1 :
吾輩は名無しである:
書き下ろしの長編小説です。
思う存分語り合いましょう。
2 :
吾輩は名無しである:02/09/25 23:00
↓こんなお話↓
四国の森に移り住んだ小説家・古義人を襲う事件の数々!
ドン・キホーテ的な立ち回りで窮地に陥る古義人が最後に見る風景とは…?
3 :
吾輩は名無しである:02/09/25 23:08
また四国の森の話か・・・。
正直、ちょっとうんざりだな。
>>1 大江の新作スレなんか立てても需要ないよ。
村上春樹の「海辺のカフカ」スレみたいに活発な議論がかわされることはない。
本スレでやれば十分。
北朝鮮マンセーの大江先生を応援しましょう!
6 :
吾輩は名無しである:02/09/25 23:26
>>4 おいおい、ノーベル賞作家の最新作だぞ。
もっと盛り上がろうぜ。
7 :
吾輩は名無しである:02/09/25 23:27
いまだに本スレが確定しないね。
芽むしり〜スレが一応そうゆうことになってるらしいよん。
8 :
吾輩は名無しである:02/09/25 23:36
先に宣言したところが本スレ。声の大きい奴の勝ち。
10 :
吾輩は名無しである:02/09/25 23:38
ノーベル賞も取っちゃったし、後は晩節を汚さぬように、こじんまりとまとめて
程度だけは落とさないように。
それでいいんだよ。大江はもともと積み重ね型の上、社会的身の振りをは踏み外さないタイプだし。
11 :
吾輩は名無しである:02/09/26 16:24
大江にゃもう創作活動をやめてもらいたい。(別に内容に対してに他意はない)
ペンクラブとか講演活動とか大学の客員教授で生計を立てられないのか。
自己模倣に終始する老醜をこれ以上晒すな。
12 :
吾輩は名無しである:02/09/26 16:58
∧,,∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ミ ミミ ミ < 村上春樹なんて…
.. (ミ ミ) \________
ミ ミ〜
∪ ∪
∧,,∧ ビシッ!/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ミ,,゚Д゚ミ < 相手にならねーよ!
⊂ ○m \_________
ミ、,, ミ,
.しヾJ
買ってきますた。思ったより長そう。前作短かったのでうれしいかも。
さて、大江語の海に溺れまつ。
14 :
吾輩は名無しである:02/09/28 01:08
買ってきて読みはじめ。
前作と今作は久しぶりに言葉がドライヴしてるなー。
もうダメかと思ってたがまだヤリそうだこのおっさん。
作家ってのはやっぱり体の中に「リアル」が溜まってこなくちゃ書けないんだな、
としみじみ思いますた。
ああ徹夜しそう。
15 :
吾輩は名無しである:02/09/28 01:12
>>11 なに言ってんの。「取り替え子」読んだ?
本人の「自分の人生の中で最も重要な三作品のうちの一つ」
って言ってるのは伊達じゃないよ。びっくりしたもん。
三作品…
一つは「万延元年〜」として、残りの一つはなんだろう。
本人にとって、ってことなら「同時代ゲーム」?
16 :
吾輩は名無しである:02/09/28 01:22
>>11 同意。
自己模倣に自己引用。
やだね。
『憂い顔の童子』てタイトルからして『ドン・キホーテ』のパロだけど
そこでも自己模倣やら引用やらするんだろなあと思うと読む気失せるよ。
もし違ってたら教えてくれ。それから読むかどうか決める(w
醜悪な自己引用ってグロテスクでいいよ
文学なんだから卑怯な感じでいいんだよ
大江、老いてなお盛ん。
いちおう小説は全部読んどるが
「自己模倣と自己引用が多いから」読まんって
漏れにはなぜなのか意味がわからんが。
まあ読んだ人の数だけ嫌うツボってのはあるしなあ。
でもそういう印象で今まで来たんなら
「あ、これも自己引用、あ、これも」って思うだけだろうから
やっぱり読まないほうがいいと思うよ。
あ、まだ読み始めたばかりだからハッキリとはわからんが
今回はその「自己引用」にも関わってくる
「小説家の嘘」についての掘り下げがあるから読んでみてもいいかも。
グロテスクってのは言いえて妙だな。
大江小説として、古義人ほどグロい主人公はいないよ。
いいかがんに「政治少年、死す」を単行本に収めましょうや。
バードよりグロい?
>>15 なるほど。
まあ、俺も『燃えあがる緑の木』まで全部読んでるし、ファンではあるんだよね。今はちょい距離置いてるが。
『懐かしい年への手紙』とかで自己引用多発してたんが何か凄く嫌だったのですよ。
仮にそれが自己批評であるしても他に方法はあるだろ、と。
文体は、最近のは回りくどい部分はあるものの、ずっと好きだけれども。
『憂い顔〜』にはその自己模倣やらについてのことも書いてあるなら読んでみようかな。
そしてどうやら俺は『宙返り』も読んだ方がよさそうだね。
『宙返り』
ではなく
『取り替え子』だね
スマソ
26 :
吾輩は名無しである:02/09/28 02:15
大江の訥弁的なのにどこか濃い文体は疲れる。
大江は歌唄うのかな。カラオケでいいから聞いてみたい。リズム感ないような気がする。
>>24 あー!やっぱり。そのあたりでイヤになった人だろうと思ったんだ。
漏れも「緑の木」はなんとか読んだが「宙返り」はほとんど読めんかったもん。
あのあたりは完全に自分の「リアル」を見失ってる感じだもん。
あ、だから宙返りは読まんほうがいい。「取り替え子」からにしときんさい。
伊丹十三の自死がやっぱり大江に強烈な「リアル」を焼き付けたんだと思う。
んで、その衝動が「取り替え子」を書かせたんじゃないかな。
そして、そんなところ、身内の死にすら
創作の喜びを感じてしまう作家としての業に突き動かされて
「憂い顔の童子」を書いたような感じじゃないかな。
まあ1/3も読んでないのでわかんないが。
少なくとも漏れは一度見捨てた大江を前作で見直したから
読む価値はあるとおもう。
って、つまんなかったらごめんねw
28 :
吾輩は名無しである:02/09/28 02:20
内容:
_
_,,-―'' ヽ、
/ ヾ ヽ、
/ 彡ノヽ ヽ
/ ,,ノ-~  ̄ ヽ |
| / へ , 、 ノヾ \ミ ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/彡| ノ ヽ | ) | 手紙を朝鮮から日本に出すなんて許せない
ヽ .| 、_っ | ノ | 当然朝鮮総連に通報しますた・・・
`-| / _ ヽ |_ノ ∠ 公開処刑よ、ダメなものはダメ
.| ノ`-´\ | 頑固に援助 元気に密告
ヽ' ⌒ 丶 丿 頑固に拉致 元気に処刑
,ー - ― '、 \____________
/|ヽ___ノ|ヽ、
六章まで読んだが、面白い。
古義人、キテるよ。
30 :
吾輩は名無しである:02/09/28 19:51
漏れ5章までヨンダ。
「あなたが書いてきた小説はみな、森へのノスタルジーにイカレた頭の想像じゃないですか?
ノスタルジーの中心には『童子』への嫉妬があったということじゃないのですか?」
ターボかかっとるな、大江よ。
31 :
吾輩は名無しである:02/09/28 23:02
小説についての小説でもあるみたいね。
しかし、おじさんパワー、おそるべしだね。完全に負けてるな、うちら。
と落ち込むとともにふるいたちもするのであった。
32 :
吾輩は名無しである:02/09/28 23:12
全部読み終えたよ〜。
>>32 うお
明日までに読み終わるから待っててくれ(何を?)
このスレ、優良だな。
よし明日も見に来よう。
35 :
吾輩は名無しである:02/09/29 02:08
大江はやっぱりスゲー
みんな読め
36 :
吾輩は名無しである:02/09/29 02:11
>>27 あっ、「自死」って使ったなー。
言ーってやろ、言ってやろー。曽野あやこーに言ってやろー。
「お金がないっ、だから今は我慢するっ」って思ってたが、
だーめだこりゃ。ここ読んでると。明日買う!!!
「取替え子」と並べるとセットっぽくてよさげだし。
『取替え子』を先に読んでおくべき。カタルシスが段違い。
第二十一章 アベリャネーダの戯作
終章 見出された「童子」
圧巻!
いやー、村上春樹とはまた違った面白さでいいね<『憂い顔の童子』
まだ読み始めたばっかりだけど、冒頭のぶしつけな女性研究者に返答する
母親の言葉が、そのまんま加藤典洋の「テクストから遠く離れて」での
『取り替え子』読解への返答にもなっていて、大江が常に自分に対して
切り込み、批評を「先取り」していることがよく分かる。
「それではなぜ、本当にあったこと、あるものとまぎらわしいところを交ぜる
のか、と御不審ですか?
それはウソに力をあたえるためでしょうが!」(18ページ)
あと、上で問題になっている「自己引用」ってのは、まず自分に切り込むため
の道具でもあるし、またその作品名を少しだけ「改変」することで、現実の
作品と作品中の作品とのダブルイメージを与えられている点で、後期大江の
手法としては面白いし、また彼特有の「自意識の露出」のやり方は評価すべき
だと俺は思う。
40 :
吾輩は名無しである:02/09/29 10:08
読んでて頭がぐんらぐんらしてきた。老いてなおさかん・・・ってよりもこの
じじいのパワーはいったいどっから来るのだ? 完全に振りきれてるなあ。
傑作の予感(まだ読み終わってない)。
タコのさんぽカワ(・∀・)イイ!
>>39 うん、でも自己引用がダブルイメージをはっきり備えたのは今回が初めてなわけで
今まで繰り返してきたうちではいまいち意図のぼけた感じだったのよ。
だからウンザリしてた人がいる、っつうのは分かる気がする。
前作『取り替え子』を『取り替え「童子」』と作中で置いて、
その虚構の部分を現実の今作に継承させてちぐはぐな円環を成す、
という今作の作りは、その構造自体が『ドン・キホーテ』をなぞるんだなあ、
とゆー気がした。
半分読んだ。前作で「自分の著作の中からある時期以降『キラキラした言葉』
が失われてしまった」と書いていたが、今作の中にある
「消防車のサイレンがノロマに、それでいて律義に変化しつづける」とか
「こんな山奥の少年のことなど天皇が知るものか、
しかし今、あの人はこちらの名前を知っておられる」とか、
ちょっとした描写の断片が、生の、というか死の輝きの照り返しで
キラキラと、みずみずしくそこにあるのを感じた。
じじいパワーは死のパワーなのでわ?
今作中の登場人物に言わせているけど、
彼は文字通り、真の「小説」家なんだなあ、と感じた。
文章のひとつひとつに何かしら仕込んであって(それが全部わかるわけ
でもないが)、それでいて読ませていく推進力がある。
引用も嫌味ではなく、彼の人生を通して「残って」いった言葉が使われ、
自己引用も題名を改変し、喜劇的な調子を帯びている。
それにまして、作品(虚構)と現実との、二人三脚のようなパラレルワールド
の魅力が今作にはあるね。
読了。
と、この作品やるねぇ。真っ向から自分自身の過去や批評家、そして書き続ける
作家としての自意識に勝負を挑んでる感じがする。本当に加藤典洋を引き合いに
出してくるとは思わなかったんで、びっくりした。
>でも自己引用がダブルイメージをはっきり備えたのは今回が初めてなわけで
>今まで繰り返してきたうちではいまいち意図のぼけた感じだったのよ。
これは確かにそうだなぁ。『新しい人』などで「雨の木」を引用したりしてた
頃は、単に自分の作品世界=作家としての脳の「内側」で知識の網を張って
いるだけのように感じたが、前作と今作は、「古義人」に自分を写し、また
写し返されるという事実とフィクションのdoubling/repetitionを行いつつ、最後
にはそれを突き抜けて、自分に向けて徹底的に言葉を突き刺しながら、それが
自分の「外側」にも向いている、というところまで行き着く。これはさすが大江
だなぁ、と思わせるものだった。自己引用を完全に手法として「露呈」できるところ
まで行き着いた、ってことなんだろうなぁ。
なんかここの感想読むとまた自意識過剰系かよ、
って感じもするけど、まあそれでも評価も高いようだし、買ってみるか。
最近は書評・批評なんかより、2ちゃんの評価が購入の基準になってきてる(w
でもさー、「自意識過剰系」っていうのは、大江に関しては「批判」ではなくて、
「批評の前提」になっちまってると思わない?しかも大江自身が「自意識過剰で
ある自分を過剰に意識する」手法を取っていると宣言してるみたいなところが、
前作と今作にはあるしさ。
読んでも損はしないと思うよ、好き嫌いは別にしても。
憂い顔の童子、を読むにあたって取り替え子、を再読。
今、大黄がマッチャマについてきた。
47 :
吾輩は名無しである:02/10/01 02:33
言及、引用されてる作家、作品を目に付いた限りで。
ドン・キホーテ、ラグビー試合一八六〇(万延元年のフットボール)、
不思議の国のアリス、星の王子様、ヨブ記、ロリータ、
懐かしい年通信(懐かしい年への手紙)、キケロ、出雲風土記、
ノースロップ・フライ、ロラン・バルト、リア王、イェーツ、
政治少年の死(政治少年死す)、フィネガンズ・ウェイク、同時代ゲーム、
最初の100ページまででこんだけ。
自作に言及するときはタイトルを微妙に変えてあるのだが、
『懐かしい年への手紙』が『取り替え子』では「懐かしい年に向かって」(p203)
こちらでは「懐かしい年通信」(p44)になってるのはなぜ?単なるミスか?
センチメンタルな感想だが、終章読んで目頭が熱くなった。
ノーベル賞を取ったのだから引退してもよいのに、それでも
これだけのものを書く。そして、死ぬまで書き続けようとする。
終章のローズさんの呼びかけにマイッタ。
書きながら壊れて行き、物語に回帰する。
前作「取り替え子」は評価が割れてたよね。
浅田彰は○、渡部直己は×だった。おれは△だったが・・・。
今回も評価が割れそうな予感。
大江健三郎の「取り替え子」
-------------------------------------------------
そうだ、この人はやはり作家という宿命を生きているのだ。大江健三郎の新作
「取り替え子」(講談社)は、読む者にあらためてそう感じさせる、異様なま
での迫力をもった作品だ。愛媛県の山村に生まれ、松山の高校に進んだ大江健
三郎は、そこで伊丹十三に出会って強い影響を受け、やがてはその妹と結婚す
るにいたる。その義兄の自殺とそれをめぐるスキャンダル騒ぎは作家に強い衝
撃を与えたらしい。それを機に書かれた新作には、自分たちを批判し追い詰め
る世間への怒りが満ち満ちている。語り手(大江健三郎)の息子あかり(大江
光)について、「最近ニューヨークに本拠を置く日本人の作曲家兼俳優(坂本
龍一)が、ポリティカル・コレクトネスで知的障害者の音楽を押し出されては
たまらない、と最先端の文化英雄(浅田彰)相手に話していたが」などという
台詞も出てくる。私はそのとき坂本龍一と話したこと(重い障害をもつ子ども
を立派な大人にまで育て上げたことはパーソナルには素晴らしいことで感嘆に
値するものの、そのこととアーティスティックな評価は別であり、大江光の音
楽はあきらかに大江健三郎の文学のような普遍性を持たない)をまったく撤回
する気はないが、それに対する大江健三郎の怒りを理解し、尊敬しさえする。
驚くべきことは、おおむね正当な、だが時として被害妄想に傾くときもある、
いずれにせよ個人的なレヴェルでの生々しい怒りと悲しみから出発しながら、
この小説が見事な普遍性をもった作品として立ち上がってくることだ。残さ
れた録音テープを通じて死んだ義兄と対話を続けながら、松山で共に過ごし
た少年時代へと遡行してゆく過程は、それ自体としてスリリングであるとと
もに、作家のこれまでの仕事を新しい視点からとらえなおす一種の文学的総
合としても注目される。傑作かどうか判断するには、この作品はまだあまり
に生々しい。だが、それが迫力に満ちた問題作であることは、だれもが認め
るだろう。そう、大江健三郎はいまなおわれらの作家なのだ。
おいおい、ずいぶん古いコピペだな。一年以上前だろ?
ま、今回もあさだっちの反応がちょっと楽しみだけどね。
今、古義人が夕食に「マクドナルドのテリヤキハンバーガーセット」を食べる
ところまで読んだ。ちょっと引いた。
アナルってお前。>大江
あ、「アナルて!」っていうツッコミね。煽りじゃないよ。
すげーぞこの小説。震えながらページめくってる。
いま飲む!すぐ立つ!二度できる!
やっと読んだ
圧巻だな…
-コギト、コギト、あなたの二百年の物語の時が
いまより未来にはみ出していますように!
読んでてじんわりきてたが読み終えてカバーを剥がして
表紙のドレを見た瞬間嗚咽してしまいますた
大江の小説読んで泣いてしまたのは初めてだ
なんだなんだ
煽りも入らないしレスは大好評って、面白そうじゃにゃいか!!
え、結構下品なの? 自意識過剰なの? 狂ってるの? イッチャッテル?
そうだよなそうこなくっちゃ、大江はジトジトとした悪意を振りまいてこそ、そうこなくっちゃ!
って訳で買ってきまーす!
59 :
吾輩は名無しである:02/10/01 22:03
>>39 加藤のは、直接には「テクストから〜〜」ではなくて、今年1月の「一冊の本」(朝日新聞社}だと思われ。→誰か読んだコレ?
60 :
吾輩は名無しである:02/10/01 22:05
うん、「テクストから〜」を直接引いているわけじゃないんだけど、結局
加藤典洋は大江のこの作品によって「先を越されて」いたわけで、あの
「テクストから〜」の論は空回りになってしまった。そうやって批評を
先取りする大江のすごさを、あらためて感じた>59
『一冊の本』での『取り替え子』読解は、「テクストから〜」にも簡潔に
まとまってる。
いま、アナルセックスの話のところまで読んだ。ワラた。
もう少しで終わり。 今夜中に読破するぞ!
漏れも泣いてしまったバカだが
なんだろうこりゃ
哀しいからとか感動したというより
なんかもう「ガタガタにされて」しまったから涙が出たって感じだな
ひとりの人間が、それも老境にある死に損ないの男が
これほどのものを作りえる、ということ、
ああ、人間は存在してもいいのかもしれない、と確かめる、
芸術の効能をハッキリと感じた。
読了。涙は出なかった。だが、異様な感動をもたらす凄い作品だと思う。
そして、ただ一人実名で出てくる加藤典洋が、いかに最低の批評家かと
いうこともよく分かった。
>>52 10月1日に配信されたi-critiqeで浅田は「憂い顔の童子」を絶賛しているYO!
すごいね。やたら攻撃される大江健三郎のスレッドなのに
ここまでほとんど称賛レスばっか、煽りが全然ない
奇跡的だね、、、(とか言ってたら荒れ始めるんだろうな)。
俺も読みたくなってきた。
タコのさんぽカワ(・∀・)イイ!
講演でのお得意の話みたいだね>逃げたタコ
大江健三郎の『憂い顔の童子』
大江健三郎は今もわれらの時代の作家なのだ。
『取り替え子』(講談社)を読んだとき、私は思わず感嘆の声を上げた。
最近発表された『憂い顔の童子』(同)は、それに勝るとも劣らぬほど刺激的な続篇である。
前作同様、古義人(大江健三郎)と吾良(伊丹十三)をはじめ、作家の周囲の人々が
ほとんどそのまま登場し、自分と吾良をよってたかって攻撃する人々への古義人の怒りが
剥き出しで吐露されると同時に、その思い込みが他の登場人物から厳しく批判されもする
(「これまで、きみはアカリさん[大江光]を贖罪山羊にしていると風評されてきたが、
吾良ちゃんまでそうしたわけなのか?」)、その大胆さは驚嘆に値するだろう。
前作の中心をなすのは、吾良の自殺から、古義人と吾良が松山での高校時代に経験したトラウマ的事件(「アレ」)への遡行だった。
古義人の亡父の弟子がつくった右翼青年道場が米軍基地襲撃を計画し、
美少年の吾良を餌にゲイのアメリカ人将校をおびき出す。
そこで現実に何が起こったかは結局のところ判然としないが、
古義人と吾良は道場の青年たちに地の滴る仔牛の生皮をかぶせられて穢され、将校は姿を消す。
錯綜した、しかし確かにホモファシズムの匂いの濃い一連の記述から、加藤典洋は、
二人が青年たちに強姦され、その意趣返しに彼らの計画のことを密告したのだと推論した
(絶対に不可能な推論というわけではない)。
ところが、この解釈に激怒した古義人は、ただちに加藤典洋の文章の載った雑誌を燃やし、
「クソどもが」と毒づくのである(彼にとっては、何よりも、将校が殺されたのかどうか、
自分たちがその共犯なのかどうかが問題なのだ)。
前編へのちょっとした批評までが後篇に直接取り入れられて激烈な扱いを受けるというのは尋常ではない。
良かれ悪しかれ、ここには小説家の肉声が生々しく響いており、それが読者の心をとらえて放さないのだ。
しかし、もちろん、この小説の面白さはそういうところにだけあるのではない。
怒りと悲しみに苛まれながらなお足掻き続ける老作家の挙動は、ドン・キホーテ(「憂い顔の騎士」)
の悲壮にして滑稽な奮闘になぞらえられ、四国の森の神話(「童子」というトリックスターを含む)
を枠組みとして歴史を重層的に語ろうとする試みが、辛辣に批判されながら
(「あなたが書いてきた小説はみな、森へのノスタルジーにイカれた頭の想像じゃないですか?」)、
そのような批判を含んで語り直されもする。
そこには大江健三郎の書いてきたさまざまな作品が巧みに畳み込まれ、重層的に全体化されているのだ。
そして、最後、いま触れた「アレ」の曲解に激怒した古義人は、ドン・キホーテが偽作に対抗して
「その新しい物語の作者の嘘を天下にさらし、彼の描くドン・キホーテが拙者ではないことを、世の人々に知らしめる」
ために結末へと突き進んだように、自ら老骨に鞭打って(結果的に)少年時代の事件を反復し、
そのために意識不明の重態に陥りながらも、閉ざされた意識の中で「童子」の神話を夢見るだろう……。
むろん、定型的な批判をあらためて差し向けることは難しくない。
ここには真に強力な他者が(母を除いて)現れず、
古義人が批判されるのも作家が予防線を張っているようなものなので、
結局のところ(コギト=「我思う」という名に象徴される)自己中心的な構造が保存されてしまい、
どこか嘘臭いその構造と森の神話の構造とがイマジナリーな予定調和をなしてしまう……。
そういう批判が可能だとして、しかし、それがどうしたというのだろう?
これが、小説家の書かずにはいられなかった小説であること、
それが、新たにさまざまな疑問を感じさせながらも、読者をとらえて最後までぐいぐい引っ張って行く力を
もっていることだけは、そうやってこの作品を一気に読み終えたいま、確実に断言することができる。
そう、彼自身がひそかな自負と覚悟をもって登場人物に語らせているように、
大江健三郎は「この世紀の変わり目の、真の小説家」なのだ。
何のコピペか知らんが
ぜんぶ既にこのスレで上がった感想じゃねーかばかあ
自分の言葉で語りやがれこんちくしょー!
えと、
タコのさんぽカワ(・∀・)イイ!
あ、やっぱり。
>>68>>69 何箇所か写し間違いがあると思われ。
>大江健三郎は今もわれらの時代の作家なのだ。×
大江健三郎は今もわれらの時代の小説家なのだ。○
>古義人と吾良が松山での高校時代に経験したトラウマ的事件×
古義人と吾良が松山での高校時代に体験したトラウマ的な事件○
>それが読者の心をとらえて放さないのだ。×
それが読者をとらえて放さないのだ。○
>しかし、それがどうしたというのだろう?×
しかし、それがどうしたというのだ?○
>小説家の書かずにはいられなかった×
小説家が書かずにはいられなかった○
>地の滴る仔牛の生皮をかぶせられて穢され
は
血の滴る仔牛の生皮をかぶせられて穢され では?
間違いだらけでした。
すみませんでした。
77 :
吾輩は名無しである:02/10/03 00:11
うんにゃ。じぶん携帯もってないので読めてよかったよ。ありがとう>68-69
にしても、いつもながら手際の良い整理だねえ。確かに似たような感想は
上のほうのレスにちらほら見られるけど、やはり圧倒的に明晰。
浅田氏の評を読んだ後だと、自分の言葉で感想述べてるつもりでも、
知らず知らずのうちに浅田氏の言葉をなぞってることに気がついて
いやになっちゃうの。
やいお前ら文学板にあるまじき絶賛の嵐ですね。
…買ってこよっと
79 :
吾輩は名無しである:02/10/03 00:16
浅田は便利だよ。重宝する。
とはいうものの、どんな分野でも浅田以上の解説は到底できないだろうと思って、鬱。
81 :
吾輩は名無しである:02/10/03 01:28
>>76 いや、うpしれくれて俺もありがd!感謝だ!
>>68-69 俄然読みたい気分が萌えまつw
だいたいあれ=『取り替え子』で収まるワケがない罠、
大江本人が、半端で放っちまってんだもんさ<取り替え子
小説の枠を取っ払ったのか踏み外したのか、独り取り残されてオヨヨと
自己憐憫の一瞬に眼眩んだせいか、己れのおそらくは最も気に入りの
肖像写真を創作の中に、それも放り出した断面を際立たせるようにも
挟み込んだあの問題作・・アレで済むワケがなかったんだ罠w
にしても、よう書いて出してきたなや、それでこそ大江!褒め樽。
>大江健三郎は「この世紀の変わり目の、真の小説家」なのだ(浅田)
そうではなくて、本流は常に、自ら好むと好まざるとに関わらず
時代をそっくり映しとってしまう宿命を負うんだよ、何時の時代でも。
作品でも自身の生涯においても。
書かないと言った後で超問題作『取り替え子』を書き、
そしてなお・・・また。
こうなれば、
読まざあなるめぇ、買わずにはおれめぇ、
21世紀へ生き継ぐにはなw
>>80
俺もお前が好きだ。付き合ってくれ!
あぼーん
84 :
吾輩は名無しである:02/10/03 01:34
大江が新潮社から講談社へと変わったのはどうしてなの?
「取り替え子」にチロッと出てきた気はするのだが、具体的に教えてください。
85 :
吾輩は名無しである:02/10/03 01:35
_
_,,-―'' ヽ、
/ ヾ ヽ、
/ 彡ノヽ ヽ
/ ,,ノ-~  ̄ ヽ |
| / へ , 、 ノヾ \ミ ノ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
/彡| ノ ヽ | ) | 手紙を朝鮮から日本に出すなんて許せない
ヽ .| 、_っ | ノ | 当然朝鮮総連に通報しますた・・・
`-| / _ ヽ |_ノ ∠ 公開処刑よ、ダメなものはダメ
.| ノ`-´\ | 頑固に援助 元気に密告
ヽ' ⌒ 丶 丿 頑固に拉致 元気に処刑
,ー - ― '、 \____________
/|ヽ___ノ|ヽ、
>>83 その当時、
中国が、北鮮が、日本でどのように捉えられていたか、
そう捉えた日本の情況はどうだったか、背景を調べてみれ。
全部符合するはず。
『ワイルド・スワン』『毛沢東の私生活』『毛沢東秘録』…etc.etc.…
が世に露われてくるのは、ずっと後のことだ。
>>85 板違い。
>>82 78を騙る意味がわからん
騙るなら面白くしろや
大江健三郎=反体制=社会主義or共産主義者=親中共&ソ連&北朝鮮
なんて考えているヴァカがいっぱいいるんだろうね。
さあ! この板もそろそろ荒れてきたぞ!
>>68>>69 ちょっとあんた、有料サイトから勝手に転載して大丈夫か?
「通報しますた」って言われそうだぜ。タイーホされなきゃいいがな。
>>90 浅田はそんなことこだわらなそうだけどな。
とにかくupしてくれた人には感謝。あんたは神!
92 :
吾輩は名無しである:02/10/03 07:27
>>浅田さん
しかし、いつものことだけど、何一つsubstantialなことは言わないのね。まあ、未読の者のためにはケッコーなことだが。
でも、
>ここには真に強力な他者が(母を除いて)現れず、
なんて間抜けなこと言ってると、ケータイごとストーブで燃やされちゃうぞ!
真に強力な他者、っていうのは、この作品では大江が自分で書き付けてきた
「言葉」自体だよなぁ。自分の書き手としての人生、「童子」を廻る作品の
構想、そして生々しい「アレ」への実感と記憶から現在までに至る過去と
現在の「全体」などが、古義人を苦しみや怒りといった激烈なものへと
向かわせるという「書き手としての人生の読み直し」が、『ドン・キホーテ』
という「小説の原型の読み直し」と重なるのは、自分の言葉で自分を追い詰める
小説家の激烈さを感じさせる。
>>94 むしろ大江は「自分に真に影響を与えるのは他者ではありえない」
ということを告発し続けている気がします。
きっかけとしての外部刺激はあり得たとしても。
96 :
吾輩は名無しである:02/10/04 02:56
そうだな。
「自分」を変えることができる者は「他人」ではなく、自分しかいない。
という自負。
それは強烈に出てるという気はした。
大江を批判したい者は、この小説中で、作者の大江健三郎が「小説の中の古義人」を痛めつけているほどのダメージを、大江に与えることが出来るか?
しかしその表裏のものとして大江が
他者から与えられるダメージをどこかで
渇望してるのも確かな気がする。
今作のラストのカタストロフィーは、
マゾヒズムとも違った、圧倒的な他者のもたらす破壊を
どこかで望んでいるという顕れじゃないかと。
強烈なリアリティーを欲する、って事は人間たまにあるもんな。
そんな気分になって買わなくてイイ負けることが分かってる
喧嘩したくなる気分になるときってあるべ。
98 :
吾輩は名無しである:02/10/04 03:23
おまえら大江読み始めて何年経つかしらないが、いづれ目が覚めるね。
はいはい。
100 :
吾輩は名無しである:02/10/04 03:30
>>98 かわいそうに、無理して分かってるフリしてたんだね。
バカなのに(w
101 :
吾輩は名無しである:02/10/04 03:56
>>100 言うと思ったよ。ノーベル賞だの浅田だや蓮実につられてる宗教だね。
目が覚めるのは君であっておれじゃない。おれは愛読者だったことはないの。
○いずれ
×いづれ
103 :
吾輩は名無しである:02/10/04 07:07
>>101 そうこというならちゃんと批判しろ。ここは大江スレッドだぞ。
×蓮実→○蓮實
>>101 読んでて「目が覚めない」のは石原慎太郎?それともよしりん?
>しかしその表裏のものとして大江が
>他者から与えられるダメージをどこかで
>渇望してるのも確かな気がする。
「老いたるニホンの会」が「我が青春のジグザグデモ」を再現、もしくは過去の
出来事に……それも真剣にですよ……あらためて自分を投げ込んでみよう」とする
再「演」(大江の今作は、多分に「劇」的である)の試みを思い立った時に、
織田医師がいう言葉:
「もしもですよ、私らのデモが引き金になって、メキシコシティーのトロデカルロ
広場でのような虐殺が起こっていたらどうだったか?」
にも予感されていたこと。「過去のものに希望の花火をかきたててやる」という
その「花火」が爆発した時、つまり、古義人が自分をとどめようとするものに対して
ドン・キホーテ的な「制御しようのない憤怒」にかられ、かねてから感ぜられるよう
であった「自分の意思で跳ぶ」こと、「自分自身を振り廻」す自殺的な試みを行う
のは、おそらく「外」からの激烈なダメージを受けたいと希求しながらも、結局
「外」が自分に無関心である、自分を置いていく、自分の敵にはなりえない、という
苛立ちから生じた自分を虐殺する行為だったのであろう。
それは、自分のしてきたことは「本気だったのか?」と問い掛ける古義人が、吾良や
アカリをではなく、自らを「贖罪山羊」とする「さむらいの倫理」を感情的に突き
詰めた行為であったかもしれない。が、しかし、古義人は自分を救助することを見い
出し、その「新しい人」=「童子」が憂い顔で、夢見るように呟く言葉が、最後の
「何ひとつ容赦せず、しかし非常にいたわりぶかく」という一言ではないだろうか。
大江のコギトは、この小説の結末において自己(ひとりの童子)から他者(誰ひとり
見失われることのない童子たち)へと突き広がるような展望を見せている。
106 :
吾輩は名無しである:02/10/04 15:04
2ちゃんねるには、
「プロ固定」と言われる
給料を貰って毎日書き込みをする人物が、各板に5人から15人、います。
一人の職員は、たいてい3つ以上の板を掛け持ちします。
2ちゃんねるマガジソにて取材を受けていた人物は、
全員プロ固定です。
2ちゃんねるは、個人情報を一つのIPあたり0.01円で販売しています。
コレは、同一のIPであっても「日付毎」時間ごとに別個に販売しています。
コレは事実です。
京大みのるをさらした時、集まった人の半数以上はプロの探偵でした。
自作自演です。
「彼等は」インターネットのIPやメアド等、その情報から個人情報を割り出して
人をさらす事が、出来るのです。
2ちゃんねるの個人情報は、権力に販売されています。
「創価・公明板」 この板が存在する理由、知っていますか。
「創価に批判的な人物」の個人情報を集める為です。
嘘かどうかは貴方の判断に任せます。
ただ、「事実」です。
危険があるサイトである事を、よく認識してください。
んで、平野の葬送と比べてどうなの?時間が無いんでどっちかを読もうと思ってんだけどさ。
因みに「取替え子」は個人的にはいまいちでした・・・・・
平野は読む必要感じないんだけど・・・。
>>107 じゃあ読まないほうがいいと思う。
つか平野とどっちか悩むってお前…
>107はネタだろ。
ネタだね
っていうかネタと信じたいね。
>>106 プロ固定さんの芥川賞受賞はまだですか?
タコの散歩のことは去年の「すばる」座談会で話してたね。
あの時のほうが面白く話してた。
114 :
吾輩は名無しである:02/10/05 17:52
読みました。
大江最高傑作でないの?
少なくとも「万延元年〜」とはタメをはると思うんだけど。
終章あたりのドライブ感はすげいですね。
>終章あたりのドライブ感
なぜか萩尾望都を想起しますた。なぜでしょう?
116 :
吾輩は名無しである:02/10/06 02:44
ほとんどヤケクソ気味の、怒涛のような猪突猛進を見るようだな。
この小説。
しかも猪突猛進してくる相手が、精力ありあまっている若者ではなくて、
もう、よれよれの、いい年したジジイの大江健三郎なんだから、
こっちとしては、ちょっとビビる。
読み終えますた。周囲から嬲り貶められ、作品の地盤に敷かれている模倣、
再読、批評といったまさに寄る辺のないコギトがそれ自体で反復も散逸も
欲望しない、できないまさにテクストにおいて書き手の身に晒された自己
を模写する大江の圧倒的な突き放し、動も香芽も自分の分身だと思っていた
そのわずかな安息の居場所も終章において機動隊にのっとられ、もはや居場所
などに居場所を求めず、「コギト」への変換によって見えないものに昇華され
る古義人が、みずからの存在をあらわにする瞬間は、いつもその章の最後に
おいてであった。何にも咎めを抱かず、ただその周囲の言動を観察する無意識
が、各章のラストの描写で強烈な畏れに変貌していくドライブ感は、書き手で
あるコギトを超越しながら、そのテクスト内部で逡巡する大江健三郎自身の
無意識の顕に他ならない。歴史の偽作に寄り添うように、自らの作品履歴を
洗いなおすことで、大江は『憂い顔の童子』を偽作に貶めようとする。
「童子」が散逸形式のイコンとして蝕まれる過程が彼のテクストに対する
挑戦だ。完結を希求しながら希求できない自己の希薄な欲望に鞭を打って、
記述され続ける無意識のための記述は、それがたとえ他者性の欠落に
促されていようが、それ自体他者として、己の心的内部に潜むまごうことなき
批評精神である。それが絶えず一貫して「演劇的」に実践される記述が、
逆説的に古義人の中に潜む「畏怖」の発見に到達しているのだ。
>完結を希求しながら希求できない自己の希薄な欲望に鞭を打って
ちがうと思う。
あと逆説的に〜到達したってのも違和感を感じる。
がんがって読んだが読みにくい文章だなオイ
>『憂い顔の童子』を偽作に貶めようとする
これは同意
>>117 コピペじゃないの?読んでないけど。
121 :
吾輩は名無しである:02/10/08 01:19
>『憂い顔の童子』を偽作に貶めようとする
「ドン・キホーテ」自体が、“偽”騎士道物語なんですよね。
で、古義人はその“偽”騎士に自分をなぞらえて、童子の物語を書こう
としている。
この重層的な構造のおかしさ。
読んでいるうちに、頭がクラクラしてきたよ。
しかしこの小説中に、アンチキリストの話題が出てくる。
アンチキリストを「“偽”キリスト」ととらえるか、「“前”キリスト」ととらえるか?
もし後者ととらえるならば、この小説は「童子の物語の“偽”作」というより、来るべき「ホンモノの童子の物語」の呼び水になろう。
・・・なんてことをね、考えてみた。
>>121 そーそ。形は「偽」なんだよね。
「前」か…
アンチキリストと捉えて、ってのは面白いすね
三部作になるとかならないとか言う話も聞こえてくるし
また来年辺りにクルのかな
>>114 ・・・そこまで言われちゃなぁ、読まざるをえまいな・・
うーむ、忙しいんだがなあ
>>122 >三部作になるとかならないとか
先月の新聞のインタビューではこう語っている。
「次に、子どものための小説を力をこめて書きます。そして最後の小説
――今度はおそらく本当です(笑い)――で、この150年間をじつに辛く、
まじめに生きて、しかも世界で孤立している日本人というものを書こうと
思っています」
一応別の話になるようだ。まあ、よく気の変わる人だからどうなるか
わからんが。
>>117 文芸批評家志望者か?
はっきりいって、将来性ゼロ。
126 :
吾輩は名無しである:02/10/08 18:53
いいから読めage
2回目読みが終わりますが何か?sage
128 :
吾輩は名無しである:02/10/08 20:20
>>117 もうちょっと簡素に書きなよ。何が言いたいのかわからない。
漢字を多用してるのは、自分の知識欲を振りかざすようで好感は得られないよ。
読んだ直後にバーっと書きなぐったから支離滅裂で。別に知識欲はあるけど
振りかざすっていうか、スケッチっていうかね、自己満だよただの。
もっと読み込む必要がある。とりあえず単語を並べて、
そこからまた解きほぐしていければいいかと。
別に批評家志望じゃないし、もとからなれるわけないのはわかってるよ。
ただ読んだあとにバーっと書きなぐると後で読み返したあとに
見通しがよくなるんだ。好意的なレスをつけてくれた人には感謝。
ひとつひとつきちんと消化していかないとね。読む楽しみの一つだし。
>>129 じゃあ次からは「書きなぐりで支離滅裂でただの自分のメモなのでレス不要です」
って書いといて。
わざわざ掲示板に書き込むんだからギロンとか会話のきっかけかと思って読んだ漏れは
一体どうしたら。
意味分からん。
>>122 ウム。。。
大江が三部作として次回に「ホンモノの童子の物語」を書く、というより、
わたしは勝手にこんなふうに考えていたんだけど・・
つまり、この「偽」作(虚構の世界の物語)を読んだ若い読者らが、
「新しい人」として、新たな童子の物語を、現実世界の場でつむいでゆく。
・・・それを期待する、願望する、呼び水として、この小説を書いたんじゃないかと。。。
最近の大江は、やたらに「若い人に期待している」という内容のエッセイを書いているし。
132 :
ES-335:02/10/09 07:26
「クマがいたらいいのに。クマが殺されていなかったらいいのに。クマなら僕を咬まないのに。ああ、クマは死んだから!」
早く誰か、大江の本スレを立てて下さいよ。
僕にとって大江の文体は、YMOのテクノポップに匹敵するカルチャーショックでした。
今二回目読み終わった。やっぱすげえ。気合い入ってる。
で、ひとつだけ。
「偽作」って言葉の扱いだけど、それを「虚構」と捉えるというより
も、大江後期の問題意識「ほんとう(もしくは魂)のこと」に対置
されて扱われるべきだと思うんだけど。
「彼の書物の正篇にくわえられたあつかましい剽窃」と同値として
扱われるクソ批評家の「この読みから浮かんでくるのです」なんて言葉
は、結局「ほんとう」に対して「偽」でしかないわけでしょ?
古義人はこの作品で自分が「偽」なのではないかとして、死の手前で
引き戻されるようにして書く自分を吐露している。「本気だったのか?」
という問いかけも、自分自身に深く突き刺さる。しかし、「老いたる
ニホンの会」が「偽」としての「我が青春のジグザグデモ」を行う時、
古義人は自分を「本気で」振り回し、そして意識を突き詰めてハジケた
先の「夢の浮き橋」のような森の夢(=無意識?)の場で、森の奥/
深みの「大きい機関のような夢を見る人」と魂のつながりを持つ。
そして、数知れない童子が現実世界へと「渡って」行くことを夢見る
のではないか。
その点で、
>>131の意見では、「偽作」を「虚構の世界の物語」と
読み替えている前半には同意しかねるが、
>読んだ若い読者らが、「新しい人」として、新たな童子の物語を、
>現実世界の場でつむいでゆく。
>・・・それを期待する、願望する、呼び水として、この小説を書いた
>んじゃないか
という読解には、俺も同意したい。
あ、書いた後に気づいた。
>>121 でもうすでに「偽」か「前」かに触れていたんですね^^;
>もし後者ととらえるならば、この小説は「童子の物語の“偽”作」という
>より、来るべき「ホンモノの童子の物語」 の呼び水になろう。
全くその通りに俺も感じました。
さっそくre-readingを実践してるとは。
136 :
吾輩は名無しである:02/10/09 23:06
折れが買うのを躊躇してる間に2回も読むとは・・・
すげえ。
躊躇すんな。買えば分かる。素で2,3回読んじゃうから。
『リア王』のエピソードがあったが、これはまんまローズさんの創造に一役
買っているのではないだろうか。コーディーリアと道化は、ダブルイメージ
と化している、というやつね。
こういった小技が積み重なって、全体を覆う『ドン・キホーテ』の構造と有
機的に結びついていくのはすごい。並の作家では破綻してしまう。
終章の、古義人の無意識下での自問
「しかし、自分にはもうひとりの母親のような女性の運び手が現われて
「新しい人」を手渡してくれたのではなかったか?」
この「母親のような女性の運び手」がローズさんでもあり、千樫でもある、
と読んだのだが、皆さんどうだろう?
些細なことかもしれないが、ここに感動してしまったもんでね。
セリーヌの亡命三部作みたいなものですか。
141 :
吾輩は名無しである:02/10/11 18:28
ファクスage
いま第十章まで読んだ。
・・・「長江古義人ファンクラブ」のインターネットに出た。
のところで少しワロタ。
ここは酷いインターネットですね、に近いものを感じる(w
全体の感想は読み終わってから、また来ます。
142 :
吾輩は名無しである:02/10/11 19:29
自分は「宙返り」と「憂い顔の童子」しか読んでない
厨房です。「宙返り」の時は、糞をした祈る女たちが
好きだったので、今回の作品で「祈り」について言及
されている点が、興味深かったです。
それとキリストやベンヤミンの話が出てくるのも、面白い
と思いました。
つぎは「とりかえっこ」を読もうと思いますが、
自分のように、最近の作品からさかのぼって行こうとするなら、
おおまかで良いのですが、「これは押さえておけ」という作品を
いくつか教えていただけないでしょうか。
厨房で「宙返り」を読破できるなんてエライ
>>142 初期作品からあげるときりがないので「憂い顔〜」とあわせて必読
とも言えるのは「同時代ゲーム」、「万延元年のフットボール」の
2作品。というかこれらを読んでいないと「憂い顔の童子」にかか
れてあることの大事なところが判らないんじゃないの?
145 :
吾輩は名無しである:02/10/11 19:36
『万延元年のフットボール』
(『憂い顔の童子』では「ラグビー試合一八六〇」となってるやつね)
だけは読んでおいた方が良いと思うよ。
いまとは全然文体の密度が違うので、
読みにくいかもしらんが、
大江の本領はここにある。
146 :
吾輩は名無しである:02/10/11 19:54
『憂い顔〜』の中で、文体について議論するくだりがあるででしょ?
(p.232あたり)
『万延元年〜』『同時代ゲーム』あたりを読むと、
「文章をナオス」が何を言ってるか、
よーく分かります。
いまでもそこらの小説家に比べれば癖の強い文章ではあるが、
あのころのとはまるで別物。
ただ『憂い顔〜』は、これはこれで自立・自律した作品でもあるので、
論文でも書くんじゃなし、
必ずしも過去のものと付き合わせる必要はないだろうけどね。
『憂い顔〜』読むと他の作品も読み返したくなる。
何気なく手に取った『〜アグイー』が、やはり素晴らしい短編だと再確認。
『万延元年』『同時代』『懐かしい年』
『同時代ゲーム』を読むなら、先に『M/Tと森のフシギの物語』を読むことを勧めたいです。
私は『同時代ゲーム』を読みとおすのに相当苦労したから。
内容はほぼ同じ。
『同時代ゲーム』を少年少女向けに書き直したのが『M/T』。(笑)
150 :
吾輩は名無しである:02/10/12 01:25
M/Tって蜜三郎と鷹四のことですか?
やはり、最も難解であるらしい
『同時代ゲーム』を読まないとダメか・・・。
『憂い顔の童子』を楽しむなら、むしろ上記の作品よりも
『取替え子』と『ドン・キホーテ』だと思う。
大江の自作は後でゆっくり読めばいい。
まあ、読んでいれば読んでいるほど、ああ、そういうことか!
