マラソン史上もっとも強いランナー8・マラソン通史

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1ゼッケン774さん@ラストコール
マラソン、ロード、トラックの歴史を語りましょう。
2ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/14(金) 09:10:04
アベベが歴史を変えた
3ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/14(金) 10:08:19
その時 歴史が動いた
4ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/14(金) 15:35:16
>>1
日本語でおk
5ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/14(金) 16:07:43
でも、アベベその後、足切断したんだよね。
かわいそうに
マラソン世界最高記録の遍歴

2時間55分18秒4 J.ヘイズ(アメリカ) 1908
2時間52分46秒0 フォウラー(アメリカ) 1909
2時間46分53秒0 クラーク(アメリカ) 1909
2時間46分05秒0 レインズ(アメリカ) 1909
2時間42分31秒0 バーレット(イギリス)1909
2時間38分17秒0 H.グリーン(イギリス)1913
2時間36分07秒0 アールグレン(スウェーデン)1913
2時間32分35秒8 コーレマイネン(フィンランド)1920
2時間31分31秒0 矢萩丹治(日本) 1932
2時間31分10秒0 楠好蔵(日本) 1933
2時間27分49秒0 鈴木房重(日本) 1935
2時間26分44秒0 池中康雄(日本) 1935
2時間26分42秒0 孫基禎(日本) 1935
2時間20分42秒2 ピータース(イギリス) 1952
2時間18分40秒2 ピータース(イギリス) 1953
2時間18分34秒8 ピータース(イギリス) 1953
2時間17分39秒4 ピータース(イギリス) 1954
2時間15分17秒0 S.ポポフ(ソビエト) 1958
2時間15分16秒2 アベベ(エチオピア) 1960
2時間15分15秒8 寺沢徹(日本) 1963
2時間14分28秒0 エデレン(アメリカ) 1963
2時間13分55秒0 ヒートレー(イギリス) 1964
2時間12分11秒2 アベベ(エチオピア) 1964
2時間12分00秒0 重松森雄(日本) 1965
2時間09分36秒4 クレイトン(オーストラリア)1967
2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア) 1969
2時間08分18秒 ド・キャステラ(オーストラリア) 1981
2時間08分05秒 S.ジョーンズ(イギリス) 1984
2時間07分12秒 ロペス(ポルトガル) 1985
2時間06分50秒 デンシモ(エチオピア) 1988
2時間06分05秒 ダコスタ(ブラジル) 1998
2時間05分42秒 ハヌーシ(モロッコ) 1999
2時間05分38秒 ハヌーシ(アメリカ) 2002
2時間04分55秒 テルガト(ケニア) 2003
オリンピック男子マラソン歴代優勝者

1 1896(アテネ) ルイス (ギリシャ) 2:58:50 ※40`
2 1900(パリ)ティアトー (フランス) 2:59:45 ※40.26`
3 1904(セントルイス) ヒックス (イギリス) 3:28:53 ※40`
4 1908(ロンドン) ヘイズ (アメリカ) 2:55:18:4 
5 1912(ストックホルム) マッカーサー (南アフリカ) 2:36:54:8 ※40.2`
6 1916(ベルリン)中止
7 1920(アントワープ) コーレマイネン (フィンランド) 2:32:35:8 ※42.75`
8 1924(パリ) ステンロース (フィンランド) 2:41:22:6  
9 1928(アムステルダム) エルアフィ (フランス) 2:32:57:0
10 1932(ロサンゼルス) ザバラ (アルゼンチン) 2:31:36:0
11 1936(ベルリン)孫 基禎 (日 本) 2:29:19:2
12 1940(東京) 中止
13 1944(ロンドン)中止
14 1948(ロンドン) キャブレラ (アルゼンチン) 2:34:51:6
15 1952(ヘルシンキ)ザトペック (チェコスロバキア) 2:23:03:2
16 1956(メルボルン)ミムン (フランス) 2:25:00:0
17 1960(ローマ)アベベ (エチオピア) 2:15:16:2
18 1964(東京)アベベ (エチオピア) 2:12:11:2
19 1968(メキシコ)マモ・ウォルデ (エチオピア) 2:20:26:4
20 1972(ミュンヘン)ショーター (アメリカ) 2:12:19:8
21 1976(モントリオール)チェルピンスキー (東ドイツ) 2:09:55
22 1980(モスクワ) チェルピンスキー (東ドイツ) 2:11:03
23 1984(ロサンゼルス)ロペス (ポルトガル) 2:09:21(五輪最高記録)
24 1988(ソウル)ボルディン (イタリア) 2:10:32
25 1992(バルセロナ)黄 永祚 (韓 国 )2:13:23
26 1996(アトランタ)チュグワネ (南アフリカ) 2:12:36
27 2000(シドニー) アベラ (エチオピア) 2:10:11
28 2004(アテネ)バルディーニ(イタリア)2:10:55


世界陸上競技選手権 男子マラソン歴代優勝者

1 1983(ヘルシンキ)    ド・キャステラ (オーストラリア) 2:10:03
2 1987(ローマ)      ワキウリ (ケニア) 2:11:48
3 1991(東京)       谷口浩美 (日 本) 2:14:57
4 1993(シュッツトガルト)プラーティエス (アメリカ )2:13:57
5 1995(イエテボリ)    フィス (スペイン) 2:11:41
6 1997(アテネ)      アントン (スペイン) 2:13:16
7 1999(セルビア)     アントン (スペイン) 2:13:36
8 2001(エドモントン)  アベラ (エチオピア) 2:12:42
9 2003(パリ)       ガリブ (モロッコ) 2:08:31(世界陸上最高記録)
10 2005(ヘルシンキ)    ガリブ  (モロッコ)  2:10:10
11 2007(大阪) キベト(ケニア) 2:15:58
【五輪男子マラソン複数メダリスト】

アベベ  (60ローマ金,64東京金)
マモ   (68メキシコ金、72ミュンヘン銅)
ショーター(72ミュンヘン金,76モントリオール銀)
リスモン (72ミュンヘン銀、76モントリオール銅)
チェルピンスキー (76モントリオール金,80モスクワ金)[83ヘルシンキ銅]
ワイナイナ(96アトランタ銅,00シドニー銀)


【五輪&世陸 男子マラソン複数メダリスト】

ボルディン (88ソウル金)[87ローマ銅]
ワキウリ  (88ソウル銀)[87ローマ金]
サラ    (88ソウル銅)[87ローマ銀,91東京銀]
アベラ   (00シドニー金)[01エドモントン金]
バルディーニ(04アテネ金)[01エドモントン銅,03パリ銅]

() 五輪成績 []世界陸上成績
主なマラソンランナー トラックベストタイム

瀬古利彦 (5000)13.24.29 (10000)27.42.17
中山竹通 (5000)13.43.80 (10000)27.35.33
高岡寿成 (5000)13.13.40 (10000)27.35.09
宗茂   (5000)13.40.8  (10000)28.17.61
宗猛   (5000)13.42.3  (10000)27.59.61
伊藤国光 (5000)13.29.86 (10000)27.47.35
喜多秀喜 (5000)13.27.44 (10000)27.48.59
新宅雅也 (5000)13.24.69 (10000)27.44.5
児玉泰介 (5000)13.46.36 (10000)28.44.23
谷口浩美 (5000)13.49.17 (10000)28.34.18
森下広一 (5000)13.37.64 (10000)28.01.98
早田俊幸 (5000)13.30.11 (10000)27.53.12



アベベ    5000m 14分10秒0 10000m 29分00秒8 マラソン 2時間12分11秒
マモ     5000m 13分38秒8 10000m 28分31秒8 マラソン 2時間15分08秒
クラーク   5000m 13分16秒6 10000m 27分39秒4 マラソン 2時間20分26秒
ライアン   5000m 14分11秒0 10000m 28分43秒2 マラソン 2時間14分04秒
アドコックス 5000m 14分13秒8 10000m 28分51秒8 マラソン 2時間10分47秒
ヒル     5000m 13分55秒2 10000m 28分26秒0 マラソン 2時間09分28秒
ショーター  5000m 13分35秒0 10000m 27分51秒4 マラソン 2時間10分30秒
クレイトン  5000m 13分49秒6 10000m 28分45秒2 マラソン 2時間08分33秒
ドレイトン  5000m 13分48秒0 10000m 28分25秒8 マラソン 2時間10分08秒
ビレン    5000m 13分16秒4 10000m 27分38秒4 マラソン 2時間13分10秒


中尾隆行   5000m 14分30秒0 10000m 29分27秒0 マラソン 2時間15分37秒
渡辺和己   5000m 14分19秒6 10000m 29分10秒4 マラソン 2時間15分39秒
広島日出国  5000m 14分26秒4 10000m 29分44秒8 マラソン 2時間14分05秒
重松森雄   5000m 14分14秒4 10000m 30分12秒4 マラソン 2時間12分00秒
君原健二   5000m 14分15秒0 10000m 29分01秒0 マラソン 2時間13分25秒
円谷幸吉   5000m 14分02秒2 10000m 28分52秒6 マラソン 2時間16分22秒
采谷義秋   5000m 14分41秒6 10000m 30分17秒6 マラソン 2時間12分12秒
谷村隼美   5000m 14分10秒0 10000m 29分22秒0 マラソン 2時間12分04秒
佐々木精一郎 5000m 13分53秒2 10000m 28分40秒8 マラソン 2時間11分17秒
宇佐美彰朗  5000m 14分02秒2 10000m 28分36秒6 マラソン 2時間10分37秒
沢木啓祐   5000m 13分33秒0 10000m 28分35秒2 マラソン 2時間16分06秒

1968年度 男子マラソン世界10傑

1、2時間10分47秒8 アドコックス(イギリス) 福岡
2、2時間12分40秒6 采谷義秋(日本) 福岡
3、2時間13分23秒8 佐々木精一郎(日本) 別府
4、2時間13分26秒2 ムスタッア(ルーマニア) カールマルクスシュタト
5、2時間13分37秒6 上岡忠明(日本) 福岡
6、2時間13分43秒6 アケイ(トルコ) 福岡
7、2時間13分45秒2 ブッシュ(東ドイツ) カールマルクスシュタト
8、2時間13分49秒0 宇佐美彰朗(日本) 毎日



1969年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア) アントワープ
2、2時間11分07秒2 アドコックス(イギリス) アテネ
3、2時間11分12秒8 ドレイトン(カナダ) 福岡
4、2時間11分27秒8 宇佐美彰朗(日本) アントワープ
5、2時間11分54秒4 ヒル(イギリス) 福岡
6、2時間12分03秒4 谷村隼美(日本) 福岡
7、2時間12分52秒8 ガリド(メキシコ) 福岡
8、2時間13分06秒4 佐々木敏晴(日本) 福岡
9、2時間13分21秒0 吉田昭雄(日本) 福岡
10、2時間13分25秒8 君原健二(日本) アテネ



1970年度 男子マラソン世界10傑

1、2時間09分28秒 ヒル(イギリス) エジンバラ
2、2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(日本) 福岡
3、2時間11分12秒 オレイリー(アメリカ) ボストン
4、2時間11分35秒8 ムーア(アメリカ) 福岡
5、2時間12分04秒 アルダー(イギリス) ボストン
6、2時間12分12秒 采谷義秋(日本) 福岡
7、2時間12分19秒 フェアクロス(イギリス) エジンバラ
8、2時間12分58秒4 ファーリントン(オーストラリア) 福岡
9、2時間13分32秒 アドコックス(イギリス) 福岡
10、2時間13分39秒 クレイトン(オーストラリア) ツララルゴン



1971年 男子マラソン世界10傑

1、2時間11分08秒8 クレイトン(オーストラリア) ホバート
2、2時間12分14秒 ファーリントン(オーストラリア) ホバート
3、2時間12分39秒 ヒル(イギリス) マンチェスター
4、2時間12分50秒4 ショーター(アメリカ) 福岡
5、2時間13分09秒 リスモン(ベルギー) ヘルシンキ
6、2時間13分22秒8 宇佐美彰朗(日本) 福岡
7、2時間13分27秒 ライト(イギリス) マンチェスター
8、2時間13分42秒4 フォスター(ニュージーランド) 福岡
9、2時間13分45秒2 谷村隼美(日本) 京都
10、2時間14分03秒 ブッシュ(東ドイツ) マンチェスター


1972年 世界10傑

1、2時間10分30秒 ショーター(アメリカ) 福岡
2、2時間12分00秒4 ファーリントン(オーストラリア) 福岡
3、2時間12分50秒 フィリップス(西ドイツ) マンチェスター
4、2時間12分51秒 ヒル(イギリス) マンチェスター
5、2時間13分16秒 シェルバック(ソビエト) ウージェゴロド
6、2時間13分19秒4 レッセ(東ドイツ) カールマルクシュスタト
7、2時間13分59秒 モイセーエフ(ソビエト) ウージェゴロド
8、2時間14分00秒6 大槻憲一(日本) 福岡
9、2時間14分02秒6 ニッカリ(フィンランド) 福岡
10、2時間14分08秒 セケレシュ(ハンガリー) ベルチム


1973年度 世界10傑

1、2時間11分12秒6 ファーリントン(オーストラリア)7月N.S.W選手権
2、2時間11分45秒0 ショーター(アメリカ)12月福岡国際
3、2時間12分07秒0 クレイトン(オーストラリア)9月オーストラリア選手権
4、2時間12分24秒0 レッセ(東ドイツ)6月マクソール
5、2時間12分40秒0 トンプソン(イギリス)10月英連邦
6、2時間13分22秒0 ヒル(イギリス)10月英連邦
7、2時間13分24秒0 北山吉信(日本)3月毎日
8、2時間13分26秒0 ドレイトン(カナダ)9月カナダ選手権
9、2時間13分30秒0 アームストロング(カナダ)6月マクソール
10、2時間13分58秒0 ルグランジ(南アフリカ)6月マクソール


1974年度 男子マラソン世界10傑

1、2時間09分12秒0 トンプソン(イギリス)1月英連邦
2、2時間11分13秒0 リスモン(ベルギー)7月ベルギー国内大会
3、2時間11分18秒6 フォスター(ニュージーランド)1月英連邦
4、2時間11分31秒2 ショーター(アメリカ)12月福岡国際
5、2時間12分02秒4 レッセ(東ドイツ)12月福岡国際
6、2時間12分10秒6 ペイベリンダ(フィンランド)9月ツルク大会
7、2時間12分47秒4 ルグランジ(南アフリカ)4月南ア国内大会
8、2時間12分54秒4 マズサ(スワジランド)1月英連邦
9、2時間12分58秒6 マナーズ(ニュージーランド)1月英連邦
10、2時間13分04秒2 浜田安則(日本)2月別大


1975年 男子マラソン世界10傑

1、2時間09分55秒0 ロジャース(アメリカ)4月ボストン
2、2時間10分08秒4 ドレイトン(カナダ)12月福岡国際
3、2時間10分20秒0 チェトル(オーストラリア)12月福岡国際
4、2時間11分45秒0 チンドロ(イタリア)12月福岡国際
5、2時間11分54秒0 ホーグ(アメリカ)4月ボストン
6、2時間12分05秒0 フレミング(アメリカ)4月ボストン
7、2時間12分08秒0 ロドリゲス(コロンビア)8月南米選手権
8、2時間12分34秒2 ヒル(イギリス)6月ポーランド
9、2時間12分40秒0 宇佐美彰朗(日本)4月毎日
10、2時間12分42秒6 レッセ(東ドイツ)12月福岡国際
1977年 男子マラソン世界10傑

1、2時間10分55秒3 ロジャース(アメリカ)12月福岡国際
2、2時間11分57秒0 モイセーエフ(ソビエト)12月福岡国際
3、2時間13分04秒0 マグナニ(イタリア)12月福岡国際
4、2時間13分15秒0 ウェルズ(アメリカ)9月ナイキ
5、2時間13分28秒0 クリッチレー(アメリカ)10月クリーブランド
6、2時間13分32秒4 ペイベリンダ(フィンランド)4月カール.マルラス.シュタット
7、2時間13分43秒8 オリール(ポーランド)6月デブノ国際
8、2時間13分52秒2 ドレイトン(カナダ)10月ニューヨーク
9、2時間13分56秒8 スチュワート(イギリス)10月ニューヨーク
10、2時間13分57秒0 浜田安則(日本)2月別大





1978年 世界10傑

1、2時間09分05秒6 宗茂(日本)
2、2時間10分13秒0 ロジャース(アメリカ)
3、2時間10分15秒0 ウェルズ(アメリカ)
4、2時間10分21秒0 瀬古利彦(日本)
5、2時間11分05秒0 喜多秀喜(日本)
6、2時間11分15秒0 チッカネン(フィンランド)
7、2時間11分17秒0 フルツ(アメリカ)
8、2時間11分25秒0 トーマス(アメリカ)
9、2時間11分43秒0 ライアン(ニュージーランド)
10、2時間11分57秒5 モイセーエフ(ソビエト)

1979年度 世界10傑

1、2時間09分27秒 ロジャース(アメリカ)ボストン
2、2時間10分00秒 スメ(ベルギー)ベルギー選手権
3、2時間10分12秒 瀬古利彦(日本)ボストン
4、2時間10分20秒 ウェルズ(アメリカ)ナイキ
4、2時間10分20秒 サンドバル(アメリカ)ナイキ
6、2時間10分37秒 宗茂(日本)福岡国際
7、2時間10分40秒 宗猛(日本)福岡国際
8、2時間10分51秒 フォード(イギリス)福岡国際
9、2時間10分54秒 ロドウィック(アメリカ)ナイキ
10、2時間11分13秒 クアックス(ニュージーランド)ナイキ


1980年度 世界10傑

1、2時間09分01秒 ネイブール(オランダ) 4月アムステルダム1位
2、2時間09分41秒 サラザール(アメリカ) 10月ニューヨーク1位
3、2時間09分45秒 瀬古利彦 (日本)   12月福岡国際1位
4、2時間09分49秒 宗猛 (日本)     12月福岡国際2位
5、2時間10分05秒 伊藤国光 (日本)   12月福岡国際3位
6、2時間10分09秒 ヘンリー (オーストラリア) 12月福岡国際4位
7、2時間10分14秒 ゴメス (メキシコ)  10月ニューヨーク2位
8、2時間10分19秒 サンドバル(アメリカ) 5月ナイアガラ1位
9、2時間10分20秒 ビヨクルンド(アメリカ)6月ドゥルーズ1位
10、2時間10分23秒 宗茂 (日本)     12月福岡国際5位





1981年度 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分18秒 ド・キャステラ(オーストラリア)12月福岡国際1位
2、2時間09分26秒 瀬古利彦(日本)       4月ボストン1位
3、2時間09分28秒 グラハム(イギリス)     4月ロッテルダム1位
4、2時間09分36秒 ベアーズレー(アメリカ)   6月ドゥルース1位
5、2時間09分37秒 伊藤国光(日本)      12月福岡国際2位
6、2時間10分19秒 宗茂(日本)        12月福岡国際3位
7、2時間10分26秒 バージン(アメリカ)     4月ボストン2位
8、2時間10分34秒 ロジャース(アメリカ)    4月ボストン3位
9、2時間11分00秒 ゴメス(メキシコ)      2月東京国際1位
10、2時間11分10秒 バルチャ(エチオピア)


1982年度 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分51秒 サラザール(アメリカ) 4月ボストン1位
2、2時間08分53秒 ベアーズレー(アメリカ)4月ボストン2位
3、2時間09分18秒 ド・キャステラ(オーストラリア)10月英連邦1位
4、2時間09分24秒 Hジョーンズ(イギリス)5月ロンドン1位
5、2時間09分30秒 イカンガー(タンザニア)10月英連邦2位
6、2時間09分33秒 ゴメス(メキシコ)    10月ニューヨーク2位
7、2時間10分15秒 バリンジャー(ニュージーランド) 12月福岡国際1位
8、2時間10分33秒 シドロフ(ソビエト)   2月東京国際1位
9、2時間10分59秒 マイヤー(アメリカ)
10、2時間11分08秒 ロジャース(アメリカ) 

1983年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分37秒 ド・キャステラ(オーストラリア) 4月ロッテルダム1位
2、2時間08分38秒 瀬古利彦(日本)         2月東京国際1位
3、2時間08分39秒 ロペス(ポルトガル)       4月ロッテルダム2位
4、2時間08分55秒 宗猛(日本)           2月東京国際2位
4、2時間08分55秒 イカンガー(タンザニア)    12月福岡国際2位
6、2時間08分59秒 ディクソン(ニュージーランド) 10月ニューヨーク1位
7、2時間09分00秒 マイヤー(アメリカ)       4月ボストン1位
8、2時間09分08秒 スミス(イギリス)       10月ニューヨーク2位
9、2時間09分11秒 宗茂(日本)          12月福岡国際3位
10、2時間09分12秒 ゴメス(メキシコ)        2月東京国際3位





1984年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分05秒 Sジョーンズ(イギリス) 10月シカゴ1位
2、2時間09分06秒 ロペス(ポルトガル)   10月 シカゴ2位
3、2時間09分09秒 ド・キャステラ(オーストラリア)10月シカゴ3位
4、2時間09分14秒 ペーター(東ドイツ)   7月Grunau1位
5、2時間09分30秒 ハイルマン(東ドイツ)  7月Grunau2位
6、2時間09分56秒 トレーシー(アイルランド)8月ロス五輪2位
7、2時間09分58秒 スペディング(イギリス) 8月ロス五輪3位
8、2時間10分00秒 中山竹通(日本)    12月福岡国際1位
9、2時間10分05秒 カマウ(ケニア)    10月シカゴ4位
10、2時間10分08秒 スミス(イギリス)   10月シカゴ5位


1985年 男子マラソン世界10傑

1、2時間07分12秒 ロペス(ポルトガル)   4月ロッテルダム1位
2、2時間07分13秒 Sジョーンズ(イギリス) 10月シカゴ1位
3、2時間08分08秒 ジャマ(ジブチ)     10月シカゴ2位
4、2時間08分09秒 サラ(ジブチ)      4月W杯広島1位
5、2時間08分15秒 中山竹通(日本)     4月W杯広島2位
6、2時間08分33秒 スペディング(イギリス) 4月ロンドン2位
7、2時間08分48秒 ド・キャステラ(オーストラリア)10月シカゴ3位
8、2時間08分58秒 プラーティエス(南アフリカ)5月ポートエリザベス1位
9、2時間09分03秒 ハイルマン(東ドイツ)  4月W杯広島4位
10、2時間09分05秒 メコネン(エチオピア)  4月W杯広島5位


1986年 男子マラソン世界10傑

1、2時間07分35秒 児玉泰介(日本)   10月北京国際1位
2、2時間07分51秒 ド・キャステラ(オーストラリア)4月ボストン1位
3、2時間07分57秒 伊藤国光(日本)   10月北京国際2位
4、2時間08分04秒 シンク(南アフリカ)  5月ポートエリザベス1位
5、2時間08分10秒 イカンガー(タンザニア)2月東京国際1位
6、2時間08分15秒 ムトロ(南アフリカ)  5月ポートエリザベス2位
7、2時間08分21秒 中山竹通(日本)   10月ソウルアジア大会1位
8、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本)   10月シカゴ1位
9、2時間08分29秒 デンシモ(エチオピア) 2月東京国際2位
10、2時間08分39秒 メコネン(エチオピア) 2月東京国際3位






1987年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分18秒 中山竹通(日本)     12月福岡国際1位
2、2時間09分50秒 谷口浩美(日本)     4月ロンドン1位
3、2時間10分01秒 ベッティオル(イタリア) 10月ベネチア1位
4、2時間10分04秒 ブラスラフスキー(ソビエト)9月ツェルコビ1位
5、2時間10分09秒 ムスタファ(モロッコ)  4月ロンドン2位
6、2時間10分11秒 Hジョーンズ(イギリス) 4月ロンドン3位
7、2時間10分15秒 ポリ(イタリア)     4月ロンドン4位
8、2時間10分17秒 クベルンモ(ノルウェー) 4月ロンドン5位
9、2時間10分19秒 タバク(ソビエト)     9月ツェルコビ2位
10、2時間10分25秒 テルジ(トルコ)     4月ロンドン6位



1988年 男子マラソン世界10傑

1、2時間06分50秒 デンシモ(エチオピア)  4月ロッテルダム1位
2、2時間07分07秒 サラ(ジブチ)      4月ロッテルダム2位
3、2時間07分35秒 メコネン(エチオピア) 10月北京国際1位
4、2時間07分40秒 谷口浩美(日本)    10月北京国際2位
5、2時間08分20秒 Sジョーンズ(イギリス) 10月ニューヨーク1位
6、2時間08分42秒 イカンガー(タンザニア) 2月東京国際2位
7、2時間08分43秒 フセイン(ケニア)    4月ボストン1位
8、2時間08分44秒 ブルチ(エチオピア)   4月ロッテルダム3位
9、2時間08分47秒 ペーター(東ドイツ)   2月東京国際3位
10、2時間08分49秒 ド・キャステラ(オーストラリア)2月東京国際4位



1989年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分01秒 イカンガー(タンザニア) 10月ニューヨーク1位
2、2時間08分39秒 デンシモ(エチオピア)   4月ロッテルダム1位
3、2時間09分03秒 ワキウリ(ケニア)     4月ロンドン1位
4、2時間09分06秒 メコネン(エチオピア)   4月ボストン1位
5、2時間09分06秒 モネゲッティ(オーストラリア)4月ロンドン2位
6、2時間09分09秒 サラ(ジブチ)       4月ロンドン3位
7、2時間09分25秒 クルス(メキシコ)     4月ロッテルダム2位
8、2時間09分34秒 谷口浩美(日本)      3月東京国際1位
9、2時間09分38秒 マーティン(アメリカ)  10月ニューヨーク2位   
10、2時間09分40秒 ボルディン(イタリア)   4月ロンドン4位



1990年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分16秒 モネゲッティ(オーストラリア) 10月ベルリン1位
2、2時間08分19秒 ボルディン(イタリア)      4月ボストン1位
3、2時間08分32秒 シャハンガ(タンザニア)    10月ベルリン2位
4、2時間09分23秒 ペーター(ドイツ)       10月ベルリン3位
5、2時間09分41秒 ピタヨ(メキシコ)       10月シカゴ1位
5、2時間09分41秒 ニムチャック(ポーランド)   10月シカゴ2位
7、2時間09分45秒 フライガング(ドイツ)     10月ベルリン4位
8、2時間09分52秒 イカンガー(タンザニア)     4月ボストン2位
9、2時間10分10秒 ハットン(イギリス)       4月ロンドン1位
10、2時間10分16秒 フルク(ポーランド)       4月ウィーン2位




1991年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分53秒 森下広一(日本)      2月別府大分1位
2、2時間09分12秒 中山竹通(日本)      2月別府大分2位
3、2時間09分17秒 トルスティコフ(ソビエト) 4月W杯ロンドン1位
4、2時間09分23秒 三村徹(日本)       2月別府大分3位
5、2時間09分28秒 ガルシア(メキシコ)   10月ニューヨーク1位
6、2時間09分42秒 ド・キャステラ(オーストラリア)4月ロッテルダム1位
7、2時間09分55秒 O・ダ・シルバ(ブラジル) 1月マラケッシュ1位
8、2時間10分00秒 エスピノサ(メキシコ)  10月ニューヨーク2位
9、2時間10分02秒 セロン(メキシコ)     4月ロッテルダム2位
10、2時間10分03秒 ウルバーノ(イタリア)

1992年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間08分07秒 D・タセベ(南アフリカ)    9月ベルリン 1位
2、2時間08分14秒 I・フセイン(ケニア)     4月ボストン 1位
3、2時間08分36秒 D・セロン(メキシコ)     2月別府大分 1位
4、2時間08分38秒 M・マティアス(ポルトガル)  9月ベルリン 2位
5、2時間08分47秒 黄永祚(韓国)         2月別府大分 2位
6、2時間09分04秒 T・ネゲレ(エチオピア)    12月福岡国際 1位
7、2時間09分16秒 S・ガルシア(メキシコ)    4月ロッテルダム 1位
8、2時間09分28秒 I・リコ(メキシコ)      4月ロッテルダム 2位
9、2時間09分29秒 W・ムトロ(南アフリカ)    11月ニューヨーク 1位
10、2時間09分30秒 金在龍(韓国)         3月東亜 1位





1993年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間08分51秒 D・セロン(メキシコ)    12月福岡国際 1位
2、2時間09分13秒 V・ルソー(ベルギー)    10月ランス 1位
3、2時間09分25秒 金完基(韓国)         3月慶州 1位
4、2時間09分31秒 G・タイス(南アフリカ)   12月福岡国際 2位
5、2時間09分33秒 C・デティ(ケニア)      4月ボストン 1位
6、2時間09分43秒 金在龍(韓国)         4月ボストン 2位
7、2時間09分57秒 S・スワトブーイ(ナミビア)  4月ボストン 3位
8、2時間10分03秒 R・ネルルカー(イギリス) 10月サンセバスチャン 1位
9、2時間10分04秒 A・エスピノサ(メキシコ)  11月ニューヨーク 1位
10、2時間10分06秒 A・カストロ(ブラジル)   10月ベネチア 1位



1994年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間07分15秒 C・デティ(ケニア)      4月ボストン 1位
2、2時間07分19秒 A・エスピノサ(メキシコ)   4月ボストン 2位
3、2時間07分51秒 V・ルソー(ベルギー)     4月ロッテルダム 1位
4、2時間08分08秒 J・キプゴク(ケニア)     4月ボストン 3位
5、2時間08分09秒 黄永祚(韓国)         4月ボストン 4位
6、2時間08分28秒 A・バリオス(メキシコ)    4月ボストン 5位
7、2時間08分31秒 A・ピント(ポルトガル)    9月ベルリン 1位
8、2時間08分33秒 M・マティアス(ポルトガル)  3月慶州 1位
9、2時間08分34秒 金完基(韓国)         3月慶州 2位
10、2時間08分35秒 B・アコナイ(タンザニア)   4月ボストン 6位


1995年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間07分02秒 S・リリ(ケニア)       9月ベルリン 1位
2、2時間07分20秒 V・ルソー(ベルギー)     9月ベルリン 2位
3、2時間08分30秒 D・セロン(メキシコ)     4月ロンドン 1位
4、2時間08分33秒 S・モネゲッティ(オーストラリア)4月ロンドン 2位
5、2時間08分48秒 A・ピント(ポルトガル)    4月ロンドン 3位
6、2時間08分57秒 M・フィス(スペイン)     4月ロッテルダム 1位
7、2時間09分22秒 C・デティ(ケニア)      4月ボストン 1位
8、2時間09分30秒 L・ドスサントス(ブラジル)  12月福岡国際 1位
9、2時間09分32秒 A・セラーノ(スペイン)    12月福岡国際 2位
10、2時間09分33秒 大家正喜(日本)        12月福岡国際 3位



1996年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間08分25秒 M・フィス(スペイン)       3月慶州 1位
2、2時間08分26秒 李鳳柱(韓国)           3月慶州 2位
3、2時間08分30秒 G・タイス(南アフリカ)      2月別府大分 1位
4、2時間08分38秒 V・デリマ(ブラジル)       2月東京国際 1位
4、2時間08分38秒 A・ピント(ポルトガル)      2月東京国際 2位
6、2時間08分46秒 A・フッタド(スペイン)      2月東京国際 3位
7、2時間08分50秒 実井謙二郎(日本)         2月東京国際 4位
8、2時間08分52秒 P・エバンス(ドイツ)       10月シカゴ 1位
9、2時間09分08秒 M・マティアス(ポルトガル)    3月慶州 4位
10、2時間09分15秒 A・アントン(スペイン)      9月ベルリン1位 

1997年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間07分10秒 H・ハヌーシ(モロッコ)     10月シカゴ 1位
2、2時間07分28秒 J・チュグワネ(南アフリカ)   12月福岡国際 1位
3、2時間07分41秒 E・ラガト(ケニア)       9月ベルリン 1位
4、2時間07分43秒 E・キマイヨ(ケニア)      9月ベルリン 2位
5、2時間07分51秒 Di・カストロ(ポルトガル)   4月ロッテルダム 1位
6、2時間07分54秒 A・ゴメス(スペイン)      4月ロッテルダム 2位
7、2時間07分55秒 A・ピント(ポルトガル)     4月ロンドン 1位
8、2時間07分57秒 S・バルディーニ(イタリア)   4月ロンドン 2位
9、2時間08分00秒 S・リリ(ケニア)        9月ベルリン 2位
10、2時間08分02秒 S・コリル(ケニア)       4月ロッテルダム 3位

11、2時間08分07秒 早田俊幸(日本)         12月福岡国際 2位

1998年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間06分05秒 R・ダコスタ(ブラジル)    9月ベルリン 1位
2、2時間06分54秒 O・オソロ(ケニア)      10月シカゴ 1位
3、2時間07分19秒 H・ハヌーシ(モロッコ)    10月シカゴ 2位
4、2時間07分26秒 F・ロンセロ(スペイン)    4月ロッテルダム 1位
5、2時間07分27秒 J・キプロノ(ケニア)     9月ベルリン 2位
6、2時間07分34秒 M・タヌイ(ケニア)      4月ボストン 1位
7、2時間07分37秒 J・チェボット(ケニア)    4月ボストン 2位
8、2時間07分44秒 李鳳柱(韓国)         4月ロッテルダム 2位
9、2時間07分45秒 G・タイス(南アフリカ)    10月シカゴ 3位
10、2時間07分57秒 A・アントン(スペイン)    4月ロンドン



1999年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間05分42秒 H・ハヌーシ(モロッコ)    10月シカゴ 1位
2、2時間06分16秒 M・タヌイ(ケニア)      10月シカゴ 2位
3、2時間06分33秒 G・タイス(南アフリカ)    2月東京国際 1位
4、2時間06分44秒 J・キプロノ(ケニア)     9月ベルリン 1位
5、2時間06分47秒 F・キプロプ(ケニア)    10月アムスタルダム 1位
6、2時間06分49秒 T・ジファー(エチオピア)  10月アムスタルダム 2位
7、2時間06分50秒 W・キプラガト(ケニア)   10月アムステルダム 3位
8、2時間06分57秒 犬伏孝行(日本)        9月 ベルリン 2位
8、2時間06分57秒 T・トーラ(エチオピア)   10月アムスタルダム 4位
10、2時間07分09秒 J・コスゲイ(ケニア)     4月ロッテルダム 1位



2000年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間06分36秒 A・ピント(ポルトガル)    4月ロンドン 1位
2、2時間06分51秒 藤田敦史(日本)       12月福岡国際 1位
3、2時間07分01秒 H・ハヌーシ(アメリカ)   10月シカゴ 1位
4、2時間07分15秒 J・コスゲイ(ケニア)     2月東京国際 1位
5、2時間07分20秒 李鳳柱(韓国)         2月東京国際 2位
6、2時間07分29秒 J・キプロノ(ケニア)    10月シカゴ 2位
7、2時間07分33秒 A・エルムアジス(モロッコ)  4月ロンドン 2位
8、2時間07分42秒 S・ビオット(ケニア)     9月ベルリン 1位
9、2時間07分47秒 A・ペーニャ(スペイン)    9月ベルリン 2位
10、2時間07分47秒 M・タヌイ(ケニア)     10月シカゴ 3位

2001年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間06分50秒 J・キプロノ(ケニア)     4月ロッテルダム 1位
2、2時間07分02秒 D・エリメル(フランス)   10月アムステルダム 1位
3、2時間07分11秒 A・エルムアジス(モロッコ)  4月ロンドン 1位
4、2時間07分18秒 K・チェルイヨット(ケニア)  4月ロッテルダム 2位
5、2時間07分34秒 A・ペーニャ(スペイン)    3月びわ湖毎日 1位
6、2時間07分43秒 T・ジファー(エチオピア)   11月ニューヨーク 1位
7、2時間07分45秒 S・アレマエフ(エチオピア)  4月トロント 1位
8、2時間07分46秒 J・レイ(スペイン)      4月ハンブルク 1位
9、2時間07分48秒 F・コルテス(スペイン)    4月ハンブルク 2位
10、2時間07分52秒 G・レオーネ(イタリア)    3月びわ湖毎日 2位
10、2時間07分52秒 油谷繁(日本)         3月びわ湖毎日 3位 





2002年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間05分38秒 H・ハヌーシ(モロッコ)    4月ロンドン 1位
2、2時間05分48秒 P・テルガド(ケニア)     4月ロンドン 2位
3、2時間06分16秒 D・ジェンガ(ケニア)     10月シカゴ 2位
3、2時間06分16秒 高岡寿成(日本)        10月シカゴ 3位
5、2時間06分35秒 H・ゲブルセラシエ(エチオピア)4月ロンドン 3位
6、2時間06分46秒 A・エルムアジス(モロッコ)  10月シカゴ 5位
7、2時間06分47秒 R・キプコエチ(ケニア)    9月ベルリン 1位
8、2時間06分49秒 S・ビオット(ケニア)     9月ベルリン 2位
9、2時間06分52秒 V・キプソス(ケニア)     9月ベルリン 3位
10、2時間07分06秒 I・シスター(南アフリカ)   4月ロンドン 5位



2003年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間04分55秒 P・テルガド(ケニア)     10月ベルリン 1位
2、2時間04分56秒 S・コリル(ケニア)      10月ベルリン 2位
3、2時間05分50秒 E・ルト(ケニア)       10月シカゴ 1位
4、2時間06分15秒 T・ムンジ(ケニア)      10月ベルリン 3位
5、2時間06分33秒 M・ロティッチ(ケニア)    4月パリ 1位
6、2時間06分36秒 B・ズヴェジュフレフスキ(フランス)4月パリ 2位
7、2時間06分39秒 W・キプサング(ケニア)   10月アムステルダム 1位 8、2時間06分42秒 F・リモ(ケニア)      10月アムステルダム 2位
9、2時間06分47秒 W・オンサレ(ケニア)     4月パリ 3位
10、2時間06分48秒 D・エリメル(フランス)    4月パリ 4位


2004年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間06分14秒 F・リモ(ケニア)         4月ロッテルダム 1位
2、2時間06分16秒 E・ルト(ケニア)         10月シカゴ 1位
3、2時間06分23秒 R・チェボルト(ケニア)      10月アムステルダム1位 
4、2時間06分49秒 S・コリル(ケニア)        4月ロンドン 2位
4、2時間06分49秒 J・リリ(ケニア)         10月ベルリン 2位
6、2時間07分05秒 J・チェランガ(ケニア)      10月ベルリン 3位
7、2時間07分06秒 G・タイス(南アフリカ)      3月ソウル 1位
8、2時間07分12秒 J・ガリブ(モロッコ)       4月ロンドン 3位
9、2時間07分42秒 J・リオス(スペイン)       3月びわ湖毎日 1位
10、2時間07分43秒 W・キプサング(ケニア)      3月ソウル 2位 









2005年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間06分20秒 H・ゲブレセラシエ(エチオピア) 10月アムステルダム 1位
2、2時間07分02秒 F・リモ(ケニア)        10月シカゴ 1位
3、2時間07分08秒 B・マイヨ(ケニア)       10月シカゴ 2位
4、2時間07分14秒 D・ジェンガ(ケニア)      10月シカゴ 3位
5、2時間07分26秒 M・レイ(ケニア)         4月ロンドン 1位
6、2時間07分28秒 E・ルト(ケニア)        10月シカゴ 4位
7、2時間07分38秒 J・レイ(スペイン)        4月ハンブルク 1位
8、2時間07分46秒 P・イブチ(ケニア)       10月シカゴ 5位
9、2時間07分49秒 J・ガリブ(モロッコ)       4月ロンドン 2位
10、2時間07分50秒 J・ムインディ(ケニア)      4月ロッテルダム 1位


2006年度 男子マラソン 世界10傑

1、2時間05分56秒 H・ゲブレセラシエ(エチオピア) 9月ベルリン 1位
2、2時間06分38秒 S・コリル(ケニア)       4月ロッテルダム 1位
3、2時間06分39秒 F・リモ(ケニア)        4月ロンドン 1位
4、2時間06分41秒 M・レイ(ケニア)        4月ロンドン 2位
5、2時間06分44秒 P・キルイ(ケニア)       4月ロッテルダム 2位
6、2時間06分52秒 C・キボット(ケニア)      4月ロッテルダム 3位
6、2時間06分52秒 J・レイ(スペイン)       4月ハンブルク 1位
8、2時間06分55秒 H・ラマーラ(南アフリカ)    4月ロンドン 3位
9、2時間07分04秒 H・ハヌーシ(アメリカ)     4月ロンドン 4位
10、2時間07分14秒 R・チェルイヨット(ケニア)   4月ボストン 1位



男子マラソン 月別 世界記録

1月 2時間08分15秒 A・エルムアジス(モロッコ) 1999マラケッシュ
2月 2時間06分33秒 G・タイス(南アフリカ)   1999東京国際
3月 2時間07分06秒 G・タイス(南アフリカ)   2004ソウル
4月 2時間05分38秒 H・ハヌーシ(アメリカ)   2002ロンドン
5月 2時間08分04秒 Z・シンク(南アフリカ)   1986ポートエリザベス
6月 2時間08分55秒 P・タンビィ(コンゴ)    2004モンサンミッシェル
7月 2時間09分14秒 J・ペーター(東ドイツ)   1984Grunau
8月 2時間08分31秒 J・ガリブ(モロッコ)    2003パリ世界陸上
9月 2時間04分55秒 P・テルガド(ケニア)    2003ベルリン
10月 2時間05分42秒 H・ハヌーシ(モロッコ)   1999シカゴ
11月 2時間07分43秒 T・ジファー(エチオピア)  2001ニューヨーク
12月 2時間06分51秒 藤田敦史(日本)       2000福岡国際
男子マラソン年度別 世界ランク1位 (1963−2006)

1963年 2時間14分18秒 エデレン(アメリカ)
1964年 2時間12分11秒2 アベベ(エチオピア)
1965年 2時間12分00秒 重松森雄(日本)
1966年 2時間13分45秒 ウッド(オーストラリア)
1967年 2時間09分36秒8 クレイトン(オーストラリア)
1968年 2時間10分47秒8 アドコックス(イギリス)
1969年 2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア)
1970年 2時間09分28秒 ヒル(イギリス)
1971年 2時間11分08秒8 クレイトン(オーストラリア)
1972年 2時間10分30秒 ショーター(アメリカ)
1973年 2時間11分12秒2 ファーリントン(オーストラリア)
1974年 2時間09分12秒 トンプソン(イギリス)
1975年 2時間09分55秒 ロジャース(アメリカ)
1976年 2時間09分55秒 チェルピンスキー(東ドイツ)
1977年 2時間10分55秒3 ロジャース(アメリカ)
1978年 2時間09分05秒6 宗茂(日本)
1979年 2時間09分27秒 ロジャース(アメリカ)
1980年 2時間09分01秒 ネイブール(オランダ)
1981年 2時間08分18秒 キャステラ(オーストラリア)
1982年 2時間08分51秒 サラザール(アメリカ)
1983年 2時間08分37秒 キャステラ(オーストラリア)
1984年 2時間08分05秒 Sジョーンズ(イギリス)
1985年 2時間07分12秒 ロペス(ポルトガル)
1986年 2時間07分35秒 児玉泰介(日本)
1987年 2時間08分18秒 中山竹通(日本)
1988年 2時間06分50秒 デンシモ(エチオピア)
1989年 2時間08分01秒 イカンガー(タンザニア)
1990年 2時間08分16秒 モネゲッティ(オーストラリア)
1991年 2時間08分53秒 森下広一(日本)
1992年 2時間08分07秒 タセベ(南アフリカ)
1993年 2時間08分51秒 セロン(メキシコ)
1994年 2時間07分15秒 デティ(ケニア)
1995年 2時間07分02秒 S・リリ(ケニア)
1996年 2時間08分25秒 フィス(スペイン)
1997年 2時間07分10秒 ハヌーシ(モロッコ)
1998年 2時間06分05秒 ダコスタ(ブラジル)
1999年 2時間05分42秒 ハヌーシ(モロッコ)
2000年 2時間06分36秒 ピント(ポルトガル)
2001年 2時間06分50秒 キプロノ(ケニア)
2002年 2時間05分38秒 ハヌーシ(アメリカ)
2003年 2時間04分55秒 テルガド(ケニア)
2004年 2時間06分14秒 リモ(ケニア)
2005年 2時間06分20秒 ゲブレシラシエ(エチオピア)
2006年 2時間05分56秒 ゲビレシラシエ(エチオピア)
アジア大会男子マラソン日本人メダリスト

1951ニューデリー A西田勝雄(中央大)
1954マニラ  競技なし
1958東京   B貞永信義(鐘紡)
1962ジャカルタ  (優勝)長田正幸(八幡製鉄)
1966バンコク (優勝)君原健二(八幡製鉄)A重松森雄(倉敷レイヨン)
1970バンコク (優勝)君原健二(新日鉄)A御船芳郎(リッカー)
1974テヘラン 競技なし
1978バンコク (優勝)坂本峰照(日立造船)
1982ニューデリー A阿部文明(新日本電気)
1986ソウル  (優勝)中山竹通(ダイエー)A谷口浩美(旭化成)
1990北京   A清水悟(鐘紡)
1994広島   A早田俊幸(鐘紡)
1998バンコク A真内明(旭化成)
2002プサン  A清水康次(NTT西日本)B武井隆次(エスビー食品)
2006ドーハ   B大崎悟史(NTT西日本)

マラソン.駅伝  歴代視聴率10傑 (1977年以降)

1 第23回ロサンゼルス五輪・男子マラソン 1984年8月13日(月)   NHK総合  48.8%  ロペス
2 第24回ソウル五輪・男子マラソン    1988年10月2日(日)  NHK総合  43.4%  ボルディン
3 第26回アトランタ五輪・男子マラソン   1996年8月4日(日)  NHK総合  43.0%  チュグワネ
4 第22回福岡国際マラソン         1987年12月6日(日) NHK総合  41.0%  中山竹通
5 第27回シドニー五輪・女子マラソン    2000年9月24日(日) テレビ朝日  40.6%  高橋尚子
6 東京・ニューヨーク友好 '83東京マラソン 1983年2月13日(日) フジテレビ  37.5%  瀬古利彦
7 第2回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会 1984年1月22日(日) NHK総合  36.9%  京都府
8 第26回アトランタ五輪・女子マラソン   1996年7月28日(日) T B S  36.6%  ロバ
9 第18回福岡国際マラソン         1983年12月4日(日) NHK総合  36.5%  瀬古利彦
10 2001ベルリンマラソン         2001年9月30日(日) フジテレビ  36.4%  高橋尚子
世界陸上 男子マラソン 全入賞者

(1991年 東京)  
 1位 谷口浩美
 5位 篠原太

(1993年 シュツットガルト)
 5位 打越忠夫

(1999年 セビリア)
 3位 佐藤信之
 6位 藤田敦史
 7位 清水康次

(2001年 エドモントン)
 5位 油谷繁
 8位 森下由輝

(2003年 パリ) 
 5位 油谷繁

(2005年 ヘルシンキ)
 3位 尾方剛
 4位 高岡寿成

(2007年 大阪)
 5位 尾方剛
 6位 大崎悟史
 7位 諏訪利成
男子マラソン 五輪.世界陸上 メダリスト

1936年 ベルリン 金 孫基禎
1936年 ベルリン 銅 南昇龍
1964年 東京   銅 円谷幸吉
1968年 メキシコ 銀 君原健二
1991年 東京   金 谷口浩美(世陸)
1992年 バルセロナ  銀 森下広一
1999年 セビリア 銅 佐藤信之(世陸)
2005年 ヘルシンキ 銅 尾方剛(世陸)
第1回(1896年) アテネ五輪 マラソン成績

1、ルイス(ギリシャ)2.58.50(一説に2.55.20もある)
2、ワシラスコ(ギリシャ)3.06.03
3、ケルネル(ハンガリー)3.09.35
4、ウレトス(ギリシャ)
5、パパシメオン(ギリシャ)
6、デリヤニス(ギリシャ)

距離39.909km または 39.994km



第2回(1900年) パリ五輪 マラソン成績

1、ティアトー(フランス)2.59.45
2、チャンピオン(フランス)3.04.17
3、ファスト(スウェーデン)3.37.14
4、ブセ(フランス)
5、ニーストローム(スウェーデン)
6、ニュートン(アメリカ)

距離 40.260km

第3回(1904年) セントルイス五輪 マラソン成績

1、ヒックス(アメリカ)3.28.53
2、コーリー(アメリカ)3.34.52
3、ニュートン(アメリカ)3.47.33
4、カルバヤル(キューバ)
5、ビロウイス(ギリシャ)
6、クニーランド(アメリカ)

距離 39.909km
1906年 非公式 アテネ五輪 マラソン成績

1、シューリング(カナダ)2.51.23.6
2、スバンベリー(スウェーデン)2.58.20.8
3、フランク(アメリカ)3.00.46.8
4、トーンロス(スウェーデン)
5、アレボウス(ギリシャ)
6、ブラック(オーストラリア)

距離 41.842km



第4回(1908年) ロンドン五輪マラソン成績

1、ヘイズ(アメリカ)2.55.18.4
2、ヘファーソン(南アフリカ)2.56.06.0
3、フォショウ(アメリカ)2.57.10.4
4、ウエルトン(アメリカ)2.59.44.4
5、ウッド(カナダ)3.01.44.0
6、シンプソン(カナダ)3.04.28.2

距離42.195km


第5回(1912年) ストックホルム五輪 マラソン成績

1、マッカーサー(南アフリカ)2.36.54.8
2、ギッシャム(南アフリカ)2.37.52.0
3、ストロビノ(アメリカ)2.38.42.4
4、ソカレキシス(アメリカ)2.42.07.9
5、ダッフィー(カナダ)2.42.18.8
6、ヤコブソン(スウェーデン)2.43.25.0
金栗四三 27km 途中棄権


距離 40.200km


第6回(1916年) ベルリン五輪  中止
第7回(1920年) アントワープ五輪 マラソン成績

1、コーレマイネン(フィンランド)2.32.35.8
2、ロスマン(エストニア)2.32.48.6
3、バレリオ(イタリア)2.36.32.0
4、ブローズ(ベルギー)2.39.25.8
5、ツォミコスキー(フィンランド)2.40.18.8
6、ローズ(デンマーク)2.41.18.0
16、金栗四三(日本)2.48.45.0
20、茂木善作(日本)2.51.09.4
21、八島健三(日本)2.57.02.0
24、三浦弥平(日本)2.59.37.0

距離42.747km(一説に40.244km)


第8回(1924年) パリ五輪マラソン成績

1、ステンロース(フィンランド)2.41.22.6
2、ベルチニ(イタリア)2.47.19.6
3、デ・マー(アメリカ)2.48.14.0
4、ハロネン(フィンランド)2.49.47.4
5、フェリス(イギリス)2.52.26.0
6、プラザ(チェコ)2.52.54.0
金栗四三 33km 途中棄権
三浦弥平 28km 途中棄権
田代菊之助 19km 途中棄権

距離 この大会から42.195kmに正式決定



第9回(1928年) アムステルダム五輪 マラソン成績

1、エルアフィ(フランス)2.32.57
2、プラザ(チェコ)2.33.23
3、マルテリン(フィンランド)2.35.02
4、山田兼松(日本)2.35.29
5、レイ(アメリカ)2.36.04
6、津田晴一郎(日本)2.36.20
48、永谷寿一(日本)3.03.34

第10回(1932年) ロサンゼルス五輪マラソン成績

1、ザバラ(アルゼンチン)2.31.36
2、フェリス(イギリス)2.31.55
3、トイボーネン(フィンランド)2.32.12
4、ライト(イギリス)2.32.41
5、津田晴一郎(日本)2.35.42
6、金恩倍(日本)2.37.28
9、権泰夏(日本)2.42.52


第11回(1936年) ベルリン五輪マラソン成績

1、孫基禎(日本)2.29.19.2
2、ハーパー(イギリス)2.31.23.2
3、南昇龍(日本)2.31.42.0
4、タミラ(フィンランド)2.32.45.0
5、ムイノーネン(フィンランド)2.33.46.0
6、コールマン(南アフリカ)2.36.17.0
塩砲玉男 途中棄権

第12回(1940年) 東京五輪 中止
第13回(1944年) ロンドン五輪 中止

第14回(1948年) ロンドン五輪マラソン成績

1、キャブレラ(アルゼンチン)2.34.56.6
2、リチャーズ(イギリス)2.35.07.6
3、ケーリー(ベルギー)2.35.33.6
4、コールマン(南アフリカ)2.36.06.0
5、ゲネツ(アルゼンチン)2.36.36.0
6、ルイト(南アフリカ)2.38.11
第15回(1952年) ヘルシンキ五輪マラソン成績

1、ザトペック(チェコ)2.23.03.2
2、ゴルノ(アルゼンチン)2.25.35.0
3、ヤンソン(スウェーデン)2.26.07.0
4、崔倫七(韓国)2.26.36.0
5、カルボーネン(フィンランド)2.26.41.8
6、キャブレラ(アルゼンチン)2.26.42.4
25、西田勝雄(日本)2.36.19.0
26、山田敬蔵(日本)2.28.11.2
  内川義高(日本)途中棄権


16回(1956年) メルボルン五輪マラソン成績

1、ミムン(フランス)2.25.00
2、ミハリッチ(ユーゴスラビア)2.26.32
3、カルボーネン(フィンランド)2.27.47
4、李昌薫(韓国)2.28.45
5、川島義明(日本)2.29.19
6、ザトペック(チェコ)2.29.34
16、浜村秀雄(日本)2.40.13
33、広島庫夫(日本)3.04.18

第17回(1960年) ローマ五輪マラソン成績

1、アベベ(エチオピア)2.15.16.2
2、ラジ(モロッコ)2.15.41.6
3、マギー(ニュージーランド)2.17.18.2
4、ホロビエフ(ソビエト)2.19.09.6
5、ポポフ(ソビエト)2.19.18.8
6、トーゲルセン(デンマーク)2.21.03.4
31、広島庫夫(日本)2.29.40.0
32、渡辺和己(日本)2.29.45.0
46、貞永信義(日本)2.35.11.0


第18回(1964年) 東京五輪マラソン成績

1、アベベ(エチオピア)2.12.11.2
2、ヒートリー(イギリス)2.16.19.2
3、円谷幸吉(日本)2.16.22.8
4、キルビー(イギリス)2.17.02.4
5、シュトー(ハンガリー)2.17.55.8
6、エデレン(アメリカ)2.18.12.4
7、バンデンドリッシュ(ベルギー)2.18.42.6
8、君原健二(日本)2.19.49.0
9、クラーク(オーストラリア)2.20.26.8
10、デミシェ(エチオピア)2.21.25.2
15、寺沢徹(日本)2.23.09.0
第19回(1968年) メキシコ五輪マラソン成績

1、マモ・ウォルデ(エチオピア)2.20.26.4
2、君原健二(日本)2.23.31.0
3、ライアン(ニュージーランド)2.23.45.0
4、アケイ(トルコ)2.25.18.8
5、アドコックス(イギリス)2.25.33.0
6、メラウイ(エチオピア)2.27.16.8
7、クレイトン(オーストラリア)2.27.23.8
8、ジョンストン(イギリス)2.28.04.0
9、宇佐美彰朗(日本)2.28.26.2
10、ボイチュク(カナダ)2.28.40.2
  佐々木精一郎(日本) 途中棄権


20回(1972年) ミュンヘン五輪マラソン成績

1、ショーター(アメリカ)2.12.19.8
2、リスモン(ベルギー)2.14.31.8
3、マモ・ウォルデ(エチオピア)2.15.08.4
4、ムーア(アメリカ)2.15.39.8
5、君原健二(日本)2.16.27.0
6、ヒル(イギリス)2.16.30.6
7、マクレガー(イギリス)2.16.34.4
8、フォスター(ニュージーランド)2.16.56.2
12、宇佐美彰朗(日本)2.18.58.0
36、采谷義秋(日本)2.25.59.0

第21回(1976年) モントリオール五輪マラソん成績
 
1、チェルピンスキ−(東ドイツ)2.09.55.0
2、ショ−タ−(アメリカ)2.10.45.8
3、リスモン(ベルギ−)2.11.12.6
4、カ−ドング(アメリカ)2.11.15.8
5、ビレン(フィンランド)2.13.10.8
6、ドレイトン(カナダ)2.13.30.0
7、モセイエフ(ソビエト)2.13.33.4
8、ファ−バ(イタリア)2.14.24.8
20、宗茂(日本)2.18.26.0
21、水上則安(日本)2.18.44.2
32、宇佐美彰朗(日本)2.22.29.6


第22回(1980年) モスクワ五輪マラソン成績


1、チェルピンスキ−(東ドイツ)2.11.03
2、ネイプ−ル(オランダ)2.11.20
3、ジュマナザロフ(ソビエト)2.11.35
4、コトフ(ソビエト)2.12.05
5、モセイエフ(ソビエト)2.12.14
6、ゴメス(メキシコ)2.12.39
7、ネディ(エチオピア)2.12.44
8、マグナニ(イタリア)2.13.12



第23回(1984年) ロサンゼルス五輪マラソン成績

1、ロペス(ポルトガル)2.09.21
2、トレーシー(アイルランド)2.09.56
3、スペディング(イギリス)2.09.58
4、宗猛(日本)2.10.55
5、ド・キャステラ(オーストラリア)2.11.09
6、イカンガー(タンザニア)2.11.10
7、ヌザウ(ケニア)2.11.28
8、ジャマ(ジブチ)2.11.39
14、瀬古利彦(日本)2.14.13
17、宗茂(日本)2.14.38

第24回(1988年) ソウル五輪マラソン成績

1、ボルディン(イタリア)2.10.32
2、ワキウリ(ケニア)2.10.47
3、サラ(ジブチ)2.10.59
4、中山竹通(日本)2.11.05
5、モネゲッティ(オーストラリア)2.11.49
6、スペディング(イギリス)2.12.19
7、イカンガー(タンザニア)2.13.06
8、ド・キャステラ(オーストラリア)2.13.07
9、瀬古利彦(日本)2.13.41
10、カシャポフ(ソビエト)2.13.49
17、新宅永灯至(日本)2.15.42


第25回(1992年) バルセロナ五輪マラソン成績


1、黄永祚(韓国)2.13.23
2、森下広一(日本)2.13.45
3、フライガング(ドイツ)2.14.00
4、中山竹通(日本)2.14.02
5、ベッティオル(イタリア)2.14.15
6、コカイシュ(モロッコ)2.14.25
7、フルク(ポ−ランド)2.14.32
8、谷口浩美(日本)2.14.42

第26回(1996年) アトランタ五輪マラソン成績

1、チュグワネ(南アフリカ)2.12.36
2、李鳳柱(韓国)2.12.39
3、ワイナイナ(ケニア)2.12.44
4、フィス(スペイン)2.13.20
5、ネルルカー(イギリス)2.13.39
6、シルバ(メキシコ)2.14.29
7、モネゲッティ(オーストラリア)2.14.35
8、パレデス(メキシコ)2.14.55
19、谷口浩美(日本)2.17.26
54、大家正喜(日本)2.22.13
93、実井謙二郎(日本)2.33.27

第27回(2000年) シドニー五輪マラソン成績

1、アベラ(エチオピア)2.10.11
2、ワイナイナ(ケニア)2.10.31
3、トーラ(エチオピア)2.11.10
4、ブラウン(イギリス)2.11.17
5、レオーネ(イタリア)2.12.14
6、フィス(スペイン)2.13.06
7、エルムージス(モロッコ)2.13.49
8、ウアーディ(フランス)2.14.04
9、チムササ(ジンバブエ)2.14.19
10、モネゲッティ(オーストラリア)2.14.50
21、川嶋伸次(日本)2.17.21
41、佐藤信之(日本)2.20.52
  犬伏孝行(日本) 途中棄権


第28回(2004年) アテネ五輪マラソン成績

1、バルディニ(イタリア)2.10.55
2、ゲフレシキ(アメリカ)2.11.29
3、デリマ(ブラジル)2.12.11
4、ブラウン(イギリス)2.12.26
5、油谷繁(日本)2.13.11
6、諏訪利成(日本)2.13.24
7、ワイナイナ(ケニア)2.13.30
8、チャイカ(ポルトガル)2.14.17
42、国近友昭(日本)2.21.13

【男子マラソン日本歴代10傑】
@2:06:16 高岡 寿成 カネボウ 3位 シカゴ 2002.10.13
A2:06:51 藤田 敦史 富士通 優勝 福岡国際 2000.12.03
B2:06:57 犬伏 孝行 大塚製薬 2位 ベルリン 1999.09.26
C2:07:35 児玉 泰介 旭化成 優勝 北京 1986.10.19
D2:07:40 谷口 浩美 旭化成 2位 北京 1988.10.16
E2:07:52 油谷  繁 中国電力 3位びわ湖毎日 2001.03.05
F2:07:52 国近 友昭 エスビー食品 優勝 福岡国際 2003.12.07
G2:07:55 諏訪 利成 日清食品 2位 福岡国際 2003.12.07
H2:07:57 伊藤 国光 カネボウ 2位 北京 1986.10.19
I2:07:59 森下 由輝 旭化成 4位 びわ湖毎日 2001.03.05

せめて前スレぐらいは貼ろうぜ

マラソン史上もっとも強いランナー・マラソン通史7
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1171713367/

ついでに初代スレを除く過去スレ
マラソン史上もっとも強いランナー・マラソン通史6
http://sports10.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1169964389/

