マラソン史上もっとも強いランナー・マラソン通史7

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>>1乙ありがとさん
3ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/17(土) 22:09:11
>>2
逝去
4ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/17(土) 23:01:43
AA厨と伴が荒らし回る
5ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/17(土) 23:02:59
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  |::( 6  ー─◎─◎ )          q -´ 二 ヽ      | 省12
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995:02/17(土) 22:54 [sage]
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  |::( 6  ー─◎─◎ )          q -´ 二 ヽ      | 省13
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996:02/17(土) 22:55 [sage]
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  |::( 6  ー─◎─◎ )          q -´ 二 ヽ      | 省12
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997:02/17(土) 22:57 [sage]
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  |::( 6  ー─◎─◎ )          q -´ 二 ヽ      | 省13
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998:02/17(土) 22:58 [sage]
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  |::( 6  ー─◎─◎ )          q -´ 二 ヽ      | 省13
6ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/17(土) 23:04:25
「チョンやワイナイナでも勝てる糞レース」というフレーズであちこちを荒らしまわってるのは通常「店長」と呼ばれてる勘違い王ニート
AAに凝るしか能がない
7ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/17(土) 23:06:54
このスレでは低レベルニートは無視しましょう。
8ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/17(土) 23:08:20
独身のおまえがゆうな
>>7=嵐
パート7は波乱の幕開けだな。とてもマラソンスレとは思えないよ。
11ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/17(土) 23:11:41
乱してるあんたが言うとは
アスキーアートのあいつが荒らしで学生でしょ。授業行けよ。
アトランタ金のヒコーキ野郎ジュサイア・チュグワネは短命だったようだが。
14ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/17(土) 23:36:17
おまえよりチュグワネは幸せ
人種隔離政策アパルトヘイトに対しての制裁で南アフリカは各種国際大会から
締め出されていたからね。白人選手で無く黒人のしかも南アフリカのチュグアネがアトランタという地で
金メダルを獲ったのは象徴的な出来事でもあった。        
チュグアネは1996年にオリンピック、1997年に福岡国際を制しているが
その両方を制したのはショーター以来だった。   
ムトロ選手も8分台を持っていたと思うが後年ロッテルダムマラソンで
走りを見たがすでに峠は越していたらしく凡走に終わっていた。
福岡ってそんな価値あるもんなの?
19ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 00:14:24
ここでごちゃごちゃやってねえでリリースしろ
福岡で走ることは全マラソン選手の目標、あこがれである
と言っても過言ではないと思う。
21ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 00:19:13
そうでもないよ
かつては国際選手権という称号がついていた。
別大は若手の登竜門、福岡は別格で確か一般ランナーの
出場資格も過去1年以内で2時間30分を切っていることが条件だったと思う。
24ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 00:28:42
思ってんじゃねえよ
福岡を制することはすなわち日本一ということ
26福岡陸:2007/02/18(日) 00:44:18
違います
東京国際の開催が国内での福岡の地位低下を招いてしまった。
国際的には賞金レース開催に乗り遅れたというか乗らなかったのが大きな要因だと思う。   
各年代最強リスト

60年代 アベベ、クレイトン
70年代 ショーター、リスモン、ヒル
80年代 キャステラ、瀬古、イカンガー、ロペス
90年代- 現代 ハヌーシ、ゲブルシラシエ、アベラ
フランクショーターってスポーツメーカーかと思ってたら
有名マラソン選手から名前をとったということをこのスレで始めて知りました。
>90年代- 現代 ハヌーシ、ゲブルシラシエ、アベラ

どっちかというとその3人はマラソンでは00年代に全盛期を迎えてる選手じゃないか?
90年代はいい選手いなかったの?
>>30
90年代は記録低迷期だから代表選手は小粒になるだろう。
フィス、セロン、デティ、ピント あたりか。
デンシモが世界最高で走った88ロッテルダムの中継を見ていたが、あの記録がその後10年に渡って
最新されないとは思いもよらなかった。90年代の男女マラソンの記録低迷期ってなぜだったんだろうか。
フセイン、デティあたりのケニアもいたけどアフリカンパワーが足りなかったんだろうか。
その間は韓国、メキシコ、スペインが健闘したイメージがある。
33ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 01:56:49
正直、福岡は新宅の優勝までは納得できたが、渋谷や森田が勝ったのは福岡の地盤沈下を感じた。
34ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 02:03:01
>>80年代 瀬古
残念ながらこれはない。
五輪で9位と14位ではね・・・
お話にならないよね。
何も「君たちの心の中のヒーロー瀬古」を奪おうってわけじゃないんだよ。
でもこのスレでは不要だから脳内でやってね♪
          || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
          ||     ブタ店長は∧_∧   いいですね。
          ||     無視!\ (゚Д゚,,)
          ||________⊂⊂ |
  ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧    | ̄ ̄ ̄ ̄|
  (  ∧ ∧ (   ∧ ∧ (  ∧ ∧ |      |
〜(_(  ∧ ∧ __(  ∧ ∧__(   ∧ ∧ ̄ ̄ ̄
  〜(_(  ∧ ∧_(  ∧ ∧_(   ∧ ∧  は〜い、先生。
    〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
      〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ
          || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
          ||     瀬古信者は∧_∧   いいですね。
          ||     無視!\ (゚Д゚,,)
          ||________⊂⊂ |
  ∧ ∧    ∧ ∧    ∧ ∧    | ̄ ̄ ̄ ̄|
  (  ∧ ∧ (   ∧ ∧ (  ∧ ∧ |      |
〜(_(  ∧ ∧ __(  ∧ ∧__(   ∧ ∧ ̄ ̄ ̄
  〜(_(  ∧ ∧_(  ∧ ∧_(   ∧ ∧  は〜い、先生。
    〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
      〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ


37伴 走車:2007/02/18(日) 02:40:02
>>34
「おおっ!!
 スレの変わり目だが、しっかりと粘っているな。
 その粘り強さはマラソン選手としてはとても重要な素養だぞ。

 ところで毎度で申し訳ないのだが、瀬古を否定するなら
 オマエの考える80年代を代表するマラソンランナーが誰か、教えてはもらえないかな?

 80年代は群雄割拠で選び甲斐があるんだが、いっちょ教えてはもらえないだろうか?
 他にコメントがないということは、「キャスレラ、瀬古、イカンガー、ロペス」から瀬古を引いた3人で異論ないのかな?

 今日は東京マラソンの日だな。
 俺も油谷をはじめ、日本選手を応援するぜ。
 心が震えるようなレース展開になるといいな。
 いちにっ さんしーっ ハイハイ そうそうっ」
ぶっちゃけ伴 走車とかいう輩のほうが邪魔
今日の東京マラソン2007は天候から見て1987年の福岡国際マラソンの中山と対比しながら見れば
面白いよ。 冷たい雨の中、序盤のハイペースで最後は2時間8分台で押し切れるかどうか見ものだね。  
1987 福岡国際  

スタ〜5` 14:35
5`〜10` 14:30   20:05
10`〜15` 14:35   43:40 
15`〜20` 14:57   58:37
中間点            1:01:55
20`〜25` 15:11  1:13:48 
25`〜30` 15:14  1:29:02
30`〜35` 15:23  1:44:25
35`〜40` 16:20  2:00:45 
40`〜ゴール  7:33  2:08:18   
  
41ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 06:27:48
ホリエモン 東京マラソンに出場!!
http://money5.2ch.net/test/read.cgi/venture/1171746443/l50#tag1
>>23
2時間27分っすよ。
福岡は参加条件が非常に厳しいからね。
3大マラソンといわれてるびわ湖や東京より実際のところグレードが高い。
過去に参加した選手を見ても、福岡のほうが豪華だしな。

しかし東京国際マラソンの新コースはボストンと同じく片道コースなのか……
片道コースって公認記録になったっけ?
>>43
なりますよ。
>>43
ロンドンと同じで公認記録になるのでは?
>>34

俺は瀬古の現役を知らない世代だが、当時の記録や資料をみると80年代を代表する
ランナーだったってことは容易がつくよ。
あれだけの勝率と勝ってきた相手の名前を見たらなおさらだ。
五輪がダメだったからって外せない選手なのはわかる。

それよりあなた、瀬古に恨みでもあんの。それとも瀬古に潰された元選手?
4743:2007/02/18(日) 10:18:46
>>44-45
そうだったのか、サンクス
ちょっと不安だったので聞いてみた。

>>46
同じく現役の頃の瀬古は知らない世代だよ、俺も。
ただオリンピック以外のレースの戦績では初マラソンを除き全てボストン2位以外は全て優勝。
福岡を4勝し、シカゴ・ロンドン・ボストン・びわ湖と各地の主要マラソンを計15戦10勝の戦績。
歴代最強ランナーとして語られるだけの驚異的な実績がある。
ただ中山もそうだけど、やはり資料でしか知らないと強かったかはよくわからんのはあるなぁ。

マラソンで一番印象に残る最も古いレースが96年の東京国際マラソンの俺には
タイス(国内レコード)やアベラ(福岡3勝)といったランナーに強い印象が残る。
日本ランナーとしてはやっぱり高岡かな、他では藤田や油谷辺り。
>>46
単にここの会話が妬ましくて
邪魔をするのに必死なだけだろ。
小学生のときいたよ、そういうのが。
49ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 10:44:51
>>44>>45>>47
ワンウェイの場合、スタート地点とゴール地点の高低差が40mを超える下り勾配はIAAF未公認になるんじゃなかったっけ
ただし伝統のボストンはこの規定に触れてしまうためにうやむやだったような記憶が....
最近不勉強なのでその辺がどうかあったのか知らないが、その辺の経緯をご存知の方フォローください
50ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 10:47:12
伴 と AA と昔話 爺 は 出版でもしろよ
儲けろ
>>49
そのとおりですよ。
たしかその理由でハーフの世界最高が
非公認になっていたような気がします。


油谷こそ最強と派手に暴れてたニートくんは
どんな気持ちでテレビを観てるんでしょうね。

世界の舞台にも立てない状況で・・・・・
53ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 12:23:05
おまえら世界選手権で足ひっぱんなよ
>>52
油谷スレで現在あばれてる。
いまだに世界では勝つと狂ったように連呼してるよ。
選考会でこのザマでは、世界の舞台には出れないのにwwww
>>52>>54なんかいつも各スレッドあらしまわってるもんなぁ
56ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 12:38:41
お、出てきたな油谷ヲタ!
油谷は強かったなあ、おい
もういいだろ、
油谷も並の選手だったってこと
しかし、これで油谷は大阪100%ムリだろ。
そうすると日本勢は入賞ゼロかもな。
藤田と佐藤ア(当落微妙)がどうか・・・
藤田がかろうじて8位くらいに
今日のような天気気温で2時間8分台で走った中山は凄いわけだ。
87年の福岡国際がいまだに語り草になるのも納得。  
大阪世界陸上は気象条件が全然ちがうから比較できんけど
あれだけジェンガに引き離されていては勝負にならんな。
今回の選考上でメダルを期待できそうなのが藤田ぐらいだが、
その藤田は大阪回避の可能性が高い。
油谷はレースで失敗して大阪は消えたし……

諏訪に期待する以外手段が無いよw
63ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 13:23:41
びわ湖は誰が出場するのかな?
>>60
あの時の中山は35kmまでは当時の世界記録を上回るハイペースだったからな。
もし天候が良ければ2時間6分台は出てたかも。
65ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 13:26:19
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 02/18(日) 13:22
                       _,,t-‐‐-、,-‐‐-、
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           |  | |  |  i {t)テ" ヘ' '___,イ ヽ_/ 介'   
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67ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 13:41:45
>>64
じゃあ天候が良いレースでも7分台すら出ないのは何故?
>>67
どんなレースでも神がかったレースって言うのがある。
藤田が当時日本最高を出した福岡のレースとか、
2位になったコリルが世界記録を出したテルガト以上に強いレースだったといわれたベルリンとか。

中山の場合は、それがもっとも強い勝ち方をした福岡だったってことと、素人が言ってみる。
69ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 14:33:00
人伝いに藤田はヒートランナーだって聞いた
この前の別大も気温が上がったし、以前出た世界選手権(どこのか忘れた)の時もきっちり入賞している
オレ的には藤田は炎天下の大阪に出場してほしいな
金メダルも狙えるんじゃないのか?
故障体質も分かるが、出惜しみしての機会損失は本人が一番損するんだから
70ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 14:38:46
おまえにそんな話する人はいないぞ。
71ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 15:32:43
選手権回避して五輪という気持ちもわからないでもないが、
「日本人として」、
著名ランナーに大阪を走ってもらいたい気持ちはあるな。
東京だって山下有森谷口篠原中山(女一名失念)で盛り上がったと思うが…


藤田頼むよ(-人-)
72ゼッケン774さん@ラストコール :2007/02/18(日) 15:35:46
(女一名失念) = 荒木久美

はっきりいって、当時は篠原よりも荒木の方が著名ランナー。
73伴 走車:2007/02/18(日) 15:39:12
「瀬古−油谷論争を機に始めたこの伴走だが、
 なかなか評判がよろしくないようで、今回を最後にジープの幟を下ろそうと思う。

 油谷は残念だったな。

 坂口監督は2度続けて失敗した選手には本気で引退を迫ると本に書いてあったが、
 これは逆説的に捉えると、更に挑戦を続けるなら相当な意識改革が必要なんだということを、
 選手に植えつけようとしているのかもしれないな。

 ロンドン・東京で失敗した油谷は北京五輪へのチャレンジが競技者としての集大成となる筈だから、
 この冬の選考レースでは捲土重来となる走りを期待したいな。

 2度目の失敗で初めて叱るというエピソードからは、
 「失敗を望む選手なんていないし、誰だってレースで最高の結果を出そうと思って準備する。
  しかしマラソンは奥深く、誰だって1度は失敗レースをしてしまうこともある」
 という思想が垣間見える。

 ここからは瀬古信者の言い訳だが、瀬古はそのたった1度の失敗がよりによってロス五輪に
 当たってしまった悲運のランナーだったのではないだろうか。ソウル五輪も着外だったが、
 こちらは成功/失敗がどうのと言うより、完全にランナーとしてのピークを過ぎていた
 (若くして肉体を酷使した瀬古は衰えが早かった?)。

 五輪の失敗を差し引いてもそれでも瀬古は最強の舞台にノミネートされ得る、と、このスレ
 で同意をしてくれる人が多数いるのは事実なのだが(論拠は既出なので繰り返さない)、
 そろそろ一定の理解を示してもらえないかな。

 勿論、肝心のロス五輪で負けたことが、瀬古の唯一にして最大の汚点であることは、
 俺も認めるよ。

 思うにオマエは、瀬古のトンデモ解説を見て受けた第一印象と、このスレでのあまりの
 高評価ぶりに戸惑っていたのではないかな。その自己矛盾をどのように消化するかは
 人それぞれだが、無味乾燥な不等号を繰り返しコピペするだけでは、人生は悲しいぞ。

 じゃあな。これからも頑張れよ。
 いちにっ さんしーっ ハイハイ そうそうっ」
74ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 17:46:28
中国電力もマラソンはここのところ失敗続きで今回の油谷の失敗で時代の潮目
のところに来ているということだろう。もっとも世界大会できっちり結果を出
してきた彼等が衰えた現状は全く出来ない。大阪が地元だからメダルとか言って
いるのは楽観的すぎ。いくら暑くても入賞できないと見るべき。
瀬古の現役知らない俺は理論のない無能解説ぶりを見て瀬古の名を知ったが、
VTRを持ってる人に借りて見て、瀬古の強さを改めて知ったよ。あれだけ
勝負強いランナーは日本にはいないと思ったよ。きっと瀬古自身、天性の勝負勘
なんだろう。云われている長嶋と一緒でその感性は言葉で教えられないんじゃな
いかと思った。どのレースも瀬古に35km以降ついてこられたら相手は驚異
に感じてたんじゃないかなぁ。
76ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 17:50:37
チームの質が高くなりすぎると選手が手を抜けなくなり、
慢性疲労でチーム自体が弱体化するケースは旭化成で実証済み
メディアを通して坂口監督の言動を聞いていると
とても手を抜けるようなチーム体質ではないし、
旭化成のいつか来た道に入ってしまった可能性は否定できないね
>>67
中山の仕事は7分台で走る事では無くダイエーがメインスポンサーの東京国際で
故障があって調子が悪くても常に先頭を走り2時間テレビに出続ける事。
それと陸連の顔を立ててアジア大会やソウルなど銭にならないレースに出場命令されたのも
イマイチモチベーションが上がらなかったのもある。それでも8分台で走ったが。   
78ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 19:44:14
どんなに言い訳しても5位三回の油谷
9位、14位の瀬古

現実は厳しいのよ
79アンチ瀬古:2007/02/18(日) 20:00:26
>>78油谷ってきっといい奴でいい選手だと思って応援してたがお前のおかげで油谷までレベルの低い奴に見えてきたよ。
もういいから消えろよ。
>>79
まだいたのか、
現実、現実って、
オマエがいちばん現実みてねえんだよ、
油谷は今日 優勝したのかよ?
おい、どうなんだよ?
わるい、>>79じゃなくて >>78
>>78
もう瀬古と比較するやつ貼らなくていいから。
もう用無しなんですよあなたは。
油谷もかわいそうだよな。
普通なら一回くらい大惨敗しても温かく見守ってくれるであろうこのスレなのに
ここ数カ月の>>78 こいつのおかげで油谷自身の失敗を周りが楽しむくらいまでにしてしまった。
もういいから出てけ!
>>80 「現実」がわからない奴が「現実」つかってたのには笑いましたね。
しかし>>78 の油谷ヲタへのバッシング凄いな。
まあ散々周りに迷惑かけて良スレを荒らしちゃったからな、自業自得だろ。
85ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 21:05:46
「史上最強スレ」でも ヲタ、吊るし上げ食らってるな。
86ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 21:17:05
87年の福岡国際と今日の東京マラソン、気象情況はどうちがったんだろう。
87年の方が寒くてさらに風でもあったら中山は神だな。
6分台のジェンガが9分45秒だからな。
瀬古はロス五輪、ソウル五輪選考の福岡国際欠場と2度の歴史に残る大きな失敗をした。
強いランナーというのは勝った時のエピソードだけではなく負けた時、失敗した時の
エピソードも歴史に残る。バルセロナ五輪での谷口の転倒も歴史の出来事として
語り継がれる。 
>>86
87年福岡 気温12時7.5℃ 風5m 天気雨のち雪  
『マラソンの延長に駅伝がある』
90年代のニューイヤーを9度制した旭化成当時の監督宗茂のセリフである。
毎回のようにアジア陸上・世界陸上・オリンピックに選手を送り込み、
谷口の世陸優勝を筆頭に、森下がアトランタで銀・信之がセビリアで銅メダルを獲得するなど、
マラソン王国の名を欲しいままにした。
暗黒期の象徴とも言える惨敗した男子マラソンのアトランタ・シドニーでも旭化成選手が日本人トップとなっている。

だが00年のニューイヤー惜敗後にチームは急落。川嶋・佐保といった主力の高齢化や、
若い頃からチームを引っ張った高尾や宗幸らが悲鳴を上げたのだった。
21世紀は暗黒期になっていたが、世代交代に成功して復調の兆しが見えている。
大野を世界陸上に送り込んだことが、チーム全体の復活に繋がったようだ。
既に駅伝の優勝経験者が小島兄弟だけと、メンバーも一新されている。(同期に共則もいるがw)

というのが旭化成の歴史。>>76の言うことも真理だろう。
中国電力も主力の高齢化で旭化成の二の舞にならなければいいのだが……
逆にコニカは既にヱスビーの二の舞になりかけていたりする。
こっちも主力の高齢化で若い選手が育っていない。
森下の銀メダルはバルセロナだorz

しかし今回の油谷の失敗は思いもよらなかった。
ここぞというマラソンで失敗したのは2001年のびわ湖で自己ベストを出した以降にないのでは……

藤田にしてもそうだけど、今の日本選手はここぞというときに弱い気がする。
尾方の銅メダル以降の停滞は、この辺りに要因があるのかも。
91ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 22:30:49
>>90 アテネ五輪の後唯一走ったレースは
F2.14.49 13位 2006年4月ロンドン
であり、完全な失敗レース。世界大会3回連続5位の印象が強いがアテネが
最後のまともなレースであって完全に過去の人だよ。

92ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 22:42:59
スタメンあがわの婆は「ジェンガさんは15年も日本に住んでらっしゃったんですね」
>>91
ここぞというのは、日本代表権を狙ったレースといった意味。
油谷の海外マラソンは世界大会以外でろくな戦績が無いからなw
しかし全成績を知らないから、ロンドン1回しか走ってないかもしれんが(ぇ
94ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/18(日) 23:18:15
あと4年かかると思う。順天堂の今井,東海の佐藤,早稲田の竹澤などが
マラソン走る頃に世界と壁が大きかったらもう日本はおしまいだと思う。
89と同じ定義


シューティングを越えたものがプロレスである
96ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/19(月) 00:35:53
現実を知っちゃった!
油谷がヘタレなのが。
せめて着ぐるみの一般ランナーには勝たなきゃ。


あ〜あ これが現実。
つらい現実。
徳本、佐藤のでさえ比べるのは二人に失礼。
瀬古や中山、谷口の偉大なる諸先輩方の名を語るのも失礼窮まりないよ。
97ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/19(月) 01:24:24
なぜか瀬古VS油谷になってんのね。
油谷もよく頑張ったと思うけど、瀬古谷口中山に比べると全然知名度が違うよ。
もちろん戦歴も。
うちのおかんは「自殺した人の親戚?」って、円谷と間違える始末。
瀬古は天然みたいだね。櫛部談。やっぱ四中工だから、いろいろしゃべりとかも難しいよ。
瀬古は煩悩を一切排した求道者というイメージだったから
煩悩の塊だと知った時は一種のカルチャーショックを受けたよ   
99ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/19(月) 01:39:26
>>89が痛い
100ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/19(月) 02:17:57
痛史
101ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/19(月) 02:22:03
>>76
>旭化成のいつか来た道に入ってしまった

上手い言い回しですね。
確かにそうかもしれません。

だとすると、中国電力ってあまりにも早熟ですね。
旭化成が駅伝イヤというほど連覇して、オリンピック選手をこれでもかと輩出した道程を、
たったの20年弱で走り抜けたことになるから、、、
102ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/19(月) 07:53:42
朝どのチャンネルも、東・松阪・ノリカ&陣内なんでちょっとテレビ消してた
あぶらたに?何それ?
103ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/19(月) 07:57:02
瀬古谷口中山に比べると全然知名度が違うよ。
今はないない。
瀬古、宗兄弟、中山、谷口あたりはマラソンを知らない人でも知名度は抜群。
外国人選手ではイカンガーの知名度も高い。
しかしそれ以降の男子マラソン選手の知名度はガタ落ち。
105ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/19(月) 08:32:39
知名度は抜群と思い込んでる世間知らずのあなた。
せいぜい瀬古、宗兄弟を知ってるおじさんおばさんがいるだけだよ。
リサーチしたことないんでしょ。
106ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/19(月) 08:49:13
三船美佳は実業団=プロと思っている。
107ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/19(月) 08:52:23
テリー伊藤とかゆうのが出てる番組の「かつや」って奴はマスターズを知らないらしい。

「われわれ世代は宗御兄弟や瀬古さんと一緒に走りたいんですよ」「有森さんもシニアで走ってくださいよ」
108ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/19(月) 12:14:03
佐藤は勝っても松坂をこえられなかった
109ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/19(月) 18:21:17
>>108
もしもし?
どの佐藤が“勝った”の?
どこのレース?
>>109
もし佐藤が勝ってという意味でしょう。
今、野球とサッカーとスポーツ紙一面争いして取り扱ってくれる
日本男子ランナーは皆無だろ。
瀬古、中山のレースは一面扱いだったのは、時代性と稀有な存在だったからね。
ダニエル・ジェンガ(ケニア・ヤクルト) マラソン全成績

1、優勝 2時間20分28秒 1995.02.05 上尾
2、(途中棄権)       1997.02.09 東京国際
3、10位 2時間11分49秒 1999.12.05 福岡国際
4、(途中棄権)       2001.03.04 びわ湖毎日
5、17位 2時間20分53秒 2001.12.02 福岡国際
6、2位 2時間12分43秒 2002.02.03 別府大分
7、2位 2時間06分16秒 2002.10.13 シカゴ
8、3位 2時間07分41秒 2003.10.12 シカゴ
9、優勝 2時間08分43秒 2004.02.09 東京国際
10、2位 2時間07分44秒 2004.10.10 シカゴ
11、3位 2時間07分14秒 2005.10.09 シカゴ
12、(途中棄権)       2006.02.12 東京国際
13、2位 2時間07分40秒 2006.10.22 シカゴ
14、優勝 2時間09分45秒 2007.02.18 東京
佐藤智之(旭化成)  マラソン全成績

1、優勝 2時間13分20秒 2003.02.23 延岡西日本
2、5位 2時間09分43秒 2004.02.08 東京国際
3、4位 2時間16分25秒 2005.08.28 北海道
4、2位 2時間11分46秒 2006.02.05 別府大分
5、10位 2時間12分29秒 2006.12.03 福岡国際
6、2位 2時間11分22秒 2007.02.18 東京
サンケイスポーツ 2月19日付け

東京マラソン感想 (愛知製鋼陸上部監督・中山竹通)

選手には、条件的に非常に悪かったのが不運でした。佐藤君は最後に粘りを
見せて世界選手権の有力候補になったと思いますが、私はそれ以上に昨今の
男子マラソンの駒不足に危機感を抱いています。
スタートからペースは決して速いものではありませんでした。にもかかわらず
日本選手は(先頭集団から)次々と消えていったのです。逆に今回のジェンガ君
のようにケニア勢は途中から一気にペースを上げ、それについていけなかった。
 ケニア勢はスピード練習を積み、1万mなどのトラック競技に強いんです。
日本勢はそのスピードの変化にパッと対応できない。今後はトラックで行うような
スピード練習がより一層、必要になると思います。
選手を取り巻く環境も岐路にたっているのではないでしょうか。日本ではどうしても
企業色が強くなり、個人競技より駅伝などの団体種目に強化が偏りがちです。
チーム内の選手強化のあり方と並行して選考レースを海外大会まで広げたり、
秋から冬に駅伝やマラソンが集中する現状の年間スケジュールなど、陸連も
再考の時期にきていると思います。
1968年度 男子マラソン世界10傑

1、2時間10分47秒8 アドコックス(イギリス) 福岡
2、2時間12分40秒6 采谷義秋(日本) 福岡
3、2時間13分23秒8 佐々木精一郎(日本) 別府
4、2時間13分26秒2 ムスタッア(ルーマニア) カールマルクスシュタト
5、2時間13分37秒6 上岡忠明(日本) 福岡
6、2時間13分43秒6 アケイ(トルコ) 福岡
7、2時間13分45秒2 ブッシュ(東ドイツ) カールマルクスシュタト
8、2時間13分49秒0 宇佐美彰朗(日本) 毎日



1969年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア) アントワープ
2、2時間11分07秒2 アドコックス(イギリス) アテネ
3、2時間11分12秒8 ドレイトン(カナダ) 福岡
4、2時間11分27秒8 宇佐美彰朗(日本) アントワープ
5、2時間11分54秒4 ヒル(イギリス) 福岡
6、2時間12分03秒4 谷村隼美(日本) 福岡
7、2時間12分52秒8 ガリド(メキシコ) 福岡
8、2時間13分06秒4 佐々木敏晴(日本) 福岡
9、2時間13分21秒0 吉田昭雄(日本) 福岡
10、2時間13分25秒8 君原健二(日本) アテネ



1970年度 男子マラソン世界10傑

1、2時間09分28秒 ヒル(イギリス) エジンバラ
2、2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(日本) 福岡
3、2時間11分12秒 オレイリー(アメリカ) ボストン
4、2時間11分35秒8 ムーア(アメリカ) 福岡
5、2時間12分04秒 アルダー(イギリス) ボストン
6、2時間12分12秒 采谷義秋(日本) 福岡
7、2時間12分19秒 フェアクロス(イギリス) エジンバラ
8、2時間12分58秒4 ファーリントン(オーストラリア) 福岡
9、2時間13分32秒 アドコックス(イギリス) 福岡
10、2時間13分39秒 クレイトン(オーストラリア) ツララルゴン






1971年 男子マラソン世界10傑

1、2時間11分08秒8 クレイトン(オーストラリア) ホバート
2、2時間12分14秒 ファーリントン(オーストラリア) ホバート
3、2時間12分39秒 ヒル(イギリス) マンチェスター
4、2時間12分50秒4 ショーター(アメリカ) 福岡
5、2時間13分09秒 リスモン(ベルギー) ヘルシンキ
6、2時間13分22秒8 宇佐美彰朗(日本) 福岡
7、2時間13分27秒 ライト(イギリス) マンチェスター
8、2時間13分42秒4 フォスター(ニュージーランド) 福岡
9、2時間13分45秒2 谷村隼美(日本) 京都
10、2時間14分03秒 ブッシュ(東ドイツ) マンチェスター


1972年 世界10傑

1、2時間10分30秒 ショーター(アメリカ) 福岡
2、2時間12分00秒4 ファーリントン(オーストラリア) 福岡
3、2時間12分50秒 フィリップス(西ドイツ) マンチェスター
4、2時間12分51秒 ヒル(イギリス) マンチェスター
5、2時間13分16秒 シェルバック(ソビエト) ウージェゴロド
6、2時間13分19秒4 レッセ(東ドイツ) カールマルクシュスタト
7、2時間13分59秒 モイセーエフ(ソビエト) ウージェゴロド
8、2時間14分00秒6 大槻憲一(日本) 福岡
9、2時間14分02秒6 ニッカリ(フィンランド) 福岡
10、2時間14分08秒 セケレシュ(ハンガリー) ベルチム


1973年度 世界10傑

1、2時間11分12秒6 ファーリントン(オーストラリア)7月N.S.W選手権
2、2時間11分45秒0 ショーター(アメリカ)12月福岡国際
3、2時間12分07秒0 クレイトン(オーストラリア)9月オーストラリア選手権
4、2時間12分24秒0 レッセ(東ドイツ)6月マクソール
5、2時間12分40秒0 トンプソン(イギリス)10月英連邦
6、2時間13分22秒0 ヒル(イギリス)10月英連邦
7、2時間13分24秒0 北山吉信(日本)3月毎日
8、2時間13分26秒0 ドレイトン(カナダ)9月カナダ選手権
9、2時間13分30秒0 アームストロング(カナダ)6月マクソール
10、2時間13分58秒0 ルグランジ(南アフリカ)6月マクソール




1974年度 男子マラソン世界10傑

1、2時間09分12秒0 トンプソン(イギリス)1月英連邦
2、2時間11分13秒0 リスモン(ベルギー)7月ベルギー国内大会
3、2時間11分18秒6 フォスター(ニュージーランド)1月英連邦
4、2時間11分31秒2 ショーター(アメリカ)12月福岡国際
5、2時間12分02秒4 レッセ(東ドイツ)12月福岡国際
6、2時間12分10秒6 ペイベリンダ(フィンランド)9月ツルク大会
7、2時間12分47秒4 ルグランジ(南アフリカ)4月南ア国内大会
8、2時間12分54秒4 マズサ(スワジランド)1月英連邦
9、2時間12分58秒6 マナーズ(ニュージーランド)1月英連邦
10、2時間13分04秒2 浜田安則(日本)2月別大


1975年 男子マラソン世界10傑

1、2時間09分55秒0 ロジャース(アメリカ)4月ボストン
2、2時間10分08秒4 ドレイトン(カナダ)12月福岡国際
3、2時間10分20秒0 チェトル(オーストラリア)12月福岡国際
4、2時間11分45秒0 チンドロ(イタリア)12月福岡国際
5、2時間11分54秒0 ホーグ(アメリカ)4月ボストン
6、2時間12分05秒0 フレミング(アメリカ)4月ボストン
7、2時間12分08秒0 ロドリゲス(コロンビア)8月南米選手権
8、2時間12分34秒2 ヒル(イギリス)6月ポーランド
9、2時間12分40秒0 宇佐美彰朗(日本)4月毎日
10、2時間12分42秒6 レッセ(東ドイツ)12月福岡国際

1977年 男子マラソン世界10傑

1、2時間10分55秒3 ロジャース(アメリカ)12月福岡国際
2、2時間11分57秒0 モイセーエフ(ソビエト)12月福岡国際
3、2時間13分04秒0 マグナニ(イタリア)12月福岡国際
4、2時間13分15秒0 ウェルズ(アメリカ)9月ナイキ
5、2時間13分28秒0 クリッチレー(アメリカ)10月クリーブランド
6、2時間13分32秒4 ペイベリンダ(フィンランド)4月カール.マルラス.シュタット
7、2時間13分43秒8 オリール(ポーランド)6月デブノ国際
8、2時間13分52秒2 ドレイトン(カナダ)10月ニューヨーク
9、2時間13分56秒8 スチュワート(イギリス)10月ニューヨーク
10、2時間13分57秒0 浜田安則(日本)2月別大

1978年 世界10傑

1、2時間09分05秒6 宗茂(日本)
2、2時間10分13秒0 ロジャース(アメリカ)
3、2時間10分15秒0 ウェルズ(アメリカ)
4、2時間10分21秒0 瀬古利彦(日本)
5、2時間11分05秒0 喜多秀喜(日本)
6、2時間11分15秒0 チッカネン(フィンランド)
7、2時間11分17秒0 フルツ(アメリカ)
8、2時間11分25秒0 トーマス(アメリカ)
9、2時間11分43秒0 ライアン(ニュージーランド)
10、2時間11分57秒5 モイセーエフ(ソビエト)

1979年度 世界10傑

1、2時間09分27秒 ロジャース(アメリカ)ボストン
2、2時間10分00秒 スメ(ベルギー)ベルギー選手権
3、2時間10分12秒 瀬古利彦(日本)ボストン
4、2時間10分20秒 ウェルズ(アメリカ)ナイキ
4、2時間10分20秒 サンドバル(アメリカ)ナイキ
6、2時間10分37秒 宗茂(日本)福岡国際
7、2時間10分40秒 宗猛(日本)福岡国際
8、2時間10分51秒 フォード(イギリス)福岡国際
9、2時間10分54秒 ロドウィック(アメリカ)ナイキ
10、2時間11分13秒 クアックス(ニュージーランド)ナイキ


1980年度 世界10傑

1、2時間09分01秒 ネイブール(オランダ) 4月アムステルダム1位
2、2時間09分41秒 サラザール(アメリカ) 10月ニューヨーク1位
3、2時間09分45秒 瀬古利彦 (日本)   12月福岡国際1位
4、2時間09分49秒 宗猛 (日本)     12月福岡国際2位
5、2時間10分05秒 伊藤国光 (日本)   12月福岡国際3位
6、2時間10分09秒 ヘンリー (オーストラリア) 12月福岡国際4位
7、2時間10分14秒 ゴメス (メキシコ)  10月ニューヨーク2位
8、2時間10分19秒 サンドバル(アメリカ) 5月ナイアガラ1位
9、2時間10分20秒 ビヨクルンド(アメリカ)6月ドゥルーズ1位
10、2時間10分23秒 宗茂 (日本)     12月福岡国際5位

1981年度 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分18秒 ド・キャステラ(オーストラリア)12月福岡国際1位
2、2時間09分26秒 瀬古利彦(日本)       4月ボストン1位
3、2時間09分28秒 グラハム(イギリス)     4月ロッテルダム1位
4、2時間09分36秒 ベアーズレー(アメリカ)   6月ドゥルース1位
5、2時間09分37秒 伊藤国光(日本)      12月福岡国際2位
6、2時間10分19秒 宗茂(日本)        12月福岡国際3位
7、2時間10分26秒 バージン(アメリカ)     4月ボストン2位
8、2時間10分34秒 ロジャース(アメリカ)    4月ボストン3位
9、2時間11分00秒 ゴメス(メキシコ)      2月東京国際1位
10、2時間11分10秒 バルチャ(エチオピア)


1982年度 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分51秒 サラザール(アメリカ) 4月ボストン1位
2、2時間08分53秒 ベアーズレー(アメリカ)4月ボストン2位
3、2時間09分18秒 ド・キャステラ(オーストラリア)10月英連邦1位
4、2時間09分24秒 Hジョーンズ(イギリス)5月ロンドン1位
5、2時間09分30秒 イカンガー(タンザニア)10月英連邦2位
6、2時間09分33秒 ゴメス(メキシコ)    10月ニューヨーク2位
7、2時間10分15秒 バリンジャー(ニュージーランド) 12月福岡国際1位
8、2時間10分33秒 シドロフ(ソビエト)   2月東京国際1位
9、2時間10分59秒 マイヤー(アメリカ)
10、2時間11分08秒 ロジャース(アメリカ) 


1983年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分37秒 ド・キャステラ(オーストラリア) 4月ロッテルダム1位
2、2時間08分38秒 瀬古利彦(日本)         2月東京国際1位
3、2時間08分39秒 ロペス(ポルトガル)       4月ロッテルダム2位
4、2時間08分55秒 宗猛(日本)           2月東京国際2位
4、2時間08分55秒 イカンガー(タンザニア)    12月福岡国際2位
6、2時間08分59秒 ディクソン(ニュージーランド) 10月ニューヨーク1位
7、2時間09分00秒 マイヤー(アメリカ)       4月ボストン1位
8、2時間09分08秒 スミス(イギリス)       10月ニューヨーク2位
9、2時間09分11秒 宗茂(日本)          12月福岡国際3位
10、2時間09分12秒 ゴメス(メキシコ)        2月東京国際3位

1984年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分05秒 Sジョーンズ(イギリス) 10月シカゴ1位
2、2時間09分06秒 ロペス(ポルトガル)   10月 シカゴ2位
3、2時間09分09秒 ド・キャステラ(オーストラリア)10月シカゴ3位
4、2時間09分14秒 ペーター(東ドイツ)   7月Grunau1位
5、2時間09分30秒 ハイルマン(東ドイツ)  7月Grunau2位
6、2時間09分56秒 トレーシー(アイルランド)8月ロス五輪2位
7、2時間09分58秒 スペディング(イギリス) 8月ロス五輪3位
8、2時間10分00秒 中山竹通(日本)    12月福岡国際1位
9、2時間10分05秒 カマウ(ケニア)    10月シカゴ4位
10、2時間10分08秒 スミス(イギリス)   10月シカゴ5位


1985年 男子マラソン世界10傑

1、2時間07分12秒 ロペス(ポルトガル)   4月ロッテルダム1位
2、2時間07分13秒 Sジョーンズ(イギリス) 10月シカゴ1位
3、2時間08分08秒 ジャマ(ジブチ)     10月シカゴ2位
4、2時間08分09秒 サラ(ジブチ)      4月W杯広島1位
5、2時間08分15秒 中山竹通(日本)     4月W杯広島2位
6、2時間08分33秒 スペディング(イギリス) 4月ロンドン2位
7、2時間08分48秒 ド・キャステラ(オーストラリア)10月シカゴ3位
8、2時間08分58秒 プラーティエス(南アフリカ)5月ポートエリザベス1位
9、2時間09分03秒 ハイルマン(東ドイツ)  4月W杯広島4位
10、2時間09分05秒 メコネン(エチオピア)  4月W杯広島5位



1986年 男子マラソン世界10傑

1、2時間07分35秒 児玉泰介(日本)   10月北京国際1位
2、2時間07分51秒 ド・キャステラ(オーストラリア)4月ボストン1位
3、2時間07分57秒 伊藤国光(日本)   10月北京国際2位
4、2時間08分04秒 シンク(南アフリカ)  5月ポートエリザベス1位
5、2時間08分10秒 イカンガー(タンザニア)2月東京国際1位
6、2時間08分15秒 ムトロ(南アフリカ)  5月ポートエリザベス2位
7、2時間08分21秒 中山竹通(日本)   10月ソウルアジア大会1位
8、2時間08分27秒 瀬古利彦(日本)   10月シカゴ1位
9、2時間08分29秒 デンシモ(エチオピア) 2月東京国際2位
10、2時間08分39秒 メコネン(エチオピア) 2月東京国際3位


1987年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分18秒 中山竹通(日本)     12月福岡国際1位
2、2時間09分50秒 谷口浩美(日本)     4月ロンドン1位
3、2時間10分01秒 ベッティオル(イタリア) 10月ベネチア1位
4、2時間10分04秒 ブラスラフスキー(ソビエト)9月ツェルコビ1位
5、2時間10分09秒 ムスタファ(モロッコ)  4月ロンドン2位
6、2時間10分11秒 Hジョーンズ(イギリス) 4月ロンドン3位
7、2時間10分15秒 ポリ(イタリア)     4月ロンドン4位
8、2時間10分17秒 クベルンモ(ノルウェー) 4月ロンドン5位
9、2時間10分19秒 タバク(ソビエト)     9月ツェルコビ2位
10、2時間10分25秒 テルジ(トルコ)     4月ロンドン6位



1988年 男子マラソン世界10傑

1、2時間06分50秒 デンシモ(エチオピア)  4月ロッテルダム1位
2、2時間07分07秒 サラ(ジブチ)      4月ロッテルダム2位
3、2時間07分35秒 メコネン(エチオピア) 10月北京国際1位
4、2時間07分40秒 谷口浩美(日本)    10月北京国際2位
5、2時間08分20秒 Sジョーンズ(イギリス) 10月ニューヨーク1位
6、2時間08分42秒 イカンガー(タンザニア) 2月東京国際2位
7、2時間08分43秒 フセイン(ケニア)    4月ボストン1位
8、2時間08分44秒 ブルチ(エチオピア)   4月ロッテルダム3位
9、2時間08分47秒 ペーター(東ドイツ)   2月東京国際3位
10、2時間08分49秒 ド・キャステラ(オーストラリア)2月東京国際4位





1989年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分01秒 イカンガー(タンザニア) 10月ニューヨーク1位
2、2時間08分39秒 デンシモ(エチオピア)   4月ロッテルダム1位
3、2時間09分03秒 ワキウリ(ケニア)     4月ロンドン1位
4、2時間09分06秒 メコネン(エチオピア)   4月ボストン1位
5、2時間09分06秒 モネゲッティ(オーストラリア)4月ロンドン2位
6、2時間09分09秒 サラ(ジブチ)       4月ロンドン3位
7、2時間09分25秒 クルス(メキシコ)     4月ロッテルダム2位
8、2時間09分34秒 谷口浩美(日本)      3月東京国際1位
9、2時間09分38秒 マーティン(アメリカ)  10月ニューヨーク2位   
10、2時間09分40秒 ボルディン(イタリア)   4月ロンドン4位
1990年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分16秒 モネゲッティ(オーストラリア) 10月ベルリン1位
2、2時間08分19秒 ボルディン(イタリア)      4月ボストン1位
3、2時間08分32秒 シャハンガ(タンザニア)    10月ベルリン2位
4、2時間09分23秒 ペーター(ドイツ)       10月ベルリン3位
5、2時間09分41秒 ピタヨ(メキシコ)       10月シカゴ1位
5、2時間09分41秒 ニムチャック(ポーランド)   10月シカゴ2位
7、2時間09分45秒 フライガング(ドイツ)     10月ベルリン4位
8、2時間09分52秒 イカンガー(タンザニア)     4月ボストン2位
9、2時間10分10秒 ハットン(イギリス)       4月ロンドン1位
10、2時間10分16秒 フルク(ポーランド)       4月ウィーン2位




1991年 男子マラソン世界10傑

1、2時間08分53秒 森下広一(日本)      2月別府大分1位
2、2時間09分12秒 中山竹通(日本)      2月別府大分2位
3、2時間09分17秒 トルスティコフ(ソビエト) 4月W杯ロンドン1位
4、2時間09分23秒 三村徹(日本)       2月別府大分3位
5、2時間09分28秒 ガルシア(メキシコ)   10月ニューヨーク1位
6、2時間09分42秒 ド・キャステラ(オーストラリア)4月ロッテルダム1位
7、2時間09分55秒 O・ダ・シルバ(ブラジル) 1月マラケッシュ1位
8、2時間10分00秒 エスピノサ(メキシコ)  10月ニューヨーク2位
9、2時間10分02秒 セロン(メキシコ)     4月ロッテルダム2位
10、2時間10分03秒 ウルバーノ(イタリア)


1992年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間08分07秒 D・タセベ(南アフリカ)    9月ベルリン 1位
2、2時間08分14秒 I・フセイン(ケニア)     4月ボストン 1位
3、2時間08分36秒 D・セロン(メキシコ)     2月別府大分 1位
4、2時間08分38秒 M・マティアス(ポルトガル)  9月ベルリン 2位
5、2時間08分47秒 黄永祚(韓国)         2月別府大分 2位
6、2時間09分04秒 T・ネゲレ(エチオピア)    12月福岡国際 1位
7、2時間09分16秒 S・ガルシア(メキシコ)    4月ロッテルダム 1位
8、2時間09分28秒 I・リコ(メキシコ)      4月ロッテルダム 2位
9、2時間09分29秒 W・ムトロ(南アフリカ)    11月ニューヨーク 1位
10、2時間09分30秒 金在龍(韓国)         3月東亜 1位

1993年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間08分51秒 D・セロン(メキシコ)    12月福岡国際 1位
2、2時間09分13秒 V・ルソー(ベルギー)    10月ランス 1位
3、2時間09分25秒 金完基(韓国)         3月慶州 1位
4、2時間09分31秒 G・タイス(南アフリカ)   12月福岡国際 2位
5、2時間09分33秒 C・デティ(ケニア)      4月ボストン 1位
6、2時間09分43秒 金在龍(韓国)         4月ボストン 2位
7、2時間09分57秒 S・スワトブーイ(ナミビア)  4月ボストン 3位
8、2時間10分03秒 R・ネルルカー(イギリス) 10月サンセバスチャン 1位
9、2時間10分04秒 A・エスピノサ(メキシコ)  11月ニューヨーク 1位
10、2時間10分06秒 A・カストロ(ブラジル)   10月ベネチア 1位



1994年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間07分15秒 C・デティ(ケニア)      4月ボストン 1位
2、2時間07分19秒 A・エスピノサ(メキシコ)   4月ボストン 2位
3、2時間07分51秒 V・ルソー(ベルギー)     4月ロッテルダム 1位
4、2時間08分08秒 J・キプゴク(ケニア)     4月ボストン 3位
5、2時間08分09秒 黄永祚(韓国)         4月ボストン 4位
6、2時間08分28秒 A・バリオス(メキシコ)    4月ボストン 5位
7、2時間08分31秒 A・ピント(ポルトガル)    9月ベルリン 1位
8、2時間08分33秒 M・マティアス(ポルトガル)  3月慶州 1位
9、2時間08分34秒 金完基(韓国)         3月慶州 2位
10、2時間08分35秒 B・アコナイ(タンザニア)   4月ボストン 6位