というのはあると思うが。
M/Tは読みたいと思うけど、岩波の同時代ライブラリー版が見つからない。
誰か東京近郊で置いてる書店知りませんか?>スレ違いなのでsage
155 :
吾輩は名無しである:02/10/13 00:45
156 :
吾輩は名無しである:02/10/13 00:55
ノーベル賞作家の本が絶版とは・・・。
そういや大学生協で「洪水は〜」を頼んだのだが、
重版未定とか何とかで、手に入らんかったもんなあ。
157 :
吾輩は名無しである:02/10/13 02:15
こないだ「治療塔」「治療塔惑星」をブックオフで見たんだけど、どちらか読んだ
はずなのに内容が思い出せず、面白かったかどうかも忘れてたので買わなかった。
誰か一人でも面白かったというレス書く人がいたらとりあえず買っておこう。
>157
正直どちらもおもしろくなかった。
159 :
吾輩は名無しである:02/10/13 04:47
読み終えますた。
うーむ・・・最近観たゴダールの「愛の世紀」にも感じたことなのですが、
なんというか、これほど名のある人にして、
なんでこんなに無惨な晩年なんすかね・・・
こじつけみたいな引用の連打も、いまいち効果をあげてないというか、
強迫的な感じしかしない。(これはゴダールの新作もそう。)
こんなに老醜を見せ付けられて、読んだ若い人は希望を持てるか??
(自分は学生ですが、安保闘争の演劇とか、うんざりしますた)
端的に言って、古義人カッコ悪すぎ。
三島の「奔馬」でも読んだ方が、
「新しい人」が目覚めるような気がするんですが・・・。
ちなみにゴダールも大江も60,70年代の作品は大好きです。
160 :
吾輩は名無しである:02/10/13 05:06
正直、これだけの作品に周囲の評判にも惑わされず
自分の意見をしっかり書込めるのはすごいと思う。>159
でもやっぱり全く共感できない。ホントに読んだノカー!?ってかんじ。
「新しい人」の目覚めについて、三島を引っ張ってくるのは
全く大江の意図を曲解してるというか、
大江は昔から一貫して実は(三島とは違ったベクトルではあるが)
徹底してロマンチシズムの人なのであり
童子の再生、といったような幻視的なイメージにどんどんと吸い寄せられているところが
大江的であり、安保闘争の再現についてはその活動の内容に全く重きは置かれず
そのダイナミズムのみが物語に利用されているように、
(この人は昔から
「私はロマンチシズム以上の関心を持って政治的活動に関わったことはない」
と公言しているし)
「ロマンチシズムが何か形を持っていた頃のものの再現」
という道具に使われているだけで、そこを主眼に読めば確かにあなたの言うような
感じを受けるのかも知れないが、作家が主題とは置いていないところを
メインに据えて批判してもなあ、という気がした。
漏れは26才だがこの作品を老醜の所業というなら
世の老人はすべて腐肉に過ぎんとおもう。
三島もそうだけどゴダールを引きあいに出すのもなんか違うだろ
162 :
吾輩は名無しである:02/10/13 07:31
教えてくんなのですけど、
ストアの倫理のなかにも、・・・たとえばマルクス・アウレリウス
によれば人生の倫理的生き方として「あたかも最後の日に臨んでいるかのように」
日々生きなくてはならない。云々p.374
というベンヤミンの一節が引用されますよね。
これベンヤミンのなんて本なのですか?
激しく読んでみたくなりました。
>159
醜悪な部分こそ大江の本領では?
それにこの作品では、意識的に自らを痛めつけることが
喜劇的要素につながっていて、そうでなければ『ドン・キホーテ』
を何のために取り込んでいるのかわからないのではないだろうか。
何というかね、滑稽の内部を探っていくと悲哀がその核に潜んでいる
のよ。
かっこ悪すぎなのが、かっこいいのさ。
「取り替え子」を読んでから読もうと思います
165 :
吾輩は名無しである:02/10/13 20:37
>>162 巻末に引用文献リストがある。本文に文庫版とあるので、
『歴史哲学テーゼ(歴史の概念について)』
ベンヤミン、野村修訳、岩波現代文庫、
のほうだと思われ……あれ?一応岩波のサイト
http://www.iwanami.co.jp/ で検索してみたのだが、こんな本はみつからないな。
著者名「ベンヤミン」で引っかかったのはこの三つだけ。
単行本 『パサージュ論』〔全5巻〕
岩波文庫 『暴力批判論 他十篇―― ベンヤミンの仕事1 ―― 』
岩波文庫 『ボードレール 他五篇―― ベンヤミンの仕事2 ―― 』
でもって岩波現代文庫にはこんな本がある
『ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』 今村 仁司
『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』 多木 浩二
たぶん引用文献リストの誤りだと思うのだが……
手元に『暴力批判論 他十篇』があったのでざっとめくってみたが、
引用されてた文は見当たらないようだ。役に立たなくてスマン。
なんかわかったら報告よろしく。
>>163 >醜悪な部分こそ大江の本領では?
>かっこ悪すぎなのが、かっこいいのさ。
同意。どうでもいいことだが、同じく老いをテーマにしているのに醜悪でも
かっこ悪くもないこの本の著者は『憂い顔の童子』をどう読むのだろうか?
http://shop.gentosha.co.jp/Book.asp?prid=1536&alfa=zzqzCzPzjzMz73
167 :
吾輩は名無しである:02/10/13 22:46
「歴史の概念について」は岩波文庫のボードレールに入ってるよ
168 :
吾輩は名無しである:02/10/13 23:39
>167
その中に
>>162が探してる文章は入ってる?僕が持ってる晶文社の
ベンヤミン著作集に収録されてる分には見当たらないのだが……
ただしテキストによって内容に異同のあるらしいことが解説に書いてある。
169 :
吾輩は名無しである:02/10/14 02:23
岩波文庫の「歴史の概念について」には引用文はないっぽい。
(久々にぱらぱらめくってみたが、やはりかっこイイ!)
結局、どこからの引用なんだろ?
哲学板ででもきいてみたら分かるかな??
170 :
吾輩は名無しである:02/10/14 02:32
そういや、慎ちゃんは芦原という名前で登場してたな。
江藤淳は、迂藤。
大江の立場はわかるが、
江藤に対する書きぶりは少々嫌な感じはしたがな。
よほど仲悪かったのかいな?
仲悪かったんだねえ。
172 :
吾輩は名無しである:02/10/14 03:10
芦原→石原慎太郎
迂藤→江藤淳
蟹行→開高健
浜栗→浅利慶太
篁→武満徹
加藤典洋→加藤典洋
173 :
吾輩は名無しである:02/10/14 03:23
>>172 蟹行って開高健だったんだ?
勉強になりますた。
黒野ってのにもモデルはいるの??
最後、悲惨な扱われ方だったが(w
174 :
吾輩は名無しである:02/10/14 03:25
175 :
吾輩は名無しである:02/10/14 03:27
176 :
吾輩は名無しである:02/10/14 03:38
177 :
吾輩は名無しである:02/10/14 03:39
「若い日本の会」(作中では「ニホン」)ってすごい豪華メンツだったんだな。
当時の活動ぶりがわかる文献とかってなんかないすかね。
178 :
吾輩は名無しである:02/10/14 03:42
若い根っこの会なら川越にありますた
179 :
盆栽いじり:02/10/14 04:04
ところで『取替え子』に載ってるうつ伏せの青年の写真、
やたらハンサムなんだけど、あれ大江本人の写真なんでしょうか?
耳小さすぎない?
もしかすると若き日の伊丹じゃないですか?
とすると話が妙に複雑になってきますが。
それともまったくの別人の写真でしょうか。
180 :
吾輩は名無しである:02/10/14 04:20
>179
これは大江だろ。ずいぶん男前に写ってるが。
講談社文芸文庫「万延元年のフットボール」巻末の作家案内に同じ写真が
載ってる。「憂い顔の童子」で加藤典洋が指摘してるとおり、
「1954年3月、19歳。芦屋の伊丹家で(撮影・伊丹十三)」
と説明が添えられてる。
>>179 大江でつよ
今作で伊丹がやたらこだわって撮った写真、って書いてたのがコレだしょ。
182 :
盆栽いじり:02/10/14 05:06
変われば変わるものですね。
変わるものですね。
てか漏れは超美少年だった伊丹十三の方が見てみたい。
184 :
吾輩は名無しである:02/10/14 06:00
>>183 伊丹は、もともと北京原人。
美少年ってのは幾らなんでも無理があるのでは。
しかし、全く都会を知らない「出っ歯で眼鏡」、取り得は努力型の秀才というだけの
世を知らぬまま、日本文学界の先頭に立たされた、若き日のノーベル賞作家よりも幾分マシだとは思われ。
あぼーん
さんざんコケにされた加藤典洋センセは「憂い顔〜」について
まだなにか書いてないんだろうか?
あぼーん
週刊読書人の1面に松浦寿輝が時評書いてるよ。
別に読む必要性も感じなかったよ。大江はドンキホーテにおける「後編」
を描き続けるが、その過程にありふれた「偽作」の形ではない自己の表象
を書くことが世界的に見ても新しいのではないかにゃ?みたいな。
あぼーん
192 :
吾輩は名無しである:02/10/16 00:43
加藤典洋は複雑だろうな。
彼にとっても大江健三郎は「特別」な作家なんだから。
やりこめられたのは応えたはず。
しかし、彼のどうしようもない「読み」が
この作品を生み出すきっかけになったのだとしたら
皮肉だけれど、彼に感謝すべきなのかもしれない。
193 :
吾輩は名無しである:02/10/16 00:51
ドストのパクリだろ?大江ってよ
少なくとも「憂い顔の童子」を読んでドストのパクリとは思わないだろう
から、別に無理して書き込まなくていいよ。
195 :
吾輩は名無しである:02/10/16 01:37
オマエに無理がある。
196 :
吾輩は名無しである:02/10/16 01:55
「取り替え子」p101に出てくる「若い頃の長江をしっかり批判してくれた」
「国際的な映画監督」の「艾(もぐさ)」って大島渚のことかな?
mogusa/nagisaと字面は似てると思うのだが……
197 :
吾輩は名無しである:02/10/16 03:57
最初の方に出てきたCD、何だか分かりました?
分かった方も多いとは思いますが、念の為に書いておくと、
ヤン・ガルバレクとヒリアード・アンサンブルの「オフィチウム」ですね。
大江さんがこんなものを聴いているとは意外でした。
(立ち読みしただけなので、本のどこかに書いてあるのかも知れませんが)。
198 :
吾輩は名無しである:02/10/16 09:25
今日の他事総論 by 筑紫哲也
もし拉致された人、そして亡くなった人達に何か過失があるとすれば、
それは「日本に住んだ、日本人に生まれた」ということでしょう。
朝鮮半島に多大な不幸を与えたことについてそれを止めれず、
そしてその後も50年にわたって放置したという
そういう国に生まれたということの過失ぐらいしかありません。
そしてその過失を償うために何をしなきゃいけないかと言えば
今後いろんな曲折があると思いますけれども、
彼らは植民地支配されたんですから、性奴隷にしたんですから、日本が悪いんですね。
えー彼らはそういった日本人であり、その家族も関係者もそうでありますが
それを日本政府は断固謝罪するんだというこの意思表示を非常にハッキリ
北朝鮮側に今後も訴えていかないといけないということです
199 :
吾輩は名無しである:02/10/16 09:38
大江が大好きなセリーヌだって
ヤバイ事ばっか書いてたんだからさ・・
偉大な文学者は壮大な愚劣さをもってるのだ
200 :
吾輩は名無しである:02/10/16 10:21
ハイデガーも哲学はスゴイけど、人格はひどいね。
ナチを別にしても、人事問題とか、陰でフッサールの悪口言ったり、
アレントと不倫したり、
>>200 哲学者や文学者の人格なんてそんなもんだよ。
柄谷もそうだし。
大江も人格の悪さは昔から有名。
一流の出版社以外は一切相手にしない、とかね。
>>201 そりゃ、おまえにとって柄谷の人格は最悪なんだろうけどな(w
203 :
吾輩は名無しである:02/10/16 16:52
人格がスゲーよくてかつ、才能が無茶苦茶ある奴はだれだ?
人格円満な人間が表現活動に携わって面白い物ができるんだろうか?
いやできるかも知れないけどたいていの芸術家は心になんらかの屈託
があるはず。それを昇華して表現したのが芸術。
「北朝鮮の青年の未来と希望の純一さ」は、「南朝鮮」
の青年達が疑い、嘲笑したように、今日の破局の中に失われて
しまった。大江氏がこれだけ思い入れをした「老いた美しい朝鮮の
婦人」や、「希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわっ
た生きかたを始めようとしている青年」達は、今や住む家も洪水に
流され、食べ物も自由も希望もなく、ただ餓死を待っているであろう。
そうした北朝鮮の惨状について、大江氏はどう考えているのだろ
うか。大江氏が昔の自分の文章を覚えているなら、自らの不明を恥
じて、読者にお詫びをするとともに、自分の見通しがなぜ間違った
のか、思想的にきちんとした反省をしなければならない。それをし
ないこの人は言論人としての資格はない。将来も、また同じような
過ちを繰り返すのみである。
また上記の熱のこもった文章が、単なる共産主義かぶれの若気の
至りではなく、北朝鮮の人々への真実の思い入れだとしたら、自ら
率先して、北朝鮮救援活動を始めるか、ノーベル賞の賞金を北朝鮮
救済の資金として提供する位の事はあっても良いのではないか。大
江氏は、昨年は米国プリンストン大学で静かな研究生活を送ったよ
うだが、現在は別の意味で「帰るべき朝鮮がない」のだろうか。要
はつねに人事なのだろうか。
そりゃあ他人事だろうけど・・・。昔若気の至りで書いた文章を何十年経っても非難
され続けるって、作家って大変だね。
しかしインターネット時代、どこかのコテハンが何々デビューした場合、成功しよう
と、ずっと過去ログ漁って発言晒され続けるのだろうか。
2ちゃんねるのコテハンから成功者なんて出るわけないだろうとかいう突っ込みは
ともかく。
言論ほど、何とでも言えるものはない、という気もするがなあ。
人間なのだから、思想が揺れ動くのは当たり前。
思想に凝り固まっている人間の方がよっぽど不気味だよ。
うがった見方しかできない人は小説も読めないだろうなあ、と思うとね。
そもそも小説家が小説以外のところで非難される理由がよくわからないよ。
>>207 大江は小説以外の発言も多いからな。
戦後民主主義の代表的知識人として、やってきたわけだし
「戦後民主主義の代表的知識人」と位置づけたのはマスコミであって、大江にその
意識はないだろう。
>大江健三郎といえば、戦後日本を堕落させてきたいわゆる「進歩的文化人」、
>「戦後民主主義者」の巨頭である。
>彼は、スウェーデンの王立アカデミーが授与するノーベル文学賞はもらうが、
>文化勲章は辞退した。外国の王室が
>くれるものはもらうが、日本の皇室が授与するものは辞退する。典型的な日本
>蔑視、西洋崇拝の態度である。なんら一貫性はない。
>また、彼は、北朝鮮を賛美し、日本人であることを後悔していた。原爆が落
>とされたのは日本人の責任であると主張してもいる。
>そのくせ、日本の豊かさの恩恵を受け、外国に亡命することなど露ほども考えない。
>彼の特徴は、日本国内においてはあいまいな言葉を使ってソフトに日本を
>非難する論調をとるが、ひとたび国外に出ると悪し様に日本を罵ることである。
>フツウの愛国心がある者なら、国外に出て母国の悪口は言わないものである。
>彼は反日外国人にありがたがられているが、外国人は、自国を悪し様に罵る
>大江のことを内心では軽蔑していることに気づいていない。
>中国と日本と、いずれが国家主義的傾向が強いかなど比較すれば明らかである。
>中国は、核兵器を製造・配備し、近隣諸国に圧力を加え、チベット・ウイグル・
>旧満州などを侵略し、言論を弾圧し、結社を抑圧する。そんな中国を非難する言葉
>などひとことも言うことはなく、ありもしない日本の国家主義的傾向のみを非難する。
>また、侵略や残虐行為の謝罪にしても、中国政府の侵略や、現在も行われて
>いる裁判なしの銃殺刑、反体制運動家への拷問などは全く非難しない。
>他方、民主的に選挙でえらばれた地方自治体の首長を「恥」と罵る。
>いったい、恥知らずとは誰のことか?
>こういう恥知らずな人間が、日本には腐るほど存在することを考えると、アタマ
>が痛くなってくる。
継ぎ接ぎの似非知性
枯れろ
非難する時は自分の言葉で
遅レスになるが、ベンヤミンの引用の詳細がわかった。
P374の引用は
『ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」精読』今村仁司 岩波現代文庫
からの引用。
今村氏の第Vテーゼ解説を引用したようだね。(P103)
214 :
吾輩は名無しである:02/10/17 23:49
わたしはやまぴかりゃーのなまえをずっとまちがえていたようなん
やよ。やまぴかりゃーということばをぴかにゃーということばとい
っしょにして、りょうほうがひとつのことばで、そのままぴかにゃ
ーというなまえになってるとおもってたんやねえ。そうきがついて
みると、やまぴかりゃーというなまえはふしぎやなあ、どうしてや
まぴかりゃーかなあ?
>213
織田医師が買った文庫本はこれだったんだな。
質問した者ではないが、気になっていたのでさんきゅう。
>戦後日本を堕落させてきた
↑大江にそんな力があるわけないだろ
本気だとしたら電波
作家の大江健三郎氏(67)に5月22日、
東京・南麻布のフランス大使館・大使公邸で、レジオン・ドヌール勲章(コマンドゥール)が授与さ
れた。
グルドーモンターニュ駐日フランス大使が
「作品には知的な高い志と道徳観が込められ、二つ(フランスと日本)の文化の対話のため、
ご自分の立場を主張されてきたことに、敬意を表する」として、大江氏に勲章を授与。
大江氏は「私の人間、社会、政治についての思想の土台はフランスのユマニスムで、
振り返ると私は単純な一筋の道をたどってきた。
今、おそらく私の最後の小説になるだろう『200年の子ども』という長編小説を書き始めようとし
ており、
200年前に創設された威厳のある勲章を受けることが、幸運の予兆のように感じる」と述べた。
大江に対して感じるのは嫌悪である。それは自分の事を
「戦後民主主義者」だとヌケヌケと語り(そしてそれは全くその通りなのだ
が)、酒鬼薔薇事件の時に「なぜ人を殺してはいけないのか」と言った
子供に対して、誇りのある子供はそのような質問は恥じて口にしない
ものだ、と答えたりする正に「戦後民主主義者」そのものの偽善者ぶ
り、文革礼賛・北朝鮮礼賛と『ヒロシマノート』『オキナワノート』などの
反米的な仕事にうかがわれる旧左翼ぶり、岩波や朝日といった一流
紙でしか書かず、自分に対する批判は圧力で押し潰すといった権威
主義者ぶりなどが、とにかく嫌だったのだ。この間のノーベル賞受賞
にしたって、そのためにスウェーデン大使館に通ったりと様々な政治
工作をしていたのは周知の事実だったし、大体その直前に文化勲章
を辞退するというパフォーマンスもなんか嫌らしくて不快だった。天皇
制はダメでスウェーデンの王制ならいいのか? 大体その昔サルトル
のノーベル賞辞退に喝采していたではないか。
>>218 それは誰の文のコピペですか?いえ、煽りとかではなく。マジで知りたいんです。
オガケン
もはや個人的に恨みがあるのだとしか思えん。
じゃあ、公衆の面前で腹をかっさばくのはいいのか?ということになるよ。
こんなこと言いたくないから言わないけどさ。
嫌悪感しかないのなら、知らんぷりしていればいいでしょう?
なぜ、それほどまでにこだわってるの?
〜賞受賞したことを批判する人って、その賞の権威を認めてるってことだよね。
大体大江が天皇から賞もらっちゃったら、天皇批判や、何しろ天皇に関係したこと
を書くのに制約を受けちゃいかねないから、もらう方が不自然じゃないか。
賞もらってたら「天皇爆殺計画を企む若者の小説を書いたおまえが何故天皇から賞を
受け取るのか」って批判するんでしょ。
大江嫌いは賞のことに関しては物言いが下手。
224 :
吾輩は名無しである:02/10/19 03:18
大江健三郎が、フォークナーを救いの文学として読んだ、とか書いていたけど、
225 :
天之御名無主:02/10/19 03:49
>しかし大江中期の作品『同時代ゲーム』を読んだとき、
>そのあまりの文体の弛緩ぶりに思わず本を投げ出してしまった。
つまり、同時代ゲームで躓いたんだ、この人は。
あれって、読者の読むスピードを遅らせて、
問題に真剣に当たってもらおうと考えた、
大江ならではの、テクニックだろ?
確かに、左翼かもしれないけれども、なんとなく、大江が可哀想。
226 :
吾輩は名無しである:02/10/19 04:10
( ^ヮ^) < 大江の息子の音楽は、どういった姿勢で聞くべきか。)
つうかココは「憂い顔の童子」のスレです
私、これからゲリをするたびに彼の「音楽」が聞えてきそうでこわいです。
作中で2回も「演奏」しないで欲しかった。
229 :
吾輩は名無しである:02/10/19 12:03
大江の本スレはないのですか
『憂い顔〜』自体が過去の作品の読み替えを行っているから
どうしても言及せざるを得ない、と思ったりもする。
あぼーん
あぼーん
233 :
吾輩は名無しである:02/10/19 22:59
柄谷とか浅田とかスガなんかが書いてるブックガイドに、
『万延』について奥泉光が、
「では問題。どうしてS次兄さんだけイニシャル表記なのでしょうか?」
と書いていたのだけど、判らない。
どうして?
作品より賞云々の方が大事なのかな。
文化勲章を拒否したことには理由はあったけど、外国の賞もらう時には
たいして何も考えてなかったと思うよ。
非難してる人は逆に大江の良識を信頼しすぎ。
叩くなら作品を叩きゃいいのに。叩き所は多いよー。
235 :
吾輩は名無しである:02/10/19 23:19
叩き尽くされますた。
石原慎太郎だったら、
あんな下らないもの(文化勲章)貰ったってしょうがないよ
と言い放つんだろうな。
文化人としての営業スタイルとはいえ、
国家うんぬんと小理屈を言っちゃうのが大江の苦しい所だ。
素直に「ダサい」と言えないものか。
237 :
吾輩は名無しである:02/10/19 23:24
大江が外国の権威ある賞をもらったうえ
文化勲章を蹴るのがうらやましいんでしょ
もらえないし>因縁つける連中
ま、ノーベル賞受賞後にその権威に擦り寄る形で
文化勲章授与を画策する政府当局もいい恥晒しなわけだが。
239 :
吾輩は名無しである:02/10/19 23:42
大江は英語でフォークナー読破したらしい。
>236
文学者でもないただのパフォーマンサーを<石原
もってくんなよ、まるきり違うw
241 :
吾輩は名無しである:02/10/20 00:48
黒野って立花隆でふか?
パフォーマーね。
>241
立花隆ではないと思う。
バブルの頂点で、日本の私立大学がカリフォルニアに分校を
作ろうとした企画を立て、
ソビエト崩壊の際に、商社のモスクワ進出の橋渡しをし、
頭頂の後ろまで禿げ上がっているのに、その下辺は豊かな髪を持ち、
東大仏文を出て、電通に入り、
そして背丈は一メートル八十はあるという人物。
情報は与えられているのだが、特定できない。
誰かこれらの情報でピンと来る人がいれば…。
創作か?
雅子さまは大江を愛読されているとか
野依良治名大教授のノーベル賞の受賞式に、歴代のノーベ
ル賞受賞者も出席していた。その中に、「あの」大江健三郎の姿が・・・
有名な話だが、大江は、ノーベル賞受賞に際して、日本政府
から文化勲章を受ける話を断った。理由は、「国家から表彰
されたくない。皇室からもらいたくない」だった。
文化勲章を否定すること自体は、同じ日本人であることに恥
入るが、思想の問題だから、別にどうこう言うつもりはない。
しかし、だったら、どう考えてもノーベル賞も辞退すべきだろう?
なぜなら、ノーベル化学賞は、スウェーデン王立科学アカデミ
ーが国を代表して選定する。授与するのは、スウェーデンの
グスタフ国王だ。
国家が関与し、王室が授与するという点では、文化勲章も、ノ
ーベル賞も同じである。文化勲章がイヤなら、ノーベル賞だっ
ていらないというのが当然である。
大江は、それはしない。その理由は何だろうか?
日本人のくせに欧米の視点に立ち、日本をバカにしている
か、一億円以上の賞金に目がくらんだか、どっちかだろう。両方か?
大江がノーベル賞を受けたことにも腹が立ったが、その後の
記念講演も聞いていて呆れたことを思い出した。日本がイヤ
なら、さっさと心のふるさと中国か北朝鮮に行けばいいものを・・・
そして、今また、性懲りもなくスウェーデンに呼ばれてのこのこ
出ていく彼の気が知れない。「国家の指図は受けない!!
いちいち出ていけるか!」くらいのことは言えないのか?
恥知らずとは、彼のためにある言葉だとすら思う。
大江が恥知らずだろうがなんだろうが
作品には関係ないよ
大江が文化勲章を辞退したとき、たしかこんなコメントがどこかに載っていた。これはホンネに近いと思う。
「寅さんがタキシードを着るのが似あわないように、ぼくが文化勲章をもらうのは似合わない。(文化勲章辞退に)戦闘的な意味はない。」
まあ、もっとホンネを言えば、今まで天皇制に批判的な文章をさんざん書いてきたのに、天皇から勲章を貰うのは、ダサイ、と思ったからなんでしょう。当然の選択をしただけ。
もし貰っていたら、私は大江を軽蔑していたと思うね。
248 :
吾輩は名無しである:02/10/21 02:15
さっき読了しました。
最後の小説という思い入れはわかるが、単にウェルメイドの読み物でしかなかったという
不満が残りました。80点というところかな。
文学の息の根を止める究極の傑作は大江には終に書けなかったのだという気がする。
<248
おいおい、あの人はまだ書くでしょう?
最後の小説だなんて言ってないよ。
あとどう不満だったか教えてくれ。煽りでもなんでもなく
作品に対しての批評という意味で。
あなたのここが不満だったというのが聞きたい。
>>239 大江って、何ヶ国語喋れるのかな。
フランス語もわかるらしいけど、本当か?
まだ書く予定らしいよ。 cf.
>>124 Kogito, never come back!
と俺は叫びたいんだが。
>>250 じゃべれるかどうかシランが東大仏文出てるんだから読むには不自由しないでしょう。
マラルメ、ブランショ的な究極の書物・来るべき書物という点で不満が残る。
大江はカッコつきだが「最後の小説」という観念に取り付かれている。
そのような野心がある物書きなのに本作品はそうではなかったということ。
「最後の小説」を書こうとする小説、前振りなんだから。そうでなくて当たり前
なんだけど・・・。
>249
最後の小説って
順番的に最後に書く小説って意味じゃないのです。
主観的すぎて何を期待して何が期待外れだったのか全くわからん
論じる気はあるのか?自分の意見をただ書き散らしたいだけだったら
自分のノートにでも書いとけば?
257 :
吾輩は名無しである:02/10/21 16:48
<248
つまり、あなたの言っている「最後の小説」という意味は、これまでの
他の小説家を含むすべての作品にとどめを刺して、これ以降の小説は
戯れ言にすぎませんよ、といった大傑作のことを言いたかったわけだよね?
その気持ちはわかる。『憂い顔〜』もそういった意味では「最後の小説」
ではないだろう。
ただ、この作品の節々から彼が「最後の小説」を書こうとする意志が伝わって
気はしないだろうか?
そしてそれは、すべての作品を超越する大傑作を書くのだということではなく
彼にとっての「最後の小説」という意味なんじゃないかと思うのだが。
259 :
吾輩は名無しである:02/10/21 18:20
>>249 >おいおい、あの人はまだ書くでしょう?
>最後の小説だなんて言ってないよ。
断筆宣言をしながら撤回して書き続けるところは
筒井康隆レベル。はづかしー。
260 :
キャロルくん:02/10/21 18:30
だからそういう最後の小説を書こうという意志は「憂い顔・・」から伝わってくるし、
それなりに楽しめるけど、いつも決意表明で終わっている。
別に『憂い』が全面的に、というか大江が彼自身を投影させたと読む
べき書物であるか以前にまず「偽作」として読まなければならないし、
しかも「偽作」でなければ、(というかどうかんがえても「偽作」だし)
たち顕れない、あるいは透視できない外部があるわけで、「決意表明」
を前提するよりまず語られなければならないフィクションがあって始めて
終局の「コギト」に到達する。出てくる人物が端から実物をイメージ
させるというかそうさせているのはいわゆる「偽作」に二層構造、
ダブルイメージであってすべて小説の技法であるとボクは読む。
別に大江の個人的所産や子供へのアーティスティックな批判などは
小説を読むにあたってはどうでも良いと僕は読む。背後関係に何があろうが
3面記事的なホームドラマで終わらせる以前に作品としてのすさまじさ、
(それがたとえ背後から迫るものであっても)それ自体、「ドン・キホーテ」
を凌ぐものがある。ワイドショー的なゴシップを裏づけにする以前に
創作として前衛と今になっても呼べるとすれば大江以外にいないだろう。
あらゆる現実との衝突を「壊す人」が壊していると考えれば、この作品の
強度が如何に、大江から切断しているかがわかるというものでもあろう。
大江が「新しい人」を現代に拡散させようとしていようがなかろうが
そんなことは作品にとっては「余談」でしかなのだ。
大江健三郎氏に仏レジオン・ドヌール勲章 (朝日)
作家の大江健三郎氏(67)がフランス政府からレジオン・ドヌール勲章コマンドールを
受けることが決まり、22日に 東京の仏大使館で叙勲式がある。
3段階に分かれる同勲章の中で、コマンドールは最高位。
シラク大統領から大江氏に届いた文書によると「格調の高い作品でノーベル賞が与えられ、知的かつ倫理的スケールが国際的に認められた」などと叙勲理由が書かれている。
大江氏は、95年にシラク氏の核実験再開に抗議して、フランスでの文学シンポジウム
を欠席したことがある。今回 は、シラク氏の、米英と異なる核軍縮の役割に期待して
受けることにしたという。同勲章は、画家平山郁夫氏や評論家加藤周一氏らも受章している。
何もくれないと抗議で欠席するけど、勲章を貰えるなら核実験でも容認、
日本の勲章は要らないけど、フランスの勲章は、
志を曲げても欲しいというところかにゃ。
フランスコンプレックス丸出しだにゃ。
まあ、ノーベル賞を辞退した奴を礼賛しといて、
自分はちゃっかりもらうような人ですからにゃ。
サヨクのダブルスタンダードぶりは、
今に始まった事じゃありませんけどにゃ。
>>263 その手のカキコもええけど、作品の中身についてもなんか言えや。
一冊でも読んでいれば、こういう書き込みはしないと思うがなあ。
思想の問題はつくづく不毛なものだと感じるよ。
文学板なのだから、非難するなら作品を!
本スレはどこですか?
267 :
吾輩は名無しである:02/10/23 01:11
ここ。
268 :
吾輩は名無しである:02/10/23 01:26
>>262 偽作という言葉、いまいちふにおちないなあ。意味が少しずれてなのかなぁ。フィクション化しているっていう主旨だよね?
偽作ってなんか違うときに使う言葉じゃないか? それと、ドン・キホーテを超えている、というのもおかしくないか、超える超えないというレベルと違うところで、
現代文学としてかなりいいものなんじゃないのか?おれはそう思うのだが。
この作品はやはりなみの手腕ではないなぁ、とは思うのだが、個々に腑に落ちないところもある。迂藤の遺書を批判した部分、あれはなくてもよかったのでは
ないのか、と思うのだ。あの評を真として出しているのなら、迂藤は脳梗塞後の気力の弱りを含めてあのようにいったのだとうけとるべきところを、あのように「
脳梗塞後のリハビリをしている人に対して失礼」とするのは、単に狭量な見方というしかないのだが。
>>268 漏れはその大江の「大人げのなさ」が結構好きだw
もし大江がこの迂藤評をコギトの「大人気なさのあらわれ」をほのめかす仕方でかいてあったとすれば、たぶんオレは腰ぬかすほどおどろきながら、いったいどんな重層的なフィクション化をしてんだと思ったような気もする、と夢想したりして。
271 :
吾輩は名無しである:02/10/23 02:15
念のため、「偽作」は本来は、「古文書に黄金伝説というのがあって、其処にはこういう一文書いてあって、と引用したりして、それが実は実在しない古文書だったりしたとき、偽作といってもいいかもしれない。
272 :
吾輩は名無しである:02/10/23 02:20
>>268 「CT検査で……客観的にいまの私がかつての自分の健常さとは違うと
示されても、私は生きてゆく」と言う者からの批判として、決して
狭量なものとは思えないなあ。前作から一貫して自殺に関する倫理的な側面が
重要な主題のひとつになってるので、小説の流れとしても不自然ではない。
また、迂藤に対してだけでなく、その自殺をロマンティックに賛美する
マスコミに対する批判もこめられていると思う――ひょっとするとこちらに
たいするウェイトの方が大きいかも。
273 :
吾輩は名無しである:02/10/23 02:25
>>258 すべてを凌駕する大傑作なんてのはもともと、ありえませんよ。理由をはっきりいっときましょう。過去、現在、未来にわたって、人類の経験と観念の多様性というものは、一天才に対して絶対的に優位だからです。
274 :
吾輩は名無しである:02/10/23 02:39
>>272 いやあなたのいうこともわからないではないよ、しかし、「かつての自分の健常とちがう自分」というのは、迂藤の遺書の読み違いだと
私は判断しているのです。迂藤は、どう考えても、脳の働きが違っちゃった、といってるのではなく、病後、気力が弱っちゃいました、とむしろ、
そのように読んで、おおしいかのように読むマスコミを批判するべきだと思う。コギトの評価はマスコミと対極に行き過ぎたもので、真を主張するには疑問の余地がある。
275 :
吾輩は名無しである:02/10/23 02:47
>>272 マスコミ批判の意図はどうしても不賛成。しかし、自殺否定の流れでとりあげた、というのなら、たしかに多少真理からはづれていてもいいかなぁ、とは思った。
<<273
うん、そのとおりだと思う。ただ、248がそうした意味で使っていたから
それに乗って話を進めてみただけだよ。
一個人の作品に対して、「最後の小説」という言葉の使い方に違和感が
あったから。
紛らわしく書いてしまったかな?
277 :
吾輩は名無しである:02/10/23 03:30
>>274 小説を読む限り迂藤の遺書の内容は会話の中でさらっと触れられるだけだし、
迂藤がどんな人物であったかも読者にはほとんどわからない。「読み違い」と
判断するには材料が不足では?もちろん実在の江藤淳についてならそのような
解釈が可能かもしれないけど。
しかしこうして事実と虚構をきっちり分けて考えるのも(必要な作業とはいえ)
この小説の読み方としてはつまらない気がするなあ。うーん。
>>275 終章で「凛然とした遺書」などと口にする新聞記者を登場させて千樫に反論
させるあたり、やはりマスコミに対する批判の意図があるように思える。
大江の読解力が欲しい。
新聞の文体の変化を、瞬時に見分けるらしいよ。彼は。
>>277 私としては、江藤ではなく、迂藤としてあえて読んでも、コギトは私のように読むべきだと思ったのです。その上で書きました。
しかし、これは私が熟慮した上で、「腑に落ちない、ひっかかる、」としたものですから、誰でもすぐ賛成するとはもともとおもってはいません。
マスコミというなら、大江はむしろ特定の、サン○○などの新聞にこだわりを持って書く性質(タチ)とはいえるんでしようね。
>>277 もうひとことだけ言わせて。 小説は誰でも重層的に読むはずです。読み方としてつまらない、といわれるとやはり腹たってきました。
281 :
吾輩は名無しである:02/10/23 13:36
大江は地上の楽園(北朝鮮)にいつ帰るのですか?
>>280 小説内の迂藤と実在の江藤はとりあえず分けて考えるべきだし、小説のみを
(あたかも江藤のことなど知らない外国人のように)読んだ場合、あなたの
「読み違い」と言う判断には無理があるのではないか。しかしその上で、
この小説に限って言えば、このように虚構と現実をきっちりと分けて
考えるのは、解釈の第一段階として必要な作業ではあるが、それだけでは
我ながらつまらない気がするなあ(なにしろ加藤典洋を実名で登場させて
批判するような小説なのだから)と言いたかったのでした。あなたの読み方が
つまらないという意図ではありません。誤解を与えたようで申し訳ない。
あぼーん
あぼーん
>大江健三郎は卑怯である。大江健三郎は卑屈である。大江健三郎は
>醜悪である。
ここらへんが最高にいい。ほめ言葉だよ。
287 :
吾輩は名無しである:02/10/24 00:09
283,284はなんのつもりか威勢よく述べ立てていますが、考えてみてほしい。よしんば大江がどうデタラメな政治的言辞を
連ねてきたのだとしても、これぞ叡智のある政治的発言であった、という記憶を、実はわれわれは、現代史においてそんな
にもっていないのではありませんか?政治的意見に難癖をつけるのは、たぶんとても簡単なことであるような気がします。
しかし、「あの時あの局面におけるあのひとの意見は立派なものだったよ、なぜなら・・・・」ということばこそ、聞かせていた
だきたいものです。かくいうわたしはそのような記憶はなく、私の理解力の非力を疑ってもいますが。
288 :
吾輩は名無しである:02/10/24 01:18
政治的発言の妥当性なんかどうでもいいが、
晩年の大岡昇平が病床の天皇に向けて発した「おいたわしい」という言葉が
物議をかもすような世界だからなー
しかし、どうして世間は文学者に政治的発言を期待するんだろうね?
またそれに応えるほうも…
オヤジサヨクが昔の自分も一緒に正当化しようと
必死なスレはここですか?
290 :
吾輩は名無しである:02/10/24 04:38
あの馬鹿がクソレス返すようになってから、
この良スレまで荒れはじめてしまった・・・(泣
お願いだから、QP、もうここにはこないでください。
291 :
吾輩は名無しである:02/10/24 04:41
QPって何?
292 :
吾輩は名無しである:02/10/24 04:44
>>291 人の形をしたウンコです。
物理的にウンコなのです。
293 :
吾輩は名無しである:02/10/24 04:46
ああ、なるほど。わかったよ!レス有難う。
>>290 >願いだから、QP、もうここにはこないでください。
2ちゃんねるに期待することではないと思うが。
295 :
吾輩は名無しである:02/10/24 11:43
289以降、いきなり不気味な空気になったのはどういうこと?急に野良犬があつまってうなり声をあげたとでもいうようにそれぞれ微妙に意味不明瞭だな。
ほんとウヨとサヨの二語でしか者を考えられなくなった(あるいはにたような)あわれな人たちが多くなって。
あぼーん
>>15 すごい遅レスですが――。
『取り替え子』を「自分の人生の中で最も重要な三作品のうちの一つ」と
しているなら、『万延元年〜』ともう1冊は、『洪水はわが魂に及び』では
ないかという気がする。
大作で野間賞とったから…ということでなく、若い世代へ託すものという
意味でストレートだから。それと、『取り替え子』に、あれは父親に対する
オマージュ的なものだという記述があったような。連綿としたタテの鎖が
ひとつ、彼の小説世界にとって大きい柱だという印象を持っている。
自意識にとらわれる人なら、自己を問うとき、やはり血や根源を遡るだろう
という意味でも…。
ま、私は昔から大江作品の前には「深い溝」を感じながら読んできたので
自信ないが…。端的な理由、女だし…、俗世間にどっぷりつかって
生きてきてしまったので…。
あぼーん
あぼーん
300 :
吾輩は名無しである:02/10/24 22:52
>>296 あんたすげぇ勘違いしてる。日本の青年といっても、若き官僚、法曹、医者どもと、三流サラリーマン、チーマー、特攻服着た青年がかなり違う意識をもっているように、
北朝鮮だって、はっきり方向ずけられてるのは、労働党直系の組織に属している連中くらいで、大多数の地方の末端労働者青年はわりをくわされてあえいでいるだけだろう。
?かんちがいは俺か?大江の文章なのか、これは。じゃやはり、大江は、小説はうまいが、政治的洞察はかなり劣ってるな。べつにいいけど。
302 :
長江古義人:02/10/24 23:18
まあ大江は四国の山奥から東京に出てきたコンプレックスから
国家権力などの中心的なものを憎み、山奥と世界が直結する回路を熱望し夢見てきたという
批評家がいる。それゆえ、日本の中心的な文化勲章を拒み、世界的な権威のノーベル賞を有り難がったということだろうか?
303 :
吾輩は名無しである:02/10/24 23:34
>>297 >『取り替え子』を「自分の人生の中で最も重要な三作品のうちの一つ」と
>しているなら
ホントすか? …ヤパーリ!という気がする。そうでなくちゃ!と
思うナ。うーむ、大江よし! あとの二つがどれかということについては
論が分かれるだろうが、
304 :
吾輩は名無しである:02/10/25 00:23
>>302 あえてマジレスさせてくれ、文化勲章というのは、天皇陛下がさずけるのじゃなかったけ?たぶん大江は天皇の戦争責任を確信しているから、というのが、理由だろうな。
ノーベル賞の場合、もともとの淵源はノーベルであって王室ではないし、王室が戦争犯罪人だという認識もないからでは。
そしてもうひとつ、ヘミングウェイ、シェンケビッチ、マルケスなど、ノーベル賞に名を連ねることを、まあ光栄と思えるくらいの顔ぶれが蓄積としてあったということでないの?
305 :
吾輩は名無しである:02/10/25 00:36
>>297 私見では、自分の人生のなかで、というのであれば「個人的な体験」がその一作では?あと一作が微妙、意外とデビュー作かも。
でなければやはり、「万延」か「洪水」なんだろうな。「個人的な体験」はやはり「死の棘」と双璧の壮絶作品だよあれは。
作品が優れているからといって、それが作家にとって大事かと言われれば
難しいなあ。
少数意見かもしれないが、『懐かしい年への手紙』を推す。
一見とっつきにくい小説だけど、とても美しいよ。
彼がこの作品を大事にしているのがよくわかる。
307 :
吾輩は名無しである:02/10/25 02:59
>>306 作品が優れているからといって、それが作家にとって大事かと言われれば
言ってるのは、あんたしかいないよ。誰も「優れているから」とはいってない。
>>305 んだね。
『万延元年〜』よりも『個人的な体験』のような気がしてきた。
むろん読者にとっての3冊ということでなく、15さんのカキコを見て、
はあ、大江ってそういう人なんだ、『取り替え子』が入るのか…と
いう驚きをもった結果、その3冊を推測してみるということ。
血でつながったタテの鎖より、体験の集積でしかあり得ない自我を
意識すると、確かに『個人的〜』の方だね。
ファンクラブのHPに解答は出ているのだろうかw。
実は、コギト(古義人)という名に、「おいおいおい、やめとくれ」と
げんなりしつつ、いや、大江作品には、やっぱりこれしかないのだなあと
納得してしまう私。これ、各国語に翻訳されるときは、漢字の意味の註
なんかがつくのでしょうか、やはり。「義」ってどう訳すの?
あぼーん
あぼーん
312 :
吾輩は名無しである:02/10/25 22:49
田口検証本、本日堂々発売!
馬鹿ども買え!!
我々の印税がかかっておるのだ協力しろ!
>312の無礼きわまりないカキコについてのお詫び。
田口スレの住人ですがお邪魔いたします。
ランディ周辺の汚猿が、盗作監視スレの
評判を落とすためのなりきりカキコを、
あちこちのスレで乱発しています。
こちらのスレッドを無礼なカキコで汚して申しわけありません。
どうかお許し下さい。m(_ _)m
まず私が大江に対して感じるのは嫌悪である。それは自分の事を「戦後
民主主義者」だとヌケヌケと語り(そしてそれは全くその通りなのだが)、
酒鬼薔薇事件の時に「なぜ人を殺してはいけないのか」と言った子供に
対して、誇りのある子供はそのような質問は恥じて口にしないものだ、と
答えたりする正に「戦後民主主義者」そのものの偽善者ぶり、文革礼賛・
北朝鮮礼賛と『ヒロシマノート』『オキナワノート』などの反米的な仕事
にうかがわれる旧左翼ぶり、岩波や朝日といった一流紙でしか書かず、
自分に対する批判は圧力で押し潰すといった権威主義者ぶりなどが、
とにかく嫌だったのだ。この間のノーベル賞受賞にしたって、そのために
スウェーデン大使館に通ったりと様々な政治工作をしていたのは周知の
事実だったし、大体その直前に文化勲章を辞退するというパフォーマンス
もなんか嫌らしくて不快だった。天皇制はダメでスウェーデンの王制なら
いいのか? 大体その昔サルトルのノーベル賞辞退に喝采していたではないか。
作品の話で盛り上がってたときは息を潜めてて
書き込みが収まった途端にコピペ貼りまくる
って情けなさ過ぎるだろ
カスにもほどがある
つーか、
「クソどもが。」
317 :
吾輩は名無しである:02/10/26 17:04
>>314 >岩波や朝日といった一流〜
この認識はミス。
>>317 意味わかんにゃい。
付け足しの316は漏れだけどそういうの自作自演って言うのか?
なんで漏れはこんなに必死なんだろ。
321 :
吾輩は名無しである:02/10/26 17:53
大江が糞だってことは確かなわけで
フランスは、核実験、アラブ人差別、植民地支配への反省なし、自国の戦争
美化をしている国。
しかし、受け取る勲章が「レジオン・ドヌール勲章」という世評の高いもの
だということで、それを受け取る。いかにも大江らしい。
大江はフランスの植民地支配、歴史歪曲、戦争美化、核実験は許すくせに、
日本のそれらは問答無用で悪とみなして根拠ない批判を繰り返す。
324 :
吾輩は名無しである:02/10/27 01:42
しかし、どうして世間は文学者に政治的発言を期待するんだろうね?
