1 :
吾輩は名無しである :
02/10/01 23:26 どうよ? 俺は一気に読み終えた。
2 :
吾輩は名無しである :02/10/01 23:26
どうもこうもない
3 :
吾輩は名無しである :02/10/01 23:40
続明暗・私小説
4 :
吾輩は名無しである :02/10/01 23:51
続・明暗しか知らないんですが、この人の小説ってどうなんですか?
5 :
吾輩は名無しである :02/10/01 23:53
いままでずっと「水村早苗」かと思ってた…鬱駄詩嚢
いままでずっと「上田早苗」かと思ってた
まだ読んでないから、ちょっとまって
8 :
吾輩は名無しである :02/10/02 01:33
俺も一気読み。しかも、『嵐が丘』と連続で。読みごたえ十分、しかも、何度も 読み返せそう。戦後日本経済については、岩井克人に文献とか教えてもらった のかな?寡作で、理論先行のところはあるけれど、それを補ってあまりある 構成力と筆力があると思う。
戦後日本を舞台にした『嵐が丘』という設定での恋愛小説としても もちろん読めるけれど、戦前から戦後、バブル崩壊期までの歴史 小説としても読めるんじゃないかな。あと、インタビューで本人は 「「昔」を恋うる小説だから、ある意味、退嬰的だ」と言っていた けれど、『真珠夫人』からの引用はあるらしいし(まだ確認して ないが物の描写だそう)、『新・愛の嵐』はやっていたしで、実は 流行先取りってところもおもしろい。
10 :
吾輩は名無しである :02/10/03 02:11
こいつって色物だね。 「本邦初の横書き小説」なんて謳ってるけど、 何年か前の文藝賞受賞作にも横書き英語混じりあったぞ
11 :
吾輩は名無しである :02/10/03 06:19
>>10 横書き即色物かよ。おまえバカじゃねえの?
12 :
吾輩は名無しである :02/10/03 22:16
おれっちはおバカさんなので、本当に水村美苗の聞き知った話なのかと思って 読んでいた。 それにしても序章の長い長いお話の効果が効きまくっている後の展開。 久々に読み終わるのが惜しい小説です。
13 :
吾輩は名無しである :02/10/03 22:30
俺も買っちゃおうかな。 でも『續・明暗』も『私小説』もまだ未読だから ちょこっと躊躇してんだけどもね。
14 :
吾輩は名無しである :02/10/03 22:35
誰も突っ込まないが、上田早苗はキャプテン翼くんだ。
15 :
吾輩は名無しである :02/10/03 22:37
読んだことないけどなんかおもしろそうな人ですね。 ところで、この人何歳なんでしょう?
16 :
吾輩は名無しである :02/10/03 23:23
>>15 NHKの上田早苗アナウンサーは今年39歳、B型のおうし座です。
18 :
吾輩は名無しである :02/10/04 00:33
厨房は全員、文壇BARスレに逝ってくらさい。
今年ベスト1の期待大。 『嵐が丘』の再読とともに味読しようと楽しみ。 オンライン書店で取り寄せればいいのだけれど、 何かこう、東京堂書店の2階あたりまで、わくわく しながら買いに行きたい気分。 で、Mに寄ってアルゼンチンタンゴでも聞きながら 読む…と。 『真珠夫人』も読んだ方がいいかなあ。
新潮の11月号で源ちゃん(という歳ではもうないか(笑))と対談して ますね。宣伝もかねてなんでしょうけど。でも、このスレッドの書きこみの 少なさを見ていると、「最初で最後の本格小説」ってほんとかも、とも 思います。彼女が下敷きにしている小説が読まれてないんですね、きっと。 『嵐が丘』『桜の園』『三人姉妹』とか。語りの構造によってリアリティを つくりだすということでは、金井美恵子の『噂の娘』にも通じるんでしょうが、 それよりも先の対談で水村氏が、リアリティをつくりだすにあたって谷崎の 『細雪』を参考にして固有名詞を文章にたくさんいれた、と言っていることや、 高橋氏の高村薫の『晴子情歌』との類似の指摘というところからすると、 これはまた「家族小説」として読むこともできるわけで、とすると、金井氏の 『恋愛太平記』なんていうのも思い出される。金井氏のそれは谷崎を意識して 書かれたわけだし。いずれにしても再読に耐えうる小説だということは言える ように思います。
下敷きとなっている小説のほか、舞台となっている当時の経済社会情勢 もある程度わからないと、ハア?かもしれぬ。
手持ちの仕事片付けられたらこの連休で読みたいと
思っているから、下がらず、待ってて!
しかし、いざ買いに行ったら「初版売り切れ」なんて、
なっとらんやろか? 心配…。
>>20 「固有名詞いっぱい」で、また一段と期待高まる。
今考えると、田中ヤシ夫の『なんとなく、クリスタル』も
『細雪』を意識していたのか? んなわけないね。
俺も読むよ。でも柏の本屋行ったら、上巻しかなかった。。。 しかの一冊だけ。。。売れてんのかな?
24 :
吾輩は名無しである :02/10/11 11:08
>>23 そうなんだよね。それも不思議。どこいっても、平積みの下巻の方が
上巻より下がってる。下巻だけ買うやつがいるんだろうか?それとも
上巻だけ買うやつが多いから、書店側で上巻の方を最初から下巻よりも
多めに仕入れてるんだろうか?『海辺のカフカ』は上巻の方が普通に
下巻よりも下になってるんだけど。売れ行き予想の問題もあるのかな?
25 :
吾輩は名無しである :02/10/11 11:59
26 :
吾輩は名無しである :02/10/11 12:00
あと、先月号のユリイカ「ブロンテ姉妹」特集で、水村氏のインタビューが 掲載されています。インタビュアーは内藤千珠子で、丁寧な読みにもとづいた 的確な質問をしていて、ひさびさにきちんと小説の読める批評家が登場したと 思わせてくれます。哲学だの、社会状況だのを小説から取り出すのは、若手 男性批評家にまかせておきましょう。フェミニズム批評という領域を押しつけ られないように頑張ってほしいと思います。今年は、千野香織、石原郁子と いう2人の評論家(文芸評論家ではありませんが)を私たちはすでに失って いるので、大学の就職ででもそうですが、女性だからフェミニズム、という 分業を「帝国」批判してるひとたちは、どう思っているのでしょうね? 『本格小説』を批評する若手男性批評家はさて、いるんでしょうか?
安易で恣意的な読みかたを許さない、ジェンダー批評などにとらわれない ように細部(たとえば女の子の縮れ毛)などを描写するのはやめて 出来る限り誰でも感情移入しやすくした、というのはつまりプロット に掛ける時間を長くしたということであって、それ自体、その小説の 枠付けの中で上手く動かせるように人物の細部をミニマルに、言って しまえばステレオタイプに装わせた、ということ自体ジェンダー批評 の的を外す意識がある決定的な男女の相対性にリンクしてどこから でも外部が侵入しえる危険性を孕むわけです。 「女性だからフェミニズム」の固定観念がさらに翻って、小説の予防線 を張り巡らせる網を自ら請け負ってしまっていることに気づかない 人が、それゆえに相対意識の境界を際立たせてしまっているのもまた 事実です。小説の読みはひとつだけ、という自負はプロットと書かれた 言葉の相関関係のみで成立しえる、それ自体非常に内的な外部排除。 「帝国」意識の発露です。物語はどこからでも切り張りできる、という 作家の立場と同様に、物語はどこからでも切り込みズタズタに出来る という批評家の立場も同じく、ある。
>>26 内藤さんの読み込みがどのように優れているかは
うかがい知れませんが、未読の私の期待としては、
哲学や社会分析をこの小説から読み取ることなのですが。
というのも、小説とは、それがとりわけ長編である場合、
作家なりの価値観(必ずしも社会的な事象でなくとも、
ある物の美しさを私はこう見たということでも)と史観
(人がそこでどう生を規定されたかという分析でなくても、
単に社会のある側面を投影させただけの形であっても…、
たとえば寓話であっても)が出ているべきではないかと
思うからです。
少なくとも私は、それがない小説には魅力を感じないなあ。
でも、それがまるでない小説というのも考えただけで
シュールだ。
>>27 作品の持つ揺らぎと批評家の立場については何となく理解
できますが、『本格小説』という物語をどう捉え、どう切り
込んでいこうとされているのかが分かりましぇ〜ん。
26,27 は金井スレとかでアフォな書き込みをやってそうなタイプだな(ゲラ まあ、でも正直金井なんかよりは興味ある作家なので、 「本格小説」、買ってみます。 「嵐が丘」か・・・おもしろそうじゃないっすか。 最近よくあるのだが、2ちゃんで初めて新作が出てることを知った(w (新聞とってないし、注文はここんとこ全部ネットだからなあ・・・)
>>30 そーなんすか。
文芸誌はなおさら読んでねーしな(w
おおっ!いつのまにか、カキコ増えてる(笑)。 ま、「幸福」かどうかはともあれ、「少数者」である ことは確かなようだが(笑)。
まずい! きょう行った中規模書店では新刊配本分が売切れ だと言われた。が〜ん。 「新潮って入り数が少ないんで…」とか何とか 端末見ながらぶつぶつ言っていたお姉ちゃん、 どーんと積んである新潮『海辺のカフカ』は 知っていそうだったが、端末見なきゃ分からんか、 水村美笛は。
図書館から借りてきました。2時間くらい前から読み始めて、もうすぐ 上刊終了。 読み終えるのがもったいないので、こんな風に間に2ちゃん覗いたり。 前2作も凄く好きでしたが(年に1度は読み返してます)、これはまさしく大傑作。 お金できたら絶対買おう。 読み終えたらまた来ます。
スレ違いだろうが、「私小説」は大好きですのー。
うわああああ〜ん! ゆっくり読むつもりだったのに、読み終わっちゃったよ。 昨日は上刊読了時点で終わりにして、今日も午前中は手を出さないようにしたのに。 続きを目の前にして、いつでも読めるけれどあえて読まない、この状態を もっと楽しみたかったのに。 でも、本当に大傑作でした。
昨日、出先の三軒茶屋リブロでようやく上下揃えで入手。 私も手を出したくない気分があったけれど、やはり欲にあらがえ ずに、午後から読み始めてしまった。上巻がもうすぐ終わって しまう。じらしながら読みたいけれど、ページをめくるスピー ドに加速がついてしまう。どっぷりつかっていたいけれど、 どうしても日常生活をはさまねばならない身も辛いことです。 やはりすごいね、これ。すごすぎる。 歳月というものの残酷さと温かさに胸を搗かれる。 久々に物語世界を生かさせてくれる日本文学です。 観念的なものじゃダメなんだよ、小説は…とも思った。 しかし、平成2年の『続明暗』以来、水村さんの名前は知って いたつもりだったのに、どういうわけだか私は、彼女の名を 「美苗」でなく「美笛」と思い込んでいました。アフォ! この本を読んでいて、初めて「美苗だったか」…と愕然。 朝日連載の往復書簡も読んでいたのに、あちこちでこの名に 触れていたのに何でだろうと思ったのですが、『続明暗』の カバーの作者名を見て合点。「笛」に見えなくもない書体。 12年間もカン違いしていたのだよ。 所ジョージの「ココナツ(常夏)の島」と同じようなものだな。
39 :
吾輩は名無しである :02/10/14 22:40
面白いけど、「日本近代文学 『本格小説』」じゃなくて、 「日本戦後史 『恋愛小説』」じゃないかな? と思うた。 面白いのは抜群に面白いですが。
初読のときに下巻のとある箇所で泣いた。再読してまた同じ箇所で泣いた。 なんていうかだんだんこみあげて涙が静かに流れる感じ。ただ悲しいのではなく、 切なくて、そして、うれしくて幸せ。まだ下巻読んでないひとが多いみたい だから、どこなのかは内緒。でも、読めばわかると思う。
きょうの朝日の夕刊に水村さんのインタビューが 出ている! 作者の登場による導入部を設定することで、物語部分を 私小説的に読めなくしている。本格小説として読むことを 読者に強制しているということ。…なるほど。 「純文学こそが最高のエンターテインメントであることを、 読めばわかってくれると思うのですけど」 ペースダウンして、まったりまだまだ幸福な読書中。漱石のような起爆力ある会話が、ほんに 上質のエンタメだと思う。
今日、ここのスレで見かけたので「本格小説」買おうと思って本屋に行った。平積みになっていた。 ニ冊一気に買うのはちょっと高いので、おいらがパラパラとめくって様子を見ていたら、隣に初老の男が 立った。 傍若無人な態度で、がば、と三、四冊手に取ると横に置いて、一冊ずつ品定めを始めた。素早かったが、 丁寧とは言いかねる仕草だった。そのあいだおいらは勢いに押されて、ぼんやりと見ていた(ちょっと睨みもした)。 男は上下巻とも、同じように品定めをし、より下のほうからも数冊とって同じことを繰り返し、おもむろお眼鏡に かなったらしきものを一冊ずつかかえると、脇に置いた本を戻してバタバタとレジへ向かった。 何なんだよ、何なんだよ、一体。 そりゃ、おいらだって2、3下のを抜き取ってレジに行くけどさぁ。一番上のくらいは、手にとって読むけどさぁ。 なんで、下のほうのにまでアンタの手垢をつけられなきゃならないんだよ。 何なんだよ、もう。 マイナーな作家の読者に偶然めぐり合わせた嬉しさも吹き飛んじまったよ。 何なんだよ、まったくもう・・・・・・ と叩かれるのを覚悟で愚痴ってみる
43 :
吾輩は名無しである :02/10/16 06:15
今日、本屋に行った。 「本格小説」を探した。 みっけた。 上刊しかなかった・・・・鬱・・・。 今日、本屋へ行った。 新潮の源一郎との対談をパラ読みした。 源一郎が「恋愛小説」っていう題名でよかったじゃないすかと、しつこい。 確かにそっちの方が売れる。 だけれど、この題名で良かったと思った。 源一郎のようにサブカルにはならないという確信があるからだ。 サブカルは嫌いだ。 残らない。
『本格小説』というタイトルをつけてしまうのが嫌い
45 :
吾輩は名無しである :02/10/16 22:23
読みたい! ぜひ、読みたい! 金が無い!
46 :
吾輩は名無しである :02/10/16 23:00
優良スレか? age
きのうの昼に読了。つづいて、『嵐が丘』再読スタート。
確かに、恋愛部分はもっと描きこんでくれても…と思ったが、
人に聞いた話という設定もあるから、皮1枚向こうみたいな
感じは残るのだろうなあ。
だけど、「物語を生きる自分を愛する」みたいに、こちらの
生にダイレクトに畳みかけてくる力がすごかった。
思い出を重ねた中年には、尚一層がんがん響いてきてしまう。
ある意味、久世光彦言うところの少女小説であり、また、
マダム向けの小説です、ふふっ。
男性読者にとって、あの印象的な男の性はリアリティ
あるのだろうか? 過去にああいう男は知っていたけれどw。
>>40 下巻あちこちで胸詰まったよ〜。どこ?
>>43 >>44 『恋愛小説』というタイトルでは、やはりそぐわない気がする。
『本格小説』は、確かにすんなり好きにはなれない。
しかし、日本の文学へのメッセージを含むタイトルだという
側面があるから納得。それと、「私が好きな小説は、こういう
の!」という水村さんの主張がチャーミングじゃない?
48 :
吾輩は名無しである :02/10/17 16:56
「本格小説」というのは水村氏の前の作品のタイトルだった「わたくし小説」と対の用語です。 篠田一士という評論家がよく使っていた対概念で、手っ取り早く言えば私小説を非本格的なものとして断罪する性質のものだったと記憶してます。 完全に死語と化したと思っていたので、こんな形で復活するとは意外でしたね。水村氏もそこらへんの事情を完全に知っていて、いわば悪意をもってこのタイトルを選択したのでは?
新本格ですが何か?
ミステリと純文学では「本格」位相が異なるしね。
>>48 「私小説」と「本格小説」については、上巻の「本格小説の
始まる前の長い長い話」という章で、きちんと彼女の見解が
示されています。
『嵐が丘』にならって戦後50年も描いた恋愛小説――という
ようなのが版元の惹起文句。それだけでは読む動機につなが
らんという人が多いかもしれない。けれど、この長いプロ
ローグがあることにより、『憂い顔の童子』の加藤典洋
記述じゃないけれど、水村さんの特異なスタンスを示す小説
にもなっていると思われ。
>>48 そうなんだよね。どうやら何人かの作家がユングのいうような意味で
シンクロニスティックに同じような試みをしている感じがする。何人かの
批評家によれば、『憂い顔』はドン・キホーテ後半に入っている、という
ことらしいけれど、語りの構造をめぐる実践がどのようにリアルなものを
小説のうちに喚起しうるか、という試み。『噂の娘』『晴子情歌』もそう
でしょ。後者は未読だけど、高橋氏の話によるならば。で、これは、歴史は
事実かフィクションか、ということが問題となる状況における作家の対応でも
ある。意識的かどうかはさておき。デリダが『滞留』でブランショの『私の
死の瞬間』を繊細に読んだり、ロブ=グリエが自伝3部作を書いたことで
フランスでオート・フィクションと呼ばれるものが流行したり、といった
ことなんかも含めて、そうしたものへの敏感な対応としても『本格小説』は
読める。ま、そんなこと何も考えなくても、おもしろく読めるし、再読に
耐えるんだけどね(笑)。う、で、電球の使い方がう、うまい!、とか
思いながら読み進んでしまう自分の業を感じながらも(笑)、よう子ちゃんが
病室で2度繰り返す、1度目は半過去で2度目は現在形で、あの凡庸な
言葉で泣かされてしまう、それで十分だっていう気がする。で、『リング』
ではないけれど、これ読むと小説書きたい、って思うやつが出てきて、
小説が生き延びそうな気も(笑)。少なくとも、水村氏の小説を読んでから
7日以内に他のひとに読ませないと必ず死にそうな気はする(笑)。
>>マダムB
下巻あちこちで胸つまるけど、泣いてしまうのは、あの病室の、よう子ちゃんの
言葉なんです。太郎ちゃんとのちぐはぐなやりとりに笑いながら泣いちゃう。
なんであんな普通の言葉が、って思うけれど、小説の力っていうか、リアリズムの
力、ってのはこういうものなのか、なんて思ったりね。
しかし、書評出ないね。『カフカ』はどうでもいい批評家がどうでも いいことを書き散らしているし、『憂い顔』はそれなりの批評家が それなりだけど、みんな似たようなことを書いているが(笑)。蓮實の 『「知」的放蕩論序説』が出てからゲーテの『詩と真実』でも読んで、 それから、3度目にするか。って、蓮實の本ってもう来週じゃん(笑)。 『詩と真実』岩波の赤版で4冊あるんだよね。比較的字は大きいけど。 でも、『本格小説』読むと、昔読んだ小説読み返したくなりません? ここのところ時間があると小説読んでるんだけど、『ボヴァリー夫人』とか 『エマ』とか。
>>53 書評の出ないのは、話題性においては大幅に劣後するからでしょ。
そのうちどっか出るとは思うけど。
少なくともアカヒは出ると思われ。
あと、何がいいたいのかよくわからないので、もう少し整理して書いて
もらえませんかねえ…。
55 :
吾輩は名無しである :02/10/18 23:23
勿体無いことに読み終わってしまいました。 確かに昔読んだ本読み返したくなるなあ。 それと未読だった一葉の擬古文に挑戦したくなったよ。
お金って意外なところから転がり込んでくるもんだね。 ということで買ったよage
57 :
吾輩は名無しである :02/10/20 13:10
昨日、水村美苗の『本格小説』を読み終わりました。 おとといのお昼に読み始めたのですが、面白くてやめられませんでした。 本当は、読み終わりたくなくて、途中からは、読むのを延ばしたい欲望と早く先を読みたい欲望との闘いでした。 でも、先を読みたい欲望が勝って、昨日の明け方に読み終わってしまいました。 悲しいよう。 こんなに熱中して小説を読んだのは、学生時代以来。 いや、生まれてはじめてかな。『嵐が丘』より面白かった。 この興奮を人に伝えたくて、友人に電話したりしたのですが、 ひょっとして2チャンネルに何かあるかなと思って覗いてみたら、このスレッドがありました。 この小説を読んでから7日以内にほかの人に知らせないと死にそうな気がするという記事があって、 それに勇気ずけられて、うまれてはじめて2チャネルに書き込んでいます。 とにかく、面白かったヨ。
58 :
吾輩は名無しである :02/10/20 13:14
>この小説を読んでから7日以内にほかの人に知らせないと死にそうな気がするという記事 なんだそれ、呪いのビデオかよw 俺も今読んでる。まだ上巻だけどカナーリ面白い イイ!
59 :
吾輩は名無しである :02/10/20 20:04
上巻の最後、ようこちゃんのセリフ“ああ、いい匂い、”のところが良かったな。 二人の関係の行く先がおおよそ見当つくぶん、 ようこちゃんの行動の無邪気さに胸がつまった。 読み終わってみたら、この部分がふたりの関係の原点なんだと思ったよ。
>>57 新潮社さん、宣伝ですか?
あ、念のためいっとくと漏れは面白く読んだけど、こんな書きぶりじゃ
バレバレじゃん。
いや、新潮社は校閲部がしっかりしていたから、「勇気ずけられる」 という誤植はないだろう(品ない揚げ足とるつで失礼!)。 しかし、買ったばかりの『嵐が丘』には、すでに2ヶ所ほど誤植と おぼしきもの発見したからなあ…。 (あれ、やっぱり文字を大きくして字詰めを組替えるときに、変換 されちゃうミスなのかなあ…改訂版まで校正入れる余裕がないのか なあ…ブツブツ)
「本格小説」読んだのでついでの「嵐ヶ丘」新潮文庫の買ってみたが、 訳のあまりの古めかしさに読むのを放棄しつつある。 入手簡単でわかりやすい訳の情報きぼーん。 (といって、古めかしい訳といっているような香具師には、 この小説(嵐ヶ丘)の面白さはわからん、といわれてしまえば それまでだが。)
63 :
吾輩は名無しである :02/10/22 21:49
「本格小説」を読んだ後、「嵐が丘」を読んだけど、「本格小説」の方が面白かった! 「嵐が丘」より、より「嵐が丘」らしいし、「嵐が丘」批判にもなっている。 日本人が誇りに思える本が出た。こんな本を出せる国として、日本の国の格が上がった ような気がする。 最初に太郎がよう子に小石を上げるところ、一緒に盆踊りに向うところ、そして 最後に太郎が粉砕したよう子のお骨を浴びるところは、何回読んでも泣ける。読み 終わったあと、場面を思い出すだけで泣いてしまう。
64 :
吾輩は名無しである :02/10/22 22:55
新潮社、必死。ぷっ カフカしか売れてないしのう・・・。
66 :
吾輩は名無しである :02/10/22 22:57
>>63 あんまり細かく書くんじゃねーよヴァカ
今読んでんだぞ!
67 :
吾輩は名無しである :02/10/22 22:59
数日前の読売新聞の夕刊に水村美苗に関する大きな記事が載っていた。 僕は、水村美苗は日本の普通の作家とはまったくレベルが違う作家だと思っている。 あの記事を書いた人はどこかでそれが分かっていたみたいだが、ほかの人がそれが分からないのが不思議だ。
68 :
吾輩は名無しである :02/10/22 23:07
>>67 そうですね、ここ数年私が読んだ本(小説以外も含める)のなかでも、屈指です。
「小説」に真正面から向かった意義も大きいと思います。
ちなみに、私は『私小説』で開眼。amazonに、これについてのいい書評が載っていますので、
ごらんあれ。
続明暗って絶版ですか。
>>69 そういえば最近文庫見かけないな。都内の書店だと新潮文庫の
夏目漱石の『明暗』の隣に置いてあったりするとこもあったけど。
文庫も品切れ・重版未定なのかな?
71 :
吾輩は名無しである :02/10/23 00:22
うーん、俺は大きく留保付きでの「大傑作」 序盤の「私小説」部分での 「かわいいこと言うのね、ボクちゃんは」で吹き出してしまった。
「ようこ」という名前… これ、水村さんはもちろん古井由吉の『杳子』も意識したろうし、 「お葉」を意識したのではないだろうか。お葉は、伊藤晴雨の縛り絵の モデルであり、竹久夢二の愛人にもなった大正ロマンを象徴する女。 久世光彦が昔、<「お葉」という女>というエッセイを書いていた。 『BRUTUS』で物書きとしてデビューしたてのころ(エッセイシリーズは 「君よ知るや南の国」というタイトル)、女の名で好きなのは、お葉。 ある年代の人にとって特別な名前を、戦後を描いたこの作品にふさわしい ものとして選択したのだろうな…と思えた。 ところで、訳の評判が悪い新潮文庫の『嵐が丘』だが…。 昔、中学生だったときに、同じ訳者の上下2巻に分かれたものを読んだが、 解説にあるように、キャサリンとヒースクリフの烈しい恋愛のところしか 印象に残っていない。次の世代の恋愛があんなに長く描き込まれている ことに今回びっくりした。 小学生でディズニー映画と2本立てで見せられた映画も同じ印象が残って いた。これは、やはり訳者解説にあったが、意図的に次世代部分を取り除い たものだったらしい。馬小屋での荒々しいキスシーンなんかもあったように 記憶する。ドキドキした。(あんなもの、小学生に見せるなよ、親!) 不思議なのは、それらと同じように、こうして読後しばらく経ってみると、 ようこちゃんとタロちゃんの恋愛部分ばかりが強く思い出されること。 読んだ直後は、もっと恋愛部分がきめ細やかに書かれていても…と思って いたのに。三婆のキャラも懐かしく思い出されるが、ふたりの恋愛ばかりが あたかも自分の昔の恋愛のようにw立ちのぼってくる。 まさに本格小説の魔法だ。
73 :
吾輩は名無しである :02/10/23 19:49
水村さん少女漫画読んだら、ショックうけそう
>>マダムB 「よう子」に関していうと、有島武郎の『或る女』の「葉子」も意識している んじゃないかな。「長い長い話」のところにも「えふこ」というルビでなければ つまらない、といった話があったし。それと水村氏は意識して、次世代の話を 省いたとのこと。ユリイカの先月のインタビューで話してた。
>>74 『或る女』だ! そうだよ、ありがとう。
葉子って、どこかにまだいたはずだけどと思って思い出せなかった。
さらに、まだいたような気もするのだけれど…。
(萩原葉子、樋口一葉も…)
すると、次世代を省いたということが、63さんの言う
『嵐が丘』批判なのかな?
>>マダムB 次世代を省いたこととネリーが語り手としてしか登場していないことへの 批判だそうです。
わたしをお忘れかい? 犬婿入り、4649!
久坂葉子
>>74 あ、ユリイカ買ってみようっと。
(2001年6月号以来)
勉強になるなあ。
80 :
吾輩は名無しである :02/10/23 22:52
一気に読みました。連載の時から気にはなっていたのですが、まとめて読みたかったので待ちました。 私が余り夢中になっているので小6の息子が「読もうかな」と言い出しましたが、いくら何でもまだ早い!
>小6の息子が「読もうかな」 読ませてあげてください。
82 :
吾輩は名無しである :02/10/23 23:48
最初の方で冬絵が電話で「もしもし、たろちゃん?」って言っていたが、 冬絵は太郎に対し「たろちゃん」と語りかけるほどの付き合いはあったっけ? ここがどうにも引っかかっている。
世間知らずの文学お嬢様が婆ァになるとこういうみっともない小説を書くんだね。
「本格小説」、けっこう、評判いいね。 おれは今読んでるところだけど「海辺のカフカ」を読み終わって 読んだから、両者の文体を比べて、何やら「本格小説」の方は 文体が地味な印象を受け、気になった。 なんか、両作者の資質の違いみたいなものを感じた。 まあ、比べる方が無理なわけだが。
やっと今日買ってきました。週末に一気に読みます!
87 :
吾輩は名無しである :02/10/25 23:36
田口検証本、本日堂々発売! 馬鹿ども買え!! 我々の印税がかかっておるのだ協力しろ!
88 :
吾輩は名無しである :02/10/25 23:57
私も今日買いました。 このスレッドで興味を覚えました。 もう50ページ近く読み始めました。面白い。 週末が楽しみです。
>>87 の無礼なカキコについてのお詫び。
田口スレの住人ですが、ランディ周辺の汚猿が、盗作監視スレの
評判を落とすためのなりきりカキコを、
あちこちのスレで乱発しています。
こちらのスレッドを無礼なカキコで汚して申しわけありません。
どうかお許し下さい。m(_ _)m
90 :
吾輩は名無しである :02/10/26 21:44
>>75 >>76 「63さんの言う『嵐が丘』批判なのかな?」批評の誤りでした。訂正します。
>>64 このような初歩的な過ちを平気で犯す愚か者で、新潮社に出入りさせていただ
けるような者ではありません。ただそう思っていただけたのは光栄です。
91 :
吾輩は名無しである :02/10/27 11:39
読み終わりました。ほぼ徹夜。 期待以上のおもしろさでした。 いくつもの伏線が次から次へとつながっていく。 凄い! 他の作品も読みたい。
92 :
吾輩は名無しである :02/10/27 12:07
毎日新聞に書評が載ってる。 評者は山内昌之氏で、文学サイドからの批評ではない。
94 :
吾輩は名無しである :02/10/27 14:23
>>93 べた褒めです。
ただし、ほとんどがストーリーの紹介に費やしています。
>>93 ストーリーの紹介ですか。まあ、山内さんに批評を期待しても
仕方ないか。でも、彼の『スルタンガリエフの夢』は小説なんじゃ
ないかと思うけど。文学サイドはまた黙殺なんですかね。
96 :
吾輩は名無しである :02/10/28 05:25
今読み終えました。 ひさしぶりに小説を読んだ気がします。 「私小説」から期待してたものとはぜんぜん違うけど、十分満足です。
97 :
吾輩は名無しである :02/10/28 17:26
98 :
吾輩は名無しである :02/10/29 03:35
下巻にはいった。 太郎ちゃんとよう子ちゃんが小学生で毎日一緒に遊びまくってるとこ。 二人ともかわいいなー。いいなー。楽しそうだなー。 やっと前置きが終わったって感じです。 これからどうなるのだー
99 :
吾輩は名無しである :02/10/30 20:41
今日の朝日新聞の夕刊の「文芸時評」で、 関川夏央が『本格小説』を「文学的事件」として取り上げている。 その中で、高橋源一郎が1990年の時評で『続明暗』をやはり「事件」として取り上げたことにも言及している。 でも、『続明暗』はすでに入手不可能。日本の出版界はどうなっているのだろうか?
100 :
吾輩は名無しである :02/10/31 04:18
読んだ。よかった。 日本も日本の出版社も軽薄をとおりこして希薄になってんだわ。
101 :
吾輩は名無しである :02/10/31 06:46
>>101 まあ、小説の書評の場合、あらすじを要約するのがひとつの定石だと
いうのはあるにしても、この小説に対して、あれはないと思う。
あらすじがわかったからといって読めなくなる小説ではないにしても、
果たしてあの書評で読みたくなるってことがあるのかどうかは、疑問。
関川氏の「文学的事件」っていうのも、まだ読んでいないので詳細は
わからないけれど、あまり内容はない予感がする。水村氏が「批評家には
もう期待しない」と言っているのだから、それでいい、のかもしれない。
もちろん彼女の言葉は「長い長い話」も含めて、批評家への挑発、鼓舞
なんだけど。
>>102 山内タンは文学者ではないから、読んで(・∀・)イイ!とは書けても、
「文学的事件」として評することを要求することは酷と思われ。
>>99 私の勤め先の近くのオフィス街(神田駅近く)の書店では、
「カフカ」は山積みされてたが、「本格小説」は探し回ってやっと
1軒で、しかも置いてあったのは上下1セットのみだから、こんな
もんだろ。
毎日の書評が出てやっと2セット置いたところが見られたが。
104 :
吾輩は名無しである :02/10/31 13:55
関川夏央は、朝日新聞の「文芸時評」の冒頭と末尾両方に『本格小説』のことを書いています。 一部を引用します。 ************** 水村美苗の『本格小説』(新潮社)はチャレンジング名タイトルだが、まさに名にし負う。 <食べ物屋さんなんかはありますよね。「めしや」とか「くいものや」とか(笑)>(「最初で最後の<本格小説>」高橋源一郎との対談、新潮11月号) こちらは笑っていられない。愕きはいまもあたらしい。 『本格小説』は『嵐が丘』を、また『桜の園』を本歌にとっている。しかし(略)日本のネリーは物語そのものに深く介入している。日本のヒースクリフも(略)ただ復讐心に燃えたぎるだけではない。 日本近代文学の「大きな流れを継承」しつつ、この作品が雄大にして独特である理由はこれに尽きる。 『本格小説』の主人公は「時」である。 それは、「洋館」が憧れの対象となり得た時代、避暑地に「恋愛、近代、外国の入り口」のみならず(略)時代、適度に貧しく、適度に下品で、適度に階級的、しかし向上心にだけはこと欠かなかった時代、「戦前」の残照としての昭和三十年代である。 そうして、夢のようでいてリアルな小説、ウソのようでいて真実みのある小説が書かれた。日本の「風景」の緻密な描写(写真との協同が成功している)にあふれたこの長編の読後に味わうものは、歴史を軽んじた日本人への悲傷の思いである。「文学的事件」というほかはない。 (以下、荒山徹の「故郷忘じたく候」と、菅野昭正、高橋源一郎の文芸時評について) 新聞文芸時評がまだ上下2回あった95年以前、彼の時評は出色だった。出色すぎて一年三ヶ月で終わった(91年1月〜92年3月)。彼はそこで、文学界における1990年の「事件」として「夏目漱石・水村美苗共作による『明暗』2部作(正・続)の完結」をあげていたのである。 「で、『本格小説』を読んで、僕が一番感じたのは、口はばったいんですが、小説への愛情ですね」と今月の対談で語った高橋源一郎と水村美苗は「初恋関係」にあった。「タロちゃんとよう子ちゃん」が通ったそのおなじ小学校でのことだ。 輝ける昭和三十年代。「本格小説」の片鱗はここにもあった。(おわり) **************
訂正 チャレンジング名タイトル ↓ 『な』
読み終わっても、この小説の世界から抜けきれず、ぼけーっとしている。 なんでベストセラーにならないのか、不思議。 身長の者ではないよ
107 :
吾輩は名無しである :02/10/31 17:13
県内の大きい書店に行ったけど、置いてない(泣) 読みたい・・・
108 :
吾輩は名無しである :02/10/31 22:51
アマゾンだと現在『本格小説』(上)在庫3点、(下)在庫多くあります。買上1500円 以上だと送料無料。書店を廻って探すより早い。2チャンネルをご利用の皆さんなら パソコンに慣れているはずなのに、どうしてアマゾンをご利用なさらないのでしょう。 アマゾンなら長い書評も自由に書けて、それがずっと残る。尼存の者ではないよ。
関川氏の書評、毒にも薬にもならないみたいですね。で、「本歌」 (って言い方もどうかと思うが)から『三人姉妹』が抜けてるのは 忘れただけなのか、まさかと思うが章のタイトルに「桜の園」が あるってだけで「本歌」だと言っているのか、きわめて重要な 物語の要素として「三人姉妹」が引用されていることに気づいて いないとしたら、プロとしての自覚に欠けるとしか言いようがないと 思う。
110 :
吾輩は名無しである :02/11/01 01:21
111 :
吾輩は名無しである :02/11/01 02:45
>>108 本を早くゲットする、という点においては仰せのとおり。
(ただ、配送は家を空けていることの多い漏れにはちと面倒だが。)
ただ、ここで問題(?)にしてるのは、「過負荷」ばっかり宣伝されてて
(とくに春樹タンには恨みはないっす)、このような小説は熱心に宣伝も
されない、店頭にもならばない、などなどは困ったねえ、という意味で
皆さん書かれているのでは?
112 :
吾輩は名無しである :02/11/01 12:58
てゆーか、関川の文芸時評自体が面白くない。 津島祐子のほうがずっとよかった。
>>104 遅くなりましたが、引用お疲れさまでした<(_ _)>
114 :
吾輩は名無しである :02/11/01 15:11
しまった。津島祐子→津島佑子です。ごめんなさい。
>>113 お言葉ありがとうございます。
時評を最初に読んだときは、『本格小説』が絶賛されてる、と嬉しかったのですが、
書き写してみると、思っていたより内容が無いことに気づきました。
ともかく、朝日新聞には以前、水村さんのインタビューも載ったし、
そのうち日曜日の書評でも取り上げられるかもしれないと思います。
117 :
吾輩は名無しである :02/11/02 23:05
図書館でカリテキター
118 :
吾輩は名無しである :02/11/03 10:13
きょうは読売の書評by平田俊子。
>>118 書評読みましたが、やはりいまいち。すでに作家本人が公表している
ことをただ繰り返してどうしようというのか。まさかと思うが、最初の
部分が意図的に私小説にしてあることを知らずに書評したんだろうか?
120 :
吾輩は名無しである :02/11/03 20:59
たしかに、いまいち。 でも、山内さんの書評よりは、読者に読みたくなる気を起こさせる書評ではあった。
121 :
吾輩は名無しである :02/11/05 22:37
122 :
吾輩は名無しである :02/11/05 23:55
新聞に書評が出たおかげで、書店にも置かれるようになりました。 2冊ぐらいですけど…
123 :
吾輩は名無しである :02/11/06 01:02
124 :
吾輩は名無しである :02/11/06 02:50
え!? 東 太 郎 っ て 架 空 の 人 物 な の ?
125 :
吾輩は名無しである :02/11/06 03:13
リアリティのためって言うか、 詐 欺 だ ろ
126 :
吾輩は名無しである :02/11/06 03:24
頭きた!!! 完全なフィクション作品でもリアリティの出し方がうまければ、 作り話だろうがなんだろうが、読者にとっては真実として、十分楽しめるはずである。 それを水村美苗は、作中に同姓同名の人物をもってきて、まるで私小説のように書きやがって。 それによって作品に命が与えられただと? なめるな! 水村美苗のやったことは、安易な騙し方で、詐欺行為であり、小説に対する冒涜である。
127 :
吾輩は名無しである :02/11/06 03:27
amazonが古本を扱いだしたので、出品しました。 ここにいるみなさんは買わないでください。半額以下でも金の無駄です。
128 :
吾輩は名無しである :02/11/06 03:37
水村美苗のおかげで、精神状態が不安定だ。 小説の世界との妙な橋渡しをされたり、それをぶち壊されたりで・・・ 長い間付き合ってきた小説と自分の距離がぐちゃぐちゃにされた うつ状態だ。 くそったれめ!
129 :
吾輩は名無しである :02/11/06 03:41
詐 欺 師
130 :
吾輩は名無しである :02/11/06 03:45
借り物競争的引用パクリ詐欺小説
131 :
吾輩は名無しである :02/11/06 04:05
えーっ!? ということは東太郎って実在の人物なの? いや、マジな話。 柳美里のときみたく裁判沙汰にならなければよいが……。 しかし水村氏なら狙ってやってることもありうるな。 関係者のみなさん、ご愁傷さまです。
132 :
吾輩は名無しである :02/11/06 05:16
いや、だから実在しないんでしょ
詐欺ね……小説に対する冒涜ね……。『クレーヴの奥方』とか『嘔吐』とか 読んだことないんだろうね。ま、いいけど。
あ、あとフローベールの『ボヴァリー夫人』の最初とかもね。柳美里に 関しては、100何十年経っても「ボヴァリー裁判」やってるんだよね、 日本って。唖然とするしかないけど。
135 :
吾輩は名無しである :02/11/06 10:09
で、東太郎はいるの?いないの? 前半部分も作り話?
>>135 そもそも小説に対してそのような問いは全く意味がないということに気付いてくれ。
137 :
吾輩は名無しである :02/11/06 11:01
近代小説とはまさに「これは実在の人物の話だけれど・・・」という語り口を発見したことによって誕生したことを、この作者は百%意識して書いたと思います。 だから、『本格小説』という題名が生きているのです。
138 :
吾輩は名無しである :02/11/06 11:04
『本格小説』は、そのタイトルからして小説という、文学のジャンルに属しています。 文学は、事実より真実を語ろうとするものですが、もし文学が語ろうとする真実より 事実の方にご興味があれば、ノンフィクション、ドキュメンタリー、ジャーナリズム、 歴史などの名作品数々をお読みになったらいかがでしょうか。
ヤパーリ、急に寒くなったから電波が出てきたか。
全部作り話としたらなんで自分の名前そのまま使うのかなー 第三作に「子供の頃の話」を書いていたのを、こっちに変えたのは事実だと思う。 辻邦生との手紙のやりとりのなかで、自分の子供の頃の話を書いてるって言ってたもの。 何かはあったと思う。 あっ、どうでもいいんですねw
自分の名前を使うのはわざとでしょ。
143 :
吾輩は名無しである :02/11/06 21:58
>>142 辻邦生との往復書簡集『手紙、栞を添えて』が手元にあるので、だいたいの該当箇所を教えてください。
144 :
吾輩は名無しである :02/11/06 22:13
「本格小説」だとわざわざ銘売っておいて、知っているひとにはどうかんがえても 実在の話にしか読めない、しかし小説というジャンルの力を利用して実在の 対象そのものに揺さぶりをかける、そういうことを水村氏がやっているのだと しても、実在の人物との実際の関係がどうだったか、といったことがやはり 気になるという人がいてもおかしくはないと思う。実際文学研究なんて半分は 伝記的な調査だったりするからね。最終的にはどうでもよい、決定できない 問題だとしても、実在の対象をほのめかす参照を現に水村氏がやっている以上 その内実を追求すること自体がいちがいに無意味だとは思えない。 もちろんたんなるゴシップ的な詮索に終わるかもしれない危険はあるのだけれど。
145 :
吾輩は名無しである :02/11/06 22:55
今、自分の小さいころの話を小説に書こうとしていますが、いやはや 浅ましい時代に浅ましい育ち方をしたものだと感心するほどです。 一九九六年八月二十五日 『手紙、栞を添えて』の「愛することができないフローベール」より
146 :
吾輩は名無しである :02/11/06 23:03
当時のアメリカ日本人社会にいた人なら、すぐわかるんだけど だれかいませんか? 本格小説の部分はもちろんフィクションでしょうけど、それを書くきっかけとなるような 話があったのかどうかというのはやっぱ気になるじゃん、正味な話。
147 :
吾輩は名無しである :02/11/06 23:59
>>145 ありがとうざいます。以下の所ですね。
「拝啓 辻邦生様
お父様が琵琶弾奏家でいらしたというお話、なんという典雅な世界にお育ちになったのでしょう。
今、自分の小さいころの話を小説に書こうとしていますが、いやはや浅ましい時代に浅ましい育ち方をしたものだと感心するほどです。
古の王宮を描こうと、戦後の安普請の家を描こうと、小説の生命は題材の貴賤とは関係ないはずですが、それでも一回かぎりの人生。
もう少し雅な育ちでありたかった。
ところで、「なに? ディケンズ? たしかに巨人だ、だが、二流の」とは、あんまりにフローベールらしいせりふだとはお思いになりませんか。
あたかも冗談に巷に流布されたかのようです。
辻さんがこの作家の言葉を引用して下さったのを機に、ようやくフローベールに、そしてフランス文学にゆこうという気になりました。」
148 :
吾輩は名無しである :02/11/07 01:00
実在じゃない、といえば、 『木を植えた男』という物語もありましたね。
149 :
吾輩は名無しである :02/11/07 01:13
小さい頃の話を書こうとしたが、 『本格小説』を先に書いた。 みたいなことを作家ご本人が仰言っていなかったか?
