大西巨人

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1名無しさん@まいぺーす
 大西巨人のスレッドがまだないようなので、立てて見ました。
 巨人館の掲示板も、閉鎖されたまま、再開されないので、その分、ここで色々な意見を聞ければと思います。
『神聖喜劇』から、現在ネットで連載中の『深淵』まで、作品の感想や評論の魅力、思想など、ご自由に。
 『創元推理』21に掲載された、第8回創元推理評論賞佳作の石橋正孝「ウィルキー・コリンズから大西巨人へ−『探偵小説』再定義の試み」は、なかなか面白い評論でした。選考委員の3氏が、大西巨人をどれだけ読んでいるのか、少し疑問ですが。
2吾輩は名無しである:01/10/13 01:43
なんでもありになってるな。
3吾輩は名無しである:01/10/13 02:22
大西巨人…まえもスレあったよね。興味はあるけど読んだことないや。
近所の古本屋で三位一体のなんとかってのがあったけどどうですか?
4o.c.o.e:01/10/13 02:46
いや、ちょっと前に大西巨人スレ立ってたけど、
50ぐらいまで行ってあえなく消えてた。
再度大西巨人スレがたったのは嬉しいが、
1はもう少し腰を定めて文を書いてくれ。

ついでに、この前の夏休み屈指の思い出は
『神聖喜劇』を一冊200円、
5巻千円でかえたことだった。
自宅から徒歩30秒の古本屋で大岡昇平を探していたら
大藪晴彦か誰かのあいだに挟まってごく自然と陳列されていた。
古本屋の無知には恐れ入る。
勿論、寒い財布から500円玉二枚だして買ってかえった。
冒頭は一読したものの、翌々日には学校が始まり、
今は本棚の奥に包装してしまい込んである。
5名無しさん@まいぺーす:01/10/13 03:31
>>04
1です。そうですか。前にもあったんですか。無知で申し訳ない。今度は、続くように頑張りたいですね。
お買いになった『神聖喜劇』は、文春文庫・ちくま文庫のどちらでしょうか。僕の経験では、新しいちくま文庫版は、部数が相当少なかったせいか、殆ど古本屋で見たことがありません。いずれにしても、いい買い物ですね。ぜひ、通読してください。
6草双紙趣味:01/10/13 11:18
「俗情との結託」など論争的つーかけんか腰の評論も
大西入門にグー。
7fishman:01/10/13 22:01
>4さん
我が家の神聖喜劇(文春版)は5冊で500円でした(笑)
何度も何度も読み返しているので、ボロボロです。
筑摩版で買い直そうかなぁなーんて思っています。
ホント、是非通読してみて下さい。
8名無しさん@まいぺーす:01/10/13 23:53
>>03
『三位一体の神話』は、文学的才能に劣る作家が、嫉妬心から、もう一人の優秀な作家を殺す物語です。
倒叙ミステリーの形式を採っています。ただし、謎解きやトリックに中心があるわけではないので、過度の期待はしないほうがいいでしょう。
個人的には、徹底した善玉・悪玉の構図で、文壇批判、学歴社会批判が行われている点に惹かれます。
とりあえず、買いを勧めます。
9名無しさん@まいぺーす:01/10/15 03:35
『神聖喜劇』が絶版なのもきついけど、その他の小説が読めないのはさらに絶望的。
『天路の奈落』や『地獄変相奏鳴曲』などは、どうすれば読めるのでしょう。やっぱり
図書館ですかね。
10吾輩は名無しである:01/10/15 19:21
このご時世『神聖喜劇』はもっと積極的に語られるべきかもしれないな。
ageておこう。
11名無しさん@まいぺーす:01/10/15 23:05
去る13日(土)、明治学院大学白金校舎で、中野重治生誕99周年のイヴェント
があって、大西巨人の座談があったんですね。全然、知らなかった。不覚です。
中野の「雨の降る品川駅」をめぐってという話題だったそうで、「コンプレックス
脱却の当為」というエッセイに書かれていることが中心になったと思うのですが、
それにしても残念です。次のチャンスは、いつだろう。
12吾輩は名無しである:01/10/16 15:22
>8さん

すが秀実の「文芸時評というモード」をおすすめします。
「三位一体の神話」の批評が載ってる。
すごいよ。この読みの深さは。
13吾輩は名無しである:01/10/16 15:45
>9
俺も図書館で借りて読んだくちでした。
『神聖喜劇』はブクオフで一冊100円で買ったけどね。
14吾輩は名無しである:01/10/16 15:51
15名前はまだない:01/10/16 21:23
↑14
大西巨人のスレッドにエロサイトのアドレスを貼るな!
と、いうわけで、お口直しに、「巨人館」のアドレスを、どうぞ。

http:www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/oniahi/kyojin.htm
1615:01/10/16 21:27
アドレスが不正確でした。こっちが正しいやつね。

http:www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/kyojin.htm
1715:01/10/16 21:35
ごめん、また、間違えた。ボケてるね。今度こそ、これが本当です。

http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/kyojin.htm
18fishman:01/10/16 21:44
>15さん
急にカウンター数が伸びて巨人びっくり!なーんてことには…ならないか。。。
『深淵』じっくり腰を据えて読んでみたいですね。
お疲れさまage
19名無しさん@まいぺーす:01/10/17 00:56
「なかざき」さんという方が作ってた、「大西巨人資料館」(文学観だったかもしれ
ない)というホームページがいつのまにかなくなってしまいましたね。データベース
として楽しみにしてたんですが。
20渡部昇一:01/10/17 01:20
∩Ψ∩   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
( ゚ё゚)  <巨人はコドモつくっちゃダメ!
( つつ  |
(__)_)    \_______
21名無しさん@まいぺーす:01/10/17 01:32
>>20
人非人・破廉恥漢・低脳・恥を恥とも思わぬ恥の上塗り・人の皮をかぶった
ケダモノが何か言っていますね。
谷沢永一と無駄話して、駄本を出すのに専念しなさい。
22123:01/10/17 01:35
23名無しさん@まいぺーす:01/10/17 01:40
↑22
エロサイトを貼るな! 「えっちねた」でやりなさい。
24吾輩は名無しである:01/10/17 09:43
>>23
これマルチポストですよ。各板の一番上のスレッドに勝手に業者が張ってる。
25名無しさん@まいぺーす:01/10/17 19:48
>>24
あっ、そうなんですか。ありがとうございます。一人でエキサイトしてしまいました。
26吾輩は名無しである:01/10/17 19:52
20は地味に大西巨人に詳しいな。
27吾輩は名無しである:01/10/18 07:13
age
28吾輩は名無しである:01/10/18 18:35
『神聖喜劇』はゼミ発表で取り上げるヤツがいたので読んだことがある。
あぁ、もう20年近くも前のことになる(遠い目)。
いまどきの若いもんが巨人の小説を読むんだろうか?
とりあえずage
29吾輩は名無しである:01/10/18 18:38
読まない
小説書いてたのも知らない
当選したことを知って、メラメラと憤りを感じている。
30吾輩は名無しである:01/10/18 20:20
>29
当選って何?
31名無しさん@まいぺーす:01/10/18 22:52
>>29
何か勘違いされているのでは?
32吾輩は名無しである:01/10/18 23:16
>29は綿野りさスレの誤爆とみた。
33吾輩は名無しである:01/10/18 23:49
>>29
大橋巨泉???
34吾輩は名無しである:01/10/18 23:52
>>33
多分正解。
35名無しさん@まいぺーす:01/10/18 23:56
龍生書林(東京都大田区池上4−29−1、電話03−3754−6755、Fax
03−3754−1279、E-mail [email protected])の古書目録「りゅうせい」
第44号が届きました。大西巨人の本が載っていたので、幾つかピックアップしておきます。

2498 戦争と性と革命 カバー帯美 3,800
2499 時と無限    カバー(少傷)帯 2,000
2500 巨人雑筆    カバー帯美 2,000
2501 遼東の豕    カバー美  2,000
2502 地獄変相奏鳴曲 函帯美   3,500
2503 三位一体の神話 上下 函帯美 6,000

少しずつ古書価が上がっているような感じです。
>>09
『地獄変相奏鳴曲』は、チャンスかもしれません。連絡されてみては? 
36名無しさん@まいぺーす:01/10/20 00:23
>>12
ご教示ありがとうございます。すが秀実『文芸時評というモード』は、一読したことが
あります。『三位一体の神話』の亀裂・空白を含んでいる点に、近代批判の可能性を見
取る点、批評家らしい意気込みを感じました。個人的には、同書の『底付き』評がより
気になっています。というか、『底付き』自体が未だによく分からない話で、謎である
ということがあります。すが秀実は、現在最も大西巨人を評価している批評家ですね。
少し前の『ユリイカ』の小林秀雄特集号でも、なぜか強引に小林秀雄と大西巨人とを結
び附けて、論じていました(同じ号の丹生谷貴志文も、大西に論及)。他にも、よく引
き合いに出しています。ファンとしては、ちょっと嬉しい心意気ですね。
37吾輩は名無しである:01/10/20 01:39
 数年前に友人に誘われて「本郷文化フォーラム・連続講座 大西巨人氏にきく」に参加したことがあります。
 硬骨の九州人というイメージを持っていたところ、思いの外、愛嬌があって好感を持ちました。
38名無しさん@まいぺーす:01/10/20 22:48
>>37
大西さんに、初めて接した人は、大体同じ印象を持たれるようですね。小柄ですし、
しゃべり方もゆっくりで、穏やかですし。でも、その話を聞いていると、やはり妥協を
しない、リゴリストたる側面が浮び上がってくるんですね。本質的に「怖い人」であり、
接する者の襟を正しめるものを持っているように感じます。ただし、それは、付き合いにくい
人や変人ということとは、全く別ですけれども。
39吾輩は名無しである:01/10/21 00:14
29〜34
かなりワラタ
40JPB@改:01/10/21 00:28
『神聖喜劇』を読んで思うのは、ある種の真面目さを突き詰めていくと
滑稽さに変わっていくというところだろう。あの主人公の姿勢を
「真面目さ」と呼ぶのはどうかとも思うけれど。
41名無しさん@まいぺーす:01/10/21 00:34
>>41
「滑稽さ」というのは、否定的評価ではありませんよね?
東堂太郎の姿勢を生真面目とのみ評価するのは、誤りだと思いますが。
42名無しさん:01/10/21 00:51
大西巨人って図書館でもみつからないんだよな。
がっくし。
43名無しさん@まいぺーす:01/10/21 00:58
市立図書館などは、リクエストさえすれば、結構購入してくれますよ。
絶版の場合は、ちょっと難しいですが。
都立中央図書館や国会図書館には、おおよそ揃っていますが、借りられないのが、
致命的ですね。
44JPB@改:01/10/21 01:15
>41さん
そう。肯定的評価。そこに『神聖喜劇』の滋味がある気がする。
45名無しさん@まいぺーす:01/10/21 01:50
>>45
了解。禿げしく同意です。
46吾輩は名無しである:01/10/21 03:14
読んだこと無いけど、後世に残りそうな人なんですか?
47名無しさん@まいぺーす:01/10/21 03:32
>>46
例えば、武藤康史という屈指の読書家がいますが、その人は、「『神聖喜劇
は世界文学史上最高の傑作だし大西巨人は最も偉大な文学者だ」(『東京新聞』
1992年7月3日読書欄)と言っています。すが秀実・渡部直己『それでも
作家になりたい人のためのブックガイド』(大田出版)巻末の〈必読小説五〇選〉
にもランクイン。また、評論家の故篠田一士氏は、「『神聖喜劇』は、題材、主題、
さらに、これを実現したロマネスクの成果において、たんに現在といわず、明治以来の
わが近代小説史上、画期的な作品として、これからさき多くのひとびとによって読み
つがれるであろうし、また、さまざまな論議をよぶにちがいない。」(『創造の現場から』
[小沢書店])と書いています。
一般的知名度は未だしというところがありますが、心ある評者の間では、圧倒的に高い
評価がなされているというのが現状です。
48草双紙趣味:01/10/21 20:05
むかしむかし
あるところに「神聖喜劇」を読んで
深い感銘を受けた大学生がいました
新刊で「天路の奈落」が出たので
とびついて読みました。
それなりにおもしろくは読んだものの
「これが巨人センセイの言う『カラマゾフの兄弟』
より少しましな作品なの??????」
頭の中にたくさんの疑問符がうかびました。
それから大西巨人をむやみに神格化する
ヒヒョーカが信じられなくなりましたとさ。
めでたしめでたし。
49名無しさん@まいぺーす:01/10/22 05:49
>>48
確かに、大西巨人を怖がってむやみに持ち上げる批評家はいますね。僕の印象では、
吉本隆明なんかにその気配が感じられます。ただし、『天路の奈落』を誉めた批評家
となると、ほとんどいないのではないでしょうか。鷲田小彌太が絶賛した以外に肯定
的に捉えた以外は、その例を思い出せません(そう言えば、武藤康史が格闘小説として
評価していましたね。笑)。あるいは、「草双紙趣味」さんは、それ以降の大西の小説
にも、違和感を持っていらっしゃって、例えばすが秀実などの評価に納得できないもの
を感じておられるということでしょうか。
 僕も、『天路の奈落』は、『神聖喜劇』に比べると、やや低い評価になります。
「それなりにおもしろくは読んだ」というのは、最初に読んだ印象と重なります。
ただし、その後、『神聖喜劇』の方法・題材をそのまま踏襲していない点を、積極的に
考える必要があるように思い始めました。『神聖喜劇』と『天路の奈落』との差異は、
戦中と戦後との相違にも対応しているのではないか、という仮説を持っています。
ただし、そうは言っても、大西巨人の中期以後の作品は、まだまだよく分からないところ
が多くて、もどかしい思いもしています。
 よろしかったら、また、意見を聞かせてください。
50fishman:01/10/22 14:52
>49さん
確かに『神聖喜劇』以外の大西作品をどのように受け止めるか?
というのは難しい問題かもしれません。「戦争」という大きな主題を
抜きにして、果たして『神聖喜劇』と比肩しうる作品は生まれ得るのか?
そんなことを考えました。生まれ得ると言いたいのですが。。。

このスレが『神聖喜劇』スレに変わっていったとして、それが1さんの
意図したところとずれてしまうのではないかと危惧するのですが、少しだけ。
上で滑稽という言葉が挙げられていましたが、それは勿論ユーモアと変換可能
ですよね?多くの戦争小説が悲劇的であるのに対して、この作品に神聖な喜劇
という名が冠せられている所以は正にそこにあるのだろうと大きく肯きました。

今、『神聖喜劇』を徹底的に語り合いたいという欲求に溢れているのですが、
この巨大な作品をどこから語り始めればよいのか。。。
51リアル厨房:01/10/22 19:45
>>50
>確かに『神聖喜劇』以外の大西作品をどのように受け止めるか?
私も似たような問題意識を持っています。そこで、一緒に考えてい
ければということで問題提起をします。

大西はミステリーというジャンルにこだわっていますが、私はここ
に注目したい。ミステリーは解決不可能(かもしれない)事態を探
偵(など)が解決に導いていきますが、これは「表象不可能なもの
をいかに語りうるか」という問題につながると思います。大西はミ
ステリーを通じてこの大きな問題に取り組んでいるのではないでし
ょうか?と思います。
いかがですかね?
52fishman:01/10/22 20:55
>リアル厨房さん
正直、ミステリーは不案内で、ジャンル論内での通り一遍のことしか
言えそうにないですが、大西が「表象不可能なものをいかに語りうるか」
という問題設定と取り組んでいるということに対しては、取りあえず
肯くことが出来そうです。時にリアル厨房さん『神聖喜劇』もまた
ミステリーとして読むことは可能でしょうか?個人的にはそれに対して
そこはかとない違和感を覚えるのですが。。。
53名無しさん@まいぺーす:01/10/23 08:02
>>リアル厨房さん
「表象不可能なものをいかに語りうるか」という問題意識を大西が持っていることは、
その通りかとも思いますが、それだけではまだ、漠然としているような感じもします。
もう少し、限定した表現に言い換えることは可能でしょうか。
 『三位一体の神話』以降の大西作品には、ミステリーの要素があることは明らかですが、
犯行計画の緻密な記述や計画それ自体の凡庸さ、あるいは、結末への急展開、意外性の放棄
などの特徴は、ミステリーというジャンル自体への批評を含んでいるように思われます。
そのあたりのことを含めて、大西の営為を考えたいのですが、まだまだうまくまとまり
ません。ご意見をお聞かせください。
>>fishmanさん
スレッドを立てたものです。漠然とした投稿名を使っており、分かりにくいと思いますが、
48も私です。大西のことなら、何でも大いに語ってください。遠慮は、ご無用、『神聖喜劇』
への思いを存分に記していただければ幸いです。
『神聖喜劇』にも、ミステリーの要素がないことはないと思います。剣鞘すり替え事件の
解明過程などは、まさにそれに該当するのではないでしょうか。ただし、ゲーム的にそれを
楽しむ姿勢が拒絶されていることは、注意する必要があるでしょう。また、東堂太郎は、ハードボイルド
の主人公に重なるような気がします。もちろん、作品全体をミステリーの枠に納める事は、
暴論だと思いますが。
54fishman:01/10/23 20:00
>53さん
丁寧なレス有難うございます。『神聖喜劇』とミステリーの関係について
指摘したかったことは概ねその通りです。

ハードボイルドの主人公というのは、律というか原則が、行動に先立ってあると
いう意味においてでしょうか?その意味においてであれば同意です。

話が交錯しそうなので、ちょっとリアル厨房さんのレスを待ちますか。。。
55吾輩は名無しである:01/10/24 01:13
文学板らしいですね。高度。
56名無しさん@まいぺーす:01/10/24 18:24
>>fishmanさん
「「転形期」の思考・花田清輝」というスレッドが、よく「大西巨人」スレッドと並んで
いるなあという印象がこの前からあり、『新日本文学』編集長・編集員つながりだと、勝手に
思っていたのですが、初めて向こうを覗いて分かりました。両方にfishmanさんが書き込みを
なさっているために、並列することが多いんですね。どちらも、着実にレスが伸びるといいの
ですが。それから、fishmanさんは、まだ20代でお若いんですね(ちなみに、当方は、39歳
です)。28の「吾輩は名無しである」さんが「今どきの若いもんが巨人の小説を読むんだろうか?」
と疑問を呈しておられますが、とりあえず、答えはイエスということになりますね。
 閑話休題。東堂太郎がハードボイルドの主人公に重なるというのは、行動原理が確固としているという
のはもちろんのこと、あと、禁欲的な姿勢や挑戦的な物言い(大前田班長や堀江隊長への減らず口など)
をも含んで、イメージしたことです。ただし、これも、単に孤独を好むとかと言うのとは、違いますが。
57fishman:01/10/24 19:45
>56さん
『新日本文学』繋がり。。。いや、まぁ普通そう思いますよね(笑)
入れ込んでいる二人が、偶然そのような線上に並んでいたというのが
実際です。

ハードボイルドの件、了解です。ただ、ちょっと付け足しておきたいのは、
例えば模擬処刑の場面で、東堂は「思わず」立ち上がるわけですよね?
それは確かに、不正許すまじというか、法解釈に対して厳格であれというか、
それまでの東堂の律に沿っていると読むことが出来るかも知れませんが、
ハードボイルドという一言で括られる一面的な人物造形からは明らかに逸脱
しているように思えるのです。東堂という人物の(少し分かりづらい)多義性
っていうのは、この作品の一つの肝であり、そこは大事にしたい気がします。

何だか、難癖つけるような形になってごめんなさい。ここで、いろんな
方からのお話を聞くことで、少しずつ『神聖喜劇』の何を語りたいのかが
見えてくるような気がしています。お付き合い下さい。

あ、決して大声で言えるほど若くはないです(笑)
58吾輩は名無しである:01/10/24 23:54
『神聖喜劇』ってどんな小説なんでしょう?
このスレ読んで興味わいたんだけど、具体的な
イメージが浮かばない。簡単に手に入りますか?
59吾輩は名無しである:01/10/25 00:08
たしか、絶版でしょう。
ブックオフあたりで安く手に入ることもあるが、
簡単に手に入るという訳ではない。
しかし、異常に記憶力が良い主人公という設定は
奇想ともいえるな…
60リアル厨房:01/10/25 14:09
すみません、遅レスで。ここんとこちょっと忙しかったので。
>>52
『神聖喜劇』をミステリーと読むのは…難しいでしょうね、きっと。
ただし、大西巨人はあの戦争を「語りえぬもの」「表象不可能なもの」と捉えて
いてしかしそこから撤退せずに不可能だからといってあきらめずに語っているん
だ、というように読むことは可能かもしれません。
これは単なる思いつきなんですけれども。
ただ、同じように戦争をテーマとしながらも、野間宏あたりとは戦争の捉え方が
かなり違うように思います。思うに、野間宏なんかはあの戦争を単に「語りうる
もの」として捉えているんじゃないかな。大岡昇平は割と大西に近い視点を持っ
ているように思えますが。
>>53
>ミステリーというジャンル自体への批評を含んでいる
私も同感です。私はミステリーに対してそんなに詳しいわけではなく通俗的な理
解しか持っていませんが、前にも書いたように「解決(表象)不可能(かもしれ
ない)もの」を解いていくことがミステリーの一つの特質とすると、その形式に
のりつつも批判するという二つの姿勢をとっているんじゃないでしょうか?
さらにいってしまえば、大西は戦後派でありながら戦後派批判者でもある。この
あたりの姿勢も大西のミステリーに共通するんじゃないでしょうか?
61名無しさん@まいぺーす:01/10/26 10:40
>>58
『神聖喜劇』について、例えば、『日本近代文学大事典』(講談社)には、以下のような
紹介が載っています(「大西巨人」の項。執筆者は、小笠原克)
「時は昭和一七年一〜二月、対馬要塞重砲兵連隊に入隊した補充兵たちと、教育にあたる
士官、班長、古兵たちとの混沌多様な相関が、主人公−虚無主義者ながら、戦死する人民を
見殺しにする偸安、怯懦を潔しとせぬ東堂太郎−の目と心と無類の記憶力、論理力を駆使して
描出される。軍隊の全構造に向けた東堂の批判力は単なる個人的抵抗の域を脱し、軍隊内務令、
砲兵操典、陸軍刑法など軍そのものを支える規律を逆手にとり、博引傍証がさらに連鎖反応的に
事件や心理への細大漏らさぬ論理的追尋を累積させ、上級学校出、農工商出自の庶民、未解放
部落民の各階層階級相互間の抑圧された意識感情をも腑分けしつつ、それらの坩堝のなかでからく
もおのれを恃し「明日」なき時代の参戦、革命、生死の意義をまさぐるのである。さらには東堂
自身の自己解析を通じて武士道の倫理や事実に即する精神や未来を指顧する論理などの構造が
剔抉され、また彼自身の「情事」にかかわる知的イメージの世界に読者は連出されるし、兵営内の
「エロ噺」すらもが日本的伝承のなかから重々しくかつユーモラスに開顕するのもみごとである。
超人的記憶力を有する主人公はいわば反英雄的英雄だが、綿密な構成と展開のなかに彼を動かす
作者の方法は、この大作を単なる戦争文学、軍隊小説にとどまらせることなく、国家権力とその
構造の全体的根本的把握に向かっており、日本帝国主義の「神聖」な「喜劇」を、現代社会への
鋭い諷刺をはらんで創造しえている。」
この紹介は、相当要領よく『神聖喜劇』の内容を紹介しています。ただし、厄介なのは、それでも、
作品の魅力はうまく伝わらないことです。
 基本的なところから言っておくと、まず、長いです。全5巻、約2500ページ。それから、読み
易いとは言えません。それから、かなり難しい言葉遣いがなされています。さらに、作品の作りが実験的
です。一日の午前中の出来事が500ページを費やして書かれていたり、一つの言葉の語源をめぐって、
百件ぐらいの資料の引用が並べられていたりします。
 ただ、堅苦しい小説では、必ずしもありません。非常にスリリングな展開や場面が随所に登場し、映像的でも
あります。難解で、愉快な小説と評した人がありますが、それが一番的確な言葉かもしれません。
 今現在、残念ながら絶版です。近くの図書館をまず探し、駄目なら古書店を回るしかないでしょう。早く
復刊してもらいたいですね。
62吾輩は名無しである:01/10/26 21:03
逆に言うと、なぜ復刊してくれないのでしょうか。
こういう作品こそ、講談社文芸文庫とかに入れて欲しい。1冊3000円しても
俺は買う……かな?
63吾輩は名無しである:01/10/26 22:24
ちくま文庫時代の「分売不可」が全てを物語っています。
要するに、売れ行きが相当悪かった、ということでしょうね。
64名無しさん@まいぺーす:01/10/26 23:15
>>62
講談社文芸文庫は、担当者が大西巨人を嫌っていて、刊行されないという
噂があります。
>>63
ちくま文庫の『神聖喜劇』は、毎月一冊刊行でしたから、最初はバラで買えたと
思います。「分売不可」は、しばらくたってからのことではないでしょうか。いずれ
にしても、ちくま文庫の重版を僕は見たことがないので、それほどはかばかしい売れ行き
ではなかったのは、確かでしょう。世の中、なかなか、うまく行きません。
65吾輩は名無しである:01/10/26 23:23
だから、なんであいつは当選したんだ?
66名無しさん@まいぺーす:01/10/26 23:27
>>65
だから、それは、大橋巨泉。
ネタにしても、つまらなすぎる。sage。
67吾輩は名無しである:01/10/27 00:09
>>64
そういう事情もあるんですね。なんだかなあ・・・・・・
68JPB@改:01/10/27 10:30
>>61さん
そう。その解説文はその通りだけれども、かなり硬い印象をトータルで思わせる。
とっつきにくさというのは、ああまた戦争文学か、また国家とその告発か、という
萎え感を読者に与えてしまうことだとも言える。
ただ、戦争っていうのは特殊な状況ではなく、むしろ生の常態だと考えると
『神聖喜劇』は様々な示唆に満ちている。だからとりたてて、これを戦争という
テーマと結び付けると解説の記述は書かれた時代相を引き受けちゃってるんだ
ろう。
東堂は現代でも、おそらく東堂として生きてしまっただろうと、おれなんかは
想像して、そうだったらどうだろうなあとわくわくするけど・・・
69fishman:01/10/27 21:16
>68 JPB@改さん
>東堂は現代でも、おそらく東堂として生きてしまっただろうと、おれなんかは
想像して、そうだったらどうだろうなあとわくわくするけど・・・

ここはもう激しく同意で、東堂をマシーンというかサイボーグの
ようなものとして捉えると、非常に分かりよい気がする。それは
つまり、ハードボイルドになぞらえて語りたかった「原理的」という
ことと繋がってくるように思う。

>>60 リアル厨房さん
こちらも遅レスでスマソ。野間の名前が挙がりましたが、
野間との差異をはっきりさせるには、大西自身の「俗情との結託」
及び「再説 俗情との結託」を参考にするのが近道かと思います。
簡単に言えば野間が軍隊を「特殊な境涯」として、社会から切断
してしまうことに、大西の批判の中心があると思うのですが、これでは
簡略化しすぎて何も言っていないのと一緒なので、ちょっと読み直します。
お時間下さい。
70fishman:01/10/27 21:35
>>61 名無しさん@まいぺーすさん
『日本近代文学大事典』って。。。ひょっとして所有してるんですか?
す、すごい。この解説文は確かに簡潔で読み終わった人間にしてみれば
「なるほどなぁ」なんですが、確かに魅力を伝えて余りあるという訳で
はないですね。。。

自分が『神聖喜劇』を読んだときのことを思い出してみるに、
大笑いしながら読んだ印象が非常に強い。過剰に健康というか、
過剰な論理力がかくも人の笑いを誘うものかと感動しました。
何というか、確かに取っつきにくくはあるんだけど、読み始め
てしまえば、決してあの分量が苦痛になることはないはずと声を
大にして言いたいです。

色々考えてみるに、『神聖喜劇』では二項対立がわりと分かりやすい
形で用いられていると思うのだけど、その各項が必ずしも同一人物に
固定されて割り振られていない。ここら辺を詰めてみたいなぁなんて
思ってます。
71名無しさん@まいぺーす:01/10/29 00:04
>>60
戦争における「語りえぬもの」「表象不可能なもの」というと、僕なんかはつい、アウシュビッツ・
ホロコースト・原爆などをイメージし、死者の記憶とどう向き合うのかという問題を思い浮かべて
しまうのですが、大西の戦争に対する取り組みは、それとは異質に感じられます。何度もお尋ねして
恐縮ですが、野間が語りえると思い、大西や大岡が語りえないと見なす対象について、さらに教えて
いただけると幸いです。
>>70
『日本近代文学大事典』、たまたま所有しています。今でも、これ以上のヴォリュームの文学事典が
出ていないのは、ちょっと寂しいですね。
7221歳男:01/10/29 01:32
アホカキコで申し訳ありませんが、
アホの私にはこれくらいの事しかカキコできませんのでお許しを
戦後日本文学党派性丸出しのMyBEST5
1 奇跡 中上健次
2 仮往生伝詩文 古井由吉
3 神聖喜劇 もちろん大西大先生
4 万延元年のフットボール 大江健三郎
5 岸辺のない海 金井美恵子
我ながらあまりに党派性は感じられるものの、こんな感じです
しかし235が廃刊とは如何に。
ちなみに息子さんの大西赤人(せきじん?)さんていったい?
73名無しさん@まいぺーす:01/10/29 12:26
>>72
なかなかのベスト5ですね。党派性というのが、よく分かりませんが、そんなに偏向
しているようには、思わないですね。中上健次に負けているのが、ちょっと癪ですが
(笑)。それにしても、読書家でいらっしゃいますね。自分が21歳の時のことを思うと、
すごいと思うばかりです。
 大西赤人(あかひと)さん、堅実に執筆活動を続けられていますが、ジャーナリスティック
な話題に上ることはあまりないようですね。もう少し、お仕事が評価されてもいいような気が
しますが。
74fishman:01/10/29 21:12
なかなか本を読む時間が。。。

『奇蹟』と『神聖喜劇』まるで異なるようでもあり、どこかで繋がっている
ようでもあり、まぁ、とりとめないですが、中上って基本的に引用を使わな
いですよね。その一点においては際だって対置される2人かもしれません。

「俗情との結託」もう少し時間掛かりそうです>リアル厨房さん
75吾輩は名無しである:01/10/30 00:13
その昔中村光男だか平野兼だかが(多分どっちも違うと思う)
「大西巨人はどうやって飯を食っているのか」
という下品な質問をしていたと、誰かが(これまた忘れた)言ってたが
確かにちょっと気になる。
76名無しさん@まいぺーす:01/10/30 00:37
>>75
最初に言ったのは、平野謙のようです。現物に当たっていませんが、『文学・
昭和十年前後』に収録されている文章のいずれかが該当するそうです。その平野
の発言を取り上げ、匿名批評に対する小林秀雄と大西巨人との原則的態度の維持の
相違を論じたのが、すが秀実です(すが秀実「今日のジャーナリズム批評のために/
小林秀雄と大西巨人」[『ユリイカ』2001年6月号]所収)。
 年収3千円という年もあったらしいですから、確かに逸話には事欠かないかも
しれません。現在は、年金生活者なんでしょうか。
77教えてください。:01/10/30 01:56
題名がキリスト教を意識しているように思います。
「神聖喜劇」と「神曲」、「三位一体...」、「天路の奈落」と「天路歴程」。
なにか、特別の意図があるのでしょうか?
テーマとしていえば、大西巨人とキリスト教の関係や如何に。
どなたか、ご教示ください。
拙いながらも、私の感想を述べるとするならば、その理想主義的な側面において、両者は共通のものがあると思います。
そして、それは肯定的に評価すべき事だと思います。
78ミヤコ町長:01/10/30 20:48
初心者向けの大西作品はなんでしょう?
ちなみに家の本棚から『迷宮』(光文社文庫)という作品が出てきました。
79名無しさん@まいぺーす:01/10/30 22:37
>>77
作者は、例えば、次のように語っています。
「「来世を願ったり認めたりせずに、唯物的な見方の中に宗教的感情を
樹立するのが大切。それを今後も提出していきたいと思います」/『神聖
喜劇』『天路の奈落』『地獄変相奏鳴曲』『三位一体の神話』など大西作品
には宗教的タイトルがズラリ。あらためて反骨の作家が、その天真な心で
はるかな光年を見つめていることを知る。」(影山和子『なまけものの読書』
[第三書館、1993年11月]所収の『三位一体の神話』に関するインタビュー
より)。大西の独自の宗教的モチーフがキリスト教を連想させるタイトルに関係
していることは事実でしょう。ただし、来世の不承認を出発点とする大西
の思考とキリスト教とが決定的に隔たっていることも確かであると思われます。
それとは別に、大西の作品が善悪の対立が明瞭である二元論的な世界観、構図で
組み立てられている点などは、『聖書』的世界を連想させます。「その理想主義的な
側面において、両者は共通のものがある」というご指摘を、僕は、このような文脈で
考えたいと思うのですが、いかがでしょうか。
80教えてください。:01/10/30 23:04
>>79
レスありがとうございます。
少しわかりました。
またまた、生意気にも、あえて言えば、その天真な心は はるかな光年 と言うより,目の前の人間を見つめていると思います。
81名無しさん@まいぺーす:01/10/30 23:16
>>80
大西が、目前の現実を揺るがせにせず、遊離することがないことと言うことでしょうか。
ならば、強く同意です。
82吾輩は名無しである :01/10/31 01:05
精神の氷点は面白いねあげ。
83吾輩は名無しである:01/10/31 13:44
皆さん「復刊ドットコム」の『神聖喜劇』に投票しましょう
現在34票です
84名無しさん@まいぺーす:01/10/31 21:28
>>78
自宅に『迷宮』があるとは、なかなか素敵なご家庭ですね(笑)。どなたが購入されたのでしょ
うか。『迷宮』も、ミステリー仕立ての話ですから、それから読み始められてもいいと思います。
ただ、ストーリーの進行とは別に、主人公である作家の皆木旅人の思考や発言にしょっちゅう付き
合わせられます。大西ファンには、その脱線がたまらなく楽しいのですが、普通の人は、途惑うかも
しれません。短さから言えば、『二十一世紀前夜祭』(光文社)が良いでしょう。短編集で、『血気』
や『走る男』は、一分で読めます。絶版にならないうちに買うのが望ましいのですが、現在「巨人館」
で収録作品が全て読めます。まず、そちらからどうぞ。
85ミヤコ町長:01/10/31 22:58
お答え、有り難う御座います。
早速「巨人館」も覗いてみますが、絶版の可能性があるのなら一度本屋で探してみようかなと思います。
ちなみに、『迷宮』は母親がたまたま購入したものです。
折角ですから、「脱線」を確認するためにも一度読んでみますね。
86fishman:01/11/01 21:23
>リアル厨房さん
あんまり覗いていないのかな?
こちらも忙しくなかなか書物にあたれません。
で、多少曖昧になってしまうのは勘弁していただくとして、
大西の野間批判をまとめてみようと思います。

上でも書きましたが、大西の野間批判は、野間が軍隊を「特殊な境涯」
として社会・世俗から切断してしまったことに向かっています。
それはつまり、軍隊を一つの象徴とすることで、国民全般を全体主義に
封じ込めようとする「上」の思惑に乗ってしまうことではないのか?と。
現実の軍隊は、たしかにそのように外部と切断された場でもあったが、
外部以上に「日本的な」「封建的な」場でもなかったか?
非常に抽象的で拙い説明ですが、このような論旨であったかと。。(及び腰

で、リアル厨房さん言うところの「語りうるー語りえない」という尺度で見てみると、
僕にはむしろ野間の方が「語り得ないもの」として軍隊を仰ぎ見ているように思えるのです。
それは例えば
「たしかに兵営には空気がないのだ、それは強力な力によってとりさられている、
いやそれは真空管というよりも、むしろ真空管をこさえ上げるようなところだ。
ひとはそのなかで、ある一定の自然と社会とをうばいとられて、ついには兵隊になる。」
というような『真空地帯』中の一節にも明らかなような気がします。
大西が軍隊を語り得たか、それに対する答は持ち合わせていませんが、少なくとも
語らなくてはいけないという意思の強度において、野間を遙かに凌駕していたのは
明らかなような気がします。


大西の野間批判が、最初に野間の軍隊に対する知識の曖昧さに
向けられていたため、そこだけを拡大して大西を知識万能主義
として逆に批判するようなちぐはぐもあったようですが、むしろ
『真空地帯』作者の主義主張だけではなく、作品そのものに向かって
いたところに「俗情との結託」の本質があるように思います。
87名無しさん@まいぺーす:01/11/02 00:11
>>83
「復刊ドットコム」のアドレスは、以下の通りです。

http://www.fukkan.com/list/index.php3

現在『神聖喜劇』(オーナーは、EastEndさん)は、34票獲得し、復刊交渉中です。
『天路の奈落』(オーナーは、石橋正孝さん)は、21票。『地獄変相奏鳴曲』・『五里霧』
も、欲しいところです。心ある方は、投票にご協力を。
欲しいところです。
88名無しさん@まいぺーす:01/11/03 02:51
>>86
ご意見に同意します。『真空地帯』を書いた野間は、軍隊を治外法権の領域と見なし、
表象不可能性の強調に加担したと言うことができるように思います。この前、『真空
地帯』を久しぶりに読み直しましたが、初読時より遥かに評価が後退しました。単に
粗野で暴力的な人間に、軍隊否定の可能性が期待されている点に根本的な錯誤がある
ことは、大西の指摘する通りでしょう。この作品が発表当時評価されたのは、軍隊生活
のおぞましい記憶が共有されていたからなのでしょうか。今でも戦争文学の傑作と扱われて
いるところは、見直されるべきでしょう。
89JPB@改:01/11/03 23:11
あげるために。
この間、池袋駅前をフラフラしていたら狭山事件の署名嘆願を求める一団をみかけ
ました。それでふと私は野間のことを思い出しました。彼には岩波新書で『狭山事件』
という著書がありますし、『差別 その根源を問う』でも、安岡とともに精力的な活動
してきました。野間は本当に正義漢だったと思います。

ただ、彼は『暗い絵』以降、様々な事件や実態を取材し、彼ら声なき人々に
成り代わって、事柄を語ろう語ろうとしすぎました。つまり表象=代行の作用
ですね。つまり取材によって彼らの内面をつかもうとすればするほど、いわゆる
「俗情」というか、その意識の中に沈殿している共通のイメージを用いざるを
えないというジレンマに陥りました。特にそれは『地の翼』の失敗にあらわれて
いますが、ある意味、自身の声と代行しようとする意識のはざまで生れた『真空
地帯』は、まだ読めると思います。

至極当たり前のことかもしれませんが、大西は彼ら(軍隊生活者)の声を再現し
裁こうとはしなかった。むしろ東堂を通じて、逆に同じ所で躓いてみせた。それ
が代行=解決(清算)というすっきりした結論を導きえず、全篇通じてギザギザ
ジュクジュクした印象を受けるもとなのでしょう。戦後すぐはやはり清算を求めて
いたわけですからね・・・
90名無しさん@まいぺーす:01/11/04 05:19
>>89
野間の文学についてのご意見、興味深く読ませていただきました。野間における表象
=代行意識の誤りはなるほどと思いましたが、「大西は彼ら(軍隊生活者)の声を再現し
裁こうとはしなかった。むしろ東堂を通じて、逆に同じ所で躓いてみせた。」という指摘
には、若干分かりにくさを感じました。特に、「躓いてみせた。」という箇所に引っかかり
ます。大西の表現意識は、表象=代行論ではすくい取れないものであると思いますが、
いわゆる大衆追随主義の対極に位置するものでもあります。僕が、勘違いをしているのかも
しれませんが、『神聖喜劇』に関して、もう少し説明していただけるとありがたいです。
91fishman:01/11/04 09:28
野間本人の「正しさ」とでもいうべきものが、きちんと存在すること。
僕のレスからはそこが抜け落ちており、単純な「神聖喜劇>真空地帯」
という図式に納まっていたような気がします。フォローサンクス>JPB@改さん

大西が必ずしも清算を放棄していたとは思いませんが、少なくとも
なし崩しの清算からはきっぱりと距離を取っていたように思えます。
『神聖喜劇』末尾で暗示されている、「その後の神聖喜劇」が非常に楽しみに思え
るのですが、そのあたりはご存知ですか?>名無しさん@まいぺーすさん
92JPB@改:01/11/05 00:06
>名無しさん@まいぺーすさん
恐縮です。何かあげるための印象的な文言、確かに飛躍がありました。
「躓く」という表現はつい、例えば三章の一節で大前田と村上のやりとり
を観察しつつ、その言葉の水脈を検討・判定する東堂が、自分の
位置を「虚無主義者」として確定し、「卑怯」から逃れたつもりの思考が
実はその「卑怯」と癒着するのではないかと考え出すあたりを思いつつ
書いたものです。この章だけ見ると文芸復興期(1935〜1937)における
知識人批判のアレゴリーともとれますし、東堂の知識人としての側面に
おける「躓き」であり、またそれは村上およびその時代の空気を共有し
ていた例えば保田らの「躓き」でもあるかなあと考えた次第です。

今、読み返して、その感想が小説全体とどう関連してくるかを検討しています。
しばしお待ちを。

>fishmanさん
いっやァ、私も実際は「神聖>真空」ですよ。野間宏は結構壮大な言葉で
語りはじめると自分でもよくわかんなくなってきちゃうところがあるらしく
全集(特に竹内好と論争してるあたり)では、妙に代名詞を多用して、おい
おい、それ何も指し示してないじゃんっていう発言が結構あるんです。
それが「真空」にも及んでいる気がしてます。端的にまあ、野間と大西を
コインの裏表としてみても良かれと思った次第です。キビシイけど。
93fishman:01/11/05 00:28
何だか無性に読み返したくなってきたですよ。
個人的な『神聖喜劇』躓きの石は巻末近くで東堂が
大前田に軍規違反でやりこめられる場面です。
あの展開がどうも消化できないのです。

>JPB@改さん
相変わらずの丁寧な読みですねー。見習わないと。。。
続くレスを楽しみにしています。
94吾輩は名無しである:01/11/05 00:40
つうか、改ってなんやねん
95名無しさん@まいぺーす:01/11/05 20:24
>>92
丁寧なレスをありがとうございます。徴兵を忌避しなかった東堂の行為ではなく、同胞
を見殺しにすることが「人間としての偸安と怯惰と卑屈と」に由来すると考えた東堂の
判断が反省的に捉えられる契機を指して、「躓き」とおっしゃったんですね。加藤典洋
が強調する、国民としてあえて誤りの道を選ぶ行為を指しているようにも読めたための
質問でしたが、よく分かりました。心情主義的な行動を称揚するだけに留まっていない
点に東堂の、そして『神聖喜劇』の達成があることは、同感します。日本浪曼派、とり
わけ保田與重郎との接点と相違点とは、重要な考察課題ですね。

>>91
「その後の神聖喜劇」について、お尋ねですが、どうお答えすれば……。
『天路の奈落』の主人公鮫島主税の過去に関わる記述において、「兵隊生活の幾年月、
そこでだんだん成就せられた積極的変化、いわゆる「特殊ノ境涯」(『軍隊内務書』)
における鮫島一流の暮らしぶり、そのたたかい、その影響、やがて特定の(多数では
ない)仲間たちの出現、−−世俗の傍目には往往にして道化の踊りとも映ずるであろう
悪あがきか苦闘かの連続、その総体の委曲は、いま一つの長い物語りでなければならない。」
という記述があり、『神聖喜劇』の結尾と照応しています。それからすれば、「その後の
神聖喜劇」に該当するのは、『天路の奈落』ということになります。ただし、その場合でも
教育期間終了後の兵隊生活の部分は、空白のままです。『地獄変相奏鳴曲』にも断片的に兵営
生活が出てきますが、やはり挿話の域に止まっています。ご存知のことだと思いますが、『神聖喜劇』
の直接の続編は存在しません。むろん、その後の大西作品のすべてが内容的に『神聖喜劇』の精神を
受け継いでいることも確かですが。以上、とりあえず。
96JPB@改:01/11/05 23:29
>>94さん
ちょっと心境の変化もあり・・・ですね。

>>名無しさん@まいぺーすさん
今、第三部を再読し終えました。そこで考えるのは大前田(実際主義者)と
村上(理想主義者)の問答というそれだけの時空間の中で、第二において唐突
にも見える東堂の回想が挟まれ、最終的には大前田×村上という対立軸が東堂
によって解釈されるなかで対立軸が反転し(「楯の両面」)それを裁く東堂
みずからの立場も足場を失い(「甚だ不審な複合体」)、それどころか、上司
の語りをもって問答終了を行おうとするときの橋本、鉢田の言葉において完全に
人間関係がフラットになる一瞬が現れますよね。

こうした第三部の展開とその中の第二の東堂と女性の問答がどのように関連づく
のでしょうか?単純に考えると、東堂や村上、大前田果ては兵の一人一人が
「運命論的な承認」の紐帯によって結び付けられていることを、彼らの発言内容
とその水脈を辿ることで解明しようとしている、と考えられます。それはやはり
「主観的純情と客観的現実の進行一般とが無残にも分裂」する中で誰もが「異色
の様相」へと向かったのはなぜかということへの問いです。

その問いに対する東堂の結論は論理的には結論を下せないということでひとまず
止まりますが、女性との「心中」を問答でほのめかされる中で、決断した
(というか流されていった)「剃毛」(!)行為。此の際の「忽然として不自然
および滑稽を感じた」気持ちの発動と、村上問答の際の「突然次には笑いが、制御
しがたいほど激越に私の腹の底からこみあげた」気持ちの発動は響き合っていると
私は考えるのです。

初読のとき、全篇から感じた低音部は、この決断(優先順位付け・判定・評価など)
とその結果に関する大西の独特の感性です。ちょっとまとまりに欠けましたが、
もう少しいわゆる機会主義と言われた保田と一見歩調があっているかのような、東堂
の虚無主義。違いは、この決断における適切さの部分だと今は先取り的に思いますが
ここをもっと読み込んでみたいと思います。
97名無しさん@まいぺーす:01/11/07 00:50
>>96
JPB@改さん、緻密な作品分析を提示していただき、ありがとうございます。丁寧な作品の
読みから、簡単に通りすぎていた部分の重要性を教えていただきました。「主観的純情」から
参戦に赴く心情主義者に対して、東堂がそうした行為の直前で踏みとどまること、また、そこに
事態を滑稽化することで距離を確保しえていることは、その通りであると思います。さらに、ご指摘は、
作品の中でも大規模な過去への想起が行なわれる第三部(ここで、挫折する読者が結構多いと聞きます)の
構成原理を解き明かすヒントでもあり、大いに参考になります。
 心情主義的行為を直前で回避しうる東堂太郎の精神は、何によってもたらされたのでしょうか。過去と現在
とが連続していることは、その間の東堂に本質的な変化がなかったことをも暗示します。作品から受ける印象
では、東堂は、登場の時点ですでに虚無主義者ではないかのような印象があり、転換点とも言うべき起源は、
ついに見出せないような感触があります。そうした感触の当否を含め、東堂の思考回路については、まだまだ
考えるべき課題が山積みです。
98名無しさん@まいぺーす:01/11/08 16:48
ageるために、『深淵』の話題を少し。
『娃重島情死行』や『迷宮』などで、大西は、理想的な夫婦の姿を追究しています。
一見平穏な日常が描かれつつ(幸せな夫婦をこれだけ肯定的に書ける作家は、大西
だけかもしれない)、それを維持するために厳しい理念の保持が必要であることが
主張されているようです。『深淵』は、そうしたモチーフを受け継いでおり、一見
非現実的であるかのような、夫婦の信頼の物語が一つの柱になっています。
 連載は、現在一つの冤罪事件をめぐる展開に移っていますが、印象では、まだまだ
終わる気配がありません。作者の自戒である「千枚以上の小説は書くべからず」を守る
のは、難しいのでは(笑)。
99fishman:01/11/08 22:17
遅レスでごめんなさい。。。

>>95 名無しさん@まいぺーす
いや、詮無いことを聞いてしまい、申し訳ないです。ひょっとして、
全然自分の知らないところで発表されているのでは?などという希望的
観測からの質問でした。ご丁寧な解答有難うございます。

>>96 JPB@改さん
くーっ!てな感じです。保田の名前は作品中にも宮本百合子との対比に
おいて登場し、「教養俗人的」「時代順応的」なものとして退けられる。。。
「決断における適切さの部分」ここの分析が非常に楽しみです。

例えば差別問題についても、彼の立ち位置というか根拠というか、
そのあたりはかなり不明なわけで、東堂の「正しさ」を生成するものが
どのあたりにあるのか、まさに「東堂の思考回路については、まだまだ
考えるべき課題が山積みです。」

取り急ぎageておきます。
100吾輩は名無しである:01/11/08 22:26
100
を貰いに来た。
101fishman:01/11/08 22:27
>名無しさん@まいぺーすさん
上のレス「さん」が抜けてます。。。お許し下さい。
102リアル厨房:01/11/10 12:04
ちょっと長めの出張をしていたら大西スレがこんなに伸びているなんて!
もう沈んでいるかと思っていましたが…。
で、私が話の糸口として提出した問題はもう解決しているんですね…。
いや、たしかにfishmanさんのおっしゃるとおり、「語り得ぬもの」とい
う尺度から見ると、私のいったこととは逆になるのでしょうね。なるほど。
話があまりにも先に進んでいるので、なかなか参加しづらいのですが、『神
聖喜劇』を読み返しつつ再び参加してみようかと思います。
個人的には、JPB@改さんがおっしゃる東堂と日本浪漫派の共振と相違につ
いて考えてみたいですね。
103悪について:01/11/10 12:57
少し前ですが、次の発言がありました。

************
48 :草双紙趣味 :01/10/21 20:05
むかしむかし
あるところに「神聖喜劇」を読んで
深い感銘を受けた大学生がいました
新刊で「天路の奈落」が出たので
とびついて読みました。
それなりにおもしろくは読んだものの
「これが巨人センセイの言う『カラマゾフの兄弟』
より少しましな作品なの??????」
頭の中にたくさんの疑問符がうかびました。
************

これで思いついたのですが、大西巨人は「悪」についてどう考えているのでしょう。
「天路」に限っていえば、作者は、あえて「勧善懲悪」と評される事を、是としています。
ならば、とうぜん「悪」が描かれている筈なのですが、その「悪」が私には大変卑小なものに感じられます。
下世話にいえば、「せこい悪」なのです。
「俗情」も今日出海批判から、始まります。
女遊びをしている男が、自慰男を揶揄する姿は、非常にみっともない。
しかし、大した「悪」ではないように思います。

「根源悪」などと、ことさらに大騒ぎしないのが、作者の姿勢なのでしょうか。

まんがちっくに妄想すれば,東堂太郎と同じ能力を持ちながら,徹底的に邪悪な目的にしか使わない人物の話など読んでみたい。

以上「神聖喜劇」と「天路」と「俗情」とあとエッセイを少しばかり、読んだ者の感想でした。

他の作品ではぜんぜん違うかもしれませんが......
104名無しさん@まいぺーす:01/11/11 00:58
レスが100を超えましたね。初代スレッドのように、短命で終わらないための、最初の
関門を突破したような感じです。ちょっと、嬉しいですね。一日の書き込みは多くない
ものの、着実に数が伸びているのが、大西巨人に相応しいもののように思われます。
これからも、有益な意見交換、情報提示ができるように頑張りたいですね。
105草双紙趣味:01/11/11 05:41
>>103 「天路の奈落」については作品自体より、
昭和20年代の共産党における「俗情との結託」を検証するって
モチーフが先行しちゃったみたいな…それだけでも大変なこと
ですが…昭和20年代については左翼も右翼も隠してることありすぎ。
ジジイども(おっと失礼、ババアも)、ウソついたまま死ぬんじゃねーっ!
…ってのは歴史板で言うことか。
106>103:01/11/11 23:33
悪はその卑小さ故に悪なのかもね。大西の中で。
確かに神聖喜劇においても大前田、吉原、神山、みーんな
卑小な小悪党と見れなくもない。大前田はその中で突出した
悪を表象するかに見えて、最終的には女のもとに逃亡する臆病者
という卑小きわまりない存在となる。

何か違うな。むしろ極悪という決して人間的ではないものに
作者大西の興味が向かないだけじゃないのか。
107怪人にKISS!:01/11/12 01:04
古本屋いくたび巨人をさがせども
 みればみるほど大沢在昌
108名無しさん@まいぺーす:01/11/12 01:18
>>103
>>106
それぞれ興味深く読ませていただきました。「せこい悪」に大西が敏感であること、
その理由は、「悪はその卑小さ故に悪なの」であるためのように思われます。特別
問題視されないがゆえに、温存され、生き延び、何となく受け容れてしまうところに
厄介さがあるようです。凡庸な問題というものは、実は、最も小説の主題として取り
挙げにくいものかもしれません。
 ただし、「極悪という決して人間的ではないものに作者大西の興味が向かない」と
断言することは、必ずしもできないのではないでしょうか。『精神の氷点』において
徹底した悪行の遂行に突き進む主人公を描くことから小説を書き始めたことは、根源的
な悪の問題も、大西の関心領域に含まれると考えられます。悪が理性的に、当為として
要請される主人公の思考過程がいかにも独特であり、その点に簡単に解けない固有のモ
チーフがあるようです。
109吾輩は名無しである:01/11/12 20:02
>108
大西の主要モチーフの一つに「人間の二面性」があり、それは例えば
神聖喜劇の中で、江藤が模擬処刑に対する村崎の呼びかけに立ち上がったり、
吉原が東堂にだけ手紙を残すといったような場面に象徴的なように思える。
極悪と言うものが、そのような二面性を切り取った地点でのみ顕れる
「非人間的」なものであるという見方には肯くところが大きい。
とすれば、106の指摘もあながち間違ってはいないように思えるが
如何か?
110名無しさん@まいぺーす:01/11/13 07:28
>>109
ご意見、概ね同意します。大前田・江藤・吉原らの肯定的側面が漏らさずに東堂に
捉えられている点が、『神聖喜劇』の魅力であることは確かでしょう。ただし、その
後の作品において、そのような人物形象が必ずしも受け継がれていないような印象が
あり、大西のモチーフの変化を考える必要があるような気もします。また、主人公の
造型に関しては、善・悪いずれにしても極端な設定が採られており、別の原理が働い
ているように見えます。さらに、『神聖喜劇』では、村上少尉における悪の問題も
検討しなければならないでしょう。何か、問題点ばかり挙げてしまいましたが……。
111名無しさん@まいぺーす:01/11/13 23:10
>>107
お気持ち、よく分かります。僕の場合、大武正人という人の本を見ると、よくドキッと
します。大橋巨泉は、コーナーが違うので、あまり間違うことはないですね。あと、現物
を見たことはありませんが、名古屋に大西巨口という童話作家がいらっしゃって、何冊か
童話を出されているようです。
112名無しさん@まいぺーす:01/11/15 03:27
ついでの話題ですが、昔『少年マガジン』に『大西巨人』という漫画が連載されて
いたそうです。当時の人気球団、大毎オリオンズ・西鉄ライオンズ・読売巨人を組み
合わせて作られたネーミングだそうで、内容は、スパイ活劇ものです。全身黒ずくめで
サングラスをかけた「大西巨人」が拳銃片手に大活躍するのは、笑えます。
113脱線:01/11/15 20:55
このスレも、なごみモードにはいってきたなあ。

という事で、少し脱線させてもらいます。
皆様、「神聖喜劇」を映画化するとすれば、誰をキャステイングしますか。

私なら、
大前田......小松方正
東堂太郎の彼女.....昔なら原節子、現在なら井川遥
村崎......野球の落合博光
東堂太郎のお父さん......大西巨人
で、やりたいと思います。

ただ、東堂太郎のイメージがどうしてもわきません。
名前からして、無味無臭の記号みたいなのです。
「任意の自然数n」みたいな.......
キャラ的にはハードボイルド小説によくある「名無しの探偵」なのかなあ。

映画化すれば、カメラアイになるのかなあ。
114ほほぅ。:01/11/16 19:35
大前田→名古屋章(津川雅彦だけは絶対に不可)
村崎→ショーケン
広島の彼女→小雪
村上少尉→藤木直人
神山上等兵→小松政夫(佐野史郎は命に替えても不可)

東堂→カメラアイは大いに肯くところあるも、豊悦を挙げておこう。
たまにはこんなのも楽しいやね。
115JPB@改:01/11/16 22:07
村上少尉、神経質そうなので、野村萬斎というのはどうだろう?
116名無しさん@まいぺーす:01/11/17 01:16
なかなか、面白い企画が始まりましたね。
監督などのスタッフも考えたいところです。
僕は、鈴木清順を推します。意外とはまるような感じが。
しかし、何時間の作品になるんでしょうか。
117fishman:01/11/17 19:32
村上少尉は村上何某という役者が適任かと思うのだけど、
下が浮かんでこない。決して主役は張れない、中年のいわゆる
「いい男」なんだけど。。。

監督。ゴダールが撮ったら面白いだろうなぁ。
全然違う形になるとは思うけれど。
118リアル厨房:01/11/17 19:45
>ゴダールが撮ったら面白いだろうなぁ
引用好き同士でいいかもしれませんね。

そういえば、最近映画についてちょっと考えているんですが、
演劇などの似たような他の表現から映画を分かつものって結局
モンタージュにつきると個人的に思っています。
同じ問いを小説に当てはめると…、何なのでしょうか?
しかし、大西の小説を読むと、何というか、「小説を読んでい
る!」という気になるんです。大西の小説にこそ、小説を小説
たらしめている何かが捉えられるような気がするのですが、い
かがでしょうか?
119JPB@改:01/11/18 22:52
第4部読み終りました。というか、村崎の話、なんど読んでも疲れる・・・

大西巨人の「悪」観を私もずっと考えてましたが、『神聖喜劇』以外の著作
も読んでみないといけませんね。なんつうか、矛盾に行きつく前にまあいいや
つって流してしまう部分、それはとても人間的なことですが、それを彼は「悪」
というか、我慢ならないものとして捉えてるような気もします。
120名無しさん@まいぺーす:01/11/19 00:36
>>105
遅レスですが、1950年前後の左翼の歴史は、複雑を極め、何が何やら分かりませんね。
文学に関わる所でも、『新日本文学』と『人民文学』の分裂から再統合、花田清輝『新日本
文学』編集長の解任といった事件の連なりに筋道立てた説明をするのは、なかなか難しい感
じです。文献としてまとめられているものでも、窪田精・佐藤静夫・西野辰吉らのものは、
到底信用できませんし、本多秋五・平野謙の証言でも不確かなところがあるようです。本当に
真実を告白してほしい人は大勢いますが、それを期待するのは無理かもしれません。

>>118
直感的に言うと、大西の小説を小説たらしめているのは、引用のように感じます。大西における
引用の手法は、言うまでもないことですが、その前提となっているのは、人間の所属するこの世界が引用
可能なものとしてあるという認識なのではないでしょうか。言い換えれば、それは、世界が言語によって
組織されているものである、という把握を意味します。言葉としてある世界を言葉によって再構築・再現
しようとする営為の徹底に、大西の独自性があるように思います。すみません、まだ、うまく説明できま
せん。さらに、考えてみます。
121fishman:01/11/19 09:17
大西と悪。。。難しい問題ですね。例えば「酒が飲めない奴は一人前の男じゃねぇ。」
とか「アイドルだってウソコはする。」とか、慣習や人間の至極基本的な要件に根ざした
「同一性」、及び微細な差異を「同一性」の中へ回収しようとする力を、大西は「悪」と
感受しているように思えます。反面、社会的身分については非常にフラットなものを求め
ている。これが決して矛盾しないところに、大西の独特さがあるのかなと。

>JPB@改さん
村崎の話はかって九州に住んでいたせいか、すんなり耳に馴染むところが
あって、僕の場合は逆に神聖喜劇の中での息継ぎ点みたいな感じでした。
論理的ではないですが(笑)
122東京地裁は役立たず!:01/11/19 09:29
日本生命の削除依頼公開スレッド

1 :ひろゆき@暫定管理人 ★ :01/11/01 15:49 ID:???
「削除依頼は公開」の原則に従って削除したものを公開してますー。
ソース。
http://www.dd.iij4u.or.jp/~cap/nissei/

14 :名無しさん@お腹いっぱい。 :01/11/01 15:59 ID:I8TSGCyI
むしろこのGIFを保存しといてそこらにミラー作りまくるのが
2chねらの使命かと

15 :名無しさん@お腹いっぱい。 :01/11/01 16:00 ID:pX4yzwVD
>>10 つか、それがひろゆきのねらいだろ

16 :名無しさん :01/11/01 16:00 ID:4XQtcOuc
オイラはとりあえず保存しといたよ

17 :ひろゆき@暫定管理人 ★ :01/11/01 16:01 ID:???
いやぁ、削除依頼は公開って原則ですから、、
( ̄ー ̄)ニヤリ

18 :va :01/11/01 16:01 ID:+W2rWnl4
同じこと書き込んだら、速攻で削除されるのかな?

19 :ひろゆき@暫定管理人 ★ :01/11/01 16:03 ID:???
削除依頼がくるまで放置っす。
123名無しさん@まいぺーす:01/11/20 07:27
>>122
意味がよく分からないのですが。他のスレッドには、貼られていないようですし、
何かの勘違いでしょうか。
124吾輩は名無しである:01/11/20 21:46
 
125名無しさん@まいぺーす:01/11/20 23:06
映画ネタを少し。『人間の條件』・『怪談』などで知られる小林正樹監督は、『神聖
喜劇』に惚れ込み、自らの手で映画化を切望していたそうです。オーソドックスな作り
になっていたかな、と予想させますね。残念ながら、実現せず。多分、会社側が難色を
示したのではないでしょうか。大ヒットも見込めなさそうですし(笑)。怪談映画の
巨匠中川信夫も、『神聖喜劇』の愛読者の一人です。映画化したいと思っていたかどうか
は知りませんが、頼まれもしないのに、読後の感動を投書で『朝日新聞』に送っています。
いかに胸を揺さぶられたか、よく分かりますね。批評家の松田政男は、隠れ大西ファン(別に
隠していないが)。小説・エッセイはすべて読んでいるそうです。あと、小野耕世も、『神聖
喜劇』を戦後文学の傑作に数えていますね。
126吾輩は名無しである:01/11/23 13:05
マトモなスレはageとかないいとね。
127名無しさん@まいぺーす:01/11/23 20:37
>>126
ご好意に感謝です。
128sampo:01/11/24 13:03
もっとageる事に大賛成。だから、少し発言します。

「神聖喜劇」を「教養小説」として評価するとどうなるか。
図式的にいえば、ひとりの誠実な青年が、軍隊という俗世間の風にもまれ、さらに一回り大きく成長する物語、と言えなくもない。

左翼運動壊滅の中で、社会と自分をどう考えるかは、大西巨人青年にとって多分切実な問題だったでしょう。
多くの青年が、大政翼賛会的な方向に、流れていったと聞いています。(流された?)
未読ですが、「生活の探求」などそんな感じなのかな?

同じ問題で、回答がちがう........