自分にその芸術自体が理解できないから
同じ土俵で自分にも分かることを言って欲しいんじゃないの
それで発言がドキュソだったら
「ほらいかに高尚な事書いてても社会的には馬鹿なんだ」
って勝ち誇る。
下品ですな。
まあ、あんまり気にすんな。
何発言しようが俺にとってはどうでもいい。
作品の話をしましょう。
327 :
吾輩は名無しである:02/10/27 03:13
大江のエッセーのどっかに書いてあったが
大江はデビューしたての若いころ、水着モデルの審査員とかやっていたらしい。
その時の感想で「審査会に嫌悪感が昂じてきた」とか。
それならやらなきゃいいのに。
23,4で在学デビューのぺーぺーに仕事なんぞ選べまい。
つうかなんでそんな仕事回ってきたんだw
あぼーん
あぼーん
331 :
吾輩は名無しである:02/10/27 10:57
副島隆彦
って
どっかで聞いたことだけはあるな
どうでもいいか・・・
332 :
吾輩は名無しである:02/10/27 12:56
既出だったらすみません。
鹿砦社の「スキャンダル大戦争2」というムックに
「セヴンティーン」第2部が無断(?)掲載されてますよ。
例の深沢七郎の小説も。昨日、本屋で見つけて即効で買いました。
大江きらい
他の2作の話だけど、たしか誰かが取り替え子のサイン会で大江さんに直接質問して、答えてもらったって話をどっかの掲示板かなんかでよんだよ。どこだっけ……
>331
副島っていえば、英語できないくせに予備校の英語教師して、ついでに馬鹿な本だして、山形浩生にばかにされまくってたやつ、じゃなかったっけ
とか言ってみるtesuto
336 :
吾輩は名無しである:02/10/27 17:44
偽善者の代表(チャンピオン)のような人がノーベル文学賞をもらったのには驚いた。
ご存知、大江健三郎である。
大江健三郎は日本の文化勲章は拒否している。その理由は自分のような戦後民主主義者
に国民的栄誉は似合わない、とのことかららしい。
ストックホルムの受賞記念講演では「あいまいな日本の私」と題して、日本人の悪口を
言い、スウェーデンをヨイショしている(『あいまいな日本の私』岩波新書参照)。
日本は悪い国だから、その国の栄誉はもらわないが、外国とくに西欧は良い国だから
ノーベル賞はもらうんだと。
話は変わるが、大江は酒ぐせが相当悪いらしい。たとえば、安岡章太郎の『愛犬物語』
(KSS出版)には、新宿のバーで吉行淳之介といっしょに飲んでいた遠藤周作にケンカを
売った話が書いてある。大江の売り言葉はこうだ。
「ぼ、ぼかァ、ト、トーダイの拳闘部のキャプテンなんだ。あーア、こ、こ、こんやは
腕が鳴る。ぼ、ぼくのパンチの一発を、ボーンとやったら、え、え、遠藤周作のウソ吐きも、
ちちちったァ、骨身にしみてこたえるだろう」(前掲書)
また銀座の店では日本文学賞の選考委員の阿川弘之がその日、賞を落とされて頭にきた
大江にウィスキーグラスを投げつけられたとか(谷沢永一『鳩よ!』昭和六三年一〇月一日号参照)
私とても面白い思う掲示板はここですか。
338 :
吾輩は名無しである:02/10/27 20:30
>>336 大江は自作の中で、もっとみっともないハズカシイ所業を書いているぞ。
新婚早々、酔っ払ってベッドのシーツにウンコをして、それを新妻に見つけられた話とか。(たしか「河馬に噛まれる」に書いていた。)
大江ファンは、大江がクソみたいな奴(笑)だということをじゅうぶん分かった上で、その作品を読んでいるんだな。これが。
>>306 作品が優れているからといって〜
これ、私見です。頭に来た人がいたら、申し訳ない。はしょらずに
書けばよかったですね。
でも、根拠はあるんです。意匠を凝らした自伝だし、なにしろ講談社
文芸文庫のあとがきで、自分にとって特別な小説と言っているから。
上記の作品(『万延』『洪水』『個人』など)を挙げた方を否定するつもり
は全くありませんでした。候補のひとつしてどうかな?と。
>>340 え、江戸っ子!?
しかし大江は毎作品、「自分にとって特別だ」っていうようなことを言ってると思った。
そういうとこおちゃめで好きなんだが。思い込みの激しい感じで。
特別なのは同時代ゲーム、懐かしい年への手紙、取り替え子だけじゃネーノ?
大江健三郎は愛媛の恥
大江健三郎は、とかく愛媛ではヒーロー扱いされているが、困った風潮だ。
氏は、ノーベル賞を受賞した後、国家の文化勲章を受けるのを拒否した。
「国がらみの賞は受けない」と辛辣なセリフを吐いて。
続いて出身地である愛媛県の県功労賞も蹴った。県職員を門前払いた。
どうやら大江には愛郷精神というものまで欠けているらしい。
本音は、「ノーベル賞をとった後にそんなローカルな賞を受けられるか」なのだろう。
その後は、中国で「石原都知事を選んだ東京都民を恥ずかしく思う」などとのたまう始末。
自分の見識に基づいて石原氏を選んだ東京都の人々を馬鹿にする発言で、
何様になったつもりなのだろう。
われわれ愛媛県民は、こういう人物を祭り上げるのをやめるべきである。
小説『坊ちゃん』で松山のことをボロカスに言った漱石と同様に。
愛郷精神!
ははは!!
ものすごい馬鹿!!
345 :
吾輩は名無しである:02/10/29 19:14
あぼーん
347 :
吾輩は名無しである:02/10/29 19:17
から揚げ禁止だぞ!っていうか今夜のオカズはから揚げにでもするか。ビールも美味そうだ。
348 :
吾輩は名無しである:02/10/29 19:18
同い年の四国生まれ、大藪春彦の方が好きです。さようなら。
349 :
吾輩は名無しである:02/10/29 19:18
350 :
吾輩は名無しである:02/10/29 20:15
愛郷精神って公房の「砂の女」のアレか?
一般的な言葉ではない気がするが。
「北朝鮮の青年の未来と希望の純一さ」は、「南朝鮮」
の青年達が疑い、嘲笑したように、今日の破局の中に失われて
しまった。大江氏がこれだけ思い入れをした「老いた美しい朝鮮の
婦人」や、「希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわっ
た生きかたを始めようとしている青年」達は、今や住む家も洪水に
流され、食べ物も自由も希望もなく、ただ餓死を待っているであろう。
そうした北朝鮮の惨状について、大江氏はどう考えているのだろ
うか。大江氏が昔の自分の文章を覚えているなら、自らの不明を恥
じて、読者にお詫びをするとともに、自分の見通しがなぜ間違った
のか、思想的にきちんとした反省をしなければならない。それをし
ないこの人は言論人としての資格はない。将来も、また同じような
過ちを繰り返すのみである。
また上記の熱のこもった文章が、単なる共産主義かぶれの若気の
至りではなく、北朝鮮の人々への真実の思い入れだとしたら、自ら
率先して、北朝鮮救援活動を始めるか、ノーベル賞の賞金を北朝鮮
救済の資金として提供する位の事はあっても良いのではないか。大
江氏は、昨年は米国プリンストン大学で静かな研究生活を送ったよ
うだが、現在は別の意味で「帰るべき朝鮮がない」のだろうか。要
はつねに人事なのだろうか。
352 :
吾輩は名無しである:02/10/29 21:00
・大江健三郎【作家】
「広島、長崎のあの大きい犠牲は、償わなければならないと思います。
償うのは私たち(引用者注:日本人)です。」
出典元:1994年10月17日京都で開催された講演会「世界文学は
日本文学たりうるか?」より
こいつは本当に日本人なのか?
在日って噂はないの?
355 :
吾輩は名無しである:02/10/30 23:53
↑チョーセン人ハッケソ!
356 :
吾輩は名無しである:02/10/31 00:09
357 :
吾輩は名無しである:02/10/31 06:43
age
「憂い顔の童子」の最後から二番目の章にでてくる
加藤典洋の文章って、何の雑誌に掲載されたか
ご存知の方、おしえてください
野依良治名大教授のノーベル賞の受賞式に、歴代のノーベ
ル賞受賞者も出席していた。その中に、「あの」大江健三郎の姿が・・・
有名な話だが、大江は、ノーベル賞受賞に際して、日本政府
から文化勲章を受ける話を断った。理由は、「国家から表彰
されたくない。皇室からもらいたくない」だった。
文化勲章を否定すること自体は、同じ日本人であることに恥
入るが、思想の問題だから、別にどうこう言うつもりはない。
しかし、だったら、どう考えてもノーベル賞も辞退すべきだろう?
なぜなら、ノーベル化学賞は、スウェーデン王立科学アカデミ
ーが国を代表して選定する。授与するのは、スウェーデンの
グスタフ国王だ。
国家が関与し、王室が授与するという点では、文化勲章も、ノ
ーベル賞も同じである。文化勲章がイヤなら、ノーベル賞だっ
ていらないというのが当然である。
大江は、それはしない。その理由は何だろうか?
日本人のくせに欧米の視点に立ち、日本をバカにしている
か、一億円以上の賞金に目がくらんだか、どっちかだろう。両方か?
大江がノーベル賞を受けたことにも腹が立ったが、その後の
記念講演も聞いていて呆れたことを思い出した。日本がイヤ
なら、さっさと心のふるさと中国か北朝鮮に行けばいいものを・・・
そして、今また、性懲りもなくスウェーデンに呼ばれてのこのこ
出ていく彼の気が知れない。「国家の指図は受けない!!
いちいち出ていけるか!」くらいのことは言えないのか?
恥知らずとは、彼のためにある言葉だとすら思う。
>>358 「群像」じゃなかったでしたっけ?何月号かは忘れたけど
361 :
吾輩は名無しである:02/10/31 12:43
362 :
吾輩は名無しである:02/10/31 15:14
じつは大江さんと中上さんは仲が悪いんです。
あぼーん
あぼーん
大江スレはいつも荒れるね。
しかも、他人の受け売り(コピペ)だし。なんでそんな
小学生でも出来ることを嬉々としてやるのかなあ?
あんまりしつこいなら、コピペ文には削除依頼出すよ。
削除ガイドライン5に相当するでしょ。
>>365 おまえのような香具師もウザイよ。
大江信者なら反論したらどうだ?
できなきゃ削除されても
また貼られるだけだろ。
なんで荒しコピペに反論せないかんねん
阿呆ちゃうか
ごもっともでシンプルな反論ワラタ。
何十回も貼られてるコピペにいちいち反論する馬鹿がいたら
そっちのほうが狂ってるわな。
どうせ説明しても理解する頭がないので繰り返すんだろうが、教えてやる。
大江読者はみんな大江がドキュソだっつうことぐらい知ってる。
にもかかわらず、すさまじい作品を書き続けているからファンなわけで。
ここは文学板で、個人の政治的な思想問題を語る板ではない。
正直言うと漏れも小説を読むまではうさんくせーおっさんだと思っていた。
中学生の頃。そういう頃はなんつーか純文学なんて権威の象徴でしかなく、
おそらくそのころ2chがあれば大江スレ荒らしてたかもしんない。
でも、純文学ってのは、とんでもなくアナーキーで、
麻薬的に面白くて、ぶっとんでて、デタラメなんだ。
大江がそれを教えてくれた。
読まず嫌いは一読することをお勧めする。
読んでも理解できなかったからって、また荒らすなよ(w
荒しやって喜んでる香具師に大江の文体は解読不能と思われ。
370 :
吾輩は名無しである:02/11/01 17:45
↓これに誰か返答してやれよ。俺もわかんないけど。
233 :吾輩は名無しである :02/10/19 22:59
柄谷とか浅田とかスガなんかが書いてるブックガイドに、
『万延』について奥泉光が、
「では問題。どうしてS次兄さんだけイニシャル表記なのでしょうか?」
と書いていたのだけど、判らない。
どうして?
大江健三郎氏は、「あいまいな日本の私」と題したノーベル賞記
念講演をストックホルムで行った。そこには次のような一節がある。
広島、長崎の、人類がこうむった最初の核攻撃の死者たち、
放射能障害を背負う生存者と二世たちが--それは日本人にと
どまらず、朝鮮語を母国語とする多くの人びとをふくんでいま
すが-ー、われわれのモラルを問いかけているのでもありまし
た。
「核攻撃の犠牲者たる日本人が、なにか特別のモラルを持たなけ
ればいけないそうだ。投下した者のモラルは問わないわけである。
」とは、谷沢永一氏の評である。これが国際常識であって、大江氏
のもってまわった言い方と、その非常識な内容とでは、聴講者は何
を言っているのか、分からなかったであろう。内容は単に50年前
の東京裁判史観とマルクス主義史観であり、その後の歴史学の進歩
などは、まったく省みられていない。
大江氏の思想は、1950年代の冷戦時代から一向に深化していない。
それがそのまま化石のように残されているのは、本人のIntellectual
Dishonesty と、それを覆い隠すもってまわったあいまいな文体の
故である。この講演は「あいまいな日本の私」よりも「日本のあい
まいな私」と題すべきものであった。
>>370 はっきりとした確証はないが
S次兄さんだけが事実で、その他の登場人物はすべて想像の産物
だからだと思う。ある程度モデルとなっている人物はいても
ほとんどS次兄さんの他は
大江健三郎の分身として物語が展開されているのでは?
間違っていたらすみません。論のひとつとして流して下さい。
374 :
吾輩は名無しである:02/11/01 23:01
>>368 これ至言。いい加減にわかりきったコピペやめとけな、小説読めないってこと暴露するだけだ。
368=374
プ
は・づ・れ(はあと)
自分は9時寝4時起きの人だもん
っていうか朝起きた瞬間2chしてんなよ自分
>>375の引用元を見た
いちいち「わが教養ある読者」って書いてて気味がわるいす。
やっぱし大江叩いてるのってこういう「自称中道右翼」なのね…
ほっといてくんないかなあ。興味ねえなあ。
378 :
吾輩は名無しである:02/11/02 08:05
大江さんは何語で小説を書いてるんですか?
小説家とは母国語を外国語のように扱う者のことである・・・
「あいまいな日本の私」というあいまいな名詞句に
一つ読点をうつとすれば、「あいまいな、日本の私」
であろう。あいまいさというものからこれくらい利
得をひき出した小説家は後にも先にもいない。
一番痛いのは、あいまいさの陰にかくれて他人を誹
謗することがいかに卑劣なことかに気づいていたい
らしいところ。知識人としての己のステータスを上
げることにしか興味がない男である。
381 :
吾輩は名無しである:02/11/02 13:30
56年前に死んだフランスの何とかって言う作家の文体を
大胆に盗んだらしいね、初期の作品で。
誰だったっけ? 浅学恐縮。
382 :
吾輩は名無しである:02/11/02 13:41
ガスカールか?
文体と言うより動物を比喩に使う点に影響が認められるという話は知っているが。
383 :
吾輩は名無しである:02/11/02 13:44
384 :
吾輩は名無しである:02/11/02 14:42
そうそうガスカール。
調べたら『けものたち・死者の時』なんて作品があるみたい。
未読なのに懐かしい気がしてしまうのはなぜ。
385 :
吾輩は名無しである:02/11/02 17:13
○シンポジウム「言語態とは何か――言語のすがた・かたち・ふるまい」
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻・設立10周年記念
日時:2002年11月2日(土) 午後3時〜5時半
参加費:無料
場所:東京大学駒場キャンパス13号館1323教室
パネラー:大江健三郎氏(作家)、山内久明氏(英文学)、山田広昭氏(仏文学
)、
野崎 歓氏(仏文学)、司会・小森陽一氏(日本近代文学)
内容:東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻・設立10周年を記念して
東京大学駒場キャンパスで、シンポジウム「言語態とは何か――言語のすがた・
かたち・ふるまい」が開催されます。“言語態”とは、テクスト、ディスクール
、
物語、文体、メディアなどを総称する<言語の生存様態>とも言うべき概念です
。
誰か行かれた方、どんなんだったか教えてちょうだい
扶桑社教科書を東京都の養護学校が採用したことについて、
ノーベル文学賞作家の大江健三郎が朝日新聞のインタビューで、次のように述べている。
「「つくる会」の教科書は、市販されベストセラーになりました。
もちろん中学生が早く読みたいと思ったからではない。
「日本は優れている」「誇りと自信がいる」と思い詰める大人に
空元気をつける癒(いや)し系の本だからでしょう。
子どものためによく考えられた本ではありません。でも、教科書の実物を
これほど多くの大人が読んで、考えたことはない。
その結果、公立で採択したと公表した教育委員会はこれまで一つもなかった。
父親や母親の反省が、日本人の世論として、力を持ったのです。
東京都教委の結論は、これに真っ向から対立しています。」
この文章を読んで「誤植ではなかろうか?」と思ったかた、あなたの感覚は正しい。
つまり大江は、扶桑社教科書の市販本がベストセラーになったという事実と、
公立校のほとんどがこの教科書を採択しなかった(できなかった)という事実とを結び付けて、
「市販本を読んだマジョリティが扶桑社教科書に反対する世論となり、
採択を阻止した」と結論付けているのだ。これ以上の欺瞞はなかろう。
市販本の読者の大多数は、この教科書を好意的に受けとめている。
版元が公開している「読者の反響」を読んでみろ。
お手盛りの「大本営発表」だと言うなら、各紙各誌の書評を読め。
日教組の幹部ですら、うかつにも(笑)「おもしろい」とほめてしまい、
組織内からの突き上げを食らったではないか。
扶桑社教科書に反対しているのは、ごく一部の反日左翼勢力だ。
声のみはかしましいが、日本国民の中では圧倒的少数派である。
彼らは、扶桑社教科書を読む前から反対し、読みもせずに反対し、
批判本を鵜呑みにして反対し、反対せんがために反対してきた(笑)扶桑社教科書の
市販本が話題になり、好評をはくし、ベストセラーになって、左翼勢力の危機感は頂点に達した。
そして、単なる「批判」の域をこえ、なりふりかまわぬ力ずくの反対運動に走ったのだ。
扶桑社教科書を採択しようとした教育委員会に対しては、
左翼お得意の組織動員で妨害活動を行った。
委員の自宅にまで手紙、電話・ファックス攻撃をかけ、デモ、
アジテーションなどを展開した。粛然たるべき教科書採択現場に混乱を持ち込み、
委員に扶桑社教科書を忌避させ、採択できない状況へと追い込んでいったのではないか。
大江はそうした現状を知らないのだろうか?
ノーベル文学賞をゲットするほどの「知性」において、まさかそんなことはあるまい。
現状を知った上で、意図的に歪め、捻じ曲げて、
正反対の結論を導き出しているのだ。これは、もはや評論ではない。卑劣なデマゴギーである。
大江自身の息子が知的障害者で養護学校出身であるという事実も、
このデマに説得力を付加しよう。
だからこそ、朝日は大江にインタビューしたのだろうし、大江もそのことは計算済みだろう。
そのことを考えると、大江の心の闇を覗き見たようで、慄然たる思いにかられる。
かつてヤスパースは、誠実さを欠いた知性はナチス的であると喝破した。
大江のごとき、白を黒と言って平然たる卑劣な「知性」こそ、
ヒトラーを、あるいはスターリンを、ポルポトを支持した「知性」と同様ではないか?
389 :
吾輩は名無しである:02/11/02 20:29
>>385 逝ってきました。
2時間半ほどの内容で大江氏が1時間弱くらいは話しました。
大江氏はここ10年くらいで日本のメディアの言語が完全に「話し言葉」になっていること、
このままでは日本の文化は死んでしまうこと、「書き言葉」の復権に日本の知識人は
責任を持つべきこと、などを話しました。自分の作品について具体的な言及は少なかったです。
会場もほぼ満員で、大江氏もジョークを連発し、なかなか和やかな雰囲気で楽しめました。
知り合いの本屋に奥さんがいったら、店主が「憂い顔〜」の分のスペースを
村上春樹とハリポタのために空ける作業中だったとか、相変わらずの自ギャグっぷりも健在でした。
講演が終わると自然発生的にサインを求める列が出来て、私も貰いました(w
結構一人一人としっかり話してくれました。列の前の方の話に聞き耳を立てていたら、
もう自分のことについての小説は書きたくない、次はもっと客観的な小説になるだろう、
みたいなこと言ってました。
講演前にキャンパスを歩いてたら、一人でふらふらと木を眺めるような格好で
散歩中の大江氏に遭遇してしまい、余りに突然のことでびっくらこきました。レポは以上です・・・
390 :
吾輩は名無しである:02/11/03 00:12
「万延元年」で鷹四が妹との近親相姦を告白する
シーンは、死ぬほどの興奮と吐気と恐怖と寒気と
昏倒を私にもたらす。
>>389 やっぱりサインしてくれたのか〜。
もらえば良かったかな……でも著書持ってきてなかったし。
392 :
吾輩は名無しである:02/11/03 01:04
よかったな、同時代に生きていて。
393 :
吾輩は名無しである:02/11/03 01:18
>>389 うらやましいなぁ。
サインよりも、作家の実物に接したということ。
大江についてはノーベル賞の以前と以降で一回ずつは見ておきたかった。
生きている作家の実物というのは、作品と無関係であるようでいて
実は作家像についての認識を見当違いな方向から撃つように改めさせることがあり、
せっかく同時代に生きているならば、ミーハー的な興味からでも機会を捉えて無理にでも遭遇しておくべきだと思う。
流れ弾が直撃するように、文学への幻想を打ち砕いてくれることもあるので。
粉々に砕かれたとしても、またそこから作り上げればよい。
と言っても、現実には粉砕されるということは少なく思わぬ修正を迫られる程度が多いだろうが。
もっと早くに気づいていれば良かった。チェッ。
394 :
吾輩は名無しである:02/11/03 01:21
あんなじじいが元気なんだからなー。負けてるなあ。
>大江自身の息子が知的障害者で養護学校出身であるという事実も、
>このデマに説得力を付加しよう。
なんでこうなるの?(馬鹿賞
396 :
吾輩は名無しである:02/11/03 02:09
>>388 大江が脅迫電話かけたわけではあるまい。間違っていようとも、私見を発表するのは大江の自由。それよりも、あんたらの政治思想が真なら、一作家にどうもできやしないよ、そんなに心配してやっきになって、大江発言を追跡しなくたって大丈夫だって。
397 :
吾輩は名無しである:02/11/03 02:29
>>388 よく読んでみると、あんた2ちゃんの域を越えて、論理が関係妄想の域にはいりこんでるぞ。病院いって心理テスト受けたほうがいい。
朝日がインタビューした理由が、大江の家族と関係があるってところ、完全に病気だ、それ。
大江さんは外国語で小説を書けるところが凄いと思います。
でもなんで日本語で書かないんですか?
このキチガイ一人だったら怖いな。
400 :
吾輩は名無しである:02/11/03 08:12
NHK総合で「平和の世紀は築けるか」という真面目な番組をやっていました。
主な出演者はノーベル文学賞の大江健三郎氏。
大江氏の世界平和論は、ご自身のコピー人間が増えるのが理想とでもい
いたげな話しばかり。実際に平和を脅かしているイスラム、ユダヤ、キリスト教
などの原理主義者、中国の覇権主義や過激な民族主義者を批判したらどうで
すかね。それと帝国主義時代から続く、欧米による白人国家の国益優先、アジ
ア搾取、イスラム分裂外交についてはどうなんでしょう?ノーベル賞もらってる
と西欧人の悪口が言えないんでしょうか?
小説家という安全地帯からの発言であっても、理性や哲学に依存する人なら、
大江氏の主張に理想を見出すかもしれません。しかし、宗教上の対立と欧米
の搾取に痛めつけられ、生死を賭して戦っている人たちに、大江流の「自立し
た個」の思想が何の役に立つというのでしょう?大江氏は世界平和について、
もっと現実的な提言ができなければ、沈黙すべきではないかと思います。
あぼーん
だからさ…
「憂い顔の童子」スレなんだけどココ…
スレ違いなこと書きたいんだったらスレ立てろや
自分の主張のためならルール破っていいと考えるようなヤツの言うことを
だれが聞くもんか。頭悪いな。
「憂い顔の童子」
文章簡単なのに昔のものより
読み辛く感じるのは何故なんだろう・・・
精読向きの小説なんだよ。
下敷きになっている作品、引用がわかっているとだいぶ読みやすく
なると思う。
そういった意味でも「開いて」いる小説なんだなあ、と思ったり。
ハイパーテクスト。←この表現、自分で使ってはずかしい。
406 :
吾輩は名無しである:02/11/04 03:07
宙返りって本屋でぱらぱら見たけど
そん中にも童子とか出ていたな。
なんで同じネタで何冊も書くのか。
同時代とか森の不思議とか懐かしい手紙とか緑の樹とか
ズレを含んだ反復がどうのこうの言われても、それがなんの意義を持つのか
わからない。国語教師たちの自己満足読書に貢献しているとしか
思えんな。
407 :
吾輩は名無しである:02/11/04 03:26
>>406 国語教師たちの自己満足・・・w
たしかに君にはわからないだろうよ。あんまり無理しない方がいいよ。
408 :
吾輩は名無しである:02/11/04 03:50
他人の文章の揚げ足鳥をして
思わせぶりなこと言って相手にしてもらおうとあおることしかできない
チョークの粉まみれで採点ばかりしている教師人生って哀れだな
409 :
吾輩は名無しである:02/11/04 03:55
>>408 いや、だからどうして君が「教師」に粘着してるのかさっぱり
わからないんだけど。よっぽど悔しい思い出でもあるの? カウンセリングして
あげようか?w
410 :
吾輩は名無しである:02/11/04 04:18
お前なんでそんなに大江に心酔してるんだ
大江お宅ってきもくないか
おめー、精いっぱいのレスが
>>406かよ。
だから著作に(称賛であれ否定であれ)興味ないんだったら無理してこのスレ書き込むなよ
あげくたかが数レスのツッコミ入れたヤツに「心酔してる」て。w
「ぱらぱら読んだだけ」でハナから叩こうと思ってるヤツと
話すことなんかないぞ。
とりあえず「万延元年のフットボール」読め。びびるから。
「ぱらぱら」じゃちっとも面白くねえぞ。
お前が好きなライトノベルのようにはできてないからな。
なんか最近香ばしいなと思ったら北朝鮮に対する世論の盛り上がりで
例のコピペが三島由紀夫関係スレや小林よしのり関係のスレに貼られまくってんのな。
正直巻き込まんでほしいよな。
ドキュソ私人大江健三郎の政治観とか北朝鮮観とかなんの興味もない。
しかもエッセイとかから文脈無視して引用してるから
的はずしまくった批判でめちゃめちゃうっとおしい。
>>411 文脈無視というか
「自分に理解のできる所だけ曲解して叩いてる」
から相手するほうが馬鹿を見ますでつよ。
413 :
吾輩は名無しである:02/11/04 13:27
>とりあえず「万延元年のフットボール」読め。びびるから。
昔10年位前に「万延元年」よんだけど全然びびらんかったぞ。
どこで「びびる」べきか教えてくれんかな。鷹四の自殺の理由が妹との近親相姦だなんてわかりやすくて
がっかりした記憶がある。近親相姦物の中上の枯木灘よかはだいぶましかもしれんが。
まあ、知らんけどあの時代の鬱陶しい問題を鬱陶しい文章で写し取ろうと言う試みなんだろうが。
「懐かしい年」の方がおれ的には好きではある。新刊時にサインもらったし。
>鷹四の自殺の理由が妹との近親相姦だなんて
全然違うと思うんですが。
もう一度読めばわかるようになっているんじゃないですか。
十年くらい経てば、さすがに読解力は上がっていると思うので。
415 :
吾輩は名無しである:02/11/04 15:24
413は読み間違えてるけどおれも『万延元年』びびらなかったよ。
だって構造がしょぼいもん。
構造がしょぼいもん。
構造がしょぼいもん。
文体もだめだよね。
大江健三郎『同時代ゲーム』新潮文庫
海外でほとんど訳書も出ていなかった著者が、なぜノーベル賞を受賞したのかは、今もって謎である。
世界的な評価を得ている日本人の小説家といえば、三島由紀夫と安部公房、それに最近では村上春
樹ぐらいだろう。川端康成の受賞も「三島由紀夫の空席が回ってきた」といわれたが、その類推でいうと
安部公房が死んだために空席が回ってきたのだろうか。著者は一時、ノーベル賞の候補者を推薦する
と自称していた矢野暢と仲よくしていたというから、その効果があったのかもしれない。いずれにせよ、
佐藤栄作と並ぶ恥ずかしいノーベル賞である。
しかも、海外で評価される作品も『万延元年のフットボール』までで、それ以後はほとんど話題にならな
い。客観的にみても『個人的な体験』や『万延元年』は傑作といえるし、後年の作品でも『雨の木』の連
作のように肩に力を入れないで書いた短編には見るべきものがある。しかし本書のように「同時代」へ
の意識が過剰な作品は、読むに耐えない。学生から職業作家になった著者には切実なモチーフがな
く、「社会的」なテーマを頭の中で作り出して書いているからである。30歳のときに書かれた『万延元年』
が最高傑作とされるのは、著者の思想的限界を象徴している。
特に本書が著者の最低の駄作とされる原因は、当時、著者が傾倒していた山口昌男氏の「道化」論を
小説に丸ごと取り入れたことである。登場人物にそれぞれ文化人類学的な位置づけが与えられ、「祝
祭」とか「異化」とかいう言葉が小説に出てくるのは、鼻白むのを通り越して腹が立ってくる。最良の作
品というのは、山口的な図式を乗り越えるところに意味があるのに、作家自身がその図式で書いていた
のでは、話にならない。
本書には『ヒロシマ・ノート』以来の「核戦争の恐怖」のモチーフもあるが、こういう「非武装中立」の少女
趣味が日本の民主主義をだめにした害毒は計り知れない。最近の「歴史教科書」問題でも、著者は例
によって自分の子供を引き合いに出して「弱者」への配慮がどうとかいう見当違いな批判をしていた。
作家としてはともかく、戦後民主主義の生み出した最悪のイデオローグとしては歴史に残るだろう
420 :
吾輩は名無しである:02/11/04 18:30
>414
読み間違えてるかもしれんが、もう一度読む気しないよ。今のところ。
それよかあんた「びびる」ほど心酔したんなら、その熱い思いを抱くに至った経緯なり
その思いの内実を語り聞かしてくれんかの?(最低1200字以上)
初めて難しい本を読んだ自分自身の自己満足的な達成感を作品の達成感と混同したから、
なんて理由付けは駄目だぜ。W
ま、おいらもコヴァのコピペはウザイと思うけど、そういうノイズが入るのが世の中やろ。
そういうノイズ慣れしてなさそうなところが世間知らずな国語教師っぽく見えたのさ。
所詮あんた2チャンネラーなんやから、いちいちカリカリいきり立たんで肩の力を抜けや。
421 :
吾輩は名無しである:02/11/04 18:41
どうでもいいが国語教師には大江嫌いが多そうだなあとオモタ
どうでもいいが午後からおれは放置されてるのかあとオモタ
だって具体的じゃないから絡みにくいとオモタ
425 :
吾輩は名無しである:02/11/05 21:21
426 :
吾輩は名無しである:02/11/05 22:03
これは良スレだな!
>>1-100くらいを読んで
どうしても読まなきゃ、と思わせられた<『憂い顔の童子』
で、遅まきながら、たった今読了。
>>343 は、実際の愛媛の地方新聞の引用か? ワラタ! そうだとすれば
『憂い顔の童子』に描かれる“故郷との軋轢”のベースも、
現実だということだな。
>>389 ありがたいカキコだ。『〜〜童子』執筆後の大江の生身の感じが
やはり伝わってくる。作家というものが、脳内に止まれず、老いつつはあっても
逞しく水泳で鍛えた体と、なお隠しえない老境の表情を読者と世間の現前に晒し、
そうやって得意の自ギャグを飛ばして笑いさえも勝ち取りつつ、
なお一方で、明確に肉体が消滅する最後の時までは
どうしても書き続けざるをえないという“業”を負っているのだな…と、
つくづく思わせられた、それが、『〜〜童子』一読の感想。
もう一つは、やはり『取替え子』は、大江が伊丹十三の死がもたらした
自身の存在の揺らぎそのものを、生な混乱のままに、
そこから脱出するための蜘蛛の糸のようにも創作そのものを扱う仕方で、
初めて書いた物語だったな、と確信した。
『〜〜童子』では、あそこにあった無惨なナマさは払拭され、
すでに態勢を立て直した世界的作家大江が、本来の創作の磁場へ立ち返り
馴染みの手法を自在に駆使して、
恐らく本人にも「計算外」であったはずの『取替え子』全体を、
強引に過去の全作へ通底する流れへと収斂させようとする試みが際立っている。
・・深く仕掛けられた『ドン・キホーテ』の重層的意味は、
書く大江と書かれる大江の<間>に、投げ出されているようだ。
再読の要あり
427 :
吾輩は名無しである:02/11/05 22:10
↑
>>426一部訂正
「収斂させようとする試みが」→「収斂させようとする意志が」
・・その「意志」に圧倒され、感動した。大江は
徹底して作家だよ、まさしく本流!
428 :
吾輩は名無しである:02/11/05 23:55
大江の次作タイトルは
『スペルマ浴び顔の童女』
です
429 :
吾輩は名無しである:02/11/06 00:26
大江は在日チョソ
430 :
吾輩は名無しである:02/11/06 01:46
『スペルマ浴び顔の童女』
あらすじ
長江家の障害持ちの長男アカリの性的高揚による発作が続いたある日、
母親の千樫が見るに見かねてアカリの性欲処理の補助を決意する。
千樫が指でアカリに「性的入門」を施している現場に出くわした次女のマーちゃんは、
自分がアカリの嫁になるのだと思い定めていたので、
母親の振る舞いに衝撃を受け、自分がアカリの童貞を奪うのだと
千樫を突き飛ばしアカリに馬乗りになる。
その光景を書斎のドアの隙間からのぞいていた古義人は激しく勃起し、
マスターベーションを始めた。
その行為を千樫に発見された古義人は決心し居間に踊り出てくる。
白く丸みを帯びたマーちゃんの尻に興奮を抑えられなくなった古義人は次女に襲い掛かる。
この期に及んで常識人の千樫も激しく欲情し、息子のアカリの上に馬乗りになる。
このように、古義人と次女のマーちゃん、千樫と長男のアカリが
おどろおどろしい近親相姦による4Pプレイを繰り広げた。
そのうちに古義人はアカリを強姦したくなり、
ペニスをアカリの尻に突き立てるとアカリは「絶妙デス」と
絶叫して口から泡を吹いて昏倒した。
気がつくとアカリは息が途絶えていたがそのアカリの顔に古義人は射精した。
古義人はそのアカリの表情が故郷の四国の山奥にあった童女伝説の
童女にそっくりなのに気がつき、
自分の書くべき「最後の小説」のテーマはこれだと確信した。
この長江家のおそるべき乱痴気騒ぎを庭の茂みから
加藤は、こんどこそ自分の文章を焼き捨てられずに済むぞとほくそえんだ。
431 :
吾輩は名無しである:02/11/06 01:52
最後の部分
この恐るべき乱痴気騒ぎを庭の茂みの陰からのぞき見ていた男がいた。
批評家の加藤典洋である。
彼は、もうこれならば自分の文章が焼き払われる事はないだろうとほくそえんだ。
432 :
吾輩は名無しである:02/11/06 01:59
431を読む前に430の省略部分の「ここ」を読め
貼り間違えた。
433 :
吾輩は名無しである:02/11/06 02:22
彡川川川三三三ミ〜
川|川/ \|〜 プゥ〜ン
‖|‖ ◎---◎|〜
川川‖ ┗( 0 0 )┛〜 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
川川 ∴)д(∴)〜 < ウヨクにはやれやれだぜ。
川川 〜 /〜 | ・・・・ぶっ。
川川‖ 〜 /‖〜 \___________________
川川川川ぶさよく/‖\〜
434 :
吾輩は名無しである:02/11/06 02:56
>>420 必死なのはお前だろw それからその臭い関西系の方言文体、やめてくれない?
なんか目がチカチカするんですけど。
435 :
吾輩は名無しである:02/11/06 03:46
ねえ、飼育と死者の奢り、どっちが芥川賞なの?
あぼーん
あぼーん
438 :
吾輩は名無しである:02/11/06 09:47
飼育じゃない?
死者の奢りは東大新聞の五月祭賞でしょう。
439 :
吾輩は名無しである:02/11/06 12:43
>434
『大江文学への我が信仰告白〜びびるまでに心酔した』
のレポート(1200字程度)
まだ?
せっかく430で次作のあらすじを読ませてやったのに、誰も何もいわんな。
パロディーこそ真の批評だということがわからないらしい。
レベルの低い奴ばかりだな。
あと、おいらは生粋の関東人だが趣味でときどき関西弁を使う。
>>439 「絶妙デス」というところが、なかなか絶妙ですたよ。
つい笑ってしまった。
私は無鉄砲で、そのおかげでいろいろ苦しみました、と言って笑いをとっていたよ、
先週の土曜日。
442 :
吾輩は名無しである:02/11/06 19:15
>439
童女=アカリ
ナイスなアイディアでんな。
444 :
吾輩は名無しである:02/11/06 21:31
>439
パロディーこそ真の批評
てゆうのは鋭いですね。
ドンキホーテは当時の騎士道物語のパロディーだし、大江の「童子」は
ドンキホーテのパロディー、そして「童子」のパロディーが書ければ
美しい批評になる。
「絶妙デス!」とアカリは絶叫!すました。
445 :
吾輩は名無しである:02/11/06 22:12
大きい海
大江に対して感じるのは嫌悪である。それは自分の事を
「戦後民主主義者」だとヌケヌケと語り(そしてそれは全くその通りなのだ
が)、酒鬼薔薇事件の時に「なぜ人を殺してはいけないのか」と言った
子供に対して、誇りのある子供はそのような質問は恥じて口にしない
ものだ、と答えたりする正に「戦後民主主義者」そのものの偽善者ぶ
り、文革礼賛・北朝鮮礼賛と『ヒロシマノート』『オキナワノート』などの
反米的な仕事にうかがわれる旧左翼ぶり、岩波や朝日といった一流
紙でしか書かず、自分に対する批判は圧力で押し潰すといった権威
主義者ぶりなどが、とにかく嫌だったのだ。この間のノーベル賞受賞
にしたって、そのためにスウェーデン大使館に通ったりと様々な政治
工作をしていたのは周知の事実だったし、大体その直前に文化勲章
を辞退するというパフォーマンスもなんか嫌らしくて不快だった。天皇
制はダメでスウェーデンの王制ならいいのか? 大体その昔サルトル
のノーベル賞辞退に喝采していたではないか。
>>446 これ書いたの誰か知らんけど
こんなに自分の馬鹿っぷりが何度も何度も晒されるとは思わんかっただろうな。
頭悪すぎだー。
>>446 447とは別人だが、君は自分の眼と頭で、戦後史を(のみならず全てを)
改めて勉強しなおした方がいい。様々な情報は、左右両派と中立派と、
渦中の発言と時を経てからのそれと…色々な方向から収集して、その上で
自分自身の立場を明確にしてから、批評するのが良い。
明確な自己すら発見しえていない段階で、情報だけに振り回されて憤るのは
青春期の特徴ではあるが、そろそろ脱する時だ
いやだから戦後史なんかどうでもいいって
450 :
吾輩は名無しである:02/11/07 00:33
大江信者、一人で必死だな(w
>>446 つーか、コピペ君はコピペ元をちゃんと読んだのか?せっかく
コピペ元のリンクも貼ってやったのによ…ブツブツ。
コピペ元のは「万延元年のフットボール」のレビューなんだけど、
> 結論から述べると、素晴しかった。まず何といっても文体がいい。
>冒頭からグっとひきこんで離さない魅力を持っている。内容的にいっ
>ても、「自己処罰」「四国の森の神話的世界」「革命と挫折」など
>など大江の終生抱えるテーマがギュっとつまってたぎっている感じだ。
などと続くのに、マジで気づいてないのかな??
446たん大人気
話題がないからねえ。
「憂い顔」再読してなんかハケーンした人いる?
453 :
吾輩は名無しである:02/11/07 01:07
>>452 正直、今の所何もないですね。
もう少し大人になってから読み直そうと思う。
ドンキホーテさながら高齢者のための本。
454 :
吾輩は名無しである:02/11/07 09:09
福田和也が大江の新作で江藤がコケにされてるのを怒ってたが
福田っていつも大江を「その自意識過剰な勘違いによるグロテスクさをあえて評価する」
つー言い方するね。それは春樹にもいえると思うんだけど
春樹には好意的だよね。大江が欧米モノの輸入であることを批判するけど
春樹がアメリカ文学の輸入であることは、たんにそれだけのこと、みたいな感じだし
福田も春樹も大江もすきなのだが、福田はプロレスミエミエで、本人もそれを隠してないから
全くグロテスクじゃないのがちょっと落ちるかも。
もちろん小説家と批評家じゃ比べらんないけど
あぼーん
あぼーん
457 :
吾輩は名無しである:02/11/07 23:23
>>456 気は確かか?「日本をバカにされたと感じて怒っている日本人」とは君なのか?本当に腹が立つのか?
君は本当に、日本人として大江にばかにされたと思っているのか?
またときおり、「必死だな」とか書くやつがいるが、そもそも勲章やら賞やらどうでもいいことだよ、理由なんか考える価値なし。
コピペは、ウザい。すっ飛ばしすから
誰も読みはせんが、鯖の負担になるから、ヤメレ。何の意味もない。
『取替え子』は偉大な失敗作。その、計算外の破綻を
今度は意識して収拾しようと意図した、作家大江の意地の真骨頂、
『憂い顔の童子』。
だが、再び大江は、自らの意図と構想を超えたところで
躓く。偉大なる躓き…だな、芸術において個の枠が破れるとき、
初めて顕われるものもある、大江は収拾に失敗することを知りながら
なお書かずにはおれなかった、その衝迫こそオマージュに値する。
459 :
吾輩は名無しである:02/11/08 00:10
コギト、あなたは取り替え子から「インテルビスタ」になってきましたね
460 :
吾輩は名無しである:02/11/08 00:15
>>458 「収拾に失敗することをしりながら」思い込み激しすぎ。取替え子を失敗と決め付けてかかり、本作をさらに失敗という。
まことに勝手な言い草。
いや、取替え子はまぎれもなく失敗作。つまらんもん。
ある意味『取り替え子』以上に、イタい<『〜〜童子』
小説としての破綻を承知で『天人五衰』を書き永遠の?を仕掛けた三島に
対し、
大江は、徹頭徹尾創り手としての主導に拠り、手馴れた仕方で物語の
結構を築き、未知の読者をも惹き入れてしまう膂力を見せながら、
それでも結局は潰えるという事態を予測して、
慎重に「ドン・キホーテ」を主調音に選んだ。
にも関わらず、
そうした作者の予測をも裏切って、突如、思いがけない形で
風車を回す風は吹き渡る・・・
463 :
吾輩は名無しである:02/11/08 00:20
こういうときこそエクリチュールがどうのこうのといってもらいたいもんだ。失敗だつまずきだといいながら、結局オマージュだというなら、それはわるくないエクリチュールなんだよ。
>>460 失敗作ではない、偉大なる失敗作w
それまでの大江の全ての作と、全く異なる次元に在る<『取り替え子』
作家大江ではなく、ナマ身の大江が
書いてしまった部分があり、従って結構は破れ、物語は破綻し、
計算を外れてハミ出してしまった。
ハミ出て突出したもの・・・本当は、それこそが問題だと、
今回改めて、憂い顔の童子は言うわけだw
465 :
吾輩は名無しである:02/11/08 00:26
本作はけっして未知の読者をひきつけるような作品ではありません。てゆうよりも、大江を初めて読んで、それが「憂い顔の」だなんて読者が実在するか?
そんなやつは濫読をしたこともないアホだろ。
無駄な言を吐いても、ムダ。
大江の全作を読んだ上の、話をしとるんやろも? 厨房は相手にせんでエエ。
『取替え子』も『憂い顔の童子』も
大江を駆り立ててやまない「最後の小説」への試み。
成り得るのか?成り得たのか?在り得るのか?最後の小説は、果たしてw
467 :
吾輩は名無しである:02/11/08 00:34
>>464 ジャンルはちがうが、ためしに「インテルビスタ」観てくれ。そもそも偉大という前提つけすぎ。
468 :
吾輩は名無しである:02/11/08 00:37
いったいどんな勘違いすれば「最後の小説」だなんてはじさらしなおおげさ言葉でてくるんだよ
一作の話ではない<『取り替え子』の意味。
『取り替え子』を書いて、出版してしまったことによって、
それまでの大江の全ての創作が、
問い直される経緯になった、大江流の言い方をすればw
その意味での偉大、ただの失敗作ではない。それは
三島の『天人五衰』がただの失敗作ではない、のと全く同じ意味でw
んじゃ。逝く。
あぼーん
あぼーん
,-― ー 、
/ヽ ヾヽ
/ 人( ヽ\、ヽゝ
.| ノ ⌒,, ⌒,,`l
| / \ / | 大江先生ってほんま、
/ヽ | | エエ男やわぁ。
| 6`l `< , 、 >
ヽ_ヽ 、_(、 _,)_/ 絶対にやったるでぇ!
\ ヽJJJJJJ
)\_ `―'/
/\  ̄| ̄_
( ヽ \ー'\ヽ
473 :
吾輩は名無しである:02/11/08 20:52
大江氏の場合問題なのは、氏の小賢しい処世術と創作活動が密接な関わりをもって
いることでである。筒井康隆が断筆したとき大江氏は批判がましいことを書いていたが、
この人は日本に新聞が彼に関する批判を書けないことをどう思っているのだろう。
例えば、ある評論家がノ
ーベル賞授賞式の大江氏を描写した「満面の笑み」という言葉が、某大新聞には筆者に何の断
りもなく削除されてしまう。差別だの表現に自由だのの問題以前である。そうした庇護を当然と
思っているのかは分からないが、右翼から抗議を愛けた作品の文庫化を自分から拒否できるの
も、その程度の作家性しか持たないせいだろう。いずれにしろ、欲しくて欲しくてたまらなかった
ノーベル賞を手に入れて、その記念講演で「あいまいな日本の私」とは、皮肉でなく優れた自己
批評であり、大江氏の作家としての幕引きとして最良のものであったことは間違いない。
474 :
吾輩は名無しである:02/11/08 22:15
あいまいな日本とか言うくせに
大江の「最後の小説」という概念ほど
あいまいなものはないな
週末になると頭の悪い書き込みが続きますね。
コピペ馬鹿と、似非政治屋気取りのヤシ・・・・ウザい
まじで読んでから語れ、ここは文学板。
477 :
吾輩は名無しである:02/11/09 04:29
475が一番頭悪いんじゃあ
日大レベル?
