1 :
吾輩は名無しである:
初期3部作の完結編『葬送』
どうよ?
2 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 11:48:04
平野 啓一郎の代表作になると思うけど、どう思う?
Amazon.co.jp
デビュー当初から3部作構想を表明していた平野啓一郎は、『日蝕』 『一月物語』の2作を発表後、沈黙期間に入った。
3年以上をかけて書きあげられた『葬送』は、全2部、2500枚、1280ページという、予想を超える大著となった。
平野自身「ロマンティック三部作」と呼ぶ初期3部作は、本作で完結する。
黒人は未経験だが、大きさはともかく硬度が今イチっていう話だ
だったら日本人のほうがイイと思う
俺の彼氏はハゲデブの脂ぎった43歳で、セックス以外は最低の男だが、
カッチカチのアレはほんと最高だよ!
>1
クズスレを乱立さすな、ぼけ!
5 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 12:42:14
3部作って続きになってるの?そう言うわけではなくて?
『日蝕』面白かったけど、1280ページは長いね
6 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 14:17:04
ちょっとこの人
思考の密度が半端じゃないって思ったな
7 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 14:33:20
半端だと思うけど
司法試験には受かりそうもないから小説でも書くかってところじゃない?
8 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 14:34:58
猿ですからね。
9 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 14:36:13
>>7 いや司法試験は数学・物理のできない落ちこぼれの
いくところだから、平野とは無縁でしょ
トーマス・マンみたいな文豪が大作を遺してるけど、
そういうのに倣って書いた作品みたいな気がする。
日蝕とか一月物語に比べればわりと平易な文章になってるから、
本人もそこに読者がいることを意識し始めてるんじゃないかと思う。
11 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 15:30:38
>>10 トーマス・マンが好きなのは本人が言ってること
12 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 21:33:57
だれか削除以来 だせよ
13 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 22:15:01
だれか削除以来 だせよ
14 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 22:36:44
だれか削除以来 だせよ
15 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 22:49:33
だれか削除以来 だせよ
>>10 >日蝕とか一月物語に比べればわりと平易な文章になってるから、
>本人もそこに読者がいることを意識し始めてるんじゃないかと思う。
同意。良い意味で形が崩れてきて、読みやすくなったと思う。
17 :
吾輩は名無しである:2005/09/24(土) 23:54:57
作中の蘊蓄に大爆笑。
文学部一年生の基礎科目の雑談レベル。
ここでもタタカレマクリwwwwww
19 :
平野:2005/09/25(日) 05:55:48
おまえら日本人は朝鮮民族の靴でも舐めろや
犯罪犯しても警察はスルー、お前らの憧れの的のマドンナレイプしても罪にとわれない
ヤクザの8割がチョンコ
それでもおまえら5狐の服買うか? 俺憧れの人レイプされて自殺しました
警察動かない。おまえら俺の気持ちわかるのかい? なんでコムサ?
闇金で自殺してるのはだれのせい? ふざけんなよ おれはお前らに一生かけても
復讐する。お前らも5狐の話友達にはなして、俺の復讐劇を応援してくれよ。
頼むから。。。。
長いよ
そうか 長いか
創価 長井か
22 :
吾輩は名無しである:2005/09/26(月) 14:57:47
本当を言うなら触れたくはないのですが、ことの発端としてどうしても触れなければならない問題がひとつあります。
平野啓一郎氏の『日蝕』の問題です。
平野氏自身に対して含むところは全くない、ということは、お断りしておかなければなりません。
「文句」の方でコメントした通り、つぶれずに頑張ってほしい、というのは、掛け値なしの本音ではあります。
にもかかわらず、『日蝕』の評価については多少の留保をおかざるを得ないというのも、また、正直なところです。
ファンタジーノベル大賞を受賞した翌年から去年までの七年間、私は同賞の下読みをやっていたので、
作家を志望する若い人が習作段階でどのようなものを書くか、ということには些かの知識を持っております。
極めて高い頻度で、既成の作品の部分・全体を問わない「ぱくり」が現れます。
私の作品の場面や台詞をそのまま使った応募作に出会して気恥ずかしい思いをしたのも一度や二度ではありません。
「ぱくり」は文学には必要不可欠である、と私は考えております。
シェイクスピアなりダンテなりをぱくるのは、小説の極めて古典的な技法であり、
たとえば私の私淑するナボコフの『ロリータ』での、すさまじく迂遠なメリメのぱくり方ともなれば、
それだけで一見に値すると言うべきでしょう。
通常のぱくりは、一般に古典と見なされ、読んだふりくらいはしていないと恥ずかしい、とされる作品に対して行われます。
従って、自作を習作段階の書き手にぱくられたら、そこまで高く買ってくれるかと言って喜んでもいいのではないか、と思わないでもありません。
尤も、現存する作家の、たかだか四、五年以内の作品をぱくるのは、些かまずいのも事実です。
さらに言うなら、ぱくる書き手が必ずしも才能のない書き手とは限らないのです。
才能のある書き手が、習作段階での補助輪として、既成の作品を使うのはよく見る風景です。
いつかは補助輪なしで書くこともできるだろう、という期待を以て大目に見てやるのも悪いことではありません。
ただし、万が一最終選考に残ったりした場合には、私は担当者に問題の部分を指摘して、
事前の書き直しをさせた方がいいのではないか、と忠告することになると思います。
公にされない段階においては、ぱくりは些細なことです。ただ、それが活字になるのはやはりまずい。
ぱくりで書く段階にある書き手をデビューさせてしまうことのまずさはおくとしてもです。
平野氏の『日蝕』を雑誌掲載で読んだ時に私が考えたのは、まさにそういうことでした。
他人事ながらちょっと心配になったくらいです。
誰かに、あれって佐藤さんの『鏡の影』でしょ、と言われたらどう庇おうかと思いましたが、
幸い、当人が十分以上に注意深かったのか、或いは編集部にその辺を忠告する人がいたのか、
なるほどあそこをこんな風に料理しなおしたんだね、と思われる部分はあっても、
盗作事件の報道でよく見るように、作品Aの文章の抜粋とA'の文章の抜粋として比較対照できそうな箇所はありません。
限りなくに近い灰色という線でしょう。
ただ、これを公にしてしまった編集部に対してはちょっと呆れました。
せめてもう一作書かせて、補助輪なしで走行できることを証明してからデヴューさせても、遅すぎることはなかった筈です。
事態がややこしくなってきたのは、その年の十二月からです。
平野氏の『日蝕』が芥川賞の候補になってから幾らもしないうちに、『鏡の影』の絶版を通知されました。
『日蝕』に対する私の反応の、常軌を逸した(現代思想的に破壊的な)寛大さに疑問を感じる方もおられるでしょうが、
それはあくまで、『鏡の影』と『日蝕』が読み比べられることを前提にしております。
テクストそのものの入手が不可能になるなどとは考えてもいませんでした。
おまけにこのタイミングでは、まかり間違っても読み比べられたりしないよう、
テクストそのものを消滅させるために絶版にしたのだ、と考えたくもなります。
そこまで深読みすると精神衛生に悪いので、つとめて考えないようにはしていますが。
芋山革来座鋳妙今だっちゅーの
27 :
吾輩は名無しである:2005/09/27(火) 06:48:56
そもそも平野が佐藤の小説読んでるとは思えんのだけど
706 :吾輩は名無しである :2005/08/25(木) 02:51:16
>これを読んですぐ連想したのは、平野啓一郎の『日蝕』。平野啓一郎が影響を受けたであろう
>ユルスナールの『黒の過程』、ユイスマンスの『彼方』、バンヴィルの『コペルニクス博士』、日本
>では佐藤亜紀の『鏡の影』といった異端探究物と呼ばれるジャンル、これを踏襲している。この
>ジャンルのテーマの特徴が、知識への情熱と殉死なんです。
http://www.ne.jp/asahi/kaeru/bungei/samplename/samshohyo.html 読んでないかもな。普通に考えたらユルスナールやコペルニクス博士だろう。
どちらのパクリでもないけど。
というか、彼の書きたい異端ものを書いただけだと思うよ。変なのに絡まれて気の毒だな・・・
コピペ貼るのやめてくれないか?
スレの進行が止まる
クローズアップ現代って時々バカサヨっててどうしようもないね。
ロンドンでのテロ後のことだけど、極普通の青年がテロをおこしたのはロンドンの社会が原因だというような論調が
番組全体を占めるテロリストを擁護するかのような内容を放送していて、7時半のお茶の間に流していいものかとびっくりした。
解りやすくするために論点を一つにしてるのかもしれないが、他にも問題のある放送が多く、東京都からも抗議されたりしているところをみると確信犯なんだろうな。
グロいものを子供に見せたがる意味不明な心理も左翼の連中特有のものといえるかもしれん。
英語を喋る国谷裕子を見るための番組にしとけばいいものを。
31 :
吾輩は名無しである:2005/10/01(土) 12:38:44
盗作は平野啓一郎ただ一人
33 :
吾輩は名無しである:2005/10/11(火) 19:14:15
34 :
吾輩は名無しである:2005/10/13(木) 15:41:50
35 :
吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 04:50:25
36 :
吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 06:53:28
37 :
吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 06:54:26
38 :
吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 06:55:09
江島健太郎
インフォテリアUSA社長。XMLコンソーシアム・エバンジェリスト。1975年香川県生
まれ。小学生時代よりBASIC およびアセンブラでパソコンゲームを開発。京都大学
工学部卒業。日本オラクル(株)でエンジニアを経て、インフォテリアで事業開発・
コンサルティング・製品企画を歴任。ContactXML仕様の策定など、各種業界団体で
の標準化活動にも従事。
39 :
吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 06:56:53
10月14日発売
『TALKIN' ジャズ×文学』(平凡社)
著者:小川隆夫・平野啓一郎
ジャズを聴きたい!ジャズを聴きなおしたい!!