このあたりも興味深いテーマではないかと思います。
129草双紙趣味:01/11/24 15:23
池田浩士「教養小説の崩壊」読み返して考えますか…
130吾輩は名無しである:01/11/24 18:28
そういえば以前、大西氏の
「すばる」の「作家のIndex事件」みたいなのがあったのを記憶しているのですが
どなたか詳しく教えて頂けると有り難いです
131fishman:01/11/24 19:36
>130さん
『大西巨人文選』の4巻「遼遠」の中に、作者自身による
経緯説明が書かれています。『三位一体の神話』のモデル
問題に絡んだ、「大西に対するインタビュー」の掲載取りやめ。
簡単に言えば、こんな感じです。現実問題として、井上光晴が
モデルとなっていたかどうかは僕にはわかりません。ただ、
有り体に言って、虚実を混同したすばる編集部に理があるとはとても…。
132草双紙趣味:01/11/24 22:35
そん時、図書新聞でマターリ茶利いれた種村季弘にも
かみついた大西(群像「半可通の知ったかぶり」)。
反撃されてくやしい種村は「以後、こっちも大西を
『論外に置く』」なんて泣き言言ってたっけ…
でも種村の着眼点もおもしろかったんだけどなあ…
133名無しさん@まいぺーす:01/11/26 05:42
 『すばる』編集部の横暴に対して、大西から態度表明を求められながら、それを曲解
して、自分が黒幕として名指されたかのような反応を示した小田切秀雄の物言いも醜悪
でしたね。『三位一体の神話』が井上光晴を不当に貶める作品であるという小田切の
読み取りは、本人の程度をよく物語っている感じがします。
 すが秀実の推定によれば、『三位一体の神話』を読んで怒った瀬戸内寂聴が『すばる』
に圧力をかけ、「作家のindex」というインタビュー記事の掲載を取りやめさせたという
ことらしいですね。すが氏は、何度か公にこの推定を書いたり、喋ったりしていますが、
瀬戸内は沈黙しています。事件後、しばらくして『すばる』は、『五里霧』の書評を掲載
し、雪解けムードを作ろうとしたようですが、そのような小手先の手では、大西巨人を
動かせるはずもなく、両者の対立は今も続いています。
134吾輩は名無しである:01/11/26 14:16
「すばる」って渡部直己の時もそうだったし
中上紀とか何かズレてる感がありますね
135吾輩は名無しである:01/11/26 14:41
たそがれの、やどやの風呂に、
めづらしく、
わがちんぼこを覗きたるかも。
136名無しさん@まいぺーす:01/11/27 08:47
>>135
『神聖喜劇』「第一部 絶海の章/第三 夜」における新兵の入浴場面で引用されて
いる土岐哀果の短歌ですね。ただ、説明抜きで、一首それだけが提示されると、少し
浮いた感じがします。
137吾輩は名無しである:01/11/27 09:05
==2==C==H======================================================

         2ちゃんねるのお勧めな話題と
     ネットでの面白い出来事を配送したいと思ってます。。。

===============================読者数:81300人 発行日:2001/11/22

どもども、ひろゆきですー。
日本生命の削除依頼公開スレッドを用意しましたのでお知らせしますー。

http://news.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1004597354/

「仮処分の決定と削除依頼とは違うじゃーん」とか「ひろゆきって粘着?」なんて声もありますが、
大きなお世話ですー。。。( ̄ー ̄)ニヤリ

おいらのことを訴えようなんて考えてる方々は、よーく考えた方がいいですよー。
2CHは削除しようとあがけばあがくほど被害が拡大する仕組みになっているんですー。
( ̄ー ̄)ニヤリ

おいらは2CHやってても全然儲からないけど、削除してもらう為においらにひれ伏す連中を
見ると、なんだか凄い権力者になったような気がして気持ちいいんですー。
今までの悲惨な人生(ドテチン時代)を忘れさせてくれるくらい気持ちいいんですー。
でも、裁判所なんかにいく奴はちょっと気に入らないな、、、
そういう奴は哀れな日本生命のように懲らしめてやりますんで、皆さんも気をつけた方が
いいですよー。。。( ̄ー ̄)ニヤリ

んじゃ!
138名無しさん@まいぺーす:01/11/29 03:03
>>128
『神聖喜劇』を「教養小説」として読むことは、可能であると思います。ただし、東堂
太郎がどれくらい、他者との交流や様々な事件を通じて変化をしているかということには、
慎重な測定が必要であるとも考えます。印象から言ってしまうと、「我流虚無主義者」で
あった東堂がその「我流揚棄」に転ずるのに、決定的な契機などは存在しないように見え
ます。軍隊生活の当初から東堂の戦闘性が現れていることなどは、むしろこの作品が教養
小説の枠組みから外れている要素ではないでしょうか。
>>129
池田浩士『教養小説の崩壊』は、僕も読みました。勉強になる本ですね。
139sampo:01/11/30 01:43
>>138
なるほど、なるほど。
おっしゃる通り、「慎重な測定」は大事だと思いました。
どうしても、気分で大づかみに作品を捕らえがちですが、緻密で実証的な読みもまた読書の醍醐味でありましょう。

ただ、「決定的な契機が存在しない」、という指摘には、少し驚きました。
この辺が、俗流大衆小説と袂を分かつ点かもしれない。
140吾輩は名無しである:01/11/30 10:12
ちょっと古い話なんですが・・・
昔、文学者で反核著名の運動があったと思うんですが、
大西さんって拒否したんでしたっけ?
141名無しさん@まいぺーす:01/11/30 13:06
>>140
拒否と言っていいのかどうか分かりませんが、署名はしていないと思います。
142JPB@改:01/11/30 22:59
大西の『神聖喜劇』以外の本て、なかなかうってないね。
143名無しさん@法匪:01/11/30 23:25
上の方でご教示あった『教養小説の崩壊』、私もこのスレで触発されて
読みました。中々ためになる部分もあったのですが、ちょっとレトリック
過多な部分が目につき過ぎるのと (力みすぎ?) 、近代的個人が如何
にして生成して来るのかという図式が恐ろしいほど短絡化された図式で
描かれているのが気になりました。

ディルタイの話とか書誌的には参考になる部分も少なからずあったの
で、ともあれ、ご紹介ありがとさんです。
144fishman:01/11/30 23:37
『三位一体の神話』カッパは割りと見かけるような。。。
145140です:01/12/01 01:25
>>141さん
ちょっと確認したかったんで、ありがとうございました。
もうひとつ、吉本隆明との接点なんて教えていただけないでしょうか?
146吾輩は名無しである:01/12/03 20:32
すごく単純な疑問なんですが、大西巨人と共産主義って
作品理解の上で問題になるのでしょうか?
147名無しさん@まいぺーす:01/12/03 21:01
>>145
一回で答えられるかどうか分かりませんが、知っている範囲のことをお
伝えします。大西巨人と吉本隆明の接点は、あまりありません。その中
では、二回行われた座談が注目されます(「大小説≠フ条件」[『す
ばる』1980年12月号]・「素人の時代」[1982年11月]。いずれも、
『素人の時代/吉本隆明対談集』[角川書店、1983年5月]に収録)。
前者が『神聖喜劇』についての対談、後者は高度資本主義下の文化状況
を討論したものです。後者において、吉本は政治の優位性論から自由な、
大西の文学に対する基本姿勢を高く評価しています。『素人の時代』の
「あとがき」でも、「わたしには現在、もし偶然みたいにして(つまり
相手を患わせることなく)遇うことができたら、よもやまのことについ
て話してみたい気がする数少ない文学者がいる。大西氏はひそかにその
ひとりだとかんがえてきた。」と敬意が表されています。ただし、その
後吉本は、大西について、あまり語らなくなります。まとまったものと
しては、「解説」(大西巨人『神聖喜劇 第二巻』[ちくま文庫、1992
年1月]所収)ぐらいで、あとは、「情況への発言」やインタビューで
断片的に触れているぐらいです。教条主義左翼を批判する時に大西を引
き合いに出していた吉本ですが、自分が変節すると、大西の厳格な原則
主義が煙たくなったのではないでしょうか。
 吉本の『神聖喜劇』論は、個人的には、ほとんど評価していません。
読み返すまで内容を思い出せず、あまり心がこもっている批評とは言え
ないと思います。そう言えば、最近、吉本は『読書論』を出しましたが、
それに添えられた推薦図書リストにも『神聖喜劇』はなかったですね。
148名無しさん@まいぺーす:01/12/03 21:22
 吉本隆明の「解説」が収録されているのは、ちくま文庫版『神聖喜劇』
の第三巻でした。訂正します。
>>142
 見かけない理由は、発行部数の少なさにつきるでしょう。
 『三位一体の神話』・『迷宮』の単行本は、初版五千部ぐらいで、増刷
なしのようです。『迷宮』の売れ行きの悪さを、作者は「ワーストセラー」
と嘆いていますが、本当にもう少しどうにかなってほしいものです。
149140=145です:01/12/04 10:50
>>147&>>148さん
ああ、丁寧で長いレスありがとうございます。恥ずかしいことにいまだ大西さんの著作
が未読です。最近吉本を読みはじめたばかりです。「情況への発言」で吉本が
触れていたので気になったものですから。自分で調べず、かまけてしまいました。
ほんとうにありがとうございました。参考にさせていただきます。
150吾輩は名無しである:01/12/04 20:33
age
151名無しさん@まいぺーす:01/12/05 16:06
>>146
主人公の思想内容を追うことでは、特に予備知識は必要ないかもしれません。ただ、
戦前・戦中の思想弾圧の厳しさや戦後の日本共産党内部の混乱などの歴史的背景は、
多少知っておいた方がよいようにも思います。僕自身、今まで同時代文脈などをあまり
気にせずに読んできましたが、細部まで理解するには、現代史の勉強が必要かなと考える
ようになりました。それはまた、野間宏や安部公房、『近代文学』派の人々との差を見極める
ためにも必要です。
152吾輩は名無しである:01/12/05 18:40
批評空間の「大西巨人に聞く」のなかで共産党との関係について語ってたよ。
もう一度読みたいけれど、どっかいっちゃった。吉本についても言及してましたよね。

吉本隆明の主題主義批判について、議論じたいは有意義であるが、不十分で
あるために反動で主題の否定につながった云々と。

吉本といえば「吉本隆明歳時記」の文庫版に解説を書いていましたね。
歳時記が出た当時(1978年)に唯一人いいと評価したのが大西巨人さん
だったそうですね。
153140=145=149です:01/12/06 11:10
>>152さん
ありがとうございます。吉本についても、共産党についても、そして歴史的背景等…
手付かずな状態です。とりあえず著作をゆっくり読んでみます。当然わからないこと
ばかりでしょうから、質問すると思います。その時も適切なアドバイスぜひお願いします。
154名無しさん@まいぺーす:01/12/07 12:18
>>152
ご教示ありがとうございます。改めて読み直してみました。
大西は、『日本掌編小説秀作選 U花・暦篇』(光文社、1981年4月)所収の解説
「「暦の篇」について」で、吉本の『情況とはなにか』を引き、彼の「大衆の原像」
論に一定の評価を与えつつ、疑念を表明しています。『批評空間』第U期24号(2000年1月)
所収の「〈共同インタビュー/大西巨人に聞く〉小説と「この人を見よ」」における
吉本の主題主義批判の一連の仕事に対するコメントにも、同様の姿勢が感じられます。
『吉本隆明歳時記』(廣済堂文庫、1992年1月)所収の「解説に代え断章五つ」で「あるいは
万象に関する何か広大な断念が、吉本の深奥にあるのかもしれない。」という「私の観念連合・
私の危惧」は、吉本のニヒリスティックな態度に対する懸念の表明でしょう。大西の吉本に対する
言及は、常に積極面と同時に問題点を指摘することを忘れない点で一貫しているようです。
それにしても、解説で、「危惧」をはっきり書く大西は、すごいなと思います(その掲載を
認めた吉本も、当然と言えば当然ですが、評価できるでしょう)。
155名無しさん@まいぺーす:01/12/10 12:51
12月8日、二松学舎大学にて有島武郎研究会という学会が開かれました。「有島武郎と白樺派
の作家たち」というシンポジウムがあり、「里見ク」担当のパネラーとして武藤康史氏が
発言しました。武藤氏は、風貌も話し振りも穏やかでしたが、里見クを正当に評価できない
今の文学評価軸の偏りに強い異議を述べていました。里見は、僕も、ほとんど読んでいなくて
恥かしいのですが、大西巨人も、里見を評価する数少ない人の一人です。『かね』などを近代
屈指の短編と言っていますね。里見でつながっているわけではないのでしょうが、武藤氏は、
大西の熱心な読者であることは、前にも少し触れたことがあります。研究会の後、少しお話
する機会があったのですが、今度三省堂のPR誌に『精神の氷点』について、お書きになった
そうです。新版の誤りを問題にしたものだそうで、マニアックな武藤氏らしいもののようです。
楽しみです。
156名無しさん@まいぺーす:01/12/11 12:42
大西巨人関係の過去ログです。今年、2回立てられていたんですね。

「大西巨人」
http://mentai.2ch.net/book/kako/988/988423820.html

「大西巨人って」
http://mentai.2ch.net/book/kako/983/983879277.html
157吾輩は名無しである:01/12/11 18:56
「神聖喜劇」ってどうですか?
158名無しさん@まいぺーす:01/12/11 21:53
>>157
今では、手に入れるのも、読むのも大変ですが、戦後文学ひいては日本近代文学に
屹立する傑作です。と、生真面目な答えをしましたが、大変面白い小説でもあります。
数多い登場人物のそれぞれが個性的で、キャラクターが立っており、引き起こされる
事件も波乱に満ちています。ネタになる台詞やフレーズも満載です。ぜひ読んでください。
159吾輩は名無しである:01/12/14 13:54
『精神の氷点』age。
160吾輩は名無しである:01/12/15 23:52
『白日の序曲』age。
161fishman:01/12/16 00:04
『天路の奈落』読み返していますが、どうしても『神聖喜劇』と
比較しちゃいますね。不自由な読み方とは思うのですが。。。
こう、「あれ?もう引用終わっちゃうの?」という感じで。
読み終わったらまた何か書き込みたいと思います。ageときます。
162名無しさん@まいぺーす:01/12/17 01:54
『深淵』が、(予想通りというか)年内で完結せず、年を越します。もうすぐ、有料
購読となるらしいのですが、大西赤人さんのように、300円程度の料金設定となる
のでしょうか。仮にそうだとして、1000人の申し込みでやっと30万円ですから、微々
たる感じがします。とりあえず、僕は、購読をするつもりですが、どの程度の読者が
つくのでしょうか。
163吾輩は名無しである:01/12/19 03:04
『黄金伝説』age。
164吾輩は名無しである:01/12/20 01:51
『たたかいの犠牲』age。
165吾輩は名無しである:01/12/20 08:33
> こう、「あれ?もう引用終わっちゃうの?」という感じで。
なるほど!
「神聖喜劇」、面白く読めなかったんですが、引用を楽しむのか!
それで行くと読めるかもしれない。

ちくまの文庫もなくなっちゃったんですか?
なくなるだろうと思ってカッといてよかった。
(でも「俗情と結託」してようが、野間の「真空地帯」がお気にです)
166吾輩は名無しである:01/12/20 20:19
読み終わった。めちゃくちゃ良かった。引用機械藤堂には確かにハマるな。

ところでラストの方で引用されてる「序曲」の斎藤彰吾って一体どういう人か、知ってる人いますか?
「一足す一は三、一足す一は三」ってなんか凄く印象に残る。(引用の仕方がいいからだが)
167名無しさん@まいぺ〜す:01/12/20 21:14
>>166
東北在住のアマチュア詩人であると聞いたことがありますが、詳しいこと
は知りません。確かに印象に残る詩で、僕も気に入っています。
 詩集などご存知の方がいらっしゃったら、教えてください。
168fishman:01/12/21 09:32
ちょっと気になったので、検索してみました。
引っかかったのは、取りあえずこれだけですね。
同姓同名の可能性は否めませんが。

・イーハトーボの太陽/斎藤彰吾/青磁社/1981.2
・お月お星/斉藤彰吾[他]/佼成出版社/1979.7
・榛の木と夜明け/斎藤彰吾/Laの会/1957
169fishman:01/12/21 10:33
>165さん
自分の場合、あまりに過剰な引用になかば呆れつつ読み進める内に、
不意に腹の底から不埒な笑いが…ってな感じですね。普通あそこまで
引用しまくると「ブッキッシュ」とか「ペダンティック」とか否定的な
形容詞が浮上してきそうな物ですが、何というかどこまでも健康で元気
の出てくる作品ですね。
170名無しさん@まいぺ〜す:01/12/21 11:19
>>168
fishmanさん、ありがとうございます。真似をして、僕も検索をかけ、そこから、
斎藤彰吾の『みちのく二題』が『日本掌編小説秀作選 U 花・暦編』(カッパ・ノベルス、
1981年4月)に収録されているのを思い出しました。同書に載っている著者略歴を引いておきます。

@詩人、児童文学者。A一九三二年六月〜。D岩手県。(出身)E黒沢尻高卒。F詩集『榛の木と
夜明け』(一九五七年刊)、同上『イイハトーボの太陽』(一九八一年刊)、童話『なりくんの
だんぼーる』(一九七四年刊)、同上『お月お星』(一九七九年刊)。

詩集は、ネット上の古書店でも売ってるようなので、注文しようかなと考えています。
171fishman:01/12/21 12:22
>名無しさん@まいぺ〜すさん
いえいえ、こちらこそありがとうございます。
『日本掌編小説秀作選 U 花・暦編』(カッパ・ノベルス、 1981年4月)
これって大西編纂でしたよね?記憶違いかな?手に入れたいなぁと思っている
のですが、あまり見かけないです。。
いつも、着実かつ丁寧なage活動、好感を持って見ております。
「名無しさん@まいぺーすの自愛を祈る。」大西風に。。。
172吾輩は名無しである:01/12/21 21:39
>名無しさん@まいぺ〜すさん
>fishman さん

お二方とも丁寧なレスありがとう。いや、「神聖」読了後なんか詩人系の全集とか調べても名前なかったんで、助かりました。
古本屋廻るときは名前と本の名前チェックいれとこうと思います。

話は全然変わりますが、今はカフカ読み直してます。
藤堂自身が似たこと作中で言及してるけども「審判」ってほんとに「神聖喜劇」の陰画としても読めますね。
こういうカフカ的世界にあっても藤堂は藤堂であり続け得るんだろうか? なんてこと考えながら
次は「城」を読みます。(カフカスレに行けっての!<俺
173吾輩は名無しである:01/12/24 18:51
『天路歴程』age。
174吾輩は名無しである:01/12/27 15:29
『神聖喜劇』age。
175名無しさん@まいぺーす:01/12/30 00:42
休みに入ってブックオフ系の古本屋に行く機会が増えていますが、大西巨人の著作
は、ほとんど見ませんね。fishmanさんがおっしゃっていたように、『日本掌編小説秀作選 T・U』
(カッパ・ノベルス、光文社文庫)も姿を見ません。好アンソロジーで、売り方を工夫すれば、
高校や大学の定番教材にもなりそうな気がするのに、残念です。それにしても、今、大西に興味を持った
若い読者は、かなり厳しい環境に立たされることが実感されました。
176吾輩は名無しである:01/12/30 00:47
今日、ブックセンターいとうで『神聖喜劇』(文春文庫です)1と5だけ買いました。
すげー中途半端だけど、どこに行ってもぜんぜん見つからないし、一冊200円だったし、
とりあえず買っておきました。2〜4持ってる人いないかな〜(w

再販を切にキボンヌ。
177吾輩は名無しである:01/12/30 01:08
>>176
「復刊ドットコム」のアドレスは、以下の通りです。
http://www.fukkan.com/list/index.php3
「神聖喜劇」です。できたらお願いしますね
178176:01/12/30 13:37
>>177
かなり前に投票済みですが、ご紹介ありがとうございます。
投票してない方がいたら、ぜひともこの際に投票していただければ・・・。
179JPB:01/12/31 23:59
あげときますか
180名無しさん@まいぺーす:02/01/01 03:39
あけましておめでとうございます。今年も地道にスレを続けたいと思うので、よろしく
お願いいたします。
 書初めの代わりに、「復刊ドットコム」の『神聖喜劇』に一票投じます。
181fishman:02/01/01 08:30
大西の好きな一句でも。
「何となく、/今年はよいことあるごとし。/元日の朝晴れて風無し。」
182名無しさん@まいぺーす:02/01/02 00:17
155で話題にした武藤康史氏のエッセイが三省堂のホームページにアップされています。
辞書に精通した武藤氏ならではの指摘で、「へえ」と唸らされます。興味のある方は、
どうぞ。

http://www.sanseido-publ.co.jp/booklet/booklet152_muto.html

大西からの返答も楽しみですね。
183taka ◆FvNZG6pw :02/01/02 00:35
bookoffでは、たまに見かけますけどね。
揃いはなかなか。>「神聖喜劇」
184吾輩は名無しである:02/01/04 04:20
『走る男』age。
185吾輩は名無しである:02/01/06 00:24
>>164
『たたかいの犠牲』は本になっているんでしょうか。僕は『新日本文学』縮刷版
で読みました。九州の学生運動=サンフランシスコ講和条約反対がテーマですが、最近
調べてみると、このころの学生運動は、まだそのフォームがだれもわからず、手探りし
ながら作っている状態で、後年の人間が想像するような、なんでも反対して雄たけびしながら
デモっている、定番の運動イメージから類推するのとは別の可能性、別の読みが可能
なのでは、と最近思います。いまさら運動ダサいとかいっても意味ないし。
その意味で『たたかいの犠牲』は、示唆に富んでいると個人的には思っています。
186文芸評論家見習い:02/01/06 17:25
『批評空間』最新号に載っている大西の戦争批判は「老いてますます壮ん」という感じ。
久々に大西の醍醐味を味わえたよ。サスガ!
187185:02/01/06 21:23
あと、『天路歴程』は本になっているんでしょうか。
花田編集の「現代芸術」に連載されたやつですよね。
とにかくまだ大西の書誌目録すらないというのが悲しい・・・・
なんとかならないもんですかねえ。
188吾輩は名無しである:02/01/07 10:04
『青血は化して原上の草となるか』age
189名無しさん@まいぺ〜す:02/01/07 19:45
>>185
>>187
『たたかいの犠牲』は、『犠牲の座標』と題名を改め、加筆改稿されたものが、『地獄
変相奏鳴曲』の中に「第三楽章」として収録されています。今よりも、遥かに学生運動
が高揚していた時代、それだけに性急な結果が求められがちであった時代に、反ヒロイックで
持続的な運動論をモチーフとした作品を物しているのは、さすがであると感じます。ドキュメンタリー
を意識した手法も含めて、改めて見直されるべき作品ではないでしょうか。
 『天路暦程』は、『天路の奈落』の現代です。雑誌連載から単行本が出るまで二十四年かかって
いますから、この作品も『神聖喜劇』と同じくらいの形成史を持っていることになります。それにしても、
『神聖喜劇』と『天路の奈落』とが同時平行で書かれていたのは、すごいですね。後世の読者からすれば、
無茶な試みにしか見えません(笑)。ちなみに、大西作品にしばしば出てくる架空の県名・鏡山県は、
初出に既に現われています。
 ということで、両作品とも本にはなっているのですが、残念ながらいずれも絶版です。ここしばらく、古本屋でも
見かけないので、なかなか手に入れるのは難しいかもしれません。近くの図書館にあれば、いいのですが。
 大西巨人の書誌は、確かにきちんとしたものがありませんね。多分ご本人がされれば、最も信頼できるものができる
と思うのですが、無理なおねだりでしょうか。僕も非力ながら作りたいと思いながら、なかなか取り掛かれないでいます。
>>186
文体の硬度がいよいよ高まっているような印象を受けました。短いながらも圧巻でしたね。
190名無しさん@まいぺ〜す:02/01/07 19:48
>>189
訂正です。
『天路暦程』は、『天路の奈落』の現代です。→
『天路暦程』は、『天路の奈落』の原題です。
191187:02/01/07 20:17
189さん、どうもありがとうございます。
『天路の奈落』は僕も、コピーして持っていますが、
あとがきに1984年『群像』に発表、と書いているので、
別物かと思っていました。けど今読み返すと、
「1955年晩春に寄稿し、1984年初夏に脱稿した」
と書いてあるので(笑)同じものなんですね。
つまり共産党統一がなったあと、書いているんですね。
全学連は明確に、国際派=反徳田派だから、1952年時期に『たたかいの犠牲』
なんて書くのはソート-もといた福岡で嫌われる行為だったのでは、と推測します。

また、ということは、『黄金伝説』も本になっているんでしょうか。
あと、『白昼の序曲』も。ご教示いただければ幸いです。
192名無しさん@まいぺ〜す:02/01/07 20:51
>>191
『白日の序曲』は、作品集『精神の氷点』(改造社、1949年4月)に
収録された後、加筆改稿され、『地獄変相奏鳴曲』に「第一楽章」として
収録されています(タイトルの変更はありません)。『黄金伝説』は、
『伝説の黄昏』と題名を改め、加筆改稿されたものが、やはり『地獄変相
奏鳴曲』に「第二楽章」として収録されています。
 戦後の共産党の歴史、学生運動をよくご承知のように、お見受けしました。
僕は、そのあたりさっぱりなものですから、何か作品を読まれて、お気づきの
ことがあれば、ご教示いただけると幸いです。
193187:02/01/07 20:55
難解さを解く鍵・・・【21世紀前夜祭】スガ秀美 (たしか文学界)

大西巨人は難解な作家である。その難解さは大西本人に十分に自覚されているが
、しかしそれは分析されることなく、分析されるような難解さは、真の難解さでは
ないというかのように、大西の作品(群)のなかで精確に「方法化」されている。
 ここ20年間ほどのあいだに書かれた18の短編(掌編も含む)―そのうちには
、すでに別の単行本に収められたものも幾つか含まれる―に、2編のエッセイを付録
として収めた、決して厚くない本書の冒頭には、きわめて難解な「走る男」という
たかだか3ページにも満たない短編が置かれている。
194187:02/01/07 20:57
>戦後の共産党の歴史、学生運動をよくご承知のように、お見受けしました。
>僕は、そのあたりさっぱりなものですから、何か作品を読まれて、お気づきの
>ことがあれば、ご教示いただけると幸いです。

えーすみません、上のを先やらせてください(笑)
195193の続き:02/01/07 21:10
難解さを解く鍵・・・【21世紀前夜祭】スガ秀美 (たしか文学界)

この短編は、梅雨時の真っ最中ながら月が晧々と照る夜の街を走っている
男が、「川のこちらに立ち止まることなく、ひたすら走りつづけ」、「当然にも」
「川の中へ一直線に飛び込んでしまった」という、ただそれだけの話なのだが、
そのあまりにも異様な単純さが、まず読むものを驚かせる。われわれは、続いて、
そこに何やら隠された意味や作者の意図があるのではないかと疑いにかかる。
事実、本書に収められた他の作品であるなら、概して作者の意図や意味を抽出し
てみることは可能ではあるからだ。
 しかし「走る男」という作品に関しては、少なくともそれが不可能である
かに見える。
196193の続き2:02/01/07 21:19
「どこにむかって、男は、走っているのか。それは、男自身にも、ほとんど
わからなかった。まして、それは、男以外の誰にも、わかるはずはなかった。
ただひたすら、男は走っていた」と記されているからである。だからもちろん
、なぜこのような作品が書かれたのか、作者自身も論理化しえないのである。
この作品を巷間流布されている大西巨人の「思想」なるものに還元しようと
すれば、それはただちに誤ることになろう。おそらく、この走る「男」は
大西巨人という作家の「無意識(エス)」、それも複数の「それ(エス)」
の一つなのである。
197193の続き3:02/01/07 21:28
この「走る男」にとどまらず、大西巨人には時として、「エス」そのもの
を投げ出したかのごとき、奇妙な短編が存在する(たとえば、短編集『五里霧』
所収の「底付き」などを想起せよ。)大西巨人は、たとえば深沢七朗などと
比較されるべき(おそらく、大西自身はカフカと比較せよというであろうが、
それも当然である)、日本には稀有な、無意識それ自体を「それ(エス)」
として、書きうる作家なのであり、そのことを抜きにして、大西の厳格な論理主義
と思想内容のみを賞揚することは、あまり意味のあることではあるまい。
もちろん、大西の論理主義は「エス」に対して、きわめて方法的であることは
先に述べたとおりであり、それゆえにこそ、この作品が本書の冒頭に置かれている
に相違いあるまい。
198193の続き4:02/01/07 21:40
そのことを踏まえると、本書の他の、一見すると理解しやすいかのような
作品も、さまざまな異様さを帯びてくる、たとえば、「走る男」の次に置かれ
、もっとも新しい作品であり、本書の題名の由来ともなっている「悲しきいのち
―あるいは21世紀前夜祭」は、うってかわっ、きわめてわかりやすい作品
であるかに見える。
  中野重治を思わせるQから、若年時より「自己を『マルクス主義者』と規定し」
てきた「その男」(大西を思わせる)が聞いた話として語られるその物語は、
小林多喜二を思わせるPが、地下活動の会議では「桁外れ」なまでに慎重
でありながら、実行に際しては率先して果敢に「決定に服し」たことが語られる。
そして「Pに良く似ている」とも思う「その男」は、20代前半に古代遺跡を
見学した折に作り、自らの銘ともしてきた短歌「ここに生きし穴居の民も
われわれも悲しきいのちは同じことなり」を想起し、一見ペシミズムを含意する
この短歌を銘として堅持してきたからこそ、「『マルクス主義者』という自己規定
の堅持もありえた」と思うのである。
199193の続き5:02/01/07 21:53
この作品は世に知られる大西巨人のひとがらを伝えて読むものを粛然
とせしめる。しかし、それのみであったならこの作品はエッセイとして
書かれても同じことだったろう。いや、エッセイとして書かれたなら、
より直裁な感銘を与えたかもしれない。しかしそれをあえてしないのが
大西という作家なのであり、そこに大西巨人の難解さが存する。
 その難解さを解く鍵の一片は、巻末に付された画期的なエッセイ
「あるレトリック」にあるように思われる。これは、中野重治『歌の別れ』
のなかの有名な言葉「佐野の無礼は許せるが、佐野の無礼をお前が許す
ことは許せぬぞ」の、「多数俗眼に、さながら芸術的には優美な・倫理的には
貞潔な(自己に厳格にして容赦ない)内容と誤信せられる」ゆえんを厳密にあばく
ところから始まり、加藤典洋『敗戦後論』を作家・真田修冊(もちろん、
大西を思わせる)が批判するというスタイルをとった話題作「現代百鬼夜行の図」
(本書所収)への加藤の批判を、徹底的に反批判するというものである。
200193の続き6:02/01/07 22:06
その内容はとりあえず置いて、ここで注目すべきなのは、大西がなにごとか
を小説に仮託して語るとき、それは中野的(そして加藤的な)な美学主義への
批判を伴っているという一点である。ベンヤミンにならって言えば、大西にとって
、小説は「政治の美学(芸術)化」がおこなわれるべき場ではなく、
「芸術の政治化」を遂行しうるがうえに採用されるジャンルなのだ。
先の問題に戻れば、同じ内容をエッセイで書いた場合、その直裁にもたらされる
感動は、逆に「政治の美学化」に帰結しかねないのである。大西巨人の加藤への怒りにも
似た侮蔑も、まずはそこへの無知に起因する。加藤は大西の作品を
「政治の美学(芸術)化」と捉えているからである。
しかも、かくして政治化された小説において、むしろ、「エス」が解放される
のである。大西巨人が21世紀前夜の小説世界でだれにもまして「クリエーティブ
・パワー」(「墓を発く」)にみちた作家である理由は、まず何よりもここにある。
201187:02/01/07 22:18
『たたかいの犠牲』も『天路の奈落』も上でスガさんが
>この作品は世に知られる大西巨人のひとがらを伝えて読むものを粛然
>とせしめる。しかし、それのみであったならこの作品はエッセイとして
>書かれても同じことだったろう。いや、エッセイとして書かれたなら、
>より直裁な感銘を与えたかもしれない。しかしそれをあえてしないのが
>大西という作家なのであり、そこに大西巨人の難解さが存する。

というように、エッセイで発表することも可能なものかもしれません。
むしろ「勧善懲悪」にみられないためには、そのほうがいいのでは、と思います。

しかし、
>ここで注目すべきなのは、大西がなにごとか
>を小説に仮託して語るとき、それは中野的(そして加藤的な)な美学主義への
>批判を伴っているという一点である。

>小説は「政治の美学(芸術)化」がおこなわれるべき場ではなく、
>「芸術の政治化」を遂行しうるがうえに採用されるジャンルなのだ。

というのは頷けると同時に、まだ大西作品へのアプローチとしてまだものたりない
ものも感じます。
花田が『記録芸術』=シュルドキュメンタリズムを唱えた雑誌に「天路歴程」
を連載していた、というのも 気になります。
 
202187:02/01/07 22:46
>192
僕も32歳で、20のときバブルですからいわゆる『運動』には
まったく縁がなかったのですが、最近、花田・武井・大西の空間
に興味をもち、ホントに最近戦後共産党・学生運動を調べ始めたばかりです。

戦後共産党については、まだ現在の政治性がからむので、あてになるのは
以下の2件のみだと思います。
(1)『日本の赤い旗』P.ランガ― コスモポリタン社 1953
(2)『戦後日本共産党史』小山弘健 芳賀書店1966

(1)はアメリカの日本研究家が冷戦対策に出した本で、序文をライシャワー
が書いています。戦争の勝ち負けがかかっていますから相当冷徹に
プラグマティックに分析していて、かなり参考になります。
(2)は、花田・吉本論争を扱った「真昼の決闘」で知りました。
これもデータ―が詳しい。この辺の人は、政治が絡むととぼけるので
当てにならないことが多いんですが、戦後共産党に入党し、50年分裂・
スターリン批判を経て、社会党に移ります。「日本社会党史」なんかも書いている。
一度内部にいた人で、そのスタンスは福本和夫と近いものがあるので
(事実福本和夫の戦前の回顧録「革命は楽しからずや」をプロデュースしている)
わりとファナテイックじゃないです。また同時に福本がけなした山川均の
研究なんかもしているので、複眼的な人で、参考になります。
  また福本の『革命回想1』巻も、戦後の徳田の軌跡をちょっと扱っていて、
これも面白かったです。ファナティックじゃない。
50年分裂のごたごたを知るには以上の3冊でいいんじゃないか、と思います。
203187:02/01/07 23:12
戦後学生運動史は、批評空間で武井氏が推薦していた

『戦後学生運動史』山中明 群書房 1981

を読んだきりです。本によると全学連が徳田派にのとっられ、
武井氏が追い出されたときに、ともに追い出された人みたいです。

これも「記録」に徹していて、抒情をあまりしていず、好感を持ち
ました。全学連ができあがるプロセスがわかる、つまり、事後的に
それを当たり前の視点でみずに創業者がどうなるかわからない、
といった風情で60年安保までを書いています。

あと『武井昭夫批評集1』自註には大西・宮本論争の経過が詳細に
載っています。小野二郎によると、これが唯一のものだとか
書いていた気がします。

しかし、武井がいうように、宮本が、6全協統一に向かう過程で強引に『俗情との結託』
を批判したというのは、『戦後日本共産党史』小山弘健 を
照らし合わせると、ちょっと疑問もあります。
この論争時には、まだ、宮本も中央委員会に復帰していず、それどころか
あやうくパージもされかかっているからです。

つまり、宮本も外在的な政治要因で押し切っただけでなく、
『戦旗』以来のプロレタリア文学理論家として、何か内発的
に言いたいことがあったのかもしれません。そうでないと100枚
も書けるか?という気もします。
『真空地帯』はこの時期ベストセラーで、この共産党非常時に唯一
明るい題材なわけですから。
また宮本のいう、『新日文』は「前衛」ではない、大衆団体=啓蒙普及
という規定だ。だから、ミョーに前衛的なことはヨソでやれ、
というのはそれなりにスジが通っている気がします。
とはいえ私も宮本論文は、全部読んで詳細に検討したわけではありません。
204名無しさん@まいぺ〜す:02/01/07 23:59
>>187
早速、ていねいなレスをありがとうございます。
すが秀実さんの書評は、『群像』2000年11月号に掲載のものですね。大西の小説作法
(特に人物・地名などの命名法)に注目して、そこから「政治の美学化」批判のモチーフを
引き出しているところに感心しました。『天路の奈落』や『犠牲の座標』に同じ精神を読み取る
ことは、可能と思います。ただし、ご指摘のように、それだけではすくい取れない要素もある
ようです。
 共産党について、ご教示いただいた文献は、いずれも未読で所持もしていませんので、これから
探し、読んでみたいと思います。『戦後学生運動史』は、所有していますが、これも未読ですので、
がんばって勉強します。
 宮本顕治の論文ですが、党内でのポジションは別にして、左翼陣営の結束を最優先させている論調に
は、やはり悪しき政治性が感じられるような気がします。
 以上、とりあえず。
205吾輩は名無しである:02/01/08 13:42
「真空地帯」好きなんだけどな。
学生の時、恋していた女の子と一緒に暗唱した幸徳秋水の「共産党宣言」!
34才です。
206187:02/01/08 20:36
205さんには、悪いんですが、私は『真空地帯』は全く読む気すら
起こらないタイプです。
その上で名無しさん@まいぺ〜すさんに答えたいんですが、
>宮本顕治の論文ですが、党内でのポジションは別にして、左翼陣営の結束を最優先させている論調に
>は、やはり悪しき政治性が感じられるような気がします。

まったくその通りで、宮本の行為は「左翼陣営の結束を最優先させる」
「悪しき政治性」だと思います。そのとき良くても時間がたてば、歴然とわかる。
それは、いわゆる「戦後文学」が、だれも読まなくなっている
一方で、大西巨人の評価は着実に高いことからも明らかだと思います。

その前提でしかし宮本ですが、戦前の徹底した、政治の文学への優位性から
発言しているのでは、とも思うのです。つまり文学は「政治」に奉仕する
ものであり、それ以上でも以下でもない、という視点。
だから『真空地帯』程度でいいのだ、と言い切る。
いわゆる「政治と文学」論争ですが、これに対して、「近代文学」一派は
「近代的自我の確立」の視点から「文学」を擁護した。これも今では古臭い。
 そして、大西はこれら「政治」派とも「文学」派とも違うテクストを
残しており、これが今でも読まれる理由ではないか、と思うのです。
それは直感的には『走る男』的無意識エスからの「芸術の政治化」であり、
それが、「『マルクス主義者』という自己規定の堅持もありえた」と
言わせるものだと思います。それは、レーニン主義が滅びようとも、
未だ有効な射程を持つものである。

つまり宮本・大西論争は面白い形で、「政治と文学」論争がおこなわれていたのでは
ないか、というのが私の視点です。
207吾輩は名無しである:02/01/10 17:17
「スーパー源氏」で検索してみなさい。何冊かあるよ。
208名無しさん@まいぺーす:02/01/10 23:44
>>206
非常に平易なご説明に納得しました。宮本顕治が政治の優位性論者であること、大西巨人が、宮本とも「近代文学」派とも異なる位置にあること、いずれも同意します。「芸
術の政治化」の具体的な中身については、さらに理解を深めていきたいところですね。

今から六十年前の今日一月一〇日、東堂太郎が博多・釜山間定期連絡船珠丸に乗船して博多港を出発(午後一時三〇分博多港「解纜」)し、同日午後一〇時一五分対馬
厳原に到着しました。ここから東堂の教育招集兵としての三か月が始まり、『神聖喜劇』の世界が幕を開けます。
 『神聖喜劇』の愛読者にとって、ひいては大西巨人の愛読者にとって、今日は、一つの記念日とも言えるでしょう。 しばらくの間、『神聖喜劇』今日は何の日、とで
もいった趣向で、時折書き込みたいと思います。話題のきっかけになれば幸いです。
209吾輩は名無しである:02/01/13 08:23
『待つ男』age。
210名無しさん@まいぺーす:02/01/15 03:30
機会があって、坂口安吾の『真珠』を読み、戦時イデオロギーに文学者が全て染まって
いく中で、日常生活のバランスを失わず、それをよく表現として定着していること、
また、軍神として祀り上げられていた特殊潜航艇隊員を終始「あなた方」と呼び、個的な
行為に還元し続けようとしていることに感心しました。大西巨人が佳品として誉めているのが
何となく分かります。
 ただし、大西巨人の推薦している作品には、理由がよく分からないものもあります。僕にとっては、
森鴎外『心中』がそれに該当します。これを近代屈指の短編とするのは、ある意味すごいなと思ったりも
するのですが。ご教示願える方がいらっしゃったら、魅力を教えてください。
211吾輩は名無しである:02/01/17 00:56
『車内風景』age。
212名無しさん@まいぺーす:02/01/19 09:45
今日、一月一九日は、『神聖喜劇』に最初の波乱が起こった日です。東堂太郎ら数名
の新兵が朝の呼集に遅れ、仁多軍曹から「忘れました」と言うことをを強要されます。
瞬間の心の激動を経て、東堂は、それを拒否して、「東堂は、それを、知らないので
あります」と言い続けます。軍隊内反抗者東堂の誕生とも呼べる場面であり、以後、
神山の訓話、夜の内務班における大前田軍曹の拉縄引き・数字問答・演説と緊張と
おかしさに満ちた挿話が続きます。『神聖喜劇』の中でも、濃密な一日のうちの一つ
と言えるのではないでしょうか。
213fishman:02/01/19 10:42
「忘れました」について大西は、自分以外の誰も積極的にこのことを語らなかった
と指摘しています。「忘れました」に「知りません」を対置させる、問題設定の
そのものが特異であったと言えそうです。問題の起源に遡ろうとするこのような
やり口が、後々「朕は国家である」という起源にぶち当たるわけですが、『神聖喜劇』
ではその部分が語り尽くされていないように感じるのは僕だけでしょうか?
それが、その後の『神聖喜劇』を強く望む理由の一つなっています。

遅レスになりますが、大西が『真珠』を称揚することに少し奇異の念を覚えていました。
漠然と坂口と大西の「愛国心」もしくは「追悼の念」に何らかの相同があるのかと考えて
いたのですが、もう少し読み込んでみる必要がありそうです。

宮本については大西自身の「青血は化して原上の草となるか」という批判がありますね。
当事者であることが気にならない、正確な批判と思います。
214名無しさん@まいぺーす:02/01/22 20:46
>>213
遅いレスになりましたが、『神聖喜劇』で無責任の体系としての天皇制を浮かび上がらせた
東堂太郎の想像力に直接対応するものは、その後の作品において見られないように感じられ
ます。国家や共同体についての言及を大西が積極的に行なわない点に、fishmanさんの不満が
あるのは、もっともであると思います。おそらく、それと関連することとして、抵抗の組織
をいかに作り、維持していくかという問題が、大西文芸の主要な話題となっていないという
ことが挙げられると思います。屹立した個が見出した抵抗の萌芽は、いかに次の展開を生む
ことができるのかについては、作品の中でも空白になっているような観があります。
 『真珠』におけるナショナリズムは、戦時体制に染め上げられたものではありませんが、
それでも、作品内では人間の自然感情として描かれており、そこには問題があると思います。
大西も、その点を評価しているわけでは、おそらくないでしょう。『社会評論』122号、
2000年7月掲載の「〈座談〉言論・表現公表者の責任」では、「真珠湾に行った九人の人達
が生きる望みは千に一つもないというところに行くことに対する感動を書いとる。そして一方
では、確か坂口は小田原に住んでいたが、小田原での坂口(の分身)の、言うならばてれん
ばれんしたような生活のことを書いとる。そこのところが、坂口の中に、その当時に進行して
いる状況に対する批判というか、そういうものがあるというふうな感じなんですね。」という
ように、魅力を語っています。
215fishman:02/01/22 23:12
>214 名無しさん@まいぺーすさん
大西が『神聖喜劇』のような形で、日本における中心の空白を(比喩的な物言いでごめんなさい)
扱わない根底には、当然その中心自体の変容があると思うのですが。。。
自分の求めているものが安易なカタルシスではないのか?という疑問を保留しつつ、
消化不良な感は否めないです。それと、少し名無しさん@まいぺーすさんとすれ違う
のですが、「抵抗の組織をいかに作り、維持していくかという問題大西文芸の主要な
話題となっていないという」という点に関しては、むしろ積極的に肯定したい気が
します。『神聖喜劇』中の東堂と冬木をはじめとする周囲の人間との繋がりは、
組織的なものではなく、もう少し自然発生的な…上手い言葉が見付かりませんが、
「連帯」とでも言うべきものではないでしょうか?

「真珠」の読みの浅はかさにはちょっと赤面しております。これからも色々と
ご教示下さい。

216吾輩は名無しである:02/01/24 01:54
大西巨人を文庫で手軽に読もうかなと考えた。
調べると光文社文庫の『迷宮』ぐらいしかないことに気づく。
他作品は大体が在庫切れ。
『迷宮』は彼を知る上で読むに値するのだろうか。
文学作品として読みえるだろうか。
マジレスきぼんぬ。
217名無しさん@まいぺーす:02/01/24 08:08
>>216
『迷宮』は、大西の作品の中では、新しいせいか、評価されることの少ない作品ですが、
いかにも大西らしい作品であると思います。作者本人は、「『迷宮』(の主要な作意の
一つ)は、有吉佐和子作『恍惚の人』ないし佐江衆一作『黄楽』のような老人ボケの惨状
とか介護家族の労苦とかの俗耳に入りやすい描出ではなく、人生と死との社会的にして
存在論的な・今日的にして永遠的な主題の孤軍独行冒険的な追求である。」(「文学上の
基本的要請」)と述べています。推理小説の枠組みを持っているので、詳しく触れない方が
よいのでしょうが、老人性痴呆症が題材となり、一人の作家の死をめぐる不審な状況の解明
がストーリーの軸となっています。そのため、高度高齢化社会を問題にしたものであるかの
ような印象を与えますが、実際は、作者の言うように、人間が個としてあることはどういう
ことか、また、個であるために人間はいかに行動すべきであるか、という原理的な問題が
扱われています。
 リアリズムの小説というより、あるべき理想型を形象化した観念小説と言えるかもしれま
せん。大西巨人の全てが現われているとは言えませんが、大西にしか書けない小説であること
は確かです。「読むに値するのだろうか。」、「文学作品として読みえるだろうか。」という
問いに対する答えは、いずれもイエスです。
 ただし、『神聖喜劇』以外の作品については、愛読者の中でも意見が分かれるかもしれません。
他の方も、レスをいただけると幸いです。
218吾輩は名無しである:02/01/25 20:32
↑大変参考になりました。
読んでみます。当方4月より社会人。
時間あるうちにね。『神聖』が文庫化ないし古本屋で
低料金で売っていればよいのだが。
俺は谷崎の『ラビリンス』(中公文庫)感覚で『迷宮』を
捉えたい。ではまた。
219名無しさん@まいぺーす:02/01/27 04:36
>>215
『神聖喜劇』の中だけで言えば、東堂と他の新兵たちとの連帯のありようは、僕も
気に入っています。反「厳原閥」の面々の魅力、剣鞘すり替え事件の時の連携、模擬
死刑の時の蜂起の自然さ、いずれも感動的です。それから、精神的に結ばれながら、
東堂と他の新兵たちとが、変な感傷を見せず、淡々と別れを交わしていく過程も、見事
であると思います。
 問題は、その次で、このような自然感情に裏付けられた連帯は、いかに体制に抗しうる
集団的な力となりえるかということが、僕の問題意識にはあります。『天路の奈落』に
おいては、堕落・腐敗した主流派に対して、鮫島たち良心的な党員の行動が個別の戦いに
なってしまっているような印象があります。もちろん、圧倒的な力を前にした場合、組織的
抵抗が不可能ですが、『神聖喜劇』で描かれた連帯の可能性は、大西においても、まだ
テーマ的に発展させられていないようにも見えます。
 ただし、そうした可能性を描きえた作家が他にいるかというと、答えは否定的なものに
ならざるをえないわけで、大西にだけ責任を負わせるのは、酷だとは思いますが……。
220fishman:02/01/27 09:38
>219 名無しさん@まいぺーすさん

>問題は、その次で、このような自然感情に裏付けられた連帯は、いかに体制に抗しうる
 集団的な力となりえるか

なるほど。僕はどうしても、体制に組織を対置させるのではなく、方法に自覚的な
各個人が、繋がったり離れたり、動いたり止まったりした結果、「体制」という大枠が
外れてしまうという事態を夢想してしまうようです。かって何度も繰り返された
議論の枠に収まってしまいそうですが。。。
『天路の奈落』では、どこか劇画的な人物造形がなされているため、個人が本来
持つべき柔軟さが欠落しており、直線的な体制との対決という形になっているよ
うな気がしました。

もちろん責任を大西一人に負わせるつもりはなく、『神聖喜劇』を書き得た一作家に
対する充当な期待と受け止めていただければ幸いです。
221名無しさん@まいぺーす:02/01/29 08:47
 もう過ぎてしまいましたが、一月二五日は、鉢田二等兵が異父妹白根トミ子宛に「何某」
名義の葉書を書き、神山上等兵の注意を受けるという出来事があった日でした。村崎一等兵
と大前田軍曹とのやりとりも含め、この場面の描かれ方は、秀逸であるように感じます。
今読み返してみて、「厳原閥」の名称が登場するのもこの箇所であることに気づきました。

>>220
『天路の奈落』が勧善懲悪の構図を鮮明にするために、「劇画的な人物造形」が行なわれて
いるのは、ご指摘の通りと思います。作者は、確信犯的にやっているのかもしれませんが、
『天路の奈落』だけ見ると、鮫島に敗北のロマンチシズムのようなものを感じる読者が出て
来る危うさがあるようにも感じられます。fishmanさん同様、それを以て大西を批判しようと
いうわけではありませんが、読者というのは、わがままで、贅沢なものですから(笑)。
222吾輩は名無しである:02/01/29 14:59
文庫で読める作品って『迷宮』以外にないのか。
『迷宮』はどうしても読む気しねぇなあ。
223 :02/01/30 07:22
>>222

『春秋の花』(光文社文庫)は?
224吾輩は名無しである:02/02/02 21:37
八〇年代生まれの僕にはよくわからないんですが
大西巨人氏て昔からどういうポジションだったのか今ひとつわかりません
八十八年に単行本化された柄谷と蓮実の対談集『闘争のエチカ』で
あの二人とかだったら知ってて当然の感じなのかなと思ってたけど
柄谷が「大西巨人て知ってる?なかなか変な作家だよ」
蓮実が「知ってる知ってる、『神聖喜劇』は読んでないけど」
的なマイナー作家扱いなんですけど
何かアフォレスですみませんが
225吾輩は名無しである:02/02/03 01:55
大西巨人、議員やめちゃいましたね
226吾輩は名無しである:02/02/03 03:19
ジミー大西の名前で、いち時期、バラエティとか出てましたよね
227吾輩は名無しである:02/02/03 13:04
その前は確か阪神と漫才もやってた。
228名無しさん@まいぺーす:02/02/03 21:40
 二月三日、この日の午前は、『神聖喜劇』の第二部・第三部の根幹となる重要な時です。
朝食後に起こる大根のおかず=軍事機密問答、堀江隊長の介入、野砲訓練中の大前田軍曹の
長い演説、村上少尉の登場と大前田・東堂との対峙と、印象的な場面が続きます。途中で
挿まれる、鉢田・橋本・曽根田ら下級兵の、民衆的な実感に根ざした言動も、存在感を
持って意いると言えるでしょう。彼らによって、大前田・村上という、相異なる二人の典型的軍人
が、その立場を揺らがされていき、戦争の本質的な側面に向き合わざるをえなくなる
経緯が鮮やかです。
 二月三日は、東堂に「安芸の彼女」との媾曳の記憶を想起する日でもあります。『神聖喜劇』
の読者を途惑わせる、大規模な回想を東堂にもたらしたもの、我流虚無主義に基づく一匹の犬
としての死という決断の観念性を衝くことになった戦争の現実について、よく考えたいところです。
229名無しさん@まいぺーす:02/02/03 22:20
>>224

大西巨人の文学史的位置付けは、未だ定まっていません。川西政明の大著
『昭和文学史 (上)・(中)・(下)』(講談社)が話題になりましたが、その
中でも、大西の名前は一度しか出て来ず、作品への言及は皆無です。こうした
現状は、既存の文学史の枠組みが、大西を評価する際に有効に機能していない
ことを物語っています。
 プロレタリア文学によってもたらさせた政治の優位性論、それに対立して文学の
自律性を擁護する立場、そして伝統的価値観に立脚する者というのが戦前の文壇の
一つの見取り図ですが、戦後になってもその構図は基本的に変わらず(新日本文学会・
『近代文学』派・既存勢力)、戦争責任の追究は、ついに真摯に行われず、曖昧な
領域がそのままに放置されることになりました。全体として文学は、責任の所在の
論理的解明を阻み、情緒とレトリックによって真実をはぐらかす方向に機能したと
言えるでしょう。そのような状況の中で、文学的伝統に立脚しながら、徹底的に
論理的であろうとし、個人としてあることの可能性と限界への想像力をめぐらそうと
する大西の営みは、異質であり、孤立するしかないということがあるでしょう。
 かなり粗雑な物言いとなりましたが、大西がマイナーな存在である事情は、そのような
ことであると思います。
 ちなみに、蓮實は、その後も大西を読んでいる気配はありません。柄谷は、その後の
発言で、『神聖喜劇』を読んだ時期をそれまでより早く申請するようになりました。
柄谷は、大西を高く評価していますが、『神聖喜劇』以外の作品に触れることがほとんど
ないのが物足りません。
230tori:02/02/04 19:42
はじめまして。大西巨人で皆さんが盛り上がっていらっしゃるのは、すごいことですね。私は、「神聖喜劇」をもう16年も前に一回読んだきりですが、この掲示板を見てまた読みたくなりました。(普段、軽いものばかり読んでいるので結構苦労するんですが・・・。)
231名無しさん@まいぺーす:02/02/04 20:15
>>230
ようこそ、「大西巨人」板へ。ぜひ、再読して、印象を新たにしていただき、
話に加わってください。
232リアル厨房:02/02/06 17:24
久しぶりに来てみたら…、このスレ、まだ生き残っていたんですね!
感動しました!
>>229
概ね同意します。
文学史はまだ大西を受け入れる準備ができていないのかもしれません。
しかし、スガ秀実や鎌田哲哉など、中堅・若手の批評家で大西に言及す
る者も少なくないような気もします。
もしかしたら私の接している批評が偏っているのかもしれませんが…。

ところで、マイナーという言葉ですが、大西はドゥルーズ的な意味での
「マイナー」な作家だという気がしますが、いかがでしょうか?
論理的に徹するがために、あるいは作品内にあふれる膨大な引用によっ
て、自国語の中でどもることと同じ効果を与えているような気がするの
ですが…。
このあたりについてはあまり考えたことがないので、少し考えてみたい
のですが…。
233名無しさん@まいぺーす:02/02/08 01:06
>>232
リアル厨房さん、お久しぶりです。
不勉強で恥かしいのですが、小生ドゥルーズをよく知りません。彼は、カフカを、
どのような意味で「マイナー」な作家と定義しているのか、ご教示いただければ幸い
です。
 大西の厳密な言語運用の意識が、惰性的な日常表現に対して違和をもたらすもので
あることは分かりますが、それを吃音と同質のものと考えてよいかどうかについては、
ためらうものがあります。井口時男が『悪文の初志』において、それと近いことを述べて
いたように記憶しますが、その評価にもややそぐわないものを感じます。

 去る二月五日は、「睾丸規定問答」、もう日付が変ってしまいましたが、二月七日は、
「ナンセンス謎謎」事件が起きた日でした。断りが遅れましたが、『神聖喜劇』の時間
的なデータは、大高知児編著『『神聖喜劇』の読み方』(晩聲社、1992年7月)所収の
「『神聖喜劇』作中年表」に拠っています。手元にあると、大変便利な資料集であり、
大西ファンなら必携です。「二月五日 (略)「ナンセンス謎謎」事件出来」といった
厳格な記述が、『神聖喜劇』に似て、ユーモアを感じさせもします。
234吾輩は名無しである:02/02/08 19:25
大西巨人には文学史にその名を明記されてほしくない・・・そこからガンガンずれていくのが大西らしい
でもやっぱり読者を増やす為には何らかの体系化も受け入れねば
つーわけでスガあたりにまとまった大西論を書いてほしい
死んでから広く読まれだすってのはチト悲しいし、今のウチにスガさん!
235吾輩は名無しである:02/02/09 11:16
>>234
同意。
「国民作家」としては決して読まれないでほしい(まず大丈夫だろうけど)。
日本を代表する作家としても読まれてほしくない。
日本文学史からずれていく「反日作家」として、しかしそうであるが故に普遍性を
持つ世界的な作家として読まれてほしい。
大江なんかも本来は「反日作家」だと思うんだが、ノーベル賞受賞以後は不幸にも
日本を代表するように思われているから(相変らず読まれてはいないだろうけど)。
国民国家の枠から思いっきりはみでた存在として読まれてほしい。
236名無しさん@まいぺーす:02/02/09 21:58
>>234
>>235
ご意見に、共感します。民族・国家の共有財産の目録としての「文学史」の中には、
大西巨人は組み込まれたくないものです。ただし、大西を評価しうる「文学史」の
可能性は追究したいとも思います。
 大江健三郎には、僕は、相当否定的な意見を持っています。それは、とりあえず
措くとして、大西の場合は、いかにしても「国民作家」として受容されるはずがない
のではないでしょうか。その文体の強度と物語内容とは、いずれも誤読を徹底的に
拒むものとしてあるように感じます(大江とは、例えばそこに相違があると考えます)。
そのことを前提として言うと、もし『神聖喜劇』が百万の読者を得れば、それだけで
世の中はいくらかましになるような気がします。なかなかありえないと思いますが、
ぜひそうなって欲しいもの。
237吾輩は名無しである:02/02/09 22:37
>>236
「大江は『芽むしり仔撃ち』が最も良くて55点だ」
と言ってますね『批評空間』の何号か忘れましたが
俺は大江は好きなのでというか正直、大西氏よりも・・・
いや、大西巨人も好きなんですよ、偉大だとは思うけど
大江は業の深さというか、悪いところが良いみたいな・・・
238吾輩は名無しである:02/02/09 22:42
  ↑
55点だったか?と今になって自分で疑問
239名無しさん@まいぺーす:02/02/11 14:01
二月一一日、戦前は紀元節と呼ばれ、戦後もなお建国記念日として、虚構の神話に
基づき、国家への帰属を強いられる日、この日東堂たちは、「引率外出」で大船越
へ出かけ、束の間の自由時間を楽しみます。農家で餡餅を振舞われ、「笹居文海堂」
で、『中央公論』を買うという冒険をします。外出前の大前田の話、普通名詞問答、
点呼後の谷山二等兵・神山上等兵との会話、点呼後の「タイコエンシュウ」など、
話題・事件の詰まった日と言えそうです。『神聖喜劇』の読者にとって、二月一一日
は、当然「大船越応返」の日として記憶されなければならないでしょう。

>>237
「批評の弾着距離」(『新日本文学』1959年7月)において、大西は「『海と毒薬』、
『芽むしり 仔撃ち』を五十五点内外の作品としよう。」と発言しています。「〈共同
インタビュー〉大西巨人に聞く/小説と「この人を見よ」(『批評空間』U−24、2000年
1月)では、それを承けて「大江健三郎は六〇点くらいにしてもいいですよ(笑)。」(渡部
「それは『万延元年のフットボール』あたりですか」)「いえ、『芽むしり仔撃ち』です。大江で
一番いいのはこれだと思っているんです。」と述べ、肯定的に評価を修正する含みを持たせて
います。ご記憶は、おおよそ正確です。
 「大江は業の深さというか、悪いところが良いみたいな…」というご意見には、大江が誤読
されやすい作家であることがよく現われているようにも感じます。否定論者にとっては、それが
韜晦のレトリックに映ったりするのですが、そのあたりはどうなのでしょうか。
240名無しさん@まいぺーす:02/02/11 14:06
訂正です。
>>239
「大船越応返」→「大船越往反」です。
「往反」の二文字とも間違っているとは、情けない。
241吾輩は名無しである:02/02/11 15:16
「反日文学」というものがあるとすると、
表面的には桐山襲なんかかもしれないけれども、
桐山なんかはやはり由緒正しき日本文学なのであって…。
大西巨人や中上がここに含まれると思うんですけれども…。
で「反日文学」を定義すると…。
実はよくわからない。しかし、大西や中上からそういう印象を感じてしまう。
どういうものなんだろう。
ところで、遅レスになってしまうが、『迷宮』はいい作品だと思う。
推理小説の形をとりながらも推理小説から逸脱する。
さまざまな引用が推理小説という枠組を揺るがす。
そして、犯人はいないと結論づけるある種の「FARCE」ともいえる結末。
そのナンセンスに直面した時の爽快な感覚。
ここに近年の吉本のある種の惚け老人的言説への批判を読みとったおれはおかしいのだろうか?
242吾輩は名無しである:02/02/11 15:27
さらにいえば『神聖喜劇』の底流にあるのもナンセンスだと読みとれる。
東堂の言葉遣いも論理的であるが、あまりにも論理的であるがために
その向こうにナンセンスが見えてしまうのだ。
しかし、大江からはナンセンスを読みとれない。
大江はあまりにも意味を求めてしまう。
ここにおれはニーチェのいう「真理を求める哲学者」を見てしまい、
男根主義的なる何かを見てしまう。

例えば、「底付き」をめぐる大西のナンセンスに比べて
『燃えあがる緑の木』において両性具有に意味を求めてしまう大江…。
この姿勢の違いはかなり大きいようにおれには思われる。
243名無しさん@まいぺーす:02/02/12 23:33
>>241
『迷宮』のご理解のされ方、とても参考になりました。吉本隆明への批判が作者の
意図として取り出せるかどうかは分かりませんが、「FARCE」として作品を読むと
いうのは、的確なご指摘だと思います。ただ、いささかネタばらしになっているのが
難点でしょうか。未読の読者は、飛ばしてもらった方がいいかもしれません。
>>242
この示唆も、興味深く拝見しました。一見男根主義者であるかのようで、大西は、実は
対極的な立場にあると考えます。そのような大西の特性を浮かび上がらせるために、大江
との比較考察も有効かもしれません。大江の最近の作品をあまりきちんと読んでいないの
ですが、もう少し付き合う必要があるように感じました。しかし、気が重い(笑)。
244吾輩は名無しである:02/02/15 15:43
『天路の奈落』age。
245 :02/02/15 16:51
どうでもいい事だけど
大西きょじん
じゃなくて
大西のりと
って読むのな
246吾輩は名無しである:02/02/15 16:54
大西 巨人(おおにし きょじん)
------------------------------------------------------
1919年福岡市生まれ。九州帝国大学法文学部中退。
毎日新聞西部本社勤務を経て、対馬要塞重砲兵連隊の一員として敗戦を迎える。
戦後、福岡で雑誌『文化展望』の編集に当たり、『近代文学』第二次同人となる。
48年、『精神の氷点』『白日の序曲』を発表。
52年、上京。以後、幅広い創作活動を続けている。



247名無しさん@まいぺーす:02/02/17 01:01
>>246
>>247
「「巨人」という名のもう一人」(『朝日新聞』1984年6月11日夕刊、『運命の賭け』
[晩聲社、1985年10月]所収)において、大西は、「小説家・批評家その他として私
の名は「キョジン」であるが、戸籍上のそれは「ノリト」である。」と書いています。
本名「ノリト」・ペンネーム「キョジン」ということで、一応言いと思います。「小説
家・批評家その他として」という書き方が、いかにも大西らしいですね。横溝正史の本名
が「マサシ」・ペンネーム「セイシ」と分かれているのと、ほぼ同じケースとなります。
ただし、この区別は、初めからあったわけではなく、『精神の氷点』の雑誌連載第一回
時には、「のりと」というルビが付けられています。
248名無しさん@まいぺーす:02/02/19 19:53
「巨人館」で公開されていた『深淵』の連載が第37回で止まりました。前からの告知
通り、これからは有料公開となるのでしょう。主人公麻田布満は、記憶喪失のため、
十三年間の空白を抱えているのですが、その期間の麻田(の別人物としての顔)を知る
人物と麻田とが偶然遭い、話を聞き始めるところで、連載は終わっています。読者の
興味をそそる切れ目として、最もうまい選択のように感じます。大西巨人も、なかなか
計算していますね(笑)。願わくば、多くの読者が購読しますように。
249fishman:02/02/19 23:01
>大西巨人も、なかなか計算していますね(笑)。
微笑ましい(笑)早速見てきます。
250吾輩は名無しである:02/02/20 05:48
今年で83歳くらいですか
251吾輩は名無しである:02/02/20 05:52
↑間違って書き込んでしまいましたが
83歳でまだまだ書けるってのはどんなもんでしょうね
失礼ながらさんまのからくりテレビのご長寿クイズの年齢ですね
これだけの年齢でってのはゴダールを思い出します
作風も似てなくもないし
まあくだらない思いつきレスなのでサゲます
252吾輩は名無しである:02/02/21 22:57
大西巨人がマイナーな作家だとかなんとかという言葉が散見されるけれども、じゃあ、メジャーな作家ってだれなの。
ましてや、柄谷が敬意をもって引用する作家は森敦とか小島信夫だよ。まさか、彼らをメジャーという人はいないでしょ。
坂口も太宰もメジャーだったわけないでしょ。マイナーという言い方はまるきりおかしいよ。
253吾輩は名無しである:02/02/21 23:02
たんに実力のわりに売れてないって事だよ
マイナーだから駄目とかもないがもうちょっと売れてもいいんじゃな〜い?ってことだけでしょ
坂口も太宰もメジャーじゃん
当時太宰は売れてたよ。安吾はよく知らん
森敦はどうかと思うが小島信夫もメジャーだよ
少なくとも彼らが現役バリバリの時代は文学つージャンル自体が今の数倍売れてたし
彼らの作品も売れてたよ
彼らに比べて大西の知名度も売上げも全然ないと思うんだけど
254吾輩は名無しである:02/02/21 23:09
ちなみに、マイナーというのは、文学史のなかで正当に使われる意味としてはちまちました内容、テーマのみを書く傾向をいっているのであって、注目度をいう場合に使われてはいないと思う。
どんどん混同されてつかわれているよ。チエホフ、はマイナー。カフカもマイナー。マン、トルストイはマイナーではない。
255吾輩は名無しである:02/02/21 23:25
>253 ちょっと無理なこといってるよ。普通小説が売れる、ていうのは大衆小説なんだよ。石坂洋次郎とか、大仏次郎みたいな。
太宰は死ぬまで家一軒もかえなかったでしょ。
小島信夫が現役ばりばりのとき、初版何部売れてたっていうの。
口からでまかせもいいところだ。坂口も太宰も小島もメジャーじゃないてば。
当時から、高い評価は得ていたが。大西も、十分高く評価されているよ。
256吾輩は名無しである:02/02/21 23:40
>>254
よくわからんがドゥルーズ?
>>255
今に比べればってことだよ
太宰は確か今で言ったら月収15万くらいだったかな?
大衆小説と比べればそりゃ売れてないよ
今の純文学と比べればってことだよ
257吾輩は名無しである:02/02/21 23:41
俺は政治的に大西巨人とは全く異なる立場の人間だが、小説家のしての大西巨人は
もっともっと高く評価されて然るべき人だと思っている。この春は「神聖喜劇」や
「天路の奈落」「二十一世紀前夜祭」を再読し、みすずから出た全四巻の評論集も
じっくり読み込むつもりだ。小林よしのりや西尾幹二の本を読むなら、大西の本を
読んだ方がはるかに勉強になるよと「新しい歴史教科書をつくる会」のシンポジウ
ムの帰りに友人に話したところ、「知らないなぁ、その人」と返事をされ、少し悲
しい気持ちになったのを覚えている。
258吾輩は名無しである:02/02/22 00:16
大西巨人ていうのはね。最大限に評価されてんですよ。理由は、政治的立場がはっきりしているから、誰からも好かれるというわけには行かないのはあたりまえ。
その上で、柄谷の態度も、野坂昭如の態度も、立松和平の「天路の奈落」書評時の表現、吉本の評言、これだけそろって、畏敬と絶賛じゃないですか。
 大西巨人を知らない人がいたとしたって、聞いてみな、そういうひとは、福田恒存も知らなかったり、するって。
ジョージオーウェルも実際読んだことなかったりするって。要するに小林秀雄のせりふじゃないが、意外とみんな濫読してないんだよ。
259魔法使いtai!:02/02/22 00:20
>>257
その友人が無知なんだ予!無知無知無知無知!
260吾輩は名無しである:02/02/22 00:32
>257
「政治的に大西巨人とは全く異なる立場の人間」がそんな「もっともっと高く評価
されて然るべき人思っている」なんてヤワなこと言っちゃいけないなぁ。俺はかつ
て、渡部昇一先生がお書きになっていた通り、血友病の子供を持った親は遺伝上の
常識として、第二子は作ってはいけないと思うけどね。重ねて言う。渡部昇一先生
は間違えていない。あんたは少し世の中見る目を養うべきだな。
261吾輩は名無しである:02/02/22 02:08
このスレッドに書き込んでる奴らって、仕事もしてないくせにえらそうなこと言っ
てる親がかりの論客ばっかりなんだろうな。
262名無しさん@まいぺーす:02/02/22 02:17
 大西巨人がマイナーな作家であるかどうかで、突然議論が盛り上がり、びっくりです。
基本的な考えを述べておくと、@、いわゆる純文学系の作家の中でも、著書の売れ行きが
芳しくない、A、一般的な知名度が低い、B、左翼的な立場の人の間においても、評価する
人が少ない、C、『神聖喜劇』以外の作品の評価が定まっていない、などの理由から、
マイナーな作家という判断をしても、とりあえずは間違っていないという感じがします。
文学の社会的地位の低下という全般的な事情を考慮に入れても、なお大西に対する評価は、
不当に低いと言えるでしょう。もちろん、そうした現状が誤りであることを説き、大西の
正当な評価の実現に努めることは大切ですが。

>>258
「野坂昭如の態度」とは、具体的には何を指すのでしょうか。野坂が大西について語って
いるとは知りませんでしたので、お教えいただければ幸いです。なお、柄谷・立松・吉本の
評価が「畏敬と絶賛」というのは分かりますが、いずれも、大西について持続的な、かつ、
より本質的な批評を行っていない点に限界を感じます。

>>260
大西と渡部との応酬をまともに読めば、渡部昇一の意見に賛成することなど、とても
できないはずでは。「血友病の子供を持った親は遺伝上の常識として、第二子は作って
いけない」ということ自体、妄説であり、何ら医学的・科学的根拠のないもの。もし、
そうでないと言うならば、根拠を提示してもらいたい。「あんた」こそ「少し世の中
見る目を養うべきだな。」。
263名無しさん@まいぺーす:02/02/22 02:41
二月二二日は、『神聖喜劇』において、最も長い一日です。「第四部 伝承の章/
第一 暗影」から「第七部 連環の章/第六 脈絡」まで約千頁が費やされます。
とはいえ、この日に起こったことは、剣鞘摩り替え事件の発覚・「安芸」の彼女から
の来信ぐらいで、多くは東堂の回想で占められています。作品中、最もスリリングな
場面である二月九日の堀江隊長・片桐伍長による喚問も、東堂による記憶の再現です
(二月二二日の記述が長すぎて、前後関係がはなはだ掴みにくいのですが)。ドラマは
常に過去として描かれる、これが大西の小説における一つの定式であるようです。それが
どのような意味を持つのかは、さらに追究したいところです。
264吾輩は名無しである:02/02/22 02:47
>262
「根拠を提示してもらいたい」なんて言われても俺は医者じゃないから、詳細なデ
ータを出すことなどできない。
しかし、血友病の子供2人も作った人間が、国民の血税でまかなわれる莫大な治療
費を受け、さらにそんな奴が反権力、反体制なんて言ったって説得力無いって言い
たいだけ。ここで大西先生バンザイバンザイと書き込んでいる奴には分からないか
もしれないけど、まともに働きもしないで、知った口叩いているような連中に対す
る世間の風当たりは強いぞ。俺が汗水垂らして稼いで払った税金が、そんなゴクツ
ブシどもに使われると思うと、本当に腹が立ってしようがない。
最後に、渡部昇一先生のような、国益を重んじる立場で天下国家を論じる人の本こ
そ、もっともっと評価されるべきだ。大西の信者以上に、257みたいな利敵行為
をする奴は本当に許すことができない。俺の言いたいのはそれだけ。もう2度と来
ないよ、こんな変なスレッド!!
265吾輩は名無しである:02/02/22 04:04
>>264
そんなこと言うんだったら税金なんて払わなきゃいいんだよ、抗議の意味でね
大体あなたの言う「国益」て何?
「天下国家」?ナニ言ってんの?

>もう二度と来ないよ、こんな変なスレッド!!
なぜそれをわざわざ書き込む?自分の意見だけ書き込めばいいじゃん
その時点であなたの「意見」は単なる「文句」に成り下がるんだよ
つーか2ちゃんでほぼ唯一まともなスレなのに・・・・まあたまにはいいかな
266fishman:02/02/22 08:24
マイナー文学については、ドゥルーズの文脈で使われているので、
単に売れ行きや知名度の問題として捉えようとすると齟齬があると
思われます。マイナー文学とは、言語の共有という一見、自明でなだらかな
地平に、小さな無数のひび割れを走らせる行為と捉えています。
大西がそれに当てはまるかという問いには肯きますが、ちょっと思うところも
あるので時間を見て書き込みたいと思います。

渡部昇一については、少なくともこの件に関しては、「恥知らず」の
一言で済むのではないでしょうか?
267誰か教えて:02/02/22 20:34
渡部昇一の奇怪な発言が話題になっているようですが,どなたか出典を教えていただけないでしょうか?
なんでこんな事訊ねるかというと、昔、「朝まで生テレビ」で、渡部昇一が前後の文脈に関係なく侮辱されるのを見たことがあるからです。
(司会の田丸みすず 突然曰く「そういえば、渡部先生、ヒトラーに似てらっしゃいますねえ。」そして、渡部昇一のオドオドした顔のどアップ。)
(私が渡部の家族なら泣いてます。)
渡部のルックスはどう見ても、みんなから、いじめられる方です。
私の乏しい読書経験からいっても、「渡部昇一」の枕詞には、とりあえず「バカ」が付く事がほとんどです。
だから、あえて知りたい。
そのような「妄言」どこで発言したのか?
そして、そんな言説を収録した本は今でも発売されてるの?
ほんとのバカなら皆でやさしく導いてあげましょう。
それが福祉というもんだ。
268吾輩は名無しである:02/02/23 01:44
本日、大阪の某古書店から「巨人の未来風考察」と「春秋の花」が届いた。今度の
日曜日にゆっくり読みたいと思っている。
それと、渡部昇一のことをこのスレでわざわざ書き込んでいる奴がいるけど、マス
板か政治思想板に逝けよ!!
大西ファンはこれまで通りのノリで、このスレ盛り上げていこうよ!!
269吾輩は名無しである:02/02/23 06:21
みすずから出た4巻本の評論集を8000円で購入。とても得した気分だ。
270リアル厨房:02/02/23 21:09
ご無沙汰しております。

私が「マイナー文学」という言葉を定義せずに使ってしまったために
議論がちょっとおかしくなってしまったようですね。
「マイナー文学」はfishmanさんのいうとおりですね。
さて、ドゥルーズは自国語から逃れることとして「吃ること」に着目
していますが、そこから見ると例えば大江健三郎は端的に「マイナー」
であるといえるでしょう。
しかし、私は大西はそれ以上に「マイナー」であると思います。
以前スガ秀実が大西の作品はノイズにあふれていると書いていました。
冗長なほどの膨大な引用や徹底して論理的な言葉遣い、こうしたノイズが
物語の進展を遅らせますが、これらのノイズこそが大西を「マイナー」た
らしめているといえるでしょう。
ノイズの多用は「国民文学」たらんことを拒否し、大西を日本語から逃れ
させているんだと思います。




271吾輩は名無しである:02/02/23 21:54
>262 神聖喜劇完結出版の際に、野坂昭如は週刊朝日か文春かの連載エッセイのなかで、待望の刊行だという意味のことをいっている。
それと、ついでにいわせてもらいたいが、マイナーかどうか、ではなく、その問いと規定自体が無効だとしか思えない。
 大江がマイナーだというにいたって、ナンセンス加減がきまってきたぞ。
 マイナーじゃないのだれなの? だいいちドゥルーズの定義を応用した気になって、仮にドゥルーズがみたらびっくりするような逸脱になってないのか?
272fishman:02/02/24 01:36
大西に対してドゥルーズの「マイナー文学」を持ち出すことは必ずしも
逸脱ではないと思います。リアル厨房さんも糸圭秀実を引用しつつ説明
していますが、『神聖喜劇』においては、膨大な引用及び過剰な論理が
「戦争ーいけないこと」「軍隊生活ー厳しく苦しいもの」という座りの良い
一義的理解や単純なヒューマニズムから、作品を引き離しており、それは
ドゥルーズのいう「マイナー」と通底するように思えます。

ただ、「大西作品はマイナー文学だ」と名指すだけで終わってしまうことは
確かにドゥルーズっぽくはないですね。躓きや吃りを作品の中からつぶさに
拾い上げ、全く違う位相に配置し直す手さばき、「マイナー文学」「逃走線」
といったキーワードに目をひきつけられますが、その手さばきの中にこそ
ドゥルーズの真骨頂があったように思います。
しかし、まぁ同じ事をするだけの力量が今の自分にはありません(笑)

>269さん
>みすずから出た4巻本の評論集を8000円で購入。とても得した気分だ。
僕それ15000円で買いました。ちょっと悔しい(笑)
273268:02/02/24 01:58
今日、会社に行く時と家に戻る時に電車の中で「巨人の未来風考察」を読んだが、
本当に元気が出たぞ!! この頃は本当に「書かずにいられるか!」という内的衝
動に駆られて物を書いている人がほとんどいない気がするけど、大西のこの本はま
さしく、うれしい例外という感じ。これからも「神聖喜劇」とか大西ワールドにど
っぷり浸っていくぞ!!
274吾輩は名無しである:02/02/24 05:24
大西巨人って、本当に「巨人」なの?
275吾輩は名無しである:02/02/24 10:10
だから、何度も聞いているように、評価が低いと言い張る人たちは、誰なら、高いと思ってるの。
さっきから出ている基準に全部あてはまるのは、村上春樹ただ一人だよ。
それじゃあ、ないものねだりのだだっこだ。あんたがたは、トップレベルの批評家たちの言説を、単純にしらないだけ。
加藤てんようだって、戦後後論で、大西はもっとも間違うところの少ない思想道程を歩んできた、といっている。
276吾輩は名無しである:02/02/24 10:37
>それじゃあ、ないものねだりのだだっこだ。
禿げ同
277ジャグラー:02/02/24 21:44
>267 誰か教えてさんへ。
大西巨人「観念的発想の陥セイ」所収 谷崎潤一郎2の、「指定疾患医療給付と谷崎賞」に書いてある。
278吾輩は名無しである:02/02/24 21:48
>>275
だからさあ、ドゥルーズのマイナー文学の定義とか
大西がちゃんと評価を受けてきてるのは皆だいたい知ってるよ
そうじゃなくてたんに現代の読者にあんまり読まれてないってだけのことでしょ
このスレで言われてる意味は
もっと読まれてほしいなあ、ってだけでそんな目くじら立てるようなことじゃないよ
まあ終った話題なのでサゲます
279ジャグラー:02/02/24 22:09
>276 禿げ同? 
自分が良く読み込むことがすべてで、多くの人に読まれてほしいなんてのは二の次、三の次というんが、俺の確信。
もっと読まれてほしいなんて、ちーとも願わん。もっとも、読まれたほうが、世の常識の水準があがって好ましいには違いない。
しかし切には決して願わんな。
280ジャグラー:02/02/24 22:15
↑ごめんごめん278の意見でいいです。読まずに書いちゃいました。
281名無しさん@まいぺーす:02/02/25 03:53
 先程「巨人館」を覗いたら、何と『深淵』の第38回がアップされているではあり
ませんか。37回の時に、それまで必ず付されていた「次回更新は○月○日」という
但し書きがなかったために、てっきり止まったと思っていたのですが、どうやら、
早とちりだったようです。従って、248で述べた作者の計算は、勘違いということ
で撤回しておきます。話は、麻田布満の空白の期間の消息に踏み込んでいます。
しかし、有料購読は、いつから始まるのでしょうか。

>>271
ご教示ありがとうございます。余裕のある時に、現物を探してみようと思います。

>>275
「評価が低いと言い張る人たち」、「あんたがた」の内の一人に、おそらく僕も
入るのでしょう。ただし、そのことで僕自身、誰かと共闘しているつもりも事実
もないので、論者それぞれの考え方は自ずと異なるでしょう。その差異を見ず、
一括りで議論を進めるのは、生産的ではないのではないでしょうか。
 「トップレベルの批評家たちの言説を、単純にしらないだけ」という把握にしても、
やや乱暴に感じます。立松和平・吉本隆明・野坂昭如らの大西評価は、散発的なもの
にとどまっているところがあります。あるいはそこに井上ひさしや大江健三郎や井口
時男などを加えても、事情は変わりません。柄谷にしても、口頭でしばしば『神聖喜劇』
について触れ、大西と対談をしていても、大西巨人論を発表してはいない。社交的に
褒め言葉を並べるだけでなく、その文学世界に分け入って、批評活動を持続的に行なって
いるのは、すが秀実と湯地朝雄ぐらいでしょう。鷲田小弥太が世に一冊の大西巨人論も
ないことを嘆いたのは、10年ほど前のことであったと記憶していますが、事態は今も
変わりません。例えば、そうした状況に照らして、僕は、今でも大西巨人に対する評価は、
不当に低いと考えます。
 なお、加藤典洋の『戦後的思考』における大西評価は、いわゆる褒め殺しに該当する
もので、同時代との関わりの中で、国民と共に誤りうることこそ文学の役割であると、
胡乱なレトリックを弄する加藤に、正当な大西評価は不可能であると考えます。
 長レス、お許しを。
 

282fishman:02/02/25 10:07
>275さん
はぁ、そういうことでしたか。文脈が読めてなかったようです。
くどくどとごめんなさい。別に作家の評価基準を持ち出している
わけではありませんので、あまり気になさらずに。

糸圭秀実以外に大西をきちんと論じた文に触れたことがありません。
不勉強のなせる技かも知れません。湯地朝雄、探して読んでみます。



283誰か教えて:02/02/25 12:05
>277 :ジャグラー さん へ
さっそくご教示ありがとうございます。
図書館ででも探してみようと思います。

ところで、古本屋で「観念的発想の陥セイ」を見かけた事がほとんどありません。
「俗情との結託」は結構あるのですが・・・・・

>273さんへ
まったくもってその通りだと思います。
「魂」で書いている表現者である事は絶対間違いないと思います。

「いつだって うぶな気持ちで 一生懸命にやらなきゃ 人の気持なんてものは
 決してうちはしないよ」 by 遠藤賢次 

284ジャグラー:02/02/26 23:40
>281 ひとくくりに、あんたがたと書いたのは確かに妥当ではなかった。めくじらたてるなよ、という意見もあったが、大西巨人の反核運動への批判と加藤てんようへの罵倒はまさしくめくじらだったと思うんだがな。
めくじらといわれちゃあひっこむしかないや。
私の考えでは、評論をいっぱい書かれていることと、その作家の価値は、比例しません。だから、ぜんぜん気にならない。例えば大江健三郎。批評されずに価値は十分ある作家は、それはそれで別の異論になるだろうから、省略。
鷲田こやたのように、「同時代の評者にもっと論じてほしかった」と思うひとは、小林秀雄がたったひとりでドストエフスキイの真価を日本人に知らしめたように、独力で書けばいいだけ。
結果的に、書こうと思わせるだけのものがないから、書かないと(みなす)しかないじゃないですか。
俺はそうは思わないけどね。非常な手腕と常人の及びがたい洞察力を作品に示しているとおもっているけどね。
そして、世間一般がそう思わなくても、長文の論文がなくても、なんとも思わん。
285ジャグラー:02/02/27 03:10
正当に、持続的に、綿密に評価されているのは、日本文学史上、夏目漱石、宮沢賢治、太宰治、村上春樹以上たった4人
不当に、持続的に、綿密に評価されているのは、大江、次に三島
不当に、「持続的に評価されていないのは」もちろん大西巨人。ほかに何人も。だけどねぇー。
たった4人しか例の無い場所にはいってもらいたいとは、願わないなー。
286リアル厨房:02/02/27 13:06
「マイナー」の件では議論を混乱させてしまいましてすみません。
ただし、これは正当な評価ということにも絡んでくると思うのですが、
ジャグラーさんがあげている4人のうち、漱石に関しては異論がありますが、
「国民作家」という枠にくくってしまってとりあえずはいいと思うんですよね。
とりあえずですが。
「国民作家」が日本において評価されるのはまあ当然のことだと思います。
問題は「国民作家」から零れ落ちる作家です。
>241さんは「反日作家」と呼んでますが、あえてそのくくりを受け入れれば、
大西や中上、大江あたりは「反日作家」にくくれると思います。
「反日作家」は国民国家の枠内では今も今後も正当な評価を受け入れることは
あまりないでしょう。
絶版も多くなるでしょう。
にもかかわらず、ここでこうして大西のレスが伸びているように読まれつづけて
いくと思います。
さらにいえば、彼らは(反日であるが故に)世界的な水準を獲得していますので、
海外への展望もあると思います。「日本文学」というくびきなしにです。

まあ、こういったスレを伸ばすことも微力ながら大西をはじめ、「マイナー」で「反日
本的」な作家を広く知らしめることに貢献することを願ってのことなんですけどね。
287名無しさん:02/02/27 13:10
288ジャグラー:02/02/27 22:29
>286 リアル厨房氏のいうことはそれなりに理解できます。実をいって相当反発心を持って、何度か書いたてんはありますが、あなたのいう趣旨にはなんとも思わないのが不思議。なるほど、とは思います。
あなたはメジャーになることを願うのではなく、絶版になるはずだ、といっているところが、わたしに、本当のことをいっているな、と思わせるのだろう。
あなたは、漱石については、異論があるといいますが、知名度と「持続的評価」を重視する人がいるから、そんなのは、4人でしょうといっただけ。
江藤淳、柄谷行人、吉本隆明、蓮見重彦が各々一冊の本を書いているのだから、まず持続的評価でしょう。異論が「正当」への疑問なら、あなたも相当な個性といわねばなりません。
わたしは、文学は、大西巨人の「春秋の花」のように、実に多様な価値が(無名でも)散在してるもので、相撲の横綱審議会的発想、紅白歌合戦選考的発想がきらいです。
あなたにはそれがなく、ほかの何人かはどうしても、大西にも横綱を、せめて大関になってもらいたい、だけ、といっているように感じました。
「反日」のニュアンスについては追々語って下さい。
289名無しさん@まいぺーす:02/02/28 02:15
「巨人館」に2月26日付けの「お断わり」が掲載されており、体調不良と家族の入院
とが重なったため、『深淵』の連載を四月まで休むことが告知されています。ちょっと
心配ですね。作者およびご家族のご自愛を切に祈ります。なお、有料購読の試みは、取り止め
にしたとのことです。
 また、「趣味の手帳「私の小説作法」」というコーナーが新たに加えられ、「1969年
4月24、25日にNHK第一ラジオで放送された番組」が「原稿と音声で紹介」されています。
大西巨人の肉声が聞ける機会というのは、なかなかないでしょう。興味のある方は、どうぞ。
大西のホームページにかける意気込みは、相当のもののように感じられます。

ttp://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/kyojin.htm
290吾輩は名無しである:02/03/01 01:14
大西巨人氏の声を聴きながらカキコしております
音質が悪いのもこれまたレコードのような味があってカッコイー!感動した!
291リアル厨房:02/03/01 16:09
上のほうにもあったけど、大西とゴダール…。
何かつながるような気がするんだが…。
昨晩『映画史』を見ていて突然そう思った。
292吾輩は名無しである:02/03/03 12:02
>>291
引用グセはたしかに同じ。
ただし引用していく手法というか文法は違うよぜんぜん。
むしろゴダールの引用の仕方は後藤明生にそっくり。
物語の背景となる虚構自体がすでに引用であってさらに
引用に引用を重ねて物語の構造をずらしあらぬ方向へと
向かわせる。
こないだ『アルファヴィル』を見ていて思ったんだが
これは『挟み撃ち』なんだな。映像における『挟み撃ち』
なんだなと直観した。
一見けっこういいかげんな構成なんだけど実は緻密で批評的。
いいかげんで軽いにもかかわらず持続する強度と緊張。
こりゃすげええなと思ったしだい。
中上はパゾリーニ。
古井はアントニオーニ。
三島はヴィスコンティ。

そして、大西は・・・ブニュエル。
そう、大西はブニュエルなんじゃないか・・・。

自分で書いててようわからなくなった。
まあ、大西=ブニュエルだとしたらハスミや金井あたりにゃ手が
あまるってことよ。
あ〜あ、誰か大西を海外に紹介しねえかな。
日本の批評家には手にあまるレベルなんだよな。
本当は中上なんかもハスミや金井や渡部なんかには手にあまるんだろうけどな。
293名無しさん@まいぺーす:02/03/04 07:45
>>291
>>292
映画の知識が全然ないのですが、お話はとても興味深いです。大西が作品で用いている
映画的手法が、古典的なものであるにもかかわらず、ゴダールやブニュエルと通じていく
というのが面白い。議論がさらに深まりますように。
294吾輩は名無しである:02/03/04 13:44
小東阪神というペンネームでなんか書こうかな。
295小東阪神:02/03/04 13:52
ちんこーきんたまー♪
皮を剥いたたまねぎークリトリス―♪
296名無しさん@まいぺーす:02/03/05 07:33
「保田與重郎」板を覗いていると、「戦中派老人」という方が、自身の戦中・戦後
体験から、現在の保田再評価の機運に懸念を表明しており、議論に一石を投じて
いらっしゃいます。この板は、ざっと見渡したところ、軍隊・戦争体験者の方の
書き込みはまだないように思われますが、できればそういう方の意見も聞きたい
ところです。
297名無しさん@まいぺーす:02/03/07 10:32
 十日ほど家を離れていたために、データ的なことを書き込むことができませんでした。
『神聖喜劇』の日次を少し。二月二七日は冬木二等兵の「不条理上申」・東堂二等兵の
「意見具申」が実行された日です。その前二、三日は、東堂・橋本・冬木・村崎・鉢田ら
の間で意見・情報が頻繁に交わされています。これらの場面は、決定的に重要とは
言えないものの、それぞれ鮮やかな印象を残します。他の部分とは異なり、アンチ・
クライマックスの手法で構成されている箇所であると言えるでしょう。
298名無しさん@まいぺーす:02/03/10 11:19
 三月一〇日は、敗戦前陸軍記念日でした。この日早朝冷水浴を行い、野砲実弾
射撃訓練に臨んだ東堂太郎は、見事な照準操作によって、唯一の「命中弾」を実現
させます。その事実を大前田軍曹も認め、その公正さに東堂が感動するのは、『神
聖喜劇』の読者にとって周知の展開です。作者の証言によれば、『神聖喜劇』は、
最初『名砲手伝』として構想されていたとのこと。当初の目論見からすれば、この
日は、作品の中核であったのでしょう。しかし、『神聖喜劇』の世界は、以後膨張
を続け、三月一〇日の位置づけは、相対的に目立たないものになったようです。

 281のレスで、「社交的に褒め言葉を並べるだけでなく、その文学世界に分け入
って、批評活動を持続的に行なっているのは、すが秀実と湯地朝雄ぐらいでしょう。」
と書いたことで、少し補足しておきます。湯地朝雄氏の大西巨人論は、運動団体「思想
運動」の機関紙『思想運動』および『社会評論』で読むことができます。最も、長いものは、
「戦後文学の出発−−野間宏『暗い絵』と大西巨人『精神の氷点』」(35回[616号、
1999年10月15日]より、副題が「大西巨人『精神の氷点』について」に変更。『思想
運動』581号、1998年3月15日〜653号、2001年5月15日)で、71回に及ぶ連載において、
戦中の自己の徹底的な否定から出発した『精神の氷点』が唯一戦後文学としての可能性
を持つものであることを、当時の左翼運動の実情に照らして、詳細に論じた者でした。
この連載は、単行本にまとめられるかもしれません。他に、例えば「連続講座「大西
巨人−−その文学と思想」第一回/『迷宮』を論じて『神聖喜劇』に及ぶ−−または、
「人民のための文学」と「反俗の精神」との関係について」(『社会評論』111号、
1998年3月)がなどがあります。また、前回忘れていたのですが、持続的な大西論者
として、立野正裕氏の名前が挙げられるでしょう。やはり、「思想運動」に関係し、
論考としては、「連続講座「大西巨人−−その文学と思想」第三回/日本庶民兵士の
二重性−−『神聖喜劇』と根底的不同意の精神」(『社会評論』113号、1998年7月)
や「現代精神史の零度に立つ−−ニヒリズムの超克/大西巨人著『精神の氷点』を
めぐって」(『社会評論』125号、2001年4月)などがあります。立野氏は、『月水金』
という同人誌のメンバーであり、そちらにも力作の大西論を発表しています。『思想運動』・
『社会評論』・『月水金』は、国会図書館に所蔵されているので、一応読むことは可能です。
もちろん、発行元に問い合わせれば、バックナンバーを取り寄せることもできるとおもいます。
299吾輩は名無しである:02/03/10 13:14
どちらも読んだこと無いのにカキコしますのでsageますが
引用とミステリーというとウンベルト・エーコが有名ですね
つっても読んだどこないので全く的外れかもしれませんのでスマソ
300吾輩は名無しである:02/03/10 13:28
300ゲット!
301名無しさん@まいぺーす:02/03/14 03:23
>>299
『三位一体の神話』の中で、大西は、『薔薇の神話』に関わるインタビューを引用
しているので、エーコを意識していないことはないでしょう。ただし、本質的な影響
関係は、というと、どうも疑わしい。引用の効果ということにしても、エーコの方は、
端的にペダントリーという感じがします。
302通りすがり:02/03/15 20:21
引用という手法について、かつて、大西巨人は雑誌の対談の中で、メルビルの「白鯨」に影響を受けた旨の発言をしていたと、記憶しています。
「白鯨」ファンの私はちょっとうれしかった。
303名無しさん@まいぺーす:02/03/16 02:52
『深淵』の目次をぼーっと見てて気付きました。八章ごとに章題の文字数が二文字・
四文字・五文字・三文字と変化しているのですね。登場人物のネーミングが今回は、
意外におとなしいなと思っていたのですが、なかなかどうして。形式化への意志と
いうか、遊び心というか、とにかく大西巨人らしさは、健在です。もっとも、とっくに
お気づきの方にとっては、何をいまさらの話かもしれませんが。
>>302
「穢多」の語源をめぐって、膨大な文献が披露されている箇所に、『白鯨』の引用の手法
と最も近いものを感じますが、いかがでしょうか。
304名無しさん@まいぺーす:02/03/19 00:53
 他のことをしていたら、日付が変わっていました。油断です。昨日三月一八日は、
「模擬死刑事件」が出来した、『神聖喜劇』の中でも最も劇的な日の一つです。
回想・想起の形ではなく、同時進行的に事件が記述されていくのは珍しく、最初の
波乱があった一月一九日と叙法において照応していると言えるでしょう。冬木の
宣言、村崎の奮闘、新兵たちに起こった自然な連帯、村上少尉の変節、大前田の不在
など、それぞれの登場人物のキャラクターが一斉に光る場面でもあります。
305リアル厨房でっす:02/03/20 12:11
>>303
たしか柄谷も『白鯨』と並べていたことがありましたよね(うろ覚え)。
普通の近代小説とチト違うってな文脈で。
たしか磯田光一の「左翼とサヨク」をめぐって、左翼の代表として大西を
出してくることの不当性を訴えていたような気が…。
何に載っていたのかな〜。もう十年以上も前に読んだような気がするんですが。
私はそれがきっかけで大西に興味を持ち始めたんですが…。
『神聖喜劇』はもちろん「小説」だが、ある意味「物語」でありある意味「告白」
でもありある意味「百科全書」でもあり、近代小説からはズレているが、そのズレ
によって小説らしい小説になっていて、自分は徹底的に大西を擁護したいといって
いたと思うんですが、柄谷の慧眼ですよね。
たしかまいぺーすさんが仰る形式化への意志についても積極的に擁護していたと
思うのですが。
しかし、あまりにもうろ覚えで
306名無しさん@まいぺーす:02/03/22 20:17
>>305
柄谷行人・大西巨人「〈連続対談〉畏怖あるいは倫理の普遍性」(『すばる』1991年
4月号)において、柄谷は「例えばイギリスの十八世紀の小説なんて、「上手」も何も、
いわゆる小説の形をしておりませんよね。それは十九世紀アメリカ文学でも同じで、
メルヴィルの『モビー・ディック』(『白鯨』)も、鯨についての注釈がふんだんに
出てくる。大西さんの場合も、それに似ているわけですね。」と、『神聖喜劇』の
反近代小説性を指摘するにあたって、『白鯨』に言及しました。それに応じて、大西も
「だれかこのメルヴィルの『白鯨』と『神聖喜劇』とを対照して論じないかなと思って
たんですよ。だれも論じなかったが、柄谷君が初めて、少なくともそれとの関連で名前
が出てきたんでね。」と述べています。302の通りすがりさんが言っているのも、おそらく
この座談であろうと思われます。ただし、『白鯨』に具体的に触れているやり取りは、
引用したところに限られているようで、『白鯨』から直接影響を受けたことを大西が
明言しているようではないようです。
307吾輩は名無しである:02/03/22 20:20
注文した神聖喜劇が届かないよー!
まさか・・・ぼられた?
308名無しさん@まいぺーす:02/03/22 20:31
(続き)また、磯田光一『左翼がサヨクになるとき』に関して、柄谷は、
「僕は大西さんにあるのは、道徳でなくて倫理だと思うんですよ。ところが、
磯田さんという人には倫理がないんです。彼は、あらゆるものを相対化しうる
一つの空虚な点、超越的な点に自分は立っていると思っている。ある意味では、
彼は全部負けているわけですが、その空虚な立場に立つかぎりにおいて全部に
勝っていると思っているんですね。彼の本はみなそうです。それはイロニーで
あって、ロマン的イロニーですね。だから結局、自己絶対化なんですよ。本質
的に他者がない。具体的にいうと、彼にとってテクストは存在しない。歴史も
存在しない。全部彼が透過できるものでしかない。この意味で、彼は「倫理的」
ではまったくないのです。」、「僕は自分を動かしているのは何だろうと考える
んですけど、それは、ある他者性、永遠と言ってもいいし、歴史と言っても神と
いってもいいけど、何かそういうものへの緊張感だと思うんですね。大西さんの
場合にも、それを感じるんです。それは、戦後のマルクス主義とか共産党とか、
そんな「道徳」の問題じゃない。」と発言しています。おそらく、リアル厨房さん
が指示されたのは、このあたりではないでしょうか。
309名無しさん@まいぺーす:02/03/22 20:40
(続き)磯田光一は、戦後における左翼勢力の衰退を高踏的に批評しようとして、かえって
自らがステレオタイプな左翼像に囚われていることを大西から批判され、浅墓さを
露呈しました。(必然的であったのですが)晩節を汚したと言えるでしょう。なお、
上記の柄谷・大西対談においては、形式化の問題は、話題になっていないようです。
310通りすがり:02/03/23 11:29
>>306
そうそう、私のネタ元も確かこれでした。
正確には、そういう事でしたか。
なにしろ、立ち読みだったもので。(しかも、斜め読み)
教えていただきありがとう。そして、すこし反省。
311吾輩は名無しである:02/03/26 01:04
『村の石屋』age。
312名無しさん@まいぺーす:02/03/28 09:19
『批評空間』第V期第3号、2002年4月の「〈時評〉3 文学史は「病院」から「美容院」
へと、その場を移しうるだろうか」において、すが秀実は、川西政明『昭和文学史』を
「国民の国民に対する「捧げ物」」、「究極的には、文学者に捧げられているというよりは、
国民の象徴であり「昭和」をも象徴した「あの人」に捧げられている」ものであると
批判しています。すがは、そうした記述意識のために、金井美恵子を始めとする多くの女流作家
を川西が位置づけなかったこと、また、大西巨人に言及できなかったことを具体的な問題として
挙げています。「老人性痴呆症の問題を扱った大西巨人の『迷宮』は、この点で、徹底的に
反=ファミリーロマンスであり、癒しを拒否する「死すべきもの」の孤児性を提示しているが、
もちろん、川西の著作がこの作品に触れることはない。それは、国家(と、その文学史)によって
は癒されえぬ孤児性だからであり、その孤児性によって金井美恵子の「美容院」と連帯してしまう
ような「迷宮」的共同性を垣間見せるからである。川西文学史が『神聖喜劇』を上手く位置
づけえなかったのも、その主人公・東堂太郎が「転向者」であったとしても、それは癒される
べき「病者」というカテゴリーには納まりえない存在として措定されていたからにほか
なるまい。」。『迷宮』にまで触れてしまうところが、すが氏らしくいいですね。
313リアル厨房でっす:02/03/28 12:24
>>312
同感です。
大西は「国民文学」からずれていくんですね。
もちろん「昭和文学」にも入ることはできない存在なんでしょうね。
314kurihara:02/03/29 20:07
>『迷宮』にまで触れてしまうところが、すが氏らしくいいですね

同感です(笑)
315吾輩は名無しである:02/03/30 01:31
保田與重郎スレに リアル厨房さん 発見!
結構、歓迎されてましたね。
わたしは、文学板では、大西巨人スレと保田與重郎スレしか、読みません。
 
316吾輩は名無しである:02/03/30 02:05
くくくくりたんが!
あなたの文学趣味は・・・いや、良スレだかいいや、荒れてほしくないし
ところで『神聖喜劇』注文して一ヶ月。料金も振り込んだのに届きません
嗚呼!ボラれたのか?
317名無しさん@まいぺーす:02/04/01 00:23
リアル厨房さんの保田與重郎に対するスタンスは、最も生産的なものであるように
感じられます。あちらのスレで歓迎されるのも、当然でしょう。僕も議論に加わりたい
と思わなくはないのですが、保田をあまり読んでないのと理解が覚束ないのとで今の
ところ遠慮しています。積ん読のままの新学社文庫にがんばって取り組まなければ。
>>316
目録販売などでは、料金先払いの店も多いのに、ちょっと心配ですね。もし、詐欺だったら、
これほど悪質なパクリはないのでは(笑)。何事もありませんように。
318吾輩は名無しである:02/04/01 22:48
大西巨人「はたを露骨に刺激する類の病的潔癖」について
季報「唯物論研究」79(2002/2月 1200円)特集/生誕百年の中野重治所収
〒560−0021大阪府豊中市本町6−9−7−402
季報「唯物論研究会」編集部 電話/fax06−6840−1056
Eメール BZG20166@nifty.ne.jp
大西さんの最新のエッセイかと思います。
ご存知ないかたも多いかと思い、情報にて。
319吾輩は名無しである:02/04/02 01:18
>317
リアル厨房さんに保田スレで賛辞を送った者です。ご覧の通り、恥知らずな信者も
おり、実に嘆かわしい限りです。新学社文庫をお読みの上、一刻も早くご高説を賜
りたく存じます。
320名無しさん@まいぺーす:02/04/02 23:24
>>318
ご教示ありがたいです。早速注文したいと思います。中野重治の特集も、楽しみですね。
>>319
ご期待に添うのは難しいと思いますが、がんばります。
321リアル厨房:02/04/03 12:38
『批評空間』をペラペラとめくっていたら…。
来週発売の『早稲田文学』で大西特集をやるとの広告が出ていました。
楽しみですね。

ところで、昨年末に発売された『批評空間』に大西の短いエッセイが
載っていましたが、大西らしい議論でしたね。
一歩間違えれば教条的ととられかねない議論を正々堂々と吐く。
共産党(わが家?)のような正統的(?)左翼やポスコロ系の現代的(?)
左翼が正論を吐けなくなっている状況において全く稀有な存在だと思います。
老いてますます壮んですね。

322名無しさん@まいぺーす:02/04/04 23:11
>>321
本当ですね、見落としてました。「小特集 大西巨人」とあります。誰が書き手か、
楽しみです。
323考える名無しさん:02/04/04 23:44
>>321

 情報ありがとう。さっそく注文した。早稲田文学自体も
一度は読んでみようと思っていたので、良い機会になりま
した。あんがとね。
324吾輩は名無しである:02/04/04 23:45
「大西巨人特集」といった類のまとまった特集とかってこれまでありましたっけ?
ほとんどないですよね・・・
325名無しさん@まいぺーす:02/04/07 22:38
>>324
管見に入った限りで、大西巨人特集が行われた雑誌には、次の三つがあります。

@、『新日本文学』1980年9月号。「特集/神聖喜劇の世界」
大西巨人「『神聖喜劇』を書き終えて−−全五巻刊行後約三ヵ月の日に」
日高晋「『神聖喜劇』のおもしろさ」
篠田一士「『神聖喜劇』の主題」
山岸嵩「一説『神聖喜劇』論−−部落問題文学の視点より」
玉井五一「大西巨人を求めて−−『神聖喜劇』ノート」

A、『すばる』1980年12月号。「特集/大西巨人の世界」
大西巨人・吉本隆明「対談/大小説≠フ条件−−『神聖喜劇』をめぐって−−」
小田切秀雄「一匹の犬≠ニ剛直な魂−−『神聖喜劇』−−」

B、『社会評論』第88号、1992年10月。「特集/大西巨人を読む」
亀井秀雄「実験の言説空間−−いま『神聖喜劇』を読む」
岩田光弘「雄大な構想と緻密な描写−−『三位一体の神話』論」

@以外は、「特集」というには、やや寂しい感じがあります。それにしても、今回
の特集は、10年ぶりとなりますね。


326>319:02/04/07 23:22
大西信者の方が恥ずかしいぜ。
保田は数百年残るが、大西はすでに忘れられようとしているような
もんだろう。

327名無しさん@まいぺーす:02/04/07 23:24
318で紹介されていた『季報唯物論研究』が届きました。大西巨人「「はたを
露骨に刺激する類の病的潔癖」について」に早速眼を通しました。新日本文学
会時代の中野重治との交流を話題にしたもので、会の財政立て直しのために、財政
部長への就任を請われた大西が、最低限の月給を求めたことについて、中野から
「病的潔癖」を批判されつつ、自らの要求の妥当性を疑わなかったことが記されて
います。「今日(二十一世紀初頭)いよいよ問題なのは、主として「形而上的『潔癖』」
でなければならない。「格守するべき原則」を四面楚歌の中で守りぬくことは、真に
高遠にして至難の路である。」とは、末尾近くの一節ですが、私的な挿話と普遍的真理と
が僅かの迂回も無く、直結させられているところが、いつもながら鮮やかです。
その他の特集文は、これから読もうと思います。菊池章一氏のものは、絶筆であることが
告知されています。
328吾輩は名無しである:02/04/07 23:30
>>325
おお!かなり細かいとこまでありがとうございます
しかし>>1さんはかなりすごいですね・・・
>>326
煽りにマジレスだけど、どっちも残ると思いますよ
残念ながらかなりマニアックな感じでしょうけど
329319:02/04/07 23:36
>326
「恥知らず」っておまえのことだよ。おまえだろ、時たま保田板で夜郎自大なウワゴト
みたいなカキコしたり、韓国人の保田批判に罵詈雑言浴びせてるのは。氏ねヴァカ!!
330吾輩は名無しである:02/04/07 23:36
大西が残る?
たぶん、ありえんな。
文学年鑑かなんかに名前だけ残るだろうよ。
331名無しさん@まいぺーす:02/04/09 00:52
 『早稲田文学』買って来ました。特集の内容は、以下の通り。

『早稲田文学』第27巻第3号、2002年5月。「小特集/大西巨人を読む」
@、大西巨人『深淵』第一章〜第四章
A、石橋正孝「『深淵』について」
B、倉数茂「ヤコブの末裔(上)」
C、武田信明「野砲の水平・銃の垂直−−『神聖喜劇』論」

@は、もちろん、「巨人館」で連載中の最新作。作者の了解を得て、転載したものです。
縦書きで読めるのが、自然でホッとしますね。Aは、その『深淵』についての論考で、
「記憶喪失」をめぐる物語が「理由のない自殺」のモチーフを受け継ぐものであると
位置づけながら、「「一種の(しかし自棄的ならざる)虚無感」の共有に立つ人間相互の
尊重」が登場人物相互に成立しているところに進展を認めるものです。篤実な批評で、
説得力を感じました。Bは、戦後文学の営みがなべて超越的な《父》を戴きながら自らを
歴史の主体として位置づけるものであったのに対して、大西が決定的に異質であることを
説くもの。スケールの大きな論ですが、そのためか、大西に具体的に触れる前に(上)は
終わっています。石橋・倉数の両氏の大西論は、共に二編目。今後も期待できそうです。
Cは、連想や引用などを基調とした『神聖喜劇』の小説言語が、軍隊が「特殊ノ境涯」で
あるという俗情を批判するモチーフと有機的に関わっていることを論じたもので、雨・水・
情死・海峡といった場面の反復の分析が新鮮でした。いずれも、読み応えがあり、まずは、
充実した特集だと言えるでしょう。
332吾輩は名無しである:02/04/09 01:18
大西信者逝ってよし
333吾輩は名無しである:02/04/09 19:23
http://www.bungaku.net/wasebun/cgi/tackynote/stretch.cgi?action=view&year=2002&month=04&day=07&no=252#1
『神聖喜劇』がまた文庫化されるそうです。ヤター!!
334名無しさん@まいぺーす:02/04/09 22:16
>>333
朗報ですね。出版社は、どこなのでしょうか。今度は、品切れになることなく、コンスタント
に売れて欲しいものです。

四月九日は、対馬要塞重砲兵聯隊創立記念日にあたっていました。この日、「練兵休(就寝許可)」
患者であったにもかかわらず、白石少尉に随行して外出した東堂は、『軍隊内務書』の規定違反者
として、大前田から制裁を加えられます。「私は、私が食らった平手打ちの数を六十四まで数えて、
その後は数えなかった。」という説明は、何気なくすごいですね。三桁の数の平手打ちを食らった
と思われる東堂の歯は、何ともなかったのでしょうか。負傷や後遺症の説明がその後全くないのは、
不思議と言えば不思議です。模擬死刑の午後以降、兵営での生活は、相対的に穏やかであったようで、
前半部ほど事件の集中がないように感じられます。
335吾輩は名無しである:02/04/10 02:58
>>332
アイテニサレテナイネ(w
336吾輩は名無しである:02/04/10 04:13
オール阪神巨人
337吾輩は名無しである:02/04/10 04:15
大橋巨泉
大西巨人
338名無しさん@まいぺーす:02/04/10 08:22
以下のスレッドの108を参照。ネタでなさそうなのが恐いですね。
]
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/book/1017582961/l50
339吾輩は名無しである:02/04/11 00:40
「三位一体の神話」をようやくゲット!
でも上下巻で6800円。元とるのに、しっかり読み込むぞ。
340名無しさん@まいぺーす:02/04/11 23:42
「巨人館」で、「『深淵』連載の再開について」という一文がアップされて、『深淵』
の連載が四月十八日より再開されることが告知されています。予告よりは、少し遅く
なりましたが、何よりです。大西ファンにとって、今年の春は、華やぎがありますね。
341木傍公園:02/04/13 00:13
日頃より大西巨人を愛読し、大西の初期作品から、手に入るものは総て読んできました。
もちろん、今回の『深淵』も面白く読んでいるのですが、大西がネット上で作品を公開す
るということに違和感を感じています。作品の内容としては、「記憶喪失」をめぐる物語
が、これまで諸作品の「理由のない(?)自殺」のモチーフを受け継ぐものであるという
ことは難なく了解されるのですが、その著し方が、・・・・。
342名無しさん@まいぺーす:02/04/14 01:21
>>341
例えば、横書きが大西作品と決定的にそぐわないということでしょうか。もしそうだ
とすれば、共感を覚えますが、いかがでしょう。違和感について、もう少し語って
いただくとありがたいです。
343木傍公園:02/04/15 00:12
前記「違和感」を具体的に、と言われて改めて考えてみると、違和感を与える
(受ける)原因の一端が、読者である私側にあるということに気づきます。私
側に属するそれとは、たとえばこういうことです。ある作家の作品の与えるイ
メージは(私の場合)その内容もさることながら、本の体裁、最後に記された
起筆・擱筆の日附、(書物刊行を前提とした)「後書き」、出版社などによっ
て総合的に決まります。そういった意味で今回のネット上公開作品の場合、作
品が所持できないために実体的でなく不安に感じるのです(もうそういう時代
でないことは重々承知ですが・・・)。今後、本が刊行されるのを願うのもそ
のためです。さらにもう一つ。大西は何かを論じるときに、よく自らの著作か
らの引用を多く使います。その際、引用の仕方は極めて厳格で、その出所を明
らかにします。そこで今回の『深淵』が引かれた場合、その表記が(前例がな
いだけに)想像しにくかったのです。

ところで、
今後どこかで、大西自身がネット上作品公開の真意を語るでしょうが、今回の
『深淵』は赤人氏の勧めがあったのでしょうか。

以上、「違和感」について。大西の作品がインターネットを多用する若年層に
も浸透することを切に願いつつ・・・。
344名無しさん@まいぺーす:02/04/15 03:35
>>343
丁寧なレスをありがとうございました。ご懸念の詳細が分かり、また、かなり共感
することができました。電子テクストが活字文化を駆逐しかねない勢いを持つ現在、
本の持つ物質性やアナログ性がややもすれば軽んじられることには、警戒が必要で
しょう。大西の『深淵』のインターネット上の連載は、一つの試みとして受け止めて
います。『二十一世紀前夜祭』の全編を公開していることに関して、作者は、「目下
このホームページで掲示中の短篇小説十数篇は、先の『開幕のあいさつ』中の言葉の
ように、短篇小説集『二十一世紀前夜祭』として光文社から刊行(八月二十日発売)
されます。そちらも読んでください。また、インターネット等を通じて、同好の人々
に広告してください。私は、ITについて無知同然のまま、近未来における出版文化
とIT文化との有り得るべき共存共栄を考えているのです。」と述べています。ここ
からは、大西が、木傍公園さんも期待するように、新しい読者層の掘り起こしを狙って
いることがうかがえます。『深淵』の連載も、同様の動機に基づくものでしょう。引用
した発言から推測すれば、大西が最終的な作品の形態として考えているのは、やはり
書物であるのではないでしょうか。
345名無しさん@まいぺーす:02/04/17 01:43
四月十七日は、「異変」、すなわち大前田軍曹が面天奈衛兵所勤務離脱および職役
離脱が出来した日です。東堂が制裁を受けてからわずか八日後に起こったこの事件は、
作者の証言にもあるように、短く散文的に語られています。東堂の直接見聞すること
ができなかった事情もあるのでしょうが、前にも触れたアンチ・クライマックスの論理
も働いているようです。
346木傍公園:02/04/18 01:14
四月十七日以降の場面は、作者大西が大前田軍曹をどのように見ていたかとい
う点において、大変興味があるところです。大西は大前田について「作中人物
としての愛着をだんだん強く感じ」てきた人物であると言っています。また、
「積極消極・善悪明暗の両面があり、しかしそれがある意味において日本農民
の一つの典型である」とも言っています。「面天奈狂想曲」の結びにおける東
堂の様子なども併せて考えると、最終局面において極めて好意的に捉えられた
人物ということが言えましょうか。「散文的」な調子が、擱筆十数年前からの
腹案であったことも興味深いですね。
347名無しさん@まいぺーす:02/04/19 19:00
>>346
大前田軍曹に対する作者の愛着は、ご指摘のように、描かれ方からも見て取れます。
東堂が曳かれていく大前田軍曹を見送るシーンは、『神聖喜劇』において最も映画
的な場面の一つであるでしょう。その後、大西は彼のようなタイプの人物を作品に
あまり登場させなくなります。そのことの意味を考えることは、意外と重要ではない
でしょうか。

作者の予告通り、『深淵』連載が再開され、第39回目がアップされました。祝!
348名無しさん@まいぺーす:02/04/22 00:48
四月二十二日、護送または連行される大前田軍曹を東堂が見送る日です。二人の視線の
の激突は、迫力に満ちています。「私も、大前田班長の顔を、彼の両眼を、つくづくと、
まことにつくづくと、凝視した。霧雨の空間で、大前田班長の視線と私の視線とは、発止
と、激突し合って青白い火花の数を放つかのようであった。」。先行文学作品からの影響
を作者はしばしば自解していますが、この一節も何かの「お蔭を蒙って」いるのでしょうか。
349fishman:02/04/22 12:01
ネット不通の環境が少し改善されました。
大前田は「神聖喜劇」において右ー左、善ー悪といった
二極化を遅らせるバイアスになっていると思います。
大前田の不可解な言動を前に、東堂は度々立ち止まり、
中点を探っていく。途中から、このような図式がこの小説の
基本構造となっている気がします。

久しぶりに「精神の氷点」を読み返しています。
大西が新聞社に勤務していたという事実(記者ではないですよね?)を
窺わせるような簡潔で無駄のない文章に、懐かしい好感を
覚えつつ、頁をめくっています。引用をはじめとるする
手法的な部分にばかり目が行きがちですが、上で掲げた
中点を探るという意識は、地の文にも象徴的に顕れている
ような気がします。

350名無しさん@まいぺーす:02/04/25 00:22
 昨日の日付になってしまいましたが、四月二十四日は、『神聖喜劇』終幕の日です。
第三中隊への編入命令を受けて、棹崎砲台へと移動するため、軍用発動機船日輪丸船上
の人となった東堂の姿を以て、作品は閉じられます。引用はしませんが、「別の長い物語り」
を指示する結びは、大作にいかにも相応しく、感動的です。大西の小説でも、こうした
締め括りは、珍しく感じられます。

>>349
fishmanさん、お久しぶりです。大前田の役割については、ご指摘が要を得ていると思い
ます。できれば、そこに村崎を加えて、さらに考察してみたいところです。亀井秀雄氏も
指摘していますが、村崎の役割は、意外と言及されていないようですね。大前田・村上・
神山・新兵のいずれにも距離を置いた彼の存在も、物語の原動力の一つに考えられると
思います。『精神の氷点』に「中点を探るという意識」を見るご指摘は、新鮮でした。
自分も、読み直してみます。
351名無しさん@まいぺーす:02/04/27 23:23
「巨人館」で、「1972年8月21日にNHK第一ラジオで放送された」、「辺境の復権」
という談話が音声・文章で紹介されています。「私の小説作法」に続く、ラジオ放送
復刻シリーズ第二弾ですが、今回のものは、活字化されていないもののようで、より
貴重なものであるように感じます。
352名無しさん@まいぺーす:02/04/30 03:34
 文学板でもしばしば話題になっている『必読書150』(太田出版、2002年4月)をようやく
入手しました。行き付けの本屋で探してもないなと思っていたのですが、昨日ふとベストセラー
の棚を見たら、平積みにされているではありませんか。結構売れているみたいですね。
「日本文学50」の中には、当然(!)『神聖喜劇』が含まれていました。推薦文を書いている
のは、奥泉光。「日本語で書かれた小説のうちから、ベスト・ワンを選べといわれた場合、
今ならぼくはこれを選ぶかもしれない。人間というものを、卑小さと偉大さとの振幅において
描く、その振れ幅の大きさについては他の追従をなかなか許さないものがある。」と、絶賛
しています。解説の下には、「現在入手不可」と案内がありますが、これは、もうすぐ解消
されずはずですよね。
353真面目に:02/04/30 14:40
阪神巨人の方が面白く愉快で楽しい
大西よりは読売の方が応援しがいがある
354吾輩は名無しである:02/04/30 16:29
確かに
355吾輩は名無しである:02/05/04 03:47
鯖移転しましたね。
さらに大西話が続くことを祈って。
356名無しさん@まいぺーす:02/05/04 06:00
 最近、若手評論家たちが大西巨人に言及するケースが増えているような感じです。
手放しで喜ぶことではないにしても、まずは、歓迎すべき事態でしょう。少し前の
ものになりますが、大杉重男氏の『二十一世紀前夜祭』評を挙げておきます。

htp://www.kinokuniya.co.jp/05f/d_01/back/no15/book/book01.html
357吾輩は名無しである:02/05/04 18:42
http://www.bungaku.net/wasebun/cgi/tackynote/stretch.cgi?action=view&year=2002&month=04&day=07&no=252#1
おまえら、神聖喜劇がまた文庫化されるそうですよ?
既出?
358吾輩は名無しである:02/05/04 20:05
>>357
>>333で既出です
でもうれしいやね
359名無しさん@まいぺーす:02/05/06 21:54
『神聖喜劇』の新版は、光文社文庫から、七月より月一冊ペースで刊行されるそうです。
カッパ・ノベルス版、四六版の発行元からようやく文庫になるということですね。
山田風太郎ミステリー傑作選があの分厚さにもかかわらず、800円台で出されている
ところから予測すると、『神聖喜劇』も1,000円を切るのでは。ちくま文庫版より
安ければ、素晴らしいですね。作者の加筆はあるのか、解説はつくのか、つくとすれば、
書き手は誰かなど、興味は尽きません。
360吾輩は名無しである:02/05/06 22:13
おっ、文庫化されるの、ありがたい。
361吾輩は名無しである:02/05/07 00:53
光文社文庫か?
嫌いなんだよな、あそこの文庫は何だか安っぽくて。
文庫化で読めるだけありがたいが。
俺はもち買うぜ。
他の方はどうですか?
362吾輩は名無しである:02/05/07 10:22
もしや講談社文芸文庫かとも思ったよ。
あの厚さで五冊とすると下手すりゃ1万越えるぞ、とか怯えてた。
しかし、講談社文芸文庫版神聖喜劇がもし実現したらと思うと、
363吾輩は名無しである:02/05/08 16:44
>>359
その情報はどこから?
364吾輩は名無しである:02/05/09 00:14
情報源キキタ~イ。
365吾輩は名無しである:02/05/09 00:30
「三位一体の神話」も光文社ノベルズから出てたね。
光文社文庫に落ちて来ないんだろうか・・・・・・。
366名無しさん@まいぺーす:02/05/09 08:24
>>363
>>364
たまたま、光文社の関係の方とお話する機会があり、教えてもらいました。光文社の
ホームページなどでの告知は、まだみたいですね。
>>365
『三位一体の神話』は、カッパノベルス版が比較的最近まで残っていたので、文庫化
が遅れているのだと思います。可能性はあるのではないでしょうか。
367リアル厨房:02/05/11 12:45
遅レスですが
>>356
>最近、若手評論家たちが大西巨人に言及するケースが増えているような感じです
確かにそうですね。
これまで論及されなさすぎていましたからね。
私としましては戦後文学を大西の水準で見ることを口にしたことのある鎌田哲哉に
本格的な大西論を書いてほしいですね。
368名無しさん@まいぺーす:02/05/12 19:27
>>367
ご意見に同意です。あと、山城むつみにもぜひ、論じてもらいたいところです。
369名無氏物語:02/05/15 07:25
『現代の英雄』age。
370名無しさん@まいぺーす:02/05/18 23:35
大西巨人には、予告されているだけで、未発表の作品が幾つかあります。『地獄変相
奏鳴曲』(講談社、1988年4月)の「奥書き」で「近刊予定」と書かれている『二重式
火山』、「小田切秀雄の虚言症」(『海燕』1994年3月号。当時中島梓が文芸時評で
文芸誌らしからぬ表題に驚き、内容に絶句していましたね。)の「付記」で「中期後半
の仕事」の一つとして挙げられている『病的虚言者』、『精神の氷点』(みすず書房、
2001年1月)の「新版おくがき」で「私の爾来将来に亙る諸作品」の「将来」の作品と
して記されている『世紀送迎篇』などが、それに該当します。『二重式火山』は、作者の
構想の変化によって、幻の作品になったかもしれませんが、その他の作品は、これから、
ひょっとしたら、作者百歳の頃の最新長編として現われるかもしれません。楽しみですね。
「日本漢詩について断章三つ」(「『江戸詩人全集』第九巻月報」[岩波書店、1991年12月]
所収)における「いつの日か自分は「秋月の乱」を戯曲に書きたい」という願望も、ぜひ
実現してもらいたいものです。
371吾輩は名無しである:02/05/20 19:57

>『神聖喜劇』がまた文庫化されるそうです。ヤター!!

本当にまぢですか?
372吾輩は名無しである:02/05/20 20:12
早稲田文学のHPに書いてあったような。
373大西巨根:02/05/20 20:38
大西赤人のホームページを見てきたが、「大西赤人は親の七光りで作家
を名乗っているだけだ」と主張する粘着質な文学中年のせいでBBSが閉鎖
に追い込まれてしまったようだ。この文学中年、どうやら赤人氏の生育
環境に嫉妬しているらしい。作家稼業もラクじゃないね…

http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/on-mb-n1.htm

294. 『大西巨人文選』を読む(第6回)/ 「「あけぼのの道」を開
け」について(5) アレクセイ [URL]  2001/07/06 (金) 00:37

ともあれ、そんなわけで大西赤人は「凡庸」な作家であり、一言でいえ
ば「ダメ」な作家である。したがって、彼は大西巨人言うところの
『「本来の」作家』ではない。たまたま親が作家で、早熟な才能が十代
の頃にはあり、さらには血友病という世間の耳目を集める要素もあった
ため、作家としてデビューし、その結果、それ以後さしたる業績もない
ままに作家を続けてきたという「非・本来の」作家なのである。だから、
『そういう作家においては、前述の打破・反逆精神が制作以前の場にお
ける彼の血肉に浸透してい』ないはずだ。事実、私や木村貴が大西赤人
を批判したのは、彼の「差別」的な「特権階級意識」なのである。

大西赤人は、大西巨人の実の息子である。だが、だからと言って「巨人
の意志」が赤人に受け継がれるということはなかった。文学においては、
いや、人の生き方においては、そういう「血脈」などというものは無い
のである。
374大西巨根:02/05/20 20:40
粘着質文学中年のホームページより。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/intro.htm

私(アレクセイ・黒孔庵・田中幸一)

 1962年生まれ。天秤座。血液O型。大阪府出身、大阪府在住。府立高
校を卒業。サラリーマン。「アレクセイ」はドストエフスキーの『カラ
マーゾフの兄弟』の末弟アレクセイ(アリョーシャ)に由来すると共に、
中井英夫の『虚無への供物』の登場人物「アリョーシャこと光田亜利夫」
に由来する。
 作家 大西巨人を「心の師」と仰ぐ。大西の代表作『神聖喜劇』は、
『虚無への供物』と並んで、私の「聖典」である。ほかに尊敬する人物
としては、南方熊楠・宮武外骨・大杉栄など。スケールの大きな、反骨
のアウトサイダーを敬愛する。
375大西巨根:02/05/20 20:45
粘着質文学中年のBBS。題名も凄いが、入り口のイラストも凄い(w

http://8010.teacup.com/aleksey/bbs

376吾輩は名無しである:02/05/20 22:00
田中幸一と名乗るこの男、いい年こいて「やおい」の大ファンらしい。
無気味やなあ。

http://homepage2.nifty.com/aleksey/LIBRA/RMB_aisatu.html
377吾輩は名無しである:02/05/20 22:06
美少年漫画が好きと名乗るのは「やおい」ファンの女性をナンパする手
練手管の一つか? まあ中井英夫を崇拝しているらしいから、稚児趣味
は本物かもしれないな(w
378名無しさん@まいぺーす:02/05/24 00:23
以前紹介のあった大西巨人「「はたを露骨に刺激する類の病的潔癖」について」(『季報
唯物論研究』79、2002年2月。今なお、これが最新エッセイでしょうか)には、大西が
新日本文学会の財政部長を引き受けるにあたって、花田清輝の「君が、財政部長をやれ。もう
君でなければ、やる(やれる)者はいない。」という慫慂があったというエピソードが紹介
されています。二人の間にある種の信頼関係があったことを窺わせる話ですが、文学的
影響というと、よく分かりません。モダニスト大西とポストモダニスト花田とは相容れないようでも
あり、実際大西は、花田について、ほんの少ししか発言しておらず、中野重治の場合とは
対照的です。花田は、大西のことを何か書いているのでしょうか。不勉強のため、ご存知の
方がいらっしゃれば、ご教示ください。
379吾輩は名無しである:02/05/24 10:09
花田が直接に大西巨人に言及しているものは、
寡聞にして知りません(多分、ないはず)。
しかし、中野が賛成票を投じてそうなった「新日文・花田編集長更迭事件」
などを見ても、大西が花田に親近感をもっていたことは間違いない。
大西と花田のあいだに、武井昭夫という共通項を入れると、
両者の関係は分かりやすいでしょう。
380名無しさん@まいぺーす:02/05/25 10:04
>>379
ご教示ありがとうございます。やはり、花田が大西を語っているものは、ないのですかね。
媒介項としての武井昭夫というご意見は、その通りであると考えます。両者と接し、その
エッセンスを消化、吸収している武井昭夫も、すごい人物ですね。『精神の氷点』のいち
早い評価者でもありますし。それにしても、花田(そして中野重治)の『神聖喜劇』評は、
読みたかったものです。
381吾輩は名無しである:02/05/28 20:35
今日の朝日の夕刊にこのスレが「濃密」と評されてましたな。

382名無しさん@まいぺーす:02/05/28 22:00
>>381
本当ですね。大西巨人のインタビューが載っています。「高齢の作家の、文学を書き
つづけようとする熱意は若い読者にも伝わるようだ。例えば、ネットの上の巨大掲示板
「2ちゃんねる」で、「大西巨人」について、濃密な議論がたたかわされている。」
とあります。
 最近、「濃密な議論がたたかわされている」かというと疑問ですが、ちょっと嬉しい
感じがします。
 「代表作の『神聖喜劇』は、2度文庫になったが、しばらく版が切れていた。この7月、
親本の版元である光文社で文庫化される。この出版不況下に、全5巻の重厚長大作の刊行
に出版社が踏み切るのも、作家への評価のあらわれだろう。」と、光文社文庫の話も出て
います。来来月が待ち遠しいですね。
383吾輩は名無しである:02/05/29 01:08
記者をおだてるな!たいした取材じゃないぜ。
384吾輩は名無しである:02/05/31 00:07
確認age
385名無しさん@まいぺーす:02/05/31 00:28
>>383
 記者をおだてているつもりはないのですが、そう見えましたかね。確かに、
『深淵』の内容に全く触れていないなど、不満もありますが、千字程度で記事を
まとめるのは大変だろうなとも感じます。一般新聞の記事としては、これぐらいで
よしとしなければならないのではないでしょうか。
386吾輩は名無しである:02/05/31 22:19
結構こっちでは盛り上がってるんだねえ。
文芸板から追い出されたオンライン作家の板ではあまり盛り上がってないみたいだが。

http://jbbs.shitaraba.com/computer/bbs/read.cgi?BBS=960&KEY=1021111733
387名無しさん@まいぺーす:02/05/31 23:17
>>386
「日本史上最強のオンライン作家 ※大西巨人※ 」というスレッド名が、なかなか
よいですね。言いえて妙なように感じます。こんな掲示板があることも、スレッドが
立っていることも、恥ずかしながら知りませんでした。「文芸版から追い出された」
というのは、どういう事情を指すのでしょうか。よろしければ、教えてください。
 「巨人館」にアップされている文章が、『深淵』を初めとして行間が詰まりすぎて
いて、息苦しい感じを与えるのは、確かかもしれません。もう少し、ゆとりを持たせ
てもいいように思います。
 そちらのスレッドでも、いろいろと議論が盛り上がるといいですね。
388吾輩は名無しである:02/05/31 23:30
きょう未来風考察入手しますた
389元創作文芸板住人:02/05/31 23:30
創作文芸板ではオンライン作家を激しく嫌う住人が多数存在し、
居場所のなくなったオンライン作家が386の板に移り住んだ形式です。

ちなみに、詳しい内容を省いて説明すると、
かつて文芸板で立てられた「オンライン小説寸評スレ」で、
私怨によりオンラインの作品を酷評しまくる寸評者が多発し、
それに怒った作者たちとの間でかなりの争いがあったのです。
390名無しさん@まいぺーす:02/05/31 23:51
>>388
『巨人の未来風考察』は、古本屋でも見なくなりましたね。入手おめでとう
ございます。価格は、いくらだったのでしょうか。ぜひ、熟読を。
>>389
ご教示ありがとうございます。掲示板の利用者がオンライン作家を嫌うというのは
不思議ですが、彼らには根強い活字信仰でもあるのでしょうか。これまで、相当
荒れた経緯があるようで、厄介そうですね。
391吾輩は名無しである:02/06/01 10:52
ここがクソ左翼スレッドか。
文学板や哲学板は腐れサヨ無知識人のごみ箱だな。
反日作家を持ち上げてそんなに楽しいか?
反日に価値を見出そうとするなんてどうしようもねえ屑どもだな。
おまえら日本から出てっていいよ。
392吾輩は名無しである:02/06/01 11:48
>>391
大西巨人は、「左翼」の一言で終わりなの???????

「反日」て、どういうことなの?????????

もし、その時々の日本国の状態に、正々堂々と意義を申し立てることを、「反日」と言うなら、
私が「反日」で想起するのは、
西郷隆盛であり、来島恒喜であり、北一輝であり、野村秋介である。
すくなくとも、これらの人は、地球規模で物事を考えていたと思うよ。
最期は、「日本」のみならず、「この世」から出ていってしまったけどね。
(出ていかされた!)
393吾輩は名無しである:02/06/01 11:51
391訂正

正々堂々と意義 (誤)
正々堂々と異議 (正) です。

あー恥ずかしい。
394吾輩は名無しである:02/06/01 11:52
393訂正

391訂正(誤)
392訂正(正) です。

なにをやってるんだか。
395吾輩は名無しである:02/06/02 00:40
>>391
気持ちは何となく分かる。でも、大西巨人はやはり、敵ながら天晴れって感じです。

「何となく分かる」って言うのは、大西の読者であることを鼻にかけて、税金も払って
いないくせに、えらそうな事言ってる連中を個人的に知っているから。このスレでも、
「無職や親がかりの大学院生のために税金払いたくない」という極めてまともなレスに
「じゃあ抗議の意味を込めて、税金払わなきゃいいじゃん」みたいなアホかつ人間の屑
かつ社会のダニとしか考えられないようなこと言い返していたバカがいたけど、そうい
う連中こそ、「反日」以下の、最も憎むべき人間だ。

とにかく、大西は立派だ。天皇崇拝者の俺でも、大西の「文選」に収録された文章は、
特に後世に残すべき至宝だとすら思っている。「深淵」の完結と、大西の息災を祈る。
396名無しさん@まいぺーす:02/06/02 00:42
>>392
荒らしさんに対して、誠実な対応をなさっていることに経緯を表します。ただし、例で
出されている名前が(あえてそうなさっているのでしょうが)いずれもナショナリスト
であることに、ある種の疑念を感じます。反権力的な言論を「反日」と一括してしま
うことは、左翼と右翼との対立・相違を無化しかねないのではないでしょうか。大西は、
村上一郎や桶谷秀昭などの保守派論客からも肯定的に取り上げられたりしていますが、
彼らの評価が最終的には矛盾を含むものであることは忘れられてはならず、検討もされて
いかなければならないでしょう。また、大西の保田與重郎評価の実際に関しても、議論
が必要と考えます。
397吾輩は名無しである:02/06/02 00:51
どーでもいいよーこんな坂K
398名無しさん@まいぺーす:02/06/02 00:55
396の訂正です。
「経緯」は、「敬意」の間違いです。最近変換ミスをよくするようなので、気を
付けねば。
>>395
「大西の読者であることを鼻にかけて、税金も払っていないくせに、えらそうな事言ってる
連中」というのがどういう人たちを指しているのか、まだ判然としないところがありますが、
勘違いしている読者というのはいるでしょうね。そういう読者に限って、最良の理解者
を自認し、他人の意見に耳を傾けなかったりします。
399吾輩は名無しである:02/06/02 01:22
>396
村上が大西を評価した文章って「戦争と性と革命」への書評のことですか?

それと、桶谷が大西を評価した文章って、具体的にはどの評論集に入ってい
るのでしょうか? 俺は「昭和精神史 戦後篇」で大西の「神聖喜劇」がど
ういう形で言及されるのか、楽しみにしていたが、結局、桶谷は大西につい
て何も書かなかった。桶谷の中野重治論の中で、新日本文学会の議事が紛糾
して、激昂した大西が、議長役の蔵原惟人に詰め寄ったものの、蔵原が水の
ような態度で無視したというエピソードを、「甲乙丙丁」を論じた部分で紹
介していました。江藤亡き後、保守派文芸評論家の代表的存在である桶谷秀
昭に新日本文学会に加入していた時期があったとは…。でも、桶谷はそれを
隠したりしていませんが。
400吾輩は名無しである :02/06/02 01:55
さりげばく400か。続くな、ここ。
401名無しさん@まいぺーす:02/06/02 02:01
>>399
村上一郎の大西巨人への言及は、一つは、「「知らざるを知らずとなす、これ
知るなり」−−大西巨人『戦争と性と革命』」(『構造』1970年2月)でなされて
います。おっしゃっているのは、これですね。『文化展望』に書かれた敗戦直後の
文章に対する「驚きに似た感動」が語られています。その他に、「〈読書室〉虚無
主義者の抵抗描く/大西巨人著「神聖喜劇」」(『時事教養』1969年10月1日)が
あります。こちらは、内容紹介がほとんどです。
 桶谷が、大西を正面から論じた文章は、僕も知りません。桶谷の名前を挙げたのは、
かつて『文学界』が年末に行っていた「わたしのベスト3」において『娃重島情死行』
(1987年。芝木好子『雪舞い』・大江健三郎『懐かしい年への手紙』と共に挙げ、
「三篇とも生と死における様式美の自覚につらぬかれた反時代性が感動を呼ぶ。」と
コメント)・『三位一体の神話』(1992年。古井由吉『楽天記』と共に挙げ、「描写で
しか表現できぬ人生の緻密な現実相を存在せしめてゐる。」とコメント)を推奨していた
ためです。桶谷の大西に対するスタンスは、大変微妙な感じがします。
402399:02/06/02 03:24
>>401
ごていねいな即レスをありがとうございます。大変参考になりました。

ところで、401さんが396において、

>彼らの評価が最終的には矛盾を含むものであることは忘れられてはならず、検討もされて
>いかなければならないでしょう。

と書かれていたことについては、正直申し上げて、「そうかしら…?」と思いました。大西
も尊敬している中野重治への桶谷の尊敬は、「中野重治 自責の文学」や「昭和精神史」及
び「昭和精神史 戦後篇」を通読しても一貫しており、政治的立場は異なっても、文学にお
いては理解し、共感することはできるのでは、と私は考えています。察するに、桶谷が新日
本文学会に加入していたのも、中野重治がいたからでしょうし、「批評空間」で、中野が江
藤淳や桶谷秀昭といった保守派からも受けがいい…云々の質問にも、大西は江藤の中野論を
全面否定していたのに対し、桶谷の中野論に何も言わなかったのは、大西の内部で全面的と
までは行かないまでも、或る程度の理解なり評価なりが存在するからなのでは、と勝手に私
は推測しています。

長々と愚論を失礼致しました。それにしても、このスレでの「名無しさん@まいぺーす」さ
んの大西への理解と愛情、そして作品への傾倒は、本当に頭が下がる思いです。
403名無しさん@まいぺーす:02/06/02 16:12
>>402
ご意見ありがとうございます。桶谷の中野評価が持続的かつ一貫したものであることは、
確かかもしれません。ただし、その評価軸が妥当なものであるかというと、疑問が起こります。
『保田與重郎』において、戦時中の態度に保田との接点を指摘していたように、桶谷は、中野に
必要以上に詩人を見出そうとしているように感じます。その時に、政治的な立場が無化されて
しまう危険性はないか。「政治的立場は異なっても、文学においては理解し、共感することは
できる」ということを一概に否定するわけではありませんが、本質的にはやはりありえないのでは
ないかと考えます。
 とはいえ、桶谷の中野理解については、もう少し勉強してから、さらに意見を述べたいと
思います。『昭和精神史 戦後篇』も未読ですし。また、ご意見をいただければ、幸いです。
404吾輩は名無しである:02/06/02 16:19
桶谷の批評は実直だがオマージュが鼻につく。
この二面性が、
大西をまともに評価させているとも言えるのでは?
405吾輩は名無しである:02/06/04 01:23
大西タンの実録

オークション上で中国人窃盗団が暗躍
http://member.nifty.ne.jp/cristal/yahoo1.html
406吾輩は名無しである:02/06/04 01:39
391と397は、保田與重郎スレでアンチ保田のカキコに、低能丸出しの罵詈雑言
浴びせるしか能のないウヨ厨房だろう。氏ねよ、ヴァカ。大西スレに来んな。親の顔
が見てえな。きっと街宣車乗ってるウジ虫や、皇居の清掃奉仕団のキモイ婆みたいな
顔してんだろうな(w
407吾輩は名無しである:02/06/05 01:45
399から403の流れ、このスレならではの美しい交流ですな。

俺は399の言う通り、「政治的立場が違っても、文学においては理解し共感する
ことができる」と思う。おそらく399は政治と文学を峻別しているんだろうけど、
政治が文学に優先するという立場の人たちは、「政治的立場=文学的立場」なんだ
ろうな。俺の大学時代、三島や川端や谷崎、あるいは小林秀雄や獅子文六のような
皇室の存在を容認する立場の文学者を全面否定しまくっていた奴がいたけど、俺は
引いて見ていた。そういう奴って、もし日本に革命が起こったら、真っ先に皇室支
持者の家に火を放ったり、平気で殺戮行為を起こしそうな気がする。逆に、大西や
中野重治や「近代文学」の連中を全面否定する連中にも、同じ嫌悪感を覚える。そ
ういうウヨク文学ゴロは、2ちゃんねるの思想板に出入りしてろって感じだな。

それと、ここしばらく、桶谷秀昭の最新の中野論を目にしないが、「中野重治 自
責の文学」でもそこはかとなく感じられたが、桶谷は中野のすべての仕事を評価し
ているわけではないと思う。「レーニン素人の読み方」とか「国会演説集」なんか
は、論じるに値せずって思ってるんじゃないかな。桶谷は数年前に筑摩から出た中
野の増補版全集の月報で「胸ふくらむ思ひで、再読した」と書き、「やっぱり、中
野重治はいいなあと思ふ」と結んでいたはず。俺は桶谷の純粋なところが好きだ。
408名無しさん@まいぺーす:02/06/06 23:17
>>407
敵対する相手の存在を全面否定することは、その人の精神的貧しさを表わす行為で、
決して認められるものではありません。また、思想的に対立する相手の仕事にも意義を
認め、一定の敬意を払うことは大いにありえましょう。中野重治が森鴎外を「偉大なる
敵」と評したように。
 一方で、にもかかわらず、思想の平和的共存ということはありえないと考えます。敵対
状態は、決して忘れられてはならず、また、思想の相違を隠蔽してしまうような美学的
作用を文学が持つ場合があるならば、そのような文学のあり方は批判されるべきではないか。
僕が拙いながらも言おうとしているの、あらまし以上のようなことです。
 桶谷が中野の仕事で評価している部分については、さらに詳しくご教示いただきたいところ
です。
409吾輩は名無しである:02/06/06 23:59
>408
お考えはよく分かりました。でも、窮屈だな。最終的には言論や思想信条の
自由を否定するところに行き着く感じがして仕様がないんだなぁ。大西巨人
にもそういうところがあるけど、文学はもっと肩の力抜いて読んだり書いた
りしてもよいものではないかと思う。大西巨人本人、そして大西ファンは非
常に優秀なんだけど、一方でちょっとおつきあいしたくない、うざいところ
がある。まぁ、それが大西の大西たるゆえんなんだろうけど。

とにかくお考えはよく分かりました。決してこれは荒らしのつもりでカキコ
しているものないことを理解して下さい。今後も、名無しさん@まいぺーす
さんに学ばせてもらいますんで、ご健筆を祈ります。
410吾輩は名無しである:02/06/06 23:59
大西巨人の息子が13歳くらいで本書いてたようだが、
彼はどうなったの?
411吾輩は名無しである:02/06/07 00:10
>>410
もう結婚して高校生の娘もいるが、今や作家というより評論家。ここ数年は本
も出していないはず。最近はホームページの掲示板を偏執狂的な大西巨人ファ
ンに荒らされて、掲示板閉鎖に追い込まれた事件もあった。
412名無しさん@まいぺーす:02/06/08 02:02
 386で紹介されていた「日本史上最強のオンライン作家 ※大西巨人※」が明日、削除
されるそうです。紹介スレで済む話題で、独立させるほどのものではない、というのが
理由のようです。巨人館だけで話題を続けるのは、ちょっと厳しいなと感じがするので、
削除されるのも分からなくはないのですが、大西巨人関係のスレッドが失くなるのは、
残念ですね。
413名無しさん@まいぺーす:02/06/10 21:13
 花田俊典『精神な光景の軌跡−−西日本戦後文学史』(西日本新聞社、2002年5月)
は、索引を含めて800ページ近い、大冊です(にもかかわらず、価格が2856円という
のは嬉しいかぎり)。個々の作家・作品への詳しい言及と独自な味を感じさせるクロニクルな
構成は、ありがちな郷土文学誌のレベルを遥かに越えているような観があります。
 大西巨人に関しては、「屈辱の苦杯の味を/「文化展望」創刊と大西巨人『神聖喜劇』」
の章が設けられ、『神聖喜劇』の内容・モチーフ、『文化展望』に携わっていた、戦後間もない
頃の大西の活動が、的確にまとめられています。
 注目されるのは、眞鍋呉夫の作家紹介の欄(52ページ)に「昭和二十二年、壇一雄・与田
準一・大西巨人・北川晃二と劇団「珊瑚座」を設立したが、第一回公演がGHQの検閲で禁止と
なり、さしたる活動もせず解散した。」とあること。大西が演劇活動に関わっていたとは、初耳です。
どのような芝居であったのか、どういう経緯でグループができたのか、なかなか興味をそそらる
ところです。
414吾輩は名無しである:02/06/11 05:21
>>413
真鍋呉夫氏とは知人で、昨年9月、保田與重郎の二十年祭が行われた京都・八坂神社
でお会いしていますし、今年4月にも知人のご子息の葬儀の件で、電話でお声に接し
ています。とてもお元気そうでした。今度お会いした折にでも聞いてみます。期待し
ないで待っていてください。
415名無しさん@まいぺーす:02/06/12 19:41
>>415
 いえいえ、大いに期待して待っております(笑)。
 眞鍋呉夫さんは、1920年生まれと聞いています。大西巨人と同じ世代ですね。
ご健勝なのは喜ばしく、創作の筆もいよいよ奮ってもらいたいものです。と言いながら、
実は眞鍋氏の作品は、恥かしいことに未読です。花田俊典の本には、『サフォ追慕』や
『二十歳周囲』などの書名が挙がっていました。お薦めのものがあれば、ご教示ください。

416吾輩は名無しである:02/06/12 21:05
神聖喜劇の文庫、まだ?待ちくたびれたw
417名無しさん@まいぺーす:02/06/13 23:46
>>416
もう一月、辛抱しましょう。それまで、解説の予想・希望でも出し合って過ごすのも、
いいのかもしれませんね。
 評論家では、柄谷行人に一度きちんと語ってもらいたいところです。小説家では、
奥泉光・保坂和志・阿部和重などに期待。あと、金子兜太あたりもいいですね。
 ただし、解説がつかないこともあるかもしれないので、その時は、無駄な花火と
いうことになってしまいますが、その辺はお許しを。
418吾輩は名無しである:02/06/14 00:40
解説は糸圭に、有名どころでほとんど唯一大西に言及しつづけたし(つってもやっぱり少ないけど)
419リアル厨房:02/06/14 17:17
柄谷やスガさんや山城むつみさんに本格的な大西巨人論を書いてほしい、という気は
しますが、文庫に解説は必要ないような気がします。
その方が大西巨人らしいような気が…。
420吾輩は名無しである:02/06/14 17:27
「絓」の字ちゃんと表示できるじゃん。以後はこれをコピペして使いたまえ。
421吾輩は名無しである:02/06/14 18:44
422999:02/06/14 18:50
おお、ありがたい!!

423吾輩は名無しである:02/06/14 19:25

↑哲学板でコピペすると?になるのですが・・
何故だろう。
424名無しさん@まいぺーす:02/06/14 19:27
>>419
 ご意見ごもっともです。「奥書き」すら、しばしば省く大西巨人ですから、
解説がないのも、悪くないでしょう。ただし、ちくま文庫の例もありますので、
提灯持ちでない、緊張感のある解説なら、それはそれで歓迎したいと思います。
絓秀実も、大西について言及するたびに、新しい見解を盛り込んでいて、さすが
プロだなと感じさせるところがあるので、もちろん、解説を読んでみたい人の一人
です。
>>420
さっそく、使わせていただきました。「絓」が表示できて、感激です。そう言えば、
国会図書館の検索システムでも、「すが秀実」になっていましたね。感謝!
425吾輩は名無しである:02/06/14 19:30
426吾輩は名無しである:02/06/14 23:21


?
427吾輩は名無しである:02/06/14 23:37
Macだと?だ
428てすてす:02/06/15 00:06
429名無しさん@まいぺーす:02/06/17 20:37
 「絓」が表示可能になってから、絓さんのスレみたいになっていますね。それに
便乗してというわけでもないですが、一つネタを紹介。
 絓秀実「ポスト「近代文学史」をどう書くか?−−「元号」と「世代」をこえて」
(『小説TRIPPER』2001秋季号、2001年9月)は、元号による区分と世代論に
を軸とした、従来の文学史の失効を指摘し、それが隠蔽してきた世界資本主義の動向
を踏まえた新しい文学史の可能性を探る論考ですが、その中で次のような発言が見られます。
「大西と今日のカルチュラル・レフトとの差異こそが、歴史的出来事性を刻印するもの
なのだ。大西の記念碑的な傑作『神聖喜劇』がその全貌をあらわすのも、一九八〇年である。
その意味で、八〇年代から九〇年代とは、文学的には大西巨人の時代であったといってさえ
過言ではない。」
うーん、素晴らしい(笑)。これこそが、正しい歴史認識と言えるでしょう。
『早稲田文学』で連載されていた「革命的な、あまりに革命的な−−「一九六八」史論」
も完結しました。単行本としてまとめられるのを、楽しみにしたいと思います。


430吾輩は名無しである:02/06/18 14:08
http://www.fukkan.com/bookhist.php3?no=1327
ちゃんと訪問して交渉してくれたのね
ありがとうごぜーました
431妖精の元素:02/06/20 01:06
はじめまして。大西作品初心者です。

今まで「神聖喜劇」は、名前と日本文学屈指の名作であるとの評判だけしか
知らなかったんですが、今回文庫化されるとのこと。これを機に早速読んで
みようと思うんですが、いきなり予備知識も何もないままで読みすすめて
いっちゃって大丈夫でしょうか??

どうしてもこれを先に読んどけ!! みたいなものってあります??
432吾輩は名無しである:02/06/20 12:20
神聖喜劇は、何の予備知識もなく読んで面白いものです。
大西さんもエンターテインメントの側面意識して書いたと言ってますし、ね。
もしろ、神聖喜劇読んでから、他の大西作品(エッセイも)読むといいかもね。
433名無しさん@まいぺーす:02/06/20 23:04
>>431
妖精の元祖さん、ぜひ『神聖喜劇』に挑戦してください。432さんのおっしゃるとおり、
特別の知識は、必要ないと思います。あと、最初から精読することを考えない方がよい
かもしれません。何しろ、大長編で、書き方も話題も多様な広がりをしています。とり
あえず、自分の関心に入ってきたことに重点をおいて、読み進めるのも一つの手かなと
思います。
 大西の他の作品では、『二十一世紀前夜祭』に収録されている短篇が読みやすいでしょう。
「巨人館」で、全編アップされていますので、そちらでも読めます。ただし、『神聖喜劇』
の世界とは、少し雰囲気が違うかもしれません。
 大高知児編著『『神聖喜劇』の読み方』(晩聲社)には、日次・登場人物・地図などが付いていて、
便利です。無理に買う必要はありませんが、読み進める時に、情報の整理・確認には役立つところ
があると思います。
 しかし、繰り返しになりますが、特別の準備は必要ありません。むしろ、白紙の状態で読み始める
のがよいのではないでしょうか。
434妖精の元素:02/06/21 00:32
>>432
>>433
ども、ありがとうございました。
なんとなく難しそうな印象があったので、ちょっと不安になってました。

早速読んでみます、ってまだ発売されてないか…(笑)。
435名無しさん@まいぺーす:02/06/24 02:41
『深淵』第44回において、鏡山へ出向いた麻田布満は、記憶喪失期間中親密な
関係にあった(らしい)丹生嫩子との再会を果たします。その場面は、以下の通り。
「JR鏡松線鏡山駅発午後二時の列車は、時刻表どおり、午後三時五分、宝満駅に
到着した。哲彦が、駅東口の改札口で、麻田を待っていた。/哲彦は、麻田にたい
して遠来ねぎらいの挨拶を述べたあと、ある合図のような仕種《しぐさ》をした。
哲彦の後方三、四歩にたたずんでいた一人の女性――それまでは、麻田が、その存在
に気づきもせず、まして哲彦の連れとは思いもしなかった三十七、八歳の女性――
が、一、二歩前に出て、丁寧に一礼した。/「あぁ、あなたは、――。」と麻田は、
反射的に口外した。その物言いは、深いなつかしさと大きいおどろきとに溢れていた。
女性の端正な・落ち着いた顔立ちに、そのとき、ぱっと、灯《ひ》が、点《とも》った。
彼女の表情は、「それでも、結局、あなたは、私のことを、忘れずに、覚えていまし
たね。」とうれしげに言っているようであった。/ひきつづき、麻田は、「それに
しても、深松たをやめさん、どうして、また、こんな所に?」と疑いを表明した。
女性の顔立ちに、ひとたび点った灯が、たちまち消え失せ、その表情が、陰った。
それは、「やはり、あなたは、覚えていないのですね。こうしてお会いしても、思い
出すことはできないのですね。」と悲しげに言っているようであった。」
 雄弁に物語る女性のまなざしが描かれていますが、これはやはり、森鴎外の『電車の
窓』から来ているのでしょうね。『日本掌編小説秀作選』にも収められているこの作品は、
視点人物が捉えたゆきずりの女、「鏡花の女」との一瞬の接点を描いて、忘れ難い印象
を残します。
436fishman:02/06/24 23:21
地獄変相奏鳴曲はじめ、大西の過去の著作を読み返したのですが、
いろいろと気づくところが多かったです。

ずっと上のほうで、神聖喜劇→地獄という流れを名無しさん@まいぺーすさんが
指摘してくれていたのですが、自分が読んだ順番が逆だったために、今ひとつ
ピンときませんでした。今回読み返してみて、なるほどそういう意味だったのかと
頬を赤らめるとともに、主題が同じ「個」のありようにかかりながら、対国家という
部分がかなり薄れて、「死」という、よりパーソナルな部分にシフトしている点が
興味深かったです。

また、自叙伝的要素がどうこうと言うのではなく、多くの著作の中に
散見される、共通した要素 ー例えば、鏡山市という固有名詞、広島安芸の女、
虚無主義者私が戦争を一つの試金石とする視点、枚挙に暇がないですが…ー 
それらが、各作品の中でどのように変節されていくのか、それもまた
一つの読み方かもしれませんね。

まぁ、かって福岡に住んだことのある身としては、石田屋デパートという
ネーミングに思わず頬を緩めたということを、素直に告白しておきましょう。

437名無しさん@まいぺーす:02/06/26 00:46
>>436
fishmanさん、お久しぶりです。以前に書き込んだことに反応していただき、ありがたく
思っています。『地獄変相奏鳴曲』の「第三楽章/犠牲の座標」から「第四楽章/娃重島
情死行あるいは閉幕の思想」への間に一つの切断が見られるようで、以後『牛返せ』を
除いて、大西は運動や連帯を描かなくなります。この、大西の現代表象の限定が何を意味するか、
いろいろ考えているのですが、まだよく分かりません。ご意見あれば、お聞かせください。
 話は、変わりますが、fishmanさんは、福岡のいらっしゃったことがあるとのこと。『神聖
喜劇』の世界も、一層身近に感じられるのではないでしょうか。鏡山県鏡山市の描かれ方にも、
ご発言にあるように、楽屋落ち的に分かるということがあるみたいですね。ちょっと羨ましい
感じです。
438吾輩は名無しである:02/06/27 00:36
もうすぐ7月。
本当に復活するのか、『神聖喜劇』。
439fishman:02/06/27 22:31
『神聖喜劇』は私もてぐすね引いて待っております。

>名無しさん@まいぺーすさん
どうも、ご無沙汰してしまって…。ちょっとまとまったことを言うだけの
力がないもので、非常に曖昧かつ歯切れの悪い返答になると思うのですが、
『地獄変相奏鳴曲』の「第三楽章/犠牲の座標」と「第四楽章/娃重島
情死行あるいは閉幕の思想」との間における切断というのは、私も違和感を
もって読み進みました。
考えてみるに、両者の執筆時期にはかなり開きがあったように思うのですが、
いかがでしょうか?
あまり、図式的な説明はしたくないのですが、その間における世界の変動
ーグローバリゼーションという言葉を持ち出すのはかなり気が滅入るのですがー
を、反映しているとは考えられないか?
「対国家」という枠組みが失効したとは言わないまでも、むしろ国家という枠組み
には括りきれない形での「人間性の喪失」がクローズアップされて然るべき
かなぁという気がするのですね。その視点で見ると、個人の死を主題として
取り上げているのにはあながち、「突飛」でも「不自然」でもないかと。
ごめんなさい。掃いて捨ててください、

440吾輩は名無しである:02/06/27 22:56
それでいうと、みすず書房版『精神の氷点』の「おくがき」の、

 たしかに「この未完成の異様なもの」『精神の氷点』こそ、私
の爾来将来に亙る諸作品――『地獄篇三部作』、『神聖喜劇』、
『天路の奈落』、『娃重島情死行』、『迷宮』、『二十一世紀前
夜祭』、『深淵』、『世紀送迎篇』など――の本源にほかならない。

が俄かに意味を持って来ますね。『地獄変相奏鳴曲』がここでは『地
獄篇三部作』と『娃重島情死行』に作者自身によって分けられている
わけです。私見では、『娃重島情死行』は、『三位一体の神話』『迷
宮』など、いわば『神聖喜劇』以後(大西さん自身の言い方では「中
期」)の流れの中で見るべきだろうと思われます。『精神の氷点』
『地獄篇三部作』『神聖喜劇』『天路の奈落』が前期に属する、と。
441名無しさん@まいぺーす:02/07/01 00:18
>>439
 週末、遠出していたために、遅いレスになりました。時代変化、特にグローバリズム
の進行と大西の問題意識の変化とを対応させて考えるfishmanさんの仮説は、興味深い
ものとして受け止めさせていただきました。国家の枠組みのある面での失効は、ますます
他者との連帯の必要性を浮上させないかというようにも思いますが、現代的状況において
進行しつつある何かに関して、大西が反応し、個の在り方を集中的に取り上げているのは、
確かではないでしょうか。
 『地獄変相奏鳴曲』の第三楽章と第四楽章との間に、長い執筆中断があるのはご指摘の
通りですが、それと対応するように、物語内容においても空白期間があるのが気になります。
大雑把に言えば、『地獄変相奏鳴曲』には、1970年代の出来事がほとんど描かれて
いないようです。あるいは、それは、他の長編作品にも指摘できることかもしれません。
近代文学が決定的に変質し、力を失ったとされる70年代が、大西において、回顧的に
描かれることが決してないことは、大西の独自な立場を示すと共に、作品解読の鍵にも
なりそうな感触があります。

>>440
ご指摘、なるほどと思いました。『地獄篇三部作』・『娃重島情死行』という言い訳は、
ここで取り上げている「切断」に関して、作者も自覚的であることを物語っていますね。
442名無しさん@まいぺーす:02/07/01 00:43
441の「言い訳」は、「言い分け」の変換ミスです。訂正します。
あと、少し前ですが、413で、花田俊典『清新な光景の軌跡−−西日本戦後文学史』
(西日本新聞社、2002年5月)を紹介しましたが、書名の「清新な」を「精神な」と
誤って表示しました。お詫びして、訂正させていただきます。気づくのが遅いのが、
何とも情けない。
443吾輩は名無しである:02/07/01 04:48
『三位一体の神話』前半は七十年代ですね。といっても、
名無しさん@まいぺーすさんの揚げ足を取ろうというの
ではなくて、「切断」が七十年代にあったと想定される
社会的・歴史的変化に対応しているのでは、という仮説
を補強する有力な材料になるでしょう。
444吾輩は名無しである:02/07/01 04:53
それにつけても、そのように決定的な「切断」を
抱え込みながら一冊に纏められている『地獄変相
奏鳴曲』の大西作品に占める位置が気になります。
大西作品中、最大の問題作・実験作なのではない
か。これまでに言及されている評論家の中に、
この作について納得のいく意見を出している人は
います? いない気がするのですが、『五里霧』と
共に論じづらいこの作品を論じるうえで、「切断」
は手がかりになるでしょうね。
445名無しさん@まいぺーす:02/07/03 23:58
>>443
 ご指摘ありがとうございます。そうですね、『三位一体の神話』の尾瀬路迂殺害事件
は、一九七五年のことでした。粗忽な物言いに、反省しきりです。にもかかわらず、
仮説の有効性を認めていただき、恐縮しています。
 『三位一体の神話』を少し読み返してみたのですが、世相の反映がほとんどないのに、
非常な興味を覚えました。時事的な話題も織り込まれておらず、そのあたりが僕の勘違い
をすることになった原因のようです。老人性痴呆に触れる『迷宮』やIT社会への言及
が見られる『深淵』に比べると、『三位一体の神話』の時代意識は、特異に思えます。
 『地獄変相奏鳴曲』の本格的論議は、これからでしょう。僕も『娃重島情死行』を『群像』
で読んだ時に、圧倒的な衝撃を受けましたが、それをまだ充分に筋道立てて説明することが
出来ないでいます。『神聖喜劇』だけでなく、『天路の奈落』・『地獄変相奏鳴曲』・『五里霧』
などについても、意見の交換ができるといいですね。また、ご教示ください。
446名無しさん@まいぺーす:02/07/05 00:04
 298で触れた湯地朝雄氏の『思想運動』の連載が一冊にまとまりました。湯地朝雄『戦後文学の出発
−−野間宏『暗い絵』と大西巨人『精神の氷点』』(スペース伽耶、2,800円+税)。ただし、僕も
現物を見ただけではなく、情報は広告によっています。「戦争中も「自己完成の追究の道」を求め
続けた青年が、その戦争中の自己をよしとして肯定するところから戦後出発しようとすることを描いた
『暗い絵』。戦争中周囲の反動的状況と自己の無力に絶望して極端なニヒリズム陥った青年が、その
戦争中の自己を否定し超克するところから戦後出発しようとすることを描いた『精神の氷点』。−−
その両作品の歴史的背景を実証的に究明しつつ、その自己肯定と自己否定の思想的意味を明らかにし、
「戦後文学の出発」の思想的基底を問う注目の労作。」は、広告の宣伝文です。おそらく、『精神の
氷点』を論じる上で、基本書となることは間違いないでしょう。早く入手して、読まなければ。
447吾輩は名無しである:02/07/06 01:40
『神聖喜劇』は本当に復刊するのか、疑問である。
少なくとも今月はないようだ。
結局ガセか?それとも来月か?
俺は本気で待っているのだよ。
448名無しさん@まいぺーす:02/07/06 02:43
 多分、今月で間違いないはずです。光文社文庫は、毎月10日前後の発売のようです。
もう少し、我慢してみましょう。以下の「復刊ドットコム」の情報も参照してください。

http://www.fukkan.com/bookhist.php3?no=1327
449吾輩は名無しである:02/07/08 05:51
450吾輩は名無しである:02/07/09 01:34
俺はこれを読んで1ヶ月。
そして2が出て3が出て4が出て。
季節はもう冬。俺の気分も。
久しぶりに読み応えのある本が読めるぞ。
451AB:02/07/09 18:12
「迷宮」のボケといい、「深淵」の記憶喪失といい、
巨人さんって記憶が無くなることへの恐怖感って強いのかなあ?
「大西もついにボケたか」って(匿名の)声への危惧もエッセイで書いてたし。

そこで気になるのが、以前この板で話題になってた「悪」の問題。
大前田以来、敵キャラが「卑小な悪」になったのは確かだけど、
巨人さんの小説に潜む絶対的・根源的「悪」って、
実は主人公が隠し持ってるんじゃないでしょうか?
代表的なのが東堂太郎。手元に本がないんで、正確に覚えてないんだけど、
「罪を犯しても、一生ばれなければ罪でない」的なこと言ってたような・・・
この発言の裏に、一生告白できぬ過誤(悪)を東堂=巨人が隠し持っていると、
邪推したのは私だけでしょうか?

で、己の内にひそむ「悪」(の記憶)を、その強靭な精神力で統御してるものの、
その努力がボケや記憶喪失でいつボロがでるのか、それ怖がってるのかなあ、
なんて想像してしまいますが。

「は?主人公=作者?厨房!」って言われればそれまでですが。
この素朴な感想、皆さんどう思われますか?
神聖喜劇復刊さわぎにまぎれて無視されなければいいんですが・・・


452名無しさん@まいぺーす:02/07/10 00:21
>>451
ABさんのおっしゃっているのは、『神聖喜劇』「第一部 絶海の章/第三 夜/七」
における東堂の独白「……そして最後に「深淵としての人間」の問題として私が言えば、
ある特殊個人における異常極端な潔癖は、しかもしばしば異常極端な不潔癖(?)を
内包しがち(または同居せしめがち)なのである。またそういう特殊個人における異常
極端な潔癖は、ただひとつの条件−−いかなる他者によっても必ずついにそれは暴かれる
ことがなく、本人も必ずついにそれをみずから暴くことがない、という条件−−の下に
おいてのみ、その特殊個人が何事か「不潔癖」(「悪」)の実行に乗りかかることを容認
もしくは要求するのではないのか。」のことでしょうか。この東堂の疑念を、作者は、
「全八部の首尾を通じて十分には追求・解明せられなかった」「(これも言わば「奇怪な」)
命題」と位置づけています(「面談 長篇小説『神聖喜劇』について」[『大西巨人文芸論叢
上巻 俗情との結託』〈立風書房、1982年9月〉所収])。
453名無しさん@まいぺーす:02/07/10 00:49
(続き)
ABさんの問題提起を、興味深く受け止めました。『精神の氷点』を初めて
読んだ時、東堂太郎とはおよそ対極的な水村宏紀の形象に驚き、大西巨人文芸
が「悪」の問題を出発から抱えていたことを実感したことを思い出します。大西に
おいて、人が「悪」と無縁たりえるのかという問題が原理的に追究されているのは、
確かだと思います。ただし、それが記憶喪失、痴呆の問題と関わっているかというと
疑問です。『神聖喜劇』における「「奇怪な」命題」が示す「ただひとつの条件」の
うち、「いかなる他者によっても必ずついにはそれは暴かれることがなく」の部分に
記憶喪失や痴呆の状況は、該当しないのではないでしょうか。私見では、『迷宮』
や『深淵』で試みられているのは、個人の責任を引き受ける範囲を厳密に定め、人間
としての尊厳をいよいよ明瞭にする実験であると捉えています。作者において痴呆や
記憶喪失に対する恐怖があると読むのは、やや消極的な受け止め方にすぎるのでは。
 それにしても、いよいよ光文社文庫の発売が近づいて来ましたね。さらに、議論が
盛り上がることを期待したいですね。ABさんも、さらに、ご意見をお聞かせください。
454名無しさん@まいぺーす:02/07/11 00:26
 光文社のホームページに、『神聖喜劇』の情報がアップされています。明日(もう
今日ですね)発売の文庫版の書影が見られます。価格は、1048円+税、巻末には、
初刊当時の書評がつくらしいです。とりあえず、期待age。いよいよですね。

http://www.kobunsha.com/top.html
455吾輩は名無しである:02/07/11 01:01
昔の光文社の単行本の付録には
松本清張、大岡昇平、五木寛之、瀬戸内晴美
扇谷正造、木下恵介、荒正人、水田洋、小松茂夫、小田実
埴谷雄高、加賀乙彦、黒井千次 のコメントがあったけど
今回はどうなるんでしょうね。
456名無しさん@まいぺーす:02/07/11 01:09
>>455
 おそらく、それらの評が再録されるのではないでしょうか。光文社版四六版
の付録に収められた評には、カッパ・ノベルス刊行時に書かれたものも含まれて
います(松本清張・大岡昇平などがそうですね)。とすれば、ノベルスの時に
広告に使われるだけで、その後陽の目をみていない伊藤整や佐々木基一の評も、
今度はもれなく収録しておいてもらいたいなと思うのですが、はたしてどうなって
いるか。
457吾輩は名無しである:02/07/11 01:22
一九四二年一月、対馬要塞の重砲兵聯隊に補充兵役入隊兵百余名が到着した。
陸軍二等兵・東堂太郎もその中の一人。「世界は真剣に生きるに値しない」
と思い定める虚無主義者である。厳寒の屯営内で、内務班長・大前田軍曹ら
による過酷な“新兵教育”が始まる。そして、超人的な記憶力を駆使した
東堂二等兵の壮大な闘いも開始された。
―不滅の文学巨篇、登場!(巻末に初版当時の書評を収録)
458吾輩は名無しである:02/07/11 01:42
今日出る文庫は全5巻ですか?
月一で出るんでしょうか?
459名無しさん@まいぺーす:02/07/11 01:52
>>458
 全五巻、毎月一巻刊行のようですね。
460458 :02/07/11 01:53
>459ありがとう
461吾輩は名無しである:02/07/11 14:04

 本日、光文社に電話して確認したところ、書店に出ているそうです。

 明日にでも買いに行って来ます。いやあ、嬉しいなあ。
462458:02/07/11 18:30
今日早速入手しました。
まだ読んだことないので、楽しみです。
ずいぶん分厚いなあ。これが五巻ってすごい長編ですね。
463458:02/07/11 18:31
「迷宮」ってどうなんですか?
何かご存知のかた教えてください。
464AB:02/07/11 19:09
復刊で盛り上がってますね。
>>452,453
@まいぺーすさん、詳細な引用ありがとうございます。
私が「悪」と記憶してたのは「異常極端な不潔癖」のことだったのですね。
「異常極端な潔癖」を誇る者にとって「異常極端な不潔癖」こそ、自己欺瞞という許しがたい「悪」である、と私は解釈したのでしょう。

ただ、お答えの中で「それ(不潔癖・悪)が記憶喪失、痴呆の問題と関わっているかというと疑問です」と言われると、そうかなあ?という気もしました。
『深淵』では、主人公・麻田は「過去約十二年間の記憶喪失」の克服を積極的にしない「決断」をしますが、
それはつまり、「いかなる他者によっても必ずついにはそれ(記憶喪失)は暴かれることがな」いように計らう「決断」でした。
しかしその「決断」は周囲の家族や友人を納得させるものに至らず、本人も歯切れが悪い。
「潔癖」(理詰め)であるはずの「決断」の中に「不潔癖」(自己欺瞞)が潜んでいることを麻田本人も自覚しています。
(ご面倒でなければ、23章「闘争の座標」2を参照してください、引用すると長くなるので)
というわけで、やはり「記憶喪失」というテーマは、「異常極端な不潔癖」という「奇怪な命題」の検討を含んでいると僕は思います。
実のところ、この「命題」の検討にこそ、『深淵』に対する僕の関心はあるんです。
465AB:02/07/11 19:11
(続き)
しかも今や暴かれるはずでなかった「記憶喪失の過去約十二年間」が掲載途上で徐々に明らかにされつつあります。
ここに至って懸念されるのは、「決断」に紛れ込んでいた「不潔癖」が、「記憶喪失」の解明とともに「潔癖」(理にかなうもの)として解消されてしまうことです。
麻田の「決断」が、どうやら「記憶喪失」期間中の保護者の潜在的影響であるらしいと匂わされるに至って(27章「既視感」3)、ちょっと心配です。
(東堂の隠しとおした「不潔癖」も、実は『精神の氷点』みたいな思弁実験的殺人だったらやだなあ、昨今の少年猟奇犯罪じゃあるまいし・・・)
466吾輩は名無しである:02/07/11 21:31
横入りスマソ。
当スレの影響で僕も今日早速購入しました。
しかしブ厚い!こりゃ読み応えあるね。
今まで大西といえば、批評空間のインタビューと
早稲田文学の「深淵」でしか知らなかったから、
これから読むのがとても楽しみだ。

>>456
この復刊された第一巻には“『神聖喜劇』に寄せられた評”
として“光文社刊『神聖喜劇』第一・二巻付録「『神聖
喜劇』第一巻 第二巻に寄せられた評」、第三・第四巻付録
『神聖喜劇』完結にあたって寄せられた評」を再録”と
記してあり、続く561pから、松本清張、大岡昇平、五木寛之、
瀬戸内寂聴、扇谷正造、木下恵介、荒正人、水田洋、小松茂夫、
小田実、埴谷雄高、加賀乙彦、黒井千次、の順で掲載されて
おります。

個人的には木下恵介の評が、何だか腑抜けな感じがしててワロタ。
だってこいつはかつて(大戦中に)「陸軍」なんていう傾向
映画を撮っていた前歴があるんだからね。
467吾輩は名無しである:02/07/11 21:50
>466は陸軍を見たのか?
陸軍は確かに傾向映画として作られたけど、
中身は明らかに反戦映画だぞ。
468吾輩は名無しである:02/07/11 21:53
>>467
無知で申し訳ないが、傾向映画と反戦映画って同じじゃないの?
傾向ってはっきりとは主張しないがほのめかす、ていうタイプの映画なのかな
もちろん<左>の意味で
469467:02/07/11 22:05
そうだった、俺が勘違いしていた。
俺も無知だった。
470吾輩は名無しである:02/07/12 03:05
光文社文庫ってえと、あのペカペカでチープな感じが離れなくて
不安があったのですが、渋い装丁になっててよかった・・・

本屋に積んである光景を観たときは感動した
471吾輩は名無しである:02/07/12 21:11
>>470
俺も!俺は光文社文庫の旧バージョン『神聖喜劇』1、3、4巻を持ってるのだが
1巻二冊目買っちゃったよ
新版は大西氏が、これが若干の修正をした決定書だ!って言うし、
著名な作家等の短い神聖喜劇評が載ってるし
何よりもあの装丁が格好良い!
微妙にザラザラした紙質・・・それに対してツルツル黒光りのする切り替えで『神聖喜劇』の文字・・・
しかし「長編小説」と「第一巻」、「大西巨人」の文字は地の紙質のままで・・・
全体にベージュがかった色彩で灯台みたいな建物・・・文庫なのにこの高級感・・・
正直旧版の装丁はイマイチだったし
>>1さんも買ったのだろうか
472名無しは僕である:02/07/12 22:15
きょう吉祥寺の某本屋探したけど見つからず
発売日まちがったか??と思い帰ってきたが
このスレ読んでがくーし
明日また探してこよっと
473吾輩は名無しである:02/07/13 00:14
祝 文庫再刊・神聖喜劇
474吾輩は名無しである:02/07/13 03:23
ぼくはちょっと前に箱入りで全巻揃い5500円でかったばかりなんだけど

また買うか文庫
475吾輩は名無しである:02/07/13 21:27
買ってきましたage
476名無しさん@まいぺーす:02/07/14 01:00
>>471
 光文社文庫版『神聖喜劇』一巻は、11日近くの本屋で購入しました。平積みになっている
のを見た時は、やっぱり嬉しかったですね。20代の女性が宮本輝『オレンジの壺』を手に
取っていたので、「そうじゃないだろう。買うのは、こっちだろう。」と言いたくなりました。
復刊祝いというわけでもないですが、二冊購入。1,000円を切らなかったのは残念ですが、
装丁やカバーの資質などは、471さんのおっしゃるとおり、高級感があっていいですね。
背表紙も簡素で、五冊並んだ時、なかなか映えそうです(文春文庫と対照的)。「『神聖喜劇』
の弥増さる今日的意義を確信する私」、作者による「「光文社文庫」版前書き」も、
いつもながらの大西節がうかがえます。それにしても、「巨人館」で今回の復刊について
全く触れないのは不思議です。もっと「自家広告」に努めてもよいような気がするのですが。
巻末の「『神聖喜劇』に寄せられた評」は、カッパ・ノベルス版と四六版とに添えられた評の
再録で、伊藤整・佐々木基一のものは、残念ながら漏れていましたね。それらについては、
この掲示板でまた紹介したいと思います。
477吾輩は名無しである:02/07/14 01:08
>宮本輝『オレンジの壺』を手に
取っていたので、「そうじゃないだろう。買うのは、こっちだろう。」と言いたくなりました。

お前何様だよ
いまどきジャイアンツなんて基地しかよまねえよ
478吾輩は名無しである:02/07/14 01:20
>477
頼むから、ここだけは汚さないでくれ。
唯一のまともなスレなんだから。
479名無しさん@まいぺーす:02/07/14 01:43
>>464
>>465
 やや、遅いレスになってしまいました。ABさんの立論に、まだ僕は、よく飲み込めない
ところがあります。記憶喪失や痴呆は、基本的に本人の意志と無関係に起きる事態であり、
東堂の潔癖・不潔癖の意志的行為を前提とした思考とは直結させられないように感じます。
『迷宮』を読んでも、皆木旅人が痴呆になった時に無意識下の欲望・情動が噴出すことを
懸念してような記述は見られませんし、『深淵』においても、麻田布満と秋山信馬との関係
がジキル氏とハイド氏との関係に対応しているようには読めません。麻田が記憶喪失期間中
の自己の探求に能動的でないのは、「不潔癖」な動機に基づいているのではなく、秋山信馬
であった時期が原理的に自己が引き受けるべきものではないからと意識されていたからでは
ないでしょうか。麻田の空白期間を知ろうとしない消極的態度は、裁判との関わりにおいて
変わりつつあるようですが(連載第47回)、これは他者との関係による態度変更であり、それ
までの姿勢と必ずしも矛盾するものではないと考えます。また、『神聖喜劇』において、過去の
東堂太郎に悪への衝迫がなかったとは思いませんが、彼が罪を犯し、それを隠蔽しているという
ことを実体的に想像することはできず、読みの自由さからもいささか逸脱しているような印象を
受けてしまいます。
 ABさんの指摘するような悪の問題を考えるには、むしろ村上少尉に注目する必要があるような
気がするのですが……。ご意見、お聞かせください。
480吾輩は名無しである:02/07/14 02:09
      クソスレは喝!          私も喝!
\_____ ___/   \___ ____/
        ∨           _ _∨
                   │□-□│ 
      (□-□)       │ △  |
      (( 〜))        | ノ─ヽ|
     /  ∨ \      / \Τ/ \   
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
 \    |大 沢|        |張 本|          \  
   | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
   |       御 意 見 番 @ 2 c h.        |
   |                          .      |


481吾輩は名無しである:02/07/14 02:12
松井万歳!!!!!
清原万歳!!!!!
仁志万歳!!!!!
二岡万歳!!!!!
482吾輩は名無しである:02/07/14 02:17
しかし虚塵ファンって文学のルール知らないやつ多すぎません?
で、文学読んで面白いの?ってきくと別に文学好きじゃないから・・・
なんてほざいてる。
ま、皆が皆とは言わないがこういうやつが多すぎる。
ほんと虚塵ファンは糞ばかりだ。
483吾輩は名無しである:02/07/14 02:24
   


      / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|  僕達キモイでしょ、だって虚塵不安だからね
 \_______________________________
           ∨                        ∨
     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\           / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
   /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\       /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
  /::::::::::::::/|:::::::::/ノ::::::::/ヽ人:::::::::::::ヽ    /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::人::::::::::::ヽ
 /:::::::::::::::/ .|::://∧::::ノ    ヾ:::::::::::::ヽ  /:::::::::::::|:::::::::::::::::::::::::::::::::/  ヽ、::::::::ヽ
 |::::::::::::::/  |/ |ノ  |/      |:::/ヾ::::|  |:::::::::::::@ヽ-------‐‐'′    ヽ:::::::::::|
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 | ::=ロ  -=・=-  |  |  -=・=-  ロ=:::|  |::::::=ロ  -=・=-  |,  |  -=・=-  ロ=::::::|
 |:::/丶      /ノ  ヽ      / ヽ|  |::::::::/ヽ      /ノ  ヽ      /ヽ:::::::|
 |/  `─── /   ` ───    .|  |:::::/  `─── /   ` ───  丶:::|
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    \              /      |三|~\            /.~|三|
    /| \________/ |\     /:::::ヽ/|\______/|\/::::::ヽ
  / ̄\ \       /  / ̄\    |::::::::|  \         /  |::::::::::|
484吾輩は名無しである:02/07/14 02:29
↑結婚おめでとう
485吾輩は名無しである:02/07/14 02:29
>>482-483
キミ達は文学で誰が好きなのかな?
聞かせてくれる?(ネタ不可)
486吾輩は名無しである:02/07/14 18:45
虚塵不安頭悪すぎ!小学生でもわかることがわからないんだから救い様が無いよ
終ってるねほんと虚塵不安はクソだらけですね。

487吾輩は名無しである:02/07/14 18:54
>>485
古井由吉。
この内向の世代を代表する作家は不当に過小評価されている。
彼の作品を読んで再評価しよう。
しかし彼の作品のほとんどは絶版となっており入手が難しい状態にある。
もっとも手に入れやすい作品に新潮文庫の『楽天記』という作品がある。
手始めにこの作品から読んでいただきたい。
そうすれば彼の他に比類のない表現の豊かさ細やかさに触れることができるでしょう。
488吾輩は名無しである:02/07/14 21:13
>>485>>482-483に聞いたんだよ。

>>487>>482-483なの?
だとしたらみっともない荒らしはおやめになったら?

で、古井由吉スレに逝った方がいいんじゃないの?
489名無しさん@まいぺーす:02/07/14 23:01
 476で触れた、「『神聖喜劇』に寄せられた評」から漏れたものを紹介します。
 まず、伊藤整。「…議論によって呼び起こされるユーモアが隅々まで反響している
ような男性的小説であるが、描写中心の小説よりもより強い説得力をもつ。新鮮な
手法だ。兵、下士官らは、もとの出身の職業と社会的立場に拘束され、どの人物も
二重三重の存在として軍隊の中に生きている。それが、この作品の奥行であり魅力で
ある。近来の快作。」。出典は、『朝日新聞』1968年12月9日朝刊。『神聖喜劇』の
一面広告が壮観です。興味ある方は、図書館で縮刷版を繰ってみてください。
 次に木下順二。「読んで、私は驚嘆したかつて、日本軍隊の中に存在した非人間さを、
今では一つの昔語りのように思いがちな私たちの常識を、すさまじい迫力で、この
作品はぶち破る。」。出典は、カッパ・ノベルス版発刊当時、カッパ・ノベルスに挟み
込まれていたリーフレット「大西巨人『神聖喜劇』に集まる声」。新聞・週刊誌に
掲載された批評がダイジェストで紹介されています。「自宅で語る大西巨人」とリード
が付いて、写真も一葉。ヘビースモーカー時代で、煙草を持っているのが、今となっては
貴重です。
490名無しさん@まいぺーす:02/07/14 23:09
(489の続き)
 最後は、佐々木基一。「第二部を読みながら、私は最近の東大・日大闘争を
連想しないわけにはいかなかった。この旧日本帝国陸軍の内務班は、そのなかに
生きる人間の心の動きをもふくめて、そのまま現代の大学および大学生の姿を
彷彿とさせる。作者の壮大な意図は、第二部において確実に実現された。」。
出典は、『宝石』1969年4月に掲載された『神聖喜劇』の広告。最も、時代に
密着した評であり、それだけに今から見ると、ややぴんと来ないところもある
感じです。
491吾輩は名無しである:02/07/14 23:36
何というか、当時の『神聖喜劇』評を読むと絶賛の嵐ですが
今からではどうしてもマイナー扱いな感じがするのは何でですかね
カッパ・ノベルスということでなんか偏見みたいなのがあったんでしょうか
492名無しさん@まいぺーす:02/07/15 00:01
>>491
松本清張や高木彬光らの著作の新書化で成功を収め、一般には浸透していた
カッパ・ノベルスも、純文学系の人からは、一段低い娯楽小説のシリーズと
見られていたかもしれません。
 柄谷行人・後藤明生「〈リレー対談〉文学の志」(『文学界』1993年4月)
において、次のようなやりとりがあります。
 柄谷「振り返ってみて、よくもこういうものが書かれていたなと思う作品
 があって、たとえば大西巨人の『神聖喜劇』ですね。かりに評価されていたと
 しても、どう評価していたんだろうかという感じがします。戦後と言うより、
 昭和文学のベストテンに入る作品ですが、だれも理解していたとは思えない
 んです。」
 後藤「だって、あれはどこから出たと思う? カッパ・ノベルスか何かじゃ
 なかったかな。あれはやっぱり日本文学史の謎、いや、謎でもないか……。」
後藤の発言は、カッパ・ノベルスに対する見方の一つの典型であるかもしれません。
従来のラインアップに比べて、『神聖喜劇』が相当浮いていたのは、確かでしょう。
勘違いして買って面食らった読者も多かったのではないでしょうか。
493吾輩は名無しである:02/07/15 00:04
時代がやっと追いついたのか。
いや、まだか?
494491:02/07/15 00:38
>>492
なるほど・・・情報ありがとうございます
個人的には同時代の優れた作家にどう思われてたのか気になりますね
とくに中上健次の意見を聞きたかったなーと思います
古井とか大江とかも思います
こういうミーハーな人間関係的なものは、本当はよくないとは思うのですが
495吾輩は名無しである:02/07/15 04:52
蓮實と柄谷との対談で柄谷が蓮實に「読みましたか?」
て聞いたらよんでないって答えてた。
496名無しさん@まいぺーす:02/07/16 01:21
 「巨人館」で、ようやく『神聖喜劇』再刊の告知がなされましたね。当然のことと
はいえ、ちょっと遅れていたので、ほっとしました。できれば、「「光文社文庫」版前書き」
も、アップしてもらいたいものです。
497吾輩は名無しである:02/07/16 01:38
このスレで大西氏の本全部もってる人っているの?
いたらうらまやすい
498名無しさん@まいぺーす:02/07/16 02:15
>>497
一応、単独著書および『時と無限』は、持っています。元版の『精神の氷点』・『巨人
批評集』・『地獄変相奏鳴曲』などが入手するのに手間がかかるような感じがします。
ただし、新刊で買ったものは注意していないため、実際と異なる印象があるかもしれません。
『五里霧』なども、もう結構探すのに苦労するみたいですし。評論は、『大西巨人文選』
でとりあえず主要なものは押さえられるので、小説の文庫化・再刊を切に望みたいところです。

>>463
遅いレスですが、『迷宮』は、現在文庫で手に入る数少ない大西巨人の作品です。今の内に
購入してください。内容も、むろん素晴らしい。一人の小説家の死が、本人の意志に反して
報道された謎をめぐって、推理小説仕立てで進行する物語です。表現者として、俗情に染まらぬ
ためにいかに自己を律していかなければならないかが追究されています。ぜひご一読を。
ただし、このスレで前にも『迷宮』を推奨したのですが、反応がありません。周りの人間にも
言うのですが、読了した人・感銘を受けた人は、未だなし。孤立気味です。絓
秀実以外に『迷宮』を推す方は、名乗りを挙げてほしいところです。


499吾輩は名無しである:02/07/16 10:19
保坂和志がHPでほめてますね
500吾輩は名無しである:02/07/16 10:39
保坂氏のHPから 



◆◇◆産経新聞読書欄「見る読む想う」(その4)◆◇◆
2001年7月8日掲載
過剰な論理との対話は
*
 大西巨人の『神聖喜劇』(ちくま文庫・全五巻、絶版)は、日本近代
文学の金字塔で、この小説がもし各国語に翻訳されたらノーベル文学賞
をとれるのではないかと、私は本気で思っているくらいだ。大西巨人の
文章は、小説らしからぬ硬さに満ちていているのにもかかわらず、細部
がものすごくいきいきしていて、ときになまめかしくて、心の複雑で柔
らかい面を不思議なほど見事に描き出す。石だけで水の流れを表現した
庭を生んだ、日本文化の抽象性や論理性と本質的なところで通じている
のかもしれない。『神聖喜劇』のような突出した代表作を持つ作家は、
つい、「他の作品はいまいち」と思われがちだけれど、『迷宮』(光文
社文庫)でも何でも、彼の小説はどれもすべて引き込まれる。
 その大西巨人が一九四七年、二十八歳のときに書いた『精神の氷点』
という小説が今年、再刊された(みすず書房)。無作為に選んだ一人の
人間を殺す男の話だ。これだけで、最近のいろいろな殺人事件を思い出
す。少年によるあれらの事件を私は、自分の精神の成長過程とは無縁の
、劇画じみた空想と歪(いびつ)な論理によるものだと思っていた。し
かし、『精神の氷点』を読んで、「殺人」という想念が少年期から青年
期に至る過程で、普遍的に生まれ、しばらくは離れない思念であること
を知った。つまり、私自身も「どうして人を殺していけないことがある
か」と、まるっきり考えなかったわけではなかった、ということだ。劇
画などでは「優れた者だけが生き残る」という、進化論を誤読したあま
りに単純な論理を置くが、「いい論理」と「悪い論理」があるのではな
くて、論理そのものに、「生」に対する軽視や敵意が内包されているの
ではないか。
 少年期から青年期にいたる一時期というのは、過剰な論理性に支配さ
れるために、頭の中ではつねに荒涼とした光景が繰り広げられることに
なる。
しかしその過剰な論理性の根源にあるものはもしかしたら、第二次性徴
期による過剰なホルモンの放出なのかもしれない。人間は、自分の中に
隠れていた動物としての生理が表面化したときに、非常な苦しさに襲わ
れるものなのだ。この私の仮説がもし本当だとしたら、彼らと正面から
対話ができるのは――唐突だが――閉経期の女性なのかもしれない。し
かしあいにく、いまのところそういう本は出ていない。
501吾輩は名無しである:02/07/16 16:20
神聖喜劇の第1巻を買った。最寄り駅の中のショボイ本屋でさえ
平積みになっていたとき、思わず感動・・・
(そういうことで感動することが大西巨人との接し方としては間
違いだとわかってはいるけど)
ちくま版の第1巻しか持っていない私にとって、わざわざ図書館
の書庫から出してもらう必要がなくなっただけでもありがたし。

「21世紀に問う不滅の文学」というコピー、正にこれから、今
だから読まねばならない作品ですな。さあ、再読再読。
502吾輩は名無しである:02/07/16 20:54
ちょっと思ったんですけど「迷宮」にはユーモアがあったほうがよくないすかね?
あれだとちょっと堅苦しい気もするし
503fishman:02/07/16 21:14
『迷宮』堅苦しいですか?
大西巨人の場合、堅苦しければ堅苦しいほど、「可笑しく」
なってくる堅苦しさだと思うのです。

これちょっと事態をあまりに一般化しすぎて良くない表現
と思うのですが、地図ありますよね?あれってすごく正確さを
目指しているようでいて、その実すごく端折ってるわけです。
こうちょっとした窪みとか、何かあの辺出っ張ってるよね?
っていうのを、ズザーっと直線にしてしまってるといえば
わかりやすいでしょうか?大西巨人の場合、そのちょっと
した窪みを、ちゃんと「ちょっとした窪み」として拾い上げ
ようとしているように思えます。おそらくそれは「正確さ」
「正しさ」の希求なんだと思うのですが、面白いのは、
正確であろうとすればあろうとするほどキリがなくなってくる。
「あー、あそこよく見りゃ微妙に曲がってんじゃん!」
「うわ!ここだけ2mm下がってる!」
ね?きりがないでしょ?
押し寄せてくる「端折っちゃえばいーじゃん」という声に、
何の何のと切りかかってゆく様は爽快であり、その正確であろう
とする途方もなさがユーモアに溢れていると言えると思うのですが
いかがでしょうか?

一番端折ってるのが私という笑えないオチがついた当たりで、
落ちます。
504吾輩は名無しである:02/07/16 21:30
>>503
なるへそ。でもその地図がね、物凄く狭い地図みたいな感じが
ひとつの端折ったのを発見して終わりみたいな
まあ単に作品が比較的短いというだけかもしれませんが
505名無しさん@まいぺーす:02/07/17 01:30
>>499
>>500
 ご教示ありがとうございます。保坂氏の大西巨人への傾倒は知っていましたが、この
記事は見たことがありませんでした。保坂の『迷宮』支持は、心強いです。できれば、
さらに詳しく語ってもらいところですね。

>>503
 fishmanさんの例えは、よく分かる感じがします。普通意識されていない世俗的思考
を細密画を描くような態度で対象化する手続きには、ユーモアが含まれているでしょう。
『迷宮』の中で皆木旅人が春田大三にする雑談の一つ一つは、直接ストーリーに関わらなく
とも、僕にとっては読書の楽しみを存分に味あわせてくれるものでした。「人格者」の
話や葬式の批判などは、特に面白い。ただし、そこに感じられるおかしさは、『神聖喜劇』
のユーモアとは、異質なものでしょう。502さんのご指摘も、もっともであるように感じます。

506吾輩は名無しである:02/07/17 12:06
うろおぼえだが、週間読書新聞で1,2年前の正月頃の記事だと思うけど、
スガ、渡部、あともう一人城なんとかって人の鼎談でスガは今年の小説の
NO1は大西の二十一世紀前夜祭っていってた。
「走る男なんかただ走って川のなかに飛び込むだけなんですよ、凄いじゃないですか」(大意)
ていってたよな。
城なんとかって人は金井美恵子の本を比較を絶した本とかつていつてたな
507吾輩は名無しである:02/07/17 12:31
>>505
渡部の古井論にかいてあつたけど、そのなかにドゥルージアンの宇野邦一の
「ジュネの奇跡」の一節
『権力に抵抗する細部描写』という文を引用しております。
これは大西氏の小説にもあてはまるとおもいます。
あいまいな気分の一元化によって「ねっわかるでしょ」という日本人的なあり方
にたいする克明な描写による抵抗のような気がします。
ちなみにわたしは『権力に抵抗する細部描写』という考え方は大好きです。
保坂氏がメタファーを禁じ手にしているのもこれに近いとおもいます。
「迷宮」p72で皆木の台詞は日本的、東洋的になったらそやつの文芸はおしまいじゃ
みたいなこといつていますが、これも裏付けになるでしょう。
508名無しさん@まいぺーす:02/07/18 00:16
>>506
 ご教示ありがとうございます。図書館で探して、読んでみます。城なんとか、というのは、
城殿智行氏のことでしょうか。絓氏の発言は、一見なげやり風で味わいがありますね。

>>507
 明快な説明に、大変納得しました。馴れ合い的な共同意識に寄りかからずに表現を組み
立てていこうとすれば、明示的・確認的にならざるをえず、時として異形の叙述になりうる
ということですね。『権力に抵抗する細部描写』は、大西にもよくあてはまる言葉である
と感じます。
 『迷宮』支持者は、実は大勢いたんですね。安心しました(笑)。

 湯地朝雄『戦後文学の出発−−野間宏『暗い絵』と大西巨人『精神の氷点』−−』
(スペース伽耶)を入手しました。カバーのない、シンプルな装丁が好ましい。
猛暑に負けず、じっくりと読みたいと思います。
509463:02/07/18 00:42
明日、迷宮買います。

510463:02/07/18 01:15
あと今、入手すやすい「精神の氷点」と「二十一世紀前夜祭」
も買ったほうがいいのでしょうか?
あまり書評などにも取り上げられていないようで、
関心はありますが、まったくわかりません。
文選とかはどうなのでしょうか?
皆さんの情報大変ためになり、ありがたいです。
まったくの無知の初心者です。
こんな私に何でもよいので、お勧めや情報を
どうかよろしくお願いいたします。
511名無しさん@まいぺーす:02/07/18 02:08
>>510
 大西巨人の著作は、すべて「買い」というのが、端的な結論ですが、あまり
焦って買い揃えると、積ん読に終わってしまう恐れがあります。だからと言って、
のんびりしていると、いつの間にか品切れになっていたりするので、そのあたり
難しいですね。
 『精神の氷点』は、戦時下に知識人が置かれた精神的重圧の苛酷さを正面から
描き、それといかに取り組むことが敗戦後の生を可能にするかを追究しています。
第一次戦後派と対極的な歩み方が、ここにはあり、戦中−戦後を連続的に引き受ける
姿勢が近年改めて評価されています。
 『二十一世紀前夜祭』は、いかめしく、そして洒脱でもある大西の第二短編集。
「巨人館」で、全作品を読むことができます。試しに覗いてみられてはいかがでしょうか。
 『大西巨人文選』は、編年体の評論・随筆集成。今や、大西巨人を語る上での
ベーシック・アイテムですね。特に『4 遼遠』は、単行本に未収録のものが過半の
貴重なものです。値段がやや張るので、一度に買うのは大変ですが、やはり押さえて
おきたいところです。
512fishman:02/07/18 08:19
文選…たまに「え?組でこの値段なの?」という値段で売られてたりしますね。
大西氏のエッセーは、小説以上にリゴリストの側面が強くにじみ出ており、
好き嫌いが分かれるところかもしれません。しかし、エッセーという言葉は
何となく大西氏には馴染まない気がしますね(笑)

以前、スガ秀美が「底付き」を評して、屹立した男性原理が底のない「女性」
を行き来する様として、まぁ、あからさまに性交に例えていた気がするのです
が、大西巨人の小説の中には確かに「対権力」という側面もあるのですが、
非常に官能的な読みの喜びがあることも強調しておきたいところです。

>大西巨人の著作は、すべて「買い」というのが、端的な結論ですが
えぇ、えぇ確かに(笑)私も同意します。
513吾輩は名無しである:02/07/18 09:50
白水社ラルース仏和辞典の「essai」の項の註より

>essaiは、ある特定の問題を論じた試論のこと。日本語の「エッセイ、随筆」
>のように、意の赴くままに感想・見聞などをまとめた文章のことではない。

たぶん大西氏の場合はこのような意味に解すればよろしいかと。
514fishman:02/07/18 14:26
>513さん
存じてます。一般に言われる意味でのエッセーのつもりで読むと、
通りすがりの平手のような、驚きを覚えるに違いないという
程度の書き込みです。語が足りませんでしたね。スマソ。
515吾輩は名無しである:02/07/18 20:44
今ごろ、みなさんは神聖喜劇第1巻を読んでるんだろなぁ
いいことだ
516名無しさん@まいぺーす:02/07/19 20:19
>>512
「官能的な読みの喜び」というのは、確かですね。僕がずっと、大西巨人の読者を
続けているのも、まずは、エクリチュールの快楽に魅せられているからですし。
願わくば、今『神聖喜劇』を読んでいる読者にとって、その時間が心地よいもので
あらんことを。
 それにしても、『底付き』も大西の中で孤立している観のある作品ですね。
517名無しは僕である:02/07/19 22:20
また売ってなかった。うえーん
ちょうど大ってとこが抜けてた。もしかしてマジいそがないとやばい??
518吾輩は名無しである:02/07/19 23:45
519吾輩は名無しである:02/07/20 03:03
>>517
少なくとも5巻が出るまでは既刊を絶版にはしないでしょう、たぶん・・・いや、今の時代ならありえるかな・・・?
520名無しは僕である:02/07/21 01:55
>>518>>519
ありがとー
きょうはちょとお出かけ新宿紀伊国屋、新刊こなーには見当たらず汗。。
通常の文庫こなー平積みで隠れるように2冊はけーん、両方即げとー
棚にはなかったので危なかったー
521名無しさん@まいぺーす:02/07/21 16:55
『神聖喜劇』一巻の売れ行きは、このスレッドを見ている限りは、それなりに
順調のように感じられます。ちくま文庫版の時よりは、売れ行きを期待しても
よさそう。順調に版を重ねてほしいものです。ちなみに、520さんの二冊購入の
理由は何でしょうか。やはり、嬉しさからですかね。
522名無しさん@まいぺーす:02/07/22 23:11
>>494
 491さんに遅いレスですが……。
 大江健三郎は、谷崎賞の選評において、『神聖喜劇』を高く評価しています。周知の
ように、作者は候補になることを辞退し、受賞は幻に終わるのですが、大江と大岡昇平
のコメントは、『神聖喜劇』に言及していて、参考になります。
 「大西巨人氏が賞の候補たることを望まれぬとわかったので、第二次選考会は『神聖喜劇』
を対象からはずして始まった。しかしそれまでの経過において、この壮大な小説はつねに僕の
頭をはなれず、したがって他の候補作を読む際にも、『神聖喜劇』が批評の基準のひとつとなる
ということがあった。/とくに中上健次氏の『鳳仙花』について、さきの『枯木灘』につづく、
この作家の力量の独自さに強い印象を受けながら、しかし長篇小説の構造づけということでは、
大西巨人氏の周到さ、重層性に大きく差をあけられていると僕は感じた。そしてそれは中上
健次氏の才能と努力のしぶりから見て、やがて確実に縮められるはずの差でもある。」(大江
健三郎「女流作家のしたたかさ」[『中央公論』1980年12月号])。
 かなりの積極的評価ですが、これ以後大江が『神聖喜劇』に触れることはなかったようです。
惜しいですね。古井由吉や中上健次が、大西について発言しているかどうかは、承知していません。
多分何も言ったことはないと思うのですが、何かご存知の方は、お教えください。
523吾輩は名無しである:02/07/22 23:20
>>522
おお!しょうもない私の質問に詳細なレスありがとうございます491です
しかし>>1さんの大西情報の豊富さはどういうことなんでございましょうか
かなりスゴイですね!不思議だ・・・
524名無しさん@まいぺーす:02/07/23 21:01
>>524
お褒めいただき、恐縮です。特別のことはしていませんが、大西巨人に関する情報は、
なるべく集めるようにしています。機会があれば、このスレでもどんどん紹介して
いきたいと思っています。話のきっかけになれば、幸いですね。
525吾輩は名無しである:02/07/23 21:03
巨人が野球やってるせいでガチンコみれねえぞ、このスレの住人が責任
とれ!!!
526吾輩は名無しである:02/07/23 21:52
>>525
スマソ。(w
527吾輩は名無しである:02/07/24 01:05
俺がいま考えているのは、冬までにゆっくり『神聖喜劇』を
読んだ後、ドストエフスキー『罪と罰』を読むことである。
528吾輩は無名草子さん:02/07/24 01:26
どうせだったらドストエフスキーの代わりに「神曲」(原題「神聖喜劇」)
を読め。
529吾輩は名無しである:02/07/24 20:21
私も初めて神聖を目にすることが出来ました。
…硬い文体なのに、確かに面白い。
530吾輩は名無しである:02/07/24 20:24
今300ページぐらい。大前田をろむぱしたのが面白かった。
531吾輩は名無しである:02/07/26 21:31
そういえば、今書店に並んでいる週刊文春(8月1日号)の150ページに
『神聖喜劇』が取り上げられていますね。
評者は坪内祐三(自身の連載コーナー「文庫本を狙え!」でです)。
その書き出しは・・・・・・

「若い時から、いつの日にか読破してやろうと思っていた戦後日本の
三大長編小説がある。
 中野重治の『甲乙丙丁』と小島信夫の『別れる理由』と、そしてこの
大西巨人の『神聖喜劇』だ(ただし同じ戦後の長編小説とはいっても
例えば野間宏の『青年の環』は全然読みたいとは思わなかった)。」  

と、あります。続けて坪内は、これまで刊行されていた三種類の
絶版文庫の再入手が如何に困難であるかということを述べた上で、
だから今回の復刊は、まるで当スレ住人であるかのごとく「一層嬉しい」、
「装丁、紙質共にすばらしい」と喜びをあらわにしています(笑)。
で、肝心の作品評価ですが、それをこんな感じで締めくくっています。

「そして、愛読者なら知っているように、大西巨人の筆致には、暗い話を
描いても、独特のユーモア感覚があふれている。そのユーモアもこの長編
小説の大きな魅力の一つだ。」
532名無しさん@まいぺーす:02/07/26 23:05
>>531
 明日、『週刊文春』を買って読もうと思います。坪内雄三は、同コーナーで、前にも
『迷宮』を取り上げていましたね。武藤康史と並んで、読み巧者による評価は、『神聖喜劇』
復刊に対する追い風のように感じられます。
533名無しさん@まいぺーす:02/07/28 18:00
 井口時男・中川成美・林淑美・川村湊「〈座談会〉堕落というモラル−−敗戦後空間の
再検討」(『〈文学史を読みかえるD〉「戦後」という制度−−戦後社会の「起源」を
求めて』[インパクト出版会、2002年3月10日]所収)は、坂口安吾『堕落論』の新解釈
と加藤典洋『敗戦後論』の批判とを軸に、戦後文学を捉え直す糸口を探そうとする座談会
ですが、終わり近くに、林氏が次のように発言しています。
 「井口さんの『悪文の初志』はすごかったな。特に大西巨人論が。最近大西巨人の
「精神の氷点」、処女作と言っていいんだと思いますが、再版されてはじめて読んだのですが、
敗戦後の日本人の意識・無意識を問題化していたのは、中野重治と、安吾と、そして大西巨人
だな、と思いました。」
 安吾との共通性が示唆されているのが、目新しく感じられます。大西は、エッセイにおいて
安吾の丹羽文雄批判の文章を共感的に引用したりしていますし、両者の接点は、掘り下げられて
いく必要があるかもしれません。
 林淑美氏は、昨年の中野重治研究会において、大西巨人の座談の相手を務めても
いましたね。その時の模様が、紹介されていますので、興味のある方はどうぞ。

http://www.bb.wakwak.com/~seppo/1013_nakano.htm

写真が小さいのが、ちょっと残念ですね。
534吾輩は名無しである:02/07/28 20:23
>>522
>古井由吉や中上健次が、大西について発言しているかどうかは、承知していません。

ほぼ間違いなく、柄谷行人が中上に読ませてるはずだ。
535吾輩は名無しである:02/07/28 22:32
こんにちは。
みなさん大西巨人を読んでるだけあって
かきこみがかなりねっとりしてますね。ほめ言葉です。

わたしはいま大学四年で、二年の時図書館で神聖喜劇に挑戦しましたが
一巻の途中で挫折しました。

その後、「ダンテの新曲」という吹奏楽曲を演奏する機会がありまして、
divine comedy=神聖喜劇、と気づいたときにはかなり驚きました。
それまで知らなかった。っていうか、常識?

最近は光文社文庫版を再挑戦でゆっくり読んでます。
刊行ペースにあわせ一日約20ページ。
ちょうど構成も20ページ程で1パートになってるみたいで。

ところで、井上ひさしの「吉里吉里人」って長篇、
主人公がかなりの健忘症という設定ですが、これって神聖喜劇の
パロディなんですか?
536吾輩は名無しである:02/07/28 23:20
あ、恥ずかしい。
神曲でした。
537531:02/07/29 22:50
>>532
返レスどうもです。
ところで>>47で触れられている武藤康史の
東京新聞での記事を、もう少々だけでも(お暇な
時にでも)抜粋していただけないでしょうか。
僕も@まいぺーすさんと同じく武藤康史には
一目置いておりますので。といいましても、
昔のマリクレやら金井美恵子との対談や文庫解説
くらいからのファンなので底が浅いのですけれども。
だから>>155>>182での情報は非常に有難かったです。

あとそれから坪内祐三の『迷宮』批評は知らなかった。
当スレにてその抜粋は既出でしょうか。
見つけられなかった・・・・・・。

何だかとりとめの無いレスで申し訳ないのでsage
538名無しさん@まいぺーす:02/07/30 19:20
>>537
 武藤康史「〈読書〉再び大西巨人の年がきた!」(『東京新聞』1992年7月3日)は、
『神聖喜劇』のちくま文庫化、『三位一体の神話』の刊行本刊行を踏まえて、「「一九八〇年
は石川淳『狂風記』と大西巨人『神聖喜劇』の年である」とかつて書いたが、それから十二年後
の今、再び大西巨人の年がきたとわれわれは高らかに宣言することができる。」と述べること
から始まっています。
 『神聖喜劇』については、「「短歌」四月号では「昭和短歌史E」という座談会があり、佐々木
幸綱が「ぼくらの前後の年代が影響を受けたのは、村上一郎のほか大西巨人です。本を読んで、
引用歌で、短歌を好きになった人が多いですね。読み手としてはたいへん優れた人ではないですか」
と発言していた。この場合の大西巨人の「本」とはむろん『神聖喜劇』のことでなければ
なるまい。『神聖喜劇』には大河小説として、教養小説として、軍隊小説としての面白さも
無限にあるが、そこに引用されていた短歌だけでもこのような力を持っていたことがわかる。
『神聖喜劇』の偉大さはじつの広大無辺なのだ。」と発言しており、『神聖喜劇』であまり
触れられることのない魅力・影響力を指摘しています。
539吾輩は名無しである:02/07/30 19:33
坪内祐三氏の『迷宮』評は、氏の単行本『文庫本を狙え!』(晶文社)
に収録されてますね。もしご存知だったら(または既出だったら)
余計なことですいません。
540名無しさん@まいぺーす:02/07/30 19:36
(続き)
武藤は、『地獄変相奏鳴曲』の後半(要は、『娃重島情死行』ですね)に不満で、
「大西巨人に幻滅しかけていた。」と振り返っています。「高齢化社会というような現代の
「問題」に正面切って取り組もうとする態度が、失礼ながら「年寄りの冷や水」と思われたのだ。」
というのが、理由です。しかし、『三位一体の神話』は、武藤の懸念を一掃する達成でした。
「私は「駄目でもともと」だと観念しつつ『三位一体の神話』をひもと繙(ひもと)いたので
あった。すこしでもダルな文章があれば即座に中断しようと意地悪く考えながら読み始めたので
あった。ところがそれは大間違い、あまりにも面白くて結局朝までかかって全部読んでしまった。
現代日本の小説の新刊を徹夜して読み切ってしまうなどということは、私にとっては金井美恵子
『タマや』以来の経験だ。」と、希有な読書体験が語られています。
 「すみからすみまで感動したが、厚かましい感想を一つだけ書いておくと、作中の枷市和友
(かまちかずとも)なる人物は二十代後半の「新鋭文芸批評家」であって、私と少々似ている。
その私の目から見てこの人物の思考や行動はきわめてリアルで「身につまされる」ものばかりなのだ。
八月に七十三歳の誕生日を迎える巨匠の筆に毫(ごう)も「年寄りの冷や水」的な部分が見られない
ことは大きな驚きであり、喜びである。」。登場人物のリアリティに、こうしたお墨付きが与え
られることも他には見当らず、武藤氏ならではの物言いですね。
541名無しさん@まいぺーす:02/07/30 19:51
(続き)
武藤氏は、「各界15人の読書の達人≠ェ推薦するこの夏のイチ押し本」(『週刊文春』
1992年8月13日・20日特大号)においても、『三位一体の神話』を推しています。
「この肺腑を衝き、手に汗を握らせる傑作小説は、氏素性・年齢・経歴を秘し隠して「伝説」
を流布しようとするいじましい心根をめぐり、大西巨人が周到な結構で書き切った壮絶なる
人間学の教科書とも言えよう。」と、『東京新聞』の一文よりも内容に踏み込んだ解説を
行っています。「雑誌の編集、本の購入、個人全集の編纂のディテールはもとより、喫茶店
での人の仕種や空港での旅券の取り違えなどを執拗にキビキビと描写し尽くす胆力には
ほとほと感動した(たとえば「ウェイトレスは、コーヒー二つを卓上に置き、ミルクの要否を
たずね、双方の謝絶をうけたまわって、去った」)。」とあるように、精確な描写についての
注意を促しています。「さて、とは言うものの、結局この小説は「井上光晴が大西巨人を殺す
話」なのだと呵呵大笑して読み終えたことをやはり書き添えておきたい。」という締め括りは、
一種の挑発でしょうか。
542名無しさん@まいぺーす:02/07/30 20:08
 坪内祐三の『迷宮』評は、539さんのご指摘の通り、単行本に収録されています。
初出は、『週刊文春』2000年3月9日号。
 「常々この欄で口にしているように、私は、日本の現代小説を殆ど読まない。推理
小説は、さらに、読まない。/そんな私が、推理小説的構成を持った大西巨人の近作
『迷宮』(一九九五年)を、光文社文庫に収録されたのを機に手にし、一気に読了して
しまった。/いやぁ面白かった。そして面白かっただけでなく、中心となるテーマ−−
それはとても複雑で、その複雑さは小説という表現様式でしか描きえないものだ−−の
語られ方に興奮した。」と絶賛しています。坪内文は、ストーリーの紹介が中心ですが、
「各所で語られる皆木の文学談議、吉田欣一の詩集『わが射程』やマクシム・ゴーリキー
の回想集『追憶』や岡本潤の詩集『襤褸の旗』などへの、全体重をかけた迫力ある読みは
ぞくぞくする」といった感想に、坪内らしさが窺えます。
543名無しさん@まいぺーす:02/07/30 20:12
>>534
なるほど。とすれば、中上にはぜひ『神聖喜劇』について語ってもらいたかったですね。
>>535
井上ひさしは、『神聖喜劇』の完結当時肯定的な書評を書いていましたから、意識して
いた可能性はあるでしょう。今まで、そういう指摘はなかったのではないでしょうか。
『吉里吉里人』を読み直す必要がありますね。
544537:02/07/31 21:59
>>538>>540
@まいぺーすさん、どうもありがとうございます。
武藤康史の長文抜粋ご苦労様でございました。
思わず何度も読み返してしまいました。
ふむふむ、80年は『狂風記』(これも荒唐無稽で
面白いですよね)と『神聖喜劇』の年でもあったのか。
しかしあれですね、武藤康史といえば、いつぞやの
NHKの番組で石井桃子にインタビューをしていた過去も
あることですし、そのときの局とのコネを使って、
今度は大西巨人にインタビューでもしてくんないかな。
絓と渡部の「批評空間」でのそれは、日共時代の
思い出話が多く語られていたけど、武藤氏なら
イデオロギー抜きのインタビューが期待できると思う。
それから>>541の週刊文春からの引用にも感謝いたし
ます(よくそこまでアンテナ張ってるよなぁ)。

>>542
加えておまけに坪内祐三の文章まで抜粋して下さるとは、
これまた多謝(それから>>539さんもありがとうでした)。
実は今日、図書館で「文庫本を狙え!」を借りてきました。
うん、353ページで紹介されていますね。
『迷宮』も読まねば。ではまた。
545吾輩は名無しである:02/07/31 22:50
大西巨人と『広辞林』
武藤康史
http://www.sanseido-publ.co.jp/booklet/booklet152_muto.html

こういうのがありました
既出かもしれませんが
546539:02/07/31 23:03
ここは大西巨人のスレなのでスレ違いかもしれませんが
武藤康史という人はすごい才人だと思いませんか?
自分の著作を持つことに興味がなく、しかしものすごく質の高い
仕事を続けている。稀有な存在だと思ってます。
547545:02/07/31 23:30
>>546
スレ違い再びですが、武藤氏についていろいろ検索してみても
いまひとつどんな人かわかりません
もしよければ略歴などを教えて頂けるとありがたいのですが
548吾輩は名無しである:02/08/01 13:22
『神聖喜劇』 第2巻はたぶん8月6日発売かも
間違ってたらスマソ
549名無しさん@まいぺーす:02/08/02 23:52
>>546
>>547
 武藤康史氏の守備範囲の広さは、確かにすごいですね。文学・辞書・教育史・映画・
演劇などの分野で、非常に専門性の高い仕事をされています。著作を出すのに無関心
なのも、その通り。ただし、そのために、優れた仕事の多くが埋もれているのは、
もったいないなと思います。詳しい経歴は、僕も知りません。『クイズ新明解辞典』の
略歴を見たぐらいです。ご存知の方は、よろしくご教示ください。武藤氏は、大西巨人に
ついて、今まで紹介したほかにも触れているので、それらは、また、順次紹介していきます。

>>548
なるほど、もう第二巻の発売が近づいているのですね。また、楽しみがやって来ます。
550名無しさん@まいぺーす:02/08/03 20:39
 武藤康史の大西コメント(その1)。
 「ラヴ・ロマンス(日本篇)ベスト50」(ぼくらはカルチャー探偵団編『新・読書の快楽』
[角川文庫、1989年9月]所収)で、『地獄変相奏鳴曲』を取り上げています。
 「この連作小説集のうち最初の「白日の序曲」は可憐な愛の短篇として上乗のものである。男に
捨てられそうになった女が男に必死にすがる。そのとき、机上に開かれていた文庫本という形で
「引用」されるトーマス・マン『小男フリーデマン氏』の効果が素晴しい。」
 村上春樹『ノルウェイの森』なども取り上げられていますが、「早稲田大学文学部を描いた
小説として感動した。津田塾大学も雙葉高校も出て来る。示唆しているだけですぐわかることが
嬉しかった。」という着眼点が武藤氏らしい。そして、「同じく早稲田大学の恋愛であるが、
こちらには『ノルウェイの森』で「下劣な連中」と呼ばれた側の恋愛が甘く描かれている。」
として、野口武彦『旗は紅に燃えて』が引き合いに出されると、もう普通の人はついていけない
感じになりますね。
551吾輩は名無しである:02/08/03 21:35
最近このスレ下らん。オタクのス窟か?
552通りすがり:02/08/03 21:40
ああ、ここにも夏厨が……
553名無しさん@まいぺーす:02/08/04 20:35
 武藤康史の大西コメント(その2)。
 「〈批評の細道15〉大西巨人この一年」(『週刊文春』1993年7月29日号)は、「『三位一体の神話』
をめぐって文壇が揺れに揺れた一年であった。」として、種村季弘・野崎六助の書評に対する大西の
非難、『すばる』編集長の「作家のindex」コーナーへの大西巨人掲載の拒否などの出来事を整理・紹介
したもの。振り返って見ると、モデル小説として『三位一体の神話』を読んだ人たちの愚劣さが歴然と
しています。
 本筋と関係のない、以下の余談が結構楽しめます。
 「私は大西巨人愛読者としてはいささか特権的な立場にあることをここで披露させてもらおう。
驚き給う勿れ、大西巨人の小説には私と同姓同名の人物が登場するのだ! それは『天路の奈落』
(講談社、84年)の第四、二の2で、《西海道新聞社編集部員武藤保史(当年三十歳)》とあり、
わずかに一字異るがよみは同じである。初出(「群像」84年7月号)では《武藤保史》にハッキリ
《むとうやすし》とルビが振られていた。単行本でルビを省いたのはきわめて遺憾で、やすふみと
読まれる虞なしとしない(再版や文庫化の際には復活して戴きたい)。康史をやすしと読むのは
湯桶読みであり、私にとってこれは人生最大の悩みであった。大学時代、先輩に「名前が湯桶読みの
お前が旧字旧かなを使うなんてちゃんちゃらおかしいよ!」と揶揄されたこともある(その先輩は
「道生(みちお)」という名前で、反論のしようがなかった)。そんな青春の苦悩もこのルビで
救われたのだった。/というわけで私は大西巨人の胎内に生まれたも同然人間なのである。」
 武藤康史に対抗するために、東堂太郎や水村宏紀や尾瀬路迂などの同姓同名の人には、ぜひ
名乗りを上げてもらいたいもの(笑)。
554吾輩は名無しである:02/08/05 17:27
しょうしゃ(シャウ‥)【廠舎】
四方に囲いを作らない仮に建てた小屋。特に、軍隊が演習先などで宿泊するためのものをいう。

↑これ意味わからんかったですよ。読んでる間ずっと
555名無しさん@まいぺーす:02/08/06 20:42
 『神聖喜劇』第二巻出ましたね。548さんのおっしゃる通りでした。解説は、阿部和重。
「『神聖喜劇』を読まずにいたら(あるいは蓮實重彦と柄谷行人の対談集『闘争のエチカ』
によって同作の存在を知ることがなかったなら)、わたしは自分自身のデビュー作『アメリカ
の夜』を現在の形に書き得なかったこともまた確かだ。」と、自らの創作への影響にも
触れつつ、「日本文学史上の最高傑作の一つ」、「世界文学的にも最高水準に値する一篇」
である本作の通読を、読者に強く薦めています。
 次巻以降の解説者も楽しみですね。
556吾輩は名無しである:02/08/07 00:11
>>>555
第二巻、買って来ました。未購入の皆さん、早目をお勧めします。なぜか第一巻
はどこの書店でも売り切れていますし。


ところで、「神聖喜劇」の続刊の解説・解題も文学プロパーになるんですかね?
私としては法学者や(マルクス)経済学者または歴史家などのものが読みたい、と。
今回久々に読み返すと(前は図書館)、「安芸の彼女」との逢瀬における筆致や、
「金玉問答」「普通名詞論議」でのユーモアはやはり魅力的です。しかしそれ以上に
「ブルジョア法治主義国家における合法闘争の限界」を東堂が改めて思い知らされる
件や、第二インター・第三インターと日本の左翼との関係性、転向問題等に関して、
またもや自分の知識・知見のおぼつかなさを強く感じてしまいました。己の勉励刻苦
あるのみ、は重々承知ですが、「神聖喜劇」本編に則しての社会科学側からの論考・
批評・解題はないのでしょうか?「批評空間」U期の終わりごろに柄谷とスガによる
インタビューもありましたが。どなたかご存知の方いらっしゃれば、ぜひ教えて頂き
たいと思います。



557吾輩は名無しである:02/08/07 00:26
>>556
柄谷じゃなくて渡部じゃないですか?
渡部の『不敬文学論序説』刊行の時の
558吾輩は名無しである:02/08/07 01:21
でも阿部和重ときて、何だかやるせない気持ちになったのは俺だけではない。
批評空間に染められぬよう。
559556:02/08/07 02:04
>>>557
渡部でしたか?そうですか、ずいぶん前に立ち読みしたきりだったので。

>>>558
557さんがちょうど「不敬文学論序説」と書き込んでいたので思いついたのですけど、
これはいっそ反天皇制小説家を全員登場させるべきではないですかね。そうなると、後
に控えるのは島田雅彦、大江健三郎、安岡正太郎、水上勉あたりですか?世の中への刺
激というか、改めてのマニフェストとして。しかし・・・光文社にそんな根性は無いと
思われますのであり得ませんね、やはり。若手、中堅、大御所、戦中世代とバランス良
く配置するのでは?大江の登板はかなり可能性として高いと思いますが。谷崎賞辞退の
時の選考者ですし。誰が解説を書いているかも私の来月の楽しみです。
560吾輩は名無しである:02/08/07 16:11
>>556
件のインタビュー収録号は、その24号です。
しかしこれ三段組で20ページもある分量ですから、
要約するのは難しいですよ。図書館へ行かれるか、
もしくは在庫を問い合わせされたほうが、充実した
読みができるかと思いますが。
実際、聞き手があの二人なだけに、社会科学的な
見地に依った文学批判を展開したり、かつての運動を
再検証することも忘れずたっぷり訊いていますしね。
尚、インタビュー日付は99年10月1日。


ちなみに同号にはゴダールのインタビューも
収録されていて、こちらも読み応えがあります。
561名無しさん@まいぺーす:02/08/07 21:45
>>556
 法学者や経済学者の手による『神聖喜劇』論は、見たことがありません。光文社
文庫版第一巻に収められた短評に水田洋氏のものが含まれていますが、水田氏には
ぜひ詳細に論じてもらいたかったですね。日高晋氏は、マルクス経済学者ですが、
「『神聖喜劇』のおもしろさ」(『新日本文学』1980年9月号)は、小説読者として
の立場からの発言になっています。
 前に触れた湯地朝雄『戦後文学の出発−−野間宏『暗い絵』と大西巨人『精神の
氷点』(スペース伽耶)は、戦前・戦中の学生運動や人民戦線の動向を詳細に論じて
いて、勉強になります。水村宏紀と東堂太郎の履歴には、重なるところが多いですから、
『神聖喜劇』の背景理解にも役立つでしょう。この本、一般書店では売ってないみたい
ですね。発行元の住所を記しておきます。

〒113−0033 東京都文京区本郷3−29−10 飯島ビル二F スペース伽耶
郵便振替 00130-6-153208
定価2,800円+税
562吾輩は名無しである:02/08/10 09:50
うわ、下がってる。
いかん いかん
今、コンビニで、文藝春秋を立ち読みした。
大西巨人が、文章を書いていた。
大西巨人以外の何者でもない芸風であった。
563名無しさん@まいぺーす:02/08/10 17:02
>>562
大西巨人、『文芸春秋』初見参ですね。僕も、これから本屋に見に行きます。
564吾輩は名無しである:02/08/10 17:50
一巻買った。この人顔カコイイ。
・・・厨レススマソ。
565名無しは僕である:02/08/10 18:22
散歩がてら本屋さんへいってきます。
2巻をゲットし、文春を見てこよう。
566名無しさん@まいぺーす:02/08/11 07:30
561で触れた『戦後文学の出発』は、「巨人館」でも、紹介されていますね。作者も、
推奨ということでしょうか。発行元スペース伽耶の電話・Fax番号は、「巨人館」の方に
記されているので、参照してください。
567556:02/08/12 04:33
>>>560,561

丁寧なレス、大変ありがとうございました。
なるほど、政治背景・歴史等はやはり傍証で学ぶしかなさそうですね。
盆明けは隙を見つけて図書館通いになりそうです。
しかし・・・地元の図書館の充実してなさと言ったら!
大概の大西作品は書庫から引っ張り出して貰いますから。
しかも全て揃っている訳でもないし。国会図書館は遠いし。
皆さんは大西巨人の作品や資料をどうやって入手しているのでしょうか?
なかなか古本でも出て来ませんよねえ・・・?

568吾輩は名無しである:02/08/13 14:04
五里霧を400円で入手
以前同じ店で絶版じゃないけど21世紀前夜祭を900円で入手
神保町でのことでありますです

とっとと「底つき」をよんだよ
569吾輩は名無しである:02/08/13 15:58
あべっちに解説をかいてほしくなかったよ
すがにかいてほしいよ
あとあえてさけてるっぽい福田和也とか
570名無しさん@まいぺーす:02/08/15 06:02
>>569
 阿部和重の解説、よくなかったですかね。絓さんの解説が欲しいな、というのは
同感しますが。保田與重郎を評価する福田和也には、大西のきちんとした評価を期待する
のは、やや難しい感じがします。どういうコメントをするか、興味はありますが。

>>568
 『五里霧』、本当に手に入れにくいみたいですね。『底付き』の読後感は、いかがでしたか。
ぜひ講談社文芸文庫に頑張ってもらいたいと思います。
571名無しさん@まいぺーす:02/08/16 22:19
 『深淵』の連載が50回を迎えましたね。とりあえず、それを祝してageます。それに
しても、作中登場人物新井弁護士の「もしも万一あの恐るべく忌《い》むべく非人間的な
国民総背番号制の世の中が出現したら、事情は別、ということになりましょうが、そこは
それ、いまは、相対的には、まだずいぶんまともな世の中ですから。」という言葉が耳に
痛く響きますね。「まともな世の中」を守るために、微力ながらがんばらなければ。
572吾輩は名無しである:02/08/18 16:00
2.3週間前の週刊読書人で大西氏は神聖喜劇の文庫について書いてたね

知ってるかもしれまくせんが一応
573嫁売珍聞:02/08/18 16:45
○○は永遠に不滅です。
574名無しさん@まいぺーす:02/08/19 23:19
>>572
 武田信明氏と花田俊典氏の論考を挙げて、作者冥利と言っていましたね。作品の
イメージ解読と成立過程考と、質の異なる仕事のそれぞれが評価されているようです。
575吾輩は名無しである:02/08/20 00:05
大西氏が他の小説家と違うのは、短歌とか俳句を読んでるからですかね?
スガ氏が他の批評家と違って現代詩を批評の対象にしてるように

厨房の印象論ですので
576吾輩は名無しである:02/08/20 01:04
>>575
はやくオナニイして寝ろ。
577fishman:02/08/20 02:12
>575さん
それが大西と他の作家を分かつ決定的要因とは言えないと
思いますが、全く影響がないとは言えない気がします。

語彙の豊富さの一因でもあるし、文体の簡潔さとも
繋がっていくのかもしれない。安芸の彼女とのやりとり
においても、歌の解釈を巡って、彼女の過去や、東堂との
思考上の類似を描き出していくわけですし、少なくとも、
短歌・俳句の引用の省略は不可能ではないでしょうか?

また作中引用されるいくつかの歌には、肥大した「公」に
向かって「私」を投げ出す構図が、どのようなロジックに
よるよりも、はっきりと映し出されているように思える
歌もあり、短歌・俳句に一種複雑な感興を覚えてしまい
ます。




578名無しさん@まいぺーす:02/08/20 11:14
>>575
 fishmanさんの意見に賛成です。
 『神聖喜劇』のすごいところの一つは、あれだけの長編であるにもかかわらず、一言一句の
選択が疎かにされておらず、文体的に多様な広がりを持っているところであると
思います。厳格でロゴス的な文章が展開するかと思えば、鮮やかな印象を残す
感覚的な言葉の連なりも見られる。そうした表現の広がりを支えている一つに、
短歌や俳句に対する造詣があるのは確かでしょう。
 『大西巨人文選』に収められている鎌田慧との対談でも、短歌的想像力が
話題になっていましたね。大正時代の作家たちなどに比べ、現代の作家で抒情の
ジャンル、特に短歌と積極的に交渉しようとする人は本当に少ないような気が
します。大西は、その少数者の一人であり、さらに戯曲や随想や漢詩文を含めた
文芸ジャンルの独自な総合化を目指している孤独な存在であると言えるでしょう。
579吾輩は名無しである:02/08/20 14:55
短歌とか俳句つーと僕の頭の中にも全く無いですね
詩と散文とかそういうことは考えるんですけど、やっぱ朔太郎以降ですね
でも「日本」を考えようとすると、やっぱり前者も大事ですね
580名無しさん@まいぺーす:02/08/21 14:05
>>579
 同感です。578のスレで書き忘れましたが、短歌的想像力には、情緒によって
認識を曖昧にしてしまうという否定的側面もあり、その検証のために取り上げられる
必要があるということもあります。大西の姿勢には、むろん批判的検証というもの
が含まれています。斉藤史への態度などは、その具体例と言えるでしょう。
581名無しさん@まいぺーす:02/08/24 00:59
  googleで、「大西巨人」を検索していると、古書目録の掲載品によく出会います。
その数が、以前より増しているようなのは、好ましい。中でも伊勢丹古本市に出品している
古書銀河の目録は、大したもので、『天路の奈落』・『地獄変奏鳴曲』・『五里霧』・
『巨人批評集』など、めぼしいものがずらりと揃っています。値段が、元値の倍以上
になっているものもありますが、ある程度の値上がりは、当然かもしれません。古書銀河は、
荻窪にある古本屋ですが、普段から大西巨人や花田清輝などの著作を扱っており、主人が
積極的に評価している様子がうかがえます。一応、アドレスを貼っておきます。

http://www.rsbooks.jp/isetan/is200208/0208ginga.htm
582吾輩は名無しである:02/08/24 01:06
>>581
困りますう。
583名無しさん@まいぺーす:02/08/24 01:16
>>581
もちろん、安いにこしたことはないのですが。でも、評価されている・求めている
読者がいるからこそ値が付くということも、ありますからね。でも、正直言うと、
『五里霧』の4,800円には、ちょっと驚きました。
584568:02/08/24 01:41
おれの買った『五里霧』は400円だったから
いい買い物だったな。帯もついてたし、半透明のカバーもしてあってキレイだったし。
585名無しは僕である:02/08/26 20:03
同時代批評2 1980年11月発行
 〜大西巨人インタビュー「徒労のような格闘を」

っての入手しますた。これって何かに収録されてますか?
586名無しさん@まいぺーす:02/08/27 11:33
>>585
『大西巨人文芸論叢 上巻 俗情との結託』にほぼ同内容のものが収録されています(三つのインタビュー
を再構成したものということですが、最も中心的に採られているのが『同時代批評』のものです)。
あと、このインタビューを含め、『同時代批評』に掲載されたインタビューをまとめた
『七人の作家たち』(土曜美術社)も出ています。巻末の岡庭昇・高橋敏夫の対談解説
が参考になります。『大西巨人文芸論叢』には、雑誌の目次とインタビュー冒頭とに掲げられている
数葉の写真は収められていません。その分、雑誌は得ということですね。ここに写っている
大西巨人は、迫力があり、かっこいいと思うのですがいかが。
587吾輩は名無しである:02/08/28 08:47
同時代に生きれる歓び
588吾輩は名無しである:02/08/29 04:12
この人なんで共産党と決別したの?
589吾輩は名無しである:02/08/29 06:37

>>587

 「ら」抜きにせられる罠(笑
590吾輩は名無しである:02/08/29 18:42
もし福田の作家の値打ちにでてたら大西氏は300点ぐらいでしよ
あの本て大西氏をはずすことで成立してるようにしか見えないよ
591吾輩は名無しである:02/08/29 18:49
大西って巨人だった?
592名無しは僕である:02/08/29 23:55
>>586
ありがとうございます。それらの本も探してみます。
あの鋭い眼光はカコイイ! 迫力ある写真ですね。
593名無しさん@まいぺーす:02/08/31 23:20
>>589
 ごく単純に言えば、宮本顕治・袴田里見・蔵原惟人らによって日本共産党が官僚主義
体質となり、非民主主義的組織に変質していったからということになるのでしょうね。
ただし、細部については、僕も知らないところが多く、これから勉強していかなければ
なりません。戦後の共産党をめぐる状況は、同時代の人々にとっては周知のもので、特に
説明を要することではなかったようですが、今から振り返ろうとすると、かなり分かりにくく
なっている観がありますね。歴史的文脈を見る努力が読み手に求められるようです。
594名無しさん@まいぺーす:02/08/31 23:32
 訂正です。上記の593は、588へのレスです。

>>590
 同感です。保守論客にとって、大西巨人は、厄介な存在でしょうね。
595吾輩は名無しである:02/09/03 01:30
神聖喜劇、ネットで注文したんですよ、一巻。
そしたら、なんともう品切れ重版未定とか言って、
手に入らないんです。品切れ早すぎません???
596吾輩は名無しである:02/09/03 01:33
>>595
?まだいっぱいありますよ?
ジュンク堂http://www.junkudo.co.jp/index.jsp?
で注文してみなはれ
597名無しさん@まいぺーす:02/09/03 03:13
 間が空いてしまいましたが、550・553に続いて、武藤康史の大西コメント(その3)
 「大西巨人は老いたか?」(『別冊宝島88 現代文学で遊ぶ本』[JICC出版局、1989年
2月]所収)は、対話風に構成されたもの。表題にも現れている通り、『地獄変相奏鳴曲』
についての否定的見方が示されています。『娃重島情死行』について、「老夫婦が九州に
心中しに行くんですけどね……なんだかくどいばっかりで……それに心中が何か高齢化
社会の処方箋のつもり、ていうノリなんですよ」という感想は、さすがの武藤康史も、読み
切れていない印象を受けます。「大西巨人は本気で共産主義とかマルクス主義とか唯物論
的何とかを信じているわけじゃないだろうと思うんですけど。」という推測も、大いに問題
あり。『天路の奈落』をめぐって、「女主人公が強姦野郎を柔道でやっつける場面というのも
あって、それがかなり長く書いてあるんです。アクション描写をうんと丹念にしてのけてしかも
読ませるっていう小説家は大西巨人しかいませんね、今どき」と評価するユニークさは、さすが
という感じですが。ちなみに、僕は、この文章で初めて武藤康史の名を知りました。

>>595
重版までの一時的品切れ、と、前向きに考えたいですね。『日本掌編小説秀作選』の時のように、
あっという間に無くなるのではなく、常備品とすることを光文社には期待したいもの。
598吾輩は名無しである:02/09/03 04:26
>>596
あ、ほんとですね!
実は大学生協のネット注文だったんです。
生協、使えねえ・・・。
普通のネット注文だと割引がきかないので、
普段は頼まないのですが・・・
このスレ読んでたらおもしろそうなので、
思い切って取り寄せてみようかなと思います。
599吾輩は名無しである:02/09/04 23:49
ageるであります。終わり。
600名無しは僕である:02/09/05 22:19
安部公房との対談って何に入ってますかね

といいながら600げと
601吾輩は名無しである:02/09/05 22:44
安部公房全集の11巻に「芸術運動の新しい方向」というので座談がありますけれど、
それとは違うのでしょうか。読んでないので感想とかはないのですが、対談ではない
ようです。
602名無しさん@まいぺーす:02/09/06 07:11
 「巨人館」で、『深淵』第52回が、本日付でアップされています。注目されるのは、
「物語りが、だいぶん長くなったから、ここで、作者ないし語り手は、主要な作中人物たちの
氏名・生年・職業などに関する簡明な整理を以下に掲げ、大方読者の参看参考に供する。」
という断り書きと共に、20名の登場人物のデータが掲げられていることです。年代・舞台ともに
錯綜した物語を読み進めて行く上で、大変便利なことは、言うまでもありませんが、小説の
一節として組み込まれていくのが目を惹きます。語り手が大胆に姿を現わす手法は、大衆文学
のそれの応用でしょうか。大西の作品においても、初めての試みです。それにしても、こうした
措置が取られるということは、『深淵』がまだまだ続くということですかね。
603名無しさん@まいぺーす:02/09/06 07:30
>>600
>>601
 安部公房と大西巨人とは、『新日本文学』で行われた座談会において、何度か
同席しています。601さんのおっしゃるように、対談というのではないですね。
以下に、データを挙げておきます。いずれも、『安部公房全集』に収録されています。

@、安部公房・大西巨人・埴谷雄高「〈社会時評〉ハンガリー問題と文学者」
 (『新日本文学』1957年1月)
A、安部公房・大西巨人・関根弘・埴谷雄高「〈社会時評〉共産主義と文学/
 日本共産党批判・新日本文学会批判」(『新日本文学』1957年2月)
B、安部公房・大西巨人・武井昭夫・針生一郎「芸術運動の新しい方向/批評
 精神の組織」(『新日本文学』1959年11月)
604名無しは僕である:02/09/06 21:22
>>601>>603
ありがとうございます!座談、ですか!座談座談座談座談おぼえました!
埴谷とも話してるんですね。全然知りませんでした。
安部公房全集あたってみますよん。
605吾輩は名無しである:02/09/08 21:15
2度目の「神聖喜劇」読書中です。
このスレ見つけて、喜んで読みました。
疲れたとき「春秋の花」を適当に開いては数ページ読むのも楽しみにしています。
606吾輩は名無しである:02/09/08 22:40
具体的に言えば、体が弱くて理屈に長けたいじめられっこタイプは
学校でいじめられてる時に、革新=理想の体現者たる学校が
何もしてくれなかった ってトラウマがあると思われ
607名無しさん@まいぺーす:02/09/10 20:30
 武藤康史の大西コメント(その4)
 「国語辞典の利用者の系譜」(『岩波講座 近代日本文化論3 ハイカルチャー』
[岩波書店、2000年3月)は、武藤氏の主フィールドの一つ、辞書史の考察の一つです。
『言海』・『広辞林』・『広辞苑』などの主要辞書の交代の推移が、文人や著名人の
証言から、詳細に跡づけられています。大西の名は、『広辞林』使用者として、登場
します。『遼東の豕』の「藤井真次先生」が引用されて、『広辞林』が昭和初年代、
学校の使用図書として使われていたことを明瞭に告げる証言とされています。
 それにしても、ここで挙げられている資料の豊富さは、まさに武藤氏ならではのもの。
自らの読書量の乏しさが顧みられます。

 光文社文庫版『神聖喜劇』第三巻が出ました。作品の基底にエモーショナルな層を
指摘した保坂和志の解説も良いですね。
608吾輩は名無しである:02/09/11 06:51
解説が阿部、保坂と今回の文庫化はどちらかと言えば若者向けの感じもしますね
いいことだと思います
でえーとたぶんこのスレで出てないと思うのですが、
渡部直己の『日本近代文学と<差別>』に大西巨人の『神聖喜劇』が取り上げられてます
ずいぶん前に読んだきりなのでうる覚えですが、たしか野間宏の『青年の環』との対比で語られていたような
野間がその作品の構成の律儀さや弁証法的な発想において
水平社が八紘一宇っぽい方向に行った差別に対する融和化とも言える、差異を隠蔽する方向に行ったのに対して
表象の過剰さがスゲーと、過剰な引用とか。
・・・と馬鹿なので自分で書いててわけわかりませんが、そんな感じだったと思います
609天狗堂主人:02/09/16 04:10
 質問です。大西巨人年譜というのはこの世の中に存在するのでしょうか。どなたか教えていただけませんか。
610吾輩は名無しである:02/09/16 07:06
大西阪神
611吾輩は名無しである:02/09/16 23:12
大西中日
612名無しさん@まいぺーす:02/09/17 00:34
>>609
 大西巨人の自筆年譜というのは、どんな形であれ、存在しないようです。「巨人館」
の紹介も、文面からすると、そうではないように感じられます。本人として、明らかに
しているのは、『春秋の花』の巻末に附せられている「大西巨人主要著作目録」のみです。
他の人がまとめたものとして、僕が知っているのは、『『神聖喜劇』の読み方』の著者
大高知児氏が1992年6月6日に行われた昭和文学会の春季大会・大西巨人特集で口頭発表
した際に配布した「大西巨人略年譜(附著作目録)」と愛知の運動家で、大西巨人について
の論考のは発表もある岩田光弘氏の作成した「大西巨人・著書・著作・覚書」との二つです。後者は、
は、年譜の中には入らないので、そうすると、大高氏のものが唯一となります。いずれに
しても、公刊されているものではありません。伝記的事実をみだりに明かさないというのは、
大西巨人にとって一つの姿勢であり、自筆年譜というのは、今後もありえないように感じ
られます。でも、網羅的な著作リストは、正直あるとありがたいですね。
613吾輩は名無しである:02/09/17 02:01
大西ヤクルト
614天狗堂主人:02/09/17 03:18
名無しさん@まいぺーす様。
ご教示ありがとうございます。大西巨人は、どうやら飛び級で中学に進学しているようなのです。
大高知児氏のレジュメ年譜、いつの日か手にしたいと努力してみます。
615吾輩は名無しである:02/09/17 03:31
大西広島
616吾輩は名無しである:02/09/17 09:26

 大西巨人と自筆年譜というのは、なんともそぐわない感じもしたりとか。

 井上光晴を取り上げた原一男の映画「全身小説家」中で暴かれてゆく井
上自身の虚構に満ち満ちた「年譜」が想起されたりして。大西自身はそう
いう読み嵌め=当て嵌めをするな、とは言うものの、『三位一体の神話』
におけるホモ=メンティエンスは、明らかに井上を彷彿とさせるし、そう
いう点では、なんとはなしに巨人に「自筆年譜」は似つかわしくないかな
あ、などと思ったり思わなかったり。
617吾輩は名無しである:02/09/17 09:30

 新刊の解説は、阿部・保坂と続いているけれど、これはあんまりじゃない
かと思うのは私だけかな。正直言って、いくらなんでもこれはないんじゃな
いか、とさえ思った。せめて、スガとか渡部あたりにやって欲しかったと心
の底から思う。あと、政治学者の姜尚中も以前『神聖喜劇』に関して言及し
ているのを見たことがあるので、社会科学者の視点から、ということで彼な
どにもやってもらえれば、と思ったりもする。
618びっくりしたなぁモー娘。:02/09/17 12:47
>>617
阿部・保坂が渡部より下だとは思わないけど。
なんで駄目なの?
スガよりは格下だけど。
阿部ちゃんはエッセイ超下手だけど解説も下手なの?
政治には詳しい人みたいだけど。
I.P.の登場人物って歴史上の人物から名前借りてきてるらしいし。
619吾輩は名無しである:02/09/17 18:33
>>617
に少し同意
阿部・保坂だったら渡部のが段違いに小説についてくわしい。
阿部なんか話にならない。
620吾輩は名無しである:02/09/17 21:01
大西ダイエー
621吾輩は名無しである:02/09/17 23:01

>>619

 俺も。大切なものが汚された思いがした。
622吾輩は名無しである:02/09/17 23:07
>I.P.の登場人物って歴史上の人物から名前借りてきてるらしいし。
それだけで政治って言われてもねえ(苦笑
新作も大西のパクリのようだし。ほんと、いいかげんにしてほしいね。
623吾輩は名無しである:02/09/17 23:21
だんだん中上スレの匂いがしてきた。
624吾輩は名無しである:02/09/17 23:23
あー、出張うざw
625吾輩は名無しである:02/09/18 22:22
616で「三位一体の神話」が井上を彷彿させるとあるが、実際同じ意見を他でも読んだことがある。
しかし、と皆さんは思いませんか。あの登場人物に対して、井上光晴を対置させることは、あまりにも(故人であろうとなかろうと)侮辱的言辞なのではあるまいか、作者大西はなにか遺恨でもあったのか、ということにもなりはしないか、と。
626吾輩は名無しである:02/09/18 22:29
阿部、保坂の解説良かったよ。
はっきり言って、柄谷一家(奴らのことだ)には中上作品を自分勝手に歪曲した
という前科がある。中上が批評の後追いをしていた部分もあるけど。
大西巨人はあの連中に汚してほしくない。
627吾輩は名無しである:02/09/18 22:31
(ラパイッチ! がこのスレにいる・・・)
628吾輩は名無しである:02/09/18 22:39
>>627 ラパイッチってなに?なんぼなんでもわけわからないぞ
629吾輩は名無しである:02/09/18 22:51
大西横浜
630吾輩は名無しである:02/09/19 19:36
大西オリックス
631吾輩は名無しである:02/09/19 19:46
大西オリオンズ
632吾輩は名無しである:02/09/19 19:52
大西千葉ロッテ
633吾輩は名無しである:02/09/19 19:53
大西日本ハム
634吾輩は名無しである:02/09/19 21:55
626は「批評家」の口真似ぽい

635吾輩は名無しである:02/09/19 22:08
[批評家」っていう小品でもあるのか?
636サッカー選手:02/09/19 22:13
ラパイッチ! がこのスレにいる・って、どういう意味?
詳しく説明して!
637吾輩は名無しである:02/09/19 22:17
ほんとほんと。説明スレ。説明すれ。
638吾輩は名無しである:02/09/19 22:49
サッカー選手さんどうもありがとう。グーグルで検索したらラパイッチの意味だけはわかりました。
わかってみると、口からでまかせなんだろうと思われ、いちおう胸のつかえがおりました。
639吾輩は名無しである:02/09/20 01:06
>>638
今はなき文芸文庫スレで熱く大西復刊を語っていたコテハン。
仙台でのWC観戦をそれとなく自慢し、
戻ってきたらHNを変えた痛い奴。
640吾輩は名無しである:02/09/20 01:12
頼む、他でやってくれ。
ROMの気にもなってくれ。
641吾輩は名無しである:02/09/20 01:35
自筆年譜は必要ないのはいうまでもないのだが、「神聖喜劇」の何章執筆時に世の中ではどんな事件が生起していた時代であったか、それくらい推定できる資料が存在してもよさそうだがどんなものだろうか。
これだけ、文学部教授、助教授、講師、評論家諸氏がいながら誰もかいてないの?
実はあるのなら、素直な意味で教えて欲しい
642吾輩は名無しである:02/09/20 01:47
>>639
それではっきりわかった。しかしそれならラパイッチがいるっていうのはたぶん妄想です。
どの部分でそんな思いつきがうかんだものやら。馬鹿馬鹿しい。
643吾輩は名無しである:02/09/20 21:36
大西西武
644吾輩は名無しである:02/09/21 21:24
大西近鉄
645吾輩は名無しである:02/09/22 09:55
精神の氷点買っちゃったよ
アレナスの夜明けのセレスティーナとどっち買うか迷い大西氏にした。
今読んでるけどやっぱおもしろい。
薄いわりには2200円だから迷ったんだけど、よかったと思う。時期に絶版になりそうだし
一文一文ふか読みしたくなるところが多い。
646吾輩は名無しである:02/09/22 12:42
精神の氷点といえば、神聖喜劇の東堂が明晰に自己を律しているのに対し、精神の氷点のほうは、かなり退嬰的になっちゃてるよね。
ところで、実際に(たとえば大岡昇平や古山高麗雄のように)大西には、内容はともかく従軍期間、配属場所は相似的体験があったのだろうか。
647名無しさん@まいぺーす:02/09/23 23:24
>>646
経歴面で、東堂太郎や水村宏紀と大西巨人とが重なることは、あるでしょうね。軍隊経験
についても、事情は同断(大西巨人風)。ただし、その事実は、事実として、作品の読み取り
や自律性には、いささかも影響しないというふうに考えます。作者自身は、無用な詮索を
避けるため、軍隊経験については、なるべく語るのを控えているようですね。その禁欲的
態度が、変に勘ぐられたりすることもないわけではないようですが、それは、作者の責任
ではないでしょう。
648吾輩は名無しである:02/09/23 23:45
かんぐっているのとは違うよ。かんぐる奴は馬鹿。読者の立場からすれば、どういうふうに作ったか、知りたいその資料がほしいだけのこと。
作者本人が語る必要はないことは大前提。
649名無しさん@まいぺーす:02/09/23 23:58
>>648
言葉たらずですみません。もちろん、646・648さんが、そうした人であるとは
毛頭思っておりません。
 『神聖喜劇』の時代背景、成立過程は、いずれも考証の対象として重要です。
にもかかわらず、『『神聖喜劇』の読み方』以降、そうした仕事が現われていない
ことは、嘆かわしいと言えます。大西巨人を論じる研究者がいない現状は、近代文学
研究の偏りを如実に現わしているようです。
650648:02/09/24 00:11
そうそうまったくその通りなのよ。追加で書こうとしたこと、書かれちゃったね。
およそ大学の研究というのは、重箱の隅をつついてその集積のはてに社会に大きな貢献をするのが本領のはずなのだから、
初出誌から探っていってきちんと著書にまとめる研究者の一人や二人でないってのは、あまりにもおかしいな。
卒論としても、意義深いではないか、おまえがやれなんていうなよ、サラリーマンはそんなのやらない。やるならそれこそ作品プロパーで深読みを楽しむだけ。
651吾輩は名無しである:02/09/24 11:16
やっぱり「怖い」のかね 研究者になる勇気がないのかしら
652吾輩は名無しである:02/09/24 23:57
大西巨人優勝おめでとう
653吾輩は名無しである:02/09/25 07:14
確かに、阿部、保坂って、この人選の意図は何なんだ?
この文庫を決定版にするって、著者自身いってるのに。
一巻のように、これまでの大西に対する文章を、できるだけ
掲載するようなものにして欲しかった。
今度は柄谷が出てきたりして。装丁とか結構気に入ってるんだけどなあ。
止めて欲しい。
654吾輩は名無しである:02/09/25 07:19
1巻では、いろんな立場の人が寄稿してんのにね
今でも、さがせば以外な作家が愛読してるかもしれん。
そういう人にたのめれば
655無名:02/09/25 10:01
全くの素人ですが、ここを眺めながら「神聖喜劇」を読みました。
大西巨人の軍隊経験にも興味がありますが、これが実際に執筆された時代に興味があります。
政治的に大きな動きがあった時代なので、どこの章が何年のいつ頃の執筆にあたるのか。
これは、研究者ではなくて、編集者でも分ることですよね。
影響があったかなかったかは憶測になると思いますが、どんな事件があったかなどは
知りたいです。
具体的な執筆年月日は、時間がたつと分らなくなってしまうものではないかと
不安もあるので、今のうちに明らかになって欲しいものです。
656吾輩は名無しである:02/09/25 14:24
>>651 655の言うとおり、怖いようなレベルの研究じゃないんだよ、めんどくさいからやってくれ、ってだけのこと。
「怖い」それをいうなら、研究者じゃなくて文芸評論家とか作家だろう。ここでいってる程度のことは手間ひまの問題でプライドの問題にはならないくらいのことわかんねぇか。
ひまさえありゃ、人の足すくってはづかしくないのかね。
657吾輩は名無しである:02/09/25 14:42
巨人優勝age
658吾輩は名無しである:02/09/25 21:22
>>656
なんかずいぶん偉そうですな・・・いや、煽りにあらずスマソ
僕が思うに神聖喜劇の時代との対応表つーんですか、
それをいったんやっちゃうと、それだけじゃ済まなくなっちゃうんじゃないかと
必然的に深いところまで行くしかない、みたいな
個人的にやる分にではいいんでしょうけど、どっかに発表するならば、
それだけ?もっと深く行かないの?ってなりそうじゃないですか?
だからまあ興味があれば自分でやるしかないんじゃないでしょうかね。
逆に言えば、深くて長い大西論を誰かが書けば、必然的にそういうのも出てくるでしょうけど
659吾輩は名無しである:02/09/25 22:19
>>658 えらそうに読める理由をはっきりいってやろう、気がつかないようだから。
651の言い草を軽蔑して書いたからだ。この低脳が、という気持ちがえらそうにさせた。
651を読んでみろ。「怖い」からやれない、というのは普通はためにする挑発だろう。
このほっかぶり野郎が。だれでも、品性低劣なやろうに対するときはえらそうになるものだ。

660吾輩は名無しである:02/09/25 22:29
>>658 「それだけ?もっといかないの?」とオカメハチモクでいう神経がすでにいやらしいな。
夜郎自大とはこのことだ。
661吾輩は名無しである:02/09/25 22:45
660のいうことももっともかも。スポーツ解説者にもっとうまく解説してくれ、と言った人におまえがやれといっているようなもんだ。
662吾輩は名無しである:02/09/25 22:54
>>659
ほっかぶり野郎って・・・普通にわかんなくて疑問に思ったんですけど・・・
↑三つ自演ぽいし・・・
663吾輩は名無しである:02/09/25 23:35
>>泥棒や放火魔が、おれしらねぇよって、逃げることをほっかぶりとかほっかむりとかいうんだよ。
物知らないな。
664663:02/09/25 23:47
>>662 実際にあったら殴ってる。このスレには二度と来ない。軽い話題に対し「怖いのか」とは二の句がない。 
665あまり効き目のないなだめマン:02/09/26 00:37
まあまあ、みんなの言うことはぜ〜んぶもっとも!
666通りすがりの野次馬:02/09/26 00:43
「怖いのか」......「怖い」にきまってるでしょうが。
特に、対象が「大西巨人」となると..........
もし、変なこと発言して、大西巨人の逆鱗に触れたとしたら........
大西巨人によって完膚なきまでに叩き潰されるという、「栄光」と悲惨........
あー、「怖い」
667吾輩は名無しである:02/09/26 01:04
>>666
「666」だもんな。そりゃ恐ぇわ。
668吾輩は名無しである:02/09/26 07:47
>>659>>651に対してエラソーなのは理由が書いてあるが、
なぜ659は>>658に対してもエラソーなんだ。
軽蔑してる対象に対して(651)エラソーでも、
659のレスは658に対するもりだろ。658も軽蔑してるのか?矛盾してないか
669無名:02/09/26 10:54
あ〜、何か言い合いになってますが・・
煽り以外はホントにみんな正しい。執筆中の時代背景と照らし合わせると、
触りだけでは済まなくなるのはもっともです。それに著者が生きている間は生半可な分析は
怖くて出来ない。
でも、30代板にも書いていた人がいるけれど『神聖喜劇』を読んでしまうと、
自分の日々の生活態度さえ問い直さなければならない位深い部分で影響されてしまう。
だから、どんな時代背景で何を感じながら書いていたのかはすごく興味があります。
もちろん、時代背景の変化に左右されない普遍性があるのは言うまでもありませんが。

670吾輩は名無しである:02/09/26 10:57
その30代版のスレしりたい
おしえてください
671無名:02/09/26 12:20
http://natto.2ch.net/test/read.cgi/middle/1014978614/l50
「今日読んだ本を報告するスレッド」です。sage進行で皆さんひっそりやってますので
煽り厳禁でお願いします。
672吾輩は名無しである:02/09/26 12:23
>>671
それをあげて書き込むとは……判断に難しいなw
673吾輩は名無しである:02/09/26 12:25
>>671
ありがとうございます。ロムオンリーにします。
674645:02/09/26 12:51
精神の氷点読了して今2度目でわからん漢字いいまわし辞書ひきつつ精読中です。
気づいたのですがp6からp7にかけて1文で20行も費やしてますね。
B29の爆撃の描写ですが、ここが冒頭のハイライトかなと思いました。
語彙の豊富さはさすがですね。読んでて、神聖喜劇は2巻の途中までしかよんでないですが、
こっちのが美文的というんでしょうか?そんな感じがします。
ほかにp12にちゃんと括弧をつけて「年寄りの冷や水」という二十一世紀前夜祭の中の題と同じ
ことばがつかわれてますね。
p147で「彼の精神ならびに肉体であつた物質」といってますね。肉体は物質じゃないのか
とか思いました。なるほどと。
虚無と実践の関係もきになります。
大西氏の以後の文業はまさに実践を感じさせもします。

675吾輩は名無しである:02/09/26 13:23

 精神の氷点は、出た時にすぐ買って読んだ。もちろん、最近復刊され
た後、ってコトね。それ以降ずっと疑問に思ってんだけど、確かにこの
作品は大西の処女作であり重要な位置を占めるとは思うんだけど、しか
し、フィクション中の時代背景から見たら、この作品の中に描かれてい
る主人公は、神聖喜劇中の東堂の戦後の姿であり、ようやく一匹の犬か
ら積極的な生への意志を獲得した男が、復員したらこのようなざまにな
ってしまうのかー、と唖然とした記憶がある。こういう読み方は邪道な
んだろうとは思うけれども、それを差し引いても、無目的にああいう殺
人をするなんて「昨今の少年事件かよ!」と思ったりもした。

 だいたいにおいて、大西の作品は全部読んだことあるけど、フィクシ
ョンに限って言うなら、神聖喜劇は屹立する孤峰で、あとのは遙かにそ
れには及ばない一風変わった小説群に過ぎないように思われる。

 言い過ぎ?
676無名:02/09/26 13:56
>672 ただのsage忘れです。気になさらないで下さい。

>673 あ、どうぞ書き込んでください。くせのあるおじさんたちですが
どういうわけか、あそこはあまり荒れないので、というか煽りは放置されてます。
677658=662:02/09/26 21:39
>>668
言いたいことを言ってくれてありがとうございます
そうなんですよね・・・
しかも>実際にあったら殴ってる。このスレには二度と来ない。
って電波なんでしょうかね?
「怖い」とカキコしたのは僕ではないし、勘違いしてるのかな?
まあいいか。>>1さんが頑張ってらっしゃるスレなので、やめときます。
678fishman:02/09/28 08:28
先日とある場で、『神聖喜劇』を150字で言い表すという、無謀な
試みに取り組んだ。あえて、「戦時下」という特殊な時間区間を無視し、
複数の言葉が交錯する場という側面を強調してみた。

確かに作品が書かれた時代背景その他、この作品にまつわる基本情報は
まだまだあってほしいと思う。しかし、その前に小説作品としての評価が
しっかり為されていないのは、寂しい限りだ。それはこの作品が
有名か、否かという問題とはまるでかけ離れた問題だ。

例えば、「剃毛」の場面。この場面について積極的に言及されたものは、
このスレの上の方でJPBさんが触れた部分ぐらいしか目にしたことがなく、
渡辺直己にいたっては、「これは相当変な場面なんです。」と括るのみである。
この場面が、心中の影絵として、本来崇高かつ痛切な場面となるはずであるの
に、何とも捕らえどころのない笑いを誘う場面となってしまうのは、必ずしも
あるべきところにあるべきものがないという視覚上のイメージ操作によるもの
ではなく、痛切さ崇高さに向かってするすると伸びる地の文に、「のっぺらぼう」
だの、ある「特効薬」広告の極り文句など、まるでその場に似つかわしくない
複数の言葉が差し挟まれるからに他ならない。

結局このスレの中では同じことしか発言していないようにも思うが、
そのような言葉の葛藤を抜きにした『神聖喜劇』論に、私はそれほど
期待しない。
679名無しさん@まいぺーす:02/09/29 22:56
 最近のレスを読んでいると、阿部和重の『神聖喜劇』解説に不満な人が多くて、意外な
感じを持ったりしています。どうやら、光文社文庫としては、比較的若い世代の人を中心に
解説を依頼しているようです。それは、とにかく、阿部の発言は、『神聖喜劇』に影響を
受けて、創作を行う人がついに現われたということで、意味深いなと思っていたのですが、
そうでもない方もいらっしゃるようですね。具体的な批判を聞かせていただけるとありがたいです。

>>678
歴史的文脈を全く知らなくても、感動することができ、歴史的文脈を知れば、感動を新たにする
ことができる−−、『神聖喜劇』(ひいて大西の作品全般)の魅力は、そのようなものとしてあります。
例えば、東堂がマルクス主義的グループに属していたために官憲の取調べを受けながら、冷静に対応
している場面はスリリングであり、それだけでも主人公の精神的強さを印象づけます。加えて、湯地朝雄
『戦後文学の出発』を読むと、官憲の圧力に屈することのなかった東堂が、しかし、自らを決して非転向者
として位置づけることがなかったことが、いかに希有なことであったかが確認でき、なお、感心させられる
といったことがあります。僕が、歴史的背景などをきちんと知っておきたいな、と思うのは、
例えば、こんな時です。好事家的な考証は、不必要か、もしくは無意味でしょう。
 『神聖喜劇』のエクリチュールの多様性は、まだまだ解明されていないところが多いように
感じられます。他の作品にはあまり見られない、心象風景の提示や自然描写の部分も気には
なっていますが、どうもうまく説明できない部分であるようです。
680fishman:02/09/30 03:34
>679 名無しさん@まいぺーすさん
少し切り口上になってしまいましたが、名無しさん@まいぺーすさんの
論旨は十分把握しているつもりです。ただ、東堂の「原理」や、
エクリチュールの生成過程をしっかり踏まえれば、どのような
状況の中でも、『神聖喜劇』的「闘争」は可能だという気がす
るのですね。

そのような論旨でいうなら、安部和重には積極的な評価を
与えられる部分が生まれてくる気がするのです。彼が
『神聖喜劇』の中に見ている可能性は、あからさまに
方法論の部分にあると思いますから。

作品の中の方法論の部分だけを摘み取ること。
それをありとするか、なしとするか。
そこは評価の分かれるところでしょうね。


681くつひも:02/10/02 05:33
大西赤人さんのスレって、2chにないみたいですね。まだweb見ただけですが、
何か気になってます。親子でも、一緒じゃないんですか。えっ?
親子ドン食わせるんじゃねぇっつーの?!
682ohnishi konishi:02/10/02 14:43
大西若人って人が新聞記事書いてるけど、この人も巨人のこどもなの?
683吾輩は名無しである:02/10/02 18:33
赤人氏は息子さん
大西親子のホムペに昔掲示板が会ったが
赤人氏を批判しまくりの奴に荒らされ(?)て終了
俺もちょこっとしか読んでないからくわしくは知らんけど
大西HPの掲示板とかって良心的にいけそうなんだけど、それでもああなる
難しいっすね
684くついも:02/10/02 18:36
□大西 巨人(おおにし きょじん)
1919年福岡市生まれ。九州帝国大学法文学部中退。毎日新聞西部本社勤務を経て、
対馬要塞重砲兵連隊の一員として敗戦を迎える。戦後、福岡で雑誌『文化展望』の
編集に当たり、『近代文学』第二次同人となる。48年、『精神の氷点』『白日の
序曲』を発表。52年、上京。以後、幅広い創作活動を続けている。
□大西赤人
1955年東京に生まれる。中学2年生の夏にショート・ショート「計画」で執筆を開始。
16歳で第一創作集『善人は若死にをする』でデビュー。
□大西若人 〈Onishi Wakato〉
一九六二年京都生まれ。八六年東京大学都市工学科(都市デザイン研究室)卒業。
八七年同大学院中退後、朝日新聞社入社。宮崎支局、西部本社(福岡)学芸部を経て
、九四年より東京本社学芸部。現在美術、建築などの分野を執筆。
------以上---------------------------------------------------------
おじいさんとお孫さんたちかもしれないっす(w
685くついも:02/10/02 18:39
>>683
あ、ねっ!
686吾輩は名無しである:02/10/02 22:25
>>684
前から気になっていたが、大西若人は巨人の子供(息子)じゃないんじゃないの?
精査キボン。
赤人さんの弟さんには、野の人さんがいる。
687くつひも:02/10/03 00:47
□大西巨人:52年、上京
□大西赤人:55年東京に生まれる
□大西若人:62年京都に生まれる

赤人さん6才のころ、巨人さんは京都・先斗町に豪遊。そこの芸者Aさんと巨人さんの
間に、若人さんが生まれた。82年春、突然Aさんから巨人さんに手紙が届く。そこに
は、かつての情交によって男子が生まれたこと、その子「若人」が東大に合格したの
で陰ながら力になってやってほしい、などと清い字体で書かれていた。
そこで巨人さんは…、とかなんとかでしょうか? 
違うでしょうね、やっぱり
688くつひも:02/10/03 01:48
じゃ、写真判定の線もいってみましょう。

□大西若人
http://www.japandesign.ne.jp/HTM/JDNREPORT/010919/yesno/index2.html
□大西赤人
http://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/keireki.htm
689くつひも:02/10/03 01:52
わからないよ…
ところで、「大西」さんっていう有名人、いっぱいすぎません?(w
690吾輩は名無しである:02/10/03 02:12
いづれ図書館で確かめてみようとは思っているのですが、もし知っている方がいらっしゃったら、ご教示いただきたい。
神聖喜劇「朝の来訪者」の章で引用されている芥川の「骨董羹」という文章というのは、芥川の全集に所載なんですかね。
かつて全集を持ち、いま遠方の実家に置いたままであり、記憶がないので、忸怩たる思いもまじりつつ、うかがいます
691吾輩は名無しである:02/10/03 02:13
どの全集だ?
692吾輩は名無しである:02/10/03 02:15
>>690
四巻。つーかここで訊くなよw
693好事家:02/10/03 02:58
>>まいぺーすさんヘ つかぬ事をうかがいますが、あなたは1960年〜70年にかけて大西巨人がどんな文章を書いていたのか、興味はないのですか。
一体神聖喜劇の何章は、現実社会でどんな争点があった、そのさなかで書かれた物なのか、おもいもしませんか。

694吾輩は名無しである:02/10/03 03:04
>>691 692あまりにワンパターンの反応。芥川スレに聞いてもむしろ唐突であり、文章を長々と作品を通して読んだ諸氏のほうが思いだしやすいのかと思ったのだが。
695吾輩は名無しである:02/10/03 12:16
もし690=694ならば、あんたは最低ですね。
692は四巻にあると教えてくれている。
ご教示いただきたいと書いておきながら
あまりにワンパターンとは何なのでしょうか。
696くつひも:02/10/03 22:40
玉を入れ、慎重にはじく。キラめく期待に舞いあがる。しかし結果はチップしだい、
もろくも結果は予期せぬものに。切れた。こぶしを固めてオレは打つ。飛び散るガラ
ス、別室に連行されるオレ。…質問者の困難によせて  φ(..)メモメモ
697吾輩は名無しである:02/10/04 00:06
オール巨人
698:02/10/04 02:26
さがってるぜ…
699吾輩は名無しである:02/10/04 02:43
いうてもせんないことながら、たぶん結論はでるまいが、東堂の唖然とするような記憶力は作者本人とほぼ同等なのだろうか、それとも、やはり作者は資料にあたりながら書いているのかなぁ
資料にあたりながらにせよ、どんなことが書いてあったのかは記憶しているわけだ.
それとも東堂と同じ年齢時にあんな記憶をもっていたんだろうか、大西さんは。
700吾輩は名無しである:02/10/04 02:54
まず「他のスレできけ」がワンパターン。よくあるセリフ、どこの全集てのも、きいたふうなせりふだが、もちろん一番充実している例の出版社のに決まってる。
だからワンパターン。先学に期待したら、あほが食いついた。
701吾輩は名無しである:02/10/04 03:05
なんでそんな偉そうなの? 教えて君のくせに。
702吾輩は名無しである:02/10/04 03:06
692には礼を言うべき。
703くつひも:02/10/04 04:01
こまったジイチャン
ぼくのジイチャンと同じ、ちょーかわいい♪
704吾輩は名無しである:02/10/04 04:05
品がねぇなおまえら。
705吾輩は名無しである:02/10/04 04:22
FIShmanさんが独演会やらにゃだみだこりゃ。
706くつひも:02/10/04 05:09
大西赤人さんって、どんな方でしょう。
そのサワリでも、どなたかお話願えないものでしょうか。
707吾輩は名無しである:02/10/04 15:05
2ちゃんねるには、
「プロ固定」と言われる
給料を貰って毎日書き込みをする人物が、各板に5人から15人、います。
一人の職員は、たいてい3つ以上の板を掛け持ちします。


2ちゃんねるマガジソにて取材を受けていた人物は、
全員プロ固定です。

2ちゃんねるは、個人情報を一つのIPあたり0.01円で販売しています。
コレは、同一のIPであっても「日付毎」時間ごとに別個に販売しています。

コレは事実です。
京大みのるをさらした時、集まった人の半数以上はプロの探偵でした。
自作自演です。
「彼等は」インターネットのIPやメアド等、その情報から個人情報を割り出して
人をさらす事が、出来るのです。

2ちゃんねるの個人情報は、権力に販売されています。
「創価・公明板」 この板が存在する理由、知っていますか。
「創価に批判的な人物」の個人情報を集める為です。

嘘かどうかは貴方の判断に任せます。
ただ、「事実」です。
危険があるサイトである事を、よく認識してください。


708吾輩は名無しである:02/10/04 18:39
707のカキコは、本来無視すりゃいいんだろうけど、変なカキコだ。
ip集めても、何の得にもならんと思うが。。。。

とはいっても、2ちゃんんねるの中の情報の活用はおもしろい。
先日、文学版の現行スレを全件ダウンロードしてきて、「大西巨人」で全文検索してみた。
正直いって、大西スレ以外で大した発言がないのには、がっかりした。
江藤淳スレとロリコンスレ(!)の発言は少し面白かったけども。

コテハンでも、ちょっとだけ検索してみた。
こちらは、大変おもしろかった。
関心のある作家の単行本未収録の文章を探す気分だ。
コテハンの皆さんありがとう。これからもがんばってください。

ちなみに使用したソフトは、irvine1_0_0とSrcChkです。(フリーソフト)



709名無しさん@まいぺーす:02/10/04 20:15
>>693
 大西巨人の1960年代から1970年代にかけての文章は、『大西巨人文選』その他の
単行本に収められているもので、あらかた読むことができます。60年代後半は、『神聖喜劇』
執筆に専念していたため、他の文章が大変少ないのが目に付きます。『神聖喜劇』について
言えば、「奥書き」の「附記」のデータを参考にすると、第二部から第五部を書き継ぎつつ
あったことが分かります。
 時代状況との関連ですが、『神聖喜劇』が60年代との直接的応答の下に書かれた作品である
ようには考えません。むしろ、作品と時代との間には、ある距離が感じられます。おそらく、
原則的思考を貫く大西の立場からすれば、60年代の状況は、戦時下あるいは敗戦直後の運動の
混乱や後退の反復として、彼の目に映っていたのではないか。むろん、大西赤人の高校
入学拒否問題に関して、当局に対する見事な闘争を展開していることから分かるように、大西は、
アクチュアルな発言を続けることを忘れてはいませんが、時代の影響といったものを受けている
ようには、どうも思えません。どうも否定的な物言いに終始してしまいましたが、何か、
ご意見があれば、お聞かせください。
710JPB:02/10/04 22:21
>まいぺーすさん

唐突ですが、中村光夫の小説『贋の偶像』発刊に関わって、中村と大西の
間に少しだけ交わされた論争というのをご存知ですか?
昭和45年のことだと思います。
中村光夫全集には『批評の態度V』(全集第九巻)という形で、
かわされた応酬の中村側の文章だけが掲載されています。

私自身は『神聖喜劇』の大西、『「わが性の白書」』の中村、双方面白い
存在だと思うのですが、この両者がなぜ、(争点を見る限りだと)つまら
ないような論争を交わしたのかが疑問です。これから大西側の部分も
読んでみようとは思うのですが、中村の小説の「随員のロシア武官たちが
一斉に拍車のついた長靴の踵を鳴らして敬礼する」という場面について、
「観念的発想の落とし穴」として難詰したのかが、よくわからないのです。

『神聖喜劇』を書いた大西であれば、中村にいわれずとも、小説が虚実皮膜
の間にあるものだということは理解していましょうし、にもかかわらず、その
ような細かい点に着目したのかが腑に落ちませんでした。これから、
大西の発言の方を読んでみますが、もともと中村とは反りが合わなかったと
いうだけなのか、それとも大西の問題意識の中でそれが重大であったのか、
そこのところはどうお考えでしょうか?
711名無しさん@まいぺーす:02/10/05 00:41
>>710
 「観念的発想の陥穽」ほか、中村光夫との論争の一連の文章は、『時と無限』・
『大西巨人文芸論叢 下巻』に収録されていますが、『大西巨人文選』では読めない
ですね。そのため、最近の読者の方には、少し馴染みがないかもしれません。僕も、
中村光夫の『贋の偶像』を読んでいないので、断定は控えなければいけないのですが、
大西の主張を読む限りでは、特に中村を意識したものではなく、小説のリアリティは、
細部に宿るという主張を述べたものの一つと言えるように感じます(例えば、「経産婦
か否かの触覚による確認は常に可能であるか? その他」で伊藤整『氾濫』を批判した
ように)。当該場面の描写が非現実的であるという大西の指摘を、中村は、虚実皮膜の
論を持ち出すことで、論点をすり替え、正面から受け止めることがなかった。論争が
不毛に終わったとすれば、それは、中村の姿勢にあるというのが、僕の印象です(『わが
性の白書』の評価は、また別の問題として)。大西の文章を読まれましたら、また、ご意見を
お聞かせください。
712吾輩は名無しである:02/10/05 01:10
大西の文章、すべて文選2に収録されていますよ。
713fishman:02/10/05 01:31
>711
ん?文選2巻「途上」の中に、「観念的発想の陥穽」と
「『写実と創造』をめぐって」が収録されてますね。

ここでの大西の論旨って、すごくわかりやすいようでその実
かなり複雑なことを言っているように思います。
件の場面が現実的か否かというのは、細部描写の問題のほかに
想像の質に絡む何か別の視点を孕んでいるようにも見えます。
ちょっとまとまった言葉が浮かんできませんので、読み返して
みます。





714名無しさん@まいぺーす:02/10/05 01:57
>>712
>>713
ご指摘ありがとうございます。うろ覚えで書いて、とんでもない誤りをして
しまいました。『深淵』において、最近大西は、歴史の偽造をめぐって、隘路を
通るかのような考察を展開し、当事者の意識に関わりなく、歴史が偽造される
事例を執拗に問題視しています。大西・中村論争の隠れたテーマには、そういう
ことも含まれるかもしれません。とにかく、嘘を書いてしまったことを、深く
お詫びします。
715JPB:02/10/06 00:12
>>712さん、fishmanさん
ありがとうございました。今日確認いたしました。
>>まいぺーすさん
いえ、いいんですよ。自分で調べてみるべきでした。
今日調べて確認しましたので、ご報告まで。

論争の経緯は次のようなものでした。
大西「観念的発想の陥穽」(「朝日新聞」1970年3月19日)
中村「写実と創造」(1970・4・6「朝日新聞」)
大西「『写実と創造』をめぐって」(1970年4月21日「朝日新聞」)
中村「批評の基準について」(1970.5.21「朝日新聞」)
大西「レイテ戦記への道」(1971・10)
大西「作者の責任および文学上の真と嘘」(『群像』1973・7)
716JPB:02/10/06 00:27
それでは読んだ感想を記しますが、全体的に見て、
リアルの問題の「基本的区別」という主張において、
中村の件の文を批判したことは納得でした。少なくとも、
中村は大西の「作品に対する作者の責任の完全な無自覚」
という主張を読み取れていないですし、文学的行為が
政治的効果をもつがゆえに、「曖昧模糊たる抽象的談義の
以心伝心的諒解を読者に強要」しうる中村の表現が批判
の対象になったことは、「俗情との結託」を批評の基準
とし、「文学上の嘘」について厳密な区別を要求する
大西からすれば、一貫しており納得できるものでした。

ただ、論争中気になったのは、まず舌鋒の激しさです。
それは中村が「小林秀雄の系譜の流れにおける評論家
連」であるからなのか、厳密さゆえなのか少し解らな
かったところです。はじめから「作者の責任」の中で
述べた部分について、述べていればとふと思います。

また、中村も大西の態度は「偏狭な経験主義」であり、
それは「自分の経験したこと以外はすべて嘘と見る氏
の個人的確信」ということでもあるが、それが「我が
国の自然主義伝来の通念と結びついて一個の美学をつ
くりあげている」と述べますが、これは明らかに大西
の著作を読んでいない証左でもあります。
717JPB:02/10/06 00:39
ただ不幸なすれ違いだなと思うのは、二人がともにある種の「神話批判」
を遂行していたという事実がありながら、その対象がある種のズレになって
論争に現れているということです。まず中村は、大西を自分の批判の対象で
あった大正文学の系譜になぞらえている。同時に大西は中村を小林秀雄サー
クルの「「文壇」の女神の譜代直参気取り」の「一群」として理解しています。

確かに中村の批判というのは史伝的で、逆説的にそれが文壇内でのコンセ
ンサスとなって、批判者としての名声を得てしまったというのはあります。
ただ、実際中村の仕事を読み返していくと、日本近代批判者や論争家として
の顔以外の、「言語表現の現実」について語る人物だという理解が
私にはあります。

もしかするとその部分こそ、大西が「もっとも、その稚拙な議論それ
自体は、─そこに少なからず現存する用語の混乱、概念の混淆、文脈の
不整を私の頭で苦労して整理補正して読んで推定するに、─私もあら
まし同意しうる性質の内容を多少はもっていなくもないらしい」と
いう唯一の部分なのかもしれません。
718JPB:02/10/06 01:10
その「言語表現の現実」について中村はやや多寡を括った言い方しか
ここでは示していないのですが、例えば「「近代」への疑惑」などでは
いわゆる「近代」を「西洋化」と区別せよというような形では、している
と思われます。

最後にやや気になったのは、「作者の責任・・・」論考において、
文学上の方法として提示されている「文学上の「真」と「嘘」に
対する厳密な態度」は「現実上の『真』と『嘘』とに対する厳密
な態度から、本源的に出発し、そこで後者(文脈では<文学上
の・・・>の引用節にあたる)といったん訣別(絶縁)するけれども、
しかも両者の間には、深奥的弁証的な調和または統合または照応
の連鎖がそこはかと、あるいは隠然と、保有せられる」という
言い方が、どうしても中村の引用する「虚実皮膜の間」と
同じような抽象性をもってしまうように思います。

719JPB:02/10/06 01:11
この「同一視」は私の頭が低脳だからかもしれませんが、
「深奥的」や「隠然と」という部分はいささか「厳密」さ
に抵触する気もします。大西の主張はサイードなどにも
連なる批判力をもっているのですから、否定の契機を
常に意識しつつもニヒリズムに陥らない態度というものを
推していくほうがいいのかも知れないと思いました。

「私は、ポール・ヴァレリーのような批評家にとって想像的
抽象化や思索的一般化は思考の障害とはならず、むしろ思考を
高め、与えてくれるものであるということを思いつき、そこ
から直接学ぶことのできるエクリチュールにめぐりあった
ような気がした。ヴァレリーの批評的散文は、それが洗練さ
れているにも関わらず、実質的にはシニシズムに毒されてい
ない」(『始まりの現象』E・サイード)

これを見る限りヴァレリーを通じて、言語行為の厳密性を
つきつめていくことは可能だし(もちろん人種的偏見など
のヴァレリーの偏向は指摘しつつ)、『神聖喜劇』の東堂は
まさに、その態度を実現した人物像なのではないかと思うの
です。

すみません、長くなりました。

720吾輩は名無しである:02/10/06 02:56
ジミー大西巨人
721fishman:02/10/06 19:47
>JPBさん
長レスお疲れさまです。非常に読み応えがありました。

はじめは「リアリズムを採用するなら、基本的なデータは
きっちり揃えなさい」という程度のことかと思ったのですが、
川村への批判を通して、「文学上の「真」と「嘘」に
対する厳密な態度」は「現実上の『真』と『嘘』とに対する厳密
な態度から、本源的に出発し、そこで後者(文脈では<文学上
の・・・>の引用節にあたる)といったん訣別(絶縁)するけれども、
しかも両者の間には、深奥的弁証的な調和または統合または照応
の連鎖がそこはかと、あるいは隠然と、保有せられる」という
部分が出てきます。

これ、確かにその物言い自体は厳密さに抵触してしまうのかも
しれないけど、大西の作品に思いをはべらせば割にすっきりと
了解できる気もします。

>否定の契機を常に意識しつつもニヒリズムに陥らない態度

非常にニーチェ的ですね。何だかすっきりしてしまって、
不安です(笑)花田の諸作品を大西はどう捉えているのかと
埒もないことを考えました。

722吾輩は名無しである:02/10/07 01:27
小西小人
723名無しさん@まいぺーす:02/10/07 02:38
>>719
 レス、拝見しました。大西・中村論争については、すれ違いの印象が強かったのですが、
かすかに接点のようなものも存在したのですね。ただし、大西の言う作者と作品とを結ぶ
紐帯は、虚実皮膜論とは異質なものであるように思いました。その点、fishmanさんの読み
取りに共感するところがあります。
 それにしても、中村光夫については、無知で、彼の言語観なども注視することがありませ
んでした。『わが性の白書』は、?秀実も自然主義リアリズムとは異質の作品として推奨
していましたね。いつか、読んでみたいと思います。
724JPB:02/10/07 23:47
先日は、長文レス、失礼しました。

>fishmanさん
ニーチェというよりはむしろアドルノの『本来性という隠語』での
ハイデガー批判のノリを想像してました。

>まいぺーすさん
中村光夫が果して小林秀雄とどの程度近しいのかが、今中村を
読む上で問題なのかもしれません。基本的に中村は小林とセットで
語られますね。(三好行雄、関井光男、河上徹太郎・・・)
大西は確かにその近接を見て彼を批判しました。
それはやはり戦中の「近代の超克」座談会
などに淵源するものなのかもしれません。
また戦後も批判者でありつつも、論争相手の亀井勝一郎などと
わりに社交的な座談をしてたりして(『文芸』1956−3)、ある種
文壇の重鎮と見られてもおかしくはないふるまいでした。

大西のリアリズムというのは記述する段階で、それを正確に突き詰めて
いくことで従来の「俗情との結託」的な表現を崩し、別の可能性を
開くようなリアリズムの手法なのだと思います。

一方で中村の「虚実皮膜」は例えば『「わが性の白書」』は「・・・」で
括られたタイトルからも見られるように、入れ子構造になっている。
だから、単なる性の白書ではなくて、「わが性の白書」という書物に
対する小説だと言う意味で、リアリズムの脱臼です。
725JPB:02/10/07 23:48
確か、糸圭秀実は「中村光夫論」(『群像』1980−9?)で、
中村光夫の小説が批評の方法とは別に「私小説」的だとの
事実は見て取れる。けれども、「作家中村光夫が批評家中村光夫
とのずれをずれとして肯定しながら、その矛盾を糊塗することなく、
今日の文学の環境において言葉の積極性な磁場を開きえた」
ことは評価したいということは言っていますね。

その評価は多少ほめすぎの感はあっても、後藤明生らと
同時代の作家としての中村光夫をみるとき、別の相貌が
見えてくるようにも思われます。
私は大西と中村をいかに同時に読めるかということを考えていたので
不躾な問いを提起してしまった次第です。

それでは、失礼します。
726693:02/10/08 01:38
>>709 遅レスごめん。異論ありません。ていねいなお答えありがとう。
実はわたしが、執筆時とその時代の政治状況の対象を言って、しまいにゃ、電波呼ばわりされたのですが、わたしの本旨は、まいぺーすさんがいうように、時代の影響を受けない、その見事さ、凄さでした。

727名無しさん@まいぺーす:02/10/08 20:49
>>725
 ていねいなフォロー、ありがとうございます。戦後文学における中村光夫の位置
を定めるのは、なかなか難しい問題のようですね。これからも考えていきたいと
思います。

>>726
そうだったのですか。僕も、693さんのスタンスを読み誤っていたようです。それに
しても、中傷されて、大変でしたですね。
728名無しさん@まいぺーす:02/10/12 22:23
 光文社文庫の第四巻が出ましたが、書き込みがないですね。なので、ageておきます。
武田信明さんの解説は、悪くはなかったですが、『早稲田文学』で書かれていたことと
重なるところがあったのが、やや物足りなく感じました。時間的に余裕がなかったの
でしょうか。
729 :02/10/14 17:13
春秋の花 単行本で入手した
おもしろい。
730吾輩は名無しである:02/10/15 22:36
『精神の氷点』読んだんですけど
やっぱりこれは『罪と罰』のパロディなんでしょうか
作中に「罪」とか「罰」という単語も結構出てくるし
ラスコーリニコフが過去の英雄に憧れて殺人を犯しつつも
しかしそれがたんにセコイ失敗に過ぎないのに対して
水村宏のはなんの理由もないという。でもいろいろ深く思弁した末での殺人だとも思うし
ラストもどういう理解をすればよろしいのかと
誰か御意見を
731吾輩は名無しである:02/10/15 22:42
すっごくまじめなスレだね
732名無しさん@まいぺーす:02/10/15 23:11
 パロディと言うと、ややずれてしまうような気もしますが、『罪と罰』を
意識しているところはあるような気がします。倫理的な限界を、個人として
どこまで引き受けられるかという試みである点などは、共通しますね。ただし、
『精神の氷点』においては、戦時体制が進行し、全体主義一色という状況との
関わりが強く、『罪と罰』との相違点になっているようです。
 ラストの理解というのは、水村宏紀の突然の回心をどう受け止めるかという
ことでしょうか。志保子への振舞いが最後まで冷淡であることに、多少の
引っ掛かりを覚えつつ、僕は、あのような変化でしか、主人公の戦後はありえ
なかったと考えます。戦後の出発が即座に行えなかったことや戦時中の自己を
剔抉することが単に思弁的な問題ではないことなどを思うと、水村の歩みは、
停滞の執拗な持続の果てに訪れる啓示的瞬間という形で展開するしかないので
はないか。まだ、うまく説明しきれないところもありますが、『精神の氷点』
の締め括り方には、大西の思考の型を解く鍵が秘められているような気がします。
733吾輩は名無しである:02/10/18 11:45
>728
 確かに、第四巻目の解説が武田信明さんで、ちょっと安心しましたが、
物足りなかった。 講談社文芸文庫の後藤明生の『挟み撃ち』なんか、
とても解りやすくて丁寧な解説だったのに。
734名無しさん@まいぺーす:02/10/18 17:07
 『大西巨人文選2 途上』を拾い読みしていて、「批評家諸先生の隠微な劣等感」
に「中村先生の『人と狼』、花田先生の『泥棒論語』が、右の「批評家の小説」の
前例とは、いくらか違って、よしんばそれがかつかつ幕尻程度であったにしても、
まずまず幕内相撲の出来映えとなり、とりわけ後者にはアルファさえもつかなくは
なかったのは、とりあえず重畳であった。」とあるのに、ぶつかりました。具体的な
言及ではなく、また、留保付きではあるものの、大西は、中村の創作を評価していた
のですね。JPBさんの問題提起の重要性が、いよいよ感じられます。中村の評論・
創作を急いで読まなければ。
735名無しさん@まいぺーす:02/10/20 22:17
 734で取り上げた大西の文章は、『新日本文学』の「文芸時評」として書かれたもの
ですが、この時評は、当時相当の反響を呼んだようです。大西には珍しい戯文調で、諸家の
作品が殲滅的な批判を受けるのですから、評判になるのは当然でもありますが。反応の一つ
である、匿名評を紹介しておきます。「彼がこのごろ「新日本文学」に連載している文芸
時評は君も読んでるだろ。コチコチの石頭の、怠け者の、不毛の論理の、チンプカンプンの、
と君はいうが、ぼくはそう思わんなあ。百点方式の小説評価法の考案、「歩兵操典」的批評
スタイルの創出、「どんなベッピンさんでも尻のすは黒い」的観点の提唱、どれも独創的で
いいと思うなあ。なかでも今月の姦通論なんてぼくは出色のできだと思うがなあ。」(アーバス
ノット博士「〈ちっくたっく〉「歩兵操典」的批評/大西巨人の文芸時評」[『図書新聞』1959年
8月8日)。この時期としては珍しい、好意的意見ですね。
736吾輩は名無しである:02/10/24 00:24
ある意味匿名評ってなんてくだらないんだろう、と思った。まったく無くても良い文章というほかない。
とくにまいぺーすさんになにをいいたいわけでもないが。どんな駄文でも30分はかかるのでしょうが
何の因果であんな駄文を書いたのでしょう、あの匿名氏は。 ほめた、ほめたはわかるが。
737吾輩は名無しである:02/10/24 19:47
2ちゃんねるは別に「批評の場」じゃないよ
そんな密度を求めても無駄だよ。もともと「無くてもよい文章」で溢れる場所なんだよ
「便所の落書き」でいいじゃん。本当は煽り荒らしは嫌いだけどね
738吾輩は名無しである:02/10/24 23:26
>>737 ちがうって。まいぺーすさんの文章ではなくて、あくまでも、匿名の文のことをいったの。あなたもしかして、図書新聞読んだ事無い人?
739738:02/10/24 23:35
737さん、もうひとこといわせてね。2ちゃんはもちろん、何書いてもいいんだと思うよ。おれがいうのは、図書新聞や読書新聞や文学界にときどきでる、プロの批評家がこずかい稼ぎか悪ふざけかで書く、匿名の短文が、到底志ある者の所業とは思えないときがあるってことだよ。
740吾輩は名無しである:02/10/25 00:04
光文社の編集部に教えてもらったんだが、神聖喜劇って最初にカッパブックスで出版されて、その次に箱入りで刊行したんだってね。
これが、文学界や新潮あたりなら、当時の編集者が、神聖喜劇の原稿のできあがりのペースその他あれこれについて、思い出話の
文をどこかに発表してそうなもんなんだけどなぁ。
741吾輩は名無しである:02/10/25 00:20
ジミー大西をどうする?
まじで芥川取るかもよ。
742名無しさん@まいぺーす:02/10/25 23:46
>>738
 レス拝見しました。匿名評についての僕のスタンスは、大変適当で、いいものも
あれば、悪いものもある、その違いは、書き手の姿勢によるもので、匿名というフレーム
によって一義的にもたらされるものではないと考えます。戯評や当てこすりの役割が
匿名評に多く担わされたことは確かでしょうが、それだけが全てではないのではない
のでしょうか。

>>740
 ご指摘の通りですね。光文社の担当者も作者に影響されたのでしょうか。インタビューや
紹介記事などで、大西の遅筆ぶりに業を煮やした光文社が特注の小ぶりの原稿用紙を用意
したり、ホテルに缶詰にしたり、印税の前借を渋ったりしても、一向に大西の悠然とした
姿勢は変わらなかったというエピソードは紹介されています。
743吾輩は名無しである:02/10/25 23:46
田口検証本、本日堂々発売!
馬鹿ども買え!!
我々の印税がかかっておるのだ協力しろ!
744:02/10/26 01:09
 この無礼きわまりないカキコについてのお詫び。

田口スレの住人ですが、ランディ周辺の汚猿が、盗作監視スレの
評判を落とすためのなりきりカキコを、
あちこちのスレで乱発しています。
こちらのスレッドを無礼なカキコで汚して申しわけありません。
どうかお許し下さい。m(_ _)m
745名無しさん@まいぺーす:02/10/31 01:29
 『深淵』がここに来て、一つの緊迫した場面を迎えていますね。戯曲体への転調を
見せ、主人公と似非マルクス主義者との対決が進行中です。この手法は、『神聖喜劇』・
『天路の奈落』・『三位一体の神話』に続き、四度目の登場でしょうか。大西の現前性
についての感覚・論理を検討するには、興味深い局面と言えるでしょう。続きが楽しみ
です。
746吾輩は名無しである:02/11/01 23:07
>>745 おもしれぇ。その言い方、おもしれぇな。
747吾輩は名無しである:02/11/01 23:09
「週間読書人」インタビュー出てます。
聞き手:渡辺直己
748吾輩は名無しである:02/11/02 01:09
わっほーい。ありがとねー。
749吾輩は名無しである:02/11/02 21:56
オレはお勧めの本は何か、とよく聞いてくる後輩、いい年をしていまだにようみづから本を択び得ない、濫読もようし得ない、その後輩に、
とうとう「おまえは大西巨人の神聖喜劇5巻を読み通したら、それでもうあとはなにも読まなくていいよ、本当に読み通すのであれば、あと
は何も読む必要は無い」と言った。週刊読書人の渡辺直巳も同じ考えらしいとわかった。
いま手元にないので引用はできないのだが、カートボネガットが「青ひげ」のなかで大西とまったく同じように、アメリカの若者が、古典教
養からの引用(聖書やギリシャ神話)がまったく通用しなくなってきた事を言っている。
それからまた、思うのは、この古典教養を前提とする自己陶冶、および他者との効果的な「対話」をなしているのは、東堂ばかりではない
ということで、(正確には東堂の空想裡の)班長が、「おれも、「寺子屋」の松王丸か「先代萩」の政岡のような気色で、涙ながらに、お前を
制裁せにゃならんことになる。(4巻、360ページ)」この場面、現代ではどういう言い方になるのか、と思わないわけにはいかない。
さしづめ、漫画ビーバップハイスクールかなにかなのだろうか。しかし、確かに、この班長の引用の仕方は古典教養を効果的にコミニュケ
ーションの道具に使う典型例に違いないとすると、おそらく日本、欧米などの先進国は、高度成長の前前期かそのあたりでこの点における
可能性をすっかりおじゃんにしてしまったかの感があるのだよね。
750吾輩は名無しである:02/11/03 00:47
ドストエフスキーのおばあさんの話は
感極まるものがありました。
751吾輩は名無しである:02/11/03 02:54
しかしなんでそうなったかねぇ。芸術的な映画からエンターティメントの映画、演劇、まで、古典教養から現代文学、エンターテイメント、
漫画、ドキュメンタリー、テレビドラマまで、各層各レベルにわたって情報が膨化してしまい、共有できる情報はたかだか、最大20年のス
パンでの漫画の記憶、例えば、ドラえもんやハイジの記憶に依拠するしかなくなったのかな?
かつては極論すれば、古典しか読むに値するものはなかったのが、現代は各表現レヴェルで価値が噴出膨化して、結果的には、共通
性を信じられる場面記憶、言葉の記憶が、漫画に収斂するという奇妙な事態になってるんだよな。



752吾輩は名無しである:02/11/03 04:37
神聖喜劇、学校の近くの本屋に並んでたのを、何気なく買ってみた。

やばい、これ最高におもしろすぎる。今まで光文社の本なんて買ったことなかったのに。早く読まないと。第三巻にようやく突入。

すいません、あまりに感激したんで思わず書いてしまいました。
753名無しさん@まいぺーす:02/11/07 03:17
 747さんのご教示の「大西巨人氏に聞く(聞き手=渡部直己)/『神聖喜劇』再読/
光文社文庫版の刊行を機に」(『週刊読書人』2002年11月8日)の中で、渡部の「中野
重治にとって、『神聖喜劇』こそ、理想のモデルに見えたかもしれませんね。」という
問いかけに対して、大西が「中野さんとは、よく電話で長話しをすることがありました
けれど、実際、そのように評されたことがあり、その時は最高の賛辞だと思いましたがね。」
と答えるところがあります。中野重治が『神聖喜劇』を評価していたという話は、おそらく
初めて出たことで、出来ればぜひ文章で残しておいたもらいたかったですね。『深淵』は、
今年中に完結の予定とのことですが、本人もあまり信用していないような口ぶりです。
754吾輩は名無しである:02/11/07 03:49
大西氏は映画詳しいんですかね?
個人的にはルビッチの映画がよく作中に出てきたような・・・
気のせいかな?
755勘弁 ◆cheerzFXQc :02/11/07 03:53
『神聖喜劇』はダンテ『神曲』の直訳だね。英語だとディヴァイン・コメディ。
そういやそんな名前のミュージシャンがイギリスにいたっけなぁ。
聴きながら読んでみるか。合わねえだろうなあ。
ダンテ未読だし……。

阿部和重も『アメリカの夜』の中で触れてるね……スレ汚しになるか、この名前……。
756吾輩は名無しである:02/11/07 23:08
>>754 氏は映画が好きには違いないないと思う。ワンスアポンアタイムインアメリカのセックスシーンの主人公の行動の動機に激怒したりしていたから。
757吾輩は名無しである:02/11/07 23:19
>>755
へぇ。知らなかった。神曲読んだことある人の比較キボン
758吾輩は名無しである:02/11/07 23:33
>>757 なんでもかんでもキボンするなよ、比較するような内容じゃないんだ、そもそも。大西が読んだら唖然だろう。
759吾輩は名無しである:02/11/09 13:10
光文社文庫の『神聖喜劇』第五巻(最終巻)は11月12日発売らしいよ。
「十一月の夜の媾曳」というわけですか。
解説は、名前忘れたけど「古くさいぞ私は」とか言ってるひと。
760吾輩は名無しである:02/11/10 02:38
>>756
坪内なんとか。逍遥じゃなくて。
えええと。
ぐぐってみた。
坪内裕三。グッチ裕三じゃなくて。
761まがねなすベトン:02/11/13 17:09
みなさん、はじめまして。
偶然にここに辿りつき、ついつい760もの書き込みを(だいぶ飛ばしたけど)読んでしまいました。
まいぺーすさん、fishmanさんその他の真面目な書き込みに感動しました。
最近、わたしは71年刊の大西先生編『兵士の物語』(立風書房)を430円で
手に入れまして喜びました。
これで、私が大西巨人さんの本で、持ってないのは初期の3冊ほどになりました。
もちろん、持っているだけじゃなく、すべて一読はしてますが。
82年頃、『巨人論叢』上・下を感動して、繰り返し読んだのが、巨人先生への
私の傾倒のはじまりでした。
ところで、ついに新生の『神聖喜劇』が、全五巻そろいましたね。
正確にいうと、明日、私は五巻目を手にしますが。
多くの若者にこの本を(少々飛ばしても)通読してほしいを思っています。
762名無しさん@まいぺーす:02/11/14 00:02
>>761
 『大西巨人文芸論叢』は、ちょうど僕の大学生の頃に出版され、やはり熟読した
記憶があります。「俗情との結託」や「批評の弾着距離」以下の時評分の印象が強烈
でしたね。『神聖喜劇』ほかのご意見など、また書き込んでください。
 光文社文庫版『神聖喜劇』が完結しました。「「光文社文庫」版奥書き」ほか三種の
「奥書き」が並んでいるのが壮観です。ぜひ、常備品として、品切れしないようになって
もらいたいもの。もう早い人は、光文社版で読了しているのでしょうか。その場合は、
ぜひ書き込みを。
763まがねなすベトン:02/11/15 00:40
>まいぺーすさん
まいぺーすさんが、以前の書き込みで、(大西先生が高く評価する)森鴎外の『心中』の
良さを、誰か語って! という意味を書いてましたね。
私も、大西先生の高く評価する作品を、おおいに期待して、いくつか読みました。
たとえば、里見クの『かね』や、チェーホフの『決闘』や、岡本かの子の『金魚撩乱』やなど。
それらを、わたしは、「とても良いなぁ、さすが大西先生はすごい」と、思いました。
思いましたが、どこがどう良いのか、深くは考えないままです。
しかし、『心中』と『かね』と『金魚撩乱』には、さらにはたぶん『決闘』にも、
共通点があるように、いま感じました。
どこがどう共通しているのか? また考えて、書き込みます。
しかし、いつになることやら…。
764名無しさん@まいぺーす:02/11/18 18:50
>>763
 まがねなすベトンさん、遅いレスですが、ご高察を楽しみにしております。鴎外の
『心中』を推奨している人は、他にもいるのでしょうか。「心中」ものの情緒とは
およそ異質の散文的記述であることは、ある程度分かるものの、それ以上の踏み込みは
できない状態です。そのあたりがうまく説明できると、『神聖喜劇』の魅力を語るにも
有力な手がかりとなるような気がするのですが。岡本かの子に対する評価も、興味をそそ
られますね。『日本掌編小説秀作選』が出た時に、そのセレクションの独自さ・多様さに、賞賛が
寄せられる(篠田一士など)と同時に、疑問も出されていましたね(小沢信男など)。
大西巨人の文芸観の測量は、なかなか大変なようです。
 ところで、まがねなすベトンさんは、鴎外の愛読者でもあるのでしょうか。よければ、教えて
ください。
765まがねなすベトン:02/11/21 03:23
>> 764 まいぺーすさん
わたしは、残念ながら、森鴎外の愛読者ではないんです。ごめんなさい。
しかし、20歳頃、『青年』を読んで、とても心地よい印象を持ちましたが…。
今日久しぶりに、『安部一族』を読んで、「こりゃ、ハリウッド映画そこ退けの、すごいハードボイルドだぁ」
と、トンチンカンな感想を抱きました。大西先生は、明治9年の九州における
「神風連の乱」や「秋月の乱」や「萩の乱」の戯曲化を目論んでいると、どこかで
読みましたが、そういう大西先生にとって、鴎外の諸作品に対する「親しみの気持ち」
は、強そうだな、と思いました。
追伸 わたしは、大西巨人先生を尊敬する気持ちは、誰より強いと自負してますが、
とは言うものの、まいぺーすさんやJPBさんやのようには、頭脳は芳しくないのです。
頭脳明晰ならずとも、大西先生の偉大さはわかるという、見本のつもりの私です。トホホ。
この年末は、わが生まれ故郷の銘菓カステラでも巨人先生に送らむ。
766名無しさん@まいぺーす:02/11/22 23:07
>>765
 そうですか。「まがねなすベトン」というネームでから、あるいは、と思っただけで、
深い意味はありません。大西巨人の叙述に時々見られる非情の感じは、鴎外の歴史小説
に通じるものがあるように、ご指摘から連想しました。
 僕も、それほど頭脳明晰ではなく、大西作品をうまく語れないことを常に感じています
ので、よろしくお願いします。「まがねなすベトン」さんは、大西作品で言うと、多島県
出身ということになりますかね。
767吾輩は名無しである:02/11/23 19:41
『神聖喜劇』全五巻読了記念age
768名無しさん@まいぺーす:02/11/23 20:15
>>767
 素晴らしい。光文社文庫版で、ということですね。出来れば、コメントもお願いします。
769吾輩は名無しである:02/11/23 20:36
そんなに素晴らしいのか大西「喜劇」。
柄谷も蓮実に薦めていたな。
770まがねなすベトン:02/11/23 23:05
光文社文庫版『神聖喜劇』の解説の感想。
一言でいうと、「ガッカリした。」というのが、解説に対する僕の感想です。
「物足らない」というより、「呆れた」という方が、解説に対するぼくの評価です。
1巻所収の昔の短評の寄せ集めは、罪は軽いとしても、2巻以降の解説は、ダルイもので
重罪モノした。
解説になっていない。夏休みの中学生か高校生が、読書感想文の宿題を、
8月末になって、やっと果たしたような「やっつけ仕事」的印象を、ぼくは持ちました。
たぶん編集者の意図は、今日日の若い人とか大西巨人に無縁な人にも、この『神聖喜劇』を
手に取ってもらおうと、1巻目で松本清張、五木寛之、瀬戸内寂聴などのメジャーな
人の言葉を採り、2巻目以降も買いそうで買わない人、知ってそうで知らない人への
『神聖喜劇』の浸透をねらったように僕には見えて、工夫は感じるんだけど、
それにしても、ひど過ぎる。
まいぺーすさんが以前の書き込みで、評論家諸氏が大西巨人を語らないことに対して不満を
書いていたと思うけど、今回の解説でも、その不満は解消されなかったと、ぼくは想像します。
771まがねなすベトン:02/11/23 23:07
その理由を、ぼくのアホ頭で考えると、
その理由のおおきな一つは、やはりイデオロギーにあると思います。
大西氏は、自己の思想をマルクス主義者(社会主義者・共産主義者)と、はっきり規定してます。
氏の作品の登場人物は、主人公をはじめとして、著者が好意的に描く人物はすべて、社会主義的思想の
持ち主です。オンライン連載中の新作『深遠』でも同様です。
この事実、(ソ連・東欧諸国崩壊後ますます)反時代的なモノといわれ得るべき思想
を持つ人物を主人公とする作品を書きつづける大西氏を評論する時、評論する側が、
そういう事実を黙殺して、村上少尉がどうの、大前田軍曹がこうの、主人公の記憶力があーだのこーだの
と感想していても、ちっとも本質的・本格的な作品論には近づけないのは、当然の事と思います。
第5巻で保坂和志が、「この小説はとても論理的に作られているけれども、その論理的な構えの底を貫いているものは強いエモーションなのだ。」
と、あいかわらず気の利いたことを言っているけど、彼の作品はいつも気が利いているけど
そろそろ気ばかり利かしていないで、たまには泣き喚くか怒り散らすかしてほしいものだ、
とぼくは思うのです。
話は変わりますが、以前JPBさんが、E.サイードさんのことに触れていましたが、
ぼくも最近サイード氏を『戦争とプロパガンダ』など3、4冊読みまして、氏の
現代における知識人の不甲斐ないありさまに対する強い批判に触れて、同様の批判を
文学の世界で持続して来た大西巨人氏を自然に思い浮かべました。
(なんだかマトマラナイまま終わり)
772吾輩は名無しである:02/11/23 23:14
>>771
それはちゃんと主題を読み取れよということ?
「作品論」というのは。ちょっと違うような
もちろん近年はそういう批評はものすごく少ないし、もっとあるべきだとは思うけど
たんに方向性の違いの問題のような。
まあ今回の文庫の解説は新味に欠けるとは思うけど
大西本人もあんまり主題主義に行き過ぎるのは良くないみたいなことを言ってたような
773吾輩は名無しである:02/11/24 14:47
今回、文庫が復刊されたので『神聖喜劇』を読み返しているのですが、
引用される文献の豊富さはもちろんのこと、以前読んだときには
見落としていた細部の描写のおもしろさや、語りの技法の多様さに驚嘆
しております。皆さんのように他の大西作品やその作品世界に通暁して
いるわけではないので、もしかすると場違いかもしれませんが、素人の
立場から失礼を承知で質問してみたいことがあり、書きこみしております。
どなたかお答えになっていただければ幸いに存じます。

今回の光文社文庫の第1巻巻末に瀬戸内寂聴氏の評が載っておりますが、
そこに書かれた「この作者から女には読ませないぞと突き放されている
気がするからである」ということに関しては、皆さんはどのような印象を
お持ちなのでしょうか。瀬戸内氏はもちろん、それゆえに、「『神聖喜劇』を
読むときくらい、自分が女であると自覚させられることはない」とおっしゃる
わけですが、私はこれを読んで、なるほど、と思いました。
糸圭氏にしても渡部氏にしても、あるいは、山城氏や、今回の文庫の第2巻
以降の解説を書かれた方々にしても、男性ばかりでどうも黒々として
いる印象がある。現実に女性の読者がいるかどうかとは無関係に受ける、
女性が不在である、というこの印象はいったい何に由来するのか。
物語の舞台設定が軍隊であるからなのか、それとも、その主題によるのか、
あるいは、その主題の書かれ方にあるのか。あるいは、それ以外の何かに
よるのか。もしかすると、「俗情との結託」を自らに厳しく禁じるとともに、
他の者にも決してそれを許すことのない大西氏のリゴリズムと関係があるの
かもしれない、と、思ったりもするのですが、印象の域を出ず、まだよく
わかりません。

何やらとりとめのない文章になってしまい申し訳ありません。おたずねしたい
ことは次の2つです。瀬戸内氏の評を妥当だとお思いになるか。それが妥当で
あるとすれば、その妥当性は『神聖喜劇』という作品の何に由来するもので
あるのか。正解を提示していただきたい、というよりは、読み返している
最中なので、可能ならば、ともに考えていきたい、そう思っております。
様々なご意見をお待ち申し上げております。
774名無しさん@まいぺーす:02/11/24 22:52
>>772
 光文社文庫版『神聖喜劇』に寄せられた解説を、僕は、まがねなすベトンさんほど
否定的には見ていません。それぞれが、作品の多面的・重層的な特徴の一端を言い当て
ているところは、評価したいからです。ただし、ご指摘は、大変よく分かります。明確な
政治的立場の表明抜きに、大西巨人作品への共感を語ることは、究極的には、不可能で
あると思います。保坂和志についての苦言も同感です。確かに彼は、そろそろ気の利かない
ことへの固執を語るべきですね。

>>773
 瀬戸内寂聴の評には、あまり感心しません。作品の厳格な論理的記述の印象を語っている
のだと想像しますが、それを「女」を拒む世界と表現する意識に、何か俗なものを感じます。
瀬戸内の言葉は、カッパ・ノベルス版刊行時のものですが、はたして彼女は、『神聖喜劇』
を通読したのでしょうか。
775吾輩は名無しである:02/11/24 22:58
>「『神聖喜劇』を読むときくらい、自分が女であると自覚させられる
>ことはない」とおっしゃる

寂聴は自分の性に自覚的だよね。始終こんなこといってる気がする。
拡大解釈したって、同世代の女性の意見を代表してるかどうかも怪しい。
776まがねなすベトン:02/11/25 03:59
>>772
ぼくの粗雑で粗笨な書き込みに、コメントをありがとうございます。
「作家論」とか「作品論」とかが、ぼくの中で整理されていませんね。ごめんなさい。
大西巨人がマルクス主義者であるとかその他、大西氏についての「予備知識」をもたずに、
『神聖喜劇』そのものに対する感想や解説もアリ、だとは思います。

しかし、それにしても、『神聖喜劇』を解説した2巻から5巻の阿部和重、保坂和志、武田信明、坪内祐三の解説文では、
話し合ったかと思うほど、社会主義の「しゃ」の字も、マルクスの「ま」の字も出ないのです。
これは、けっして偶然ではなく、悪い意味での日本の文学者ないし知識人の
“政治離れ” “政治オンチ” “政治嫌い” を照射しているように、ぼくは感じます。
そして、こういう「性格解説」 「傾向解説」は、日本の文学を、豊かにはしないんじゃないんでしょうか?

今後もここに書き込みして、コメントなどもらって、自分の粗雑さを
ちょっとでも改善できれば良いなあ、と思います。よろしくお願いします。
777吾輩は名無しである:02/11/25 13:09
773さんの書き込み自体に含まれる問題意識は、 僕もちょっと気になっていたことではあり、
興味深いと思いますが、瀬戸内寂聴の文章に は反応されたお二方同様、僕も否定的です。
ただ、どうなんでしょう、『神聖喜劇』を 論じる女性がほとんど目につかないのは、
単にまだこの作品が(そしてなにより大西巨人が)よくも悪くも「マイナー」な作家とし
て流通しているということを反映しているにすぎないのではないか、と思います。要する
に「素材」がまだ読者を選んでしまう段階にあるのでは。別に傍証にもなりませんが、
文学好きの女性で『神聖喜劇』が好きな人を僕は何人か知っていますが、単純に文学好
きでありながらこの傑作を未読の人が意外なほど多い。ドストエフスキーを、メルヴィル
を「男性の文学」という人がいるとして、 それは「素材」や「書き方」の外面的印象
に過ぎず、それは作品が読まれることとは関係ないイメージとしての流通にすぎないでし
ょう。それと同じではないか、と思っています。それに、「男性の文学」が例えば、『ロ
ビンソン・クルーソー』の系譜に連なる植民地主義鼓吹的マッチョな冒険小説にジャンル
としてマイナーだという差別意識も込めて適応される場合に関しては色々と引き出せる
ことがあり、的はずれでない場合もあるでしょうけど、それだって究極的には浅はかな
見方ではないか。『バック・トゥ・ザ・フュチャー2』かで発明家のドックが「女性で
ジュール・ヴェルヌが好きな人がいるとは」と熱狂してその人と結婚する話が出てきまし
たが、優れた本であれば読み手の創造的介入(それが本来批評でしょう)でいかようにも
積極的に変貌しうるものだと思います。
778吾輩は名無しである:02/11/25 13:11
これとは別に、大西巨人が俗に言う「女性が描けない作家」ではないか、という見方も
ありえて、ご本人も、自分には現実にいない理想像しか描けていないのでは、という思い
が微弱にはおありの様子(『文選』巻末インタヴュー)。『天路の奈落』の二人の主人公
のうち一人は女性でしたが、吉本隆明がちくま文庫版解説で、『神聖喜劇』と『源氏物語』
を対比させるという議論としての当否とは別におもしろいことをいっていましたが、ラストにおける東堂と大前田の別れの場面を作者自身が評して、「まるで年ごろの可憐な娘が
黄八丈か何かの着物を着て愛人を見送っている」場面のようだ、と。一般にいい意味で
「男らしい」と思われる一方の東堂には確かに源氏の君とは違うでしょうが、女性的な側
面がある。それに、同じく「全五巻刊行三ヶ月の日に」の中で大西自身が挙げる例として、
「飲み屋「天福」の「きびきびした娘」」や「冬木の恋人」に作者自身が「ぞっこん惚れ
込んだ」といっていますが、魅力的な女性は確かに東堂や大前田の蔭で見えにくくはなっ
ていても、出現する(「底付き」の見世などもここに挙げられるでしょう)。しかし、こ
こでも仮に「女性が描けない」のが事実だとしても、それがどうした、という気はやはり
します。メルヴィルには『ピエール』のイザベルがいても大西巨人以上にやはり圧倒的に
女性不在でしょう。でも、それに文句を付けてどうなるのか、というのと同じです。

ともあれ、光文社文庫刊行で女性読者が(仮に男性読者に比べて圧倒的に少ないという事
実があるなら)増えることを祈念して、この長くなった書き込みを終わります。
779773:02/11/25 14:35
>>774
>>775
>>777
まずは私のいささか不躾な質問にお答えくださったことに感謝いたします。
775さんの「代表」の問題は少し措かせてください。そのうえで、774さんと
777さんのお二方に、さらにお訊ねしたいことがあります。お二方は、瀬戸内氏の
文章を、774さんは「「女」を拒む世界」と、777さんは「男性の文学」という
名詞で要約、表現なさっていますね。私がこだわってしまうのはおそらく、
瀬戸内氏の評のそれが「女には読ませないぞ」という言表である、ということに
由来しています。仮に「「女」を拒む世界」「男性の文学」という書かれ方を
していたなら、たぶん773で書いたような質問を私はしなかったのではないか、と
思うのです。773で私が用いた「女性が不在である」というのも真偽を問う命題で
あるというよりは、言表としてそう言われている、ということです。私のこの
言い換えがすでに不適切であることを認めたうえで、777さんのお使いになった
言葉をお借りしていえば、「素材」や「書き方」、というより、その両者の関係が
「女には読ませないぞ」という言表として読まれてしまうというのは、777さんの
おっしゃる意味での「女が描けない」という水準の問題ではないし、また、それを
瀬戸内氏個人の「愚かさ」や「俗情との結託」である、と切って捨てるわけには
いかないのではないでしょうか。
780773:02/11/25 14:48
そこで、以上の点に関して、774さんには「作品の厳格で論理的な記述」について
さらなる説明をお願いしたいとともに、「女」とそれを呼ぶかどうかは措いて、
何者かに「読ませないぞ」と言っているのではないか、とその「論理的な記述」が
受け取られてしまうという点についてはどのようにお考えなのかをお聞かせ願えればと
存じます。
それから777さんは、「メルヴィルには『ピエール』のイザベルがいても大西
巨人以上にやはり圧倒的に女性不在でしょう」とおっしゃるわけですが、と
いうことは、ここでの「女性不在」は物語に女性が登場するかどうかという水準
での「女性不在」ではないですよね。777さんは男性として描かれている登場
人物の女性性という論点にもふれていらっしゃるわけですが、「イザベルがいても」
成立してしまう「女性不在」についてさらなるご説明をお願いするとともに(それ
ともそれは「素材」のみに由来するものなのでしょうか?だとすれば、『神聖喜劇』
以外の大西氏の作品でもそれは言えることなのでしょうか?)、「大西巨人以上に」と
比較なさるからには、大西氏の作品にも存在するのであろうその「女性不在」が
大西氏の『神聖喜劇』のどこから生じるのか、可能な限り、具体的に説明して
いただければ、と存じます。質問ばかりになり申し訳ありません。
781シワダ:02/11/26 14:39
>瀬戸内寂聴の評には、あまり感心しません
>寂聴は自分の性に自覚的だよね
概ねお二人の意見に同意です。『神聖喜劇』に関するコメントを瀬戸内寂聴に
もとめた編集者のセンスをまず疑います。
蛇足ですが、女性の作家の意見なら、高村薫に聞いてみたいと個人的には
考えております。

確かに『神聖喜劇』の中では女性は回想の場面以外では殆ど登場しませんが、
これは、一般社会から隔離された軍隊生活を描いているからで、
当然この不自然な状態は女性へのファンタジーを増長させるので、生身の女性の不在を
強く感じさせます。これらの理由で女性がコレを読んだ時に違和感を持つのではないでしょうか。
瀬戸内寂聴は「軍隊生活に違和感を感じる」と「作品に違和感を感じる」を混同しているのでは
ないでしょうか?
(「違和感」と言う言葉は使っていらっしゃらないですが・・)
女性が『神聖喜劇』を楽しめないといったことは一切無いと考えます。
782まがねなすベトン:02/11/26 14:44
>>774まいぺーすさん
ぼくの粗雑な意見の“意のあるところ”を汲んで、好意的に読んでくださってありが
とうございます。文学は、政治のパンフレットであったりしては面白くないという意
見があり、それを口実にして、政治問題や組織問題つまりは、どこかに勤務して飯を食っ
てるぼくらが、日常的に遭遇させられる自己矛盾・「生き方の悩み」が、政治問題
・組織問題ぬきにしては解決不能であることの考察を「敬して遠ざける」文学が、
日本文学のほとんどすべてだと思いますが、犬に食われろ! って感じです。
大西氏がその文学で、組織の中の個人の生き方(行き方)やブルジョア市民社会で
の合法的抵抗の可能や限界やの考察、またマルクス主義者と言いながら、けっして
教条的でなく、あるべき人間の生き方を試行錯誤しながら探っている実践と姿勢を
こそ、作品解説者は第一に発見し、(俺には到底できない仕事だと)言挙げ称賛す
べきかと思います。
あるいは、正直に、いまだに社会主義とか革命とか言ってる化石的野暮天野郎とは
つきあいかねると、解説者は解説を断るべきです。大西巨人への共感の表明が、無
意識の打算なら軽犯罪、自覚的な世渡り、なにかへの“担保”だとしたらハレンチ
罪だぁ。(駄文極論許されよ)
783吾輩は名無しである:02/11/26 14:56
「良スレ」というか、
なんとなく言葉のインフレーションのような気が...

文学研究ってこんなにメンドウ臭いものなんだね...
784773:02/11/27 04:31
質問ばかりではやはり申し訳ないので、私なりに瀬戸内氏のような評が
出てくる理由を考察してみました。第一部 絶海の章の序曲のところに
対馬要塞重砲兵聯隊『聯隊歌』の引用があり、そのあとにこう続きます。
「この稚拙な歌詞は、対馬要塞重砲兵聯隊『聯隊歌』の二節である」。
この文章の主語が「この歌詞は」でないこと、それがまず注目すべき
ところでしょう。それ以前の部分、この序曲の書き出しの箇所は、地理的な
解説から入っており、ここの語り手は人称性が希薄という意味で非人称的です。
そうした観光地の案内や旅行会社のパンフレット、あるいは、ルポルター
ジュにも見られる「報告」という分類に属する価値中立的な文章のあとに、
『聯隊歌』の引用があり、それに続いて、語り手が価値判断の主体として
小説の前面に姿を現わします。それ以前よりは濃密な人称性を帯びながら、
でもいまだ「私」とは名指されていない語り手が現れるのです。価値中立的な
文章から価値判断を含む文章へと転換したことで、書き手と語り手の距離が限り
なくゼロに近づいてゆく。ところで、この「稚拙な」という価値判断の根拠は
ここでは示されていません。その結果どうなるか。
785773:02/11/27 04:34
この「稚拙な」を根拠なしに、あるいは、自らで根拠づけをしながら受け
入れることができる読み手、書き手≒語り手と同じ価値判断を行なうことが
できる読み手のみが、この先を抵抗なく読み進むことができる。逆にいえば、
この『聯隊歌』の歌詞が「稚拙である」と判断できない者、あるいは、しない
者はこの先を読み進むことができないか、少なくとも困難になります。ここ
には歌詞の価値判断をめぐって「稚拙な」という形容動詞を用いたことによる、
価値判断の絶対性が存在し、それが特定の読み手を排除する機能を果たしてしまう。
現在ならば小林よしのりや藤岡信勝、西尾幹二の書物の愛読者を思い浮かべれば、
そのことはよくわかるのではないでしょうか。そして「稚拙な」を受け入れることが
できる読み手は、ここですでに、書き手≒語り手との距離が限りなくゼロに近づいて
ゆき、ほとんど三者はひとつに重なり合う。
786773:02/11/27 04:37
さらに先の文章を含む段落の次の段落に「われわれ」という語が現れ、次いで
その段落から2つあとの段落に「私」という語がやっと現れる。ここに及んで
三者の重なりは書き手の「私」、語り手の「私」、読み手の「私」といった「私」
の重なりとなり、それによって「われわれ」と呼びうる何らかの集団が存在し、
そこに読み手の「私」も帰属しうるかのような信憑が成立することになります。
ところで、この「私」のあり方はジャンルとしての私小説と同じです。周知の
ように、日本の近代文学の展開において私小説の「私」は「一億一心」へと
吸収されていきましたが、おそらくそのような「私」への抵抗が、序曲のこの
箇所にはあります。「一億一心」へと吸収されることのない「私」からなる
「われわれ」を、この「稚拙な」という価値判断を通じて、書き手は創出しようと
しているのです。しかし、この「われわれ」は「一億一心」の陰画であり、双方の
集団に折衝の余地はありません。「稚拙な」という判断の絶対性が、「一億一心」に
吸収されてしまう私小説の「私」には、この小説は「読ませないぞ」という言表と
して響いてしまう。
787773:02/11/27 04:41
加えて、書き手の「私」≒語り手の「私」≒読み手の「私」となることを容易に
している要因として、序曲および第一では「私」とだけ語り手は言っていて、「東堂
太郎」という固有名詞は出てこないことがあります。第二で「東堂太郎」が出てきた
ときには、それが固有名詞であり読み手の名とは異なるにもかかわらず、彼と
読み手との距離はすでに限りなくゼロに近づいている。しかも「東堂太郎」と
いう名はどのように現れるかというと、ご存知のように「私すなわち陸軍二等兵
東堂太郎の寝台は」という具合に、「私」と「すなわち」で結ばれて提示されて
います。その結果どうなるか。博覧強記の虚無主義者であり善悪の彼岸に
ある困難な正義を求めようとする高潔の士である語り手「東堂太郎」の「私」と
読み手の「私」はほとんど一体化したまま、読み手はこの小説を読み進めることが
可能になる。この小説を読むときの愉悦の幾分かは、「この人を見よ」と言わん
ばかりの「東堂太郎」の「私」と読み手の「私」が距離をさまざまに変化させ
ながらも、読み手が「東堂太郎」のようになりたいと望む限りは、2つの「私」は
想像的に重なり合うことができるということに由来するのではないでしょうか。
さらに膨大な引用によって書き手の「私」が反復して小説の前面に出てくることに
よって、都合3つの「私」が距離をさまざまに変化させながら、ひとつになろうと
する。書き手は署名なさっている大西氏ですから、「大西巨人」の「私」≒「東堂
太郎」の「私」≒読み手の「私」という想像的な重なり合いを欲望させられつつ、
読み手はこの小説を読み進めていく。
788773:02/11/27 04:44
ここまでの分析から言えるのは、価値判断の絶対性が特定の読み手を排除して
しまうという機能を帯びる文章のあり方をめぐって、瀬戸内氏はその「排除機能」を
「読ませないぞ」という言表として聞き取ったのではないか、ということです。
そしてその「排除」される者が「排除」されることによって付与される絶対性を
瀬戸内氏は自らにとっての絶対性である「性的差異」の絶対性として「女」という
語彙をもってしか表象できなかった。それが「女には読ませないぞ」という言表と
なって、書評のうちに現れたのではないか。そう、私は考えます。「稚拙な」を含む
先の文章の文末が「である」であり、言文一致の文章であるという点からも、
「排除する者」を「男性」とみなしてしまうことは大いにありえます。
789773:02/11/27 04:48
その瀬戸内氏の評については、ここに来られる方々は総じて否定的ないしは
問題ありとの判断をなさっているようですが、777さんの指摘された「ラストに
おける東堂と大前田の別れの場面を作者自身が評して、「まるで年ごろの
可憐な娘が黄八丈か何かの着物を着て愛人を見送っている」場面のようだ」と
おっしゃっている点、、主人公「東堂太郎」の「女性性」という点を考慮に
入れると、ひとつの興味深い論点が提出できるように思います。主人公「東堂
太郎」(これは語り手「東堂太郎」とは異なることにご注意を)が物語中に
はじめて登場するときには彼はそうした「女性性」を帯びてはおらず、物語が
展開するにつれて、大前田との関係の中でその「女性性」を帯びていくのでは
ないか。そしてその「女性性」は価値判断の絶対性が特定の読み手を排除して
しまうという機能を帯びる文章のあり方の変化にも、対応するものではなか
ろうか、という論点です。まだ、読み返している途中なので、文章の細部に
ふれつつそれを論証することは敵いませんが、ひとつ言えることがあります。
それはこの『神聖喜劇』がほぼ4半世紀の時間をかけて書かれたものであり、
膨大な引用からなる「教養小説」および主人公の成長を描く「成長小説」としての
ビルドゥングス・ロマンである、ということです。第一部が書かれたのは1955年
から1960年のあいだであり、第八部が書かれたのは1977年から1980年の
あいだです。ならば、第一部の最初に見られた「稚拙な」といった言葉を用いた
文章のあり方の変化を語り手の「私」の「成長」として考えてみることは
できるのではないでしょうか。そのように考えたときに、774さんの「はたして
彼女は、『神聖喜劇』を通読したのでしょうか」という瀬戸内氏に対する疑問が
妥当となるように思います。また、先ほどの3つの「私」の重なり合いをふまえ
れば、それは書き手の「私」の「成長」でもあるはずです。だとすれば、読み手の
「私」はどうなるのでしょうか。それについては、とりあえず、読み進めながら
まずは自問しようと思います。
790773:02/11/27 04:51
長々と書きこんですみません。これからしばらく忙しくなり、質問をしておきながら
それに対するお答えに返答できない、という状態になりそうなので、はじめに質問を
してから皆さんからいただいたお答えを参考にさせていただきつつ、現時点での
私の考えを述べさせていただいた次第です。長文乱筆、どうかご寛恕を願います。
791シワダ:02/11/27 11:29
773さん
書き手の立場にたたれているような分析、頭が下がります。
私の場合はただ小説を楽しむという立場からの書き込みですので、
次元がかみ合わないもどかしさを感じられるかもしれませんが、
>主人公「東堂太郎」の「女性性」
作者のコメントも引用されて「女性性」という表現をされていますが、
果たして「女性性」が的確なのでしょうか?
手元に『神聖喜劇』が無い状態なので、具体的な引用ができず申し訳ございませんが、
大前田との関係で東堂が無条件に賞賛を覚える場面が何箇所かありました、コレを
『男色性』をイメージしましたが、いかがでしょうか?
792773:02/11/27 11:58
>>シワダさん
主人公「東堂太郎」の「女性性」という言葉を用いたのは、777さんの
書きこみ(778をご覧ください)に触発されてのことです。作者のコメ
ントを引用、ご教示してくださったのは777さんです。また、それを
「女性性」と呼ぶことが的確かどうか、ということについてはまだ
判断をしかねる状態であり、上の書きこみでは「論点」と申し上げた
わけですが、正確には「仮説」であり、小説の中の文章にそくして
確証される必要があると思っています。それゆえ読み返している
現在においては「男色性」についても確かなことは、申し上げられ
ません。「仮説」のうえに「仮説」を重ねれば、「男性性」以外の
セクシュアリティとしての「女性性」「男色性」等が物語内容、
文章形式において現れることで、セクシュアリティの多様化が果た
されており、読み手の現実のセクシュアリティから読み手を解放する
かのような瞬間があるのかもしれません。できれば、引用ないしは
当該場面の具体的な指示にもとづき、どこに「男性性」をイメージ
されたのかを示していただいたうえで、さらにそのような「男色性」に
対してシワダさんはどうお感じになられたのかを教えていただけると、
ご質問にお答えすることが、今よりは可能になろうかと思います。
また、私もただ小説を楽しむという立場からの書き込み、をしている
のであって、このように読むことが私にとっては「楽しみ」なのです。
小説を読む楽しみは複数あってよいと思います。それをどれかひとつに
縮減することは、小説をつまらなくさせてしまう。私はできるだけ
読みを多数かつ多様にしたい、そう思っています。書き手の立場に立つと
いうよりは、書き手の意識の残余としての言葉の様相にこだわりたい、と
いうことであると、お考えくださいませ。最後になりましたが、乱筆の
長文である拙文を読んでくださりさらに質問をしてくださったことに
心より感謝いたします。
793773:02/11/27 15:24
上の792の書き込みの

>どこに「男性性」をイメージされたのかを示していただいたうえで

の「男性性」は「男色性」の間違いです。訂正するとともにお詫びいたします。
794吾輩は名無しである:02/11/28 00:22
本当に女性性があるのなら、イコール男色だろうさ、東堂は男で大前田も男なのだから、しかし、作者が座興として言ったとしか思えないことばをおおまじめにとりあげているだけとしか思えないな。
いったい女性性だの男色だのと東堂を読んで本当に異議深いなにかがあるとでも思っているのかね。
795吾輩は名無しである:02/11/28 00:34
瀬戸内寂聴は大西巨人のスーパーリゴリズムの文体に圧倒された、ということを、不用意な表現でいっているだけだろう、考えすぎだよ。
796773:02/11/28 12:46
集団形成における性規範としてのセクシュアリティの問題は、意義深く
ないでしょうか?男性における女性性がイコール男色となるのは、
男性性が他の性よりも優位にあり、他の性に対して排除性を
もつ場合のみで、軍隊や体育会におけるそうした男性性の優位を
ホモセクシュアルと区別して、ホモソーシャルと呼ぶのですが、
こうした性規範としてのセクシュアリティの問題は、民族差別にも
関係があります。第一部第一にある大前田にまつわる3つのエピソードを
読めばそれはわかるはずです。大西氏は現在のカルチュラル・スタディーズや
ポストコロニアル批評さらにはジェンダー・スタディーズがやっていることを
ほぼ同時代に実践し、さらにそれをどう克服するか、ということまでやって
おられたのだな、というのが今の私の印象です。
また上の私の書きこみの「稚拙な」の使用に関しては、大西氏はおそらく
意識的にそうなさっています。氏はもちろん坪内逍遥と森鴎外による
「没理想」論争をご存知のはずですから。つまり考えすぎだとすれば、
何よりも考えすぎなのは大西氏ですね。『神聖喜劇』というのは、考えすぎ
の書き手が考えすぎの主人公に考えすぎの文章で考えすぎの語りをさせた
作品なのではないでしょうか?であれば、読み手も考えすぎくらいで丁度
いい。にもかかわらず、何も考えなくても面白く読めるところが、また、
いい、と私は思いますが。
797773:02/11/28 12:48
あと、大西氏なら「座興」で瀬戸内氏なら「不用意な表現」と言うのは
どうでしょう?「座興」というのも十分「不用意」だと思いますが。
私なり777さんなりが言っているのはそういう一見「不用意に」見える
言葉のなかの「周到さ」や「厳密さ」にかかわるものです。777さん
からの孫引きである私の引用の仕方が「不用意」であるのは認めますが、
「不用意に」もらした言葉が、それを口にした当人が思いもよらぬ何ごとかを
言い表し言い当ててしまうから、言葉というものは恐ろしいと同時に面白い、
のではないでしょうか。
798シワダ:02/11/28 22:40
>792 上でも書きましたが、手元に本がありません。実は図書館で借りて以前読んで、今回の光文社のものは
地元の書店ではまだ入手できないため(離島に住んでおります)残念ながら
正確な引用ができないのですが、大前田の大砲を発射する模範演技に無条件に
関心する部分などに『男色』を感じました。
なにを感じたかは>796で適切に述べられておりますが
軍隊等における男性性の優位です。
>794・795 瀬戸内氏が「拒否されている、女であることを意識させられ続ける」と述べたのも
この男性性の優位によるものと思いますが、これがけして、作者が女性を
拒否したものではないと確信しますし、この意味で瀬戸内氏の表現は適切ではないと思います。
799795:02/11/29 00:48
座興が不用意だというのは、おだやかではない。そんなふうにいうのであれば、人が冗談でいった言葉を、ことば尻をとらえて、だってそういったではないか、と言う論法になる。
大西が座興で話し、瀬戸内が「くちがすべった」というのもちっともおかしいことではない、座興や冗談は本人が自覚的なのであり、不用意とは、本人の甘さの現れであり、まさ
にわたしは二つを区別して評価しているのである。
さらに注意していただきたいが、いかに事がジェンダーにかかわっているとはいっても、大西が東堂についていったことと、瀬戸内が自分のことを言ったこととは似て非なるものだ。
決定的にいっておきたいことは、男色、つまりホモセクシャルを其処に見て、いったい何が有意義なのか、ということだ、
いったいどこの誰が、納得し、そうだったか、と感心するのかね。
800吾輩は名無しである:02/11/29 00:56
男性における女性性がイコール男色となるのは、
男性性が他の性よりも優位にあり、他の性に対して排除性を
もつ場合のみで、軍隊や体育会におけるそうした男性性の優位を
ホモセクシュアルと区別して、ホモソーシャルと呼ぶのですが
733さんのこの文、論理がねじれていないか?
ホモセクシャルと区別して、というが、区別するもなにも、もともと性関係に基礎づけられた氏集団じゃないからだろう。
男色となるのは、の後の文との接続がおかしい。
801吾輩は名無しである:02/11/29 01:08
シワダさんよ、あんたのいってるのは、そりゃ男色ではないよ。それは筵「去勢コンプレクス」または「短小コンプレックス」だ。
「男色」とは男が、同性である相手と性関係を願望した場合。この場合、シワダさんのようにあえて大砲に着目するなら、大前田のキョコンに「負けました」の図であろう、超知識人東堂のひょっとすると
代償としてある性的弱さ、ちゅうちょ性・・・・とでもいうならまだしも許せるふかよみだがねぇ。
802773:02/11/29 02:12
>>799
自覚的というのはデジタルなものではないですよね。大西氏の方が
瀬戸内氏よりは、より自覚的である、とは言えるかもしれない。
私はそのように言うことに意味を見出せませんが。自覚的であることの
限界は、大西氏にも瀬戸内氏と同様にあるはずです。そこを「座興」と
「失言」に分けて、何がなさりたいのか、私にはわかりかねます。
また意義についてはすでに説明をいたしました。それをあなたが有意義だと
思わないことは自由です。さらに申し上げておけば、男性における女性性は
「男色、つまりホモセクシャル」ではありません。それについても、説明は
すでにしております。私は「男色、つまりホモセクシャルを其処に見て」
いるわけではないので、その前提自体が誤まりです。加えて、あなたが
「納得し、そうだったか、と感心」しないからといって、「どこの誰が」と
おっしゃるのはどのような権利で他の方の意見を代表されるのか理解しかね
ます。「私は、納得も、感心もしない」とだけ、おっしゃればよいのでは
ないでしょうか。また、私は別に「感心」していただきたくて、書き込みを
しているわけではありません。そのような低い志はこれまで一度も持った
ことがないので、「いったいどこの誰が、納得し、そうだったか、と
感心するのかね」とよくわからない集団に頼って数で自らの正当性を
訴えようとするそういうふるまい自体が、大西氏の著作を読んだことが
ある者としては不思議に映ります。大西氏はそのような物言いを許される
方だと、799さんはお考えなんでしょうか?また、799さんは「感心」して
欲しくて、書き込みをなさっているんでしょうか?
803773:02/11/29 02:13
>>800
たとえば、新入生歓迎会と称して、酒宴のあとに新入生を一列に並ばせ
全裸で自慰をさせる、そこにホモセクシュアルな感情はなく、ただその
集団の先輩後輩関係を維持するだけの機能しかないからホモソーシャリ
ティというわけで、同じことを集団の維持という目的をはずしてやれば
ホモセクシュアルな行為になります。仮にアナルセックスまでやったと
しても同じことです。むしろ露骨なホモセクシュアリティの現前は
ホモソーシャルな集団においては忌避されるわけで、ホモフォビア、
ミソジニーが顕著に見られるわけです。800さんのおっしゃる「性関係」と
いうのがどういう意味なのか定義がないのでわからないのですが、
男性であれ女性であれゲイであれレズビアンであれ、何らかの関係を
構築するときに「性」が関与しない、という想定がどのようにして
成立するのか、それが私にはわかりません。上の書き込みにも挙げた
大前田のエピソードを見ても、自らの「性」の誇示が集団における
自らのポジションに関わっているわけで、なんで男性が男性に自らの
「性」にまつわるエピソードを誇示する必要があるのか、それを
考えてみれば、ホモソーシャルという言葉がホモセクシュアルと
区別されなければならない理由はわかるのではないでしょうか。
セクシュアリティにおいて「女性」と「ゲイ」は異なるのであって、
それゆえ「男性における女性性」は「男性におけるゲイ性」としての
「男色」とは異なる。ホモソーシャルな集団ではそれが混同されるが
ゆえに「ゲイ性」および「女性性」に対する嫌悪が、ホモフォビア、
ミソジニーという形で、生じるわけです。
804吾輩は名無しである:02/11/29 05:59
>>803 性的関係とはな、当人の性的リビドーの対象を相手に向けた1対1の関係だよ、ほら、定義してやった。
軍隊やサッカーチームはそういうものじゃない、ってもともとそう書いているでしょ
それから、「感心する、しない」にずいぶん妙に否定的な価値観を持っているようだが、(「大西氏が許すとは思えない」と書いてるよな。
それこそ、いったいどうして大西氏の判断を君が想像できたんだい?君が勝手に大西氏の判断を尊宅したように、おれはおれの内心の
モンセンスに照らして、「感心しないねぇ」と思ったのさ。
805800:02/11/29 06:20
尊宅って字が違ってます。
ようするに733氏はなみはずれてジェンダーやらセクシュアリティーやらホモなんたらかんたらといった概念に執着していることだけは確かだね。
806吾輩は名無しである:02/11/29 08:46
733はちょっとピント外れだけど、『戦争と性と革命』という著書を持つ大西
さんがジェンダーの問題に早くから注目していた(しかも、松竹ヌーヴェル
ヴァーグ系の女=わけわからん=聖なるものというような図式とは違うところ
で)、っていうのは事実だけどね。

大西女が書けない説というのは、どうかなあ。『神聖喜劇』中の門司の旅館での
剃毛プレイのところの女性描写・性描写なんか、なかなか官能的かついい意味で
俗っぽいと思うけど、それは僕が結局マッチョな男だからかなあ。
807806:02/11/29 08:52
>>805、806

773だね。
808773:02/11/29 10:41
>>805
ただ「感心する、しない」だけでなく、「どこの誰が」というレトリカルな
表現についても申し上げていることをお忘れなく。「私は納得、感心しない」と
いえばよいところで「いったいどこの誰が、納得し、そうだったか、と感心するのかね」と
レトリカルに言い換えることを大西氏が自他ともに許さないだろうと考えるのは、
忖度するまでもないことなのではありませんか?氏が何かあるいは誰かを代表する
ことに慎重でいらっしゃることは氏の文章を読めばわかりますよね?座談においても
そうした迂闊な発言はなさっていないんじゃないでしょうか?
809773:02/11/29 10:44
それから「性関係」の定義はわかりましたが、805さん(以前の書きこみも同じ
方ですよね?)はその定義の中立性を定義の使用においてはお忘れのようです。
ご自分でおっしゃるようにおそらく「マッチョ」でいらっしゃるんでしょうね。
リビドーの備給に際して能動性と受動性を設定して、定義の「当人」を「男性」、
「相手」を「女性」に限定してらっしゃるんですね。こう言えばわかっていただけますかね。
「男性における女性性」をイコール「男色」とみなすのは、「挿入される側」の
ことしか「男色」と考えていないと。「男色」において「挿入する側」に
「女性性」があると考えるのは変ですよね。で、それを「女性」との「性関係」に
おいて定義される「男性」と同じであると考えることには無理がある。「男色」
において「挿入する側」で「女性」とは性交できないというひとはいますから。
「男色」には「男色性」があると考えるほうが妥当である、と。で、こうした混乱が
生じるのは、「男性」と「女性」の「性関係」を「挿入」という「性行動」のみで
捉え、それをアナロジーとして「男色」にも適用するからですね。ゲイカップルの
中には肛門性交しないで、相互の性器を刺激し合うだけのひとたちもいます。「性
行動」は多様で「挿入」という「性行動」はセクシュアリティを決定する唯一の要因
にはならないんですよね。それにストレートの場合でも加齢が原因で勃起しなく
なって挿入できなくなったからといってそれを理由に、「男性」ではない、という
のは変でしょう?ご自分が齢を重ねられてそうなったときに、もはや「男性」ではない、と
言われたいなら、そのようにお考えになられればよろしいと思いますが。
問題は2つです。セクシュアリティの決定要因を「性行動」のみに限定できるか。
できるとしてそれを「挿入」のみに一元化することが可能か。
810773:02/11/29 10:46
で、リビドー備給は社会の中で個人に対して行なわれるわけで、そうした社会的備給を
通じて集団を形成、維持するわけですね。ホモソーシャリティについてなら、中上健次氏の
小説における「路地」の「若衆宿」での「朋輩」関係を考えればそれはわかりますよね。
また私は「概念に執着する」趣味は持ち合わせておりません。形成される集団の性質を
そうした概念によって語りうる限りにおいて、その概念を使用するだけです。
「剃毛」の描写に関しては、あれが素晴らしいのは「性行動」を多数化、多様化している
ところですね。「挿入」だけがすべてではない、と。あと「剃毛」が「挿入」の瞬間を
遅延させていることにも注目するべきでしょうね。描写がいい意味で官能的かつ俗っぽいと
いうのには同意します。その折にも引用が出てくるのにはユーモアを感じますが。この
あたりのユーモアは後藤明生氏の小説に似てますね。
811773:02/11/29 12:09
早くからジェンダーの問題に注目なさっていた大西氏が、作品において
陸軍という組織においてそれを形成、維持せしめるジェンダーのあり方を、
主人公がどのように壊乱するか、「ジェンダー・トラブル」を起こすか、と
いう物語内容の水準だけでなく、文章形式の水準でも遂行なさっているのでは
ないか、という仮説を、私は立てているだけなんですね。大西氏のジェンダー
への注目をお認めになるのに、どうしてその作品中に女性性や男色性が
指摘されることに意義が見出せないんでしょう?東堂の組織への抵抗の中に
ジェンダーという観点から論じうることはある、ということです。
812773:02/11/29 14:19
あともうひとつ。議論をなさるときに「ちょっとピント外れ」とか
隠喩を用いるのも、およしになった方がよいのではないでしょうか。
「この概念規定のここがこのようにおかしい」と言われればよいだけの
ことですね。ご自分のおっしゃってるジェンダーという観点を作品に
見出す「意義」をめぐる意見がズレたことに対する正当化としても、
レトリックとしても、失礼ながら稚拙だと思いますし。勢いで書いて
しまったのであれば、訂正されればよろしいだけだと思います。そちらは
どうお思いなのかわかりませんが、私は別に勝ち負けを競っているわけでは
ないので、勝ち誇るといったみっともない真似はいたしません。そうした
「マッチョ」なところは私にはないんです。また、私はこうしたレトリカルな
言い方を普段から議論の際には用いませんが、このスレッドにおいてはさらに
用いないように意識しているつもりです。こうした意見のやりとりの中で
概念というのはその定義が練りあげられていくものですよね。議論というのは
そういう協同作業のはずです。
813シワダ:02/11/29 20:49
>773 ジェンタダーの方向に話題が向いているので、
疑問に感じていることをお聞きしたいのですが、
大西氏は『神聖喜劇』の中で被差別者に対するスタンスを明確に
書いておられますが、コレと比べると軍隊内の男性の優位性(私はこれが意識的に表現されている
と感じていますが)については、今ひとつ踏み込んでいないような感じを受けます。
もちろん、書かれた時代からも大西氏がジェンダーに無関心ではなかったことを
前提に考えています。
私の読み方が浅いのか、それともあえて主観的な表現をされなかったのか、
なにか、お気づきのことがありましたら、伺いたいのですが。
814まがねなすベトン:02/11/29 23:00
いやぁー、なかなかの思索家の登場ですね。
以前、大西掲示板が閉鎖した時も、なかなかの弁舌家の登場がきっかけだった
ことを、不吉にも思い出したぼくです。
このあと、ココに、旧漢字を使う天皇主義者(愛国者?)が出てきて、その後、
“赤人批判”が展開されるなんてことになりませんように。(藁。
それにしても、773さんの上等な文章は、勉強になる。ホモソーシャリティーなる
概念すら初耳の、無学のぼくには、興味深いお話でした。今後も期待します。
かつて大西氏が、評論『大江健三郎先生作 「われらの時代」』のなかで、
「この小説に登場する男根は、見当違いの、反自然的・反倫理的な対象に向かって
のみ、その情熱を不健康にも発動する。男根のエネルギー……は、……正当な対象す
なわち女陰から異例の、……同性の直腸へと一気に逸らされる。」
と、『われらの時代』の心情のアナーキスト=主人公の性的無知と、部屋住みの
無責任論理家=作者大江氏の性的知ったかぶりを厳しく批判したことを、思い出
しました。大西氏の、59年筆のこの論文は、まったく古さを感じさせないことに
ぼくは、驚かされる。しかし773さんが、『神聖喜劇』にジェンダーの意識を見る
ことまでは興味をそそられるけど、『神聖喜劇』(の東堂など)に、女性性や
男色性を見出すことには、興味が持てない…。
>>まいぺーすさん
『安部一族』のことは、『神聖喜劇』の2巻に出てくるんですねぇ。
773さんを見習って、『神聖喜劇』を再読しないと、ちっとも覚えていないみたいだ。
815JPB:02/11/30 00:03
>>733さん
 784から780までの論を乱暴にまとめるなら、大西の「私」が物語内で様々な
位相をとることによって、読者共同体が生成されつつある過程と、それにいみ
じくも「女には読ませないぞ」という言表によって反応してしまった瀬戸内の
対比を明確にすることによって、ひとまずは『神聖喜劇』の中での性規範の
形成と対抗の語りのレベルにおける実践について(も)問題提起されたという
ふうに読んだのですが、いかがでしょうか?

確かに第八部第一節の冒頭からすでに、「われわれ」と「私(われわれ)」
というような表記が見られ、なるほど733さんの意見は理解できるし、それを
アイデンティティ・ポリティクスとして読んでいく意味もよくわかる。
816JPB:02/11/30 00:04
その上で、ここ、

「博覧強記の虚無主義者であり善悪の彼岸にある困難な正義を求めようとする高潔の士である語り手「東堂太郎」の「私」と
読み手の「私」はほとんど一体化したまま、読み手はこの小説を読み進めることが
可能になる。この小説を読むときの愉悦の幾分かは、「この人を見よ」と言わんばかりの
「東堂太郎」の「私」と読み手の「私」が距離をさまざまに変化させ
ながらも、読み手が「東堂太郎」のようになりたいと望む限りは、2つの「私」は
想像的に重なり合うことができるということに由来するのではないでしょうか。
さらに膨大な引用によって書き手の「私」が反復して小説の前面に出てくることに
よって、都合3つの「私」が距離をさまざまに変化させながら、ひとつになろうと
する。書き手は署名なさっている大西氏ですから、「大西巨人」の「私」≒「東堂
太郎」の「私」≒読み手の「私」という想像的な重なり合いを欲望させられつつ、
読み手はこの小説を読み進めていく。」

もしかすると、戦略的にこのような言い方をされているかもしれないと思いつつ、
『神聖喜劇』においては、こうした統合を引用や脱線、別の語りなどが、
分断していくことこそが、面白さなんじゃないかなあと思ったりします。

とはいえ私は、軍隊表象における「擬似百科全書的形式」の面白さという
観点からでしか、『神聖喜劇』を読んでいなかったので、ジェンダーに
ついて語るのは難しいのですが。
817773:02/11/30 02:35
>>シワダさん
今回のご質問についてはまだちょっと具体的な細部にそくしての
解答は難しいので、お待ちください。その上で男色に関してなのですが、
シワダさんが挙げられた場面に「男色性」を感じる、というのは言える
のではないか、と思います。でも、その場面を「男色性」という概念で
語ることは間違っている、ということではないでしょうか。つまり、
ホモソーシャルな集団が成立するときに排除する「男色性」、ここでは
その排除が「大砲を発射する模範演技」という象徴化によって行なわれて
いるのですが、そうした「男色性」の痕跡の強度が大きいから感じては
しまうが、ここの場面はやはりホモソーシャルな集団がその集団性を強化
しながらその一方でその弱点をもさらす場面として考え、論じる方が
妥当ではないかと思います。あと、ここの場面で重要なのは「模範演技」
だということですね、たぶん。ここには「模倣」の問題があると思うのですが
それについてはまた考えてから書き込みさせてください。
818773:02/11/30 02:41
>>まがねなすベトンさん
お褒めに与り光栄至極に存じます。私もつい最近、大西氏のサイトの
掲示板の過去ログを拝見しましたが、私には「超人」妄想はないので
大丈夫です。それから「女性性」云々はあくまで仮説です。ただ、
軍隊という組織を成立、維持させるとともに近代の国民国家における
労働力の再生産を規定している規範としての既存のジェンダー関係を、
大西氏が作品において追認しているとは、思えないので、どのように
それを壊乱しているのか、という観点から読み進めていることは確かですが。
819773:02/11/30 03:01
>>JPBさん
私の手際の悪い乱筆長文を要領よくまとめてくださってありがとうございました。
ひとつだけ付け加えさせていただくと、私は瀬戸内氏の発言が正しい、と
言っているわけではないんですね。大西氏が闘う相手として措定し、その
声をとりあえず真似たものを、書き手としての大西氏の声だと聞き誤っていると
思うんです。ただ、その声が何と言っているか、ということだけは、
伝えてくれた、そう思います。あと性規範の点からのみ読むというわけでは
ないです。この作品は実に様々な読みを喚起する。ただ、これも仮説なのですが、
にもかかわらずその読みの多様性をどこかで一様化してしまう力が働いている
いるような印象を受けてしまう。その印象がどこから来るのかについても
読みながら考えてみたいと思います。
816の面白さについては同意します。ただ、巨人館の掲示板の過去ログを
読んでいると、そのはずなのに……、という思いにとらわれるのも事実で、
それが読み手の個人的問題なのか、それとも書き手や語り手の問題である
のか、ということについては、まだ確かなことが言えません。
私も初読の際は柄谷の「百科全書」云々にひきずられて読んだクチなので、
今回、細部にこだわる読み方をして、改めて驚嘆している次第です。
時間があったらもっとゆっくり読みたいですね。
820シワダ:02/11/30 22:54
>817 「男色性」と「ホモソシャール」の認識が私は曖昧でした。
733さんのおっしゃるように「ホモソーシャルな集団がその集団性を強化
しながらその一方でその弱点をもさらす場面として考え、論じる」と考える方が
分りやすいでしょうね。
繰り返しになりますが、
被差別部落の問題には深い考察が表現されているのに、
ホモソシャールな軍隊の日常に触れながら、ジェンダーの問題には
踏み込んでいないように感じられるのは、やはり疑問です。
お気づきのことがありましたら、そのうちお聞かせください。


821吾輩は名無しである:02/12/01 00:15
ホモ・ソーシャルっていっぺん直訳してみ。あんまり笑わせんな。
822吾輩は名無しである:02/12/01 00:44
733は「裸の王様」だよ。「一人裸の王様」。とにかく、はっきり聞いておきたい。断片てきにではなく、733の論旨が、なんとなく、ではなく、明快に理解できる、というひとはいるのですか?
結局はれものにさわるような応答にとうとうと語っちゃてるだけだろう。お行儀のいいひとたちだねぇ、これが大西の良き読者の礼節ってものですか?
823吾輩は名無しである:02/12/01 03:51
「ホモソーシャルな集団が成立するときに排除する「男色性」、ここでは
その排除が「大砲を発射する模範演技」という象徴化によって行なわれて」
ぎゃはは。筒井康隆に読ませてやりてぇ。何だこの文は。
824吾輩は名無しである:02/12/01 03:54
「お褒めに与り光栄至極に存じます」
これが大西の良き読者の言葉遣いか。
825吾輩は名無しである:02/12/01 04:01
疑問もへちまもない。ジェンダーの問題など、おめぇらがかってに、大西がかんがえてもいないことを、ああでもないこうでもないといってるからだよ。大西が、本気で、真剣に考察していることと、もともと考えてもいないことをならべてやがんの。
オッドカップルだな、こいつら。
826773:02/12/01 04:04
>>821-824
同一の方でしょうか?関西弁ですか。そういえば巨人館の掲示板に
来ていた方も関西の方でしたよね。ともあれ数に頼るのが随分とお好きな
ようですが、多数決をとってどうするんですか?どうして「断片的に
なんとなく理解できる」ではいけないのか、私にはわかりかねますが。私も
皆さんの過去の書きこみを読んで、断片的になんとなくしか理解できない
ことはいくらもありますしね。そこからお互いに議論を重ねて明快に
理解できるようにしていけばいい、と私は思います。

で、私の言っていることが「明快に理解できる」ひとがいれば、満足
されるんですね?勝手にお名前を挙げるのは気がひけますし、私が言わんと
していることに対して異論や反論はおありになるでしょうけれども、この
スレッドの最初に名前の挙がっていらっしゃる石橋正孝さん、早稲田文学の
大西氏の特集でも『深淵』についての論考を発表なさってましたね、も参加
しておられた中野重治問題研究会の参加者の方々なら、おそらく「明快に理解」
なさっていただけると思います。私などよりもずっと優秀で、大西氏とも面識の
ある方々ですが。過去ログを拝見すると、何人かはここにもいらっしゃってる
ご様子ですし。さて、これでご満足ですか?もう、いい加減になさいませんか?

>>中野重治問題研究会参加者の方々
勝手にお名前を引き合いに出して申し訳ありません。ただ、これ以上
ここでレベルの低いやりとりをすれば、他の方々のご迷惑にもなりますし、
お叱りは覚悟の上のふるまいです。どうかご容赦願います。

>>JPBさん
大西氏の作品の「愛読者」を称するひととか、大西氏を「敬愛」するとか
「心の師」と仰ぐというひとの中には、少なからずこのような方がいる
ような気がするんですが、そのあたりについてはどう思われますか?
やはり作品における「私」の「位相」の問題なんでしょうか、これは。
詳細は知りませんが、巨人館の掲示板の停止もそういう方が原因なんです
よね、確か?
827吾輩は名無しである:02/12/01 04:07
「アイデンティティ・ポリティクスとして読んでいく意味もよくわかる。 」
ぎゃはは。大西巨人さん、この言葉聞いたことあります?


828吾輩は名無しである:02/12/01 04:11
まさに典型的なオタク語法、オタク造語の氾濫、友達同士で、ここで披瀝した用語を口に出してはなしてごらんな、
恥ずかしい連中だ。
829吾輩は名無しである:02/12/01 05:10
さあ盛り上がってまいりました
830777:02/12/01 07:35
773さんの問題提起を適切には受け止めていないとは思いつつ、敢えて触発
されたことを書かせて頂いて、それに対する773さんの反応のお陰で問題が
明確化したこともあり、その後の773さんの書き込みに大筋で異論は持たな
かったため、折角ご質問を受けながら返事もせずその後の流れを静観して
しまい、失礼しました。大西掲示板を閉鎖に追い込んだ人たちに関しては、
大西巨人をあたかも自分が発見したかのような(あるいは自分だけが理解
しているかのような)錯覚に、周囲に読んでいる人があまりいない上にな
んとなく凄そうな作家だというイメージはあるせいで、比較的安易に陥れ
るため、ルサンチマンの塊のような人々が拠り所にしたがるのだと思って
います。要するに、彼らは大西巨人をマイナーな作家だと思って馬鹿にし
ているのです。「ジェンダー」「アイデンティティ・ポリティック」に関して大西
氏が考えたことは愚か、この語を聞いた事すらないと考えると は、この大
作家を馬鹿にするにもほどがある。仮に聞いたことがなくても (そんなこと
はないことは保証してもよろしい)考えていたし今も考えて いるに決まって
いるでしょうが。漱石に関してこうした議論をする者がいたとして、それこそ
漱石はそんな言葉聞いたこともないわけですが、こんな低レベルな突っ込
みが入るなんて考えられない(いても相手にされない)。大西巨人のメジャ
ー化を当面の課題と考える所以です。
831777:02/12/01 07:36
もちろん、これは制度としての「文学」プロパーの問題であって、その復
興を目指すということなので、大西巨人も含む文学の問題とは本来まった
く関わりがない。しかし、大西巨人が一人でも多くの人々に読まれれば、
端的に世の中はよくなるのです。その方向に進むためには、一般の読者を
大西巨人から遠ざけるばかりのこの手の自称理解者を温存させる今の中途
半端な状態が一番障害になる。こういう連中はその本性からして権威に弱
いわけですから、黙らせるにはメジャー化しかないわけです。なんでこん
なつまらないことをしなければならないのか、と思いますが。大西さんが
ヴァルザーのような作家であれば問題はないのですが、「古典」たる資格
を備えた作品を持つ作家の宿命でしょうか。『神聖喜劇』以後の(以外の)
作品の持つ真のマイナー性はそれゆえ(文学にとっては)重要です。
832まがねなすベトン:02/12/01 12:26
>>773さん
>>軍隊という組織を成立、維持させるとともに近代の国民国家における
>>労働力の再生産を規定している規範としての既存のジェンダー関係を、
>>大西氏が作品において追認しているとは、思えないので、どのように
>>それを壊乱しているのか、という観点から読み進めていることは確かですが。

上記の観点からの論評がなされれば、大西氏は、とても喜ぶと思います。
ぼくも、もし本格的に『神聖喜劇』を読み直すなら、773さんのように、
独自の、自分なりの「切り口」を懐にして読むべきだなぁと、思いました。
そうでもしないと、いい読み方ができそうにない。

ところで、さいきん廃刊になった季刊誌「批評空間」に、大西氏は短文やらインタヴューやら
発表したそうですが、その中で、「9.11」についての意見が、あるそうですね。
ぼく個人は、「9.11」のテロについては、帝国主義の
恐ろしさをこれほどまで“引き出してしまう”事態ないし、帝国主義への抵抗をこれほどまで
“無力化する”事態を呼び込むとは、思いませんでした。
最近のアメリカ帝国主義の覇権主義があからさまな世界情勢、そのなかの一部としての、
この国での「北朝鮮」バッシング(と、その下で確実に進行するこの国の軍国化)
に代表的に表われているネガチヴな国内情勢を、大西氏は、たぶん「滅茶苦茶な
有り様じゃなぁ」とでも、慨歎されていることと想像したりしています。
833fishman:02/12/02 17:46
>>831 777さん

>大西巨人が一人でも多くの人々に読まれれば、
端的に世の中はよくなるのです。

そういうものでしょうか?私には理解できませんでした。
どうも印象論で申し訳ないのですが、作家個人と
作品をない交ぜに語る論調が、「特定の読み」を強調し、
多数の読者を排除する方向に働いているように見えます。
端的に「私は大西巨人など知らない」と言い残して、
しばらく当スレから離れたいと思います。
ごきげんよう。
834773:02/12/03 01:07
>>777
もし、おっしゃる通りだとすると、私としては、『神聖喜劇』という
作品のうちにある、「ルサンチマンの塊のような人々」を魅きつける
ものは何か、それを書き手は作中でどのように批判しえているか、と
考えたいと思います。後者については、やはり十分には批判できて
いない、ということにならざるを得ないのではないか、とも思います。
つまり、読まれたから、巨人館の掲示板が閉鎖されるという事態になった、と
いうことです。それは、読み手が作家にもっているイメージ、ということ
だけでは説明がつかないと思います。そのようなイメージをもたせる何かが
作品の側にある、と考えるしかないんじゃないでしょうか。まだ、考えが
まとまらないのですが、たとえば膨大な引用がこの作品中で果たしている
機能や、前に書いた「私」の「位相」の問題などが、そこに関与している
ように思います。それを評定したうえで、そうではない読み方が可能ならば、
こうできる、ということを、言い、読みを複数化することを実践すれば
いいんじゃないか、と思ったりするのです。「ルサンチマンの塊のような
人々」の読みも含めて、です。

>>まがねなすベトンさん
そうですね、言うは易く行なうは難し、ですが。
835名無しさん@まいぺーす:02/12/03 03:04
 『深淵』連載第60回目にして、ついに麻田の記憶が回復しましたね。これから、
結末に向けての展開に目が離せません。

 しばらく、忙しくしていて、書き込みが出来ませんでした。いろいろと議論されて
いることについては、もう少し先に述べたいと思っています。それにしても、fishman
さんが、この場から離れられることは残念です。

836吾輩は名無しである:02/12/03 03:12
ああっ、もうダメッ!!!!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!ウンコッ!!ウッ、ウンッ、ウンコッッ!!!ウンコ見てぇっ ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいウンチ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ボトボトボトォォッッ!!!
ぁあ…ウンチ出るっ、ウンチ出ますうっ!!
ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
いやああああっっっ!!見ないで、お願いぃぃぃっっっ!!!
ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!!!
ムリムリイッッ!!ブチュブチュッッ、ミチミチミチィィッッ!!!
おおっ!ウンコッ!!ウッ、ウンッ、ウンコッッ!!!ウンコ見てぇっ ああっ、もうダメッ!!はうあああーーーーっっっ!!!
ブリイッ!ブボッ!ブリブリブリィィィィッッッッ!!!!
いやぁぁっ!あたし、こんなにいっぱいウンチ出してるゥゥッ!
ぶびびびびびびびぃぃぃぃぃぃぃっっっっ!!!!ボトボトボトォォッッ!!!
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ビッ、ブリュッ、ブリュブリュブリュゥゥゥーーーーーッッッ!!!
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ブジュッ!ジャアアアアーーーーーーッッッ…ブシャッ!
ブババババババアアアアアアッッッッ!!!!
んはああーーーーっっっ!!!ウッ、ウンッ、ウンコォォォッッ!
837吾輩は名無しである:02/12/05 21:38
盛り下がってしまいました
838吾輩は名無しである:02/12/05 23:30
良スレが汚れた・・・
839吾輩は名無しである:02/12/07 03:57
『神聖喜劇』読了したぞ。
次は『迷宮』だ!
840773:02/12/07 11:21
>>777
たとえば『神聖喜劇』のどのような細部にドゥルーズが言う意味での
マイナー性をお感じになりますか?あと777さんのおっしゃる「古典」
たる資格って、どのような基準によって判断されるんでしょうか?
何か例を挙げて説明してくださいませんか。お手数ですが。
841ベトン:02/12/11 23:33
777さんが、
>大西巨人が一人でも多くの人々に読まれれば、
>端的に世の中はよくなるのです。 
と、831で言ったことについての感想。

わざと語弊のある言い方をしたのか、この言い方が一番777さんの
気持ちにフィットするのか、ぼくには、わかりませんが、僕個人について
言えば、大西巨人という作家とその作品(批評・小説)を知ったおかげで、
自己の精神的な落ち着きを得たということは言えそうです。文学といえば
なにかしら自己の中に沈潜する方向のイメージしかなかった僕にとって、
大西氏の作品は、僕のように非力・無能・無才の“嘆き屋”(努力なしの
不満分子)に対して、とてもわかりやすく、ていねいに大事なことを教えてくれる
者です。「こんなに努力しないと人から尊敬される人にはなれない」
「こんなに努力して、立派、でもほとんど無名である(それはそうあるべきである」あるいは、
「こういう人こそ立派なひとである」 「こういう事をするのは破廉恥なことなのである」
「一見立派にみえて、ここには誤謬・誤解がある」 「ここが勘所である」
等々、大西氏を知る以前には、僕は、文学によって、こんなにわかりやすく
生き方の教えを受けられるとは、思っていなかった。わかりやすいとは言っても
簡単とは、僕は言わない。しかし、大西氏の偉いところは、簡単ではない難しい生き方
を、率直に「正しい生き方」として、読者に提示してくれることです。
そのとき大西氏は、瀬戸内晴美氏の説法のような、やり方とはまったく違う、
あくまで論理的・科学的態度(非情緒的・非感傷的)で挑む。(そもそも彼は説法が苦手である)
が、その時、宗教的な心構え
(信じる)ということについて、いま現在も読者とともに錯誤しつつ生きている。
そういう大西氏を指して、777さんが、大西氏風に、率直に「大西氏を多くの人が読めば世の中は良くなる」云々と
言っていると僕は感じました。しかし「世の中が良くなる」と、単純・無謀な事を人に言わせる大西氏は偉い。
そう言わせるような類似の作家は、僕には(無学のため)見当たらない。(あーぁ、悲しい、情けない駄文)
842吾輩は名無しである:02/12/12 13:23
         /  '´ ~~"'' ‐'- 、,へ、_ / / i; `;i丶
        /           / 〃´`"''、 i; / i|イ
         '、          i i'〃   \i;、,  !ノ
         ,,>- 、,,__,,,、、--‐‐‐;,,、'!      ヽ i、ィ、ソ
        /     {{,,、、-‐‐''~丶     ヽ.〉) \
      ,、r'i   ,,、-''`´  '!     'i    '、. ', \ ヽ
      /i' .l,,┬''´      ヽ、   / r'⌒'、 i. iヽ '、  ヽ.
     / ! '/        ; *ヽ、,i .ノ   } } ./ '、_!`''-,、',
     /,,,,/         ソヽ'´ 'y'   'し‐'     ヽ 〉
     〈 ,';           ,'  !  {              ヾ
      y           { ‖ ヽ.            ヽ
     ,'           , ヘ. lヾ   iヽ、           ヽ
     ,'              ノ`'Ui ii''''"ヽ どろっ       ヽ
    ,'            / i iU    ヽ            ヽ
.    ,'            ./| ∪|.    ヽ           ヽ
.   ,'           /‐'~~i`''‐;,,、、-‐'ヽ           ヽ
843吾輩は名無しである:02/12/12 16:39
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844吾輩は名無しである:02/12/12 16:42
何故荒らすのだ・・・
845吾輩は名無しである:02/12/12 16:57
とりあえず最近でた1巻〜5巻の『神聖喜劇』の文庫は買っとけ。
またいつ絶版になるかわからん。
846名無しさん@まいぺーす:02/12/15 11:39
>>841
ベトンさんの意見に共感します。大西の言説は、おっしゃるとおり説法のようなもの
とは対極の位置にあり、読者を熱狂や感動に巻き込むことはありません。むしろ、それは、
権威を基盤とする物言いの無根拠さを暴き、解体する方向に、強く作用する。従って、
一般的な読者にとって彼の作品は、違和感を与え、あるいは不愉快をもたらすものであり、
なかなか多くの支持を集めにくい。ベトンさんのような覚醒(といっては失礼でしょうか)
がそれなりの割合で期待できるとすれば、確かに「大西氏を多くの人が読めば世の中は
良くなる」と言えるのでしょうが、楽観はできません。けれども、777さんの発言は、
大西作品の強いアクチュアリティを捉えたものとして、僕自身は、結構気に入っています。

 『深淵』は、次回掲載が来年1月2日と予告され、またも越年が決定しました。2003年
には、ぜひ完結して欲しいもの。記憶喪失ものの常道をことごとく裏切っているこの小説
についても、早く議論がしたいですね。
847773:02/12/22 00:15
>>ベトンさん、846さん
おっしゃることはよくわかるのですが、ただ『神聖喜劇』を読むとそのように
言うことが困難な気もします。846さんは「覚醒」と言われるわけですが、
ベトンさんは大西作品に出会う前からそういった「教え」を求めていらっ
しゃったのではないでしょうか。読み手は「覚醒」するのではなく、読み手が
試される文章であるように、私には思われるのです。ベトンさんのように
読むことは不可能ではない、しかし、きわめて困難である、と。

大西氏の作品を読まれる方が他にどのようなものをお読みになるのか、
興味があるのですが、今回『神聖喜劇』を読み直し、『二十一世紀前夜祭』を
読んでもった印象は、『神聖喜劇』を読む限り、大西氏の作品がドゥルーズ=
ガタリのいう意味で「マイナー」である、と言うのは難しい、ということでした。
「走る男」の男が最後に水中に没するところで思い出したのは、モーリス・
ブランショの『謎の男トマ』のラストでトマが海中に消える姿でした。それで
思ったのだけれど、『神聖喜劇』の「私」による語りの戦略はブランショに似て
いる。そして豊かな教養に支えられた膨大な引用はホルヘ・ルイス・ボルヘスの
「バベルの図書館」の住人になったような気にさせる。しかし、『神聖喜劇』に
おいては、ブランショからは「女性」が除かれ、ボルヘスからは「幻想」が除かれる。
848773:02/12/22 00:21
ブランショ並みの語りの戦略とボルヘス並みの教養によって支えられたトーマス・
マンを思わせる長編のビルドゥングス・ロマンでしかも軍隊において不条理に抵抗
する主人公の登場する小説、これって村上春樹なんかよりもはるかにノーベル文学賞に
近い小説なんじゃないでしょうか。もちろん悪い意味で。そうした「メジャー」な
部分が大西氏のサイトの掲示板の閉鎖の原因となったような人物を惹きつける。
メジャーとマイナーを取り違え、のちにメジャーになりそうなものの先物買いを
する者を「オタク」と呼んでよいとすれば、他者との相対的な差異を自らの優越性と
して提示したい欲望を喚起するものが、ここには確かにあると思います。

たとえば、引用の仕方において。この引用のすべてを大西氏が諳んじていらっしゃったのか
どうか、その事実はわかりませんが、ドイツ語の原文のあとに丸カッコがあって日本語訳が
つくというその形式は、私のような素直ではない読み手には執筆している横に引用元の文献を
置いて筆写しているように思われます。諳んじていらっしゃったとしても、確認しながら
書いていらっしゃる、とは少なくとも言えるでしょう。しかし、素直な読み手には超人的な
記憶力の持ち主である書き手=主人公のすごさを印象づけるものとして機能する。つまり、
膨大な引用は「大西=東堂はすごい」という言表に翻訳されてしまう。それが読み手で
ある「俺はすごい」に移行するのは、以前に説明した通りです。
849773:02/12/22 00:23
そうしたことに大西氏は作品内で抵抗を試みていらっしゃらないわけではない。それは
やはりあの「剃毛」の場面にあるわけで、そこでは「女性」と「幻想」が文章に取り入れ
られている。あの場面では引用を「彼女」もするわけで(もちろん全編が東堂の想起による
一人称の語りであるわけではありますけど)、そのことだけをとっても「引用」が「東堂は
すごい」という言表に翻訳されることを妨げている。それだけでなく、あの章は「私」が
「東堂」なのかどうなのか、それも曖昧になっている。その前の部分から続けて読めば
もちろん長編小説の主人公がとつぜん別人になる、なんてことはあまりないのだから、
「剃毛」の場面の「私」は「東堂」に決まっている。しかし、そこだけを読めば、別に
「私」は「東堂」でなくてもいいようにあの場面は書かれている。たった一箇所を除いて。
今回出た版でいえば、第2巻の200ページにある「父が「侍」東堂家の」というところで
「東堂」と出てくることで、遡及的に「剃毛」の「私」もまた「東堂」であったことが
確認される。おそらくそれによってかろうじて記入された「マイナー性」が消えてしまう。

『神聖喜劇』以後の長編小説において、大西氏の作品がどのように「マイナー」たりえて
いるのかについては、皆さんにご教示願いたいところです。たとえば、「心中」といった
テーマを氏はその後の長編小説で展開なさっていたりはしないだろうか、と思うのだけれど、
いかがでしょうか? しかし、『神聖喜劇』に関しては、「心中」の模倣としての「剃毛」と
いうあの場面の描写に「マイナー性」を見ることは可能だが、全体としては「メジャー」で
ある、というのが、今のところの私の判断です。誤解のないように申し添えておけば、
ベトンさんのように読むべきだと私も思います。しかし、『神聖喜劇』に限っていえば、
それが困難な文章である、と言わざるをえない。そういうことです。
850名無しさん@まいぺーす:02/12/22 00:55
>>847
 773さんのおっしゃることに、微妙な違和感を感じています。「運命の章」の読み取りに
は、示唆的だと思うのですが、作品全体の引用が権威として機能し、「素直な読み手」を
惑わすメジャー性を帯びていると判断するのは、適当ではないのではないでしょうか。むしろ、
「素直ではない読み手」とおっしゃる773さんの理解が妥当なのであって、読み手の持つ印象
にそこまで作品が、責任を持つ必要があるのか、という疑問が起こります。ただし、勘違い
している読者が現実に存在していることは、否定しません。
 「心中」のモチーフについては、『娃重島情死行』と『迷宮』で追究されていますが、二作に
ついては、概ね従来の解読コードでは歯が立たないため、まともな批評がほとんど現われていない
というのが現状です。いわゆる「マイナー」性がいよいよ純化されて形象されていると
言えるのではないでしょうか。
851773:02/12/22 02:06
>>850さん
私もあらゆる文学作品にそうした「責任」があるとは思っていません。
ただ、「私」という代名詞による語りの戦略をもち、「明かしえぬ
共同体」を創出しようとする欲望に満ちた作品だからこそ、あえて
読者の創出という受容理論的な読みを強調しました。それが適当で
ない、と言われれば再考はしますが、大西氏に関して「マイナー作家」と
いう言葉が用いられ、それがイメージとしてのみ流通しているといった
事態に違和感があり、氏の作品の「マイナー性」を作品にそくして
考えたい、ということ、それをドゥルーズ=ガタリのいう peuple 民衆と
結びつけて考えたいということが、そうした選択の背景にあることを
ご理解ください。

ところで、『娃重島情死行』と『迷宮』は図書館で読むしかないんでしょうか。
『迷宮』はこのあいだ注文したところ絶版品切れでしたし、『娃重島情死行』も
なかなか古書でもないようですし。光文社文庫版の『神聖喜劇』が売れれば
たとえば講談社文芸文庫で出たり、ってことは期待薄なんでしょうか。
852773:02/12/22 02:44
そういえば、まだ『深淵』まで手が回らないので読んでないのですが、
「博覧強記」ならぬ「記憶喪失」の主人公みたいですね、皆さんの
書きこみを拝見していると。主人公が「記憶喪失」だと、主人公の
想起というかたちで何かを引用することは、困難ですよね、おそらく。
『深淵』の連載はいつごろ開始されたのでしょうか。サイトの掲示板の
閉鎖の前なのか、あとなのか。また、『神聖喜劇』以後、『深淵』以前の
長編小説で「記憶喪失」をテーマとして扱った作品はあるんでしょうか。
ご教示願えれば幸いです。
853吾輩は名無しである:02/12/22 16:23
854吾輩は名無しである:02/12/22 17:47
池袋のジュンク堂にあるよ。春秋の花もあるよ。
855773:02/12/22 19:16
>>853さん、854さん
池袋のジュンク堂に問い合わせて、ない、という話だったんですが。
確認してみます。
856773:02/12/22 19:29
問い合わせたところやはり、ない、ということでした。
bk1ならあるんでしょうか。ともあれご親切に感謝します。
857773:02/12/22 19:43
>>853さん
>>854さん
bk1でとりあえず注文しました。あるといいのですが。期待して待つことに
します。
858ベトン:02/12/23 14:07
>773さん
文学理論や現代哲学について、ぼくは何も述べることが出来ないので、
少しの感想を……、
現在オンライン連載中の 『深淵』 にも共通することですが、大西氏は、
新作毎に文学的に“新たな(?)試み”を、行っていると思います。
この作品ではこれ、あの作品ではあの点と、逐一指摘できるほど、ぼくは
まとめていませんが、新作 『深淵』 では、突然作者が声を出し、主な登場人物
の履歴を一覧紹介した第33章の4の部分や、オンライン上で、訂正、加筆、
変更などが、随意おこなわれ、作者の創作の息吹(過程)に読者が近距離で
接していることも、たぶん“新しい出来事(試み)”なんだと思います。
それから、いくつもの自作(『深淵』 も同じく)に、自作の小説、エッセイ、まれに短歌等を
頻繁に引用するのも、他に多くの例を見ない行き方なのでは、と思います。
大西氏の文章・文体・様式・表現方法については、773さんの考察に、ぼくは期待
しますが、取り敢えずぼくは、そのことの考察より、その表現方法と切っても切れない
関係にあるところの、中身・内容・思想・認識の方に興味が先立つ者です。
『神聖喜劇』の“剃毛シーン”描写の精神は、『深淵』 においては進化(深化)せられて、
人間における “デモーニッシュな物”=性 の科学的・理論的・倫理的な追究・把握(文学的表現の付与)と、
その読者への提示が実践されています。
例えば、村上春樹先生は、“そして我々は寝た。”(『羊をめぐる冒険』)的な
文学表現からの脱却を、いま成し得ているのかなぁ、今度、『海辺のカフカ』 が、古本として
出回ったら、買ってみよう。(駄文恐縮)
859吾輩は名無しである:02/12/24 00:30
死節時って何?
860ベトン:02/12/24 06:31
>859
「無駄」とか「枝葉末節」とか「非本筋」とかの意味かな?
861吾輩は名無しである:02/12/28 13:32
「コンプレックス脱却の当為」age。
862 :02/12/28 20:29
一つの誠心《まごころ》age。
大西氏を読んで以来、わたしは、捏造を“でつぞう”としか読めなくなった。
しかし、妄想を“ばうさう”とまでは、読むようにはならないけど…。
863773:02/12/30 15:43
『迷宮』が届いたので読み始めたのですが、これ奇妙な小説ですね。
3人称客観描写なのに、異様に語り手や書き手が自らの存在を読み手に
感じさせる。登場人物たちの会話が古めかしいせいだけではなく、
たとえば、丸カッコの使用とか、そういうところに近代小説では苦労して
隠蔽しようとしていたはずの上演性=再現性があっけらかんと顔を出す。
まだ84ページまでしか読んでませんが、ミステリーなんですよね、これ?
ラストの種明かしは別にして、皆さんは、この作品にどんな感想をお持ち
なのでしょう?
864773:02/12/30 15:48
あと、フジテレビで1月3日深夜にロッセリーニの『ロベレ将軍』
放映されますね。大西氏はロッセリーニお好きなんでしょうか?
私が『神聖喜劇』の例の「剃毛」のエピソードでロッセリーニの
『戦火のかなた』を思い出したのは、あながち間違いではなかったのかな、と
思いました。
865ベトン:03/01/01 19:00
>>864
『ロベレ将軍』の情報をどうも。
大西氏は、『ロベレ将軍』の感想文を書いています。
(60年『映画「ロベレ将軍」について』)
ぼくは観たことないので、1月3日はぜひ観ます。
『戦火のかなた』は、ぼくも高校生の時とかその後にもNHKかで観たことあるけど、
「剃毛」と関連するシーンがありましたか?
『ロベレ将軍』のテーマ「二重スパイ」と少しつながる気もする、『西欧人の眼に』
ジョウゼフ・コンラッドを、ぼくは去年読み、コンラッドのその他の政治小説も読み
たくなりました。新年age。
866773:03/01/01 23:56
>>ベトンさん
『戦火のかなた』に直接「剃毛」に関連するシーンはないです。
ただ、あの映画でのロッセリーニの「歴史」の描き方に、
『神聖喜劇』の「剃毛」の場面は似ているんです。実際にそんなことが
あったかどうかはさだかではないが、もしかしたらありえたかもしれない
出来事としての「歴史」。私はロッセリーニの映画が好きで、今から
10年以上前になりますが、日本未公開のものも含めて10作品ほどまとめて
上映された折には、映画祭の期間中、映画館に通いつめました。
また、最近、知人がロッセリーニで論文を書いたりもしたので、ちょうど
ロッセリーニの映画論やインタビューを読み返している最中だったり
します。

最中といえば、昨年末、ふとしたことから、安楽死や尊厳死について
考える機会があったのですが、そんなときに『迷宮』を読んで、少し
驚きました。考えていたのは、近代において法律以外のフィクションに
よって安楽死や尊厳死を権利として肯定することはいかにして可能か、と
いうことでした。私は自分は安楽死や尊厳死を権利として選択できるように
したい。しかし、家族や友人がそれを選択するときにはきっと止めたいと思うに
違いない。そして、そのいずれをも法律による決定にゆだねたくはない。

「自由意志」の存在をめぐるそうした難問にまだ答えは出ていませんが、
この問いを「フィクション」との関わりで考えているひとがいたことに
勇気づけられました。脳死による臓器移植にしても、人間のクローンにしても、
生命倫理に関わる問題には、小説という形式によって、あるいは、芸術という
何かによって、そしてそれによってのみ、可能な何かがあるのではないか、
という思いが、『迷宮』を読んでさらに強くなっています。
867773:03/01/02 01:31
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。
今年も大西氏の旧作が新版で復刊されることを祈ります。
868吾輩は名無しである:03/01/08 06:37
重力2号 鎌田・大西往復書簡があるよ。
869ベトン:03/01/10 01:00
皆さん、あけましておめでとうございます。
思いつくまま、何か書いてみよう。
どうして、ぼくのごとき特別な能力も才覚も知性もない男が、
僕とは正反対の大西巨人に出会って、その思想と志操に深く
共鳴したのかと考えてみると、そこにはやはり“社会主義”という
思想が橋渡しをしていると思われる。自らの政治思想を臆することなく
表明している作家で、その思想を裏切らない仕事をしている作家が、
この国にどれほどいるだろう? 
ぼく自身は、子供の頃、炭鉱の街に育ち、父が炭鉱の下請け小企業で
働いていたため、医療・移動手段などにおいて本工・元請の子供とは
差別があり、理不尽なコンプレックスを抱懐させられて育ったことで、
社会の在り方への素朴な疑問を幼少時から漠然と持っていて、その感情が
自然と膨らむような事情に出会うことこそあれ、決してシボますような出来
事には出会わなかったわけです。“何か間違っているこの世の中”と感じ続ける
僕の心情及び信条には、当時のソ連に対する正しい批判も含めての、いかなる悪口雑言をも
越えて、社会主義社会(思想)は魅力的・吸引的社会(思想)となっており、しかし
野球の松坂選手風に言えば、その自信を確信に変えてくれるモノに出会えたのが、
つまりは大西巨人なわけです。過去、「難物な大西巨人(の作物)が好きとは、珍しい」と、
何度か言われた事がありますが、上記の理由から、ぼくにはチットモ難物でも難解でも
ないわけです。こんな単純な読者を大西氏は迷惑がるでしょうが、まあ良いでしょう。
なんの党派にも属さないまま今でも、清算的意味でのソ連の崩壊・解体に及んだ10年
ほど前の出来事は、僕には反動的歴史以外の何物でもないことはいうまでもありません。
(推敲もしない駄文なのでsage。)
870吾輩は名無しである:03/01/10 01:09
オッサソの60年代(50年代?)懐古スレってここですか?
871名無しさん@まいぺーす:03/01/10 02:49
>>869
ベトンさんのおっしゃる大西巨人文芸の根本的な単純さというのは、大事な
勘所でしょうね。その理念と表現との対応関係というのを少しずつでも明らか
にしたいというのが、個人的な願望です。773さんがご指摘の『迷宮』の普遍的
でありながらきわめて個性的でもある語り手のあり方というのも、イデーの問題
と関わらせて何か言えそうな感触があります。それにしても、『迷宮』は、「ぴい
ぴいしている」といった俗な語を地の文で用いるなど、さりげなく実験が試みられ
ている作品でありますね。

 昨日の朝日新聞の朝刊に光文社文庫の広告が載っていました。「心にしみる物語
フェア」を実施中とのことですが、宮本輝『葡萄と郷愁』・佐藤正午『ジャンプ』
と並んで『神聖喜劇』がラインナップに加わっているのには、苦笑させられました。
癒しを求めて読み出したら、えらい目に合いそうですね。もちろん、「心にしみる」
人がいれば、それはそれで結構なのですが。
872773:03/01/10 10:35
>>871さん
小説を、理念を表現する形式である、と手段化すると、登場人物もまた手段化
されて物語の客観性が生まれますよね。ただ、これは長編連作ならともかく、
それ以外でやると、たんなる「ご都合主義」になってしまう。たとえば、
『迷宮』における「妻」や「障害者の息子」の使われ方は、普通なら、
「ご都合主義」と言われても仕方のないものだと思うんです。

そのように言われることを阻んでいるものがあるとすれば、それは、『迷宮』が
3人称で書かれた「私小説」という性格を帯びているからですね。書き手の
「分身」が存在する「可能世界」を3人称で書いた「私小説」。登場人物の
設定だけでなく、たとえば、実在の人物が書いた文章を当人に承諾を得て
作中に引用していることを、書き手が読み手に註で断っていることによっても、
「私小説」性がきわだたされている。そうした「私小説」性によって、物語に
書き手=語り手の苦悩が反映されていて、登場人物をたんに手段化している
わけではないかのように、見える。

ただ、私は、書き手=語り手にとって「他者」であるはずの「妻」と「障害者の
息子」が手段化されているところは、やはり、ひっかかるんですね。「夫」=「父」の
目的の手段にされてしまっていて、それが「私小説」性によって正当化されかね
ないところに。この作品、たとえば、「妻」の1人称で書いたらどうなるか、
そう考えてしまうんです。その方が、書くことの困難は大きくなるはずで、
書き手に要請される倫理も厳しくなる。しかし、その「厳しさ」は、『迷宮』の
テーマには必要なのではないだろうか、と。
873773:03/01/10 10:40
上の書きこみの「たんなる「ご都合主義」になってしまう」は、「たんなる
「ご都合主義」になってしまう危険がある」に訂正します。
874名無しさん@まいぺーす:03/01/12 01:28
>>872
773さんのご意見に途惑っています。例えば、「書き手=語り手にとって「他者」で
あるはずの「妻」と「障害者の息子」が手段化されているところ」に「ひっかかる」
とおっしゃっていますが、「書き手=語り手」と「「夫」=「父」」との同質性が
検討されることなく、前提になっていないか。「「妻」と「障害者の息子」」とは、
「「夫」=「父」の目的の手段にされてしまってい」るとは、具体的に何を指すのか。
少なくとも、僕は、『迷宮』の皆木家の内部に抑圧−被抑圧の要素・徴候を読み取る
ことができませんでした。引用に関する作者の断りを「私小説」的な身振りと解する
ことにも、違和感を持ちました。やはり、それは、「仮構の独立小宇宙」の構築を行う
ための実践の一つとして考えるのが適当ではないでしょうか。
 硬直した理念の反映によって登場人物が操り人形と化し、小説世界が閉じたものとなる
ことを一概に否定するものではありませんが(むしろ、多くの小説がそれに該当すると
言う方が適当でしょう)、大西の作品は、理念を主体的に内面化した主人公(たち)を
行動させることによって、そうした陥穽から免れているように思えます。
875773:03/01/12 14:40
>>874さん
私は『迷宮』が探偵小説の形式で書かれていることが、私の「ひっかかり」を
生んでいると思うんです。「謎」を「解明」するという目的のために登場人物が
手段化されざるをえない形式で。

で、「少なくとも、僕は、『迷宮』の皆木家の内部に抑圧−被抑圧の要素・
徴候を読み取ることができませんでした」とのことですが、これには異論は
ありません。というよりそうしたことは書かれていない。にもかかわらず、
ここで「夫」と「妻」の立場を逆にした場合にこの作品が成立するか、
「探偵」役を女性にした場合にこの作品が成立するかどうか、と
思うわけです。つまり「理念」の主体的内面化において、あらかじめ
既存の性差が前提されているのではないか、と。その場合、「『迷宮』の
皆木家の内部に抑圧−被抑圧の要素・徴候を読み取ることができ」ない
ことそれ自体が、問題を孕むものとなるのではないかと思います。つまり
「聖家族」を表象してしまってはいないか、ということです。

「私小説」に関しては、註で「私」ではなく「作者大西」と書き、皆木
旅人のキャリアや皆木文成の病気の設定がああである以上、そのように
読まれても仕方がない、のではないでしょうか。註が874さんのおっしゃる
ような実践として書き手に「意図」されており、そうしたものとして実際に
ある効果を発揮しているとしても、それは「私小説」として読まれることを
排除するには至っていない、ということです。
876ベトン:03/01/13 01:45
>>まいぺーすさん >>773さん

おふたりのやりとりは、わたしの頭をそれなりの(わたしの頭脳なりの)思考
へと促してくれます。ありがたい事です。大西氏に関しては、こんな場をわたしは
他には知りませんから。
773さんが教えてくれた『ロベレ将軍』は、わたしの地方では放映されず残念
でした。レンタル屋さんにリクエストしてみます。生産停止になってる可能性
が高かろうと思われますが。
大西氏関係では、廃盤とか廃版とか品切れとかの言葉と相性がよくていけねぇ。
877名無しさん@まいぺーす:03/01/13 14:00
>>875 
 773さんの主張は、依然として、僕には不可解です。ある一見普遍的な言説が既存の
ジェンダー体制を追認・補完するものであることは(多く)あるでしょう。その場合、
そのイデオロギー性は、具体的に批判されればよい。『迷宮』において、僕は、性差
に基づく権力関係が読み取れないことを主張し、それには、773さんも異議を唱えられ
なかった。とすれば、まずは、『迷宮』が現在のジェンダー体制から抜け出ていること、
自由であることを評価すべきでしょう。根拠を提示されることなく、妻の視点からの
『迷宮』というオルタナティヴ(の不可能)を言挙げする773さんの意図が分かりません。
 「私小説」の理解については、読者が作品をどのように読むのも自由であるとすれば、
それも一つの立場でしょう。けれども、自筆年譜や略歴を一度も書いたことのない作者と
小説の主人公とが「大西巨人」という記名によって結ばれるとは、とても思えません。
注記がなくとも、作品外事実と作品とを対応させて読む読者はいるのであり、結局、773
さんの立場は、そこに含まれるのではないでしょうか。
878773:03/01/13 19:45
>>877さん
私が立てた問いは、「理念」の主体的内面化において、あらかじめ
既存の性差が前提されているがゆえに、物語においては「皆木家の
内部に抑圧−被抑圧の要素・徴候を読み取ることができ」ないにも
かかわらず、「『迷宮』が現在のジェンダー体制から抜け出て」、
「自由である」ことができていないのではないか、というものです。
表象されたもののレベルでは「抑圧−被抑圧の要素・徴候」はない。
しかし、表象行為のレベルで既存の性的差異が前提とされてしまって
いはしないか、と。「聖家族」という表象されたもののレベルには
「抑圧−被抑圧の要素・徴候」はないが、「聖家族」を表象するという
行為のレベルには「現在のジェンダー体制を追認・補完」しかねない
ものがある、ということはおかしくないのではないでしょうか。
これについては、少しずつゆっくりと説明させてください。

「私小説」に関しては、私は「作品外事実と作品を対応させて読」んだりは
しません。それは『神聖喜劇』をめぐるいくつかの書きこみを読んでいただ
ければわかると思います。私が言っているのは、「注記がなくとも、作品外
事実と作品とを対応させて読む読者はいる」状況で、「註」をつけることに
よってそのような読み方が妥当であるかのように思われかねない、という
ことです。大西氏のご子息の病気に関しても、大西氏と渡部氏との一件に
ついては、渡部氏のネームバリューのおかげで、大西氏の文章を一行たり
とも読んだことのない者でも知っていたりしますし。そして、私は、
この「私小説」性に関しては、それが表象行為における性的差異の問題を
隠蔽する限りで、問題だと考えているのであって、「書き手の「分身」が
存在する「可能世界」を3人称で書いた」ものとしての「私小説」を、
あってはならないものだ、と言うつもりはまったくないです。
879吾輩は名無しである:03/01/13 21:29
タバスコって頭悪いよね。
880ベトン:03/01/13 23:14
>>878さん
「聖家族」問題のことはさておき…
第四章の終わりの 「註」 において、“作者大西”という書き方があることが、何か作品の
私小説性を匂わす(そのような読みを誘う)との事ですが、ぼくには理解しがたいな。
ご存知のように、『迷宮』は、書き下ろし作品ではなく、雑誌EQへの連載物です。
それだから、第四章連載分の最後に、作中引用文の原典の明示を読者に行っているんじゃないのか?
そしてそれが、単行本になって猶、作品の最後ではなく、第四章の末尾に置かれていたとしても、
作中引用文の原典の読者への明示以外の何の意味も、そこに僕は見ないんですが…。
そして、登場人物に作者及び家族の面影つまり原型としての作者自身を僕も見ますが、
見ようが見まいが、それは、『迷宮』が私小説であることの証拠でもなんでもない。
ぼくも「私小説」はあってはならないとは思いませんが、こと、大西氏の作品にお
いては私小説はあってはならないとは思っています。『迷宮』に、「性的差異の問
題を隠蔽する役割をもって、私小説の姿が採られている」というような事について
は、(子供の病気の事などでは)証拠として弱いので、今後の説明をお待ちします。
上手く言えてないので、また書きます。
881シワダ:03/01/15 15:32
何も具体例を述べずに書き込むことをお詫びします。
私は大西巨人の作品の随所に性差による役割分担があると『感じ』ています。
照明する力量もなくこんなことを書き込み、議論の余地がないのですが、
女性は東堂にはなれない、女性を東堂にしたら物語が成り立たないと
『感じ』ます。
これでは、まるで「女性を拒否した」といった瀬戸内氏と同じ、墓穴を掘っていますので
また、ロムに専念します。
882シワダ:03/01/15 16:16
しまった
照明→証明 お恥ずかしい。
883名無しさん@まいぺーす:03/01/16 05:17
>>881
粗雑に言ってしまうと、性差による役割分担があるようで、ないのが大西巨人文芸
ではないかと、僕は思っています。一般男性も「東堂にはなれない」、一般男性を
「東堂にしたら物語が成り立たないと『感じ』ます。」。シワダさんの揚げ足を取る
つもりは毛頭ありませんが、一言。
884773:03/01/17 16:48
私の違和感を一言で言うと、ジャック・ラカンの著作における
「性的差異」の説明を読んだときと似た居心地の悪さ、と
いうことになるのですが、これでは説明があまりにも不十分なので
前にも申し上げた通り、順を追ってゆっくりと説明させてください。
今は、どこから話をはじめればよいのか、考えている最中です。

これまでよりも前提にしていることが多いので、ひとつずつ積み
重ねていかないと、話が混乱しそうですし、また、できるだけ
専門用語は使わず、使う場合はきちんと定義して使いたいと思いますので。
知人のサイトに文章を連載させてもらいながら、自分でも自分の言っている
ことを確認しながらの作業ですので、時間がかかりますが、よろしく
お付き合いのほどをお願いします。
885山崎渉:03/01/20 07:03
(^^)
886名無しさん@まいぺーす:03/01/23 01:21
 生活クラブ事業連合生活協同組合連合会の発行する書籍紹介紙『本の花束』226号、
2003年1月1日に「作家大西巨人さんに聞く 『神聖喜劇』の世界』」と題したインタビュー
が掲載されています。聞き手の一人は、武井昭夫。市販されているものではないので、
入手はなかなか難しいかもしれません。印象的な発言を幾つか引いておきます。
 「(冬木二等兵の登場の仕方が印象的であるという指摘を受けて)序章で冬木が海を
渡っていく場面について、花田清輝さんが「あぁ、ここはいい、この冒頭はだんだん地獄が
近づいていることを非常によくあらわしている」と言ってくださった。私は小説を書く
ときに、行き着く先はわかっているのでう。E・A・ポーは「結末を眼中に置く」と言ったが、
作家は、常に結末を眼中においている。ある意味でこれを目指しているということがある
んだが、それをどう表現し、実体化するかに時間が要ります。だから被差別部落民の冬木が、
比較的早くから東堂に対して共鳴し、ああいう抵抗をしていく人間であることはわかっている。
けれども冬木が作品の最後の方で、「はい、鉄砲は……」「前とかうしろとか横とか向けて
より撃たれんとじゃありません。上向けて、天向けて、そりゃ、撃たれます」と決然と言って
のけるという形でわかっているということではないのです。」
887名無しさん@まいぺーす:03/01/23 01:29
(続き)「(「大西さんにとっての文学とは、なんですか?」という問に対して)
私と文学との関係を考えると、もし目の前に大きな権力があって、お前が文学・もの
を書くことをやめないのなら、牢屋に叩き込むぞ、あるいは死刑にするぞと言われても、
「いえ、私は書きます」と言うのが、文学である、と。私はオスカー・ワイルドが好き
ですが、彼は芸術至上主義者であり、同時に社会主義に共感をもっている。キーツの詩に
「美は真をつらぬく。真は美をつらぬく」という言葉があるが、文学とはそういうもの
でしょうな。ワイルドは、美を追求してして、それが真をつらぬくことになる。当時、
同性愛の罪で彼は捕らえられるのだが、『獄中記』の中に牢屋の窓から外を見て、「この
木々は、表現を求めておる」という一節がある。人びとが表現を求めているということは、
大切にしなければ……」
888773:03/01/27 00:16
しばらく忙しいので、申し訳ありませんが、『迷宮』についての
書きこみは、気長にお待ちくださるよう、お願いします。必ず
説明いたしますので。
889名無しさん@まいぺーす:03/01/27 01:54
 検索をしていて、可能涼介さん(すいません、どういう方か、よく存じ上げません。
ご存知の方があれば、ご教示ください。)なる方の大西巨人宅訪問記を見つけました。
アドレスは、以下の通り。

ttp://www2.cafeopal.com/diary/02/oct/diary021027.html#021101

終始、話が弾んだ様子が報告されています。『村の石屋』について、作者が川端の
『掌の小説』に比肩するという手応えを感じているという、興味深い話も。
 以前、868で『重力』2号に鎌田・大西の往復書簡が掲載されるという紹介があり
ましたが、『重力』のホームページでは、まだ告知されていないようですね。楽しみに
待ちたいと思います。

>>888
 お気になさらずに、機が熟したら、よろしくお願いします。
890吾輩は名無しである:03/01/27 02:42
重力のHPから2号の出版元である作品者のHPいけば、紹介がでてるよ。
891吾輩は名無しである:03/01/27 02:43
http://jsweb.muvc.net/index.html
 ★お気に入りに追加してしまったアドレス★
892名無しさん@まいぺーす:03/01/27 03:06
>>890
 本当ですね。ご教示ありがとうございます。鎌田哲哉と大西巨人のファースト・
コンタクトですね。68年革命特集など、他の記事も面白そうで、いよいよ楽しみです。
これも、アドレスを貼っておきます。

ttp://www.tssplaza.co.jp/sakuhinsha/book/kinkan-info.htm


893吾輩は名無しである:03/01/27 18:13
よく行くプクオフみたいな店で、
大西巨人編 日本掌編小説秀作選上下を400円でゲトしてしまった。
『迷宮』もあった。持ってたから買わなかったけど。

まさか入手できるとはおもわんかった。
894吾輩は名無しである:03/02/01 19:10
おお、そりゃいい買い物したね。おめでとう。
895ベトン:03/02/02 18:49
>まいぺーすさん
『本の花束』226号の巨人先生インタビューの引用をありがとうございます。
大西さんは『日本掌編小説秀作選』も含めて、僕にとって、最高の読書(水先)案内人
なんですが、オスカー・ワイルドが好きというのは初耳だし、僕はワイルドは未読なんで、
1冊は読まないといけないな。本当に大西氏という人は本好きというか読書の達人というか、
僕が新聞社とか何かの編集者なら、大西氏に週一で本紹介のコラム欄を(もちろん高給で)
是が非でも担当してもらうのに…。日本の編集者(文化担当記者)が、大西氏という宝を
いわば“持ち腐れ”させている無能さ・無策さには、もったいない、もったいないという
ため息が、僕の口からつい漏れる。もちろん大西氏が超遅筆ということは勘定に入れても、もったいない。
ところで、『深淵』に出てきた木々高太郎を僕はさっそく読みました。『文学少女』『わが女学生時代の罪』ほか、
魅力的な作品です。『人生の阿呆』も読みたいですが、高価(9800円)復刻版のため、タメラッています。
896吾輩は名無しである:03/02/06 22:17
大西巨人における「何か監獄の類」ってなんですか?
897吾輩は名無しである:03/02/07 00:59
>>896
なんですかそれ?
898吾輩は名無しである:03/02/10 23:19
現在は引退した大先輩が在籍していた頃は大西さんから連載エッセーの原稿をもら
ったりしたこともありましたが、その先輩が上からにらまれ、紙面改悪で会社の上
層部からあれを載せろ、これは載せるなと指令が飛ぶようになり、古山高麗雄が亡
くなった時など、かつてコラムを連載していたことなど触れずに「新しい歴史凶科
書をつくる会の賛同人だった」云々といった恥さらしの亡者原稿が載りました。
そして大西さんは「本当に巨人か」などと、山崎乞太郎なる三流批評家に攻撃文を
2度にわたり書かせました。慶応出身の人間が多く、よほど大西さんの江藤淳批判が気
にくわなかったのでしょう。今後は親の七光りやタレント学者のゼミの出身者があ
る特定の「上」の腰巾着よろしく、偏向しきった学芸記事を垂れ流し続けるのでし
ょう。大西ファンとして、この新聞社の卑劣な人身攻撃には厳しい監視の目を光ら
せていくつもりです。
899名無しさん@まいぺーす:03/02/12 01:30
>>898
 「意思−−私のガン体験」の連載がありながら、「斜断機」が低劣な攻撃(高澤
秀次もそれに加わっていましたね)をするのを不思議に思っていましたが、なるほど
そういう事情があったのですか。「先輩」の無念・やるせなさが思われます。
 山崎行太郎は、その後月刊誌『自由』の連載コラムで、さらに大西への中傷をエスカレート
させていました。事実レベルで数多くの間違いを含み、引用も出鱈目で、一読呆然と
すること請け合いです。文芸評論家には、こんなつまらない人もいるのですね。大西赤人さんも、
ホームページのコラム「山崎行太郎氏「大西巨人は本物の『巨人』か?」のデタラメ」・
「天下の『産経新聞』に、署名入りで“与太”を書く「東工大講師 山崎行太郎」氏」で
批判を展開しています。

ttp://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/column26.htm

ttp://www.asahi-net.or.jp/~hh5y-szk/onishi/column29.htm

 『産経新聞』へのウォッチャーを続けられるとのこと、期待しております。
900吾輩は名無しである:03/02/12 01:51
山崎行太郎はゴミですね。
以前、糸圭氏が山崎のことを「史上最低の批評家」と述べてたけど納得。
901吾輩は名無しである:03/02/12 03:14
山崎乞太郎の駄文が載ったのは、先輩が閑職に追いやられた後、かなり後の
ことです。先輩がいれば、あんな恥さらしなマネはしなかったはず。

あの新聞は京大教授を務めた天皇制批判の歴史学者、井上清の訃報を載せな
かったり、大西さんがよくその作品を引用する歌人の齋藤史が死んだときも
他紙が3段の見出しをつけて馬場あき子の追悼コメントを載せたのに、「戦
後の生活詠んだ歌人」とかベタ記事で、先輩の「文学や思想に関して、この
会社にはメクラしかいない」と痛罵したのがよく理解されます。あと白洲正
子が死んだ時も訃報はベタ記事。歴史家の萩原延壽が死んだときも他紙が夕
刊で識者や記者が追悼文を寄稿していたのに、書ける記者がいない、あるい
は原稿料が惜しくて外部の執筆者に書かせないという惨憺たる有り様でした。

江藤淳をかつぐ幹部が多いようで、ぜひとも彼らには「批評空間」の渡部直
己らによる大西さんへのインタビューをしっかり読んでもらいたいものだ。
江藤があのように無様な最期を遂げた直後、お涙頂戴的な追悼文が新聞や雑
誌に洪水のようにあふれたが、大西さんの批判と、西部邁が軽井沢で初めて
会った折の高圧的な江藤の言動を回想した追悼文こそ、出色の江藤論だった。
902吾輩は名無しである:03/02/12 10:02
> 西部邁が軽井沢で初めて会った折の高圧的な江藤の言動を回想した追悼文

 良かったら、この出典や内容などを教えて頂けると嬉しいのですが。

 確かに情けない男だと思います。吉田満の『戦艦大和ノ最期』のあとがきに
「陛下に拝謁を賜りたる日に」などと書けるバカモノは、そう居ない。
903bloom:03/02/12 10:10
904吾輩は名無しである:03/02/12 21:24
 たしかに生前における江藤氏は強者として振る舞ったといってよいであろう。私が
氏と会ったのは六、七回で六、七時間にすぎないが、その度その間ずっと、氏は強者
に立たんとする言葉遣いと物腰をとられた。たとえば、十五年ほど前の夏のこと、故
田中美知太郎との対談で軽井沢に赴いた私は、ある新聞記者の仲立ちで、江藤氏の別
荘を訪れることになった。会うなり氏は「君が栗田健男中将を弁護しているのはまっ
たくけしからん」と、机をどんどん叩きながら、かなりの剣幕であられた。私のほう
もいささか憤然として、「栗田艦長を弁護したんじゃありません。一万余の将兵を抱
えて、彼らに最善の死に場所を与えようと模索しているうち、機会を見失った可能性
があるといっただけです。自分があのレイテ海戦で艦長の立場にいると想像してみた
ら、命令への服従が軍人の掟とはいうものの、部下にせめてよい死に場所をみつけて
やりたいと思うであろう、と認めてどこが悪いんですか」と抗弁した。
 やがて、「そうか、君は艦長の身になってみたんだ。そういうことならよいだろう」
と氏はいわれ、その言い方に愛嬌があって私はほっとした。しかし氏が生のウイスキ
ーをのむ速度は相当で、それにつれ机を叩く回数も増えていった。私は酒席にはなれ
ているので、氏の会話法に順応するのに困難は感じなかった。とはいえ、その間に私
には受け入れ難い出来事が起こって、内心は穏やかではなかったのである。
905904:03/02/12 21:36
 軽井沢に同行していた別の新聞記者が、江藤氏から招待されてはいなかった
のだが、我々に合流したいと希望した。私の勧めもあって、彼は我々より一時
間くらい遅れて江藤邸に電話を入れ、お邪魔してよろしいかと尋ねた。江藤氏
の返事は「これから食事なんだ。君の分は用意していないので、一時間後に来
給え」というものであった。私は奥様の焼かれたビーフステーキをいただきな
がら、北軽井沢駅前の暗がりで時間を過しているその新聞記者の様子を想像し、
正直にいって嫌な気分になった。各家に独特の仕来たりがあるではあろうもの
の、その記者が可哀相ではないか、嫌な気分になっている私のことも少しは忖
度してくれてもよいではないか、と私は不満に思った。しかし今にして考えて
みれば、江藤氏とその記者のあいだに何らかの確執があったのかもしれず、ま
たそれを私に説明するのは余計なことという判断があったのかもしれない。
906904:03/02/12 21:44
904、905のカキコはいずれも「文學界」平成11年9月号所収の西部
邁「自死は精神の自然である」からの引用。この部分だけでなく、江藤の欠
点が的確に指摘されており、大西さんによる批判ともども、あの異様な追悼
ムードの中で痛快を極めた江藤論だった。

痛快なのは「江藤の弟子」であることを看板に、政治力や人脈で自分の望む
部署や地位で権勢を誇ろうとしていた、無能な弟子どもが「喪家の狗」にな
ったことだ。師の亡き後も、その少しメッキのはげかかった看板を楯に、出
世や栄達を図るのであろう。そいつらが書き散らす駄文にも監視の目を光ら
せる必要がある。
907吾輩は名無しである:03/02/12 23:45
言語学者の鈴木孝夫氏も江藤への追悼ムードを相対化するために、
というか世間一般に流布してる江藤像と自分がじかに接した江藤が
あまりに違うのでそのことについて、あくまで自分個人からみた江藤と
いうことで文章書いていたね、どっかに。かなり傲慢だったとか。
これから雑誌さがしてみよっかな。
908吾輩は名無しである:03/02/13 00:29
>>907
「新潮45」に掲載された文章だね。
909名無しさん@まいぺーす:03/02/16 05:59
『思想運動』第687号、2003年2月1日に大西巨人のエッセイ「D−ハメット作『血の
収穫』のこと」が掲載されています。『神聖喜劇』「第二部/第三 現身の虐殺者」
において、東堂太郎が火葬場で『血の収穫』を読む場面を坪内祐三が印象的に言及した
ことを取り上げたもの。『新日本文学』連載時、編集者であった笠啓一氏が感想を述べて
以来、そこに注目した発言を行った者はなく、坪内氏で二人目とのことです。「私の
昨二〇〇二年は、とりわけ取り込み多く、あわただしく、無為に、あっと言う間に過ぎ
去った。」、『神聖喜劇』の復刊が「唯一の有意義な出来事であった。」という総括から
文は始まっていますが、やや気になる書き出しですね。
910吾輩は名無しである:03/02/21 09:59
age
911吾輩は名無しである:03/02/22 14:25
『血の収穫』といえば、ダシール・ハメット。といえば『子供の時間』(あるいは『うわさの二人』)
のリリアン・ヘルマン。『うわさの二人』といえば、『尼僧物語』のO.ヘプバーン。
『尼僧物語』といえば、『ジャッカルの日』73年や『ジュリア』77年のフレッド・ジンネマン。
『ジュリア』のヴァネッサ・レッドグレープが、2000年作映画『ウーマンラヴウーマン』の61年ころのレスビアン
女性のひとりとして出てて、彼女の魅力に久しぶりに触れた。この映画は、61年、72年、2000年のレスビアン
を3話に分けてオムニバスに描いてる。映画全体としては同性愛が社会的に段々認められてきた
なぁという、おめでたい、牧歌的なアメリカ社会礼賛的ストーリーで拙かったけど、61年の挿話は
役者が良くてヨカッタ。
『ジャッカルの日』といえばエドワード・フォックスの名演。E.フォックスといえば、この前BSでみた
オールスターキャストの『遠すぎた橋』にも出てた。
(以上、大西氏のこととは直接関係ない連想ゲームでした。)
912吾輩は名無しである:03/02/22 14:26
↓↓↓↓↓★ココだ★↓↓↓↓↓
http://jsweb.muvc.net/index.html
913吾輩は名無しである:03/02/22 15:30
37 :アンチ☆ニヒリスト ◆a9ChINOVJ2 :02/11/23 16:47
off会参加希望メールは1通来ました。
ただ、その送り主の方は、学力が低く、スガ秀実氏の著作を理解しているとは
思われないので、呼ぶかどうか躊躇しております。
その方は学力が低いのですが、具体的にどう低いのか、例を挙げておきます。
その方は英文学専攻の大学生(3年か4年)なのですが、英単語の
「jargon((一般の人にはわからぬ)専門語)」も「sexist(性差別主義者)」
も、とある掲示板で他人から指摘されるまで知らなかったんです。
そのように自分の専門分野の事もよく知らないような低学力な方は、
今回のオフ会には基本的には呼ばない方針です。
ある程度、学力の高い方の為のオフ会にしようと考えております。

低学力の方の為のオフ会は、開催するとしても、また別の機会にしたいと
思っております。                          
914吾輩は名無しである:03/02/23 16:19
反戦自衛官小西誠氏も大西巨人を読んで、闘いを開始した。
「僕が自衛隊のなかで最後に闘う決断をしたのは、羽に五郎さんの「現代とはな
にか」という本の中での言葉「もしも、戦後日本が民主主義社会であるという
なら、自衛隊員の中から反戦に立ち上がる人が出てもおかしくはない」との
一言でした。これ以来、羽に五郎さんは「戦後の最後の知識人」として尊敬し
ています。-略-大西巨人「神聖喜劇」の第一巻は69年頃に発行されましたが
、この小説を読んで、「自衛隊の中でも闘える」という確信を持ちました。」
http://6015.teacup.com/shakai/bbs
915名無しさん@まいぺーす:03/02/26 06:25
>>914
 小西誠氏のことは、大西も鎌田慧との対談「個の自立について」(『大西巨人文選 4
遼遠 1986−1996』〔みすず書房、1996年8月8日〕所収)で触れていましたね。恥ずかしながら、
自衛隊に所属中の活動も批評社を起こしてからの歩みも全然知りませんでした。機会があれば、
著作を読んでみたいと思います。ご教示、ありがたかったです。
916名無しさん@まいぺーす:03/03/04 22:47
 少し前のことですが、大西赤人さんが掲示板で連載されている「今週のコラム」の一回、
「ビートルズ『アビイ・ロード』のジャケット写真が改変され、作曲家・三枝成彰氏の講演
が中止になる」で、父巨人のかつてのヘビー・スモーカーぶりに触れています。禁煙を
何度も試みながら、幾度も失敗したという証言もあり。「意思−−私のガン体験」に書かれた
禁煙の理由と実行とに圧倒されていたのですが、さすがに禁煙が一回で成功したのではない
ということを知って、少し安心したような気持にさせられました。


917吾輩は名無しである:03/03/10 12:24
米・英のイラク攻撃が迫っている。といっても、米・英軍は、なんやかやの理屈をつ
けて、日常的にイラクを空爆しているのだけど…。日本も参戦している。
このところのアメリカ・ブッシュ政権の振る舞いとか、小泉政権のカネに物を言わせて、
アフリカの国連非常任理事国への工作(使途など問わない出鱈目な援助)をみている
と、ぼくは大西さんの言葉を思い出す。

「戦争体験の風化を云々することより、物事をつきつめて考える事の風化こそ恐るべしだ。」
という言葉。
国内政治も国際政治もカネで動いている。そして軍事力による威嚇で動いている。
「札束外交」 と 「棍棒外交」 だ。
20万を超える軍隊を展開してイラクを脅し、ハワイに最新鋭戦闘機を配備して
朝鮮民主主義人民共和国を恫喝している。
一方で、理解を超える、考えられない非道な行為を日々繰り返しているシャロン・イ
スラエル政権を軍事的・政治的に支持しているのが、ブッシュ政権だ。
こういうブッシュの二重基準=ダブル・スタンダードを、日本のマスコミは報道しない。
論理的につきつめて論評し、市民・国民に思考の材料を与えるということ、つまり、やるべきことをしない。
こういう有り様がくりかえし僕らの面前にあらわれて、当たり前になり、それを疑問に
思うことが難しくなり、疑問に思う人が、社会から受け入れられないような、孤独な
気持ちを持たされるような、まるで “カフカ的な心境” に陥らされる。
イスラエルの核兵器保有疑惑の件はどうなっているのだろう?
「9.11」の真相は、どうなっているのだろう?
日本の、朝鮮への「戦争補償」は、いつになったらおこなわれるんだろう?

「カネと暴力」 が、我がもの顔にふるまう時代になりました。
文学は、なにをする時なのでしょうか?
918吾輩は名無しである:03/03/10 15:25
超人的な記憶力を備えた 東堂太郎
     ↓ 
超人的な 東堂太郎
     ↓
  超人 太郎
     ↓
ウルトラマンタロウ
     ↓
o(%)○ ジュワッ
919吾輩は名無しである:03/03/11 17:06
>>917
私もアメリカやイスラエルに不快感を持つ者です。しかし、その一方で北朝鮮の核
疑惑やイラクの生物化学兵器疑惑は存在します。917さんはそれらをどうお考え
になりますか?
920新・世直し一揆:03/03/11 17:21
<血液型A型の一般的な特徴>(見せかけのもっともらしさ(偽善)に騙されるな!!)
●とにかく神経質で気が小さい、了見が狭い(臆病、二言目には「世間」(「世間」と言っても、一部のA型を中心とした一部の人間の動向に過ぎない))
●他人に異常に干渉して自分たちのシキタリを押し付け、それから少しでも外れる奴に対しては好戦的でファイト満々な態度をとり、かなりキモイ(自己中心、硬直的でデリカシーがない)
●妙に気位が高く、自分が馬鹿にされると怒るくせに平気で他人を馬鹿にしようとする(ただし、相手を表面的・形式的にしか判断できず(早合点・誤解の名人)、実際にはたいてい、内面的・実質的に負けている)
●権力、強者には平身低頭だが、弱者に対しては八つ当たり等していじめる(強い者にはへつらい、弱い者に対してはいじめる)
●あら探しだけは名人級でウザく、とにかく否定的(例え10の長所があっても褒めることをせず、たった1つの短所を見つけては貶す)
●基本的に悲観主義でマイナス思考に支配されているため性格が鬱陶しい(一見明るく見えても根は暗くて陰気)
●何でも「右へ習え」で、単独では何もできない(群れでしか行動できない)
●少数派の異質・異文化に理解を示さず、排斥する(差別主義者、狭量)
●集団によるいじめのリーダーであり、狡猾(陰湿かつ陰険)
●悪口、陰口を好む(「人の不幸は蜜の味」と言い出したのはおそらくA型)
●他人からどう見られているか、人の目を異常に気にする(だからポーズをとるだけで中身を伴っていないことが多い、世間体命)
●自分の感情をうまく表現できず、コミュニケーション能力に乏しい(だから同じことをレコード盤の再生のように何度も言って変)
●たとえ友達が多い奴でも、いずれも浅い付き合いでしかなく、心の友達がいない(心の感度が低い、包容力がない、冷酷)
●頭が硬く融通が利かない性格のためストレスを溜め込みやすく、地雷持ちが多い(不合理な馬鹿)
●たとえ自分の誤りに気づいても、素直に謝れず強引に筋を通し、こじつけの言い訳ばかりする(もう腹を切るしかない!)
●男は、女々しいあるいは女の腐ったみたいな考えのやつが多い(例:「俺のほうが男前やのに、なんでや!(あの野郎の足を引っ張ってやる!!)」)
921吾輩は名無しである:03/03/11 20:12
>919さんへ
919さんは、917さんに質問してもよいが、まず自分の考えを述べるべきだと思う。
ただ、質問だけをするのは、なんかちょっと。。。。

と、云うことで、他でもない私も何か云わないといけなくなりました。
ブッシュ絶対ダメ、フセインも絶対ダメ。
でもなあ、世界の中の日本国で、選挙の時に一票を投じるしか権力に関われない人間がそんなこと云ってもなあ。。。。

あれ?! こんな私でも、直接、世界のお役に立てるぞ。
例えば、飛行機乗っ取って、悪者達の巣窟に突っ込むとか。。。。。



922吾輩は名無しである:03/03/11 20:25
リベラルじゃないね。>このスレ書き込む人たち
923吾輩は名無しである:03/03/11 22:36
このスレに書き込んでいる連中は、世間では役に立たない、あるいは世間か
らつまはじきにされた人間ばかりだろうね。このスレのかなり前の方に「思
想の平和的共存などありえない」というカキコがあって、読んで慄然とした
ね。このスレの常連がでかい顔してのさばるような社会が出来したら、俺な
どは確実に強制収容所行きだ。922のカキコは核心を突いている。
924吾輩は名無しである:03/03/11 23:21
湧いてきたね・・・
925吾輩は名無しである:03/03/12 00:28
「神聖喜劇」やっと5部まで読了。先は長い・・・。
926吾輩は名無しである:03/03/12 01:43
>923さん
「世間では役に立たない、あるいは世間からつまはじきにされた人間ばかり」

などという低レベルな、人間性を疑わせる、下品な言い草を、なんのためらいもなく
書くような人間(923さん)こそが、“強制収容所”のような物に「役に立たない人間」
を収容しそうに感じますけどネ。自分の「ぞんざいな物言い」のぞんざいさ加減に
反省のないあなたは、悪い意味(否定的な意味)で“強い人”だネ。

オソレイリマシタ。
927吾輩は名無しである:03/03/12 11:59
このスレのかなり前の方に「それなら抗議の意味で税金払うのやめたら」という旨の
カキコがあった。こいつがどんなに大西の文章を読み込んでいようが、社会的に失格
者であることは、議論の余地はない。「低レベルな、人間性を疑わせる、下品な言い
草」をしている奴は、大西読者にもいる。
928吾輩は名無しである:03/03/12 12:40
重力02ってまだ出ないのかな〜
あと、時と無限ってあるじゃないですか、
あれって大西さんはどんな文章を書いてるんですか?
他には収録されてませんか?
929吾輩は名無しである:03/03/12 14:24
922と923の発言は面白いと思う。

大西巨人と「寛容」や「自由」の関係は語るに値する。
大西巨人は時に「リゴリズム」という言葉で形容されたりする。
理詰めで、原理原則を重視し、あいまいなものを排除し、論争相手を情け容赦なく追い詰め、ズバズバはっきり物を言う。
しかし、一見かたくるしい、こうした特長そのものが、読者に「自由」な感じを与えるから面白い。
対照的に、あいまいで、無原則で、なあなあなものが、しばしば「何も云えない息苦しい」状況に帰結する。
時に、ユーモラスな境地に至る「リゴリズム」は「自由」や「寛容」を支えるものだと思う。

ところで、ここの住人が「りべらる」でないというのは、そうかもしれない。
だって、ファン心理というのはそういうもんでしょ。
巨人ファンなら読売新聞とっちゃうでしょ。
藤原紀香ファンがドコモからJ-PHONEに乗り換えたのは、有名な話。

それはそれとして、大西巨人思想でこりかたまった強制収容所を想像するのも楽しい。
抑留者は六法全書を手に、収容所側と理屈合戦をすることを「強制」されたりして。

930吾輩は名無しである:03/03/12 16:31
>>929
929さんが精神的に余裕のある方だということは、文章からよく理解できました。
それでも、私なんか大西さんの「リゴリズム」には本当に心底「もうウンザリ」と、
つぶやいてしまう時があります。ひと言で言って、このスレの住人は心に余裕のない
人が多いと思います。それと、きちんと働いて税金を払っている住人はどのくらいい
るんだろう? 満足に働きもしないくせに、論理だけはいっちょまえで「言説の当否
と職の有無は無関係」なんて言いながら生活保護を堂々と受給しているような連中を
想像してしまうよなぁ。
931吾輩は名無しである:03/03/12 16:34
普通に大西の話をしてくださった方が助かります、ROMとしては。
932吾輩は名無しである:03/03/12 19:02
>>930
君に精神的余裕が無いんだと思うよ。
933吾輩は名無しである:03/03/12 19:42
>930
まあがんばって働きなよ。
君は巨人先生の文章なんて読む必要はないよ。
立派な社会人だからね。
くれぐれも税金を納めることを怠らないようにね。
934吾輩は名無しである:03/03/12 19:49
大西先生自身も生活保護を受けていたわけだが・・・
935吾輩は名無しである:03/03/12 20:17
思想と実生活、あるいは作家と金の話はやっぱり面白い。
恒産と恒心の話なんて何年前でしょう。
辻井喬なんて、どうなるのだろう。
15年前は大富豪、現在はもし負債があるとしたら天文学的大貧民。
936吾輩は名無しである:03/03/12 22:44
>>930その他
全部想像での人格攻撃にしか思えませんが
ここの住人が働きもせず税金払わず?
どこにそんなこと書いてるの? 煽りはやめましょうね。
もうちょっとでこのスレ終わるからとはいってもね
937吾輩は名無しである:03/03/12 23:06
>まあがんばって働きなよ。
>君は巨人先生の文章なんて読む必要はないよ。
>立派な社会人だからね。
>くれぐれも税金を納めることを怠らないようにね。
    ↑
人間のクズの精一杯の切り返し


938吾輩は名無しである:03/03/13 02:17
生活保護を当然のごとく受給しながら、「反権力」だの「反国家」だのゴタクを
並べている奴には、激しい憎悪を感じる。
939吾輩は名無しである:03/03/13 02:26

おまーら、社畜として働けよ。

あと、収入が二カ所以上からあるときは、
確定申告はわすれるな
940吾輩は名無しである:03/03/13 02:53
哲人大西巨人好きのみなさまを一度プロファイルしてみたいので
いちどこちらにおいでください。

★★本棚の画像をウプしてプロファイリング★★
http://life2.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1044447291/
941  :03/03/13 22:02
>938
それが文学なんだよ。
何のために大西巨人なんて読んでんだおめーは??
この程度の作品で苛立つくらいなら、飯島愛でも読んでろって。

>937
人間の屑くらい認めてやれよ。
認められねーのに、なんで文学なんて読んでんだ?
942吾輩は名無しである:03/03/13 22:17
test
943吾輩は名無しである:03/03/15 00:32
941さんの指摘は肯綮に当たっているなぁ。

巨人氏が作品のなかで好意・好感を持って論じる作家などの人物は、その時代においては
評価されなかった人ばかりだ。“役立たず”や“人間として認められなかった人”。
あるいは“正しくは評価されなかった人”。
たとえば、啄木。たとえば、太宰。たとえば、松倉米吉。たとえば、明石海人。あるいは、安吾。
そして、シンガリはもちろん小林多喜二。
太宰治などは、当時も、そして今でも売れている作家だが、太宰の“真価”をまじめに
語ろうとしている(正しく評価しようとしている)ひとりが、巨人先生だ。
明石海人などは、文字通り 「収容」 されてた。太宰の生活実態については、多言を要しないだろう。

922さんの「リベラルじゃないね、このスレは。」以降の書き込みを読んでると、
941さんのように、「なんで文学読んでるの?」と聞きたくなる気持ちがよくわかる。
まるで、「リベラルであること」が良いことかのように、または、「リベラルじゃないと
おかしい」かのようにしか読めない書き込みを読むと、「そうじゃないだろ。なんで文学読んでんだ?」と、
941さんと同じ疑問が口を吐かざるをえない。
つまり、文学は「社会主義」に奉仕しないだけじゃなく、「リベラル」にも奉仕しない
んだろうから。しかし、大西巨人はマルクス主義者を自認しているという、そのへんの
いわくいいがたい、隔靴掻痒な、名伏し難いところに興味を抱かせるのも、大西氏の魅力に
違いない。
大西巨人をほとんど読まないまま(エッセイをひとつくらい読んだ?)、言葉足らずの
書き込みの揚げ足を取っているような書き込みが、ありそうな気がする。
まあ、2ちゃんねるにしては、煽りも半端なのが大西巨人氏の威力か?
944我輩は猫である :03/03/15 01:12
>>943
そうだよね。
人間の屑うんぬんなんて、大西先生にしてみれば褒め言葉みたいなもんだよね。
まともに働いて、神聖喜劇書いてみろってんだ!”” へへん””
定年までサラリーマンでもやって、懸命に納税し続けて、尚且つ晩年に
神聖喜劇を超えるような、ウルトラ傑作書き残すような人物がいたら、
神聖喜劇なんて破り捨ててやるぜ。 ははんだ!””


945吾輩は名無しである:03/03/15 01:33
そんなことカキコできるのも2ちゃんだからだろ。
名前と顔を出して、新聞やテレビで同じこと言ってみろ。
結論。このスレの住民は非常識で、他人の血税に寄生するダニ、いや、ダニ
以下の存在だな。社会の厳しさに叩きのめされるがいい。
946我輩は猫である :03/03/15 01:41
>945
なんで大西巨人毛嫌いしてんの?
俺サラリーマンだけど、神聖喜劇読んで度肝抜かれたけど?
どんな人間であろうが、例え屑であろうが、凄まじい作品残したねって
褒めて上げたい気分になったけど?
働いてたら、むしろ賛美する派にまわってしまわないか?
そこんとこどうよ!

あと新聞・テレビうんぬんって物言いは、943の反論になってないと思うよ。
もう一回同じ文章書かれて終わりだと思うけど・・・
947吾輩は名無しである:03/03/15 01:50
>>945
つーかここは2chですが何か
948吾輩は名無しである:03/03/17 05:04
>>928よろしこ・・・
949吾輩は名無しである:03/03/17 16:38
 >>928の質問の件
『時と無限』の内容。
1973年7月初版。
1、赤人 記録文集
2、赤人 短編小説集
3、巨人 教育論集
  障害者にも学ぶ権利がある
  文部大臣への公開状
  ふたたび文部大臣へ
  学習権妨害は犯罪である
  「私憤」の激動に徹する
  「学校教育法」第二十三条のこと
4、巨人文芸批評集
 言語表現について
  軍隊内階級対立の問題
  凶事ありし室
  『レイテ戦記』への道

とりあえず、以上の文章が収録されています。age。
950吾輩は名無しである:03/03/18 22:01
>>949
お^−ありがとうございます
とりあえずゲッツします
951吾輩は名無しである:03/03/18 22:07
オロオロ(゚ロ゚;))((;゚ロ゚)オロオロ
http://hkwr.com/
http://hkwr.com/bbs
952吾輩は名無しである:03/03/19 00:23
あのさー、まいぺーすさんのスレをこれ以上、
汚さないでくれますか?
953吾輩は名無しである:03/03/19 01:02
大西巨人のスレでつ
954吾輩は名無しである:03/03/24 00:33
落ち着いてきたところで質問させてくれ。
今「神聖喜劇」初読で第二巻の途中。
やたらと面白いね。蓮實や吉本や阿部が絶賛していたのもうなずけるよ。
でもいまひとつわからないことがあって、
東堂が論理でやり込めるところや他の二等兵たちのぼさっとした態度なんかは笑えるんだが、
社会主義運動について延延と説明されているのが難しすぎ。一応読んだけど頭に入らない。
読者としては、こういう歴史や背景なんかを知悉しておくべき?
さらにいえば、シリアスと喜劇、どちらを重視してよむべきか教えていただけたら嬉しい。終わり。
955吾輩は名無しである:03/03/24 01:01
僕も今読み始めて一巻の途中くらいですが、今はまだ説明的なこと
(ほんとに説明的なことだけ!)しか語られなくて、話の進みも
遅いし、章ごとの事件的内容が一話完結的に淡々と進むんですが、
マルクスボリシェビキーとかですね。言った言わないの論争を延々
続けていたりですね、とにかく論理ゲームでドイツ語の
テキストの引用も実際にあったりしてまるで創作ノートを見ているかの
ようなんですね。これが面白いんですがね。つまり形式重視で僕は
今のところ読んでいるというか、ま、第一巻なので登場人物の立ち位置
とかそういう図面を頭に入れていきながら読むしかないんですが、それで
も喜劇的な側面は面白い。僕は喜劇ベースでそこから派生するシリアス
というシンプルな読みでいいんではないかと勘ぐっていますがその辺り
どうなんでしょうか?というかここからどうなるのかわくわくします。
「超人的な記憶力を駆使した東堂二等兵の壮大な闘いも開始された」
と背表紙の紹介文にあるんですがここから全体主義への社会主義的
な内部破壊が開始されるんでしょうか?うずうず。。。
956名無しさん@まいぺーす:03/03/24 01:49
>>955
 歴史的背景を知っておいた方がいいのでしょうが、さしあたり知らなくても
物語を読み進めるのに特に不都合はないと思います。というか、人民戦線のこと
など、僕は、今でもよく承知していないのですが。とりあえず、東堂が戦前・戦中
の自己が抵抗者であったと主張するために詳細な記述がなされているわけでは
ないことを押さえておけばよいでしょう。
 あと、955さん同様、初読時は、喜劇ベースでいいと思います。

>>955
 全体主義への批判というのは、『神聖喜劇』では展開されませんね。『天路の奈落』
などでは、マルクス主義政党内部の官僚主義・教条主義に対する闘争が描かれますが、
全体主義批判というのとは、少し違うかもしれません。でも、955さんの「わくわく」感が
裏切られることは、おそらくないはずです。
957吾輩は名無しである:03/03/24 11:02
二十一世紀前夜祭で巨人の岩を削ったような文章に魅力を感じました。
で、精神の氷点と五里霧を買ってきました。はやく読みたい。
958吾輩は名無しである:03/03/24 21:49
>>957
五里霧、どこで買いました?
最も入手が難しい1冊だと思います(泣・・・
959吾輩は名無しである:03/03/26 08:46
>>958
五里霧は地元(滋賀)のしけた古本屋です…たまたま見つけました。
精神の氷点は書店で。
960吾輩は名無しである:03/03/26 23:58
「神聖喜劇」の読み方(大高知児)ってどない?
ネット書店かなにかで買おうかどうかと迷っているんだけど。
だいたいどんな内容なのか
(どれくらい詳細なのか、作中の事件の整理の様子、解釈ありなし、とか)
誰か教えてくれ。
教えてくんでスマソ
961名無しさん@まいぺーす:03/03/28 13:17
>>960
 一言で言うと、資料集ですね。梗概、登場人物一覧、対馬地名一覧、作品内年表、
地図のほか、作者の言葉や主な論考が収録され、作品の成立史、論評史がまとめられ
ており、参考文献目録も附されています。便利ですし、買って損はない本だと思います。

「巨人館」に『深淵』連載第68回目と共に、「作者のことば」が掲載されています。『重力』
の鎌田哲哉との往復書簡一回目にあたる文章「「往復書簡」のことなど」を引き、仕事の
スローモーぶりを述べたものです。前に紹介した「D・ハメット作『血の収穫』のこと」が
自己引用され、「とりわけ取り込み多く、あわただし」い状況が確認されています。相変わらず、
その具体は示されていないものの、ファンとしては、やはり気になりますね。落ち着いた執筆
環境を得られることを願っています。
962吾輩は名無しである:03/03/29 00:46
詳細な情報サンキューです。購入決定します。
今ちょうど「模擬死刑の午後」を読み終えたところで、あと少しなんだけれど、
早く読み終えたくないような、そうでないような。
それにしても、たった二週間かそこらで読みきってしまうのが、作者にひどく申し訳ないような気になるね。
963吾輩は名無しである:03/03/29 01:05
『深淵』がなかなか終わりそうにないのは、読者としても「遺憾である。」が、
大西氏だから、許す。
「巨人館」の大西氏の「往復書簡のことなど」の文章は、とても良い。
感動する。あいかわらずながら、あの文体は、良い。なんの隠し立てもない、
率直、明快、真摯な文章。文章とは、こういうものであるべき。
人柄とか人格とかをあらわすものが文章。大西氏を知ることができて良かったと
実感する時。
964吾輩は名無しである:03/03/30 01:32
>>959
やっぱりそういうとこ穴場ですよね・・・
漏れも以前「戦争と性と革命」を田舎の古本屋で見つけゲトしますた
965吾輩は名無しである:03/04/02 09:47
二十一世紀前夜祭、続いて、精神の氷点、そして現在五里霧を読んでいます。
大西巨人の文体と頑固一徹な精神に、見事にはまりました。
次は、神聖喜劇・三位一体の神話に挑戦するつもりです。
学生になれば(金が貯まるので)巨人文選や他の絶版著作も収集できるので、
来年が楽しみです。
966吾輩は名無しである:03/04/04 23:23
>>965
いま高校生ということ?すごいですね
967名無しさん@まいぺーす:03/04/06 22:47
 『重力 02』を購入、真先に大西巨人・鎌田哲哉「往復書簡」に目を通しました。
大西の方は、既にホームページ上で一読していましたが、鎌田の分は初めて読むもの
で興味深かったです。鎌田は、大西文学の根底に「臆病」への鋭敏な意識があることを
指摘し、弱さへの凝視が独特の文体を生み出していることを説いています。『神聖喜劇』
で、東堂太郎の心象風景を取り上げた論者は、おそらくいなかったのではないか。鎌田
の大西への関心は、強く、持続的なものであるように感じました。大西がこの企画に
応じたのも納得です。次回以降も楽しみですが、結構先の話ですね(笑)。
968吾輩は名無しである:03/04/09 00:03
五里霧は秀作揃いで大変読み応えがありました。
ここでも話題になっているなぞめいた「底付き」
や、巨人の混乱というか反省が描かれた表題作
個人的には最後の連絡船がよかったです。
969名無しさん@まいぺーす:03/04/09 12:50
>>968
『連絡船』は、評判のいい一作のようですね。足長おじさんの話の異種とも言えますが、
援助の手段の慎重さや具体性がメルヘンと一線を画しているようです。この前読み返して
気づいたのですが、金銭に関する記述が非常に細かいですね。そのことが戦前の階級社会の
実態、自由業者の徴兵者に対する無保障、主人公の境遇などを浮かび上がらせる効果を
挙げているようです。
 それにしても、『五里霧』が入手難なのは困りもの。文庫化を強く望みます。
970吾輩は名無しである:03/04/09 13:54
>>969
「連絡船」についてふと思ったのは、「精神の氷点」と似た状況(主人公の召集前)、
それでありながら「精神〜」とは対極の終始一貫した暖かい雰囲気とで、これは<空虚>を超えた「あるもの」の一端を描いて
いるのではないか、という事です。これはまあとりとめのない考えですが。
 まいぺーすさんの言うとおり簡潔明瞭、そしてくどい説明と感じさせずに
戦前の社会を上手く描写する巨人の創作力は本当に優れていると思います。

 やはり巨人作品が入手困難というのは悲しいことです。古本市場は社会人でないと
なかなか手のつかない値段のものもありますし……自分も文庫中心の読書なので
ぜひ文庫で出してほしいですよね。
971名無しさん@まいぺーす:03/04/09 22:42
>>970
主人公の精神状況で言うと、『神聖喜劇』の東堂太郎と『連絡船』の桜井次郎とが
近く、また、『精神の氷点』の水村宏紀と『白日の序曲』の税所太郎とが重なるように
感じます。前者の向日性と後者のニヒリズムとは一見対極に位置するようですが、
ご指摘のように、その距離は意外と近いのかもしれません。物語の設定で言うと、
対等に関係できる女性の有無が大きいとも言えますが、もちろん、それだけに帰する
ことは乱暴でしょう。
 あと、『連絡船』では、桜井が少女に勧める書のラインナップがいいですね。十一谷
義三郎『唐人お吉』や川端康成『浅草紅団』まで含まれているのが、教養主義的な発想を
裏切っていて、新鮮です。
972名無しさん@まいぺーす:03/04/18 00:25
 「巨人館」が三週間ぶりに更新され、『深淵』の第69回目がアップされています。
今回、作中人物の日記が引用されていますが、厳密な記述がいかにも大西らしく、
微笑が浮かんできます。筆の進みが思うようにいかず、苦労されているようですが、
読者としても慌てず待っていたいと考えます。
973堕天使:03/04/18 10:02
974山崎渉:03/04/19 22:50
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
975名無しさん@まいぺーす:03/04/21 00:57
 速報を一つ。『三位一体の神話』が文庫化されます。光文社文庫から7月刊行の予定です。
解説は、鎌田哲哉氏が担当するとのこと。楽しみですね。
976吾輩は名無しである:03/04/21 01:56
重力02ってどこに置いてあるのかなん。。。
977吾輩は名無しである:03/04/23 04:35
地味ー大西。w)
978吾輩は名無しである:03/04/23 21:56
51: 星の王子様総合スレッド (30) 
52: 【Henry】H・ジェイムズ【James】 (40) 
53:    太宰治。其之四    (120) 
54: 石原千秋・テクスト論者 (6) 
55: 【編集者】出版不況だ!全員集合 2【降臨せヨ】 (752) 
56: 【彷徨】〜文学板雑談スレ Part 20〜【再生】 (345) 
57: エミリー・ブロンテ  『嵐ヶ丘』 (135) 
58: ジェイムズ・エルロイ (35) 
59: 文学板住人が読む現代詩・現代短歌・現代俳句 (807) 
60: 【斬】論客キラー松原正【殺】part2 (219) 
979吾輩は名無しである:03/04/23 21:56
61: 文芸誌の書き手に盗撮されてるのですが… (33) 
62: 【百鬼園】内田百關謳カの第二阿房列車【先生】 (206) 
63: 春樹訳「ライ麦畑でつかまえて」を先回りするスレ (271) 
64: 【環境保護】無料クリック募金【病気・飢餓撲滅】 (15) 
65: 【女性限定】文学好き女性はこんな男が好き! (433) 
66: トーマス・マン@トニオ・グレーゲル (162) 
67: ナンシー関を追悼する (623) 
68: みんな、吉本ばななが嫌いなの? (746) 
69: 丹生谷貴志 にぶやたかし と読みますです (285) 
70: 大西巨人 (977) 
980吾輩は名無しである:03/04/23 22:38
980
981吾輩は名無しである:03/04/23 22:42
糞左翼                                
982名無しさん@まいぺーす:03/04/24 22:14
 HOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)の2003年度プログラムとして、
連続講座「文学・大西巨人『神聖喜劇』を読む」が始まるそうです。前後期各5回、
前期の日程は、6月1日(日)・6月29日(日)・7月26日(土)・8月30日(土)・
9月21日(日)で、時間は、13時〜16時半です。武井昭夫・湯地朝雄・すが秀実・
立野正裕氏らがゲストとして参加するほか、締めくくりには大西巨人を囲む会が
行われるそうです。詳細は、以下のホームページを参照してください。

http://www.jca.apc.org/~nitta/

983吾輩は名無しである:03/04/24 22:19
うわっ!こりゃすごい。
984名無しさん@まいぺーす:03/04/24 22:29
 982に補足。
 上の情報は、HOWSのリーフレットに載っているものから取りました。
ホームページでは日程以外のことは、まだ記されていないみたいですね。
なお、一般の一回ごとの参加も可能で、その場合の参加費は、一回1,500円
とのことです。ちなみに、会場は、文京区本郷3丁目にあります。
985吾輩は名無しである:03/04/24 22:38
ついにきた
986吾輩は名無しである:03/04/24 22:40
申請喜劇好きだけど・・・
セコイ小銭稼ぎだな〜
987吾輩は名無しである:03/04/24 22:40
締めくくりって9月21日かなぁ?別の日かなぁ?
988吾輩は名無しである:03/04/24 22:41
>一般の一回ごとの参加も可能

マジですか!

まいぺーすさん、そろそろ次スレよろ
989まいぺーす:03/04/25 21:30
>>988
次スレッド立てました。このスレッドも最後まできちんと進みたいと思いますので、
よろしくお願いします。

http://book.2ch.net/test/read.cgi/book/1051272716/l50

>>987
 多分大西巨人がゲストなのは、後期の最終回の日だと思います。詳しいことが分かれば、
またお知らせします。
990吾輩は名無しである
>>989
そうかあれは前期だけですね。ということは来年3月かなぁ。