸」でも何でもいい。
91 :
83 90 :2006/07/02(日) 13:49:29
>>89 「30字以内」とかいう言い方は、
小林秀雄という人から最も遠いところにある言い方ですよ。
小林秀雄を愛し、尊敬し、理解しようとする人は
そういう言い方はしません。
92 :
吾輩は名無しである :2006/07/02(日) 16:54:39
小林は「解釈」とか「分析」とか「抽象」を非常に嫌った人ですからね。 「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」 「花の美しさなどという(抽象的な)ものはない」 美術や音楽は「分析」するものではない。 歴史や文学も同じ。 「無常」という言葉の「解釈」を「分析」するのは、 小林秀雄の著作を読む時の正しい読み方ではない。 べらんめえ口調でかん高い肉声を、 くるくると髪を指で巻き上げる仕草を 「思い出しながら」小林秀雄を読むべきである。
読み方に「べき」はない。 美術も音楽も鑑賞し感応し堪能するものである。 だが、 それで終わらないのが人間である。その時自分の中に蠢くものを コトバに託して表出したくなるのが、人間の業である。 下は「良かった」「素晴らしい」「感動した!」の嘆声から 上は長々と連ねる評論まで。 感動の表わし方に「べき」がないように。 小林秀雄の読み方にも「べき」はない。
94 :
吾輩は名無しである :2006/07/02(日) 19:24:17
「感動した!」って一言で言い切る奴は全員アホ。
もうこういう人は生まれないんだろうな。 しかしまぁ、このオッサンには人生をいい意味で狂わされたよ。 若いオネーチャンの方がよかったなぁ・・・
96 :
にゃ :2006/07/03(月) 04:11:39
小林秀雄を尊敬し、愛してはないですから べき は使いますね。 逆にこきおろすつもりもないですよ。 小秀雄の著作を読んだり小林秀雄批評を見る機会が多かったので来てみただけです。 私の人生に必要もないし最近では小林自体がもう遺物化しつつあるので、あまり興味もないです。 昔はすごいと思っていた先生だけれど、生徒が大人になって先生のあらが見えるようになった。 だから、評価が低くなった。とうまく例えていた批評がありました。 どこで読んだのかもう忘れてしまいましたがね。 「無常といふ事」の中で私がいいと思った部分は世阿弥の引用でしたし。 「風姿花伝」でも読みます。 長いだけの本質の見えない言葉遊びのへ理屈観念はもうお腹一杯です。
読むの腹一杯なら 講演CDがいいかも。喋りは活気に溢れている。
98 :
80 :2006/07/03(月) 06:02:32
>>96 あなたがもし小林秀雄だけを批判するつもりなのなら、私には何の異存もない。
彼の非合理主義が、ある種のタブーを概念の領域に造り上ていることは確かだと思うから。
ただ、どうしても引っ掛かるのは、あなたが自分に解らないもの全般を最初っから軽蔑
しきっていることだ。
あなたが「本質」と呼ぶものが例えば
>>81 に書いてあるようなことなのなら、
あなたは風姿花伝など読む必要はない。どうせ読みはしないからだ。
傲慢なことを書いているのは承知の上だが、そんなことを私に言われる筋合いは
ないと思うなら、もう一度
>>81 と本文を見比べてみればいい。
どこにそんなことが書いてあるのか。
「生徒が大人になって先生のあらが見えるようになった」というのが本当なら
大層立派なことだが、私にはあなたが単に軽蔑することを覚えただけのように思える。
例えばテオドール・アドルノは実生活においてはナチに加担すらした「存在論的詐欺師」
ハイデッガーに辛辣で執拗な批判を加え続けたが、そのアドルノは彼の度し難い天敵の書いたものを
恐ろしく良く読んでいた。その後継者であるハーバーマスは、彼の論敵の一人であった
デリダの思想を、その追悼記事において誰よりも的確に捕えていた。
私の書いたものがへ理屈だ、というならその通りかも知れないが、
あなたの書いたものも単に短かくて読み違えようがないというだけで、へ理屈である点で変わりない。
更に木で鼻を括ったような傲慢さが見え隠れするとあっては、いくらなんでも見るに堪えない。
99 :
吾輩は名無しである :2006/07/03(月) 08:40:05
>>96 >長いだけの本質の見えない言葉遊びのへ理屈観念はもうお腹一杯です
小林秀雄という人は、「理屈」も「観念」も嫌った人です。
あなたは小林という人をまったく理解していない、としかいいようがない。
小林秀雄のことをわかろうとするなら彼の肉声を聞くべきです。
彼の肉声を聞くとは、心を虚しくして彼の全集を読むことです。
そうすれば小林秀雄という人の人となりが
おぼろげながら見えてくるはずです。
それ以外に彼に近づく道はありません。
100 :
吾輩は名無しである :2006/07/03(月) 08:46:58
本居宣長も小林秀雄も、その人物と作品を短い言葉で定義しようとしたり 説明しようとしたりすると必ず誤ります。 というか、それは偉大な作家や文学者全般に言えることです。 だから小林も「ある一流作家を選んだらその全集を読め」と言った。 福田恒存も大江健三郎も小林の言に従った。
101 :
にゃ :2006/07/03(月) 09:57:25
>>90 つまり、小林の言うところの「常なるもの」とは
「歴史ある日本人としてのアイデンティティ」
ということを仰っしゃりたいのですか?
