ここ数年、小説の類は読んでいませんでしたが、
『海辺のカフカ』を読み、久方ぶりに萌え。
『ノルウェイ〜』を何故かしら読みたくなった。
厨房のとき、TVで拘置所から廃人のような様相で出てくる尾崎豊が、
手垢で煤けた『ノルウェイ〜』を大事そうに小脇に抱えている様を見た。
これが僕の初めてまともに読んだ小説でした。
もういいよ・・
3 :
吾輩は名無しである:02/10/21 16:47
俺がノルウェイしたのは10年前になる。
これを読んで死にたくなった友人もいた。
まうケコーです。
6 :
吾輩は名無しである:02/10/21 16:58
8 :
吾輩は名無しである:02/10/21 19:00
9 :
吾輩は名無しである:02/10/21 19:01
10 :
吾輩は名無しである:02/10/21 19:02
待っているよん!
(・∀・)!!
11 :
吾輩は名無しである:02/10/21 20:19
一時期どっぷりはまりました。
13 :
吾輩は名無しである:02/10/21 21:59
やっぱりこの作品が社会的病理を痛烈に描き出しているような
193です
すいませんゴバークしますた
15 :
吾輩は名無しである:02/10/21 22:49
p
ノルウェイの木?
ノルウェイの盛り合わせ
18 :
吾輩は名無しである:02/10/21 23:45
君が望む永遠・・・
19 :
吾輩は名無しである:02/10/21 23:53
読んだことないんですけど、この板自体に来ちゃダメっすか?
20 :
吾輩は名無しである:02/10/21 23:53
ありがとうイーヨー!!
漏れのためにあるような小説だな
24 :
吾輩は名無しである:02/10/22 09:00
>>19 読む気はないのかい?村上春樹の読んだことはあります?
25 :
吾輩は名無しである:02/10/22 20:59
haruage
26 :
吾輩は名無しである:02/10/23 09:47
なつかしいなぁ。15年くらいたつかな?
27 :
吾輩は名無しである:02/10/23 14:56
とてもつまらない小説。
ちょっと軽く読み返してみようかな
29 :
吾輩は名無しである:02/10/23 14:58
>>24 無いっす。カフカはつまらないらしいし…。
読む気はあります。
貴方のお薦めは?
30 :
吾輩は名無しである:02/10/23 15:14
尾崎って真性DQNだろ?
>1はそこら辺わかってんのか?
DQNだろうがそうでなかろうが持ってたもんは持ってたんだよ。
ノルウェイの森がDQNの小説って事を強調しようと思って書いたの?
ならいいけど。
なぜDQNに拘るのだ
わざわざ>1に尾崎の事を書いた意図が分からなかっただけさ。
35 :
吾輩は名無しである:02/10/27 13:13
キュウリにノリを巻いてショウユをつけて食べてみました。
悲しい味がしました。
>>29 「パン屋再襲撃」「夜のくもざる」
長篇なら「ダンス・ダンス・ダンス」「風の歌を聴け」
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」
ノルウェイの森で一番印象に残ってるのは...
いや、言わないでおこう。
38 :
かきうり ◆ZiH72UKNYw :02/10/27 13:53
>>29 以下 私見です
新作が出るたびに読むのですが、感想の中に占める
失望感の割合が少しずつ大きくなってきてます。
そのたびに旧作を読み返しては安堵するのですが、
徐々にそういう感じ方もできなくなってきました。
しかし、「世界の終わり〜」は私の中では変わらなく
傑作です。たぶん、春樹的世界の作品群と少し距離が
離れているからではと思います。
ということで、「世界の終わり〜」をおすすめします
39 :
かきうり ◆ZiH72UKNYw :02/10/27 13:55
ノルウェイも良い作品だよ。この作品から春樹に入った人も多いし。
41 :
かきうり ◆ZiH72UKNYw :02/10/27 14:00
まぁ、どこから入ってもパターン一緒だし。
それが好きな人ならだいたいの作品は面白く読めるけど
「海辺のカフカ」はつまらなかったな。
>>44 そうかな?
