引き篭もりの社会不適合の文学
青臭くて自意識過剰な思春期の餓鬼んちょだけの文学
ライトノベル
青臭い思想
トルストイの大人の文学と比較して稚拙
トルストイが大人の文学ということがよく分からない。
んなこたーない。
4 :
吾輩は名無しである:04/03/10 02:47
よく読んだ?
ドストは馬鹿
あんなの重宝がるなんて馬鹿でしかない
ドストなんて小学生で読んで
中学生の時にはもう飽きた
9 :
吾輩は名無しである:04/03/10 02:57
柄谷も愛読したようだよ。
10 :
吾輩は名無しである:04/03/10 03:01
トルストイ読んでみなさい。
それまでドストにはまってたことが馬鹿らしく思えます。
なんか信仰からぬけきれないのってやだ。
12 :
吾輩は名無しである:04/03/10 03:05
トルストイのは信仰ではないのだよ。
お前の読解力がないだけ。
トルストイ糞
なにあれ
頭悪すぎ
15 :
吾輩は名無しである:04/03/10 05:30
トルストイは馬鹿
思想が糞 小説は浅田次郎なみ
16 :
吾輩は名無しである:04/03/10 05:32
トルストイ
我こそ真に文学を知るものなりと言いたげな
衒学ぶったインテリ気取りのオナニーの為の道具
スノッブご用達作家
もちろんドストはヒッキー厨房ご用達作家
17 :
吾輩は名無しである:04/03/10 05:37
トルストイやばい
低能杉
なんでドスト信者ってこんなに馬鹿なんだろう?
はやくガス室送りにならないかな。
19 :
吾輩は名無しである:04/03/10 10:23
ウッラー
20 :
吾輩は名無しである:04/03/10 18:45
日本ほどドストエフスキーが好まれる国も他に無い。
本国のロシアですらドストエフスキー研究において日本には及ばない。
読者数も圧倒的に日本のほうが多いだろう。
ま、読書人口という少数派の中のさらにドストエフスキー読者という少数派にかぎった話だが。
オリンピックのメダルの数だけ可能性を秘めてるんだから
哀しむべき問題ではないでしょう・・・おそらく>社会主義
リア王の怪物性を理解できなかったトルストイ。
そりゃトルストイは糞だからだ
24 :
吾輩は名無しである:04/03/11 21:29
ドストエフスキー
トルストイ
スタンダール
バルザック
ディケンズ
ユゴー
デュマ
誰か不等号で格付けして
25 :
吾輩は名無しである:04/03/11 21:48
酒鬼薔薇>>>ドフトエスキー
自分が理解できなかったからって僻むなよな>
>>1 多分トルストイファンでもないと思う
27 :
パピヨン ◆tQ.hdNBCT2 :04/03/12 03:34
ドストエフスキー >>>>>>>>>バルザック>>>トルストイ
>>>>>スタンダール >>>>>ディケンズ
あとの2つはわからん。
28 :
吾輩は名無しである:04/03/13 22:07
ムイシュキン おめでてーな。
キリーロフ 素人にはお薦め出来ない。
ラスコーリニコフ 通の頼み方。
フョードル・カラマーゾフ アホかと。馬鹿かと。
地下室手記者 もう見てらんない。
スタヴローギン 危険も伴う、諸刃の剣。
アリョーシャ これだね。
コーリャ・クラソートキン もっと殺伐としてるべき。
イワン・カラマーゾフ 最新流行。
ゾシマ長老 これ最強。
金貸し老婆 すっこんでろ。
イエス きょうび流行んねーんだよ。ボケが。
ポルフィーリイ 小1時間問い詰めたい。
ドミートリイ・カラマーゾフそこでまたぶち切れですよ。
大審問官 とかもいるし。
リザヴェータ(罪と罰) 来てんじゃねーよ、ボケが。
スメルジャコフ ド素人
アポロン いつ喧嘩が始まってもおかしくない
お祖母さん 150円やるからその席空けろ
30 :
吾輩は名無しである:04/03/14 05:06
うんうん
31 :
ファロスマン ◆FTa/HQEoL2 :04/03/14 05:27
あえて否定的なことを言うと
女性で救われる、というとこが甘いかと
・・・でも好きだがドスト
>>31 罪と罰くらいなもんじゃん。多くは女性問題が不幸の一因になってる。
34 :
吾輩は名無しである:04/03/14 11:41
よく分かってるじゃないか。
35 :
吾輩は名無しである:04/03/14 15:10
ドストエフスキーほど、「情景描写」に秀でた作家はいないと思う。
それ故、「読む」というより、途中から「観る」といった感じで、
何ていうのか、視覚体験させられるんだ。
36 :
吾輩は名無しである:04/03/14 18:22
糞ストイage
37 :
吾輩は名無しである:04/03/14 18:33
↑
お前つまんね
YAHOOに帰んな
定期上げ
39 :
吾輩は名無しである:04/03/17 21:22
ふざけんじゃねー
ドスの悪口言うなや!!
わかりもしねーくせに、青臭いことゆーんじゃねー!!
>>31 ダンテでもトルストイでも、清い女性に心を洗われて救われていくのだが。
41 :
吾輩は名無しである:04/03/25 23:57
不毛不毛。
実に不毛。
馬鹿ドス信者に反応するトル信者も馬鹿。
両者とも素晴らしい作家なのに可哀想ね。
43 :
吾輩は名無しである:04/05/26 05:28
↑素晴らしい人だ。
ドストストフスキーは、顔が怖い。だけど、プリンが好きらしい。
少年時代、近所に住んでいるお婆さんにプリンを焼いてもらったのがいちばん嬉しかったことだって。
泣ける。
45 :
吾輩は名無しである:04/05/28 15:57
とんでもない状態になってないかどうか確認して。
ここではあの、最初っから、一番ややこしいところなんですが。
逆に言うと、一回しておくと、たとえばまあ、テフ、とか。
張りこんだり、取り込んだりができるわけです。
いきなり出すよりは、印刷をやっておいておいてほしいです。
46 :
吾輩は名無しである:04/06/02 16:04
47 :
吾輩は名無しである:04/06/02 22:27
どうして日本人ってドストエフスキー好きなの?
民度が低いから?
48 :
吾輩は名無しである:04/06/02 22:31
ドストエフスキーごときが、
フローベールやスタンダールやトルストイと比肩するか、
それ以上の作家だと思ってる糞馬鹿なんて世界中捜しても極東の島国猿だけです。
50 :
吾輩は名無しである:04/06/18 03:34
トルストイこれから読み始めたいんですが、なにから読むのがおすすめですか?
51 :
熱液浴夫 ◆xsnIkAi182 :04/06/18 07:56
復活がおもろかった。
トルストイは凄い
53 :
吾輩は名無しである:04/07/07 14:54
たしかにドストエフスキーの思想は同時代の哲学者に比べて劣る。
まぁ彼の小説で見るべきは人物の面白さとか会話とか。
イワンの大審問官なんてそのままマルクス主義だしな
54 :
吾輩は名無しである:04/07/08 02:05
ドストエフスキーは若者向けということでいいんでないの?
アンチを気取るくらいなら、さっさと卒業した方がいいと思うが。
ドストは侵略戦争マンセーのバリバリの帝国主義者。
トルストイの踏んだ足跡を舐める価値もない人間のクズ。
56 :
吾輩は名無しである:04/07/08 08:03
まだやってたのか
結婚しているのに不倫するなんてサイテーの男だ。
トルストイとは人間としての格が違う。
主観にどっぷり溺れたドストエフスキーの思考は、独善的な独我論にすぎない。
輝かしい理性を併せもつトルストイの敵ではない。
(ってホントかな?トルストイなんかあんまり覚えてないんだけど)
えーと、えーと、それから…
そうそう、ロシア・メシアニズムにかぶれるなんて、アッホじゃないの?
真のコスモポリタンである、トルストイを見よ!
(なんてね)
せっかくこんなおバカなスレがあるんだから、もうちょっとドストの悪口かいちゃお〜っと。
やっぱり本スレには書きにくいもんね。
ドストは女性の造形・性格描写がドヘタ!
あんなの、ひらひらドレスを着せて無理矢理女装させた「観念」にすぎない。
同性の眼から見たら、アグラーヤにしろカテリーナにしろグルーシェニカにしろ噴飯もの。
第一、ドストの登場人物ってなんであんなにいつもカリカリキャアキャアしてるのだろうか(男性キャラ含む)
みんなカルシウム不足なんだろうか??
一番腹立つキャラって「白痴」のトーツキイだよね。
あれだけの悲劇の元を作っておきながら、途中でフランスの侯爵夫人とくっついちゃって、
小説外逃亡するんだもの。
ズルーーイ!!あいつがすべての元凶のくせに。
ってこれドストの悪口じゃないか…
戦争と平和のナターシャ最強伝説
ばかばかばかばか、ドストのばか!!
なんで「作家の日記」なんて書いたんだよ?もうイメージ壊れまくり。キライ!!キライだ〜!
勝手にゾシマ長老みたいな平和主義者だとばかり思い込んでた。もう騙されたってカンジ。
あたしドストがただの右翼のオサーンだと知りたくなかった。
あれじゃただの帝国主義の御用作家じゃないのさ〜〜。
ばかばか、ドストのばか!
戦争と平和を読めばいいんだよ
オードリー・ヘップバーンのは見た
見るんじゃなくて読むんだよ
だってトルストイってあんま趣味じゃないもん。
ドストが好きなんだもん。
トドストイ
2人は同じくらい凄いんだ
じゃあ、ドストの全集読破したら「戦争と平和」読もうかな。
ドストはあと「他人の妻とベットの下の夫」「いまわしい話」「冬に記す夏の印象」「書簡集」を読めば
全集読破できるのよ。
「アンナ・カレーニナ」はこないだ、前半と…ラストのとこは読んだけど。
アンナがおでぶで、ウロンスキーが若禿げだったとはびっくり。
レーヴィンの性格、くどすぎ。19世紀の作家ってなんであんなに信仰のことで苦悩するの?
神が存在しようがしまいが、そんなことどうだっていいじゃん。
神が存在しないと、なんか困ることでもあるの??特にないじゃん。
あっ、ついでに「アンナ・カレーニナ」に出てきたロシアの伝統料理「カーシャ」のレシピ、
書いといてあげる。ほら、レーヴィンが好きなやつ。そばの実を使ったお粥というか、ピラフと
いうか。きっとトルストイも好きだったはず。あたし今、ロシア料理作るのに凝ってるのよ。
カーシャの材料(2人前)
そばの実…1カップ 玉ねぎ…1/4個 コンソメ…2個 しょうゆ…大さじ1/2
植物油…大さじ1 バター…大さじ2 塩…少々 胡椒…少々
作り方
1.そばの実は洗ってざるにあげて水をきる。
2.玉ねぎ、みじん切り。
3.鍋に2カップの湯を沸かし、コンソメを溶かし、しょうゆを加える。ここにそばの実を
加え、柔らかくなるまで強火で5分ほど煮る。
4.フライパンで玉ねぎを炒める。
5.3の鍋に4の玉ねぎとバターを加え、水気がなくなるまで混ぜながら火にかけ、塩と胡椒で
味を調える。
6.器にもってできあがり。
味はもろ、そばの味よ。そばの風味が好きな人にはたまらない一品かもね。
当時のロシアの信仰の問題は人生の根本問題だったのさ。イエイ!!
ドストの全集制覇してみせる、とか本スレで宣言しちゃったんだけどさ、今夏休みでしょ、
毎日遊びまくってるから、夜とか眠くってさ、全然読めやしないわよ。
大体、考えてみればドストって全然夏向きな作家じゃないわよね。
海で一日遊んで帰ってから、「プロハルチン氏」なんか読むわけないじゃん。
せめて、ヘミングウェーにしておけばよかったよぉ…
さあ、お次は「ステパンチコヴォ村」だわね。
名前からしてつまらなそうだわ。
あ〜〜めんどい。
ドストとトルストイがどちらが優れてるか、なんて愚問だね。
2人とも有神論者である、という時点で時代遅れだよ、もはや。
誰が問うたんだ?
ここの>>1
ああそうか。1なんて久しぶりに見た。
しくしく…。
本スレにブリン(ブリヌイー)のレシピ書いたげたら、怒られた。
ドスト好きって、性格悪いのが多いわよね。
あたし傷ついた、しくしく…。
あなたにはトルストイへの道が開かれている。
「戦争と平和」あなたに・・・
「アンナ・カレーニナ」あなたに・・・
あっ、でも今朝見たらブリン作ってくれたひとがいたわ。うれしい!
捨てる神あれば拾う神ありってこのことね。わたし、無神論者だけど。
ドストエフスキーのばっきゃろー!!!
「カラ兄弟」読み直してみたら、イワンが可哀想で泣きそうになっちまったじゃないかよ…
「苦痛は快楽である」という地下生活者のテーゼは、自分には永久に納得できそうもない。
今、歯が痛くて死にそうなんだけど、日曜日でおまけに明日もお盆で医者は休みかと思うと。
もう死にそうだよ、これのどこが快楽なんだよ、た、たすけてくれ…。
84 :
吾輩は名無しである:04/08/17 05:13
「地下生活者の手記」で2+2=4はイヤだ、っていうくだり。賛成できません。
2+2を5とか3とかいいくるめるタイプの独裁者に対して抵抗不可能ですから。
画一性の押しつけはよくないと思う。けれど、客観的真実を隠蔽しかねない
抗議は、やり方を誤っている。他は自意識過剰の壊れた人を丁寧に描写していて
いいんだけどね。ある自意識過剰の知り合いに貸してやったら、人が変わったようになったよ。
85 :
吾輩は名無しである:04/08/17 05:16
「悪霊」を読んだとき、無神論者たたきに閉口しました。
わたしは仏教徒ですが、キリーロフ・タイプじゃありません。わたしの
周りの人たちもそうです。
やはりキリスト教中心主義は抜けていない。これって日本やアジアから見れば
「西洋」そのものなんだよね。ま、時代の限界はあったと思うけど。そういう意味では
両義的ですね。
86 :
吾輩は名無しである:04/08/17 05:21
ドストは自由と放縦、自由と反動の区別がつかないようだね。自律性を大切
にする本当の自由主義者が読んだら笑っちゃうYO!
まさか、このスレ上げるとは思わなかった…ヽ(゚Д゚; )ノ
88 :
吾輩は名無しである:04/08/17 11:35
>>64 ま、作家とか文豪とか天才とかいっても、一人の人間。ただのオヤジ、ただのウヨ。
文壇政治のなかで生き残るためにもウヨだのサヨだのと派閥に入らなきゃならなかったの
かもね。
89 :
吾輩は名無しである:04/08/17 11:45
>ドストは女性の造形・性格描写がドヘタ!
>あんなの、ひらひらドレスを着せて無理矢理女装させた「観念」にすぎない。
>同性の眼から見たら、アグラーヤにしろカテリーナにしろグルーシェニカにしろ噴飯もの
そうですね。彼の描く女性像にはリアリティがない。やはり女性蔑視があって、
女性のキャラは重要ではないとか、描くのは簡単だといった意識が作用していたのでわ?
彼の描く女性は、聖母か娼婦かの二極分解。また、「わたしには教育がありませんけど〜」
とかなんとか卑屈なセリフばかり言っているのが、いかにも上品で繊細な貴族や中産階級の女性なのもおかしい。
男性に比べれば期待されない・投資されない・二流以下のコースに隔離されるとはいえ、
まったく何も知らないわけでもないだろうに。女性だって中産階級以上なら学校教育
を受けたり家庭教師についたりして、「女性向き」の科目中心とはいえ、勉強しているはずだ。
サロンに出入りしていれば、会話や読書から学ぶこともあったはず。
そのへんの事情はちゃんと描けていないね。
それだけトンチンカンなキャラクター造形をしておきながら、「悪霊」では物語の最後で
大地母神の化身のような救世主的な女性が出てきたりする。ハッキリいってダメんずに
ハマっている女そのもの。共依存を美化しているみたい。読むだけで萎えてくる。
90 :
吾輩は名無しである:04/08/17 11:50
追記。
ドストは女性のほか白痴・未成年などを一種の救世主としてヨイショしている。
これは差別ではないのか? 周辺的な他者を蔑視しつつ、非日常的なシーンに
おいては「神」として崇める、というのは相手を対等な人間とみなさないことの
表裏にすぎない。
91 :
吾輩は名無しである:04/08/17 12:01
差別したっていいんじゃねーの?
それにどうせ
>>90みたい奴はリアルで滅茶苦茶人を差別して生きてるんだろうし。
説得力ねーよなー
92 :
吾輩は名無しである:04/08/17 12:05
ドストというよりも、ドスト・マニアで先生職についている人はわけのわからない
人が多い。
以前通っていた予備校でドストの読書会をやっている先生がいた。生徒からは
「自己啓発セミナーみたいで気持ち悪い」と悪評だった。その先生が予備校内の
ミニコミに書いた情報を見たことがある。妊娠中絶するかどうか迷っている生徒が
いきなり「生命の尊さが見えました。絶対に生みます。」と決意表明をしていた。
正直、萎えた。あまりに観念的すぎる。自分のやりたい勉強や仕事、育児の大変さ、経済的な見通し、
子どものお守りに協力してくれそうな家族や友人の有無、十代で子どもを産むことへの
社会的な偏見の強さ、といった点を確認せずに、その場の勢いでそこまで言ってしまって大丈夫なのか?
と疑問に思った。
なお生命がいつから始まるのか、あるいは女性か胎児のどちらの命をとらねば
ならなくなったときに誰が決定権をもつか、といった具体的な話もしていない。
出生前に障害児や病気の胎児だと分かったときにどうするか、という話もない。
すべては「自然」主義によって、「自然」に純粋な日本民族の健常な男の子が生まれ
るという暗黙の前提に立って議論がすすめられている。
「命は大事!」というスローガンだけですべてを決めていいものか?
思考停止じゃないか?なんだかファシズムっぽくてコワかった。
なんだかドストも女性を生命ではなくただの生命製造装置のように見なしているみたいで
差別的。それが「自然」とか言われてもふざけているとしか言いようがない。
100年以上前に死んだ人間に対して、差別だのなんだの言われてもなぁ・・・
時代も国(歴史)も違うのに、自分の価値観を押し付ける方がファシズムっぽくて怖いんだけど。
それになんか、思い込みだけで怒ってない?
94 :
吾輩は名無しである:04/08/17 13:04
ちょっと待ってください。その予備校のドスト先生はまだご健在です。
読んでからまともな反論を。レッテルばりは不毛。
95 :
吾輩は名無しである:04/08/17 13:09
話を元に戻しますよ。
もうひとりドスト・マニアの先生について。彼はとある公立大学の教授。
人は人と人との関係の中で生かされている、それがドストの思想だと主張。
まあそれはいい。次が問題。だから夫婦は離婚できないような法律を作るべきだとか、
虐待されている子を親元から離しちゃいけないだとか、トンデモな主張をするので
辟易させられた。もちろん、ドスト本人とは無関係とは思うが、
どうもドスト・マニアの一部にはこの手のわけの分からない人が多いと
思うのは自分の気のせいだろうか?
96 :
吾輩は名無しである:04/08/17 13:11
ああ、そうそう、もうちょっとで書き忘れるところだった。
95の先生は、「自意識過剰はダメ」「プライドは持たないほうがいい」と
問題提起する。妥当だと思う。
問題は、ぜんぜん自信過剰ではなくプライドが低すぎて困っている人たちに
対してそう説教すること。
また、反論者をシカトするようにしむけたり、誹謗中傷のウワサを流したり
すること。
なお、その先生こそローカルエリート夜郎自大の見本のようなキャラであることも
言い添えておこう。
97 :
吾輩は名無しである:04/08/17 13:14
また、ある国立大の先生は、ドストを読んだ、と若いヤシが言えば、
ドストのすべてに賛成したものと思って感嘆している。
実際には異論も反論もあったり、「自分や自分の仲間にはこういうタイプいないな」
と思っているのに、いきなりそう解釈している。
彼の権威崇拝ぶりはとても滑稽です。ちなみに彼もやはり「自分はステージが高い」
という自負心に満ちた「東大クン」タイプ。
病院行ったら?
>>84,85,86その他
あの、あなた、もしかして本スレの 260番さん?
どうしちゃったの、こっちにスゴイいきおいで書き込みして。
84,85,86番の意見に限っては激しく同意だけど。
ドスト・マニアについては、まぁ色んなひとがいるって事じゃない?
96は、その先生達からよっぽど酷い目にあわされたんだろうか。なんか心配。
ついでに100getしとく。
>>24 トルストイ>>>>>>>>>>>>>バルザック>>>>ドストエフスキー>>スタンダール>>>ディケンズ>>ユゴー>デュマ
わ〜い、ドストの全集、ほとんど読破したわよ。
これで心置きなくドストとは、おさらばできる。
まじ、トルストイの「戦争と平和」に行っちゃうつもりよ。
『大人の文学』とやらの底力を、みせてもらおうじゃないのトルストイ!!
103 :
吾輩は名無しである:04/08/18 12:45
あの壮大さに呑まれないようにな。やたらはりきってると挫折する奴多そうだ。
なんだトルストイズム君が立てたスレなのか・・
105 :
吾輩は名無しである:04/08/23 09:55
どっちも凄いじゃんか
でも一番すごいのは宇宙。
ヤバイ。宇宙ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
宇宙ヤバイ。
まず広い。もう広いなんてもんじゃない。超広い。
広いとかっても
「東京ドーム20個ぶんくらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろ無限。スゲェ!なんか単位とか無いの。何坪とか何?fとかを超越してる。無限だし超広い。
しかも膨張してるらしい。ヤバイよ、膨張だよ。
だって普通は地球とか膨張しないじゃん。だって自分の部屋の廊下がだんだん伸びてったら困るじゃん。トイレとか超遠いとか困るっしょ。
通学路が伸びて、一年のときは徒歩10分だったのに、三年のときは自転車で二時間とか泣くっしょ。
だから地球とか膨張しない。話のわかるヤツだ。
けど宇宙はヤバイ。そんなの気にしない。膨張しまくり。最も遠くから到達する光とか観測してもよくわかんないくらい遠い。ヤバすぎ。
無限っていたけど、もしかしたら有限かもしんない。でも有限って事にすると
「じゃあ、宇宙の端の外側ってナニよ?」
って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。
あと超寒い。約1ケルビン。摂氏で言うと−272℃。ヤバイ。寒すぎ。バナナで釘打つ暇もなく死ぬ。怖い。
それに超何も無い。超ガラガラ。それに超のんびり。億年とか平気で出てくる。億年て。小学生でも言わねぇよ、最近。
なんつっても宇宙は馬力が凄い。無限とか平気だし。
うちらなんて無限とかたかだか積分計算で出てきただけで上手く扱えないから有限にしたり、fと置いてみたり、演算子使ったりするのに、
宇宙は全然平気。無限を無限のまま扱ってる。凄い。ヤバイ。
とにかく貴様ら、宇宙のヤバさをもっと知るべきだと思います。
そんなヤバイ宇宙に出て行ったハッブルとか超偉い。もっとがんばれ。超がんばれ。
その宇宙を描いているのがトルストイなんだよ。だから史上最高の文豪なんだろう
108 :
吾輩は名無しである:04/08/25 22:06
「カラマーゾフの兄弟」新潮文庫版
活字が大きいのが出てきたね。これを機会にもう一度読み返したい。
学生時代に義務として読んだんだが、なにが素晴らしいのか、どこに
感動するのか、さっぱりわからなかった。あの大審問官の章も、全く
意味不明なまま終わってしまった。
今ある程度の年齢を重ねた俺が読み返して
「カラマーゾフの兄弟」がどう見えるのか、興味がある
109 :
吾輩は名無しである:04/08/26 00:58
自分は中学三年のとき、「カラマーゾフ」と「戦争と平和」を読んだ。
もう随分昔のことだが、「カラマーゾフ」を読んだ衝動は、今でも鮮烈に
記憶に残っている。ここで一部の人が言っているように、ドストエフスキー
は二流の作家ではない。いい作家だと思う。
それから、好きな作家をあまり過大に持ち上げないほうがいい。
例えば、リルケが好きなら、「僕はリルケが好きだ」と言えば済む。
声を荒げるのは、読書によくない。
110 :
吾輩は名無しである:04/08/26 01:13
良いことを言う。
111 :
吾輩は名無しである:04/08/26 03:16
俺はどっちも読んだの20歳超えてからだったけど、トルストイは凄いと思ったけど
ドストエフスキーはイマイチだったな。
実際に社会で揉まれてると空虚な感じがするんかもしれんねドスト。
112 :
吾輩は名無しである:04/08/26 03:27
みんなゴーゴリを読もう!
素直にどっちも凄いと思った。
114 :
吾輩は名無しである:04/08/27 15:10
>>108 こういう可哀相なのもいるんだね。感性の欠如
感性は生まれ持ったものだから、また読んでも無理じゃん。
訓練もなしに感性の器が広がるわけないだろう。きっと
>>108は晩成型なのさ
感動出来なきゃ感性の欠如かよ。
文学なんて知識と経験でいかようにも感想が変わるのは常識。
数年後に読んで全く違う感動を得たとか、そういう経験無いのか?読書経験の乏しい人だろうか。
>>116に同意
小説を読み返すと以前は気にも留めなかった部分に惹かれることがある。
これは自分自身の経験を通して昔は理解できなかった登場人物の考え、
行動等が理解できるようになったということで、それによって自分の心情の
変化ないしは成長を知ることができる。これって小説を読む楽しみのひとつ
だと思う。
トルストイもいいんだけど、なんというかあまりにも客観的にさらさら進みすぎて物足りない。
登場人物の心の動きや行動も、定石どおりでなんか全部予測できてしまうし。
ドストを読むと、自分自身でもしらなかった、というよりは必死に見ない振りをしていた自分の心の暗部を
えぐりとられ、無理矢理みせつけられるような非常な衝撃と陶酔感を覚える。
トルストイからはそういうのは得られない。タイプの違う作家だから当たり前なんだけど。
ドストは毒だ、ぞっとする。反撃できる力が読者にないと心身ともに毒されてしまう、危険な作家。
トルストイは芸術の極って感じだな。
120 :
吾輩は名無しである:04/09/02 07:35
なにが芸術なんだかわからんよ、トルストイ。
そこらの文学誌にのってるやつの方がずっと面白い。
121 :
吾輩は名無しである:04/09/02 13:51
そりゃ気の毒に
122 :
吾輩は名無しである:04/09/02 16:33
ま、人それぞれって事だな。俺もバルザックをいくら読んでもよさがわからない。
123 :
吾輩は名無しである:04/09/02 16:45
>>114 >>115 ほう、チミらは何にでも感動するわけか。ある意味、うらやましい人種だ(笑
それに訓練とは! 訓練すれば今まで感動しなかったものに、感動できる
ようになるのか。そりゃどういう感覚の感動なんだ。・・なんかの新興宗教の
イニシエーションみたいなもんかな。一度味わってみたいもんだ(笑
ある対象には感動し、別の対象には心を動かされない。・・これはごく普通の
感性だ。その対象が、たとえ世界の名作と言われようともだ。
そういえば、あの五木寛之もドストエフスキーを最初読んだ時、
どこが面白いのかさっぱり解らなかったが、何回か読んでいるうちに、
味が解ってきた、みたいなことを対談で言ってたな。
俺が学生時代に読んだ本で、これぞ青春の一冊!と思った本を
挙げてみると、外国ものだと、
ニーチェ「ツァラトゥストラ」
ロマン・ロラン[ジャン・クリストフ」
・・てなところか。
どちらもハイテンションで行動主義的な作品だ。こう考えてみると
俺がドストエフスキーに感動しなかったのも道理だな(笑
これらの作品が俺に指し示した通り、なにごとも挑戦をモットーに
生きてきたが、ある程度の齢を重ね、少しは丸くなったかな・・・
という今の俺が、ドストエフスキーを読み返してみようと思ってるわけだ。
126 :
吾輩は名無しである:04/09/02 21:47
ああ、ツァラトゥストラは下らん過ぎて挫折したな。
そんな俺は地下室の手記が一番好き。
127 :
ativian:04/09/02 22:08
社会主義体制の中トルストイは理想を書き、ドストエフスキーは苦悩をかいた。
このロシア文学の両翼として理解すべきものだと思う。
おめーら文学部ですか?
<<108確かに活字のでかいのはいいな。
持っているのにかいたくなったw
128 :
ativian ◆29NwUP8IZ6 :04/09/02 22:09
おっと・・
129 :
吾輩は名無しである:04/09/03 07:55
>あの大審問官の章も、全く
>意味不明なまま終わってしまった。
何歳か知らないけど、今なら意味不明って事にはならないんじゃない?
ま、読んでみる価値はあるよ。意味が分かってて感動できないのと、意味が分からなくて感動できないのは
全然違うからね。
130 :
吾輩は名無しである:04/09/03 11:08
理解しないのは構わないが、
>1の文章はなんだ。
この板全体、文学部そのものの否定につながりかねない。
トルストイ読んでりゃ社会適応たあ何だ(w
131 :
吾輩は名無しである:04/09/03 11:58
同意の意
132 :
ativian ◆29NwUP8IZ6 :04/09/03 12:36
まあ1よ
事象を多角的観点から読みそれをヘーゲル的に総合定立していくには、
テーゼとそのアンチを理解する前提がある。
その点でドストエフスキーはトルストイのアンチとして適格だろ。
つーか青臭いのか?w
>>70 んな質問はロシアどころかヨーロッパやアメリカの方々に片っ端から
「アンタたち宗教の何処がそんなにいい訳?」
と、小一時間問い詰めてるのと同じ。
>>124に端にもかからない事書いてるヤシがいるな。
そうやって何にも感動出来ない不感症になるよか氏ぬ程マシだと思ふ。
訓練というのが嫌なら、潰した時間を無駄にしない為のユーモア、
みたいなモンで宜しい?
人間その気になれば参考に出来ないものなんて何ひとつ無い。
ていうか宗教の如くに神懸かったレベルで没頭するしか能の無いヤシに
大衆の共感を呼ぶ文章なんて書けるものか。あほう
>>132 >多角的観点から読みそれをヘーゲル的に総合定立
そういう生産的なことはサイト違い。ここは2ちゃんねる。
>>134 チミは文学板には珍しく、文章が下手だね(笑
何が言いたいのかよく解らないんだが。もっと論点を整理して書くべきだね。
137 :
ativian ◆29NwUP8IZ6 :04/09/03 23:48
<134
情緒概念は対偶が存在して認識することが多いだろ。
後半は理解に苦しむw
つまり人間である君はすべてを参考にし大衆の共感を呼べるのか?
少数の反感は読んだと思うが・・・
138 :
ativian ◆29NwUP8IZ6 :04/09/04 00:26
きゃあ!
恥ずかしい!
読んだ=呼んだ
あ〜あ、ドストエフスキーって女が読んではまるには、サイアクの作家だよな〜。
男だったらいいわよ、友達に「俺はドストエフスキーが好きなんだ!」って言えば、インテリっぽくて
尊敬されるじゃん。
女だったら絶対言えないわよ。友達にはひた隠し。
たしかに女性の感覚からすると、ドストが作品の中で提示している問題って、大部分が自分の実感から
ずれてる、どうでもいいことなのかもしれない。
ドストが晩年になってようやく到達した、人間にとって大事なのは観念・思想に振り回されることではなくて、
生きること、自分の生を愛する事である、なんてことは女にとって最初からアッタリメーだわよ。
でもやっぱりドスト、好きだな。あの狂気にも似た観念の王国ってたまらない!形而上学ってサイコー!!!
140 :
吾輩は名無しである:04/09/15 18:30:41
ドストエフスキーは幼稚園児向けの良い作品を書く作家だと思うよ。
児童文学なんだから我々には良さが理解できなくて当たり前だろ。
トルストイと比べること自体が間違ってる。
141 :
吾輩は名無しである:04/09/15 19:25:05
>139
>ドストが晩年になってようやく到達した、人間にとって大事なのは観念・思想に振り回されることではなくて、
>生きること、自分の生を愛する事である、なんてことは女にとって最初からアッタリメーだわよ。
それはそうだけど、観念・思想に振り回されたあとに気づく生と、女性が当たり前のように生きてる
生とはやはり違うよ。生を愛すると言っても重みが違うよ。
思索・感覚両面から生を愛することに近づけるじゃないか。
もちろんドストエフスキーを愛するあなたは、そんじょそこらにいる凡百の当たり前に
生を愛する女達とは一線を画す、素晴らしい女性だと思います。
あっ、なんか気を使ってフォローしてくれてありがとう
>>141 とっても嬉しい。
でもドストを愛するからって、人間特別高尚になれるわけじゃないと私思う。
その実例が、ドスト本スレで只今進行中…男の子達が完全に形而下ネタで盛り上がってる。
私も面白いから、ウォッチングを続けちゃうわw
男の子の実態観察中〜!なんてね(゚∇^d)
144 :
吾輩は名無しである:04/09/20 20:02:23
>>でもドストを愛するからって、人間特別高尚になれるわけじゃないと私思う。
同意だな。ドスト読んでりゃ素晴らしい人間なんてこたあない。どうやってそれを血や肉にするか、だと思う。
それを知ってる
>>143は、そんじょそこらにいる凡百の当たり前にドストを愛する女達とは一線を画す、素晴らしい女性だと思います。
お約束の突っ込みありがとん。
147 :
吾輩は名無しである:04/09/20 21:32:26
ここには腐女子しかいないみたいだなw
148 :
吾輩は名無しである:04/09/25 15:30:41
キモい。
149 :
吾輩は名無しである:04/09/25 15:47:30
はずかしくて聞けなかったんだけれど
形而上学的に〜ってどういう意味?
よく村上春樹が小説で言うてるけど、スルーしてたよ
なんかカタカナ多くてかっこいいけど、
意味しらなんだ
150 :
吾輩は名無しである:04/09/25 15:48:40
辞書みたけど、わけわからん。。。。なにこれ???
けいじじょう-がく ―じやう― 4 【形▼而上学】
〔metaphysics〕
(1)存在者を存在者たらしめている超越的な原理、さらには神・世界・霊魂などを研究
対象とする学問。第一哲学。
(2)客観的実在やその認識の可能を端的に認める哲学的立場。不可知論
や実証主義の立場から独断論や実在論を称した語。
(3)事実を離れて抽象的なものにだけとどまる議論を揶揄(やゆ)し
ていう語。
(4)書名(別項参照)。
151 :
吾輩は名無しである:04/09/25 16:05:44
つーか、ドスト自身、全然高尚な人間じゃないw
ギャンブル狂いで性格破綻者の元死刑囚。
152 :
吾輩は名無しである:04/09/25 16:57:03
旧ソ連じゃ、トルストイと比較されると
国策的にいろいろまずい作家のはず
>>149 形而上学とは一般的には、すがた・かたちをもつ事物を超えた世界の領域、世界の存在、
その存在の意味、最高存在(=神)などについて考察する学問。
神は存在するか否か、不死はあるのか、因果律から自立した自由は存在するか、この世は
時間的・空間的に有限か無限か、などが代表的な形而上学的な問いとして提出された。
ドストの「カラマーゾフの兄弟」は、神・不死・自由などの形而上学的問いが満載されていて、
エンタメとしても哲学小説としても楽しめる大変お得な形而上学小説。
>>156 無神論的革命思想=社会主義を否定したから。
『悪霊』は発表当初から検閲が凄まじかったらしい。
>>156 レスしたんだから礼くらい書けよ。
ドストファンは礼儀を知らんな。
「叙事詩の伝統を受け継ぐ第一人者トルストイと、シェイクスピア以後の演劇的気質を示す
大作家の1人ドストエフスキー。
現実的なものや、客観的なものや、具体的経験の感覚的総体を呼び起こし、地球をひとまたぎする
巨人のごときトルストイと、幻覚的なもの、亡霊のごときものと絶えず接触し、最後には夢幻の
おりまぜにすぎないことが判明するかもしれないものの中へ魔神のように突入しようと絶えず敏感に
神経を働かせていたドストエフスキー。
健康とオリュムポス神のごとき生命力の具現トルストイと、病気と戦い魔にとり憑かれていた
活力の総体としてのドストエフスキー。」
ジョージ・スタイナー「トルストイかドストエフスキーか」
160 :
吾輩は名無しである:04/10/07 07:14:49
ねえ、随分前の話で恐縮だけど
>>65、トルストイの「戦争と平和」読むように進めてくれて
ありがと。とっても良かったよ。
トルストイはドストにくらべて、はるかに女性の造形・描写にリアリティがあるね。
ナターシャは、女性が読んでも納得いく女性像だったよ。
じゃあね。
65って俺か。確かに薦めてるね。トルストイの宮殿にまた一人、ドストファンを招き入れることが出来て良かった良かった。
他のドストファンも是非読んでね。
しっかしな〜トルストイに比べて、ドストって笑えるぐらいオンナの描きかたがヘタだよな〜。
最近、ここの
>>1が言ってることも当たらずとも遠からずだと思うようになった。
青臭くて自意識過剰な思春期の餓鬼…って言えてるかも。ドストの作品にでてくるオンナはすべて
オトコの幻想か妄想の産物。
しかし、その餓鬼んちょの視点を60歳になるまで失わなかったのが、ドスト文学の身上か…。
>>162 わたくし、あなたがドストエフキースレに来たら許しませんからね!
>>163 ふっふっふっw
そう言われるとかえって行きたくなるのが、人間のさがというものよw…
【(゚д゚)ウラー】F・ドストエフスキー【許しませんからね!】
↑ドスト・スレのこれワロタ
昨日、近所の飲み屋「都」へ行ったんです。「都」。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらフョードル・パーヴロウィッチ・カラマーゾフのところのイワンとアリョーシャが
衝立の陰でなにやらひそひそ長話をしているんです、神はあるかとか不死は存するか、とかなんとか。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、魚スープと紅茶とさくらんぼジャムだけで何時間も席占領してんじゃねーよ、ボケが。
さくらんぼジャムだよ、さくらんぼジャム。
てめーらの親爺がグルーシェニカっていう女を間に挟んで長兄と今にも血の雨降らそうって時に。
兄弟2人で飲み屋で形而上学か。おめでてーな。
「もし神が存在しないのならば、考え出すべきである」、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、ヴォルテールの翻訳本やるからその席空けろと。
神学談義ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
Uの字テーブルの向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。ガキは、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、イワンの奴が、「俺は神を認めないわけじゃないんだ、アリョーシャ、
ただ謹んで切符をお返しするだけなんだよ」、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、“ニヒリズム”なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、「ただ謹んで切符をお返しするだけなんだよ」、だ。
お前は本当に、今現在虐待を受けている子供たちの苦しみや悲しみをどうにかしたいと思っているのか?!と
問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、「子供の時に両親から育児放棄された俺って可哀想…」って言いたいだけちゃうんかと。
形而上学通の俺から言わせてもらえば今、通の間の最新流行はやっぱり、“実行的な愛”、これだね。
「神のまえで、神と共に、私達たちは神なしに生きる」。これ大人の生き方。
神は、われわれが神なしに生活を処理できる者として生きなければならないということを、われわれに知らせる。
神という作業仮説なしにこの世で生きるようにさせる神こそ、われわれがその前に立っているところの神なのだ。
ならば、神学談義なんてブチくっだらねーことやってないで、自分の出来る範囲の実行可能な行為を黙ってやる。
これ最強。
しかし、それってたしかボンヘッファーっていう神学者の「神無しの神学」っていう思想でなかったですかね?と
突っ込まれるという危険も伴う、諸刃の剣。ガキにはお薦め出来ない。
まあお前のようなケツの青いガキは、魚スープでも啜ってなさいってこった。
しまった…
そんな事より
>>1よ、聞いてくれよ。スレの主旨とはあんま関係ないんだけどさ。
を入れるの忘れてた… orz ってゆーか今時だれも使ってないテンプレだよな、これ。
いや、漏れはワラタよ。
ありがと、チミっていいひとね〜!
「われわれ自身にとってもこの戦争は必要だ。われわれが決起したのは、トルコ人によってさんざんに
苦しめられている『スラヴの兄弟』のためだけではない。自分自身を救うためである。
―――われわれの呼吸している空気を戦争は新鮮にしてくれる。われわれは堕落し衰弱して精神的に逼迫し、
今の空気の中で息も詰まりそうな状態なのだ。」
「戦争は一つのプロセスであって、まさにこのプロセスを経ることによって、最小の流血と最小の悲哀と、
最小の力の消費で国際間の安定を確保し、近似的にであれ、多少なりとも国と国との正常な関係が
できあがるのである。もちろん、これは悲しむべきことではあるが、実態がこういうものなら致し方ない。
いつまでという期限もなしに苦しむよりは、ひと思いに剣を抜いたほうがよい。
それに今の文明国の平和がどんな点で戦争よりいいのだろうか?むしろ逆に、人間を獣的にし冷酷無残にするのは、
平和、それも長い平和であって、戦争ではない。長い平和は常に残忍、小心、粗野で飽食せるエゴイズムを生み、
何よりも知的停滞を生み出す。」
「一方、心広やかな目的のために、抑圧された人びとを解放するために、無私無欲の聖なる理念のためになされた
戦争――かかる戦争は、積もり積もった毒に汚染された空気を浄め、魂を癒し、恥ずべき小心と怠惰を駆逐し、
確固たる目的を宣明・樹立し、特定の国民が実現する使命を帯びている理念を提示し、かつその理念を明らかに
するのである。かかる戦争は自己犠牲の意識で各人の心を強固にし、国民を形成している万人の相互的連帯と
団結の意識をもって国民の精神を強固にする。肝要なことは、これが義務を遂行したという意識、完全にいい事を
したのだという意識によるものだ、ということである。」
上の文章は1877年の露土戦争の際、ドストエフスキーが自分の雑誌「作家の日記」に発表した
戦争賛美の文章の一節。
「人間を獣的にし冷酷無残にするのは、平和、それも長い平和であって、戦争ではない。」
↑よくこんなおバカなこと書けるよね、ドストって。
ドストとトルストイ、文学者としての優劣をつけるつもりは全くないけれど、こと思想については
やはり理性的かつ大局的にものごとをみられるトルストイのほうが、感情的にしか物事を考えられない
ドストのはるか上をいってるとしか思われない。
「私にとって民族が何でしょう?私はそれらの間に何らの差別もつけていません。私は人間のために
立っているものです。こんな戦争から人間にとってよいことがどうして起こり得るでしょう?
困った事に、戦争はわれわれに人間的義務の完全な忘却を示しています。家族に対する、祖国に対する
人類に対する義務の上に、さらに──こういう言葉を使うことが許されるならば、──神に対する
義務があるのです。…この私が神と名づける万有なるものは、闘争に関係なきものであります。
…そして今や彼らは、思索する生物の第一の義務が殺人を止めることであるという事実を忘却して、
戦争に引き入れられているのであります!」
「心の奥底では私は自分を愛国心から全く解放されているものとは感じないのです。隔世遺伝と教育の
結果、私は自分の意志に反してその愛国心が依然として自分の中に宿っているのを感じます。
私は理性の援けを呼び、より高い義務を思い出さなければならないのです。そしてその時、私は何ら
かの差し控えもなく、人類の利益を高く置くのです。そうです、私の意識は私に向かって言うのです。
『殺人はいかなる形式で現れようとも、いかなる理由に包まれようとも、常に厭うべきである。
戦争は奇怪な怪物の鞭である。それを準備する一切のものは非難さるべきである…』 」
(1904年 日露戦争勃発時のトルストイのコメント)
173 :
吾輩は名無しである:04/10/17 21:07:14
「一方、心広やかな目的のために、抑圧された人びとを解放するために、無私無欲の聖なる理念のためになされた
戦争――かかる戦争は、積もり積もった毒に汚染された空気を浄め、魂を癒し、恥ずべき小心と怠惰を駆逐し、
確固たる目的を宣明・樹立し、特定の国民が実現する使命を帯びている理念を提示し、かつその理念を明らかに
するのである。かかる戦争は自己犠牲の意識で各人の心を強固にし、国民を形成している万人の相互的連帯と
団結の意識をもって国民の精神を強固にする。」
結局さ〜、ドストもピョートル・ヴェルホーヴェンスキーと同じで、流血によって仲間の結束を図りたいと
思ってる訳だよね。血糊でくっつける、だっけか?
しかもそれは聖なる理念に基づいているのだ、ということで微塵も自らの正しさを疑うこともない。
こういう人間が一番おそろしいと思うね、私は。
174 :
吾輩は名無しである:04/10/19 15:32:24
>思想についてはやはり理性的かつ大局的にものごとをみられるトルストイのほうが、
>感情的にしか物事を考えられないドストのはるか上をいってるとしか思われない。
そう言われるとそうかもね。
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(・ヮ・。) (・ヮ・。) (・ヮ・。)
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::! ゙i::l `-、 `'''''" / l l .l/
∧_∧
( ´・ω・) たとえ世界が破滅するとも僕には一杯のお茶のほうが大事だ。(だったかな)
( つ旦O
と_)_)
パパパパパーン
_, ,_ ∩
( ‘д‘)彡☆
⊂彡☆))Д´)<<ドストエフスキー
ばかばかばかばかお前がっ、お前が「作家の日記」なんか書くから!
また、本スレ荒らしに行っちゃったじゃないのさ!!
ばかばか、ドストのばか!!
゚ o . 。 . . , . , o 。゚. ,゚ 。 + 。 。,゚.。
゚ , , 。 . + ゚ 。 。゚ . ゚。, ☆ * 。゚. o.゚ 。 . 。
。 . .。 o .. 。 ゚ ゚ , 。. o 。* 。 . o. 。 . .
。 . 。 . .゚o 。 *. 。 .. ☆ . +. . .
。 . . . . . 。 ゚。, ☆ ゚. + 。 ゚ ,。 . 。 , .。
゚ 。 ゚ . +。 ゚ * 。. , 。゚ +. 。*。 ゚. . . . .
。 . . 。 。゚. 。* 。, ´。. ☆。。. ゚。+ 。 .。 . 。 .
. 。 ゚ ゚。 。, .。o ☆ + ,゚。 *。. 。 。 . 。 .
゚ .゚ ゚ 。゚ + 。. +。 * 。゚。゚., ,+ 。゚. 。 . . , , .
゚。゚+゚`, o。。.゚*。゚ 。.゚ 。 ☆+。。゚. ° 。 . , ゚ ゚
。, .゚。 + ☆。,゚. o。 。+ 。゚., . ゚ , 。 。 . .
゚. o * 。゚。゚.。゚。+゚ 。 。 ゚。 ゚ 。 ゚
゚` .゚ .゚. ゚. . ゚ . ゚ . , . . . 。 ゚ .
. . . , 。 . . , .
。 ゚ . 。
, . . , . .
。 ∧∧ ∧∧ 。 でも、ほんとは愛してるんだ、トルストイよりもずっと…
( :;;;;;:::)( :;;;;: )
. . /:;;;;;: | | :;;;:ヽ
〜(::;;;;;;:/. |:;;;;;;: )
‐''"´'''"""''"`''""`"""''''''"´'''"""''"`''""""'''"''''''"`"""''''``'‐
ほんとお前らは抜作だよ!!
ttp://www.asahi.com/obituaries/update/1029/002.html ロシア文学者の原卓也さん死去
ロシア文学者で元東京外国語大学長の原卓也(はら・たくや)さんが26日午前7時10分、心不全のため死去した。74歳だった。
通夜・葬儀は近親者のみで済ませた。「お別れの会」を11月14日午後6時から、東京都千代田区神田錦町3の28の学士会館で開く。
喪主は妻律子さん。自宅は公表していない。
東京外国語大卒。54年に父でロシア文学者の故・久一郎氏とショーロホフの「静かなドン」を共訳。
60年に中央公論社版「チェーホフ全集」の翻訳に参加。「文学界」にソビエト文学の動向を長期連載し、
スターリン批判の現状を日本に伝えた。トルストイ「戦争と平和」、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」など多くの翻訳のほか、
「スターリン批判とソビエト文学」「ドストエフスキー」などの著書がある。
73年から同大教授、89〜95年同学長。日本ロシア文学会長もつとめた。 (10/29 16:39)
182 :
吾輩は名無しである:04/10/30 03:57:44
ご冥福をお祈りします
183 :
吾輩は名無しである:04/12/30 01:03:01
ドストってボクシングのアリみたいなもんで絶対無比の存在で
世界文学におけるチャンピオンベルト永久保持者じゃないんですか
ヽ(゚Д゚; )ノ
こ、こんどこそ、このスレ落ちると思ってたのに〜〜!!
わたしはドストエフスキーが嫌いだ。ドストエフスキーはヒステリー的なところがあるし、
犬の遠吠えがあるし、ウソをつくことがあるし、俗物的だし、さわぎまわるし、圧力を
かけてくるところがある。
びっくりはするが、好きではない。だから自分に近づけないようにしている。
by ボリス・エイヘンバウム
ありふれた感情を非芸術的に誇張する感傷的な作家 支離滅裂な狂人の反応
by ヴラジーミル・ナボコフ
あの男は非常な興奮状態で一生を送りました。…スイスでのことですが、わたしの目の前で
かれがボーイに対してあまりにもわがままな態度をとるのでボーイが腹を立ててしまい、
「わたしだって同じ人間ですよ!」と言ったことがありました。これに類した場面はドストエフスキー
にはしょっちゅうありました。…そういううまれつきの性質であるのに、あの男は甘い感傷、
高貴な人道的な夢に惹かれていました。そういう夢想が、かれのめざした方向であり、かれの
文学のミューズであり、たどるべき道だったのです。
by ストラーホフ
このひとはおそろしく不公平なひとだ。 by アンナ夫人
何を言ってやっても、ドストエフスキーは、みんなが自分の才能を妬んでいるのではないかと疑い、
人が何の下心もなくいったことばの一つ一つを、これは自分を侮辱しようとしているのだ、ととるのでした。
by アヴドーチャ・パナーエワ
188 :
吾輩は名無しである:05/01/12 21:30:36
189 :
吾輩は名無しである:05/01/28 14:11:39
 ̄ ̄ ̄
/ \
ぎゃふん
| ● ● |
●
三( 人 )三
 ̄  ̄
\ /
/ \
190 :
吾輩は名無しである:05/01/28 15:47:09
トルストイって黄禍論に同調してたおっさんだろ
191 :
吾輩は名無しである:05/01/28 16:19:08
知り合いにドストエフスキーおたくがいます。
彼の性格は、平気でうそをつく、人の罪をでっちあげる、脈絡もなく「あなたは
僕に嫉妬している!」と金切り声で叫ぶ、常に人の被害妄想・自意識過剰を根拠もなく疑い
おおげさに言い立てる、批判と悪口の区別がつかない、議論とケンカの区別がつかない
、論理と感情の区別が分からない、自分が絶対で相手の話をきかない、
人に強くピアプレッシャーをかけるなど、
>>185-187 に書かれたドストエフスキーの
特徴とよく似ています。
192 :
吾輩は名無しである:05/01/28 23:13:24
どちらが優れているかどうかはともかく、
作家として王道を行っているのはトルストイだよな。
どうしてもドストは異端という印象をぬぐいきれない。
193 :
吾輩は名無しである:05/02/20 12:05:06
「彼(ドストエフスキー)の文学の研究者のなかには、もしやドストエフスキー自身が<大いなる罪>を
(少女強姦を)犯したのではないかと憶測している向きもある。
ちなみに巷間に流布しているうわさ話を披露すると──あるときドストエフスキーがツルゲーネフに
<きくに堪えないひどい行為>をしたと告白したそうだ。
『何だってわたしにそんなことを打ち明けるんだね?』とツルゲーネフが訊くと、
『ぼくがどれほどあなたを軽蔑しているか、はっきり示したかったからですよ』
ドストエフスキーに心酔して、彼の伝記を書くほどの打ち込みようだったストラーホフは、1883年に
トルストイにあてた手紙のなかで、“友人”ドストエフスキーのことに触れてこう語っている。
『彼は悪意に凝り固まった野心家で、淫蕩です。……その獣のような荒々しい性欲は、女性の奥床しい
美しさやその魅力といったものをまるで考慮されないことを暴露しています。
「地下生活者の手記」の主人公や「罪と罰」のスヴィドリガイロフ、「悪霊」のスタヴローギンは、彼自身を
描いているのです。』
ストラーホフは、だれかれかまわずドストエフスキーは少女を犯したことがあると言いふらしていた。
彼の告発をヴェンゲロフとヴィスコワトフがきいたことは確認されている。
『ヴィスコワトフが』とツルゲーネフは書いている。『あるときドストエフスキーが自分で………をしたと
吹聴しているという話をきいてきた。それは風呂のなかだったそうで、少女は家庭教師がつれてきたそうだ』」
(アンリ・トロワイヤ「ドストエフスキー伝」中公文庫より)
ついでに1881年(ドストエフスキー逝去の年)1月に書かれた「作家の日記」より、ドストエフスキーが
アジア方面への侵略大構想を語っている部分の抜粋。
「ヨーロッパではわれわれは居候で奴隷でした。でもアジアには主人として立ち現れるのです。ヨーロッパでは
われわれはタタール人でしたが、アジアではわれわれもヨーロッパ人です。使命が、アジアにおける文明普及者
としての使命がわれわれの精神をうまくそそって、一度運動がはじまりさえしたら、われわれはみな夢中になって
アジアに向かうでしょう。」
「それにアジアには、アフリカの奥地よりもっとわれわれに知られていない土地があるってことをご存知ですか。
それに、これらの広大な土地の奥に、どんな富が蔵されているか、われわれが知っていると言えますか。」
「オロシア人が移住したアジアの土地は、たちまちロシアの土地となってしまいます。
───新しいロシアが創り出され、それが旧ロシアを更生させ、やがては復活させることになり、
ロシアの進むべき道を明らかにしてくれるでしょう。
…ただ少しでも、アジアが将来においてわが国を救う出口になること、アジアにはわれわれの富があり、
わが国の大洋があるということを理解してもらいたいのです」
ドストエフスキーはつまらない。太守娯楽読み物。
ウラジーミル・ナボコフ
196 :
吾輩は名無しである:05/02/20 14:57:34
なんで無教養な左翼ってドスト好きばっかりなの?