どこで?
いろんなとこで言ってますよ。「縦書き私小説」と「本格小説」が 混じったかたちになった、って。今年のユリイカの「ブロンテ姉妹」 特集号のインタビューを読むとわかります。
架空の話だけど、こういうかんじで書かれるとほんとにあったかもしれないって思えちゃうよね 作者の狙いにそって、太郎はホントにいたのかもしれないなぁって思うことにしておこうっと
153 :
吾輩は名無しである :02/11/10 02:40
『ユリイカ』9月号のインタビュー、少し読みました。 『嵐が丘』と『本格小説』についていろいろ喋っていて、おもしろそうですね。
154 :
吾輩は名無しである :02/11/10 10:57
きょうは、日経の読書欄で紹介。
155 :
吾輩は名無しである :02/11/11 07:27
皆さん新聞に出た書評について厳しく書かれていますが、「スタジオボイス」12月号や 「群像」12月号に載った『本格小説』に関する書評にまで至ると、まったく意味不明。 けなしてはないようだが、誉める勇気がない小心な文章だ。素直に読んだり書いたりする のができなくなってしまった人の不幸が、どのようなものかが伝わってくる。ただ『本格小説』 を少しでも紹介してくれているので有難い。こんなに面白い本なのに、今になっても店で 置いてある数は少ない。世の中、どうなっているの?
>>155 本当ですね。菅野昭正はまだいいとして、千葉一幹になると「疚しさ」が
どうのとか、おまえ本当に読んだのか、と言いたくなるような書評で。
ウィトゲンシュタインのパラドックスの話をしたかっただけなんじゃ
ないかと思う文章でした。文芸雑誌も軒並み全滅ですね。日経は見てない
んだけどどうだったんでしょう?
157 :
吾輩は名無しである :02/11/11 11:41
日経の記事では、執筆動機が同じという括り方で、レベルのまったく異なる他の作家二人と 一緒にされていた。水村美苗の『本格小説』の紹介が前半を占め、高村薫と平野啓一郎の 作品紹介が後半を占めていた。三冊とも「大作」だそうだが、このような歴然とレベルの 異なる作家を、一つの記事で紹介してしまおうという編集の判断は乱暴だ。例え執筆動機が 同じだとしても、執筆した作品の内容を判断できないのは、酷いとしかいいようがない。
>>157 高村薫については、高橋源一郎が水村さんとの対談で類似点を指摘
してましたね、たぶんそれを使ってるんでしょ。で、平野も同じ
対談で高橋が言及している。要するに、対談しか読まずに書評した
んでしょうね、きっと(笑)。しかし、『本格小説』って書評家の
テスターとしても最適かも。
>>158 揚げ足取りでスマソが、日経は書評でなく記者が書いた紹介記事ね。
>>157 さんのお嘆きもわかるが、内容の判断が目的でなく、紹介
だからそんなもんでしょ。
作家の質は開きがあるが、知名度では高村>>>>>平野>>>水村
だから。
>>159 あ、そうなんですか。別に揚げ足とりじゃないです^^
ただ、もうちょっとおもしろい書評が読んでみたいだけなんで。
161 :
吾輩は名無しである :02/11/12 00:50
>>155 >少しでも紹介してくれているので有難い。こんなに面白い本なのに、今になっても店で
置いてある数は少ない。
同意します。
先日、新刊コーナーから消えており(五十音順の作家の棚に移っており)、びっくりしました。
春樹や大江の本はいまだ新刊コーナーに平積みなのですから。
ユリイカ9月号、買ってきました。 ふむふむと思える発言がそれなりに多く、買って良かったです。 水村氏のご尊顔も拝めたし。 よーく考えて生み出された作品だということが伺えます。
163 :
吾輩は名無しである :02/11/14 06:12
映画化されるとしたらどの監督がいいのだろう。
164 :
吾輩は名無しである :02/11/14 06:41
>>1 こと子豚よ・・・いい加減にしたらどうだ(WWWW
お前は今までずっとそうやって生きてきたな(WWW自分にとって都合のいい話しか聞かない豚野郎(WW
不快になる、反論される話は全く聞く耳を持たないんだろ(WW豚きわめりだな(WW
なぜ自分の卑小さを省みず、常にそんな傲慢な態度をふるえるんだ(WW
お前のような豚は、常に自分の精神状態を気持ちよくする事しか考えてないからだろ(WW
この世を自分中心…豚中心(WW豚世界(WWお前が人間と会話する時は、論議するとか、
意味のある話をしようとか、そういうのがまったくない。ただアフォ豚が気持ちよくなれればそれでいい
自己豚満足しか頭に無い、典型的オナニー豚(WWW
まさに幼児豚がする会話。幼稚豚の典型(Wお前の話は、ゴミだよ豚ちゃん(WWW
イカレ豚のオナニーその最もたるは、お前が書いてきたレスだよ。そして自演ことバレ豚芝居(WWW
なぜあんなレスをしかできない?あんなサトラレ豚芝居をする?自分ではわからないだろうな(W
それは、ただ自分が気持ち良くなりたいという豚望の結果ですよ(WWW
真正面から否定する文は、オナニー豚には通用しまい(Wお前は誰にも論破できない(WW
論破できないというよりは、議論自体できない訳ですが(WWW
豚は豚を不快にする文を受け入れられるような理論的人間じゃないからだ。
つまりオマエが豚だからだよ豚野郎(WWW話の通じない狂豚。狂気豚見参(WWW
ハナから戯言と決めつけることによって、どんなことをいわれても豚の精神状態を
安定させようとする。豚に都合の悪い事は見えません、豚目、豚耳、豚口(WWW
豚のお前にしてみれば、豚が不快になる文は、「バカじゃん」「ただのキチガイ」「で?」で済まされてしまうだろう(WWWそんな事をしていては、他人と論ずる事などできる訳がない(WWW論ずる事など元からアフォ豚にはできませんが(WWできる事はコピペと豚芝居(WWW
とどのつまり、豚ちゃんはハナから他人と論ずるだけの脳味噌を持っていないってこと。
そして、そのレスはすべて何の価値も持たないゴミだということだ。
オマエには何にもできないよ豚ちゃん。ネタ職人などと都合の良い冠が欲しいのか?(WWW
>>163 現在の日本人監督の中にはいないかも。というか存命の監督の
中にいるかどうか。水村さんがユリイカのインタビューで言って
いるように『嵐が丘』の映画化はむずかしい。そのむずかしさは
小説というジャンルと映画というジャンルとの違いに属するむず
かしさで、『本格小説』はそれをさらに強調したものになっている。
今、「脚立」(とそれを上っていく画面)と「電球」(とそれを
取り換える画面)をうまく撮れるのって誰かな。それができれば
映画化可能かも、と思う、と書きながら、「脚立」と「電球」で
ショムニを思い出してしまった(笑)。
>>166 >小説というジャンルと映画というジャンルとの違いに属するむず
>かしさで、
「信頼できない語り手」の小説で、最右翼ですもんね。
イシグロの『日の名残り』はそこを捨てて恋愛映画に仕立てた。
クリスティーの『アクロイド〜』は映画化、されていないでしょう?
これも、本格小説部分だけ抽出して映画化されるのでは、
水村さんNGだと思うけれど。というか、そんなことして、価値を
ないがしろにしてほしくないと老婆心。
>>166 おや、お久しゅうございます。
そうですね。つまり、水村さんは芸術のジャンルが他の芸術ジャンルや
ジャーナリズムとの闘いによってしか成立しないことを知っている数
少ないひとで、しかも既存のジャンルをただ混ぜ合わせてゲネラ・ミク
スタにするのではなく、言葉というメディウムを使って戦闘領域を
確保しつつ、そこからかろうじて生成する小説をジャンルとして
生き延びさせようとしているわけですから。
今度は映画の側から誰か闘いを挑んでくれるとおもしろいとは思うし、
成功すればそれがおもしろい映画になるのは約束されている、とも思い
ますが。内藤さんの言う語りの3つの審級を「脚立」と「電球」で結び
つけることができれば、あのリアルさを映画に持ちこむことも可能かな、と。
意外と思われるかもしれませんが、実はこの問題系はヌーヴォー・ロマンに
関わるものでもあったりするし、ヌーヴォー・ロマンの書き手が「自伝」を
書き、それがオート・フィクションなどと呼ばれたりしている小説の流行に
つながる動きとも結びついている。そして、今年の早稲田文学のヌーヴォー・
ロマン特集で芳川泰久が指摘するようにオート・フィクションは「私小説」に
似ている。どこまで水村さんが意識的にやっているのかはわかりませんが。
あと小説には書かれていないことは存在しない、ということを前提にして
いうと、三姉妹の名の「秋絵」の不在はベスが亡くなったあとの『若草
物語』を思わせる。「長い長い話」のところにもエピソードとして出て
くるけれど、いわゆる「少女小説」を夢中で読んだことがないひとには
読めないし、批評もできないんじゃないか、と思う。
168 :
吾輩は名無しである :02/11/14 13:50
内藤さんって誰?
>>168 ユリイカの「ブロンテ姉妹」特集号で水村さんにインタビューを
なさっている女性の方で、内藤千珠子さんというお名前です。
あ、しまった。170の名前のところの275は関係ありません。
これが直木賞ってなし?
あり
>>167 『若草物語』の考察は鋭いですね。感心してしまった。
チェーホフばかりに目が行き、ぜんぜん気づかなかった。
小説というジャンルの闘争…か。
単純に、小説好きとしては、小説へのストレートで深い愛情に
感銘を受けた。無論、小説を生き永らえさせるためのヤスリの
ような評論ジャンルへの愛も感じたが…。文学を丸ごと抱きかかえ
るような母性愛みたいなのものかな?
育てられたことへの恩返しを育てることでする、という姿勢。
『続明暗』を読み別格の作家だと思っていたけれど、またひとつ
別の地平に立ったのだなという推測はできても、私などには
その凄みが計り知れない。
ヌーヴォー・ロマン作家以外にも現われつつあるオート・フィク
ションの傾向については、当然彼女の意識にある気はしますが。
>>172 桐野夏生や乙川優三郎たちとは異質のものですよねw。
それよりは、野間文芸とか谷崎とか、賞の格付けは知りませんが、
選んで選考委員安心の一作と思われますが。
>>174 「闘争」はおそらくポール・ド・マンの教えから彼女が学んだこと
なのではないか、と思っています。闘いなくして小説はない、と。
わかりやすいところでは、彼女の作品は最初の『續明暗』を除いて、
写真がついている。彼女はその写真と拮抗しうるだけの文章を書こうと
している。それは闘いのひとつの光景だと、そう思うのです。
で、賞はこれまで文部大臣芸術選賞新人賞と野間文芸新人賞を受賞している
わけですが、私としてはやはり、谷崎賞が妥当ではないかと思います。
176 :
吾輩は名無しである :02/11/14 17:27
>>170 本人降臨中。 コイツは、慶大から小森陽一を追っかけて東大院へ。 小森の完全な金魚のフン状態。これだけでダメだろ、いろいろ、普通。 小説家の星野智幸のヤバめのファンなのは、一部では有名。 コネを使いまくって「すばる」で星野に押しかけインタビューした 前科あり。 コイツは何について書いてもいつも「同じ」。 「自分の生理」に基づいて、私はこんな風に深読みしましたっていう お文学少女の感想文。ただのあらすじ紹介。批評とか分析以前のレベル。 以前、渡部直己が「早稲田文学」の新人賞に コイツをねじ込もうとした。 渡部は、自分の子分を増やしたいだけの超権力おやじだからね、実は。 その際、山城むつみがコイツの受賞を強く反対。 オレは山城に惚れ直したね。山城には、内藤の自足したオナニー文章の キモさとダメさがわかったんだと思う。 水村のインタビュアーにコイツを選んだ「ユリイカ」の編集者も クソだが、こいつのレベルは水村とはぜんぜん違うだろーが。 必死になって売り込んでんじゃねーよ、本人!!
177 :
吾輩は名無しである :02/11/14 17:43
178 :
吾輩は名無しである :02/11/14 18:26
読んだ。つまらん。解毒に昔の文豪の大作を読み返してる。
179 :
名探偵 ◆oTUwZbBfO2 :02/11/14 19:24
>>167 >つまり、水村さんは芸術のジャンルが他の芸術ジャンルや
ジャーナリズムとの闘いによってしか成立しないことを知っている数
少ないひとで、しかも既存のジャンルをただ混ぜ合わせてゲネラ・ミク
スタにするのではなく、言葉というメディウムを使って戦闘領域を
確保しつつ、そこからかろうじて生成する小説をジャンルとして
生き延びさせようとしているわけですから。
↑無内容。
「芸術のジャンルが他の芸術ジャンルやジャーナリズムとの闘いによってしか
成立しない」という言説と、
「既存のジャンルをただ混ぜ合わせてゲネラ・ミクスタにするのではなく」
という言説を、「しかも」という接続詞で繋げるのは変。
芸術のジャンルが他の芸術ジャンルとの闘いによってしか成立しないのであれば、
水村の小説が既存のジャンルをただ混ぜ合わせるわけではないのは、当然。
当然のことを言う場合には「しかも」という語は接続詞として使えない。
結局、「ゲネラ・ミクスタ」「メディウム」「戦闘領域を確保しつつ、」
「そこからかろうじて生成する」
などの、クリティックっぽい言葉遣いをしてみたかっただけでは?
>>179 おたく日本語力ないね。
「しかも」が接続しているのは、文の後半部「言葉というメディウムを使って戦闘領域を
確保しつつ、そこからかろうじて生成する小説をジャンルとして
生き延びさせようとしている」であることぐらい読みなさいよ。
それにこれぐらいで「クリティックっぽい言葉遣い」と思ってしまうのは
むしろ逆に、たんにあなたがそういう言葉遣いに慣れていないからビビってるのでは?
と写りますけれども。
「しかも」が接続しているのが、文の後半部だとしても同じこと。 芸術のジャンルが他の芸術ジャンルとの闘いによってしか成立しないのであれば、 「既存のジャンルをただ混ぜ合わせてゲネラ・ミクスタにするのではなく」 というのは当たり前のこと。 全く言う必然性がない。 「しかも」の後に直接「言葉というメディウムを使って」を繋げれば良い。 冗長に過ぎる。 そして文章が長い割には意味が不明瞭。 「戦闘領域」とある。 何と闘っているかは判るが如何に闘っているかは、この文を読んだ人間には判りようもない。 はっきりさせたほうが良い。
182 :
吾輩は名無しである :02/11/15 00:08
>>181 私は167じゃないけど、仕方ないから解説してあげるよ。
180 の指摘どおりあなたはたんに国語力を欠いている。
>「しかも」が接続しているのが、文の後半部だとしても同じこと。
同じではありません。179ではあなたは「しかも」が「「芸術のジャンルが他の芸術ジャンルやジャーナリズムとの闘いによってしか
成立しない」という言説と、「既存のジャンルをただ混ぜ合わせてゲネラ・ミクスタにするのではなく」
という言説とを接続していると誤解しているのだから。
> 芸術のジャンルが他の芸術ジャンルとの闘いによってしか成立しないのであれば、
>「既存のジャンルをただ混ぜ合わせてゲネラ・ミクスタにするのではなく」
>というのは当たり前のこと。
>全く言う必然性がない。
当たり前ではありません。「闘い」が何を意味しているのかを説明するために
167 はこの「闘い」が「既存のジャンルを混ぜ合わせ」ではないことを断って
いるのです。つまり「小説」と「小説でないもの」(ここでは166 を受けて映画)
の区別を自明視したうえで、「小説でないもの」を「小説」にふくめたり、その
逆を行えば、それが闘争になる、というような誤解をあらかじめ退けているのです。
文自体はそれほど難しくないし、まともに書かれてある。
「いかに闘っているか」についても167では『若草物語』の関連とか
具体的な示唆も挙げられているじゃありませんか。
あなたが読む能力ないだけなのだから、いちゃもんをつけるのではなく
たんに教えて下さい、と謙虚に質問することがどうしてできないのでしょうか。
猛省してください。
名探偵にマジレスしてる182もかなりイタイけどな。
>>175 >彼女はその写真と拮抗しうるだけの文章を書こうと
>ている。それは闘いのひとつの光景だと、そう思うのです。
これは私は単純に、写真でより一層リアリティを出そうとしたのだと
思っていました。(上のやりとり熟読していないで書くの失礼なの
ですが)あの写真に関しては、「闘争」というより、見事アウフヘーベン
(止揚)しているなあという印象をもっているのです。
水村さんの闘いは、他の芸術ジャンルとの相互影響(167氏の言うゲネラ・
ミクスタかな?)のなかにおけるそれと言うより、何かもっとこう、
作家であり得るかどうか不安定な自分と「言葉」との真摯な闘争という様相
ではないかと受け止めた。根拠は、それも単純に「ああ、こんなことまで
書いちゃうんだ」と思わせるまえがきですね。
ただ、水村さんという人は、ここにいる多くの人と同じく、謙虚さと
矜持がせめぎ合っている方だろうとは察するけれども。
ま、結局、167氏の書いた最初のパラグラフと同じような意味になるの
かな?
「作家(人間)であることによりかかることなく、言葉ともっと闘う
べきである」というメッセージとして、私はカツ入れられた気がしま
した。愉しみのあとのほろ苦さよ…。
おや?いつのまにやらえらいことになっている。 167の話については水村さんの小説を読んだ方がどうやら説明なさって くださったようですね。ありがとうございます。これでも普段よりは 素直な文章だったりするんですが。ありうべき誤解を避けようとすると、 勢い複文化して文章が長くなるし。迂回に迂回を重ね、条件法を導入し、 自由間接話法なんて使うと、まず長くなる。まあ、われながら悪文だとは 思うので(笑)、これからはできるだけ一文を短くするよう、つとめます。 って、これくらいだと大丈夫かな?
186 :
吾輩は名無しである :02/11/15 15:03
難しい話はぬきにして… 2日かけて読んだ。 2日目はダンナが徹夜明けで寝ているのをいいことに 朝からワインなどすすりつつ浸った。 至福の時でした。
ワインを啜るのは独りの時だけにしてくれ。不快だ。
>谷崎賞 細雪読んだとか言ってたし、受賞するとおもろしいな。
>>186 芳醇なワイン、ってのは合うかもしれませんね。物語が贈られる場面でも
ワインを飲んでるんだし。でも、7年ものってことでは泡盛の古酒なんて
感じでもある。後者の方が私は好きですが、これを飲みながら読書は
できません(笑)。
>>188 ただ、選定委員がね。今、誰なんでしょう?まあ、『夢の木坂分岐点』や
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』なんてのも過去には
受賞しているはずだから、小説世界の構造に工夫のある作品に与えられて
しかるべき賞だとは思うんですが。
今、調べたら平成14年度は該当作なし、なんですね。
村上春樹が受賞して以後、なんかレベルが下がっている
ような気も(笑)。辻邦夫は名誉賞のような気もするし。
あ、丸谷才一が選定委員になってからレベル下がってるのか(笑)。
藤枝、後藤、古井なんてところがそれ以前には受賞しているから、
たとえば、金井美恵子なんてのも『恋愛太平記』『柔らかい土をふんで、』
あたりで受賞していてもおかしくはないだろうに。丸谷がいたら
無理か。でも、今年出たので谷崎賞にふさわしいのは『噂の娘』か
『本格小説』じゃないかと思うんだけど、いかが?で、私は後者を
推します(笑)。
190 :
吾輩は名無しである :02/11/18 23:18
日本文化の基準値を定めるともいえる朝日新聞の書評に、『続明暗』、『私小説 from left to right』、 『本格小説』が取上げられない事情は何なのでしょうか。
191 :
吾輩は名無しである :02/11/19 01:34
>>190 書評ではないけれど『続明暗』は
高橋源一郎が朝日新聞の「文芸時評」で“事件”と書きました >>外出
『私小説 from left to right』
加藤周一が朝日新聞の連載「夕陽妄語」で取り上げました >>『手紙、栞を添えて』
吉田秀和も連載『音楽展望』で取り上げていた気がします。
また、朝日新聞はかつて水村美苗と辻邦生による往復書簡を連載し(1年間ほど)、そこで辻は両作品について書いています。
往復書簡は朝日新聞社から出版されました。
で、『本格小説』は関川が「文芸時評」で取り上げたし >>外出
記者によるインタビューも載りました。
なので朝日新聞社の水村美苗の評価は高いと思います。
日曜日の書評にも上がるのではないでしょうか。
192 :
吾輩は名無しである :02/11/19 01:37
水村、必死だな!!!
193 :
吾輩は名無しである :02/11/19 03:01
左翼は左翼でも構わない。 でも日本の左翼は嘘を付き、差別で飯を食い、公金を奪い、国を売り、特定の勢力の 意向をうけている。 同じ人間なのに韓国人の人権>>日本人の人権、など。 平等にしてくれ。他国と権力と組まないでくれ。反戦なら平等に反戦運動してくれ。 平和友好大いに結構。 でもそれは相手にひざまずく事じゃないのよ。 お金だして、抗議されれば謝って、批判されたら日本が譲る。 それは友好じゃないよ。 中国や朝鮮の核開発や民衆弾圧には目をつぶり、反戦といいつつ反日、反米運動をする。 それは反戦平和じゃないんだよ。
194 :
吾輩は名無しである :02/11/19 12:19
週刊朝日の最新号に川本三郎の書評が載った。
195 :
吾輩は名無しである :02/11/19 19:22
そういえば朝日の書評に扱われたことはない。紹介記事と書評とでは扱いの格が異なる。 朝日は報道の義務を果たしていない。
196 :
吾輩は名無しである :02/11/19 23:48
朝日新聞社の問題もあるが、作品が別格だし、作家自身が高度な文学批評の訓練を受けているので、文学評論家や同業作家は書評するのが怖いのだと思う。
辻邦生氏が生きていれば…、ね。
あるいは、後藤明生氏が生きていれば、ってとこでしょうか。 さらにさかのぼって大岡昇平氏とか。
199 :
吾輩は名無しである :02/11/20 09:20
>>作家自身が高度な文学批評の訓練を受けているので、文学評論家や同業作家は 書評するのが怖い 水村美苗の作品を読むと、その主な教養は高度教育からではなく読書から得たの がわかる。だから文学をよく読んでいる人なら、何も怖がることはない。文学批評 の訓練を受けていなくても、漱石の作品を読むのが楽しいように、水村の作品を 読むのは楽しい。その一言をいうだけで立派な書評として成り立つ。文学の書評と いうのはどの本が楽しいか、という基本的な選択から始まるものだから。それすら 言えない朝日の評者は、その選択を怠っている。読書の楽しさを語ることを忘れて しまっては、文学の書評はできない。
>>199 的を射ている。作品をよく読みこんでいる。
そして何より…本を愛している。
文学においても、ひとりの淀川長治が、ってことですね。 かつて蓮實が何かの席で口にしていましたが。金井美恵子が もう少し嫌味でなければ、そういうこともできるんでしょうけど。 あ、そういえば『私小説』は多和田葉子(あ、よう子だ)が書評して ましたね。今回はどうなんだろう。 確かに文学をよく読んでいる人なら、何も怖がることはない、のだ けれど、批評から入って中上や大江を読んで「問題」を語るだけの 批評家には「文学」だとは思えないようなものにハマったことが なければ、『本格小説』を読んでも「楽しい」と思うことさえできない んじゃないかと思う。オールコットやモンゴメリ、バーネットとかね。 もちろんそれも『本格小説』では、少女文学全集をめぐるエピソードと いうかたちで書きこまれているわけだけど。辻邦生との往復書簡を 読んでもそれはわかるし。
202 :
吾輩は名無しである :02/11/20 10:54
>>184 「作家(人間)であることによりかかることなく、言葉ともっと闘う
べきである」というメッセージ
水村さんの『続明暗』文庫版のあとがきを思い出した。牛になれ、という漱石を
引用した部分。
>>201 ああ、それ…、
「文学における不幸は、淀川長治がいないことだ」
って誰かが講演会か何かで言っていたのだけれど…。
ああ、誰だっただろう?
いかん、気になってまた一日引き摺ってしまう。
淀川長治か・・・。反論覚悟でいえば高橋源一郎ってその可能性を 持ってるひとだと思うけどね。もっとも評論家じゃないけど・・・。
>>203 いや、書き方がまずかったかもしれませんが、それを口にしたのは
蓮實重彦ですね、確か。金井氏に関しては、私の意見です。
>>204 源ちゃんか・・・・・・。水村氏の幼馴染みで双方ともに初恋のひと
らしいけどね。可能性はあると思うけれど、でも、可能性でしかない、と
いうことも確かな気がする。言わんとすることはよくわかります。
別スレでマダムBがカキコしていたロブ=グリエと蓮實の対談を 読もうと、現代思想のバックナンバーを古本屋で買ったところ、 その対談のすぐあとに、樺山紘一、柄谷行人、長尾龍一という とんでもないメンバーでの鼎談が掲載されていて、そこに次のような やりとりがあった。 長尾 私小説の対立概念ってなんですか。 柄谷 本格小説なんですよ。(笑) ・・・思わず笑ったのは言うまでもない。
207 :
吾輩は名無しである :02/11/20 20:26
208 :
吾輩は名無しである :02/11/20 23:36
209 :
吾輩は名無しである :02/11/21 00:56
どの感想も、出版社の息がかかっているような、 ホメゴロシ的な賛辞ばかりなんだけど、 一般の読者からの感想はどんなもんなの? 特別売れてるわけでもないようだけど。
ここにいる人たちは一般の読者じゃないの?
211 :
吾輩は名無しである :02/11/21 01:09
アマゾンランキングでは、「本格小説」上巻825位、下巻14,493位 上巻だけ買って、下巻を買わない人が半数近くって言うのは、どうよ? なんか、ここの書評は胡散臭くないか? 春樹の「海辺のカフカ」は、上下巻とも、190位ぐらいだけど。
212 :
吾輩は名無しである :02/11/21 01:11
新潮社の方、ここを見てたら真相を答えてあげてください。
213 :
吾輩は名無しである :02/11/21 01:42
214 :
吾輩は名無しである :02/11/21 02:30
215 :
吾輩は名無しである :02/11/21 03:54
>>211 ようするに、上巻読んでもつまらないわけね。
アマゾンランキングをみれば、一目瞭然。
読者はうそつかないぞ。
下巻の大量返品にさぞあわてただろうよ。>新潮社
216 :
吾輩は名無しである :02/11/21 04:06
>>215 まず上巻だけ買うって人が多いだけなのでは?
あと売れる本が面白いという前提で語るのはヤメレ
217 :
吾輩は名無しである :02/11/21 06:22
>>216 >まず上巻だけ買うって人が多いだけなのでは?
そして、下巻買わないって人が多いだけなのでは?
>あと売れる本が面白いという前提で語るのはヤメレ
だから、上巻のほうは買う人がいるけど、面白くないから
下巻を買う人がいないんじゃない? って言いたかったんだけど・・・。
小説の感動や面白さの裏付けを数字に求めるヤカラが、とうとう2chにも 現われたんだな。そういえば、市場調査と抱き合わせの読者論ってあったよ ね。今ではちょっとクラシックだけど。やれやれ…
219 :
吾輩は名無しである :02/11/21 08:07
売上や販売数やランキングを気にするほど、「出版社の息がかかっているような」 コメントはないと思う。
週刊朝日の川本はストーリー解説のみ
221 :
吾輩は名無しである :02/11/21 18:46
どっかの本屋では、上巻しか置いてなかった。
222 :
吾輩は名無しである :02/11/21 23:35
アマゾンによる「日本の小説」を「売れている順番」で見ると、「上」が20番、 「下」が23番だった。
223 :
吾輩は名無しである :02/11/21 23:43
図書新聞に詩人の小池昌代さんの素晴らしい書評が出ていた。
224 :
吾輩は名無しである :02/11/22 00:18
学校で先生が誉めていた。
225 :
吾輩は名無しである :02/11/22 10:12
>>223 図書新聞の小池昌代の書評、早速読んでみました。粗筋など追わずに本質的なことを語っており、今までの書評の中でベストだと思います。
今週のYomiuri Weekly にも写真入りで大きく紹介記事がのっているのを発見しました。立ち読みしましたが、これも『本格小説』の小説としての面白さに焦点が当たっていて、なかなか良い紹介だったと思います。
>>220 映画のパンフ買って、川本氏が書いてくれていると嬉しくなる。
文芸を語るときも、映画や東京の町を語るときのように、美しい記憶の
断片の堆積から、ここではない時や空間に誘ってほしいと思うのだけれど。
朝日の時評も中途半端だったし、ねえ。
>>206 まだ、古本屋さんにあるのですね。驚いた。
それで、その話のかみ合わないトンチンカン鼎談。
つづく長尾氏のコメントが、
「ぼくみたいな法学士の発想からいうと、私小説の反対は
公小説ってなりそうだけどね。(笑)」
…ププと、品なくふきだした。
鼎談の最初の30分ぐらいは沈黙を保っている柄谷氏だけれど、手元の
彼の著書を見ていたら、『ダイアローグ』(1979年初版・冬樹社)に
ちゃんと収録されていているのですよ、これ。家人の蔵書は85年の
4刷。文学の門外漢でも、このような本を買う時代だったから売れて
いる。しかして、なぜに『本格小説』は…という流れになる。
>>206 ああ、どこかで見たことがあると思ったら、『ダイアローグ』でか。
それはさておき、ちょっと前にこのスレでなされている売れる、売れないの
やりとりを見ていても、ロブ=グリエと蓮實の対話が身につまされる。
だってこれ、ほぼ四半世紀前の対話なんですものね。いささか暗澹とした
気持ちにならないでもない。
228 :
吾輩は名無しである :02/11/22 12:48
ところでこの掲示板の書込者は次のような気がする。一般読者15%、作家10%、 作家志望10%、ライター10%、フリー編集者10%、出版社編集者10%、 出版社営業・販売部5%、新聞記者10%、大学教員10%、大学院生5%、 学部生5%。
229 :
吾輩は名無しである :02/11/22 13:24
一般読者30% 学生55% ヒッキー15% じゃないのか?
230 :
吾輩は名無しである :02/11/22 14:13
馬鹿じゃねーの
231 :
吾輩は名無しである :02/11/23 10:47
図書新聞に掲載された詩人、小池昌代さんの書評を私も読んだ。今までの書評の なかで一番的を得ていて、とても良かった。『本格小説』を読むことの核心に触れ ている。一般の人の目に入らないのが残念。
>>231 同感です。あのくらいの書評が日刊紙や文芸誌に載ればいいのですが。
文芸誌でも、どれだけのひとの目に入るかは、おぼつかないのに、
図書新聞だと置いているところも少ないですしね。まあ、文芸誌には
それこそ本格的な批評が載ることを期待しますか。
図書新聞は市販されていないのですか? 図書館になら置いてあるものなのでしょうか。
小池昌代の書評、概要だけでも知りたいです。
235 :
吾輩は名無しである :02/11/23 20:43
この場所も結構文章が増えてきたので、水村美苗氏の前作『私小説 from left to right』 用の別の掲示板を立てたらどうかと思います。その方法を知っている人がいれば教えて ください。
いや、ここだけでいいと思います。
237 :
吾輩は名無しである :02/11/23 22:23
今回、下巻の部数はかなり押さえているから何の問題も無し。 増刷しました。おめでとう
239 :
吾輩は名無しである :02/11/23 22:49
>>237 身長車の方ですか?
3刷が出ている。じわじわと売れているのか?
240 :
吾輩は名無しである :02/11/24 05:11
毎日深夜、ゆっくり味わいながら読んでます。 幼年時代の世田谷の風景、我が家で働いていた女中さんやバアヤやネエヤを 思い出しながら・・・。 今、まだ上巻の最後の方ですが、 これからどんな展開になるか楽しみである一方、読み終わるのが惜しいような気持ち。 こんなに夢中になって小説を読むのは、何年ぶりかしら? 「感動をありがとう」なんて臭い表現をつかいたかないけれど、 水村さん、「傑作をありがとう!」って言いたい。
241 :
吾輩は名無しである :02/11/24 07:14
242 :
吾輩は名無しである :02/11/24 09:45
>>241 ありがとう。いまbk1の「中村びわ」さんの書評を読んだ。
「この書評を良いと思った」に「はい」を押してきた。
243 :
吾輩は名無しである :02/11/24 10:17
244 :
吾輩は名無しである :02/11/24 15:10
246 :
吾輩は名無しである :02/11/25 00:27
あきらかな関係者の宣伝スレw くだらん。
248 :
吾輩は名無しである :02/11/25 00:36
>1 文学板で語るタマか?w かえって逆宣伝だよ、馬鹿かオマエ、恥を知れ(藁
249 :
吾輩は名無しである :02/11/25 03:53
ここでの宣伝の仕方、きょーざめ
250 :
吾輩は名無しである :02/11/25 05:56
251 :
吾輩は名無しである :02/11/25 08:19
『本格小説』を読んで面白いのは、そして読み終わっても長く余韻が残るのは、語り手が 複数いて、同じ物語が語り継がれることによって、時間の一過性という自明のことが、 毎回異なった観点から繰り返し確認され、人間が共有する認識として、より深く、より 確かに、伝わってくるからだと思う。
「、」の打ち方が不思議で、何を言いたいのか不明。
253 :
吾輩は名無しである :02/11/25 17:12
>>233 、234 図書新聞に電話したら置いてあるところを教えてくれるでしょう。
電話3234-3471。2608号、11月30日。
電話番号のせていいのか?
確かに面白く読んだが、もうどうでもいいな。 嵐が丘のほうが面白いし
256 :
吾輩は名無しである :02/11/25 18:56
私は『本格小説』の方が良かった。
今夜には、読了しそう。 うーん、今はまだ途中ですし、未整理で色々言えませんが、 上巻から下巻半ば頃迄の‘読書にドップリ浸る幸福感’から些か冷め、 数々の疑問点が湧き上がって来ています。 壮大な試みと音楽を聴くように心地良い文章etc.には脱帽するけれど、 これは、まだ実験段階ではないか?、と。 最後迄読んで、自分なりに考えをまとめてから、又来ます。
258 :
吾輩は名無しである :02/11/25 23:47
>数々の疑問点 ぜひ書いてください。 楽しみにしています。
259 :
吾輩は名無しである :02/11/28 05:10
up プラスチックの赤いお椀に入れたよう子ちゃんのお骨、 太郎は、ピンク色のシャンペンと一緒に飲み干すのかと思たヨ。
三ババァが加藤タンと初めて会ったシーンで、 冬絵がモーツァルトとピアノ協奏曲14番のLPを掛けるじゃん。 何で14番て思ったけれど、無難な曲ということで選択されたわけかなー? ルドルフ・ゼルキンの14番は、まだ聴いたことなかったな。 俺が持ってるのは、ペライアだ。でも、14番なんて、滅多に聴かない。
>>260 訂正
モーツァルトと → モーツァルトの
遅レス 新潮社の人間ではありません。 下巻の部数が抑えられているのは、 初版の書店での並び具合を見れば明らかなこと。 重版は某書店で確認した。
264 :
吾輩は名無しである :02/11/29 10:21
アマゾンの「日本の小説」を「売れている順」で検索すると、『本格小説』の「下」が44番目、「上」が54番目になっています。
『縦書き私小説』
266 :
吾輩は名無しである :02/11/30 19:02
よう子が受けとる小石、美苗が受けとるネジ、冨美子が受けとる札束。
267 :
吾輩は名無しである :02/11/30 19:40
最近、図書館に入ったのですが、5人ほど予約されています。 けっこう人気なのかもしれません。 もし図書館が無ければ、これらの人によって売上も増えるんでしょうね。
268 :
吾輩は名無しである :02/11/30 23:05
まだ、読んでいないのですが、題名などの雰囲気から、「銀座カリー」という レトルトカレーを連想してしまう私です。本格って、パロディーかもしれま せんし・・。
269 :
吾輩は名無しである :02/11/30 23:12
>>267 へ
ちがうんだって。図書館の有る無しに関係のないこと。
ジャンルの越境とかも云々では無しに、
出版社自身が出版社自身を越えてゆけ!ってことよぉ。
270 :
吾輩は名無しである :02/12/01 12:20
>>264 今見たら、上巻が37番、下巻が41番だったよ。
271 :
吾輩は名無しである :02/12/01 12:50
『本格小説』という大作に大した文学賞があたえられないことになれば、そのこと 自体が今の日本の文学界の閉塞を示す実例となるような気がする。
272 :
吾輩は名無しである :02/12/01 17:26
↑まあ、そうだろうね。水村はもう別格だよ。 本格小説が出て、もうこの人以外の純文学日本人作家(生きている人)の 作品を読む気がなくなった。 春樹ももう見限ってもいいと思ったくらい。
273 :
吾輩は名無しである :02/12/01 21:26
>>268 >「銀座カリー」という
>レトルトカレーを連想してしまう私です。本格って、パロディーかもしれま
せんし・・
面白いです。
そうかもしれないと思いました。
カバーはウィリアム・モリスの作品を使っていて、本の厚さ、
タイトルの字体などからも、「本格」的な小説というヴィジュアルです。
言われてみて、レトルトカレーの箱を思い出しました。
274 :
吾輩は名無しである :02/12/02 00:56
時代錯誤と戯れるカバーは、歴史から逃れられると錯誤する僭越の批判でもあるのではないか。
275 :
吾輩は名無しである :02/12/02 01:07
276 :
吾輩は名無しである :02/12/02 01:24
モリスの華やかな作品で装った、クラシックで正統的な雰囲気のカバーの下は、 白黒の本体なんですよね。 あれも、過剰に真面目で硬い感じがします。 装幀の精神というか目的も、本格小説なんでしょうか。
277 :
お子ちゃま :02/12/02 04:12
あのー、 太郎と冨美子、ほんとのところ、どんな関係だったのでしょうねぇ?
278 :
吾輩は名無しである :02/12/02 08:02
男と女の関係です。朝からハアハア
279 :
吾輩は名無しである :02/12/02 11:18
>276『本格小説』が文学への復帰を実践したのは、それが「本格小説」の模倣とパロディーで ありながら、それを正規に継承したところにある。近代美術史において装飾的、反動的、異 端とみなされ、危うい位置にあったモリスを、「クラシックで正統的」に使った装丁は、こ の遊びによる真剣への反転を視覚化したものに見える。なかの写真も、常套をなぞりながら も「過剰に真面目で硬い」印象を与え、捨てたものではない。
「本格的」という言葉を誤解している人がいるな。
>>279 なんか素人が作ったデッチ上げくさい文章だな・・・
282 :
吾輩は名無しである :02/12/02 21:16
>>279 >この遊びによる真剣への反転
申し訳ありませんが、もう少し分かり易く説明し直してくれませんか。
煽りではありません。
283 :
吾輩は名無しである :02/12/02 21:24
きな、家の近ぐの吉野家さいったんず吉野家。 したっきゃ、なんだがさ人がっぱいで座らいねーんず。 んで、よぐ見だっきゃ垂れ幕さがってで、ふぇぐごんじゅえん引きって書いじゅーんず。 もうな、ほんずがと、バガがど。 ふぇぐごんじゅえん引きぐらいでいっつも来ね吉野家さくるなじゃよ、ほんずが。 ふぇぐごんじゅえんだよ ふぇぐごんじゅえん。 なんが家のやづみんなきちゅーし。 一家そろっで吉野家な おめでてーじゃ。 「とっちゃ、特盛り頼むじゃ」とかいっちゅーんず。 もう見でらいね。 おめ達や、ねぷた煎餅やるはんでその席空げろって。 吉野家ってのはもっと殺伐としちゅーべぎなんだね。 いづ Uの字カウンターさ向かい合っちゅーやづさやすめらいるがもわがんねー やすめらいるがふんじゃまがいるが、、そった雰囲気がいいんでねーんずな。 かっちゃわらしだば家さ引っ込んでろ。 で、やっと座るにいいがと思ったっきゃ、となり奴が、つゆだぐけじゃ〜とか言っちゅーんず。 そごでまんだブヂ切れだべさ。 なーよ、つゆだぐだの今時流行らねんだいな、ほんずこの。 なにいい面してつゆだぐけじゃ〜、よ。 吉野家通のわぁがら言わさへりゃ今、吉野屋通での最新流行だっきゃやっぱし、 白、これだねな。 大盛り白ギョク。これが通の頼みがだや。 白ってば白飯だげ。そんかわり肉も汁もなんも入ってね。これや。 で、それさ大盛りギョク(玉子)。これ最強。 だばってこれとば頼むど次がら店員さ目とば付けらいる諸刃の剣。 素人さだっきゃ薦めらいねな。 まぁ、おめみてった素人だば、十万国でめぐねウニでも喰ってろってごったね。
284 :
吾輩は名無しである :02/12/03 04:27
283は、名古屋のリストラされたリーマンですか? ところで、よう子は、太郎と冨美子の関係をどう認識してたと思います?
285 :
吾輩は名無しである :02/12/03 12:08
薄々知っていたかもしれない。
286 :
吾輩は名無しである :02/12/03 14:32
約2ヶ月前、「本格小説」と「海辺のカフカ」を同時購入。 軽い気持ちでこちらを先に開いたら、 ぐんぐん引き込まれて徹夜、再読、再々読。 思わず軽井沢週末旅行まで決行しちまったよ。 読了後の目で見る軽井沢の景色は、 自分の庶民ぶりと日本の庶民化を実感させてくれ、 なかなかに味わい深い旅でした。 文句なしに今年のベストワン。 昨日カフカ読み終わったけど、50万部売れるべきなのはこちらだと思う。
このスレきもい
モリスは『私小説』で「水村美苗」が使ってた壁紙でしたね。 モリスを使ったのは漱石関連じゃないの? くわしいことは忘れたけど、漱石ってモリス近辺の文学運動に かなり興味を持ってたような。 ケルムスコット・プレスのような装丁じゃなく、 紙のカバーにモリスを使うってのも、ちょっとひねりがきいてる、 と勝手に思ってたです。
289 :
吾輩は名無しである :02/12/03 22:16
>>282 『嵐が丘』のような「本格小説」だとされる古典を、真似したり引用すること
は、単に遊んでいるようにしか見えない。遊ぶのは真剣ではない。ただ、よう子と
太郎の遊びが昂じて、遊びでは済まされないようなものになってしまったように、
遊びでしかなかったような文学の書き換えが昂じ、結果的に『本格小説』という真
剣な文学作品が生まれてしまった。今までさんざん模倣されたり、引用されたりして
きたモリスも「クラシックで正統的」なものへと反転され、復帰された。
290 :
吾輩は名無しである :02/12/03 23:10
>>289 あのー、何言っているかさっぱり分からないのですが。
291 :
ころにゃん ◆xBMFVwwC0s :02/12/03 23:11
∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧ < きゃ〜っ!!! > < 先生〜っ!!また289が逃げて、何処かに迷惑かけてます! < >  ̄|/∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨ | ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| | 口口 2ch精神病院.口口. | | 口口 ___ 口口. | | 口口口 | | | ..口口口..|
292 :
吾輩は名無しである :02/12/03 23:24
文学は「遊び」以外の何なのか? ユーモアのセンスのない奴は全員芯でいいよ。
>古典を、真似したり引用すること
>は、単に遊んでいるようにしか見えない。遊ぶのは真剣ではない。
? ? ?
