1 :
私とはひとりの他者である :
2005/04/22(金) 19:28:48 なぜきみは「吾輩は名無しである」なのか? 匿名には何があるんだ? そしてコテハンはなぜ名前を名乗るのか? HNに何を託してるのか?
2 :
吾輩は名無しである :2005/04/22(金) 19:30:01
で、それを考えてどうすんの?
3 :
☆ :2005/04/22(金) 19:35:14
1を考えることは現代的かつ文学的なテーマになるだろう☆ 署名とは何か? 人称とは何か? 作者とは何か? 自己とは何か?
4 :
吾輩は名無しではない :2005/04/22(金) 19:38:41
コテハンとは自己同一性にしがみついた人間である。 そして名無しとは個性を求めない同調主義者である。
5 :
吾輩はコテハンではない :2005/04/22(金) 19:43:51
2ちゃんねるなどで自己主張なんてばからしい、という意見があるだろう。 2ちゃんねるだから自己主張できるんだ、という意見もあるだろう。
「吾輩は名無しである」という名前は 名前になるのか名無しになるのか それが問題だ。
7 :
吾輩は名無しである :2005/04/22(金) 20:15:44
文学というより、哲学寄りなテーマかと
8 :
吾輩は名無しである :2005/04/22(金) 21:18:01
ある時はコテ。 ある時は名無し。 そーゆーのはダメなの?
いまだとプロバイダのログと2chのログを付き合わせれば 個人の識別(登録情報だけだけど)は出来るだろうから、 犯罪がらみで個人の特定情報はつくれるわけだ。それで十分だろ。 2chのいいところは発言のみが本質的で、それが非常にクールだ。ナイスデザイン。 文板に美香さん(^^;)というコテがいるけれど、男か女か分からないし、 他のコテを使ったり、名無しでもきっと書いてるだろう。自演もかなりあるだろう。 別にそれでもいいじゃない。 とういか、それが許されるのは2chが誇っていい長所ですらあると思う。 万葉集(アララギはまんにょうしゅうと読むそうだな)の読み人しらずと同じだ。 システムに手を入れる場合、安定稼動しているということの貴重さを忘れるな。 短絡的なデザインの変更が改悪につながらないようにしないと、巨大化したシステム では致命傷になりかねない、というのは老婆心かな?
10 :
わたしは誰でしょう? :2005/04/22(金) 22:00:56
>8 それってステキ。
11 :
吾輩は名無しである :2005/04/22(金) 22:04:37
>>9 >万葉集の読み人しらずと同じだ。
いや、それは違うだろ。
それに意味不明の箇所が多すぎる。書き直し。
12 :
吾輩は名無しである :2005/04/22(金) 22:08:27
美香とか文学王とかイクシオンとかグルとかズンとかムー大陸とかフジツボ なんかはどんな意見なんだ?
13 :
吾輩は名無しである :2005/04/22(金) 22:09:16
14 :
文学大魔王 ◆QnGB4X8cVA :2005/04/22(金) 23:49:42
たぶん、そういう質問に対して
15 :
文学温泉芸者 ◆6pSvoUjS5M :2005/04/22(金) 23:50:46
一番的確で、かつ
16 :
文学津軽海峡 ◆q2uLob6cao :2005/04/22(金) 23:51:26
独創的な見解を持っているのは
17 :
陥没痴態 ◆yJFWKlsdr2 :2005/04/22(金) 23:52:17
ころにゃんだと思われる。
19 :
陥没痴態 ◆yJFWKlsdr2 :2005/04/23(土) 00:04:12
>>18 ちがうよw
しかし、コテが常に名無しや他のコテでの「ジエン疑惑」に晒される、
ということは象徴的な出来事ではないか。
結局、コテであれ、名無しであれ、この場所では、常に自己同一性に対する
神経症的な詮索の対象とされるのである。
20 :
吾輩は名無しである :2005/04/23(土) 00:11:39
自己同一性っていうのは 間違ってないか?
2ちゃんねるヘビーユーザーは 他人も自分と同じくらいロム&カキコしてると 無意識のうちに思ってしまうから そこで被害妄想的自演疑惑が脳裏をよぎったりするんだろーな。
22 :
文学津軽海峡 ◆q2uLob6cao :2005/04/23(土) 00:17:29
ごく単純な事実から出発すれば、名無しだろうとコテだろうと、 ある一つのレスにおける自己同一性はひとまず保証されている。 もちろん、今私が書き込んでいる最中に、背後から何者かが忍び寄り、 私を殺すなり、昏倒させるなり、篭絡するなりして、レスの途中から 人格が入れ替わってしまう、ということもないわけではない。 しかし、様様な妄想の見本市である文学板においても、こういう指摘は 見たことがない。 つまり、一見不条理な妄想も、ある一定のルールには従っているのである。
23 :
文学温泉芸者 ◆6pSvoUjS5M :2005/04/23(土) 00:19:09
>>20 あくまで「他者」から見た自己同一性と解していただければと。
24 :
文学大魔王 ◆QnGB4X8cVA :2005/04/23(土) 00:23:56
あと、あれば面白いなーと思うのは、 「お前は私だろう」型の妄想なのだが、まあ現実は小説よりつまらないので、 こういうのは見たことがない。 もっとも一般的な妄想は、 「これもお前だろう」 であって 「これはお前じゃないだろう」 ではない。 これはどういうjことなのか。
アイデンティティが見えないと不安になるのが世間ってものさ。
「僕って何?」なら文学になるが、 「お前は私だろう」だと病気だろうな。
27 :
吾輩は名無しである :2005/04/23(土) 00:27:56
>>23 わかりました。
他者から見た自分という存在(勿論主観を含んだ)という意味ですね?
28 :
吾輩は名無しである :2005/04/23(土) 00:36:04
>>24 お前は俺ではないって言うことかな。
現実には。
29 :
陥没痴態 ◆yJFWKlsdr2 :2005/04/23(土) 00:41:34
>>27 というより、単純にパーソナリティーとした方がいいのかも知れない。
極論すれば、こうした匿名掲示板において、いわゆる「自我」だの
「自己」だのといった要素が本質的な問題を提起することはありえない。
コテだろうが、名無しだろうが、それは常に「他人から見られた」存在でしかない。
レスという「原子化=ユニット化」された自我、というものが、あくまで抽象的な
存在でしかないことは明かである。
ここでのアイデンティティは、だからあくまで加算の対象である。
つまり「これもお前だろう」なのだ。
30 :
吾輩は名無しである :2005/04/23(土) 00:51:02
>>27 単純なパーソナリティを日本語でいうとなんですか?
と、ここまでテキトーに書きこんできましたが、 別にこっから先何か考えてるわけではありません。 つーかネタがつきました。 誰か続きを考えてください。 トリップ使っていいよ♪ 陥没痴態#くもろね 文学温泉芸者#にからぐ 文学大魔王#のめめみ 文学津軽海峡#のへへみ
32 :
吾輩は名無しである :2005/04/23(土) 00:59:02
文学板って… そんな所なのか… こんな終焉はじめて見た…
33 :
吾輩は名無しである :2005/04/23(土) 01:27:56
なんだよ! ゴゴゴゴのムーちゃんか! ズンちゃんとキャラかぶってないかい?
34 :
吾輩は名無しである :2005/04/23(土) 02:00:36
固定を長くやっている人の文体はそれぞれ特徴がある その文体を固定とは違う人がうまく真似て、名無しでレスをつける すると、 「あ〜、オマエは○○(固定の名)だろ?」とレスがつく こういうのって、どうなんだろ…?
36 :
吾輩は名無しである :2005/04/23(土) 15:21:49
まあ文学に親しんでいる者ならば 虚構や演技については一般人以上に長けてるだろう。 だから書き手は文体を変えることもできるわけだ。 一方読み手のほうだが、こっちには推理や懐疑の能力がある。 だから「オマエ○○だろ?」式のカキコがある、というわけでは実はない。 「オマエ○○だろ?」式のカキコの多くはDQNの妄想だ。 作家スレッドでその作家がカキコしてるんじゃないか、という類の。
なるほど… よく見られるのですが「自演乙」というものがあります。 名無しが固定のコメントに同意してレスつけただけなのに、 固定がいかにも自作自演しているかのような。 これもやはりDQNの妄想なのでしょうか?
38 :
文学王 :2005/04/23(土) 20:11:18
>>37 一般論でいえば、DQN的妄想が多いんじゃないかな。
余もあるスレで他の名無しさんに対して
「文学王乙」という書き込みをしているのを見かけたことがあるし、
おそらく嫉妬や羨望から「自演」だという中傷を受けたことがある。
まあそういうレスを見るとクスクス笑わせてもらっているんだが。
39 :
文学王 :2005/04/23(土) 20:19:43
またコテと名無しを使い分けることに関してだけれども このこと自体は「自演」とはいえない。 この板では自分が書いたレスに自分で答えることが 「自演」と呼ばれているきらいがあるが、 本来の「自演」とはもっと幅広い意味を持っている。 自演とは「自分の脚本や演出によって本人が舞台に出演すること」であり、 たとえば余のように、「文学王」というキャラクターを創出して 自分の脚本や演出によってそれを演じているという意味でなら 余もまた「自演」しているわけで。
40 :
文学王 :2005/04/23(土) 20:25:39
名無しを選ぶ理由 @はずかしやさんである Aめんどくさい B匿名性のコミュニティ、もしくは「明かしえぬ共同体」を求めている C粘着されると困る D自分に自信がない Eこんな場所でアイデンティティを求めてない F物陰からコテを挑発したい Gよくカキコしているのがわかってしまうのが嫌
41 :
文学王 :2005/04/23(土) 20:27:01
コテを選ぶ理由 @目立ちたがり屋である Aマメである=サービス精神がある Bオリジナリティを求めている C粘着されるのが快感 D自信過剰である Eこういう場所でアイデンティティを求めている F目立つ場所から名無しを挑発したい G役者心がある
42 :
754 :2005/04/23(土) 20:33:40
文学王さん こんにちは。わたしは37 です。 某スレでは、ありがとうございました。 >自演とは「自分の脚本や演出によって本人が舞台に出演すること」であり なるほど。「自演」を揶揄されている方もおいでですが、 そのコメントが面白いものならば、歓迎したいですね。 キャラクターを演じるのは、楽しそうですね。 演劇に関しましては明るくないのですが、自分とはまったく違った役柄を 演じる時の高揚感はどのようなものなのか、興味はあります…
文学王さん 名前、間違えました。ごめんなさい。 37=42です
44 :
文学王 :2005/04/23(土) 21:41:03
>>42-43 Cucさん、ぼんにゅい。
>キャラクターを演じるのは、楽しそうですね。
いや、実はそうでもない。
こういうBBSでは「キャラでも作ってないとやってられない」
ということがあるわけで、「高揚感」とはほど遠く。
とはいいながら、それでもこうして書き込んだりしてるのは
まあ愉しみもあるってことかな。
45 :
文学女王様 ◆dZINejonPI :2005/04/23(土) 21:47:51
ヲーホホホホホホホホホホホホッ
>>44 私の靴でもお舐めっ
46 :
文学噛ませ犬 ◆Se8QkAHL2o :2005/04/23(土) 21:49:12
>>44 そうなのですか。。。
確かにおかしな煽りはありますから大変ですよね。
「明かしえぬ共同体」って、ブランショのですか?
図書館で借りて読んだのですが、わたしの読解能力ではかなり
難しかったです。(返却したので、手元にはもうありません)
うろおぼえなのですが、
「他者から否定されることによってこそ、私の存在は成り立つ」
というような趣旨が書いてあったような…
(解釈が間違っていたら、すみません。。。)
これは、同調されることはその他大勢に紛れ込んでしまうことになりますが、
「否定」はそうではなく、他者との明確な差異を現しているということでしょうか。
追記
それと、某スレでカキコした長文の引用への労い、感謝します。
48 :
文学王 :2005/04/23(土) 22:26:15
>>47 あの引用はCucさんでしたか。お疲れ様でした。
で、「明かしえぬ共同体」を拾い上げるところ、恐るべしです。
やはり私の目に狂いはなかった。
このナンシー、バタイユ、デュラスを参照した「明かしえぬ共同体」について
ここで即興的に責任ある応答はできないし、かなり困難です。
共同体の≪不可能性≫がテーマになったこのテクストについて語ること自体が
語ることの≪不可能性≫を道連れにしてるから。
確か「語りえないことについては沈黙しなければならない」という
某哲学者の言葉も最後の方で引用されてたと思いますが。
>>48 いえ、わたしは、実はそんなたいしたことではないのですよ…
「明かしえぬ共同体」は、わたしが時折行く板がありまして、
そこのスレに大変博識で読書家の方がおいでなのです。
その方が薦めていらしたので、興味を持って読んでみたのです。
そこの板では、わたしは初心者以前の素人なので、あまり書き込めるスレがありません。
ほとんどROMしているだけなのです。。。
ちなみに、今手元にあるのが「論考」と「方法序説」です。
これはわたしの読解力では及ばぬものなので、これに関する入門書の解説書を
買いました。
あ、バタイユにつきましては、その板のスレに最近何回かカキコしてます。
たんなる感想文程度なのですが…
50 :
文学王 :2005/04/24(日) 01:52:24
>>49 そういう謙虚さの演技はわたしには通じませんよ。
あるいは、本当に自分をそう過小評価してるとしても
(つまり目標を高い位置に置いているわけです)
この板のなかではCucさんは博識ですよ。
それはともかく、ウィトゲンシュタインは
「語りえないことについては沈黙しなければならない」
という有名な言葉で『論考』をしめくくったわけですが、
ブランショは『明かしえぬ共同体』の最後の方で引用し、
それを逆説的解釈によって展開していたと思います。
≪語りえぬもの=不可能なもの≫を暗示するために
我々は語り続けなければならないのだ、
というニュアンスで記述していたと記憶。
そのへんの≪不可能性≫についてバタイユだとどうです?
