1 :
兄羅字 ◆2IScyLHAlA :
03/02/12 23:06 西欧文学、ひいては世界文学を語る上で欠かせない存在が『聖書』。 ひとくちに聖書と言っても、新約、旧約、などなどたくさんありますね。 文学板住人のみなさんは聖書読んでますか。 聖書に就いて文学的側面からいろいろ語りましょう。
2 :
吾輩は名無しである :03/02/12 23:07
フランシスコ会
3 :
吾輩は名無しである :03/02/12 23:08
4 :
吾輩はななしである :03/02/12 23:20
旧約聖書だけ読みました。 人間が神の目を盗んでめざとく悪さをするところなどが滑稽でいい感じ。 堅苦しさが微塵もないのに驚いた。完全に小説だと思った。
5 :
吾輩は名無しである :03/02/12 23:25
>>3 つまるつまらないは個人の価値観の問題なので却下
創世記、出エジプト記、ヨブ記、福音書 だけ読みました。 そうです、岩波文庫で出てるやつです。 あと手塚治虫の旧約聖書物語かな? 正確な題名は忘れましたが その漫画では列王記とかの分も入ってました。ダビデとかソロモンとかの範囲です キリスト誕生まで載ってたと思います。
7 :
吾輩は名無しである :03/02/12 23:30
岩波訳はウンコ 通は新共同訳を読む。
8 :
吾輩は名無しである :03/02/12 23:32
9 :
吾輩は名無しである :03/02/12 23:34
旧約聖書で一番人間くさいのって神様なんだよな。
11 :
吾輩は名無しである :03/02/12 23:40
ロダンの有名なダビデ像って、手に石を隠し持ってるんだって。 ゴリアテ倒した時の像なんだね。
12 :
吾輩は名無しである :03/02/13 00:48
聖書読んだことないということは、洋モノは全く理解して無いってことだよ
13 :
吾輩は名無しである :03/02/13 09:53
聖書読んだだけで何かを理解した気になるのも困ったもんだけど。 まぁ世界で一番読まれてる短編集だよ。 これのパロディも多いから、元ネタを知ってた方が楽しめるぞと。
15 :
吾輩は名無しである :03/02/13 09:59
>>14 それは素人考え。実はイスラム圏の人も邦訳で読んでる人多いし。
16 :
吾輩は名無しである :03/02/13 10:02
十戒も日本語で書かれてたし。
キリストは青森で死んだし。
18 :
吾輩は名無しである :03/02/13 10:13
津軽弁のキリストって嫌。
19 :
吾輩は名無しである :03/02/13 10:23
ああ、あの、神がただ自分の娯楽で人間を作ったり、近親相姦しまくったり、 人間が500年以上生きたり、90歳すぎて子供を産んだり、 妻を旅先で毎回寝取られたり、神が割礼を義務付けたり、 5000人にパンをわけあたえたり、無花果に呪いをかけたり、 破綻しまくりの理不尽な物語ね。
20 :
吾輩は名無しである :03/02/13 10:45
>>19 君はどこかで耳に挟んだだけで実際には読んでないな。
もっと理不尽なことや大きな矛盾はあるのに。
ミケランジェロのダビデ像は短小包茎なので萎え萎え。
22 :
吾輩は名無しである :03/02/13 14:02
英語版で読むには何がお薦めですか。TEVとかCEVとか。
23 :
吾輩は名無しである :03/02/13 14:04
>>21 俺のもダビデと同じくらいだけど、美香さんのには小さすぎますか?
24 :
吾輩は名無しである :03/02/13 14:16
美香さんはガバガバなので
25 :
美香 ◆FE5qBZxQnw :03/02/13 14:29
26 :
吾輩は名無しである :03/02/13 14:30
そうか、 美香は彫塑見てもチンポしか興味ないのか。 消えろ、ハゲ女。
って言うか、ダビデはユダヤ人だから割礼してなきゃおかしいよね。ミケランジェロのダビデ像も、本当は皮が剥けてなきゃいけないと思う。 ひょっとしたらミケランジェロ自身が包茎だったのかな。自分のあそこにコンプレックスがあったから、ダビデの持ち物まで短小包茎にしちゃったとか(w
28 :
吾輩は名無しである :03/02/13 14:44
まさか文学板に聖書読んでないやつなんかいないよな?