>>292 >文学は「遊び」以外の何なのか?
同意。
あと、289は文章が下手。
もしかして、文章を生業にしようとか思っているのなら、
直した方がいい。
>遊んでいるようにしか見えない、遊ぶのは真剣ではない こんな深みがない頭に、現代を感じて困ってしまう。 どっちにしても、289はただ現代を遊んでいるのだから、それでいいのさ。 難しく考え、書こうとしなくてもね、ぼうや(爆)
295 :
吾輩は名無しである :02/12/04 07:17
>>1 さん
私は障碍歴約40年の男です。前からこのホームペイジを見ていて不思議に思い
また、憤りをおぼえていた者です。
この掲示板では、feelさん、前の大野氏いずれも障害者としての正当な権利や意
見の主張をしたに過ぎず、それを受け入れないばかりか他の主張も、健常者に媚
び諂い、同じ障害者を援護するどころか、貶めている傾向がある。
過去と現在の障碍者を取り巻く扱いは明らかに不当であり、差別であった事は
火を見るより明らかな事実であってそれを改善するという正義の革命は
今以上に性急に行わねばならない障害者の権利は、これを健常者が無条件で
受け入れねばならず、それに異論を唱えるものはすべて差別主義者であると言
わざるを得ない。
あらゆる物事、結婚、就職、就学などに障碍を理由にして断わられる事はあっ
てはならない
もしそれらを行った場合、その個人または団体に対し、刑事または民事で訴え
られるような法律の整備こそが最優先で、また、障碍者差別をなくす唯一の方
法であると確信しています。
障碍、健常のお互いの理解などは不可能です
健常である事は暴君であり、障碍を得ている者は市民であり、強者と弱者、お
互いにお互いの心など酌みようがないのはあたりまえと言えばあたりまえであり
仕方のないことである。
小生も40代にして、いまだに独身なのは障碍のせいではなく障碍を差別視する
世の中の風潮や、世の中の女性の悪しき思想のせいであることは言うまでもなく、
今まで何人もの女性に自分の偽りのない愛を告白して来たが、みな障碍を理由に
断わられてきたという、あからさまな差別を受けてきたのである。
真のバリアフリーや真に差別をなくすという事は健常者と障碍者が話し合い行う
ものではなく、障害者の要求と要望をすべて健常者と社会が受け入れるべき
なのである、現在のような差別発言や、差別発言を行う者への援護の書き込みは
厳に慎まれたい。
障害者特別性交特権の早期実現を!
296 :
吾輩は名無しである :02/12/05 01:04
>>288 >紙のカバーにモリスを使うってのも、ちょっとひねりがきいてる
池澤夏樹『真昼のプリニウス』、須賀敦子『本に読まれて』(ともに中公文庫)にもモリス作品は使われている。
それらのイメージから、クラシックで豊穣な感じの物語に合っていると思てったです。
でも、漱石つながりなのかな。
297 :
吾輩は名無しである :02/12/05 09:52
本格小説を読み終えてから1カ月余り経って、少しずつ感動が冷めてきて、 すると少しずつ気になる現れてきた。 やはり、「本格小説」という題名がひっかかる。この題名だと、この本が 担っている一番の役目は、「本格小説というものはこういうものですよ」という 見本を示すことになってしまうのではないか。同じことは「水村美苗」を登場 させている点も同じ。著者とあの大金持ちは現実世界でも知り合いなの?という 単純な疑問は、絶えず読者につきまとってしまう。 それが著者の狙いなら目的は完全に達成できたが、私には少しひっかかるもの が生まれた。 パロディとユーモアの違いなのだろうか。ユーモアが高度で皮肉で知的である のに対し、パロディは物まねであり笑うことは簡単だが忘れることも簡単という 次元の低いものである(と理解している)。本格小説を真似て書こうと決意して 実際に書いて、できあがったものに「本格小説」とつけるのは、ユーモアという には足りず、やはりパロディどまりだったのではないか。 作品の価値というものは微妙で、興奮して感動したあとにそれがパロディである ことがばれたら一気に冷めるということもある。最初からパロディとして宣伝 しれいることを善意に解釈しても、やっぱりひっかかってしまうのだ。 これが、「軽井沢物語」(われながらひどい題名だが)といった、普通の題名 であったらよかったのにな、と思えてならない。
298 :
吾輩は名無しである :02/12/05 10:54
「本格小説」という題名を付けたのは、パロディとしてではなく、本当に「本格小説」を書きたかったからでしょう。 逆に、すべての小説がパロディになってしまった現在において、いかに「本格小説」を書くかが、作者がみずからに課した課題であるということだと思います。 だから、語りを三重の入れ子構造にするというような工夫を凝らしているのです。 作者のインタビュウや対談を読むと、この点に関して、驚くべきほど意識的です。
>>298 なるほど。
確かに再び冷静に考えてみると、「水村美苗」が登場したことで、
和製ビルゲイツ(タロちゃん)も違和感なく、つまり嘘っぽくなく
受け入れることができた。この策略をしてしまった以上、小説の
中身を類推させる題名では駄目だったのかもしれませんね。その点で
「本格小説」という題名は、作者の意図をきちんと表明している。
しかしそれでもなお、やっぱり、どうしても、不満というか不足感
が残ってしまう。「」の付かない「本格小説」を書いてきたブロンテや
漱石らだったら、こんな題名は必要ないわけですよね。つまり水村は
みずからの作品に「本格」なんてつけたことで、本格派であることを
放棄してしまったことにならないでしょうか。
それが惜しいと思います。
私はこの小説を、ブロンテ、漱石、カズオ・イシグロ、EMフォースター、
ジェーンオースティンの作品と同じ本棚の列に並べました。作品のできが、
これらの作家と遜色ないと思ったからです。
しかし本格小説の中に「本格小説」が入っている感じです。
つまり本当の本格小説になれたのに、作者がわずかばかり自らを卑下して
しまったばかりに、「」がついた「本格小説」になってしまったのでは
ないでしょうか。
>>299 むしろその「」がついた「本格小説」になってしまったからこそ、『本格小説』は
本格たりえたのでは?同じ本棚の列の中で本格小説群から差異として際立つ
ことによって逆説的に。それによって「放棄」が「獲得」と、「卑下」が「高慢」と
「同じもの」になってしまうのが、水村美苗が小説家であるということの
証なのではないかな。「放棄」は「獲得」ではないし、「卑下」は「高慢」では
ない、なんて、そんな矛盾は知らない、と言うのが小説家で、そういう
ところにこだわるのは往々にして男性の若手批評家だったりするんじゃないかな、と
思ったりね。
書きこみが長すぎ、しかも改行なしで非常に読みづらいです。 お願いだからもうちょっと整理してください。
302 :
吾輩は名無しである :02/12/05 19:18
題名不足か作品不足かの判断は今後歴史が下すこと。『本格小説』という題名が 興味深い論議を醸し出すのは確かだけど、例え悪い題名だとしても、それによって 作品の価値が下がることはないと思う。大体作品はいいけれど題名が悪いから作品 の価値が低くなった例は歴史上あるのでしょうか。ちょっと題名に引っかかり過ぎ る人が多い気がする。題名にひっかかる人は、もともと作品があまり好きではない のでしょう。作品が好きな人は、題名も好きになってしまう程度の題名だと思う。 マグリットの「これはパイプではない」やドゥシャンの「階段を下りるヌード」ほど、 題名に依存した作品ではないことは明らか。ただ『本格小説』という題名をつける こと自体が、文学という制度に対する笑いを込めた批評行為でもあるので、この題名に よって怒る人がいることは、水村美苗は充分予期していたと思う。これでちょっとは 整理になったかな。
303 :
吾輩は名無しである :02/12/05 19:54
歴史が判断を下すと断っておきながら、かなりきっちり「題名」論を 展開するあたり、さすが2チャンネラー。 バーチャル(死語?)論客。バーチャル弁士。バーチャル口達者。 いずれにせよ、ここだから発言が許されています。 あなた日常で、親しい会話相手っています? なんでこんな嫌みを言うかって? 最後の一文を読んで、こりゃあ鼻をへしおってやらなきゃって 思っちゃったから。 これでちょっとは賢くなれるかな。
>302 >この題名に >よって怒る人がいることは、水村美苗は充分予期していたと思う。 怒る人なんているの?
>>303 おまえ、つまらんいちゃもんつけるぐらいだったら、
ちゃんと中身に反論しろよ。自分の鼻でもへし折ってろ。
これはパイプではない> ってフーコーが絵画論書いていたね。明日さがして、出てこないと鬱だ。 モリス柄の表紙をめくって、さらに見返しをめくって前扉―― 『本格小説』というタイトルの上に添えられた「日本近代文学」という 見出し…、ここに作家のチャレンジ精神と、表紙には入れなかった 編集者の文壇への配慮のふたつを読み取るのは外れだろうか。
307 :
吾輩は名無しである :02/12/05 22:59
大当たり。『私小説 from left to right』の扉にも「日本近代文学」とある。 「文壇への配慮」以外に、書店で批評の方に置かれてしまう恐れがあったかも。
308 :
吾輩は名無しである :02/12/05 23:24
288です 紙のカバーにモリスを使うことがひねりだと思ったのは モリスが理想的な本作りを目指してたからです。 彼の設立したケルムスコット・プレスから生まれた本は 中世の手稿本のようだったらしいので、こういった本と比べてみると 紙のカバーで、規格化された本にモリスを使うことに なにか意図が感じられたのです。 でもモリスについては、漱石関連だと思う。 詳しいことは知らないけどモリスを日本において古典にしたのは やっぱり漱石たちのモリス評価があってのことだろうし。 個人的には水村美苗は現代のそうせきだと思ってるんで…。 たたかれるかな?
309 :
吾輩は名無しである :02/12/06 00:02
「水村美苗は現代のそうせきだと思ってる」私も。
310 :
吾輩は名無しである :02/12/06 01:05
>>308 ブック・カバーについての丁寧な説明、ありがとうございます。
モリスのケルムスコット・プレスや、日本でのモリスの評価・受容が漱石から
ということなど、知らなかったので勉強になりました。
世界三大美書だという「チョーサー著作集」の画像を見てみました。
本体の見開きページだったのですが、印字といい、挿絵といい、
黒いなあと、黒さに圧倒されました。
(「中世の手稿本のようだった」というところから、
カラフルなものを勝手に思い描いていたことも関係あるかもしれません)
しかし、見ていてふと「本格小説」が思い浮かびました。
活字は黒色だし、挿絵のように入っている写真もモノクロだからです。
311 :
吾輩は名無しである :02/12/06 02:03
あの写真は気に入った。
312 :
吾輩は名無しである :02/12/06 03:15
>>279 >なかの写真も、常套をなぞりながら
>も「過剰に真面目で硬い」印象
私は過剰に不真面目で楽しくて軽い印象だった。
白黒の本体と同じく、小説と合っていない気がしてびっくりした。
でも、「あの写真は気に入った。」私も。
カバーは内容より、過剰に華麗でクラシックな感じなんだけど、
合っている感じがする。
印象でスマソ
福田和也が81点をつけてるぞ。
314 :
吾輩は名無しである :02/12/06 07:39
どこで
315 :
吾輩は名無しである :02/12/06 09:41
>312「白黒の本体」て何ですか?
>314 週刊新潮。コンビニで立ち読みしろ。
317 :
吾輩は名無しである :02/12/06 12:14
>>305 反論?いや、別におまえは間違ったことは言ってないんじゃない。
だから反論はないよ。
でも「中身」はないわな。いい尽くされたことを、さもさも自分の
意見のようにいっているだけ。陳腐、新味ゼロ。
もう一回自分の文章(
>>302 )読んでみ。
無視してもよかったけどさ、これだけ論議が出ているこの小説の
「題名」について、あんなんで整理されちゃかなわんとおもったから、
嫌みを言ったまでだ。
>>317 いっとくが、おれは 302 じゃないからな。
>「題名」について、あんなんで整理されちゃかなわんとおもったから、
だったらお前が整理しろよ。ヴォケ。
それすらしないで「陳腐、新味ゼロ」などと言う資格はない。
減らず口しか叩けない厨房は黙ってROMってればいいんだよ。
あまつさえ無内容な「嫌味」を読まされると、第三者でもムカッ腹が立つ。
319 :
吾輩は名無しである :02/12/06 22:08
>>316 有難う。結構誉めてあった。でも81点とは酷い。
320 :
吾輩は名無しである :02/12/06 22:09
321 :
吾輩は名無しである :02/12/06 23:19
文学界12月号とSPA!12/10号にも記事があった。「恋愛を通して歴史に迫りえた」 とあるSPAの記事は判りやすかったが、誉めつつも意味不明の文が続く文学界の 記事はどうしたものか。編集者よ、執筆者を適宜に指導し育成せよ、とでもいい たくなる。
>>308 中世の手稿本という形容は言葉足らずでした。
たしか彩色された本もあったはずですが、
詳しくは書物の歴史やケルムスコットについて書かれた本で確かめてみてください。
あと“漱石、ウィリアム・モリス”でぐぐってみたら、おもしろかったよ。
これから週間新潮読みに行こう…
>315 「白黒の本体」とは、カバーを外した状態のことです。 わかりにくくてすみません。
324 :
吾輩は名無しである :02/12/07 01:47
>>323 白抜き文字が背にある表紙ですね。よくわかりました。有難う。この真面目
な格好をした表紙こそ「本格小説」の本質じゃないかな。カバーや帯はあくまでも
営業用、店頭陳列用なので、遊び心を出しているだけ。
325 :
吾輩は名無しである :02/12/07 02:48
>>324 色鮮やかなカバーや、小説のイメージとのあまりのギャップ、真面目さ硬さ、素っ気なさに、この装幀は失敗ではないかと疑っていました。
そうですね、本質かも。
>カバーや帯はあくまでも営業用、店頭陳列用
「本格小説」というタイトル、それらの字体、それから黒に「白抜き文字」の本体も、全てそうではないか、一般の人への過剰な演技・アピールではないか、と思ったりします。
タイトルは上でも話題になったけど、私はまずタイトルに度肝を抜かれました。
それは「続明暗」「私小説」もです。
しかも今回は、イギリスの荒野から切り離せなそうな「嵐が丘」を日本に甦らせたとかいうではありませんか。
水村さんが当初書こうとしていたらしい幼年時代の話なんかより、興味を引かれます。
インタビューなどで知らされる情報が刺激的なのです。
商売上手というか、広い視野をもっていて柔軟な「作家」に思います。
でも、そんなに力を尽くしているのに売れなかったら哀しいです・・・
326 :
吾輩は名無しである :02/12/07 10:17
『本格小説』という題名は、日本という国で小説を書くということについて 何も考えたことがないように見える作家や評論家に対する挑戦だと思う。 一般読者にとってはこの題名は恐ろしそうで、買う気を失わせるはず。 商売としては損でしょう。
327 :
吾輩は名無しである :02/12/07 10:21
>>318 悪かったよ。ちぇっ。
(って、素直になれない俺)
328 :
吾輩は名無しである :02/12/07 10:25
>>326 水村がすごいと思うのはさ、自分の書いた小説がきちんと
「挑戦」に値すると、自らが判断できたところだと思う。
だって、あの重厚な内容がなければ、それこそ「本格小説」
の名に恥じるわけでしょ。
(挑戦たりえない)挑発だけならだれでもできるが。
商売としては損しても、芸術家としては立てたよな。
329 :
吾輩は名無しである :02/12/07 10:33
自分の作品に対する意識をそのまま盛り込んでしまう。 メタテキスト(←小説としてのテキストに言及した テキスト、という意味で)とでも言えそうな題名だけど、 傍から見れば、単なる自意識過剰。内容が良いのなら、 余計に勿体無い。
>>302 今まであった奇抜な題名とは
>>329 のような意味に
おいて、だいぶ質が違いますな。
パロディに対する意識、なるほど。それなら、質は
どうであれ、平野と水村はわりと近い位置にいる訳だ。
それはそれとして。
大江がいる内は「すべての小説がパロディになって
しまった現在」なんて言葉はまかり通って欲しくないと
思う僕は、逝ってよしだな。
331 :
吾輩は名無しである :02/12/07 11:30
「無印良品」、「ザ・めしや」の命名の意図を良心的に汲むと、普通名詞を固有名詞 に、カテゴリー名を個名に使用するのは、大いなる野心だけではないように思える。 自意識過剰、添加物過剰、装飾過多の既存市場に対する批判を踏まえた、原点への 復帰を呼びかける謙虚な姿勢も、そこにあるのではないか。「本格小説」は「恐ろし そう」だけど、その反面、内容がそのまま透けて見える、判りやすいスケルトン・ パッケージでもある。加藤祐介の腕時計は無印良品。
332 :
吾輩は名無しである :02/12/07 12:30
>>331 批判は、在り方を示す事でしか達成されない
ということを忘れずに。これは経験則。
表題に批判を託すという方法は、在る物それ自体
が批判であるという発想に基づいていて、安直
極まりない。
というより、他の「本格小説」の可能性を否定
してしまっているという意味においても怖い。
命名は暴力というけど、これは他の作品へも
拳を上げている点で、極めて危険。しかもそれが
『嵐が丘』のオマージュという点でもまずい。
過去にしか目が向いていないから。
平野と水村は、「文学斯くあるべし」という
排他的な宣言が古典への回帰によって成立しうる
という思想において共通しているといえるが、
こういう態度はあまりにも幼稚でしかもファシズム的な
匂いすら感じる。これが容易に受容されている
という状況も怖い。末期的状況というやつだね。
333 :
PURE-GOLD :02/12/07 12:48
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334 :
吾輩は名無しである :02/12/07 13:24
プア・ゴールドって貧乏成金のことか?
335 :
吾輩は名無しである :02/12/07 13:25
戦闘的な反応に対して異議を唱えたい。「在り方」対「在る物」論は、上にある題 名の話が信用できないなら、「本格小説」の本文を読めば、題名に負けていないのが すぐわかる。この題名は、排他的だけではなく、無分別で寛容でもあるので、両義 性をもってみることが可能。これこそ唯一の「本格小説」ではなく、優劣は別として 歴史に多くある「本格小説」のなかの一冊、または今から多く書かれる「本格小説」の 第一冊目として位置づけることできる。ただ優劣を考慮するなら、平野と水村を同 列に並べるには無理がある。レベルがあまりに異なり過ぎるから。今は過去の末期 だけど、未来の初期でもあるのをお忘れなく。
336 :
吾輩は名無しである :02/12/07 14:11
平野を水村と同列に並べないでくれ。 平野は自分が日本語で小説を書いていると言うことにすら無意識で フランス時代劇を書く輩なのだから。 水村の『私小説』を読んでないのか、読んでも分からなかったのだろう。
>>335 内容についてだが、充実していようがしてまいが、関係の無い議論で
ある。平野と水村の優劣を競う事自体問題だけれども(比較する
カテゴリーを定めるだけでも相当の議論が必要だから)内容に拘泥して
括っているわけではない。
二人の共通性は
>表題に批判を託すという方法は、在る物それ自体が批判であるという
>発想に基づいていて、安直 極まりない。
という書き込みに尽きる。『本格小説』という題名は、その作品
へのメタ的な属性付与という意味において、既に内容の存在を無視
している。平野はそういう題名センスは無いけれど、過去の文学を
そのまま借りてくるというスタイルをひとつの権威にしてしまった
という事態において、内容の如何を問わせない状況を作り上げている。
その点で水村の作品の在り方と明らかに共通している。
>この題名は、排他的だけではなく、無分別で寛容でもある 具体的な根拠を示されよ。「本格小説の中の一冊」という 解釈には無理がある。著者が仮にこれから本格小説と評価される 小説を新たに著した時どのような題名が付けられるのかを考え れば、この題名の暴力性は明らか。同じようなセンスの題名は 付ける事はまず不可能。通常のタイトルでも明らかに傷がつく。 >過去の末期だけど、未来の初期でもある 気持ちはわかるが、パロディを当然とし、過去の題材へのネクロ フィリックな傾斜をポストモダンの完成と皮肉られる状況では、 簡単にそういう言葉は吐けない。水村の作品を未来の端緒というの なら、どの部分が未来へ託されるべき素材(あるいはスタイル) なのか、根拠を以って示されよ。
まあ、
>>332 は、作品の内容にも少し言及しているから
上の書き込みとは少し矛盾しているとは思うので
内容にも少し言及しておく。
>>336 >フランス時代劇を書く
平野のアレは、つまるところ翻訳文学の
再現である。だから、日本語でもOK。
その点、日本に題材を移した水村の方が
マシとはいえるが、翻訳を突き抜けて原典
へのオマージュになっているというだけで
部分的にせよ、文学そのものへの視線が
込められている事には変わりはない。
その可否や正当性は内容の質と関係して来る
から議論は微妙になるけど、文学という営為
が文学の中で閉じてしまっているという状況
を作り出しているのは確か。外部からの素材
の導入があったとしても、このような自己循環
は、ある意味末期症状ともいえる。
340 :
吾輩は名無しである :02/12/07 16:18
341 :
吾輩は名無しである :02/12/07 16:26
女を丸裸にして、縄で縛れ! そして、顔にションベンをかけてやれ! 喜ぶぞ
342 :
吾輩は名無しである :02/12/07 16:36
>>338 水村の作品群内の閉じた話として進行しているところがあるが、「本格小説」
自体水村が発明した言葉ではない。「ポストモダン」という言葉も同じように時代
錯誤的な言葉となっていくのに気がついてくれ。
内容の検討なしに表題だけで「メタ」だと批判しても、仕方ないのでは。 コロンブスの卵、最初にやったもん勝ち、というわけではないんだから。 内容において反復可能な「本格」の基準を設定しえているなら、他の作家に 対しても、水村本人においても、別に排除は存在しないし。『本格小説』 という作品は文字通り、本格小説とはこういうものですよ、ということを 水村美苗が言っているわけで、違う、と思うなら、作家は別の小説を書いて 『本格小説』という題名をつければいいだけのこと。それが困難になったことは 確かだけれど、その困難な奇跡を夢見よ、反復せよ、と『本格小説』は呼びかけて いると思う。 ちなみに内容の検討をするなら、読んでおくべきものはたくさんある。 『嵐が丘』『桜の園』『三人姉妹』は言うまでもないけど、その他にも 『或る女』『細雪』『真珠夫人』なんてのから、オールコット、モンゴメリ、 オースティンといったところも含めて過去の文学作品は読んでないと批評は できないし、水村氏はド・マンのもとでフローベール研究をしていたわけで、 リシャールのフローベール論はもちろん、邦訳のないレイモンド・ドゥブレ・ ジュネット(ジェラール・ジュネット夫人)の『物語の変容』なんてのも読んで いて、そのうえでエミリ・ブロンテの語りの仕掛けを描写との関わりに おいて用いることもおそらくやっている。小説を読むことを通じて身につけた 実践的な教養とそれを理論化しうる批評理論の知識の両方を兼ね備えた作家を 相手にしているのだから、「メタ」であることを批判したいのなら、まずは 「本格」の基準を内容においてどのように設定しているかを、実際の文章を 挙げて、語りや描写の観点から分析するべきでしょう。私は別に「メタ」で あることを批判したいとは思わないので、そういうかたちではやらないけれども、 この「作品」がいかに「歴史」をテクストのうち記入しえたかを、見てみたいので 分析はするつもり。読まなければならないものがたくさんあって時間がかかり そうだけど、面白くなりそうでわくわくしてる。
この先、「本格人間」とか「本格宗教」、「本格政治集団」などが 流行りだすかと思ってみれば、超鬱になってくる…
345 :
吾輩は名無しである :02/12/07 18:54
そのような心配は無用。流行らないと思う。上の話を読んでもわかるように、 主流になるほど一般的な理解は広がらない気がする。
誤解の無いようにひとこと。上の内容の検討云々は、『本格小説』を 批評するなら、という前提のもとで言えること。別にそうした教養や 知識なしで読んで、こんな小説が書きたいと思ったり、別の小説を 読んでみたいと思わせる、そうした魅力が『本格小説』にはある。 ただ、批評したり、小説を書きたいと思うのであれば、分析的に読むと いう過程は必要、というだけの話。水村氏本人も含めて他の作家が 反復可能な「本格」の基準が内容において設定されているかどうかを めぐって議論した方が、まだ生産的でしょう。しかも、ある、ない、と いった不毛な議論でなく、具体的にこれはどうか、という議論として。 たとえば下巻399ページ「祐介はベランダの上の男を階段の下から 見上げながら意味なくつけ加えた」が、なぜ、「祐介はベランダにいる 男を見ながら意味なくつけ加えた」ではないのか、といったことなんて 考えてみると面白いと思うんだけど。どうしてわざわざ「上」を強調する のか、どうして他の場所でなく「階段の下から」でなければならないのか、 なぜ「見上げる」という動作である必要があるのか、とかね。そういう 細部への配慮が「東太郎」なんて普通に考えればリアリティのかけらもない 主人公にリアリティを与えていて、そのリアリティの与え方を「本格」の 基準として設定することは、『嵐が丘』の語りの仕掛けと同様に、できると 思う。そのうえでそれを反復するか、別の基準を設定するかは、作家の 自由でしょうね。
読み返してみるとわれながらごたついているので、簡略に。 要するに、水村氏は、これが「本格小説」である、ということを 小説を書くという実践によって示しているんだから、その実践を きちんと描写の技法や語りの構造としてとりあげて議論しないと 意味が無い、ってこと。小説というのは言葉で書かれているんだから。 まさかと思うけれど、彼女の、これが「本格小説」である、ということを 示す実践が、タイトルのみ、だと思っているのなら、話はそれまで。
>>344 もちろん、わかって抜かしたのでしょうが、
268さんが「銀座カリー」というレトルト食品に言及したように、
食べ物、グルメ界では「本格」がすでに大流行。
というかデフォルトみたいです。
それはもちろん、一般人に買ってもらわなければ成り立たない、生活のかかった「商売」だからでしょう。
水村氏が「本格小説」というタイトルにそういう面もこめていたらいいなとは思います。
少数の人だけが自分の理論構築のために語る小説になってしまったら、うんざりですから。
>>344 宛なのに、関係ないイヤミになってて、ごめんなさい
超鬱…
わははは。ぼくへのイヤミでしたか。って、わかってないんですけどイヤミとはw ぼく自身も、茶化し半分でいったわけではないのです。 「本格」を謳うところにすごく現代を感じる、これでは看板を掲げるものは後を 絶たないだろう、まあそんな意味のコメントですた(藁 本格ラーメンって、ガイシュツだっけ?
そうそう、一時は「元祖…」が流行りますたなあw
352 :
吾輩は名無しである :02/12/08 09:57
>>346 あの情景は、お祖母さまが縫った浴衣をよう子が初めて纏った盆踊り
の日、ベランダの上にいるよう子を階段の下から見上げる太郎の姿の反復かと
思いました。下巻62ページ。映画のなかでも、一般的には同じ高さの地面や床
に立っている場面が多いので、たまには物理的に人を上下に配置する情景を入
れた方が面白い。もちろんどの人を上に置くかによって意味は異なってくるけ
ど。この反復では、見て思いをめぐらせる人が下で、見られていることに無自
覚の人が上になっている。その非対称の関係を、上下という言葉を入れて浮き
彫りにしたのではないでしょうか。
>>352 そうですね。それに加えて、3人の語り手が「上」にいる太郎を
「下」見上げるという動作を反復していることが重要だと思うんです。
脚立の上に上がって電球を取り換える太郎の姿を語り手が見上げる。
その描写の反復によって3つの語りが関係づけられる。
美苗はアメリカの我が家で、冨美子は軽井沢で、そうした太郎の姿を
見上げる。祐介は語り手の資格を得るために、彼女たちの動作を分割
して反復し、最初に追分に行ったときには「電球」に視線を向け、最後に
階段の「下」から「上」にいる太郎を見上げる。祐介が太郎を見上げる
ということがなければ、この物語は終われない。太郎が語り手より「上」に
位置するということ、取り換えるのが「電球」であるということは、物語の
展開を象徴し暗示するものでもありますよね。水村氏の細部への配慮を示す
一例です。
最近フランスで出たばかりのバルトの講義録には、「描写する」という
ことについての説明があって、それは「織られた錦などから金糸や
銀糸を抜き取る」ことであり、抜きとられるのは差異としてのニュアンスだ、
とバルトはいうのですが、3人の語りを織り上げ、縫いとめながら、
差異を生じさせてもいる描写の反復によって、太郎のリアリティは
生まれているのではないでしょうか。これをエミリ・ブロンテの語りの
仕掛けを反復したものとして評価し、水村氏が設定した「本格」の基準と
して考えることはできると、私は考えています。つまり、新たな「本格
小説」を書くことはさらにこの基準を反復することによって、かなり困難
ではあるけれど可能だ、と思います。
354 :
吾輩は名無しである :02/12/08 10:40
「水村美苗」でヤフー検索したらこのスレはじめの20件でヒットしたよ。 情報が少ない人なのね・・・・
>>352 こんなことを考えてしまうのは、たぶん私がこの小説を畏怖し、嫉妬
しているからでしょうね。そしてこの小説を愛している。もう一度
これと同じ小説が読みたい、できることなら自分で書いてみたい、と
いう欲望に駆られている。それは『嵐が丘』に対する水村氏の身振りでも
あると思います。
私たちが古典を読み返してしまうのは、それが読み手に「我を嫉妬せよ、
奇跡を夢見よ、反復せよ」と呼びかけるからで、その呼びかけに魅入られた
者が、水村氏のように小説を書く。批評する者もこうした作品への畏怖や嫉妬を
作品への愛として語る努力は必要ではないでしょうか。私はそのことを文芸
批評家ではなく、淀川長治から学んだのですが、氏が映画においてもって
おられたような経験を通じての教養を、私は文学に関してもってはいない。
だから、せめてもの作品への愛の表現として、野暮で無粋な分析をせざるを
えない、ということなんでしょう。
356 :
吾輩は名無しである :02/12/08 11:32
>>354 そりゃ作品が少ないし、ベストセラーになったわけでもないから、当然だろ。
357 :
吾輩は名無しである :02/12/08 12:06
>>352 この間亡くなったアメリカのポーリーン・ケールという映画評論家は
教養があるだけではなく、文章もすばらしかった。それこそ翻訳不可能なと
ころがあるけれど、日本で知られてないのが残念。ところで、自然光に対し
電球はどのように使われ、何を意味するのでしょうか。
>>357 『映画辛口批評』(タイトルこうでしたっけ?)は晶文社かどっかから
出てますね。ここはいい、悪い、というのを作品の細部にそくして具体的に
指摘し、その根拠を述べる、という当然といえば当然の批評をなさっている
方という印象を受けたのを覚えています。それに驚きを覚えるくらい、日本には
ああいう批評がないんですよね。電球と自然光の関係と意味については、
考えたことがなかったので、357さんのお考えをおうかがいしてみたいです。
時宜を逸してしまったか? まあ、いいか。暫く見てなかったので。
>>343 上に書いた人とは違うみたいだね。彼らには僕の問いかけに答えて
貰いたかったんだけど。
>水村本人においても、別に排除は存在しない
>反復可能な「本格」の基準を設定
>それが困難になったことは確かだけれど、その困難な奇跡を夢見よ、
>反復せよ、と『本格小説』は呼びかけていると思う。
困難になった時点で排除は既に働いている。文章が矛盾しているとまで
は言わないけれど、言い換えで議論を凌ぐのはあまり好きではない。
まあ、他の作品へ関わろうとしているという意味において見解は一致して
いると言える。呼び掛けととるか暴力と取るかの違いだけで。その理由は
上に示した通り。こういう表題は、一瞬でも内容を括弧に括る力がある
ことに留意する価値はある。内容に敢えて踏み込まなかったのは、そういう
意図もある。
ここからは、中身の在り方に言及する(内容ではない)。 文学が文学の中で閉じてしまっていることは、本人の技量の問題だから 放っておくとしても(嫌なら読まなければ良いわけで)、それを最初 から「本格」の前提にしてしまっている態度は如何なものか。まず、 そこから抵抗を感じるんだよね。勿論、反復・引用がテキスト生産の 基本ではあるけれど、それだけでは今という時代に根付いた小説には なり得ない(反復・引用できるという小説の位相が既にその時点での 現在である、という指摘は拒否する。それはただの屁理屈だ)。 コロンブスの卵と揶揄するけれど、引用されるものにも必ず「始め」は ある。文系科学は、そういった「始め」の重要性を軽視する傾向がある けど、それは継承自体が見た目よりも困難であり且つ重要だから相対化 されてしまっているだけ。だから、継承の優勢を基盤とした態度が 「本格」である必要はまったく無い。
だから、
>小説を読むことを通じて身につけた実践的な教養とそれを理論化しうる
>批評理論の知識の両方を兼ね備えた作家を相手にしているのだから、
以降の議論も僕自身は重要視しない。それは、文学研究者の視点への評価
であって創作者の視点へのそれではないから。尤も文学研究の手練が書くと、
いきおいこういう作品になってしまうんだろうね。勿論精緻な分析批評で
鳴らした創作者はたくさんいるけど、自らの分析的視点を過去の作品の
引用に乗せて前面に押し出す態度は、ある程度避けられている。
縦しんば、こういう態度を一つの創作態度としても、それは絶対化される
べき物ではない。でも著者はこれを「本格」と提唱するわけだ。引用や
模倣や分析のモザイクが、それだけで小説としての「充分」条件を満たして
いると思ってはいけない。
だったら他の「本格」を示せば……という議論になるのかな? でも
>>343 は反復を「本格」の前提にしている。少し考えてみたら如何かな。
平野と同列に置こうとすると、水村ファンから思ったより強い拒絶反応が返って 来ることについて。 その分析的な態度、引用反復の技術の確かさ、繊細さにおいて、段違いのレベルを 示しているというのはその通りだけど、それはその技術において、二人の素質を 擬似的に定量しているに過ぎない。二人が、そのような技術を触媒にして作品を 造っている事実は変わらないのではないだろうか。間テクストの定義を演繹的に 適用したかのような創作。そして、それを一つの(ともすれば唯一の)文学の 在り方として高らかに宣言する態度において、両者はやはり似ている。過剰な 反応を示すのは、ファンの間にも無意識にそういう認識があるのでは。 少し冷静に考えてみるといい。 個人的には、平野や水村のような小説は、特に後者は見事だと思うけど、空気が 淀んでいる気がして好きじゃないんだよな。 亀レスの上に長レスすまそ。常に回線接続しているわけではないので。
363 :
吾輩は名無しである :02/12/08 13:21
空気が淀んでいないお好きな作品は何?
後藤明生がなんて言うかなあ、と思うな。 模倣と批評が文学だという彼の文学論からして。 本格小説は未読だけど、面白いようだね
>>332 だから私が言っているのは、水村氏が実践において示した「本格」の
基準であって、それが「反復」に関わっていると言える、と言って
いるだけ。私が「反復」のみを「本格」の基準だと言っている
わけではないことにご注意を。そのうえで、やはりそこまで
おっしゃるのなら、「本格」の基準を何か例を挙げて示された
方が議論としては生産的なんじゃありません?ちなみに私は
文学研究を専門にはしておりません。社会科学だったり(笑)。
社会科学専攻の立場から読んで驚くのはその時代の経済に関わる
描写ですかね。どうしてチェーホフの『桜の園』『三人姉妹』で
なければならないか、ということにも関わるわけですが。圧巻は
和製ブランド「プリマヴェーラ」の「ヒストリカル・ミッション」の
エピソードと「キャリア・ウォマン」としての冨美子の生活の描写
でしょうね。
332さんは「文学が文学の中で閉じてしまっている」と繰り返し
おっしゃるわけだけど、では「開かれている」というのが
どういうことかは説明なさらない(「今の時代に根付いた」ってこと
なのかな?でも、これも具体性を欠いている)のでこれについても
何か実例を挙げていただきたいのですが、少なくともたとえば
ジュディス・バトラーやサスキア・サッセンの議論と結びつく描写に
満ちている小説だと思いますけどね。ネタバレになるので詳しくは
書かないけれど下巻のとあるところで、私は「東電OL殺人事件」を
思い出しました。労働力の再生産のプロセスにおいて女性がいかなる
身体性を構築させられているか、ということに関連してね。パートナーの
岩井克人の協力もあったんでしょうし。なにより登場人物のほぼ全員が
何をやって食っているのかが、これほどわかる小説もめずらしい。
366 :
吾輩は名無しである :02/12/08 14:33
:357
>>358 電球は太郎の不幸?わからないけど、よう子が「おばあちゃん」
する前に、部屋のほとんどすべての電球をぱちぱちと消すシーンが印象的で
した。下巻282ページ。
>>364 ですね。ご存命なら何かおっしゃったはずです。
ただ、あのユーモワ(後藤氏について語るときは
こう綴りたくなる)は、他の作家にはないですね。
>>332 あ、そうそう、創作者の視点云々に関して。水村氏は批評的な
観点をもって創作を行なっていることは、これまでの『續明暗』、
『私小説 from left to rihgt』を読んでも明らかで、『本格小説』
では「長い長い話」のところにそれが作中に書かれてさえいますよね。
そうした視点をもった作家の作品を批評するときに、「文学研究者の
視点への評価であって創作者の視点へのそれではないから」という
理由で「僕自身は重要視しない」というのは、そもそも作品を批評
するつもりがあるのか、と問われても仕方ないんじゃありません?
前後したけど、「排除」ついても。332さんは「他の「本格小説」の
可能性を否定してしまっているという意味においても怖い」から
「排除」を問題になさったわけですよね?で、私はその可能性は
ある、と具体的な小説の細部を挙げたうえで、その実現の「困難」を
言っているんですが、これでも「排除」と「困難」は私の言うことに
おいて矛盾すると、おっしゃいます?要するに332さんの批評は
「やめなさい」「いけない」というばかりで具体的な改良の指針が
ないんです。何かを肯定的におっしゃる気はありませんか?
>>332 「それを一つの(ともすれば唯一の)文学の在り方として高らかに
宣言する態度」について。平野氏については読んでないのでわかり
ませんが、水村氏においては「唯一の」ということはないし、別に
「一つの文学の在り方」として宣言することに問題はないんじゃ
ありません?文学というジャンルのサブジャンルである小説という
ジャンルのさらにサブジャンルである「本格小説」の問題なんだから。
それが「唯一の文学」である、と宣言するなんて、そんな愚かなことを
水村氏がしている、とどこをどうとりあげておっしゃるのか、それが
知りたいですね。水村氏は「縦書き私小説」も書こうとしていて、結局、
『本格小説』は「本格小説」と「縦書き私小説」が混じり合ったかたちになった、
とおっしゃっていましたが。332さんの危惧は、文学ジャンルといったものの
多様性を考慮に入れていらっしゃらないんじゃないでしょうか?
>>366 なるほど。そこでは子守り歌の声の描写の方に気をとられてました。照明と
いう観点からこの小説を読んでみるのもおもしろいのかもしれないですね。
今はちょっと他にやることがあるのでできませんが、読み返しながらゆっくり
考えてみたいと思います。
>>332 われながら細かいと思うけど、「それは絶対化されるべき物ではない」に
ついて。「されるべき物ではない」も何も、『本格小説』は書物という
メディアとして流通しているんだし、「本格」の基準は利用可能、変形可能な
ものとして提示されている。それは「相対化」可能なものとして、「自らの
分析的視点を過去の作品の引用に乗せて前面に押し出す態度」を水村氏が
とっている、ということですよね?エミリ・ブロンテにとって『嵐が丘』の
「語りの構造」がそうだったように。要するに批評にさらされることを前提に
して、そうした「態度」をとっているのだから、それを「絶対化」というのは
無理なんじゃありません?332さん以外には誰も「絶対化」可能だなんて
思ってないんじゃないかと思います。
訂正をば。 367の『私小説 from left to rihgt』はもちろん「right」ですね。 で、同じレスの第2パラグラフの一行目「「排除」ついても」は 助詞「に」が抜けてます。
君の文章は言い換えが多いね。どんなにニュアンスが変わっても、 同語反復で強弁している事実は変わらないので、読むにしても書くに しても文章に注意深くなるべきだ。まあ、自戒も込めてだが。 「可能性はあるけど困難」だ、というのは、実質的な問題として 可能であることを示しているわけではない。しかもそれが著者の付した 表題によって、一つの宣言になっている、それを僕は「排除」と言い、 君は「呼びかけ」と言う。 まあ、ここまではいい。見解が平行線でも、同じ視点でモノを言えてる 時点で、議論が成立していると言っていいから。
でもここから捩れてくる。君は僕に他の可能性を示せと言う。また 君の言う可能性も、君の言い方を借りるなら「反復に関わっている」 というわけだ。つまり君が僕に要求していることは、「反復に関わら ない可能性を示すのは困難だけど、それを具体的に示すことによって 議論の充実化を図れ」ということだ。それが、水村の「本格小説」 の在り方そのものに疑義を呈している僕の見解を正当化することになる かい? なりはしない。僕の書き込みは呈示されたテーゼの実質的な 絶対性に対して(どんなに言い換えをしてもこの事実は変わらない) ネガティヴなコントラストを付すだけで、その使命を全うしている からだ。君の提示する「細部」に応答するのは、僕の問いかけに きちんと応答があってからだ。現段階では応答があるとは思えない。 一つ思うのは、君が僕が水村作品を批評していると勘違いしている ことだ。批評は対象としている作品の存在を是とした上で成り立つもの。 その前の地点でその在り方に疑問を投げかけているという点に於いて 僕の書き込みは君の言う「批評」ではないことに注意。だけど、著者の 創作態度に対する議論をしているという意味で、決して非生産的という 訳ではない(と思うがどうだろう)。それを批評する気が無いと 一刀両断してしまうのは、少し筋が違う。もう少し考えてレスポンス するかリジェクトするかしてくれ。でないと、字数を食ってしかたない。
>>364 に絡めて言うなら、「模倣と批評が文学だ」は、「(過去の作品の)
模倣と批評が文学(の全て)だ」という意味であり、それは一般的に
定立されたテーゼなのか、という疑義でもある。
それから、もう一つ言うと
>ちなみに私は文学研究を専門にはしておりません。
とは、
>>360 への受け答えだろうか(なぜそう思うかというと、
>>360 のみが
相手の書き手への間接的な言及になっているからだ)。それなら、僕は
文系科学と敢えて表現していることに注意を喚起しておこう。
>>368 >「一つの文学の在り方」として宣言する
それは、題名に抵抗を感じている一定の割合の人間がいる時点で
明らかに違う。俺だけじゃなく、過去のレスにもあったろう?