198 :
吾輩は名無しである:05/02/23 16:45:01
1845年処女作「貧しき人々」で文壇デビューした24歳のドストエフスキーは、たちまちの
うちにのぼせ上がり、生まれつきの極端な自己陶酔癖・自己顕示欲をさらけだして、社交界で
皆の失笑を買った。或る日、夜会の席でブロンド美人から自分の作品についてのお世辞を言われた
彼はそれを真に受け、たちまちのぼせ上がってその美人の足元に卒倒。
以下はその“事件”を揶揄したツルゲーネフとネクラーソフ合作の風刺詩。
憂愁の騎士気取り
ドストエフスキー 親愛なる新人よ、
文学の鼻っ先に
またひとつできた赤いできもの
今にもトルコの王が
家臣を派遣させることだろう
華やかな夜会に招ばれたものの
ずらりと並んだ高貴なお方
神話というか 現実というか
流れ星のようにぶっ倒れる
でかい鷲鼻ぶるんといわせ
ブロンドの美女の足元に
みじめにぐんにゃりとして
いい女を見上げてる
命を落とさず めっけもの
すかんぴんも、自業自得さ…
ドストは豚
ドストエフスキーの人間性を貶したところで、
アンチスレの面目は保てないと思うが。
「狂気を持っていない天才はいない」とか
アリストテレスが言ってるけど、
その狂気を作品にのみ有用して
性格的にはまともなタイプと、
抑え切れず実生活にまで狂気をぶちまけたタイプと二通りあって、
ドストエフスキーとかオスカー・ワイルドとか
ストリンドベリとか三島由紀夫とかは後者なんでしょ。
そういう奴らの人間性を誹謗しても意味ないよ。
やっぱり作品をこき下ろさないと。
201 :
吾輩は名無しである:05/02/23 19:38:22
女のキャラがワンパターンでつまらない。
202 :
吾輩は名無しである:05/02/23 20:52:45
ジャンル小説みたいな形で安易に深みに走っている。
メタル野郎のギターリフを延々聞かされるような感じ。
信者にはたまらないんだろうけど、狭隘だ。
203 :
吾輩は名無しである:05/02/24 17:04:48
>>200 いや、ドストエフスキーという作家を多角的に解明するため、彼の人間性についても
データも重要。
ドストって日本では人間像がやたらと持ち上げられすぎてきたんじゃないかと思う。
なんか受難者、深遠な預言者ってカンジで。
俺はドストについては死刑を直前で恩赦されたって事ぐらいしか知らない……
205 :
吾輩は名無しである:05/02/25 17:06:30
ふっふっふっ、ナボコフの「ロシア文学講義」、借りてきたぞ〜!
おお、書いてる書いてる!アンチドストの溜飲がさがる〜!
「ドストエフスキーに関する私の立場は、奇妙であり、また厄介である。この講義のすべてにおいて、
私は文学に興味のある唯一の観点から──すなわち永続する芸術と個人の才能という観点から文学を
見るのだが、そのような観点からすれば、ドストエフスキーは偉大な作家ではなくてむしろ凡庸な
作家であり、時たま絶妙なユーモアの閃きがあるとしても、悲しいかな、閃き以外の場所は大部分が
文学的決り文句の荒野である。」
(死の家の記録について)
「これは楽しい読み物ではない。ドストエフスキーが蒙った屈辱や虐待はすべて詳細に叙述され、周囲の
犯罪者たちのことも詳しく述べられている。このような環境にあって本当に狂ってしまわぬために、
ドストエフスキーはある種の逃げ道を見つけ出さねばならなかった。逃げ道とはすなわち神経症的な
キリスト主義(クリスチャニズム)で、この思想は流刑期間中に形成された。周囲の囚人達が恐ろしい獣性を
あらわにする以外に、時たま人間的な面を見せたとしても、それはごく当たり前のことである。
ドストエフスキーはそれらの人間性の顕示例を掻き集め、それを土台にして非常に人為的に、かつ全く
病理学的にロシアの民衆の理想化を行なった。これは以後の精神的道程の第一歩である。」
「私たちは『感傷性』と『感受性』とを区別しなければならない。感傷的な男は暇な時間には全くの
野獣になりかねない。感受性の豊かな人間は決して残酷な人間ではない。……ドストエフスキーを
感傷的な作家と呼ぶ場合、それは、読者の側に因襲的な同情の念を機械的に惹起しようと、
ありふれた感情を非芸術的に誇張する作家、という意味なのである。」
206 :
吾輩は名無しである:05/02/25 21:09:50
う〜ん。自分は確かにアンチドストだが、ナボコフはちょっとずれてるな、と思ったのが
以下の「罪と罰」評論。
「この作品の欠陥──私の考えでは、倫理的にも美学的にも建物の倒壊の原因となりかねない
裂け目は、第四部第四章に発見される。それは殺人者ラスコリーニコフが少女ソーニャを通じて
新約聖書を発見するという、贖罪の始まりの場面である。ソーニャは彼に、イエスのこと、
ラザロの復活のことを読んで聞かせる。そこまではよろしい。だがそのあとに、全世界に知られた
文学作品では他に例を見ないほど愚劣きわまる一つのセンテンスが現れる。『消えかけた蝋燭の
炎はゆらめき、この貧しい部屋で永遠の書を読んでいる殺人者と淫売婦をぼんやり照らし出していた』。
──なんという三題話だ。これはドストエフスキー的修辞の典型的な癖がよく現れている、決定的な
文章である。では、この文章のどこがそんなにひどく間違っているのか。どうしてこれがそれほど粗雑で
非芸術的なのか。
私は主張したいのだが、真の芸術家あるいは真のモラリストは──良いキリスト教徒あるいは良い哲学者は
──詩人あるいは社会学者は、いかに雄弁の弾みであろうと、殺人者と(人もあろうに!)貧しい街娼とを
一緒くたに並べてはならないのだ。一緒に聖書を読んでいる2人の頭の中味は全く異なるのである。
キリスト教の神を信じるひとたちが理解しているところによれば、キリスト教の神はすでに
千九百年前から売春婦を赦している。一方殺人者はなによりもまず医者の診断を受けねばならない。両者は
全く異なるレベルの存在である。ラスコーリニコフの非人間的な馬鹿げた犯罪と、肉体を売ることによって
人間の尊厳を損なっている少女の苦境と、この両者には、ほんのかすかな共通点すら見出すことができない。
殺人者と淫売婦が永遠の書を読んでいる──なんというナンセンスだ。汚らわしい人殺しと、この不運な少女
とのあいだを繋ぐ修辞は存在しない。あるものはゴシック小説や感傷的小説の因襲的な修辞ばかりである。
それは安っぽい文学的トリックであって、偉大な文学の情念や敬虔な心ではない。」
このシーンがべったべたのドスト節なのは認めるけど、けっしてドストはラスコと、飢えに泣く子供達のために
自分を殺して身を売っているソーニャの「罪」を小説全体の中で並列に考えてないと思うんだけどなぁ。
それにこの感傷性がドストの最大の欠点であり…同時にドストの良さである、と思う。
認めんのはやだけど。
ナボコフの「ロシア文学講義」、「白痴」の評論。こちらのほうはドストエフスキーの“欠点”について
かなり的を射た箇所があるな。
「ムイシュキン一人が、ちょうどキリストのように、ナスターシャの身に起こりつつ合うことに
ついて彼女の非を全く認めず、自分の心からの感嘆と敬意とによって彼女を救おうとする。
(ここにもキリストと堕落した女との物語のパラフレーズが隠されている)。ここで、
ドストエフスキーについてのミルスキーの非常に適切な評言を引用しておこう。
『彼のキリスト教は非常にいかがわしい種類のもので……この深みを欠いた精神的構造物を
真のキリスト教と同一視することは危険である』。ドストエフスキーがつねに我こそは
ギリシャ正教の真の解釈者なりというふうに振舞っていたこと、そして一つ一つの心理的・
病理的縺れをほどくたびに、キリストを、というより自分のキリスト解釈を、ギリシャ正教会を
私たちに押し付けること──これらをミルスキーの評言に付け加えるなら、私たちは『哲学者』
ドストエフスキーの真に人を苛立たせる面をよりよく理解できるだろう。」
ドストの最大の欠点ってこれだよな。
自分の主観を絶対化して、ひとに押し付けること。
自分の主張に反対する人間に対しては、徹底的にその人間の言っている事を歪曲して
その人の人間性を貶めようとすること。
一言でいえば、独善性そのもの。
そして、その「真実」の根拠となるものが、ドスト自身のどちらかといえば病的、としか
いいようのない「感性」によったものでしかないのであれば、ドストとは違う感覚・感性を
持った人間から見れば、そんなの「真実」でもなんでもない。おまけに、そんなもんを「真実だ、
真実だ」と押し付けがましく叫ぶドストの姿は滑稽を通り越してハッキリ言って“気持ち悪い”。
ドストエフスキーは“キモイ”。これが正直な感想だな。
しくしく…なんかちょっと疲れた。
ひさしぶりにドスト作品関連の食べ物のレシピなんか、書き込もうっと。
「カラマーゾフ」にちなんで、アリョーシャの好物のさくらんぼジャムの作り方なんかどうかと。
材料(できあがり250g分)
さくらんぼ(生か冷凍のレッドサワーチェリー) 300g
グラニュー糖 200g〜300g
レモンのしぼり汁 小さじ2
作り方
1.さくらんぼの柄を取り、小型のナイフで種を抜く。専用の種抜き器を使うと簡単。
2.種の殻をかなづちで割って、中の種を取り出す。
3.小鍋にさくらんぼの種子と水1/2カップを合わせ、水から5分ゆで、濾して
フレーバー液をとる。
4.鍋にフレーバー液、果肉、グラニュー糖、レモン汁を合わせて火にかける。
5.普通のジャムならこのまま弱火で20〜30分煮つめ、実の形を残したプリザーブ
タイプがよければ約10分煮たところで果肉を取り出し、残った汁をとろみがつくまで
約15分煮つめる。
さくらんぼの種でフレーバーをつけるのがミソなんだな。
で、できあがったジャムをなめなめ、紅茶をいただくのが本場のロシアン・ティー。
冷凍のチェリー見つけたら、今度作ってみようっと。
211 :
吾輩は名無しである:05/02/26 19:11:01
ついでにウハー(魚スープ)のレシピも書いとくか。
材料(6人分)
生鮭切り身…6切れ にんじん…小1本 たまねぎ…大1個 マッシュルーム…6個
じゃがいも…大3個 長ねぎ…1本 バター…50g 塩・こしょう…適量
魚のブイヨン…1リットル(白身魚のあら400g、にんにく2かけ、パセリ・たまねぎ・
にんじん・セロリなどの香味野菜くず適量)
作り方
1.魚のブイヨンを作る。あらをよく洗い、3.5リットルの水と野菜くずを加えて強火で
煮立たせ、すぐ弱火にしてあくをとりながら、ふたをせず1時間くらい煮て、ふきんで
こす。
2.魚の切り身は1切れを3つくらいに切り、熱湯をかける。
3.じゃがいもは皮をむいて小口切り、にんじん、たまねぎはせん切りにし、マッシュルームは
薄切りにする。
4.バターは冷やして固め、6等分の角切りにする。
5.深鍋にブイヨンを煮立て、2.と3.を加え、弱火で煮る。
6.具が煮えたら塩コショウで調味して火を止め、スープ皿にとって、細かく切った長ねぎと
バターの角切りを浮かせる。
212 :
吾輩は名無しである:05/02/26 21:55:10
桜のジャムくいてえ
213 :
吾輩は名無しである:05/02/28 07:39:20
ドストエフスキーの独善性・傲慢性は、彼の社会評論「作家の日記」で最大限に発揮されたが、その好例は
「作家の日記」1877年7・8月合併号における、トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」に対する
ヒステリックな批判・攻撃のなかに見出される。トルストイが「アンナ・カレーニナ」のなかで、登場人物の
一人であるレーヴィンの口を通して当時進行中の露土戦争についての冷静な批判を行なった事が、
国粋主義者ドストエフスキーの逆鱗に触れ、半年前には絶賛したレーヴィンを(そしてその背後にいる作者
トルストイを)、口を極めて罵り始めたのであった。
以下はその顛末を中村健之助が考察した「ドストエフスキー・ノート9アンナ・カレーニナをめぐって」よりの抜粋。
214 :
吾輩は名無しである:05/02/28 07:39:57
「…ドストエフスキーが激賞するのは、『アンナ・カレーニナ』第四編第十七節、産褥熱で生死の間を
さまようアンナの熱に浮かされた願いによって、“寝取られ亭主”のカレーニンと情夫ヴロンスキーが
手を取り合い涙を浮かべて和解する場面である。…彼はこの場面に“人間愛”の発露を見、“みんなが
兄弟となる”未来の人間関係の予兆を認める。…こういう『アンナ・カレーニナ』解釈であったから、
やがてその最終編第八編が発表になると、ドストエフスキーは、半年前には“心の清らかな”と讃えた
レーヴィンを、今度は罵倒し始めるのである。
こと新しげに言うまでもなく、ユートピアンとナロードの合体がドストエフスキーの思想の柱である。
当然ドストエフスキーは、レーヴィンを一例とする“新しい人々”が“兄弟的連帯”を保持している
ロシアのナロードと手を繋ぐべきだと考えていた。いま異教徒トルコ人に“虐待”されているバルカンの
正教徒同胞を“救出”する露土戦争は、“兄弟的連帯”の心情によって動くナロードの意向と合致する
“聖戦”であるはずなのである。
ところが、そのナロードの意を真っ先に理解すべき“心の清らかなレーヴィン”が、そんな戦争に
ナロードは全く関心がないのだ、と言い出した。…怒ったドストエフスキーは、いかにレーヴィンが
百姓といっしょに汗を流して草を刈り荷馬車を引いて働こうと、それは旦那衆の“おあそび”にすぎないと
極めつけ、作者トルストイを批判する言葉を蜒々と書き連ねる。…彼は、“心の清らかなレーヴィン”を
今度は“のぼせあがったヒポコンデリー患者”と罵る。
のちにトルストイがゴーゴリーに、『ドストエフスキーは実にたくさんのことを感じた人だったが、
考える方はだめだった。…』と語ったのには、このようないきさつがあった。」
215 :
吾輩は名無しである:05/03/01 18:41:30
「作家の日記」を読んでいると、正教を護持するロシア国民こそが全世界を救う、という
神がかり的な「ロシア・メシアニズム」に酔うドストエフスキーの姿に失笑することが
しばしば。これがあの「悪霊」を書いたのと同じ人物だと信じられないくらいの馬鹿さ加減。
ロシア人は正教を護持している→つまり真のキリストの御姿の守護者→ロシア国民こそが
堕落したヨーロッパを救う民→よってロシア国民が戦争を遂行するのは完全に同胞愛のため
→ロシアの“聖なる理念”を疑うヨーロッパ人は堕落したバカ民族→よって戦争マンセー!!
民族的アイデンティティーの絶対化に走った人間って手におえない、っていうのの好例だな。
「そうなのだ、ロシア人の使命は、争う余地もなく全ヨーロッパ的であり、全世界的である。
真のロシア人となること、完全なロシア人になることは、おそらく(つまるところ、この点を
銘記していただきたい)、ただすべての人々の同胞になるということを意味しているのである。
それは言うまでもなく、“全人”となることなのである。…
私の信ずるところでは、後日、われわれは──ということはもちろん、今のわれわれではなく
未来のロシアの人々のことだ──1人残らず理解すようになるだろう。つまり、真のロシア人
たることは、とりもなおさず、ヨーロッパの矛盾に最終的な和解をもたらすよう努めることを
意味するということを。そして、全人間的な、すべてを結合させる、自らのロシア的魂の中に
ヨーロッパの憂いの逃げ道があると教示してやり、兄弟的な愛をもってすべてのわれらが兄弟を
その魂のなかに収め、つまるところ、おそらく、すべての民族をキリストの福音による掟に
従って完全に兄弟として和合させ、偉大なる全体的調和をもたらす決定的な言葉を発するために
努めることなのである!」(1880年プーシキン記念講演)
216 :
吾輩は名無しである:05/03/01 19:14:29
いかに雄弁の弾みであろうと、殺人者と(人もあろうに!)貧しい街娼とを
一緒くたに並べてはならないのだ。一緒に聖書を読んでいる2人の頭の中味は全く異なるのである。
↓その弊害 殺人者にも影響与えてます。
http://www.starblvd.com/mem/a/o/aoiryuyu/yamaguchishikan.htm ドストエフスキー『罪と罰』を引用し、
『選ばれし人間は人類のため社会道徳を踏み外し、悪さをする権利がある』
『五年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょー
にきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体
で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも』
>>216 暴力描写のある漫画は青少年の犯罪を誘発する!!!1!
と鼻息あらくしてるPTAの人みたいな意見だな…
アンチでもこういうけなし方はいただけない。
>>200あたりから
>>209の流れなら自分と意見が違っても納得できるのに。
218 :
吾輩は名無しである:05/03/02 05:37:52
誘発するっていってんじゃないじゃん
刑務所でドフト読んで
自分を正当化するために利用されちゃってるよって言ってんじゃん
おたくどういう立場の人ですか?
母子殺害の事件の詳細見ましたか?
母親を殺して屍姦(屍体を強姦)し、
泣き止まない子供を床に叩きつけて首締めて殺して
財布の現金を奪った
法廷でも反省の色を見せず、在日朝鮮人専門のやり手弁護士が
死刑判決をくつがえし、無期懲役にもってったら
遺族の前でガッツポーズですよ?
獄中では友人宛に上記のような手紙を送って
反省どころか、再犯までほのめかしてるわけで
こういう人を擁護するってのはどういう人間なのか興味あるので
教えてください。
たぶん在日しかいないけどw
ルーシーさん殺害事件のオリ原(韓国系帰化人)と顔がそっくりですね。
連日欧米で裁判の模様がニュースになってるのに
日本はあれだけワイドショーで騒いでおいて
外国の新聞にコリアンコリアン載ってしまってからは
一切報道しなくなっちゃいましたね?笑えます。
219 :
吾輩は名無しである:05/03/02 16:06:52
>>218 ここは文学板アンチドストエフスキー・スレ。
ドスト関連の話題は歓迎ですが、あくまでこのスレの主題はドストエフスキーその人。
少年犯罪をメインに語るのならば、少年犯罪板で(・∀・)つ ドゾーでつ。
220 :
吾輩は名無しである:05/03/02 16:08:02
あと自分、
>>213でタイプミスしてました。
×中村健之助→○中村健之介
すみません。
221 :
吾輩は名無しである:05/03/03 17:13:31
「一方、心広やかな目的のために、抑圧された人びとを解放するために、無私無欲の聖なる理念のために
なされた戦争――かかる戦争は、積もり積もった毒に汚染された空気を浄め、魂を癒し、恥ずべき小心と
怠惰を駆逐し、確固たる目的を宣明・樹立し、特定の国民が実現する使命を帯びている理念を提示し、
かつその理念を明らかにするのである。かかる戦争は自己犠牲の意識で各人の心を強固にし、国民を
形成している万人の相互的連帯と団結の意識をもって国民の精神を強固にする。肝要なことは、
これが義務を遂行したという意識、完全にいい事をしたのだという意識によるものだ、ということである。」
(「作家の日記」1877年4月号)
“特定の国民が実現する使命を帯びている理念”“無私無欲の聖なる理念のためになされた戦争”
こんなものが存在すると、56歳の大の大人の男が熱烈に信じこんでいる姿は滑稽をとおりこして
(((゚Д゚)))ガクブル もんだな。ドストエフスキー、あんたは19世紀のブッシュかよ?
自分の立場、自分の価値観を絶対化してしまって他者の冷静な批判を受け付けず、戦争賛美のプロパガンダを
「作家の日記」でがなりたてるドストエフスキー。
彼の社会評論には、ポリフォニー小説家としてのドストエフスキーの片鱗すらうかがわれず、ただあるのは
モノロ−グ的、というよりむしろ独善、傲慢、幼稚なナルシシズムからなるヒステリックな絶叫のみ。
ドストエフスキーには、理性的判断力・知的な自己批判力が決定的に欠けているとしか思えない。
とか言っちゃってみるか。。。
小林よしのりかよ!
223 :
吾輩は名無しである:05/03/04 17:59:32
ドストエフスキーには、知的な自己批判力というものが欠落している。
「作家の日記」を読んでいると、これがあの「大審問官」を書いた同一人物とは到底思えない。
ロシア・メシアニズムにすがりついて誇大妄想的な理念に酔うドストエフスキーの姿は、大審問官にすがりついて
自分の「生きる意味」を恵んでもらって安堵する哀れな民衆の姿とどこがどう違うんだ?
ドストエフスキーは「大審問官」を自分の大嫌いだったローマ・カトリックを批判するために書き、20世紀の
評論家はそれに全体主義・共産主義の台頭の予言を読み取ってやたらと持ち上げたけど、自分は「大審問官」を
読んで感じたのは宗教ってほんとうに恐ろしい…ってことだった。
自由の重荷に耐え切れずに宗教に逃げ込む哀れな人間、その弱者を食い物にして自分の立場を絶対化する宗教。
自分の生きる意味を求めて宗教に無批判にすがりつき、“聖なる理念”を旗印に流血を正当化するドストエフスキー。
「大審問官」は、作者ドストエフスキーの生き様と重ね合わせると、より深い意味をもつと思う。
224 :
吾輩は名無しである:05/03/05 10:11:01
1883年11月28日付けのドストエフスキーの長年の友人であり、彼の伝記の著者でも
あったストラーホフから、レフ・トルストイ伯爵にあてた手紙の抜粋。
「敬愛してやないレフ・ニコラーエヴィチ、書くテーマは山ほどあるのですが、簡単なお手紙を
さしあげることにいたします。…あなたはもうきっと、ドストエフスキー伝をお受け取りくださった
ことと思います。どうかご注目、ご好意をたまわるよう、そして感想をおきかせくださるよう
お願いいたします。わたしはこの機会に打ちあけて申しあげたいと思います。あれを書いている
あいだ、ずっとわたしはたたかいつづけてきました。こみあげてくる嫌悪の情とたたかい、この
不快な感情をこらえようとしたのです。そこからの出口を見つけるのに手をおかしくださるよう。
わたしはドストエフスキーをいい人間とも幸せな人間とも(本来は、それは一致するものですが)
見なすことができません。彼は、意地悪く、ねたみぶかく、みだらで生涯を非常に興奮して
過ごしました。もし彼があれほど意地が悪く、利巧でなかったとしら、ああいう興奮は彼を
みじめにし、滑稽にさえしたことでしょう。彼自身は、ルソーのように、自分の事を、最も
すぐれた最も幸福な人間だと見なしていました。伝記を書くにあたって、わたしはこれらの
特徴をまざまざと思い出しました。スイスでは、わたしの目のまえで、彼が給仕をあまりに
虐待したので、相手は腹を立ててこう言ったくらいです。『わたしだって人間です!』。わたしは
そのとき、それが人間性の説教者にむかって発せられ、自由なスイスの人権についての考えが
込められているのに驚いたことをおぼえています。」
(続く)
225 :
吾輩は名無しである:05/03/05 10:11:48
「彼は自分の意地悪さを抑えることができなかったので、こういう場面はしょっちゅうありました。
わたしは、彼がまったく女の腐ったように、不意に、ひねくれた態度でふるまう非常識に何度も
口をつぐみましたが、二度ほど、大変手きびしく言ってやったことがあります。けれども、もちろん
侮辱のことでは、彼は概してふつうの人間よりもうわてでした。なによりよくないのは、彼がそれを
楽しんですらいたことで、どんな卑劣なことをしても決して自分が悪いとは思わなかったことです。
彼は卑劣なふるまいに興味をもって、それを吹聴しました。ヴィスコワートフはわたしに、
女性家庭教師が彼のところに連れて行った幼い娘を風呂の中で……したことを彼が自慢したと
語りました。このさい、かれの動物的な情欲には、女性の美や魅力に対する好みも感情もまったく
ないことにご注目ください。これは彼の小説を見さえすればわかります。彼に一番似ているのは
『地下室の記録』の主人公、『罪と罰』のスヴィドリガイロフ、『悪霊』のスタヴローギンです。
スタヴローギンの或る場面(少女陵辱そのほか)をカトコフは印刷したがりませんでしたが、
ドストエフスキーはここで多くのひとに読んで聞かせました。
こうした性格にもかかわらず、彼は、あまい感傷、高い人道的な夢想をひどく好み、そしてこれらの
夢想が彼の方向、彼の文学的ミューズ、道だったのわけです。しかしながら、彼の小説はどれもこれも
自己弁護で、人間には高潔さとともにどんな卑劣さも同居できることを証明しています。」
(続く)
226 :
吾輩は名無しである:05/03/05 18:20:57
1883年11月28日付けのストラーホフから、レフ・トルストイ伯爵にあてた手紙の抜粋の続き。
「あまりにわれわれを知りすぎている人々は、自然、われわれを愛さない、とおっしゃったあなたの
言葉をいま思い出します。しかし、そうでないこともあります。親しい交わりを結んで、のちに
すべてを赦せるような特徴をその人に見いだすことさえあります。ちょっとした心からの親切、
ほんとうにあたたかな心のふれあい、ほんとうの悔悟の一瞬ですら──すべてをつぐなうことが
できます。もしもドストエフスキーに何かそんな思い出をもつことができるとすれば、わたしは
かれを赦しもし、かれのために喜びもしたことでしょう。ところが、なに一つとして自己をすばらしい
人間に高めることも、ひとかけらのすぐれた、文学的な人間性もなく──ああ、なんと逆である
ことでしょう。
彼こそ、自分を幸福な男、英雄だと信じこんで、自分だけをいとおしんでいたまことに不幸で
不快な人間だったのです。わたしは、自分が嫌悪を引きおこしかねないことを知っていて、また
他人のなかのこの感情を理解し許すことを学んでいるので、ドストエフスキーにたいしても
出口を見つけることができるだろうと思いました。しかしわたしはできません。見つけることが
できないのです。
これがわたしの伝記へのささやかな注釈です。ドストエフスキーのこの面を記録したり、語ったり
できたとしたら、いろいろな事件が、わたしの書いたものよりはるかに生き生きと描け、話が
はるかに真実性のあるものになったにちがいありません。けれども真相など消えてもかまいません。
あらゆるところ、あらゆることでわれわれがしているように、生活の表面だけを飾っておくことに
いたしましょう。」
ドストは人格破綻者なのですか?
228 :
吾輩は名無しである:05/03/05 19:57:27
まあ、比較するのは作品だけにしておけば?
別に人格破綻者だってかまわないじゃない。
ドストエフスキーは、多分人格破綻者の自分を救うために
書いてた一面もあると思う。
俺は、もうとっくに青年期を過ぎて、まだ「罪と罰」やら「カラマーゾフ
の兄弟」を書かなければいけなかったドストエフスキーは
不幸な人だったと思うよ。
実は、そういうドストエフスキーが少し好きな私です・・・。
229 :
吾輩は名無しである:05/03/05 22:05:38
俺、高校時代に「罪と罰」読んで、熱狂的にドストエフスキーに傾倒したんだよね。
本当に覚えるくらい読み返した(米川正夫訳)。
社会人になって、サンクトペテルブルグに行く機会があって、そのときわざわざ「ラスコーリニコフの下宿」
を見てくるくらい熱狂的だったんです。
今振り返ってみると、なんていうか「青年期の独特な憂愁」に自分で
酔っていただけのような気がする。(ネウァ河にしずむ夕陽を眺めながら
物想いにしずむ美貌の青年ラスコーリニコフ、みたいな。)
今、考えると顔が赤くなる。
でも、「人を殺すのは本当に悪いことなの?」なんて素朴な疑問の追及は、
青年でしかも不良の心を持っていないとできないし、そこが魅力なんだと思うよ。
こういう考えを一生持ち続けたら、生き難くて困るだろうけど、
まあ、はしかのようなものと思えば・・・。
チョット、危ないけどね。
230 :
吾輩は名無しである:05/03/06 09:25:02
231 :
吾輩は名無しである:05/03/06 09:45:03
商品先物取引へようこそ
:.,' . : : ; .::i'メ、,_ i.::l ';:.: l '、:.:::! l::! : :'、:i'、: : !, : : : : : :l:.'、: :
'! ,' . : i .;'l;' _,,ニ';、,iソ '; :l ,';.::! i:.! : '、!:';:. :!:. : : : :.; i : :'、:
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: :,' /. :iヾ、 ` 、._. ミ;;--‐'´. /.:i;!o: : : :i :
: ; : ,' : : i.: <_ ` ' ' ``'‐⊃./. :,: : : O: i. :
: i ,'. . : :', 、,,_ ,.:': ,r'. : , : : !: : あやまれ!!
:,'/. : : . :;::'、 ゙|llllllllllllF':-.、 ,r';、r': . : :,i. : ;i : : 真面目な無神論者にあやまれ!!
i,': : : :.::;.'.:::;`、 |llllH". : : : :`、 ,rシイ...: : ; : :/:i : i:!::i:
;'. : :..:::;':::::;':::::`.、 |ソ/. : : : : : : ;,! ,/'゙. /.:::: :,:': :./',:!: j:;:i;!; と、ドストに言ってやりたいな…
i. : .:::;:'i::::;':::::::::i::`:.、;゙、';‐ 、,;__;,/ノ . :,/.:::: :/. : :/.:::i. j:;;;;;;;;
l .:::;:'::;':::;':::::::::::i::::i::`:,`'-二'‐-‐''゙_,、-.':゙/.:::: ;ィ': : :/.:::::i: j、;;;;;;;
.:::;:':::;':::;'::::::::::::::i:::i:::::..`'‐、、、-<゙.::::::::/.::: ://. : /.:::::::i :j::.'、:;;;
素直に謝るドストはもっとキモイ
そ、そう…??
235 :
吾輩は名無しである:05/03/06 21:20:48
誘発するっていってんじゃないじゃん
刑務所でドフト読んで
自分を正当化するために利用されちゃってるよって言ってんじゃん
おたくどういう立場の人ですか?
母子殺害の事件の詳細見ましたか?
母親を殺して屍姦(屍体を強姦)し、
泣き止まない子供を床に叩きつけて首締めて殺して
財布の現金を奪った
法廷でも反省の色を見せず、在日朝鮮人専門のやり手弁護士が
死刑判決をくつがえし、無期懲役にもってったら
遺族の前でガッツポーズですよ?
獄中では友人宛に上記のような手紙を送って
反省どころか、再犯までほのめかしてるわけで
こういう人を擁護するってのはどういう人間なのか興味あるので
教えてください。
たぶん在日しかいないけどw
ルーシーさん殺害事件のオリ原(韓国系帰化人)と顔がそっくりですね。
連日欧米で裁判の模様がニュースになってるのに
日本はあれだけワイドショーで騒いでおいて
外国の新聞にコリアンコリアン載ってしまってからは
一切報道しなくなっちゃいましたね?笑えます。
1881年1月28日午後8時36分、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー死す。
以下は、彼の死を悼むトルストイの、ストラーホフ宛の手紙(1881年2月5日〜10日頃)
「自分がドストエフスキーについて感じていることを何とか余すところなく言えたらいいと思います
……私は一度もドストエフスキーに会ったことがなかったし、彼と直接関係を結ぶといったことも
ありませんでした。ところが、彼が死んで、思いもかけなかったことですが、私は、彼が自分にとって
この上なく近しい、大切な、必要な人間であるということに気づいたのです……彼と自分を比べ競う
というようなことは一度も考えたことがありません、一度も……私は彼のことを自分の友とこそ
考えていたのであって、いつか2人は会えるものとばかり思っていました……それが突然、食事を
していたときに……見ると、『死す』と書いてあるではありませんか。何だか、つっかい棒が急に
はずされたみたいです。私は途方にくれたようになりました。そして、やがて、私にとって彼が
いかに大切な人であったか分かり、私は泣きました。今も泣いています。」
ツルゲーネフのドストエフスキー評。
「逆の万人の真理とは何だか知っていますか。人がうっとりしているときに胸をどきどきさせたり、
人が怒っているときに恥ずかしがったりすることです。ドストエフスキーでは、なんでも逆のことが
おこります。たとえば、人がライオンに出会ったとします。その人はどうするでしょうか。もちろん、
青くなって、逃げようとするか、かくれようとするでしょう。…ところがドストエフスキーは逆に
語るのです。人は恥ずかしがって、その場にとどまるというわけです。これが逆の万人の真理でしょう。
そのためにドストエフスキーの作品では、2ページごとに、その主人公たちは、うわ言を言ったり、
狂乱したり、熱病のようになったりするのです。こんなことって、あるでしょうか。」
ツルゲーネフは「罪と罰」を傑作とは見なさず、この小説から受けた印象を「長くつづくコレラの苦痛」と
比較している。彼はまた「未成年」を、ドストエフスキーの「カオス」、「だれにも必要のない」わかりにくい
「つぶやき」と呼んで、酷評している。これらの片よった、意地のわるい、不当な評価は、論争による興奮を
示しているだけではなく、ドストエフスキーの、ときとして逆説的な創作方法にたいする、ツルゲーネフの
観点からすればドストエフスキーの心理主義の極端さにたいする原則的な反撥をもあらわしている。
ツルゲーネフは、その冷静な性格で、多分に主観的に、ドストエフスキーの主人公たちの悲劇的な世界を、
苦悩の一種独特の病的な弁解として受け取っている。芸術家としてのツルゲーネフにとっては、
ドストエフスキーは『残酷な才能』だった。
(アンナ・ドストフスカヤ「回想のドストエフスキー」注釈より)
238 :
吾輩は名無しである:05/03/07 21:22:44
作家の画像の壁紙探してるんだけど。
クールなドストエフスキーの壁紙ない?
チェーホフでもいいや。
239 :
吾輩は名無しである:05/03/08 16:51:15
詩人ヴェルハーレンのドストエフスキー評。
「トルストイを私は崇拝しており、彼の前に頭を垂れる。そしてドストエフスキーを私は愛している。
前者のほうが後者よりも創造者として強大であると私は思う。トルストイは建築家でもあり、
文学者でもあり、画家でもある……しかし、その代わり、ドストエフスキーは、ドストエフスキー自身の
中にもまた我々の中にもあるあの人間性と我々とを親しく結びつける点ではトルストイを上回っている。
ドストエフスキーはさまざまな人間に同情を注ぐが、その気高い同情は、そうした人間たちが与える嫌悪感を
そしてまた彼ら自身が自分たちの貧窮の生活に対して感じている嫌悪感を、柔らげてくれる。彼は人間の性格を
分析していって非常な深みにまで到り、情熱的な、すぐ燃え上がるような人の内に横たわっている曖昧模糊とした、
混沌のようなものにまで達している。彼の分析は非の打ちようもないものだが、かといって彼は冷淡な観察者に
留まっているわけでもない。彼は天使にして同時に刑吏であるというあり方が出来るのである。それが、
ドストエフスキーは無二の、他に類例のない作家だと私が思う理由である。」
トーマス・マンのドストエフスキー評。
「この人の生涯ほど、我々の持っている伝記的常識を混乱させるものは他にあるまい。この人は全身
これ神経の固まりだった。ぶるぶる震えていて、絶えずけいれんに襲われるのだ。彼の感覚鋭敏な
ことは、まるで皮膚がはぎ取られて、空気に触れることまでが激痛を与えるといったほどだ……
にもかかわらず、この人は六十歳まで生きた……そして四十年にわたる文学活動で、無数の人物の
住む、かつて見たことも聞いたこともない新奇さと大胆さに満ちた詩的世界を創造した。この世界には
巨大な情念が荒れ狂っている。この世界は、人間についての我々の知識の限界を押し広げるような、
『限界を越える』思想と心情の激発によって偉大であるが、偉大であるばかりでなく、そこには、
挑発的ないたずらや、ファンタスティックなおかしさや、『愉快な気分』も活き活きと湧き起こって
いる。というのは、この磔にされた殉教者のような男は、諸々の性質に加えて、驚嘆に値する
ユーモリストでもあったからである……
『罪と罰』『白痴』『悪鬼ども』『カラマーゾフの兄弟』といった、ドストエフスキーの建てた
叙事詩の記念碑群は(もっとも、これは叙事詩的作品というよりは、演劇の法則に従って作られた
壮大なドラマなのである。このドラマでは、舞台の上の動きが人間の最も暗い深部をあらわにしたり
出来事が僅か数日の間に展開することもしばしばであって、それらが、超現実的な熱狂的な対話の
中で進行するのである。)……これらの作品は、病気の笞に打たれるばかりか、情け容赦のない
借金取りの万力にもかけられ、屈辱的な金欠病に追い立てられて異常なスピードで書かされ続けた、
そういう人によって生み出されたものなのである……」
243 :
108:05/03/10 20:03:39
>>108 かつて「カラマーゾフの兄弟」読んで感動しなかったと書いた者だが、
ここで書き込みしたこともあり、再読してみたよ。
一ヶ月かかったが、仕事をしながらでもあり、いいペースかな。
学生時代に読んだときは、どこに感動すべきか、どれが名文なのかと、
構えて読んでいたような気がする。今度はどうせつまらなかった小説
だからと、リラックスして読んだから、新しい発見もあった。
つまり「カラマーゾフの兄弟」のミステリー小説としての面白さとかだ。
まあ、もう一回読んでもやっぱり感動はしなかったな。
つーか、これ感動する小説じゃないじゃん。メッセージを読み取る小説だよ。
これで感動したとか言ってるヤツに、どこで感動したのか聞いてみたいね。
以後は「カラマーゾフの兄弟」スレが立ってるので、そっちで。
俺はアンチってほどじゃないもんで(W
>>243 ドストエフスキーの小説って、信仰とか懐疑とかのドスト的テーマを
読む側が持っていないと、何も感じないんじゃないの?
おれは中学まで魂の不死を信じていた。高校になって不死の信仰が揺らぎ始め、
大学のときに不死はないと確信するにいたった。そして道徳観が崩壊した。
そのあとで、ドストエフスキーをはじめて読んでみた。読んだのはカラマーゾフの兄弟。
でも、イワンの言ってることなんて当たり前だと思ったし、アリョーシャのキャラがつかめない。
感動なんかしなかった。ドミートリイにはちょっと萌えたけど。
もし、高校の頃に読んでいれば、自分をアリョーシャと重ね合わせて、
イワンに自分の将来の姿を見て、衝撃を受けたかも知れん。
読むタイミングってのもあると思う。
う〜ん…やっぱりドストと同様、不死の信仰が崩れると道徳観が崩壊するってタイプの
人も存在するのか。自分は子供の頃からの無神論者なので、その感覚自体がわからない。
自分は思想面ではドストが大っ嫌いだけど、「カラマーゾフ」のゾシマの説教のところとか
感動したけどな
>>243 ドストは無神論者叩きさえしなければ、いい作家なのに惜しいよなぁ…。
246 :
吾輩は名無しである:05/03/12 08:52:24
ベリンスキーの「貧しき人々」評。(ネクラーソフ刊「ペテルブルグ文集」)
「『ペテルブルグ文集』に、ドストエフスキー氏の小説『貧しい人々』が発表された。この作者の名は
まったく人に知られていない、新しい名前である。しかし、それは必ずわが国の文学で重要な役割を
演ずるであろうと思われる名である。……
“作者はジェーヴシキンにおいて、知力も仕事の能力も生活によって押しひしがれ、つぶされてしまった
人間を描こうとしたのだ”そう考える読者も多いかもしれない。しかし、そのように考えるのは大きな
間違いであろう.作者の考えは遥かに深く、遥かに人間に対する感受性に富んでいる。作者がマカール・
アレクセーヴィチにおいて我々に示したことは、極く極くちっぽけな頭の人間の天性の中に、どれほど
多くの美しく、気高く、神聖なものがあるかということなのである……」
「ポクロフスキー老人に注意の目を向けられよ……誘惑され裏切られた女の名目上の夫であり、再婚して
からは、乱暴な男まさりの女の尻に敷かれた亭主で、道化で酔っ払いであるこの男、──この男も
人間なのである!実の息子ではないのだが息子に対する彼の愛は、人間に対する犬のおずおずとした
愛情を思わせる。諸君はその愛を嗤うことはできる。しかし……もし、本をポケットに詰め込み、
さらに脇にも抱え、帽子も被らず、寒い日の雨の中を、気が狂った者のように走るポクロフスキー、
彼は滑稽な愛を注いでいた息子の棺の後を追って走るのだが、そのポクロフスキーの描写に、諸君が
悲劇的感銘を受けなかったとしたら、諸君はそのことを誰にも言ってはいけない。道化で酔っ払いの
どこかのポクロフスキーが、人間としての諸君を恥ずかしいと思い、顔をあかくすることがないために…」
俺みたいな宗教家が読むと尚のこと面白い。
自分みたいな無神論者が読むとめっちゃ腹立つ、特に「悪霊」と「カラマーゾフ」は!
にゃ〜にが「悪業は許されるべきものであるばかりか、あらゆる無神論者の立場からの
もっとも必要な、もっとも賢明な出口として認められさえする」、だ!!
にゃにが「神が存在しなければすべてが許される」、だ!!
勝手にアホな無神論者像を捏造して、くだらねえ嘘八百を言っわせんじゃねェ─!!
こちとら「不死」なんてご褒美欲しさ、地獄落ちの罰怖さに、善めざしてんじゃねェ!!
神が存在しようがしまいが、しちゃいけないことはしちゃいけねェ〜んだってことが
なんでこのヴォケにはわからないんだ?てめぇの人間性を疑うぜ!
と、ぜひドストエフスキーに言ってやりたかったな。
いや、日本人の無神論者(と言うより多神論者)とキリスト教圏の無神論者では
その意味も重さも全く違うんでは……
単純にニーチェみたいな人々を想像したんだけど、私は<ドスト言う所の無神論者
>248がああいう気合入った無神論者だったらごめん。
>>248は、して良い事と悪い事の区別・判断をどうやってしているんだ?
>>250 汝の意志の格律(ルール)がつねに同時に普遍的立法の原理となるように行為せよ
汝自身の人格にある人間性、およびあらゆる他者の人格にある人間性を、つねに
同時に目的として使用し、けっして単に手段として使用しないように行為せよ
あとは論理に頼らなくても、直感的になんとなくぱぁ〜っとわかるじゃない。
>>249 ドストの描いているのは本当は「無神論者」じゃなく、「かつて抱いていた信条体系が崩壊して
しまって自らの基盤を失い、ニヒリズムに陥ってしまった状態の人間」なんだよ。
ああいうのを、真の無神論者と混同して欲しくないな。(と、大きく出る)
252 :
吾輩は名無しである:05/03/13 01:37:55
このスレを一通り読んでみたけど、全員ドストを賞賛しているって解釈していいですよね?
>>251 >汝の意志の格律(ルール)がつねに同時に普遍的立法の原理となるように行為せよ
>汝自身の人格にある人間性、およびあらゆる他者の人格にある人間性を、つねに
>同時に目的として使用し、けっして単に手段として使用しないように行為せよ
これカントが言ったことだけど、思いっきりキリスト教的じゃん。
真の無神論者って何よ?
カントは道徳の原理を従来の宗教的世界観から切り離して、道徳を人間の理性自身に
根拠をもつものとして初めて基礎付けた人だ。
カントは道徳が宗教とは独立して存在することを証明した。
そのことは、カント自身はキリスト教徒であったこととは別の次元の事柄だよ。
>真の無神論者って何よ?
例えば、科学者の故カール・セーガン氏みたいな人かな。
ところで、ロシアでは今週はマースレニッツァ(謝肉祭)だったそう。
昔はこの後、復活祭(正教会ではユリウス暦を使うので今年は5/1)まで7週間の大精進期となり動物性の食品と
アルコールはいっさい禁止となったので、人々はマースレニッツァの一週間、おおいにご馳走を楽しんだ。
ただしこの時はもう肉食は禁止なので魚料理中心に、ブリヌィにイクラなどを載せて食べたそう。
というわけで、ブリヌィのレシピをまた書いちゃう。このスレだったら怒るひといないだろうし。
材料(6人分)
強力粉…250g ドライイースト…小さじ1 牛乳…500ml 塩…小さじ1/2 砂糖…大さじ1
卵…1個 バター…大さじ1(溶かす)
1.牛乳を人肌くらいに温める。
2.ボールに卵、塩、砂糖、牛乳、イースト、強力粉を入れてよく混ぜる。
3.2に溶かしバターを加えて混ぜ合わせる。ボールにラップをして暖かい所で30分〜1時間くらい
発酵させる。(気泡がたくさん出来て量がふえてくると発酵した状態)
4.フライパンに油を熱して、3を流し込み、両面をきつね色に焼く。
(18cmのフライパンで15枚前後できる)
ジャム、バター、蜂蜜をつけると美味しい。日曜日の朝食にぴったり。
でも一度でいいからサワークリームとキャビア載っけてたべてみたいなぁ…。
256 :
吾輩は名無しである:05/03/13 22:56:56
ドスの小説に出てくる料理美味そうだよね
ラズミーヒンの食ってた牛肉とか
>>53 ところが実は現在の民主主義そのままなのです
地上のパンが与えられているから言うのではありません。
より人間的な大審問官達が命を繋いでいます。
しかし、ロシアの中の彼ら(正確には一致しない)の実在と実害をを見抜いていたはずの人物が、
アレクセイに皇帝暗殺をさせようと考えていたという説は俄かには信じられませんね。
>>256 マルメラードフの追善供養にでてくる、ロシアの“煮こごり”なんかも、おいしいよ。
材料
豚のスペアリブ…500g 水…2リットル ローリエ…1枚 玉ねぎ…1/4個(薄くスライス)
にんじん…1/4本 塩・こしょう…適量 ゼラチン…5g(水 大さじ3でしとらせておく)
作り方
1.豚のスペアリブは一度ゆでこぼす。
2.鍋に水、スペアリブ、玉ねぎ、にんじん、ローリエ、塩こしょうを入れ、沸騰するまで強火で、
アクをとりながら弱火で1時間くらい煮つめ、煮汁が300〜400ccくらいになるようにする。
3.2の汁を濾す。(油脂をよく取り除く) 骨から身をほぐして、塩こしょうで味付け。
4.2の汁に、しとらせておいたゼラチンを加えてよく混ぜ、塩こしょうで味付け。
5.器にほぐした肉を入れ、4の煮汁を流す。この時、底に飾りの野菜をいれてもいい。
冷蔵庫で冷やし固める。
6.固まったらお皿にひっくり返して出す。
作るのに手間がかかるけど、食べると口の中でじんわり溶けてきて (゚д゚)ウマー です。
なんかすごい場違いなこと書いてるような…Σ (゚Д゚;)
まっ、いっか。ということでこのスレも260突破ね。
素朴な疑問。
ドストエフスキーが女性差別主義者なら、
現代日本の女流作家はほとんどが男性差別主義者になりますよね?
そもそもほとんどの人間が差別主義者だろうが
>>263 何を言いたいのか分からないレスだな。いちゃもんつけたいだけの典型って奴か。
第一、ドストエフスキーが女性差別主義者ってどこから出た話なの。
おんな描くのがヘタ、というのと女性を差別する、っていうのは別物だよ。
266 :
吾輩は名無しである:05/03/16 10:32:32
ところで。
巷に流布している、「カラマーゾフの兄弟」の続編の構想では、主人公アリョーシャが革命家となり
皇帝暗殺をの犯人として処刑されるはずだった、という説がどこから生まれたのか気になっていたのだが、
ようやく出典がわかった。
出所はドストエフスキー研究の大御所、グロスマンの著作からだな。グロスマン「ドストエフスキー」筑摩書房。
267 :
吾輩は名無しである:05/03/16 10:33:37
グロスマンはアンナ夫人と、「新時代」編集長スヴォーリンのこのような証言を挙げている。
「最初の数巻の最後のページから20年が経過しているはずであった。事件は八十年代に移っている。
アリョーシャはもう若者ではなくて、リーザ・ホフラコーワとの複雑な心理ドラマを経験した大人である。
ミ−チャは出獄して帰って来ようとしている」(アンナ夫人)
「彼はアリョーシャ・カラマーゾフが主人公となる長編小説を書くつもりだった。ドストエフスキーは
主人公を修道院から出して、革命家にしようと思っていた。主人公は政治犯罪を犯し、処罰される」
(スヴォーリン)
これらの証言と併せて、カラマーゾフという名前が1866年にアレクサンドル二世の暗殺を図った
ドミトリー・カラコーゾフを想起させることから、グロスマンはこのような解説を行なっている。
「ドストエフスキーはアリョーシャを叙事詩『カラマーゾフの兄弟』の主人公とみなしていた。それは、
おそらく受難的な革命家の自己犠牲的な形象であったろう。熱烈な真理探究者である彼は、青春時代に宗教と
キリストへの人格への熱中の時期を過ごした。しかし修道院から世に出ると、浮世の情熱や苦しみを味わい、
リーザ・ホフラコワとはげしくも悩ましいロマンスを経験する。彼は傷心のはて同胞への奉仕の活動に
人生の意義をもとめる。彼には活動と大事業が必要なのだ。70年代の末の社会的雰囲気のなかで
彼は革命家になる。そして国内のあらゆる不幸が消えさるはずの全国民の蜂起を呼び起こす皇帝暗殺の考えに
ひきつけられ、瞑想的な修道僧からすこぶる積極的な政治運動家にとなる。彼は、アレクサンドル二世の
暗殺計画の一つに加わり、断頭台にのぼる。」
268 :
吾輩は名無しである:05/03/16 10:34:14
しかしこのグロスマンの解釈は、ソビエト時代の研究者の偏向した強いイデオロギー的色づけが行なわれたものと
現在では思われる。果たして単なる伝聞と、思想偏向した研究者の解釈によってのみ、あたかもアリョーシャが
革命家になる、という構想がドストエフスキーの胸中にあったと推測してよいものだろうか。
ベルジャーエフのドストエフスキー評。
「文化の危機においては黙示録的な衝迫がある。それはニーチェにあり、そして最高度に
ドストエフスキーにある。しかし、この黙示録的衝迫、究極的なものをめざす努力、
あらゆる中道文化にたいする猜疑的・敵対的な態度は、ロシアの性格的な特徴である。
そしてこうしたロシア精神の特徴のなかに、わがロシアの精神的特性の根源のみならず
わがロシアの精神的病患をも求めなければならない。」
「ロシア人は、一面、個性および個人の運命ということについて異常に高度の感情を持って
いるが、しかし他面、その個性をディオニソス的激情による分裂から守り、個性の形を
維持する能力を欠いている。」
「ドストエフスキーには宿命的な二重性があった。一面において彼は個性の原理に異常に
大きな意義を与えた。彼は個性の原理の狂信者であった。そしてこれが彼の最大の長所で
あった。しかし多面、彼においては統合主義および集団主義の原理が大きな役割を演じて
いる。ドストエフスキーの宗教的民衆主義は、個人の責任や個人の精神訓練の原理を
麻痺させる集団主義の誘惑であった。宗教的統合主義の観念は、ロシア人においては
往々にして、ロシア国民の誤れる理想化、精神の捧持者としての国民集団の理想化を
意味した。だがロシア国民に必要なのは、なによりもまず、個人の責任という理念、
自己訓練、個人の精神的自律という理念の認識である。ロシア国民は、この方向に
おける精神的改革によってのみ健康となり得る。ドストエフスキーは半分だけはこの
課題に注目し、その実現に寄与するが、他の半分はロシア的民衆主義やロシア的集団主義
によって誘惑する。換言すれば、彼はこの課題の実現をさまたげるのである。」
270 :
吾輩は名無しである:05/03/18 20:41:42
ドストエフスキーは人間の心の偉大な探求者だ……私はドストエフスキーの前に頭を下げた。
しかし彼を好きになることは出来なかった。
by 魯迅
引用ばっかじゃなくて自分の意見書けよ、文章長いし。
図書館に返す前にここにUPしちゃおうと思って。
じゃあ、レシピは書き込みOKなのか?