マラソン史上もっとも強いランナー・マラソン通史5
http://sports10.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1164131346/

マラソン史上もっとも強いランナー・マラソン通史4
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1148916008/

マラソン史上もっとも強いランナー・マラソン通史3
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1094488524/

前スレ マラソン史上もっとも強いランナー【マラソン通史】(実質2)
http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/athletics/1082890613/
追加 初代スレ
日本マラソン史上もっとも強いランナーは?
http://sports3.2ch.net/test/read.cgi/sports/1075254672/
>>1

記録関係の引用は上記から極力リンクを張ることで、
語りに力を入れましょう
42ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/15(土) 18:16:13
谷口浩美以来の選手が現れて来ないね。
43ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/15(土) 20:14:54
80年代の黄金期までは多く語られてきたが、その後のサブテンが出なくなった暗黒期(?)の話題が少ない。
まぁ当然だが、真内、三木、実井、大家、早田、川嶋、武井、花田、渡辺
そして佐藤、小島兄弟、犬伏などなど
なにせそこそこのタイム、成績を納めたのみの一発と怪我が多すぎた。

見ていたマラソンファンも辛い時期だった。
44ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/15(土) 20:19:46
92年のバルセロナ以降でベスト3のレースは


99セビリア世界陸上での佐藤信之の大逃げ演じた銅メダル


00年福岡での藤田敦史の日本新


02年シカゴの高岡寿成の日本新


ではないかな。
45ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/15(土) 20:27:35
>>43
>>なにせそこそこのタイム、成績を納めたのみの一発と怪我が多すぎた。

渡辺ってまさか康幸じゃないよね?
タイムも成績も出してないずら。
>>45
初マラソンの選手に過大な期待かける傾向がおかしいのだ
トラックで活躍したのなら分かるが(渡辺は活躍していたが...)
箱根で活躍しただけでオリンピックのマラソン候補
(一つ間違えるとメダル候補にまで)に奉られちゃう世論が変

着実に力をつけるまで、静かに見守ってやる度量が、
見るほうにも求められていると思うが
47ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/15(土) 20:52:08
箱根ではエース区間の2区で活躍するともう日本のエース扱いだしな。
距離変更とはいえ、調整で走った瀬古の記録以上で走らないとな。
今だに越えられないのに騒ぎすぎだ。
48ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/15(土) 21:04:44
瀬古は福岡の1ケ月後に走ってたからな。
瀬古の2区の換算タイムは未だに破られてないんだよな。
三代の後半のタイムも驚異的だが、瀬古のタイムはありえないし……
>>47
山登りの今井が日本マラソンの救世主とまで奉り上げられたからな
過去の山登りのスペシャリストの「その後」を見れば、
急傾斜を上る能力と平地を走る能力は別と分かりそうなもんだけど

そういう意味で5年後(五輪で言うならロンドン)、9年後(ロンドンの次)あたりで、
竹澤、伊達、佐藤悠基あたりに活躍してもらう、っていうのが理想的な展開だと思うが

彗星のごとく登場したマラソン選手は中山ぐらいなもので
あとは(瀬古も含めて)紆余曲折を得て、マラソン選手として一流になった
(むしろ「彗星のごとく」登場した選手は一発屋の傾向が強い
 周囲のプレッシャーと肉体的付加でバーンアウト起こしちゃうんだろうな)

松宮みたいに活躍しながら地味な評価で、気がついたら結局日本新(しかも5000mで)、
という例もあるし、世間はゆっくり選手の成長を見守ってほしいと思うね
51ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 09:01:30
その流れで話すと
箱根の呪縛から復活した尾方はたいしたもんだね。
尾方を信じた坂口の存在も大きいな。
>>51
箱根の呪縛、というよりも、注目されなかった「No.2」の男だったからじゃないのかね
高校時代も国体で29分10秒というトンでもない記録で走りながら、
勝った渡辺康幸ばかり注目を浴びた
大学も活躍したのはアンカーで優勝のテープを切ったことくらい
中電に入っても中々芽が出ず、「これ以上は知れないとクビにする」とまで言われ、
しかも油谷、五十嵐をはじめとする同世代の中電の高卒連中が活躍しまくって埋没しかけた
そういった逆境と、注目されなかった事に対する「負けて元々」が
精神的にも強く、そして楽にさせ、、結果が出てきた、という話なんじゃないのかな

同様の経緯でひっそりと引退したケースもあり、成功と失敗は半々なんだろうし、
尾方の場合、成功しただけでめっけもん(当然、本人の努力には敬意を表するが)だと思うね
5352:2007/09/16(日) 09:43:14
追記1
×「これ以上は知れないとクビにする」
○「これ以上走れないとクビにする」

追記2
坂口監督は選手の突き放し方がうまいね
ホントは当時は慰めたかったんじゃないのかな
それを本人のことを考えて、あえて突き放したのではないか
中々できることではないと思うよ


54ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 10:31:42
>>53 坂口自体、高校時代に高校記録を作って鳴り物入りで早稲田に入った
けど1年上(高校の学年では2年)の金井や高校時代の同期(大学では1年下)
の遠藤に比べて活躍できなかった。ようやくびわ湖で11分台を出しこれから
というところで病気のために引退せざるを得なかったし、その直後に同期で
急に伸びてきた谷口伴之(と金井他)が事故で急死して愕然とした経験を
持つ。大学時代に坂口以上に全く走れなかった尾方には同情するところ大だ
と思っただろうけど、苦労しただけに突き放すべきところは突き放したのは
経験のなせる業。
55ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 10:45:48
暗黒期以降の世界大会の方がメダルや入賞回数が多いのにインパクトが弱い。
やはり五輪にしろ、世界陸上にしろ大会前の「金メダル候補」「メダル候補」に挙がる実績作るほうが
記憶に残るんだな。
56ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 10:54:58
ホントに陸上を知っていたら
長距離全般にアフリカ大量進出で日本人のゲームは終わったのは判るはず。
57ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 11:01:43
>>55 オリンピックと記録を都市レースが分離してしまったことと記録という
点では人種の壁が明らかになってしまったことが大きい。また国内レースで
すら日本人が勝てないのに世界選手権や五輪で活躍しても一般の人は違和感を
持つだけだろう。

上の方で年度別のランキングが出ているが(黄金の)80年代ではアフリカンは
彩りを添えるアクセントに過ぎなかった。しかし90年代以降では主役になり
(91,96のようにランキングインしない年もあるけど)2002年以降では8割から
9割(国籍変更を含めれば全員の年も)をアフリカンが占めるようになった。
正直なところレースを見たことのない選手は覚え切れないし、2線級や3線級
に苦もなくひねられる日本勢を見ると萎えるだろう。インパクトと記憶がなく
なるのは無理からぬこと。
58ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 11:12:34
>>56 伝説のランナーたる資格十分のフランク・ショーターが10年以上も前に
「アフリカ人がようやく対等の競技場を手に入れたのだ。そしてゲームは終
わった」と語っている。その終わったゲームで夏レース限定とは言え、対等に
戦っていること自体が奇跡に近い。
59ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 11:19:26
アフリカ人は夏レースのノウハウが無い上に
日本人のように五輪、世界陸上に半年以上かけて調整しないから
一見戦えているように見えるだけじゃないか?
>>49
タイム教えてほしいな
56回2区1位1.11.37瀬古利彦

これかな?当時の距離は知らないが
62ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 11:58:55
>>61
24.4k
63ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 12:05:38
>>60 箱根は距離計測が超いい加減だからあまり意味ないけど。とりあえず
瀬古の頃は公称24.4km(それも1年の頃は25,2km。コース変更はないけど)、
それが1.7km短縮された(それがまた23.2kmになった。コース変更ないけど)。
すると単純に1時間11分37秒を22.7/24.4倍すると1時間6分37秒。換算タイムは
確かに三代より上。三代の後半のラップは日テレマジック。あれは20kmまで
ずれたポイントのラップを紹介しているからよほどペースが遅くない限り三代
より速く20kmを通過することになる。まああんないい加減な計測で走力を逆算
すると選手を過大評価するようになるから無視した方がいい。
6460:2007/09/16(日) 12:12:50
コース変わってないんだったら換算タイムも何もないじゃん
と思った俺
59回からコース変更されてるよ
66ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 13:57:00
中村清早大監督は他の部員には箱根に調整させたが、瀬古は別格。
世界を目指すランナーにはあくまで調整程度にすぎず、モスクワ五輪代表を獲得した
福岡から1ケ月未満で24.4kmを1時間11分37秒だったらしい。
それよりこの大会は空前の瀬古ブームで2区の走りを見る為、当時最高の観衆になったんだってな。
67ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 14:26:31
瀬古の思い出話は瀬古スレで語ってもらうとして
瀬古の脅威的な勝率はあの時代だからこそと言える。
現代マラソンに瀬古がいたと仮定して
おそらく10勝のうち半分は優勝出来なかっただろう。
だが、瀬古の勝負強さは本物
現代に瀬古がいれば、夏レースのノウハウで五輪で金メダリストになっていたと思われる。
アフリカン関係の話だけど、
世界選手権の女子10000mとか5000m(だったと思うが)で
解説の金さんが「エチオピア勢は3人でレースを作るんですよね」と言っていた

つまりツール・ド・フランスでラビット要員とサポート要員とポイント要員で
役割分担が決まっているように、
都市型マラソンでのアフリカ勢も、前半前に行ってレースを作る要員と
実際に記録を狙う要員に分かれてチーム戦でレースをしているので、
その部門では圧倒的な強さを誇る

しかし一カ国3人しか出られないオリンピックでは記録以上の順位は獲得できていない

世界選手権は一カ国5人出られるので、どちらかといえばチーム戦的な戦略が使えているようだが、
それでも「個人」のチームではなく「国別」のチームなので、都市型マラソンのような圧勝劇は中々見られない

もっとも現在の日本勢はそれ以前の問題で、絶対的な能力がアフリカ系と比較して劣るため、
そもそもの試合の土俵に上がれていない

大阪の世界選手権も、男女とも個人のマラソンをしていたね
チーム日本として、男子であれば尾方を軸に、
尾方に少しでも上位に行かせられる様なレース運び、
もしくは他の4人が尾方のサポートができれば、尾方はメダルが取れたのかもしれない

もっとも、そんなレースをしようものなら、他のチームから大ブーイングが上がる

日本がマラソンで上位に行くには、都市型も世界戦も手立てがあるが、難しいのかもしれませんね
>>52
確かに一つ年上で去年まで長らく主将を勤めた内富の方が、
実質的に即戦力になってたからな。
1期生とも言うべき五十嵐もこつこつ力をつけて、サブテンも早くに出し、
高校出身の油谷もマラソンで早々と頭角を現したし。
そのような中で尾方は98年にエース区間の6区を任されたが、主力では地味な存在だったかもしれん。

そんな尾方がようやく21世紀に入ってようやく波に乗った。
01年のニューイヤーで2区3位と好走し高岡や犬伏らを押さえ、
03年は福岡2位に入りサブテンをマーク。
04年の福岡を制して、ヘルシンキマラソンで銅メダルを獲得するまでに到った。

今の尾方は年を経るごとに安定感が増してトラックやマラソンの記録も伸びてきてる。
主将:内富、1期生:五十嵐が引退して、今は実質チームリーダーでもあるだろうしな。
福岡の2位は02年だったorz
翌年の世界選手権は尾方は12位、5位油谷・10位敦之と中国電力の3選手だけでマラソン団体を制した。
この後に中国電力が新マラソン王国って言われるようになった気がするな。

最近は油谷に元気が無いが、尾方を見習って欲しいと思う。
71ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 22:01:09
NHKアーカイブズに瀬古や中山の福岡国際の放送が保存されていない・・・
サンデースポーツは保存してあるようだが。  
>>67
確かに勝ち星は減るだろうけど半分にはならんだろ
ラスト2.195kmの最速ラップがロスのロペスだっけ?
2位がモスクワ(モントリオール?)のチェルピンスキー
3位が1983年福岡の瀬古のタイムのはず

アフリカ勢の強さは後半の揺さぶりではなく、
同僚のラビットが築いた前半からの超ハイペースを
そのまま押し切ってしまうパターンがほとんど

先の大阪もキベトがスゥッと前に出てそのまま行ってしまった、というレース
レース展開が淡白なんだよね

去年の福岡のゲブレシアシエみたいなレースをされるとなんとも言えないが、
アフリカ系の全ての選手が彼のようなレースを出来ている訳ではない

そう考えると、たまたま超ハイペースで潰される、
もしくはついていけなくて結果追いつけなかった、
みたいな展開はあるかもしれないが、
同じ体調だったとすれば、そうそう負けるとは考えにくいと思うが

当時と比べてシューズの機能も20年分向上しているしね
73ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 23:46:24
瀬古は距離が300m長かった東京を差し引くと7分台になるが、潜在能力は中山共々、6分台かなぁ。
今のラビット付き高速レースで、35kmまで引っぱってもらえたら、
条件次第では6分台前半は行けたでしょう。
75ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/17(月) 22:01:25
今の時代は世界的にもこれと言った
史上最強マラソンランナー呼べる選手がいない時代ですな。
世界選手権連覇のガリブ、勝率の高いゲブレセラシエとか何人も候補に挙がるからな……
前世界レコードホルダーのハヌーシもかなり強かったが、
国籍問題で出られないうちに故障してほぼ引退状態になってしまった。
>>76
去年の福岡におけるゲブレセアシエの走りを見てしまうと、
あの自在性に勝てるランナーが(歴代も含めて)何人いるんだろうか、と思ってしまう

ここまで来たら、北京も誰も文句の言いようも無いような勝ち方をして
「史上最強ランナー」の称号を得てほしいよ
ゲブレセラシエはトラックの時には暑さにも強かった
マラソンでも暑さに強ければペースメーカーつかない方がその強さを発揮できると思う

五輪は当然ペースメーカーつかないから
自在にスピード操れるゲブレセラシエが勝つ可能性が高いとみた
79ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/21(金) 16:43:25
昭和の妖怪
80ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/22(土) 15:02:13
>>79
安保闘争の時の岸信介首相だろう?
81ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/22(土) 15:31:07
“オヤジ”の匂いプンプンだな
82ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/23(日) 14:28:19

酒の匂いだろう?
昭和の匂いというやつか。
84ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/23(日) 19:20:37
>>83
高度経済成長の頃だからね。
そのオヤジ世代が現役時代だった頃に出した記録を、
今だに日本歴代10傑から一掃できていない
(男子10000mなどは1980年代の記録が5人も残っている)

残念だね、ガキ世代の方々は日本人によるレベルの高いレースを見たことが無いなんて
ペースメーカーのいない国際マラソンを見てない方が 可愛そうかな。
時代の流れだからな。
5kmの入りが14分40なんてレースはもう見られない
87ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/25(火) 00:07:25
女子に比べて近代レースを熱く語れない日本の男子は辛いな。
世界大会は一応入賞してるのにね。しかし一般知名度がほとんどないのがまた辛い。
88ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/25(火) 00:22:52
>>86

見てない(涙)
中山のように14分30くらいで飛び出す圧勝レースを日本で見たいもんだねぇ
89ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/25(火) 21:49:30
ペースメーカーの後ろに隠れていたら走る広告塔にもなれない 
90ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/25(火) 23:48:59
レースとしての楽しみは80年代で終わってるからな。賞金レースになってからシステム化しすぎた。
91ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/27(木) 10:17:22
史上最強のマラソンランナーはローマの石畳を裸足で走り、盲腸の手術後
1週間で東京を走ったアベベか、レース途中で大便をしても優勝すること
2回のショーターかどちらかだろう。
確かにネタとしては史上最強の部類だな。
93ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/29(土) 15:05:59
秋田わか杉国体に山田敬蔵さんが登場したけどまだあんなにお元気で矍鑠としているんだ 
94ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/29(土) 15:10:22
>盲腸の手術後1週間で東京を走ったアベベ

1ケ月だよ
1週間だと患部から血吹き出して死ぬぞw
95ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/29(土) 15:25:44
>>911ヶ月じゃあまだくっつかないだろ
96ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/29(土) 15:42:35
爺さんどもは
記憶がうつろだな
97ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/29(土) 16:04:33
>>95 ネットで検索するとWikipedia他大多数は6週前となっている。
98ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/29(土) 16:43:04
あべべってマラソンしてたのか。
99ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/29(土) 22:22:00
49 :ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/16(日) 08:27:17
瀬古の2区の換算タイムは未だに破られてないんだよな。
三代の後半のタイムも驚異的だが、瀬古のタイムはありえないし……


この嘘つきはなんとかなりませんかね?ろくに計算もしてないくせに勝手に
決め付けてるんだろな。本当に常識の計算ができてるのならそんな答えは出てこない。
100ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/29(土) 22:32:38
瀬古のタイムは71分37秒(24.4km)だからな。換算タイムなら
三代はもちろん、康幸やマヤカ、梅木、大塚にすら破られてる。
これを破られてないなんて、一体どんな計算したんだ?

101ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/29(土) 22:36:49
耄碌爺さん
102ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/29(土) 22:43:40
>>100 >>63を見ろ。
103ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/29(土) 23:20:40
やっぱり瀬古だよな!
世界の瀬古!!
ビバ!早稲田!
マスコミに強い早稲田!!!
104ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/29(土) 23:22:19
>>63の計算がインチキなのがわかりませんか?
2区のコース変更が59回大会であったがその時の距離が22.7kmと公示された。
しかし後の再計測によって67回大会で23.0km、81回大会で23.2kmであると公示
されている。
にもかかわらず、63は22.7kmという距離を計算に使っている。後の再計測があったのに
である。これはなぜか?答えは簡単。この数字を使わないと、都合のいい数字が出ないからだ。

これじゃ23.0kmを走った渡辺やマヤカや三代に、22.7kmを走った瀬古を比較してることにしかならない。
距離を換算するなら実際に走った距離を換算しなきゃデタラメだ。

ちなみに24.4km走った瀬古を23.0キロに換算してみ?
瀬古の換算タイムは1時間7分30秒である。渡辺や三代、マヤカ以下です。

じゃあ、23.2キロに換算すると?
瀬古の換算タイムは1時間8分06秒。これは大塚や梅木にすらかないません。


63は結局インチキの計算でデタラメな結論をでっち上げてる嘘つき野郎です。
105ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 00:15:36
瀬古、イズ、ナンバーワン!
話し逸れてきているよ

「箱根駅伝史上もっとも強いランナー・箱根駅伝通史」

ってスレでも立てて、そっちでやってくれ
107ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 15:51:50
>>102

あんたの負け!無様に撃沈wwwゲラゲラ
108ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 19:20:31
ゲブレセラシエが史上最強にリーチ
北京五輪優勝なら確定
109ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:01:14
>>108
マラソンに限らず
長距離の史上最強になる
110ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:04:57
ゲブレセラシエでも瀬古の勝率に比べればゴミ同然だろw
111ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:07:48
テルガト相手なら瀬古・中山でも勝てるかもしれないが
さすがにいまのゲブレでは崩せないな
112ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:09:26
>>110
その意見は油ヲタ級の池沼
ゲブレセラシエも瀬古もマラソン史上もっとも強いランナー議論に上る名ランナー
113ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:09:46
>>111
死ねよあぶらヲタ
陸上マガ30年分見直してから来るんだな
114ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:09:53
崩せないどころか軽くちぎられる
115ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:13:19
>>112
お前があぶらヲタだろwww
マラソンは記録じゃなくて勝ったほうが強いんだよ
現役時代の瀬古はいつでも世界記録だせたけど勝負で狙わなかった
近代マラソンで瀬古より勝率の高いランナーは存在しない
ゲブレセラシエなんてチンカス以下www
116ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:13:32
30kmを1時間28分56秒で
そこから先の12・195kmが
14分42秒、14分30秒、6分18秒

これでは中山でも無理。
117ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:13:57
瀬古、中山レベルでは
今の時代にいたとしても5、6分が限界
118ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:16:15
>>115
あんたは油ヲタと同じレベルだよ
みっともない
119ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:22:45
>>116
バカかあぶらヲタww
記録なんて時代とともに伸びるのは当然でその時代で一番強い奴が評価されるべきなんだよ
あぶらヲタがここまでアホとは思わなかったww
ゲブレは出場料に加えて世界新のボーナス付か。

大阪なんか回避して正解だな。
ダメージの少ないレースで金を稼いで北京で名誉を獲りに行くってか。
121ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:25:47
>>117
バカかあぶらヲタwww
瀬古や中山のトラックの当時のトラックの記録は世界記録と30秒しか離れていなくて
今の時代でいえば26分台ぐらいのスピードを持っていたんだよ
加えて今の軟弱ガキでは到底こなせない練習をしていたんだから今の時代で瀬古や中山が本気で記録を狙ったら2分台、3分台は軽いだろうなwww
122ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:28:34
瀬古は当時の世界最高峰のレースだったボストン、福岡を勝ちまくってたんだけど
ゲブレセラシエって今の時代で一番レベルが高いロンドンマラソンを勝ったことがあったっけ?ww
123ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:29:15




>>119
おたく、油ヲタ本人だねw
そうやって瀬古擁護をする人間が
バカなように見せたいんだろ。
レスのしかたでバレバレだよw




124ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:31:25
名スレを汚す瀬古ヲタと油ヲタww


キメエエエエエエエwwwwwwwwwwwwww
125ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:32:10
つうか、油ヲタの自演
126ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:35:41
>>123

 ク    ク   || プ  / ク   ク  || プ  /
  ス  ク ス _  | | │ //. ス ク ス _ | | │ //
  / ス   ─  | | ッ // /  ス   ─ | | ッ //
  / _____  // /          //
.  /   l⌒l l⌒l \  ))   ____
. / / ̄| ,=| |=、| ̄ヾ   / ____ヽ
/ ̄/ ̄.  ー'●ー'  ̄l ̄ |  | /, −、, -、l  ))
| ̄l ̄ ̄  __ |.    ̄l ̄.| _| -| ,=|=、 ||
|. ̄| ̄ ̄  `Y⌒l__ ̄ノ ̄ (6.   ー っ-´、}
ヽ  ヽ    人_(  ヾ    ヽ    `Y⌒l_ノ
  >〓〓〓〓〓〓-イ   /ヽ  人_(  ヽ
/   /  Θ  ヽ|  /    ̄ ̄ ̄ ヽ-イ
127ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:35:43
あぶらヲタのせいでスレが汚れるよな
ゲブレセラシエみたいな産業廃棄物出すぐらいなら
まだハヌーシの方がよっぽどマシなのに
そのハヌーシでさえ瀬古の勝利数と勝率には遠く及ばないけど
128ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:37:35
こりゃあダメだ、終わり終わり
129ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:43:30
>>127
だから名ランナーに上げてもおかしくない選手を
カスとか産業廃棄物とか賎まないと議論できない発想のあんたが
油ヲタ

1回アク禁にしてもらって治療してもらった方がいいよ
130ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:48:32
世界一を決めるロンドンマラソンでは3位、9位、途中棄権

五輪、世界選手権では敵前逃亡

どこのゴミだよwww

あぶらヲタは死ねよwww
131ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:50:00
>>129
俺もそう思うね。>>127が間違いなく油ヲタ。
レスのしかたですぐわかるよ(本人は演じきったつもりだろうが)
ここにレスするひとはランナーを産業廃棄物とかそういう表現をしない。
そういうことをするヤツは“油ヲタ”だけだよ。
スレをかき乱したいんだろうが正体バレバレなんだよニート野郎w
132ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:54:27
ゲブルセラシエと瀬古なんて格が違いすぎて語るまでもない。史上最高の長距離ランナーと
極東の島国のただの強豪ランナーwww
133ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:54:43
油ヲタが反論できないからって逃げまくってるなw
近代マラソンで瀬古よりビッグゲームの勝利数が多い選手って存在するんですか?
逃げないで答えてくださいよw
ゲブレとかいうゴミは論外だけどw
134ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:55:41




油ヲタは相手にしないでスルーしましょう




135ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 20:59:13
>>132
格とかいう抽象的なレスをしないで論理的に反論しようよあぶらヲタ
ゲブレセラシエ=世界一決定戦のロンドンで三連敗
瀬古=世界一決定戦のボストン、福岡で五連勝を含むマラソン10勝

どうやったらこんなゴミが瀬古と比べられるの?
136ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:02:00
自演乙
137ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:02:09
>>132>>133>>135も油ヲタでFA?
138ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:03:01
FA
139ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:04:11
瀬古や中山のトラックの当時のトラックの記録は世界記録と30秒しか離れていなくて
今の時代でいえば26分台ぐらいのスピードを持っていたんだよ

         アホか?
その時代はまだヨーロピアンが主流で才能豊かなアフリカンがまだ眠っていた時代だろう。
所詮日本人の限界は27分30秒くらいなんだから瀬古、中山が今の時代にいてもそれほど記録
を更新できたとはとても思えない。
140ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:04:44

>>132>>133>>135

ネットカフェからいつもご苦労様です
141ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:05:36
ほんとあぶらヲタは陸上板の癌だな
ゲブレみたいなゴミが瀬古より上と言って荒らしまくるんだから
勝利数、勝率、ビッグゲームの勝利数どれをとっても瀬古が近代最高のマラソンランナーだろ
世界記録が史上最高とかアホな理論が通るならテルガトやデンシモが最強ランナーになってしまう
陸上素人もいいとこw
142ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:06:37
ゲブレはトラックでは史上1、2のランナーだが、マラソンでは別。五輪メダルがないのは致命的だ。
エチオピアでは今でも国家的英雄といえば、アベベ・ビキラ、マモ・ウオルデ。マラソン>>トラックがエチオピア人の価値観だからな。
でなきゃ、無理してゲブレほどのランナーが無理してマラソンはしない。
廃棄物扱いしているアホがいるが、皇帝がまず意識しているのは明らかにマモ・ウオルデ。
彼がメシキコ、ミュンヘンで金、銅をとったのは36、40歳のときだったんだからな。
北京、ロンドンでマモを超え、トラック、マラソンを制してこそアベベをも超えられると皇帝は考えているんだろう。
143ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:07:20
>>139
陸マガ30年分見直せ陸上素人
アウイタ、イカンガー、サラ、ワキウリなど今よりよっぽど強いアフリカン腐るほどいたわ
144ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:08:37
>>141も油ヲタでFA?
145ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:09:56
このスレの常連たちに対抗できない悔しい悔しい油ヲタ。
ない智恵絞って起死回生の“油ヲタ攻撃”を始めるも
言葉遣いがいつもと同じで中途半端な芝居がすぐに崩壊。
いまさら作戦変更できず必死にセッセと自分攻撃。
何をやってもまるでダメ。あまりの哀れさに笑うに笑えん。
油ヲタ、逝きなさい・・・
146ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:11:48

>>132>>133>>135>>141

ネットカフェからいつもご苦労様です

147ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:12:44
>>143
俺の言っているのはトラックの話。トラックで強いのその中でアウイタだけやん。イカンガーあたりなんて1万Mは
28分台後半くらいがベストだろう。偉大なゲブルセラシエの価値をおとしめるために無理やり古きよき時代の日本人
を持ち上げているとしか思えない。
148ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:14:55
あf
149ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:15:21
>>147
それが瀬古ヲタですよ
頭おかしいでしょうw
150ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:28:23
瀬古ヲタ最低だな
自分の好きな選手を持ち上げるためにゲブレセラシエをゴミ扱いかよ
151ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:29:34
>>150も油ヲタでFA?
152ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:30:08
FA
153ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:32:07
世界一を決めるロンドンマラソンでは3位、9位、途中棄権

五輪、世界選手権では敵前逃亡

どこのゴミだよwww

あぶらヲタは死ねよwww
154ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:38:41

>>132>>133>>135>>141>>149>>150>>153

ネットカフェからいつもいつもご苦労様です

155ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:39:18
>>153も油ヲタでFA?
156ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:41:51
>>155
もう一々いいよ 当然FA
157ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:44:09
瀬古ヲタはもう死んだ方がいいな
158ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:45:10
ゲブルセラシエは間違いなく史上最高の長距離ランナーの一人だし、おそらくその中でも最高
といわれる選手だが、マラソンにおいてはまだ絶対的な存在でないことは事実だ。その真価は五輪
やロンドンマラソンでレル、リモやチェルイヨットあたりを破ってからだろう。
それでも2.04.26という凄まじい世界記録を出した選手をゴミ扱いする瀬古ヲタとやらの頭の中
はどうなっているのだろうね。
159ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:45:22
油ヲタのヤツ、
しばらく徳本スレに常駐してたのに
コイツがいなくなった途端、
徳本スレが進行しなくなってやんのw

ひとりでどんだけ暴れてんだよ、バ〜カ
160ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:51:22
油ヲタのオン・ステージだな。

どんなに頑張ってもバレバレだよ。
このスレに書き込みしてるひとたちは
実績のある名ランナーをゴミ扱いしない。
もう少しうまくやりなよ、バレないように。
161ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:53:03
>>158
前3行は素晴らしい文なのだが
後2行が自演臭くて台無しにしているな。
162ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:54:23
>>161
同じ意見です
163ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 21:55:22
あぶちゃん、ネットカフェって楽しい?
164ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 22:16:58
まず北京で金とって主要マラソン=ロンドン、ベルリン、ボストン、シカゴ、ロッテルダム、福岡を総ナメしたら最強確定。ベルリンと福岡で勝ってるから北京も入れてあと5回勝てばいいんだね。
ゲブちゃん頑張れ!
>>147
油ヲタ様が信条としている「オリンピック絶対主義」による偉大なる勝者、
ソウル五輪・マラソンで勝ったボルディンの10000mのベストタイムは29分台と記憶しているのですが

いくらトラックの記録が早いからって全ての人間がマラソンで成功しているわけではない
逆に10000mの持ちタイムが無くてもマラソンで勝つ選手も数多くいる
ゲブレシアシエ、キタ--------------(゜∀゜)--------------!!
しかし、これで過去のジンクスから言えば、ゲブレシアシエが北京五輪で勝つ可能性は限りなくゼロになった、とおもうのは漏れだけ
まぁ、現時点ではゲブちゃん北〜〜〜〜〜
171ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 23:13:07
スピードランナー+世界記録=五輪でポカする
皇帝が北京五輪で金メダルなら
長距離史上最強ランナー
若い時はトラックで複数回金メダル+世界記録
そして現在マラソンで世界記録、北京で金メダルなら完璧
173ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/30(日) 23:26:21
おめでとう
174ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/04(木) 09:40:19
ゲブレシラシエの一般の知名度・認知度がイマイチなのはテレビ中継が無いからであろう。  
世界記録を出しまくってる陸上界の皇帝なんだけどな。
ただ男子長距離陸上界そのものが知名度が低いんだよなぁ……
176ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/09(火) 17:00:41
>>175
君原氏に超える選手が居ない。
言いたい事は解るが、

もちっと、日本語勉強しれ。
178ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/10(水) 07:28:01
瀬古氏に超える選手は居ないね
179ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/12(金) 09:45:44
ショーターの凄いのは福岡4連覇、糞して優勝のびわ湖、ミュンヘン五輪も
2位の選手が後半、まったくショーターの背中を肉眼で捕らえることさえ
もできなかったことだ。

なんたって びわ湖のときは15分42秒でラップを刻んだ次の区間で
横道逸れてちぎった沿道の旗を片手に糞をしにいったが、それでも
15分54秒のラップでまとめているところ。

日本人はモントリオールで初めて負けるところを見たことになる。
180ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/13(土) 00:28:51
>>179
ショーターは2回経験してるからな。
他には83年の世界陸上女子マラソンでアイルランドのレジナ・ジョイスが
38キロで民家に入り3分のロス。後半追い上げて7位に入った。
また77年福岡ではフレミング(アメリカ)は垂れ流し。併走していた阪本峰照(日立造船)が異臭に
気がついたらランパンが凄いことに。
また83年福岡でもペーター(東ドイツ)も同様。
新潟のレースでは著名なランナーが我慢できず、手にした糞を万代橋から信濃川に投げ込んだという
話もある。
>>180
ペーターの福岡でのゴールシーンは、
東ドイツのランパンが白だったことからより目立っちゃって
見ている者の度肝を抜いたんだったよな
182ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/14(日) 19:43:07
ショーターの凄いのは、そのびわ湖の記録が大会記録として12年間破られなかったことだ。
183ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/14(日) 19:55:33
>>181
たしかNHKだったかな。
想定していない事態だったので
一瞬ではあるが全国にその光景を流してしまったのだな。
あれは一種の放送事故だと思う。
その頃2chがあったら・・・
185ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/14(日) 20:16:47
ペーターはその1、2年後に
東京国際で2位くらいになって
ある意味、雪辱を果たしたような
>>185
ペーターはあれ以来来日していない?んじゃないのかな

東ドイツの男子選手で言えば1984年福岡で2位のハイルマンじゃないのか?
中山竹通初優勝時に接近戦で負けた選手の
187ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/15(月) 00:48:34
今だにドイツはペーターがドイツ記録保持者。

東ドイツのブルーのシャツ、白のパンツに黄色のアディダスが懐かしいな
188ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/15(月) 00:53:15
ペーターは1988年東京でドイツ記録を出しているな。
そのレースはメコネン、イカンガー、キャステラの死闘が凄かった。
谷口博美もソウル五輪代表を懸けたが失速、でもその失敗が後の活躍の原動力になったかも。
>>188 その谷口の失速の原因が「下痢気味だった」とは....オアトガヨロシイヨウデm(_ _)m
190ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/17(水) 08:49:40
ケイコー!
191ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/17(水) 12:43:12
>>181
その時の貴重なVTRを私は持っている〜♪
192ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/17(水) 21:05:26
>>191
ようつべにうPキボンヌ
193ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/17(水) 21:58:51
観ない方がいい。
しばらく飯が食えなくなる。
194ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/18(木) 20:08:20
>>193
改めてVTRで確認したが、今見ると結構乾いてるね、ゴールでは。
ペーターも開き直ってるのか、涼しい顔してるし。
ゴール後にタオルを掛けにいったおねぇーさんはどう思ったんだろうか?
195ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/18(木) 21:19:06
スレタイと離れてきてるなあ。
話はおもしろいんだけど。
196ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/19(金) 20:15:35
外国勢は「出るものは出る」という感覚があるから日本勢よりは大胆だろう。
君原がメキシコ五輪でかなり我慢しながらゴールしたと語っていたが、
外国勢なら(もちろん人にもよるが)垂れ流してたかもしれないね。
197ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/21(日) 23:45:27
アベベ、ショーター、瀬古の勝率は歴代ベスト3だろうね。
198ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/22(月) 01:45:39
ロンドンと北京五輪とベルリン世界陸上で勝ったら誰もケチをつけられなくなる。

あと2年もすれば議論の余地は無くなるのでは。

05・06に続き今年もWLだし。
マラソンは五輪を制したからといって、最強ってワケでもないからなぁ。
世界記録保持者は最速の称号はあるけどさ。
200ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/27(土) 08:44:24
最多優勝のランナーが一番強い
201ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/27(土) 08:46:24
油谷だな
202ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/27(土) 09:04:08
五輪は価値あるタイトルだから
勝てばイコール最強とはいかないが強い事の証明になるな
梅澤由香里が女流棋聖を獲ったぐらいの価値はあるな
203ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/27(土) 09:06:13
チョンの奴とかチュグワネとかバルディニなんてどう見ても強いとは思えん
本当の実力者が勝ったのはガリブぐらいだろ
204203:2007/10/27(土) 09:06:58
ガリブじゃなくてアベラの間違い
205ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/27(土) 09:12:12
オリンピックしかマラソンを勝てない椰子はめったにいないので
少なくともオリンピックに勝てば弱くはないな
206ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/27(土) 09:14:04
やっぱり油谷が一番だな
207ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/27(土) 09:15:16
>>206
同意
208ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/27(土) 09:15:55
俺も油谷が一番強いと思う。
209ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/27(土) 09:22:00
オレも油ヲタが一番だと思う
210ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/27(土) 09:31:21
>>209
胴囲
212ゼッケン774さん@ラストコール :2007/10/28(日) 19:38:00
ワンジル
>>203
バルディニは記録的にはサブナインランナーで、確かにタイムは平凡な部類に入る。
とはいえ01・03の世界選手権で銅メダルを取っている典型的な夏マラソンに強い選手。
ただ高速決着になったパリでも3位になってるから、マラソン向きの持続力も兼ねてると思う。
まぁ確かにガリブの方が世界大会でバルディニを二度下してるし、
少々条件の厳しかった福岡で自己ベストに近い2位もあるので強いって言うのは確かだろうがw

アベラもグレードの高い福岡を3勝しているし、うち一度は7分台で勝ってる。
全盛期では一騎討ちの競り合いで負けたのは00年の藤田のときぐらいとやたら勝負強かった。
世界大会も2勝していて、まさにここ一番に強いって印象があった。

チュグワネは怪我に泣いた印象がある。
アトランタはフロック勝ちの印象があったが、
それ以前に中堅のマラソンレースをいくつか勝ち、南アフリカ選手権も2勝してる。
オリンピック後に福岡を当時のコースレコードで完勝し、この記録は今でも南アフリカの3傑に入ってたはず。
と思ったらバルディニの自己ベスト2:07:57だったw
……まぁタイム的に並の一流といえばそれまでだが……
>>213
>チュグワネは怪我に泣いた印象がある。
五輪後、あれだけ短い間隔でマラソンに出続ければ故障もするだろう
出場料でブルジョア化、ある意味五輪の箔付けで儲けた典型では無いかい?
216ゼッケン774さん@ラストコール:2007/10/28(日) 20:53:21
だから203はアベラと書こうとしてガリブと書いてしまった間違いだって
>>205
でも賞金稼ぎの猛者が出ないじゃん。
218ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/03(土) 02:06:51
アベベ・ビキラがいちばんだろ。
日本勢がまったく勝つ気がしない存在で、韓国国際マラソンで先頭を走りながら
伴走のコーチに初めて弱気の目を向けた、なんてのが回りの関係者で話題になるくらいだから。

日本勢がアベベと併走すらしたことがない。
219ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/03(土) 02:46:09
>>213-214
2:07:22 Stefano Baldini ITA 25.05.71 5 London 23.04.2006
220ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/03(土) 11:20:10
>>217
出れなかっただけだろ
本当にカネがほしい選手は五輪のメダルで
ギャラ(出場料)をUPさせるからな
221ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/04(日) 01:46:40
ワンゴイ
222ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/08(木) 08:25:41
世界最高だけのデンシモ 
223ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/09(金) 09:44:57
>>222
一応、ロッテルダム4勝してるぞ。
224ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/09(金) 18:49:54
油谷
五輪や世界選手権、その前身のワールドカップマラソンを制するのと、
メジャーマラソンの勝率は高いが、2大大会は今ひとつ。

レースの格って言うのもあるんだろうけど、マラソンほど最強を論じにくい競技もないな。
226ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/14(水) 11:54:52
強さは印象で決まる
227ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/14(水) 11:56:29
やっぱり油谷しかいないな
228ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/16(金) 23:09:04
2時間切れるときは来るのか?
229ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/17(土) 02:56:42
油谷なら切れるよ
230ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/17(土) 03:59:43
油ダニや瀬古より 


 最強 
   新潟市 
      代表 


   小林真也 




231ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/20(火) 01:50:23
世界十大マラソン完全制覇とか
個人的には君原が好きだが
日本に限って言えば悲劇のランナー森下が一番かもしらん。
瀬古はオリンピックがだめだった、
中山も苦労しすぎたのか、オリンピックでは意識しすぎ、気負いすぎてだめだった。
森下はバルセロナ後は故障でほとんど走れなかったからな。
逆に谷口は息が長かった。
日本最強といえばやはり中山か瀬古が上がる。
90年代以降のランナーが最強論議には上がらないな……
高岡は良い線いってるけど、どうも爪が甘い。藤田はドンピシャではまれば・・・
油は安定感はあるけどね〜 尾形も同様かな。
236ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/27(火) 23:51:00
マラソンは勝ってなんぼ。
237ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/28(水) 00:17:00
オツオリ最強
238ゼッケン774さん@ラストコール:2007/11/28(水) 23:09:40
瀬古に決まってるだろ
239ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/02(日) 02:10:57
高岡が福岡を勝てば
少しは日本最強に近づけるかも
240ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/03(月) 08:15:50
勝てなかったな。マラソンは勝ってこそ最強。
241ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/06(木) 12:09:16
高岡ももっと早くマラソンに取り組めばよかったな。
242ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/09(日) 23:16:37
高岡はマラソン転向が遅すぎたのと
東京優勝以後はピークが過ぎた感がある
243ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/15(土) 07:39:21
しゃーない
244ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/15(土) 07:48:36
まぁ30過ぎてからのランナーに爆発力みたいのを求めるのは酷
245ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/17(月) 08:03:40
カルロス・ロペス
246ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/18(火) 12:01:31
>>245
何処の国か?
オリンピック金メダリストで、元世界記録保持者。
それを、30代後半に成し遂げた、ポルトガルの英雄。
248ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/18(火) 13:09:10
>>246はかもりだよ
249ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/19(水) 20:22:43
ロペスのフォームは美しかったよ
250ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/23(日) 17:08:51
円熟の全盛期と言ったらいいでしょうか
251ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/25(火) 21:33:50
252ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/26(水) 16:55:01
いしてるマラソン
253ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/28(金) 15:17:00
ざはん・あべら
255ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/30(日) 13:53:29
駅伝といったら旭化成
256ゼッケン774さん@ラストコール:2007/12/31(月) 09:03:09
新興勢力の中国電力
257ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/02(水) 05:18:58
箱根駅伝第一回大会優勝は今の筑波大学 
258ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/03(木) 08:46:42
>>257
東京高等師範学校だっけ?
259ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/06(日) 18:23:47
正解
260ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/07(月) 12:22:35
筑波大学は面影が無いね。
筑波は今は男女とも、中長距離の選手の推薦枠を撤廃してるからな。
それでも関東インカレで上位できてるから、
獲得状況が手薄のほかのフィールド競技で優秀な選手を集めてる。
ある意味で、健全な学生陸上をやってる大学だと思う。

もし本気で集めだしたらかなり強いチームになると思う。
女子のほうでも藤永がいた頃みたいに、本気で選手を集めると相当強いチームを作れる。
262ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/08(火) 20:57:52
ところで上の方の記録リストで76年が欠けていることに気がついた。職人さん
補充をよろしく。言いっぱなしでは何なのでベスト5は多分

1、チェルピンスキ−(東ドイツ)2.09.55.0 五輪(モントリオール)
2、ロジャース(アメリカ)2.10.10.0 NYC
3、ショ−タ−(アメリカ)2.10.45.8 五輪
4、リスモン(ベルギ−)2.11.12.6 五輪
5、カ−ドング(アメリカ)2.11.15.8 五輪

だと思うが、どうだろう。

また日本選手の年度別ランキング(過去スレにあった?)も希望。
263ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/10(木) 00:07:35
>>6 抜けているな。IOCのサイトには

Bok-Suh YUN (KOR) 2:25:39 19 APR 1947 Boston

がある。尤もその後にボストンの距離不足があったから意図的に抜いたのかも
しれんけど。
264ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/12(土) 19:24:28
ダイエーの中内社長は中山に対し、
「君の仕事は先頭を走る事だ。瀬古のように後ろに隠れていて最後だけブラウン管に映るのは駄目だ。
先頭を走って2時間テレビを独占しろ。それが君の仕事だ。」と言った。  
265ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/17(木) 15:00:25
中内らしいな
266ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/17(木) 21:54:26
中山と同じく自滅していったがな
267ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/17(木) 22:50:25
ネタの提供。10000mの世界記録更新1。近年のものから遡ります。

26.17.53 ケネニサ・ベケレ(エチオピア)2005 Aug 26, Brussels
26.20.31 ケニニサ・ベケレ(エチオピア)2004 Jun.08, Ostrava
26.22.75 ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)1998 Jun.01, Hengelo
26.27.85 ポール・テルガト(ケニア)1997 Aug.22, Brussels
26.31.32 ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)1997 Jun.04, Oslo
26.38.08 サラ・ヒソウ(モロッコ)1996 Aug. 23, Brussels
26.43.53 ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)1995 Jun.05 Hengelo
26.52.23 ウィリアム・シゲイ(ケニア)1994 Jul.22, Oslo
26.58.38 ヨベス・オンディエキ(ケニア)1993 Jul.10, Oslo
268ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/17(木) 22:58:21
10000mの世界記録更新史2

27.07.91 リチャード・チェリモ(ケニア)1993 Jul.05, Stockholm
27.08.23 アルツール・バリオス(メキシコ)1989 Aug.18, West Berlin
27.13.81 フェルディナンド・マメーデ(ポルトガルト)1984 Jul.02, Stockholm
27.22.4 ヘンリー・ロノ(ケニア)1978 Jun.11, Vienna
27.30.5 サムソン・キモンバ(ケニア)1977 Jun.30, Helsinki
27.30.8 デーブ・ベドフォード(英)1973 Jun.13, London
27.38.4 ラッセ・ビレン(フィンランド)1972 Sep.03, Munich
27.39.4 ロン・クラーク(豪)1965 Jul.14, Oslo
269ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/17(木) 23:05:59
10000mの世界記録更新史3

28.15.6 ロン・クラーク(豪)1963 Dec.18, Melborne
28.18.2 ピョートル・ボロトニコフ(ソ連)1962 Aug.11, Moscow
28.18.8 ピョートル・ボロロニコフ(ソ連)1960 Oct.05, Kiev
28.30.4 ウラジミール・クーツ(ソ連)1956 Sep.11, Moscow
28.42.8 サンドーレ・イハロス(ハンガリー)1956, Jul.15, Budapest
28.54.2 エミール・ザトペック(チェコ)1954, Jun.01, Brussel
270ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/17(木) 23:21:03
10000mの世界記録更新史4

29.01.6 エミール・ザトペック(チェコ)1953, Nov.01, Stara Boleslav
29.02.6 エミール・ザトペック(チェコ)1950. Aug.04, Turku
29.21.2 エミール・ザトペック (チェコ)1949, Oct,22, Ostrava
29.27.2 ビルジョ・ヘイノ(フィンランド)1949, Sep.01, Kouvola
29.28.2 エミール・ザトペック(チェコ) 1949, Jun.11, Ostrava
29.35.4 ビルジョ・ヘイノ(フィンランド)1944, Aug. 25, Helsinki
29.52.6 タイスト・マーキ(フィンランド)1939, Seo,17, Helsinki
30.02.0 タイスト・マーキ(フィンランド)1938 Sep.29, Tampere
30.05.6 イルマリ・サルミネン(フィンランド)1937, Jul.18, Kouvola
30.06.2 パーボ・ヌルミ(フィンランド)1924, Aug.31, Kuopio
30,23.2 ビレ・リトラ(フィンランド)1924, Jul.06, Paris
30,35,4 ビレ・リトラ(フィンランド)1924, May 25, Helsinki
30.40.2 パーボ・ヌルミ(フィンランド)1921, Jun. 22, Stockholm
30.58.8 ジーン・ブイン(フランス)1911, Nov. 16, Colombes
271ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/18(金) 21:07:00
マラソン日本記録変遷史

2.57.10. 後藤長一  (明大)1920.11.28 駒場
2.48.10, 西田長次郎(高師)1922.11.5 駒場
2.43.47. 村岡正夫 (埼玉青年)1923.11.11 駒場
2.36.10. 金栗四三 (東京女師教)1924.4.13 駒場
2.35.29. 山田兼松 (坂出青年)1928.8.5 アムステルダム
2.35.24. 楠好蔵   (坂出青年)1929.11.3 神宮
2.34.30. 高橋清二 (プラネット)1931.10.4 神宮
2.34.04. 塩飽玉男 (坂出青年)1931.11.3 神宮
2.31.31. 矢萩丹治 (麻布AAA)1932.4.30 神宮
2.31.10. 楠好蔵  (坂出青年)1933.11.3 神宮
2.26.44. 池中康雄 (東洋大)1925.4.3 神宮
2.26.42. 孫基禎  (養正高普)1935.11.3 神宮
272ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/18(金) 21:25:20
戦後マラソン日本記録変遷史

2.26.32. 広島庫夫 (旭化成)1955.5.8 大阪
2.23.51. 広島庫夫 (旭化成)1955.12.11 平和台
2.21.40. 広島庫夫 (旭化成)1957.12.1 平和台
2.20.42. 中尾隆行 (中京大)1960.12.4 福岡
2.18.54. 中尾隆行 (中京大)1961.3.21 名古屋
2.18.52. 中尾隆行 (東急) 1962.10.20. オークランド
2.16.18.4 寺沢徹 (倉レ) 1962.12.2 福岡
2.15.15.8 寺沢徹  (倉レ) 1963.2.17 別府
2.14.48.2 寺沢徹 (倉レ) 1964.12.6 福岡
2.14.38.0 寺沢徹  (倉レ) 1965.2.7 別府
2.12.00.0 重松森雄 (福岡大)1965.6.12 チスウィック
2.11.17.0 佐々木精一郎(九州電工)1967.12.3 福岡
2.10.37.8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)1970.12.6 福岡
2.09.05.6 宗茂(旭化成)1978.2.5 別大
2.08.38. 瀬古利彦(SB食品)1983.2.13 東京
2.08.15. 中山竹通(ダイエー)1985.4.14 広島
2.07.35. 児玉泰介(旭化成)1986.10.19 北京
2.06.57. 犬伏孝行(大塚製薬)1999.9.26 ベルリン
2.06.51. 藤田敦史 (富士通)2000.12.3 福岡
2.06.16. 高岡寿成 (カネボウ)2002.10.13 シカゴ
273ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/18(金) 21:28:22
ゲブちゃん、おしかったな
でも、4分台だからまずまずだけど
274ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/18(金) 22:06:58
2時間04分53秒だったね。
ドバイって距離とかどうなのかと思うけどw
275ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/19(土) 23:25:31
ラドクリフはイギリスの悲劇を克服できるか。

過去、イギリスの選手が五輪マラソンで金メダルを取ったことはない。1932年の
ロスから3回連続で銀であったが金には届かなかった。また戦後は史上初めて20分
の壁を破ったピータースはヘルシンキ五輪前に自らの世界記録を大幅に破る記録
をひっさげて登場し、途中独走しながら棄権という結果に終わった。その後も
バージル・ヒートレー(64年東京直前に世界新)、ビル・アドコックス
(68年世界ランキング1位、歴代2位)、ロン・ヒル(70年に世界歴代2位)、
イアン・トンプソン(74年に歴代2位)、スティーブ・ジョーンズ
(84年に世界新、翌年にその記録を50秒以上更新したが歴代2位)等の
強いランナーを輩出しながら、金はおろかメダルもヒートレー(銀)と
スペンディング(銅)だけと期待を裏切り続けていた。

前回アテネにおいても絶対的本命として登場していたラドクリフは山岳
コースと暑さに影響され、自らの絶対的スピードを生かすことなく涙の
途中棄権。ジンクスを覆すには至らなかった。ラドクリフが再び頂点を
目指す北京ではジンクスの払拭を果たすか、或いはやはりイギリスはその
壁を乗り越えることができないのか最も注目される点である。
276ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/20(日) 15:39:53
>>262

1976年 男子マラソン 10傑

1、2時間09分55秒  チェルピンスキー(東ドイツ)モントリオール五輪1位
2、2時間10分10秒  ロジャース(アメリカ)   ニューヨーク1位
3、2時間10分45秒8 ショーター(アメリカ)   モントリオール五輪2位
4、2時間11分12秒6 リスモン(ベルギー)    モントリオール五輪3位
5、2時間11分15秒6 カードング(アメリカ)   モントリオール五輪4位
6、2時間11分50秒6 チンドロ(イタリア)    サンレジオ1位
7、2時間12分19秒8 モセーエフ(ソビエト)   
8、2時間12分35秒  ドレイトン(カナダ)    福岡国際1位
9、2時間12分40秒8 ゴトスキー(ソビエト)
10、2時間12分54秒  ファバ(イタリア)     サンレジオ2位
277ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/20(日) 15:51:53
モントリオール五輪 成績

1、2時間09分55秒 チェルピンスキー(東ドイツ)(2時間12分21秒)
2、2時間10分45秒 ショーター(アメリカ)   (2時間11分31秒)
3、2時間11分12秒 リスモン(ベルギー)    (2時間11分13秒)
4、2時間11分15秒 カードング(アメリカ)   (2時間13分54秒)
5、2時間13分10秒 ビレン(フィンランド)   (初マラソン)
6、2時間13分30秒 ドレイトン(カナダ)    (2時間10分08秒)
7、2時間13分33秒 モセーエフ(ソビエト)   (2時間12分19秒)
8、2時間14分24秒 ファバ(イタリア)     (2時間12分54秒)
9、2時間15分34秒 ゴトスキー(ソビエト)   (2時間12分40秒)
10、2時間15分52秒 スクーフス(ベルギー)   (2時間18分15秒)

20、2時間18分26秒 宗茂(日本)        (2時間15分50秒)
21、2時間18分44秒 水上則安(日本)      (2時間17分05秒)
32、2時間22分29秒 宇佐美彰朗(日本)     (2時間12分40秒)


(カッコ内)= 過去2年間でのベストタイム
278ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/20(日) 16:59:24
おお、職人さん復活した。
279ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/20(日) 19:48:25
30km日本記録更新史

1:40:00. 広島庫夫 (旭化成)1957.4.6 延岡
1:38:40. 高口徹  (九州電工)1959.3.22 熊本
1:38:38. 山本善則 (八幡製鉄)1960.2 熊本
1:36:29. 重松森雄 (九州電工)1961.2 熊本
1:36:23. 渡辺和己 (九州電工)1961.5.5 玉名
1:35:05.4 籾井輝久 (八幡製鉄)1963.3.10 熊本
1:33:52.8 渡辺和己 (九州電工)1963.3 熊本
1:31:51.6 寺沢徹  (倉レ)1965.3.7 熊本
1:31:33.0 宇井光男 (中大)1968.2.25 青梅
1:31:26.8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)1971.2.28 熊本
1:31:22.0 伊藤国光 (鐘紡)1975.2.23 熊本
1:30.20.8 鎌田俊明 (鐘紡)1976.2.22 熊本
1:29:30. 宗茂 (旭化成)1978.2.5 別府(マラソン途中計時)
1:29:12. 伊藤国光(鐘紡)1980.2.24 熊本
1:28:46. 西本一也(九州産交)1985.2.24 熊本
1:28:36. 松宮隆行(コニカ)2003.2.16 熊本
1:28:00. 松宮隆行(コニカ)2005.2.27 熊本
新宅 VS 谷口

第20回 福岡国際マラソン レース展開

1985年12月1日 午後12時15分 内外137人参加

気温10度 湿度67% 西北西0.3m 小雨

スタートー 平和台陸上競技場を出て、すぐ伊藤国光(鐘紡)が早くも先頭に。
      積極的に集団を引っ張る。

 2km− 伊藤、バルチャ(エチオピア)が集団から抜け出し、30mリード。

 3km− 後続の集団の先頭に新宅(エスビー食品)が出て伊藤を追いかける。

5km− 14分49秒 のハイペース

伊藤、バルチャの2人の飛び出しが続く。

10km− 29分38秒(この間も変わらず14分49秒)
      後続集団と伊藤、バルチャの差は80mに開く。
      後続集団からメコネン、ネディ(ともにエチオピア)が前に出て
      伊藤を追いかけ始める。

後続集団は9人。メコネン、ネディ、新宅、須永(日本電気HE)、工藤(日産自動車)、
        ハイルマン(東ドイツ)、児玉(旭化成)、谷口(旭化成)
        スラー(タンザニア)

金井(エスビー食品)とペーター(東ドイツ)が9人から50m遅れ。
その後方に野田(旭化成)、浦川(九州電工)、渡辺(九州電工)、オティエノ(ケニア)
が続く。

13km−メコネン、ネディが伊藤、バルチャに追いつく。先頭は4人。

14km−後続集団も4人に追いつき、合計11人の集団に。

15km−44分32秒(14分54秒)

16.3km− 給水所でハイルマンがテーブルに激突し転倒。集団からアッという間に
        100m遅れる。ひじ、ひざに血が滲む。

20km−59分42秒(15分10秒) ロペスの世界最高を28秒上回るペース。

24km−メコネンが前に出て引っ張り始める。  
     集団が縦長に。伊藤、谷口が集団の後ろに下がる。
     須永、工藤、スラーが先頭集団から後退し始める。

25km−1時間14分54秒(15分12秒) 集団は7人。谷口が10m遅れだす。
折り返しー メコネン先頭。伊藤、バルチャ、新宅の4人が先頭集団。
      ネディ、児玉が4人から遅れ始める。その後方10mに谷口。

27km−メコネンがスパート。
     バルチャ、新宅がつくが、ついに伊藤国光が遅れ始める。
     伊藤から後続ネディまで50m。

30km−1時間30分10秒(15分16秒)

     メコネン、バルチャのエチオピア勢に新宅の3人の優勝争い。

後続は谷口が伊藤に追いつき、2人で併走。トップと130m差。

31km− 谷口がスパート。単独4位に浮上。ピッチを上げ3人に100m差となる。


34.8km−谷口がグングンとペースを上げる。ついに3人との差が30m。
       新宅が谷口が追い上げてきているのに気がつき、スパート。
       メコネン、バルチャが遅れ始める。

35km−1時間46分20秒 この間、16分10秒要する。

35.3km−谷口がエチオピア勢を抜き去り2位に浮上。
       メコネン、バルチャの足取りが重くペースが鈍っている。

37km− 伊藤がエチオピア勢を交わし単独3位に。新宅と谷口の差は100m。

40km−2時間02分27秒(16分17秒)

解説.宇佐美は「2時間9分台が出るかが焦点になる」と話す。

2時間7分58秒ー 新宅が平和台陸上競技場に帰ってくる。

ゴールーマラソン2回目の新宅が2時間9分51秒でマラソン初優勝。
    2位に入った同じくマラソン2回目の谷口も大幅自己最高をマーク。
    3位にはベテラン伊藤が入り、1979年大会での瀬古、宗兄弟以来の
    日本人ワンツースリーの快挙となった。

第20回 福岡国際マラソン 成績

1、2時間09分51秒 新宅雅也(エスビー食品)
2、2時間10分01秒 谷口浩美(旭化成)
3、2時間11分19秒 伊藤国光(鐘紡)
4、2時間12分16秒 ペーター(東ドイツ)
5、2時間12分19秒 須永宏(日本電気HE)
6、2時間12分23秒 スラー(タンザニア)
7、2時間13分23秒 メコネン(エチオピア)
8、2時間13分28秒 クス(ポーランド)
9、2時間13分40秒 ラフランキ(スイス)
10、2時間13分47秒 バリンジャー(ニュージーランド)

11、2時間14分04秒 西村義弘(新日鉄大分)
12、2時間14分34秒 春松千秋(池田製菓)
13、2時間14分46秒 金井豊(エスビー食品)
14、2時間14分48秒 岩永義次(自衛隊体育学校)
15、2時間15分52秒 高村英男(本田技研)
16、2時間16分09秒 トロニア(東ドイツ)
17、2時間16分41秒 スティーブンス(イギリス)
18、2時間17分20秒 三村徹(鐘紡)
19、2時間17分30秒 新地学(ブリン工業)
20、2時間17分36秒 バルチャ(エチオピア)



優勝 新宅雅也(エスビー食品)  ラップタイム

5km 14.56
10km 29.48(14.52)
15km 44.33(14.45)
20km 59.42(15.09)
 
中間点 1.03.04

25km 1.14.54(15.12)
30km 1.30.10(15.16)
35km 1.46.20(16.10)
40km 2.02.28(16.08)
2.195km (7.23)

2時間09分51秒 (日本歴代7位)
谷口浩美 2時間7分台

第8回 北京国際マラソン レース展開 (1988年10月16日)

340人参加 気温14.8度 湿度62% 東北の風0.7m

午前9時30分 北京の工人体育場をスタート。
タンザニアのグルゴを先頭にロードへ。

「北京は4回目だが、86年に児玉が勝ったときの次に良いコンデション
だと思う。」 解説・広島日出国

2.3km− グルゴが集団を30mリード。

5km―(15分10秒) グルゴが80mリードでラップを奪う。  
           15分24秒でゲメチョ、メコネン(ともにエチオピア)
を先頭に約30人の集団。谷口浩美、宗猛(ともに旭化成)、清水悟(カネボウ)ら
日本勢も含まれる。
グルゴは1分間.165歩という大きなストライドで飛ばしている。

9.8km−集団がグルゴを吸収する。

10km― 30分58秒(15分48秒) 集団は25人。
     ゲブレ(エチオピア)を先頭に通過。

15km−46分19秒(15分21秒) メコネン先頭 13人。

清水が集団の最後方に。日本勢では清水のほかに佐藤敏春(コニカ)、谷口、宗猛の4人。
第二集団にショブリエ(フランス)、江内谷良一(旭化成)、マイシバ(ケニア)他5人。

17km−今まで先頭を走っていたグルゴが集団から脱落。

18km−メコネンがペースアップ。集団が縦長に。清水が集団から遅れ始める。
     集団は10人に。

メコネン、ゲメチョ、郭光輝(中国)、ゲブレ、谷口、宗猛、劉文俊(中国)、
王基漢(中国)、パストラナ(スペイン)、佐藤のメンバー。

19.8km− 佐藤が脱落。日本人はついに谷口、宗猛に。

20km−1時間01分08秒(14分48秒)
     かなりペースが上がっているが道幅が広いためスピード感があまり
     感じられない。

折り返しー1時間02分32秒。 6人の集団。メコネンを先頭にゲブレ、ゲメチョ、
     谷口、宗猛、郭の順。

23.8km−郭光輝が後退。谷口が初めて先頭に出て集団を引っ張り始める。

「折り返してから安定したペースになっている。」広島日出国

25km−1時間16分14秒(15分06秒) ゲメチョが後退。
     気温がスタート時に比べ2度上がり16.8度。

25.3km−宗猛がついに後退。3人に絞れる。
       谷口が再度前に出て引っ張る。メコネンは谷口のすぐ後ろ。

広島「谷口は走りが軽く、余裕がある。」
競技場解説・高橋進「谷口は1分間で208歩のピッチ。メコネンは193歩。」
石井アナウンサー「メコネンは瀬古と同じくらいですね。 2時間8分台の
         ペースへ。このままのペースなら8分台は可能」
高橋「8分40秒のペース」