誤解だという時点で(勿論誤解という表現は、正邪の判断が入って
いて語弊がある)既に宣言に就いて「議論される価値」を認めて
いることになる。「小説というサブジャンルの中のサブジャンル」
という表現も意図的。書物として流通可能な時点で相対化できる、
という部分に就いて議論され尽くされていないから。
>>369 題名に於ける宣言を「暴力」と取るか「呼び掛け」と取るかを議論
されないうちから、決めつけられても困る。だいたい、宣言や命名
自体に暴力性が潜んでいる、なんてのは別に珍しい見解ではなかろう。
問題は、その力を感じ、それが一定の拒絶反応を引き起こしている
という「事実」だ。(勿論、それが水村の所為だと言っている訳では
ないことにも注意。そこまで見境が無いわけではない)。そこで内容(の
良さ)を議論しても仕方がない。というより、寧ろそれは見解の
補強に過ぎず、宣言に対する正当化に映る。それは、却って逆効果
なのではないかい。
>>332 まず、受け答えから。それは「文学研究の手練」という361での
表現でのレス。そうじゃないですよ、ってこと。素人です。
で、論点を整理すると『本格小説』というタイトルをめぐって
332さんがおっしゃっている危惧が「「他の「本格小説」の
可能性を否定してしまっているという意味においても怖い」という
意味での「排除」に関わるものなら、そうしたものはないですよ、
ということを、私は文学ジャンルの多様性への言及と、水村氏が
実践において示している「本格」の基準を指摘して、言っている
わけです。「排除」「絶対化」が存在するのは、創作への接点を
欠いたそれこそ自閉した批評の中だけですよ、と。
「開かれた文学」でない、ということをタイトルの批判にそくして
おっしゃっているんだから、どうやったら「開かれる」のかくらいは、
具体的におっしゃってもいいんじゃありません?内容にふれないでこの
論旨で言うとすれば、より適切なタイトルをつけてみる、ということ
でしょうけど。
今のままじゃ332さんのおっしゃることはネガティヴなために、創作に
具体的につながらないんですよ。「そういうタイトルをつけるのはやめなさい」
だけじゃ。それでは何のために「著者の創作態度に対する議論」をなさって
いるのか、ご自分でも疑問にお思いになりませんか?
ああ、執拗な連続カキコになってる。 うざがられそうだな。 とりあえず、今日は回線切っておくよ。続きの レスは(望まれているなら)、明日にでも。
それから、「批評は対象としている作品の存在を是とした上で成り立つもの。 その前の地点でその在り方に疑問を投げかけているという点に於いて 僕の書き込みは君の言う「批評」ではないことに注意」についてですが、 「その前の地点」ってどこでしょう?『本格小説』という小説のタイトルを 批判するのに、『本格小説』という作品の存在を是としない、ということが可能だ、 というのは、おかしくありません?まあ、「批評」でないとしたら、何の ために何をなさっているのか、わかるように説明していただけませんか? あと、373のレスは後藤氏に対する揚げ足取りというものでしょう。 後藤氏の小説なりエッセイを読んだことがあれば、氏にとって「文学」は 「小説」の提喩であることがわかるはずです。私が知る限り、 氏は「小説」の書き方についての本は何冊かお書きになりましたが、 「現代詩」の書き方については何もおっしゃっていないはずです。 やはり、332さんは文学ジャンルの多様性を考慮に入れてらっしゃらない んじゃないでしょうか? あと「本格小説」が「小説というサブジャンルの中のサブジャンル」と いうのは、意図的も何も、とりあえず議論の前提とされる「常識」ですよね。 「本格小説」が「私小説」とジャンルの区分においては同じ水準にある、と いうことを前提にしなくてもすむ、新説がおありなら、是非、それを聞かせて ください。私はその「抵抗」が文学ジャンルの多様性を考慮しないことに よって生じているんじゃないですか、と言っているんですから。
>>332 「拒絶反応」があるから「暴力」がある、とおっしゃっているんでしょうか?
私は「題名」について「呼びかけ」ということは、ひとことも言っていませんし、
「宣言や命名自体に暴力性が潜んでいる」という見解は確かに珍しくはないですが、
「拒絶反応」があるから「暴力」がある、というのは短絡ではないですか?
「食わず嫌い」と同様に「読まず嫌い」という「拒絶反応」も「無知」から
生じることもあるわけです。
この場合は先ほどから申し上げている、文学ジャンルの多様性に対する「無知」
ですが。「本格小説」が「文学」の全てである、というのは「妄想」で
その「妄想」に対して「拒絶反応」が起きているだけですよ、と。
水村氏の所為でその「拒絶反応」が生じていないのはいうまでもないことですが。
「小説」というジャンルだけ取ってみても、ラブレーを読んでも、ミルトンを
読んでも、スターンを読んでもわかるでしょ、と。わかりやすくいえば、
そう言っているわけです。でも、だからといって「読め」とは言っていない
ことにご注意を。そうしたものを読んでいないことを理由に、そうしたものを
読んだうえで「本格小説」を書いたり、読んだりする人間がいるからと
いって、そのそうしたものを読んだひとたちのふるまいを「暴力」と呼ぶのは、
たんに不適切じゃありません?
私も疲れたのであとは後日。といっても忙しいので亀レスになる
可能性大ですが、それでもよろしければ。
さっき繋いだらレスがあったので、付け足しに、書き込んどく。
>>380 の
最後の二行に就いては了解。俺も疲れた。忙しいのはお互い様のようで
少しほっとしたw
>>377 (343)
>>375 −
>>376 がある程度のレスにはなっていると思う。というより
うまく伝わってない為に、こちらまで同語反復を強いられているので
紙にでも打ち出して、ゆっくり読んでくれ。話はそれからでも良いよう
に思われる。
「本格」の基準を具体的に指摘すること自体、現時点では話が進み
すぎていて、話が噛み合わない原因になっている。その理由は、タイトル
に示された「本格」という表現と(これは過去のレスにもあった)それを
指し示すもの自体(これは俺が指摘した反復引用のこと)に問題があり、
それが議論の対象になっているからだ。そこが理解されているのかどうか
が判然としない。
>「排除」「絶対化」が存在するのは、創作への接点を欠いた >それこそ自閉した批評の中だけですよ、と。 これも違う。「排除」「絶対化」は俺の表現だから俺が責任もつけど、 そもそも表題が問題になっている事に対する解釈として出てきた言葉だ。 >どうやったら「開かれる」のかくらいは、具体的におっしゃっても >いいんじゃありません? タイトルを変えれば開かれるようになるとは言っていない。こちらは、 「タイトルの付け方に抵抗を感ずる」「タイトルの(君の言い方に 則するなら)呼び掛けに応ずるにしても、反復引用を主にした態度を 前面に出されても、やはり抵抗がある」と言っているわけで、それぞれ 関連していても独立している。
>>332 メールチェックするのにまたつないだら、レスがあった・・・・・・
ヤギさん郵便状態か・・・・・・
タイトルと「開かれる」に関係がないのはわかりました。しかし、
タイトルの批判と「開かれた文学」というのを結びつけて論じたのは、
332さんの方だから、やはり、「開かれている」と332さんがお思いに
なる作品を具体的に挙げて、どういうものが「開かれている」のか
説明なさった方がいいんじゃないでしょうか?
で、「表題」が問題になっている原因については、私なりの解釈を
示しました。小説を読むという体験によって身につく「教養」が
ないから、「タイトルの付け方」に対しても「反復引用を主にした
態度」に対しても「拒絶反応」を起こしているだけでは、ということです。
で、その「教養」を身につけろ、とは一言も言っていない。それに
読む読まないは自由ですしね。「拒絶反応」が起きているのに
無理矢理読ませる「暴力性」がタイトルにあるわけではないでしょうし。
比喩的な言い方になりますが、水村氏の所為でないとすれば、332さんの
おっしゃっていることは「現在の自分には読みたくない本がある、だからその
本は私に暴力をふるっている」と言うことと変わらないんじゃないでしょうか。
タイトルの暴力性を指摘なさるなら、水村氏がその責任を負うべきかどうかも
含めて、やはり誰が誰にということを、ある集団間の問題として考えた方が、
非生物を擬人化するよりは生産的なんじゃないですかね。
>>332 別に332さんのなさっていることが私の言う意味での「批評」でないなら、
それでもかまいませんが、では、何のために「著者の創作態度に対する議論」を
なさっているのか、繰り返しになりますが、説明してはいただけないでしょうか。
私のいう「批評」の生産性についてはすでに説明してあると思います。
「決して非生産的という訳ではない(と思うがどうだろう)」とおっしゃるのは、
誰の何に役に立つからなのか、「役に立つ」ということではないとおっしゃる
なら332さんのおっしゃる「生産的」とは、332さんの議論が誰にとってどうだ、と
いうことなのか、それを説明していただけません?タイトルの暴力性を指摘
して332さんが行なっているのは、「こうするべきであるのにこうしなかった」と
いう言い方でしか妥当性を持ちようのない規範的な批判ですよね。上の書きこみでも
「〜してはいけない」といったような規範的な言表を何度か用いていらっしゃい
ますし。このままでは一番暴力的なのは、332さんが設定された規範なんじゃ
ないでしょうか?
私が水村さんの担当編集者だったら―― 美々卯でうどんすきでもつついたあと、山の上ホテルでワインしこたま 飲ませて、目がちょっととろり〜んとしたところで、なにげに切り出す。 「ねえ先生、次は10年後でいいから『メタフィクション』なあんて タイトルで、ちょいと切り込んでみませんかあ。いや、じょーだん、 じょーだん。ちょいとお心に留めておいてもらえれば…。けど、やっぱ 日本文学ですからねえ、『観念小説』なんて切り口ならどうでしょ。 要は、希薄を描いてみていただきたいんですよ、希薄を、ね」 で、水村さんの片眉が釣り上がり始めてきたところで外に出てタクシーを 拾い、チケットをお渡しする…と。「運転手さん、日本にとって大切な方ですから、よろしくお願いしますね」 と声かけて見送る。
387 :
吾輩は名無しである :02/12/08 21:45
上で大論争が続いています。 私のような読者には343さんの議論のほうに理があるように思えます。 『本格小説』を本当に読んでいたら、 332さんのように平野啓一郎を水村美苗と同列に置くなどということはありえないと思います。 (私は343ではありません。)
388 :
吾輩は名無しである :02/12/08 21:49
私にとって、大切なことは、 『本格小説』という小説が書かれたと言うことが、 日本語を読む人間にとって本当に幸運なことであったと言うことです。
完
次の新作は十年後
水村が「続明暗」によってデビューしたことは考えてもいいと思われる。 彼女は過去の日本文学の歴史と現在にそれを継承することについて非常に意識的なのだろう。 漱石を「模倣」しつつ、それを現在において書くという行為の「批評」性をここまで 自覚的に行った人も珍しいのではないか。 「私小説」「本格小説」と自らが小説という形式に対して非常に意識的である点は 注目に値する。それを単に暴力性と定義してしまう発言は不可解に思えて仕方ない。 その点で嵐が丘を模倣しているということを持って過去にしか目が向いてないと断じ、 平野と水村は共に幼稚な文学主義でファシズムだなどと言える無神経さは信じがたい。
392 :
吾輩は名無しである :02/12/08 23:10
同感
388です。 文章が変なまま出してしまったので、直します。 私にとって大切なことは、 『本格小説』という小説が書かれたと言うこと。 それは、日本語を読む人間にとって、本当に幸運な出来事であったのです。
332の言うこともうすこし聞きたい気がする。 著者の創作態度についての考えはわかったから、 創作態度として、どういった方向性があるのかとか なぜ反復引用のなかに、はじめの一歩が生まれないのかとか聞きたい。 あいまいな書き方なんで、つっこみ入るだろーけど。
>>384 >タイトルと「開かれる」に関係がないのはわかりました
分かっていたら、結び付けて論じているのは…という議論にはならない。
タイトルの問題を百歩譲って受容するとしても、という仮定でしかない。
タイトル以降の問題に手を出す積りはないのでその積りで。というのは、
論点がぼやけて先が見えなくなるからだ。
もうひとつ重要な誤解がある。僕は作品を読んだ上で書いている。内容に
あえて触れない態度から、こいつは読んでないという類推は短絡に過ぎる。
なので、
>で、「表題」が問題になっている原因については
以降は無効。
僕以外でも、読了した上で表題にこだわりを持つ人は居た。少し論旨が
異なるけど、
>>297 =
>>299 みたいなのもそうだろう。この人は作品を評価
した上で、それでも表題に(多少の)抵抗があったようだ。この人の議論は
いったん作品そのものを対象化した上で成立している。
ジャンルについて。
「私小説」と並列して多様性を論じているとは思わなかった。でも、あまり
意味はない。(著者の考える)私小説はこうですよ、本格小説はこうですよ
と宣言している事自体を気にしているのだから。在り方を問うているときに
「これは名前ですから常識でしょ」と言われても、説得力がない。
>>385 >では、何のために「著者の創作態度に対する議論」をなさっているのか
作品が所定の属性を持つかどうかは、その在り方が解析された上で、帰納的に
決まるものだろう。著者が「こうです」と言うのは勝手でも、それを他者や
他の作品にまで及ぶやり方で高踏的に働きかけるのは、ある意味硬直した態度
だ。強要(暴力という言葉に語弊があるなら、そう言い換えてもいい)ととるか
卑下ととるか(
>>297 =
>>299 )は受け手の自由としても、僕は少なくとも厚かま
しいと思うと同時に、良くも悪くもカテゴリーの限定化が始まっているとも
感じる。作品が良かろうと悪かろうと、そういう態度自体に引っ掛かる人がいても
おかしくないのでは。
これからこのタイトルがどういう影響を及ぼすのかは知らない。これから多様な 本格小説の提出と宣言が、雨後の筍のように起こるのかもしれないし、以後途絶 えてしまうのかもしれない。でも、宣言(に次ぐ宣言)の中で、未知の可能性が どのくらい救われ得るかは、考えても良いだろう。定義が多くなると視野が狭く なるという事情ははどんな分野でも一緒だろう。 そもそも、全てが人の企図の中に収まるものではない。テクストの読み方だって そうだろう。「提案」もいいけど、「発見」も重視してね、というのが俺の考える 結論かな。 ただ、落ち着いて考えると、こういう作品の提出の仕方が通るのは、停滞状態 (なのかな)にある文学の末期症状というより、今現在、過去の蓄積を総点検する 時期にあるからかもしれない。これからの文学への過渡期か。よく分からんが。
私にとって大切なことは、 オウム真理教という教団があることです。 それは、現代社会を行き抜くにあたって、本当に幸運な出来事であったのです。
>>386 そうですネ。
日本にとって大切なだと思います。
わたしはこんな日本に生まれて幸せデス。
「本格宗教」でたーーーーーーーー!!
401 :
吾輩は名無しである :02/12/09 14:47
>>400 ワロタ。
そう考えると気もい
本格小説
>>332 タイトルに関しては332さんが「タイトルを変えれば開かれるようになる
とは言っていない」ということを受けて言ったことで、そのあとで言って
いるのは「タイトル」ではなく「タイトルの批判」です。要するに「開かれて」
いる云々を「タイトル批判」と結びつけて主張しているのだから、「タイトル」を
変える以外の「開かれ方」をどうお考えなんですか、ってことです。あと、「開か
れた文学」とはどのようなものなのか、具体例を挙げて説明してください。
誤解が生じているのは「拒絶反応」という332さんの用語の問題でしょう。
でも、私の「「現在の自分には読みたくない本がある、だからその本は私に
暴力をふるっている」と言うことと変わらないんじゃないでしょうか」という
のは別にその「拒絶反応」が「読まず嫌い」でなくても成立しますよね?
読み返す気分になるのなら、何を「拒絶」しているのかがわからなくなりません?
「拒絶反応」ではなく、「違和感」を覚える、ですむんじゃないでしょうか。
私が言いかえるのも変だけれど。どういう「拒絶反応」が起きているんですか?
「反応」というほど何か具体的な症状があるんでしょうか?
そもそもの問題は332さんが「個人的には、平野や水村のような小説は、 特に後者は見事だと思うけど、空気が淀んでいる気がして好きじゃないん だよな」という趣味判断の問題を、タイトル批判を通じての作品の「暴力」 および「排除」という道徳判断の問題として提起し、ご自分の趣味を正当化 なさろうとしているところにあるわけです。しかも誰が誰にといった集団の 問題は不明確なままで、擬人化された「作品」の「在り方」を「暴力」を 行使し、「排除」を行なう主体として、扱いつつ。さらに、この「作品」の 「在り方」を支持する集団に対して「ファシズム」とまで言っておられる、 ここに飛躍があるんじゃないでしょうか。 「暴力」を「強要」に変えるのは当然としても、道徳判断にもちこんで、個人の 趣味を集団によって正当化するときに「暴力」だとか「強要」だとかいう語を 持ち込むのは安易じゃありませんか。「強要」だとしても同じことです。いったい 誰が誰に何を強要しているんですか。何をについては「作品の在り方」という ことなんでしょうね、では、誰が誰に、のところはどうなるんでしょうか。
それから「著者が「こうです」と言うのは勝手でも、それを他者や他の作品に まで及ぶやり方で高踏的に働きかけるのは、ある意味硬直した態度だ」と おっしゃるわけですけど、これって別に水村氏の「本格小説」の問題だけでは ないですよね。たとえばマラルメのことなんて考えてもいいし、ロブ=グリエの ことを考えてもいいけれど。作家というのは、とくに偉大な作家というのは 何かを他の者に「禁止」する作品を書いてしまうものなんです。そしてその あとに作品を創ろうとする者はその「禁止」に抗うわけです。たぶん、332さんは 小説を書きたい、と思ったこととか、実際に書いてみたこととか、おありに ならないんじゃないでしょうか。消費の対象としてしか小説を考えたことがない、 のでは。だから「在り方」の段階で拘泥される。 しかしそこで拘泥していては、作家が作品を創ることなんてできません。別に 「暴力」でもいいけれど、その「暴力」に作品を書くことを通じて抗うことに よってひとは作家になるんです。私がやったのはだから、水村美苗が私に対して 行使した「暴力」の分析である、と言ってもいいです。私はそれにどうやって 抗うか、ということを具体的に考えている。自分で作品を書くか、それとも、 来るべき作家のためにか、はわからないけれど。これは文学観の違いだとお思いに なりますか?「ただ、落ち着いて考えると、こういう作品の提出の仕方が通るのは、 停滞状態(なのかな)にある文学の末期症状というより、今現在、過去の蓄積を 総点検する時期にあるからかもしれない。これからの文学への過渡期か。よく 分からんが」という距離のとり方によってなされる「著者の創作態度に対する 議論」っていったい何を目的にしているのか、それが小説というジャンルにとって 何の役に立つのか、それが332さんの議論からは具体的に何も見えてこないんです。
また、この『本格小説』のような「作品の在り方」が「ファシズム」を招く、 というのであれば、それをきちんと説明してください。アレントが『全体主義の 起原』でやったように「ファシズム」というのは歴史的に規定され、政治や経済の 制度にかかわる用語です。比喩的に、ある集団を非難するために安易に用いられる べき語ではありません。
406 :
吾輩は名無しである :02/12/09 17:13
「続明暗」が出版された時に、これは「面白い発想」だ、という評価があった。 「私小説 from left to right」の時は、「初めての横書きバイリンガル小説」だ という評価があった。「面白い発想」も「横書きバイリンガル」も「暴力的な 題名」も思いつくのは簡単で、大学院生の教養や、コピーライターの技量すら いらない。「続明暗」や「私小説 from left to right」や「本格小説」に価 値があるとすれば、そういった企画や記述法や命名のレベルではなく、それら に沿って人の心を動かすような作品を執筆し、最後まで完成させた実践行為そ のものにあるのではないでしょうか。これらを課題として出したところで、何 人の人が同じレベルの作品を書けるでしょう。
>>332 私のここまでの結論を言えば、こうなります。「厚かましいと思う」
くらいのことで「暴力」だの「排除」だの「ファシズム」だのという
言葉を用いるのは不適切である。カテゴリー化の「暴力」に関しては、
332さんよりも私の方が被っており、私はそれにどう抗うかを具体的に考え、
実践しようとしている。332さんは「暴力反対!」というスローガンを叫んで
いるにすぎないのではないか。以上です。
何度も言うが、同語反復で議論が成り立っていると勘違いするな。お前の
書き込みは同じ言葉の言い換えを繰り返しているだけでちっとも進まない。
こちらだって、互いの立場の確認すらままならない状況で、話を進める積り
は毛頭ないよ。おまえ自身が、ずーーーーっと、さっきのお手紙なあに♪
と言っているわけだから。
>>402 >タイトルに関しては332さんが「タイトルを変えれば開かれるようになる
>とは言っていない」ということを受けて言ったことで(…)具体例を挙げて
>説明してください。
それは、タイトルの話と開かれる話が別物だからだ。「関連付けている」と
勘違いできるその読解センスを疑う。あとは、
>>395 を参照のこと。
>「読まず嫌い」でなくても成立しますよね?
何言ってるんだ、お前がそう書いたんだろうが。これに対する受け答えだ↓
>>380 >「食わず嫌い」と同様に「読まず嫌い」という「拒絶反応」も「無知」から
> 生じることもあるわけです。
>>403 >そもそもの問題は332さんが(…)
これも
>>395 の前半を参照。既に答えている。趣味の正当化以前の問題。
>「暴力」を「強要」に変えるのは当然としても
「ファシズム」という用語を巡ってアレントを引くなら、「暴力」という
言葉の裏に誰の思想があるかくらい考えろ。
>誰が誰に何を強要しているんですか。
>>404 でおまえ自身が引用している。著者が(と言って悪ければ著作のタイトル
が)読む他者(勿論著者も含まれる)や他の作品(勿論著者の作品も含まれる)
に対して。
>マラルメのことなんて考えてもいいし、ロブ=グリエの(…)
それは、作品の中での否定だろう。表題がそれだけで当該作品の属性の宣言に
なってる作品があるのか?
>たぶん、332さんは小説を書きたい、と思ったこととか
これには答える義務はない。ただ、お前が、お前が言う批評の中で創作者の
視点を据えているとしたら、それには疑問がある。批評も創造行為の一つ
だけど、それは出発点から批評としての矩を超えているのではないか。
>作家が作品を創ることなんてできません。(…)お思いになりますか?
>>395-396 を参照のこと。タイトル自体が作品を括弧に括ってひとつの
属性付与の行為の結果になっているという指摘が理解できていれば、
目的は明らか。作品の生産と受容の関係において、タイトルの在り方に
疑問を感じる、という見解の提示が目的。提示自体が目的になっている
のはおかしいとか言うなよ。相手がどう受け取ろうが、結果として他者に
注意を促すことに意味がある、というのは別におかしくはない。お前は、
警句や箴言に(もっと言ってしまえば批評文に)合目的性がないからと
いって批判を加えるか?
>>406 ええ、そう思います。「本格小説」という題名はまずは統制的理念として
水村氏が自らに課したものですよね。それを構成的理念として用いようと
しても失敗に終わるに決まっている。題名と内容との緊張関係があの
作品を書くには必要だったんでしょうね。題名に負けないだけのものを
書けるかどうか。
>>407 なんだ、君の結論はただの言葉遣いの問題だったわけだ。水村作品の擁護にも
なってないじゃないか。
>「厚かましいと思う」 くらいのことで「暴力」だの
>「排除」だの「ファシズム」だのという
これは社会科学系のディシプリンの批評文への押し売りだ。このような噛み付きを
公のスレッドで行えるのは、自分自身の見解を表現する時の最低限のルールを
わきまえていないからだ。
>カテゴリー化の「暴力」に関しては、332さんよりも私の方が被っており
>(…)スローガンを叫んでいる
出発点から創作者の視点で批評をしようとしている。それは、最小限の解釈の枠を付す
という、基礎的な評論の態度から逸脱していて、まるで話にならない。表現者としての
態度を読者に押し付ける気だろうか。あなたの個人的な格闘は、少なくとももっと
先の段階で示すべきものである。
>>332 急に乱暴になられましたね?その状態では議論になりそうにないし、
ここは公のスレッドなので、あとは他の方々の判断にお任せします。
議論が成立しているかどうか、という点も含めて。それから、どちらが
「自分自身の見解を表現する時の最低限のルールをわきまえていない」か
についても、同様に。
414 :
吾輩は名無しである :02/12/09 18:32
>>332 >>343 どちらも加熱しすぎ。332の同語反復という批判や
創作者の視点の指摘も分かるし
>>343 の暴力やファシズム
の非難も分かる。でも、ここまで見ていてあまり
生産的ではないみたい。両者に責任がある。332は
乱暴だと思うけど、343の
>>407 の結論もがっかり。
もう迷惑だからやめて。
>>332 あ、そうそう「暴力」ってベンヤミンですか?『暴力批判論』なら
原書で読んでますが何か?デリダの『法の力』も同様に原書で。でも、
そこでは「強要」に言い換えてすむような概念として「暴力」が
論じられていた記憶はないので、たぶん違うでしょうね。では、お疲れ
さまでした。
僕自身は内容さえ良ければいいと思ってます。 でも題名ひとつでまわりに働きかける力が 変わってくるという視点も面白い。それも 含めて、水村さんの能力のあらわれなんじゃ ないかな。
>>414 どうもご迷惑をおかけしております。もうやめます。
ただ、ひとつ申し上げておきたいのは、私はそれが
「暴力」ならば具体的に抗うべきである、と考えている、と
いうことです。がっかりされたとのことですが、どういう
結論を期待なさっていたのか、わからないので何とも
申し上げようがありません。
最後に誤解のないように。私は、相手が水村美苗であるから 「創作者の視点」をもたない批評をしても仕方がない、と 考えているだけで、批評に「創作者の視点」が不可欠だ、とは 言っていません。『續明暗』を書いた彼女だからこそ、そうした 視点なしに批評しても意味はない、そう考えているだけです。
419 :
吾輩は名無しである :02/12/09 19:14
水村さんの作品の話をしているのかと 思っていたら、結論が332の言葉の使い方 への批判に落ち着いたのがちょっと。。。 ただの言い争いになって、それは違うだろうと 思ったんです。言葉足らずでごめんなさい。
>>419 お気になさらず。ただ、言葉の用い方は重要ですよ。
でないと議論が混乱しますから。水村さんの作品を
批評するときに必要なものの話ですしね。たとえば
同じような方法的自意識をもっていても、それが
具体的に作品の文章として出て来ないなら、批評
するのに「創作者の視点」なんかいりません。
そういう視点を必要とする作家は限られていて、
水村さんはそのひとりである、だから私がタイトルの
「暴力」を言うとしても「創作者の視点」から、
つまり、ではどうタイトルをつけるべきだったか、と
考える。議論の過程で明らかになったのは、水村美苗が
批評する際に「創作者の視点」を必要とする作家か否か、と
いう論点なのですが、そんなことを議論する必要があるとは
私はまったく思っておらず、332さんも「創作者の視点」を
もっておられるものだとばかり思っていた。話が噛み合って
いないとすればそれが原因ですね。でも、水村美苗の作品を
批評するときに「創作者の視点」が必要か否か、なんて
議論する必要があるんでしょうか?
遅レスだが、>400は最高だ!
ひとつの文学ジャンルを創設する法の措定、維持、破壊に関わる「暴力」を 考察するにあたって、その「暴力」をふるう「創作者」の問題が抜きに できないのは、デリダの『散種』(未邦訳)に所収の La double seance (アクサン省略)におけるマラルメの or をめぐる分析を読んでも、あるいは、 『沿海』(未邦訳)所収の La loi du genre におけるブランショの 『白日の狂気』の語り手をめぐる分析を読んでもいえることだと思うけれど、 デリダによるベンヤミンの「暴力批判論」の読解とマラルメ読解、ブランショ 読解が結びついているということ、そして、水村さんがそうしたジャンルの法に 関わる作家ならば、「創作者」水村美苗(これはもちろん生身の人間としての 水村美苗というひととは異なる)を分析するしかない、ということに、今さら ながら気がついた。
『文学界』の新年号に、川本三郎と三浦雅士が『大作&問題作の2002年』という題名の対談をしている。 その冒頭から今年のベストワンは『本格小説』だと宣言して、長々と議論している。 川本三郎も三浦雅士も結構本質的なことを分かっているので、見直した。 このように誉められるのはファンとして嬉しいけれど、 『本格小説』に関して最も意味のあることは、それが本当に面白いこと。 小説を読むことの幸福を知っている人にとって、その幸福を与えてくれること。
いづれにしても、「海辺の…」が霞んでくれるのはいいことだw
「本格」の前に「元祖」が流行ったって話だが、「純」が流行った時期も あったんじゃないか? というより、今後は何が流行るかね。 「ナウ」は死んで久しいし、「超」も死語に近いしなあ…
332・343、もうちょっと冷静に問題点を詰めてほしかったけど、 それでもおもしろかったよ。
>>426 それは何よりでした。私にとっても役に立ちましたが。
ジャンルを創設する法に関わる名付けの「暴力」を
「創作者」の視点なしに語ることの無意味さを、確認させて
いただいたということで。デリダを読み返す視点を得られたのは
思いがけない収穫でした。『散種』『余白』『沿海』あたりを
読み返してみるつもりです。あとはソレルスの『数』とか『法』とか。
スレ違いだけど… 「手紙、栞を添えて」で、水村美苗がどうも辻邦夫を知らないっぽかったのが 面白かった・・・
429 :
吾輩は名無しである :02/12/10 09:41
12月9日の朝日新聞夕刊「回顧2002」の冒頭にも『本格小説』が登場していた。 「晴子情歌」と並べられているのはおかしいが、このようなことはよくあるこ とだ。デスクが「公平のために」どの作品も単独では扱わないよう、指示する のだろうか。『文学界』1月号の「大作&問題作の二〇〇二年」という記事で は『本格小説』を「ベストワン」と評価している。川上と三浦が東太郎のいる、 いないについて語るところは、特に臨場感があってよかった。思わずこちらも 吹き出してしまった。
>「晴子情歌」と並べられているのはおかしいが って、何がおかしいのか意味不明。
432 :
吾輩は名無しである :02/12/10 12:30
>>428 あー、美苗ちゃんは海外長かった上に、
主たる興味が日本近代文学だったから、現代の作家はあまりよく知らなかったらしいしね。
ボストンで岩井克人に会うまで大江健三郎も知らなかったっていうし。
『文学界』が文芸春秋から出てる、とかそういうこともわからなかったらしいし。
あれだけレベルの高い作品を書いてるにもかかわらず、
そんな美苗ちゃんがステキ☆
>>419 407を水村美苗に関して書き直すとこうなります。
水村美苗はジャンルを創設する法の「暴力」を行使する作家である。
だとすればデリダの『法の力』におけるベンヤミンの『暴力批判論』
読解において厳密に示されたように、反復可能性 iterabilite(アク
サン省略)を考える必要がある。というのは、ジャンルを創設する
法の「暴力」は、テクストが流通し読まれるという希薄であるだけに
執拗な反復によって、その「暴力」に魅惑される身体を創出するが、
そうした「身体」が「ファシズム」と親和的であるということが
問題であるからだ。
だとすれば、具体的な抵抗を考える必要があるが、そのためには、
法の「暴力」を行使する「創作者」の問題を考えることが要請される。
「創作者」が作品においてその「暴力」の魅惑にどのように抵抗し、
抵抗しえているか、といったことを、そのテクスト分析によって
明らかにすることが必要であり、たとえば、デリダによるマラルメ読解や
ブランショ読解、ソレルス読解などはそうした試みであると言える。
そこでは「創作者」が「暴力」の魅惑の反復とは異なる反復をどれだけ
テクストにおいてつくりだしえているか、が問題となるが、「創作者」
水村美苗についても、その観点からの分析がなされる必要がある。
だが、それは必ずしもデリダがマラルメ読解においてやったような、
綴り字 or の水準で行なわれる必要はなく、リカルドォーの語りと
描写の関係をめぐる分析や、リシャールのテマティスムによって
「脚立」や「電球」から、「上下」「明暗」といった要素を取り出し、
小説の細部を分析することを通じて、『本格小説』というテクストに
おいて、いかなる反復によって、「経済」「歴史」といったものがどう
記入されているか、ということを読む、という実践によって行なう
こともできよう。
ただ、それを「暴力」という言葉を用いて「「暴力」の魅惑の反復 ではない反復」と言わずに、たとえば他の反復をバルトのいう 「テクストの快楽」としてとらえ、それが小説の何によって どのようにつくられているのか、を上のような分析によって 明らかにしていくという方向もあるのであって、私としてはそちらの 方が好きである。以上です。 考えてみれば、水村さんポール・ド・マンの教え子ですもんね。デリダの 「ジャンルの法」読んでないわけはないし、書くことの倫理を考えて いないわけはない。しかし、ド・マンに実際に教えてもらえるなんて うらやましい。 希薄なだけに執拗な反復によって「暴力」の行使に魅惑されるというのは、 このネット掲示板っていうのにもありますよね。それについては 最新号の早稲田文学で大杉重男が少し書いているので、興味のある方はご一読を。
435 :
吾輩は名無しである :02/12/10 22:42
読売新聞にも載った。
436 :
吾輩は名無しである :02/12/10 22:54
担当者、ごくろうさむ!
>>429 『文学界』の三浦・川本対談読みましたが、三浦さんがお茶目なオジサンに
なったことに驚きながらも、川本さんがかわいく見えたり(笑)。でも、
たとえば同じことを三浦さん柄谷や蓮實相手だとやんないだろうし、川本さんも
オヤジギャグにノッてあげたのかな、などと考えたりすると(笑)。総評としては
結構よかったです。
438 :
吾輩は名無しである :02/12/11 09:17
『續明暗』の文庫本さえ絶版。いくら売れないからといっても、歴史的価値や 教育的目的や出版社の格など、そして何より文学的価値を考えないのだろうか。
439 :
吾輩は名無しである :02/12/11 09:54
>>438 俺、単行本の方を持ってる。文庫はまあいいかなって思ってたけど、
文庫は現代仮名遣いなんだよね。あと、解説なんかも載っているん
でしょ、当然。やっぱかっときゃよかった。数百円惜しんだばかりに。
「私小説」は文庫出た?
しかし2カ月じっくりかけて439本のレス。俺がパーなばかりに
難しくて意味が分からないレスもあったが、感動した作品を共感できた
のと、あとやっぱり多少は勉強になった。
全住人にかんしゃや。
じゃ
>>433-434 門外漢だからこういう言い方は失礼かもしれないけれど見事なまとめだと思います。
332はただのアホだと思ってたけど、あの人がデリダ的な「暴力」に拠った指摘を
してたとしたら、それなりに鋭いところを突いてたんだなあ。
暴力と解釈する場合、分析するなら創作者の視点を導入する必要があるし、抵抗する
ためには読者は嫌でも創作者たらねばならない。こんな理解でしょうか。
水村さんはそのデリダの「ジャンルの法」を意識して「本格小説」のような
風変わりなタイトルの小説を書いているんでしょうか。。
441 :
吾輩は名無しである :02/12/11 17:04
>>438 まぢ?
2、3ヶ月前本屋に逝った時は
夏目漱石の隣に並んでた気がしたが…
442 :
吾輩は名無しである :02/12/11 17:18
>>441 絶版になったのだよ。
前さ、漱石の文庫本カバーで、「夏目漱石の本」の下に「水村美苗の本」として
『続明暗』が載ってたけど、新しく出てる漱石の文庫カバーからは削除されてる。
新潮社が何考えてんのかわからない。
俺は文庫版しか持ってなかったけど、
たまたま行ったリブロで単行本見つけて即買いした。
『続明暗』はできれば正字、旧かなで書かれた
単行本で読みたいもの。
443 :
吾輩は名無しである :02/12/11 23:26
>>439 『續明暗』の文庫本は、ネット上の古書店で手に入る。「「私小説」は
文庫出た?」 『私小説 from left to right』の文庫本は、書き直しがあって
さらに良くなっている。「感動した作品を共感できた…全住人にかんしゃや。」
私も。読書は孤独なものだけど、これだけ同じ経験をした人がいることを知っ
て、また別の感動があった。でも実際書いている「住人」数て何人いるんだろ
う。10人くらいが繰り返し書いているんだったら、それこそ寂しい…
>>440 ええ、そうなんです。343の私の書きこみを読んでいただければ
わかるように、タイトルの批判「だけではダメ」なんじゃないか、と
いうことだけを、私はいろんな言い方で言っただけだから、そのあとが同語
反復になるのは当然なんですね。私は一度も相手を言い負かそうとは
しなかったから。タイトルに「ファシズム」につながる「暴力」の問題を
見出すこと、それ自体が間違っている、とは一度も言っていないんです。
それがただ「好きじゃない」という趣味判断や、「強要」に言い換えても
いいようなものなら、それは「ジャンル」の多様性がわかっていないだけだと
言っていて、むしろ332さんにはそれは「暴力」だと言い続けて欲しかった。
もっと徹底的に考えればいいのに、と思っていた。せっかくその「暴力」を
感知する能力があるのに、なぜその先を考えないんだろう、それはもったい
ない、と。で、一緒にそれをやりませんか、やる気はありませんか、と問い
続けた。結局、最後までそれは理解していただけませんでしたが。
考えるということも、読むということも、書くということも、「ひとり」で
やるものではないんですよね、きっと。
で、水村さんは、おそらく、ド・マンが最後まで考え続けた、
読むこと、書くことの倫理を考えていらっしゃるんだと思います。
そして読み手をその試みに誘っている。この小説を読んで読み手が得られる
「快楽」は、水村さんと「ともに読み」「ともに書く」ということから
生まれているんじゃないか、と思います。「ひとり」ではない、と
いう喜び、水村さんなら「幸福な少数者」というでしょうか、そうした
喜びが。
/ / / //|. ト ヽ ヽ , ' , ' .,イ _∠!/ | ! ヽ !ヽ. ヽ ヽ __ / /// イ/ / | ̄ヽトヽ. ! / ヽ / ' ,イ /,ィャ、 ‐ュ 、 ヽ i l ヽ / /|/l ! {,,il| {,,,,ill|ヽ ヽ|-、/l ,' / ,' ゞリ ゞッ ,イj } i. どうや、ワシとしたいか? . ! ,.‐'´ l '" 丶___ ''''' ,_ヒノ i │ . i, ‐'´ ,、、、‐ 、ヽ、. |' | /'´ノ/⌒ゝ‐、 | ,、(、‐、 )、__) `''‐ヽ._,ノ,、‐'i / /´ _,、、 ' ヽ | (、-‐-、)' \ ,i `;" ~ /`>,ノ、ノ ,、 i ヽ! {,,、‐-、 )\\~''''''‐--`―'‐'' ,´/ ,、‐';ー( , ヾ、ヽ {__,,、‐' | i ヽ`、`ー‐--,,、-=='-‐‐‐<_r''' |、`t' ノ|っヾ、 `ー/ | `、 {''''。''~::: :: 。 ::| ノヽ i_,',r'ミ. | / i 人 ...ノ 丶.. ..ノ :i i | i. | ヽヽ | / ! / ,i :i i |iヽ| / i iノ ,' / :i ' | |ヽ|; / i ー''´ :,' / i ! | | |ヽ' i / / ’ } i | |\ | ./ i i ./ i i ヽ | / i' 、 :: , 'i / | :| \ /| / i ヽ_j_ノ |' / i \ / ノ / i: | ::| |:: l / |ヽ } / / / i. | ::|. |:: | ノ | ヽ /
446 :
吾輩は名無しである :02/12/12 15:58
東太郎=は室伏、冨美子=京マチコって言ってる人がいたけど、どう思いますか? 私は冨美子=池内順子だと思います. 太郎はちょっと思いつかない. よう子ちゃんは戸川純を想像しちゃう。 悠介は細川元首相の甥の近衛なんとかさん。(NHK・BSのドキュメンタリーに出てた人)
よう子ちゃん! 結婚してくれないなら嫌だ!
448 :
吾輩は名無しである :02/12/12 16:02
読んではみたんだが…名作ねえ…。ま、人それぞれ… 三角だの四角だの…って本質じゃないね、この作品の… 戦争末期と戦後からバブルが弾けるまでの日本、日本人… それを一言で希薄と、う〜む… 方丈記なみの無常感かあ… ここには、現代の日本で何とか生きようとしている日本人は 書かれてないんだな。 もう死んでいくほかないアンタたちの文学、とはいえるかも(激藁
450 :
吾輩は名無しである :02/12/13 21:56
読んだ。すごかった。
失われた「階級」を描こうとしたんだから「現代の日本で何とか生きようと している日本人」が物語の前面に出てくるのは難しいとは思うけれど、 登場人物として描かれていないから「書かれていない」と……まあ、何も 言わないでおきましょう。そうお読みになって「楽しい」ならそれはそれで。
452 :
吾輩は名無しである :02/12/14 12:31
現代を描くには歴史が不可欠。『本格小説』は過去に対するオマージュであり、 あえて時代錯誤的な様相を覚悟して、現代の描写に不可欠な歴史というものに 向かおうとしたのではないかと私は思います。
>>451 >描かれていないから「書かれていない」と……まあ、何も
>言わないでおきましょう。
描かれていないものは書かれていることだとしたら…
なかなか独創的な文学理論でつね。あははははっは
454 :
吾輩は名無しである :02/12/15 01:20
現代の日本で何とか生きようとしている日本人について読みたかったら、 山田太一さんや堺屋太一さんなどをお勧めします。
「登場人物として」という限定をはずして「独創的な文学理論」と 言われましてもね……。文学理論なんか必要ない話ですが、たとえば、 なぜ、下敷き小説が『嵐が丘』でなければならなかったか、と問うことが できます。「女中」が語り手である小説を下敷きにするという水村氏の 選択のうちに、「現代の日本で何とか生きようとしている日本人」が 迫られている選択と無関係ではない「現代の世界で何とか生きようと しているひとびと」を描こうとする水村氏の姿勢を見ることは可能かも しれない。 Rhacel Salazar Parrenas の Servants of Globalization : Women, Migration and Domestic Work といった書物やサスキア・サッセンの 論文をふまえて足立眞理子がいう「労働力の女性化」のプロセスと いったものに相当する記述、途上国の現在、を、冨美子の語る半生の うちに見出すことはさほど難しいことではないですし、祐介の選択にも その反映は見られる。こうした外挿的な説明は好きではないけれど。 さらにこの物語の登場人物を「経済合理性」という基準に 対する対応の違いによって分けることもできるかもしれない。 「経済合理性」に従って行動しそれぞれに不幸になる三婆たち、 「経済合理性」とは別の基準に従って幸福になる3人の登場人物たち、 そして「経済合理性」に従って生きることに逡巡する3人の語り手たち。 物語の展開が「経済合理性」によって生じていることが読めれば、 「記憶」を描くことによって書かれる現在、というものを考えることは できるんですよね。そのためには著者の粗を探そうとするのではなく、 「ともに読み、書く」ことが必要なんですが。その努力に値する作品なんですから。
456 :
吾輩は名無しである :02/12/15 13:54
この問題については、大人x子供に置き換えて、高橋源一郎が書評に書いている。 (文芸春秋2003年1月号、388ページ)
457 :
吾輩は名無しである :02/12/16 06:57
「論座」新年号にも、二人の評者、野崎歓と小池昌代が『本格小説』について 書いていました。野崎氏の、ヒースクリフとキャサリンが東急文化村に現れる という部分は、特に面白かった。
もうひとりの葉子を忘れていた。 大岡昇平『花影』――毎日出版文化賞とか複数賞をとっていたはず。 バーの女給の薄倖を描いた話で、佳品だったと記憶する。 それと、東太郎のキャストですが…w。 6〜7週間前に、朝日新聞別刷りで、電通から独立して制作会社を つくったディレクターが紹介されていたのだが、あの人のイメージが ぴったりだ。 写真を眺めながら久しぶりにビビビッときたので、休日出勤から戻った 家人に、いきなり「いや、いい男だねえ。ちかごろ、こういう男はとんと 見かけない」としゃべったら、「あんた、どうしてもっと品よくして いられない」と嫌がられた。 学生のときか何かに、父親が夜逃げしちゃったらしい。クリエイティブの 世界のトップにのぼりつめたけれど、仕事ではダークスーツ着用。余暇は ジムに通って体を鍛えているという、経歴や趣味も、小説やドラマの設定に ありがちな、放っておけない感じが漂っている。 電球をやさしくそっと包んで、きいきい音を立てることなく静かに 取り替えてくれそうな男の人でした。
いろいろといい書評が出てきているみたいですね。でも、文芸誌では ないのか……。文藝春秋に論座か。とりあえず読んでみます。
おじさん、おばさんが2chやってる有名なスレは、ここですか? 臭い…! どっか行け!
