創価だったらなんか問題でもあるのか?
932 :
吾輩は名無しである:2005/12/06(火) 17:55:00
別に「裏の道」とは言ってないだろ。
ただ汚いショートカットだったということで。
933 :
吾輩は名無しである:2005/12/06(火) 18:33:31
934 :
吾輩は名無しである:2005/12/06(火) 19:45:55
TALKIN' ジャズ×文学いやはや、予想以上に面白かった。
小川 隆夫, 平野 啓一郎 TALKIN’ジャズ×文学
特に、平野啓一郎、彼、よく勉強しているね。
ジャズも詳しいし、それだけではなく、クラシックやロックに歴史、美術と様々な方面に造詣が深い。
もちろん、オタク的な知識の深さはないが、様々な対象の本質を見抜く目と、各々に対しての独自の考察を持っている。
ダテに芥川賞最年少受賞者じゃないね。ま、芥川賞は、直接関係はないけれども、深くて鋭い洞察力には参った!
親子ほども年の差のある二人をつなぐ共通の話題は、やっぱりマイルスってことになるんだけれども、そこから派
生した様々かつとめどもない話題が、ほんと読んでいて楽しい。
どれぐらい楽しいかというと、昨日の昼に読み終わったんだけど、夜にまた再読しちゃったほど面白い。
特に、リズム面での考察が非常に興味深かった。
黒人の関節の柔らかさの話や、黒人は白人ほど体全体でリズムをとらない、体全体を使わなくても、
指なら指と必要とされる部位だけでグルーヴを生み出してしまう、なんて話は、たしかに、言われてみ
ればそうだなぁと思うし、リズム音痴な(“スクエア”という記述になっていたが)イギリス人が似て
非なるブルースのマネっこをやったからこそロックが世界に浸透したって話も、言われてみればそのと
おりだなぁと思ったよ。と、かなり端折って書いているので、要約だけを読むと「?」な人も多いでし
ょうが、気になる人は、是非読んでみてください。面白いですよ。
935 :
吾輩は名無しである:2005/12/06(火) 19:49:56
今日、小川隆夫氏と平野啓一郎氏の対談集「Talkin'-ジャズ×文学」を
読んでいて、無性にというか、久しぶりにマイルス・ディビスを聴きたくなった。
この対談は文学からクラシック、絵画に至るまで幅広く話は展開しているが、
基軸はジャズである。それもマイルスを一種のベンチマークとしている。
その意味ではこの本は二人のマイルス体験を通じた「マイルス論」なんだろう
936 :
吾輩は名無しである:2005/12/06(火) 22:14:54
さて、興味深いテクストがある。『文学界』二〇〇〇年十一月号に掲載された、
平野啓一郎による「『英霊の声』論」という論評なのであるが、無責任にも「三
島由紀夫の再来」などと呼ばれてしまう平野が、自ら三島に言及した文章であり
、実に読み応えがある。(同じ号に掲載された石原慎太郎の軽薄さとは、まさに
好対照である)
ここでの平野は三島の天皇観に寄り添う形で、三島由紀夫という強烈な個性
に対して、慎重に、しかし執拗に「読み解く」作業を続けていく。一読して、
「いい若い者がどうしてこんな古めかしいお題目に拘るのか?」と疑問を抱く
ところである
937 :
吾輩は名無しである:2005/12/06(火) 22:39:09
しかしこの論は見事である。平野はこの『英霊の声』という作品を読み解く
ことを通じて、三島がどのような天皇観を持っていたのかを読み解こうとし、
それをもって一個の人間たる三島における肉体と精神の相克、神秘的合一の実
現のための神の必要性、その奇跡が常に不可能であることの自覚、といった事
項相互の結びつきを、鮮やかに描き出していく。(その手並みはひょっとする
と『日蝕』などの小説作品よりも、さらに洗練されたものと言えるかもしれな
い)
ここでの平野の論旨を乱暴にまとめると次のようである。
三島において天皇の神的側面が重視されるとすれば、それは死を媒介とした
神=絶対性との神秘的合一という恍惚の実現において不可欠であるということ
に他ならない。しかしその神秘的合一という奇跡はあらかじめ不可能であるこ
とが見えてしまっているのであり、こうした「到達不可能なものとしての奇跡
」と「神的側面を失した天皇」と「肉体と精神の解決し得ない相克」とは、相
対するものとして協奏するのだ。
――この結論は、何かに似ていないだろうか?ここで平野が見出そうとして
いる、肉体と精神の相克、到達不可能な奇跡、といった三島に特徴的な事象は、
先に引いた阿部和重らが問題としているような、アイデンティティの齟齬、他者
へと無限に自己を投影していくこと、といった事象と通ずるのではないか?
