乳房抄

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乳房抄

著: ラモン・ゴメス・デ・ラ・セルナ

訳: 堀口大學

出典: 堀口大學全集 補巻2、1984年、小澤書店
2@窓の乳房(1):01/11/18 14:56
間近で見せるのは厭だと言い張って、彼女は承知しな
かった。ところが僕ら男性という奴、時々ひどく執拗
(しつっこ)くなる。やむなく、では、高い自室の窓
からお見せしましょうと、承知してくれた。向い側に
住む僕が、夜更けて、お休みのあいさつに屈みこむ時
ということで。思いなおすのではないかと、僕はそれ
ばっかりをおそれたものだ! 僕の歎願が、僕の圧力
が、すべて失効するのではないかとね! ひと目、彼
女が、自分の聖水容器(いれ)を捧げているあの天使
像を見るだけのことで、あんな約束なんか、すべて消
えてなくなりかねないのだ。こうした疑惑を宿しなが
ら、見かけは静かな夜更けの時間がやがて訪れた、不
安なざわめきを耳いっぱいに詰めこんで。彼女は知っ
ていた、自分の窓のどの隅だけが僕の窓から覗けるか。
3@窓の乳房(2):01/11/18 14:56
彼女は自室に灯をつけた。奥のところに、いとも清潔
な病人みたいに横たわるベッドがのびのびと見えてい
た。あの約束のことなんか、忘れでもしたかのように、
身をかがめ、僕に対するお休みのあいさつだけをする
のではなかろうか? それとも、にべもなく自分の窓
を閉めてしまうのでは? 僕は内心早くも、彼女の手
首をつかまえて、売女並みに扱ってやりたい衝動に駆
られたものだ、乱暴な話だが、実に彼女が売女になり
たがらないという理由で。
4@窓の乳房(3):01/11/18 15:04
彼女には、はたして勇気があるだろうか? 何しろ僕
らが打合わせて置いたあのことを実行するとなると、
決意と勇気が必要だった。釣合うだけの不敵さが彼女
にあってくれるだろうか? なぜかというに、一方、
そこには夥しい彼女自身のプライドが、他方、離れて
隠れている僕という人間に対する軽蔑が多分に存在す
る筈だから。僕はあんな無理を要求すべきではなかっ
たかも知れない、なぜなら、こんなことがきっかけで、
とかく女というものは、一生をとりかえしのつかない
淫売婦になり果てたりするものだから。何しろ事実と
しては、彼女が世にも目ざましいストリップの舞台に
デビューしたと同じ程度に、その乳房を全世界の闇黒
の前に曝したことになるわけなのだもの。
5@窓の乳房(4):01/11/18 15:05
彼女の動作に、彼女の遅緩さに、何らかの拘束を余儀
なくされていて、しかもそれをゆっくり実行しようと
しているらしい外見に、彼女が或るひとつの決心を、
わが肌身を見せようという決心をしていることが窺え
た。いや、なんと無惨なこれは人みごくだ! 僕らふ
たりの間を幾重にもへだてるこの窓硝子さえなかった
ら、そして僕の言葉が彼女の耳に入るのだったら、僕
は多分叫んだと思う「よそう! やめよう!」
6@窓の乳房(5):01/11/18 15:08
それなのに、彼女はすでに、われとわが乳房のいけに
えに一歩ふみ出していた、わが子のいけにえにふみ出
した聖母マリアさまさながらの姿で。
7@窓の乳房(6):01/11/18 15:08
彼女は自室の奥のドアに鍵をかけ、その上で、ホック
を外し始めた。すばらしい眺めだった! いかにも自
然で、そのくせ前代未聞なのだ! こうして細心に、
しかもあっさり、脱いだり、外したりするため、わざ
わざ彼女は舞台裏でそうした小道具を身につけて来た
かのようにさえ見えた。
8@窓の乳房(7):01/11/18 15:13
彼女は、もう、ブラウスを半びらきにしてもよい時点
に辿りついていた、それなのに、どっこい、それはま
だだった、彼女はその行事を、出現と喪失を同一瞬間
に取り行うために留保して置くのだった。彼女は灯火
(あかり)の近くにいるのだが、そこの明はほのかだ
った。
9@窓の乳房(8):01/11/18 15:13
ようやく、彼女は僕の方へと目を移した。ゆっくりも
のを見る持前のまなざしなのに、僕がいると承知して
いるあたりにはわざと、それをとどめないのだ。僕な
んか好きでもないというような、短かい、さげすみの
それは視線だった。そうして置いて、彼女はブラウス
の前を開け、シュミーズをおろし、両の乳房を僕に見
せてくれたものだ、悲劇の舞台で、「お突き立てにな
って下さいまし! ここ、この胸乳のあたりに、命と
りのその短剣の切先を!」と、わめき立てる女のよう
に!