51 :
陥没痴態 ◆yJFWKlsdr2 :2005/04/24(日) 20:11:27
テスト
>>50 そのように言っていただけて、ありがとうございます。
ただ、ご期待に添えるかどうか、早くも不安が……(少し緊張気味)
(深呼吸をして)わたしが語り得ることのみについて、語らせていただきますね。
「空の青み」「死者」「太陽肛門」「C神父」の四編を読みました。
(ちなみに、「C神父」、牛の眼球を抉り出し女性の身体の一部に入れる場面が
むごたらしくてそこで挫折したまま、図書館に返却しました)
>≪語りえぬもの=不可能なもの≫を暗示するために
>我々は語り続けなければならないのだ、
>そのへんの≪不可能性≫についてバタイユだとどうです?
バタイユの作品には「眼」がよく出てきます。動物の眼球、また卵を眼球に
なぞらえたり、あるいは太陽を「眼」であると見なしています。
動物の眼球や卵を女性性器に入れることで、「眼」を穢す行為に快楽を求め、
卑猥な喜びを感じています。
ではいったいこの「眼」とはいかなるものなのでしょう?
なぜ、そんなにしてまで穢されなければならないのでしょう。
(つづきます)
わたしは「眼」とは「神の眼」、すなわち「神のまなざし」であると思いました。 神聖にして侵してはならない、人を律し支配する絶対的な超越者、神です。 眼球に象徴された「神」を穢すことによって、彼は神への反逆を語りました。 ≪語りえぬもの=不可能なもの≫とは「神」であり、「神」を直接描くことは困難で あります。なぜなら、わたしたちは未だかつて誰も「神」を見たものはいない のですから。誰も明確には言及できないのではないでしょうか。 それならば、「神」はどのように描けばいいのでしょう。 「光を描きたいのなら闇を描くべきだ、そこで初めて光は際立つ」とはカトリック作家の 遠藤周作氏の言葉ですが、バタイユにも同じことが言えるのではないでしょうか。 バタイユが生涯にわたって否定した「神」の存在、彼が好んで描いた猥褻なもの、 良識を穢す行為、悪徳の限りを尽くしたありとあらゆる禁忌を破る行為、これらは 実は彼が神に深くとらわれていたことの証ではないでしょうか。 神などどうでもいいと思っている人たちは、あえて否定したり穢したりはしません。 関心がないからです。人は無関心なものには実に冷淡ですね。 バタイユは語りえない神を、繰り返し登場させる眼球=神のまなざしとして象徴し、 穢すことで語り得たのではないでしょうか。 (つづきます)
余談ですが、四編のなかでわたしが一番好きなのは「太陽肛門」です。 短い作品ですが詩的な表現が大変美しく、また、エロティックです。 男女の性行為の場面は一度もでてきません。神がつくり給うた自然界の被造物の 描写のみに留まっています。 ――雲は波を誘惑し、海の潮の満ち引きが、生命を生み出す原初的な律動、 つまり性行為の運動が始まる、太陽は真下の行為を見ている―― ――植物の根が地中に深く伸びる、あるいは、芽が天を指して伸びる、 種の繁栄のための男性性器はまさにそれだ―― うろおぼえですが、このような描写がありました。 雲は女性、そして波は男性、太陽は神の眼。つまり女性は男性を誘惑し、結果、 神のまなざしのもとに生命を生み出す性行為が営まれるということでしょう。 このような比喩に驚きました。男女の行為を直截的な言葉で表現したものよりも 雲や波や潮の満ち引きの暗示するもののほうが、詩的な表現と相まってはるかに エロティックに感じられ、想像力が掻き立てられました。 生が育まれる瞬間にも、エロスが営まれるときも、また、死の間際にも 神のまなざしから逃れることはできないのでしょう……。 以上、感想でした。(小説のみの感想です。関連書は未読ですので誤読、お許しを)
>>52-54 Cucさん。素晴らしいレスをどうもありがとう。
「文学王」というマスクをちょっと脱いで見ました。
バタイユに関して思いつくままに乱暴に書いてみますね。
といってもそれほど多く読んでるわけじゃありませんよ。
バタイユの作品における「眼」「卵」「太陽」といった球体群、
そして「神=超越者」については同感です。
(ブランショにも『至高者』というロマンがあり、接点もあるでしょう)
バタイユにおいて「神への反逆」と見えるものが、
>実は彼が神に深くとらわれていたことの証ではないでしょうか。
というのはその通りで、
禁忌と侵犯によらなければ、「神」という≪語りえぬもの≫を
語ろうとすることができないからでしょう。
(『眼球譚』『マダム・エドワルダ』『空の青み』など)
This is continued from 55 バタイユにとって≪エロス≫とは死に至るまで生を讃えることで、 人と人との間にある溝(不連続性)を埋めようとするものが、 死に結びついた祝祭的エロスの「瞬間」とされてますね。 それはまた宗教的体験とも重なる「内的体験」なのですが、 その「瞬間」はあくまでも閃光としてほのめかされるのであって 実際には不連続性は連続性に置き換えられることはない。 そこにはやはり≪語りえぬもの=不可能なもの≫があるのでしょう。 (『エロスの涙』『エロティシズム』など) ですから >バタイユは語りえない神を、繰り返し登場させる眼球=神のまなざしとして象徴し、 >穢すことで語り得たのではないでしょうか。 という部分には留保がいるのではないでしょうか。 バタイユは「語り得た」のではなく、 やはり、語りえずにほのめかすことしかできなかった、 のではないでしょうか。
This is continued from 56 >――雲は波を誘惑し、海の潮の満ち引きが、生命を生み出す原初的な律動、 >つまり性行為の運動が始まる、太陽は真下の行為を見ている―― >雲や波や潮の満ち引きの暗示するもののほうが、詩的な表現と相まってはるかに >エロティックに感じられ、想像力が掻き立てられました。 性行為というミクロレベルと潮の満ち引きというマクロレベルの融合は面白いですね。 「潮の満ち引き」を「性行為」に絡めるのは確かマンディアルグにもありました。 とりあえず今日はこれで(久々に考えながらレスしました)。
58 :
舞踏会へ向かう三人の名無し :2005/04/25(月) 00:44:31
やれやれ
59 :
吾輩は名無しである :2005/04/25(月) 23:20:39
引用以外で 自分という存在を というか 自分のことばで語れないのか?
名前を見てみろ。 目立ちたがり屋だ。 内容を見てみろ。 ナルシストの塊だ。 そっとしておいてやるがいい。
いちいち納得はできるが、自己顕示の発露にしか思えない。 ↑のレスに同意。 いわゆる どっかで読んだことある話だ
元の題名は「舞踏会へ向かう三人の農夫」ね by リチャード・パワーズ
63 :
文学温泉芸者 ◆6pSvoUjS5M :2005/04/26(火) 12:30:18
はっ?
>>58-63 「 」(黙殺)
汝らはナルシスの神話の深さを知らないんだろうな。
>>55-57 SXY ◆uyLlZvjSXY (文学王)さん
いえ、こちらこそ、大変丁寧なレスありがとうございます。
バタイユの作品、とてもたくさん読まれていらっしゃるのですね!
>バタイユにとって≪エロス≫とは死に至るまで生を讃えることで、
>人と人との間にある溝(不連続性)を埋めようとするものが、
>死に結びついた祝祭的エロスの「瞬間」とされてますね。
そうですね、バタイユの作品には、交歓(交接)しながら相手を殺す描写が出てきますね。
究極のエロスとは、死ぎりぎりのところに訪れるものなのかもしれません。
快楽は反復されることで感覚が磨耗していきますから。
死は後戻りできないものであり、そこで味わうエロスとは深淵に立たされたものだけに
与えられた至福の快楽ですね。繰り返しはききません。一回限りのものです。
恐怖と甘美と陶酔と苦痛が一体となって訪れる究極の瞬間です。
河野多恵子氏の『みいら採り猟奇譚』を思い出しました。
日頃夫から殺すほど首を絞めてほしいと懇願され続けた妻は、とうとう最後に決行します。
これはまさに、「死に結びついた祝祭的エロス」と言えましょうね。
(但し、河野氏にはバタイユのように神の概念は存在しません…)
(つづきます)
>その「瞬間」はあくまでも閃光としてほのめかされるのであって >バタイユは「語り得た」のではなく >やはり、語りえずにほのめかすことしかできなかった、 実に鋭いご指摘です。 確かに「語り得た」ではなく「語ろうとした・語ろうと試みた」のほうが適切ですね。 ――小説(文学)とは問題提起をするだけでいいんですよ。書き手が結論や答えを 饒舌に語ってはならないんですね。あとは読み手に任せればいいんです―― 芥川賞作家で、現在は一線を退いて大学で創作指導をしておいでの笠原淳氏が、 文芸誌(だったと思います…)で語っていた言葉がふいに過ぎりました。 笠原氏の提唱するように問題提起するに留める、ほのめかし、暗示するだけでいいとすれば、 バタイユは見事に成功していると言えますね。 語りすぎないこと、読み手を信じること、作家の創作上における節度の問題でしょうか。 わたしたちは、ほのめかされたことが何であるか、それぞれが「自由」に考えるでしょう。 それこそが、書き手の最も望むことなのかもしれません。 それでは。
お茶でも淹れようか
>>65-66 バタイユは名前を挙げたものくらいしか読んでないんですよ。
あとは文学評論を少しばかり。
Cucさんが読んでる「C神父」は買ってあるんですが、
河野多恵子『みいら採り猟奇譚』と同じく積読で。
>恐怖と甘美と陶酔と苦痛が一体となって訪れる究極の瞬間
とCucさんが的確に書いているように、
バタイユは結局そうした「瞬間」の「体験」を特権化してたわけで
哲学や言葉を「体験」ほどには信用していなかった。
――言葉なんかで《語りえぬもの》を語れるわけがねーだろ
という認識をテクストの端々で感じてしまうわけです。
(一方では、言葉だけが「瞬間」を明示できる、という表現もありますが)
だから彼は、エロス、死、恍惚、過剰、極限について理性的に書きながらも
自分の書いている手が、自分の書いた言葉が、死につつあるものだと悟っていた。
そのあたりがバタイユの文章から体感できるのが個人的には面白く。
>>68 のつづき
>わたしたちは、ほのめかされたことが何であるか、それぞれが「自由」に考えるでしょう。
>それこそが、書き手の最も望むことなのかもしれません。
バタイユの作品からは特にそういうニュアンスを感じますね。
だから、ある意味でバタイユをそれほど忠実に読む必要はないかもしれない。
バタイユにおける、死や神という《語りえぬもの=謎》を語ろうとする試みは、
「謎」を安易に語ってしまうことではまったく正反対のものですね。
「謎」の前で言葉がその言葉自らを超え出てしまうようなところまで
とことん語り尽くそうとするような果敢な侵犯行為だから。
しかしながら、バタイユには《語りえぬもの=謎》を神秘化してしまうような面もあり、
なかなか捉えにくいところがあります。
70 :
吾輩は名無しである :2005/05/01(日) 10:28:27
連続投稿規制で書き込めない。以上ショートスタンバイでした♪
>>68-69 SXY ◆uyLlZvjSXY さん
文学評論を読んでいらっしゃるのですね!
わたしは評論は一度も読んだことがないのですよ…。
>哲学や言葉を「体験」ほどには信用していなかった。
>――言葉なんかで《語りえぬもの》を語れるわけがねーだろ
確かに言葉ですべての体験や感情を的確に表現するのは、不可能ですね。
バタイユの《語りえぬもの》からは、遠く離れたものになりますが、卑近な例で
例えば「悲しみ」という体験。親しい人が亡くなったとき、悲しいという言葉はあまりにも
薄っぺらで軽いものに思えてしまうのではないでしょうか?
その瞬間の、身を切られるような想い、息をするのもやっとなほどの締めつけられるような
胸の苦しさ……、いえ、実際はこんな比喩では及ばぬほど壮絶な痛みでしょう。
それはまさに《語りえぬもの》ではないでしょうか。
では、《語りえぬもの》を語ることは無意味なのでしょうか?