274 :
吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 12:42:07
>>271 じゃあ書いてやるよ。
ドストエフスキーなんてもう時代遅れ。最低。あたま悪すぎ。苦悩する必要ないところに
自ら深ーい墓穴を掘ってその中へ投身自殺してるだけ。設問の立て方自体、間違ってる。
今の時代、しかも日本で唯一絶対の真理がなければ生きていけないなんて考えてる奴が
どこに存在する?そんなアホウなこと考えてるのはキリスト教右派かイスラム過激派の
原理主義者だけ。典型的なバカの思考。
「悪霊」なんて今では単なる奇人変人ギャグ小説。そのことはドスト本スレの書き込み見れば
一目瞭然。みんなでゲラゲラ笑いながら読む小説となってしまった。それも当然だな。
神や観念にすがって生きる奴なんて、もうすでに単なるお笑い。
さらに自分の生きる意味を誇大妄想的なロシア・メシアニズムに求め始めたらもうお寒い
存在でしかない。
生きていれば「カラマーゾフ」の第2部でロシア国民の聖なる使命についてくだらん御託を
並べ始めただろうから、その前にさっさと死んでくれて本当に良かった。
パイーシイ神父と一緒に「地上における正教の崇高な使命」についてブチあげるアリョーシャの
姿なんぞ見たくもない。
275 :
吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 12:43:41
と、こんなところでどう?
2ちゃんでギャグ小説と取られているから世間全部そうなんだってすごい理屈だね
そもそも
>>274に書かれた事は本当に自分の意見なのか?
読んだ事あるような内容ばっかなんだが。
何度も同じ事書いてるの?
ていうか100年以上前に書かれて今も読まれ続けてる作品に時代遅れなんて指摘は的外れだろう。
ダヴィンチコード顔も白い
279 :
吾輩は名無しである:2005/03/26(土) 19:22:13
280 :
吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 13:03:33
274 /::::)(:::)(:::::::::::)(::::::^::::::::::\
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(::::::::::/ ):::ノ::::ノ ) ソ ヾ::::::::::::丶::::ヽ
(:::::::::/ 彡 ノ ノ :: 彡:/)) ::::::::::)
(::::::::::/彡彡彡彡彡 ミミミミミミミ :::::::::::)
( :::::::// ̄ ̄ ̄ ̄ヽ===/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |:::::::::) 僕の音楽的趣味は
| =ロ -=・=- ‖ ‖ -=・=- ロ=== 極度に洗練されている
|:/ ‖ / /ノ ヽ \ ‖ ヽ|ヽ
|/ ヽ`======/ .⌒ ` ========ノ. ..| |
.( .(● ●) )ノ
( ・ / :::::l l::: ::: \ .)
( // ̄ ̄ ̄ ̄\:\. .)
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281 :
吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 16:49:33
ドストエフスキーが大嫌いな俺だが、「白痴」だけは例外。
俺は「白痴」はかなりいいと思う。
夏目漱石の三四郎みたいな始まり方で。
282 :
吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 17:11:18
そうか、夏目漱石の三四郎はドストエフスキーの白痴を下敷きにしていたのか・・・
自分は「白痴」の主人公のムイシュキンが嫌い。
誰がなんと言っても、ああいうタイプってやだ。
なぜムイシュキンのような人間が、「美しい人間」と呼ばれているのか理解に苦しむ。
ムイシュキンの愛は肉もなければ血もない愛。そんな愛って恐ろしい。そんな“愛”で
愛された女は不幸だ。一見、ムイシュキンの愛は、純粋で無垢なようにみえるけど
あれほどエゴイスティックな要求を相手に押し付ける愛って無い。
なぜなら、人間の自然な本性を無視して、男女の恋愛の関係の中にも、相手を選ばない
博愛主義を無理矢理もちこんでおきながら皆に嫉妬するなと言うのだから。
「白痴」は、一人の馬鹿が恋愛の領域にボランティア精神を持ち込むという、アホウとしか
言いようのないカテゴリー・エラーを犯した場合、どんな悲劇が起こるか描いた小説である。
286 :
吾輩は名無しである:2005/03/27(日) 23:24:44
>>284はバカなのか
「白痴」という題の意味すらもわからんのか
恥ずかしいから死んだほうがいいよお前
「白痴」=「人類全てがキリスト教的愛のなかで和解する」という、作者ドストのいだいていた
博愛主義的理想主義を体現した人物。そのムイシュキンが現実の人間関係のなかで敗れ去る
悲劇を描いたのが「白痴」である、というのが正統的な読み方だとは思うけど。
でも、そのキリスト教的「みんな仲良し」の理想を他人に押し付けるってことは、実はものすごく
エゴイスティックな行為なんだよ。一見、文句つけようもない美しい理想のように見えるけど、
実はそれは人間の本性に反したものなので、現実を考慮しないで闇雲に実現しようとすれば、
必ずや人間を周囲の関係も含めて破壊する。
ドストエフスキーは、ムイシュキンという人間の恐ろしさ、を理解したうえであの作品を
かいたんだろうか?
288 :
吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 12:04:20
白痴は笑いながら読むものなんだよ。
クソ真面目に読む奴はバカ。
「うわっ、こいつバッカでえ〜、クククウクw」って。
それをクソ真面目に「ムイシュキンは最低の奴だ」なんて言ってる奴は、
自分がその「ムイシュキン」になってる罠。
289 :
吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 12:23:49
>>287 現実を考慮しないでとか人間の本性に反したとかエゴイスティックだとかいうけどね、
じゃあ現実の人間の世界では、人間は他人の気持ちを考慮しないで人間の理性や習性に反したり
エゴイスティックだったりするということが全く無いのかな?
もちろんありあり。むしろそういった要素がありすぎるくらいなのが現実の人間世界。
特にエゴの衝突や鬼畜のごとき犯罪や性癖などで世界は溢れてる。
じゃあ聖なるバカによるエゴや反人間的なものや非現実的なものが「小説」として存在するのは問題なのか。
これはなんら問題じゃないね。
きみは自然主義文学が好きなのか知らんけど。
290 :
吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 12:26:38
(つづき)
やっぱり君は自身が「ムイシュキン」と化してるよ。
小説にたいするの潔癖さというか理想像が。
>じゃあ聖なるバカによるエゴや反人間的なものや非現実的なものが「小説」として存在するのは問題なのか。
これはなんら問題じゃないね。
人間のエゴや反人間的なもの、非現実的なものを描く事は、「小説」の重要な要素やテーマであることは
充分承知している。
問題はドストエフスキーがムイシュキンを「聖なるバカ」として描いた事だよ。
自分の慈悲心を満足させる為に他人の感情を考慮しないで、無責任に憐れみを垂れ流し人間関係を
破壊してまわる生きる公害のような人物が、なんで「完全に美しい人間」、「聖なるバカ」なんだ?
こんなヤツ、無垢でもなければ美しくもない。
292 :
吾輩は名無しである:2005/03/28(月) 19:24:49
>自分の慈悲心を満足させる為に他人の感情を考慮しないで、無責任に憐れみを垂れ流し人間関係を
>破壊してまわる生きる公害のような人物が
>こんなヤツ、無垢でもなければ美しくもない。
現実、世間一般で語られ評される無垢・イノセントな人間というのは常に
「社会不適応者」「バカ」「」「頭が悪い」と否定され続けている。
つまり、無垢な人間というのは世間の大多数の人間にとって理解不能な存在で、
その現実と同じ様子を小説のなかに込められていている・・・・(もういいや)
だからね、まず無垢・イノセントの意味を考えろ。
この世の中が無垢とは程遠いものであり
そしてそこに存在する無垢な人間は必然的に世の中と衝突を起こすもの。
だから無垢なんだよ。
世の中と折り合いをつけなかよしこよしで生きている無垢などないし、
とくに小説としてそんな設定で無垢など滅多にあるもんじゃない。
世の中となかよしこよしでみんなとなんの衝突も起こさず誰からも慕われる人間は、
「ただの良い人」。無垢とは違う。
(釣りでないことを祈りつつ)
君は、小説だけで世界を考えず、現実世界と比較しながら世界を考えろ。
小説の世界だけわかっても、現実世界の知らない人間は、「世の中」「人」などわからない。
横レスだが、
>だからね、まず無垢・イノセントの意味を考えろ。
>この世の中が無垢とは程遠いものであり
>そしてそこに存在する無垢な人間は必然的に世の中と衝突を起こすもの。
>だから無垢なんだよ。
なんかすごい納得した。自分の想像する無垢とムイシュキンがどうにも噛み合わなくて、
>291ほどじゃないにしろ、これが聖なる人なのかなーと思ってた。
実際重度の精神遅滞の人とかと携わったことあるけど、今その時の体験とやっと繋がった。。
我々にとって「無垢でなければ美しくもない」のは当然なんだな。
ありがとう。
「白痴」の場合どっちつかずな態度や気紛れな行動をしているのは、ムイシュキンだけじゃないからなー。
彼だけに責任を着せるのはどうかと。
この「白痴」という小説は、ドスト自身の説明によれば『無条件に美しい人間』を描く事が
主眼だったはず。(姪ソフィア、マイコフへの手紙)
でも、その意図は完全に失敗しているんじゃないかな。
ゾシマやアリョーシャならいざ知らず、ムイシュキンを「美しい」と感じる人間がどれだけ
いるだろうか?
地に足がついていないムイシュキンの理想主義や憐れみでは、「現実世界」に通用する「美しさ」や
「強さ」は持ち得ないんだと思う。
「白痴」を執筆当時、ドストエフスキーはすでに47歳。観念やイメージに振り回されて、
現実の人間の姿や現実の世界が見えてないのは、ドストエフスキーも同様だと思う
>>292 ご忠告は受け取っておくよ。多謝。
296 :
吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 18:06:51
>『無条件に美しい人間』
頭悪いというか視野が狭いというか視点が低いというか。
『無条件に美しい』ということは「誰もが美しいと認める」ことと等価じゃない。
「誰もが美しいと認める」とい誤解した時点でその無『美しい人』に 条件 が加えられたことになる。
あとドストエフスキーが現実の世界が見えていなかったというのは間違い。
ドストエフスキーに限った話ではないが、
ドストエフスキーは現実から(誇大)妄想を拡大して小説が生まれた。
君の場合はドストエフスキー小説から始まり小説の中に自分の世界が含まれている。
ならばこう言おうか、ドストエフスキーの創り出した「白痴」の主人公、ムイシュキンには
万人を納得させるような普遍的な「美しさ」というべきものを持っていない。
作者であるドストエフスキーの歪んだ価値観をそのまま反映した、醜悪ともいえる人物だ。
読者の大多数がどこが美しいのかと納得いかない「美しい人間」なんて、作者の単なる独り善がり
にすぎない、と思う。
ドストエフスキーがムイシュキンを「無条件に美しい人間」と本当に思っていたなら、それは
ドストと自分の価値観に大きな隔たりがあるということだ。自分はあれを到底、「無条件に美しい」とは
どうやっても感じられないから。視点の高低の問題ではないと思う。
つーか、「白痴」については
ドスト自身も「言いたい事の十分の一も言えなかった」
と失敗作と認めておるわけだが。
真に美しいとか肯定的な人物とかのいわゆる善い人間キャラってのを
創作することにドストは執着があったわけだが、
「カラマーゾフ」のアリョーシャでだいぶ完成されたよな。
ムイシュキンなんて、その過程で生まれた試作品。
完璧でないのは当然だな。
299 :
吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 22:30:01
>万人を納得させるような普遍的な「美しさ」というべきものを持っていない。
ならばこう言おうか、それを無垢と呼び、また芸術である。
ゴッホ、とくにピカソやゲルニカの絵がどんなだか君は知っているかい?
それらの絵は全て子供の落書きのようなものだったり単に雑に過ぎないようなものだったりする。
普通の生活と価値観の人間がその絵を上から見ようが下から見ようが逆立ちしようが理解はできない。
ではなぜその誰にも理解できない絵が称えられ芸術としての地位にいられるのだろう?
まさにそういう凡人には全く理解できないが心に響く何かはなんとなく感じられる、それが 「 芸術 」。
「モナリザ」は世界一の美女と言われているだろう?なぜか?
それはその没個性的でこの世のものとも思えぬ姿、そこになんともいえぬ「美」を感じるから。
ムンクの「叫び」でもいい。
その「美しい」を世間的な意味での美しいと同じ意味で考えないほうがいい。
ムンクの叫びもゲルニカもピカソもゴッホもドストエフスキーのムイシュキンも、
君が理解できない美しいと思えない何も感じられないから、それらは「美しくない」となるのか?
答えはひとつ 「 君が間違っている 」
300 :
吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 22:33:03
モナリザを、「マリリン・モンローは美しい」と同じ視点で見たら、美しく感じないのは当然。
「マリリン・モンローは美しい」という視点は無意識の中で作られた価値観だから。
それと同じ。
>>299は池沼のようですね。
横道にそれては泥沼にって感じかw
モナリザが美女なんて話はあんま聞かないよ。美しい絵とは言われてるが男のような顔してるんでパロディーにもされてる。
303 :
吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 22:43:25
間違ってるは言いすぎだったかも。
訂正:「君には理解できなかったというだけ。」
子供の落書きとかいうのは通俗的なイメージにすぎないのに。あんな絵を子供が描けるわけない。
それにピカソやゲルニカの絵とかゲルニカもピカソって言い方おかしくないか?
305 :
303:2005/03/29(火) 22:53:17
べつにムイシュキンが美しい人でもなんでもないんだよ。ただ美しい人ムイシュキンとしているだけで。
ただ君がその「美しい人」という言葉と理想の「美しい人」にこだわって自分でごちゃごちゃになってる。
モナリザにしても美しい人でもなんでもないけど美女モナリザと呼ばれモナリザスマイルなどと言われているだけ。
実際に美人の顔をしているかとかそんなことを考え出したら、どうみても美人でも魅力的なスマイルでもなんでもない。
でも両者ともに見方によってはいくらでもどうにでも解釈ができるのは事実。
理解の足を引っ張っているのは自分のこだわり・固定観念だ。
306 :
吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 22:54:30
>通俗的
ぼくら通俗的
307 :
吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 22:57:12
ムイシュキンの言動が教えてくれること、それは我々がいかに普段から汚れきった考えに囚われているか。
>>305 なんか勘違いしてるようだが(君とかって言ってるから)297ではないからね。
299の文にひっかかったから書き込んだんだよ。
それこそ君と私の他にも書き込んでる人いるようだし。
309 :
吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 23:07:37
いや君とは言っても
>>304に書いたつもりは全くないから。
310 :
吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 23:08:53
302でもなく
297だけど、303の言いたい事がなんとな〜くわかってきたかな…。
ドストエフスキーの「白痴」が、ひとに何らかの感銘や衝撃を与える「芸術作品」であることには
自分としても実は異論はないんだよ。あの小説のラストがもたらす衝撃や余韻は、例えようもない。
でも、どうしても私はムイシュキンという人物が好きになれないし、背景に流れるドストの
価値観や人間観に共感できないんだ。
「モナリザ」が素晴らしい芸術作品とわかっていても、個人的な好みであまり好きになれないって
こともあるだろうし、ダ・ヴィンチが好きな人もいれば、ルノアールが好きな人もいる。
なにが「美」であると感じるかは生まれ持ってのその人の感性によるものだから、そのことだけで
他人を通俗的だの視点が低いだの決め付けるのは、どうだろうか。
私がドストをちょっとどうかと思うのは、ドストが自分の価値観をキリスト教的教義によって
超越的な権威付けをして、フェアな判断を受け付けないからだよ。
「白痴」にしても、「己を愛するがごとく他人を愛せよ」とか無私・無我の愛こそ至上のものである、という
キリスト教的価値観が根底にあってのムイシュキン像。
そういうキリスト教の価値観をバックにして、無責任きわまりない超越的「憐れみ」を「美」としてふりかざす
ムイシュキンとその作者であるドストエフスキーに、私は共感できないだけ。
長文スマソ。
312 :
吾輩は名無しである:2005/03/30(水) 21:39:25
>>311 それならね、君の頭に思い浮かべる「無条件に美しい人」とはどんな人なのか、言ってみてよ。
ナボコフはドストだけじゃなくトーマス・マンやバルザックも芸術とは言えないとかって言ってたな。
書いてもいいけど、あんまり叩かないでよ
>>312 じゃあ、自分的にはどんな人間を「美しい」と思うかと言うと…。
他人に対して愛と優しさと思いやりを持つ人間。これは絶対欠かすことはできないよね。
だけどムイシュキンのように後先どうなるか考えず自己満足的に憐れみを垂れ流すのではなく
自分の行動や言動に責任を取れる人間。
嫉妬、怒り、憎しみ、不安などの自分のマイナス面の感情についても、それを感じるのが辛いからと
見ないふりや存在しないふりをせずに、ありのままの自分の感情として直視できる人間。
同様に他人のマイナス感情についても、無視したり軽んじたりしないで大事にできる人。
「人間はこう生きるべきである!」と自分の主観を絶対化しないで、自分と他人の感じ方・
生き方の違いを認めることができ、違いを含めて他人を愛せる人。
頭のなかのイデアによって“人間のあるべき姿”を規定するのではなく、あるがままの
人間の姿を受け入れたうえで現実のなかで苦闘しながら理想を模索できる人。
心の中に落ち着きと平安さを持った人間。
ざっと思いつくところではこんな感じ。自分にとってはムイシュキンより「カラマーゾフ」の
アリョーシャの方が「美しい人」だな。
315 :
吾輩は名無しである:2005/03/31(木) 20:08:54
↑それムイシュキンそのものじゃん。
ただ「白痴」の物語の外での、ドストエフスキーの「これが美しい人です」という主張が、
ムイシュキンの存在に(君が)「付属」させてしまっているからムイシュキンを認めないだけでさ。
ムイシュキン自身は全くなにも意図的に他人に押し付けてもないことは認めるだろうけど。
結果的にの裏表の無い何の策略もない疑いもない「美しい」ムイシュキンに、周りが戸惑うだけで。
だからこそそれを「無条件に美しい人間」だとなるんじゃないかな。
他人に対して「〜こういうことを言ったら傷つくんじゃないかな?怒らせるんじゃないかな?」と考えた上で、
接する人間というのは、はなして「無条件に美しい人」といえるかどうか。
そういう考え方をする人間というのは必ず心の暗い部分・汚れたものを隠し持っているもので、
例えば
「死刑の確定した猟奇殺人犯に対して、何の恐れも疑いも持たず(それが当たり前のように)接してしまう人」、
こういう人を「無条件に美しい人」といえるんじゃないかな。
だからムイシュキンは「美しい」んだよ。
ムイシュキンがイエス・キリストをモデルにされたことは知ってるでしょ?
それなら尚更のこと、ムイシュキンの美しさに納得するというもの。
316 :
吾輩は名無しである:2005/03/31(木) 22:03:12
ムイシュキンは"人間のあるべき姿"なんて考えてすらないよ。
カラマーゾフの中ではアリョーシャが自分の中の俗なるものや汚れたものに言及して
そのことに戸惑うけど、ムイシュキンはそれすらもないからね。
俗とか汚れとか聖とかそういう価値観ではなく、それを超越したもの。
無垢・イノセントという場合、ムイシュキンには当てはまってもアリョーシャには当てはまらない。
他人を傷つけず自分をも傷つけない無垢・イノセントは無いの。
まだ不満?
317 :
吾輩は名無しである:2005/03/31(木) 22:50:23
ここでつながる、「美しい人」=ムイシュキン=「白痴(ばか)」
ムイシュキンは、美は美でも、崩壊美てかんじだね。。。
よくいわれる「白痴美」っていうのとは、なんかちがうような。
ところで昔の漫画に、「白痴美」と言われてたキャラがいたんだが。
最近になって漫画文庫で出た版では、
「白痴美」→「幼稚美」に変えられてた…
白痴て言葉が駄目な言葉とは聞いてたけど、今後白痴のタイトルそのものまで
変更される可能性ってあるのかねえ。
>>318 そのマンガって何ですか?
出版社にもよると思いますよ。
>>319「イヴの息子たち」っていうのです。
昔は秋田書店で出ていて、漫画文庫では白泉社文庫から出てます。
なるほど出版社にもよるのかー。
もし白痴がタイトル変わったら、ロシア語そのままでいいと思う。
「おばかさん」なんていう訳はまちがってもやめてほしい。
「おばかさん」…遠藤周作に「おバカさん」って作品あった。あれも「白痴」を下敷きにした
はなしだったね。
>「死刑の確定した猟奇殺人犯に対して、何の恐れも疑いも持たず(それが当たり前のように)接してしまう人」、
たぶん、ありのままの人間のすべてを受け入れて赦せるひと ってことなんだろうね。
でも、ムイシュキンは果たしてそうだったろうか?
アグラーヤやロゴージンが抱かざるを得なかった生身の人間としての嫉妬や怒りの情を、
理解したりきちんと向き合って考えてあげたりした?
どちらに対しても「私はそんなこと信じられないよ!」と拒否するだけ。たぶん彼には生身の人間として
欠けてる部分があるから本当に理解できないのかもしれないけど、ネガティヴな部分であれありのままの
自分の感情を理解拒否されたアグラーヤやロゴージンの側は辛いよね。
ムイシュキンはネガティヴな部分がないから、他の生身のありのままの人間を受け入れることができない。
周囲の人間は彼の“聖性”によって、自然な人間としての在り方を否定・抑圧されるような感じを受けて
かえって感情や衝動の暴発を引き起こしたんだと思う。
ムイシュキンという人間の存在こそが、あの「白痴」という小説の悲劇の引き金、原因だと自分には思えるんだ。
322 :
吾輩は名無しである:皇紀2665/04/01(金) 14:56:44
>アグラーヤやロゴージンが抱かざるを得なかった生身の人間としての嫉妬や怒りの情を、
>理解したりきちんと向き合って考えてあげたりした?
それを考えることができるのは過去または現在も自分のなかに「汚れ」を持つ人間。
そしてそれを考えることができる人間は「美しい人」=「白痴ばか」に適しない。
ちょっと話がずれるけど例えば、こういった掲示板で他人の「自作自演」を疑う人というのがいる。
そういう人というのは過去そういう行為をしてきた人間であるかまたはその欲望を内に持つ。
そういうものを内に持たない、経験も無い人というのは「まさかそんなことをするわけがない」と思うか、
そんなことはまずありえないと考え、他人の自作自演を疑うことを全くしない。
まあなんか違うする気もするけど、ムイシュキンは汚れのけの字もないほどに美しい心を持っていて、
かつ表題にもある「白痴(ばか)」にもあるように、無条件に美しいムイシュキンだけど白痴、
白痴だけど無条件に美しいムイシュキンなんだよ。
現実世界でも、正しいことをし間違ったことを一つもしていない人といろいろ話をしていると、
直接自分が否定されたわけでもないのに、自分がその人よりも汚い部分が強調されて罪悪感に
さいなまれてしまうことはよくある。
323 :
つづき:皇紀2665/04/01(金) 14:57:39
もう一度繰り返すと、ムイシュキンは他人に自分の主張や考えを押し付けてないからね。
結果的にそのあまりにも純真無垢すぎる小さな子供のような心に周りが戸惑うだけで。
想像だけど、もしムイシュキンの目をみることができたら少女漫画の目のように澄んでいるだろう。
あと周りの人間が否定されているように感じるのはムイシュキンに否定されているように感じると
いうより、自分の汚れに罪悪感を感じているだけだし、ムイシュキンの存在に戸惑いながらも、
誰もがその存在の尊さに気づいていることは確かだからね。
君は「無条件に美しい人」ムイシュキンに、「知的で」を加えてしまっている。
前にも言ったけど、それでは「無条件に」でもなんでもなくなってる。
ムイシュキンの前に、君こそがムイシュキンに自分の理想像を押し付けている形ではないかと。
あくまで、「白痴(ばか)」という病気でかつ美しい人としてのムイシュキンだからね。
英語題でいう白痴は idiot 、「バカ・成長しても4-5歳以下の知能しか持たない者」の意味。
題名を読んだだけで納得できると思うんだけど。
ああ美しい人なんだ、でもバカなんだ。なるほどって。
>>322 どーして時として人間がネガティヴな感情を抱くことを「汚れ」だなんて考えられるのかなぁ?
嫉妬、怒り、憎しみ、不安etc…これらは確かに感じるのが不快で辛い感情だけど、人間にとって
とってどれも大切な感情だよ。幅広い感情を経験する事こそが人間に深みをもたらし他人に対する
理解を深め共感の幅を広げるんじゃないか。どんな感情であれ、人間的な成長を遂げるための大切な要素だよ。
たぶん自分は322とは、それと「白痴」執筆当時のドストとは違う美意識や価値観なんだろうな。
自分にとっての「美しい人間」とは、322の言うところの「汚れ」を欠いた人間ではなく、心の内に
人間が人間たるすべての要素(「汚れ」を含めた)をその身に備えていながら、それを統合して
乗り越えていこうとする人間、なんだよ。
人間にとって大切な部分が欠落した人間、「白痴(ばか)」である人間。。。というのは、それこそ「無条件に」と
いうことに該当しない人間のことじゃないか。
ムイシュキンってなんか人間として不自然だ。だからありのままの他人を受け止めてあげる力がないんだよ。
正直、自分はそういう人間に「美」は感じないもん。絶対やだ!!
325 :
吾輩は名無しである:皇紀2665/04/01(金) 22:36:14
>どーして時として人間がネガティヴな感情を抱くことを「汚れ」だなんて考えられるのかなぁ?
>嫉妬、怒り、憎しみ、不安etc…人間的な成長を遂げるための大切な要素だよ。
うーむ、話がかみ合わないなぁ。
ムイシュキンに近い美しい人を紹介してあげる。
”アルジャーノンに花束を”の主人公「チャーリー」。
それも、知能遅れの状態での「チャーリー」。
このチャーリーはね、知能遅れを治す実験材料として治療されるんだけど、
ある程度成功してものすごい秀才になるんだよ、でもそれによって世界が見えるようになって
(以前はまったくなかった)今度はいわゆる嫉妬・怒り・憎しみ・不安などを覚えるようになる。
ところがそこまで秀才になったチャーリーなのに親しい友達に背を向けられ裏切られてしまう、
そんなときにアルジャーノンというネズミ(チャーリーの前の知能向上実験動物)の様子がおかしくなる。
前はできたはずの迷路ができなくなり衰えていく、そんなアルジャーノンを見ていたチャーリーは
自分もそうなることを不安になるのだが、そんななかで自分の知能が向上したことで得たものと
失ったことを考え出す・・・そうして元にもどったチャーリーはまた同じように楽しく毎日を暮らす。
まだわかんない?
これが無垢でありイノセントであり、また、「バカ・成長しても4-5歳以下の知能しか持たない者」という意味の
白痴でありidiot。
だからそういう意味でムイシュキンが美しい人なのは正しいの。
326 :
吾輩は名無しである:皇紀2665/04/01(金) 22:39:11
人間的に成長もクソもないんだよ。
「バカ・成長しても4-5歳以下の知能しか持たない者」なんだから。
そんな人間像にその年齢相応の知性を求めでどうする?
そうしたら白痴でも無垢でもなんでもない人になる。
>>325 >そうして元にもどったチャーリーはまた同じように楽しく毎日を暮らす。
これは以前やってたテレビドラマのラストでしょ。
原作は違うよ。
328 :
吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 20:25:20
原罪・煩悩
いわゆる知能(IQ)は普通人と同じで、ただ人間がふつう持つネガティブな心の部分を
持たないムイシュキンと、知的障害者を並べて論じるのはちょっと危険だと思うけど…
でもたしかに「アルジャーノン」のチャーリーもイノセントな存在として描かれていたよね。
自分はあの小説で、知能が再び退化する前にチャーリーが自分の過去の心の傷を乗り越える為
自分の家族に再会する箇所に感銘をうけたけど。知的障害があったときにはわからなかった
自分の母や妹の悲しみや苦しみを理解し赦した時、主人公自身もはじめて救われ赦された気持ちに
なったんじゃなかったかな。
330 :
吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 23:45:02
話がごっちゃ。
チャーリーは(不完全な)「治療のおかげ」で頭がよくなり、
それから元に戻るぎりぎりの時期に何とか思考したもので、
その「思考」はIQの峠にいたときにはその思考ができなかったけれども
自分が白痴の状態に戻ることになりまた自覚したからこそ
「人間にとって大事なこと」を語ることができた。
このチャーリーが知能遅れのまま過ごした状況を書いたのが、
まだまともではあるけどドストエフスキーの白痴でいうムイシュキン。
チャーリーはイノセンスの存在として書かれていた。
じゃあ「どの?」チャーリーをイノセンスといえるのか。
そのイノセンスというのはまさに知能遅れのチャーリーであり、
IQの高いチャーリーも衰える過程のチャーリーでもない。
脳が衰える過程でチャーリーの思考したことというのを、
イノセンスとみることは、不可能。
繰り返しになるけど、
アルジャーノンの中でどの登場人物のどの状態の者が
無垢・イノセンスな「存在かと」いえば、それはやっぱり知能遅れのチャーリーなんだよ。
よく小さい子供に対して「純真無垢な」「素直な」とか使われるけど、
大人にそういう言葉を使われるkとは無いよね?
どんな文化圏でも子供は何かと神聖視される。
無垢・イノセントというのは「無条件に美しい人」そのもの。
君の言っている「美しい人」というのはね、君自身の理想とする美しい「人間像」なの。
331 :
つづき:2005/04/02(土) 23:45:38
でもね、「無条件に美しい」ことに君やぼくの理想の入る隙間もないの。
ムイシュキンをこれほど弁護しているぼくでもムイシュキンを「人間的な意味での美しい人」とは思わない。
そういう話ではなく、「無条件に美しい人」という無垢でイノセントな人(?)というのは、
まさに白雉のムイシュキンや知恵遅れのチャーリーのような人のことなの。
無垢やイノセントというのは理想とするものとかなろうとしてなるようなものでもないの。
君が「美しい人」として考えている要素というのは「なろうとして努力するようなもの」なの。
それは「美学」のようなもの。
その「美」と無垢・イノセントに使われる「美」とは違うものなの。
なんでこの違いがわかんないの・・・?
332 :
吾輩は名無しである:2005/04/02(土) 23:55:31
>・・・主人公自身もはじめて救われ赦された気持ちに なったんじゃなかったかな。
なったのはそうなんだけど、苦しみを知ってしまったのはIQが上がってから。
というより、IQが人並みに上がったために人並みの苦しみを知ってしまったの。
つまり極論すると君はムイシュキンにIQ高くなれと言っているようなもの。
ムイシュキンのIQを高めさせ(白痴をなおす)て人並みになれと言っているようなもの。
君がアリョーシャやチャーリーの心の葛藤に共感するのはね、
そえは「文学的要素」に感動しているだけ。
それと、ムイシュキンやチャーリーの存在としての美しさを混同しないように。
ああ誤字脱字がいっぱい…
334 :
吾輩は名無しである:2005/04/03(日) 00:43:27
そうそう、忘れてた。
ちなみに「アルジャーノンに花束を」はすべてチャーリーの視点で語られているから、
ドストエフスキーの白痴で見られるような周囲ムイシュキンに対するの戸惑いのようなもの
は見られない、そのかわりIQの上がったチャーリー自身が「知恵遅れのチャーリー」に対する他者の
視点として語られてはいるけどね。
>>330は現実にまだ小さい姪っ子とか甥っ子とか、身近にいないひとでしょー?
>よく小さい子供に対して「純真無垢な」「素直な」とか使われるけど、
↑現実の4−5歳児なんてこんなイノセント、なんてイメージから程遠いわよ、そりゃもう
本能むきだし、自己中心的な感情ばりばり全開状態よ。現実の子供と、ドストが創り出した
人工的で作為的な作中人物であるムイシュキンなんて似ても似つかないわよ。
でも私は、作り物の「美」であるムイシュキンなんかより、現実の生身の子供の方がよっぽど
人間らしくて自然さが感じられて好きだけど。
>君の言っている「美しい人」というのはね、君自身の理想とする美しい「人間像」なの。
だから、ドストの小説「白痴」にでてくる「美しい人ムイシュキン」っていうのも、作者である
ドストエフスキーにとっての(またその価値観に共鳴する330のような人にとっての)
美しい人間像なんじゃないかぁー。
私もロジック的には、ドストや
>>330がなぜムイシュキンを「美しい人」とするかは判ってるんだよ。
ただ個人的には、感覚的にどうしてもムイシュキンを「美しい」とは思えないだけだってば。
べつに「白痴」を読んだ人全員がドストの考えた「美しい人」像に一致して、諸手を挙げて賛成しなくても
いい訳なんだし。だって人間、一人一人価値観や感性は違うんだから。
でね、そのなかのどの美意識が「優れている」かとか、どの感性を持つことが人間として
「正しい」か、とかは競わなくてもいいんだってばぁー。
>私もロジック的には、ドストや
>>330がなぜムイシュキンを「美しい人」とするかは判ってるんだよ。
>ただ個人的には、感覚的にどうしてもムイシュキンを「美しい」とは思えないだけだってば。
>「白痴」を読んだ人全員がドストの考えた「美しい人」像に一致して、諸手を挙げて賛成しなくても
>いい訳なんだし
だよなあ。ましてここアンチスレだしぃ。
邪気が無いの無邪気。
>>337 それは当然その通りなんだけど、的外れな批判なんだからしょうがないじゃん。
美しい存在としてムイシュキンが在ることと、読者がそれを美しく感じるかどうか
ということは別問題。
335だけど、まっ、いいじゃん。
私は、自分と違う感覚のひとの意見が聞けて面白かったよ。
男性的思考寄りで、論理展開するのにちょっと苦労したけど。
余談だけど、どーして男って(とくにその中でもドストエフスキーなんか)論理で物事の
善悪を考えるんだろ。直感的に「こーゆう考え方ってヘン!!」とか思わないのかな。
「なぜ人を殺してはいけないか」なんて、論理で考えることじゃないだろーって自分なんか
思うんだけどな。それと同じで、「なぜ複数の女性に対してほぼ同時に結婚を申し込んでは
いけないか」なんて、理屈で考えることじゃないだろがと思うんだが。
>>339 直感(直観?)ってのは、あんたの嫌いな個人的感情や主観的真実のことじゃないの?
>>339 なんの根拠もなく直感で男女を区別した話に乗るつもりはありませんが、
女流作家の書く小説は概して薄っぺらいと思います。
文学は直感で面白いか面白くないかでいいんだよ(・∀・)
自分の直感をその対象について絶対化するのは良くない
>>340 直感や直観、感情や主観的真実というのは、人間が生きていくための個人的な指針となる
ものでとても大切。だけど、それが「真実」であるのはあくまで個人の枠内であって、
絶対的でもなければ普遍的な真実ではありえない。
その点さえ自覚してれば、自分はこう思うと主張してもいいけど思うんだ。
>>343 だから人の意見も否定してないつもり。
ドストの描く女性像も女性から見ると、そうとう薄っぺらいよ。
私は女性だけどそうは思わないな<うすっぺらい
勝手に普遍化しないでくれ。
……結局主観の問題じゃないか?
トルストイと比べると、ドストの描く女性は・・・・ってのは何度も聞いたな。
349 :
吾輩は名無しである:2005/04/08(金) 07:49:34
なんで女の書く小説ってどれも内容が薄いんだろう?
僕の考えだとそれは女性の強さ故だと思う。
強さ故に思考が深くならず前向きだから小説に厚みがでない。
男性は弱い(力は弱さの表れ)から小さいことも気にして
ああでもないこおでもないと”一人で”思い悩むから
それが小説として書かれたときに厚みや深みがでる。
これは結構近いんじゃないかな。
>>345 >>291 >自分の慈悲心を満足させる為に他人の感情を考慮しないで、無責任に憐れみを垂れ流し人間関係を
>破壊してまわる生きる公害のような人物が、なんで「完全に美しい人間」、「聖なるバカ」なんだ?
>こんなヤツ、無垢でもなければ美しくもない。
>>324 >ムイシュキンってなんか人間として不自然だ。だからありのままの他人を受け止めてあげる力がないんだよ。
>正直、自分はそういう人間に「美」は感じないもん。絶対やだ!!
はいはい、わかってます
>>350 思いっきり私は自分の主観を主張してますね。
やった! 他にもいた、女のドスト好きが。
>>347 ドストの描く女性って男性が頭のなかで創りあげたものってかんじしない?
小説の中の駒の1つって感じで、「戦争と平和」のナターシャみたいに独立した生命感を
私は感じられないんだ。キャラとしては充分個性的だとは思うんだけど。やっぱ個人の主観かな?
トルストイじゃ相手が悪い
少女漫画の(白馬に乗った王子様的な)男性像や、冬のソナタに限ったぺ・ヨンジュン。
354 :
吾輩は名無しである:2005/04/08(金) 12:08:41
>>348 嘘かほんとか知らないが、トルストイはホモという話もある。
だったら納得。男で文学やる人間はモテないから理想のありえない
女を書きたがるからね。トルストイがホモなら女に対して恨みは
無く客観的に書けたのではないか?
アンナ・カレーニナも最初はアンナを不倫した罪深い女として
裁こうとしたがどうしても彼女を罪人と思えず、社会階級に負けた
ことにしたそうだ。
356 :
吾輩は名無しである:2005/04/08(金) 14:52:46
女性が書いた女性登場人物のうすっぺらさ
>>356 「風と共に去りぬ」は強烈ですけどね。>>スカーレット・オハラ
女性作家蔑視もいいけどオースティンぐらい嫁よ
トルストイ>>ドストエフスキー・セルバンテス・フローベル・モーパッサン>>夏目漱石>(超えられない壁)>>>>村上春樹>オースティン>>>ミッチェル>>(超えられない壁)よしもとばなな
360 :
吾輩は名無しである:2005/04/08(金) 15:24:30
「風と共に去りぬ」に出てくる男を見てみよう、まるで少女漫画のお(
>>359 オースティンが村上春樹に負けているのは何故だ・・・・・
厨の価値づけなんか無視しろよ
363 :
吾輩は名無しである:2005/04/09(土) 11:56:19
ヒキコモリや性犯罪者や鬼畜殺人犯ってなんで圧倒的に男に多いんだろう?
364 :
吾輩は名無しである:2005/04/09(土) 12:21:48
ドストって毒男っぽい
365 :
吾輩は名無しである:2005/04/09(土) 13:38:13
>>363 男のほうが現実と妄想の区別がつかないからではないか?
女は腐女子でも801は絵空事と認識してると思う。
ショタコンが美少年を拉致する確率はロリに比べてずっと
低い。でも男はAVでも見たら女はこうだと思い込むのでは?
だからドストやトルストイやサリンジャーは男でなければならなかったのか。
ドストは妄想狂だしサリンジャーはロリ萌えだしルイス・キャロルもロリ萌えかw
ゲイの男性作家は数多いがゲイの女作家はきわめてゼロに近いよな。
創作活動なんて妄想のなせる業だからな。
個体差こそあれ、男は空想に生き女は現実に生きる、故に
367 :
365:2005/04/09(土) 14:55:11
あ、でも河野多恵子の「幼児狩り」とかショタの話も
あるか。
368 :
吾輩は名無しである:2005/04/09(土) 16:28:53
男女論を最初に始めたやつは死刑
それはドストオタだ。
いきなり「女氏ね」とかつぶやく。
370 :
吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 09:43:57
↑お前は読解力が無いんだな。
女氏ね
372 :
吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 11:24:47
自演乙
正確には「女性作家糞」とつぶやく
>>363 単純にセックス(肉体的性差)の問題。成人女性よりショタの方が力は強かったりするしね。
それとひきこもりは男の方が多いと言うデータは? まさか根拠無いの?
仮に男の方が多いとして、その理由は男女のコミュニティ形成方法の違いです。
女の人は過剰のコミュニティ(コミュニケーションのためのコミュニケーション)を求めるけど、
男の人はある程度は方向性を持ってコミュニケーションを求める。前者は何となく繋がりを保てるが、
後者は一歩踏み外すと繋がりを保ち難い。それだけ。
ある問題に対して一視点的な前提で語るのはフェアじゃないですよ。
>>339 >余談だけど、どーして男って(とくにその中でもドストエフスキーなんか)論理で物事の
>善悪を考えるんだろ。直感的に「こーゆう考え方ってヘン!!」とか思わないのかな。
376 :
吾輩は名無しである:2005/04/10(日) 19:46:10
>それとひきこもりは男の方が多いと言うデータは? まさか根拠無いの?
と言うなら
>単純にセックス(肉体的性差)の問題。成人女性よりショタの方が力は強かったりするしね。
のデータや根拠はあるのでしょうか?
斎藤環が「社会的ひきこもり」のなかで、
ひきこもりは男性に圧倒的に多いって言ってたぞ。
わたしの調査した事例でも80lが男性でした、
とか。
社会的な重圧が違うからね。男は一度挫折すると(リストラとか)、世間に顔向けできなくなる
人がいる。女はバイトでも家事手伝いでもどうにか生きてけるしそんなに批判もされない。
20代以上は特に圧倒的に男性が多い。ソース?ググれば簡単に見つかるよ。
男は女よりもはるかにプレッシャーに弱いよ。
根拠は、ちょっとした不安でセックス直前に「不能」にいとも簡単に陥る。
>>379 そのソースは藻前のみっともない個人的経験ですね
381 :
吾輩は名無しである:2005/04/11(月) 08:59:02
人
(_)
(__)
( ・∀・)つ うんこー♪
(( (⊃ (⌒) ))
(__ノ
人
(_)
(__) うんこー♪
(・∀・ )__
(( ⊂⊂ _)
(__ノ ̄ 彡
人
(_)
(__) うんこー♪
(・∀・ ∩ ))
(( (⊃ 丿
(__)し'
ウンチドストエフスキー総合スレッド
383 :
吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 12:26:50
女って声がうるさいし話の内容がやたらとあちこち飛ぶしヒステリーだしすぐ逆切れするし間違いは絶対認めないから嫌。
>>28 最高にウケタ
いやあこのスレいいよ、なんか。
385 :
吾輩は名無しである:2005/04/12(火) 18:23:08
基本に戻ると、ドストエフスキーは文章が下手な印象を受けるが、これは翻訳のせいだろうか?
そうじゃないみたい。
387 :
吾輩は名無しである:2005/04/14(木) 14:11:49
*** 言葉の日めくり(一日一善) ***
「トルストイとドストエフスキー2巻 著者メレシコフスキー 雄 渾社 P127」より
――イヴァン・イーリッチに体験させた、この上なく種々様々な肉体的・精神的苦痛、
苛責、怨恨、恐怖などの 偏愛的な火刑 吊刑しゃく吊 拷問の念の入れ方、その奇抜
さは、たとえ、それが祝福さるべきキリスト教的な目的を持ったものであるにしても、
やはり、レフ・トルストイの先祖の一人で ピョートル大帝の巣の雛鳥で、秘密裁判官
の長官であった、有名なピョートル・アンドレェヴィチ・トルストイ伯が議長を務めて
いた神聖宗教審問所、もしくはプレオブラジェンスキー裁判所の拷問部屋を思
い出させるものである。
388 :
吾輩は名無しである:2005/04/16(土) 12:02:54
ドストエフスキーは人類の奇跡
389 :
吾輩は名無しである:2005/04/18(月) 18:44:38
現代に生まれてたら、絶対2ちゃんやってると思う。
ツルゲーネフから借金断られて、
「しょせん、おぼっちゃん先生の駄文。。。」とかシコシコ悪口書き込んでるよ。
シコシコどころか自作自演も合わせて派手にやりまくると思う。
↓みたいなスレッド自分で立てて。
ツルゲーネフ逝ってよし
プーシキンは神!!
チェルヌイシェフスキー(笑)
391 :
吾輩は名無しである:2005/04/19(火) 10:06:57
人間的にも立派で、尊敬されてて偉大だったとされてる
トルストイ→いっぱい子供作った奥さんと吹雪の夜にケンカしてそのまま家出、
行き倒れ死。
人間的に、親友からも「イヤなやつだった。」
病的、できれば近づきたくないと小説内の登場人物さながらに
色々言われた
ドストエフスキー→奥さんに「君のXXが恋しい。僕の可愛いXXちゃん!」
と、伏字にせねばならぬほど恥ずかしい手紙を書いていた
しあわせな晩年。
人物像は、ともかく奥さんとの関係は晩年に響きますね。
392 :
吾輩は名無しである:2005/04/19(火) 21:16:45
長いし読んでも何の役にもたたないし、もう紙がもったいないから
絶版にしろ
そういやドストのトルストイに対する評価ってどうだったの? あんま聞かないけど。
トルストイのドストに対する評価も知りたい。
394 :
吾輩は名無しである:2005/04/20(水) 23:19:28
***トルストイ 言葉の生命(アジアでの語らい)***
矛盾とか苦悩とか言えば、人は直ぐロシアを思うほど、この虐げられた人々は
真に過酷な運命の道をを歴史的に辿って来たが、そのロシアにおいてすら、少
なくとも魂と精神の苦悩に関するかぎり、トルストイほど、激烈な深い矛盾に
苦しんだ人はなかった。普通よく矛盾と苦悩の行者のように考えられているド
ストエフスキーも、彼に比べればある意味で遥かに幸福な人間だっった。
395 :
吾輩は名無しである:2005/04/20(水) 23:25:15
394 「ロシア的人間」著者 井筒俊彦 中公文庫 ページ246より
396 :
吾輩は名無しである:2005/04/20(水) 23:46:12
〉トルストイほど、激烈な深い矛盾に 苦しんだ人はなかった。
って、三度のうまい飯食って食通生むには3代かかるなんて言ってる
極楽トンボが魂と精神の苦悩なんてったって誰も信用しないっての
エリートの仲間誉めを読まされてきたって事なんだよ文学なんて結局
ほとんど読んでないとすぐ分かる典型的な批判だな
>1の引きこもり云々もそうだが
/7へ,、
,///スく
,ノ'彡/"´
,/,/'"
,/,/
,./,/
えr'" 一本の葱、、、、なんちゃって。。
399 :
吾輩は名無しである:2005/05/13(金) 11:56:24
i
400GET
正直、このスレ400まで行くと思ってた?
>>1
402 :
吾輩は名無しである:2005/05/21(土) 09:08:25
ばーか、ばーか、ドストエフスキーなんかたいしたこっちゃねェー!
「カラマ」の反逆の章でイワンがうだうだ言ってるようなことは、自分は幼稚園児の時
もうすでに考えていたぜ!
日本人はやたらドストすごいスゴイと言うけれど、ああいうことはキリスト教に触れた事のある
人間ならばいっぺんは通らなければならない道。
ああいう疑問を提出するだけならガキでもできるぜ!大事なのはその疑問にたいして
自分自身がどんな答えを出すかなんだぜ!
けっ、神が存在しないからニヒリズムに陥るだと?超くっだらねぇー!!!
単に他力本願のめめしい甘ちゃんの依存願望のかたまり野郎じゃんか!
自分の責任放棄して、いもしねぇ神に責任転嫁してんじゃねェー!!!
この泣き言野郎がっ ( ゚д゚)、ペッ
ぎゃー、間違って上げちゃったよ〜〜!!
>>402 嵐みたいなカキコにマジレスすると、
自分の個人的体験を絶対化して、
人を馬鹿呼ばわりするのは良くない。
それにドストは疑問を提出するだけでなく、
あっちこっちで答えらしきものを提示してるじゃないか。
>嵐みたいなカキコにマジレスすると、
本スレに書いたら嵐と呼ばれてもしかたないけど、ここアンチスレだし…。
ドストを罵倒するのが、自分の一番有効なニヒリズム克服法なんだよなぜか。
どうしてって問われても答えられないけど。
406 :
吾輩は名無しである:2005/05/22(日) 13:04:25
ソルジェニーツィン読むといいと思うぉ☆
そうなの?
とにかく「カラマ」のイワンって馬鹿!ドストの作品のなかではインテリの典型のように
書かれているけど、あんな自分勝手な馬鹿っていない!
「幼い子どものいわれなき苦しみ」について延々語っちゃいるけど、でもイワンって子供達をその苦しみから
救い出すためになんか具体的に行動した?一体何のために新聞やらなにやらで子どもの虐待事件の
記事を収集してんの?地上ではこういう悲惨な事件が起きているのに神はなにもしてくれない、
だから自分も酒飲んでカラマーゾフ的放蕩にひたって余生をすごしまーす!っていう言い訳に使うため?
けっ、まるで反体制的な意見やポーズだけ示せば自分の義務を果たしたと勘違いしてた一昔まえの
日本のエセ文化人とやってること同じ!くっだらないやつ!!
てめえがニヒリズムに浸ったって、苦しんでる子供たちの誰一人として救えねーんだよこのヴォケが!!
>>409 そんな、かっかしなさんな。
男ってだいたいそんなもんだよ。脳内論理で自己満足。
そういう生態の描写と思えばよろし。
アリョーシャが救ってるじゃーん
しくしく…。
今の流れとは関係ないけど、本スレの575がヤラシイこと書いた。
別に人が何考えようが書こうが勝手だけど、まさか男がドスト読んでああいうことを
考えていようとは夢にも思わなかった。
やっぱ、男と女って違うイキモノなんだね。ちょっとショック。 (ノ_・。)
>>412 え?
あなたはアリョーシャの包茎チンポをしゃぶりたいとは思わなかったの?
>>413 ,へ、 /^i
| \〉`ヽ-―ー--< 〈\ |
7 , -- 、, --- 、 ヽ
/ / \、i, ,ノ ヽ ヽ
| (-=・=- -=・=- ) |
/ < / ▼ ヽ > 、
く彡彡 _/\_ ミミミ ヽ
`< ミミ彳ヘ
> ___/ \
/ 7 \
| /
でも、確かにドストは劣情をそそるような部分があるね。
世界的文豪ていうから、地下室を読んで
あまりの主人公のアイタタさにぶっとんだよ。
なんでもかんでも『神』を原因にする。
神という名の思考停止。
>>417 神って、そういう為に作られたもんだし。
『神』は不動の原点。そこから数々(x y z・・)の座標軸が引かれていき
物事・事象の善悪の判断が建てられていくという考え方。
『神』が存在しなければ全てが許されている
というのは、そういうこと。
もともと、現在の道徳の重要項目「基本的人権」(2チャンでは評判悪いが)の概念
は、神と人間との関係が、考え方にベース根本として出てきた歴史がある。
420 :
吾輩は名無しである:2005/06/02(木) 22:10:33
*** トルストイ言葉の生命(アジアでの語らい) ***
だがそれにもまして特徴的なのは、トルストイのあの劇しい、ほとんど動物
的と言いたいほどの、死の恐怖だ。一八九四年、老トルストイは書いている、
「年をとるとは何を意味するか。年を取るとは髪が落ち、歯が脱け、皺が出来
、口から吐く息が臭くなることだ。一切が終わる前にすら、全てが恐ろしい、
いまわしいものになるのだ。べたべたに塗りつけたべに、白粉、そして汗と悪
臭と醜い姿、そういうものがはっきり意識されるようになる。私が今まで奉仕
して来たものは一体どこに行ってしまったのか。美はどこにあるのか。美こそ
一切なのに、もうそれがない。何もない。」と。「一切が終わる以前にすら」
という。それなら一切が終わる時にはどうなるんだ。
井筒俊彦「ロシア的人間」 中公文庫 ページ263より
しかし、トルストイにおいて、死の恐怖は決して肉体的原因から来るもので
はないのである。少なくとも肉体的原因だけではない。ただ漠然と死ぬのが怖い
とか、断末魔の肉体的苦しみが恐ろしいとかいうことではない。死を想うこと
が怖いのである。たった今まで生きて動いていた生き物が、ある不思議な瞬間
を境にして死んでいく、この神秘に満ちた事実を想うことが堪えがたく恐ろし
いのだ。死――彼にとって、それは「虚無への移行」以外の何ものでもなかっ
た。千八百六十年九月、兄二コライの悲惨な臨終に居合わせて、彼はこの「虚
無への移行」を目のあたり見た。そしてこの恐怖だけは、彼がいくら「大転向
を経験しても、いくら「基督教的回心」を経ても、元のまま存続した。
井筒俊彦「ロシア的人間」 中公文庫 ページ264より
421 :
吾輩は名無しである:2005/06/03(金) 15:30:48
ドスト信仰。
日本的現象。
422 :
吾輩は名無しである:2005/06/04(土) 22:08:15
ドストF好き。
423 :
吾輩は名無しである:2005/06/06(月) 21:08:35
ドストはトルスよりはまし
人間ってみんなそれぞれ神様だろ?