10@窓の乳房(9):01/11/18 15:19
彼女は待った、禁じられた写真を僕が撮るだけのあい
だ。彼女は露出の時間を計算してくれたが、灯火(あ
かり)の消しようが早すぎた。果して早すぎたのか?
 ちがうな! 可愛い女(ひと)よ! いつだって早
すぎたにちがいないんだ。乳房の上に屈みこみ、見お
ぼえて、記憶にとどめようとするには、そのものの上
で、幾夜さも過ごさなければなるまいよ、微生物の研
究者が、顕微鏡を覗き続けて幾年もすごす、あんな具
合に。
11@窓の乳房(10):01/11/18 15:19
僕は、何を見たと言うほどのこともなくてしまったが、
空中に浮んで消えた片乳(かたぢ)の光芒だけはしか
と見た。大きくもなく、小さくもない、それは、一生
の色恋の、乳房の役のどれにも似合うそれだった。
12@窓の乳房(11):01/11/18 15:23
………………
13@窓の乳房(12):01/11/18 15:23
翌朝、泣きながら、彼女はバルコニーに姿を見せた、
夜どおし泣き続けた彼女だとひと目で知れた。その晩、
彼女はもう一度姿を見せた、いそいそと、ほがらかに、
向う見ずに、それなのに暗がりに戻ると、彼女は気落
とはずかしさを、も早無用の長物とわが身を感じるの
であった。それにしても、どうして僕には、夜どおし
の窓の硝子を打つ彼女の涙の雨おとが、聞えなかった
のだろうか?
14@近東の乳房商人(1):01/11/18 15:27
太陽が瓦屋根のへりに黄金粉をまぶす時刻、路傍の青
い影にひたって、とある大きな告解所の入口近い掘立
小屋の中で、その乳房商人は居眠りしていた。彼は自
分のコレクション中の夢想に長けた乳房を喫う気持で
水煙管を喫い続けた。
15@近東の乳房商人(2):01/11/18 15:27
小屋の奥には見えていた、色とりどりのクッションに
寝そべった裸の女たちが起き出すのが。母親のベッド
に動く生れたばかりの嬰児の動作さながら、デリケー
トにのたうつそれは波だった。
16@近東の乳房商人(3):01/11/18 15:30
鶏卵の籠から受ける、あの白い感じ、あの球体の感じ、
あの数の感じ、あれがこの乳房商人が全能の支配者と
して所有する全部の乳房の置いてある店舗の昼寝から
の印象だった。
17@近東の乳房商人(4):01/11/18 15:30
時おり、道行く人の誰やらが、買いたげな素ぶりを見
せるが、本当は、その人も乳房の巣箱が間近かに見た
いのにすぎぬのだった。
18@近東の乳房商人(5):01/11/18 15:34
「さわってはいけませんよ……。どうぞ、さわらずに
ごらん下さい……。さわらずにお選び下さい、離れた
ところから……。」とげのある言葉で、その近東人は
繰りかえし注意をうながした。
19@近東の乳房商人(6):01/11/18 15:34
「こんな女ども、まるで値打ちがないぞ!」いささか
凋みかけたり、あまりにも醜くすぎたりする女を指し
て、人たちは亭主を野次った。そんな時、亭主は答え
ることにしていた、「わしはな、女衒じゃねえ、乳房
商人だ。」
20@近東の乳房商人(7):01/11/18 15:37
まさにその通りだった。彼は目にふれる女どもは、ひ
とり残らず検査した、どんな不美人もあきらめずに、
おかげで彼に、近東地方きって、一番色白の一番美し
い乳房の発見が出来たのだった。
21@近東の乳房商人(8):01/11/18 15:37
「うわべの殻を見て椰子の実を判断していたら、永久
に椰子の実は見つからなかっただろうよ。」
22@近東の乳房商人(9):01/11/18 15:39
その代り彼は、いかがわしい乳房や、破産した男のポ
ケット並みのしょぼくれた乳房の美人は敬遠した。
23@近東の乳房商人(10):01/11/18 15:40
この乳房商人は、自分の所有する乳房に対しては、あ
らゆる注意を怠らなかった、この男に匹敵するほどの
スタイリストはいまだかつて存在しなかったかも知れ
ない。
24@近東の乳房商人(11):01/11/18 15:42
「ダジャリ、ちと起きあがってみな。」影絵に向って
彼は言うのだ。やがてダジャリがクッションに座りな
おすのを待って、今度は買手に言う。