ショパンとビル・エヴァンス、マイルス・デイビス、想像力などをテーマに繰り広げるフリー・インプロヴィゼーション。
40 :
吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 06:57:45
『TALKIN' ジャズ×文学』(平凡社)
著者:小川隆夫・平野啓一郎
ところでこれちょっと立ち読みしてきたけど平野のバックボーンがわかって
面白い
それと、ここでも批評家を叩いててる
あれは浅田だな福田だな柄谷だなって分かるよ
それで「僕は酷評って嫌いなんです。人をけなすのは簡単で、クリエイティブじゃない。
褒めるには理解しないといけないが、けなすには理解しなくても出来る。批評家の
能力は何をどう褒めているかで判定する。その程度の理由で褒めてるんだ。じゃあ
あれも理解できないのも当然だッテ思ってる」っていう感じだった
そうそう
42 :
吾輩は名無しである:2005/11/06(日) 14:35:03
読者多いね
ジャズねえ……。
ちゃんとけなせる批評家がいなくなって久しい中で
ある意味新鮮に響かなくはないな。
45 :
吾輩は名無しである:2005/11/06(日) 20:26:53
46 :
吾輩は名無しである:2005/11/06(日) 20:37:38
内容についてカキコしてる香具師いないよ!おれが自分の目で確かめる他ないのか
48 :
吾輩は名無しである:2005/11/18(金) 23:44:14
天才
49 :
吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 17:14:33
文章に力がありますね
50 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 13:40:57
古典文学や純文学というものの衰退が叫ばれて久しい現代日本の文壇において『葬送』のような重厚で悠然とした読み応えのある文学が新たに生み出され出版されたことの奇跡的な幸運に感謝したい。
『葬送 第一部』は典雅な黄金のカバーにウージェーヌ・ドラクロワの肖像を掲げた装丁であり、『葬送 第ニ部』は清冽な白銀のカバーにフレデリック・ショパンの肖像を掲げた装丁である。
両作品を合わせて1280ページという長大な文学作品に相応しい気品溢れる装丁が為されていて、書籍を手に取るとずっしりとした重みを感じる。現在では文庫版も刊行されているが、自宅で読もうと思う方は是非、単行本を手にとって欲しいと思う。
51 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 13:41:17
『葬送』という表題にあるように、第一部の冒頭は、優美に洗練された音楽を柔弱
な身体より次々と紡ぎだしたフレデリック・ショパンの葬儀の光景より幕を開ける。
クラシック音楽の歴史や曲目に暗い私でもショパンの曲ならば幾つかメロディを思
い浮かべられる。
私がイメージするショパンのピアノ曲というのは、初心者の音に鍛えられていない
耳でさえも優しく愛撫し陶酔させるような音楽である。日頃、古典音楽に深く耽溺
する事のない人間でも、ショパンのノクターンやエチュード、ピアノソナタなどを
聴くと、何か一つは深く心に響いてくるようなそういった感慨があるのである。
52 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 13:41:39
ショパンやリストといった卓越した技巧や分かりやすい心地良さに重点を置いた
音楽は、音楽に造詣の深い人間からは様々な形で批判されることもあるかもしれ
ないが、初めて聞いた人間でもその魅力をすんなりと感じることが出来るという
意味で、貴重な優れた音楽なのではないかと思う。
ショパンのピアノソナタ曲にも『葬送』と銘打たれた長編があるが、平野啓一郎
氏はこれに着想や啓発を受けたのであろうか。ショパン作の『葬送』も実に素晴
らしい楽曲であり、荘厳な悲壮感の中に漂う力強さを表現し、葬送を受容する清
冽さのようなものさえ感じさせられるものとなっている。
私が楽曲『葬送』の中で最も好きなのは第三楽章で「葬送行進曲」とも呼ばれる
ことのある楽曲であるが、長らく聴いていないのでインターネットで検索してみ
るとMIDIで聴けるサイトが幾つかあるようである
53 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 13:42:02
『葬送』という寸分の弛緩さえ感じさせない完成度の高い文学を、平野啓一郎という若き才能が構想し上梓したというこの事実に驚嘆と尊敬の念を禁じえない。
自分と殆ど変わらない世代の作家である平野啓一郎の手より生み出される文章は、その一言一言が適切に選びぬかれていて、精緻さと奔放さが調和したような美しさを感じさせる。
その美しい言葉の響きや絶妙な語句の選択を生半可に真似ようと試みても、これを真似ることは非常に困難である。
同世代の人間が書いたとは思えない文章に宿る独特の風格には、さすが芥川賞作家であると頷かせられるものがある。
54 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 13:42:25
意外性や感動を誘うストーリーを構築することが得手な作家は若い世代でも多くいるが、文章力のみでぐいぐいと仮想世界に引き込んでいく力量を持った作家というのはそれほど多くない。
文章力の高低というと語弊があるかもしれないので付け加えておくと、古典文学〜近代文学の系譜を引く形式美と独自の文体とが程よく調和している文章の書き手に、私が魅力を感じるというだけのことである。
『葬送』の文章にも、装飾的な修辞を凝らしているようでいて、小手先の技巧で終わっていない内在された意味の横溢がある。
確かに、ポップな現代小説に読みなれているところに突然、平野啓一郎のような硬質な文章を持ってくると、一読して読みにくいという印象があるのだが、読み進めていくほどにその文体や口調が不思議と視線や意識にフィットしてきてその違和感を失うのである。
55 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 14:45:16
しかし、私が初めて読んだ平野氏の著作である『日蝕』と比較すれば、『葬送』
の文章は明らかに読みやすくなっている。
良い意味で完全主義的な文体が崩れたというか、過剰な意気込みが程よく抑制さ
れた感じがあり、『葬送』の文章は自然なスピードを維持して視線を進めること
が出来るのである。
『葬送』は作家の想像力を駆使したフィクションであるが、歴史上に実在したシ
ョパン、ドラクロワ、ジョルジュ・サンドを主要な登場人物として描いた作品で
あるので、歴史考証もしっかりと積み重ねられているようである。その資料読解
の時間と文章推敲の労力を思うと『葬送』の二部作を完成させるのに3年以上の
歳月を費やしたのはむべなるかなという観がある。
56 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 14:45:38
葬送』の前に書かれた『日蝕』や『一月物語』とはストーリー上の連関はないが、
この三冊を合わせて平野氏は『ロマンティック三部作』という構想を立てていた
ようだ。いずれの作品も独特の世界観と味わいがあり、読み応えのある長編なの
で、興味を持たれた方は一度手にとって見られると良いと思う。
平野啓一郎の作風や過去の作品の評論をしていても終わりがないので、具体的
な『葬送 第一部』の書評を簡単ながら書いてみようと思う。
まず冒頭は、多くの人から敬愛と友情を寄せられた薄命の天才音楽家ショパンの
葬儀の場面で始まり、そこから、生前のショパンの華麗な社交と暗鬱な苦悩に満
ちた生活を振り返っていく形になっている。
ショパンの気が置けない理解者であるドラクロワの物語も同時に進行するのだが
、ショパンが複雑な人間関係と病を抱えた身体の苦悩を中心に描かれているのに
対して、ドラクロワは創作の困難と自己の芸術性の評価にまつわる苦悩を中心に
して語られていく。
57 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 14:46:00
同時代に生を受けた二人の天才的な芸術家の邂逅と、二人にしか理解し合えない懊
悩をテーマにした対話がこの小説の読みどころでもある。
ショパンの蒼白な顔貌と病弱な身体に宿る深い孤独と温かい愛情、そして、神より
与えられし音楽の天賦の才能……当たり前の幸福な生活を求めて努力する天才が、
どうしても脱却する事の出来ない孤独感と疎外感を秀逸な筆力をもって表現してい
く。
……ノアンのベッドで吐いた血の赤の記憶が、次第に明るく広がっていって、パル
マの太陽の眩さに、思わず閉じた瞼の裏の赤に変わった。それが更に張り裂けたザ
クロの実の紅に変わり、イチジクの果肉の桃色に変わって、オレンジの橙色に変
わり、レモンの黄色に変わり、次いで突如として海の瑠璃色に包まれたかと思う
と、波間に連なる白い輝きの裡にちらめきながら消えていった。
58 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 14:46:33
ショパンは、20歳の時に故郷のポーランドを後にしてから、死ぬまでロシアに占
領されてしまったポーランドの地を再び踏むことがなかった。
しかし、ショパンの故郷ポーランドに対する愛国の念と望郷の思いは並々ならぬ
ものがあり、彼の民族的アイデンティティは絶えずポーランド人としてのものだ
ったのである。
ショパンの孤独感の源泉は、ポーランド人としてのアイデンティティが政治的理
由によって絶えず不安定だったことにあるように思える。ショパンは、周囲の大
勢の人から惜しみなく愛され続けていてもなお、フランスのパリが自分の本当の
故郷ではないのだという民族的な疎外感のようなものを感じていたのかもしれな
い。
ポーランドという国の歴史を振り返ってみると、文化芸術の振興や都市建築の華麗
さという点では諸国に優越するものを数多くもっているのだが、軍事力や政治的ヘ
ゲモニーの点ではいつも周辺国に圧倒されてきた。つまり、ロシア帝国、オースト
リア王国、ドイツ第三帝国などの列強によって国土を侵略され占領されて、自国の
独立性を侵害された歴史を背負っているのである。
ショパンが生きた19世紀の時代には、ポーランド王国は建前としては独立国であっ
たが、実質的にはロシア帝国の支配下にあり従属国としての地位に甘んじていた。
1830年11月にワルシャワで起きた11月蜂起は、ポーランド国民の沸騰する愛国心
によって勃発した独立回復の為の懸命の蜂起であったが、ロシア帝国の強大な軍
事力によってあえなく鎮圧されてしまった
59 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 14:47:22
それから長きにわたってポーランドの独立回復は阻まれ、ポーランドのナショナリズムは抑圧され続けることになる。そして、そういったポーランドの独立の喪失という故国の苦難の時代を生きたのがショパンだったのである。
一人の生活者としてのショパンは、愛人ジョルジュ・サンドとの恋愛や無理解
の中で身悶え、サンドの子ども達の幸福を願って献身するありふれた凡庸な一
人の男なのである。
お互いの才能と心情を認め合うといった友人であるウージェーヌ・ドラクロワ
との会話の中では、ショパンが他の人たちの間では気軽に口に出すことの出来
ないサンドとの恋愛の悩みやソランジュ(サンドの娘)の保護者としての心配
が語られる。
ショパンは、ジョルジュ・サンドと幾ら愛し合っていても自分は所詮は愛人
なのであるという後ろめたさや劣等感を完全に拭い去ることが出来ずにいた。
サンド自身は、法律上の夫であるカジミール・デュドヴァン男爵に対する愛情は
冷め切っていたし、既に別居協定も成立していたのだが、1815年にフランスに起
こった保守的(カトリック的)な王政復古によって離婚そのものが禁止されてい
たため新たに別の相手と再婚することは不可能だったのである。
この市民の自由と権利を不当に抑圧する悪名高き王政復古とは、簡単に言えば
伝統的なアンシャン・レジームの道徳規範や身分制度の復帰である。
当然、一度、『自由・平等・友愛』をスローガンに掲げるフランス革命の歴史を
経験している市民達が、この王政復古の制度や法規範の改悪に我慢出来るはずも
なく、再び、二度の革命(7月革命・2月革命)がフランスの大地に降り注ぐこと
となる。
,
.
.
,
,
,
.
,
.
.
70 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 15:07:28
ここでフランス史を詳細に紐解くような時間はないが、ドラクロワの最も著名な
作品『民衆を導く自由の女神』とは、フランスに自由と平等を取り戻す戦いであ
った7月革命(1830年)を題材に取ったものである。ブルジョアジーの王ルイ・フ
ィリップを立てた7月革命は、労働者・農民・下層階級の不満を溜め込み、それ
が社会主義的(あるいは共和主義的)な2月革命の原動力を準備することとなった。
そういった歴史的な経緯は兎も角、永遠の故国としてのポーランドに足場を失っ
たショパンは、サンドとの恋愛に安らぎを求め、サンドの子どもであり奔放な娘
であるソランジュに擬似的な親子関係に基づく愛情を寄せるのである。
しかし、華やかな男性遍歴を持つサンドの過去の情愛に対して嫉妬や自尊心の傷
つきを覚え、サンドが自分を家族の一員としては決して認めてくれないことにシ
ョパンは致命的な疎外感を抱いてしまう。
自分はサンドから愛人としての待遇や愛情は受けているけれど、血のつながる家族
や唯一の配偶者としての待遇や愛情は決して得られないという孤独感がショパンに
まとわりついてくる。
彼ら二人の間に諍いめいたことが起こるようになったのは、彼此二年ほど前からの
ことである。それがいよいよ頻繁に生じて、宿痾のように普段の生活に緊張を強い
るようになったのが、この夏のノアンでの日々であった。無論、それ以前にも口論
程度のことはあったし、口には出さずとも互いの胸中に秘められた不平や不満も少
なからずあった。
しかし、今起こりつつあることが、多少はそれらによって準備され、厳に連絡を
保っているとはいえ、本質的には殊なったものであることは二人とも気が付いて
いた。それは最早、愛情の名の下に容易に克服し得る問題ではなかったからであ
る。
71 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 15:07:57
恋愛関係の始まりがしばしば状況によって齎されるように、その終わりもまた状
況を導き手とすることがある筈である。そして、それは、感情の力学よりも、遥
かに迅速に、逃れ難く、巻き込まれた人間を連れ去ってしまうに違いない。
発端はサンド夫人の二人の連れ子の兄妹喧嘩であった。けれども、この喧嘩は終
息しようのない喧嘩であった。兄は妹を軽蔑し、妹は兄を憎んでいた。
(中略)
ショパンはこの騒動を、暫くの間静観していた。自分のポーランドの家族のこと
を考えて、どうして同じ血を分け合った者同士が、こんな争いをせねばならない
のだろうかと不思議にさえ思った。口論一つを大袈裟に心配した。その原因を考
えて、きっと平和すぎるからなのだと失笑するような答えを導き出したりもした
。一緒に暮らせるだけ仕合わせだと思った。自分のように十五年も愛する家族と
離れ離れに生活している人間が、こんな贅沢な喧嘩を真面目に受け止められるの
だろうかと疑問に感じた。いっそ『僕の苦悩に比べれば……』とでも言ってみよ
うかと考えた。しかし、そうしたものの言い方も、何処か卑屈で間が抜けている
ように感ぜられて、口にすることは出来なかった。
72 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 15:08:17
ジョルジュ・サンドの二人の実の子どもであるモーリス(兄)とソランジュ(妹
)の兄妹仲は最悪であり家庭にはいつも険悪な雰囲気が渦巻いている。もう一人
の子どもオーギュスティーヌは養女であるが、この子もソランジュとの関
係が極めて悪い。ソランジュはいつも血のつながらないオーギュスティーヌに嫉
妬し、そのオーギュスティーヌを実の子と同等に可愛がる母親のサンドを憎悪する
のである。
ソランジュの結婚にまつわるストーリーの有為転変やモーリスのオーギュスティ
ーヌへ寄せる恋愛感情などもこの小説の読みどころの一つであるが、ソランジュ
の不遇な結婚生活への転落は、それを阻止しようとして出来なかったショパンの
心を深く傷つけることとなる。
ショパンとドラクロワの友好的な交流と芸術的な議論も非常に興味深く面白いの
だが、私は個人的に、ドラクロワが自分の独創的な芸術性の確立に苦悩し、その
世間的評価の低さに憤懣して思索を巡らし続けるような場面が好きである。
73 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 15:09:09
漠然と捗り具合を考えてみることはあっても、そこから換算して完成するまでの
時間のことだけを考えていた。それは必要な計算であった。未来に望まれる時間
は常に定まらず、果てだと思っていた先から決まって更なる時間が立ち現れてく
る。しかし、過去は違う。何度計算してみたところで変わる筈はない。そんなこ
とは誰よりも承知している筈であるのに、気づいてみると必ずそれを数えている。
費やされた時間の長さが、どうにも気になって仕方がないのである。
彼(ドラクロワ:筆者注)は知らぬ間に身に付いていたこの奇妙な習慣の意味を
理解し兼ねていた。長い距離を歩いた人間が、漸く見えてきた目的地を前にして
、思わず後ろを振り返ってみたくなる――そうした心情と同じだろうか?しかし
、どうも違う気がした。
作品の完成を前にして、誇らしさと満足感とからおめでたい感慨に耽っているに
過ぎないのだとすれば結構なことだと思った。そのくらいのことはしても良い筈だ。誰が咎め得よう?