>>421も神
>>422も神
>>423も神
己を高めることを怠って
他力本願、偶像崇拝、キリスト教信者ってほんとおつかれやまってかんじ。
「何故ならキリストの無言の接吻のなかには瞑想と殉教と流血に積み上げられた数千年の歴史が結晶しているのだから。
そして、そのとき、私達は知る、『大審問官』の作者の苦悩が如何に深く強烈なものであれ、
彼はなお(私達と較べてより強烈に幸福なことには)腕をうちおろせばかちんと敲ちあたってはねかえる
数千年の堅固な実体の上に支えられていることを。もしこの私達が一つの底知れぬ重みをもって沈黙しつづけるキリストを描くとすれば、
その作品中に数千年にわたって積み上げられた歴史をも創り出してみせねばならない。
それは疑いもなく不可能である。」
埴谷雄高「死霊」の序文の一節。超くだらない。
東洋と西洋とでは、拠って立つ基盤となるカルチャーが違ってあたりまえ。
日本人が西洋人と同じ思考・発想をしないからといって、ヘンなコンプレックス持つ必要ない。
「色即是空」の仏教徒が、神も絶対者も存在しないからといってドストの言うように、
すべてが許されるとばかりやりたい放題やってきたか?
20世紀の日本人および日本の文学者は、キリスト教とキリスト教文化にコンプレックス持ちすぎ。
ドストに対しても変に権威化せずに、自分の文化から相対的にみつめる視点も必要だと思う。
「大審問官」の内容についていえば、自由の喜びと重みに耐えられずに「奇蹟・神秘・権威」なんて
超くだらないものにすがる弱虫は、さっさと大審問官の奴隷にしてもらえ!!と思う。
自業自得だ。
>>425 そういうタンカを日本人相手に言ってもインパクト薄いよ。
きっちり欧米人に言ったことあるか?
ドストエフスキー。
性格悪くて傲慢不遜で感傷過多で、論理的思考が全くできないくせに偉そうに社会評論まで
手を伸ばす身のほどしらずの宗教バカ。
いや〜ん、本スレにすごく頭のいい人来てた━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!
東西文化の違いから生まれる宗教・神に対する、日本人と西欧人の意識や価値観のズレを
ドスト作品を読んでると強く感じて、それについての疑問や反発をなんとかうまく言い当てたくて
ずっとジタバタしてたんだけど、でも自分はできないでいた。
世の中には明晰に物事考えられる人もいるのね。すごい尊敬───!!!
な、なぜか本スレが目の回るような展開になってた〜! (@o@;
ちょっと読んでてストレスたまったので、ひさしぶりに料理のレシピなんか書き込もうっと。
お題は「カラマ」の「場違いな会合」での修道院での会食メニュー。
パンが三種類に、ぶどう酒が二本、上等の蜂蜜酒が二壜、修道院製クワス。ウオトカは全然なし。
料理は、チョウザメのスープに魚を詰めたピロシキ、特別な蒸し魚。さらにチョウザメの捏ね揚げ、
アイスクリームにコンポート、最後がミルク・ゼリーのようなプリン!
チョウザメってどんな味なんだろう??いっぺん食べてみたいよ〜!
とりあえず、このなかから作り方がわかっているフルーツコンポートの作り方をUP。
参考資料は東洋書店のユーラシア・ブックレット「ロシア料理その2」より。
フルーツコンポート(КОМПОТ)の作り方 (カップで5〜8人前)
材料(水2リットルに対して)
好みのフルーツを用意する 例)チェリーまたは桃の缶詰 一缶
リンゴまたはイチゴなど 一個(1パック)
砂糖…大さじ2〜3
レモン汁…少々
1.鍋に水2リットルを入れて、フルーツを加えて煮立たせる。
2.砂糖を加え、好みでレモン汁を入れて味を調える。
3.冷たく冷やして供する。
素朴だけど、素材の風味を活かしたデザートってことなんだろうな。
次はチョウザメのスープの作り方をしらべてみようっと。
このスレならレシピ書き込んでもいいよね?別にだれにも迷惑かけるわけでもないし…。
432 :
吾輩は名無しである:2005/06/30(木) 13:59:58
ドスト、思想家として、もういい加減、無責任、
宗教家としても、MO〜〜〜〜〜いい加減、無責任
政治評論化としては失笑物のDQN.
おまけに、反ユダヤの戦争賛美者の右翼。
ヒトラーの時代のドイツに生きてたら絶対ナチ御用作家になってた。
つまり、並外れた病的な妄想力と空想力と嗜虐嗜好だけがとりえで作品書いた人。
そのテの批判はこのスレでは散々ガイシュツ。
ドストをけなすのはおおいに結構だが、もっとこう、新鮮味のあること書いてくれや。
期待してるよ
>>432
434 :
吾輩は名無しである:2005/06/30(木) 16:06:10
おっぱい揉みたい
435 :
吾輩は名無しである:2005/06/30(木) 21:23:08
>並外れた病的な妄想力と空想力と嗜虐嗜好
そう、もうこれだけで充分、ドストは小説家で思想家じゃないもんね。
ついでに蒸し魚のレシピも書いとくか。ただし「特別な蒸し魚」だけじゃ、作り方
判んないので、ロシア料理の本から適当に凝った作りのレシピをUP。
スズキの天火蒸しの作り方
・材料 スズキ…一匹 じゃがいも…大2個 玉ねぎ…中1個 マッシュルーム…3個
細かく切ったチーズ…40g
ソース(薄力粉…大さじ山盛り二杯 バター…100g サワークリーム少々 塩コショウ)
・作り方
1)フライパンで粉をバター炒めし、さらにサワークリームを加えて3、4分煮立てる。
塩、胡椒で味をととのえソースにする。
2)魚を三枚におろし、半身からよく小骨をとる(皮はつけたまま)。
軽く塩こしょうしてフライパンで焼く。
3)じゃがいもを薄切りして、フライパンで軽く焼く。
細切りにした玉ねぎとマッシュルームを炒める。
4)キャセロールにソースを入れ、魚を置いて周囲をじゃがいもで囲み、上を玉ねぎと
マッシュルームでおおい、その上からまたチーズ砕片をふりかけ天火に入れる。
火加減は、多分強火で軽く焦げ目がつくまでだと思う。(本に書いてない)
クワスの作り方はこちらが一例。ミントの葉やシナモン入れたり、様々な製法があるようだ。
ttp://www.h6.dion.ne.jp/~kufunya/kwas.html
以前書き込んだレシピは、ウハー、さくらんぼジャム、ブリン、煮こごり。
ドスト作品に出て来る食べ物のレシピは、だいたいこれで網羅したかな。
蜜飯と「しょうが餅」のレシピは、たしか本スレのPart7に入っているはず。
しっかしドストのことを散々、バカだアホだボケナスだと罵倒しながらよくここまで
入れ込んで調べてるよな。自分でもあきれるぜ。
_、_ ロシアでは何故紅茶と共にジャムを舐める事になったのか。
( ,_ノ` )
[ ̄]'E
 ̄
_、_ それは17世紀に中国から伝わったお茶が固碾茶(ホンジュアンチャ)というお茶で、
( ,_ノ` )
[ ̄]'E ズズ
 ̄
_、_ 固形のお茶を粉にして飲むのだが大変渋くて飲むのが大変だったという。
( ◎E
_、_ その渋みを柔らげるのに最適だったのは砂糖やミルクではなくジャムだったのだ。
( ,_ノ` )
(でもほんとにジャムで渋みって柔らぐの〜??)
[ ̄]'E
 ̄
ロシアの紅茶事情についてもうちょっと調べてみた。
17世紀に中国からもたらされたお茶は当初、超高級品で飲むことができたのは
ごく一部の皇族・貴族だけであったらしい。
ドストの小説に出てくるような庶民が紅茶を楽しむ事ができるようになったのは
19世紀後半になってようやくだった。工場で大量生産されたサモワールが普及
して庶民も一家に一台サモワールを所有できたのも19世紀後半から。
キリーロフがお茶しているのがいかにもロシア的光景だよな、とおもって読んでいたが
当時、紅茶は庶民階級には目新しい嗜好品だったという訳だ。これには驚いた。
ttp://hb6.seikyou.ne.jp/home/russian/days/ru_repo.html
442 :
吾輩は名無しである:2005/07/06(水) 20:33:22
「ドストエフスキーはたくさんのことを感じた。
しかし、考えるのはだめだった。」
トルストイのドストエフスキー評
ドストはトルストイ誉めてんだからもう少しほめてやってもいいのに。。。
ドストの小説中の金銭関係のおおよその抜書き〜その1
「貧しき人々」
ジェーヴシキンの部屋代…24ルーブル50カペイカ
ジェーヴシキンの賞与…40ルーブル(銀貨) *銀貨は紙幣の3倍半の値打ちを持つ
プーシキン全集11巻(古本)…32ルーブル50コペック
閣下からの「寸志」…100ルーブル
原稿清書代…一枚につき40コペック
ブイコフからの「菓子代」…500ルーブル
「二重人格」
馬車借り賃(丸一日)…25ルーブリ
金銀細工の食器と茶器のセット…1500ルーブル
香水…1ルーブル半
ピロシキ1個…10カペイカ
チップ…10カペイカ
「白夜」
主人公の年収…1200ルーブル
>>442 ドストの死を知ったとき、トルストイは一度もあったことのなかったドストのために
涙を流して哀悼したんだよ。
>>236 にその時のストラーホフ宛の手紙UPしてある。
「ドストエフスキーはたくさんのことを感じた。
しかし、考えるのはだめだった。」
トルストイがこう言わざるを得なかった事情は、
>>213-214をご参照ください。
自分は言いえて妙だと思う。ドストの本質突いてる。
>>214のゴーゴリーってのはゴーリキーの間違いかな?
446 :
吾輩は名無しである:2005/07/07(木) 21:16:49
今更28にワラタ。
アポロンとお祖母さんが誰か思い出せない・・。
そういやトルストイが最期に読んでた本はカラ兄だったっけ
ドストの小説中の金銭関係のおおよその抜書き〜その2
(注:帝政ロシアでは銀貨1ルーブルは紙幣1ルーブルの3倍半の価値で流通していた。
例)銀貨5ルーブリ=紙幣17.5ルーブリ)
「虐げられた人々」
主人公の下宿代(賄い無し)…月6ルーブリ カチェリーナ・フョードロヴナの持参金…300万ルーブリ
女衒からのマスローボエフへの袖の下…100ルーブリ 双書用編纂記事への謝礼…25ルーブリ
ネリー用古着…1ルーブル20コペイカ 煙草・パン代…5コペイカ 茶碗代…15コペイカ
公爵がナターシャに提示した「慰謝料」…1万ルーブリ イワンの小説への謝礼…50ルーブル
マスローボエフが公爵を脅迫してせしめた金…2千ルーブル
「死の家の記録」
囚人への施し…4分の1コペイカ銅貨 監獄内で買う牛肉…1ポンド半コペイカ(夏場は3コペイカ)
炊事夫への袖の下…月30コペイカ 上等兵への賄賂…15〜20コペイカ銀貨 玉ねぎ…1コペイカ
カルタ貸し出し料…一晩15コペイカ 賭場の見張り賃…一晩5コペイカ 監獄内の食費…月銀貨1ルーブル
中古の毛皮外套…銀貨40コペイカ 葉タバコ…1ポンド3コペイカ 公衆浴場個室貸切料…50コペイカ
足枷の下当て代…銀貨60コペイカ 手桶一杯のお湯代…半コペイカ 浴場の腰掛け場所代…1コペイカ
三助…1コペイカ 馬…28ルーブル 純血種大型犬(食用?)…銀貨30コペイカ ヤギ肉1頭分…1ルーブル半
「地下室の手記」
主人公が貰った遺産…6千ルーブリ ズヴェルコフの送別会(割り勘)…1人7ルーブル
下男アポロンへの給料…7ルーブル 辻馬車代…50コペイカ リーザへの「お代」…5ルーブル
「クリスマスと結婚式」 花嫁の持参金…50万ルーブル
「弱い心」 ヴァーシャの俸給…年300ルーブル マノン・レスコー型婦人帽子…8ルーブル
「鰐」 鰐の見物料…25コペイカ
「おとなしい女」
琥珀の葉巻パイプ質料…2ルーブル 聖母像質料…5ルーブル 3人分の食費…一日1ルーブル30コペイカ
往診療…一回10ルーブル 鉄の寝台…3ルーブル
「ボボーク」 墓石(3級)…30ルーブル
「罪と罰」
銀時計質料…1ルーブリ半 ソーニャの「初仕事」…銀貨30ルーブリ ウオツカ1/2瓶…30コペイカ
マルメラードフの制服一式…11ルーブリ50コペイカ マルメラードフ月給…23ルーブリ40カペイカ
郵便代…3カペイカ プリヘーリヤの年金…120ルーブリ 家庭教師の俸給(年?)…200ルーブリ
辻馬車代…20コペイカ銀貨 ドイツ語からの翻訳料…6ルーブリ/16P
中古の帽子…80コペイカ 中古チョッキ&ズボン…2ルーブリ25カペイカ 中古の靴…1ルーブリ50コペイカ
シャツ3枚…5ルーブリ お茶代…30カペイカ スヴィドリガイロフの身請代…3万ルーブリ
スヴィドリガイロフの提示した「慰謝料」…1万ルーブル マルファ→ドーニャへの遺贈金…3千ルーブリ
マルメラードフの追善供養代…10ルーブリ ルージンからの「香典」…10ルーブリ
スヴィドリガイロフからフィアンセへの贈り物…1500ルーブリ スヴィ→ソーニャへの贈与金…3千ルーブリ(五分利付債権)
スヴィ→フィアンセへの贈与金…1万5千ルーブリ(証券含む)
「賭博者」
主人公の家庭教師の年俸…700ルーブル
「お祖母さん」がカジノですった金…1万5千+1万+9万=11万5千ルーブル
>>445 うわっ、そうだと思います。ごめん、打ち間違えました。
452 :
吾輩は名無しである:2005/07/09(土) 08:56:22
ドストの小説中の金銭関係のおおよその抜書き〜その3
(注:帝政ロシアでは銀貨1ルーブルは紙幣1ルーブルの3倍半の価値で流通していた。
例)銀貨5ルーブリ=紙幣17.5ルーブリ)
「白痴」
ロゴージンの父の遺産…250万ルーブル ダイヤのイヤリング…1万ルーブル以上
トーツキイ→ナスターシャへの「慰謝料」…7万5千ルーブル 将軍からのムイシュキンへの小遣い…25ルーブル
ナスターシャのためロゴージンが半日で調達した金…10万ルーブル はりねずみ1匹…50コペイカ
ムイシュキンが受け取った遺産…当初150万といわれたが中盤では13万5千ルーブルに
レーベジェフの甥の月給…25ルーブル ホルバインの絵の模写の評価額…350〜500ルーブル
錫の十字架…25カペイカ 鹿の柄のナイフ…60コペイカ 拳闘指南料…15ルーブル
パブリーシチェフ氏がムイシュキン養育にかけた総額…1万ルーブル以下
パブリーシチェフ氏の養女の持参金…1万5千ルーブル ケルレルのたかり…25ルーブル
ラドムスキーの伯父の公金横領推定額…35〜50万ルーブル
盗まれたレーベジェフの財布の金…銀貨400ルーブル
ドストの小説中の金銭関係のおおよその抜書き〜その4
(注:帝政ロシアでは銀貨1ルーブルは紙幣1ルーブルの3倍半の価値で流通していた。
例)銀貨5ルーブリ=紙幣17.5ルーブリ)
「悪霊(上)」 (第1部〜第2部第5章)
ワルワーラ夫人→シャートフへの匿名の見舞金…100ルーブリ リーザ名義の資産…20万ルーブリ以上
ステパン氏の借金…8千ルーブリ ワルワーラ夫人→ダーシャへの遺贈金…1万5千ルーブリ
ワルワーラ夫人→ステパン・ダーシャへの生活費(予定)…年額1200ルーブリ(食費・住居費は別途)
ワルワーラ夫人→ダーシャへの遺贈金追加分予定…8千ルーブリ
ステパン氏(実質ワルワーラ夫人)→ピョートルへの送金額…年1千ルーブリ レビャートキンの無心…15カペイカ
スタヴローギン(ダーシャ中継)→レビャートキンへの送金…300ルーブリ スタヴローギン→シャートフへの送金…100ルーブリ
レビャートキンの“恋の燕尾服”…15ルーブリ ワルワーラ夫人→罹災者救援委員会への寄付…500ルーブリ
ワルワーラ夫人→マリヤへの施し…10ルーブル スタヴローギン→マリヤへの生活年金…3千ルーブリ以上
フェージカの無心…銀貨3ルーブリ フェージカが教会から盗んだ振り香炉・鞍帯の売買額…12ルーブリ
フェージカが暗にスタヴに要求した額…1500ルーブリ スタヴローギンのフェージカへの「手付金」…50ルーブリ
レンプケが相続した遺産…1万3千ルーブリ 旅館で自殺した少年が「蕩尽」した金…400ルーブリ
ワルワーラ夫人→ステパン氏に提示した「手切れ年金」…3千ルーブリ
ここって本当にアンチスレ?
そう。可愛さあまって憎さ百倍、って言葉知ってる?
「罪と罰」が書かれた時代は、日本だと幕末だが
1ルーブリは今の1000円程度の価値。
でもそれだと、マルメラードフの月給は23ルーブリ40コペイカだから、2万3千400円
相当に。いくらなんでも低すぎない?マルメラードフに限らず小役人は17〜40ルーブリが
給料の相場。一概に1ルーブリ=1000円とはいえないような。
ドストの小説中の金銭関係のおおよその抜書き〜その5
(注:帝政ロシアでは銀貨1ルーブルは紙幣1ルーブルの3倍半の価値で流通していた。
例)銀貨5ルーブリ=紙幣17.5ルーブリ)
「悪霊(下)」 (第2部第6章〜「スタヴローギンの告白」)
女性家庭教師扶助の祭典入場料…3ルーブリ ワルワーラ夫人の寄付金…300ルーブリ
ピョートル→レビャートキンへの「ペテルブルグ出立代」…230ルーブリ 辻馬車代…30コペイカ
マリイの所持金…80コペイカ シャートフのピストル…元値25ルーブリ
彷徨うステパン氏の所持金…40ルーブリ 馬車代…半ルーブリ ウオツカの小壜…5コペイカ
福音書…一冊35コペイカ ハートヴォ〜ウスチェヴォ馬車代…3ルーブリ
スタヴローギンがペテルブルグで小役人から盗んだ金…32ルーブリ+小銭
ドストの小説中の金銭関係のおおよその抜書き〜その6
「永遠の夫」
ヴェリチャーニノフのレストランでの食事代…1ルーブリ トルソーツキイ→ポゴレーリツェフ家に送った金…300ルーブリ
リーザ埋葬費…50ルーブリ リーザ永代供養費…250ルーブリ ダイヤの腕輪…150ルーブリ
ヴェリチャーニノフが訴訟で得た領地相続見積り…6万ルーブリ アレクサンドル・ロボフの鉄道勤めの月給…10ルーブリ
アレクサンドル・ロボフの公証人事務所での月給…25ルーブリ
「未成年(第一編)」
ヴェルシーロフが45才までに蕩尽した3つの財産総額…40万ルーブリ以上
アルカージイの中学時代の月々の小遣い…5ルーブリ 中学2年間でアルカージイが貯めた金…70ルーブリ
ソコーリスキイ老公爵の元でのアルカージイの月給…50ルーブリ 競売で買った家庭用アルバム(中古)…2ルーブリ5コペイカ
パリのジェームズ・ロスチャイルドの遺産…17億フラン 汽船の上で死亡した乞食の所持金…3千ルーブリ
新聞記事に載ってた乞食の所持金…5千ルーブリ アルカージイの決意した食費…一日15コペイカ
リーノチカにかかった「費用」…30ルーブリ(養育費11、かけ布とおしめ代3、棺・葬式・医者・花代16ルーブリ)
ヴェルシーロフからの旅費の送金(モスクワ〜ペテルブルグ)…40ルーブリ オーリャの母の年金…200ルーブリ
ヴェルシーロフがマカールに提示した「慰謝料」…3千ルーブリ 旅籠屋一泊…30コペイカ
弁護士相談料…15ルーブリ 商人がオーリャに持ち掛けた破廉恥な「提案」…前金15+ボーナス40ルーブリ
ヴェルシーロフがオーリャに渡した金…60ルーブリ
「未成年(第二編)」
中古の浣熊の毛皮外套…25ルーブリ タチヤーナ叔母の財産…5千ルーブリ
タチヤーナ叔母が2年間でヴェルシーロフのために使った金…2500ルーブリ
ヴェルシーロフがセルゲイ公爵と争った遺産…6万ルーブリ
セルゲイ公爵がヴェルシーロフに提案した遺産分与額…2万ルーブリ
アルカージイがセルゲイ公爵から借りた金…総額2千五百ルーブリ ダルザンの不渡り手形…8千ルーブリ
スチェベリコフがアルカージイに「提供」を申し出た金…2千ルーブリ ヴェルシーロフの退職中尉への施し…40コペイカ
セルゲイ公爵が株券偽造に協力してスチェベリコフから得た金…3千ルーブリ
スチェベリコフとジベーリスキイがセルゲイ公爵を脅迫して要求した金額…遺産+1万ルーブリ
アルカージイが賭博で得た金…約3千ルーブリ 母ソフィアがアルカージイに与えたハンカチ入りの金…40コペイカ
「未成年(第三編)」
タチヤーナ叔母さんの法廷での罰金…3ルーブリ タチヤーナ叔母さん→マリヤへの慰謝料…15ルーブリ
マクシム・イヴァーヌウィチの病気の少年への見舞金…15ルーブリ スチェーパヌイチの絵への謝礼…200ルーブリ
病気の赤ん坊のためにモスクワから呼んだ医者への診察料…80ルーブリ
ランベルトがアンナ・アンドレエヴナに手紙を渡した場合の謝礼…3万ルーブリの手形 ネクタイ…1ルーブリ
金メッキの時計…16ルーブリ ル・グラン・ダデーの無心…1ルーブリ
マリヤを手懐けるためのチップ…20ルーブリ マリヤに約束した功労金…200ルーブリ
ランベルトがカチェリーナ夫人に要求した手紙の代価…3万ルーブリの手形
ソコーリスキイ老公爵が言い残したアンナへの遺産分与額…6万ルーブリ
>442
その部分だけじゃ「考え方」が曖昧だよ
「・・・たくさんのことを感じたが、考え方がまずかった。
彼はあの連中、フーリエリストの連中に、考え方を学んだ。
ブタシェーヴィチやその他の者に。あとになっては--生涯彼らを憎んだ。・・・」
いるよねえ、主義転向しても考え方の変わらない人って(とくに極左や極右の連中)
極左と極右は基本的に思考回路・思考様式は同じ。
どちらも「真理」は一つしかないと思い込んで、その「真理」のためなら流血もやむなしと
考える。ドストエフスキーは合わせ鏡の一方からもう一方に移っただけに過ぎない。
「カラマーゾフの兄弟(上)」(第1編〜第5編5章)
フョードルが生涯かけて貯めた財産…現金のみでも10万ルーブル+森林・多数の飲屋などの不動産
アデライーダの持参金…2万5千ルーブル(ドミトリーによれば2万8千ルーブル)
イワンとアリョーシャへの将軍夫人の遺産分与額…各自1千ルーブル→14年間で利子がついて各2千ルーブルに
ポレノフがイワンとアリョーシャにかけた教育費…各1千ルーブル 家庭教師謝礼…一回20コペイカ
フョードルが亡妻アデライーダの法要のために喜捨した金額…1千ルーブル 聖像に供える蝋燭…5カペイカ
カルガーノフの乞食への施し…10カペイカ 農婦からのゾシマへの喜捨…60カペイカ
カテリーナの持参金…(ラキーチン談)6万(ドミトリー談)8万ルーブル
ドミトリーが財産権利放棄書と引き換えにフョードルから貰った金…6千ルーブル
カテリーナの父の中佐が横領した公金額…4千5百ルーブル ドミトリーが「提供」を申し出た額…4千ルーブル
ドミトリーがカテリーナに渡した額…5千ルーブルの五分利付債券 債券売却時の損金…240ルーブル
カテリーナがドミトリーに返却した残金…260ルーブル ドミトリーがグルーシェニカと豪遊した金額…3千ルーブル(?)
カテリーナが姉に送金するためドミトリーに託した金…3千ルーブル フョードルがグルーシェニカに用意した金…3千ルーブル
チェルマーシニャ村の林の伐採権…8千ルーブル フョードル→子供時代のスメルジャコフへの小遣い…会う度に1コペイカ
フョードルが泥濘に落としスメが拾って届けた金…300ルーブル その際のフョードル→スメへの謝礼…10ルーブル
フョードル→スメの「信念」への褒美…金貨1枚 フランスパン…1個3カペイカ
カテリーナがアリョーシャに託したスネギリョフへの見舞金…200ルーブル ミネラル水…1本30カペイカ
ワルワーラのペテルブルグへの旅費…16ルーブル
>>415 「ドストは劣情をそそるような部分がある」ってのを読んで、「え…?!それはどのへんの
とこですかぁ── (゚∀゚;)??!!」と思ってたんだけど、ようやくわかった!
「地下室」でいえば第2部の9と10の間の部分かぁ!!
行間なんか全然読んでなかった…。普通、読むもんなんだろうか?
「カラマーゾフの兄弟(中)」(第二部第5編〜第三編)
フョードルが死んだ場合の三兄弟への遺産分け(遺言状のない場合)…各自4万ルーブル
ゴルストキンが提示したチェルマーシニャ村の森林伐採権の買値…1万1千ルーブル
イワンがスメルジャコフ・マルファ・グリゴーリイに与えた別れ際のチップ…各10ルーブル
ゾシマの母が農奴の料理女を売り飛ばして得た金…60ルーブル
元従卒アファナーシイのゾシマへの喜捨…50+50カペイカ サムソーノフ→グルーシェニカへの贈与金…8千ルーブル
グルーシェニカがラキーチンに約束した金…25ルーブル ドミートリイが主張する父から受け取った金の総額…1万8千ルーブル
ドミートリイの母アデライーダの遺産であるチェルマーシニャ村の不動産価値…2万5千〜2万8千ルーブル
ドミートリイの古い銀時計…6ルーブル ドミートリイが家主から借りた金…3ルーブル
イリインスコエ村への往復馬車代+宿泊代+目玉焼き+パン+ソーセージ+ウオツカ3杯…約9ルーブル
ペルホーチンがドミートリイにピストル担保で貸した金…10ルーブル ホフラコワ夫人がミウーソフから借りた金…500ルーブル
ドミートリイがプロトニコフの店で買い上げたシャンパン・前菜・ピロシキ・菓子など(荷馬車2台分)…300ルーブル
モークロエの宿屋の主人トリフォンが前回ドミートリイから巻き上げたお代…200ルーブル
モークロエへの馬車代…15ルーブル 御者への酒代…5ルーブル トランプでドミトリーが負けた額…200ルーブル
検事補イッポリート自慢の高級時計…400ルーブル ドミートリイが捕まった時の所持金残額…836ルーブル40カペイカ
ドミートリイが一晩の遊興に費やした金額…約663ルーブル
(シャンパンなどの食料品300+ペルホーチンへの返済10+馬車代20+トランプ200+その他133ルーブル)
ドミートリイの当初の推定所持金額…836ルーブル40カペイカ+約663ルーブル=1500ルーブル
素朴な疑問だが小説中でドミートリイが所持していた金は全て虹色の百ルーブル紙幣だったと
されているが、たとえ彼が3千ルーブル所持していたとしても紙幣なら30枚。
1500ルーブルならばわずか15枚ではないだろうか。
どちらにしろ小説中に描写されてるような《ずっしりした》厚い札束にはなりそうにないのだが。
俺もそう思う、ってか今読んでる最中だが
やっちゃったねドスト
10ルーブル紙幣だったら、1500ルーブルでも150枚にはなるけど…。
でも、そんなずっしりと厚みのある札束なら二つ折りにして袋に入れて首からさげてたら
絶対外から見てバレバレ。
百ルーブリ紙幣だったら、ドミートリーが果たして幾ら所持していたかなんて、ペルホーチンが
目撃した時点で明白だったんではないだろうか?
474 :
吾輩は名無しである:2005/07/25(月) 12:47:03
皆さん、カラマーゾフを読んでいる最中のようですね。
私は、今年の3月に了読した者です。
別に、私はアンチドストという訳では決してないのですが、
ドストの小説って、一体何が面白いのでしょう?
カラマーゾフにしても、罪と罰にしても、
「人生の意味より人生そのものを愛せ」とか
「苦悩は偉大です。苦悩には思想があります」とか
度々登場するテーゼは内容的には正しいと思うのですが、
作品全体を小説として見た場合、
恐ろしく冗長かつ貧弱な議論・会話のオンパレードとしか思えません。
罪と罰の冒頭、居酒屋でラスコーリニコフに出会った
マルメラードフが、一気に20ページ分くらいまくしたてる所とか、
ラスコーリニコフの母カテリーナからの恐ろしく退屈な手紙が
30ページも延々と続く所、
あるいは、「カラマーゾフ」下巻で
(まだ読んでない人、ネタバレだったらすみません)
イワンとスメルジャコフが
「この部屋には私たち二人のほかにもう一人いる。
私たちを見守っている神様ですよ」とか言って、
この上なく貧弱な議論を展開する所とか……、
何だかもう、退屈さのあまり頭が痛くなって
本を放り出したくなってきませんか?
475 :
吾輩は名無しである:2005/07/25(月) 12:47:56
474の続きです。
部分部分として見れば、各人物の瞬間的な感情の昂揚などは、
大変よく描けていると思うのです。
例えば、カラマーゾフの、カテリーナとグルーシェニカの対決とか。
そして、作品に内包されている哲学・思想は非常に
レベルの高いものだと思うのです。
しかし、作品全体を「小説」として捉えた場合、
罪と罰やカラマーゾフは、「面白い」とはとてもいえない代物だと思います。
というか、そもそも「小説」になっていないと思います。
無駄にたくさんいる登場人物が、片っ端から現れては
顔を赤らめ半ば発狂して冗長な議論を戦わす。
それ以外の部分では、退屈この上ない貧弱な文章が延々と続く。
果たしてこれが「小説」なのでしょうか?
ドストは、あれほど優れた哲学・思想をもっていたのなら、
なぜ哲学者にならなかったのでしょうか?
哲学者でなくても、瞬間的な感情の昂揚を描くのは一流なのだから、
劇作家になればよかったのではないでしょうか。
なぜ、哲学者でも劇作家でもなく「小説家」になったのか。
なぜ、あの思想を「小説」として書き表そうとしたのか。
本当に理解に苦しみます。
どなたか、納得のいく回答をお願いしたいのですが……
476 :
吾輩は名無しである:2005/07/25(月) 13:01:57
475の続きです。
(カラマーゾフを未読の方、ネタバレの危険がありますので御注意を)
カラマーゾフについてですが、「大審問官」(第5章)において
イワンとアリョーシャがあれだけ激しく「神はあるのか」と議論している訳ですが、
それに対する回答が、あのゾシマ長老の説教(第6章)だと捉えていいのでしょうか?
もしそうだとしたら、恐ろしく納得のいかない回答だと私は思います。
「青年よ、祈りを忘れてはいけない。」
「祈りは教育だということが解るだろう。」
「恐れおののきながら主の前に立った人にとって、今この瞬間にも
彼のために祈ってくれる人がいるということが、どんなに感動的だろう。」
どれも、「神はあるのか」という究極の問いに対する答えになっているとは
全く思えません。
477 :
吾輩は名無しである:2005/07/25(月) 13:28:22
476の続きです。
そもそも、この小説の主人公はアリョーシャのはずです。
第5章「大審問官」でアリョーシャはイワンに対して、
「理論より先に人生を愛すべきだ。絶対に理論より先でなけりゃ」と言っています。
この一文が、この小説における最も重要な文に属することは間違いないでしょう。
アリョーシャは、神に仕える者として、
「神はあるのかないのかを理屈で考えることはやめ、理性を捨てて神を信じるべきだ」
と言っているのです。
だとしたら、大審問官に対する回答は、主人公アリョーシャが
まさに「理性を捨てて神を信じる」ことを実行しようとする場面、
すなわち第7章「アリョーシャ」に見出されて然るべきではありませんか?
しかし!! この小説を読んだ人なら誰でも気付くことですが、
この第7章が、あの冗長な文体で有名なドストにしては信じられないくらい短いのです。
アリョーシャが主人公であるにもかかわらず。
この第7章末でアリョーシャは、尊敬するゾシマ長老の死後、
神に対する兄イワンのような疑念を振り払い、理性を捨てて神を信じようと
泣きながら大地に接吻するのです。
しかし、そこに至るまでのアリョーシャの内面的な葛藤が、全く描けていません。
恐ろしく貧弱かつ表層的です。だからこの章は短いのです。
478 :
吾輩は名無しである:2005/07/25(月) 13:29:36
477の続きです。
主人公の心理に関して、この程度の描き方しかできていないということは、
作品の主題である「理性を捨てて神を信じる」とは一体どういうことなのかを、
ドスト自身があまりよく理解できていなかった証拠ではないでしょうか?
だって、もしそのことを完全に理解していたのなら、あのドストのことですから、
いつもと同じように、いえ、作品の最重要テーマなのですから、いつも以上に、
長々と文章を書き連ねたに違いないのです。
「神はあるのか」という問いに対する回答を示すべき章において、
「理性を捨てて神を信じる」という主題を実行する主人公(これが大事です)の
心理描写が、あまりにも弱い。
これは、「カラマーゾフの兄弟」の致命的な欠陥だと思えてなりません。
「主人公」が、作品において最も重要な「主題」を実行するときの描写が、
作品中で一番貧弱だなんて……
こんな文学作品、他にありますか?
「カラマーゾフの兄弟」は、世界文学史上に燦然と輝く傑作でも何でもなく、
冗長で退屈で、そして「致命的な欠陥」をもった、単なる一つの作品である。
これが、私の最終的な結論です。
今、読み進めている皆様、読み終わりましたら
是非是非ご意見をご投稿ください。心からお待ちしております。
>>474 >罪と罰の冒頭、居酒屋でラスコーリニコフに出会った
>マルメラードフが、一気に20ページ分くらいまくしたてる所とか、
創作ノートではこの部分は、もっと詳しくなが〜〜い。
例えば、ソーニャは、カテリーナから「お宝じゃあるまいし・・」と
いやみを言われてその日のうちに、街に出ていったのではなく、
嫌み言われて、3日位して、シャツの仕立ての出来が悪く仕立て代がもらえなかった。
で、腹をすかした子供たちと当てにしていた
カテリーナのヒステリーに、責任を感じて街に出て行った
というデティール。
こういうのネチネチ書くの好きなんだろな。
日本の落語と思って読めばいいんだよ。
>母カテリーナからの恐ろしく退屈な手紙が
この、読むのが苦痛なねちねちさの手紙が主人公を苦しめ殺人の動機になるんだよ。
だから、主人公も読者も読むのは苦痛なの。
この手紙はラスコを苦しめたと書いてるでしょ。
例えば、貧困のため本当に行き場のない人間の《話》っていうのは
その者にとっては、一つ一つが深刻な深遠な重要なデティールとなる。
一つたりとも省略できぬものになる。
しかし、直接関係のない他人には、なんともネチコラシイどうでもいい事ばかりの
貧弱な退屈な愚痴話でしかない。
そういう意味で、他人である読者にとって退屈な長い話というのは真実を言い当ててる。
>母カテリーナからの恐ろしく退屈な手紙が
この手紙が何故、読み手に苦痛しかもたらさないか?
それは、母親がストレートに自分の言いたいこともよく把握せず
書いている内容とはまるで逆の意味を延々と述べ立て
息子のご機嫌を伺い伺いながらも、息子に自分の気持ちを
ただただ、押し付けて息子をコントロールしようとしているくせに
決して母親にはその自覚がないというところ。
>>474-478 俺とほとんどおんなじこと感じてる椰子イタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
俺は人生にも自分にも絶望してるニヒリストで、
イワンとキリーロフトかスタブロー銀とか地下室者とかにはかなり共感できるし、
その辺の心理描写とか理論とかは凄いと思うんだけど、
全体的に見たら冗漫で退屈だし、意味不明な箇所が多すぎるし、
構成がめちゃめちゃだと感じられる。
アリョーシャに関しては全く同意。
信仰に懐疑的になって、その後起死回生したようには全く感じられず(゚Д゚)ハァ?
ゾシマの説法なんて( ´,_ゝ`)プッ って感じだし、
あんなもんイワンにしたら馬の耳に念仏だろって思った。
まあ、世界の大文豪の偉大な作品は俺の貧疎な感性ではわからんなと思って、
毒づくのは控えていたんだけどね(・∀・)
>しかし、作品全体を「小説」として捉えた場合、
罪と罰やカラマーゾフは、「面白い」とはとてもいえない代物だと思います。
う〜ん、なんていうのかな、どういう小説を面白いと思うかは読む人の趣味嗜好によるので
たぶんドストエフスキーは
>>474の嗜好に合わなかった、ただそれだけのことじゃない?
自分は「罪と罰」は最初から惹きこまれて読んでものすごい衝撃を受けたし、苦手だった
「カラマ」も何回か読み返すうちに好きになったけど。
>どれも、「神はあるのか」という究極の問いに対する答えになっているとは
全く思えません。
「神は存在するかしないか」の形而上学的問題は、すでに18世紀にカントの「純理」によって
止めを刺されて決して理論的には答えが出ない問題だ、ということで結論がでているはず。
イワンとアリョーシャはむしろ「神の世界を認めるか認めないか」「自分はどう生きるべきか」
という問題で葛藤していたように思うけど。で、ゾシマ長老の説教はむしろ「神の作った世界」の
なかにあってイワンを苦しめた悪の存在や不条理な苦悩の意味に宗教的な回答を与えたものだと
思う。この世の「悪」について、イワンのようにただ指弾をして終わりというのではなく、この世の
出来事と他人の苦しみに自分も「責任」があるという事と、その責任を果たす手段として「実行的な愛」
を説いているのだろうと。
>アリョーシャは、神に仕える者として、
「神はあるのかないのかを理屈で考えることはやめ、理性を捨てて神を信じるべきだ」
と言っているのです。
「べきだ」というのも理屈のうちだよね。
アリョーシャが大地に接吻するあの場面は、「自分は神を、キリストを、神の創ったこの世界を
愛している・信じている」というものすごく強い根源的な「直観」が彼を訪れたから、だと
自分は思ってた。思考・感情・感覚は描きやすいけど、「直観」を文学的にあらわすのは難しい。
あれは無神論者の自分が見ても名場面だと思った。
>「主人公」が、作品において最も重要な「主題」を実行するときの描写が、
作品中で一番貧弱だなんて…… こんな文学作品、他にありますか?
作品の冒頭に書いてあるとおり、ドストは「カラマーゾフ」を2部構成で構想していた
けれど、ドストの死によって未完に終わった。
アリョーシャの「主題」の実行は、ドストが「重要なのは2番目」と言っていた続編で
展開されるはずだったと思う。それを思うとドストの若すぎる死がものすごく残念…。
まあ、読めば読んだでアンチドストの自分はきっと第2部も叩いたことだろうと思うけどさww
485 :
吾輩は名無しである:2005/07/25(月) 19:14:40
>>482-484 お返事ありがとうございます。私は474です。
私も、「カラマーゾフ」第2部を書かずしてドストがこの世を
去ってしまったことが、極めて残念でなりません。
しかも、第2部は、修道院を出た後のアリョーシャの話が
中心になる予定だったというのですから、なおさらです。
あれだけの思想・哲学をもっていたんだから、その集大成・総決算として、
「人生を愛するためには、そして人生の意味を知るためには、理性を捨てて神を信じるほかない」
という人間の悲劇性を、アリョーシャに託して余すところなく描ききってから死んでほしかったな。
本当に残念です。
まあ、いずれにしても、新潮文庫版の後書きに出ている小林秀男の言葉
「『カラマーゾフの兄弟』は、およそ続編など考えられぬほど、完璧な作品」
は、完全な間違いですね。この発言だけは、何が何でも否定しておきたいです。
私は、別にアンチ・ドストエフスキーではありませんが、アンチ・小林秀男はガチンコですので。
高校時代に国語の授業で、あの『無常といふこと』を読まされて以来、
反吐が出るほど嫌いです。生理的な嫌悪感さえ感じます。
482-484さんも、もし小林のドストに関する評論などを読んだことがおありでしたら、
また、お返事下さい。
俺は最初の何章かで中断された『戦争と平和』の続編が読みたいわ。
たしか「戦争と平和」は、デカブリストの話として構想されたんだよね、最初は。
>>485 ドストに関する全般的な話だったら、ドスト本スレのほうで話しましょうか。
そのほうが話に広がりがでて面白いんじゃないかな。
ただ、あちらでは長文は嫌われる傾向にあるから、気をつけてね。
>>488 「目が滑る」なんていってる椰子は一人か二人だよ.
ただ、気軽に笑いながら書き込みたい奴が引く。
アンチスレの方がじっくり話せるかもね。
490 :
吾輩は名無しである:2005/07/26(火) 13:17:44
>まあ、世界の大文豪の偉大な作品は俺の貧疎な感性ではわからんなと思って、
毒づくのは控えていたんだけどね(・∀・)
>>482 煽りでもなんでもなくその通りだと思う。
たしかに日本では、ドストエフスキーという作家はあまりに観念的に持ち上げられ
過ぎてたきらいはあるよね。
貧乏人の味方、と思われていたからね
493 :
吾輩は名無しである:2005/08/08(月) 19:24:13
あげ
494 :
吾輩は名無しである:2005/08/08(月) 19:32:19
ドストの小説中の金銭関係のおおよその抜書き〜これでラストだぁ!!ヽ(´ー`)ノ
「カラマーゾフの兄弟(下)」(第四部)
コーリャの鉄道事件の賭け金…2ルーブル 鵞鳥…1ルーブル
カルガーノフ→マクシーモフへの施し…10ルーブル グルーシェニカ→ポーランド人への施し…10ルーブル
弁護士フェチュコーウィチへの謝礼…3千ルーブル モスクワの医者の招聘料…2千ルーブル
リーズのための往診料…50ルーブル 脱走のための資金…1万ルーブル
アメリカ行きの費用…2万ルーブル
ドミートリーが父親殺しをして相続権を剥奪された場合のイワンとアリョーシャの遺産取り分…各自6万ルーブル
495 :
吾輩は名無しである:2005/08/08(月) 19:45:42
ドストフエスキーを馬鹿にする椰子は漏れが許さん
バカに出来るわけ無いだろう。トルストイの次に凄い作家なんだから。
497 :
吾輩は名無しである:2005/08/09(火) 12:53:30
D.H.ロレンスのドストエフスキー評。
「こういう自身の白黒まだらな魂に夢中で心奪われている、自己分裂した、浮浪児教的なロシア人に、
われわれはいささか食傷気味である。彼らは哀れっぽい泣き声を立て、口にも出せないような屈辱を自ら求め、
それをキリスト教的だと称する。そして、左手で汚らしいちっぽけな罪を犯すか、卑しい行為をしながら、
それを人間の魂の不可解な複雑さと称するのだ。ドストエフスキーの『大審問官の伝説』が
人間と人生に関してなされた最も深遠な宣言である、というようなことを聞くとうんざりするのである。
わたしは『大審問官』を三回読んだことがあるが、その主題が実際何であるのか、どうしても頭に残らなかった。」
(ロレンス 「ドストエフスキーとローザノフについて」)
>>497 ロレンスって晩年になって、
若い頃は大審問官の良さがさっぱりわからなかったが、
今になってようやくわかってきた、
とか何とか言ってなかったっけ?
499 :
吾輩は名無しである:2005/08/10(水) 20:18:12
>>498 あ〜、思い出した!
たしかに井桁センセの本「ドストエフスキー〜言葉の生命」にそういうエピソードが紹介されてたの
読んだことある。
友人のマリ?か誰かに「大審問官」を読み直すよう薦められたロレンスが、「『大審問官』は
『カラマーゾフ』という作品を読み解くための鍵である!」とか悟るんじゃなかったけ。たしか。
501 :
吾輩は名無しである:2005/08/11(木) 07:47:37
せっかくだから、前に本スレに書いてもらった「蜜飯」のレシピを転載。
「蜜飯」の作り方
材料: 米200グラム、アーモンド50グラム、ビターアーモンド6個、
干しぶどう(種無し)100グラム、粉砂糖100グラム
米を火にかける。水が沸騰したらざるにあげて水を切り、冷たい水にさらす。
再び火にかけ、表面から指三本分だけ水がおおくなるように水を加え、やわらかくなるまでゆがく。
その間、アーモンド全部とビターアーモンドを砕き、きれいに細かくする。
それを皿の上において、砂糖ひとさじと水をひとさじ加えてかき混ぜる。
米が茹であがったら、水を切って冷やし、アーモンドの上に乗せて全体をかき混ぜ、残りの砂糖を入れる。
この間に干しぶどうの下拵え:洗って、一度沸騰するまでゆがいたのち、ざるにあげる。
水切りをしてから、できあがった米に加え、かきまぜればできあがり。粉砂糖とワインを振りかける。
「悪霊」の「イワン皇子」の章にでてくる「万軍の主イワン・フィリッポヴィチ」の伝説。
これって、どんな話なんだろうと前々から気になっていたんだけれど、どうやらこれも鞭身派に
関連した伝説なんじゃないだろうかという気がしてきた。
白石治郎著「ロシアの神々と民間信仰」という本によると、鞭身派の始祖ダニール・フィリッポヴィチは
自ら「万軍の主(サヴァオス)」と称して「生き神」となり、12の戒律を定め精力的に布教した。
信徒の伝承によればダニールは信徒の眼前で生きたまま天に召されたという。
ダニールに第二の「生き神」に指名された側近イワン・スースロフもやはり十二使徒をつくり、
始祖ダニールの教えを説いた。イワンは2度逮捕され、2度十字架にかけられたが2度とも3日後に復活し、
3度目の逮捕の後ではピョートル1世によって釈放され、1716年、百歳で死去したとされている。
「万軍の主イワン・フィリッポヴィチ」伝説っていうのは、このダニール・フィリッポヴィチとイワン・スースロフと
御伽話のイワン皇子がミックスされた分離派特有の土俗的な伝説だったのではないかという
気がする。文庫の後書の解説では単に昔話のイワン皇子のことだとしているが、それでは
スタヴローギンが「イワン皇子」と聞いて「僭称者の?」とピョートルに返す辻褄が解せない。
「ぼくらは去勢宗徒の連中よりもうちょっと気の利いた伝説を流しますよ。ああ、すばらしい伝説が
流せるだろうな。…大事なのは伝説ですよ!」と恍惚となって叫ぶピョートルはスタヴローギンを
鞭身派の始祖並みの「生き神」に祭り上げようとしてるんだろうか。
まあ、真相はともあれ「悪霊」の「イワン皇子」の章はなんど読んでもゾクゾクするな。
これを読んで自分はドストエフスキーに完全にはまったといっても過言ではない。
ドストエフスキーってよくもまあ、ここまで書けるもんだと呆れると同時に感心する。
なお、キリスト教になじみの無い人のために付け加えるならば、
「万軍の主(サヴァオス)」というのは、本来は旧約聖書のなかで
神(ヤハウェ)の名称の一つとして使用されているもの。
また戦車に乗って生きながらにして昇天するエピソードは、やはり
旧約聖書の「列王記」の預言者エリヤの昇天の故事に由来する。
聖書のエピソードを自らの権威化に都合よくねじまげて利用して、
新興宗派である鞭身派は18世紀ロシアに自勢力を伸ばした訳で
これを危険視して弾圧を行なった当局側の危惧も無理からぬことと
思われる。
宗教ってほんとうに汚らわしい。
ついでに付け加えると、エリヤのロシア名は「イリヤ」。
不思議なことにロシアでは預言者エリヤは、雷を司って悪魔を退治する「雷神」として
農民の崇拝を受けていた。
雷は天上を疾走するエリヤの二輪戦車がたてる轟音とされていた。
どうやら、キリスト教伝来以前のロシアの土着の神、雷神ペルーンとエリヤは同一視されたらしい。
「罪と罰」にでてくる火薬中尉、イリヤ・ペトローヴィチが名前に引っ掛けて「またまた雷鳴、稲妻、
竜巻、旋風」と同僚にからかわれるのはそういう由来があったのだった。
図書館で「ロシアのコスチューム」という5巻組の本を発見。。
ロシアの衣装史の本なんだけど、1750年〜1917年までのロシアのモードの
変遷を図入りで解説してあって、内容がものすごく多岐にわたっていて詳細。
その時代ごとの男女ごとの普段着・訪問着・夜会服・外套・帽子・乗馬服・スケート服・
下着・髪型などが図解解説してあって、さらに官吏、商人、農民、分離派教徒、警官、
学生、女性家庭教師などの階級ごとの典型的な服装が載ってて、ながめるだけでも面白い。
なんてマニアックな本と驚いたが、どうやらロシア演劇の参考資料として出版された本らしい。
ドストやトルストイの小説の登場人物が、どんな服を着ていたのか、興味ある人にはお薦め。
舞踏会用のドレスなんか、ほんとうっとりするくらいステキ。
「ロシアのコスチューム」 編集V・ルイーンジン 絵V・コズリーンスキイ 文E・ベールマン、E・クルバトーワ
丸の内出版 1975年発行
第1巻 1750〜1830年代
第2巻 1830〜1850年代
第3巻 1850〜1870年代
第4巻 1870〜1890年代
第5巻 1890〜1917年代
↑追記
「ロシアのコスチューム」第三巻になんだか見覚えのある絵があって
おやっと思って確認したら、それはなんと江川卓氏の「謎とき『罪と罰』」の、
ソーニャの衣装の考察をしている箇所(P285)で引用されていた「ブルヌス」の
図でした。
ってことは今は亡き江川大先生も、この本を参考資料として使ってらっしゃった
んだ。と思ってちょっと感激。
>ロシアのコスチューム
禿げしく興味をそそられる。
よく出てくる正装?の「フロック」は現代日本のフロックコートと同じものなのか?
508 :
吾輩は名無しである:2005/08/24(水) 17:36:41
うん、基本的にはあのスタイル思い浮かべてくれればいいみたい。
裾のラインが膝上から膝丈までに達するウエストを絞った長めの上着にチョッキにズボン。
ワイシャツの襟はスタンド・カラーで薄絹のネクタイを小間結び。
ただ、中にはフロックコートといっても、前裾を斜めにカットした今で言うモーニングも
含まれているし、上着とチョッキとズボンを共布でなくて全部別の生地で仕立てたり、
打ち合わせもダブルだったりシングルだったりして、結構個性的。
ためしに1860年代のフロックスタイルの一例をあげてみようか?
