リンチ殺人■日産の体質■栃木県上三川町 part2
1 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:
日産自動車栃木工場を舞台に1999年12月、凄惨なリンチ殺人事件が発生した。
殺害の実行犯でリンチを主導したのは同社社員で、殺された被害者も日産の社員だった。
2ヶ月にわたり監禁され肉体的も精神的にも暴力を受け続けた被害者の無念は想ってあまりある。
なぜこのような事件が起きてしまったのか?
拉致直後の被害者の家族からの再三の要請にも関わらず、なぜ警察は動かなかったのか?
その裏にはスキャンダルを恐れ非常に奇妙な対応に終始した日産の影が見える。
現在、裁判を戦う被害者の家族のためにも、この事件の記憶を風化させてはならない。
栃木・須藤正和さんリンチ殺人 隠された真実
両親は訴える 日産自動車の重大「責任」
栃木県上三川町にある日産自動車栃木工場を舞台に1999年12月、
凄惨なリンチ殺人事件が発生した。殺害の実行犯でリンチを主導したの
は同社社員で、殺された被害者も日産の社員だった。
ところが会社は二人をまったく同じ処分理由で諭旨免職にしていた。
そこに隠された真実とは―――。
それは天国にいる被害者、須藤正和さんからの「啓示」だったのかも
しれない。
2か月前、私は都内のホテルで缶詰になって原稿を書いていた。
4月23日に出版される
『栃木リンチ殺人事件 警察はなぜ動かなかったのか』〔草思社〕
の締め切りが目前に迫っていたからだ。
資料の山を整理していると、一枚の書類がパラリと落ちた。
正和が勤めていた日産自動車から送られてきた「通知書」だった。
それまで何度か目にしてはいたが、まったく情けないことに、この書類
が持つ重大な意味については私も気づいていなかった。
< 須藤正和 従業員就業規則第85条第6項により諭旨退職
(退職金不支給)に処する
1999年11月24日 日産自動車株式会社 >
これは、処分通知書ではないか。
正和は殺害実行犯の日産自動車社員を含む三人の少年グループに監禁
され、凄惨なリンチの果てに殺された。
この間、当然、出社はできなかった。
当初はそれが長期無断欠勤と受け取られていたことは知っていたが、
まさか処分の対象になっていたとは。
私は、さっそく栃木県黒羽町で理髪店を営む正和の両親に問い合わせた。
すると、両親も処分については初耳だったようで、非常に驚いた様子
だった。
父の光男と母の洋子が正和の遺品から日産自動車の「従業員就業規則」
を見つけ出した。
第85条には諭旨退職および懲戒解雇に関する該当事項が列挙されて
いた。
問題の第6項、正和の処分理由を読んだとき、私は全身に鳥肌が立つの
を感じ、頭に血が上っていくのをはっきりと自覚した。
< 第85条第6項 会社施設およびその敷地内において、窃盗、暴行、
脅迫、その他これに類する行為をしたとき>
冗談じゃない。正和は殺された被害者だ。
なぜこんな処分になるのか。
しかも加害者の日産社員も、まったく同じ処分だった。
そんなばかな話はない。
だが、私がこの事件の取材を通じて知った
日産という会社の体質を冷静に考えると、
ありうる話しかもしれないと思った。
ほぼ1年にわたる取材の結果、
私はこのリンチ殺人事件の本質を語るうえで、
正和が勤めていた日産の責任に言及しないわけにはいかないことに
気がついていた。
その理由はおいおい書くとして、
その前に「事件」をざっと振り返っておこう。
栃木県市貝町にある山林で、日産自動車栃木工場に勤める当時19歳だった
須藤正和が惨殺死体で発見されたのは、1999年12月5日のことだった。
殺害の容疑者として逮捕されたのは正和と同じ日産自動車栃木工場社員の
植村隆宏〔仮名〕と中学の同級生で主犯格とされる藤原勝〔同〕、松下将樹〔同〕
の三人で、いずれも当時19歳の少年たちだ。
正和は殺害されるまでの約二カ月間、犯人たちに監禁され、カネを脅し取られ
続けた。金額は合計で約700万円にものぼる。
すべては犯人グループの「飲み食いと遊ぶカネ」に消えた。
正和を殺した犯人たちは遺体を山林に埋め、さまざまな証拠隠滅を施したあ
げく「15年逃げきれば時効になる」とビールで乾杯までしていたという。
だが、最後にグループに加わった16歳の少年が警視庁に自首したため、彼
らの思惑は打ち砕かれ、遺体発見の日にグループ全員が逮捕されたのだった。
同 期 入 社 の 社 員 に 殺 さ れ た !
事件が当時、世間の関心を集めたポイントは
「警察はなぜ動かなかったのか」
ということだった。息子の異変に気づいた両親の再三の訴えにもかかわらず、
栃木県警はなぜか、いっさい取り合おうとしなかった。
元警視庁警察官の私も当時、多くのメディアからコメントを求められたが、
明確な答えは、その時点では出せなかった。それが、私がこの後もこの事件を
追い続けることになったきっかけのひとつになった。
一審の宇都宮地裁の判決では、主犯格の藤原と殺害実行犯で日産社員の植村
が無期懲役、松下が懲役5年以上10年以下の不定期刑となった。このうち
藤原は控訴したが、今年1月29日に東京高裁の二審判決では、求刑通り無期
懲役とした一審判決を支持し、被告側控訴を棄却した。被告が上告しなかった
ため、刑は確定した。
刑事的にはこれで事件は”終わり” だが、残された遺族にとっては何も終わっ
ていなかった。公判や報道を通じて新たな事実が次々と明らかになっても
「警察はなぜ動かなかったのか」という根本的な謎は解き明かされるどころか、
ますます深まるばかりだったからだ。
正和の両親は、この4月23日に栃木県警と加害者側を相手取って宇都宮地
裁に損害賠償請求訴訟を起こすことを決めた。請求額は総額で1億2000万円
になる見込みだという。
一方、私は犯人グループ全員の捜査段階での供述調書などの資料を入手し、
関係者への取材を進めた。元警察官のジャーナリストとしてこの事件を論証し
たかったからである。
事件の舞台となった日産自動車栃木工場は、セドリックやシーマなど高級セ
ダンの生産を中心に、他工場への部品供給拠点の役割も果たす、日産最大規模
の基幹工場で、かのカルロス・ゴーン社長が自ら試乗に訪れたテストコースが
あることでも知られている。
殺害実行犯の植村の父親もかつてこの栃木工場に勤めていたが、植村が小学
生の時に退社した。98年5月には両親が離婚、植村は母親に引き取られた。
植村は高校卒業後、日産栃木工場に就職した。
同期社員の一人が正和だった。二人は同じ第二鋳造部に配属され、同じ更衣
室でロッカーが隣同士になった。この”偶然”が、以後の惨事の発端となった。
これから書くことは、犯人グループの供述調書などを基にした事件の再現で
ある。まずは正和の監禁からリンチへ、そして殺害へ至る過程をたどってみる
ことにしよう――。
お と な し い 人 柄 に つ け こ ん だ !
「日産に俺のパシリ(使い走り)がいるから、そいつを呼ぼう。
須藤ってんだ。あいつはおとなしそうな男だから、カネを貸してくれと強く
いえば……」
日産社員の植村が他の仲間にそういって正和を呼び出したのは
99年9月29日のことだった。
正和は日産栃木工場の同僚の誰に聞いても、非の打ちどころがない、まじめ
で勤勉な社員だった。中学時代の同級生で、同じ年に日産栃木工場に入社し
た友人は、こう振り返る。
「ちょっとでも体調不良を口にすると、水と薬を持ってきてくれた。
携帯電話の支払いに困って1万円借りようとすると、
『それだけで生活できるの?』と、3万円を快く差し出すような優しいヤツ
だった」
若い社員がいやがる残業も進んで引き受け、事件に巻き込まれるまでは1日
の欠勤もなかったという。
そんな正和の性格を知っていた植村は、
「やくざにクルマをぶつけてしまい、修理代を要求されている。
カネを貸してほしいんだ……」と持ちかけた。
正和が呼び出された場所には、藤原、松下の二人もいたが、人を疑うことを
知らない正和は、3人を連れたまま銀行に行き、自らの貯金の全額7万円を引
き出し、植村に貸し与えた。これに味をしめた犯人らは、以後、正和を監禁し、
「カネヅル」として使い続けることになる。「明日は会社を休んで、サラ金に
行ってカネを借りてくれないか」と持ちかけて、コンビニエンスストアで買って
きたハサミとカミソリで長髪だった正和をスキンヘッドに剃りあげた。そうし
て、この日は手に入れたカネヅルに逃げられないようにするため、植村らが一
晩中正和を連れ回すことになったという。
逮捕後、植村は正和を恐喝の対象に選んだ理由について、
「まじめでおとなしそうだったから」と供述している。
正和のやさしすぎる性格が、あだになってしまったことは確かなようだ。
この日の出来事をきっかけに正和はたびたび欠勤するようになり、
やがてまったく出社しなくなるのだが、もちろんそれは本人の意思ではなかった。
会社を休まされた正和は、植村らに強要されて消費者金融の無人契約機をハシ
ゴさせられ、借金を重ね、そのカネを植村ら3人に奪いとられていたのである。
だが、正和一人に借金させるには限界がある。そこで思いついたのが、正和を
使って正和の両親、友人や日産栃木工場の同僚から借金させることだった。
三人は、れっきとしたこの恐喝行為を「ご融資」と呼んで楽しんでいた。
リンチが単に殴る蹴るですまなくなったのは、三人が正和を監禁してまもな
い10月初旬のことだった。正和を連れ回し、栃木県宇都宮市内のスナックを
飲み歩いていた時に起きたある事件がきっかけだった。
そのとき、植村が、「須藤、おまえも飲め!」と、焼酎のストレート一気に
飲み干させた。正和は気を失い、3人にラブホテルへ連れて行かれた。地獄は
まさにこのときから始まった。
火 で あ ぶ り 大 や け ど さ せ た !