言い換えれば、「小林含め現代の人間も、日本の歴史を背負ってきた昔と今も変わらぬ日本人であるという意識。」ということですかね。
立派なお考えはお持ちなのでしょうが、
「簡にして要を得る」
というような明瞭簡潔な文章を書く練習をされた方が良いと思います。
相手に何かを伝える為に要を得た、一本筋の通った理解しやすい文章を書くという表現者としての一番重要な心構えが、小林にもあなたにも欠けていると思いますよ。
小林に影響を受けられてるのですから仕方がない事ではあるのでしょうが。
評論よりもまず自分の考えを誰にでも分かる文章で書く為に
論説文等を書く練習から始められた方がいいと思いますよ。
102 :
にゃ :2006/07/03(月) 10:06:07
そして、小林やあなたの言っている事が理解できないのではなくて、 たかがこれだけの事を言う為だけにどれだけ長い言葉で理屈並べたら気が済むのだ? と思っているだけです。 「抽象」を嫌う、当の小林自身が最も抽象的な考えで抽象的な文章を書き人に理解されにくいという皮肉な話。 このスレが立っているのがいい証拠です。
103 :
80 :2006/07/03(月) 11:33:51
>>102 悪いが「たかがこれだけ」なのは、あなたの理解の及ぶ範囲がそれだけなのだ。
あなたの文章は文句無しに「簡にして要を得」ているが、
問題は、言っていることが明瞭簡潔に疑いの余地なく見当違いだ、ということだ。
解釈することが善か悪か以前に、あなたが解釈する内容が致命的に間違ってる。
どう読んだら
>>90 が「歴史ある日本人としての云々」と読めるのです?
私は
>>90 ではないし、その内容にも多少疑問があるが、それにしてもそうは読めない。
論説文の練習の成果でもって伝ようとする事柄が、小マセた中学生でも言えそうな内容なんなら
電気炊飯器の取扱い説明書や、新聞の一行広告の方がよっぽど優れた文章だ。
104 :
吾輩は名無しである :2006/07/03(月) 13:09:39
小林秀雄だけに限らない。 古今東西、超一流といわれる作家たちの思想はすべて 簡潔明瞭には表現できない。 彼らに近づくには全集を読むしかない。 手っ取り早く(自分の理解しやすいように)理解しようとするから誤るのだ。 できれば日記や創作ノートまで含めて読むべき。 超一流の作家たちがいかに多くのことを考え抜いて、 多くのことを書かずに終わったかまでわかれば おぼろげながらも彼らの肉声が聞こえてくるよ。
105 :
にゃ :2006/07/03(月) 13:21:23
自演乙彼 歴史ある日本人というと社会学的な要素を感じさせるかな。あなたにはそこがダメだったみたいね。 言い換えれば〜からが言いたい事にかなり近い かな。 あなたの思っている事と解釈が違っているというのはそれだけあなたの元の文章が誤解を受けやすい曖昧で抽象的で判然としない不味い文章だからということでしょう。仕方ないね。精進して下さい。 確かに、あなたの文章より、炊飯器の取扱説明書の方が分かりやすいよ!何が言いたいのか、どうすればいいのか間違ようなく理解できるからね!いいこと言うよ!ワロタ
106 :
吾輩は名無しである :2006/07/03(月) 13:31:14
長く言葉を尽くしても理解でき、深い考えを著している古今東西の名著と 長く言葉を尽くせば文章の格が上がると思って言葉遊びの理屈並べに終始している小林秀雄(あなた)を何故か勝手に一括りにしている 短絡的思考にワロタww
107 :
80 :2006/07/03(月) 16:40:15
>>105 先ず勝手に自演を前提にして話を進めるのは止してもらおう。
そういう確認のしようがない要素は、今このスレでは除外してもらっていい。
そうでないとこっちはまともに話ができない。
だいたい自演して私にどんな利益があるというのか。
私と
>>104 の間にもある種の意見の相違があることすら、あなたには読めないのか。
あなたはよっぽどお若い方で読書量もそれ程多い方ではないように見受けられる。
過小評価だなどと思わないでもらいたい。
物をたくさん読んでいてその程度だと殆ど救い難いものがあるからだ。
少くても社会学の何たるかは全くわかっていない。どこをどう見たって社会学的な要素なんて
見あたらない。だいたい今のあなたにマックス・ウェーバーや、エミール・デュルケームが
理解できるとは思えない。
もう一度言うが、私のものは全て「80」の名前で書き込んである。
>>90 は私じゃない。
それに私は
>>90 を書き込んだ人物程小林秀雄にいれこんでいるわけじゃない。
あなたの論理で行けば、世の中で論争の的となっているような文章は全て「曖昧で抽象的」
ということになるが、世の中で論争の的になっていない文章を探すのは難しいくらいだ。
だいたい論争の種にもならない文章など読んでいて別段面白いものではない。
だからもしあなたがそういう種類の文章を求めるなら、取扱い説明書や、一行広告を読めば
いい、と言ったのだ。皮肉をそのまま受け取られて「いいことを言う」などと言われると
ちょっと脱力してしまう。
あなたの言う「深い考えを著」した「名著」(同語反復が不快な言いまわしだが)というのを見てみたい。
108 :
80 :2006/07/03(月) 16:49:26
>>90 の書き込みには、社会学的要素など見当たらないが、
「歴史ある日本人としてのアイデンティティ」という言葉は社会学の材料になりそうだ。
使い古されて硬化した右寄りのイデオロギーを思い起こさせる。
そういう言葉は「日本人以外」という他者とのコントラストを強調するが、一体我々の議論の
どこに「日本人」と「他者」という要素の入りこむ余地があったのか。
おそらく
>>90 が、日本史の時代区分を羅列しているのを見て字面から勝手に空想したのだろうが、
>>90 が「もちろん「鎌倉」は「平安」でも「江戸」でも何でもいい」と言っているのは、
「鎌倉」という時代に固執せず、時間軸上の如何なる点を取っても構わない、
と言っているのであって、日本をここで強調している風には全然読めない。
「平安」や「江戸」はここでは任意の時間を現わす一種の提喩だ。
>>90 の言わんとする「常なるもの」を理解するためには、別にエジプト人やドイツ人が
「アメン・ホテプ四世の時代」や「泡沫会社群生時代」を思い出しても支障は無いように思える。
更に「言い換えれば…」以下だって、混乱させこそすれ、解りやすくなど全然なっていない。
