私大の裏口入学は合法か?違法か?
違法であるとすれば、
裏口卒業はどうか?合法か?違法か?
裏口とはどういうことか?
秘密裡じゃなく公然とやれば裏口じゃないと言えるのか?
↑誤爆すまん
「劇文学の時代」だって?
そんなの来るわけないじゃん。小説の時代が永久に続くよ。
そうかなあ。
あと、テネシー・ウィリアムズとか↑
映画と文学の両方に興味あるくせにレーゼシナリオ書かない人 = ムッシュ愚鈍!?
(↑もちろん、いい意味で)
映画と文学の両方に興味あるくせにレーゼシナリオ書かない人 = ムッシュ愚鈍!?(←もちろん、いい意味で)
”小説とは、「資本=ネーション=国家」の文学
レーゼシナリオは、アソシエーショニズムの文学”なんて道端で叫んでる人が
いたから、「おかしなことを言うな!」と叱ってやりました。
吉本隆明
「言語にとって美とはなにか」構成論
劇文学の項
劇的言語面は物語的言語面からの上昇・・・うんぬん
ボルヘスのような小説は自分のほうが巧く書けるとか
吉本隆明のような詩はあまりにもどんどん書けちゃうんで怖くなってやめた
とか言ってる人が、
文学と映画に長年にわたって深く関わってるのに
シナリオ書かないなんていう事があったとしたら、それは
いい意味での愚鈍さに恵まれたから!?wwwwwwwwwwwwww
それとも倒錯者の戦略!?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
アイダホ州立大学のブライアン・ノーマン助教授が
ジェームス・ボールドウィンが書いたマルコムXについてのレーゼシナリオについて
論じてるって本当?
ボールドウィンといったら黒人作家としては有名らしい
英語版ウィキペディアでは
マーロン・ブランドとツーショット写真が載ってた。
東京外語大の先生が、レーゼシナリオについて論文書き
アメリカの州立大学の先生が、”closet screenplay"(←こういう語を使っているが
レーゼシナリオと同じ意味だろう。
レーゼドラマは英語ではクロゼット・プレイというからね)について小論書く。
もはや、レーゼシナリオは、
胡散臭い怪しげな物ではなくれっきとした「文学」!?
日本の国立大とアメリカの州立大が・・・
アイダホって言ったら、アイダホポテトと
映画「マイプライベートアイダホ」くらいしか思い浮かばんけど
カウチポテト時代の文芸がレーゼシナリオなんだから
それも悪くないwwwwwwww
カウチポテトって日本じゃ死語だけど、英語圏では、
もうちょっと定着してるらしい。
日本に定着しなかったのは
カウチを置いて寝そべれるほど広くない住宅事情のせいか?
oddとかbastardとか、悪く言われてるようにもwwww
>>355
しかし、レーゼドラマ=closet playというのが既にあるんだから
映画が普及した時代にはレーゼシナリオ=closet screenplayというのがある、
というのは
発想としてはそんなに突飛でもないと思うんだけど
odd(変な)、とか、bastard(ここでは、雑種とか私生児っていう意味だろうな)
っていう風に、文学やってるアメリカ人さえそう思うのか?
One Day, When I Was Lost: A Scenario Based on Alex Haley's The Autobiography of Malcolm X
ボールドウィンの「クロゼット・スクリーンプレイ」のタイトルと副題
ニグロフォビアのスタイルも、もしや、これから影響を得てるのでは?
awkwardnessとかclunkinessとか、無様とか不恰好みたいな言葉が続くな
One Day When I Was Lost
発表されたのは1973か。
今は、どうだか知らんけど
やっぱ、世間の常識的には古いモン勝ちというところがあって
演劇>劇映画>テレビドラマ
だったろう。
劇映画の脚本しか書いてない人が、劇作家を名乗ることはできなかった。
向田邦子なんかテレビドラマしか書いてないから、
脚本家を名乗ることも出来ずに「放送作家」だって
世間の常識というか
康夫ちゃん言うところの政財官報複合体的な常識的には、だろ?
大衆的には不等号は逆。
ディックのスクリーンプレイ・ユービックがそうだし
筒井のシナリオ大魔神もそうらしいけど、
映画化を念頭に書いて頓挫したから結果的にレーゼシナリオとして出版された
って感じだろ?>One Day When I Was Lost
マルコム暗殺の後に、黒人言論人のホープだったボールドウィンに
ハリウッドから脚本依頼があって、不承不承引き受けて、
けっきょくアーノルド・パールによって手直しされることになり
(これが、スパイク・リーのマルコムXの元になった)
後からユービックみたいな感じで出版されたんじゃないの?
しかし、もし、これがニグロフォビアのスタイルに影響を与えたんなら
前向きに見ることもできる。
ダリウスも黒人のライターなんだから、ボールドウィンは知ってるだろう
長部日出雄ね。
集英社から出てるんか
集英社と言えば、ここのカタカナ語辞典「日本語になった外国語辞典」にも
「レーゼシナリオ」という語は収録されてたな。
有名なところでは、あとは三省堂と旺文社だっけな
あと、もう絶版らしいが、
角川の、あらかわそおべえ編著のカタカナ語辞典にもあったような
古事記とか、神社仏閣板のスレへのリンクとか、なんか神々しくなってきたなw
北川冬彦がうんぬん
吉本隆明の「言語にとって美とはなにか」構成論
詩的言語面から物語的言語面、物語的言語面から劇的言語面への上昇などと
書かれてたけど、
たとえば、人間をパソコンに喩えると
文学とはOSで
それがヴァージョンアップしていくのが、
詩から物語、物語から劇っていうことか?
すると、前近代=詩=MS−DOS
近代=小説=WINDOWS-XP
ポストモダン=劇文学=VISTA
なんちゃって!
アンチ・スレが立つようになったとしたら、たいしたもんだ
>>396 直リンの意味、間違って憶えてるな。
hを消すのは直リンとは言わないんだよ
直リンの意味、間違って憶えてるな。
hを消すのは直リン自粛とは言わないんだよ
やっぱり言うか?
400ゲット?
普通、あるサイトの(本で言えば表紙にあたる)トップページ以外の、
具体的な内容(画像など)のあるページにリンクするのが、直リン。
2ちゃん内で他のスレにリンクするのは違うだろう。
レーゼシナリオって言葉自体が、北川冬彦らのシナリオ文学運動あたりから
出てきたんじゃないか?
404 :
吾輩は名無しである:2007/04/29(日) 16:22:20
レーゼシナリオって言葉はシナリオ文学運動から出てきたとみるのが
妥当か?
バックシャンみたいな英独合成語で「旧制中学、高校」っぽい語感だもんな
405 :
吾輩は名無しである:2007/04/29(日) 16:41:03
あげるな、コルア!
あげるな、コルア!
407 :
吾輩は名無しである:
すまん