938 :
925:2005/12/07(水) 00:23:31
>>933さん
スレ立て、乙です。ありがとう
来年刊行の新作が楽しみです
>>934>>935 でも小川隆夫ってジャズ板ではいつも笑い者のダメ評論家なんだが。
文章下手、訳詞は間違いだらけ、自分がマイルスに会ったことだけが自慢。
そんな人と話が合っちゃうなんて平野のレベルも知れてるよ。
940 :
吾輩は名無しである:2005/12/07(水) 18:24:40
平野ってスタバで2CHのぞいてるの見られてるよねwww
つくづくばかwwwwwwwwww
まさか本人降臨ってほんとにあるんだな
>>940 表紙の写真がブサイク過ぎて手に取るのも苦痛です。
944 :
吾輩は名無しである:2005/12/08(木) 02:00:24
読んでみな
945 :
吾輩は名無しである:2005/12/08(木) 02:06:45
11月27日、京都シネマでの舞台挨拶か同志社大での講演会を
見に行かれた方に伺いたいのですが、当日の平野さんって
どんな格好でした?迷彩柄のジャケットでしたか?
946 :
吾輩は名無しである:2005/12/08(木) 06:44:58
■[本/ざっし。] 平野啓一郎「慈善」(「すばる1月号」)
出来立てほやほやの新作短編を、学校帰りのバスの中で読了。
こういうちょっとしたことを短編にすらっとまとめてしまえるのは彼の才能
の成せる技だろうなあと。いやー、なんともサーカスティックな短編で面白
かったー。最後のdetachmentなオチも私は好きです。
不謹慎ながらもにやにやしながら読んでしまいました。私も主人公“正直
(まさなお)”*3のような発言をしてしまう「偽善的」人間であるからな
ァと。世界で起きている大きな事故や事件をしたり顔で語るくせに、いざ、
世界のことを知っているかと言えば、何も知らない。“正直”は私ですね
?という感じ。
主人公の“正直”という名前。日本人の名前によくある「正」と「直
」の字。読みを変えれば「しょうじき」。ここに込められた"寓意が、
更に「慈善」を扱う本編をサーカスティックにしています。
まったく。なんて皮肉な小説なんだ。
JIZENとGIZENってか、上手いこと言うね、平野さん。あんまりネ
タばらしするとよくないからこの辺で。
学界淫おつwwwwwwwwwwwwwwww
てかモアイ平野おつwwwww
てかひきこもりおつwwwwwwwwwwwwwwwwww
悲しいかな平野盗一郎なんて一般人だれも知らないから悲しいよな 乙www
948 :
吾輩は名無しである:2005/12/08(木) 13:52:03
>>947 君のような書き込みをする人物が知っているくらいなんだから、
平野は有名人だろ。
>>942 平野が2ちゃん見てたって?