わたしはそうは思わないのですね。やはり語りつづけていかなければならないのです。
「悲しみ」を直接描くことは不可能であっても、悲しみに暮れている人なら描けるのです。
そして、今申し上げた「悲しみ」という表現、これは誰かが語ることによって第三者は自分の
現したかった感情がどのようなものだったのか、知り得るのですね。
そして、自分の気持ちを代弁してくれる表現に出逢ったとき、人は共感するのです。
ああ、このように感じているのは自分だけではないのだな、同じような人が他にも
確かにいるのだな、と。
そこに生まれるのは、連帯です。
連帯は《語りえぬもの》が、それでも尚、語られているからこそ生まれるのですね。
(つづきます)
>だから彼は、エロス、死、恍惚、過剰、極限について理性的に書きながらも >自分の書いている手が、自分の書いた言葉が、死につつあるものだと悟っていた。 書いた言葉が死につつある、この表現にとても興味を抱きました。 それは、言葉にした瞬間、実際に「体験」したこととはほど遠く隔たってしまった、 正確に表現し得ていないという、不満、苛立ち、後悔、畏れからくるものなのでしょうか? 至高の瞬間の体験を何よりも尊んでいたバタイユにとって、それは自分だけのものであり、 安易に語ってはならぬもの、語り得るものなどではない、いや、語り得ないからこそ瞬間の 煌きは永遠なのだ、と暗黙のうちに抗議したかったのかもしれません。 ――永遠の一瞬――、それはまさに言葉にはできないもの、現せないものであり、 直かにこころに刻まれるからこそ、輝き続けるものなのでしょう。 けれども、時の流れというものは、鮮烈な至高体験でさえ残酷な風化作用をもたらします。 ですから、たとえ書かれた瞬間から言葉が死につつあるものであっても、やはり、この瞬間の 感動を書き留めておきたい、少なくともわたしは、そう思うのですね。 また、語りえぬもの=表現できぬものとするならば、文学を始め哲学や芸術や音楽が 今日も存在するのはなぜでしょう? そこにあるのは創作者や思想家たちのもっとも 根源的な叫び、「伝えたい」という真摯な情熱に尽きるのではないでしょうか。 (つづきます)
>バタイユにおける、死や神という《語りえぬもの=謎》を語ろうとする試みは、 >「謎」を安易に語ってしまうことではまったく正反対のものですね。 そうですね、彼の小説は、何だかわからない得体の知れない《語りえぬもの=謎》 を「語る」のではなく、「感じさせる」ものであり、わたしたちはその正体が何であるか、 結局最後まで知らされることなく、正体不明の水先案内人に導かれて読み手が 旅をしていくものではないでしょうか。 >「謎」の前で言葉がその言葉自らを超え出てしまうようなところまで >とことん語り尽くそうとするような果敢な侵犯行為だから。 まさしく、「命がけの飛躍」です。 「謎」を前にして怯んでしまいそうになります。読み手の能力、読解力、想像力を試される わけですから。ただ、小説はひとたび作者の手から離れたなら、一人歩きするものであり、 読み手のものなのだそうです。ですから、譲り渡された以上はどのような稚拙な読み方、 侵犯行為でも、許されるのではないか、と。(プロの評論家の場合は別でしょうが…) また、先ほども申し上げましたが、《語りえぬもの=謎》を誰かが先鞭を切って語ることで、 それを踏み台にして賛否両論の意見が「語られる」のです。語りえぬままで誰もが沈黙 していたら、そこからは何も生まれませんし、展開も望めないのではないでしょうか。 (つづきます)
>しかしながら、バタイユには《語りえぬもの=謎》を神秘化してしまうような面もあり、
>なかなか捉えにくいところがあります。
バタイユは内的体験、それも至高体験を何よりも重要視していたとすれば、
では、この至高体験とはどのようなものなのでしょう?
文字通りにとるならば、至高体験とは宗教的体験に近いものではないでしょうか。
つまり、人を超えたものの存在=神からくるものではないでしょうか。神は畏怖だけでなく
歓喜をももたらす存在であると、わたしは考えます。神を拒否しているにも拘わらず、神の
まなざしを強く内在しているから、禁忌を侵す瞬間は最上の法悦がもたらされるのですね。
ですから、至高体験を語ろうとするならば、神を念頭におかなければならないと思うのです。
けれども、バタイユは神に対しては否定的な立場をとりますから、どうしても認めたくはない、
畢竟、口数が少なくなる、口を閉ざしてしまわざるを得なくなります。
結果、読み手であるわたしたちにはそれが《語りえぬもの=謎》神秘として残ります。
(追記)
>「潮の満ち引き」を「性行為」に絡めるのは確かマンディアルグにもありました。(
>>57 )
マンディアルグの『満潮』読み終えたところです!(この作家、初めて知りました)
月光と満潮のもとで交わされる恋人たちのエロスが幽玄な美しい文体で綴られていますね。
あと、『海の百合』も借りてきました。
――それでは。 (長文、失礼しました)
>>71-74 バタイユの文学評論は『文学と悪』『詩と聖性』を読みましたが、
クロソウスキー『かくも不吉な欲望』同様に興味深いものでした。
(ブランショ、バタイユ、クロソウスキーは一時期平行して読んでました)
しかし、Cucさんはいつものことながら、
よく消化された誰もがわかりやすい言葉で書いてくれると共に
わたしの言葉を補ってくれますね。感嘆しています。
(承前) >では、《語りえぬもの》を語ることは無意味なのでしょうか? >わたしはそうは思わないのですね。やはり語りつづけていかなければならないのです。 まさしくその通りでしょう。 《語りえぬもの》は、それを何とか語ろうとする我々の欲望を その不可能性ゆえに掻き立てる、といえるかもしれません。 すぐに暴かれてしまう謎ならばそれほど興味はわかないでしょう。 共感、連帯についても同感で、特に付け加える言葉はないのですが、 ブランショの 《明かしえぬ共同体》という言葉もここで無縁ではないのでしょう。 ブランショにはまた「友愛」という美しいバタイユ論もあります。
(承前) >書いた言葉が死につつある、この表現にとても興味を抱きました。 「書いた手が死につつある」というのは、『エロティシズム』所収の 「マダム・エドワルダ序文」に確かあったと記憶しています。 >至高体験を語ろうとするならば、神を念頭におかなければならないと思うのです。 「命がけの飛躍」により《永遠の一瞬》を捉えようとする宗教的な体験。 (ここでキルケゴールを想起したりもしてしてしまうのですが) バタイユにとって神の概念とは、「あらゆる意味で神自身の凌駕」であり、 「神」という言葉ではとうてい定義され尽くせない存在者なのですから、 我々が普通に思い浮かべる一般的な「神」の概念とは異なるのでしょう。〆
78 :
吾輩は名無しである :2005/05/02(月) 17:40:41
SXYさんってムー大陸の人と同じじゃないよね?
ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 =文学噛ませ犬 ◆Se8QkAHL2o ただの厨房 SXY ◆uyLlZvjSXY は別人
>>75-77 SXY ◆uyLlZvjSXYさん
ありがとうございます。
わたしは、日頃使い慣れていない言葉を使おうとすると、指がなかなか動きません…。
どうしてもその言葉を使わざるを得ないときは、とても緊張します。。。
SXYさんは、本当に多くの文学評論を読まれておいでなのですね! 憧憬のまなざし…!
クロソウスキー、今回、初めて目にする名前です!
>ブランショの 《明かしえぬ共同体》という言葉もここで無縁ではないのでしょう。
>ブランショにはまた「友愛」という美しいバタイユ論もあります。
《明かしえぬ共同体》、「友愛」、ともに似つかわしく美しい言葉ですね。
実は、「共感」、「連帯」の他に、「絆」、「同士」という言葉も初稿には書いてあったのです。
けれども、自身の思い込みの激しさに気づき(革命の地下組織の同盟を連想)、送信直前に
急いで削除した次第なのです…。
>「書いた手が死につつある」というのは、『エロティシズム』所収の
>「マダム・エドワルダ序文」に確かあったと記憶しています。
――だが、やがてある一日、僕の手が僕から遠く離れ、書けと命じれば、およそ僕の心に
ない言葉を書き記す、というようなことになるのかもしれない――(リルケ『マルテの手記』)
バタイユの手は死につつあり、リルケの手は身体から切り離されて「嘘」を記し始めます。
ここに見られるのは、手に託された「言葉」への想い、前者は「死」であるとし、後者は「偽り」で
あるとする、両者の見解でしょうか。
(つづきます)
>(ここでキルケゴールを想起したりもしてしてしまうのですが) 以前、古書店で買い求め、現在わたしの手元にある筑摩書房の「キルケゴール」 (『誘惑者の日記』、『おそれとおののき』、『反復』、『死にいたる病』収録)のうち読んだのは 『誘惑者の日記』のみです。レギーネとの破談のなりゆきがどうしても知りたくて、 他は読まず仕舞いのままでした。(好奇心ゆえの不謹慎な読み方ですよね…、反省) 彼は上辺だけのキリスト者たちに我慢ならなかったらしく、痛烈に批判していますね。 と言っても演説口調で滔々と声高に叫ぶのではなく、沈鬱な表情で訴えるという風情です。 彼は全生涯をキリスト教の信仰に捧げて生きた人でした。 >バタイユにとって神の概念とは、「あらゆる意味で神自身の凌駕」であり、 >「神」という言葉ではとうてい定義され尽くせない存在者なのですから、 >我々が普通に思い浮かべる一般的な「神」の概念とは異なるのでしょう。 …そうですね、例えばキルケゴールの信仰する「キリスト教の神」とバタイユにとっての「神」は 異なりますね。「超・神なるもの」とでも言いますか、特定の宗派に属さない、従って教典もない、 神を超えた神、のような存在でしょうか。 バタイユの作品を読んで思うことは、神を意識してはいるのだろうけれども聖書や聖人たちの 引用が出てこない、ということでした。『ツァラトゥストラ』で神の死を叫んだニーチェでさえ、 新約聖書の「イエスは言われた」という言葉を「ツァラトゥストラはこう言った」と捩っています。 また、山上での説教など、模倣している箇所がたくさんあります。 (ニーチェの著作で読んだのは『ツァラトゥストラ』のみ、それも斜め読みした罰当たりな記憶が…) (つづきます)
また、無神論者たちはしばしば聖書の語句を引用しては揶揄したり、罵倒するのですが、 バタイユには見られません。(小説のみについてです、評論は未読です) ですから、これらを踏まえるならば、バタイユの神はご指摘されましたように、 「あらゆる意味で神自身の凌駕」なのかもしれませんね。 そして、また、「とうてい定義され尽くせない存在者」であるがゆえに、神秘的な存在です。 ここで少し息抜きに、ほほ笑ましい「神さま談義」を。 ――「天上へなんか行かなくたっていいじゃないか。ぼくたちここで天上よりももっといいとこを こさえなけぁいけないって僕の先生が言ったよ」 ――「だっておっ母さんも行ってらっしゃるし、それに神さまがおっしゃるんだわ」 ――「そんな神さまうその神さまだい」 ――「あなたの神さまうその神さまよ」(略) ――「あなたの神さまってどんな神さまですか」青年は笑いながら言いました。 ――「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしに、ほんとうのたった一人の 神さまです」 ――「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です」 ――「ああ、そんなんでなしに、たったひとりのほんとうのほんとうの神さまです」 ――「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神さまの前に、 わたくしたちとお会いになることを祈ります」青年はつつましく両手を組みました。 わたしの大好きな、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』からの抜粋です。 バタイユの「神」が如何なるものなのか、容易には知り得ませんが「本当のたった一人の神」は 実は、彼が生涯かけて秘密裡のうちに守りたかったものなのかもしれません……。 それでは。
83 :
吾輩は名無しである :2005/05/03(火) 01:36:32
美香QNW、起きているか?大丈夫か?頑張れ! さあここでふんばってネクストステージ♪
すんません…うざいな。 読んでる側としては。 一定以上の水準が必要ですか?文板ってそうなの? 違うだろ。解りやすくして理解度がはかれるってもんだろ? どんだけの人間がついていけてると思ってるんだ?そのくせスレ違いは余所へ逝けだ? ばか。 ふざけるな。評論気取るなら平易な言葉で勝負しろ。 バタイユはその好例だと思うぞ。
>>84 バタイユというよりバタイユを語る自分が好き、というよくあるパターン。
居酒屋でこれをやると尊敬されるかウザがられるかのどちらかで、もちろん、
決定権は自分になんかない。その意味で、確かに「神秘的な存在」ではあります。
バタイユって、酒のさかなに語れるような文筆家じゃないよな
2ちゃんで語れる文筆家ではあるのか?