461 :
吾輩は名無しである :02/12/17 07:46
『本格小説』に相応しい監督、脚本家、撮影者、俳優がいればいいけど、いな いような気がする。映画化すれば、本は普及するだろうけど、できた映画は見 られたものではないだろう。多く映画化された『嵐が丘』のなかですら、いい のは一本もないし。
>>460 別にいいじゃん。若作りして努力してんだから、ここの連中w
>>454 なんか、更年期けの下腹ぶよぶよ、紫いろにカラーリングした
頭ふりふり、ずうずうしく空いた席に尻突っ込んでくるおばさん丸出しで
激しくキモいけど(激藁
>>343 もきっとズラだぜ! なあおい、おっさん! 「ともに読み、書く」
なんて信じこんでるヤシは一日も早く炒ってくれ、日本のため世界のため!
>>462 とりあえず読んではくださっているようですね。ありがとうございます。
その自分は年をとらないと思える若いうちだけに許される「傲慢さ」と
現実ではないものを現実であると信じることを可能にする「想像力」で
「日本のため世界のため」に、『本格小説』を越える作品を、別に小説で
なくてもかまいませんから創ってください。自分ひとりの力でそれを
おやりになれるだけの才能がおありになるご様子ですから。期待しています。
傲慢で想像力がないのは、お前たちだ! 今年の就職戦線がどうなってるか、何も知らないだろう? バブルで踊りまくり、こんなムチャクチャな日本にしたのは、お前たちだ! 消え行く「階級」の無常感に浸るのもいい、「経済合理性」とかいって金に 振り回された人生を嘆くのもいい。だったら早く山手線に飛びこめよ! 漏れたちに汚れた尻を向けることしかできないお前たちの、 せめてそれだけが贖罪だ!
>>464 バカか。
良かれ悪しかれ「傲慢で想像力が」豊かだったからこそ
糞みたいな土地を担保にバブルのように金を生み出せたんだぜ。
こういう場所に溜まってるのは能力のないゴミばかりだろ。
テメエがゴミだということをまず自覚しな。
「〜はおまえたちだ!」という能なしの駄々っ子の戯れ言は
聞き飽きた。
だいたい集団就職のイナカものじゃあるまいし、就職戦線なんて
ものがあること自体おかしいんだよ。
資本主義なんだから何であれ元手がある香具師、能力が
ある香具師だけが愉快な人生を送るわけだ。ガキであれ
ジジババであれ、能なしのゴミはそれ相応の不幸を味わって
早死にすりゃいい。それを自覚して山手線に飛び込むのは
まずオマエだよ。w
前の世代の悪口言うのやめよーよ われわれ(若い?世代)が抑圧を受けているのは事実だとしても。 よく政治家のおじさんは、平気で「こんなことでは日本という国は潰れる!!」 とか言っているけど(たとえば亀井しずかちゃんとか?) 日本が潰れるんならさっさと潰れて欲しいと思う。 日本が潰れたら、ボロボロになった廃墟の中からまた若い人たちが 新しい国名でも考えて、新しい国を作ってくれるよ。 国名付けるんだったら、矢作俊彦じゃないけど、 「あじゃぱん」みたいな、おもいっきりナンセンスな名前がいいなあ 誤爆 スマソ
>良かれ悪しかれ「傲慢で想像力が」豊かだった ?? >こういう場所に溜まってるのは能力のないゴミばかり ??? このおじさん、頭悪いw
信用創造がわからない白痴は 中学で社会科を勉強し直して鯉よ。(w
470 :
吾輩は名無しである :02/12/17 14:19
どっちも、もう止めなさいよ。どうしてこうなっちゃったのか…。
>>464 のいいたいことはわかりますけど、あなたには歴史が人の理解を
越えている点を理解してほしい。
>>469 「信用創造」なんて言葉を使ったって、ちょっとむなしいかな。
一枚の土地を二重、三重に担保としたみたいなものだから、不良債権。
世代間のケンカは置いといて、元のスレに戻りましょうよ。
471 :
吾輩は名無しである :02/12/17 14:34
一気にクソスレ化してますねw
472 :
吾輩は名無しである :02/12/17 14:37
「信用創造」って、、(プ その信用が、じつは全然アテにならない事が分かってきたのが現状じゃん。 歴史が理解を越えていることを理解していないのは あなたの方だよ。
473 :
吾輩は名無しである :02/12/17 14:39
>>472 真性のあほ発見。
>歴史が理解を越えていることを理解していないのは
>あなたの方だよ。
事態をお前の言葉で説明してごらん。先生が採点してあげよう。
>>473 あらあら、そんなきたならしい言葉使いして・・・
どうしちゃったの?
なにか私、気に触るようなこと言ったかしら?
もしかして図星だったの?
475 :
吾輩は名無しである :02/12/17 14:50
>>464 君が仕掛けたクソスレ化なんだろうが、実にしっかりした
日本語を書いている。その点だけはホメテつかわす。案外、この
日本は大丈夫かも、と思わせる。頼んだぜ、お若いの。
476 :
吾輩は名無しである :02/12/17 14:52
477 :
吾輩は名無しである :02/12/17 14:53
>>475 無難な事態収拾を図れると思ったら大間違い。
もうこのスレは死にました。
あ、しまった。そうだったのか
そんなことより俺の赤裸々な私生活を聞いてくれよ、
>>1 よ。
俺はまず朝は辻希美の舌をチョロチョロ使ったフェラで目覚める。
そして辻希美と小島奈津子に抱きかかえられて風呂へ入る。
そしてその二人と風呂に入り、そのまま激しいファック。ハァハァ。
当然ローションを使ったマットプレイ。バックと騎乗位でズコバコはめまくり。
メシは周富徳に作らせた中華。朝っぱらから油っこい中華。もうビンビン。
で、メシのあとは朝っぱらから酒飲みながら2ch。
手は使わず後藤真希と仲間由紀恵に両脇からムギュッと抱えられて
加護亜依がポテトチップを口に運び、加藤あいが上目づかいのフェラ。
そして米倉涼子が口移しで俺にヘネシーと越の寒梅を飲ませる。
昼頃にいったん2chをやめ、「よし、今日はソープでも逝くか」と言うと
辻希美、小島奈津子、後藤真希、仲間由紀恵、加護亜依、加藤あい、米倉涼子が
泣きながら 「イヤイヤ、もっと私を抱いて!私の体を慰めて!」と引き止める。
「うっせーな、今日はソープな気分なんだよ!!」と家を出る。
高級リムジンが待っている。運転手は田代マーシー。
当然、朝からの性行為はすべて覗かせてやっている。それが給料。
車に備え付けのPCで最高級ソープを検索。 直行して5Pする。
帰りに焼き肉屋へ行ってタン塩とレバーと上カルビを死ぬほど食う。
そしてすし屋へ行ってトロとウニだけ食っている頃、女達が迎えに来る。
女達が泣いているので、今日のところは女体盛りは食わないで帰ることにする。
しかし女たちは朝のメンバーとは完全に入れ替わっている。
メンバーは鈴木杏、松浦あや、安部なつみ、石川梨華。
全裸で騎馬を組んで家まで帰る。ワショーイ!
帰ると焼酎で沸かした風呂に入る。入るメンバーは酒井若菜と広末涼子と
真鍋かをり。アナルまで綺麗に舐めさせる。騎乗位で4発発射。
いっさい手をつかわずにさっぱりとして、風呂を出る。
風呂を出ると優香と乙葉に抱きかかえられてPC前に座る。
小一時間ほど毒男を煽って遊ぶ。
遊んでいる最中は飯田香織のバキューームフェラ。顔射。 出たのは粉。
で、吉澤ひとみと井川遥と本上まなみと4Pして寝ると。
このスレちょっと休憩したほうがいいですね
ん〜、なかなか暗喩的でいいんでないの。
>>479 中身はさておき、こういうコピペをする衝動に
文学的ファイティング・スピリットを感ずるw。
読後感もこっちの方が遥かに、よろし。笑えるぶん。
…なんてこと書いていると、こりゃまた泥仕合になるかなー。
2ちゃんは緩急の流れをよんでカキコすべし、といい教訓をありがとさん。
マンセー発言してるのってマダム以外は関係者だろ。 実にいやらしいスレだな、と思いつつこれだけスレが 伸びているのを見ると読みたくなってくる罠。
>>482 いやあ、せっかくだから読んでみてよ。
キミの趣味を知らないから、絶対お薦めとは言わないけどw。
恋愛小説の中身はともかく、構成の特異性を知るだけでも面白いし、
文学を語ろうとか、勉強しようとかいう人には、知っておいて
損はない作品だと思う。
若い男性であれば、最後の種明かしにズキュンときて、「そりゃあね」と
共感を覚えそうだし…。
貸しに行きましょうかw?
>>483 貸してもらいたいのは山々だけど、自分で買って
著者に還元したいのと、マダムが俺に一目ぼれしてしまうと
面倒なので気持ちだけ有難くうけとっておきます。
著者に還元したい> 確かに、会ってしまうと一目ぼれしそうな いいヤシじゃないの。またねー!
マダムとやりたい… やりたい・… 幾ら払えば?
487 :
吾輩は名無しである :02/12/17 23:09
「文芸評論家?」「小林秀雄賞?」で有名な斉藤美奈子が、程度の低い書評を 週間朝日に書いた。読んでいてこちらの方が恥ずかしくなってくる。イガイガ とは彼女自身の反応を表す言葉なのだろう。地を這う思い。
文藝春秋の源ちゃんの書評は水木揚の本の枕に同級生の美苗ちゃんの 本を使いました、という感じでしたね。経済の観点から読むというのは、 他の書評にはない視点だけど。「子どもは読むな!」って相変わらず ガキっぽいのがおかしかった。 論座のは小池さん以外に野崎歓も挙げてましたね。大江健三郎と多和田葉子と 並べて。いかにも野崎氏らしい選択だと思いました。
489 :
文藝春秋・高橋源一郎 :02/12/18 01:36
なんじゃ、これ?!
>>449 の呟きのほうが、よっぽど読みこんでると思うがね。
>>488 のっぺりしたきれい事に逃げないで、
>>464 に答えてやれ!
いっとくけど、俺は団塊の世代の末席にいて、「本格小説」には一定の評価を
捧げている。しかし、なんだかこのスレにむかついてきたよ。世代間のケンカ
にじゃないぜ。
490 :
文藝春秋・高橋源一郎(補足) :02/12/18 02:11
いいかい?
>>488 は「相変わらずガキっぽいのがおかしかった」
なんて、かわい子ぶってまとめてるけど、浅はかこの上ない。
子供は読むなっていうのはな、「本格小説」を激しく批判してるんだよ。
読むのに予備知識はいらないなんて、オブラートに包みながら。
考えてもみろよ、まず読者が限定される狭い文学といっている。次に
『嵐が丘』と比べて、到底かなわない劣った文学であると言っている。
どうしてか、わかるよな。『嵐が丘』は世界中の子供たちにも読まれて
きたからだ。ついでに、434がどんなに低脳かもわかってくる(w
『嵐が丘』は世界中の子供たちには読まれてねーよ、多分。
文学は誰もが読む必要はないし、読めるとは限らない、スタンダールの いう「幸福な少数者」のものであっていい、という確信犯的な反動的文学観の 持ち主にそんな批判しても無駄だと思いますけどね。読書人口が変化し、 その読み手の教養も変化する、そのもとでの「本格小説」なんだし。 実際、下敷きにしてる各小説は、最初はほとんどローティーンの頃に それこそ子ども向けにアレンジされた「文学全集」で私は読んでいる。 だから『本格小説』に「少女文学全集」が出てくるのもよくわかる。ああ いうものを読んでいれば『本格小説』は子どもにでも読めますよ、きっと。 過激な性描写があるわけじゃないし、仮にあったとしても今の子どもは 平気でしょうし。でも、高度成長期の日本の一般家庭のように文学全集が 置いてある、なんて家庭は少なくなっている現状では困難でしょうけどね。 まだ、文学全集の一般家庭向けへの訪問セールスやってる出版社なんて あるんでしょうか? そうした与件の変化も考えずに、子どもたちに読む読まれない、というのを 抽象的に比較して優劣を決める、というのが、比較でご苦労なさったであろう 団塊の世代にふさわしいことだけは、わかりました。それから私は別に低脳で あることを恥だとは思いませんので、どうぞ、ご自由におっしゃっていて ください。他人を低脳呼ばわりして嘲笑することしか楽しみがないような、 つまらない人生を送ってはいませんもので。
「子どもたちに読む読まれない」→「子どもたちに読まれる読まれない」 ですね。低脳なもので間違えてしまいました。
あ、あと源ちゃんの書評について。もし490さんのおっしゃるような ことを源ちゃんがあの文章で言っている(私はそうは思いません) だとしたら、それは源ちゃんがダメですね。源ちゃんは小説家なんだから 小説を書くことで美苗ちゃんに対抗するべきでしょう。文藝春秋あたりの 書評欄ですませずに。源ちゃんが書く「本格小説」、それは10年来の待望 だったりするんですがね、実は。
水村さんは日本語で書かれた自分の小説の限界を知らないわけでは ないんですよね。フィリピン人のメイド、三婆の孫の世代に『本格小説』が 読めるとは思っていないし。たぶん祐介やアミにだって読めない。むしろ、 そういうかたちで新たに編成されつつある「階級」を浮かび上がらせている から、水木揚の本の紹介の枕にもなる。前にサッセンやパレーニャスの名前を 挙げましたが、それと同じで『本格小説』のアクチュアリティを指摘した文章と して、私は素直に源ちゃんの書評を読んだんですが。なぜ、今、このような かたちでこういう「過去」について書くのか、ということに関わるアクチュア リティを指摘するものとして。
ま、源ちゃんの書評は斜め読みしただけなので、あとでまたゆっくり 読んでみます。
ん〜読み直してみたけど、やっぱり490さんのようには読めない。 もし源ちゃんがそれを言ってるんだったら、まず自分の作品に その言葉を向ける必要があるでしょうし、『嵐が丘』が世界中の 子どもに読まれるようになった背景に、経済的、歴史的に何が あったか、それを知らない源ちゃんではないでしょうし。いくら なんでもそこまで「ガキっぽい」わけはない。私が説明するまでも ありませんが、英文学である『嵐が丘』が世界中の子どもたちに 読まれたとすれば、そこにはイギリスのいわゆる自由貿易帝国主義が あり、翻訳だとすれば「国民」の創出が公教育やジャーナリズムに よって行なわれるというプロセスが不可欠だったわけですし。 「現在」を切り捨てるという階級的限界に無自覚な反動的姿勢を 批判する自分が連合赤軍以来現在にいたるまで「転向」しては いない、と言いたい、というのならそれは、源ちゃんおよびそうした 源ちゃんに共感する同世代の男たちがダメ、だということにしかなりませんし。 私は世代でものを考えないんですが、ご自分たちで世代を意識しているんだから 仕方がない。490さんのように読むと、まず、源ちゃんが救われないし、その ように読む団塊の世代の男たちも救われない。 実は勘違いに気がついたんですが、水木揚の本の紹介は源ちゃんじゃなかった んですね。そっちは読む気がしなかったから読まなかったもので。ああ、この 本の枕で「おとな」とか「子ども」とか言ってるのか、と思っていた。私が 勘違いして読んだように、源ちゃんの書評にアクチュアリティの指摘を読む ことができないわけではないし、そう読んであげないとすれば、文藝春秋 なんてものを定期的に読んでいる「子ども」、「(w」なんて表現を使うことに 抵抗のない団塊の世代の男たちに自分が「おとな」であることを自覚させつつ、 『本格小説』を読むようにすすめている文章として、読めば十分なんじゃない ですかね、あの文章は。
私が464さんに何も答えないのは、自分の困難を他人や世代、制度のせいに する態度にまったく共感できないからです。今年の就職戦線が大変だという ことは知っています。それが制度的な困難であることは確かでしょう。でも、 それを「おまえたちのせいだ」と言ってすむ、と思っているのであれば、そ れは違う、と申し上げるしかありません。 私には、年収数千万円を稼ぎながらその仕事を続けることのストレスに耐え られず退職し将来を選択しなおそうとしている同年代の友人や、不妊治療を 受け鬱病にかかりおそらく薬の量を飲み間違えたことが原因で今年亡くなって しまったのであろう後輩がいます。彼や彼女のことなら、私は考える。サッセンや パレーニャスを読み、グローバリゼーションについて私が考えるのは、彼を疲弊させ、 彼女を死に至らしめた何かが、私を疲弊させ、死に至らしめうる何か、だからです。 そうしたものに自分がどう抵抗しうるか、ということなら、私は考えるし、ともに 考えようとする者がいれば、今彼としているように、私はそうします。 しかし、敬体で書きこみをしている見ず知らずの相手に対して、匿名であるのを いいことに居丈高かつ乱暴に怒りにまかせて「おまえ」呼ばわりでものを言う者の 就職の苦労など知ったことではない。いくら面接で取り繕ってもその乱暴さや 他人に依存する態度が隠せずにお里が知れるから就職できないんだろう、と思う だけです。そしてそうした者に対する「想像力」の欠如、同情の欠如を指摘する ことで何かを批判できると思っているから団塊の世代の男たちはリストラされる のだろう、と思っている。あなたたちの人生など私の知ったことではない。就職も リストラも他のひとがそうしているようにご自分でなんとかしてください、としか 言いようがない。自分が何もできないのを棚に上げて、他人に自分のためにどうにか しろ、と命令するのは、筋違い、というものでしょう。
でも、グローバリゼーションの現在について考えるように呼びかけるものは 『本格小説』にいくらも書きこまれていると、私は思っている。祐介が冨美子と 再会する軽井沢の「紀ノ国屋」でフィリピン人のメイドとすれ違い、祐介が「女中」と 「メイド」を対比させて思いにふけるところを読み飛ばさなければいい。あるいは、 太郎の半生を読み飛ばさなければいい。日本で生きて日本で死にたいなら何が必要かを 自分で考えるしかないし、それができないなら日本以外の場所で生きていくことを 自分で考えるしかない。「混血の孤児」のあの境遇は現在の私たちと無縁ではない。 冨美子の前半生だってそうです。故郷で生きて故郷で死ねないなら、故郷以外の場所で 生きていくことを選択するしかない。必要なものを自分で準備できず、日本以外の場所で 生きていくという選択をすることもできない「男」の困難など、それが今の学生だろうが 団塊の世代だろうが、自業自得、と言うしかない。自分だけがそうした困難に遭遇して いるという被害妄想に付き合ってはいられません。 連続の書きこみ失礼しました。ゆっくり読み直したいので、しばらくROMに 入ります。
500 :
もやもや・・・ :02/12/19 03:04
なんかさー、太郎とよう子の関係に、リアリティーが感じられないのよねぇ。 私の中では、よう子像がぼやけたまんま。 それと、冨美子の告白を全て「真実」と受け止めてはいけないんだよね。(←これ、 自分に言ってるつもり。) 何か、後半が短くない? 何故太郎は現代の日本に絶望するのか、そこのところをもっとしつこく描き込んだ方が よかったのでは?
501 :
吾輩は名無しである :02/12/19 03:16
『日本近代文学・本格小説』と名乗るからには、やはり明治から話を始めないと まずいんじゃないか、と思った。 何故、太郎は、「日本人でなくてよかった」なんて言うのか? −−その答えは、三島の小説で見つけて来よう。俺は、水村のこれを読了してから、 無性に豊饒の海を読み返したくなったんだが。
502 :
吾輩は名無しである :02/12/19 03:32
鷺沢萌の『わたしの話』の後に、この『本格小説』を読みました。 鷺沢のは、私小説なんだけど、鷺沢の父親は大阪出身の半島系の方で、 鷺沢の両親の新婚時代は、大変貧しかったようだが、 父親のガンバリで田園調布の数百坪の屋敷に4年住んでたらしい。 この時期が、鷺沢家の絶頂期で、借金やら何やらで、バブル時代到来前に鷺沢パパの会社は倒産し、 都落ちを余儀なくされるのであった。 鷺沢は、「いつか戻って来るぞ!」と、ほんの4年ばかり住んだ田園調布界隈に執着を示すのだが、 水村『本格小説』の三婆がこれを聞いたら、どんな反応かと、つい想像してしまった。
503 :
吾輩は名無しである :02/12/19 04:14
>>500 「なんかさー、太郎とよう子の関係に、リアリティーが感じられないの
よねぇ。」二人の関係自体は、私にとっては、リアリティーが充分にある。
「私の中では、よう子像がぼやけたまんま。」よう子のような人を多く見てき
たような気がする。そして私と同じように「私こそよう子」と思う人、多いと
思う。「何か、後半が短くない?」芸術が形式であり、すべてを記録するより
多くを暗示するものだとすれば、この「短さ」こそ、重要であったような気が
私はする。「何故太郎は現代の日本に絶望するのか、そこのところをもっとし
つこく描き込んだ方がよかったのでは?」冨美子の部屋から東京の街の風景を
眺めて太郎が醜いと呟くシーンで、絶望のすべてが語られていたと私は思った。
市民が、自らの共同体である街の形式を決められず、ここまで醜い街に平気で
生きていることが、日本における政治の不在、信任の不在、近代社会の形成が
破綻していること、そして何よりも芸術が不可能であることを如実に語ってい
るから。
504 :
吾輩は名無しである :02/12/19 14:40
>>503 ふ〜ん、アンタはそう読んだんだ(激藁
粘着の343と同一人物・・・
505 :
吾輩は名無しである :02/12/20 02:25
私は、よう子より若い世代に属しまするが、子供時代、周囲には三婆みたいのが大勢いましたので、
三婆の存在は、大変リアルに感じられます。
ピアノ教室のお母様方なんて、みーんなあの三姉妹といい勝負って感じだったよ。
親戚の伯母や叔母達も、大体あんな感じ。
しかし、よう子はわからん。
>>503 「私こそよう子」と思う人、多いと思う。
えっ? そうなんですか? 503以外にも、「私こそよう子」と思った人、挙手願います!
そもそも、よう子の特質って何?
506 :
吾輩は名無しである :02/12/20 02:53
>>503 >市民が、自らの共同体である街の形式を決められず、ここまで醜い街に平気で
生きていることが、日本における政治の不在、信任の不在、近代社会の形成が
破綻していること、そして何よりも芸術が不可能であることを如実に語ってい
るから。
あのー、503さんは、ひょっとして国立にお住まい・・・?
東京の街並みは、確かに醜くなった。
しかし、バカ高い相続税がなく、東京の街並みが「古き良き時代」のままであったならば、
即ち、「古き良き時代を享受していた人々」が守られる制度であり続けていたならば、
恐らく、冨美子や太郎のような境遇の人々は、一生「女中」や「下僕」だったわけである。
社会が平等になったのと引き換えに、美しかった東京の屋敷町は消滅したのだ。
えーと、突然ですが、何故この小説には「官僚」が登場しないのでしょうかね?
507 :
吾輩は名無しである :02/12/20 07:58
バイト帰りの464でつ。なんかきれて、すんませんでした
と、一度ぐらいは素直ないい子になってみたい〜w
>>498 にカキコした343がいってるの、暇人だけは読めるよな。
洩れに答えないといっておいて、ズラズララ〜ッと、なんか書いてる(藁
このおじさん、粘着だけじゃない、ずるい人なんでつね
きれそうだ、きれるかな、きれちゃあイカン・・・
>他人に自分のためにどうにかしろ、と命令するのは、筋違い、というものでしょう
なあ、お前、洩れはどこに書いてんだよ?
洩れのためになることを、お前に命令したんなら、そこ引用してみそ!
なあ、おっさん! 筋違いなのって、お前のシナプスなんじゃねーの!!!
>>506 官僚って、小説にはすごく書きにくい。冨美子しゃんが再婚する
おじさんが市役所の所員だったみたいな。これくらいなら、書けるよね。
官僚は隠されてるって感じます。
(どーでもいいけど、団塊の世代って、洩れのオヤジより年上じゃんw)
どうでもいいから水村のことについて書いてくれ。
509 :
吾輩は名無しである :02/12/20 15:16
510 :
吾輩は名無しである :02/12/21 10:10
>>506 「東京の街並みは、確かに醜くなった。しかし、バカ高い相続税がなく、東京の街並みが「古き良き時代」のままであったならば、
即ち、「古き良き時代を享受していた人々」が守られる制度であり続けていたならば、
恐らく、冨美子や太郎のような境遇の人々は、一生「女中」や「下僕」だったわけである。
社会が平等になったのと引き換えに、美しかった東京の屋敷町は消滅したのだ。」
ドイツは日本と同じように戦後に所得分配を達成しつつ、日本ほど醜くない。
環境の美観に対する意識向上には博士号は不要。中卒でもわかる。ノーベル賞
をとるほど日本の科学は欧米に近づいたのたのかもしれないが、街づくりとい
う技術・芸術やそれにともなう研究、またそれの基盤となる日本の政治の成熟
度は近代以前。日本が絶望的なのは国立まで行かなくても、成城や田園調布など
高級住宅地といわれているところでさえ、たいして街が整っていなくて、美しく
ないから。ブランド名のみで内容の薄いそのような住宅地が全国各地にある。
キレて「おまえたちのせいだ!」と言うのは事実確認言明であるだけで
なく行為遂行言明で「おまえたちのせいなんだから、なんとかしろ!」だと
思うんですが、相手にしない理由は述べましたし、もう知ったことでは
ありません。
>>510 ここのいくつかの書きこみを見ていてもわかりますが、日本というのは
マジョリティが「生産者」であるという意識が希薄で「消費者」として
自己を規定している国ですよね。「お上」によって提供されたサービスの
「消費」しか考えていない。だから80年代みたいなヨーロッパでは
考えられない消費社会が成立可能になる。
法律的には憲法違反の可能性もあるみたいですが、今回の国立マンション
訴訟なんていうのは、市民が街づくりという「生産」のプロセスに参加
する動きが日本にも生まれようとしているということなんじゃないかと
思ったりします。BSEの問題ひとつとっても企業活動の監視といった
かたちで「生産」に参加する必要が生じている状況に対応した、変化が
起きているのではないかと。「生産」プロセスへの参加を「消費者」が
自らの権利として認識することが、太郎のように日本を出て、外国で
労働する者の労働環境を整えるグローバルな基盤を形成する第一歩に
なるのだとすれば、それがやっと始まったのかな、と思います。
「醜さ」というのは「消費者」としてしか自己を規定できない事実に
由来するものなんでしょうね、きっと。
「官僚」が描かれていない理由は、必要がないから、でしょうね。 「政治家」もいない。この小説には「お上」になんとかしてもらおうと する者はいない。東一家がそうかもしれないけれど、それは前面には 出てこない。三枝姉妹でさえ「プリマヴェーラ」で「生産」「流通」に 「ヒストリカル・ミッション」を果たす。そうした登場人物ばかりだから 「官僚」も「政治家」も不要なんでしょう、物語=歴史的な必然において。 だから、不在、でいい。市民が権利を行使する環境をミニマムに整えて くれていればいいだけのことで、それを詳細に描写するには及ばない。 今は別の意味で「官僚」も「政治家」も不要ですが。
で、もうひとつ。 「ずるい」というのは、書きこみに具体的には何も言わず、 他の者に相手が「ずるい人」であるというイメージを与えて、 集団によって相手を排除し、言論を妨害しようとするふるまい なのだが、水村美苗の『本格小説』の読み手にはそうしたことは あえて言うまでもないことのはずである。 こういうのを「ずるい」と言います。おわかり?
ああ、またやってしまった……。売られたケンカをつい買ってしまう。 ということで反省して、しばらくROMします。お騒がせしました。
「粘着」という言葉について。これは言葉が間違っている。私の文章にあるのは 「周到さ」であって「粘着」ではありません。あるいは「粘着」とは「周到さ」に 付随する「粘りづよさ」のことであって、否定的にとらえる必要はないもののことを 言います。そして「周到さ」というのは対話の相手が、『本格小説』というタイトルの 暴力性が「ファシズム」につながることを警告しつつ「水村ファン」よりも自らが知的 かつ倫理的に優越していることを示そうとする者であれ、ある小説の価値が子どもに 読まれるかどうかにあるということを指摘することで議論の相手を「低脳」呼ばわりし 知的に優越していることを示そうとする者であれ、自らが遭遇している制度的な困難を 見知らぬ他者のせいにしながらそれを指摘する文章の書き手に対して「暇人しか読めない」 とか「粘着」という言葉で応酬し自らのセンスのよさにおける相手に対する優越性を 示そうとする者であれ、相手を対話の相手たりうる者として認識し、敬意を表すると いう態度から必然的に生まれる姿勢のことです。 「周到さ」が理解できない彼らに共通するのは「(w」や「(藁」といった記号を平気で 使えるところにあります。それは彼らにとっては、議論をする目的が、第三者に対して 自らが議論の相手よりも、知的、倫理的、趣味的に優越しているということを誇示する ことにしかない、ということを素朴に告白しているようなものです。私がやっているのは、 対話の相手も含めて不特定多数の誰かと、より知的になり、より倫理的になり、よりよい 趣味判断が可能となるための条件を探し、それを他者と共有しようとするという行為で あって、だからこそそこには「周到さ」が必要となる。そして2ちゃんねるに横行する これらの他人を嘲笑することで集団に頼り自らの優越性を安易に示そうとする記号ほど 水村美苗の小説と無縁なものはありません。たぶん彼らは水村美苗の小説を、その文章を、 「読んで」はいないのでしょう。そうとしか思えない。そうした記号を使う水村美苗を 想像することは不可能です。
要するに水村美苗の小説でさえ自らの優越性を示すための記号、ブランドとして消費 する、という恐るべき「消費」、太郎ならば「醜い」と言うであろう「消費」、が行なわ れているわけで、私もまたそうした身振りとまったく違ったことができるわけではない。 だから、可能な限り、そうしたふるまいをしないように「周到さ」といったものを文章を 書くことにおいて実践しようとしている。しかしながら、この掲示板というメディアは そうした「周到さ」の実践には向かない。そういうことです。 ところで今日、ハルキ文庫で水村節子さん(美苗さんのご母堂)の『高台に ある家』が出ているのを見つけて買ったのですが、お読みになった方います? 「祖母と母と私」という文章を巻末に美苗さんが書いているので、興味の ある方はご一読を。
誰か読んでる?w
518 :
吾輩は名無しである :02/12/22 08:42
読んだ。傑作。ところでwて何?
文学板ってさあ本物の馬鹿がいるからおもしろいよね(w
ageんなよ、mail欄には「sage」って入力! 馬鹿じゃないね、キティガイ。狂ってるw
キティガイおじいさんが朝から遊んでまつね
瞬間的な優越感と繰り返し訪れる際限のない劣等感に苛まされながら、 「本物の馬鹿」になる「幸福」も知らずに死ぬまで生きていけばいい でしょう。高橋源一郎がいう「過去」のない「子ども」として、 「未来」もないままに。もちろん、水村美苗の小説なんて読む必要は ありません。読めるはずもないでしょうし。文学は誰もが読む必要は ないし、誰もが読めるとは限らない、と水村さんもおっしゃっていますしね。 人間は「幸福」になる権利を放棄することも可能である、という事実を 再確認させていただきました。
おっとしまった。773は別スレのだった。上の書きこみは 343です。
まぁカントも漱石も本物の馬鹿=キチガイはきっと幸福だろうと いってたわけで、343はおめでたい人だということでいいジャン>all
526 :
吾輩は名無しである :02/12/22 11:21
長文レスに内容を無視して嘲笑のレスをつけようとするヤツが必ず現れる のが文学板が哲板とかと違うところだな。
そうですね、そしてそのおかげでわかりましたが、『本格小説』には 確かに週刊読書人の最新号でスガ氏や渡部氏が言うような「弱点」が あるのかもしれません。ある条件をもった読み手、高橋氏のいう「おとな」、に 「幸福な少数者」であることを「再現」させる小説ではあるけれど、そうした 条件をもたない読み手、「子ども」が「幸福な少数者」に「生成」する小説では ないのかもしれない。私は必ずしも、スガ氏や渡部氏の言うようにのみ文学が 政治性をもたなければならないとは思いませんが。読み手に選択を迫る小説も あっていいでしょうし。それもまたフィクションの力ですしね。それにともに 読まれるべき批評によって別の読みを提示すればいいのですから。
528 :
吾輩は名無しである :02/12/22 12:03
といっても、343さんも、もう少し短く書いてくれるといいね。 あと、適宜改行入れてくれるとか。
自作自演は醜いでつね343 なぜわかちゃうか、知ってる?w
鷺沢は落ちぶれた社長令嬢をウリにしてたけど、 たんなる山師のオヤジを持っただけの気がする。 鷺沢の生き方にもその山師っぷりが現れてるよな。
531 :
吾輩は名無しである :02/12/22 13:32
2chて日本そのもの。そこでしか通じない言語を絶対と思う住人が安住し、そ の言語を理解しない外人を排斥する。狭さを快適さと取り違え、真の快適さを 追求しない。
>>531 そう思うのならここに来なければいい。
2chなんてのは343のようなきちがいを見つけて
弄り回すのが本来の使用方なんだからさ。
>>532 のような自分が多数派に与していることをあえて明示することによって
自分の立ち位置を肯定しようとする連中が後を絶たないのが、ここの、
文学や小説を語るはずのここにおいてさえ現れるのが、2chの特性と言え
ば言えるのだが。
安易になナショナルな言説を吐き、または「きちがい」のような多数派が
少数者に与える暴力を顕著に含んだ言葉で相手を攻撃しようとする低劣さ。
まあ、そんな自分を全肯定したいというなら構いませんがね。
{script: &%$-=</!!!!!!!!!!if #\'&"**}}? ('#&~^^~\--#''$& ) /script} ↑ 見てしまった人 チェッカーかけてね ニタ〜
535 :
吾輩は名無しである :02/12/22 17:19
>>527 スガ氏や渡部氏の書評は、どのような内容だったのでしょうか?
(ところで、渡部は渡部昇一だと思うけれど、
スガ氏とは? 須賀敦子があの世からの批評を送って来たわけではないだろうし、、、)
ところで、今朝の朝日にも書評が載ってましたね。
536 :
吾輩は名無しである :02/12/22 17:21
537 :
◆1DGOE1q0Kc :02/12/22 17:25
538 :
吾輩は名無しである :02/12/22 18:57
529,534 あたりはたんなる煽り。ここはID制ではないので自作自演は (残念ながら?)バレない。
539 :
吾輩は名無しである :02/12/22 19:03
なぜか荒れるな。理由はどこにある?
>>535 スガ氏はスガ秀実、渡部氏は渡部直己といって両氏とも文芸批評家です。
読書人の記事はこの1年の小説をふりかえる、という年末恒例の企画です。
午前中の書きこみをしたあと考えたのは、繰り返し読まれることで読み手を
「教育」する小説として『本格小説』をとらえることもできるのではないか、と
いうことですね。別に「国民」を創出する公教育ばかりが「教育」ではないし。
541 :
吾輩は名無しである :02/12/23 01:41
>>535 書評
読書面の表紙(?)の一個しかない大きいスペースを与えられていましたね。
びっくりしました。
評者の堀江敏幸さんの選書理由は、フランス文学つながりもあるでしょうか?
渡部が昇一って、それはさスガにすごいマチガイ・・・
543 :
吾輩は名無しである :02/12/23 02:05
>>535 須賀敦子は「物語」に興味があったようですね
まだ生きてらしたら、『本格小説』についてどんなレビューを書いたでしょう?
あなたの書き込みを見て、読みたくなりました。
朝日の書評、堀江敏幸はほかに誰の本挙げてたのかな?
545 :
吾輩は名無しである :02/12/23 04:20
>>527 「週間読書人」12/20号見ましたが、載っていませんでした。別の号なの
でしょうか?
>>544 朝日の書評は『本格小説』だけを扱ったもので、粗筋と構造をまとめる
のが主でした。書評だけを読んだ人は、ややこしい本だなと思うかもしれません。
まずは面白い本なのに。あと「ギンザ」にも書評が載っていましたね。
546 :
吾輩は名無しである :02/12/23 04:38
「文学が面白くないのに、文学を読む人がいる・・・(略)・・・(文学が面 白くないのに)文学について書く人もいる・・・(略)・・・このような人た ちがあれやこれや言うから、文学が難解なもの、軽薄なもの、退屈なものには たから見えるに違いありません」と水村さんが辻邦生との書簡において言って いる通り、ここには「このような人」が幾らかいますな(w
糸圭秀実とか渡部直己とかって名前を素で出すのって、ある意味コンビニで エロ本買うのより恥ずかしいよな。
548 :
吾輩は名無しである :02/12/23 08:20
げらげら このスレ大爆笑
>>531 内部に潜り込む事や、外から距離を置いて観察する事が
自在に出来るのも2ch。
ネット上での自分のアイデンティティをあらゆるレヴェルで
検討し、且つ意識的に演ずる事が出来る場所でもあるんだから、
もう少し柔軟に考えたら?
なんか、見ていて気になるので、少ししたためてみました。
スレ汚し失礼。
>>515 =343
議論の周到さとは聞こえが良いけど、どんなに知的な議論を
装っていても、あなたの態度の根本には「売られたケンカを
つい買って」しまう幼い衝動が見て取れる。ここにいる連中の
多くは僕も含めて学が無いけど、馬鹿ではないから、あなたの
そういう部分を見抜いている。だから、あなたは粘着扱いされて
いるんじゃない?
551 :
吾輩は名無しである :02/12/23 09:02
私がやっているのは、対話の相手も含めて不特定多数の誰かと、
より知的になり、より倫理的になり、よりよい趣味判断が可能と
なるための条件を探し、それを他者と共有しようとするという行為で
あって、だからこそそこには「周到さ」が必要となる。
これは、ちょっと図々し過ぎるんじゃないかな。
>>415 ,
>>513 ,
>>498 なんかは、どう見ても他者との知識や倫理観の
共有を目指した書き込みとは思えない。
異論あります?
552 :
吾輩は名無しである :02/12/23 09:03
343が議論をリードしきれないもう一つの理由に気付いた。
今まで展開された水村作品への批判は、実は殆どがポストモダニズム
への違和感に端を発している。水村さんは、自分を作品の登場人物に
据える態度といい、引用と変奏の積み重ねで構成する創作技法といい
ポストモダンに対して意識的だと思う。「本格の基準」とやらを
勝手に代弁してみたり、
>>527 のように自分の論拠の論理的弱点を
『本格小説』の弱点に置き換えるようないい加減な議論をせずに、
ポストモダニズムという芸術潮流がいかに思想として重要で、その
継承がいかに不可避であるかを論ずれば、こんな泥沼には
ならなかったんじゃないかな。
以上です。
言いっ放しは、ちょっと失礼でしたか。僕としては、
知識が豊富で(羨ましいと思ってます)創作にも
携わっていらっしゃる343さんに、『本格小説』を
導入としてポストモダンに就いて詳しくご教授願いたく
思います。後、343さんが水村さんの作品をどのように
受容し、自らはどのような創作を目指しているのかも
書いて頂きたいと思います。
命名の暴力に対して、抵抗しなくてはならないと仰る
のなら、その具体例を示してくださると嬉しいですね。
折角議論が深まってきているので、生産的なスレに
したいものです。
あと、クッキーが残ってないけど、
>>549 =
>>550 =
>>551 =
>>552 =
>>553 です。連続書き込み
失礼しました。
>>553 今、時間がないので、手短に。まず、「幼い衝動」については自覚していて
だから「反省」もしている。というより、不断にそれを抑制しようと
しているんですね、私は。ときどき抑制しきれなくなりますが。で、私は
「共有しようとしている」と書いて、「共有している」とは書かなかった。
「周到さ」というのはひとつの抑制の姿勢なんです。だからとりきれなくなる
こともある。そうした姿勢が、私にまったくない、というわけではないでしょう?
で、そうした姿勢が対話に必要だと私は思っている。
それから、「ポストモダニズム」については、むしろ 553さんの
おっしゃっていることは「モダン」に関するものだと思います。
水村さんの創作態度はきわめてモダンで、フローベールなんかと
変わらない。書き手が他の物語を読むように書いていく、それは
モダン、なんですね。
で、私には議論をリードするつもりはないです。それから誤解なさって
いらっしゃるようですが、私は創作にたずさわってもいません。
読み手が創作者として読む、ということの必要を、以前にもまして
実感するようにはなりましたが。そして、「抵抗」については、
すでに水村さんの小説にそくして、いくつかあげてあります。343以前の
書きこみに。それをごらんください。またあとで、他の点については
書きます。
555 :
吾輩は名無しである :02/12/23 17:29
556 :
吾輩は名無しである :02/12/23 17:31
水村のひねくれた性格がスレにそのまま反映しているのだろう
>>553 >「売られたケンカをつい買って」しまう幼い衝動
これ自体は別に問題ではないんです。というのはこれは議論のはじまりには
必ずあるものだから。誰かの書きこみを見て、別に何か根拠があらかじめ
あるわけではないけど違和感をおぼえ、違う、と言いたくなるという衝動。
問題はその幼い衝動からどこまで自分を引き離すことができるかを議論の
展開において実践することで、それを私はやろうとはしているが、必ず
完璧にできているわけではないです。だから「幼い衝動」があるから問題だ、と
いうのは違うと思います。
たとえば、はじまりは「ケンカ」だから「対立」がある。でも、私の
書きこみを読んでもらえばわかるように、私がやろうとしているのは
その「対立」が実は「対立」ではないことを示そうとしたり、「対立」が
何から生じているのかその原因を明らかにしようとすることだったりします。
その中で、何番の書きこみかは忘れてしまいましたが、議論をみごとにまとめて
くださって、議論の中で生まれた情報を共有してくださる方がいましたが、
そういう出来事があればいい、と思って、私はやっている。しかし、私が
これまでに議論をしようとした相手の方は、そうした姿勢はまったくない。
「粘着」という言葉はそれとはあんまり関係がなくて、要するに、いつまで
たっても議論を勝ち負けの問題だと思っている者が、自分の勝ちと負けがはっきり
しないうちに議論を切り上げるのに安易につかう言葉でしかないと思います。
これまでの私の議論の相手は、「対立」を対象化して検証しようとする態度がないでしょ?