一日中創作に没頭した日のあの得も言われぬ充実感。自分という人間が何か崇高な
存在へと向かって開かれていくような遥かな眩暈。自分がそれに触れ、それに満た
されるに値する人間であると知ることの無上の喜び。殉教聖人の屍のみが知るよう
な遍身を満たす敬虔な疲労感。
――それらの数々を思い返し、独り私かに楽しもうというのであれば罪のない話だ
と思った。或いは、その為に費やされた膨大な苦悩の時の一つ一つに思いを致して
、それが作品の完成によって報いられるまさにその瞬間の到来を今や遅しと待ち侘
びているのであるならば、それこそは狩猟の成功に歓喜の雄叫びを挙げる未開人の
夢ほどにも健全な精神の欲求であった。
74 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 15:10:22
『葬送』はフィクショナルな文学ではあるが、歴史的なドラクロワの実像に思い
を巡らした平野啓一郎が絶妙な口調や魅力的な表情を圧倒的な筆力で甦らせ、ド
ラクロワにその心中を語らせるところに歴史小説としての妙味があるのである。
沈鬱な表情を見せながら自身の思いを静かに語るショパンと彼の体調と苦衷を思
いやりながらショパンの苦しみを分かちもとうとするドラクロワの交流の場面な
ども、生き生きとしたリアリティを感じる精緻な文章で綴られていく。
そういった魅惑的な対話場面あるいは耽美的な情景描写の素晴らしさこそが『葬
送』の全体を覆い、私たちの精神を19世紀の芸術精神の沸騰するパリへと誘うの
である。
十分にこの作品の面白さを伝えられないままにこの書評を終えますが、歴史上の
ショパンやドラクロワに然程興味がない人であっても『葬送』を読む価値は十分
にあると思いますので、機会があれば読んでみられると良いと思います。
そういった魅惑的な対話場面あるいは耽美的な情景描写の素晴らしさこそが『葬
送』の全体を覆い、私たちの精神を19世紀の芸術精神の沸騰するパリへと誘うの
である。
十分にこの作品の面白さを伝えられないままにこの書評を終えますが、歴史上の
ショパンやドラクロワに然程興味がない人であっても『葬送』を読む価値は十分
にあると思いますので、機会があれば読んでみられると良いと思います。
自らの革新的な芸術技法の考案に対する自負心とその芸術潮流が公的に高く評価
されない事に対する不信感の中に往年のドラクロワはあったのだろうか?
ガンガレ平野 トイレット
平野 トイレット jペーパー 貼り
ホレホレ
平野 トイレット jペーパー部隊
コピペ貼りご苦労!
79 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 15:16:38
学界印トイレットペーパー?w
>>79 するどい〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
平野 トイレット jペーパー部隊
便所用コピペ貼りご苦労!
82 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 15:21:36
ガンガレ便所紙
83 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 15:25:26
凡人とは隔絶した天才の手によっていとも簡単に創造されたように錯覚してしま
う教会建築や教会内部の壮大な壁画や精巧な彫刻、そして、美のイデアを写し取
ったかのような絵画の数々……そこには、極限的な精神状況の狭間をたゆたいな
がらも、創作活動を継続し続けた芸術家の表現への執念と美の創造への苦悩が宿
っているに違いない。
以下に、いかにもキリスト教的な『神の創造行為への憧憬と接近が挫折せざるを
得ない苦悩』についてドラクロワが慨嘆する場面を引用してこの書評を終わりま
す。
大作の制作に携わる時、彼は常に、二十年にも亘る流浪の日々の中で《神曲》を
書き上げたダンテの偉大さを――たった独りでシスティナ礼拝堂の天井を埋め尽
くしたミケランジェロの偉大さを想えと自らに命じた。そうして己を鼓舞し、怠
惰を戒め、自身を彼らの高みにまで引き上げようと努力した。偉人に対する強い
憧れは、なるほどこの人生を幾分かは生きるに値するものへと変えてきたのかも
しれないと彼は思った。しかしそれは、断念された今一方の人生の代償として本
当に十分なものであったのだろうか?……
ミケランジェロは立派な絵画は、神に近づき、神と一体となるのだという。敬
虔と不遜との入り混ざったその奇妙な、しかし力強い言葉。そして、この時代に
残されたのは独り不遜のみである。神への讃歌は既にありし日の遠い谺に過ぎな
い。信仰が画家に力を与える事の出来た幸福な時代は遥かなる過去である。自分
のような人間が読む本といえば、相も変わらずディドロであり、ヴォルテールで
ある。それは何を意味するのであろうか?この時代の人間は恐らく一人残らず大
革命の生み出した永遠の亡命者であろう。
84 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 15:25:39
テン
85 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 15:26:26
(中略)
確かに時代に対する反発が人を芸術へと駆り立てるという事情は分かる。しかし、
彼がその時、時代の準備した生活とどの程度まで隔たることが出来るのかという
のは、問題の複雑さを更に一歩踏み込んで教えさせることとなる。不幸にして人
は、果敢な選択によって人生を切り刻むことなしには、決して何ものも手にする
ことが出来ないように定められている。
(中略)
『……虚しい時間の遣いようだな。誰もいないこんな部屋の片隅で、愚にもつか
ない言葉の氾濫で頭の中をいっぱいにしている。……人間が自ら偉大であろうと
する時、彼はついにこうした滑稽さを免れることが出来ないのであろうか?例え
ば、あのルーベンスのような人は、こんな惨めな思索に耽ったことがあっただろ
うか?それはやはり近代に特有の憂鬱なのであろうか?……
あらゆる偉大さが天井の彼方へと遠ざかり、失われようとする時代に、その空隙
に自ら昇り至らんと欲する。――もし仮に、偉大さによって更なる偉大さへと到
達し得る何者かが存在するとするならば、それは独り神のであるに違いない。神
が天上から覗き込んでいる限り、人間は何時まで経っても芝居小屋の猿に過ぎま
い。人間が、人の仕種を真似てみせる芝居小屋の猿を面白がるように、神もまた
、きっとその巨大な創造の行為を真似しようとする我々に憫笑を注いでいるに違
いないのだから。しかし、人間が猿よりも少しは知恵があり、しかもその為に大
いに不幸であるとするならば、それは彼が自らの滑稽さを知っていることだ。そ
して、同じ人間同士でさえも、その滑稽さに気づき、互いに笑いあっていること
だ。人は、苦痛に耐える術は知っている。悲しみに耐える術もだ。しかし、自ら
滑稽であることに耐える術などあるだろうか?神に笑われるならばまだいい。同
じ人間に、そして、自分自身にさえ笑われることに、果たして我慢などできるも
のであろうか?……創造とは、そこに悪意があったか否かに拘らず、いずれにせ
よ巧妙な仕業だ。神が、我々被造物が偉大さへと向かおうとする道の途中にこの
ような障碍を設けたのは、まったく理に適っている。これが為に多くの者は挫け
、神の玉座は遂に脅かされることなく済むのだから。……』
平野 トイレット jペーパー部隊
便所用コピペ貼りご苦労!
87 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 15:27:36
平野は京大の同窓生からバカにされてるらしい。
、
平野 トイレット jペーパー部隊
便所用コピペ貼り、まだ〜〜〜〜? ガンガッテ晴れや、ホレホレ!
ガンガレ ガンガレw
トイレットペーパー部隊は?w
あとちょっとでまた出るw
1
2
次、でるよw
ほら↓ ↓
選んだ音楽家がショパンってのがなあ……いかにも過ぎるという感じ。
どうせならリストを描いてほしかった。
リストがトンだ迷惑するw
音楽関係者でとくにショパン好きは、宣伝につられて読みかけて
「なにあれ?」と拭きだしたそうだ。もっともだ。
次、トイレットペーパー貼りがでるよw
ほら↓ ↓
平野スレだから、平野に似てしまったようだ
日本語がおかしくなってw
>>97jを訂正。
「なにコレ!」と吹き出したそうだ。が正しい。
今度こそ、トイレットペーパー貼りが再度でるよw
ほら↓ ↓
101 :
吾輩は名無しである:2005/12/04(日) 12:17:27
↑ 期待にそぐえず、スマソ。
平野の作品、「葬送」は力作だな、と思って読んだ。
日蝕と一月はともかく、その他短編は×。
書く素材を選ばないと、力が発揮出来ない人なの?
102 :
吾輩は名無しである:2005/12/04(日) 13:56:32
そんなことないよ
他の短編もいい
103 :
吾輩は名無しである:2005/12/04(日) 17:44:26
>102
「高瀬川」しか持ってないんだけれど、どれに感心した?
>>103 たぶん釣りだよ。
横から入るけど、短編でほとんど感心できるものはないね。
「瀕死の午後と波打つ磯の幼い兄弟」ぐらいじゃないの?
硬派な純文学路線から入った(?)から、今度は前衛的作風で
幅の広さを見せようとしてるんじゃないかと憶測したんだけど。
まぁ何にせよ、彼の原動力はナルシズムだよ。
105 :
吾輩は名無しである:2005/12/04(日) 18:23:00
>>104 大筋で同感。「……兄弟」は、読んでみる。
「葬送」は、力量が無い作家には書けないという意味で、感心したんだが。
実際、今まで読んだ平野 啓一郎の作品の中で
将来読み返すとしたら、これしか無いと思う。
106 :
吾輩は名無しである:2005/12/04(日) 19:50:19
なぜ?
107 :
吾輩は名無しである:2005/12/04(日) 19:51:30
葬送は、最悪。
時間のムダ。最低。
109 :
吾輩は名無しである:2005/12/05(月) 11:39:47
110 :
吾輩は名無しである:2005/12/05(月) 16:01:17
【その他】平野啓一郎さん(芥川賞作家)ら来学<2005.6.7号>
5月20日、芥川賞作家の平野啓一郎さんと『趣都の誕生 萌える都市秋葉原
』などの著書で知られる森川嘉一郎さんが来学し、シンポジウムが行われた。
両者を招いたのは、バーチャルリアリティー(VR)の研究者らが部局を超え
て結成した教育研究組織「VRラボ」(代表=舘ワ工学系研究科教授)。同組
織は01年より継続してシンポジウムを開いており、「空間、知覚、人:VRに
求められるもの」と題した今回の講演は18回目となった。
111 :
吾輩は名無しである:2005/12/05(月) 16:33:10
さらに、来年初頭の話ですが、前回予告しました通り、講談社から「対談集」と「評論集」が同時刊行されます。
これは、文学、アート関係を中心にしたもので、評論の方の注目は、三島論です。
今年は生誕八十年ということで、映画の公開も含め、三島ブームが再燃している感もありますが、ご関心のある方は是非どうぞ。
112 :
吾輩は名無しである:2005/12/08(木) 16:41:33
是非どうぞ。
113 :
吾輩は名無しである:2005/12/10(土) 17:01:35
大江論、ドストエフスキー論も書いてほしかった
114 :
吾輩は名無しである:2005/12/11(日) 12:13:46
コラム ーミュージシャン・平野啓一郎ー
「日蝕」で第120回芥川賞を受賞した平野啓一郎氏は東筑高校の92期生で
あることはご存じてあることと思う。実は平野氏、この平成4年度の文化祭では、
なんとバンドのボーカルとして参加していたのだ。
内容はDeepPurpleというバンドのコピーバンドであったようだ。バ
ンド演奏の話は聞いていたが、東筑高校の体育館で歌っている平野氏を想像する
となぜか楽しい
115 :
吾輩は名無しである:2005/12/12(月) 06:56:42
実際に東筑高校の生徒となった私が、入学前の大層な考えの割には、運動部に
も所属せず、体育祭にも積極的に参加しなかったのは、恐らくそれが私の言う
「内面化の季節」を迎える以前の、少年時代のパロディーに過ぎないというこ
とに気づいたからでしょう。そして、パロディーであることを百も承知の上で
尚且つそれを演じてみせることは私にはできませんでした。私は三年間ずっと
あの広い運動場を眺めていましたが、その眼差しは何時の頃からか憧憬の眼差
しから郷愁の眼差しへと変わっていたのかもしれません。そうした世界が決し
て自分を「外」へは連れ出してくれないことを私はあの十六七歳の頃に苦々し
い気持で悟ったのだと思います。そしてそれが既に失われたものであることに
気づいたということは、私の為には幸いであったに違いないのです。
私はその後、大学受験の進路の決定に際して法学部を選択することにより、性
懲りもなく今一度内面との決別を図りますが、ただ今度はずっとまっとうに社
会との関わりに於てそれを実現することを考えていました。私がいよいよ覚悟
を決めて小説家にでもなるより外はないと考え始めたのは、この試みさえ結局
だらしなく断念されたあとになってからのことです。
116 :
吾輩は名無しである:2005/12/12(月) 13:51:36
12月10日発売
『X-nowledge HOME 特別編集No.5『PUBLIC SPACE』
(平野啓一郎責任編集号)』(株式会社エクスナレッジ)
平野啓一郎責任編集によるエクスナレッジムック『PUBLIC SPACE 都市のささやき』。
117 :
吾輩は名無しである:2005/12/13(火) 14:56:25
12月10日発売
『X-nowledge HOME 特別編集No.5『PUBLIC SPACE』
(平野啓一郎責任編集号)』(株式会社エクスナレッジ)
平野啓一郎責任編集によるエクスナレッジムック『PUBLIC SPACE 都市のささやき』。
これすげーぜ
まるでひらのは浅田になりたいんじゃないかって感じだ
オランダの建築家と対談し
空間について論じてるよ
118 :
吾輩は名無しである:2005/12/13(火) 15:45:20
本を3冊読む。新書は鮮度が最も大切だが、過去のものでもそこに見つ
けることも多い。平野啓一郎編『Public Space』は「パブリック・ス
ペイス」とは何であろうか?という問いを深化させることを試みている
。現実の社会との関連を足場に、対談という形態と豊富な写真をもとに「
スペイス」から定義される「パブリック」を考える意欲的な本。素朴な
問いかけとその狙いが露になる対談はスリリング。写真集としても美し
い。そういえば、この間、東京で初雪があった。平年より22日早いとい
う。この平均という言葉。実在はしないのだが、尺度として機能する揺
らぎを包摂する概念だと思う。実に捉えがたい。ところで、雪の降り初
め、空を見上げた人は、ほとんどいなかった。空を見上げるという行為自
体、日常ではないのか。
宣伝にくるな、ボケ!!