30km−1時間31分01秒(14分47秒)
     3人の併走が続く。
石井「2時間8分前後の記録が出るかもしれませんね。」

30.8km− ゲブルが脱落。メコネンが積極的に谷口を引っ張る。
        ついに谷口とメコネンの一騎打ちに。

33.8km−メコネンスパート。
       広島「ちょっと谷口!ここでつかないとだめです」



広島「この差を我慢していけばメコネンのペースも落ちてくるはず。
    これ以上離れたらきつい。」

35km−1時間45分56秒 (14分55秒) 谷口は3秒遅れ。
     石井「このままいくと8分切るペースですよ。」

36.6km−谷口がようやくメコネンに追いつく。そして前に出る。
       また2人のデットヒートへ。メコネンの表情が苦しくなる。

高橋「谷口は完全に回復。優勝の目がある。今、2時間08分20秒くらいの
  ペースだけに、ぜひ8分台は達成して欲しい。」

40km−2時間01分22秒(15分26秒)

石井「8分そこそこでいきますよ。」
広島「素晴らしい記録が出ます。例年の北京ならこのあと7分台出ます。」

40.2km−メコネン2度目のスパート。 谷口のアゴが上がる。
       谷口の表情が苦しい。 差は30mに。

工人体育上の敷地内でメコネンのペースが落ちる。しきりに苦しいのかしきりの
戻す動作をするメコネン。

工人体育場へーメコネンが軽い嘔吐。谷口と差が10mまで縮まる。
       しかしここでメコネンも正気に返ってペースアップ。差は20m。

ゴールーメコネンが2時間07分35秒で優勝。世界歴代5位に入る大会タイ記録。
    谷口は2時間07分40秒で世界歴代7位。日本歴代2位で惜しくも2位。


第8回 北京国際マラソン 結果

1、メコネン(エチオピア) 2.07.35 (世界歴代5位)
2、谷口浩美(旭化成)   2.07.40 (世界歴代7位)
3、宗猛(旭化成)     2.10.40
4、ショベリエ(フランス) 2.12.06
5、パストラナ(スペイン) 2.12.50
6、劉文俊(中国)     2.13.17
7、ゲブレ(エチオピア)  2.13.33
8、シベルトセン(デンマーク)2.14.08
9、ハーリハイ(NZランド)2.14.47
10、ゲメチョ(エチオピア) 2.16.49


谷口浩美 ラップタイム

5km 15.24
10km 30.58(15.34)
15km 46.19(15.20)
20km 1.01.08(14.49)
25km 1.16.14(15.06)
30km 1.31.01(14.47)
35km 1.45.59(14.58)
40km 2.01.22(15.23)
2.195km (6.18)

2時間07分40秒
森下 初優勝

第40回 別府大分毎日マラソン  レース展開

1990年2月3日  天候 晴れ 気温8.9度  湿度40% 北北西2.2m

(折り返し以降)

20km− 1時間00分17秒 (15分01秒)
       タトル(アメリカ)を先頭に7人が通過。世界最高デンシモのラップを5秒上回る。
       
21km− 終始先頭を走っていたクラウド(ニュージーランド)が脱落。 集団は6人。
      中山竹通(ダイエー)、タトル(アメリカ)、江内谷良一(旭化成ベンベルグ)、三村徹(カネボウ)
      森下広一(旭化成)、藤田幸一(沖電気宮崎)。

23km− 藤田のピッチが鈍り始め、後退。
       
「ペースが上がっているわけではないが、キロ3分ペースだけにどこまで耐えられるか」実況・石井アナ

25km− 1時間15分26秒(15分08秒)

       
折り返しー 中山先頭。江内谷が続く。三村、森下、タトルと5人が通過。
      後続は24秒差で藤田。また浮上してきた児玉泰介(旭化成)が1分04秒差で7位通過。

26km− タトル(アメリカ)が脱落。日本人のみ4人の集団へ。

27km−中山が先頭で引っ張る。最後方・江内谷がかなり苦しい。

28.3km− ついに江内谷が脱落。
        (江内谷について)「ここまで15分前後のペースできたのは凄いと思う。」解説・伊藤国光

中山が前に前にでるが、森下は給水で手間取ったりして後手、後手にまわる。三村は安定した走り。

30km− 1時間30分40秒(15分14秒)

      森下が後退。2人から10m差。森下、歯を食いしばって表情が苦しい。

31km−併走だった中山が前に出て、三村が後ろに下がる。
     中山、三村、森下が3−4m前後の等間隔に。

31.2km−森下が中山に追いつく。三村とともに3人の併走に戻る。

「今が一番苦しい地点。ここを我慢すれば楽になってくる。我慢のしどころ。
三村は駅伝が好調だった。」 第二移動解説・佐々木精一郎

32km−再び 森下後退。 2人と10m差。

32.6km−中山がリード。三村がついに後退。 すぐに森下が三村に追いつき中山と10m差。

「中山の優勝が濃くなってきた」伊藤
「中山がペースを上げたのではなく、2人が疲れてきた感じ」石井アナ

33.5km− 中山とは15m差。森下が三村を振り切り、中山を追う。
        三村が苦しい表情に。

34.5km− 森下が再度、中山に追いつく。 「森下、凄いですね!」石井


35km−1時間46分11秒(15分31秒)

     「2時間8分ちょっとのペース」石井 
     「少しづつペースが落ちているので、9分前後まで落ちるかもしれない」伊藤

35.3km− 森下が初めて前に出て中山をリード。
        「追いついてから走りが良くなってきた。」
        「今の状態なら最後までいけば森下有利。」 伊藤

2人の併走が続く。三村は80m差を維持し粘る。



37.9km−中山が森下に話しかける。森下の肩をポーンとたたく。

38.8km−森下スパート。 中山と2−3m差がつく。
        「あっ、中山送れましたね!」石井

39.2km− 中山が一瞬、森下の並びかけたが、再度森下スパート。10m差に。

       「しかし、まだまだ(この差では)わからない」伊藤

40km− 2時間02分05秒(15分52秒)

       「8分台の記録が出るかはギリギリ」伊藤

ラスト2km−「ラスト2km標識を意識するので・・森下逃げ切る公算が強くなった」伊藤

        「中山離れましたね」石井   その差20m。

「昨日、青木半治・日本陸連会長が異例の「初マラソン森下の期待する」という声明を出した。」石井

40.3km− 宗茂・旭化成陸上部監督が歩道で森下に併走。
         森下に渇を入れている。

40.9km− 中山との差30mに。「このままいくと8分台が出そうですね。」伊藤

舞鶴橋を左折して舞鶴高校にかけての下り坂で再度、森下ペースアップ。
中山との差が80m近くになる。

2時間07分46秒ー 森下が大分市営陸上競技場に帰ってくる。中山との差100m。

ゴールー 2時間08分53秒。 森下マラソン初出場初優勝。昨年、同大会でマークした
     米重修一(旭化成)の2時間12分00秒を最新する初マラソンに本最高記録を樹立。
     宗茂の持つ大会記録も最新した。
     中山は2位。2時間09分12秒で87年福岡国際マラソン以来3年ぶりの
     サブテンを記録。3位三村までが2時間10分を破った。





第40回 別府大分毎日マラソン 成績

優勝 森下広一(旭化成) 2時間08分53秒 初マラソン日本最高 日本歴代6位
2位 中山竹通(ダイエー)2時間09分12秒
3位 三村徹(カネボウ) 2時間09分23秒
4位 江内谷良一(旭化成ベンベルグ)2時間11分27秒
5位 児玉泰介(旭化成) 2時間12分09秒
6位 早乙女等(日本電気)2時間13分07秒
7位 高橋浩一(旭化成) 2時間13分13秒
8位 橋口良登(旭化成) 2時間13分57秒
9位 北島克己(神戸製鋼)2時間15分28秒
10位 オレイリー(アイルランド)2時間15分44秒



森下広一(旭化成)  ラップタイム

5km 15分05秒
10km 30分07秒(15分02秒)
15km 45分17秒(15分10秒)
20km 1時間00分17秒(15分00秒)

中間点 1時間03分34秒

25km 1時間15分26秒(15分09秒)
30km 1時間30分41秒(15分15秒)
35km 1時間46分12秒(15分31秒)
40km 2時間02分05秒(15分53秒)
2.195km (6分48秒)

2時間08分53秒 (1991年度 世界ランキング1位)
バルセロナ五輪代表選考会

第12回 東京国際マラソン レース展開 (1992年2月2日)

90人参加 気温7.0度 湿度38% 風 北1.8m

スタートー すぐに米重修一(旭化成)が先頭に立つ。そのまま先頭でロードへ

3.7km−初マラソンのデティ(ケニア・コニカ)が飛び出す。米重、
      三村徹(カネボウ)、高橋浩一(旭化成)の3人が10m後方で追う。
      後続の大集団は約30人。

4km− ド・キャステラ(オーストラリア)がすでに集団から120m遅れ。
     足を引きずる走りはあきらかにアクシデントに見舞われた模様。

5km−(15分22秒) 集団がデティらを捕らえて通過。

(15分22秒通過について)「選考レースということでお互いの様子を見るという
ことだろう。」 解説・沢木啓祐
先頭は米重、デティ、三村が代わる代わるトップに出てくる・

8.1km−ド・キャステラが立ち止まり、そのまま救護車へ。

10km−30分32秒(15分10秒) 三村が先頭。集団は26人。
     再度、米重が果敢に先頭に出てくる。
「今日の中山竹通(ダイエー)はペースが遅い中、走る位置を定めている。」沢木

15km−45分58秒(15分26秒) 末吉富夫(カネボウ)が先頭。ペースが
                    上がらない。
16.7km−清水悟(カネボウ)が脱落。

17km−ソウル五輪代表・新宅永灯至(三井海上)が前に出てくる。
     中山、三村が前方。集団は横に広がり牽制ぎみ。

19.6km−西本一也(九州産交)が脱落。

20km−1時間01分30秒(15分32秒) デンシモ(エチオピア)が初めて
     先頭に出てきてラップを奪う。
「ここでもペースが落ちている。ここで努力してペースを上げないと・・」沢木
「2時間10分を切るのは難しいにでは」 山下末則アナ

中間点―1時間04分49秒 給水で阿久津浩三(福島病院)、新宅、大家正喜(佐川急便)
              他6人が脱落。
折り返しーカスティーヨ(メキシコ)を先頭に約20人弱の集団が折り返す。

23km−仙内勇(ダイエー)が先頭でペースアップ。ダビド(チェコ)、カスティーヨ、
     渋谷俊浩(雪印)、武田裕明(NTT東京)が脱落。
「キロ3分のペースに上がっている」沢木
新宅はすでに120m遅れ。五輪4度目の代表は絶望的に。

25km−1時間16分42秒(15分12秒) 米重が先頭で通過。

25.4km−前半健闘した三村、デティが脱落。

26.3km−新八ッ山橋の下りでデンシモが後退。10m差。
集団は中山、末吉、森下広一(旭化成)、北島克己(神戸製鋼)、篠原太(神戸製鋼)
   米重、高橋、藤野圭太(九州電工)、早田俊幸(カネボウ)、西政幸(旭化成)、
   ジュンベ(タンザニア)仙内の12人。

26.6km−デンシモが集団へ戻る。
28km− ジュンベ、北島が脱落。集団は11人。
「少しづつ仕掛けに入っている。ペースが上がって動きが良くなったのが森下」沢木
「森下は別大に比べ50%の出来だと語っていた。」 山下

28.9km−ついに米重が後退。 集団は10人。
「このコースは35kmからが勝負。米重がスタミナ切れになった。」沢木

30km−1時間32分05秒(15分23秒) 再びデンシモが先頭で通過。

30.2km−高橋が靴を踏まれ、履き直すために後退。
30.8km−再び高橋が先頭集団に戻る。
後続、カスティーヨがグングンとペースを上げ、先頭に50m差に迫っている。
31.7km−突然、デンシモがお腹を押さえて苦しむ。ついに歩き出して棄権。

34km−ついにカスティーヨが10m差に。
     森下スパート。 中山がすぐに森下に反応。集団が縦長に。
森下の後、中山、篠原がつき、早田までは反応する。西、末吉が20m後方。
仙内、高橋、藤野、カスティーヨが脱落。優勝争いは4人に絞られる。
森下の表情が険しくなる。

35km−1時間47分48秒(15分43秒) 中山先頭で通過。
「中山にはまだ余裕がある。早田にも余裕が。」沢木
35.3km−ついに五輪候補・篠原が後退。20m差。
「3人に絞られた模様」山下
カスティーヨが5位に浮上。
3人の併走が続く。中山が引っ張り、2人がつく展開。

37.4km−中山がリード。
       「中山が勝負を懸けている」沢木 しかし2人はぴったり中山につく。
38.2km−カスティーヨ、末吉が篠原を捕らえ4.5位に。篠原は6位に落ちる。

38.5km−再び中山がペースアップ。 早田が3−5m遅れ始める。
      「早田が苦しい。森下が懸命に歯を食いしばってつく」山下
中山がロングスパートを仕掛けている。
39.0km−森下が中山から3−5m後退。中山が懸命に逃げる。
39.8km−森下が追いつく。早田は30m差。

40km−2時間03分30秒(15分42秒)
     「6分30秒でカバーしても2時間10分は切れない」 山下
両者、ともに苦しい表情。

残り800m−中山スパート。森下5m遅れる。中山が再び逃げる。しかし200m
       ののち森下が追いつく。
国立競技場ゲートへー 
2時間08分49秒― 両者がトラックに姿を見せる。
残り400m−森下スパート。中山との差10m
       「中山力尽きた! 中山力尽きた!」「中山遅れを取りました」
ゴールー森下が2時間10分19秒でマラソン2戦2勝。
森下はバルセロナ五輪代表を当確にした。中山は2位。初マラソンの早田は
大健闘の3位に入賞した。また五輪有力候補・篠原は自己記録を最新したものの
6位と沈んだ。


第12回 東京国際マラソン 成績

1、 2時間10分19秒 森下広一(旭化成)
2、 2時間10分25秒 中山竹通(ダイエー)
3、 2時間10分37秒 早田俊幸(カネボウ)
4、 2時間11分03秒 カスティーヨ(メキシコ)
5、 2時間11分17秒 末吉富夫(カネボウ)
6、 2時間11分34秒 篠原太(神戸製鋼)
7、 2時間13分25秒 西政幸(旭化成)
8、 2時間13分37秒 仙内勇(ダイエー)
9、 2時間13分57秒 H・ジョーンズ(イギリス)
10、 2時間14分39秒 高橋浩一(旭化成)


森下広一(旭化成) ラップタイム

5km15分23秒
10km30分32秒(15分09秒)
15km46分02秒(15分30秒)
20km1時間01分31秒(15分29秒)
25km1時間16分44秒(15分13秒)
30km1時間32分05秒(15分21秒)
35km1時間47分49秒(15分44秒)
40km2時間03分30秒(15分41秒)
2.195km(6分49秒)

2時間10分19秒
294ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/20(日) 22:44:23
このスレの最初の方に年度別ランキングがあり、より最近は
ttp://www.alltime-athletics.com/index.html
からランキング作成が可能である。そこからランキング10位の経年変化を
作ることで1968年以降の世界のレベルの推移が分かる。

1968年の10位は2.13.49であった。これ以降で年度別10位が12分台、11分台等に
突入した年を列挙してみると

12分台 1975 2.12.43.
11分台 1978 2.11.58.
10分台 1980 2.10.23.
9分台  1983 2.09.12.
8分台  1986 2.08.39.
7分台  1998 2.07.57.
6分台 2003 2.06.48.

である。過去最高レベルだったのは2003年で、このときが唯一の6分台であった。
因みに2007年は2.07.19であり、過去5番目の水準であった。

日本選手がなかなか10傑に入ることが出来なくなっているのは記録水準の向上
からも窺える。



新宅、谷口の日体大先輩後輩対決は懐かしいな。メコネンは福岡ではしっかり走れなかった印象。
伊藤含む日本人ワンツースリーは79年以来じゃなくて80年の瀬古、猛、伊藤以来だね。
その後は2003年の国近、諏訪、高岡まで約20年も空くんだな。
296ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/21(月) 00:50:15
この職人さんによる資料が提供するとレスが面白くなるな。
297ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/21(月) 01:08:40
森下ってやっぱりすごかったんだな。
298ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/21(月) 02:26:26
アーメドサラが最強!
東京オリンピック 男子マラソン レース展開

1964年(昭和39年)10月21日 気温18.8度 湿度78% 薄曇り
参加選手68名

世界最高記録 2時間13分55秒  B・ヒートリー(イギリス)1964
五輪最高記録 2時間15分16秒2 B・アベベ(エチオピア) 1960

(スタート)−国立競技場 チュニジアのテドデビ・ベン・ブーバケルを先頭に
ロードへ。前年のプレ五輪で優勝し優勝候補に挙がっているJ・ジュリアン
(ニュージーランド)が2番手。寺沢が8番手、円谷、君原は真ん中あたり。
ビキラ・アベベ(エチオピア)は同僚で同1万m4位に入ったマモ・ウォルデ
とともにしんがりで競技場を後にした。

レースは同大会5千m9位、1万m3位に入ったロン・クラーク(オーストラリア)の
作るハイペースで進められる。
5km−15分06秒。ローマ五輪でアベベが通過した15分35秒をも上回る
マラソン史上最速のペースになる。同五輪1万m18位でのちに2番目にサブテンを
記録するロン・ヒル(イギリス)が15分14秒。アベベは15分19秒。
日本人3選手とヒートリー、キルビー(共にイギリス)は15分30秒台で15位前後。

アベベが先行のホーガン(アイルランド)と並んで、クラークに追いついたのは
6km過ぎ。この3人が先頭集団を形成。ペースをグングン高めていく。
10kmは3人同時で30分14秒。この5kmでアベベは14分55秒という
マラソン史上初のラップ14分台を記録。2週間前に盲腸の手術を受けたばかりとは
思えない快走。
3人の後ろはすでに25秒遅れ。のちのメキシコ五輪1万mで金を獲得する
ナフタリ・テム(ケニア)、ハナシ(チュニジア)、が続き、デミシェ・ウォルデ
(エチオピア)、バック(オーストラリア)、アング(イタリア)が第3集団。
円谷はさらに後方。
稀にみるハイペースですでに後続との差が大きくつき始めている。
15−20kmにかけてアベベは緩急自在なペース配分でクラーク、ホーガンを
揺さぶり始める。15kmでは円谷はミルズ(アメリカ)、ヌヤクワヨ(ケニア)
と並び10位前後。君原はその後ろマモ、ヒルと併走で14位前後。
20km手前でついにクラークが2人(アベベ、ホーガン)から遅れはじめた。
20km−1時間00分58秒。
ついにアベベが単独トップ。ホーガンが5秒遅れる。クラークは
すでに200m後方。4位に同1万mでアメリカに優勝をもたらしたミルズが浮上。
(クラークとミルズの差は150m)
ホーガンも1万に出場しているだけに上位はスピードランナーで占められる。
ミルズから5位集団は円谷、シュトー(ハンガリー)、デミシェ、アング、テムの5人。
ハイペースがたたりヒルは後退。ジュリアンも上位集団に入ってこれない。
君原はオーストラリアのバックの後ろで円谷と120m差で11位通過。
すでに苦しい表情に変わり足取りが重い。君原の不調がうかがえる。

飛田給折り返しーアベベトップ。すぐ後方にホーガン。3位はクラーク。
4位争いの円谷からアベベまですでに2分の差がついている。

アベベの復路はますます冴える。円谷は4位で折り返したのち、ハンガリーの
シュトーに食い下がられながらクラークを追う。25kmでアベベとホーガンとの
差は70m。25km過ぎ、円谷、シュトー、デミシェがクラークを捕らえる。
すでにクラークのストライドは狭く、疲れが足にきている。
ミルズはスタミナ切れ。君原が7位に浮上。円谷と200m差。
後続はミルズが続き、ヒートリー、キルビーが9,10位。マッカードル(アメリカ)
エデレン(アメリカ)、バンデンドリッシュ(ベルギー)の後方に寺沢14位。

ここからアベベが独走態勢に入る。すでに30kmでホーガンを250m差に広げる。
メダル圏内に入ってきた円谷はシュトーと併走。後方からヒートリー、キルビーの
イギリス勢が追走し始める。
35km過ぎ、2位を走るホーガンが道端に座り込んでしまう。あまりの前半の
ハイペースが祟りグロッキー状態に。円谷2位浮上。3位シュトー。君原はこの
5kmを18分24秒かかり、エデレン、バンデンドリッシュに抜かれ後退。
ついに円谷がスパート。シュトーとも差がついた。しかしキルビーを置き去りに
世界記録保持者の維持をみせ、ヒートリーが40kmの関門でシュトーに並び、
円谷に19秒差に迫ってきた。

国立競技場―後半独走。表情をまったく変えずアベベが帰ってくる。
30km過ぎから後続にさらに大きな差をつけた。優勝タイムは2時間12分11秒2
ヒートリーの持つ世界最高記録・2時間13分55秒を1分40秒以上破る
記録を樹立。五輪マラソン史上初の2連覇を達成した。
アベベはゴールイン後、フィールドで整理体操を始める。まだ余裕しゃくしゃく。
「相手さえいれば2時間10分でゴールできた。」というコメントを残した。
円谷とヒートリーの2位争いは競技場内に持ち込まれた。円谷の後ろ10mで
2人が国立競技場へ。第3−4コーナーにかけてヒートリーがペースアップ。
円谷を一気に捕らえ2位に。円谷は抜き返す余力が残っていなかった。
2位ヒートリー、3位円谷でゴール。1936年ベルリン五輪以来、28年ぶりに
陸上でメダル獲得となった。
優勝候補の一角・君原は競技場手前でクラークを捕らえ8位でそのままゴール。
入賞に一歩届かなかった。寺沢はハイペースでリズムに乗れず15位。
プレ五輪を制したジュリアンは29位に沈んだ。

第18回 東京オリンピック マラソン 成績

1、 2時間12分11秒2 アベベ(エチオピア) (自己記録 2.15.13)
2、 2時間16分19秒2 ヒートリー(イギリス)(2.13.55)
3、 2時間16分22秒8 円谷幸吉(日本)  (2.18.20)
4、 2時間17分02秒4 キルビー(イギリス) (2.23.01)
5、 2時間17分55秒8 シュトー(ハンガリー)(2.23.16)
6、 2時間18分12秒4 エデレン(アメリカ) (2.14.28)

7、2時間18分42秒7 バンデンドリッシュ(ベルギー)
8、2時間19分49秒0 君原健二(日本)
9、2時間20分26秒8 クラーク(オーストラリア)
10、2時間21分25秒2 デミシェ(エチオピア)

11、2時間22分02秒8 S−H・リー(韓国)
12、2時間22分27秒0 ベナイサ(モロッコ)
13、2時間22分36秒0 オクサネン(フィンランド)
14、2時間22分55秒4 ミルズ(アメリカ)
15、2時間23分09秒0 寺沢徹(日本)
16、2時間24分40秒0 Y−B・キム(韓国)
17、2時間24分45秒2 イエゲル(イタリア)
18、2時間24分46秒8 フドメル(チェコスロバキア)
19、2時間25分34秒4 ヒル(イギリス)
20、2時間26分00秒6 ビスチネン(フィンランド)

主な選手
29、2時間27分57秒6 ジュリアン(ニュージーランド)
49、2時間40分46秒6 テム(ケニア)
途中棄権
ホーガン(アイルランド)
マモ・ウォルデ(エチオピア)

優勝 B・アベベ(エチオピア) ラップタイム

5km 15.19
10km 30.14(14.55)
15km 45.35(15.11)
20km 1.00.58(15.23)
25km 1.16.40(15.42)
30km 1.32.50(16.10)
35km 1.49.01(16.11)
40km 2.05.10(16.09)
2.195km (7.01.2)
ゴール 2時間12分11秒2


2位 B・ヒートリー(イギリス) ラップタイム

5km 15.31
10km 31.33(16.02)
15km 47.40(16.07)
20km 1.03.34(15.54)
25km 1.19.35(16.01)
30km 1.35.55(16.20)
35km 1.52.13(16.28)
40km 2.09.17(17.04)
2.195km (7.02.2)
2時間16分19秒2


3位 円谷幸吉(日本) ラップタイム

5km 15.31
10km 31.07(15.36)
15km 46.51(15.44)
20km 1.02.46(15.55)
25km 1.18.44(15.58)
30km 1.34.59(16.15)
35km 1.51.44(16.45)
40km 2.08.02(16.18)
2.195km (8.20.8)
2時間16分22秒8

8位 君原健二(日本) ラップタイム

5km 15.36
10km 31.22(15.46)
15km 47.12(15.50)
20km 1.03.10(15.58)
25km 1.19.21(16.11)
30km 1.36.46(17.25)
35km 1.55.10(18.24)
40km 2.12.31(17.20)
2.195km (7.18.0)
2時間19分49秒0


瀬古―惨敗 マラソン史上最高視聴率 48%
第23回 ロサンゼルス五輪  男子マラソン レース展開

1984年8月12日 午後5時スタート 出場58カ国 107人
NHK 午前9:00 衛星生中継
解説―高橋進  実況―羽佐間正雄
スタート(サンタモニカ大 グランド)− ゴール(メモリアルコロシアム)

(出場選手ベスト5)
1、 2時間08分18秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
2、 2時間08分38秒 瀬古利彦(日本)
3、 2時間08分39秒 ロペス(ポルトガル)
4、 2時間08分51秒 サラザール(アメリカ)
5、 2時間08分55秒 宗猛(日本)
5、2時間08分55秒 イカンガー(タンザニア)


(羽佐間)「真っ先に瀬古をとらえました。そしておなじみキャステラ。
     まずカメラは2人をとらえましたね。」
(高橋)  「やはり2人の対決が人気を呼んでいますよ。」
(羽佐間) 「マラソン史上もっとも自信をもって送り出した3人がスタートを
     切ります」

スタートー 宗猛がスーッと前に出てくる。イカンガーは早くも先頭。   
      2周半してロードへ。ウガンダのビューガが先頭。
2km−モスクワ五輪銀メダリストのネイブール(オランダ)が前に出て
    引っ張り始める。
(羽佐間) 「レース展開は?」
(高橋)「7kmまでは登りだから最初は15分20秒くらいでは。7−15km
    が下りになるので動きがあるかも。」
(羽佐間)「記録は?」
(高橋)「キャステラのコーチは、女子の記録を考えたら8分台が出てもおかしくない
    と言っていた。」
5km− オランダのランブレグトが先頭で15分33秒。集団は縦長で約50人。
前にはヌジェニー(ケニア)、イカンガー(タンザニア)、シャハンガ(タンザニア)、サラ(ジブチ)のアフリカ勢に、パルマンチェ(ベルギー)、ディクソン(ニュージーランド)、スミス(イギリス)、ザルツマン(西ドイツ)らがま
前に。
8km−ふたたびネイブールが先頭に立ち、10mリード。アフリカ勢が続く。

カメラが初めて瀬古をとらえる。サラザール(アメリカ)がすぐ後ろ。先頭集団の後方部。

10km−ソマリアのイズマエルが先頭に出てくる。31分14秒。 約40人。
     気温が27度に上がる。
12km−宗兄弟が集団の最前列へ出てくる。

15km−イズマエルを集団が吸収。約20人の集団。
     イカンガー、シャハンガのタンザニア勢が前に。
19km−サラザールはすでに100m遅れ。第二集団。
(高橋)「(サラザールを見て)ちょっと精彩がないですね。」
(羽佐間)「フォームが全盛期に戻っていないといわれていますね。」
(高橋)「ストライドの伸びがまったくないですね。」

20km−イカンガー、ロペス(ポルトガル)、シャハンガ、ザルツマン、ジャマ(ジブチ)
     瀬古、宗兄弟、ネイブール、スペディング(イギリス)、サラ、テルジ(トルコ)
     トレーシー(アイルランド)、キャステラの14人に絞られる。

ハーフー1時間04分54秒。瀬古は11番手。宗茂は最後尾。
22km−後続からディクソンが追いつき15人。
(高橋)「2時間10分を切らないと優勝はできませんね。」

23km−ディクソンが先頭へ。ネイブール、テルジが脱落。
25km− 1時間17分11秒。 13人。宗茂が最後方。気温が29度に。
      フリーウェイに入ったため観客がいなくなる。
26km−ザルツマン、シャハンガが後退。

(高橋)「宗茂がちょっと遅れ始めましたよ。」
(羽佐間)「あ、そうですか。あー、ちょっと遅れています。」
(高橋)「ほんのちょっとですけどね。」
27km−宗茂が最後方で粘るも、5m遅れ。集団は10人。
28km−瀬古が被っていた帽子を沿道に投げ捨てる。

30km− 宗茂20m遅れ。アイルランドのキェルナンが
     後続から上がって来る。 依然、気温29度。
     サラザールは45秒遅れ。(高橋)「今日は気温が高いですね。」
(羽佐間)「だいたい10分前後の優勝タイム。日本の2人にも十分チャンスが
     あります。」

33km−(羽佐間)「キャステラがちょっと遅れましたよ。」
     (高橋)「足取りが重くなりましたね。」
34km−サラ、ジャマのジブチ勢、キェルナン、そしてキャステラが脱落。

 (羽佐間)「遅れたキャステラ・・・おっ(かなり)遅れましたね。」
 (高橋)「これで優勝圏外に去りましたねぇ。」
 先頭集団は8人。
 スペディング、瀬古、イカンガー、ロペス、トレーシー、宗猛、イカンガー、ヌザウ

34.8km−
 (羽佐間)「この集団の後ろ、瀬古がいますが・・ アッ!」
(高橋)「アッ!」 (羽佐間)「瀬古が遅れましたか??」
(高橋)「ちょっと遅れましたね。」(羽佐間)「瀬古が遅れました。」
(羽佐間)「意外な展開になりました。瀬古が遅れ始めています。ペースが上がったで
     しょうか。 どうした! 瀬古利彦。」

35km−1時間48分22秒。15分26秒 30秒ペースが上がる。
35.2km−スペディングがスパート。イカンガーが脱落。
       そしてついに宗猛が遅れ始める。
       スペディング、ロペス、トレーシー、ヌザウの4人。
ペースが一気に上がる。
キャステラが瀬古を一気に抜き去る。
 (高橋)「完全に疲れがでましたね。」
35.4km− ケニアのヌザウが脱落。

37km−ロペスが先頭に出てロングスパートをかける。
     ロペスースペディングートレーシーの順で縦長。
     ヌザウは20m遅れ。その後ろ、宗猛が50m遅れ。
38km−ロペス・スパート。2人に10m差をつける。
(高橋)2時間10分台は確実に出ると思いますよ。」
(初マラソン・トレーシーについて)
(羽佐間)「27歳。1978年世界クロスカントリー優勝で注目。モスクワ五輪
     5千、1万代表。アイルランド記録5千、13分16秒82の記録保持者」

40km−2時間02分56秒  14分34秒にペースが上がる。ロペス独走。
     トレーシー、スペディングとの差は30秒。
(高橋)「このままいくと2時間9分40秒台の五輪新記録がでるかもしれませんよ。」
2時間07分45秒―ロペスがメモリアルコロシアムに入ってくる。
後続ではトレーシーがスパート。スペディングを引き離し単独2位に。
(高橋)「2時間09分30秒を切るかもしれませんよ。」
(羽佐間)「瀬古は今、11位を走っています。」

ゴールー2時間09分21秒 五輪新記録
(羽佐間)「37歳。老雄というには、あまりにも元気なこの37歳。ポルトガルの
    英雄、カルロス・ロペスが今、ゴールインで優勝! ポルトガルに
    マラソンで初めての優勝をもたらしました。」

2位トレーシー。3位スペディング。日本勢は宗猛が4位に入る。
(羽佐間)「あ、瀬古がここにいます。まったく疲れている。こんな瀬古を  
     見たことがありません。思いもよらない瀬古の不調。」
(高橋)「私も初めてですねぇ」
瀬古14位。宗茂17位でゴール。

第23回 ロサンゼルス五輪  男子マラソン 成績

1、2時間09分21秒 ロペス(ポルトガル)五輪新
2、2時間09分56秒 トレーシー(アイルランド)
3、2時間09分58秒 スペディング(イギリス)
4、2時間10分55秒 宗猛(日本)
5、2時間11分09秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
6、2時間11分10秒 イカンガー(タンザニア)
7、2時間11分28秒 ヌザウ(ケニア)
8、2時間11分39秒 ロブレ・ジャマ(ジブチ)
9、2時間12分20秒 キェルナン(アイルランド)
10、2時間12分57秒 ディクソン(ニュージーランド)
11、2時間13分53秒 フィッチンガー(アメリカ)
12、2時間13分57秒 H・ジョーンズ(イギリス)
13、2時間14分00秒 ゴンザレス(プエルトリコ)
14、2時間14分13秒 瀬古利彦(日本)
15、2時間14分19秒 サラザール(アメリカ)
16、2時間14分20秒 テルジ(トルコ)
17、2時間14分38秒 宗茂(日本)
18、2時間15分29秒 ザルツマン(西ドイツ)
19、2時間15分55秒 ヨルゲンセン(デンマーク)
20、2時間15分59秒 アーメド・サラ(ジブチ)


第24回 ソウル五輪 男子マラソン レース展開

1988年10月2日 68カ国 124人参加 

気温24度 湿度36% 北北東1.5m

出場選手ベスト5

1、2時間07分07秒 サラ(ジブチ)     1988
2、2時間07分51秒 ド・キャステラ(豪州) 1986
3、2時間08分10秒 イカンガー(タンザニア)1986
4、2時間08分15秒 中山竹通(日本)    1985
5、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本)    1986

スタートーソウル・オリンピックスタジアムを周回。サラ(ジブチ)が前に出てくる。
     ウガンダのルグガが先頭で10mリードしてロードへ

2.3km−ザイールのコージが10mリード。中山が大集団の先頭に出てくる。

解説・宗茂「日本で一番の期待は中山。昨年(87年)の福岡のような攻めのレースが
      出来れば中山のもの」と話す。

4km−コージが集団に吸収される。中山、クベルンモ(ノルウェー)、ブラ(タンザニア)
    イカンガー(タンザニア)が前で集団を引っ張る。

5km−15分29秒
     実況.羽佐間「意外や意外。ペースがゆっくり」
         宗茂「予定より明らかにスロー。」  集団は約30人。
     
この年のボストンで2時間8分43秒を記録し優勝したフセイン(ケニア)が
前に出てくる。

「スローになると暑さに強いイタリア勢、特にボルディンは要注意。
 中山はタイムが良くなればなるほど優勝のチャンスがある。
 遅くなると、誰でもチャンスが広がるからきつくなるはず」宗茂

10km− 30分32秒(15分03秒)
      アフリカ勢が前に出てくる。
      ブラ、イカンガー、サラ、キプサング(ケニア)、フセインら
      中山は中段、新宅と瀬古は後方で集団につく。集団は依然30人前後。

「ペースが上がりましたが・・」羽佐間
「下り坂だけに14分40秒台で行くと思っていたが、やはり予想より遅い」宗茂

15km− 45分57秒(15分25秒)

      フセイン先頭。集団はダンゴ状態。イカンガー、ブラのタンザニア勢、
      エレラ(メキシコ)、モンドラゴン(メキシコ)のメキシコ勢が前に。

      漢江に出てフリーウェイを走行。観衆がいなくなる。

16.4km− 前回(ロス五輪)銀メダリスト・トレーシー(アイルランド)が脱落。
        重い足取りで不調が見てとれる。

羽佐間「中山の表情は?」
宗茂 「中山はかなり余裕を持って走っている。」

20km−1時間01分26秒(15分29秒)
      
     イカンガー先頭。集団約25人。ペースが上がらない。
     依然イカンガーとモンドラゴンが交互に先頭に出てくる。

21.9km−ペースは上がっていないが、サバイバルのように少しずつ
       集団から脱落者が出始める。
       フォスター(イギリス)、モンドラゴン、そしてついにフセインが後退。

集団は16人に
 イカンガー、サラ、エレラ、モネゲッティ(豪州)、ボルディン(イタリア)、スペディング(イギリス)
瀬古、新宅、中山、キプサング、ポリ(イタリア)、カシャポフ(ソビエト)、
ラモツ(ハイチ)、ペーター(東ドイツ)、ワキウリ(ケニア)

23.9km−フリーウェイの上り坂で新宅が最後尾から10m遅れる。
       苦しい表情に。カシャポフ、ラモツ、ポリ、が脱落。

24.3km−新宅が集団に復帰。合計13人に。

25km−1時間16分57秒(15分31秒)
     
      イカンガー先頭。中山が後方へ下がる。フリーウェイのため観衆の声援
がない。キャステラ、新宅が最後尾で苦しい。

「中山は余裕を持ちすぎ。ベストポジションを早くつかんだ方が良い」宗茂

26.3km−新宅が力尽きる。前半健闘したキプサングも脱落。

27km− 集団は11人。 新宅は後方50m。

29.2km−エレラが後退。前半健闘したメキシコの二人がいなくなる。

29.7km−ボルディンがペースアップ。先頭に出て集団を引っ張る。
       初めて集団が縦長の展開に。
        イカンガーースペディングーワキウリーサラー瀬古ー中山の順の列



30km−1時間32分49秒(15分52秒)

     キャステラの足取りが重く、ついに後退。集団は7人。
     サラ、中山、瀬古、イカンガー、スペディング、ワキウリ、ボルディン

「スパートに反応する中山の対応が鈍い。」宗茂

30.8km−ついに瀬古が先頭集団から後退。その差20m。

中山が先頭に出てくる。集団は6人。

31.5km−スペディングが脱落。 瀬古は先頭から50m差。瀬古の前にキャステラが出る。

32.3km−スペディングが集団に追いつく。後続は追い上げたモネゲッティが
       キャステラを捕らえ7位。キャステラ8位。瀬古9位。

「5kmが15分52秒かかってこれだけきつそうだから相当暑さが堪えている。」宗茂

35km−1時間48分25秒(15分36秒)
     
      サラ、中山が先頭。スペディングが給水で脱落。

35.5km−イカンガーも脱落。 ついに集団は4人へ。

羽佐間「放送前半でイタリア注意という意見がありましたね。」
宗茂 「イタリアの3人は実力がある。一人はまともに走ると思ってました。」

 瀬古は9位。新宅は13位で35kmを通過。

36.7km− 「中山、後ろに下げたのか!」羽佐間
        「あっ、中山遅れましたね。」宗茂
        「遅れた、遅れた」羽佐間

「今日は中山らしさが全然でていなかった。スローだったから前半に足を使って
だいぶ足にきているかもしれない。」 宗茂

37.7km− ボルディン脱落。 サラがロングスパートをかけている。

38km−ワキウリがサラから遅れる。サラ、スパートでトップに。

39.3km−サラからワキウリまで50m。ワキウリからボルディンまで20m差。
        中山は230m遅れで4位。




40km− 2時間03分35秒(15分10秒)

      ボルディンがワキウリを交わし2位へ。サラとの差は50m。

40.6km−サラの足取りがおかしい。まったくピッチが上がらない。
       ボルディンがサラを交わし先頭へ。サラはペースダウン。

40.9km−ワキウリがサラを抜き2位へ。サラは3位。

羽佐間「中山がサラを抜く可能性は?」
宗茂 「しかしあと残り1kmしかない。2kmくらいあれば・・」

2時間09分23秒ー ボルディンがソウルオリンピックスタジアムへ

ゴールーイタリアが五輪史上初、男子マラソンを制覇。2時間10分32秒。
    2位がワキウリで自己新記録。 3位はサラ。
    中山はサラに6秒遅れの4位でメダルを逸した。瀬古は9位。新宅は17位。



第24回 ソウル五輪 男子マラソン 成績
(五輪記録) 2時間09分21秒 ロペス(ポルトガル) 1984年

1、2時間10分32秒 ボルディン(イタリア)
2、2時間10分47秒 ワキウリ(ケニア)
3、2時間10分59秒 サラ(ジブチ)

4、2時間11分05秒 中山竹通(日本・ダイエー)
5、2時間11分49秒 モネゲッティ(オーストラリア)
6、2時間12分19秒 スペディング(イギリス)
7、2時間13分06秒 イカンガー(タンザニア)
8、2時間13分07秒 ド・キャステラ(オーストラリア)

9、2時間13分41秒 瀬古利彦(日本・エスビー食品)
10、2時間13分49秒 カシャポフ(ソビエト)
11、2時間13分58秒 エレラ(メキシコ)
12、2時間14分08秒 キャンベル(ニュージーランド)
13、2時間14分40秒 ネイブール(オランダ)
14、2時間14分44秒 フィツィンガー(アメリカ)
15、2時間14分53秒 テンカテ(オランダ)
16、2時間15分20秒 ピッツォラート(イタリア)
17、2時間15分42秒 新宅永灯至(日本・エスビー食品)
18、2時間15分44秒 金元卓(韓国)
19、2時間16分07秒 ポリ(イタリア)
20、2時間16分15秒 ラモツ(ハイチ)

主な途中棄権
トレーシー(アイルランド)
フセイン(ケニア)




ロス、ソウル、バルセロナはもっとも日本勢が金メダルを期待した
大会だろうな。日本マラソンの頂点期間。
313ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/21(月) 23:42:43
>>11 職人さん、ちょっとした訂正

J. フォスター(NZ)2.12.17.8 福岡
が抜けています。またアルダーの記録はエディンバラ(英連邦)のものです。
314ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/22(火) 10:23:29
しかし、ロスのロペスの記録はまだ五輪記録か・・。
いかにあのレースが凄かったかわかるな。
315ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/22(火) 11:25:40
1967年の上位ランキング4強

1.デレク・クレイトン(豪)2:09:36.4 福岡=歴代1位
2.佐々木精一郎(九州電工)2:11:17.0 福岡=歴代2位
3.デービッド・マッケンジー(NZ) 2:12:25.8 福岡=歴代5位
4.君原健二(八幡製鉄)2:13:33.4 別府=歴代6位

因みに当時の歴代11傑は上に挙がらなかったもの以外では

3.重松森雄(福岡大)2:12:00.0 ウィンザー 1965
4.アベベ・ビキラ(エチオピア)2:12:11.2 東京 1964
7.寺沢徹(クラレ)2:13:41.0 ウィンザー 1965
8.アラスター・ウッド(豪) 2:13:45 1st Inverness-Forres 9Jul 1966
9.バジル・ヒートレー(英) 2:13:55 1st Chiswick 13 Jun 1964
10.マイク・ライアン(NZ) 2:14:04.6 1st Fukuoka 27 Nov 1966
11.広島日出国(旭化成) 2:14:05.2 2nd Fukuoka 27 Nov 1966


316ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/22(火) 21:08:27
記録から見る最強選手ランキング

さてこのシリーズの初代スレッドにTrack&Fields誌の実力ランキングによる
史上最強ランナーのランキングがあったが、そのランキングは主観による上
に、2002年以降のランキングがない。ここで67年以降の年次別ランキングから
高速マラソンのランキングを作製することで最も速い選手を明らかにすること
を試みよう。ポイントは各年で1位10点、2位9点、、、10位1点等とする。
従って最も長く高速レースで活躍した選手が明らかになる。

ランキングは以下の通り

1位 ド・キャステラ(豪州)55
2位 ビル・ロジャース(米)52
3位 H.ハヌーシ(モロッコ=>米)48
4位 瀬古利彦(日本)44
5位 F. ショーター(米)41
6位 R. ヒル(英) 39
7位 D. クレイトン(豪)38
8位 J. イカンガー(タンザニア)37
9位 ゲブルセラシエ(エチオピア)36
10位 中山竹通 (日本)32

である。尚次点(11位)はJ.ファリントン(豪)、A.ピント(ポルトガル)、
F. リモ(ケニア)の30点であった。注目すべきは3年連続ランキング1位の
ゲブレシラシエであり、既に9位にランクインしており、記録の上で史上
最強になる日は近い。

その他、主な日本選手は
宇佐美彰朗26点、宗茂23点、伊藤国光20点、谷口浩美19点、宗猛18点、
佐々木精一郎17点、采谷義秋14点、児玉泰介、森下広一10点等である。


317316:2008/01/22(火) 21:12:57
因みに21世紀になって年度別ランキングで10位以内に入った日本人は僅かに
油谷、高岡、佐藤敦之を数えるのみである。
318316:2008/01/22(火) 21:54:36
ゲブレシラシエは今年のドバイマラソンで4分台の好記録で優勝して4年連続
ランキング1位が濃厚である。そうなれば通算ポイントで4位になる。4年連続
は勿論のこと3年連続ランキング1位も66年以来初めての快挙である。
319ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/22(火) 21:58:35
上位をみるとショーター以外は五輪に縁がない選手ばかりですね。
320316:2008/01/22(火) 22:18:27
五輪メダリストのポイントを列挙しよう。メキシコ五輪ではキャリア前半の
カウントがしにくいので分かっているポイントだけを掲げる。

マモ・ウォルデ(メキシコ金、ミュンヘン銅)0
君原健二(メキシコ銀)8+
M.ライアン(メキシコ銅)10+ (66年ランキング1位)
F.ショーター(ミュンヘン金、モントリオール銀)41
K.リスモン(ミュンヘン銀、モントリオール銅)22
W.チェルピンスキー(モントリオール金、モスクワ金)10
G.ネーブール(モスクワ銀)10
S.ズマナザロフ(モスクワ銅)0
K.ロペス(ロス金)27
J.トレーシー(ロス銀)5
C.スペンディング(ロス銅)9
G.ボルディン(ソウル金)10
D.ワキウリ(ソウル銀)8
A.サラ(ソウル銅)21
黄永祚(バルセロナ金)12
森下広一(バルセロナ銀)10
S.フライガング(バルセロナ銅)4
J.チュグワネ(アトランタ金)9
李鳳柱(アトランタ銀)18
E.ワイナイナ(アトランタ銅、シドニー銀)0
G.アベラ(シドニー金)0
T.トーラ(シドニー銅)2
S.バルディーニ(アテネ金)3
M.ケフレシギ(アテネ銀)0
V.デ・リマ(アテネ銅)7

である。

アベベの時代にまで拡大すると
アベベはかなり上位にランクされるのかな
時代背景を考えれば、史上最強の有力候補でしょ。
323ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/23(水) 23:30:16
アベベはこういう統計を取ると実働4年(60-62,64)なのでトップに立てないでしょう。

今日はトップ10に占める選手の所属地域の推移を見ましょう。ここでソ連(ロシア)、
トルコはヨーロッパに分類します。アジアは日本を含みません。アフリカには
ケニアを含みます。
       68-72 73-77 78-82 83-87 88-92 93-97 98-02 03-07
日本 15 4 13 11 5 2 4 1
アジア 0 0 0 0 2 5 2 0
オセアニア 7 5 6 5 4 1 0 0
欧州 22 19 8 20 12 19 9 4
北米 4 18 18 1 1 0 0 0
中南米 1 1 3 1 9 8 1 0
アフリカ 0 3 2 12 17 15 34 44
ケニア 0 0 0 1 3 9 20 35

但しハヌーシのように国籍を変えた選手は元の国籍を表示しています。
324323:2008/01/23(水) 23:47:25
ずれたけど傾向は以下の通り
日本は68-72,78-87に全盛。オセアニアは92まででそれ以降不振。欧州は堅調も
徐々に低落傾向。北米は73-82が全盛でそれ以降は全くの不振。中南米は88-97に
好調だがその波は去る。近年は殆どアフリカが10傑を占め、その中でもケニアだ
けで7割を占める。といったところである。
今年の北京五輪、間違いなく大本命はゲブだと思うが、大会前の本命は勝てないのも五輪。
過去にはクレイトン、ヒル、モントリオールのショーター、キャステラ、瀬古、中山、サラ、セロン、
テルガドなどなど皆、ダメだった。
これでゲブが金なら文句なしだろうが、確率は50%くらいだろう。
それとも故郷の大先輩、アベベのようになれるか?
326ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/25(金) 22:14:48
アベベもローマでは全くの無名。東京ではちょっと前に手術したばかりだった
から必ずしも本命ではなかった。戦後で本命の優勝というとモスクワのチェルピンスキー
くらいかな。ロスのロペスも3番手の評価であったけど本命とは言えなかった。
327ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/25(金) 22:16:47
本命もなにも本人が喘息で出ないって言ってるのにwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>327
回避ということはスタート地点に立たないわけだから最強うんぬん語るランナーに値しないよ。
そんなこといったら高地メキシコで絶対本命のクレイトンが回避するのと一緒。
彼は果敢に適正でないのをわかっていても出ただけゲブより上。
今の時代、「最速」ランナーはゲブのように現れても「最強」はいない気がする。
ペースメーカーでの冬マラソンはなんかトラックの延長のようだし、五輪の夏マラソンを環境の理由で
取やめるのも今後、出てくるだろう。瀬古の時代でマラソン「最強」のランナーは終わってるよ。
>>326
モスクワはソビエト3人(モセーエフ、コトフ、ジュマナザロフ)の方が評判高かったようですよ。
リアルでないんだけど陸マガのバックナンバー読むと、2連覇の期待がかかるという感じで、
ロスのロペスくらいの評価ではないかとかんがえられます。


そう考えると五輪は本当に本命がなかなか勝てませんね。
331ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/26(土) 10:41:18
本当に本命が五輪で勝ってないな。
夏に強い谷口は世界大会で優勝(91世界陸上)、入賞(8位 バルセロナ五輪)があるが、
冬マラソンでは瀬古、中山より格下感があったし。
332ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/26(土) 10:58:58
>>331 世界選手権は結構本命が勝っているよ。第一回からしてガチの本命の
ド・キャステラが圧勝してロスの大本命であることを再確認させた(瀬古は
だいぶ差のある二番手)。セビリアのアントン、エドモントンのアベラも
本命だったろう。
333ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/26(土) 13:07:24
>>332
世陸って2年に1回開催だからか、または五輪の本番に備えてか、本命があまりプレッシャーを
感じずに走れる大会の印象があるんだよな。
1、2回大会は4年に一度だが、日本の有力どころが全く出てないからな。1回大会はキャステラだが
2位バルチャだし、8分台ランナーはキャステラだけだし、力の差があり過ぎたよ。
334ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/26(土) 18:44:41
しかし、ゲブには正直ガッカリしたなあ。
これで五輪マラソン金が加われば、
マラソンに限らず長距離ランナー史上最強とも呼べたのに
自分からしっぽをまいて逃げる(ように思える)とは。
335ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/26(土) 19:47:19
>>334 大体コメントが矛盾している。「喘息持ちで五輪回避でロンドンを目指す」
と言っているが、そもそも去年の棄権に懲りてロンドンは二度と走らないと公言し
ている。そのときに駄目だった理由をひねり出すために大気汚染のせいとしたのだ
がそれほど根拠のある話ではない。そんな矛盾したうそ臭いコメントを信用せず
北京回避が本当かどうかはもう少し待った方が良いと思う。
336ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/26(土) 20:31:03
>>335
単純に賞金(ロンドン)をとったとしか思えないなあ。
門下生育成とかで多額の資金でも必要なのかと考えてしまう。
確かに“回避”が本当なのかどうか・・・
337ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/26(土) 22:31:10
>>334
>>335
>>336
結局、五輪出場の価値が低下してきたんだね。
アマチュア全盛の五輪参加とはもう比べられないんだよ。
ゲブなんて五輪で好成績をあげなくっても
賞金レースの参加料には影響ないだろうし。。

だからこそ、近年のランナー(特にアフリカ勢)が
このスレで多く語られない原因だと思うよ。
338ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/26(土) 22:38:44
2008.1月現在  男子マラソン  世界歴代パフォーマンス10傑

1 2:04:26 Haile Gebrselassie (ETH) 18.04.73 1 Berlin 30.09.2007
2 2:04:53 Haile Gebrselassie (ETH) 18.04.73 1 Dubai 18.01.2008
3 2:04:55 Paul Tergat (KEN) 17.06.69 1 Berlin 28.09.2003
4 2:04:56 Sammy Korir (KEN) 12.12.71 2 Berlin 28.09.2003
5 2:05:38 Khalid Khannouchi (USA) 22.12.71 1 London 14.04.200
6 2:05:42 Khalid Khannouchi (MAR) 22.12.71 1 Chicago 24.10.1999
7 2:05:48 Paul Tergat (KEN) 17.06.69 2 London 14.04.2002
8 2:05:50 Evans Rutto (KEN) 08.04.78 1 Chicago 12.10.2003
9 2:05:56 Khalid Khannouchi (USA) 22.12.71 1 Chicago 13.10.2002
9 2:05:56 Haile Gebrselassie (ETH) 18.04.73 1 Berlin 24.09.2006
339ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/26(土) 22:44:00
アベベはこういう統計を取ると実働4年(60-62,64)なのでトップに立てないでしょう。

今日はトップ10に占める選手の所属地域の推移を見ましょう。ここでソ連(ロシア)、
トルコはヨーロッパに分類します。アジアは日本を含みません。アフリカには
ケニアを含みます。

       68-72 73-77 78-82 83-87 88-92 93-97 98-02 03-07
日本      15   4    13   11    5    2    4    1
アジア     0    0    0    0    2    5    2    0
オセアニア  7    5    6    5    4    1    0     0
欧州      22   19    8   20    12   19    9    4
北米      4    18   18    1    1    0    0    0
中南米     1    1    3    1    9    8    1    0
アフリカ    0    3    2    12    17   15   34   44
ケニア     0    0    0    1    3     9   20   35
340ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/26(土) 23:15:01
>>339 変換Thanks.
>>337
同意。
ゲブレセラシエはもう世界大会で何回も金メダルとってるからね。
あえて厳しい夏マラソンに出てまで、メダルを取る必要はないんじゃないか?
まぁ確かに世界大会のマラソンで優勝すれば、さらに『皇帝』としての価値は高まるのは確かだが……

でもアフリカ勢は実質なryマラソンが弱いわけじゃないっしょ。
3大会連続五輪入賞のワイナイナ、アジアを圧勝して大阪で2位に食い込んだシャミもいる。
そしてシャミを押さえて勝ったキベトにいたってはケニアのマラソン選手では中堅ランナー。
近年ではエチオピアのアベラが五輪・世陸を連覇してるし。
ケニアやエチオピアにいる何十というサブテンランナーの耐熱性を見極めて
夏のマラソンに出れば冬同様にアフリカの独壇場になるだろうな
343ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/29(火) 20:59:45
ゲブルセラシエは北京五輪を回避するなら、残念だが「最強」とはいえないよ。なんか残念だよ。
>>337
同感。
確かにゲブならギャラ(出場料)には影響しない。
しかし、最強にもっとも近いと思われる選手が
マラソンの世界大会に出てこないのは残念。
345ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/31(木) 01:11:09
>>344

このまま五輪回避だとゲブは五輪参加できなかったハヌーシと同じような評価か。
いくらトラック王者でも世界大会回避は「最強」評価ガタ落ちだろ。
346ゼッケン774さん@ラストコール:2008/01/31(木) 08:10:11
>>345 何れマラソンランナーとしては忘れられる。或いはマニアの中では
チキンハートとかお膳立てがないと走れない高速マラソンだけ強かった
まがい物として記憶されるだろう。五輪と世界選手権を回避して「最強」
はあり得ない。
森下―銀メダル 

第25回 バルセロナオリンピック 男子マラソン レース展開
1992年8月9日 18時30分スタート NHK衛星生中継
70カ国 112人参加
(実況)島村俊浩 (解説)伊藤国光

参加選手ベスト5
1、 2時間07分07秒 サラ(ジブチ)
2、 2時間07分35秒 メコネン(エチオピア)
3、 2時間07分40秒 谷口浩美(日本)
4、 2時間07分51秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
5、 2時間08分01秒 イカンガー(タンザニア)

スタートー 前年の東京世界陸上でも前半を飛び出したクバ(キューバ)が前に出てくる。
   島村「宗茂・旭化成監督は34km過ぎが勝負と言っているが。」
   伊藤「30km過ぎに下りがあり、そこが勝負の分かれ目になるのではないか。
その次に茂監督が言うように34km過ぎになると思う。
(日本勢は)いかに前半を押さえて体力の消耗を少なくするかがポイント。」
   島村「森下は100%の練習消化。茂監督は「完璧」と言っていた。」

5km− 16分02秒。 クバ、ロバート・ナーリ(タンザニア)、イカンガー(タンザニア)、黄永祚(韓国)あたりが前方で通過。集団は50人以上。
      伊藤「これから(ペースを)一気に上げるというのは勇気がいりますね。」

10km−31分58秒(15分58秒)
森下が前に出てくる。給水により集団が縦長に。まだ50人。ナーリ、スワトブーイ(ナミビア)、イカンガー、サントス(ブラジル)が先頭に出てくる。

14km−ブラジルのソーサが集団の中で転倒。
15km−48分16秒(16分18秒) 
   伊藤 「このままだと2時間15分の優勝タイム。集団の中で疲れない走りが重要。
       集団のほとんどの選手に優勝するチャンスが出てきてしまう。」
集団は相変わらず50人前後。ペスルケ(ポーランド)、セロン(メキシコ)、メコネン(エチオピア)も集団の前方。

17km−ド・キャステラが第二集団。50m遅れ。その後ろにピタヨ(メキシコ)。
18km−フルク(ポーランド)が飛び出す。20mリード。すぐにポルトガルのピントが追いつき、後続集団もまもなく合体。

20km−1時間04分00秒(15分44秒)
     給水で黄がリード。給水前でスーッと縦長になり、また集団に戻る。
(中間点―松本リポートアナ)
「中間点は1時間07分20秒くらいで通過。30−40人の大集団。森下、谷口、中山  
は確実に集団の中にいる。表情は中間点だけに、まだ疲れた表情にはなっていない。」

22.5km
島村「給水のVTRを紹介します。一人、転倒しました。転倒したのは・・・
   アット!! 谷口! 」
伊藤「谷口ですね。」
島村「谷口 転倒! 靴が脱げた。」「・・・靴を履く。給水に失敗しました谷口。」
伊藤「靴紐をしっかり縛っていますからねぇ。このロスを取り戻せるといいのですが・・」
島村「30秒のロスがありますか」
伊藤「30まではないと思います。20秒はありますね。」

中山が先頭に出てくる。 谷口がサングラスを投げ捨てる。

伊藤「(谷口は)できれば焦らないで欲しいのですが・・早く追いつくのも大切ですね。」
先頭集団とは13秒差。

23.8km−先頭集団からイタリアのベッティオルが飛び出す。

23−24km 2分56秒にペースが上がる。
伊藤「(ベッティオルは)勝負にでてますね。」 15mリード。

集団が縦長に。谷口はポツン。ポツンと集団から離れた後続に追いつく。

25km−1時間19分23秒(15分23秒)
     森下がペースアップ。ベッティオルを追い上げ始める。黄、セロン、金完基(韓国)が森下についていく。
中山は金在龍(韓国)と共に森下以下4人から10m遅れ。
森下がベッティオルに追いつき、集団は5人。
25−26kmは3分のペース。 すぐにベッティオル、セロンが離れ始める。
森下、黄、金のアジア勢の優勝争いとなる。
第三集団はメコネン、サラ、フライガング(ドイツ)、フルク、サラ(モロッコ)他8人。
イカンガーはさらに後ろ。イカンガーの後方に谷口。

26−27km 3分。 ベッティオルが単独4位。セロンが脱落。トップと10秒差。
28km−金在龍、中山がセロンに追いつく。中山6位に。

30km−1時間34分41秒(15分18秒)
     中山は19秒差の6位。谷口13位で33秒差。

31km−中山が金を突き放し5位に浮上。伊藤「中山、(追って)きてますよ」
32km−中山がベッティオルを抜き4位へ。先頭と7秒差。
     島村「中山が上がってきました」
     伊藤「後ろが全体に(先頭を)追い上げている」4位ベッティオル、5位にフライガングが上がってくる。
     伊藤「中山がじりじりと追い詰めている感じ。」

33.6km−金完基がついに後退。脇腹を押さえる。森下ペースアップ。黄と一騎打ちとなる。
34.2km−フライガングが中山に追いつき、金完基を抜き去る。中山3位、フライガング4位。
島村「勝負強さは森下。粘りは黄。」フライガングが3位に。中山後退。

35km−1時間50分00秒(15分19秒)
     ベッティオルが中山に追いつき、4−5位争いに。  気温は28度。

36km−金在龍と並んで谷口は8位。先頭と57秒差。
島村「35−36kmが3分16秒、36km−37km3分15秒。3分前半できた時と比べると、今はのぼり坂ですからね。」
スペイン広場手前―黄がスパート。森下の表情が苦しい。懸命に追いつく。

38.5km−モンジュイクの丘に入る。
      伊藤「(森下は)登りは自信があると思いますよ。走り方も適している。
森下はグランド勝負を考えているかもしれない。」