そして議論の内容とは別のところで相手の人格を攻撃する言葉ですよね、「粘着」って。
議論の仕方を教育制度において学ぶことがない日本人が、よくやることです。集団に頼って、
相手を人格攻撃して、自分の優位性を守ろうとする。それは日本人以外には通用しない
ふるまいです。
>「本格の基準」とやらを勝手に代弁してみたり、
>>527 のように自分の論拠の
論理的弱点を『本格小説』の弱点に置き換えるようないい加減な議論
たとえば、水村さんが「本格小説」とばこういうものだ、と言おうとしているのだから
それがどういうものなのかを考え、言説化する、といったことをやってはいけない、と
いうことはないですよね?「勝手に代弁」とおっしゃるけれども、それなりにテクストに
書かれた文章にそくして、私は根拠を示している。そして「勝手に代弁」にならない
言説化の仕方が可能だというのであれば、それを553さんがやってみせてくだされば
いいと思います。私はそんなことは水村美苗本人にも不可能だと思いますけど。
で、『本格小説』の弱点を指摘しているのは、読書人のスガ氏と渡部氏ですね。
私がこれまで述べた語りと描写の関係や、タイトルと小説の文章の関係は、別に、
これがある経験を「再現」する小説だからといって、論理として成立しないと
いうものではないはずです。527で言っている「生成」とそれ以前に述べた小説の
文章に書きこまれた「反復」とは別なのであって、また、そのすぐあとで、「教育」と
いう観点から別の見方を提出しようとしてもいる。だから「自分の論拠の論理的弱点」とか
「いい加減な議論」と言われる理由が、これではわかりません。以前に述べたことに
関しては、「再現」の話は関係がないし、その「再現」にしても、たとえば、『本格小説』と
ともに読まれるべき批評といったものが書かれれば、「再現」にとどまらない何かをつくり
だすこともできるかもしれないからです。そして、それを私はひとりでやろうとは思って
いません。議論をリードするつもりはありません、といったのは、議論というものは別に
どちらかがリードするものではないからです。協同作業なんですよ、議論って。
559 :
吾輩は名無しである :02/12/24 00:33
>協同作業なんですよ、議論って。 自分を振り返って御覧なさい。
>>559 協同作業をしようとする気のない相手と協同作業ができないのは
私のせいではありません。
>>553 自己正当化を求められるかたちになってしまっていて、それだけを
書いたので、もうひとつ。ご指摘の
>>415 ,
>>513 ,
>>498 に関しては
異論ありません。これは「幼い衝動」がそのまま出てしまっている。
ただ、それだけを取り出されて何か言うのは、議論としてはフェアではない、と
思います。
『続明暗』読んだ時、ポストモダン小説風なのにそう言いきることに 違和感覚えたんだよね。漱石ならありえなかっただろうラストのせい だけじゃないはずなんだけど… だから549-553と343の話に期待するよ。 343
↑失敗。 そういえば332の言ってたこととか、結構面白かったよ。 エーコの理論の影響を受けてるのかなと思った。
563 :
吾輩は名無しである :02/12/24 07:08
人間的に欠陥のある人のスレになっちゃったね
欠陥のあるスレに引き寄せられる人間になっちった。
565 :
吾輩は名無しである :02/12/24 22:00
いまAmazon.co.jpで「日本の小説」を検索したら、 『本格小説』の『上』が第8位になっていた。(浅田次郎の小説の次。) 『下』は12位。 驚いた。ようやく売れ始めているのかもしれない。
566 :
吾輩は名無しである :02/12/24 22:01
もう4刷りだよ。
ブクオフで100エンで買った。
568 :
吾輩は名無しである :02/12/25 02:47
>ようやく売れ始めているのかもしれない ガイシュツだけど、朝日新聞ではインタビューが載ったり、文芸時評にとりあげられた(著者の写真つき) 最近では、今年の文学を総括する記事や、作家の書評にも そういう“広告”によって、知名度や評判が浸透してきているのだろうか? 連載は知らなかったけれど、年末年始に、今年の収穫ともいわれる“本格的”な文学を読みたいという人に 朝日の話ばかりでスマソ 共同通信では、刊行後に作家あるいは評論家による書評が載ったきり
569 :
吾輩は名無しである :02/12/25 14:22
>565 いま見たら、上巻が「日本の小説」の「売れている順」では6位、 下巻が7位でした。 朝日にのった堀江何某の書評は頭の悪い高校生の作文でしかなかったのに、 少しは売れ行きに貢献したのかもしれません。
570 :
吾輩は名無しである :02/12/25 21:34
他スレで同じことカキコしましたが、金井美恵子がボロクソ批判してますた 配下のスガ渡部は、まあまあいいけど、でも一寸惜しい、てな感じだったのに。
571 :
吾輩は名無しである :02/12/25 23:36
そこの452ですどうも
573 :
吾輩は名無しである :02/12/26 01:57
金井美恵子も哀れだね。
-― ̄ ̄ ` ―-- _ , ´ , ~  ̄" ー _ _/ / ,r ` 、 , ´ / / ,ヘ ヽ ,/ ,| / / ● ,/ と,-‐ ´ ̄ / / r( `' く (´__ 、 / / `( ,ヘ ヽ  ̄ ̄`ヾ_ し ● _> ,_ \ `' __ -‐ ´ (__  ̄~" __ , --‐一~ ̄ ̄ ほのぼのしちゃうのよね〜
>570 そうなんですかー。意外。割と、金井美恵子は「本格小説」 気に入るんじゃないか、と思ってました。 もしかして、嫉妬?
嫉妬して貶すってのは金井美恵子らしくて(・∀・)イイ!
>>575 正確な言い方は忘れたけど、
現代に何の批評性もなく素朴にこういうのが書けるのはどーよ!
みたいな感じだったと思うけど。読書人のスガ渡部の言ってたこととも似てなくもない
578 :
吾輩は名無しである :02/12/26 15:17
ちょっと前の「一冊の本」で、金井美恵子が『本格小説』について、読む前の 感じでカバーや帯のコピーについて文句を言っていたのは読んだけど、それの こと?それとも、読んでから文句を言っているが別に出たの?
>>577 それ、浅田が平野の『葬送』を批判した時の
論旨に似ている。過去の小説の形式をそのまま借りて
書けば良い小説が書けるという、安易かつアナクロ
ニスティックな発想は云々、というヤツ。
金井さんの文章は読んでいませんが、やはり全否定でしたか。 何もおっしゃらないので無視なさるかと思っていました。そして 何かおっしゃるとすれば、全否定だろう、とも思っていた。 さすがに金井さんだと思うのは、浅田彰に「噂のオールドミス」で 「田舎者」と批評されても無視したにもかかわらず、同じことを 小説で言われると反応するところですね。もちろん、水村さんには 金井さんを批判する意図はないでしょうが。浅田さんの批評は、 「風俗」「流行」を消費の観点からしかとらえられず、実在のブランドを 記号として引用することしかできない金井さんの小説の限界を、確実に おさえている。金井さんには小説の中に、架空のブランドをリアリティの あるかたちで書きこむことは、たぶんできない。「プリマヴェーラ」の 「ヒストリカル・ミッション」のようなエピソードは、書きたくもないの だろうし、書きたくとも書けないだろうと、思う。そういえば、スガ、渡部の 両氏は、浅田彰の「噂のオールドミス」に関しては何かコメントしてるんでしょうか? 小説という形式に可能な「歴史」の語り方、描き方はひとつではないと 思うので、ここで妙な対立が生まれるとすれば、それは不毛でしかない でしょう。スガ、渡部、金井といったところが強気なのは、すでに蓮實が プライベートで何か言っているからなのか、蓮實が公に何をどのように 言うのか、ということには、予告されているフィクション論ともども、 興味ありますが。
>>580 >すでに蓮實が
>プライベートで何か言っているからなのか
あまりこういうことに詳しくないんだけど、
スガ、渡部、金井は、蓮実の提灯持ちという
理解なのか? みんなそう思ってるみたいだけど。
>>581 提灯持ち、ということではないですが、読書人のスガ、渡部対談では
どちらだったか忘れましたが、フィクションがどうこう、とか言って
たように思いますが、あれは『「知」的放蕩論序説』での蓮實の発言を
ふまえてのことではないか、と思います。また、浅田氏によれば、
「田舎者」の定義は「蓮實重彦に幻惑される者」となっています。
私が『噂の娘』と『本格小説』を対立させることが不毛だと思うのは、
比喩をもちいていえば、ミクロ経済学とマクロ経済学のどちらが
「経済」の本質をよりとらえているか、ということや、顕微鏡で見るのと
望遠鏡で見るのとでどちらが「自然」の本質をよりとらえているか、と
いうことを議論するのと、同じことをやっていると思うからです。
そうしたことについて議論したい、というひとがいるなら別に止めはしませんが、
参加する気にはなれません。
別に蓮實批判する必要ないんじゃないの?
『重力』じゃ鎌田と大杉にスガがインタビューで『杼』(スガや渡部や江中直己らが創刊した批期間評誌)で
第一回目の特集が『柄谷行人』、二回目が『蓮實重彦』だったが、
それらは柄谷批判蓮實批判にすべきだった、とか言われてたけど、まず父殺しからってのはどうかと思う
中身もないのに。カイエ・ジャポン連中みたいにしょーもないことなっちゃうよ。
細かいところでは柄谷の『地の果て至上の時』理解はおかしいとかスガも言ってたが、
そういう感じでいいんじゃないのかね。
逆らわない子犬たちの発言はともかく、実際のスガや渡部の批評の仕事見てみたらぜんぜん蓮實の仕事と別もんだし。
>>582 ちなみにスガ渡部提灯持ちーズは『本格小説』はエンタメ小説としては(・∀・)イイ!!みたいなこと言ってたよ。
>>583 ええ、私は別に蓮實批判するつもりはないです。ただ、スピルバーグへのゴダールの
奇妙な固執を指摘する一方で、ゴダールの『映画史』に対抗してフロドンを味方に
引き入れて、「日本映画」は存在する、と主張なさろうとしている現在の蓮實氏に
とって、「本格小説」というタイトルのこの小説がどううつるのか、それには興味が
あります。水村さんは、「本格小説」は存在する、と主張しようとなさっている
わけですから。
ところで、『杼』(江中直紀ですね、直己じゃなくて)の特集の順番って
逆じゃありません? 1回目が蓮實で、2回目が柄谷。確かそうだった
ような気が。
それに、ここは『本格小説』スレッドですから、提灯持ちかどうかは別スレで
やればいいことでしょう。私が上の書きこみで言いたかったのは、蓮實が
すでに何かを言ったのか、言ったとしたらそれはどのような内容なのか、には
興味がある、ということで、提灯持ちかどうかには関心ないです。
585 :
吾輩は名無しである :02/12/28 20:01
ていうか、蓮實、スガ、渡部、浅田とかもう十年以上も前に終わった人の 名前だして議論したつもりになっているその「センス」の悪さどうかと 思うけど、だいたいそんな固有名詞出してきたところで有意義な議論に 進展するはずないのなんてわかるでしょ?そんなの退屈なだけ。ま、よ くいる噂好きなやつとかなら楽しそうに参加すると思うけど。
>>585 いや、ようやく『本格小説』批判する人が出てきたとうことで
名前出しただけだよ。
こういう名前出すとすぐそういうこと言う人出て来るけど。
本格小説と関係無い話もあるんでそれは良くないけどね
そういや週刊読書人で水村が奥泉と対談してたけど 誰も触れてないね。 本格も奥泉の新作も読んでないので 一応それだけ触れときます。
588 :
吾輩は名無しである :02/12/30 02:04
>奥泉の新作 新聞連載されている「新・地底旅行」、おもしろいですよ。 漱石の「吾輩は猫である」みたいな文章で進行しています。 また、1日分の末尾は翌日への“読みたい興味”を喚起して、上手だと思います。 気づかなかったけど、水村さんとは漱石という共通点がありますね。
>>585 じゃあ、いまは誰の名前を出すのがセンスいいのですか?
590 :
吾輩は名無しである :02/12/31 04:05
清水が論評してなかったっけ?
591 :
吾輩は名無しである :02/12/31 05:08
『本格小説』のなかで、気が利いてると思うフレーズってありましたか?
>>585 現役の批評家の名前も出せないくせに、お前は単なる煽りだろう。
>>591 気が利いてるというのとは少し違うけど、印象に残ったのは
冨美子が使う「福を分けてもらいました」という言葉ですね。
ああ、幸せではないのか、と思う。
594 :
吾輩は名無しである :03/01/01 08:40
皆さんのように小説には詳しくありません。 マジ 嵐が丘も桜の園も読んだことがありません。 さて、本格小説は、出版社のゆうき君が現れるまでは退屈でしたが、これは初めから 予想していたのでかまいません。どうせはじめは、つまらないと思っていました。 上巻の最後から、下巻の中頃までは夢中になって読みました。 太郎君がようこちゃんの目の前に現れた頃から、フミちゃんが豪華なマンション借りるあたりまでが 「ご都合主義との感想をぬぐい切れません。 ようこちゃんの旦那さんとも3者折り合って やっていたようですが、そんなにうまくいかないと思います。現実感がないっていうか。 嵐が丘もそんなストーリーなのかな。 もちろん 最後まで一気に読みましたが。 今読み終えたばかりです。 堪能しましたが、ジャンルが違って恥ずかしいですが永遠の仔や占星術殺人事件の読後感 には 自分的には及ばないな。
595 :
吾輩が名無しである :03/01/01 09:21
スレ違いになりますが、「嵐が丘」つながりで質問。 最近読んだ本で「嵐が丘」をえらく(不必要なほど)細かく 紹介(引用)した評論を読んだ記憶があるのですが、何の本 でしょうかね? って、これだけじゃあ分からないか。 イーグルトンの「文学とは何か」か、河野多恵子の「小説の 秘密をめぐる…」のどちらかだったように思う。 どちらも図書館から借りて読んだので、今手元にないんですよ。 まあこんな質問をするくらいだから、ちゃんと読んでいないと バカにされても文句は言えないですけどね(自嘲 実のところ、「本格小説」は無論、「嵐が丘」も読んだことはないので、 このスレにカキコする資格はないのかも知れませんが。 「嵐が丘」って、そんなに佳作というか面白い作品なのですかね?
596 :
吾輩は名無しである :03/01/02 20:40
597 :
吾輩は名無しである :03/01/03 23:36
>>595 確か、水村氏が辻邦生氏との往復書簡において、「嵐が丘」への想いのような
ものを語っているくだりがあった筈なので、それを読んでみてはいかが?
598 :
吾輩は名無しである :03/01/04 00:30
>>597 私はそれを読んで、「嵐が丘」を手に取りました。
魅力的な文章ですよね。
でも、「嵐が丘」自体に夢中になったのは、数年後に再読したときです。
水村氏も、大人になって再読して「これは傑作」だと思ったと、
「ユリイカ」のインタビューだったか、新潮社のサイト「自作を語る」で言っていた気がします。
『文学と悪』の巻頭を飾るエミリ・ブロンテ論でバタイユが「エロティスムとは、 死を賭するまでの生の讃歌である」と書き、辻邦夫との往復書簡で水村さんが 「これ以上行ってはならぬという、まさにぎりぎりのところまで連れてゆかれる ような気がします」と書いている、『嵐が丘』という小説は「一気読み」の 快楽がある小説ですね。結構長いから、途中で読むのをやめて明日にしようと 思っても、読み始めると止まらない。物語の時間とそれを語るネリーのいる 語り手の時間との交替のリズムが絶妙だからなのでしょう。
ちなみに、水村さんは先程引用したのと同じ書簡のなかで、「それを「快楽」と 命名するのは、ためらわれる」とも書き、「それは、「快楽」であると同時に、 何かとてつもなく恐ろしいものです」とも書いています。この往復書簡は 文庫にもなっているので(確か朝日文庫のはず)、興味のある方はご一読を おすすめします。
>343 をを! 「文学と悪」 ! なつかしー。 20歳になる直前くらいの愛読書だったなあ(しみじみ) 年が半分の頃か(汗) 嵐ヶ丘に魅せられた作家は多いですけど(日本でも富岡多恵子とか、金井美恵子とか、 倉橋由美子とか……「嵐ヶ丘にかえる」の翻訳もしてましたね・・・・・ 水村美苗のこの作品はオマージュとしても絶品ですね。 優れたオマージュはもとネタを読みたくさせるものですが(評論もですが) 傑出してると思いますた。
602 :
吾輩は名無しである :03/01/07 19:38
age
587さんがおっしゃっている読書人の対談遅ればせながら読みましたが、 やはり、という感じでしょうか。プリモ・レーヴィ(水村さんはレヴィと 呼んでいらっしゃいます)の名が出てくるのも当然かな、と思いました。 さて、金井さんと水村さんの対談を企画する勇気ある編集者いませんかね。
604 :
吾輩は名無しである :03/01/13 12:32
私も遅ればせながら、「週間読書人」の水村さんと奥泉さんとの対談を読みました。 さすがだと思いました。 とくに、「小説家は物語を歴史化する」という発言には感心しました。 その前の号の糸圭・渡辺対談の軽薄さや退屈さと比べると、雲泥の差です。 この人たちは、水村さんが「手紙・栞をそえて」の序文で 以下のように書いている人そのもの。 「文学が面白くないのに、文学を教える人もいる。 文学について書く人もいる。・・・・ このような人たちがあれやこれやと言うから、 文学が難解なもの、軽薄なもの、退屈なものに はたから見えるにちがいありません。」
605 :
吾輩は名無しである :03/01/15 14:49
プリモ・レーヴィ以降、小説はいかにして可能か? というわけでしょうか。
606 :
吾輩は名無しである :03/01/15 16:55
アマゾンの『日本の小説』で検索すると、 本格小説の下巻が6位、上巻が9位。 ブレイクの予感。
本日の朝日夕刊「文芸21」に沼野充義氏寄稿。 「このような作品が書かれたことの意味は大きい」って、 おいおい、それだけ?
608 :
吾輩は名無しである :03/01/17 03:05
>>607 見出し
「境界を押し広げる文学」
「古典の再生・異国からの眺め・過去からの照射」ですね。
(冒頭)
昨年の晩夏から初秋にかけて、注目すべき大作が次々と出版された。そのため前回の季評で取り上げられなかった水村美苗の『本格小説』(新潮社)のことから、今回は始めたい。
609 :
吾輩は名無しである :03/01/17 03:07
沼野充義の文章、つづき 『本格小説』は、作者自身が導入部で種明かしをしているように、エミリー・ブロンテの名作『嵐が丘』のような話を、日本に移して、日本語でもう一度書いてみる、という試みである。 実際、『嵐が丘』と同様の宿命的な三角関係の激しい情熱のドラマが、主として戦後の東京と軽井沢で展開し、圧倒に豊かな物語性によって読者をいったん引き込んだら最後まで放すことがない。 中心となるのはおよそ現実離れした「ありえない」恋愛の物語なのだが、水村美苗はいくつもの仕掛けによって、それに現代小説としてのリアリティを与えている。 まず、長い(長すぎる!)私小説的な導入部によって、物語に現実的な枠を与えたこと。 第二に、西洋の古典文学に対する依拠を隠さず、むしろ誇示することによって、作品のもつ普遍的な骨格を読者に最初から受け入れさせたこと。 第三に、あまり教養のない元「女中」を語り手として、その飾り過ぎない、清楚な日本語で物語を語らせたこと。 おそらくアメリカ経験の長い水村美苗にとって、このような小説を書くことは、日本語という道具を意識的に使うことによって、幼いころ自分が生きた過去の日本を甦らせる至福の作業となったのではないだろうか。 小説の可能性が使い尽くされてしまったかのように見える現代にあって、このような作品が書かれたことの意味は大きい。 (以下、一行空けた次段落では、リービ英雄の作品について述べている)
610 :
吾輩は名無しである :03/01/17 03:08
沼野充義の文章、つづき リービ英雄の『ヘンリーたけしレウィツキーの夏の紀行』(講談社)は『本格小説』とはまったく異なったタイプの作品だが、並べてみるとおもしろい。(略) 日本語と英語という二つの世界の間に生きているという意味では、水村美苗に近いとも言えるが、リービ英雄の場合(略) (末尾) この(注・『浪漫的な行軍の記録』奥泉光著の)ヴィジョンは、ある意味では、ウラジーミル・ナボコフの長編『透明な対象』(データ略)にも共通するものだろう。 ナボコフの登場人物に言わせれば、現実にある物質はすべて、それを通して「過去が透けて輝く、透明なもの」だというのから。 精緻な仕掛けに支えられたこの愛と狂気と哲学的奇想の書は、小説がなによりもまず言葉の織物であることをいま一度思い出させてくれる。(略) そう言えば、今回取り上げた他の作品もすべて、緻密でしなやかな日本語によって書かれていたのが、とても気持ちよかった。 現代の日本語は、これらの作家たちにしっかりと支えられて、新しい風景を切り開いている。
(^^)
612 :
吾輩は名無しである :03/01/20 11:32
でも、沼野充義って、『海辺のカフカ』が良いといっている程度の人でしょ。
>>604 擁護するわけじゃないけど
二つを比べると、そもそも企画の方向性とか紙幅とかがぜんぜん違うじゃん
それにスガや渡部は、小説愛とか小説家を誰よりも尊敬してるとか
恥ずかしいこといっぱい言ってるよ
614 :
吾輩は名無しである :03/01/21 02:08
『本格小説』がそれほど面白くないものらしいと印象 づけられてしまったのは、343のお蔭だな
あの程度で面白くないと印象づけられて、それで 面白くなくなるような作品ではないですよ。それで 面白くなくなるならそれはその読み手の限界の問題です。 読み手それぞれが面白く読めばいいだけのことです。
616 :
吾輩は名無しである :03/01/30 00:29
『本格小説』が今年の「読売文学賞」に選ばれたという噂があります。 正確な情報を持っている人がいれば、教えてください。
第54回の読売文学賞の発表は2月上旬のはずです。内部情報が 漏洩されたわけではないなら、まだ噂の段階ではないでしょうか。
おいらは面白く読んだクチだが、
>>614 のいうことに
ちょびっとだけ同意。
これも「作品・作者はともかく信者がやたらキモい」クチかもね。
結構売れてるね
620 :
吾輩は名無しである :03/02/01 10:31
621 :
吾輩は名無しである :03/02/01 12:18
読売文学賞は谷崎賞より格上ということになっているから、 これから取る賞は冥途の土産の野間賞だけになってしまった。
朝日新聞にはとても小さく出ていました。 去年はクドカンが戯曲・シナリオ部門で取ったね。
623 :
吾輩は名無しである :03/02/01 20:27
水村さん読売文学賞受賞おめでとう! これからの文学もりあげてください! ちなみに俺はまだこの作品読んでない。春休みだし読もう・・・
624 :
吾輩は名無しである :03/02/01 22:19
私もまだ読んでいないです。 図書館の予約は先日、8人くらい入っていました。
625 :
吾輩は名無しである :03/02/04 12:27
買って、読んで下さい。 <関係者>
下巻を最後まで一気に読み終えたけど、私的にはラストがいまいち。 よう子が死んだ後がなぁ。
627 :
吾輩は名無しである :03/02/06 01:58
確かにすごくひきつけられる小説だった。 構成も設定もうまく創ってあって、おもしろい。 でも、何かが足りない。 恋愛小説における一種の「情熱」が足りない気がする。 基盤となった「嵐が丘」が情熱をそのまま描いたような小説だったから、 なおのこと、「本格小説」に対してその部分の違和感が大きくなる。
628 :
吾輩は名無しである :03/02/06 12:55
以前このスレで熱心に本作を進めた者です。それから数カ月、 いまはどうでもいい気持ちです。再読もしないかもしれない。 読んでいる時間は、確かに至福の時間だった。わくわくしならが 読み進め、読める部分が少なくなるのが悲しいくらいでした。 でも結局はいまのような読後感に落ち着いた。なぜだろう。 漱石や春樹にある芸術力(俺がいま勝手につくった造語)が ないのかなあ。
そう、この人の小説って、読後に持続しないよな
630 :
□□■盗撮ベストランキング■□□ :03/02/06 14:56
631 :
吾輩は名無しである :03/02/08 00:58
>>626-628 こういう、最初は良いと思ったが、後で考えるとそれほど良くなかった、
という書き方は、作品を貶める時の常套手段。
この人(たち)は相当に悪意を持っているようだが、同業者?
632 :
吾輩は名無しである :03/02/08 01:10
漱石と春樹を並べて語ることができるような人間は、 はたして文学を読んだことがあるのかしら?
633 :
吾輩は名無しである :03/02/08 01:14
『本格小説』という小説を正当に評価できるかどうかという所で、 いわば日本が試されていたのだと思う。 ぶつぶつ小者に文句を言われながらも、 一応の評価を受けたということは、 日本が少なくともぎりぎりの線で、 この試験に通ったということを 意味するのかもしれない。 情けない話ではあるが。
634 :
吾輩は名無しである :03/02/08 10:03
『本格小説』が読売文学賞を受賞した直後に、それを貶めるようなコメントが 出た、という事態も日本の問題を如実に語っていて興味深い。確かに情けない ところだ。
636 :
吾輩は名無しである :03/02/12 12:11
このスレ、新年に入ったら急速にレスが減ったね。 実は俺も、そのうちの一人(昨年の終盤に読み終わって興奮して レスして、最近はまったく思い出さなくなった人)。 読み終わったときは、「すわっ、漱石再来か」なんて思ったのが 恥ずかしいくらい、憑き物がとれた。 久しぶりの重量感を感じたのだが、どうしてだろう。
637 :
吾輩は名無しである :03/02/12 16:17
素直な感想です。 今後、再読することはまずないでしょう。 私小説部分が恐ろしくつまらない。 文章の流れを止めてしまうような表現が多く、 ところどころしらけながら読んだ。 水村美苗自身を出さずに、まったく別の話にアレンジして フィクション風に仕上げたほうが、興味深く読めると思った。 導入で私小説の形をとったのは、失敗だなと思った。 途中からやっと面白くなってきたけど、 トータルして、これは文学賞に値する「文学」なのだろうか? 自分でお金を払って買った本だから無理やり最後まで読んだけど、 借りた本だったら、途中で投げ出してたかも。 まじレスすまそ・・・
638 :
吾輩は名無しである :03/02/12 16:20
この作品における、夫婦とそれをめぐる男と女たちの関係は、 商品と貨幣の隠喩ではなかろうか?
639 :
吾輩は名無しである :03/02/12 16:21
同じ時期に買ったカフカはもう何回か読み直したけど・・・。
640 :
吾輩は名無しである :03/02/12 16:23
641 :
吾輩は名無しである :03/02/14 04:20
誰か再読した人いる?
642 :
吾輩は名無しである :03/02/14 14:19
こいつの小説より、理生ちゃんのリトル・バイ・リトルの方が売れてるわけ。 他にもりさちゃんのインストールの方が売れてるわけ。 だから、こいつの小説は理生ちゃんよりもりさちゃんよりもヘボいわけ。
おじさんとおばさんが、こども言葉でじゃれあってる キモイ小説って、これでつか?wwwwww
644 :
吾輩は名無しである :03/02/24 00:23
>>643 んーーー、そこまでは悪くないんだよ、この小説は。
645 :
吾輩は名無しである :03/02/25 00:43
なかなか評判なので読んでみました。やはり昨年のベストかな?良かったと思います。 嵐が丘よりは、ジェーン・オースティンやフィッツジェラルドなんかをなんとなく感じたのはわたしだけ? そんなことより、この本を読んでいて稀有な体験をしました。 ずっととある音楽を聴いていたのですが、その音楽とこの小説が核融合反応をしちゃいまして。 音楽と小説のmariageってあるのですね! #ちなみにVilla-LobosのBachianas Brasileiras No.7という曲。不思議なことに南米の音楽です。
646 :
吾輩は名無しである :03/02/25 16:19
>>638 「この作品における、夫婦とそれをめぐる男と女たちの関係は、
商品と貨幣の隠喩ではなかろうか?」
もっと著者評伝的に読んであげなきゃ。
もっとも638さんの趣旨には賛同しないけど。
きのうNHKBSの「週刊ブックレビュー」にご出演されてましたね。 途中から見たので、再放送でもういっぺん見ようかと思います。
648 :
吾輩は名無しである :03/03/07 23:45
<647「私はボヴァリー夫人」ではないが「私は太郎」というところが面白かった。
ただの恋愛小説
650 :
:吾輩は名無しである :03/03/17 04:16
揚
651 :
吾輩は名無しである :03/03/21 19:37
自称『本格小説』であるこの小説の真の名称は何か。自称と名称との関係が危うく、 一致していないかもしれないのは、『本格小説』内にまず「本格小説の始まる前の 長い長い話」という名の章があるからだ。この章の終わりが『本格小説』の始まり なら、この章は『本格小説』の一部ではないのか。もし一部でないとしたら、何を もって残りの章が、文字通り『本格小説』といえるのだろうか。このような問題を 自ら投げかけ、自称と名称が一致していないのかもしれないことについて自覚して いるからには、この小説が本当に『本格小説』であるかどうかが、決着し安定した ものではないことに対して、自覚していることを示す。つまり決して自信に満ちた 名称とはいえないのである。『本格小説』とはこのようなものだ、と読者に説いて いるのではなく、『本格小説』とはこのようなものか、と読者に問うているのであ る。「これは『本格小説』である」という断定から自ら逃れられることを保障する 唯一の名称が、『本格小説』という一見断定的な名称であったのだ。『本格小説』 という名称こそ『本格小説』を突き放し、それから最大限の距離を置くことのでき る唯一の名称だったのである。この名称によって「これは『本格小説』ではない」 という断定をも先取り、それを無化し、茶化している。名称を茶化すことによって、 茶番劇から遠ざかり、正体が限りなく真実に近づくことを可能にした。
652 :
吾輩は名無しである :03/03/21 23:08
良スレだな〜。ホンワカ^^
653 :
吾輩は名無しである :03/03/28 17:10
16:24 水村ミ苗 アメリカにいると差別されるから日本をマーケットにして、自分が合衆国でされた ように日本人を搾取したろ、という卑屈な情けない女。新潮文庫に載ってる写真の情けなさ。 自分の合衆国での文化的政治的劣位を(白人社会 での黄色人種)その学歴のみで 日本人ならメクラマシ出来ると思って、やってることはズレタ頓智機ばかり。 アメリカ白人にされてきた 差別を日本人相手にだったら自分は出来るという情けない勝算のもと日本語での 作家活動を自覚的にしている文化的ファシスト。コワイ。不安要因が多すぎ。私小説は 小説ですらない。あれは回顧録。 355 :吾輩は名無しである :03/03/28 16:32 あ、同感。私も彼女のずれ方と、それを諸手上げての文壇評価にはちと疑問 でした。彼女は作品の内容を公正に評価されての文壇の位置ではなく、アメリカ ガエリの日本人が書く日本文学というノベルティのもとの条件つき入学許可みたいな ものなのに、誰もそれを言わないのは、アメリカの大学の先生、としての水村に 恐れをなしてるって(噴)こと。彼女は学位をフラ文で取って(アメリカでフラ文、馬鹿 丸出し)で、教えていたっていっても、日文だから、アジア学等と変わり無い、 アメリカの研究者ととして扱われていたというよりも、むしろ、ただの日本人として、 の先生だよ
654 :
吾輩は名無しである :03/03/28 17:23
>651 ちっちゃな世界ばかりを気にしたそういう先回りが、せこくて鬱陶しいんだよ。 構えすぎでウザイ。 丁寧で端正で、安心だけどその分無難でもある、 まあ普通に面白い小説ってのが妥当な評価だと思うんだけど、 そういう評価じゃ不満なんだろうね。 お高くとまりすぎで萎えるわ。
655 :
吾輩は名無しである :03/03/28 17:45
>>653 よくぞ言ってくれたね。こいつの批評は、その学歴恐れのあまり、多和田葉子
ぐらいしかまともに批判してない。つまり、「そんなに言葉と言葉(日本語と英悟)に
差があるのなら、日本人と米人に越え難い溝があるなら、なんでこんなに
安易に両者を行き来してそこに反省がないのか」と。その答えは簡単、彼女は
アメリカにいたから。ドイツでもインドでもモロッコでもない、アメリカ、日本
が頭が決して上がらない、政治的にいつも日本を小突き回してキタクニだよ。
水村の罪状は、やはり、その政治性、つまり、そこを敢えて日本語で書くという
自問がやはり弱いのね。筆者なりのたくらみって、皆が勘ぐるほどはないよ、
馬賊の息子にしちゃうぐらいだから。なんでアラシガオかだったの?なんでジェインエア
でもロビンソンクルーソなの?二人の経済格差?せっかくアラシガオカなら、
もっと考えて欲しかったことがあるよ、テリーイーグルトンのあのアラシガオカ読本は
読んだのか、おい
656 :
吾輩は名無しである :03/03/28 17:47
ロビンソンクルーソーでもなかったの?と書くつもりでした
657 :
吾輩は名無しである :03/03/28 17:53
その政治的な反省のいまひとつの鈍さは彼女が知っているのが合衆国
の政治であって、より劣位の世界ではない。そこが、彼女の責任の取り方
トラナカタに如実に顕れるのだ。前の人が書いてるように、自分が経験した
力関係しか、その後も繰り返せない、優位にたつにせよ、劣位に立つにせよ。
これはポストコロニアル批評の領域。水村をその線で読むのはいいかも、
>>653 有り難う
658 :
吾輩は名無しである :03/03/28 18:01
つまり、日本に帰れば日本人を搾取して自分がその恩恵に預かれる、という ような発想してしまうこと(無意識かもしれんが)自体が、アメリカの政治 にさらされた人間の発想だってこと。逆に多和田はせいはんたいの方向へいく。 何故なら、政治的に無風状態(に見せかけられた)の文化から出た発想、つまり 外国語で書くことによる独自性の開発のほうが、具体的な力関係の政治よりも 大切ということ。
659 :
吾輩は名無しである :03/03/28 18:03
うーん面白いね、アンタ誰?
660 :
吾輩は名無しである :03/03/28 18:14
少なくともそういう見方は大事だし、この人をどう批評して良いのか、経歴 等からしり込みしちゃう馬鹿、ばっかだったね。公平に評価するにも、その 出発点にすら立っていない。確かに、水村のやり方は、バルトの神話ってあるさ、 あれの神話再生産とか補強につとめるような、いってみりゃ後退に戻るところが あって、そこが問題だとは思ってた。それが「歴史」と「物語」に絡んで、 ああ、いいことねえな。ディスカバージャパンのやばさを知らないんだろうか。 戦争のまえには必ずディスカバージャパン。水村そのイデオロギーに一役買ってんだよ 馬鹿
661 :
吾輩は名無しである :03/03/28 18:16
この際キンケイドの小さな場所って課題図書だな、翻訳出てる?
662 :
吾輩は名無しである :03/03/28 19:02
>>655 イーグルトンの名前出して批判した気になっちゃうようでは、
もうそれだけでダメだな、こいつ、って分かってしまう。
お前が水村批判するなんて百年早いよ。
要するに日本をアメリカ学歴が小説にするカウンターアカデミズムみたいな のを無批判に掲揚しつつという判断停止からしてこの人はおかしいんじゃ ないか。
664 :
吾輩は名無しである :03/03/28 19:11
イーグルトンのなまえだしただけで批判した気、かどうか!分かった気になっちゃう あなたが慌て者に読めます。反批判どうぞ。(出来るもんなら) それはあなたのひっかかりがそこだっただけのこと、 御自分の投影なさっただけです。
665 :
吾輩は名無しである :03/03/28 19:15
666 :
吾輩は名無しである :03/03/28 19:17
この話は確かに誰も言えない・言わないこと。でも事実だと思う。 キンケイドの必読署の意味おお分かり!
難しいけどね、ある意味「嵐が丘」の下敷きや最初の作者語りから して確信犯的な「作品」内での焼きなおしだったりステレオタイプの パッチワークだったりという技術的な面が当初からインタビューなど でも告白されていたことは事実で、そうなるとこれはもう文学史的な 内部の内部から表層を張巡らすような網の目の構築であって、それ 以外、文学史の外にあるポストコロニアリズムのリアリティー、 ジェンダー批評云々の批判は、転倒してしまうというか作品が 「薄っぺらい」だけに単にスルーされてしまうだけではないか。 という気はするのだけれども。 多和田葉子もたぶんそういう作家の技術的な面、必然性の有無、 みたいな純然な小説評としてこの作品を批判したのではないか という気はするんだけれども。 こっちがずれてるかもしれないけどね。どうかな。
668 :
吾輩は名無しである :03/03/28 19:35
>>655 あッ、てオモウタ。
この話一番分かるのは水村自身だよどっちにしても。この「新参批評」さん
が言っていることもまた、凄まじく「America]型の発想で、{だって
このコテコテ米国型の{政治}を見逃せない・させないのは、アメリカ型の観点
バレバレだよ。根本
にある物の見方、序列の視線と争いの姿勢。合衆国型訓練(と学位)
取っちゃうとこうなる人が多くないか。多和田ベケット
水村ローズン、で、手始めか?アメリカ型の{誇張}しちゃったら。
確かに
オリジナリティが全然ハイじゃない時代なんだよ、いまたまたま。
669 :
吾輩は名無しである :03/03/28 19:39
ちょっと面白いですね、ワクワク。でも、読み方は無数にあるべきです。これだけが、というのは ないでしょう。もっと続けて下さい。でも、新しい読み方が出てくるのは 偉いことです、何にしても。
670 :
吾輩は名無しである :03/03/28 19:47
あの、テリー・イーグルトンの嵐ものはアイルランド時代に読みました
イーグルトン今は発狂の過程にいます。つうか、カトリック回帰状態、として、
マルクス主義者廃業しつつあります。金モッテルヨー。ところで、’ヒースクリフ アンドハンガー’
は馬鹿にされながら読みました。で、
>>655 ?さんはその話言っているのだとおもう。
あれは嵐に触るなら必読、でもそれだけじゃつまらないよ。当たり前すぎて
本格、が嵐やるのにもっと他のことをしないのか、ってことは俺も気になって
残念だった。というか苛々した
671 :
吾輩は名無しである :03/03/28 20:22
>>660 確かに。バルトの「神話」も言ってたな。神話再生産はとてつもないいでおろぎ-
の操作(あるいは操作への荷担)であると。水村の作品と態度がいつも自分にとっては疑問だったのは、彼女は
そこへの挑戦がないこと。フォームのレベル、戦略等には事欠かないのは分かります。
しかし、根本的には創造の営為とは難儀でもイデオロギー再生産流布に荷担するような
ことに寄り添って安心されちゃうと、そういう作品があっても結構だが、特にその
傾向のある作品マンセー状態
は非常に恐い。といっても、すべての表象は等しく誤りである、として、「本格」を
私は放置するし、皆さんも私を放置してくれ
672 :
吾輩は名無しである :03/03/28 20:26
政治がない
673 :
吾輩は名無しである :03/03/28 20:27
と、読んでみて、つるっと読めちゃって面白く、イデオロギー上または政治的
な責任についてはあまり読みがいがない、ってことか。んー、日本危うし。サイクル
ダとは言え、民意がまとまりたがっている=戦争前夜ダ
ディスカバージャパンって
そのことだろ
>>660
674 :
吾輩は名無しである :03/03/28 20:51
ワッ。神話が出た。めちゃめちゃ当たりすぎてる。民意統合に買う あ)サッカー い)拉致 う)なんだか分からないけど読めちゃった「本格」 か。おぞましいね。別に水村さんには恨みはない。でも、こういうの読まされちゃう のって、頁どんどんめくる以外に、読まされているその「意図」が、「神話」繰り返し =民意統合=日本マンセーだったら、冗談はやめてください。図太い「しん批評」やってくれた 上の方の人、まだ読んでる?それの話と取りました。どうですか。水村はそこまで の意図はさすがにないだろうが(つまりミンイトウゴウまではさすがに)でも、 自分の作品と態度がそれに意図せずとも参加してしまっているといことは考えないと。 この人の「私小説fロmぇftとらいght」で、アメリカで馴染まず「日本」帰りたい 日本にさえ帰れば、って、想像上の日本オリエンタリズムしてる。で、その水村のヒッキー 時代の妄想上で植民地・オリエンタリズムされちゃった、日本像が彼女が見続けていたものというのは テキスト上分析できる。で、それの産物が水村の後年の作品「続明暗」と「本格」 なんだろう。俺はやだな。そんな人のオリエンタリズムにつきあいたくない。 しかも、そこに加えて、上の人が言っているみたいな、名誉白人みたいな視線で 俺らをどっかで見ているんなら?俺ちょっと御免、と今思う
675 :
吾輩は名無しである :03/03/28 20:57
水村簡単面白おかしく読んだ そんなにいろんなこと考える必要あったのかどうでもいいけどね
676 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:02
誰のせいだ? 今日から無政府状態か
677 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:04
別に恨みはないけどね、っていいねー 私もうらみはないですよ、全然
678 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:08
マンセーが過ぎてた
679 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:09
んーそだな
680 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:09
今日だけスレ面白いね
681 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:19
難しくて分からないこの刷れ
682 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:25
Kincaidの A Small Placeのこと逝ってるの?語学で読んだよちょうど二年に。 これ凄く流行ってるの? 凄い本だった。ああいうことって、何か、言うといけないことなのか と思ってる自分に気付く。授業で先生もそのこと言ってたです。で、彼女 のナラテゥヴのうねりが。なんであんなことがあんな風に書けちゃうか。 不思議な本多よね。日本にいると実感ないけど
683 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:26
カキコした奴の生徒じゃないのか?
>>683 イギリス人の教授でしたので、ここでカキコは有り得ないと思う(藁)
685 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:38
>>662 みたいなのがマンセーなの?ただのつっかかりだろうか
686 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:40
スイスイ読んだら、すぐに忘れた。確かに読んだけど、今更嵐ヶ丘を読まされて 何の意味があるのかと、言われればそうか、と初めてここ来て考えた。 慢性するほど気に入ったのではないです。
687 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:42
批評家も何も言ってなかったな。スイスイ読んじゃったんだよきっと で、忘れちゃった
688 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:43
何か白熱してんな。だから、「スイスイ」よますように出来てる その意味をここが考えてんだよ、な
689 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:44
アラシガオカが幽霊にならなくて意味ないと思った漏れ
690 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:44
ああ、上同感。結婚しよう!
691 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:45
女?
692 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:52
漏れ男、スマソ?
693 :
吾輩は名無しである :03/03/28 21:58
はーなんだあ、オチか この作家なだか気が重くなるけど、その理由が今日分かったよ。 ありがとう。なんか馬鹿にされた気になるんじゃ俺
694 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:00
うぃうぃ
695 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:01
私は読んでない、読まない、交通事故で入院でもしないと
696 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:02
水村の母が自叙伝を出してた名前何だっけ? 水村は何で世に出たの
697 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:18
konnn AURW SUTERO
698 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:23
TUMARANAI
699 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:24
HONTO WA DODEMO II
700 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:32
強引に言えば、この作家は昔の日本を強固に留めておきたいわけ。 開かれない社会に戻って欲しいわけ、別にそれがプロパガンタとかいってん じゃないよ、でも、それがこの人の願いでモティベーションなのは当然じゃないか。 それを分かってからマンセーするならすれば。ガタガタ言われていることなんて 当然と思ったよ今日読みながら。なんでいまごろみんなそんなことで驚くよ。 俺は嫌い、それだけ。階級制度も強固にしたいわけ。やっぱりやらしいな 俺御免だ
701 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:34
そういう話分からないけど、今日はなかいっきかわりましたな
702 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:36
>>700 前から続いている話のこと?そういう話なのか。
私は読んでない。ROMしよとオモタ。読む気もないし
703 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:37
保守反動。
704 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:37
時代だよ
705 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:38
世事がない時事放題
706 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:40
これ読んで、「マディソン郡の橋」を思い出し泣けました!