1995年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間07分02秒 S・リリ(ケニア)       9月ベルリン 1位
2、2時間07分20秒 V・ルソー(ベルギー)     9月ベルリン 2位
3、2時間08分30秒 D・セロン(メキシコ)     4月ロンドン 1位
4、2時間08分33秒 S・モネゲッティ(オーストラリア)4月ロンドン 2位
5、2時間08分48秒 A・ピント(ポルトガル)    4月ロンドン 3位
6、2時間08分57秒 M・フィス(スペイン)     4月ロッテルダム 1位
7、2時間09分22秒 C・デティ(ケニア)      4月ボストン 1位
8、2時間09分30秒 L・ドスサントス(ブラジル)  12月福岡国際 1位
9、2時間09分32秒 A・セラーノ(スペイン)    12月福岡国際 2位
10、2時間09分33秒 大家正喜(日本)        12月福岡国際 3位


1996年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間08分25秒 M・フィス(スペイン)       3月慶州 1位
2、2時間08分26秒 李鳳柱(韓国)           3月慶州 2位
3、2時間08分30秒 G・タイス(南アフリカ)      2月別府大分 1位
4、2時間08分38秒 V・デリマ(ブラジル)       2月東京国際 1位
4、2時間08分38秒 A・ピント(ポルトガル)      2月東京国際 2位
6、2時間08分46秒 A・フッタド(スペイン)      2月東京国際 3位
7、2時間08分50秒 実井謙二郎(日本)         2月東京国際 4位
8、2時間08分52秒 P・エバンス(ドイツ)       10月シカゴ 1位
9、2時間09分08秒 M・マティアス(ポルトガル)    3月慶州 4位
10、2時間09分15秒 A・アントン(スペイン)      9月ベルリン1位 

1997年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間07分10秒 H・ハヌーシ(モロッコ)     10月シカゴ 1位
2、2時間07分28秒 J・チュグワネ(南アフリカ)   12月福岡国際 1位
3、2時間07分41秒 E・ラガト(ケニア)       9月ベルリン 1位
4、2時間07分43秒 E・キマイヨ(ケニア)      9月ベルリン 2位
5、2時間07分51秒 Di・カストロ(ポルトガル)   4月ロッテルダム 1位
6、2時間07分54秒 A・ゴメス(スペイン)      4月ロッテルダム 2位
7、2時間07分55秒 A・ピント(ポルトガル)     4月ロンドン 1位
8、2時間07分57秒 S・バルディーニ(イタリア)   4月ロンドン 2位
9、2時間08分00秒 S・リリ(ケニア)        9月ベルリン 2位
10、2時間08分02秒 S・コリル(ケニア)       4月ロッテルダム 3位

11、2時間08分07秒 早田俊幸(日本)         12月福岡国際 2位



1998年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間06分05秒 R・ダコスタ(ブラジル)    9月ベルリン 1位
2、2時間06分54秒 O・オソロ(ケニア)      10月シカゴ 1位
3、2時間07分19秒 H・ハヌーシ(モロッコ)    10月シカゴ 2位
4、2時間07分26秒 F・ロンセロ(スペイン)    4月ロッテルダム 1位
5、2時間07分27秒 J・キプロノ(ケニア)     9月ベルリン 2位
6、2時間07分34秒 M・タヌイ(ケニア)      4月ボストン 1位
7、2時間07分37秒 J・チェボット(ケニア)    4月ボストン 2位
8、2時間07分44秒 李鳳柱(韓国)         4月ロッテルダム 2位
9、2時間07分45秒 G・タイス(南アフリカ)    10月シカゴ 3位
10、2時間07分57秒 A・アントン(スペイン)    4月ロンドン
1999年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間05分42秒 H・ハヌーシ(モロッコ)    10月シカゴ 1位
2、2時間06分16秒 M・タヌイ(ケニア)      10月シカゴ 2位
3、2時間06分33秒 G・タイス(南アフリカ)    2月東京国際 1位
4、2時間06分44秒 J・キプロノ(ケニア)     9月ベルリン 1位
5、2時間06分47秒 F・キプロプ(ケニア)    10月アムスタルダム 1位
6、2時間06分49秒 T・ジファー(エチオピア)  10月アムスタルダム 2位
7、2時間06分50秒 W・キプラガト(ケニア)   10月アムステルダム 3位
8、2時間06分57秒 犬伏孝行(日本)        9月 ベルリン 2位
8、2時間06分57秒 T・トーラ(エチオピア)   10月アムスタルダム 4位
10、2時間07分09秒 J・コスゲイ(ケニア)     4月ロッテルダム 1位



2000年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間06分36秒 A・ピント(ポルトガル)    4月ロンドン 1位
2、2時間06分51秒 藤田敦史(日本)       12月福岡国際 1位
3、2時間07分01秒 H・ハヌーシ(アメリカ)   10月シカゴ 1位
4、2時間07分15秒 J・コスゲイ(ケニア)     2月東京国際 1位
5、2時間07分20秒 李鳳柱(韓国)         2月東京国際 2位
6、2時間07分29秒 J・キプロノ(ケニア)    10月シカゴ 2位
7、2時間07分33秒 A・エルムアジス(モロッコ)  4月ロンドン 2位
8、2時間07分42秒 S・ビオット(ケニア)     9月ベルリン 1位
9、2時間07分47秒 A・ペーニャ(スペイン)    9月ベルリン 2位
10、2時間07分47秒 M・タヌイ(ケニア)     10月シカゴ 3位



2001年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間06分50秒 J・キプロノ(ケニア)     4月ロッテルダム 1位
2、2時間07分02秒 D・エリメル(フランス)   10月アムステルダム 1位
3、2時間07分11秒 A・エルムアジス(モロッコ)  4月ロンドン 1位
4、2時間07分18秒 K・チェルイヨット(ケニア)  4月ロッテルダム 2位
5、2時間07分34秒 A・ペーニャ(スペイン)    3月びわ湖毎日 1位
6、2時間07分43秒 T・ジファー(エチオピア)   11月ニューヨーク 1位
7、2時間07分45秒 S・アレマエフ(エチオピア)  4月トロント 1位
8、2時間07分46秒 J・レイ(スペイン)      4月ハンブルク 1位
9、2時間07分48秒 F・コルテス(スペイン)    4月ハンブルク 2位
10、2時間07分52秒 G・レオーネ(イタリア)    3月びわ湖毎日 2位
10、2時間07分52秒 油谷繁(日本)         3月びわ湖毎日 3位 

2002年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間05分38秒 H・ハヌーシ(モロッコ)    4月ロンドン 1位
2、2時間05分48秒 P・テルガド(ケニア)     4月ロンドン 2位
3、2時間06分16秒 D・ジェンガ(ケニア)     10月シカゴ 2位
3、2時間06分16秒 高岡寿成(日本)        10月シカゴ 3位
5、2時間06分35秒 H・ゲブルセラシエ(エチオピア)4月ロンドン 3位
6、2時間06分46秒 A・エルムアジス(モロッコ)  10月シカゴ 5位
7、2時間06分47秒 R・キプコエチ(ケニア)    9月ベルリン 1位
8、2時間06分49秒 S・ビオット(ケニア)     9月ベルリン 2位
9、2時間06分52秒 V・キプソス(ケニア)     9月ベルリン 3位
10、2時間07分06秒 I・シスター(南アフリカ)   4月ロンドン 5位



2003年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間04分55秒 P・テルガド(ケニア)     10月ベルリン 1位
2、2時間04分56秒 S・コリル(ケニア)      10月ベルリン 2位
3、2時間05分50秒 E・ルト(ケニア)       10月シカゴ 1位
4、2時間06分15秒 T・ムンジ(ケニア)      10月ベルリン 3位
5、2時間06分33秒 M・ロティッチ(ケニア)    4月パリ 1位
6、2時間06分36秒 B・ズヴェジュフレフスキ(フランス)4月パリ 2位
7、2時間06分39秒 W・キプサング(ケニア)   10月アムステルダム 1位 8、2時間06分42秒 F・リモ(ケニア)      10月アムステルダム 2位
9、2時間06分47秒 W・オンサレ(ケニア)     4月パリ 3位
10、2時間06分48秒 D・エリメル(フランス)    4月パリ 4位




2004年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間06分14秒 F・リモ(ケニア)         4月ロッテルダム 1位
2、2時間06分16秒 E・ルト(ケニア)         10月シカゴ 1位
3、2時間06分23秒 R・チェボルト(ケニア)      10月アムステルダム1位 
4、2時間06分49秒 S・コリル(ケニア)        4月ロンドン 2位
4、2時間06分49秒 J・リリ(ケニア)         10月ベルリン 2位
6、2時間07分05秒 J・チェランガ(ケニア)      10月ベルリン 3位
7、2時間07分06秒 G・タイス(南アフリカ)      3月ソウル 1位
8、2時間07分12秒 J・ガリブ(モロッコ)       4月ロンドン 3位
9、2時間07分42秒 J・リオス(スペイン)       3月びわ湖毎日 1位
10、2時間07分43秒 W・キプサング(ケニア)      3月ソウル 2位 

126訂正:2007/02/20(火) 16:41:14
2003年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間04分55秒 P・テルガド(ケニア)     10月ベルリン 1位
2、2時間04分56秒 S・コリル(ケニア)      10月ベルリン 2位
3、2時間05分50秒 E・ルト(ケニア)       10月シカゴ 1位
4、2時間06分15秒 T・ムンジ(ケニア)      10月ベルリン 3位
5、2時間06分33秒 M・ロティッチ(ケニア)    4月パリ 1位
6、2時間06分36秒 B・ズヴェジュフレフスキ(フランス)4月パリ 2位
7、2時間06分39秒 W・キプサング(ケニア)   10月アムステルダム       
9、2時間06分47秒 W・オンサレ(ケニア)     4月パリ 3位
10、2時間06分48秒 D・エリメル(フランス)    4月パリ 4位
2005年度  男子マラソン 世界10傑

1、2時間06分20秒 H・ゲブレセラシエ(エチオピア) 10月アムステルダム 1位
2、2時間07分02秒 F・リモ(ケニア)        10月シカゴ 1位
3、2時間07分08秒 B・マイヨ(ケニア)       10月シカゴ 2位
4、2時間07分14秒 D・ジェンガ(ケニア)      10月シカゴ 3位
5、2時間07分26秒 M・レイ(ケニア)         4月ロンドン 1位
6、2時間07分28秒 E・ルト(ケニア)        10月シカゴ 4位
7、2時間07分38秒 J・レイ(スペイン)        4月ハンブルク 1位
8、2時間07分46秒 P・イブチ(ケニア)       10月シカゴ 5位
9、2時間07分49秒 J・ガリブ(モロッコ)       4月ロンドン 2位
10、2時間07分50秒 J・ムインディ(ケニア)      4月ロッテルダム 1位


2006年度 男子マラソン 世界10傑

1、2時間05分56秒 H・ゲブレセラシエ(エチオピア) 9月ベルリン 1位
2、2時間06分38秒 S・コリル(ケニア)       4月ロッテルダム 1位
3、2時間06分39秒 F・リモ(ケニア)        4月ロンドン 1位
4、2時間06分41秒 M・レイ(ケニア)        4月ロンドン 2位
5、2時間06分44秒 P・キルイ(ケニア)       4月ロッテルダム 2位
6、2時間06分52秒 C・キボット(ケニア)      4月ロッテルダム 3位
6、2時間06分52秒 J・レイ(スペイン)       4月ハンブルク 1位
8、2時間06分55秒 H・ラマーラ(南アフリカ)    4月ロンドン 3位
9、2時間07分04秒 H・ハヌーシ(アメリカ)     4月ロンドン 4位
10、2時間07分14秒 R・チェルイヨット(ケニア)   4月ボストン 1位



マラソン世界最高記録の遍歴

2時間55分18秒4 J.ヘイズ(アメリカ) 1908
2時間52分46秒0 フォウラー(アメリカ) 1909
2時間46分53秒0 クラーク(アメリカ) 1909
2時間46分05秒0 レインズ(アメリカ) 1909
2時間42分31秒0 バーレット(イギリス)1909
2時間38分17秒0 H.グリーン(イギリス)1913
2時間36分07秒0 アールグレン(スウェーデン)1913
2時間32分35秒8 コーレマイネン(フィンランド)1920
2時間31分31秒0 矢萩丹治(日本) 1932
2時間31分10秒0 楠好蔵(日本) 1933
2時間27分49秒0 鈴木房重(日本) 1935
2時間26分44秒0 池中康雄(日本) 1935
2時間26分42秒0 孫基禎(日本) 1935
2時間20分42秒2 ピータース(イギリス) 1952
2時間18分40秒2 ピータース(イギリス) 1953
2時間18分34秒8 ピータース(イギリス) 1953
2時間17分39秒4 ピータース(イギリス) 1954
2時間15分17秒0 S.ポポフ(ソビエト) 1958
2時間15分16秒2 アベベ(エチオピア) 1960
2時間15分15秒8 寺沢徹(日本) 1963
2時間14分28秒0 エデレン(アメリカ) 1963
2時間13分55秒0 ヒートレー(イギリス) 1964
2時間12分11秒2 アベベ(エチオピア) 1964
2時間12分00秒0 重松森雄(日本) 1965
2時間09分36秒4 クレイトン(オーストラリア)1967
2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア) 1969
2時間08分18秒 ド・キャステラ(オーストラリア) 1981
2時間08分05秒 S.ジョーンズ(イギリス) 1984
2時間07分12秒 ロペス(ポルトガル) 1985
2時間06分50秒 デンシモ(エチオピア) 1988
2時間06分05秒 ダコスタ(ブラジル) 1998
2時間05分42秒 ハヌーシ(モロッコ) 1999
2時間05分38秒 ハヌーシ(アメリカ) 2002
2時間04分55秒 テルガト(ケニア) 2003
オリンピック男子マラソン歴代優勝者

1 1896(アテネ) ルイス (ギリシャ) 2:58:50 ※40`
2 1900(パリ)ティアトー (フランス) 2:59:45 ※40.26`
3 1904(セントルイス) ヒックス (イギリス) 3:28:53 ※40`
4 1908(ロンドン) ヘイズ (アメリカ) 2:55:18:4 
5 1912(ストックホルム) マッカーサー (南アフリカ) 2:36:54:8 ※40.2`
6 1916(ベルリン)中止
7 1920(アントワープ) コーレマイネン (フィンランド) 2:32:35:8 ※42.75`
8 1924(パリ) ステンロース (フィンランド) 2:41:22:6  
9 1928(アムステルダム) エルアフィ (フランス) 2:32:57:0
10 1932(ロサンゼルス) ザバラ (アルゼンチン) 2:31:36:0
11 1936(ベルリン)孫 基禎 (日 本) 2:29:19:2
12 1940(東京) 中止
13 1944(ロンドン)中止
14 1948(ロンドン) キャブレラ (アルゼンチン) 2:34:51:6
15 1952(ヘルシンキ)ザトペック (チェコスロバキア) 2:23:03:2
16 1956(メルボルン)ミムン (フランス) 2:25:00:0
17 1960(ローマ)アベベ (エチオピア) 2:15:16:2
18 1964(東京)アベベ (エチオピア) 2:12:11:2
19 1968(メキシコ)マモ・ウォルデ (エチオピア) 2:20:26:4
20 1972(ミュンヘン)ショーター (アメリカ) 2:12:19:8
21 1976(モントリオール)チェルピンスキー (東ドイツ) 2:09:55
22 1980(モスクワ) チェルピンスキー (東ドイツ) 2:11:03
23 1984(ロサンゼルス)ロペス (ポルトガル) 2:09:21(五輪最高記録)
24 1988(ソウル)ボルディン (イタリア) 2:10:32
25 1992(バルセロナ)黄 永祚 (韓 国 )2:13:23
26 1996(アトランタ)チュグワネ (南アフリカ) 2:12:36
27 2000(シドニー) アベラ (エチオピア) 2:10:11
28 2004(アテネ)バルディーニ(イタリア)2:10:55



世界陸上競技選手権 男子マラソン歴代優勝者

1 1983(ヘルシンキ) ド・キャステラ (オーストラリア) 2:10:03
2 1987(ローマ) ワキウリ (ケニア) 2:11:48
3 1991(東京) 谷口浩美 (日 本) 2:14:57
4 1993(シュッツトガルト)プラーティエス (アメリカ) 2:13:57
5 1995(イエテボリ) フィス (スペイン) 2:11:41
6 1997(アテネ) アントン (スペイン) 2:13:16
7 1999(セルビア) アントン (スペイン) 2:13:36
8 2001(エドモントン)アベラ (エチオピア) 2:12:42
9 2003(パリ) ガリブ (モロッコ) 2:08:31(世界陸上最高記録)
10 2005(ヘルシンキ) ガリブ  (モロッコ)2:10:10



【五輪  男子マラソン複数メダリスト】

アベベ  (60ローマ金,64東京金)
マモ   (68メキシコ金、72ミュンヘン銅)
ショーター(72ミュンヘン金,76モントリオール銀)
リスモン (72ミュンヘン銀、76モントリオール銅)
チェルピンスキー(76モントリオール金,80モスクワ金)[83ヘルシンキ銅]
ワイナイナ(96アトランタ銅,00シドニー銀)




【五輪&世界陸上 男子マラソン複数メダリスト】

ボルディン(88ソウル金)[87ローマ銅]
ワキウリ (88ソウル銀)[87ローマ金]
サラ   (88ソウル銅)[87ローマ銀,91東京銀]
アベラ  (00シドニー金)[01エドモントン金]
バルディーニ(04アテネ金)[01エドモントン銅,03パリ銅]

() 五輪成績 []世界陸上成績

男子マラソン 月別 世界記録

1月 2時間08分15秒 A・エルムアジス(モロッコ) 1999マラケッシュ
2月 2時間06分33秒 G・タイス(南アフリカ)   1999東京国際
3月 2時間07分06秒 G・タイス(南アフリカ)   2004ソウル
4月 2時間05分38秒 H・ハヌーシ(アメリカ)   2002ロンドン
5月 2時間08分04秒 Z・シンク(南アフリカ)   1986ポートエリザベス
6月 2時間08分55秒 P・タンビィ(コンゴ)    2004モンサンミッシェル
7月 2時間09分14秒 J・ペーター(東ドイツ)   1984Grunau
8月 2時間08分31秒 J・ガリブ(モロッコ)    2003パリ世界陸上
9月 2時間04分55秒 P・テルガド(ケニア)    2003ベルリン
10月 2時間05分42秒 H・ハヌーシ(モロッコ)   1999シカゴ
11月 2時間07分43秒 T・ジファー(エチオピア)  2001ニューヨーク
12月 2時間06分51秒 藤田敦史(日本)       2000福岡国際
主なマラソンランナー トラックベストタイム

瀬古利彦 (5000)13.24.29 (10000)27.42.17
中山竹通 (5000)13.43.80 (10000)27.35.33
高岡寿成 (5000)13.13.40 (10000)27.35.09
宗茂   (5000)13.40.8  (10000)28.17.61
宗猛   (5000)13.42.3  (10000)27.59.61
伊藤国光 (5000)13.29.86 (10000)27.47.35
喜多秀喜 (5000)13.27.44 (10000)27.48.59
新宅雅也 (5000)13.24.69 (10000)27.44.5
児玉泰介 (5000)13.46.36 (10000)28.44.23
谷口浩美 (5000)13.49.17 (10000)28.34.18
森下広一 (5000)13.37.64 (10000)28.01.98
早田俊幸 (5000)13.30.11 (10000)27.53.12

アベベ    5000m 14分10秒0 10000m 29分00秒8 マラソン 2時間12分11秒
マモ     5000m 13分38秒8 10000m 28分31秒8 マラソン 2時間15分08秒
クラーク   5000m 13分16秒6 10000m 27分39秒4 マラソン 2時間20分26秒
ライアン   5000m 14分11秒0 10000m 28分43秒2 マラソン 2時間14分04秒
アドコックス 5000m 14分13秒8 10000m 28分51秒8 マラソン 2時間10分47秒
ヒル     5000m 13分55秒2 10000m 28分26秒0 マラソン 2時間09分28秒
ショーター  5000m 13分35秒0 10000m 27分51秒4 マラソン 2時間10分30秒
クレイトン  5000m 13分49秒6 10000m 28分45秒2 マラソン 2時間08分33秒
ドレイトン  5000m 13分48秒0 10000m 28分25秒8 マラソン 2時間10分08秒
ビレン    5000m 13分16秒4 10000m 27分38秒4 マラソン 2時間13分10秒


中尾隆行   5000m 14分30秒0 10000m 29分27秒0 マラソン 2時間15分37秒
渡辺和己   5000m 14分19秒6 10000m 29分10秒4 マラソン 2時間15分39秒
広島日出国  5000m 14分26秒4 10000m 29分44秒8 マラソン 2時間14分05秒
重松森雄   5000m 14分14秒4 10000m 30分12秒4 マラソン 2時間12分00秒
君原健二   5000m 14分15秒0 10000m 29分01秒0 マラソン 2時間13分25秒
円谷幸吉   5000m 14分02秒2 10000m 28分52秒6 マラソン 2時間16分22秒
采谷義秋   5000m 14分41秒6 10000m 30分17秒6 マラソン 2時間12分12秒
谷村隼美   5000m 14分10秒0 10000m 29分22秒0 マラソン 2時間12分04秒
佐々木精一郎 5000m 13分53秒2 10000m 28分40秒8 マラソン 2時間11分17秒
宇佐美彰朗  5000m 14分02秒2 10000m 28分36秒6 マラソン 2時間10分37秒
沢木啓祐   5000m 13分33秒0 10000m 28分35秒2 マラソン 2時間16分06秒
鎌田俊明   5000m 13分25秒41 10000m 27分48秒63 マラソン 2時間14分24秒4

ディクソン(ニュージーランド) 10000m 28分35秒69  マラソン2時間08分59秒
チェルピンスキー(東ドイツ)     10000m 28分28秒20  マラソン2時間09分55秒
ド・キャステラ(オーストラリア)10000m 28分02秒73 マラソン2時間07分51秒
ゴメス(メキシコ)      10000m 27分57秒83  マラソン2時間09分12秒
Sジョーンズ(イギリス)   10000m 27分39秒14  マラソン2時間07分13秒  
ロペス(ポルトガル)     10000m 27分17秒48  マラソン2時間07分12秒
トレーシー(アイルランド)  10000m 27分48秒70  マラソン2時間09分15秒
スペディング(イギリス)   10000m 28分08秒12  マラソン2時間08分33秒
G・スミス(イギリス)    10000m 27分43秒76  マラソン2時間09分08秒
サラザール(アメリカ)    10000m 27分25秒61  マラソン2時間08分51秒
男子マラソン年度別 世界ランク1位 (1963−2006)

1963年 2時間14分18秒 エデレン(アメリカ)
1964年 2時間12分11秒2 アベベ(エチオピア)
1965年 2時間12分00秒 重松森雄(日本)
1966年 2時間13分45秒 ウッド(オーストラリア)
1967年 2時間09分36秒8 クレイトン(オーストラリア)
1968年 2時間10分47秒8 アドコックス(イギリス)
1969年 2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア)
1970年 2時間09分28秒 ヒル(イギリス)
1971年 2時間11分08秒8 クレイトン(オーストラリア)
1972年 2時間10分30秒 ショーター(アメリカ)
1973年 2時間11分12秒2 ファーリントン(オーストラリア)
1974年 2時間09分12秒 トンプソン(イギリス)
1975年 2時間09分55秒 ロジャース(アメリカ)
1976年 2時間09分55秒 チェルピンスキー(東ドイツ)
1977年 2時間10分55秒3 ロジャース(アメリカ)
1978年 2時間09分05秒6 宗茂(日本)
1979年 2時間09分27秒 ロジャース(アメリカ)
1980年 2時間09分01秒 ネイブール(オランダ)
1981年 2時間08分18秒 キャステラ(オーストラリア)
1982年 2時間08分51秒 サラザール(アメリカ)
1983年 2時間08分37秒 キャステラ(オーストラリア)
1984年 2時間08分05秒 Sジョーンズ(イギリス)
1985年 2時間07分12秒 ロペス(ポルトガル)
1986年 2時間07分35秒 児玉泰介(日本)
1987年 2時間08分18秒 中山竹通(日本)
1988年 2時間06分50秒 デンシモ(エチオピア)
1989年 2時間08分01秒 イカンガー(タンザニア)
1990年 2時間08分16秒 モネゲッティ(オーストラリア)
1991年 2時間08分53秒 森下広一(日本)
1992年 2時間08分07秒 タセベ(南アフリカ)
1993年 2時間08分51秒 セロン(メキシコ)
1994年 2時間07分15秒 デティ(ケニア)
1995年 2時間07分02秒 S・リリ(ケニア)
1996年 2時間08分25秒 フィス(スペイン)
1997年 2時間07分10秒 ハヌーシ(モロッコ)
1998年 2時間06分05秒 ダコスタ(ブラジル)
1999年 2時間05分42秒 ハヌーシ(モロッコ)
2000年 2時間06分36秒 ピント(ポルトガル)
2001年 2時間06分50秒 キプロノ(ケニア)
2002年 2時間05分38秒 ハヌーシ(アメリカ)
2003年 2時間04分55秒 テルガド(ケニア)
2004年 2時間06分14秒 リモ(ケニア)
2005年 2時間06分20秒 ゲブレシラシエ(エチオピア)
2006年 2時間05分56秒 ゲビレシラシエ(エチオピア)
油谷 繁(中国電力)マラソン全成績

@2.10.48 7位 2000年3月琵琶湖
A2.07.52 3位 2001年3月琵琶湖
B2.14.07 5位 2001年8月エドモントン世界陸上
C2.09.30 2位 2003年2月東京
D2.09.26 5位 2003年8月パリ世界陸上
E2.13.11 5位 2004年8月アテネ五輪
F2.14.49 13位 2006年4月ロンドン
G(途中棄権)     2007年2月東京
高岡寿成(鐘紡)マラソン全成績

@2.09.41 3位 2001年12月福岡国際
A2.06.16 3位 2002年10月シカゴ
B2.07.59 3位 2003年12月福岡国際
C2.07.50 3位 2004年10月シカゴ
D2.07.41 優勝 2005年2月東京国際
E2.11.53 4位 2005年8月ヘルシンキ世界陸上
F2.09.31 2位 2006年2月東京国際

いつも記録貼りは乙なのだが、
できればwikiなどでまとめサイトでも作った方がみんなわかりやすいと思う。

そうすればみんなで見れるし。
137ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/20(火) 20:24:43
優勝回数世界歴代十傑、日本十傑は?   
>>137
自分でやれ
139ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/20(火) 20:47:07
>>132
バルディーニの10000mのベストってご存知ないですか?
夏マラソンタイプとのイメージですが、マラソンベストは 2.07.29。

元は10000mの選手とありますが、ベストはどのくらいだったんだろうと思いまして。。。
140ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/20(火) 20:48:33
>>113

良い!
141ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/20(火) 20:48:39
元は一万ってそりゃ誰でもそうだろw
トラックもやらずにいきなりマラソン走るわけがない
142ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/20(火) 20:51:01
3000 Metres 7:43.14 Bellinzona 12 07 1996

5000 Metres 13:23.43 Roma 05 06 1996

10,000 Metres 27:43.98 Bratislava 29 05 1996

12 Kilometres 33:17 Catania 31 01 2001

Half Marathon 1:00:50 Malmo 12 06 2000

30 Kilometres 1:29:59 London 14 04 2002

Marathon 2:07:22 London 23 04 2006

143ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/20(火) 20:55:50
実は五輪や世陸の上位入賞者で高岡よりトラックが速いのは数えるほどしかいない
まあチョンやワイナイナでも勝てる糞レースだから当然といえば当然だが
http://www.iaaf.org/WCH05/results/gender=M/discipline=MAR/combCode=hash/roundCode=f/index.html
>>143 こっちも炎上させようとするのか?無視無視....
145ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/20(火) 21:03:56
>>142
dクス。

27'43 かぁ。
やっぱこのくらいの基本スペックは求められるんですね。
ただ、日本人でも全然手が届かないラインではないのは救いですね。

>>141
すみません。言葉足らずだったかも。
確かに誰でも距離はだんだん伸ばしていくものですが、

@とりあえずトラックに専念して、
 世陸や五輪もトラック競技での出場実績があるような選手
A世間に名が知れる頃にはもうマラソンやってるような選手

の@という意味です。
146ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/20(火) 21:08:01
>>145の補足
バルディーニはアトランタはトラック種目で出場と聞きました。
147ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/20(火) 21:29:59
>>131
月別日本最高なら1月、6月、7月とかには意外なランナーが記録を保持しているかも!? 
148ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/20(火) 21:33:11
>>131
G・タイスの早春男ぶりが目立つね。 
福岡国際が世界で名を馳せた老舗大会であり続けた理由として、第1回大会(1966)で
ニュージーランドのライアンが2時間14分04秒4で優勝。この記録が66年度世界2位を記録。
そこから19回大会で中山竹通が2時間10分00秒で優勝し、84年度世界8位を記録するまで、
19年間、かならず福岡国際で記録されたものは年度世界10傑内に記録された。近年、他のどんな大会より
長い継続記録であろう。
その後の85年以降は23年間で延べ6回(昨年のゲブレシラシエのタイムは10傑以内だが、
彼自身アムステルダムの記録でランクイン。これを含めると7回)となる。
近年は苦戦が続く福岡のデータとなっている。
150ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/20(火) 22:47:33
>>149
あと、やっぱ参加標準記録ですよね。
2時間27分以内という世界最高のレベルだったことも
福岡のブランドを上げた要因のひとつかと思います。
151ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/20(火) 23:06:02
昔はニューヨークもシカゴも無かったから世界の強豪が福岡に参加しやすかった。
>>149-151

福岡国際誕生の豆知識として

いきさつは昭和41年8月にハンガリーのプラハで陸連の
総会が開かれる。その時、マラソンの世界選手権を作るという
議題が持ち上がる。これは日本陸連のメンバーが提案したもの。
強国・日本マラソンを維持しより強化させるために世界で戦う
舞台を多く作りたかったからである。
しかし五輪の中間年に開催するのは非常に難しいという結論になる。
そこで日本から参加したメンバーは、欧州選手権のマラソンに
オープン参加でアジア勢(自国・日本だが)を参加できないかと提案した。
オープン参加の問題は全会一致で否決。
そこで世界選手権マラソンを日本が率先して実施できないかと再度提案する。
世界選手権を当時の陸上36種目の中で、単独に作ることは
許すわけにはいかないエクゼダー陸連会長(当時)は、
そのかわり世界にオープンする大会と名つけて
「第一回オープン マラソン チャンピオンズシップ」を
日本で開催なら良いと、それならIAAFも
協力するということで話は進む。
日本陸連が申し入れた世界選手権マラソンではないが、世界に
オープンするところのマラソン選手権であればよろしいということ
になり、IAAF秘書のペイン氏(当時)にはIAAFの意向を回答
約束をして関係者は日本に帰国する。
 ペイン氏からの伝えられた評議会の回答は、「第1回 Open
Marathon Championship」を日本語で
オープンマラソンというと非常に弱くなる。外国で言えば、
これは世界にオープンしているわけだから非常に強い形になるので
あるが、日本では弱い名称になるので「第1回国際マラソン選手権」
と日本語表記、横文字で「00杯 第1回 Open Marathon Championship」
という形なら良いだろうと回答をもらう。
日本陸連は承諾する。
開催時期は国際選手権という名称をもらった以上、なるべく年末に、年度の
締めくくりをするビックイベントとして、
2月の別府、4月のボストン、6月のウインザー、8月のアテネ、10月の
コシチェ、オランダなどの優勝者を集めて、その年度の最高優勝者を決める
のがこの大会には良いのではないかという形になる。そして五輪終了後は
その大会で入賞したランナーも対象となった。
そんな中、日本での2つの大きな大会(朝日、毎日)マラソンがピックアップ
される。朝日、毎日の両新聞社には大変援助を受けていたためである。
朝日マラソンが毎年11月から12月開催ということもあり、
金栗賞朝日マラソンを発展させてはどうかという意見で落ち着いた。
昭和41年9月18日開催の本連盟理事会で本年(1966年)11月27日に
行う第20回朝日国際マラソンを発展的解消して、第1回Open Marathon
Championship −第1回国際マラソン選手権大会として開催することが
正式に決定した。

福岡国際マラソン 歴代20傑

1 2°06′51″ 藤田 敦史 (富士通) 第54回 2000  1位
2 2°06′52″ ゲブレシラシエ (エチオピア) 第60回 2006  1位
3 2°07′15″ バラノフスキー (ウクライナ) 第60回 2006  2位
4 2°07′19″ ガリブ (モロッコ) 第60回 2006  3位
5 2°07′28″ チュグワネ (南アフリカ) 第51回 1997  1位
6 2°07′52″ 国近 友昭 (エスビー食品) 第57回 2003  1位
7 2°07′54″ アベラ (エチオピア) 第53回 1999  1位
8 2°07′55″ ウアーディ (フランス) 第53回 1999  2位
9 2°07′55″ 諏訪 利成 (日清食品) 第57回 2003  2位
10 2°07′59″高岡 寿成 (カネボウ) 第57回 2003  3位
11 2°08′07″早田 俊幸 (アラコ) 第51回 1997  2位
12 2°08′10″ペーニャ (スペイン) 第57回 2003  4位
13 2°08′18"ド・キャステラ(オーストラリア) 第35回 1981  1位
14 2°08′18″中山 竹通 (ダイエー) 第41回 1987  1位
15 2°08′21″ヌグセ (エチオピア) 第57回 2003  5位
16 2°08′29″バラノフスキー (ウクライナ) 第59回 2005  1位
17 2°08′37″尾方 剛 (中国電力) 第57回 2003  6位
18 2°08′40″デリマ     (ブラジル)  第53回 1999  3位
19 2°08′42″カビガ     (ケニア)   第52回 1998  1位
20 2°08′47″佐保  希   (旭化成)   第51回 1997  3位

  ※2006年12月3日現在
154ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 00:08:26
>>152
競馬の有馬記念みたいな話だな。 
155ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 00:10:26
>>113
あとアジリティ
クイックネス
タフネス
コミュニケーション
探求
多角的かつひろい視野
ダークネス
ブライトネス
ロンリネス
テンダネス
>>152
発祥当時は海外招待も世界歴代10傑出しても招待されないで
自費参加もあったらしいからな。
>>149
19回大会といえば雁ノ巣折り返し最後の大会だな。
ということは初期の福岡旧コース時は全部ランクされてたわけか。
和白丘折り返し(85年)になってから新大会になった感じもするし、
NHK放送でなくなってからはさらに威厳がなくなった感じがするんだよなぁ。
158ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 00:36:16
福岡の復権が日本男子マラソンの再興の鍵だと思います。   
159ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 00:42:05
そんな固定観念すてようよぅ
160ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 00:44:52
>>156 1969年のドレイトンがその例。この年デトロイトのマラソンで好記録を
出していたが招待されなかった。それに発奮して一般参加でありながら雨中を
独走。何時か落ちるだろうという後続の期待をよそにそのままゴール。

>>157 民放が絡むとろくなことがない。福岡が終わった後、ラグビーの早明戦
を共にNHKが放送していた頃はよかったが人気が出た後放送権を買い取った民放
が全てを台無しにしている。
【男子マラソン日本歴代10傑】

@2:06:16 高岡 寿成 カネボウ 3位 シカゴ 2002.10.13
A2:06:51 藤田 敦史 富士通 優勝 福岡国際 2000.12.03
B2:06:57 犬伏 孝行 大塚製薬 2位 ベルリン 1999.09.26
C2:07:35 児玉 泰介 旭化成 優勝 北京 1986.10.19
D2:07:40 谷口 浩美 旭化成 2位 北京 1988.10.16
E2:07:52 油谷  繁 中国電力 3位びわ湖毎日 2001.03.05
F2:07:52 国近 友昭 エスビー食品 優勝 福岡国際 2003.12.07
G2:07:55 諏訪 利成 日清食品 2位 福岡国際 2003.12.07
H2:07:57 伊藤 国光 カネボウ 2位 北京 1986.10.19
I2:07:59 森下 由輝 旭化成 4位 びわ湖毎日 2001.03.05
藤田敦史(駒大ー富士通) マラソン全成績

1、2位 2時間10分07秒 1999びわ湖毎日 (学生日本記録)
2、6位 2時間15分45秒 1999セビリア世界陸上
3、優勝 2時間06分51秒 2000福岡国際  (日本記録)
4、12位 2時間18分23秒 2001エドモントン世界陸上 
5、優勝 2時間11分22秒 2002東亜国際 
6、10位 2時間12分30秒 2005びわ湖毎日
7、3位 2時間09分48秒 2005福岡国際
8、8位 2時間11分50秒 2006福岡国際
9、優勝 2時間10分23秒 2007別府大分
日本記録の変遷
  2時間26分42秒  孫 基禎(養正高普)    35年11月神宮
  2時間26分32秒  広島庫夫(旭化成)     55年5月大阪
  2時間23分51秒  広島庫夫(旭化成)     55年12月平和台
  2時間21分40秒  広島庫夫(旭化成)     57年12月平和台
  2時間20分42秒  中尾隆行(中京大)     60年12月福岡
  2時間18分54秒  中尾隆行(中京大)     61年3月名古屋
  2時間18分52秒  中尾隆行(東 急)     62年10月オーク
  2時間16分18秒4 寺沢 徹(倉 レ)     62年12月福岡
  2時間15分15秒8 寺沢 徹(倉 レ)     63年2月別府  
  2時間12分00秒0 重松森雄 (福岡大)     65年6月ウィンザー
  2時間11分17秒0 佐々木精一郎 (九州電工)  67年12月福岡
  2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)  70年12月福岡
  2時間09分05秒6 宗 茂  (旭化成)     78年2月別大
  2時間08分38秒  瀬古利彦 (SB食品)     83年2月東京
  2時間08分15秒  中山竹通 (ダイエー)    85年4月ワールドカップ
  2時間07分35秒  児玉泰介 (旭化成)     86年10月北京
  2時間06分57秒  犬伏孝行 (大塚製薬)    99年9月ベルリン
  2時間06分51秒  藤田敦之 (富士通)     00年12月福岡
  2時間06分16秒  高岡寿成 (鐘紡)      02年10月シカゴ 

164ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 01:00:39
おいおいデータをたは本で出してもうけろ
165ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 02:42:38
第4回大会まで英連邦諸国の選手が(福岡)国際マラソンを制してきた。
1969年の第4回大会もカナダのジェローム・ドレイトンが世界歴代で5番目
の好記録2:11:12.8で制したばかりか彼は歴史上類を見ない程印象的な
独走で大会を制した。その結果世界歴代3位の好記録をものにしている。
因みにこの記録より好記録はクレイトンとアドコックスが2回づつ記録
している。

1969には最速の名に相応しいランナー達がいた。まず4月6日の250mの高低差
を含むアテネマラソンでは前年の福岡を制したビル・アドコックスが
当時として史上3番目の好タイム2:11:07.2を出した. それから5月30日
にはベルギーのアントワープで史上初めてのサブ10(2:09:36:4)を1967
年の福岡で記録したデレク・クレイトンが彼の世界最高記録を1分以上
更新し2:08:33.6を記録した. この記録は(結果として)1981年の福岡で
ド・キャステラ が2:08:18を記録する迄世界記録として残った.

クレイトンとアドコックスは招待されなかったものの福岡の主催者は
非常に強力なランナー達を招いた. リストのトップには前年のオリンピック
チャンピオンであるマモ・ウォルデが挙がる. 続いて当年のメジャーマラソンを
制したランナーとしてその年のヨーロッパ選手権者であるロン・ヒルと当年
ボストンを制した采谷義秋が招待された. しかし1969年のデトロイトでの
モーターシティーマラソンを当年ランキング3位であり、歴代でも5位に
あたる2:12:00で制したドレイトンは招待されなかった. 彼は福岡までの
旅費を支払ってくれるスポンサーを見つける必要があり,このことを見返す
ために難しい条件でも走る理由になったかもしれない.
166ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 02:45:07
ドレイトンの旅費は結局カナダ政府によって支払われ試合2日前の12月5日に
福岡に到着した. 「ランキング3位なのに招待されなかった. 明日は勝ちます」
と試合前日のインタビューで彼は語った.

ウクライナ人を両親に持つドレイトンはドイツで生まれ1958にカナダへ
移住した. 10年後、彼はカナダ代表としてメキシコオリンピックで走ったが
20km付近で棄権した. しかしジェローム・ドレイトンという名前はメキシコオリンピック
の記録には残っていない. というのは彼は昔の名前であるピーター・ビニャックで出場した
からである. 五輪後の1969年3月に彼は名前をジェローム・ドレイトンに変えている.
「10際だった頃からビニィヤックという名前は嫌いだった」とドレイトンは語った.
「だからメキシコ五輪後, すきな名前をヨーロッパの電話帳から探した. その結果
ジェローム・ドレイトンという名前を見つけて採用したのさ. 名前を変えたとたん
レースに勝ち始めた」と名前を変えた経緯をドレイトンは説明してくれた.
しかし疑問は残る. 東京五輪のメダリストであるカナダのスプリンター、
ハリー・ジェームズとアメリカのスプリンターポール・ドレイトンの名前
は偶然の一致なのだろうか?

采谷義秋はこの年の日本のトップランナーと考えられていた. また宇佐美が
1969年5月30日にアントワープでクレイトンについで2位でゴールしたとき
歴代2位の2:11:27.8を記録していた. このレースでの他の日本人有力選手
として佐々木精一郎と上岡忠明が挙げられた. しかし日本で最も成功した
ランナーであり五輪で8位、銀(そしてミュンヘンで5位)になった君原健二
左ひざの故障のため欠場した. 彼は「福岡マラソンを走ったことがなかった
ので今年は是非走りたかった」と語った. その他の主な欠場者は東京代表の
寺沢徹と元世界記録保持者の重松森雄だった.
167ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 02:46:24
レース当日福岡国際マラソンの歴史上はじめての雨だった. 今までのレースは
天候に恵まれていた. 実際、朝日国際マラソンの時代に遡っても雨はここ15年で初めて
のことであった.

降りしきる雨の中レースは開始されたと同時にドレイトンはただちにリードした.
彼は平和台競技場で集団を率いて5kmを15:11で通過するときには集団を4秒リード
した. 集団ではお互いけん制している間にドレイトンは更に引き離しにかかった.
集団は10kmで21秒遅れたが,十分速いペースと言えた.
最初に集団から脱落したのは前年に2位の采谷だった. 彼は結局2:22:28.4の記録で
29位だった. 他の日本人有力選手である日本記録保持者の佐々木や前年3位の
上岡も不調に見え、まもなく脱落しそれぞれ36位、50位に終わった.

ドレイトンはペースを保ちハーフを1:05:08で通過するときは集団に31秒もの
リードをつけた. おそらく集団の選手は彼は招待選手でないので何れ集団に
吸収されるだろうと期待していたのだろう. このような状態がハーフまで続き
10人のランナー、ロン・ヒル、パブロ・ガリド、ケニス・ムーア, ジェフ・ジュリアン,
金之光則、佐々木敏治、宇佐美彰朗, 谷村隼美、吉田昭雄、藤田國男が集団にいた.
しかし数キロ後にはヒル、ガリド、金之、佐々木、谷村の5人になり
ドレイトンを追うためにペースを上げた (20kmから25kmは15:22) . しかし
ドレイトンはその間15:15で走ったためにさらに差は開いた.

30kmで谷村は果敢に動いた; 彼は集団を抜け出しドレイトンを追った.
谷村はヒル、ガリド、佐々木に35kmで15秒の差をつけたがドレイトンには
まだ50秒遅れていた. 30km過ぎてからドレイトンは後方を見続けたが
集団は見えなかった. その間に五輪チャンピオンのマモは冷たい雨の
中、脚の故障で30kmで棄権した.
168ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 02:48:31
ついに35km過ぎで, レース前の有力選手であったヒルは(後に判断の
誤りを認めた)集団を抜け、ドレイトンと谷村を追い始めた。
ヒルは40kmまでに谷村においついたものの,その時点で59秒も前にいた
ドレイトンに追いつくには遅すぎた. ヒルとドレイトンが競技場に入った
ときヒルは引き離して谷村に9秒先着してゴールした. しかし勝ったのは
最初から最後までレースをリードしたドレイトンであった. 日本の新聞は
東京五輪以来の最も印象的なレースと書きたてた.

10位以内に入った全員がベスト記録を更新した. このことは冷たい雨が
降りしきる悪条件では驚異的なことであった. また歴代10傑を大きく書き換えた.
ドレイトンは生涯最高の勝利を記した電報をトロントの両親に送った.

レース後のインタビューで「寒かったがいい感じだったので11分か12
分では走れると思った」とドレイトンは答えた.レースの戦術について
聴かれたとき「ああ、私は最初からリードするつもりだった」と答えた.

ヒルにとっても1969年はブレークスルーの年だった. この年の福岡前に
英国選手権と欧州選手権を取っていた. 翌年、彼はコースレコードの
2:10:30でボストンを勝ち, 続いてエディンバラの英連邦も金メダルだった.
日本人1位の谷村は寺沢のコーチを受け1968年福岡での自己記録2:16:42を
4分半以上も縮め歴代8位になった.

Track & Field Newsの年間ランキングではまたしても福岡の重要度を
知らしめた. 4年続けてランキングトップは福岡の優勝者であった,
また2位のヒルも2位にランクされた.