「顔のない裸体たち」の取材のために調べていただけだろ。
読んだ人ならわかるはず。
949 :
吾輩は名無しである:2005/12/08(木) 20:43:06
モアイ乙wwwwww
950 :
吾輩は名無しである:2005/12/08(木) 23:59:28
俺…ここで平野の存在知ったんだけど…。平野いいよね…。
春樹なんてどっちかというと、いいには間違いなくいいんだけど、
大衆小説的な趣があるしね。
最近の日本文学って、概念的な知性がほんと少ないしね…。最少年〜とか。
951 :
吾輩は名無しである:2005/12/09(金) 00:21:45
ばかがひとり湧きました
過去レス読めないバカが
952 :
吾輩は名無しである:2005/12/10(土) 17:00:49
評論集もっと色んな人を書かせてからにしてほしかった
大江論を書いてほしい
953 :
吾輩は名無しである:2005/12/11(日) 12:09:35
私はここでバンド企画に再び目を向けてみたい。この企画は生徒の個性を発揮す
るという点ではもっとも自己主張が激しく、また毎年その熱意が強い企画として
知られている(芥川賞作家・平野啓一郎氏も平成4年度文化祭でバンド参加して
いる)。私は彼らの活動にもっと幅を持たせてもいいのではないかと思う。それ
は舞台衣装や演出、宣伝活動など多岐にわたる。生徒の自主性や団結力、企画の
厚み、そして何よりも生徒自身により大きな達成感を与えるためにこれら活動の
自由を認めるべきではないだろうか。
(この文が先生方にも読まれることを期待します)
954 :
吾輩は名無しである:2005/12/11(日) 12:12:45
コラム ーミュージシャン・平野啓一郎ー
「日蝕」で第120回芥川賞を受賞した平野啓一郎氏は東筑高校の92期生で
あることはご存じてあることと思う。実は平野氏、この平成4年度の文化祭では、
なんとバンドのボーカルとして参加していたのだ。
内容はDeepPurpleというバンドのコピーバンドであったようだ。バ
ンド演奏の話は聞いていたが、東筑高校の体育館で歌っている平野氏を想像する
となぜか楽しい
955 :
吾輩は名無しである:2005/12/11(日) 12:25:56
芥川賞作家の平野啓一郎さん(29)が、母校の福岡県立東筑高校(北九州市
八幡西区)で、「わたしって何?」と題して講演した。哲学や現代思想を駆使し
た作品と同じように、根元的な生き方を後輩の高校生たちに問いかけ、知的に挑発
した。
平野さんは愛知県蒲郡市生まれだが、1歳から高校卒業まで八幡西区で育った。
京都大法学部に通っていた1999年、「日蝕」で芥川賞を受賞した。現在は京
都市を拠点に活動している。
◇どこか冷めていて違和感抱き続けていた
高校生向けに講演するのは初めてという平野さんは7日、ジーンズ姿で母校の
演台に立った。どこか冷めていて周囲に溶け込めない違和感を抱き続けた中学、
高校時代のことを話した。海外の一人旅やニートに代表される「自分探し」とい
う風潮にもふれながら「ここにいる自分を、どこに探しに行くのか」「自分らし
さとは、今置かれている立場ではなく、成し遂げた何かで定まる」と、情熱を持
って努力する必要性を説いた。
◇知的な世界に目を向けよう
また、サルトルやマックス・ウエーバー、山口昌男などの名前や記号論など
を挙げ、知的な世界に目を向けるよう呼びかけた。生徒から「三島由紀夫の再
来と呼ばれることについてどう思うか」「好きな音楽は」といった質問も受け、
笑顔で答えていた。
956 :
吾輩は名無しである:2005/12/12(月) 06:55:51
実際に東筑高校の生徒となった私が、入学前の大層な考えの割には、運動部に
も所属せず、体育祭にも積極的に参加しなかったのは、恐らくそれが私の言う
「内面化の季節」を迎える以前の、少年時代のパロディーに過ぎないというこ
とに気づいたからでしょう。そして、パロディーであることを百も承知の上で
尚且つそれを演じてみせることは私にはできませんでした。私は三年間ずっと
あの広い運動場を眺めていましたが、その眼差しは何時の頃からか憧憬の眼差
しから郷愁の眼差しへと変わっていたのかもしれません。そうした世界が決し
て自分を「外」へは連れ出してくれないことを私はあの十六七歳の頃に苦々し
い気持で悟ったのだと思います。そしてそれが既に失われたものであることに
気づいたということは、私の為には幸いであったに違いないのです。
私はその後、大学受験の進路の決定に際して法学部を選択することにより、性
懲りもなく今一度内面との決別を図りますが、ただ今度はずっとまっとうに社
会との関わりに於てそれを実現することを考えていました。私がいよいよ覚悟
を決めて小説家にでもなるより外はないと考え始めたのは、この試みさえ結局
だらしなく断念されたあとになってからのことです。