伸張者のクソ変臭と、銭稼ぎマンセー批評書きのクソが!!
、
120 :
吾輩は名無しである:2005/12/14(水) 14:06:55
■X-Knowledge HOME 特別編集No.6 PUBLIC SPACE 都市のささやき
平野啓一郎 : 『疾駆する空間―WEARABLE IDENTITIES』
>パリのメトロ4番線は、シテ駅を中心として、街をほぼ南北に縦断している路線で
、これに始発駅から終着駅まで乗っていると、この都市の複雑な人口構成が、まる
でパノラマのように鮮やかに展開されて興味深い。
>家を出た瞬間、人は、家庭の中での「父親」や「息子」といった属性を剥ぎ取られ
て、輸送される一群の集団の中の一人となる。この時、乗車駅と下車駅は、彼のア
イデンティティの最後の痕跡であり、またそれを迎える最初の門であるが、乗り継
ぎや乗客の入れ替わりといった過程が複雑化するほど、彼の匿名性は純化されてい
くことになる。
>今や我々は、場所の呪縛から解放されて、複数のウェアラブルなアイデンティテ
ィを駆使する生活を営んでいる。その時、交通路とは、人を速度の中に見失わせ、
未然の個体へと洗い出す無名の空間として、時間の中を疾駆しているのではあるま
いか。
121 :
吾輩は名無しである:2005/12/15(木) 16:50:59
物凄い文章力ですね
122 :
吾輩は名無しである:2005/12/16(金) 11:30:41
さっそく本の記事を。小川隆夫さんの対談本です。もう全部読みましたが、もう1度読みます
123 :
吾輩は名無しである:2005/12/16(金) 11:36:14
l'´ ̄`l ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄`l
| | u |
| | ヽ / | ああ〜
| :J | ● ヽ----/ ● |
... | | ヽ / |
. | | ヽ/ |
. | | J |
.. | | |
| \ __ ト、
ミ \ ,.ミ'´ ̄ ̄`` `ヽ、| |
(( ミ ミ \' 、 ヽ| 力
ミ、 ミ \ i. ゙、 勹
| ミ、 ,' l
L.___|_ l l { -─- 、
| l -、 ヽ ,. '´ ヽ
| ! ヽ ヽ ,.' ,、 ヽ
./´ ̄`V ,ヽ、 ,' ,' ; ,. ,: , ハ :, , i
/ 、 | / 、`ー ノ! ; : ; /_'/./_/ Li_l !
./ i | / ヽ ヽ 〃 / | ;:「 ____... リjリ
!. ! / ヽ {{ / (`| il| __.. ` ̄lノ i Σ
`ー‐ゝ、 ' / ヽ___,.-‐'"⌒゙| !| °,,, ,  ̄/,: ハ
`ー--‐' ,. -‐'"´ リi从_ 、 '''ノ_:_ノ ヽ
力 /"ー─------<二/ ´ヽ、-<r"/,ー、 丿
勹 { 〈 )、 Y `ゝ(_/_/./'
} `ー----------─一--‐'´ ̄´
124 :
吾輩は名無しである:2005/12/16(金) 11:46:17
>>122は、土左衛門・腐乱・腐臭・マザコン・爪のあか・サランラップ・落伍者・犯人・破廉恥・通草木葉・ミトコンドリア・ならず者・チンカス・膿・垢・フケ・化膿菌。
放射能・放射線・鬼っ子・異端者・石川五右衛門・クモの巣・妄想・邪宗・異教徒・恥垢・陰毛・貧弱・白ブタ。
ケダモノ・ボッコ・ろくでなし・カツオノエボシ・VXガス・ヒ素・青酸・監獄・マゾ・アンタレス・獄門・さらし首。
打ち首・市中引きずり回し・戦犯・絞首刑・斬首・乞食・浮浪者・ごり押し・スクラップ・ルンペン・物乞い・鴨。
放射性廃棄物・余命1年・アク・割れたコップ・泥水・ヘテロ・捻くれ者、精神年齢4歳・3審は必要なし。
不良品、規格外、欠陥品、ケツだけ星人、不要物、ゴルジ体、サド、埃、掃き溜め、吹き溜まり、塵埃、インチキ、居直り。
ふてぶてしい、盗人、盗賊、残忍、残酷、冷酷、非情、薄情者、二酸化マンガン、ガキ、クソガキ。
ファッキン、ガッデム、サノバビッチ、シット、モヤっとボール、ブルシット、リアス式海岸、ボロ、ボッコ、妄信。
狂信者、有害物質、毒薬、猛毒、ナルシスト、発ガン物質、ツクツクボウシ、ホームレス、アンモニア、誇大妄想狂。
他人の悪口は山ほどほざくが反省は一切しないガキ根性野郎、サルモネラ、腐れ根性。
腐って歪んだプライドの持ち主、ピラニア、リソソーム、だ液、自己中、狭量、ボケ、のび太、ボケナス、外道、アホンダラ、たわけ。
125 :
吾輩は名無しである:2005/12/16(金) 11:50:40
/::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::::)
(::::::::::/ ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ
(:::::::::/ 彡 ノ ノ :: 彡:/)) ::::::::::)
(::::::::::/彡彡彡彡彡 ミミミミミミミ :::::::::::)
( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::)
| =ロ -=*=- ‖ ‖ -=*=-ロ===
|:/ ‖ / /ノ ヽ \ ‖ ヽ|ヽ
|/ ヽ`======/ .⌒ ` ========ノ. ..| |
.( 。 ・:・‘ c.( ● ´ ー ` ● ) ;”・u。*@・:‘)
; / :::::l l::: ::: \ :。・;%:・。o )
(; 8@ ・。://□ ̄ ̄■□\:\.”・:。;・0.)
:%,: )::::| | ::::(: o`*:c /
\ ::: o :::::::::\凹□ 凹/ :::::::::: / ←
>>122 (ヽ ヽ:::: _- ::::: u ::::::::: -_ ノ
\ \ ::::::::::: :::::::::: ::: ::__/
| | /
/ ̄||∨|| ̄ | < アバババババアヒャヒャヒャオベロベロベロベロリーン
/ ;巨,||/i_||;人|_ | \
|\/; ~||!x_|| ヽ|/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ゝつ; ; ||=|| ; ;
;,,,,,,,,||||||||、、、ヽ
||||||(u)|||||
||||||||||||||||
||||||||||||||||
つ つ
126 :
吾輩は名無しである:2005/12/16(金) 21:05:41
物凄い文章力ですね
127 :
吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 06:57:32
「行為」というものは、結局は「衰耗をでっち上げる方法」でしかない。(平野啓一郎氏のランボー『地獄の季節』に関わる随筆より)
ドキリ、とした。
凄くこれ 当てはまるかもしれへん。
…最近 ことあるごとに「近さと遠さ」が頭をよぎる。
/::::::::::/ノ::::::::ノ::::::::ヽ:人::::::::::ヽ:::::::::::::::)
(::::::::::/ ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ
(:::::::::/ 彡 ノ ノ :: 彡:/)) ::::::::::)
(::::::::::/彡彡彡彡彡 ミミミミミミミ :::::::::::)
( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::)
| =ロ -=*=- ‖ ‖ -=*=-ロ===
|:/ ‖ / /ノ ヽ \ ‖ ヽ|ヽ
|/ ヽ`======/ .⌒ ` ========ノ. ..| |
.( 。 ・:・‘ c.( ● ´ ー ` ● ) ;”・u。*@・:‘)
; / :::::l l::: ::: \ :。・;%:・。o )
(; 8@ ・。://□ ̄ ̄■□\:\.”・:。;・0.)
:%,: )::::| | ::::(: o`*:c /
\ ::: o :::::::::\凹□ 凹/ :::::::::: / ←>>マルチポスト馬鹿
(ヽ ヽ:::: _- ::::: u ::::::::: -_ ノ
\ \ ::::::::::: :::::::::: ::: ::__/
| | /
/ ̄||∨|| ̄ | < アバババババアヒャヒャヒャオベロベロベロベロリーン
/ ;巨,||/i_||;人|_ | \
|\/; ~||!x_|| ヽ|/  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ゝつ; ; ||=|| ; ;
;,,,,,,,,||||||||、、、ヽ
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||||||||||||||||
つ つ
129 :
吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 07:41:05
>>129 マルチポストもルール違反。
ちなみに特定IPが接続できなくなっても
何の問題も無いよww変えりゃいいだけ。
好きにしな、おばはん(ry
___. ∩゛ ∧空∧ ((( ))) /\
/. ――┤. -=・=- -=・=- | | ∧ ∧{´ ◎ `}____( ´∀`)\ う \
./(. = ,= | ∧∧ ∧_∧ | | ( ´ー`) ):::/´∀` ;:::: \ヽ(`Д´)ノ゛\ ま\
|||\┏┓/∫ (=゚ω゚)ノ~ ( ´Д`)// \ < .∧|∧ /::::::::::| .¶_¶. \い\
V/ ∧,,∧ ∬ 〜( x) / / ,一-、(´ー`) /:::::|::::::| (ΦдΦ)/~ \棒\
|| ミ,,゚Д゚ノ,っ━~~ U U / /| / / ̄ l⊂ヽ \/|:::::::::|::::::| γ__ ∧w∧ 旦∬
人 ミ ,,, ~,,,ノ .n THANK YOU 2ch ■■-っ ┌───────┐ \ ( ゚Д゚ )∩゛
( ゚ー゚)と..ミ,,,/~),ヽ(凸)ノ~ and.. ´∀`/. | ● ● | ヽ ノ
/ ̄ ̄し'J\[Y] GOOD-BYE 2ch WORLD! /| .┌▽▽▽▽┐. |____|__||_| ))
/ ● ●、ヽ (. ┤ .| |. |□━□ ) (゚Д゚)?