「黒ラシャで仕立てた、モーニング・コート風の盛装用フロック・コート.打ち合わせはシングルで
前布の打ち合わせを斜めにカットし、背布は一枚裁ち、ウエストの腰の位置にボタンが二個
ついている。袖幅は上膊部が適度に細く、肘のあたりで広がるが袖口に向かってふたたび
せばまってくる。袖の折り返しは別裁ちの共布を縫い付けたもので、指三本ほどの幅、くるみボタン
2個で留めている。(上着の)右側の打ち合わせにはくるみボタンが4個縫いつけてあるが
実際に留めるのは最上の1個だけ。チョッキは黒ラシャ製、打ち合わせはダブル。パンタロンは
薄色(グレー、ベージュ)のラシャで仕立て、用布のラシャの色より幾分濃い目の絹布で細い1cmの
ラムパース(ズボンの脇線の筋飾り)を施す。
シャツは麻布製、糊をきかせたダブルの立衿型のカラーと、細いカフスがついている。
色物のフーラール(薄絹)製のネクタイをゆるやかな小間結びとし、帽子は黒のシルクハット。
竹製のステッキには象牙の握りがつき、下方の先端には金属製のキャップ。長靴は黒の皮革製。」
(「ロシアのコスチューム」第三巻より)
ドストの小説に出て来る食べ物一覧〜その1 (お茶は大概の本に出てくるので省略)
「貧しき人々」
砂糖、ドロップ、葡萄、コーヒー、パン、氷砂糖、ツカット(果物の砂糖漬)、ソテ・パピリヨット、
バター抜きカーシャ、牛乳、ソーセージ、えんどう豆、芥子の実、林檎、
プリャーニク(糖蜜菓子、しょうがパン、蜜入菓子)、菓子パン、バター、チーズ
「二重人格」
コーヒー、ココア、クリコのシャンパン、エリセーエフ商会やミリューチンの店の牡蠣やフルーツ、犢料理、
ポンス、ラム酒、皮むきピロシキ(ラステガイのことか?)、プリャーニク、林檎、豆、ウオトカ、ニシン
「虐げられた人々」
ポンス、胡瓜、キエフ産ウオツカ、シャンパン、ラム酒、菓子、プリャーニク、胡桃、鶏のスープ、白パン、山鳥、
氷砂糖、キャンディ、キエフジャム、マーマレード、パスティラー(焼菓子)、ゼリー、フランス・ジャム、中国茶、
蜜柑、林檎、ナッツ、イクラ、チーズ、ペースト、ソーセージ、ハム、ソーテルヌ、ラフィット、コニャック、エゾヤマドリ、
シロップ、病人用ジャム、焼き菓子用りんご、砂糖菓子、キャベツ・スープ、鶏と魚の形のプリャーニク、
ピロシキ、ワイルドストロベリー(エゾイチゴ)、オランダイチゴ
「死の家の記録」
シャンパン、イクラ、牛肉、魚、白パン、黒パン、サイカ、野菜スープ、シベリア風ペリメニ、プリャーニク、
ウオトカ、クワス、干しアンズ、そば粉菓子、蜜湯、にしん、カルバス、豚肉、鵞鳥、
クリスマスの子豚の丸焼き、揚げパン、油揚菓子(フヴォーロスト?)、バター菓子、スメターナ、バター入りきび粥、
ビール、イースターの卵、レバー、山羊、臓物汁
ドストの小説は観念的という先入観があったのだけど、意外に初期の作品からけっこう
食べ物や日常生活についての記述が多いんだなと思った。
「虐げられた人々」でネリーの思い出話のなかに出てくるお祖父さんに買ってもらった
鶏と魚の形のプリャーニク、というのはロシアの伝統菓子で今でも昔ながらの味で売られて
いるそう。こちらのサイトの下のほうに、まさに鶏と魚のプリャーニクの写真がある。可愛い!
ttp://www.biwa.ne.jp/~h-ohmura/koramu2.htm
ついでにプリャーニクのレシピの一例をUP。
参考資料はリディア・リャホフスカヤ著「ロシア料理」。
けっこうな量の蜂蜜を使ってつくるクッキー。だから「蜜入菓子」「糖蜜菓子」などと翻訳されてきたわけか。
昔は甘味料は蜂蜜だけだったんだろうな。
材料
薄力粉…400g 蜂蜜…300g 粉砂糖…150g 無塩バター…50g 卵…2個 重曹…小さじ1/4
レモン汁…小さじ1/4 スパイスミックス(シナモン、アニス、カルダモンを合わせたもの)…小さじ1/4
アイシング用の粉砂糖…150g アイシング用卵白…1個 クランベリージュース…適量 ナッツ等…適量
1.蜂蜜を湯せんにかけ熱くない程度に温め、バターを入れて混ぜる。
2.粉砂糖と卵、スパイスミックス、重曹、レモン汁を混ぜる。
3.全部の材料と小麦粉を混ぜ、一まとめにして冷蔵庫に5時間入れて置く。
4.麺棒で厚さ2-3mmにのばし、型で抜く。
5.刷毛で表面に卵を塗り、オーブンシートを敷いた天板に並べて200℃に温めておいたオーブンで焼く。(10分位?)
6.仕上げにアイシングをぬり、ナッツやチョコチップでデコレーションする。
アイシングは粉砂糖に卵白を入れ、ピンク色にする場合はクランベリージュースも入れ混ぜる。
ドストの小説に出て来る食べ物一覧〜その2 (お茶は大概の本に出てくるので省略)
「罪と罰」
ビール、塩漬けきゅうり、黒パン、ぶつ切り魚、ウオツカ、わさびあえコンビーフ、コーヒー、サイカ、
ソーセージ、キャベツ・スープ、蜜飯、乾ぶどう、くるみ、じゃがいもと挽き割り米のスープ、芥子付き牛肉、
木苺のジャム、アスパラガス、きのこ、にしん、ピローグ、シャンパン、ブリン、ポンス、ワイン、
ラム酒、マデラ酒、リスボンワイン、煮こごり、焼肉、鶏型のプリャーニク、ボイルドビーフ、
じゃがいも付きビフテキ、仔牛肉、ピロシキ、白パン
「白痴」
コーヒー、チーズ、蜂蜜、バター、カスタード・プリン、ハンバーグステーキ、コンソメスープ、
ワイン、シャンパン、パン、クワス、“60人の坊さんと6人の赤ん坊”、小麦パン、腸詰、黒パン、
薄焼きの肉饅頭
ランチドストエフスキー総合スレッドになってるな・・・
(;´∀`)つ [ ̄]E ま、まあ、お茶でもドゾー
>>514  ̄ ̄
516 :
吾輩は名無しである:2005/09/03(土) 08:52:02
ドストの小説に出て来る食べ物一覧〜その3
「悪霊」…この小説ほどサモワールとお茶が出てくる話はないと思う。キリーロフのシーンはお茶抜きでは語れない。
ピョートルのがっつくカツレツとビフテキもやけに美味しそうで印象的。
シャンパン、精進バター、大根と豌豆の煮物、ウオツカ、丸パン、割砂糖、ドイツ風丸パン、ポンス、
ピローグ、ハム、子牛肉、いわし、チーズ、ボルドー酒、味付けパン、小さな丸いビスケット、ゼルテル水、
茹でじゃがいも、カツレツ、シャトー・ディケームのぶどう酒、葡萄、魚スープ(ウハー)、粉砂糖、塊の砂糖、
レンズ豆のあつもの、林檎、赤ぶどう酒、フランスパン、クリーム、レモン・ティー、丸型ビスケット、
巴旦杏水、レモネード、アイスクリーム、ボンボン、ジャム、ビフテキ、ビール、芥子、
じゃがいも付きの冷えた牛肉、白パン、スープ、ライス付きボイルド・チキン、バターかけブリン、
えび、鶏の丸焼き、ラム酒
>>516 個人的には「お茶」のほうに興味を持っている。
紅茶なのか?半発酵茶なのか?緑茶なのか?ほうじ茶なのか?
紅茶でないとすれば、キリーロフを気取って夜中に紅茶いれて飲んでる自分が恥ずかしくなる。
カルマジーノフのカツレツも、どんなレシピだったのか知りたい。
>>512 凄い糖分。。。
518 :
517:2005/09/08(木) 00:33:01
あと「クワス」がどんなものなのか。
勝手に「麦茶」か「メッコール」みたいなものを想像している。
この想像を早く正してくださいお願いします。
「カラマーゾフ」の修道院メニュー
(くだんの会食で出される予定だった、ラキーチンが聞き出してきたやつ、確か魚が主だった)
についてもいろいろ想像が膨らんでいます。
519 :
吾輩は名無しである:2005/09/08(木) 07:29:51
>>517 きみきみ、「カラマーゾフ」の修道院メニュー・レシピは、
>>431>>436>>437に入っているから
見てね。クワスの作り方は
>>437にサイト紹介してる。
お茶については、17世紀に中国から初めてお茶がロシアに入った時は、固碾茶(ホンジュアンチャ)
といって、固形のお茶だったそうだけど、19世紀には普通に紅茶だったみたいよ。
ただし、庶民にとってやはり紅茶は高価だったので、紅茶にミントやワイルドストロベリーなんかの
ドライリーフを加えて、今のハーブ・ティーみたいにして飲んだそう。
それも美味しそう。
ロシア料理の本にカツレツの作り方、載ってたよ、知りたい?
じゅる……
百年以上も前の作家にアンチがいるとはね…。
アンチトルストイとかいうスレッドはないし
できてもここほどは盛り上がらないだろう。
>>1 >ライトノベル
こ ん な 読 み づ ら い ラ イ ト ノ ベ ル が
あ り ま す か ?
今さら何必死に擁護してんだ。流れ嫁
オタク的な人向けだからドストは。
謎解き〜みたいなのはトルストイじゃ出しようがない。
ヲタ向けであればあるほど2ちゃんでは評判良い。もちろんアンチも多い。ゆえに盛り上がる。
ヨシ、イマナラダレモイナイナ… カクノナライマノウチ…
ロシアの有名なカツレツ、ポジャルスキーカツレツの作り方
材料
とりひき肉…500g パン粉…300g バター…10g 牛乳…1/2カップ サラダ油、塩…適量
付け合せ…インゲンのソテー、フライドポテト、カリフラワー、トマト、きゅうり、ロシア漬けなど
1.カップ1/2のパン粉に牛乳カップ1/2弱を混ぜ、とりひき肉に加えてよく練る。
温めたバターと塩少々を入れ、さらに粘りがでるくらいによく混ぜる。
2.1を10等分して、平たく丸い形のカツレツを作り、パン粉をつける。
3.フライパンにサラダ油を熱し、カツレツを入れて薄いキツネ色になるまで両面を軽く焼き、
180℃に熱したオーブンに移し入れ、5分ほど焼き、中まで火を通して出来上がり。
4.好みの付け合せを飾った皿に焼いたカツレツを盛り、供する。
※手間でもオーブンで焼くことにより、ふんわりとした出来上がりになります。
これは、油で揚げるというより焼くタイプのカツレツ。
ロシアのカツレツっていうと他には、切ると熱〜いバターがピューっと飛び出してくるキエフ風の
チキンカツレツも有名だけど、カルマジーノフとピョートルが食べたのはどんなかのなぁ??
527 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 10:21:17
ドストの小説に出て来る食べ物一覧〜その4
「未成年」
スープ、バター、パン、塩、黒パン、牛肉、コーヒー、ウオトカ、カツレツ、
エリセーエフ商会やバレの店で買った葡萄・菓子・フランス梨・オランダ苺入りパイ・リキュール・胡桃、
鶏、魚、子豚、ビール、鰯、団子入りスープ、ズラーサ、鶯、蜜柑、プリャーニク(生姜餅)、
フランスパン、ケーキ、チョコレート、赤ぶどう酒、砂糖、シェリー酒、シャンパン、牡蠣、
チーズ、かなり贅沢な精進料理(ってどういうのだか)、ローストビーフ
ドストの小説に時々でてくるエリセーエフ商会というのは、19世紀ロシアに実際あった
超高級食料品店で、ペテルブルグとモスクワに宮殿のように豪華な内装の店舗を構えていた。
今でもこの2つの店舗は現存し観光ポイントとなっている。
実は、このエリセーエフ商会と、明治期の日本の文壇とは意外な接点がある。
エリセーエフ商会の御曹司セルゲイは明治の日本に留学し、東京帝国大学で学び
夏目漱石の「木曜日会」に出入りを許され門弟と親睦を深めた。
彼は漱石から、「五月雨や股立ち高く来る人」と彼を詠んだ句の書かれた「三四郎」を
贈られて大切にしていたという。
ロシア革命勃発後、危機一髪で亡命したセルゲイはやがてアメリカ、ハーバード大学で
日本学講座をひらいて、日本学研究者の先駆けとなった。彼の膝下からは、後の
ライシャワー駐日大使など多くの日本研究家が育った。
戦時中、神保町の古書街の地区が焼け残ったのは、エリセーエフがマッカーサー将軍に
進言したため、という説もあるようだ。
あんたいつもいろいろ調べて偉いな。
俺もそれくらいあれこれ調べる熱心さがあればも、う少し作品への理解も深まるんだろうな。
>>528 スレ違いのこと書いてるのにもかかわらず、ほめてくれてありがと。
自分の興味持ったことについて、いろいろ調べるのが好きなだけ。
自分はどうやら史学向きのタイプみたい。
おばあちゃんとかはパサパサして口の中の水分を奪うようなお菓子が好きだから良くロシアンケーキを買って来てくれた。
532 :
吾輩は名無しである:2005/09/14(水) 06:47:46
ロシアンケーキって真中にジャムの乗ったクッキーのことだっけ?
あれっておいしいのかなぁ。
533 :
吾輩は名無しである:2005/09/14(水) 10:55:24
ロシアンケーキってジャムパンの事じゃなかったのか・・・。
481がさぁ、ラスコーリニコフの母親からの手紙をさぁ、
退屈だって言ってるけどさぁ、そんな事なくね?
ロージャの苦しみがビシビシ伝わってきてさぁ、
なんていうか、痛気持ちいいよね?
皆もそうだよね?
536 :
吾輩は名無しである:2005/09/16(金) 19:11:00
>>535 私は
>>481です。
「痛気持ちいい」が好きな人には、爽快なのかもしれませんね。
でも私は、Mではありませんので。(別にSでもないですけど。)
あの手紙は、確かに「痛気持ちいい」感覚を味わわせてくれるという点では、
評価できるかもしれません。
でも、それ以上のものは何もないですよね。
それ故、「痛気持ちいい」に快感を覚えない私としては、
内容がこの上なく貧弱で冗長だから、退屈だと言いたいのです。
537 :
吾輩は名無しである:2005/09/16(金) 19:14:55
>>536の訂正。
すみません。
私は
>>481ではなく、
>>474-478でした。
私も、「あの手紙はつまらない」と書いたので、
確認もせず、ついつい自分だと思い込んでしまいました。
ゴメンナサイ。
すみませーん、ロシアの食べ物話書かせてもらいます〜。
先日、ライ麦たっぷり入った黒パンgetしたので、↓したのサイトを参考に「クワス」作ってみました。
ttp://www.h6.dion.ne.jp/~kufunya/kwas.html 割と簡単に作れましたが、クワスっててっきり「清涼飲料」だと思っていたら、けっこうアルコール度
あってビックリ。試飲しているうちに顔まっかになってしまった(アルコール耐性低いもんで)。
味はちょっと酸味のあるビールって感じでした。ちゃんとシュワシュワ泡出るし。
ビタミン、酵素が豊富に含まれてるっていうから健康にはいいんだろうなー、というお味でした。
539 :
518:2005/09/22(木) 00:31:19
横レスすまそ。
三省堂国語辞典で「クワス」をひいて
「ライ麦を軽く発酵させた、麦茶かコーラのような味の飲み物」って書いてたので
自分はずっと「メッコール」を想像してたんだが、
もしかしたら発酵させすぎるとアルコール飲料になるのか?
あと、三省堂国語辞典は「ルバシカ」や「サモワール」も図解入りで載ってて何気に良い。
う〜ん、イースト菌は発酵する際、糖分→炭酸ガス+アルコール+有機酸etc.にするから
発酵させすぎると完全にアルコール飲料になっちゃうのかもね。
検索したら「メッコール」って面白そうな飲み物ね。
麦の匂いの強い、麦茶をコーラで割ったような飲み物って書いてあったけど、もしかしたら
クワスに近い物なのかも。
クワスも発酵させてる時、ビール工場みたいなすごい匂いが室内に充満したから。
サモワールに興味があるんだったら、↓ここでいろいろサモワール話が読めるわよ。
ロシアの長距離列車には、各車両ごとにサモワールもどきがついてるんだって!
ttp://www.ekakinoki.com/russia_food/samovar.html
541 :
吾輩は名無しである:2005/09/26(月) 04:27:59
age
542 :
吾輩は名無しである:2005/09/29(木) 20:46:21
ドストの小説に出て来る食べ物一覧〜その5 (お茶は大概の本に出てくるので省略)
「カラマーゾフの兄弟(第一部〜第2部)」
キャベツ、鶏、七面鳥、仔牛、ウグイ、パン、ぶどう酒、修道院製蜂蜜酒、クワス、
チョウザメのスープ、魚を詰めたピロシキ、特別な調理法の蒸し魚、チョウザメの捏ね揚げ、
アイスクリーム、コンポート、ミルクゼリーのようなプリン、ポートワイン、
エリセーエフ兄弟製造の蜂蜜酒、仔豚、カーシャ、コニャック、リキュール、イチゴ酒
輪型や三日月の白パン、黒パン、リンゴ、ワイルドストロベリー(エゾイチゴ)、スグリ、
黒スグリ(カシス)、シャンパン、ジャム、コーヒー、ピローグ、魚スープ(ウハー)、羊肉、
チョコレート、ビスケット、青い乾ぶどう、キャンディ、白パン、蜂蜜煮の果物、キイチゴ、
塩付けキャベツ、オート・ミール、キャベツ・スープ、ヌードル入り豌豆スープ、粥、干魚、
生野菜、きのこ、精進スープ、フランスパン、目玉焼き、ミネラル水、牛肉、ビール、
桜んぼのジャム、豚用混合飼料、レモン、人肉、草の根、薬酒、ひからびた鶏肉、プリャーニク、
氷砂糖
ドストの最後の大作「カラマーゾフの兄弟」には、いろんな美味しそうなものがいっぱい。
なかでも印象的なのは、「プロとコントラ」でアリョーシャが注文する魚スープ(ウハー)
>>211に
桜んぼジャム
>>210に紅茶の取り合わせだよね!
冒頭に出てくる修道院ランチ
>>431>>436>>437のなかの蜂蜜酒(メダブーハ)も今度つくってみる
つもり。
↓蜂蜜酒のつくり方はこちらも参考になります。
ロシアの蜂蜜酒メダブーハ製作
ttp://page.freett.com/russiancooking/medobukha.htm
543 :
吾輩は名無しである:2005/09/30(金) 18:30:46
ドストエフスキー嫌いで有名な作家といえば、『ロリータ』のウラディーミル・ナボコフ。
著書『ロシア文学講義』で、ナボコフはドストをけちょんけちょんに貶しています。
いくつか言葉を抜粋してみると、
「ドストエフスキーの作品は……大部分が文学的決まり文句の荒野である」
「(地下生活者の独白について)憑かれたような口調、百パーセント陳腐な一つ一つの言葉」
「(地下生活者の「新たな利益」について)これはもちろん詭弁である。……この男は、
自分の利益さえ満足に説明できていない。……再び同じ説明が繰り返されるだけである」
「(地下生活者の、幸福よりも自分の気まぐれが大切だという説に対して)
これは哲学的にはたわごとである。なぜなら、幸福は、気まぐれの存在を前提とし、それを内包するものであるから」
「(『白痴』ついて)いくつかの宗教的議論の味気なさは嘔吐を催させるほどである」
「(『白痴』のプロット展開について)棍棒の打撃を思わせる」
「(『罪と罰』で、ソーニャとラスコーリニコフが「ラザロの復活」を読む場面について)
殺人者と娼婦、そして聖書。なんという三題噺だ。……殺人者と娼婦を一緒に並べてはならないのだ。二人の頭の中は全く異なるのである。
……キリスト教は、すでに何千年も前から、娼婦を許している。しかし殺人者は、すぐに医者の診療をうけなければならない。
……この二人をつなぐ修辞は存在しない。」
「(カラマーゾフの兄弟について)
アリョーシャの話になると、作者の筆は勢いを失ってしまう。
……芸術の精神から見放された、暗く陰気な理詰めの世界である」
「登場人物が、キリストを垂れ流すやり方が、私は好きではない」
「今、精神病院から出てきたばかりのような人物を用いても、作家が自ら掲げた思想上の問題を解いたとはいえない」
「作家の才能を測る最も重要な観点は、その作品世界をどれほどもっともらしく
作り上げたかということである。この観点から、ドストエフスキーを眺めてもらいたい」
などなど。
私も、ドストエフスキーがどうしても好きになれない人間なので、
ナボコフの言っていることは概ね正しいと思うのですが。
皆さんはどうですか?
VSスレも盛り上げて
蜂蜜酒(メダブーハ、ミード)作ってみました。北欧神話でもオーディンたちが酌み交わした
とされる世界最古の酒、といわれる蜂蜜酒ですがつくり方はいたって簡単。
蜂蜜を水で3〜5倍に薄めて、そこに酵母(ドライ・イースト)いれるだけ。
3日もすれば、シードル風のお酒の出来上がり。へぇー、お酒ってこんなに簡単に自分で
作れるものだったのか〜〜。でも考えてみたら日本では酒税法によってアルコール飲料の
自家醸造は禁止されているから、クワスといい蜂蜜酒といい、これって立派な密造行為…??
確信犯なら タイ━━━━||Φ|(|゚|∀|゚|)|Φ||━━━━ホ!!! される可能性も。
>>543 「ロシア文学講義」を読んで、ナボコフの批判ってちょっとズレてる部分もあるな、と思ったけれど、
ナボコフの書いたこの部分には自分も強く同意する。
「『彼のキリスト教は非常にいかがわしい種類のもので……この深みを欠いた精神的構造物を
真のキリスト教と同一視することは危険である』。ドストエフスキーがつねに我こそは
ギリシャ正教の真の解釈者なりというふうに振舞っていたこと、そして一つ一つの心理的・
病理的縺れをほどくたびに、キリストを、というより自分のキリスト解釈を、ギリシャ正教会を
私たちに押し付けること──これらをミルスキーの評言に付け加えるなら、私たちは『哲学者』
ドストエフスキーの真に人を苛立たせる面をよりよく理解できるだろう。」
自分の趣味の範囲なら、何考えようが何書こうが勝手だけれど、自分の主観を絶対化して
「これぞ真理だ真理だ!」と騒ぎ立てるようなやり方は勘弁。
ドストの純粋な文学的特質については、これはもう各人の嗜好によるものだから別に非難する気なし。
546 :
吾輩は名無しである:2005/10/03(月) 12:37:28
過去に
>>440で考察した「ロシアでは何故紅茶と共にジャムを舐める事になったのか?」を
さらに科学的な見地から考察してみた。
_、_ なぜロシアでは紅茶の中にジャムは入れず、別皿で舐める事にしたのか。
( ,_ノ` )
[ ̄]'E
 ̄
_、_ それは昔はジャムの甘味料は砂糖ではなく、「蜂蜜」が使われていたからではないかと考えられる。
( ,_ノ` )
[ ̄]'E ズズ
 ̄
_、_ 紅茶のなかに蜂蜜を入れると、紅茶のタンニンと蜂蜜中の鉄分が結合してタンニン鉄が生じ、
( ◎E
_、_ 紅茶が黒ずんで美的ではない。だから中には入れずに別皿にジャムを用意したのである。
( ,_ノ` )
(寒い国だから蜂蜜と果物からのミネラル、ビタミン類の補給が必須だったんだろうな〜)
[ ̄]'E
トルストイVSドストエフスキースレで、最近アンチドストスレでは食べ物の話
ばっかりやってる、と言われたのでたまにはアンチスレらしい話題も入れてみる(ノД`)
これ、ドスト本スレの方に書いたら誰かの受け売りだろって言われたけど、違うもん!
これでも自分でいろいろ調べたり、自分で考えたりしたんよ。
ミハイル・バフチンが「ドストエフスキーの詩学」を著して以来、やたらとドストの
小説の「ポリフォニー性」とやらを有難がって持ち上げる輩がいるが、ドストの
小説のポリフォニー性なんて、アニメ好きのヒキオタがフィギュア並べて人形同士を
会話させる振りして、一人でブツブツ言ってるのと同レベルのもの。
要するに自閉的な自己内対話でしかない。
自己省察を小説内の何人かに振り分けて対話させているにすぎないので、結局は
ドストの思考の限界を超えることはなく、本当の「他者」の価値観にエンカウント
することもない。
「他者」に出会えない思考は、不毛にして虚無。だからそんな思考内で生み出された
「ドストの信仰」が「ドストの考える無神論」と等価に不毛であり自滅的だったのは
当然といえる。少なくとも「罪と罰」を除く「未成年」までの作品群までは。
「カラマーゾフの兄弟」において、初めてドストが宗教のなかに健全な方向性を
見出せたのは、晩年になってから得た友人ソロヴィヨフとの交友、ソロヴィヨフと共に
訪れたオプチナ修道院で出会った修道士との交流が大きな力となったものと思われる。
ソロヴィヨフは「カラマ」のアリョーシャの精神的なモデルになった人物と言われ、
同性の知人(例えばツルゲーネフやストラーホフ)に対しては常にきわめて闘争的な関係しか
結べてこなかったドストが、晩年になってようやく人間的で思索的な友情を結べた相手
でもあった。
549 :
吾輩は名無しである:2005/10/06(木) 20:24:58
…しくしく、お料理以外のネタだって書けるもん。
550 :
吾輩は名無しである:2005/10/07(金) 01:36:51
>>548 確かにキャラクターは生き生きとしているのに、
読み終わった後出来レースを見たような気分になるよな。
ストーリーが先にあって、そこにキャラクターを置いていったんだろうな。
まぁ、俺はそんなにドスト読んだわけじゃなからアレだけどさ。
確かにキャラは立ってて「萌える」のにはぴったりなんだけど、人間らしい
自然さはあまり感じられないんだよね。
特に女性キャラがそう。ほんとに男好みの「フィギュア」みたい。
「白痴」のナスターシャなんて、さしずめ四つんばいの水着姿で萌えポーズ
とってる綾並レイってところか。
「罪と罰」のソーニャも小説のキャラとしては好きだけれど、それでもあまりにも
作り物めいていて、そのことから小説全体も「作り物」でしかない、という
感想をもってしまう。自分の無二の親友を無残な殺されかたしたら、いくら普段
大人しい女だって、ラスコに「俺はたかが汚らわしい虱を殺しただけじゃないか!」と
言われた時点で「バッキャロー(怒)!!私の親友は虱なんかじゃないわよ!!」と
怒りのパンチの一発も入れるわよ!そんなところで、妙に抽象的に「なぜ人を殺しては
いけないか」について哲学問答なんか絶対しない!
もし、ラスコに嫌われるのが怖くて親友の死についてはスルーすることに決め込んだのなら、
としたら、ソーニャって男に媚びる男にとってホント都合のよいオンナ、だけれど
たぶんドストはそんなことまでは考えてないんだろな。
552 :
吾輩は名無しである:2005/10/07(金) 14:29:10
だからさあ、「生身の女」では癒されないオタに人気あるんじゃない。
553 :
吾輩は名無しである:2005/10/07(金) 14:34:00
と言うより、生身の女なら、殺人犯に怒りのパンチの一発なんてしないって。
どうやって、怒らせずに相手にあいづち合わせて無事この場を乗り切るか考えるって。
554 :
吾輩は名無しである:2005/10/07(金) 14:39:51
だからさあ、小説のソーニャの対応は、
殺人犯への対応としては、とても適切な行動なのよ。
だからさあ、ドストにはリアリズムも糞もないんだって
556 :
吾輩は名無しである:2005/10/07(金) 21:53:25
>>551 俺は罪と罰だと、序盤辺りから作者の
「ラスコは間違った考えをしてるんだよ」
的な意見が邪魔だなと思ったよ。
だから人形っぽいっての分かる。
まぁ、本当に俺はあまりドスト読んでないんでアレだけどさ。。。
>>553 あ。ホントにそうだ…。
なんせラスコは、その場に斧さえあればソーニャまで殺しかねなかった
ヤツだし。
相手に刺激を与えないように、敢えて抽象的な哲学問答に話を逸らした
ソーニャってあんがい賢い対処法したのかも。。。(・∀・)
>>556 たしかにドストの場合、プロット先に有りきなのは確かだよね。
登場人物なんて、ドストの観念やら思想やらを表現させるための単なる道具だし。
559 :
吾輩は名無しである:2005/10/11(火) 12:25:39
>>558 禿同。
ナボコフも言ってたよ。
「作者が観念的に登場人物を動かしているという印象が常に残る。」
私小説でもない限り、小説の登場人物なんて皆そうだ。
561 :
吾輩は名無しである:2005/10/11(火) 17:36:01
たしかに「戦争と平和」のナターシャのように、読者に生き生きとした
生身の女性性や生命感を感じさせる女性キャラはドストの作品には皆無だね。
女性なんてドストの小説内では、男性の運命を展開するための単なる持ち駒、
だから自分の親友を殺されても怒るどころか犯人に向かって「あなたはご自分に
対してなんていうことをなさったのです?!」と泣いて同情するような
非人間的なまでに不自然なヒロインを作り出せるんだろうな。
あと「白痴」のナスターシャの扱いも酷い。
ああいう過去を背負った女性が自分の運命をどう克服していくのか、とか
ナスターシャ自身がどう行動することが真に彼女を救うことになるのか
なんてテーマにドストは最初から関心はない。
ただただ、周囲の男たちに精神的分裂を引き起こすための役割を背負わされて
最後にはロゴージンにぶち殺されて死亡。
彼女は自分自身の運命をもっていない。ほんと、男のための「萌えフィギュア」
並みか、それ以下の扱い。
562 :
吾輩は名無しである:2005/10/12(水) 18:59:52
>>560 それが違うんだな。
ナボコフ『ロシア文学講義』によれば、作家の才能を測る最も重要な観点は、
その作家が自分の作品世界をどれほどもっともらしく作り上げたかということなんだ。
「もっともらしく」っていうのは、すべての読者が「ああ、なるほど」って納得できる、ってこと。
「この状況におかれたら、誰でもこうするだろうな、こう思うだろうな」っていうふうにね。
つまり、人為的でないってことさ。
ナボコフは、この観点から、ドストをぼろ糞に批判してる。
ラスコーリニコフが殺人にいたるまで、偶然に頼った人為的な事件が多すぎる。
殺される老婆の人間的下劣さ、愛する家族の貧困、
老婆が確実に一人でいる時間を、近所の立ち話から知ること、などなど。
これってみんな、どう考えても不自然で、「人為的」な設定だよね。
「ああ、ドストが、自分の好きなようにラスコを操ってる」って感じ。
それに対してトルストイは、作品中に偶発的な事件が多発するにも関わらず、
(例:アンナとヴロンスキーが列車で偶然出会うこと、
ヴロンスキーが、自殺しようとして偶然助かること、
ネフリュードフが陪審員として出廷した裁判に、偶然カチューシャが被告として登場すること、
アンドレイが、妻が死ぬ直前に偶然帰還すること、
マリアが禿山で偶然ニコライと逢い恋に落ちること、
モスクワ陥落後、アンドレイとナターシャが偶然逢うこと、などなど)
「人為的」という印象を全く与えない。
読んでいて、「ああ、自然なストーリー展開だな」と感じてしまう。
ナボコフによれば、これが作家の最も重要な才能。
すべての作家が、「作者が観念的に登場人物を動かしているという印象が常に残る」
ような作品を書いてるわけじゃないのさ。
563 :
吾輩は名無しである:2005/10/12(水) 19:10:56
>>562 同意。下手な作家・才能のない作家ほど、読者を納得させようとする。
無理な人為を組むから下手なエンタメ読まされてるようで苛つく。
ドストの作品・登場人物は全部が全部そんな感じ。正直読めたもんじゃない。
登場人物が空虚なんで、思想も空虚に映るんだよね。
ステパン氏とかはリアルなんだけどね。ああいうリアリティが全キャラにあれば
いいんだが・・
>>563 シェイクスピアもチェーホフも楽しめないタイプ?
>>562>>563はノンフィクションの小説読んだことないの?
実話系のテレビ番組観たことないの?
創作だったら絶対出来ない程の偶然ってあるぞ現実に
いや、その絶対的に希少な現実を、創作レベルで説得力を持たせられていない下手さ
を指摘しているんだよナボコフは。要は下手糞と言われ、そんな深遠な思想・人物を
提示しても、作者の精神性や力量が追いついていないと言いたいんでしょう。
うーん、ナボコフがそんな大した作家か?
>>566 お宅の考えじゃないんだからケチつけてもしょうがないんだろうけど
俺は逆にその偶然にリアリティを感じたね
そうそうない事だからこそラスコは運命を感じて老婆殺しに踏み切る一因になったわけだし
ていうか作中でも「こんな偶然があるのか」的に触れられてるところに
わざわざ突っ込み入れるってどうよ?
作為的な偶然ってのは
ラスコが偶然ソーニャの親父と飲み屋で会うところや
普段金もってないラスコが偶然持ってるときにソーニャの親父の事故現場に出くわしたり
自分の生活もままならないのに通りすがりの相手になけなしの金を渡す人間だってところをソーニャに見せつける機会に恵まれるところや
偶然ドゥーニャの求婚者やスヴィドリガイロフがソーニャの実家や借りてる家の側に住んでるところ
こういうのこそが作者が物語の展開のために配置した作為的な偶然ってヤツだろ
569 :
吾輩は名無しである:2005/10/13(木) 09:04:04
考えてみれば出来すぎた偶然ばかりで構成された話だな「罪×」って。
さらに付け加えれば、老婆を殺した直後に、リザヴェータが帰ってきてしまうこと。
殺されたリザヴェータとソーニャが信仰友達だったこと。
リザヴェータ殺しを告白しても、ソーニャは友達殺されたことには少しの怒りも嫌悪も
示さない、境界性人格障害みたいな女だったこと。
ラスコが自首するまえに、スヴィドリガイロフが邪魔者のソーニャの妹たちを寄付金
付きで孤児院に入れてくれたうえにソーニャにまで五部利付き債権で3千ルーブル
もの大金をくれて、ソーニャがシベリアについていくことを可能にしたこと。etc.
ここまで都合のいい「偶然」を利用されたら、明らかにこれって作りもんだよな(゚听)
と判る。もちろん、文学なんて最初から「騙しますよ」と看板掲げてやってる商売
だけど、ここまで作為的にドストが主人公とともに、読者まで自分の人為的な結末に
追い込もうとしていることがミエミエだと白けるな。
570 :
吾輩は名無しである:2005/10/13(木) 12:31:02
>>566 禿同。
>>565 >>568 ストーリ展開が、「偶然」起きた事件に依存していることは、
別に問題じゃないんだよ。
問題なのは、その「偶然」を描くときに、「人為的」「恣意的」という印象を、
どれだけ少なくできるかということなんだ。
「こんな展開は、作者が自分の思想を提示するために、人為的に仕組んだんだな」
と読者に思われるようじゃ、ダメだってことさ。
どれほど稀有な偶然が起きたとしても、読者を「ああ、もっともな展開だ」っていうふうに、
納得させるのが作家の力量。
この観点からすると、ナボコフが言ってるように、ドストは間違いなく最悪の作家。
571 :
吾輩は名無しである:2005/10/13(木) 12:40:07
上の続きだけど、
>>569にも禿同。
一連の偶発的な事件が起きなかったら、ラスコが殺人に至ったか、全く定かでないよね。
ナボコフ『ロシア文学講義』によれば、
「健康的な青年が、無神論的革命思想に取り憑かれ、殺人を犯した、
というのなら、作者の意図はより首尾よく達成されたかもしれない。
しかし、そうは問屋が卸さないことを、ドストエフスキーはよく知っていた。
……ラスコーリニコフが殺人に至るまで、偶然の事件が数多く用意されていることは、
作者が自分の思想をラスコーリニコフニ託す際に、どれほど苦労しているかの表れである。」
ということ。
『罪と罰』のテーマって、ものすごく簡単に言えば、
「人間性を無視した無神論的革命思想は人間を滅ぼす」ってことだろうけど、
小説中に次から次へと出てくる偶然は、
この思想を提示したいがために、ドストが人為的に仕組んだとしか思えないものばかり。
この点において、ドストは最悪の作家だってことさ。
572 :
吾輩は名無しである:2005/10/13(木) 12:42:27
ナボコフって正宗白鳥みたいだね。
ドストの罪罰しか読んでない人の批判があるようなので
罪と罰に関して言えば
>「こんな展開は、作者が自分の思想を提示するために、人為的に仕組んだんだな」
なんて考えながら読む人は確かにドスト向きではないと思う。
未曾有の絶望的精神状態に置かれたとき、人間はどういった意思を持ち、
行動 に出るのだろう?って言うものをドストは描きたかったんじゃないのかな。
その点でドストの描く滑稽なまでの精神の底辺までの模索は素晴らしいと思う。
俺はドストもトルストイも全く違う作家として尊敬するし、
ナボコフの批評を見たからといってナボコフのようにドストを浅いとも
思わない。逆に、ドストほど人間の悲劇を極端に単調に表現した作家も
いないように思うし。ドストは感覚的に読まなきゃ。
ナボコフは視覚的に本を読み取るタイプでドストとは相容れなかった。
それだけじゃないかな。
574 :
吾輩は名無しである:2005/10/13(木) 16:20:44
>>573 俺、
>>562 >>570だけど、別に『罪と罰』しか読んでないわけじゃないよ。
『地下室の手記』と『カラマーゾフ』は一応読んだ。
『悪霊』『白痴』『死の家の記録』は、来月あたりから読む予定。
ドストに関しては、
あの「この上なく冗長かつ貧弱な悪文」と「人為的なストーリー展開」が嫌いなだけで、
「一瞬にして燃え尽きる人間の狂気」とか、
「絶望のどん底に突き落とされた人間の悲惨」を描いた点では、天才だと思う。
ドストがいなければ、フォークナーもガルシア・マルケスも大江健三郎も
絶対にいなかっただろうからね。
ドスト嫌いっていうとよく勘違いされるけど、絶望を描いた暗い文学が嫌いなわけじゃないんだな。
『万延元年のフットボール』大好きだし。
あと、ドスト嫌い(しかもトルストイ好き)っていうと、これまたよく勘違いされるけど、
別に思想小説・哲学小説が嫌いなわけでもない。
ただ、「小説」である以上は、やっぱり「人為的なストーリー展開」は避けるべきだと思う。
哲学書なら、著者が一方的に自分の思想を述べるだけでかまわないとけど、
小説なんだから、読者を納得させられるような展開にしなきゃ。
『罪と罰』『カラマーゾフ』を読んだ感想として、俺が最も言いたいのは、
「これをテーマにした哲学書を書けば良かったのに、何でわざわざ小説を書いたの?」ってこと。
自分の思想を提示したいなら、哲学書を書けばそれで済むこと。
その思想を人物に託して「小説」として書き表したいなら、
「読者を納得させられる、非人為的なストーリー展開」という義務に
従わなきゃ、やっぱり駄目だよね。
ドストエフスキーはその著書を虐げられた人々、罪びと達への同情によって
書いた。その感情の表白と慰め、そのために小説という形を取った。
という事を誰かが言っていた。
トルストイの光〜なんかに見える啓蒙の意思なんてものは無かったんじゃないかな。
決して自分の思想を提示したかったわけではないような。
「読者を納得させられる、非人為的なストーリー展開」かぁ・・・。
俺らからしたら確かにそうかもしれないけど、ドストの見たものは果たして
どうだったのかな・・・。壮絶な人生だよね。
>>574 人為的な展開を嫌がるのはいいけど、主張が主観に頼りすぎ。
指摘らしい指摘と言えば
>>562のナボコフの言葉を借りた「設定」に対する指摘で
展開に対するものじゃないし。
それにもし小説じゃなく哲学書として出したらキミの嫌いだってする「この上なく冗長かつ貧弱な悪文」だけになって
「一瞬にして燃え尽きる人間の狂気」も「絶望のどん底に突き落とされた人間の悲惨」もなくなるんじゃないの?
>>576 折り合いをつけようと、無理やり褒めただけだろう。
彼はたぶん、
「一瞬にして燃え尽きる人間の狂気」も「絶望のどん底に突き落とされた人間の悲惨」
にリアリティや説得力を感じてはいないよ。
君の指摘は正しい。
俺は574の考えにほぼ同意見だが、
「一瞬にして燃え尽きる人間の狂気」も「絶望のどん底に突き落とされた人間の悲惨」
こんなものは微塵も感じない。設定が説得力のない人為的・恣意的なものなら
そこから派生する不安や絶望も、また空虚に感じざるおえないから。
574は中途半端に褒めようとしないでもよいよ。ここはアンチ派のスレなんだからさ。
スレタイらしくなってきたな
579 :
吾輩は名無しである:2005/10/13(木) 22:58:44
>>577 そうかな?
俺は574では無いが
「一瞬にして燃え尽きる人間の狂気」も
「絶望のどん底に突き落とされた人間の悲惨」
も感じるな。
話が人為的だとは思うけどね。
俺は、問題なのは思想だと思うんだな。
人為的でも十分面白い物だと思うんだが、
最後に愛だの神だの下らん主張をするから、
これまでの話がすべて自分の主張を押し付けるための人形劇だったのか。
と、無神論な俺は反感を抱いたのでした。
そして全体を思い返してみると、
「神を信じなさい」と言う作者の声がちりばめられていたのにきずき、
出来レースだったのか。
と、憤りをおぼえました
あ、罪と罰の話ね。これと永遠の夫しか読んでない
>>579 >俺は、問題なのは思想だと思うんだな。
>人為的でも十分面白い物だと思うんだが、
>最後に愛だの神だの下らん主張をするから、
>これまでの話がすべて自分の主張を押し付けるための人形劇だったのか。
>と、無神論な俺は反感を抱いたのでした。
無神論的な小説のみを読めばいいだけじゃないか。
あのさ・・・。人為的も何も、小説にフィクション性を求めてどうするの?
それにメッセージ性のない本ってあるのか?
581 :
吾輩は名無しである:2005/10/13(木) 23:15:25
「ドストエフスキーはエドガー・アランポーの二流模倣作家である」ポール・ヴァリー。
582 :
吾輩は名無しである:2005/10/14(金) 00:56:36
ヴァレリーって偉いの?
ドストよりだいぶ偉いだろう。テスト氏読め。ついでにホーフマンスタールのチャンドス卿も読め。
584 :
吾輩は名無しである:2005/10/14(金) 04:38:54
テスト氏もチャンドス卿も読んだけど、そんなに偉いと思えなかった。
偉いって小学生かおまいら
586 :
吾輩は名無しである:2005/10/14(金) 11:16:29
>>580 自分はドストは、短・中・長編すべての小説を読んだ。あと評論エッセイである「作家の日記」も。
それで思ったのは、ドストってかなり人間的にもイデオロギー的にも、不公平で偏ったものの
見方をする人間なんだなってこと。
「神を信じる(しかも厳密に言えばロシア正教の信仰で)ことで、人間は真に正しい己の道を
見出すことができる」というメッセージ性を、ドストが小説に込めることにはべつに何の問題もない。
自分は子供のときに自分の意志でキリスト教を棄教して、自覚的無神論者となった人間だけど
他人の信仰は尊重するし、他の人間にそういう宗教的な「直観」が訪れたのなら、その人間は
自分の直観に従って生きればいい、と思う。
でも、なんでドストは自分の信念を謳うにあたって、あそこまで無神論者を中傷誹謗し、
無神論こそがこの世の悪の元凶みたいな書き方をするのか。
トルストイも晩年ゴーリキーに、「実際には、ドストの小説に出てくる登場人物たちのような
考え方をする人間なんて、当時の若者のなかには現実には存在しなかったよ」と語ったように
ああいう偏向した無神論者像は、ドストが自分の信念の「正しさ」「高尚さ」を絶対的に「証明」
するために自分の脳内で妄想的に決め付けたものだと思う。
一応、自分はキリスト教の教義も知っているし、カントからニーチェまでの哲学書もパラパラ
読んで、19世紀ヨーロッパの精神的背景の知識は持ってるつもりだけど、それでもドストの
あの「一つの価値観だけが超越的に正しくて、この世の悪いことはすべて、堕落した
人間たちがその価値観を信じないからだ」とする考え方は、自分とは異質な人間を否定し
攻撃することで自分を絶対的に正当化するための自己欺瞞にしか思えない。
しかも、それは容易に他者へのジェノサイドや、ファシズムに結びつきそうな…。
ドストの文学の才能は認めてるんだけど、それでも小説のあちこちに顔を出すドストの思想の
メッセージ性の偏狭さが、彼の作品の文学性を削いで低級なプロパガンダに堕しているのは
正直残念だと思うね。
587 :
吾輩は名無しである:2005/10/14(金) 12:46:23
いやあ、スレタイらしい議論が続いてるねえ。食べ物の話はどこ行ったんだろう?
俺、
>>574だけど、別に無理して誉めたわけじゃないよ。
「狂気」「絶望」を描いた点では、ホントにドストは天才だろう。
(ま、世界一ではないけど。シェイクスピアがいるからな。)
>>576に関してだけど、「冗長な悪文」で綴られてるのは、ドストが
自らの思想を述べた部分ではなくて、「狂気」とも「絶望」とも全く関係のない、
どうでもいいような会話部分じゃないか?
『地下室の手記』の第2部後半の、地下生活者と娼婦の会話なんか、
ナボコフもぼろ糞に言ってたけど、ホント、長ったらしくて読んでられないよ。
ラスコの母からの手紙も大嫌いだし、カラマーゾフの最後の馬鹿らしい裁判も、読む気を失う。
こういう冗長で無意味な悪文は書かずに、そして、人為的なストーリー展開も避けて、
「神と人間」という根本問題に相対した、「狂気」と「絶望」に満ちた人間群像を描いて
いたのなら、ドストは、シェイクスピア、ゲーテ、トルストイと肩を並べられる
作家になっていただろうに。
「冗長な悪文」と「人為的な展開」が、全てを駄目にした。
ヽ(`Д´)ノウワーンドストは凄いんだ!!!世界でトルストイの次に凄いんだよ!!!!
>575
こういうドストを弱者の味方的な作家と考える人は彼の社会評論を読んだことあるんだろうか?
聖人化されたドストやトルストイ像にはうんざりだ。
二人とも強烈な個性を持つ面白い作家だよ。
>>587 100%自分の好みで語ってるのにそれを世間一般の意見みたいに言うところが痛い
やたら主張してる人為的展開ってのがどういうのか
ここがこういう風に人為を感じさせるって説明してくれんか?
592 :
吾輩は名無しである:2005/10/14(金) 21:02:20
>>590 ナボコフを引用した上で、トルストイとの比較上説明に入ってる587の論を単なる
主観と受け取るなら何言っても無駄だし理解できないだろう。
わざわざナボコフを引き合いにして、トルストイとの比較の上での客体だと思うが
ドストオタのおまえさんが人為的でないとの主観に凝り固まっているという可能性
を考えたまえよ。587に再度の説明責任はないよ。まずおまえさんが、散々言われてきた
恣意性・人為性による小説としての不備に対して、比較や引用絡めて反論してみたまえ
そこから話を広げようじゃないかね。
トルストイの宗教性のクドサの指摘同様、ドストに対する指摘としては至極真っ当な
批判だと思うが?君の言う世間一般が、素人同様な輩を含む読者全般なら違うと思うがね。
それなら、587の上げるナボコフやらトルストの論旨を、論駁するのが筋じゃないかな。
一応聞くけど、ナボコフのロシア文学講義は読んだ上での反論だろうな?
593 :
吾輩は名無しである:2005/10/14(金) 22:40:16
>>586 579ですが、俺もそう言いたかったんですよ。
俺は頭が悪いから上手く言えなかったんで
586を読んでスッキリした。ありがとう。
だから、587には賛成できないなぁ。
俺もナボコフ読んだ事無いから、なんとも言えないけどね。
う〜ん、ここらのドスト批判はどれも的を得てると思う。
確かに小説として欠点多いよね。
だけどその欠点もドストの良さに見えるほど私はドストが好きだー!
595 :
吾輩は名無しである:2005/10/14(金) 23:04:39
思想が駄目なら余計駄目なんじゃね?
極端で偏狭な思想。もちろんそうだと思う。当時にあんなニヒった青年軍はいなかった
と言われてるし、ドストが評価されてる部分は、ああいうスタブローギン的無神論者の
典型をヒトラーあたりに先駆けて描写したことで、預言者的・思想的に評価されてる
部分だと思うんだが。
ナボコフや587や俺の批判は、そういう極端で偏狭な思想を持つ人物に対して、こういう
人物もありえる・いるんだということを納得させようと、無理な設定なり・恣意的・人為的
な構成が目立つので小説的に非であるという主張しているわけなんよ。
まあだから俺的には、思想的にも小説家的にも未熟なんで全然悲しくも面白くもないよ
ということなん。
596 :
吾輩は名無しである:2005/10/15(土) 11:49:21
ロシア人がポグロムに走った心境を理解するための、
格好のテキストブック
そりゃナバコフは許せないでしょう
>>551-571あたりまで罪と罰に対する批判のほとんどはソーニャがらみぽい
ソーニャが人為的というのは否定しようがない。
そもそも罪と罰は 、1866年1月、雑誌『ロシア報知』で連載が開始された。
ネタ元は1865年1月に老婆二人が斧による後頭部の打撃によって殺害され金と
貴金属類を強奪されるという事件。犯人は27歳の商店店員の男。ドストはこの
事件を取材して罪と罰の構想を得た。
当時ドストは、ペテルブルグで莫大な借金の返済に悩んでいた。出版社に無謀
な契約をして大金を借りる。しかし賭博癖は直らない。食事もままならない
苦しい状態に陥っていた。
どうしてもソーニャを加えることで読者受け(ロマンチシズム)を狙い数々の
エピソードを差し挟み飽きさせないようにして連載を長びかせる必要があった
連載ではなく書き下ろしだったら、三島由紀夫の『金閣寺』(これも実話もの)
カミュの『異邦人』のように無駄のない、徹底的にアンチ・ヒューマニズムの
傑作になっていたかも。といっても、結果的に『罪と罰』は『金閣寺』や
『異邦人』よりも面白くて偉大な小説であることに変わりはないけれど。
598 :
吾輩は名無しである:2005/10/15(土) 14:43:04
後藤明生だかが、ドストは思想家というよりはある面ジャーナリストだったんでは、
と言っていたと思うけど。作家の日記はさしずめブログ。確かに思想的にはネット
オタクと大して変わらないレベルかもしれないし、文体が冗長というのもその通り。
だが満遍なく完璧に上手い作品が傑作とは限らないのではないだろうか、大体、
人間の頭の中はああゆう風に往ったりきたり無駄にするものではないだろうか。
私自身はあのああでもないこうでもないに付き合っているうちに、自分も一緒に
なって考えているような気になって、ある種の自由さを感じながらクライマックス
に到達する。これは他の作家にはなかなか感じられない感覚なんだよね。
>>597 ソーニャの登場しない罪罰なんて想像つかない・・・
初めは、大学生の出てくる話と、ソーニャの出てくる話は、別々だったんだよ。
それが構想段階で一つの小説へと纏められていった。
奇妙な思想に憑かれて殺人を犯した大学生が、
アル中の父親の酒代を稼ぐために体を売っている少女と出会う。
この二人の出会いの場面が頭に浮んだ時、
ドストはさぞかし興奮しただろうね。
たった二行なのに物凄くウホッだな
自分はアンチ・ドストだけれど、ちょっとこの辺で敵に塩を贈ってみるか。
>>551-571あたりでソーニャが作り物のオンナにしか思えない、と書いたのは自分だけれど、
このヒロインの造形にドストが並々ならぬ天才的な技巧を凝らしたのは認めざるを得ないな。
「自分の親友を殺されたこと」自体には全く反応を示さないこのヒロイン像は、普通だったら
読んでる途中で読者があまりの非人間性に愕然とするほど不自然なはずだけど、そうはならずに
あのラスコとソーニャのやり取りに引き込まれて読めるのは、ドストがリザヴェータとソーニャを
ダブル・イメージの手法で描いたからなのだ、ということに以前気付いた。
論理を超えて、ソーニャは他ならぬラスコによって殺されたリザヴェータその人、なんだね。
読者の表層意識下では、ソーニャ=リザヴェータ=自分の迫害者を赦す静かなおとなしい女たち、
になってる。ソーニャが実際に登場する前から、ドストは周到にこのダブル・イメージを読者の
潜在意識に仕掛けてる。
だからソーニャが他ならぬリザヴェータその人ならば、ソーニャがラスコをリザヴェータ殺しで
咎めないのは、「殺された女が自分を殺した相手を責めずに赦す」ということで、非常にクリスチャン的
なイメージといえる。「奇妙な思想に憑かれて殺人を犯した大学生」を救うにはそんな聖母的で
観念的な女性像が必要だったのだろう。
が、これを「美しい」イメージと思うかどうかは人それぞれで、「カラマ」のイワンのようにそんな
非人間的な犠牲の上に築かれた「調和」には異議を唱えて入場券をお返ししよう、というタイプの人間も
いるわけで、だから自分は敢えて
>>551-571あたりでソーニャ像にイチャモンつけてみたわけだ。
>>596 ナボコフってユダヤ系の貴族の家系だったのか。知らなかったよ。
603 :
吾輩は名無しである:2005/10/16(日) 03:26:03
でもドストってトルストイと並び評されてるよな。
>>598 >ある種の自由さを感じながらクライマックスに到達する。
自分はまったく逆だな。ドストの思考の幅の狭さ、不自然さにイライラしながら
小説のラストに達する。例えば「白痴」なんて、あんな出口のない絶望的な
結末に達しなければならない必然性なんて全然ない話じゃないか、もしドストが
ムイシュキンのような自分の慈悲心満足させるために後先考えず無責任に
憐れみ垂れ流す人物像を「こういうのが美しい人間のはずだ!」という決め込みで
登場させなければ。人間の自然性を無視した全くの観念性で作られたムイシュキンの
ような登場人物が現れなければ、あんな悲劇は起こらずナスターシャも死なずにすんだ。
じゃあ、ナスターシャのような苦しみを背負った女性の救済はどこにあるかというと、
それはナスターシャ自身がどんなに苦しくとも自分の力で自分のトラウマを乗り越えて
いかなければならないのであって、周囲はその努力をサポートすることはできるけど、
苦しみを替わってやることはできない。さらに付け加えると、ムイシュキンのように
結婚を「救済策」として提示するなんてのは、その女性を殆ど殺すに等しい無神経な
行為。ムイシュキンがあのタイミングであんな結婚の申し込みするから、ナスターシャは
以後「発狂した」んじゃないか。
ナスターシャが自分のトラウマをしっかり見つめて克服し自己救済する道は閉ざされて、
「ムイシュキンこそが私の救い主、でも私は彼に価しない汚れた女、だから私は彼と結婚
してはならないし、救われてはならないんだわ」の世界に逝っちゃったわけで。
なんか、「白痴」ってムイシュキンのような人間=美しい人間という最初の設定が
間違ってるから、起こらなくてもいい悲劇が無理やり起こされたって感じ。不自然。
605 :
吾輩は名無しである:2005/10/16(日) 11:00:11
ドストエフスキーは何事につけ大げさすぎるがあれはロシアの文化ですか?