39.9km−
島村「前が韓国の黄永祚です・・黄永祚、スパートしたか! その差が1mつきました」
伊藤「おかしいですね??」  島村「スパートした!」
島村「森下ついていけるか! ついていけるか! 2mから3m その差が開いた。
   下り坂を利用してスパート! スパート!! 今、40kmを通過しました。」

40km−2時間06分33秒(16分33秒)

41km−中山がフライガングをかわして3位に浮上。3位争いが激しくなる。
     黄が森下を15mリード。

2時間12分16秒―黄がスタジアムに戻ってくる。森下20秒差。
中山がフライガングと共に3位でスタジアムへ。約40秒差。

黄永祚が孫基禎以来、2人目の韓国人として優勝。2時間13分26秒。
バックストレートで中山がスパート。フライガングを引き離す。単独3位。
2位で森下がゴール。68年メキシコ五輪、君原健二以来24年ぶりに銀メダルを獲得。
タイムは2時間13分45秒。

伊藤「あっ!中山君が・・・」
島村「中山、抜かれた!!」 3位フライガング、中山は2大会連続で4位入賞。
谷口が8位に入り、日本五輪史上、初の全員入賞を果たした。


バルセロナオリンピック  男子マラソン  成績

1、2時間13分26秒 黄永祚(韓国)
2、2時間13分45秒 森下広一(日本)
3、2時間14分00秒 フライガング(ドイツ)

4、2時間14分02秒 中山竹通(日本)
5、2時間14分15秒 ベッティオル(イタリア)
6、2時間14分25秒 コカイシュ・サラ(モロッコ)
7、2時間14分32秒 フルク(ポーランド)
8、2時間14分42秒 谷口浩美(日本)
9、2時間14分56秒 ガルシア(スペイン)
10、2時間15分01秒 金在龍(韓国)
11、2時間15分19秒 ハンニネン(フィンランド)
12、2時間15分21秒 スペンス(アメリカ)
13、2時間15分23秒 アイストン(アメリカ)
14、2時間15分46秒 メランデ(ケニア)
15、2時間15分47秒 ファンダーレン(オランダ)
16、2時間15分51秒 ウィルソン(ニュージーランド)
17、2時間15分53秒 ケンパイネン(アメリカ)
18、2時間16分23秒 ガベラ(スペイン)
19、2時間16分34秒 デビッド(チェコ)
20、2時間16分38秒 ベブロ(ポーランド)

26、2時間17分44秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
28、2時間18分32秒 金完基(韓国)
30、2時間19分04秒 サラ(ジブチ)
34、2時間19分34秒 イカンガー(タンザニア)
36、2時間19分38秒 ワキウリ(ケニア)
37、2時間19分49秒 フセイン(ケニア)
48、2時間23分42秒 モネゲッティ(オーストラリア)
51、2時間24分11秒 トレーシー(アイルランド)

途中棄権  メコネン(エチオピア)、セロン(メキシコ)


351ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/01(金) 00:16:53
森下はこのバルセロナが現役最後のマラソンになるとはな。
谷口はロスタイム20秒を引くと5−6位争いかぁ。
集団にいれば対応が変わってくるから、中山との3位争いには
絡んでくれたのか微妙かな。
352ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/01(金) 00:21:35
>>351
黄永祚もこの後、怪我をしてボストンで4位かなんかになったのが最後じゃないかな。
円谷にしても五輪で活躍しても競技歴が短命のケースも多いよ。
ゲブレ フランクショーター 瀬古 中山 
ガブリ アベラ アントン フィス

他に思いつかない、  80年代で誰かいたら挙げて

60年代 アベベ辺りは、どうしても選手層薄いなかでの勝負なので
挙げなかった。 それ行ったら、アフリカ勢がまだ少なかった、
80年代までもそうなんだけど・・・・
354ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/01(金) 21:07:08
>>353 そのリスト変だよ。2行目の選手は最強には程遠いし、1行目も中山には
資格がない。瀬古を殆ど全ての点でド・キャステラが上回っているし。

>>350 乙。バルセロナには五輪前に行って、モンジェイックの丘の険しさに
驚いたよ。日本では絶対にマラソンコースにしない独立峰(ちょっと大袈裟)
だよ。アトランタにも住んだことがあるけどアパラチア山脈の南端で丘陵
地帯という表現が相応しい。軽井沢に似た感じ。だけど森の中から急に高い
ビルやモールが現れるのが面白いところ。アテネは言うに及ばずシドニーも
難しそうなコースだった。そういうコースを避けている都市型高速ランナー
はやっぱり方輪だよな。今度の北京は久しぶりのイージーコースだから天候
がそこそこだったら驚く程の高速レースになるかもしれない。
355ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/01(金) 22:07:34
80年代は瀬古、キャステラ、イカンガーの3選手がもっとも安定した力を
発揮していた。年度別世界ランキングを見ていくと、

この間で多くランクインしているのは

7回 ド・キャステラ(オーストラリア)
    (81年@、82年B、83年@、84年B、85年F、86年A、88年I)

6回 瀬古利彦(日本)
    (78年C、79年B、80年B、81年A、83年A、86年G)

   イカンガー(タンザニア)
    (82年D、83年C、86年D、88年E、89年@、90年G)

対戦成績は
瀬古 VS キャステラ 2勝2敗 (80年福岡、87年ボストンで勝利)

瀬古 VS イカンガー 3勝2敗 (83年東京、83年福岡、87年ボストンで勝利)

キャステラ VS イカンガー 4勝3敗(判明分)

瀬古はロスとソウルでの惨敗で両選手に2敗づつを決している。
イカンガーとキャステラはロス、ソウルでは順にゴール
しているのも面白い結果になっている。


356ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/01(金) 22:08:51
モネゲッティ(豪)
ルソー(ベルギー)
セロン(メキシコ)
90年代前〜中盤に活躍した選手。
コンスタントに好記録&安定した成績を残した。
日本の主要マラソンでも颯爽と駆け抜けた
だがしかし、悲しいかな
彼らに対抗できる日本選手が当時いなかったせいで
イカンガーやキャステラ、サラーほど印象を残す事はなかった。

357ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/01(金) 22:09:46
しかし80年代は日本マラソンの黄金期だったな。
谷口、森下の後は本当に暗黒期だったし……

暗黒期の90年代に世界的な実績を残したのは、
実業団入りしてたエリック・ワイナイナぐらい。
佐藤が銅メダルを取ったが一流には少々足りない、どちらかと言えば一発屋だった。
犬伏の日本記録も、本人の坐骨神経痛で絶頂期は短かったし。
6回大会で初招待されたフランク・ショーター(アメリカ)はマラソン3回目で24歳。
すでにアメリカ長距離では代表的なランナーであった。
同年(71年)の全米マラソンが初マラソン。
ムーアに続いて2位。(2時間17分44秒0)
同年8月のコロンビアで開催されたパン・アメリカン大会のマラソンでアメーバ赤痢にかかり、
途中の橋の下で用を足した。すでに先頭は遥か前方。しかし力の差を見せ付け逆転。
2時間22分47秒0でマラソン初優勝。
2位ガスパー(メキシコ)に3分50秒差をつけた。
その後の福岡初挑戦という流れ。
パート1でもさんざん話題になった1974年毎日マラソンでのトイレ騒動だが、
すでにマラソン2回目でもショーターは実施してた。
宇佐美が後年、ショーターについて
「初めて福岡でショーターと走ったときは、トラック走者の印象が強かった。
ミュンヘン五輪のときは粘って彼の後ろにつけば根負けすると思っていた。
ところが、五輪本番は上体をやや立ち気味にさせ完全にロード走者に
なっていた。戦法も15kmまでトップ集団を引っ張り、他のランナーが
「そろそろハイペース過ぎるのでペースを落とさなければ・・」と思った先に
スパート。一瞬のスキをつかれて差を広げられ、もう誰も追いつかなかった。
マラソンにスピードと合理性を持ち込み、福岡の体験がより、したたかなランナー
にしたランナーだったと思っている。」と言っている。

60年代、70年代の最強ランナーはアベベ、ショーターで間違いないだろう。
360ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/01(金) 22:20:56
>>358 毎日マラソンの野糞事件は73年な。
ショーターってミュンヘンからモントリオールまでの時期を多く語られ、最強と位置づけているが、
モントリールの後も現役を続けている。モスクワ五輪も目指したが、怪我が多く精彩を欠き、
79年のボストンは79位、2時間21分56秒もかかる。この頃はまったく走れていないと
酷評だった。だから晩年の成績はボロボロ。
アフリカ勢で抜けて強いのはケニアとエチオピアだけど、
エチオピアは内戦突入前に今でも最強ランナーの一人といわれるアベベが出てる。
ゲブレセラシエやベケレといったランナーを出しても、やはりアベベの知名度は未だ高い。
内戦がなければ、もっと早くから世界レベルのランナーを輩出していたはず。

ケニア勢の層が厚くなったのも10〜15年前ぐらいからじゃないかな。
ヱスビーのワキウリ、ついでコニカのワイナイナが活躍したことで大きく認知されるようになったと思う。
そのワキウリは瀬古に憧れてヱスビーに来たらしいし、ワイナイナはワキウリに憧れて日本に来た。
トラックやマラソンでは日本のように平均レベルが高いが、スピードが違う(エチオピアの場合は量より質)

南アフリカやタンザニアと言った辺りも時々強いランナーが出るが、この2カ国に比べると少ない。
タンザニアは90年代前半にイカンガー、20世紀に入ってバヨやラマダニがでたが、存在感はイカンガー以外は今ひとつ。
南アフリカは1999年に東京国際マラソンで最も派手な勝ち方をした一人のゲルト・タイスをがいる。
しかしそれ以外のマラソン選手の影はどちらかというと現在では薄い。
千葉国際駅伝を2勝しているように、トラックのレベルは比較的高い水準だと思う。
363ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/01(金) 22:27:22
ロバート・ド・キャステラ(オーストラリア)

自身6回目のマラソンとなった81年福岡国際で、初めて2時間10分を切る
とともに2時間08分18秒を記録し、12年ぶりにクレイトン(オーストラリア)
の世界最高記録を最新。(サラザールの記録抹消のため)
83年のヘルシンキ世界陸上は優勝候補筆頭の重圧を撥ね退け、見事に初代王者に
つく。確かに華麗な経歴の持ち主であるが、次のローマ世界陸上では途中棄権。
オリンピックでは、80年モスクワ10位、84年ロサンゼルス5位、88年ソウル
8位、92年バルセロナ26位と入賞こそしているものの、メダリストには
なれなかった。86年ボストンで出した2時間07分51秒の自己記録を含め、
2時間10分を8回切っており、きわめて堅実で馬力のあるフォームであった。
84年ロサンゼルスオリンピック時は瀬古ではなく、このキャステラが優勝候補
の一番手に挙がっていた。


364ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/01(金) 22:30:59
>>362 >>339を見な。ケニアのマラソンランナーで影響力があったのは88年
からボストン3連覇をしたイブラヒム・フセインだよ。ワキウリの影響も
大きいけどプロランナーとしてマラソンで飯が食えることを示したフセイン
の方が大きい。それまではレース数が少なくて一回のダメージが大きいマラ
ソンよりトラックの長距離レースの方が割が良いというのでマラソンに本格
進出はしていなかった。
365ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/01(金) 22:44:43
キャステラって4回マラソンのオリンピック代表になってんだね。 
全盛期は86〜88だけど本当に強かったよ。その間は瀬古以上に無敵だったね
サラザール、ロペス、イカンガー、ゴメス、宗兄弟、伊藤、チェルピンスキー・・・
当時の一流ランナーを片っ端から破って優勝してるのだから強かった。
ロスの大本命だったけど駄目だったね。でも入賞はしてたね。
第30回 別府大分毎日マラソン  (1981年2月1日 開催)

(コース)
別府国際観光港スタート・ゴール 大分市鶴崎三左折り返し
(参加人数)
外国人招待8人、国内招待14人  合計746人

(レース内容)
10kmで6人(宗茂、宗猛、武富豊、ベアーズレー、レイ、マッカリー)いた先頭集団は
15km過ぎでマッカリーが、20km過ぎで武富、レイが脱落。
折り返し点で宗兄弟とベアーズレーの3人に絞られる。
しかし30km手前で宗茂が苦しくなり、2人から後退。
タイム的にも25km通過が世界最高・クレイトンのラップを上回っていたが、
ベアーズレーが優勝争いに割り込んできたため、宗猛が勝ちを意識し始める。
海沿いに出た32km過ぎ、強烈な向かい風を嫌がり、猛とベアーズレーは
風よけのため、蛇行を繰り返す。30−35kmのラップは17分を要した。
一時期、70mもの差をつけられた茂だったが、39.2kmでついに2人に
追いつく。3人の勝負になったが、40.2kmで猛が果敢にスパート。
茂だけが追いつき、ついにベアーズレーが脱落。兄弟対決となる。
41kmでは今度は茂が前に出てスパート。猛がつく。
ゴール前、観光港での100m直線道路でスプリントに勝る茂がスパート。
27回大会で日本最高を出して以来、2度目の優勝を手に入れた。
2位は猛。 3位はマラソン8回目の24歳、アメリカ・ベアーズレーが
入り自己記録を最新した。

第30回 別府大分毎日マラソン  成績

優勝 2時間11分30秒 宗茂(旭化成)
2位 2時間11分32秒 宗猛(旭化成)
3位 2時間12分41秒 ベアーズレー(アメリカ)
4位 2時間16分16秒 武富豊(神戸製鋼)
5位 2時間16分28秒 前田明篤秀(鈴木自動車)
6位 2時間17分47秒 マッカリー(アメリカ)


優勝 宗茂 ラップタイム

5km 15分07秒
10km 30分04秒(14分57秒)
15km 44分56秒(14分52秒)
20km 59分57秒(15分01秒)
25km 1時間15分23秒(15分26秒)
30km 1時間31分28秒(16分05秒)
35km 1時間48分20秒(16分52秒)
40km 2時間04分44秒(16分24秒)
2.195km 6分46秒

2時間11分30秒
364の言うように、プロとして走って飯食えるようになって、
アフリカの混乱も治まり始めて、皆が走れ、
本当に世界最強決めれるようになった時期から考えないと
意味ないと思う。
マラソン史上となると、一時凄い活躍した人がどうしても挙がってしまうが。
おまいら、知識ひけらかしはいいから
ベスト8を並べろよ。
今年まで含めて、あらゆる面で公正に考えて。
好きな人物や年代だけ並べんなよ。
370ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 00:15:49
アベラは夏にも冬にも走れる万能型で若かっただけに伸びなかったのが残念
なんで消えたの?
あの短期間だけでも00年台の最強クラスのインパクトあったけど
371ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 01:09:46
最強ノミネートは

アベベ・ビキラ(エチオピア)
デレク・クレイトン(オーストラリア)
フランク・ショーター(アメリカ)
ビル・ロジャース(アメリカ)
ロバート・ド・キャステラ(オーストラリア)
瀬古利彦(日本)
カルロス・ロペス(ポルトガル)
ゲゼンゲ・アベラ(エチオピア)
ハリド・ハヌーシ(アメリカ)
ハイレ・ゲブレセラシエ(エチオピア)


こんなところか。世界大会の実績に乏しいのはクレイトン、ロジャース、瀬古
出場していないのはハヌーシ、ゲブレセラシエ
棄権が多いのはロペス
活躍期間がわりと短いのはアベベ、ロペス、アベラ、ハヌーシ、ゲブレセラシエ

瀬古の優れてるところは勝率と満遍なく国際大会に勝っていることかな。
世界クロカン優勝、五輪1万銀、1万世界記録最新、マラソン世界記録樹立、五輪金、
現五輪記録保持者のロペスが最強と思う。
372ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 08:46:56
あとザトペックなんかはいかがでしょうか
373ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 08:58:54
>>372 ザトペックはあまりマラソン走っていない。ヘルシンキ五輪で爆走して
棄権を余儀なくしたピータース(史上初めて2時間20分の壁を破るなど何回も
世界記録を更新)の方が有名。50年代に安定して強かったのはカルボーネン
だけどまあ今の人には無名だから無視しても良いよ。アベベ以降にしないと
話がややこしい。
374ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 09:08:39
最強ランクに少し劣るのが、
ヒル、マモ・ウォルデ、リスモン、イカンガー、サラ、フィス、君原、李鳳柱あたりかな。
李鳳柱も全盛期から何年も経つけど、今期の東亜を2:08:04で快勝したんだよな。
アトランタの銀メダリストで、アジア大会を連覇したほか、ボストン・福岡を勝った事もあるアジアを代表する選手。
シドニーは前評判だと優勝候補筆頭だったが、転倒で不本意な結果に。

イカンガーは日本でもおなじみの選手。
タンザニアのマラソン記録保持者で、主要マラソンをいくつか勝っているな。
タンザニアの現在の代表する選手は日本でも2勝しているラマダニだが、
タンザニアのタイ記録どまりで、イカンガーを越える評価は得てない。

世界大会の実績はないけど、
タイスの嵌ったときの後半の強さというのも最強クラスの力があったように思う。
>>374
少し劣るどころじゃないだろ

今までで一番371が妥当じゃないか
納得する
377ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 11:17:21
漏れはマークアレンに1票
デイブスコットとの一騎打ちは今でも。。。
378ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 13:29:26
五輪2金のチェルピンスキー

379ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 13:53:03
>>378
チェルピンスキーは五輪2勝と世陸3位と圧倒的な世界大会実績だけど、議論されませんね。
やはりマモ(五輪金、3位)同様、世界大会以外はほとんど国際大会に勝ってないからだと思います。
やはり世界大会と都市型国際大会とのバランスも大切だと思います。
380ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 13:55:35
「最速」でなく「最強」なのだから勝つことが大事だよ。大会規模と勝率、対戦相手のレベルが大切だ。
381ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 13:59:36
バルセロナの森下や広島アジア大会の早田に勝ったファンヨンチョ強かったな。
382ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 16:15:27
>>379
チェルピンスキーは瀬古との直接対決で簡単に負けてましたが、
世界に強烈な印象を与える五輪で2度も優勝したことは凄いと思います。
チェルピンスキーも議論の場に出していいのではないでしょうか。
“モスクワに瀬古が出ていれば・・・”という話がありますが、
この板で読んだ職人さんのレスによると、モスクワのレースは後半かなりタフなレース展開で
「本当に瀬古なら勝てたのか?」という意見もありました。
383ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 18:20:45
>>382
モスクワは日本勢やアメリカ勢が参加したらレース展開も変わっていたかもしれないからね。
ゴメスの飛び出しで日本勢がついていって抜け出したかもしれない。
384ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 18:29:19
ゴメス・・・
いたなあ。

自国で“ゴメスクラブ”とかいうチームをつくっていたが
肝心の本人がそれほどの実績を残せなかったような・・・
385ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 19:08:42
>>385 ゴメスは強かったよ。モスクワで途中飛び出して6位になったときは
フロックだと思われていたけど
      2nd Place New York City Marathon, 1980.
· 1st Place Tokyo Marathon, 1981.
· 1st Place Athens Golden Marathon, 1982.
· 1st Place Rotterdam Marathon, 1982.
· 1st Place Oregon Marathon, 1982.
· 2nd Place New York City Marathon, 1982.

と続いたあたりは見事だった。2位になったのは当時最強と目された
サラザールに僅差で敗れたもの。またフジサンケイの第1回東京マラソン
では35キロからの軽い走りは圧巻で坂道があるにも拘わらず当時35キロ
以降最速ではと言われた。83年の東京でも瀬古の復調ぶりを疑問視する
人からは本命と言われ、実際一騎打ちになったが坂を上りきったあたり
で腹痛を起こし後退、宗猛にも抜かれたのは勝負を諦めたが故か。それ
でも自己ベスト(2.09.12.)であった。そのすぐ後のロッテルダムにも果
敢に挑んだと記憶するが惨敗でその後フェードアウトした。
386ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 19:45:34
そうかな〜
負けレースで強がりばかり言ってるイメージしかないけどな。
387ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 20:21:29
>>386
82年にアテネで開催したいとゴールデンマラソン優勝はなかなかだったよ。
伊藤国光も参加して途中、ゴメスと激しく首位争いしたけど、一気にペースダウン。
たしか9位くらいじゃなかったかな。激しい雨だったがゴメスの強さだけが目立った。
388ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 20:50:14
オレはビル・ロジャースに一票。
ボストン、ニューヨーク、福岡と当時の三大大会を総ナメにしたのは立派。
五輪に縁がなかったが、ショーターより人気面でもロジャースが上。
389ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 21:11:59
油谷の足元にも及ばないw
390ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 21:37:35
>>387 そうだね。あのときはアテネ五輪と同じコースで途中まで伊藤とゴメスのマッチレース
だったけど、山を登りきったあたりで伊藤は首を振り急にペースダウン。次々と抜かれて
9位になった。サラザールに次いで世界ナンバー2の実力を如何なく発揮したレースだった。
ありあまる実力を持ちながら世界最強で語られない中山
ムラが激しいのと世界大会での勲章がないのが残念
S・ジョーンズの「Who?」がそれを物語るね
>>385

第1回 東京NY友好 東京国際マラソン (1981年3月1日 開催)


外国人招待は
 76年モントリオール五輪6位で福岡国際3回優勝歴を持つドレイトン(カナダ)
3人目のサブテンを記録したトンプソン(イギリス)
モスクワ五輪6位ゴメス(メキシコ)
76年モントリオール五輪4位のカードング(アメリカ)

他計18人。

国内招待
79年大津毎日2位 大久保初男(大東大OB)
80年大津毎日優勝 弓削裕(旭化成)
78年バンコクアジア大会優勝 阪本峰照(日本鋼管)

他計20人   合計89人

気温8度、湿度50% 無風

最初の5kmが16分15秒というスローペースで始まる。
まず千葉正人(東急)が飛び出し、これをパーソン(スウェーデン)、ゴメス、
トーマス(アメリカ)、ダーデン(アメリカ)、トンプソン、阪本、弓削、村越忍(福岡大)
ら内外の有力選手が集団で追う展開。
27kmで千葉が捕まり、トップ集団は13人。30kmでダーデンが揺さぶりをかけたのを
きっかけに集団が解体。トンプソン、弓削が脱落。
35kmでパーソン、阪本、ダーデン、ゴメス、トーマスの5人に絞られる。
赤坂見附のだらだら上がる坂道でゴメスがスパート。あっという間に集団から
抜け出し独走態勢を築いた。35kmからの7,195kmを21分40秒で
走破。日本での初優勝を飾った。日本勢では阪本の5位が最高。期待の弓削は
後半失速し12位(2.16.46)に終わった。


第1回 東京NY友好 東京国際マラソン 結果

1、2.11.00 ゴメス(メキシコ)
2、2.12.07 パーソン(スウェーデン)
3、2.12.31 トーマス(アメリカ)
4、2.13.07 ダーデン(アメリカ)
5、2.13.22 阪本峰照(日本鋼管)
6、2.14.24 菊地武彦(リッカー)
7、2.14.39 トンプソン(イギリス)
8、2.15.13 アトキンス(アメリカ)
9、2.15.23 森田義三(安川電機)
10、2.15.35 村越忍(福岡大)
1981年は
「東京ーニューヨーク友好 東京国際マラソン」
「読売・日本テレビ 東京国際マラソン」

の2つが開催された。
上段はゴメス(メキシコ)が優勝。
下段は喜多秀喜(神戸製鋼)が勝った大会。

1981年2月8日に開催。 内外93人がエントリー。
外国招待はモスクワ五輪・銅メダリストのジュマナザロフ、
同4位のコトフのソビエト勢。同7位ネディ(エチオピア)
ら16カ国、32人が来日した。

正午の気象条件は気温13度、湿度34%、微風。
最初の5kmは16分20秒とスローで入り、10kmを
31分22秒と持ち直す。
20kmでは喜多の他に中村孝生(エスビー食品)前出の
ジュマナザロフ、コトフ、ネディら22人で通過。
集団は25kmで崩れ始める。勝負どころの35kmでは
喜多、ネディ、ジュマナザロフの3人がリード。
ボッチ(イタリア)、スクーフス(ベルギー)が追い上げる。
この5人が40km過ぎまで互いのスパート機を伺いながら
息詰まる競り合いになる。
国立競技場にはネディ、ボッチ、喜多が一団で帰ってくる。
1万mのベスト27分48秒6の喜多が第一コーナーを曲がった
ところで一気にスパート。そのまま2時間12分04秒で優勝。
2位は髭を生やした伏兵・ボッチが自己ベストを3分短縮。
3位はネディ。
日本勢では初マラソンの酒井勝充(小西六)(現・コニカ監督)が
2時間15分54秒で日本人2位の13位に入った。

このときの平均視聴率は23% 喜多が国立競技場内でスパートした
時の瞬間視聴率は34.5%の高視聴率となった。

1981年東京国際マラソン 成績

1、喜多秀喜(神戸製鋼)   2.12.04
2、ボッチ(イタリア)    2.12.11
3、ネディ(エチオピア)   2.12.14
4、スクーフス(ベルギー)  2.12.17
5、ジュマナザロフ(ソ連)  2.12.31
6、ケニヨン(イギリス)   2.12.34
7、マルチャック(ポーランド)2.13.39
8、フリント(オランダ)   2.14.04
9、クネッペルス(オランダ) 2.14.14
10、トイボラ(フィンランド) 2.14.27

優勝 喜多秀喜(神戸製鋼)  ラップタイム

5km 16.21
10km 31.22(15.01)
15km 46.47(15.25)
20km 1.02.27(15.40)

中間点 1.06.01

25km 1.18.15(15.48)
30km 1.33.48(15.33)
35km 1.49.26(15.38)
40km 2.05.28(16.02)
2.195km (6.36)

2時間12分04秒


このときの東京国際マラソンコースは

スタート(国立競技場)−観音橋ー四谷見附ー水道橋ー読売新聞社前ー

(第一京浜)−高輪北町ー北品川二丁目ー平和島口折り返しー

35km過ぎー(外堀通り)−赤坂見附ー外苑青山口ーゴール(国立競技場)

1981年になぜ2つの東京国際マラソンが開催されたかというと、
陸連内でも読売派とサンケイ派というのがいて、窓口が2つあって当然双方から
それなりの事があって、直前までどちらを主催にするか折り合いがつかず、
同じ東京、同じコースで日にちをずらして開催する珍事となった。
陸連・読売・サンケイの三者はそれでも良かったワケだが、実際に警備の実務を担当する 
警視庁から「首都東京で交通規制をするマラソンを立て続けに2つもやられたらカナワン、
警備・規制の実務を担当するこっちの身にもなってみろ。一本化しないと道路使用許可は出さない(怒)」と
苦情とも圧力ともとれる抗議・お叱りを受け翌年から読売、サンケイの交互主催となった。             
ロドルフォ・ゴメス(メキシコ)は元々1,500mのランナー。
1976年モントリオール五輪は5,000mのメキシコ代表。
1979年にはパンアメリカン大会10,000mで優勝をしている。

マラソンは1979年から始め、この年の福岡国際に来日。15位
2.16.18の成績を残している。
1980年のモスクワ五輪は中盤からスパートし、一時は主導権を握る
走りを見せ6位入賞。
その後、80年のニューヨークマラソンでは初マラソンのサラザール
(アメリカ)に敗れたものの、2位2.10.13で走破。
その後は前出の東京国際マラソンに優勝(2.11.00)。
ゴメスのベストシーズンはこの81−83春までだろう。
82年にはゴールデンマラソンで伊藤国光を退け優勝。ニューヨークでは
サラザール続きサブテンを記録(2位 2.09.33)
83東京国際では瀬古と死闘を演じ、2.9.12で3位。これが生涯
ベスト記録になった。
ロスでは優勝候補の一角に名を馳せたが、暑さに弱く途中棄権。
また86年シカゴでは瀬古と中盤まで競るも往年の力はなく10位
2.15.02でゴールしている。
83年の東京国際のあとゴメスは4月のロッテルダムを走っている。
あのキャステラとロペスが後半グングンとペースを上げ死闘を演じたレース。
サラザールに初めて先着して3位(2時間9分25秒)だった。
その後、ゴメスは急激に衰えてしまった。
398ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 22:25:40
>>391 中山の場合は競い合いに弱いのが致命的で印象が悪い。例えば86年アジア
大会ではスタートから谷口を問題にせず圧勝したかと思えば、半年を経ずして
序盤の遅いペースにペットボトルを投げる等、無駄な動きをした挙句、谷口に
軽くひねられた。他にも86年東京、88年ソウルでも序盤で無駄な動きをして肝
心な勝負所で遅れる愚を繰り返した。結果論であるが体調不良だったにせよ
ソウル五輪で、最初から逃げたら楽勝できたであろう。また国際レースに弱く
満を持して出たボストンでも途中棄権扱いになってしまっている。東京の世界
選手権でも棄権をしてあまり期待されていなかったバルセロナでメダルまで後
一歩と迫りながらスプリントのなさで4位になったところまで徹頭徹尾詰めが
甘い中山らしかった。勝負勘の悪さは渋井、福士に受け継がれていると言ったら
言い過ぎか。
399ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 22:30:49
なぜそんな糞弱い中山が世界の瀬古と同格に語られるのか
400ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 22:35:00
>>399 強いときの破壊力は瀬古の比ではなかった。87年の福岡が典型。
あのとき瀬古が出ていたら完走できなかったろう。
87年福岡国際は
豪雨、低気温、風があってなおさら五輪選考レースであのパフォーマンスだったから中山の強さには驚愕した。
中山だから出せた8分台(特に87福岡、独走の86アジア大会)
中山をたかが8分台ランナーと見てしまう方がいてもしょうがないと思う。
すでに20年前のレース だからね。
中山竹通選手は86年のソウルアジア大会で2時間8分21秒で優勝しています。
20キロまでの各5キロを14分台で刻むハイペースな展開でした。
このレースはスタート地点の競技場からトップに立ちゴールまで一人旅で帰ってきています。
ここで注目してほしいのは自己の力だけで走破しているという点です。
私もほんの少しマラソンの経験があるのですが一人で走ることほどキツイものは
ありませんでした。集団の中で他の選手の力を利用して走った方が何倍も楽なのです。
同じコース、同じ気象条件で現在の日本の選手が一人で走り切ったとしても
おそらく中山選手の記録は上回れないだろうと思います。
それだけ中山選手の力が突出していたということでしょう。
403ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 23:16:05
>>402 独走じゃないと力が発揮できないところが中山の悲劇だったね。天才には
常識はあてはまらないよ。他人と一緒に走ると別人のように弱くなるのが中山。
404ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/02(土) 23:20:38
喜多さんの講演で「誰がいちばん強かったですか?」と尋ねたら、
「中山くんです。瀬古くんや宗兄弟も彼の強さは認めていました。」
と言っていました。
405ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 00:26:49
中山以上に「独走」で勝ち続けたのがショーター。
ショーターも競り合いで勝ったことがないと思う。
前半からバーンとハイペースでけ散らし、中盤から独走のパターン。
福岡4連覇、びわ湖、ミュンヘン五輪も2位以下はショーターの背中を
見なかったと言われたくらい。
唯一の競り合いがモントリオール五輪。中盤で得意のペースアップを試みたが、
チェルピンスキーが離れず、ショーターの型にならず。
初めてショーターが終盤で遅れる映像が日本の茶の間に流れたと言われた。
406ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 08:49:43
>>405 ショーターはモントリオールまで殆ど全て勝ち続けたから独走だけが
強かった訳でもなかろう。モントリオールの国内選考会は僅差だったし、
実質デビュー戦でもムーアと同着だった(このときも野糞?)ので、競り合い
にも弱い訳でもない。確かに中盤からスパートすることが多かったけど、別に
序盤から独走しないと負けてしまう中山とはだいぶ格が違う。
407ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 09:21:42
モントリオール後のショーターはまさに別人。
故障の影響で大惨敗を繰り返した。
どんな名ランナーも晩節はかなり痛々しい。
ごたく並べてないで、
8人と理由かけ

読むのに疲れるものばっか
疲れるんならムリしてつきあわんでええやろが
とっとと消えろや、しっしっ!
410ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 11:52:24
油谷の勝ちだな
>>408
読むの大変ならこなければいいのではないですか。
ここのスレは他のサイトでも調べることができない過去の記録や順位、
当時を知る人達の情報やレース展開が見れて嬉しい限りだ。
以前は数少ない荒らしのため、迷惑でしたが今後もいろいろお願いします。
412ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 17:00:50
1975年第十回福岡国際マラソン

雨上がりで呼吸がし易く、それにショーターのようなスピードランナーがいなかった
ので、ドレイトンら外国勢も優勝を意識してか、慎重なレース運びに出た。日本勢には
一番調子を乗せやすかったと思われる。

前半の波乱はコースに湿りが残る10キロ過ぎで宇佐美が後方に残されただけ。
だが他の日本勢はきわめて順調に外人勢と合わせて二十余人が先頭集団を作った。
折角の希望も後半になると水上、竹内、服部、浜田、森らが遅れ、軽快にドレイトン
らと先頭を争ってきた宗猛も三十キロ手前から肩ふぁ上がって次第に歩幅が縮まった。

後半の圧巻は、ドレイトンとチェトルの勝負だ。ドレイトンには6年前の雨の国際
マラソンで快勝した自信があったに違いない。その自信がチェトルに抜かれても
フォームを崩さず、冷静に一歩一歩運ばせたとみたい。

チェトルは先頭集団にいたが、やや短足で太めなために目立たなかった。
それでもフォームはがっしりした状態から繰り出す腕の動作で速いピッチを
懸命に引き出していた。

ロジャースも30キロ過ぎから遅れたが足の運びが大きく乱れなかった。ここらも、
日本勢にない外国勢の強さと言える。日本ではボストンが追い風というので前評判
はよくなかったが2時間10分台の走力は十分持っている。チンドロの4位も立派だし、
いずれも闘志で勝ち取った活躍だ。

413ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 17:07:56
1. J. ドレイトン(カナダ) 15.15 30.41 45.58 1.01.05 1.04.22 1.16.29 1.31.54 1.47.16 2.03.05 2.10.08.4
2. D. チェトル(豪州) 2.10.20.0
3.W. ロジャース(米)  2. 11.26. 4
4. G. チンドロ (伊) 2. 11.45. 0
5. E. レッセ  (東独)2. 12.42. 6
6. 宗猛   (旭化成) 2. 12.52. 0
7. I. グロス(ポーランド)2. 13.05. 0
8. 服部誠 (東農大教) 2. 13.13. 0
9. Y. トロッペル(東独) 2. 13.17. 0
10. 浜田安則(鹿児島中央高教)2.13.47.8
414ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 17:53:06
70年代限定ならドレイトンは「最強」枠に入るな。

フランク・ショーター(アメリカ)
ジェローム・ドレイトン(カナダ)
ビル・ロジャース(アメリカ)
ワルデマル・チェルピンスキー(東ドイツ)
カレル・リスモン(ベルギー)

この5人がノミネートか。ショーターとロジャースの争いだが、
ここはパン・アメリカン大会優勝、福岡4連覇、五輪1万5位、五輪マラソン金と銀のショーター
が上手であろう。
日本勢は80年代に跨がる瀬古、か70年代前半にトップクラスだった宇佐美が候補だろう。
415ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 17:56:06
1978年第27回別府大分毎日マラソン

レースは宇佐美の日本最高はもちろん、クレイトンの世界記録をしのぐ、驚異的
なハイペースで始まった。25キロまでの各5キロを全て14分台のクレイジーとも
いえるハイラップ。20キロでスピードランナーの宗茂、伊藤、鎌田の3人に優勝
争いが絞られたのも当然と言える。

5キロで「自分中心のレースをやる」と豪語していた宗茂が意欲的に飛び出し、
トップ集団は宗猛、鎌田、伊藤、水上、西、浜田の7人。14分51秒の速いラップ
だった。若手の大胆かつ意表をつく展開に虚をつかれた水上、浜田は8.5キロ過ぎ
の仏崎で右わき腹をしきりにおさえて苦しげにペースダウン。西も次第に差を
広げられる。10キロでは宗兄弟、鎌田、伊藤の旭化成ー鐘紡のペア対決になった。
西が60メートル遅れ、浜田はもう射程外。ペースを守る期待の喜多はさらに後方に。

16.7キロで宗猛の足取りが弱くなった。20キロの3人は59分29秒。クレイトンが
世界最高を樹立したとこのタイムを1分以上上回る。25キロでは宗茂が1分22秒も
上回った、この間、23.7キロで伊藤のピッチが鈍り始め、約80メートル後方に。
宗茂、鎌田の至当は26.3キロで茂が軽くスパート、追いすがる鎌田にじりじり差
をつけた。

宗茂は30キロまでの5キロが始めて15分台に落ちたとはいえ、クレイトンの記録を
1分29秒もしのぎ世界記録への希望が沿道ファンをも熱狂させた。しかし競い合う
相手がいなくなり、ややペースダウン。それでも40キロではクレイトンを40秒リード。
だが海風で身体が冷えたのだろう。最後の2.1975キロに7分50秒6を要し、世界記録
に32秒及ばなかった。

二位争いもしれつだった。伊藤が勢いを盛り返して36.6キロで鎌田をとらえ2位に浮上、
さらに宗猛が死力を振りしぼって猛追し、39.8キロでついに伊藤を抜き去った。
兄茂に続いて2位でゴール。喜多は10キロまで自重。以降見事なペース配分で自己
記録を15分余も縮めたのは見事だった。

5位までが昨年欧州でトラック10000の自己記録を大幅に更新した選手。その成果が
開花した素晴らしいレースだった。
416ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 18:04:28
>>415
ここ30年で日本人ランナーが世界記録最新にもっとも近かったレースだろうね。
中山と宗茂は若い時分の記録を最後まで最新できないで引退した。
417ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 18:10:38
>>416 もう30年前のことになるんだね。瀬古以外の全てのエリートランナーが
集まっただけに今回こそはと期待していたけど当日はラグビーの試合があって
ラジオ放送を聴くことが出来なかった。その日は雪でグランドコンディションが
最悪だったけどタックルが決まりまくって相手を完封して勝利。最高の出来の
日だった。帰宅するとこの信じられないニュースが待っていた。
418ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 18:24:09
>>416
単純に秒差だけで言ったら中山の2時間08分15秒か。
あのときはジョーンズの2時間08分05秒(←下1ケタ自信がない)。
しかし、宗茂の別大の方が日本中に与えたインパクトが強かったな。
419ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 20:00:17
>>418 中山のときはサラに6秒差で負けた上に6日後にロペスが2時間7分11秒で
走ったからね。一方クレイトンの記録は距離不足が囁かれつつも12年も命脈を
保った大記録だからだいぶ様子が違う。茂の記録は実質世界新だった。
420ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 20:27:56
ロペスの記録は2時間07分12秒だね。
ジョーンズが挑んで1秒差で届かなかった。
そのときは前半ハーフが1時間01分台で
当時としては驚異のハイペースだった。
そのときの30km通過1時間28分40秒が
しばらく30kmの世界記録だった。
421ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 21:14:52
メキシコ五輪

マラソンには君原、宇佐美、佐々木精一郎のトリオが登場。午後3時に市の
中央広場から72選手がスタート。君原、佐々木は10位あたりを走り、宇佐美は
その後方。15キロ、ジョンソン(英)がトップ、ローランツが追う。佐々木が
4位にあがる。

20キロは前年プレ五輪優勝のローランツがトップで1時間6分2秒。マモ、テム
(ケニア)が3,4位。7位のライアンの後に佐々木、君原。25キロではテムがトップ。
マモ、ジョンソン、ゲブル(エチオピア)、君原、ライアン、アクチャイ(トルコ)、
ローランツの順。佐々木遅れだし、宇佐美は16位。30キロ地点ではマモ、テム、
君原の順となり、間もなくテムは歩き出す。君原の後にはライアンが迫る。

35キロ、マモは君原を2分近く離し、ライアンは4秒差でピタリと君原について
離れない。40キロ、マモははるかかなた。君原とライアンは6秒差。

マモが2時間20分26秒4でゴールして、焦燥の3分が過ぎ、君原が姿を現す。
80m差でライアンが続く。君原スピードをあげるも続かない。ライアンも疲れて
いる。東京五輪の悪夢が目先をかすめたが、君原よろめきつつ2位でゴール。
2時間23分45秒だった。ライアンは14秒差で銅。佐々木は25キロでレースを
捨て、宇佐美は9位にまで上がる。アベベは16キロ過ぎで落伍。世界記録保持者
のクレイトンは7位2時間27分23秒8.

東京大会で失意のそこに沈んだが、よく這い上がり再び走り続けた君原の
精神の勝利だった。今大会陸上で唯一の銀メダルかつ戦後最高の成績が
日本陸上を救った。
422ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 22:07:01
ローマ五輪(裸足のアベベが世界新!)

ローマ中央のカンピオドリをスタート、ゴール前古代ローマの街道を走って
コンスタンチン凱旋門までの三角形のコースで行われた。午後5時のスタート
で気温は20℃に下がり涼風が吹き始めた絶好のコンディション。

日本の広島庫夫、渡辺和巳、貞永信義の3名は後半追い上げる作戦でゆっくり
とスタート。涼しさのため各選手がスピードアップ。予想より1分速い5キロ
15分35秒のトップ集団の走りは誤算だった。坂の多いコースなのに予想外の
スピード競走が続き20キロでラジ(モロッコ)とアベベの2人が並ぶ。マギー
(NZ)、世界記録保持者のポポフ(ソ連)が続き、他は遅れ出した。

30キロは1時間34分29秒、40キロは2時間8分33秒で通過するが依然として
ラジとアベベの併走が続く。あたりは暗くなり、コースも真っ暗。先頭
集団だけ映画班のライトに助けられていた。後方はるかの日本選手は前後
の選手も暗さのために不鮮明。足許も危うく、自己のペースもつかめなく
なる。

エチオピアから突然やってきたアベベ・ビキラが裸足でアッピア街道を
快走。40キロ過ぎ、ラジを引き離しにかかり、ライトに浮かび上がった
凱旋門のゴールめがけ走り込んだ。彼は息もはずませずクーリングオフの
体操をこなし、一躍世界の英雄になった。タイムは2時間15分16秒2の
世界新。(ポポフの記録もアベベの記録も現在の基準では2時間15分17秒
なので更新リストにアベベの名はない)。

2位のラジは2時間15分41秒6、3位のマギーは2時間17分18秒2.15位まで
がザトペックの五輪記録を上回った。広島は2時間29分40秒で31位、渡辺
32位、貞永46位と日本勢は惨敗。スピードマラソンの凄さを実感させられた。



その2  メキシコ五輪レース展開

メキシコ五輪は高地で初めて開催される五輪ということもあって
とりわけ長距離は開催に賛否両論だった。
特にイギリスは直前まで開催に反対し続けた(結局参加したが)
がそんなイギリスの中からジョンストンは1年前よりメキシコへ
きてトレーニングしていた。

レースは前半、1万mでケニア史上初の金メダルを獲得したテム、そして
マモ(エチオピア)の高地民族に、前年のプレ五輪マラソン優勝、前回の
東京五輪3千障害金メダリスト・ローランツ(ベルギー)らが
先頭集団を形成した。この中に日本期待の筆頭、佐々木精一郎も
含まれメダルの期待が高まっていた。
 5km通過が16分44秒もかかる超スローペースで序盤進んだが、
君原は15km前後で8,9位あたり。宇佐美はその後方。
17km付近で五輪二連覇中のアベベ(エチオピア)が疲労骨折の
ため足を引きずるように棄権。
20kmは1時間06分02秒。ローランツが先頭。テム、マモ、
ゲブル(エチオピア)のアフリカ勢が先頭集団。
後方にはジョンストン、優勝候補クレイトン(オーストラリア)、
ライアン(ニュージーランド)、アケイ(トルコ)、佐々木。

期待の佐々木は山場を作れず棄権。現地の特派員の情報では観衆の中から
突然、犬が飛び出してきて佐々木はそれを避けようと足首を
挫く。挫いた足をかばいながら走るため、反対の足には多くの血豆が
出来てしまったという真相。
25kmでは集団は解体。マモとテムが出てくるが、ローランツ、
クレイトン、ジョンストン、ライアン、アケイ、ゲブルは帯状に後退。
君原が後退選手を交わし、徐々に上がってきて28kmで3位に浮上。
32km付近でマモとの先頭争いに敗れスタミナ切れを起こしたテムが棄権。
マモは独走態勢。君原は2位に浮上し100m後方の第1回国際マラソンを
制したライアンと2位争いという展開。


第19回 オリンピック メキシコ・シティー大会 男子マラソン 結果

(1968年10月20日)

優勝 2時間20分26秒4 マモ・ウォルデ(エチオピア)
2位 2時間23分31秒0 君原健二(日本)
3位 2時間23分45秒0 ライアン(ニュージーランド)
4位 2時間25分18秒8 アケイ(トルコ)
5位 2時間25分33秒0 アドコックス(イギリス)
6位 2時間27分16秒8 ゲブル(エチオピア)

7位 2時間27分23秒8 クレイトン(オーストラリア)
8位 2時間28分04秒0 ジョンストン(イギリス)
9位 2時間28分06秒2 宇佐美彰朗(日本)
10位 2時間28分40秒2 ボイチュク(カナダ)

佐々木精一郎(日本) 途中棄権


メキシコ五輪入賞者の数人が暮れの国際マラソンに来日。
以降、五輪後の国際(福岡国際)に当年の五輪で活躍したランナーが
参加する事が伝統になる。
4位に入ったアケイは国際でも4位。5位アドコックスが
2時間10分47秒8で優勝する。

>>412
>>414

ジェローム・ドレイトン(カナダ)は税理専門学校を
卒業した公務員で本名がピーター・ブニィヤックといった。
どうしても名前が気に入らず68メキシコ五輪後にヨーロッパの
電話帳を見て気に入ったものとしてジェローム・ドレイトンに改名した。
1968年メキシコ五輪は20kmで途中棄権。

翌年、10月にデトロイトのマラソンで2.12.04の世界歴代10傑内記録
を樹立し優勝するが、12月の国際(現・福岡国際)には招待されず
奮起して自費参加。(それくらい当時の国際マラソン招待選手のレベルが
高かったというべきか。。)
スタートから飛ばし2.11.12.8の当時世界歴代3位で優勝した。
75,76年の福岡国際にも優勝。75年大会で優勝したタイム(2.10.08.4)
が生涯記録。ショーター、瀬古の4度に続く福岡3回優勝。
76年モントリオール五輪は最終日マラソンまで開催国カナダは金メダル0個。
最後の最後に優勝候補に一角・地元のドレイトンに期待をかけたが
最終調整に段階で風邪を引いてしまう。それでの得意の小雨の中、中盤まで
集団を引っ張ったが、チェルピンスキーとショーターに置いて行かれ結局6位。
2.13.30.0だった。
81年東京国際は35歳と峠を過ぎていた。25kmで途中棄権の結果だった。

>>414

カレル・リスモンは1万の自己ベスト 28分41秒8、マラソンのベストは1974年にコルテでマークした
2時間11分13秒、
その後、1976年のモントリオール五輪で3位に入った時のタイム、2時間11分12秒6で0.4秒最新した。
リスモンが頭角を現したのは1971年にヘルシンキで開催したヨーロッパ選手権。
2時間13分09秒で優勝。一躍、翌年のミュンヘン五輪のメダル候補に挙がった。
日本での戦歴はモントリオール五輪で連続メダルを獲得した翌年(1977年)大津毎日マラソンに招待。
風邪気味にも関わらず危なげなく2時間14分08秒で優勝。「風邪を引いてるリスモンに
まったく歯が立たない日本勢の先行きは暗い」と日本低迷期だっただけに酷評された。
ロス五輪時は35歳。峠は過ぎていたが2時間17分09秒で24位に入った。
リスモンの上体を揺するように走るフォームは懐かしい。
リスモンはロス五輪の後も走り続けた。
ハンブルクマラソンを86年、87年と12分台、13分台で2連覇している。
20代でオリンピック連続メダルを取り、自己ベストも記録していたランナーが
38歳にしてなお、そのベストから3分以内でゴールするのだからすごい。
福岡(13位)とロス五輪(24位)だけが、彼のとった二桁順位で、29回のうち、
19回は3位以内でゴールしている。
(途中棄権はしていない)全盛期の20代は4位以下に落ちたことはなかった。


ミュンヘン五輪レース展開
ミュンヘン五輪のレースは前半5kmくらいで宇佐美が集団を引っ張り、
少し気負ってる感じが見受けられた。10km過ぎで長身のクレイトンが
リードしたりしたが、集団が崩れたのが15kmからのショーターの
飛び出し。宇佐美、ローランツ、リスモン(ベルギー)、マモ(エチオピア)、
クレイトン、ヒル(英)らの集団の解体が始まった。
20kmではもうショーターの独走。五輪で前半からの飛び出しに
後半ばてるのではという声をよそに2位に上がったリスモンに200m以上
の差をつけたと思う。点々と宇佐美、マモ、ニッカリ(フィンランド)と
続いていたが、宇佐美の足取りは鈍く、あきらかに不調であるのが見て取れた。
エングリッシャー公園内を走る独特のコースだったミュンヘンは公園内も
ショーターが快調に走っていた。
 宇佐美はクレイトンと並んで優勝候補と目されていたが、公園内では入賞
圏外に外れるほどだったと思う。

さすがにミュンヘンはリアルタイムで見れなかったが、後年の雑誌などを読み返すと
世界記録保持者のクレイトンと世界歴代2位のヒルは前評判が高かったよう。そこに70年の国際で
世界歴代3位をマークした宇佐美が絡んでくる感じか。
あとは上レスでも挙がっていたリスモンに2時間12分台で走った西ドイツのフィリップ、その下あたりに
ショーターという感じではないかな。ショーターは優勝したが前評判はまだまだ本命という感じではなかったよう。
のちにミュンヘン五輪のVTRを見る機会があったが、日本の関係者が宇佐美に賭ける期待がありあり
なのが伝わってくる。しかし前半、宇佐美は気負い過ぎて集団を引っ張り自滅した感が見受けられた。


20回(1972年) ミュンヘン五輪マラソン成績

1、ショーター(アメリカ)2.12.19.8
2、リスモン(ベルギー)2.14.31.8
3、マモ・ウォルデ(エチオピア)2.15.08.4
4、ムーア(アメリカ)2.15.39.8
5、君原健二(日本)2.16.27.0
6、ヒル(イギリス)2.16.30.6
7、マクレガー(イギリス)2.16.34.4
8、フォスター(ニュージーランド)2.16.56.2
12、宇佐美彰朗(日本)2.18.58.0
36、采谷義秋(日本)2.25.59.0


モントリオール五輪はトンプソンの選考会落選でショーターの2連勝はきわめて濃厚になってきた。
10000m 27'45"91のスピード、豊富な練習量、冷静な読みを持つショーター。
記録では2時間9分55秒のロジャースが参加選手中最高だが、勝負となるとショーター
には頭があがるまい。ホスト国のカナダのホープはドレイトンだ。あわよくば金メダル
を。ミュンヘン2位のリスモン、昨年末福岡で快走したチェトル。チンドロ(伊)も
今年すでに2時間11分50秒4で走り、福岡で記録した2時間11分45秒が正真正銘の力で
あることを証明した。ここまでが3位以内をねらえる群像。
 下位入賞候補。宇佐美、レッセ(東独)、モイセーエフに44歳の超ベテラン、フォスター
(NZ)も健在。水上は先輩君原に似た落ちこぼれをくっいくねばりが期待され、宗茂は
夏のレースでどれだけ自己記録(2時間15分50秒)に肉薄できるか。
ライアン(NZ),ファーリントン(豪)、ゴドスキー(ソ)、
ロドリゲス(コロンビア)、ローザ(スリランカ)を挙げる。トラックの専門家の
ヘルメンス(T&F誌が優勝候補に挙げていた)、プテマンス、アロ、ゴメスも
出る可能性がある、としていた。ビレンの情報はつかんでいなかったようだ。
いずれにしても情報戦で敗れていては勝てるものも勝てない。暑くなれば
前年のプレオリンピックの再現(水上が金)もあったかもしれないが、本番は
涼しかったので万事休す。


モントリオール五輪レース展開

スタート時はほとんど雨が降っていない状態だったが、
10キロを越すと路面がビショビショになるくらいの状態になった。
集団はショーターを中心に20人以上で形成。ロジャースも元気に
集団の先頭のほうで走った。日本勢は3人とも最初は先頭集団に
いたが、宇佐美、水上の順で後退。最後まで残った宗茂も13キロ
付近で脱落していった。このあたりでショーター、リスモン、ドレイトン
ビレン、チェトル、チェルピンスキーあたりが集団に含まれ、ドレイトンが
集団を引っ張ることもしばしあった。
集団が崩れだしたのが23キロ過ぎ。ショーターが小刻みにスパートし
ビレンを引き離しチェルピンスキーとの一騎打ちとなった。
しかし32キロすぎに逆にチェルピンスキーがスパート。ショーターが
ついていけなかった。初めてショーターが後塵を浴びるところを画面が
捕らえた瞬間だった。
 競技場にはいってきてチェルピンスキーはゴールするももう1周して
しまった。ちょうどゴールの付近で2位のショーターと重なるかたちに
なりショーターに「あと1周」という合図をチェルピンスキーが勘違いし
自分に合図したものと思って念のためもう1周したのが真相。
人類6回目のサブテンでの優勝だった。ショーターも自己2番目のタイム。

モントリオール五輪といえば最終日まで地元カナダが金メダル0だったわけで
参加選手中2番目に好記録をもつドレイトンにかかる期待は半端ではなかった。
それも天候が雨模様。雨のレースを得意としてドレイトンは「雨のドレイトン」
とも云われていた。前半引っ張っていた頃は仕切りにドレイトン好調を伝えて
いたが、レース後、本人いわく10日前にカゼを引いて調整がパーになって
いたようで、それまでが好調だったらしく五輪の難しさを感じさせることと
なった。ショーターに引き離され、なんとか6位入賞はしたものの、カナダ
は結局金メダルゼロ。その後の五輪赤字を税金でまかなう大変さと共に
ドレイトンとともにカナダ国民もうな垂れることとなった。

第21回(1976年) モントリオール五輪マラソン成績
 
1、チェルピンスキ−(東ドイツ)2.09.55.0
2、ショ−タ−(アメリカ)   2.10.45.8
3、リスモン(ベルギ−)    2.11.12.6
4、カ−ドング(アメリカ)   2.11.15.8
5、ビレン(フィンランド)   2.13.10.8
6、ドレイトン(カナダ)    2.13.30.0
7、モセイエフ(ソビエト)   2.13.33.4
8、ファバ(イタリア)     2.14.24.8

20、宗茂(日本)        2.18.26.0
21、水上則安(日本)      2.18.44.2
32、宇佐美彰朗(日本)     2.22.29.6


430ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/03(日) 23:05:42
ヘルシンキ五輪(ザトペックが初マラソンで世界新で長距離三冠)

1952年五輪はフィンランドのヘルシンキで開かれた。1917年以来初めて
ソ連と他の東側諸国も五輪に参加した記念すべき大会だった。時は冷戦
の最中であり、東西間の緊張は高かった。しかし五輪では友好的に接し、
お互い選手を招き、また競技ではお互いを尊敬しあって競い合った。

ザトペックは当代髄一のトラックランナーであった。既に4年前のロンドン
五輪で10000で金、5000で銀を取り、数多くの世界記録を打ち立てていた。
ヘルシンキでも10000で楽勝し、43秒五輪記録を更新した。5000では猛烈な
ラストスプリントの勝負の中で1秒に満たない差ながらまたしても五輪新で
制し、トラック長距離二冠に輝いた。彼の力感溢れる走りから人間機関車
という異名でも知られた。現在で言えばラドクリフに似たフォームであるが
ラドクリフの方がはるかに洗練されたものであることは言うまでもない。

マラソンについては誰もが当年に2時間20分42秒の未公認世界記録を出した
イギリスのジム・ピータースが優勝するものと目していた。無謀にも五輪を
初マラソンの場に選んだザトペックはペースについても分からなかったので、
最も単純な作戦としてピータースについていくことにした。レース前に
ザトペックはピータースに自己紹介をした。ピータースは彼をよく知っていた。
というのもロンドン五輪でピータースは10000の選手として出場しており、
遂には周回遅れの屈辱を味わったからである。

ピータースはスタート後すぐトップに立ち、ザトペックがそれに続いた。
2人は程なく他の選手を100mほど引き離した。ザトペックはピータースの
猛烈なペースにおののいたが、粘り強くピータースについていった。
ハーフ地点でザトペックはピータースに英語で「ペースが速すぎないか」
と尋ねたという。ピータースの答えは様々に伝わったいる。一説には
遅すぎると答えたといい、またちょうどいいペースと答えた説もある。
ザトペックは再度尋ねたが明らかにピータースは答えるのを煩わしく
思い、道の反対側に移動した。ザトペックは後に「このように神経質
になるのはエネルギーを使いすぎているためで調和的ではない印で
ある。だからこのペースは適切でない」と言い聞かせたと語った。

ザトペックの見立ては正しかった。ピータースは間もなく疲労を見せ、
ペースを落とし始めた。ザトペックとスウェーデンのグスタフ・ヤンセン
ははやいペースを続けた。イギリスのスタン・コックスはハーフ地点で
倒れ、救急車によって運ばれた。ピータースも20マイル地点で棄権し、
救急車によってスタジアムに運ばれた。その結果、彼はゴールシーンを
見ることが出来た。

最後の数マイルでザトペックはヤンセンを引き離し、嵐のような彼を称える
歓声の中、スタジアムに飛び込んだ。彼は前人未踏の長距離三冠を成し遂げた
ばかりか初マラソンを公認世界記録を上回る記録、従来の五輪記録を9分も
更新する素晴らしい記録でゴールした。

2位の選手がゴールする頃には彼は妻を抱擁し、服を着替え、リンゴを食べている
最中であった。そのような大差がつきながら6位まで五輪新のレースであった。
ザトペックはこの日の疲労で数日間歩けないほどであった。




431ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/04(月) 17:39:14
みんな凄いな。
本ができそうだな。
432ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/04(月) 18:32:45
↓ほんとゲブにはガッカリだよ。泣き言にしか聞こえないよ。

陸上マラソン男子の世界最高記録保持者、ハイレ・ゲブレシラシエ(34)=エチオピア=が4日、北京の大気汚染と気候に懸念を示し、北京五輪でのマラソン出場に慎重な姿勢を示した。
 ゲブレシラシエは同日、アテネ五輪女子二百メートル金メダリストのベロニカ・キャンベル(ジャマイカ)や男子百メートルの元世界記録保持者、モーリス・グリーン(米国)らとともに、北京体育大学で開催されたスポーツ用品メーカーのイベントに参加した。
 北京五輪への出場は約束したものの、「一万メートルに出るのか、マラソンに出るのかは、まだ決めていない」と逡巡(しゅんじゅん)する胸を内を明かした。理由は2つ。深刻な大気汚染と高温多湿で知られる夏の北京の気候だ。
 「北京でマラソンを走るのはとても大変なことだ。42キロ、2時間以上だよ。正直言って走るのはとても困難だ。歩くことだって難しい。大気汚染の問題はとても重要だ。五輪期間中だけじゃない。ここに住む人々にとっても苦難だ」
 ゲブレシラシエは30度を超す気温にも言及。「誰が走ると思っているんだ。われわれは人間だ。気温は恐ろしいほど高い。要望としては朝の6時にやってほしい」と述べた。
 一方で、北京で五輪を開催することは、世界の他の地域に向けて環境問題の重要性を喚起する機会になると主張。今後、2カ月の間に、マラソンに出場するか否かを決定するという。
433ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/04(月) 21:31:28
ザトペックの映像は
ttp://www.olympic.org/uk/athletes/profiles/bio_uk.asp?PAR_I_ID=4731
で見ることが出来る。5000メートルでこけているのはチャタウェー(英)
かな。懐かしいね。
434ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/04(月) 21:34:25
五輪みたいなドマイナー大会や中国みたいな糞国家にゲブが出るわけないだろwwwwwwwwwwwwww
435ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/04(月) 21:38:45
アブ
>>432
それを考えると、メキシコ当時のクレイトンは立派だよ。
2時間09分36秒という人類初のサブテンの記録を引っさげ、
優勝候補筆頭のはずが、高地2300mの五輪を走らなければいけなかった
わけだから。果敢に走ったクレイトンだが、高地経験のなさといい、
プレッシャーもあっただろう。その中で7位に敗れたが、北京でゲブが
回避したらこのクレイトンより評価は下にしたいよ。
標高2300mでマラソンレース走るほうが大変だろうと思うよ。
メキシコのコースはかなり複雑で難しかったのだし。
宗兄弟 最後のワンツーフィニッシュ

第5回 北京国際マラソン  レース展開 

1985年10月13日  気温15.5度 湿度42% 微風

海外招待(日本含む)16カ国29人  国内招待(中国)18人  延べ合計264人

(出場日本選手) 宗茂(旭化成)、宗猛(旭化成)、姫野重行(旭化成)、峰岡高之(マツダ)
         近藤孝志(ヤクルト)、岩瀬哲治(日産自動車)


スタート 10:00 工人体育場  宗猛が早くも先頭に立ち競技場を後にする。

「気温が少し高いのが心配」 競技場解説・高橋進

5km− 15分30秒 宗猛を先頭に17−18人が通過。
 
     「空気が乾燥しているし、15分30秒前後ならまずまずではないか。」解説・広島日出国

すでに先頭集団には宗兄弟と近藤の3人になっている。
その近藤も8kmで先頭集団から脱落。

10km−31分07秒(15分37秒) Hジョーンズ(イギリス)が先頭。

11km−シャハンガ(タンザニア)が前に出る。マカーニャ(タンザニア)と
     ともにタンザニア勢が集団を引っ張り始める。

集団は9人に(Hジョーンズ、クリステンセン(デンマーク)、マカーニャ、宗茂、猛
       曽朝学(中国)、許亮(中国)、ケベデ(エチオピア))