12月 7, 1969, 雨 15C, 湿度 95 %

1) Jerome Drayton (CAN) 2:11:12.8
2) Ron Hill (GBR) 2:11:54.4
3) Hayami Tanimura 2:12.03.4
4) Pablo Garrido (MEX) 2:12:52.8
5) Toshiharu Sasaki 2:13:06.4
6) Akio Yoshida 2:13:21.0
7) Kenny Moore (USA) 2:13:27.8
8) Jeff Julian (NZL) 2:14:38.0
9) Kunio Fujita 2:15:22.4
10) Mitsunori Kaneyuki 2:15:37.2
...
14) Akio Usami 2:18:33.2
...
29) Yoshiaki Unetani 2:22:28.4
...
36) Sei-ichiro Sasaki 2:23:54.2
...
50) Tadaaki Ueoka 2:27:15.0
...
Mamo Wolde (ETH) DNF

169ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 03:01:40
ねぇ、出版してって
170ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 04:07:24
売れる自信ないの?
面倒くさがりなの?
アブラ本でも出してろ
>>165-168
詳細なレース内容乙。
ドレイトンは雨の中、快走していたので「雨のドレイトン」なんて云われていた。
1975年の福岡も豪州のチェトルと競って2時間10分08秒4で制した時も雨。
残念だったのはその得意の雨の中、開催された、地元モントリオール五輪。雨模様で地元とくればカナダ国民はドレイトンの
優勝を疑わなかったが、2週間前に引いた風邪の影響もあり6位入賞がやっと。
地元放送局も中継中はドレイトンをマークする映像となった。

その雨男ドレイトンが快晴でも快勝したのが同年の76年福岡国際。
サングラス姿で疾走したドレイトンは優勝候補の一人、トンプソンを寄せ付けず優勝。
タイムは2時間12分35秒と自己記録には及ばなかったものの福岡三回目の優勝となった。
条件の厳しい時代の福岡を複数勝ったのはショーター、瀬古の大会最高回数の2人に続き、3回は現代でも
3位にランクされている。
>>165
ドレイトンは懐かしいな。
この国際の時は2度目の来日。69年9月の太平洋五ケ国国際陸上(東京・国立)
が初来日。この時は1万m6位の記録が残っている。この年はカナダ選手権の1万mに優勝していてスピードには
磨きがかかっていた時期。マラソンはメキシコ五輪など2年のキャリアながら>>165氏のいう69年10月に開催した
デトロイトモーター・シティマラソンを2゚12'00"の世界歴代6位で優勝していた。この時の天候も雨。まだこの時は24歳の新鋭だった。
174ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 13:59:05
>>113
あとアジリティ
クイックネス
タフネス
コミュニケーション
探求
多角的かつひろい視野
ダークネス
ブライトネス
ロンリネス
テンダネス
175ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 14:17:09
サンスポっ 2月19日(愛知製鋼・中山竹通)
選手には、条件的に非常に悪かったのが不運でした。佐藤君は最後に粘りを
見せて世界選手権の有力候補になったと思いますが、私はそれ以上に昨今の
男子マラソンの駒不足に危機感を抱いています。
スタートからペースは決して速いものではありませんでした。にもかかわらず
日本選手は(先頭集団から)次々と消えていったのです。逆に今回のジェンガ君
のようにケニア勢は途中から一気にペースを上げ、それについていけなかった。
 ケニア勢はスピード練習を積み、1万mなどのトラック競技に強いんです。
日本勢はそのスピードの変化にパッと対応できない。今後はトラックで行うような
スピード練習がより一層、必要になると思います。
選手を取り巻く環境も岐路にたっているのではないでしょうか。日本ではどうしても
企業色が強くなり、個人競技より駅伝などの団体種目に強化が偏りがちです。
チーム内の選手強化のあり方と並行して選考レースを海外大会まで広げたり、
秋から冬に駅伝やマラソンが集中する現状の年間スケジュールなど、陸連も
再考の時期にきていると思います。
176ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 14:26:41
ポール テルガト さん
中山竹通 さん
を目指せ
喜多健一
177ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 14:41:51
>>172

>>その雨男ドレイトンが快晴でも快勝したのが同年の76年福岡国際。

 この中継中にアナか解説者かが「雨のドレイトン、今日はドライトンですね」
と言ったのが妙に記憶に残ってるんだが、誰に言ってもネタ扱いされる・・・orz
どうでもいいことだが。
>>176
76年福岡はマラソン2回目で一般参加の伊藤国光が終始レースメイクした大会だった。
あとは当時の福岡伝統の五輪優勝を招待。ワルデマル・チェルピンスキーが初来日だった。
179ゼッケン774さん@ラストコール :2007/02/21(水) 20:28:28
>>165-168、169

出版なんかできるわけない。これIAAFのサイトに出ていたコラムのパクリじゃないか。まあ、元の英文を翻訳した努力は認めるけどさ。

冷やかしてるだけだからマジメに相手せんでよろしい
181ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/21(水) 21:16:17
訳してくれるのはありがたいです。
モントリオール五輪の直前予想はアメリカのフランク・ショーターが
ミュンヘンに続き、五輪2連覇なるかどうかが最大のポイントになった。
ボルダーでの高地トレーニングも順調にこなし、体調は万全。
優勝候補1番手に挙がる。2番手は地元、カナダのドレイトン。
地の利と前年、福岡国際で優勝したのが決め手。
3番手以降はその福岡で上位に入ったチェトル(豪州)、ロジャース(アメリカ)
チンドロ(イタリア)も候補に。
またソ連の3人が揃って12分台を記録(ゴトスキー。モセーエフ、ベリコロドニチ)
し、要注意。またスピードランナーのチェルピンスキー(東ドイツ)、ヘルメンス(オランダ)
ファバ(イタリア)はハイペースになったら上位に上がると予想。
最大の穴場はビレン(フィンランド)。同大会5千、1万を制し、初めてマラソンに
エントリー。未知数だが勢いとスピードで優勝の可能性もある。
またコロンビアのサモラも注意。サモラは元々ロードランナーだったが
昨年からトラックに専念し、1万を27分55秒で走るまでになっている。
ミュンヘン五輪銀メダリストのリスモン(ベルギー)は体調を壊しているという
噂。どこまで回復しているかが鍵となる。
日本勢の宇佐美彰朗、水上則安、宗茂は入賞も厳しいと予想。
昨年のプレ五輪のように気温30度を超えれば優勝の水上にも目があるが、
予報では曇りから雨模様。そうなるとスローペースならば3人には上位
進出の期待が出てくる。といった予想になっていた。

チェルピンスキーはまったくの無名ではなく、この年の東ドイツ選考会で
日本でも名を知られたレッセに勝ち、2時間12分22秒の今季5位相当
のタイムで優勝していた。レッセは選考漏れ。東ドイツ唯一の代表選手だった。
東ドイツがモントリオールに一人しか派遣しなかった理由としてあまりマラソン
に期待していなかった節もあった。

またヘルメンス(オランダ)はこのとき、マラソンにエントリー。モントリオール五輪の
マラソンを走っている。
また直前エントリーでは1万mで2位に入ったカルロス・ロペス(ポルトガル)
の名前も。ビレン同様、初マラソンを五輪で走る予定だったが体調不良で
欠場している。
モントリオール五輪  マラソンレース展開

気温23度 小雨  66人がエントリー

スタートして最初の5kmはショーター、ロジャース(アメリカ)、チェルピンスキーらが
15分19秒で通過。すでに5kmの段階で宇佐美彰朗が集団から後退。重い足取り。
10kmまでは若手のロジャースがショーターを護衛をするかのように前に出てくる。
宗茂、水上則安は集団の後方。次第に水上が集団から離されていく。
15kmで唯一、日本選手で集団にいた宗茂も後退。日本勢は絶望的な状態になる。
18km、閑静な住宅街を縫って右に曲がるとセント・ローレンス河に出る。
その河を沿って走る。集団は約10人。ショーター、チェルピンスキー、ロジャースの
他には地元期待のドレイトン(カナダ)、リスモン(ベルギー)、ビレン(フィンランド)
アジア勢で一人残ったシン(インド)らがいる。
すでに宗茂は先頭から50m遅れ。その茂から30秒遅れで宇佐美、さらに30秒で水上
となっている。
ドレイトンが先頭にでて集団をリード。

25kmで集団は7人。ショーターが先頭。シン、ビレン、ロジャース、ドレイトンらが
続くがアメリカのカードングが100m遅れ。リスモンは300m遅れになっている。
その直後、チェルピンスキーがペースアップ。ショーターが続く。
シン(インド)、ドレイトン(カナダ)が10m間隔で追いかけるが、ビレン(フィンランド)
ロジャース(アメリカ)はついに後退。
やがて2人のマッチレースになり、ショーターがスパート。明らかにチェルピンスキーを
引き離して独走状態に持ち込みたい印象。しかしチェルピンスキーは離れず併走。
逆に28.4kmでチェルピンスキーが前に出る。

1度ショーターは離れたが、すぐに追いつく。今までショーターのスパートに
ついてきたランナーはいなかっただけにショーターには苛立ちが見える。
31kmではチェルピンスキーと併走で左手がぶつかるので、もう少し横に
離れて欲しいとショーターが合図する。
そのあと、32kmの上り坂、チェルピンスキーが再度スパート。
ショーターの体はこわばりリズムが悪い。対応が出来ない。ピッチが鈍り始める。
35kmではその差13秒。チェルピンスキーの独走状態になった。

後続はカードング(アメリカ)が後方からドレイトン、ロジャース、ビレン、
シンらを捕らえ3位に浮上。そのすぐ後ろにリスモン(ベルギー)が追走。
リスモンの追い上げの方が急で40km過ぎにカードングを捕まえ3位が入れ替わった。

スタジアムの電光掲示板には1位チェルピンスキー、2位ショーターの順で
途中経過が発表。大観衆が意外な順位でどよめきが起こった。

オリンピックスタジアムに1位で登場したチェルピンスキーは4コーナーから
入りそのままゴールするはずが、係員の手違いでもう一周してしまう。
半周走ったところに苦痛をゆがめたショーターが入ってくる。先にゴールして
チェルピンスキーを迎え入れた。間違いに気づいたチェルピンスキーは
ようやく喜びを表現した。
優勝タイムは2時間09分55秒0。人類5回目のサブテンを記録し世界歴代
4位に入る好タイムのオリンピックレコードになった。
ショーター、リスモンが2,3位でゴール。2人はミュンヘンに続く連続メダルと
なる。日本勢は宗茂の20位が最高。21位水上、32位宇佐美とまったく
歯が立たない結果となった。
モントリオール五輪(1976年7月31日)

男子マラソン 結果

1、2時間09分55秒0 チェルピンスキー(東ドイツ)五輪新
2、2時間10分45秒8 ショーター(アメリカ)五輪新
3、2時間11分12秒6 リスモン(ベルギー)五輪新
4、2時間11分15秒8 カードング(アメリカ)五輪新
5、2時間13分10秒8 ビレン(フィンランド)
6、2時間13分30秒0 ドレイトン(カナダ)

7、2時間13分33秒4 モセーエフ(ソビエト)
8、2時間14分24秒6 ファバ(イタリア)
9、2時間15分34秒0 ゴトスキー(ソビエト)
10、2時間15分52秒4 ショーフス(ベルギー)
11、2時間16分22秒0 シン(インド)
12、2時間16分33秒2 チャン・ソプ・チョウ(北朝鮮)
13、2時間16分56秒4 マグナニ(イタリア)
14、2時間17分39秒6 ベントソン(スウェーデン)
15、2時間17分43秒4 オルゼル(ポーランド)
16、2時間17分50秒6 スピック(フィンランド)
17、2時間17分53秒4 フォスター(ニュージーランド)
18、2時間18分08秒8 ゴメス(メキシコ)
19、2時間18分21秒2 デサルト(ハイチ)
20、2時間18分26秒0 宗茂(日本)


主な順位

21、2時間18分44秒2 水上則安(日本)
25、2時間19分48秒2 ヘルメンス(オランダ)
32、2時間22分29秒6 宇佐美彰朗(日本)
40、2時間25分14秒8 ロジャース(アメリカ)

途中棄権
チェトル(オーストラリア)
サモラ(コロンビア)
ライアン(ニュージーランド)
1976年 モントリオール五輪 男子マラソン

優勝 チェルピンスキー(東ドイツ) ラップタイム

5km 15.19
10km 30.50(15.31)
15km 46.00(15.10)
20km 1.01.24(15.24)
25km 1.16.36(15.12)
30km 1.32.08(15.32)
35km 1.47.24(15.16)
40km 2.03.12(15.48)
2.195km(6.43.0)

ゴール 2時間09分55秒0 (五輪新記録 世界歴代4位)


2位 ショーター(アメリカ) ラップタイム

5km 15.19
10km 30.49(15.30)
15km 46.00(15.11)
20km 1.01.24(15.24)
25km 1.16.35(15.11)
30km 1.32.08(15.33)
35km 1.47.37(15.29)
40km 2.03.44(16.07)
2.195km (7.01.8)

ゴール 2時間10分45秒8


>>123
1996年ランキングの慶州は東亜マラソンのことですね。
東亜マラソンは韓国の慶州実施。
このレースは韓国のアトランタ五輪選考レース。
注目は前回のバルセロナで金を獲得した黄永祚。
しかしこのころは足の怪我もあり、この選考会も
27km地点で右足に痙攣を起こす。
結局、29位。2時間25分45秒で大惨敗。
コノレースで優勝したのがフィス(スペイン)、
2位に入ったのが、アトランタで銀を獲得する
李鳳柱(韓国)。
1976年12月31日まで

男子マラソン 世界歴代10傑

1、2.08.33.6 クレイトン(オーストラリア)1969
2、2.09.12.0 トンプソン(イギリス)   1974
3、2.09.28.0 ヒル(イギリス)      1970
4、2.09.55.0 ロジャース(アメリカ)   1975
4、2.09.55.0 チェルピンスキー(東ドイツ)1976
6、2.10.08.4 ドレイトン(カナダ)    1975
7、2.10.20.0 チェトル(オーストラリア) 1975
8、2.10.30.0 ショーター(アメリカ)   1972
9、2.10.37.8 宇佐美彰朗(日本)     1970
10、2.10.47.8 アドコックス(イギリス)  1968
>>182-185

レース展開乙。
敗れたといえショーターのタイムもほぼ自己ベストに近いものだったんだよな。
チェルピンスキーは前レスで1万を28分28秒のトラック記録を持っている
のが出ていたが元々は3000障害のランナー。しかし自己ベストが8分33秒
だから当時としても速い部類には入らない。
この76年前後から急激に力を付けてきたと思われる。
ビレンはこの大会で血液ドーピングの噂が絶えなかったが、このときのチェルピンスキー
レベルでドーピングがあったか、東ドイツが本命でもないものに実施したかは難しいね。
モスクワの瀬古同様、チェルピンスキーはモントリオールではかなり勢いがあったことは
事実だろうね。
>>184
インドが11位ってこれは五輪マラソンで今もインド最高順位じゃないか?
昔、福岡でスリランカのローザが2時間14分台で走ったが今でも
スリランカ記録だと思う。
70 :ゼッケン774さん@ラストコール :2006/11/25(土) 23:09:58
瀬古.宗兄弟不参加

第22回(1980年) モスクワ五輪男子マラソン レース展開

(コース内容)
レーニン中央競技場を出てすぐモスクワ川左岸の川岸通りを川下へ走る。
赤の広場の南端にある聖ワシリー寺院の前で川を渡る。
対岸の出て、今度は川上へさかのぼり野外劇場や観覧車のある文化公園の中
の森陰のゆるい上がり坂を通ってキエフ駅の折り返し地点へ。

樹木の多い静かなコースではあるが、変化に乏しいコース。しかしアップダウン
がわずか10mの平坦コース。
オリンピック屈指のきわめて走りやすいコースになっている。

 1980年8月1日 午後5時16分スタート  37カ国 72人が参加

気温23度 湿度40% 快晴

スタートー 5月のソビエト国内予選で優勝したコトフ(ソビエト)を先頭に
      一団でレーニンスタジアムを後にする。
5km− モスクワ川を右に見て、東に向かって坂を登る。
     ラウエンブルク(デンマーク)を先頭に15分48秒。そのすぐあとに
     大集団が続く。
8.5km− 集団がラウエンブルクを取れえる。
15km− 先頭集団は約20人。 コトフ、モセーエフ(ソビエト)、ビレン(フィンランド)
      コウシス(ギリシャ)、アレマエフ(エチオピア)らが互いを牽制した走り。
折り返しー キエフ駅でコトフがやや飛び出した。
20km− コトフを先頭に ズマナザロフ(ソビエト)、コウシス、ビレン、モセーエフ
      ゴメス(メキシコ)、ネイブール(オランダ)らが集団で通過。
      1時間3分42秒でプレ五輪より約20秒早いラップに。
24km− ゴメスが果敢に飛び出す。集団に50mの差をつける。
      後続集団は7人。チェルピンスキー(東ドイツ)、ビレン、モセーエフ、マグナニ
      ズマナザロフ、ネイブール、ネディ
30km過ぎー ゴメスのペースが鈍り始める。
        後続のネイブール、コトフ、チェルピンスキーらがその差を
        20mとつめてきた。
35km−クレムリンの赤い壁を見る地点。
     先行するゴメスをネイブールが捕らえトップに立つ。
     チェルピンスキーとネイブールの2人がゴメスを交わして
     2人の争いに。
     しかしその後、チェルピンスキーがするすると先頭を奪うと
     ネイブールにじりじりと差を広げはじめる。
40km− 2位に上がってきたズマナザロフに100m引き離す。
      このあたりからチェルピンスキーが独走態勢。
チェルピンスキーのリズミカルな走法が冴え渡る。モントリオールで見せた
後半の走りを再現。少しも崩れぬフォームでレーニンスタジアムに帰ってくる。

ゴールー 2時間11分03秒 五輪史上、アベベに続く2連覇を達成。




71 :ゼッケン774さん@ラストコール :2006/11/25(土) 23:11:54


第22回(1980年) モスクワ五輪マラソン成績


1、チェルピンスキ−(東ドイツ)  2.11.03
2、ネイプ−ル(オランダ)     2.11.20
3、ズマナザロフ(ソビエト)    2.11.35
4、コトフ(ソビエト)       2.12.05
5、モセーエフ(ソビエト)     2.12.14
6、ゴメス(メキシコ)       2.12.39
7、ネディ(エチオピア)      2.12.44
8、マグナニ(イタリア)      2.13.12
9、リスモン(ベルギー)      2.13.27
10、ド・キャステラ(オーストラリア)2.14.31
モスクワはチェルピンスキーが連覇したが、彼ほど福岡を活用した選手はいない。
11,12,13,14,15,16回大会と連続5回出場したが結果は
モスクワの前年まで3位、32位、途中棄権と不振を強く印象づけた。
「チェルピンスキーは過去の人」という声が多く、アベベ(エチオピア)に
続く五輪2連覇実現は意外だった。
チェルピンンスキーは「私にとって一番集中しなければいけないのは4年に
1度だ」と五輪一本槍を強調していた。
世界の強豪が集まる福岡は、勝つためではなく、世界のマラソンの流れを
つかみ、自分の調整の目安にしていたらしい。
193ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/22(木) 07:32:20
記録で勝てない
高岡>藤田>犬伏>油谷>>>>>>世界の厚い壁>>>>>瀬古(2:08:27)

自慢(笑)の勝負にも勝てない
谷口>>>森下>>>尾方>>>佐藤信之>>>中山>>>油谷>>>>>世界の厚い壁>>>>>瀬古(ロス五輪14位 ソウル五輪9位)

瀬古さんってたいしたことないんだね。
194ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/22(木) 10:30:07
>>193
自慢なら世界陸上(金)の谷口より、五輪(銀)の森下のほうが上だろう。だから森下>>>谷口。

ただし、『笑』も含めればシューズの脱げた谷口が上回る。 
>>193
オリンピック連続4位の中山の方がどう考えても尾方や佐藤よりうえだよ。
解説者(笑)ランキングでは
瀬古が断トツトップだよ。
モントリオール五輪でのドレイトンはカナダの期待を一身に浴びてプレッシャーが重くのしかかった。
ショーターのスパートに突き放されたジェローム・ドレイトンは
「マラソンのスタートが、あと10日早かったら」ドレイトンは意味をなさない言葉を口走った。
「レースの10日前に風邪を引いて完全に調子が狂ってしまった。
スタート前に私は考えた。こうなったら、もうオール・オア・ナッシングでいくしかない。
そしてその結果はこのとおりナッシングで終わった。残念だ。」
ショーターがスパートするまでトップに立ち、速いペースてレースを運んだのは、31歳のドレイトンが
挑んだイチかバチかの勝負だったのだ。
カナダの金メダルはついにゼロ。カナダの新聞記者がこんなことをいった。
「モントリオールの“金"の大部分は10億ドルの施設を作った建築会社が取り、残りの大部分をソ連、東独
アメリカが分け、最後のほんの一握りを他の国が少しづつ分け、そしてカナダは分け前にあずかれなかった。」
五輪開催国が金メダル0と数多くの借金だけが残るカナダにとっては辛い五輪となった。
197ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/22(木) 12:10:10
1976年 第11回(当時) 福岡国際マラソン レース内容

1976年12月5日  参加者59人

前半は内外招待選手と伊藤国光(カネボウ)らが加わり、5km15分20秒
前後のラップになる。珍しく日本勢がリード。
同年の五輪を制し、初来日になるチェルピンスキー(東ドイツ)だが、練習が
出来ていないのか走りに冴えが見えず10数人の集団から圧力をかけられている
感じが強い。
レースは膠着状態になり、13.8kmで先頭集団が固まりすぎて足がからむ。
ドレイトン(カナダ)と伊藤国光が転倒する突発事故が起こる。
しかしレースの序盤、幸い怪我もなく2人は集団に復帰する。
18km過ぎ、マラソン2回目の新鋭・伊藤が果敢に飛び出した。
25kmからは手と足のバランスが崩れてきたが果敢に逃げている。
日本勢、待望の3位入賞が見えてきたと思わせた。
27.6km、ついに伊藤はドレイトン、チェルピンスキーの後続に
捕まる。この日は15度以上の気温と快晴。雨男のドレイトンでは
あるがサングラスをした表情にはまだまだ余裕が感じられる。
28km過ぎ、ついにドレイトンがスパート。チェルピンスキーを
突き放しにかかる。伊藤国光は遥か後方。ドレイトンの独走が始まった。
40kmでは沿道の人々は「今年もまたドレイトンか。」と
ドレイトンの強さにびっくりした顔で小旗を振る。
15kmから先頭集団を離れたもう一人の優勝候補、イアン・トンプソン
(イギリス)が地味ながら後方から徐々に上がって来る。
ドレイトンはそのまま独走で優勝。
ショーターの4連勝に続く3度目の栄冠を獲得した。
2位にはトンプソンが入り、競技場にチェルピンスキーとともに現れた
宗茂(旭化成)がトラック勝負に敗れる。チェルピンスキーが3位。
宗茂は7回大会で大槻憲一(東洋工業)が3位に入って以来の日本人
3位入賞を逃した。しかしタイムは自己ベストを記録したのは光明が差した。
健闘した伊藤はラスト崩れて12位。モントリオール五輪代表の宇佐美は
11位に終わった。 
198ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/22(木) 12:20:48
第11回 福岡国際マラソン 成績

1位 2.12.35.0 ジェローム・ドレイトン(カナダ)
2位 2.12.54.2 イアン・トンプソン(イギリス)
3位 2.14.56.0 ワルデマル・チェルピンスキー(東ドイツ)
4位 2.14.59.0 宗茂(旭化成)
5位 2.17.24.2 世利重樹(九州電工)
6位 2.17.43.0 大塚葵未男(東急)
7位 2.18.05.0 水上則安(新日鉄)
8位 2.18.50.0 阪本峰照(日立造船)
9位 2.19.42.0 染谷十三夫(入間市役所)
10位 2.20.45.0 カールハインツ・バウムバッハ(東ドイツ)

11位 2.20.47   宇佐美彰朗(東海大教員)
12位 2.21.25   伊藤国光(鐘紡)
15位 2.22.07   君原健二(新日鉄)
19位 2.24.15   宗猛(旭化成)



優勝 ドレイトン(カナダ)  通過ラップタイム

5km 15分19秒
10km 30分41秒(15分22秒)
15km 46分17秒(15分36秒)
20km 1時間01分46秒(15分29秒)
中間点 1時間05分12秒
25km 1時間17分36秒(15分50秒)
30km 1時間33分18秒(15分42秒)
35km 1時間48分59秒(15分41秒)
40km 2時間05分09秒(16分10秒)
2.195km 7分26秒0

タイム 2時間12分35秒0
>>189
スリランカの選手はルシアン・ローザ
1975年の福岡国際に出場して11位。2時間14分31秒の記録を作る。
現代でもスリランカ記録として保持される。
ハーフマラソン 世界歴代パフォーマンス10傑 (2007年2月20日現在)

1 58:53 S・ワンジル(ケニア )     Ras al Khaimah 1位 2007年2月
2 58:55 H・ゲブレシレシエ(エチオピア) Tempe 1位 2006年1月
3 59:05   Z・タデッセ(エチオピア)  Newcastle-South Shields 1位 2005年9月
4 59:06   P・テルガト(ケニア)      Lisboa 1位 2000年3月
5 59:07 P・コスゲイ(ケニア)    Berlin 1位 2006年4月
6 59:10  (P・テルガド)(ケニア) Lisboa 1位 2005年3月
7 59:13 P・マカウ(ケニア) Ras al Khaimah 2位 2007年2月
8 59:16 (S・ワンジル)(ケニア)     Rotterdam 1位 2005年9月
8 59:16 (Z・タデッセ)(エチオピア)   Rotterdam  1位 2006年9月 
10 59:17 (P・テルガド)(ケニア) Milano 1位 1998年4月
201ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/23(金) 01:22:08
60年代後半のボストンでの日本選手の活躍1:

1965: 13人の先頭集団が心臓破りの坂にかかると一挙に重松、中尾、宍戸と
バンデンドリッシュ(ベルギー)に絞られる。日本勢が交互に前に出て揺さぶり
をかける中、ボストン大付近で中尾が脱落。ゴールまで3kmで重松がスパート
して大会新で快勝。
1.重松森雄(福岡大)2.16.43.
2.宍戸英顕(東北電化)2.17.31.
3.中尾隆行(東急)2.17.31.
4.バンデンドリッシュ 2.17.44.
5.船迫義和(日本澱粉)2.18.18.
6.松原一夫(鐘紡防府)2.19.47.
202ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/23(金) 01:27:19
1966年ボストン

24km付近で早くも日本選手4人がトップ、心臓破りの坂では完全に日本人の
争い。一時遅れた君原がすぐ追いつき勝負強さを見せ優勝。

1.君原健二(八幡製鉄)2.17.11
2.佐々木精一郎(九州電工)2.17.24.
3.寺沢徹(クラレ)2.17.46.
4.岡部宏和(西鉄)2.18.11.
203ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/23(金) 01:41:57
1965,66は極端な例だが1969年のボストンでも采谷義秋(竹原高教)が2.13.49.
の大会新で独走優勝している。このように日本人が出ると優勝するのが当たり前
と思われていたが1970年にロン・ヒルが世界歴代2位の2.10.30.の好タイムで
優勝し、英連邦の大記録も相まってTrack&Fields News ランキング1位を奪った。
これはメキシコ五輪優勝者マモ・ウォルデや長く残った世界記録を出したクレイトン
にも出来なかった快挙即ち国際マラソン発足以来初めてそれ以外のレースから
ランキング1位が出たのである。因みに不名誉な第5回国際マラソン優勝者は
世界歴代3位の好記録を出してヒルにも圧勝した宇佐美であった。その後、70
年代中葉からはロジャースの活躍などでボストンの評価が高まり、逆に舶来指向
の強い日本は福岡の権威を自ら卑下していくようになった。
ボストンは1951年(第55回大会)で田中茂樹が日本人初優勝しているが、
アジア人としては1947年(第51回大会)で韓国の徐潤福が2゚25'39"で
アジア人初優勝。また田中の前年の1950年(第55回大会)で同じく
韓国の威基容が2゚32'39"で制している。



ボストンマラソン日本人優勝者

1951年(第55回) 田中茂樹 2゚27'45"
1953年(第57回) 山田敬蔵 2゚18'51"
1955年(第59回) 浜村秀雄 2゚18'22"
1965年(第69回) 重松森雄 2゚16'33"
1966年(第70回) 君原健二 2゚17'11"
1969年(第73回) 采谷義秋 2゚13'49"
1981年(第85回) 瀬古利彦 2゚09'26"
1987年(第91回) 瀬古利彦 2゚11'50"

(山田、浜村の記録は41.091kmでのもの)
87年の瀬古以降、ボストンでの日本人ランナーの戦歴はどうなんでしょう。
谷口が4位に入ったのは覚えているが今だに81年瀬古の2時間9分26秒が日本人最高タイムなのかな。
>>203
昔は国際マラソン、欧州選手権マラソン、英連邦マラソンがビック3の感じですね。
毎日、ボストン、ウインザー、アテネ、コシチェあたりが次のランクになるかな。
それより単発で開催したアントワープ、マクソールや隔年の韓国国際なんてのに強豪が集まったよう。
いやいや、ボストンの方が上ですよ
>>206
アントワープマラソンは1969年のみの開催。アントワープの都市計画完成を記念して国際マラソン
が行われ、クレイトンが自己のもつ世界最高を書きかえる2時間8分33秒6という大記録を樹立。
特に11日前にトルコのアンカラマラソンを2時間17分26秒で走り優勝したばかりなので、当時
そのスタミナに世界は驚かされた。17km地点まで肩を並べていた宇佐美を突き放して独走。
ゴールでは3分引き離す。宇佐美は2位ながら2時間11分27秒8の世界歴代4位だった。
このマラソンは1969年のみで廃止。翌年の1970年からアントワープに近いベルチムでマラソン
レースが誕生。このコースは横幅3.2km、縦2kmという狭い地区をグルグル回る迷路のうえ、
石畳や照明不足(夜8時スタート)で走りにくい。74年に旭化成の北山吉信が初参加したが、
脚を痛めて12位に終わる。
>>206

マクソール国際マラソンは別名マンチェスターマラソンとも言い、
1969年、マンチェスター郊外のガス・電気器具製造会社マクソール
がスポンサーになってできた大会。
第一回は世界から強豪が集まった。日本からは君原、采谷が参加。
レースはロン・ヒル(イギリス)がクレイトンを押さえ優勝。

1、2.13.42 ヒル(イギリス)
2、2.15.40 クレイトン(オーストラリア)
3、2.18.14 アルダー(イギリス)
4、2.19.37 采谷義秋(日本)
5、2.20.13 アドコックス(イギリス)

7、2.23.25 君原健二(日本)

翌年(1970年)第2回大会は日本のエース宇佐美が参加。
再度参加の采谷とともにワンツーフィニッシュ。

1、2.13.45 宇佐美彰朗(日本)
2、2.16.00 采谷義秋(日本)
3、2.16.57 ブッシュ(東ドイツ)

第3回大会(1971年)は再度ヒルが優勝。
2時間12分39秒の大会新記録だった。2位には79年福岡で瀬古、宗兄弟
と接戦を繰り広げたライト(イギリス)が入る。

1、2.12.39 ヒル(イギリス)
2、2.13.27 ライト(イギリス)
3、2.14.03 ブッシュ(東ドイツ)

第4回大会(1972年)はそのヒルに激戦の末、1秒先着した西ドイツの
フィリップが2時間12分50秒。一躍、同年開催のミュンヘン五輪優勝候補
に名乗りを上げた。

1、2.12.50 フィリップ(西ドイツ)
2、2.12.51 ヒル(イギリス)


第5回大会(1973年)は日本から北山、森田が参加。東ドイツの
レッセに続き北山が自己ベストで2位に入る殊勲。森田は5位。

1、2.12.24 レッセ(東ドイツ)
2、2.13.29 北山吉信(日本)
3、2.13.30 アームストロング(カナダ)
4、2.13.58 ル・グランジ(南アフリカ)
5、2.14.06 森田義昭(日本)

しかしこの大会限りで資金的の面で行き詰って、わずか5年で中止
されてしまった。
210ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/23(金) 22:49:28
>>209 79年に瀬古、宗兄弟と競ったのはB.フォード。また73年の北山は自己新
ではない。自己記録は同じ年の春に糞をしたショーターについで2位になった
時に出した2:13:24:0である。
ボストンマラソン誕生の秘話は・・・

ボストンマラソンは当時、たまたまボストンアスレチック協会会長・ウィルソンが
アテネで開かれた第一回オリンピックを見て、そのマラソンにひどく共鳴。

1775年4月19日、イギリス軍が鎮圧に来襲するという報に人々は
敢然と武器を手にしてその前に立ちふさがり、独立戦争の導火線になった。
それ以来、メーン、マサチューセッツの2州はこの日を愛国の日と定め、
かずかずの記念行事を行った。その一環にこのマラソン大会を加えることを
思い立った。

オリンピックレースはあと7kmの峠の頂上で追いすがるハンガリーのケルネル
を振り切ってスピルドン・ルイス(ギリシャ)が先頭に立った。
独走態勢に入ったルイスをたまりかねたギリシャ皇太子と王子がゲートまで
走っていき、ルイスを出迎えた。皇太子の伴走でルイスがゴールイン。
それを見ていたウィルソン会長の感動は筆舌に尽くしがたい。
「これと同じマラソンをボストンで開催したい」意思が固まる。

早速、優勝者のルイスに出場を打診。
五輪優勝者のルイスを招いて翌年(1897年)第1回ボストンマラソンが
開催される。優勝候補筆頭はスピリドン・ルイス。
しかしレースはアメリカのマクダーモットが2時間55分10秒で優勝。
ルイスはマクダーモットに6分差をつけられて敗北した。

距離は一説による1775年当時の遺跡が残っているレキシントンを往復
する39.4kmをコースに選定したとされている。
またもう一説にはアテネのコースを真似、アシュランドにあるメトカルフ
製粉所からボストン市内のアイルビントン通りまでの39.75kmを
コースにしたもの。このコースはアテネの地形によく似ているといわれて
いる。どちらかは定かではない。

212209:2007/02/23(金) 23:18:25
>>210
失礼、トレーバー・ライトは78年、福岡で瀬古、喜多、宗茂に
続き外国人最高順位でゴール。(4位)

北山吉信(旭化成)のベストはおっしゃる通り、同年春の大津毎日で2位に
入ったときの2時間13分24秒0。
マクソールは7月開催なので後ですね。
>>211

内容,規模は違うが、当時青梅報知30kmマラソンを創設したのは「円谷幸吉と走ろう」
をスローガンに作られたのは有名な話。円谷幸吉が優勝候補筆頭で他は2-3流ランナー。
その中第一回が開催されたが、すでに椎間板ヘルニアでまともに走れない円谷は、
無名の東急・若松軍蔵に大差で敗れて2位になった。
>>208

1969年アントワープマラソン

優勝 デレク・クレイトン(豪州) 通過ラップタイム

5KM 15分00秒
10KM 30分06秒    −15分06秒
15KM 45分17秒    −15分11秒
20KM 1時間00分30秒 −15分13秒
25KM 1時間15分41秒 −15分11秒
30KM 1時間30分56秒 −15分15秒
35KM 1時間46分14秒 −15分18秒
40KM 2時間01分55秒 −15分41秒
2.195KM        −06分38秒6

2時間08分33秒6



2位 宇佐美彰朗(日本) 通過ラップタイム

5KM 15分00秒
10KM 30分06秒    −15分06秒
15KM 45分17秒    −15分11秒
20KM 1時間01分20秒 −16分03秒
25KM 1時間16分51秒 −15分31秒
30KM 1時間32分16秒 −15分25秒
35KM 1時間47分50秒 −15分34秒
40KM 2時間03分45秒 −15分55秒
2.195KM        −07分42秒8

2時間11分27秒8
1969年福岡国際マラソン終了時点

男子マラソン 世界歴代記録25位


1位 2時間08分33秒6 デレク・クレイトン(オーストラリア)1969 アントワープ
2位 2時間10分47秒8 ビル・アドコックス(イギリス)1968 国際
3位 2時間11分12秒8 ジェローム・ドレイトン(カナダ)1969 国際
4位 2時間11分17秒0 佐々木精一郎(日本) 1967 国際
5位 2時間11分27秒8 宇佐美彰朗(日本) 1969 アントワープ
6位 2時間11分54秒4 ロン・ヒル(イギリス) 1969 国際
7位 2時間12分00秒0 重松森雄(日本) 1965 ウインザー
8位 2時間12分03秒4 谷村隼美(日本) 1969 国際
9位 2時間12分11秒2 ビキラ・アベベ(エチオピア) 1964 東京五輪
10位 2時間12分25秒8 デーブ・マッケンジー(ニュージーランド) 1967 国際

11位 2時間12分40秒6 采谷義秋(日本) 1968 国際
12位 2時間12分52秒8 パブロ・ガリド(メキシコ) 1969 国際
13位 2時間13分06秒4 佐々木敏晴(日本) 1969 国際
14位 2時間13分21秒0 吉田昭雄(日本) 1969 国際
15位 2時間13分25秒8 君原健二(日本) 1969 アテネ
16位 2時間13分26秒2 ニクラ・ムスタツァ(ルーマニア) 1968 カールマルクスシュタッド
17位 2時間13分27秒8 ケニス・ムーア(アメリカ) 1969 国際
18位 2時間13分37秒6 上岡忠明(日本) 1968 国際
19位 2時間13分41秒0 寺沢徹(日本) 1965 ウインザー
20位 2時間13分43秒6 イスマエル・アケイ(トルコ) 1968 国際

21位 2時間13分45秒0 アリステアー・ウッド(オーストラリア) 1966 インバネス
22位 2時間13分45秒2 ユルゲン・ブッシュ(東ドイツ) 1968 カールマルクスシュタッド
23位 2時間13分55秒0 バシル・ヒートリー(イギリス) 1964 ウインザー
24位 2時間14分04秒6 マイク・ライアン(ニュージーランド) 1966 国際
25位 2時間14分05秒2 広島日出国(日本) 1966 国際
>>215
当時の日本は、今のケニアなみに世界歴代上位を占めてたのか。意外だ。
>>215
いかに当時の国際マラソンが世界の中心になっていたのがわかる内容だな。
218ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 06:36:17
ただ強いケニア人がマラソンしてなかっただけ。
219ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 10:28:31
国近>>>>(未経験の壁)>>>油谷(優勝0)>>>(油谷自身が避けたい壁)>>>油谷ヲタ


早く気がつくといいね。油谷さんも嫌っていることを
220ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 10:40:25
>>208 >>214 アントワープマラソンは、クレイトンの記録が世界記録だった
頃にはアンベルス国際マラソンと表記されていた。宇佐美の自伝によれば、
コースの途中でスタート、ゴール地点に戻りまたコースに戻るというもので
あった。
 69年のT&F Newsの実力ランキングを見ると記録上位のクレイトン、宇佐美、
アドコックスがそれぞれ3,4,7位になって福岡で上位に入ったドレイトン、
ヒル、谷村、ガリド、佐々木がそれぞれ1,2,5,8,10位にランクインしている。
福岡の評価の高さは異常とも言える程で自国のボストンは評価されていない。
70年のボストンでヒルについで2位(当時世界歴代4位)に入ったオレイリー
はその年のベスト10に入っていないが福岡勢は8人(惨敗したヒルを含む)
がランクイン。メキシコの年には五輪金銀をさしおいて1,2位を福岡勢が占めた。
国際マラソン前はウインザー(ポリテクニック・ハリヤーズ)マラソンが記録の出るコースとして栄えた。
63年はエデレン(アメリカ)、64年ヒートリー(イギリス)、65年重松と3年続けて世界最高を最新。

アベベは東京五輪前にアジスアベバでエチオピア国内予選に優勝。
ローマ五輪でマークした元世界記録(2時間15分16秒2)を最新する 2時間15分13秒を記録。
2000m級の高地で出された記録だけに当時の世界記録を遥かに凌ぐ価値として考えられていた。
222瀬古信者代表:2007/02/24(土) 10:55:09
>>219 名前:ゼッケン774さん@ラストコール :2007/02/24(土) 10:28:31
>>国近>>>>(未経験の壁)>>>油谷(優勝0)>>>(油谷自身が避けたい壁)>>>油谷ヲタ


>>早く気がつくといいね。油谷さんも嫌っていることを

恥ずかしいから書き込み止めて


当時の書物を読むと、東京五輪当時はアベベマが絶対的な優勝候補とは言えなかったようだ。
理由はレース2週間前に虫垂炎の手術を実施したばかりだったからだ。
さすがのアベベも術後の回復は難しいだろうということで世界記録を持っているヒートリー、前年の
プレ五輪に勝ったニュージーランドのジュリアン、そして日本のエース君原あたりが優勝候補に挙がって
いたようだ。ただクラークが出場する意向だったのでハイペースになると予想していたようだ。
224ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 11:09:15
>>219>>222
油ヲタの自作自演の臭いがプンプンする。
ここのスレの人間は“瀬古信者代表”などと名乗らない。
225ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 11:21:49
>>224は瀬古信者
>>219 222 224

もうその話題は止めましょうよ。他にいろいろなレスを見たいんで。
227ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 11:24:01
ほ〜ら、やっぱりコイツの自演だったよwww
わかりやすいんだよ、おまえはwww
228ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 11:27:08
>>73は自分のこと瀬古信者って言ってるけどね(笑)
229ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 11:28:50
>>219>>224>>227
もう止めて下さい。
あなたのために専用スレ立ててあげましょうか?
230ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 11:31:38

自分のレスに“あなた”と言ってる不気味な油ヲタwww
231ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 11:31:49
専用スレ既に出来てるじゃんw
232ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 11:33:02
油ヲタくんは
自分の巣で暴れてなさい
233ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 11:41:20
瀬古に後ろに付かれたらもうダメだ。
中山に前に逃げられたらもうダメだ。
というのが1980年代の世界のマラソン界の常識。
イカンガーとかも含めて集団をコントロールする力量のあるランナーが
以前の方が多かった。今はペースメーカーが主導するレースが主流でつまらない。    
234ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 11:43:56
それはあなたの主観ですね
235ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 11:45:28
236ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 12:18:10

224と227以外は 油ヲタのわかりやすい自演
237ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 12:25:33
>>236は典型的な瀬古信者
238ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 12:31:20
油ヲタ、
意味不明な自演してんなよwww
正真正銘のキチガ○かwww
239ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 12:33:39
SN比(シグナルとノイズの比)が拡大していますね。

瀬古の評価をT&F Newsの実力ランキングの遷移から見てみましょう。

1978
1.モセイエフ(ソ連)欧州選手権
2.ロジャース(米)ボストン、NYC,
3.瀬古
4.喜多
5.宗茂

79.

1.ロジャース(米)ボストン
2.瀬古
3.モセイエフ(ソ連)スパルタキアード
4.宗茂
5.バルチャ(エチオピア)モントリオール
6.宗猛

80.

1.チェルピンスキー(東独)五輪金
2.ネーブール(蘭)五輪銀、アムステルダム歴代2位
3.瀬古
4.サラザール(米)NYC
5.コトフ(ソ連)五輪銅
9.宗猛
10.伊藤
240ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 12:36:57
>>238
これまた典型的な瀬古信者。
瀬古信者っておもしれー
241ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 12:37:02
アフリカのいない時代のマラソンなんて炭酸の抜けたコーラみたいなもんだw
242ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 12:38:41
1981

1.サラザール(米)NYC=幻の世界新
2.ド・キャステラ(豪)福岡、世界新
3.瀬古
4.伊藤
5.宗茂
8.宗猛

1982(日本人ランクインせず)

1.サラザール(米)ボストン、NYC
2.ド・キャステラ(豪)英連邦
3.ゴメス(メキシコ)NYC2位
4.ネーブール(蘭)
5.イカンガー(タンザニア)英連邦2位

1983.

1.ド・キャステラ(豪)世界選手権、ロッテルダム
2.瀬古
3.ロペス(ポルトガル)ロッテルダム2位
4.宗猛
5.ゴメス


4.
243ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 12:46:27
1984

1.ロペス(ポルトガル)五輪金
2.S.ジョーンズ(英)シカゴ=世界新
3.トレーシー(アイルランド)五輪銀
4.スペンディング(英)五輪銅
5.宗猛
10.中山

1985

1.S. ジョーンズ(英)シカゴ、世界新にショート
2.ロペス(ポルトガル)ロッテルダム世界新
3.サラー(ジブチ)Wカップ
4.中山
5.ロブレ(ジブチ)
10.宗茂

1986.

1.イカンガー(タンザニア)東京
2.ド・キャステラ(豪)英連邦
3.児玉
4.瀬古
5.伊藤
8.中山
244ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 12:52:13
1987

1.中山
2.谷口
3.ワキウリ(ケニア)世界選手権
4.サラー(ジブチ)
5.瀬古
6.新宅

1988

1.デンシモ(エチオピア)ロッテルダム=世界新
2.ボルディン(伊)五輪金
3.サラー(ジブチ)五輪銅、ロッテルダム2位=歴代2位
4.メコネン(エチオピア)北京
5.イカンガー(タンザニア)
8.中山
10.渋谷
245:2007/02/24(土) 12:59:02
それ89年から06年までも頼む
246:2007/02/24(土) 13:02:14
ソースもおねがいね
247ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 13:03:05
無視してけっこう
248ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 13:04:09
そうだよな。無視してOK
だってこれだもん。

記録で勝てない
高岡>藤田>犬伏>油谷>>>>>>世界の厚い壁>>>>>瀬古(2:08:27)

自慢(笑)の勝負にも勝てない
谷口>>>森下>>>尾方>>>佐藤信之>>>中山>>>油谷>>>>>世界の厚い壁>>>>>瀬古(ロス五輪14位 ソウル五輪9位)
249ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 13:09:11
>>247
ああ?ゴチャゴチャ言ってないでさっさと続きも書けってんだよ!!!
テメエの身分は俺の奴隷以下の癖にふざけたこと言ってんじゃねえぞ!!!
テメエ俺が同じクラスにいたら唾とか痰とか飲まされてる立場のくせに調子に乗ってんじゃねえ!!
お前みたいなダサくてキモくて女にモテないキモヲタは自殺に追い込まれろや!!!ボケが!!!
今日は「油ヲタ春の大収穫祭」だな
251ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 13:12:54
>>249
キチガイ店長登場
>>249
出たな、お得意の「!!!」が(爆笑)
おまえ、やっぱり「佐藤秀和スレ」の“バカ店長”だったか!(大爆笑)
さんざん、あらしやがって、とっとと元の引きこもり生活に戻れ!
253ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 13:16:13
五輪みたいな糞レースならともかく瀬古みたいなスピードマラソンに強いタイプは
アフリカ全盛の今に生まれていたら間違いなく平凡選手だったでしょうねw
254ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 13:16:33
T&F Newsのランキングは残念ながら2002年で終わっている。日本人での
ランキングインを現在に近い方から遡ると

2002 4位高岡
2001 9位油谷
2000 5位藤田
1992 2位森下、4位中山
1991 1位谷口、6位森田, 10位森下
1988-1978 は既述
1975 9位宗猛
1974 8位宇佐美
1973 6位北山
1972 6位君原
1971 2位宇佐美
1970 2位宇佐美、5位采谷
1969 4位宇佐美、5位谷村, 9位采谷、10位佐々木敏冶
1968 2位采谷、4位君原、7位宇佐美
1967 2位佐々木精一郎、4位君原、5位蓬原、7位宇佐美,9位御船
1966 2位広島日出国、4位寺沢、5位君原、6位岡部
1965 1位重松、2位寺沢、3位中尾、4位宍戸,6位広島日出国,10位岡部
1964 3位円谷、8位寺沢、9位君原、10位中尾
1963 3位君原、5位寺沢、7位渡辺
1962 2位寺沢、3位中尾、7位君原
1961 4位貞永、5位中尾
1960 8位中尾
以下略。こうしてみると瀬古中山時代より60年代後半の方がよりすざまじい。
65年なんかは1-4位の上位を独占している。世界記録もものにしたのは戦後
この時代のみ。

255ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 13:17:59
アフリカのいないマラソンなんて黒人のいないNBAみたいなものw
256ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 13:30:00
>>254 偶然にもオレも今それ見てた(油谷、ランクされてたか確認に行って、既出の通り、2001年9位だった)
これ見ると、福岡の勝者が高順位をつける傾向にあるね
森田とか渋谷とか....