606 :
吾輩は名無しである:2005/10/16(日) 11:01:54
ドストエフスキーの生の人間はたぶん俺と変わらないか俺以下かもしれない。
608 :
吾輩は名無しである:2005/10/16(日) 13:45:39
>「白痴」ってムイシュキンのような人間=美しい人間という最初の設定が
間違ってるから、起こらなくてもいい悲劇が無理やり起こされたって感じ。
ドストの設定した美しい人間が結局、はた迷惑で役立たずで悲劇しか起せない
というストーリーは、
ドストの意図と正反対で真理に達しているってことじゃない?
つまり、ドストって人は小説の自分の構想と結果的に全く逆の結論に達する
作家でトンチンカンなんだけど、深層心理で全く自分のいいたい事と別の事を
描くところがある。わざとそう書いてるってことじゃなくそのことに作家自身がきづいてない。
609 :
吾輩は名無しである:2005/10/16(日) 15:27:57
しかし、恋愛にムリヤリ博愛主義を持ち込んで二人の女に二股かけたら、
最後は血の雨が降る、なんて「真理」はいまどき幼稚園児でも知ってるよ。
そんな「真理」を見出すために、文庫で上下2巻もの大長編を書かなければ
ならないもんだろうか?
博愛主義なんて社会でやればいいことで、なぜ男女間の私的な関係の中に
持ち込むのか、まったく理解に苦しむよ。
610 :
吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 07:54:36
恋愛の博愛主義は男の本質ですな。
611 :
吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 08:40:44
なんかあれじゃない、2ちゃんで荒筋しか読んでないけどいま日経で連載されてる
「愛ルケ」と、「白痴」って作者の独りよがりという点では殆どどっこいどっこいの世界かと。
作者と主人公だけが、「これこそが純愛だ!!この至高の愛がわからないヤツは、
愛のなんたるかもわからない愛の愚民ども(プゲラ」と悦に入ってるんだけど、ただ単に
男のナルシズムとエゴイズム描いただけの気持ち悪い作品じゃないかと。
恋愛の博愛主義なんてカッコよさげな言葉連ねても、本質はただ単に男の浮気じゃん。
「男のさが」を自覚して描いたんならリアリズム作品だけど、ムイシュキンのような人物を
本気で「美しい人間」として書いたつもりのドストエフスキー(47歳)ってちょっとイタすぎだ…。
なんか骨のある反論がなくてつまらんな
613 :
吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 11:29:56
>恋愛の博愛主義なんてカッコよさげな言葉連ねても、本質はただ単に男の浮気じゃん。
ムイシュキンは、最初から「恋愛における不能者」と位置付けられている。
恋愛不能者なんだ。その不能の部分にギラギラした男の性の生け贄である
ナスターシャは惹かれるわけだし、若い娘も惹かれる。
つまり、女は男のナルシズムとエゴイズムの反対に位置するものを
ムイシュキンに感じ取り近づいてる。
しかし、それがはた迷惑で役立たずで悲劇しか起せない という
ストーリーで終わってる事に気づくべきだ。
614 :
吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 12:37:25
では、ロゴージンはどうかと言うと、コレはいかにも男の性の精力的かというと
外面はそうでも、ドストはイメージ的に読者の深層心理に
ロゴージンとその周りに「虚勢者」のイメージを植え付けてる。
つまり、
男の性の生け贄たる女を「不能者」と「虚勢者」が救おうとして
結局、どちらも救えず不毛に終わる物語なんだ。
615 :
吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 12:42:00
「虚勢者」→「去勢者」訂正
616 :
吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 12:48:05
では、不能者でも去勢者でも救えないナスターシャは男の性で救えるだろうか?
答えはNO.
結局、彼女を救うのは彼女しかないのさ。
だから、ドストはその意図と全く別の事を書いてるのさ。
617 :
吾輩は名無しである:2005/10/17(月) 18:17:46
>男の性の生け贄たる女を「不能者」と「去勢者」が救おうとして 結局、
どちらも救えず不毛に終わる物語
こういうドストの設定自体が陳腐で見当違いなんじゃない?三文メロドラマ的というか
男の興味本位の視点というか。少なくとも、ナスターシャのような女性が抱える問題を
理解しているとも、その解決法を真剣に考えてるとも到底思えない。
ただ単に、「『男の性の生け贄』にされ霊肉の分離に悩むヒロイン、ナスターシャの魂の
相克と彷徨」とやらに、作者と男性読者はエロ萌えしたいだけでは?
文学なんだからエロ萌えしたいんならしてもいいけど、変にナルシスティックな「美しい人」
なんて、ヒューマニズムの仮面着けんのは止めて欲しいなドスト、と思う。
618 :
吾輩は名無しである:2005/10/18(火) 07:21:29
あらら、現実にトラウマ抱えた女性が性の匂いのしない男や性的にコンプレックス抱えてる男に惹かれて
とんでもない目にあうって話って現代でもありそうで文学のネタになりそうじゃん。
解決法を御教授しようなんて分野は精神医学であってフロイトもまだこの時代は
生まれとらんよ。
ところで、ナボコフさんは「ナスターシャのような女性が抱える問題を
理解しているとも、その解決法を真剣に考えてる」のかね?
ナボコフは知らないけど、トルストイは「復活」で貴族の若様に弄ばれて
捨てられて自暴自棄になったカチューシャの魂の再生の過程というテーマに、
もっと真剣に取り組んでるよ。
最後は自分を捨てた若様を振り切って、理想主義者の政治犯とともにシベリアに
向かう決意ができるまでに彼女は人間的に成長するわけで。
精神医学がない時代でも、そういう女性をネタやオカズにするのではなく、きちんと
人間として描こうとしたひとはいたよ。
620 :
吾輩は名無しである:2005/10/18(火) 11:42:25
じゃ、これで、いいんでね。
トルストイ→良い例の追求(根は明るいし、女をもてあそぶ側だったし、考え方がノーマル)
ドスト→悪い例の追求(根が暗いし、もてあそぼうと思ってももてなかったし、
考え方がアブノーマルだから)
良い例、悪い例をそれぞれ追求したら
性的トラウマ女が自分を救うには男に頼ってたんじゃ駄目
と言う結論のなるじゃん。
621 :
吾輩は名無しである:2005/10/18(火) 12:19:17
トルストイは自分とこの農奴の娘さんに手を付けて孕ませる坊ちゃんだったから
若い時の自分の性欲の強さの贖罪が「復活」に入っている。
カチューシャには何が何でも最後は自分を捨てた若様を振り切って復活してもらわんと男の方が困るのよ。
復活ってネフリュードフの復活だろ?
623 :
吾輩は名無しである:2005/10/18(火) 15:22:37
>>622 そりゃそうだけど、カチューシャの復活でもあり、
ロシアの復活でもあり、人間精神の復活でもあるわけさ。
ドストをつまらなく感じるって事は、そいつの若い頃は終わったってこと。
ナボコフイ`
626 :
吾輩は名無しである:2005/10/18(火) 18:45:53
>>620 >トラウマ女が自分を救うには男に頼ってたんじゃ駄目と言う結論のなるじゃん。
男でも女でも、自分の傷は自分で乗り越えなければそりゃ駄目でしょ。
ただしマジレスすれば、「白痴」のナスターシャのようにトラウマが病的に昂じて
今で言うPTSD症状(自殺衝動、対人関係障害、摂食障害、自傷行為)が出てる
人には、自分のトラウマ克服する際には、適切な医療的ケアとサポートが必要。
その場合にも、ムイシュキンのような「無知の善意」から患者の病状に決定的な
悪影響を与える人物から、患者を保護することも必要。
ムイシュキンのやったことは精神医学の観点からいうと、やってはならないことの
オンパレード。彼のためにナスターシャは死に追いやられたといっても過言じゃない。
627 :
吾輩は名無しである:2005/10/18(火) 18:57:52
>彼のためにナスターシャは死に追いやられたといっても過言じゃない
つーか、ムイシュキンもロゴージン3人とも破滅してるじゃん。
しかも、女のほうも男の方も、この組み合わせは引き寄せられやすい。
くっついちゃいかんのに、くっつきやすい
その意図と関係なくドストは潜在意識でくっつけて破滅させてる。わざわざw
「共依存」の関係ってやつ?
630 :
吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 08:50:23
こんな夜更けに、闇と風の中に馬を走らせるのはだろう。
それは父と子だ。父はおびえる子をひしと抱きかかえている。
父 「息子よ、なぜ顔を隠すのだ」
子 「お父さんにはドストエフスキーが見えないの。ロシア・メシアニズムにかぶれて、自己中の世界に
逝っちゃってる・・・」
父 「あれはたなびく霧だ・・・」
ドスト 「かわいい坊や、一緒においで。面白い遊びをしよう。地下室には地下室男がヒキってるし、
キリーロフがお茶とピストルを用意して自殺してくれるよ。」
子 「お父さん、お父さん!きこえないの。ドストがぼくになにかいうよ。」
父 「落ち着きなさい、枯葉が風にざわめいているだけだよ。」
ドスト 「いい子だ、私と一緒に行こう。私の大審問官がもてなすよ。お前から自由という重荷を奪い、
踊らせ、歌わせるのだ。」
子 「お父さん、お父さん!見えないの、あの暗いところに大審問官が!」
父 「見えるよ。だが、あれは古いしだれ柳の幹だよ。」
ドスト 「愛しているよ、坊や。お前の自律心のカケラもない泣き言野郎な本質がたまらない。
力づくでもつれてゆく!」
子 「おとうさん、おとうさん!ドストエフスキーがぼくをつかまえる!ドストエフスキーがぼくをひどい目にあわせる!」
父親はぎょっとして、馬を全力で走らせた。あえぐ子供を両腕に抱え、やっとの思いで館に着いた・・・
腕に抱えられた子はすでに、きもいドスオタになっていた。
631 :
吾輩は名無しである:2005/10/19(水) 08:57:18
あ、テンプレに漏れがあるじゃんかよ!Σ(゚Д゚;
×こんな夜更けに、闇と風の中に馬を走らせるのはだろう。
↓
○こんな夜更けに、闇と風の中に馬を走らせるのは誰だろう。
「魔王のガイドライン」のばかばか!!
>>624 実際に若くても、ドストの小説がつまらないと感じてる人間もいるんじゃない。
生まれつき対人的・対社会的能力の高い人は、ドストの登場人物の「苦悩」とやらが
自身の我がままや自己管理能力の欠如によるものだと見抜いて感情移入できないし、
論理的思考力や知的分析力が作者であるドストエフスキーを上回っている人間には、
ドストの「思想」なんてアホらしくて話にもならない。
生まれたときから「自由」を当たり前のものとして享受している世代にとって、自由を
謳歌する代償として自分の生きる意味だの自分の喜びなんてものは、人から与えられる
ものではなく自己責任で見つけるもんだというのは当たり前、大審問官なんて鼻で嗤うし、
生まれつきフェアネスの精神を尊ぶ人間ならば、自身を特権階級化する「唯一絶対的な
真理」なんてものには頼らず、他者との対話の中で普遍妥当な共存地点を求める。
愚痴や泣き言なんか吐くのは死んでもいやだ、たとえこの世に「神」は存在しなくても、
自分自身は「神の前で神と共に“神無し”に生きる」ことを決意をした人間もいる。
自分の人生に責任もって生きてる人間にとって、ドストの世界はあまりにも幼児的なのでは。
いや、幼児を観察するのが好きな、俺みたいなタイプもいるはず。
アンチの意見に全部同意、信者がありがたがっているのもおかしいと思う、
けどこういうクレージーな作品は文学史上例を見ない貴重なものだ、と断言できる。
634 :
吾輩は名無しである:2005/10/20(木) 09:48:47
>生まれつき対人的・対社会的能力の高い人は、ドストの登場人物の「苦悩」とやらが
>自身の我がままや自己管理能力の欠如によるものだと見抜いて感情移入できないし、
別に、苦悩とやらが理解できなくても、アーアーこんな奴いるとか
こんな部分はあるとか面白い。
生まれつき対人的・対社会的能力の低い人は、いつの時代でもいるし
増殖してきているから現代性がある。
>>632 エリート意識丸出し。
君が、対人的・対社会的能力が高かったり、
フェアネスの精神を尊ぶ人間であったとしても、
そういう能力は「生まれつき」与えられているものではない。
幼児期に親との関係から後天的に与えられるものだ。
生まれつきの能力なら生涯不変だが、後天的に与えられるものだから、
はがれたり壊れたりしやすいんだ。
ドストはそういうぶっ壊れた世界を描いているわけで、
それを幼児的と言うのは傲慢そのもの。
636 :
632:2005/10/20(木) 23:53:51
>エリート意識丸出し。
あのなぁ。
自分が対人的・対社会的能力の高い人間だ、と何処に書いた?
世の中には、そういう人間もいるんだよな、と羨ましく思いながら書いた話なんだよ。
だけど、たとえ「親との関係」等によって「ぶっ壊れた」人間で、その事にその人間は
全然責任がなかったとしても、成長期のある時点からは自分の人生はやっぱ
自分自身が責任取らなきゃいけないんだよ。
で、自分の何処がどう壊れているのか知るのにドストは絶好のテキストだし、自分の
思考のどこをどう修正すれば成長できるか知るのにも最適な反面教師なんじゃん。
まあ、あんまり文学的な読み方じゃないのは認めるけどね。
ドストなんて萌え小説なんだから、萌え萌えしながら読んでればいいんだよ。
人の読書の仕方なんて人それぞれ。
639 :
吾輩は名無しである:2005/10/21(金) 14:02:06
>たとえ「親との関係」等によって「ぶっ壊れた」人間で、その事にその人間は
>全然責任がなかったとしても、成長期のある時点からは自分の人生はやっぱ
>自分自身が責任取らなきゃいけないんだよ。
病気とか障害とか幼児の環境での不可逆的な脳の影響とかもあるから
しょうがないなそれが運命だ。ってこともあるの。
>>636 確かに、君は自分がその種の人間だとは書いてないが、
「我がまま」とか「自己管理力の欠如」とか「アホらしくて話にもならない」とか「鼻で嗤う」とか
これだけ気持ちのこもった痛罵の言葉を述語に使ったら、
その主語も書き込み者本人を指していると思ったってしょうがないだろう。
しかも、「こういう人間だったら、こう感じるんじゃないかな」という推測ではなくて、
断言してるじゃないか(下の3行以外)。
一時的に自分を高い立場に置いて、その立場からドストを罵倒して
あとで下に降りて来るなんていうねじけた方法を採らないでくれよ。
>「親との関係」等によって「ぶっ壊れた」人間で
あと、細かいことになるけど、これは俺の言いたいことを少し違う。
子供は親との関係からポジティブなものもネガティブなものも受け取るとして、
君の解釈は、ネガティブなものを受け取る=ぶっ壊れる、となっている。
それも普通によくあることだが、俺の言いたいのは、ポジティブなものを受け取っても、
あとでそれが壊れてダメ人間になりうる。そこもドストは書いているということ。
これは責任問題とはあまり関係ないが。
>>640 「痛罵」っていわれても…(・∀・;) ここ、ネタでもマジでも近親憎悪ででも、
ドストエフスキーを罵倒しましょう、という趣旨のスレだし…。
>「我がまま」とか「自己管理力の欠如」とか「アホらしくて話にもならない」とか
…だって、実際そうなんだから仕方ないじゃない。
ドストの小説で、本人にはどうしようもない社会的・外部的な要因で不幸になった人って
結構少数派じゃない?「カラマ」のスネギリョフ親子とか「貧しき人々」のゴルシコーフとか
「未成年」のオーリャなんかは本人には何の咎もなく苦しんだ人たちだけれど、他の
大抵の主人公たちは、自分で自分の苦しみを作り出している「性格悲劇」でしょ。
哀れっぽく身の上話をしている「罪×」のマルメラードフだって、そりゃ社会的階級が低く
身分上理不尽な目に耐えていかなければならないという時代的な不幸はあるけど、
だけどだからといって、せっかく得た仕事をばっくれて酒浸りになっていい理由になんか
ならない。だってその酒買うのにソーニャが身を売ってるんじゃない。
ソーニャのような女性が身を売るなんて、死ぬより辛い思いしてるのは知っているのに
自分の愛する娘が死ぬ思いで売春してる事より、さらに不幸で仕事に就いてるのが耐えられない
事情なんてこの世にあるの?マルメラードフの口にする「愛」って口先ばっかりじゃん。
さらに頭にくるのは、「みずからそれに価することはない」とか口ではいっちゃってるけどさ、
じつは結局はキリストの慈悲によって自分が救われることまで夢想しちゃってるんじゃない。
マルメラードフって不幸な人間の代表のようによく引き合いにだされるけど、同情の余地
なしだと思う。とても本当に娘を愛してるとは思えない。あたし嫌いこの人。
>>641 なんだか君のレスは、どう返答していいか苦慮するようなものが多いね。
人の書き込みを見て、「こいつは何を一番言いたいのか」「どこに重点を置いているのか」を
きちんと理解した上で正面から反論して来るのではもちろんないし、
かと言って、こちらの予想も付かないような鋭い切り返しをして来るわけでもない。
意識的にやってるのか無意識なのかは知らないけど、
こっちの書き込みのうちで、自分に都合が悪い部分とか興味のない部分は無視して、
自分にとって都合のいいところに勝手に重点を置いて、
それを材料に自分に都合のいいように土俵を作って、
そこに引きずり込んで議論するつもりなのかと思いきや、
結局ただ自己主張がしたいだけじゃん。
自己主張のために他人を利用してるように見える。
なんかね、君のレスを読んでいると、
「ああ、俺は利用されているんだ。ダシに使われてるんだ」って感じて、
真面目に相手をするのがアホらしくなって来るわ。
わかった。私は女性的な感覚で単にネットでおしゃべりしてたつもりだったのに対して、
君は男性的な思考で論理的な展開の議論がしたかった。だから思考のすれ違いが
起きたんだ。別に君の事利用しようとしたりダシにしようとした訳ではなかったんだよ。
たしかに
>>632では誤解させるような書き方して悪かった。
それから
>>640で君の書いた、
>ポジティブなものを受け取っても、あとでそれが壊れてダメ人間になりうる。
そこもドストは書いているということ。
っていうのを読んで、直接関係ないかもしれないけど、たしか「未成年」でだったかドストが
「幼年時代の美しい記憶こそがその人間を支える」という意味のことを書いていたのを思い出したよ。
美しい記憶っていうのは、親からなり、周囲にいた大人たちから受けた愛情や人間らしい
優しい思いやりの記憶のことらしいんだけど。
「未成年」は確かに、孤独のあまりに一度ぶっ壊れかけた少年が何によって癒され立ち直るか、の
話だったと思う。
↑またズレたこと書いたのかもしれないけど、あんまり怒んないでね。
>>642
645 :
吾輩は名無しである:2005/10/24(月) 07:52:08
>>641 >マルメラードフって不幸な人間の代表のようによく引き合いにだされるけど、同情の余地
>なしだと思う。とても本当に娘を愛してるとは思えない。あたし嫌いこの人。
「マルメラードフ」のロシア語の意味知ってる?
甘ったるいマーマレードジャムが語源。
「甘ったれオヤジ」「甘いさん」「甘いもんだ」って意味。
マルメラードフにはモデルがいてドストの最初の妻のアル中夫。
ドストはこのオヤジが嫌いで死ぬのをずっと待ってた。で、モデルにしたの。
646 :
吾輩は名無しである:2005/10/24(月) 08:48:38
本文か創作ノートではたしか、警察関係者のセリフで
「マルメラードフ?やけに甘ったるい名前だな。。。」というせりふまで
出て来る。
647 :
吾輩は名無しである:2005/10/24(月) 09:09:58
つまり、ソーニャのフルネーム:ソフィア・セミョーノブナ・マルメラードフ
は、「神から聞いたよ、大甘の神の智恵子さん」て言う意味になるの。
648 :
吾輩は名無しである:2005/10/24(月) 09:12:30
マルメラードフ→マルメラードワ訂正
649 :
吾輩は名無しである:2005/10/24(月) 10:16:27
だから、「わたくし「ソフィア・セミョーノブナ・マルメラードワ」というものです。」」
「ああ、そうでしたか。。僕はロジオン・ロマーヌイッチ・ラスコーリニコフ」
です。」
と言う何気ない会話も読者のイメージ的にはこうなる。、
わたくし、「神から聞いたよ、大甘の神の智恵子」というものです。。
僕は、「分離した(分裂した)夢見がちな英雄」です。
ドストエフスキーのキャラは、
人形芝居を楽しまないと駄目
信者が一番勘違いしている
「魂の深み」は、人形だからこそ露骨に出てくる
あれは断じて「人間が描けている」からじゃない
魂とかよく分かってもいないものを口にするのが好きだな
オタがよく口にする「萌え」と「燃え」を楽しむべきなんだろうな
娼婦と聖女に分裂しがちな女描写は萌え、
魂の救済とか真の信仰とかの描写は燃え。
>娼婦と聖女に分裂しがちな女描写は萌え、
こういうステレオタイプの女性像って萎える。
>>653 だからこそ、オタのように楽しむべきなんだろう。
オタが好んで描く「〜属性」の女とか、
ステレオタイプの反復を味わうためのものなんじゃないか?
いってみれば大衆文芸なんてそんなものだ。
ハリウッド然り。
655 :
吾輩は名無しである:2005/10/26(水) 15:35:28
>>628 今、「共依存」って言葉の乱用が問題になってる。
656 :
吾輩は名無しである:2005/10/26(水) 19:10:57
君たちがそんなに熱心に議論して、結局ドフトエフスキーはくだらないと
みんなが理解してしまったらどうなるよ?
文学が意味の無いものと理解しちゃったらどうなるよ?
人生が意味の無いものと理解しちゃったらどうなるよ?
ドフトエスキーくらいを心酔してるのが「幸せ」というもんよ。
貧困な人向けの文学だからね
FUCK YOU
ぶち殺すぞ・・>>マルメラードフ・・・・!
お前は、大きく見誤っている。
この世の実態が見えていない。
まるで3歳か4歳の幼児のように、この世を自分中心・・
求めれば、回りは右往左往して世話を焼いてくれる、そんなふうに、
まだ考えてやがるんだ・・。臆面もなく・・・・!
甘えを捨てろ。
お前の甘え・・その最もたるは、
毎日のように叫んでいる、その、「ソーニャ、赦しておくれ!」だ。
泣きつけばソーニャがなけなしの30カペイカを出してくれるのが当たり前か・・・・?
なぜそんなふうに考える・・・・?
バカがっ・・・・!
>>656 ばっかだな〜、ドストエフスキーはもしかしたらくだらないかもしれないが、人生は全然
くだらなくなんかないよ。
>>654 結局、ドストの女性観って幼稚なんだよな。読んでてバカじゃねーのと思う。
ドストの女性観は、どんどんフェミに叩いてもらいたいぐらいだ。
ふだんは素朴フェミ的な還元批評は嫌いなんだが。
660 :
吾輩は名無しである:2005/10/27(木) 04:01:56
社会主義者からキリスト教に獄中で転向したドストエフスキー。
平等を求める点で似たような教義である。
ずっと「悪霊」を書いている時や、「死の家」「カラマーゾフ」を
書いている時の彼が共存している変わり者の作家。
無神論や個別の学問と普遍性を持った神の存在を、それを考えることが
ナンセンスになった時代でも必死に答えを出そうとした。現代の日本でも
あらゆる意味で神がかり的な人間がいる以上この問題が再度浮上しているような
気がして読み込んでいる
うーん、ここでのドスト作品の女性観云々について述べている方々の意見を読んでいると
男性の方が多いのかな?(私は女性です)
それと、随分と健全な思考をお持ちの方が多いような気もします。
「女性はこうあるべきだ」「苦しんでいる女性は救われなければならない」等々
非常に理想的で、人類は常に苦しみを克服して高みを目指さなければならないと
思われている方が多いような気がしました。
子供の頃の体験から10年以上経った今でも鬱が治らず、心療内科での治療を続けている
者から見れば、ナスターシャの狂気は非常に共感できるとともに、嫌悪感すら覚えます。
それだけリアリティに満ちている人間像だと私には思えます。
過去の苦しみから抜け出したくって、いい加減自分を許してあげたいのに、あまりにも
苦悩や絶望と癒着してしまった為に許すことのできない地獄の苦しみ…
理性では不幸な結末を十分予測出来ているのに、そこへ向かって走らずにはいられない
絶望感、そして奇妙な陶酔感。
こういった感覚って、じっさいその病気や心境を体験した者にしか分からないかもしれませんね。
よく、監獄の中の犯罪者の元にドストの作品が贈られるのは、犯罪者にこそ共感が出来るから
じゃないでしょうか?
ここにおられる皆さまのドスト批判を読んでいたら、ふとそんなことを思いました。
>>661 逆だって。
> 「女性はこうあるべきだ」「苦しんでいる女性は救われなければならない」等々
ドストがそう考えすぎているから叩かれているんだよ
てんかんゆえの、病者のリアリティは、万人が認めているだろう。
>>561や
>>604を読むと、ナスターシャのような苦しみを持った女性は救われなければなかったと
解いていますが、その批判についてはいかがでしょうか?
また、救済とは、薬や現代医学によってでしか行われないものでしょうか?
しかし当時は心理学などまだほとんど確立されていなかった時代です。
そんな時代に、現代のような治療を施せるでしょうか?
(私は健全な人々や思想によって、精神的な傷を埋められると単純に説いてしまう
作品の方が不自然に思えてしまいます…そんなに簡単なものではありません)
それなのに、ここにいらしゃる方々は宗教による救いを否定されるのはなぜでしょう?
さらにはドストの狂信的ともいえる宗教によってでさえも救われなかった、
白痴の主要な3つの魂という主題はどう捉えるべきでしょうか?
彼自身が日記等で声高に宗教による救いを説きながらも、実際には、彼の作中の人物達の
ほとんどが宗教によって救われないのは、ドスト自身が自分の宗教観に疑問を抱いていた
とは考えられませんか?
664 :
吾輩は名無しである:2005/10/27(木) 15:31:32
>>658 しごくごもっともだが、このマルメラードフの話とそっくりの話が、日本の
落語にあって、軽妙な笑い話となってる。
江戸時代は、ビンボでDQNなオヤジのために娘が吉原に入るのは親孝行として
当たり前だったし常識だった。
同時代の罪罰でいけないことだという認識で書かれているのは、まだ、フェミ
も登場していないから
キリスト教のおかげ。
>>663 >彼自身が日記等で声高に宗教による救いを説きながらも、
>実際には、彼の作中の人物達のほとんどが宗教によって救われないのは、
>ドスト自身が自分の宗教観に疑問を抱いていたとは考えられませんか?
その言い方は正しくない。
ドストの作品が、作者の偏狭な信念を超えた力を持っている。
と考えるべき。
それを認めた上でも、
疑似餌としての救済ヴィジョンが稚拙なのは覆うべくもない。
>>663 >>561や
>>604で書いたのは、ドストの文学作品「白痴」のなかでは結局は救われなかった
ヒロイン、ナスターシャが救われる可能性があるとしたらどの方向でだったのかということと、
作中でムイシュキンが犯した「間違い」は何だったのかということ。
「苦しんでいる女性は救われなければならない」との理想に燃えたったのは作中のムイシュキン
だけど、彼がその理想に燃えてやったことは、ナスターシャの病状をさらに深める事だった。
残酷なようだけど、人間は誰かの「救世主」、「救い手」にはなれない。
苦しんでる自分を救うためには、その人間自身が闘わなければならないんだ。
もちろん宗教が支えになると思うなら、宗教を支えにしてもいい。医療的なサポートも必要だ。
「憐れみ」からではなく、同じ人間としての「共感」で苦しみを共にしてくれる友人の存在も重要。
だけど最後の最後、医者でも友人でも神の手でさえ届かない自分の苦しみの奥底では、
ただ一人、自分自身で闘わなければならない。そして自分自身で決断しなければならない。
それはたとえ宗教を信じる信仰者であっても同じだと思うよ。
667 :
吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 19:51:55
いや〜ん、遂にT・G・マサリクの第三巻デタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
>>261からずっと発売を待ってた、T・G・マサリク著 「ロシアとヨーロッパ III〜 ロシアにおける
精神潮流の研究 」(成文社)!!
この第三巻には「神を巡る闘い――ロシア問題の歴史哲学者としてのドストエフスキー 」という
批判分析的なドストエフスキー論が入っているとのことでずっと読みたいと思ってたんだ。
668 :
吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 19:52:42
マサリクの第三巻の内容は、
2.神を巡る闘い――ロシア問題の歴史哲学者としてのドストエフスキー
・ドストエフスキーの伝記
・ドストエフスキーの公式
1.ニヒリズム――アナーキズム的無神論
2.ゾシマ――宗教哲学(ニヒリズムを克服するロシアの修道僧)
3.フォイエルバッハ対修道僧
4.大審問官
5.異端者ゾシマ――懐疑主義者ドストエフスキー
6.哲学と教養
7.宗教と道徳I
8.宗教と道徳II(カラマーゾフ主義)
9.殺人と自殺
10.ドストエフスキーの公式は誤っている
11.ロシアの全人
12.人間性と民族性。民族性と宗教
13.ショーヴィニズム。人名の浪費
14.ロシア的性格
15.ロシアとヨーロッパ
16.外交政策――内政に勝る外交
17.内 政
18.ツァーリズム
19.ベリンスキーからウヴァーロフへ (他)
という感じ。 「ドストエフスキーの公式は誤っている 」! ←是非読んでみたい!!
http://www.seibunsha.net/books/ISBN4-915730-36-0.htm
なんかイタそうだな
670 :
吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 20:00:59
はいはい自演おつ
そお?
いろんな人の、いろんなドストの受け止め方読むのって面白いよ。
ドストに対するマンセー論ばかり読んでいると、アンチドストな意見とかも知りたくなるんだ。
672 :
吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 20:11:15
だれが?
673 :
吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 20:11:51
へえ
674 :
吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 20:24:25
マルメラードフには、まず、禁酒させてほしかった。
>>664 どちらでも女性の心身を傷つけることには変わらないけど、はっきりロシアでは
宗教的な意味でも売春は罪であるとの認識があったとすれば、キリスト教徒である
ソーニャは、日本の吉原に行った娘たちの苦境に加えて、信仰上のタブーという
二重の苦しみを背負わされてたわけだよね?
だったらあのトーチャンは余計にゆるせないヤツだよ。
アル中ってのは、せっかく得た職を放擲して娘を地獄の苦しみから救い出すチャンスを
駄目にするほど、苦しいものなの?
>>675 アル中の自分=自分の真の姿
真面目に働く自分=自分の偽の姿
と言うふうにマルメラードフは感じていて、
彼は自分に正直に生きたという事なんじゃない?
スタブローギンとか地下室の主人公とかもそういういタイプ。
幸福を求めるベクトルと、自分に正直でありたいベクトルとが
全く正反対の方向を向いてる。
677 :
吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 23:21:46
病気の自分=自分の真の姿
病気を克服する努力をする自分=自分の偽の姿
と言うふうに自分に都合よく言い訳して自分自身を甘やかしてる人間って現実にも多いよね。
それがどれだけ周囲の人間を苦しめているかも知りもしないで。
世の中、自分だけが苦しんでると思い込んで、自分の苦しみだけを聖化している。
そして、ドストの作品に描かれているような「苦悩」は、病者である自分にしかわからないと
自分自身を優越化する。
そんな人間には正直、吐き気がする。
>>676 自分に正直に、とかそんな大層なもんじゃなくマルメラードフはダメ人間なんだよ。
娘や妻に惨めなおもいをさせてる事を申し訳ないって本当に苦しんでて
なんとかしてやりたいって本気でそう思いつつ
でも娘が自分の体を売って得た金をせびってでも酒を飲みたいんだよ
679 :
吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 10:12:29
ダメ人間なのはよくわかるけど、一番自分が退くのはあのトーチャンが、こんな
自分は神にだって赦されないだろう、と思うのではなく、自分がここまでへりくだって
後悔しているんだから優しい神様は赦してくださるはずだ、と夢想する&主張するところ。
ソーニャが神様に赦されるだろう、というくだりは読者だって納得する。
彼女には全くの責任はない、父親の犠牲者なんだから。
しかし、そういう事態を引き起こしたマルメラードフまでもが自分も最終的には
神によって救われるだろう、という図々しい予想を話すのには呆れる。
また、作者であるドストエフスキーがそういう「依存的心理」を「謙譲さ」と勘違いして
なにか宗教的意味のあることのように描くのもアイタタだと思う。
考えてみれば、ドストの作品はこういう無責任な甘えきった依存型人間が、無垢で
無抵抗な人間の犠牲の上で自分の救済図ろうとするパターン多いけど、ドストエフスキー
がその犠牲者の無抵抗で運命に忍従的な態度を「キリスト教的謙譲さ」と称揚して
それがなにか良いことのように思い違いしているのも馬鹿馬鹿しい。
そんなの、現実には勘違いした依存的野郎をつけあがらすだけじゃん。
ドストエフスキーの考え方って、なんか根本的に甘えきった「依存」があるんだと思う。
680 :
吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 10:34:16
「甘ったれたマーマーレードオヤジ」が、「大甘の神の智恵子さん」に甘ったれる
話は誰が読んでも
>神によって救われるだろう、という図々しい予想を話すのには呆れる。
と言う感想を持つだろう。
そこらへんは、よくドストの意図に従って読んでると思うよ。
>>680 んじゃ、「分離した(分裂した)夢見がちな英雄」さんが、「大甘の神の智恵子さん」に
甘ったれて殺された女の分も赦してもらう、という話自体も、甘ったれた話だよね。
最近いいなあ。
DVの心理がよくわかるとも言える
684 :
吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 13:32:56
>>681 罪罰書くとき、元々ドストは、「分離した(分裂した)夢見がちな英雄」には
自殺してもらう筋書きだったんだけど、雑誌連載小説で
それじゃあ読者が納得しないで編集者が横槍入れる事はよくある事じゃん。
元々罪罰は大幅に編集者の意向が入ってドスト作とはいえないしろものだし。
ドストの作品はこういう無責任な甘えきった依存型人間が、無垢で
無抵抗な人間の犠牲の上で自分の救済図ろうとするパターン多いけど、ドストエフスキー
がその犠牲者の無抵抗で運命に忍従的な態度を欲情する男の心理を楽しみ
テーマとしている事は確かだね。
686 :
吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 14:23:40
あっそ つか当たり前だよねそれ。
687 :
吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 14:36:06
↑負け惜しみ馬鹿
俺マルメラードフ好きなんだけど。
人間どうしようもない絶望的な状況に陥いって、
どうあがいても無駄だと諦めると、
人生なんてどうでもいい。俺なぞ最低の屑人間になればいい。
と言う考えに向かって行くと思うんだ。
で、一度そうなると苦痛や絶望が快感になっていくと思うんだ。
開き直っちゃうんだよな。一種のマゾヒズムだと思うな。
自分は神に赦されるだろうという発言もそういった心理から来る
皮肉にも似たジョークのような者だと思ったんだな。
>>684 初耳なんですけど。
最後はどうも気に入らなかったんでラスコは自殺した
と脳内補完してましたよ俺は。
これは好みの問題かもしれないけど、
自殺の方がスッキリすると思うよ。
>>688 本人が自分の「苦悩」やら「病気」やらに次第にうっとりしちゃって、いつしか自己陶酔の
境地に逝っちゃう、というのはすごくわかる。だって「病気」に耽溺しちゃえばもう、ものごとを
自分で決定してその責任は自分で負う、という人間の責務の重圧からうまく逃げられるから。
だけどご本人は自分の絶望やら病気やらを甘い飴にしてねぶってればいいけど、そのツケ
まわされる周囲の人間はたまらない。
すくなくとも人の子の親になったのなら、この子を守るためなら死ぬ気で頑張るくらいの
気概もたなきゃ。自分の子供を餌食にして、うっとりマゾヒズムの快感になんて浸ってん
じゃねーよこのトーチャン、と思うわけ。
>>684 でも創作ノート見る限りじゃ、連載始める前にはもうソーニャによる救済という荒筋は
決めてあったんじゃないかと思ってた。
それに、「無責任な甘えきった依存型人間(男)が、無垢で無抵抗な人間(女)の犠牲の上で
自分の救済図ろうとするパターン」ってのは、「おとなしい女」、「永遠の亭主」、「地下室」の
主人公とリーザ、「悪霊」のスタヴとマトリョーシャの関係に繰り返し使うモチーフで、ドストは
ほんとこういうのが「好き」なんだと思った。
…ほんとに作者本人がこういうのに「欲情」してんのかな?なんかドン退き。
692 :
吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 21:03:17
>>668 サンクス。
読んでみたいと思っていたんだ。
>>691 このスレは、そんなドストにドン引きしている人のためにあります
>>690 まぁ俺も現実にこんな奴が身近にいたら憤慨するかもしれんけどね、
フィクションの世界なら楽しめるな。寧ろもっとやってくれって思う。
少し悪趣味なのかもしれんけどね。
>>691 でもそういった異端的傾向が人気の秘訣と俺は見た
おれもマルメラードフは結構好きだけど、
自分の親父がマルメラードフみたいな奴だったら殺すだろうな。
もちろん、ばれないように。それが本人のためだし、
こっちも保険金とか入ってきてウハウハ。
>>695 兄さん、1つ質問ですが、どんな人でも自分以外の人間を見て、そのうちの誰は
生きていく資格があり、だれはもう資格がないなんて、決定する権利を持っているの
でしょうか?
ドストが嫁さんに書いた手紙読むと、もっとドン引くよ。
「女王様」って呼んでるから。
嫁さんも嫁さんで「あなたの女王より」て遊んであげてるから。
創作ノートでは、「元大学生が老婆を殺す話」と前に暖めてた「酔漢達」という短編
がドッキングして罪罰になってるね。
「酔漢たち」は主人公「私」がふと入った店で会った男の話を聞いて、興味を覚え
その娘に会いに行く話。テーマは酔っ払いの生態。
創作ノートの断片からすると
このストーリーは、マルメラードフの話を聞いて「私」は娘を会いに(買いに?)
いくともとれ、そうすると、マルメラードフの話はいかにもそそるような話をして
店で広告宣伝してたともとれるからねええ。元々かなりえげつない話だったのかも
しれん。
なんかさ、もしかしてドストの作品って男が読むのと女が読むのでは全然受け取り方が
違うのかな… (゚∀゚;)??!!
作者のドストエフスキーはもちろん男で、男の感覚で書いてるから、男性読者が読むと
ハハーン ( ̄ー ̄)ニヤリ とわかる部分があったりするのかな?
自分、
>>685みたいなこと考えたこともなかった…。
本スレのヤロウ共がよく ( ´д`)ハアハア みたいな内容を書き込みしてるんだけど、
もしかしてドストエフスキーの小説って男が読むとものすごくエロく感じる部分が
あったりするの…??! (・∀・;)
700 :
吾輩は名無しである:2005/10/31(月) 22:34:02
>>700 「罪と罰、あるいは妹 〜熱病のように」
702 :
吾輩は名無しである:2005/11/01(火) 07:34:44
>>699 685ですがわたくしは女でございます。
男女関係なくそうではないかと言うことを申しております。
ドストは、「無責任な甘えきった依存型人間(女)が、無垢で無抵抗な人間(男)の犠牲の上で
自分の救済図ろうとするパターン」っての得意ですよ。
> ドストは、「無責任な甘えきった依存型人間(女)が、無垢で無抵抗な人間(男)の犠牲の上で
> 自分の救済図ろうとするパターン」っての得意ですよ。
…それってたとえば「白痴」のこと?
ナスターシャの場合に限っては、彼女のムイシュキンへの狂気的なまでの「依存」「甘え」的態度
に見えるものは、実はあれはPTSDの症状そのものなので、「無責任」の範疇には入らないと思うな。
PTSDは本当に患者本人が辛い病気で、時として正常な判断能力・自己コントロール能力を失ってる
場合もあるので、患者本人の責任を問うのはあまりに酷。アルコール中毒と違って、本人には病気の
根本原因についての責任は全くないし。
「無責任な甘えきった依存型人間(女)が、無垢で無抵抗な人間(男)の犠牲の上で自分の救済
図ろうとするパターン」で思い浮かぶのは、あとは「白夜」かな?
ありゃー、確かにヒドイね、特にラストの手紙なんて最低!!
でも主人公の男が、そういうオンナが好きで好きでしょうがないというのなら、もうそりゃ蓼食う虫も
好き好きの世界。
704 :
吾輩は名無しである:2005/11/03(木) 10:16:40
「蓼食う虫も好き好き」を持ち出したら、話が全部そこで終わるやん
705 :
吾輩は名無しである:2005/11/06(日) 15:32:55
なんか話が一段落したようなので、ドスト作品の食べ物話また書きこんじゃお。
ドストの小説に出て来る食べ物一覧〜その6 (お茶は大概の本に出てくるので省略)
「カラマーゾフの兄弟(第三部〜第四部)」
ソーセージ、ウオトカ、シャンパン、きのこ、ねぎ、ラム酒、パン、目玉焼き、チーズ、
ストラスブール・ピローグ、鮭の燻製、ハム、イクラ、キャンディ、梨、西瓜、チョコレート、
ドロップ、ゼリー、ヌガー、エリセーエフ商会のぶどう酒、砂糖、コーヒー、牡蠣、コニャック、
熱いパンチ、リキュール、ピロシキ
キャベツ、輪型のパン、プリャーニク、胡桃、サンドイッチ、バリザム(ラトヴィアの薬酒)、
パイナップルの砂糖漬、レモネード、麦芽エキス、サルビヤ・オオバコ・胡椒入りの薬酒、
リンゴ、ブリヌイ(パンケーキ)
第三部ではドミートリーのモークロエ村での大盤振る舞いが印象的。
個人的には鵞鳥のパテを詰め込んで焼いたという、ストラスブール・ピローグに惹かれるな。
フランスのストラスブールはフォアグラの主産地。つまりはフォアグラ入りのピローグか。
706 :
初心者:2005/11/06(日) 17:17:40
奥さんからの手紙とか奥さんネタはどこで読めるの?
ふつうに全集のなかの書簡集で読めるんじゃないかな。
ドスト本スレの前スレが落ちるまえに転載コピペ
思うんだけどさ、「罪と罰」は名作ではあるけど、必ずしも殺人という行為の「罪」の重さと
他人の命を奪ったことへの償いとしての「罰」の深さを描ききれているとは言えない、
という感想をよく聞くんだけど、それって当たっているよね。
「非凡人」から見れば虱のように無意味な存在、と思えるような人間でもやはり
独自の喜びや悲しみを抱えて生きる一人の人間であって、その存在の尊厳を
犯すことは許されない事なのだ。。。ってことが実感として伝わって来ない。
ソーニャは自分の友達がラスコに殺されたと知っても、リザヴェータが自分にとって
どれほど掛け替えの無い大切な人間だったか泣いて訴えるかわりに、やたらと
抽象的な哲学論争に話をもっていくし、「あなたはいったいなんてことをご自分に
たいしてなさったんです!」と言うが、「あなたはリザヴェータになんてことをしたの!」
とは決して問わない。
ラスコも小説の最後まで、アリョーナとリザヴェータを殺した事を後悔できないでいるし、
ソーニャの愛によって「再生」を果たした後は、あっけらかんと希望に満ちた出獄後の
新生活を夢見る。
まるで、人殺しなんて実際は無かったみたいだね。
すべては観念上の1人芝居の哲学討論会みたいだ。
そこで裁かれる擬似的なラスコの「罪」は、自分の同胞である人間の命を奪う権利が
自分にあるかどうかと夢想したこと、「罰」とは自分の生の基盤となる他者との絆を
自ら破壊したことによる自分の「生」からの疎外感・隔絶感、っていったところか。
そしてソーニャの愛によってラストで奇跡的にラスコに他者との絆が再生すれば、
すべてはOK、ハッピーエンドって訳。
これじゃ小説とはいえ、アリョーナとリザヴェータらの死者たちは浮かばれないだろうねぇ。
殺人が単なるストーリーの「素材」としてであっても、人殺しという行為を犯した人間が「再生」する
姿を描くのに、その人間が自分の犯した行為の重大さ・意味を認識する過程が皆無だったら、
果たしてそれが真の「再生」って言えるのか?
ラス公
(-_-;) オレ、ババアヌッコロシタコトハ、コウカイシテナイケド、イキテルノガツラクナッタゼ゙ コウイウノハヤダゼ…
↓
*・゜゚・*:.。.゜(n‘∀‘)η゚・*:.。..。. ラスコサマ、 ダイチニセップンスルノデス、ワタシモ シベリアニ オトモシマス !!!!!
ソーニャ
↓
アッヒャッヒャ! アイ ノチカラデ タニントノきずなキセキノフッカーツ!! ヽ(゚∀゚)ノ アカルイ ミライガ dj! dj!
↑こーいうのがドストの考える人間の「再生」の仕方なのか……?
俺も大地にチューしてみようかな。なんか変わるなら。
子供の頃それやったらお腹壊したよ
じゃあやめとこ
それに19世紀のペテルブルグには上下水道ともになかったから、
汚物はすべて河か路上にそのままぶちまけてたって話聞いたよ。
そんな地面にチューしたら、お腹壊すだけじゃ済まないかもよ。
俺は21世紀に生きてるんで
>>706 ドストとアンナ夫人の書簡の一部やアンナ夫人関連の話は、中村健之介氏の
「永遠のドストエフスキー 病という才能」(中公新書)で読めるよ。
「だれがわたしの女王様かですって?あなたがわたしの女王様さまなのですよ。
わたしがそう決めたのです。ここで、わたしがどれほどあなたさまに恋いこがれて
いるか、あなたとうていおわかりにならないのです。…わたしはこちらで、夜ばかりか
昼も、わが女王であり命令者であるおまえのことを、わけがわからなくなるぐらい、
思っている」(ドストの手紙、1879年8月1日)
「あなたこそは永遠にわたしの主人であり、命令者であらせられる。わたしは
そのことを全身全霊をもって認めます。」(ドストの手紙1879年8月4日)
こういう、自分の妻相手に女王様ごっこをしたがる夫をあやして適当に遊んであげた
アンナ夫人って本当にエライと思う。
アンナ夫人は現実的な思考をする人で、ドストの病的ともいえる心配性や性癖に精神的に
巻き込まれないタイプだったので、健全な距離をもってドストと対することができたそうな。
>>716 この2ちゃんねるでは書き込んでる人間すべてがスレにとって必要にして不可欠な主役さ。
グルーシェニカの言うとおり、「人間は誰だって全員すべて必要な人なのよ」ってことでさぁ!