25@近東の乳房商人(12):01/11/18 15:42
「お気づきかな、あの娘(こ)の双の乳房が、くっき
り離れていて、あの娘の美しさの二つの中心に成って
いるってことが……。」
26@近東の乳房商人(13):01/11/18 15:50
「アイライダ、起きてみな、それとも起きるのがおっ
くうなら、あんたがどこにいるか分かるように、片手
をあげてみな。」蜜のように甘い口調で彼が続けるの
だ。すると、アイライダが、猛獣檻の奥で、燭台とも、
香焚き台とも、まごうほどの美しい片脚を高々と揚げ
る。見るなり彼は買手と一緒に、やおら、ころがって
いる懶惰な死体たちを跨いで近づくのだ、そして買手
に言う。
27@近東の乳房商人(14):01/11/18 15:51
「ごらん下さい。双のこの乳房を、これよりは恰好は
よろしいが、熱に不足な先きがたのあれとは逆に、お
互ににじり寄り、二羽の山鳩みたいに嘴をさがし合っ
ていましょうが、ふれ合ったら、火花も散ろうという
もの……。」
28@近東の乳房商人(15):01/11/18 15:54
美の、調和の、活気の実物宣伝が長々と続くあいだに、
乳房商人にふと気づく、同形とは行かぬまでも、せめ
ては類形の一対を探しているこの客が、大金持ちか、
さもないなら、この道楽の達人に相違ないと。
29@近東の乳房商人(16):01/11/18 15:56
「では早速、専門の技師さんに立会って貰いましょう。」
彼が最後に言うのだった。「専門の技師さんに幾何学
応用の測量をして貰い、あの二つの乳房が、二等分し
た神様みたいに双方同じだと証明して貰うとしましょ
うや。」
30@世捨人(1):01/11/18 16:00
人生の終末が、乳房の修道士風な観照、つまり、両手
を女の胸乳に置き、これぞ明らさまな人生虚偽の実証
なりとする世捨人風の観照であっても、一向に不思議
はないと思うがどうだろうか?
31@世捨人(2):01/11/18 16:00
何びとも、この悟りに到達するのが当然で、結局はこ
の最終的な懐疑に陥入る筈のものなのだ。
32@世捨人(3):01/11/18 16:04
すでに世の老人たちの中には、かのシシリア島の僧侶
たちが、皮を剥いだ頭蓋骨に対すると同じく、単に放
心状態に入らんがためにのみ乳房を求める者も、確か
にあるのだ。ともすると、僕らもすでに若い頃から、
乳房を愛撫しながら、この悟りの、落着きの、浄化の
心境に何度かなり切っていたのではあるまいか。
彼女は夜明けをおもんばかった、われとわが乳房の円
みにふれて……、それなる光線の発条(ばね)に手を
やり闇を照らした。
「ここだね?」言葉には出さずに、僕は自問した、疑
う余地のない実物に、わずかに手をふれるだけで。そ
こは全世界が従順に愛撫に身をまかすところ、そこは
手の重みの下、やわらかくうれしい乳房が実物として
感じられるところだった。
女は鏡の面(おも)に乳房を打ちあて、キャッチ・ボー
ルを楽しんだ。毎晩、乳房が、われとわが姿を映し、
おのが姿に眺め入るこの稔りのない勝負を楽しむこと
にしていた。
36@告白(1):01/11/18 16:09
どんな女に対するより、より深い信頼感が持てるよう
になったので、たずねてみた。
37@告白(2):01/11/18 16:10
「それで、乳房にはどんな感じがあるものなんだい?」
38@告白(3):01/11/18 16:11
最初の頃のようにほんのり顔をあからめるだけで、し
ばらく答えなかった。
39@告白(4):01/11/18 16:11
「本当のことをいったら、あんたがっかりするんじゃ
ない? 永久の幻滅になってしまって?」
40@告白(5):01/11/18 16:18
「大丈夫さ……。男って、困ったことだが、何度幻滅
を感じても、同じイリュージョンをまた持つように出
来ているんだ……。宿命だね、これは……。あんたに
何と言われようと、飽きずに僕は乳房を探しまわる筈
だよ、どこやらの怖ろしい彗星が地球に衝突するとい
うので騒ぎ立て、ありもしない世界の終りに僕らを捲
きこみ、理性を失わせたあの晩のようなものさ。」
41@告白(6):01/11/18 16:19