あと確かに1960年代以前はすごいよね、一般的でない人までランキングされている
さすがに1953年に日本人でボストン初制覇の田中茂樹とかはピンと来たが...

そう考えるとこの高評価から海外から見た日本とはマラソン大国だったのがよく分かる
それを知らなかったのは、「オリンピック至上主義」の日本人だけ、というのはある意味悲しいのだけど

店長の妄想なんて酔っ払いの戯言そのものw
258ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 13:32:01
>>255 当たらずといえど遠からずということか。

ご存知の通り陸上競技の英訳はTrack & Fieldsだが、それにはマラソンが含まれない。
従って昔は特殊な国だけ、トレーニングされたマラソン選手が出てきた。70年前後まで
マラソンが盛んだったのは日本、英連邦諸国、エチオピアといった国々に限定されて
いたと言える。
259256:2007/02/24(土) 13:32:13
260ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 14:03:06
>>256 1960年以前でランクインしているのは
貞永(59,58,53)
広島庫夫(57,55,53)
川島(56)
浜村(55,53)
西田(55,53,52)
内川(54)
山田(53)
田中(52)
小柳(50)
古賀(47)
だけど最後の二人を除くと名の通った選手じゃないですか。
261ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 14:10:42
>>256
最高の舞台で結果を残せないのでは大国とはいえませんよ。
262ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 14:19:25
>>261 それは感じるな。昔から本番に弱い。オリンピック前年(51,55,59,
63,67,79,83,87,91)は大量にランクインして本番ではなかなか活躍できない
ことを繰り返している。結局あれだけ名選手を輩出しながら戦後の五輪で
メダルを取ったのは円谷、君原、森下だけで金はない。入賞まで広げても
川島、君原、宗猛、中山(2回)、谷口、油谷、諏訪だけ。油谷はともかく
諏訪の入賞は快挙と言える。
263ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 14:20:06
>>261
まったく同感です。
先日の東京でも優勝宣言しながらレースを途中でなげた選手がいました。
これでは大国とはいえません。
264ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 14:34:38
>>262
メダルを獲った選手もエースではなく、どちらかというと二番手選手というのも特徴。
五輪ではエースが必ずしも結果を残していない。
期待と重圧のかかるエースより気軽な二番手の方が伸び伸びと自分の走りができるという事か。  
265ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 14:37:03
国際評価という観点からすると日本はロス前に盛りを過ぎていたことが
わかる。1982年に誰もランキングに入らなかった上に五輪メンバーは
4年前と同じ。更に茂は83年でもランクインできなかったし、福岡でも
途中遅れるなど(執念とレース勘はあったものの)走力の衰えは隠しき
れなかった。

ミュンヘンのときも若手が台頭せず71年から急に日本全体の衰潮傾向を
示し始めた通りの結果だった。72年の毎日では瀬田の唐橋で宇佐美に君原
が追いついて併走という感動的なレースではあったが優勝記録は20分台。
おまけに宇佐美も終盤まで原嘉則に300mも差をつけられ大逃げされるなど
完全な失敗レースだった。結果が故障明けの君原と采谷が代表になり、
結果論で言えば期待できるメンバーではなかった。
266ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 15:23:45
オリンピックや世界選手権で勝つだけが最強の論理ではないような気がするが
ロバート・ド・キャステラは世界選手権で一度優勝しているが、
第1回ということで強豪揃い踏みではない世界選手権であり、
この世界選手権タイトル「だけ」で「最強の系譜」に入れられるかは甚だ疑問が残る
しかしド・キャステラは間違いなく1980年代を彩ったスター選手であり、
「重戦車」の異名をとったその走りは「最強の系譜」に入るマラソンランナーだったと言える

で、翻って瀬古だ(笑)

アンチ瀬古派はオリンピック惨敗を盾に瀬古を「最強の系譜」に組み込むことに難色を示している
アンチ中山派は出てこないが、その伝で行けば中山も最強の系譜には入らないし、油谷なんかかすりもしないよ
では谷口は世界選手権で優勝しているから「最強の系譜」に入るのか?というと、これもちょっと違うような気がする。中山とか新宅に負けているしね。
オリンピックでメダルを取った円谷、森下は?というと、やっぱりオリンピックで勝てなかったのはマイナスファクター
(そもそも円谷はマラソンで優勝経験がない)

最強の定義が曖昧なのが問題なんだろうが、
その時代に「彼は強い」と国内外から称された瀬古、中山、宗兄弟あたりは「最強の系譜」にはいると思うし、
逆に谷口、森下あたりは国外から見たら「要注意」程度の選手だったと言えるんじゃないか?
これはオレの私見であり是非はあると思うが、その辺のマラソン観がない住人は正直このスレで語ってほしくないね
私見は良いけど、実績だけの私見ならWikipedia見ればいくらでもかける(つまり順位や記録だけで判断するな、ってことだよ>油谷オタ諸君)
きちんと理論だって私見を説明してほしいな

(間違って別のスレッドに書き込んでしまった....._| ̄|○ )

267 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/02/24(土) 15:30:12
                       _,,t-‐‐-、,-‐‐-、
                     三'::::::............... .....::::::`y,.
                     ナ:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヾ
              | ̄|   V::::::::::::::::_{{ ({∫∬ノノjヾ:::::{
           | ̄| | ̄|   ナ::::::::::::::i`__,,,,,,,ァ_  _,,,,,_ t;;:ヌ
           |  | |  |  イヘ::::::(ヾ~!,ャt、 !'''i ィtン )=f }f   
           |  | |  |  i {t)テ" ヘ' '___,イ ヽ_/ 介'   
           |  | |  | _,rヘ_,j|!'     /ー--''!     |'
           |,.ィ―'''' ̄ /| |       /二ク     !
           /;;:::'';;::''::;;:/ { ! 、     ヾニン   ノ\
            /'''::::;r|''':::;;;|  | ! \       _,,./|::;;'''\
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           |  | |  |  i {t)テ" ヘ' '___,イ ヽ_/ 介'   
           |  | |  | _,rヘ_,j|!'     /ー--''!     |'
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270ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 19:53:27
1971年 男子マラソン世界10傑
                                  T&F News Ranking 
1、2時間11分08秒8 クレイトン(オーストラリア) ホバート 4位
2、2時間12分14秒 ファーリントン(オーストラリア) ホバート  7位
3、2時間12分39秒 ヒル(イギリス) マンチェスター       5位 
4、2時間12分50秒4 ショーター(アメリカ) 福岡        1位 
5、2時間13分09秒 リスモン(ベルギー) ヘルシンキ(欧州選手権)3位        
6、2時間13分22秒8 宇佐美彰朗(日本) 福岡2位        2位
7、2時間13分27秒 ライト(イギリス) マンチェスター       5位  
8、2時間13分42秒4 フォスター(ニュージーランド) 福岡    8位
9、2時間13分45秒2 谷村隼美(日本) 京都            ----  
10、2時間14分03秒 ブッシュ(東ドイツ) マンチェスター -----
C. カーカム(英)               9位
            S. ニッカリ(フィンランド)福岡4位      10位
           
1972年 世界10傑
                                  T&F News Ranking
1、2時間10分30秒 ショーター(アメリカ) 福岡(五輪金) 1位
2、2時間12分00秒4 ファーリントン(オーストラリア) 福岡    2位 
3、2時間12分50秒 フィリップス(西ドイツ) マンチェスター 10位 
4、2時間12分51秒 ヒル(イギリス) マンチェスター (五輪6位) 7位
5、2時間13分16秒 シェルバック(ソビエト) ウージェゴロド    ----
6、2時間13分19秒4 レッセ(東ドイツ) カールマルクシュスタト ----
7、2時間13分59秒 モイセーエフ(ソビエト) ウージェゴロド ----
8、2時間14分00秒6 大槻憲一(日本) 福岡 -----
9、2時間14分02秒6 ニッカリ(フィンランド) 福岡4位(五輪9位?) 9位   
10、2時間14分08秒 セケレシュ(ハンガリー) ベルチム       -----
K.リスモン(ベルギー) 五輪銀         3位    
            マモ・ウォルデ(エチオピア)五輪銅       4位    
            K.ムーア(米)五輪4位             5位          
            君原健二(八幡製鉄)五輪5位、福岡5位     6位
            D. マグレガー(英)五輪7位           8位     

1973年度 世界10傑
                                            T&F News Ranking
1、2時間11分12秒6 ファーリントン(オーストラリア)7月N.S.W選手権(福岡惨敗) 7位
2、2時間11分45秒0 ショーター(アメリカ)12月福岡国際                  1位
3、2時間12分07秒0 クレイトン(オーストラリア)9月オーストラリア選手権          4位
4、2時間12分24秒0 レッセ(東ドイツ)6月マクソール(福岡2位)              2位
5、2時間12分40秒0 トンプソン(イギリス)10月英国選手権?                5位 
6、2時間13分22秒0 ヒル(イギリス)10月英国選手権?                   8位             
7、2時間13分24秒0 北山吉信(日本)3月毎日(マクソール2位、福岡惨敗)          6位         
8、2時間13分26秒0 ドレイトン(カナダ)9月カナダ選手権                  ----
9、2時間13分30秒0 アームストロング(カナダ)6月マクソール(福岡3位) 3位
10、2時間13分58秒0 ルグランジ(南アフリカ)6月マクソール                 ----
J. フォスター(NZ) 京都                         9位
             C. カーカム(英)                           10位
271ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 20:02:11
昔のマタ−リしたコアなスレに戻そうよ
272 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/02/24(土) 21:36:02
    _____
   /::::::::::::::::::::::::::\                  _
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  |;;;;;;;;;;ノ   \,, ,,/ ヽ          |・ |―-、       |  くそニート
  |::( 6  ー─◎─◎ )          q -´ 二 ヽ      |
  |ノ  (∵∴ ( o o)∴)          ノ_ ー  |     |
/|   <  ∵   3 ∵>          \. ̄`  |      /
::::::\  ヽ        ノ\           O===== |
:::::::::::::\_____ノ:::::::::::\        /
30歳代の陸上マニアだけど、正直言うよ。
昔は良いスレだったけど、今はこのスレ荒らされてるな。
もうこのスレ来るの止めるよ。 さようなら。
274 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/02/24(土) 22:06:58
    _____
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  |;;;;;;;;;;ノ   \,, ,,/ ヽ          |・ |―-、       |  くそニート
  |::( 6  ー─◎─◎ )          q -´ 二 ヽ      |
  |ノ  (∵∴ ( o o)∴)          ノ_ ー  |     |
/|   <  ∵   3 ∵>          \. ̄`  |      /
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275ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:10:13
スレを荒らすのは野球豚かサカヲタぐらいかと思っていたが陸上にもこういうのがいたんですね。 
276 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/02/24(土) 22:11:29
    _____
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  |::( 6  ー─◎─◎ )          q -´ 二 ヽ      |
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ついでに雨のドレイトンというカナダ選手も忘れられない。69年の第4回国際マラ
ソンを全くの伏兵ながら歴代4位あたりの(当時としては)好記録2.11.12.8で
優勝。またその後、聞かないと思ったら75年の第10回でも2.10.08.4の好記録
(歴代5位?)で優勝。何れも小雨模様の中の快走だったので雨男と言われた。
ちょび髭も格好良く地元カナダでの人気は相当なもの。たまたまモントリオール
オリンピックはアメリカにいてABCの中継を見ていたのだが、ドレイトンばっかり
映していた。小雨の中、ドレイトンが有利かと思われたが中盤から遅れ6位に終わっ
たが、それでも独走するチェルピンスキーとドレイトンを並べて映していた。
日本選手は放送終了間際に宗茂が入場してきただけでまるで移らずがっかりしたの
を覚えている。前年のプレオリンピックでは猛暑の中の耐久レースで水上が優勝した
が涼しい気候では歯が立たず、宗に続いて21位でゴール。宇佐美は36位だったかな。


オリンピックに関しては 運が強かったのが茂>猛だった。
若い時のモントリオール五輪で明暗を分けたが、
茂が78年の別大マラソンで2時間9分5秒6(当時世界歴代2位)
を出すまでは兄弟揃って安定感を欠いていたが猛の方が
好成績を残すことがあった。
猛はモントリオールの前年、75年の福岡国際マラソンで
日本人トップの6位、2時間12分52秒。
この時、福岡が五輪選考会だったら間違いなく猛の方が
モントリオール五輪に出場していた。
東京五輪からモントリオールまでは毎日マラソンが
最終選考会になっていてた。(当時は4月開催)
この毎日で猛は大惨敗(20位)、変わりに茂が3位に
食い込み代表権を獲得している。
「実績は猛が作って、オレで出ちゃったもの」って
宗茂が語ってる。だからモスクワ代表に兄弟で選ばれた時は
福岡のゴール後、2人で凄い喜んでいたのが印象に残っているなぁ。
でも実際、「ここぞ」というところの強さは茂の方があった。
特に集団から遅れてても粘りに粘って追いつき、逆にスパートを掛けたり
していた。また78年の別大から83年、猛が東京国際で2位(2時間
8分55秒)出すまでは瀬古>宗茂>宗猛の評価が一般的だった。

茂の方がストライド走法だった為、選手寿命が早かった感じ。
その点、猛は安定感のあるピッチ走法で茂が一線を退いてからも、
40歳近くまでレースで走りながら選手を指導していた。

89年の別大マラソン〜 カネボウの清水悟が優勝したレースに
引退後の宗茂が出場。前半から中盤に自ら引っ張って
「若手に喝」をいれてたのが印象的。あの時は応援したな。
結局、5位だったがレースを盛り上げてくれた。
ロス五輪では猛は4位、茂は17位なんだけどね。
83年あたりからは明白に猛>茂だったと思う。
茂はスプリント力が猛より上だったので、最後までもつれた時は猛に先着してたが。
281ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:36:21
ロサンゼルス五輪の時はレース前夜熟睡できた茂が17位、一睡もできなかった猛が4位。
記憶が曖昧だが、
重松森雄は君原健二、円谷幸吉と同級生で、特に君原とは
福岡で同県人だった。九州電工時代は、君原よりも将来を
有望され熊日30kmで日本最高で優勝(君原は確か3位)。
九州電工から福岡大学に進学。
マラソンでは東京五輪の代表選考会で惨敗。それをバネに
翌年のボストンマラソンを2時間16分33秒で制覇。
そして2ヶ月足らずでウインザーマラソンに挑戦。
2時間12分00秒の世界最高記録を樹立した。
東京五輪のアベベの記録(2時間12分11秒2)は
不滅の記録といわれていたが、重松の快走はボストンの
勢いのまま達成された感じであった。
67年の国際マラソンでクレイトンに破られるまで
約2年間世界最高記録を保持。しかし重松は国内では
ほとんどマラソンで好成績をあげることができなかった
感じがする。重松のマラソン歴は1965年がピーク
のように思えた。比較的、円谷や森下に似た活躍期間
の短い選手といえるだろう。

283ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:40:05
優勝はないが伊藤国光の健闘が目立つね。
寺沢徹の全盛期はローマ五輪から東京五輪の間で
ちょうどオリンピックの狭間に位置し、不運といえば
不運であった。
このころの寺沢はほとんど国内レースで連勝。
他の選手が打倒寺沢を合い言葉に挑んだ感じがした。
特に世界最高をだした63年の別府大分マラソンは
新鋭の君原らと前半から好ラップを刻んだ。
幸運な事に行きと帰りの風が両方とも追い風に
なり好選手との競り合いもあり生まれた記録だ。
ローマ五輪でアベベがマークしたタイムを0,4秒
の最新だったがアベベの記録を破ったという
ことで話題になった。しかしこの記録もすぐに
破られたのを覚えている。
東京五輪の頃は少し力が落ちており、成長した
君原よりも評価は下がっていたと思う。

285ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:41:07
70年代くらいまでは日本勢が10位に入賞するのが
ひとつの目標だった福岡国際。
286ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:42:09
国際から福岡国際に名称が変更になったのが9回大会から。
もともと福岡国際は世界陸連で「世界マラソン選手権」として
認知、後援していた大会だったがほとんどの大会が地名を冠に
しいる為、これにならった。
287ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:43:11
チェルピンスキーって五輪以外で優勝したことあんの?
寺沢は東京オリンピックでの期待度は君原より下だったし15位と不発だった。
しかし寺沢の凄いところは、五輪での惨敗にめげずに、
1ヶ月半後の朝日国際で2時間14分48秒の日本最高で優勝。
別府毎日でも君原に止められるまで4連覇した。
その君原は佐々木精一郎とラスト800mまで競って、佐々木が不意に
給水した隙を見てスパート2時間13分33秒4の国内日本最高となった。
289ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:44:12
ある。76年の東独の選手権(代表選考会)。たしか84年の裏オリンピック
(カールマルクスシュタットでボイコットした東側の国が集まった大会)でも
優勝したと思う。ドーピング技術に優れていたから大大会では強かった。
伊藤国光はカネボウの地元で行われる防府読売マラソンに出場せずに、いつも強豪が集う
福岡国際で頑張っていたよな。
伊藤は調子が良かろうが、悪かろうが、必ずレース前のインタヴューでは「絶好調ですよ」って強気な発言をしていた印象がある。
後にカネボウの監督になってからも全日本実業団駅伝の前には必ず「もちろん優勝を狙ってますよ」って強気な発言は相変わらずだった。
291ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:45:30
福岡国際は87年の中山独走Vが最後のインパクトだった感じが
するなあ。88年の渋谷が勝ったあたりから急にレベルが下がった。
海外賞金レースには規模でかなわなくなった。
292ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:46:31
福岡国際、アトランタ五輪金のチュグワネの横綱相撲の97年とか、
シドニー五輪金のアベラを藤田がねじ伏せた00年とかはレベル高かったな。
でも福岡国際、最近インパクトのあるレースが無いのには同意。
293ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:47:33
あの時の藤田は”つえぇ〜”って感じだったね。
あれが彼のマラソン人生のハイライトになるとは思わなかった。
現役の彼にこんなこと言うと失礼とは思っているんだが。
ただ長いケガなどのブランクの後に(まあ3年以上としときます)トップランクに返り咲いた
マラソンランナーっていますっけ?
294ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:48:48
実に85年大会で新宅、谷口、伊藤の日本人選手上位独占以来の
ワンツースリーだったね。
代表選考では79年大会の瀬古、宗兄弟以来か。。
80年代は日本勢が福岡で3位以下になるとは思えないくらい
結果を残していたけど、日本勢の低調な90年代になって70年代の
ころに逆戻りした感じだったね。しかし90年代は大会自体は低下している
だけに「強い日本人選手」が少なかった時代といえるね。
295ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:49:43
じゃいあん
296ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:49:50
70年 宇佐美
83年 瀬古
87年 中山
00年 藤田

福岡国際での日本選手「強くて速いベストレース」だろうね。
瀬古の場合はそれぞれ違う回(78−80年)が挙がるかもしれないが。
(78年は余裕がなく、79年は不調で辛勝。
80年は逆に余裕がありすぎた感じがあったので、83年かな。)
福岡は1966年に国際マラソンと改称してから殆ど外国人が優勝していた。
ライアン-クレイトン-アドコックス-ドレイトン-宇佐美-ショーター(4連覇)
-ドレイトン(連覇)-ロジャース-瀬古(3連覇)-キャステラ
という感じ。世界一を決めるのに相応しいマラソンと思われていたし、
好記録も頻出した。例えば66年の年間世界最高-世界最高-歴代2位-歴代3位
-歴代3位-年間2位-歴代3位-年間3位-年間3位あたり-歴代5位-?-
年間1位-...という感じだった(かなりいいかげん)。日本人も60年代後半
は世界歴代10位以内を頻繁に出していたが優勝には届かず宇佐美でも1回
きりで瀬古の出現までは優勝は簡単にできるものと思われていなかった。
298ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:51:00
NHK放送時の福岡国際はよかった。
民放になってなんか軽く感じるんだよな。
海ノ中道折り返しコースも懐かしいね。

ショーター優勝時の頃はリアルタイムでないけど、4連覇目くらいは
「またショーターか。。」という空気が競技場に流れたってくらい
強かったと聞いた。
福岡マラソンは1947年に朝日国際マラソンと名付けてスタートしたが、
外人選手はそんなに数多く参加していなかった。1966年に今までのスタイルを
改めて一流選手を相当数呼ぶという新機軸を打ち出して、その名も「国際マラ
ソン」と改めた。多分10回やった後の76年から福岡国際マラソンに改称したが
近年まで66年からの回数で第何回と数えていた。ごく最近になって前身の朝日
マラソンを含めて数えるようになった。
300ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:52:02
しかしショーター4連覇の時のラップ見ると最初の入りが超ハイペース。
いちばん悪くて74年の15分で速いと14分36秒だって。
典型的な専攻逃げ切りタイプのようですね。サブテンが1−2人くらいしか
いない時代でのこのペースは尋常でない気がする。
時代が違えど中山とのレースが見てみたい。
301ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:53:05
第21回(40回) 福岡国際マラソン 成績 1986.12.7

完走者102人 棄権13人

1、2時間10分06秒 ジュマ・イカンガー(タンザニア)
2、2時間11分19秒 大須田祐一郎(日本電気)
3、2時間11分25秒 ブルーノ・ラフランキ(スイス)
4、2時間11分58秒 工藤一良(日産自動車)
5、2時間11分59秒 仙内勇(ダイエー)
6、2時間12分02秒 春松千秋(池田製菓)
7、2時間12分14秒 浦川哲夫(九州電工)
8、2時間12分26秒 デビッド・エッジ(カナダ)
9、2時間13分00秒 近藤孝志(ヤクルト)
10、2時間13分10秒 ピマツォーニ(イタリア)

(主な選手)
12、2時間13分52秒 西村義弘(新日鉄大分)
14、2時間14分17秒 阿部文明(日本電気HE)
15、2時間14分19秒 三村徹(鐘紡)
16、2時間14分19秒 末吉富夫(鐘紡)
18、2時間14分41秒 渋谷俊浩(雪印)
28、2時間16分59秒 ウンベ・スラー(タンザニア)
29、2時間17分26秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
30、2時間17分26秒 阿久津浩三(福島病院)
78、2時間24分29秒 西本一也(九州産交)
棄権 新宅雅也(エスビー食品)
現福岡国際の第1回金栗賞朝日国際マラソンは金栗四三の故郷熊本で開催。
それ以降は福岡に定着するまでしばらくは前年優勝者の出身地で
開催されてたそうだ。

書物によると確かに朝日国際マラソンは
第1回(1947) 熊本、第2回琴平(香川)、第3回静岡、第4回広島、第5回福岡、
第6回宇部(山口)、第7回名古屋、第8回鎌倉、第9回福岡、第10回名古屋、
第11回福岡、第12回栃木で確かに第17回はプレオリンピック(東京国際スポ
ーツ大会)兼日本選手権となっている。多分金栗賞がついていたのは第10回迄。
前年優勝者の地元で開催されたという話は多分間違い。第1回から優勝者の所属県
は山口、岐阜、福岡、山口、徳島、福岡(多分)、山口、アルゼンチン、フィン
ランドという感じである。因みに毎日マラソンも毎回開催地が変わっていたようだ。







303ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:54:24
第21回大会 優勝 ジュマ・イカンガー(タンザニア) ラップタイム

5km 15分15秒
10km 30分09秒(14分54秒)
15km 45分21秒(15分12秒)
20km 60分55秒(15分34秒)
中間点 1時間04分25秒
25km 1時間16分57秒(16分02秒)
30km 1時間32分40秒(15分43秒)
35km 1時間47分56秒(15分16秒)
40km 2時間03分23秒(15分27秒)

2時間10分06秒
304ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:55:29
第22回(41回) 福岡国際マラソン 成績 1987.12.6

完走者131人 棄権21人

1、2時間08分18秒 中山竹通(ダイエー)
2、2時間10分34秒 新宅雅也(エスビー食品)
3、2時間11分22秒 ヨルグ・ペーター(東ドイツ)
4、2時間11分36秒 工藤一良(日産自動車)
5、2時間11分59秒 ベライン・デンシモ(エチオピア)
6、2時間12分14秒 谷口浩美(旭化成)
7、2時間12分25秒 坂口泰(エスビー食品)
8、2時間12分31秒 トルシチコフ(ソ連)
9、2時間13分12秒 カシャポフ(ソ連)
10、2時間13分34秒 谷口伴之(エスビー食品)

(主な選手)
11、2時間13分40秒 渋谷俊浩(雪印)
12、2時間14分10秒 末吉富夫(鐘紡)
13、2時間14分18秒 ミカエル・ハイルマン(東ドイツ)
17、2時間14分52秒 伊藤国光(鐘紡)
18、2時間14分55秒 西村義弘(新日鉄大分)
20、2時間15分07秒 金哲彦(リクルート)
22、2時間15分33秒 西政幸(旭化成)
24、2時間16分05秒 仙内勇(ダイエー)
27、2時間16分37秒 阿部文明(日本電気HE)
31、2時間16分49秒 児玉泰介(旭化成)
36、2時間18分02秒 ウンベ・スラー(タンザニア)
42、2時間19分03秒 武富豊(神戸製鋼)
46、2時間20分24秒 ケベデ・バルチャ(エチオピア)
48、2時間20分50秒 須永宏(日本電気HE)
122、2時間32分44秒 西本一也(九州産交)
棄権 宗猛(旭化成)
昔は世界のトップは福岡〜ボストン〜五輪という流れなのかな?
途中ウィンザーとかいれながら
日本選手も福岡〜びわ湖というのは当然だった
びわ湖が4月開催のころは別大もはさんだ選手もいた
年1回というのはスポンサーによる囲い込みがあるのかな?
イメージ的には瀬古が福岡、宗兄弟が別大、中山が東京という感じなんだけど    
306ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:56:56
第23回(42回) 福岡国際マラソン 成績 1988.12.4

完走者100人 棄権10人

1、2時間11分04秒 渋谷俊浩(雪印)
2、2時間11分09秒 ベライン・デンシモ(エチオピア)
3、2時間11分19秒 カシャポフ(ソ連)
4、2時間11分38秒 児玉泰介(旭化成)
5、2時間11分51秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
6、2時間11分57秒 阿部文明(日本電気HE)
7、2時間11分59秒 ミカエル・ハイルマン(東ドイツ)
8、2時間12分28秒 フライガング(東ドイツ)
9、2時間12分51秒 金井豊(エスビー食品)
10、2時間12分55秒 ケベデ・バルチャ(エチオピア)

(主な選手)
11、2時間13分21秒 西政幸(旭化成)
15、2時間14分57秒 須永宏(日本電気HE)
18、2時間16分07秒 金哲彦(リクルート)
20、2時間16分37秒 伊藤国光(鐘紡)
21、2時間16分47秒 デュベ(エチオピア)
22、2時間17分22秒 末吉富夫(鐘紡)
24、2時間18分44秒 中村孝生(エスビー食品)
30、2時間21分33秒 野田浩(旭化成)
74、2時間28分02秒 西村義弘(新日鉄大分)
棄権 仙内勇(ダイエー)、
   浦田春生(本田技研)
メキシコ五輪で3位に入ったマイク・ライアン(ニュージーランド)
が第1回の国際マラソン(現福岡国際)の覇者。
(今でこそ開催数を朝日国際マラソンから加算しているが、当時は
1965(昭和40年)から朝日国際マラソンの名称変更で
第1回大会としている。)前年の朝日国際優勝者、広島日出国(現沖電気宮崎総監督)
とライアンが最後まで優勝争いを展開。最後のラスト勝負でライアンが
制した。この時2位の広島日出国のタイム(2時間14分05秒2)が
広島自身の生涯記録。
308ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 22:59:25
第23回大会 優勝 渋谷俊浩(雪印) ラップタイム

5km 15分35秒
10km 31分01秒(15分26秒)
15km 46分24秒(15分23秒)
20km 61分51秒(15分27秒)
中間点 1時間05分13秒
25km 1時間17分29秒(15分38秒)
30km 1時間33分07秒(15分38秒)
35km 1時間48分37秒(15分30秒)
40km 2時間04分17秒(15分40秒)

2時間11分04秒
309ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 23:02:48
第24回(43回) 福岡国際マラソン 成績 1989.12.3

完走者85人 棄権14人

1、2時間12分54秒 マティアス(ポルトガル)
2、2時間12分54秒 カシャポフ(ソ連)
3、2時間13分12秒 小指徹(ダイエー)
4、2時間13分42秒 谷口伴之(エスビー食品)
5、2時間13分55秒 泉宣広(ダイエー)
6、2時間14分07秒 ドブラー(西ドイツ)
7、2時間14分29秒 メコネン(エチオピア)
8、2時間14分30秒 バッヘンブルナー(東ドイツ)
9、2時間14分52秒 金井豊(エスビー食品)
10、2時間15分04秒 篠原良房(新日鉄八幡)

(主な選手)
11、2時間15分49秒 須永宏(日本電気HE)
14、2時間17分28秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
23、2時間20分32秒 仙内勇(ダイエー)
25、2時間22分13秒 西政幸(旭化成)
28、2時間23分09秒 中村孝生(エスビー食品)
36、2時間24分35秒 三村徹(鐘紡)
310ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 23:04:28
第24回大会 優勝 マティアス(ポルトガル) ラップタイム

5km 15分29秒
10km 30分49秒(15分20秒)
15km 46分18秒(15分29秒)
20km 62分08秒(15分50秒)
中間点 1時間05分34秒
25km 1時間18分04秒(15分56秒)
30km 1時間33分58秒(15分54秒)
35km 1時間49分49秒(15分51秒)
40km 2時間06分09秒(16分20秒)

2時間12分54秒
311ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 23:05:40
第44回 福岡国際マラソン 成績 1990.12.2
(この大会より朝日国際と合計した回数で表示)

完走者81人 棄権9人

1、2時間11分35秒 デンシモ(エチオピア)
2、2時間11分37秒 弘山勉(資生堂)
3、2時間14分01秒 オレイリー(アイルランド)
4、2時間14分27秒 カシャポフ(ソ連)
5、2時間14分29秒 シャギーエフ(ソ連)
6、2時間14分55秒 マティアス(ポルトガル)
7、2時間15分16秒 フライガング(ドイツ)
8、2時間15分36秒 喜多秀喜(神戸製鋼)
9、2時間15分43秒 エリクソン(スウェーデン)
10、2時間16分19秒 金子尚志(日本電気HE)

(主な選手)
12、2時間16分38秒 ブラ(タンザニア)
14、2時間18分32秒 森田修一(日産自動車)
18、2時間18分53秒 池田克美(リクルート)
21、2時間19分16秒 阿部文明(日本電気HE)
24、2時間19分34秒 大八木弘明(ヤクルト)
25、2時間19分52秒 バッヘンブルナー(ドイツ)
36、2時間21分49秒 徳永大輔(鐘紡)
51、2時間24分01秒 近藤孝志(ヤクルト)
67、2時間27分18秒 西村義弘(新日鉄大分)
棄権 シャハンガ(タンザニア)
312ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 23:06:55
44回大会 優勝 デンシモ(エチオピア) ラップタイム

5km 15分37秒
10km 30分44秒(15分07秒)
15km 45分56秒(15分12秒)
20km 61分14秒(15分18秒)
中間点 1時間04分34秒
25km 1時間16分48秒(15分34秒)
30km 1時間32分40秒(15分52秒)
35km 1時間48分25秒(15分45秒)
40km 2時間04分36秒(16分11秒)

2時間11分35秒
313ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 23:17:27
>>277 は昔、私が書いたものだな。

1970年頃を境に何故急激にマラソン王国が崩壊したのかが興味のあるところだ。
うまく代替わりできなかったということに尽きるかもしれないがとトップ選手
も記録を出せなかった。70年に宇佐美が日本新を出してから10分台,11分台の
レースは茂の快走まで皆無で、12分台後半のレースが僅かに2つ(75年毎日の
宇佐美が40秒、同年福岡での猛の52秒)があるのみであった。70年までに12.40を
上回る結果が5人によってのべ6回出されたことを考えると寂しい限りであった。
その結果77年終了時のランキングは宇佐美(70)、佐々木精一郎(67),重松(65),
谷村(69),采谷(70),宗猛(75),浜田(74),佐々木敏治(69),小沢(75),服部(75)
と古い記録が並ぶことになった。

このうち若手と期待された谷村が71年に京都マラソンで2:13:45の大会新で優勝
して以来ぱったりと活躍を聞かなくなった。クラレ自身繊維不況のあおりを受け
陸上部が縮小されつつあったが、それ以上のことであった。ちなみにクラレには
老雄寺沢の他に学生長距離界の王者であり高校記録保持者であった宮下敏夫も入社
(現木内敏夫。指導者として活躍)したが入社1年目の全日本社会人駅伝で最長
区間を走って優勝に貢献した程度で活躍はできなかった。

他に期待された選手として大槻憲一(東洋工業)が挙げられる。彼は社会人駅伝の
最長区間の区間新を2年連続で出し、宮下を追い込んだその人でもあった。因みに
この記録は75年に鎌田俊明に破られるまで残り、全盛期の伊藤や宗兄弟でも並べな
かった好記録であった。大槻は72年の福岡でショーター、ファーリントンについで
3位に入り、ランキング1位であったが73年から急激にフェードアウトした。因み
に東洋工業の駅伝部も急に弱くなり、企業業績と無関係だった訳ではなさそうである。

さて次に期待された若手は北山吉信であった。73年に毎日、マクソールと立て続けに
2:13:24, 2:13:29を出し、その安定性から73年の福岡での期待は大きかった。しかし
結果は5km 14.36で入って最初から独走したショーターにかき回された訳でもなかろうが
惨敗。その後、2度と浮かび上がることはなかった。

73年の福岡でデビューしたのは宗兄弟である。西日本マラソンでワンツーフィニッシュ
をしたせいもあって最初からメディアが大きく取り上げていた。しかし期待通りの走り
をするのは茂が78年以降、猛は79年以降である。

74年,75年の別府では若手でスピードのある選手が比較的好記録を出した。浜田安則は
鹿児島中央高教員から京セラに舞台を変え、モントリオール最終予選に挑んだが惜しくも
4位で代表を逃した。74年初マラソン日本最高を出し、箱根男としても名を馳せ、30km
レースでは途中屈伸をしても楽勝した服部誠は期待されたが75年福岡8位の後に
ニュージーランド合宿に参加し、基礎体力のなさを思い知らされ、故障したのか
毎日(最終予選)では惨敗であった。小沢は初マラソンの後活躍できなかった。
チーム内の森口に負けた後、森口が自信をつかんだ一方で小沢は不振を極めてそのまま
消えたようである。このようになかなか不振を抜け出せないまま瀬古の登場を迎える
ことになった。

314ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 23:47:01
>>313

1972年−1977年(マラソン暗黒期) 日本歴代 パフォーマンス20


1、2.12.40   宇佐美彰朗(東海大教)1975年大津毎日
2、2.12.52.0 宗猛(旭化成)    1975福岡国際
3、2.13.04.2 浜田安則(鹿児島中央高教)1974別府大分
4、2.13.10.4 小沢欽一(神戸製鋼) 1975別府大分
5、2.13.13   服部誠(東農大教員) 1975福岡国際
6、2.13.24   北山吉信(旭化成)  1973大津毎日
6、2.13.24  (宇佐美彰朗)     1974大津毎日
8、2.13.29  (北山吉信)      1973マクソール
9、2.13.40.0(服部誠)       1974別府大分
10、2.13.47  (浜田安則)      1975福岡国際
11、2.14.00.6 大槻憲一(東洋工業) 1972福岡国際
12、2.14.06   森田義昭(旭化成)  1973マクソール
13、2.14.10.6(宇佐美彰朗)     1974福岡国際
14、2.14.21.0 水上則安(新日鉄)  1974別府大分
15、2.14.22.0 長野義文(旭化成)  1975別府大分
16、2.14.22.2 重竹幸夫(九州電工) 1976別府大分
17、2.14.27.0 三原一郎(鳥栖工高教)1974別府大分
18、2.14.50.6 田中末喜(東洋ベア) 1976別府大分
19、2.14.55.6 君原健二(新日鉄)  1973別府大分
20、2.14.59   宗茂(旭化成)    1976福岡国際
315ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/24(土) 23:51:01
73年別府毎日マラソン優勝で一線を退いた君原であるが選手生命の危機は少なくとも
2回あった。一つはメダルを期待されて8位と(本人としては)惨敗した東京五輪の
後であり、もう一つは71年あたりである。70年年末にアジア大会二連覇を果たした
すぐ後に別府を2.16.52で制した(2位は佐々木精一郎2.18.05.2)後、無謀にも
毎日マラソンにも挑戦した。このレースは前年の福岡で自己ベストを更新した
采谷が下馬評通り2位に3分差をつける圧勝をしたが記録はそれほどでもなかった。
その一方で君原はレース前から不調を伝えられる中で13位と惨敗。今までの最低
順位8位(東京五輪!)を大きく下回った。よく分からないのはその後も
プレオリンピック(宇佐美に次ぎ2位)、福岡(不振で11位)とレースに出まく
ったことである。酷暑のアジア大会から1年で5レースはいくらなんも過多であろう。
その結果、故障で練習不足のままミュンヘン最終予選の毎日マラソンに臨んだ。

毎日の本命はダントツで宇佐美であった。ところが2番手が見あたらない。
前年の覇者でプレオリンピックは7位に終わった采谷は故障で不振が伝えられ、
ゼッケンも13であったと記憶する。ゼッケンの2番は君原であったので不振を
極めた君原が二番目の選手という扱いであったのだろう。ほんの2,3年前に
いた沢山の若手選手はこの時点ですっかり消えていた。

レースは超スローペースで始まる。そのスローペースにも君原、采谷はつけず
第2集団、第3集団に入ってしまった。折り返しの時点で君原は18位で采谷は
順位も報告されない程の独自のレースであった。一方先頭集団はスローペース
ながら徐々に絞られ32kmで原嘉則(小西六)がスパート。一時宇佐美に300mの差
をつけた。しかしオーバーペースだったのかすぐにペースが鈍り36kmで大本命
の宇佐美がトップに立った。この時点で後続は遙か彼方であったので予想通り
宇佐美の楽勝かと思われた。しかし折り返し後次々と選手を拾っていく君原の
追い上げが急、気が抜けた宇佐美のペースが落ちる中でついに39km付近の瀬田
の唐橋で宇佐美に追いついた。宇佐美は驚いたことと思うが両者が併走すること
1km、冷静にスパートをし最後には42秒差をつけて優勝した。采谷は後半激しく
追い上げ3位に食い込み、問題なく上位3人がミュンヘンの代表に選ばれた。
しかし冷静に考えると故障を抱えた老雄2人を含み、エース宇佐美は集中していない
といえ勝負所で2度の失態をしており、極端に悪いタイムと相まって本番への
不安材料は多かった。

1.宇佐美彰朗(桜門陸友会)2:20:24
2.君原健二(新日鉄八幡)2;21;06
3.采谷義秋(竹原高教)2:22:48
4.原嘉則(小西六)2:23:24
1972−1977 福岡国際マラソン 優勝者と日本人トップ 成績



1972(昭和47年) 第7回大会 @ショーター(アメリカ)2.10.30.0 
                  B大槻憲一(東洋工業) 2.14.00.6

1973(昭和48年) 第8回大会 @ショーター(アメリカ)2.11.45.0
                  D大槻憲一(東洋工業) 2.16.17.8

1974(昭和49年) 第9回大会 @ショーター(アメリカ)2.11.31.2
                  E宇佐美彰朗(桜門ク会)2.14.10.6

1975(昭和50年) 第10回大会 @ドレイトン(カナダ)2.10.08.4
                   E宗猛(旭化成)   2.12.52.0

1976(昭和51年) 第11回大会 @ドレイトン(カナダ)2.12.35.0
                   C宗茂(旭化成)   2.14.59.0

1977(昭和52年) 第12回大会 @ロジャース(アメリカ)2.10.55.3
                   D瀬古利彦(早稲田大学)2.15.00.1
>>315
ミュンヘン五輪選考会は今までで最多の
1969年タイムスマラソンから合計9つの陸連指定レースが実施。
その他にも海外遠征での成績が加味される大掛かりなものとなったが
日本人選手の成績が芳しくなく、最終的に1972年の毎日マラソンの
最終選考会で上位を占めた宇佐美彰朗(桜門陸友会)、君原健二(新日鉄)
采谷義秋(竹原高校教員)の3人が推薦された。
宇佐美は世界で通用する絶対のエースだったが、その他2人が混沌とした
というのが実情だった。
ミュンヘン前の頃の宇佐美は本当に強かった。国内の選手では負ける気が
しなかったのではないかな。71年の国際マラソンもまだ売り出し中だった
ショーターに負けたのは信じられないくらいの優勝候補だった。

ミュンヘンの時の宇佐美は気負ってたな。前半集団の先頭に立つシーンも
あって健闘していたが、ずるずる後退。
3回のオリンピックで9位、12位、36位と結果をだせなかった。結局、メキシコ
五輪の最終選考、毎日マラソンで初優勝した勢いで走ったメキシコ五輪が
一番いい順位になってしまった。

当時は毎日マラソン(今のびわ湖毎日)が五輪選考会になっていたが
宇佐美はこの毎日マラソンとの相性が抜群に良く、三回の五輪選考は
いずれも優勝して選ばれている。
メキシコの最終選考の毎日マラソンは、1位宇佐美、2位采谷、3位君原だった。
宇佐美は文句なし決定。毎日マラソンは不参加だったが、国際マラソンで世界最高を出し、
次の別府でも采谷・君原を抑えて優勝している佐々木も決定。それで残る一枠をめぐり、
采谷と君原どちらを選ぶか議論されたが、最終選考とその前の別府で采谷が君原に勝っていたため、
大方は采谷を推していた。しかし君原のコーチである高橋進が猛反対。
「メキシコは2300mの特殊な環境のため、プレ五輪やメキシコでの合宿を数度経験してる君原が有利。
新人は五輪の特殊な雰囲気に飲まれやすいため、宇佐美、佐々木という新人に
キャリアのある君原を加えた布陣がベスト」とゴリ押し。結局その場で答えは出せず、
采谷、君原ともに代表候補にし、最終的にどちらかに絞ると決めた。その方法として、
高地経験のない采谷はメキシコで試走、君原は6月のウィンザーマラソンでどれだけ走れるか見るとした。
そしてメキシコに行った采谷は高地障害に陥り、レース・練習ともに普段の実力を出せず、
ひきかえ君原は27度の高温下で2時間15分で走り優勝した。そしてようやく宇佐美・佐々木・君原の3人に正式決定した。
7月14日、五輪の3ヶ月前のことだった。

まあいつの時代も自分の選手を五輪に出そうとコーチは必死になるもんですね。
君原本人は醜い争いをしてまで五輪には出たくないと思っていたみたいで、
「ミュンヘンの代表に采谷君が選ばれてホッとした。」と言っていたのを何かで読んだ。

五輪選考史上、一番の不徹底さが残ったメキシコ五輪選考での

第三代表枠・君原、采谷(うねたに)の判断基準は

夏合宿後の1968年7月24日に

@ メキシコにおける4選手(佐々木、宇佐美、采谷、君原)のこれまでの成績

A 7月中旬の富士合宿での体調

B 富士合宿後、大体大で行った低酸素耐性の成績

を基に佐々木、宇佐美、君原が決定。采谷は補欠となった。
321ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 00:22:59
73年の福岡が期待外れで終わった翌74年は浜田の日本歴代6位の快走と2位の
学生服部による初マラソン最高、学生新記録に沸いた。このレースで浜田は
(追い風にも乗って)後半で14分台のスプリットを出し、大いに期待させる
ものであった。しかし主役は老雄宇佐美であった。ミュンヘン後沈黙を保って
いた彼は体を前掲させてぎりぎりまで待ったときに一歩が自然と出るという
新走法をひっさげて毎日マラソンに出場。(確か浜田も出ていたと思う)若手
を一蹴し、11分台は出る好ペースで独走した。しかし終盤10m先も見えない
豪雨に見舞われペースダウン。残念ながら北山の記録と同じ2:13:24でのゴール
となった。しかし期待された福岡では6位と惨敗。やはり日本人相手では貫禄と
レース勘の違いを見せるものの強い海外選手相手には多くは期待できないと思わ
せた。因みに宇佐美は翌年も毎日で好走、福岡で惨敗(25位)を繰り返している。
福岡の惨敗は酷暑のプレオリンピック(4位)のせいかもしれない。

プレオリンピックで優勝したのは水上であった。彼の生涯記録は74年別府で3位
になったときのものであり絶対的スピードは不足していたものの暑さに強いという
特性を持っていた。75年の福岡では宇佐美同様惨敗したが翌年の毎日で宇佐美に
次いで2位に入り代表に選ばれた。本番では酷暑になればと期待したが実際には
夏にしては冷たい雨に見舞われハイペースのレースとなり水上への期待は消えた。

モントリオール前の冬に若手選手を大々的に集めて日本チームとしてのニュージーランド
合宿を敢行した。結果から言えばこの合宿が日本の再建に果たした役割は大きい。
瀬古が社会人になっても暫くは2チーム体制でニュージーランド合宿は続いた。
合宿最終日にはマラソンも行い、宗兄弟が2.13.18で並んでゴール。前年福岡で
12:52で走った猛はともかく茂のベストは2.15.50に過ぎなかったが潜在力は大きく
上回ることを知らしめした。逆に服部はこの合宿で体調を壊したようである。しかし
宗兄弟も特に期待された猛がオーバーワークで最終予選の毎日を欠場。茂は何とか
3位に食い込んで代表の座をつかんだものの宇佐美、水上から大きく遅れた3位
(2.18.05)でまだ本当の実力がある訳ではないことを露呈した。因みに3位を争った
のは浜田で惜しいところで代表を逃した。
322ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 00:40:30
76年のニュージーランド合宿で風向きが変わってきたのは一つには企業枠に
囚われない全日本での強化体制が確立したことともう一つにはトラックや
ロードに好記録を出す若手が続々と現れるようになった点にある。

