おさむとかCとか美香とか、くだらない読者しかいないんだから衰退するのは当たり前だ。
え、その二人をcと一緒にする気にはならないな。
名無し観客としては、読者としてどうとか以前にcはちょっと。
上で煽りを淳一のせいにしてる奴、おさむだったね。
他の煽りも、おさむがかなり多かった。
久しぶり。まだきちんと読んでないが意外とまともにのびてるね。
>>626 おれは別にCを無視してないぞ。間があいただけ。で答える。
>>477 おれの書き方が紛らわしかったかもしれないが、おれは別に
仮定とは別のところに、アプリオリな本質があるとは言ってない。
アプリオリな本質と見えるものも、事後的に構成され、仮に共有されたものに過ぎないと
書いたわけで、それは、Cが反論で言ってることと近い。
Cはすべては仮定だというとこまで認めてるのに、そこから急に
最初に雪があるという単純な実在論に飛躍してしまう。不可解だ。
それとも仏教的な色即是空、空即是色みたいなことが言いたいのか?
919 :
吾輩は名無しである:04/03/08 21:11
こないだも同じこと書き込んでたけど、そんなに調べてほしいのか。
>>920 覚えたての単語を使って優越感に浸りたいだけだろ。
そんなにさびしいのか。
「覚えたての単語」といえば、「ググレ」ってのも、びみょう。
「ぐぐってみ、」とか書いてあると、
「あー、ググるって使いたいんだなあ」と感じる。
調べてからいえよ。あれをいじって荒らしたいのはわかったからさ。
>>919 やりかけたことだからやっとくね♪
広松渉?フッサール?ハッ。まああなたたちは、観念論と実在論を止揚するとか
言われてはしゃいでるようですけど。わたしは遠慮しとく。だってもうオバサンだし。
西田哲学とか、鈴木大拙とか、日本仏教を西洋哲学の言葉で翻訳したら
西洋の最先端と肩を並べてましたとさ、というお話でしょ?でもわたしは
そんなことならポストモダンでもパラパラしとく、気倦く。っていうこのスタンス。
う・・・書けば書くほど気が滅入る
ここは文学板のア、アリコ、いやアルカディ……、えーと、アルツハイマーですか?
928 :
吾輩は名無しである:04/03/08 22:05
でそのポストモダン、リオタールね、
>>718だけど
どうも「物語」の失効って話は、ピンと来ないんだよな。
あのへんはおもしろくない。おさむスレで書いたけど
リオタールは実は、「サブライム」の話のほうが使えるよ。
文学の「衰退」とも、関係あるかもしれん。こっち読んでみ。
間主観性ってのは、認識なり何なりが生まれるまでの話じゃないか?
大事なのは生まれたあと、そういう機能をするかってこと。
>>929は
そういう→どういう
>>927 このタイミングで来るとまた美香=おれって言うのが出てくるじゃないか
>>925 これもタイミング悪かった。おれは煽りのあと
>>929みたく本気に行くつもりだったが
300番台の大学の授業の話なんか、よかった。
知識と臨床のとこ。でも、あれは美術の話だったけど、文学の場合、
それどころじゃないんだよな。授業の中身がうんたらっていうまえに
大学では文学の授業の数がまず、激減してるからな。
日本文学科は日本文化科に、英米文学科も英米文化になって、文学はいちぶになってしまう。
英語の授業も文学を読むことはなくなって、コミュニケーションの授業ばかりになる。
これじゃあ読者は育たんよ。作家の生活とか売れ行きの話もいいけど
大学教育での「文学」の地位ってのも大きいわけで、そこだけはかくじつに「衰退」してるよ
昭和初期の「円本」の話があったな。
経済問題はともかく、あの時期はけっこう大事。
全集がどんどん出て、こういう人のが「文学」だっていう、作家の選別がなされた
芥川賞もあのあとだし、私小説が日本の伝統だとか言われだすのもそのころだな
てことは、衰退したとかどうとか言われる時の、「文学」の輪郭、概念ってのが
だいたいこの頃、確立されたってことね。
美香では
>>443がいいこと言ってるね。
文学ってのも昔は、今僕らが思い描くのとは、ぜんぜん違う形をしてたってことね。
今「文学」と思われてるものができたのは、昭和初期ぐらいだって
>>932で言ったけど
それまでは「文学」っていうとまだ、漢詩文の教養が大きかったわけで。
だから「近代文学」の作家より、漢学者、漢詩人のほうがエラかったりした。
で昭和初期ぐらいに、漢学的なものがかなり色あせて、
言文一致=日本語による「近代文学」ってのが、王座に就いたと。
だから「衰退」うんぬんのまえに、「文学」の範疇の変化ってのも大きい。
じゃあ今起きてるのが、どういう変化なのかっていうとそれはよくわからんが。
>>899 島田はちょうどデビュー後バブルに乗っかったり
美男子っぽくてそれなりにインテリでいろんなジャンルでハッタリかましてとにかく量を書きまくった。
時代的にも原稿料も高かったし、バブル崩壊後もそのまま大学の先生になって今に至る、みたいな。
島田はやっぱ例外。時代も良かった。
それと17歳デビューだっけ?もと美少女松浦理恵子ってどうやって食ってんのかな?