|Y Y \ またどこかで会おうね.. \. └△△△△┘. | J |)∧_∧
|.| | .▼ |∀゚) |\あ\ | ∀ ノ " , 、 ミ
| \ /■\ _人 |∧∧∩゛∧_∧∩゛∧_∧ | \り.\ | - Å′ ゝ∀ く
| ( ´∀`)___/( ゚Д゚.)'/ ( ´∀` )/ (・∀・ ),. |. \が\. | ). \ Λ_Λ
\ ( O ) 冫、 U / ( / ⊂ ⊂.)ヽ(´ー`)ノ゛ \と.. ∧_∧/(´Д`;)<丶`∀´>
|││ │ ` | | ∪ | | ( ( ( ( へ (゚д゚)〜⌒(゚ー゚*) (-_-) (・ω・` )
(_(__(__)(・∀・) ∪~∪ (_(__) (_(_) く ⊂⌒~⊃。Д。)⊃⊃⊃(∩∩)(∩ ∩)
132 :
吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 10:28:27
133 :
吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 16:40:16
33
TALKIN’ジャズ×文学
作者: 小川隆夫, 平野啓一郎
出版社/メーカー: 平凡社
発売日: 2005/10/14
メディア: 単行本
平野啓一郎ってすごく頭いいですね。さすが作家だけあって言葉たくさん知
ってるし。この本を読んでいる限り、どちらかといわずとも嫌いなタイプで
すが、憧れます。尊敬します。小説も是非読んでみたいです。
小川さんは、ほんとにすごい人なのに全然その気じゃない感じです。なんか
さりげない感じの人なんだろうなあ。
とにかく二人とも相当聴いてますねっ。
134 :
吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 17:47:03
なんというか著書を買って読むという気持ちにならない顔をした作家だね。
不細工とかそんな問題ではなく。
135 :
吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 17:52:41
136 :
吾輩は名無しである :2005/12/17(土) 20:12:39
蛸唇整形乙
137 :
吾輩は名無しである:2005/12/18(日) 09:37:23
現代の古典
138 :
吾輩は名無しである:2005/12/18(日) 18:28:42
素晴らしい文章力だね
139 :
吾輩は名無しである:2005/12/18(日) 19:48:56
このSTUDIO VOICE, 1999 February には平野啓一郎の「小説の「現代性」とは」
というエッセイが載っている。気迫と、情熱のこもった文章だと思う。今という
時代をしっかりと、じっくりと見つめそして必要とされているのが何かということ
を、発信している。きっと、もう発信せずにはいられなかったのだと思う。書い
てあるのは、スケールの大きなことだ。でもそれは不思議と幻想のような非現実さ
を感じさせない。むしろそれが真実であると感じさせてくれる文だ。「私は、「我
々の時代の無自覚な声」であることを断じて欲せない。」と平野さんは言う。自
信に満ち溢れた彼の文章は鼻につくこともある。けれど、それでも信じようと思
えずにはいられない、リーダーになりえる素質−もしそんなものがあれば、だけ
ど−を彼の中に見られる気が僕にはするのです
この文章も「文明の憂鬱」に収録されるかな
140 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 10:01:42
★平野啓一郎「葬送」★新潮社文庫 を読む
昨日から、「葬送」を読み始めています。
フレデリック・ショパンと画家ドラクロワの目から見た芸術論のお話し。
表紙を開いた途端、難解な言葉が多く、読みながらもつい挫折してしまいそうになりますが、一部と二部あわせて計4巻。頑張って読みこなします。非常に若い作家の方の文章なので、文体に惹きつけられます。
141 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 19:42:33
「僕自身はすぐにピアノをやめてしまったけれど、小学生のころに姉が練習して
いたのを聴いて、ショパンが好きになったんです。高校生になってからはショパ
ンの伝記を読んで、彼がポーランドで生まれ育ちパリで活躍していたことを知り、
19世紀を生きたひとりの芸術家として関心を持つようになりました」
執筆にあたっては膨大な参考文献にあたり、登場人物の行動を把握するために
カレンダーのような一覧表を作ったとか。「それを見ながら、『そういえば最近
だれだれが…』と、ショパンとドラクロワの会話を展開していくわけです。史実
を調べていくと、みんな僕の予想とはまったく別の事を考えていたりする(笑)
。そこで『どうしてだろう』と、より深くものごとを考えることができました」
142 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 19:43:19
原稿を書きながらショパンがどういう人物なのか悩んだときには、ショパンコン
クールの優勝者でもあるポリーニのCDをよく聴いたそうです。「ポリーニは自
分の感情をストレートに表現するというよりは、抑制を効かせたクールな演奏を
するタイプですよね。彼の演奏を通して、ショパン自身の演奏はどうだったのか
想像していました」
格調高く文学的な作風で知られる平野さんですが、ご本人は知的でいながら
気さくな雰囲気。そんな平野さんが考えるショパンの魅力は、気取らないけれ
どノーブルなところとか。「あの上品さは彼独特の個性で、現代では失われて
しまったものだと思います」
143 :
吾輩は名無しである:2005/12/19(月) 19:44:14
確かに、ショパンは真っ白な手袋をはめるなど貴族的な趣味を持ち、それで
いて物まねが上手で、ユーモアに富んだ一面も持っていました。『葬送』の
中にも、真剣な芸術談義やジョルジュ・サンドと彼女の娘ソランジュをめぐ
る複雑な人間模様に混じって、ショパンとドラクロワが女性のお化粧に対す
る情熱について冗談を言いあうシーンが出てきます。「ユーモアは、彼のサ
ービス精神のあらわれでしょう。〈子犬のワルツ〉にしても、なんともいえ
ず上品で、かすかな哀愁があるけれど、親しみやすいですよね」
平野さんはことし2月まで文化交流使としてパリに1年滞在し、帰国した
ばかり。パリでは講演やフランス語会話のレッスン、コンビニがないので自
炊に挑戦するなど、充実した日々を送りました。マルタ・アルゲリッチと知
り合って、ショパン談義をする機会もあったとか! 「ポリーニやアルゲリ
ッチは、ショパンコンクールに優勝してから、いったん勉強に専念していた
そうですよね。音楽と文学の世界は全然違いますけれど、僕自身も賞をいた
だいたあとに長い間ひきこもって『葬送』を書いていたんですよ。最後の10
ヶ月は、1日13時間ぐらい作業してました(笑)。今思えば、いい経験でし
たね」
144 :
吾輩は名無しである:2005/12/20(火) 15:00:47
歌を唄う、楽器を奏でる、絵を描く、彫刻を彫る、物語を書く――人間のはて
しない想像力が生み出すこうした芸術活動が、多くの人たちに感動をもたらす
素晴らしいものである反面、たとえばひどい貧困で飢えている人や、重度の病
に犯されている人にとって、実質的には何の役にも立たない、という事実をま
のあたりにしたとき、いったい人は、なぜ芸術というものに惹かれてしまうこ
とがあるのか、人間と芸術とのあいだにどんな関係が成り立っているのか、と
いうことを考えずにはいられなくなる。食料を生産し、空腹を満たしてくれる
わけでもなく、また病気を治してくれるわけでもない芸術は、私たち人間が生
きていくという行為に対して、何ひとつ貢献することのない、言うなればあっ
てもなくてもいい程度のものでしかないように思える。だが、私たち人間の生
が、ただたんに自らの種の保存のために、生物学的な生の本能にしたがって生
きていくだけであるとするなら、私たちは他の動物たちと何ら変わりがない、
ということになる。それならば、私たちはなぜ意識を持ち、想像力をはたらか
せるという能力を授かったのだろうか。いや、もっと単純に言うなら、ただ食
べ、眠り、生殖して生きるだけの生に、いったい何の意味があるというのか。
145 :
吾輩は名無しである:2005/12/20(火) 15:01:32
私たちは学校に行くようになると、国語や算数といった教科のほかに、図工
や音楽といった授業も受けることになる。それらの授業は、生徒たちの学年が
あがり、そして否応なく高校受験、大学受験といったイベントに巻き込まれて
いくにつれて、一部の例外を除いて受験勉強の技術とは直接的に関係もないが
ゆえに、たんに内申書の点数以外の何の意味もないものと化していく。だが私
たちはそもそも、歌を唄うにしろ、絵を描くにしろ、自分の手で何かを作り出
すという行為にある種の楽しみがあることを、図工や音楽の時間を通じてはじ
めて意識したのではなかったか。人間だけが享受できる「創造」という行為―
―もし芸術が、人間がただの動物ではなく、笑い、泣き、怒り、そして何かに
深く心を打たれ、感動する心を有する「人間」でありつづけるために必要不可
欠なものであるとするなら、それは人間としての美質というよりも、むしろ私
たちが、まぎれもない人間であるがゆえに逃れられない病のようなものだと言
えないだろうか。なぜなら、そもそも私たちが生身の血肉をそなえた生物の一
種、偉大な自然を構成する一要素でしかない、というのは圧倒的な現実であり
、そうした現実から目を背けるようにして文明を築き、自然をねじふせるよう
に科学技術を発展させてきた人間の歴史は、一面ではたしかに偉大な歩みであ
るいっぽうで、ときにひどく滑稽なもののようにも見えるからである。
146 :
吾輩は名無しである:2005/12/20(火) 15:02:26
芸術家とは、その意味では植物と人間とを半分々々に継いで作ったような
何か異様な化けものめいた存在なのかもしれません。彼は人のなりをしてい
ながら、自分の意思に反してからだのあちこちから止処なく咲き出る花々を、
抑える術も知らずただ咲かせるに任せて激しく消耗してゆく奇矯な生きもの
なのでしょう。
天才であること、人として生まれ、有限な肉体を持つ卑小な存在でありなが
ら、ときに人であることを圧倒的に突き抜けてしまう天賦の才能によって、人
間らしいささやかな幸福のすべてを犠牲にせずにはいられない芸術家としての
生と死――本書『葬送』を通じて私たちが出会うことになるふたりの天才、音
楽家フレデリック・ショパンと画家ウージェーヌ・ドラクロワの生き様は、た
んに歴史上の人物をまぎれもないひとりの人間として活躍させるような歴史小説
とはあきらかに異なった趣きを漂わせている。そこにあるのは、一個の人間であ
ると同時に、芸術家という名の「化けもの」としての生という、言うなれば二重
の生を生きていかなければならない者たちの苦悩と不遇であり、そんな彼らが「
咲かせるに任せて」生み出す芸術の、底知れぬ美しさである。
147 :
吾輩は名無しである:2005/12/20(火) 15:03:40
人間としてのささやかな幸福がどういうものであるかということについて、人
それぞれだと言ってしまえばそれまでであるが、それはけっきょくのところ、愛
する者と一緒になり、平凡ではあるがみんなが健康で幸せな家庭を築く、という
ことに尽きるように思える。幼い頃から「モーツァルトの再来」と呼ばれ、ピア
ノの演奏とその作曲に関してたぐいまれなる才能を発揮し、パリの社交界におい
てもその才能によって成功を収めた天才音楽家ショパン――だが、いっけん誰も
がうらやむような華やかな人生をたどったように思える彼の姿を、本書では病弱
で、失われた故郷ポーランドに思いを馳せ、そしていかにも芸術家らしい繊細で
、複雑で、どこか子どものように無邪気で純粋なところのある人物として描き出
す。けっして誰かを愛さなかったわけではなかった。また、結婚して自分の家族
を持ちたいと願わなかったわけでもなかった。だが、作家ジョルジュ・サンドの
愛人として9年間も交際をつづけながら、けっきょくは彼女の娘の結婚問題を機
に、決定的な破局を迎えてしまうことになるショパンという人物は、常に社会的に
どのような位置づけをされることのない、しいて言うなら「芸術家」という肩書
きのみで語られる存在だと言える。
148 :
吾輩は名無しである:2005/12/20(火) 15:22:39
ブルジョワジーでもない、労働者でもない、そして貴族でもなく、夫でも父親