そのまま読めば「意識」の行為主体が誰かわからないし、好意的に見て「小林含め現代の人間も、…」
の「も」を「の」に読み換えてみても、「日本の歴史を背負ってきた」とか「日本人であるという」
という文言が議論の上であまりに唐突だ。
流行の「成分分析」風に言えば90%が軽蔑で出来ていて、残り10%が根拠の無い自負で出来ているような
文章ばかりでなく、もう少しあなたの「深い考え」とやらを披露して下さい。
そうでなければどうも話しが出来ない。
109 :
にゃ :2006/07/04(火) 03:41:13
あなたは枝葉末節な部分にしか着眼していないですね。かなり論点がズレています。 だからあなたとは確かにまともで本質的な議論はできないでしょうね。 全体的に文の意味を捉らえる練習もした方がいいかもしれません。
110 :
にゃ :2006/07/04(火) 03:48:11
どうしても日本人としての〜の部分が理解しにくいのであれば、 「全人類的な」か または、 「人間として普遍的な」 に置き換えて読んで貰っても構いませんよ。 言ってることの本質は変わりませんから。 自己の主張を延々と述べ自説の正しさを証明しようと意固地になるだけでなく、あなたは過去レスを全て読み返された方がいいかもしれません。 少し前に本質を突いた分かりやすい回答をしてられる方がいましたよ。
111 :
にゃ :2006/07/04(火) 03:57:05
>日本人としての要素がどこに入り込む余地があったのか。 大丈夫ですか? 小林も日本人 著作の内容も日本の歴史論を述べる題材も日本の歴史から取り出している 小林が述べていく上での素地、バックグラウンド 読み手が解釈していく上でもお互いに共通した理解、大前提、になっていることくらいわかりませんか? 入り込むもなにもそれが前提となっている事は自明の事でしょう。 それすら理解されずに今まで延々と小林秀雄について語ってこられたのですか? 正直、吃驚りしました。というか、呆れた。
112 :
にゃ :2006/07/04(火) 04:06:10
小林秀雄について得意気に持論を語るつもりが自分の 人並み程度の国語力、読解力、理解力、文章力、説得力の無さを露呈してしまったという可哀相な話。 独善的な解釈を一人で勝手に続けられるのは勝手ですが、多分、これから先も人に理解される時は来ないでしょう。 裸の王様。乙彼。
113 :
にゃ :2006/07/04(火) 04:47:22
>小林秀雄を理解しようとしていないからあなたの説は間違っている というような事を書かれてましたが、小林を理解しようとしていれば全ての人が理解でき、理解しようとしていなければ理解はできない というようなまた、短絡的な思い込みの激しい考え方ですね。 例えば、サッカーを理解しようとしていなくてもサッカーがなぜか上手い人もいれば、サッカーをどれだけ理解しようとしても、好きでも下手な人はいるものです。 素質、才能、センスなどと言われるものが影響することを忘れていませんか? 小林秀雄を別に理解しようとしていなくても、文章を読めばすぐに分かる読解力や国語的センス、感性を本質を見抜く目を持った人間がいることも事実です。 自分は小林を尊敬し理解しようとしてるから自分の理解、論は正しい、そうでない人間には小林は理解できないし、説も間違っている というような、何等根拠もなく、論理的でもない子どもみたいな論法を使うのはやめて頂けませんか? あなたはとても小林を尊敬してらっしゃるようですが、残念ながら、あなたには国語的センス、感性、論理的にものを考える力、本質を見抜く目、本質に行き着く為の着眼の仕方、など全て欠如
114 :
80 :2006/07/04(火) 06:36:33
OK. 私の読解力が人並を遥かに下回っており、殆んど堪え難いレベルなのは良くわかりましたから、
罵詈雑言の類いは次からもう少し簡潔にして下さい。
同じような悪口を何度も読まされるのはナマクラ刀でいたぶられるようなもので、拷問に近い。
会話の切っ掛けになりそうなのは
>>111 のレスくらいだ。
申し訳ないが私はその「大前提」とやらを未だ理解できないでいます。
今前提となっている問題は次の内のどれです。
1、「無常という事」という文章の中の「常なるもの」という言葉の意味内容
2、『無常という事』という題名で出版されている書籍に納められた散文群全般における「常なるもの」という言葉の位置
3、小林秀雄の著作全般において「常なるもの」という言葉で表現できそうなモチーフ
4、「常なるもの」という言葉の含む一般的意味
文学という分野でこういう質問が出された場合、主に 1 の意味で理解され、3 が援用される
ことが多い筈です。もしこれらの中になければ好きに答えて下さって結構ですが。
115 :
にゃ :2006/07/04(火) 09:10:28
とりあえず、またズレてますとは言っておきます。 自分の中だけの論理学を使われているので一般には理解できませんが、「大前提がわからない」という事だけは理解したので、そこを。 大前提→例えば、リンカーンがアメリカ人で著作の中でアメリカの人物や歴史について語っていれば、 これはアメリカの事について語っているんだ(な)という著者、読み手側双方に共通しているわざわざ言わなくても分かる共通の理解の事。 解釈したり論ずる前に理解しておくべき最も基本的で重要な事項ですよ 。 まず、この理解がないとお話になりません。 だから、大前提というのです。
116 :
80 :2006/07/04(火) 10:51:33
何だか話がまたあらぬ方向に行きつつあるなぁ。
とりあえずそっちの方向で進むことにするけど。
私だって
>>101 を見るまではあなたの言う「大前提」とやらを無論そのつもりで了解していました。
ところが
>>90 を要約するにあたって_あなたが_その「大前提」となっている筈の「日本人」という
要素を「前提」から「議論の中心」に引き上げてきたのだ。
あなたの例えでいけば、リンカーンがその著作の中でわざわざ「アメリカ人である私が…」
という言いかたをするとき、この発言の中には保守的イデオロギーでガチガチな
ヨーロッパ的風習に対するアメリカの自由な気風とか、そういった「アメリカ」と「それ以外」
のコントラスト、もしくは、「それ以外」には見当たらない「アメリカ」の特質が強調されている筈だ。
>>101 であなたは先ず
>>90 の内容を要約して見せている。