泥酔状態の正和が部屋で失禁したため、風呂場で洗ってやろうとしたとき、
「熱いシャワーでも浴びせれば起きるだろう」と思った植村が、
最高温度のシャワーを正和にかけた。
最初はそのまま眠っていた正和もそのうち、「アッチ、アッチ」と叫んだが、
酔いのためまたぐったりとする。植村には、そんな正和の苦痛の様子がおもし
ろくてたまらない。「よし、今度は起きるまでかけてやれ」あわてふためき、
本能のままに身をよじり、身を守るために手でシャワーをさえぎる。
「アッチ、アッチ」と泣き叫ぶ正和を見て歓喜した植村は、
みんなにこう持ちかけた。
「これは殴る蹴るよりも効果があるぞ。今度からこれをやろう」
このリンチは、テレビ番組のコーナーから名前をとって
「熱湯コマーシャル」と名づけられた。
これが、昼間は正和を使って知人や友人らに「ご融資」をさせ、
夜は夜でホテルに泊まってリンチを加える生活の始まりだったのだ。
植村が再びとんでもないリンチを思いついたのは、監禁生活が始まってから
一カ月後の、10月25日の午前3時ごろだった。
主犯格とされる藤原がホテルの部屋にあった殺虫剤のスプレーの噴霧に火を
つけて正和を脅して遊んでいるのを見て、植村がこういいだした。
「これはおもしろそうだ。たまには変わったことがしたかったんだ。
須藤に炎を浴びせてやろう」
「そんなやめてください」と正和は訴えたが植村は藤原から殺虫剤を
受け取ると、言った。「服を脱げ!」衣服への引火を防ぐためだった。
そしてドアの前に立たせ、
3、40センチの至近距離から、
殺虫剤のスプレーに着火、
腹をめがけて火炎を浴びせた。
「熱い、やめてください」大声で叫びながら、その場を飛び跳ね、
両手で火炎から身を守ろうとした正和は、このとき右手に大やけどを負って
しまった。
殺虫剤が焼ける強烈な刺激臭と、正和の肉が焦げるにおいが入り交じり、
部屋には異臭が漂ったが、植村の攻撃は執拗だった。
全裸で逃げ惑う正和を追い回し、今度は性器をめがけて火炎を向ける。
体をねじり股間を手でかばった正和は、太ももにも大やけどを負った。
「熱い熱い。すいません、すいません」と、大声で泣き叫ぶ正和を部屋の隅に
追いつめ、背中一面に容赦なく火炎をふりかけた。
こうして正和は右手、下腹部、両太もも、背中にやけどを負った。
水ぶくれができ、皮がむけてベロベロになった。
肉は真っ赤に腫れ上がっていた。
だが、火炎攻撃を終えてからも、
日課となっていた熱湯コマーシャルを怠ることはなかった。
この日のことを植村は警察の調べに対して、こう話している。
「泣き叫びながら『熱い』『すいません』というのがおもしろくてやった。
どうせやけどをするのは須藤だし、自分が熱いわけではないので気にしなかった」
リンチは時間を経るごとに、さらに凄惨さをきわめていった。火炎攻撃でやけ
どを負った正和の体は、その後に続いた熱湯コマーシャルのために見るも無残
になった。皮膚はボロボロにただれ、傷口からは体液がジグジグ流れ出し、腐
敗も始まっていた。それでも無理やり風呂場に連れて行かれた。抵抗すれば
「お仕置き」と称して、狂ったように殴りつける……こんな繰り返しに、正和
もしだいに抵抗する気力を失ったようだ。
マンネリ化したリンチへの刺激なのか、11月20日から数日間、渋谷のカ
プセルホテルに泊まった時は、ほかの客も入ることができる大浴場へ正和を連
れて行き、それぞれ最高温度にしたシャワーを持って、狂ったように奇声を発
しながら正和に襲いかかる「一斉射撃」をしたという。
コ ッ プ で 精 液 を 飲 ま せ た !
それだけではない。正和を浴槽の縁に座らせ、三人で交互にまわし蹴りを食
らわせるなど、想像を超える暴行も加えた。そのたびに正和は沈められ、もが
きながら這い上がった。
新たなリンチの手口を考えつくのは、たいてい日産社員の植村だった。
熱湯シャワーを20秒間浴びせることを1セットとし、毎朝毎晩4.5セット
の頻度でリンチを加えることも発案した。「忍耐」を強要し、肉体だけでなく、
精神的にもダメージを与えることを楽しんだ。その後、犯人グループの一人に
藤原が六本木で知り合った当時16歳の高橋直之〔仮名=少年院送致の保護処分〕
が加わった。
凄惨なリンチ場面を初めて目の当たりにした高橋がこっそり、
「殴られるのは慣れているのですか?」と正和に聞いたところ、
こう答えたという。
「殴られるのに慣れはないんですけど、やっぱりいたいですよね……」
渋谷のカプセルホテルを後にした一行は、11月28日に宇都宮に戻った。
正和の肉体はすでにボロボロだったが、この日、泊まったホテルでもリンチは
エスカレートしていった。翌午前1時ごろ、藤原が正和に植村の悪口を言わせ
ようとした。「いやです」言えば言ったで新たなリンチの口実になる。正和が
断ると、松下が追い打ちをかけるように脅す。
「言わなかったら、熱湯だぞ。熱湯と悪口いうのと、どっちがいいんだ」
「熱湯はいやです」と正和が言うと、今度は植村が、「上等じゃね―か。ハイ、
熱湯コマーシャルね。さあ、裸になれ」と殴りながら命令し、正和の服を脱が
せて風呂場に連れていったという。正和の人間としての尊厳をも蹂躙する、
信じがたいリンチが行われたのは、植村の熱湯コマーシャルが終わった直後の
ことだ。
浴室のドアの前に、コップを持った松下が立っていた。
中身はオレンジジュースだったが、一目で白いドロドロした液体が混じって
いるのがわかった。
松下が命令した。「俺の精子が飲めないのかよ……」
リンチはこの瞬間に一線を超えた。熱湯シャワーを浴びせられ続けた正和の
体から湯気が立ち上がり、体力的限界のなかでそれが何かを悟り、一瞬、嫌な
顔をして拒否したが、考えるまもなく松下の言葉に屈服せざるを得なかった。
私が三人の供述調書からこのシーンを読み取ったときの感覚は、とても私の
拙い文章で書き表せるようなものではなかった。
戦慄を覚えた?いや、そんな簡単なものではない……。
あらゆる暴力と脅迫で正和をいたぶり続けた犯人たちが、とうとう肉体的苦
痛を超え、人としての尊厳まで冒してしまったのだ。しかも、これは単なる狂気
のはじまりにすぎなかった。
「おまえたちもオナニーしろ。あと3分で出せなかったら須藤にフェラチオさ
せる。それでも出せないやつは罰金10万円だ」主犯格の藤原が、植村らにそ
う命じたのだ。
結局、射精できなかった高橋が、正和にフェラチオされ、藤原がその写真を
撮るという異常な事態に発展した。一方、植村はコップの中に射精していたが、
そこに小便をして正和に突き付けた。
日 産 が 憎 い と 両 親 は 言 っ た !