「本当に大丈夫なのね。では言うわ。」彼女が言った。
「あたしたちの乳房が受ける感じって、どこまでも冷
たいのよ……。乳房って、あたしたちの肉情からは遠
い所にあるのよ、そうね、雪の消え残っている山みた
いなの……。男たちが乳房にする愛撫は、ただ酸っぱ
いだけよ……。最初に処女のあれに手をふれる男だけ
が、一度だけ、本当にあれにふれたというわけなの。
だって女の全身に警報が鳴り渡り、いよいよその時刻
が来たと知らせるこれが呼鈴(ベル)だという感じが
するんですもの。それっきり、乳房はもう何も感じな
くなってしまうの。」
42@告白(7):01/11/18 16:23
「では、僕ら男どもが、あれとたわむれている場合に、
あんたたち女は、僕らの有頂天なうれしがりも、生一
本な熱中も、まるで分ってはくれないというんだね?」
43@告白(8):01/11/18 16:23
「そうよ。あたしたちは冷静に、まともに男たちを見
守っているだけよ、もしも男たちの盲目な狂おしさが、
いつまでも続くようだと、あたしたちの乳房からは、
冷たい水のしみこんだ海綿が二つ落ちて来て、あたし
たちの感性をいよいよ冷却させるというわけよ……。
下品でいやらしいたとえだけれど、あの時の男って、
何かかくし持ってはいないかと、女の胸ぐらへ無遠慮
に手を突っこんで、いつまでも探り続ける警官に似て
いると言いたい位よ……。」
44@告白(9):01/11/18 16:25
そのあと、どう満してよいやら分らずに、ふたりが途
方にくれる沈黙があった。感性のまるでない乳房、僕
を嘲笑するはずの乳房、僕の両手をさげすむ乳房に、
どうして僕が触れ得ようぞ?
45@告白(10):01/11/18 16:25
「よく正直に言ってくれた……。では、さようなら。」
46@告白(11):01/11/18 16:29
「さようなら」と、彼女が言った、毛皮に身を包みな
がら。「でも、忘れないでちょうだいね、あたしがま
だ誰にも言ったことのないことをお話したということ
だけは。別れたあとも、友だちとしてお目にかかりま
しょうよ……。誰れにもしたことのない告白をひとり
の男のひとにしたということは、誰れにも与えたこと
のないものを差上げたということですものね。」
47@告白(12):01/11/18 16:29
「さようなら。」ドアのところで、僕が言った。そし
てオーバーを着ると、居どころの知れている乳房の方
へと歩き出した。当然、その乳房も、僕をひとりよが
りの、呑気ものと信じて軽蔑する筈。
意地のわるいその男は、蛇そっくりの偽善者だ。判断
力も肉体も、ふたつながら狭隘、目は小さく、顔には
虱退治に使う黄いろい毒の粉末を塗っている。
数人の容疑者をむごたらしく裁判し、人生享楽に称賛
に値する強い意志を示した数人の男たちを、太陽の光
から遠のけた上で、満足して帰宅する。夫の帰りの時
刻を心得ている彼の妻が、待ちうけてドアを開らく。
石みたいに硬くてむごい胸板に、温室育ちほども内気
な乳房を感じるうれしさでいっぱいな宗教裁判官が、
妻に接吻する。
「すてきなコントラストよな!」舌なめずりしながら
悪心者が思う。「わしがきびしいのは、妻のやわ肌の
胸乳(むなぢ)が満喫したいがためだ……。誰れかれ
の容赦なく、享楽に深ばまりしたり、形の美しいふく
よかな乳房を心ゆくまでいじりたがったりする奴を、
きびしくわしが罰する理由は、水いらずで、妻を愛撫
する時の楽しさが、おかげで一層甘やかに楽しくなる
からだ……。」
事実、この忌まわしい宗教裁判官が、うす気味のわる
い微笑を浮べて、伊勢えびを盛りあげた大皿に、食い
しん坊がとびついて行くように、夫人の乳房にかじり
ついて行くのは、きまって、大罪人の処刑の日、集団
処刑の日ときまっていた。
若者はとかく、近所の乳房を、階段を狩場に、しとめ
てやろうと夢想する。
階段、そこは、生気にあふれる乳房の持主、七階に住
むあの娘さんが、そそくさと降りて来る一本道だ。
彼女は降りて来る、とびはねるような足どりで、おか
げで乳房が一層目立つ、ありありと、どこにかくそう
術もなく。胸いっぱいに、これ見よがしに、とびはね
て。今が今、手を出す時ではあるまいか?