要約というからにはご自分が主張されるように無駄を一切省いて肝要なポイントだけ抽出して
見せたわけでしょう。だったら「歴史」「日本人」「アイデンティティ」などの単語は
>>90 を読み解く上で欠かせない要素ということになる。
117 :
80 :2006/07/04(火) 10:52:56
そういうわけで
>>90 の要約として「歴史ある人間としてのアイデンティティ」でなく
「歴史ある日本人としてのアイデンティティ」という言いかたがされれば、まるで
>>90 では
日本人の民族的共通理解がそれ以外の何かと対比され、それが
>>90 の文章の
肝となっているかのように聞こえる。少なくとも
>>90 の中に「日本人」という言葉が出て
くる筈だ、としか読めない。「大前提」をわざわざ要約に盛り込むからには、そこに意味がなければ
ならなず、その時点でもう「議論の対象」となる。
だから私は「日本人」と「他者」という「コントラスト」が一体どこで問題となったのか?と
聞いたのだが、
>>111 であなたは勝手に「日本人としての要素」などと読みかえて、くだんの
「大前提」の話になったわけだ。
後になって思い付きで「置き換えて読んで貰っても構」わないなどというが、全然構わなくない。
それだと要約のニュアンスが全く違うものになってしまう。論理的で曖昧さがないなどと
よく自惚れたものだ。あなたの言う本質とは、それ程曖昧で恣意的なものだ。
118 :
80 :2006/07/04(火) 11:07:02
ひとつひとう数え上げれば切りがないからよしておくが、あなたの発言はたいがい思い付きの悪態
ばかりで、一貫性や論理性からはほど遠い。私は会話する上で大事なのは論理性よりも、相手の発言に
対するある種の敬意だと思っているが、あなたが論理性をあんまりに奉るから一応ある程度
論理に気を配ったつもりです。自分の中だけの論理学などとおっしゃるが、あなたが自身が
そういう客観的論理学とやらから最も遠いところにいる。カルナップやヴィトゲンシュタインや
クワインなどを読んでみれば、厳密な論理学に従うときに発言できることがどれだけ少ないか、
またそれを一般的コミュニケーションの理想とすることがどれだけ無意味かわかる筈だ。
私は単に誰かと「無常という事」という文章について話がしてみたいと思っているだけだし、
自分の読みが正しいなどと主張したつもりはない。私があなたに食ってかかるのは、もう一度言うが
あなたに自分と意見を異にするものと話しをしようという姿勢が見えないからだ。
あなたが私の質問に対してまともに答えたことは殆どなく、私の言うことなど愚にもつかず、
とうてい理解できない、の一点張りで、どこが理解できないのか、私の意見の何処が間違っている
のかを具体的に示したこともない。
>>111 の引用が変造されているのが良い例だし、
>>113 に至っては
言いがかりも良いところだ。ちゃんとどこに書いたか示してほしい。そうすれば誤解を解く切っ掛けも
掴めようというのに。
119 :
80 :2006/07/04(火) 11:15:35
それから
>>114 で「大前提」というあなたの言葉をわざわざ使ったのは単なる当て擦りです。
気に障ったり、誤解を招いたんならご容赦を。ただ
>>114 で示している点をキチンと
議論の土台としてお互いに了解しておくことは「論理的に」話しを進める上では大事なことです。
気が向いたら答えてみて下さい。
120 :
吾輩は名無しである :2006/07/11(火) 02:58:57
無常とは、そこらへん死体だらけということだろう。 生女房はそれがやるせなくて、 鼓を打ちながら「とてもかくても」と唄ったんだろう。 無常に全身で抗うことだよ。 無常は無惨なことだよ。 無常とは各人が解決しなければならない課題だよ。
121 :
吾輩は名無しである :2006/07/11(火) 03:01:46
発癌性
122 :
吾輩は名無しである :2006/07/11(火) 03:34:15
無常とは北朝鮮だよ。 とてもかくても、だよ。 小林が一生かけて抗ったものは理(ことわり)、 ぶっちゃけて言えば共産主義や唯物論だろうな。 もし、共産主義革命が成就していたら、真っ先に粛正されるのは、 小林のような輩だったろうからな。 これは、小林にとって21世紀の現在からは想像もできないほど、 具体的で現実的な脅威だったらしいな。
123 :
吾輩は名無しである :2006/07/11(火) 04:39:01
一山丸ごと死体累々を目の当たりにして、西行は、 「いかでわれ今宵の月を身に添えて死出の山路の人を照らさむ」 と詠んでるね。生女房に一脈通じるところがあるような。 頭が下がるね。
どうせ釣りだろうが、マジレスしておこう。 ええ、そもそも原文の意味を取り違えてるでしょう。 「一言芳談抄」の一節はちょっとした笑い話みたいなもので、 「生」女房はその中の道化役だ。 小林はその内容に沿って物を言ったんじゃなくて、ただその文章をくっきり思い出した 瞬間と、その瞬間の喪失について書いてるんだ。 ようは、「とてもかくても」などと解ったような解らんようなことを言った鎌倉時代の半可通程にも、 現代人は無常なんてものに対する感受性を持っとらん、と言ったんだ。 というのも生女房は少なくとも自分がデタラメを言っていることを自覚していただろうが、 現代人は無常について何か意味のあることを話しているつもりでそれについてデタラメを語るからだ。 西行が生女房に一脈通じちゃったら大変だと思うけど。
原文がどのようなニュアンスで書かれたものか、俺は知らないよ。 しかし小林は、なま女房(道化)がデタラメを言っているという前提で、 この文章を書いているわけではない。 「いい文章」、「心に滲みわたった」と書いているだろう。 「一種の名文」とすら書いているんだぜ。 「生死無常の有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候。 なう後世をたすけ給えと申すなり」 俺も美しい文だと思うよ。 「いかでわれ今宵の月を身に添えて死出の山路の人を照らさむ」 これにも似たような美しさがあると思ったわけで。 アンタはチトひねくれすぎだよ。
