アポリネールは詩だけでなく短編小説も書いていたのですね!
初めて知りました。
「異端教祖株式会社」「虐殺された詩人」は近いうちに読んでみたいです。
図書館のパソコン検索で両方ともありました。
「うつくしいもの」 八木重吉
わたしみずからのなかでもいい
わたしの外の せかいでもいい
どこにか「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であっても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るということが 分りさえすれば
ああ ひさしくも これを追うに つかれたこころ
こころなき身にもあはれはしられけり 鴫たつ沢の秋の夕暮
――[新古362] 西行
あますなく小草(おぐさ)は枯れて風に鳴る かなたに小さき山の中学
――木俣修
291 :
%:2005/10/08(土) 23:41:19
ベンチの男
ベンチに座る男だ
五月の微風が男の思いを吹き払う
男の前で、潰されたアルミ缶が日差しを反射している
男はようやくそれを認め
踏みつぶされた空き缶があるべき場所ではないと気が付く
車のタイヤで潰された空き缶が、公園の
車の進入が禁じられた場所だ
誰かが持ってきたか、投げ入れたか
男は、
潰されたアルミ缶を
円盤のように投げる少年の姿を
思い浮かべる
見ることが出来ない少年の、
潰れたアルミ缶を投げる姿を見る
頭の中に
投げる少年の姿を浮ばかせることが出来た
ベンチに座る男だ
(以下略)
292 :
%:2005/10/08(土) 23:43:14
293 :
%:2005/10/12(水) 23:04:35
神よ、いま僕は、君に口をきいている自分に驚いている次第だ、
君が存在するとさえまだ知らない僕だから。(以下略)
――シュペルヴィエル「未知なる神への祈り」より――
>>291-293 % さん
鈴木志郎康ホームページ、拝読しました。
「詩の包括的シフト」、大変興味深く読みました。
吉増剛造の詩について触れていますね。
(彼の詩をつい最近読んだばかりです…)
――吉増剛造の詩には、その日本人の多神崇拝的な心が息づいていると
いえるのではないか――「詩の包括的シフト」より
確かに天照大神やイザナギ、イザナミ、七夕にちなんだ織姫も登場しますし、
お天道様や山の神やイタコも登場します。
彼にとって神は細部に宿るといってもいいでしょう。そうした神々に対する
畏敬の念が彼の詩的歓心を呼び起こし、共振し、言葉を綴らせるのだと思います。
シュペルヴィエルはベケットの次に読んでみたいです。
今回は詩ではありませんが、好きな小説の一節を書き記します。
(先週、久々にリルケを読み返しましたので…)
――愛されることは、ただ燃え尽きることだ。
愛することは、長い夜にともされた美しいランプの光だ。
愛されることは消えること。そして、愛することは、長い持続だ――
『マルテの手記』 リルケ
296 :
吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 23:12:36
秋の長雨
297 :
吾輩は名無しである:2005/10/21(金) 02:33:38
秋の長文
298 :
吾輩は名無しである:2005/10/21(金) 18:23:01
秋の長介
高村光太郎といえば売り言葉を戯曲で読んでほほう、と思ったもんだ。
300 :
吾輩は名無しである:2005/10/21(金) 20:04:09
300get
301 :
吾輩は名無しである:2005/10/21(金) 20:47:23
高村光太郎の売り言葉って何だYO!?