もともと聖書の原典は旧約(39書)がヘブライ語 新約(27書)がギリシャ語で書かれていた。 宗教改革のとき、“福音主義(信仰の拠り所を聖書のみに求める)” を主張したマルティン・ルターは 「聖書に依存するけど聖書が読めない状態」 ↓ 「聖書に依存し、聖書が読める状態」 を目指し、ドイツ語訳を完成。以後、宗教改革が各国に波及するに従って 聖書の各国語への翻訳が進んだ。 英語聖書の翻訳としては 『欽定訳聖書(Authorized Version of the BibleあるいはKing James Version)』が有名。 ただしLate Middle E#nglish〜Early Modern Englishの知識が必要。
ノアパパハァハァ・・・
31 :
吾輩は名無しである :03/02/13 17:38
>>29 ルターの主張に関して形式的な質問なんですが、
二つの状態はともに「聖書に依存」している状態であるならば、
ルターの改革によってその聖書依存性については不変であるということで、
それならなんでここでわざわざ「聖書に依存するけど」、「聖書に依存し」と、
無意味な修辞を付け加えたのでしょうか。
宗教改革前のローマン・カトリシズムでは、聖書は重視されていなかった。 重視されていたのは「聖書」ではなく「教会」だった。 教会は人間と神の仲立ちをして、両者の仲介によって経済と政治をコントロールした。 具体的には、大聖堂を建てる資金集めのために“どんな罪でも許される”という「免罪符」を販売して この「免罪符」をたくさん買った人の方が少なく買った人よりより大きな救済を得ると教えていた。 犯した罪を許してもらうために、神による救済を得るために 人々は聖書に書いてあることではなく、教会の言うことに忠実でなければならなかった。 つまり、当時は「聖書に依存しないで、救済を得る状態」だったから 「救済を得るために聖書を重視する」という発想はじつに画期的だったのだ。 だから、「聖書に依存する」というのは無意味ではないはず。 ルターやカルヴァンによる宗教改革で大きく変化したひとつの点は 「腐敗した教会の言いなりになる」→「聖書を重視する」になったこと。 「聖書を重視する」ということは、かりに、国王や教会の言説が聖書の内容に反する場合は 国王や教会の言う事を聞かないということ。 ところが「聖書を重視する」のに、内容がヘブライ語やギリシア語だと一般の人々がほとんど読めないから 翻訳が必要だった、と。 ・・・ちなみに、こうした事柄を契機にして、宗教改革後の新教徒(プロテスタント)は本国を離れ 新大陸「アメリカ」を目指すことになるわけだが。
嘘つくなよ。たしかに使徒からの伝統を持つ公同なる教会が重視されたのは事実だが 聖霊を受けて書かれた聖書が重視されてなかったわけじゃない。 また、当時のローマ教会の正典はラテン語に翻訳されたウルガタ訳 一般の人に読めなかったのは同じでも、翻訳版だよ。 それにプロテスタントだって三位一体を初め伝統を多々受け継いでいるぞ。 それにこれは結局はものの見方になるのかもしれんが 腐敗した教会、をいうならデタラメな聖書もいわにゃあな
あと、一部の清教徒でプロテスタント全体をくくるな。
35 :
吾輩は名無しである :03/02/13 19:21
なのちゃんのレスは説得力に欠けていますね。 どうやら33氏の言うとおりのようです。
36 :
吾輩は名無しである :03/02/13 20:45
美香は男性性器を見たことがあるかのような口ぶり。 無理するなって。
「聖書を重視する」・・・誰が重視するか? 「ヘブライ語の読める一部の人が」ではなく「一般民衆が」という前提で言ってるんだ。 一般の人たちが「家に聖書のない状態」 あったとしても「読めない状態」 ならば、聖書を重視しようとしても出来なかったはずだ。 自分たちの国語で書かれた聖書がどこの家にもあって誰でも読める状態になり 信仰の拠り所を聖書に置くようになった最大の契機は 宗教改革の福音主義だと言ってる。 OEDに“England became the people of a book, and that book was the Bible.”とあるが この「a book」とは欽定訳聖書のことで、一般の人たちが 一家に一冊常備するようになったのは、欽定訳聖書からなのだ。 (厳密に言えば、1560年出版の『ジュネーヴ聖書(Geneva Bible)』も入るかもだが、いずれにしても宗教改革以後) もちろんそこには、1445年グーテンベルクの活字印刷術の発明は欠かせない要因だが。 『ウィクリフ聖書』『マシュー訳聖書』『大聖書』『主教訳聖書』等いろいろあるが 広く一般に読まれるようになって、大多数の信仰の最大の拠り所として機能するのは欽定訳聖書だ。 最も典型的な事例を取り上げることは当然のことだと思うが? それにプロテスタントもイングランドに限ってもいくつかの立場が存在して 『長老主義』『監督制』『アングリカン体制』とか説明した上で 「分離派」だとか「非分離派」だとか細かく言うと大変だから 典型的な事例を持って言い換える(比喩ではそれをsynecdocheという)のは 禁止命令されるほどやってはいけないことではないと思うが、どうか?
>>37 だから、教会の人間もヘブライ語じゃなくてラテン語で読んでたんだって!
何度いわせんの?
典型的な事例というが、アメリカに渡った連中がなんでプロテスタントの典型になるのか意味不明。
前半部は何に対して反論しているのかそもそも不明。
先生にもつかずに聖書を全部読んだと言ってる人はみんな嘘つきだと、 遠藤周作さんが書いてました。
40 :
吾輩は名無しである :03/02/13 22:39
小学校の帰り道、無料で聖書を配っている人たちがいた。 今も家には3冊もあるよ。 ギデオン協会・・・ってなに?
41 :
吾輩は名無しである :03/02/13 23:38
ギュスターブ・ドレっていう人の版画がすっげーきれいな聖書が好きだよ。 うちは浄土真宗だが(笑)これは挿画を見てるだけで飽きないぞよ
42 :
吾輩は名無しである :03/02/14 03:46
聖書なんて読んでも別に学ぶ事はないよ。 それよりは近所の教会さがして礼拝受けるとかしたほうが色々と感じ取る事が 出来ると思うよ。まぁオススメは出来ませんがね。
今年になってから旧約聖書を読み始めたがいまのところ 何がおもしろいのかさっぱりわかりません。 だれそれの子供は誰と誰と誰でその子供が誰と誰と誰で という記述がえんえん続いたりする。 聖書書いた人って頭逝ってたんじゃないの?