まだだ、まだ早すぎる。居住者全部の朝が、うまそう
なスープや煮こみ、世帯の匂いをぷんぷんさせて、出
会い、行き会う、この一本道に、乳房を慣らせて置く
べきだ。
朝の階段という、この栄光の道から、彼女の乳房は、
天へものぼれば、地上にも降り立ちそうに見える。
だまされ易い青春は、階段のこのような、どっちつか
ずの気楽さに刺激され、七階の屋根裏部屋に住むあの
乳房が、手に入りそうな気持になる。
やがて或る日、その青年は、ひそかに、決行の時を待
つ。自室のバルコニーから、彼はあの陽気な娘さんの
帰宅を見張る。彼は帰宅する彼女を見る、彼はまた見
る、自分のバルコニーの直下を通りすぎる時、彼女の
乳房がいかに造形的に美しいか、どのような具合に、
一歩彼女に先んじて戸口へ入るかを。
青年は、扉のうしろにひそんで待つ、乳房を踊らせて
階段を上って来る陽気な娘さんを。
階段の光線は、どことなく、逢引きの家の磨り硝子越
しに入って来る光線に、さもなくば、浴室内の光線に、
似る何ものかがある。
途中、彼女が何のために、とある踊り場に立ちどまっ
たものか、誰も理由は知らない。彼女は、彼以外の誰
やらからの手紙を読んでいるのだろうか? 腹だたし
い邪魔が入ったものだ! もしかすると彼女は、自分
を待ちうける悪魔に対する呪文を唱えているのかも知
れない。
彼はいつまでも、自室の扉のうしろにいる。彼女はと
いうに、彼女は安全のいよいよ最後をマークする踊り
場に、今しも、さしかかる。突如、青年が扉を排し、
身をおどらせて飛びかかる。
数秒間の格闘。彼女が彼を押しのけて、のがれる。彼
は気づく、階段で格闘する責任の重大さに。悲鳴が誰
かの耳に入らぬとは限るまい。彼は階段という場所は、
もっと聾なところだとばかり信じていた。扉という扉
が全部覗いて見ている、全部の扉が理解した、彼がや
りかけた暴行を。
階段というところは、怪しからぬ場所だと、青年たち
の全部が思ったものだ、階段での狩りを体験したあと
では。階段という奴は、冷淡で、用心深くて、恩知ら
ずだ。このような風変わりな場所、このような落着か
ない場所では、女はとかくその気にならない。
65@花乳房(1):01/11/18 17:04
この現象は、より高度の進化がとげられ、新しい女が
出現した時になって初めて、現われる筈なのである。
進化論の一種、生物変移説が説く過渡の一時期、それ
は数百年にも及ぶ一時期に、乳房は自然に開いて、花
心の縮れたあのカメリアの花の姿で咲く筈なのである。
66@花乳房(2):01/11/18 17:08
乳房にとって、この現象は苦しい筈だ、出産ふたつ分
も苦しい筈だ、その代り、乳房は新しい宝石に飾られ
ている筈だ。
67@花乳房(3):01/11/18 17:08
女たちは、乳房を大切にブラウスの中に守ることにな
る筈だ、彼女たちは怖れる筈だ、乳房がもしかしたら
散りはしないかと、あの説明しようもない形態に由来
する猥褻な、従ってまた挑発的なあの外見を失うので
はあるまいかと怖れる結果、女たちはブラウスの二ヵ
所を開いて、救うべくもなく永遠に花と化してしまっ
た蝋細工のカメリアとしか見えない生きた花なる乳房
をのぞかせることになる筈だ。
68@ピラールの乳房(1):01/11/18 17:12
この娘の乳房、これに手をふれ、これを愛撫したのは、
僕が最初だった。ひとり前の女たちの乳房に触る時同
様の激しさで僕はそれを始めたが、すぐに気づいて自
制した。理由は、歯の生えかけの乳児の歯ぐきさなが
ら、彼女が痛がるからだ。
69@ピラールの乳房(2):01/11/18 17:12
愛撫をつづける手の下でこの乳房が、次第に育ってゆ
くのが感じられた。「青いうちから摘み取って、せっ
かくの明日の実りを、わけもなく無駄にしているので
はないだろうか?」と、何度自問したことか。
70@ピラールの乳房(3):01/11/18 17:16