お、予想に反してまともなレスが付いてる。 まず釣りだなんて言ってごめんなさい。 「一種の名文」であるのと、その登場人物が理性的であることの内には、相関関係はない。 喜劇が喜劇たり得るには、その登場人物がいかに馬鹿馬鹿しいことを言っているのかを 理解しなきゃならない。でなきゃそれを笑えない。 勿論小林はこの生女房にも好感らしきものを持ってると思う。 彼女のエゴは馬鹿馬鹿しくはあるが、子供らしく素直なエゴだ。 ようするに多くの人にとって無常なんてものは解ったような解らないようなものだ、という事実を 彼女のエゴは素直に白状するからだ。 だからこそこの文章は素直に笑える、わだかまりのない名文なんだと思う。 徒然草に登場する多くの半可通達の挿話(例えば仁和寺の法師の話)と同じだ。 文章を比べるなら、生女房の科白だけでなく、全体を比べなきゃ。 生女房の乙に澄ました様子を皮肉るそのやり方に笑話的名文の名文たる所以もあるわけだから。
あなたもまともそうな人で安心したよ。 まあ、ぼちぼちやろう。 しかし、この「無常という事」全文を貫く、 ある種の緊張感というか、張りつめた精神とでも言えばいいか。 時局のせいもあるのだろうけど。 そんなところに俺は惹かれるんだよ。 あなたの一連の解釈は、微妙にピントがずれてないかな。 「登場人物が理性的であること」とか、 「彼女のエゴは馬鹿馬鹿しい」とか、 言わんとするところは、わからないでもないけれど、 それじゃあ、「無常という事」は、 文学としては、随分とつまらなくなっちゃうよ。
うんうん、ぼちぼちやろう。 例えばある哲学者がこんなことを言っている。 > 深遠なことを口走るものが、だからといって深遠になるわけではない。 > それはちょうど、その登場人物の形而上学的な見解を述べたような小説が、 > だからといっていっこうに形而上学的ではないのと同じことである。 もしあなたの手元にあるのなら、『無常という事』の内の「平家物語」という一文を 読んでみてほしい。そこには上の引用と共通する態度が読めるはずだ。 勿論この「無常という事」という文章には「緊張感」があり、「張りつめた精神」がある。 しかしそのために、生女房の無常に関する講釈が緊張感のあるものである必要はない。 小林の張りつめた精神の所在は、この昔日の屈託のない文章と、 そこに現われるこれまた屈託のない人間、 そしてそれを現代にあってまだ読み取ることのできた自分の間にある。 無常というやり切れない感情は、カラリとした無邪気な人間と、 それを身近に感じることのできた自分が、今はもう遠く離れてしまって 取り戻せないという状況に感応する。 私も時局と相俟って今小林秀雄が気に掛かるのです。 今のところそんな風には見えないかも知れないが。 まあ、続けられる限りゆっくり話をしてみましょう。
こちらこそ、よろしく。 あなたの言いたいことは、だいたいわかった。 いちいち揚げ足を取るのもやめにしよう。 しかしこう言っちゃなんだけど、 この当時の小林の日本の古典に対する知識は付け焼き刃的なものがあるよね。 その反面、未知の世界に踏み込んで、視界が一気に開けてくるような爽快さというか、 そういうダイナミズムが魅力的なんだよ。 俺は最近、iPodで能を聴いている。視覚的な要素がないせいか、 まったくの静寂から、思いもかけないタイミングで掛け声が響き、 鼓が響くのに驚かされるよ。 小林はなま女房のうたを聴いて、うたで応じた。 そんな気もするね。
130 :
吾輩は名無しである :2006/07/17(月) 17:29:10
高校に入学したら国語の教師が「小林秀雄を読んだことのある人?」と問いかけた。クラス中 健全な子どもばかりだったから、一人も手を挙げなかった。教師は激怒した。小林秀雄を読んで いないなんて人間ではないという次第だ。その地方では一番の進学高校だったのだ。 要するに小林秀雄や大江健三郎は、平均的読者レベルは文学部を出て高校の教師になって いる連中だ。当時からだよ。文章とは意志伝達の手段なり。その現代国語を解釈させる 試験があり、小林秀雄はその問題になる中心人物だったのだから、うーん、あいつは詩人かね?
131 :
吾輩は名無しである :2006/07/17(月) 17:31:20
小林秀雄や大江健三郎は、存在そのものが後進国的状況なり。いや、文学部ってのが 気持ち悪いよ。企業社会が相手にしないのは当然だよな。
132 :
吾輩は名無しである :2006/07/17(月) 23:31:01
僕は馬鹿だから反省しない。
133 :
吾輩は名無しである :2006/07/22(土) 16:50:33
小林秀雄なんかを今頃まだ読んでいる奴は、断言するけど馬鹿だな。
134 :
吾輩は名無しである :2006/07/22(土) 16:54:29
丸谷才一と向井敏が「何を言っているのかさっぱり分からん」と言っているよ。 過去の受験生が可哀想、それを解釈させられていたんだから。要するに論理的では ないのだ。骨董屋の親父が「これはいい」と言ってるようなものだとは、誰かの 辛らつな評価だったな。
135 :
吾輩は名無しである :2006/07/22(土) 16:56:22
おフランスだろ?
136 :
吾輩は名無しである :2006/07/22(土) 16:59:00
ウイ、ムッシュー。
つーか、丸谷才一って。
138 :
吾輩は名無しである :2006/07/23(日) 06:02:35
はっはっはっは、文学だって?、文学部だって?小説だろ?小林秀雄なんて寝言だよ。 自己陶酔、ひとりよがり、民度が低い時代のエリート、読んでみろよ、噴飯ものだから。 いったい何を言ってるのやら。要するに俺にはわかるが、民度の低いお前たち庶民には 分からないだろうって威張っているのだよ。
139 :
吾輩は名無しである :2006/07/24(月) 08:00:22
小林秀雄を論じるなんて時間の無駄だよ。やめようよ。あんな馬鹿のこと。
140 :
吾輩は名無しである :2006/07/25(火) 21:44:22
頭が悪い、特に数学はまったく駄目、しかしイケメン、頭脳の悪さとイケメンの アンバランス(?)に悩んでいる。こんな奴がクラスに一人はいたな。こういう のが大体文学部に行って、小林秀雄をふりまわしていた。要するに何がなんだか 分からない格好をつけるわけだ。気持ち悪いよー。
141 :
吾輩は名無しである :2006/07/26(水) 03:28:43
小林秀雄先生は神様です。読んで意味が分からない人は低脳です。
142 :
吾輩は名無しである :2006/07/26(水) 03:33:50
小林秀雄が頭悪いって言う奴はバカだから反省しないのか?