松浦は頭いいけど。つーか「書けない」作家だけど。
食えてるかどうか、というと、個人的には佐伯一麦が気になる。
最近読んでないのであれだが。ボンビー私小説作家を地で行ってるキャラだし。
綿谷はワイドショーのコメンテーターとか雑誌のコラムとかで生き残っていくのでは?
もう一億以上稼いだんだし結婚相手にも困らんだろうし。
>>933 ねえそれは優しさなの?
>>443は、あなた達みたいな馬鹿は文学の衰退なんて言うことについて喋るな
なぜならわたしが不愉快だから、って程度のことでしょ?
レス・ストッパーは、初めての経験だな。
今日は情緒不安定で欝なんで、おもいくそマジはいってもた。
自己嫌悪なくして書けないって感覚、よくわかった。
まあそういうスレが、よくわからんまま続いてくってのも、文学板としては、
そういう現象があってもいいと思うんで、早いけど、立てられたら次スレ立てとくわ。
>>935,
>>937 ぜんぜんそういうことは考えなかった。
いまほんとに欝なんで、単純にマジだった。
で立てた。スレ立てなんてひさしぶりだ。
>>929 サブライム・・・懐かしい響き。
ファロスマンって文学板一の知性だと思う。色々びっくりする。
ふぁろすまんかわいいよふぁろすまん
>>939 えええ? 懐かしいの? さすがおさむ。
今どきサブライムとか言ったら笑われるかな?
こんどそこに焦点当てて論文書こうと思ってたのに・・・
でもあれだよ。リオタールからジェイムソンいくあたりのサブライムの話を
ちゃんとこなしてたらもう出来ないような議論が、いまだえんえんと続いてるのが
日本の批評であり、文学研究なんだよな・・・・としみじみ
でも、926はヘタ。ひねりないし。全然面白くない。
>>941 奇遇だ。ぼくもちょっと前「サブライム」の勉強してたよ。
バーネット・ニューマンとかね。アメリカの抽象表現主義とか。
でもジェイムソンは知らん。
>>939 今は気が弱ってるからね。おさむみたいにセーブできないだけだよ。
>>941 おさむスレってどこですか?
聞き覚えがない・・・。
サブライム自体は今はどうなんだろう・・・か。
少なくとも美術では下火。。。
>>944 漏れもでんでんセーブなんて出来ないよ。
せいぜい体動かしてぐったり疲れて、嵐が過ぎ去るのを待つことしか出来ない。
>>943 ニューマンは知らない。どこかで通ってるかもしれないけど残ってない。
美術のことは詳しくないが、アメリカの前衛美術で、
モノからの逃避としての「サブライム」が、モノの構成をくみかえ、
モノから意味を奪うことで、逆説的に、人間的な意味と切り離された
たんなるモノの発見につながった・・・という話は、リオタールだったかな?ド・マンだったかな?
ああド・マンはバークの話か? あとカントね。
>>941 おさむ死ねよってとこじゃなかったかな?
BARだったかもしれない。ちょっと見てみる。
アメリカの前衛美術では、サブライムはユダヤ教と密接な関係があって、(ニューマンでは)
というのも、「汝象を刻むなかれ」って奴があって・・・。
で、めぐりめぐってサブライムとか抽象表現になったり・・・。
リオタールのはよくわからないんだけど、たしかリオタールが
最近サブライムを掘り起こしたんじゃなかったっけ?
そのなかにニューマンが入っていた気が。記憶違いかな。。。
リオタールのはなんか特定の宗派と関係あるの?
>>941 BARにはなかった。おさむスレはもう削除されたんだね。
>>946 おれは体動かしてないから、どんどん内にたまるんだよな。とにかく動かすしかないな。
>>945 そうか。下火か。でも下火になるってことは、美術ではキテた時期があったんだな。
まあもともと美術の話しだし。文学ではちゃんと通過してない気がする。おれが通過してないだけかもしらんが。
バーク・・・カント・・・。
そうそう。なにやら思い出してきた。
なんか人間は安全なところにいないと崇高を感じないとか、色々あったな。
忘れちゃったや。
サブライムの論文頑張ってね!