14.8km−タンザニアのマカーニャが脱落。8人に。

15km− 46分21秒(15分14秒) 曽が前に出て先頭で通過。

16−17km シャハンガ、Hジョーンズが引っ張り、中国記録保持者の許亮が遅れる。

「今日は猛が前に出て、茂が後方ですが」 石井アナ
「練習でもほとんど猛が引っ張り茂が後ろからつくケースが多い。」広島

20km− 1時間01分24秒(15分03秒)  宗猛が先頭で通過。

折り返しー シャハンガを先頭にHジョーンズが続く。7人が一団。
      宗茂が最後方で折り返す。

29秒差で近藤、許亮、ミシュウィッツ(ポーランド)が第二集団で折り返す。



22.8km−Hジョーンズがペースアップ。茂と猛がつくが、クリステンセン、シャハンガ、曽
       が遅れる。その後方80mでケベデがさらに後退。

23.4km−曽朝学が腹部を押さえてスローダウン。一旦立ち止まる。
       シャハンガ、クリステンセンからさらに遅れる。

「猛に比べて茂が苦しそうに見えるが、いつものことでいつ落ちるかと
思う息使いをするが、粘り強い。」 広島日出国
25km− 1時間16分47秒 (15分23秒) 前年・喜多より1分半速くなっている。

3人の併走が続く。Hジョーンズが前に出て宗兄弟が後ろにつく展開。

30km−1時間32分50秒(16分03秒)

33km−一旦、宗兄弟が前に出てジョーンズの出方を伺う。しかし直ぐに
     ジョーンズが前にでて元に戻る。

35km− 1時間48分11秒(15分21秒) Hジョーンズ先頭。

39km− 

「猛の表情が変わらないですね。」石井
「ですけど、、猛の方がね、、」広島  
「猛の方が疲れてますか?」石井
「グランドに入ったら茂の方が強いと思いますけどね。」広島

「口を開けて表情の苦しそうな宗茂。しかし茂の方が余力があると広島さんは言ってますが。」石井

Hジョーンズの表情も歯を食いしばり苦しくなってきている。

40km− 2時間4分00秒(15分49秒)
 
  40km通過と同時に茂がスパート。
 「あ、出ました宗兄弟が出ました。なるほど茂がスパートですね。」石井

 猛が懸命につく。ジョーンズが脱落。

「これで10分台が出ますね」広島

40.7km− 逆に猛が前に出る。ジョーンズとの差は20m。

工人体育場ゲート内ー 茂が前に出てリード。猛が懸命に食らいつく。

2時間08分42秒 − スタジアムへ 茂が猛を1mリードする。

残り300m− 「ここで猛がかわさないと勝機はないと思います。
          今日ぐらいは逆になって欲しいですね。」高橋進

残り200m− 猛が茂に並ぶ。

ラスト100m− 茂が再度スパート。猛との差2m。
         しかし残り20mで猛が猛然と茂の並びかけほぼ同時でゴール。
         胸差で宗茂の6度目の優勝となった。2位は猛で4度目のワンツーフィニッシュ。





第5回 北京国際マラソン 成績

1、2.10.23 宗茂(旭化成)
2、2.10.23 宗猛(旭化成)
3、2.10.36 H・ジョーンズ(イギリス)
4、2.11.51 クリステンセン(デンマーク) (以上大会新記録)
5、2.14.45 姫野重行(旭化成)
6、2.15.25 曽朝学(中国)
7、2.15.41 シャハンガ(タンザニア)
8、2.16.11 マッキー(ニュージーランド)
9、2.16.31 峰岡高之(マツダ)
10、2.17.05 リザルト(ポーランド)

20、2.20.29 近藤孝志(ヤクルト)
35、2.26.56 岩瀬哲治(日産自動車)


優勝 宗茂(旭化成)  ラップタイム

5km 15.30
10km 31.07(15.37)
15km 46.21(15.14)
20km 1.01.24(15.03)
25km 1.16.47(15.23)
30km 1.32.50(16.03)
35km 1.48.11(15.21)
40km 2.03.59(15.48)
2.195km (6.24)

ゴール 2時間10分23秒
瀬古―海外初制覇
第85回 ボストンマラソン  レース展開
1981年4月21日  午前9時 スタート 気温9度 北西の風0.9m
6848人参加

テレビ朝日系  衛星中継

参加日本人選手  瀬古利彦(エスビー食品)
         喜多秀喜(神戸製鋼)
         松尾正雄(九州電工)

スタートー ファネリー(アメリカ)が果敢に飛び出す。最初の1マイルを
      4分37秒。5kmは14分33秒で通過。
      瀬古、喜多、ロジャース(アメリカ)を含む集団40人は15分01秒。

10km−ファネリーが29分21秒。集団との差は約1分。後続集団ではタブ(アメリカ)が前に出てくる。
15km−ファネリー44分51秒。ペースが落ちてくる。しかし後続集団は約400m
     遅れの46分02秒で通過。
     ファネリーは観衆に手を上げたり、車椅子ランナーを追い抜くたびに肩を   
     叩いたりしてパフォーマンスが過剰。
20km−60分40秒。 後続とは45秒差。
中間点ー63分52秒。徐々に差が詰まり始め、300m差に。
        後続集団から喜多が遅れ始める。松尾はすでに脱落。

25km−1時間16分01秒。ファネリーの足取りが重い。ついに後続の差は100m。
26km−後続集団からアメリカのメイアーが出て集団をリードしてファネリーを
     抜き去る。ファネリーは降参したような表情。
     後続集団はすでに瀬古、ロジャース、バージン(アメリカ)、チェトル(オース         
     トラリア)、ペファー(アメリカ)、イースト(アメリカ)に絞られる。
27km−メイアーが後続6人を30mリード。 ペファーが集団から脱落。

28km−ついに優勝候補のロジャースが集団から後退し始める。イーストとともに脱落。

30km−メイヤー1時間31分32秒。 瀬古、バージン、チェトルが6秒差。

31km―メイヤーが3人に捕まり後退。3人の優勝争い。

ハートブレイク・ヒルに差し掛かる頃、チェトルが脱落。瀬古とバージンが並ぶ。
ヒルの中間でチェトルは50m差。ロジャースが後続で粘り、メイヤーを獲らえる。
その後ろ30mでイースト。

ついにバージンが先頭へ。瀬古がバージンの後ろへ。
ハートブレイク・ヒルの頂点から瀬古が前に出て、ペースを上げる。
ここで2人のスピードランナーによる強烈なスピードアップ。

35km−1時間46分54秒。
36km−バージンがスパート。瀬古がピッタリと背後につく。バージンの顔が苦しく
     なる。瀬古は無表情。
     ビーコン通りに出る90度の左折で瀬古が強烈なスパート。
     あわててバージンが追ったが、アッという間に差がつく。
     ロジャースがメイヤー、チェトルを抜き去り3位に浮上。

40km−2時間02分06秒。世界最高クレイトンとの差は11秒。  
     昨年、福岡のラストを換算すると2時間08分43秒に。世界最高の
     期待が高まる。しかし瀬古もかなり苦しい表情。アゴが上がってきた。
     あと1kmで2時間06分19秒。8分台の期待は消える。

ゴールー2時間09分26秒。瀬古海外で初優勝。79年ロジャースの大会記録
    2時間09分27秒を1秒最新する世界歴代5位。
    2位には同年1万m世界ランキング1位の新鋭・バージンが入り、
    3位にロジャース。



85回 ボストンマラソン  成績

優勝、2時間09分26秒 瀬古利彦(日本)(日本歴代2位、世界歴代5位)大会新
2位 2時間10分26秒 バージン(アメリカ)
3位 2時間10分34秒 ロジャース(アメリカ)
4位 2時間11分33秒 ロドウィック(アメリカ)
5位 2時間11分35秒 イースト(アメリカ)
6位 2時間11分52秒 トイボラ(フィンランド)
7位 2時間12分01秒 リンド(アメリカ)
8位 2時間12分23秒 チェトル(オーストラリア)
9位 2時間12分31秒 ヘフナー(アメリカ)
10位 2時間12分55秒 ガルシア(コロンビア)
50位 2時間18分45秒 松尾正雄(日本)
97位 2時間22分25秒 ファネリー(アメリカ)
620位 2時間36分59秒 喜多秀喜(日本)


優勝  瀬古利彦  ラップタイム

5km 15.01
10km 30.21(15.20)
15km 46・02(15.41)
20km 1.01.25(15.23)
25km 1.16.24(14.59)
30km 1.31.38(15.14)
35km 1.46.54(15.14)
40km 2.02.06(15.12)
2.195km(7.22)
2時間9分26秒



ロサンゼルス五輪選考会
第18回(当時) 福岡国際マラソン レース展開

1983年12月4日(日) 快晴(気温13.5度、湿度50% 風2.5m)  
平和台陸上競技場―雁ノ巣折り返し
          
外国招待17人、国内招待9人  総勢147人

スタートー 400mを70秒で通過後、イカンガーを先頭にロードへ

15kmでは30人の大集団。

25kmではイカンガー(タンザニア)、ペーター(東ドイツ)、サラザール(東ドイツ)
瀬古利彦、宗茂、宗猛、伊藤国光、喜多秀喜、千葉正秋 の9人。
チェルピンスキー、ハイルマン(ともに東ドイツ)、エッジ(カナダ)、前年の覇者
バリンジャー(ニュージーランド)、川口孝志郎、西村義弘、武富豊が第2集団。
さらに後方の第3集団に須永宏、工藤一良、児玉泰介。

28km−千葉とペーターが後退。
ここで瀬古、宗兄弟、伊藤、喜多の五輪候補のみが残る。の先頭は
相変わらずイカンガー、続いてサラザール。

30km−1時間31分53秒(この間は15分13秒)
31km−喜多がついに遅れ始める。約50m遅れる。

33km−喜多が脅威の追い上げ。集団に返り咲き、また7人に。

35km−1時間47分11秒(15分18秒)
    ここで再び喜多が脱落。
先頭はイカンガー、続いてサラザール。そのサラザールをピッタリマークの
瀬古がその後ろ。宗茂が後方で口をパクパクし苦しそうな表情。

残り3kmを2時間0分4秒で通過の後、ついに宗茂が5m、10mと遅れ始める。
15mと差がつく。

39.8km−イカンガーがスパート。瀬古がサラザールマークからイカンガーに
     に切り換え、背後につく。その後方にサラザールと宗猛。その後方に
伊藤国光。伊藤の首が振れ始め苦しそう。その20m後方に宗茂。

40km−2時間02分30秒(15分19秒)
     勝負はイカンガーと瀬古に絞られる。

41km−40km地点で伊藤に20m差をつけられていた宗茂が脅威の追い上げ。
     伊藤をかわしてサラザール、宗猛と抜き去り3位へ。

平和台陸上競技場― 第4コーナーから瀬古が強烈なスパート。競技場は「ウォー」
         と地鳴りのような歓声。瀬古優勝。2位イカンガー。

  残り2.195kmを6分22秒。ラスト5kmを14分40秒でカバーし
 福岡4回目の優勝。優勝タイム2時間08分52秒は世界歴代6位相当の記録と
なった。宗茂が3位。猛が4位。世界最高記録保持者のサラザールは5位に終わる。
6位伊藤国光までがサブテンで当時としては最多サブテン記録レースとなる。
7位喜多秀喜も自己最高記録。
18回福岡国際マラソン レース結果

1、 2時間08分52秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、 2時間08分55秒 イカンガー(タンザニア)
3、 2時間09分11秒 宗茂(旭化成)
4、 2時間09分17秒 宗猛(旭化成)
5、 2時間09分21秒 サラザール(アメリカ)
6、 2時間09分35秒 伊藤国光(カネボウ)
7、 2時間10分30秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
8、 2時間11分48秒 エッジ(カナダ)
9、 2時間11分49秒 ハイルマン(東ドイツ)
10、2時間12分51秒 児玉泰介(旭化成)

11、2時間13分31秒 須永宏(日本電気HE)
14、2時間14分15秒 中山竹通(ダイエー)
15、2時間15分13秒 チェルピンスキー(東ドイツ)
17、2時間15分36秒 武富豊(神戸製鋼)
19、2時間16分14秒 工藤一良(リッカー)
21、2時間16分59秒 ペーター(東ドイツ)
22、2時間17分31秒 浜田安則(京セラ)
23、2時間17分38秒 渋谷俊浩(筑波大)
25、2時間17分43秒 仙内勇(ダイエー)


優勝 瀬古利彦 ラップタイム

5km―15分18秒
10km―30分37秒(15分19秒)
15km―45分53秒(15分16秒)
20km―1時間01分30秒(15分37秒)
中間点―1時間04分54秒
25km―1時間16分40秒(15分10秒)
30km−1時間31分55秒(15分15秒)
35km−1時間47分12秒(15分17秒)
40km−2時間02分30秒(15分18秒)
2.195km−6分22秒

ゴールー2時間08分52秒

残り5km地点通過−1時間54分12秒(ラスト5km 14分40秒)
残り3km地点通過―2時間00分04秒(ラスト3km 08分48秒)





瀬古 生涯自己記録

1986 シカゴ・アメリカズマラソン  レース展開

1986年10月26日 午前8時45分スタート 気温13度 湿度93%

約1万2000人参加

参加メンバー
瀬古利彦(日本)
サラ(ジブチ)(W杯広島 優勝)
ゴメス(メキシコ)(モスクワ五輪6位)
スペディング(イギリス)(ロス五輪銅メダリスト)
ムショキ(ケニア)(当時・ハーフマラソン世界記録保持者)
ロノ(ケニア)(元1万m世界記録保持者、3000m障害世界記録保持者)
バイニオ(フィンランド)


スタートー 前半からタンザニアのジョン・ブラが集団を引っ張り5kmを通過。
  
      瀬古以下先頭集団は8kmでブラを飲み込む。すでにスペディングは第二集団。

先頭集団は8人。瀬古、ホセ・ゴメス(メキシコ)、ロドルフォ・ゴメス(メキシコ)、サラ、
        アルカラ(メキシコ)、ブラ(タンザニア)、バイニオ、ムショキ。

ペースは15分をちょっとオーバーする程度。やや物足りないものの、それほど
遅いとも思わないペースで中盤へ。

20km−5人 通過は1時間00分21秒。世界最高のロペスに10秒遅いペース。

25km−15分21秒。ペースが遅くなり、たまらず瀬古がペースを上げる。
     その瀬古について来たのはサラのみ。2人の一騎打ちになる。

30kmは瀬古のペースアップにより15分01秒。サラが瀬古にぴったりつく。
しかしサラの表情が険しくなる。瀬古はサラを観察するしぐさが増える。

35kmで瀬古が再度ペースアップ。すでにサラはついていける余裕はなく脱落。
瀬古の独走が始まる。
35kmでロペスの世界最高から51秒遅れ。世界最高は苦しいがしきりに左腕の
時計を見るしぐさが多くなる。7分台が狙えるペース。

40km−ペースアップの影響で15分10秒。ここで瀬古の表情が苦しいものに変わる。
足取りはしっかりしているものの、ピッチとストライドがかなり落ちてくる。

26マイル表示板の前をすでに2時間7分台で通過。

ゴールー 2時間08分27秒  世界歴代10位でのゴール。

2位にサラ、3位には後半追い込んだスペディングが入った。

1986年 シカゴ・アメリカズマラソン 成績

1、 2時間08分27秒 瀬古利彦(日本)
2、 2時間09分57秒 サラ(ジブチ)
3、 2時間10分13秒 スペディング(イギリス)
4、 2時間10分30秒 ムショキ(ケニア)
5、 2時間11分17秒 ステファニー(西ドイツ)
6、 2時間13分36秒 ブラ(タンザニア)
7、 2時間13分59秒 ウイリアムス(アメリカ)
8、 2時間14分27秒 ダハート(アメリカ)
9、 2時間14分58秒 ホセ・ゴメス(メキシコ)
10、2時間15分02秒 ロドルフォ・ゴメス(メキシコ)

26、2時間19分12秒 ロノ(ケニア)


優勝  瀬古利彦  ラップタイム

5km−15分00秒
10km−30分07秒(15分07秒)
15km−45分16秒(15分09秒)
20km−1時間00分21秒(15分05秒)
25km−1時間15分43秒(15分22秒)
30km−1時間30分44秒(15分01秒)
35km−1時間46分06秒(15分22秒)
40km−2時間01分16秒(15分10秒)
2,195km−7分11秒

ゴールー2時間08分27秒(日本歴代4位、世界歴代10位)


瀬古―ボストン2度目の優勝
1987年4月20日  第91回ボストンマラソン レース展開

気温12度、湿度95% 4−5mの向かい風  6279人参加
テレビ東京系 衛星生中継
(実況)土居壮 (解説)高橋進

(参加選手)
瀬古利彦(日本)
S・ジョーンズ(イギリス)(元世界記録保持者、世界歴代2位)
イカンガー(タンザニア)(84ロス五輪6位)
ド・キャステラ(オ-ストラリア)(90回大会優勝、83世界陸上優勝、84ロス五輪5位)
トレーシー(アイルランド)(78世界クロカン優勝、84ロス五輪銀メダリスト)
スミス(イギリス)(88、89回大会優勝)
ロジャース(アメリカ)(79,82,83,84回大会優勝)
ビックフォード(アメリカ)(85年度1万m世界ランキング1位)
アイストーン(アメリカ)(85年度1万m世界ランキング3位)
カマウ(ケニア)(84年シカゴ4位)
ヘルビック(ベルギー)(90年びわ湖毎日優勝)
谷口伴之(エスビー食品)、喜多秀喜(神戸製鋼)、武田裕明(日大)、
高橋養次(日立電線)

スタートー直後、キャステラが整理用ロープに足を引っ掛け転倒。
     メイダー(アメリカ)が飛び出す。1マイル4分45秒。
     イカンガーを先頭の大集団は50m差。
     メイダーに代わり、グレイ(アメリカ)が先頭に出る。
5km−60−70人の大集団は15分09秒。
 
強豪が牽制し、また向かい風の為、ペースがなかなか上がらない。
テレビ中継は濃霧のため、飛べず固定カメラのみの映像。

8km−アシュランド地点。道幅いっぱいに集団が広がる。ロジャースも集団の中。
10km−30分49秒。依然、ペースが上がらず。
11km−グレイがリード。 100m後続で16−17人の集団。

15km−46分58秒。スピードのあるビックフォードが先頭も依然膠着状態。
 15分40−16分10秒の間のスローな展開が続く。
 スミス、ジョーンズのイギリス勢は会話を交わしたりし、余裕の表情。

ネイティック地点
集団には瀬古、ジョーンズ、イカンガー、キャステラ、スミス、トレーシー、谷口、喜多、
アブラファ(エチオピア)、ゴードン(アメリカ)、ビックフォード、カマウ、ウンバーグ(スイス)、ヘレビックなど。 
喜多は最後方で遅れ気味。
(高橋)「せっかく世界の強豪が集まっているのにもったいないですね。
    期待の世界最高は望み薄になりましたね。」 


心臓破りの丘に差し掛かり始める。
32km−スルスルと瀬古が前に出て、集団は縦長の展開。ペースが上がる。
 (土居)「(画面が切り替わって)これは男子のトップですかね? 瀬古ですね これは!
 (高橋)「瀬古がね・・出ましたねぇ」    
(土居)「瀬古がついにトップに出ましたね。まもなく心臓破りの丘でしょう。」

300m後、再度、瀬古がギアチェンジ。上がり坂で後続は苦しい。
集団は解体。瀬古―スミスージョーンズの順。トレーシー、アブラファ、谷口あたりが
ジョーンズの後ろ。イカンガー、キャステラが遅れる。

34kmでスミス、遅れてジョーンズ2人に160m差をつける。
その100m後ろがトレーシー、アブラファ、谷口の集団。

30−35kmの上がり坂主体となる区間を14分58秒で走破。

38km地点。 ヘリコプターの回線が普及。移動中継が始まる。 瀬古の独走映像。
(高橋)「楽に走ってますね」
    「まぁ、このままいってせめて11分は切ってもらいたいですね」
40km−2時間04分48秒 この間15分08秒。
     沿道は3重4重の人垣。
谷口がゴードンと4位争いを展開。
ジョーンズがスミスに追いつき2位争いが激しくなる。

(高橋)「どうも2時間11分台に終わりそうですね。」

ゴール地点
(土居)「2時間11分台・・ まもなくゴールを迎えます。 瀬古!
    ゴールまですでに100mを切っています。変わらぬ足取り。
    表情ひとつ変えません。日本の瀬古。
    まもなくゴールを迎えます! ガッツポーズ!瀬古優勝です。
    91回ボストンマラソン2度目の優勝であります」

2時間11分50秒。ボストン2度目の優勝。
残り150mでジョーンズがスミスをかわして2位に上がる。スミスが3位。
日本勢では谷口が5位、喜多が9位。
瀬古は優勝賞金4万ドル(当時・580万円)、ベンツを獲得。


91回 ボストンマラソン 成績

1、 2時間11分50秒 瀬古利彦(日本)
2、 2時間12分37秒 S・ジョーンズ(イギリス)
3、 2時間12分42秒 スミス(イギリス)
4、 2時間13分30秒 ゴードン(アメリカ)
5、 2時間13分40秒 谷口伴之(日本)
6、 2時間14分24秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
7、 2時間15分02秒 バンダーハーデン(ベルギー)
8、 2時間15分16秒 ヘルビック(ベルギー)
9、 2時間15分23秒 喜多秀喜(日本)
10、2時間15分41秒 マーチン(アメリカ)

11、2時間16分17秒 イカンガー(タンザニア)
14、2時間17分50秒 トレーシー(アイルランド)
15、2時間18分18秒 ロジャース(アメリカ)
 18、2時間19分03秒 高橋養次(日本)


優勝  瀬古利彦  ラップタイム

5km 15分09秒
10km 30分49秒(15分40秒)
15km 46分58秒(16分09秒)
20km 1時間02分54秒(15分56秒)
25km 1時間18分56秒(16分02秒)
30km 1時間34分42秒(15分46秒)
35km 1時間49分40秒(14分58秒)
40km 2時間04分48秒(15分08秒)
2.195km 7分02秒
2時間11分50秒



日本初入賞のアムステルダム五輪のレース展開は書物によると、
1928年8月5日にスタート。23カ国69名。
山田、津田は11位、12位で競技場から場外へ。道路が開けると
山田は我慢できず2キロ地点で先頭へ。津田も続く。山田の快調な
ピッチは衰えず25キロ過ぎても先頭をキープした。35キロもトップ
通過。ジョイレイ(アメリカ)、マルテリン(フィンランド)など
強豪ランナーにリードを許さなかった。この時点で早合点した日本の
新聞記者は「山田マラソンに堂々と優勝」と日本に打電してしまったほど。
まさか大どんでん返しがあるとは思えないほどのリードだった。
しかし40キロ過ぎ、後方から追い上げてきたジョイレイがトップを奪取。
山田も負けじと先陣争いを必死にしている合間にエルアフィ(フランス)が
そしてマルテリン、プラザ(チリ)が急接近してきた。ここぞというとき
山田は足痛に襲われ、足を引きずりながら3人に先行を許してしまった。

津田晴一郎は島根県.松江出身。
旧制松江中学(現松江北高校)で陸上を始め、関大から慶大に進む。
とくに中距離選手として活躍。最終的のはマラソンまで距離を伸ばし
アムステルダム五輪6位、ロサンゼルス五輪5位と連続入賞を果たした。
 
当時はマラソン選手はすべてロード育ち。この中にあってトラック育ち
は世界でも珍しく、「トラック選手はマラソン五輪代表になれない」と
いったジンクスまであったほどだった。しかも800m育ちでトラック
中距離からというのはさらに異色の存在であったそうだ

第9回(1928年) アムステルダム五輪 マラソン成績

1、エルアフィ(フランス)2.32.57
2、プラザ(チェコ)2.33.23
3、マルテリン(フィンランド)2.35.02
4、山田兼松(日本)2.35.29
5、レイ(アメリカ)2.36.04
6、津田晴一郎(日本)2.36.20

48、永谷寿一(日本)3.03.34
452ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/05(火) 09:30:50
>>450
>>451
山田兼松は相当のヘビースモーカーだったらしい。アムステルダム五輪出場の為、船旅を強いられたが、
入菅チェックでひっかかった。大量のたばことたばこ紙を所有していたらしく、営利目的でもってきたと
思われ、一悶着あった。
「百害あって一理なし」などと周りは禁煙を勧めたが、「オレに取ってタバコが栄養なんだ!」とタンカをきり
仕事の合間にプカリプカリと吸っていた。
アムステルダム五輪も「自重しょう」と同僚の津田%
454ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/05(火) 10:19:02
(続き)
津田と「前半は自重しょうと」と話し合ったのに、元来の負けん気が出て前半からガンガンと飛ばした。
津田は仕方なく山田のペースに合わせ、ついていった。昔はチーム力も重視していた。
五輪史上もっとも日本人選手が主導権を握ったレースとなった。
津田晴一郎さんは日本人初めて五輪連続入賞された方ですね。
アムステルダムが6位、32年のロスが5位。
円谷幸吉さんが東京五輪代表に選出された時、当時の自衛隊体育学校の
畠野コーチは津田さんの助言がいちばん参考になったと語っていた。
トラック出身でマラソンを走るランナーが少ないので、練習作りがわからず
ライバルの君原のコーチ・高橋進さんや寺沢コーチの村社さんにも聞いた。
最後は五輪監督の織田幹雄さんが、「トラックランナーで
マラソン成功したのは津田だけだから、聞きに行け」と言われたという。
畠野さん自身、もう古い方なので今の時代に合わないと思っていて
半ば、織田さんへの義理で津田さんに会いに行ったら
津田さんの的確な助言に驚いたと後に語っていた。
456ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/05(火) 11:46:56
>>455 全力疾走でいけるところまで行く。ラストスパートは効かないけど
余力を残さず最後の一周まで走りぬくという円谷のスタイルにあっている
のは同様のスタイルでベルリン五輪のヒーローになった村社だと思っていた
のですが。。面白いエピソードですね。
>>455
持久型の代表的な寺沢にトラックの村社が教えてたのも面白いな。
まぁ君原の高橋進も元3000障害のランナーだからマラソン経験はない。
村社もマラソンは走ってないだろう。
当時はほとんどビルドアップが主流だったんだよな。
458ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/05(火) 19:18:27
>>425
>>426

速さに現れないが大試合で強かった選手がベルギーのリスモンだな。


2時間11分台の持ちタイムだったが堅実な走りでミュンヘン五輪2位。
モントリオール五輪3位で連続メダル。モスクワはボイコットを免れ、
3度目の五輪出場で9位。ここまでで君原と同じくすべてシングル順位。

そして4度目のロスにも出場してきた。次々選手がゴールする中、
カメラが一瞬、マラソンゲートを映した。何気に羽佐間アナウンサーが
ゼッケン番号を確認し、「あっ。あのリスモンですよ。リスモンが
帰ってきました」一瞬だったか懐かしい名前にびっくりさせれたのを
覚えている。たしかロスは24位。
少し前傾気味に走るファームが懐かしかった。
ショーターほど日本で知名度はなかったが、モントリオールの後、
上記の書き込みとおり、びわこ毎日で優勝。2時間14分08秒だった。
アベベ・ビキラ(エチオピア)

175cm、65kg
昭和7年(1932年)8月7日生まれ
生地はショア州・デュノバのジョル村
昭和26年(1951年)アジスアベバに出て(19歳)
ハイレ・セラシエ皇帝の親衛隊員となる
昭和31年(1956年)結婚(24歳)
この年エチオピアは初めてオリンピック参加(メルボルン大会)
このオリンピックにマラソン史上初の2連覇をかけたチェコスロバキアの”
人間機関車”ザトペックは6位と敗れ去った。
昭和32年(1957年)2月、ローマ大会の陸上強化選手に選ばれる(24歳)
コーチのオンニ・ニスカネン(スウェーデン人)の指導始まる

昭和35年(1960年)ローマオリンピック(28歳)

9月10日午後5時半
カンピドリオ丘スタート → アッピア旧街道(シーザーの道)→コンスタンティーノ凱旋門ゴール、
2時間15分16秒2(世界最高)、はだしの英雄となる。

はだしで走ったのは、たまたま今まではいていたランニング・シューズがすり切れて、
ローマではぴったりのものが見つからなかったからにすぎない。
もちろん子供の頃からはだしで走り回っていたそうであるから、
はだしの方がむしろ走りやすかったのかもしれない。

昭和39年(1964年)東京オリンピック(32歳)

10月21日午後1時
国立競技場スタート → 甲州街道折り返し → 国立競技場ゴール。
20km地点で早くも独走態勢に入り、そのままゴール。
史上初の五輪マラソン2連覇達成。
2時間12分11秒2(世界最高、オリンピック最高)。
3週間前の盲腸手術の影響をまったく感じさせなかった(ダーク・グリーンのランニングシャツ、
エンジのパンツ、シューズは真っ白でドイツ製)。

世界で初めてのテレビによるマラソンコース完全中継は、
延々とたった一人のアベベを映すことになってしまった。
中継カメラは1台しかなかったのである。しかし少しも飽きることがなかった。


昭和43年(1968年)メキシコオリンピック(36歳)

10月20日
16km地点で棄権。五輪マラソン3連覇は成らなかった。
しかし、同僚のマモ優勝。

その年の7月、練習中に転倒して左ヒザの筋肉を痛め、
走り込み不足であったことが大きな原因であろう。
年齢的にもマラソン・ランナーとしての最盛期はすぎていたといえるかもしれない。

昭和44年(1969年)自動車事故(36歳)
3月23日夜、フォルクスワーゲンを運転中、自損事故をおこし下半身不随となる
(第7頚椎のずれ)。
昭和44年(1969年)パラリンピック(36歳)
7月、ストーク・マンデビル病院で開かれたパラリンピックで、
アーチェリーと車イス競争に出場。事故から4ヶ月後のことであった。
その後、ノルウェーの身障者スポーツ大会でイヌぞりレースで優勝、など。

昭和48年(1973年)10月25日、死去(41歳)
脳出血が原因ではないかといわれている。

なお、アベベは戦後まもなくの頃一度日本に来たことがあるらしい。
朝鮮戦争出兵途中に(エチオピアの親衛隊兵士として?)
横浜港に立ち寄ったことがあるというのだ。
このとき実際に日本の土を踏んだのかどうかは定かではない。

第11回 ベルリン五輪男子マラソン

1936年8月9日 15時02分 スタート
27カ国 56人参加  完走42人  途中棄権14人

この大会の優勝候補筆頭は前回の覇者で4ヶ月前に2万mで世界記録を樹立した
ザバラ(アルゼンチン)。そして続いて、前年の1935年に2時間26分42秒の
世界記録を作った日本代表として参加した韓国の孫基禎。


スタートして最初の10kmではザバラ(アルザンチン)、ディアス(ポルトガル)
ブラウン(アメリカ)、ハーパー(イギリス)、孫基禎の順で通過。

折り返しでザバラが2位に浮上した孫、ハーパーを250m離して独走。
中間点はザバラが1時間11分09秒、孫、ハーパーは1時間12分19秒。
南昇龍は14位、塩砲玉男は大きく遅れた。

28kmでザバラのペースが急激に落ち始める。この大会でも1万mに6位入賞を
果たしたザバラだったが、気負い過ぎで前半がハイペースになってしまった。
その隙に孫がペースアップ。
ハーパーを置き去りに単独2位に上がり、アッという間にトップに躍り出る。
ここから孫の独走体制。2位には前回大会1万mで5位に入賞したハーパー(イギリス)
が入る。後半にペースを上げ、日本代表の南が3位に。ハーパーとの差を100m
までに詰め寄った。
1924年にストックホルム大会で金栗四三が参加してから24年目で念願の金メダル。
南も3位で金と銅を獲得。しかし両氏の成績は韓国としての扱いと考えられている。

ベルリン五輪 男子マラソン 成績

1、2時間29分19秒2 孫基禎(日本)
2、2時間31分23秒2 ハーパー(イギリス)
3、2時間31分42秒0 南昇龍(日本)
4、2時間32分45秒0 タミラ(フィンランド)
5、2時間33分46秒0 ムイノーネン(フィンランド)
6、2時間36分17秒0 コールマン(南アフリカ)

7、2時間37分06秒2 ロバートソン(イギリス)
8、2時間38分04秒0 ギブソン(イギリス)
9、2時間39分33秒0 タルキアネン(フィンランド)
10、2時間43分12秒0 エノクソン(スウェーデン)
11、2時間43分20秒0 キリアキデス(ギリシャ)
12、2時間45分34秒0 カレッド(フランス)
13、2時間46分08秒4 パルメ(スウェーデン)
14、2時間46分29秒0 ツシェク(オーストリア)
15、2時間48分21秒4 バートレッド(カナダ)

塩砲玉男  途中棄権
462ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/05(火) 22:39:05
IOCのサイトにはProfileという項目があり300人以上のアスリートがビデオと
ともに紹介されている。マラソンランナーはアベベ、ザトペック、孫の3人。
勿論ゲブレシラシエやビレンも選ばれているが、あくまでトラックランナー
としての選出である。連覇のチェルピンスキーの項目がないのは仕方がない
かなと思うがショーターの項目がないのは驚き。何故か荒川静香の項目が
あり、どういう基準かわからない(最近のランナーではベケレもある、女子
マラソンではベノイトが入っているだけのようだ)。しかしザトペックを
トラックが主のランナーとするとIOCの判断では戦後最強はアベベ、戦前は
孫ということのようだ。アベベが史上最強ということは論をまたないであろう。

因みにマラソン参加としてのアベベの最初の来日は61年6月25日の第16回
毎日マラソン(大阪・浜寺公園-岸和田城折り返し)である。カミナリ族の
吐き出すいまわしい排気ガスと80%を超える湿度に悩まされ2時間29分27秒
もかかったが、2位には10分半もの大差をつけ貫禄を示した。
1936年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間28分32秒  孫基禎(日本)
2、2時間31分23秒  ハーパー(イギリス)
3、2時間31分42秒  南昇龍(日本)
4、2時間31分57秒  コールマン(南アフリカ)
5、2時間32分09秒  ギブソン(南アフリカ)
6、2時間32分45秒  タミラ(フィンランド)
7、2時間32分48秒  中村信市(日本)
8、2時間33分41秒  ブラウン(アメリカ)
9、2時間33分46秒  ムイノネン(フィンランド)
10、2時間33分56秒  池中康雄(日本)
1937年度   男子マラソン 世界10傑

1、2時間30分38秒 ディアス(ポルトガル)
2、2時間30分45秒 ギブソン(南アフリカ)
3、2時間33分20秒 ヤング(カナダ)
4、2時間33分45秒 デンギス(アメリカ)
5、2時間34分17秒 柳長春(日本)
6、2時間35分07秒 川口俊雄(日本)
7、2時間35分38秒 樺沢繁一(日本)
8、2時間35分45秒 ムイノネン(フィンランド)
9、2時間35分58秒 金鉢房(日本)
10、2時間36分09秒 中村信市(日本)


1938年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間30分28秒 デンギス(アメリカ)
2、2時間30分50秒 コールマン(南アフリカ)
3、2時間32分24秒 中村信市(日本)
4、2時間34分47秒 ヤング(カナダ)
5、2時間35分23秒 橋本伊勢雄(日本)
6、2時間35分35秒 ポウソン(アメリカ)
7、2時間36分40秒 ビイマン(イギリス)
8、2時間37分16秒 コート(カナダ)
9、2時間37分25秒 ベルテシュ(ドイツ)
10、2時間37分27秒 ブリストウ(カナダ)


1939年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間28分52秒 ブラウン(アメリカ)
2、2時間31分25秒 ヘイニック(アメリカ)
3、2時間31分26秒 呉束祐(日本)
4、2時間31分34秒 古賀新三(日本)
5、2時間32分41秒 ヤング(カナダ)
6、2時間32分44秒 デンギス(アメリカ)
7、2時間33分25秒 レスタ(イタリア)
8、2時間33分36秒 ディアス(ポルトガル)
9、2時間33分58秒 ポウソン(アメリカ)
10、2時間34分20秒 樺沢繁一(日本)
465ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/05(火) 23:03:13
一体1930年代の記録をどこで見つけてくるのか。凄い資料だ。リーフェンシュタール
の「民族の祭典」のお陰もあって、ここの住人にとってベルリン五輪のマラソンの映像
は慣れ親しんだものであろう。レース前に自信満々だったザバラの印象が強いが、
ヘルシンキのピータース同様虚勢だったのだろうか。
戦前(昭和20年 1945まで) 男子マラソン 日本歴代20傑

1、2時間25分41秒 孫基禎   
2、2時間26分44秒 池中康雄
3、2時間26分53秒 塩砲玉男
4、2時間27分17秒 中村信市
5、2時間27分49秒 鈴木房重
6、2時間29分20秒 鈴木憲雄
7、2時間30分12秒 川口俊雄
8、2時間31分10秒 楠弘好蔵
9、2時間31分24秒 柳長春
10、2時間31分26秒 呉束祐

11、2時間31分31秒 矢萩丹治
12、2時間31分34秒 古賀新三
13、2時間31分42秒 南昇龍
14、2時間32分36秒 高橋清二
15、2時間32分56秒 相良賢一
16、2時間33分06秒 花野芳雄
17、2時間33分26秒 津田晴一郎
18、2時間33分34秒 石田武雄
19、2時間33分42秒 竹中正一郎
20、2時間33分44秒 瀬口一郎
男子マラソン  年度別 日本ランキング 1位(1924−1939

1924年(大正13年) 2時間36分09秒 金栗四三
1925年(大正14年) 2時間36分41秒 丸三郎
1926年(大正15年昭和元年) 2時間38分10秒 前川茂作
1927年(昭和02年) 2時間38分44秒 高橋清二
1928年(昭和03年) 2時間35分29秒 山田兼松
1929年(昭和04年) 2時間35分24秒 楠好蔵
1930年(昭和05年)2時間36分33秒 渋井福太郎
1931年(昭和06年)2時間34分04秒 塩砲玉男
1932年(昭和07年)2時間31分31秒 矢萩丹治
1933年(昭和08年) 2時間31分10秒 楠好蔵
1934年(昭和09年)2時間32分56秒 塩砲玉男
1935年(昭和10年)2時間26分42秒 孫基禎
1936年(昭和11年) 2時間28分32秒 孫基禎
1937年(昭和12年) 2時間34分17秒 柳長春
1938年(昭和13年) 2時間32分24秒 中村信市
1939年(昭和14年) 2時間31分26秒 呉束祐
468466:2008/02/05(火) 23:42:59

単純に記録の良いものでの20傑になっているが
実際に公認になってない記録も含まれている。
公認記録での10傑は

1、2時間26分42秒 孫基禎   1935.11.03 東京 1位
2、2時間26分44秒 池中康雄  1935.04.03 東京 1位
3、2時間29分55秒 中村信市  1935.11.03 東京 2位
4、2時間31分10秒 楠好蔵   1933.11.03 東京 1位
5、2時間31分21秒 塩砲玉男  1935.11.03 東京 3位
6、2時間31分26秒 呉束祐   1939.11.03 東京 1位
7、2時間31分31秒 矢萩丹治  1932.04.03 東京 1位
8、2時間31分34秒 古賀新三  1939.04.05 小倉 1位
9、2時間31分38秒 木元在夫  1942.11.03 東京 1位
10、2時間31分42秒 南昇龍   1936.08.09 ベルリン 3位
469ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/05(火) 23:51:45
金栗四三
明治45年、当時の世界記録を27分も破る2時間32分45秒の好タイム。
マラソンと言う競技を根本から変えた。
大正3年には世界記録2時間19分30秒樹立(非公認)
オリンピックには3回出場したが、残念ながら活躍は出来なかった。
昭和42年スウェーデンオリンピック委員会の招きによりスウェーデン訪問、
54年ぶりに競技場に立った。ゴール前20mから走ってテープを切る演出を寄贈された。
54年8ヶ月6日5時間32分20秒3、「世界でもっとも遅いマラソンの
記録を達成した」と記載される。半世紀目のゴールをはたす。(ギネス公認)
最晩年は福岡国際に足を運び、日本のホープ瀬古利彦に日本マラソンの
未来を託していた。ロス五輪最終選考会を楽しみにしていた矢先、
昭和58年11月13日、92歳で永眠。

生涯に走った距離は25万キロ、地球6周と4分の1といわれる。

紫綬褒章受章
勲四等旭日小綬章受章
従五位銀杯下賜


このスレ面白いなぁ。
本当にマラソン・トリビアのようだ。
インターネットで検索しても出てこない資料のオンパレード。
古い雑誌や書物を多く所有しているのと当時のマラソンを
録画しているのであろうね。
クレクレですが、またいろいろの観点からレスお願いします!!
471ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/06(水) 07:14:06
自演おつかれさまです
472ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/06(水) 11:16:51
昔から日本は世界ランク入りしてんだな。
孫が戦前の最強ランナーだろうな。
>>469
金栗は途中で脱水症状を起こして失神したと聞いた。当時は棄権の伝達が悪く、
競技場で金栗を待ちわびたとか。だから半世紀ぶりのパフォーマンスになったのだろうね。

昔は破天荒で面白いなエピソードが多い気がする。
474ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/06(水) 21:42:56
>>472 日本人の世界記録は以下の4例。孫の記録は戦前最後の記録として
1947.4.19に韓国のBok-Suh Yunに更新されるまでの長寿記録だった。

2:26:44 池中康雄(東洋大)1935.4.3 神宮
2:26:41 孫基禎(養正高普)1935.11.3 神宮
2:15:15:8 寺沢徹(倉レ)1963.2.17 別府
2:12:00.重松森雄(福岡大)1965.6.12 チスウィック

後1967.12.3の佐々木精一郎(九州電工)2:11:17.0は世界記録を上回ったが、
同じレースでクレイトン(豪州)が2:09:36.4を記録したため世界記録とは
ならなかった。  
戦前の面白いレースとして
昭和4年に大阪ー東京間を8日間かけて走る
643kmマラソンが開催されている。
優勝は昭和3年(前年)にアムステルダム五輪で
4位入賞をした山田兼松(香川)が59時間29分11秒
のタイムで優勝している。
2回大会も同じコースで開催されたが、第3回大会は
青森ー東京間 756km だったよう。


>>474
寺沢徹の全盛期はローマ五輪から東京五輪の間で
ちょうどオリンピックの狭間に位置し、不運といえば
不運であった。
このころの寺沢はほとんど国内レースで連勝。
他の選手が打倒寺沢を合い言葉に挑んだ感じがした。
特に世界最高をだした63年の別府大分マラソンは
新鋭の君原らと前半から好ラップを刻んだ。
幸運な事に行きと帰りの風が両方とも追い風に
なり好選手との競り合いもあり生まれた記録だ。
ローマ五輪でアベベがマークしたタイムを0,4秒
の最新だったがアベベの記録を破ったという
ことで話題になった。しかしこの記録もすぐに
破られたのを覚えている。
東京五輪の頃は少し力が落ちており、成長した
君原よりも評価は下がっていたと思う。


重松森雄は君原健二、円谷幸吉と同級生で、特に君原とは
福岡で同県人だった。九州電工時代は、君原よりも将来を
有望され熊日30kmで日本最高で優勝(君原は確か3位)。
九州電工から福岡大学に進学。
マラソンでは東京五輪の代表選考会で惨敗。それをバネに
翌年のボストンマラソンを2時間16分33秒で制覇。
そして2ヶ月足らずでウインザーマラソンに挑戦。
2時間12分00秒の世界最高記録を樹立した。
東京五輪のアベベの記録(2時間12分11秒2)は
不滅の記録といわれていたが、重松の快走はボストンの
勢いのまま達成された感じであった。
67年の国際マラソンでクレイトンに破られるまで
約2年間世界最高記録を保持。しかし重松は国内では
ほとんどマラソンで好成績をあげることができなかった
感じがする。重松のマラソン歴は1965年がピーク
のように思えた。比較的、円谷や森下に似た活躍期間
の短い選手といえるだろう。

477ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/06(水) 23:03:09
>>476 決して寺沢は東京五輪前にピークを迎えたのではない。確かに東京五輪
前に調子を落として君原の方が期待されている状態ではあったが、五輪後復調
し、自己の日本記録を2回更新している。五輪後2ヶ月を経ての朝日国際マラソン
で2:14:38.0の日本新で優勝。翌年のウィンザーマラソンでは更に記録を更新
して2:13:41.0(世界歴代3位)を記録した。しかしこの大会での1位が重松森雄
であり、アベベの記録を更新する世界新であり、王者が交代した。因みにこの
ウィンザーマラソンでは3位に寺沢の記録を更新した元世界記録保持者のエデ
レンが2:14:34.0で入り、4位は岡部宏和であった。

寺沢はその後、クラレの監督として谷村隼美等を育て、有力新人宮下敏夫を
順大から迎えて実業団駅伝に優勝したが、繊維不況のせいかその後活動を
縮小していった。
478ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/06(水) 23:09:54
>>474 記録変遷表には載っていないが1953年のボストンで山田敬蔵が優勝
したときの2時間18分51秒は世界新記録と報道された。また2年後の浜村秀雄
の記録2時間18分22秒も歴代2位とのことであったが後年距離不足が判明し、
記録自体が抹消された。しかし何故か1947年の世界記録は更新表に残って
いる。
>>478


ボストンマラソンの優勝者と五輪覇者とはあまり縁がない。
五輪金メダリストがボストンに出場しないケースも多い。
1896年のアテネ五輪優勝のスピリドン・ルイスは第1回のボストンマラソンに参加。
しかしトップから6分遅れて優勝できなかった。あのアベベやショーターもボストンには
勝てなかった。
90年にソウル五輪の覇者ボルディンが勝ってジンクスを突破。

五輪銀メダリストになるとミハリッチ(ユーゴ)、君原健二、李鳳柱、銅メダルでは
デ・マー(アメリカ)、カルボーネン(フィンランド)らが優勝している。
また他にも五輪入賞してボストン優勝も数が少なく 昔ではヒル(イギリス)、
ドレイトン(カナダ)ほか80年代までは6人しかいなかった。
世界最古の伝統のボストンと五輪優勝も別ものであった。
480ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/06(水) 23:33:19
1951年ボストンマラソン(アトムボーイ田中茂樹)

戦後の傷跡が残る1951年に初の非アジア海外遠征として第55回ボストン
マラソンに日本から小柳舜冶、内川義高、排郷弘美、田中茂樹の4選手を
派遣した。なにしろ敗戦国であるから海外に出ることすら簡単なことでは
なかった。懲罰の意味もこめて戦後初のロンドン五輪には参加資格が与え
られなかった程である。従って4人の遠征は戦後初の洋行であり、久しぶり
の世界での桧舞台であった。

下馬評では優勝候補は優勝経験のあるジョン・ケリー(米)、徐潤福(韓国)、
ラガゾア(ギリシア)であり、ダークホースとして前年3位までを独占した
他の韓国勢とポップ・ブラックがあげられていた。現地の新聞ボストングローブ
によれば日本勢に「一番期待されている排郷は足を痛めている。むしろ広島
生まれの原爆ボーイ、19歳のシギー田中が注目される」との評であった。

レースは日本選手の予想したペースよりも速い展開になった。16マイルを
コースレコードを14秒上回る1時間31分35秒で通過した。日本選手は排郷以外
の3人のうち小柳が先頭集団につけ、内川、田中と続いた。田中までトップから
1分差ほどであった。

田中は後半に強い選手として知られ、レース前にコーチの津田晴一郎から「
前半を抑え、後半で勝負」とのアドバイスを受けていた。それだけに速い
レース展開の中でもトップが見える位置で冷静にレースを運んだ。

後半に入り、難所ハートブレーキングヒル(実際に行ったことがあるが大した
ことない勾配)でトップ集団が崩れ、徐を先頭にラファーティ、ラガゾアと
続き、小柳、内川は疲れ遅れて、混戦模様となった。

田中は登り坂でも無理をせず、ゴールまで4マイルの下り坂にさしかかった
ところで勝負に出た。ここで一気に田中はトップに立ち、独走態勢を築く。
しかしゴール前2マイルで疲れスピードが目に見えて鈍った。19歳の少年は
必死で頑張り歓声の渦巻くゴールを駆け抜けた。終わってみれば2位に3分半
もの差をつける圧勝であった。

19歳の広島の原爆ボーイが優勝、との報は全世界を駆け巡り、それだけに
敗戦国日本の陸上界は狂喜し、帰国の際も熱狂的に迎えられた。
481ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/06(水) 23:37:24
>>473 初期の面白いエピソードとしては第4回ロンドン五輪にとどめを差す
であろう。 初期のマラソンでは距離は固定しておらずおよそ40km程度の
ロードレースであった。現在の42.195km(26miles385yard)に固定されたのは
第4回ロンドン五輪の後である。この五輪では当初ウィンザー城とロンドン
の競技場間の25milesのコースでのマラソン競技を予定していたが、まず
皇太子妃が子供にもスタートが良く見えるように要請し1mile伸び、更に
王妃がロイヤルボックス前の良く見える場所でゴールするように要請した
ために更に385yard伸びたと言われている。このようにロンドン五輪でコース
長が42.195kmになったのは全くの偶然による。しかしこのときのレースで
イタリアのドラントが独走で競技場に入って来ながら、疲労のためか何度も
ゴール前で倒れ、結局は見かねた競技役員の助けでゴールしたために失格に
なったことが感動を呼んだ。(因みにドラントを助けた競技役員の一人が
シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルであり、ドラント
は興奮剤を使っていたと証言していたようである。つまりドーピングであった
可能性が高い)そのためマラソン競走の距離は42.195kmと固定されるように
なった。
1960年以降の「最強」ノミネートは上スレで既にあるが、
1960年以前に最強ノミネートは

デ・マー(アメリカ)(24年パリ五輪3位、28アムステルダム五輪27位、ボストン7度優勝)
孫基禎(日本ー韓国) (36年ベルリン五輪優勝、世界記録樹立)
ピータース(イギリス) (世界記録4度の最新)
ザトペック(チェコスロバキア)(52ヘルシンキ五輪優勝、56メルボルン6位)
カルボーネン(52ヘルシンキ5位、56メルボルン3位)

あたりか、

記録の脅威はピータース。
年度別世界ランキング上位ランク1位はカルボーネン
世界記録の保持期間の長さは孫基禎
インパクトはザトペックか。

T&F誌での実力ランキング総合1位のカルボーネンが最強か。




マラソン・トリビア炸裂だ。
以前のマニアックな内容になってきた
>>481

1908年  ロンドン五輪  男子マラソン

16カ国 56名参加  28人途中棄権

レースは以前から「暴走ランナー」の異名をとったドランド・ピエトリ(イタリア)
ともかく初マラソンこそゴールまでたどり着いたが、4回中3回の途中棄権がある
ランナー。いつもの走法はスタートするや先頭に立ち、絶対に抜かせない、
相手がスピードを上げれば、しゃにむに食い下がって先頭を奪い返す。
ペース配分もなく、イケイケドンドンで完走を目指す。この五輪もまったく
ドラントの走りそのものだった。このときドラントは22歳。

1908年7月24日 14時半にウインザー城からスタート。
スタートしてドラントが先頭に。3kmまではヘアーロン(南アフリカ)が
食い下がるが、あまりのハイペースにすぐに後退した。
ドラントの独走。しかしロンドン市内に入った頃、風がなくなり温度が上がる。
ゴールが視野に入ったころ、急激にペースが落ちた。なんとか競技場まで
たどり着いたが、テープまでの最後の直線100mでドラントは右に左に
足元がおぼつかない。医師と役員8人が取り囲んで激励。ラスト10mで
ついにひっくり返った。執念で起き上がる。しかし2位のヘイズ(アメリカ)が
競技場に戻ってきた。役員は見かねて、ドラントの右腕を抱えてゴール。
やがて成績が発表され1位、ドラント・ピエトリ 2位ヘイズ
これには当然クレームがつき、ドラントの優勝は取り消された。

ロイアルボックスで一部始終を観戦していたアレクサンドラ王女はドラント・
ピエトリにいたく同情し、ドラントがロンドン滞在中に王女は純金のカップを
作成させ、贈った。ドラントの名声はにわかにヨーロッパ中に広がった。


1908年  ロンドン五輪  男子マラソン 成績

1、2時間55分18秒4 ヘイズ(アメリカ)
2、2時間56分06秒0 ヘアーロン(南アフリカ)
3、2時間57分10秒4 フォショウ(アメリカ)
4、2時間59分44秒4 ウェルトン(アメリカ)
5、3時間01分44秒0 ウッド(カナダ)
6、3時間04分28秒2 シンプソン(カナダ)

7、3時間06分47秒2 ローソン(カナダ)
8、3時間07分50秒8 スバンベリー(スウェーデン)
9、3時間09分15秒0 テワニマ(アメリカ)
10、3時間09分50秒8 ニエミネン(フィンランド)

参考記録 2時間54分46秒4 ドラント・ピエトリ(イタリア)
>>482

デ・マー(アメリカ)

20歳でボストンマラソン初出場。翌年の15回大会(1911)で初優勝。
ストックホルム五輪代表となる。 初の五輪は12位。
ここで一度引退をしている。理由は貧乏所帯を支えていた母親の手伝いを
求められ、農場へ出稼ぎに行く。31歳で開放され再度走り始める。
運よくボストンを3連勝。
1924年パリ五輪では銅メダルを獲得。
39歳になった1928年アムステルダム五輪は27位と敗退。山田、津田に
先着される。
27.28.30回大会でもボストンを制覇。7度目の優勝は41歳になっていた。
この後も66歳まで走り続けて、46年間に100回以上のレースに参加。
ボストンでは33回連続出場となった。
1958年癌のため死去。76歳だった。
>>484 遠い昔も福士のようなランナーがいたんだな。
五輪の先行逃げ切りは厳しい!!!
>>482
さすがにこのあたりのメンバーはリアルタイムで見れないからな
判断は実績のみしかないそれか大昔の陸マガでの評判か。

カルボーネンがT&F誌での評価が高いようだね。
>>427

第20回 ミュンヘン五輪 男子マラソン レース展開

1972年9月10日 最終日 午後3時2分スタート

36カ国 74人参加  途中棄権7人

(参加選手 ベスト5)
1、2時間08分33秒6 デレク・クレイトン(オーストラリア)69
2、2時間09分28秒  ロナルド・ヒル(イギリス)     70
3、2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(日本)         70
4、2時間11分35秒8 ケニス・ムーア(アメリカ)     70
5、2時間12分12秒  采谷義秋(日本)          70

羽佐間アナー「エチオピアの4連勝なるか。これが最大の焦点であります。世界最高は・・・
    アッ、日本の采谷が(写って)います。 オーストラリアのクレイトンが持っている・・
    ハハーン、ドイツの放送局もなかなか日本選手をマークしている模様です。
    采谷、宇佐美をとらえていますが、君原の姿が見当たりません。

    「手元に入りましたエントリーは74人です。さーぁスタートしました。
     こちらの時計で3時2分です。マラソンのスタートを切って、早くも日本の
     宇佐美が第2位におります。白い帽子を被っているのが、日本のマラソントリオ中でもっとも期待をしております。宇佐美!
     果たして日本は日の丸を揚げることが出来るのでしょうか。」

スタートートラックを2周したあと、次々と第3コーナーからロードへ。
     先頭はアルゼンチンのモリナ。

4km− 宇佐美がクレイトンと並んで先頭。すぐ後ろはリスモン(ベルギー)、マモ(エチオピア)
     ローランツ(ベルギー)、ヒル、が続く。君原は16番目。
     
5km−15分51秒。ヒルが先頭でラップをとる。宇佐美、クレイトンが
     ぐんぐん出てきて先頭集団の柱を作る。
     50m後方に第二集団。君原はこの中で15分59秒で通過。
     采谷はさらに10m遅れて第三集団。

10km−31分10秒(15分19秒)果敢に宇佐美が先頭。
     先頭集団は15人に絞られる。ローランツも先頭に出てきたりと
     序盤での駆け引き。ショーター(アメリカ)、バチェラー(アメリカ)、
     ニッカリ(フィンランド)、ヒル、マモ、ムーア、リスモン、
     フォスター(ニュージーランド)あたりが集団の中。

13km−宇佐美とマモが集団の先頭。ニンフェンベルグ宮殿の石畳に入る。
     君原が200m遅れで16位。采谷は入賞圏外に去り、31位。

15km−ショーターが飛び出しをはかり、46分21秒。ショーターはこの区間を
     15分09秒。2番手・宇佐美との差が5秒。まだまだ宇佐美の表情には
     余裕を感じさせる。宇佐美の後ろはニッカリがつく。
     君原は15位。采谷は26位で通過。

15kmで揺さぶりを試みたショーターはそのままピッチを上げて2位以下を引き離し
にかかる。アッという間に宇佐美に140m近くの差をつける。
集団は宇佐美の他、リスモン、マモ、ニッカリ、バチェラー、ムーア、
クレイトン、ヒル。 君原は16位。ショーターから400m差。


宇佐美の足取りが重く、集団から離れ始める。

25km−1時間17分05秒。ショーターは独走。
     2位に浮上したマモ、クレイトン、ムーアに300m差をつける。
     宇佐美はぐっと遅れ3人から300m差。すでにショーターとは600m
     もの差がついてしまった。入賞も厳しい情勢。  
     君原14位へ。疲れは感じないマイペースの走り。

30km−ショーターから1分05秒遅れで、2位争いはマモとムーアに絞られる。
     4位リスモン、5位クレイトン、6位、バチェラー、7位ニッカリ、
     8位フォスターは50m間隔で通過する。

宇佐美がかなりの疲労を見せている。口を丸く突き出すようにし、半目の状態で
     走っている。10位まで後退。後続君原がペースアップし、一気に
     5人向き。ついに君原と並んで9,10位で通過。

32km−君原がクレイトンをかわす。


リスモンがペースアップし、3位に浮上。ムーアが後退。2位マモはだいぶ足取りが重い。
2位マモ、3位リスモン、4位ムーア。  君原がフォスターを捕らえ8位へ。

40km−ショーターが2時間05分31秒で通過。この間を16分51秒に落ちてきた。
     しかし後続の足取りはさらに重い。
     600m遅れで2位にリスモンが上がる。その直後にマモが通過。4位はムーア。
     ついに40kmで君原が2mもあるアメリカのバチェラーを抜き
     5位まで順位を上げた。後続30mで参加選手中、最年長40歳のフォスター。
     7,8位争いがバチェラーとヒル。宇佐美は12位で通過。

ゴールー独走ショーターが2時間12分19秒2で五輪初優勝。
    2位は新鋭のリスモン。五輪4連覇を目指した36歳マモがメキシコに
    続いて連続メダルの銅メダルを獲得した。

羽佐間アナー「32回目のレースであります。見事にやりました!
       15回目の海外レース。底知れぬ力。
       大レースにおける精神力。彼の体内に潜む不思議な力であります。
       それがピークを越えたといわれながら第5位で入ってきました。
       驚くべきマラソンランナー31歳日本・君原!今、第5位でゴールイン!
       ゴールインしました。見事、入賞しました。」

君原は前回メキシコ五輪(銀メダル)に続く連続入賞を果たす。
ミュンヘン五輪で唯一の陸上競技での入賞となった。
優勝を逃したとしても、メダルは確実とまでいわれた期待の宇佐美は12位の惨敗。
ピークを過ぎた采谷も36位と崩れた。





第20回ミュンヘン五輪  男子マラソン成績

1、2時間12分19秒8 ショーター(アメリカ)
2、2時間14分31秒8 リスモン(ベルギー)
3、2時間15分08秒4 マモ・ウォルデ(エチオピア)
4、2時間15分39秒8 ムーア(アメリカ)
5、2時間16分27秒0 君原健二(日本)
6、2時間16分30秒6 ヒル(イギリス)

7、2時間16分34秒4 マクレガー(イギリス)
8、2時間16分56秒2 フォスター(ニュージーランド)
9、2時間17分38秒2 バチェラー(アメリカ)
10、2時間18分36秒8 ベダネ(エチオピア)
11、2時間18分49秒4 ニッカリ(フィンランド)
12、2時間18分58秒0 宇佐美彰朗(日本)
13、2時間19分49秒6 クレイトン(オーストラリア)
14、2時間20分02秒2 ベリコロデニ(ソビエト)
15、2時間20分10秒4 バラノフ(ソビエト)
16、2時間20分19秒0 アンゲンフォース(西ドイツ)
17、2時間20分39秒6 マブサ(スワジランド)
18、2時間20分44秒0 デミシェ(エチオピア)
19、2時間21分06秒4 パウコーネン(フィンランド)
20、2時間21分54秒8 カーカム(イギリス)

36、2時間25分59秒0 采谷義秋(日本)
 ミュンヘン五輪 優勝 フランク・ショーター(アメリカ) ラップタイム

5km 15分51秒
10km 31分12秒(15分21秒)
15km 46分21秒(15分09秒)
20km 1時間01分30秒(15分09秒)
25km 1時間17分05秒(15分35秒)
30km 1時間32分49秒(15分44秒)
35km 1時間48分40秒(15分51秒)
40km 2時間05分31秒(16分51秒)
2.195km(6.48.8)

