ナイポールのミゲル・ストリートが翻訳でているじゃないか!
今日の朝日新聞の広告
304 :
吾輩は名無しである:05/03/12 21:16:57
Wrong about Japan by Peter Carey は、アマゾンcomの書評ではさんざんだが、
日本人読者はどう取るだろうか?
305 :
吾輩は名無しである:05/03/15 07:15:54
306 :
吾輩は名無しである:05/03/17 20:36:19
なあなあ、ポストコロニアルとポストモダンって全然違うもんなん?
hage
そろそろagetokuka
そろそろagetokuka
真剣にやってる人間がこの板にはいないと見た
311 :
吾輩は名無しである:2005/05/17(火) 20:37:25
ポスモダどもへ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1116175495/ 1 名前:人文男 2005/05/16(月) 01:44:55
>ポスモダどもへ
もうおまいらには愛想がつきた。
ただでさえ大学改革の時期で人文系は予算もポストも学術誌の誌面も削られそうで頭痛いのに
さらに他分野からの信頼失うような恥さらしやがって。
世間様はポスモダでない人文系も一括して「これだから人文系は・・・」としか見てくれないんだぞ。
この責任どうしてくれる?
これで人文系全体のパイが減って俺がアカポスつけなかったらおまえらのせいだからな。
科学哲学の連中も、科学哲学ってだけでポスモダ相対主義者って思われるって怒ってたぞ。
実際の科学哲学系の連中はポスモダ嫌いが多いのにさ。
哲板の科学哲学スレ行って謝ってこいよ。
>自然科学系/社会科学系/教育行政担当者さんへ
頼むからポスモダと人文系全体を一緒にしないでください。
少なくとも私は非ポスモダの人文系です。
ポスモダ連中の処理は、そうですねえ、首都大学東京にでも一括して送り込んで、
「都市ポストモダン学部」でも開設したらどうでしょう?
312 :
吾輩は名無しである:2005/05/17(火) 20:38:27
グローバリゼーションを擁護する
ジャグディシュ・バグワティ (著), 鈴木 主税 (翻訳), 桃井 緑美子 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532351405/250-8535806-5336252 1999年にシアトルで開催された世界貿易機構(WTO)会議は、暴動の勃発によ
り大荒れとなった。この事件は、グローバル化をめぐって巻き起こっている
極めて感情的な論争の、もっとも深刻な例である。グローバル化反対論者は、
児童就労から環境破壊、文化の画一化、さらには貧しい国々を苦しめる数々
の災難にいたるまで、あらゆる悪の元凶としてグローバル化を責め立てた。
そんななか、論理の明快さと筆致の鋭さで知られる世界的な経済学者、
ジャグディシュ・バグワティが、その批判を受けて立った。
適切に管理さえすれば、グローバル化は今日の世界に社会的利益をもたらす
最強の武器となるという事実が解説される。バグワティは国際経済に関する
圧倒的な知識を駆使しながら、反対派が得意げに示す例は実情と異なるもの
が多い理由を説明し、グローバル化が原因とされている問題の多くは、実は
グローバル化により緩和できるのだと説く。
313 :
吾輩は名無しである:2005/05/29(日) 12:48:59
314 :
吾輩は名無しである:2005/05/30(月) 01:09:18
安部公房の中南米文学の話はポスコロっぽかった
315 :
吾輩は名無しである:2005/06/13(月) 00:01:00
157 :論理が破綻したデリダ:2005/06/12(日) 15:12:58
デリダに代表される脱構築論者は、テキストの意味は作者によって特権的に決定されるものではなく、
一旦書かれたテキストは作者の手を離れ、読者による自由な解釈に開かれていると論じているはずなのに、
ここでは、ド・マンのテキストの特定の解釈が「正しい」とされ、そうでない解釈は「誤解」だと決めつけられている。
どちらが「正しい」かをいう以前に、そもそもテキストの「正しい」意味というものがあり、
その特権的な決定者は作者(ド・マン)の盟友(デリダ)だという言い方自体がポストモダニストにとって自己破壊的ではないか。
ttp://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/deman.htm 158 :名無しさん@社会人:2005/06/12(日) 19:07:15
いいとこついてるね。超越的なものを破壊する行為自体が超越的になってる、という自己矛盾。
159 :名無しさん@社会人:2005/06/12(日) 22:55:21
『高次の迷信』でも指摘されてたようですね(金森修『サイエンス・ウォーズ』)
316 :
吾輩は名無しである:2005/06/13(月) 17:41:42
317 :
吾輩は名無しである:2005/06/13(月) 19:48:36
スピヴァクなんかド・マンの弟子だったと思うけど、師匠のナチ疑惑にはなんと発言してるの?
318 :
晒し者:2005/06/14(火) 09:54:56
救済の場を与える文学なんだろ?