707 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:41
はー
708 :
吾輩は名無しである :03/03/28 22:41
噴
709 :
吾輩は名無しである :03/03/29 11:00
”かえるすわり”って どんな座り方ですか?
710 :
吾輩は名無しである :03/03/29 21:42
文化的ファシストね、それは言い得て妙だ。それが喉まで出掛かっても言わないのは みんな「一気に読めちゃった」って興奮してすぐに忘れてしまうから。なんでこの時代 に「一気に読まされちゃった」のか?それはテキスト読んでるだけでは出ない答えだな、 だから文化的ファシストの自覚無し全くなしの水村の無責任さの罪が問われるのね、前の 方に、宣伝レスと思しき「このテキストが日本で評価されるか否かで、現在日本の受け皿が 分かる。日本はそこに合格した」って死んだほうがいいこと書いてあって失笑した。一体誰が 日本が合格したかいないか決めるのだ?水村?でも水村だってそんな一人戦争裁判官みたい なことは出来ないし、その資格もないですよ。そんな重たい負担は誰にも取れないのが「現代」の世の中。でも これ無反省に読んでマンセーって、その程度の認識から発展がないってことだよ。反動的なテキストを読む、とにかく 面白く読まされた、そして、それから。それが皆できません。何故。文化ファッショの意味が 一番肝心な時に分からないのは。水村は、「アメリカ」が恥ずかしい国 という自覚が、普通の日本人に比べてない人です。その価値体系の中で生きてきた時間が長い 、その分日本への「憧れ」がジェットプログラムで日本に来る大学生のようにある人というのは彼女 の作品が物語っている。 そこで、彼女が憧れるような「日本」を再生産・インプットして日本を昔の時代みたい に作り変えられたら、そりゃ堪えられない面白さだろうねえ。しかし、私はそこに参加するのは お断りだなあ。
711 :
吾輩は名無しである :03/03/29 21:46
水村さんに、テストされているように感じる読者評論家ってことですか? そんなテスト受ける必要あんのか?でも、それをテストと勝手に取ってフルエテ しまう日本、ってことでもあるのね。そういうのってどこからくるの?
712 :
吾輩は名無しである :03/03/29 21:49
あのさ、ヒースクリフを半島系にしなかったのは何故?
713 :
吾輩は名無しである :03/03/29 21:50
>>711 それは哀しい日本人の
ルサンチマンから
714 :
吾輩は名無しである :03/03/29 21:52
美香サンって言う人は 一体なんなのですか
715 :
吾輩は名無しである :03/03/29 21:59
水村に決まってんじゃん
自らが「悪」であると考えるイデオロギーをある作家が体現し、その作品が 反映しているということを指摘することは「批評」とは無縁の営みです。 ブッシュがイラクを「悪の枢軸」と名指すことが「批評」ではないのと 同様に。そして、そうした営みはバルトとは何の関係もない。 バルトは自分が「神話」から自由であると考えてはいません。彼の essai は 「神話」のその内部に「神話」を「神話」たらしめるとともに解体する 契機を探ろうとする行為であり、自らが深く冒されている「神話」を解体する ことにより自己を変容させようとするものです。だからそれが小説であれ、音楽で あれ、絵画であれ、具体的な細部を読むことが問題となる。ある作品がある イデオロギーを反映することに成功するほどのものであるならば、その解体の 契機もまた同じところにあるのであり、バルトにとっては「敵」は「友」なのです。 ただ、ネット上の掲示板というメディアは細部を検討するには向きませんね。 むしろレッテル貼りとそれへの共感、反感といった「友敵」の分離ばかりが 横行する。それを免れているスレッドもないことはないですが、細部を引用 して検討するといったことはそう行なわれてはいない。別にここでそれを 行なう必要もありませんし、行ないたいという方も見当たらないようですから、 私は別の場所でそれをやることにします。ただ、誰が現在の「アメリカ」を 無批判に模倣しているのか、ということについてはお考えください。では。
717 :
吾輩は名無しである :03/04/01 15:52
誰も「悪」とか言ってないと思うんですけど。
>>716 さん
あなた出来るように批判・半論するのを誰もとめてないし、別にブッシュなんてひとことも
ここに出てないですけど、。とにかく思いのたけを綴ってみたら。今のままでは、
あまり容量得てないと思います。
さあ、どうぞー
718 :
吾輩は名無しである :03/04/01 15:56
>>自分が何も他人に伝わるに’充分なことも言ってないのに 自分だけは分かっているようなもったいつけた風なカキコみはやめろよ。 何か知ってるならどうぞ教えて下さい。俺今日酔い過ぎなので。 おねげえしますだ/誰が「悪」とやらのなんとやらなの? 知ってるなら無知蒙昧の私みたいなのに諭すのが親切ってもんだ
719 :
吾輩は名無しである :03/04/01 15:59
誰が無批判にアメリカを模倣してると言いたいの?あんたの意見じゃ? 細部引用誰も止めてないよ、あんた御自身以外は はやく もっともっと それだけ? それじゃ 勿体ぶり過ぎの無内容、とIWARE舞す。最低なカキコでした。
720 :
吾輩は名無しである :03/04/01 16:00
マンセイお断り 議論してよ、
721 :
吾輩は名無しである :03/04/01 16:02
捨てぜりふでした。何も分かってないの。 ここで出来ないなら、あんたがよしとしてやるとこは どこなの? この世?それとも眠ってる最中?
722 :
吾輩は名無しである :03/04/01 16:04
水村氏自身はどうでもいい。しかし、慢性が過ぎた 無批判でなければどんな認識だかぐらい書いてみ 出来ないの? おんにゃ、バルトの話も なにいってんだか分かんないしね。名誉白人がもう一人。 終了。
723 :
吾輩は名無しである :03/04/01 16:06
大馬鹿。だあれも ブッシュとか(藁)言及してなかったのに。新たな展開です。 続けてみ、おもいのたけ、好きなだけ。
724 :
吾輩は名無しである :03/04/01 16:06
美香、大概にせよ
725 :
吾輩は名無しである :03/04/01 16:09
テキスト自体読んで嬉しかったたちじゃ 十九世紀じゃない、二十一世紀なの。バルザックもフロベールも終わってます しんだの。そのいま、テキスト一気読む意味について、何か書いてみてよ
726 :
吾輩は名無しである :03/04/01 16:10
バルトについておいら読みたい。レスして
727 :
吾輩は名無しである :03/04/02 01:07
>>725 テキスト一気読みさせられる意味
させてしまう意味
そこに走っている政治性まで
日本の一般の人間は読めないね、普通は。水氏はアメリカ型のお節介で物騒な政治
がその根底に働いているひとで、そこから逃れるために、日本語で反動的な真似を
やってるが、それが引き起こす「政治的」な意味あい、までの責任は取らなければ、という
意識、ないと思うよ。だから日本語で書いてんだから、そもそも。
しかし、そこを敢えて問うて欲しいものです。読者も筆者も。そんなに楽しかった
なら尚更な。
嵐が丘剽窃なら、十五年ぐらい前フジ昼の1:30からの連続ドラマであったね。「愛
の嵐」だった?あれについても考えたらしいんじゃない。
ここで出てきた議論はまっとうだよ。もっと真剣にやりたまえ
728 :
吾輩は名無しである :03/04/02 01:12
日本批判に回る水村、結果的には日本人を逆植民してしまう それもありうるが、そこに対し無批判な日本の読者・文壇は問題だね
729 :
吾輩は名無しである :03/04/02 01:17
ああ、その話で思い出した。屑作家中の屑(荻野アンナの次にな)の野中柊 (ああ、名前から屑だね)が新潮に出ていたね。コーネルの旦那と別れたらしいじゃん で、日本批判する「免許」無くなったわけだ。あの付け焼き刃で、表層的、アジットプロップみたいに 最後に申し訳程度についてくるフェミニズムも、アメリカ人旦那とともに放棄って オオオバカーーーーーあなのは知ってたが、さすがだね。
730 :
吾輩は名無しである :03/04/02 13:11
へっ?
>>716 どうしてそんなに短絡的な話になりましたか
お話して下さいまし。全く理解出来ません。
731 :
吾輩は名無しである :03/04/02 13:14
だからさ、日本の人は一般に政治的コンテクストがピんとこないから
そういう
>>716 とかトンチンカンな話になるんだよ。
テキスト外部の関係性は未だに考慮にいれちゃいけないとでも?
入れたら批評じゃないとでも?
いや、いまの段階ではこの人なにが言いたいんだか判然としませんので、
罵倒するのは待っといて
732 :
吾輩は名無しである :03/04/02 13:16
誰もブッシュの話なんかしてないって(吹 でも無知なんだよ。政治っていうとプロ政治家のやること以外に思い付かない しかし随分飛躍したな
733 :
吾輩は名無しである :03/04/02 13:20
見たよ。読んだよ。このスレの最近の展開 いいじゃん。 ようやく論点が出てきた感じで俺は好き。 水さん別に何も考えてないよ、そのへんは 日本に帰りたくて帰ってきた逆ナン(民)だから。そこで、退行と鞭打ちたく なるのは分かるけど、それが日本と合衆国の関係でもあるの。でもその辺のこと 合衆国のことなんか知らぬが花の日本人に感じさせるべきか否か。それは 俺は即答出来ない
734 :
ミズムラ当人 :03/04/02 13:25
逆ナン民。あはは。あのさ、誰かグリーンの静かなアメリカ人読んでない? あの中のベトナム人像って日本で読んだら日本の人ベトナム人を嘲ってるから 自分らと無関係と思って読んでるよね。で、自分らの気持ち痛まないけど、米国 いた時授業で読んで、凄く恥ずかしかった。私一人がアジア人で、みんな私がその民族を代表 しているかのように考えているのが分かってショックだった。
735 :
吾輩は名無しである :03/04/03 00:36
ショックってことは、あなたがベトナム人を軽蔑していた という証拠です。って、それじゃ「私小説...」のまんまや。別にいいけど
736 :
吾輩は名無しである :03/04/03 01:30
ベトナム人を蔑視しないというは易く、実行するは難し というのが日本の実状だよな。名誉白人ってこのことだろ。政治だな
737 :
吾輩は名無しである :03/04/03 01:38
何かおもろいことになってんね。
>>716 だ?
批評ってこういう話含まないのなら、ここで一展開した
ポストコロニアルテオリー
は批評じゃないってことよの、あんたみたいな人の見方・態度には
でもそれはあなた
片手落ちですは。
ポストコロニアルみたいな政治が日本に無関係と思う方々、それは単に
無知ですわ
738 :
吾輩は名無しである :03/04/03 08:54
>>716 =
>>343 だな。みんな気付いているだろうけど。
おべんきょ上手のようだがいまいち頭悪いし、ちょっと
電波入っているのがコワイ。
「友敵」の分離が起こりがちなのは確かにそうだと
思うけど、テクストにも依るよ、やっぱ。勝手に一般論に
決めつけたりしないで、水村の作品に弾き受ける形で
考察するくらいのことはしれ。
739 :
’n& ◆vMwBXYTlk6 :03/04/03 10:54
740 :
吾輩は名無しである :03/04/03 11:51
しかし、フェミニズム批評だってアメリカ(その他の西洋諸国)の常識が 非常識の日本みたいな国が、ポストコロニアル理論基本からピんとこない、と しても驚かないだろう今更。日本の本当のポストコロニアル=対半島から、顔をそむけて 頬カムリ、が常識じゃないの。そこに地雷あり、よって誰も足を踏み入れたくない。という 物騒な政治から、逃れられない。そして対米非公式被植民地関係は誰も批判しない、という ああ、ニッポン、的な話、誰かやれよ。いまがその時、そして水村氏のスタンス、確かに私 もうかがいたいものだ、とスレ読んだら、確かに思いましたが。
741 :
吾輩は名無しである :03/04/03 11:54
ここ読んでましたら、気がついたこと。日本はベトナムもかつて植民地にしてましたよね?
>>741 普通は「進駐」とか「占領」といっています。
論者の立場によりいろいろな説明がありますが、フランスの植民地
だった「仏領インドシナ」に、1940年フランスがドイツに降伏したことを機に、
最初北部、続いて南部に進駐して支配をしました。
ただし、支配権を完全に確立はしていなかったようで、フランス軍も
残っており、混乱状態となっていたようです。
743 :
741カキコみました :03/04/03 12:38
日本人キモイ
745 :
現代日本人とは :03/04/08 19:38
ウジウジと民族的自尊心を心の底に持っているやつら。 悲惨としか言いようがない。
746 :
吾輩は名無しである :03/04/08 20:00
結局、買いそびれちゃった、私
747 :
吾輩は名無しである :03/04/08 20:20
748 :
吾輩は名無しである :03/04/09 09:37
>>747 アメリカとの違いは、彼らは壮大な電波理念を掲げて「ウジウジ」じゃないっつ
とこだよ。で、その国家主義、実のところ恩恵をアヅカルのは白人限定、という
ところがポイントだよ。んまあ、現代の世界秩序の縮図といゆことで、たんと見張って
やばいときには「をいをい」を言ってあげないとね、電波だから、しかも教養も恥じも
外聞もないやつら。止めるのは本当に暴力と脅ししかないって、人間が発展しない
良い例で素敵ではありませんか
749 :
吾輩は名無しである :03/04/09 09:38
フ・セ・イ・ン フ・セ・イ・ン・ ガンバ! ワー
750 :
吾輩は名無しである :03/04/09 09:43
なんでもいいけど、被爆国ってことは確かだよな 私など、同級生が白血病で二十歳前後に立て続けに死にますた。それらは 実はみな被爆二世たち。親御さんは自身それ程爆心に近くないとこで被爆しおった そうで、Tちゃんが死んだ時は、お母さんが恥ずかしそうにしてたのが、 子供心に「何で?」と思ったよ。怒りよりも恥じの感覚ってのも、分からん。 しかし、大人になってよくそれらの辻褄あいました。 ナショナリズム的な話ではないです。長崎一市民の口承伝説と思ってくれ
あたしは思っちゃったんだけど、ミズムラさんて創作の苦手なヒトみたいです よね。「本格小説」をあんまり面白く読んだから、いきおいで「私小説」も読 みましたけど、ほとんど自分と家族の暴露にすぎないし、長い長い前書きもた くさん重複するし。それでね、「本格小説」でミズムラさんが創作した部分っ て、ホントはどれだけあるのだろうと考えたの。 ひょっとして、祐介クンだけが創作で、冨美子の語りにも「フミコ文書」なる ものがあって、その丸写しかも。じつは祐介クンが奇跡的に語り伝えに現れた のではなくて、タロさんから小説にしてよと「フミコ文書」を手渡されたんじ ゃないかなぁ。アメリカで成功した後は自叙伝を出すくらいしかやることなさ そうだしぃ。あれだけの話を一晩で聞けるわけないしねえ。あとで郵送でメモ が届くとこなんて、「フミコ文書」を暗示してるみたいだしぃ。 それにしても東太郎さんってば、ステキな方ですね。いちどお目にかかりたい ものですワ。
752 :
吾輩は名無しである :03/04/11 16:08
タローちゃんのモデルは ヒロミグォーの義父にあたる人って本当でつか?
753 :
吾輩は名無しである :03/04/11 20:56
アーチーチーアーチィ! それはないね。 アハハハハハ!
755 :
吾輩は名無しである :03/04/11 21:10
批判するとナショナリズムにとられてしまう可能性があるね。 私は純粋に階級の問題だと思うけど。
756 :
吾輩は名無しである :03/04/12 02:22
階級制度を補強再生産されても迷惑ですな。私は反対
757 :
吾輩は名無しである :03/04/12 02:24
水村さんがナショナリズムを無自覚に再生産しとる、という指摘の
批判が展開してるんだろう?
>>755 さんよく読んでよく考えてからものをいい給え。
758 :
吾輩は名無しである :03/04/12 10:14
キャは、確かに。分かってから言え、何にしても
759 :
吾輩は名無しである :03/04/12 20:46
英語で小説書かないの?
760 :
吾輩は名無しである :03/04/12 21:10
>>759 書く気ないようですよ。翻訳も本人がやっているわけではありません。
論文は勿論英語ですけどね。
∧_∧ ( ^^ )< ぬるぽ(^^)
762 :
吾輩は名無しである :03/04/20 22:03
読んだ。面白かった。それでいいんでない? しかしご母堂が自伝小説書いているのって・・・なんか複雑だ(藁
763 :
吾輩は名無しである :03/04/28 01:42
765 :
吾輩は名無しである :03/04/28 09:45
「フミコ文書」があるんじゃなくって、『嵐が丘』なんじゃないの?要するに。
766 :
吾輩は名無しである :03/04/28 20:02
晒しあげ
767 :
吾輩は名無しである :03/04/29 17:14
この話って、実話を元に水村さんが小説にしたんですか? あずまたろうでググッてもなんにもヒットしなかったなぁ。 最初の語りの部分なんて、小説じゃなくてノンフィクションか?って思ったくらい。 もし現実の世界で起こった出来事なら、東さんは今もNYにいるのか?
768 :
吾輩は名無しである :03/04/30 14:52
東太郎って、この本を読んで始めて知った。 本田総一郎や松下幸之助は知っていたが、海外にもこんな人がいたんだね。
769 :
吾輩は名無しである :03/05/01 19:17
実際の話でしょ。 でも、本に出てきた写真が全部本当かどうかはわからんけど。
770 :
吾輩は名無しである :03/05/02 00:03
ここいらでガツンと来る腰の座った「本格私小説」を読みたいね。
771 :
吾輩は名無しである :03/05/02 22:33
水村の親父が勤めてたとかいう会社のことで、 胃カメラうんたらって話がでてたので、たぶんオリンパスのことだと思って、 オリンパスに勤めていたじいちゃんに聞いたらマジでそうゆう人がいたらしい。 名前は東太郎じゃなくて、ヒダカなんとかっていってた。 見当違いかも知れんけど・・・・
772 :
吾輩は名無しである :03/05/03 18:19
オリンパスか〜。 そういえば、光化学やレンズの分野で強いよね。 ところで東太郎さんは、今はどんなお仕事を? まだ医学関係の販売かん? それとも投資家に転身したのかな?
773 :
動画直リン :03/05/03 18:21
774 :
吾輩は名無しである :03/05/03 21:27
>>771 やったあ!ついに出ました、オリンパス情報!胃カメラから会社名まではたど
りついても、それからはなかなかねえ。そうなんですかヒダカさんですか。
というと、東太郎は本名である、というのはウソなのかしら。
続情報に期待してま〜す!
775 :
吾輩は名無しである :03/05/06 18:33
その日本人の話は、留学してたNYUでも聞いたことがある。 私が聞いたときは、なんでも今は投資家らしいという話だったけど。 NYにオリンパスの事務所なんてあったか?
ハァ? 日本の光学メーカーは、どこも売上の過半数は海外だぞ。 オリンパスくらいなら何十年も前に駐在事務所設けてるだろ。 今ならとっくに海外販社になってるはずだ。
777 :
吾輩は名無しである :03/05/06 18:44
で、777よ。
778 :
吾輩は名無しである :03/05/07 14:45
最初の長い長いお話しが、本当に後半になって効いて来るね。 しかも、現実の世界が小説の世界と自然と重なる構成力はすごい。 私自身は、これはノンフィクションを小説風に仕立て直したと思ってますが 全部フィクションだったんですか?
779 :
吾輩は名無しである :03/05/13 09:10
読んだ。すごい読書体験だった。この本は忘れたくても、ちょっと忘れられない。 なぜか私の人生の一部になってしまった。翻訳文学でも大衆文学でも推理小説でも ないのに、こんなに引き込まれて読んだ日本の純文学は、これがはじめて。
推理小説は純文学じゃねえよ馬鹿。 こういう馬鹿がマンセーするにふさわしい作品だな本格小説。
781 :
吾輩は名無しである :03/05/17 02:55
大衆少女小説だと思う。 「嵐が丘」や「ジェーンエア」にはまった自分は、 「こういうのが読みたかったんだ!」と、途中から 本を置けなくなってしまった。 日本の少女小説家といえば、吉屋信子や川端康成が代表だと 思うが、「嵐が丘」のブロンテのような、プロットでひっぱる作家って、 ほとんどいなかった気がする。描写と文体の美しさで、女の子 を夢中にさせた感じがある。(三浦綾子の「氷点」は、プロットが 面白いのに、キャラが物語の人形になっている) 「本格小説」は、米英の少女向けエンタメのプロットを下敷きにして、 谷崎ばりのディティール凝りで展開し成功させた例ではないかと。 ただ、キャラが、まんま外人なのが気になるが、日本的な情緒を 盛り込むと、作品の面白さが半減するので、このキャラで行くし かなかったのだろう。 読んでいると、物語の面白さの底から、外国の既製作品の場面が 浮かび上がってくる。それがいいことか悪いことかわからないけれど、 こういう作風の人は、もっともっといていいはずだ。小説って、娯楽でも あるのだから。 春樹とかとは違って、作者の顔はまったくみえない(春樹と比べるのも極端だが)。 それだけに、本が好きな人にはこたえられない本だと思った。
782 :
吾輩は名無しである :03/05/17 18:13
プロットってなんですか?
783 :
吾輩は名無しである :03/05/17 18:16
踊る大捜査線でいうユースケサンタマリア的な登場人物のことだよ。
>日本の少女小説家 太宰と三島もお忘れなく。
785 :
吾輩は名無しである :03/05/17 20:56
失礼しました。まさにそうですね。それで思い出したのだけど、ちょっと「斜陽」の おもむきもあるね。「本格小説」って。
786 :
吾輩は名無しである :03/05/18 05:57
>781 本質をついている。>782 筋。
こういう小説を書く前に、 まず「ことわり書き」を必要としてしまう、日本の文壇、 もとい、純文学の歪んだ土壌のことを思うと、訳わからなくなる。 あの長い前書きは、漱石の「こころ」を意識してる気もするのだが…… 漱石の時代からそうだったことを考えれば「伝統」なのか。 あるいは、漱石は当時の作家のなかで、 普通に「私小説」的なものを書くことに、 含羞を感じていたからこその「文豪」だったのか。
788 :
吾輩は名無しである :03/05/20 20:55
「含羞」ゆえだったのかな……。あの、推理小説ばりの伏線は。 たしかに私小説私小説した作品より、「こころ」は、はるかに 面白く読める。たぶん先生の、謎めいた魅力が、ページを 繰らせる原動力となっているのだろう。 あれって、今に通じる小説テクニックだと思う。 それを明治期に創出したから「文豪」と呼ばれてるような気が、 自分はしていた。含羞というよりは、「面白がらせてやろう」と いう、サービス精神が横溢していた、漱石にしては異例の作風だったのでは。 しかし、そういえば、「こころ」の構成が、生かされてますね。
789 :
吾輩は名無しである :03/05/20 20:57
23才OLです。彼氏がHしてくれないので、いつも一人でオナってます。
でも、けっこうオカズに困るんですよね。そんな時見つけたのがYUIS!!
安いし、安心して買えるし種類もいろいろでなかなかいいですよ!
私はいつもバイブモノとかレイプモノ買ってます!
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791 :
吾輩は名無しである :03/06/05 20:51
ところで、ゼルキンの14番は、いつ発売になったのでしょうか。入手可能で しょうか。ご存知のかたお教えくださいませ。
「本格小説」 純文学のふりした大衆文学。けど大衆文学と開き直れない 中途半端な自意識とそれなり器用な文章で書くだけ。 で、まあ、どんだけ好意的に判断しても、現代文学の停滞を突破するものでもない。 フェイクと本物のコードの間をぴょんぴょんはねているだけ。 いずれのコードを突き破るような強固な意志もなく。 まあ、今の日本の小説のレベルを考えたら、そんなに悪くはないと思うが。 純文学に守られたマークス寿子。
793 :
吾輩は名無しである :03/06/10 01:13
たしかに純文学というには娯楽性の占める割合が多いと思ったが、 読者をグイグイひっぱる「物語り」の重要性を改めて思い知ることが できた作品だった。 純文、大衆文学のジャンル分けなどどこかにとんでいってしまうほど 「物語り」の渦の中に引きずりこまれる力を持った作品だと思う。 このような作品が日本語で書かれたことが、そして同時代にめぐり合う ことができてとてもうれしい。
794 :
吾輩は名無しである :03/06/10 06:24
文章自体はすごく平易なんだよね。 瞬間とか、そのときとか、多用してるし、繰り返しも多い。描写も平板。 なのに、リーダビリティがあるんだよなあ…… やはり物語りの魔力ゆえなのか。 冨美子の子供時代の貧乏描写はすごく生き生きしてるのに、 ブルジョワジーの恋愛になると想像力の乏しさが出てるところは、 日本人はやっぱ(帰国子女でも)、いや人類はやっぱ悲惨な生活のなかからこそ 至宝を発見するものなのだ、と思ったが。 水村氏にはあれが限界だったのかな。
アリャ何だか変な文書になったな。訂正します。 × 渦の中に引きずりこまれる ○ 渦の中に引きずりこむ 主客転倒だ。 >794 日本映画でもそれは同じようです。 貧乏人の役は得意でも金持ちの余裕を体現できる役者は いかな名優といえども皆無ではなかったろうか。(あえて言いきる) リーダビリティってなんですか? 読書の満足感のことですか。
797 :
吾輩は名無しである :03/06/10 17:09
水村美苗って、モノホンのブルジョアジーだと思うんだけど・・・ どうだろうか?
798 :
吾輩は名無しである :03/06/10 18:28
よう子ちゃんを庶民の子にしちゃったのが失敗だったのだと思う。 なんか人形みたいなキャラクターだよな。
799 :
吾輩は名無しである :03/06/10 21:44
>796 美輪明弘さんとかどうですかね。ぎりぎり金持ちっぽい感じ、あるんですけど。 たっぷりしてて成金臭くないというか……。 リーダビリティとは、読者をぐいぐいひっぱっていく吸引力だと思います。 たんに「読みやすさ」という意味で使われることもあるみたいですが。
800 :
吾輩は名無しである :03/06/10 23:53
>797 インテリではあるけど果たしてブルジョアジーなんだろうか? 「本格小説」しか読んでないけど彼女の父親は社長ではなくて 社員だったんでしょ。 ブルジョワってやっばり会社四季報に掲載されてるような規模の 会社の経営者一族ってイメージなんですが。 精神的なブルジョアという意味でなら三輪明弘も水村女史もそうでありましょう。 >799 ようこちゃんのキャラクターがぼんやりしてて浮き上がらないんですよね。 それ以外の人物はわりとはっきりイメージできるのに。 ちなみに雅之ちゃんのキャラは若かりし頃の国広まさゆきです。(トミーと マツの頃ね)名前が同じだから何となく連想しちゃったかな。
>>799 ,800
×美輪明弘,三輪明弘→○美輪明宏
×国広まさゆ→○国広富之(とみゆき)
うろ覚えだと間違えやすい二人だが(;´Д⊂)
げ!間違えた はずかしー 801よありがとう。
803 :
吾輩は名無しである :03/06/13 00:06
804 :
吾輩が名無しである :03/06/15 06:05
昨日、「本格小説・下巻」読了。 感想は……、うーむ、絶句するしかないというのが正直な気持ち。大傑作ですね。 最後に冬絵婆から明かされた事実にはショックを受けました。ええー!!そんなあ。 といった感じ。それまでの感動というか、うるうるだった涙腺がどこかへ吹っ飛んで しまいました。私は「立派な大人」ではないということか(汗 で、読了後一日経ってみると、その驚愕の事実が仇となり、前レスで誰かが言っていた ように全体を醒めた目で見るようにって、色々疑問点が出てくる。 (1)こんな事実がありながら、太郎は一体何を考えているのか。1回だけの「過ち」 ならともかく、あんなに「こってり」と激しくやっているのに…。 (2)太郎、ようこ、雅之の三角関係はあんなに波乱なく進行できるものなのか (これも前レスで誰かが書いていた)。 雅之さん、あなたアフォですかあ? と訊いてみたくなる(w (3)見ず知らずの加藤君にフミコがあんなに洗いざらい話すというのも不自然。 等々、いくつも出てくる。 まあしかし、そんな疑問など吹き飛ばしてしまえるだけの迫力がこの作品にある のは間違いない。傑作という判断には影響ないですね。 三島が言うように、小説なんてのはみんな「たは言」なのであって、それを読者に 「うかうか」読ませてしまう文章の力こそが、小説の神髄ということなのでしょう。 ところで、太郎とようこには「男と女の関係」はあったのかどうか、皆さんはどう 判断していますか。殆どの人は当然あったと考えるのかな? 私はなかったような 気がしてならないのです。 最後に私にとっての最萌えキャラ、感動した登場人物を書いておきたい。それは 太郎でもようこでもフミコでも三婆でもなく、宇田川のお祖母さんです。常さん を呼びつけて申し渡しをする場面、太郎の行く末を案じる遺言を語る場面、下巻は ほとんど涙無しには読めないのですが、とりわけこれらの場面は涙と鼻水が止まら なかった…。三島が崇敬、敬慕している理想の「明治の女」とはこういう人では なかったのかと、三島が生きていたら訊いてみたかった。 長レススマソ
長文レスついでに、もうちょっと書いておきたい。 「嵐が丘」はどうしても読まなければならないようですね(ということは まだ読んだことがないということ)。近々読む予定。 で、そういう自分からすると、これも前レスで誰かが言っていましたが、 フィッツジェラルドの「グレイト・ギャツビー」を連想します。金持ちに なって軽井沢に戻ってきた太郎がようことの再会に異常に怯えるところや、 ロングアイルランドの豪壮な別荘などそっくりではないですか。 あと、タイトルについては「本格風小説」という意味に過ぎないと、私は 単純に考えています。プロコフィエフの「古典交響曲」と同じ発想のタイトル のつけかたかと。小説と音楽の歴史的位置づけの差異を無視した意見なので、 穴があるのは承知。あまり突っ込まないでください(汗
806 :
吾輩は名無しである :03/06/15 08:51
>>800 水村さんのお父さんというのは大手商社の社員だったっけ?そのせいで美苗さんは
子供の頃からアメリカ(海外)で暮らしてした、と。
>ブルジョワってやっばり会社四季報に掲載されてるような規模の
>会社の経営者一族ってイメージなんですが。
そんなブルジョワは、戦前の「大ブルジョワ」という呼称に相応しい人たちでしょう?(笑
いまどきそんな意味のブルジョワなんてごく少数だし、一般の想像力からはかけ離れている。
それから新興の中小企業の経営者一家だと「成り上がり」臭(笑)が強いから、大手企業の
中の上ぐらいの家庭なら、一般に「ブルジョワ」と言っていいのでは?
「精神的ブルジョワ」っていうのは、??なのですが。
807 :
吾輩は名無しである :03/06/16 11:15
ブルジョワかなあ。 本格小説は基本的に下世話なメロドラマだと思う。 結局ブルジョワの奇跡の三角関係より、 冨美子のボロアパートの隣りの部屋の住人、 頭にピンクカーラー巻いた昼メロにありがちな事情通の存在感が際立つとことか。 冨美子の秘密に関しては語り手の隠蔽をやらずにはおれなかったんでしょう。 作家のサガとして。
808 :
吾輩は名無しである :03/06/16 23:45
>804 太郎とよう子の関係って余り描かれていないのでどうとでもとれますよね。 あの二人なら性的関係は無くても十分愛し合えるかもしれないし。 フミコとの三人での食事シーンなんかを読むとそれも納得させられそうな雰囲気だ。 太郎のちょっと変わった性格では、自分と結婚してくれなかったよう子に わだかまりをもっていて手を出さなかったかもしれない。 もっともよう子のほうは結構積極的に迫っていきそうだが。(笑 一般的な感想としては性的関係があったと考えるのが妥当でしょうね。 なにせデートのときは二人だけで何日も一緒に過ごしたんだし。 いくら神話的世界の嵐が丘を背負っているとはいえ、現代に生きる 主人公たちにはそこまで不思議ちゃんにはなって欲しくないです。 タロチャンのこと好きだし・・・。 >807 とてもハイレベルなメロドラマですよね。
水村美苗。 「私小説、左から→」の文庫本の本人の写真を見て、何てキュートなのと思った俺。 「私小説、左から→」を楽しく読んだ。性描写があったらもっとハラハラしたのにとチト思ったが。 「本格小説」即購入、読み終えた後日、本屋で高源との対談の写真を見て、俺の中の何かが壊れた。 まあ、小説は作者の顔で決まるわけではないが、小説家なら4,50になってもそれなりに女でいて欲しい。 オバサンじゃん。
811 :
吾輩は名無しである :03/06/20 11:58
812 :
吾輩は名無しである :03/06/20 20:03
え、そう? 読売文学賞の受賞インタビューの写真を見たけど歳相応に 素敵な女性だとおもったのだが。 ちなみに「私小説」の写真は未見です。
作者に萌えてどうする。
いや、私小説の写真がかなり若い頃のを使っていたと思われる。 あの写真はほとんど10代と言ってもいい程のうら若き美少女→普通のオバサン。 このギャップはでか過ぎる。 しかも、BSで動画を見たが、・・・。それ以上は言わん。 >813 日本の小説家は顔がダメすぎ。昔はそれなりだった。樋口一葉とかきれいだぞ。
普通のオバさんって。。。 論理的に高度に込み入った内容をあれだけ たおやかに且つ凛とした話しぶりで語れるオバさんがそんじょそこらにいるわけねーだろ。
816 :
吾輩は名無しである :03/06/20 23:12
関係ない話だが、昔の作家の写真ってだいたい素敵だよね。 白黒だから? それとも格好いい人が作家やってたから? 銀座のバーで椅子に足を投げ出している太宰の写真を見て、 目がくらみそうになりました。 一葉さんも別嬪さんですね。
817 :
吾輩は名無しである :03/06/20 23:16
昔の人の写真が綺麗に見えるのは、 プリクラの写真だと誰でもそこそこカワイクみえる理由と同じ気が。 あとまあ、時代背景、食糧事情もあるかもね。 いまの作家は顔に贅肉がつきすぎ。
818 :
吾輩は名無しである :03/06/20 23:43
歴史に残る作家は作家の顔をしています。 あの顔で日本が醜いだどーだ言われても、あんたの顔がなと言いたくなる。 ブスは謙虚に、オバサンは謙虚に、文学の基本です。 今のままでは 水村美苗=よしもとばなな=ランディです。
(女流)作家の器量の話になると俄然盛り上がるところが、2CH らしくて笑えますね。便乗して私もスレ違い気味のレスを。 図書館で「本格小説」と同時に借りた島田雅彦の「彗星の住人」を 今読んでいる最中です。扉に「嵐が丘」の一節が引用してあって、 もう一つ三島の「春の雪」の一節もあり、三島好きの自分としては つい衝動借りしたのですが、これが意外に面白い。四分の三ほど 読んだところで、「クロちゃん」とか「桜の園」とかが出てきて、 思わず笑ってしまいました。「クロちゃん」も混血児だし、「タロ ちゃん」ほどではないにしてもなかなかイイ男だし、年上の女の ヒモになっていたりで、「本格小説」と照応する箇所が結構ある んですよ。もっとも強引に対応させればの話で、内容も文体もかけ 離れていますけどね。 ま、それだけの話。もう少し比較のために「彗星の住人」を説明して みたい気もしますが、激しくスレ違いと怒られそうだし、島田の宣伝 マンと見なされるのも不本意なので、自粛します(汗
820 :
吾輩は名無しである :03/06/25 22:55
821 :
吾輩は名無しである :03/06/27 02:06
漏れはいま二十歳だとしても舞城にはハマらん気がする。 たとえ17歳だろうと無理だと思う。 ただ14歳ぐらいならハマれる気がする……たぶん? 本格小説はべつにどんな年齢であろうと面白く読める気がする。 嵐が丘は小学生のとき読んでも、中学生で読み返しても、 それぞれの年齢でそれぞれに面白かった。 年齢じゃないと思うな。
水村とは関係ないけど、 舞城とか佐藤友哉、とかやたらとプッシュされてるけど、 一昔前のJ文学よりひどいと俺は思う。 こいつらの文章、読む気にななれない。ジョークもつまんない。 赤坂なり、阿部はモット志し高かったぞ!
824 :
吾輩は名無しである :03/06/27 13:53
>>823 赤坂も阿部も期待大きかったけど今は見るも無残なありさまですね。
825 :
吾輩は名無しである :03/06/29 23:22
赤坂は完全企画モノだったという印象しかない…… 阿部は踏ん張って欲しいが……
どうでもいいが新潮文庫で「嵐が丘」の新訳が出るのだな。
827 :
吾輩は名無しである :03/07/01 20:20
>>826 本質的な話でなくてすまんが、活字がえらいでかい本だわ。
●●●マスコミの 「盗聴/盗撮」 は許されるの?その9●●●
http://natto.2ch.net/mass/kako/1016/10165/1016527634.html 150 : :03/07/01 20:40
378 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 02/04/02 15:00 ID:TBJ6ZR3f
>>367 >田口ランディが「アンテナ」と「モザイク」で無断引用。
複数のネタもとからのコピー&ペーストで出来ているという意味では、
盗聴ネタを使ってもっと酷いことをしている同業者がたくさんいますよね。
盗聴者間で広まっている被盗聴者についての様々な個人情報やそこから
派生している風説から得たインスピレーションを、敢えて既存の作品の
イメージの型枠にはめ込んでしまうことで、中身が盗聴ネタであることをぼやかし偽装した制作が数多く行なわれている。
その意味では、この小説家の件の作品は盗聴ネタを使用した制作者とパクリの手法が瓜二つなのですが、
盗聴情報を無断使用した制作は当人にしか知り得ない在宅中の行為、発言、更には悪辣な追い込みを
けしかけながら引き出している個人情報からのサイテー最悪な盗用なので、一般にそういったものであると認知させることは難しい。
そのことを確信犯的に抜け道として、盗聴ネタを利用した制作は肥大化の一途を辿ってきている。
自らの利得と引き換えに被盗聴者の時間と生命そのものの無断使用を平然と続けているマスメディアこそが、
もはや盗聴・盗撮をして監視でもされるようにならなければ危険なくらいの現状なのです。
830 :
吾輩は名無しである :03/07/02 00:57
>>828 そうなの?イヤだなあ…。
活字が小さすぎるのも見づらくて困るけど
大きすぎると間抜けな感じでどうも馴染めない。
ぜんぜん関係ないけど今朝、夢の中に水村さんが出てきて
いろいろエロいことをしてくれました。
831 :
吾輩は名無しである :03/07/02 01:50
何してくれはったん。気になる
>826 夏休み恒例・新潮文庫の100冊に入っている。Yonda?