でさえもない微妙な位置にいるショパンに対する「芸術家」という肩書きは、本
書においてはけっして羨望の眼差しでもって語られるものではない。芸術家にな
るべくしてなったというより、むしろ芸術家にしかなり得なかった、あるいはな
ることを許されなかった、という雰囲気がある。それは、ショパンの親友のひと
りであり、自身もまた絵画における天賦の才で数多くの傑作を残したウージェー
ヌ・ドラクロワについても同じようなことが言える。彼の場合、そうした意識は
より論理的だ。画壇でははなはだ悪名高い異端児であることにいつも不満をいだ
き、二月革命のさいには先駆けて自身の絵を臨時政府に売り込むといった世俗的
な打算をはたらかせる一方で、常に自分のからだを食い破って出てこようとする
、けっして尽きることのない創作への意欲のために、ときに他人に対して冷たい
と思われる態度をとってしまう自分をもてあまし、苦悩する姿は、奇しくもジョ
ルジュ・サンドが「あの二人は、似た者同士で馬が合うのよ。」と語ったように
、同じ芸術家であるショパンの代弁者としての役割をはたしている。
彼がショパンを巡る人々の関係に見出だすのは、いわば愛情の不遇であった。
そのいずれもが極めて切実で、しかも互いにちぐはぐであった。――(中略)―
―それは彼がショパンの死の前後に経験した様々な出来事の場違いと――その調
子外れと、何処かで連絡を有しているように思われた。
149 :
吾輩は名無しである:2005/12/20(火) 16:19:58
自分がけっきょくは何者ともつながっていない、という孤立感――天才である
がゆえの不幸や孤高という言葉はよく使われるが、その苦悩をけっして嫌味では
なく、切実な生の苦悩としてここまで昇華させた作品も珍しい。この1200ページ
にもおよぶ長大な物語は、まさに芸術としての絵画を、芸術としての音楽を、そ
してそんな芸術に魅せられ、芸術をとおしてしか自分の存在を知らしめる方法を
知らなかった天才の生と死そのものを表現するためにこそ書かれたのではないだ
ろうか。ドラクロワが下院図書館の天井に描いた、22の作品によって「秩序と無
秩序の対立」を表現する壮大な、驚嘆すべき大作。滅多に公の場でピアノを演奏
することのないショパンが、実に6年ぶりに行なった演奏会における、繊細でか
つ毅然としたピアノの旋律。そしてショパンを容赦なくむしばんでいく結核が、
徐々に彼の命を奪って死にいたらしめていく様子の克明な描写――これらの、ど
れひとつをとっても生半可なことでは書けない主題を、ものの見事に読者の前に
提示してしまう平野啓一郎という「天才」の技量に、私はある戦慄すら覚える。
彼はいったい、何者なのか、と。
偉大なものは、嘗ては天から齎された。それが即ち人の営みに意味を齎してい
た。しかし、今は違う。偉大なものは、ただこの地上にしかない。そして、それ
を担い得るのは独り人のみである。その孤独に耐えて何事かを成し遂げるという
こと。それが即ちそのまま行為の意味になるということ。人間の偉大さへの尊敬
の念とは、この地上から発して天へと至る道に違いない。
150 :
吾輩は名無しである:2005/12/20(火) 16:21:15
神という唯一絶対の存在に疑問符が投げかけられ、それまで揺るぎないと
思われていた社会が、革命という野蛮な行為によって一夜にして覆されてし
まうという、19世紀のフランスという場は、あらゆる価値観が揺らぎ、人々
が生きることの意味そのものに疑問を抱きつつある現代の日本と、状況とし
ては似たものを感じる。芸術とは何か、芸術が人に何をもたらしてくれるのか、
という疑問――かつての「天才」たちによって、人が人であることを越えて生
み出されていった芸術が、人間に死をもたらす時の制約をも超えて現代にまで
受け継がれ、人々を感動させることができる、という事実にあらためて気づか
せてくれる本書は、あるいは芸術こそが私たち人間が最後に拠るべきものなの
ではないか、という訴えでもある。
この世に生を受けた人間の大半は、想像力を有する人間でありながら、その
想像力を「創造」にまで高めることもなく、他の動物のように食べて、寝て、
生殖して生き、そして死んでいく。だが、もしショパンやドラクロワのような
「天才」の存在が、彼らの生み出した芸術という「病」が、私たちが動物では
なく「人間」であることをあらためて思い知らせてくれるのであれば、ただそれ
だけでも、私たちは人として生まれたことを誇りに思うことができるのかもしれ
ない。その揺るぎない信念によって書かれたこの大作に、ぜひ一度は目を通して
もらいたい。(2003.05.05)
151 :
吾輩は名無しである:2005/12/22(木) 11:27:06
葬送を読み始めた。1部上がもう少しで終わるところ。最近雑務が多く
て気もそぞろ、という毎日なのではじめはあんまり集中できなかった。
1975年生まれの日本人がショパンや周囲の人間の心理を微に入り細に入
り描く、てことに違和感を感じたし。でも随所に出てくるドラクロワの
芸術論が面白いので(難解だけど)、のってきたところです。作家の取
材量が偲ばれます。本の感想は気恥ずかしいのでミクシに書くようにし
たのだけど、4巻もあるから当分読了しそうになく、ちょっと触れてみ
た。
152 :
吾輩は名無しである:2005/12/22(木) 11:45:42
おまえみんな語調が一緒だぞww
平野くんw
153 :
吾輩は名無しである:2005/12/22(木) 11:47:26
チラ裏にドゾ。ウゼーよ馬鹿。
154 :
吾輩は名無しである:2005/12/22(木) 11:50:27
あ
>>153は長文コピペ馬鹿にね。
マンズリは人目につかないところでしろよ。
155 :
吾輩は名無しである:2005/12/23(金) 13:32:32
恐るべき天才の技だな
156 :
吾輩は名無しである:2005/12/24(土) 08:19:21
再読。再読するのが大変な圧倒的な量なんだけど、それでもやっぱり面白い。
何故にこんなのを書いたんだろうかという疑問はさておき、ショパンやドラクロ
ワ、サンドらの存在がとにかく面白い。面白いというのもへんだけど、とにかく
1840年前後あたりの人間が文章から立ち現れ、苦悩しているその姿を見るとなん
だか今と変わらないなぁと思う。そして、ドラクロワが再三悩み考える「進歩」
について、現時点で考えるにつけてなんとも不思議な話だなぁと思う。
物語はショパンの死を辿るわけだけど、とにかくそれぞれの人物にそれぞれ
の物語があるんで飽かずに読めた。
平野啓一郎は、『新潮』12月号に「顔のない裸体たち」、『群像』12月号に「
『金閣寺』論」を書いているんで、読んでみようと思う。
158 :
吾輩は名無しである:2005/12/24(土) 12:00:28
ついでにショパンのピアノ曲集も買いたかったのにな.
なんでもいいからマズルカと,葬送行進曲を聴きたかったんだよね.
以前にも書いた平野啓一郎の“葬送”って本の影響です.
ようやく一通り読み終わり,なかなかの読み応えに感心しました.
しばらくは平野さんの本を追っかける予定です.
159 :
吾輩は名無しである:2005/12/24(土) 12:48:30
「群像」(2月号)に掌編小説「モノクロウムの街と四人の女」掲載。
>>157 ありがとう。今度こそ通るとうれしいよ。
161 :
吾輩は名無しである:2005/12/25(日) 17:27:10
「葬送」も結構読まれてるな
162 :
吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 15:31:35
平野の思想がちりばめられていて
それを読むのが気持ちいい
「葬送」全然うれてないよ
周りの人間でだれか買った奴いるのか?
高尚な生活してるんだねw
病院の中で
164 :
吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 18:45:02
かなり売れてますよ
売れると困るのかな?
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
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166 :
吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 19:51:06
史上最年少で芥川賞を受賞して、大きな注目を集めた平野啓一郎さん。そんな
世間の喧騒に距離を置くかのように、3年半の月日をかけて書き上げたのが、原
稿用紙にして2500枚という大作『葬送』でした。19世紀のパリを舞台に、ショ
パンと画家ドラクロワを描いた物語です。
「僕自身はすぐにピアノをやめてしまったけれど、小学生のころに姉が練習
していたのを聴いて、ショパンが好きになったんです。高校生になってからは
ショパンの伝記を読んで、彼がポーランドで生まれ育ちパリで活躍していたこ
とを知り、19世紀を生きたひとりの芸術家として関心を持つようになりました」
執筆にあたっては膨大な参考文献にあたり、登場人物の行動を把握するために
カレンダーのような一覧表を作ったとか。「それを見ながら、『そういえば最近
だれだれが…』と、ショパンとドラクロワの会話を展開していくわけです。史実
を調べていくと、みんな僕の予想とはまったく別の事を考えていたりする(笑)
。そこで『どうしてだろう』と、より深くものごとを考えることができました」
167 :
吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 19:57:00
原稿を書きながらショパンがどういう人物なのか悩んだときには、ショパン
コンクールの優勝者でもあるポリーニのCDをよく聴いたそうです。「ポリー
ニは自分の感情をストレートに表現するというよりは、抑制を効かせたクール
な演奏をするタイプですよね。彼の演奏を通して、ショパン自身の演奏はどう
だったのか想像していました」
格調高く文学的な作風で知られる平野さんですが、ご本人は知的でいながら
気さくな雰囲気。そんな平野さんが考えるショパンの魅力は、気取らないけれ
どノーブルなところとか。「あの上品さは彼独特の個性で、現代では失われて
しまったものだと思います」
168 :
吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 19:57:50
原稿を書きながらショパンがどういう人物なのか悩んだときには、ショパン
コンクールの優勝者でもあるポリーニのCDをよく聴いたそうです。「ポリー
ニは自分の感情をストレートに表現するというよりは、抑制を効かせたクール
な演奏をするタイプですよね。彼の演奏を通して、ショパン自身の演奏はどう
だったのか想像していました」
格調高く文学的な作風で知られる平野さんですが、ご本人は知的でいながら
気さくな雰囲気。そんな平野さんが考えるショパンの魅力は、気取らないけれ
どノーブルなところとか。「あの上品さは彼独特の個性で、現代では失われて
しまったものだと思います」
169 :
吾輩は名無しである:2005/12/26(月) 19:58:49
確かに、ショパンは真っ白な手袋をはめるなど貴族的な趣味を持ち、それで
いて物まねが上手で、ユーモアに富んだ一面も持っていました。『葬送』の中
にも、真剣な芸術談義やジョルジュ・サンドと彼女の娘ソランジュをめぐる複
雑な人間模様に混じって、ショパンとドラクロワが女性のお化粧に対する情熱
について冗談を言いあうシーンが出てきます。「ユーモアは、彼のサービス精
神のあらわれでしょう。〈子犬のワルツ〉にしても、なんともいえず上品で、
かすかな哀愁があるけれど、親しみやすいですよね」
平野さんはことし2月まで文化交流使としてパリに1年滞在し、帰国したば
かり。パリでは講演やフランス語会話のレッスン、コンビニがないので自炊
に挑戦するなど、充実した日々を送りました。マルタ・アルゲリッチと知り合
って、ショパン談義をする機会もあったとか! 「ポリーニやアルゲリッチは、
ショパンコンクールに優勝してから、いったん勉強に専念していたそうですよね
。音楽と文学の世界は全然違いますけれど、僕自身も賞をいただいたあとに長
い間ひきこもって『葬送』を書いていたんですよ。最後の10ヶ月は、1日13時
間ぐらい作業してました(笑)。今思えば、いい経験でしたね」
それにしても間近で見れば見るほど、まだ本当に若い平野さん。ショパンへ
の思いを熱く語ってくれる様子は、とても頼もしいものでした。
さあこれで平野うけとる金300万ぐらいじゃねーの?