44 :
吾輩は名無しである :03/02/14 11:22
>>43 まぁ、当然だね。
文字を扱う人間そのものが少なかった時代にまとめられたものだから
馬鹿なことを書いても現代のように批評されることも少なく、
さらに書いた人間が過去にロクに物語を読んだことがないから
あんな出来になって、比較対象を持たない世界に広まっちゃったんだよ。
もっと文学が形成された時代に編纂されたなら
あんな出来の聖書は、これほどまでに広まらなかったと思うよ。
45 :
吾輩は名無しである :03/02/14 12:06
有名な姦淫聖書って何だっけ? アングリカンのやつか。
>40 まさに、あなたの書いているとおり、聖書を無料で多くの人に配ろうと試みる団体が、ギデオン協会なのです。ギデオンは、旧約聖書に出てくる人です。詳しくは知りませんが。
聖書で面白いのは、旧約だったら出エジプト記。新約だったらヨハネ黙示録あたりであろう。レビ記なんか読んだって面白いわけがない。
48 :
吾輩は名無しである :03/02/14 15:22
>>44 「もっと文学が形成された時代に編纂されたなら」と言うが、あらゆる文学は聖書を基礎にして成り立った
と言えるのではないですかね。
49 :
吾輩は名無しである :03/02/14 15:23
つまりは源氏物語も聖書を基礎にしていると。
51 :
吾輩は名無しである :03/02/14 18:30
52 :
吾輩は名無しである :03/02/14 18:31
53 :
吾輩は名無しである :03/02/14 18:36
55 :
吾輩は名無しである :03/02/14 20:56
>>48 の方が正しい。
>>44 は聖書というよりキリスト教世界が存在しない状態を想定しているのだから
キリスト教の影響を全く受けていない文学を例に出したのだろう。
>あらゆる文学は聖書を基礎にして成り立った
なんていう考え方はおかしい。聖書が伝来する前の日本にだって文学はあったぞ。
57 :
吾輩は名無しである :03/02/14 21:02
福音書なんかピカレスクロマンとして読んでみると面白い。 手品やって騙し歩いてりゃ、そりゃ逮捕されるよ(w
58 :
吾輩は名無しである :03/02/14 21:27
59 :
吾輩は名無しである :03/02/14 21:29
>>58 鋭い。君にならクロマンの意味を教えてやってもいい。
60 :
吾輩は名無しである :03/02/14 21:32
>>59 お目利き、奇特に存じます。
さて本題ですが、クロマンとは淫猥なことばでしょうか。
それが私の知りたいところなのですが。
61 :
吾輩は名無しである :03/02/14 21:39
時に淫猥だが時に淫猥ではない。 クロマンの前にピカレスと書いてあるだろう? ピカレスの「カ」と「レ」を入れ替えるとピレカスなんだが。 そこから発展したカスクロマンという言葉もあるのだ。
62 :
吾輩は名無しである :03/02/14 21:45
なるほど、「時と場合によって…」ということですか。 とても勉強になりました。 ところで、ピカ、というのもパイパンの隠語ではないかと疑います、 半分くらいはそのような気持ち。
63 :
吾輩は名無しである :03/02/14 21:56
>>62 聡明な君のことだから既に気づいているだろうがスロマンという言葉もある。
これは「ビルドゥング」な「スロマン」なのだから大変に淫猥だ。淫猥そのものだ。
64 :
吾輩は名無しである :03/02/14 22:58
蛇足かもしれないけど、クロマン、スロマンともある言葉の略語だよ。 木村卓也が「キムタク」になるみたいな。
65 :
吾輩は名無しである :03/02/14 23:38
西洋文学ではキリスト教的価値観の影響を受けて書かれた作品が多いから 洋モノに深入りしようと思ったらどうしたって避けて通れないんだよな。 毎週日曜日に教会行って説教聞いてくるような文化だから仕方ない。 でも聖書って退屈。読んでて苦痛だ〜
67 :
吾輩は名無しである :03/02/14 23:59
>>65 一般人だから君は知らないと思う。
俺のダチンコ。
68 :
吾輩は名無しである :03/02/15 00:00
ええ?創世記や出エジプト記なんかは、すごく面白いと思うけど。 子供の頃、わくわくしながら読んでた。
69 :
吾輩は名無しである :03/02/15 00:05
日本の神信仰、まず世界感が違うよね。 自然に恵まれた日本列島ならでは。
70 :
吾輩は名無しである :03/02/15 00:07
>>66 退屈な聖書をその基盤とする西洋文学を日本人が読む理由って何なんでしょう。
いや、読むじゃなく理解する(66さんの言い方じゃ「深入り」するですね)理由って。
退屈な文化の中に生まれた文学、これってとどのつまり退屈なんじゃないでしょうか。
退屈さから面白さは生まれるのでしょうか。ま、これらはいちいち反語型式なんでウザいと思いますが、
ぶっちゃけ、西洋文学のある作品を日本人が理解したところで、感情的には「退屈」しかうまれないと思うんですよね。
とすると、面白い面白くないの地平を超えた領域で西洋文学を評価しなくちゃいけなくなる、
これが芸術性だとか、なんでしょう、芸術性だけですかね。だって、その作品が内包する論理も聖書を基にしてるわけだし。
とすると、その芸術性を堪能するために敢えて退屈さという困難を乗り越える必要があるか、ま、それは人それぞれなんでしょうが、
俺はその「退屈さに耐える」という行為をある程度評価するからこそ(自分では経験したくないからこそ)、多くは国の研究期間に籍を置いている研究者、
またはその所属に関係無くその著書を買うということを通して、金という対価を支払ってるんだと思いますね。
ふつうの人は読む必要なんかないっすよ、西洋文学みたいな退屈なもん。面白いもん読んだほうがいいですよ、時間ないし。
俺は根無し草コンプレックスがあるから読んでみようと思ったのだが 確かに激つまらん。暇だからそれでもいいけど。
72 :
吾輩は名無しである :03/02/15 02:35
12使徒をそらで言える人いるかい? 教えてくれよぉ。
73 :
おさむ ◆jvBtlIEUc6 :03/02/15 02:37
ギコエル
74 :
吾輩は名無しである :03/02/15 03:32
柳宗悦「南無阿弥陀仏」の仏教入門書のような 聖書への入門書はないの? 西洋のものも良いけど東洋思想(仏教)の方が日本人だからかもしれないが しっくりくるよ。
ギリシア・ローマの立場は?ケルト人の立場は?
