932 :
ノロマ ヒドシ:03/03/01 00:48
913さん!密会のすごいシーンって文庫でいうと何ページでちゅか?
そこは一行ほどの簡単な描写だからそこに至るまでの
文学的モンモンなしで読んじゃったらおもしろみないと思うよ。
「密会」にはそういうシーンがあるということだけ覚えとけ。
「R42号の発明」での改造手術のシーンも衝撃的だったな。
はは、こいつは発見だな、詩人の製法が分ったよ
R62号の発明…
あれ読んだの小3の夏休みだったんだが、
読書感想画がまだ実家に残ってる。
頭に小さなアンテナのある男が
灰色一色の部屋の灰色のベッドにただ座ってる絵。
宿題としてはかなり手抜きな訳だが、あれは捨てられないよ…
935 :
ノロマ ヒドシ:03/03/01 04:42
それにしても、安部は「密会」あたりからおかしくなってきたんだよね。評価されてる作品もないし、その頃から文壇との交流もなくなってきてるし。
936 :
ノロマ ヒドシ:03/03/01 04:43
その後に仕事場を箱根に移してからはさらに孤独だったんだよね。それが作品に悪い影響を与えたのだと言われているが、みなさんはどう思います?
悪い影響ってなんだ?影響に良いも悪いもあるのか?
評価される事はそんなに重要なのか?
晩年の作品は果たしてつまらないのか?
晩年の作品って、なんかまとまりが悪くなってきてるきがする
でももれは浮気のこととかあんま良くしらないんだよ
どっかに詳しくのってない?
漏れは「箱男」以降のだんだんカオス色の強くなってきた作品群こそ彼の集大成
だとおもふ。
940 :
吾輩は名無しである:03/03/01 21:15
公房初めて読むならなに?
『インディヴィジュアル・プロジェクション』
>>940 やっぱ「砂の女」じゃないのん?
そん次は「壁」「箱男」あたりを。
943 :
吾輩は名無しである:03/03/01 21:52
晩年の作品はまとまりがないってたまに聞くけど、そうか?
単純な一人称形式から離れていっただと思うんだけど。
テーマというのか、ひとつの小説が扱うものが大きくなったから
まとまりがなくなったような印象を受けるのかもしれないな。
>940
「人間そっくり」もしくは「砂の女」だな。
次に箱男 そして壁
>943
扱うものが大きくなりすぎて、少し手に余ってる印象をうけます。
いや、嫌いじゃないけど。
内なる辺境と赤い繭のつながりをみなさんはどう解釈してますか?
946 :
吾輩は名無しである:03/03/01 22:14
>>945 ユダヤ人とおれ、正統と異端、ってとこですが何か?
947 :
吾輩は名無しである:03/03/01 23:17
>940
「他人の顔」なんてどう?
みんなあんまり触れないけど私はこれで安部知ったんだよなー
初めてでも読みやすかった。
次に「箱男」読んだら難しくて理解できなかったけど
どんどんはまってったよ
初めて読むなら、断然「砂の女」がお薦め。
おもしろい物語作品だしね。
次にお薦めなのが「方舟さくら丸」です。
阿部の作品では、このニ作品がダントツでイイです。
自分は「方舟さくら丸」だけはなんかイマイチだった。
他の長編はあんまり評判のよろしくない「カンガルーノート」も含めて
好きなんだけど。
なんか普通な感じというか。
なんか物凄い小説らしいんだけど、どの辺が凄いのかよく分からなかった。
950 :
吾輩は名無しである:03/03/02 15:45
>>941 一応つっこんどくが、
それは阿部和重だよな〜
>949
ぼくは「さくら丸」は安部のベスト3は無理でも5には入ると思っているけど、