オレはけっこう3部作とか知らなかった時は順番もデタラメに読んだよ。
ハマって再読する時に順番通り読んだけど。
>>45 どんな順番?「ダンス」「羊」「風」みたいに
遡っていくような読み方だったらおもしろそうだね
>>46 オレが読んだ順番は「ダンス」→「風の歌」→「ノルウェイ」→
「スプートニク」→「世界の終わり」とか、まぁそういう感じでしたよ。
間に短編とかエッセイとか読みながら。
もちろん他の作家の作品も読みながらという事だけど。
>>47 私は
「ノルウェイ」「風」「1973」「羊」「ダンス」「世界」かな
「世界」は最後までとっといたんよ
49 :
吾輩は名無しである:02/10/27 18:21
高校の時に初めて読んだ。
○年後の今、「直子」を地で行ってる私。
読み返したら切なくなった。
( ;´Д`;) ウワーッ
50 :
吾輩は名無しである:02/10/27 19:19
うわ、私と一緒だ・・・
デパス飲んで寝ます。
( ;´Д`;) ウワーッ
51 :
大森うたえもん:02/10/27 19:56
元たけし軍団ですが、なにか?
52 :
吾輩は名無しである:02/10/27 20:36
リアルで直子はやばいだろ
説明しよう。たとえば。。。。
「18年という歳月が過ぎ去ってしまった今でも、僕はあの草原の風景をはっきり思い出すことができる。
何日かつづいたやわらかな雨に夏のあいだのほこりをすっかり洗い流された山肌は深く鮮やかな青みをたたえ、
10月の風はすすきの穂をあちこちで揺らせ、細長い雲が凍りつくような青い天頂にぴたりと張り付いていた。
空は高く、じっと見ていると目が痛くなるほどだった。(中略)
真っ赤な鳥が二羽草原の中から何かに怯えたように飛び上がって雑木林の方に飛んでいくのを見かけただけだった。
歩きながら直子は僕に井戸の話をしてくれた。」(『ノルウェイの森』(講談社)上巻p,19)
↑こういう文章が『海辺のカフカ』にないのは何故か?自分としてはこういう風景描写が村上春樹の特性を如実に表現していた
と思うわけなんだよね。これがなくなったのはいつごろからだっけ?
『スプートニク』にはあったよね。冒頭のあの文章だね。あれも風景でもないけれども。
これって僕が思うに村上春樹の作家性の乖離なんだと思うのだけれども。
作家性の乖離。以前のように風景を英文を訳したようないびつなロジックで語りなおす
という一連の所作(詩的でもあり、格言的でもある)このような所作に
世間へのメッセージ性を見出せなくなった。世界と地続きであったと信じていたあの時代に
風景を描写することはそれだけで「表現」として読者に何らかの意図を読み取らせる余剰が生まれていた。
それが無くなった。というのが一つ。
もう一つは単純。作家村上春樹の小説観の変化。震災以後それが顕現しているといわれているけど、
どのように変化したのか、ということはとりあえず対して興味ない。
変化の先にあるのが『海辺』であるなら、その変化などに興味はない。
その作家としての小説観の変化が、技術的な問題に照射するのか、主題的な問題なのか
といえば、それは技術であると答えよう。
整理しよう。一つには現実の世界が春樹の風景描写を受け付けなくなった。
もう一つには春樹自身の作家としての小説観の変化。
前者はほぼ不可抗力であり、後者は震災という他者との出会いを隔てているとはいえ、
「僕」の立場からの主体的な行動だ。
一人の作家村上春樹をマイナスの力(世界)とプラスの力(意思)とが
両極から分裂させてしまった、とつまりはこういうことだ。
これもしかたのないことなのだろう。
>>50 お仲間・・・。
( ;´Д`;) ウワーッ
>>52 そうだよ。やばいよー。
しかも、つれ(ワケあって恋人ではない)もワタナベ君
みたいなタイプでつ。
( ;´Д`;) ウワーッ
>>50 ドグマチールもお忘れずに・・・
私も薬、飲んで寝ます。
57 :
吾輩は名無しである:02/10/27 21:40
直子は美人という設定なんですけどね。
よっぽど顔に自信があるのか、読解力が無いのか、
まぁ知りませんけどね、どうであれ春樹ヲタはやっぱアホが多いなぁ、と思った。
58 :
吾輩は名無しである:02/10/27 23:44
美人じゃなくても、直子と同じ苦しみを味わうことはあるでしょ?
>>58 ないやろ。
ブスだともともと男が寄って来ないし。
口でしてあげる事もない。
61 :
吾輩は名無しである:02/10/28 15:16
age
62 :
竹中あんり ◆3iLuckyQWA :02/10/28 16:34
デタッチメントからコミットメントへなどとほざきつつ、社会的な問題に積極的に関わっていく姿勢に
方向転換してきた彼だけど、それ故に言葉が彼自身の内部から生まれるのではなく、
外部に依存してしまい、初期の頃のめっちゃ臭いけど魅力的な世界観が失われちゃったのが問題なのよ!?
