「超能力から能力へ」は、あの団体から金貰って宣伝したっつーことで宜しいのかな?
あの能力信じてたのかな
673 :
吾輩は名無しである:03/08/20 20:49
674 :
吾輩は名無しである:03/09/02 12:34
柄谷行人の受け売りのようなことばかり言うのは止めて欲しい。
中上さんは柄谷さんといい意味で「喧嘩」できたから、まだ
救われたけど、龍にはそれが出来ない。
中上さんがまだ生きていたら龍も今よりはまだ良かっただろうに・・・。
675 :
吾輩は名無しである:03/09/18 03:07
676 :
吾輩は名無しである:03/09/18 03:11
なつかしいなこのスレ。まだあったんだな。
677 :
吾輩は名無しである:03/09/18 03:59
「ハリガネムシ」は文章から何から完璧にドラを凌いでいる。
こんな見事な事例もめずらしい。で、とっくに死んでるからゾンビ叩きってことねw
678 :
吾輩は名無しである:03/09/22 16:46
初心者なんですが、柄谷行人という人について
詳しく教えてください。
まず名前はなんて読むんですか?
作家ですか?
679 :
吾輩は名無しである:03/09/22 16:50
ガラヤユキト
直木賞作家
>>678 からたにこうじん と読む。 ここのスペ−スだけで論じようなんて歩いて
宇宙に行くのと同じようなこと。
1969年「意識と自然ー漱石試論」により群像新人文学賞を受賞。
肩書きは批評家。
龍はこの人のマネして「他者」とか「外部」とかよく言ってる。
あまり深みにハマルと鬱になるかもよ。実際、数年前は柄谷さんも鬱みたい
だったから。それだけ誠実なんでしょうが・・・。
681 :
吾輩は名無しである:03/09/22 21:46
>>680 柄谷は傲慢だぜ。
龍がこいつに接近したのは、文壇的策略で柄谷を見方につけよう
というさもしい根性。
おまけに柄谷に「おまえは他者っていうのを間違えて使ってる」
といわれているシマツ(ワラワラ
683 :
吾輩は名無しである:03/09/22 23:10
>>682 これはネタか?それとも勘違い?
俺より不勉強だな(唖然)。
685 :
吾輩は名無しである:03/09/23 00:47
>>684 それでは、君の勉強の成果をレスしてもらうとするか。
(なにしろ唖然とするぐらいだから)
ま、柄谷か龍がなんで駄目になったか、少しぐらいはレスできるだろ?
686 :
吾輩は名無しである:03/09/23 00:49
687 :
吾輩は名無しである:03/09/23 00:50
688 :
吾輩は名無しである:03/09/23 00:58
>>685 「ま、柄谷か龍がなんで駄目になったか、少しぐらいはレスできるだろ?」
その前に何で君がそんなに駄目なのか
今夜辺りじっくり考えてみてください
>>685 ご指名ありがとう(笑)。
何を持って「駄目」とするかは基本的に難しいところだね。
第一、ここのスレに書き込みしたけど、俺は龍も柄谷さんも「駄目」だなんて
書いていないし、そんなことも別に思ってもいない。2人ともけっこう熱心に
読んでる人ではあるからね。 龍の本もエッセイを含め、ほとんで持って
たよ。捨ててしまったのも多いけどね(古本屋でも売れないのよこれが)。
まぁ、俺が感じるのはまず、映画が失敗だね。あとキュ−バCDの販売とか。
けっこう赤字みたいだしね。やっつけ仕事みたいに書いたのもありそうだし。
そしてやっぱり柄谷さんとの関係だよね。
681の人は「文壇的策略」という表現だったけど、俺はやっぱり中上さんと
柄谷さんとの親密な関係に着目すれば、中上さんとは弟分のような間柄
だった龍に、自然と柄谷さんの影響がいってしまったんだろうと思うよ。
「考える機械」とまで称される柄谷さんに、中上さんが怒ったというのも何か
わかる気がする。中上さんは「切って血の出る文学」を肉体(知性)として
感受できていた人だと思うからね。その点が龍とは異なる所でさ、前のレス
にもかいたけど、そのまま「外部」とか「他者」とか安易に使ってしまった
んじゃないかと思うよ。 君は「闘争のエチカ」読んで賛同できるか?
まぁ、とりあえずこんなところで・・・。 少しは骨っぽい人がいてくれて
うれしいよ。
690 :
吾輩は名無しである:03/09/23 03:39
>>689 流石ですな。じっくり読ませてもらいました。「闘争のエチカ」は
賛同できない。ハスミと柄谷の対談だったきがするが・・
>>686 おまえ、これ真正じゃなくて、真性だろ(ワラ
>>687 釣られて出てくんな。
>>688 君が一番駄目なようだ。
691 :
吾輩は名無しである:03/09/23 04:18
ryuは頭悪いし、倫理が弱い。「消耗貧1」なんて、恥ずかしい限り。
(どんなに若気の至りとしても)あんな本書いちゃうようなやつが、浅田や柄谷と
まともにつきあえるはずがないと思う。
692 :
吾輩は名無しである:03/09/23 23:10
>>690 まあどうでもいいけど
「ゆきひと」じゃなくて「こうじん」だということ
は覚えていてくれよ。
693 :
吾輩は名無しである:03/09/24 00:09
>>692 そんなのとっくに知ってるっつーの。
おまい、オレを682のポンちゃんとカンチガイしてないか。
どうせ、レスつぶすならもっと、なんかねーのかよ、他に。ネタにしてもいらんわ。おまい
みたいなの。
この嘲笑対象NO1め!