あはは
作家の大江健三郎氏が中国の大学での講演で石原慎太郎氏の東京都知事当選は
都民の恥だと述べたことが4日、中国の官営マスコミで報道された。
大江氏は9月27日、北京の精華大学で講演し、自分がいまもっとも気にしている
のは日本の最近の国家主義的傾向と日本が過去の侵略や残虐行為を謝罪していない
ことだと語った。国家主義傾向への批判のなかで石原都知事に言及し、「石原氏は
当選したことは東京都民の恥だ」と述べたという(10月5日付産経新聞)。
----------------------------------------------------------------------
大江健三郎といえば、戦後日本を堕落させてきたいわゆる「進歩的文化人」、
「戦後民主主義者」の巨頭である。
彼は、スウェーデンの王立アカデミーが授与するノーベル文学賞はもらうが、
文化勲章は辞退した。外国の王室がくれるものはもらうが、日本の皇室が授与する
ものは辞退する。典型的な日本蔑視、西洋崇拝の態度である。なんら一貫性はない。
また、彼は、北朝鮮を賛美し、日本人であることを後悔していた。原爆が落とさ
れたのは日本人の責任であると主張してもいる。
そのくせ、日本の豊かさの恩恵を受け、外国に亡命することなど露ほども考えない。
彼の特徴は、今回の件でもわかるように、日本国内においてはあいまいな言葉を
使ってソフトに日本を非難する論調をとるが、ひとたび国外に出ると悪し様に日本を
罵ることである。フツウの愛国心がある者なら、国外に出て母国の悪口は言わない
ものである。彼は反日外国人にありがたがられているが、外国人は、自国を悪し様に
罵る大江のことを内心では軽蔑していることに気づいていない。
中国と日本と、いずれが国家主義的傾向が強いかなど比較すれば明らかである。
中国は、核兵器を製造・配備し、近隣諸国に圧力を加え、チベット・ウイグル・
旧満州などを侵略し、言論を弾圧し、結社を抑圧する。そんな中国を非難する言葉など
ひとことも言うことはなく、ありもしない日本の国家主義的傾向のみを非難する。
また、侵略や残虐行為の謝罪にしても、中国政府の侵略や、現在も行われている
裁判なしの銃殺刑、反体制運動家への拷問などは全く非難しない。
他方、民主的に選挙でえらばれた地方自治体の首長を「恥」と罵る。
いったい、恥知らずとは誰のことか?
こういう恥知らずな人間が、日本には腐るほど存在することを考えると、アタマが
痛くなってくる。
482 :
吾輩は名無しである:02/11/10 01:37
>>474 あのな、生まれて来た君がいつかは必ず死ぬように、
処女作を書いてしまった書き手は
必ずいつか「最後の小説」を書かなならん。そのことは常に頭にあるし、
実人生をねじ曲げてムリヤリ「最後の小説」を構築する作家もいた。
大江の場合は、そういう年齢と時季に来ているということ。
ノーベル賞を契機に切実化した。のだが、伊丹十三の死によって
作家の目算は大きく狂わされてしまった。
そこから生まれて来たのが『取り替え子』そして、それを呑みこむべく
企図されたのが『憂い顔の童子』。…両方とも「最後の小説」という
巨大風車へ立ち向かう試行で、当然のように無惨に錯誤し、
それを見越した作家が仕組んだ巧妙な構造も、作家の思惑を超えたところで
唐突に破られる・・・。じつに、稀有で面白い・・・
ノーベル賞に思う
大江氏はノーベル賞授賞の直後に
「自分は戦後民主主義を信奉する立場から、天皇の文化勲章はいただくわけにはいかな
い」と言ってましたが、私はこの人がどこまで本気で民主主義を信奉しているのか疑問で
す。「ヒロシマ・ノート」という本が出たころは、戦後民主主義の旗手といわれ私もそう思っ
ておりましたが、今から十年くらい前、大江氏は自ら発起人の一人となって核兵器廃絶
文化人会議とか言う組織を結成し「核兵器廃絶に向かって直ちに行動を起こそう」という
声明を出したのでしたが、これに対して週刊誌から月刊誌から総動員して猛烈な攻撃を
したのが文芸春秋だったのです。しかも、大江氏は文芸春秋が主催する芥川賞の選考
委員をしたり文芸春秋から本を出版して同社の利益に貢献したりしておりました。その点
に疑問を持った本多勝一氏が公開質問状を出して「あなたは核兵器廃絶を人に呼びか
けておいて、その廃絶運動を最も熱心に攻撃する文芸春秋の選考委員を引き受けたりし
ているのはおかしいのではないですか?」と問いかけたのですが、すぐには返事をせ
ず、何度も質問を繰り返すと事実とは違うことを言いたてて人をくったような返事をする。
それでもついに行き詰まって芥川賞の選考委員を辞退することになったのですが、新聞
の取材には「今回の辞任は核兵器廃絶運動とは何の関係もない」と言いつつべつのメデ
ィアには「しょうがないから辞めたんだ」という。それから三年くらいたってほとぼりが冷め
たころに、誰も知らないうちにいつのまにかまた芥川賞の選考委員におさまっている。大
江健三郎という人はそういうことをする人なのです。ここまでは事実です。ここから推量し
て、口では革新を標榜しながら裏では反動資本と結託する人物、と断定しては失礼にあ
たるでしょうか?
大江健三郎は今から44年前、防衛大生を「恥辱だ」と言い、ワシントンで「自衛隊
全廃論」をぶった。「中国や朝鮮半島の人民たち
と協力して、自衛隊の全廃を目指さなければならない」と主張した。まったくも
って意味不明である。自衛隊を廃止するのに必要なこ
とは、防衛庁設置法と自衛隊法の改正である。中国人や韓国人の助けなど要る筈
がない。
戦前の日本のことを「破壊への狂信が、国内と周辺諸国の人間の正気を踏みに
じった」と表現している。アブノーマルな日本人が
アジア諸国を侵略したという非難である。だが言うまでもなく、イギリスはイン
ドを、オランダはインドネシアを植民地にし、搾取の限りを尽くした。
一方、台湾では、日本の手によって学校が作られ、近代的な社会制度が整えられた。
西欧と日本の大きな違いは、日本の植民地経営だけが赤字であったことである。
大江は、西欧がやったことに目をつむり、自国のことにだけ非難を浴びせている。
何よりあきれることは、広島、長崎への原爆投下は日本人に責任があったとい
う主張である。ちなみに、このアメリカの犯罪を正当
化させるためにデッチ上げられたのが南京大虐殺である。大江は、すべては日本
が悪かった、以後這いつくばって生き
てまいります、と世界にメッセージを発している。
大江は、祖国である日本の国家を、そして同朋である日本国民を貶め、蔑み、
罵った。大江は、反国家、反天皇、反日
本、反国民、の言説を弄している。日本国民を見下して軽蔑して、1人自分だけ
を別格とし、己だけ
を高しとしている。大江は反日的日本人である。
しかし、なぜ「天皇制」を打倒しなければならないのか、国内に対しては露骨な
言い方を避ける。堂々と自分の考えることを日本国
民に訴えつづけていたのではない。当て擦り、嫌がらせ、ほのめかし、からか
い、唇をゆがめたような皮肉に終始している。後で言い
逃れできるようにはっきりと責任ある議論をしなかった。それでも、たとえ間違
った考えであったとしても、自分の考えることを堂々と
声を大にして国民に訴え続けたのであれば、毅然とした確信犯とみなすことがで
きるのだが。だが、海外では決定的な表現を使う。
口を極めて、露骨に日本や日本の歴史や日本国民を論難し、罵倒し、弾劾した。
外国人に対して日本人がいかに駄目であるかを縷々と述べる。この態度は卑屈
という一言に尽きる。自分を国際的に売り込むた
めに自分の祖国を叩き売る。外国から拍手喝采されるために、祖国にいわれなき
非難、攻撃を加えた。そこには、国民としての誇り
のひとかけらもない。皇室や自衛隊など批判するものに向かってこないものに対
しては限りなく冷酷に非難、攻撃の刃を向ける。他
方、まかり間違えば痛烈な批判の矢が飛んでくる恐れのある対象には絶対に悪口
を言わない。大江健三郎は卑怯である。
オオエがノーベル賞を受賞した理由について、スウェーデン王立アカデミーの
発表。「大江氏の作家活動は、日本における悪魔払いの行為」。
祖国を悪魔扱いして、外国に誉められてはしゃぐ。ただのハレンチである。
486 :
吾輩は名無しである:02/11/10 14:08
大江・小田実は金日成の喜び組
487 :
吾輩は名無しである:02/11/10 14:12
大江健三郎『同時代ゲーム』新潮文庫
海外でほとんど訳書も出ていなかった著者が、なぜノーベル賞を受賞したのかは、今もって謎である。
世界的な評価を得ている日本人の小説家といえば、三島由紀夫と安部公房、それに最近では村上春
樹ぐらいだろう。川端康成の受賞も「三島由紀夫の空席が回ってきた」といわれたが、その類推でいうと
安部公房が死んだために空席が回ってきたのだろうか。著者は一時、ノーベル賞の候補者を推薦する
と自称していた矢野暢と仲よくしていたというから、その効果があったのかもしれない。いずれにせよ、
佐藤栄作と並ぶ恥ずかしいノーベル賞である。
しかも、海外で評価される作品も『万延元年のフットボール』までで、それ以後はほとんど話題にならな
い。客観的にみても『個人的な体験』や『万延元年』は傑作といえるし、後年の作品でも『雨の木』の連
作のように肩に力を入れないで書いた短編には見るべきものがある。しかし本書のように「同時代」へ
の意識が過剰な作品は、読むに耐えない。学生から職業作家になった著者には切実なモチーフがな
く、「社会的」なテーマを頭の中で作り出して書いているからである。30歳のときに書かれた『万延元年』
が最高傑作とされるのは、著者の思想的限界を象徴している。
アサヒ・コム(時事)より全文引用
http://www.asahi.com/politics/update/1110/002.html 石原慎太郎東京都知事は10日午前、テレビ朝日の番組で、朝鮮民主主義人民共和国
(北朝鮮)に残る拉致被害者の家族の帰国問題に関し、「(家族の)1人でも北朝鮮
が迫害するなり、殺したりしたら、そういう国と日本は堂々と戦争したっていいと思
う」と述べた。(時事) (13:22)
続いて御投稿頂いた情報(未確認)
http://news2.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1036653614/606 ★今日のサンデープロジェクトの石原発言
「日本の商社と自民党有力政治家が北朝鮮への援助米の換金の仲立ちをしていた」
田原「米を援助して、何だっけ?」
石原「あのお米だってね、全部渡ってなくてね。半分日本の商社が買い戻して、その
金をピンハネしている(自民党の有力)政治家がいるよ。」
田原「あの米を、日本ではあれは軍人とか幹部が食ってるんだと言うんじゃなくて、
日本に返って来てる?」
石原「全部じゃないですよ。しかし、すぐにお金が欲しいからお金に変えて、それを
仲立ちしている政治家だっていますよ、日本に。」
田原「ほんと?それ」
石原「ほんとだよ。」
田原「ちょっとそれは大変な問題だよ。」
石原「大変な問題だよ。それも自民党のえらい人だよ。」
田原「今度来た時にまた聞きましょう。」
石原「バカバカしくてね、話にならないね。そういう政治家は国を売ってるよ。」
田原「それは、小泉さんに言った?」
石原「言った。たまげてたよ。」
489 :
吾輩は名無しである:02/11/10 14:50
「童子」の中で実名で扱われその批評を念入りに焼き捨てられる仕打ちを
受けた加藤典洋はその後恥の思いにわななき、執筆活動を全部放棄したという
噂だ。かわいそうな典洋。
そのよみがえりは大江作品の中で、イーヨーなる存在の後釜として
テンヨーとして現れることになる。
490 :
大江は正しい:02/11/10 14:51
北朝鮮は「救う会」と同じことをやっただけですよ。
もともと、日本と北朝鮮の外交問題の1つでしかなかった拉致問題を、
被害者家族を泣かせることによって最重要問題であるかのようにねじ曲げ、
さらには2週間の約束であった日本への帰国を利用し、
拉致被害者を逆拉致したその方法と、
キム・ヘギョン報道の意図するところはまったく同じです。
(引き裂かれた家族というメロドラマ化)
さらにまずいのが日本が拉致被害者を逆拉致したとことにより、
客観的に見れば「日本は誠実でない」という状態に置かれてしまっ
ていることです。最初っからこの拉致事件問題は北朝鮮ペースで事が
進んできたわけですが、もはや拉致問題は完全に北朝鮮側のカードと
化してしまっています。もはやこの問題を言及するそのことこそが、
日本にとっての国益を害しているといっても過言ではないのです。
ただし、私がいいたいのは「国益を害するからもうやるな」ではなくて
「やってもいいけど、国益を害してるくらいの事は知っておけ」です。
つか、この手の考えなしの連中がさも愛国ぶってるのが気に入らないん
ですよ。
大江健三郎『同時代ゲーム』新潮文庫
海外でほとんど訳書も出ていなかった著者が、なぜノーベル賞を受賞したのかは、今もって謎である。
世界的な評価を得ている日本人の小説家といえば、三島由紀夫と安部公房、それに最近では村上春
樹ぐらいだろう。川端康成の受賞も「三島由紀夫の空席が回ってきた」といわれたが、その類推でいうと
安部公房が死んだために空席が回ってきたのだろうか。著者は一時、ノーベル賞の候補者を推薦する
と自称していた矢野暢と仲よくしていたというから、その効果があったのかもしれない。いずれにせよ、
佐藤栄作と並ぶ恥ずかしいノーベル賞である。
しかも、海外で評価される作品も『万延元年のフットボール』までで、それ以後はほとんど話題にならな
い。客観的にみても『個人的な体験』や『万延元年』は傑作といえるし、後年の作品でも『雨の木』の連
作のように肩に力を入れないで書いた短編には見るべきものがある。しかし本書のように「同時代」へ
の意識が過剰な作品は、読むに耐えない。学生から職業作家になった著者には切実なモチーフがな
く、「社会的」なテーマを頭の中で作り出して書いているからである。30歳のときに書かれた『万延元年』
が最高傑作とされるのは、著者の思想的限界を象徴している。
本書には『ヒロシマ・ノート』以来の「核戦争の恐怖」のモチーフもあるが、こういう「非武装中立」の少女
趣味が日本の民主主義をだめにした害毒は計り知れない。最近の「歴史教科書」問題でも、著者は例
によって自分の子供を引き合いに出して「弱者」への配慮がどうとかいう見当違いな批判をしていた。
作家としてはともかく、戦後民主主義の生み出した最悪のイデオローグとしては歴史に残るだろう。
492 :
吾輩は名無しである:02/11/10 16:55
>>454 ごめん、福田どこでそれ書いてたか教えて
482 :吾輩は名無しである :02/11/10 01:37
>>474 あのな、生まれて来た君がいつかは必ず死ぬように、
処女作を書いてしまった書き手は
必ずいつか「最後の小説」を書かなならん。そのことは常に頭にあるし、
実人生をねじ曲げてムリヤリ「最後の小説」を構築する作家もいた。
大江の場合は、そういう年齢と時季に来ているということ。
ノーベル賞を契機に切実化した。のだが、伊丹十三の死によって
作家の目算は大きく狂わされてしまった。
そこから生まれて来たのが『取り替え子』そして、それを呑みこむべく
企図されたのが『憂い顔の童子』。…両方とも「最後の小説」という
巨大風車へ立ち向かう試行で、当然のように無惨に錯誤し、
それを見越した作家が仕組んだ巧妙な構造も、作家の思惑を超えたところで
唐突に破られる・・・。じつに、稀有で面白い・・・
【「わがテレビ体験」大江健三郎、「群像」、昭三十六年三月号】
結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、
スウィッチをいれる、画像があらわれる。
そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、
ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、
そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。
このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、
自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というような
とりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。
【「厳粛な綱渡り」大江健三郎、文藝春秋刊、昭和四十年】
北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。
ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、
それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて
自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。
逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が
熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。
ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかず
にはいられない。
北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、
南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。
日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。
しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけら
れているのでない。
「北朝鮮の青年の未来と希望の純一さ」は、「南朝鮮」の青年達が疑い、
嘲笑したように、今日の破局の中に失われて
しまった。大江氏がこれだけ思い入れをした「老いた美しい朝鮮の
婦人」や、「希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわっ
た生きかたを始めようとしている青年」達は、今や住む家も洪水に
流され、食べ物も自由も希望もなく、ただ餓死を待っているであろう。
そうした北朝鮮の惨状について、大江氏はどう考えているのだろ
うか。大江氏が昔の自分の文章を覚えているなら、自らの不明を恥
じて、読者にお詫びをするとともに、自分の見通しがなぜ間違った
のか、思想的にきちんとした反省をしなければならない。それをし
ないこの人は言論人としての資格はない。将来も、また同じような
過ちを繰り返すのみである。
また上記の熱のこもった文章が、単なる共産主義かぶれの若気の
至りではなく、北朝鮮の人々への真実の思い入れだとしたら、自ら
率先して、北朝鮮救援活動を始めるか、ノーベル賞の賞金を北朝鮮
救済の資金として提供する位の事はあっても良いのではないか。大
江氏は、昨年は米国プリンストン大学で静かな研究生活を送ったよ
うだが、現在は別の意味で「帰るべき朝鮮がない」のだろうか。要
はつねに人事なのだろうか。
496 :
真ころにゃん ◆xBMFVwwC0s :02/11/10 20:39
昨夜遅くの書籍板では、わずか2時間ほどのあいだに何と40発言もの「ランディスレは
文学板から出てけ」荒らしがあったのに、なぜ、それを午後とか夜の七時八時台に
やんないの?>碁石タン やっぱ一人しかいないんでそ?
家族と夕御飯食べたりテレビみたりしてる時間ならそれは無理だと思うけど。
関連してここのスレを続けることに賛成。荒らしが一人なら、どちらかが
荒らされてても片方はダメージ少ないから。(そもそも文学板から出てけ、
書籍板でやれと言いつつ、その書籍板を荒らすってどういうことよ?出てって
ほしいというなら、その行き先に手を出したら駄目でしょうが?世の中何でも
自分の思い通りになると思わないほうがいいかもね。命令して支配して当たり
散らすのは自分の家族ぐらいにしておけば?)
497 :
真ころにゃん ◆xBMFVwwC0s :02/11/10 20:39
昨夜遅くの書籍板では、わずか2時間ほどのあいだに何と40発言もの「ランディスレは
文学板から出てけ」荒らしがあったのに、なぜ、それを午後とか夜の七時八時台に
やんないの?>碁石タン やっぱ一人しかいないんでそ?
家族と夕御飯食べたりテレビみたりしてる時間ならそれは無理だと思うけど。
関連してここのスレを続けることに賛成。荒らしが一人なら、どちらかが
荒らされてても片方はダメージ少ないから。(そもそも文学板から出てけ、
書籍板でやれと言いつつ、その書籍板を荒らすってどういうことよ?出てって
ほしいというなら、その行き先に手を出したら駄目でしょうが?世の中何でも
自分の思い通りになると思わないほうがいいかもね。命令して支配して当たり
散らすのは自分の家族ぐらいにしておけば?)
498 :
真ころにゃん ◆xBMFVwwC0s :02/11/10 20:39
昨夜遅くの書籍板では、わずか2時間ほどのあいだに何と40発言もの「ランディスレは
文学板から出てけ」荒らしがあったのに、なぜ、それを午後とか夜の七時八時台に
やんないの?>碁石タン やっぱ一人しかいないんでそ?
家族と夕御飯食べたりテレビみたりしてる時間ならそれは無理だと思うけど。
関連してここのスレを続けることに賛成。荒らしが一人なら、どちらかが
荒らされてても片方はダメージ少ないから。(そもそも文学板から出てけ、
書籍板でやれと言いつつ、その書籍板を荒らすってどういうことよ?出てって
ほしいというなら、その行き先に手を出したら駄目でしょうが?世の中何でも
自分の思い通りになると思わないほうがいいかもね。命令して支配して当たり
散らすのは自分の家族ぐらいにしておけば?)
あぼーん
500 :
真ころにゃん ◆xBMFVwwC0s :02/11/10 21:08
501 :
吾輩は名無しである:02/11/13 01:16
再審。
502 :
吾輩は名無しである:02/11/15 02:50
age
503 :
吾輩は名無しである:02/11/15 16:10
大江センセイは「地上の楽園」にいつ帰るのでしょうか?
私は憂い顔そのものというより、取替え子〜憂い顔にいたる経緯を評価してる。
取替え子に感じた物足りなさが憂い顔で消化できたせいで逆に前者が伏線に
感じられたくらい。このラインは確かに中期からも含まれるんだろうけど
(つまり総括の意味として。そういう解釈のほうがあたってるんだろうけど)
私はこの2作は今までとは別の物語として読めた。
次の根幹に向かう派生として。
505 :
吾輩は名無しである:02/11/15 21:03
>>504 あー、そうだなあ。
「憂い顔」がなかったら「取り替え子」は浮かばれない感じだよなあ。
扶桑社教科書を東京都の養護学校が採用したことについて、
ノーベル文学賞作家の大江健三郎が朝日新聞のインタビューで、次のように述べている。
「「つくる会」の教科書は、市販されベストセラーになりました。
もちろん中学生が早く読みたいと思ったからではない。
「日本は優れている」「誇りと自信がいる」と思い詰める大人に
空元気をつける癒(いや)し系の本だからでしょう。
子どものためによく考えられた本ではありません。でも、教科書の実物を
これほど多くの大人が読んで、考えたことはない。
その結果、公立で採択したと公表した教育委員会はこれまで一つもなかった。
父親や母親の反省が、日本人の世論として、力を持ったのです。
東京都教委の結論は、これに真っ向から対立しています。」
この文章を読んで「誤植ではなかろうか?」と思ったかた、あなたの感覚は正しい。
つまり大江は、扶桑社教科書の市販本がベストセラーになったという事実と、
公立校のほとんどがこの教科書を採択しなかった(できなかった)という事実とを結び付けて、
「市販本を読んだマジョリティが扶桑社教科書に反対する世論となり、
採択を阻止した」と結論付けているのだ。これ以上の欺瞞はなかろう。
市販本の読者の大多数は、この教科書を好意的に受けとめている。
版元が公開している「読者の反響」を読んでみろ。
お手盛りの「大本営発表」だと言うなら、各紙各誌の書評を読め。
日教組の幹部ですら、うかつにも(笑)「おもしろい」とほめてしまい、
組織内からの突き上げを食らったではないか。
扶桑社教科書に反対しているのは、ごく一部の反日左翼勢力だ。
声のみはかしましいが、日本国民の中では圧倒的少数派である。
彼らは、扶桑社教科書を読む前から反対し、読みもせずに反対し、
批判本を鵜呑みにして反対し、反対せんがために反対してきた(笑)扶桑社教科書の
市販本が話題になり、好評をはくし、ベストセラーになって、左翼勢力の危機感は頂点に達した。
そして、単なる「批判」の域をこえ、なりふりかまわぬ力ずくの反対運動に走ったのだ。
扶桑社教科書を採択しようとした教育委員会に対しては、
左翼お得意の組織動員で妨害活動を行った。
委員の自宅にまで手紙、電話・ファックス攻撃をかけ、デモ、
アジテーションなどを展開した。粛然たるべき教科書採択現場に混乱を持ち込み、
委員に扶桑社教科書を忌避させ、採択できない状況へと追い込んでいったのではないか。
大江はそうした現状を知らないのだろうか?
ノーベル文学賞をゲットするほどの「知性」において、まさかそんなことはあるまい。
現状を知った上で、意図的に歪め、捻じ曲げて、
正反対の結論を導き出しているのだ。これは、もはや評論ではない。卑劣なデマゴギーである。
大江自身の息子が知的障害者で養護学校出身であるという事実も、
このデマに説得力を付加しよう。
だからこそ、朝日は大江にインタビューしたのだろうし、大江もそのことは計算済みだろう。
そのことを考えると、大江の心の闇を覗き見たようで、慄然たる思いにかられる。
かつてヤスパースは、誠実さを欠いた知性はナチス的であると喝破した。
大江のごとき、白を黒と言って平然たる卑劣な「知性」こそ、
ヒトラーを、あるいはスターリンを、ポルポトを支持した「知性」と同様ではないか?
野依良治名大教授のノーベル賞の受賞式に、歴代のノーベ
ル賞受賞者も出席していた。その中に、「あの」大江健三郎の姿が・・・
有名な話だが、大江は、ノーベル賞受賞に際して、日本政府
から文化勲章を受ける話を断った。理由は、「国家から表彰
されたくない。皇室からもらいたくない」だった。
文化勲章を否定すること自体は、同じ日本人であることに恥
入るが、思想の問題だから、別にどうこう言うつもりはない。
しかし、だったら、どう考えてもノーベル賞も辞退すべきだろう?
なぜなら、ノーベル化学賞は、スウェーデン王立科学アカデミ
ーが国を代表して選定する。授与するのは、スウェーデンの
グスタフ国王だ。
国家が関与し、王室が授与するという点では、文化勲章も、ノ
ーベル賞も同じである。文化勲章がイヤなら、ノーベル賞だっ
ていらないというのが当然である。
大江は、それはしない。その理由は何だろうか?
日本人のくせに欧米の視点に立ち、日本をバカにしている
か、一億円以上の賞金に目がくらんだか、どっちかだろう。両方か?
大江がノーベル賞を受けたことにも腹が立ったが、その後の
記念講演も聞いていて呆れたことを思い出した。日本がイヤ
なら、さっさと心のふるさと中国か北朝鮮に行けばいいものを・・・
そして、今また、性懲りもなくスウェーデンに呼ばれてのこのこ
出ていく彼の気が知れない。「国家の指図は受けない!!
いちいち出ていけるか!」くらいのことは言えないのか?
恥知らずとは、彼のためにある言葉だとすら思う。
大江健三郎は愛媛の恥
大江健三郎は、とかく愛媛ではヒーロー扱いされているが、困った風潮だ。
氏は、ノーベル賞を受賞した後、国家の文化勲章を受けるのを拒否した。
「国がらみの賞は受けない」と辛辣なセリフを吐いて。
続いて出身地である愛媛県の県功労賞も蹴った。県職員を門前払いた。
どうやら大江には愛郷精神というものまで欠けているらしい。
本音は、「ノーベル賞をとった後にそんなローカルな賞を受けられるか」なのだろう。
その後は、中国で「石原都知事を選んだ東京都民を恥ずかしく思う」などとのたまう始末。
自分の見識に基づいて石原氏を選んだ東京都の人々を馬鹿にする発言で、
何様になったつもりなのだろう。
われわれ愛媛県民は、こういう人物を祭り上げるのをやめるべきである。
小説『坊ちゃん』で松山のことをボロカスに言った漱石と同様に。
大江氏の場合問題なのは、氏の小賢しい処世術と創作活動が密接な関わりをもって
いることである。筒井康隆が断筆したとき大江氏は批判がましいことを書いていたが、
この人は日本に新聞が彼に関する批判を書けないことをどう思っているのだろう。
例えば、ある評論家がノ
ーベル賞授賞式の大江氏を描写した「満面の笑み」という言葉が、某大新聞には筆者に何の断
りもなく削除されてしまう。差別だの表現に自由だのの問題以前である。そうした庇護を当然と
思っているのかは分からないが、右翼から抗議を愛けた作品の文庫化を自分から拒否できるの
も、その程度の作家性しか持たないせいだろう。いずれにしろ、欲しくて欲しくてたまらなかった
ノーベル賞を手に入れて、その記念講演で「あいまいな日本の私」とは、皮肉でなく優れた自己
批評であり、大江氏の作家としての幕引きとして最良のものであったことは間違いない。
丸山の死亡記事(朝日新聞)のわきに、大江健三郎のコメントが載っていた。これ
には笑ってしまった。このコメント(発言記事)だけが、きわめて印象的である。
新聞の追悼文は、次のように結んであった。
文化勲章の辞退のことで苦しかった時、先生から励ましの手紙をいただきまし
た。そこでの、現実派知識人への上品な軽侮が愉快だったことも思いだします。
ここで「現実派知識人」とは、自民党支持の保守派の言論人総体のことを指している
のだろう。そうすると、それとの対比で、丸山や大江は自分たちのことを、「理想派知
識人」だと考えていることになる。何の理想か?人類のあるべき理想か?大江のこ
の肚のすわった居直りに近い発言が、気に入った。丸山は大江と同じで、最後まで反省
しないで、反体制、反保守、反資本主義を貫く気だ。彼らリベラル派の日本知識人は、
反省なんかしないで、自分の足元の現実が、ずいぶんと意に反したものになってしまっ
たとしても、あくまで、旧来の自分の主張を貫いて、一貫するしか他にないのだ、と私
は思った。八〇年代に入ると、福田恆存が創始した「進歩的文化人」という言葉でひと
くくりにされ、軽蔑され、批判され、揶揄される時代になった。ソビエト・ロシア(ロ
シア・マルクス主義)=ソビエト帝国が滅んだのが九一年八月で、それから五年が過ぎ
て、反体制・反保守派は、社会全体からすればずいぶんと旗色が悪くなりつづけた。し
かしそれでも、朝日新聞(発売部数六百万部)に表われるごとく、こんなにも丸山たち
はまだまだ強い。私のような、「負け組」(やっぱり自分は間違っていたな、負けだっ
たと率直に認める考え)は、少数派であって、ほとんどは、ダンマリを決めこんで、日
本敗戦直後のブラジル日系人の「勝ち組」と同じく、まだ反保守のままである。どうや
ら「反体制」であることはやめたようだ。従来どおり反資本主義ではあるが、何を次の
信念の柱にするかは見つからない。そういう現状だ。
丸山は、日本知識人の中では、ずばぬけて頭は良かった。丸山は、西欧政治思想が理
解できた珍しい日本人だ。だから、きっと西欧の近代思想家たちの伝統の方に逃れ出
て、そこを自分の柱(依りどころ)にして、生きたのだろう。即ち、丸山は知識・学問
伝統主義者だ。権力者や支配者を批判するヨーロッパ知識人の伝統に乗っかって行くと
決めたのだ。その丸山の本を読んで、それに頭の中だけ(生活は別だ)持っていかれた
者たちは、後に放ったらかしにされた。丸山のファン(信奉者)とは即ち、棄てられた
知識大衆だ。敗戦直後にファシストや天皇に棄てられたのも知識大衆だった。戦後、左
翼思想にしがみつき、のめり込み、そして、それに棄てられて、ろくな人生をおくれな
かったのも、知識大衆だ。自分を知識層だと勝手に思い込んだ大衆だ。数十万人の特殊
な大衆たちだ。結局、大衆であることに変わりはない。その代表は、公立学校の教師の
ような連中である。彼らが懸命に読んだのが丸山や大江の本で、丸山も大江も、つま
り、人だましが上手な言論商売人だった。副島隆彦『日本の秘密』
無垢な魂がうみだす天上の世界大江光の音楽
ノーベル賞作家・大江健三郎氏の長男である光氏は,知的障害を持つ作曲家で,世界的にも名声を得ていま
す。その大江光氏の音楽を,呉出身でフルート奏者の第一人者でもある小泉浩氏を中心としたメンバーにより演奏し,市民の芸術文化の振興に寄与するとともに,人にやさしいまちづくりへとつなげていきます。
ノーベル賞作家・大江健三郎氏が語る,息子・光氏の音楽についての講演会を行います。
その他,社会福祉施設によるパネル展や作品展を開催します。
新しい大江光
大江健三郎と光による講演とコンサート
<研ぎ澄まされた静かな魂の声>
日本を代表するノーベル賞作家の大江健三郎さんの講演と、その息子、光さん
の作品による演奏会です。光さんは誕生時の障害のため、幼児期から知的発達
のおくれがありました。しかし音楽への関心はとても高く、11才から正式なピアノ
レッスンをうけた後小曲を作曲しはじめました。日常の生活から題材を得た、素朴
ではあるけれど心の琴線に直接語りかけてくるような作品の数々は世界でも高く
評価されています。彼の作品集「大江光の音楽」「大江光ふたたび」は日本ゴール
ドディスク大賞を受賞しました。国内外で活躍中の演奏家であり、光さんの良き
理解者でもある3人の演奏をどうぞお楽しみに。
大江光プロフィール
1963年、東京に生まれる。後頭部にこぶをもって誕生し、生後二カ月半で切除手
術を受ける。一命はとりとめたが知的発達の遅れが目立ち、幼児期には言葉によ
るコミュニケーションがほとんどなく、クラシック音楽、童謡、および烏の声にのみ関
心を示していた。母親によるピアノの手ほどきのあと、ll歳で田村久美子氏からレッ
スンを受け始める。モーツアルトやショパンの曲を正確に記憶、再現するとともに
13歳から小曲を作り始めた。92年10月、最初のCD「大江光の音楽」は日本ゴール
ドディスク大賞を、94年9月にリリースした第2集「大江光ふたたび」も第1集に引続
き日本ゴールドディスク大賞を、そして日本レコード大賞企画賞を受賞した。また、
96年には伊丹十三監督作品「静かな生活」で、日木アカデミー賞優秀音楽賞に輝
いた。
NHK総合で「平和の世紀は築けるか」という真面目な番組をやっていました。
主な出演者はノーベル文学賞の大江健三郎氏。
大江氏の世界平和論は、ご自身のコピー人間が増えるのが理想とでもい
いたげな話しばかり。実際に平和を脅かしているイスラム、ユダヤ、キリスト教
などの原理主義者、中国の覇権主義や過激な民族主義者を批判したらどうで
すかね。それと帝国主義時代から続く、欧米による白人国家の国益優先、アジ
ア搾取、イスラム分裂外交についてはどうなんでしょう?ノーベル賞もらってる
と西欧人の悪口が言えないんでしょうか?
小説家という安全地帯からの発言であっても、理性や哲学に依存する人なら、
大江氏の主張に理想を見出すかもしれません。しかし、宗教上の対立と欧米
の搾取に痛めつけられ、生死を賭して戦っている人たちに、大江流の「自立し
た個」の思想が何の役に立つというのでしょう?大江氏は世界平和について、
もっと現実的な提言ができなければ、沈黙すべきではないかと思います。
大江健三郎氏に仏レジオン・ドヌール勲章 (朝日)
作家の大江健三郎氏(67)がフランス政府からレジオン・ドヌール勲章コマンドールを
受けることが決まり、22日に 東京の仏大使館で叙勲式がある。
3段階に分かれる同勲章の中で、コマンドールは最高位。
シラク大統領から大江氏に届いた文書によると「格調の高い作品でノーベル賞が与えられ、知的か
つ倫理的スケールが国際的に認められた」などと叙勲理由が書かれている。
大江氏は、95年にシラク氏の核実験再開に抗議して、フランスでの文学シンポジウム
を欠席したことがある。今回 は、シラク氏の、米英と異なる核軍縮の役割に期待して
受けることにしたという。同勲章は、画家平山郁夫氏や評論家加藤周一氏らも受章している。
何もくれないと抗議で欠席するけど、勲章を貰えるなら核実験でも容認、
日本の勲章は要らないけど、フランスの勲章は、
志を曲げても欲しいというところかにゃ。
フランスコンプレックス丸出しだにゃ。
まあ、ノーベル賞を辞退した奴を礼賛しといて、
自分はちゃっかりもらうような人ですからにゃ。
サヨクのダブルスタンダードぶりは、
今に始まった事じゃありませんけどにゃ。
516 :
吾輩は名無しである:02/11/15 22:27
大江は光にフェラさせてるって本当?
週末ごとに荒らしまくるのはいかがなものか
先週も来てた人ですよね?
518 :
吾輩は名無しである:02/11/16 05:09
おお、このスレ、変なアラシが入ってますが
『憂い顔の童子』はよいと思いますよ(賛辞の嵐に加担しとこ)。
全編とおして凄いです。明晰なキチガイですね大江さん。
最後んとこはやはり感動します。
でも中野重治の文章によるチカラでもあるから
複雜ですけど。
519 :
吾輩は名無しである:02/11/16 05:18
大江健座風呂ー下らん死ね
読んでるやつも、死ね
。。。。。。。。。。。。。。。。。。
520 :
吾輩は名無しである:02/11/16 05:41
まあ、読んでみろってっば。
521 :
吾輩は名無しである:02/11/16 06:25
油断ならない測りがたさの表情・・・
新しい悪意をたっぷり仕込んで・・・
とてもたびたび間違える
仔馬が歩くような身のこなし
老人性のメランコリー
質問というより告発の語調で・・・
妙に権威的で、一杯くわせてやろうというのが見えみえの・・・
人を内面だけで判断するのもどうでしょうか・・・
有無をいわせず相手の懷へ入り込む独特のやり方で・・・
孤立無援を全身に滲ませて・・・
自分が一生で出会うもっとも美しいものの、すべてが結集している場所
だらしない饒舌
腕力事件
522 :
吾輩は名無しである:02/11/16 06:32
まぁ、じっくり読んでみれって。
523 :
吾輩は名無しである:02/11/16 06:34
総会全体の予算をおびやかすので・・・
・・・の俗気にうんざりして、
「古風な町医者」を自己演出するふうで・・・
全体に穏やかな丸っこさの・・・
親身な共感を誘うもの・・・
ときどきとても無防備
あつかましい剽窃を怖れたから・・・
まぁ、読んでから言うんだなw
525 :
吾輩は名無しである:02/11/16 06:45
いや、全部読んだよ。
大江さんらしいオモロイ言葉づかいを抜き出しておいたので
まとめて書いてみただけ。
全体の構造としての物語性よりこういう言葉の使い方に
惹かれるよ。
526 :
吾輩は名無しである:02/11/16 06:49
ところで
「視覚をずらされ(基準がではない!)・・・」の
ドイツの哲学者って誰ですか?
527 :
吾輩は名無しである:02/11/16 06:51
スピノザはドイツ人?オランダ人?
528 :
吾輩は名無しである:02/11/16 06:55
ベンヤミンか?
【「わがテレビ体験」大江健三郎、「群像」、昭三十六年三月号】
結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、
スウィッチをいれる、画像があらわれる。
そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、
ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、
そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。
このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、
自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というような
とりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。
【「厳粛な綱渡り」大江健三郎、文藝春秋刊、昭和四十年】
北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。
ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、
それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて
自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。
逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が
熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。
ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかず
にはいられない。
北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、
南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。
日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。
しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけら
れているのでない。
530 :
吾輩は名無しである:02/11/16 15:12
>酔いの陽気な昂揚が、この男の地の性格らしい陰気なこだわりへ
>姿を変える段階にある・・・
これも上手いよなー。
531 :
吾輩は名無しである:02/11/16 15:40
腕力事件・・・ってのがイイ!
532 :
吾輩は名無しである:02/11/16 15:42
多様な目的で使った懷中電灯・・・も素晴らしい
533 :
吾輩は名無しである:02/11/16 16:09
惻隠の情が欠けている
534 :
吾輩は名無しである:02/11/16 16:49
それぞれの私語を続けて・・・
535 :
吾輩は名無しである:02/11/16 16:56
>自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というような
>とりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。
少し上のレス(荒らし)からの引用ですけど
こういう大江さんの妄想はすごく好きですよ。
レトリックとしてではなく
本気で「感情の平衡」を失っていそうな大江さんは
やはり凄いと思うよ。
536 :
吾輩は名無しである:02/11/16 17:05
幼児的退行(野口武彦)が大江さんのチャーム・ポイントですから。
>>535 そしてこういうのは常に危ういユーモアでもあるということ。
どーも「大作家」になってしまってから、
一字一句を糞真面目に拾って批判する人も多いんだが
大江の小説って根本に「滑稽さ」があるものが多いんだよな。
真顔で突拍子もないことを行ってのける面白さ、というか。
漏れ、前にも書き込んだがデビューのころの
タランティーノの会話のセンスに近いものを感じるですよ。
大江健三郎は今から44年前、防衛大生を「恥辱だ」と言い、ワシントンで「自衛隊
全廃論」をぶった。「中国や朝鮮半島の人民たち
と協力して、自衛隊の全廃を目指さなければならない」と主張した。まったくも
って意味不明である。自衛隊を廃止するのに必要なこ
とは、防衛庁設置法と自衛隊法の改正である。中国人や韓国人の助けなど要る筈
がない。
戦前の日本のことを「破壊への狂信が、国内と周辺諸国の人間の正気を踏みに
じった」と表現している。アブノーマルな日本人が
アジア諸国を侵略したという非難である。だが言うまでもなく、イギリスはイン
ドを、オランダはインドネシアを植民地にし、搾取の限りを尽くした。
一方、台湾では、日本の手によって学校が作られ、近代的な社会制度が整えられた。
西欧と日本の大きな違いは、日本の植民地経営だけが赤字であったことである。
大江は、西欧がやったことに目をつむり、自国のことにだけ非難を浴びせている。
何よりあきれることは、広島、長崎への原爆投下は日本人に責任があったとい
う主張である。ちなみに、このアメリカの犯罪を正当
化させるためにデッチ上げられたのが南京大虐殺である。大江は、すべては日本
が悪かった、以後這いつくばって生き
てまいります、と世界にメッセージを発している。
大江は、祖国である日本の国家を、そして同朋である日本国民を貶め、蔑み、
罵った。大江は、反国家、反天皇、反日
本、反国民、の言説を弄している。日本国民を見下して軽蔑して、1人自分だけ
を別格とし、己だけ
を高しとしている。大江は反日的日本人である。
しかし、なぜ「天皇制」を打倒しなければならないのか、国内に対しては露骨な
言い方を避ける。堂々と自分の考えることを日本国
民に訴えつづけていたのではない。当て擦り、嫌がらせ、ほのめかし、からか
い、唇をゆがめたような皮肉に終始している。後で言い
逃れできるようにはっきりと責任ある議論をしなかった。それでも、たとえ間違
った考えであったとしても、自分の考えることを堂々と
声を大にして国民に訴え続けたのであれば、毅然とした確信犯とみなすことがで
きるのだが。だが、海外では決定的な表現を使う。
口を極めて、露骨に日本や日本の歴史や日本国民を論難し、罵倒し、弾劾した。
外国人に対して日本人がいかに駄目であるかを縷々と述べる。この態度は卑屈
という一言に尽きる。自分を国際的に売り込むた
めに自分の祖国を叩き売る。外国から拍手喝采されるために、祖国にいわれなき
非難、攻撃を加えた。そこには、国民としての誇り
のひとかけらもない。皇室や自衛隊など批判するものに向かってこないものに対
しては限りなく冷酷に非難、攻撃の刃を向ける。他
方、まかり間違えば痛烈な批判の矢が飛んでくる恐れのある対象には絶対に悪口
を言わない。大江健三郎は卑怯である。大江健三郎は卑屈である。
大江健三郎は醜悪である。
オオエがノーベル賞を受賞した理由について、スウェーデン王立アカデミーの
発表。「大江氏の作家活動は、日本における悪魔払いの行為」。
祖国を悪魔扱いして、外国に誉められてはしゃぐ。ただのハレンチである。
540 :
吾輩は名無しである:02/11/16 17:34
物語の構造としては凡庸なんだけど
ことばの選び方の厳しさと、獰猛な感受性は
否定できない。
541 :
吾輩は名無しである:02/11/16 17:39
荒らしも結構興味ぶかいよなー。
こうやって攻撃されてきたのか大江さんは、
などと考えると
彼が小説中でみせる過度な被害妄想性や大人げなさにも
じゅうぶん共感してしまうよ。
542 :
吾輩は名無しである:02/11/16 17:42
大江さんは非論理的な暴力性が魅力なんだから
543 :
吾輩は名無しである:02/11/16 17:46
頻繁に訪れる「荒らし」は
大黄さんのグループが現象しているのでしょ。
『憂い顔・・・』のスレタイに沿った粋な演出ですね。
いいかげん、
「政治少年、死す」を、
単行本に入れてください、
おねがいします。
545 :
吾輩は名無しである:02/11/16 18:01
虫がたたいてるぜ
547 :
吾輩は名無しである:02/11/16 19:06
>>543 そのような解釈が健康的で賢明だな。
『憂い顔』の本文に則していへば
≪永い間にそうしたことを受け流す態度が身についた・・・》
というカメのディテールを表わす文章か。
548 :
吾輩は名無しである:02/11/16 19:11
「一杯くわせてやろうというのが見えみえの」ヤカラには
まったくウンザリしますよねー。
549 :
吾輩は名無しである:02/11/16 19:11
「妙に権威的」だからでしょ。
550 :
吾輩は名無しである:02/11/16 19:12
まったく「拒みようがない」
551 :
吾輩は名無しである:02/11/16 19:13
「だらしない饒舌」です。
552 :
吾輩は名無しである:02/11/16 19:14
「あつかましい剽窃」でもあります。
553 :
吾輩は名無しである:02/11/16 19:16
「心理的にも厄介をともな」います。
554 :
吾輩は名無しである:02/11/16 19:45
「障害者の息子を利用」しています。
555 :
吾輩は名無しである:02/11/16 20:44
>162
「あたかも最後の日に臨んでいるかのように」というベンヤミンの一節
これは、ベニヤミンの言葉ではありません。
ストア学派の哲学者でローマ皇帝のマルクス・アウレリウス・アントニウス
の書いた「自省録」(岩波文庫)の一節です。文庫版のp119、p115
あたりに書いてあります。「現在の一瞬が君の生涯の終局であるかのように、
自然に従って余生をすごさなくてはならない。」
お、盛り上がっとるね。
「勃起させる」ぜ。
もう一つ、サービス。
ベンヤミンからの同種の引用は次の通り。
「人類は解放されてはじめて、その過去のあらゆる時点を
引用できるようになる。人類が生きた瞬間の全てが、その日には、
引き出して用いうるものとなるのだ」
(『歴史の概念について』岩波文庫版「ボードレール他五篇」所収p329)
丸山の死亡記事(朝日新聞)のわきに、大江健三郎のコメントが載っていた。これ
には笑ってしまった。このコメント(発言記事)だけが、きわめて印象的である。
新聞の追悼文は、次のように結んであった。
文化勲章の辞退のことで苦しかった時、先生から励ましの手紙をいただきまし
た。そこでの、現実派知識人への上品な軽侮が愉快だったことも思いだします。
ここで「現実派知識人」とは、自民党支持の保守派の言論人総体のことを指している
のだろう。そうすると、それとの対比で、丸山や大江は自分たちのことを、「理想派知
識人」だと考えていることになる。何の理想か?人類のあるべき理想か?大江のこ
の肚のすわった居直りに近い発言が、気に入った。丸山は大江と同じで、最後まで反省
しないで、反体制、反保守、反資本主義を貫く気だ。彼らリベラル派の日本知識人は、
反省なんかしないで、自分の足元の現実が、ずいぶんと意に反したものになってしまっ
たとしても、あくまで、旧来の自分の主張を貫いて、一貫するしか他にないのだ、と私
は思った。八〇年代に入ると、福田恆存が創始した「進歩的文化人」という言葉でひと
くくりにされ、軽蔑され、批判され、揶揄される時代になった。ソビエト・ロシア(ロ
シア・マルクス主義)=ソビエト帝国が滅んだのが九一年八月で、それから五年が過ぎ
て、反体制・反保守派は、社会全体からすればずいぶんと旗色が悪くなりつづけた。し
かしそれでも、朝日新聞(発売部数六百万部)に表われるごとく、こんなにも丸山たち
はまだまだ強い。私のような、「負け組」(やっぱり自分は間違っていたな、負けだっ
たと率直に認める考え)は、少数派であって、ほとんどは、ダンマリを決めこんで、日
本敗戦直後のブラジル日系人の「勝ち組」と同じく、まだ反保守のままである。どうや
ら「反体制」であることはやめたようだ。従来どおり反資本主義ではあるが、何を次の
信念の柱にするかは見つからない。そういう現状だ。
丸山は、日本知識人の中では、ずばぬけて頭は良かった。丸山は、西欧政治思想が理
解できた珍しい日本人だ。だから、きっと西欧の近代思想家たちの伝統の方に逃れ出
て、そこを自分の柱(依りどころ)にして、生きたのだろう。即ち、丸山は知識・学問
伝統主義者だ。権力者や支配者を批判するヨーロッパ知識人の伝統に乗っかって行くと
決めたのだ。その丸山の本を読んで、それに頭の中だけ(生活は別だ)持っていかれた
者たちは、後に放ったらかしにされた。丸山のファン(信奉者)とは即ち、棄てられた
知識大衆だ。敗戦直後にファシストや天皇に棄てられたのも知識大衆だった。戦後、左
翼思想にしがみつき、のめり込み、そして、それに棄てられて、ろくな人生をおくれな
かったのも、知識大衆だ。自分を知識層だと勝手に思い込んだ大衆だ。数十万人の特殊
な大衆たちだ。結局、大衆であることに変わりはない。その代表は、公立学校の教師の
ような連中である。彼らが懸命に読んだのが丸山や大江の本で、丸山も大江も、つま
り、人だましが上手な言論商売人だった。副島隆彦『日本の秘密』
図式的な少女趣味
大江健三郎『同時代ゲーム』新潮文庫
海外でほとんど訳書も出ていなかった著者が、なぜノーベル賞を受賞したのかは、今もって謎である。
世界的な評価を得ている日本人の小説家といえば、三島由紀夫と安部公房、それに最近では村上春
樹ぐらいだろう。川端康成の受賞も「三島由紀夫の空席が回ってきた」といわれたが、その類推でいうと
安部公房が死んだために空席が回ってきたのだろうか。著者は一時、ノーベル賞の候補者を推薦する
と自称していた矢野暢と仲よくしていたというから、その効果があったのかもしれない。いずれにせよ、
佐藤栄作と並ぶ恥ずかしいノーベル賞である。
しかも、海外で評価される作品も『万延元年のフットボール』までで、それ以後はほとんど話題にならな
い。客観的にみても『個人的な体験』や『万延元年』は傑作といえるし、後年の作品でも『雨の木』の連
作のように肩に力を入れないで書いた短編には見るべきものがある。しかし本書のように「同時代」へ
の意識が過剰な作品は、読むに耐えない。学生から職業作家になった著者には切実なモチーフがな
く、「社会的」なテーマを頭の中で作り出して書いているからである。30歳のときに書かれた『万延元年』
が最高傑作とされるのは、著者の思想的限界を象徴している。
本書には『ヒロシマ・ノート』以来の「核戦争の恐怖」のモチーフもあるが、こういう「非武装中立」の少女
趣味が日本の民主主義をだめにした害毒は計り知れない。最近の「歴史教科書」問題でも、著者は例
によって自分の子供を引き合いに出して「弱者」への配慮がどうとかいう見当違いな批判をしていた。
作家としてはともかく、戦後民主主義の生み出した最悪のイデオローグとしては歴史に残るだろう。
561 :
吾輩は名無しである:02/11/17 01:34
お、きたきた噂の大黄さんグループの「荒らし」ですな。
がんぱって「荒らし」てくださいっ!