2時間12分19秒8
492ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/07(木) 20:53:53
ショーターの自己ベストはミュンヘンの年の暮れの福岡で記録した2時間10分
30秒(当時歴代3位)だった。ショーターの力からすると物足りないベストの
ように感じる。このレースはクレイトンが久しぶりに来日し、再戦を挑んだが
13キロで遅れ途中棄権と惨敗した。レースは10キロ29分45秒という速い展開
ながら浜田が24キロまでつく健闘を見せた。しかし結局は27.6キロでただ一人
ついていたファリントンが簡単に振り切られ後は独走で悠々ゴールした。

このレースで注目されたのは第2集団で淡々とレースを進めた大槻憲一
(東洋工業)であった。(確か)競技場に入ってからセポ・ニッカリをかわし
3位に食い込んだレースぶりは見事であった(2:14:00.6)。

大槻は1969,70年の日本選手権10000mで連覇するなどスピードランナーとして
も知られ、30kmレースでも強さを発揮した(熊日30km1973優勝)。特に大槻が
強さを発揮したのは実業団駅伝で最長6区(23.4キロ)で1971年から3年連続
区間賞で、そのうち2年連続区間新、71年は東洋工業の優勝に大きな貢献を
果たし、翌72年の区間記録1゜09'46"は鎌田俊明に75年に破られたものの1985
年まで続いたこのコースでの歴代3位の記録として残った優れたものであった。
(1位は1984年の瀬古利彦1°08'30"であった。)72年の大会では1位を走る
クラレの大型新人宮下敏夫(現姓木内)を激しく追い込んだ韋駄天走りは
語り草になっている。72年の福岡で快走をしたのを裏付ける充実振りであった
が73年のシーズンには飛躍がなく、マラソンとしてのベストが72年福岡の
記録で終わったのは残念であった。
493ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/07(木) 21:09:39
メルボルン五輪(1956:川島義明=5位を中心に)

12月1日、いつもの大会と同様、大詰めにマラソン競技が行われた。五輪直前の10月7日に
世界新(未公認記録は下回る)を出した小掛照二が跳躍日本の復活の期待を一身に受けた
が、まさかの8位で入賞も出来ない惨敗に終わった。勿論、他の種目も連戦連敗で、戦前の
遺産で3つの入賞を果たしたヘルシンキに比べても最終日まで入賞0の重苦しい雰囲気の
中でのマラソンであった。

日本選手団は川島の他、浜村秀雄、広島庫夫の3人であり総計45人と一緒にスタートを
。20キロ過ぎ川島が3位に進出し、30キロではミムンがトップ、2位にカルボーネン、
ミハリッチ、川島が並ぶ。川島は惜しくも足の痛みで後退。後2キロで李に抜かれ5位
になり、僅かに6位ザトペックを抑えた。
@ミムン(仏)2.25.00
Aミハリッチ(ユーゴ)2.26.32.
Bカルボーネン(フィンランド)2.27.47.
C李(韓国)2.28.45.
D川島(日大)2.29.18
Eザトペック(チェコ)2.29.34
浜村は右ひざを痛め16位。広島は8キロ地点で電車の軌道に足を突っ込み、30キロで
右足肉離れで転倒する中、殿で走りぬきゴール。
494ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/07(木) 21:43:16
1973年の福岡でも日本選手最上位だったのは大槻であった。しかし順位は5位で、
記録も悪かった。大会前期待されていたのは北山吉信(旭化成)であった。この
年、北山は日本歴代8位の2時間13分24秒をあの糞事件で名を馳せた毎日マラソン
で、更にマクソールマラソンでも2時間13分29秒を記録しレッセに続いたことで
その安定性と若さが注目されていた。しかし大会ではいいところなく惨敗。むしろ
大会後では大型ランナー宗兄弟のデビューと猛の7位にスポットライトがあたって
いた。大会はショーターが5キロ14分36秒という猛烈なペースで先行し、初めから
独走し、楽勝で3連勝を果たした。
宇佐美彰朗が日本人初勝利した国際マラソン(現・福岡国際)は1970年の大会。
外国招待は67年大会に勝利しているアドコックス(イギリス)、この年に人類2人目のサブテンを記録した
ヒル(イギリス)、のちのミュンヘン五輪で4位に入るムーア(アメリカ)、年度別世界ランク1位獲得
経験のあるファーリントン(オーストラリア)ら。
レースは序盤スローで推移したが、優勝候補筆頭のヒルとアドコックスが折り返し手前で集団から脱落。
先頭集団は宇佐美、采谷義秋、上岡忠明、谷村隼美、ボルコフ(ソビエト)、
フォスター(ニュージーランド)、ファーリントンの8人。
雁ノ巣を折り返してから前半の向かい風が追い風に変わり、ピッチが上がってくる。
25kmでファーリントン、谷村が脱落。その後フォスターも脱落し5人へ。
28km過ぎに好調・宇佐美のピッチがさらに上がる。采谷、ムーアはつくが、上岡とボルコフが脱落。
この25-30kmを14分59秒で走破。30kmで采谷が脱落。さらに30-35kmを15分6秒
でカバーしてムーアにも100m差をつける。その後は宇佐美の独走。日本最高で世界歴代3位
2時間10分37秒8で日本人初優勝を成し遂げた。
翌年の1971年・6回大会はショーター(アメリカ)が初招待。しかしこの時はベスト2時間17分台
のランナー。優勝候補筆頭は前年優勝で出場選手中、最高タイムを持つ宇佐美彰朗。
最初の5kmを14分42秒で入るハイペース。5km過ぎからレースは落ち着く。
23kmで集団は宇佐美、ファーリントン、ショーター、ニッカリ(フィンランド)、フォスターの5人。
ショーターは23kmまで集団のしんがりにつけていたが24kmで初めて先頭に出てくる。
そしてスパート。4人の反応が遅れる。25kmで60mのリード。
宇佐美、フォスターは余裕があり、実績の少ないショーターが飛ばし過ぎを懸念して自重気味。
しかしショーターのピッチは上がっていき、15-20kmで16分21秒かかっていたペースが
20-25kmで15分11秒に跳ね上がる。30kmで宇佐美に200m近く差をつける。
焦ってきた宇佐美はペースを上げ始め、35kmでフォスターを引き離し、ショーターに100m弱まで
迫ったが、昨年のようなキレがなく追い付かない。
ショーターが逃げ切り初優勝。2時間12分50秒4のベストタイムだった。宇佐美は結局2位。

そして翌年の9月、ショーターはミュンヘン五輪を制す。


第5回 国際マラソン選手権大会 結果 (1970年12月6日)

優勝 2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(桜門陸友会) {日本最高記録 世界歴代3位}
2位 2時間11分35秒8 ケニス・ムーア(アメリカ)
3位 2時間12分12秒0 采谷義秋(竹原高校教員)
4位 2時間12分17秒8 ジャック・フォスター(ニュージーランド)
5位 2時間12分58秒4 ジョン・ファーリントン(オーストラリア)
6位 2時間13分32秒0 ビル・アドコックス(イギリス)
7位 2時間13分46秒0 上岡忠明(東洋工業)
8位 2時間14分28秒0 ユーリー・ボルコフ(ソ連)
9位 2時間15分27秒0 ロン・ヒル(イギリス)
10位 2時間16分08秒0 平井勝昭(黒崎窯業)


優勝・宇佐美彰朗  ラップタイム

5km 15分24秒
10km 30分55秒   (15分31秒)
15km 46分32秒   (15分37秒)
20km 1時間02分15秒(15分43秒)

中間点 1時間05分39秒

25km 1時間17分27秒(15分12秒)
30km 1時間32分26秒(14分59秒)
35km 1時間47分32秒(15分06秒)
40km 2時間03分27秒(15分55秒)
2.195km        (7分10秒8)

ゴール 2時間10分37秒8 (日本新・世界歴代3位)


第6回 国際マラソン選手権大会 結果 (1971年12月5日)

優勝 2時間12分50秒4 フランク・ショーター(アメリカ)
2位 2時間13分22秒8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)
3位 2時間13分42秒4 ジャック・フォスター(ニュージーランド)
4位 2時間16分21秒4 セポ・ニッカリ(フィンランド)
5位 2時間16分23秒4 テリー・マナーズ(ニュージーランド)
6位 2時間17分41秒0 ジョン・ファーリントン(オーストラリア)
7位 2時間17分57秒0 ペンチ・ルマコ(フィンランド)
8位 2時間17分58秒0 佐川正治(鈴木自動車)
9位 2時間19分23秒0 大槻憲一(東洋工業)
10位 2時間20分01秒0 ジョン・ロビンソン(ニュージーランド)


フランク・ショーター ラップタイム

5km 14分44秒
10km 29分48秒   (15分04秒)
15km 45分20秒   (15分32秒)
20km 1時間01分41秒(16分21秒) 

中間点 1時間05分17秒

25km 1時間16分52秒(15分11秒)
30km 1時間32分10秒(15分18秒)
35km 1時間48分26秒(16分16秒)
40km 2時間05分22秒(16分56秒)
2.195km        (7分28秒4)

2時間12分50秒4


宇佐美が後年、ショーターについて
「初めて福岡でショーターと走ったときは、トラック走者の印象が強かった。
ミュンヘン五輪のときは粘って彼の後ろにつけば根負けすると思っていた。
ところが、五輪本番は上体をやや立ち気味にさせ完全にロード走者に
なっていた。戦法も15kmまでトップ集団を引っ張り、他のランナーが
「そろそろハイペース過ぎるのでペースを落とさなければ・・」と思った先に
スパート。一瞬のスキをつかれて差を広げられ、もう誰も追いつかなかった。
マラソンにスピードと合理性を持ち込み、福岡の体験がより、したたかなランナー
にしたランナーだったと思っている。」と言っている。

ショーターの国際マラソン、4回の初回ラップを見てみると

6回(1971年) 14分44秒
7回(1972年) 14分52秒
8回(1973年) 14分36秒
9回(1974年) 15分00秒

となっている。最後の9回大会は15分ジャストとはいえ70年代で
14分台での飛び出しはショーターだから出来たといってよいだろう。
特に飛び出しがうまくいって世界最高記録最新かと注目を浴びたのが
ミュンヘン五輪優勝直後の7回(1972年)大会。
このときは世界最高記録保持者のクレイトンも来日し、ハイペースに
なる予想の中でレースは始まった。
序盤は予想通り、ショーター、クレイトンの他、同じみのファーリントン
(オーストラリア)、ニッカリ(フィンランド)、そして日本勢では
平井勝昭、良知三夫、若手の浜田安則が先頭集団を形成。
ムーアやマクレガー(イギリス)はあまりのハイペースに自重して
後方150m。すでに10kmでは5人に、中間点ではショーター、
ファーリントン、ニッカリの3人になっていた。クレイトンは脱落。
折り返し後、25kmまではファーリントンがショーターに食らいついて
いたが、この年のショーターのスピードは例年以上のものがあり
たまらず後退。ショーターは独走状態に。30kmではクレイトンの
世界最高を破るのではと、にわかにざわめき始めた。
中間点1時間03分38秒。30km通過が1時間31分03秒と
2時間08分前半の記録が出るペース。
しかし35km以降は競う相手もいないため15分53秒、16分25秒と
ペースダウンでゴール。優勝タイムは2時間10分30秒とショーター
の生涯最高記録にはなったものの、サブテンならず残念な結果ではあった。
この記録は当時世界歴代3位。72年度世界ランキング1位。
福岡国際は宇佐美が70年に勝って以来、なかなか日本人ランナーが勝てずにいた。
78年に新星・瀬古が勝って通算4勝。中山、新宅と話題のランナーが勝利し福岡が活気づいた。
しかし88年以降、渋谷、森田の二線級でも勝てるくらい大会レベルが低下。
それと同時に93年くらいから日本マラソン暗黒時代に突入。まったく外国勢に勝てない時代が続く。
00年に藤田が日本最高で日本人選手久しぶりの優勝。その後は国近、尾方とコンスタントに勝利を勝ち取って
いる。しかし以前は福岡の上位入賞はその年の世界ランキング入りが当たり前だったものが、
近年はなかなか好記録が出なくなっているのが現状。外国勢の自己記録最新も少なくなってきている。


福岡で複数回勝っているのがショーター、ドレイトン、瀬古、中山、アベラ。
そうそうたるメンツだ。
>>492

第7回 国際マラソン選手権大会 結果 (1972年12月3日)

優勝 2時間10分30秒0 フランク・ショーター(アメリカ) {1972年度世界最高記録}
2位 2時間12分00秒4 ジョン・ファーリントン(オーストラリア)
3位 2時間14分00秒6 大槻憲一(東洋工業)
4位 2時間14分02秒8 セポ・ニッカリ(フィンランド)
5位 2時間15分52秒2 君原健二(新日鉄)
6位 2時間16分42秒4 ドナルド・マクレガー(イギリス)
7位 2時間17分07秒0 北山吉信(旭化成)
8位 2時間19分21秒0 黒木通哲(旭化成)
9位 2時間19分59秒0 御船芳郎(リッカー)
10位 2時間20分26秒0 岩見幾徳(ヤクルト)


フランク・ショーター ラップタイム

5km 14分52秒
10km 29分46秒   (14分54秒)
15km 44分59秒   (15分13秒)
20km 1時間00分16秒(15分17秒) 

中間点 1時間03分38秒

25km 1時間15分34秒(15分18秒)
30km 1時間31分03秒(15分29秒)
35km 1時間46分56秒(15分53秒)
40km 2時間03分21秒(16分25秒)
2.195km        (7分09秒0)

ゴール 2時間10分30秒0
かのエミール・ザトペックがトラックのスピードをマラソンに持ち込んで
マラソンが耐久競技から陸上競技の1種目として再認知されて以来、マラソンの歴史
の流れは、アベベ時代、ショーター時代、マラソン日本黄金時代と続き、
現在は都市型高速マラソンvs五輪マラソンの2極化の時代となっている。
2極化の流れは後戻り不可能だから、歴史上のランナーといえば結局、ザトペック、アベベ、ショーターなんだよな。
503ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/07(木) 23:14:20
1975年福岡前の歴代30傑

1.2.08.33.6 D. クレイトン(豪)69.5 アンベルス
2.2.09.12.0 I. トンプソン(英)74.1 英連邦
3.2.09.28.0 R. ヒル(英)70.7 英連邦
4.2.09.55.0 W. ロジャース(米)75.4ボストン
5.2.10.30.0 F. ショーター(米)72.12 福岡
6.2.10.37.8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)70.12 福岡
7.2.10.47.8 W. アドコックス(英)68.12 福岡
8.2.11.12.0 E. オライリー(米)70.4 ボストン
9.2.11.12.6 J. ファリントン(豪)73.7 ニューサウスウェールズ
10. 2.11.12.8 J. ドレイトン(カナダ)69.12 福岡

11. 2.11.13.0 K. リスモン(ベルギー)74.7 ベルギー選手権 
12. 2.11.17.0 佐々木精一郎(九州電工)67.12 福岡
13. 2.11.18.6 J. フォスター(NZ) 74.1 英連邦
14. 2.11.32.0 ブグロフ(ソ連)72. =>後に抹消
15. 2.11.35.8 K. ムーア(米)70.12 福岡
16. 2.11.54.0 S. ホーグ(米)75.4ボストン
17. 2.12.00.0 重松森雄(福岡大)65.6 ウィンザー
18. 2.12.02.4 E. レッセ(東独)74.12 福岡
19. 2.12.03.4 谷村隼美(クラレ)69.12 福岡
20. 2.12.04.0 J. アルダー(英)70.7 英連邦

21. 2.12.05.0 T. フレミング(米)75.4ボストン
22. 2.12.08.0 H. ロドリゲス(コロンビア)75.8 南米選手権
23. 2.12.10.6 P. ペイベリンダ(フィンランド)74.9 ツルク大会
24. 2.12.11.2 B. アベベ(エチオピア)64.10 東京五輪
25. 2.12.12.0 采谷義秋(竹原高校教員)70.12 福岡
26. 2.12.19.0 D. フィアクロス(英)70.7 英連邦
27. 2.12.25.8 D. マッケンジー(NZ) 67.12 福岡
28. 2.12.47.8 F. ルグランジ(南ア)74.4 南ア
29. 2.12.50.0 C. フィリップ(西独)72.6 マクソール
30. 2.12.52.8 P. ガリド(メキシコ)69.12 福岡
504ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/07(木) 23:26:14
>>503 75年の福岡で歴代5位、6位、(15位相当)、17位、(30位相当)、32位=宗猛
が記録される。

大会前の座談会(高橋進、帖佐寛章、広島日出国)では以下のような話がされて
いる。

1.3強(ショーター、トンプソン、リスモン)が75年にマラソンを走っていない
こと。但しショーターは記録に挑戦するためルイジアナで一人で走ったが15分台
だったこと。トンプソンが招待を断ったこと。
2.現役二人目のサブ10を出したロジャース(歴代4位)のこととボストンの
特殊性(片道で追い風に恵まれた。他の選手も好記録)
3.レッセ、ペイベリンダが健在であること。
4.プレ五輪で水上が優勝したのは耐熱レースのためでスピードマラソンから
取り残されていること。
5.この年の欧州遠征で高尾(28'10"6)と喜多(28'32"0)が日本新を出し、マラソン
に結び付けられないかという期待。
6.安定性がないこと。小沢欽一がこの年の世界10位、長野義文が18位だったが
その一回きりだったこと。

等が話し合われている。
505ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/08(金) 01:22:25
70年代の日本のエースは間違いなく宇佐美だよな。
金栗、宇佐美、宗茂、瀬古の4人が日本最多の3回五輪代表になっている。
506ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/08(金) 22:07:02
>>477
正確ではない。東京五輪後の寺沢の主な戦績は

1964.12.6 朝日国際1位 2:14:48.2=日本新
1965.2.7 別府毎日1位 2:14:38=日本新
1965.6.14ウィンザー2位2: 13: 41=日本新(しかし重松が世界新)
1966. 2.13別府毎日1位 2: 14: 35=大会新

等である。1964年朝日の寺沢は東京五輪15位の雪辱に燃え、結果が悪かったら
引退との決意を秘めて大会に臨んだ。前年のプレ五輪(朝日国際としての前回
大会)の覇者ジュリアン等が優勝候補だったが、32キロで寺沢、日本史上初め
て2時間20分切りを果たした中尾隆行、重松の3人に絞られ、35キロ過ぎのスパ
ートで決着をつけた。 2位の中尾は2時間15分42秒。

507ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/08(金) 23:27:41
第23回別府毎日マラソン(1974)

別府マラソンは寺沢の世界新を含む4連覇、君原の世界歴代3位の大記録、
翌年の佐々木精一郎の大会新等記録の出るマラソンとしての評価が高かった。
その一方で福岡と毎日の間という時間設定の難しさから徐々に有力選手が回避
するようになりミュンヘン選考会が3月に行われた72年には優勝記録が19分台
まで落ち、翌年は引退試合の君原に圧勝を許す等大会の方向性に問題が見えて
来た時代もあった。その憂いをある意味ふっ飛ばしたのが74年の大会であった。

74年の大会は有力ベテラン選手は出場しなかったものの若手選手がこぞって
出場。今と反対の別府から大分、それから別府に戻るというコースであった。
別府が大分の北にあることから分かるように前半が追い風、後半が向かい風と
いうのが通例であったがこの年は珍しく反対であったと記憶する。そのため
前半はスローペースで終始していたが折り返し後にわかにペースが上がった。
72年福岡でも中盤で遅れ、30キロまでのスピードランナーとの評価があった
浜田安則が元気で30キロからの5キロを14分台で快走、独走でゴールに飛び込
んだ。記録は日本歴代6位の2時間13分4秒2で71年以降の最高記録であった。
また2位には箱根駅伝2区で区間新を作り、前年はごぼう抜きの記録を作った
初マラソンの駅伝男、服部誠(東農大)が2時間13分40秒で入った。その他の
選手も軒並み自己新で好記録に沸いた一日であった。

1.浜田安則(鹿児島中央高教)2時間13分4秒2
2.服部誠(東農大)2時間13分40秒=初マラソン日本最高
3.水上則安(新日鉄)2時間14分21秒=>2年後モントリオール五輪代表
4.三原市郎(鳥栖高教)2時間14分27秒=>後に白石高教として駅伝王国を築く

尚、服部はその月のうちに大槻憲一、西弘美等を退け雨中の熊日30キロを制し、
別府の結果がフロックでないことを示した。また翌75年には中日スピード30キロ
では途中屈伸をしながらも楽勝し、30キロ程度のレースでは別格の強さを示した。
75年福岡では日本人2位の2時間13分13秒(歴代10位)を記録し、翌年の五輪代表
を大いに期待されたがニュージーランド合宿で体調を崩したのか最終選考会の
毎日マラソンではいいところがなく惨敗し、それを機に引退。実家の家業である
牧場を継いだ。

服部誠はモントリオール選考会で惨敗してから、本当にまったく走ってないと語っていたね。ら
津久井郡にある牧場を引き継ぎ、今ではスキンヘッドの親父になっている。

モントリオール五輪は宗猛、服部、浜田で参加していたら面白い結果になったかもね。
リクエストですが、瀬古が出場した“びわ湖”を書けませんか?
私のかすかな記憶では確かNHKの中継で冒頭は
「このびわ湖マラソンがかつてこれほどまでに注目されたことがあったでしょうか」

ハーフくらいまでは「あ〜、9分台で五輪決定だ〜」と思っていたら
あららららららら・・・・・という展開。
2時間12分台なのに小掛か誰かが「瀬古くんは“優勝”したことが大きい」と
必死に持ち上げていました。

瀬古のほかに誰が出ていたのかまったく覚えていません。
510ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/09(土) 08:38:05
>>509 瀬古のほかに旭化成の西(自己ベスト2時間11分台)が出ていましたね。
最初ついていきましたがすぐ離されました。
>>509
1988年びわ湖のVTRを確認してレース展開をアップいたします。
>>510
この時の西は、五輪を目指したというより、びわ湖と兼ねて「第一回アジア選手権マラソン」の日本代表
として走った。たしか韓国、中国、インドネシアなど八ケ国くらいのランナーがエントリーしたはず。
だから2位でゴールした西はびわ湖は2位で、アジア選手権初代王者になった。


そして暑さもあって優勝タイムが12分台だったが、2位以下のランナーの持ちタイムを考えると
暑さの為、自己ベスト プラス4分は妥当だった。という見解になった。
宗茂は「優勝は優勝。優勝したんだから瀬古君ですよ。」というコメントが印象にのこってるな。
513ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/09(土) 23:34:20
>>512 でも瀬古は結局本番ではガッツポーズしての9位(14分台)。世間を
嘗めているのか、あるいは批判が来るのを避けるためにあざとく精一杯やった
ポーズか、どちらにしても不愉快な動作だった。英雄が汲々として過去の名声
にしがみつき、晩節を汚す姿をまのあたりにしてやはり工藤を選んで欲しかった
と改めて思った。
514ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/10(日) 08:31:03
>>513
いや、それでも工藤を選んでほしかったとは思わなかったな。
仮に瀬古を落として工藤を選んでいたらメダルをとらない限り
「やっぱり瀬古を・・・」と永久に言われたんじゃないか。
515ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/10(日) 10:06:13
瀬古 VS モスクワ五輪覇者チェルピンスキー

第15回 福岡国際マラソン レース展開

1980年12月7日  晴れ 気温12度、湿度50% 北西の風1m

参加選手ベスト5

1、2時間09分05秒6 宗茂(旭化成)        1978
2、2時間09分55秒  チェルピンスキー(東ドイツ) 1976
3、2時間10分12秒  瀬古利彦(エスビー食品)   1979
4、2時間10分40秒  宗猛(旭化成)        1979
5、2時間11分05秒  喜多秀喜(神戸製鋼)     1978


(後半部)

30km−キャステラ(豪州)を先頭に集団は10人。1時間33分03秒で
     この間は15分08秒。徐々にペースが上がってくる。

31km−8月のモスクワ五輪で連続金メダルを獲得したチェルピンスキー(東ドイツ)
     がスパート。 ピッタリマークしていた瀬古が後ろにつく。
   
     ここで喜多、武富、キャステラが脱落。

32.5km− 瀬古が伊藤の足を引っ掛けてしまい、伊藤転倒。
        瀬古が走りながら伊藤に謝る。

33km−先頭はチェルピンスキー、ペファー(米国)、ヘンリー(豪州)、瀬古、
     宗猛、伊藤の6人。 宗茂が後退する。

33.7km− 伊藤が強めのスパート。転倒してすぐとは思えない余力。
        一気に外国招待3選手が交代。
        ついに五輪王者・チェルピンスキーが遅れだす。

伊藤が瀬古、宗猛を振り切ろうと左、右にコースを変え、ジグザグを描く。

35km−1時間47分48秒(14分45秒)ハイペースに。
      伊藤の健闘が光る。

39km−橋の上がりかけで宗猛がスパート。伊藤国光が苦しい。
     少しずつ遅れ始める。ついに伊藤も後退。

40km−2時間03分08秒(15分08秒) 前半の遅れを完全に挽回して
     9分台の可能性が出てきた。

宗猛と瀬古の2人の優勝争いは平和台競技場の目の前に。
マラソンゲート50m先で瀬古が一気にスパート。みるみる宗猛に20mの差をつける。
スタンドは2万5千人の大歓声。
危なげない瀬古の走りで優勝。2時間09分45秒と瀬古自身初のサブテンを記録。
必死に食らいついた宗猛は4秒差で2位。宗猛もサブテンを記録した。

五輪優勝者・チェルピンスキーはゴール直前で宗茂にかわされ6位。
瀬古、宗兄弟のモスクワ五輪代表組は3人ともチェルピンスキーに勝つ結果になった。


516ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/10(日) 10:07:15
15回 福岡国際マラソン 成績

1、2時間09分45秒 瀬古利彦(エスビー食品) (世界歴代8位)
2、2時間09分49秒 宗猛(旭化成)
3、2時間10分05秒 伊藤国光(鐘紡)
4、2時間10分09秒 ヘンリー(オーストラリア)
5、2時間10分23秒 宗茂(旭化成)
6、2時間10分24秒 チェルピンスキー(東ドイツ)

7、2時間10分29秒 ペファー(アメリカ)
8、2時間10分44秒 ド・キャステラ(オーストラリア)
9、2時間11分27秒 武富豊(神戸製鋼)
10、2時間11分35秒 キャノン(イギリス)

11、2時間12分35秒 ヘフナー(アメリカ)
12、2時間13分25秒 ダーデン(アメリカ)
13、2時間13分35秒 リスモン(ベルギー)
14、2時間13分56秒 弓削裕(旭化成)
15、2時間14分37秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
16、2時間14分38秒 エバーディング(東ドイツ)
17、2時間14分50秒 デュレンベヒャー(西ドイツ)
18、2時間15分15秒 川口孝志郎(中京大)
19、2時間15分19秒 引間金夫(新日鉄)
20、2時間15分23秒 ウイッティ(オーストラリア)





1980年度 世界10傑

1、2時間09分01秒 ネイブール(オランダ)  4月アムステルダム1位
2、2時間09分41秒 サラザール(アメリカ)  10月ニューヨーク1位
3、2時間09分45秒 瀬古利彦 (日本)    12月福岡国際1位
4、2時間09分49秒 宗猛 (日本)      12月福岡国際2位
5、2時間10分05秒 伊藤国光 (日本)    12月福岡国際3位
6、2時間10分09秒 ヘンリー (オーストラリア) 12月福岡国際4位
7、2時間10分14秒 ゴメス (メキシコ)   10月ニューヨーク2位
8、2時間10分19秒 サンドバル(アメリカ)  5月ナイアガラ1位
9、2時間10分20秒 ビヨクルンド(アメリカ) 6月ドゥルーズ1位
10、2時間10分23秒 宗茂 (日本)      12月福岡国際5位

518ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/10(日) 10:16:00
宗兄弟。
瀬古の影に隠れてどうしても瀬古の下になってしまうけど
超一流のマラソン選手。
519ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/10(日) 11:23:00
>>516
これでなんで茂が代表になったの?
伊藤じゃねーの?
>>519
何の代表?
521ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/10(日) 12:15:11
モスクワ
このレースはモスクワ五輪後のレースですよ。
523ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/10(日) 12:32:08
そうでしたか
524ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/10(日) 16:07:24
このレースって、確か前半が1時間6分で後半が1時間3分台だったと思う。
後半が1時間3分台ということに驚愕した記憶がある。
>>524
このときの福岡国際は10位までに入賞したランナーで
自己ベストを最新したのは、瀬古、宗猛、伊藤、ヘンリー、ペファー、
キャステラ、武富、キャノンの8人。宗茂とチェル以外は全員。
まだまだ福岡国際で外国人が自己ベストを最新して帰国する大会を
堅持していた。
前半スローで全員が「瀬古マーク」になったため、引っ張るのがいなかった
のが現実。だからこそ、後半まで多くの選手がついていけたため、
自己記録最新ラッシュになったのだろう。
526ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/10(日) 20:13:08
>>525 この年が福岡がグレードが高かった最後の年だよ。翌年は東京でマラソンが
乱立し、瀬古のボストン優勝で馬鹿騒ぎしたおかげでかえってボストンが世界一の
マラソンという認識が強まり、福岡では故障とはいえホスト国なのに瀬古が
不在で一流選手から見捨てられた大会という印象が強く出た。ド・キャステラ
が世界暦第2位(実質最高)で優勝しても世界一決定戦という感じでは盛り上がら
なかった。前年は号外が出たのと大きな差があった。82年からは完全に草マラソン
化してしまった。(五輪最終選考会の83,87を除く)。
チェルピンスキーは世界大会3回出場で3個のメダル(76,80五輪金、83世界陸上銅)
を獲得している。
大舞台にきっちり狙って走破した印象が強い。
そして毎年のように日本に来日してきたが、ほとんど五輪2連覇の面影もない
走りに終始した。
ざっと現役時代は8回の来日があるが、成績は

76年 福岡国際 3位 2時間14分56秒0
78年 福岡国際 32位
79年 福岡国際 途中棄権
80年 福岡国際 6位 2時間10分24秒
81年 福岡国際 途中棄権
83年 東京国際 7位 2時間12分40秒
83年 福岡国際 15位
84年 東京国際 8位 2時間12分00秒

最高で3位、タイムは自己ベスト2時間09分55秒(76年 モントリオール五輪)
に続く自己番目のタイムを出したのがやっとであった。
現役引退は85年の春。通算で27回のフルマラソン歴であった。

972 アスリート名無しさん 04/04/23 13:53 ID:t8GCq2xU

福岡国際マラソンで当時、1966年を1回大会としたのはすでに何回か
記載済みになっているが、その第1回から現在までで日本選手が10位以内に入った
回数を調べてみた。

福岡国際10位入賞回数(5回以上)

1、宗猛 7回    (73年(7位)、75年(6位)、77年(9位)、79年(3位)、80年(2位)、81年(5位)、83年(4位)
1、伊藤国光 7回  (79年(8位)、80年(3位)、81年(2位)、82年(4位)、83年(6位)、84年(5位)、85年(3位)
3、宗茂 6回    (76年(4位)、78年(3位)、79年(2位)、80年(5位)、81年(3位)、83年(3位)
4、上岡忠明 5回  (66年(9位)、68年(3位)、70年(7位)、73年(8位)、74年(7位)
4、宇佐美彰朗 5回 (66年(10位)、68年(5位)、70年(1位)、71年(2位)、74年(6位)
4、瀬古利彦 5回  (77年(5位)、78年(1位)、79年(1位)、80年(1位)、83年(1位)
4、喜多秀喜 5回  (78年(2位)、82年(2位)、83年(7位)、88年(5位)、90年(8位)

中山、児玉、谷口が3回。新宅が2回。君原は国際マラソンになってからは相性が良くなく
72年の5位の1回しか記録していない。
上の表のメンバーは今まで名が多く挙がっている名ランナーばかり。
特に宗兄弟は長きに渡って福岡国際を走っていた印象がある。
そんな中で、上岡忠明(東洋工業ー神戸製鋼)の活躍が目に留まる。
中堅選手として大崩れしない堅実な走りを福岡で披露。
ベストレースは68年の国際マラソン、アドコックス、采谷と中盤まで
先頭集団を形成した走りで2時間13分37秒6。

このような選手が統計で歴代選手の中に入ってくると、懐かしくかつ
嬉しいような気がする。

>>524

優勝 瀬古利彦 ラップタイム

5km 15.27
10km 31.05(15.38)
15km 46.48(15.43)
20km 1.02.41(15.53)

中間点 1.06.15

25km 1.17.55(15.14)
30km 1.33.03(15.08)
35km 1.47.48(14.45)
40km 2.03.08(15.20)
2.195km (6.37)

2時間09分45秒 (日本歴代2位  世界歴代8位 )

530ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/11(月) 07:51:45
>>528 君原は巡り合わせという他はない。そもそも初福岡が71年で、その時は
自己ワースト2の11位だった。71年はそれまでの自己ワーストの8位を大きく
更新する13位を毎日マラソンで記録した不調の年であった。おそらく70年年末
のアジア大会(金)の疲労が抜けきらなかったのだと思う。2回目が72年で表向き
は翌73年の別府毎日で引退宣言をした。その後も趣味で走り続け78年大会では
(たぶん)日本人6位で5000,10000の日本記録保持者の鎌田に先着する
など健闘したがあくまで余技であった。何故5回目まで走らなかったのか?
第一回、第五回はアジア大会(金)のため、第三回は五輪後の疲労のためであろう。
第二回、第四回欠場の理由はよく分からない。
>>524
このときのレースは30km過ぎ、当時としては珍しい、
「マラソンランナーで1万を27分台で走る」3人のスピード合戦になった。
伊藤、宗はこの80年前後がスピードを持っていた全盛時期。
レストスパートのキレはなかったがロングスパートでスピード持久には優れていた。

今でも日本人27分ランナー3人によるスピード合戦はあまりない。
瀬古―最後の優勝  ソウル五輪選考会

第43回 びわ湖毎日マラソン  レース展開
1988年3月13日(日)  午後12時15分  NHK生中継
(解説)宇佐美彰朗 (実況)羽佐間正雄

参加160人  気温16.5度、湿度35% 南南東の風1.3m

(参加選手ベスト5)
1、 2時間08分27秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、 2時間11分10秒 西正幸(旭化成)
3、 2時間12分02秒 春松千秋(池田製菓)
4、 2時間12分03秒 西村義弘(新日鉄大分)
5、 2時間12分48秒 坪正之(日本電気)

(羽佐間)―「瀬古が今、ソウルオリンピックへのたった一枚の切符を求めて
復活のスタートを切ろうとしています。
いまだかつて一人のランナーがこのように一身に注目を集めたレースはありません。
激走!42.195km。しかも与えられたものは優勝。
彼にとっては4年前に惨敗を喫した屈辱を晴らす第一歩になります。」

スタートー皇子山陸上競技場からロードへ。 内宮(長岡陸協)が先頭。
瀬古は20番手くらいで競技場を後にする。

2km−瀬古が早くも集団の先頭へ出てくる。

羽佐間―「猛烈なプレッシャーを感じていると思いますが、どうしても優勝をしなくてはいけない。
そしてタイムもそこそこではいけないと思いますが。」
宇佐美―「その課題をもってのレースですから、もっと緊張していると思いましたが、
今までにない柔らかなフォームで(先頭に)出てきましたね。」
羽佐間―「気温は?」
宇佐美―「ちょっと・・・高めですね。」
羽佐間―「問題は、気温がどこまで上昇するかということですね。 記録は?」
宇佐美―「練習を見ていても2時間9分台が出てもおかしくない。」

5km−15分07秒  集団は約20人。
    瀬古を先頭に、西村、森本滋(日本電気HE)、西、らが続く。
気温が高めか、ほとんどの選手が汗で光っている。
宇佐美―「瀬古は15分10秒を設定しているのでまずまずではないか。」

8km−すでに集団は7人に絞られる。
    瀬古、西、西村、金子尚志(日本電気HE),篠原良房(新日鉄)、春松、森本

9km−春松、篠原が脱落。集団は5人へ。

10km−30分18秒(15分11秒) 瀬古が先頭。5人が縦長で通過。
宇佐美―「ほぼ出だしと同じくらい。遅れたのは力不足ということでしょう。」

10.6km−森本が後退。西村が後方で苦しい。
11.2km−西村が後退。瀬古―西―金子の順。20m後方で西村、80mで森本。

12.4km− 宇佐美―「あっ、ちょっと離れましたよ。」
      羽佐間―「瀬古がグイ、グイと力で引き離しにかかりました。」

第一放送・島村俊浩アナー「心配された風は感じない。むしろ今日の敵は暑さですね。  
             (瀬古から)離れました。」
瀬古が西、金子に5mの差をつける。

15km−45分15秒(14分57秒) 14分台のラップに。
    羽佐間―「(今の)ペースは?」
 宇佐美―「速いです。でも予定通りではないか。10kmまで様子を見て、
15kmでペースを上げてきた。」

気温が18度、湿度39%に上がる。

西、金子は瀬古から130m遅れ。4位に近藤龍二(旭化成)が浮上。西村が5位に後退。

20km−1時間00分25秒(15分10秒) 中山の国内最高タイムを上回るペース。
      瀬古は毎回、通過時に腕時計でラップを確認するしぐさをする。

(折り返し点)−瀬古が先頭で通過。快調なピッチを刻む。瀬古フィーバーにより
沿道は例年より多くの観衆が集まる。
2.3位の西、金子に近藤が追いつき3人で53秒差。5位には西村。1分26秒差。
後続集団は6位森本の後に、今村智治(ダイエー)、大八木弘明(ヤクルト)、篠原ら。

25km−1時間15分57秒(15分32秒)
   羽佐間―「15分33秒?ちょっと遅れました。」
   宇佐美―「(瀬古は)少し疲れが見えてきた感じ。」

島村―「ちょっと(瀬古の)ピッチが落ちてきた感じがする。
例年の復路の向かい風はないように思う。」

27km−3人の2位争い。瀬古とは560m差。
    2位集団でも大会記録ペースより1分10秒速い。
この間は16分14−15秒。

風より正面からの太陽の暑さとの戦いの模様。

30km−1時間31分44秒(15分47秒)
   羽佐間―「やはり暑さと、選手のみ感じている向かい風の影響か。
ちょっと落ちましたね。」
   宇佐美―「膝から下の伸びが悪くなってきている。やはり疲れですかねぇ。
ピッチは増しても歩幅が狭い。」
   羽佐間―「予想は2時間10分台になってきた。」

32km− 宇佐美「(瀬古は)スポンジの水分を飲んでいますから、かなり暑い。」

西が単独2位に。近藤が遅れて3位。金子は西村に抜かされ5位に後退。
瀬古とは2分30秒差。

35km−1時間47分44秒(16分00秒)
   宇佐美―「ちょっと・・・16分・・・も費やしてますよ。 
苦しいですね。あと7kmを押さなきゃならないのは、大変ですよ。」
   羽佐間―「見た感じとしても落ちましたね。」

反対車線では青信号でも車を止めて、瀬古の応援をしている車が多い。

羽佐間―「これからどうでしょう?」
宇佐美―「ちょっと・・これからピッチは上がらないでしょうねぇ。」
38km−瀬古の表情が苦しくなり、歪みはじめる。

40km−2時間04分45秒(17分01秒)
     大会記録を30秒下回る。かなりピッチが鈍い。
羽佐間―「瀬古のピッチがこれほど鈍るとは思いもしませんでした。」
宇佐美―「予想外ですよ。」
西は900m遅れ、その西から3位近藤は200m後方。
瀬古の表情が苦痛でシワシワになる。

2時間10分27秒― 瀬古が皇子山陸上競技場に帰ってくる。 まったくピッチが上がらない。
羽佐間―「いつもの瀬古のキレがありません。
あのロケット弾の点火を見るような瀬古のスパートはありません。 (2時間)11分は無理ですね。」
宇佐美―「不可能ですね。12分かかってしまいますね。」

瀬古優勝―2時間12分41秒
     羽佐間―「これほど疲れたゴールとは瀬古自信も思ってなかったでしょう。
          しかし他の選手が大きく遅れていったことを思えば、
この気象条件はかなり難しかったのかもしれませんね。」

結果として瀬古は国内最後のマラソンになり、最後の優勝となってしまった。
2位は西正幸。並行して開催された「第一回アジア選手権マラソン」
の日本代表でもあったため初代優勝者となる。3位は近藤。

瀬古は1週間後の理事会でソウル五輪代表権を獲得する。


第43回 びわ湖毎日マラソン 成績

1、2時間12分41秒 瀬古利彦(エスビー食品)
2、2時間15分32秒 西正幸(旭化成)
3、2時間16分15秒 近藤龍二(旭化成)
4、2時間16分21秒 西村義弘(新日鉄大分)
5、2時間16分32秒 岩永義次(自衛隊体育学校)
6、2時間16分38秒 千葉照夫(東北日本電気)
7、2時間16分58秒 磯貝助夫(自衛隊体育学校)
8、2時間18分22秒 篠原良房(新日鉄)
9、2時間20分15秒 久留猛(JR九州)
10、2時間20分52秒 金子尚志(日本電気HE)




優勝  瀬古利彦  ラップタイム

5km 15分07秒
10km 30分18秒(15分11秒)
15km 45分15秒(14分57秒)
20km 1時間00分25秒(15分10秒)
中間点 1時間03分45秒
25km 1時間15分57秒(15分32秒)
30km 1時間31分44秒(15分47秒)
35km 1時間47分44秒(16分00秒)
40km 2時間04分45秒(17分01秒)
2.195km (7分56秒)

2時間12分41秒




毎日新聞3月14日付けコメント

宗茂・旭化成監督
「瀬古君のこんな苦しい表情を見たのは初めて。
僕自身は、気温18度はそう暑くないと思っていたが、
全員がベストより3−4分悪かったのをみると、相当きつかったのだろう。
福岡との比較はどだい無理。勝ちっぷりはともかくとして、勝ちは勝ち。
僕は瀬古君が代表に選ばれるべきだと思う。(略)

中山竹通
「レースはテレビ観戦した。瀬古さんは琵琶湖特有の風、18度という温度の中、
また10km過ぎからの独走という中で、ペース配分が難しかったのではないかと思う。
五輪代表については、まだ正式決定されていないので、コメントは避けたい。」
       
   




>>535

瀬古福岡欠場を当時「這ってでも出るべき」とコメントした中山。(後世、自分なら這ってでもでますがね。
の誤解だったらしいが…。)その時、児玉、谷口、伊藤あたりも非公式ながら瀬古批判をしている。
なぜならば真相は、ソウル五輪選考は当初、福岡、東京、びわ湖の3つから選考するはずだった。
しかしエスビーサイドが代表を早く決定したい意向もあり「福岡1本化」を提案。
87ボストンの影響もあり 瀬古が最右翼の候補だったのと、
陸連の早稲田派閥の力なのか真相は定かではないが、他の候補者がしぶしぶその提案を飲んだ。
(中には一発選考の方が分かりやすいと思っていた者もいるだろうが。)

しかし瀬古の剥離骨折による欠場、1本化から再度変更だったから皆、納得できなかったはずだ。
それだけ当時の陸連は瀬古を何としても代表に送りこみたかったんだろう。

79年、83年福岡は1位通過をきっちり決めた瀬古。
しかし晩節は神通力も低下し87年欧州遠征あたりから
衰えが見え始めていた。
びわ湖で勝った時は全盛期とは遠く及ばない凡レースだったが、宗茂は
「どうであれ優勝したのだから(代表は)瀬古ですよ。」とコメントしていたのは印象的だった。


まぁ瀬古には早稲田、陸連ともいろんな意味で借りがあったんだろう。

・中大進学が決定的な瀬古を半ば強引? に勧誘して早稲田が入学させられず瀬古を浪人させる。
・早稲田のイメージアップに貢献。
・全盛期の瀬古を五輪に出場させられなかった。・世界に通用する瀬古ブランド

他にも色々あるだろう。当時の世の中、今よりも浪花節なところがあったからね。
だからといってエスビーの取った行為は賛同できないけどね。

中山と瀬古の対決は1勝1敗
初対決はロス五輪の代表選考会だが中山は初マラソン
瀬古 > 中山 なのは明らか
最後はソウル五輪。これはピークの中山と下り坂の瀬古
瀬古 < 中山

せめて瀬古が復活した86年で直接対決を見たかった。
中山もシカゴに出る予定でいたところ、陸連からアジア大会出場の打診で回避した経緯があった。
「これで瀬古さんがシカゴで結果を出さなかったらめちゃくちゃ言いたいことがあります。」
といった中山に対して
「中山君も言いますね。」
とシカゴに飛び立つ空港でコメントした瀬古。
力的に85-86年が両雄の力が均衡していただろう。
五輪における金メダル期待度は ソウル時の中山よりロス時の瀬古の方が上だっただろう。
まず日本はモスクワが不参加だったから8年ぶりの五輪観戦。国民の五輪に賭ける期待感が今以上だった。
瀬古の戦歴がマラソン5連勝中だったから負けることが信じられない感もあった。

高橋尚子のシドニー時と瀬古のロス時は同じか、やはり瀬古が上だったと思う。
高橋はケガもあって崖っ淵で五輪代表に間に合ったが、瀬古は死角なしだったからね。
83年福岡のラストのスプリントを見たら五輪もラスト勝負で勝ってくれると誰も思っただろう。

期待度は、瀬古>高橋尚子>中山 だろう。
しかし中山には、反逆児、一匹狼、下克上 といった反体制的なイメージがあり 
当時の国民の魂を刺激した。    
539ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/12(火) 22:43:37
>>538 ソウル時には世界的にレベルが低下し始めていて、中山のレースの下手さ加減を
懸念しつつも本命と予想せざるを得なかった。結果から見てもやはり普通にレースを
しさえすれば中山が圧勝できた。瀬古のときは冷静に考えればド・キャステラが本命
だったのでちょっと違うかもしれない。マスコミの煽り具合はロス>ソウル>
シドニーかな。
びわ湖の瀬古は衰えを感じたが、暑さと競争相手がいなかったので難しかったのはわかる。
後日、右足親指に大きな血豆を作っていたのと、17kmから腹痛だったと発表した。
そういえば、びわ湖で走りながら脇を捻る動作をしていたのを覚えている。
541ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/13(水) 22:59:38
>>528 上岡の息子は旭化成のエースかと思ったらいつの間にか消えてしまったな。
どうなっているのか。娘はそこそこコンスタントに結果を出したのに。
542ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/13(水) 23:51:34
上岡の息子ってNISSAN自動車じゃなかった?
543ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/14(木) 06:22:10
>>532-535

88年びわ湖は懐かしい。よくVTRをお持ちで。
このあと1ケ月後にデンシモが2時間6分台を出す。
この記録が10年も保持されようとは…
記録的には90年初頭から数年は低迷期だった。
瀬古の高校、大学、実業団での戦績は群を抜いてますが
日本選手権では優勝がないんですね。資料を調べると

1977年10月 10000m 4位 28分34秒8
1977年10月  5000m 2位 13分49秒3

1979年10月 10000m 3位 28分41秒8

1984年10月 10000m 3位 28分32秒49

1985年06月 10000m 2位 28分29秒14

合計5回の出走があるが優勝なし。

また86年 ソウルアジア大会は10000mで出場。

6250m地点で新宅がスパートし、瀬古はついていけず、右脇腹を押さえる。
7100m地点では歩き出す。原因は右横隔膜痙攣(筋肉痛の一種 呼吸困難にもなる)で結局、

3位 29分31秒90 で銅メダル

五輪での成績は

1980年 モスクワ五輪 不参加
1984年 ロス五輪  14位  2時間14分13秒
1988年 ソウル五輪  9位  2時間13分42秒

また世界陸上は1987年ローマ大会に 日本陸連から参加するよう強い
要請があったが(このときメダル獲得なら五輪内定のお墨付きもあったとか、、)
しかし瀬古は福岡出場に強い意志があり辞退したため、世陸参加は1度もなかった。

国際トラックレースでの活躍や東京、福岡、ボストン、ロンドン、シカゴと
世界有数のマラソンレースを制覇した瀬古だが、タイトルのかかったレースは
無縁だったようだ。


ソウルの瀬古は、福岡回避で3月のびわ湖をジリ貧で辛勝し、何とか代表へ。
しかしびわ湖の後はスランプで走れない状態に。7月には右足首を痛め、「辞退」
しなければならないくらいのドン底。9月に入り「走れなくて、情けない状態」は
脱したが、すでに本番まで1ケ月を切っていた。
すでに「ポンコツ車がよくここまで」
という心境だったとレース後に語っている。

ごまかしごまかし先頭集団についていき、スローペースが幸いしたよう。
前半は「何とか行けるかも」と淡い願いで走り続けたそうだが、30.2kmの
給水所でスペシャルドリンクを取りに行って6人の先頭集団に離された。
一度は懸命に追い付いたが、30.8kmで「もう限界だった。」と言っている。
その後はズルズルと後退したが、何とかキャリアと締めない気持ちで粘り抜き、
シングル順位だけは確保した。

最後に「五輪には恵まれなかった。これも人生なんでしょう。」と
表情は意外なほどサバサバしていたようで、最後のフルマラソンと考えていたようだ。


ロス五輪前にある番組で、メキシコ五輪銀メダリスト・君原健二に
「瀬古について五輪の優勝の可能性について」という 質問をしていた
その時、君原は「瀬古君ほど今までのマラソンランナーで強い選手はいないと思います。
五輪は夏という事もあるので優勝すれば「やっぱり凄い」と思いますし、
失敗でも「しかたがないな」と感じるのが五輪というものです。」
と語っていたのを思い出す。同時にミュンヘン代表の采谷も「夏の五輪は別物。
瀬古は飛び抜けて強いが、経験した者から言わしてもらうと真夏のインターハイで
勝った事がある、言いますけど、距離が違います。入賞すれば凄いのと違いますか。五輪は。」
とも言っていた。結果を見ると経験者でないとわからない五輪の難しさ
があるのだなと思ったものだ。


今の現役で強いと思うのはゲブくらいかな。
でもそのゲブが環境問題うんぬんで五輪回避なら強いとかいう選手ではない。
歴代の名ランナーも悪条件の五輪に果敢に出場したんだから。


アーメド・サラもかなり総合的に強かった印象。五輪、世陸で両メダルだし
W杯で2連覇と記録も世界歴代2位まで出したから。
548ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/17(日) 01:28:21
>>532-535
この時のびわ湖の視聴率は34%
歴代でのびわ湖最高視聴率だと思う。
ちなみに東京、福岡も瀬古が出たレースが最高視聴率を持ってると思う。
レースはペースメーカーいない方が面白いのは確かだ。
549ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/17(日) 01:35:58
そうだよな。
ペースメーカーいらん。特に日本のマラソンは。
550ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/17(日) 08:40:27
>>549 日本のペースメーカーのタイム設定が遅すぎて、最初から9分台
しか出ないようになっている。いつぞやの高岡みたいに途中から無視
すれば7分台は出るけど。いずれの場合も勝負をつまらなくするだけで
なくタイムにも大きな足かせになっている。
>>550
だがいなきゃいないで日本人は牽制するのがオチだろう。
それこそサブテンなんかでない気がしてならない。
日本人選手ではアフリカ勢のペースの揺さぶりだけで優勝争いに一人も残れないのが現状なわけで。
先週の東京マラソンにゲストランナーとして参加した第一回東京国際優勝者
喜多秀喜(当時・神戸製鋼)は瀬古同様、最後の最後までもつれたレースでは
自信のスピードで必ずものにしていますね。

正確に調べてみると喜多は4回優勝してますが、

1978年7月  ミルトンケーネスマラソン 2時間20分10秒 (宗猛と同タイム優勝)
1979年2月  別府大分毎日マラソン   2時間13分29秒1(武富と僅差の勝利)
1981年2月  東京国際マラソン     2時間12分04秒 (競技場内で2選手かわす)
1984年10月 北京国際マラソン     2時間12分16秒 (ラストで伊藤を突き放す)

すべてラスト勝負になっている。その反面、スタミナ切れを起こした時の
喜多は惨敗が多く、

1979年 プレ五輪48位  2時間22分19秒0
1979年 福岡国際41位  2時間22分25秒
1981年 ボストン622位 2時間36分59秒
1983年 世界陸上42位  2時間22分37秒
1984年 福岡国際55位  2時間23分31秒

などの結果を残してもいる。
喜多秀喜 マラソン成績(1991年まで)

1、(59位)2時間30分21秒 74年別府大分
2、(49位)2時間29分59秒 74年福岡国際
3、(5位)2時間15分01秒8 78年別府大分
4、(優勝)2時間20分10秒 78年 ミルトンケーネス(宗猛と優勝分け合う)
5、(2位)2時間11分05秒 78年福岡国際
6、(優勝)2時間13分29秒1 79年別府大分
7、(48位)2時間22分19秒0 79年プレ五輪
8、(41位)2時間22分25秒 79年福岡国際
9、(15位)2時間14分37秒 80年福岡国際
10、(優勝)2時間12分04秒 81年東京国際
11、(622位)2時間36分59秒 81年ボストン
12、(14位)2時間14分32秒 81年福岡国際
13、(8位)2時間13分24秒 82年東京国際
14、(2位)2時間11分09秒 82年福岡国際
15、(42位)2時間22分37秒 83年ヘルシンキ世界陸上
16、(7位)2時間10分30秒 83年福岡国際
17、(優勝)2時間12分16秒 84年北京国際
18、(55位)2時間23分31秒 84年福岡国際
19、(途中棄権) 85年福岡国際
20、(29位)2時間17分26秒 86年福岡国際
21、(17位)2時間29分19秒 87年台北
22、(9位)2時間15分23秒 87年ボストン
23、(5位)2時間13分09秒 87年北京国際
24、(12位)2時間14分40秒 88年ボストン
25、(5位)2時間11分51秒 88年福岡国際
26、(13位)2時間15分41秒 89年ロッテルダム
27、(14位)2時間17分28秒 89年福岡国際
28、(5位)2時間15分39秒 90年ロッテルダム
29、(8位)2時間18分16秒 90年モスクワ国際
30、(8位)2時間15分36秒 90年福岡国際
31、(5位)2時間16分27秒 91年防府

スティーブ・ジョーンズ 世界新記録

第8回 シカゴマラソン  レース展開(後半部)

1984年10月21日  男女10120人参加  雨模様・冷たい微風

(解説)広島日出国 (実況)石井信  衛星録画


35km−1時間46分38秒(この区間14分47秒)

ジョーンズがスパートを実行。集団から抜け出し、単独トップで35kmを通過。

広島ー「スピードランナーは一気にこういうペースアップができるんですね。
    こういうところはつくづくスピードがないといけない。」

30kmから35kmで30秒のペースアップ。後続のキャステラ(オーストラリア)
カマウ(ケニア)を引き離す。ロペスはキャステラから遅れて4位。

ドキャステラとカマウの2位争いにロペスが追いつく。

広島ー「スピードはもって生まれたものもある。だからマラソンランナーとして
    (鍛えるのは)難しいところでもある。」
石井ー「キャステラ、ロペスはマラソンにいちばん必要なものはスタミナより
    スピードと語っていた。」

ロペスがペースアップ。ロペスーキャステラーカマウの縦長の順。カマウが苦しい。

石井ー「ジョーンズはどうですか?」
広島ー「(足取りは)全然、衰えてませんね。」

23マイル(37km)1時間52分36秒  1km−2分58秒ペース。

第二集団ではカマウが脱落。ロペスとキャステラが並走。ジョーンズとは40秒差。
ロペスが前に前にと出て、キャステラを引っ張る。

広島ー「キャステラも余裕がない感じ。腕振りが横に流れ出した。」
石井ー「キャステラは最後までもつれたら勝てないですよね?」
広島ー「五輪チャンピオンのスピードだから、途中で引き離なすことを
    考えているのでは。」

40km−2時間01分29秒(14分51秒)

石井ー「ここも14分台。強いですね。しかし顔が苦しそうになってきた。
    2時間8分のペースに。」
広島ー「ラストを頑張れば7分台が出ますよ。」

レイクショア・ドライブをひた走るジョーンズ。口が開いて苦しそうになる。

石井ー「ジョーンズは(練習を含めて)35km以上走ったことがない。」
広島ー「練習をせずしてこれだけのレースをするのは不可能。しっかり練習を
    しているはず。これを聞いて日本の若手が練習をしなくても強くなると
    思いってはいけない。」

2位争いはロペスとド・キャステラの一騎打ち。ジョーンズから1分差。
ロペスがロングスパートを仕掛け、キャステラが必死に食らいつく。

ジョーンズはレイクショアから下ってきて、クラートンパーク・ウェイに入る。
すぐ右を曲がるとラストは400m。

石井ー「ジョーンズ、懸命にスパート!」
広島ー「世界記録を作るか、彼も今、必死だと思いますよ。」

リンカーンパーク内、キャノン・ドライブをひた走る。

石井ー「やや疲れたかな??」
広島ー「少し疲れたと思います。最後としては、トラックのようなスピードではないですね。」
石井ー「大きく腕を振ってラストスパート! 周りは大騒ぎです。大騒ぎ!!」
    2時間08分05秒!!」

キャステラスパート。ロペスに10mの差をつける。

石井ー「キャステラだいぶリード。 キャステラも必死ですね。
    アーッ、キャステラ、足が伸びないですね。」
広島ー「足が伸びない。ストライドが伸びない。」
石井ー「ロペスがアッという間に追いついてきた。」 残り100mでロペスが逆転。

2位ロペスが2時間09分06秒、3位ド・キャステラ2時間09分09秒。

世界新記録を樹立したS・ジョーンズは2回目のマラソンで初完走。
優勝賞金3万5千ドル(当時の日本円857万円)を獲得した。
第8回 シカゴマラソン 成績

優勝 S・ジョーンズ(イギリス)2時間08分05秒(世界新記録・84年度世界ランク1位)
2位、ロペス(ポルトガル)   2時間09分06秒(84年度世界ランク2位)
3位 ド・キャステラ(オーストラリア) 2時間09分09秒(84年度世界ランク3位)
4位 カマウ(ケニア)     2時間10分05秒(84年度世界ランク9位)
5位 G・スミス(イギリス)  2時間10分08秒(84年度世界ランク10位)
6位 ピタヨ(メキシコ)    2時間10分29秒



優勝 S・ジョーンズ(イギリス)  ラップタイム

(マイルをキロ表示に訂正版)

5km 15分18秒
10km 30分17秒(14分59秒)
15km 45分18秒(15分01秒)
20km 1時間01分01秒(15分43秒)
25km 1時間16分29秒(15分28秒)
30km 1時間31分49秒(15分20秒)
35km 1時間46分40秒(14分51秒)
40km 2時間01分26秒(14分46秒)
2.195km(6分39秒)

2時間08分05秒 
カルロス・ロペス(Carlos Alberto de Sousa Lopes, 1947年2月18日 - )は
ポルトガルの陸上競技長距離選手で、29歳の時出場したモントリオールオリンピックでは
10,000mで銀メダルを獲得した。その後、マラソン競技に転向し、
ロサンゼルスオリンピックにおける下馬評では
前年の世界選手権優勝者ロバート・ド・キャステラ(豪州)や瀬古利彦(日本)などの
評価が高く、彼の評価はそれほど高くなかったが37歳での出場にも係わらず
2時間9分21秒の五輪新記録で見事金メダルを獲得した。
この記録は現在も五輪最高記録として残っている。

ロサンゼルス五輪翌年の1985年4月20日のロッテルダムマラソンで、
初めて2時間8分の壁を破る2時間07分12秒(電気計時2時間07分11秒68)の世界最高記録を樹立した。
その後1986年の東京国際マラソンに参加したが途中棄権している。

スティーブ・ジョーンズ (Steve Jones、1955年8月4日-)は、
イギリスのウェールズ出身の元陸上競技選手である。
1984年開催のロス五輪では1万mに出場。日本の金井豊に続き、8位に入り入賞。
1984年のシカゴマラソンでは、オーストラリアのロバート・ド・キャステラが保持していた
世界最高記録2時間8分18秒を破り、2時間8分5秒という、当時の世界最高記録をマークした。
翌年4月に、彼の世界最高記録はポルトガルのカルロス・ロペスによって破られた(2時間7分12秒)
ものの、同じ年に開催されたシカゴマラソンでは、
2時間7分13秒の世界記録に1秒と迫る自己ベストをマークした。
1986年のコモンウェルスゲームズの10000mでは銅メダルを獲得している。
1987年はボストンマラソンに参加。瀬古、イカンガー、キャステラ、トレーシーなどの豪華メンバーが
集い、「世界一決定レース」といわれた。このレースで瀬古に続いて2位でゴール。
瀬古について「彼は世界一のランナーだ」と評価した。
またソウル五輪代表選考会はイギリス陸連を巻き込んで、日本以上にゴタゴタを起こす。
イギリス陸連がソウル五輪代表選考会に指定された88ロンドンマラソンを辞退。
高額出場料と賞金目当てに、88ボストンマラソンに参加を表明。そこで代表を決めて欲しいと
わがままを言った。
イギリス陸連は前回のロス五輪では同じく選考会の84ロンドンマラソン2位のケビン・フォスターを落選させ、84ボストンマラソンを
優勝したジェフ・スミスを代表に選んだため物議をかもしていた。
今回もジョーンズとスミスの大物が選考会をパスしてボストン出場する事態となり、ひともめとなった。
しかしそのジョーンズは88ボストンマラソンを9位(2時間14分7秒)と敗退。五輪に選ばれることは
なかった。その後、急激に力が衰えた。
また

559ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/20(水) 20:56:27
>>482 カルボーネンは強くないよ。五輪も5位、3位に過ぎない。日本にも
よく来ていて、特に朝日国際マラソンでは54年2位、55年1位、58年2位と
最強と呼ぶにはお粗末な成績。自己ベストは2:18:56.4(1956)だけどその
時も3位に過ぎない。ボストンでは2位(53)、1位(54)、2位(57)、4位(59)。
ヨーロッパ選手権は2位(50)、1位(54)、6位(58)。全盛は54年あたりで54年は
ボストンを含めて4連勝したが年末の朝日国際で2位と敗れている。
NHKが1991年に(資料が古いが)世界最強ランナーは誰か というアンケートを
実施している。その結果

1位 アベベ(エチオピア)
2位 ショーター(アメリカ)
3位 チェルピンスキー(東ドイツ)
4位 ボルディン(イタリア)
5位 ロペス(ポルトガル)
6位 瀬古利彦(日本)
7位 ド・キャステラ(オーストラリア)
8位 ザトペック(チェコスロバキア)

また君原健二は20位となった。


この当時の記録だけみた個人ベストテン(速い順から上位10のタイム平均)の上位は

1、2時間09分03秒3 メコネン(エチオピア)
2、2時間09分03秒4 イカンガー(タンザニア)
3、2時間09分05秒0 ド・キャステラ(オーストラリア)
4、2時間09分29秒3 中山竹通(日本)
5、2時間09分48秒6 瀬古利彦(日本)
6、2時間10分02秒9 サラー(ジブチ)
7、2時間10分04秒5 谷口浩美(日本)
8、2時間10分12秒2 デンシモ(エチオピア)
9、2時間10分28秒1 宗猛(日本)
10、2時間10分36秒8 宗茂(日本)



また1987年の国際陸連が専門家から集めたアンケート(2230票)では
2066票という圧倒的な得票でアベベ(エチオピア)が1位になっている。

このようにアベベの支持率が高いのは、1960年から1968年までの競技歴の
中で、全盛期に15回のレースを走り、優勝12回。唯一の失敗は無理を承知で
参加した1963年のボストンマラソンの5位、それと引退の引き金となった
メキシコ五輪での途中棄権である。
これを除くと13戦12勝となり、また五輪でも2連勝という前人未到の偉業を
達成している。また世界記録最新も2回と抜群のものがあるうえ、生活態度や
練習への精進ぶり、さらに競技人としての人格識見などのすべてが評価されて、
この史上最強ランナーアンケートにおけるランキング1位を獲得した。

また国際陸連によるアンケートでは2位にチェルピンスキー、3位はロス五輪優勝のロペス。
このアンケートに参加したのは各国の評議会、役員、選手、新聞記者、テレビキャスター、
評論家ら2300人になる。
561ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/20(水) 22:10:40
やっぱり五輪での成績が大きいんだな。
五輪のメダルがない瀬古や中山は
どうしても評価が下がるわけか。
五輪の金メダルは十分条件では無いが、必要条件ということですな。
>>560

アベベは五輪2連覇の偉業を達成して、こと五輪マラソンについて
多く語られているが、
トラックも走っている。5000mが14.10.0、10000mが29.00.8
という記録が残っている。
ローマ五輪では1万mにも参加。7位 29分00秒8の成績も残っている。
1万の記録だけみると円谷幸吉の自己ベストにかなわない
ものになっているが、どれくらいトラックレースに参加しているのか不明。

マラソンの主な大会成績は

60年ローマ五輪     優勝 2時間15分16秒2
61年アテネ古典マラソン 優勝 2時間23分44秒6
61年毎日マラソン 優勝 2時間29分27秒
61年コシチェマラソン 優勝 2時間20分12秒
63年ボストンマラソン 5位
65年毎日マラソン 優勝 2時間22分55秒8
66年韓国国際マラソン 優勝 2時間17分04秒
66年スペインマラソン 優勝 2時間20分28秒8

そんな中、64年の東京五輪の年は3レースに参加。

5月30日 エチオピア国内予選 優勝 2時間15分13秒0(自己ベスト)
8月20日 エチオピアマラソン 優勝 2時間16分18秒4
10月21日 東京オリンピック 優勝 2時間12分11秒2(世界最高)

エチオピアマラソンと東京五輪の間で盲腸の手術をしていることを
考えると脅威のスタミナである。また63年のボストンは東京五輪7位の
バンデンドリッシュ(ベルギー)が優勝した大会。メキシコ五輪の途中棄権と
この63年ボストンの2レースがアベベが敗北するレースとして資料が残って
いる。またもうひとつの敗戦は途中棄権だっとようです。

564563:2008/02/20(水) 23:48:30
ちなみに66年にアベベが韓国国際マラソンを走ったのは
ソウル国際マラソン・東亜マラソンとは別の大会。

韓国国際マラソンの開催経緯は
朝鮮動乱の時、国連軍が仁川からソウルへ、そして38度線まで押し返した
戦勝を記念して開催。
国連軍として従軍した国々の選手を招待し不定期で開催していた。

仁川からソウルまでの一本道で坂が連続してあり地形的にマラソン向きの
コースではなかった。

アベベが優勝したのは第3回大会(1966年)
2位に寺沢徹2.19.35、3位君原健二2.19.57.8だった。

第4回大会(1969年)は宇佐美彰朗がマモを振り切り、2.20.17
で日本人初優勝をしている。



565563:2008/02/20(水) 23:51:26
60年代から70年代初頭のマラソン世界最強分布は
ローマから東京五輪までとその後2年くらいはアベベの最強時代といえる。
その後、72年のミュンヘン五輪で新鋭のショーターが制覇してから
ショーター時代が続くが、その間はクレイトンとヒルが凌ぎをけずっていた。

当時世界最高記録保持者のクレイトン(豪)のマラソンベスト5は

1、2.08.33.6 69年アントワープ 優勝
2、2.09.36.4 67年福岡 優勝
3、2.11.08.8 71年ホバート 優勝
4、2.13.39   70年ツララルゴン 優勝
5、2.14.47.8 

で平均タイムが2時間11分33秒1

そしてロン・ヒルのベスト5は

1、2.09.28 70年エジンバラ 優勝
2、2.10.30 70年ボストン 優勝
3、2.11.54.4 69年福岡 2位
4、2.12.39 71年マンチェスター 優勝
5、2.12.51 72年マンチェスター 2位

平均タイムが2時間11分28秒5 でクレイトンを上回っている。
これはこの時期の世界1,2位の平均タイムになっている。

この時期はヒル、クレイトンにベスト5平均2.12.18の
アドコックスを加えた3人がマラソン界をリードしていたことになる。
しかし五輪マラソンには3人ともメダルに縁がなかった。クレイトンは
最高位でメキシコの7位。ヒルもミュンヘンで君原に続き6位入賞がやっと。
アドコックスもメキシコで5位だった。
そんな中、自己ベスト2時間15分08秒4でミュンヘン五輪に3位に
なったマモ・ウォルデはメキシコのゴールドメダルとともにこの時期、世界
大会には抜群の相性であった。


>>563


乙。こうやって見るとアベベは勝率のわりに記録が冴えないな。
タイムが抜群に良いのが両五輪だな。
でもエチオピアで15−16分で走ってるから潜在能力は高かったんだろうね。
ショーターもそうだけど、当時は調整レースと、ガチレースみたいに、
レースを練習の一環として走ってる場合があるよね。
568ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/21(木) 00:17:40
88年の全盛期にメコネンとデンシモに五輪を走らせてやりたかったな…
メダリストになれる確率は高かったろうに
1912年のストックホルム五輪では灼熱地獄の気温35度でマラソンが実施された。
この時、ポルトガルのラザロが途中で失神し、交通手段の悪い時代だけに、
手当が遅くなり死亡。五輪マラソン史上、ただ一人の死亡者となってしまった。
この大会はあまりの暑さに67選手中、途中で歩く者、休む者など続出し、半分の33人が途中棄権。
他には第2回のパリ大会が気温39度。第3回のセントルイス大会も35度での開催。
第4回大会のロンドンは上レスの通り、ピエトリの卒倒。
真夏開催は昔も変わらず、マラソンは前評価の高い優勝候補がほとんど優勝できないでいる。

また1956年のメルボルン大会は南半球の為、7-8月開催だと冬にあたり、そのため開催は夏期の
11-12月に開催。マラソンは12月1日にスタートした。

それを除くと、開催史上、7-8月開催以外では最初の五輪アテネ大会が4月で、東京五輪が10月開催
というのは画期的な出来事だったよう。盛夏の日本は高温多湿が認められ10月開催が認められた。

今回、ゲブレシラシエの五輪不参加が報道されたが、過去にも夏マラソンにクレームを出したランナーがいた。
それはオーストラリアのロバート・ド・キャステラ。
83年8月開催の第1回世界陸上に出場し、優勝したが、暑さのため
ダメージと後遺症に悩む。ロス五輪では優勝候補のひとりだったが、
夕方スタートする時間を早朝に変更してほしいと訴えた。
また92年バルセロナ五輪では欠場を表明したが、周囲が許さないとあってしぶしぶ参加し、26位
と敗れ去った。また96年アトランタではベルギーの優勝候補バンサン・ルソーは「気温が17度
以上になるものは参加しない。それはあまりに非人道的だから」と表明。参加しなかった。

「最強」である以上、世界大会の成績は外せないがマラソンは冬に行うスポーツだけに、それに比重を置く
のも疑問が残る。
しかしほとんどのランナーが名誉の為、高温や難コース、メキシコのように高地でも果敢にレースに参加した
のだからゲブやルソーのような不参加は「最強ランナー」として語られないようにも思う

一度、冬開催の五輪マラソンレースを見てみたいものだ。
そして今回は夏の暑さと北京の公害問題。
やはり優勝候補は勝てないのだろうか。

近年では東京のアベベ、(ミュンヘンでのショーター、ロスでのロペスもセカンドゾーンでの候補か。)
くらいが優勝候補の一角で勝てた例。
572ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/21(木) 07:14:13
>>565

クレイトンのベスト5は

1、2.08.33.6 69年アントワープ 優勝
2、2.09.36.4 67年福岡 優勝
3、2.11.08.8 71年ホバート 優勝
4、2.12.07.6 73年豪州選手権(パース)優勝
5、2.13.39   70年ツララルゴン 優勝

>>566 おいおい五輪で世界新2回、そのうち東京では世界記録を1分40秒
以上更新する大記録だぞ。記録だけみてもそんな選手はクレイトンくらい。
日本勢・悲願の世界の頂点― 谷口優勝

第3回 世界陸上 東京大会 男子マラソン レース展開
1991年9月1日  午前6時 スタート   生中継

(競技場・解説)瀬古利彦  (競技場・実況)山下末則(ゲスト)山下佐知子
(第一中継車・解説)伊藤国光 (実況)芦沢俊美

(参加選手ベスト6)
1、 2時間07分07秒 サラ(ジブチ)
2、 2時間07分35秒 メコネン(エチオピア)
3、 2時間07分40秒 谷口浩美(日本)
4、 2時間08分15秒 中山竹通(日本)
5、 2時間08分16秒 モネゲッティ(オーストラリア)
6、 2時間08分19秒 ボルディン(イタリア)

スタート時 気温28.0度 湿度73% 東北東1.0m

山下―「世界選手権、日本に初の金メダルが期待されます。世界陸上・東京大会
    男子マラソン、いよいよスタートです。」
スタートー午前6時 国立競技場内でキューバ(キューバ)が先頭に立つ。

山下―「気象状況は?」
瀬古―「いいとはいえない。湿度が高すぎる。記録は望めないのでは。」
山下―「女子マラソンの方は気温21度と低かったが。」
山下佐知子―「どちらかというと、湿度が高い方が走りにくい。」

キューバが集団を20mリードしてロードへ出る。集団の先頭はモネゲッティ。

山下―「中山が先頭で飛び出すのが焦点だと思うのですが。。」
瀬古―「そうですね。3キロまでは様子を見て、それから少しづつペースを上げるのでは。」
   しかしこの気温と湿度だから予想は難しい。」

3km−中山が先頭に出てくる。
3.8km− キューバを集団が吸収。中山が先頭を引っ張る。

伊藤―「このままだと(5kmが)16分くらいかかるかも。けして速くない。」

5km−15分37秒。  カナダの長身ピーター・マハーが先頭で通過。
             集団は約40人。

第二中継車・今井アナ「各選手、相当汗をかいている。湿度に参っている感じ。」

中山が先頭に出てから徐々にペースが上がってきた。
芦沢―「1km−3分06秒のペース。中山にはまだ遅いペースですね。」
伊藤―「そうですね。まだ遅いと思う。中山の独走の形になれば、彼のリズムで
    走れるとは思う。」

ボルディンが先頭集団から20m後方。篠原太(日本)もその集団。
フルク(ポーランド)、ピネイロ(ポルトガル)、サルニ(アルジェリア)の5人。

10km−31分07秒(この間、15分30秒)  集団は17人。

芦沢―「中山がこういうペースで行くと、悪夢のソウル五輪の再現になるのでは。」
瀬古―「3kmで前に出た時は、行くかと思ったが、やはり気温・湿度を考えて自重した
    のでは。中山君らしく、思い切って行って欲しかったのですが。」

13km−ボルディンを含む第二集団が先頭集団に追いつく。集団は約20人に。
     中山は先頭に立つも自重気味。

伊藤―「中山は目をキョロキョロしすぎ、周りを気のしながら走っている。行くなら行く
    と気を落ちつかせて走った方がよい。」

15km−46分55秒(15分48秒)  メコネンが先頭で通過。

15.3km−スイスのベルツが沿道に座り込む。
新八ツ山橋を下る。集団は18人。
全方にはメコネン、ボルディン、モネゲッティ、中山、フライガング(ドイツ)、サラ。
谷口は中段で淡々と走る。

ポルトガル・マティアスはすでに先頭から400m後方。
瀬古―「伊藤さん、中山君の顔つきはどうですか。」
伊藤―「表情は落ち着いている。モネゲッティ、ボルディンも良い。」
瀬古―「中山がペースメーカーのようになってないか心配。」
伊藤―「それぞれ、後半に備えている感じがする。」

19.5km−ペーター(ドイツ)ら3人が脱落。

20km−1時間02分53秒(15分58秒)  フライガングが先頭。
山下―「依然として(2時間)12分台後半のペース。」
伊藤―「徐々にペースが落ちているが、それでも脱落するランナーは多くなると思う。」

20.7km−メコネンが脱落。
中間点―1時間06分24秒  15人の集団。

気温27度  湿度 71%  東の風0.5m 

折り返し点― モネゲッティが先頭。日本3選手は集団の中。
       アメリカのスペンスが先頭集団から48秒差で折り返す。
22km−金完基(韓国)が脱落。
23km−タスファイエ(エチオピア)、ギニンガ(スワジランド)が脱落。
23.8km−フルクがペースアップ。集団から10mリードする。サラが追いかける。
       集団が縦長にフルクを追う。

25km−1時間18分57秒(16分04秒) フルク、サラ、ギシラセ(エチオピア)
      の3人が先頭で通過。10m遅れて集団。
キューバ、マハー、フライガング、カスティーヨ(メキシコ)が脱落。

集団はサラ、中山、篠原、フルク、モネゲッティ、谷口、ベッティオル(イタリア)、
ギシラセ、10m遅れていたボルディンが追いつき、合計9人。

25.2km−マティアスが棄権。
26km−サルニが棄権。
27.4km−カスティーヨが先頭集団に追いつき10人へ。
27.9km−ピネイロが棄権。
28km−メコネンが座り込み、嘔吐。  悪条件のため、次々に棄権者が増える。
 
気温30.0度  湿度62%  北北西の風0.5m

29.4km−
芦沢―「中山が遅れました。遅れました。 中山の走りはどうでしょうか。」
伊藤―「その前の給水で後ろで取って、集団に追いつくのに戸惑っていた。
    その時(遅れる)兆候があった。 ストライドが狭くなってきている。」

30km−1時間35分34秒(16分37秒) フルク先頭。 
     中山は20m遅れで通過。
芦沢―「このままだと(2時間)14分台になります。」

30.4km−谷口スパート。集団が解体される。谷口に篠原が食らいつく。
       5m遅れてフルク。10m差でサラ、ギシラセ。
       ボルディン、モネゲッティは完全に脱落。
       中山は一気に120m差に。
伊藤―「谷口はここから落ちたことはない。篠原も暑さに強いだけに
    これから楽しみ。」
    後方からアメリカのスペンスが追い上げてくる。
31km−谷口、篠原にフルクが追いつく。

31.2km−
今井―「芦沢さん、芦沢さん!今、中山が歩き出しました。」
芦沢―「エッ!中山が立ち止まった!」
中山再び走り始めるもジョッグ状態。
31.6km−サラ、ギシラセが3人に追いつき、集団は5人。
       10m後方にボルディンとベッティオルのイタリア勢。
32.6km−中山がついに棄権。歩道を歩き始める。

32.7km−ボルディンとベッティオルが追いつき、7人に。
       そのままボルディンが先頭に踊り出る。

35km−1時間52分07秒(16分33秒) 篠原先頭で7人。

芦沢―「(2時間)15分を越えるペースになってきた。レース前、
   ボルディンは湿度が上がれば、優勝争いは14分台になるかもと
   話していた。」
スペンスの追い上げが急。先頭と80m差でカスティーヨを抜き去る。
36.3km−モネネッティ10位。先頭と200m差。

37.2km−谷口、再びペースアップ。フルク、篠原、サラが谷口につく。
       ボルディン、ベッティオルは10m差。スペンスが追いつく。
       ギシラセが完全に脱落。

38.4km−谷口スパート。サラがつく。篠原、フルクが脱落。
38.7km−
芦沢―「さぁ、谷口スパートだ! 登りにかかってスパートした。
    その差が5mから7m、開きます、開きます、谷口スパートだ!」

38.9km−谷口先頭。20m遅れてサラ。さらに10mで3位に篠原。
       篠原から5mで4位フルク。
       5.6.7位はベッティオル、スペンス、ボルディンの順。
谷口、この1kmが3分13秒。

40km−2時間08分16秒(16分09秒)
伊藤―「今の登りを(1km)3分できてますよ。」
残り1.5km−
スペンスがフルクを捕らえ、篠原をかわして3位に浮上。篠原は後続の
フルクにも抜かれ5位に転落。篠原の表情がかなり苦しい。

谷口も大きく口を開き苦しい表情。しかしピッチは衰えない。
芦沢―「もう間違いありません。金メダル!金メダル!」

2時間13分20秒―谷口が国立競技場に帰ってくる。一団と大歓声。

山下―「栄光のゴールまで100mとなります。日本の男子マラソン。  
    世界の頂点に立ちます。世界選手権の初優勝。
    日本の谷口、いよいよゴールです。谷口、ゴールへ向かいます。
    世界チャンピオン!日本の谷口 優勝! おめでとう。
    女子の山下佐知子に続いて日本マラソン史上、快挙を成し遂げました。
    谷口、谷口浩美、見事に金メダル!」

五輪、世界選手権を通じて、日本に初の金メダルを獲得。2位にはサラ。
3位は後半に追い上げたアメリカのスペンス。72年ミュンヘン五輪、
ショーター以来のアメリカにマラソンでメダルをもたらした。
小指の代役で急遽、代表に決まった篠原は健闘の5位入賞。中山は途中棄権。
谷口は早くもバルセロナ五輪代表権を獲得した。


第3回 世界陸上 東京大会 男子マラソン  成績

1、 2時間14分57秒 谷口浩美(日本)
2、 2時間15分26秒 サラ(ジブチ)
3、 2時間15分36秒 スペンス(アメリカ)
4、 2時間15分47秒 フルク(ポーランド)
5、 2時間15分52秒 篠原太(日本)
6、 2時間15分58秒 ベッティオル(イタリア)
7、 2時間16分15秒 カスティーヨ(メキシコ)
8、 2時間17分03秒 ボルディン(イタリア)

9、2時間18分37秒 ギシラセ(エチオピア)
10、2時間19分01秒 ドブラー(ドイツ)
11、2時間19分18秒 モネゲッティ(オーストラリア)
12、2時間20分02秒 ケアリー(イギリス)
13、2時間20分31秒 マハー(カナダ)
14、2時間21分16秒 ガルシア(スペイン)
15、2時間21分37秒 シュブリエ(フランス)
16、2時間22分17秒 ディルクス(オランダ)
17、2時間22分43秒 ギニンザ(スワジランド)
18、2時間23分13秒 フライガング(ドイツ)
19、2時間23分14秒 金元卓(韓国)
20、2時間23分24秒 ブザ(イギリス)

主な途中棄権者
中山竹通(日本)
メコネン(エチオピア)
マティアス(ポルトガル)
ペーター(ドイツ)
金完基(韓国)
ピネイロ(ポルトガル)
トルスティコフ(ソビエト)

優勝 谷口浩美  ラップタイム

5km 15分37秒
10km 31分07秒(15分30秒)
15km 46分55秒(15分48秒)
20km 1時間02分53秒(15分58秒)
中間点 1時間06分24秒
25km 1時間18分57秒(16分04秒)
30km 1時間35分34秒(16分37秒)
35km 1時間52分07秒(16分33秒)
40km 2時間08分16秒(16分09秒)
2.195km(6分41秒)

2時間14分57秒

谷口がスパートしたアングルが83東京国際の時の瀬古と似ていてかっこよかったのを覚えてる。
懐かしいレースだ。
579ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/21(木) 22:17:47
>>569 ローマ五輪8月31日〜9月10日
メキシコ五輪10月12日〜20日
ミュンヘン五輪8月31日〜9月10日

マラソンは皆最終日。
>>564
この韓国国際でアベベは初めて「人間らしい」一面を見せたそう。
高橋進の書物によると、30キロ過ぎ、漢江の手前の永登浦(えいとうほ)で、アベベは粘る君原を
100mリードしていた。突然、アベベがコーチのニスカネン、高橋進、のちの瀬古の監督になる
中村清が同乗する役員車のベンツに近づき、ニスカネンへ話かけた。
母国語で早口に何かを訴えたらしいが、どうも足が痙攣を起こしているらしかった。
しかしニスカネンは語気を荒く「No!」 と叱りつけた。アベベの眼は憂色に覆われ、締めた顔に変わった。
再び、自分のペースに戻ったが、初めて見るアベベの人間的弱さだったと綴っている。
当時、周りからは「超人」「哲学者」などと形容されたらしいアベベ。
しかしアベベの晩年は不幸すぎる。
>>570
戦後、世界記録が出たのはローマと東京。いずれもアベベ。ヘルシンキ
(ザトペック)は公認記録は上回ったが未公認記録のピータースの記録には及
ばず記録変遷史には残らず。ミュンヘンはアベベの記録も上回ることができず
12分台の凡記録(歴代15位前後か)。といってもその年のそれまでの最高(
12月にショーター自身が更新(歴代3位)。モントリオールは好記録(歴代
4位タイ)。ロスの記録はまあまあだったが、歴代20位レベルの記録ではな
いかな。後は凡記録のオンパレード。昔は世界の一流選手が集まる大会が殆ど
なかったので、記録を出す上でもオリンピックが貴重な機会だった。

オリンピックが真夏に開かれるようになったのはモントリオールから。
ミュンヘンは9月。東京、メキシコは10月だった。モントリオール以降は
7月末から8月上旬という盛夏に開かれるようになった。理由は知らないが、
他の競技のシーズンとは確かに重なっている。
男子マラソン 五輪・世界陸上 メダリスト

1936年 ベルリン 金 孫基禎 (韓国)
1936年 ベルリン 銅 南昇龍(韓国)
1964年 東京   銅 円谷幸吉
1968年 メキシコ 銀 君原健二
1991年 東京   金 谷口浩美(世陸)
1992年 バルセロナ  銀 森下広一
1999年 セビリア 銅 佐藤信之(世陸)
2005年 ヘルシンキ 銅 尾方剛(世陸)


世界陸上 男子マラソン 全入賞者

(1991年 東京)  
 1位 谷口浩美
 5位 篠原太

(1993年 シュツットガルト)
 5位 打越忠夫

(1999年 セビリア)
 3位 佐藤信之
 6位 藤田敦史
 7位 清水康次

(2001年 エドモントン)
 5位 油谷繁
 8位 森下由輝

(2003年 パリ) 
 5位 油谷繁

(2005年 ヘルシンキ)
 3位 尾方剛
 4位 高岡寿成

(2007年 大阪)
 5位 尾方剛
 6位 大崎悟史
 7位 諏訪利成

583ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/24(日) 23:04:08
BSでスポーツ名場面集の100傑をやっていたけど男子マラソンは円谷が70位台
あたりに入っていたのみ。女子は3位に高橋、10位台に野口と、圧倒的に
差があった。最近のものが上位にランクインする傾向があったので仕方がない
といえば仕方ないけど、ちょっと淋しいものがある。

>>581 確かにミュンヘンのショーターは歴代15位のようだ。
584ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/24(日) 23:11:28
>>581 1983年のランキング10位が2時間9分12秒(ゴメス)だから、確かに
ロペスのロスの記録は大した事ないね。少なくとも歴代21位以下だ。
パフォーマンスでの比較でいったら'00福岡の藤田は全盛期の瀬古、中山と勝負可能だろ。
今も80年代もマラソンは35kからだからね。
'00福岡の藤田は35kを106分弱でカバーした後、35k以降を21分そこそこで上がってきた。
これは十分いまでも世界一流のレベル。
全盛期に宗兄弟やイカンガと競り合った瀬古でも35k以降を22分以上かかっているからね。
他は'05東京の高岡くらいかな、パフォーマンスとして較べて遜色ないのは。
瀬古自身も'00福岡当時の藤田をシドーニーで走らせたかったっていってたしね。
いずれにせよ今のランナーには2年くらいは安定したパフォーマンスを見せてくれんと
瀬古、中山と比較してもらおうなんておこがましいだろ。
あの時の藤田は確かに神がかってたね
シドニー五輪勝者アベラを(まあアベラ自身、五輪後の物見有算だったんだろうが...)子ども扱い
35kmあたりでアベラの呼吸の変化を見逃さず一気にスパート
自分だって激しい呼吸をしているわけで、その上で相手の呼吸を読んでスパートするとは、
他の選手では全盛期の瀬古くらいしかできなかったのではないか
そう考えると、藤田は4年間きっちり走ることが出来れば、アテナ五輪でも活躍できたかも
もともと冬場は苦手、暑いの大好き、というヒートランナーらしいし
ただ故障のコントロールも自己の実力という意味で考えれば、
故障で出走できないということは、それだけ能力がないという言い方も出来るわけで、
妄想だけでの「とらたぬ」は非常にナンセンスと思うんだがね
>>571

まあショーターは優勝候補の一角(5番手程度)だったからね。ロペスも
4番手(キャステラ、瀬古、サラザール)程度の評価だったし、ボルディンも
その程度の評価(中山、サラ、イカンガーの次の一群。欧州選手権者だし、
ボストンで好記録で3位。優勝したフセインと同レベル)。アテネのバルディーニ
はもうちょっと下かもしれないけど候補の一角。マモはそこそこ評価が高かった筈。
(10000でメダル取っているし、高地族が有利なのは明らか)。逆に東京でのアベベ
は絶対的存在ではなかった。ミムンは分からないね。トラックで無敵だったザトペック
はある程度評価されていたと思うよ。(それがピータースの暴走に繋がった)。


2008年2月まで  順位別(すべてのマラソンでその順位でゴールしたもっとも速い)
         世界記録表(1位ー12位まで)


1位 2:04:26 Haile Gebrselassie (ETH ) Berlin   30.09.2007
2位 2:04:56 Sammy Korir (KEN )Berlin   28.09.2003
3位 2:06:15 Titus Munji (KEN ) Berlin   28.09.2003
4位 2:06:18 Paul Tergat (KEN ) Chicago  13.10.2002
5位 2:06:46 El Mouaziz     (MAR ) Chicago 13.10.2002
6位 2:07:29 Stefano Baldini (ITA)  London 14.04.2002
7位 2:07:59 Hicham Chatt (MAR ) London 23.04.2006
8位 2:08:16 Tsegaye Kebede (ETH)Amsterdam 21.10.2007
9位 2:08:21 Kamiel Maase (NED)Amsterdam 21.10.2007
10位 2:09:31 Paul Kosgei (KEN)Amsterdam 21.10.2007
11位 2:09:49 Francis Kiprop (KEN)Amsterdam 21.10.2007
12位 2:10:21  Martin Fiz (ESP) Boston   18.04.1994











2008年2月現在  月別世界記録表


1月 2:04:53 Haile Gebrselassie (ETH) Dubai      18.01.2008
2月 2:06:33 Gert Thys (RSA) Tokyo     14.02.1999
3月 2:07:06 Gert Thys (RSA) Seoul      14.03.2004
4月 2:05:38 Khalid Khannouchi (USA) London     14.04.2002
5月 2:08:04 Zithulele Sinqe (RSA) Port Elizabeth 03.05.1986
6月 2:08:55 Patrick Tambwé (COD) Mont St. Michel 20.06.2004
7月 2:09:14 Jörg Peter (GER)Grünau 21.07.1984
8月 2:08:31 Jaouad Gharib (MAR) Saint-Denis 30.08.2003
9月 2:04:26 Haile Gebrselassie (ETH) Berlin 30.09.2007
10月 2:05:42 Khalid Khannouchi (MAR) Chicago 24.10.1999
11月 2:07:43 Tesfaye Jifar (ETH) New York City 04.11.2001
12月 2:06:39 Samuel Wanjiru (KEN) Fukuoka 02.12.2007







【五輪男子マラソン複数メダリスト】

アベベ  (60ローマ金,64東京金)
マモ   (68メキシコ金、72ミュンヘン銅)
ショーター(72ミュンヘン金,76モントリオール銀)
リスモン (72ミュンヘン銀、76モントリオール銅)
チェルピンスキー (76モントリオール金,80モスクワ金)[83ヘルシンキ銅]
ワイナイナ(96アトランタ銅,00シドニー銀)


【五輪&世陸 男子マラソン複数メダリスト】

ボルディン (88ソウル金)[87ローマ銅]
ワキウリ  (88ソウル銀)[87ローマ金]
サラ    (88ソウル銅)[87ローマ銀,91東京銀]
アベラ   (00シドニー金)[01エドモントン金]
バルディーニ(04アテネ金)[01エドモントン銅,03パリ銅]

() 五輪成績 []世界陸上成績


アジア大会男子マラソン日本人メダリスト

1951ニューデリー A西田勝雄(中央大)
1954マニラ  競技なし
1958東京   B貞永信義(鐘紡)
1962ジャカルタ  (優勝)長田正幸(八幡製鉄)
1966バンコク (優勝)君原健二(八幡製鉄)A重松森雄(倉敷レイヨン)
1970バンコク (優勝)君原健二(新日鉄)A御船芳郎(リッカー)
1974テヘラン 競技なし
1978バンコク (優勝)坂本峰照(日立造船)
1982ニューデリー A阿部文明(新日本電気)
1986ソウル  (優勝)中山竹通(ダイエー)A谷口浩美(旭化成)
1990北京   A清水悟(鐘紡)
1994広島   A早田俊幸(鐘紡)
1998バンコク A真内明(旭化成)
2002プサン  A清水康次(NTT西日本)B武井隆次(エスビー食品)
2006ドーハ   B大崎悟史(NTT西日本)


591ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/25(月) 21:29:09
>>304-307

2位トレーシー(アイルランド)、3位スペディング(イギリス)は
当時の日本での認知度、知名度はほとんどなかった。
しかし2位、3位でゴールした後、後日発表された経歴を見ていくと 納得できるものもある。
トレーシーは78,79年世界クロカン優勝。アフリカが台頭する前 とはいえ、連覇は輝かしい実績。
またロス五輪1万では7位に金井豊、8位がスティーブ・ジョーンズと
入った後ろで9位でのゴールをしている。80年モスクワ五輪も代表。
1万ベストが27分48秒7、そして五輪本番直前6月の欧州大会で
5千 13分16秒81のアイルランド記録を樹立したばかりだった。
余談だが、そのトレーシーに先着したのがロペス。13分16秒38の 自己記録だった。
ロペスは1週間後のDNで27分17秒48で世界記録で2位に入るので
この頃、37歳のして最高のスピードを作り上げていたわけだ。


スペディングは1万ベストが28分08秒12。それより84年5月
に開催されたロンドンマラソンでマラソン2回目にして
2時間09分57秒の記録で優勝している。五輪本番前でもサブテンリスト に乗るランナーではあった。
スペディングは後半、終始集団をリード。積極的な走りを披露している。
しかし後年のレースを見てみると、85年ロンドンはスティーブ・ジョーンズ
に続き2位(2時間08分33秒)があるが、86年シカゴは堅実な走りを
見せたものの、瀬古に破れ3位。ソウル五輪も終始、目立たず後半まとめて
6位入賞をしている。そのため堅実な走りをするランナーとの印象が強くなった。


592ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/25(月) 22:47:53
>>590 坂本=>阪本な。当時のアジア大会の中継を見た記憶があるよ。福岡に
一線級が全て出るからアジア大会には三線級しか派遣できなかった。阪本は
モントリオール前に2時間15分17秒を出し、期待されてニュージーランド合宿
にも参加したが、その後伸び悩んでいた。アジア大会では相当プレッシャー
がかかったと思うが、条件の悪い中の早朝レースでほぼ自己ベストに近い
2時間15分29秒7で走り見事優勝。その後、阪本は第1回フジサンケイマラソンで
やはり日本人一線級不在のレースで見事に粘り、日本人最高の5位で2時間13分22秒
でゴールした。

しかし阪本の後でアジア大会に勝ったのは中山のみ。アジアが強くなったのと
日本が弱くなったのが両方だな。
593ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/26(火) 00:53:02
中山のアジア大会記録、2時間8分21秒は今後も長く君臨しそうだな。
アフリカからの帰化組がいても真夏で少人数参加の大会でこのタイムは破るのかなり難しいだろ。
日本勢惨敗ー 五輪史上最高の接戦

26回 アトランタ五輪  男子マラソン レース展開
1996年8月4日  NHK生中継
気温26度  湿度72%
(実況)工藤三郎  (解説)伊藤国光

(参加選手ベスト5)
1、2時間06分50秒  デンシモ(エチオピア) 88
2、2時間07分07秒  サラ(ジブチ)     88
3、2時間07分35秒  メコネン(エチオピア) 88
4、2時間07分40秒  谷口浩美(日本)    88

(参加選手 90―95年におけるベスト5)
1、2時間08分16秒  モネゲッティ(オーストラリア) 90
2、2時間08分36秒  セロン(メキシコ)   92
3、2時間08分31秒  ピント(ポルトガル)  94
4、2時間08分57秒  フィス(スペイン)   95


スタートー すぐに実井が先頭に。大家、谷口は中段。
競技実況・斉藤―「まもなく競技場を後にします。いよいよこれから難コース、
そして暑さの長い戦いが始まります。はたして4年に1度のチャンスを掴むのは
誰でしょうか。」
タンザニアのサリムを先頭に大集団でロードへ。1km3分20秒のスロー。

伊藤―「(最初が)上りなので飛び出しはできない。これで下りに入ったら、誰か
    抜け出す可能性がある。ケニア、エチオピアなどのアフリカ勢が飛び出すのでは。」
2.5km− 伊藤―「ペースが遅くて、皆、焦れている。」

ガイドスとベブウォのポーランド勢がペースアップ。ウェブ(ニュージーランド)が
背後につく。横いっぱいだった集団が縦に広がる。

5km−16分14秒。 フォンセカが先頭で約50人。
 工藤―「これは相当ゆっくりですね。」
 伊藤―「牽制している。後半に備えている。」
ガイドス、ウェブが代わる代わる先頭に。日本勢は谷口がいちばん前方。
伊藤―「40―50人はいる。これだけのペースなら当然。もっといてもいいくらい。」

前方にはポー(南アフリカ)、チムササ(ジンバブエ)、キム・イ・ヨン(韓国)、
ガシャカ(ブルンジ)らが形成。
前回銅メダルのフライガング(ドイツ)が先頭集団から20m遅れ。

10km−31分50秒(この間を15分36秒) 集団は約40人。
 工藤―「私の印象ではここがいちばん(登っていて)きついのかなと思いますが。」
 伊藤―「この13個目の坂がかなりハード。」

アップダウンがかなりきつく、集団が縦長になる。下りでペースが上がり15人くらいに
なり、上りで30−40人に戻る繰り返し。
相変わらずポーランドの2人が先頭。世界記録保持者のデンシモとメコネンの
エイオピアのベテランが2人の背後に上がってくる。
ガイドス、ベブウォ、ポー、ガシャカ、中段にはネルルカー(イギリス)、
李鳳柱(韓国)、フィス(スペイン)、サラ(ジブチ)などが見える。

13.8km−エチオピアのツモが脱落。
15km−47分35秒(15分45秒)  集団は変わらず40人。
 伊藤―「2時間10分台の可能性がある。」  実井、大家は集団の後方。

 工藤―「ピーチツリー通りに入ると、幾分平坦になります。」
 伊藤―「(前半が)遅かっただけに、よくここまで(タイムが上がって)きていると思う。」
16km−長い上り坂を上がってくる。 ピーチツリーストリートに入る。

18km−下り坂に差し掛かる。 ワイナイナ(ケニア)、ドス・サントス(ブラジル)
     が前に出てくる。

20km−1時間04分05秒(16分30秒)
 伊藤―「完全に牽制。下りで(タイムが)上がってくるかと思ったが、牽制して
     しまった。」
 工藤―「これは遅いマラソンです。」
中間点―1時間07分36秒
 工藤―「もうタイムではありません。いかにスタミナを蓄えて後半のレースに
     備えるか、勝負のレースになっています。」
ペースが遅いためか、先頭集団からの脱落者がほとんどいない。
ランナー同士で会話するシーンも。横に大きく大集団。

折り返しー デ・リマ(ブラジル)が先頭。

ドス・サントスがペースアップ。タイス、チュグワネ、ポーの南アフリカ・トリオが
追いかける。李やネルルカーも追走。

24km−谷口、実井がついに集団から脱落。

25km−1時間19分54秒(15分48秒)  集団は約30人
谷口はすでに第二集団。実井から15−20m後方。
26km−李鳳柱・スパート。 タイスと抜け出す。
 工藤―「アッ!李鳳柱ですね。 李鳳柱が前に出てきました。」
 伊藤―「これはスパートといってよい。勝負にでている。」

李に南アフリカ3人が先頭を形成。後続はフィスを先頭に4人を追いかける。
4位以下の集団にはフィス、シルバ(メキシコ)、サラ、ネルルカー、
ピント(ポルトガル)など。
谷口が実井をとらえる。先頭から16秒差。

26.8km−ついに後続が追いつく。集団は22人。
 伊藤―「(日本勢は)落ちていく選手を拾っていくことが重要。」
 工藤―「25kmでのスパートで日本人3人はついていくことはできませんでした。」

28km−谷口は口を大きく開け、苦しそう。26位、23秒遅れ。
     実井は33秒差。大家はさらに後方。48位、先頭と1分07秒差。
伊藤―「(大家について)かなり苦しい。腕振りがかなり落ちている。
    (日本勢は)ここで遅れるのはメダルの可能性はもうない。」

30km−1時間35分25秒(15分31秒)  チムササが先頭で通過。22人。
     40歳の大ベテラン・サラ(ジブチ)が元気。先頭に出てくる。

30.6km−チュグワネ・スパート。
  伊藤―「さぁ、チュグワネがスパートしましたね。」
 李が追いかける。 チュグワネー 李 −集団の状態で縦長。
31km−李がチュグワネに追いつく。 後続ではワイナイナが出てくる。
31.9km−ワイナイナーフィス・チムササ・タイス・シルバの順。2人から60m差。

32.9km−ワイナイナが必死に追いかける。その後10mでフィスら4人。
33.2km−チュグワネが逃げる。李との差は5m。その後方5mでワイナイナ。 

33.9km−ワイナイナが李に追いつく。ついにチュグワネまで追いつき、前に出る。
       ワイナイナが先頭に踊り出る。
後続はチムササが脱落。フィスとシルバの4位争い。

35km−1時間50分36秒(15分11秒)
 工藤―「15分11秒!!」
 伊藤―「下り(坂)も入っているが、上り(坂)も入っていた。本当に勝負に出ている
     と思う。」
36km−李が2人に追いつき、3人の優勝争いに。
 伊藤―「ペースが落ちている。(後続)フィスまで追いつくと、最後に定評があるから
     危ない。」
後続・フィスは単独4位に。100m差のあとさらに15秒まで詰めてきている。
37.9km−チュグワネ・再度スパート。李が食らいつく。
       ワイナイナ脱落。その差10m。
38.2km−ワイナイナが2人に追いつく。めまぐるしい攻防。
       ネルルガーがシルバを抜き、5位に浮上する。
さらにチュグワネ・スパート。 3人が縦長。
 伊藤―「まったく予想がつきませんね。また2人がおいつくのでは。」

40km−2時間06分09秒(15分35秒)
 今度は李鳳柱がスパート。チュグワネがつく。スパートをかけ合うが長く続かない。

40.5km−チュグワネ・スパート。下りを利用する。李・ワイナイナが苦しい。
 工藤―「差は・・アッ! 20mくらいになりました。」
 伊藤―「いやー、まだ十分とは・・・言えませんね。競技場内で・・
     いやー、まだわかりませんね。」
チュグワネ逃げる。2位に浮上のワイナイナへ20−30mの差をつける。

谷口は先頭から3分55秒差。
工藤―「チュグワネ、(後ろと)差が開いた、開いた!」
2時間11分04秒―チュグワネが競技場に帰ってくる。
入り口手前で李がワイナイナを抜き、2位へ。チュグワネとは20−30m差。
50m以内に3人。
3−4コーナーで3人の差が30m均一になる。

競技場実況・斉藤―
「残り50mになります。南アフリカ、チュグワネ! 2時間12分台でゴールイン!
そして韓国、イ・ボン・ジュ。韓国勢の連覇はなりませんでした。そしてワイナイナ。
アフリカ勢の優勝は68年のエチオピア以来、28年ぶり。アフリカ勢がまた
取り戻しました。
優勝候補筆頭の呼び声の高かったフィスは4位に。
また優勝のチュグワネと2位の李とのタイム差(4秒は)五輪史上、もっとも小差の大接戦となった。

斉藤―「(谷口の前にも)選手が1人、2人、3人・・います。現在、谷口19位か?
   独特のフォーム。残り50m。しかし完走しました。19位でゴールイン。」
日本勢は谷口浩美の19位が最高と惨敗。大家54位。実井93位。


アトランタ五輪  男子マラソン 成績

1、2時間12分35秒 チュグワネ(南アフリカ)
2、2時間12分39秒 李鳳柱(韓国)
3、2時間12分44秒 ワイナイナ(ケニア)
4、2時間13分20秒 フィス(スペイン)
5、2時間13分39秒 ネルルカー(イギリス)
6、2時間14分29秒 シルバ(メキシコ)
7、2時間14分35秒 モネゲッティ(オーストラリア)
8、2時間14分55秒 パリデス(メキシコ)

9、2時間15分08秒 ゴフィ(イタリア)
10、2時間15分55秒 ドス・サントス(ブラジル)
11、2時間15分56秒 グリサレス(コロンビア)
12、2時間16分17秒 キム・イ・ヨン(韓国)
13、2時間16分31秒 チムササ(ジンバブエ)
14、2時間16分41秒 ピント(ポルトガル)
15、2時間16分48秒 セロン(メキシコ)
16、2時間17分01秒 カロンボ(ザイール)
17、2時間17分04秒 ウェブ(ニュージーランド)
18、2時間17分24秒 フスタド(スペイン)
19、2時間17分26秒 谷口浩美(日本)
20、2時間17分27秒 ベッティオル(イタリア)

54、2時間22分13秒 大家正喜(日本)
93、2時間33分27秒 実井謙二郎(日本)


優勝 チュグワネ(南アフリカ)ラップタイム

5km 16分14秒
10km 31分50秒(15分36秒)
15km 47分35秒(15分45秒)
20km 1時間04分05秒(16分30秒)
中間点 1時間07分36秒
25km 1時間19分54秒(15分49秒)
30km 1時間35分25秒(15分31秒)
35km 1時間50分36秒(15分11秒)
40km 2時間06分09秒(15分35秒)
2.195km (6分26秒)

2時間12分35秒
598ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/26(火) 21:00:32
まだアトランタでは男子マラソンの関心が高く視聴率も高かった。一般には
バルセロナでのメダルとロス、ソウルでの連続4位入賞の印象が強く、弱体化
していることへの認識が弱かった。テレビではゲストの堺屋太一が日本代表の三人を
三英傑にたとえて失笑を買っていたのが印象に残る。シドニー以降男子マラソン
への関心が急速に薄れたように感じる。期待度ではシドニーやアテネの方が高かった
筈なのだが。今回の北京は久しぶりに惨敗するかもしれんな。
599ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/26(火) 21:44:47
1990年代(1990−1999) 日本男子マラソン  サブテンリスト

1、2時間06分57秒 犬伏孝行  99ベルリン 2位
2、2時間08分05秒 三木弘   99東京国際 2位
3、2時間08分07秒 早田俊幸  97福岡国際 2位
4、2時間08分43秒 小島宗幸  98びわ湖  優勝
5、2時間08分46秒 小島宗幸  99ロッテルダム 5位
6、2時間08分47秒 佐保望希  97福岡国際 3位
7、2時間08分48秒 佐藤信之  98福岡国際 2位
8、2時間08分50秒 実井謙二郎 96東京国際 4位
9、2時間08分53秒 森下広一  91別府大分 優勝
10、2時間09分00秒 清水康次  99東京国際 3位
11、2時間09分09秒 小島宗幸  99福岡国際 4位
12、2時間09分10秒 小島忠幸  98福岡国際 3位
13、2時間09分11秒 大家正喜  97ロッテルダム 8位
13、2時間09分11秒 清水昭   98別府大分 優勝
15、2時間09分12秒 中山竹通  91別府大分 2位
16、2時間09分23秒 三村徹   91別府大分 3位
16、2時間09分23秒 真内明   97びわ湖  4位
16、2時間09分23秒 佐保希   98ロッテルダム 5位
19、2時間09分33秒 大家正喜  95福岡国際 3位
20、2時間09分36秒 森下由輝  99福岡国際 5位
21、2時間09分38秒 五十嵐範暁 98福岡国際 4位
22、2時間09分40秒 渡辺共則  99防府   優勝
23、2時間09分50秒 小島宗幸  98福岡国際 5位
24、2時間09分57秒 清水康次  98びわ湖  3位

93年から96年までの4年間がサブテンがでなかった時期。
世界的にも記録が停滞していた。その時期でのアトランタ五輪の開催。

デンシモも強いのか弱いのかわからないランナーだったな。86東京のデビューは強烈だった。
ロッテルダムでは強さを発揮していて3回くらいかってるはず。
その後、90福岡に勝ってはいるが日本ではどうも3〜5位に甘んじることが多かった。
まぁしかしデンシモの記録が10年間も保持者されるとは思わなかったよ。


フィスと森下の走法が似ていた感じがする。
ところで円谷と森下はメダル獲得して怪我で次五輪を断念した経緯が似ている。
しかし方や自殺という形で終止符を打ち、方や現役を引退して指導者の 道を歩む。
時代背景の違いはランナーの在り方も変えてしまうのかと思う。
円谷の所属と世間の五輪メダル主義の圧力は相当だったのだろう。

アシックスの特注シューズ担当・三村氏の著書によると、森下はかなり
サイズの小さいシューズを好んで履いていたそうだ。
その方が地面を噛む感覚があるようで、昔は君原や寺沢も小さいシューズ
を履いていたそう。そのため両氏はかなり外反母趾がひどかったと語っている。
その小さいシューズを履く弊害は、アキレス腱を含め、大変故障と隣り合わせ
になるそうだ。走っている間はさらに膨張して足のサイズが大きくなるから
なおさら足に負担がかかる。
もっと大きなサイズのシューズを履くように三村氏は提案したが、森下は
がんと小さなシューズにこだわったそうだ。
しかしそのため、森下は怪我との戦いだった。それで選手寿命を縮めたといえた。
今では選手たちに、小さいシューズを履くなとアドバイスしているそう。
それを聞く三村氏は「そのアドバイスを選手・森下に聞かせたかったよ。」と
森下に指摘しているそうだ。


森下は勝負どころで強さを発揮する選手だったんじゃないかな。
なんとなく欧州勢と似たような戦績な気がするし。
現在の日本人にそれだけの選手は最早男子マラソン選手には存在しない。
ここ10年だと全盛期だった頃の藤田ぐらいでは?

森下は指導者としてはどうも評価がしにくい。
三津谷は走法的に現状だとマラソンは耐えられんし、ワンジルは素材が良すぎて参考外。
マラソンで期待された中崎は故障続きで全く最近は名前も聞かんし、福永に到っては引退してしまった。
植木ら若手もタイムは伸びるが、勝負どころで自滅してる選手が多すぎる。
地中海の国ポルトガル、スペイン、イタリアの選手は本当に暑さに強いね。
五輪や世界選手権でも、ロペス、ボルディン、フィス、アントン、バルディーニ・・・・
金メダリストだけでもこれだけいるのだから。 ケニアやエチオピアは高原にあるので
意外と暑さは厳しくない。しかし地中海性気候は冬は雨季で温暖だけど夏は寒気でかなり
暑いらしい。それも関係してるのかな
ジョシア・チュグワネ(Josiah Thugwane)
南アフリカ
本拠地:ヨハネスブルグ(ナイキ、コカコーラ後援)
1971年4月22日生まれ、29才
身長:158m 体重:45kg


無名選手のアトランタ・オリンピック優勝
チュグワネは1996年アトランタオリンピック優勝し一躍世界的ランナーとなった。
南アフリカ共和国の黒人としては初の金メダリストであり、一躍国民的ヒーローとなる。
アトランタでの優勝は無名選手であったが故にフロックであると見られがちであったが、
チュグワネは翌年金メダルが偶然ではないこと自ら示した。
すなわち4月のロンドンマラソンで2:08:06で3位 に入ると、年末には福岡国際マラソンで2:07:28 で優勝した。
この記録は福岡国際のコースレコードであり、南アフリカ共和国最高記録でもある。
 その後チュグワネはマラソンでは一時の勢いを失い(ロードレースでそこそこに走ってはいたが)、
98〜99年のマラソンレースでは棄権を繰り返し、記録らしい記録を残していない。
チュグワネはもうだめなのかと、一時は思われたものであるが、
2000年春のロンドンで2:10:29で8位 に入りシドニーオリンピックの代表に選ばれることになった。

チュグワネはベサルの貧困層の生まれであり、教育を受ける機会がなかった。
アトランタで優勝した頃、全く読み書きができないことが話題になったことがある。
アトランタを契機に家庭教師を雇い読み書きを習い、今では母国語のみならず英語も堪能になったそうである。

家族を養うために、1990年(19才)にマラソンを走りはじめたチュグワネは初めの5年間で50以上のレースに出場している。
アトランタ以前のこの経歴は一般 には余り知られていない。記録は目立たないものの数多くの優勝経験を重ね、
1993年南アフリカ選手権、1995年ホノルル マラソンでの優勝を経て 1996年 南アフリカ・オリンピック国内予選大会を
優勝で飾りアトランタ出場を勝ち得ている。96年のオリンピック選考会では自己記録を大幅に更新して、
アトランタに臨んでいることは特に注目に値する。
無名ではあったがそれ以前の経歴にはそれなりに納得させられるものが確かにあるのである。


チュグワネ(南アフリカ)  過去の主なマラソン戦績


1990 Witbankマラソン、2位(2:22:24)
1991 Nelspruitマラソン、優勝(2:18:00)
1991 Ngodwanマラソン、優勝(2:22:24)
1991 Durbanマラソン、6位 (2:14:00)
1992 ケープタウン・マラソン、4位(2:13:36)
1992 Ngodwanaマラソン、優勝(2:17:42)
1993 Tiberiasマラソン、3位 (2:18:42)
1993 南アフリカ選手権マラソン、優勝 (2:14:25)
1993 プレトリア・マラソン、優勝 (2:15:57)
1993 ホノルル・マラソン、13位(2:29:16)
1994 Kyongiu マラソン、28位 (2:24:52)
1994 シカゴ・マラソン、棄権
1994 Sowetoマラソン、5位 (2:22:26)
1995 Ngodwanaマラソン、優勝(2:18:47)
1995 Bredadorpマラソン、優勝 (2:26:39)
1995 ニューヨーク・マラソン、棄権
1995 ホノルル マラソン、優勝(2:16:08)
1996 南アフリカ・オリンピック選手権、優勝 (2:11:46)
1996 アトランタオリンピック・マラソン優勝(2:12:36)
1996 福岡国際マラソン、棄権
1997 ロンドンマラソン、3位(2:08:06)
1997 福岡国際マラソン, 優勝(2:07:28) (自己新、南アフリカ記録)
1998 ロンドン・マラソン,、棄権
1998 ニューヨーク・マラソン、棄権
1998 ロンドン・マラソン、棄権
1999 福岡国際マラソン、26位(2:17:01)
2000 ロンドン・マラソン, 8位(2:10:29)




606ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/27(水) 10:37:57
チュグアネって2時間10分を切ったのは金メダルの後だったんだ。
1980年代(1980−1989) 日本男子マラソン サブテンリスト

1、2時間07分35秒 児玉泰介 86年北京国際  優勝
2、2時間07分40秒 谷口浩美 88年北京国際  2位
3、2時間07分57秒 伊藤国光 86年北京国際  2位
4、2時間08分15秒 中山竹通 85年W杯広島  2位
5、2時間08分18秒 中山竹通 87年福岡国際  優勝
6、2時間08分21秒 中山竹通 86年ソウルアジア大会 優勝
7、2時間08分27秒 瀬古利彦 86年シカゴ   優勝
8、2時間08分38秒 瀬古利彦 83年東京国際  優勝
9、2時間08分43秒 中山竹通 86年東京国際  4位
10、2時間08分52秒 瀬古利彦 83年東京国際  優勝
11、2時間08分55秒 宗猛   83年東京国際  2位
12、2時間09分11秒 宗茂   83年福岡国際  3位
13、2時間09分17秒 宗猛   83年福岡国際  4位
14、2時間09分26秒 瀬古利彦 81年ボストン  優勝
15、2時間09分34秒 谷口浩美 89年東京国際  優勝
16、2時間09分35秒 伊藤国光 83年福岡国際  6位
17、2時間09分45秒 瀬古利彦 80年福岡国際  優勝
18、2時間09分49秒 宗猛   80年福岡国際  2位
19、2時間09分50秒 谷口浩美 87年ロンドン  優勝
20、2時間09分51秒 新宅雅也 85年福岡国際  優勝
608訂正:2008/02/27(水) 17:17:03
1980年代(1980−1989) 日本男子マラソン サブテンリスト

1、2時間07分35秒 児玉泰介 86年北京国際  優勝
2、2時間07分40秒 谷口浩美 88年北京国際  2位
3、2時間07分57秒 伊藤国光 86年北京国際  2位
4、2時間08分15秒 中山竹通 85年W杯広島  2位
5、2時間08分18秒 中山竹通 87年福岡国際  優勝
6、2時間08分21秒 中山竹通 86年ソウルアジア大会 優勝
7、2時間08分27秒 瀬古利彦 86年シカゴ   優勝
8、2時間08分38秒 瀬古利彦 83年東京国際  優勝
9、2時間08分43秒 中山竹通 86年東京国際  4位
10、2時間08分52秒 瀬古利彦 83年東京国際  優勝
11、2時間08分55秒 宗猛   83年東京国際  2位
12、2時間09分11秒 宗茂   83年福岡国際  3位
13、2時間09分17秒 宗猛   83年福岡国際  4位
14、2時間09分26秒 瀬古利彦 81年ボストン  優勝
15、2時間09分34秒 谷口浩美 89年東京国際  優勝
16、2時間09分35秒 伊藤国光 83年福岡国際  6位
17、2時間09分37秒 伊藤国光 81年福岡国際  2位
18、2時間09分45秒 瀬古利彦 80年福岡国際  優勝
19、2時間09分49秒 宗猛   80年福岡国際  2位
20、2時間09分50秒 谷口浩美 87年ロンドン  優勝
21、2時間09分51秒 新宅雅也 85年福岡国際  優勝

81年福岡国際でド・キャステラと終盤まで競り合った伊藤国光の
2時間09分37秒を追加。当時、日本歴代3位でのゴール。



>>608
80年代は中山と瀬古のパフォーマンスで8分台が多いな。

83年まで伊藤のベストタイムは 宗猛よりも良いものだった。
瀬古、宗兄弟の全盛時期とかぶる伊藤は悲運が付きまとった。
80年の福岡国際はモスクワ五輪最終選考会、瀬古、宗兄弟につづき日本人4位。
そして4年後、83年の福岡国際は五輪切符を掴みかけたがやはり宗兄弟の
後塵を拝し日本人4位。この時の2時間9分35秒は自己記録を2秒最新するものだった。
いつも瀬古、宗兄弟と競うため、また有力外人と競る為、一流でありながら
マラソン優勝回数がゼロというものであった。

ほしかったのは86年の北京国際マラソン。14分台で30キロまで押し、
イカンガー、シャハンガーのタンザニア勢と互角の勝負を展開。
40キロ過ぎ、イカンガーとの勝負にもつれ込み国際マラソン初優勝と
思った矢先、後れをとっていた児玉に捲くられ、結局2位。しかしこのとき
のタイムが2時間7分57秒と同年代の瀬古、宗兄弟を上回るもので
一気に憂さを晴らした印象があった。
最後の正直、87年の福岡国際マラソン、ソウル五輪選考会は中山のハイペースで
リズムに乗れず17位と惨敗。引退レースは89年のボストンマラソンの
10位だった。(ちなみにこのレースは同郷の後輩、中山が優勝候補に
挙がっていたが足の故障で足を引き摺りながら走り途中棄権)
いぶし銀のごとく80年代の日本マラソン界をリードする一人だった。
610ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/27(水) 18:10:36
>>427
>>488
>>489

1972年ミュンヘン五輪 マラソンはここで見ることができる。

レースのハイライト
http://www.youtube.com/watch?v=THUKgZX9pw8&feature=related

優勝 ショーター のゴールシーン
http://www.youtube.com/watch?v=yoRXZdkFD9g&feature=related

611ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/27(水) 18:19:48
瀬古のマラソンレースの動画は少ないが
1979年ボストンでロジャースと競っている動画がある。

1979年ボストンマラソン レース展開
http://www.youtube.com/watch?v=8yTVylg2xCM&NR=1
>>611

この画像を見ると、現地アナウンサーがかなり瀬古の福岡マラソン
優勝の実績を連呼しているようだね。
当時は福岡のブランドが高かったのがわかる気がするよ。

>>610
ショーターはきれいな走りだね。足が全然流れないできれいな
運びをしているのがわかる。いかに独走だったかもわかる映像だね。
ショーターとロジャースはアメリカ史上最強ランナーだろうね。
614ゼッケン774さん@ラストコール:2008/02/28(木) 19:56:50
西京っつうのは1人ですよ
615ゼッケン774さん@ラストコール:2008/03/03(月) 23:26:50
70年代のアメリカのマラソンは、オリンピックの入賞者を見ても
1972 (1位 ショーター  4位 K・ムーア)
1976 (2位 ショーター  4位 カードング)
と、国別にみれば世界のトップである。
決してショーター、ロジャースだけが強かったわけではない。

ロンドンマラソンやロッテルダムマラソン、ベルリンマラソンなど
現在のヨーロッパの大都市マラソンはほとんど1980年代に入ってからのもの。
1970年代初期までよく記録の出ていたウィンザーやマクソールマラソンが
休止状態に追い込まれていった1970年代、マラソンの記録の宝庫は日本とアメリカだった。
アメリカは80年代前半まではサラザールが世界のトップに君臨していたし、ベアズレ−、
マイヤーといった中堅所も日本で言えば宗兄弟のような立場でトップクラスの選手だった。
ロスでサラザールが惨敗して一挙に白けたのか、それ以降トップクラスの選手は殆ど出て
いない。(といっても前回のアテネで銀を取ったけどね)。

サラザールの80年から82年までの快進撃は間違いなく世界最高の勢いがあった。
しかし83年ロッテルダムで連勝が止まってからは一気に凋落。

またボストンだけではケニアのデティ、一時期のコスゲイにも勢いを感じた。

今はゲブラシラシエが強さを安定させている。しかし五輪に出なければ評価は難しい。

日本ではやはり瀬古の強さは別格。今は勝負強い日本ランナーの登場を期待したいんだが。
>>616
サラザールいたなー。懐かしい! 「アヒルのような」って形容された腰の引けた
独特の走法だった。
83年の福岡は瀬古、イカンガーの後の第二集団も凄かったんだよな。
宗茂が後退して伊藤、サラザール、宗猛の3人になった。あの時点で
伊藤国光は五輪切符を取ったと思っただろうなぁ。
40キロすぎて茂が追いつき逆にスパート。間隔をあけて猛しかつけ
なかったな。
結局、茂が9分11、 猛が9分17、 サラザール9分21、伊藤
9分35だった。