聖書が及ぼした影響も大きいだろうけど、
他の部分を無視してしまうことはないと思う。
西洋文明ってもっと複雑なものなのでは?
>>70 決して嫌味ではないけど、
何か隠された意味があるんじゃないかと疑ってしまいます。
西洋文学が素直に面白いんですが……
西洋文学に対立するものとしては何を考えておいでですか?
野暮なことを言って申し訳ありません。
76 :
吾輩は名無しである :03/02/15 04:43
ユダヤ教の行きつく先は“禅”だよ。
>>76 ほんと?どういう理屈で?ユダヤイスラムキリストは一神教の世界だから
仏教とは全然違うと素人的には思うのだけど
78 :
吾輩は名無しである :03/02/15 11:52
76ではないが、 まあ大抵の宗教が、風土や文化に由来する狭い教義や戒律を止揚できるならば、 その向かう先は「禅」になるだろう。 実際、ほとんどの宗教に神秘派と呼ばれる一派があり、瞑想を通して 超越者と直で接触するという体験をもつ。「超越者」=「真理」の擬人化 =「空」の体感、だから、行き着く先は同じ次元だ。 ようするに同じ「体験」の中味を、各々の宗教の言葉で語っているにすぎない。 真理が二つあるはずもない。
79 :
吾輩は名無しである :03/02/15 13:28
聖書の成立過程についての研究(書)はけっこう面白い。 長い年月を経るうちに他宗派の影響をうけて改ざんされた部分とか、 教父たちの解釈が逆に聖書自体の改編につながったとか・・ そんな類の聖書関連本はよく手にとるけど、 いまだに旧約は出エジプトまでしか読んでないのサー・・・
>78 無宗教人間的には、「瞑想を通して超越者と直で接触するという「空」の体験」は 脳内麻薬物質で一種の酩酊状態にある、つまり薬やってラリリ状態と変わらんとも思えるのですが。 実際キメちゃった人で神を見たの形而上の世界に足を踏み入れたのってのはよく聞く話だし、 俺の通っていた仏教系大学のとある教授も座禅修行をしばらくやって 「不思議な幻覚めいたものを見て躁状態になった」との事。 二つあるはずもない真理体験の真相がそんな所だとしたらちょっと哀しいかも。
>>76 >ユダヤ教の行きつく先は“禅”だよ。
これは本当ですか?
瞑想をしていると、いろいろ役に立つことに
気が付きます。これで生きるのが楽になりました。
瞑想をしない宗教なんて不自然だとも思っています。
キリスト教でも瞑想に関することが書かれているかと思い、
英語版のトマスによる福音書を買いましたが、聖書の単語を
理解していない私にはスラスラと読み進めません。
ユダヤ教にそのような記述があるなら知りたいと思います。
最近カトリックの修道院でも座禅を取り入れてるみたいですが。
83 :
吾輩は名無しである :03/02/16 17:28
>>82 具体的にその修道院の名称を挙げてみてください。
いえ、私も聞きかじりなので、知ってる方がいたら教えてほしいと思いまして…。 ここは詳しい方が多そうだったので。
85 :
吾輩は名無しである :03/02/16 17:56
聖クリトリス学園
88 :
無名草子さん :03/02/16 22:48
>>76 さん、
ユダヤ教の行き着く先が禅だなんて悩ましいことを書いて、
まさかそれっきりということはないんでしょう?
もう少し解説して下さい、みんな悩んでます。
89 :
みちる ◆lbBh.dZky2 :03/02/18 19:48
良スレハケーン オレは「創世記」「福音書」を岩波文庫で読んだ。 福音書はルカが一番ヨカタ。
90 :
吾輩は名無しである :03/02/18 21:18
>>89 この程度で良スレになるの?
なんなら、みちる君が「文学板住人は仏典を読んでいるのかスレッド」を、
>>91 が「文学板住人はコーランを読んでいるのかスレッド」を立ててごらん。
だから礼拝も行った事無いのに聖書だけ読んでも仕方ないって。 ファッションじゃないんだから。
礼拝もファッションになり得るけど。
だからね、要するに聖書って言うのは読むものじゃなくて引くものなんですよ。 そして玉虫色なんですよ。読む価値なんて無いんですよ。
読むものじゃなくて引くものってのは頷けるかも
96 :
吾輩は名無しである :03/02/20 21:45
万引きしろと言う事ですか
98 :
吾輩は名無しである :03/02/20 23:42
聖書なんて押してなんぼや
99 :
吾輩は名無しである :03/02/21 00:26
>>89 日本聖書協会と岩波で訳が違うのか?
俺は各福音書の区別もつかないアホーだが、どれも好きだ。
寝る前に時々読む。
しかしアホーなので、1954年改訳の言い回しは難解でようわからん。
100 :
吾輩は名無しである :03/02/21 00:33
聖書なんか高くて買えないよ 最低3000円だよな。辞書より高くちゃ誰も買わん。
101 :
吾輩は名無しである :03/02/21 00:34
そういえばweb版てないの、ファーザー?
102 :
吾輩は名無しである :03/02/21 00:37
>>100 今そんなにするのか?
俺のは星共社で1500円だよ。
103 :
吾輩は名無しである :03/02/21 00:42
うそーーん。かってきて改宗早速しよーっと。
104 :
吾輩は名無しである :03/02/21 02:06
田川健三「書物としての新約聖書」も おもしろいから嫁
105 :
吾輩は名無しである :03/02/21 15:06
聖書を読む価値ないなんてのは読んだことがないから言えること。 この本に匹敵する本を挙げることはむずかしい。
106 :
吾輩は名無しである :03/02/21 15:39
自然状態で完成してる人間をいじけたやつらが 貶めてるだけの本です。
四つの福音書を比較しながら読むと面白いね。 イエスがエジプトで幼少期を送っていたことになっていたり、 バプテスマのヨハネとの関係にしてもまったく違ったことを 書いていたり。そもそもヨハネとイエスが会ったことがあるのか ないのかすら分からなくなっている。 もちろん知ってますよQ文書のことは。 ベックの「仏教」には、赤ん坊のイエスがエルサレムでラビに祝福された エピソード(ルカ伝)は赤ん坊のゴータマがアシタ仙人に祝福されたエピ ソードからの転用だと書いてあるけど、どうなんでしょうね?