オリンピックなんか見て喜んでる春樹ちゃんは最低でーすの!!!
説明すると、エピソード記憶の紹介を随時おこなってきた春樹だが
その個人的な体験を司る神経を、今度は95年を境に意味記憶の行使
に専念することで彼の持つ文章が歴史性、精神性を媒介にして損なわれた。
人物のブッキッシュな側面を一貫してアイロニカルにユーモアを込めて
作った春樹だが、ブッキッシュな側面を前景化して寓話化するという技巧も
もちろん並行して行ってきた。村上春樹はこの両義性に支えられているのだが、
春樹論をやる人は一貫して春樹のそうしたペダントリーを無視して、
日本的スノビズム、右翼、共同体との対置によって村上春樹の「場所」を
弁証する。村上春樹は常に絶えず日本人のイデオロジックであると考えられてきた。
即物的な地域性に忍ぶ近代文学の終焉以後、バブル崩壊まで90年代はとかく
そのようなイデオロジックな時代、心にぽっかり開いた穴を埋める言葉、
音楽が「癒し」という言葉を纏って、通俗化した時代でもあった。
もはや日本自体に「地域」という概念の喪失が漂うのは明白であった。
そうした90年代の半ばの「震災」は喪失した地域性に、さらに即物的な
裂け目を付与する運命的なものであった。春樹は阪神大震災に運命を
イデオロジックな何かを、形而上学を感じとったのであろう。
彼は飛びついた。オウムにも飛びついた。その飛びつきはいずれも
その地域に起こった事象を超えて、共同体を支配する不可視な幽霊を
求めていたものだ。しかし日本的な地域性を端から度外視して精神性の
凍結に向かった春樹という作家は、その95年という年が日本文学に
末期的な欠損を与えた地域性の喪失とパラレルな関係に布置していたこと
が読み取れなかったのだ。彼は自分も井の中の蛙であることを自覚できない
ままそれ以後の作品を、精神と物質の両面において捕らえることにことごとく
失敗してきた。彼の中に達成感はないはずである。あたりまえだ。
村上春樹は自身の小説化としてのトポスをわきまえていないのである。
それ自体トポロジーとして存在する彼の小説が、彼の文章と分かちがたく
結合していることにもまた無自覚である。彼には、彼に出来ることしか
出来ないのである。
自分の言葉でわかりやすく語れって何度言ったらわかるですか!
理論的なことはよく分からんが
最近の作品はつまらない
春樹氏自身も書いていても昔ほどは
楽しくないだろうな
66 :
吾輩は名無しである:02/10/28 22:48
ピンボールしてぇ
>デタッチメントからコミットメントへなどとほざきつつ
そもそも本質的に「デタッチメント」と「コミットメント」という2つの
概念は相反するものではありえないんだよね。
@「デタッチメント」の反対は「アタッチメント」
A「コミットメント」の反対は…特にない。強いて言えば「アンコミッティド」(形)
@は感情のレヴェルの単語で
Aは議会や公的な場での参加や出席の意思表明として用いる。
春樹ファンはその辺りの区別を無視して両者を混同するのがいつも気になってしかたない。
え〜?それは詭弁でしょ。
村上春樹がそれらの言葉を相反するものとして使ってるのは周知の事実じゃない。
素直にならなきゃダメだぞ♪(はあと
69 :
竹中あんり ◆3iLuckyQWA :02/10/29 11:24
__
, ' ___ヽ
i/ノノレリ)〉 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<ゝ|| ゚ ー゚ノ! < ハルキマニアのみんな集まれ!!
/((つ \_____________________
⊂ヽノ !