「一気に飲め……」
それが終わると、犯人たちは再び風呂場へ正和を連れていき、植村が羽交い
絞めにし、松下が正和の胸から下腹部にかけて熱湯シャワーを浴びせたという
のだから、これはもはや人間の行為では断じてない。
だが、ひとたび一線を超えてしまうと、狂気はエスカレートする一方だ。
11月30日の午後、パチンコから帰ってきた藤原と植村が景品でとってきた
スパゲティを作り、正和に見せびらかすように食べた。その食べ残しを、
「吐き出したら熱湯だからな。わかっているな」と言って、正和の口に無理や
り詰め込んだ。その時の様子を、高橋はこう供述している。
「須藤さんの唇は連日の顔面殴打で腫れ上がっていました。必死にスバゲティ
を詰め込もうとする須藤さんの右目はギョロッと剥いた牛の目のようで、左目
のまぶたはつぶれ、右目とは対照的にとても小さくなっている感じでした」
正和が日産栃木工場の同僚、植村から呼び出されて二カ月目、
殺害される2日前のことだった――。
それにしても、なぜここまで凄惨なリンチが二カ月にもわたって続けられたのか。
なぜ、両親の再三の訴えにもかかわらず、警察は動こうとしなかったのか。
この1年ほど、私は正和の両親と二人三脚で真相の究明を続けてきた。この
間に正和の新盆があり、一周忌があった。だが、正和が勤務していた日産栃木
工場からは、誰ひとりとして訪れる人もなく、哀悼の言葉ひとつなかったとい
う。そして、なぜ日産自動車は正和を殺人犯と同じ処分にしたのかという新た
な疑問も浮上した。
日産自動車広報部主管の濱口貞行は
「須藤君に対する処分は事件の全容を知り得なかった当時の会社の判断として
は妥当だった。会社は事件解決のためにいろいろ手を尽くしたのに、悪く言
われるのは心外ですね」と語ったが、これは私の取材と食い違いがある。
事件発生から今日までの日産自動車の対応を振り返り、さらに正和の処分内
容を知った父の光男は、「もちろん、犯人は憎いけれど、いまは日産と警察が
憎い……」と、感情をむきだしにして、こぶしを強く握りしめた。そして、こ
れまで「倅の会社の車だから」と大切に乗っていた日産ローレルを売り飛ばし、
トヨタ車に乗り換えた。
この意味するところはいったい何なのか。
(週刊朝日・5/4・11合併号・2001年)
栃 木 リ ン チ 殺 人 追求・日産の「重大責任」
ゴーン社長 聞いてください!!
「栃木リンチ殺人事件」の被害者、須藤正和の両親は、愛車の日産ローレルを
捨て、トヨタ車に乗り換えた。息子が日産社員に殺されたうえ、「諭旨退職」
という汚名を着せられたままだからだ。
日産は処分を撤回しないばかりか、「当時の判断は妥当だった」と、あくま
で主張を変えないのだ。
本誌前号が発売された2日後の4月19日、日産自動車社員に殺された須藤
正和の両親のもとへ突然、日産自動車栃木工場の総務部長、人事課長ら幹部3
人がやってきた。
父、光男からの電話でそれを知った私は、記事を読んだ日産幹部が反省して、
正和の不当な処分を撤回しに来たのだとばかり思い、
「それはよかったですね」
と言ったところ、光男から意外な答えが返ってきた。
「それが違うんですよ。私らもね、てっきりそうかと思って対応したら、日産
の上司らは、正和が人事に書いて送った『退職願』を戻すから、問題の『処分
通知書』を返してくれっていうんだわ。きっと処分の件が報道されて騒ぎになっ
たんで、あわてて私らの手元にある"証拠"を引き揚げに来たんでしょう」
もはや驚くべきことではないかもしれない。
これが日産自動車という会社の"体質"なのか。
新盆にも一周忌にも顔を出さなかった日産幹部は、
「焼香をさせてほしい」
と言ったが、両親が、
「あんたら、それより前にやるべきこと(正和の処分撤回と名誉回復)がある
んじゃないの。(焼香は)それを済ませてからにしてください」
と言って追い返した。
当然の感情だ。
両親にとって日産は、息子が「お世話になっていた」会社であると同時に、
息子を殺した「殺人犯の雇い主」でもあった。
前号で詳報したように、正和は日産栃木工場同期入社の植村隆宏(仮名)に呼
び出され、植村を含む3人の犯人グループにカネを脅し取られたあげく監禁さ
れ、約2カ月にわたる壮絶なリンチの果てに殺された。実際に正和の首を絞め
た実行犯は、日産社員の植村だった。
ところが”雇い主”の日産は、殺された正和も、殺した植村も、まったく同じ
「諭旨退職処分」にしていた。事件の全容が明らかになった現在もなお、正和
の処分は撤回されておらず、当然、退職金も支払われていない。
こんなバカな話はないのである。
しかし、日産はいまだにことの重大さをまったく認識していないようなのだ。
日産栃木工場の幹部が両親の家から「処分通知書」を回収しようとした日の翌
日、日産自動車広報部の濱口貞行主管から本誌編集部へ1通の内容証明郵便が
届いた。
本誌前号の記事に事実誤認があるので、訂正してほしいというものだった。濱
口主管が指摘した誤りは正和の処分理由に関するものだ。
前号で私は問題の「処分通知書」の文面を紹介した。
〈須藤正和
従業員就業規則第85条第6項により諭旨退職(退職金不支給)に処する
1999年11月24日
日産自動車株式会社〉
そして、両親が正和の遺品から見つけ出した「従業員就業規則」には、
〈第85条第6項
会社施設及びその敷地内において、窃盗、暴行、脅迫、その他これに類する
行為をしたとき〉
と記されていると書いた。
ところが、濱口主管の指摘では、日産は99年4月1日付で就業規則を一部改
定しており、第85条第6項は、
〈出勤状況が不良であって、数回にわたり注意を受けても改められないとき〉
となっているという。
それはそうだろう。いくらなんでも、正和の処分理由が「窃盗、暴行……」で
はひどすぎる。本誌は濱口主管の指摘を受け入れ、次号で就業規則に改定があっ
たことを明記する旨、確約したが、それでは納得できないという。
内容証明郵便には、
〈弊社としましては、上記について貴誌記者の誤った認識がなければ今回の記
事掲載(すべて)は見出し及び記事構成から判断して成立しなかったものと
考えます〉
と書いてあった。
つまり、改定された現行の就業規則なら正和の処分が撤回されないのは当然
で、本誌の批判は成り立たないというわけだ。そして、
〈間違った情報を基に週刊朝日として掲載した旨、紙面及び発売前広告
(中吊り広告・新聞広告)において明記していただきたい〉
と要求してきた。
就業規則の条文がどうであろうと、記事が成立するのは明らかだ。
それについては後で詳しく検証する。
濱口主管はまた、
〈先日貴殿が弊社を訪問された際、幣職より「確認させていただく」と申し
上げ、貴殿もそれを了解されたにも係わらず、一方的に記事化され、しか
も誤った記事として掲載されたことに対し、大変遺憾に思います〉
とも言ってきた。
これは正和の名誉にもかかわることなので、ここできちんと反論しておく。
取材班が東京・銀座の日産本社を直撃したのは4月12日のことだった。応対
した濱口主管に、記者の一人が両親から預かった就業規則のコピーを提示しつ
つ、もう一人の記者が条文を読み上げた。
もし、濱口主管がこの条文を不審に思うなら、その場で指摘すればよかった
のだ。しかし濱口主管からは、「その条文は古いのでは」とか「確認させてほ
しい」という留保はいっさいなかった。社内にいたのだから、その場でデスク
に戻って就業規則を確認することもできたはずだ。
濱口主管があくまでも、
「処分は事件の全貌を知り得なかった当時の会社の判断としては妥当だった……」
という主張を繰り返すだけだったので、記者の一人が、
「そうではなくて、事件の全容が明らかになった現在もなお、正和君の処分が
撤回されず、退職金が支払われていないのは問題ではないか」
と問い直すと、
「それは、人事のほうに確認しておきましょう」
というになった。
だが、前号締め切りまでにその回答はなかった。
翌週月曜日に再度、質問のファクスを送ったところ、初めて条文が改定された
ことを伝えてきたというわけだ。
処 分 撤 回 に は 、 「 ノ ー コ メ ン ト 」
しかし、就業規則の条文がどうあろうと関係ないのだ。
正和の両親や私が問題視しているのは、
1. 正和が「諭旨退職処分」にされていた、
2. その処分が殺人犯の植村と同じ内容だった、