>301
飛躍しすぎて申し訳ないのである。
高村光太郎→智恵子抄→智恵子抄をモチーフにした売り言葉
なのである。売り言葉は野田秀樹の戯曲なのである。
303 :
吾輩は名無しである:2005/10/21(金) 23:51:19
中原中也 室生犀星 立原道造 堀口大學 石川啄木 アポリネール 高村光太郎
八木重吉 西行 木俣修 鈴木志郎康 シュペルヴィエル 吉増剛造 リルケ 野田秀樹
仲間はずれが一人いる。
高村光太郎は戯曲を書いていますね。
二十一歳の時、新詩社演劇会で自作戯曲「青年画家」を執筆し、
上演しています。
戯曲「青年画家」は「高村光太郎全集・第7巻」(筑摩書房・増補版1995)に
所収されています。
『智恵子抄』が引用されていますので、ではその中から好きな二編を。
「風にのる智恵子」 高村光太郎 (『智恵子抄』より)
狂った智恵子は口をきかない
ただ尾長や千鳥と相図する
防風林の丘つづき
いちめんの松の花粉は黄いろく流れ
五月晴れの風に九十九里の浜はけむる
智恵子の浴衣が松にかくれ又あらはれ
白い砂には松露がある
わたしは松露をひろひながら
ゆつくり智恵子のあとをおふ
尾長や千鳥が智恵子の友だち
もう人間であることをやめた智恵子に
恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場
智恵子飛ぶ
「千鳥と遊ぶ智恵子」 高村光太郎 (『智恵子抄』より)
人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわつて智恵子は遊ぶ
無数の友だちが智恵子の名を呼ぶ
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい、――
砂に小さな足跡をつけて
千鳥が智恵子に寄つてくる
口の中でいつでも何か言つてる智恵子が
両手をあげてよびかへす
ちい、ちい、ちい、――
両手の貝を千鳥がねだる
智恵子はそれをぱらぱら投げる
群れ立つ千鳥が智恵子を呼ぶ
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい、――
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽くす
「書 物」 ヘッセ
この世のあらゆる書物も
お前に幸福をもたらしはしない。
だが、書物はひそかに
お前をお前自身に立ち帰らせる。
お前自身の中に、お前の必要とする一切がある、
太陽も、星も、月も。
お前のたずねた光は
お前自身の中に宿っているのだから。
お前が長い間
万巻の本の中に求めた知恵は
今 どのページからも光っている、
それはお前のものなのだから。
「独 り」 ヘッセ
地上には
大小の道がたくさん通じている。
しかし、みな
目ざすところは同じだ。
馬で行くことも、車で行くことも
ふたりで行くことも、三人で行くこともできる。
だが、最後の一歩は
自分ひとりで歩かねばならない。
「おもかげをわすれかねつつ こころかなしきときは
ひとりあゆみて おもひを野に捨てよ
おもかげをわすれかねつつ こころくるしきときは
風とともにあゆみて おもかげを風にあたへよ」
――尾崎翠「歩行」の冒頭より抜粋――
偽テクスト
ここにその人の「誕生」が、
誤読かそれとも偽テクストであるかについて、
考えてみなければならない。
選択肢は誤読か、
それとも偽テクストかしかない。
「誕生」は誤読かあるいは偽テクストかである。
なぜならそれは「詩」の内部における事件であるから。
そんなことは百も承知だ。
「法」に似ているといえるかもしれない。
法則であるとともに文法でもあるような何物かだ。
その人は「誕生」したのか。
「法」は問う、「法」は答える。
それは誤読だ、
または偽テクストだと。
(藤井貞和「日本の詩はどこにあるか・続」より)
詩論について引用されていますので、ではわたしも。。。
「詩作品は、核心に触れる事件の創造であり、≪裸体≫として
感じとられる≪交感≫である、ということによって聖なるものなのです
――それは自身への暴行であり、露出であり、他の人々への
生きる理由の伝達なのです。
ところで、この生きる理由は≪移り変わるもの≫です」
――「バタイユの黒い天使」・ロール遺稿集より抜粋(p305)――
さみしい
リルケは徹底した孤独を詩で詠みました・・・
「嘆 き」 リルケ
おお なんとすべては遠く もうとっきに過ぎ去っていることだろう
私は思う 私がいまその輝きをうけとっている
星は何千年も前に消えてしまったのだと
私は思う 漕ぎ去っていったボートのなかで
なにか不安な言葉がささやかれるのを聞いたと
家の中で時計が鳴った…… それはどの家だったろう?……
私は自分のこの心から 大きな空の下へ出ていきたい
私は祈りたい
すべての星のうちのひとつは まだほんとうに存在するに違いない
私は思う たぶん私は知っているのだと
どの星が孤りで生きつづけてきたかを――
どの星が白い都市のように 大空の光のはてに立っているかを……
(…バトーより少佐に捧ぐ、あるいは、タチコマよりバトーに捧ぐ…)
「片 恋」 北原白秋
あかしやの 金と赤とがちるぞえな