今読むと、「なんか普通な感じ」というのもわかる気がする。あれは「核シェ
ルター」なんてものが生々しい意味を持ちえていた時代の物語なんだろう、
たぶん。
>>951 そんな貴方は鯨を読んでから読んでみませう。
>952
ああごめん。誤読させてしまった。ぼくはきっと949の父親の弟くらいの年齢で、
鯨はむろん、読んでるのよ。最後の一文は949の心情を慮って言っているわけで。
だから、その助言は949にフォワードしてください。
でも、さくらまるは結構、構成や含みが複雑で読み取りがたい。
作者が自己厨やっちゃったとも言える。純文なんだろうからそれでいいんだろうが
読者から見れば、よむのがつかれる。漏れも一回目は挫折したし
工房はじめての人間が読むのはやめといたほうが良いだ
955 :
吾輩は名無しである:03/03/02 17:55
阿部工房さんはワープロの登場を非常に喜んだらしいですが、
正直言って、書くのを原稿用紙からワープロに切り替えた時期から
文章が支離滅裂になってきたような気がする。
昭和60年ころから使い始めたらしいけれど、
「箱舟さくら丸」ぐらいからだろうか。。。
956 :
吾輩は名無しである:03/03/02 18:16
>>955 なかなか鋭いなぁ。そういわれればそんな気がする。でもワープロが原因でそうなっていったかどうかには疑問がある。問題なのは阿部の文学的な思考の変化にあるはず。
957 :
吾輩は名無しである:03/03/02 20:52
晩年の作品を支離滅裂とかいわれてあの世でガックリ肩を落としていることだろう。
登場人物をつい主人公にしようとするから支離滅裂になるんじゃないのか。
ただ読めばいいのに。文学とか解説とか評論とかがいけないんだよな。
構成がしっかりしてて演出が巧みで豊かな内容を含んだ読みやすいいい小説だろ?
特定のものを押し付けるでもないし、謙虚に謙虚が過ぎて誤解されてるんだろうな。
958 :
ラッキーアイテム:03/03/02 21:19
そろそろ次スレ立てようか
960 :
吾輩は名無しである:03/03/02 21:34
>>957 違う、後期作品云々書いてる奴は、安部公房の初期作品から通読して
いない。しかも表層的にしか読み取れない。これなら村上春樹の「カ
ンガルー日和」でも読んでる方がいいだろ。こいつら。
961 :
吾輩は名無しである:03/03/02 22:00
でも、さくら丸は素人目に面白くなかったですよ。
963 :
吾輩は名無しである:03/03/02 22:36
オイラはさくら丸はもの凄く好きだし、一発で理解できたけど。
複雑でも難解でもないと思うので、シンクロできるか否かだと思う。
逆に、オイラは燃えつきた地図が何が面白いのかわけわからんかった。
964 :
吾輩は名無しである:03/03/04 03:36
やっぱ、『砂の女』、『壁』、『第四間氷期』の3作品から読み進むのが無難では?
豊かなイマジネーションと、ストーリーテリングの妙を楽しんでほしい。
『他人の顔』以降の作品、特に『箱男』からは、現代文学を読み慣れてない人には
しんどいでしょう。
俺も、『箱男』、『密会』、『方舟さくら丸』は初読ではサッパリだった。
数年経って、やっと味わい方がわかってきたと思う。
こっちは使いきらないのかなあ…
もし読んでる人がいましたら、
世界市民的な考え方についてご意見お聞かせ願いたい。
ていうか、どこからがナショナリズムなのか
分からなくなる事がある。
稚拙な例で恐縮だけど、上京していて
同郷の人に偶会ったら嬉しかったりしない?
あーいうのも広い意味ではナショナリズムなんだよね?