88 :
SXY ◆uyLlZvjSXY :2005/05/05(木) 17:55:43
>>78 そのムー大陸って人のことはよく知らないんだよ。
>>79 代弁ありがとう。
>>84 「解りやすくして理解度がはかれる」ってのはその通り。
表現しにくいことを平易に語るってのは、かなり難しい。
しかし、84氏にとって「難しい言葉」だと感じられるものが
他の人間にとってもそうだとは限らない。
たとえば
>>80-82 はわたしにとってこれ以上ないほど平明。
>>80-82 リルケの名前をCucさんは出されましたが、
リルケはブランショにとってバタイユに次ぐほど重要な名前だと思います。
(カフカやマラルメほどではないにしても、ヴァレリーやカミュに並ぶほど)
>身体から切り離されて「嘘」を記し始めます
という『マルテの手記』より引用された言葉からもわかりますが、
《書くこと》《言葉》に対するマルテ=リルケのこだわりを
おそらくブランショは重視しているのでしょう。
『ツァラトゥストラ』はCucさんが言われるとおり聖書のパロディですね。
ニーチェはバタイユにとって(クロソウスキーにとっても)特別な存在ですが、
《神》という概念を徹底して拒否したニーチェとは異なり
バタイユは、「あらゆる意味で神自身の凌駕」という留保をつけたとしても
《神》という言葉を使い続けたのはどうしてだろうと思うのです。
彼は最も無神論者的な信仰者なのか?という問いの形で。
『銀河鉄道の夜』より引用された「本当のたった一人の神」、 これはとても平易な挿話ながら難しいですねぇ。 ブランショ『私についてこなかった男』を最近読みました。 これもまたとても平易な言葉で書かれてるともいえるんですが かなり難しい作品で、読めるのに読めない。。。 この作品のなかで下記の言葉がバタイユに近いものだと思ったので引用します。 ――その至高の瞬間に向けて、私は断固として降りていかねばならないのであって、 そして、もしも私がその瞬間を想像する事ができるとしたら、それはただ、 情熱の力のすべてと、情熱の激昂によってその瞬間を欲望するということをおいて 他にはありえないだろう――(P180) 〆
スレの皆さま 先ず不快な思いをさせた方には、お詫びいたします。 どうか、今後も書き続けることをご容赦いただければと思います。
>>89-90 SXY ◆uyLlZvjSXYさん
マラルメ、ヴァレリー、わたしが未読のフランスの詩人の名前が二人、出てきました!
今回も、図書館へ行く楽しみがまたひとつ増えました。
>バタイユは、「あらゆる意味で神自身の凌駕」という留保をつけたとしても
>《神》という言葉を使い続けたのはどうしてだろうと思うのです。
バタイユは《神》の存在よりも、《神》の「言葉」として書かれたものを信じていなかった
のではないか、と思いました。SXYさんがすでに指摘されてますように、
>「書いた手が死につつある」、>哲学や言葉を「体験」ほどには信用していなかった。
ということを踏まえてみれば書かれた「言葉」への不信、失望は明らかです。
神について書かれたものがどんなに真実に見えても、ひとたび人間の手によって記された
以上、言葉が「死んだもの」であることを誰より知っていたのはバタイユ自身なのですから。
――だがもちろん言い表しえぬものは存在する。それは「示される」。それは神秘である。
――(『論考』6.522より)
ですから、もし彼が仮に《神》の存在を認めていたとしたら、それは《語りえる神》ではなく、
神秘体験を《示す神》ではないでしょうか。
また、バタイユがこだわり続けた、恍惚、陶酔といった「至高体験」についてなのですが、
繰り返しになりますが、「啓示」――人の力では知り得ないことを神が教え示すこと――
そのものなのではないかと、わたしは思うのですね。ここで言う《神》はもちろん、通常の概念での
《神》ではありません。彼は神の存在を肯定できないけれども「啓示」という、
神秘なもの=語りえぬもの、については認めざるを得なかったのではないでしょうか。
(つづきます)
――ゴーギャンは結局ああいう神秘なものを、ただ神秘なままで、それに恍惚となりながら 写してみせただけです――(福永武彦「風土」より抜粋) 福永氏の言うように、バタイユも啓示を受けて体験したことを、神秘的なものの意味や 解明など求めずにただ「写して」みせただけなのかもしれません……。 >――その至高の瞬間に向けて、私は断固として降りていかねばならないのであって、 >そして、もしも私がその瞬間を想像する事ができるとしたら、それはただ、 >情熱の力のすべてと、情熱の激昂によってその瞬間を欲望するということをおいて >他にはありえないだろう――(P180) 実に深い言葉ですね…。未読なのであまり大きなことは言えないのですが、素朴な疑問が。。。 バタイユが渾身の力を込めて「至高の瞬間」を「情熱の激昂によってその瞬間を欲望」したと しても、人間の想像力や意志の力だけではどうにも及ばぬものがあるのではないでしょうか。 そこに限界を見るのですね。 なぜなら、至高体験とは欲しても必ずしも得られるものではなく、無垢のうちに「与えられる」 ものだから。それも、啓示によって。。。(無論、欲しなければ与えられないのは事実ですが…) わたしはそこに神の恩寵を見るのですね。 神を信じようと信じまいと、また、その体験がある種の眉をひそませるものであろうとも、 神は与え給うのです。悪人にも善人にも等しく日を照らし雨を降らせ給う神、なればこそ。 (つづきます)
コリン・ウィルソンの『至高体験―自己実現のための心理』を以前、読みました。 人間が生まれながらに持っている自己実現の達成欲求が実現した瞬間の興奮を、 体験者のいろいろな例を示しながら語っています。 読後感としては、心理学的な解説はわからなくはないのですが、その興奮状態、すなわち 至高体験が訪れる経緯の説明だけでは、今ひとつ納得がいかなかったことを覚えています。 そこに、なにものかがプラスαされるのではないか、それは人智を超えたところから来るのでは ないか? メカニズムだけでは語りえない何かが「在る」のではないか…? 別にわたしは、神秘主義者ではありませんが、優れた文学や思想、芸術作品や音楽などに 触れていると、創作者の才能や力量は無論認めますし、信じますが、選ばれし人にミューズが 舞い降りてきて彼らを導いたのではないか? などとひとり勝手な想像に耽ってしまうことがよく あるのですね。それはそれで、この上なく楽しいひとときなのですが。(空想暴走、妄想炸裂…) ――私にとっての真理であるような真理を、私がそれのために生きることを願い、そしてそれのため に死にたいと思うような理念を見いだすことが必要なのだ――(1835年のキルケゴールの日記より) バタイユが希求した「真理」とは、(死とエロスによって導かれる)「至高」であると思われますが、 至高を聖域としたバタイユならば、ミューズやエロスの神に遭遇した回数はかなり多いのでは ないでしょうか。いえ、それらの神をはるかに超えた、壮大で壮麗な彼のみが知り得た最高位の 「存在者」と彼は至高のさなかに遭遇していたのかもしれません。ですから、 >彼は最も無神論者的な信仰者なのか? という問いに対しては、やはり彼には語りえぬ《神》がひそかに在ったのではないかと、 わたしは思うのですね……。 それでは。
95 :
吾輩は名無しである :2005/05/09(月) 18:21:49
◆Fafd1c3Cuc氏は読書家だなあ
96 :
吾輩は名無しである :2005/05/09(月) 19:18:41
自演乙
>>95 無条件に同意。
>>96 「自演」については
>>39 でレスを入れてあるので
そこでの定義を踏まえてレスしておくれ。
>>92-94 名前を出したマラルメとヴァレリーについてですが、
ブランショの評論で名前が出てくるのを目にしただけで、
詩人自体は大して読んではいないんですよ〜。
Cucさんはカフカ、カミュは読んでるんですか。
カフカは日記や手紙以外の大半の小説は読みました。
>もし彼が仮に《神》の存在を認めていたとしたら、
>それは《語りえる神》ではなく、 神秘体験を《示す神》ではないでしょうか。
そうですね。
《語りえない神》は確かに示されることしかできず、「啓示」しかされない。
一方、バタイユ(そして我々も)は《語りえないもの》を語ろうとする。
恍惚・神秘・過剰・陶酔という「至高体験」として。
語りえないものについては沈黙しなければならない、けれども、
語りえないがゆえに語ろうとする欲望がかきたてられるのか、それとも、
語りえないものを語ろうとする不可能なことを試みるのは
そこに《語りえないもの》があるということを「示す」ためなのか、
そんなことを考えているのです。
(承前) カフカ「掟の門」の主人公は門前で待ち続けます。 その門の中に何があるのかはわからない。 門の中に入れるのかどうかもわからない。 待つことに意味があるのかどうかもわからない。 それでも彼は待ちますが、それはあたかも、 「門」の存在を示すというただそれだけを目的としてるかのように。 >「情熱の激昂によってその瞬間を欲望」したと しても、 >人間の想像力や意志の力だけではどうにも及ばぬものがあるのではないでしょうか。 よくわかります。 まだうまく言語化できず漠然とした曖昧なことしか言えませんが、 キルケゴールとカフカの間に差異があるとすれば(飛躍と彷徨)、 それはバタイユとブランショの間の差異にもつながるのではないか(侵犯と待機)、 というようなことを考えたり(多くの共通点があるにもかかわらず)。。。
(追記) 『私についてこなかった男』の訳者解説に書いてあったのですが、 この本はリルケの影響が濃厚とのことで、『マルテの手記』を読み返そうかな、 と思ってるところです(ほとんど忘却の彼方だったので)。 それにしても、Cucさんは古今東西の本を広く読まれてますね。 いつも具体的に言及してもらってるのでかなり参考になります。 〆
それで、君たち固定ハンドルが何故、異性に全然モテないのかを少し教えてあげよう。 たとえば、このスレは 『なぜきみは「吾輩は名無しである」なのか?』 というタイトルになっているのに、その趣旨に沿った話をしようとする微塵の気配 も見えない、そうした他者性に対する感度の悪さである。それでスレとは関係のない 話を自慰的にナルシスティックで長文で何度も自動症のように反復させる。 そうした人間はたぶんリアル世界では異性とのやり取りなどで「あればの話」、 いかにウザがられやすいタイプか、このスレを3分で斜め読みした自分には、 面白いほど分かる。 それで、文学板のコテハンはリアル世界では性的・人間的な魅力のある人とは 評価してくれる人は誰もいないと思うから、固定ハンドルなどを使って、 覆面を附けて、他人と現実的には距離を置いた形式で(匿名のスペースに退行する形で・・) 拙劣な自己陶酔に浸る文章を書き連ねるしか、生きるスタイルがなくなるのでしょう。 現実的に言って。だから、文学板については、コテハン=独り善がり。場が読めない人。 名無し=現実感覚のある人。という区分で、だいたい合っていると思うね。
102 :
Corentin ◆bBm/UfuWG2 :2005/05/10(火) 01:47:31
test
>>102 あちこちブログ貼りつけてるけど、なにがしたいの?
>101 オナニーも公開して続けるいるうち、妙な具合に洗練されてくる事もありうる。 最悪板にある「阿呆見聞録」(だったかな)というスレッドはこことよく似た雰囲気(交換日記的)だが、全くもってつまらないわけでもない。
107 :
吾輩は名無しである :2005/05/11(水) 01:52:47
批判的なこと書かれるとすぐ「読まなきゃいい」とかいいだす奴ってなんなんだろうな 知識ひけらかしてるだけにしか見えんのは俺も同感
108 :
SXY ◆uyLlZvjSXY :2005/05/12(木) 22:57:03
>>101 ああ、きみは異性にもてるんだねぇ。うらやましいことで(smile)。
さて、冗談はさておき、スレタイについてだが、
注意深い読み手なら、これまでの流れのうちでも、
スレッドテーマが伏流水として流れていることに気づくだろう。
既に
>>40 >>41 で名無しとコテハンのエレメントタイプを出したが、
名無しという「匿名性」、コテハンにおける「署名」の問題は、
「私」という存在への問題、「書く」のは誰かという主体の問題を孕み、
個と個の間の不連続性の解消へと向かうバタイユ的侵犯行為とも
決して無縁ではないことは明らかだろう。
また、私がこのスレッドでHNで書き込むことにおいて、
いわばパフォーマティブに「私はなぜ固定HNなのか」を語っているのだし
それを裏返せば、「なぜきみは吾輩は名無しであるなのか?」を
暗に語っていることになるのだろう。 〆
>>107 >知識ひけらかしてるだけにしか見えんのは俺も同感
ああ、そういうふうにきみは思うのかぁ。
むしろ無教養さをさらけだしているんだがねぇ。
文学王がCと似た様なキャラになってきている件について
110 :
吾輩は名無しである :2005/05/13(金) 18:26:19
無教養さをさらけだしているようには見えないけど
というより、文学板の固定は無知が多すぎると思う。読んでいられないぐらい。 まず、こうした場所で頻繁にパフォーマティヴに振舞わなければならない 実存の要請が、その人間の生活世界の大きな欠落を如実に暗示している。 また、『署名』という概念を出鱈目に使っている人がいますが、 それを哲学的な文脈で云えば、海外などで生活すればよく分かりますが、 自己証明事項として直筆で署名する機会と必要が数多くあり、同じ人間が 署名していても、その筆跡が寸分違わず完全に本人の原型となる署名と 同一になると言うことは物理学的には在り得ず、そこにアイデンティティに 対しての一つの洞察が得られる・・すなわち、差異の中の同一性、同一性に於ける 差異の問題系が提示されるだけで、恣意的な固定ハンドルと法律的な実効力のある 『署名』の問題を徒に混交することは、それだけで、厨房レベルの見解を 恥かしげもなく提示していることになります。 また、心理学的な人格システムとして考えても、名無しである方が ペルソナを仮構した固定ハンドルより自由な領域が得られます。 「波の音、森のざわめきほどにも/もはや誰の声でもない/その声が鳴り響くとき 誰の声と分かるだろうか?」このヴァレリーの云う誰にも帰属することのない 無の声が、名無しという無意識のキャパの持つ広大無辺さです。 相当の著名人でも、優れた名もなき声には、プロとしての実存を揺さぶられたり 一部、その見解に影響を受けることさえあるでしょう。 それでも、固定としてだけ深く、こうした場所で拘らざるを得ない立場の人たちは、 別の問題系、すなわち他者からの承認欲求が現実に於いて殆ど満たされてない という事実が複合的な負荷として顕れているのであり、それに対する精神の平衡を 幻想的に回復するために、そう振舞わざるを得ないのでしょう。中には、優れた固定も います。でも、それは稀有な存在です。多くの固定は、反復自動症の病理的なサンプルを ネットの中で展開させているだけでしょう。
112 :
吾輩は名無しである :2005/05/13(金) 19:48:45
つーか、名無しのほうが逃げられるから楽だ。
しかし、こういう名無しさんのコテハンコンプレックスにも困ったもんなんだONE! 名無しとコテハンは相補的な存在なんだONE! どっちが優れているか、なんて悪しき幼児性以外の何物でもないんだONE! 5さいたちのよき幼児性を見習うべきなんだONE! あと、ちょっと文章に緊張感が足りないんだONE! パフォーマティブ=心理的欠落だなんて、俗流心理学とさえ言えない紋切形なんだONE! 「署名」の話も、「差異の中の同一性」ってコトバを使ってみたいだけなんだONE! でも、一番マズイのは、「自由な領域」っていう考え方なんだONE! 「領域」の広さという空間的な比喩で語られる「自由」なんて、 高々ある制度内の「消極的自由」でしかないんだONE! それこそヒトをまどろみに誘う「罠」なんだONE! 困ったもんなんだONE!