なんか小説中の出来事をリアルタイムで
体験してるようで
スリリングぢゃないですか。
さあ、がんばって「荒らし」てください。
まだこんな可愛らしいものでは
大江さんはちいともヘコ垂れませんよ。悪いけど。
562 :
吾輩は名無しである:02/11/17 01:37
客を送りだす挨拶に念を入れる文化圏の人
563 :
吾輩は名無しである:02/11/17 01:38
勢いのある破裂音を響かせて
564 :
吾輩は名無しである:02/11/17 01:39
アケスケな性的細部にそそられたところがあるのじゃないか・・・
565 :
吾輩は名無しである:02/11/17 01:39
話はひたすら実務的
566 :
吾輩は名無しである:02/11/17 01:40
ざわめきを終息させる威厳を示した・・・
567 :
吾輩は名無しである:02/11/17 01:42
とても永い経験に鍛えられてもいる・・・
568 :
吾輩は名無しである:02/11/17 01:44
厄介な若者
569 :
吾輩は名無しである:02/11/17 01:44
どうでもいいが、大江批判者は自分の言葉で語ってほしい。
コピペのみを羅列されても何も言いようがない。
そんなことを続けるならば「大江批判者のレベルの低さ」を
証明するだけではないか。
しつこくアホなコピペしてるのは文学読みじゃなく
明らかに政治的意図のDQN.
政治を語るにも低レベル過ぎて話にならんヤシらだから、放っておけ。
571 :
吾輩は名無しである:02/11/17 01:46
このコピペは、彼の
ス晴らしさを味わうために貼りつけたつもりだったんだけど
まずかったかしら?
だってこのみじかいセンテンスをみても
大江の非凡は判るっしょ。
572 :
吾輩は名無しである:02/11/17 01:50
「憂い顔・・・」読みながら
彼らしい言い回しやオカシミを誘う言説を書き移していたので
それをコピペしたんだけど
なんで悪意にとるかなあ!
この短い文をよんでも
大江は只者ではない、つーことぐらい判るだろ。
573 :
吾輩は名無しである:02/11/17 01:55
内輪の喧嘩を煽るわけではなくが
アホなコピペかどうかも見極められなかった
569、570の知的水準は無残だな。
まったく。
575 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:06
アフォな喧嘩はやめようぜ。
コピペでもせっかく大江さんが残した文化遺産なんだから
活用しようじゃありませんか!
576 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:12
身近な悲慘の前ぶれを見るような・・・
577 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:13
妙な「アラシ」に対抗するには著作権もナンノソノ
コピペでぐいぐいヘンテコなレスを押しやるに限ります。
578 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:14
面白い動物でも見るように・・・
579 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:17
何ひとつ容赦せず、しかしいたわり深く整理するような性質のもの
(中野重治の引用)
580 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:18
生温かく濡らす
581 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:19
閨房の秘密
582 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:21
みるみる不機嫌になった
583 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:22
腹に一物ある笑い声
584 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:24
ゆっくりした話相手
585 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:25
ねばり強い疑いを示す
586 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:27
なにやら思いはあってもそこに言葉はなかった
587 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:34
これで「荒らし」が一番目の画面に出て来ることがないので
ここちよいです。
588 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:47
自称従軍慰安婦のお婆さんのゆすりたかり的な生計の立て方
589 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:51
>>588 ソレはなんのことかしら?
品性のよろしからぬ文章からしてコピペではないようね!
590 :
吾輩は名無しである:02/11/17 02:53
591 :
吾輩は名無しである:02/11/17 04:09
荒らしも体力ないよなー。
そんなんぢゃ、大江さんの獰猛さには勝てないよ。
592 :
吾輩は名無しである:02/11/17 04:10
「荒らし」に体力や知力を望むなって。
593 :
吾輩は名無しである:02/11/17 04:21
つまんないの、荒らしって根性ないのね。
594 :
吾輩は名無しである:02/11/17 04:23
こういう仕方で自己処罰を煽ったりするのは
やっぱこのウェブ上で小説を再現しようとする試みですか?
ノーベル賞に思う
大江氏はノーベル賞授賞の直後に
「自分は戦後民主主義を信奉する立場から、天皇の文化勲章はいただくわけにはいかな
い」と言ってましたが、私はこの人がどこまで本気で民主主義を信奉しているのか疑問で
す。「ヒロシマ・ノート」という本が出たころは、戦後民主主義の旗手といわれ私もそう思っ
ておりましたが、今から十年くらい前、大江氏は自ら発起人の一人となって核兵器廃絶
文化人会議とか言う組織を結成し「核兵器廃絶に向かって直ちに行動を起こそう」という
声明を出したのでしたが、これに対して週刊誌から月刊誌から総動員して猛烈な攻撃を
したのが文芸春秋だったのです。しかも、大江氏は文芸春秋が主催する芥川賞の選考
委員をしたり文芸春秋から本を出版して同社の利益に貢献したりしておりました。その点
に疑問を持った本多勝一氏が公開質問状を出して「あなたは核兵器廃絶を人に呼びか
けておいて、その廃絶運動を最も熱心に攻撃する文芸春秋の選考委員を引き受けたりし
ているのはおかしいのではないですか?」と問いかけたのですが、すぐには返事をせ
ず、何度も質問を繰り返すと事実とは違うことを言いたてて人をくったような返事をする。
それでもついに行き詰まって芥川賞の選考委員を辞退することになったのですが、新聞
の取材には「今回の辞任は核兵器廃絶運動とは何の関係もない」と言いつつべつのメデ
ィアには「しょうがないから辞めたんだ」という。それから三年くらいたってほとぼりが冷め
たころに、誰も知らないうちにいつのまにかまた芥川賞の選考委員におさまっている。大
江健三郎という人はそういうことをする人なのです。ここまでは事実です。ここから推量し
て、口では革新を標榜しながら裏では反動資本と結託する人物、と断定しては失礼にあ
たるでしょうか?
やーもう誰が煽りでどれがコピペで
誰が誰に反論してるのやらわからなくて気持ちいいですな。
マルケス読んでるみたい。
597 :
吾輩は名無しである:02/11/17 15:22
古義人は従軍売春婦のアイゴーお婆さんのように他人に責任転嫁したくなり、
598 :
吾輩は名無しである:02/11/17 15:36
>597
コギーって刺激的!
599 :
吾輩は名無しである:02/11/17 16:24
>590
不意にニセの戦後民主主義の幻想が破れ赤裸々な真実の突然の露呈に、
誰もが動揺して、それまで楽しんでいた内輪向けの屈託のないおしゃべりをやめて、
困惑を隠せない真剣な面持ちで、一斉にこちらにつめよる風で、・・・
600 :
吾輩は名無しである:02/11/17 16:39
600クルゼーロ
しかしあれですな、この荒れかたをみても大江が現代に生き、生きん
とする作家であることがよく分かりますな。
602 :
吾輩は名無しである:02/11/17 20:16
スレにもカーニヴァル的要素を導入しているのですね。
国歌・国旗・戦後民主主義者
野村勝美:2002.07.03
大江健三郎氏のレジオン・ドヌール勲章授章を考えてみます。大江氏
は自らを、「私は戦後民主主義者である」と公言するノーベル賞文学者
です。彼は「文化勲章」を拒否しました。「戦後民主主義」なるものの定
義を私は知りませんが、印象的には戦前戦中の日本を「全面悪」と捉
えている人たちのように思います。
さて、レジオン・ドヌール勲章はフランスの、民間人に与えられる最高
の勲章だそうです。やるのも受けるのも勝手です。ノーベル賞について
も、やるのも受けるのも勝手です。我が「文化勲章」を拒絶したのも、勝
手です。「文化勲章」は日本国民が最高の栄誉としているものですが、
それを拒絶する大江氏の理由は、「僕は戦後民主主義者、国家の勲章
は受けない」ということであると伝えられました。根底に、氏の長年の発
言から、1.日本の戦争責任,、2.反皇室
があると想定できます。「悪いもの」からの勲章は貰えない、ということ
でしょう。反「日の丸」、反「君が代」、反「核」の人です。そのこと自体を
非難する積りはありません。私が嫌うのは、この方面の人たちの得手
勝手な論理です。一般的にダブル・スタンダードといいます。
レジオン・ドヌール勲章は明らかにフランスの国家としての勲章です。
価値の源泉はそこにあります。
シラク・フランス大統領は11日夜、パリ郊外で行われたサッカー・フランス
カップ決勝戦を観戦しました。
試合開始前の国歌ラマルセイエーズ演奏の際に一部サポーター
が口笛を吹いたのに対し、「フランスへの侮辱」と激怒、退席したそうです。
大江さん、あなたに勲章を授ける人物は、こういう(すばらしい!)男ですよ。
「君が代はキライだけど、ラマルセイエーズは好きですか?」
フランスは「核兵器」保有国です。最高レベルの原子力発電実施国で
す。かつて多くの植民地を持ち、アルジェリアにおいてもヴェトナムにお
いても、苛烈な政治を行いました。第2次世界大戦後日本軍が撤退し
た後に、インドシナの再植民地を目指してインドシナ戦争を起こしたフ
ランス。北アフリカの植民地を弾圧によって維持しようとして起こったア
ルジェリア独立戦争。第2次中東戦争(スエズ戦争)で英国と連合して
エジプトに派兵してアラブ諸国と戦争したフランス。世界中の反対を押
し切って南太平洋で水爆実験を続けたフランス。
その国の勲章は受けるけれど、わが日本の勲章は受けられないという。
大江さんが文化勲章を拒絶した理由のすべてがより強く、
レジオン・ドヌール勲章には含まれています。それ
を、片方は断り片方は受けるとすれば、論理を整合させるには一つの
根拠しかありません。
日本(日本人)をバカにしている、のです。
605 :
吾輩は名無しである:02/11/17 20:57
吾良は、601の芸もなく貧寒とした感想に、平静を装い体面を保つだけの
なあなあの姑息な事勿れ主義と小心翼翼とした自己保身とごまかしの匂いを嗅ぎ取り、
あけすけな嫌悪感を示して、田亀の向こうの古義人に言った。
「なあコギーよ、俺たちマッチャマで知り合って以来、俺が映画で、コギーが小説で
それぞれ心血を注いできたのに、結局のところ、こういう頭の悪い奴らを喜ばせるだけだったと
分かって恐ろしい絶望感と徒労感に襲われることがないかい?」
おまいらノリノリですね。
607 :
吾輩は名無しである:02/11/17 21:14
>605
絶妙デスな
ひょっとして絶妙の人?
608 :
吾輩は名無しである:02/11/18 06:19
いやー盛り上がってるよね、このスレ。
荒らしで貼りつけられるレスで謗られる
大江氏の軽薄さをマノアタリにするごとに
さらに一層ふかく大江氏のことを
大好きになっていくのは私だけか?
マジで大江を研究対象にしてる院生とか、おらんのか?
それまでの大江と『取り替え子』以降の大江の
決定的な差異について注目しとるヤツ、おらんか?
おったら君の『憂い顔の童子』の位置付け&読解をぜひ聞きたい。書け。
「週刊朝日」の「まっとうな本」は、何かどんどん批評の視力が落ちて
いるような…。
今回の大江に関しての文も、最初は「これが最後の小説である」という
大江独特の振る舞い方を批判するところから始まるが、小説家の振る
舞い方なんぞ批判しても仕方ない。素晴らしい作品を残していても、
阿呆なことをやって自堕落な生活送ったりしている奴はたくさんいる。
だいたい大江は、「長江」の小説家としての不甲斐なさを作中に書き、
それに対置するように研究者として読み込みすぎる「ローズさん」を
置く。だから「ローズさん」が「長江」の錯乱を「リア王のようだ」
などと言ったところで、大江が自分をリア王と見なしているというより、
むしろ自分のあり方を「長江」と「ローズさん」という二重の屈折を
通過させることで、自分は本当に文学的なのか、と疑いながら書いて
いると思う。今作での「引用」も、あくまでも他視点の導入としての
引用であって、権威化とはまた違うものではないだろうか。
まぁ、引用しているテクスト群があまりにも「正統的」であるところ
に、大江の権威志向と「深い意味」への妄執を批判として読み込むこと
はできるだろうが。
しかし、虫の「初期の作品はたいてい西洋の翻訳作品の口真似である」
っていう批評は稚拙すぎるなぁ。それをもって「成熟していない」という
のも、どうなんだろう^^;
>>610 あ、虫はダメだ。あれは、対大江評で完全に馬脚を露したな。
ろくに作品そのものを読み込んでいないことが、歴然。
あの文は最初から、
文学をではなく、いわゆる社会的存在としての大江を叩く意図で
書き始められていることも、みえみえだ。
作家の作品というのは、無論出来不出来があるし、
それ以前に作品としての終始が失敗していたりもする。それも含めて、
個別の作品を論じつつ、業績のある作家ならば書き継がれてきた作品群に
おける意味をも発見することが、批評として重要なファクターになる。
大江が、受賞以来「もう小説は書かない」といい「これが最後の小説」と
“繰り返し”ているのは、いわばフェイントだ罠。読み解けるものなら
読み解けという煽りでもあるし、特に大江個人に稀有だったのは、そんな
作家自身の計算や企図をすら裏切った形で、物語が「疾ってしまった」
部分だろう。・・・そこが、本当は一番面白いし、問題の核心でもある。
『週朝』の虫は、単作としての『憂い顔〜』すら全く読み取れていない
という不様さを晒してしまった。他の批評も推して知るべしだ罠。
虫=×、読むにアタイしない。悔しかったら、次でまともな評を書いてみれ、
書けるもんなら。「眼」は、一朝一夕に育つもんじゃない、まぁ無理だ。
612 :
吾輩は名無しである:02/11/18 13:47
>605
マッチャマ イイ!
613 :
吾輩は名無しである:02/11/18 15:03
「取り替え子」の本文の引用(ちょっとパロってるけど)です。
マッチャマ。
大江健三郎氏は、「あいまいな日本の私」と題したノーベル賞記
念講演をストックホルムで行った。そこには次のような一節がある。
広島、長崎の、人類がこうむった最初の核攻撃の死者たち、
放射能障害を背負う生存者と二世たちが??それは日本人にと
どまらず、朝鮮語を母国語とする多くの人びとをふくんでいま
すが?ー、われわれのモラルを問いかけているのでもありまし
た。
「核攻撃の犠牲者たる日本人が、なにか特別のモラルを持たなけ
ればいけないそうだ。投下した者のモラルは問わないわけである。
」とは、谷沢永一氏の評である。これが国際常識であって、大江氏
のもってまわった言い方と、その非常識な内容とでは、聴講者は何
を言っているのか、分からなかったであろう。内容は単に50年前
の東京裁判史観とマルクス主義史観であり、その後の歴史学の進歩
などは、まったく省みられていない。
大江氏の思想は、1950年代の冷戦時代から一向に深化していない。
それがそのまま化石のように残されているのは、本人のIntellectual
Dishonestyと、それを覆い隠すもってまわったあいまいな文体の
故である。この講演は「あいまいな日本の私」よりも「日本のあい
まいな私」と題すべきものであった。
615 :
吾輩は名無しである:02/11/18 16:43
大江さん、形容詞の名詞への掛ける仕方いつも妙だからね〜。
616 :
吾輩は名無しである:02/11/18 17:45
「クソ」と実名で吐き棄てられた加藤典洋、
読んでいるこちら気恥ずかしくなるくらいの
『海辺のカフカ』の絶賛ぶりだなー。
617 :
吾輩は名無しである:02/11/18 18:57
なあ、何で大江健三郎はだんまりを決め込んでるんだ?
北朝鮮讃美と謝罪の必要性と拉致の否定を声高に叫んでいた、あの大江健三郎は、今、何をしているんだ?
618 :
吾輩は名無しである:02/11/18 19:14
いいぢゃん、そんなの。
僕には帰るべき北朝鮮がない!と本気で嘆いたであろう大江さんの
軽はずみなキチガイぶりが解らないようでは
大江の小説は理解できないだろうよ。
619 :
吾輩は名無しである:02/11/18 19:16
617
大江が社会的には話しにならないアフォであることは知っていて
みんなは彼のことに凄みを感じているんだから
そういう揶揄の仕方は無意味だよ。
鼻持ちならぬ正義づらばかり強調されてもね。
620 :
吾輩は名無しである:02/11/18 19:18
表面的にはニュートラルを装いながら巧妙に仕込まれた悪意・・・
ってカンジでしょうか?
621 :
吾輩は名無しである:02/11/18 19:25
なんか、大江のことを
優しい羊のような民主主義者だと勘違いしている奴が
大江はこんな悪い奴だぜ!という大発見を誇るために
攻撃をしかけてるようにみえるのですけど。
大江の小説を熱心に読んでいる人は
そんなのわかりきったうえで、でもコイツはすげーや、と
否定できない彼の書く底力にまいっているのです。
622 :
吾輩は名無しである:02/11/18 19:26
中道左派的な言辞を弄しておけば無難とされた
戦後の風潮に迎合していただけでしょう。
623 :
吾輩は名無しである:02/11/18 19:28
荒らしや謗りがレスにあるたびに
大江さん自身が蒙ったであろう無理解な反応を追体験しているようで
興奮します。
624 :
吾輩は名無しである:02/11/18 19:30
大江さんはメディアで見せる立場とは裏腹に
根底的にやっぱ右翼ですよ。
三島由紀夫なんぞもそのことに気付いていたから
接近してきたんでしょ。
まあ戦前戦中の教育を受けた人間の思考の根の部分ってのは
戦後生まれの我々には想像できないものだからなあ。
大江が何度も書いているように、その世代のある種の人間にとって、
戦後民主主義の時代に生まれた人間が右翼に走るのを理解できないのと同じように。
626 :
吾輩は名無しである:02/11/18 19:45
三島は対談で大江をファシストと誉めてました。
627 :
吾輩は名無しである:02/11/18 19:59
だから大江をアゲツラウ一連の荒らしのような仕方は
大江シンパにとって痛くも痒くもないんだけど。
628 :
吾輩は名無しである:02/11/18 20:00
全く同意
629 :
吾輩は名無しである:02/11/18 20:00
大江さん、カワイーという感じで益々愛着が湧くというか・・・
630 :
吾輩は名無しである:02/11/18 20:06
>>622 というか、根源的にあるファシスズム大好き的な部分を
やはりこういう性癖はいかんよなあーと自分を戒めて
ナントカ転回できないか、
とガンバッテしまって、という印象がある。
631 :
吾輩は名無しである:02/11/18 20:07
大江健三郎さんと大江千里さんは親戚なんですか?何となく顔が似ている気がしないでもないです。
632 :
吾輩は名無しである:02/11/18 20:07
630
無理なことを敢えて自分に課そうとする大江氏が
やっぱ可愛く見えてしまうんだよ。
633 :
吾輩は名無しである:02/11/18 20:09
大江はヤハリすばらしい!で
皆さんよろしでしょうか?
634 :
吾輩は名無しである:02/11/18 20:19
『海辺のカフカ』をよんで胸を昂ぶらせているアフォより
『憂い顔・・・』よんで困惑してるヤシのほうがマトモだわな。
635 :
吾輩は名無しである:02/11/18 20:29
大江って在日朝鮮人なんだろ?
韓国の新聞が書いてたぞ。
636 :
吾輩は名無しである:02/11/18 21:09
大江と大江千里が親戚なら森高千里も親戚ですか?
637 :
吾輩は名無しである:02/11/18 21:11
大江と本田勝一が仲が悪いのは何故?
>>636 っていうか大江千里の先祖は大江千里なのかっ!?
とか。
>>637 ノーベル賞に思う
大江氏はノーベル賞授賞の直後に
「自分は戦後民主主義を信奉する立場から、天皇の文化勲章はいただくわけにはいかな
い」と言ってましたが、私はこの人がどこまで本気で民主主義を信奉しているのか疑問で
す。「ヒロシマ・ノート」という本が出たころは、戦後民主主義の旗手といわれ私もそう思っ
ておりましたが、今から十年くらい前、大江氏は自ら発起人の一人となって核兵器廃絶
文化人会議とか言う組織を結成し「核兵器廃絶に向かって直ちに行動を起こそう」という
声明を出したのでしたが、これに対して週刊誌から月刊誌から総動員して猛烈な攻撃を
したのが文芸春秋だったのです。しかも、大江氏は文芸春秋が主催する芥川賞の選考
委員をしたり文芸春秋から本を出版して同社の利益に貢献したりしておりました。その点
に疑問を持った本多勝一氏が公開質問状を出して「あなたは核兵器廃絶を人に呼びか
けておいて、その廃絶運動を最も熱心に攻撃する文芸春秋の選考委員を引き受けたりし
ているのはおかしいのではないですか?」と問いかけたのですが、すぐには返事をせ
ず、何度も質問を繰り返すと事実とは違うことを言いたてて人をくったような返事をする。
それでもついに行き詰まって芥川賞の選考委員を辞退することになったのですが、新聞
の取材には「今回の辞任は核兵器廃絶運動とは何の関係もない」と言いつつべつのメデ
ィアには「しょうがないから辞めたんだ」という。それから三年くらいたってほとぼりが冷め
たころに、誰も知らないうちにいつのまにかまた芥川賞の選考委員におさまっている。大
江健三郎という人はそういうことをする人なのです。ここまでは事実です。ここから推量し
て、口では革新を標榜しながら裏では反動資本と結託する人物、と断定しては失礼にあ
たるでしょうか?
くだらねえ揚げ足取り合戦なんかいいかげんに止めにしたまえ。
大江は分裂していて、本多はその大江に一貫性を求めたわけだ。
しかし、一貫性のある人間ほど信用できないものもない。
その程度のこと普通に生きてたら気づきそうなものなのだが。
…ま、いいか。
て優香
本多勝一ってどうしようもないクズだろ
大江サンはNHKの受信料払っていますか?
漏れは大江の「読書の経験」、「読書の向こう側の闇」
という言い方が非常に好きだ。
本読みとして一度は感じるであろう、虚構に対する胡散臭さと、
それのもつ力、現実と同等の、またはそれを凌ぐ経験としての読書。
「憂い顔」はそれを遂に作り手の側にと当てはめて、
「創作の経験」、「創作の向こう側の闇」ということに
手を伸ばしているという感じがする。
あまり大江を読んだことのなかった友人に「取り換え子」
を読ませてみたんだが
「作り手として自分が『それはしてはイケナイんではないか』と
普段感じているような事をたくさん盛り込みながらも、
全体としてそれが必然であるという説得力を発していることがすごい」
と言ってた。そこには、
「嘘に力を持たせるためでしょうが!」
という言葉だけでは片づかない、なんか大江が背負い続けてきたものの精算があるよーな気がする。
>>637 えーと。本多が「反核」を標榜する大江が「反・反核」の文藝春秋社
から自著を出し、芥川賞の選考委員をやっているのは如何なものか?
とかイチャモン付けたのがキッカケだけど…今となっては懐かしいな。
朝ジャの投稿欄だったけ?
それに対して大江は、政治と文学は別であるとか、「文藝春秋社との
良い関係」がどーとか、大江らしい(?)歯切れの悪いことを言って
たけど、その後、芥川賞の選考委員を降りた。
一方の本多はその後、岩瀬達哉に「リクルートとの良い関係」を指摘
されてブチ切れた。
646 :
吾輩は名無しである:02/11/19 01:06
>>645 その本多勝一が、問題の曽我ひとみサン家族のインタビュー掲載
『週刊金曜日』の編集委員で、北のプロパガンダそのまんまを何故載せたという
非難にあわくって弁明してるんだって? どーいうことなんだか??
あの本多が?!
647 :
吾輩は名無しである:02/11/19 01:09
>>610-611 あー、モレも「週朝」の虫はゲーだと思った。
このスレに政治ネタだけ粘着コピペするしか脳のない阿呆と同程度。
文学を語ってみやがれw いやなら政治板へ逝ってまえ、だなw
648 :
吾輩は名無しである:02/11/19 01:25
649 :
kurihara:02/11/19 20:45
648
凡庸な出会い系サイトへのリンクでした。
650 :
kurihara:02/11/19 20:49
『憂い顔の童子』でも話題沸騰、加藤典洋氏のコッパヅカシイ
“海辺カフカ”礼賛文はアサヒドットコムの検索から飛べば
読むことができます。
651 :
吾輩は名無しである:02/11/19 20:56
浅田スレで加藤のどうしようもなさを嘆いてる浅田自身の文章をよんだが、
Iクリだったか?
大江健三郎『言い難き嘆きもて』評
(2002/01/05)
大江健三郎さんは昨年から、つまりアメリカから帰国してからというもの、テレビや新聞での
発言が大変多くなった。ニュースステーションにも出演したし、正月もNHKで若者たちを前に
「いかにすればテロがなくなるか」ということについて御説を語っていた。その発言の大半は、彼
がその文学活動の中で政治的なスタンスとして保持してきた「戦後民主主義」の擁護に当たっ
ている。
この、『言いがたき嘆きもて』もその流れの中で書かれたエッセー集である。
帯には「ノーベル賞作家の魂の叫び」と書いてあった。購読者の目を引くための帯にいちいち
文句をつけても始まらないが、この本にあるものはそんなものではない。
この本には大きく二つのことが書かれている。ひとつは、混迷の時代にあって彼の師匠である
大仏文学者・渡辺一夫氏譲りの、人間に対する基本的には希望的なヒューマニズム(フランス
語だからユマニスムというべきか)の継続。もうひとつはここ十年ほど日本を覆っている、「右」と
か「ネオナショナリズム」という言葉で表現される「反戦後民主主義的」なものへの耐えがたい嫌
悪感である。
僕も大江さんから見れば「右」とか「ネオナショナリズム」といわれる部類に入るのだろう。僕は
決して大江さんが言うように、人命を軽視しているわけではないし、安易に国家主義に走るつも
りもないが、それでも「反戦後民主主義的」ではあり、それを嫌悪されるのならば仕方がない。
実際、嫌悪の度はすさまじいものである。たとえば、丸山真男氏の死に関する次の二つの文
章。
若い批評家は、丸山氏の側に立って?つまり現代世界の普遍性に結んで?
「虚妄」という言葉の深みをのぞいてみようとはしない。丸山真男氏の世代から
私の世代を経て、若い彼らの世代へと、共通の言語をつなごうとする知識人の
努力を、彼は放棄する。無知と、半ば意識的な誤解によって道を断ち切ること
で、自分らの言説の響きに空元気をつけるのみだ。近来の、新ナショナリストの
言論に共通の弱さ、アンフェアの特色を示していると思う。(p.27)
内村(鑑三)を「小慷慨家」とあざけり、「国家は実在す、空想にあらざるなり」
と天晴れリアリストを以って任じた(高山)樗牛らの立場と、彼によって「腐儒詩
人の空想」と嘲罵された内村の立場と、いずれが果たして歴史の動きをヨリ正
しく指していたか。(中略)いまはもう老年に入った私の、感慨がさらに複雑にな
るのは、戦争の悲惨の経験によって日本人がそれを乗り越えたと丸山(真男)
のみなした国家主義が、今日、高山樗牛をマンガ化したマッチョとでもいう思い
入れで若い人たちのうちに復活しているからです。(p.186)
大江さんは小説家だから当然なんだけれども言葉づかいは慎重かつ丁寧だし、そこが大江
文脈の真骨頂でもあるのだけれど、彼が「空元気」「アンフェア」「嘲罵」「マンガ」「マッチョ」とい
った激しい、唾棄するような言葉づかいをするのは珍しい。それほど彼は昨今の「反戦後民主
主義」的な動向を嫌悪しているし、否定したいのであろう。
それはご自由に、である。
問題は、彼が自分の単なる嫌悪感を、普遍的な高みにたって高尚なものに仕立て上げている
ことだ。上の文章だって、何も前提がない状態で読めば、「どうして僕たちがつないできた言葉
を君たちは聞こうとしないの?それはよくないよ」「内村鑑三は国家主義を否定しました。高山樗
牛はリアリストでした。それで歴史の流れを見ると高山のリアリズムで戦争に負けました。ほ
ら、内村のほうが正しかったでしょ。だから高山はいけません」という子どもっぽい議論にしかな
っていない。
この議論を高尚なものとして彼に書かせているのは、自分たちは普遍の側にたっている、自
分たちは正しい側にいるのだという自信だ。しかしその根拠は「歴史の流れが正当性を証明して
いる」というだけの、まったく薄弱なものである。そんな薄弱な論拠から「普遍性」というとんでも
なく困難な代物を(例えば昨日書いた『トランスクリティーク』を読んでいると、それがどんなに困
難な代物かだけはわかると思う)引っ張り出そうとするのは傲慢なのではないか。
僕ら若い世代が、「反戦後民主主義的」になっているとすれば、それは国家主義というよりも、
われわれが子どもだったころまで赤旗を振って真顔で反戦運動をやる大人たちが主張していた
「戦後民主主義」のもつ傲慢さ、そしてその傲慢さがもたらした結末への反感である。
そもそも、われわれ(日本人、である)はいつ「国家主義」を乗り越えたのか。いつ普遍性の高
みに達したのか。大江さんはこう書く。
私が被爆者たちの生涯から学んだのは、個人としての災厄の自覚に始まっ
て、日本人としての、と展開する被爆の受け止めが?確かにその段階までは
ナショナリズムと通うところがあったとしても、「時」を経て、人類レベルの普遍
性に昇華していることによってである。(中略)その普遍性の獲得は、被爆者た
ちの核廃絶への運動を、アジア侵略への積極的反省とも結びうるものとした。
(p.30)
私は日本の新ナショナリストたちの「自虐史観」説にあるひ弱さに対して、広
島・長崎の被爆者たちの「時」に鍛えられる誇るべき強さ、普遍性を示したい
(p.32)
僕自身長崎に生まれて、子どものころから多くの被爆者と接する機会を持った(いや、持たさ
れた)から、被爆者たちの個人的災厄がどれほど悲惨でその後も含めて辛いものであったか
は重々承知している。また、アジア侵略の犠牲となった人々の話も大学時代にたくさん聞いた。
僕はナショナリストであるが、ネオ・ナショナリストの一部の人たちが言うように「アジア侵略は解
放戦争であり、何にも謝る必要はない」というほど厚顔無恥ではない。朝鮮・台湾・中国への強
圧的政策の中で住民が蒙った犠牲を思うとき、顔を赤らめずにすむ日本人がどれほどいるだろ
うか。そのことが十全な解決に至っていないのも承知している。
しかし、である。僕が何を嫌悪するといって、子どものとき、被爆者の話を聞く機会を持った
(持たされた)あと、それを主催した左翼系の大人たちの「ほら、聞いただろ。だから戦争はいけ
ないんだ」という顔ほど嫌なものはなかった。犠牲になった人たちの心痛、それは一応同じ人間
として、いわば「普遍的」にシンパシーをもてる。けれども、犠牲者の個的体験を借りて、己は犠
牲者でも何でもないのにあたかも犠牲者に成り代わって俺が普遍性を主唱するのだ、俺は犠
牲者から話を聞いて普遍性に達したのだ、という連中の傲慢な心理には我慢がならない。被害
者宅に押しかけ、いかにも悲しげな表情を作って加害者を大袈裟に糾弾するワイドショーリポ
ーターと心根としては変わらない。
そして、「戦後民主主義」を支えてきたのはそんな連中なのである。
もし大江さんの上の文章で、普遍性を「獲得」したのがわれわれ戦後の日本人だというのであ
れば、それははっきり言って傲慢だ。被爆者自身とアジアの犠牲者たちとの連携も存在する
が、それは同じ戦争犠牲という紐帯によって結ばれているのであって、その悲しみを借りて普遍
性を主唱することは偽善あるばかりか、犠牲者への冒涜ですらある。
個的体験がそう簡単に普遍性に昇華されるものではないことも言っておきたい。朝鮮人や中
国人をいまだに蔑視する被爆者は少なくない。かつてアメリカの核疑惑艦が長崎に入港したと
き、被爆者団体の幹部は艦長が平和祈念像前に置いた献花を公衆の面前で踏みにじった。当
然の心理である。だがそれは平和団体の「市民運動家」たちの厳しい非難の的になった。なぜ
か。「運動家」たちが普遍的な正義と信じる信条から見てインコレクトだったからだ。普遍性に立
つ彼らは決して被爆者の心の奥底に耳を傾けようとはしない。
あるいは、朝鮮や台湾、中国大陸で、日本政府の無法な政策とは別に、個人的なハートから
現地の人々に尽くしいまだに顕彰されている日本人もいる。彼らがネオ・ナショナリスト系の言
論の論拠として使われているのは承知しているが、個的体験という意味ではどちらも変わりが
ない。一方を正義に、もう一方を不正義にしているのは日本が戦争に負けたという政治的な理
由であり、ポリティカル・インコレクトネスによって一方が封印されているだけだ。
そんな政治的に左右されるものが「普遍性」とはちゃんちゃらおかしい。ましてわれわれが普
遍性を獲得したコスモポリタン面して出かけていったところで、当面の間われわれは「日本人」
である。外国人はそうしか見ない。のっぺらぼうのコスモポリタンでは戦争責任も戦後賠償もあ
りはしない。もしかして、「僕はもう日本という国家的なものに束縛される段階は超越しちゃって
いるんですけど、でもまあ、ご先祖さんたちが悪いことしちゃったんで、その点については謝りま
す」とでもいうのだろうか。
あなたたちがどう思おうと、所与条件として国家は個人に張り付いている。国家的なものを否
定するのは自由だが、その戦略は国家というものがいまだ有効な現状を前提としてはじめなけ
ればならない。
そんな状況にあって、誰が「国家主義を乗り越えた」というのであろうか。
こう見てくると、大江さんの嫌悪感ばかりが目立つ。
脳梗塞をわずらい、妻を失った江藤淳氏の自裁を「センチメンタルな甘え」と断じ、「現に脳梗
塞を乗り越えてリハビリテーションに励む人たちに無礼じゃないでしょうか?」と言いながら、伊
丹十三氏の自殺を『神曲』を引用して悼むというのは、かたや終生の論敵、かたや終生の友人
にして義兄という関係がもたらした「アンフェア」としか思えない。あるいは、
そこで私は、迫ってくる老年についても、アジアの先行きへの不安について
も、環境、人口、資源のどの課題についても、明らかに進行する悪いときを引き
受けるつもりで生きよう、と自分に言うのです。(中略)さらに悪いときは必ずや
ってくる、しかし、その到来をいくらかなりと先のほうへ押しやろうというのが、あ
りていに言えば、世紀末から次の世紀にかけての、人類の基本的な態度では
ないでしょうか?(p.73)
なお彼らが?われわれみなとともに?平和の奪われた世界で希望を喪う日
は遠いように!(p.243)
というような文面に至っては、いずれにせよあまり希望的な観測の持てない世界でこれからを、
それでも希望をもって生きていかなければならないわれわれ若者たちに対して、すでに世俗の
ことから離れたかのような、宗教的な救世主的な発言はそれこそ失礼ではないだろうか。「彼ら
が」と「われわれ」という言葉遣いが、普遍性の高みに到達してた救世主的「われわれ」と、その
神の言葉に耳を傾けようとしない反戦後民主主義的な「彼ら」との区別を濃厚に象徴している。
かくして、反戦後民主主義的な高まりに対して戦後民主主義派が吐くべき呪詛が、この本に
は詰め込んである。そして、われわれがもっとも嫌う戦後民主主義的な要素が、大江健三郎さ
んという著者を通じて顕になっている本だ。論点を明らかにしていく上で、一読しておくべきもの
であろう。
むろん、反戦後民主主義派にも問題はある。「戦後民主主義」というとその主張やスタイルが
比較的まとまっているのに対して、戦後民主主義への批判者はあまりにも多様な形をとりすぎ
ているのだ。黒塗り街宣車でわめきたてるヤクザ、皇居一般参賀で菊の御紋章の入った御旗
を掲げて陛下に忠誠を誓う若者、自虐史観を批判しリキの入った教科書を執筆する大学教授
もそうならば、僕のようにいや今日は寒いねといいつつコタツに入って茶をすすりながら一般参
賀の中継も見ないけれども、いやおめでたいねえと思っている人間もそうなのである。そしてこ
れらを貫く筋の通った理論はない。ネオ・ナショナリズムを批判する人たちはいったいどこを批
判しているのか判然としないだろう。そのことに、ネオ・ナショナリズムのほうも甘えてきた感が
ある。
僕自身も、ナショナリズムは生活の総体というかスタイルなのであって、「…主義」というのと
は異なるだろう、と思っている。しかしながら、ナショナリズムそのものを論理化するというより
は、新しい保守思想、新たに国家とか個人とか社会とかを捉えなおそうという思想運動をナショ
ナリズムをベースとした別個の理論として立ち上げる必要には迫られているだろう。そうしない
と、ありがちな流行で終わってしまい堕落した戦後民主主義の跋扈を再び許すか、勢いでファ
ッショの再来を招くか、どちらかしか道はないからだ。
普遍性を目指す運動を否定するつもりはない。むしろ普遍性は状態として現実にあるのでは
なく、決して実現することのない理想への運動としてしか存在しない。普遍的なものに足場を置
くことはできないのだ。戦後民主主義はそのありえない足場の上からものを言ってきた。その空
虚さに気づいているのが、現在の反戦後民主主義的な運動である。普遍性を問い直すための
足場を、「日本」という国家あるいは社会の中に見出すことができないか。それがナショナリスト
としてのわたしの「希望」である。
659 :
吾輩は名無しである:02/11/19 22:44
>普遍性を問い直すための足場を、「日本」という国家あるいは社会の中に見出すことができないか。それがナショナリスト
としてのわたしの「希望」である。
それを文学のなかで見出そうとしているのが、作家としての大江ではないか。
>>609 久しぶりに来てみたら、すごい伸びてますね。びっくりしました。
僕は『憂い顔の童子』に分裂症気質を見ています。古義人もローズさんも
アサも真木彦も黒野も動くんも、すべて大江健三郎です。
もしかすると、他の登場人物もそうかもしれません。
作者が自分の分身を彼ら、彼女らに割り当てています。
「演劇的」な試みです。この小説が説得力を持つのは、引用の絶妙や
語彙の鋭さの他に、自己をさまざまな人格に分け、多面から照射している
からではないでしょうか。この「劇的」というのが『憂い顔〜』に
もっとも顕著に現われている特徴だと思います。
あとは『取り替え子』からだと思いますが、文章を削るようになって読みやすく
なったことが一因かも。
院生ではないですが、こんなものでどうでしょう?
反論歓迎します。
652〜658は加藤典洋ですかそれとも浅田彰ですか。
662 :
吾輩は名無しである:02/11/20 07:23
浅田は、まるでどうでもよいかのような書きっぷりで
ちょっちょいのチョイてな感じで愛情も込めずに文章を書くけど
さすがにこんなにも低水準ではありません。
663 :
吾輩は名無しである:02/11/20 07:28
652からの目を背けたくなるようなお喋り(もはや論考ですらない)は
なんていうか
俺は発見した!俺はこう思うぞ!俺は告発する!という
過剰なる自己意識のみで成り立っているから
読むに耐えないのだよ。
664 :
吾輩は名無しである:02/11/20 08:10
基本的に、大江さんは論理的でもないし民主主義者でもない
むろん市民派でもない。
動物のような嗅覚と触覚、暴力的な筆力のみが彼の魅力であって
それはやはり今のところほかの書き手の追随を許さない
凄みであって、ソレ以外の領域に顕れる大江さん
(戦後民主主義者としての大江さんとか)を論じても
あんまり意味ないんぢゃないかなー。
散々ガイシュツだけどな。
政治厨にとっちゃ自分の一番の関心事に他人が興味がないってのが理解できんのだろ。
666 :
吾輩は名無しである:02/11/20 12:46
大江健三郎は稲妻レッグラリアットの使い手というのは本当でしか?
なにそれなにそれw
>>664 加えて言えば倫理的ですらないでつ。
既存システムに対するオルタナティヴなものとしての
「文学」本来の使命に合致していると思いまつ。
669 :
吾輩は名無しである:02/11/20 14:54
なるほど、652以降の記述に大江が根に持っていて、
さらにアレの解釈について作品の中でこの批評家を処罰したというわけか。
これはアレが古義人にトラウマであるように、加藤へのアレともなりうる暴力的な振る舞いと言えようが
大江らしい面白い思い付きだと思う。
大江の執念深さが窺える。
652以降の加藤の『言いがたき嘆きもて』評がクソミソに言われるほどひどいとは全然思えないし、
十分納得できる点も大いにあるが、自分の卑近な体験を一般化しすぎて、つまらんことに
からみすぎという印象をもつ。
要は大江の、「戦後民主主義的」言説を大真面目で受け取りすぎるべきではなく、
小説作品のみを相手にした方がいいということだろう。
もちろん大江の戦後民主主義は、社民党などのアホナ戦後民主主義とは全く違うものだろうし。
670 :
吾輩は名無しである:02/11/20 19:34
大江さんの不幸なとこは、彼が望む良き読み手に恵まれないということか?
構造的なトコを読み込んでくる者とか、
民主主義者としての彼を評価してしまう読み手は
明かに彼の書く行為のもたらすドライヴとか迫力を理解していないわけで
けど、蓮實とかが褒めてくれても大江さんは
何を褒められているのか全く理解できなかったり、と
どこまでも不幸だよ。
671 :
吾輩は名無しである:02/11/20 19:38
大江さんは
破廉恥ではあるが才に恵まれた圧倒的詩人ということで
皆さん、よろしいでしょうか?