今考えると6位まで当時の世界歴代20位までに入るようなレベルの
高いレースだった。

宗兄弟は兄弟で後半競うと必ず茂が勝っていた。晩年は猛の方が
安定感があったけど優勝は茂の方が多かった。

これぞ、五輪選考レース!という大会でしたね。
優勝争いの他にも、茂の意地と伊藤の悲劇。
やはり一発選考はいいね。
あと瀬古と走りたくて、日本まで来たサラザールには当時もの凄く感激したな〜
619ゼッケン774さん@ラストコール:2008/03/06(木) 10:19:04
>>618
今のような絶叫アナによるうるさ過ぎる実況でないのが良かったよ。
NHKの島村、工藤なんか本当にマラソン見やすかった。
福岡をNHKに戻してほしいよ。
激しく同意!
>>619

でも島村アナの「日本の瀬古強い!日本の瀬古強い!」の
連呼は(当時としては)相当来てたよ。バックストレートで
イカンガーを抜き去ったときだが。

ちなみにこのときが初マラソンの中山は「ダイエーの中山」という
一言だけしか紹介されず、映ったのもほんの短い時間だけだった。
(木村幸治「逆転の軌跡」)
>>621
オレ、子どもながらにあの時、平和台陸上競技場で見てた

瀬古スパートは地割れのような歓声だったよ。

そりゃ島村さんも絶叫するよ。
ニューヨークシティー・マラソンの男子で3度優勝し、
ボストン・マラソンでも優勝した往年の名ランナー、
アルベルト・サラザール氏(米国)が30日、
米オレゴン州ポートランドで倒れ病院に搬送された。

 入院した病院によると、48歳のサラザール氏は心筋梗塞(こうそく)
の兆候が見られるため、動脈を広げる措置で血流を改善したが、
意識がもうろうとしているという。(AP=共同)

(2007年7月1日 スポーツ報知)
624ゼッケン774さん@ラストコール:2008/03/10(月) 14:28:34
エエッ
625銃弾:2008/03/10(月) 14:34:23
なんかホントにプロて感じられるアナの実況がなくなったなー
みんな大学の合コンのノリみたくなっちゃって・・・・

ようするにみんなでバカ騒ぎしなきゃあ になってしまった

電通だな 元凶は
289 名前: アスリート名無しさん 04/02/15 09:15 ID:TvQpoRoT

俺は1984年4月のボストンマラソン前日に
「ランニング・エキスポ」なる催しもののアシックス社のブースで、
83年福岡国際の様子をビデオを通して初めて見た。
レースが後半に進むに連れてビデオの周りには黒山の人だかりが出来た。
そしてあの瀬古の豪快なラストスパートの場面になると、
「OH〜!」という驚嘆の声、声、声。
俺は、瀬古と同じ日本人であることを誇りに思ったね。

ちなみに瀬古は1984年までにボストンで2位1回、優勝1回と有名人。
人々の発音が「セコ」ではなく「セイコ」と聞こえていたのが印象深い。
補足だが、1983年の福岡国際は、ニューイングランド地方最大紙の『ボストン・グローブ』も
写真入りで結果を報じていた。
米国の地元開催となるロスオリンピック前年に、米マラソン界の英雄、アルベルト・サラザールが
2時間9分台の好記録で走りながら4名の選手に負けたのはかなりの衝撃だったようだ。
ちなみにアルベルト・サラザールはハバナ出身でマサチューセッツ州(ボストンが州都)育ち。
同州ウエイランド高校時代には2マイルの高校記録(当時)を作った。
その後、オレゴン大学に進み、ニューヨークシティマラソンで活躍。
何年だったか忘れたがニューヨークではメキシコのロドルフォ・ゴメスと競り合い、
残り数百bの未舗装道路で白バイの上げた土埃にゴメスが狼狽する隙にスパートをかけ、
振り切ったのが印象に残っている。
アルペルト・サラザールの競り合いの歴史には、もう一つある。
それは1982年か81年のボストンで、終盤、ディック・ベアズレーとの一騎打ちになった。
この時、ベアズレーは先導の白バイと数度接触し、その影響でサラザールに負けたらしい。
ベアズレーといえば以前、別大マラソンで宗猛と終盤並走。
強い向かい風の中で互いに先頭を譲り合うために蛇行を繰り返していたら、
三位を走っていた宗茂が二人に追いつき逆転。
そのままトップでゴールしたことがあった。
話はそれたが、サラザールは1983年当時、マラソンのみならず、トラックの10,000bでも米国のトップレベルにいた選手。
そのサラザールをあっさり破ってしまった瀬古は強かった。
マラソン沿道の小旗を禁止へ
ttp://www.asahi.com/sports/spo/TKY200803100312.html

ショーターの「小旗をペーパー代わりにレース中に用便して優勝」は
完全に伝説になるんだな…。
628ゼッケン774さん@ラストコール:2008/03/12(水) 00:39:16
>>627
73年の大津(びわ湖)毎日マラソン。
ショーターはスタートするや同僚のビタリ(アメリカ)と肩を並べて抜けだし、みるみる采谷(うねたに)
(竹原高教)、北山(旭化成)らとの差を開く。
11km、ショーターはガス抜きのコーラをスペシャルテーブルから取る。それから15分経過した
16km地点、ショーターは沿道の観衆が振っている紙旗を2枚、3枚とムシリ取った。
実況は「何をするんでしょうね。」 と解説・高橋進へ聞く。「鼻でも噛むのでしょう。」と返した
瞬間、ショーターは民家の細道に走り込んだ。
しかし凄いのは用を足した区間を15分53秒でカバーしたこと。
ゴールでは2位の北山に400mの差をつけて悠々ゴールを切った。
この時の2時間12分3秒の記録は12年間も破られない大会記録となった。
噂では用足し現場を撮影した者と揉み会いになり、フィルムを抜き取ったという逸話まで残った。
恐るべしショーターである。
629ゼッケン774さん@ラストコール:2008/03/12(水) 08:23:24
ショーターって割りと気性が荒らそうなエピソードを聞くんだけど、、、、
ストックホルム五輪の金栗四三さんは棄権じゃなくて
行方不明扱いじゃなかったっけ。
631ゼッケン774さん@ラストコール:2008/03/14(金) 23:37:50
ショーターといえば73年の毎日マラソンで途中で糞しても大会記録
を最新したのはさんざん語られていたが、71年のパン・アメリカン
大会でも同じことをしている。
パン・アメリカン大会は北米、中米、南米諸国を4年ごとに持ち回りする
大会でいわゆるヨーロッパ選手権のアメリカ大陸版と云ったものか。
71年大会はコロンンビアのカリで開催。記述によるとアメーバ赤痢の
ような風土病にかかったショーターが途中、我慢できずに橋の下で用足し
をした。先頭は遥か前方まで去っていて見えない状態だったが、急追し
逆転、逆に2位に入ったガスパー(メキシコ)に3分50秒の差をつけ
圧勝。この時のタイムが2.22.40で大会記録を塗り替えた。
>>626

http://www.youtube.com/watch?v=zgK_B2BVQsU&feature=related

1982年のボストンマラソンの最後のデットヒート。
サラザールとベアーズレーの接戦の動画。

優勝サラザールの2時間08分51秒は当時、世界歴代3位
2位ベアーズレーの2時間08分53秒は世界歴代4位。
1980年 モスクワ五輪  2連覇のチェルピンスキー(東ドイツ)の
              ゴールシーン。瀬古、宗兄弟の不参加はあまりに大きかった。

http://www.youtube.com/watch?v=WmCSrYbO_aU&feature=related
634ゼッケン774さん@ラストコール:2008/03/17(月) 21:56:34
>>633
この動画の関連でバルセロナ五輪男子1万のスカーを観ました。
当時はモロッコのやりかたが汚いと、かなり非難されていましたが
いま改めて観ても全然汚くないな、と感じました。
「最初の5kmが長い!?」  

東京国際マラソンのコースは最初の5kmが110m長い?
優勝した瀬古選手のラップは最初の5kmが15分58秒で、次の5kmは14分44秒。
実に1分14秒もの差がある。
レース後の記者会見でこの点について聞かれた瀬古選手は「こんなこといっちゃっていいのかなぁ」
と前置きして「実は最初の5kmは少し長いんじゃないですか。」とラップタイムが遅い
理由を「推理」した。
中村清監督は、「巻尺で計り直したら3回とも110mぐらい長かった。」と裏付けまである。
国際女子マラソンが始まって以来、最初の5kmのラップが遅すぎるのが不思議といわれていたコース。
中村監督に説明を聞けばナゾが解けるのだが、一方、日本陸連の距離計測の正確さは世界一との
定評もあり、今後、議論を呼ぶことになりそうだ。

日刊スポーツ 1983年2月14日付
1983年  東京マラソンにおける瀬古のラップ

5キロ 15分58秒
10キロ 30分42秒ー   14分44秒
15キロ 45分28秒ー   14分46秒
20キロ 1時間00分15秒ー14分47秒
25キロ 1時間14分59秒ー14分44秒
30キロ 1時間29分56秒ー14分57秒
35キロ 1時間45分39秒ー15分43秒
40キロ 2時間01分57秒ー16分18秒
2.195キロ 6分41秒

2時間08分38秒

東京国際の最初の5kmが長かったのは有名な話だよ。
トータル距離も110m長かった。
実際に計測していた関係者が言ったんだから間違いないよ。

瀬古はモスクワ五輪同様、ここでも不運だったな。
638ゼッケン774さん@ラストコール:2008/03/24(月) 21:44:16
1982年時 男子マラソン 歴代30傑

国別内訳

8人 アメリカ (サラザール、ベアーズレー、ロジャース、サンドバル、ビヨクルンド、バージン、ペファー、ショーター)
5人 イギリス (トンプソン、Hジョーンズ、ヒル、グラハム、ウェルズ)
4人 日本   (宗茂、瀬古、伊藤、宗猛)
4人 オーストラリア (ド・キャステラ、クレイトン、ヘンリー、チェトル)

その他の国9人 



2004年12月まで  男子マラソン世界歴代30傑

国別内訳

18人 ケニア (テルガド、コリル、ルト、リモ、ムンジ、タヌイ、ジェンガ、チェボロル、ロティッチ
         キプサング、キプロノ、キプロプ、キプコエチ、オンサレ、ビウォット、リリ、キプラガト、キプソス)

3人 エチオピア (ゲブルシラシエ、ジファル、デンシモ)
2人 日本    (高岡、藤田)
2人 フランス  (ズヴェジュフレフスキ、エリメル)

1人 アメリカ  (ハヌーシ)
1人 ブラジル  (ダコスタ)
1人 南アフリカ (タイス)
1人 ポルトガル (ピント)
1人 モロッコ  (エルムアジス)


よく考えると、現在のアフリカ勢隆盛の時代にあって高岡の記録は日本人としては破格だよな。
アジア人系としては郡を抜いた記録。
日本人でサブエイトを複数達成できたのが高岡しかいないって言うのもポイントは高い。
ショーター2連覇  生涯ベスト記録

第7回 国際マラソン選手権大会(現・福岡国際マラソン)  レース展開

1972年(昭和47年)12月3日  外国招待5人含む 70人参加

12時30分スタート  気温12度  湿度52%  北の風1.5m

主な外国人ランナー
ショーター(アメリカ)      6回大会優勝 ミュンヘン五輪優勝
ムーア(アメリカ)        5回大会2位 ミュンヘン五輪4位
クレイトン(オーストラリア)   2回大会優勝  世界最高記録保持者
ニッカリ(フィンランド)     6回大会4位 ミュンヘン五輪11位
マクレガー(イギリス)      ミュンヘン五輪7位
ファーリントン(オーストラリア) 5回大会5位 6回大会6位 72年コシチェ優勝
シドラー(スイス)

主な日本人ランナー
君原健二(新日鉄)、大槻憲一(東洋工業)、北山吉信(旭化成)、浜田安則(鹿児島中央高教)
御船芳郎(リッカー)、米重操(リッカー)

平和台陸上競技場スタートー 前回大会優勝で、同年開催のミュンヘン五輪で見事優勝した
              ショーターを先頭にロードへ。ファーリントン、クレイトンの
              オーストラリア勢が続く。

まもなく世界最高記録保持者のクレイトンが果敢に飛び出す。
5kmは14分51秒の過去にないハイペースで通過。10m遅れて
ショーター、ファーリントン、そして日本の浜田安則、大槻憲一、平井勝昭ら10人。

7km− すでに先頭集団は5人。クレイトン、ショーター、ニッカリ、浜田、ファーリントン。
     国道3号線の左端を走るショーターは、バイク先導が自分の脇に来るのを嫌い、
     両手を広げて「オレのところにくるな」というジャスチャーをする。
     他の4人が道路中央を走ってもショーターだけは沿道に近いところで走る。

9km−クレイトンが先頭。続いてニッカリ、浜田、ファーリントン、その後ろにショーターの順。

10kmー29分45秒。相変わらず14分台のペース。
     先頭の5人から遅れて250mにムーアと平井。

13.2km−クレイトンが脱落。早くも表情が苦しくなる。集団は4人に。

15km−44分59秒。 ショーター、ニッカリ、ファーリントン、浜田。

上和白の歩道橋を大きく左にカーブすると、名物・海の中道に入る。
左にニッカリ、並んでショーター。その後ろにファーリントンと浜田が追走。

20km−60分16秒。先頭はショーター。続いてニッカリ、ファーリントン、浜田の順で通過。
            1分30秒遅れてクレイトンをかわしてムーアが5位で通過。
             第二集団は君原、大槻、米重、北山、原の5人。
             クレイトンはすでに12位に後退。







折り返し地点ー 21.3949m  ニッカリが先頭。続いてショーター。ファーリントン、浜田。
                  君原、大槻、北山がムーアに追いつき5位争い。
                  折り返し手前200mでクレイトンが立ち止まる。係員が折り返しまで
                  行くようにすすめたがそのまま棄権。

24km− ついに浜田が脱落。足取りがかなり鈍くなってきた。30m遅れ。

25km−1時間15分34秒。 3人が同時に通過。しかし26kmの給水地点で
                ニッカリが取りに行くと3m遅れる。この差をつめられず、
                徐々にショーター、ファーリントンから遅れだす。
ここでファーリントンが先頭に立つ。ショーターが後ろにつく展開。

27.6km−ショーターがペースアップ。ファーリントンの足取りが重くなる。
       1、2、3mとショーターからおいていかれる。ショーター独走態勢に入る。

30km−1時間31分03秒。 ショーター先頭。5秒遅れてファーリントン。
                ニッカリはすでに1分近く遅れる。
                浜田は1時間33分25秒で通過。35秒差で
                君原、大槻、北山の3人。


ここからショーターの独走状態。すでに世界最高クレイトンのラップから遅れはじめたが
人類4回目の2時間10分突破の夢を残す。しかし35−40kmでラップ16分25秒
を要し万事休す。
38kmで先行するニッカリを追走し始めたのが集団から抜け出した大槻憲一。

ゴールー ショーターが2時間10分30秒0で優勝。国際マラソン初の連覇を達成した。
     タイムは72年度世界ランキング1位。歴代でも3位に入るアメリカ最高記録となった。
     怪我のため、ミュンヘン五輪に参加できなかったファーリントンが2位で自己記録を最新。
     3位には競技場内でニッカリを抜いた大槻が3位に入る健闘。
     ミュンヘン五輪で5位入賞を果たした君原は体調が悪く、不参加を表明していたが、
     直前に駅伝で好走でき、一般参加としてエントリー。5位に入った。

ショーターは6回目のマラソンで5回目の優勝。唯一の敗戦が初マラソンの全米マラソンで
ムーアに敗れた(2位)があるのみ。そのショーターを破ったムーアは今回、波に乗れず13位と敗れた。





第7回 国際マラソン選手権大会  成績

1、2時間10分30秒0 フランク・ショーター(アメリカ)
2、2時間12分00秒4 ジョン・ファーリントン(オーストラリア)
3、2時間14分00秒6 大槻憲一(東洋工業)
4、2時間14分02秒8 セポ・ニッカリ(フィンランド)
5、2時間15分52秒2 君原健二(新日鉄)
6、2時間16分42秒4 ドナルド・マクレガー(イギリス)
7、2時間17分07秒0 北山吉信(旭化成)
8、2時間19分21秒0 黒木通哲(旭化成)
9、2時間19分59秒0 御船芳郎(リッカー)
10、2時間20分26秒0 岩見幾徳(ヤクルト)

13、2時間22分01秒  ケニス・ムーア(アメリカ)
16、2時間23分26秒  浜田安則(鹿児島中央高教)
23、2時間25分52秒  アルフォンス・シドラー(スイス)
31、2時間27分45秒  貞永信義(鐘紡)



優勝  フランク・ショーター(アメリカ)  ラップタイム

5km−14分52秒
10kmー29分46秒(14分54秒)
15km−44分59秒(15分13秒)
20km−1時間00分16秒(15分17秒)
中間点ー1時間03分38秒
25km−1時間15分34秒(15分18秒)
30km−1時間31分03秒(15分29秒)
35km−1時間46分56秒(15分53秒)
40km−2時間03分21秒(16分25秒)
2.195km−7分09秒0

ゴールー2時間10分30秒0 (世界歴代3位、72年度世界最高)
643ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/03(木) 15:30:23
>>640-642
詳細乙。この年の福岡は海ノ中道の向かい風があまりなかったと聞いた。
例年は名物の向かい風が最大で15mも吹くマラソンに向くロードでは
なかった。ショーターは福岡4連覇の中でベストレースだろう。 
644ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/03(木) 23:18:06
1972年 世界10傑

1、2時間10分30秒 ショーター(アメリカ)  福岡
2、2時間12分00秒4 ファーリントン(オーストラリア) 福岡
3、2時間12分50秒 フィリップス(西ドイツ)  マンチェスター
4、2時間12分51秒 ヒル(イギリス)  マンチェスター
5、2時間13分16秒 シェルバック(ソビエト)  ウージェゴロド
6、2時間13分19秒4 レッセ(東ドイツ)  カールマルクシュスタト
7、2時間13分59秒 モイセーエフ(ソビエト)  ウージェゴロド
8、2時間14分00秒6 大槻憲一(日本)  福岡
9、2時間14分02秒6 ニッカリ(フィンランド) 福岡
10、2時間14分08秒 セケレシュ(ハンガリー)  ベルチム
645ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/03(木) 23:19:12
60年代には世界歴代10傑の半数を占めた日本マラソンも宇佐美の歴代3位の記録を
最後に長い低迷期に入る。不思議なことに71年以降宗茂が世界歴代2位の記録で
宇佐美の日本記録を更新するまでに13分の壁を破ったのは僅かに宗猛の2.12.52
(1975福岡)と宇佐美の2.12.40(75毎日)しかない。一方13分台は宇佐美が2.13.22.8
(71福岡),2.13.24(74毎日),谷村が2.13.45.2(71京都)、北山が2.13.24(73毎日)。
2.13.29(73マクソール),浜田が2.13.04.2(74別府),2.13.47.8(75福岡)、
2.13.57(77別大),服部が2.13.40(74別府),2.13.13(75福岡),小沢2.13.10.4
(75別府)と結構出ていた。従って13分というのが一つの壁になっていた。

13分台の記録を残した選手は(宇佐美以外)何れも期待されて大成しなかった。
谷村は69年の大記録の後、京都マラソンでもついに最後まで残る大会記録を出し
ながら71年の福岡では不発、72年の毎日では選考にかすりもしなかった。クラレ
でも新人の宮下の方が目立つ始末であった。北山は73年に2回13分台を記録して
年末の福岡で大いに期待されたが不発、その後浮かび上がることはなかった。
浜田は若い頃は30キロランナーのイメージが強かったが74年の別府で後半に14分台
のスプリットを刻み一躍救世主のようになったが肝心のレースでは宇佐美に手もなく
ひねられた。76年の毎日では途中トップに立つ場面もあったと記憶するが惜しくも
4位になって代表を逃す。しかし74年と77年のランキングトップを取り、10000でも
好記録を持つ好ランナーだった。最も期待されたのは服部。大学時代に初マラソン
最高(1年後に小沢に破られる)、学生最高を出し、75福岡でも8位ながら日本人2位
の好記録を残し、おおいに期待されたが翌年の毎日で惨敗。おそらくはニュージー
ランドでの合宿で体調を崩したのであろう。合宿での陸連幹部の評価は宗兄弟や
伊藤国光(76毎日が初マラソン)の方が評価が高かった。モントリオール代表を逃した
服部は大卒2年目なのにあっさりと引退。もしその後も続けていたらマラソン地図を
書き変わったかもしれない。
646ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/03(木) 23:20:16
76年当時の日本マラソンはどうだったか
72年以降注目されたのは北山吉信、トラック組で大きい所勝った小沢欽一、浜田安則あたり
期待された服部誠はプレ五輪で最後は歩くようになって適性に疑問が
いずれも前世代のレベルに遠い感じだった。
代表の3人は宇佐美は衰えているし水上もベストが14分台
宗も15分台で、福岡を12分台で走り練習でも強いと言われた猛なら
まだ一発の期待も持てたが茂ではそれもなくて、楽しみのないメンバーになってしまった。

本大会ではやはりショーターが大本命で持ちタイム一番のロジャースのボストンの
記録は追い風の片道コースと云う事で評価上がらなかった
本人も「フランクにはかなわない」と言っていた。それでも国内予選11分台で走っていて
実力はあった筈だが、緊張からか脱水症状起こして歩き完走したが30位台に沈んだ
打倒ショーターの一番手はやはり前年の福岡で雨中の手に汗握る接戦を制し
歴代記録でショーター上回った『雨のドレイトン』と2位になったチェトルだったが
チェトルはいきなり遅れ、ドレイトンも先頭集団形成したが20キロ過ぎにスパートする
ショーターの必勝パターンについていけなかった。

647ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/03(木) 23:29:16
>>640
>>641
>>642
ショーターはダントツに強かった。
ほとんど後半で競い合ったことがない前半型の横綱レース。
福岡4連覇も全部前半から独走。ミュンヘン五輪は2位に800mの大差。
大津毎日は大便しても後半、2位に背中も見えないくらいの圧勝だった。
中山も強いときの独走は圧巻だったが、ショーターの戦法は一枚上だった
と思う。
648観戦歴30年:2008/04/03(木) 23:31:56
NHK放送時の福岡国際はよかった。 民放になってなんか軽く感じるんだよな。
海ノ中道折り返しコースも懐かしいね。
ショーター優勝時の頃はリアルタイムでないけど、4連覇目くらいは
「またショーターか。。」という空気が競技場に流れたってくらい 強かったと聞いた。
貞永信義さんは40過ぎても福岡国際に出ていて
翌年の出場権得られる標準記録を軽くマークしておられたな
故人になってしまわれたが
650ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/04(金) 18:46:58
宇佐美が後年、ショーターについて 「初めて福岡でショーターと走ったときは、
トラック走者の印象が強かった。 ミュンヘン五輪のときは粘って彼の後ろにつけば
根負けすると思っていた。 ところが、五輪本番は上体をやや立ち気味にさせ完全に
ロード走者に なっていた。戦法も15kmまでトップ集団を引っ張り、他のランナーが
「そろそろハイペース過ぎるのでペースを落とさなければ・・」と思った先に
スパート。一瞬のスキをつかれて差を広げられ、もう誰も追いつかなかった。
マラソンにスピードと合理性を持ち込み、福岡の体験がより、したたかなランナー
にしたランナーだったと思っている。」と言っている。
651ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/04(金) 18:49:12
福岡国際マラソンの特権的地位が失われたのは76年のNYCマラソンが契機になって
いると思う。70年代の初頭からジョギングブームに乗って特にアメリカに大量の
シティランナーが溢れるようになった。NYCマラソンは70年から始まったが76年に
お金をかけてエリートランナーを招待し、交通をストップして五番街を走るコース
に設定した。この年の目玉でダントツの優勝候補はその年のオリンピック銀の
ショーターだったがそれを5分ぶっちぎったのが五輪本番では体調不良で惨敗した
ロジャースだった。このレースのことは村上龍の小説「ニューヨーク・シティ
マラソン」にも書かれている。

ショーターは71,72年くらいのときは弁護士志望?で真面目そうだったが、だんだん
商売気が出てきた。というのはブランデージIOC会長の引退と共に70年代中葉から
出場料を出すようになってきたのだろう。少なくとも70年代後半ではアンダー・ザ・
テーブルは常識だった。日本陸連はその世の中の流れにうまく追随できなかった。
その後、瀬古と宗兄弟というスターを生みながら福岡は70年代中葉までの特権的地位
は保てず、ボストンやNYCと同格か下に見られることすらあるようになっていった。
更に80年代に入ってロンドンやロッテルダムといった都市型高速マラソンが
始まり福岡の命脈は尽きた。それに引き換え日本では読売系とフジ・サンケイ系が
東京マラソンを商売気だけで始め、福岡の足を引っ張るようになってしまった。
652ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/04(金) 20:34:25
なんか俺が昔書いたのが何個もアップされているな。645と651は俺の文章
だな。
653ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/04(金) 22:41:18
文句ばっかり言っても仕方ないので話題提供。昔に書いたことにちょっと手を
加えて書こう。

80年代から90年代初頭にかけて都市型高速マラソンの原型を作り、世界をリード
したのはロッテルダムマラソンであろう。81年に第一回大会が開かれたが当時
無名と言って良いグラハム(英)が当時歴代6位(多分)の好記録で優勝して世界を
あっと驚かせた。更に世界をあっといわせたのは1983年の第3回大会だった。
当時世界記録保持者(後の距離不足で抹消)のサラザールと歴代2位(現在では
世界記録保持者だった)のド・キャステラ、それに82年のNYCでサラザールと
大接戦を演じたロドルフォ・ゴメスに、モントリオール五輪10000銀のカルロス・
ロペス等を集めて世界一決定戦を演出した。特にサラザールはマラソン負けなし、
ド・キャステラも80年福岡を最後に負けなしで82年も英連邦等を好記録せ制して
おり、どちらが世界で一番強いのか、(或いは復活した瀬古を含めて誰が一番強い
のか)に興味が集まっていた。それらの強豪を一同に集めた大会ディレクターの
辣腕ぶりは、平坦なコース設定、ペースメーカーの設置等相俟って只者ではない
と思わせた。

当時のロッテルダムのディレクターはよく知られている通り、現在ゲブレシラシエ
のマネージャーとして知られている、ヨス・ヘルメンス氏であった。ヘルメンスは
誰あろう当時の20000m,1時間競走の世界記録保持者である名ランナーであり、
今も1時間競走は歴代3位、20000mも多分歴代3位の地位を保っている。それだけで
なく、モントリオール五輪前の76年冒頭でのTrack & Fields Newsの五輪予想では
本命ショーター(20人程度)、対抗トンプソン(7人程度)に伍して、一回もマラソン
を走ったことがないのにリスモンやドレイトンを退けダークホースとしてただ一人
優勝候補として名前が挙がった程のランナーであった。結果としてそのうちトンプソン
は国内予選で落ち、ヘルメンスは10000を選んだ(入賞できず)ので大外れであった
のではあるが、それだけヘルメンスの走力は高く評価されていた。このヘルメンスが
知恵を絞ってロッテルダムマラソンをプロモートしただけのことはあって83年の大
レースですっかり世界のトップレースの評価が高まり、85年と88年の世界記録に結実
し、85年から98年まで世界記録を保持するマラソン大会となった。このように一流
選手だったディレクターが辣腕を奮って一流マラソンを育てていく一方で、日本では
マスコミによるマラソンの乱立と舶来信仰によって自らの福岡マラソンを地方マラソン
に貶めて、その結果マラソン黄金時代の終焉を迎えざるを得なかったのは皮肉なこと
であった。
654ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/04(金) 23:43:05
>>653

ヘルメンスはモントリオール五輪のマラソンに出場してますよ。たしか24位ではなかったかな。
ロッテルダムというと85年のロペスの世界新が衝撃的だった。ベルギーのルソー、ベーゲマンの2人が
ペースメーカーになりロペスを援護射撃。一週間前に広島で開催されたワールドカップマラソンでサラが
世界歴代2位、新星・中山が世界歴代3位で日本記録を最新さたばかりの浮かれて気分が抜けきらない
そんな時期に、人類初の2時間7分台は当時、びっくりさせられた。
655ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/05(土) 10:35:42
>>654
ペースメーカーをしたバンサン・ルソーはその後7分台をだして世界ランクインしましたね。
今思えば、ロッテルダムでの唯一の日本人優勝、谷口浩美は偉業ですな。
656ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/05(土) 18:35:05
ヘルメンスを含めて欧米のランナーにインテリジェンスを持った人が多いと
思うのは気のせい?1マイル4分を史上初めて切ったロジャー・バニスターは
オックスフォードの医学部生で神経医学の分野でも有名な教授になった。
セブ・コーは如何にも頭が良さそうだっただけでなく国会議員や五輪招致
委員長をそつなくこなしている。それにひきかえ。。。
657ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/05(土) 18:54:30
sawaki
ヘルメンスといえばヨーロッパのサーキットの10000なんかでは
常に5,6位あたりで相手が誰でもそのへんという印象だったな
眼鏡長髪のいかつい選手でキックがなかったんだな。
一応27分台では走っていたからトラックの一流半というところだろうね
突然1時間競走やって20000の世界記録も同レースだね
でもそれまでの世界記録はクーツ、ビリーあたりまで遡るじゃないかってくらい
誰もやらない種目だからあんまり価値はないんだな。
優勝候補に上げた人もショーターがあんまり断然の下馬評なんでヤケクソだろうね
大駆けするタイプでもなかったし
>>656
まあヨーロッパは階級社会だからね
我が国でも早稲田出身のインテリランナー瀬古利彦は
選挙出れば国会議員や五輪招致委員長くらいは軽くこなせるよ。
我が国でも五輪金メダルから東大入って労働省のキャリアになった人もいるし
京大生の金メダリストもいる。
一流商社のトップになった人もいるからなかなかのもんだよ

文武両道なんていうけど
文武両道なんてありえないと三島由紀夫も言ってるし
五輪の金メダルと東大卒キャリアくらいじゃとてもじゃないけど
両道とはいえないだろ
金メダルとノーベル賞なら両道と言えるかもしれないけど
さんな人はいないし。
まして東大進学校が甲子園出ると文武両道なんて言いたがるマスコミも悪いけど
そんな両道ならなんにもしないセンズリニートのほうがよっぽど立派、でもないけど
大差ないよな。
日本について付け加えておくと、上で例に出ているのは
みな戦前のメダリスト。戦前にスポーツなんてできるのは
高等教育機関に進めた人間が大半。
そのためには頭がいいか家が裕福かが条件だったから、
ヨーロッパの階級社会に近かったのではないかな。

貧しい中から足の速さで陸上の強豪校にスカウトされて
金メダルを取った孫基禎あたりは例外に近い。その
孫にしても学校ではいつも腹ぺこで、裕福な学生の
「家庭教師」という名目で住み込んで何とか在学できた
というくらい。

662ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/06(日) 09:48:45
>>659 瀬古を念頭において彼我の差を嘆いたのだが。高校時代のあの成績で
早稲田を落とされる超絶した成績の持ち主だぞ。現在の迷解説者ぶりや、
指導者としての実績を見るまでもなく人の上にたつことはできない。しかし
参議院議員くらいはできそうなところがわが国のいかれた現状を象徴している
けどね。

>>660 今でも中長距離以外ならエリートはいるけど練習量がものを言う中長距離では
ランニング馬鹿を脱却するのは難しいね。バニスターの例は五輪金とノーベル賞に
近いのでは?フィリップ・ノエル=ベーカー 卿(Philip John Noel-Baker, Baron
Noel-Baker)は五輪1500銀とノーベル平和賞、運輸相、国務相兼国連代表、その後空相、
英連邦相、燃料動力相、上院議員等を歴任しているね。
中村清も貧乏から日本新を樹立した方でしたね。
ソウル生まれだから韓国人と勘違いされるようだが、中村の両親は山口県生まれの日本人。
一家でソウルに移り住んだ時に中村は生まれた。貧乏すぎて大会の遠征は学校でのカンパで賄い、
またシューズもろくに買えなかったそうだ。
黒崎ここにあり
665ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/09(水) 00:17:03
>>569
>>579

五輪 男子マラソン 開催日

1896年 アテネ     4月10日
1900年 パリ      7月19日
1904年 セントルイス  8月30日
1908年 ロンドン    7月24日
1912年 ストックホルム 7月14日
1920年 アントワープ  8月22日
1924年 パリ      7月13日
1928年 アムステルダム 8月5日
1932年 ロサンゼルス  8月7日
1936年 ベルリン    8月9日
1948年 ロンドン    8月30日
1952年 ヘルシンキ   7月27日
1956年 メルボルン(南半球)12月1日
1960年 ローマ     9月10日
1964年 東京     10月21日
1968年 メキシコ   10月20日
1972年 ミュンヘン   9月10日
1976年 モントリオール 7月31日
1980年 モスクワ    8月1日
1984年 ロサンゼルス  8月11日
1988年 ソウル    10月2日
1992年 バルセロナ   8月9日
1996年 アトランタ   8月4日
2000年 シドニー(南半球)10月1日
2004年 アテネ     8月29日
666ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/09(水) 00:35:43
>>653 654 656 658

1976年モントリール五輪マラソン  25位 ヘルメンス(オランダ) 2時間19分48秒2


男子20,000m 世界歴代10傑

1、56分56秒6  バリオス(メキシコ)     1991
2、57分18秒4  Di・カストロ(ポルトガル) 1990
3、57分24秒19 ヘルメンス(オランダ)    1976
4、57分28秒7  サッケリー(イギリス)    1990
5、57分44秒4  ローランツ(ベルギー)    1972
6、57分48秒7  瀬古利彦(日本)       1985
7、58分01秒8  金井豊(日本)        1985
8、58分05秒3  ニャンギンチャ(ケニア)   1991
9、58分10秒8  キプロティッチ(ケニア)   1991
10、58分18秒4  イツウェル(フランス)    1990
男子20,000m 世界記録変遷

67分40秒2 コーレマイネン(フィンランド) 1913
67分11秒2 ステンロース(フィンランド)  1923
67分07秒2 キローネン(フィンランド)   1924
66分29秒0 シビル(フィンランド)     1925
64分38秒4 ヌルミ(フィンランド)     1930
64分00秒2 ザバラ(アルゼンチン)     1936
63分01秒2 カプラー(ハンガリー)     1941
62分40秒0 ヘイノ(フィンランド)     1949
61分15秒8 ザトペック(チェコスロバキア) 1951
59分51秒6 ザトペック(チェコスロバキア) 1951
59分28秒6 ベイリー(ニュージーランド)  1963
59分22秒8 クラーク(オーストラリア)   1965
58分06秒2 ローランツ(ベルギー)     1966
57分44秒4 ローランツ(ベルギー)     1972
57分31秒8 ヘルメンス(オランダ)     1975
57分24秒2 ヘルメンス(ベルギー)     1976
57分18秒4 Di・カストロ(ポルトガル)  1990
56分56秒6 バリオス(メキシコ)      1991
  
男子30,000m 世界記録変遷

1時間48分06秒2 ステンロース(フィンランド)  1915
1時間47分13秒4 コーレマイネン(フィンランド) 1922
1時間46分11秒6 ステンロース(フィンランド)  1924
1時間43分07秒8 シピラ(フィンランド)     1928
1時間42分30秒4 ザバラ(アルゼンチン)     1931
1時間40分57秒6 リベス(アルゼンチン)     1932
1時間40分49秒8 ヒエターネン(フィンランド)  1937
1時間40分46秒4 ヒエターネン(フィンランド)  1948
1時間39分14秒6 ワーニン(ソビエト)      1948
1時間38分54秒0 マスカチェコフ(ソビエト)   1951
1時間35分23秒8 ザトペック(チェコスロバキア) 1952
1時間35分03秒8 ビスカリ(フィンランド)    1956
1時間35分01秒0 イワノフ(ソビエト)      1957
1時間34分41秒2 バンデンドリッシュ(ベルギー) 1962
1時間34分01秒8 アルダー(イギリス)      1964
1時間32分34秒6 ジョンストン(イギリス)    1965
1時間32分25秒4 ホーガン(イギリス)      1966
1時間31分30秒4 アルダー(イギリス)      1970
1時間29分18秒8 瀬古利彦(日本)        1981
男子25,000m  世界記録の変遷

1時間26分29秒6 コーレマイネン(フィンランド) 1920
1時間25分19秒9 コーレマイネン(フィンランド) 1922
1時間24分24秒0 マルチーネン(フィンランド)  1928
1時間23分45秒8 ハーパー(イギリス)      1928
1時間22分38秒8 マルチーネン(フィンランド)  1930
1時間21分27秒0 タミラ(フィンランド)     1939
1時間20分14秒0 ヒエターネン(フィンランド)  1948
1時間19分11秒8 ザトペック(チェコスロバキア) 1952
1時間17分34秒0 イワノフ(ソビエト)      1955
1時間16分34秒6 ザトペック(チェコスロバキア) 1955
1時間15分22秒6 ヒル(イギリス)        1965
1時間14分55秒6 ニッカリ(フィンランド)    1973
1時間14分16秒8 ペイベリンダ(フィンランド)  1975
1時間14分11秒8 ロジャース(アメリカ)     1979
1時間13分55秒8 瀬古利彦(日本)        1981
670ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/13(日) 07:44:19
>>641
ショーターは、1973年毎日マラソンのあと、フィンランドでマラソンを走ったが途中棄権。連勝はストップしている。
あと、これはまじめに走っていないのだろうが、74年福岡で勝った翌週にホノルルを走って2.33.32で4位になっている。


671ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/13(日) 17:53:50
>>670 ショーターは1975年10月にもロジャースの全米記録更新を目指してルイジアナ
で一人で走ったけど2時間16分29秒もかかった失敗レースだった。それでもモントリオール
五輪の全米トライアルを2時間11分台の好記録でロジャースの挑戦を退け、本番でも銀
になったのはさすがだった。もっとも75年はミュンヘンで5位になったトラックで進境
を見せ27分45秒91を記録し、その年のランキング2位だった。
672ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/14(月) 00:36:23
モントリオール後のショーターはボロボロ。
再起を賭けた80年はローカルマラソン、河口湖30kmで日本の2線級に軽く負けて4位。
この大会、日体大時代の谷口浩美も走っていて、ギリギリでショーターと谷口は競っている。
673ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/15(火) 16:48:26
ワン汁最強
>>672
再起を賭けてないだろ
モントリオールの後はもう競技者の顔じゃなくなっていた
>>674
一応、モスクワを狙っていたけどな。
79年ボストンも70位台とまったく走れなかった。
676ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/24(木) 07:48:19
年齢別世界最高は?
677ゼッケン774さん@ラストコール:2008/04/27(日) 20:45:22
ボストンこそ最高権威であってほしい
678ゼッケン774さん@ラストコール:2008/05/01(木) 22:52:35
福岡以上にボストンは落ちぶれてしまったね。
>>666
ローランツって東京五輪3000障害金のガストン・ローランツだな
いろんな事やってるんだな
メキシコプレ五輪マラソンで楽勝して本番優勝確率は100%と豪語したが惨敗
72年になっても引退せず20000なんかやってるとは
680ゼッケン774さん@ラストコール:2008/05/16(金) 07:18:48
80年代半ばにあった
阿久津、米重、中山、伊藤、西本と襷をつないで
4位になった国際駅伝は何年何月何日にどこで
行われた駅伝大会か分かりますでしょうか?
また、大会名は何というのでしょうか?
IAAFではじまっていたと思います。
681ゼッケン774さん@ラストコール:2008/05/17(土) 07:35:56
>>680

この大会は1986年11月30日に広島で開催された
「第一回 ワールド・チャレンジ・ロードリレー広島大会」
広島県総合グラウンドをスタート、ゴールとして佐伯郡甘日市町
折り返しの42.195kmで開催された。
男子は5区間、女子は6区間。
日本代表は阿久津浩三、米重修一、中山竹通、伊藤国光、西本一也の順。

レース展開は1区で首位にでたイギリスは弾みをつけ快走。4区の中継点では
2位・エチオピアに約200mの差をつける。しかし最終5区でエチオピアの
アベベ・メコネンが快ピッチで追い上げる。残り1kmでイギリスのハリソン
との差は50m。ハリソンは前半のハイペースがたたり、ペースダウン。
メコネンが競技場内残り400mでハリソンをかわして逆転。
日本は1区の阿久津が10位と出遅れる。米重、中山と快走したが4位が
精一杯の結果だった。
中山は3区(8km)で区間賞を獲得。米重から5位でタスキを受け、
約30m前を先行するメランデ(ケニア)をすぐ捉え並走。最後はメランデ
のスパートに振り切られたが、5位のまま伊藤国光へつないだ。

結果
1位 エチオピア    1時間59分11秒
2位 イギリス     1時間59分14秒
3位 オセアニア選抜  2時間00分12秒
4位 日本       2時間00分43秒
5位 アメリカ大陸選抜 2時間00分49秒
6位 ケニア      2時間01分01秒
7位 ポルトガル    2時間03分23秒
8位 イタリア     2時間03分39秒

第1回 アジア大会 ニューデリー(1951年)

1、チョタ・シン(インド)2時間42分58秒
2、西田勝雄(中大)2時間49分03秒
3、サラット・シン(インド)2時間53分49秒
6、野田義一(坂出走ろう会)

昭和25年の毎日マラソン、日本選手権の優勝した野田と日本選手権2位
の西田が代表。
午前7時のスタートでやや肌寒い中、2人とも睡眠不足で調子が悪く、
折り返してから強い向かい風の影響もあり、西田がフラフラになりながら
2位に入った。野田は歩いて6位がやっとだった。



3回 アジア大会 東京(1958年)

1、李昌薫(韓国)2時間32分55秒
2、マイトン・ナウ(ビルマ)2時間42分46秒
3、貞永信義(鐘紡防府)2時間43分44秒
5、浜村秀雄(協和発酵)2時間47分00秒

28度の炎天下の中、9人が参加。貞永と浜村は10kmまで
先行する李をマークしていたが、20kmがズルズル後退。
地元開催を日本勢初優勝で飾ることはできなかった。
第4回 アジア大会 ジャカルタ(1962年)

1、長田正幸(八幡製鉄)2時間34分54秒2
2、マハマド・ジョサフ(パキスタン)2時間43分02秒2
3、ミー・トン・ノー(ビルマ)2時間49分57秒2
中尾隆行(東急)途中棄権

この年の毎日マラソンで1,2位の長田、中尾が代表。
34度を越す暑さで倒れる選手が続出。中尾も途中棄権。
長田は前半を抑え、後半にペースアップ。持ち前の粘り強さを
発揮し、アジア大会男子マラソン・日本勢の初優勝となった。



5回 アジア大会 バンコク(1966年)

1、君原健二(新日鉄)2時間33分22秒8
2、重松森雄(クラレ)2時間35分04秒2
3、李尚勲(韓国)2時間40分56秒0

気温34度、湿度80%の炎天下に9人がスタート。
10kmで先頭集団は4人。折り返しを過ぎると、
先頭は君原と重松の2人。33kmで君原がスパート。

6回 アジア大会 バンコク(1970年)

1、君原健二(新日鉄)2時間21分03秒8
2、御船芳郎(リッカー)2時間24分20秒8
3、姜明光(韓国)2時間26分47秒8

前回が午後2時、今回は午前7時スタート。天候は異なり
気温23度。君原と御船が先頭集団を引っ張り、25km
で君原がスパートをした。30kmで食い下がる御船に
250mの差をつけ勝負を決め、大会史上初の2連覇となった。


8回 アジア大会 バンコク(1978年)

1、阪本峰照(日立造船)2時間15分29秒7
2、チョイ・チャンソプ(北朝鮮)2時間15分57秒4
3、コ・チュンソン(北朝鮮)2時間16分10秒3
4、佐藤進(旭化成)2時間17分54秒8

午前6時、日の出前の暗闇の中、21人が参加。
前半は5kmのスプリットが16分前半のゆったりしたペースで推移。
折り返しを過ぎてペースが上がり、22kmで先頭集団は5人。
24kmで佐藤が後退。36kmで阪本が一気にスパートし、北朝鮮
勢を振り切り、日本勢4連覇を達成した。


9回 アジア大会 ニューデリー(1982年)

1、金梁岬(韓国)2時間22分21秒
2、阿部文明(日本電気HE)2時間24分09秒
3、セタラマ(インド)2時間25分07秒
4、水久保美千男(新日鉄)2時間28分32秒

30度前後の気温のレース。12人が参加。
北朝鮮のリー・ジョン・ヒョンを阿部がマーク、この年の
毎日マラソンを制した水久保はハイペースについていけず
後退。結局、33kmでペースダウンしたリーを阿部が捕らえたが
後方から金が一気にスパート。阿部を振り切る。



10回 アジア大会 ソウル(1986年)

1、中山竹通(ダイエー)2時間08分21秒
2、谷口浩美(旭化成)2時間10分08秒
3、柳在聖(韓国)2時間16分55秒

スタートから中山と谷口が飛び出す。10km手前で早くも中山が
谷口を振り切り独走態勢に入る。後半、風の影響でペースダウンした
ものの大会記録を7分以上も最新。この記録は現在も大会記録として
残るものとなった。5,6回大会に続いて金、銀を独占。



11回 アジア大会 北京(1990年)

1、金元卓(韓国)2時間12分56秒
2、清水悟(カネボウ)2時間14分46秒
3、チェ・チョルホ(北朝鮮)2時間18分18秒
8、泉宣広(ダイエー)2時間21分01秒

8月に北海道で事故死したエスビー食品・谷口伴之に代わる
清水が12kmから飛び出す。25kmで金が後続集団から
抜け出し31kmで清水に並びかける。一時、金は腹痛で
後退するも残り5kmで清水を逆転。そのままテープを切った。


中山のトラックの適正タイムはどれくらいなのだろうか。
W杯広島で2時間08分15秒で一躍躍り出た中山だったが、
このときの1万の自己ベストが29分前半。
その後、5月スポニチ陸上で瀬古と初のトラック初顔合わせで
28分51秒67。
その後の年度別遍歴は

85年度 28.26.9 11月京都府記録会
86年度 28.07.0 10月西京極
87年度 27.35.33 7月ヘルシンキ
88年度 28.01.74 7月オスロ

27分35秒という記録が別格で、セカンドタイムは28分を切ることが
できなかった。瀬古に比べて中山は道路向きのランナーであったのと、
瀬古以上にあくまでトラックはマラソンの延長でスピード強化が目的だったろう。
 しかし87年のヘルシンキでの日本記録はその後の福岡に向け、スピード
面でかなりの自信になっていたと考えられる。それも含めての福岡での
脅威の前半のラップを刻むことができたのではないかな。
27分台で走った回数なら瀬古は結構多いね
瀬古と中山 10,000m 個人別パフォーマンス10傑



瀬古利彦(エスビー食品) 平均27.55.60

1、27.42.17 (1985)DNガラン 4位
2、27.43.44 (1980)DNガラン 優勝
3、27.45.45 (1986)オスロ   6位
4、27.45.89 (1985)ローザンヌ 優勝
5、27.51.61 (1978)DNガラン 優勝
6、27.51.93 (1979)DNガラン 2位
7、28.02.59 (1979)ワールドゲームス 優勝
8、28.09.42 (1980)ワールドゲームス 3位
9、28.11.25 (1984)韓国選手権 2位
10、28.12.2  (1978)ワールドゲームス 9位


中山竹通(ダイエー) 平均 28.10.51

1、27.35.33 (1987)ワールドゲームス 3位
2、28.01.74 (1988)ビスレット 16位
3、28.07.0  (1986)全日本実業団 2位
4、28.09.14 (1988)東京国際  7位
5、28.14.42 (1987)全日本実業団 優勝
6、28.14.49 (1986)オリンピックデー 優勝
7、28.17.75 (1986)兵庫リレー 2位
8、28.18.46 (1987)兵庫リレー 4位
9、28.23.36 (1986)ダワドウイル  5位
10、28.23.38 (1986)スポニチ  2位
>>683
八幡製鉄に来てくれるはずだった中尾が東急へ行ったしまったのを
根に持っていた高橋進が長田が優勝候補の中尾破って優勝したので
泣いて喜んだというレースですね
691ゼッケン774さん@ラストコール:2008/05/19(月) 07:44:57
>>690
このアジア大会を制した長田正幸は1962年時、八幡製鉄のエース。
その暮れの朝日国際で初マラソンの新鋭・君原健二が日本新で3位へ。
翌年から君原が八幡製鉄のエースとして君臨していく。

長田はその君原と走った1962年朝日国際で7位に入り、2時間19分51秒8の生涯記録を出した。
692ゼッケン774さん@ラストコール:2008/05/19(月) 10:48:55
>>691
1962年の頃は国内ランナーが2時間20分を切れば一流。
まだ日本歴代10傑が全部20切りしていない。
世界は60年ローマ五輪ですでにアベベが15分まで記録を短縮。まだ日本勢と差があった。
しかし翌年の寺沢世界樹立から「マラソン日本」の復活。層では70年まで世界のトップに君臨する。
そうだなぁあの頃は君原も17分台がベストだし
円谷は東京五輪の16分台は自己ベストだったし
スポニチ国際を走る前の中山の1万のベストは29分10秒でしたよ。
それと、中山が27分35秒を出したときは確かその年の世界ランクで
ひとケタに入っていたはずです。(瀬古もそういう年がありましたが)
>>694


1980年度 10000m 世界10傑

1、27.29.16  バージン(アメリカ)
2、27.31.38  ロノ(ケニア)
3、27.37.88  マメーデ(ポルトガル)
4、27.42.7   イフター(エチオピア)
5、27.43.44  瀬古利彦(日本)
6、27.44.3   マーニンカ(フィンランド)
7、27.44.58  アンチポフ(ソビエト)
8、27.44.7   ケディル(エチオピア)
9、27.46.5   コツ・トロッサ(エチオピア)
10、27.46.71  スコット(イギリス)


1985年度 10000m 世界10傑

1、27.37.17 ビックフォード(アメリカ)
2、27.40.58 ニーナウ(アメリカ)
3、27.41.05 アイストーン(アメリカ)
4、27.41.09 マメーデ(ポルトガル)
5、27.42.17 瀬古利彦(日本)
6、27.43.90 キゲン(ケニア)
7、27.44.65 パネッタ(イタリア)
8、27.45.00 エレラ(メキシコ)
9、27.45.80 ピタヨ(メキシコ)
10、27.49.36 コバ(イタリア)



1987年度 10000m 世界10傑

1、27.26.95 パネッタ(イタリア)
2、27.29.41 ブルチ(エチオピア)
3、27.34.38 プリアノン(フランス)
4、27.35.33 中山竹通(日本)
5、27.38.63 キプコエチ(ケニア)
6、27.39.60 クンチェ(東ドイツ)
7、27.42.65 バイニオ(フィンランド)
8、27.43.04 ブルバラ(エチオピア)
9、27.44.70 ヤワ(南アフリカ)
10、27.47.05 アルパン(フランス)


(1987年12月まで) 男子10000m 世界歴代10傑

1、27.13.81 マメーデ(ポルトガル) 84年7月
2、27.17.48 ロペス(ポルトガル)  84年7月
3、27.20.56 ニーナウ(アメリカ)  86年9月
4、27.22.50 H.ロノ(ケニア)    78年6月
5、27.24.95 シルドハウアー(東ドイツ)  83年6月
6、27.25.61 サラザール(アメリカ) 82年6月
7、27.26.11 アウイタ(モロッコ)  86年7月
8、27.26.95 ハジュルステーンス(ベルギー)  82年6月
8、27.26.95 パネッタ(イタリア)  87年6月
10、27.29.16 バージン(アメリカ)  80年7月

22、27.35.33 中山竹通(日本)        87年7月
50、27.42.17 瀬古利彦(日本)        85年7月



(1987年12月まで) 10000m 日本歴代15傑

1、27.35.33 中山竹通(ダイエー)87年7月
2、27.42.17 瀬古利彦(エスビー食品)85年7月
3、27.44.5 新宅雅也(エスビー食品)83年11月
4、27.47.35 伊藤国光(鐘紡)80年7月
5、27.48.59 喜多秀喜(神戸製鋼)80年7月
6、27.48.63 鎌田俊明(鐘紡)77年6月
7、27.49.06 阿久津浩三(福島病院)87年7月
8、27.55.05 金井豊(エスビー食品)85年7月
9、27.59.31 宗猛(旭化成)78年7月
10、28.02.5 米重修一(旭化成)86年4月
11、28.09.4 西本一也(九州産交)86年10月
12、28.10.47 高尾信昭(鐘紡)75年6月
13、28.17.61 宗茂(旭化成)78年7月
14、28.17.8 中村孝生(エスビー食品)83年11月
15、28.19.4 下重庄三(船引中教員)83年10月
697ゼッケン774さん@ラストコール:2008/05/19(月) 21:08:07
>>692 日本記録変遷史より

2.20.42. 中尾隆行 (中京大)1960.12.4 福岡
2.18.54. 中尾隆行 (中京大)1961.3.21 名古屋
2.18.52. 中尾隆行 (東急) 1962.10.20. オークランド
2.16.18.4 寺沢徹 (倉レ) 1962.12.2 福岡

ということで前年にやっと2時間20分の壁を破ったばかり。もっとも62年福岡は

1.寺沢 徹 (大阪) 2:16:18.4
2.中尾 隆行 (東京) 2:16:53.4
3.君原 健二 (福岡) 2:18:01.8

という3位まで日本最高記録を上回る大レースだった。これは10月から五輪に
備えて行ったニュージーランド合宿の成果の賜物だったと言われる。変遷史に
ある通り合宿中に中尾は自身の日本最高を上回る2時間18分52秒を出していた。
これは非公認記録であるが、一応記録に残っている。
>>692

ちなみに1960年度  日本マラソン 10傑は

1、2時間20分45秒 中尾隆行(中京大)  12月 朝日国際
2、2時間23分30秒 渡辺和己(九州電工)  2月 別府
3、2時間25分44秒 貞永信義(鐘紡)   12月 朝日国際
4、2時間26分01秒 時志為男(沖縄バス) 12月 朝日国際
5、2時間28分01秒 高下三千男(鐘紡)  12月 朝日国際
6、2時間29分11秒 馬場英則(東洋ベア)  3月 信毎
7、2時間29分32秒 山田敬蔵(同和鉱業) 12月 朝日国際
8、2時間29分40秒 広島庫夫(旭化成)   9月 ローマ五輪
9、2時間30分18秒 長田正幸(八幡製鉄) 12月 朝日国際
10、2時間30分20秒 岡町隆郎(旭化成)  12月 朝日国際

(10傑平均  2時間27分18秒2)
当時、世界3大マラソンだった 朝日(福岡)、ボストン、ウインザーでの
初めて20分切りは

朝日国際  1960年   マギー(ニュージーランド)   2時間19分04秒
ボストン  1963年   バンデンドリッシュ(ベルギー) 2時間18分58秒
ウインザー 1953年   ピータース(イギリス)     2時間18分40秒2

*ボストンでは1953年山田、1955年浜村、1956年ビスカリと2時間20分切りを達成しているが
のちに1085m短いことが判明。

欧州選手権では1958年ストックホルム大会でポポフ(ソビエト)が2時間15分17秒の世界新を樹立。
五輪は前記の通り、1960年ローマ大会でアベベ(エチオピア)が2時間15分16秒2でポポフの記録
を破り、初の20分切り。
中尾と君原の話題になっていたのでここでひとつ話題を提供。


70年代後半くらい(というか瀬古が登場してから)マラソン年2レース前後
出場というスケジュールが多くなった。
今では1年1レースなんてのが増えているが。

ちなみの一線級ランナーで年間マラソンレース最多出場は64年の中尾隆行
と66年の君原健二の6回である。

中尾は
  64.02.02 別府毎日 4位 2.20.23
     03.06 水戸      30km途中棄権
     03.30 中日   優勝 2.18.30
     04.12 毎日   8位 2.21.32(五輪最終選考会)
     08.23 タイムス 5位 2.24.59
     12.06 朝日国際 2位 2.15.42(現・福岡国際)

一方、君原は

1966.02.13 別府毎日 3位 2.15.28
     04.19 ボストン 優勝 2.17.10
     06.05 毎日   7位 2.37.53
     09.15 玉造   優勝 2.20.27
     10.30 韓国国際 3位 2.19.57
     12.15 バンコク 優勝 2.33.22(アジア大会)

中尾が6レース中、5回の完走。君原は6レースすべて完走の海外2勝
と内容では君原に軍配が上がるものとなっている。

今では考えられないタフネスぶりであった。
まぁマラソンは年4回くらい走ってもどうって事ないよな

瀬古もずいぶん若くして一線級になったと思っていたが
君原円谷も東京五輪の時23歳だし
10000も歴代上位で新時代のスピード新星だったんだな
東京五輪前のマラソンラジオ中継は寺沢中尾中心だったけど
1960年代  日本男子マラソン  ランキング1位


1960 2時間20分42秒  中尾隆行(中京大)  12月福岡
1961 2時間18分54秒  中尾隆行(中京大)  3月名古屋
1962 2時間16分18秒4 寺沢 徹(倉 レ)  12月福岡
1963 2時間15分15秒8 寺沢 徹(倉 レ)  2月別府
1964 2時間14分48秒2 寺沢 徹(倉 レ)  12月福岡  
1965 2時間12分00秒0 重松森雄(福岡大)  6月ウィンザー
1966 2時間14分05秒2 広島日出国(旭化成) 12月福岡
1967 2時間11分17秒0 佐々木精一郎(九州電工)12月福岡
1968 2時間12分40秒6 采谷義秋(竹原高教)  12月福岡
1969 2時間11分27秒8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)5月アントワープ
>>682-686

アジア大会男子マラソン日本人メダリスト

1951ニューデリー A西田勝雄(中央大)
1954マニラ  競技なし
1958東京   B貞永信義(鐘紡)
1962ジャカルタ  (優勝)長田正幸(八幡製鉄)
1966バンコク (優勝)君原健二(八幡製鉄)A重松森雄(倉敷レイヨン)
1970バンコク (優勝)君原健二(新日鉄)A御船芳郎(リッカー)
1974テヘラン 競技なし
1978バンコク (優勝)坂本峰照(日立造船)
1982ニューデリー A阿部文明(新日本電気)
1986ソウル  (優勝)中山竹通(ダイエー)A谷口浩美(旭化成)
1990北京   A清水悟(鐘紡)
1994広島   A早田俊幸(鐘紡)
1998バンコク A真内明(旭化成)
2002プサン  A清水康次(NTT西日本)B武井隆次(エスビー食品)
2006ドーハ   B大崎悟史(NTT西日本)

704ゼッケン774さん@ラストコール:2008/05/20(火) 16:57:25
>>702 1960年の中尾の記録は2時間20分45秒が正しいよ。
705ゼッケン774さん@ラストコール:2008/05/20(火) 20:05:27
>>700
中尾さんの最後の2時間15分42秒というのが生涯記録じゃなかったかな。
80年代のマラソン中継(特に中京テレビ 名古屋国際女子)は中尾さん
の解説が多く、適切なコメントを話されてました。
しかしなんだかんだ言っても男のマラソン解説者でいちばんうまいのは瀬古だろ
宇佐美はあんまり喋らなかったし
それは同意できんな
708ゼッケン774さん@ラストコール:2008/05/20(火) 20:56:32
>>706 え、それはないだろう。ピントの外れたことばかり言ったり、笑いを
取ろうとして滑ったり、瀬古が褒めた選手が次の瞬間にトップ集団から脱落
したり。ギャグにしても滑っているぞ。

 高橋進の解説には安心感があったな。宗茂や伊藤国光はうまいと思うよ。
 
709ゼッケン774さん@ラストコール:2008/05/20(火) 21:17:57
笑いを取るのでいいんだよ
糞真面目に陸上の解説されたってつまらんだけだろ
2chに来るような陸上マニアには誰でも知ってるようなことだし
ふっ、
それは違うな。
>>708
宗茂や伊藤国光の解説はつまらないんだよ
特に伊藤のはつまらん
まぁヤシはレースもつまらなかったけど

陸上の解説で一番ユニークだったのは山田宏臣だったけど
なまじ仕事ができたばっかりに激務で過労死しちゃったしな
中山竹通の解説は一度聞いてみたいものだ。案外きちっと話すのではないか。
中山はバルセロナ五輪を境に一気に老け込んだな。たしか五輪2年後に調整でさいたまマラソンを
2゜17'台で2位に入り、パリマラソンは優勝争いに絡めず8位。2゚13'台。 その後福岡国際で17位だったような。
バネの効いたストライド走法でさらにつま先着地だったから、足にかかる負担も大きかったんだろう。
昔、読んだアシックスの三村氏の著書で晩年の中山から「シューズの底を少し厚くしてくれ」
という依頼をされたときに、ついに中山も来るときが来たかと思ったと語っていた。
早熟な瀬古同様、30前後で一戦から退くものがが80年代までは多かった。
宗猛や谷口のようなピッツ派は長持ちした。

今は選手寿命が伸びたのは昔より優れたところ。どの種目、スポーツにも言える。
713ゼッケン774さん@ラストコール:2008/05/21(水) 14:34:11
>>712
87福岡の前半の快走は最強だろうな。
今のアフリカンのようにリズミカルで躍動感いっぱいの走りだった。
事実、タンザニアのアフリカンは5kmでちぎられてた。
>>712
中山はソウル以後すでに抜け殻っぽかったな
>>714
同感です
716ゼッケン774さん@ラストコール
中山は別大の時はすっかり優等生になっていて毒々しさが消えていた