143 :
吾輩は名無しである :2006/07/26(水) 15:02:32
反省しない(藁)。
144 :
吾輩は名無しである :2006/07/26(水) 15:14:26
小林の小説はイタイけどね。
「花の美しさというものはない、美しい花があるだけだ」を山崎正和が、 「抽象化を否定するのか」って批判してたね。
言葉はそれ自体が抽象化だから、 小林みたいにいってちょうどいい。 むしろ山崎は言語による抽象化の力に無自覚なんじゃないか。
148 :
吾輩は名無しである :2006/07/26(水) 19:21:48
抽象化というのはわけがわからなくすること?ここにも文学部がいる。世間でほとんど 相手にされない、永遠の文学青年が(わら)。
149 :
吾輩は名無しである :2006/07/26(水) 19:24:45
わけが分からぬ文章を書くことがインテリの勲章だったことがある。その残党が大江 健三郎だね。こいつに私淑するのは、何度も言うが三流大学文学部卒の高校教師だ。
150 :
吾輩は名無しである :2006/07/26(水) 19:29:43
w
>>148 「わけがわからなく」なるハードル低すぎ。
小林秀雄の「無常といふこと」は、黒岩涙香の「噫(ああ)無常といふこと」の パクリらしいよ
153 :
吾輩は名無しである :2006/07/29(土) 15:03:13
論ずるにあたわず。
154 :
吾輩は名無しである :2006/07/29(土) 15:04:13
論ずるにあたわず。
155 :
吾輩は名無しである :2006/07/29(土) 15:47:37
論ずるにアタゴ
156 :
吾輩は名無しである :2006/07/31(月) 20:47:45
「考えるヒント」の1巻を読んだのですが、読点多すぎやしませんか? この人の文章って全部こんな感じなんですか?
157 :
吾輩は名無しである :2006/08/02(水) 07:41:50
文学って女のすることだろう。男がするのなら、そいつはおかまだ。
158 :
吾輩は名無しである :2006/08/02(水) 08:06:06
「考えるヒント」はだましだまし書いている、って感じ。
159 :
吾輩は名無しである :2006/08/02(水) 10:55:24
当時の(つまり小林秀雄をありがたがる)日本は、後進国だったのです。
160 :
吾輩は名無しである :2006/08/02(水) 11:02:14
まあ一概にそうとはいえないが、持ち上げすぎての感はあるな。 小林はよく解っていないことにも口を出すし。 純粋に文芸評論だけやってればよかったのだ。
161 :
吾輩は名無しである :2006/08/05(土) 20:45:01
川田義雄を最初に見つけだして論じたのは小林だった
『無常といふこと』をめぐる最大の問題点は、小林が比叡山から降りてきて 琵琶湖に面した坂本の、どの店で蕎麦を食ったのか、ということであります。
163 :
吾輩は名無しである :2006/08/06(日) 11:02:59
「考えるヒント」はだましだまし書いている、って感じ。
164 :
吾輩は名無しである :2006/08/16(水) 18:29:19
「鶴喜蕎麦」なんじゃないかな? 山王権現、日吉神社の前にある蕎麦屋。 あのあたり、探したけど蕎麦屋それしかなかったもん。
165 :
吾輩は名無しである :2006/08/17(木) 02:53:24
石原愼太郎に連れて行かれた寿司屋を気に入らなかった秀雄
166 :
吾輩は名無しである :2006/08/17(木) 08:28:11
「考えるヒント」はだましだまし書いている、って感じ。
167 :
吾輩は名無しである :2006/08/17(木) 09:11:30
笑笑笑
168 :
吾輩は名無しである :2006/08/17(木) 19:25:04
ランボーってシルベスタ・スタローンのことじゃないの?えーつ、おフランスなの?
170 :
吾輩は名無しである :2006/08/18(金) 21:17:17
いよーっ、文化人。
171 :
吾輩は名無しである :2006/08/25(金) 05:18:27
難しいことをやさしく書くのが「達人」。やさしいことを難しく書くのが、小林秀雄。 本人も何を書いたのか、わけわからん(藁)。
「難しいこと」「やさしいこと」という中身や 「難しく書く」「やさしく書く」という文体が 別個にあると思っている? まあそういう商売もあるけどね。
>>172 難しいことをやさしく書く商売は沢山ある。物理の教科書を書くとか機械の取扱説明書を書くとか。
あ、文芸評論もそうだ。
小林秀雄はやさしく読み解くことを拒否する姿勢で一貫してるから、信奉者の側からは入門向けに
分りやすく書いた解説が出てくることはない。従ってこれからは急速に忘れられて行くだろうね。
はいはい。
175 :
吾輩は名無しである :2006/08/28(月) 04:01:15
むしろ忘れられないんじゃないかな。 「難しい」というより「開かれてる」んだよ。 「優しい」というのは「閉じられてる」だよね、思考が。 だから飽きちゃうんじゃないかな。 すぐ消費されて忘れられる、別に悪いことじゃないけどね。
176 :
吾輩は名無しである :2006/08/28(月) 04:03:04
まーだこんなこと言ってるバカがいる
> 「難しい」というより「開かれてる」 > 「優しい」というのは「閉じられてる」 「優しい」を「易しい」という意味に取ると、「閉じてない」ものつまり」「開かれてる」ものは 自動的に易しくない即ち難しいという意味になるんだけど。 小林秀雄を読むとこういう単純な論理を何やら不可解な言葉に翻訳する才能が 付くようになるのかな?