672 :
吾輩は名無しである:02/11/20 19:44
大江の詩ってあったっけ?
673 :
吾輩は名無しである:02/11/20 19:54
カテゴリーとして詩に分類されるものはないですけど
大江さんの書くものは全部詩である、物語として読むな!
という意味での圧倒的詩人。
「純粋天皇の魂が〜」うんぬんて詩があったね。
北朝鮮との交渉の日本政府代表をやっている鈴木さんという人は
大江健三郎の弟ですか?
【「わがテレビ体験」大江健三郎、「群像」、昭三十六年三月号】
結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、
スウィッチをいれる、画像があらわれる。
そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、
ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、
そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。
このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、
自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というような
とりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。
【「厳粛な綱渡り」大江健三郎、文藝春秋刊、昭和四十年】
北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。
ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、
それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて
自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。
逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が
熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。
ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかず
にはいられない。
北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、
南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。
日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。
しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけら
れているのでない。
俺の中では詩情があるという感じだがなあ。
詩人の才能がないと感じて、小説の道を選んだんだから。
第一級の「言葉」の人だという認識に変わりはないけど。
678 :
吾輩は名無しである:02/11/21 16:15
勉強熱心だから構造的に物語をつくってしまうが
彼の力量はドライヴすることばに顕れる。
大江文学=がり勉で築いた作品群
いい意味でがり勉ね。
680 :
吾輩は名無しである:02/11/21 16:29
大江の魅力はヴァルネラビリティー。これだね。
681 :
吾輩は名無しである:02/11/21 16:34
ヴァルネラブルなものを文章化する実力。
682 :
吾輩は名無しである:02/11/21 16:38
がり勉というのはそうなんだろう。
だから構造のレベルで大江さんはつまんない。
過剰な書きっぷりがこのひとの力量でありオソロシサ。
683 :
吾輩は名無しである:02/11/21 16:41
民主主義者であろうとする大江さんも凡庸で
ファシスト的なものが露出してくるから
小説は読める。
684 :
吾輩は名無しである:02/11/21 17:46
書くことへの狂暴な欲望がある爺さんだ。
「よくできた物語」を読みたい人にはちっとも面白くないと思う。
よくも悪くもいろいろ濫読した果てにたどり着く作家という気がする。
686 :
吾輩は名無しである:02/11/21 17:53
小説のなかでの仕掛けなり主張なりは凡庸なんだけど
なんだろう、やっぱコトバかな。
誰かうまく書いてくれ、浅田彰みたいに。
浅田はほめ方がうますぎて
あのひとに褒められたらなんかダメになりそうw
688 :
吾輩は名無しである:02/11/21 19:29
丁寧な手作りの良さのような言葉使いをする方だと思います。
689 :
吾輩は名無しである:02/11/21 19:43
「ケ」の大江さんが「ハレ」の大江さんでもある面白さ
690 :
吾輩は名無しである:02/11/21 20:23
「大事な物を落しましてね」とホコリまで払ってるような感じ
691 :
吾輩は名無しである:02/11/21 21:06
たぶん狂暴なヘンタイ、ってことで
で、ヘンタイもどき或はヘンタイを装う小説家はたくさんいるけど
信性のヘンタイである!ってことで
大江さんの凄みは評価されるべきだと思う。
で、かつある水準の知性は漂わせつつ
「書く」と知性を超えた危ないものが露出するので
大江さんはどこまでも怖いかな。
大江健三郎は今から44年前、防衛大生を「恥辱だ」と言い、ワシントンで「自衛隊
全廃論」をぶった。「中国や朝鮮半島の人民たち
と協力して、自衛隊の全廃を目指さなければならない」と主張した。まったくも
って意味不明である。自衛隊を廃止するのに必要なこ
とは、防衛庁設置法と自衛隊法の改正である。中国人や韓国人の助けなど要る筈
がない。
戦前の日本のことを「破壊への狂信が、国内と周辺諸国の人間の正気を踏みに
じった」と表現している。アブノーマルな日本人が
アジア諸国を侵略したという非難である。だが言うまでもなく、イギリスはイン
ドを、オランダはインドネシアを植民地にし、搾取の限りを尽くした。
一方、台湾では、日本の手によって学校が作られ、近代的な社会制度が整えられた。
西欧と日本の大きな違いは、日本の植民地経営だけが赤字であったことである。
大江は、西欧がやったことに目をつむり、自国のことにだけ非難を浴びせている。
何よりあきれることは、広島、長崎への原爆投下は日本人に責任があったとい
う主張である。ちなみに、このアメリカの犯罪を正当
化させるためにデッチ上げられたのが南京大虐殺である。大江は、すべては日本
が悪かった、以後這いつくばって生き
てまいります、と世界にメッセージを発している。
大江は、祖国である日本の国家を、そして同朋である日本国民を貶め、蔑み、
罵った。大江は、反国家、反天皇、反日
本、反国民、の言説を弄している。日本国民を見下して軽蔑して、1人自分だけ
を別格とし、己だけ
を高しとしている。大江は反日的日本人である。
しかし、なぜ「天皇制」を打倒しなければならないのか、国内に対しては露骨な
言い方を避ける。堂々と自分の考えることを日本国
民に訴えつづけていたのではない。当て擦り、嫌がらせ、ほのめかし、からか
い、唇をゆがめたような皮肉に終始している。後で言い
逃れできるようにはっきりと責任ある議論をしなかった。それでも、たとえ間違
った考えであったとしても、自分の考えることを堂々と
声を大にして国民に訴え続けたのであれば、毅然とした確信犯とみなすことがで
きるのだが。だが、海外では決定的な表現を使う。
口を極めて、露骨に日本や日本の歴史や日本国民を論難し、罵倒し、弾劾した。
外国人に対して日本人がいかに駄目であるかを縷々と述べる。この態度は卑屈
という一言に尽きる。自分を国際的に売り込むた
めに自分の祖国を叩き売る。外国から拍手喝采されるために、祖国にいわれなき
非難、攻撃を加えた。そこには、国民としての誇り
のひとかけらもない。皇室や自衛隊など批判するものに向かってこないものに対
しては限りなく冷酷に非難、攻撃の刃を向ける。他
方、まかり間違えば痛烈な批判の矢が飛んでくる恐れのある対象には絶対に悪口
を言わない。大江健三郎は卑怯である。大江健三郎は卑屈である。
大江健三郎は醜悪である。
オオエがノーベル賞を受賞した理由について、スウェーデン王立アカデミーの
発表。「大江氏の作家活動は、日本における悪魔払いの行為」。
祖国を悪魔扱いして、外国に誉められてはしゃぐ。ただのハレンチである。
なんかコマーシャルみたい(w
三島ヲタが暴れてますな(苦笑
696 :
吾輩は名無しである:02/11/21 22:18
>>696 なんだこいつら。
ウチの近所だよw
同人か?ちょっとイヤな再掲だな…
ふと思ったんだが、小説内に仇敵を登場させるっていうのはそれはそれで
追悼の意を込めてはいないだろうか。小説は時間を越えて読まれていくもので
あるわけだし。大江健三郎の小説を手にとって、また彼らのことを思わずにはいられない。
それが批判的な文面であっても、大江にとっては「懐かしい」存在だと思うわけですよ。
江藤淳は『憂い顔〜』に登場するし、三島に至っては中篇まるごと書いてしまうし。
アンビバレントな感情があったのだなあと思う。
普通の人だったら、ジャーナルな文章でけなして終わりじゃないか?
大江にとっては好悪の感情より先に
どれだけ「強烈な印象を残したか」ということのほうが大事なんじゃないかな。
日常生活を揺さぶるものこそが創作の糧になるわけで
作家としては振れ幅の大きさをこそ歓迎するんだし。
つくづく業の深い商売だねえ。
700 :
吾輩は名無しである:02/11/22 06:35
実名登場の加藤典洋はどうですか。
スレ読めやボケ
大江氏の場合問題なのは、氏の小賢しい処世術と創作活動が密接な関わりをもって
いることである。筒井康隆が断筆したとき大江氏は批判がましいことを書いていたが、
この人は日本に新聞が彼に関する批判を書けないことをどう思っているのだろう。
例えば、ある評論家がノ
ーベル賞授賞式の大江氏を描写した「満面の笑み」という言葉が、某大新聞には筆者に何の断
りもなく削除されてしまう。差別だの表現に自由だのの問題以前である。そうした庇護を当然と
思っているのかは分からないが、右翼から抗議を愛けた作品の文庫化を自分から拒否できるの
も、その程度の作家性しか持たないせいだろう。いずれにしろ、欲しくて欲しくてたまらなかった
ノーベル賞を手に入れて、その記念講演で「あいまいな日本の私」とは、皮肉でなく優れた自己
批評であり、大江氏の作家としての幕引きとして最良のものであったことは間違いない。
703 :
吾輩は名無しである:02/11/22 20:48
704 :
吾輩は名無しである:02/11/22 22:44
ときどき「荒らし」で入る随想“のようなもの”は
いったい誰の文章なんだ?
水準が低すぎて読んでるこちらが気恥ずかしくなるから
もうちょっと別の出典からにしてください。
大江氏自身の「僕には帰るべき北朝鮮がない」みたいなのは
充分オモロイからいいんだけど。
…あれは笑うところだよなあ
…もしかして
コピペしてる奴って本気でフンガイしてんの?
ところで、
『いかに木を殺すか』『河馬に噛まれる』が
文春文庫の目録から消えてるのですが、
知っていましたか?
707 :
吾輩は名無しである:02/11/23 00:44
まあ、いいんじゃないか、どうせ売れないんだしショーガナイ。
本屋に残っていても日焼けして
無残な商品状態になっていたり。
絶版になりそうな大江本は今のうちに買っておくべし。
治療塔とかも絶版なんでしょ?
708 :
吾輩は名無しである:02/11/23 00:50
>コピペしてる奴って本気でフンガイしてんの?
フンガイしてるというより
“大江はこんなにも軽はずみで非論理的、非倫理的
小心なくだらん奴だぞ!”
ということを発見した自分の興奮を
みんなに伝えたいのぢゃないか?
そんなことはヒャクモ承知して大江を褒めてんだよ、ということを
はやく彼に知らせてあげたい。
709 :
吾輩は名無しである:02/11/23 00:51
みんな目を覚ませよ!
大江なんか評価するなよ、ホラこんなにも悪い奴ぢゃないか!
というカンジではないか?
大江の凄みとか狂暴さとかを掴み取れないことに対する
ヒガミもありそうだ。
711 :
吾輩は名無しである:02/11/23 00:55
>>708 そう、大江はぶっとんでるからね。
そういう人間の書く小説はやはりぶっとんでいた。
「荒らし」は
大江の社会的評価に乗りかかって、大江はイイ!みたいなことを
言いがちな輩に対する警句を発してるつもりなんだろうけど
ノーベル賞を獲ってしまったあとの大江を誉めることの難しさと危険は
充分知っていて、やっぱこれは誉めるしかない、と誉めてんだよ。
見過ごすなよ、このオゾマシサの迫力を!ってなカンジで。
北朝鮮が拉致を認めて以来、というかその前からだけれど、朝鮮人は
戦後のどさくさにこんなひどいことをしてたんだ、みたいな書き込みを
よく見かける。大江はそのことを小説で描いたほとんど唯一の作家じゃ
ないかな。たとえば「万延元年」のS兄さんは朝鮮人に殴り殺されるのだし、
「遅れてきた青年」の第一部にも、朝鮮人が示威的な略奪をする場面が
描かれてる。もちろん歴史的経緯を無視して一方的に悪者扱いしてる
わけではないけれども、そこだけ抜き出せばウヨ厨や嫌韓厨が喜びそうな
場面ではあるんだ。戦後民主主義の優等生である大江健三郎が決して
踏み込まない領域に小説家大江健三郎はためらいもなく飛び込む。
他にもたとえば、知的障害者の性的「暴発」といったことについて、
エッセイスト大江が言及することはないだろう。このへんのギャップが、
小説家大江健三郎のファンとしてはたまらないのだが。
714 :
吾輩は名無しである:02/11/23 03:01
心情的に民主主義者として振舞っていても
小説を書きだすと社会関係にひそむ
階級とか身分とか出自とか人間存在の不平等さを露出させてしまう。
そこがスリリング。
怖いひとだよ。
彼の小説は
エッセイで見せるナヨナヨした穏やかさなどと違って
“才能のないものはどうあがいたって才能はないのだ!
凡庸なやつは勉強しても凡庸なんだよ!”
と残酷に宣言してしまいかねない獰猛さが魅力。
なぜ日本人の誇りをなおざりにする風潮があるのでしょうか?
なぜ日本人だけをわざとに悪者にする風潮があるのでしょうか?
なぜなら、そのような振る舞いをする人間は自分のことを
周囲が英雄として見て欲しいという願望が恐ろしく強いからです。
かつて私がそうでした。だから大江健三郎のような振る舞いを
する人間の考え方が手に取るようによく分かるのです。
すなわち、自分を偉く見せたいのです。自分だけは、
周囲の人達よりも人徳が高いのだと思わせたいのです。
さらに、本当に自分は人徳が高いのだと思い込んでしまって
自己満足しているのです。こうなると、もう妄想にとらわれた状態です。
大江健三郎的人間は、例えば朝鮮人に頭を下げて見せます。
日本人は悪いことをしたと述べて。でも、本心は朝鮮人み
たいに下等な民族ではないという優越感でいっぱいなのです。
優越感があるから頭を下げる芝居ができるのです。
朝鮮人に対する優越感がなければ、そんな謝罪の芝居なんて
できません。つまり偽善者なのです。
さらに、そんな謝罪の芝居をすることによって、「自分は民族
の壁や人種の壁を越えた心の広い人間なのだ」と周囲に誇示
したいのです。周囲からそのように見られたいのです。
それが目的なのです。全て誇示なんです。周囲から自分が
人格者だと思われたいのです。
その結果、自分だけが周囲の人達よりも上等な人間であると
いう優越感を抱いて自己満足しているのです。まさに妄想の世界です。
これが大江健三郎的人間の心理なのです。
昔は、このような輩が共産主義運動に蔓延していました。
共産主義が崩壊した現在、かつて共産主義運動していた
その種の輩は、環境保護運動や人権保護運動などに衣替えして、
相変わらず「自分だけ人格者に見られたい」ために目立つ活動
をしています。その活動目的はただ一つ、目立ちたいのです。
(注記)朝鮮人が大嫌いなら素直に嫌いであればいいのに、
大江健三郎的人種は、そんな正直な気持ちを偽って善人のふりをしている。
なぜ、日本人でありながら故意に祖国を侮辱して自分を
まるで英雄のように見せかける売国奴大江健三郎的
クローン人間が世の中に蔓延しているのでしょうか。
その理由は、戦後の占領軍の洗脳政策に起因するのだと信じます。
戦後一貫して日本人が日本人としての誇りをないがしろに
してきた風潮は、マッカーサー占領軍の占領政策に起因します。
占領軍は、日本人という下等な黄色人種が二度と白人に
刃向かわないように日本人の誇りを根こそぎにする政策を実行したのです。
さらに悪いことに、この政策は200%大成功でした。
長崎の原爆展を見た子供や大人が「もう二度と戦争し
ないように」という感想文を新聞に投書するのですから。
このように日本人が「原爆投下は自分たちが悪いのだ」
というふうにマインドコントロールされている間は、
戦勝国は皆安泰なのです。二度と日本人が刃向かう
恐れなんて全くないからです。日本人は去勢された民族だからです。
上述した占領軍のロボトミー政策は、日露戦争で敗れた
ロシアにとっても好都合の政策でした。だから、戦後一貫して、
朝日新聞や岩波書店など、共産主義組織やそのシンパの牙城から、
絶えず日本人を卑下するマインドコントロールがメディアに
乗って国民に植え付けられたのです。
聞いちゃいねえなw
頭は悪くはないんだろうが、ベクトルがあさっての方をむいてちゃなあ。
洗脳した奴が悪いんだよなあ、ハァ実に気の毒だ。
719 :
吾輩は名無しである:02/11/23 15:58
715.716
人間というか
こういう文を書いてしまう
書かずに居れない人間の考察として
おおいに興味ある文だよ。
でも生物学的な研究対象かな。
720 :
吾輩は名無しである:02/11/23 16:01
なにが不満なんだろう。
大江みたいなくだらん人間を誉めるなら
同じ性癖の漏れも誉めてくれ、ということか?
721 :
吾輩は名無しである:02/11/23 16:04
大江の小説の凄さが理解できないのでヤッカミで
彼のプライヴェートな性格の矮小さを攻撃している、とか。
米原万里 (ロシア語会議通訳・エッセイスト)
――『週刊文春』11/28号「私の読書日記」より―
作者が老いていく自己と自己の創作活動と作品とを容赦なく戯画化し
パロディ化していて胸が揺さぶられる。
虚構と現実の境界を、童子と翁の間を絶え間なく行き来しながら
作者は基本的に自分自身についてのみ語っているのに、作者とともに
もがきながら、戦後日本と日本人について、今の世界について、その中で
生き抜くことについて考えているのだから不思議。不思議といえば、読後、
父や叔父や友人など懐かしい故人の顔が次々に浮かんできた。
大江の小説は、言葉とイメージの間の出来合いのチャンネルが使えないので、
毎回手こずるのだが、ちょうどフリーズを起こしたコンピュータが
スキャニング後にデータ処理がスムーズになるように、読了後は脳が
スキャニングされたような快感がある。それに今回のは小説ジャンルに
新次元を開いた気がする。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一介の通訳でさえ↑このぐらいのことは書くぞw
文学板の住民、眼のある奴、書ける奴はおらんか?w 書いてみれ。
723 :
吾輩は名無しである:02/11/23 17:40
「・・・あなたがお調べになったかぎりでも、私どもの家の者らの来歴とされて
いるものが、事実と食い違うそうですな?
それはそうやろうと思います。古義人は小説を書いておるのですから。
ウソを作っておるんですから。それではなぜ、本当にあったこと、あるものと
まぎらわしいところを交ぜるのか、と御不審ですか?
それはウソに力をあたえるためでしょうが!」
序章 p.18.
724 :
吾輩は名無しである:02/11/23 17:53
長江古義人=大江健三郎
千樫 =ゆかり
アカリ=光
マーちゃん=?
塙吾良=伊丹十三
梅子=宮本信子
真木彦・松男・ローズ・動(あゆ)君・新君・香芽=?
<老いたニホンの会>(<若い日本の会>)
黒野=?
芦原=石原慎太郎
迂藤=江藤淳
蟹行=開高健
浜栗=浅利慶太
篁=武満徹
六隅先生=渡辺一夫
田部夫妻・織田道夫医師=?
>>723 ちょっと甘いと思われ<読み取り。
やっぱ通訳の読みだわなw 新次元を開いた…んじゃなく
怪我の功名でそうなってしまったのが前作『取り替え子』。
『憂い顔〜〜』はそれを収拾する為に書かれたが、収拾しきれなかった
部分が、作者自身の計算外であって、そこのところが一番の問題。
要するに、伊丹の自死という現実の衝撃によって
大江は根っこから揺らぎ、作品世界まで大きな断層が走った。そこから
どうやって再生するか・・・に大江は腐心したのだが、
再生という思惑自体がおかしいのだということに、書き終えて気付いたw
726 :
吾輩は名無しである:02/11/23 18:16
あゆ・・・
727 :
吾輩は名無しである:02/11/23 18:51
ーー循環する時のなかの島の、あなた自身やギー兄さんに手紙を書くことが、
これからの自分の仕事になる、と古義人は続けています。それはあなたと
一体だった『童子』に、こちらの世界にとどまって年をとり、ひとり死んで
ゆく自分として手紙を書く、ということでしょう?
懐かしい年のギー兄さんは『童子』です。大檜の島は、古義人のノスタルジー
の島です。ノスタルジーをギリシア語源からいえば、帰還という意味の
nostosと、苦しみをいう algos でなりたっている言葉ね。つまり大檜
の島はあなたを苦しめている帰還の目印なんです。
728 :
吾輩は名無しである:02/11/23 18:52
他人まかせにしないで大江さんへの“読み”を
大江さんへの誉め言葉を
短くてもよいから列挙しようや。
例)明晰な妄想は才能だよね。
729 :
吾輩は名無しである:02/11/23 18:53
勝手にやってろよバカバカしい
730 :
吾輩は名無しである:02/11/23 18:56
>>729 オモロシロミのない奴だなあ。まったく。
それぐらいひょいひょい書いてみようや!
731 :
美香 ◇FE5qBZxQnw:02/11/23 19:57
大江さんにバックから攻められたいわ
732 :
吾輩は名無しである:02/11/23 20:00
>728
大江オタってキモスギ、オエッー、オエッー、オエッー、大江
733 :
吾輩は名無しである:02/11/23 20:34
>>731.
>>732 なあ、おまいらなんかもっとオモロイこと書けやゴルァ。
これぢゃ、コピペ荒らしのほうがまだマシだよ。
734 :
吾輩は名無しである:02/11/23 21:03
『憂い顔〜』読み終わりました。
いろいろマズイところはあるものの
全体としてはとてもよい、と思います。
『燃えあがる〜』『宙返り』と
退屈だなあと思わせる小説が続いて
『取り替え子』はきわどいけれど読みごたえあって
そして今回のコレは
やっぱ大江は本物の書き手だな、という感慨。
ノーベル賞とっちゃたから
もう彼にあげる賞はないんでしょうけど
『憂い顔〜』は今、商品化されてる小説のなかでも拔群によい
と思います。
735 :
吾輩は名無しである:02/11/23 21:18
728=733みたいな大江オタは
大江の糞でも有難がって食うんじゃないか。
736 :
吾輩は名無しである:02/11/23 21:48
『個人的〜』以降の小説を
発表順に読破中。現在『同時代〜』
の途中まで。この次期の文体が好きなもんで、
もう一度こういう文章で書いてほしいです。
野依良治名大教授のノーベル賞の受賞式に、歴代のノーベ
ル賞受賞者も出席していた。その中に、「あの」大江健三郎の姿が・・・
有名な話だが、大江は、ノーベル賞受賞に際して、日本政府
から文化勲章を受ける話を断った。理由は、「国家から表彰
されたくない。皇室からもらいたくない」だった。
文化勲章を否定すること自体は、同じ日本人であることに恥
入るが、思想の問題だから、別にどうこう言うつもりはない。
しかし、だったら、どう考えてもノーベル賞も辞退すべきだろう?
なぜなら、ノーベル化学賞は、スウェーデン王立科学アカデミ
ーが国を代表して選定する。授与するのは、スウェーデンの
グスタフ国王だ。
国家が関与し、王室が授与するという点では、文化勲章も、ノ
ーベル賞も同じである。文化勲章がイヤなら、ノーベル賞だっ
ていらないというのが当然である。
大江は、それはしない。その理由は何だろうか?
日本人のくせに欧米の視点に立ち、日本をバカにしている
か、一億円以上の賞金に目がくらんだか、どっちかだろう。両方か?
大江がノーベル賞を受けたことにも腹が立ったが、その後の
記念講演も聞いていて呆れたことを思い出した。日本がイヤ
なら、さっさと心のふるさと中国か北朝鮮に行けばいいものを・・・
そして、今また、性懲りもなくスウェーデンに呼ばれてのこのこ
出ていく彼の気が知れない。「国家の指図は受けない!!
いちいち出ていけるか!」くらいのことは言えないのか?
恥知らずとは、彼のためにある言葉だとすら思う。
738 :
吾輩は名無しである:02/11/24 02:42
BSの大江健三郎自宅インタビューを見た人はおらんのか?
物語と現実のはざまで・・・・素晴らしいインタビューだったのだが。
つーかウチにTVなんかないもん。
740 :
吾輩は名無しである:02/11/24 06:34
この傾向の荒らしにはもう飽きたから言っておくけど
南京市民を無差別殺戮していないスウェーデン国家から頂く賞は
オッケー、いくらでも頂戴しますけど
南京市民の無差別殺戮を許した日本国家からの賞は、どうもねえ!
というのではどうよ。
じゅうぶん正当な理由じゃん。
741 :
吾輩は名無しである:02/11/24 06:39
朝鮮人を強制連行しなかった
スウェーデン国家からの賞はいくらでも貰うけど
朝鮮人を強制連行した
日本国家からの賞など貰えません、てのはドウヨ。
ノーベル賞に思う
大江氏はノーベル賞授賞の直後に
「自分は戦後民主主義を信奉する立場から、天皇の文化勲章はいただくわけにはいかな
い」と言ってましたが、私はこの人がどこまで本気で民主主義を信奉しているのか疑問で
す。「ヒロシマ・ノート」という本が出たころは、戦後民主主義の旗手といわれ私もそう思っ
ておりましたが、今から十年くらい前、大江氏は自ら発起人の一人となって核兵器廃絶
文化人会議とか言う組織を結成し「核兵器廃絶に向かって直ちに行動を起こそう」という
声明を出したのでしたが、これに対して週刊誌から月刊誌から総動員して猛烈な攻撃を
したのが文芸春秋だったのです。しかも、大江氏は文芸春秋が主催する芥川賞の選考
委員をしたり文芸春秋から本を出版して同社の利益に貢献したりしておりました。その点
に疑問を持った本多勝一氏が公開質問状を出して「あなたは核兵器廃絶を人に呼びか
けておいて、その廃絶運動を最も熱心に攻撃する文芸春秋の選考委員を引き受けたりし
ているのはおかしいのではないですか?」と問いかけたのですが、すぐには返事をせ
ず、何度も質問を繰り返すと事実とは違うことを言いたてて人をくったような返事をする。
それでもついに行き詰まって芥川賞の選考委員を辞退することになったのですが、新聞
の取材には「今回の辞任は核兵器廃絶運動とは何の関係もない」と言いつつべつのメデ
ィアには「しょうがないから辞めたんだ」という。それから三年くらいたってほとぼりが冷め
たころに、誰も知らないうちにいつのまにかまた芥川賞の選考委員におさまっている。大
江健三郎という人はそういうことをする人なのです。ここまでは事実です。ここから推量し
て、口では革新を標榜しながら裏では反動資本と結託する人物、と断定しては失礼にあ
たるでしょうか?
743 :
吾輩は名無しである:02/11/24 14:26
>741
>朝鮮人を強制連行した日本国家
歴史を知らん奴だな。当時は朝鮮人なんていなかった。半島人はみな日本人だった。
それに強制連行なんてない。あったのは戦時徴用。日本人なら誰でも課されたの。
>>743 マジレスは無駄のようだよ、そいつ、繰り返しコピペ貼ってるアラシ。
自分の言葉では何も語れないバカが、
悔しまぎれにアラシているだけ。放っておけ、どーせチンケな厨房だ罠w
745 :
吾輩は名無しである:02/11/24 14:30
このスレには
マジな良カッコもあるのになw
玉石混淆。くだらん石コロがまざっとるw
746 :
吾輩は名無しである:02/11/24 14:38
古義人、面白いでしょう?あなたはこの世紀の変わり目の、真の小説
家なんです。一方で真木彦は、あなたが想像力で作り上げた「救い主」
を検討して、この土地で、それらを超えた救い主を現実に作り出したいんです。
わかりましたか?真木彦は革命家なんです!
私は、古義人の小説の読み取りの専門家として・・・フェンテスの言葉を
そのまま使うなら読み(レクトゥーラ)の専門家として・・・現実を相手に
する真木彦の事業が、文学的にも正しいものですあるよう補佐したい。私は
そのために真木彦と結婚するんです!
747 :
吾輩は名無しである:02/11/24 14:49
私は千樫が吾良のガールフレンドのベイビーを世話しに・・・吾良の
子供でもないのに・・・ベルリンに行ったのがわからなかった。もちろん、
あれだけ兄を愛している妹が、吾良の champion になろうとすることは
・・・つまり、吾良にできないことを代わりにしてやろうと思い立つのは、
自然です。
しかし、アカリは障害を持った人ですから・・・かれを残して千樫が
出かけたことがわからなかった。
しかしそれは、あなたがアカリの面倒をひとりで見たいとねがって、
千樫を排除したのではないですか?そう考えて、私には分かった気が
します。
古義人は、マーちゃんに対してすらアカリを独占しようとしています。
アカリがどんなに喜ぶか知れないのに、マーちゃんをずっとこちらに呼び
寄せようとしない。大学図書館の仕事が、それほど大切ですか?古義人
は、アカリの守護神の位置を、マーちゃんに奪われたくないのよ。
古義人は、「祈り」の根本は他の人間への「注意力」だと、シモーヌ・
ヴェイユ引用していったことがありますね。マーちゃんはアカリにいつも
注意深くしようとしています。一方で、自分の心に厄介事を抱えています。
この間起ったことであなたはオロオロしたけれど、もっと大きい爆発が
起って、マーちゃんが自分を破壊したらどうしますか?彼女の伯父さん
が自己破壊してしまったように・・・
その時、古義人は崩壊するでしょう。しかもその年では、恢復の見込みは
ありません。そして、アカリの人生も崩壊するんです。
748 :
吾輩は名無しである:02/11/24 15:08
激しい頭の痛みがすぐにも来るとわかっている。それは避けることのできない痛みだ。
併し、まだその前にいる。頭自体、暗い水の中の岩の括れに、ストンと落ち着いたところ。
頭が痛まぬ間、いや、痛み始めてもしばらくは、この国の言葉が母国語ではないと
分かる女の声が、いつまでも遠方でかすかに、話しかけてくる。突然に近づいて明瞭
になることもある。痛む頭に耐え難いほどだ。コギト、コギト、と女は呼びかける、
Cogito, ergo sum ?
コギト、コギト、目を覚まして、あの小説を書こう。森の奥に、とても巨大で複雑な
機関のような夢を見る人が、横たわっている小説。
「童子」たちは、森の夢を見る人から発して世界に出て行き、また森に戻ってくる。
永遠にそれは続く。コギト、コギト、あなたは永遠の時間に二百年の区切りをすること
から、物語を作ろうと思い立った。なぜ二百年なのか、私にはわからない。
コギト、コギト、さあ、目を覚まして!自分はもう老人だと、あなたは幾度も言った
けれど、目を覚ましてこちら側に戻ってくれば、私は「新しい人」だと思う。あなたが
よく引用したブレイクを思い出して!目をつぶっていても、声に出せなくても、あなた
のような人には、活字の形で言葉が浮かぶはず。魂の声を合わせて私とそれを読み上げよう!
Rouse up 'O'young men of the New age !
コギト、コギト、あなたはそれを、<<新しい人よ目覚めよ!>>と訳したのだったでしょう?
加納典洋がなぜ、実名か?というのは晒すという意図のほかに、もう一つ
理由があると思う。それは彼の文章を引用しているから。本作でもそれにまつわる
話があった。正確に引用しなければ、説得力はもたない、というエピソード。
引用元の作者の名前をぼかすことはできなかったんじゃないかな。
制裁にもなるし。
野村勝美:2002.07.03
大江健三郎氏のレジオン・ドヌール勲章授章を考えてみます。大江氏
は自らを、「私は戦後民主主義者である」と公言するノーベル賞文学者
です。彼は「文化勲章」を拒否しました。「戦後民主主義」なるものの定
義を私は知りませんが、印象的には戦前戦中の日本を「全面悪」と捉
えている人たちのように思います。
さて、レジオン・ドヌール勲章はフランスの、民間人に与えられる最高
の勲章だそうです。やるのも受けるのも勝手です。ノーベル賞について
も、やるのも受けるのも勝手です。我が「文化勲章」を拒絶したのも、勝
手です。「文化勲章」は日本国民が最高の栄誉としているものですが、
それを拒絶する大江氏の理由は、「僕は戦後民主主義者、国家の勲章
は受けない」ということであると伝えられました。根底に、氏の長年の発
言から、1.日本の戦争責任,、2.反皇室
があると想定できます。「悪いもの」からの勲章は貰えない、ということ
でしょう。反「日の丸」、反「君が代」、反「核」の人です。そのこと自体を
非難する積りはありません。私が嫌うのは、この方面の人たちの得手
勝手な論理です。一般的にダブル・スタンダードといいます。
レジオン・ドヌール勲章は明らかにフランスの国家としての勲章です。
価値の源泉はそこにあります。
シラク・フランス大統領は11日夜、パリ郊外で行われたサッカー・フランス
カップ決勝戦を観戦しました。
試合開始前の国歌ラマルセイエーズ演奏の際に一部サポーター
が口笛を吹いたのに対し、「フランスへの侮辱」と激怒、退席したそうです。
大江さん、あなたに勲章を授ける人物は、こういう(すばらしい!)男ですよ。
「君が代はキライだけど、ラマルセイエーズは好きですか?」
フランスは「核兵器」保有国です。最高レベルの原子力発電実施国で
す。かつて多くの植民地を持ち、アルジェリアにおいてもヴェトナムにお
いても、苛烈な政治を行いました。第2次世界大戦後日本軍が撤退し
た後に、インドシナの再植民地を目指してインドシナ戦争を起こしたフ
ランス。北アフリカの植民地を弾圧によって維持しようとして起こったア
ルジェリア独立戦争。第2次中東戦争(スエズ戦争)で英国と連合して
エジプトに派兵してアラブ諸国と戦争したフランス。世界中の反対を押
し切って南太平洋で水爆実験を続けたフランス。
その国の勲章は受けるけれど、わが日本の勲章は受けられないという。
大江さんが文化勲章を拒絶した理由のすべてがより強く、
レジオン・ドヌール勲章には含まれています。それ
を、片方は断り片方は受けるとすれば、論理を整合させるには一つの
根拠しかありません。
日本(日本人)をバカにしている、のです。
ノーベル賞決まったからって慌てて文化勲章出してくる国がバカでないとでも?
754 :
吾輩は名無しである:02/11/25 07:01
日本(日本人)はバカにされてもしょうがないです。
かといってそれはフランス(フランス人)が素晴らしい
ということを意味しない。
アフォっぽく、自国には厳しくて当然、とでも言っておくか。
「レジオン・ドヌール勲章」制度を創設した、
ナポレオンの言葉。
「勲章をおもちゃと言うのは勝手だが、
人類が支配されるのは、そのおもちゃによってだ」
756 :
吾輩は名無しである:02/11/25 16:01
たった4文字の書き込みでageんな。
昨日古本屋で「言葉によって」つう大江エッセイ集を買ってきたが
講演のことばとして
「文学とは、あらかじめ人生には意味がないと知り、人生に絶望していて、
それでいて文学によって『助けてくれ』と叫ぶ、そういうものである」
という話があった。
その例として原民喜と三島由紀夫を引いてきて、
特に三島由紀夫のデモンストレーションを、
「自分の内なる『絶対天皇制の呪縛』の告発」、
「『戦後』などというものは結局幻に過ぎない」という宣言に捕らえたあたりが
非常に今の時代に鑑みても、大江らしい卓見だと思った。
758 :
吾輩は名無しである:02/11/25 17:41
直接的、具体的なものの「喪失」(自分はなにも経験していないという自覚)
を文学によって恢復しようとする点では
大江、三島ともにロマン派の傾向があるのだが・・・
759 :
吾輩は名無しである:02/11/25 18:49
三島はそこに自足したが
大江はそこからハミダシた、
ということです。
>>757 >「文学とは、あらかじめ人生には意味がないと知り、人生に絶望していて、
>それでいて文学によって『助けてくれ』と叫ぶ、そういうものである」
ああ、それが自分でわかっていなけりゃ、そもそも大江の作品は
成立しえなかった罠。助けてくれの叫びそのものも
現実の人生によって、虚しく途切れてしまいがちなわけだが、
大江の場合は息子の存在によってなんとか踏み止まって来れた。
質としては極めて危うく折れやすいタイプであるのに、障害の息子が
かえって支えになりえたのは、時代のせいもあるな。
同じように障害の長男を抱えた太宰の場合は、
それを自らへの罰のごとく受け止めざるをえなかった心中事件などの
経緯だけではなく、まだ戦後すぐの旧い社会だったことも大きい。
父親という立場にだけ注目して二人を見ても、
ヒトは時代と共に生き死ぬ存在で、己れの「時」をしか
生きられない・・と痛感させられる。その一回性がイタくも尊くもあり、
よって『助けてくれ』と叫ぶしかないわけだな、やはりw
原民喜や三島由紀夫が「助けてくれ」と叫び終えたのちに自殺しているように
その叫びにはどんな「期待」も「関係性」も含まれていない、
完全に独立した「叫び」なのだということ、
諦観に近い個人としての意志の連なりこそが文学である、
というのは特に今作を見ても大江の向かうものに非常にしっくりくる定義だと思う。
一見時代性や社会状況を色濃く写しているように見えて
その実決定的にそれらと断絶している、
それこそが「文学」というものの立場であり役割ではないだろーか
などと考える。
なのに私人大江は積極的に社会と関わっていっちゃったりするから
このスレみたいな混乱が起こるわけだーなw
個人的に小説書く以外はじ〜っとしててほしいw
丸山の死亡記事(朝日新聞)のわきに、大江健三郎のコメントが載っていた。これ
には笑ってしまった。このコメント(発言記事)だけが、きわめて印象的である。
新聞の追悼文は、次のように結んであった。
文化勲章の辞退のことで苦しかった時、先生から励ましの手紙をいただきまし
た。そこでの、現実派知識人への上品な軽侮が愉快だったことも思いだします。
ここで「現実派知識人」とは、自民党支持の保守派の言論人総体のことを指している
のだろう。そうすると、それとの対比で、丸山や大江は自分たちのことを、「理想派知
識人」だと考えていることになる。何の理想か?人類のあるべき理想か?大江のこ
の肚のすわった居直りに近い発言が、気に入った。丸山は大江と同じで、最後まで反省
しないで、反体制、反保守、反資本主義を貫く気だ。彼らリベラル派の日本知識人は、
反省なんかしないで、自分の足元の現実が、ずいぶんと意に反したものになってしまっ
たとしても、あくまで、旧来の自分の主張を貫いて、一貫するしか他にないのだ、と私
は思った。八〇年代に入ると、福田恆存が創始した「進歩的文化人」という言葉でひと
くくりにされ、軽蔑され、批判され、揶揄される時代になった。ソビエト・ロシア(ロ
シア・マルクス主義)=ソビエト帝国が滅んだのが九一年八月で、それから五年が過ぎ
て、反体制・反保守派は、社会全体からすればずいぶんと旗色が悪くなりつづけた。し
かしそれでも、朝日新聞(発売部数六百万部)に表われるごとく、こんなにも丸山たち
はまだまだ強い。私のような、「負け組」(やっぱり自分は間違っていたな、負けだっ
たと率直に認める考え)は、少数派であって、ほとんどは、ダンマリを決めこんで、日
本敗戦直後のブラジル日系人の「勝ち組」と同じく、まだ反保守のままである。どうや
ら「反体制」であることはやめたようだ。従来どおり反資本主義ではあるが、何を次の
信念の柱にするかは見つからない。そういう現状だ。
丸山は、日本知識人の中では、ずばぬけて頭は良かった。丸山は、西欧政治思想が理
解できた珍しい日本人だ。だから、きっと西欧の近代思想家たちの伝統の方に逃れ出
て、そこを自分の柱(依りどころ)にして、生きたのだろう。即ち、丸山は知識・学問
伝統主義者だ。権力者や支配者を批判するヨーロッパ知識人の伝統に乗っかって行くと
決めたのだ。その丸山の本を読んで、それに頭の中だけ(生活は別だ)持っていかれた
者たちは、後に放ったらかしにされた。丸山のファン(信奉者)とは即ち、棄てられた
知識大衆だ。敗戦直後にファシストや天皇に棄てられたのも知識大衆だった。戦後、左
翼思想にしがみつき、のめり込み、そして、それに棄てられて、ろくな人生をおくれな
かったのも、知識大衆だ。自分を知識層だと勝手に思い込んだ大衆だ。数十万人の特殊
な大衆たちだ。結局、大衆であることに変わりはない。その代表は、公立学校の教師の
ような連中である。彼らが懸命に読んだのが丸山や大江の本で、丸山も大江も、つま
り、人だましが上手な言論商売人だった。副島隆彦『日本の秘密』
765 :
吾輩は名無しである:02/11/26 20:11
もうちと、違うとこから探してこいよ。ソレ飽きた。
貼りつけてる君自身の情報収集量の限界がでていて
見ていると、君を痛ましく思っちゃう。
ま、それが戦略なのだから仕方ないのかもしれないけれど
人間存在のオザマシサはこうして現象するのか!と。
大江と本多勝一となんで仲悪いのか
今日の読売朝刊のノーベル賞受賞者を囲む講演で本多をののしってます。
「本多は韓国人のように嫉妬深く他人の不幸を望んでいる」とさ。
講演、「南山大学長のビッグな名前を見てびびりました」だってw
おまえが言うな>大江
今の時代に敢えて「個」の重要さを語る大江を
漏れはやっぱり信頼したいとオモタ。
大江健三郎非難の大混乱
「金曜日」が創刊された年に大江健三郎がノーベル文学賞を受賞しました。
この受賞にたいして「金曜日」は毎回のような大江批判(非難?)を繰り広げて反応しました。
大江健三郎が「進歩的文化人」であることを疑う人は普通いませんが、「金曜日」は
彼が「"御用週刊誌"を出している二つの出版社」(本多勝一)、新潮社、文芸春秋社と
特殊な関係にあり、彼らを擁護していることを繰り返し繰り返し非難しました。
私は、主に本多勝一によって行われた、明らかに常軌を逸した非難がそもそも
どのような意図で行われたものか理解できませんでした。
何より、この出版社の主宰する文学賞の選考委員になることや、本を出版していることが
非難の対象になるのならば、なぜ当時の編集委員である井上ひさし氏は非難されないのかが、
全く理解できませんでした。
もっと不思議なのは、新聞雑誌で大江健三郎の受賞を歓迎する談話を発表していた
当の井上ひさし編集委員が、自分が呼びかけて創刊した雑誌のこの記事に
何の反応も公表しなかったことでした。
私はつぎのような手紙を書きました。
(中略)
言わずと知れた編集委員の一人、井上ひさし様の著書のリストの一部です。
注意を喚起したいのは、これらがすべて、「"御用週刊誌"を出している二つの出版社」
(本多勝一)の一つ、新潮社から出版されているということです。
47号の本多勝一氏の編集後記は、一体ノーベル賞に当てられたものなのか、
それとも大江健三郎氏に当てられたものなのか不分明な、「ガキの作文」の典型ですが、
新潮社を舞台に活躍していることが非難の対象になるのならば、
まず足下の共同作業者であるはずの井上ひさし様に、批判の刃は向けられるべきでしょう。
仲間ボメ・かばいあいほど醜いものはありません。
編集部内の井上ファンのみなさんも、こんな不規則発言を許していていいのですか。
功成り名を遂げると厳しい批判の対象からはずれることを、「横綱化」「家元化」と
呼ぼうと思っていますが、本多勝一先生も本多流家元にでもお成りか、最近
の思い上がった文章は、まともな神経とは思えません(後略)。
769 :
吾輩は名無しである :02/11/28 20:36
>766
さすが大江だ
チョーセン人のおぞましさ・醜悪さをよく見抜いている。
770 :
吾輩は名無しである:02/11/29 12:41
まあチョンは所詮チョンだよ。
大江はなんで馬鹿チョンの金芝河とかくだらんチョンをヨイショするんだ?
771 :
帰るべき半島が無い(号泣):02/11/29 20:39
私には・・・私には・・・帰るべき半島が・・・無い・・・(号泣)
大江唯一の見識ある行動は、文化勲章を辞退したことだ。
彼は今日の北朝鮮問題が起こることを予見し、
かつて、北朝鮮を地上の楽園と称えた自分には、
文化勲章を受ける資格がないことを自覚していたのだ。
拉致国家を称える者に勲章を与えた天皇として、
陛下を晒し者にする訳にはゆかぬ!
受賞の拒否がたとえ不敬と罵られようとも、
皇室に恥をかかせることはできぬ!
大江の忠君の赤心を称えようではないか。
772 :
吾輩は名無しである:02/11/29 20:49
>>769-770 お前らは日本人らしいが、それがどうした?
人種がどうとかの前に人間になれよ。
774 :
吾輩は名無しである:02/11/29 20:53
>>773 恥ずかしい奴だな。
本当に21世紀に生きているのか?
>>774 そんなこと言っていてもお前は高級官僚を目指して
日夜、遊び呆けている知人どもを尻目に、しこしこと
勉学に励み、念願成就した暁には、一般企業でつか
いっぱしりのキリギリスどもを大いに差別してやろうと
おもっているんだろうっが!!
776 :
吾輩は名無しである:02/11/29 21:09
>>373 かなり遅レスなんですけど、S兄さんのSは
scapegoatってのもあるんではないでしょうか?
本スレとは関係ないんでsage
779 :
吾輩は名無しである:02/11/29 22:41
でも大江もちょんは最悪だと思ってるらしいよ
【「わがテレビ体験」大江健三郎、「群像」、昭三十六年三月号】
結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、
スウィッチをいれる、画像があらわれる。
そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、
ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、
そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。
このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、
自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というような
とりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。
【「厳粛な綱渡り」大江健三郎、文藝春秋刊、昭和四十年】
北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。
ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、
それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて
自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。
逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が
熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。
ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかず
にはいられない。
北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、
南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。
日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。
しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけら
れているのでない。
781 :
吾輩は名無しである:02/11/29 22:57
はやくイラクをやっつけて
次に南北チョンを皆殺しにしてくれ >>ブッシュ
782 :
吾輩は名無しである:02/11/29 23:10
大江はCarmaによって障害者の息子が授けられた。
君らにはなにが授かるだろうか。
神は愛である。厳しさの中に愛がある。
週末になるとレベルが激しく落ちるこのスレなわけだが。
「北朝鮮の青年の未来と希望の純一さ」は、「南朝鮮」の青年達が疑い、
嘲笑したように、今日の破局の中に失われて
しまった。大江氏がこれだけ思い入れをした「老いた美しい朝鮮の
婦人」や、「希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわっ
た生きかたを始めようとしている青年」達は、今や住む家も洪水に
流され、食べ物も自由も希望もなく、ただ餓死を待っているであろう。
そうした北朝鮮の惨状について、大江氏はどう考えているのだろ
うか。大江氏が昔の自分の文章を覚えているなら、自らの不明を恥
じて、読者にお詫びをするとともに、自分の見通しがなぜ間違った
のか、思想的にきちんとした反省をしなければならない。それをし
ないこの人は言論人としての資格はない。将来も、また同じような
過ちを繰り返すのみである。
また上記の熱のこもった文章が、単なる共産主義かぶれの若気の
至りではなく、北朝鮮の人々への真実の思い入れだとしたら、自ら
率先して、北朝鮮救援活動を始めるか、ノーベル賞の賞金を北朝鮮
救済の資金として提供する位の事はあっても良いのではないか。大
江氏は、昨年は米国プリンストン大学で静かな研究生活を送ったよ
うだが、現在は別の意味で「帰るべき朝鮮がない」のだろうか。要
はつねに人事なのだろうか。
786 :
吾輩は名無しである:02/11/30 20:45
ちょんと鮮人とどっちが悲惨ですか?