例えば30kmの日本記録は71年に宇佐美が出した1.31.26.だったがそれを更新
したのは二十歳の伊藤国光であった(1.31.22.8=75熊日)。伊藤は前年の
実業団駅伝でも最長6区を快走、区間賞で鐘紡に優勝をもたらした。また75
年には高尾信昭が沢木の記録を25秒余り更新する28.10.47を出し、社会人1年目
の喜多秀樹も28.32.0と沢木の記録を上回った。高尾は奥さんの急死に発憤した
面も強くその後は活躍できなかったが喜多や伊藤のその後は皆の知る通りである。

また75年のトラックシーズン終了後に急激に台頭してきたのが鎌田俊明であった。
鎌田はチーム内で伊藤と高尾を凌ぎ実業団駅伝6区の座をつかみ区間新で走った。
また翌年には伊藤の記録を1分以上更新する日本新で熊日を制し、76年では
トラックではほぼ無敵だった。翌77年に現代でも通用する歴史的記録27.48.63
を出している。因みにこのときの1位はケニアのキモンバで27.30.5の世界新で
あった。鎌田の初マラソンは77年の別大で終盤まで競ったものの4位、翌年も
茂に一人食いついたものの終盤崩れて4位に終わった。その後、マラソンの記録
を更新することはなかったが鎌田が果たした役割も大きかった。
323ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 01:01:33
鎌田は晩年を汚した 
324ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 01:05:50
>>305
世界規模で言えば賞金による囲い込みがあるでしょう
ボストンも「アマチュアの砦」として頑なに賞金出さなくて賞金出し始めたら盛況になったし

福岡も同様。ただ1987年まではオリンピックの選考会で、しかも日本人の代表候補として、
瀬古、中山、宗茂、宗猛、新宅、谷口、伊藤、児玉、と8名もいたし(故に一発選考騒動が起きた)、
それなりのステータスがあった。
しかしロス五輪後に賞金レースがより盛況になり、福岡も日本人が弱くなることから、ホスト国として地盤沈下を起こす

それは上記8人のうち、ソウル五輪後も活躍したのは中山、谷口のみで、
一発のみの活躍で、森田、渋谷、(世界記録保持者デンシモを追い詰めた)弘山あたりも伸び悩んだ部分からも伺える

確かにその後、森下、早田を輩出するが、その頃の日本のマラソンの舞台は東京に移っていた

その東京もダイエーグループの協賛で中山が積極的(?)に出場しており、そのステータスが上がった部分もある

そう考えると、時代に沿って、日本国内にも「ステータス」があった。
しかし今は出場選手の分捕り合戦があり、また主催新聞社の攻防も激化し、
「ステータス」が分散する事となってしまった。
陸連が旗を振って男女とも一つのマラソンに「ステータス」を集中させれば、
そのマラソンを目指すことで日本のマラソンのレベルも上がるだろうし、
またそこに海外の有名選手が出場することで、よい経験になる。勝てば自信になる。

世界のマラソンレースも賞金化でステータスが分散した。
国内外共に同じジレンマが発生していると思いますよ。

ただし、(私見だが)石原慎太郎東京都知事の私的利益色が濃厚な「東京マラソン」にそのステータスを集中させてほしくないなあ
>>321
宗猛は1976年のモントリオール五輪最終選考会の大津毎日を走っている。
前年福岡で日本人トップ(2゚12'52")で走った後、76年1月のニュージーランド合宿に参加。
この時の総監督が中村清。瀬古と知り合う前の時期。コーチが広島日出国や貞永信義ら。
猛は五輪が見えてきただけに名一杯練習を重ねる。逆に茂は疲労で走れず。
しかしそれが祟り4月の選考は茂が3位、2゚18'05"で代表権を獲得したのに対し、
猛は38位、2゚29'32"も要し撃沈している。
326ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 01:11:38
私見だけど東京マラソン
「世界一記録が出やすいコース」にすればかなりのメンバーが集まってステータスが上がると思うんだけどな
コーナー多すぎ
327ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 01:24:58
76年の終了時で5000mの高校歴代ランキングは

1. 吉富悟(大牟田)14.17.4 76
2. 宮下敏夫(川越工?)14.18.6 67
3. 鎌田俊明(秋田市立)14.24.6 69
4. 佐藤市雄(宮崎中央)14.29.2 69
5. 新宅雅也(西条農)14.32.4 75
6. 伊藤哲二(宇治山田商)14.32.6 75
7. 瀬古利彦(四日市工)14.33.0 75
8. 吉村良二(小林)14.35,0 75
9. 角田幸夫(大牟田)14.37.0 76
10. 西村義弘(鶴崎工)14.38,8 75
11. 中村孝生 (前橋工)14.39.4 75

くらいであったと記憶する。75年の三重国体は好レースでリストの75年の記録
の他、当時2年の吉富も14.33.5程度で走っている。注目したいのはそのまま
一流選手になった割合が多いことである。75年のランキングでは下位に沈んだ
中村はIHの5000では2連勝をしており1500では瀬古の高校記録を更新している。
(その記録を更新したのは現中国電力監督の坂口泰)。

リスト最上位の吉富は卒業後順調に伸びたとは言えないが1500では日本のトップ
クラスの選手だった。弟も活躍したが何より有名なのは妹の純子だろう。吉富
兄妹が早熟であったのは父親の指導に依るところが大きい。しかし父親が早く
亡くなったとこと、吉富兄妹が入社した新日鉄の高橋進監督との確執があったこと
は彼等にとっては不幸なことであった。後に高橋は月刊陸上で名は伏せていたものの
すぐ純子と分かる書き方で生活態度がなっていなかったとあしざまに書いている。

宮下、鎌田について説明するまでもない。佐藤は実業団駅伝区間賞10回という
駅伝男のイメージが強いが73年の日本選手権では5000,10000の2種目制覇をしている
(10000は歴代5位)。新宅、瀬古は省略。伊藤哲二は日体大で箱根には出たが
1年のアンカーでブレーキに近く辛うじて優勝のテープ、4年では1区で石川海次
に遅れを取る等あまり活躍したとは言えない。大学卒業後は不明。吉村は日大に
進学したが箱根レベルの活躍もなかった。角田も活躍しなかったが西村、中村の
活躍は読者のよく知るところである。

何れにしても当時の高校生のレベルでは14分台を出せれば一流であった。77年に
20人の14分台が出たことが驚きをもって迎えられた程である。好記録が出た75年
も中村の記録の次は2年の上田誠仁(現山梨学院大監督)が50秒台で走ったのみ
で更に次は15分台であった。因みに上田は76年の長野IHで大本命の吉富に果敢に
挑み14.41.の大会新で2位になっている。当時の高校レベルと現在は比較になら
ないが、シニアになったときのベスト記録は下手をすると劣っている。つまり
促成栽培に害があることを示唆している。実際、宗兄弟は田原貴之が中学時代に
1500を4分5秒程度の中学新を出したことを見て絶対潰れると評していた。その後
田原は800で高校タイを作り国体優勝,1500でも高校新を出したと記憶する。しかし
早稲田に入った後に箱根を走らされたこともあって大成できなかった。
328ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 01:27:26
東京のコースは以前は前半は北参道〜青山通り、赤坂見附などを通っており
浩宮様(現・皇太子)が赤坂御所前の沿道で手を振って応援していた。        
329ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 01:49:30
高校生が好記録を出して伸びなくなるのは80年代から定着するようになった。
吉富の記録を更新した後藤芳文、それを更新した工藤康夫は何れも卒業後パッ
としなかった。工藤は箱根のゴールを切ることが多くそれなりの印象を残した
が選手としては駄目だった。その後、巽、武井(13分台突入)、(10000のみの
渡辺)、古田、佐藤清治、土橋、佐藤秀和と続くが武井(と10000の渡辺)を
除くと大学以降成功した選手はいない。また駅伝強豪校から強い選手はなかなか
出ない。これは79年のテレビ放送以来に急激にレベルアップした高校駅伝の
負の側面だろう。

逆に高岡はチーム2番手の選手、森下は駅伝ではチームは出ず、諏訪、油谷も
高校時代は無名だった。尾方は国体で渡辺に僅かの差の2位ということでおおいに
注目されたが大学時代は全くの不振。かえって走らずに済み体に負担をかけること
はなかった。箱根駅伝の弊害はよく指摘されるが高校駅伝の方も大いに問題がある。
>>328
83年東京国際で瀬古がゴメスを振り切ってスパートしたのが
38km過ぎの赤坂見附の上り坂でしたね。
>>327
吉富は新日鉄に入り将来を期待されたが、当時は君原健二が新日鉄の指導に当たっていた。
自主性を重んじた君原だったが、吉富自身は指示されこなしていくのが向いていたようだ。
のちに練習にも出なくなり優れた才能を生かしてあげられなかったと後年、君原は書物で語っていた。
高校からトップに立ち、順調に大学、実業団とトップを維持し、日本記録樹立と五輪出場を果たした
のは沢木啓祐と瀬古利彦のみだろう。
沢木はユニバーシアードも制覇。
残念なことに出場した五輪で結果を出せなかったのも両人共通している。
>>309
11、2時間15分49秒 須永宏(日本電気HE)

いたね、そんな選手が。
腕を突っ張って走る特徴あるフォーム。

>>327さんも書いているけど、
高校のレベルは上がってもマラソンには
反映されていないんだね。弊害かどうかは
分らないけど。
でも、マラソンに限らずどの競技でも太刀打ち
できてない訳で、日本のスポーツは壁にぶち当たってるでしょ。
部活なんていう貧弱なものが育成システムの中心じゃ無理だし、
何より学校や企業のためのスポーツは本筋じゃないよ。
334ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 19:43:38
>>332 沢木啓祐は確かに瀬古に似たところがある。

沢木は大阪春日丘高校出身。1960年のインターハイでは1500,5000の2種目制覇
で超高校級ランナーとして大いに注目される。(しかし記録は4分台、15分台)
沢木は当時新興の順天堂大に進み帖佐寛明の指導を受ける。大学進学後も順調に
成長し、1965年には早くも13:45:2の日本新(従来は岩下察男の13:55:0)を出し、
ブダペストのユニバーシアードを制覇。翌1966年は沢木が最も輝いた年で、T&F
News の実力ランキングでも5000mで6位に入っている。因みに5000でランクイン
した日本人は沢木のみで66年の6位と68年の8位があるのみである。

66年の遠征では
6.9 (ワルシャワ)1500 1位 3.46.6
6.19 (クンチンスキー記念) 3000 3位 7.57.0 =日本新
6.22 (ロンドン:4大学対抗)5000 1位 13.36.2=日本新
6.29 (ヘルシンキ)10000 1位 28.59.0 =日本歴代2位
7.3 (ズナメンスキー記念) 5000 1位 13.47.0
7.5 (ストックホルム)5000 5位(このレースでクラークが13.16.6の世界新)
7.7 (へーセルホルム)3000 4位
7.12 (オスロ) 10000 7位
というものであった。終盤疲れたものの序盤から中盤にかけては絶好調で、
世界の一流選手にひけを取らない走力、特にキックの強さを印象づけた。
圧巻はロンドンの試合でゴール前100mで世界記録保持者のクラークを抜き、
ゴール前20mで東京、メキシコでの連続銀メダリストのガムーディ(チェニジア)
をかわし、日本新で快勝。世界に沢木ありを印象付けた。

翌1967年にも沢木は1500で3.44.5の日本新を樹立。8月30日からの東京での
ユニバーシアードでは5000,10000の両種目制覇(5000は連覇)で地元のヒーロー
となる。特に1日目のネルソンとの争いは見る者を熱くさせたが必殺のラスト
スパートで快勝した(途中遅れ気味のときもあったと記憶する)。この東京ユニバ
では沢木は聖火の最終ランナーでもあり、その期待に応えた形になる。

翌1968年も沢木は好調を保ち、10000m28:35:2, 5000m 13:33.0, 3000m 7:56:5の
三種目で日本新を樹立した。これらのうち10000mは7年、5000mは9年日本記録として
君臨した。10000mの記録は今では平凡だが、5000mの記録は今でも日本ランキング
の上位に入れる記録である。東京ユニバのヒーローでもあり知名度もあった沢木は
メキシコで大いに期待されたが初日の10000は2400m付近でアメリカ選手に跳ね飛ば
されフクラハギを強打したこともあって29位と惨敗。鈴木従道(21位)にも遅れを
取った。5000も予選9位で15分も切れない記録で予選落ち。全く精彩を欠いた。
初日の怪我ばかりでなく高地対策も十分でなかったように思われる。
 メキシコ後は故障もあって活躍する機会はあまりなかった。ミュンヘンには滑り
込みで代表に入ったものの宇佐美の記録にも及ばず期待は高くなかった。果たして
予選でも宇佐美より悪い記録と順位(12位 29:29.0)で文句なく予選落ちだった。

 瀬古と沢木は共通する側面が多い。沢木は戦後最高の5000mランナーであった
一方で瀬古は最高の10000mランナー(T&F News Rankingで1980,85年にそれぞれ
4位)であった。またラストのスプリントが切れ、ここぞというところで勝負強
さを発揮したという点でも共通している。しかし肝心の本番では駄目であったと
いうことまで共通している。  
 
>>334
そして瀬古と沢木が大きく違ったのがマラソンの取組方だっただろう。
瀬古は順調に距離を延ばしマラソンでも大成したが、沢木もマラソンを走っている。
初マラソンで当時としては及第点にあたる2゚16'06"を記録してその後を期待されたが、
結局これが生涯記録。その後のマラソンはどのような戦歴だったのかは具体的にはわからないのだが。
336油オタ:2007/02/25(日) 20:30:16
565 名前:ゼッケン774さん@ラストコール[] 投稿日:2007/02/24(土) 22:50:08
オレは「女生徒に虐められた中学時代」を始め、あらゆる人生で陰毛を燃やされて暴れて醜態をさらしてきた惨めな奇形児朝鮮人36歳。
オレ本人の妄想によると中学中退直前に間接的に『担任を変えろっこのままじゃ取り返しのつかないことになる』みたいな発言してたら…

その直後に陰毛を燃やされて何故か気持ち良くなって


イ           キ           ま            し            たw



助けてくれると思った担任は笑ってオレを追い出しました。『他の生徒の邪魔。病人は学校に来なくていいよ。精神病人は』

以来オレは36歳の現在まで20年以上無職wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ウンコを食わせろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww頃せぇぇええええええええええええええええええええええええ


オレは完全な狂人なのでまともに相手にしてはいけない。
337油オタ:2007/02/25(日) 20:33:21
620 名前:ゼッケン774さん@ラストコール[] 投稿日:2007/02/25(日) 20:21:04
ねぇ、615がオレ自作自演童貞食糞奇形児変質者朝鮮人(38歳)なの?俺、詳しくないんだけどw

オレは毎日奇声を上げて叫んでいたおかげで中学時代いじめに会いました。
パンツを脱がされたおかげで奇刑包茎悪臭ちんぽがバレて
女生徒全員に臭い臭いと笑われズボンとパンツは燃やされ
ついにチン毛に火を点けられ、、陰毛を燃やされましたw
『熱いぃっぃ熱いぃぃぃいい』と叫んだオレですが、やがて


イ             キ             ま             し               たw


オレはフルチソで泣きながら家に帰りました。
オレはそれ以来引き篭って学校に逝ってないんだぞwww
20年以上無職だぞwwwwwwwwwwww
毎日オナニー1日10回の生活だwwwうらやましいだろwwwwwww

何で引き篭り精神異常脳破壊の奇刑児の俺を構ってくれないんだぁぁぁぁああああああああああああ
だから俺の異常ちんポがもげそうだぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
オレは犯罪者なので奇刑チんぽが臭いぃいいいいいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
早く頃してくれぇぇぇっぇえええええええええええええええええええええええ 
338油オタ:2007/02/25(日) 20:34:58
625 名前:ゼッケン774さん@ラストコール[] 投稿日:2007/02/25(日) 20:25:00
>>623
おいおい。誰にも止めようがないぞ。
陰部が腐敗してるのかな?オレみたいな腐敗奇形児朝鮮人が中学を卒業できるとは思えないのだがw

中学の時俺の奇形包茎短小ちんぽを女生徒の前で晒されいじめにあって
ネットで臭い俺の奇形ちんぽを公開されました。
以来俺は学校に行かず引き篭りです。
俺の人生は毎日10回のオナニーと母親に奇声を上げるだけの充実した日々
だから人生に既に失敗した精神障害者で人格を疑われる
俺の異常ちんぽがもげそうだぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
俺は犯罪者なので奇形ちんぽが臭いぃいいいいいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい
早く頃してくれぇぇぇっぇええええええええええええええええええええええええ
339瀬古信者:2007/02/25(日) 20:36:54
565 名前:ゼッケン774さん@ラストコール[] 投稿日:2007/02/24(土) 22:50:08
オレは「女生徒に虐められた中学時代」を始め、あらゆる人生で陰毛を燃やされて暴れて醜態をさらしてきた惨めな奇形児朝鮮人36歳。
オレ本人の妄想によると中学中退直前に間接的に『担任を変えろっこのままじゃ取り返しのつかないことになる』みたいな発言してたら…

その直後に陰毛を燃やされて何故か気持ち良くなって


イ           キ           ま            し            たw



助けてくれると思った担任は笑ってオレを追い出しました。『他の生徒の邪魔。病人は学校に来なくていいよ。精神病人は』

以来オレは36歳の現在まで20年以上無職wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
ウンコを食わせろwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww頃せぇぇええええええええええええええええええええええええ


オレは完全な狂人なのでまともに相手にしてはいけない。
340ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 21:02:07
>>334 訂正:帖佐の名前は寛章
またガムーディは東京10000銀、メキシコ5000金、10000銅、ミュンヘン5000銅。
341ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 21:30:09
メルボルンオリンピックの最終聖火ランナーであり東京オリンピックでアベベの世界記録を演出した
ロン・クラークは17度にわたって世界記録を更新した最後の偉大な万能ランナーであった。しかし
キックの無さからオリンピックで手にしたのは僅かに東京五輪の10000mでの銅メダル
のみであった。また本命と目されて臨んだメキシコ五輪では10000mの決勝において高山病で倒れてし
まい、その影響で心臓の後遺症に苦しむこととなってしまった。
 クラークの更新した主な世界記録(5000,10000)は以下の通りである。

28:15.6 Ron Clarke Melbourne, Australia December 18, 1963
28:14.0 Ron Clarke Turku, Finland May 16, 1965
27:39.4 Ron Clarke Oslo, Norway July 14, 1965

13:34:8 Ron Clarke Hobart, Australia Jan 16, 1965
13:33:6 Ron Clarke Auckland, New Zeeland Feb 01, 1965
13:25:8 Ron Clarke Compton, USA Jun 04, 1965
13:16:6 Ron Clarke Stockholm Sweden July 05, 1966

この表から分かる通り全盛は1965年、1966年でそれまでの記録を全く違う
レベルに引き上げた功労者であった。5000mは1965年に一度ケイノ(ケニア)
に記録を更新されるも66年に大きく記録を更新し、これらの記録は何れも
1972年にフィンランドのビレンに更新されるまで世界記録として更新した。
しかしこの全盛期ですら遥かに記録に劣る沢木にラストで交わされる等、
スプリントの乏しさは致命的とも言えた。更に大試合では南半球のハンディも
あって勝負運には恵まれなかった。

342ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 21:38:22
あと2・3年したらマラソン史上最も強いランナーは
瀬古かゲブラセラシエになるんだろうな。
どこかで世界新出して大阪で勝って北京で勝って。
>>329
けど武井自身も実業団に入った後は、花田や櫛部の陰に隠れて目立たなかった。
ニューイヤーで区間新を出した程度で、トラックの活躍ではこの二人や平塚の後塵を拝した。
2002のびわ湖を制して復活したと思われたけど、結局その一発で終わってしまった。

渡辺は福岡のマラソン前に故障して、その後も故障を連発。実業団入り後は期待はずれな戦績にとどまった。
古田にいたっては箱根に潰されたといったぐらいで大学に入ってからほとんど伸びず。実業団にも3年といられなかった。
佐藤清治にいたっては古田以上に悲惨。大学2年以降は大会にすらほとんどでられなかったほど。紡織に入社も1年で退社。
土橋・秀和は潰れたとまではいかないが、高校時代の走りとは程遠い状態。
悠基も大学に入った後記録こそハイレベルを維持してるが、記録はほとんど更新できていないと来たものだ。
東京ーモントリオール五輪 日本長距離成績

1964年 東京

 5000m 岩下察男 予選6位14.18.4(落選)

10000m 円谷幸吉 6位 28.59.4
       船井照夫14位 29.33.2
       渡辺和己28位 31.00.6

1968年 メキシコ

 5000m 沢木啓祐 予選9位 15.00.8(落選)

10000m 鈴木従道 21位 30.52.0
       沢木啓祐 29位 31.25.2

1972年 ミュンヘン

 5000m 小山隆治 予選8位14.12.6(落選)
       沢木啓祐 予選7位13.44.8(落選)

10000m 宇佐美彰朗 予選10位29.24.8(落選)
       沢木啓祐  予選12位29.29.0(落選)

1976年 モントリオール

 5000m 鎌田俊明 予選8位13.38.22(落選)

10000m 鎌田俊明 予選7位28.36.21(落選)

ゼッケン774さん@ラストコール :05/02/24 01:56:09
>>298
当時の資料がありますが、
1970年以前で1万mを29分以内で走っているのは本当に
少なかったようです。

1、28.35.2 沢木啓祐(順天大教員)68年6月27日
2、28.40.8 佐々木精一郎(九州電工)68年6月27日
3、28.42.8 鈴木従道(東洋ベア)69年7月8日
4、28.52.8 円谷幸吉(自衛隊体育学校)64年8月27日

の4件のみです。佐々木は68年当時で28分40秒まで記録をのばして
いるようです。そして5千mを13分で走破しているランナーは

1、13.33.0 沢木啓祐(順天大教員)68年7月3日
2、13.53.2 佐々木精一郎(九州電工)68年7月3日
3、13.54.8 土谷和夫(日大)66年11月5日
4、13.55.0 岩下察男(旭化成)64年8月29日
5,13.55.8 鈴木従道(東洋ベア)69年6月25日

がべスト5になってます。沢木と同時に記録を出したとはいえ、
5千13分台、1万28分台を同時に記録したのが沢木と佐々木のみ
を考えると当時の無類のスピードランナーだったことが言えますね。
1977−1979 主なトラックレース 日本勢成績

1977.06.30 ヘルシンキ国際陸上 10000m
               鎌田俊明(鐘紡) 27.48.63(日本新記録)


1977.9.2−4 ワールドカップ陸上(デュッセルドルフ)
        5000m 優勝 イフター(エチオピア)13.13.8
              7位 喜多秀喜(日本)   13.40.4

       10000m 優勝 イフター(エチオピア)28.32.3
              7位 鎌田俊明(日本)   28.56.3


1978.06.22 ケルン国際陸上  5000m
              優勝 瀬古利彦(早稲田大) 13.35.8
              2位 喜多秀喜(神戸製鋼) 13.26.2

1978.06.28−29 第12回ワールドゲームス(ヘルシンキ) 10000m
              優勝 バージン(アメリカ) 27.57.2
              3位 鎌田俊明(鐘紡)   27.57.9
              8位 ビレン(フィンランド)28.11.8
              9位 瀬古利彦(早稲田大) 28.12.2

1978.7.03−04 DNガラン陸上(ストックホルム) 10000m
              優勝 瀬古利彦(早稲田大) 27.51.61(日本学生新)
              6位 宗猛(旭化成)    27.59.31
              9位 鎌田俊明(鐘紡)   28.12.30
              10位 伊藤国光(鐘紡)   28.15.12

1978.09.25 8カ国対抗陸上(国立) 10000m
              優勝 オルチス(イタリア) 29.14.9
              2位 瀬古利彦(日本)   29.20.8



1979.06.19−20 13回ワールドゲームス(ヘルシンキ) 

10000m 
 優勝 瀬古利彦(早稲田大) 28.02.6
(ラスト1周を58秒6のスパート。バイニオ、ブラックをちぎっての優勝)
 4位 喜多秀喜(神戸製鋼) 28.06.9
 5位 伊藤国光(鐘紡)   28.15.5



1979.07.21−28 スパルタキアード(モスクワ プレ五輪)

10000m 決勝
 優勝 イフター(エチオピア)27.44.2
 5位 伊藤国光(日本)   28.13,9


瀬古利彦 トラック欧州遠征 全成績

1978.6.22 ケルン国際(ケルン)(5000m 優勝) 13.35.8
1978.6.28 ワールドゲームス(ヘルシンキ)(10000m 9位)28.12.2
1978.7.03 DNガラン(ストックホルム)(10000m 優勝)27.51.61
1978.7.04 DNガラン(ストックホルム)(5000m 11位)13.40.49

1979.6.20 ワールドゲームス(ヘルシンキ)(10000m 優勝)28.02.59
1979.6.23 4カ国対抗(ブレーメン)(5000m 3位)13.34.4
1979.6.24 4カ国対抗(ブレーメン)(3000m 7位)7.54.9
1979.7.05 オスロ国際(オスロ)(5000m 5位)13.37.6

1980.7.01 ビスレット国際(オスロ)(5000m 2位)13.30.94
1980.7.07 DNガラン(ストックホルム)(10000m 優勝)27.43.44(日本新)
1980.7.09 ワールドゲームス(ヘルシンキ)(10000m 3位)28.09.42

1981.7.09 DNガラン(ストックホルム)(10000m 2位)27.51.93

1985.7.02 DNガラン(ストックホルム)(10000m 4位)27.42.17(日本新)
1985.7.10 ローザンヌ国際(ローザンヌ)(10000m 優勝)27.45.89
1985.7.13 パリ国際(パリ)(5000m 2位)13.36.28

1986.7.05 ビスレットゲームス(オスロ)(10000m 6位)27.45.45
1986.7.11 プジョー.タルボット.ゲームス(ロンドン)(5000m 優勝)13.24.29(日本新)

1987.6.30 DNガラン(ストックホルム)(10000m 途中棄権)
1987.7.04 ビスレットゲームス(オスロ)(5000m 12位)13.38.65
1987.7.10 プジョー.タルボット.ゲームス(ロンドン)(3000m 6位)7.56.47  

円谷幸吉(自衛隊体育学校) トラック全成績

60.10.25 国体         5000m     15.08.6 5位
61.10.09 国体         5000m(予選) 14.24.2 1位
   10.10 国体         5000m(決勝) 14.58.8 2位
         全日本        5000m     14.59.6 6位
62.07.13 アジア大会最終予選  5000m     14.28.6 2位
   08.11 勤労者大会      5000m     14.48.2 2位
   10.07 一般対学生      5000m     14.36.2 2位
   10.12 全日本        5000m     14.20.8 優勝
   10.14 全日本       10000m     29.59.0 優勝
   10.23 国体         5000m     14.22.8 優勝
63.04.27 東日本実業団     5000m     14.39.4 3位
   04.28 東日本実業団     1500m      3.58.9 2位
   05.10 東京選手権      5000m     14.39.4 3位
   05.12 東京選手権     10000m     30.05.8 2位
   06.01 全日本実業団     5000m     14.29.6 2位
   06.02 全日本実業団    10000m     29.38.0 2位
   07.07 一般対学生     10000m     30.49.2 優勝
   08.24 ニュージーランド記録会  20000m     59.51.4 2位
                              (世界新記録)
   08.24 ニュージーランド記録会 同 1時間走      20081m  2位
                              (世界新記録)
   09.15 シドニー国際大会  10000m     29.25.2 優勝
   10.13 東京プレ五輪     5000m     14.14.0 5位
                              (日本新記録)
   10.15 東京プレ五輪    10000m     29.45.8 4位
   10.19 国際親善試合     5000m     14.13.8 優勝
                              (日本新記録)
   10.28 国体         5000m     14.08.8 優勝
                              (日本新記録)
   11.10 五輪候補記録会   10000m     29.13.8 3位

64.04.25 東日本実業団    20000m     62.37.2 優勝
   05.23 全日本実業団     5000m     14.25.8 6位
   06.07 国体         5000m     14.02.2 優勝
                              (日本新記録)
   08.20 五輪候補記録会   10000m     29.19.2
   08.27 五輪候補記録会   10000m     28.52.6 1位
                              (日本新記録)
   10.15 東京オリンピック  10000m     28.59.4 6位
65.08.14 関東選手権      5000m     14.33.4 優勝
   10.02 埼玉選手権      5000m     14.23.8 優勝
   10.02 埼玉選手権     10000m     30.28.4 優勝
   10.29 国体        10000m     29.27.0 2位
66.05    久留米記録会     5000m     14.54.0
67.03.05 青梅マラソン     30km    1。37.50.0 2位
   04.22 東日本実業団    20000m     63.42.4 4位
   05.04 埼玉選手権      5000m     14.24.8 優勝
   05.04 埼玉選手権     10000m     29.48.8 優勝
   05.27 全日本実業団     5000m     14.36.0 6位
   05.28 全日本実業団    10000m     29.54.4


円谷幸吉 マラソン全成績

1、1964.03.21 中日マラソン 5位 2.23.23.0 
2、1964.04.12 毎日マラソン 2位 2.18.20.2
3、1964.08.23 タイムスマラソン 2位 2.19.50
4、1964.10.21 東京五輪   3位 2.16.22.8
5、1965.08.29 タイムスマラソン (途中28km棄権)
6、1967.03.19 水戸マラソン 9位 2.23.37.0
ゼッケン774さん@ラストコール :05/03/02 16:23:28

ミュンヘン五輪のレース展開は前半5kmくらいで宇佐美が集団を引っ張り、
少し気負ってる感じが見受けられた。10km過ぎで長身のクレイトンが
リードしたりしたが、集団が崩れたのが15kmからのショーターの
飛び出し。宇佐美、ローランツ、リスモン(ベルギー)、マモ(エチオピア)、
クレイトン、ヒル(英)らの集団の解体が始まった。
20kmではもうショーターの独走。五輪で前半からの飛び出しに
後半ばてるのではという声をよそに2位に上がったリスモンに200m以上
の差をつけたと思う。点々と宇佐美、マモ、ニッカリ(フィンランド)と
続いていたが、宇佐美の足取りは鈍く、あきらかに不調であるのが見て取れた。
エングリッシャー公園内を走る独特のコースだったミュンヘンは公園内も
ショーターが快調に走っていた。
 宇佐美はクレイトンと並んで優勝候補と目されていたが、公園内では入賞
圏外に外れるほどだったと思う。

君原健二マラソン成績 

1、朝日国際(62.12.2)2時間18分01秒 3位
2、別府毎日(63.2.172時間16分19秒  4位
3、毎日(63.5.12)2時間20分24秒  優勝
4、朝日国際(63.10.15)2時間20分25秒 2位
5、毎日(64.4.12)2時間17分11秒   優勝 
6、タイムス(64.8.23)2時間17分12秒 優勝
7、東京五輪(64.10.21)2時間19分49秒 8位
8、別府毎日(66.2.12)2時間15分28秒 3位
9、ボストン(66.4.19)2時間17分11秒 優勝
10、毎日(66.6.5)2時間37分57秒   7位
11、玉造(66.9.15)2時間20分27秒  優勝
12、ソウル国際(66.10.30)2時間19分57秒 3位
13、アジア大会(66.12.15)2時間33分22秒 優勝
14、別府毎日(67.2.5)2時間13分33秒 優勝
15、タイムス(67.8.27)2時間20分16秒 優勝
16、メキシコ・プレ五輪(67.10.22)2時間21分57秒 2位
17、別府毎日(68.2.4)2時間16分32秒  3位
18、毎日(68.4.14)2時間14分46秒    3
19、ウィンザー(68.6.15)2時間15分15秒 優勝
20、メキシコ五輪(68.10.20)2時間23分31秒 2位
21、アテネ国際(69.4.6)2時間13分25秒  2位
22、マクソール(69.7.20)2時間23分25秒  7位
23、別府毎日(70.2.8)2時間17分12秒   優勝
24、毎日(70.4.12)2時間22分14秒     7位
25、コシチェ国際平和(70.10.3)2時間18分06秒 2位
26、アジア大会(70.12.15)2時間21分03秒  優勝
27、別府毎日(71.2.7)2時間16分52秒    優勝
28、毎日(71.3.21)2時間28分26秒      13位
29、ミュンヘン・プレ五輪(71.9.11)2時間17分00秒 2位
30、福岡国際(71.12.5)2時間21分52秒    11位
31、毎日(72.3.19)2時間21分06秒      2位
32、ミュンヘン五輪(72.10.10)2時間16分27秒 5位
33、福岡国際(72.12.3)2時間15分52秒    5位
34、別府毎日(73.2.4)2時間14分55秒     優勝
35、アテネ国際(73.4.6)2時間19分09秒    2位
352ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 22:05:32
佐藤悠基 佐久長聖04 13,45,23→13分23秒57
竹澤健介 報徳学園04 29,22,84→28分19秒22
竹澤健介 報徳学園04 14,23,63→13分22秒36

宇佐美彰朗(日大ーリッカーー桜門陸友会)マラソン成績

1、中日  (64.3.20)2時間28分17秒 11位
2、関東学生(64.4.25)2時間30分17秒 7位
3、中日  (65.3.21)2時間22分02秒 3位
4、関東学生(65.6.6)2時間36分51秒 2位
5、別府毎日(66.2.13)2時間16分35秒 11位
6、毎日  (66.6.5)2時間30分59秒 3位
7、玉造  (66.9.15)2時間24分00秒 5位
8、福岡国際(66.11.27)2時間17分16秒 10位
9、別府毎日(67.2.5)2時間14分50秒 3位
10、メキシコ・プレ五輪(67.10.22)2時間24分30秒 3位
11、福岡国際(67.12.3)2時間18分16秒 13位
12、別府毎日(68.2.4)2時間16分48秒 5位
13、毎日  (68.4.14)2時間13分49秒 1位 (メキシコ五輪代表権獲得)
14、メキシコ五輪(68.10.20)2時間28分06秒 9位
15、福岡国際(68.12.8)2時間13分51秒 5位
16、別府毎日(69.2.2)2時間19分02秒 5位
17、アンベルス国際(69.5.30)2時間11分27秒 2位
18、ソウル国際(69.9.28)2時間20分18秒 1位
19、福岡国際(69.12.7)2時間18分33秒 14位
20、毎日  (70.4.12)2時間19分17秒 5位
21、マクソール(70.8.23)2時間13分45秒 1位
22、福岡国際(70.12.6)2時間10分37秒 1位 (日本最高記録)
23、アテネ国際(71.4.6)2時間19分25秒 1位
24、ミュンヘン・プレ五輪(71.9.12)2時間15分52秒 1位
25、福岡国際(71.12.5)2時間13分22秒 2位
26、毎日  (72.3.19)2時間20分24秒 1位 (ミュンヘン五輪代表権獲得)
27、ミュンヘン五輪(72.9.10)2時間18分58秒 12位
28、福岡国際(73.12.2)2時間24分20秒 22位
29、毎日  (74.4.21)2時間13分24秒 1位
30、ウィンザー(74.6.15)2時間15分16秒 1位
31、福岡国際(74.12.8)2時間14分10秒 6位
32、毎日  (75.4.20)2時間12分40秒 1位
33、モントリオール・プレ五輪(75.8.2)2時間27分04秒 4位
34、福岡国際(75.12.7)2時間18分54秒 25位
35、毎日  (76.4.18)2時間15分22秒 1位 (モントリオール五輪代表権獲得)
36、モントリオール五輪(76.7.31)2時間22分29秒 32位
37、ニューヨークシティ(76.10.24)2時間20分30秒 11位
38、福岡国際(76.12.5)2時間20分47秒 11位
39、京都  (77.2.13)2時間19分54秒 4位

第1回(1896年) アテネ五輪 マラソン成績

1、ルイス(ギリシャ)2.58.50(一説に2.55.20もある)
2、ワシラスコ(ギリシャ)3.06.03
3、ケルネル(ハンガリー)3.09.35
4、ウレトス(ギリシャ)
5、パパシメオン(ギリシャ)
6、デリヤニス(ギリシャ)

距離39.909km または 39.994km



第2回(1900年) パリ五輪 マラソン成績

1、ティアトー(フランス)2.59.45
2、チャンピオン(フランス)3.04.17
3、ファスト(スウェーデン)3.37.14
4、ブセ(フランス)
5、ニーストローム(スウェーデン)
6、ニュートン(アメリカ)

距離 40.260km

第3回(1904年) セントルイス五輪 マラソン成績

1、ヒックス(アメリカ)3.28.53
2、コーリー(アメリカ)3.34.52
3、ニュートン(アメリカ)3.47.33
4、カルバヤル(キューバ)
5、ビロウイス(ギリシャ)
6、クニーランド(アメリカ)

距離 39.909km


1906年 非公式 アテネ五輪 マラソン成績

1、シューリング(カナダ)2.51.23.6
2、スバンベリー(スウェーデン)2.58.20.8
3、フランク(アメリカ)3.00.46.8
4、トーンロス(スウェーデン)
5、アレボウス(ギリシャ)
6、ブラック(オーストラリア)

距離 41.842km
第4回(1908年) ロンドン五輪マラソン成績

1、ヘイズ(アメリカ)    2.55.18.4
2、ヘファーソン(南アフリカ)2.56.06.0
3、フォショウ(アメリカ)  2.57.10.4
4、ウエルトン(アメリカ)  2.59.44.4
5、ウッド(カナダ)     3.01.44.0
6、シンプソン(カナダ)   3.04.28.2

距離42.195km


第5回(1912年) ストックホルム五輪 マラソン成績

1、マッカーサー(南アフリカ)2.36.54.8
2、ギッシャム(南アフリカ) 2.37.52.0
3、ストロビノ(アメリカ)  2.38.42.4
4、ソカレキシス(アメリカ) 2.42.07.9
5、ダッフィー(カナダ)   2.42.18.8
6、ヤコブソン(スウェーデン)2.43.25.0
金栗四三 27km 途中棄権


距離 40.200km


第6回(1916年) ベルリン五輪  中止


第7回(1920年) アントワープ五輪 マラソン成績

1、コーレマイネン(フィンランド)2.32.35.8
2、ロスマン(エストニア)    2.32.48.6
3、バレリオ(イタリア)     2.36.32.0
4、ブローズ(ベルギー)     2.39.25.8
5、ツォミコスキー(フィンランド)2.40.18.8
6、ローズ(デンマーク)     2.41.18.0
16、金栗四三(日本)       2.48.45.0
20、茂木善作(日本)       2.51.09.4
21、八島健三(日本)       2.57.02.0
24、三浦弥平(日本)       2.59.37.0

距離42.747km(一説に40.244km)


第8回(1924年) パリ五輪マラソン成績

1、ステンロース(フィンランド)2.41.22.6
2、ベルチニ(イタリア)    2.47.19.6
3、デ・マー(アメリカ)    2.48.14.0
4、ハロネン(フィンランド)  2.49.47.4
5、フェリス(イギリス)    2.52.26.0
6、プラザ(チェコ)      2.52.54.0
金栗四三 33km 途中棄権
三浦弥平 28km 途中棄権
田代菊之助 19km 途中棄権

距離 この大会から42.195kmに正式決定
第9回(1928年) アムステルダム五輪 マラソン成績

1、エルアフィ(フランス)  2.32.57
2、プラザ(チェコ)     2.33.23
3、マルテリン(フィンランド)2.35.02
4、山田兼松(日本)     2.35.29
5、レイ(アメリカ)     2.36.04
6、津田晴一郎(日本)    2.36.20
48、永谷寿一(日本)     3.03.34


第10回(1932年) ロサンゼルス五輪マラソン成績

1、ザバラ(アルゼンチン)   2.31.36
2、フェリス(イギリス)    2.31.55
3、トイボーネン(フィンランド)2.32.12
4、ライト(イギリス)     2.32.41
5、津田晴一郎(日本)     2.35.42
6、金恩倍(日本)       2.37.28
9、権泰夏(日本)       2.42.52


第11回(1936年) ベルリン五輪マラソン成績

1、孫基禎(日本)       2.29.19.2
2、ハーパー(イギリス)    2.31.23.2
3、南昇龍(日本)       2.31.42.0
4、タミラ(フィンランド)   2.32.45.0
5、ムイノーネン(フィンランド)2.33.46.0
6、コールマン(南アフリカ)  2.36.17.0
塩砲玉男 途中棄権

第12回(1940年) 東京五輪 中止
第13回(1944年) ロンドン五輪 中止

第14回(1948年) ロンドン五輪マラソン成績

1、キャブレラ(アルゼンチン) 2.34.56.6
2、リチャーズ(イギリス)   2.35.07.6
3、ケーリー(ベルギー)    2.35.33.6
4、コールマン(南アフリカ)  2.36.06.0
5、ゲネツ(アルゼンチン)   2.36.36.0
6、ルイト(南アフリカ)    2.38.11
第15回(1952年) ヘルシンキ五輪マラソン成績

1、ザトペック(チェコ)    2.23.03.2
2、ゴルノ(アルゼンチン)   2.25.35.0
3、ヤンソン(スウェーデン)  2.26.07.0
4、崔倫七(韓国)       2.26.36.0
5、カルボーネン(フィンランド)2.26.41.8
6、キャブレラ(アルゼンチン) 2.26.42.4
25、西田勝雄(日本)      2.36.19.0
26、山田敬蔵(日本)      2.28.11.2
  内川義高(日本)途中棄権


16回(1956年) メルボルン五輪マラソン成績

1、ミムン(フランス)     2.25.00
2、ミハリッチ(ユーゴスラビア)2.26.32
3、カルボーネン(フィンランド)2.27.47
4、李昌薫(韓国)       2.28.45
5、川島義明(日本)      2.29.19
6、ザトペック(チェコ)    2.29.34
16、浜村秀雄(日本)      2.40.13
33、広島庫夫(日本)      3.04.18

第17回(1960年) ローマ五輪マラソン成績

1、アベベ(エチオピア)    2.15.16.2
2、ラジ(モロッコ)      2.15.41.6
3、マギー(ニュージーランド) 2.17.18.2
4、ホロビエフ(ソビエト)   2.19.09.6
5、ポポフ(ソビエト)     2.19.18.8
6、トーゲルセン(デンマーク) 2.21.03.4
31、広島庫夫(日本)      2.29.40.0
32、渡辺和己(日本)      2.29.45.0
46、貞永信義(日本)      2.35.11.0


第18回(1964年) 東京五輪マラソン成績

1、アベベ(エチオピア)     2.12.11.2
2、ヒートリー(イギリス)    2.16.19.2
3、円谷幸吉(日本)       2.16.22.8
4、キルビー(イギリス)     2.17.02.4
5、シュトー(ハンガリー)    2.17.55.8
6、エデレン(アメリカ)     2.18.12.4
7、バンデンドリッシュ(ベルギー)2.18.42.6
8、君原健二(日本)       2.19.49.0
9、クラーク(オーストラリア)  2.20.26.8
10、デミシェ(エチオピア)    2.21.25.2
15、寺沢徹(日本)        2.23.09.0
第19回(1968年) メキシコ五輪マラソン成績

1、マモ・ウォルデ(エチオピア)2.20.26.4
2、君原健二(日本)      2.23.31.0
3、ライアン(ニュージーランド)2.23.45.0
4、アケイ(トルコ)      2.25.18.8
5、アドコックス(イギリス)  2.25.33.0
6、メラウイ(エチオピア)   2.27.16.8
7、クレイトン(オーストラリア)2.27.23.8
8、ジョンストン(イギリス)  2.28.04.0
9、宇佐美彰朗(日本)     2.28.26.2
10、ボイチュク(カナダ)    2.28.40.2
  佐々木精一郎(日本) 途中棄権


20回(1972年) ミュンヘン五輪マラソン成績

1、ショーター(アメリカ)    2.12.19.8
2、リスモン(ベルギー)     2.14.31.8
3、マモ・ウォルデ(エチオピア) 2.15.08.4
4、ムーア(アメリカ)      2.15.39.8
5、君原健二(日本)       2.16.27.0
6、ヒル(イギリス)       2.16.30.6
7、マクレガー(イギリス)    2.16.34.4
8、フォスター(ニュージーランド)2.16.56.2
12、宇佐美彰朗(日本)      2.18.58.0
36、采谷義秋(日本)       2.25.59.0

第21回(1976年) モントリオール五輪マラソん成績
 
1、チェルピンスキ−(東ドイツ) 2.09.55.0
2、ショ−タ−(アメリカ)    2.10.45.8
3、リスモン(ベルギ−)     2.11.12.6
4、カ−ドング(アメリカ)    2.11.15.8
5、ビレン(フィンランド)    2.13.10.8
6、ドレイトン(カナダ)     2.13.30.0
7、モセイエフ(ソビエト)    2.13.33.4
8、ファ−バ(イタリア)     2.14.24.8
20、宗茂(日本)         2.18.26.0
21、水上則安(日本)       2.18.44.2
32、宇佐美彰朗(日本)      2.22.29.6


第22回(1980年) モスクワ五輪マラソン成績


1、チェルピンスキ−(東ドイツ)2.11.03
2、ネイブ−ル(オランダ)   2.11.20
3、ジュマナザロフ(ソビエト) 2.11.35
4、コトフ(ソビエト)     2.12.05
5、モセイエフ(ソビエト)   2.12.14
6、ゴメス(メキシコ)     2.12.39
7、ネディ(エチオピア)    2.12.44
8、マグナニ(イタリア)    2.13.12

359ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 22:16:49
瀬古は中距離出身だけにトラックにこだわりを持っていた。大学3年の欧州遠征
ではDNガランで学生新で優勝、5000でもケルン国際で優勝と欧州の選手とも互して
いく自信を持っていた。しかしその自信を打ち砕いたのが9月の八ヶ国陸上での
オルチス(伊)との一戦であった。オルチスは当年の欧州選手権でバイオニに
ついで2位(27:31:48)に入った一流中の一流選手であった。当時ヘンリー・ロノ
が世界記録を更新、B.フォスターとバイオニが当年に上の記録を出していたが77年
までだと上に2人しかいない大記録(78年終了時でも歴代6位)を持っていた。
レースは遅いペースで進みながら瀬古とオルチスのマッチレースとなり、最後の
一周になるあたりでスパートの機会をうかがって前に出るのを嫌がった両者が
ジグザグ走行をする珍しい光景も見られた。結局、瀬古が前に出た状態でオルチス
が必殺のスパート。瀬古は全く対応できず一周で8秒もの大差がついた。この敗戦
でトラックを捨て、マラソン一本に絞る決心がついたといわれている。