3. しかも、処分は正和の遺体発見から1年以上たったいまも撤回されていない、
ということだ。
正和の父、光男も、
「理由がなんであろうと、処分は絶対に納得できない。従業員就業規則が改定
されたというなら、なんでウチの伜は古い規則しか持っていなかったのか。そ
もそも、日産は私らにさえ処分理由をいっさい説明していないんです。ウチの
伜は同じ日産社員の植村らに拉致・監禁され、暴力の限りを尽くされた被害者
です。それがなぜ、処分されなければならないんですか」
と憤る。日産は、就業規則が改定されたのだから、この両親の訴えも不当であ
るというのだろうか。会社としての見解を問いただしたが、ほかの質問事項と
あわせて、
〈これまでの捜査当局の調査及び裁判の内容で明らかになっているものと考え
ますので、改めて弊社としてのコメントは差し控えさせていただきたいと存じ
ます〉
と回答してきた。要はノーコメントというわけである。
日産側が見解を明らかにしないのだから、独自に検証を進めるほかはない。
日産は、99年4月に改定された就業規則に基づき正和を処分した。
事件の全貌を知り得なかった当時の会社の判断としては妥当だった――と主張
している。現行規則の第85条第6項には、
〈出勤状況が不良であって、数回にわたり注意を受けても改めないとき〉
とある。本当に「数回にわたる注意」をしたのかも問い合わせたが、前述のよ
うにすべての質問に対して「ノーコメント」だった。仕方がないので、私が独
自に入手した日産関係者の参考人調書や裁判資料、関係者への取材などで知り
得た事実をもとに、当時の状況を振り返ってみる。
日産栃木工場の上司が正和の異変に気づいたのは、99年9月30日のこと
だった。本人から工場の人事課に、
「親から実家に帰ってくるように言われたので休ませてください……」
と電話があったという。
実はその前日、正和は日産社員の植村に呼び出され、現金を巻き上げられて
いた。
植村を含む犯人グループの3人は、正和を一晩中連れ回し、逃げられないよ
うにするために正和の頭をスキンヘッドに剃り上げていた。
それが地獄へ続く監禁と壮絶なリンチの始まりだったことは、前号で詳述した。
直属の上司は、正和についてこう供述している。
「まだ仕事がテキパキできるほうではなかったが、自分なりにコツコツと努力
し、4月から9月までの間は順調に働き続け、念願のマイカーを購入するた
めに社内貯金も毎月2万円にアップしていた」
人事課の担当者も、正和の出勤簿をチェックし、正和が9月2日までは一日も
欠勤することなくまじめに勤務していたことを認めている。
それが一変したのは、日産社員の植村に呼び出されてからのことだ。前出の人
事担当者によれば、植村に連れ回された9月30日に、正和は入社後、初めて
年次有給休暇をとった。10月1日と4日も年次休暇扱いで、6日と7日は遅
刻してきたが夜勤につき、8日の夜勤を最後にまったく出社しなくなったという。
心 配 す る 両 親 に
「 退 職 願 い を 出 せ 」
会社は、その後も年次休暇扱いにしたが、やがて休暇を取りきってしまい、
それ以後は無断欠勤となり、処分の対象になったという。
だが、欠勤が正和の意志でなかったことは明らかだ。
正和はこの間、犯人グループに監禁され、力ずくで職場から引き離されてい
たのである。
職場への連絡も10月29日を最後に途絶えていた。
つまり会社側が出勤状況について「数回にわたり」注意しようとしても、こ
の間はできなかったはずなのだ。
父の光男は、こう語る。
「日産も初めはいろいろと心配してくれていると思っていたけど、ある時期か
らは、とにかく『退職願を出せ、退職願を出せ』しか言わなくなったからね。
それはもう毎日でしたよ。そんなに言うんだったら、正和は植村といっしょ
にいることがわかってるんだから、植村に言ってくれという気持ちになって
こともあった。だけど、あのころは会社に迷惑かけちゃいけないって思って
たからね。正和から電話があったときも、『会社に退職願を出しなさい』って
ね。結局、日産は企業イメージを守るために、伜に汚名を着せて切り捨てた
んだよ。私ら親子は、ほんとにお人よしだったんだね……」
退職願の”督促”は、正和の上司が夜勤のときは朝、昼勤のときは夕方、毎日
定期便のようにあったという。
そのころ、当の正和は、植村らに暴行され、熱湯シャワーを浴びせられ、まさ
に瀕死の状態にあったのだ。そんな正和さんの行方を両親が必死に捜していた
ころ、日産栃木工場の総務部人事課長名での配達証明郵便が届いた。
〈平成11年10月27日
須藤正和殿
出勤督促状
あなたは、平成十一年十月二十六日より、欠勤となっています。
欠勤をする場合は、事前に所定の様式により届け出をし、欠勤の理由等につ
いて会社の承諾を得なければなりません。
(中略)
会社の承諾なく欠勤を続けると会社は就業規則にしたがってあなたを解雇す
ることになります。
(中略)
また、勤務する意志がない場合は、早やかに退職の手続きをしてください〉
あて先は両親の住所だったが、あて名は正和になっていた。
もちろん、正和がこれを受け取る機会は最後までなかった。
事件後、両親が正和の住んでいた日産の寮を片づけていると、
同じ文面の郵便が出てきた。
日産は、正和が受け取れないことを知っていたからこそ、
実家の住所にもまったく同じ文書を送り付けてきたのではないか。
両 親 は 激 怒 し た 「 訴 訟 も 考 え る 」
ただ、事情はどうあれ正和が欠勤を続けていたことは事実である。
問題は、正和が事件に巻き込まれた可能性について、当時、会社は認識してい
たかどうかなのだ。
実は、私は「事件の全貌を知り得なかった」という日産側の主張について
強い疑念を抱いているが、ここでは直属の上司が警察の調べに、次のように供
述していることを指摘するだけにしておく。
「10月29日の午前8時50分ごろ、須藤から電話がありました。係の指導
員が最初にその電話をとったが、須藤の声は『もしもし、もしもし』とか細く
言うだけで、ほとんど聞き取れないくらい小さな声でした。それが、私の職場
への最後の電話になりました。それまでの須藤の勤務状況や態度から(無断欠
勤など)信じられず、ひとつの考え方としては、だれかに見張られ、逃げ出す
ことができなかったのかもしれないと感じたのも事実で、本当に残念な結果に
終わり冥福を祈るだけです」
仮に百歩譲って、この時点での日産の判断が妥当だったとしても、処分が撤回
さていないことに対する合理的な理由はどこにもない。
正和の同僚の一人は、事件後、日産の上司から、
「須藤はな、会社に来ないからクビになったんだ」
と聞かされ愕然としたという。この同僚は事件の全容をほぼ知っていたからだ。
だが、いまだに「クビになった」と信じる同僚も少なくない。実際に処分が撤回
されていないのだから、「クビ」というのも間違いではないが・・・。
父の光男は、こう語る。
「少なくとも昨年3月14日の初公判の段階で、検察側の冒頭陳述によって正和
が監禁されて会社に行けなかったことは明らかにされている。そこには日産から
も総務部の担当者が来て、傍聴していた。あれから丸一年、日産は事情を知って
いながら、正和の処分を放置し続けたのです。私たちは正和の処分撤回を強く
求めます。そして、日産の態度いかんによっては、訴訟も辞さない覚悟です……」
すでに判決が言い渡された裁判でも、正和が犯人らに監禁され、出社できな
かった状況が認定されている。
もし、私が正和の「処分通知書」の存在に気づかず、本誌がその問題点を指
摘しなければ、日産は正和の処分について永遠にほおかむりするつもりだった
のか。今後も、撤回する意志はないのか。
4月21日現在、日産は栃木工場の幹部が両親から「通知書」を回収しようと
しただけで、処分の撤回はない。
本社広報部はあくまで「ノーコメント」という態度なので、私は日産自動車
トップのカルロス・ゴーン社長に直接、質問の手紙を送った。
日産はゴーン社長になって業績を上げた。有能な経営者なのだろう。労組の
ボーナス要求に一発で満額回答をしたとも聞く。正和の両親や私の主張は不当
だろうか。
ゴーンさん、あなた考えをお聞かせください――。
(週刊朝日・5/18・2001年)
栃 木 リ ン チ 殺 人 事 件 追求・日産の「重大責任」
これでも知らなかったというのか!!