し'
じゃあ補足すると、
コミットメント⇔デタッチメントという春樹の対置はね、
要するに電池にたとえると+極⇔−極の関係を、単純に明示したい
というだけだよね。
その語が持つ場に応じた響きなんていうのは全く度外視しての対置なんだよ。
コミットメント(+作用)が議会や公的ではない状況、たとえば物語りや
事件、震災などへの感情移入、情の入れ具合、そういうことの表現である
なら「コミットメント」ではなく「アタッチメント」を使うべきなんだ。
それを自分の発言がさも厳格であるかのように「コミットメント」なんて
言うから、ズレているんだよ。
コミットメント⇔アタッチメント
であるはずなんだ。本質的には。それはコミットメントっていう単語が
持つ表現としては、(+作用ではなく、公の場への発言等)という概念
がまずあるから。
それがあるからコミットとアタッチメントっていう2つの表現が使いわけ
られているというわけ。コミットが(+)を表現するためだけの言葉なんだ
としたら、アタッチメントっていう言葉は必要ないわけだよ。
(公式な意思表明として)⇔(感情移入を代表して)
↓ ↓
図にすると コミットメント⇔アタッチメント
↓
ディタッチメント
というわけ。
だからぁ、「ノルウェイの森」を語らないのなら
春樹スレにいけばぁ〜
72 :
吾輩は名無しである:02/10/31 20:45
>>71 デタッチメントやコミットメントというのはノルウェイのかなり重要な部分だけど
73 :
吾輩は名無しである:02/10/31 21:01
「デイドリーム・ビリーバー」
ライフワークともいえる宗教小説の第一弾です。郊外に新設された山の中のクレーターのような大学キャンパスを舞台に、
声を失った主人公と三人の仲間、それに神秘的なコビトを加えたメンバーが、
大学を支配しようとしている宗教教団と闘う物語です。
この宗教教団をいかに魅力的に描くかがポイントで、とくに教祖をスーパーヒーローに仕立て上げました。
カルト集団の恐怖と魅力を描いた作品で、時代を先取りした予言的な作品といっていいでしょう。
マドンナと呼ばれる謎めいたヒロインも出てきます。物語のクラスマックスは集団結婚式のセレモニーで、
主人公と仲間たちが、マドンナを奪還するためにスリリングな闘いを展開します。
また、主人公たちは地球外生物との交信を目指して、装置をセットするのですが、
やがてその装置にメッセージが書き込まれます。この部分も作品の山となっていますが、
インターネットなどというものが想像もできなかった十年以上前に書かれた作品であることを考えれば、
この点でも時代を先取りした作品といっていいでしょう。
SFふうの仕掛けを取り込んだ作品の宿命ですが、現在の時点から読み返すと、コンピュータの扱い方などに、ヘンテコな点も多々あるのですが、
パソコンの能力がまだ極端に劣っていて、「端末」としてしか機能しなかった時代の物語ですから、
歴史小説に接するようなつもりで読んでいただければ幸いです。
なお、この大学キャンパスの四方には、黒、白、赤、青の建物が配置されていますが、これは古代中国の宇宙観からとったもので、
相撲中継の土俵の上の房を見てとっさに思いついたものではありません。
この作品に登場するコビトは、イエス・キリストを模したもので、次に書かれる「地に火を放つ者」への橋渡しとなる作品でもあります。
また、のちに書かれる「迷宮のラビア」は、当初はこの作品の続編として構想されていたものです。
どうして最後にレイコさんとSEXしたのかなぁ?
自分はあの場面がすごく引っかかってしまって、
小説全体が理解不能になってしまった。。。
75 :
吾輩は名無しである:02/11/03 01:11
>>74 それはまあ、霊子さんは死んだ直子のかわりにセクースしたんでしょうよ。
いろんな意味において。そこんとこの「内面」を描かないのが村上春樹の
芸。どうでもいい内面をわざとえんえんと描き、肝心のところは絶対に
書かない。
76 :
吾輩は名無しである:02/11/03 02:45
俺の中での最高傑作は『風の歌を聴け』なのだけど、その辺皆様はどうだろう?
77 :
吾輩は名無しである:02/11/03 03:04
短いから却下
78 :
吾輩は名無しである:02/11/06 12:26
俺の中での最高傑作は『世界の終り』なのだけど、その辺皆様はどうだろう?
79 :
吾輩は名無しである:02/11/06 12:27
長いから却下
80 :
吾輩は名無しである:02/11/06 13:49
>>76 >>78 なんつーか、オレの中では村上春樹って全部の作品が断片的に良いんだよね。
トータル的に「これが一番好き」っていうのは無いなぁ。
81 :
吾輩は名無しである:02/11/06 15:27
↑DQNはけーん
82 :
吾輩は名無しである:02/11/06 15:27
春樹はもういいよ・・・
といいながらこのスレ来てるし…
あげ
85 :
吾輩は名無しである:02/11/12 10:11
どうでもいい内面をわざとえんえんと描き、肝心のところは絶対に
書かない。
↑
ビンゴ!(by Harukist)
86 :
吾輩は名無しである:02/11/12 21:35
貼るキッス
三島幸雄wsとぇ