乳房たちは、ベッドの中のあか児さながら、不安そう
にもがいたり、食を求めてくちばしを尖らせたりした。
乳房たちが、接吻や愛撫以上に望んだのは、一日も早
く大きくなって飛び立つことだった。
71@ピラールの乳房(3):01/11/18 17:16
彼女はこの乳房を僕に差出すのだった、メダルや鍵の
ついた首飾り(ネックレス)と一緒に。鍵は内側が小
さな鏡になっていて、婚約ずみの娘たちなら、手紙を、
女中たちなら櫛をしまって置くような手箱の鍵だった。
72@ピラールの乳房(5):01/11/18 17:18
僕はいつまでも忘れないだろうと思う、彼女がそれを
僕に、差出した日、食べずにはすませなかったあの乳
房、初恋のいとも気軽な無慾さで、自分が所有する最
上の二つのボンボンのようにして差出したあの乳房を。
エロイーズの乳房ゆえに、フランソアとマルタンのふたりは、不倶
戴天の敵(かたき)になってしまった。各自(てんで)に一個づつ、
仲よく分け合うことも出来たはずなのに、彼らには、ついにこの考
えは浮かばなかった。彼女の方も、古着屋なみの頑固さで、乳房の
分売は望まなかった。
ばかげた論議の結果、男たちは、決局決闘で始末をつ
けようということになった。
決闘は厳粛に準備され、勝者がエロイーズの所有者に
なることに決った。
ぼやけた木立が、未明のうすやみの地上に浮びでる早
朝、ふたりの敵手は、邸外の、とある路上に辿りつき、
早速闘った。
「彼女の乳房のために!」いよいよ戦闘開始という矢
先き、昔の騎士が忠誠を誓った貴婦人に命を捧げたあ
のやりかたで、フランソアが高らかに叫んで言った。
戦闘は短兵急だった。そしてフランソアが地面に倒れ
た。するとひとりの女が茂みの奥から、風につまづき
ながら飛びだして来た。
立会人と招待客の群をかきわけ、負傷した男のそばへ
辿りつくや、彼女は上から屈みこんだ。
「息をひきとる寸前だ。」人たちのつぶやきが聞えて
いた。
「僕は死にます。」力のない声で彼が彼女の耳もとで
言った。ところが、ここで大事なロマンチックなあの
きまり文句、「あなたのためだと思えば、嬉しく死ん
で行かれます」を、うっかり言い忘れてしまった。理
由は彼が、心から彼女のために死んでゆく男だったの
で。
哀れになって、彼女が訊ねた。
「こうしてわたくしの乳房のために?」
「そうです、あなたの乳房のために。」
彼女は胸衣のホックを外すと、救急箱から起死回生の
妙薬でも取り出すように、片乳を彼に含くませた。彼
は暫くそれを愛撫していたが、次第に生気をとり戻し、
行く末長いエロイーズとの結婚生活の第一歩を踏み出
した。
86@童話の乳房(1):01/11/18 17:48
太陽お下髪(さげ)の十五歳のこの少女は、乳房を失
くして泣いていた。泣くわけは、まだ役にたってはい
なかったが、何か乳房には不思議な効力がひそんでい
ると気づいていたのと、自分が指針をあるものに期待
していたがためだった。乳房は女性を指南する梶棒だ
もの、泣いたとて無理もなかった。
87@童話の乳房(2):01/11/18 17:49
「あたしの乳房! あたしの乳房! どこで、あたし
ったら、乳房を失くしたのでしょう?」少女は気もそ
ぞろに泣き続けた。泣きながら、彼女は、森の奥へ奥
へと乳房をさがして深入りした。
88@童話の乳房(3):01/11/18 17:50
「あたしの乳房! あたしの乳房!」と、繰りかえし
ている間にも、彼女の両手は自分の胸あたりに、乳房
のふくらみを探し続けた。
89@童話の乳房(4):01/11/18 17:50
少女はひとりの老婆に行きあったが、どうしたのかと
その老婆が尋ねた。
90@童話の乳房(5):01/11/18 17:53
「あたしの乳房を失くしましたの。」盗難にでもかか
った女の大袈裟な身ぶりで少女が答えた。
91@童話の乳房(6):01/11/18 17:54