新リア王ははげしく売れてるらしいが。。。
171 :
吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 12:16:58
「新リア王」は前の作品もそうだけど、平野の真似をしてるね
前作は文体が真似
今回は「葬送」のような哲学的独白
でもまったく板についてないから
植谷みたいないんちき者を持ち出して恥をかいてるね
172 :
吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 14:42:04
高村は無理してるね
平野みたいな宗教的、哲学的資質も無いのに
哲学談義は寒いよね
173 :
吾輩は名無しである:2005/12/28(水) 09:58:16
「葬送」は美しい
174 :
吾輩は名無しである:2005/12/28(水) 10:20:25
平野本人が美しくないだろ。w
175 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/29(木) 11:33:22
ここから何かが始まる、という感覚が好きだ。そう感じさせてくれる街が好き
だし、店が好きだし、本が好きだし、人が好きだ。最近、平野啓一郎という作
家の書いた本を読み始めたのだけれど、彼からは何か、心がざわざわとするム
ーブメントが起きる予感がする。
この間、久しぶりに大きな本屋に行って唖然とした。名前を聞いたこともない
作家の新刊ばかりがずらっと並んでいるのだ。しばらく本屋に通いつめていれ
ば、読んだことのない作家でも自然と名前だけはしっくりくるようになる。
あぁ、あれ書いた人ね、また新しいの出したんだ、と思えるので山のように積
まれた新刊を前にしても、あまりたじろがなくてすむのだ。
けれど今回はあまりにも知らない人だらけだった。しばらく来ていなかったと
言っても、一、二ヶ月程度のことだったので、少し途方に暮れながら、すごい
な、新しい人が次々と出てきて文学を活性化しているんだな、というのを肌で
感じた気がしていた。
でもよく考えてみると、これは‘文学の活性化’とは違うんじゃないか、と
思うようになった。出版業界はたしかに活性化しているのだと思う。小説が広
く受け入れられるという体制さえ整ってさえいれば、色々な人が色々な本を出
すという流れが発生するのは理にかなったことだ。その流れは速く、効率が良い。
じゃあ文学の活性化とは一体どのようなもので、どのようにして起こりえる
のか、という話になるわけだけれども(もちろん、僕の考える文学の活性化は
、ということです)、それにはまず言葉の定義をしなくてはならない。文学を
、小説の体裁をとるあらゆる芸術様式とし、活性化を、何かが停滞した状態か
ら大衆を巻き込む形で脱することとするならば、文学の活性化とは、現代性を
伴う新しい価値を持つ小説が生み出された結果として、その小説を追随するよ
うな形で一つのムーブメントが形成されることに他ならない、と思う。
176 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/29(木) 11:34:50
小説が今、大衆にいかに認知されているかというのは一概には言えない(人
それぞれ、です)。けれど小説を一つのエンターテイメントと認知することが
今の主流であるとするならば、この状況が形成された‘過程’は、まぎれもな
く一つのムーブメントであり、それは文学の活性化であったのだと僕は思う。
その引き金となったのは「世界の中心で愛を叫ぶ」であったのかもしれないし
、二人の若い芥川賞作家の誕生によるのかもしれない。理由は何であれ、活性
化は起こった。エンターテイメントという過去にない様式を身に纏った小説が広く行き渡るようになった。
けれど、その様式が一旦成立した後にも続く、数多くの新人作家による出版
物の刊行は、もはやムーブメント(文学の活性化)という能動的な態度によっ
て発せられたものではなく、エンターテイメントとしての小説という様式の持
つ不可避的な構造のために起こる受動的なもの(それはしばしば、怠惰を含む
)に僕には見えてきた。毎週毎週入れ替わるように積まれる新書の山が、そう
することによってしか成立し得ない、いわば市場の原理に乗っ取られたとてもむなしいものに思えてきたのだ。
僕は活性化を、何かが‘停滞した’状態から‘大衆を巻き込む’形で脱する
こと、と言った。今文学を取り巻いているエンターテイメント性というのは、
とてもとても流動的だ。それは物理的に、目がクラクラするような速さで動く。
だから僕達はじっとこらえて、目をそらすことなく、注意深く本質を見つめな
ければ、たぶんその停滞している様に気付くことさえできない。何かをごまか
すように動き続けている物体の、停滞している実態を暴かなくてはならない。
そうしないことには、きっと何も始まらない。何も創造できない。
177 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/29(木) 11:35:46
このSTUDIO VOICE, 1999 February には平野啓一郎の「小説の「現代性」
とは」というエッセイが載っている。気迫と、情熱のこもった文章だと思う。
今という時代と小説の関係性、小説の持ちうる力について発信している。書い
てあるのは、スケールの大きなことだ。でも不思議とそれは幻想のような非現
実さを感じさせない。むしろそれが真実であると感じさせてくれる文だ。「私
は、「我々の時代の無自覚な声」であることを断じて欲せない。」と平野さん
は言う。自信に満ち溢れた彼の文章は鼻につくこともある。けれど、それでも
信じようと思えずにはいられない、リーダーになりえる素質−ムーブメントを
引き起こす力−を彼の中に見られる気が僕にはするのです。
僕はムーブメントの、停滞した状態の変革の、立会人になりたい。だから
紹介する。ムーブメントは大衆を巻き込むことなしには起こりえないから。
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
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179 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/29(木) 15:52:40
激動するパリを舞台にショパンとドラクロワ、二人の天才を追う大作。
物語的には大味なんだけれども、気が遠くなりかけるたびに目覚しい比
喩で引き戻される。特に演奏会では美しすぎる描写に感嘆。この文章力は
本物。
>>178 きみ通報するよ
このSTUDIO VOICE, 1999 February には
平野啓一郎の「小説の『現代性』とは」というエッセイが載っている。
平野らしいクサさが満載のどうしようもない文章だと思う。
今という時代と小説の関係性、小説の持ちうる力について
いかにもドサクサ紛れに嘘ついてデビューした平野らしい捉え方をしている。
書い てあるのは、例によって誇大妄想的。それは徹底して現実から乖離し
ヲタクである作者だけが真実であると思い込もうとするさまが、如実にわかる文だ。
「私は『我々の時代の無自覚な声』であることを断じて欲せない。」と
珍妙な文体で語るが、当たり前だ、時代の無自覚な声でありうるはずがない。
そんなタマじゃないからだ。人前では自信を装って見せるしかない彼の文章は
常に鼻につき過ぎるので、よほど未熟な厨房しかひっかかるはずもない。
リーダーを気取ってみせればみせるほど、その虚しい中味が露呈される結果となる。
厨房だけは騙されて、自分の妄想を重ねてみようとするが、
始めから外側だけしかないこの張子の「虎の威を借りた狐=平野」は
大衆を巻き込むムーブメントを起こすどころか、たった一人たりとも
シンから惹きつけることはできない。皆が冷めた眼で、狐を哀れんでいる。
182 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/29(木) 17:14:49
>>181 クサさが
ドサクサ紛れに
ヲタク
珍妙な
そんなタマ
未熟な厨房
リーダーを気取って
シンから
みなさんこれが春樹ファンの文章です
平野に怯え、必死で否定しようとしている
現実逃避、思考停止の大馬鹿者の文章です
どうだい?
盗作疑惑 ブサイク疑惑 ホモ疑惑 何らかの宗教疑惑
こんなところです はじめて見た人は参考にしてください
184 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/30(金) 08:09:11
スレちがいだが、天才疑惑、神童疑惑
185 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/30(金) 14:32:49
存在の妙。空隙の妙。そして埋葬の妙。歓びとも悲しみとも、切なさとも儚さ
ともとれる(とれない?)それらに、僕はわけのわからない涙を何度か流した。
画家ドラクロワ、音楽家ショパン、小説家ジョルジュ・サンドの三人を中心とし
た物語を通して、生死、恋愛、家族、友情、芸術、知性、感性、情熱、打算、
矛盾などへ多角的にアプローチされた作品。独白と告白と立前と冗談とが巧み
に配置されることで、真偽を超えた捉えようのない心理が見事に描写されてお
り、一つの主題では括れない「複雑さそのもの」を力強く、かつ儚く表現した
逸品と言える。
ただし多少敷居が高いかもしれない。芸術論、音楽論、文学論のいずれも考え
たことがない人にとっては、きっと物語も心理描写も退屈だろう。そもそも物
語とか心理描写などといったキーワードで小説を読む習慣がある人には薦めら
れない。その点で楽しむなら漫画や劇の方が面白いだろうし。
なぜ芸術論、音楽論、文学論などに嗜んでおく必要があるのかというと、自分
と他の存在との間に存在する空隙と、その空隙を論理ではなく「かたち」で埋
めようとする所作(芸術、音楽、文学、言葉、表情)とに、敏感になっておく
必要があるからだ。
抽象的なことばっか言って申し訳ないのだけど、試しに自分で考えてみてほしい。
……自分がいる、自分が好きな人(もの)がいる、その人とは関係性を示す「糸」
で幾らでも繋ぐことができる。でもそれだけでは、その人に触れることはできない。
では手を伸ばそう。
186 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/30(金) 14:33:43
でも手だけでは届かない。じゃあ「かたち」をつくって間接的にでも触れよう。
言葉で、手紙で、表情で。そしていろんな「かたち」ができる。不器用だけど素
直な「かたち」。上手にできたけど自分らしくない「かたち」。反ってその人を
遠ざけてしまった「かたち」。できたはいいが、思ったほどではなかった味気な
い「かたち」。
そうしていく中でやがて気付くのだ。決して埋まらぬ「空隙」に。それでも断ち
たくない「糸」に。時に自分をつくり、時に自分を見失わせる「かたち」に。
その後に恐ろしい想像が待っている。愛すべきその「存在」がなくなったら?そ
もそも自分がなくなったら?「かたち」は、「糸」は、「空隙」は、一体どうな
るのか?あるいは元々なにもないところに、「存在」が生まれ、「空隙」が、「
糸」が、「かたち」が生まれたとすれば、それは素晴らしい想像へと転化する。
どちらなのか?どちらもなのか?虚しいのか?素晴らしいのか?
……以上を読んでみて、「言い表せない感情」に襲われた方は、ぜひこの「葬送」
という作品を読んでみてほしい。平野啓一郎さんの筆の力で、その「言い表せない
もの」にさらなる響きを与えてくれているから。もちろん、今敢えて言及しなかっ
た「埋葬」についても、内から外から自分の体を揺るがすはずだ。
響きといえば自分が流した涙は、感動の涙というより、ライブやコンサートの大音
響に圧倒されて滲み出るような涙に近かった。そして響きが収まった時に心底思っ
た。良い作品に出会えたなと。物事に対する自分の接し方が変わる、良い作品に。
187 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/31(土) 12:47:20
平野啓一郎『葬送』
これはすごいですよ。
ほんとに。ショパンしかりドラクロワしかり。いやー、すごい。
長いですけど。長いですけど、で考えたんですが、長ければいいかっていうと、
そういうことも言えないわけで、あの『葬送』が短編だったらどうだったのかと
考えた事がある。
長編が近年多くなったのは、商業ベースに載せるためらしく、短編では単行本に
ならないからね、ということで、長編ばっかりになってきてはいるんですが、結
局のところ、長い小説って研究しにくいじゃないですか?
読者は一回読んだらぽいって捨ててしまう。
でも、研究者は、ねちねちと読む。読んで論文なんかにしてくれる。そうする
と忘れられない。忘れられない作家がいいというわけではないが、忘れられて
しまうのは淋しい。僕だったらそんなことを考えてしまう。
188 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/01(日) 10:45:45
「葬送」を本気で読んで評論を書こうという、気概のアル評論家が
でてきたらいいね
それで「群像新人賞」送ってみな
189 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/01(日) 21:30:04
60.平野啓一郎「葬送」
やっと読了したのが8月末。2巻全1200頁余り。はっきりいって大作である。
今の日本の作家の中で、しかもこの若さで、これだけの大河的作品をものに出来る
のだから、まず平野啓一郎という作家は凄い才能をもっているものだ、と素直に感
心するのである。前作の「一月物語」、前々作の「日蝕」を読んだ感想では、とに
かく文章の切り口に輝きがあること。難解な旧字や漢字を多用するが、それ故に視
覚的な「美」を読み手に与えること。行間の魔術師。「日蝕」には見開き2頁にわた
っての空白があるが、それがイメージを強烈に喚起する。そしてその題材にとりあ
げるものは、一種のオカルトといおうか、幻想文学の世界に接近した独特の美学に
添うものであること。そういったイメージを持っていた。
それが、この長大な作品では、一転して実在したショパンと年長の親友ドラクロ
アのふたりを主人公に(でも読んだ感じではドラクロアの方に比重がかけられて
いるように思える)した一種の評伝であり、サンドとショパンの関係から考えれ
ば家庭小説とも受け取られる、一筋縄ではいかない仕掛けがてんこ盛りになった
巨大な文学作品なのだ。「日蝕」や「一月物語」の世界が平野の作品だと思った読者
からすれば途方にくれるものだろう。
まして、ショパンのピアノ曲作品に対する知識や教養、ドラクロアの絵画作品が
重要なモチーフとなっているとなれば、文学の世界しかしらない、あるいは文学
の世界にのみ安住したがる人たちからすれば、それらの記述が延々と連なるこの
作品など我慢が出来ないものだろう。
190 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/01(日) 21:30:52
しかし、音楽を趣味とするものにとって、平野が、例えばノクターンの描写を読
むとき、平野の審美眼の凄さに圧倒されざるを得ない。音楽評論家の一体誰が、
平野のようにこの曲の真相を聞き取れることが出来ただろう。
もとより文章の表現によって全てを語る作家には、文章のアマチュアである我
々が(ましてや感想だけを書き綴る僕らは「アマチュア」だ)勝てるわけがない。
だが、いくら文章技術のプロである作家であっても、音楽の捉え方が逆に皮相
で、「アマチュア以下」の人もいることは知っている。スタンダールのモーツァ
ルトに捧げた一文の妖しいまでの美しさと本質が、微に入り最に入りの、正に重
箱の隅をひっくり返すようなバルザックには感じられないのは紛れもない事実な
のだ。
いろいろな作品を読んでみて、音楽に対して抜群の教養を持っているといえばプ
ルーストとマンが双璧だが、ショパンの記述に関する限り平野の世界の高さは十
分彼らに匹敵するといっていいのではないだろうか。
そして、読んだそのあとに、ショパンのピアノ曲の楽譜を引っ張り出して、「弾
きたくなる」のだから(「聴きたくなる」のではなく)、全く悪魔的なまでに誘惑
を秘めた文章の力だ。
191 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/01(日) 21:32:20
絵画の世界では全くの素人である僕にとつて、ドラクロアは「民衆を率いる自由の
女神」、「サルダナパールの死」などの作品を書いた、そしてショパンとサンドの
肖像画を描いたひと、という意識しかなかったが、これを読みつつ、ブックオフ
に走って昔の美術全集の「アングル/ドラクロア」まで買ってしまった。
古典は絵画の破壊者、ロマン派絵画のリーダーといわれるが、この「葬送」の中
で、ドラクロアか゜誰よりもミケランジェロやレンブラントを愛してやまなかっ
たという記述に深く納得させられてしまったことを言い添えておく。
永遠に「在り続ける」芸術作品を遺したふたりの芸術家の創造の苦悩と生々し
い生活は、単なる伝記といての体裁を超えて、人間の存在の不可思議さと不条
理を見事に描写しているが、それは文学のジャンルにおける創造の厳しさを感
ずる作者の過酷な運命に対する宣戦布告なのかも知れない。
雑文ともいえる音楽評論家の文章ばかり読んでいる我々に対する警鐘として、是
非読んでもらいたい作品。
よく分かってるなこの人
192 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/02(月) 09:40:50
護酒 仁:芽衣くん、平野啓一郎の『葬送』は読んだことあるかね?