chienくんは、読解力が殆ど無さそうだから、あんま喋んない方がいいよ。
自分が言ったのは、こうした場所で頻繁にパフォーマティブに振舞わなければ
生きていけない様な、現実では全くチャーム【魔力】が無さそうな人の問題を
指摘してるの。だって、現実的な領域でパフォーマティヴに生きているような
魅力的な人なら、こうした場所で固定ハンドルまで使って、固着した形での
振る舞いを殆ど必要としないから。つまり、殆どの固定が退屈な存在なのは、
元々、現実世界では才能もなく、魅力がないような人が仮装してるからであって、
パフォーマティヴが心理的欠落なんて言ってないよ。こうした空間でそういう風に
演じてることが、実質的に云って、その人間のタレント性の低さを暗示しているし、
また、それはどこにでも見られる凡庸な情景でしょうに・・。ということ。
あと、
>>111 の文章での自由な領域で想定しているのは、無意識の領野だから、
それは文字通り、時空の概念を越えたものです。
ホント、絶望の中の栄光?くんは、知性が根底的に足りないね。
だから、簡単に絶望できるのだよ。
115 :
吾輩は名無しである :2005/05/13(金) 23:36:17
つーか、コテハン=構ってちゃん が基本だから。 痛い寄生虫だと思って免疫をつけることだ。
116 :
SXY ◆uyLlZvjSXY :2005/05/13(金) 23:49:59
>>109 ミソもクソもいっしょにするな、とおばあちゃんが言ってたっけ。
>>109 >無教養さをさらけだしているようには見えないけど
当方は「これだけしか読んでない」という無教養さを告白してるのを
「そんなに読んでるのかよ」という知性のひけらかしに感じてしまうのは
往々にしてよくある事でね。レベル意識の違いってことかな。
117 :
SXY ◆uyLlZvjSXY :2005/05/13(金) 23:52:02
>>111 >「厨房レベルの見解を恥かしげもなく提示している」
>「その人間の生活世界の大きな欠落を如実に暗示している」
>「反復自動症の病理的なサンプルをネットの中で展開させている」
上のこうしたレトリックにきみの類稀なる「チセイ」を感じるねぇ(smile)。
(「チセイ」という言葉をどう変換すればよいのかは想像に委ねよう)
それから
>>113 で「噛ませ犬」に噛み付かれているように、
きみの言葉の使い方と理解力は相当〇〇だねぇ。
(〇〇にどういう言葉を入れればよいのかも想像に任せる)
次のレスで具体例を出してあげようか?(なんて親切〜)
To be continued
>>112 >つーか、名無しのほうが逃げられるから楽だ。
とても正直なレスで好感がもてるよ(with love)。
118 :
吾輩は名無しである :2005/05/13(金) 23:59:42
文学王とやらはCの劣化コピーになっちゃったなw
119 :
SXY ◆uyLlZvjSXY :2005/05/14(土) 00:01:36
>>110 >>110 (
>>117 のつづきだよ)
きみの貧しい言語感覚の一例だけどね、
「署名という概念を」きみは「哲学的な文脈」で語りたかったようだが、
まったく哲学的でもなければ文学的でもないし一般的でもないねぇ。
>『署名』という概念を出鱈目に使っている人がいますが
というのは自分のことなのかい?
「署名signatureもしくはautograph」というのはサインだよ。
自分の書いたものに自分の名前を付すことでね。
ヴァレリーを含む多くの文学者がなしていることだよ。
勿論それは「責任responsibility」にも「応答response」にも関係するし、
対話者に対する礼儀でありマナーでさえある。
相手を批判しようとする場合には特にね。
その署名が実名であろうとHNであろうと。
だからコテハン一般のことは興味もないし、
名無しとコテハンの関係一般にも興味はないが、
ここは「固定HNである私」と「名無しである君」との対話だから、
少なくともフェアな関係じゃないことは確かだね。
>>112 にあるような理由があるとしか思えないなぁ。
120 :
SXY ◆uyLlZvjSXY :2005/05/14(土) 00:07:14
>>119 は
>>111 宛てだったね(sorry)。
>>111 さて、
>>115 や
>>118 のレスを読んできみのいう
>「波の音、森のざわめきほどにも/もはや誰の声でもない/その声が鳴り響くとき
>誰の声と分かるだろうか?」このヴァレリーの云う誰にも帰属することのない
>無の声が、名無しという無意識のキャパの持つ広大無辺さ
が感じられるのかい?
>>119 『この番号に意味を感じないか?w』
君さ、今すぐどこかで緊急精神鑑定受けてきな。
なんで署名とハンドルで匿名掲示板で書く行為が
意味論的に等価なんだよ?隣りに友人でもいれば
同一のトリップとコテで書き込みできるだろう?
低能さんは、アレフにでも入って一人善がりの
呪文でも一生唱えていなさい。バーカ。
122 :
SXY ◆uyLlZvjSXY :2005/05/14(土) 00:14:51
>>111 さて、きみはおそらく
>>121 のレスに
「名無しという無意識のキャパの持つ広大無辺さ」
を感じていることだろう(smile)。
>>111 きみのステキな言語感覚をもう一例挙げておこうか(超親切〜)。
当方が用いた「パフォーマティヴ」という言葉のきみの読解力は
哲学的でもなければ文学的でもないねぇ。
オースティンを応用してバトラーがジェンダー理論で使った
「パフォーマティヴィティ」という言葉も知らないのはいいとしても、
言語研究の分野でオースティンが使った定義ぐらいは知ってて欲しいものだ。
きみが「哲学的」ないしは「文学的」な定義を参照するのであればね。
きみにはまったく「行為遂行性」がないなぁ。
文学王って生意気
>>124 よくあることですが、さわがしくなってしまいまして。
126 :
SXY ◆uyLlZvjSXY :2005/05/15(日) 10:33:42
>>123 「生意気」とは、「生イキ」+「意気イキ」。
つまりイキイキ。
(「なま」で「イク」と読んぢやいけないよ)
九鬼周造『いきの構造』によれば
「いき」は「野暮」と正反対の生存の美学。
127 :
吾輩は名無しである :2005/05/16(月) 19:56:29
粋ですなあ
128 :
吾輩は名無しである :2005/05/18(水) 12:32:17
名無しもいいもんですよ
コテハンのほうが男らしくはある。
130 :
吾輩は名無しである :2005/05/20(金) 19:04:31
名無しでもいい たくましくそだってほしい
ちなみに私はばれてます。 才能は並じゃないので、さがしだされたんです。 でも、私より文才のある人間がいないので、かいならせないでいるんです。 ただ、悔しいだけなんです。くだらない人たちなんです。できれば私を自殺させたいようです。 私はパソコンはまったくわかりません。でも天才です。そうです私が天才なんです。
132 :
吾輩は名無しである :2005/05/20(金) 21:19:02
おいらのほうが天才!
いいや!わたしだ!
拙者なんだONE!
135 :
吾輩は名無しである :2005/05/20(金) 21:36:15
>134 をまえは天災
ふわっははははは
私は天災だ!
>137 君のダメな所は、あらゆる点において物事(自分自身のことも含めて)を誤解することです。 君は天災でもないし、勿論天才でもない。たとえば、君はある場所で自己の自殺願望を 自己愛的な形式で何度も拙く語っていますが、自死は倫理的には何の問題がなくても 「いや、碌でもない人間が早死にしてくれることは、環境的な倫理には十分適っている ケースもある」論理的な問題としては、かなり誤謬判断があります。 すなわち、自死によって自分の苦痛から永遠に解放されるという根源的なファンタジーの 問題です。エネルギー論的な観点から言ってみても、人は死んでも、完全な無に 帰することはない。それは量子的な存在が、一般には無に見えるのと同じことで、 死「無」は何らかの有を有します。つまり、『いま ここ』で救われる/救える力がない人は、 あの世でも現世と同じか、あるいはそれ以上に苦しむことになる事が十分推論される訳です。 あの世と言いましたが、それは別に、彼方にあるような未知の世界のことではなく、 この世界を別の法則に絡め取られて生きる、存在することが、「あの世だ」ということでしょう。 そのためオカルティズム・宗教等の死についての観点は、その表現法は拙くても、 その論理的洞察には納得できる部分があるのです。すなわち地獄の存在や報われない 浮遊霊の存在、あるいは輪廻転生の存在、永劫回帰などがそれです。分かりましたか? だから、この世で出来る一番のことは、自分をより強く・楽しく作り変えることです。 世界を変えようとするのではなく、自分の欲望、パースペクティヴ、判断・行動を 変えることです。そういえば、蛙ってと或る国では、幸せを呼ぶ象徴になっているらしい。
139 :
吾輩は名無しである :2005/05/21(土) 09:20:31
私は天才です。何度も言います。
しかしなにもカギ君、簡単なことを長々と長文レスしなくても。
一言で言えばいいのに。
えぇ、私は霊を信じてますから死後どうなるのか興味がありますが
私の信じてるのは自縛霊とか浮遊霊とかそういうんじゃないので
(人は死んで一種のエネルギーになる…それを霊と呼んでもいい、
人間の進化の過程は同時に情報エネルギーの増殖の過程でもあると思っている)
まあ、生きてるよりか楽だろうと思っています。
だいいち
>『いま ここ』で救われる/救える力がない人は、
>あの世でも現世と同じか、あるいはそれ以上に苦しむことになる事が十分推論される訳です
ここが十分推論されません。「あの世」の法則が現世の法則をすっかり継承するとは限らないからです。
わかりましたか?
自分を作りかえることについて、私は何度も作りかえてきたし(失敗は数あれど)
これからも作りかえていく予定です。強く・楽しく作りかえるかどうかはわからん。
それが私にとって必要だと強く意識されないと。
>>139 前は純水使用という名前だったんですが、「女はきれいっぽい名前をつけたがる」という
名無しさんともめまして。
他のコテさんが提示してくれたこの名前にしたのです。今では気に入っています。
>>138 は
鍵くんじゃないよー。頭の働きが(ryい四労政?と一緒にするなよ。
自称天才は『1たす1は2』ということさえ分からないらしい。
それにしても精神的にどこか破綻してる人間って、どうして自分のことを
天才だ!とか、神だとか!王だとか!姫だとか、どこかの歴史上の人物の生まれ変わり
だとか、宇宙とかOneとか言い出せずには生きられないんだろう。精神病院って
行ったことがないからその辺よく分からないけど、小説などに出て来る昔のイメージでは
そんな人間が多そう。今では、そんなことはあまりない気もするが。
【あの世】の法則が、『この世』と一緒でしょうね。って誰も書いてないじゃん。
大事なことを書いてあるんだから、よく読んでください。自分が推論したことは、
たぶん【あの世】と『この世』とは別の法則が作用しているだろう、そして
人間は生体としては何か違う形式を持ち得るだろう、だから事実上はこの世界に
滞留しているのにも拘わらず、もし何らかの知覚に似た構造が与えられていれば、
死後、人「元人間」はその周囲に映る光景を【あの世】と誤判断するかも知れないよね、
という個人的な実験的思考の話をしたまでだよ。半分、論理的にね。
そして、この世で自分の苦悩をやり過ごしたり、処理・解決できぬような脆弱な人間は、
あの世でも現世と同じかそれ以上のレベルで苦しむに違いないだろうと記述しました。
【死霊】読んだことあるんでしょ?もう一回夏休みにでも読んでみなさい!
霊的な存在は何度も回帰「… se revoir」するのですよ。
あと、バイトはお金貰ってやってるんだから、笑顔で女優魂を発揮して
接客しなさい。いいことありますよ、どんなことに対してもそういう態度で
いれば。どうしても接客がいやなら、肉体労働、イベントの裏方で舞台を
作るようなバイトとか、工場とか、なんでもあるでしょ。
カギ君じゃなかったらなんで漢字の使い方やらカッコの使い方やらが同じなの?