>>99 創世記は関根正雄訳、福音書は塚本虎二訳です。
これしか読んだことないので他の訳と比較デキマセン。
109 :
吾輩は名無しである :03/02/21 19:25
マタイの福音書ではヘロデ王が死んでからイエスは教えを広めに出たとあるんですが、 他の福音書ではヘロデ王って死んでませんよね。 預言者ヨハネを殺したのも確かヘロデ王だと記憶しているんですが。 これはマタイの勘違いなのか、それとも「ヘロデ」と言う名前は王が代々襲名する名前なんでしょうか。
110 :
吾輩は名無しである :03/02/22 02:15
聖書の情報量は膨大だから3000円でも安いよ。 もっと早くに手に入れておくべきだった。 宗教だから敬遠していたんだよな・・・ コヘレトの言葉は名言の宝庫だと思う。
111 :
吾輩は名無しである :03/02/25 13:04
パウロの手紙は全然面白く無いな。 残り80ページぐらいだけど挫折しそうだよ。
112 :
吾輩は名無しである :03/02/25 13:38
>>111 同意です。それがまた新約の中にパウロの手紙がいっぱいあるんですよね。
でも後世への影響力は計り知れないのでがんばって読んでいます。
113 :
吾輩は名無しである :03/03/11 18:21
飽きた もう挫折 聖書うざい
114 :
吾輩は名無しである :03/03/13 00:52
最初のうちは創世記と出エジプト記と福音書と使徒行伝と黙示録だけ読んどけ
115 :
吾輩は名無しである :03/03/13 01:10
マイコ−・ジャクソン>>>>>>>>>>性書
116 :
吾輩は名無しである :03/03/13 02:46
聖書でマスかいたのって芥川龍之介だっけ? 色川武大は二十代の博徒時代、旧約聖書しか読まなかったそうな。
118 :
吾輩は名無しである :03/03/15 20:12
初代教会の時代、聖書と言えばヘブライ語(旧約)聖書のことだった。 その後ユダヤ民族を教会から追放する目的で書かれた新約テキストが完成 して後、教会はまっしぐらに堕落・カルト化の道を歩み始め、中世の暗黒 時代へと進むことになる。
119 :
吾輩は名無しである :03/03/15 23:23
一番文学的なのが、マタイ伝だろ。 放蕩息子なんていかにもって感じた。 後のやつらの書いたのは文学的センスナッシング。
120 :
吾輩は名無しである :03/03/15 23:25
間違えたルカ伝だった。えへっ
>>119 >>120 「一番文学的」っていうのは、新約聖書の中でってことですよね。
旧約聖書にはヨナ記のような読む者の想像力を異様に刺激する話があるし。
創世記とヨシュア記がおもろい。 新約より旧約のほうがおもろい。
123 :
吾輩は名無しである :03/03/16 17:05
聖書協会の人達には旧約を配って貰いたい
124 :
吾輩は名無しである :03/03/16 17:21
正直、雅歌の一節をラブレターに使ったことがある。 今思えば恥ずかしくて顔から火が出そうな話だ。
125 :
吾輩は名無しである :03/03/16 18:50
聖書教会って立場としてはキリスト教徒なの? だったら旧約よりは新約、特に基礎となる福音書と使徒のはたらきを配ると思うが。
内容もそうだが 形式的に面白いつーのは凄いね
127 :
吾輩は名無しである :03/03/17 11:26
読んどるよ!
物語として呼んだら知り合いの信者に怒られました。 でもそういう風にしか読めなかったよ。
129 :
吾輩は名無しである :03/03/17 17:14
じゃあ狂信者達はどう言う風に読んでるんだ?
事実として読んでるんだろ。少なくとも新約は頭から信じてると思われ。 イエスの復活とかなw
131 :
吾輩は名無しである :03/03/17 17:23
どうせ聖書配ってるヤシラは聖書原理主義の似非プロテスタントだろ。 ブッシュみたくボーンアゲインさせるのがとりあえずの目的。 もっともブッシュは猿に生まれ変わってしまったがw
偽イエスが出てくるから、 本物を見分ける為に 「木になっている実を見て判断しなさい」 という記述があったような気がするのですが、 どなたかお心当たりありませんか?
134 :
吾輩は名無しである :03/03/17 17:44
>>132 捕縛前のオリブ山での説教じゃないか?
イチジクの木に葉が出ると夏が近いことがわかるように、
偽預言者が出てきたらモノホンの登場が近いことを学べ、ってやつ。
マタイなら24章32節、マルコなら13章28節、
ルカで21章29節、ヨハネは・・・あったっけ?
実が出てくるのは、その直前のベタニヤ−エルサレム間での話じゃないかな。 マルコなら11章12節。 腹減ったのでいちじく食おうと思ったら葉っぱしかなかったので、 逆ギレして未来永劫その木のイチジクを食う者がないように呪ったって箇所(ヒデェ
>>134 さん
ものすごく詳しいですね!!
驚きました。なるほど、少し間違って記憶していたかもしれません。
有難う御座いました。
137 :
吾輩は名無しである :03/03/17 20:32
あれ、予兆って? イエスは「泥棒がいつ来るか解らないように、 人の子は思わぬ時にやって来るものです。」 って言って信者に常なる注意を促してなかったっけ?