ある面置いてけぼりされてる学問だと思わずにはいられない。
今は、借りてきた大熊栄『サルマン・ラシュディの文学』を読んでいます。
これは、複合自我に論点を絞ったものですが、読みやすいですね。
ただし、全然ポストコロニアルではありません。
ただ、この中でちょっと面白いのは、彼にとっては西洋>東洋であると
書いてある点です。まあ、当たり前の話なんですが。こういうことを
しっかりと確認したうえでの葛藤がラシュディなのでしょう。ある意味で
正直で好感を持てます。(サイードなんかよりも)。
320 :
吾輩は名無しである:2005/08/04(木) 01:42:23
クレオール礼賛買ってから全然読んでない・・・
あげとくよ。
322 :
吾輩は名無しである:2005/09/04(日) 01:36:06
あまりにも安易な発言に唖然とする。
> ■[一般] 世界文学は「国民文学」から離陸した(東京外国語大学大学院教授・今福
> 龍太) (聖教8/31) 16:12
>
> 世界文学はかつてのように、「日本文学」「英文学」「フランス文学」
> 「ドイツ文学」「アメリカ文学」といったかたちで、ナショナルな国家
> 空間によって細分化されて成立していた近代文学の数世紀が終わり、さ
> まざまなやり方で「文学」という営為が国家や言語の境界を越えて旅を
> 始めたのである。
>
> 近年のイギリス最高の文学賞ブッカー賞が、カズオ・イシグロ(日本)、
> ベン・オクリ(ナイジェリア)、アルンダティ・ロイ(インド)、J・M
> クッツェー(南アフリカ)といった民族的バックグラウンドを抱えた(多
> くは旧植民地の)英語作家につぎつぎと贈られていることは象徴的である
> 。
>
> 英語とタガログ語と少数部族とが混交するフィリピンはマニラに生まれたザ
> モラ・リンマークは、やがてハワイという虹色のクレオール語の島に移住し
> て教育を受け、さらにサン・フランシスコに移り住んだ後に、ポリネシア・
> 日本・コリア・フィリピン・ベトナム・西欧といった多くの文化と言語が貢
> 献しあってできたハワイアン・クレオール語の響きを、彼独自のピジン(混
> 交言語)化した英語によってポップに甦(よみがえ) らせる。 (→→詳
> しくは聖教新聞をお読みください)
323 :
吾輩は名無しである:2005/09/04(日) 01:42:26
相対主義ってことで!
324 :
吾輩は名無しである:2005/09/04(日) 04:29:33
つまりクレオールなら何でも(・∀・)イイ!!ということですね!
325 :
土曜日:2005/10/20(木) 03:52:37
>つまりクレオールなら何でも(・∀・)イイ!!ということですね!
その通り。良くも悪くも、それがポストコロニアル文学なのだ。
age
327 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/20(金) 09:05:29
今福龍太って土人みたいなツラしてるね クレオールなんて死ねば?
328 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/31(火) 12:44:15
嫌韓厨にとっては痛いところを突かれるからジャンルごと潰したがるだろうけども。
329 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/09(木) 21:55:41
サイードってもう亡くなっているんですね。
ところで、サイードがよく引用している、フランツ・ファノンとはどうゆう人物ですか?
330 :
名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/11(土) 20:14:15
ポストコロニアルって、文芸社会学みたいな感じですか?
331 :
吾輩は名無しである:2006/03/22(水) 12:10:20
>ポストコロニアルって、文芸社会学みたいな感じですか?
ちょっと違うんじゃないか。歴史学の帝国意識論で取り扱われる
文学論は、社会学と似てくると思うが。
文学の中ではポストコロニアルはマルチカルチャルに変換が
始まってると思う
333 :
吾輩は名無しである:2006/04/12(水) 19:00:34
オムニというかマルチというか。
まあ「越境」とか「脱領域」とかいう語で
いまの批評の状況をあらわしてるね。
この先どうなることだろう…。
334 :
吾輩は名無しである:2006/05/16(火) 21:44:54
小森陽一キモい
Amitav GhoshのThe Glass Palace読んだ人いますか。
336 :
吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 23:43:38
沖縄の作家又吉栄喜や目取真俊はポスコロですか?
337 :
吾輩は名無しである:2006/05/28(日) 04:58:07
本橋さんの登場を待ちたいところですねw
338 :
矢印くん@ボインにターッチ ◆Ripvkk4JmM :2006/06/25(日) 23:55:47
まあ、エイモス・チュツオーラはマイナー文学作家としては一流ですね
339 :
吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 07:01:47
実写版リチャードパーカーは見てみたい
341 :
吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 14:54:02
342 :
吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 23:36:50
相対的=人それぞれ
重層的非決定=人それぞれ
ニヒリズム=かっこつけ
パラダイム=常識
イデオロギー=思いこみ
テクスト=文章
エクリチュール=文章
コンテクスト=話の流れ
コード=お約束
アイデンティティ=わがまま
アフォーダンス=わかりやすさ
アウラ=よくわかんないけどなんかすごい
現前性=ある
反グローバリズム=金持ちムカツク
身体性=ボクね、こう見えてもなかなか頭でっかちってわけじゃないんだなぁ。わかる?
343 :
:2006/08/04(金) 01:13:36
微妙に違うものもある。
344 :
吾輩は名無しである:2006/08/04(金) 01:17:46
ポストコロニアルって「植民地が解かれた後」って意味でしょ?
現実に生活にかかわる在日やハーフの人以外にはあんまり日本では流行しないんじゃないの…。
345 :
吾輩は名無しである:2006/08/04(金) 01:21:21
だからそれとは無関係にこの分野にたずさわっている人は、たんなるシンパシーに依っているとしか言えないのではないか。
他者なんかには絶対になり替われないという個の問題を日本人はまだまだ心底理解できない。
まあ当面は「それが日本のアイデンティティだ」となるのだろう。
346 :
吾輩は名無しである:2006/08/04(金) 12:48:01
>>344 在日コリアン作家が何人も現れ、ごく当然のようにポストコロニアル文学作品を出し、
当たり前のように日本人読者に受け入れられていますが。
347 :
:2006/08/04(金) 13:04:39
文字どおりの植民地じゃなくても
日本は欧米の植民地ってのは文化に関わっていれば
普通の認識なのでは。
箱に入ってるものを触って見せたところで面白くも可笑しくもない
リチャードパーカってあのベンガル虎の?
350 :
吾輩は名無しである:2006/10/10(火) 02:03:33
agetoko-
∩( ・ω・)∩ばんじゃーい
kiran desaiのthe inheritance of loss読んだ奴いる?
母親より先にブッカー賞とっちゃったね。