芽衣:いいえ、生憎ですが『葬送』はいまだ読んでおりません。平野啓一郎さんの
作品では『日蝕』と『一月物語』なら読んでみましたけど。
護酒 仁:ほう。で、その二作品を読んでみて、感想はどうだった?
芽衣:ど、どうと言われましても……わたくしにはあまりにも難解すぎまして……
ただ作者の平野啓一郎さんの著者近影の写真がかっこいいな、と……
護酒 仁:……すまないね。私はかっこよくなくて。
芽衣:い、いえ、そう言っているわけでは(冷汗)……そ、それよりも、ご主人さま
は『葬送』をお読みになられたのですか?いかがでございました?
護酒 仁:いかがと言われてもね。私にとってもやはり難解なのだよ。超大作だから
一言ではとても語り尽くせない。今回はね、『葬送』について斬新な切り口で迫っ
てみたいと思うのだよ。
193 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/02(月) 09:41:58
芽衣:どんな切り口でございますか?
護酒 仁:音楽家ショパンが主な主人公なのだが、もう
一人の主人公が画家のドラクロワなのだけどね。ドラクロワの家の使用人で、
ジェニー・ル・ギユーという女性が登場する。主要登場人物の中にも名前が
載っている。
芽衣:そのジェニーは重要人物なのですか?
護酒 仁:いいや。普通の使用人だよ。要はメイドだ。ドラクロワは結婚こそ
していないけれども、ジョセフィーヌ・ド・フォルジェ男爵夫人という長く付
き合っている愛人はいるという男なのだけれどもね。ジェニーはそんな天才画
家ドラクロワを心から敬愛して、身を粉にして誇りを持って尽くしている。時
にはドラクロワの愚痴の聞き役にもなる。ジェニーに芸術の心得は無いけれど
も、ドラクロワの語る小難しい芸術論もなるべく一生懸命理解しようと耳を傾
ける。
芽衣:それは……メイドとして素晴らしいことですね。
護酒 仁:そうなのだよ。この作品を読めば、「メイドさん萌え〜」という特
殊な楽しみ方もできるのだよ。とはいってもジェニーが出てくる場面はそう
多くはなく、「メイドさん萌え〜」だけで読もうとすれば、それ以外の難し
い芸術論などの描写で挫折することは間違いないのだけれどもね。
芽衣:ジェニーは魅力的なメイドなのですね。わたくしも見習わねば……
194 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/02(月) 09:43:00
護酒 仁:ジェニーのけなげな心理描写が巧みに描かれているからね。でも
本文中には、ジェニーが芽衣くんのようないかにも「メイドさん」といった
感じの服装をしているという描写は無い。あくまでも普通の使用人だ。しか
も、だ……
芽衣:しかも、何なのでしょうか?
護酒 仁:作品が描かれている数年の中では、ドラクロワの年齢は大体50
歳前後くらいだ。ジェニーはドラクロワよりは年下ではあるが、どう若く
見積もっても40歳は過ぎているのだよ。さすがに「萌え〜」な年齢ではな
いのだよ。
芽衣:……当時は今よりも平均寿命も短いでしょうし、40代と一口に言って
も、今の40代よりは当時の40代の方が老境に近かったのではないでしょうか?
護酒 仁:まさに芽衣くんの言うとおりだと思うよ。普通の文芸作品でイラス
トは付いていないから、読者が自由にジェニー像を心の中に想い描くことがで
きるのが、この作品の強みだね。
芽衣:年齢といえば、わたくしの年齢は非公表となっておりますね。
護酒 仁:そう。でも、18歳以上であることは確かだ。だから芽衣くんはいわ
ゆるロリ系のメイドではないのだよ。
芽衣:なっ、何故わたくしの年齢という、本人でさえ承知しておらぬことを
ご主人さまがご存知なのでしょうか?
護酒 仁:芽衣くんは分かっていないようだが、いちおう、児ポ禁の法律に抵
触しないような配慮だよ。18歳未満の児童に対して、あ〜んなことやこ〜んな
ことをするのは、色々規制がかかって来そうで危険だからね。君子危うきには
近寄らず、だ。
芽衣:……そ、そうだったのですが。。。わたくしは18歳以上という設定な
のですね……
195 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/02(月) 09:44:43
護酒 仁:児ポ禁は、下手をすればドラ○もんにおけるし○かちゃんの入浴シ
ーン
すら規制される可能性があるという恐ろしい法律なのだよ……。でも芽衣く
んは18
歳以上だから、過激なあ〜んなことやこ〜んなこともしてもお咎めを受ける
心配が
無く安心なのだよ!
芽衣:あっ、ご主人さまいけませんわ!だからといって本当にあ〜んなこと
やこ〜
んなことをされますと、わたくし……
護酒 仁:されると、わたくしは、どうなるのかね?ん?
芽衣:ああぁっ、困ってし、しまいますぅ。……あはぁぁっ!
196 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 00:05:38
久々に釣りでもしようと釣り道具をウェストバックに詰めて手持ちで
家を出たところ、途中「平野啓一郎」の『葬送』に夢中になって
なんと電車に忘れて置いて出てしまったのである。
チクショウ。実家から合流した弟にロッドだけはもってきてもらったものの。
197 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 00:07:59
おやおやどれだけレベルの低い話をはじめるんだ?
198 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 00:09:28
平野バカをからかうのはおもろいねっ
199 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 00:10:15
なぜこんなゴミのスレがあるのか不思議。
200 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 00:11:24
ヒラノは日本文学の恥だと断言した男がいた、なるほどその通りだ。
201 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 08:33:52
60.平野啓一郎「葬送」
やっと読了したのが8月末。2巻全1200頁余り。はっきりいって大作である。
今の日本の作家の中で、しかもこの若さで、これだけの大河的作品をものに出来る
のだから、まず平野啓一郎という作家は凄い才能をもっているものだ、と素直に感
心するのである。前作の「一月物語」、前々作の「日蝕」を読んだ感想では、とに
かく文章の切り口に輝きがあること。難解な旧字や漢字を多用するが、それ故に視
覚的な「美」を読み手に与えること。行間の魔術師。「日蝕」には見開き2頁にわた
っての空白があるが、それがイメージを強烈に喚起する。そしてその題材にとりあ
げるものは、一種のオカルトといおうか、幻想文学の世界に接近した独特の美学に
添うものであること。そういったイメージを持っていた。
それが、この長大な作品では、一転して実在したショパンと年長の親友ドラクロ
アのふたりを主人公に(でも読んだ感じではドラクロアの方に比重がかけられて
いるように思える)した一種の評伝であり、サンドとショパンの関係から考えれ
ば家庭小説とも受け取られる、一筋縄ではいかない仕掛けがてんこ盛りになった
巨大な文学作品なのだ。「日蝕」や「一月物語」の世界が平野の作品だと思った読者
からすれば途方にくれるものだろう。
まして、ショパンのピアノ曲作品に対する知識や教養、ドラクロアの絵画作品が
重要なモチーフとなっているとなれば、文学の世界しかしらない、あるいは文学
の世界にのみ安住したがる人たちからすれば、それらの記述が延々と連なるこの
作品など我慢が出来ないものだろう。
この人の評価は本物だね
心で認識することに成功している
202 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 10:13:52
なつかしいな。がんばってるんすかね
203 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 11:50:03
平野スレはコピペ厨の巣
204 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 22:35:26
音楽、美術をやってる人ほど、内容を正確に理解して
感嘆してるようだね
205 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/04(水) 13:30:44
確かに音楽を理解しない、理解したくない人間にとって
あの演奏会の描写は長すぎるとおもうかもしれないが
全てを受け入れて、その中に入ってしまうと
音楽の素晴らしささえ感じることが出来ると思うな
206 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/04(水) 19:11:39
ショパン本人がもっとも喜んだのも彼女とその家族からの見舞いだった。
彼には彼女の美しさは、単に彼女独りのものではなく失われた祖国の美しさそ
のもののように尊く感ぜられた。・・・
彼女とポーランド語で言葉を交わすときにだけ彼は心からの安らぎを感じた。
たとえ苦痛の最中にあっても、一言自らの口で発するポーランド語を聞き届け
てもらい、一言それに応ずるポーランド語を耳に触れさえすれば、まるで体中
に無数に突き刺さった棘をそっと引き抜き、その傷を優しく埋めてもらうよう
な悦びを感じた。長らくフランス語すら満足には話せぬ生活が続いていた為か
そしてまた、死の不安が一層彼を孤独にさせ、望郷の念を激しく掻き立ててい
たためか、彼は母国語というものの神秘をこれまでよりもずっと強く感ずるよ
うになっていた。自分の発するひとつらなりの音の組み合わせの中に、自分の
心のもっとも深い秘密を発見する人間がいる。それは何という奇跡であろうか!
207 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/04(水) 19:17:05
ショパン本人がもっとも喜んだのも彼女とその家族からの見舞いだった。
彼には彼女の美しさは、単に彼女独りのものではなく失われた祖国の美しさそ
のもののように尊く感ぜられた。・・・
彼女とポーランド語で言葉を交わすときにだけ彼は心からの安らぎを感じた。
たとえ苦痛の最中にあっても、一言自らの口で発するポーランド語を聞き届け
てもらい、一言それに応ずるポーランド語を耳に触れさえすれば、まるで体中
に無数に突き刺さった棘をそっと引き抜き、その傷を優しく埋めてもらうよう
な悦びを感じた。長らくフランス語すら満足には話せぬ生活が続いていた為か
そしてまた、死の不安が一層彼を孤独にさせ、望郷の念を激しく掻き立ててい
たためか、彼は母国語というものの神秘をこれまでよりもずっと強く感ずるよ
うになっていた。自分の発するひとつらなりの音の組み合わせの中に、自分の
心のもっとも深い秘密を発見する人間がいる。それは何という奇跡であろうか!
いいんじゃないですかそれが。
だってそうでしょ?
テロリストが内在する社会に居ても、小学生の女の子が何の気なしにキレて同級生殺しても
ショパンとドラクロアの友愛を妄想して感傷に浸れれば。
新潮社もウハウハだし、もう誰もが心底
大満足なんじゃないですか?
何を隠そうこんな僕も、既に葬送なんちゃってw
というのはwhite lieで実はもう10回以上
あんな読み難い昔の貴族のダサいエリート意識満載文体みたいな
この素晴らしい作品は積ん読しています。本屋の棚に。
阿呆が
210 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/04(水) 22:50:50
永かった、ようやく一部読み終わり。
画家のドラクロワ、
そしてピアノの詩人・ショパンとジョルジュ・サンドの話。
サンド夫人とショパンの関わる一連のお家騒動は、
昼ドラのノリだった気がする。
典型的な昼ドラですよ、みんながみんな自分のことでてんやわんや。
被害妄想の凄まじさで話はこんがらがっていくのですね。
ドラクロワの方は、芸術に関する思想がいっぱい。
圧倒的なってのはこのことだろう。
綴られる膨大な量の論議は一回じゃ理解できたとは思えないけれど。
「我々は皆何らかの埋葬を執り行いつつあるのだ」
葬送っていう題名にはこのことも含まれているのだろうか。
とりあえず、第二部を。
211 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/05(木) 12:58:46
うん含まれてるよ
何度も読めばよむほど
深い感動を味わえるよ
212 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:
写真の左の楽譜はショパンのノクターンOp.15-2。ひそかに狙っている曲 (と
いうのはいいとして〜♪)。この曲には♯が7つついていて、嬰ヘ長調だという。
ファのシャープで音階が始まる。けれども右の楽譜をみてほしい。これはハノ
ンのスケールで♭が6つついていて、変ト長調だという。ソのフラットで音階
が始まる。ファの#とソの♭。これって同じじゃん。なのに2つに分かれている。
この謎に気づいたのはショパンとドラクロワの伝記を書いた平野啓一郎氏の
「葬送」という本の「舟歌」の解説から。この本、なかなか読み進まないのだ
けど第二部(上)のショパンのコンサートの模様の描写が圧巻。曲の解説も素敵
。そこに嬰ヘ長調「舟歌」と書かれているのを発見して変だと思ったのだ。舟
歌にしろノクターンしろショパンは変ト長調にせず、嬰ヘ長調にしている。臨
時記号の数が増えて面倒くさくなるはずなのに。ショパンは「変」よりも「嬰
」の方が好きだったのだろうか?
謎の分かる方いらっしゃったら教えてください。