178 :
177 :2006/08/28(月) 07:20:10
"つまり”のあとの“」”は余計だ
>>175 言いたいことはわかる。
既成の考え方は理解しやすいが、それだけではだめということだろう。
しかし小林秀雄の文章はそんな議論以前に解読不可能なんだよ。
試しに英語に訳してみろ。
まあ解読できない、という人に できるよ、と言っても無駄。できないという人もいれば できる人もいるが、できない側はいつも 「こんなのは誰もできない」ことにしたがる、ということで。
>>180 じゃあ、次の一節を英語に直せるかな?別に文法的な正確さは問わないけど。
> ロダンの考へによれば、モオツァルトの精髄は、表現しようとする意志そのもの、
> 苦痛そのものとでも呼ぶより仕方のない様な、一つの純粋な観念に行きついて
> ゐる様に思はれる。
It seems, in fact this thought comes from Rodin, that we find the essence of Mozart in a pure idea, which we can call only as the will itself for expression, or the the pain itself of expression. 180じゃないけど、ためしに訳してみた。 間違いもあるかも。それに、何より、小林の「議論がすっとぶ様子」が出せない。
つーか、自分が解読できない=誰も解読できない =だって英語に直せないもん ってなんだかな。
184 :
181 :2006/08/28(月) 22:20:29
>>182 英訳ありがとう
ちがった解釈もできそうなので、180氏が英訳を見せてくれるかちょっと待ってみるね
それからコメントする
なんでしないといけないことになってんだ? なんかレスで将棋みたいなことしてる つもりなんだろうな〜。疲れる。
>>182 whichはideaではなくessenceにかかるんだよね?
ほぼ同じような解釈を俺の下手な英訳で披露する。
If we follow the thoughts of Rodin, we may encounter a some notion that the essence
of Mozart is a pure will for expression which is so intense as pain.
a some notion で「一つの純粋な観念」に対応させた積り。
謎は元が「表現しようとする意志」と「苦痛そのものとでも呼ぶより仕方のない様な、一つの純粋な観念」
が同格に見えることだ。おなじものを意志と観念と二通りに呼ぶのは釈然としない。
それと「モオツァルトの精髄は」が主語で、「一つの純粋な観念に行きついて ゐる」が述語に見えるが、
そうすると182氏の解釈(と俺の訳)とはちがう。
状況からいって、「ロダンはモーツァルトを苦痛と呼べるくらい強い表現に対する衝動を持った人間として
表現しているように思われる。」程度しか言えないと思うし、大抵の読者はそういう趣旨に取るだろう。
でも正確に読もうとすると「一つの純粋な観念に行きついてゐる」の部分は何なの?ということに
なってしまう。
187 :
吾輩は名無しである :2006/08/30(水) 07:34:17
こんなとこでぐだぐだ言ってるやつは、まず女にはもてないな(藁)。
議論に入れないやつがぐだぐだ言ってるw187は嫉妬深い女だ絶対w
これ「議論」なんだ。
190 :
吾輩は名無しである :2006/08/30(水) 13:44:13
age
別に英訳しにくくてもいいだろう、本意が伝われば。 「翻訳とは裏切り行為である」と、言ったのは誰だったか?
英訳を持ち出したのは文の構造の解析を強制するため。 もちろん日本語の範囲内でもきちんと解析するならそれで一向に構わない。
193 :
192 :2006/08/30(水) 23:52:44
要するに小林秀雄がきちんとした日本語の文を書いているかどうかを問題に してたんだけど、どうもここでそんな話をしても無意味な気がする。 もうやめるわ。お騒がせしました。
そのまま読めば、文章の骨子は、 「モオツァルトの精髄は一つの純粋な観念に行きついている」なわけだけど、 「モオツァルトの精髄」が「行きついている」って表現はちょっとヘン。 普通なら、「モオツァルトの精髄は一つの純粋な観念である」でしょう。 だけど、そこに「ロダンの考えによれば」ってのが入ってくるわけで、 「ロダンの考えるモオツァルトの精髄は一つの純粋な観念に行きついている」 というのなら筋は通るわけ。あるいは、「モオツァルトの精髄は一つの純粋な 観念である、という考えにロダンは行きついている」の方がいいかな。 ところが、この「ロダンの考え」っていうのが、ロダンのモーツァルト像から 小林が勝手に読み取った「考え」なわけだから、平たく言えば、 「ロダンのモーツァルト像は一つの純粋な観念に行きついている、と私には思われる」 ということでもある。どうも、このあたりが小林流に錯綜している模様。 それぞれのニュアンスをできるだけ残すとすれば、 ロダンのモーツァルト像を眺めていると、ロダンの考えるモーツァルトの精髄とは、 表現しようとする意志そのもの、あるいは表現しようとする苦痛そのものとでも 呼ぶより仕方のない様な、一つの純粋な観念にまで行きついている様に 私には思われる。 てとこでしょうか。
問題になってる箇所の前も読んでみた。 小林は、ロダンの作ったモーツァルトの頭部の像(の写真)を見てショックを受けた。 モーツァルトに全く似ていなくて、プルタークの登場人物か発明家の像のように見える。 そして思った、 「これは作者の強い批評と判断の結実であり、そういう能力を見るものに強要している。」 そこで、そういう能力(=強い批評と判断の能力)を持った俺の出番だ、とはりきって書いたのが、 あの「・・・様に思われる。」で終わる箇所である様に思われる。
196 :
吾輩は名無しである :2006/08/31(木) 19:10:23
ところで僕はやはり、言語以前に人間の思考というものがあるというふうに ある程度思っていて、 考えを言葉に頼って正確に他人に伝えるということは それなりに困難なことであると感じるのだけれど、 小林秀雄を読んでその部分をうまく表現してるなあ、と感じることは良くあるよね。 だから小林の文章は解りにくい部分もあるけれど、そんなに気にならない。 逆に思考が言語以前には無くて、言語によってのみ思考が成立していると考えると、 小林の文章の解りにくさが許せないんじゃないかな。 でも、それってあり得ないことじゃない?