青い
967 :
吾輩は名無しである:03/04/03 02:33
ひゃっふぉー
>>965 いや違う。それは郷土愛だろう。
nation (国民) という概念自体が、近代的な国家 (nation state)
とともに確立されたわけだから、きわめて人工的なものなんだ。
それを重んじるのが nationalism だろう。
そうしたわけでキミが言うような自然な感情とは違う。
> 世界市民的な考え方についてご意見お聞かせ願いたい。
世界市民って広い概念だよな。で歴史的には盛り上がったりしぼんだりしている。
安部公房のどこらへんにそうしたものを感じたの?(別に否定しているわけではなくて)
安部公房は国家を持たない根無し草という感じが強いね。
それは満州での体験があるからね。実際に大日本帝国の崩壊を目の当たりにしたわけで。
でもなぜ安部の小説は出所不明と言われるんだろう、と考えた。
それは日本の風物のようなものが無いからだ。
すると日本の小説では、風物のようなものをそれらしく描けば、
出所がわかるということなのか?うーん。
969 :
吾輩は名無しである:03/04/08 20:42
死んだ作家に興味はない。
死んだ作家をはずしたら読む物なくなるだろw
作品は作家が死んでから価値がでるものだ。
畑正憲と安部はどっちが上なの?
974 :
吾輩は名無しである:03/04/18 21:17
安部公房の主な趣味ってなんですか?
文筆
なんで最後までいってないのに次スレ立てたのかね?
大西巨人スレを見習え!
sage
>>949-954 あたりの『箱舟さくら丸』に関する議論について
俺が読んだのはずっと以前だが、自分もみなさんと同様、面白いけどやや古びているかなと感じた。
他の安部作品が時代を超えるテーマを持っているのにもかかわらず。
それはいうまでもなく、核に焦点を当てているからだけど、
このテーマが古いとはいえなくなって来たんじゃないかというのが最近の想い。
というのは、他人に対する不寛容の思想が再び頭をもたげてきているから。
アメリカでも、この日本でも。
安部公房が「核シェルター入りの切符」で言っていたのは、「自分が助かるということが他人を見殺しにするという状況」と
その「誰を助け誰を助けないのかという選別には根拠がない」ということだったと思う。
それは911テロ以来の「セキュリティ」や「危機管理」といった胡散臭い議論にも通じている。
WEB版『憂国放談』で浅田がツボをついたことを言っていたのでそのまま引用したい。
浅田彰: ちょっと哲学めいたことを言うと、セキュリティという言葉は、 もとはsine curaと
いうラテン語からきてる。つまり、セキュリティの確保された状態、セキュアな状態ってのは、
思い煩いがない状態、ある意味でケアフリーな(ケアの必要がない)状態なんだよね。じゃあ、
思 い煩うってのは、何のことを思い煩うのか。自然のこと、そしてとくに他者のことなわけ。
だから、他者のことを慮る必要がない、自分たちだ けで何も考えずに安心していられるっての
がセキュリティなんだよね。… とくに9.11以後、世界中でセキュリティがキー ワードになって
監視/管理社会化が進んでるでしょ。… たしかにセキュリティは必要だよ。安心して暮らせる
ってことは、何をする上でも基礎にな ることだから。だけど、セキュリティだけを追求してい
くと、結局、他 人のことを心配しなくていい、他者なんか無視して生きていける状態が 望ま
しいって話になっちゃう。
参照:
http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200212/index.html
979 :
吾輩は名無しである:03/04/18 22:58
>>978 ある程度の割合で泥棒とか人殺しとか強姦魔がいるのか普通の社会であって、
完全にセキュアな状態を求めることが逆に危険な状態を招いているのではと思う。
だいたい危機管理なんて変だし。管理できたら危機とは言わんでしょう。(w
何ごとも制御可能と考える、今で言えばアメリカ的な木訥さが全てに適用されようと
しているのがマズさの要因ではないかな。
計画経済の壮大な実験の失敗が明確になったあと今度は「自由主義経済」の
実験が継続されているようだ。
悪を根絶するのを目的とするのはいいが、現実にそれが出来ると考えるのは
無邪気すぎる。家の鍵を増やせば増やすほど隣人への不信感は募るばかりだ。
問題は完全に安全が保障された小さなユニットの集積が安全な社会になるという
積分的な発想が安易すぎるのだろう。国境のある国の安全とない国の安全は
意味が違う。日本人のイメージする安全は拉致問題でほころびを見せかけている。
∧_∧
( ^^ )< ぬるぽ(^^)