「ああ、そうなの! かわいそうに、鳥が来てあなた
の乳房を取りあげて行ったのね……。その大きな鳥に
は、自分に他の高等動物並みの乳房がないことだけが
なやみだったのね。うっとりするほど立派な乳房があ
る鳥は、天使の住居(すまい)のドアもノック出来れ
ば、自分の身についた地上の乳房のおかげで天国へも
行けるんだから。」
92@童話の乳房(7):01/11/18 17:55
乳房を失くしたその少女は、それが永久に失われたも
のときっぱりあきらめることにした、そして一生の間、
両手をあらぬ乳房のありどころに、乳房恋しい思いを
こめて、押し当て続けたものだった。
それは黒人女神像の最高を現わすとされている。もと
もと黒人というのは、あらゆる種類の乳房のイメージ
を満喫しつくしていて、巨大なのも、長くてしゃんと
立ったのも、こぶだらけで臍下までたれ下がったのも、
珍らしがらない連中だ。多分そのためらしいが、彼ら
が珍重するのは、専ら超自然の乳房に限る。
無数に乳房のある女神像には、神々を籠絡し、引きつ
け、慾情させる力があるとされている。
彼女はどんな風にも吸わせておく、彼女には不滅の女
性の勢力が備わる。女たちは驚いて彼女を眺め、長い
のや、生き生きしたのや、横柄な腕みたいな恰好に張
りきって、神々を抱きよせ自分の周囲に平伏させる無
数の乳房を羨望する。
この女神像の前に立たされる人間の手は、どの乳房を
握ったものかと戸惑うことになり、全部を束にして握
りしめることになるので、まんなかに置かれた乳房は、
劇場の入口の人ごみや、行列行進にまきこまれた子供
みたいに圧しつぶされることになる。
97@乳房の香気(1):01/11/18 18:07
そのペルシャの王様は、乳房の香気について実験され
たというわけだ。もともとペルシャの王様連というの
は、すべて感覚上の快美感の偉大な発見者なのだ。彼
らは自分たちの実験室に、女を飼育しており、これに
あらゆることを試み、あらゆる極端な成果を体験する
わけだ。
98@乳房の香気(2):01/11/18 18:07
モゴール三世と名乗るこの王様も、或る日の夕、サロ
ンの高い天井近い片すみに退屈の蜘蛛の巣を視線で織
りなしていられた時、ふと気づかれた、絶美の乳房の
乳首にマッチの棒で点火してごらんになりたいと。
99@乳房の香気(3):01/11/18 18:13
新しい香気を立てる香炉もがなとのおこころから、モ
ゴール三世王は、白磁の香炉に焚く小麦いろの煉り香
というお見立てで、作ゆき見事な乳房を選び終った。
100@乳房の香気(4):01/11/18 18:14
何とも馥郁たる香気だった! それは宮殿の隅々まで
満ちわたったが、但しそれを味わったのは、想像力豊
な男たちに限られた。他の人たちが、かいだのは、し
きりに回転させながら藁火と燠火で豚を焼いている最
中の屠殺場から流れでるあのこげ臭い匂いだけだった。
タッソー夫人の歴史博物館に置いてあるあの生き人形
の乳房ほど、興味のある乳房は、どこにもまたとなさ
そうだ。あの博物館内のおびただしい死んだ女たちの
蝋細工の乳房の大群にとりまかれていても、僕は実は
平気でいられたものだった。理由はそれらの乳房が問
題外に置かれていて、もはや敵意もなければ欺瞞もな
いという気がしていたからだ。ところが、その時ふと、
僕はショーケースの奥まったところに眠っているひと
りに女の双の乳房が、瞼をとざして眠っている乳房に
いかにもふさわしい平静なリズムで鼓動していると、
気づいたものだ。
カタローグの説明によると、この人形はヘチュイルリー
宮殿夜襲の際に戦死したルイ十六世王の新衛隊長陸軍
中佐の未亡人、二十二歳で断頭台上の露と消えた、サ
ン−タマラント夫人の在りし日の姿だとある。
ここで初めて僕は、注意して彼女の乳房に見入ったも
のだ、なぜかというに、断頭台の露と消えられたとは