>>345 スピードがないと思われている君原だが10000を29.01で走る当時としては
一流の記録を持っていた。一瞬のスプリントもあることは67年の別府毎日で当時
新進の佐々木精一郎とのマッチレースで佐々木がスポンジを取る間にスパートし、
当時としては世界歴代3位の好記録2:13:33:4をものにしたことでも分かる。
第23回(1984年) ロサンゼルス五輪マラソン成績

1、ロペス(ポルトガル)      2.09.21
2、トレーシー(アイルランド)   2.09.56
3、スペディング(イギリス)    2.09.58
4、宗猛(日本)          2.10.55
5、ド・キャステラ(オーストラリア)2.11.09
6、イカンガー(タンザニア)    2.11.10
7、ヌザウ(ケニア)        2.11.28
8、ジャマ(ジブチ)        2.11.39
14、瀬古利彦(日本)        2.14.13
17、宗茂(日本)          2.14.38


第24回(1988年) ソウル五輪マラソン成績

1、ボルディン(イタリア)     2.10.32
2、ワキウリ(ケニア)       2.10.47
3、サラ(ジブチ)         2.10.59
4、中山竹通(日本)        2.11.05
5、モネゲッティ(オーストラリア) 2.11.49
6、スペディング(イギリス)    2.12.19
7、イカンガー(タンザニア)    2.13.06
8、ド・キャステラ(オーストラリア)2.13.07
9、瀬古利彦(日本)        2.13.41
10、カシャポフ(ソビエト)     2.13.49
17、新宅永灯至(日本)       2.15.42


第25回(1992年) バルセロナ五輪マラソン成績


1、黄永祚(韓国)         2.13.23
2、森下広一(日本)        2.13.45
3、フライガング(ドイツ)     2.14.00
4、中山竹通(日本)        2.14.02
5、ベッティオル(イタリア)    2.14.15
6、コカイシュ(モロッコ)     2.14.25
7、フルク(ポ−ランド)      2.14.32
8、谷口浩美(日本)        2.14.42


第26回(1996年) アトランタ五輪マラソン成績

1、チュグワネ(南アフリカ)    2.12.36
2、李鳳柱(韓国)         2.12.39
3、ワイナイナ(ケニア)      2.12.44
4、フィス(スペイン)       2.13.20
5、ネルルカー(イギリス)     2.13.39
6、シルバ(メキシコ)       2.14.29
7、モネゲッティ(オーストラリア) 2.14.35
8、パレデス(メキシコ)      2.14.55
19、谷口浩美(日本)        2.17.26
54、大家正喜(日本)        2.22.13
93、実井謙二郎(日本)       2.33.27

第27回(2000年) シドニー五輪マラソン成績

1、アベラ(エチオピア)  2.10.11
2、ワイナイナ(ケニア)  2.10.31
3、トーラ(エチオピア)  2.11.10
4、ブラウン(イギリス)  2.11.17
5、レオーネ(イタリア)  2.12.14
6、フィス(スペイン)   2.13.06
7、エルムージス(モロッコ)2.13.49
8、ウアーディ(フランス) 2.14.04
9、チムササ(ジンバブエ) 2.14.19
10、モネゲッティ(オーストラリア)2.14.50
21、川嶋伸次(日本)    2.17.21
41、佐藤信之(日本)    2.20.52
  犬伏孝行(日本) 途中棄権




第28回(2004年) アテネ五輪マラソン成績

1、バルディニ(イタリア)  2.10.55
2、ゲフレシキ(アメリカ)  2.11.29
3、デリマ(ブラジル)    2.12.11
4、ブラウン(イギリス)   2.12.26
5、油谷繁(日本)      2.13.11
6、諏訪利成(日本)     2.13.24
7、ワイナイナ(ケニア)   2.13.30
8、チャイカ(ポルトガル)  2.14.17
42、国近友昭(日本)     2.21.13

ケニア人で上位に入ってるのは日本人が飼育した奴だけだな
>>352
学生はこの二人と上野が自己ベスト出すでしょ。
世界選手権狙ってるようだし。
364ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 22:29:41
>>360
中山がソウル五輪の時は銅メダルまで6秒差、バルセロナ五輪では2秒差。
タイム的に見ると僅差だな。 
>>334
ユニバーシアード東京大会(1967年)

5000m @沢木啓祐 14分03秒8 D大槻憲一14分21秒2

10000m
 7600mで鈴木従道(日大)が集団から落ち、フィリップ(西ドイツ)
ネルソン(アメリカ)、沢木の3者の争い。
沢木はネルソンをマーク。8400mでフィリップが脱落。
最後の直線で沢木が鋭いスパート。3m差で優勝。

@ 沢木啓祐 29分00秒0
A ネルソン 29分00秒6
B フィリップ 29分21秒4
C 鈴木従道 29分45秒8
別にチョンでもとれるメダルなんてとっても価値ないしw
なんで古田と清治が駅伝のせいで潰れたことになってるんだよw
古田が陸上止めたのは親が死んで事業継ぐためだし
清治と駅伝は何も関係ない。
>>213

第1回 青梅報知30km (1967年3月5日)

駅伝を除いて1年半ぶりのレースになる円谷幸吉(自衛隊体育学校)が出場。
11kmで若松軍蔵(東急)が飛び出し、後続と100mの差をつける。
16km付近で円谷と大槻憲一(日大)が30m差まで追い詰める。
しかしここで円谷が足にケイレン。無名・若松が1時間36分14秒で
逃げ切り初代優勝を遂げる。
円谷は1時間37分50秒で2位。レース後、円谷は「調整の失敗」と
答え、メキシコ五輪での意欲を表明した。
>>366
意味不明。
オリンピックは世界最高の舞台です。
>>365
東京のユニバーシアードの最終聖火ランナーを勤めたのも沢木啓祐。
当時順大助手。この大会ではヒーロー的扱いだった。
371ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 22:41:39
>>367 古田が活躍したのは大学1年まで。既に大学1年の箱根では故障がちで
どうでもいい区間を任された。その結果が現在も残る区間記録だが、既に潰れて
いた。

清治はまあいろいろあるが高3の高校駅伝で既に駄目になっていた。
>>369
じゃあその舞台でカスだった瀬古はゴミだなw
メルボルンオリンピックの最終聖火
ランナーだったロン=クラークは5000,10000で当時の世界記録を大幅に塗り
換えて他を圧倒していたがオリンピックは勝てなかった。東京で3位になるの
がやっと。メキシコでは周回遅れになった(と思う)。ひとえにキックのなさ
のなせる業。クラークは東京ではマラソンを走ってハイペースで飛ばしアベべ
の驚異的世界記録達成に一役買っている。ちょうどクラークやクレイトンは
中山に相通じるところがある。

清治の高3の駅伝は直前に不慮の事故があったからだろ。
そういえば、60年代からオーストラリアと日本のランナーでのオリンピックの
活躍は似たようなものがあったな。
不世出の名ランナーのロン・クラークは歴代のトラック最強ランナーにノミネート
されるだけの強さを発揮していが、オリンピックは東京の10000m銅
しかない。メキシコの前にとんでもない世界記録27分39秒をだして
メキシコでバリバリの優勝候補。しかし酸素が薄いなどで惨敗。
東京五輪ではマラソンにも挑戦する執念をみせ、折り返しまで先頭を
引っ張ったが後半失速、同じく不調の君原に競技場前で抜かれ9位だった。

その後はデレク・クレイトン。当時2時間9分、8分と人類初の記録を
打ち立てた大型ランナー。今で言うとラドクリフの記録と同じくらい
強烈にずば抜けたタイムを持っていたが、五輪はメキシコ7位、ミュンヘン
13位と入賞さえしていない。
この後、モントリオールのころデビット・チェトルもメダルは取れず、
80年代、90年代とロバート・ド・キャステラ、ステーブ・モネゲッティ
という2人の大黒柱を要しながらメダルも取れていない。
いつもオリンピック前には日本勢の上の評価をもっていたオーストラリア
勢もなかなかオリンピックは鬼門のようだった。
世界的ランナーといえば、ザトペック、アベベ、ショーターだろう。
では、この3人のいずれかに勝った日本人はいるのか?
実は1956メルボルン五輪でザトペックに勝って5位になったのが
日大の川島義明だ。
その観点からは彼が日本マラソン史上NO.1といえるな。
アベベ、ショーターは自分の知るレースでは日本人ランナーは全く相手に
しなかったからな。
アベベは五輪3連覇を狙ってメキシコオリンピックに
出場。もう往年の力はなかったと思うが、やはり
優勝候補の一人に挙がっていた。この時はクレイトンが
福岡で2時間9分36秒で走ってるからもうアベベとの
タイム差は3分近くついてはいた。
本調子とはいかず16キロ地点で棄権。この時36歳だった。
これを考えれば、君原、宇佐美はアベベから初めて先着して
ゴールしたことにはなる。。

ショーターは強かったな。記録的にはサブテンになっていても
おかしくないものがあった。
長髪にしてみたり、髭をはやしたり、紳士風だったりと
同じショーターには見えないくらいいつも違ったイメージの
風貌の選手だった。

ザトペックはあまりマラソンを走っていないのでは?
ヘルシンキは初マラソン で(公認記録を上回る)
世界記録で優勝したが>>471の指摘のようにメルボル
ンではもう衰えていた。ロンドンとヘルシンキで
5000,10000で金3つと銀1つ 取っていると記憶している。
映像は何回となく見たことがあるが、人間機関車 と言われるだけに
ともかく力感溢れる走り。(まあ無駄が多いのだろうけど)。
400mを100本インターバルトレーニングしたという話だ。
今ではちょっと 考えられない。

ヘルシンキでは人類初のサブ20分を出したピータース
が独走していたのだ けど自滅して途中棄権している。
ピータースに限らず、このスレででてきた イギリス人選手は
不思議とオリンピックで活躍できない。戦後にメダルを
取った東京のヒートリー(銀)くらいか。


>>223

東京オリンピック 男子マラソン レース展開

1964年(昭和39年)10月21日 気温18.8度 湿度78% 薄曇り
参加選手68名

世界最高記録 2時間13分55秒  B・ヒートリー(イギリス)1964
五輪最高記録 2時間15分16秒2 B・アベベ(エチオピア) 1960

(スタート)−国立競技場 チュニジアのテドデビ・ベン・ブーバケルを先頭に
ロードへ。前年のプレ五輪で優勝し優勝候補に挙がっているJ・ジュリアン
(ニュージーランド)が2番手。寺沢が8番手、円谷、君原は真ん中あたり。
ビキラ・アベベ(エチオピア)は同僚で同1万m4位に入ったマモ・ウォルデ
とともにしんがりで競技場を後にした。

レースは同大会5千m9位、1万m3位に入ったロン・クラーク(オーストラリア)の
作るハイペースで進められる。
5km−15分06秒。ローマ五輪でアベベが通過した15分35秒をも上回る
マラソン史上最速のペースになる。同五輪1万m18位でのちに2番目にサブテンを
記録するロン・ヒル(イギリス)が15分14秒。アベベは15分19秒。
日本人3選手とヒートリー、キルビー(共にイギリス)は15分30秒台で15位前後。

アベベが先行のホーガン(アイルランド)と並んで、クラークに追いついたのは
6km過ぎ。この3人が先頭集団を形成。ペースをグングン高めていく。
10kmは3人同時で30分14秒。この5kmでアベベは14分55秒という
マラソン史上初のラップ14分台を記録。2週間前に盲腸の手術を受けたばかりとは
思えない快走。
3人の後ろはすでに25秒遅れ。のちのメキシコ五輪1万mで金を獲得する
ナフタリ・テム(ケニア)、ハナシ(チュニジア)、が続き、デミシェ・ウォルデ
(エチオピア)、バック(オーストラリア)、アング(イタリア)が第3集団。
円谷はさらに後方。
稀にみるハイペースですでに後続との差が大きくつき始めている。

15−20kmにかけてアベベは緩急自在なペース配分でクラーク、ホーガンを
揺さぶり始める。15kmでは円谷はミルズ(アメリカ)、ヌヤクワヨ(ケニア)
と並び10位前後。君原はその後ろマモ、ヒルと併走で14位前後。
20km手前でついにクラークが2人(アベベ、ホーガン)から遅れはじめた。
20km−1時間00分58秒。
ついにアベベが単独トップ。ホーガンが5秒遅れる。クラークは
すでに200m後方。4位に同1万mでアメリカに優勝をもたらしたミルズが浮上。
(クラークとミルズの差は150m)
ホーガンも1万に出場しているだけに上位はスピードランナーで占められる。
ミルズから5位集団は円谷、シュトー(ハンガリー)、デミシェ、アング、テムの5人。
ハイペースがたたりヒルは後退。ジュリアンも上位集団に入ってこれない。
君原はオーストラリアのバックの後ろで円谷と120m差で11位通過。
すでに苦しい表情に変わり足取りが重い。君原の不調がうかがえる。



(東京オリンピック 男子マラソン 続き)

飛田給折り返しーアベベトップ。すぐ後方にホーガン。3位はクラーク。
4位争いの円谷からアベベまですでに2分の差がついている。

アベベの復路はますます冴える。円谷は4位で折り返したのち、ハンガリーの
シュトーに食い下がられながらクラークを追う。25kmでアベベとホーガンとの
差は70m。25km過ぎ、円谷、シュトー、デミシェがクラークを捕らえる。
すでにクラークのストライドは狭く、疲れが足にきている。
ミルズはスタミナ切れ。君原が7位に浮上。円谷と200m差。
後続はミルズが続き、ヒートリー、キルビーが9,10位。マッカードル(アメリカ)
エデレン(アメリカ)、バンデンドリッシュ(ベルギー)の後方に寺沢14位。

ここからアベベが独走態勢に入る。すでに30kmでホーガンを250m差に広げる。
メダル圏内に入ってきた円谷はシュトーと併走。後方からヒートリー、キルビーの
イギリス勢が追走し始める。
35km過ぎ、2位を走るホーガンが道端に座り込んでしまう。あまりの前半の
ハイペースが祟りグロッキー状態に。円谷2位浮上。3位シュトー。君原はこの
5kmを18分24秒かかり、エデレン、バンデンドリッシュに抜かれ後退。
ついに円谷がスパート。シュトーとも差がついた。しかしキルビーを置き去りに
世界記録保持者の維持をみせ、ヒートリーが40kmの関門でシュトーに並び、
円谷に19秒差に迫ってきた。

国立競技場―後半独走。表情をまったく変えずアベベが帰ってくる。
30km過ぎから後続にさらに大きな差をつけた。優勝タイムは2時間12分11秒2
ヒートリーの持つ世界最高記録・2時間13分55秒を1分40秒以上破る
記録を樹立。五輪マラソン史上初の2連覇を達成した。
アベベはゴールイン後、フィールドで整理体操を始める。まだ余裕しゃくしゃく。
「相手さえいれば2時間10分でゴールできた。」というコメントを残した。
円谷とヒートリーの2位争いは競技場内に持ち込まれた。円谷の後ろ10mで
2人が国立競技場へ。第3−4コーナーにかけてヒートリーがペースアップ。
円谷を一気に捕らえ2位に。円谷は抜き返す余力が残っていなかった。
2位ヒートリー、3位円谷でゴール。1936年ベルリン五輪以来、28年ぶりに
陸上でメダル獲得となった。
優勝候補の一角・君原は競技場手前でクラークを捕らえ8位でそのままゴール。
入賞に一歩届かなかった。寺沢はハイペースでリズムに乗れず15位。
プレ五輪を制したジュリアンは29位に沈んだ。


第18回(1964年) 東京オリンピック マラソン 成績

1、2時間12分11秒2 アベベ(エチオピア)(自己記録 2.15.13)
2、2時間16分19秒2 ヒートリー(イギリス)(2.13.55)
3、2時間16分22秒8 円谷幸吉(日本)  (2.18.20)
4、2時間17分02秒4 キルビー(イギリス) (2.23.01)
5、2時間17分55秒8 シュトー(ハンガリー)(2.23.16)
6、2時間18分12秒4 エデレン(アメリカ) (2.14.28)

7、2時間18分42秒7 バンデンドリッシュ(ベルギー)
8、2時間19分49秒0 君原健二(日本)
9、2時間20分26秒8 クラーク(オーストラリア)
10、2時間21分25秒2 デミシェ(エチオピア)

11、2時間22分02秒8 S−H・リー(韓国)
12、2時間22分27秒0 ベナイサ(モロッコ)
13、2時間22分36秒0 オクサネン(フィンランド)
14、2時間22分55秒4 ミルズ(アメリカ)
15、2時間23分09秒0 寺沢徹(日本)
16、2時間24分40秒0 Y−B・キム(韓国)
17、2時間24分45秒2 イエゲル(イタリア)
18、2時間24分46秒8 フドメル(チェコスロバキア)
19、2時間25分34秒4 ヒル(イギリス)
20、2時間26分00秒6 ビスチネン(フィンランド)

主な選手
29、2時間27分57秒6 ジュリアン(ニュージーランド)
49、2時間40分46秒6 テム(ケニア)
途中棄権
ホーガン(アイルランド)
マモ・ウォルデ(エチオピア)

優勝 B・アベベ(エチオピア) ラップタイム

5km 15.19
10km 30.14(14.55)
15km 45.35(15.11)
20km 1.00.58(15.23)
25km 1.16.40(15.42)
30km 1.32.50(16.10)
35km 1.49.01(16.11)
40km 2.05.10(16.09)
2.195km (7.01.2)
ゴール 2時間12分11秒2


2位 B・ヒートリー(イギリス) ラップタイム

5km 15.31
10km 31.33(16.02)
15km 47.40(16.07)
20km 1.03.34(15.54)
25km 1.19.35(16.01)
30km 1.35.55(16.20)
35km 1.52.13(16.28)
40km 2.09.17(17.04)
2.195km (7.02.2)
2時間16分19秒2
3位 円谷幸吉(日本) ラップタイム

5km 15.31
10km 31.07(15.36)
15km 46.51(15.44)
20km 1.02.46(15.55)
25km 1.18.44(15.58)
30km 1.34.59(16.15)
35km 1.51.44(16.45)
40km 2.08.02(16.18)
2.195km (8.20.8)
2時間16分22秒8

8位 君原健二(日本) ラップタイム

5km 15.36
10km 31.22(15.46)
15km 47.12(15.50)
20km 1.03.10(15.58)
25km 1.19.21(16.11)
30km 1.36.46(17.25)
35km 1.55.10(18.24)
40km 2.12.31(17.20)
2.195km (7.18.0)
2時間19分49秒0
383ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/26(月) 02:04:40
瀬古、谷口ぐらいまでは高校のエリートが順調に成長して日本代表ランナーになった印象があるな。
中山は突然変異だし。
森下あたりから様子が変わってきた。
アフリカ選手が台頭し、日本の高校エリートはことごとく潰れだした。
アフリカ選手に対抗する手段を完全に間違えているってことなんだろうな。
東京五輪の当時の記録を紐溶いてみると
マラソンは史上最速の展開で始まったようだ。
よく話題に挙がる87年福岡国際のイメージではないか。
このレースには数多くのトラックランナーが出場し序盤のハイペースを演出している。
同大会の10000mを例に出すと予選なしの一発決勝。なんと43名が決勝レースに挑んでいる。
そのメンバーでマラソンも出場したのは

1、28'24"4 ミルズ(アメリカ)
3、28'25"8 クラーク(オーストラリア)
4、28'31"8 マモ・ウォルデ(エチオピア)
6、 28'59"4 円谷幸吉(日本)
16、29'43"0 シュトー(ハンガリー)
18、29'53"0 ヒル(イギリス)

また途中棄権組ではホーガン(アイルランド)、テム(ケニア)がいる。テムはこの時、裸足で1万に
出場している。これらのランナーが序盤15分30秒以内のラップを刻んだわけだ。
余談だが1万mで銀を獲得したガムーディ(チュニジア)もマラソンにエントリーをしたが走ることは
なかった。
アベベ・ビキラといえば60年ローマ五輪の時は兄のアベベ・ワミが7位に入っている。
今なら入賞。一時期、ジプチ旋風があったが、マラソン無名国エチオピアが出てきた時は周りはさぞ
驚いたことだろう。
そのアベベ・ビキラの方は毎日マラソンに2回来日。一回目は昭和36年の大会。
おりからの梅雨どきのむし暑さに加え、自動車、オートバイ、自転車がハエのようにアベベの周りに集まり
白バイの制止など聞かず、沿道の群衆も秩序なく走路をせばめ、まるで村祭りの屋台を歩くような
状態となる。ローマの裸足の英雄を一目見ようという観衆が空前絶後のレース模様になったと記されている。
第23回(1984年) ロサンゼルス五輪マラソン成績

1、ロペス(ポルトガル)      2.09.21
2、トレーシー(アイルランド)   2.09.56
3、スペディング(イギリス)    2.09.58


第24回(1988年) ソウル五輪マラソン成績

1、ボルディン(イタリア)     2.10.32
2、ワキウリ(ケニア)       2.10.47
3、サラ(ジブチ)         2.10.59
4、中山竹通(日本)        2.11.05
5、モネゲッティ(オーストラリア) 2.11.49
6、スペディング(イギリス)    2.12.19

387ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/26(月) 08:36:01
第1回〜5回国際マラソン順位とTrack& Fields News 実力ランキング

1966 ランキング
1.M. ライアン(NZ) 国際1位
2.広島日出国(旭化成) 国際2位
3.アベベ・ビキラ(エチオピア)
4.寺沢徹(クラレ)国際5位(別府優勝、ボストン3位)
5.君原健二(八幡製鉄) (ボストン優勝、アジア大会優勝)
6.岡部宏和(西鉄) 国際3位(ボストン4位)
7.J. ホーガン(英)
8.J. アルダー(英) (英連邦優勝)
9.A. バンデンドリッシュ(ベルギー) 
10.G. トス(ハンガリー)国際6位

1967
1.D.クレイトン(豪)国際1位
2.佐々木精一郎(九州電工)国際2位(別府2位)
3.D. マッケンジー(NZ)国際3位
4.君原健二(八幡製鉄)(別府優勝)
5.蓬原正嗣()国際4位
6.J. アルダー(英) 国際5位
7.宇佐美彰朗(桜門陸友会) (別府3位、プレ3位、福岡13位)
8.J. Busch (東独)
9.御船芳郎(リッカー)
10. A. ボイチェック(カナダ)=ドレイトン
388ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/26(月) 08:47:43
続き。左の数字はT&F News Ranking, 括弧内はタイムランキング

1968
1.(1)B. アドコックス(英)国際1位(五輪5位、カールマルクススタット優勝)。
2.(2)采谷義秋(竹原高教)国際2位(毎日2位)
3.マモ・ウォルデ(エチオピア)(五輪金)
4.君原健二(八幡製鉄)(五輪銀、毎日3位)
5.M. ライアン(NZ) (五輪銅)
6.(6)I. Akcay(トルコ)(五輪4位)
7.(10)宇佐美彰朗(桜門陸友会) (五輪9位、毎日1位)
8.G. Merawi (Eth)
9.D.クレイトン(豪)
10.T. ジョンストン(英)
―(3) 佐々木精一郎(九州電工)(別府優勝)
―(4) ムスタッア(ルーマニア)
―(5)上岡忠明(神戸製鋼)国際3位
―(9)G. ブッシュ(東独)

1969
1.(3)J.ドレイトン(カナダ)国際1位
2.(5)R. ヒル(英)国際2位(欧州選手権優勝、英国選手権一位)
3.(1)D.クレイトン(豪)(アントワープ優勝=世界新)
4.(4)宇佐美彰朗(桜門陸友会) (アントワープ2位)2:11:27:8
5.(6)谷村隼美(クラレ)国際3位
6.(−)J.アルダー(英)
7.(2)B.アドコックス(英)(アテネ優勝)2:11:07.2
8.(7)P.ガリド(メキシコ)国際4位
9.(―)采谷義秋(竹原高教)(ボストン優勝)
10.(8)佐々木敏治(電電中国)国際5位
―(9)吉田昭雄()国際6位
―(10)君原健二(八幡製鉄)(アテネ2位)

1970
1.(1)R. ヒル(英)国際13位(ボストン、英連邦優勝)
2.(2)宇佐美彰朗(桜門陸友会) 国際1位
3.(4)K. ムーア(米)国際2位
4.(5)J.アルダー(英)(英連邦2位)
5.(6)采谷義秋(竹原高教)国際3位
6.(8)J.フォスター(NZ)国際4位
7.(7)D,フェアクロス(英)(英連邦3位)
8.(9)B.アドコックス(英)国際6位
9.(8)J.ファリントン(豪)国際5位
10.(−)Y.ボルコフ(ソ連)国際8位
―(3)M.オレイリー(アイルランド)(ボストン2位)
五輪代表選考はソウルをはじめ何回か物議を醸したが、メキシコの君原、采谷の選考は
五輪史上いちばんの難儀になった。普通の五輪であれば選考レースで事如く先着した采谷が選ばれただろうが、
メキシコは海抜2300mの「特殊」五輪。この条件が君原を落選できない理由になった。
この頃は個人の出場の名誉より「国家あげての五輪メダル至上主義」。
円谷が自殺したこともあり世論も含めてメダル獲得失敗は許されなかった。
采谷は68-70年が全盛期。黙々と教員を続けながら力をつけていた。
今のように高地トレーニングが盛んであれば采谷サイドも事前経験できたかもしれない。しかしまったくの
未経験。一方の君原は前年のメキシコプレ五輪を経験。ベルギーのローランツに続き2位に入るなど
高地の経験があった。
その後、采谷は高地での練習、研究を重ねたが思ったより良い結果がでなかった。
メキシコは10月開催。采谷は涙を飲んだ。12月の国際ではアドコックス(イギリス)に続き2位。
2゚12'40"の世界歴代6位。翌年春のボストンは2゚13'49"の独走で海外初優勝。
采谷自身も「願わくば全盛期のメキシコはなんとしても出たかった」と後年、語っている。
390ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/26(月) 13:22:22
高校時代の実績という意味でも瀬古は図抜けていた。中学は野球が主だった
のにもかかわらず高校1年のIH800mで早くも3位(このときの1位が石井隆士
で高校新の独走優勝だった)、2年、3年はIHで800,15002年連続2種目制覇。
国体では1500,5000で無敵だった。記録は5000が歴代4位、800は不明と
物足りなかったが1500では高校新(3.53.0)を樹立している。しかし翌年更新
される等それほど図抜けた記録ではなくむしろ勝負強さが際立っていた。74年
のIHでは5000にも出場して3種目制覇を狙ったが流石に疲れて2年の中村孝生
(前橋工)に苦杯を喫した。この年杉田和己(行田)が砲丸、円盤、ハンマー
の三種目を制し、一人の力で行田を総合優勝に導いたが四日市工は惜しいところ
で同点優勝を逃したことになる。

駅伝は2年のときは400m足りない参考記録ながら区間賞。3年のときは連続区間賞
が確実と思われていたが不調で区間7位?で小山隆士(世羅)に遠く及ばなかった。
最長距離種目をIH,国体、駅伝で制すると三冠と称していたが2年のときは変則三冠
で3年のときは三冠には届かなかった。

三冠を実現したのは服部誠(相原=>東農大)、吉富悟(大牟田=>新日鐵)、
渡辺康幸(市船橋=>早稲田)等がいる。ケニア人留学生が席巻している現在
ではその概念そのものが崩壊した。
391ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/26(月) 13:34:41
>>390 小山隆士=>小山英士
伝統的マラソンの開催年

五輪マラソン(1896年)
ボストンマラソン(1897年)
ウインザーマラソン(1909年)
コシチェマラソン(1924年)
英連邦マラソン(1930年)
ヨーロッパ選手権マラソン(1934年)
毎日マラソン(1946年)
朝日(現・福岡国際)マラソン(1947年)
エンスケデマラソン(1947年)
パン・アメリカン・ゲームスマラソン(1951年)
アジア大会マラソン(1951年)
別府大分マラソン(1953年)
アテネ古典マラソン(1955年)
>>390
疲れというより、
中村孝生の奇襲戦法を甘くみて
追わなかった(最後は猛追したが)ミスとみるが。
明らかに中村の作戦勝ち。
東京オリンピック 10,000m 決勝 レース展開

1964年(昭和39) 10月14日 気温18.4度 湿度84% 北の風1.6m

世界記録 28.15.6 Rクラーク(オーストラリア)1963 
五輪記録 28.32.2 ボロトニコフ(ソビエト)  1960
日本記録 28.52.6 円谷幸吉          1964

(日本代表) 円谷幸吉、船井照夫、渡辺和己

スタートー 前回ローマ五輪の優勝者・ボロトニコフが先頭に立つ。
最初の400mはクラークがトップで通過。

1000m−クラーク先頭で2分42秒2 これに裸足のテム(ケニア)、
キッド(カナダ)、リンドグレン(アメリカ)が続く。円谷は先頭から15m
ほど後ろ。

2000m− クラークが依然トップ。5分29秒6 この1000mは2分47秒4
クラークの後方はミルズ(アメリカ)、マモ・ウォルデ(エチオピア)、リンドグレン
が続く。先頭集団はひしめき合って、10位円谷とトップのクラークとの差は
わずか10m前後である。この頃から円谷が徐々に追い上げ2400mで8位に上がる。

2900mあたりでマモがクラークを抜いて先頭に立つ。
3000m通過は8分17秒6 この1000mは2分48秒0 依然快調なペースが
続く。マモに続いてクラーク、ミルズ、リンドグレン、クック(オーストラリア)
円谷も先頭集団にいる。
船井は第2集団。優勝候補のハルバーグ(ニュージーランド)も先頭から20mほど
後ろを走っている。そのあとずっと遅れてマギー(ニュージーランド)、ボロトニコフ
がいる。

先頭集団が分解し始め、マモ、クラーク、ミルズ、ガムーディ(チュニジア)、
円谷、クック、ドゥトフ(ソビエト)。他は少し遅れる。

4000m− クラーク先頭で11分13秒4 この1000mは2分55秒8

5000m−前半5000mの通過はミルズが先頭で14分04秒6
この1000mは2分51秒4。ミルズ、クラーク、マモ、ガムーディ、ドゥトフ
円谷は10m遅れる。その円谷からさらに10m遅れてクック。
このあたりでミルズ、クラーク、マモ、ガムーディの4人に先頭集団が絞られ
この4人から優勝者がでることは間違いない情勢になった。
先頭は絶えず入れ代わり、5800mではクラークがまた先頭に立つ。

6000m−クラーク先頭で16分57秒8 この1000mは2分53秒2。
円谷がドゥトフを抜き5位に浮上。しかし先頭の4人からは50m差に広がる。
6400mでマモ、6800mでミルズが先頭。
第2集団の5位争いは激しくクック、ドゥトフ、円谷の3人の争い。
マギーは早くも周回遅れ。

7000m−マモ先頭で19分52秒6。この1000mは2分54秒8。
マモ、クラーク、ガムーディ、ミルズの順。ガムーディはクラークをマークし
ぴったり後ろにつく。1度も先頭には立っていない。
7600m− 第2集団はイワノワ(ソビエト)が浮上してくる。円谷、クック
がイワノワの後ろ。ドゥトフが脱落。ボロトニコフも周回遅れ。

8000m−ミルズ先頭で22分47秒2 この1000mは2分54秒6。
ミルズ、ガムーディ、マモ、クラークの順。150m遅れてイワノワ、円谷
さらに15m遅れでハルバーグが懸命に追い込んできた。
8400mではまたもクラークが先頭に立つ。

9000m−ミルズ先頭で25分45秒8 この1000mはすこし落ちて2分
58秒6。 ついに9200mでマモが力尽き後退し始める。10,15mと差が
ついてきた。イワノワ、円谷が熾烈な5位争い。船井は第3集団で遥か後方。

ラスト1周 − あと1周の鐘が鳴ってミルズ、クラーク、ガムーディの2選手が
最後の勝負に出る。第2コーナーを回る時、クラークが1周遅れの選手を抜くため
右に出る。そこにミルズがぶつかり、ミルズが少し右にはじかれた。
するとその2者の間をガムーディが抜け出し、先頭に。そのままスパートを
かける。クラークが懸命にガムーディを追う。
ミルズもクラークの背後にピッタリつく。第4コーナー最後の直線で第2スパート
が始まる。ガムーディがインコース、その右後ろにクラーク、さらに右後ろに
ミルズ。3者のスパート合戦。クラークの必死の追走も効かなく、ガムーディと
2m差がつまらない。
あと50m− 外側からミルズがぐんぐん追い上げ、あと30mでついにガムーディを
抜き去った。最後の1周は59秒2。
10,000m史上初のアメリカ選手の優勝であった。2位ガムーディ、3位クラーク
円谷は最後にイワノワから遅れたものの28.59.4で6位でゴール。
1936年ベルリン五輪で村社講平以来のトラック長距離での入賞となった。



東京オリンピック 10,000m 決勝 成績

1、28.24.4 ミルズ(アメリカ)五輪新記録
2、28.24.8 ガムーディ(チュニジア)五輪新記録
3、28.25.8 クラーク(オーストラリア)五輪新記録
4、28.31.8 マモ・ウォルデ(エチオピア)五輪新記録
5、28.53.2 イワノワ(ソビエト)
6、28.59.4 円谷幸吉(日本)

7、29.10.8 ハルバーグ(ニュージーランド)
8、29.15.8 クック(オーストラリア)
9、29.20.6 リンドグレン(アメリカ)
10、29.21.0 ツェルワン(ユーゴスラビア)
11、29.27.0 ヘルマン(統一ドイツ)
12、29.29.6 クレルクス(ベルギー)
13、29.30.8 ファイヨル(フランス)
14、29.33.2 船井照夫(日本)
15、29.33.6 バヤシ(フランス)
16、29.43.0 シュトー(ハンガリー)
17、29.46.4 トマーシュ(チェコスロバキア)
18、29.53.0 ヒル(イギリス)
19、30.00.8 ベヌス(ノルウェー)
20、30.04.6 ローテ(統一ドイツ)

28、31.00.6 渡辺和己(日本)
397ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/26(月) 22:47:10
トラックがタータンになったのはいつから?
398ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/26(月) 23:12:47
寺沢徹マラソン成績(69年まで。その後市民ランナーとして走り続ける)

この成績を見ると東京五輪のときに調子を落としたというほどではない。
確かに2戦続けて円谷に負けたがまだ実績では上だったと思う。むしろ
ニュージーランドで円谷が2位ながら20000で世界新で走ったことで円谷
への期待が高まったのだろうか。皮肉なことに五輪後3戦続けて日本記録
を上回る走りを見せている。

2:34:24   3位 60.04.-- 福井
2:27:14   3位 61.03.12 別府
2:44:26   8位 61.06.25 毎日(大阪)
2:24:32   6位 61.12.03 朝日(福岡)
2:27:05   5位 62.02.11 別府
2:31:54   3位 62.05.13 毎日(大津)
2:19:14   2位 62.10.20 オークランド
2:16:18.4  1位 62.12.02 朝日=日本新
2:20:25   1位 63.01.15 愛媛(松山)
2:15:15.8  1位 63.02.17 別府=世界新
2:24:29   5位 63.05.12 毎日(東京)
(2:26:29)  4位 63.--.-- オークランド(記録会、公認の競技会ではないようです)
2:17:48.6  1位 64.02.02 別府
2:19:43.0  3位 64.04.12 毎日(東京)
2:20:35   3位 64.08.23 タイムス(札幌)
2:23:09.0  15位 64.10.21 オリンピック・東京
2:14:48.2  1位 64.12.06 朝日=日本新
2:14:38   1位 65.02.07 別府=日本新
2:13:41   2位 65.06.12 チズウィック(ウィンザー)=2位ながら日本新
2:25:07   12位 65.10.10 朝日
2:21:15      66.01.15 愛媛 (オープン参加のため順位なし、2位相当)
2:14:35   1位 66.02.13 別府
2:17:46   3位 66.04.19 ボストン
棄権   66.08.23 タイムス(札幌)  
2:19:35.0  2位 66.10.30 ソウル
2:15:51.2  5位 66.11.27 国際(福岡)
2:17:48.2  6位 67.02.05 別府
2:21:17   8位 67.04.19 ボストン
2:17:00   11位 67.12.03 国際
2:17:23   10位 68.12.08 国際
2:20:39.6  8位 69.02.02 別府
2:21:02.2  1位 69.03.23 信毎(長野)
399ゼッケン774さん@ラストコール :2007/02/26(月) 23:14:46
>>385

アベベ・ビキラと7位のアベベ・ワギラは兄弟じゃないよ。エチオピアの名前は本人の名・父親の名の順で表記されるから二人の父はビキラとワギラで別人だ。
「兄弟」という報道が一時あったのは事実(だからあなたのせいではない)だけれど、それは誤った報道だったのさ。
400ゼッケン774さん@ラストコール :2007/02/26(月) 23:18:26
>>398

その資料ののっているサイトには、「無断転載を禁ず」という表示があったはずです。モラルを守ってもらいたい。
401ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/26(月) 23:18:45
アベベの五輪マラソン2時間12分って今でも通用する
その前の五輪は裸足で2時間15分なんて絶対誰でもできっこないだろ

今でも伝説と言われるわけだ
>>401
盲腸手術後僅か1ヵ月後で五輪マラソン2時間12分なんて
今でも誰でもできっこないだろ
403ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/26(月) 23:54:13
>>401>>402
アベベの偉業は認めるし、偉大なランナーだと思う
盲腸一ヶ月後でオリンピックに2位に4分差のブッチギリで勝てるなんて考えられない

ただし「あの」東京五輪のマラソンコースだからね

この前の東京マラソンを「あの」東京五輪のマラソンコースでやってほしかった
今年は悪天候で記録が望めないが、気候がよければトンでもない記録が出ると思う
味の素スタジアム発着の都庁折り返しなら、交通渋滞も多少は緩和できるんじゃないかね?
60-70年代主なマラソンランナーの体型
(外国勢)

クレイトン 188cm 73kg
クラーク 184cm 74kg
ビレン 180cm 61kg
ショーター 179cm 64kg
アベベ 172cm 65kg
ヒートリー 172cm 63kg
ガムーディ 171cm 62kg
マモ 170cm 56kg
ヒル 169cm 57kg
リスモン 168cm 56kg
アドコックス 168cm 55kg
トンプソン 168cm 57kg
60-70年代 マラソンランナー体型
(日本勢)

采谷義秋 174cm 62kg
重松森雄 170cm 56kg
浜村秀雄 167cm 57kg
沢木啓祐 167cm 61kg
宇佐美彰朗 167cm 58kg
君原健二 167cm 57kg
貞永信義 165cm 57kg
佐々木精一郎 164cm 54kg
寺沢徹 164cm 54kg
円谷幸吉 163cm 53kg
上岡忠明 163cm 52kg
広島庫夫 160cm 57kg
広島日出国 160cm 50kg
大槻憲一 158cm 50kg
山田敬蔵 157cm 44kg
中尾隆行 153cm 48kg
406ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 00:44:21
>>403
頭上に首都高ができちゃったからね。景観は当時とはかなり違うだろう。
雨よけにはなるだろうけど。 
>>394-396
YouTubeに動画あり

1964 Olympic 10,000m
ttp://www.youtube.com/watch?v=3vhUiNLsIoM

ラスト1周の争いはおもしろい
当時の資料ばかりが残り、現在の資料が残らないということは、
今のマラソンの人気が数段低下してるんだろうな。

あるいは評価する価値もないとみなされてるのか……
409ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 08:25:28
>>408
ギャグで言ってるの?
410ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 08:30:38
人気がない。
人気があると勘違いしているのは現場にタッチしてる人間だけ。
内輪ばかりみてると「社会」から「ガツーン」と殴られるよ。
違う視点で見る。大事だよ。
>>408
遠からず当たっている。60-80年代は比較的多くの資料が残っている。特に年度別記録や世界歴代表は
いろいろな書物、新聞に掲載された。
92年バルセロナ以降の記録掲載はぐんと露出が減る。
瀬古などはマラソンで勝つたびに臨時雑誌や陸マガでも特別号が発売されたりした。
412ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 08:36:53
一般紙のスポーツ欄にもマラソン世界十傑とか日本十傑とかでていたもんな。
今の世界十傑や日本十傑を知っている一般人なんてほとんどいない。 
現に80年代はビッグレースになると視聴率30%越えるものもあったな。
>>当時の資料ばかりが残り、現在の資料が残らないということは、
物凄い思い込みですねw
一度病院行ったほうがいいよw
>>410
客観的にみる。
これ大事だよ。
君の主観などどうでもいいの
まあここで言い争ってもしょうがないから、当時の事柄などを知ったり見たりする上で
ここのスレッドは楽しく拝見させてもらってるよ。
>>397
たしか東京五輪までがアンツーカーで68年のメキシコからタータンになったんだよな。
しかし海抜2300mで世界大会は平地民族は通常の力を発揮しにくかっただろう。
>>404
クレイトンの体型ってマラソンやる体ではないな。
キャステラもかなり体型がガッシリしてたね。
419ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 09:02:42
マラソンで銭を稼げる日本男子マラソンランナーがいなくなったのも事実   
420ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 09:06:45
>>408 最近の資料はインターネット上でも沢山ある。勿論ここで議論されて
いる古い時代はインターネット以前だから意外と収集は大変である。

最近の資料は沢山あるが、このスレで論じるには様々な点で不適切である。
1.スレの名称から史上云々を論じるには早すぎる。
2.90年以降、アフリカンパワーが圧倒的であり、また次々と選手が出て
くるので馴染みにくい。
3.2に関連してかつての名ランナーF.ショーターは「ゲームは終わった」と
語っている。
4.また90年以降五輪や世界選手権が耐熱耐久レース、一方都市型高速
マラソンはペースメーカー付きで記録狙い、と分化した。両方の強さを兼ね
備えた選手は出ていない。(今後出れば史上最高のランナーと称される
だろう)。
5.日本選手が都市型高速マラソンでは相手にならない(事前のペースメーカー
の設定にすら乗れない)ので一般の関心が低くなり、逆に一流の高速選手の
露出は減っている。
6.日本のマラソンの足の引っ張り合いとひどい招待選手のせいでまともな
強豪選手が真面目に走るのを見る機会の減少(去年の福岡は久しぶりに良い
レースだった)。

等々、一般人には男子マラソンは関心の外だろう。女子ももうすぐそうなる
気がするけど。
>>417
今、メキシコあたりの高地で世界陸上をやってもマラソンは2時間20分近くかかるのかな?
422ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 09:13:47
日本のレース(と海外の高速レース)への苦言だが、ペースメーカー制が
レースを面白くなくしている。日本でのレースのように初めから5km 15.10
の設定で記録の興味をなくしておいて、それを守れないペースメーカーは
論外だが、いいペースメーカーがついたとしてもレースそのものが30kmから
先というのでは1時間半が無駄になる。昔であれば、ショーター、宗茂、
中山のように序盤から独走する可能性もあり、それにつくか判断するのを
見るのも楽しみであった。五輪や世界選手権であれば、途中の飛びだしに
どう対応するかは勝負の分かれ道になっている(例えばアテネのデ・リマ
の飛び出し。ペースメーカーはそういう機会さえ奪っている)。アテネ
五輪(男子)が一般の話題を呼んだ背景にはペースメーカーがいなかった
ということがある。
>>事前のペースメーカーの設定にすら乗れない
それは調子が悪かったから事前に遅い組に入っているだけです。
424ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 09:17:05
>>423 では高岡以外にここ最近の海外高速レース(ロンドン、シカゴ)で
先頭集団に入ることを選択した選手はどれだけいる。
425ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 09:17:18
ペースメーカーはいらない。
ペースメーカーがいまの記録を作っているけどマラソンレースの楽しみを奪っている。
426ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 09:26:37
ペースメーカーなんかいたって無視して飛び出せばいいじゃん。
427ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 09:29:37
せっかくいるんだから、その流れに乗った方が体力の消耗が少ない。
428ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 09:34:51
史上最高のペースメーカーはイカンガーであり中山であったと思うよ。
5キロごとのラップなんかほとんとその2人で取っていたと思う。   
ペースメーカーは一種のレースにおけるドーピングと一緒だから世界的に禁止にすればよいのにね。
ケニアなんか潜在能力は昔からあったんだけど、レースの組立が下手で自滅するからなかなか
強いのがいなかった。あれだけペースを作ってくれたら、今までペースを平均して作れなかった
潜在能力の高いケニア勢が最後まで高いレベルでゴールできると思うし。
>>429
ケニアの世界陸上、五輪における弱さはそういうところにも出ている。
だから自分のペースメイクができ、暑さにも強いワイナイナやワキウリがメダルを取っているので
はないかな。
431ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 10:52:04
現代のペースメーカー付きのマラソンの記録と
ペースメーカーが付いてない時代のマラソンでは記録の意味合いが全然違う。
432ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 13:28:46
ペースメーカーっていつからついてたの?
公には認めてないペースメーカーは昔からいたと思うけど。
油谷2時間7分52秒>瀬古2時間08分27秒
すでに80年代中盤に海外のマラソンではペースメーカーがついた。
しかし全部のわけではない。85ロッテルダムのロペス世界最高はルソーとベーゲマンがペースメーカー役
を勤めた。
91年の別大あたりでは日本でもペースメーカーが存在していた。
435ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 16:07:53
かつては途中でレースをやめるからラビットと言っていた
>>435
そういう意味じゃないんじゃねーの?
ドッグレースからでしょ?
438ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 21:07:30
でもペースメーカーをやめても、アフリカ系の選手が個人で雇う可能性もあるよな
これだけ賞金レースになっているんだもん
7:3で賞金やるから、おまえラビットしろ、みたいな
そうして一流選手に上り詰めたのがベルギーのルソーな訳だし、
若手で実力がありながら食えない選手が受けるケースもありうるでしょう
時代の趨勢は止められないと思うよ
439ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 21:25:46
>>407
前半のカラー映像は市川崑の「東京オリンピック」だな、しかし確かに面白いレースだったね

映画「ロンリーウエイ」(ビリー・ミルズの生涯を描いた映画)も見たが、
レースシーンだけはフィクションは真実には勝てないわ
(ロンリーウエイの国立競技場はタータンだしw)