957 :
吾輩は名無しである:2005/12/12(月) 13:51:09
12月10日発売
『X-nowledge HOME 特別編集No.5『PUBLIC SPACE』
(平野啓一郎責任編集号)』(株式会社エクスナレッジ)
平野啓一郎責任編集によるエクスナレッジムック『PUBLIC SPACE 都市のささやき』。
958 :
吾輩は名無しである:2005/12/12(月) 14:25:51
平野スレ立ちすぎ
959 :
吾輩は名無しである:2005/12/13(火) 14:55:27
12月10日発売
『X-nowledge HOME 特別編集No.5『PUBLIC SPACE』
(平野啓一郎責任編集号)』(株式会社エクスナレッジ)
平野啓一郎責任編集によるエクスナレッジムック『PUBLIC SPACE 都市のささやき』。
これすげーぜ
まるでひらのは浅田になりたいんじゃないかって感じだ
オランダの建築家と対談し
空間について論じてるよ
960 :
吾輩は名無しである:2005/12/13(火) 15:46:39
本を3冊読む。新書は鮮度が最も大切だが、過去のものでもそこに見つ
けることも多い。平野啓一郎編『Public Space』は「パブリック・ス
ペイス」とは何であろうか?という問いを深化させることを試みている
。現実の社会との関連を足場に、対談という形態と豊富な写真をもとに「
スペイス」から定義される「パブリック」を考える意欲的な本。素朴な
問いかけとその狙いが露になる対談はスリリング。写真集としても美し
い。そういえば、この間、東京で初雪があった。平年より22日早いとい
う。この平均という言葉。実在はしないのだが、尺度として機能する揺
らぎを包摂する概念だと思う。実に捉えがたい。ところで、雪の降り初
め、空を見上げた人は、ほとんどいなかった。空を見上げるという行為自
体、日常ではないのか。
宣伝にくるな、ボケ!!
伸張者のクソ変臭が!!
、
、
962 :
吾輩は名無しである:2005/12/14(水) 14:06:30
■X-Knowledge HOME 特別編集No.6 PUBLIC SPACE 都市のささやき
平野啓一郎 : 『疾駆する空間―WEARABLE IDENTITIES』
>パリのメトロ4番線は、シテ駅を中心として、街をほぼ南北に縦断している路線で
、これに始発駅から終着駅まで乗っていると、この都市の複雑な人口構成が、まる
でパノラマのように鮮やかに展開されて興味深い。
>家を出た瞬間、人は、家庭の中での「父親」や「息子」といった属性を剥ぎ取られ
て、輸送される一群の集団の中の一人となる。この時、乗車駅と下車駅は、彼のア
イデンティティの最後の痕跡であり、またそれを迎える最初の門であるが、乗り継
ぎや乗客の入れ替わりといった過程が複雑化するほど、彼の匿名性は純化されてい
くことになる。
>今や我々は、場所の呪縛から解放されて、複数のウェアラブルなアイデンティテ
ィを駆使する生活を営んでいる。その時、交通路とは、人を速度の中に見失わせ、
未然の個体へと洗い出す無名の空間として、時間の中を疾駆しているのではあるま
いか。
963 :
吾輩は名無しである :2005/12/14(水) 15:38:28
やぁ平野君空間には見えるものと見えないものがある→常識
■眼に見えるもの→縦横高さ→3次元
→光→1次元
■眼に見えないもの→時間→1次元
→温度→1次元
→湿度→1次元
→気圧→1次元
→磁力→1次元
→引力→1次元
→斥力→1次元
計11次元
964 :
吾輩は名無しである:2005/12/15(木) 16:13:34
>963
どういう意味?
965 :
吾輩は名無しである :2005/12/15(木) 20:15:48
?
966 :
吾輩は名無しである:2005/12/16(金) 11:31:42
さっそく本の記事を。小川隆夫さんの対談本です。もう全部読みましたが、もう1度読みます
967 :
吾輩は名無しである:2005/12/16(金) 11:36:39
l'´ ̄`l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`l
| | u |
| | ヽ / | ああ〜
| :J | ● ヽ----/ ● |
... | | ヽ / |
. | | ヽ/ |
. | | J |
.. | | |
| \ __ ト、
ミ \ ,.ミ'´ ̄ ̄`` `ヽ、| |
(( ミ ミ \' 、 ヽ| 力
ミ、 ミ \ i. ゙、 勹
| ミ、 ,' l
L.___|_ l l { -─- 、
| l -、 ヽ ,. '´ ヽ
| ! ヽ ヽ ,.' ,、 ヽ
./´ ̄`V ,ヽ、 ,' ,' ; ,. ,: , ハ :, , i
/ 、 | / 、`ー ノ! ; : ; /_'/./_/ Li_l !
