カラマーゾフの兄弟ってそんなに面白くないよな?

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20吾輩は名無しである
「何故ならキリストの無言の接吻のなかには瞑想と殉教と流血に積み上げられた数千年の歴史が結晶しているのだから。
そして、そのとき、私達は知る、『大審問官』の作者の苦悩が如何に深く強烈なものであれ、
彼はなお(私達と較べてより強烈に幸福なことには)腕をうちおろせばかちんと敲ちあたってはねかえる
数千年の堅固な実体の上に支えられていることを。もしこの私達が一つの底知れぬ重みをもって沈黙しつづけるキリストを描くとすれば、
その作品中に数千年にわたって積み上げられた歴史をも創り出してみせねばならない。
それは疑いもなく不可能である。」

超くだらない。
東洋と西洋とでは、拠って立つ基盤となるカルチャーが違ってあたりまえ。
日本人が西洋人と同じ思考・発想をしないからといって、ヘンなコンプレックス持つ必要ない。
「色即是空」の仏教徒が、神も絶対者も存在しないからといってドストの言うように、
すべてが許されるとばかりやりたい放題やってきたか?
20世紀の日本人および日本の文学者は、キリスト教とキリスト教文化にコンプレックス持ちすぎ。
ドストに対しても変に権威化せずに、自分の文化から相対的にみつめる視点も必要だと思う。
「大審問官」の内容についていえば、自由の喜びと重みに耐えられずに「奇蹟・神秘・権威」なんて
超くだらないものにすがる弱虫は、さっさと大審問官の奴隷にしてもらえ!!と思う。
自業自得だ。