同意。
小林自身が晩年、 若い頃は難しく書いたほうが良いと思っていたけれど、 少し経ってからは考え方が変わった みたいな事言ってなかったっけ。 記憶違いだったら申し訳ない。
ウィトゲンシュタインが「沈黙せねばならぬ」と宣言した領域において、
沈黙どころか饒舌の限りを尽くした。
こういう評論家が、この国では「評論の神様」だった。
語りえぬもの、言語が表現しえぬものが存在する。
それは真実だろうが、それを小道具にしてご託宣を並べるのは醜悪だろう。
おまえの専門分野は「言語」じゃないのか?
言語の限界を語るとき、そっくり返って天才づらするのは、見苦しい。
せめてかつての友、中原中也のように「自嘲」しろよ・・・。
春宵感懐:
ttp://www2.big.or.jp/~hisana/poem/nakahara2.html
中原中也よりは小林秀雄のほうが面白いし。
201 :
吾輩は名無しである :2006/09/04(月) 19:51:31
「自嘲」は良くないでしょ。 中也の詩は悪くないけど。 小林は天才面してないと思う。 それなりに天才だから傍からはそう見えるのさ。 そんなことどうでもいいけどさ。 でも限界も見える、故に可能性も残ってるし、実際いろいろ参照されるのさ。 忘れられることは、まだしばらくないんじゃないかな、やっぱり。 それもどうでもいいことだけど。 個人的には言語以後派の反論を聞きたいなあ。 それとヴィトケンシュタインの有名な「沈黙せねばらなぬ」はどの本に出てくるのですか? ヴィトケンはあまり読んでないのです。
202 :
吾輩は名無しである :2006/09/04(月) 20:03:06
論理哲学論考でーす!
203 :
吾輩は名無しである :2006/09/04(月) 20:10:18
>198 「易しく、解りやすく書くほうがいい」って、 晩年になると人はたいていそういう言うんだよ。 弱ってくるから、身近な人たちに理解してもらいたくなるんだよ。 でも問題は何を書くかであって、難しく書くことに価値はないし、 身近な人に理解してもらうために易しく書く事も二の次の問題だったと思うよ。
204 :
吾輩は名無しである :2006/09/04(月) 20:26:58
>202 論哲論考読んでみるわ ありがとう
205 :
吾輩は名無しである :2006/09/10(日) 21:36:24
英訳ってのは意味がある。アングロサクソンは勿体ぶらないんだよ。フランスの 哲学者が英訳された自分の本を読んで、なるほど俺はこういうことを言っていたのだ と言ったという笑い話がある。小林秀雄は日本語をフランス語にしたのだ。
206 :
吾輩は名無しである :2006/09/10(日) 21:39:31
昔、旧制山口高校に福本なにがしという学者がいてマルクスの本を翻訳したんだが、 何のことだかさっぱりわからない翻訳だった。今でも入手出来るから読んでみな。 しかし当時は意味がつかめない高校生が俺は頭が悪いって絶望したらしい。 笑い話だが、頭が悪かったのは福本なにがしだったのだ。小林だってそうだよ。 なにしろ「文学部」だもんな。
なんか微妙に頭が悪い文章だな。
小林秀雄がどうこう言う前に他のもの読んでみたらどうだ、と思える「感想」が多い気がする。 別にわからんとか、つまらんならそれで構わないけれど、 どうしてそれを盾にして自分自身を持ち上げようとするのかがわからん。 世間でエライと言われてる小林を詐欺師だと看破できる自分がそんなにエライかね。 見下すのが好きなら小林秀雄に限らずヘーゲルでもグラムシでもマクルーハンでも良さそうなもんだ。 それともここで小林を一刀両断にしてる連中は上に挙げた連中なら「解る」ってのかね。
無常の反対は常住です、すべてのものは絶えず変化し続けるというのが 理であり、花が咲き枯れていくのも無常また、新しい命が生まれてくるという こと、つまり常に同じ状態でそこにあり続けるということは不可能である。 ということが無常ということになります。 その中で「常なるもの」というものにあたるのは、時間は等しく流れて、 絶えず変化しているという万物流転の理ことではないでしょうか。
つうか、思い出力をつければいいんでしょ?
212 :
吾輩は名無しである :2006/10/02(月) 19:27:29
ところで「私の人生観」いいよね。 あの講演記録よんだら 「無常という事」で書かれている曖昧なモチーフがよりしっくり来る感じがする。
無謀という事 (例)菊池桃子のロックシンガー宣言
無能という事 (例)阪神大震災の際の村山総理の無為無策
無口という事 (例)ゴルゴ13
>>98 揚げ足取りですまんが、
62年から2年間アドルノのもとにいた徳永恂によれば、
ハイデガーを「存在論的詐欺師」と罵倒したのは、
アドルノじゃなくてホルクハイマーですよ。
217 :
98 :2006/11/17(金) 08:54:35
>>216 久し振りに見たら、すごいところにレスが付いてるな。
よく読んだね、あんな書き込み。
ホルクハイマーなのは知ってた。
ただ、Heideggerに対する彼等共通の感情が表れてる言い方だったから。
けどそのエピソードを書いたのは、確か小牧治だったんじゃなかったっけ。
いかにも理論的闘士といった雰囲気のアドルノに対して、
ホルクハイマーは好好爺然としていたが、
ことハイデガーに話しが及ぶと突如そういう激しい物言いになったのには驚いた、
って話だったんじゃないかな。
どうでも良いけどなんでこんなスレ見てるの?
218 :
吾輩は名無しである :2006/11/17(金) 23:44:27
秀雄は晩年、瀬戸内寂聴に「本当は小説家になりたかったんだ」とこぼしたそうな。
219 :
吾輩は名無しである :2006/11/18(土) 00:49:22
自分で書いてるし、対談でも言ってるじゃん。 小説も残ってるしさ。
220 :
吾輩は名無しである :2006/12/05(火) 17:28:05
若い頃の秀雄の写真見ると黒人っぽいよね
素直になることだ。 素直になることが、無常ということだ。 それ以上聞くな。