101 :
平下流:2006/05/11(木) 03:08:34
先日、健吉を読んでいると、内容は凡庸で表現もだらだらしていて、嫌になってしまいました。
うなされて気がつくと、夢でした。ホットしました。
健吉は凡庸だとか、鋭さが無いとか言われ続けていたので、こんな夢を見てしまいました。
凡庸以下の者には、凡庸な評論家すら優れて見えるわけかな。
凡庸の無自覚の歴史
先日、平下流の古本屋に立ち寄った。
東京は明治通りである。図書館学的に丁寧に整理されており
大変気持ちのいい書店である。主人である平下流は、
目鼻立ちの整った50前後の女性で、小粋な眼鏡を鼻にひっかけている。
服装のセンスも抜群によく、やや地味で薄暗い店内に自ら華を演出する。
もう一度、いや、故意の乗り越し電車でもし、用もないのに立ち寄って見たい
都内屈指古書店である。
104か平下流かが図書館学を理解してないことは、わかった。
107 :
吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 00:29:03
551 :平下流 :2006/05/02(火) 02:37:49
「いのちとかたち」の単行本に
中村光夫様
山本健吉
と小さな短冊状の紙が挟んであった。
だからナニ、って感じ。平下流も、107も。
109 :
107:2006/05/25(木) 00:34:19
110 :
107:2006/05/25(木) 00:37:58
で、出典や説明もぬきに、無意味な書き込みをコピーしたのは何故?
112 :
107:2006/05/25(木) 00:50:02
出典は「いのちとかたち」でしょ。
釣れた、吊れた、いつもの新氏が。いっつひっつひ!
この場合、出典とは、コピー元のこったろ。ばからし。
114 :
107:2006/05/25(木) 01:26:25
それを最初から挙げなかったのが説明不足の一つ。
無意味な書き込みを意味も無くコピーしたのが、また一つ。
107は馬鹿決定。
116 :
吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 16:00:58
オレはこの人の本を読むたびに辻静雄の著作を思い出す。
山本が「共同体」の概念を日本古典に導入したように、
辻は「正統なフランス料理」を日本に紹介したわけで
その意味ではどちらも「偉大」なはずなのに、
何故か文章が面白くない。
どっちも丸谷才一が絶賛してるって点で同じだし。
(丸谷絡みの論客は大抵面白いのに)
117 :
平下流:2006/05/26(金) 03:25:54
みなさん刺激を求めすぎるのでは?
事実は小説より奇なり。
でも、真実は凡庸、不易。
凡庸な真実を刺戟的に語ってみせてこそ批評家。
山本健吉は単に凡庸なだけ。
しかも「共同体」の概念は真実どころか誤謬とゴマカシに満ちたもの。
119 :
吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 09:13:49
「共同体」自体は間違いじゃないと思うが...
120 :
吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 09:20:04
例えば大岡信みたいに「宴」って言い方をするとか、
丸谷才一みたいに共同体の共有情報としての「伝統」を持ち出すとかすればよかったのに。
>>119 いや誤りだよ。「共同体」の一言で、宮廷と庶民とを一緒くたにした強弁(
>>99参照)。
そもそも、種本であるJ・E・ハリスンらケンブリッジ人類学派なんて
既に学問的に誤りと判明しとる(柳沼重剛「悲劇の起源は祭祀か」『現代思想』1973.8参照)。
こんな感じかな。
ケンブリッジ・リチュアリスト(ハリスン、ギルバート・マリー他)
↓折口信夫→山本健吉
丸谷才一
末端にゆくほど誤謬も甚だしい、ってか?