138 :
吾輩は名無しである :03/03/18 19:05
岩波はなんで 創世記、出エジプト記、ヨブ記しか出してないんですか? (旧約の方)
139 :
吾輩は名無しである :03/03/18 19:19
最高の文学書のひとつであるのは間違いない>聖書
140 :
吾輩は名無しである :03/03/18 23:32
>>138 マラキなんかを単独で買う人が少数だと判断したのでしょう。
文庫サイズで39巻出してもバラで買うとは思えませんし・・・。
単独でも買う人がいるだろうと判断されたのが、
モーセ五書の中の創世記、出エジプト記、ヨブ記だったのですね。
141 :
吾輩は名無しである :03/03/19 03:25
>>140 漏れはそれ以外にエゼキエル書とマラキ書を含めた十二小預言書(上・下)も持ってる。
ほかに詩編とかも出ていたはず。
>>141 あ、そうなのですか?
じゃあ書店で見かけないのは、もう廃版になったのかもしれませんね。
岩波って昔からある分、廃版になった文庫作品も多いですし・・・。
>>141 え、そうなんだ……
目録を見ても創世、出エジプト、ヨブしかなかったから
てっきりそれしか出してないのかと思ってました。
絶版になったのなら、復刻してほしいですね。
現状は中途半端すぎでしょう。
ヨシュア記キボンヌ
147 :
吾輩は名無しである :03/03/20 03:49
岩波で創世記、出エジプト記を読みますた。 が、出エジプト記最後の方の くだくだしい「〜の指示」ってあたりはうんざりしました。 マニアはああいうのが面白いんですかね? アロン達はあんな長たらしいから待ちきれなくて 「金の小牛」を作ったんでしょうか。
普通の聖書読んでんのかと思ったらわざわざ岩波なんかで読んでんのか。 だるい事するなあ。
文語版なら福音を時々読みます。 でもバッハの「マタイ」「ヨハネ」 を聞く時間の方が多い (ドイツ語わからんのですが)。
150 :
吾輩は名無しである :03/03/21 02:37
旧約については岩波文庫と同じ関根正雄の訳が教文館から出ている。 こちらは旧約全部がそろっている。 岩波文庫のものをだいぶ加筆訂正したらしい。 但し箱入りのハードカバーで値段が高い。
なんかの聞きかじりだけどダヴィデって羊飼いの「少年」でしょ?確か12歳くらいの。 ユダヤとか全然知らんが、土民とかの割礼って成人の儀式にやるらしいし、 ダヴィちゃんも年齢的に割礼未満のお年頃だったんじゃないの? まあ少年にしちゃマッチョすぎるか。
152 :
吾輩は名無しである :03/03/21 09:48
>>151 聖書の中に初めて出てくるのはそれくらいの年
でも王になるのは大人になってから
153 :
我輩は名無しである :03/03/21 14:55
ダヴィデはゴリアテのことを「この割礼を受けていない者(=神の民ではない者)」と 呼んでいるからダヴィデ自身は割礼ズミ 当時のユダヤの習慣では男の子は生まれて何日目かで割礼を受けることが定められていた たぶんはミケランジェロの彫刻からダヴィデを想像してると思うけど ギリシャ時代から文明人は包茎、野蛮人はムケチンであらわすのが 美術の習慣なんだよね。 ギリシャ人の意識ではズルムケは野蛮のあかし、当時運動は全裸でするものだったから ギリシャの運動選手はわざわざ先っぽを縛ってたそうです
文明人は挙手 ω・`)ノシ
シュタイナーの「ルカ福音書講義」を読んで、かなり驚いた。ヨハネよりもだ。
156 :
我輩は名無しである :03/04/12 20:38
4福音書の比較はおもしろいよ 有名な山上の垂訓がルカにしかないこととか、 最後の晩餐がヨハネだけ日取りが違ってるとか かえって信者さんの方が知らないかもしれない 教会は矛盾や都合の悪いことは隠すからね
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
158 :
吾輩は名無しである :03/05/10 18:06
あげ
∧_∧ ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。 =〔~∪ ̄ ̄〕 = ◎――◎ 山崎渉
結論「それは、マタイ福音書がラビ的ユダヤ教との決別宣言、
異邦人布教への転向宣言であったからだ」
フランス文学総合スレッド↓において、
http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/1047088363/251-253 「マタイがユダヤ人やユダヤ律法を守るキリスト教徒向けに福音書を書いたのなら、
なぜ新約はすべてギリシア語で書かれているのか。
マタイが、ユダヤ人あるいはユダヤ律法を守るキリスト教徒向けに
"ユダヤ的"正当性をギリシア語で主張する根拠がわからない」
という疑問がありました。
これに「マタイのみアラム語で書かれていたはず」
と私がレスをつけ、さらにこれに対して
「ルカ以外の福音書は、ヘブライ語で書かれたものを
ギリシャ語に翻訳(それも直訳)した形跡がある」
という引用レスがなされました。
ここへ来て板違いも大概になってきたので、
話を続けるためにこちらのスレに移って来たわけです。どうぞよろしく。
さて。まず、仏文スレ252での私の発言が間違っていたことを認めねばなりません。
どうやらマタイ福音書についてもアラム語背景説↓は間違いのようです。
「アラム語背景説 福音書は元来アラム語で書かれ、のちギリシア語に翻訳されたという説。
(後略)」(キリスト教大辞典編集委員会『キリスト教大辞典』p40 教文館)
「最初の三つの福音書、つまりマタイ、マルコ、ルカは共観福音書と呼ばれ、
同じ源泉について書かれたとされています。最初にマタイ福音書がアラム語
(当時のユダヤ人の日常語)で書かれ、それがギリシア語に翻訳されて今日に伝えられた
とする説は、かつてはかなり有力でしたが、今日この説を取る学者は極くわずかです。
替わって、最初に書かれたのはマルコ福音書だとする説が断然優勢になっています」