>>708 >「非凡人」から見れば虱のように無意味な存在、と思えるような人間でもやはり
>独自の喜びや悲しみを抱えて生きる一人の人間であって、その存在の尊厳を
>犯すことは許されない事なのだ。。。ってことが実感として伝わって来ない。
創作ノートでは、殺される高利貸しの名前が
ドストが当時が苦しめられてた悪徳出版業者の名前だったり
ノートの隅のほうに「これがあいつ(悪徳出版業者の名前)だったら
全然良心など痛まんのに」とかチョコチョコ走り書きしてあったり
かなり笑えます。
ドストエフスキーの手紙ネタをもう一つ。
1838年に工兵学校初等技術者クラスに入学したドストエフスキーはダーロヴォエ村の
渋ちんの父親から金を引き出す為、技巧を凝らした金の無心の手紙をたびたび書き送った。
「父上はご自身も不如意であり、ぼくの野営演習のためにこれ以上は小額たりとも送金
できないと書いていらっしゃいます。親の置かれている状態を理解する子供は自ら喜びも
悲しみもすべて親と分かち合うべきです。親の困窮は子も等しく耐えるべきであります。
ぼくは父上から多くのものをいただこうとは思いません。構わないのです。お茶を飲まなくても
餓死することはありません。なんとか生きていけるでしょう。ただ、野営演習のときの靴のため
にはいささかなりともお願いしたいのです。野営にはそういうものを用意して行かなければ
ならないのです。しかし、このことはもう止しましょう…」
ドストエフスキーの手紙のこの部分だけを抜き出してみると、まるで親の経済状態を
おもんばかって貧苦に耐える孝行息子そのもののようである。お茶など飲まなくても死ぬことは
ありません、靴も用意しなければいけないのですが、しかしこの話はもう止しましょう、と書く
ドストエフスキーは一見けなげな親思いの17歳の少年のように見える。
ところがどっこい、この「親思いの孝行息子」は、このことはもう止しましょう、と書いた後も
原稿用紙15枚ほどにもなる金の無心を書き綴っている。
さらに一番の驚きは、ドストエフスキーが送金の根拠として挙げている「お茶」だの「靴」だのは
国から支給されるのでドストエフスキーが購入する必要は全くなかった、という点である。
軍学校時代にドストエフスキーと同じ野営演習に加わっていたセミョーノフ(優秀な地質学者)は
後年、ドストエフスキーの上記の手紙を読んでこう述べている。
「私は彼と同じ野営地で、同様のズックのテントで暮らした。…自分用のお茶は無くてすませたし
(朝晩、お茶は出た)、長靴は国が支給してくれるもので足りたから、自分で買う必要はなかった。
本も、私はドストエフスキーに劣らぬくらい読んでいたが、そのためのトランクなぞは無しにすます
ことができた。だから、これ(ドストエフスキーが手紙に書いている“必需品”)はすべて実際に必要が
あったものではなく、私物としてお茶、長靴、トランクを用意していた仲間たちにひけをとらないために
ただそのためにこしらえたことなのだ。」
…まあ、17歳の少年が仲間うちで見栄を張りたいがために父親に嘘ついてなけなしの金を引き出そう、
とするだけなら、まあ可愛いと言えなくもないエピソードなんだけど、「このことはもう止しましょう…」と
自分で書いた後も延々と原稿用紙15枚もの金の無心を書き綴るドストの粘着質としか言いようの無い
キモさに、思わずワロタ…。ほんと気持ち悪いよね、ドストエフスキーって。
良スレ。
自分もドストみたいな性格なんでますます好きになった。
>>722 自分の犠牲的な無私の献身ぶりを見せ付けて相手に罪悪感を植えつけ、結局は自分の
思い通りに相手をコントロールしようとする人間がよく使う手だね。
ラスコーリニコフの母の手紙は、あくまでも息子ロージャを我が手から離すまいとする
プリヘーリヤの無意識の妄執が息苦しいまで感じられる傑作の部分だな、と思っていたら
なんだ、ただ単に作者自身が普段から自分でそういう手紙を書くタイプだったか。
>>719 そこまで長いと
「父上はご自身も不如意であり
まで読んだ」って返事がきそうだなw
725 :
吾輩は名無しである:2005/11/22(火) 18:47:12
このスレざっと読みましたけど、面白いですね。オレはドストファンだけど
このスレのドスト批判は正面から反論できる部分は少ないですね。
ただ、ご都合主義的だという批判には少し反論したい。そもそも、オレの知る
限り、19世紀の小説は現代の目から見ればそのほとんどがご都合主義的
だと思う。よく比較に上がるトルストイにしても、そこの部分はあまりクリアし
てない印象を持っているんだが。
もっと言うと、現代の小説はそこの部分はかなりクリアしているケースが多い
が、じゃあ、それでおもしろくなるかと言えばそうもいえない。そこにこだわり
すぎるのはあまりに評論家的過ぎる読み方だと思う。
726 :
吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 18:34:29
>>725 ドストエフスキーの小説のご都合主義的部分に拒否反応を示す人は、“それ”が純粋に
ストーリーの為に盛り込まれているというより、作者が自分の「思想」「信条」を読者に
押し付けるために仕組んでるのがあまりに見え見えすぎて辟易してるんだと思うよ。
少なくとも自分は、ドストがあそこまで他人の信条(例えば無神論)や国民性を誹謗攻撃し、
自国および自国の国民性、自国の宗教の夜郎自大的な絶対化に走らなかったら、ここまで
アンチドストにはならなかっただろうな。
727 :
吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 18:35:49
「大審問官」を書いたドストエフスキーは20世紀には、「全体主義の台頭を予言した偉大な
思想家」とやたらともてはやされたらしいけど、それはドストの本質を見誤った評価だったと思う。
ドストエフスキーは「全体主義の台頭の予言者」ではなく、まさに「全体主義の台頭の体現者」
だった。それは彼の社会評論「作家の日記」を読めば、如実に判ること。
728 :
吾輩は名無しである:2005/11/26(土) 05:40:35
>>726 なるほど、そう言われると返す言葉がない。
オレがドスに魅せられたのは、彼の小説では人間の意識の奥底にあるもの
の描写が恐ろしくさえわったていたからなんだ。彼の小説を読んでしばらくの
間は他の作家の作品が生ぬるく、きれいごとを言っているに過ぎないと思え
たほどだ。
そこで問題になるのが、彼の誇大妄想的な思想だが、正直、オレにもよくわか
らん。悪霊を例に取ると、シャートフがスタヴローキン相手にロシアの選民思想
を語るシーンがあるが、オレにはわからんし、「ドスまた始まったよ〜」って感じ
だ。それに対して、キリーロフ(こいつは正に彼の思想を押し付けるためのキャ
ラクターだが)はここまで観念的な人物をだされると面白いし、ドスにしかだせ
ない味だと思うんだけど。
もう一言わせてもらえば、かれの小説にはとても美しいシーンがあるのも確か
なんだ。悪霊で言えば、シャートフが殺される前に彼の嫁が帰ってきて、出産
をする一連のやり取り。滑稽で、みじめだが、こんなにも切なくて、美しいシーン
はないと思った。
>>728 >彼の小説では人間の意識の奥底にあるものの描写が恐ろしくさえわったていたからなんだ。
これには全く同意するよ。
人間の心理の深層部分までなまなましく抉り出す彼の才能は他の作家の追随をゆるさない。
その才能は時として非情とも残酷とも感じられる程。
不思議なのは、作中人物に対しては精神分析医顔負けの冷徹な心理分析をやってのけるドストが
現実の自分自身の行動・思想に関しては、客観的かつ冷静な分析・批判・制御が全くといっていいほど
行えないこと。
「賭博者」を書いていながら、その後も現実の私生活で狂的な賭博熱に我を失い、「大審問官」によって
弱い人間が全体主義に傾斜する危険性を見事に予告しながら、自分自身は偏狭かつ排他的な
集団主義、夜郎自大的なナショナリズムに陥って恥じるところもない。
自分と異なる価値観を持つ者は徹底的に人格を誹謗しこの世の悪の元凶と決め付け、戦争を
「個人主義的なエゴイズムを打破する絶好のもの」と賞賛・賛美し、他民族の居住する土地を資源目的で
簒奪することを恬として恥じない。
この「文学者」としての才能の凄さと、「思想家」としての能力の話にもならないダメダメさ。
両者の落差がここまでものすごい人って他にいないんじゃないかと思う。
この落差がなにから生まれるものなのか、今考えているところ。
730 :
吾輩は名無しである:2005/11/28(月) 10:56:34
>>729 >>608 意識化と無意識が分裂して矛盾してるのが極端な作家。
自分の意識下の意図とは実は全く別のあるいは逆のことを潜在意識で
書いてしまう作家ということ。
要するに一種のアウトサイダー作家でしょう。
とんでもない幼稚さ「ゆえに」鋭い。
「ヨーロッパではわれわれは居候で奴隷でした。でもアジアには主人として立ち現れるのです。」
「オロシア人が移住したアジアの土地は、たちまちロシアの土地となってしまいます。
───新しいロシアが創り出され、それが旧ロシアを更生させ、やがては復活させることになり、
ロシアの進むべき道を明らかにしてくれるでしょう。
…ただ少しでも、アジアが将来においてわが国を救う出口になること、アジアにはわれわれの
富があり、わが国の大洋があるということを理解してもらいたいのです」
1881年1月に書かれた「作家の日記」のドストエフスキーがアジア方面への侵略大構想を
語っている部分を読むたび、「私たちは『感傷性』と『感受性』とを区別しなければならない。
感傷的な男は暇な時間には全くの野獣になりかねない。感受性の豊かな人間は決して残酷な
人間ではない」とのナボコフの言葉を思い出す。
自分が創り出した架空の少女の身の上話にはこれ見よがしの同情と人道主義をひけらかす
「全人類的な愛」の唱道者が、現実の世界に生きる「他者」、武力でもって父祖の土地を奪われる
他民族の「痛み」や「苦しみ」には全くの想像力を働かそうとはしないこの鈍感さ、傲慢さには
呆れ返るしかない。
「作家の日記」を読むと20世紀に流布していた「弱者の味方的な作家」というドスト像がいかに
誤っていたものだったかよく判る。
いやいや、いかにも弱者が思いつきそうな思想の典型例だよ。
昨今のネオコンと一緒。
作家の日記って全集でしか見られないのか・・・
735 :
吾輩は名無しである:2005/12/01(木) 18:28:59
>>734 『作家の日記』は、ちくま学芸文庫から出てたと思うが。
736 :
吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 00:47:51
>>735 昔、出てたそうだけど今はもう注文できない。品切れか絶版。古本屋でも見かけたこと無い。
ところで別の本の話だけど、図書館でこんなの見つけたよ。
「声に出して読みたい日本語」の著者、齋藤孝氏の書いたドスト論、「過剰な人」(新潮社)。
サブタイがついてなかったから、これがドストエフスキー関連本だと今まで知らなかったw
軽いノリながら、ドストの登場人物を「過剰」をキーワードで解いててけっこう面白そう。
タイトルあげるとこんな感じ。
・まえがき 過剰のすすめ
・過剰に「卑屈」なマルメラードフ
・過剰に「不意」なラスコーリニコフ
・過剰に「同情的」なソーニャ
・過剰に「期待はずれ」なスタブローギン
・過剰に存在感をまきちらす端役たち… ってな感じ。特徴はよく捉えてるよね。
“過剰に「同情的」なソーニャ”ってのに笑ったよ。
737 :
吾輩は名無しである:2005/12/02(金) 12:49:24
>>736(俺は
>>735ね)
『作家の日記』が絶版か。早く買っときゃ良かったな。
1年位前に、俺の通ってる大学の生協書店で、
「筑摩書房フェア」みたいなのをやってて、そのとき普通に新品が並んでたから、
まだ当分絶版にはならないと踏んでいたんだが。
最近、こういう重い本が急速に絶版になってくよな。
日本の読書界のレベルは大丈夫なんだろうか?
糞みたいなベストセラーを発売禁止にするのがもっとも有効だと思うんだが。
『過剰な人』は俺も読んだよ。
ドスト作品の登場人物たちが、いかに強烈で桁外れで「過剰」な個性を
もっているかということに焦点を当て、ドスト文学の魅力を解説していく本だった。
それなりには面白いけど、ドストの思想性・哲学性にはほとんど言及してないから、
ドスト文学の全貌を余すところなく伝えているとはいえないな。
ま、俺もアンチドストだから、いかに「過剰」な個性・存在感があったとしても、
顔を赤らめ半ば発狂しながらしか発言せず、人間的多面性を一切持たず、
陳腐な言葉ばかり使って、この上なく冗長・貧弱・退屈な哲学的議論を
し続ける登場人物たちなんて、決して好きにはなれないけどね。
738 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 00:40:32
>>737 えっ、一年前には有るところには有ったんだ?!ほんとに買っときゃ良かったね〜!
「作家の日記」はツッコミどころ満載の本だから、文庫で家に置いておければ便利なのにと
思って自分も探してるんだけど見つからないんだ。
『過剰な人』、図書館から借りてきたのでこれから読むつもり。
さすが「声に出して読みたい日本語」の著者、ソーニャの「ラザロの復活」の朗読のシーンに
いたく感銘を受けてるようですね齋藤氏。
横レス。
「作家の日記」は新潮社「決定版 ドストエフスキー全集」第17巻
、 河出書房「ドストエフスキー全集」では第14巻所収。
全集のバラ本の方が、古書店では見つかるかも。
740 :
吾輩は名無しである:2005/12/03(土) 04:14:10
>>1
741 :
吾輩は名無しである:2005/12/05(月) 12:18:27
742 :
吾輩は名無しである:2005/12/05(月) 17:03:48
743 :
吾輩は名無しである:2005/12/09(金) 18:47:29
特S:シェイクスピア、トルストイ
==絶対に誰も超えられない壁==
S :ダンテ、ゲーテ、メルヴィル、ディケンズ、バルザック、スタンダール、ジョイス、
プルースト、ロマン・ロラン、カフカ、安部公房
==天才作家の壁==
A+:ユーゴー、ゾラ、フローベール、ランボー、ボードレール、カミュ、サルトル、
ジイド、ロブ・グリエ、トーマス・マン、ゴーゴリ、チェーホフ、 ウィリアム・ブレイク、
ヘンリー・ジェイムズ、マーク・トウェイン、フォークナー、ヘミングウェイ、
ナボコフ、ピンチョン、ガルシア・マルケス、紫式部、谷崎潤一郎、三島由紀夫
==超一流作家の壁==
A :ジョルジュ・サンド、モーパッサン、マルタン・デュ・ガール、ジャン・ラシーヌ、
セリーヌ、サン・テグジュペリ、クンデラ、オースティン、エミリー・ブロンテ、
イェーツ、ジョン・ダン、E・M・フォースター、ゴールディング、
リルケ、ヘッセ、ギュンター・グラス、プーシキン、
ドストエフスキー、ヴァージニア・ウルフ、ヘンリー・ミラー、スタインベック、
フィッツジェラルド、サリンジャー、魯迅、夏目漱石、森鴎外、大江健三郎、
埴谷雄高、大西巨人
744 :
吾輩は名無しである:2005/12/09(金) 18:48:06
上の続き
B+:セルバンテス、アべ・プレヴォー、ラファイエット夫人、モーリヤック、サガン、
デュラス、マルロー、フィールディング、シャーロット・ブロンテ、デフォー、
スティーブンソン、ロレンス、トマス・ハーディ、グレアム・グリーン、チャーチル、
グレアム・スウィフト、イアン・マキューアン、ジュンパ・ラヒリ、クッツェー、
ハイネ、ケラー、ノヴァーリス、レールモントフ、ツルゲーネフ、ゴーリキー、
ショーロホフ、ソルジェニーツィン、パステルナーク、ホーソーン、
テネシー・ウィリアムズ、パール・バック、マーガレット・ミッチェル、
トニ・モリスン、ヴォネガット、タゴール、高行健、松尾芭蕉、小林一茶、
芥川龍之介、石川淳、吉本隆明
==ノーベル文学賞の壁==
B :デュマ、ボーヴォワール、レマルク、ポー、スティーブン・キング、宮澤賢治、
坂口安吾、井上靖、大岡昇平、深沢七郎、中上健二、開高健、井上ひさし、
遠藤周作、北杜夫、松本清張、宮部みゆき、山田詠美、町田康
745 :
吾輩は名無しである:2005/12/09(金) 18:51:23
上の続き
C+:ジュール・ロマン、サマセット・モーム、川端康成、島崎藤村、村上春樹、
吉本ばなな、平野啓一郎、阿部和重
==歴史に残る文学の壁==
C :太宰治、村上龍、池澤夏樹 、宮本輝、
D :武者小路実篤、柳美里
==文学としての合格ラインの壁==
E :辻一成、吉行淳之介、桜井亜美、吉田修一、綿谷りさ
F :渡辺淳一、唯川恵、パウロ・コエーリョ、シュリンク(『朗読者』のヤツ)
ドストは、せいぜいAです。SやA+には(ましてや特Sになど)絶対に入りません。
あと、太宰と川端は、大した作家ではありません。
それから、『アルケミスト』と『朗読者』は、ゴミ同然の作品です。
なんのコピペ?それとも自作か?暇人め
本スレの166と167を見てやってきたが、面白すぎw
完全なオマエモナー状態じゃん。
>>209なんてそっくりそのまま(ry
748 :
吾輩は名無しである:2005/12/12(月) 18:02:10
もうすぐ、クリスマス〜♪
ドストの小説に出てくるクリスマスにちなんだお料理のレシピを紹介。
「死の家の記録」に囚人たちがクリスマスに自前でご馳走の用意をしてウキウキしている
シーンがあるけど、そのなかの一人、アキム・アキームイチが用意していた仔豚の丸焼き
はロシアの伝統的なクリスマス料理の一つ。ロシアのクリスマス料理は、ソーチヴォ
(アーモンド&ケシの実&蜂蜜入り粥)+12品と決まっていて、その12品の料理とは
ブリヌイ、魚料理、ゼリー寄せ、煮凝り、子豚の丸焼き、豚の頭のわさび添え、
自家製豚肉ソーセージ、焼き物料理、コリャートキ、プリャーニキ(蜜入菓子)、
フヴォーロスト(揚げ菓子)、コンポート
だったそう。子豚の丸焼きなんて日本じゃ一生作りそうにないけど、ちょっとどんなものなのか
レシピだけご紹介。(リディア・リャホフスカヤ「ロシア料理」より)
749 :
吾輩は名無しである:2005/12/12(月) 18:02:52
子豚の丸焼きの作り方
1.哺乳期の子豚をあぶって毛を焼きとり、内臓を除ききれいにします。
2.湯冷ましにレモン汁、ローリエ、粒黒コショウを加えて作ったマリネ液に4〜8時間
漬け込みます。
3.着け終わったら胴体が白くなるまできれいにして水気を拭き、表面と内側に塩を
擦りこみます。
4.柔らかくしたバターを塗りオーブンに入れ、220℃で焼きます。子豚にきれいな焼き色が
付いたら150〜160℃まで火を弱めます。
※もっとも焦げやすい部分である耳には、卵の殻をかぶせるか、小麦粉と水と塩で作った
生地をくっつけます。
5.首の部分に串を刺して焼き具合を確かめて、透明な肉汁が出てきたら出来上がりです。
アキム・アキームイチは仔豚の丸焼きにはカーシャ(粥)を詰めて焼いたそう。
町の人たちが囚人たちにプレゼントする揚げパンやバター菓子、焼き菓子なんかも
すごく美味しそうに感じられて、なんか興味そそられるなぁ。
750 :
吾輩は名無しである:2005/12/12(月) 18:20:28
ドフトエフスキーなら、カミュやロランやユゴーの方が上!
752 :
747:2005/12/12(月) 22:22:42
>>209 209の最大の欠点ってこれだよな。
自分の主観を絶対化して、ひとに押し付けること。
自分の主張に反対する人間に対しては、徹底的にその人間の言っている事を歪曲して
その人の人間性を貶めようとすること。
一言でいえば、独善性そのもの。
そして、その「真実」の根拠となるものが、209自身のどちらかといえば病的、としか
いいようのない「感性」によったものでしかないのであれば、209とは違う感覚・感性を
持った人間から見れば、そんなの「真実」でもなんでもない。おまけに、そんなもんを「真実だ、
真実だ」と押し付けがましく叫ぶ209の姿は滑稽を通り越してハッキリ言って"気持ち悪い"。
209は"キモイ"。これが正直な感想だな。
こうくると、「真実だ、真実だ」なんていつ言った?いつ絶対化した?って答えるだろうね。
しかしね、罵倒、嘲笑、軽蔑、差別といった類の行為ほど、絶対化してることを示す行為はないよ。
人を傷つけてるんだから。
そしてその種の行為をあんたはあちこちでやってる(
>>339とか
>>274とか)
自分の立場、自分の価値観を絶対化してしまって他者の冷静な批判を受け付けず、カント賛美のプロパガンダを
「ドストスレ」でがなりたてる221。
彼女の評論には、ポリフォニー2ちゃんねらーとしての221の片鱗すらうかがわれず、ただあるのは
モノロ−グ的、というよりむしろ独善、傲慢、幼稚なナルシシズムからなるヒステリックな絶叫のみ。
221には、理性的判断力・知的な自己批判力が決定的に欠けているとしか思えない。
とか言っちゃってみるか。。。
(注)ここで言うポリフォニーとは、
>>314で言っているような、
「自分のマイナス感情でも直視できる」「他人のマイナス感情についても軽んじたりしない」
「自分の主観を絶対化しないで、自分と他人の感じ方・ 生き方の違いを
認めることができ、違いを含めて他人を愛せる」というようなことにしておく。
754 :
747:2005/12/12(月) 22:25:04
>>223 223には、知的な自己批判力というものが欠落している。
>>248>>402>>409を読んでいると、これがあの
>>314>>586を書いた同一人物とは到底思えない。
カント・メシアニズムにすがりついて誇大妄想的な理念に酔う223の姿は、大審問官にすがりついて
自分の「生きる意味」を恵んでもらって安堵する哀れな民衆の姿とどこがどう違うんだ?
>>548 548が
>>314を書いて以来、やたらと自分の
「ポリフォニー性」とやらを有難がって持ち上げているようだが、548の
思想のポリフォニー性なんて、アニメ好きのヒキオタがフィギュア並べて人形同士を
会話させる振りして、一人でブツブツ言ってるのと同レベルのもの。
要するに自閉的な自己内対話でしかない。
自説の正当性の主張のために相手を踏み台にして対話のふりをしているのにすぎないので、結局は
548の思考の限界を超えることはなく、本当の「他者」の価値観にエンカウント
することもない。
「他者」に出会えない思考は、不毛にして虚無。だからそんな思考内で生み出された (
>>284以下とか
>>624以下とか)
「548の信念」が「548の考える無神論」と等価に不毛であり自滅的だったのは
当然といえる。
755 :
747:2005/12/12(月) 22:25:40
>>729 不思議なのは、作中人物に対しては精神分析医顔負けの冷徹な心理分析をやってのける729が
現実の自分自身の行動・思想に関しては、客観的かつ冷静な分析・批判・制御が全くといっていいほど
行えないこと。
>>314を書いていながら、ムイシュキン論争で
>>314の理念とはかけ離れた醜悪さを露呈し、
>>586で他人の価値観を尊重するといいながら、
>>248>>402>>409に陥って恥じるところもない。
自分と異なる価値観を持つ者は徹底的に人格を誹謗しこの世の悪の元凶と決め付け、ドスト罵倒を
「ニヒリズム打破する絶好のもの」と賞賛・賛美し(
>>405)、他の住人の居住するスレをニヒリズム克服目的で
荒しまくることを恬として恥じない。
この「奇麗事吹聴家」としての才能の凄さと、「評論家」としての能力の話にもならないダメダメさ。
両者の落差がここまでものすごい人って他にいないんじゃないかと思う。
この落差がなにから生まれるものなのか、今考えているところ。
756 :
吾輩は名無しである:2005/12/13(火) 08:25:45
>>752-755 ここはドストエフスキー関連のことを書き込むスレであって、ここに書き込んでる特定の個人に
ついて云々するスレじゃないと思うんだが…。
間違って上げてしまった、やれやれ…。
ってかドストを貶すスレだからな。なにより遅レスはうざい。
トルストイファンってなんでドストエフスキーを勝手にライバル視して
んの?その逆はあまり聞いたことないんだけど。
あのウジウジ、ドロドロ、ネチネチしたところが最高に人間臭くていい
んじゃねえか?
変に器用にスイスイ世の中渡ってそうな奴なんて全然魅力ねーよ。
>>759 いや、逆じゃない?ドストファンはトルストイ本スレにまで出張してくるし。
>カント賛美のプロパガンダを「ドストスレ」でがなりたてる
????
最近、ドスト本スレでカント哲学にちょっと触れた書き込みをしたのは自分だけど、
話の流れのついでに、
「時代や民族性を超越して人間としての在るべき姿を目指す普遍的な正義の感覚や道徳原理という
べきものは、どの時代にも人間の心の中に存在してきたし、これからも存在すると思うよ。
『自分と他人の人格の中に存在する人間性を常に共に尊重せよ』
これは古来には宗教が、近代では倫理学が人間に訓えてきた普遍的善を目指すための原理だけど、
ドストが理想とした他者への愛を説くイエスの訓えも、この道徳原理を含有したものだった。」
って感じで書いただけだよ。
しかもその後、話がドストからあまり逸れてしまうと他の人に悪いから作品等に話題を戻そうか、
とちゃんと他の話(亀山氏の本についての回答)とか振っておいたし。
自分は一度としてドスト本スレを本気で荒らそうとしたことなんかないし、ドスト関連の参考資料の情報を
求めている人が本スレにいれば、及ばずながら自分の知ってる限りの文献を紹介したりもしてきた。
そんなふうに受け止めてる人がいるなんて、思わなかった。。。
729 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2005/05/31(火) 19:23:07
>>726 汝自身の人格にある人間性、およびあらゆる他者の人格にある人間性を、つねに
同時に目的として使用し、けっして単に手段として使用しないように行為せよ
これこそが18世紀の最高知性が導き出した人間の理性に基づく道徳の法則の至高の原理。
ラスコは『人類の最大多数の幸福』という自分と他人の人格の人間性を目的として出発しながら
『手段として殺人も許される』と他人の人格・生命を手段として破壊する錯誤に陥っている。
もし彼が本気で人類の幸福を願っていたならば、殺人なんて犯さなかったはず。
よってラスコはすごい馬鹿。
ラスコが馬鹿なのは、作者であるドストエフスキーが啓蒙主義の真の精神を理解できぬ大馬鹿者だったから。
そういう馬鹿の思考を活写した小説としては、「罪と罰」はすごくリアリティがあるといえる。
…とか書いてみようかな。
792 名前:吾輩は名無しである[sage] 投稿日:2005/04/11(月) 19:41:57
理性がアンチノミーに陥るのは、可能的な経験の限界を超出して使用した場合だろ。
「純理」ぐらい読んだよ。
「神は存在するや否や」などの形而上学の超くだらない論争に終止符を打ったカントって
素晴らしい!
ところでちょっと後戻りするけど、
>>784みたいな人は、「常にあらゆる人を見ている神の存在」
ってのがなかったら、殺人、強姦、強盗、なんでもやっちゃう人なの?
自分は、「神が存在しないのならばすべてが許される」ってドストの立てた命題、
一度も理解できたことがない。
あと
>>251>>254
で、ムイシュキン、ラスコ、マルメラードフらをぼろくそに叩いてるのは
カント倫理学が下敷きになってるんでしょ?
>>762 それ、本スレ以外のスレとか過去スレから集めてきた書き込みじゃないのか?
ドストの小説は、人間の自由、道徳、自己の行為への責任といったものが重要なテーマと
なっているものが多いから、ドストについて語り合っていれば、当然哲学とリンクした話に
なることもあるさ。「カラマ」を書く際に、ドストはカント哲学を念頭においていた節もあるし。
このスレで、哲学にリンクさせたドスト話をするのはぜんぜんOKかつ歓迎だけど、
ある特定の個人に粘着した展開の仕方はやめろよな、読んでて非常に気持ち悪い!
もう一度言うけど、ここはドストエフスキー関連のことを書き込むスレであって、
ここに書き込んでる特定の個人について云々するスレじゃない。
書くならマナーを守ってくれ。
765 :
吾輩は名無しである:2005/12/14(水) 13:11:21
これだからドスト信者は・・・┐(´-`)┌
と、スレタイに沿った発言をしてみる
766 :
美香 ◆ZZCSMBerSM :2005/12/14(水) 13:15:10
ドスト信者の交流に鶏卵の割れ目のように拡がる自己行為への責務には、
カント哲学の念願ともいうべき赤裸々な開拓があるのは確か。
もうドスト神話の奏功には新改させる基礎ができている。
あとは左官か。
まだある。
まあ、ドストぐらいへっちゃらかと。
あぼーん
768 :
吾輩は名無しである:2005/12/14(水) 13:51:46
どっちも好きだな。
確かに、 トルストイの方が 思想比重高い 面はある。
同時に 「食う為に労働しなきゃならん庶民」 が持つ 暗さ&重さ から生まれる真理 は薄いと思う。
生まれながら 最低生活が 保障されてきたから 人類普遍、全人類愛 とか マイケル・ジャクソン思想を維持発展できたのかもしれない。
その時々の 自分の精神状態によって、どっちかを嫌いになるけど、結局どっちも 完全無視はできない。
タイプが、違いすぎる。
いずれにせよ、
どちらも 自分の得意分野では、神域まで イってるのは 確かだと思う。。
アンチスレが建つってこたあ、それだけ無視できない
気になる存在ってことだ。
自分のダークな側面をを見ているようで耐えられない。
なんつってる気弱な人間もいることにはいるがw。
>>770 マルチコピペAA(ちんこ)が、あぼーんされただけ
>>759 ドストはトルスを褒めてたけど、
トルスはドストを批判してたからじゃないの。
で、ドストが死んでからいかに褒めたからからじゃあないの。
でも、トルスのドスト批判は壷にはまってるとこがあるんだけど。
社会思想的にもリベラルと右翼の違いがあるし。
「ドストエフスキーは、多くのことを感じる人だった。
でも考えるほうは駄目だった。」byトルストイ
これもトルストイのドスト評だったかな?
「ドストエフスキーは自分が病気ならば、世界もまた病気なのだと考える」
これも、自分の感覚でしかものを考えられないドストの特徴をうまく言い当てている。
トルスのドスト評が正鵠を得てるのに対して、ドストの「アンナ・カレーニナ」評
>>213-214は、
箸にも棒にもかからないひどいシロモノとしか言いようがない。
まさに、ドストエフスキーは多くを感じたが考えるほうはまるで駄目な人だった。
ドストはそれなりに審美眼のある人間のはずなんだけどね。トルストイの才能を最初に認めた人間の一人なんだがなあ。
777 :
吾輩は名無しである:2005/12/15(木) 18:33:57
ドストの文学性は、明らかにシェイクスピア、トルストイらに劣る。
そして、ドストの哲学性も、ヲタからは世界一だと思われてるようだが、
俺に言わせれば、明らかにキルケゴールに劣っている。
『カラマーゾフ』の最重要部分は、「人生の意味より、人生そのものを愛せ」。
『死に至る病』の最重要部は、「信仰とは、神を獲得するために、正気を失うことに他ならない」。
どちらも、意味しているのは同じこと。
生きるためには、人生には意味があること(つまり神の存在)を、
疑わずに信じるほかない、という人間の悲劇性を説いている。
しかし、『カラマ』なんかより『死に至る病』の方が、遥かに良く書けている。
カラマが冗漫・退屈・無秩序であるのに対して、
『死に至る病』は、非常にコンパクトにまとめられており、
内容も過不足なく、しかも非常に論理的である。
理詰めで読んでいけば、必ず理解できる書き方になっている。
絶望から脱して真に生きる方途、本当に絶望を脱することの困難さに関しても、
カラマなんかより、格段に優れた思想が提示されている。
要するに、ドストは、文学性では大文豪たちの足元にも及ばず、
崇拝の対象となっている哲学性でさえ、同時代の哲学者に劣っている、ということ。
よって、存在価値なし。
何が優れて、何が劣ってるって何を基準に言い切れるわけ?
それぞれの持ち味ってものがあるのに。
「・・・一人称小説の形式は、その最も烈しい純粋な形で座礁した・・・
・・・「私」は消えた。ということは、作者の自己の疑わしさが、
そのまま世界の疑わしさとして現れたということであって・・・
人間の限定された諸属性が消えて、その本質の不安定や非決定が現われ、
信仰や絶望の矛盾や循環が渦巻く。ここ(=「罪と罰」)に現れた近代小説に
おける世界像の変革は、あたかも近代物理学における実態的な「物」を基礎とした
従来の世界像が、電磁的な「場」の発見によって覆ったにも比すべき
変革であった。・・・Hideo Kobayashi」だとさ。
訂正 実態的 → 実体的
補足 =( )内
・・・(「地下室の手記」で、)一人称小説の形式は、
(計画通り、)その最も烈しい純粋な形で座礁した・・・
しくしく…。
誰も興味持ってくれないかもしれないけど、
>>748に書いた「死の家の記録」に出てくる
クリスマスにつきもののロシアの揚げ菓子フヴォーロストって、てっきり揚げドーナツ
みたいなのを予想してたら、もっと薄くてパリパリした感じのお菓子だった。
これはクリスマスのほかにもマースレニッツァ(謝肉祭)とかお祭りの時によく作られる
ものだそう。
他のヨーロッパ諸国でもカーニバルのときにやはり作られるものらしく、よく似たお菓子を
見つけたのでちょっと紹介。
ttp://www.kyururu.com/diary/204506.php ロシア料理の本に載ってたのは、薄く伸ばした生地で立体的なバラやカモミールや菊の
花型に作ってあって、とても綺麗だった。試しに餃子の皮を利用して作ってみようかな〜。
>>781 おまえって萌えキャラだよな。いつも楽しく拝見してるぞ。
784 :
吾輩は名無しである:2005/12/22(木) 20:48:23
アンチスレに、クリスマスツリーをプレゼント。
○ ○
。 。
★ o
△
△▽△ o
△▽△▽△
○ △▽△ 。 ○
△▽△▽△
。 △▽△▽△▽△
::::::::::::::: △▽△ o
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: △▽△▽△ 。 ○。
::::::::::::::::::::::o:::::::::::::::::::::::::: △▽△▽△▽△
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::△▽△▽△▽△▽△
o ::::::::::::::::::::::::::::: ■
o :::::::::::::::::■
ドストエフスキーの小説で、クリスマスの情景がでてくる作品って、
「クリスマスと結婚式」「キリストのヨルカに召されし少年」の他あったかな?
作品じゃないけど、ドストエフスキーが死刑執行のお芝居をされた後、
シベリア送りになったのは、1849年の12月24日、クリスマス・イヴの夜の
ことだった。護送用の橇に乗せられて酷寒の地に送られるドストは、
自分の兄ミハイルの家のまえにさしかかり、クリスマスを祝ってるであろう
兄の家族を思い浮かべて涙したそうな。
○ ○
。 。
★ o
△
△▽△ o
△▽△▽△
○ △▽△ 。 ○
△▽△▽△
。 △▽△▽△▽△
::::::::::::::: △▽△ o
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: △▽△▽△ 。 ○。
::::::::::::::::::::::o:::::::::::::::::::::::::: △▽△▽△▽△
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o ::::::::::::::::::::::::::::: ■
o :::::::::::::::::■
12月某日
AA板にてドストエフスキーのAAを作成依頼するも、こんなド暗く気持ち悪い
おっさんの顔など、AA職人さんの創作意欲をそそるはずもなく、依頼空しく
黙殺されること1週間。再度、「こんなキモイおっさんの顔などお願いしてしまい
まして本当に申し訳ございませんが」とひたすら低姿勢でやっと作ってもらえた
のがこのAAである(実話)。しかし、せっかくつくってもらったこのAAには目が無い…。
>===ー―-- 、
///; ;;'´  ̄ ヽ\
r'///`ー ' ヾヽ
|// 三ハ
彳|: : : : : : : : : : : : ミミヘ
彡|: : : : : : : : : : : ミミミ∧
川 __. . . . . : : : : __ ト、ミミ分.、
|州似三ニ=t:::こ=ニ三三ト、 乂 !ミ仆リ
!ミミ托rリヌ::::}:: `ハrリr'` リ 川巡ー1
斗!::::::::::::::イ! :ヾ´ ,〃 }ぅソノ
ハ:::::::::::::〃 ヽ. \ /i,ビ /´
乂ト、;;;;;;込_-'_う ' \ ,/分イ
彡公=彳州川公ト、ヽ\,.彳!乂 ト、
从彡彡仏===≧ル爪州 |川 |从
乂仁三彡'彡州チ八川川川 | ト、`
彡,.ィ彡彡州川川公州州 | |人 乂ト、
_-=≦三彡'彡州州州川州 | | | !i!V 从三j ≧-
三三三三行彡公州州川川 | | | 乂| 从三=ヽ 三
三三三三三州〃个州州川 | | ! |ヽ`ヾ 三三 | 三
三三三三三j!彳公州州州川 ! ! ! ヾミY三三| 三
三三三三 从川彳川爻州州必入乂Vミ 三三| 三
三三三三州从从州从乂心从从乂介\\三! 三
試行錯誤をするうちに、なんとか目をつけられたのだがAAをいじるなんて
自分は初めての事だったので、こっちの目が疲れてしまった!
これも、すべてはドストエフスキーのせいだ、頭に来る!!
おまけに、せっかく改変してやったのにあまり似てない気がする…。
つくづく腹の立つヤロウである、ドストエフスキーって。
>===ー―-- 、
///; ;;'´  ̄ ヽ\
r'///`ー ' ヾヽ
|// 三ハ
彳|: : : : : : : : : : : : ミミヘ
彡|: : : : : : : : : : : ミミミ∧
川 , . . . . : : : : _,、 ト、ミミ分.、
|州 ;=ニ=t::: ‘‘=tf==`, 乂 !ミミミミ
!ミミ< ● ヌ::}:: `ハ´●`>= 川ミミミ
斗!::::::::::::::イ! :ヾ´ ,〃 ワ ノ
ハ:::::::::::::〃 ヽ. \ /i, ∂ノ
乂ト、;;;;;;込_-'_う ' \ ,/分イ
彡公=彳州川ミト、ヽ\,. 彳!乂 ト、
从彡彡 ==== ミミ爪州州|川从
乂仁彡 '川' ミ州州ミ从从川ト、
彡,.ィ彡彡州川ミ公州州 | |人乂ト、
_-=≦三彡'彡州州州川州 | | | !i!V 从∵j ≧-
∵∵∵∵行彡公州州川川 州| | 乂| 从∵=ヽ ∵
∵∵∵∵∵州〃个州州川 州! |从从`ヾ ∵∵ | ∵
∵∵∵∵∵j!彳公州州州川 ! !ヾミY`∵∵∵∵| ∵
∵∵∵∵从川彳川爻州州必入乂Vミ` ∵∵∵| ∵
∵∵∵∵州从从州从乂心从从乂介从∵∵∵! ∵
790 :
吾輩は名無しである:2005/12/27(火) 03:56:55
>>373 ドストの顔を三回クリックしたら目が光りました
A HAPPY NEW YEAR!!
. ξ_
.__●__
_(___)_ ▽(`・ω・´)▽
└□――□┘ ==≠= ρ
■| ◇ |■ とノ ̄ ̄と)
◇ u――u ◇
ドストエフスキーの作品の中では犬はピン入りパン食べさせられたり(カラマ)、
絞められたり(ベッドの下の夫)で、大変だワン!!
793 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/05(木) 12:57:27
齋藤孝氏のドスト論、「過剰な人」(新潮社)の中に、
「ふつうの作家は奥行きのある人物を描こうとして、結果として薄っぺらな人物に
なってしまう。ドストエフスキーの場合は、底の浅い人物を描いて奥行きが出てくる。」
とあったけど、けっこうこの指摘は納得だな。
ドストの小説の登場人物は殆ど全員、人格的に未成熟で論理的思考能力がものすごく
低く、幼児性まるだしで情緒的に混乱を起こしやすく自己の衝動性にあまりにたやすく
屈服する意志薄弱人間。自分の感情のカタルシスを得るためなら、どんなに他人に
迷惑をかけようが他人を傷つけようがおかまいなしのエゴイスト。
確固たる内的な倫理規範を持たぬが故に、人間としての真の誇りと単なる虚栄心との
区別がつかず、さらに自分の「病的さ」を「個性」と履き違えて、「2×2は4じゃない」などと
くだらぬ事に固執・主張することが自己の個性の発露だと思い違いしている救いようのない
無個性野郎ども。
ほんと、一言で要約するなら薄っぺらな「底の浅い」としか言いようもない人物ぞろい。
こういう底の浅い幼児型人間をリアルに描いて面白く読ませるのは、やはりドストエフスキー
自身がそういう人間の心理を熟知していたからだろう。
そしてその底の浅い愚劣な幼児型人間とは、まさにドストエフスキーその人。
自分自身の心理や性格を詳細に分析・昇華し、リアリスティックな存在感のある「底の浅い」
登場人物を描き切るドストエフスキーの才能には稀有なものがある、と言えよう。
たまにだったらレシピ書き込んでもいいと言ってもらったので(ありがと〜!)、
上げを兼ねて「死の家の記録」に出てくるロシアの代表的なザクースカの一つ、
ニシンの塩漬けのレシピを紹介。
材料
新鮮なニシン…2匹 玉ねぎ…中半分 レモン…1個 塩・サラダ油…適量
ディル…適量
作り方
1.新鮮なニシンを三枚におろし、小骨をていねいに取り、軽く塩をして数時間置く
2.そのあとレモンを絞り、サラダ油、細く切って薄塩をした玉ねぎ、薄切りのレモン、
ディルをまぶして一晩寝かせる。
3.ニシンを1.5cmくらいの幅で切って、玉ねぎも添えて供する。
よく冷やしたウオツカと共にいただくと最高!だそう。
書いてたらなんか食べてみたくなっちゃったな…(ごっくん)。
795 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 20:57:23
あれ、上がってないやん!もう一回上げ。
ちなみに上記のレシピは小町文雄著「ロシアおいしい味めぐり」より。
796 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/14(土) 21:30:51
そういえば、ブローディガンの『愛のゆくえ』に、
「ドストエフスキーの小説のなかに出てくる献立の料理本」
という本が出てくるね。
よく「クマのプーさんの〜」とか「赤毛のアンの〜」「不思議の国のアリスの〜」お料理ブック
ってあるけど、それと同じのりかな?
なんか本にでてくるお料理ってやけに美味しそうに感じられて、無性に食べたくなるよね。
子供のとき、「ぐりとぐら」が作る「かすてら」が美味しそうで食べたくてたまんなかったな。
798 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/16(月) 19:23:20
ドストヲタの最も痛いところ:
「俺たちはこんなに難しい哲学・思想の詰まった本を読んでるんだぜ」と
勝手に優越感に浸り、自分たちには「知性」があると思い込んでいること。
芸術性ではシェイクスピア、トルストイの足元にも及ばず、
目玉の「哲学」とやらも、カント、キェルケゴールらに比べて明らかに劣っているような
「文学」をマンセーしていること自体、知性のかけらもない良い証拠なのに。
実例:「トルストイVSドストエフスキー」スレ
10 :吾輩は名無しである :2005/09/30(金) 09:50:54
>>3の
>「トルストイこそロシアの全てだ」
こういうイタい台詞を平気で言えちゃう感性が、
トルストイ信者の終わってるところ。
端的に言えば、知性がない。知性がないから、
褒め方も具体的な言葉は何一つ使えず、他作家を貶すことで
褒めた気になる、という稚拙さ。
アホ。「具体的な言葉は何一つ使え」ないのはお前、そして誰よりもドスト自身。
ドストの「文学」なんて、所詮ナボコフのいう
「100パーセント陳腐な一つ一つの言葉」の横溢でしかない。
あんなものを有難がって読んでるから、お前まで「具体的な言葉は何一つ使え」なくなったんだ。
本当に「具体的な言葉」で書かれた文学がどういうものか知りたかったら、
それこそ「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」を読め。
ナボコフの言葉の意味が解るだろう。
ということで結論:
「知性がない」のは、お前、そしてドスト自身。
799 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/16(月) 19:27:31
>>798 こういうイタい台詞を平気で言えちゃう感性が、
トルストイ信者の終わってるところ。
端的に言えば、知性がない。知性がないから、
褒め方も具体的な言葉は何一つ使えず、他作家を貶すことで
褒めた気になる、という稚拙さ。
トルストイ : 大賢は 大愚に似たり 俺のこと
801 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/16(月) 19:31:36
ドストヲタの最も痛いところ:
「俺たちはこんなに難しい哲学・思想の詰まった本を読んでるんだぜ」と
勝手に優越感に浸り、自分たちには「知性」があると思い込んでいること。
芸術性ではシェイクスピア、トルストイの足元にも及ばず、
目玉の「哲学」とやらも、カント、キェルケゴールらに比べて明らかに劣っているような
「文学」をマンセーしていること自体、知性のかけらもない良い証拠なのに。
実例:「トルストイVSドストエフスキー」スレ
>>798 こういうイタい台詞を平気で言えちゃう感性が、
トルストイ信者の終わってるところ。
端的に言えば、知性がない。知性がないから、
褒め方も具体的な言葉は何一つ使えず、他作家を貶すことで
褒めた気になる、という稚拙さ。
アホ。「具体的な言葉は何一つ使え」ないのはお前、そして誰よりもドスト自身。
ドストの「文学」なんて、所詮ナボコフのいう
「100パーセント陳腐な一つ一つの言葉」の横溢でしかない。
あんなものを有難がって読んでるから、お前まで「具体的な言葉は何一つ使え」なくなったんだ。
本当に「具体的な言葉」で書かれた文学がどういうものか知りたかったら、
それこそ「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」を読め。
ナボコフの言葉の意味が解るだろう。
ということで結論:
「知性がない」のは、お前、そしてドスト自身。
802 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/16(月) 19:33:18
>>801 こういうイタい台詞を平気で言えちゃう感性が、
トルストイ信者の終わってるところ。
端的に言えば、知性がない。知性がないから、
褒め方も具体的な言葉は何一つ使えず、他作家を貶すことで
褒めた気になる、という稚拙さ。
おまいら、面白いからやめれ。
「アンナ」はいいが「戦争」は
「100パーセント陳腐な一つ一つの言葉」の横溢そのもの。
あー早くマサリクの「ロシアとヨーロッパV」が届かないかな〜!
806 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/24(火) 01:55:54
登場人物みんなヒステリックで嫌なんですよ(ひひっ)
↑
マルメラードフさんですか?
レーベジェフさんかも。
まあ戦争と平和が先に新訳出る時点でどっちが上か知れるがな。
810 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/02(木) 12:59:34
『カラマーゾフ』の主題って、アリョーシャが言う
「人生の意味より人生そのものを愛せ」ってことだよな。
つまり、「人生に意味があること(即ち、神の存在)を
論理的に証明することはできないから、意味があると信じて
生きていくほかない」という、人間の宿命的な悲劇性こそ、
この作品のテーマであるはずだよな。
だけど、ドストはそのテーマを充分に掘り下げることができたんだろうか。
イワンとスメルジャコフの「神は、あるのか、ないのか」とかいう
退屈極まりない議論を読んでいると、掘り下げることができたとはとても思えない。
同じ「人生に意味はあるのか、神はあるのか」っていう主題だったら、
ドストと同時代の哲学者キェルケゴールの『死に至る病』の方が、
よっぽど優れた思想を提示してると思うんだが。
両方読んだことのある人、意見きかせて。
811 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/02(木) 13:46:28
キェルケゴールて訳が悪いのか、読みづらいイメージがある。
>>810 否。人生に意味は無い。少なくとも、あるかどうか不可知。
だから意味が無くても、意味の無いまま人生そのものを愛せよ、だ。
813 :
名無し:2006/02/02(木) 14:22:32
そんなネガティブな意味ではないと思うよ。
それこそ粘っこい若葉を愛するように
人生のささやかなものを愛することだけでも
人生には意味がある、ってことじゃないかな?
814 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/02(木) 18:28:46
「理性の人」であるはずのイワンが、
「それでも愛してしまうんだよ」みたいなことを叫ぶシーンがあったよな。
あそこはどういう意味?
理性の人であるはずのイワンでさえ、
論理で考えるだけでは意味があるかどうか決して判らない人生を、
体の底から湧き出る不合理な「カラマーゾフの力」のせいで愛してしまう。
だから、合理的な「理性」ではなく、不合理な「カラマーゾフの力」こそ、生の根源だ。
って解釈でいいのか?
でもイワンは懐疑主義の権化だから、またグダグダと低回するんだろうなw
「カラマーゾフの力」というのも、懐疑主義の形を変えた姿なんじゃないかと
思ったりもする。
>>810 オレはキルケゴールの「死にいたる病」に衝撃を受けたくち。んで
木田元が、ドストエフスキーと「死にいたる病」はシンクロする、みたいな事を言ってたから、
ドストエフスキーも読んでみたけど、いまひとつわからなかった。
オレはアンチってわけじゃないけど、
ドストエフスキーの小説の登場人物が口にする「哲学」(ゾシマの説教にしろイワンの無神論にしろ
ラスコーリニコフの超人思想にしろキリーロフの自殺論にしろ)は、あなたの言う通り大したことがないと思う。
ただ、ドストエフスキーの場合、登場人物の口を通してじゃなく、彼らの行動原理とか人格構造や心理の方に
「哲学」が刷り込まれているように思う。それは他の小説家にはないんじゃないかな。
たとえば夏目漱石の「行人」だったら、一郎は「哲学」を語るしその「哲学」通り生き、苦しんでいるけど、
それ以上を出てないと思う。
俺は「死にいたる病」もちゃんと勉強してるわけじゃないし、ドストエフスキーもよくわからないから、
そんなオレが言っても説得力がないだろうけど。
ドストエフスキーは思想家としては三流以下でしょ。文学者としては一流だけど。
だから彼が登場人物の口を借りて言わせる彼の「思想」「哲学」の内容自体はむしろ陳腐で、
同時代どころか前世紀の哲学者の思考精度にさえ劣る。
でも、そのくだらない陳腐な「哲学」に熱狂的に取り憑かれて狂気の淵に沈む人間の姿や心理を
迫真的に描く能力はさすがに見事。
ドストエフスキーってつくづく「感覚」の人(文学者)であって、「論理」の人(思想家)ではないなと思う。
818 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/03(金) 21:16:51
白痴・・・すごい小説だ
カラマーゾフ・・・不愉快
罪と×・・・心理学
悪霊・・・途中で読むの放棄
ドフトエフスキー読んでた高校の頃の友人、東大に行ったけど、
マジでキモかった・・・。山○○郎お前のことだよ
昔の友人をこんな場所で侮辱するおまえの方がきもい
スルーできないお前もきもい
822 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/04(土) 07:10:15
偉大な作家であろうが、その思想を受け入れようとか完全に理解しようとかする必要は無い訳で。しょーもないと思ったらスルー。心が動かされるかが重要じゃねえ?という点でトルさんのほうが私的には上なんです。
無神論者の自分としては、あそこまでドストエフスキーに無神論を無根拠に
中傷誹謗されたら黙ってはいられないな。
喧 嘩 上 等 !
たとえ相手がどんなくだらん低脳であろうとも、そいつが自分の主義信条を攻撃し
貶めてくるならば売られた喧嘩は買ってやるぜ!と思う。
↑どうやって死人と喧嘩すんの?
ドストエフスキーのたてた「命題」やら「公式」がいかに無根拠で馬鹿げたものであるか
徹底的に論証してやるんだよ。
じゃあよろしく
えっ…… ξ;゚∀゚ξ
一人でそんなことするの恥ずかしいからイヤ。
…と、時間稼ぎをしている合間に、T・G・マサリク著「ロシアとヨーロッパ III〜ロシアにおける
精神潮流の研究 」(成文社)を読了。
この中の第2章にあたるドスト論「神を巡る闘いーロシア問題の歴史哲学者としてのドストエフスキー」は、
進歩主義的民主主義者の立場からドストエフスキーの思想を批判分析的に解明を試みて興味深いものだった。
著者であるトマーシュ・ガリッグ・マサリク(1850〜1937)の経歴
19世紀後半〜20世紀前半のチェコを代表する思想家・政治家。
チェコスロヴァキア共和国初代大統領。哲人政治家。
当時ハプスブルグ家属領であったチェコに農奴の子として生まれ、苦学してウィーン大学で哲学を学び
大学で哲学の教鞭を執りながら傑出したロシアとチェコの精神史研究を発表。
第1次世界大戦中に独立運動の指導者となり300年ぶりにチェコ民族をハプスブルグ家の支配から
独立に導き初代大統領となる。当時、中欧諸国がスターリン主義が猛威をふるい始めたソ連とヒットラーが
台頭するドイツに挟まれ軒並み独裁体制に移行する中で、17年間にわたりチェコ国民を導き中欧で唯一
高度な民主主義とヒューマニズムを実現し、マルクス主義とボリシェビズムに対して鋭い批判を行った。
マサリクの死後、チェコはドイツによる支配、共産党による独裁という苦難の道を辿り、共産政権下では
民主主義者であったマサリクの思想に対してイデオロギー批判も行われたが、チェコ民衆は「暗黒の時代に
理性と英知によって自国民を導いた」この偉大な哲人政治家にたいして敬愛の念を失うことはなかった。
マサリクの伝記としては、彼の親友でもあったカレル・チャペックの手による「マサリクとの対話」がある。
マサリクはドストエフスキーの中にロシア革命とロシア問題一般の核心を見出し、「ロシアとヨーロッパ」で
その問題を論じようとしたが執筆中に第一次世界大戦が勃発、チェコスロバキア独立革命の指導者と
なったため残念ながら本著は未完となった。しかし、推敲されてないとはいえ今残されているドスト論も、
進歩主義的民主主義の立場からドストの思想に論駁するマサリクの姿勢が窺われて興味深い。
マサリクは自律的倫理観を持つ進歩的なヒューマニストであり、民主主義的な革命を肯定する立場におり、
「人間性」と「民主主義」を重んずる立場からドストの反動的神秘主義への無批判な傾倒を批判している。
マサリクのドスト批判は、翻訳者の石川達夫氏による的確な要約を引用すると、
「マサリクは(民主主義的な)革命を肯定する立場に立つが、この立場からドストエフスキーの革命観をも
批判する。マサリクによれば、ドストエフスキーにとって、無神論とニヒリズムと革命は同義語である。
しかし、革命を直接に無神論から引き出すことはできない。革命にもいろいろあり、有神論者の
革命もある。革命は神権政治に対して、国家と教会に対して反抗するのであり、革命を(宗教的に
ではなくて)歴史哲学的に捉えねばならない。また、ドストエフスキーはニヒリズムを攻撃したが、ニヒリズム
に勝利しなかった。『神がいなければすべてが許されてる』というドストエフスキーのニヒリズムの公式は
道徳を直接に神の(啓示された)意志や戒律と受け取るロシア正教の道徳観・世界観の裏返しで
ある。しかし、ヨーロッパでは宗教改革と哲学的革命によって、道徳は神にではなくて、より人間の
本性に基礎づけられるようになっており、例えばフォイエルバッハの無神論は人間の倫理の積極的な
内容を持っている。ロシアのニヒリストと革命家は、このようなフォイエルバッハに従っているのである。
ドストエフスキーは彼らに対して(正教の)キリスト教的信仰と道徳を擁護するが、しかし、実はドストエフスキー自身、
信仰することを自分に望むが、もはや信仰することはできない。ここからドストエフスキーの奇妙にねじれた
精神が生じ、『嘘をついて真実に至ろう』とする精神が生じる。結局、ドストエフスキーは正教的イエズス会主義
の教条主義者である。」
というものである。
「ドストエフスキーの公式の基本テーゼ自体が誤っている。」
このマサリクの言葉に自分も強く同意するな。
831 :
吾輩は名無しである:2006/02/15(水) 20:18:37
「神がいなければすべてが許されている。」
ドストエフスキーのこのニヒリズムの公式は、根本的に間違っていると自分もずっと思ってた!
だけどドストエフスキーのこの「深遠な」思想w が理解できないのは、それはキリスト教文化圏の住人
じゃないからだ、時代がちがうからだバカ、と本スレで言われ続けたけど、キリスト教文化圏で生まれ育ち
ドストエフスキーとほぼ同時代を生きた人間だって、やはりこの馬鹿げた「公式」とやらに激しく異議の声を
あげた人はいたんじゃないか。しかも、その論証はものすごく理に適っている。
個人的にはドストエフスキーのはねじくれた精神の本質は、マサリクの言う『嘘をついて真実に至ろう』
というより、正確には『嘘をついてでも(自分の)救済感を得よう』というものだと思うけど。
ドストエフスキーははっきり言って、真実とか真理とかはどうでもいい人だった。ただ自分の信じたいものだけを
ヒステリックかつ自己中心的に主張して自分に救いを得ようとした人だった。「全人類の救済」をお題目に掲げながら、
アジアを侵略してアジア人を奴隷にし、アジアの資源をロシアのものにすることだけが、ロシアをニヒリズムから
救い出す唯一の道である!と真面目に唱えた人だった。
このようなやり方で、ニヒリズムに勝利できるはずもないのは当たり前。
ドストエフスキーは根本的な人生への姿勢自体が誤っている。何故こんな人間が偉大な思想家、として20世紀に
もてはやされたのか本当に理解に苦しむ。
832 :
吾輩は名無しである:2006/02/16(木) 00:06:10
アジア人を奴隷にするってマジですか。
まあ俺から言わせればロシア人自体、ユダヤの奴隷だ。
あそこまで経済支配されてる国も珍しい。
834 :
吾輩は名無しである:2006/02/16(木) 11:51:06
ドスト信者ってトルストイのアンカレや戦争と平和読んだことあるの?