>>141 それならよくわかる。はじめっからそう書いてくれればいいのに。
(
>>138 を読んだ限りでは情報不足でそうは読めないからね。)
納得したよ。
別に根拠なく「天才だ!」と言っているわけではなく。
カウンセリング行ったときに知能検査受けさせられたんですが、
IQ150以上との診断をもらいました。IQ150以上って「天才」に区分されるんだよね?
よって「天才」を自称しました。
「死霊」は第一章まで読んでよみさしにしてある。
そのうち時間ができたら読むつもり。
バイトは…努力してます。注意されてから。はい。
統合失調症発病して150以上なんだから発病前はもうちょっと高かったはず… 悔しい…せめて160はいきたかったな。
144 :
吾輩は名無しである :2005/05/21(土) 16:36:59
IQ150以上とはすごい
あのね、IQ検査と言うのは、何回も検査する機会があるような人「人格破綻者等」が 高い数値が出るような仕掛けになっています。あるいは、そうした類似の検査に 慣れている人、あるいはそのメカニズム、解き方、意味を知っている人なども 同じく高い数値が出るようになっています。 ですから、ある暴行癖のある有名ロックミュージシャンなどに、どんでもない IQ値が出たりします。彼は何度も似たようなテストを過去に受けているからです。 それに、IQ150以上の人なんてゴロゴロいます。 あ、ここにも。いま・ここにもですよ。浅田彰だって、IQ200以上では なかったかな?アインシュタインは360。自分の友達で一番IQの高い人は 230だったけど、出来ないことは何一つないような超人でした。 田舎者、井の中の蛙は、IQ150以上で自分を天才だと恥かしくげも無く 公言できるから、いいよね。バカは幸せという所以です。
230なんて測定の仕方がおかしいんじゃないの? IQ200を超える人は世界中に数人しかいないはず。 IQの最高値は225。アインシュタインが360というのは都市伝説ですね。 そして自慢するなら知人を持ちだすのではなく自分を自慢してみれと言いたい。 小一時間問い詰めたい。
それから、私が正式にIQ検査を受けたのははじめて。 「人格破綻者」じゃないですから、よろしく。
148 :
吾輩は名無しである :2005/05/21(土) 17:37:26
久しぶりのマジレス、IQは訓練によりあがる。 俺は小学校5年生の夏から中学受験の進学塾に通ったが、 入塾時のIQ検査ではIQ125くらいだったが中学入学時のIQ検査で は155にまではねあがった。 中学受験経験者はほぼすべて全員IQが高い。 広島の名門進学校出身の奴はIQ180だった。でもそいつは馬鹿、浮世 離れしている、世間を知らないという意味では無く本当に頭の回転の鈍い 奴だった。 そこそこ真面目に大学受験の勉強をしてたがだか私立大学の二流学部にし か入れなかったIQ155の俺がいるわけだから、IQ検査なんてなんの たしにもならない。 尤も美香QNWと愉快な仲間達という構想力にIQ155を見出すのであ れば別だろうけどね♪
149 :
吾輩は名無しである :2005/05/21(土) 17:40:54
ちなみにEQというのは、金持ちの家に育ちいい学校を卒業して、人間 性もそんな悪くないのに何故か社会でうまくいかない人がうまくいくた めのメンタルトレーニング研究のなかで生れたもの。 したがって、IQの低い人、貧乏な家に生れた人、精神疾患者は、はな から問題外。 日本では間違って伝わってしまっているので困ったものである。
150 :
吾輩は名無しである :2005/05/21(土) 17:59:07
とはいってもそのIQ180のやつは東大失敗した方だから、やはりいい 学校の奴はIQは高いんだろうと思う。 しかし、天才か否かは今のIQ検査ではかれるかどうかは疑問? そもそもIQ検査は、検査問題作成者以上の能力をもった奴は測定できな いんじゃないのかい?まさしくゲーデル的問題だ! IQ検査問題作成者はアインシュタインはもちろん浅田彰よりも馬鹿なの は間違い無い。アインシュタイン、浅田彰のIQは彼らの天才性を図るに は相応しくない。
151 :
吾輩は名無しである :2005/05/21(土) 18:14:53
しかし文学板のコテハンがどうのこうのという話は俺の登場によってほとん ど無意味になったね。俺なんかそもそも自演したくてもできないからね。 むしろ遊び心で麻衣12歳とかシニハン(5さいシリーズの前身)使ったり するからね。 それよか最近、コテハンとしての名無しと単なる名無しの使い分けができな くなってきた。これは結構きついね。変な煽りをくらう時がある。
152 :
吾輩は名無しである :2005/05/21(土) 18:23:41
ロンはつまらん
しかし111にはビックリしたよ。釣りじゃないとしたら凄いよ。 よくもそんなにどうでもいいことを堂々と。
154 :
ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/05/21(土) 19:59:57
天才ハ ワスレタコロニ ヤッテ狂ウ 横尾忠則
155 :
ムー大陸 ◆DMnIjpZYd2 :2005/05/21(土) 20:01:08
あと、私のHNは雑誌「ムー」とは一切関係がありませんのでご了承下さい。
156 :
吾輩は名無しである :2005/05/21(土) 20:17:30
ムー大陸はなんでムー大陸なの?
ふと思いついて。 どうせなら「この板の主役」よりもスケールの大きな名前がいいと思っていた、 ということもある。 ちなみにもう一つの候補は「ポン酢」だった。
158 :
吾輩は名無しである :2005/05/22(日) 00:23:31
>157 スケールの大きさが、感じられない・・・ 「ポン酢」のほうがキャラとしては似合ってるかも。
別に、水棲生物のことを本気で「人格破綻者」だとは思ってない。 ただ、こうした場所で何度も自己の消去願望を記述したがる、 その性格に、甘えというか、自己愛的な幼稚な倒錯的戦略と本能 「…他人の注意・関心を自分にだけ魅きつけようとする拙い行為」 が感じられ、それも14.5才の厨房がするなら、まだ仕方ないか。 と言ってあげることも可能だけど、「自分は絶対そうしないけど」 それが天才の人がコミットする言語行為だとは思えないのです。 あっ、自称天才の人なら、そうした児戯を好むことでしょう。 それで納得しました。
160 :
吾輩は名無しである :2005/05/23(月) 00:48:45
ムー大陸と文学噛ませ犬とズンの違いがわからん
メール欄にfusianasanと入れるんだONE!
ふしあなさんって廃止になったんじゃなかったけ
163 :
吾輩は名無しである :2005/05/23(月) 19:09:25
コテハンの人って演技力どのていどあるの?
他人の視線を意識するところから演技ははじまる そして自分のなかに他人の目をもつという自意識によって エゴというものは二重化される
165 :
吾輩は名無しである :2005/05/23(月) 19:29:03
だから名無しのほうが自分を出していることが多く コテハンのほうが演技・演出してるってわけ?
166 :
吾輩は名無しである :2005/05/23(月) 19:38:41
ワンだふるなんだワン♪
エゴを二重化するのは逆にエゴをうすめる また演技せざるをえないのは本当の自分を見せたくないためであるか もしくは本当の自分などというものを持っていないかである
168 :
吾輩は名無しである :2005/05/23(月) 19:43:26
難しいワン♪
169 :
吾輩は名無しである :2005/05/23(月) 20:13:26
エゴをさらけだしたいという人間もいるでしょ こういう人間は自己主張が強く自意識過剰なの
170 :
吾輩は名無しである :2005/05/23(月) 23:12:52
こんなとこで さらけだしてもな。カントリーな発想だな。
171 :
吾輩は名無しである :2005/05/24(火) 00:19:19
アーバンな方だワン♪
172 :
吾輩は名無しである :2005/05/24(火) 00:36:05
自意識の過剰さは むしろ空虚な「自分」を埋めようとする行為の表れかもよ。
コテハン/名無しの差を、「自己主張」とか「自意識」で説明するのは的外れなんだONE! 「主体」の問題ではないんだONE! 「契約」とか「関係」とかの形態が問題なんだONE! 「主体」はその後で現れるものなんだONE!
174 :
吾輩は名無しである :2005/05/24(火) 12:59:55
馬鹿犬ちゃん、もっとわかりやすく書きなさい
最初は名無しで書き込んだとしても、対話相手が現れた場合は レス番号を名前として表示することがあるよ そのほうが、相手もわかりやすいと思うので
>>174 余の飼い犬になんてことをいう!
>>173 人間ってのは「人」の「間」と書くからね。和辻だったかな。
木村敏の「間」ってのはもっと多義的だけどね。
>>175 それはそうしてほしいときがあるね。
ROMしてて誰が何を誰に書いてるのかわかりづらいことがある。
やだ、文学王も糞犬の中の人だったの!
>>177 いえ、ただのペットです。
名無し自体は別にいいんじゃないかな。
ただ、相手を批判するときには
番号なりHNなりをつけてほしいと思うことはあるね。
拙者、誰の飼い犬でもないんだONE! 文学王なんてダサい名前のオッサンが飼い主なんてやなんだONE! 拙者に首輪をつけることができるのは、清い乙女だけなんだONE! >人間ってのは「人」の「間」と書くからね。和辻だったかな。 >木村敏の「間」ってのはもっと多義的だけどね。 こういうの下らないんだONE!
美香はイギリス人とディープ・ぺッティングしてるから清くないわけだが オナニーもしまくってるわけだが
バター犬に改名しれ
182 :
清い乙女 :2005/05/24(火) 22:49:45
文学噛ませ犬ちゃん、わたしのペットになって♪
固定という存在は、(特に文学板の固定は・・) 普段は騒ぐだけ騒ぎ、あるいはナルシシズムに起動されただけの 低レベルの文章を綴るか、もしくは拙い読書感想文の類をアップする しか能が無い低脳がその殆どで、肝心な時には少しも役に立たない 張子の寅みたいなものだと思う。だから基本的に迷惑な存在・ノイズ だと見做されても仕方がないでしょう。
ロンは名無しでも固定と同じだからなあ。
それで、最近の文板はいつの間にかメンヘル板と化したのか、 自己の情動を殆どコントロールできないDQN人種が増えている ような印象が感じられます。そこで、ひとつペインコントロール についての考え方をごく簡略に記述したいと思います。 まず、そのペインの種類は、某固定が述べるような自殺願望でもいいですし、 またこの板の固定に多いらしい鬱病、メランコリーに陥りやすい性格、体質、 あるいは女性の場合ならPMS(月経前症候群)についてなどでも いいでしょう。痛い妄想に駆られ易い傾向などでもいいですし、 『自分は王だ!天才だ!救世主だ!等のですが。』それは物理的、 経済的、生理学的な問題について感じるペインなどでも構いません。 さて、そのペインに対峙する考え方には二つあって、まず第一の方法としては その自分のペインのバイオリズムを知ることです。別にバランスシートまで 作る必要はないと思うけれど、(作ってもいいと思いますが)自分にとって 苦痛となるような情動の周期やその強・弱、リズムなどを自分自身でよく 認知、把握できていることが大切なんです。それが出来ていれば、今、 自分の状態がどのレベルにあって、経験値から云うと、それはどのぐらい 継起するものなのか?それで、だいたいそれはどれくらいの間隔で、 少しは落ち着いてくれるものなのか?とある程度、自分の立ち位置を 客観化することを可能にしてくれます。 つまり自分の意識の状態を毎日記録するようにして、それを数値化したり、 言語化することによって、自分の精神のバイオリズムを週単位、月単位、 年単位でおおよそ認識できるようになり、そうすることで、余計な不安感や 焦燥、ノイズを最低限のレベルにまで抑えることができます。 まあ、これはごく普通の自己認知療法のひとつですが、それさえ出来てない 低レベルの人が多そうなので、イロニーを込めて記述してみました。
次に、二番目の方法として考えられるのは、一番目の方法とは反対に 自分が感じている苦痛に対して、積極的に『注意転換』を奨めていくことです。 物事と云うのは全てそうなのですが、あまり間近で凝視するようなことを ずっと続けていると、その物事が何だか訳の分からない判然としないものに 見えてきたりします。つまり、一つのことばかりを思い詰めることは、 その対象がなんであれ、それを正しく客観的に認知できなくなるのです。 人は往々、そうした対象に過大な負荷のイメージと結び付けたりします。 こうした陰性の態度から、脱却するためにも、自分にとって苦痛となるような 対象と距離感を作るようにするのです。意識をそれとは関係のない別の事柄に向ける ようにする。村上春樹的な手作りパスタを一生懸命に作ることでもいいです(笑 そうして自分自身の問題と適度な距離を取ることによって、どんな問題に対しても リラックスした態度で、少しは余裕を持った気持ちで臨めるようになります。 困難な問題・課題などについては、案外そうした別の角度(領域)から 重要なヒントやキーが与えられたりすることが多いものです。 それを美しい空からのインスピだと云ってもいいのかもしれません。
なぜそんなに延々と、固定に執拗なまでの悪意を抱くのでしょう?
>>187 まあ、コテハンにいいようにイジラレて、悔しいんだろう
189 :
吾輩は名無しである :2005/05/25(水) 21:23:03
コテハン=勘違い野郎w
ところで、コテハンは、「自己主張する書く主体」であろうとするのではなく、
むしろ「読まれる対象」であろうとする存在なんだONE!