かはたれの 秋の光にちるぞえな
片恋の 薄着のねるのわがうれひ
曳船の 水のほとりをゆくころを
やはらかな 君が吐息のちるぞえな
あかしやの 金と赤とがちるぞえな
「八月の終わり」 ヘッセ
もう諦めていたのに、
夏はもう一度力をとりもどした
夏は、だんだん短くなる日に凝り固まったように輝く
雲もなく焼きつく太陽を誇り顔に
このように人も一生の努力の終りに、
失望してもう引っ込んでしまってから、
もう一度いきなり大波に身をまかせ、
一生の残りを賭して見ることがあろう
はかない恋に身をこがすにせよ、
遅まきの仕事にとりかかるにせよ、
彼の行いと欲望の中に、
終りについての秋のように
澄んだ深い悟りがひびく
316 :
吾輩は名無しである:2005/12/17(土) 13:23:18
もう冬だ
「朝の歌」 室生犀星
こどものやうな美しい気がして
けさは朝はやくおきて出た
日はうらうらと若い木々のあたまに
すがらしい光をみなぎらしてゐた
こどもらは喜ばしい朝のうたをうたつてゐた
その澄んだこゑは
おれの静かな心にしみ込んで来た
おお 何といふ美しい朝であらう
何といふ幸福を予感せられる朝であらう
外が寒すぎる。そういう時はやっぱこたつで読書がいい。
ローズマリ・サトクリフの「王のしるし」は児童書に分類されるけど
大人になってから読んでも充分面白い。
こういうの読むと、スコットランドとか行きたくなる。
319 :
吾輩は名無しである:2005/12/21(水) 22:15:34
寒い冬は手もかじかんで
頁をうまくめくれなかったりする。
ストーブをつけて部屋をあたため、
こたつに入りながら読むのがよろし
>>320 空気の入れ換えを忘れずに
本読んでるといつの間にか平気で三時間とか五時間とか経ってるし
ありがとう
家のストーブは連続八時間可動すると自動的に
オフになります
休日に朝からつけてたら途中で切れてることに気づかずに
寒い思いをしましたよ・・・
ああ、公園のベンチで本が読める季節、早くこい。。。
324 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/29(日) 08:08:51
初夏におもてでバタイユを読むのがすきだ。
あ、あげとこっと。
早く野にすみれの咲く季節になるといいですね♪
「すみれ」 ゲーテ
野に咲くすみれうなだれて、草かげに
やさしきすみれ うら若き羊飼の女、
心も空に足かろく、歌を歌いつ野を来れば
「ああ」と、切ない思いのすみれ草
「ああ、ほんのしばしでも野原で一番美しい花になれたなら
やさしい人に摘みとられ 胸におしつけられたなら
ああ、ああ ほんひと時でも」
ああ、さあれ、ああ、娘は来たれど
すみれに心をとめずして あわれ、すみれはふみにじられ
倒れて息たえぬ されど、すみれは喜ぶよう
「こうして死んでも私はあの方の、あの方の足もとで死ぬの」
327 :
吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 00:37:06
すなはた
328 :
DR.キリコ ◆vBuV4V6TIk :2006/05/05(金) 01:12:02
夜中にふと目が覚めると、誰かがドアを開けて入ってくる音が聞こえた。
鍵を掛けたはずなのにおかしいと思って起き上がろうとしたが、身体が
金縛りにあって動けなかった。侵入者は、恐ろしい顔をした体格のいい
ブ男だった。私の足元に立つと、いきなり私の足をつかんで、どこかへ
連れていこうとして引っ張った。私は恐怖感から叫ぼうとしたが声が出ない。
しばらくすると侵入者はあきらめたようで、部屋から出ていった。その後
私はウトウトと再び眠ったがすぐに目が覚めた。今のは何だったのだろうと、
飛び起きてドアの鍵を確かめてみたが、間違いなくドアの鍵はかかっていた。
もしかしたら、今のは何かの霊では・・・。
>>328 美香(=yonda?)のブログに書き込みしてる人?
330 :
DR.キリコ ◆vBuV4V6TIk :2006/05/05(金) 01:17:53
とは思うものの、この世に霊など存在するはずはない。そう固く信じて
疑わなかった。それから数日がたち、また同じことが起きたのである。
今度はその男もあきらめが悪く、強引に私のパジャマを引っ張り、パジャマが脱げた。
・・・そこからはまったく記憶にない。しかしその後まもなく私は妊娠した。
福田逸ブログ荒し、論先生実名晒し事件を知ってて絡んでんのか
だとしたらこいつもクズだな
332 :
DR.キリコ ◆vBuV4V6TIk :2006/05/05(金) 01:28:14
は?
334 :
DR.キリコ ◆vBuV4V6TIk :2006/05/05(金) 01:34:32
幼稚な捏造厨にだまされるような馬鹿じゃないんで。
335 :
DR.キリコ ◆vBuV4V6TIk :2006/05/05(金) 01:37:52
私は全面的に信頼してますから。
336 :
吾輩は名無しである:2006/05/05(金) 02:04:25
自民党系列防諜機関のエージェントだからあまり近づかないほうがいいよ。
337 :
吾輩は名無しである:
それは暗黙の了解で知れ渡っていること