言うものの、彼女の乳房が今になお鼓動しつづけてい
るからだ、言わばこれは元気一ぱいな健康体で、全身
の血液の循環も完全な状態で死亡した女の余生のよう
なものなのだ。
博物館の奥にある或る仕掛が眠るこの美女の乳房を生
動させているわけだった。彼女はと見るに、ダンテル
のうず高いゆりかごの中に横たわり、両の乳房はむき
だしに近く、肌いろはやや黄ばみ、そのためかえって
肉感ゆたかだ。
この乳房見たさに、もう一度見たさに、僕はロンドン
に戻ったが、まだこの上、一度や二度は、これからも
戻って来そうだ。あの乳房、あれこそは実に、乳房の
象徴、ありとあらゆる乳房の中で、最高に生気のある
乳房、あの世に於けるありとあらゆる乳房の意外な姿
態、陶然と宮殿のひとりぐらしにひたりきり、二度と
目覚めるあてどなしに、永遠に眠ってしまわれたプリ
ンセスの乳房との出会いだからだ。目の前の乳房とシ
ュミーズのダンテルは、世にも純粋な生命の中にあっ
て息づいているのだった。そこにあるその乳房こそ、
正しく沈黙の乳房であり、独り居の乳房だった。乳房
の概念の最も純粋なものだった。
106目次:01/11/18 18:39
>>1
>>2-13 窓の乳房
>>14-29 近東の乳房商人
>>30-32 世捨人
>>33-35 ばらばらな思いつき三
>>36-47 告白
>>48-51 宗教裁判官の妻の乳房
>>52-64 階段での乳房狩り
>>65-67 花乳房
>>68-72 ピラールの乳房
>>73-85 乳房のための決闘
>>86-92 童話の乳房
>>93-96 無数に乳房のある偶像
>>97-100 乳房の香気
>>101-105 サン−タラマント夫人の乳房
107吾輩は名無しである:01/11/18 19:08
以上ですか?
2ちゃんねるでこんなことをやってしまって済みません。
でもおかげでずいぶんタイピングが早くなりました。
http://thibusa.tripod.com/ に今回の成果をまとめました。
最初はホームページで公開するつもりはなかったのですが。

皆様にご迷惑をおかけしたことをお詫びします。
109吾輩は名無しである:01/11/29 16:37
わざわざ垢取ったんだ(笑
110吾輩は名無しである:02/01/09 23:27
赤毛のアンも豊満でふくよかな乳房してたんだね。
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/book/993795369/l50
111それにしても:02/01/13 17:30
なかなかdat落ちしないものですね。
112名無しさん:02/01/13 17:35
age
113吾輩は名無しである:02/01/13 17:42
>112
ここはsageで書くのが伝統のスレなんだけど、
なんであげるのかな? 別スレと関係でもあり?
114吾輩は名無しである:02/01/13 23:32
>>112
dat落ちがまた遠くなる・・・
115吾輩は名無しである:02/01/14 13:03
本スレとは直接関係ないけど、
「チャタレイ夫人の恋人」のヒロイン、コニイの乳房も魅力的だった。
出版当初、「わいせつ」とさんざんに批判されてきたけど、
でも、健全な恋愛行為は性交渉って不可欠なんだよね。
その点タブーとされてきた性について
作品で堂々と取り上げたロレンスは偉大な作家だと思った。
今では、完全版まで出版されているし。

性交渉を伴わないプラトニックな男女関係は、単なる「友情」であって
「恋愛」とは言えないのである。
でも多くの作家は「わいせつ」という壁を打ち破れず
プラトニックな範囲での著述にとどめているあたりは、実に残念なことだ。
116 :02/01/22 21:24
age
117吾輩は名無しである
sageててもカキコミがあれば、ナカナカdat落ちはしないよ。