833 :
吾輩は名無しである :03/07/06 21:24
あげ
__∧_∧_ |( ^^ )| <寝るぽ(^^) |\⌒⌒⌒\ \ |⌒⌒⌒~| 山崎渉 ~ ̄ ̄ ̄ ̄
835 :
吾輩は名無しである :03/07/16 06:20
あげ
836 :
吾輩は名無しである :03/07/16 06:26
↓
この人の書いた本読んだよ。 面白かった。 (断言)
838 :
吾輩は名無しである :03/07/22 21:59
実に面白い話に仕上がっていますね。 その面白みには、アメリカに仇討ちをした心地よさがあるね。都市に原爆を 2発も落としやがったアメ公に、札束で頬をはるような仕返しを東太郎は図ら ずもやってくれたと喝采を送りたくなる爽快感があるね。 この本がいつまで面白く読まれるか?おそらく日本が敗戦国の間、すくなくと も50年以上後まで傑作であり続けるでしょう。
一気に読まされたが…なんか諸手をあげて賞賛したい気分でもないな。 大人になって読み返したら一層面白く感じられるような気がする。 フミさんと太郎が安アパートで濃密なセックルしまくってるのを想像して 抜いたりしたが、まあそのくらいだ。
840 :
吾輩は名無しである :03/08/03 08:18
841 :
http://dreamcity.gaiax.com/home/syozo :03/08/03 09:25
843 :
吾輩は名無しである :03/08/11 03:53
しかし馬鹿な左翼って、行ってること右翼とかわんないんだなってことが よくわかる発言があるスレだね、ここ。 水村美苗が自分よりものを考えていないと思っている時点でものすごい馬鹿で 傲慢だってことに気がつかないのね、かわいそうに。
844 :
吾輩は名無しである :03/08/11 21:08
登場人物が外人みたい、と上で言っていた人がいたけど、そう思う人って、 外人も知らなければ、日本人も知らないのではないだろうか。
今私小説を読んでいてとても驚いています。驚かされています。 (ちなみに、本格小説は読んでません) これは横書きなのに、完全に『日本の小説』ですね。 兎に角文体のコントロールの素晴らしさにやられました。 あの文体のコントロールは、町田康の文体同様に、翻訳できないでしょう。 いやぁ、最近石原慎太郎の本を読んでいて、随分贅沢な気持ちで毎日 過ごせていたのだけれど、これはそれに匹敵する気分のよさだなぁ。 いや、本当に最高。本格小説は早く文庫にならないかなぁ。 (ハードカバーは、買ってもいいけど、重いのが困るのだよなぁ。)
(⌒V⌒) │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。 ⊂| |つ (_)(_) 山崎パン
848 :
吾輩は名無しである :03/08/16 00:17
>846 とにかく「本格小説」をすぐに読みなさい。 図書館で借りても読みなさい。 感動がさらに続くこと請け合いです。(気分がよくなるかどうかは請合えないが)
町田康、石原慎太郎と並び称されるとは……。 しかもツッコミもないとは。 この作家の質は決まったようなものだな。読者もね。
850 :
吾輩は名無しである :03/08/24 22:01
『本格小説』、一気読みをしてしまいました。 これは、もちろん西洋伝統の「主人と召使」の転倒劇でもあるのですが、 そんなことより、この作品に静かに流れている「エロス」に打たれました。 下世話に言うと、東太郎は「抱かれてみたい男」です。女性の読者なら、 きっとどこかでこれを感じるのではないでしょうか。 にもかかわらず、東太郎とよう子は、ついに結ばれなかったのではないか、 その必要などなかったのではないか、とも同時に思われます。 わたしも、読みながら何度か泣いてしまいました。十代後半のころのヒリヒリ した思いがよみがえり、そしてそれは、性など越えてしまっている感情 でした。 それから、日本が貧しかった昭和30年代のこと。「常さん」みたいな人はた しかにいて、それが現在、小さな小さな人の良いおばあさんにしか見えないと いうのは、分かりすぎるほど分かります。 東太郎でなくとも、年齢とともに、ある種の恨みが消えていく、 というのも実感できます。 『本格小説』は、特殊な関係を扱っているように見えて、 人間が40歳・50歳になったときに、誰もが感じてしまう、 落ち着いた「悲しみ」に満ちているように思えます。
851 :
吾輩は名無しである :03/08/24 22:15
ひさびさに小説を読む楽しみを味わった。 普通ならこれほど面白く読めた小説について、 誰かと語りたい、他の人の意見も聞いてみたい、 と思うのですが、 この小説に関してはそういう外部への好奇心が全く働かない。 語りあったら自分のこの小説に対する思いが変質してしまう気がする。 本来の読書というのはそういった超個人的なものだったのだ ということをしみじみ思い出させてくれる小説でありました。
熟成を待っている才能ってあるんだなあと思う。 いまの新人作家さんたちって急ぎ過ぎなんじゃないのかなあ。 若いうちに認められたいという気持を決して否定するつもりは ないけれど。
854 :
吾輩は名無しである :03/08/31 18:05
これは中年による中年のための中年の物語だとつくづく思う。悲しいことに、 年をとっても、心だけはずっと若いままなのだ。 軽井沢とか階級の差とかアメリカでの大成功などという要素をとれば、 誰にでも多かれ少なかれ身に覚えがある話なので、こんなにも素直に 感動できるのだろう。 これは、小説のような数奇な物語ではない。よう子の感情も、太郎の 感情もよく理解できる。突飛な感情でも、ありえない気持ちの動きでもない。 むしろ平凡すぎて、だからこそしみじみ分かる。 若いころ、ちょっとした気持ちの行き違いで、うまく行かなかった (うまく寝ることができなかった)間柄。俗っぽさと野心と純粋さが こちゃまぜになって、自分の気持ちも相手の気持ちも分からなくなって くる混乱…。 よく読むと、雅之と太郎は、けっして出会わないようにふたりして結構 努力しており、そのあたりが、妙にリアリティに満ちている。第三者の介入 によって安定できる男女関係って珍しくない。そしてそれが平凡な行き違い でふと壊れてしまうことも珍しくない。富美子と太郎の肉体関係だって、 意外なことではないし、何かのハズミで100回セックスした男女も、 年を経て再会すると、そのことを互いに口に出さずに、しかしそのことが底辺 によどんでいるかたちで、もう何もしない静かな間柄になったりする。中年 世代には、いちいち思い当たる。 それにしても、東太郎の描写はうまい。性的な表現を使わずに、 これほど男性をセクシーに描写できるだろうか。ハーレクインになりそうで けっしてならない。電球をまわす長い器用な指。黒っぽい背広の肩。 柑橘類を思わせるかすかな体臭。「柔らかい女を押しつぶさないように 制御しているのがかえって残酷に見えるその両腕」と、若い「水村美苗」は、 若い東太郎がチークダンスを踊る姿を表現する。娘は男の姿から目を離す ことができない(というのは、そういう男の腕こそ、女にとっての セックスの象徴だから)。「その晩私は夢を見た」とだけ書いて、この段落 を結ぶ水村のうまさ!どんな夢を見たか、分かる、分かるすぎるほど分かる。
855 :
吾輩は名無しである :03/09/05 06:32
ハーレクインに十分なってると思うけどなw ただ説得力のあるハーレクインだから許される。描写をケチってないから。 作者がインテリ女史というのも一役かっている。 でも、実際はメロドラマ。 フミコと太郎の関係を、隣りに住んでる下卑たホステスから聞きだすなんて、 主婦向けドロドロの昼ドラかよ、と。
>>854 >何かのハズミで100回セックスした男女も、年を経て再会すると、
>そのことを互いに口に出さずに、しかしそのことが底辺によどんでい
>るかたちで、もう何もしない静かな間柄になったりする。
>中年世代には、いちいち思い当たる。
ち、ちゅうねんって、な、何か…ブツブツ…(後略
>>856 中年で夫以外の男性と付き合った経験もありますが、思い当たりません。w
「読書」の愉しみを思い起こさせてくれるような本だよね
859 :
吾輩は名無しである :03/09/07 22:02
今朝読み終わった。昨晩下巻買って、ちょっとどこかで読んでこ、と 近くにあったファミレスになんとなく入って読み始めたが最後、どうしても 読み止められず、小心の私なのに店員の目を気にするといったも全くなく 朝までファミレスにいてしまった。さすがにドリンクバーでカフェラテだのを お代わりしながらこんな階級あぶり出し小説読んでると、自分がうら悲しく なってはきたのだが、「日本の軽薄さ」が切実な胸の痛みを伴って迫ってきたのは それが原因ではない。80年代後半生まれの学生な私にはファミレスはファミレスで リアルだ。(ここまで書いて混乱してきたのでこの続きは気が向いたら書く 苦笑
860 :
吾輩は名無しである :03/09/07 22:12
私的には、タロちゃん登場時の寄生虫もち系のキタナさと 継母・兄からの壮絶なイジメられっぷり(泣けてくるが 敗戦や貧乏のえげつなさってこんなもんか)と、 そんな彼が「嬉しさをこらえきれずに、かえって怒ったような顔」を しているあたり、つまり上巻最終あたりが本格小説のピーク。 今思い返しても胸が苦しくなるよ。
861 :
吾輩は名無しである :03/09/07 22:12
>>850 氏指摘のダンスシーンのタロちゃんの描写は本当に印象的。あと後半
よう子ちゃんに自分ののコートとマフラー着せて座らせ、その前に
しゃがんで顔を覗き込みながら話すのもクルね。タロちゃんセクシー説に
異議のある女はまずいないと思うが、男から冷静にみたら
どうなんでしょうこの登場人物?よう子ちゃんへのあの春琴抄的に
マゾヒスティックかつプラトニック?な恋愛感情って
男としてリアリティあるんですか?
862 :
吾輩は名無しである :03/09/07 22:14
ところで軽井沢の洋館の写真って、肖像権?なんかはどうなっているん でしょうね?個人的な知り合いのものなのかな。 あの建物の現在の持ち主とか、見る人が見ればわかってしまうんじゃ ないんでしょうか。 ちなみにこのスレッドを読むまで、この写真を撮ったのは祐介で、つまり みんなある程度実在人物だと信じていた私。 #オリンパス筋の報告されていた方、ええ仕事しまんな〜〜♪
>>854 氏の誤りでした
寸間ソ
「柔らかい女を押しつぶさないように
制御しているのがかえって残酷に見えるその両腕」のセクシーさね。
この指摘に限らず、854さんのレスには中年でなくともかなり納得なんだが。
864 :
吾輩は名無しである :03/09/08 20:56
みんな! 上巻をいっき読みしたら直ちに下巻も一気読みしたよな!そうだろ!!
865 :
吾輩は名無しである :03/09/08 23:17
仕事決まったらご褒美に下巻読もう、と決めて我慢していた。 とにかく必死の努力で四週間はもった。 だが最後のほうは気が付くと麻薬患者のように本屋に向かっていた… そして今だ休職中の私。 でも、しやわせれした。
866 :
吾輩は名無しである :03/09/16 22:19
「なにしろ」の使い方間違ってないか それとも私が長年間違ってたのか それが疑問だった
「なにしろ」って通常いうところの「とにかく」だよね。 私もとても気になったけど、関東地方独特の言い回し、または方言かと 思って脳内で「とにかく」に変換しておりました。
868 :
吾輩は名無しである :03/09/18 11:43
東太郎は、どの女性からも(宇田川のおばあちゃん、太郎を嫌っている 春絵、太郎に恋してしまった、おそらくはゲイであろう加藤祐介も含めて) セクシーな存在として見られている。それが、この小説のエロスの源泉で あろう。 しかし例外の女性が二人いる。まず、よう子。これについては触れない。 それと、お馴染みの「奈苗」さんである。太郎の容姿や声の魅力について、 他の誰よりもあけすけに語っていながら、奈苗さんの語りだけは、 熱に浮かされていない。 最初のホーム・パーティのおりには「でもちょっと品がない」と言い、 成功してよう子とも再会して最高潮の太郎に、ニューヨークの寿司屋 で会ったときには、「素敵だけど、何だかちょっとバーッカみたいじゃない、 あの感じ」と述べている。妙に、太郎のリアリティを伝えていて面白い。 やっぱ、奈苗さん万歳だよ。
869 :
吾輩は名無しである :03/09/18 14:54
>868 しかし、お姉ちゃんの書き方っていつもひどいよねー、 あけすけつーか。 ERのスーザンとクロエみたいだ(わかりにくいたとえごめん
「私小説右から左」の方がおもろかったな。
>>871 「本格小説」も、昨今の純文学の中ではかなりレベルは高いし、
普通に読んで面白い。けれど読み返す気にはなれないんだよな、個人的に。
「私小説右から左」は何回読んでもおもしろいんだよなー、何でだろ。
「本格小説」の方が物語性が強いからでしょうね。推理小説などと同じで、 タネや仕掛けが分かってしまったら興味半減ということかも。 「私小説」は生の情感みたいなものが脈絡なく、未整理のまま投げ出されて いるといった観がある。そこが魅力なのでしょう。 ところで、正しくは、「左から右」なのでは?
右から左じゃ、アラビア語になってしまうがなw タネや仕掛けが分かってしまって興味半減 というのなら、それはもはや大衆小説のような 気がする。
>>868 言われてみればそうですね。みんな東太郎をセクシーだと思ってる…
例外は私にはそれがよう子唯一人に思えます。
奈苗さんは東太郎セクシービームにかなりやられているように読めた。
以下は私の妄想なのかもしれないけど、
彼女が彼を語るの際に何故かいちいち貧乏を晒しているwのも、
家族の性欲に触れた話者である妹
(自分もそのセックスアピールに気付いている)の動揺?
と、殺伐とした感情を現しているような気がする。
当時の恋人とギクシャクしていなければ奈苗は太郎とどうにかしようと
考えてただろう(←ごめんうろ覚え)、みたいな
説明も妹視点だけどあったし。
妹視点ってとこが重要で、姉の、そして母の性欲界隈については
ほのめかすようにしか描いていないんじゃないのかな
それが品性の名を借りた女のエロってところもあるよね。
祐介はそんな富美子にまんまとやられ、妙な夢に五感を刺激されて
しまうはめになった、と。
ただ奈苗さんは、恋におちてもマイペースな、ある意味おとぼけた人としては
描かれているかも。
ちなみに私は祐介と全く同じ夢を見ましたが何か。
876 :
吾輩は名無しである :03/09/24 14:36
岩井さんの奥様だったのね
877 :
吾輩は名無しである :03/09/24 19:00
結婚してたのね…。独身だとばっかり思ってた。
878 :
吾輩は名無しである :03/09/24 19:01
結婚してたのね…。独身だとばっかり思ってた。
879 :
877と878 :03/09/24 19:06
ごめんよ二回クリックしちまった。
岩井さんて誰?評論家かなんか?
881 :
吾輩は名無しである :03/09/24 21:31
権力のある男をゲッツ! 女が小説を書くのはそれからだ!
とりあえず、感謝。 これだけ衝迫力のある小説に逢えたのは4年ぶりであった。 「頁をめくるのが惜しい」と思わせる実に贅沢な時間を堪能させて いただいた。 それもこれもテキトーに眺めていたこのスレに感化されて 「どーせつまらんとは思うけど、口の悪い2ちゃんの住人が ここまで絶賛するなら一度くらい読んでみようかな」と思うに至った ゆえのことなので、よってこのスレに書き込んでいた人全員に感謝である。 とりあえず妻に読ませて、しばらくこのネタで無駄話をする予定である。 4年前の小説は翻訳も出ていない英語の小説だったので、妻に読ませようにも 読ませられなかったのだったが、ほかならぬ日本語でここまでの 完成度を誇る小説が出現したことに、作者に素直に感謝したい。
私も途中までは「これは嵐が丘かな」とも思ったが、全部読んでみると 読後の印象は「嵐が丘」からはかけ離れたものであった。 「嵐が丘」は二人の男女の閉じた関係を描いた作品であり、 世間知らずのお嬢さんが書いたということがなんとなく 感じとれるような小説であると思う。作品世界の中で実際に生きているのは ヒースクリフとキャサリンだけであり、その他の人間は舞台道具みたいな ものであった。それはこの人間社会から隔絶した関係でもあった。
で、岩井さんてどなた?
「本格小説」では全く状況が異なる。主要登場人物はそれぞれが自分の 顔を持ち、自分の人生を生きている。とりわけフミ子の存在が重要で、 「本格小説」自体「フミ子の人生の物語」とも言えるくらいではないか? 考えてみれば「嵐が丘」は構造も作品世界もひどく偏っていた。 あんなの代物が傑作となりえたのは奇跡的なことではなかろうか。 私としては「本格小説」のほうが「嵐が丘」よりも 断然優れていると思う。
知らんやつがおるんか<岩井 つか過去レスくらい参照しなさいよ
さるさんの書き込みを読んで 生まれてはじめて結婚してみたくなった
私も岩井さんが誰か知りたいのだけど、 読み終わったばかりで興奮しているので申し訳ないが書かせていただきたい。 「本格小説」は実は「源氏物語」ではなかろうか? 光源氏と太郎とでは何から何まで違うが、いろいろと捨象すると、 「比較的不遇な生まれから栄誉を極める地位へと登る」ことと 「多くの女性から愛された」という二つは共通点として抽出可能である。 小説全体の内容が「群像劇」であることも「源氏」と共通である。 するとこれは「日本近代文学」を飛び越して「古典文学」に繋がる作品なのだろうか? 「本格小説」という題は「日本における本格的な小説は王朝文学の系譜に 連なる」ということを暗示しているのだろうか? それともこれって熱に浮かされたファンの妄想?
889 :
吾輩は名無しである :03/09/24 23:40
みんな知っていることだけど一応レスします。岩井克人さんは、東大 経済学部教授。いまは学部長かな。『ヴェニスの商人の資本論』『貨幣論』 など著書多数。イェール大学にいたこともあるので、『私小説左→右』の、 母校の助教授になって帰国する「殿」は岩井さんですね。 『私小説』に描かれた、さびしい引きこもりのような大学院生活は心に迫って きますが、まあ、岩井さんと結婚するんだよね、と考えると、 ちょっと「つまんない」かな。 ところで、「わかんない」って言葉、『私小説』にも『本格小説』にも よく出てくる台詞で、これをセクシーな東太郎がセクシーな声で言っている ところを想像すると燃えるなあ。もちろん、岩井さん=「殿」は、誠実そう だけど、セクシーではない。ムムム
それと気になるのは「よう子の魅力は何だったのか?」ということ。 フミ子はよう子のことを容貌も性格もたいしたことない娘として語るが、 そしてフミ子がよう子を貶すのも仕方ないのではあるが、 でもそんなたいしたことない女性を太郎と雅之というとんでもないイイ男二人が あそこまで深く深く愛するなんてことがあるのだろうか? よう子自身に強い人間的な魅力があったと考えない限り説明がつかないのだが、 彼女のそうした側面はフミ子の語りからは抜け落ちているのであり、 よって読者はフミ子の語りの中から自分なりに彼女の本来の姿を探し出し、 再構成する必要があるのではないだろうか? そしてその作業は「本格小説」の魅力に感染した愛読者にとっては、 実に楽しい時間なのではないだろうか。
>でもそんなたいしたことない女性を太郎と雅之というとんでもないイイ男二人が >あそこまで深く深く愛するなんてことがあるのだろうか? 少女小説/マンガなのか、それとも少女小説/少女マンガのメタをやってるのか。 しばし考えてしまいましたな。 確かに、贅沢な時間でした。魅力に感染してますな。
「少女小説/少女マンガなのか、」の書き間違いでした。 いずれにしてもすごい悪文ですな^^;無視してください。ごめん
いつ結婚したのかな? 下世話な話でわるいけど
894 :
吾輩は名無しである :03/09/25 13:27
よう子は、勉強もそうできないし(藤女子大を出て、すこし北大教授の 私設秘書をやって結婚という話がリアリティあるな)、音楽の才能も平凡、 考えも深くなく、情緒も不安定、もちろん美人でもグラマーでもない。 でも魅力的、というわけでも全然ない。しかも、それなりにフミ子姉さんの 記述も客観的でかならずしも悪意は混在しているわけでもない(呆れては いるが)。で、水村さんが自分で語っていることを引用しておく(『波』)。 よう子の「魅力」解読(?)の手がかりになるかもしれない。 水村さんは、よう子が男に依存した存在であることを認めて (キャリア・ウォマンのフミ子さんは違うものね)こう言う。 「なにしろ男にはプロバイダー(扶養者)としての役割を課されている。 だから男の富や社会的地位は、男の魅力そのものとして女の目に映る。 それでいて打算を働かせずに最上の男を得るというのが女の夢なんです。 女が他の女を軽蔑するとしたら、『ああ、打算的に結婚したな』ということ がはっきり見える時だと思う。よう子ちゃんは打算を働かせずに、というより、まさに打算を 働かさないことによって、最高のプロバイダーを二人も得るんですよね」。 この言葉にうなずく女性は多いと思うし、また、打算なく、裸の自分を見て くれる女って、男にとっても最後の「救い」になるような気がする。付加価値 が多い男ほど、かえってそうかもしれない。 『本格小説』の読書の楽しみって、小説の構造とか本歌取りとかド・マン とか、蘇る『嵐が丘』(?)とかではなくて、こういう一般的な人間の感情 や悲哀が捉えられているところから生まれてくるのではないだろうか。
岩井克人か、詐欺経済学者ね。
896 :
吾輩は名無しである :03/09/25 19:51
源治オジが雅之パパ戦死の報に接し本気で衝撃を受けているのを 目の当たりにした小さなフミ子が 「自分の父の戦死などよりはるかに恐れ多い戦死がこの世にあることを知りました」 あたりでこの小説は本気でスゴイと思った。 (手もとに本がないからちょっと間違ってるかもしれん)
897 :
我輩は名無しである :03/10/02 19:43
こんなけうれりゃ続明暗の重版も近いな
898 :
吾輩は名無しである :03/10/02 19:46
水村さんの年代は、国内にいると学生運動の洗礼をうけて、みょうちくりんな 議論をふりかざす彼に影響うけてる場合が多いですね。 たとえば小池さんとか。 それを免れた水村さんは、結局幸運だったと言えますね。
899 :
吾輩は名無しである :03/10/06 19:55
さるさん、書き込み大変面白く読ませていただきました。 >4年前の小説は翻訳も出ていない英語の小説だったので、 ↑これはなんという小説でしょう?よろしければ教えてください。
話しの流れに関係なくて申し訳ないが出張先の福岡の博多駅地下でやっていた 古本市で「續明暗」の単行本を400円で手に入れました。第六刷だけど帯も ついてて状態も良かった。(・∀・)イイ!買物できました。
901 :
吾輩は名無しである :03/10/09 07:32
映画化の噂はマジ? 吉永小百合あたりが、冨美子をやりそうな気がして鬱なんだが……
902 :
吾輩は名無しである :03/10/09 21:11
>>901 それ鬱過ぎ
太郎は「帝都物語」の人がいい(名前しらんが年恰好もちょうどいいんじゃ?)
漱石ばり(他にも漱石を連想している人がいて嬉しい)な水村さんなのに
こうしてキャラ妄想もできる
美味しい小説
904 :
吾輩は名無しである :03/10/10 23:23
嶋田久作は好きな役者だが、太郎の役はいやだな。
905 :
吾輩は名無しである :03/10/10 23:27
加藤雅也と間違えてない?
906 :
吾輩は名無しである :03/10/12 19:01
bookoffにありました、「續明暗」!! \1050はちと高いが、二刷のまったく 読んだ跡のない新品同様だからよしとします。 ぱらぱら読むと出てきますねえ、「何しろ」が。ついつい笑ってしまいます。 いえなに何しろうれしくて笑うんですよ、何しろは何しろ水村さんの専売です から。
907 :
吾輩は名無しである :03/10/12 23:02
「かえる座り」はどう? おばあ様や太郎ちゃんの横でよう子ちゃんが「かえる座り」に なって遊んでいるのは、かえるのように膝を開いて立てているものと 理解したんだが、「私小説」では、「母」がお裁縫をする際に 「かえる座り」になっていた。激しくわからなくなった。
908 :
吾輩は名無しである :03/10/12 23:07
>>907 かえり座りは、正座の足を外側に崩した感じでしょ?
上から見ると\/ \/感じ。
身体が固いと無理だね。
909 :
吾輩は名無しである :03/10/12 23:25
>>908 なるほど!そうだったのか
わかりやすい説明どうもです。
私が知らなかっただけのようで失礼しました。
910 :
吾輩は名無しである :03/10/13 17:26
この小説の言葉遣いについて言えば、「凶々(まがまが)しい」というのが 印象に残った。上巻に3ヶ所出てくる。 どこかというと ・・・教えない。
911 :
吾輩は名無しである :03/10/25 18:17
読書って孤独なもの、と思い勝ちなのが、これだけ多くの人が『本格小説』を 読んで感動した、ということをここで知り、それ自体に深い感銘を受けた。 高校生の美苗と、アメリカに着いて会社勤めをしていた太郎が、並んでロング アイランド沖を見ているとき、水際で死んだ鳥が浮かんでいるのを、美苗が 発見する。病弱な子供であったよう子が、水のなかでキラキラと光る魚を夢 のなかで見たことを朦朧と語る。中年になったよう子と太郎が、完成した ウィンドラッシュから、ロングアイランドの鉛色に淀んだ海を眺め、その寂 しさがすばらしい、という。この三つの水にかんするシーンのつながり、 断続、そして対照が印象的だった。
新潮社から『本格小説』にそっくりの装丁とタイトルの本が出てますけど あれはなんですか?岩井志麻子って誰?
913 :
吾輩は名無しである :03/11/09 23:21
しかし、東太郎は本名である、なんてしゃあしゃあと書ける根性はたいした ものだ。みんながそれとわかる人物なら仮名にしたって同じことじゃないか。 わざわざ本名と断ることで読者をだましている。ウソはドロボーのはじまり ですよ。盗人水村は、読者の誠実さを盗んでしまった。 さらにその前にある私小説論は、素人目には論旨があいまいで何を言いたい のかよく分からない。その道のプロにお伺いしたいが、あの私小説論はどの 程度の出来なのか? オレ的には高校生レベルじゃないかと思っている。日本 語で書くのが難しいのなら英語でも仏語でも書けばいいじゃない。 300台のスレでファッショだの暴力だのとさかんに書き込んでいたヤツらに 問いたい。本名である、とウソとばれるウソを書く不誠実さをどうして問題 にしないのか。これもひとつの暴力じゃないのかい。しょせん小説はフィク ションなんだから、わざわざ断ることないんだよ。読者にいらぬ混乱をおこ させる。いまだに混乱しているんだよオレは。どうしてくれるんだ。
914 :
吾輩は名無しである :03/11/11 20:32
私は混乱してないよ。あの小説は100%フィクションだと思っているから。 作中にある私小説論を読んでみてそう思った。日本の伝統である私小説への 決別宣言だと。 まあ高卒で学の無い私の考えだから間違ってるかもしれないが。 だから913のいうように「東太郎は本名である」という文には奇妙な感覚を 覚えたよ。たしかにわざわざ書くことはないよね。
東太郎という名がリアリティないなと感じた。 そこが水村さんの生真面目さ――人をだますために書いた わけでないことを仄めかした部分ではないかと取っている。 物語を読んでいたときは、そりゃあ、本当にいる人のようにも 思ったりしたけど、そうやって酔わせてもらった経験は貴重。 フィクションもノンフィクションも、ある意味同じだと思う。 どこか別の世界のことでしょ? どこかにいる誰かにとっての現実をなぞることに変わりは ない気がする。不謹慎な表現だけれど、それがたとえホロコースト 帰還者の手記であっても、タレントの男性遍歴であっても、 魔法の支配する王国の話であっても…。
916 :
吾輩は名無しである :03/11/11 21:30
そうかな、東太郎という安っぽい名が、かえって普通でない出生を暗示 してるようで本当っぽいよ。タロちゃん、と呼ばれるのもピッタリくる し。オレはリアリティ感じたね。 問題は、作者自身が本名で出てくることだ。題名と、東太郎は本名である、 の2つは、意識して読者をからかっている。 あるいは915のいうフィクションとノンフィクションを区別すること自体 をからかっているのか。
>916 人によって受け止め方が違うので、こういう「読み」の比較は面白いな。 作者の名前を出したことについては、「作者は物語の一部である」という 思い、書いているときにはそのような一体感があるということの実感が、 ああいう表現になったのかな…と感じているけど。 何でも良い方へ解釈しすぎかな? しかし、読書というのは自分を一緒に読み込むものだと思うから、たとえば 内容や構成に瑕疵のある本でも、それを自分で補って読めればいいと最近は 感じている。評論家はもちろんそれではダメだが、読者はそれでいいのでは ないか、と。 上記の点について、水村さんがどこまで意識的、作為的なのか、もしかしたら 本人にも伺い知れないのかもしれない。だが、小説のなかにある「現実」が 日常生活の「現実」よりもリアリティを獲得することがある…そんなことも あるのだなと思える好例だったかな。かなり危険な考え方だけど。
918 :
吾輩は名無しである :03/11/12 21:58
>914 どこいらで100%フィクションと思えたわけ? 美苗ちゃんも出てくるし、アメリカへの企業進出だって源治じいだって戦後を たくましく生きたし、ありえそうな素材だらけじゃない。東太郎は実在の人物 ところりとだまされたヒトのほうが多いと思うよ。 >894 よう子ちゃんは自身の魅力で愛されたというより、幼なじみの刷り込みで兄妹 以上の愛情関係になったんだよね。死んだヒトを悪く言わない以上に、幼なじ みをよく思うからね、日本人は。小学2年から缶詰状態なんだからもう離れら れないよ。この設定にもリアリティ感じるな。
919 :
吾輩は名無しである :03/11/15 18:16
東太郎がいる、いない、という議論に終止符をつけるのは可能か。ある人が日本に実 在するかしないかというのを、実際に証明するのはかなり難しい。戸籍を調べ、名前 があったとしても、戸籍上の名前は変わっている場合があるし、戸籍にある名前を 使っていない場合もある。ただこの主人公は、日本国籍を放棄している可能性があ る。アメリカ、オランダ、イスラエルなどが小説には登場するが、税法上有利な国は 他に多くある。特にそのような国では、人の実在などを調べるのを制度的に難しくし ている。いない、と断言している人は、いかにしてそういえるのだろう。 ただ『本格小説』という題名からして、これが小説なのは明らかだ。小説は、英語の novelや fictionの訳で、fictionの意味は嘘なのである。文学、とりわけ小説とは、 もともと嘘でつくりばなしなのだから、小説に書いてあるとおり、登場人物がいる か、いないかというのを問題にするのはおかしい。唯一問題になるのは、嘘をいかに 本当らしく語るかという問題である。嘘の語り方が上手い、下手という話はよくわか るけど、嘘をついているから、いけない、というのは、芸術はけしからん、というよ うな話になってしまい、文芸の検閲にも繋がる。 小説というジャンルの歴史で、嘘をいかに本当らしく語るために、あらゆる常套手段 が使われてきた。この人は実在する、この人の名は本名だ、というのもその常套手段 の一つだろう。そういう常套手段が使われているのをとりあげて、『本格小説』の特 徴だとするのは、小説が小説だ、といっているようなものではないだろうか。 それより東太郎が日本にある財産を整理したところで小説は終わっているが、そのあ とどうしたのだろう。カリフォルニアで生きているのだろうか。それとも自殺してし まったのだろうか。
実は私が東太郎と暮らしています。
921 :
吾輩は名無しである :03/11/16 19:04
東太郎がいるいないを問うのではなく、虚名に関わらず本名である、と書くの をおかしいと言っている。わざわざ書くことないんだよ。水村美苗は、モデル もない話を書けるほど想像力豊かな作家とは思えないから、東太郎なるモデル は実在すると思うね。まあ作家なんて、自分の経験や見聞きした話を脚色して 書くしかないんだから五十歩百歩だね。 モデル探しを心配したとすれば、よう子と雅之があっさり死なされる点だな。 死んでしまったら詮索してもはじまらない。比べて東太郎はそんな心配いらな いと水村自身が書いていた。それくらい桁違いの金持ちだから所詮雲の上の人 で探しても詮無いことかもね。
922 :
吾輩は名無しである :03/11/17 20:29
東太郎が虚名であるのを証明してみて。
923 :
吾輩は名無しである :03/11/17 22:17
>922 googleでもhitしないし、ムリだね。
924 :
吾輩は名無しである :03/11/17 22:31
そもそも「本格小説」と明言しているこの作品 を読む上で、そんな証明しても意味無いような・・・。
925 :
吾輩は名無しである :03/11/18 10:39
確かに。でも「虚名に関わらず本名である、と書くのをおかしいと言っている」 921さんは、証明したほうがいいな。虚名であることを証明する義務がある。 そうじゃないと、次の話ができないから。
926 :
吾輩は名無しである :03/11/18 20:20
自分のネタじゃないから証明したことにもならないけど、ここのスレ771を 見られたし。
927 :
吾輩は名無しである :03/11/18 23:34
番外編書いてくれないかな太郎のアメリカ時代。 女医や弁護士と付き合ってる太郎を見てみたい。 オペラデートしている場面をいっぱいちりばめて。 ・・・無理なことはわかっています。失礼しました。
弥生さんが好き。ひたすら善い人に描かれてるのに、なんか女って感じで、
すごいリアル。よく書けたなあと思う。お嬢様描写の天才なのか水村。
タロちゃんにカーデガンをあげようとするくだり、その後のふたりの
微妙な関係になんかカンドーした。関係ってほど描写されていないんだけど
その控えめさ(フミ子目線だし)がまた色っぽいなあ…なんてね。
>>927 いいねえ。太郎は本当に天才的にセクシーだからね。
イタリア系美人秘書?をめろめろの腰砕けになっちゃうし。
その他番外編としては、大人になったよう子ちゃんと太郎ちゃんの
デートの様子がやっぱり読みたいですよ。雅之ちゃんとの三角関係?も含めて。
ロングアイランド大豪邸でのミリオネアデートとかね。
浮世離れしてるのは子供時代と同じなんだけど。
929 :
吾輩は名無しである :03/11/20 20:35
報告:「何しろ」など気になる表現のこと -----漱石「明暗」 「何しろ」4回 7,64,162,179, 「ぺたりと座った」 38 「小鼻をふくらませた」 46 「興奮」 72 「亢奮」 2回 101,103 「昂奮」 2回 151,157 「象徴」(シンボル) 153 -----水村「続明暗」 「何しろ」23回 204,207,207,218,219,219,228,229,233,234,244,256,265, 265,265,265,269,275,278,278,279,286,286 「なにしろ」 204 「亢奮」 229 「昂奮」 231 「意味をなし」257 「曲曲しい(マガマガシイ)」 284 これから推測すると、水村は「何しろ」を漱石から習った可能性がある。それ にしても23回は多すぎた。 漱石は「興奮」「亢奮」「昂奮」を主筆時期に従って変化させた。水村も最初 に「興奮」を一回使っていれば完璧だった。 「本格小説」ではフミ子の語りには「亢奮」を、美苗の語りには「興奮」と使 い分けてあった。 なお「続明暗」には、小林のドストエフスキ的発展があればもっとよかった。
930 :
吾輩は名無しである :03/11/20 20:38
本当にあったことである、というのをそのまま信じること、『本格小説』とい う題名のユーモアがわからないこと、これを大衆小説と呼んでみるおかしさが わからないこと、よう子が美人じゃない・魅力がない、と描かれているのを真 にとること、すべて繋がっているような気がする。逆に文学や芸術が好きな人 は、これらすべてがあたりまえで、自然と楽しくて面白い、と思えてしまうん だと思う。
931 :
吾輩は名無しである :03/11/20 23:34
多分このスレで「何しろ」の使い方について最初に疑問を呈した者ですが、
その直後あたりに何故か、そこそこやんごとなき五十がらみの女性二人と
立て続けに知り合いになった。
それが二人とも「何しろ」って普通に使ってる。「何しろ30分くらいだったのよ」とか。
「とにかく」と、「何にせよ」、の間くらいの意味合いか。
私も
>>929 氏の言うように、漱石っぽい言い回しだなあとは
思っていたんです。漱石って、わざと意味をずらしてユーモアをかもし出す、
みたいなことやるものね。でもそういうおかしみって内輪ウケっぽいから
翻訳の時どうしてるんだろうなと心配したり。
でも、こういうずらし方ってもしかして、漱石の癖っていうより、
知識人系上流階級な方々の癖なのかしらん、なんて、お上品なご夫人と
会話しつつ想像する根っからかそうかいきゅうのワタシ。
932 :
吾輩は名無しである :03/11/23 00:20
續明暗を明暗としか比較できないのは、いかにも漱石を詳しく知らない人。
933 :
吾輩は名無しである :03/11/23 09:28
うん、確かに、会ったことないからね。よく知らないよ。
934 :
吾輩は名無しである :03/11/24 18:00
932さんが言いたいのは、續明暗は明暗の続きだけではなく、漱石のほかの 作品や、日本近代文学のほかの作品の続きでもある、ということじゃないの。 929さんの研究はすごい。テキスト・データを持っているのは羨ましい。
935 :
吾輩は名無しである :03/11/28 01:16
ふーん
936 :
吾輩は名無しである :03/12/26 14:13
この人、これより優れた作品書けるのかな。 書いて欲しいな。『楡家の人びと』を読んで以来の読後感だった。
937 :
吾輩は名無しである :04/01/08 22:17
いま「私小説」を読んでます。 上のほうのレスで誰かが「本格」よりおもしろいっていってたけど たしかにそうかもしれない。 内容はといえば特別にたいしたことないのに。 ほかの人が書いたら、くそ面白くも無い冗長な作品になっただろうに。 やはり素材を料理する腕が各段に優れていると思う。 もしこの先「本格」以上の作品を書けなくても、充分読者が満足できる ものを提供してくれるのじゃないかな。 もちろん936のいうようにこれ以上の物ができることに越したことは ないけれど。私も書いてほしいのが本心です。 まあなにごとにも過度の期待を抱かないのが失望を抑えるコツだということで。
姦しい三姉妹
939 :
吾輩は名無しである :04/01/23 16:22
プルースト、Eブロンテなど、1冊だけで歴史に残る、偉大な作家は少なくない。 質より量がまかり通るようになってしまった、現在の日本の文化程度は低い。
941 :
吾輩は名無しである :04/02/12 19:43
わからないのが、わたしにはわからない。とても簡易な文章で今の日本を正確に 語っているみたいに思えるけど。「本格小説」が成し遂げたことを語るとすれば 量より質、ということじゃないでしょうか。流通量や年少さ以外に判断できない 日本の現状こそ、わたしは問題にするべきかと思う。
「質より量がまかり通るようになった」「現在の日本」 ということは 「過去」には「量より質」の時代があったということだよな。 それで引き合いに出しているのが海外文学。??? 「プルースト、Eブロンテなど、1冊だけで歴史に残る、偉大な作家は少なくない。」 ことについてどれくらいの比率なのか真偽はよくわからないし、その通りかもしれない。 しかしプルーストは1冊とはいえ、質と量が両立した幸福な例ではないだろうか。 たぶん939は「駄作を何作も書くこと」よりも「生涯に一つの傑作」が 文化程度を上げるということを言いたかったということなのだろうか。 私も940と同じく、上と下の文のつながりがよくわからないし、 あまりにも不用意に「日本の文化」という言葉を使いすぎていると思うのだが。
作家の生涯を通しての著作についての「量より質」をプルーストなど挙げて例を示しているのに 「本格小説」が成し遂げたことが「量より質」とは之如何。頁数と寡作をごっちゃにしてんのか?
944 :
吾輩は名無しである :04/02/12 19:57
で、水村ってこれまでに『本格小説』しか書いてなくて、 これからも絶対に書かないわけ? 歴史に残る作品を幾つも遺している作家は駄目ってこと? わけがわかりません。
>>944 小説は他に「續明暗」と「私小説」がある。
946 :
吾輩は名無しである :04/03/18 02:32
ということだ
顔が川端康成に似ている。鳥顔。
948 :
吾輩は名無しである :04/03/21 10:38
日経のコラム興味もって読んだ。川上弘美とぶつかったのは、単なる偶然 なわけ?川上のは続いているのに御大は打ち切られて惜しいことよ。やっぱ ネタ数で若手が有利なのか。漱石は愛読書に上がらなかったな。顔写真の やぶにらみは芥川流かいな。
949 :
吾輩は名無しである :04/03/21 21:07
日経のコラムって何? ぜひ読んでみたい。 図書館行って読むからいつの日付か教えてください。
950 :
吾輩は名無しである :04/03/22 21:33
たしか、2月15,22,29日の3回、「半歩遅れの読書術」だったな。
サンクス!
952 :
吾輩は名無しである :04/03/25 19:15
この人ってまだ法政の先生やってんの?
953 :
吾輩は名無しである :04/04/05 21:23
>>929 どうしてあなたがここまで調べながらも、
「明暗」における「寧ろ」をカウントしなかったのかがとても不自然。
わかった!
日比谷図書館の「漱石全集11」の「寧ろ」に全部○つけた罪悪感でしょ!
やめてくれよ。。。書き込みするの。
954 :
吾輩は名無しである :04/04/06 13:52
読んだけど退屈やった。なんかしらんけど図書館の本なのに、線とか引いてるし。、、、、、 本格派かもしれないが、無駄が多すぎて退屈。
この小説好きだった。 でも、マイケル ムーアがアカデミー賞壇上で行ったスピーチの動画を見て考え変わった。 数年かけて書かれた長編小説が、 一人の男の10秒ちょっとのスピーチで見せた迫力、知性、面白さ、 かっこよさ、鋭さ、芸術性、視野の広さ、瞬発力、人間的感情、洞察、勇気、教養の前では、 クソのようなものだと思った。 ぼくは古本屋に売りに行く事を決意した。
956 :
吾輩は名無しである :04/05/07 22:28
そんなに手元不如意でしたら、無理して単行本買ってまでお読みにならなく てもよろしいのに、955さん。
On behalf of our producers Kathleen Glynn and Michael Donovan from Canada, I'd like to thank the Academy for this. I have invited my fellow documentary nominees on the stage with us, and we would like to - they're here in solidarity with me because we like nonfiction. We like nonfiction and we live in fictitious times. We live in the time where we have fictitious election results that elects a fictitious president. We live in a time where we have a man sending us to war for fictitious reasons. Whether it's the fiction of duct tape or fiction of orange alerts we are against this war, Mr. Bush. Shame on you, Mr. Bush, shame on you. And any time you got the Pope and the Dixie Chicks against you, your time is up. Thank you very much. キャスリーン・グリンと、カナダから駆けつけてくれたマイケル・ドノバンの2人のプロデューサーに成り代わって、 映画芸術科学アカデミーに感謝します。 わたしはドキュメンタリー部門にともにノミネートされた仲間たちにもステージにあがってもらいました ――彼らとわたしは連帯しています。わたしたちはノンフィクションが好きなのです。 わたしたちはノンフィクションが好きですが、いまは虚構(るび:フイクシヨン)の時代に生きています。 虚構の選挙結果で虚構の大統領が選ばれる時代に生きています。 その大統領が虚構の理由でわたしたちを戦争に追いやる時代に生きています。 でもいくらダクト・テープの虚構やオレンジ色警戒レベルの虚構を押しつけられても、わたしたちはこの戦争に反対です。 ブッシュさん。恥を知りなさい、ブッシュさん、恥を知りなさい。 ローマ法王とディクシー・チックスを敵にまわした以上、あなたの持ち時間はもう終わりなんです。どうもありがとうございました。
今更ねぇ・・・
一行レスしかできない
>>958 のような馬鹿は放置の方向で>>みなさん
960 :
吾輩は名無しである :04/06/21 01:16
「續明暗」すごくよかったね。 ところでさ、コレ「ショクメイアン」って読んでいいのかな?
961 :
我輩は名無しである :04/08/13 21:04
文庫化まだぁ?
962 :
吾輩は名無しである :04/08/18 02:21
2年で1000か。いい数字だよな。いかにも水村さんらしいというかさ。 この作品、読後は「超すげー」って思ったけど、暫くしたら何も残らなかった んだよね。それが最近また、沈殿していたヘドロが沸き上がってきて、 無視できないくらい、体を染色するんだよね。 もう一度読んでみたい。続明暗も私小説も。これって、俺には、 EMフォースター、漱石、ジェーン・オースティンの作品から受けた 心境以来なんだよね。
963 :
吾輩は名無しである :04/08/26 13:02
『続明暗』、文庫が入手できるようになっているんですね。 ここしばらくあきらめて、もう探していませんでしたが、 先日ふと思い立って本やタウンで注文してみたら、 日販の在庫はなかったものの出版社在庫があり、調達できました。 まだ購入していませんが、1週間で書店に入荷予定、となっています。 amazonでも4〜6週間で配送、と表示されていました。 ガイシュツでしたらごめんなさい。
964 :
吾輩は名無しである :04/08/29 21:39
新潮社、早く文庫化しる!
966 :
吾輩は名無しである :04/09/04 12:07
「私小説」の姉の奈苗さんは結局なにやってんだろう・・・。 世間知らずで、毒舌なんだけど、真面目で繊細 で、怠惰なところもあって、冗談好きで寂しがりやのあのお姉ちゃんが本当に 人間らしくて好きだ。今幸せに生きてることを祈るよ。
>>966 多分、世間的にはすごくちゃんとした人だと思う。
968 :
吾輩は名無しである :04/09/15 18:18:34
>963 僕も今日「続明暗」購入しました。 なぜか古本屋でもほとんど見掛けなくて、諦めていたんですが。 単行本ではあっても結構高かったりして。 カバーが変わってしまったみたいです。 以前のものは友人にあげてしまったんだけど、持っておけばよかったかな。 これから読みます。
969 :
吾輩は名無しである :04/09/15 21:55:32
「本格小説」、文庫化はするかな? 文庫化しないまま単行本品切れになるんだったら 単行本で買ってもいいんだけど。
970 :
我輩は名無しである :04/09/15 23:29:23
>>969 単行本が結構売れたから文庫化するでしょ。
でも文庫落ちしたら単行本は重版しないで切っちゃうことが多いから、
長く保存したいなら、いま単行本を買っておくのがいよいかと。
971 :
吾輩は名無しである :04/09/16 20:01:34
>>970 長期保存には文庫本より単行本がいいんですか?
文庫本すぐ傷むじゃない。
973 :
吾輩は名無しである :04/09/23 23:42:39
今日book offで買ってきた。 上巻400円 下巻100円
>>968 文庫、平成16年8月20日、三刷でしたね。ようやく刷ってくれたんだ。
975 :
吾輩は名無しである :04/10/13 19:16:22
普通に面白くなかった。なんでこの小説褒めるのかわからない。 文章も綺麗じゃないし、読むのが苦痛でした。 ストーリー・テリング上手くないね、この人。
976 :
吾輩は名無しである :04/11/17 23:31:29
このひと、もう小説出さないの? だれか水村さんの近況知ってる人いない?
数年に一作のペースだから新作はまだ何年か先になるでしょう。
近況きぼん
979 :
吾輩は名無しである :
04/12/02 09:18:13 水村美苗さんと結婚したいんですが、無理でしょうか。母親的存在でも全然オッケイ。まあそんなことは絶対無理というならば、メルトモにでもなれれば最高とおもっておるのですが。 何かアドバイスお願いします。 もしくは、水村さん、偶然にもこれ見てしまったのなら、何らかのリアクションを下さい。 鋭い眼力でもって、捉えますから! 気持ち悪いと思ったら、ごめんなさい。