./ i | / ヽ ヽ 〃 / | ;:「 ____... リjリ
!. ! / ヽ {{ / (`| il| __.. ` ̄lノ i Σ
`ー‐ゝ、 ' / ヽ___,.-‐'"⌒゙| !| °,,, ,  ̄/,: ハ
`ー--‐' ,. -‐'"´ リi从_ 、 '''ノ_:_ノ ヽ
力 /"ー─------<二/ ´ヽ、-<r"/,ー、 丿
勹 { 〈 )、 Y `ゝ(_/_/./'
} `ー----------─一--‐'´ ̄´
968 :
吾輩は名無しである:2005/12/16(金) 11:45:36
>>966は、死ね・くたばれ・消えろ・失せろ・潰れろ・馬鹿・あほ・間抜け・ドジ。
ポンコツ・トンチキ・ガラクタ・クズ・ゴミ・カス・最低以下の下劣・下等種族。
劣等種族・下衆野郎・腐れ外道・邪道・外道・非道・ウジ虫・害虫・ガン細胞・掃除機。
ウイルス・ばい菌・疫病神・病原体・汚染源・公害・ダイオキシン・有毒物質。
廃棄物・発ガン物質・猛毒・毒物・アメーバ・ダニ・ゴキブリ・シラミ・ノミ。
毛虫・蠅・蚊・ボウフラ・芋虫・掃き溜め・汚物・糞・ゲロ・糞虫野郎・ほら吹き。
キチガイ・デタラメ・ハッタリ・穀潰し・ろくでなし・ごろつき・ヤクザ者・十二指腸。
社会の敵・犯罪者・反乱者・前科者・インチキ・エロ・痴漢・ゴミ・シデムシ。
ゴミ虫・毒虫・ゴキブリ・便所コオロギ・スカラベ・ダニ・蚊・粗大ゴミ・詐欺師・ペテン師・道化師・危険分子・痴呆・白痴。
魔物・妖怪・悪霊・怨霊・死神・貧乏神・奇天烈・奇人・変人・毒ガス・サリン・オタンコナス。
ソマン・マスタードガス・不細工・イペリット・クソブタ・ブタ野郎・ガイジ・畜生・鬼畜・悪鬼。
邪気・邪鬼・ストーカー・クレイジー・駅のトイレ・ファッキン・えた・アニサキス・非人・サノバビッチ・シット・ガッデム。
小便・便所の落書き・クロマニョン人・異星人・不要物・障害物・ツツガムシ・邪魔者・除け者・虫けら・不良品・カビ・腐ったミカン。
969 :
吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 06:56:14
「行為」というものは、結局は「衰耗をでっち上げる方法」でしかない。(平野啓一郎氏のランボー『地獄の季節』に関わる随筆より)
ドキリ、とした。
凄くこれ 当てはまるかもしれへん。
…最近 ことあるごとに「近さと遠さ」が頭をよぎる。
/::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::::)
(::::::::::/ ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ
(:::::::::/ 彡 ノ ノ :: 彡:/)) ::::::::::)
(::::::::::/彡彡彡彡彡 ミミミミミミミ :::::::::::)
( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::)
| =ロ -=*=- ‖ ‖ -=*=-ロ===
|:/ ‖ / /ノ ヽ \ ‖ ヽ|ヽ
|/ ヽ`======/ .⌒ ` ========ノ. ..| |
.( 。 ・:・‘ c.( ● ´ ー ` ● ) ;”・u。*@・:‘)
; / :::::l l::: ::: \ :。・;%:・。o )
(; 8@ ・。://□ ̄ ̄■□\:\.”・:。;・0.)