>どうでもいいけど
おまいが、どうでもいいんだよ。わかったかぁぁ。
一応ネタっぽく書いたつもりだったんだが・・・
マジだと思ったのなら謝るよ >> 釣られたみんな
695 :
吾輩は名無しである:03/09/24 00:21
696 :
吾輩は名無しである:03/09/24 00:23
693だが692よちょっと檄レスしすぎた。
あまりの龍ドラのふがいなさに漏れ自身
腹がたっていたようだ。
ネタに噛み付いてスマソ。
697 :
吾輩は名無しである:03/09/24 00:23
龍は出版社の金を使いすぎ。
恋人の飛行機代ぐらい自腹切れよ。
698 :
吾輩は名無しである:03/09/24 00:28
>>696 いやあ本当に悪かった
「唖然」の理由が分かってなかったかと思ってしまったのね・・・
自らの浅薄さを棚に上げてしまって恥ずかしい。
で、いつ死んだの?
700 :
吾輩は名無しである:03/09/24 01:09
5分後
クリトリスにバターを
初期の三作とその後はなんか違うよなぁ
限りなく〜がキレイで好き
702 :
吾輩は名無しである:03/09/29 08:34
最近、村上龍氏の作品(主にエッセイ)を読み始めた者です。
彼自身が「限りなく〜」などを書いていた頃と今現在の自分を
比較してどうこう、という論考(?)を書いているのですが、
例えばバブル時代の彼のイメージというのは
どういったものだったのでしょうか?
当時中学生だった私の中では、売れっ子作家というイメージでした
芥川賞選考委員になった今では、チカラを持った、かつちゃんと執筆して売れる作家というイメージ
704 :
吾輩は名無しである:03/10/17 19:56
最近あんまり本売れてないんじゃない?
705 :
吾輩は名無しである:03/10/22 01:20
この人は女性にたいするコンプレックスの固まりでちゅ
SMマニアの宴
707 :
吾輩は名無しである:03/11/15 08:18
村上龍が聴いてるっていうファビエル・オルモ
の英名教えていただけませんか?
まだ個人にあらず
きのうNHKの討論番組をちょっとだけ見た。
村上さんの質問内容がとてつもなく幼くて、
見ていて恥ずかしかった。学生がするような質問を
中年となったいまでもできるなんて、
随分と幸せな人生を生きて来たのだろう。
710 :
吾輩は名無しである:04/01/03 00:50
ゴーンの鼻毛が気になって、何話してたか憶えてない・・・
711 :
吾輩は名無しである:04/01/03 02:25
>>709 いやいや、あなたのほうが若いですよ。
あれは切実な質問だった。
見てる人のグレードに合わせてるっていうのもあるんだろうけど。
なんかメジャーなのかそうでもないのかよくわからんな
この人。
前に付き合ってた女の子は編集工学の通信講座受けてたりする、
松岡正剛大好き娘だった。ひそかに読書家を自認していた俺は
けっこう嫉妬してたなぁw 絶対かなわねえし。
セックスの時は「正剛のマラとどっちがいい?ほれほれ言うてみぃ!」
と脳内オヤジプレイをしながら腰振ってた。
713 :
吾輩は名無しである:04/01/03 23:31
結局本の宣伝してやがんのな公共放送の電波を使って
13歳のためのハローワークだっけ?早速立ち読みしたけど
自分の適正を早い段階で見つけてキャリアを積み上げることを前提に勉強
できれば非常に素晴らしいが、なかなかそうはいかないのがジンセイなんだよ〜、
というのが正直な感想。
714 :
吾輩は名無しである:04/01/04 18:46
村上龍が芥川賞授与式に着ていたのは、パルコの5万円のスーツ。
715 :
吾輩は名無しである:04/01/04 18:49
もとからたいしたことない。
「限りなく透明」と「コインロッカー」はすごいかもしれんが、
他はアフォ丸出し。
716 :
吾輩は名無しである:04/01/04 18:50
中田英寿にまとわりついてるのもムカつく
717 :
吾輩は名無しである:04/01/04 21:14
現在の龍は内向的考察よりも外因的刺激を重視しすぎているのではないでしょうか?晩年の[カ
ポーティ|ヘミングウェイ]的にジャーナリズムとコマーシャリズムにとらわれすぎて、文学者
が魅力足るべき自由な表現が失われているとおもいます。で、マスコミうけはするであろうが
文学的ではない。といった作品が多いような気がします。
外因はもちろん創作起因に足るでしょうが、完全に消化し、文学的昇華をみせて欲しいもの
です。「ファシズム」頃にはそういった結果が見えていたように。