主体は「読まれるボケ」ではなく「読むツッコミ」の側に存在するんだONE!
ボケは固有名を持つんだONE!
ボケは、「あるヒト」なんだONE!
一方、ツッコミはある種の匿名性をもった「私」なんだONE!
漫才が常にどこか陰鬱なのは、この構造のせいなんだONE!
名無しのある種の陰鬱さも、この「匿名の私」に由来するんだONE!
論という「名無しコテハン」が、重度の「コンフリクト」を背負ってしまっているのも、
一部はこの構造のせいなんだONE!
名無しでうめいているヒトたちは、一度ためしにコテを名のってみるんだONE!
馬鹿になるんだONE!
「他者」になるんだONE!
たのしいんだONE!
>>185 みたいな病人には、特におすすめしたいんだONE!
誰か馬鹿犬を保健所に連れていってくれ
・・・飼い主に許可もらわないとだめじゃね?
>>192-193 それはワシントン条約に違反するんだONE!
ところで、ツッコミは「私は彼の言っていることは馬鹿だと思う」とは言わないんだONE!
「<おまえ>は馬鹿だ!」と言うんだONE!
これぞコミュニケーションというワケなんだONE!
ここで、<彼/彼女><私><おまえ>の陰鬱な三角形ができあがるわけなんだONE!
陰鬱な検察官である<私>は、全てを見とおす権能を与えられているみたいなんだONE!
「<おまえ>の底はお見通しだ!」というわけなんだONE!
この<私>のパラノイア的傾向がさらに重度になると、 <彼/彼女>が、ますます<おまえ>化していくんだONE! つまり、「これも<おまえ>の自演だろう!」というわけなんだONE! 「<おまえ>のたくらみは全てお見通しだ!」というわけなんだONE! しまいには、<私>のレス意外の全てのレスが<おまえ>の自演になってしまうんだONE! これがパラノイア的名無しの典型的症例なんだONE! ここには、「他者」が欠如してるんだONE! ここで一歩すすめて、最後に<私>も<おまえ>だ!になってしまえば、面白いと思うんだONE! でもそうはならないんだONE! つまんないんだONE!
ちょっと極論なんでchu♪ 名無しが全部パラノイアなわけじゃないんでchu♪ それにコテハンにも偉大なパラノイアがいるんでchu♪ 論とカギなんでchu♪ カギなんて、犬が村上春樹で、フジツボが綿谷りさだと思い込んでるんでchu♪ その二大パラノイアを生んだのが美香なんでchu♪ 罪深いんでchu♪
197 :
吾輩は名無しである :2005/05/26(木) 18:12:55
不思議だ。犬語より鼠語のほうが日本語に近いとは!
コテハン賛成。NGワード機能まんせー。
199 :
吾輩は名無しである :2005/05/26(木) 20:05:05
匿名掲示板では奈菜氏で書き込みする方が、基本的にお洒落です。 問題提起したい特別なトピックがあって、単発的に捨てハンドル使うのは例外だけど。 こうした場所でわざわざコテハン使うのは、変な自意識をこういう場所でも 満たさなければ生きていけない、その人の精神的な貧しさを感じさせますよ。 しかも面白い意見、優れた意見は、奈菜氏であっても少しも色褪せないし、 コテキャラがないと、持たないような退屈なレスは一切読む必要がない。
たとえば、一般常識がありそうな住民が多く見える書籍板などでは、 コテハンの存在なんか、ほぼ皆無なのでは? キティーの巣窟になっている腐りかかった板ほど、 コテハンが大勢、無意味に棲息してます。
まぁ「禁断の壺で」も入れて、NGワード機能使えばよい。 アホが全員コテにしてくれるとむしろ助かる。
202 :
吾輩は名無しである :2005/05/26(木) 21:10:56
コテにもナナシにもアホはいる。 コテにもナナシにも知的なのはいる。 まあ四六時中生息してるのには コテもナナシも低脳が多いのは事実。
203 :
美香 ◆FE5qBZxQnw :2005/05/26(木) 21:23:27
こほん♪
コテハンがダメ2な理由。 それは社会的な領域で、具体的な成果をあげる行為を阻むから。 そうした領域で(学業であれ、主婦業であれ、仕事であれ)、 それなりの義務をきちんと果たしている人間が、遊び心で ハンドルで時々書いたりするのはいい。 問題は、八割以上のコテハンが、社会的に見て適応不全の状態にいるのは 明らかだし、その欲求不満が固定というシンプトム(症状)のくだらない 自己正当化するための能書きなどとして現れ、自分を何かの芸能人、著名人に 近似的存在として錯覚したり、一角の人物だと妄想することによって、 そうした人間の社会的なコミットメントがますます遅延される構造的な傾向が あるから、【アラーム】を親切にも発してあげているのだ。 そして無闇に固定がいるせいで、誰かを抱きしめたいとか、好きだとか、殺したいとか、 言い出すバカを確率論的に言って高い割合で発生させてしまい、板全体の雰囲気を 碌でもないものにすることに一役買っていることに、君達、頓馬なコテイ共は 少しは気付いたり、配慮すべきなのさ。どうしてもチャットをしたいのなら、 下げで底辺の方でするのが、人間としての最低限の品位というものです。 あらゆる幻想を解体することが、人を正気/現実に帰すの。
まあその、なんでchu♪ 「社会的な領域で、具体的な成果をあげ」ているヒトともあろうお方が、 こんな過疎板のスレの上げ下げにこだわるのは大人気ないとおもいまchu♪ 寛大なお心をもって、見逃していただきたいんでchu♪
こんなところに文学二十日鼠、噛ませ犬、カギ、美香、Cの通知表が! ┏━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┳━━┓ ┃国語┃数学┃理科┃社会┃英語┃体育┃音楽┃人格┃2ch ┃ ┣━━╋━━╋━━╋━━╋━━╋━━╋━━╋━━╋━━┫ ┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ 1 ┃ ┗━━┻━━┻━━┻━━┻━━┻━━┻━━┻━━┻━━┛ ミチャダメー (´フ`) (゚Д゚) ── □ー =│ ── ハ ┌┴┘<1
207 :
吾輩は名無しである :2005/05/26(木) 23:15:31
「名無しコテハン」ってのも、ある意味すごいな
名無しとコテハン両方使ってる人っていたら教えて
211 :
吾輩は名無しである :2005/05/27(金) 18:41:58
それじゃあ、名無しVSコテハンで対比させても意味ないな。
212 :
吾輩は名無しである :2005/05/28(土) 12:51:46
つまり、このスレの名無しもコテの可能性があるってことだよな
213 :
吾輩は名無しである :2005/05/28(土) 22:28:03
これまでの「名無しVSコテハン」論はすべて無効ってことでOKだな。
214 :
吾輩は名無しである :2005/05/29(日) 16:00:06
>>204 >八割以上のコテハンが、社会的に見て適応不全の状態にいるのは明らか
これはいえてる
つまり、 八割以上の名無しが、社会的に見て適応不全の状態にいるのは明らか ということだよ
216 :
2割弱の少数派 :2005/05/29(日) 23:21:52
ふむふむ。結論としては 八割以上のコテハンと名無しが社会的に見て適応不全の状態にいるというわけか。
全然違います。
>>215 >>216 社会的な適応不全性の高い人間ほどコテハンを使うということは、
その事実を裏返せば、社会的な適応度の高い人間はROM者でいるか
名無しで書くことが多いということ。
その名無しの中にコテハンがいるとしても、それは
名無しの中の少数派、ごく一部となるので、
そうした一部を含めた名無し全体の中の八割以上は、
社会的に適応できてる状態にいる人だと推定されます。
七誌の多い書籍板、ニュー速などを参照せよ。
推定はあくまでもあなたの脳内でのこと 邪推ともいいます 事実ではありませんね 何か統計でも取られましたか? あなたの脳内の憶測を証明できる確かなものを提示できますか?
(??Д??)ノ~
(??Д??)ノ~
221 :
吾輩は名無しである :2005/05/30(月) 22:47:33
相当2ちゃんねるに精通してるプロ級2ちゃんねらーでないと 「八割以上」なんて言葉は出ないよなあ
222 :
吾輩は名無しである :2005/05/31(火) 21:46:19
あげ
223 :
吾輩は名無しである :2005/06/01(水) 00:28:35
ただ、書籍板、ニュー速などと比較すると相対的にはそうかもなあ
〔……〕まともで、道徳的に受け入れられる方法は、自分と闘い、他人と闘い、 仕事に頑張り、ときには辛い犠牲にも耐え、その結果ようやく出世階段を昇り、 業績を認めてもらうというものだ。問題は、アメリカの大衆心理学で理解されるように、 自尊心が一つの資格となり、それに値するか否かはともかく、誰にとってもなければ ならないものになってしまうことである。結果として自尊心が傷つけられ、 自尊心を求める努力も自虐的になる。 しかし、今やアメリカの製薬業界の登場である。ゾロフトやプロザックのような 薬は、脳内セロトニンのレヴェルを高め、「壜入りの自尊心」を供給してくれる。 Francis Fukuyama,Our Posthuman Future,London:Profile Books,2002
その薬欲しい。 自尊心が低すぎて困ってるんだにゃー。
226 :
:2005/06/02(木) 00:27:20
あるスレッドでは固定となり、あるスレッドでは名無しとなってる 俺のような両性タイプってどうなんだろう。 自尊心はある、そしてまたない、これも両義的だ。
227 :
吾輩は名無しである :2005/06/02(木) 23:01:37
コテハンがどうのこうのというのはよくないな。 昔はコテハンの荒らし(例 美香QNW、ミステリ板住民)が多かった けど最近は名無しがコテハンを追っかけて個別作家スレを荒らしていく。 コテハンに文句があるなら、雑談スレッドを見ないことだね。
228 :
吾輩は名無しである :2005/06/02(木) 23:03:44
>>226 またまた変なレスポンスをするね。俺は名無しだから使い分けの使用
が無いが、あるスレッドでは固定で後は名無しってのは、まあ自分の
テリトリー以外は荒らさないというまあ当たり前のマナーを守ってい
るだけだ。両義性とか無意味なロジックを展開しないでくれ。
229 :
吾輩は名無しである :2005/06/02(木) 23:54:57
まあ四六時中名前をみかけるコテにろくなやつがいないことはたしかだな
230 :
吾輩は名無しである :2005/06/04(土) 02:40:16
俺はたいてい七誌で書いてるね しかしたまには 美香とかイクシオンとかムー大陸とか噛ませ犬とかグルとかフジツボとか いろんな名前使ってるけどな
あー、この板のコテで私と感覚の合う人は一人もいない。 つまらない。どんよりとした空気に窒息しそう。 美香・論 30年遅れ おさむ 10-20年遅れ イクシオン 5-10年遅れ ムー大陸とか噛ませ犬、カギ 知恵遅れ ズン 葉解 グル 近代的主体 いみふめい C 30-50年遅れ フジツボ 永久に見送れ
232 :
吾輩は名無しである :2005/06/04(土) 05:19:50
>グル 近代的主体 意味不明 ワロスw
233 :
吾輩は名無しである :2005/06/04(土) 05:20:37
皆さんは「ブロークンウィンドウ理論」というある心理学実験をご存知でしょうか? 有名になっている話なので、ご存知の方も多いかもしれません。 実験はフロントガラスの割れた車Aと普通の車Bを住宅街に放置し その変化の違いを調べるというものでした。1週間後、普通の車Bは 変化がなかったのですが、窓の割れた車Aはさらに次々とガラスを割られ、 金目の部品は盗まれ、落書きされ、壊されたという結果になったのです。 他の人がやっていることは自分も許されるんだという、心理背景が生み出した結果でした。 この実験の条件の違いは、窓ガラスが割れていたかどうかの小さな違いだけでしたが、 これほど大きく違う2つの結果になりました。 普段、私達の心の中でも、同じようなことが頻繁に繰り返されています。 人は誰しも「ちょっとくらいならいいかな。」と思って妥協してしまうことが よくあります。 私達の心の中の窓ガラスに、ちょっとした妥協という傷[コテ」 をつけたりします。 この実験が伝えているように、ちょっと妥協をしたとしても、頻繁に心のケアをしてあげて、 お手入れしておくだけで心は保たれています。しかし、小さな小さな傷 「コテ」をそのまま放置しておいたら心の妥協は徐々に加速してきます。 小さな傷「コテ」を作ってしまったとしてもすぐに修理できるかどうか。 普段の私達の、小さな1つ1つの選択が私達の未来を作ります。 そして、その想いも選択も、私達の手の中にゆだねられています。
234 :
吾輩は名無しである :2005/06/04(土) 10:45:56
ルールがあってないような匿名掲示板にネチケットを求めても無理
235 :
百式型野次馬 ◆/WcPcTCJCE :2005/06/04(土) 11:02:30
[―{}@{}@{}-] 句読点付けるか付けないかでアレが分かります。
アレってなに?