そういえば大江作品に「ヨボの・・・さん」ていう表現が出てくるが
ヨボって鮮人のことなんだよね。みんな知ってた?
787 :
吾輩は名無しである:02/11/30 20:46
チョーセン人だけは人類と認めたくない。
788 :
吾輩は名無しである:02/11/30 20:51
お前らは日本人らしいが、それがどうした?
人種がどうとかの前に人間になれよ。
789 :
吾輩は名無しである:02/12/01 02:40
>>767 大江は小説プロパーで語るにたる。ノンフィクションとしての大江の言説はとうてい聞くに堪えん。
たとえば、くだんの読売の講演でも、原爆原爆といっているが、アウシュビッツ、ドレスデン、カンボジア、スターリンの収容所、これらの体験に対して
なぜことさら原爆が優先的に重い意味をつけられるのか、理解しがたい。
790 :
吾輩は名無しである:02/12/01 02:56
>>787 知らない国、知らない民族もあるだろうに。君の知ってる範囲でだけりきんでるだけfだ。
787のようなやつに言って置く。ソ連は多くの農民を餓死させ、アメリカは原爆を落とし、日本は朝鮮戦争、ベトナム戦争に乗じて経済を発展させ、ドイツはアウシュビッツ、
イギリス、フランスは長きにわたる植民地支配・・・・どこの国、どこの民族もろくなもんじゃねぇって。
792 :
吾輩は名無しである:02/12/01 03:10
788は創価学会でつ
ん?そうではないが。何の組織にも属してないが。本当に、本当におれの言ったことはへんなのか?
794 :
吾輩は名無しである:02/12/01 03:30
788のような言い方は不器用だが一理あるよ。昔、極道映画で、在日一世を関東大震災の時、パニック的に差別する場面で、
主人公の子供時代、その父親が、同じ人間じゃないか、と言ってかくまう場面があった。そしてまた、中国で日本の残留孤児を
民族が違うと知りながら、我が子として育てた人たちはいたのだし。
795 :
吾輩は名無しである:02/12/01 03:41
なにはともあれ、大江だ。大江はひょっとすると根っからの社会主義国びいきだったのかもな。
土井党首と実は同類なのでは。絵のうまい社民党。小説のうまい社民党。大江のあのなんとも
ソ連びいきの反核文学者の声明から推しても。
>>789 自分に近くないものをもっともらしく語ったってだれが聴くんだ?
優先ってなにが?
馬鹿?
797 :
吾輩は名無しである:02/12/01 12:27
南北鮮人撲殺御免法案を可決して欲しい
>>796 原爆はちっとも近くはありませんよ。まさにあなたのような言説こそ、価値を原爆に収斂させてその枠に収まらない者を
馬鹿呼ばわりする原爆ファシズムなのです。9.11はもちろん原爆ではありませんが、あなたにとってどっちが「近い」のでしょうか。
そして「近くないほう」を語ることがもっともらしいことなのですか?
あとひとつ、あなたが思った疑問はそのまま大江に言いたいことです。あなたはインドのノーベル賞学者に原爆のことを語りかけて、
まさにもっもらしく共感させているではないですか。インドは保有しているから「近い」というなら、カンボジアやスターリン主義の、
「自由」の問題はどうなる。原爆は「悲惨な大量死」を意味しますが、「自由」の問題を考察させるものではありません。
そしてどっちが「近い」といえますか?
もちろん原爆についても、語って悪いわけだはない。しかし大江がことさら原爆についてうまずたゆまず語っているのは
事実であり、わたしにはおおげさにしか思えないし、落語家のきまり文句のようにドストエフスキーの「罪と罰」に言及
するのも笑わせます。
800 :
吾輩は名無しである:02/12/01 15:35
鮮人の爪の垢でも鮮人て飲め!
大江健三郎
「広島、長崎のあの大きい犠牲は、償わなければならないと思います。
償うのは私たち(日本人)です。」
(1994年10月17日京都で開催された講演会「世界文学は
日本文学たりうるか?」より)
>>798 バッカじゃないの?
あの時代に生きて原爆投下をリアルタイムに経験した人の「近さ」を言ってるんだよ
9.11? ハア?
おれのおやじは大江と同じ年齢で同じ松山に育ったが
向かいの広島に落ちた原爆は四国からも見えたんだとよ
それ以上の「リアル」があるか?
この頭でっかちの観念主義者め。
803 :
吾輩は名無しである:02/12/01 21:09
っていうかなんで
>>798は「あなたにとって」の話になってるのか
大江の話してたんジャネーノ?
大江は半島へ帰れ!
805 :
吾輩は名無しである:02/12/02 11:51
すぐ朝鮮朝鮮言って過激なこと言えた気になる馬鹿にうんざり
下ネタ言うとうけると思ってる奴と一緒だね
806 :
吾輩は名無しである:02/12/02 12:38
大江の読者は朝鮮人ばかり
807 :
吾輩は名無しである:02/12/02 13:54
>804
大江はれっきとした日本人です。
ちょっと政治音痴な欠点はありますが。
許してあげましょう。
それよか
南北朝鮮人のおぞましさをもっときちんと認識してください。
808 :
吾輩は名無しである:02/12/02 15:14
大江は帰化してるから日本人です。
ちがいまつ、朝鮮からの帰化人は天皇家でつ。
大江は…あの顔から見て、祖先はミクロネシアあたりでちょーw
810 :
吾輩は名無しである:02/12/02 18:07
>>809 天皇家が朝鮮からの帰化人?
朝鮮人お得意のウリナラ起源か?(w
だいたい「朝鮮」ていつからあるか知ってるか?
ああ恥ずかしい。
811 :
吾輩は名無しである:02/12/02 18:08
大江が帰化人であることは常識。
812 :
吾輩は名無しである:02/12/02 18:10
>大江は…あの顔から見て、祖先はミクロネシアあたりでちょーw
どこをどうみてもチョソ顔だが。
息子も。
老齢に達して遺言のようであれ、国を憂える文章を
書かずにはいられないという動機付けが、ことごとく
ウソだ、ということなのだ。かれらは自分の本来の
仕事において、書くことがなくなったにすぎない。
(「私という小説家の作り方」より)
814 :
吾輩は名無しである:02/12/02 23:16
読みたいけど貧乏だからブクオフとかに出てないかなあって思って探してるんだけど
まだ出てないね。ヤフオクでも出てない。もういい加減買って読んでしまいたい。
なんかこのスレROMってると大江が復活したって感じを受けたから。
815 :
吾輩は名無しである:02/12/02 23:55
大江は許してやれ
それよかチョンどもをDDTで駆除しようぜ
816 :
吾輩は名無しである:02/12/03 08:16
現行天皇ケが朝鮮半島の出身であることを認めたくないやつが多いようだな。
それから、残念ながら大江は朝鮮半島の出身者ではありません。
817 :
吾輩は名無しである:02/12/03 18:09
大江は四国の山人衆の子孫だろ!!
てゆうかおまいらスレタイに沿った話しれ
>>818 すいません、明日買って来て読んでみます。でも取り替え子を読んでからが
良いって聞いたからその後だな。学生時代以来の大江読書を楽しみにしても
良 い か な ?
820 :
吾輩は名無しである:02/12/04 12:44
>>816 またウリナラ起源ですか?(w
やっぱり大江信者ってチョソなんだね。
821 :
吾輩は名無しである:02/12/04 12:48
大江の両親は紛れもない朝鮮半島出身者
それを認めたくないものが
天皇家を無理やり半島出身などとデムパを発してるだけ。
だいたい日本人の概念がまだなかった古代において
天皇家に仮に半島系の血が入っていたとしても
そんなものは今の日本人全体にあてはまること。
大江のような半島から渡ってきた生粋の朝鮮人とは全然違う。
大江健三郎『わがテレビ体験』(群像)より
結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をな
にげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。
そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまり
に涙を流していた。それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還の
ものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白
い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ
朝鮮にかえることを申し出る……。
このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分
には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というよう
なとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったの
であった。
大江健三郎『厳粛な綱渡り』(文芸春秋社)
北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があ
った。ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいし
て小姑的な敏感さをもつが、それにしてもあの写真は感動的で
あり、ぼくはそこに希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来
にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見
た。
逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくさ
れている南朝鮮の青年が熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデ
モをおこなっている写真もあった。ぼくはこの青年たちの内部
における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだ
かずにはいられない。
北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、
もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、南朝鮮の希望
にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじ
あわせる。
日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、
うしろ向きに閉ざされていない。しかし日本の青年にとって未
来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけ
られているのでない。
824 :
吾輩は名無しである:02/12/04 15:21
この作品を批判した週刊朝日に逆ギレして
編集長更迭させたって本当ですか?
825 :
吾輩は名無しである:02/12/04 17:06
本当ではありません。
826 :
吾輩は名無しである:02/12/04 19:46
大江を叩きたがるヤシって
“権威への反抗”でも気取っているのかな。
誉める方向で何が言えるか検討してみたら
大江ほど興味の尽きない対象はないと思うけど。
実際、大江叩きなんてカンタンで
彼をほめて誉める蓮實、浅田、柄谷にしても
大江が愚かしいことは充分知っているわけで
彼の小説に現象している字面以外のことについて
大江を非難したとして、あまりに非生産的なことにしかならのは
わかっているから、そんなことはしないのでしょう。
彼がプライヴェートやエッセイでどんな愚かしい発言や文章を書こうとも
いったん小説を書いてしまうと
それらを上回る鬼のように愚鈍な迫力が発生してしまう、
という事態が興味ぶかく
それを検証し顕揚したほうが
時間の消費の仕方としては有効ではないでしょうか。
『憂い顔』は『取り替え子』読んでから進むのがよいと思われます。
>>826 禿堂!!同じこと考えてたけど僕じゃ言葉に出来なかった。
文学的な部分で叩いてる香具師少ないもんね。
でも確かに大江自身が作家は政治的であるべきって言ってるから
スタンスを叩かれたりするのは仕方の無いこととも思う。
でもここの叩き廚はコピペばっかだし大江の小説読んだことないでしょ?
まあかく言う僕も憂い子読んでないけど...
野村勝美:2002.07.03
大江健三郎氏のレジオン・ドヌール勲章授章を考えてみます。大江氏
は自らを、「私は戦後民主主義者である」と公言するノーベル賞文学者
です。彼は「文化勲章」を拒否しました。「戦後民主主義」なるものの定
義を私は知りませんが、印象的には戦前戦中の日本を「全面悪」と捉
えている人たちのように思います。
さて、レジオン・ドヌール勲章はフランスの、民間人に与えられる最高
の勲章だそうです。やるのも受けるのも勝手です。ノーベル賞について
も、やるのも受けるのも勝手です。我が「文化勲章」を拒絶したのも、勝
手です。「文化勲章」は日本国民が最高の栄誉としているものですが、
それを拒絶する大江氏の理由は、「僕は戦後民主主義者、国家の勲章
は受けない」ということであると伝えられました。根底に、氏の長年の発
言から、1.日本の戦争責任,、2.反皇室
があると想定できます。「悪いもの」からの勲章は貰えない、ということ
でしょう。反「日の丸」、反「君が代」、反「核」の人です。そのこと自体を
非難する積りはありません。私が嫌うのは、この方面の人たちの得手
勝手な論理です。一般的にダブル・スタンダードといいます。
レジオン・ドヌール勲章は明らかにフランスの国家としての勲章です。
価値の源泉はそこにあります。
シラク・フランス大統領は11日夜、パリ郊外で行われたサッカー・フランス
カップ決勝戦を観戦しました。
試合開始前の国歌ラマルセイエーズ演奏の際に一部サポーター
が口笛を吹いたのに対し、「フランスへの侮辱」と激怒、退席したそうです。
大江さん、あなたに勲章を授ける人物は、こういう(すばらしい!)男ですよ。
「君が代はキライだけど、ラマルセイエーズは好きですか?」
フランスは「核兵器」保有国です。最高レベルの原子力発電実施国で
す。かつて多くの植民地を持ち、アルジェリアにおいてもヴェトナムにお
いても、苛烈な政治を行いました。第2次世界大戦後日本軍が撤退し
た後に、インドシナの再植民地を目指してインドシナ戦争を起こしたフ
ランス。北アフリカの植民地を弾圧によって維持しようとして起こったア
ルジェリア独立戦争。第2次中東戦争(スエズ戦争)で英国と連合して
エジプトに派兵してアラブ諸国と戦争したフランス。世界中の反対を押
し切って南太平洋で水爆実験を続けたフランス。
その国の勲章は受けるけれど、わが日本の勲章は受けられないという。
大江さんが文化勲章を拒絶した理由のすべてがより強く、
レジオン・ドヌール勲章には含まれています。それ
を、片方は断り片方は受けるとすれば、論理を整合させるには一つの
根拠しかありません。
日本(日本人)をバカにしている、のです。
830 :
吾輩は名無しである:02/12/04 21:08
452 名前:吾輩は名無しである 投稿日:02/12/04 19:40
ixionって容姿に自信がないらしいね。
文学好きの奴って、やっぱコンプレックスを抱えた
のが多いのかな。俺も162センチしかなくてルサンチマン野郎。
453 名前:吾輩は名無しである 投稿日:02/12/04 19:42
秀才ixionだが、容姿が悪い。
馬鹿ころにゃんだが、容姿が良い。
さぁ、どっちに抱かれたい?>>女
454 名前:吾輩は名無しである 投稿日:02/12/04 19:43
ころにゃんってエスパー伊藤似らしいぞ。
455 名前:吾輩は名無しである 投稿日:02/12/04 19:44
ixionかわいい。
コンプレックス抱えた秀才は萌えるね。
456 名前:吾輩は名無しである 投稿日:02/12/04 19:44
ixionに決まってる。
===この話題終了====
457 名前:吾輩は名無しである 投稿日:02/12/04 19:46
ころにゃんってエスパー伊藤似らしいぞ。
458 名前:吾輩は名無しである 投稿日:02/12/04 19:46
江頭のまちがいだろ
459 名前:吾輩は名無しである 投稿日:02/12/04 19:47
ixionの顔がエスパー伊藤だったら、
どんなにインテリでも引きますよ私は。
460 名前:吾輩は名無しである 投稿日:02/12/04 19:47
ころにゃんってホーキング青山みたいな感じらしいぞ。
461 名前:吾輩は名無しである 投稿日:02/12/04 19:47
ころにゃんは堂本光一に似てるらしいよ。
本人が言っていたから、本当かどうか分からないけど。
過去ログ参照。
831 :
吾輩は名無しである:02/12/04 21:25
良住人が皆いなくなると思う。
二度と2ちゃんねるに来ない。
おまえの責任だ。
マジでおまえのせいだよ。
2ちゃんねるから文学の火を消した。
『週刊朝日』の編集長が更迭。原因は
匿名批評”虫”による『憂い顔〜〜』の酷評&悪罵だという。
大江が来春から朝日新聞に連載する予定なのに
あまりな書き様だということらしい。・・・ま、文学評としては
全く眼識もへったくれも無い最低の部類だったがあの評は、
それはそれとして、編集長の更迭とは穏やかじゃないなぁ、朝日の社内事情、
経済部支配ちゅうのんは、ホントか?やはり?
833 :
吾輩は名無しである:02/12/05 07:44
朝日はいちおう品位ある一流を気取っているから
その領域ではどこまでも保守性を棄てない。
大江が文句を言ったとかそうではなく
“虫”のあからさまな無知や通俗さには
社内の雰囲気として、耐え難いものがあり
そのベクトルで社内の気分は一致していると思います。
834 :
吾輩は名無しである:02/12/05 15:07
>>826 え?
>大江を叩きたがるヤシって
>“権威への反抗”でも気取っているのかな。
大江のウリが「権威への反抗」じゃなかったの?
日本の賞は辞退しても、海外の賞はヘコヘコ貰うあたりが、
外国カブレ&何でも反日の馬鹿っぽいと思ったけど?
読んでないのバレバレじゃん
>>834 >外国カブレ&
は正解
>何でも反日の馬鹿っぽいと思ったけど?
これは、間違い。初期の小説読む限り、大江は「戦後の日本が大嫌い」
だから、文化勲章を拒否したと思われ。
(あと、リベラル派へのリスクヘッジか?)
まあ、折角権威ある文学賞を取ったんだから、「政治少年死す」
を単行本化しろとは思うが。
>>833 昔、中央公論時代のヤスケンが大江を批判したと中央公論
の社長に大江が手紙を送ったらしけどどうなんだろ?
「取替え子」は面白かったから、新作も読んでみるか。
>>835 叩いてる奴は「遅れてきた青年」や「人間の羊」とか
読んでるのかねえ?あっ、アメリカ万歳右翼なら大江が嫌いでも
不思議じゃないか?
そういや、大江の文化勲章拒否を「西洋への敗北」なんて馬鹿な
ことを言った西尾の親父はアメリカにぺこぺこしてるが(w
ミスター遅れ てきたセイン・カミュ
どや???この芸名
大江はチョソ
840 :
吾輩は名無しである:02/12/05 17:13
22 点
841 :
吾輩は名無しである:02/12/05 18:35
>>841 ,一-、
/ ̄ l | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
■■-っ < んなーこたーない
´∀`/ \__________
__/|Y/\.
Ё|__ | / |
| У.. |
大江健三郎は今から44年前、防衛大生を「恥辱だ」と言い、ワシントンで「自衛隊
全廃論」をぶった。「中国や朝鮮半島の人民たち
と協力して、自衛隊の全廃を目指さなければならない」と主張した。まったくも
って意味不明である。自衛隊を廃止するのに必要なこ
とは、防衛庁設置法と自衛隊法の改正である。中国人や韓国人の助けなど要る筈
がない。
戦前の日本のことを「破壊への狂信が、国内と周辺諸国の人間の正気を踏みに
じった」と表現している。アブノーマルな日本人が
アジア諸国を侵略したという非難である。だが言うまでもなく、イギリスはイン
ドを、オランダはインドネシアを植民地にし、搾取の限りを尽くした。
一方、台湾では、日本の手によって学校が作られ、近代的な社会制度が整えられた。
西欧と日本の大きな違いは、日本の植民地経営だけが赤字であったことである。
大江は、西欧がやったことに目をつむり、自国のことにだけ非難を浴びせている。
何よりあきれることは、広島、長崎への原爆投下は日本人に責任があったとい
う主張である。ちなみに、このアメリカの犯罪を正当
化させるためにデッチ上げられたのが南京大虐殺である。大江は、すべては日本
が悪かった、以後這いつくばって生き
てまいります、と世界にメッセージを発している。
大江は、祖国である日本の国家を、そして同朋である日本国民を貶め、蔑み、
罵った。大江は、反国家、反天皇、反日
本、反国民、の言説を弄している。日本国民を見下して軽蔑して、1人自分だけ
を別格とし、己だけ
を高しとしている。大江は反日的日本人である。
しかし、なぜ「天皇制」を打倒しなければならないのか、国内に対しては露骨な
言い方を避ける。堂々と自分の考えることを日本国
民に訴えつづけていたのではない。当て擦り、嫌がらせ、ほのめかし、からか
い、唇をゆがめたような皮肉に終始している。後で言い
逃れできるようにはっきりと責任ある議論をしなかった。それでも、たとえ間違
った考えであったとしても、自分の考えることを堂々と
声を大にして国民に訴え続けたのであれば、毅然とした確信犯とみなすことがで
きるのだが。だが、海外では決定的な表現を使う。
口を極めて、露骨に日本や日本の歴史や日本国民を論難し、罵倒し、弾劾した。
外国人に対して日本人がいかに駄目であるかを縷々と述べる。この態度は卑屈
という一言に尽きる。自分を国際的に売り込むた
めに自分の祖国を叩き売る。外国から拍手喝采されるために、祖国にいわれなき
非難、攻撃を加えた。そこには、国民としての誇り
のひとかけらもない。皇室や自衛隊など批判するものに向かってこないものに対
しては限りなく冷酷に非難、攻撃の刃を向ける。他
方、まかり間違えば痛烈な批判の矢が飛んでくる恐れのある対象には絶対に悪口
を言わない。大江健三郎は卑怯である。大江健三郎は卑屈である。
大江健三郎は醜悪である。
オオエがノーベル賞を受賞した理由について、スウェーデン王立アカデミーの
発表。「大江氏の作家活動は、日本における悪魔払いの行為」。
祖国を悪魔扱いして、外国に誉められてはしゃぐ。ただのハレンチである。
845 :
吾輩は名無しである:02/12/07 08:07
それにしても「反日」って
壮絶に大雑把な言い方だなあ。
「西洋カブレ」にしてもそうだけど。
大江さんの愚かしいが具体的である身振りを
そのような抽象的な言い回しから
救出する必要性を感じます。
846 :
吾輩は名無しである:02/12/08 01:01
大杉重男age
初期大江が好きだが「取替え子」序盤で
つまづいた人間って
憂い顔楽しめるかな?
買うか買わんか、ちょと迷ってる
848 :
吾輩は名無しである:02/12/08 12:13
大杉はただのヘタレ。
849 :
吾輩は名無しである:02/12/08 13:09
例えばこのような批評家がいたとする。今年37か8で、真っ先に
2ちゃん文学板のみに直行し、大江健三郎のスレッドを見てしまう。
そしてそこに書き込まれた大同小異の悪口雑言を斜め読みするうちに、
自分に対する的確な批評を発見してしまう。自分たちの言説を取り巻く
状況を分析する彼の書いていることは、もはやただのオタク批評家と
化した論壇誌に状況論を書き続ける某氏の現状と殆ど変わらないのだが、
彼はそのことに気付いていない。
J文学が巨大なジャンクなら、2ちゃんねるも巨大なジャンクである。
いわゆる文芸誌はとうにただのジャンクである。そして問題はあらゆる
メディアの場の殆ど全てがジャンク化していることにあるのであり、
自らの言説に対する匿名の言説の暴力性に怯えることにあるのではない。
左翼盲目病患者、大江健三郎(上)
米国同時多発テロ以降の情勢をめぐり、各国の左翼系文学者は、米国の軍事力によるテロリズムへの対応を批判する
発言を発表している。ドイツのギュンター・グラス、英国のルシュディー、米国のスーザン・ソンタグのほか、日本の大江健三郎もまたそのひとりである。大江は、フランスの11月27日付け『リベラシオン』紙で談話を発表している(多維網インターネットの報道による)。
(中略)
大江の意見は、これら左翼人のそれと基本において変わるところはない。骨子は、米国によるタリバンおよびビンラディン
氏への攻撃は、"疑わしい戦争"であり、"この戦争は、アフガニスタンの人々を苦しみに陥れ、アフガニスタンという国家を
混乱に陥れるものである"ということと、同時多発テロの発生後、米国は"自らの失敗を認め"て反省すべきであった、軍事
的手段による報復はかならずさらなるテロを生むという点に尽きる。
軍事行動のはじまる前にこの発言がなされたのであれば、知性と常識に欠けた人間のたわごととしてまだ笑ってすませ
られたであろう。しかしタリバンは崩壊して戦争はほぼ米国の勝利に決まった今頃、これははたして正気の言か。今回の戦
争でアフガニスタンにおける民間人の死傷者はほぼ皆無にちかいのである(民間人が米軍の攻撃によって死傷したという
情報はほとんどタリバン側の主張によるものであり、第三者の情報源によって真偽が確認されていない。つまりタリバンの
宣伝なのであり、タリバンの宣伝が全く信用できないのは定評がある)。
それにアフガニスタンの民衆はいま、街頭でタリバンの崩壊を歓喜して祝っているのである。男は強制された髭をそり落と
し、女は顔の被いを脱ぎ捨て、子供達は、5年間禁止されていた映画やテレビに夢中になっているのである。そして国家とし
てのアフガニスタンは国際社会の監視下で新政府発足の準備に入っている。この新政権には同国の各方面の政治勢力が
参加してその意向が反映されるのはもとより、これまで社会的に抑圧される地位に置かれてきた女性にも門戸が開かれるはずである。
このただいまの現実を前にして、大江が"疑わしい戦争"と主張するのはいったいいかなる了見か。どういう根拠があって
彼は、「この戦争は、アフガニスタンの人々を苦しみに陥れ、アフガニスタンという国家を混乱に陥れるものである」などと断
言するのか。大江の目には世界が反対に映るのか。それとも、大江は、タリバン政権支配体制が継続してアフガニスタン
国民は中世そのままの生活をしていればよい、専制支配のもとで呻吟し続けていろといっているのか。まさかそうではあるまい。
大江の、西側の軍事行動がさらなるテロの危険をもたらすという主張は、左翼の好む論法である。米国は自らの失敗を
認めて反省すべきだというが、どういう失敗を認めなければならないのであろうか。
彼の論理に従えば、米国が"反省"して軍事的手段以外の方法でテロに対処すれば、テロリストはテロ行為をやめて二度
とテロは起こらないというのだが、相手の誠意に感じてテロをやめるようなテロリストがどこの世界にいるか。
大江は、武力行使はテロに応えるにテロを以てするということであり、邪悪に対して邪悪で応えることであって、事態を悪
化させるばかりだと言う。それを避けるためには、いかなる軍事行動も一切取らず、それによってみずからが文明人である
ことを証明せねばならないと主張する。
では、ひとつ尋ねたい。真珠湾攻撃の際、米国はそれまでの対日政策の"失敗を認め"て、対日石油禁輸政策を"反省"
して止めれよかったのか。米国が対日戦に踏み切ったのは誤りだったか。
――その場合、おそらくアジア全域に日の丸の旗が翻る結果になっていたであろう。さらに多数の中国人や韓国人の生
命が失われたであろう。そしてより多くの日本人の生命も失われていたはずである。
米国が日本と戦い勝ったおかげで、"事態を悪化させる"ことから免れたの
ではないのか。米国が氏の非難する武力を用いた結果、日本は降伏し、アジ
ア地域は大日本帝国の支配から解放された。氏がその存在を長年批判し続けているところの核兵器を使用したことによって日本の降伏は早まり、核を使
わなかった場合よりもアジア諸国の国民はもちろんのこと、
日本の軍人や民間人の死傷者も少なくて済んだのではなかったか。
大江健三郎や、その他の左翼人士が、問題解決のために軍事力行使以外の解決方法を持っているというのであればまだよい。しかし彼らにはなんらの
具体的な代案もない。それでいて反対ばかりする。没論理性と無責任さは、左翼の顕著な特徴である。
私は、日本人である大江が自国の軍国主義とアジア侵略の歴史を厳しく批判する態度を賞賛するのにやぶさかではな
い。しかしその彼が米国の核兵器を非難し、さらにはこのたびのアフガニスタンに対する軍事行動に反対するのはあきらかに矛盾である。日本の軍国主
義を打倒するために、武力のほかにどのような方法があったのか、氏にききたい。
(中略)
今回の米国のアフガニスタン軍事攻撃は、第2次世界大戦における日本との戦争と同じである。戦後の日本は軍国主義
国家から民主主義国家へと変貌することができた。アフガニスタンとの戦争は、さらなる危機ではなく自由のための戦争で
あり、未来の平和と民主主義のための正義の戦争なのである。大江、グラス、ソンタグをはじめとする左翼文学者の最大
の誤りは、"平和主義"を振りかざしてあらゆる戦争に無差別に反対することである。彼らには正義の戦争と不正義の戦争
の区別ができない。寛容と善意は、邪悪をかえって保護助長するだけである。その結果、人類はさらなる災難に見舞われ、
払わねばならない代償はさらに莫大なものになる。
853 :
吾輩は名無しである:02/12/09 06:50
ところで、「黒野」の描き方って両義的で興味ぶかいよね。
はじめは大江小説にありがちな災いを齎すものとして
圧倒的マイナスのイメージで語られ登場して
古儀人には受けつけられない存在ではあるけれど
なんつうか親密ではないにしろ
最終的には古儀人のいちばん近い存在として
顕れるような・・・。
本を大事にする性癖を揶揄したり
一般的な評価とははずれて初期の作品より最近の作のほうを誉めたり、
オバハンのピアノ演奏に辟易する感性を共有したり、と。
最後は綺麗な死に方するし。
>>853 記号論的で悪いんだけど、黒野をカタカナで書いてみると、クロノ。
それを飛躍させて考えてみるとクロノロジカル、クロニクル。
つまり、時代をつづってきた存在として
古義人の脇に置いておきたかったんでしょうな。そういう通俗的な存在を。
それが「シニア」の世代として、今を生きているわけです。
彼ら(大江健三郎と同世代)に向けられた小説でもあるんじゃないかな。
855 :
吾輩は名無しである:02/12/09 19:01
ところで、大江はなんで文体を変えたんでしょう?
「取替え子」から。
大江は地上の楽園へはよ帰れ!
なぜ日本人の誇りをなおざりにする風潮があるのでしょうか?
なぜ日本人だけをわざとに悪者にする風潮があるのでしょうか?
なぜなら、そのような振る舞いをする人間は自分のことを
周囲が英雄として見て欲しいという願望が恐ろしく強いからです。
かつて私がそうでした。だから大江健三郎のような振る舞いを
する人間の考え方が手に取るようによく分かるのです。
すなわち、自分を偉く見せたいのです。自分だけは、
周囲の人達よりも人徳が高いのだと思わせたいのです。
さらに、本当に自分は人徳が高いのだと思い込んでしまって
自己満足しているのです。こうなると、もう妄想にとらわれた状態です。
大江健三郎的人間は、例えば朝鮮人に頭を下げて見せます。
日本人は悪いことをしたと述べて。でも、本心は朝鮮人み
たいに下等な民族ではないという優越感でいっぱいなのです。
優越感があるから頭を下げる芝居ができるのです。
朝鮮人に対する優越感がなければ、そんな謝罪の芝居なんて
できません。つまり偽善者なのです。
さらに、そんな謝罪の芝居をすることによって、「自分は民族
の壁や人種の壁を越えた心の広い人間なのだ」と周囲に誇示
したいのです。周囲からそのように見られたいのです。
それが目的なのです。全て誇示なんです。周囲から自分が
人格者だと思われたいのです。
その結果、自分だけが周囲の人達よりも上等な人間であると
いう優越感を抱いて自己満足しているのです。まさに妄想の世界です。
これが大江健三郎的人間の心理なのです。
昔は、このような輩が共産主義運動に蔓延していました。
共産主義が崩壊した現在、かつて共産主義運動していた
その種の輩は、環境保護運動や人権保護運動などに衣替えして、
相変わらず「自分だけ人格者に見られたい」ために目立つ活動
をしています。その活動目的はただ一つ、目立ちたいのです。
(注記)朝鮮人が大嫌いなら素直に嫌いであればいいのに、
大江健三郎的人種は、そんな正直な気持ちを偽って善人のふりをしている。
なぜ、日本人でありながら故意に祖国を侮辱して自分を
まるで英雄のように見せかける売国奴大江健三郎的
クローン人間が世の中に蔓延しているのでしょうか。
その理由は、戦後の占領軍の洗脳政策に起因するのだと信じます。
戦後一貫して日本人が日本人としての誇りをないがしろに
してきた風潮は、マッカーサー占領軍の占領政策に起因します。
占領軍は、日本人という下等な黄色人種が二度と白人に
刃向かわないように日本人の誇りを根こそぎにする政策を実行したのです。
さらに悪いことに、この政策は200%大成功でした。
長崎の原爆展を見た子供や大人が「もう二度と戦争し
ないように」という感想文を新聞に投書するのですから。
このように日本人が「原爆投下は自分たちが悪いのだ」
というふうにマインドコントロールされている間は、
戦勝国は皆安泰なのです。二度と日本人が刃向かう
恐れなんて全くないからです。日本人は去勢された民族だからです。
上述した占領軍のロボトミー政策は、日露戦争で敗れた
ロシアにとっても好都合の政策でした。だから、戦後一貫して、
朝日新聞や岩波書店など、共産主義組織やそのシンパの牙城から、
絶えず日本人を卑下するマインドコントロールがメディアに
乗って国民に植え付けられたのです。
覆えって在日だったんだ。
860 :
吾輩は名無しである:02/12/14 23:27
861 :
吾輩は名無しである:02/12/14 23:52
858って大江なの?
862 :
吾輩は名無しである:02/12/16 08:53
大江の高校の同級生で、大江のHPやってた人、無茶苦茶書かれてたでしょ。
この本が出てすぐあのサイトに行けなくなったんだけど、閉鎖したのかなあ。
あるいはどっかに移動したのかなあ。事情、知ってる人は教えて。
なんか気の毒な気がした。
それにしてもあのHP事態はそんなに酷い内容じゃなかったと思うけどなあ。
後期の大江の本ってさ、本筋ではないところで、実生活上の悪口満載。
むしろそれが中心のゴシップ本としても読めそうだなあ。
ところで、加藤典洋の「一冊の本」(朝日新聞社)の書評
(スプートニクの恋人、センセイの鞄、取り替え子…)はいつ本になるのですか?
大江氏の場合問題なのは、氏の小賢しい処世術と創作活動が密接な関わりをもって
いることである。筒井康隆が断筆したとき大江氏は批判がましいことを書いていたが、
この人は日本に新聞が彼に関する批判を書けないことをどう思っているのだろう。
例えば、ある評論家がノ
ーベル賞授賞式の大江氏を描写した「満面の笑み」という言葉が、某大新聞には筆者に何の断
りもなく削除されてしまう。差別だの表現に自由だのの問題以前である。そうした庇護を当然と
思っているのかは分からないが、右翼から抗議を愛けた作品の文庫化を自分から拒否できるの
も、その程度の作家性しか持たないせいだろう。いずれにしろ、欲しくて欲しくてたまらなかった
ノーベル賞を手に入れて、その記念講演で「あいまいな日本の私」とは、皮肉でなく優れた自己
批評であり、大江氏の作家としての幕引きとして最良のものであったことは間違いない。
【「わがテレビ体験」大江健三郎、「群像」、昭三十六年三月号】
結婚式をあげて深夜に戻つてきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、
スウィッチをいれる、画像があらわれる。
そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、
ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、
そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る……。
このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、
自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というような
とりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。
【「厳粛な綱渡り」大江健三郎、文藝春秋刊、昭和四十年】
北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。
ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、
それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて
自分および自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。
逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が
熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。
ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかず
にはいられない。
北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、
南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。
日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。
しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけら
れているのでない。
コピペウザイ
867 :
吾輩は名無しである:02/12/17 16:06
大江は在日2世だよ。
868 :
吾輩は名無しである:02/12/17 17:09
裏工作でノーベル賞を取るところなんか金大中と同じだな。
869 :
吾輩は名無しである:02/12/17 20:43
大江を非難する人たちの知的レヴェル
(あるいはちょっとしたセンスでもよいや)
の向上をせつに願うよ。
読み手が、書き込みした当人への
率直な憐れみの感情を抱いてしまうような無惨なレスばかりでは
詰まらないからね。
870 :
吾輩は名無しである:02/12/18 00:16
↑チョンが必死だな(w
今思ったが、朝鮮人は日本人を差別する時、なんと呼ぶんだろうか?
872 :
吾輩は名無しである:02/12/18 00:21
>>871 _ -..::::::::::::::::::::::::ヽ、
/:::::::ヽ:::::::::::::::::::::::::::\
/::::::::::/~ ̄ ̄ ̄~ヽ::::::::ヽ
/::::::/ \::| _______
|:::::/ '⌒` '⌒ヽ |/ /
.|::::::| \ / | |
|,/ヽ |`! < 「チョッパリ」だと思うわけですね。
.| | < _ > |/ |
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\ \⌒/ ./  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| \  ̄ /
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昭和38(1963)年11月22日、垠殿下と方子妃は大韓民国
に帰った。皇太子として11歳で故国を後にして実に56年が
経っていた。ベッドに寝たままの殿下は、そのまま病院車に乗
せられ、ソウルの聖母病院に直行した。ちぎれるように手をふ
る出迎えの人並みも、目には入らなかった。たとえ一歩でも半
歩でもいい、殿下の足で故国の土を踏ませたかった、と方子妃
は切ない思いをした。
当時の韓国では、李承晩大統領の12年間におよぶ排日政策
の結果、反日感情が横溢していた。小学校から、中学、高校と
反日教育が施され、「電信柱が高いのも、ポストが赤いのも、
みんな日本が悪いとされる」と揶揄されるほどであった。
方子妃が勝手が分からずに、使用人にまで丁寧に頭を下げる
と、たちまち非難の的になった。「チョッパリ女出て行け」な
どと罵倒されたこともあった。チョッパリとは豚足のことで、
足袋で草履を履いた足はブタのひづめと同じだというのである。
人を貶めることでしか自分の誇りが保てないのなら、それは情けないよ。
自分が間違ってないなら、もっと堂々としてなよ。文学版なのに、自分の言葉を
もたないでこれだけ執拗に繰り返す。チョンとかでかたずけるなよ。
大江の小説をほめている奴は皆、売国奴か?そういうことではないだろう?
蓮実や柄谷や浅田や高橋源一郎や中上健次らも売国奴か?チョンという差別用語
ですますつもりか?
自分の価値判断に疑いを持ってよ、頼むから。同じ日本人として恥ずかしいよ。
いまさら言っても聞かないと思うけど、一縷の望みをかけて。
ああ、どうせやるんだろうなあ。
大江健三郎は、『万延元年のフットボール』を最後に
僕から消え去った。
876 :
吾輩は名無しである:02/12/19 22:29
「取替え子」読みました。ラストの方で、涙が出てきました。喫茶店で読んでいたので、
チト困りました。大江の父は、本当に銀行を襲撃したのですか?大江の父は、左翼ですか?
ドキュンな質問で、すみません。
親の因果が子に報い.
>>876 手元の年譜によると、大江の父好太郎は昭和19年、敗戦の前年に
亡くなっています。銀行襲撃の話は「みずから我が涙をぬぐいたまう日」という
中篇で描かれたフィクションです。『新しい人よ眼ざめよ』に収められた
「鎖につながれたる魂をして」の中で大江は父親の思い出をより私小説的な
やり方で語っています。それがどの程度真実に近いのか、小説家の書くこと
ですから本当のところはわからないですけど。
881 :
吾輩は名無しである:02/12/20 20:22
>>878 レス、有り難うございます。フィクションですか。そうでしょうね、いくら何でも。
『新しい人よ目覚めよ』も読んだのですが、また読み返してみます。
確か、大江の父は憲兵?から屈辱的な目に遭わされながらも、反抗していた場面があったような……
丸山の死亡記事(朝日新聞)のわきに、大江健三郎のコメントが載っていた。これ
には笑ってしまった。このコメント(発言記事)だけが、きわめて印象的である。
新聞の追悼文は、次のように結んであった。
文化勲章の辞退のことで苦しかった時、先生から励ましの手紙をいただきまし
た。そこでの、現実派知識人への上品な軽侮が愉快だったことも思いだします。
ここで「現実派知識人」とは、自民党支持の保守派の言論人総体のことを指している
のだろう。そうすると、それとの対比で、丸山や大江は自分たちのことを、「理想派知
識人」だと考えていることになる。何の理想か?人類のあるべき理想か?大江のこ
の肚のすわった居直りに近い発言が、気に入った。丸山は大江と同じで、最後まで反省
しないで、反体制、反保守、反資本主義を貫く気だ。彼らリベラル派の日本知識人は、
反省なんかしないで、自分の足元の現実が、ずいぶんと意に反したものになってしまっ
たとしても、あくまで、旧来の自分の主張を貫いて、一貫するしか他にないのだ、と私
は思った。八〇年代に入ると、福田恆存が創始した「進歩的文化人」という言葉でひと
くくりにされ、軽蔑され、批判され、揶揄される時代になった。ソビエト・ロシア(ロ
シア・マルクス主義)=ソビエト帝国が滅んだのが九一年八月で、それから五年が過ぎ
て、反体制・反保守派は、社会全体からすればずいぶんと旗色が悪くなりつづけた。し
かしそれでも、朝日新聞(発売部数六百万部)に表われるごとく、こんなにも丸山たち
はまだまだ強い。私のような、「負け組」(やっぱり自分は間違っていたな、負けだっ
たと率直に認める考え)は、少数派であって、ほとんどは、ダンマリを決めこんで、日
本敗戦直後のブラジル日系人の「勝ち組」と同じく、まだ反保守のままである。どうや
ら「反体制」であることはやめたようだ。従来どおり反資本主義ではあるが、何を次の
信念の柱にするかは見つからない。そういう現状だ。
丸山は、日本知識人の中では、ずばぬけて頭は良かった。丸山は、西欧政治思想が理
解できた珍しい日本人だ。だから、きっと西欧の近代思想家たちの伝統の方に逃れ出
て、そこを自分の柱(依りどころ)にして、生きたのだろう。即ち、丸山は知識・学問
伝統主義者だ。権力者や支配者を批判するヨーロッパ知識人の伝統に乗っかって行くと
決めたのだ。その丸山の本を読んで、それに頭の中だけ(生活は別だ)持っていかれた
者たちは、後に放ったらかしにされた。丸山のファン(信奉者)とは即ち、棄てられた
知識大衆だ。敗戦直後にファシストや天皇に棄てられたのも知識大衆だった。戦後、左
翼思想にしがみつき、のめり込み、そして、それに棄てられて、ろくな人生をおくれな
かったのも、知識大衆だ。自分を知識層だと勝手に思い込んだ大衆だ。数十万人の特殊
な大衆たちだ。結局、大衆であることに変わりはない。その代表は、公立学校の教師の
ような連中である。彼らが懸命に読んだのが丸山や大江の本で、丸山も大江も、つま
り、人だましが上手な言論商売人だった。副島隆彦『日本の秘密』
大江は己の罪を恥じて、潔く自決すべきである。
罪を恥じて死ねというんなら、ただの一人も残らんな、真の作家は。
生き残るのはくだらん馬鹿ばかりだw
在日60万人、韓国系金融機関に1兆6000億
北朝鮮系金融機関に1兆4000億円 公的資金投入
合計3兆円。
在日朝鮮人1人あたり、500万円
4人家族なら、2000万円のプレゼント
日本の
失業対策費 4200億円
中小企業対策費 1900億円
日本人の年間自殺者数 3万人以上
(イスラエルとパレスチナの戦闘・テロ犠牲者の10倍以上)
887 :
吾輩は名無しである :02/12/26 15:31
二百年の童子は新聞連載ってホントですか?
読売新聞。
朝読んでてびびった。
子供向けファンタジーらしい。
「生涯にただ一つだけ書くファンタジー」なのだそうだ。
889 :
吾輩は名無しである:02/12/26 22:05
読売文芸部の尾崎真理子記者は大江に股をちょくちょく開いていたらしい。
それで大江も嫌いな読売に連載をしなければならない羽目になったとのこと。
はめ過ぎてはめられた?
なんか…
知能指数低いにもほどがある書き込みだなそれ…
精薄でももうちょっとマシな書き込みするだろうな
891 :
吾輩が名無しである :02/12/27 09:07
「憂い顔の童子」を図書館でゲットー!
平野の「葬送」はどうでもいいとして、春樹の「海辺のカフカ」も早く
ゲットしたいのだが、借り出し予約殺到らしく、未だに見かけない。
買え! とか言わないでね。文庫はたまに買いますが、単行本はいつも
図書館のお世話になっているのです。テヘ
「憂い顔の童子」はまだ第1章を読んだだけ。正月にゆっくり読むつもり。
ここまでの感じでは、「燃え上がる〜」の文体に戻ったような気がします。
「北朝鮮の青年の未来と希望の純一さ」は、「南朝鮮」の青年達が疑い、
嘲笑したように、今日の破局の中に失われて
しまった。大江氏がこれだけ思い入れをした「老いた美しい朝鮮の
婦人」や、「希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわっ
た生きかたを始めようとしている青年」達は、今や住む家も洪水に
流され、食べ物も自由も希望もなく、ただ餓死を待っているであろう。
そうした北朝鮮の惨状について、大江氏はどう考えているのだろ
うか。大江氏が昔の自分の文章を覚えているなら、自らの不明を恥
じて、読者にお詫びをするとともに、自分の見通しがなぜ間違った
のか、思想的にきちんとした反省をしなければならない。それをし
ないこの人は言論人としての資格はない。将来も、また同じような
過ちを繰り返すのみである。
また上記の熱のこもった文章が、単なる共産主義かぶれの若気の
至りではなく、北朝鮮の人々への真実の思い入れだとしたら、自ら
率先して、北朝鮮救援活動を始めるか、ノーベル賞の賞金を北朝鮮
救済の資金として提供する位の事はあっても良いのではないか。大
江氏は、昨年は米国プリンストン大学で静かな研究生活を送ったよ
うだが、現在は別の意味で「帰るべき朝鮮がない」のだろうか。要
はつねに人事なのだろうか。
飽きないねコイツ
ウンザリ
894 :
吾輩は名無しである:02/12/27 15:44
あんな反日小説書くゴミ爺は逝って良し♪
クソ顔の童子うちの学部(慶応法)の奴に借りて読んでみたけど
平和・非武装のクソ思想しか書いてないw
しかもクソチョンに謝罪しろとかいってるし(プププ
小説もゴミ爺もゴミ信者もゴミ(藁
愛国的な三島の金閣寺とかのほうがずっと教養あるよ、不潔サヨンボどもがwww
大江健三郎は愛媛の恥
大江健三郎は、とかく愛媛ではヒーロー扱いされているが、困った風潮だ。
氏は、ノーベル賞を受賞した後、国家の文化勲章を受けるのを拒否した。
「国がらみの賞は受けない」と辛辣なセリフを吐いて。
続いて出身地である愛媛県の県功労賞も蹴った。県職員を門前払いした。
どうやら大江には愛郷精神というものまで欠けているらしい。
本音は、「ノーベル賞をとった後にそんなローカルな賞を受けられるか」なのだろう。
その後は、中国で「石原都知事を選んだ東京都民を恥ずかしく思う」などとのたまう始末。
自分の見識に基づいて石原氏を選んだ東京都の人々を馬鹿にする発言で、
何様になったつもりなのだろう。
われわれ愛媛県民は、こういう人物を祭り上げるのをやめるべきである。
小説『坊ちゃん』で松山のことをボロカスに言った漱石と同様に。
896 :
吾輩は名無しである:02/12/27 18:17
郷土愛にあふれる作家の小説なんか読みたいか?
