>>7 ■消費者に対する消費喚起“偽装”策は、事実上、「買え」という脅しでしかない
▼忘れてはならないが、『偽装策で消費を創造的に戻しても、経済の実態、景気悪化の実態は何ら変わらない。』
『偽装効果を使い果たした後は、偽装策で戻した以上に消費は暴落する。そして、その時には対策は全く残されていない。』
「偽装効果は一体どこにいった?」となる。即ち、政府や金融当局の消費喚起“偽装”策が意味を為さなかったということになる。
偽装策が、今後に物凄い禍根を残すことになることだけは確か。
▼一時的に《創造的消費偽装》は有効だろうが、市場はそのような甘い対応では一時はしのげても、継続してはとても対応できるものではない。
消費喚起“偽装”策は、時間稼ぎだけにしかならない。処理の先延ばしと、それによりさらに損失が膨らんだ市場崩壊。
政府や金融当局は「消費を喚起すれば何とかなる」と思ったのかもしれないが、歴史上効果は一過性と決まっており、当局は歴史から何も学んでこなかったということになる。
このしっぺ返しはとてつもなく大きいものになる。
『将来の禍根をどうするのか?責任を持って答えて欲しい。先ずこのきちんとした答えを示すべきだ。』
◆「愚者は体験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 by プロシャ(プロイセン)の宰相オットー・フォン・ビスマルク (プロイセンはドイツ語、プロシャは英語による読み方)
愚か者は自らの失敗体験から学ぶが、賢い者はそれを歴史(読書や教育から得る知識)から学ぶ。
人は、学んで身につけた知識よりは、自ら体験した事の方が、印象が強く残るし記憶に残りやすく、何かの際に思い出しやすいもの。しかし、人が一生のうちに経験できる事には限りがある。数少ない自分の体験からだけで、何かをやろうとすれば失敗する確率が高い。
歴史から学ぶ事は、多くの人の経験を学ぼうとすることであり効果的。