(高柳俊一『聖書を読む 1 マタイによる福音書』p5-6 筑摩書房)
とあります。どうやら私の知識というか教育が古かったようですw
では、アラム語でないとしたら、仏文スレ253で引用されている
http://www.nunochu.com/bible/faq/z_greek.html の記述のように、マタイ福音書ももともとヘブライ語で書かれていたのか。
「マタイ福音書は、伝統的には『十二弟子』のなかの『マタイ』(マタイ一〇章3節)が 著者であるとされ、その権威の重さと内容の充実から、四福音書の筆頭にあげられる に至っている。この『マタイ』著者説を支えるのは、マルコ福音書の場合もあげた、 二世紀中頃近くのヒエラポリスの司教パピアスである。彼によれば、『マタイは ヘブライ語で(主の)ロギア(言葉、発音、詞の複数形)を集大成した』という。 しかし、この『ロギア』がマタイ福音書である可能性はまずない。マタイ福音書は 決してヘブライ語からの翻訳ではなく、はじめからギリシア語の作品であることは 現在疑う者がいないからである。そもそも、著者はどこでも名乗ってはいない。 ここでも事情はマルコ福音書の場合と同じであって、今の我々には無名の、おそらく ユダヤ人キリスト者である人物が著者である」(佐藤研 訳『新約聖書1 マルコによる福音書 マタイによる福音書』p237 岩波書店) また、『キリスト教大辞典』p1017にはこうあります。 「しかし、このパピアスの証言は、マタイ福音書のひとつの試料であるイエスの 語録について言われたものであっても、この福音書全体についていわれたものではない。 結局、この福音書の著者は、福音書の内容から推定して、パレスチナの事情と ユダヤ教徒とに通事、ギリシア語を語るユダヤ人キリスト教者であったと いえるだけである」(秋本 徹) マタイ福音書自体があらかじめヘブライ語で書かれたわけではなさそうです。 では、なぜマタイ福音書はいきなりギリシア語で書かれたのか。 なお、このへんの論議については増田、村瀬、山口『新聖書注解 新約1』(いのちのことば社) p61-65の「一 著者問題」がくわしいです。ちなみにこの本は「著者=マタイ」寄り。
以下ちょっと寄り道。いろいろな書誌研究の結果、 まずマルコ福音書が成立したことがわかっています。 「したがってマタイとルカがそれぞれマルコを参考にしながら、しかしマタイとルカは 一方が他方を参考にせずに、つまり互いに知らずに、執筆していることになる。 (下の図)」(加藤隆『新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか』p161 大修館書店 マルコ こんな感じ。 ↓ ↓ マタイ ルカ 「ところが、マルコにはないがマタイとルカに共通に認められるテキストはかなりの 量にのぼる。(中略)このことからマタイとルカは、マルコ福音書とは別にイエスの 言葉が集められた資料を手に入れて参考にしている可能性が大きいと考えられるのである。 このイエスの言葉の集められた資料は、『資料』を意味するドイツ語のQuelleの頭文字を とって『Q』あるいは『Q資料』と呼ばれている」(同上p161-162) マルコ Q こんな感じ。 ↓ \ / ↓ 「したがってマタイとルカは、マルコ福音書と ↓ X ↓ 『Q資料』を手に入れて、互いには直接依存せずに、 ↓ / \ ↓ それぞれの福音書を執筆していたことになる」(同上p162) マタイ ルカ そして、このマルコ福音書はギリシア語で書かれているのです。
ではなぜギリシア語で? 「マタイの福音書の一大特徴は、旧約聖書からの引用が圧倒的に多いことである。 (中略)これはユダヤ人がユダヤ人に書いている証拠でもあるが、それをまた 裏付けるかのようにイエズス・キリストがアブラハムの子孫であることを示す 系図をもって、マタイの福音書は始まっている。しかしその結尾は、全世界に 福音を宣教するために弟子達を送り出すという福音の世界性を持って終わっている。 そこでは偏狭なユダヤ主義は完全に克服されている。マタイの強調するユダヤ的 要素にも関わらず、彼の真に意図していることは、キリスト教が世界性を 持っていることを示すことにあったと言える。」(『新聖書注解 新約1』p65-66) つまり、マタイのグループは「律法を守るユダヤ人キリスト教徒集団」でありながら、 異邦人への布教に方針転換を計ろうとしていたのです。
さらに、 「マタイが福音書を書いている相手は、彼の共同体(教会)である。(中略) つまり弟子達はこれから、異邦人相手の伝道に乗り出そうというのである。 (マタイ28章18-20節、21章3節参照) そのためのアイデンティティ確立と 振舞いの指針の書が本書である。(中略)具体的にはマタイの教会が聖書の 成就体であり、『真のイスラエル』であるということである。(中略)しかし この主張は同時に反面、現に存在している『肉』のイスラエルは『偽』のイスラエル でしかないという批判を内包している。(中略)そこからユダヤ教、現実には 『ファリサイ派が』圧倒的主体になったラビ的ユダヤ教への批判・断罪が生まれる。 それはイエスの物語の中の『ファリサイ派批判』となって投影される。(中略) 他方、マタイの共同体がこれから異邦人に向かうとすれば、当然その異邦人たる ローマ人によって処刑された人物をメシアとして崇めるというのは問題無しとしない。 したがって、マタイ福音書の受難物語では、ピラトゥスがイエスの無実を確信し、 (異邦人は)イエスの死には責任がないことを明言することになっている。(27章24節) そしてその背面の事実として、ユダヤの民はイエス殺しの責任を全面的に 担わされるに至る(27章25節)。」 (『新約聖書1 マルコによる福音書 マタイによる福音書』p239-240) すなわち、マタイ福音書ははラビ的ユダヤ教への決別宣言でもあったのです。