日産はかなり早い段階から事件性を認識していたのではないか。それが警察の
捜査に影響を与えることはなかったのか。これまでの取材でそんな”疑惑”が
浮上してきた。本誌の報道で日産は須藤正和の処分を”撤回”したが、事件の
裏にはさらに隠された日産の重大責任があったのだ。
またしても日産自動車は信じられない対応で、遺族の心を傷つけた。
4月24日付の地元紙に、日産が4月19日付けで、須藤正和の「諭旨退職
処分」を撤回したという記事が出ていたのだ。4月19日といえば、正和の実
家に日産栃木工場の幹部3人がやってきた日ではないか。
本誌が日産自動車広報部に問い合わせると、この日、実家を訪れた幹部が口
頭で処分の取り消しを伝えたという。
だが、父光男の話は180度違っていた。
「工場幹部が家にきたのは事実ですが、処分を撤回したとは聞いていない。私
が聞いているのは、正和の書いた退職願いを返すから、処分通知書を戻してほ
しいということだけです。彼らは、私らには何も報告しないで、マスコミには
処分撤回だなんて流したことで、日産に対する不信がますます募りました」
すでに詳報したとおり、正和は日産栃木工場に同期入社した植村隆宏〔仮名〕
に呼び出され、植村を含む3フ少年グループにカネを脅しとられたあげく監禁さ
れ、熱湯を浴びせられる等の凄惨なリンチを受け続けた。ところが”雇い主”の
日産は、被害者の正和も加害者の植村もまったく同じ「諭旨退職処分」にして
いたのだ。
「須藤君に対する処分は事件の全貌を知りなかった当時の会社の判断として
は妥当だった」〔広報部〕
と、日産は私の追求に対してコメントしてきた。
私は、これに強い疑念を抱いている。それどころか、さらに「重大な責任」
が隠されているとさえ考えている。
正和が監禁されていた約二カ月もの間、両親が必死の思いで捜し続けたこと
は言うまでもない。ところが、再三の訴えにもかかわらず、栃木県警はまった
く動こうとしなかったのだ。
象徴的な例が、銀行の防犯ビデオの件だ。
取引銀行の支店長から両親に、正和が何者かに脅かされ、現金を引き出して
いる様子が防犯カメラの映像に残っているという連絡があった。正和は顔を隠
すようにフードをかぶっていたが、顔には明らかにひどいやけどの跡が見えた
という。
支店長から、
「必要があればいつでもビデオはお貸しします。早めに警察にいったほうが・・・・・・」
とアドバイスされ、両親は訴えたが、警察はこれでも取り合おうとはしなかっ
た。
警察の対応は一時が万事、こうだった。正和が事件に巻き込まれた証拠をそ
ろえて相談してもダメだった。
「警察は事件にならないと動けない・・・・・・」
これが警察側の言い分だ。
警察はなぜ、動かなかったのかという点について、私は膨大な捜査資料と公
判記録、さらには関係者への取材をもとに導き出された一つの仮説がある。
それはかなり早い段階から事件の全容をキャッチしていた日産が、企業イメー
ジを守るため、事件が警察沙汰にならないよう内々で処理しようとしたことが、
結果として警察の捜査に影響を与えてしまったのではないか、ということだ。
これについては拙著『栃木リンチ殺人事件・警察はなぜ動かなかったのか』
〔草思社〕で詳しく論証したので、ここでは重要なポイントだけ指摘する。
警察はなぜ、動かなかったのか――――。
00年6月9日の栃木県議会文教警察委員会で、県警の広畑史朗本部長が、
「家出人捜索願いを受理した段階で、誤った先入観を持ってしまった。それが
あとあとまで尾を引いた・・・・・・」
と釈明している。
県警が捜索願いを受理したのは99年10月18日のことだった。その日、
正和の母、洋子が日産栃木工場の総務部人事課から呼び出され、正和が日産の
同僚から多額の借金をしていることを知らされた。洋子は会社の勧めにしたが
い、「日産自動車栃木工場総務部部長付」の肩書を持つ「S」と正和の上司に
付き添われ、初めて石橋署を訪れた。そこで捜索願いが出されたという。
ちなみに「S」は栃木県警の元警視で、日産と警察のパイプ役を務めている。
広畑本部長は、このときに誤った先入観を持ってしまったと話している。
いったい何があったのか。
母の洋子が振り返る。
「実は、捜索願を出しに行ってとき、会社の人から『警察の人に渡してくださ
い』と言われてもらった書類があるんです。そのときは、言われるまま中身も
読まずに警察に出してしまったのですが、あとで見てびっくりしました。まる
でウチの正和が、植村らと遊び歩いているようなことが書いてあったんですよ」
日産は欠勤を始めた正和と植村に対して早い段階から社内調査を行っていた。
日産は、植村と正和を別々に会社に呼び出し、話を聞いた。警察に提出された
書類は、その報告書のコピーだった。
そこには事情聴取をした上司の「判断」として、
〈植村は質問に対してハキハキと答えるし、正直に話しているものと思われる。
須藤は植村に話した内容、私ら監督者に話す内容、会社同僚に話す内容がすべ
て違い、三者三様の内容を話していることから、うそをついているものと思わ
れる〉
と書かれていた。
「これじゃあ、まるで正和が悪いみたいですよね。これを見た警察は、
いったいどう思ったかね……」
と、光男はため息をつく。
つまり、これが広畑本部長が答弁した「先入観」を生んだ原因だったような
のだ。
これについて日産自動車広報部の濱口貞行主管は、
「『報告書』はあくまで欠勤に対する社内的な調査をまとめたもの。しかし、
何かの参考になればという”善意”から提出された。
悪く言われる筋合いはない」
と憤慨するが、仮にもしそうであったとしても、結果として日産の”善意”が
警察の先入観を生んでしまったことへの責任はあるはずだ。
いずれにせよ、日産がかなり早い段階から事件性を認識していたことは間違
いないと私は見ている。それは、日産栃木工場総務部の素早い対応ぶりにも表
れている。
日産栃木工場で、正和の1年先輩にあたる木崎政則(仮名)が正和の上司から
休憩室に呼び出されたのは、問題の報告書が出される5日前の10月13日の
ことだった。
「君が知っていることを、頼むから全部、話してくれ」
こう言って、上司は木崎に切り出したという。
実は、木崎は10月2日に正和から呼び出しを受け、現金2万円を貸していた。
「友だちがヤバイ人の車にぶつけちゃって、すぐにカネが必要なんです。俺も
友だちの車に一緒に乗っていたんですが、先輩、すいませんがカネ貸してもら
えませんか」
と、木崎の携帯電話に正和から連絡が入ったのだ。
待ち合わせ場所には正和のほか、日産社員の植村と主犯格の藤原勝(仮名)、
松下将樹(同)の犯人グループ3人が勢ぞろいしていた。
このうち松下については木崎もよく知っていた。高校時代の水泳部の後輩だっ
たからだ。植村についても”評判のよくない新入社員”として知っていた。主
犯格の藤原についてはまったく面識はなかったが、そのふてぶてしい態度から
木崎の頭の中に不吉な構図が浮かび上がった。
「『カネを貸してくれ』という須藤の不自然な口ぶりからして、松下たちにむ
りやり言わされているのではないかと思いました。車の事故という話も、実は
松下たちがカネをせびる口実に使われているのではないか。須藤が会社を休ん
でいるのも、松下たちが無理やり連れ回しているからではないかと考えました」
木崎は事件後、検察庁の調べに対して、こう証言している。
つまり、木崎はこの段階で事件の全容をほぼ把握していたというわけだ。
参考人調書からの再現を続けよう-----。
上司から休憩室に呼び出された木崎は、正和の身をずっと案じていたので、
すべてを話すことにした。
そ の 話 は 嘘 だ ! !
同 僚 は 直 訴 し た
「(新入社員の)植村のことは知ってるよな。で、松下ってのも知っているか」
上司の言葉に木崎は正直、驚いたという。なんで松下の名前を知っているのか。
「松下は高校時代の後輩でした。でも、ボクは彼を信じていません」
「それは、なぜだ」
「高校時代からいい加減だったので……、松下の性格も知ってましたし……」
いずれにせよ、日産栃木工場総務部は10月13日の時点で事件関係者の素性
をほぼつかんでいたことになる。
木崎は上司がそこまで知っているなら、必ず力になってもらえるものと確信し、
前述した検察庁の事情聴取で話したような事件の”背景”についての考えも述
べた。
正和の上司がそのうえで木崎に尋ねた。
「ヤツらがどんな車を使っていたか、車種とか色とかを覚えているか」
「黒っぽい色のインテグラです。家に帰ればナンバーもわかります。帰りがけ
にメモしておいたので……」
ところが、そのあとの上司の反応は意外だった。
「いや、警察じゃないからそこまではいいんだ。このことは警察にも連絡した
から、ここから先は警察にまかせればいい。だから、おまえはもうかかわるな。
いいな」
ちょっと変だと木崎は思った。もし本気で正和のことを心配するなら、ナンバー
を知っていることがわかれば喜ぶはずだ。「もうかかわるな」という一言は、
まるで口止めに聞こえたと、木崎は正和の両親に語っている。
もう一つ。「このことは警察にも連絡したから」ということは、捜索願を出す
より前に、すでに警察と連絡を取り合っていたことになる。
「木崎君のことを知ったのはずっとあとになってのことでした。妻が捜索願を
出すより前に日産が警察と接触していたことも知らされていませんでした。松
下や藤原の名前にしろインテグラのナンバーにしろ、私らがどれだけ苦労して
割り出したか。日産は知っているのに、なぜ教えてくれなかったのか……」
父の光男は、そう憤る。
日産の不審な動きはそれだけではない。休憩室でのやりとりを続けよう------。