237 :
吾輩は名無しである :2005/06/06(月) 18:46:34
あえて句読点を省略してアレに見せかけるってことも時にしてみたりして
238 :
吾輩は名無しである :2005/06/06(月) 18:50:38
なんというか陽気で知的で包容力のある人ってなかなかいないのかね。 なんか多くのコテってさー、まー名無しにもいえるのかもしれんけど ドグマティックでオッサンくさくてコンプレックス丸出しで暗ーいでしょ。 「ビジターの諸君」とか語りかけててもじぇんじぇんホスピタリティないし。 まあ名無しコテにもいいとこあるんだけどさー。やっぱ違うでしょって思うよ。
239 :
吾輩は名無しである :2005/06/06(月) 23:33:12
あとオナイーコテが多すぎるってのもあるな。
241 :
吾輩は名無しである :2005/06/18(土) 18:43:50
age
242 :
吾輩は名無しである :2005/06/18(土) 18:45:35
>>231 そのあたりのコテは全部同じ集合に属するからなあ。
244 :
吾輩は名無しである :2005/06/18(土) 18:50:43
245 :
吾輩は名無しである :2005/06/18(土) 18:54:17
「ドグマティックでオッサンくさくてコンプレックス丸出しで暗ーくて オナニーが得意でかまってちゃんビーム全開なコテハンこそが2chの華」 という意見もありそうだが。
246 :
吾輩は名無しである :2005/06/19(日) 00:20:57
俺はあまりコテハンにかかわったことがないからわからんが。
コテハンって気取ってて知識ご披露してウゼーと思ってたけど 最近はコテハンって責任感あるかもと思えてきた。 名無しの単純でお馬鹿な落書きに反論しても時間だけが過ぎてくし……
248 :
吾輩は名無しである :2005/06/20(月) 13:57:44
それにしてもただの自意識だろ。 一生懸命ハンドル考えんなよ(プヒャゲラ なんだよその意味深ぽいのはよ。 「あ」とか「い」とかで充分だよおめーら。 とりっぷとか後生大事に抱えてよ。 だれもおめーなんかか・た・ら・ねーよ。 恥ずかしくねーの、と。
と名無しがいっても説得力がないな(笑 まあコテハンはいたぶられるために存在意義があるってもんよ。
251 :
吾輩は名無しである :2005/06/20(月) 22:09:20
なんか新しいフレッシュなコテって出ないかな。 たいていのコテはオッサンオバハンばかりでつまんねえや。 この板は学生とかあまりいないのかな?
だって若いってだけで嫉妬するおじいさんばかりだもん
253 :
吾輩は名無しである :2005/06/21(火) 00:50:01
そこもでってコテハンが新人賞を取りそうだぞ。
254 :
吾輩は名無しである :2005/06/21(火) 02:05:28
なんか粘着質なコテハンが多いね。 しつこくねちねちとへびみたいな。
もっと簡単に言うと、文学板のコテハンは人生の負け組みと考えれば いいんじゃないのかな?企業や組織に属していると分かるけれど、 何の有意義な働きもないのに、給料だけ貰っている泥棒に遭遇する ことが時にはあるけど、文板の固定にもそれに似た要素を感じますよ。 退屈で凡庸、ヘタレじみたことしか書けない人間達なのに、 自己顕示欲だけは無軌道に異常に発達しているという痛い光景。 ましてや、自分のビョーキをネタに注目を得ようとしたり、 ありがちの罵倒で釣ろうとしたり、頭の悪そうな連投したり、 もう、そーゆーことをする人間は問題外だと思う。 その結論を述べると、才能のない人間って「文板の固定」、 至って惨めだよねということです。
256 :
吾輩は名無しである :2005/06/27(月) 20:55:50
文壇バーはクソコテの巣窟(返還できた!)だねー
257 :
吾輩は名無しである :2005/06/28(火) 02:02:06
♪あいつの噛み付く泣き声は どこか全てが負けていた by 長渕剛w
258 :
吾輩は名無しである :2005/06/28(火) 06:27:32
>>217 文壇BARの名無しは馬鹿だよ。というか一般教養無さすぎ。。。
それがわからないと大馬鹿だな。
>>255 月曜日の午後7時37分に企業や組織に属していてレスポンスできるのか?
市役所職員と大学院生はできるかな?しかしそれは属性的に退屈・凡庸・へ
たれだな。
259 :
吾輩は名無しである :2005/06/28(火) 19:08:38
文壇BARをロムってる時点で(ry
260 :
♪ :2005/07/03(日) 17:30:51
いっそのことみんなコテハンになればどうよ?
261 :
吾輩は名無しである :2005/07/09(土) 20:03:46
名無しのほうが楽じゃん
262 :
♪ :2005/07/11(月) 21:07:28
しかし文壇BARの常連を典型として こうもあほで狂ったコテハンが多いと 名無しになりたくなる気持ちもわかる。
263 :
吾輩は名無しである :2005/07/16(土) 22:59:16
ふんふん
264 :
吾輩は名無しである :2005/07/17(日) 16:17:27
コテにしたらそのコテでしかレスできなければいいのにね。 コテによる名無しの自演が諸悪の根源って気がする。
265 :
吾輩は名無しである :2005/09/21(水) 01:39:59
英語まるでダメ、 古本好きとか言うくせに早稲田の古本街のこともしらない、 演劇好き、戯曲好きとかいうくせに演劇科のことも全然しらない、 演劇博物館を利用したこともない。 あのキャンパスで演劇好きだってふらふらしてれば、関係者とのつてもできるはずなのに、 まるでない。 そもそも、根本的に頭が悪いし、全然文学の知識がない。 仮に間違って早稲田にいたとしても、 他の学生とのレベルの違いにおののいて、コンプレックスの塊で、 暗ーい4年間を送ったんだと思う。 だいたい卒論何やったの? 文学的に何の専門知識があんの? あんたは
testes
moiccho
arayotto
269 :
吾輩は名無しである :2005/12/07(水) 23:54:42
コテコテなコテだな。
sonainakoto,iwantoite-ya. uchi,hazukashi.
271 :
吾輩は名無しである :2005/12/21(水) 22:18:30
なんだこのコテは???
>>271 トリップの練習だろ、気にするな。
・・・つーか実際はオレだからww
273 :
吾輩は名無しである :2005/12/21(水) 22:23:36
なぜ君はコテハンを名乗るのかと聞きたいね。 単なる自己顕示欲じゃないのか?
オレ?いや練習だけ。識別のために一度使ったきり。 自己顕示欲は人として当然あるけど、それを表に出すのは嫌だよ。 どうせなら書き込みの内容そのものを評価されたいね。
275 :
私とはひとりの他者である :2005/12/21(水) 23:36:39
久々に書き込んでみよう。 「単なる自己顕示欲」も結構じゃないか。 日本人は自己顕示欲がなさすぎる。 というか、自己顕示欲があるくせに それを抑圧することがさも美徳でもあるかのように見られる。 つまりル・サンチマンが透けて見えるんだよ。 もちろんこれは一般論の話であって こういう匿名掲示板におけるHNの有無と書き込み内容の関係のことは ひとまず棚上げした上での話。 ROM中心の立場からすれば 名無しでの書き込みがずらっと並んでると流れを追いにくい。 それだけの話なんだが。
成程。いいご意見を賜った。 アメリカではチャットだけでも顔見せ当たり前、場合によってはちんぽまんこ見せもある。 俺様のように全てをエロに結びつける俗物としては、アメリカでちゃっとするほうが面白い。 ただ残念なことに英語は堪能でないため、俗な語彙しか身についていないのではあるが。
言語学で著名な業績を残しているアメリカの名門ジョージタウン大学の女学生といい関係を築きました。 彼女は日本語にも興味を持っていた。驚嘆すべき黒人の美人であった。 しかし私は来年で還暦を迎えるので写真は息子の写真を加工し、さらにごまかしをいれて送った。 結果見事に関係が持続し、今は毎日幸せなパソコン生活を送っています。 そして何よりも、この歳で言語学という難解な学問に初めて手を付けたのです。 改めてインターネットの素晴らしさを知りました。
♪
・・・こんな感じで♪
なんだよ、ひらがなかい!
281 :
陥没痴態 ◆yJFWKlsdr2 :2006/01/16(月) 07:12:20
今年はちょっと頑張っちゃうぞ♪
282 :
♪ :2006/01/17(火) 00:24:22
ベイビー、何をがんばるんだい?
おのめのへめず
284 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/21(土) 17:46:05
それは2ちゃんねらーだから。
285 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/01/31(火) 23:46:12
なんで最近「名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中」になってるの? 自治スレッドってどこ? 何を議論してるの?
286 :
♪ :2006/01/31(火) 23:52:25
287 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/02/01(水) 01:09:14
ローカルルールが決まれば「吾輩は名無しである」に戻るのか?
288 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中 :2006/02/02(木) 02:07:33
>>286 ありがとうございます。
でも今日は眠いので、暇がある時に読みます。
私は、「我輩は名無しである」に戻ってほしい!
漱石の「猫」好きだし。
289 :
288 :2006/02/02(木) 02:09:23
訂正 ×我輩 ○吾輩
演じたくないから。
292 :
あきこ :2006/04/07(金) 11:36:42
コテデビューしようかな。ドキドキ
293 :
あきこ ◆ZUQpTYeVo2 :2006/04/07(金) 11:56:29
ああ、トリップつけないといけないんだね。 名前とトリップを覚えてもらって、ようやく一人前のコテなんだろうね。 しかし、毎回パスワード打ち込むの面倒だね。 どのコテを手本にしてやってこうかな。先輩諸氏でぱっと思い付くのは、 やっぱり美香さんか。 荒らしや、名無しへのいやがらせをしつこくやって覚えてもらうのも一つの手だね。 いやいや、文学板初、誰からも愛されるアイドルコテハンを目指すのもいいね。 私がレスすりゃ、スレッドが歓声に満たされる。 スレの1から1000まで、「あいこ頑張って」「あいこ愛してるよ」「あいこのレス読めて感激」 「あいこは文学の女王様だ」「あいこ萌え〜」、「あいこのせいでオフラインできないよ」 ああ、「あやや」や「ふーみん」みたいなニックネームも欲しい。 誰か考えてちょ。 煽りレスなんて一回も食らわない。煽りレスをもらったら即引退。 そうだねこれでいこう。よーし、がんばっちゃぞ。
294 :
あきこ ◆ZUQpTYeVo2 :2006/04/07(金) 12:09:18
で、ちょっと様子みたけど、煽りレスつかないね。 わたしのキューティオーラが拡がったんだね。 地道な営業活動なしで、もうすっかりトップアイドル。 よーし、これでやっていこう。 手始めにどこいこうかな。カフカがいいかな? それともフローベールがいい? あーん。一番下の超過疎スレの住人さんが、わたしの登場まってるわ。 えー、綿谷スレにも来てくれって? そんな言い寄られてもこまちゃうよ。
295 :
吾輩は名無しである :2006/04/07(金) 12:12:05
死ね。
296 :
あきこ ◆ZUQpTYeVo2 :2006/04/07(金) 12:22:07
みんなのこと大好きだけど、今日で普通の女の子に戻ります。 コテハン活動で止まっていた、わたしのオフ時間の時計の針が 今、ようやく動きだそうとしています。 これまで声援ありがとう。他スレで名無しの私をみたら、 優しく声をかけてくださいね。 じゃあ、最後にみんなにこの歌を送ります。しずかに聞いて下さい。 (歌) じゃあね。みんなありがとう。(涙を拭う) 今日まで頑張ってこれたのは、みんなの声援があったから。 あと、夕御飯が美味しかったのもあるね。 うーん。名残惜しいなよー。 でも、いつかはやっぱり別れの時がくるもんだからね。 うんさよならだ。ばいばい。忘れないよみんなのこと。
ころにゃんもパワー落ちたな
298 :
吾輩は名無しである :2006/04/22(土) 17:59:24
論先生ってコテがいたのか? そいつはどんな奴?
あー論先生なんて奴いたね。懐かしい。 個人情報バラされたコテだね。生きてるのかね
300 :
吾輩は名無しである :2006/04/23(日) 19:11:15
自業自得ってことじゃないの?
301 :
吾輩は名無しである :2006/04/23(日) 19:15:54
ところでファルスマンだったかファロスマンだったかいうコテは?
302 :
吾輩は名無しである :2006/04/24(月) 01:35:21
>>301 今年の1月に引退を宣言してたよ。論の(嘘)引退と同じ日
303 :
我輩は名無しである :2006/05/08(月) 00:20:31
私が子供のとき『我輩は猫である』って小中学生に推薦図書であがって いて、自分も読んだが、他にいくらでもいい日本文学はあると思う。 はっきり言って、くだらないと思う。 いまでも、猫は小中学生が読むべき文学なのだろうか? みなさん、実際どうですか?
こういうスレ、イラネ
306 :
パンダキック :2006/05/30(火) 23:26:48
[文学版のコテハンの正体] とかいうアホなスレを立てるのが名無しでR。
307 :
VON・トーマス・マン ◆QOZgLZAtVc :2006/05/31(水) 00:11:58
私の名前が出ていないようだが・・・
308 :
吾輩は名無しである :2006/06/01(木) 05:36:56
>>303 厨房の頃はつまらなくても、大人になって読み返したら意外と面白かったぜ!
309 :
吾輩は名無しである :
2006/07/31(月) 15:38:43 ある程度パンピーを飼いならしておかないと後が持たない