254 :
吾輩は名無しである:
車輪の下ってどこの出版社のが一番いいでしょうか?
255 :
吾輩は名無しである:2006/05/22(月) 18:43:23
クヌルプに出てくる肝臓の団子揚げってどんな料理なんだろ? ひどく美味そうだな。
>>252 時期を見てから言ったほうがいいよ。 いろいろとね。
257 :
吾輩は名無しである:2006/05/22(月) 20:26:09
>>254 お薦めするのは岩波文庫。読んだことないけど。
実吉訳いいよ。デミアンで読んだけど良かった。
>>254 現在比較的入手しやすい文庫本では、
* 新潮文庫: 高橋健二(訳).1951年刊.
* 角川文庫: 秋山六郎兵衛(訳).1953年刊.
* 岩波文庫: 実吉捷郎(訳).1958年刊.
* 集英社文庫: 井上正蔵(訳).1992年刊.
があるよ。
わたしは、集英社の井上訳がいいんじゃないかって思う。
いちばん新しい現代的な翻訳で、ヘッセのとっかかりとしては読みやすいと思うからさ。
なにしろ他はどれもほぼ半世紀も前の訳だしね。
高橋氏(新潮)はヘッセの翻訳では最も有名なひと。けれど、翻訳が不自然であまり上手ではないっていうことでも同時に有名なのさ。
秋山氏(角川)もホフマンとかいろいろ訳してるひとだけど、訳文のセンスがどう見ても古めかしい。
実吉氏(岩波)はトーマス・マンやゲーテなんかも手掛けていて、とても美しい翻訳をするひとさ。
>>254 集英社の井上訳と、257が挙げている岩波の実吉訳の同一箇所を引用するね。
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修道院を訪れようとするものは、高い塀にぽっかりと開いている絵のような門をくぐって、しずまりかえった広場に足を踏み入れる。
そこには噴水がしぶきをあげ、いかめしい老木がそびえている。
両側に石造りのがっしりした古い家々が立ちならび、そのいちばん奥まったところに本堂の正面が見える。
玄関はパラダイスと呼ばれる後期ロマネスクの建築様式で、
その優雅な魅惑的な美しさは無類のものである。
(ヘッセ『車輪の下』井上正蔵(訳). 集英社文庫版. 集英社. 1992年.)
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この修道院をおとずれようとする者は、だれでも、高い塀についている、画のような門をとおって、ひろい、非常にしずかな広場に出る。
そこには噴泉がわいている。そして古い、おごそかな木々がそこにならんでいるし、
両側には、古い石造の堅固な家々が、背景には、中央会堂の正面が、楽園という名の、
典雅な、いとも好ましい美しさをもつ、
後期ロマネスク式の玄関を見せながら、立っていた。
(『車輪の下』実吉捷郎(訳). 岩波文庫版. 岩波書店. 1958年.)
>>205の質問をした者だが、煽りとかじゃなくてマジで知りたいのだけど、
答えてもらえないようね。
デミアンを読んで生じる胸の中のもやもやを解く鍵のような気がするので
できればご教授たまわりたい。
>>260 違っているかもしれないが・・・。
既成観念から開放された「本来の自己」かも
262 :
吾輩は名無しである:2006/05/24(水) 00:48:54
>>257-259 とても丁寧な解説どうも有り難うございます。
集英社の井上訳にします。
>>259を見る限り実吉訳はちょっと合わないかな。
更に追加で質問してしまいますが、
私はデミアンは高橋氏のをつい昨日買ったのですがどうなのでしょう?
訳が不自然との事ですが、実吉訳とはどちらが……
ご自分で両方を読み比べてみては如何ですか。
いろいろと学ぶことがあるでしょう。
264 :
吾輩は名無しである:2006/05/24(水) 14:58:05
うん、ぐだぐだ言ってないで今手元にあるものをとにかく読んでみたら。
で読み終わったら感想でも書き込んでみて。
実吉訳は冒頭の文章だけ覚えてるから一応書き込んでおく。
ぼくはもとより、自分のなかからひとりでにほとばしり出ようと
するものだけを、生きようとしてみたにすぎない。どうしてそれが、
こんなにむずかしかったのだろう。
自分はこの部分を読んで一気に惹きこまれた。
デミアンは講談社文庫の秋山英夫訳が評判だったけど今や絶版。
入手しやすい中では、俺も岩波文庫の実吉訳を薦めるな。
けど、高橋先生のを買ったなら取り敢えず読んでみればいいと思うよ。
蛇足だけど、ちくま文庫の今月の新刊「文学部をめぐる病い」も読んでみると面白いよ。