:%,: )::::| | ::::(: o`*:c /
\ ::: o :::::::::\凹□ 凹/ :::::::::: / ←>>マルチポスト馬鹿
(ヽ ヽ:::: _- ::::: u ::::::::: -_ ノ
\ \ ::::::::::: :::::::::: ::: ::__/
| | /
/ ̄||∨|| ̄ | < アバババババアヒャヒャヒャオベロベロベロベロリーン
/ ;巨,||/i_||;人|_ | \
|\/; ~||!x_|| ヽ|/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ゝつ; ; ||=|| ; ;
;,,,,,,,,||||||||、、、ヽ
||||||(u)|||||
||||||||||||||||
||||||||||||||||
つ つ
971 :
吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 07:42:08
>>971 マルチポストもルール違反。
ちなみに特定IPが接続できなくなっても
何の問題も無いよww変えりゃいいだけ。
好きにしな、おばはん(ry
v――.、
/ ! \
/ ,イ ヽ
/ _,,,ノ !)ノリハ i
i jr三ミ__r;三ミ_ ヽ 从 从从 从从
l ,i■■■■■ハ ノ (巛ミ彡ミ彡ミ彡ミ彡ミ彡) ’
ヽ、.l ,.r、_,っ、 !_, ,,从.ノ巛ミ 彡ミ彡)ミ彡ミ 从
! rrrrrrrァi! l 人ノ゙ ⌒ヽ 彡ミ彡)彡ミ彡 +:;'
ゝ、^'ー=~''"' ;,/ ,,..、;;:〜''"゙゙ ) 从 ミ彡ミミ彡ミ :;'
>、__,r‐' / ̄ ̄ヽ_,,..、;;:〜-:''"゙⌒゙ 彡 ,, ⌒ヽ::::/彡:: :::ミゞ::::从从
i i⌒\__ノ ノ::::::゙:゙ '"゙ /: : : : ::;彡ミ: ;:: ; : : : :ゝミ)
ヽヽ ヽ / / `゙⌒`゙"''〜-、:;;,_ ) ミ{:: :ミ: :ノ --‐' 、_\:: ミ:}
)) )-─/ / ⌒`゙"''〜-、,, ,,,彡⌒''〜 {:: : :ノ ,_;:;:;ノ、 ェェ ヾ: :::}
// / // / "⌒''〜" l: :ノ /二―-、 |: ::ノ
((__ノ // / | //  ̄7/ /::ノ
// ノ 〉(_二─-┘{/
|_|_/ /、/>>マルチポスト馬鹿 ̄ ̄ヽ
974 :
吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 10:26:56
976 :
吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 14:46:39
977 :
吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 16:37:55
33
TALKIN’ジャズ×文学
作者: 小川隆夫, 平野啓一郎
出版社/メーカー: 平凡社
発売日: 2005/10/14
メディア: 単行本
平野啓一郎ってすごく頭いいですね。さすが作家だけあって言葉たくさん知
ってるし。この本を読んでいる限り、どちらかといわずとも嫌いなタイプで
すが、憧れます。尊敬します。小説も是非読んでみたいです。
小川さんは、ほんとにすごい人なのに全然その気じゃない感じです。なんか
さりげない感じの人なんだろうなあ。
とにかく二人とも相当聴いてますねっ。
平野啓一郎の他者への過剰な批判、挑発的言動は彼の中に巣食う本質的暗部による。
それは彼独特のナルシズムに接触することにより容易に感知される。無論彼本人も理解
するところであり、それを克明に断言すると幼児的願望の強さである。彼自身己を天才
と自負したいのであろう、そのことは彼の必要以上の、寧ろ作品の質を低下せしめんと
するほどの文体の古典の模倣に表れている。彼の言い分はこうだ
『俺は作家として驚くほど能力が高いのだ、君らには理解できんぐらいに。
俺を批判ないし理解しない人間は能力が絶対的に不足しているのだ。だから少々の暴言は
芸術家として当然の行為だ。なぜわからん?』
彼はバカではない、上記の発言を直線的に述懐すれば選民思想、排他的ナルシズムと評され
作家生命を失いかねないことは重々承知している。この幼児的願望を世間に出しても恥ずかしく
ないように彼は作品中である存在を利用するようになる、『絶対者』 だ。
一見作品中の『絶対者』とはその存在そのもののように記述がなされているが、心理学的に
深く掘り下げるとそれは彼のナルシズムと体現する装置にほかならない。
分かりやすく述べると『絶対者』=平野啓一郎 である。
ではなぜ彼はそのような一つ間違えるとパラノイア的になりかねない願望を
抱くようになったか? それはあとで記述するとしようか。
979 :
吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 17:52:03
いつまでコピペやってるんだよ
980 :
吾輩は名無しである :