まとめ。 ユダヤ人に語っているはずのマタイ福音書が、どうしてアラム語でもなく、 ヘブライ語でもなく、ギリシア語で書かれたのか。 マタイ福音書は、「ユダヤ律法を守るキリスト教徒」としてのマタイのグループが、 ラビ的ユダヤ教を否定し異邦人への布教を開始することのマニフェストであった。 そしてそのマニフェストは異邦人の言葉、 ギリシア語で書かれなければならなかったのである。 てな感じでしょうか。 福音書関係はあまりよく知らない私にもいい勉強になりました。 質問してくださった方サンクス
168 :
吾輩は名無しである :03/06/07 11:08
仏文スレの251です。
http://books.rakuten.co.jp/jinbun/NS/CSfLastGenGoodsPage_001.jsp?GOODS_NO=1050885&rbx=X ↑なんだ「新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか」という本がすでに出ていたんだね・・・
最初からこの本を参照すればよかった。てか、この書籍のタイトルが頭に残って
いたから先の疑問が浮かんで来たんだろうが・・・
160-166さんの長ーい引用文を含むレスはなかなか勉強になりましたよ。さっそく
現物に当たってみることにします。
たしかに
http://www.nunochu.com/bible/faq/z_greek.html で言っているのは、「福音書は実際に最初にヘブライ語で書かれたものが
ギリシア語に翻訳されたのか、あるいは最初から直接ギリシア語で書かれたとしても、
ヘブライ語の資料(それが『Q』資料であることは上記のサイトでも言及されていますが)
を参照しながら書かれた」ということなので、上のレスで引用された説とは矛盾しないと思います。
ところで、
>>166 の結論には説得力があるように思いますが(というか、まあ予測できる範囲の
解答だとは思いますが)、なぜ162-166さんが「マタイ」福音書にこだわる
のかがちょっと理解しかねるのですが。
たとえマタイ福音書が旧約からの引用が多く“ユダヤ的”な性格が濃厚だったとしても
書誌的にいえば最初に書かれた福音書はマルコ福音書なわけだし、マタイ・ルカは
マルコの記述を元にして記述されたことはあなたのレスでも書かれていることです。
またマルコの執筆者もマタイと同様、「無名の、おそらくユダヤ人キリスト者である人物」だと
されています。こうした書誌的な事実を併せて考えると、
マタイ福音書だけを取り出して、その原始キリスト教の「ラビ的ユダヤ」に対する
反駁や近親憎悪を説明するのはやや短絡的かと思われるわけですが…。
むしろマルコ福音書まで遡って、そこに描かれている原始キリスト教の持つ社会思想などを踏まえた上で、
「マタイ」書記者はその中にあってある個人的な意図をもってこの福音書を書いた、と
読み解くべきではないかと思うのですが・・・
しかし正体不明の福音書書記者の個人的な意図など、その人物が分からない以上
詮索してもあまり意味がないとも思えるのですが。w
その後、なんの回答もなしかよ。
170 :
吾輩は名無しである :03/07/14 06:18
てか、どうして色んな聖書学の本を参照しておきながら、ぬのちゅーとか何とかいうDQNなサイト 未だに信じてんの?
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
172 :
吾輩は名無しである :03/07/19 14:22
age
(^^)
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
お・・おなら・・・ぷ・・う・・。
176 :
吾輩は名無しである :03/10/08 20:54
177 :
吾輩は名無しである :03/10/25 18:17
結論として文学いちずな人間はいちおう聖書を読んだことあるが それだけで終わるか、 マニアックな知識を求めるかのどっちか 標準的な文学がわからなくなる DQNな信者がこのスレにいるぞ
>>177 文献学の話をしてた奴らが間借りしただけだろ。
信者信者言ってると自分がどっかのカルト信者扱いされるぞ。
179 :
吾輩は名無しである :03/12/21 22:25
レシピは役に立った。
今日、教会の人が来て僕に「世界で一番偉大なひと」という本を 渡してくれた。
182 :
吾輩は名無しである :03/12/22 12:36
宗派によって聖書の内容が違ってる事があるってほんと?それはなぜ?
統一される前に宗派が分かれたからでは?
184 :
吾輩は名無しである :03/12/28 04:43
>>182 使ってる聖書(翻訳)が違うから、と言う場合もあるだろうし、
あと、何を正典、外典とするかがそれぞれ違ったりするから、とか。
原文にできるだけ忠実な聖書っていったら、何だろう?
原文にできるだけ忠実な聖書の日本語訳版っていったら、何だろう?
>>186 新共同訳は持っているよ。
八木誠一の著作に感化されたんだが、同訳は「原文に忠実」とは言えないようだ。
新約聖書に限って言えば、使われている語彙は2千といくらだから、
新約聖書用のギリシア語辞典でも買って来て、
ヒマな時にでもぱらぱらめくればいい。
おれはやったことがないが。
今さらだが、
>>186 は
>>182-183 へのレス。
「旧約聖書略解」「新約聖書略解」ごと新共同訳に乗り換えるのはしんどい。
>>188 君はなぜ聖書に関心があるんだい?
俺は新約に描かれたイエスに興味があるんだが。
コーランもお経も読んでいるので、何とも言えない。
>>190 何か返答になっていないようだが。
世の全ての聖典を読んでいるわけでもあるまい。
コーランとお経はコーランとお経であって、聖書ではない。
なぜ、聖書を読むのか?
それを自己分析できないようでは、作家志望者としてはちと問題ではないのか?
聖書を読むのに理由が必要だとは思わなかったのです。 以後、発言は控えます。すみませんでした。
193 :
吾輩は名無しである :
04/01/09 13:51