上司は1通の書類を取り出した。
「植村から事情を聞いたものだ。ちょっと見てくれ」
石橋署に提出された問題の「報告書」だった。ざっと目を通した木崎は、カッ
と頭に血が上るのを感じた。10月2日の欄には、
〈須藤とは別行動〉
とあったからだ。木崎は思わずまくしたてた。
「植村の話は全部ウソです。10月2日は私が須藤に頼まれて2万円を持っ
ていった日です。このとき、須藤は植村と一緒でしたから、明らかに植村はウ
ソをついている」
この木崎の事情聴取の翌日に書かれたのが、
〈(正和は)嘘をついているものと思われる〉
という問題の報告書だ。
なぜ日産の上司は木崎の話を聞きながら、こんなデタラメを書いたのか。
なぜ日産の上司は木崎の話を聞きながら、こんなデタラメを書いたのか。
そしてなぜ、それを洋子に持たせて石橋署へ行かせたのか。
日産は本誌の取材に対して、
「捜査当局の調査及び裁判の内容で明らかになっているものと考えますので、
改めて弊社としてのコメントは差し控えさせていただきたい」
と言うばかりだ。
日産が警察のいう事件性を十分認識していたという”証拠”はこれだけでは
ない。
木崎から話を聞いた2日後の夜、正和の上司のもとへ同僚の加藤隆史(仮名)
から電話があった。加藤はその前日に正和から呼び出され、100万円という
大金を巻き上げられていたのだ。加藤はそれを上司に話した。もちろん正和が
いかにひどい状態でとらわれていたかも、克明に話した。警察は両親に対して、
「警察は事件にならないと動けない……」
と言い続けたが、加藤が被害届を出しさえすれば即刻、事件になる状況だった。
しかし、上司は加藤に被害届を出すようアドバイスはしなかった。
それだけではない。
このころ、正和は植村たちに脅されて日産の同僚などにカネを借りまくってい
た。カネのない友人は消費者金融に連れて行かれ、その場で融資を受けた現金
をとられた。犯人グループはこれを、「ご融資」と呼んで喜んでいた。
正和の親友で同期入社の社員二人が総務部人事課に呼ばれたのは、11月に入っ
てすぐのことだった。二人は「ご融資」の被害者で、そのときの状況を詳しく
聞かれた。
二人は、植村たちに脅されて無理やり消費者金融から借金をさせられたこと、
二人の目の前で正和が殴られ土下座させられこと、顔や手におびただしいけが
をしていたことなどを詳しく説明した。
事態を重視した総務部は犯人グループの襲撃に備えるため、二人の寮の部屋替
えをしている。つまり、日産の総務部はそれほど切迫した事態になっていると、
はっきり認識していたわけだ。これでもまだ、「事態を知り得なかった」と言
い張るのか。
処 分 撤 回 で 判 明
弔 慰 金 も 未 払 い
ちなみに前出の加藤もこの二人も警察OBの「S」に連れられ石橋署を訪れて
いる。だが、なぜか対応した刑事は調書もメモも取らず、ただ話を聞くだけだ
ったという。
いずれのケースも、犯罪構成要件を十分満たしているのは明らかだ。元警察官
の私が言うのだから、間違いない。日産も警察も、とっくの昔に犯人グループ
の全貌をつかんでいたし、一連の事態が単なる金銭貸借(民事事件)ではなく
恐喝・強盗(刑事事件)であることもわかっていたのだ。にもかかわらず、なぜ
か共同歩調をとるかのように事態に対してまったく反応しようとしなかった。
日産に至っては、正和から退職願をとることばかりに腐心していた。その結果
の「諭旨退職処分」である。
4月27日に日産栃木工場の総務部長名で両親の弁護士に送られてきた処分取
り消しの文書には、
〈本件見直しが遅れましたことは、誠に申し訳なく思っております。なお、本件
取り消しにより、平成11年12月2日付ご本人死亡による退職となります。つき
ましては、添付別紙のとおり、賞与等のお支払がありますので、ご確認くだ
さいますよう……〉
とあった。驚いたのは、本来支払われるべき賞与や祝金・見舞金支給規定に基
づく弔慰金など約53万円が、これまで未払いだったことだ。このカネは、も
し本誌の指摘がなければ、永久に支払われなかったのかもしれないのだ。
それはさておき、処分の撤回と未払い金の支払は、あまりに当然のことである。
日産はこの文書1枚で責任を果たしたつもりなのか。
なぜ、いまだに処分撤回が遅れたことの理由を説明しようとしないのか。
日産がかなり早い段階から事件性を認識していたことはほぼ間違いない。
労働法に詳しい弁護士などによると、企業は従業員の安全に配慮する義務があ
るという。日産はこの「安全配慮義務」に違反しており、当然、損害賠償の対
象にもなるのだ。
正和の両親は、県警と犯人側を相手取った損害賠償請求訴訟を起こしているが、
処分取り消しを通知する文書を手にした父の光男は、体を震わせながらこう語った。
「正和は同じに日産社員によって殺されたのです。日産が正和の殺された経緯を
明らかにしないで、こんな紙きれ1枚ですませるなら、私らは日産を訴えます。
不買運動を起こしてでも復讐します・・・・・・」
私がゴーン社長あてに出した質問に対する回答もまだない。
日産はなぜひとこと「すまなかった」と言えないのか・・・・・・。
民事裁判の現在の状況 (抜粋コピペ)
被告等の弁護人から出された準備書面。
19歳の独立した生計を営む未成年に対する監督としては、
極めて厳しい監督を行っていた。
本件において被告の監督義務違反は到底認められない。
と準備書面にて反論。
県警から出された準備書面。
捜査に違法とみられる職務違背はない。
捜査と殺害行為との間に因果関係を認めることはできない。
被害者に生命の危険があることを容易に認識できず、
国家賠償法上で違法とされる職務違背はない。
と、請求棄却を求めた。
つまり、加害者の親も、警察もまったく責任を認めようとしていない。
事件の全貌(FOCUSより転載)
殺害のきっかけも警察のミス?
新潟の少女監禁事件や埼玉県桶川のストーカー殺人事件で、警察の威信はすでに地に落ちているが、
今度は栃木県警の 不祥事である。19歳の少年が中学校の同級生3人に拉致、監禁、恐喝され、2ヶ月に
わたって毎日のようにリンチを受けた挙げ句、昨年暮れ殺害されるという事件があった。その間、息子の
異変に 気付いた両親が、再三警察に訴えたにもかかわらず、警察は全く 取り合わず、殺害のきっかけを
与えるような失態を演じていたのだ。 しかも、主犯の少年は栃木県警の警部補の次男。殺された少年より
身内をかばったといわれても仕方のない状況なのだ。
右の写真が昨年12月2日に殺害された須藤正和さん。栃木県黒羽町で理容店を営む須藤光男さん(49)
の長男で地元の高校を卒業後、日産自動車栃木工場に勤めていた。左の3人が正和さんに凄惨なリンチを
加え、700万円もの借金をさせて自分達の遊興費にあて、最後には正和さんをネクタイで絞め殺してコンクリート
詰めにした犯人である。
主犯格の藤原一男(仮名)は、栃木県警警部補の次男で、中学卒業後ビジネス学校に入るが、ほどなく中退。
一時とび職をしていたこともあるけれど、実際の顔は札付きのワル。障害や窃盗で 保護観察処分を受けた事
があり、警官の父親ですら「殺してやりたい」と いうほどのワルなのである。従犯のAは、正和さんと同じ日産
栃木工場に同期入社。といっても、こちらも高校時代に暴走族に加わり、業務上過失傷害の前歴がある。
BはAと同じ暴走族のメンバーで、 県内の私立高校を中退後、藤原と一緒にとび職をしていた。Aと会社の
同僚で、しかもおとなしい性格だった事が、正和さんにとっては不幸 としか言いようがなかた。
そもそもAとBが藤原から金を巻きあげられていたのだが、二人が「もう金はない」と訴えたところ、藤原が
「金を作れる奴を連れてこい」と命令し、Aが同僚の正和さんの名前を挙げたのだ。3人は昨年9月29日、工場
近くのコンビニに正和さんを呼び出して、「Aが暴力団の車と衝突 事故を起こし、修理代を要求されている」と、
嘘をついて正和さんを 拉致。7万円を口座から引き出させ、翌日サラ金から15万円、20万円と借りさせ、さらに
同僚の所に正和さんをいかせて、同僚名義で20万円 借りさせている。
新しい金ヅルを手に入れた藤原らは、自分達が遊ぶ金がなくなると正和さんに友人のもとへ借金に行かせ、
宇都宮市内のラブホテルや 都内渋谷のホテルを転々としていたのだ。そして、金ヅルが逃げない様に常に
監視するとともに、連日リンチを加えていた。まず、正和さんを丸坊主にした上、眉を剃り落とし、顔や腹を殴る
蹴るの暴行を加えていた。そして、暴行は”熱湯コマーシャル””火炎放射器”と犯人が名付けた凄惨なリンチ
へとエスカレートしていった。
熱湯コマーシャルというのは、正和さんを裸にしてシャワーの温度を最高温度にして浴びせ掛けるというもの。
熱湯を掛けられ「あちあち」と浴室内を逃げ回る姿を面白がってみていたのだ。殺虫スプレーにライターで火を
つけて火炎で焼くのが火炎放射器というリンチ。正和さんは大声で泣き叫び、苦悶の表情でのた打ち回ったという。
それを面白がって連日していたのだから、とても人間のやることとは思えない。
10月末に熱湯シャワーを浴びせられた際、正和さんは逃げようとした事があったが、彼を捕まえた3人はさらに
熱湯を掛けて「逃げるからそんな目にあうんだ。逃げたりしたらますます痛い目に遭うからな」と脅したのだ。
「あなたの息子が悪い」
寮生活をしていた正和さんが無断欠勤を続け、実家にも帰ってこないとなると、何かあったのでは、と両親が
心配するのは当然のことだろう。10月18日、拉致されて20日目に母親の洋子さん(48)と日産の上司3人が石橋署
に相談に訪れる。「会社の方の勧めもあって石橋署にお願いしたんですが、今思うとこの選択が間違っていたの