愛国精神溢れる三島だって社会への批判で満ちあふれていただろ
昔から文学とは基本的にカウンターカルチャーだべ
才能がないから媚を売る以外に郷土愛なんてもんはいらんと思う。
あとはその主張が自分に合うか合わないかというだけで
そこの論点をすり替えるような批判は脳みその質を疑われるな
897 :
吾輩は名無しである:02/12/27 18:19
>>896 民族意識の形成には文学が欠かせなかったことぐらい自明だろうに。バッカじゃない。
898 :
吾輩は名無しである:02/12/27 18:22
それも最初は現体制への不満からだべ
保守である必要はなかたですたい
要はブンガクの批評に作家の政治的指向なんかなんの関係もないという話
板違いだっつーの
サヨにだって三島の文学の素晴らしさは受け止められるし
その逆も当然ということ
そこを偏見でねじ曲げる様な人間は文学板に来る必要はないと言ってる。
「憂い顔〜」読んで
>>894のようなことを言う人間に本読みはつとまらんでしょ
どこを読んだんだと言いたい。
最初から貶すつもりで読んでたら内容なんてわかってないんだろな。
コヴァ厨房いちいち相手にスンナ
>>899 大江自身が作家は政治的であるべきといってるんだから
政治的立場を切り離して論じるのは難しいじゃないかな。
902 :
吾輩は名無しである:02/12/28 02:06
でも尾崎真理子は男性作家を次々くわえ込んでいるらしい
最近は平野敬一郎を狙ってるとさ
>>901 ま、作家論と作品論は、分けろ。見にくいし、醜い。
作家論を語るにせよ、大江のスタンスはどうで、それが文学に反映する仕方は
こうで…云々、となるのが本当で、「自分は好きだ」の「キライだの」
「イイ」だの「よくない」だの…と、
無名厨の好みを書いても何にもならん。論でも何でもない、井戸端会議。
それでも、匿名掲示板を利用するしつこいプロパガンダヤシよりはマシだが。
作家家業の他に社会と接点を持たないからこんな極端な思想になっちゃうんだと
思うんだよな大江君を見てると。
>>904 2ちゃんしか知らない厨だと、それしか胃炎罠w
なにが極端かもワケわかめ貝?w
906 :
吾輩は名無しである:02/12/28 10:05
もはや右翼でもなんでもない単なる構って君だから無視で。
野村勝美:2002.07.03
大江健三郎氏のレジオン・ドヌール勲章授章を考えてみます。大江氏
は自らを、「私は戦後民主主義者である」と公言するノーベル賞文学者
です。彼は「文化勲章」を拒否しました。「戦後民主主義」なるものの定
義を私は知りませんが、印象的には戦前戦中の日本を「全面悪」と捉
えている人たちのように思います。
さて、レジオン・ドヌール勲章はフランスの、民間人に与えられる最高
の勲章だそうです。やるのも受けるのも勝手です。ノーベル賞について
も、やるのも受けるのも勝手です。我が「文化勲章」を拒絶したのも、勝
手です。「文化勲章」は日本国民が最高の栄誉としているものですが、
それを拒絶する大江氏の理由は、「僕は戦後民主主義者、国家の勲章
は受けない」ということであると伝えられました。根底に、氏の長年の発
言から、1.日本の戦争責任,、2.反皇室
があると想定できます。「悪いもの」からの勲章は貰えない、ということ
でしょう。反「日の丸」、反「君が代」、反「核」の人です。そのこと自体を
非難する積りはありません。私が嫌うのは、この方面の人たちの得手
勝手な論理です。一般的にダブル・スタンダードといいます。
レジオン・ドヌール勲章は明らかにフランスの国家としての勲章です。
価値の源泉はそこにあります。
シラク・フランス大統領は11日夜、パリ郊外で行われたサッカー・フランス
カップ決勝戦を観戦しました。
試合開始前の国歌ラマルセイエーズ演奏の際に一部サポーター
が口笛を吹いたのに対し、「フランスへの侮辱」と激怒、退席したそうです。
大江さん、あなたに勲章を授ける人物は、こういう(すばらしい!)男ですよ。
「君が代はキライだけど、ラマルセイエーズは好きですか?」
フランスは「核兵器」保有国です。最高レベルの原子力発電実施国で
す。かつて多くの植民地を持ち、アルジェリアにおいてもヴェトナムにお
いても、苛烈な政治を行いました。第2次世界大戦後日本軍が撤退し
た後に、インドシナの再植民地を目指してインドシナ戦争を起こしたフ
ランス。北アフリカの植民地を弾圧によって維持しようとして起こったア
ルジェリア独立戦争。第2次中東戦争(スエズ戦争)で英国と連合して
エジプトに派兵してアラブ諸国と戦争したフランス。世界中の反対を押
し切って南太平洋で水爆実験を続けたフランス。
その国の勲章は受けるけれど、わが日本の勲章は受けられないという。
大江さんが文化勲章を拒絶した理由のすべてがより強く、
レジオン・ドヌール勲章には含まれています。それ
を、片方は断り片方は受けるとすれば、論理を整合させるには一つの
根拠しかありません。
日本(日本人)をバカにしている、のです。
子供のための小説を書くと前々から言っていたので、それをとうとう実行に
移したわけだな。そのためにも購買層の多い読売新聞を選んだ。
読まないまでも(読めないまでも)眼に触れる機会は多くなるわけだから。
個人的には子供のためといっても、大江読みにも納得のいくすごい作品を期待したい。
『憂い顔の童子』にも予告めいたものがあったね。
910 :
吾輩は名無しである:02/12/29 13:01
おおえおたきもい
大江オタなんかいるのか?
おちけつ おけちつ ん?
とにかく政治ヲタは、要らん。
てめぇがコピペでくっちゃべるほど逆効果だということをわかれw
トコd阿呆じゃないなら、消えれ。>繰り返しコピペしか脳無し馬鹿
野依良治名大教授のノーベル賞の受賞式に、歴代のノーベ
ル賞受賞者も出席していた。その中に、「あの」大江健三郎の姿が・・・
有名な話だが、大江は、ノーベル賞受賞に際して、日本政府
から文化勲章を受ける話を断った。理由は、「国家から表彰
されたくない。皇室からもらいたくない」だった。
文化勲章を否定すること自体は、同じ日本人であることに恥
入るが、思想の問題だから、別にどうこう言うつもりはない。
しかし、だったら、どう考えてもノーベル賞も辞退すべきだろう?
なぜなら、ノーベル化学賞は、スウェーデン王立科学アカデミ
ーが国を代表して選定する。授与するのは、スウェーデンの
グスタフ国王だ。
国家が関与し、王室が授与するという点では、文化勲章も、ノ
ーベル賞も同じである。文化勲章がイヤなら、ノーベル賞だっ
ていらないというのが当然である。
大江は、それはしない。その理由は何だろうか?
日本人のくせに欧米の視点に立ち、日本をバカにしている
か、一億円以上の賞金に目がくらんだか、どっちかだろう。両方か?
大江がノーベル賞を受けたことにも腹が立ったが、その後の
記念講演も聞いていて呆れたことを思い出した。日本がイヤ
なら、さっさと心のふるさと中国か北朝鮮に行けばいいものを・・・
そして、今また、性懲りもなくスウェーデンに呼ばれてのこのこ
出ていく彼の気が知れない。「国家の指図は受けない!!
いちいち出ていけるか!」くらいのことは言えないのか?
恥知らずとは、彼のためにある言葉だとすら思う。
↑
よくわからん
大江は反右翼ではあっても
アナーキストじゃないだろう
馬鹿?
915 :
吾輩は名無しである:02/12/31 16:35
ようやく読み終わった。俺的には駄作。『個人的な体験』とかの初期の作品の方が、もっと訴えかける
ものがあった気がするのは俺だけ?
確かに伊丹十三の自殺は彼の人生を大きく揺さぶったんだろうが、『取り替え子』『憂い顔の童子』は
それらの初期の作品とは違って、自分自身の昇華のためだけに書いてるって感じがする。
もちろんそうした行為・作品を完全に否定できないが、この二つの作品から、人生を大きく揺さぶられる
読者の数と、『個人的な』のような初期作品から、大きく揺さぶられる読者の数、どっちが多いかを
考えると、圧倒的に後者だと思うんだが。
『憂い顔の』は『取り替え子』よりはまだマシかも。だが、なんだか、自分や自分の作品をよく知る
deep な愛読者と、大江自身とに向けて大江が自己完結というか自慰行為というかのために書いてる
って感じがしてならない。大江のセルフスパイラルつーか・・・・
個人的に、引用ばっかの文章は読みづらいし、その内容も文学文学したものばっかりで、いったい
どういった読者を想定して書いてんのかなぁと甚だ疑問。『ドン・キホーテ』になんて全然興味のない
俺には、『ドン・キホーテ』が出て来るたびに、最後の方はいい加減にしろよ、と思ったよ。
たまたま『取り替え子』を飛ばしてなくてよかったよ。危ないところだった。
大江健三郎は今から44年前、防衛大生を「恥辱だ」と言い、ワシントンで「自衛隊
全廃論」をぶった。「中国や朝鮮半島の人民たち
と協力して、自衛隊の全廃を目指さなければならない」と主張した。まったくも
って意味不明である。自衛隊を廃止するのに必要なこ
とは、防衛庁設置法と自衛隊法の改正である。中国人や韓国人の助けなど要る筈
がない。
戦前の日本のことを「破壊への狂信が、国内と周辺諸国の人間の正気を踏みに
じった」と表現している。アブノーマルな日本人が
アジア諸国を侵略したという非難である。だが言うまでもなく、イギリスはイン
ドを、オランダはインドネシアを植民地にし、搾取の限りを尽くした。
一方、台湾では、日本の手によって学校が作られ、近代的な社会制度が整えられた。
西欧と日本の大きな違いは、日本の植民地経営だけが赤字であったことである。
大江は、西欧がやったことに目をつむり、自国のことにだけ非難を浴びせている。
何よりあきれることは、広島、長崎への原爆投下は日本人に責任があったとい
う主張である。ちなみに、このアメリカの犯罪を正当
化させるためにデッチ上げられたのが南京大虐殺である。大江は、すべては日本
が悪かった、以後這いつくばって生き
てまいります、と世界にメッセージを発している。
大江は、祖国である日本の国家を、そして同朋である日本国民を貶め、蔑み、
罵った。大江は、反国家、反天皇、反日
本、反国民、の言説を弄している。日本国民を見下して軽蔑して、1人自分だけ
を別格とし、己だけ
を高しとしている。大江は反日的日本人である。
しかし、なぜ「天皇制」を打倒しなければならないのか、国内に対しては露骨な
言い方を避ける。堂々と自分の考えることを日本国
民に訴えつづけていたのではない。当て擦り、嫌がらせ、ほのめかし、からか
い、唇をゆがめたような皮肉に終始している。後で言い
逃れできるようにはっきりと責任ある議論をしなかった。それでも、たとえ間違
った考えであったとしても、自分の考えることを堂々と
声を大にして国民に訴え続けたのであれば、毅然とした確信犯とみなすことがで
きるのだが。だが、海外では決定的な表現を使う。
口を極めて、露骨に日本や日本の歴史や日本国民を論難し、罵倒し、弾劾した。
外国人に対して日本人がいかに駄目であるかを縷々と述べる。この態度は卑屈
という一言に尽きる。自分を国際的に売り込むた
めに自分の祖国を叩き売る。外国から拍手喝采されるために、祖国にいわれなき
非難、攻撃を加えた。そこには、国民としての誇り
のひとかけらもない。皇室や自衛隊など批判するものに向かってこないものに対
しては限りなく冷酷に非難、攻撃の刃を向ける。他
方、まかり間違えば痛烈な批判の矢が飛んでくる恐れのある対象には絶対に悪口
を言わない。大江健三郎は卑怯である。大江健三郎は卑屈である。
大江健三郎は醜悪である。
オオエがノーベル賞を受賞した理由について、スウェーデン王立アカデミーの
発表。「大江氏の作家活動は、日本における悪魔払いの行為」。
祖国を悪魔扱いして、外国に誉められてはしゃぐ。ただのハレンチである。
918 :
吾輩は名無しである:02/12/31 18:44
>大江のセルフスパイラルつーか・・・・
これを楽しめないでどうする!
漏れ的には大江は今絶頂期!崩壊しそうでしないってずっといわれてたけど
ついに崩壊が始まったのが現在の大江。これから5年は目が離せん
漏れも漏れも。
死の影が増すにつれ凄みがあって
死ぬ直前あたりがものすごそうなので期待だ。
川端の書いた「死のような緑」という感じの瑞々しさだ。
初期のはやっぱ物語っていう気がするんだよなあ。作者と語り手に距離がある
というか…。本気で書いてないとは言わないよ、作り物として相当なものだと
思う。
でも、現代ってすごく物語を作ることが難しくなってしまっていて、大江もそ
れでずっと悩んで模索し続けてきた。いまやろうとしていることは大江なりの
答えの出し方なのだと思う。
私小説がいいというわけでもなくてね。
諦念じゃなくて、文字通り死にもの狂いで書いているところが俺にはコタえた。
大江健三郎氏は、「あいまいな日本の私」と題したノーベル賞記
念講演をストックホルムで行った。そこには次のような一節がある。
広島、長崎の、人類がこうむった最初の核攻撃の死者たち、
放射能障害を背負う生存者と二世たちが--それは日本人にと
どまらず、朝鮮語を母国語とする多くの人びとをふくんでいま
すが-ー、われわれのモラルを問いかけているのでもありまし
た。
「核攻撃の犠牲者たる日本人が、なにか特別のモラルを持たなけ
ればいけないそうだ。投下した者のモラルは問わないわけである。
」とは、谷沢永一氏の評である。これが国際常識であって、大江氏
のもってまわった言い方と、その非常識な内容とでは、聴講者は何
を言っているのか、分からなかったであろう。内容は単に50年前
の東京裁判史観とマルクス主義史観であり、その後の歴史学の進歩
などは、まったく省みられていない。
大江氏の思想は、1950年代の冷戦時代から一向に深化していない。
それがそのまま化石のように残されているのは、本人のIntellectual
Dishonesty と、それを覆い隠すもってまわったあいまいな文体の
故である。この講演は「あいまいな日本の私」よりも「日本のあい
まいな私」と題すべきものであった。
922 :
吾輩は名無しである:02/12/31 23:57
>>918 > >大江のセルフスパイラルつーか・・・・
> これを楽しめないでどうする!
> ついに崩壊が始まったのが現在の大江。これから5年は目が離せん
いや、その楽しさは判るのよ。でも、大江をまとめて読んだのは10年前、その後は新作をぽちぽちと
追って来ただけの俺 (ってある程度の年の読者なら案外典型じゃない?) には、あーこいつは
自分の文学を外に向けてじゃなくて自分の内、内へと深耕させちゃってるね、と何度も読むのを抛棄
させようとしたような内容なんだよね。そんな本を、ノーベル賞作家の最新作だからとたまた手に取った
高校生や大学生が通読できると思う? 『続・取り替え子』としてならこれでいいけど、なんか大江は
作家としての、大衆への努めを抛棄しちゃったって感じがするね。
大江くらいの技術がある人なら、初めて彼の作品に触れる人への寛容さを兼ね備えた物が書けた
はずじゃないかと思うね。
>>906 >もはや右翼でもなんでもない単なる構って君だから無視で。
完全同意。
>>922 >作家としての、大衆への努めを抛棄しちゃったって感じがするね。
「文壇での大江の孤立は空恐ろしくなるものがある」ってだいぶ前に筒井康隆が
書いていたが、そう考えるとそれは結果の方じゃないかな。
つまり、そうならざるを得なくなった。元々社交的でも器用な人でもない。
その前に大江って左よりの人からも、すっかり馬鹿にされている存在になっていたし
今や戦後民主主義をたたくことがスタンダードになってるから。
誰も殴り返してこないしw
突然だが予言です。今年は大江の年になります。
つーか俺が今読み返してみようかナと思っただけですが。
漏れはすでに読み返しはじめてる。「芽むしり」おもしれえなあ。
先は長い。
あけおめー。
大江健三郎『言い難き嘆きもて』評
(2002/01/05)
大江健三郎さんは昨年から、つまりアメリカから帰国してからというもの、テレビや新聞での
発言が大変多くなった。ニュースステーションにも出演したし、正月もNHKで若者たちを前に
「いかにすればテロがなくなるか」ということについて御説を語っていた。その発言の大半は、彼
がその文学活動の中で政治的なスタンスとして保持してきた「戦後民主主義」の擁護に当たっ
ている。
この、『言いがたき嘆きもて』もその流れの中で書かれたエッセー集である。
帯には「ノーベル賞作家の魂の叫び」と書いてあった。購読者の目を引くための帯にいちいち
文句をつけても始まらないが、この本にあるものはそんなものではない。
この本には大きく二つのことが書かれている。ひとつは、混迷の時代にあって彼の師匠である
大仏文学者・渡辺一夫氏譲りの、人間に対する基本的には希望的なヒューマニズム(フランス
語だからユマニスムというべきか)の継続。もうひとつはここ十年ほど日本を覆っている、「右」と
か「ネオナショナリズム」という言葉で表現される「反戦後民主主義的」なものへの耐えがたい嫌
悪感である。
僕も大江さんから見れば「右」とか「ネオナショナリズム」といわれる部類に入るのだろう。僕は
決して大江さんが言うように、人命を軽視しているわけではないし、安易に国家主義に走るつも
りもないが、それでも「反戦後民主主義的」ではあり、それを嫌悪されるのならば仕方がない。
実際、嫌悪の度はすさまじいものである。たとえば、丸山真男氏の死に関する次の二つの文
章。
若い批評家は、丸山氏の側に立って?つまり現代世界の普遍性に結んで?
「虚妄」という言葉の深みをのぞいてみようとはしない。丸山真男氏の世代から
私の世代を経て、若い彼らの世代へと、共通の言語をつなごうとする知識人の
努力を、彼は放棄する。無知と、半ば意識的な誤解によって道を断ち切ること
で、自分らの言説の響きに空元気をつけるのみだ。近来の、新ナショナリストの
言論に共通の弱さ、アンフェアの特色を示していると思う。(p.27)
内村(鑑三)を「小慷慨家」とあざけり、「国家は実在す、空想にあらざるなり」
と天晴れリアリストを以って任じた(高山)樗牛らの立場と、彼によって「腐儒詩
人の空想」と嘲罵された内村の立場と、いずれが果たして歴史の動きをヨリ正
しく指していたか。(中略)いまはもう老年に入った私の、感慨がさらに複雑にな
るのは、戦争の悲惨の経験によって日本人がそれを乗り越えたと丸山(真男)
のみなした国家主義が、今日、高山樗牛をマンガ化したマッチョとでもいう思い
入れで若い人たちのうちに復活しているからです。(p.186)
大江さんは小説家だから当然なんだけれども言葉づかいは慎重かつ丁寧だし、そこが大江
文脈の真骨頂でもあるのだけれど、彼が「空元気」「アンフェア」「嘲罵」「マンガ」「マッチョ」とい
った激しい、唾棄するような言葉づかいをするのは珍しい。それほど彼は昨今の「反戦後民主
主義」的な動向を嫌悪しているし、否定したいのであろう。
それはご自由に、である。
問題は、彼が自分の単なる嫌悪感を、普遍的な高みにたって高尚なものに仕立て上げている
ことだ。上の文章だって、何も前提がない状態で読めば、「どうして僕たちがつないできた言葉
を君たちは聞こうとしないの?それはよくないよ」「内村鑑三は国家主義を否定しました。高山樗
牛はリアリストでした。それで歴史の流れを見ると高山のリアリズムで戦争に負けました。ほ
ら、内村のほうが正しかったでしょ。だから高山はいけません」という子どもっぽい議論にしかな
っていない。
この議論を高尚なものとして彼に書かせているのは、自分たちは普遍の側にたっている、自
分たちは正しい側にいるのだという自信だ。しかしその根拠は「歴史の流れが正当性を証明して
いる」というだけの、まったく薄弱なものである。そんな薄弱な論拠から「普遍性」というとんでも
なく困難な代物を(例えば昨日書いた『トランスクリティーク』を読んでいると、それがどんなに困
難な代物かだけはわかると思う)引っ張り出そうとするのは傲慢なのではないか。
僕ら若い世代が、「反戦後民主主義的」になっているとすれば、それは国家主義というよりも、
われわれが子どもだったころまで赤旗を振って真顔で反戦運動をやる大人たちが主張していた
「戦後民主主義」のもつ傲慢さ、そしてその傲慢さがもたらした結末への反感である。
そもそも、われわれ(日本人、である)はいつ「国家主義」を乗り越えたのか。いつ普遍性の高
みに達したのか。大江さんはこう書く。
私が被爆者たちの生涯から学んだのは、個人としての災厄の自覚に始まっ
て、日本人としての、と展開する被爆の受け止めが?確かにその段階までは
ナショナリズムと通うところがあったとしても、「時」を経て、人類レベルの普遍
性に昇華していることによってである。(中略)その普遍性の獲得は、被爆者た
ちの核廃絶への運動を、アジア侵略への積極的反省とも結びうるものとした。
(p.30)
私は日本の新ナショナリストたちの「自虐史観」説にあるひ弱さに対して、広
島・長崎の被爆者たちの「時」に鍛えられる誇るべき強さ、普遍性を示したい
(p.32)
僕自身長崎に生まれて、子どものころから多くの被爆者と接する機会を持った(いや、持たさ
れた)から、被爆者たちの個人的災厄がどれほど悲惨でその後も含めて辛いものであったか
は重々承知している。また、アジア侵略の犠牲となった人々の話も大学時代にたくさん聞いた。
僕はナショナリストであるが、ネオ・ナショナリストの一部の人たちが言うように「アジア侵略は解
放戦争であり、何にも謝る必要はない」というほど厚顔無恥ではない。朝鮮・台湾・中国への強
圧的政策の中で住民が蒙った犠牲を思うとき、顔を赤らめずにすむ日本人がどれほどいるだろ
うか。そのことが十全な解決に至っていないのも承知している。
しかし、である。僕が何を嫌悪するといって、子どものとき、被爆者の話を聞く機会を持った
(持たされた)あと、それを主催した左翼系の大人たちの「ほら、聞いただろ。だから戦争はいけ
ないんだ」という顔ほど嫌なものはなかった。犠牲になった人たちの心痛、それは一応同じ人間
として、いわば「普遍的」にシンパシーをもてる。けれども、犠牲者の個的体験を借りて、己は犠
牲者でも何でもないのにあたかも犠牲者に成り代わって俺が普遍性を主唱するのだ、俺は犠
牲者から話を聞いて普遍性に達したのだ、という連中の傲慢な心理には我慢がならない。被害
者宅に押しかけ、いかにも悲しげな表情を作って加害者を大袈裟に糾弾するワイドショーリポ
ーターと心根としては変わらない。
そして、「戦後民主主義」を支えてきたのはそんな連中なのである。
もし大江さんの上の文章で、普遍性を「獲得」したのがわれわれ戦後の日本人だというのであ
れば、それははっきり言って傲慢だ。被爆者自身とアジアの犠牲者たちとの連携も存在する
が、それは同じ戦争犠牲という紐帯によって結ばれているのであって、その悲しみを借りて普遍
性を主唱することは偽善あるばかりか、犠牲者への冒涜ですらある。
個的体験がそう簡単に普遍性に昇華されるものではないことも言っておきたい。朝鮮人や中
国人をいまだに蔑視する被爆者は少なくない。かつてアメリカの核疑惑艦が長崎に入港したと
き、被爆者団体の幹部は艦長が平和祈念像前に置いた献花を公衆の面前で踏みにじった。当
然の心理である。だがそれは平和団体の「市民運動家」たちの厳しい非難の的になった。なぜ
か。「運動家」たちが普遍的な正義と信じる信条から見てインコレクトだったからだ。普遍性に立
つ彼らは決して被爆者の心の奥底に耳を傾けようとはしない。
あるいは、朝鮮や台湾、中国大陸で、日本政府の無法な政策とは別に、個人的なハートから
現地の人々に尽くしいまだに顕彰されている日本人もいる。彼らがネオ・ナショナリスト系の言
論の論拠として使われているのは承知しているが、個的体験という意味ではどちらも変わりが
ない。一方を正義に、もう一方を不正義にしているのは日本が戦争に負けたという政治的な理
由であり、ポリティカル・インコレクトネスによって一方が封印されているだけだ。
そんな政治的に左右されるものが「普遍性」とはちゃんちゃらおかしい。ましてわれわれが普
遍性を獲得したコスモポリタン面して出かけていったところで、当面の間われわれは「日本人」
である。外国人はそうしか見ない。のっぺらぼうのコスモポリタンでは戦争責任も戦後賠償もあ
りはしない。もしかして、「僕はもう日本という国家的なものに束縛される段階は超越しちゃって
いるんですけど、でもまあ、ご先祖さんたちが悪いことしちゃったんで、その点については謝りま
す」とでもいうのだろうか。
あなたたちがどう思おうと、所与条件として国家は個人に張り付いている。国家的なものを否
定するのは自由だが、その戦略は国家というものがいまだ有効な現状を前提としてはじめなけ
ればならない。
そんな状況にあって、誰が「国家主義を乗り越えた」というのであろうか。
こう見てくると、大江さんの嫌悪感ばかりが目立つ。
脳梗塞をわずらい、妻を失った江藤淳氏の自裁を「センチメンタルな甘え」と断じ、「現に脳梗
塞を乗り越えてリハビリテーションに励む人たちに無礼じゃないでしょうか?」と言いながら、伊
丹十三氏の自殺を『神曲』を引用して悼むというのは、かたや終生の論敵、かたや終生の友人
にして義兄という関係がもたらした「アンフェア」としか思えない。あるいは、
そこで私は、迫ってくる老年についても、アジアの先行きへの不安について
も、環境、人口、資源のどの課題についても、明らかに進行する悪いときを引き
受けるつもりで生きよう、と自分に言うのです。(中略)さらに悪いときは必ずや
ってくる、しかし、その到来をいくらかなりと先のほうへ押しやろうというのが、あ
りていに言えば、世紀末から次の世紀にかけての、人類の基本的な態度では
ないでしょうか?(p.73)
なお彼らが?われわれみなとともに?平和の奪われた世界で希望を喪う日
は遠いように!(p.243)
というような文面に至っては、いずれにせよあまり希望的な観測の持てない世界でこれからを、
それでも希望をもって生きていかなければならないわれわれ若者たちに対して、すでに世俗の
ことから離れたかのような、宗教的な救世主的な発言はそれこそ失礼ではないだろうか。「彼ら
が」と「われわれ」という言葉遣いが、普遍性の高みに到達してた救世主的「われわれ」と、その
神の言葉に耳を傾けようとしない反戦後民主主義的な「彼ら」との区別を濃厚に象徴している。
かくして、反戦後民主主義的な高まりに対して戦後民主主義派が吐くべき呪詛が、この本に
は詰め込んである。そして、われわれがもっとも嫌う戦後民主主義的な要素が、大江健三郎さ
んという著者を通じて顕になっている本だ。論点を明らかにしていく上で、一読しておくべきもの
であろう。
むろん、反戦後民主主義派にも問題はある。「戦後民主主義」というとその主張やスタイルが
比較的まとまっているのに対して、戦後民主主義への批判者はあまりにも多様な形をとりすぎ
ているのだ。黒塗り街宣車でわめきたてるヤクザ、皇居一般参賀で菊の御紋章の入った御旗
を掲げて陛下に忠誠を誓う若者、自虐史観を批判しリキの入った教科書を執筆する大学教授
もそうならば、僕のようにいや今日は寒いねといいつつコタツに入って茶をすすりながら一般参
賀の中継も見ないけれども、いやおめでたいねえと思っている人間もそうなのである。そしてこ
れらを貫く筋の通った理論はない。ネオ・ナショナリズムを批判する人たちはいったいどこを批
判しているのか判然としないだろう。そのことに、ネオ・ナショナリズムのほうも甘えてきた感が
ある。
しょ…正月からコピペ…さすがにちょと引く…
マジで狂人かこいつは?
は?俺?
934 :
吾輩は名無しである:03/01/03 23:13
931は加藤典洋でっす
母親が生きているうちは自殺できない。か……。
現実に存在する人物への批判や揶揄と思われる部分があるのが、
最近読んだゲーテに共通していた。それにしても大江さんは老いたな。
生々しさが無くなって干からびた印象。
936 :
吾輩は名無しである:03/01/04 09:05
『二百年の子供』スタートage
あかりがムー叔父さんにレイプされるに200Q
938 :
吾輩は名無しである:03/01/04 17:26
まじで「子供のための」小説をやる気だね。
大人も読んでいいの?
『二百年の子供』・・・マターリ期待してます
940 :
吾輩は名無しである:03/01/04 18:02
「二百年の子供」に従軍慰安婦のおばさんが出てきて、
子供たちに日本は悪いって説教するシーンがあるそうです。
僕自身も、ナショナリズムは生活の総体というかスタイルなのであって、「…主義」というのと
は異なるだろう、と思っている。しかしながら、ナショナリズムそのものを論理化するというより
は、新しい保守思想、新たに国家とか個人とか社会とかを捉えなおそうという思想運動をナショ
ナリズムをベースとした別個の理論として立ち上げる必要には迫られているだろう。そうしない
と、ありがちな流行で終わってしまい堕落した戦後民主主義の跋扈を再び許すか、勢いでファ
ッショの再来を招くか、どちらかしか道はないからだ。
普遍性を目指す運動を否定するつもりはない。むしろ普遍性は状態として現実にあるのでは
なく、決して実現することのない理想への運動としてしか存在しない。普遍的なものに足場を置
くことはできないのだ。戦後民主主義はそのありえない足場の上からものを言ってきた。その空
虚さに気づいているのが、現在の反戦後民主主義的な運動である。普遍性を問い直すための
足場を、「日本」という国家あるいは社会の中に見出すことができないか。それがナショナリスト
としてのわたしの「希望」である。
942 :
二百年の子供:03/01/04 20:13
親に勧められて素直に従う良い子しか読まない・・・に200ビーダマ。
>>940 ぜったいありえない。
おまえ大江読んだことないだろ。
944 :
吾輩は名無しである:03/01/05 03:01
200年の子供で大江初めて読んだけど文章っていつもこんななの? 何か分かりにくい。
大江って、左翼で嫌いだけど、文章がすごくいいよ
昔と今とじゃ全然違うだろう。
初期と違い
描写が無いだろ今は。
あれは考えさせられるよ。
947 :
二百年の中年:03/01/05 08:17
>>944 ここ2,3年はずいぶんわかりやすい文章を書くようになりますた。
948 :
吾輩は名無しである:03/01/05 08:33
200年の子供。まだほんの出だしだが、期待大かも。大江の初めてで
最後の新聞小説でありファンタジー小説。これからどうなるのやらという
ところでしょうかね、今は。
949 :
二百年の老人:03/01/05 08:49
ホントに「ファンタジー」が書けるんでしょうかね。子供が読むような。
950 :
吾輩は名無しである:03/01/05 08:57
大江に寓意性は備わっていると思うが、やはり子供に読ませる上で
足枷となるのは文体の問題かと。
なぜ日本人の誇りをなおざりにする風潮があるのでしょうか?
なぜ日本人だけをわざとに悪者にする風潮があるのでしょうか?
なぜなら、そのような振る舞いをする人間は自分のことを
周囲が英雄として見て欲しいという願望が恐ろしく強いからです。
かつて私がそうでした。だから大江健三郎のような振る舞いを
する人間の考え方が手に取るようによく分かるのです。
すなわち、自分を偉く見せたいのです。自分だけは、
周囲の人達よりも人徳が高いのだと思わせたいのです。
さらに、本当に自分は人徳が高いのだと思い込んでしまって
自己満足しているのです。こうなると、もう妄想にとらわれた状態です。
大江健三郎的人間は、例えば朝鮮人に頭を下げて見せます。
日本人は悪いことをしたと述べて。でも、本心は朝鮮人み
たいに下等な民族ではないという優越感でいっぱいなのです。
優越感があるから頭を下げる芝居ができるのです。
朝鮮人に対する優越感がなければ、そんな謝罪の芝居なんて
できません。つまり偽善者なのです。
さらに、そんな謝罪の芝居をすることによって、「自分は民族
の壁や人種の壁を越えた心の広い人間なのだ」と周囲に誇示
したいのです。周囲からそのように見られたいのです。
それが目的なのです。全て誇示なんです。周囲から自分が
人格者だと思われたいのです。
その結果、自分だけが周囲の人達よりも上等な人間であると
いう優越感を抱いて自己満足しているのです。まさに妄想の世界です。
これが大江健三郎的人間の心理なのです。
昔は、このような輩が共産主義運動に蔓延していました。
共産主義が崩壊した現在、かつて共産主義運動していた
その種の輩は、環境保護運動や人権保護運動などに衣替えして、
相変わらず「自分だけ人格者に見られたい」ために目立つ活動
をしています。その活動目的はただ一つ、目立ちたいのです。
(注記)朝鮮人が大嫌いなら素直に嫌いであればいいのに、
大江健三郎的人種は、そんな正直な気持ちを偽って善人のふりをしている。
なぜ、日本人でありながら故意に祖国を侮辱して自分を
まるで英雄のように見せかける売国奴大江健三郎的
クローン人間が世の中に蔓延しているのでしょうか。
その理由は、戦後の占領軍の洗脳政策に起因するのだと信じます。
戦後一貫して日本人が日本人としての誇りをないがしろに
してきた風潮は、マッカーサー占領軍の占領政策に起因します。
占領軍は、日本人という下等な黄色人種が二度と白人に
刃向かわないように日本人の誇りを根こそぎにする政策を実行したのです。
さらに悪いことに、この政策は200%大成功でした。
長崎の原爆展を見た子供や大人が「もう二度と戦争し
ないように」という感想文を新聞に投書するのですから。
このように日本人が「原爆投下は自分たちが悪いのだ」
というふうにマインドコントロールされている間は、
戦勝国は皆安泰なのです。二度と日本人が刃向かう
恐れなんて全くないからです。日本人は去勢された民族だからです。
上述した占領軍のロボトミー政策は、日露戦争で敗れた
ロシアにとっても好都合の政策でした。だから、戦後一貫して、
朝日新聞や岩波書店など、共産主義組織やそのシンパの牙城から、
絶えず日本人を卑下するマインドコントロールがメディアに
乗って国民に植え付けられたのです。
953 :
吾輩は名無しである:03/01/05 10:59
「三人組」がどんな子供たちであったか?という出だしは
「スッコケ三人組」を意識していると思われ。
……。
しっ失礼いたしますた。
956 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:03
第1回読んだが、これまでの大江作品を呼んでる読者ならわかるが、
小中学生にはとっつきにくく、読みづらすぎると思われる。
ここのスレの左翼シンパの大江ファンはアカヒ新聞を取ってるだろうから、
読めなくて残念だね。
「最近はファンタジーというとハリポタだの(中略)大人の鑑賞にも堪えうる
ものこそが本物である」とかいう文章を誰かが書くだろう。
958 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:14
田原総一郎が「朝まで生テレビ」でいってたよ
「日本に左翼なんていない!」てサ。
田原総一郎だけじゃなくて
最近あちこちで「日本に左翼も右翼もない」といわれてるね。
いまどき左翼、右翼ってこだわる人がいたのか。オドロキ。
959 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:22
だから左翼でなく左翼シンパって言ってるじゃん
そういう奴らって、最近、形勢不利と見て左翼呼ばわりされるのを怖れて
市民とかいう名前に逃げ込もうとしているみたいだけど。
左翼かサヨクかしらんが、そういうバカな連中がいまだに生き残ってるのは
確かだし、あんたもごまかさんで堂々と名乗ったらいいんじゃないの(W
960 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:24
え?左翼がないのに左翼シンパがあるはずないじゃん。
ちゃんと読んでる?
961 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:29
左翼か右翼か結局なにを語りたいのか、いまいちよくわからん。
他人をレッテルつけてわかったフリしたがるのは卒業したら
いかがなか?
962 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:34
左翼も右翼もいるだろ。実際は。
じゃあ日本には何がいるというんだ?
なら、日本人は単一民族だというのも信じるのか?
日本人的でない顔形ならそれだけで外国人か?
田原の発言は、そんなに信憑性や正確性や客観性があるか?
俺は女で12歳で今イタリアに住んでいる。
信じるか?
963 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:36
確かめもせずに「おまえ○○だろ」と決めつける人もまた、
めずらしい。ずいぶん乱暴な話だな。単純でまあ、おめでたい。
964 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:36
てか958は朝生の田原の意見を鵜呑みにして
我が意を得たりと喜んでいる時点で
レベルが低いとわかるだろ
958も大江新作を読みたきゃ読売新聞を取れば(W
大江もアカヒを見捨てて読売に乗り換えたんじゃないのかな
965 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:38
>960
左翼がない、ってことはないだろ
左翼は衰弱してるけどいまだにしぶとく存在してるよ
966 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:41
屁理屈にもならない屁理屈はきらいだ。
馬鹿馬鹿しい。いいたいことは言ったから、よそへ行く。
967 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:46
正式な、左翼団体や右翼団体は、どうなるんでしょ。
理想は別として、有るものを無いと決めつけるのは、愚か過ぎるというかなんというか。。。
968 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:50
読売新聞の販促スレか?ここは。
969 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:52
はー、そうか。
970 :
吾輩は名無しである:03/01/05 16:58
気付くの遅い
971 :
吾輩は名無しである:03/01/05 17:48
さよは逃げるのがうまいな
さて、そろそろ大江の話に戻りますか。
973 :
吾輩は名無しである:03/01/06 19:09
どうして「200年子供」では
長女の名前がアカリなんだろ?障害者の長男が真紀でさ
なんでだろー、なんでだろー、なぜだなんでだろー
974 :
吾輩は名無しである:03/01/06 21:03
長女のアカリは両性具有らしいよ
図式的な少女趣味
大江健三郎『同時代ゲーム』新潮文庫
海外でほとんど訳書も出ていなかった著者が、なぜノーベル賞を受賞したのかは、今もって謎である。
世界的な評価を得ている日本人の小説家といえば、三島由紀夫と安部公房、それに最近では村上春
樹ぐらいだろう。川端康成の受賞も「三島由紀夫の空席が回ってきた」といわれたが、その類推でいう
と
安部公房が死んだために空席が回ってきたのだろうか。著者は一時、ノーベル賞の候補者を推薦する
と自称していた矢野暢と仲よくしていたというから、その効果があったのかもしれない。いずれにせよ、
佐藤栄作と並ぶ恥ずかしいノーベル賞である。
しかも、海外で評価される作品も『万延元年のフットボール』までで、それ以後はほとんど話題にならな
い。客観的にみても『個人的な体験』や『万延元年』は傑作といえるし、後年の作品でも『雨の木』の連
作のように肩に力を入れないで書いた短編には見るべきものがある。しかし本書のように「同時代」へ
の意識が過剰な作品は、読むに耐えない。学生から職業作家になった著者には切実なモチーフがな
く、「社会的」なテーマを頭の中で作り出して書いているからである。30歳のときに書かれた『万延元
年』
が最高傑作とされるのは、著者の思想的限界を象徴している。
本書には『ヒロシマ・ノート』以来の「核戦争の恐怖」のモチーフもあるが、こういう「非武装中立」の少女
趣味が日本の民主主義をだめにした害毒は計り知れない。最近の「歴史教科書」問題でも、著者は例
によって自分の子供を引き合いに出して「弱者」への配慮がどうとかいう見当違いな批判をしていた。
作家としてはともかく、戦後民主主義の生み出した最悪のイデオローグとしては歴史に残るだろう。
>>975等のコピペ氏&コピ元文の書き手氏へ
ダンナさん! わしを放っといてくださいや!
977 :
吾輩は名無しである:03/01/06 22:32
>>973 いままでとチョッチ違った人物になるのかな?真木。
長女アカリが主役ってことで。
今日、図書館に行って読んでみたけど、やっぱり子供にはちょっと難しいね。
まだ、出だしだからなんとも言えないけど。
しかし、『憂い顔の童子』を読んでいると『二百年の子供』は
頭が混乱する。真木やらアカリやら、人物関係がずれてますな。
>978
朝日を止めて読売にしなさい
980 :
吾輩は名無しである:03/01/07 00:43
いろいろ議論をかさねて
このスレも1000に近づいたわけだが
結論として
大江お宅のさよくシンパ君は
アカヒ購読をやめて読売にしる!
でいいでつか?
981 :
吾輩は名無しである :03/01/07 01:10
次スレタイはどうするよ?
そーいや、こないだなんかの文芸誌読んでたら、やっぱりあるだろうな
と思った、大江の「読者殺し」に関する批評が載っていた。
でも、最近思うんだが、ここまで堂々と「読者殺し」(批評の先取り、
もしくは反=自由な解釈で突っ走る物語)をやってくれる作家という
のは、非常に魅力的なんだよな。
「【最後の小説】大江健三郎【新しい人】」なんてのはどう?<スレタイ
983 :
吾輩は名無しである:03/01/07 02:40
984 :
吾輩は名無しである:03/01/07 13:27
大江は在日チョン
985 :
吾輩は名無しである:03/01/07 17:31
986 :
吾輩は名無しである :03/01/07 19:37
>982
新しい人なんてきもいよ
【文学のドンキホーテ】大江健三郎【最後の小説は可能か】
にしる!
キモイか^^;<新しい人
いつ目覚めるのかな、と思ってさ。
988 :
吾輩は名無しである:03/01/07 20:35
イーヨーが光になったのがお目覚めでしょう
989 :
吾輩は名無しである:03/01/07 20:58
なぜ日本人の誇りをなおざりにする風潮があるのでしょうか?
なぜ日本人だけをわざとに悪者にする風潮があるのでしょうか?
なぜなら、そのような振る舞いをする人間は自分のことを
周囲が英雄として見て欲しいという願望が恐ろしく強いからです。
かつて私がそうでした。だから大江健三郎のような振る舞いを
する人間の考え方が手に取るようによく分かるのです。
すなわち、自分を偉く見せたいのです。自分だけは、
周囲の人達よりも人徳が高いのだと思わせたいのです。
さらに、本当に自分は人徳が高いのだと思い込んでしまって
自己満足しているのです。こうなると、もう妄想にとらわれた状態です。
大江健三郎的人間は、例えば朝鮮人に頭を下げて見せます。
日本人は悪いことをしたと述べて。でも、本心は朝鮮人み
たいに下等な民族ではないという優越感でいっぱいなのです。
優越感があるから頭を下げる芝居ができるのです。
朝鮮人に対する優越感がなければ、そんな謝罪の芝居なんて
できません。つまり偽善者なのです。
さらに、そんな謝罪の芝居をすることによって、「自分は民族
の壁や人種の壁を越えた心の広い人間なのだ」と周囲に誇示
したいのです。周囲からそのように見られたいのです。
それが目的なのです。全て誇示なんです。周囲から自分が
人格者だと思われたいのです。
その結果、自分だけが周囲の人達よりも上等な人間であると
いう優越感を抱いて自己満足しているのです。まさに妄想の世界です。
ドンキホーテかーーーーーーーー????
大江はなりたいから描いただけで、なってはいないと思う。
ドンキホーテはなりたくてもなれない老人の憧れ。
これが大江健三郎的人間の心理なのです。
昔は、このような輩が共産主義運動に蔓延していました。
共産主義が崩壊した現在、かつて共産主義運動していた
その種の輩は、環境保護運動や人権保護運動などに衣替えして、
相変わらず「自分だけ人格者に見られたい」ために目立つ活動
をしています。その活動目的はただ一つ、目立ちたいのです。
(注記)朝鮮人が大嫌いなら素直に嫌いであればいいのに、
大江健三郎的人種は、そんな正直な気持ちを偽って善人のふりをしている。
なぜ、日本人でありながら故意に祖国を侮辱して自分を
まるで英雄のように見せかける売国奴大江健三郎的
クローン人間が世の中に蔓延しているのでしょうか。
その理由は、戦後の占領軍の洗脳政策に起因するのだと信じます。
戦後一貫して日本人が日本人としての誇りをないがしろに
してきた風潮は、マッカーサー占領軍の占領政策に起因します。
占領軍は、日本人という下等な黄色人種が二度と白人に
刃向かわないように日本人の誇りを根こそぎにする政策を実行したのです。
さらに悪いことに、この政策は200%大成功でした。
長崎の原爆展を見た子供や大人が「もう二度と戦争し
ないように」という感想文を新聞に投書するのですから。
このように日本人が「原爆投下は自分たちが悪いのだ」
というふうにマインドコントロールされている間は、
戦勝国は皆安泰なのです。二度と日本人が刃向かう
恐れなんて全くないからです。日本人は去勢された民族だからです。
上述した占領軍のロボトミー政策は、日露戦争で敗れた
ロシアにとっても好都合の政策でした。だから、戦後一貫して、
朝日新聞や岩波書店など、共産主義組織やそのシンパの牙城から、
絶えず日本人を卑下するマインドコントロールがメディアに
乗って国民に植え付けられたのです。
1000
【文学のドンキホーテ】大江健三郎【最後の小説は可能か】
sen
虫
1000げと
大江健三郎
「広島、長崎のあの大きい犠牲は、償わなければならないと思います。
償うのは私たち(日本人)です。」
1994年10月17日京都で開催された講演会「世界文学は
日本文学たりうるか?」より
1000 :
吾輩は名無しである:03/01/07 21:15
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1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。