映画「東京オリンピック」を改めて観たくなって来た
440ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 21:30:48
記録が出易いようにペースメーカをつける、平坦コースにするとかってのはマラソン
とは言わんよ。
マラソンってのは基本的には夏に行う耐久レース。
陸上競技である以上、冬には行われない。
冬の都市型マラソンはマラソンではなく、35k集団助走後の7.195kレースにすぎない。
現代都市(マラソン)をマラソンと言わないでほしいし、ゲブレ、ハヌーシ、高岡をマラソンランナー
として評価するのもやめてほしい。
441ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 21:32:15
つまりその理屈でいくと瀬古は凄まじく生きる価値のないゴミってことだなw
442ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 21:36:28
ペースメーカー付きのレースだとスピードランナーが
圧倒的に有利だからレースの醍醐味が薄れたのは事実だ。
去年の福岡みたいな展開だとゲブレセラシエには誰も勝てないもんな。
443ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 21:42:14
>>441
いやいや瀬古の時代はまだ半分マラソンだったんだよ。
42.195k駆け引きがあるレースをしていたからね。
今の都市マラソンは35kまでほとんど助走にすぎない。35kまではレースが動かないのがお約束
だから何も考えず、消耗を抑えるように走るだけでいい。

そんなレースはマラソンとは呼ばないで、別名で呼ぶべきってことだよ。
444ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/27(火) 21:47:53
>>438
ルソーって金に物言わせるメチャクチャ悪いやっちゃみたいやなw  
マラソン.駅伝  歴代視聴率10傑 (1977年以降)

1 第23回ロサンゼルス五輪・男子マラソン 1984年8月13日(月)   NHK総合  48.8%  ロペス
2 第24回ソウル五輪・男子マラソン    1988年10月2日(日)  NHK総合  43.4%  ボルディン
3 第26回アトランタ五輪・男子マラソン   1996年8月4日(日)  NHK総合  43.0%  チュグワネ
4 第22回福岡国際マラソン         1987年12月6日(日) NHK総合  41.0%  中山竹通
5 第27回シドニー五輪・女子マラソン    2000年9月24日(日) テレビ朝日  40.6%  高橋尚子
6 東京・ニューヨーク友好 '83東京マラソン 1983年2月13日(日) フジテレビ  37.5%  瀬古利彦
7 第2回全国都道府県対抗女子駅伝競走大会 1984年1月22日(日) NHK総合  36.9%  京都府
8 第26回アトランタ五輪・女子マラソン   1996年7月28日(日) T B S  36.6%  ロバ
9 第18回福岡国際マラソン         1983年12月4日(日) NHK総合  36.5%  瀬古利彦
10 2001ベルリンマラソン         2001年9月30日(日) フジテレビ  36.4%  高橋尚子

ケニア 男子マラソン歴代10傑 (2007.1.31現在)

1、2時間04分55秒 P・テルガト  2003ベルリン1位
2、2時間04分56秒 S・コリル   2003ベルリン2位
3、2時間05分50秒 E・ルト    2003シカゴ 1位
4、2時間06分14秒 F・リモ    2004ロッテルダム1位
5、2時間06分15秒 T・ムンジ   2003ベルリン3位
6、2時間06分16秒 M・タヌイ   1999シカゴ2位
6、2時間06分16秒 D・ジェンガ  2002シカゴ2位
8、2時間06分23秒 R・チェボロル 2004アムステルダム1位
9、2時間06分33秒 M・ロテッチ  2003パリ1位
10、2時間06分39秒 W・キプサング 2003アムステルダム1位

【男子マラソン日本歴代10傑】
@2:06:16 高岡 寿成 カネボウ 3位 シカゴ 2002.10.13
A2:06:51 藤田 敦史 富士通 優勝 福岡国際 2000.12.03
B2:06:57 犬伏 孝行 大塚製薬 2位 ベルリン 1999.09.26
C2:07:35 児玉 泰介 旭化成 優勝 北京 1986.10.19
D2:07:40 谷口 浩美 旭化成 2位 北京 1988.10.16
E2:07:52 油谷  繁 中国電力 3位びわ湖毎日 2001.03.05
F2:07:52 国近 友昭 エスビー食品 優勝 福岡国際 2003.12.07
G2:07:55 諏訪 利成 日清食品 2位 福岡国際 2003.12.07
H2:07:57 伊藤 国光 カネボウ 2位 北京 1986.10.19
I2:07:59 森下 由輝 旭化成 4位 びわ湖毎日 2001.03.05
男子マラソン 五輪.世界陸上 メダリスト

1936年 ベルリン 金 孫基禎 (韓国)
1936年 ベルリン 銅 南昇龍 (韓国)
1964年 東京   銅 円谷幸吉
1968年 メキシコ 銀 君原健二
1991年 東京   金 谷口浩美(世陸)
1992年 バルセロナ 銀 森下広一
1999年 セビリア 銅 佐藤信之(世陸)
2005年 ヘルシンキ 銅 尾方剛(世陸)

世界陸上 男子マラソン 全入賞者

(1991年 東京)  
 1位 谷口浩美
 5位 篠原太

(1993年 シュツットガルト)
 5位 打越忠夫

(1999年 セビリア)
 3位 佐藤信之
 6位 藤田敦史
 7位 清水康次

(2001年 エドモントン)
 5位 油谷繁
 8位 森下由輝

(2003年 パリ) 
 5位 油谷繁

(2005年 ヘルシンキ)
 3位 尾方剛
 4位 高岡寿成

日本記録の変遷
  2時間26分42秒  孫 基禎(養正高普)    35年11月神宮
  2時間26分32秒  広島庫夫(旭化成)     55年5月大阪
  2時間23分51秒  広島庫夫(旭化成)     55年12月平和台
  2時間21分40秒  広島庫夫(旭化成)     57年12月平和台
  2時間20分42秒  中尾隆行(中京大)     60年12月福岡
  2時間18分54秒  中尾隆行(中京大)     61年3月名古屋
  2時間18分52秒  中尾隆行(東 急)     62年10月オーク
  2時間16分18秒4 寺沢 徹(倉 レ)     62年12月福岡
  2時間15分15秒8 寺沢 徹(倉 レ)     63年2月別府  
  2時間12分00秒0 重松森雄 (福岡大)     65年6月ウィンザー
  2時間11分17秒0 佐々木精一郎 (九州電工)  67年12月福岡
  2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)  70年12月福岡
  2時間09分05秒6 宗 茂  (旭化成)     78年2月別大
  2時間08分38秒  瀬古利彦 (SB食品)     83年2月東京
  2時間08分15秒  中山竹通 (ダイエー)    85年4月ワールドカップ
  2時間07分35秒  児玉泰介 (旭化成)     86年10月北京
  2時間06分57秒  犬伏孝行 (大塚製薬)    99年9月ベルリン
  2時間06分51秒  藤田敦之 (富士通)     00年12月福岡
  2時間06分16秒  高岡寿成 (鐘紡)      02年10月シカゴ 

450ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/28(水) 00:11:43
>>449 抜けているよ。少なくとも

2:14:48.2  寺沢徹(クラレ)64.12.06 朝日
2:14:38   寺沢徹(クラレ)65.02.07 別府毎日

は抜けている。
1974年12月31日 まで エチオピア マラソンランキング8

1、2時間12分11秒2 アベベ・ビキラ 1964 東京
2、2時間14分52秒0 イトネベルク・ベレテ 1972 アジスアベバ
3、2時間15分08秒4 マモ・ウォルデ 1972 ミュンヘン
4、2時間15分37秒0 デミシェ・ウォルデ 1969 コシチェ
5、2時間18分13秒6 レンジサ・ベダネ 1969 福岡
6、2時間18分34秒4 タデッセ・メドヒン 1969 コシチェ
7、2時間18分58秒8 ゲブル・メラウィ 1968 サラウ
>>453
エチオピアとは関係ないのだが、この時期にスワジランドのマブサというランナーが
2時間12分台で走っているはず。アベベに続くアフリカ系では2番目の記録では
なかったかな。
453ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/28(水) 20:17:35
このすれって夜遅くなるとi用にもりあがるんだよな。
夜遅く見れない俺はいつものりおくれちゃう、
454ゼッケン774さん@ラストコール :2007/02/28(水) 20:19:59
アフリカは偶にマラソン盛んでない国から選手が出てくるな。
ジブチのサラーとか、ナミビアのスワトブーイとか。
1974年12月31日まで   男子マラソン アフリカ国籍 歴代10傑

1、2.12.11.2 アベベ(エチオピア)      1964東京
2、2.12.47.4 ル・グランジ(南アフリカ)   1974南アフリカ
3、2.12.54.4 マブサ(スワジランド)     1974クライストチャーチ
4、2.14.52.0 ベレテ(エチオピア)      1972アジスアベバ
5、2.15.08.4 マモ・ウォルデ(エチオピア)  1972ミュンヘン
6、2.15.37.0 デミシェ・ウォルデ(エチオピア)1969コシチェ
7、2.15.41.6 ラジ・アブディセラム(モロッコ)1960ローマ
8、2.18.13.6 ベダネ(エチオピア)      1969福岡
9、2.18.34.4 タデッセ(エチオピア)     1969コシチェ
10、2.18.58.8 ゲブル(エチオピア)      1968サラウ  
1986年12月31日まで  男子マラソン ケニア 歴代9傑

1、2.09.44.3 Jヌザウ   1983.10
2、2.10.05   Gカマウ   1984.10
3、2.10.18   Sキゲン   1984.8
4、2.10.30   Mムショキ  1986.10
5、2.11.43   Sヌガティア 1985.1
6、2.11.44   Iハッサイン 1986.12
7、2.12.53   Jキプサング 1986.6
8、2.13.07   Jムンヤラ  1985.10
9、2.13.26   Dヌジオカ  1985.4
1986年12月31日まで  男子マラソン エチオピア 歴代9傑

1、2.08.29   Bデンシモ  1986.2
2、2.08.39   Aメコネン  1986.2
3、2.10.03   Kバルチャ  1983.9
4、2.10.32   Dネディ   1984.8
5、2.12.11.2 Bアベベ   1964.10
6、2.12.17   Hエッバ   1983.1
7、2.13.15   Fワルデ   1986.10
8、2.13.35   Gグルム   1976.5
9、2.13.42   Tツェテルガチェフ 1979.7
1986年12月31日まで 男子マラソン アフリカ国籍 歴代10傑

1、2.08.04 Zシンク(南アフリカ)  1986.5
2、2.08.08 Rジャマ(ジブチ)    1985.10
3、2.08.09 Aサラ(ジブチ)     1985.4
4、2.08.10 Jイカンガー(タンザニア)1986.2
5、2.08.15 Wムトロ(南アフリカ)  1986.5
6、2.08.29 Bデンシモ(エチオピア) 1986.2
7、2.08.39 Aメコネン(エチオピア) 1986.2
8、2.08.58 Mプラーチェス(南アフリカ)1985.5
9、2.09.39 Gシャハンガ(タンザニア)1986.10
10、2.09.41 Eセケレ(南アフリカ)  1984.3
1986年12月31日まで 男子マラソン ヨーロッパ勢歴代10傑

1、2.07.12 Cロペス(ポルトガル)  1985.4
2、2.08.33 Cスペディング(イギリス)1985.4
3、2.09.01 Gネイブール(オランダ) 1980.4
4、2.09.03 Mハイルマン(東ドイツ) 1985.4
5、2.09.08 Gスミス(イギリス)   1983.10
6、2.09.12 Iトンプソン(イギリス) 1974.1
7、2.09.14 Jペーター(東ドイツ)  1984.7
8、2.09.16 Aハットン(イギリス)  1985.4
9、2.09.23 Cヘルレ(西ドイツ)   1985.4
10、2.09.24 Hジョーンズ(イギリス) 1982.5
1986年12月31日まで 男子マラソン アメリカ 歴代10傑

1、2.08.51   Aサラザール  1982.4
2、2.08.53   Dベアーズレー 1982.4
3、2.09.00   Gマイヤー   1983.4
4、2.09.27   Bロジャース  1979.4
5、2.09.32   Rタブ     1983.4
6、2.09.58   Bダーデン   1983.4
7、2.10.05   Pコッペス   1985.10
8、2.10.07   Eメンドーサ  1983.4
9、2.10.15   Jウェルズ   1978.4
10、2.10.18.6 Tサンドバル  1980.5



1986年12月31日まで  男子マラソン 日本歴代10傑

1、2.07.35   児玉泰介(旭化成) 1986.10
2、2.07.57   伊藤国光(カネボウ)1986.10
3、2.08.15   中山竹通(ダイエー)1985.4
4、2.08.27   瀬古利彦(SB食品)1986.10
5、2.08.55   宗猛(旭化成)   1983.2
6、2.09.05.6 宗茂(旭化成)   1978.2
7、2.09.51   新宅雅也(SB食品)1985.12
8、2.10.01   谷口浩美(旭化成) 1985.12
9、2.10.30   喜多秀喜(神戸製鋼)1983.12
10、2.10.37.8 宇佐美彰朗(桜門ク)1970.12
>>390
瀬古利彦(四日市工) 高校時代主な成績

1972年(高校1年)
800m  2位 2.00.4 三重高校 6月
1500m 3位 4.11.4 三重高校 6月
800m  3位 1.57.3 東海高校 6月

800m  3位 1.54.6 山形インターハイ 8月

1500m    4.07.5      9月
3000m 2位 8.44.6 ジュニア 11月


1973年(高校2年)
1500m 5位 4.04.1 沖縄国体 5月
800m  1位 1.58.5 三重高校 6月
1500m 1位 4.08.1 三重高校 6月
5000m 1位15.57.4 三重高校 6月
800m  1位 1.57.0 東海高校 6月
1500m 1位 4.04.8 東海高校 6月
5000m 1位15.22.6 東海高校 6月

800m  1位 1.55.4 三重インターハイ 8月
1500m 1位 4.05.3 三重インターハイ 8月

1500m 1位 3.58.2 三重高校新人 9月
1500m 1位 3.55.5 千葉国体  10月
5000m 1位14.37.0 千葉国体  10月

1974年(高校3年)
1500m 7位 3.53.3 兵庫リレーカーニバル 5月
800m  1位 1.55.8 三重高校  6月
1500m 1位 3.58.4 三重高校  6月
5000m 1位15.10.6 三重高校  6月
800m  1位 1.56.6 東海高校  6月
1500m 1位 4.04.5 東海高校  6月
5000m 1位15.18.6 東海高校  6月

800m  1位 1.55.2 福岡インターハイ 8月
1500m 1位 4.01.8 福岡インターハイ 8月
5000m 2位14.56.2 福岡インターハイ 8月

800m     1.54.8 記録会   9月
1500m 1位 3.53.4 茨城国体 10月(高校新記録)
5000m 1位14.33.0 茨城国体 10月

(全国高校駅伝)
1972年 1区 10km 10位 31分38秒
1973年 1区 10km  1位 29分28秒(9.6km)
1974年 1区 10km  4位 30分46秒  
瀬古利彦(早稲田大学) 主なトラック成績

1975年(浪人・アメリカ留学)
目立った記録なし

1976年(大学1年)
5000m     14.29.0 九大学記録会 5月
5000m     14.22.2 関東学連クラス別記録会 6月
1500m  1位  3.55.9 三重県選手権 7月
5000m  1位 14.48.8 三重県選手権 7月
1500m  1位  3.59.6 東海選手権  8月
5000m  1位 14.50.8 東海選手権  8月
1500m  1位  3.51.3 早慶対抗   9月
10000m 6位 31.04.2 インカレ  10月
5000m  1位 14.29.8 インカレ  10月
 800m  3位  1.51.7 佐賀国体  10月
5000m  2位 14.23.6 佐賀国体  10月

1977年(大学2年)
5000m  1位 14.17.1 関東学生   5月
10000m 1位 29.21.2 関東学生   5月
10000m 2位 30.15.0 実業団対学生 7月
1500m  1位  3.51.9 三重県選手権 7月
5000m  1位 14.28.6 三重県選手権 7月
5000m  1位 14.12.3 東海選手権  8月
10000m 1位 30.04.7 東海選手権  8月
1500m  1位  3.51.3 早慶対抗   9月
5000m  1位 14.20.6 青森国体  10月
5000m  1位 13.56.5 インカレ  10月
10000m 1位 29.37.4 インカレ  10月

10000m 4位 28.34.8 日本選手権 10月
5000m  2位 13.49.3 日本選手権 10月
1978年(大学3年)
5000m  1位 14.20.5  東京六大学 4月
10000m 2位 28.56.1  東京選手権 4月
5000m  3位 14.16.3  東京選手権 4月
10000m 2位 28.32.5  スポニチ陸上 5月
10000m 1位 29.39.7  関東学生  5月
1500m  6位  4.03.3  関東学生  5月
5000m  2位 14.05.5  関東学生  5月

5000m  1位 13.35.8  ケルン国際(ケルン) 6月
10000m 9位 28.12.2  ワールドゲームス(ヘルシンキ)6月
10000m 1位 27.51.61 DNガラン(ストックホルム)7月
5000m  11位 13.40.49 DNガラン(ストックホルム)7月

5000m  1位 14.13.8  日中対抗  9月
1500m  1位  3.50.6  早慶対抗  9月
5000m  2位 13.57.6  日中親善  9月
10000m 2位 29.20.8  8カ国対抗 9月
5000m  1位 13.49.5  インカレ 10月
10000m 1位 28.57.0  インカレ 10月



1979年(大学4年)
5000m  1位 14.26.5  六大学対抗 4月
10000m 2位 29.34.1  関東学生  5月
5000m  3位 14.07.9  関東学生  5月
10000m 1位 28.59.2  アジア陸上 6月

10000m 1位 28.02.59 ワールドゲームス(ヘルシンキ)6月
5000m  3位 13.34.4  4カ国対抗(ブレーメン)6月
3000m  7位  7.54.9(日本新記録) 4カ国対抗(ブレーメン)6月
5000m  3位 13.37.6  オスロ国際(オスロ)

5000m  1位 13.46.8  早慶対抗  9月
5000m  2位 13.43.4  インカレ 10月
10000m 1位 28.40.6  インカレ 10月

1000m  3位 28.41.8  日本選手権 10月 


瀬古利彦(早稲田大学) 主なロード・マラソン成績

1976年(大学1年)
20kmロード  3位 1時間02分40秒  箱根駅伝予選会 11月


1977年(大学2年)
マラソン    10位 2時間26分00秒  京都マラソン 2月
30kmロード 13位 1時間37分22秒  中日30kmロード 3月
20kmロード  1位 1時間01分18秒  箱根駅伝予選会 11月
マラソン     5位 2時間15分00秒1 福岡国際マラソン 12月


1978年(大学3年)
20kmロード  1位    59分40秒0  新潟20kmロード
20kmロード  1位    59分21秒8  府中多摩川20kmロード 11月
マラソン     1位 2時間10分21秒0  福岡国際マラソン 12月


1979年(大学4年)
マラソン     2位 2時間10分12秒   ボストンマラソン 4月
20kmロード  1位    59分25秒   新潟20kmロード 11月
20kmロード  1位    58分07秒1(道路日本新)府中多摩川20kmロード11月
マラソン     1位 2時間10分35秒   福岡国際マラソン



箱根駅伝
第53回大会(1977年) 2区 11位 1時間16分58秒
第54回大会(1978年) 2区  2位 1時間13分54秒
第55回大会(1979年) 2区  1位 1時間12分18秒(区間新記録)
第56回大会(1980年) 2区  1位 1時間11分37秒(区間新記録)

2区=24.4km(当時)
            
東京オリンピック  男子5,000m 決勝 レース展開

1964年(昭和39)10月18日  気温13.2度 湿度97% 北の風1.10m


世界記録 13分35秒6 クーツ(ソビエト)1957
五輪記録 13分39秒6 クーツ(ソビエト)1960
日本記録 13分55秒0 岩下察男     1964

スタートー 午後4時5分 雨模様。予選を通過した11人で第3コーナー
からスタートする。
ノルウェーのヘラルドがすぐに先頭。3周目に入る頃に猛然とスパートした。
ここで集団が崩れて縦長になり、1000mはクラークが前に出て2分50秒2。
ジャジー(フランス)、ベイリー(ニュージーランド)、ケイノ(ケニア)が
これに続く。
5周目あたりで集団は再び固まり、2000mは5分39秒4。
クラーク、ジャジー、ノルポト(統一ドイツ)、ベイリーの順。
ここで再びクラークがスピードを上げる。約150mほどのスピードアップ。
ほとんど毎週、100−150mのペースアップによるインターバルを実施する。
3000m−8分22秒2。
ジャジー、ノルポト、ベイリー、ドゥトフ(ソビエト)、その他2-3人は
クラークのアップダウンに耐えながら、一定の距離以上のリードを許さない。
8周目はきわめてゆっくりしたペースになる。
9周になると再びクラークがスパートを仕掛けるが後続はどうにか5−6m差に
で留める。10周目はスパートを見せず、単々とレースが続いた。
11周目手前、たまりかねたジャジーが先頭に立つ。4000mは11分15秒6で
通過した。

あと2周。ジャジー、クラーク、ノルポト、ベイリー、ドゥトフ、ケイノ、
そしてシュールとデリンジャーのアメリカ勢が一団。
あと600m、デリンジャーがスピードを上げてジャジーを抜いた。
鐘が鳴ってあと1周。先頭はデリンジャー。続いてジャジー、ドゥトフ、ノルポト、
シュール、ベイリーの順。
第2コーナーを回ってジャジーがスパート。これをノルポト、シュールが追う。
ジャジーがグングン飛ばす。第4コーナーでシュールがノルポトを追ってあと100m。
シュールのスパートが冴える。インコースのジャジーが懸命に逃げる。
ゴール前60mでシュールがジャジーを遂にとらえた。
ジャジーはつけない。差はぐんと開いてシュールが優勝。ジャジーはノルポト、
デリンジャーのも抜かれて4位。クラークは9位に沈んだ。
この400mは54秒4。最後の1周で5-6位にいたシュールは54秒を
切るスパートだった。
シュールはアメリカ史上初の五輪5000m優勝。アメリカ勢は10,000mでの
ミルズに続き長距離2冠を獲得した。
日本勢は日本記録保持者の岩下が予選6位で落選。10,000mで銀メダルを
獲得したガムーディ(チュニジア)は決勝を棄権した。
東京オリンピック 男子5,000m 決勝結果

1、13.48.8 R・シュール(アメリカ)
2、13.48.6 H・ノルポト(統一ドイツ)
3、13.49.8 W・デリンジャー(アメリカ)
4、13.49.8 M・ジャジー(フランス)
5、13.50.4 K・ケイノ(ケニア)
6、13.51.0 W・D・ベイリー(ニュージーランド)

7、13.53.8 N・ドゥトフ(ソビエト)
8、13.57.0 T・ヘラルド(ノルウェー)
9、13.58.0 R・クラーク(オーストラリア)
10、14.11.2 S・バイジュク(ソビエト)
11、14.20.8 M・ウィッグス(イギリス)

棄権 M・ガムーディ(チュニジア)
>>465
ガムーディってミュンヘンの5千でもメダル獲得していたね。
メキシコでは5千で金メダル獲得しているし、息の長い活躍
をした選手だ。
チュニジアの選手で活躍といったらガムーディだけかな?
ケイノやテムは東京五輪出ているんですね。てっきりメキシコでブレイク
したランナーだと思っていた。ケイノは1500で、テムは10000で金。
メキシコ五輪のマラソンも最後まで2位につけてたのがテムで
自滅した(棄権)と後年何かで読んだことがある。
以前、クレイトンの話がでていたが、1969年の夏は当時伝説になったくらいハードなレースをこなした。
40日間でフルマラソンを3回と4回のトラックレースを消化。マクソールマラソンでヒルに続き2位。
(2゚15'42")そしてすぐにトルコのアンカラマラソンを走って楽勝。(2゚17'26")そして
11日後にアンベルス国際マラソンで前人未到の2゚8'33"6の世界記録を樹立し優勝している。
>>465-466
4000m付近からの動画

1964 Olympic 5,000m
ttp://www.youtube.com/watch?v=S8-QYb_hAsI
459 :ゼッケン774さん@ラストコール :2007/02/28(水) 22:20:21
1986年12月31日まで 男子マラソン ヨーロッパ勢歴代10傑

1、2.07.12 Cロペス(ポルトガル)  1985.4
2、2.08.33 Cスペディング(イギリス)1985.4
3、2.09.01 Gネイブール(オランダ) 1980.4
4、2.09.03 Mハイルマン(東ドイツ) 1985.4
5、2.09.08 Gスミス(イギリス)   1983.10
6、2.09.12 Iトンプソン(イギリス) 1974.1
7、2.09.14 Jペーター(東ドイツ)  1984.7
8、2.09.16 Aハットン(イギリス)  1985.4
9、2.09.23 Cヘルレ(西ドイツ)   1985.4
10、2.09.24 Hジョーンズ(イギリス) 1982.5

※スティーブ・ジョーンズ(英)が抜けていないか! 2:07:13で2位にランクインのはず。
472ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/01(木) 08:31:00
>>468
ケイノはキップチョゲ・ケイノ(Kipchoge Keino)という名前から察せられる
通りカレンジン出身。ケニアで最も尊敬を集めている人物の一人。現在ケニアが
ランニング大国になっているが、その成功にはケイノの果たした役割が大きい。

ケイノは1962年の英連邦大会で世界デビュー(3マイルで11位)。東京では
5000の他,1500にも出場している(予選落ち)。

ケイノは1965年に3000mで世界新、5000mでもクラークの世界記録を更新
(1年程記録保持者)。66年には1マイルと3マイルの両種目制覇で世界
のトップランナーになる。

メキシコの時はチームリーダーだった。メキシコでは体調不良(胆石)で10000
はふらふらになりながらゴール。大方の予想(期待)はケイノがケニア史上初
の金メダリストになるということだったがテムが一足先に実現。5000も猛烈な
スパート合戦に体がついていかず銅。1500は医者の勧めもあって棄権を決意した
が翻意。途中交通渋滞に巻き込まれながら何とか決勝レースに間に合う。

レースは若いジプチョがペースメーカーになりハイペースで進む。世界記録保持者
で1年前にケイノを一蹴しているジム・ライアンは後方待機。ケイノは2番手に
つく。体調不良ながらケイノはジプチョにリードされライアンに大量リード。
ラストに自信を持っていたライアンもメキシコシティの薄い空気のためかラスト
になってもペースが上がらず、逆にケイノはペースを落とさずそのままゴール。
ケイノの記録3:34:9は世界歴代2位で五輪新。五輪記録としてロスでコーに更新
されるまで残る。

ケイノはミュンヘンでも3000障害金。ライアンが転倒して予選落ちして本命視
されていた1500はゴール前でバサラ(フィンランド)に逆転され銀。惜しいところ
で連覇ならず。後にプロ陸上家に転向。
473訂正:2007/03/01(木) 14:22:34
>>471
ご指摘ありがとうございます。
Sジョーンズが抜けていました。

1986年12月31日まで 男子マラソン ヨーロッパ勢歴代10傑

1、2.07.12 Cロペス(ポルトガル)  1985.4
2、2.07.13 Sジョーンズ(イギリス) 1985.10
3、2.08.33 Cスペディング(イギリス)1985.4
4、2.09.01 Gネイブール(オランダ) 1980.4
5、2.09.03 Mハイルマン(東ドイツ) 1985.4
6、2.09.08 Gスミス(イギリス)   1983.10
7、2.09.12 Iトンプソン(イギリス) 1974.1
8、2.09.14 Jペーター(東ドイツ)  1984.7
9、2.09.16 Aハットン(イギリス)  1985.4
10、2.09.23 Cヘルレ(西ドイツ)   1985.4

ナフタリ・テムは1968年メキシコ五輪10000mで金メダル。
ケニア史上初の金メダルを獲得。この時1500のケイノ、
3000障害でヴィオットも金メダルを獲得。
(水壕に足を入れないことで話題に。)ケニア旋風が巻き起こったと言われた。
マラソンにも出場(たしか初マラソン)既出通り、中間点までトップ争いを
演じたが途中棄権だった。

テムは中距離のケイノと共にケニアの英雄と言われていた。
2003年にケニアにて死去(享年58)。

東京(クラークやミルズ)、メキシコとマラソン未経験の
トラックランナーがマラソンも狙って走った。
結果はマラソンの難しさからか、なかなか好成績を収めるには
至ったいない。

ヘルシンキ優勝、メルボルン6位のザトペックとモントリオール
で5位のビレンが「本格的にマラソンに転向しなかった」トラック
ランナーの五輪マラソン入賞になるようだ。
1988年12月31日まで  マラソン エチオピア 歴代10傑

1、2.06.50   Bデンシモ 1988.4  ロッテルダム 1位
2、2.07.35   Aメコネン 1988.10 北京国際 1位
3、2.08.44   Wブルチ  1988.10 ロッテルダム 3位
4、2.10.03   Kバルチャ 1983.9  モントリオール 1位
5、2.10.32   Dネディ  1984.8  モスクワ 1位
6、2.12.11.2 Bアベベ  1964.10 東京 1位
7、2.12.17   Hエッバ  1983.1  ヒューストン 1位
8、2.12.29   Tメコネン 1988.10 西ベルリン 3位
9、2.12.37   Tグタ   1987.5  パリ 2位
10、2.12.49   Nデュベ  1987.10 北京 2位



1988年12月31日まで マラソン ケニア 歴代10傑

1、2.08.43   Iフセイン   1988.4  ボストン 1位
2、2.09.39   Kカイタニー  1988.10 シカゴ 3位
3、2.09.44.3 Jヌザウ    1983.10 シカゴ 1位
4、2.10.05   Gカマウ    1984.10 シカゴ 4位
5、2.10.18   Sキゲン    1984.8  サンフランシスコ 1位
6、2.10.30   Mムショキ   1986.10 シカゴ 4位
7、2.10.47   Dワキウリ   1988.10 ソウル 2位
8、2.11.43   Sヌガティア  1985.1  ヒューストン 2位
9、2.11.44   Iハッサイン  1986.12
10、2.12.13   Gコエチ    1985.12 サクラメント 3位
1988年12月31日まで イギリス 歴代10位

1、2.07.13 Sジョーンズ   1985.10 シカゴ 1位
2、2.08.33 Cスペディング  1985.4  ロンドン 2位
3、2.09.08 Gスミス     1983.10 ニューヨーク 2位
4、2.09.12 Iトンプソン   1974.1  クライストチャーチ 1位
5、2.09.16 Aハッサン    1985.4  ロンドン 3位
6、2.09.24 Hジョーンズ   1982.5  ロンドン 1位
7、2.09.28 Rヒル      1970.7  エジンバラ 1位
7、2.09.28 Jグラハム    1981.5  ロッテルダム 1位
9、2.09.43 Mグラットン   1983.4  ロンドン 1位
10、2.10.12 Gヘルム     1983.4  ロンドン 2位
1988年12月31日まで  マラソン 日本 歴代10傑

1、2.07.35   児玉泰介(旭化成) 1986.10 北京 1位
2、2.07.40   谷口浩美(旭化成) 1988.10 北京 2位
3、2.07.57   伊藤国光(カネボウ)1986.10 北京 2位
4、2.08.15   中山竹通(ダイエー)1985.4  広島 2位
5、2.08.27   瀬古利彦(SB食品)1986.10 シカゴ 1位
6、2.08.55   宗猛(旭化成)   1983.2  東京 2位
7、2.09.05.6 宗茂(旭化成)   1978.2  別府大分 1位
8、2.09.51   新宅雅也(SB食品)1985.12 福岡 1位
9、2.10.30   喜多秀喜(神戸製鋼)1983.12 福岡 7位
10、2.10.37.8 宇佐美彰朗(桜門ク会) 1970.12 福岡 1位
478ゼッケン774さん@ラストコール :2007/03/01(木) 19:22:30
>>472

詳しい紹介ご苦労様。いくつか訂正と補足をさせてもらいます。

>ケイノはキップチョゲ・ケイノ(Kipchoge Keino)という名前
正確には、ヘザキエー・キプチョゲ・ケイノ(Hezakieh Kipchoge Keino)。
2003年世界5000m金のエリュード・キプチョゲがいるように、キプチョゲも日本で言えば苗字で名前に当たるのはヘザキエーなんだ。だけど、これはなぜか省略されている。


>ケイノは1965年に3000mで世界新、5000mでもクラークの世界記録を更新
(1年程記録保持者)。66年には1マイルと3マイルの両種目制覇で世界
のトップランナーになる。

66年の両種目制覇は、もちろん英連邦大会でのこと。

>メキシコでは体調不良(胆石)で10000はふらふらになりながらゴール。大方の予想(期待)はケイノがケニア史上初
の金メダリストになるということだったがテムが一足先に実現。5000も猛烈な
スパート合戦に体がついていかず銅。

5000mは銅ではなくて、銀メダルだった。

>ミュンヘンでも3000障害金。ライアンが転倒して予選落ちして本命視されていた1500はゴール前でバサラ(フィンランド)に逆転され銀。惜しいところ
で連覇ならず。後にプロ陸上家に転向。

3000障害に出たのは、1500と5000の日程が重なっていた(同じ日に決勝)ためだが、経験がほとんどなかったにもかかわらずのちの世界記録保持者のジプチョを抑えて金メダルだった。
>>469

クレイトンの1969年マラソン歴だが、少し順番が違います。
まず最初に走ったのが5月19日のトルコ・アンカラマラソン。
このときは第1回大会。独走で2時間17分26秒で優勝している。
翌年の大会ではメキシコ五輪4位の地元・アケイ(トルコ)が
2時間20分42秒4で優勝。5月のトルコということで、2時間
17分台は当時としてはかなり良い記録ではなかろうか。
そして11日後のアントワープ(アンベルス国際)は5月30日。
すでに概出だが、1回限りで終了してしまった記念大会。
ここでクレイトンは宇佐美を寄せ付けず、2時間08分33秒4の
驚異的な世界最高記録を樹立。当時、サブテンはまだ2回。
いずれもクレイトンが記録したもので、世界歴代2位が2時間10分
47秒だったのをみるといかにクレイトンの記録が突出していたかが
わかる。そして7月20日にイギリスでマクソール(マンチェスター)
マラソンを走る。イギリスのロン・ヒルに負けたものの、2時間15分
40秒で走る(2位)。そのアンベルスとマクソールの間でトラックレース
をこなしていたのかもしれませんね。
1988年12月31日まで  (日本以外) アジア勢 歴代10傑

1、2時間10分52秒  ゴー・チュン・ソン(北朝鮮) 1980.3 エッソン 1位
2、2時間11分34秒  リー・ジョン・ヒョン(北朝鮮)1984.12 福岡 4位
3、2時間11分40秒  チョー・チャン・ソプ(北朝鮮) 1979.12 福岡 5位
4、2時間11分44秒  リー・チャンチン(北朝鮮)  1984.8 モスクワ 4位
5、2時間11分58秒  蔡尚岩(中国)        1988.4 ロンドン 8位
6、2時間11分59秒4 Sシン(インド)       1978.5 ジュルンドゥール 1位
7、2時間12分17秒  張国偉(中国)        1987.3 天津 1位
8、2時間12分21秒  リー・ジョンヒー(韓国)   1987.3 ソウル 1位
9、2時間12分23秒  フ・ユイグ(韓国)      1987.3 ソウル 2位
10、2時間12分26秒  キム・ウォンタク(韓国) 1987.3 ソウル 3位   
1988年12月31日まで オーストラリア 歴代10傑

1、2時間07分51秒  R・ド・キャステラ 1986.4 ボストン  1位
2、2時間08分33秒4 Dクレイトン    1969.5 アンベルス 1位
3、2時間10分09秒  Gヘンリー     1980.12 福岡 4位
4、2時間10分20秒0 Dチェトル     1975.12 福岡 2位
5、2時間10分44秒  Pキャロル     1988.7  ブルスベン 1位
6、2時間11分12秒6 Jファーリントン  1973.7  リッチモンド 1位
7、2時間11分18秒  Sモネゲッティ   1986.8  エジンバラ 3位
8、2時間11分42秒4 Gバーレット    1980.4  アデレード 1位
9、2時間11分55秒  Cワードロー    1979.12 福岡 6位
9、2時間11分55秒  Bスコット     1979.12 福岡 7位



1988年12月31日まで  ソビエト 歴代10傑

1、2時間09分20秒 Yトルスティコフ  1988.10 シカゴ 2位
2、2時間10分33秒 Vシドロフ     1982.2  東京  1位
3、2時間10分58秒 Vコトフ      1980.5  モスクワ 1位
4、2時間11分16秒 Sジュマナザロフ  1980.5  モスクワ 2位
5、2時間11分19秒 Rカシャポフ    1988.12 福岡 3位
6、2時間11分32秒 Vブグロフ     1972.9  ミンスク 1位
7、2時間11分46秒 Iイェフィモフ   1987.4  ウジゴロド 2位
8、2時間11分50秒 Aアリュコフ    1980.5  モスクワ 3位
9、2時間11分53秒 Aアクジン     1980.5  モスクワ 4位
10、2時間11分57秒 Lモセーエフ    1977.12 福岡 2位


1986年12月31日まで  イタリア 歴代10傑

1、2時間09分57秒 Gポリ       1985.10 シカゴ 4位
2、2時間10分23秒 Oピッツォラト   1985.4  広島 6位
3、2時間10分32秒 Gボルディン    1988.10 ソウル 1位
4、2時間11分02秒 Mマグナニ     1985.4  広島  9位
5、2時間11分22秒 Sブルネッティ   1982.2  東京  3位
6、2時間11分25秒 Gゲルビ      1982.5  フェララ 1位
7、2時間11分28秒 Sベティオル    1987.4  ソウル 4位
8、2時間11分45秒 Gチンドロ     1975.12 福岡 4位
9、2時間11分47秒 Mマルケイ     1983.8  ヘルシンキ 13位
10、2時間11分52秒 Aファウスティーニ 1988.4  フイ 2位
482訂正:2007/03/01(木) 21:52:43
1986年12月31日まで イタリア 歴代10傑 −>  1988年
483ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/01(木) 22:05:45
ポリ、ボルディンは88年のボストンで2時間9分台で走ったと思うが?
1988年12月31日まで  メキシコ 歴代10傑

1、2時間08分57秒 Aクルス    1999.10 シカゴ 1位
2、2時間09分12秒 Rゴメス    1983.2  東京  3位
3、2時間10分19秒 Mモンドラゴン 1988.3  ロサンゼルス 1位
4、2時間10分29秒 Mピタヨ    1984.10 シカゴ 6位
5、2時間10分40秒 Jエレラ    1988.3  ロサンゼルス 2位
6、2時間11分08秒 Jゴメス    1985.10 シカゴ 6位
7、2時間11分30秒 Cレティス   1988.3  ロサンゼルス 3位
8、2時間11分50秒 Sガルシア   1988.1  ヒューストン 2位
9、2時間11分57秒 Fパチェコ   1985.10 シカゴ 8位
10、2時間12分08秒 Cリバス    1988.12 サンディエゴ 1位
485ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/01(木) 22:10:20
>>483 そう。ボルディンは3位で9分半くらいだった。欧州選手権の覇者で
記録も出したので侮れない存在(メダル候補の一人)と思ったことを覚えて
いる。
486訂正:2007/03/01(木) 22:13:10
>>483

1988年ボストンの記録が抜けている
訂正させていただきます。
4位ボルディン(イタリア) 2.09.27(自己ベスト)
5位ポリ(イタリア) 2.09.33(自己ベスト)
7位ピッツォラト(イタリア)2.12.32



1988年12月31日まで  イタリア 歴代10傑

1、2時間09分27秒 Gボルディン    1988.4  ボストン 4位
2、2時間09分33秒 Gポリ       1988.4  ボストン 5位
3、2時間10分23秒 Oピッツォラト   1985.4  広島  6位
4、2時間11分02秒 Mマグナニ     1985.4  広島  9位
5、2時間11分22秒 Sブルネッティ   1982.2  東京  3位
6、2時間11分25秒 Gゲルビ      1982.5  フェララ 1位
7、2時間11分28秒 Sベティオル    1987.4  ソウル 4位
8、2時間11分45秒 Gチンドロ     1975.12 福岡 4位
9、2時間11分47秒 Mマルケイ     1983.8  ヘルシンキ 13位
10、2時間11分52秒 Aファウスティーニ 1988.4  フイ 2位


487ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/01(木) 22:14:24
それから仕事人へのリクエストはミュンヘンの10000の実況。このレース前は
ベドフォードが27'47"程度の記録(それでも歴代2位!)で優勝候補だったが
空前のスピードレースになりビレン、プテマンスが世界新、あのイフターが
銅。ショーターが27'51"4で5位となった。途中ガムーディとビレンが接触転倒。
しかしビレンが優勝するなどドラマ性もあった。
488ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/01(木) 22:19:29
80年代までは日本って世界一のマラソン王国だったんだな
489ゼッケン774さん@ラストコール :2007/03/01(木) 22:29:35
>>469,479,481
クレイトンのタイムは2時間8分33秒6です。
東京五輪のシュール、ミルズと長距離2冠を獲得したアメリカ勢。共に番狂わせでの勝利だった。
とりわけシュールよりミルズの方がさらに意外だったよう。大会前の記録が28'56"2と
円谷の記録より下回るものであった。
1912年のストックホルム大会から始まった1万だが、それまでアメリカは金メダルを獲得した
ことがなかった。それどころか入賞も歴代で2つ。1912年に2位、1960年に6位のみであった。
東京の時のアメリカの最終予選は6マイル走で実施。リンドグレンが勝ち、ミルズが2位。
3ケ月前の7月、米ソ対抗で世界一の強さを誇っていたソビエト勢に勝ったリンドグレンがメダル
候補でミルズは入賞できれば健闘という評価だった。ネイティブアメリカンの血統のミルズは
初のネイティブアメリカン系の金メダリストになったと思う。
東京五輪マラソンの前評価は必ずしもアベベが優勝候補筆頭だったわけではないようだ。
それは40日前に行った盲腸手術の影響。さすがのアベベもこれは無理だろうというのが大方の予想ら
だった。かわりに同年ウインザーマラソンで世界記録を樹立(2゚13'55")したヒートリー、前年の
東京国際スポーツ大会(プレ五輪)を制したジュリアン、そして日本のエース君原が優勝候補。
それに前世界記録保持者のエデレン、試合巧者のバンデンドリッシュ、カントレク、キルビー
あたりが絡む展開だろうと予測。
直前にクラークの参戦が決まり、ハイペースになれば円谷にも目があり、逆に寺沢はダメだろうと予想
していた。優勝タイムは2時間14分台ではないかというのが多かった。
東京のメダリストのアベベ、ヒートリー、円谷でアベベと円谷はその後の展開があまりに不幸。
不治の死を遂げた分、ヒートリーは余生をのんびりと過ごしている感。
>>492
でも、ヒトーリーきりだったんだろ?
494ゼッケン774さん@ラストコール :2007/03/02(金) 22:23:29
>>490

ミルズは番狂わせだろうが、シュールはぜんぜん違う。
この年、シュールは13分38秒0をマーク(世界記録は13分35秒6)ランキングトップだったし、2マイルでも8月の末に世界新記録を出していた。

前の年までの実績は少なかったが、オリンピックを迎える時点では力的にナンバー1だった。(あまり知られていなかっただけ)
今でもウィンザー、アテネ古典、コシチェのマラソンてまだ開催しているのかな?
あまり聞いたことがないので。
>>469
>>479

デレク・クレイトン(オーストラリア) 1969年5-7月レース状況

5月19日  アンカラマラソン(トルコ) 2時間17分26秒(優勝)

5月30日  アンベルス国際マラソン(ベルギー)2時間08分33秒6 (世界新記録)

6月18日  オスロ(ノルウェー) 5000m 記録不明

6月21日  ロンドン(イギリス) 5000m 記録不明

6月27日 ストックホルム(スウェーデン) 5000m 13分49秒6

7月6日  ストックホルム(スウェーデン) 5000m 13分55秒4

7月8日  オスロ(ノルウェー) 10000m 28分45秒2

7月20日 マクソール国際マラソン(マンチェスター) 2時間15分40秒(2位)


当時、クレイトンの練習量は世界一。1週間に280km−350kmを走破。
通常6時に起床し、5km18分台の遅いペースで10−11km走る。
午後は24−32kmの持続走を5kmあたり15分30秒で続ける。

クレイトンの信条として、2時間10分に相当するペースよりも遅い速度で
走るのは意味がないとして、15分30秒のペースを持続させることを
狙いとした。週末にはマラソンんのタイムトライアルを2時間30分以内で
実施したり、超長距離を試みた。
あるとき、51km走を2時間40分で走破したあと、あまりにグロッキーで
木に衝突して倒れたことがあった。
このようなハードワークがたたって体調を崩し、メキシコ、ミュンヘンの
2回のオリンピックは7位、13位と失敗に終わった。
>>495

ウインザーマラソン(別名 ポリテクニック・ハリヤーズマラソン)は
第4回ロンドン五輪の翌年(1909年)から同五輪と同じコースで
開催される。この五輪のコース42.195kmがマラソンの正式距離
になる由緒正しいコースである。
第1回は2時間42分31秒でイギリスのバラットが優勝。
翌年はエドワード7世が死去したため中止。また1915-18年にかけては
第一次世界大戦中のため中止になる。
また創設以来、8度もコース変更される。
1953年、イギリスのピータースが当時として脅威の2時間18分40秒2で
優勝する。コースが短いのではと疑いがかかり、一大決断のもと、再計測したところ
逆に196m長かった。翌年、1954年に最後の修正を終え、コースが安定する。
順調にきた名門レースだったが、1972年に交通事情でロンドンに乗り込むコース
ができなくなり中止。1974年にはウインザー周辺を周回するまでに追い詰められる。
1975年に中止を余儀なくされ、1976年は世論に後押しされ再開したが、
1978年から中止にいたった。

ウインザーマラソン 1962−1977 優勝者

1962年 2時間20分59秒  ヒル(イギリス)
1963年 2時間14分26秒  エデレン(アメリカ)世界新記録
1964年 2時間13分55秒  ヒートリー(イギリス)世界新記録
1965年 2時間12分00秒  重松森雄(日本)世界新記録 A寺沢徹2時間13分41秒
1966年 2時間19分04秒  テーラー(イギリス) 
1967年 2時間19分06秒  マーレー(イギリス)G山崎久雄2時間26分54秒
1968年 2時間15分15秒  君原健二(日本)
1969年 2時間25分22秒  ハンプトン(イギリス)
1970年 2時間18分15秒  フェアクロス(イギリス)
1971年 2時間18分31秒  ハンプトン(イギリス)O浜田安則2時間26分21秒
1972年 中止
1973年 中止
1974年 2時間15分16秒  宇佐美彰朗(日本)
1975年 中止
1976年 2時間15分43秒  プレイトン(イギリス)
1977年 2時間14分32秒  トンプソン(イギリス)
 