かもしれません」と父親の光男さんは吐き捨てるようにいう。「石橋署の2階で生活安全課の巡査部長が対応に
出てきたので”息子が帰って来ない。友人から金を借りまくっている”と伝えたのに、家出人捜索届をだしてくれと
いうことで帰ってきました。翌日、私も心配になって妻と一緒に石橋署に行って、いろいろ刑事さんに話たけれども、
正和を単なる家出人としか考えていないんですよ。逆に”お宅の息子さんが悪いんじゃないの。仲間に金を分け
与えて、面白おかしく遊んでるんだろう。警察は事件にならないと動かないんだよ”とまでいわれてしまった。その時
は頭が真っ白になりましたよ」 10月22日、再度警察に足を運んだところ、担当の巡査部長の第一声は「今日は
何しに来たのか」と、あからさまにうるさいという態度を示したそうだ。その上「憶測でものを言うな。金を借りている
のはあんたの倅だ。もしかしたら倅は麻薬をやってるんじゃないか」とまで言ってのけたという。
頼みにしていた警察に見放された両親は独力で息子を探し出そうと、正和さんが金を借りた先を回り、あるいは
金を借りに行きそうな中学、高校の同級生に電話を掛けた。そのうち一人の所に正和さんが金を返しにくることを
掴んだ光男さんは、その同級生のアパート近くから一月ぶりに正和さんの姿を目にした。車でやってきた正和さん
は右手の肘から指の付け根まで 包帯を巻き、頬に新しい殴られたような傷があったという。光男さんが続ける。
「正和の友人が逆恨みが怖いからというので、飛び出して正和を連れ帰ることは断腸の思いで堪えました。ただし、
息子が乗せられていた車のナンバーを警察に照会したところ、Bの父親のものだと分かったんです。それからAの
存在も判明しました。ナンバーを押さえれば、後は警察が探してくれると思っていたからぐっと堪えたのに、ナンバー
を紹介しても警察は動いてくれませんでした。」
一方、藤原らのリンチは11月に入っても連日行われ、90度の熱湯を正和さんに掛けたり、その後を木の靴べらで
殴り付けた。正和さんの火傷は表皮が剥げてなくなり、内部から膿が出ている状態だったようで、法廷での藤原の
証言によると「正和さんが火傷の膿で水浸しになっていた」という。そんな彼に3人は執拗な暴行を加えつづけて、
人前に出すのは限界と感じるほど、正和さんは変わり果てた姿になっていたのだ。
そのためか、11月半ばから両親の元に正和さんから度々電話が入るようになる。もちろん金の無心の電話だ。
「仙台にいる。ある人に30万円明日までに返さなければならないから銀行に振り込め」と、最後は大声で怒鳴った
という。逼迫した正和さんの電話はさらに頻繁になり、両親も振り込まざるを得なかった。だが、振り込んだ金を
引き出しに現れた正和さんの姿が、防犯ビデオに捉えられていたのである。
軽率な一言で
「11月25日に銀行から電話があり”お父さんが振り込んだお金は東京の丸の内支店で引き出されています。防犯
ビデオに写った息子さんの顔には明らかに分かるほどの火傷があるそうです。後ろには男達がついていました。
いつでもビデオを証拠として提出するので、早く警察にご相談下さい”と言われました」
そして、11月30日、両親は石橋署に向かった。事件にならなければ動けない、と重い腰を上げなかった警察も、
ビデオを見れば事件に巻き込まれたと分かる。父親ならずとも、誰もがそう思うところなのに、警察の対応は呆れる
ばかり。「防犯ビデオを取り寄せるには、裁判所の許可が必要なんだ。事件にもなっていないのに、防犯ビデオなど
取り寄せられない」と、撥ね付けたのだ。 「正和がただの家出人ではなくて、何者かに連れ去られ火傷まで負っている、
その動かぬ証拠が見つかったんですよ。これが事件でなくて、何が事件というのですか」と、光男さんは怒りを隠さない。
そして、警察署にいた時、正和さんから父親の携帯に金の無心の電話が入った。「とっさの思い付きで携帯を刑事さん
に渡したんです。車のナンバーでも動かない。ビデオも駄目。だから、刑事さんに電話に出てもらって息子が拉致され
ている事を分かって欲しいという必死な気持ちで電話を渡したんです」 受け取った刑事は「須藤か、今どこにいるんだ。
早く帰ってこいよ」と言った後、「石橋だ、石橋の警察だ」と答えたところ電話が切れたのだ。この軽率な一言で、藤原達
に両親が警察に相談している事が明らかになってしまったのだ。この2日後、事件は最悪の結果を迎える。
12月2日午後2時45分、同県市貝町の山林で正和さんの首をネクタイで絞めて殺したのだ。首を絞めたのはAとBで、
主犯の藤原は車の助手席で見ていたという。そして、遺体をコンクリート詰めにして、市内のホテルに着くと「15年は
逃げ切ってやろう。死体が見つからなければ、迷宮入りだ」と、藤原の音頭でビールで乾杯したのだ。殺人の時効は
15年。正和さんから金をむしり取り、玩具のように散々なぶりものにして、身が危うくなると虫けらのように殺して、逃げ
きってやると乾杯する。したたかというよりも、そのワル振りには舌を巻く。
藤原ら3人は途中から犯行に加わった都立高校生(16)が4日、警視庁三田署に自首した事から、翌5日に逮捕され
たのだ。拉致から67日目、正和さんが借りた金は約720万円に上がる。
事件の経過を見れば、正和さんは警察に見殺しにされたとしか言いようがないだろう。10月18日に母親が石橋署に
相談に行って以来、何度も警察は動くタイミングがあったはずである。少なくとも、なぜBの車を手配しなかったのだろうか、
どうして防犯ビデオを取り寄せなかったのか。 栃木県警は事件解決後数時間で「操作に問題はなかった」と言い切った。
が、マスコミの追求を受けて「もう一度調査してみる」ということになったのを見ても、いかに対応がお粗末かわかるだろう。
本誌の取材に対しても栃木県警は「現在調査中」の一点張り。そこで藤原の父親である警部補に直接話を聞いたところ、
被害者や遺族に対する謝罪の言葉が出てくるどころか、自分が被害者のような口振りなのである。「何でこういうことに
なっちゃったのか・・・・。こっちも辛いし、ショックを受けている。本当に疲れているんです。勘弁してください。あなたは
こちらの気持ちが分かるんですか。飼っている猫が死んだら、育てている花が枯れたら悲しいでしょう。須藤さんのご両親
に対しては何も言えません。その辺りの気持ちは弁護士に聞いてください」
父親は須藤夫妻に1300万円で示談の申し入れをしているが、ことは金で済む問題ではないだろう。
光男さんは最後にこう訴える。「12月4日に地元の警察幹部と話をしたんですが、”お宅が息子さんを可愛いと思うように、
警察も身内が可愛いんだよ”とまで言われました。つまり藤原の父親が警察官だから、それに配慮して事件としては扱え
ないというのですかね。後日、この幹部はそういう意味ではないと謝罪してきましたが、警察は人を助けてくれないと思った
瞬間でした」栃木県警はこの叫びにどう応えるつもりなのだろうか。
・事件の残虐性そのもの(上記の事件概要の通りですが、殺害時の詳細は更に
凄惨です、葵さんのHPを参照のこと)
http://ime.nu/topia.yam.com/home/aoiryuyu/pages/tochigi19.htm ・警察の対応のいいかげんさ・・・民事不介入を言い訳に被害者が死亡するまで
対応しない。(ストーカー事件などでも同様のことがあった)
・警察の捜査方法の不備・・・少年犯罪者=子供のいたづら程度に認識している
考え方の古さ、(彼らの想像以上に昨今の少年犯罪者は狡猾になっているという
事実を認識していない)
・周囲が発覚による不利益をおそれて隠蔽するばかりか、何の落ち度も無い被害者を
悪者にしたてあげること。
あーやっと終わった。
何度荒らしても無駄だから、もう荒らすなよ!
101 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 07:36 ID:3NlyiLaM
乙、でいいのか?
もう一個立っているけど。
102 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 07:39 ID:3NlyiLaM
103 :
1:03/09/07 10:18 ID:4vsRVsoM
↑上記のものはどう見ても検索できない人が立てた
重複みたいだし、あのままヒッソリ消えるべきだと思います。
それに前スレがあげ荒らしのせいで消えてしまっても
困らないように立てときましたが?余計なお世話?
104 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 10:38 ID:h58NepkO
>>103 ニサーンはメーカーも信者も
宇宙最悪のブタということですねw
下級チンピラ専用のセドリックとかグロリアとか
対象年齢12歳のシルビアとか
なんか絶望的だな(ゲラゲラ
105 :
1:03/09/07 10:57 ID:4vsRVsoM
「ニンサン」と一括りにしてしまうのもどうかとおもいますが・・・・・
確かにシルビアとか乗ってる人で、最悪なの居ますね・・・
確かに前スレ荒らしたのは日産信者かもしれませんし・・・
そう思われても仕方ないのかな? 可哀相だね日産は・・・
106 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 13:44 ID:oboWmEmx
age
107 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 13:44 ID:g347AXvB
ここの
>>1は精神障害者?