文学でもサブライムとかってあるんだ。
どうやってこじつけたんだろう。漏れは美術の方面でしかやってないし、
本格的に論文なんて書いてないからわかんねい。
世の中色々あるものだ。
漏れもいつも憂鬱です。でもこの憂鬱がなかったらもっと憂鬱になるだろうなぁ。
>>951,
>>952 カントのとこでは、サブライムというのは、具体的にその内容を規定できないから
何かこう漠然とした「強度」になってしまうと、そういうことが出てくるんだな。
これはド・マンがAesthetic Ideologyで言ってたことだったと思うけど。
だから刺激と退屈のどうどうめぐりなく繰り返しになると。
文学もそういう回路に入ると、「衰退」とはいわないまでも、かなりきついよな・・・・とスレタイに回帰。
>>952 あとさっきセーブって言ったのは、知性丸出しにならないようセーブ、
っていうつもりだったけど、まあ憂鬱のセーブってことでもいいや♪
あと関係ないけど、1bさんは女なのか?
このスレとおして読んでみて、不意に気になったが
>>949 すみません。そこはちゃんと頭に入れてない。・・・で大丈夫かおれ?
というか、おさむ=ファロスマンがIPぬかれてこれだけばれてる中で、
自分自身を誉めあう図を見せられるのは、キショい以外のなにものでもない。
ここまでくれば、一種の公害だと言えよう。
957 :
ファロスマン ◆FTa/HQEoL2 :04/03/09 01:11
>>956 ちがうんだな、これが。おさむは美術系。おれは相撲ファン。
相撲板の衰退スレにいま書いてきたとこだ。
ちょっとあげますよ♪
958 :
おさむ ◆UvGJoaFDw6 :04/03/09 01:24
959 :
おさむ ◆UvGJoaFDw6 :04/03/09 01:29
もう一つ。
リオタールが、バーネット・ニューマンの「崇高はいま」に関して、
サブライムというのは、ものすごいことが起こることの驚きじゃなくて、
世界がいま、ここに生起しているということの驚きにかかわるものだと言っているのは正しいと思うんだけど、
ニューマンには決してこない終末を待ち続けるユダヤ的な期待の地平があるわけで、
むしろカニングハムやフォーサイスの積極的に退屈な反復についてそれをいうべきではないか。
退屈なんですよ、「いま、ここ」は。(浅田)
http://oak.zero.ad.jp/~zac86292/turedure_IV.html なんか、いけ好かない奴だ。浅田飴は
>>959はずばりですね。
先におさむが言ってた、ユダヤ的、宗教的なものっていう・・・
俺がそういうのを抜きにして、刺激と退屈の反復みたいに捉えてたのは、
この浅田の文脈で言うと、やっぱリオタール経由の理解だったわけですね。
で俺としては、そういう何かが起こる、という「何か」の部分は
固有の実体は何もないのであって、たんなる強度の問題に過ぎなくなると、
リオタールが言うそこのところに、意義を感じていたわけですね。
>>958 >私は、私のZIPが私の絵を分割しているとは感じていなかった。
>それはまさに正反対のことをするものであった。それはフォーマットを半分、
>あるいは色々な個所で切断していなかった。全く反対に、それは統合していたのである。
>それは全体性を生み出していた。この点で、私は他の知的な見方から、
>つまりいわゆるストライプ(と見ること)から、できるだけ離れているのを感じていた」
この「統合」と「全体」というとこに、宗教的なものが関係してくるんだね。
いやあ、これはかなり、大きいかもしれない。リオタールもいちおうそこは見た上で
超越性を求めることが、反対に、たんなる「モノ」を存在させてしまうという逆説を言うわけだし。
そこに「統合」や「全体」を感じられるかどうか? それをどうやって保証するのか?
というとこが、ひとつの分岐点かもしれません。そこで「衰退」するかどうか決まる・・・と強引にスレタイ回帰。
>>958 >現在の画家は、彼自身の感情や、彼自身の個性の神秘にかかわるのではなく、
>世界の神秘の洞察にかかわっている。彼の想像力は形而上的な秘密を探究することを試みつつある。
>そのかぎりで彼はサブライムにかかわる。象徴をとおして、その悲劇的な意味である生の根底的な真実を捉えるのは宗教芸術である
このあたりがリオタールの言う"inhuman"(もとはフランス語だと思うが)に繋がるわけですね。
ただ日本の通俗ポストモダンは、「彼自身の」もの、humanなものの否定という面は、
すごく受け入れてるけど、そこで生まれる逆説みたいなとこは、わりと軽視してる気がするんだな。
リオタールはこの逆説を、humanな仮装を剥いだ後の、近代=モダンそのものの中核に見出してるわけで。
でも日本の通俗ポストモダンてのは、human=近代、それを剥げばポストモダンが来る、バンザイみたいな理解なんだよね。
その安易なポストモダン受容が、現代の批評の衰退を・・・・とまたまた強引にスレタイ回帰。
964 :
吾輩は名無しである: