【嫌韓厨】突然更新が止まるウヨブログについて

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1Trackback(774)
朝鮮カンサツ日記やmumurブログ、ヨン様と一緒などなど
人気ブログが突然の更新停止が相次いでいる
うわさでは朝鮮に対して反抗的な記事を書いている
ブログに対して総連や民潭の人間が
管理人の家に嫌がらせをしているのでは?という噂も
真相はいかに??
2Trackback(774):2007/05/22(火) 20:22:49 ID:behZKYSV
見ないからどうでもいい
3Trackback(774):2007/05/22(火) 20:28:38 ID:aWsTynGi
4Trackback(774):2007/05/22(火) 23:13:13 ID:VHHJttf6
ネット初心者のオタク君は本当にウヨサヨ話が好きだなあ
ウヨだのサヨだの行ってるけど、意味分からないで使ってるだろ
5Trackback(774):2007/05/23(水) 02:41:14 ID:6q0GNaRD

 噂の 真相 は

    http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/blog/1179607134/

6Trackback(774):2007/05/25(金) 05:53:46 ID:Ly4afR5g
噂や真相ならば重複スレ

    http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/blog/1179607134/
7Trackback(774):2007/05/26(土) 02:13:16 ID:f6rej3Sh
http://d.hatena.ne.jp/suuuuhi/20070512
 国家観には二種類ある。
 ひとつは、国家を、一人ひとりの人間の共存と福祉のための公共財である機械装置と考えるものである。国家は水道や電気や医療や交通網のように、人びとの生存にとってきわめて重要なものだ。
しかし、いかに国家が重要であるとはいえ、それを「愛する」などというのは、水道管や電線をぺろぺろ舐めまわし、女性の靴や下着のにおいを嗅ぐのと同様、変態である。
この第一の国家観からいえば、愛国心はフェテシズムの一種である。国家が愛国心などという変態心性を万人に要求する制度は、日本国装置の性能の悪さとして、国家プライドを大いに傷つけるだろう。
 それに対して、国家を一人ひとりの人間の生命を超えた、より高次の崇高なる集合的生命とする国家観がある。このようなリアリティを生きる人びとにとって、国家装置の防衛メンテナンスのための危険業務組織(軍隊)は、集合的生命の男根のように感じられる。
アメリカに負けて憲法九条を押しつけられたのは、「全能感を断念しなさい」と去勢されてしまったような、屈辱の体験である。そして日本は、自由だの人権だの民主主義だの甘ったるい白粉をぺたぺた塗られて、女にされてしまったと、彼らは感じる。
 第一の国家観は、人びとの安全と生命を守りながら繁栄をもたらそうとするリアリズム政治のための、基本の基本である。国益の計算や戦略的思考も、この国家観を前提としなければ、何の意味もない。
 第二の国家観は、非常時に短期間「だけ」、ひとびとを狂わせるための興奮剤である。必要がないときに使ってはならない。
そして二一世紀の世界でそれが必要になる時は、もうない。いまではこういったドラッグは、貧しい国々で誤用され、悲惨な流血や国土の荒廃をもたらす廃棄すべき毒物でしかない。
8Trackback(774):2007/05/26(土) 03:06:52 ID:plm7nJMs
>>7 何を語っているやら
9Trackback(774)
自慰スレ
勝手に逝ってろ