マジ見ててキモイんだけど。
108 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 14:08 ID:HMxoQyaM
恐喝していたトヨタ車体社員
http://www.unakami-sho.com/page122.html 社員が同僚を恐喝していたというと、前例のない犯罪のように思えるだろう。しかし、似
たようなことはあちこちに見られるのではないか。企業内部の実態をよく知る人は統治
ができていないことを指摘するだろう。お金を集めるとき、暴力団との関係をちらつかせ
たのは相当悪質だった。
恐喝をしていた社員は東証1部上場の「トヨタ車体」に勤務していた。社長は次のように
語った。「よくない噂の親睦会ということは前から聞いていた。解散させられなかった。管
理職は入会しないように指示したが、入った人もいた。置物は面倒になるのが嫌で買っ
た人が多かったようだ。今後は社員とのコミュニケーションを一層重視したい」
まるで他人事だ。社内に犯罪が行われていた重大性を認識していない。以前から知っ
ていたのに、何もしなかった。こんな無能な人間が企業内に君臨していた。被害にあった
社員の憤りはもっていくところがない。
109 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 14:11 ID:HMxoQyaM
恐喝していたトヨタ車体社員の続き
犯罪行為を見過ごすトップ
トヨタといえば、一兆円という日本一の利益をあげている会社だ。その関連会社だか
ら、社員はやめたくないだろう。嫌なことがあっても、我慢するしかない。トップが犯罪行
為を見過ごしていたくらいだから、内部で対処することもできなかったと思われる。
逮捕された社員は懲戒免職となり、上司6人も降格され、約50人が社内処分された。
年齢は53歳。その他の5人も、同僚から現金を脅し取り、恐喝や同未遂事件で逮捕さ
れた。社員はとんだ被害にあったものだ。
110 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 14:12 ID:HMxoQyaM
恐喝していたトヨタ車体社員の続き
現役暴力団組員も出入りするトヨタ車体
県警の調べによると、
暴 力 団 幹 部 の 写 真 や 新 聞 記 事 を 張 っ た ア ル バ ム を 同 工 場 の 倉 庫 に 置 き 、
個室のように使用していた。
会 社 と は 関 係 な い 現 役 組 員 も 、 倉 庫 に 出 入 り し、
暴 力 団 と の 交 際 が同僚に広く知られていた。
恐喝された社員は暴力団を恐れて金銭の要求に応じていたのではないか。
111 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 14:13 ID:HMxoQyaM
恐喝していたトヨタ車体社員の続き
日常的に行われていた脅迫と、職責を果たさないトヨタ車体幹部
社内に親睦団体をつくり、社員100人前後から毎月3000円を強制的に集めていた。
また、高額の置物を社員に売りつけていた。「やくざに顔がきく」「会員が証言すれば、恐
喝とみなされない」などと発言していた。共犯として逮捕された会員は怖かったからと供
述している。職場が犯罪者に支配されていたわけで、経営者や管理職は自分の役割を
忘れていた。
112 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 14:14 ID:HMxoQyaM
トヨタが10億円の所得隠し 名古屋国税、4億追徴課税
http://www.kyoto-np.co.jp/news/flash/2002nov/12/CN2002111201000408A2Z10.html トヨタ自動車が系列の部品メーカーとの取引をめぐり、名古屋国税局の税務調査を受け、2000年3月期までの3年間に約10億円の所得隠しを指摘されていたことが12日、分かった。
同国税局は、系列の豊田紡織(愛知県刈谷市)から自動車部品を通常価格より高く買い上げたことが系列会社を支援する寄付金に当たると認定、重加算税を含めた計約4億円を追徴課税し、トヨタ自動車はすでに納付した。
調査によると、トヨタは豊田紡織からエンジンオイルの汚れを取る「オイルフィルター」を購入する際、通常よりも高い代金を支払っていたという。
同国税局は水増ししていた代金は業績が伸び悩んでいた豊田紡織への経営支援に当たると判断。このため無税で処理する経費としてではなく、トヨタから豊田紡織への寄付金として処理するよう指摘した。
豊田紡織は1918年に豊田佐吉氏が創業、トヨタグループを生み出す母体となった企業。徐々に紡織事業から撤退し、フィルターなど繊維を使った自動車関連部品の売り上げが最近では98%を占める。2000年3月に東京証券取引所に上場した。
113 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 14:16 ID:HMxoQyaM
トヨタ所得隠し 祝儀の4000万円も−−奥田会長らの就任披露パーティー分
トヨタ自動車(本社・愛知県豊田市)が名古屋国税局から約10億円の所得隠しを指摘された問題で、
この中には99年に開かれた奥田碩会長と張富士夫社長の就任披露パーティーでの祝儀の一部など約4000万円が含まれていたことが13日、
関係者の話で分かった。
関係者によると、パーティーは99年7月、奥田氏から張氏へ社長職がバトンタッチされたのに伴い、
名古屋市内と東京都内で2日間にわたって開催され、政財界や取引企業関係者ら計約2600人が出席した。
その際、同社は、出席者から贈られた祝い金や美術品などの一部の約4000万円を収入に計上せず、申告していなかったという。
こうした祝儀は法人税法で、「雑収入」に繰り入れるよう定められている。国税局は同社の行為を所得隠しにあたると認定した模様だ。
同社は「税務当局と見解の相違があったが、更正処分を受け納税した。意図的な所得隠しではない」と話している。
祝儀を雑書得扱いになるのは常識。
見解の相違とは子供の良いわけと同じレベルであろう。
114 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 14:17 ID:HMxoQyaM
トヨタグループ2社目の所得隠し
トヨタ車体が7億円申告漏れ 備品代など修繕費に計上
http://www.asahi.com/car/news/TKY200303130136.html トヨタ自動車グループの主要企業で、東証、名証一部上場の自動車組み立て大手「トヨタ車体」(愛知県刈谷市)が名古屋国税局の税務調査を受け、
02年3月期までの2年間で約7億円の申告漏れを指摘されたことが13日分かった。
損金処理できない経費を修繕費などとして所得から引いていたといい、国税局は重加算税を一部含めて約2億4000万円を追徴課税(更正処分)した模様だ。
関係者によると、トヨタ車体は新型車の開発などで工場内の設備を変える際、
費用を修繕費に計上していたが、新たに買った備品代や材料費まで含めていたという。
115 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 14:18 ID:HMxoQyaM
トヨタグループ3社目の所得隠し。
豊田通商、3億円の所得隠し=海外の交際費を経費計上(時事通信)
http://newsflash.nifty.com/news/ts/ts__jiji_05X208KIJ.htm トヨタ自動車グループの総合商社「豊田通商」(名古屋市中村区)が、
名古屋国税局の税務調査を受け、2001年3月期までの2年間で約3億円の所得隠しを指摘されていたことが5日、分かった。
経理ミスなども含めた申告漏れの総額は約6億円で、同局は重加算税などを含め、約3億円を追徴課税(更正処分)した。
関係者によると、同社はアジア地域で輸出入業務を行った際、
取引先に対し支援の見返りとして手数料を支払い、経費として計上。
しかし、同局はこの手数料を業務を円滑に行うための交際費と認定した。その他の経費処理の一部についても所得隠しと判断し、併せて重加算税の対象としたとみられる。
116 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 14:20 ID:HMxoQyaM
トヨタグループ4社目の所得隠し。
http://www.autoascii.jp/issue/2003/0825/article53311_1.html トヨタ系の大手部品メーカーのデンソーが、名古屋国税局から3年間で30億円の申告漏れを指摘されていたことが明らかになった。
デンソーは名古屋国税局の税務調査を受けて、2002年3月期までの3年間で30億円の申告漏れの指摘を受け、重加算税を含めて約10億円の追徴課税を受けた模様だ。
デンソーは、海外の子会社に請求する受託研究費などを経費として計上するなど、意図的に所得隠しを行っていたと国税当局が判断、重加算税を課せられた。デンソーは「指摘に従って措置した」としている。
117 :
1:03/09/07 18:33 ID:8QXh6COb
荒らしかい?
そんなことしても無駄!無駄!
まあ、精々頑張って後800スレ位
埋め立てて下さい。
スレ違いのトヨタのコピペを貼ってる奴は絶対日産社員だな(藁
120 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 22:41 ID:h58NepkO
シーマ…下級ヤクザ
セドリック、グロリア…下級チンピラ
エルグランド…ヲタ、ブタ、イボイノシシ
スカイライン…窓際族、社会の敗北者
セレナ、リバティー…貧乏一家(一家心中用)
アベニール、ウィングロード=商用車…売れないセールスマン
シルビア…自称走り屋(慢性下痢、童貞、モヤシ)
121 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/07 22:45 ID:X3tQ2Zp5
所得隠しとリンチ殺人では扱いが違うだろ・・・
日産社員はそんなに馬鹿だったのか?
122 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/08 12:30 ID:tFXlTk3m
124 :
1:03/09/08 21:17 ID:Oqcu0ndL
125 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/10 20:53 ID:Kc6B74Ah
ゴミ会社日産晒し挙げ
126 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:03/09/14 04:47 ID:a9ytKXx9
実行犯3人
萩原とあと二人の凄惨な死を切に望むあげ
日産煽りスレは少なく見積もってもあと5つは必要age
129 :
名無しさん@そうだドライブへ行こう:
あげ