訃報:元通産相の山中貞則衆院議員
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/jinji/20040221k0000m060082003c.htmlタソ 自民党税制調査会長を長年務め、「税調のドン」と呼ばれた元通産相の山中貞則
(やまなか・さだのり)衆院議員が20日午後4時29分、東京都文京区の病院
で肺炎のため死去した。82歳。葬儀は未定。密葬は近親者で行う。自宅は鹿児
島県末吉町深川215。喪主は妻瞳(ひとみ)さん。現職衆院議員で最高齢、
17回の最多当選(在職47年)だった。
鹿児島県出身。台北第二師範学校を卒業し、台湾の国民学校教師を務めた。出征・
復員後、鹿児島県議を経て53年衆院選の旧鹿児島3区で初当選。70年に佐藤内
閣の総理府総務長官として初入閣後、初代環境庁長官、初代沖縄開発庁長官、防衛
庁長官などを歴任した。
屋良朝苗・琉球政府主席(後に初代沖縄県知事)が台北第二師範時代の恩師だった
こともあり、沖縄返還に尽力、米軍基地対策や公共施設整備などに取り組んだ。
公害立法、独占禁止法改正でも主要な役割を果たした。
佐藤栄作元首相の蔵相時代に大蔵政務次官を務めて大蔵省(現財務省)とのパイプを
築き、党内一の税制通として79年から89年にかけて党税制調査会長を務めた。
中曽根内閣時代の86年に「売上税」導入で党内をまとめたが、廃案となった。竹下
内閣時代の88年には、税率3%の消費税案作成で党内の中心的役割を担った。
しかし、「反消費税」の逆風を受け、90年衆院選で28票の小差で落選。その後
返り咲いた。
河野派、中曽根派に属したが、一匹オオカミ的な存在で異彩を放った。売上税導入で
党内が紛糾した際には中曽根康弘首相(当時)が政府税調の公聴会日程に言及したた
め、「おしゃべり野郎」と一喝。田中角栄、中曽根両元首相に退陣を迫る歯に衣
(きぬ)着せぬ発言で知られた。
最近では1月27日の党総務会に出席し、イラクへの自衛隊派遣承認の採決で造反が
出た場合の対応について「党運営は堂々とすると同時に、思いやりをもってほしい」
と寛大な処置を求めた。
山中氏の死去に伴う衆院鹿児島5区の補欠選挙は、公選法の規定により4月25日に
実施される。