123 :
吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 17:36:54
話の方向が変わってきたな。
124 :
吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 17:45:08
その理屈だと、折口も「誤謬」か。
折口のは妄想。よく言っても直感。近代科学としては不可。ま、前近代ならアリ。
凡庸な山健ときては、鋭い直感にも恵まれてないし。
まあ、天智天皇の和歌
秋の田のかりほの庵の苫を荒みわが衣手は露に濡れつつ
を「露は悲恋の涙のメタファーであり、大祭司としての天皇が
恋歌を詠むことで天地自然に恋情を起こして五穀豊穣を祈願する」って
類の言説が信じられない人間には(丸谷や現代詩人の高橋睦郎を含む)
折口系論客の言うことは信じられないだろうな。
(上掲歌が本当に天智のものかどうかはこの際重要ではない)
オレも最初は「???」だったし。
信じる信じないなんて、宗教の話だったらよそでやれ。
山本健吉のは拙い詐話にすぎず、騙されて信じる方が馬鹿なのさ。
下手に詩的直感を気取るより、批評や学問は、散文精神が大事。
129 :
吾輩は名無しである:2006/05/31(水) 12:05:20
それで説明できるんならいいだろ。
人文科学の理論なんて証明不可能って点でほとんど神の存在と同じなんだから。
130 :
吾輩は名無しである:2006/05/31(水) 12:14:30
本気で信じなくても、一種の「遊び」として受け入れるのはありだと思う。
十数年ほど前、関西の某人気テレビ番組で、阪神タイガースの不振(当時)は
'85年の優勝時に道頓堀に投げ込まれたカーネル・サンダー(ケンタッキーのおじさん)の
呪いだから、阪神が強くなるためにおじさんを道頓堀から救う(結果は失敗)というのがあって、
その時東京のマスコミが「関西には今も怨霊信仰があるのか?」と騒いだのだが、
番組スタッフは「あれは洒落、関西であれを本気で信じてる人間なんていない」って呆れてた。
「大祭司」としての天皇を中心とする王朝文学観も平安時代ならともかく、今は「洒落」と思えばいい。
日本人は頭が固すぎる。
だって山本健吉は、洒落でなくて、ご本人が信じ込んでしまっとるやんけ。
説明にもなってないし。
132 :
吾輩は名無しである:2006/05/31(水) 12:17:40
まあそれは認める。
大岡信や安東次男はともかく。
固くて結構。
俺には俺の内的自由よりも大切なものなんてほとんど無い。←妙に翻訳調(苦笑
人のそれを束縛しておいて何が「洒落」なものか、勘弁してくれまったく。
好きにやれ。
好きにやらせろ、とにかく人に迷惑をかけない限りにおいて。
まあ、好みの問題もあるからな。
谷崎好き、王朝和歌好き、ヨーロッパ古楽好きの
(あれはクラシックの「貴族文化回帰」だから)
オレ的には「貴族文化」大いに結構なのだが。
135 :
吾輩は名無しである:2006/06/15(木) 22:44:59
反論してこないと思ったら丸谷スレ荒らしか。
137 :
吾輩は名無しである:2006/07/07(金) 20:49:16
まー、マターリといきましょう。
本人も死んでしまったことだし。
死んだ人にまで遠慮して、批判ができないの?
139 :
吾輩は名無しである:2006/07/08(土) 23:46:59
138の意訳=山本健吉が死んだからって何の関係があるってんだコラァ。
141 :
吾輩は名無しである:2006/08/17(木) 08:09:50
hi
142 :
吾輩は名無しである:2006/11/09(木) 01:20:34
一年経ちましたね。
143 :
吾輩は名無しである:2007/01/18(木) 01:29:10
.
144 :
吾輩は名無しである:2007/02/24(土) 04:04:36
半年以上、変化なしか。忘れられたな。
145 :
吾輩は名無しである:2007/03/07(水) 01:41:01
そんなことおしゃらずに。
まだあったの、このスレ。
スレ主が逃げたんだし、もう沈めようよ。
147 :
吾輩は名無しである:2007/03/08(木) 02:58:02
>>146 スレ主なんて、ただスレを立てただけの存在。
スレはスレを立てた人の所有物ではない。
スレ主がいようと逃げようと関係ない。
スレは立てられた以上は共有物。
148 :
吾輩は名無しである:2007/04/10(火) 00:53:38
だれか書けよ
149 :
吾輩は名無しである:2007/04/11(水) 04:39:52
書いたよ。
戦前はマルクス主義短歌の事件に関係したんでしょ?
堀田善衛が「古典の世界の住人であるこの人のところにも、特高警察が
来ていた」と書いてた。二人は「批評」の同人でしたね。