【海外進出】世界に羽ばたくラムネと蚊取り線香 [09/06]

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2ライトスタッフ◎φ ★
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ただ、全国ラムネ協会によると、全国各地の地域色を打ち出した「地ラムネ」のブームや、
「わさび味」や「カレー味」といった異色サイダーへの注目、海外輸出の増加、そして
夏祭りなどのイベントで幅広い年齢層に飲まれるという底堅い需要があるため、生産量は
08年に1万6000キロリットル、09年は1万5000キロリットル、10年も同様に1万5000キロ
リットルと減少に歯止めがかかっている。

ガラスの瓶にガラス玉という遊び心が、日本の幅広い世代の心をとらえ、海外でも評価
され始めている。

■元祖の意地で世界市場を再開拓

渦巻き型の蚊取り線香を発明したのは日本人である。KINCHOでお馴染みの大日本除虫菊
株式会社(大阪府・大阪市。以下、KINCHO)の創業者・上山英一郎氏が除虫菊を含む
種子を1886年に入手し、蚊取り線香の試作を開始。1890年に世界初の棒状蚊取り線香を
発売した。渦巻き型を着想したのは、英一郎氏の妻であるゆき氏で、1902年に商品化された。
日本の蚊取り線香は海外での評価も高く、戦前のピーク時には80カ国に輸出されていた。

戦後、各メーカーは国内向けに注力し、様々な家庭用殺虫剤を販売していたが、再度世界
市場に目を向け始めた。

フマキラーは独自の販売戦略で、インドネシアにおいて市場シェア1位を獲得するとともに、
現地で生産した蚊取り線香を約70カ国に輸出している。

同社がインドネシアに現地法人を設立したのは1990年。蚊取り線香のメーカーとしては
後発で、当初は蚊取り線香も日本から輸出していた。だが、現地の蚊を調査したところ、
日本と比べ薬剤に対して5倍の抵抗力を持っていることがわかった。そのため、インドネ
シア向けに、効力をアップさせた独自の処方にしている。また、香りについても、インド
ネシアはフローラル、インドではサンダルウット(香木)と国ごとに使い分けている。

現地メーカーは資金力があるため宣伝に力を入れているが、同社は専用の営業部隊を、
「ワルン」と呼ばれる地域の小さな雑貨店に派遣する戦略をとっている。ワルンでは、
使いきりのシャンプーや、蚊取り線香のバラ売りをしているが、スペースの都合上、
1商品は1社だけというケースが多い。そこで、営業マンが効力をアピールし、ワルンでの
取り扱いを増やすことで、地域全体の認知度を上げる作戦をとったのだ。認知度が上がる
ことで、ワルンが卸業者に対して同社製品を指名買いする効果を狙っている。

地道な努力が実り、参入当初はシェア数パーセントだったものが、今では20%以上
(同社推計)となった。インドネシア現地法人の2010年度の売上高は4692億ルピア
(約42億円)と、前年度の3969億ルピア(約38億円)に比べ約18%の伸びであり、
全売り上げに占める蚊取り線香の割合は約70%だ。また、同社の海外売り上げは
10年度で約51億円ということから、蚊取り線香の貢献ぶりがうかがえる。(※続く)
3ライトスタッフ◎φ ★:2011/09/06(火) 12:18:30.16 ID:???
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一方、蚊取り線香元祖のKINCHOは1960年、タイでの製造・販売をスタートさせた。
「ホァカイ」(鶏の頭の意)というブランド名で、当初はトップシェアを誇っていたが、
現在は、競合の「バイゴンブランド」や「スワンブランド」との価格競争が厳しく、
シェアは低下している。タイでの販売価格は12巻で14〜15.5バーツ(日本円で40円弱)
だが、他社はそれより安い価格で販売しているという。同社は製造工程において精選
された原材料を使うなどして、効き目の高い商品を提供する戦略をとっている。

独自の製品開発にも力を入れている。タイではデング熱の蔓延が問題になっていた。
原因の一つは、デング熱を媒介するネッタイシマカが、従来の蚊取り線香に対して
抵抗性がついてきたことがある。そこで、KINCHOは2006年よりタイの理科系大学で
あるマヒドン大学と、デング熱対策の蚊取り線香の共同開発を開始。2010年には、
現地の厚生省であるFDAから許可を受け発売した。現在は反転攻勢に向け、認知度
向上に努めている段階だという。

日本で生まれた蚊取り線香と、海外生まれだが日本のみで生き残ったラムネ。日本人に
とっては身近で当たり前の存在だが、世界中で愛されている姿を想像すれば、見方も
変わるのではないだろうか。