トルのガイジン蔑視と女の肉便器扱いはかなりひどい。
>>834 あるけど、初めっからドストと比較し粗を探すように読むから、読書の本分を忘れてる奴が多い。
それで読んだ気になって「大したことなかったな」とか言う。
トルのガイジン蔑視って何よ
お前カフカスものを読んだことないだろ
他にも安部磯雄や徳冨ろかと文通したり、日本人と老子を共露訳したりしてるんだが
無知すぎ
肉便器の方はどうよ。
アジア人に寛大な白んぼにろくな奴はいない。
たいていはただの逆差別。
女のことは何ともいえん
けどツルゲーネフみたいなまともな人でさえ農奴女を買って側妻にしてた
ひどい地主になると農奴女を奴隷市場で買ってきてハレムを作ってた奴もいたがそんなことはトルはしてない
同じorマシということで擁護する気はないが
アジア人だけじゃないぞ
ロシア帝国に抵抗してた西のポーランドにも好意的だったし
アジア人に寛大と言っても逆差別的ないやらしさはないよ
山内昌之「ラディカル・ヒストリー」に紹介されてるから読んでくれ
1904年の日露戦争勃発時に、トルストイは自分は民族によって人間に差別はつけない、と
コメントしてるよ。
「私にとって民族が何でしょう?私はそれらの間に何らの差別もつけていません。私は人間のために
立っているものです。こんな戦争から人間にとってよいことがどうして起こり得るでしょう?
困った事に、戦争はわれわれに人間的義務の完全な忘却を示しています。家族に対する、祖国に対する
人類に対する義務の上に、さらに──こういう言葉を使うことが許されるならば、──神に対する
義務があるのです。…この私が神と名づける万有なるものは、闘争に関係なきものであります。
…そして今や彼らは、思索する生物の第一の義務が殺人を止めることであるという事実を忘却して、
戦争に引き入れられているのであります!」
もちろん、トルストイだって人間だからどうしたって愛国心もあるし、実際日本との
戦局が自国に不利になったときにはかなり心穏やかではなかったらしい。
でも、トルストイはドストとは違って、以下のコメントもできるくらいの良識を持った教養人だったと思う。
「心の奥底では私は自分を愛国心から全く解放されているものとは感じないのです。隔世遺伝と教育の
結果、私は自分の意志に反してその愛国心が依然として自分の中に宿っているのを感じます。
私は理性の援けを呼び、より高い義務を思い出さなければならないのです。そしてその時、私は何ら
かの差し控えもなく、人類の利益を高く置くのです。そうです、私の意識は私に向かって言うのです。
『殺人はいかなる形式で現れようとも、いかなる理由に包まれようとも、常に厭うべきである。
戦争は奇怪な怪物の鞭である。それを準備する一切のものは非難さるべきである…』 」
845 :
吾輩は名無しである:2006/02/16(木) 23:08:12
ロシアは極端に貧しい国だからその生存への渇望、思想は日本人の感覚じゃ理解できん。
1910年代のソ連革命、帝政崩壊期は相次ぐ戦乱・飢餓で何十万人の人が餓死。
国際赤十字委員長だったノルウエー人ナンセンによると人肉が市場で出されていた。
そういう酷寒の地獄で生き抜く悲しい宿命の民族の思想、哲学は俺らには理解できんだろう。
846 :
吾輩は名無しである:2006/02/16(木) 23:13:13
基本的にロシア民族主義の典型だよ。ユダヤ人を嫌い、西洋に恋焦がれ、東洋人を蔑視。
全人類を視野に入れたトルストイとはかなり違うだろうね。
ドストには現世への悲観、やがて祖国がユダヤに呑み込まれる恐怖感がある。
「ユダヤ人は常に自分たちが被害者のように振舞うがその実彼らほど恐ろしい民族はいない」。
トルストイも富者や強者や権力者を頭ごなしに否定的に書き過ぎるという欠点があるけどね
両者とも問題はある
ドスやトルだけでなくチェーホフやツルゲーネフも読むべきだね
よーし、あたしはフォイエルバッハ読んじゃうぞ〜!!
宗教の非倫理的要素を倫理的観点から批判なんてフォイエルバッハ、実にGJ!!
>>845 ドストエフスキーは下級とはいえ貴族の家柄で、父親の死後さえ後見人から年5千ルーブルもの
仕送りを受けていた。「罪と罰」でマルファからの贈られた3千ルーブルがドーニャ一家にどれほどの
意味を持ったかを考えれば、5千ルーブルがどれ程の価値かわかるはず。
でもドストエフスキーはそれを放蕩に使い果たしたうえ後見人にもっと寄こせと要求し、断られれば
無計画に借金を重ねて首がまわらなくなるほどだった。
「酷寒の地獄で悲しく」生き抜いていたのは、ドストエフスキー家の領地の元農奴たちの方だと思う。
領地の世話をするわけでもないペテルブルグの次男坊の放蕩に使われるための金は、牛馬のごとく劣悪な
労働条件で働かされ続ける彼らが作り出したものだった。
ドストエフスキーは、二言目にはロシアの民衆が民衆がと持ち出すが、果たして彼らの置かれた状況を
若いころの空想的ヒロイズムや晩年のロシア・メシアニズムの電波のお花畑的幻想なしに考え、改善を図った事が
あっただろうか?
晩年、親族からの遺産で領地を相続しふたたび「旦那」となったドストエフスキーは、絶対的君主制の熱烈な
支持者となり立憲制度と議会制度のロシアへの導入に反対した。
ドストエフスキーは、農民は教育も受けるべきではなくむしろ彼らを子供のような「純粋」さに保ちたいと
考えていた。そして彼らのキリスト教的「自己犠牲」の精神によって「自分」を救って欲しいと考えていた。
ここまで甘ったれ切ってエゴイスティックな人間の考える「思想」、「哲学」はとても自分には理解できそうもない。
過去いろんな人がドストを論じたが、ロシア正教原理主義的な部分でドストに追従している
論者ってあんまりいないんじゃない?
エンカルタだったか、ドストの項目で
「ドストエフスキーはいろんな問題を提起した、その問題は未だ解かれていない」
と言う風に書かれていたと思う。
思考を触発する作家であって、答えを強要する作家とは受け止められていないんじゃないか。
851 :
吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 21:08:24
>答えを強要する作家とは受け止められていないんじゃないか。
ドストエフスキーは思いっきり答えを強要してるんだけど、その答えである思想(ロシア・メシアニズム)が
あまりにアホかと馬鹿かというものなので、全員がスルーしてるだけ。
>>851 スルーできるのなら、強要ではないだろ。
853 :
吾輩は名無しである:2006/02/18(土) 23:18:32
だから、ドストは思想家ではない、と何度言ったらわかるんだ。
854 :
吾輩は名無しである:2006/02/19(日) 10:50:26
じゃあ、20世紀にドストエフスキーを「偉大なる思想家」とやたら持ち上げた日本の知識人の
反応が( ´,_ゝ`)ププッだったのあり、ドストの本質は文学的DQN ┐(´-`)┌ 、彼の「思想」と
やらは電波ゆんゆんのお花畑ってことでFAだね。
ただし、ドストはたぐいまれな才能を持つ文学的DQNであった、という事は公平を期して
付け加えておく。
855 :
ツンデレ:2006/02/20(月) 18:38:24
い、いいこと、ドストエフスキー。べ、べつにあたしはあなたのこと好きだから読んで
あげてるわけじゃないのよ。ただ、ちょっと時間が余ったから、頭の悪いあなたを
可哀想と思って、読んであげてるだけだからねっ。ご、誤解しないでちょうだい。
ホ、ホント、あんたの「思想」なんて興味ないわよ、あんたってすごいバカよねっドストエフスキー。
まあ、要するにヒマなんだよな。
T・G・マサリクのトルストイとドストエフスキーの対比評。(「ロシアとヨーロッパV」より)
「(この2人の)対立は合理主義と神秘主義という標語によって要約することができる。
すなわち、トルストイは、理性的な宗教、理性によって受け入れられ根拠付けられた
宗教を欲し、ドストエフスキーは、非合理でも反合理的でもないとしても、合理性を
離れた宗教を欲する。トルストイにとって宗教の本質は道徳性にあるが、ドストエフスキーは
神と不死への信仰に執着する」
「トルストイは自分の支えをイエスに見出し、ドストエフスキーはキリストに、しかもロシアの
キリスト、ロシア教会のキリスト、ロシアの修道僧のキリストに見出した。」
「トルストイは宗教的個人主義者であり、ドストエフスキーは支えを教会と、教会と共に
国家と国民性に求める。トルストイにとっては福音書で充分であり、ドストエフスキーも
また福音書を愛するが、それでも教会の伝統の方を重んじる。それ故に、ドストエフスキーは
教条主義者になり、スコラ哲学者になる。」
858 :
吾輩は名無しである:2006/02/26(日) 10:23:59
「トルストイはドストエフスキーと同様に、宗教を生の養い主として、しかり、生そのものの
理念として捉える。それ故に、トルストイは宗教の喪失の結果としての自殺・殺人という
ドストエフスキーの基本的公式が見出される。しかしながら、ドストエフスキーが個人の殺人、
特にニヒリズム的殺人を強調するのに対して、トルストイは戦争での大量殺人を否定する。
後者の殺人を、ドストエフスキーは、無理にひねり出した論拠によって、トルストイから
擁護しようと試みる。」
「しかしながら、トルストイとドストエフスキーの宗教の間の基本的な相違は、両者が道徳を
どのように見ているか、という点に求めなければならない。すなわち、トルストイはどんな
ことがあっても真実を追求し、ドストエフスキーは嘘を通して真実に到ることを期待する。
トルストイは道徳説教者であり、ドストエフスキーは道学者よりもむしろ常に教会政治家で
あり、教条主義者でスコラ学者である。」
859 :
まちくたびれてサンスイ:2006/02/26(日) 22:56:05
切実な質問なんですが、みなさんこの世こそ地獄
だと思いませんか?
一刻も早く氏んでしまいたいです。
この世は天国だよ。好きな娘とセックスできるから。君も生きてればセックスできるお!
最近、勃たなくなったんですが・・・・
現代の医学では治療不可能の難病で、自分の余命がもうまもない事を知ってる14歳の女の子が
こう言ってた。
「人生は不平や愚痴をこぼすほど、悪いものじゃないわ」って。
毎日の激痛との闘いのなかで。
>>861 喫煙者なら禁煙するとびっくりするぐらい勃起するよ
ここは個人のお悩み事相談スレなのか?
>>859-863 Myニュース板にでも逝きな。板違い。
866 :
吾輩は名無しである:2006/02/28(火) 11:33:56
>===ー―-- 、
///; ;;'´  ̄ ヽ\
r'///`ー ' ヾヽ
|// 三ハ
彳|: : : : : : : : : : : : ミミヘ
彡|: : : : : : : : : : : ミミミ∧ こ、これだからロシア正教を信じない
川 , . . . . : : : : _,、 ト、ミミ分.、 無神論者の黄色人種どもは恐ろしい…
|州 ;=ニ=t::: ‘‘=tf==`, 乂 !ミミミミ
!ミミ< ● ヌ::}:: `ハ´●`>= 川ミミミ 「神が存在しないならスレ違いも許される」
斗!::::::::::::::イ! :ヾ´ ,〃 ワ ノ と、ばかりやりたい放題……
ハ:::::::::::::〃 ヽ. \ /i, ∂ノ
乂ト、;;;;;;込_-'_う ' \ ,/分イ これこそが神を喪った人間が陥る
彡公=彳州川ミト、ヽ\,. 彳!乂 ト、 魂の暗黒の深淵なのだ…
从彡彡 ==== ミミ爪州州|川从
乂仁彡 '川' ミ州州ミ从从川ト、
彡,.ィ彡彡州川ミ公州州 | |人乂ト、
_-=≦三彡'彡州州州川州 | | | !i!V 从∵j ≧-
∵∵∵∵行彡公州州川川 州| | 乂| 从∵=ヽ ∵
∵∵∵∵∵州〃个州州川 州! |从从`ヾ ∵∵ | ∵
∵∵∵∵∵j!彳公州州州川 ! !ヾミY`∵∵∵∵| ∵
∵∵∵∵从川彳川爻州州必入乂Vミ` ∵∵∵| ∵
∵∵∵∵州从从州从乂心从从乂介从∵∵∵! ∵
>===ー―-- 、
///; ;;'´  ̄ ヽ\
r'///`ー ' ヾヽ
|// 三ハ こ、これは彼らの「永遠の魂の救い」のためにも
彳|: : : : : : : : : : : : ミミヘ 一刻も早くアジアを侵略して、真の人類の救い
彡|: : : : : : : : : : : ミミミ∧ であるロシア正教に改宗させねば!!
川 , . . . . : : : : _,、 ト、ミミ分.、 全世界を統治する単一の教会を出現させるのだ
|州 ;=ニ=t::: ‘‘=tf==`, 乂 !ミミミミ
!ミミ< ● ヌ::}:: `ハ´●`>= 川ミミミ そして、われら「文明普及者」であるロシア人は、
斗!::::::::::::::イ! :ヾ´ ,〃 ワ ノ アジア人の魂に永遠の救いを贈り物として与えて
ハ:::::::::::::〃 ヽ. \ /i, ∂ノ やるのだから、彼らの土地、資源、不凍港を頂く!!
乂ト、;;;;;;込_-'_う ' \ ,/分イ
彡公=彳州川ミト、ヽ\,. 彳!乂 ト、 戦争こそがニヒリズムを打破する唯一の道!
从彡彡 トェェェェェイ ミミ爪州州|川从 戦争万歳!!
乂仁彡 ミ州州ミ从从川ト、 ロシア正教を信ずるロシアの民は無謬ナリ!!
彡,.ィ彡彡州川ミ公州州 | |人乂ト、 ウラーーーーーーーーーーーー!!!
_-=≦三彡'彡州州州川州 | | | !i!V 从∵j ≧-
∵∵∵∵行彡公州州川川 州| | 乂| 从∵=ヽ ∵
∵∵∵∵∵州〃个州州川 州! |从从`ヾ ∵∵ | ∵
∵∵∵∵∵j!彳公州州州川 ! !ヾミY`∵∵∵∵| ∵
∵∵∵∵从川彳川爻州州必入乂Vミ` ∵∵∵| ∵
∵∵∵∵州从从州从乂心从从乂介从∵∵∵! ∵
ドストエフスキーって無駄にテンション高いよね。
無駄じゃない!
ドストのテンションの高さは無駄じゃない!
870 :
吾輩は名無しである:2006/02/28(火) 23:57:05
ギャンブル狂いらしいな
ドキュンだったのか?
自分の欲望や衝動性を制御できない、というより制御なんかしたくない人間だったらしいね。
彼は無謀な賭け事、莫大な借金、刹那的で危険な恋愛ゲーム、闘争的な人間関係、戦争時の
非日常的な高揚感、そういうもの無しには自分の「生の実感」を得られない、異常な興奮状態の
中でしか自分の生の意味を見出せない人間だった。
よく20世紀には、ドストエフスキーは過酷な人生に耐え抜いた真摯な受難の人、と位置づけ
られてきたけど、彼の人生上の「苦難」は殆どは彼自身が熱望して得たものばかり。
もしその「不幸」が得られなければ、彼はもっと自分を不幸に感じたんじゃないかな。
神なんかいないとか神をやたら憎んだり否定したりする人に似てるねアンチドストの人は。
そういう人に限ってだれより神を心の奥で信じてるんだよね。
あとは語らないぜw
: : : : : .,: : ,-,.,: lヽ: l /i
: : : : :l゙゙l: :l ゙、l ヽ} / ./ l
: : : : :| l:l '! ″ _/ / , レ′
: : : : :l ll ,/` l ,//il
: : : : :゙l ll ,,-‐'゛ v/》ノ l ……
>>872の比喩は実に不適切ね。
: : : : : |、 ll,-'ニ-─- ゙<、 l
: : : : : :゙l ̄ ll ___ \ l もうちょっと勉強してらっしゃい、坊や。
: : : : : : │ ll _',.--_ \、
: : : : : : : :l-=工゙゙》_ 〃 ,.i
: : : : : : : 、:l、 ll, /l
: : : : : : : :゙l:ヽ ゙ll、 . |
: : : : : : : : ゙l,:ヽ ll、 _,,=-/ |
: : : : : :ll.:ヽ li、 ∠- ′ l
: : : : :.l l:ヽ ヽ. |
: : : : : : :゙l ヽ:\ \ _,.l
: : : : : : : `、\:\ ヽ、 _, . - "
: : : : : : : : : : : : ヽ \:`、 "l\
: : : : : : : : : : : : : ヽ \:\.l \
874 :
吾輩は名無しである:2006/03/06(月) 18:19:06
>>872 成程。先日、はじめて「罪と罰」読んだが、意外にさわやかなラストで
へぇー、と思ったよ。ソーニャが囚人の人気者になるところがワロス
あと、長いよな もちょっとコンパクトにまとめろよw
875 :
874:2006/03/06(月) 18:20:15
>>874 うん、人2人殺しておいてあんなさわやかな終わり方ってないと思うw
なんか、昨日からの本スレの展開にビクーリ。
878 :
吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 23:58:32
書き込みしてみたら、このスレ今の時点で容量が393KBあった。
1000レスいくまで容量的に持つのかな?
こういうこと全然詳しくないからわかんないなー、困った。
まったく世間のやつらって根拠もなく他人について悪意ある憶測するのが
好きだよな!ゾシマが死んだ後、ラキーチンの誘いにのって思わず「ソーセージ」
食べに行く気になってしまったアリョーシャの気持ちが、最近ちょっと判ったよ!
…というわけで、ロシア風ソーセージの作り方などUP。
材料
豚肉…500g 豚の脂身の燻製…20g 塩・黒胡椒…適量 にんにく…1かけ
冷水…大さじ2,3杯 ソーセージ用豚腸…50cm〜1m
作り方
1.豚肉と豚の脂身を包丁で細かく刻む。
2.みじん切りにしたにんにくと塩・胡椒を加えよく練る。その際、みずみずしくなるよう
大さじ2,3杯の冷水を加える。
3.ソーセージ用の口金をはめた搾り出し袋に肉を詰め、先端を縛った豚腸に絞り出
していく。
4.全部詰めたら真ん中でひねり、端を縛る。
5.肉汁やドライワインをかけながら、フライパンで両面をきれいに色づくまで焼く。
付け合せはプーシキン風のじゃがいも、キャベツと塩付けきのこの蒸し煮、野菜、
オリーブなどを添えるそう。
昔は全部、手作りだから大変だよなー。
細かくつっこむとソーセージはラキーチンが持ってただけでしゅ
グルーシェンカに会いに行ったんでしゅ
881 :
吾輩は名無しである:2006/03/14(火) 18:00:48
じゃあ、金策のためにスホーイ・パショーロクの森番の家まで行って一晩セッター
ことゴルストキンの看病をして一酸化中毒事故で死にかけたあげくサムソーノフに
いっぱい食わされたことに気付いてがっくり意気消沈したドミートリーが帰りがけの
馬車駅ヴォローヴィヤで目玉焼きとパンとウオトカ3杯と共に食して気力を取り戻した
といういわくつきの「ソーセージ」のレシピ、ということでもいいよ。
>>880
ラスコが出獄して10年後…
ラスコとソーニャはそのままシベリアの監獄の町の近辺に住み着きつつましく
暮らしていた。二人の間にはかわいい女の子が生まれラスコは若いころの
苦悩が嘘のように平穏な安らぎに包まれていた。
ところが悲劇は突然起こった。「非凡人には全てが許されている」との若きラスコ
そのままの思想を持った元医学生の青年によって、「人間が破壊される様を
観察したい」との理由でラスコの一人娘(8歳)が撲殺されたのである。
彼は供述でこう述べた。「元徒刑囚と元売春婦の間の子など虱も同然。医学の
進歩のためには多少の犠牲も止むを得ない。」
883 :
続き:2006/03/18(土) 11:29:23
この言葉を聞き、怒り悲しむラスコ。しかしさらに彼にとって衝撃的だったのは、
子供を無惨に殺された母親であるソーニャが、この言葉を聞いても、その青年
(かなりの美青年)に母としての憎しみも怒りも表さないばかりか、青年に
「貴方はご自分に対してなんていうことをなさったんです!」と涙を流して同情、
いそいそと聖書をよんでやったり、肉饅頭を差し入れに行ったりする姿であった。
彼女は犯人に対して常に敬語で話しかけ、おどおどとしたへりくだった態度である。
しかし、聖書を読むときは彼女の眼は輝き、頬は紅潮して、水を得た魚のよう。
彼女が犯人に、自分の娘の命を無惨に奪われたことへの個人的な悲しみを
訴えることは決してなかった。
884 :
続き:2006/03/18(土) 11:30:59
「ソーニャ、君は…君は人間じゃない…」
「ソーニャ、…君のやってることはもしかしたらキリスト教的へりくだりに満ちた、
ものすごく立派なことかもしれない…でも君には人間として大事な“何か”が
欠けている!!君の“愛”は人間の持つべき“愛”じゃない…」
かけがえのない愛娘を喪った悲しみと嘆きの混乱のなかで、ようやく一人の人間が
殺されるということがどういうことかなのか思い知るラスコ。
そしてこの十年間、ソーニャの“愛”によって贖罪したつもりになっていた、自分が
殺した金貸し老婆アリョーナとその妹リザヴェータの喪われた命の償いは
まったく果たされていないことに初めて思い至り心の底から震撼とするラスコであった。
>>885 ありがと。本スレに書いたのをちょっと改変してみた。
887 :
吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 15:46:57
. | ∧∧
. |(*゚ー゚) ^,
. |∪ ∪ ,: スレが落ち続ける…
. |∀ ` ミ こんな時は踊るもさ♪
. | ⊂ :,
. | ミ
. | 彡
. | ,:'
. |''~''''∪
l^丶
あ もさもさ | '゙''"'''゙ y-―,
ミ ´ ∀ ` ,:' ∩∧ ∧
(丶 (丶 ミ ヽ(゚ー゚*)
(( ミ ;': ヽ とヽ
;: ミ O-、 )〜 ♪
`:; ,:' U
U"゙'''~"^'丶)
/^l
,―-y'"'~"゙´ | もさもさ
ヽ ´ ∀ ` ゙': ∧ ∧∩
ミ .,/) 、/) (*゚ー゚)'ノ
゙, "' ´''ミ ノつ /
(( ミ ;:'. 〜( ,-O ♪
'; 彡 U
(/~"゙''´~"U
888 :
吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 18:55:41
ナボコフはドストエフスキーを二流扱いしております
まあ、ごみ扱いされているゴーリキーよりゃましだろう、とは思いますが
個人的には『罪と罰』は上質のサスペンス物として読めるけど、他は合わんな。
ナボコフのは、近親憎悪みたいなものだから
890 :
吾輩は名無しである:2006/03/31(金) 21:17:03
いやまあ、関係ないけど、チェーホフの短編ってなかなかいいよ
891 :
吾輩は名無しである:2006/03/31(金) 21:38:30
どの短編が好きですか?
892 :
吾輩は名無しである:2006/03/31(金) 23:10:33
890じゃないけど、チェーホフの「誘惑」って短編が好き。
おいしそうなロシア料理がいっぱい出てくる。
893 :
吾輩は名無しである:2006/03/32(土) 10:21:16
読んでません・・・。
「中二階のある家」「往診中の出来事」などが好きです。
( 「理性には恥辱と映るものも、心には全くの美と映る」 )
( )
( こんなことが、本当に有り得るのだろうか… )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〇
o
∩
/⌒ヽ
| | ll´|
/ - (ヽ/ ⌒ ヽ || .|
( |  ̄)└' |
/ ̄| | ̄ ̄ `´ ̄ ̄ ̄ヽ
/__| |________ヽ ,-^ ' -, _, -- 、,,
/ ∪ ヽ >`^ ' ';., ; '' '
/___________ヽ
/ ヽ
/____________ヽ
| |
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
895 :
吾輩は名無しである:2006/04/10(月) 23:11:35
>>894 「この謎を解けってのは、身体を濡らさずに水から上がれというのと同じだよ。」
って言ってましたよね・・。
┌────────────────────────────┐
│ヽ、 ll ヽ彡 / この謎は ヽ、 |
│ l ``ー、 | 身体を濡らさずに l |
│ : | | l ヽ ,/, | 水から上がれと | |
│ . l l l └''´ l いうのと同じだよ! ノ.__|
│ .・ノ l| , ノ'⌒´'' ゝ ノ::::::::::::::|
│゚.:/V'' ン '' '/  ̄`ヽ `ー-------┐┌┬── ´::::::::::::::::::::|
│ノ ) )ミ __ / / |:::::::::::::::::::::::::::::::::::|
│ ノ,-'、- γ´  ̄ `く´ /´~ヽ'´,, ) -' -' l:::::::::::::::::::::::::::::::::::|
│ __ \ l `、 / ,'´ヽ'、_ ,-┘:::::::::::::::::::::::::::::::::|
│/ ・`ヽ`l | C ´ _) l C-' ' ,' ',ニ、::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::|
│ : : ノ_ノ⌒ ゝ ノ ( ) (´` `´⌒ ー -、_,--、_.|
│ ノ ト--イ´ ー '、┌--' .. .. .; ::. |
│ '⌒v'⌒)-、 /  ̄ | --'--`ー─--、 : .. ; ::. : .. . . _.___|
│⊃、 ,-ー、=') /l-l/l/l/l `)-、 (_ンl l ll┴┴ ' _-─── ' _._ |
|゚-、`ヽ'く´ l Lノ | --- ├====| . .. . . __,⊃ ) |
└────────────────────────────┘
┌────────────────────────────┐
│ /答えは簡単! ヽ |
│ / 最初から水に入らなければl |
| | 濡れたりはしないのさ… | |
│ ヽ、_ _ _/ |
│  ̄ ̄ ` ─(_)──´ |
│ (_) _ _ |
│ 、 ─-'´  ̄ `ヽ / (,_,, `ヽ r-、_,-、-、、 |
│ ,-─-ニニ-、 ) / ., . l /_L,_,、__,_ l`l |
│ / l ) `─-、_ノ (| ( l) / .c. 'l) |
│ C( γ....:::l 、 __ ノ (l _) |
│ \ /::::::::::| ヽ、 ___ノ ゝ - _ノ |
│ `ヽ ̄`ヽ 入:::::::ノ d、,b `〕-〔 |
│ 7___ /  ̄ / l /ニニニヽ |
│ ̄` -=- / , λ ─-、 /」Λ/V| /lニニニニ l |
|,-、 : ( l レ| ー、_ ノ‐----イ レニニニニイ |
│ ̄= ' (\> `-'' ー') , ─、 ` ̄ ̄ ̄ ̄ ̄``ー--'´  ̄ ̄`-、 |
│ __ \ | ̄ / /  ̄ -ニ= - - _ ==- _ `ヽ |
└────────────────────────────┘
898 :
吾輩は名無しである:2006/04/12(水) 00:39:01
>>897 「なるほど!でも不思議だな・・・。
そうすると、どうやって水から上がれば良いのかな??」
>>898 人間には不可知な領域の事柄について性急に
答えを得ようとする問いかけ自体が、パラドックスを
生み出しているんだよ…。
人間は謎は謎としてそのまま生きるしかない。
○
。
◎◎
( . ” ) 。)
 ̄ ) ( ξ
.(.U)
⊂ ..⊥ヽ
900 :
吾輩は名無しである:2006/04/12(水) 12:50:33
901 :
吾輩は名無しである:2006/04/12(水) 17:02:13
ドストエフスキーの事は全然知らない
他の小説も別に読まない
でもカラマーゾフの兄弟は面白かったよ。
駄目ですか?
(
>>901 いいんじゃない…ついでにドストの他の作品も読みなよ。)
( 応援してピアノ弾いてあげる。曲のタイトルは「普仏戦争」。 )
( 「悪霊」でリャムシンが弾いてたやつ。「悪霊」さいこー。 )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〇
o
______
\| (___
♪ |\ `ヽ、 ♪
| \ \
⌒ ..| \ 〉 ♪
. (●) ” .)○ \ /
‖. ) つ| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ ♪
‖..( 匚______ζ--ー―ーrー´
〓〓UU ‖ || .||
‖ ‖. ‖) ‖ .||
( ピアノ曲「普仏戦争」は、勇壮な“ラ・マルセイエーズ”の )
( 旋律によって始まる…。 )
( 誇らしげな挑戦、来るべき勝利への陶酔の響き…。 )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〇
o
______ 彡♪
\| (___
彡♪ |\ `ヽ、 Allons, enfants de la Patrie, 彡♪
| \ \ (さあ、祖国の子供たちよ、
⌒ ..| \ 〉 Le jour de gloire est arrive. 彡♪
. (●)^ ^.)つ \ / 栄光の日がやってきた)
‖. ) つ| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ
‖..( 匚______ζ--ー―ーrー´ 彡♪
〓〓UU ‖ || .||
‖ ‖. ‖) ‖ .||
( しかし、その崇高なフランス国歌の旋律に紛れて )
( なぜかドイツの卑俗な俗謡“愛しのアウグスチン”の )
( 旋律が響き始める… )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〇
o
______
\| (___ 〜♪
〜♪ |\ `ヽ、 O, du lieber Augustin〜♪
ニヤリ | \ \ (おお、愛しのアウグスティン、)
_,,_ ..| \ 〉 〜♪ Augustin, Augustin〜〜♪
. (●)” ー)○ \ / (アウグスティン、アウグスティン)
‖. ) つ| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ 〜〜♪
‖..( 匚______ζ--ー―ーrー´ 〜〜〜♪
〓〓UU ‖ || .|| 〜〜〜♪
‖ ‖. ‖) ‖ .||
( “ラ・マルセイエーズ”は、自分に食い込んでくる厚かましい )
( “アウグスチン”を 必死に振り放そうと懸命にあがく…! )
( 憤慨の叫び…!涙ながらの神への哀願…! )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〇
o
☆ ______
彡 \| (___ ☆!
|\ `ヽ、 ♪ Aux armes, citoyens,彡
!!! | \ \ 彡 (武器を取れ、市民たちよ、)
⌒ ..| \ 〉 Formez vos bataillons! ♪!
. (●);≧.)つ \ / 彡 (そして軍を組織せよ!) ☆!
‖. ) つ| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ Formez vos bataillons! ♪彡
‖..( 匚______ζ--ー―ーrー´ 彡 (そして軍を組織せよ!)
〓〓UU ‖ || .||
‖ ‖. ‖) ‖ .||
( しかし“アウグスチン”はますます調子に乗って、みだらな )
( までに楽しげに安っぽいワルツの旋律をがなりたてる。 )
( もはや“ラ・マルセイエーズ”は抗する力がない… )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〇
o
______
\| (___
〜〜♪ |\ `ヽ、 O, du lieber Augustin,〜〜♪
| \ \ (おお、愛しのアウグスティン♪)
_,,_ ..| \ 〉 Augustin, Augustin,〜〜♪
. (●)” ー)○ \ / (アウグスティン、アウグスティン)♪
‖. ) つ| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ O, du lieber Augustin,〜〜♪
‖..( 匚______ζ--ー―ーrー´ (おお、愛しのアウグスティン♪)
〓〓UU ‖ || .|| Alles ist hin! www♪
‖ ‖. ‖) ‖ .|| (すべては去ったwww!)
( あわれ、ついに“ラ・マルセイエーズ”は鉄面皮の“アウグスチン”の )
( 軍門に降る。これはビスマルクの胸にすがり、何もかも差し出した )
( 仏外相ファーブルの姿の音楽的風刺である…。 )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〇
o
______
\| (___
♪ |\ `ヽ、 ♪…;;
シクシク… | \ \
⌒ ..| \ 〉 O, du lieber Augustin,…;♪
. (●) ;; 。)つ \ / (おお、愛しのアウグスティン…)
‖. ) つ| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ Alles ist hin…;♪
‖..( 匚______ζ--ー―ーrー´ (すべては去った…!)
〓〓UU ‖ || .||
‖ ‖. ‖) ‖ .||
( もうこうなったら、“アウグスチン”はますます凶暴性を発揮し、 )
( 物狂おしいまでにわめき立てる。「普仏戦争」の最終楽章は )
( 幾十億の賠償金、シャンパン、底なしのビールの饗宴で幕を閉じる…)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〇
o
______ 〜〜www♪ www ♪
\| (___ wwww♪
〜www♪ |\ `ヽ、 Geld ist hin, Madl ist hin, wwww♪
| \ \ (お金は消え、恋人は消えwww♪)
_,,_ ..| \ 〉 〜〜〜♪ Alles ist hin, Augustin! wwww♪
. (●)” ヮ)○ \ / (何もない、アウグスティンwww♪)
‖. ) つ| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ O, du lieber Augustin,〜〜〜〜〜♪
‖..( 匚______ζ--ー―ーrー´ (おお、愛しのアウグスティンwwww♪)
〓〓UU ‖ || .|| Alles ist hin!♪www
‖ ‖. ‖) ‖ .|| (すべては去ったwww!)
( 「普仏戦争」ってこういう曲なんだよ、わかった
>>901? )
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〇
o
______
\| (___
|\ `ヽ、
| \ \
⌒ ..| \ 〉
. (●) ” .) \ /
‖. ) つ| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄! ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ノ
‖..( 匚______ζ--ー―ーrー´
〓〓UU ‖ || .||
‖ ‖. ‖) ‖ .||
910 :
吾輩は名無しである:2006/04/14(金) 23:36:04
911 :
吾輩は名無しである:2006/04/15(土) 00:34:41
ピアノを弾いている表情の変化が面白いです(笑)
すごいピアノの技術の持ち主って本当にそういう芸当ができるんですよね。
「愛しのアウグスチン」って、ヘッセの「車輪の下」でも主人公が死の間際に口ずさんでいるんですよね。
きっとポピュラーな曲なんだろうと思います。
912 :
吾輩は名無しである:2006/04/15(土) 10:47:21
「愛しのアウグスチン」はアンデルセンの「豚飼い王子」にもでてくる。
その中でも、やはり安っぽい歌の代表みたいな扱いだった。
で、どんな曲かと思っていたら、よく知ってる曲で、びっくり。
日本語の歌詞もあったような気がするんだけど、なぜか思い出せない〜(><)
なんか、CMで聞いた事ある気がする>「愛しのアウグスチン」
決して私は忘れない、私の人生を七重に閂をかけた長い一夜に
変えてしまった、収容所でのこの最初の夜のことを。
決して私は忘れない、あの煙のことを。
決して私は忘れない、子供たちの身体が押し黙った蒼穹のもとで、
渦巻きに転形して立ち上って行くのを見た事を、そしてその中の子供たちの
幾つかの小さな顔のことを。
決して私は忘れない、私の<信仰>を永久に焼き尽くしてしまった、
この夜の炎のことを。
決して私は忘れない、生きていこうという欲求を永久に私から奪ってしまった
この夜の静けさを。
決して私は忘れない、私の神と私の魂を殺害したこれらの瞬間のことを、
また砂漠の相貌を帯びた夜毎の私の夢のことを。
決して私は忘れない、たとえ私が神自身と同じく永遠に生き長らえるべき刑に
処せられようとも、決して。
(エリ・ヴィーゼル「夜」)
915 :
吾輩は名無しである:2006/04/25(火) 03:52:39
age
どっちも微妙
トルストイが馬乳酒療法を愛好していたという話を知ってから、馬乳酒って
どんな味なんだろうと興味津々だったんだけど、ようやく作り方がわかったので
トライしてみた。ただし、さすがに馬乳は手に入らないので牛乳酒。
ヨーグルトサワー・テイストでけっこう、美味しかったな。
ttp://www.nakagaki.co.jp/2_7.html
馬のおっぱいってどうなん?
母馬買って搾ってみたら?
ショーロフの短編で、革命の戦闘真っ最中に自分の飼っている雌馬が仔馬生んじゃって
困惑する男の話があったのを思い出した。切ない話だったな、あれ…。
結局のところ、ドストエフスキーなんてわざわざアンチ張るだけの価値もない
作家だということだよね、うん。
921 :
吾輩は名無しである:2006/05/28(日) 01:02:04
○ドストの小説に出てくる植物名リスト〜その1
「貧しき人々」
バルサム鉢、ゼラニウム鉢、バラ、麦、白楊(はこやなぎ)、葦、芥子、えんどう豆
ワルワーラはゼラニウムを「こんな高価なものを!」と言っているけど、もともと
熱帯の花だから、ロシアでは貴重だったんだろうな。
前からバルサムって何だと思っていたら、実は鳳仙花の英名だったとは…。
「初恋(小英雄)」
松、楡、常春藤(きづた)、野生のジャスミン、野茨、矢車草、裸麦、忘れな草、
釣鐘草、野生のカーネーション、黄睡蓮、カエデ、三色菫
この短編はドストにしては珍しく自然についての描写がふんだんに出てくる。
ワイルドフラワーの花束っていうのもいいな。
922 :
吾輩は名無しである:2006/06/19(月) 23:31:37
ぶっちゃけ
『貧しき人々』が最高傑作だと思う。
923 :
吾輩は名無しである:2006/06/19(月) 23:37:23
ドストの小説で、本人にはどうしようもない社会的・外部的な要因で不幸になった人って
結構少数派じゃない?「カラマ」のスネギリョフ親子とか「貧しき人々」のゴルシコーフとか
「未成年」のオーリャなんかは本人には何の咎もなく苦しんだ人たちだけれど、他の
大抵の主人公たちは、自分で自分の苦しみを作り出している「性格悲劇」でしょ。
哀れっぽく身の上話をしている「罪×」のマルメラードフだって、そりゃ社会的階級が低く
身分上理不尽な目に耐えていかなければならないという時代的な不幸はあるけど、
だけどだからといって、せっかく得た仕事をばっくれて酒浸りになっていい理由になんか
ならない。だってその酒買うのにソーニャが身を売ってるんじゃない。
ソーニャのような女性が身を売るなんて、死ぬより辛い思いしてるのは知っているのに
自分の愛する娘が死ぬ思いで売春してる事より、さらに不幸で仕事に就いてるのが耐えられない
事情なんてこの世にあるの?マルメラードフの口にする「愛」って口先ばっかりじゃん。
さらに頭にくるのは、「みずからそれに価することはない」とか口ではいっちゃってるけどさ、
じつは結局はキリストの慈悲によって自分が救われることまで夢想しちゃってるんじゃない。
マルメラードフって不幸な人間の代表のようによく引き合いにだされるけど、同情の余地
なしだと思う。とても本当に娘を愛してるとは思えない。あたし嫌いこの人。
↑こいつは世間が狭い。俺の彼女は俺のためにソープで働いている。
俺たち二人に愛がないとでも?
俺は俺の不甲斐なさを認めるが、愛がないわけない。もう8年もそういう状態だからな。
924 :
吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 05:18:48
女に身体売らせるなんて男としてというかもう人間として終わってるね。
ドストエフスキーとか普通にクソだろ。
ドスト信者って、詩に疎そうだよね。
926 :
吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 07:04:38
詩に疎いどころか、要するにドストエフスキー以外はほとんど読んでないよ。
まあ読んでると言ってもロシア文学の大御所に目を通してるくらいだな。
つまりトルストイとチェーホフくらい。
春樹ファンが多いというのも痛いだろ。
あいつが名を挙げるからそこからドストエフスキーに入ったという冗談を言う。
927 :
吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 07:07:57
信じられないんだが、キリスト教にも疎い。
福音書の有名な逸話とか、旧約創世記の最初の方とか、
啓蒙本にあるような事項とか、そんな小学生以下程度の知識しかない。
928 :
吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 07:13:22
そうかといって、社会科学や自然科学に強いかというとまたこれが悲惨。
特に数学、物理、化学、生物の話なんか、まるで出来やしない。
ヒドイのになると微積もわからない奴いるし、
「アボガドロ数って何?」とかマジで言う奴もいる。
コワイだろ?
929 :
吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 07:54:01
アボガドの数のことかな?>>アボガドロ数
あのなあ、ここはドストエフスキーについて語るスレであって、ドスト信者を貶す
スレじゃねーんだYO!
どしてもってんなら、「ドスト信者について語るスレ」でも立てやがれ!
まったく、もう…。
931 :
アリョー車:2006/06/20(火) 08:37:22
何か質問があれば御受けします
オナニーすんの?
933 :
アリョー車:2006/06/20(火) 09:58:08
誰でもしますよ。いけませんか?
934 :
アリョー社:2006/06/20(火) 10:03:53
当然の権利ですよ。
935 :
吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 12:23:24
>>924 価値観が古すぎるよ
それこそあんた、19世紀の凡人並み
936 :
吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 12:39:35
アンチの人はどんな好みなんだろう。
お勧め教えて
937 :
吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 13:06:50
アンチスレがたつほど人気なんだな
そりゃ古典文学じゃ日本で一番人気じゃないか
940 :
吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 15:36:29
「苦悩は偉大です。苦悩には思想があります」(『罪と罰』、ポルフィーリイ)
「僕はまず、理論よりも先に人生を愛すべきだと思うんです。
絶対に理論より先でなけりゃ。」(『カラマ−ゾフの兄弟』、アリョーシャ)
この2つの箴言は、本当に核心を突いた素晴らしい言葉だと思う。
でも、2作品とも、この2つの箴言以外の部分は、ただのゴミ屑。紙の無駄。
941 :
吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 16:02:45
942 :
アリョー車:2006/06/20(火) 16:10:28
ご存知のとおり嘘つきなんですが、何か?
アンチ、アンチっていってる奴は自分の方が劣位だって認めているに変わりない。
944 :
吾輩は名無しである:2006/06/20(火) 19:58:08
946 :
吾輩は名無しである:2006/06/26(月) 16:05:38
ドストの作品は罪と罰だけしか読んでないんだけど、世界文学史上最高の
作家だと思うよドストは。俺を失笑させるということにおいてはね。
947 :
吾輩は名無しである:2006/06/26(月) 16:07:31
948 :
吾輩は名無しである:2006/07/16(日) 23:45:33
○ドストの小説に出てくる植物名リスト〜その2
「カラマーゾフの兄弟」
キャベツ、バラ、山ごぼう、松、リンゴ、楓、菩提樹、白樺、エゾイチゴ(ワイルドストロベリー)
すぐり、黒すぐり、ニワトコ、スイカズラ、ライラック、キイチゴ、豌豆、きのこ、楡、
月桂樹とレモン(大審問官にて)、葱、胡桃、サルビヤ、オオバコ
フョードルの部屋の窓辺にはニワトコとスイカズラの茂みがあって、今まさに父親を
殺害せんとその茂みに潜むドミートリーが、「スイカズラの実、なんてきれいな赤!」
と無意識のうちに観察してるのが面白い。
スメルジャコフの恋人?のマリヤ・コンドラーチエヴナの家の、菩提樹やライラックが
生い茂る荒れ果てた庭の風情も素敵。
949 :
吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 17:13:21
トルストイが大人の文学ということがよく分からない
950 :
吾輩は名無しである:2006/07/20(木) 21:41:32
とはいえ、中高生くらいでトルストイを楽しむ奴はかなり少ない気がする。そのくらいの年齢なら
ドストに嵌ってそう。
951 :
ペンギン ◆od0qY8Ss/. :2006/07/20(木) 21:56:01
つか中高生で文学っていう、文学のセオリーみたいなのが信じられん。
たとえ頭が良くてもただ読み通せることが出来るってだけだろ?
俺は20過ぎてうつ病になって世界がガラリと変わって
さらに言葉の自由さの概念を得てやっと文学というものを読めるようになった。
>>951(魚介系哺乳類)
ダイスケに負けて逃げた奴が何言ってんだよwwwww
消えろ
>>952 ハゲドウw ペンギン=確信犯盗作で逮捕寸前のラノベ婆佐藤亜紀 は
板荒らしが酷すぎるから、
ババアが立てて自演していた別スレで文学板住民からメッタ斬りされて氏んだ。
それがよほど
44歳のおばさんとしては悔しかったんだろうなw 毛前一時から現在まで
ず〜〜〜〜〜〜〜〜っと板に粘着して
狂気のアラシをやっていたようだ。このスレもその一つと思われw
救いがたいヒマ人ばばあw 44歳…てヒステリーなのか?
また糞スレ立てて自演してやがるぞw
>>951-953 こちらはあくまでドストエフスキーについての話題を語るスレ。
スレ違いの内輪揉め話は他でお願いします。
>>949 このスレ立てた
>>1が一所懸命考えた末の煽り文句なのではないかと。
2行目までは結構、核心ついてるかな。
>>1 まだ見てる──?
スレ立てした時、まさかこのスレが950超えるとは思わなかったよね──?
君、けっこう面白いものたててくれたよ。ありがとう。
955 :
吾輩は名無しである:2006/07/21(金) 13:23:35
んなこたーない
じゃあ次スレでも立てるかな。
957 :
吾輩は名無しである:2006/07/24(月) 14:29:21
よく読んだ?
噛んじゃ駄目だ噛んじゃ駄目だ噛んじゃ駄目だっ!
959 :
吾輩は名無しである:2006/07/25(火) 17:12:49
>>956 次スレねえ…。どうしようか?
もう、ドストエフスキーなんてアンチ張るだけの価値もない作家かもよ?
アンチのアンチにすれば?
なんだったら、ツンデレスレとか
962 :
吾輩は名無しである:2006/07/27(木) 00:35:10
ξ゚听)ξ <ドストエフスキーなんて作家、アンチスレ立てるだけの価値もないわよ。
ξ*゚听)ξ <ま、まあ、あればあったで利用してあげないこともないけどっ。
今、カラマーゾフの兄弟、読んでるんだけど、なんつうか完全にいっちゃって
ますよね。冒頭はなんだか絵本みたいな展開ですよね。
964 :
吾輩は名無しである:2006/07/27(木) 20:59:40
>>963 >絵本みたいな展開
嫌いな人はそれが嫌い。好きな人はそれが好きなんだよ。
俺はアンチだけど。
965 :
吾輩は名無しである:2006/07/27(木) 21:03:10
夏休みは忙しい!! 時間が足りない・・ORZ
本を読む時間もないなんて幸福なことだ
967 :
吾輩は名無しである:2006/07/30(日) 01:19:43
968 :
ナースチェンカ:2006/07/31(月) 19:08:03
本を読む時間もないなんて幸福なことだ 、なんて書き込みをしてる人もいるけど
ちょいと聞いてくれる?あたしはイケメンが貸してくれるウォルター・スコットだったら
好きだけどさ。
このあいだ、運河に「白夜」眺めに行ったんです。「白夜」。
そしたらなんかキモイ男どもがめちゃくちゃ寄って来てナンパしてくるんです。
で、その中の一人が毎晩付き纏ってきて、ぼくはずっと貴女を捜し求めていた
んですよナースチェンカ!、とか抜かすんです。もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、カタツムリだか空想家だかは知らないが鏡見てから女くどけよ、このボケが。
キモオタ男だよキモオタ男。なんか一人でもう舞い上がりまくってるし。
「ナースチェンカ、可愛い僕の天使!」と来たか。おめでてーな。
「二人はここで巡り合う様に運命づけられていたんです!」とか言ってるの。
もう聞いてらんない。
お前な、他の男宛のラブレターやるからさっさと届けろと。
ラヴアフェアってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
自分置き去りにしてモスクワ行っちゃったヤツといつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。童貞はすっこんでろ。
969 :
ナースチェンカ:2006/07/31(月) 19:09:39
で、やっと届けてきたかと思ったらそのキモオタが、ナースチェンカ、僕の胸に忘れていた
甘いメロディが、とか言ってるんです。そこでまたぶち切れですよ。
あのな、忘れていた甘いメロディが、なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、甘いメロディが、だ。
お前は本当に甘いメロディが聞こえてきたのかと問いたい。問い詰めたい。
小1時間問い詰めたい。お前、いったいどこの前世紀の遺物かと。
男殺しのテクニック通の自分から言わせてもらえば今、恋愛通の間での最新流行はやっぱり、
相手を有頂天にさせといてから手紙で縁切り、これだね。
「私を愛しているなら赦してくださるわね?」 これが通の男の殺し方。
キモオタ男ってのは女に幻想多めに入ってる。そん代わり現実の接触少なめ。これ。
で、それに無垢なオンナ演じてさんざん利用してやってポイ。これ最強。
しかし余り男を弄んでると、ヤリマン女の評判が立つという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあキモオタ、ヒキコモリは、一生、幻想上の女に萌え狂っていなさいってこったw
やった、新しいロシア料理本が出た!
河出書房新社の「家庭で作れるロシア料理」(荻野恭子・沼野恭子)
写真もキレイで、収録されてるエッセイも面白いので、ドストエフスキーやトルストイ、
ゴーゴリなんかの小説の登場人物たちが食している料理がどんなものなのか
知りたい人にはこれお薦めっ!
二大巨匠とは言われても、少しだけトルストイの方が評価高いね。
972 :
吾輩は名無しである:2006/08/19(土) 08:52:12
わーい、本スレで君は大人なんです、と言われちゃったよage
∧ ∧
ヽ(・∀ ・)ノ
(( ノ( )ヽ ))
< >
調子
973 :
これか:2006/08/19(土) 09:28:12
>ドストの小説に繰り返し出てくる、“自他の区別無く全人類が融合するユートピア”の
>イメージについては、正直どう感じる?
>自分は実生活でも倫理的な事柄や他人との協調性を重んじるタイプだけれど、
>基本的に個人主義者なのでこういうべたべたした甘ったれた“夢”ってやつは
>正直、気持ち悪いとしか思えない。
>大体、人間関係なんて現実の中で構築するものだし。
>こういう安易で胎内回帰願望的な“夢”に取り憑かれやすいタイプが、全体主義や
>排他的な民族主義、(新興)宗教に走りやすいのかな?
>ドストのように?
974 :
吾輩は名無しである:2006/08/29(火) 13:01:06
ああいうドストエフスキーを生み出すような国民がちょっと領海侵犯したかどうかも
わからないような丸腰の漁船に本気で発砲するのか?ロシア人の心性は
さっぱりわからん。
ドストエフスキー自身が、社会評論エッセイで「アジアを奴隷化して、資源と不凍港を我らの手に!」
…とか、書いてるんだから別に不思議ではないんじゃない? 途中送信されてしまったorz
977 :
吾輩は名無しである:2006/09/30(土) 22:52:19
もう、ドストエフスキーなんてばかばかしくってアンチもやってらんねーや、と
思うけど、一応あげとくか。
本スレの、ドスト=中二病患者 の流れにはワラタ。
中二病は必要悪だから
979 :
吾輩は名無しである:2006/10/07(土) 21:59:50
埋めるか
980 :
吾輩は名無しである:2006/10/07(土) 22:03:16
ドストエフスキーの人気はすごいな。
981 :
吾輩は名無しである:2006/10/07(土) 22:26:42
なんでノーベル文学賞とれなかったんだろう。
982 :
吾輩は名無しである:2006/10/08(日) 08:43:06
あ───!! Σ(゚Д゚lll)
2ちゃんって980超えたら、なんかすぐdat落ちしちゃうんじゃなかったっけ??
そりゃさ、ドストエフスキーなんてばかばかしくってアンチ張る価値もない作家だから
もう、スレが落ちようがどうだっていいんだけどさ──。
このスレに、ドスト関係の資料いっぱいアップしちゃったんだけど、そのうちのいくつか
本スレに移したら怒られるかな…。
あっちは雑談系だから、怒られるだろうな…。orz
うるさいカス
984 :
吾輩は名無しである:2006/10/09(月) 00:20:05
hoshu
985 :
吾輩は名無しである:2006/10/09(月) 01:06:25
hoshu
986 :
吾輩は名無しである:2006/10/09(月) 01:36:29
あってもむりだろw
∧,,∧ ∧,,∧ ∧,,▲ ∧,,∧
(,,・∀・) ミ,,・∀・ミ (;;・∀・) ミ,,・∀・ミ ねこ保守〜
〜(_u,uノ @ミ_u,,uミ @(;;;;uuノ 〜ミ_u,,uミ
そういえば、猫のでてくるドスト作品ってあったっけ?
犬が出てくるのは、「虐げられた人々」「死の家の記録」とか思い浮かぶけど。
990 :
吾輩は名無しである:2006/10/09(月) 22:54:47
あげあげ
991 :
吾輩は名無しである:
スメルジャコフ少年は猫にひどいことしたよね(´・ω・`)