>>491
>>494

東京五輪 男子5,000m 入賞者の 大会前ベストは

1位 シュール(アメリカ)  13分38秒0 (五輪成績 1位 13分48秒8)
2位 ノルポト(ドイツ)   13分44秒6 (     2位 13分49秒6)
3位 デリンジャー(アメリカ)13分44秒8 (     3位 13分49秒6)
4位 ジャジー(フランス)  13分46秒8 (     4位 13分49秒8)
5位 ケイノ(ケニア)    13分51秒8 (     5位 13分50秒4)
6位 ベイリー(NZランド) 13分52秒8 (     6位 13分51秒0)


優勝したロバート・シュールは1937年9月28日生まれ オハイオ州生まれ
マイアミ大学生時、東京五輪を迎える。 特に1964年に入ってから頭角を
あらわし、全米選手権、全米最終予選、米ソ対抗陸上でどれも優勝。
2マイル8分26秒4の世界新記録を樹立していた。
特にラストスパートのキレには定評があった。
前スレで1968年からの世界10傑が掲載されているが、
ここでは、日本勢が一番世界で力を発揮していた1964−1967年の
世界10傑を載せてみる。

1964年(昭和39年) マラソン 10傑

1、2時間12分11秒2 アベベ(エチオピア)
2、2時間13分55秒  ヒートリー(イギリス)
3、2時間14分12秒  ヒル(イギリス)
4、2時間14分48秒2 寺沢徹(日本)
5、2時間15分26秒  フドメル(チェコスロバキア)
6、2時間15分37秒  テーラー(イギリス)
7、2時間15分42秒  中尾隆行(日本)
8、2時間16分19秒2 マモ・ウォルデ(エチオピア)
9、2時間16分22秒8 円谷幸吉
10、2時間17分02秒4 キルビー(イギリス)


1965年(昭和40年)  マラソン 10傑

1、2時間12分00秒  重松森雄(日本)
2、2時間13分41秒  寺沢徹(日本)
3、2時間14分34秒  エデレン(アメリカ)
4、2時間15分37秒  中尾隆行(日本)
5、2時間16分07秒8 宍戸英顕(日本)
6、2時間16分26秒  船迫義和(日本)
7、2時間16分47秒  岡部宏和(日本)
8、2時間16分50秒  アドコックス(イギリス)
9、2時間17分04秒  テーラー(イギリス)
10、2時間17分34秒  キルビー(イギリス)
1966年(昭和41年)  マラソン 10傑

1、2時間13分45秒  ウッド(オーストラリア)
2、2時間14分04秒6 ライアン(ニュージーランド)
3、2時間14分05秒2 広島日出国(日本)
4、2時間14分35秒  寺沢徹(日本)
5、2時間14分52秒  岡部宏和(日本)
6、2時間15分28秒  君原健二(日本)
7、2時間15分32秒  佐々木精一郎(日本)
8、2時間15分35秒  杉原勇(日本)
9、2時間15分36秒2 蓬原正嗣(日本)
10、2時間15分44秒  松原一夫(日本)

11、2時間16分06秒  沢木啓祐(日本)



1967年(昭和42年)  マラソン 10傑

1、2時間09分36秒4 クレイトン(オーストラリア)
2、2時間11分17秒  佐々木精一郎(日本)
3、2時間12分25秒8 マッケンジー(ニュージーランド)
4、2時間13分33秒4 君原健二(日本)
5、2時間14分40秒  蓬原正嗣(日本)
6、2時間14分44秒8 アルダー(イギリス)
7、2時間14分49秒6 采谷義秋(日本)
8、2時間14分50秒2 宇佐美彰朗(日本)
9、2時間15分16秒  広島日出国(日本)
10、2時間15分17秒2 井上俊(日本)


まさに今のケニア勢状態だ。
501ゼッケン774さん@ラストコール :2007/03/03(土) 00:36:25
>>497
>>499

1966年のウィンザーの優勝者はグレアム(Graham)・テーラー、64年と65年のランキングに入っているのはジュアン(Juan)・テーラー

ウィンザー(正確にはポリテクニックハリヤーズマラソン)は1975年に中止されただけで、1972,73も1978年以降も1987年までやっているよ。
1988年からまた休止したが1992年からまた再開した。ただし、2002年以降の情報はない。

72年、73年年が中止されたとか、78年から中止になったというのは「マラソン」(高橋進氏の本)にのっていたと思うが、でたらめ。
規模が小さくなっただけ。

72年はフェアクロス(70年英連邦3位)、79年にグラットン(83年ロンドン優勝)、86年にH・ジョーンズなどが勝っている。
あと、76年の優勝者はプレイン。


1965年のランキング
9.2時間16分57秒  松原一夫(日本)  
10.2時間16分57秒4 張 雲程(中国)
もう海外マラソンは賞金レースでないと生き残れないということか。
503アスリート名無しさん:2007/03/03(土) 11:56:25
ちょっと聞くけど、こんなくだらない話題を長々と話しててどうすんの?
意味不明なんだけど。
504名無しさん:2007/03/03(土) 11:59:07
ひまだったらだれかメールして。なんか話そうよ。
>>503
まぁ そんなに毒づかなくてね。通史だから昔の事柄や話題を挙げるのもいいんじゃないか。
今と比較しても面白いし。
つまらなければ、話題を変えてレスするか、見にこなければ済むことだと思うよ。
506ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/03(土) 13:27:53
>>503
俺はこのスレは、とても面白いよ。
507ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/03(土) 14:34:30
>>503
おじいちゃんたちの楽しみを奪ってやるな!
毎日の楽しみがなくなって孤独死しちゃうだろ。
508ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/03(土) 15:03:04
>>503
じゃあ貴方なりの「史上もっとも強いマラソンランナー」を語れば良いじゃん、貴方の知っている限りで
でもここのスレの住人の知識をなめない方が良いよ

【韓国/写真】日本大使館前で沈黙デモをする大韓民国愛国青年同志会[03/01]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1172846237/l50
http://imgnews.naver.com/image/003/2007/03/01/NISI20070301_0003930375_web.jpg
犬を食べるのは文化として、あえて何も言わない主義だったけど
苦しませて殺すだけでも許せないのに、死んだ後に目や口に包丁を突き刺して政治活動に
利用するなんて・・・。


510ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/03(土) 15:20:05
ただコピペしてるだけじゃんww
511ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/03(土) 15:21:28
裸足のランナーアベべだろ
>>511
知ってる限りの知識
ご苦労様でしたwww
513ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/03(土) 18:41:13
アベベという名前で阿部文明(日本電気)を思い出した。
なぜか「びわ湖マラソン」には強い選手だった。
「びわ湖」は確か2度優勝している。(いずれも2時間11分ひとケタ)
福岡も何度か走ったが6位くらいが最高。
一流と呼ぶまであとほんの少しの選手だった。
>>513
同じ時期に須永宏というこれまた一流にはもう少しというようなのがいたね。
515ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/04(日) 01:40:40
>>512
指摘すらせずにそういうレスするとは論外
>>515
真夜中に必死の抵抗
ご苦労様でしたwww
517ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/04(日) 09:23:37
>>512>>516
>>511って必死の抵抗だったんですか?レベル低すぎ

裸足で最強なら、今での裸足で走る選手がいるだろう、その選手最強!になっちゃうw
歴史的経緯を踏まえてきちんとその選手の実績を挙げながら検証しなきゃ
歴史的経緯を挙げられないんなら20年分の陸マガか月陸読んでから出直そうね
518517:2007/03/04(日) 09:25:40
「陸マガ・月陸20年」が無理ならこのスレを1から読み直すのも手かな
519ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/04(日) 09:29:26
>>513
びわ湖の大会記録といえば阿部文明だったね。
>>519
その阿部文明が大会記録を塗り替えるまで12年間保持したのがフランク・ショーター。
2時間12分03秒を出したが、途中で沿道出で振る小旗を何枚かむしり取って「鼻でも噛むのか?」
とアナウンサーに疑問にもたれた瞬間、沿道の小脇に逸れて行ったのは後世語り継がれる有名な逸話。
その記録が12年間も保持されたのはショーターが凄いのか、周りがだらしないのか。
まぁ当時の大津毎日(びわ湖)で12分台はなかなか出なかった。
>>520
びわ湖の3週間前に開催される東京国際に
一時期、有力どころが集中した頃がありました。
そのせいで、別府もびわ湖もしばらく記録が停滞していたような。
522ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/04(日) 11:03:31
びわ湖って以前は4月だったよね。堤防には桜が咲いていた。
それが3月の第2週になって琵琶湖開きでの朝の連ドラのヒロインがテープカットする様子が
NHKの中継で流されていた。          
523ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/04(日) 12:39:12
>>521
88年大会、例の騒動で瀬古が出場し
びわ湖が空前の注目を浴びることになった。
びわ湖毎日は80年代にアジアだけの招待に絞った時期があった。
招待選手とは思えないレベルで2時間20分ぐらいのランナーがごろごろ来日した。
その頃のびわ湖の衰退は明らかで別府大分にも大きく水を開けられていた。
水久保、岩瀬など渋い中堅が2時間14-15分で勝っていたな。
525ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/04(日) 12:51:32
川口孝志郎も優勝している。
それでヘルシンキに出たが大惨敗だった。
川口孝志郎は懐かしいな。いつも白のキャップをつけて走っていた。
85年の阿部が優勝した大会は前半スローで中間点越えて、この川口と旭化成の野田浩あたりが
みるみるペースを上げていった記憶がある。
527ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/04(日) 13:10:19
「帽子の川口」か
中京大中京教員でマラソンに参加していた、「教師ランナー最後の大物」って感じかね
選手兼任を辞めた直後に、インターハイ二冠を達成する深谷弘を出し、
その後、佐藤とw山内で高校駅伝優勝まで後ちょっと、まで行ったんだよな
ただ最近の中京大中京の成績があまりよくないみたいだけど
>>524
その時期の最強が北朝鮮のリー・ジョン・ヒョン。
疑惑距離ながら日本意外のアジア人で初のサブテンを記録(のちに抹消)し、86年大会は渋谷と接戦
を演じて2位にはいった。90年初頭からまた招待の窓口を広げたと思う。
529ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/04(日) 13:21:44
川口孝志郎は高校卒業後トヨタ自工に勤めて競技に参加していた。例えば
78年の別大では13位2:20:37になっている。78年4月に中京大に入学。教員
資格を取りたいがためという。中京大ではマラソンに参加する傍らトラック
でも活躍。学生長距離界は福岡大の村越忍と覇権を争い、レベルの低い関東
勢(例えば大塚正美)を凌いでいた。
530ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/04(日) 13:34:17
喜多健一
喜多秀喜を 超える
>>529
高校生の頃、部室の隅に陸マガか何かの切り抜きで
川口孝志郎と新宅雅也(日体大)が競っている写真があった。
いま思うと日本インカレだったのかもしれません。

アベベの話から阿部文明の名前が出ていましたが、
今日のびわ湖でも阿部があと少しでしたね。
しかし、今日も日本勢は散々だったな。
桜井理事も言っていたが、日本人1位になったのは
勝負しに(優勝争いに)行かなかったヤツだからな。
大阪の大惨敗が容易に予想できるよ・・・・
533ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/04(日) 20:39:11
井川遥
久保田は自分のペースを守ったな。
こういうランナーは信頼できる。
535ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/04(日) 21:02:45
勝負した選手がいたか?w
536ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/04(日) 21:04:22
いないよ。
ほんとにガッカリした。
537ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/04(日) 22:44:22
75年福岡前の30傑

1. 2:08:33:6 D. クレイトン(豪)69.5 アンベルス(アントワープ)
2. 2:09:12:0 I. トンプソン(英)74.1 英連邦
3. 2:09:28:0 R. ヒル(英)70.7 英連邦
4. 2:09:55:0 W. ロジャース(米)75.4 ボストン
5. 2:10:30:0 F. ショーター(米)72.12 福岡
6. 2:10:37:8 宇佐美彰朗(桜門陸友会)70.12 福岡
7. 2:10:47:8 W. アドコックス(英)68.12 福岡
8. 2:11:12:0 E. オレイリー(米)70.4 ボストン
9. 2:11:12:6 J. ファーリントン(豪)73.7 NSW 
10: 2:11:12:8 J. ドレイトン(カナダ)69:12 福岡

11. 2:11:13:0 K. リスモン(ベルギー)74.7 ベルギー選手権
12. 2:11:17:0 佐々木精一郎(九州電工)67.12 福岡
13. 2:11:18:6 J. フォスター(NZ) 74.1 英連邦
14. 2:11:32:0 ブグロフ(ソ連)72 * 疑問計時で後に抹消
15. 2:11:35:8 K. ムーア(米)70.12 福岡
16. 2:11:54:0 S. ボーグ(米)75.4 ボストン
17. 2:12:00:0 重松森雄(福岡大)65.6 ウィンザー
18. 2:12:02:4 E. レッセ(東独)74.12 福岡
19. 2:12:03:4 谷村隼美(クラレ)69.12 福岡
20. 2:12:04:0 J. アルダー(英)70.7 英連邦

21. 2:12:05:0 T. フレミング(米)75.4 ボストン
22. 2:12:08:0 F. ロドリゲス(コロンビア)75.8 南米選手権
23. 2:12:10:6 P. ペイペリンダ(フィンランド)74.7 ツルク
24. 2:12:11:2 B. アベベ(エチオピア)64.10 東京五輪
25. 2:12:12:0 采谷義秋(竹原高教) 70.12 福岡
26. 2:12:19:0 D. フィアクロス(英)70.7 英連邦
27. 2:12:25:8 D. マッケンジー(NZ) 67.12 福岡
28. 2:12:47:8 F.ルグランジ(南アフリカ)74.4 南ア国内
29. 2:12:50:0 C. フィリップ(西独)72.6 マクソール
30. 2:12:52:8 P. ガリド(メキシコ)69.12 福岡
538ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/05(月) 00:09:03
大塚正美は学生最強だと信じて疑わなかったが、全日本大学駅伝の3区で村越に区間賞を取られてショックだった。

ちなみに全然別件ですが、当時の全日本大学駅伝のテーマ曲の曲名(グレンミラーっぽい楽曲)をご存知の方はいませんか?
539ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/06(火) 09:41:12
>>524 びわ湖は78,79年あたりでも陸連の指定で瀬古を除く一線級がこぞって
参加していた。78年は別大から間もなかったけど宗兄弟が参加。茂が逃げを
図るも失敗して猛が優勝、2位に佐藤進、3位に茂だったような気がする。
翌年は茂が圧勝。13分台のまずまずの記録で強さと安定性をアピール。しかし
80年代に入って一挙に面子がしょぼくなった。80年は弓削裕が圧勝したけど
近江大橋の強風に煽られたこともあって14分台。層の薄さも問題になっていた。
翌年は松尾正雄と渡辺康徳の九電工対決で松尾が優勝。子供の頃に手の怪我
をしたハンディを克服したとか、中学まで短距離選手だったから一瞬のスパート
があったとか報道されていたと思うけど完全にマイナー路線。やはり東京で
マラソンが2つあった影響も大きかった。水久保の優勝は翌年。

>>539
そして84年は一瞬のスキをついてスパートした岩瀬哲治(リッカー)が初優勝。
リッカー廃部前、最後の活躍だっただろう。
その後、大量に日産自動車に移籍という経緯となった。
>>540
工藤一良(日産自動車)も“リッカー組”でしたね。
びわ湖は中村が完勝した後、メンバーがやや強化された気がする。
コース変更の影響もあるんだろうけど、タイムも福岡並みに出るようになったし。

ただし今年は20度を超すという、3月としては暑すぎた所為でサブテンすら出なかった。
最後はアフリカ勢4人の競演で、粘りが身上のラマダニが日本のマラソン2勝目。
日本人トップがびわ湖で6位・72分台に終わったのは、渡辺のとき以来な気がするな。

しかしなぜかびわ湖はここ3年気象条件も良くない。
去年も後半は強烈な向かい風、一昨年はレース中に風が舞うといったようにここ3年はタイムが全く出てないがw
543ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/06(火) 21:54:06
それにしても選考会(大阪世界陸上)は惨憺たる結果。
5人も選べなくて困っているのでは・・・・
544ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/06(火) 22:30:41
>>542 渡辺はそのとき日本人トップではない(SBの田幸でしょ)
しかし今渡辺が登場したら一躍日本人のホープだよ
日本が弱くなったのか、渡辺の生まれた時代が悪かったのか....
竹澤と佐藤には勝てません。
残念!
渡辺は東京を怪我で回避してほとんど練習できないまま琵琶湖だったんだよな。
そんな中で初マラソンで2時間12分台だから今思えば凄いマラソン適性あったよな。
当時の書かれ方では期待はずれみたいな感じだったけどそれだけ期待の現われでもあるような。
547ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/06(火) 23:20:46
>>546 東京前の渡辺は瀬古の学生記録は破って当然、(ろくな候補がいない)
アトランタの代表になるのは当然で、日本代表のエース格になると期待されて
いた。結局完走したマラソンは最初のびわ湖だけという結果に終わったのは
皮肉というかなんと言うか。
548ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/06(火) 23:55:50
引退してから体型が別人のように変わったが、トップランナーは引退するとあんなに変わるものなのか
549ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/07(水) 00:00:08
渡辺は中村祐二とともにアトランタ五輪の代表になると思ったのですけどね。  
550ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/07(水) 00:22:35
>>546
箱根前にAERAの表紙になるわ、TVで渡辺、わたなべと煽り立てるし、
メディアで渡辺出まくっていたもんな
メディアももっと長い目で渡辺と言うランナーを育てればよかったんだよ

マスコミが渡辺と言う選手を青田刈りして穂を実る前に刈ってしまった、って感じだな
(豚を太らす前に食った、では例えが悪すぎるが)
>>548
渡辺ほど変わるも珍しいだろ。
テレビで見たときは唖然としたぞw
平塚や櫛部・川嶋を見てもそんなにかわってないし。
他の指導陣見ても、あそこまで体系が変わったのはほとんどいないかと。

>>549
アトランタは惨敗だったけど、選考会で大家と実井がサブテンを出したことは大きかった。
これ以後サブテンはちゃんと出るようになったからな。
ただし日本人が強いってレースをしたのって黄金期以降だと藤田の福岡ぐらいなんだよな……
何人か日本人も国内の3大マラソンを勝っているが、何かしらの理由で相手が谷間だったときぐらい。
アテネで油谷と諏訪が入賞したけど、あの年は選考会で日本人が健闘してたからな。
552ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/07(水) 18:16:21
大塚製薬の河野匡監督も現役時代はガリガリだったよ。
犬伏が6分台出したとき久しぶりに河野が公の場に出てきて、
その変わり果てた風貌に驚かされたよ。
553ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/07(水) 20:54:57
油谷
554ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/07(水) 20:58:48
>>552
引退→練習まったくせずor趣味として続ける
ってのが分岐点かな?ずっと走ってたならやめようとしても
ちょっとは走らないと気分が悪くなるもんだと思うんだけどねぇ。
555ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/07(水) 21:01:43
日大の小川監督はどうなんだ?
556ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/07(水) 22:42:00
山田敬蔵さんなんかいまだにフルマラソン走るもんな。超人的だよ。 
1981年7月まで  オリンピック 歴代10傑

1、2時間09分55秒0 チェルピンスキー(東ドイツ) 1976モントリオール1位
2、2時間10分45秒3 ショーター(アメリカ)    1976モントリオール2位
3、2時間11分03秒  チェルピンスキー(東ドイツ) 1980モスクワ1位
4、2時間11分12秒6 リスモン(ベルギー)     1976モントリオール3位
5、2時間11分15秒8 カードング(アメリカ)    1976モントリオール4位
6、2時間11分20秒  ネイブール(オランダ)    1980モスクワ2位
7、2時間11分35秒  ジュマナザロフ(ソビエト)  1980モスクワ3位
8、2時間12分05秒  コトフ(ソビエト)      1980モスクワ4位
9、2時間12分11秒2 アベベ(エチオピア)     1964東京1位
10、2時間12分14秒  モイセイエフ(ソビエト)   1980モスクワ5位



1981年7月まで  福岡国際マラソン  歴代10傑

1、2時間09分36秒8 クレイトン(オーストラリア) 1967
2、2時間09分45秒  瀬古利彦(日本)       1980
3、2時間09分49秒  宗猛(日本)         1980
4、2時間10分05秒  伊藤国光(日本)       1980
5、2時間10分08秒4 ドレイトン(カナダ)     1975
6、2時間10分09秒  ヘンリー(オーストラリア)  1980
7、2時間10分20秒  チェトル(オーストラリア)  1975
8、2時間10分21秒  瀬古利彦(日本)       1978
9、2時間10分23秒  宗茂(日本)         1980
10、2時間10分24秒  チェルピンスキー(東ドイツ) 1980



1981年7月まで   ボストンマラソン 歴代10傑

1、2時間09分26秒  瀬古利彦(日本)    1981
2、2時間09分27秒  ロジャース(アメリカ) 1979
3、2時間09分55秒  ロジャース(アメリカ) 1975
4、2時間10分12秒  瀬古利彦(日本)    1979
5、2時間10分13秒  ロジャース(アメリカ) 1978
6、2時間10分15秒  ウェルズ(アメリカ)  1978
7、2時間10分26秒  バージン(アメリカ)  1981
8、2時間10分30秒  ヒル(イギリス)    1970
9、2時間10分34秒  ロジャース(アメリカ) 1981
10、2時間11分12秒  オレイリー(アメリカ) 1970



1981年7月まで  ニューヨークシティーマラソン  歴代7傑

1、2時間09分41秒  サラザール(アメリカ) 1980
2、2時間10分10秒  ロジャース(アメリカ) 1976
3、2時間10分13秒  ゴメス(メキシコ)   1980
4、2時間11分28秒2 ロジャース(アメリカ) 1976
5、2時間11分42秒  ロジャース(アメリカ) 1979
6、2時間11分46秒4 グラハム(イギリス)  1980
7、2時間11分59秒3 ウェルズ(アメリカ)  1980





1981年7月まで  有力選手 ベスト5

ビル・ロジャース(アメリカ)

1、2時間09分27秒  1979年ボストン優勝
2、2時間09分55秒  1975年ボストン優勝
3、2時間10分10秒  1976年ニューヨーク優勝
4、2時間10分13秒  1978年ボストン優勝
5、2時間10分34秒  1981年ボストン3位


瀬古利彦(日本)

1、2時間09分26秒  1981年ボストン優勝
2、2時間09分45秒  1980年福岡国際優勝
3、2時間10分12秒  1979年ボストン2位
4、2時間10分21秒  1978年福岡国際優勝
5、2時間10分35秒  1979年福岡国際優勝


チェルピンスキー(東ドイツ)

1、2時間09分55秒0 1976年モントリオール五輪優勝
2、2時間10分24秒  1980年福岡国際6位
3、2時間11分03秒  1980年モスクワ五輪優勝
4、2時間11分17秒  1980年東独国際優勝
5、2時間12分20秒  1976年東独国際優勝


ロン・ヒル(イギリス)

1、2時間09分28秒  1970年英連邦優勝
2、2時間10分30秒  1970年ボストン優勝
3、2時間10分55秒3 
4、2時間11分28秒2 
5、2時間11分54秒4 1969年福岡国際2位


1981年7月まで  有力選手 ベスト5

フランク・ショーター(アメリカ)

1、2時間10分30秒  1972年福岡国際優勝
2、2時間10分45秒8 1976年モントリオール五輪2位
3、2時間11分31秒2 1974年福岡国際優勝
4、2時間11分45秒  1973年福岡国際優勝
5、2時間11分51秒  1976年ユージン優勝


デレク・クレイトン(オーストラリア)

1、2時間08分33秒6 1969年アンベルス国際優勝
2、2時間09分36秒4 1967年福岡国際優勝
3、2時間11分08秒8 1971年ホバート優勝
4、2時間12分07秒6 
5、2時間13分39秒


ジャローム・ドレイトン(ヵナダ)

1、2時間10分08秒4 1975年福岡国際優勝
2、2時間11分12秒8 1969年福岡国際優勝
3、2時間12分00秒  1969年デトロイト優勝
4、2時間12分35秒  1976年福岡国際優勝
5、2時間13分26秒8


カレル・リスモン(ベルギー)

1、2時間11分12秒6 1976年モントリオール五輪3位
2、2時間11分13秒  1974年コルテマルク優勝
3、2時間12分07秒7 1978年欧州選手権3位
4、2時間13分09秒  1971年欧州選手権優勝
5、2時間13分27秒  1980年モスクワ五輪9位


宗茂(日本)

1、2時間09分05秒6 1978年別府大分優勝
2、2時間10分23秒  1980年福岡国際5位
3、2時間10分37秒  1979年福岡国際2位
4、2時間11分30秒  1981年別府大分優勝
5、2時間11分41秒2 1978年福岡国際3位


宗猛(日本)

1、2時間09分49秒  1980年福岡国際2位
2、2時間10分40秒  1979年福岡国際3位
3、2時間11分32秒  1981年別府大分2位
4、2時間12分48秒6 1978年別府大分2位
5、2時間12分52秒  1975年福岡国際6位
1981年7月まで  ヨーロッパ勢 歴代10傑

1、2時間09分01秒 ゲラルド・ネイブール(オランダ) 1980アムステルダム1位
2、2時間09分12秒 イアン・トンプソン(イギリス)  1974英連邦1位
3、2時間09分28秒 ジョン・グラハム(イギリス)   1981ロッテルダム1位
3、2時間09分28秒 ロン・ヒル(イギリス)      1970英連邦1位
4、2時間09分55秒 ワルデマル・チェルピンスキー(東ドイツ) 1976モントリオール五輪1位
5、2時間10分00秒 マル・スメ(ベルギー)      1979年ベルチム1位
6、2時間10分47秒8ビル・アドコックス(イギリス)  1968福岡1位
7、2時間10分51秒 バーニー・フォード(イギリス)  1979福岡4位
8、2時間10分52秒 ウラジミール・コトフ(ソビエト) 1980ソチ1位
9、2時間11分02秒 トミー・パーソン(スウェーデン) 1980コロンブス1位
10、2時間11分12秒6カレル・リスモン(ベルギー)   1976モントリール五輪3位


1981年7月まで  アメリカ勢  歴代10傑

1、2時間09分27秒  ビル・ロジャース    1979ボストン1位
2、2時間09分41秒  アルベルト・サラザール 1980ニューヨーク1位
3、2時間10分15秒  ジェフ・ウェルズ    1978ボストン2位
4、2時間10分18秒6 トニー・サンドバル   1980全米予選1位
5、2時間10分19秒9 ゲーリー・ビヨクルンド 1980ダルス1位
6、2時間10分26秒  クレグ・バージン    1981ボストン2位
7、2時間10分29秒  カーク・ペファー    1980福岡7位
8、2時間10分30秒  フランク・ショーター  1972福岡1位
9、2時間10分41秒  ベンジ・ダーデン    1980ナイアガラ2位
10、2時間10分55秒  ケイル・ヘフナー    1980ナイアガラ3位


1981年7月まで  アフリカ勢  歴代10傑

1、2時間11分34秒  ハルバーシュタット(南アフリカ)1979
2、2時間11分35秒  バルチャ(エチオピア)     1979モントリオール1位
3、2時間12分10秒  ベーコン(南アフリカ)     1980
4、2時間12分11秒2 アベベ(エチオピア)      1964東京五輪1位
5、2時間12分14秒  ネディ(エチオピア)      1981東京国際3位
6、2時間12分27秒  ラカバエル(南アフリカ)    1979ニゲル1位
7、2時間12分47秒4 ル・グランジ(南アフリカ)   1974
8、2時間12分50秒  マガワネ(南アフリカ)     1980
9、2時間12分54秒4 マブサ(スワジランド)     1974英連邦3位
10、2時間13分15秒  ローズ(南アフリカ)      1979



1981年7月まで  日本歴代10傑

1、2時間09分05秒6 宗茂     1978別府大分1位
2、2時間09分26秒  瀬古利彦   1981ボストン1位
3、2時間09分49秒  宗猛     1980福岡国際2位
4、2時間10分05秒  伊藤国光   1980福岡国際3位
5、2時間10分37秒8 宇佐美彰朗  1970福岡国際1位
6、2時間11分05秒  喜多秀喜   1978福岡国際2位
7、2時間11分17秒0 佐々木精一郎 1967福岡国際2位
8、2時間11分27秒  武富豊    1980福岡国際9位
9、2時間12分00秒  重松森雄   1965ウインザー1位
10、2時間12分03秒2 谷村隼美   1969福岡国際3位
561ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/09(金) 18:37:33
>>560
以前この系列のスレで書いたけど、
宗兄弟、喜多、武富って高校同学年で同じ北九州だったんだよな
1970年のインターハイ北九州地区予選5000mで、
1位喜多-2位宗茂-3位宗猛-4位武富と、
同じ学年の皆さんは「同世代の不幸」で残念でした、というしかない

この年は箱根駅伝のゴボウ抜き記録を持っていた服部誠さん(神奈川・相原高校)とか、
現在三井住友海上陸上部監督・鈴木秀夫さん(千葉・長生高校)が、インターハイ5000mの1位・2位

結構バラエティーに富んでいた世代だったんだな
562ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/09(金) 22:06:00
80-81年は瀬古かロジャースだったんだな。
ロジャースは幻のモスクワ五輪代表になってるのかね。
563ゼッケン774さん@ラストコール :2007/03/11(日) 11:52:55
>>562

1980年のアメリカの「五輪選考」マラソンが開催された5月下旬はすでにボイコットが決まっていた。

だからロジャースはこれに参加していない。幻の五輪代表になったのは
1.サンドバル 2:10:19
2.ダーデン  2:10:41
3.ヘフナー  2:10:55

564ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/11(日) 17:31:55
>>563
まあ良く言われた話だが、7月終わりから8月頭の五輪(マラソンの開催日は(不勉強で)知らない)で、
5月下旬にマラソンの選考会を行うとは、なんというマラソンに対する認識なんだかね
男子 25000m 世界記録の変遷

1時間26分29秒6 コーレマイネン(フィンランド)1920
1時間25分19秒9 コーレマイネン(フィンランド)1922
1時間24分24秒0 マルチーネン (フィンランド)1928
1時間23分45秒8 ハーパー   (イギリス)  1928
1時間22分38秒8 マルチーネン (フィンランド)1930
1時間21分27秒0 タミラ    (フィンランド)1939
1時間20分14秒0 ヒェターネン (フィンランド)1948
1時間19分11秒8 ザトペック(チェコスロバキア)1952
1時間17分34秒0 イワノワ   (ソビエト)  1955
1時間16分34秒6 ザトペック(チェコスロバキア)1955
1時間15分22秒6 ヒル     (イギリス)  1965
1時間14分55秒6 ニッカリ   (フィンランド)1973
1時間14分16秒8 ペイベリンダ (フィンランド)1975
1時間14分11秒8 ロジャース  (アメリカ)  1979
1時間13分55秒8 瀬古利彦   (日本)    1981



男子 30000m  世界記録の変遷

1時間48分06秒2 ステンロース (フィンランド)1915
1時間47分13秒4 コーレマイネン(フィンランド)1922
1時間46分11秒6 ステンロース (フィンランド)1924
1時間43分07秒8 シピラ    (フィンランド)1928
1時間42分30秒4 ザバラ    (アルゼンチン)1931
1時間40分57秒6 リベス    (アルゼンチン)1932
1時間40分49秒8 ヒェターネン (フィンランド)1937
1時間40分46秒4 ヒェターネン (フィンランド)1948
1時間39分14秒6 ワーニン   (ソビエト)  1948
1時間38分54秒0 マスカチェコフ(ソビエト)  1951
1時間35分23秒8 ザトペック(チェコスロバキア)1952
1時間35分03秒8 ビスカリ   (フィンランド)1956
1時間35分01秒0 イワノフ   (ソビエト)  1957
1時間34分41秒2 バンデンドリッシュ(ベルギー)1962
1時間34分01秒8 アルダー   (イギリス)  1964
1時間32分34秒6 ジョンストン (イギリス)  1965
1時間32分25秒4 ホーガン   (イギリス)  1966
1時間31分30秒4 アルダー   (イギリス)  1970
1時間29分18秒8 瀬古利彦   (日本)    1981

男子マラソン トラックベスト記録

チェルピンスキー(東ドイツ)(5000)13分36秒6 (10000)28分28秒2(マラソン)2時間09分55秒
ショーター(アメリカ)(5000)13分19秒6 (10000)27分45秒9(マラソン)2時間10分30秒
クレイトン(オーストラリア)(5000)13分49秒6 (10000)28分45秒2(マラソン)2時間08分34秒
ビレン(フィンランド)(5000)13分16秒4 (10000)27分38秒4(マラソン)2時間13分10秒
リスモン(ベルギー) (5000)13分31秒2 (10000)27分56秒8(マラソン)2時間11分13秒
ヒル(イギリス)   (5000)13分55秒2 (10000)28分26秒0(マラソン)2時間09分28秒
ネイブール(オランダ)(5000)13分56秒2 (10000)29分03秒5(マラソン)2時間09分01秒
バージン(アメリカ) (5000)13分19秒1 (10000)27分29秒2(マラソン)2時間10分26秒
日本マラソン 1500m ベスト記録

君原健二 3分54秒0  谷村隼美 3分53秒6
円谷幸吉 3分56秒6  沢木啓祐 3分44秒5
鈴木従道 3分55秒3  鎌田俊明 3分51秒4
浜田安則 3分51秒8  宗茂   3分54秒1
瀬古利彦 3分51秒3
568ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/13(火) 10:35:16
70年代から80年代にかけての「最強」変遷は

ショーター〜ロジャース〜瀬古〜キャステラ〜Sジョーンズ ・ロペス
という流れになりそうだ。
瀬古もせめてどちらかのオリンピックで上位争いしていればもっと評価は上がったんだろうな。
マラソン3戦目の福岡を勝った後、オリンピック2戦を除けば11戦10勝2位1回と言う戦績は脅威。
これだけの実績がありながらオリンピックだけは惨敗だから、極端な成績だと思うよ。
世界的に考えてもメジャーなマラソンを10勝以上した選手って他にいるの?
571ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/13(火) 20:25:24
瀬古利彦(早稲田大学ーエスビー食品) マラソン全成績

1、(10位) 京都   1977. 2月 2時間26分00秒
2、(5位) 福岡国際 1977.12月 2時間15分00秒1
3、(優勝) 福岡国際 1978.12月 2時間10分21秒(学生新)
4、(2位) ボストン 1979. 4月 2時間10分12秒(学生新)
5、(優勝) 福岡国際 1979.12月 2時間10分35秒(モスクワ五輪代表獲得)
6.(優勝) 福岡国際 1980.12月 2時間09分45秒
7、(優勝) ボストン 1981. 4月 2時間09分26秒(大会新)
8、(優勝) 東京国際 1983. 2月 2時間08分38秒(日本新)
9、(優勝) 福岡国際 1983.12月 2時間08分52秒(ロサンゼルス五輪代表権獲得)
10、(14位) ロス五輪 1984. 8月 2時間14分13秒
11、(優勝) ロンドン 1986. 4月 2時間10分02秒
12、(優勝) シカゴ  1986.10月 2時間08分27秒(生涯ベスト)
13、(優勝) ボストン 1987. 4月 2時間11分50秒
14、(優勝) びわ湖  1988. 3月 2時間12分41秒(ソウル五輪代表権獲得)
15、(9位) ソウル五輪  1988.10月 2時間13分41秒
572ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/13(火) 21:25:17
age
573ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/14(水) 05:48:03
マラソン最多勝って誰なんだ? 
574ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/14(水) 10:20:28
>>520

1973年の大津毎日マラソンでの出来事。
前年にオリンピック制覇、福岡で歴代3位(2時間10分30秒)
の記録を出した全盛期の ショーターは半年を経ずして再び日本に来日。

レースは例によって14分台のハイペースで始まる。アメリカのビダリと
佐々木精一郎(神戸製鋼)がショーターについて序盤は3人で集団を形成する。
瀬田の唐橋を 渡って浜街道に入ったあたりからショーターが落ち着きのない
そぶりを見せる。やにわ に極端に道の端に寄り、沿道で応援する旗をむんずと掴み、
解説者とアナウンサーを 不審がらせる。「鼻でも咬むのでしょう??」と実況した
その直後、いきなりコースアウト。その間に佐々木は遅れ、ビダリの独走
となる。ショーターは30秒程で早糞をしてコースに戻るが、トップは遙か彼方。
しかし 少しも慌てず、走り出す。
一方、独走のビダリはみるみるペースが落ち、ショーターは 折り返し前には追いつく。
後半は独走状態。福岡国際同様、後半にペースがやや落ちるものの そのままゴール。
2時間12分03秒の大会新。(従来の記録は宇佐美の2時間13分49秒)。
その記録は85年に阿部文明が破るまで12年間保持される。
また2位の北山吉信(旭化成)の記録も 大会記録を上回り、日本歴代8位の好記録であった
(その年では日本ランキング1位)
80年代は確かに日本マラソン黄金期だったがそれでもレースの流れとしては
30キロ以降はペースダウンするパターンだった。どんな名選手でも外国人も
含めて打破できないマラソンの厚い壁だった。90年代に入ると35キロからペースアップ出来る選手が
出現してきてそれからは現在まで35キロ以降にギアチェンジが出来なければ
レースを制することは不可能になった。過去にもカルロス・ロペス等後半型の選手もいたが
近代マラソンでは速いペースで推移しながらなおかつ35キロからの切り替えが出来るか
あるいは、かつての中山をひとまわり大きくしたような先行逃げ切りが可能なランナーが
マラソン界をリードして行くはずだ。史上最強ランナーは年代別にまずは区切ってみて
それから絞り込んでみるのも良いのではないかと思うが。
マラソン 25キロ通過タイム  世界歴代10傑

1、1時間13分13秒 S・ジョーンズ(イギリス) 1985 シカゴ(2時間07分13秒)1位
2、1時間13分33秒 高橋健一(日本)      1999 東京国際(途中棄権)
3、1時間13分48秒 中山竹通(日本)      1987 福岡国際(2時間08分18秒)1位
4、1時間13分51秒 イカンガー(タンザニア)  1990 ボストン(2時間09分52秒)2位
5、1時間13分56秒 ルト(ケニア)       2004 シカゴ(2時間06分16秒)1位
6、1時間13分57秒 高岡寿成(日本)      2004 シカゴ(2時間07分50秒)3位
6、1時間13分57秒 ムインディ(ケニア)    2004 シカゴ(2時間08分27秒)4位
6、1時間13分57秒 R・Kチェルイヨット(ケニア)2004
6、1時間13分57秒 イェゴ(ケニア)      2005 アムステルダム(2時間08分58秒)2位




マラソン 30キロ通過タイム  世界歴代10傑

1、1時間28分40秒 S・ジョーンズ(イギリス) 1985 シカゴ(2時間07分13秒)1位
2、1時間28分56秒 高岡寿成(日本)      2002 シカゴ(2時間06分16秒)3位
3、1時間28分57秒 ゲブラシラシエ(エチオピア)2005 アムステルダム(2時間06分20秒)1位
4、1時間29分00秒 ジファール(エチオピア)  2002 ロンドン(2時間09分50秒)9位
4、1時間29分00秒 エルムアジス(モロッコ)  2002 ロンドン(2時間06分52秒)4位
4、1時間29分00秒 シスラー(南アフリカ)   2002 ロンドン(2時間07分06秒)5位
4、1時間29分00秒 テルガド(ケニア)     2002 ロンドン(2時間05分48秒)2位
4、1時間29分00秒 ピント(ポルトガル)    2002 ロンドン(2時間09分10秒)7位
4、1時間29分00秒 イェゴ(ケニア)      2005 アムステルダム(2時間08分58秒)2位
10、1時間29分02秒 中山竹通(日本)     1987 福岡国際(2時間08分18秒)1位
マラソン 順位別  世界記録

1位 2時間04分55秒 テルガド(ケニア)   2003 ベルリン
2位 2時間04分56秒 コリル(ケニア)    2003 ベルリン
3位 2時間06分15秒 ムンジ(ケニア)    2003 ベルリン
4位 2時間06分18秒 テルガド(ケニア)   2002 シカゴ
5位 2時間06分46秒 エルムアジス(モロッコ)2002 シカゴ
6位 2時間07分34秒 ロプ(ケニア)     2006 ロンドン
7位 2時間07分59秒 チャット(モロッコ)  2006 ロンドン
8位 2時間08分54秒 バヨ(タンザニア)   2003 パリ
9位 2時間09分05秒 ゲブルシラシエ(エチオピア)2006 ロンドン
10位 2時間09分35秒 ルト(ケニア)     2006 ロンドン
11位 2時間09分57秒 李鳳柱(韓国)     1994 ボストン
12位 2時間10分21秒 フィス(スペイン)   1994 ボストン
578ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/19(月) 00:29:49
男子マラソン 日本歴代30傑 (2006.3月 現在)

1、2.06.16 高岡寿成(カネボウ) 2002 シカゴ 3位
2、2.06.51 藤田敦史(富士通)  2000 福岡 1位
3、2.06.57 犬伏孝行(大塚製薬) 1999 ベルリン 2位
4、2.07.35 児玉泰介(旭化成)  1986 北京 1位
5、2.07.40 谷口浩美(旭化成)  1988 北京 2位
6、2.07.52 油谷繁(中国電力)  2001 びわ湖 3位
6、2.07.52 国近友昭(SB食品) 2003 福岡 1位
8、2.07.55 諏訪利成(日清食品) 2003 福岡 2位
9、2.07.57 伊藤国光(カネボウ) 1986 北京 2位
10、2.07.59 森下由輝(旭化成)  2001 びわ湖 4位

11、2.08.05 三木弘(旭化成)   1999 東京 2位
12、2.08.07 早田俊幸(アラコ)  1997 福岡 2位
13、2.08.12 藤原正和(中大)   2003 びわ湖 3位
14、2.08.15 中山竹通(ダイエー) 1985 広島 2位
15、2.08.18 小島忠幸(旭化成)  2004 びわ湖 2位
16、2.08.27 瀬古利彦(SB食品) 1986 シカゴ 1位
17、2.08.28 清水康次(NTT西日本)2003 びわ湖 4位
18、2.08.35 武井隆次(SB食品) 2002 びわ湖 1位
19、2.08.36 佐藤敦之(中国電力) 2004 びわ湖 4位
20、2.08.37 尾方剛(中国電力)  2003 福岡 6位

21、2.08.43 小島宗幸(旭化成)  1998 びわ湖 1位
22、2.08.45 西田隆維(SB食品) 2001 別府大分 1位
23、2.08.46 大崎悟史(NTT大阪)2004 東京 2位
24、2.08.47 佐保希(旭化成)   1997 福岡 3位
25、2.08.48 佐藤信之(旭化成)  1998 福岡 2位
26、2.08.49 奥谷亘(SUBARU)2006 福岡 6位
27、2.08.50 実井謙二郎(日清食品)1996 東京 4位
28、2.08.52 帯刀秀幸(富士通)  2001 びわ湖 5位
29、2.08.53 森下広一(旭化成)  1991 別府大分 1位
30、2.08.55 宗猛(旭化成)    1983 東京 2位
>>576
高橋健一の途中棄権を含めるのはどうかと思いますが・・・
580ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/19(月) 09:31:52
>>576
この表みると、今年の東京マラソンのような天候ながらハイペースで押し切った
中山の凄さが改めてわかるな。
581ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/19(月) 09:41:17
>>576
北京のこだまとイカンガーは?
582ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/19(月) 12:58:25
>>581
当時の北京は途中通過地点がズレてるから公認ラップになってないんじゃないか。
583ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/20(火) 21:04:27
1978年2月まで   男子マラソン世界歴代10傑

1、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア) 1969.5.30 アンベルス
2、2時間09分05秒6 宗茂(日本)         1978.2.5  別府大分
3、2時間09分12秒0 トンプソン(イギリス)    1974.1.31 英連邦
4、2時間09分28秒0 ヒル(イギリス)       1970.7.23 英連邦
5、2時間09分55秒0 ロジャース(アメリカ)    1975.4.21 ボストン
5、2時間09分55秒0 チェルピンスキー(東ドイツ) 1976.7.31 モントリオール五輪
7、2時間10分08秒4 ドレイトン(カナダ)     1975.12.7 福岡国際
8、2時間10分20秒0 チェトル(オーストラリア)  1975.12.7 福岡国際
9、2時間10分30秒0 ショーター(アメリカ)    1972.12.3 福岡国際
10、2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(日本)      1970.12.6 福岡国際

 世界歴代10傑 (1979年12月 まで )

1、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア)1969 アントワープ
2、2時間09分05秒6 宗茂(日本) 1978 別府大分
3、2時間09分12秒2 トンプソン(イギリス) 1974 英連邦
4、2時間09分27秒  ロジャース(アメリカ) 1979 ボストン
5、2時間09分28秒  ヒル(イギリス) 1970 英連邦
6、2時間09分55秒0 チェルピンスキー(東ドイツ) 1976 モントリオール五輪
7、2時間10分00秒  スメ(ベルギー) 1979 ベルギー選手権
8、2時間10分08秒4 ドレイトン(カナダ) 1975 福岡国際
9、2時間10分12秒  瀬古利彦(日本) 1979 ボストン
10、2時間10分15秒0 ウェルズ(アメリカ) 1978 ボストン

(1980年12月まで) 男子マラソン世界歴代10傑

1、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア)1969
2、2時間09分01秒  ネイブール(オランダ)   1980
3、2時間09分05秒6 宗茂(日本)        1978
4、2時間09分12秒  トンプソン(イギリス)   1974
5、2時間09分27秒  ロジャース(アメリカ)   1979
6、2時間09分28秒  ヒル(イギリス)      1970
7、2時間09分41秒  サラザール(アメリカ)   1980
8、2時間09分45秒  瀬古利彦(日本)      1980
9、2時間09分49秒  宗猛(日本)        1980
10、2時間09分55秒  チェルピンスキー(東ドイツ)1976

1986年2月まで 男子マラソン 世界歴代10傑

1、2時間07分12秒 ロペス(ポルトガル)   1985年
2、2時間07分13秒 S・ジョーンズ(イギリス)1985年
3、2時間08分08秒 ジャマ(ジブチ)     1985年
4、2時間08分09秒 サラ(ジブチ)      1985年
5、2時間08分10秒 イカンガー(タンザニア) 1986年
6、2時間08分15秒 中山竹通(日本)     1985年
7、2時間08分18秒 ド・キャステラ(オーストラリア) 1981年
8、2時間08分29秒 デンシモ(エチオピア)  1986年
9、2時間08分33秒 スペディング(イギリス) 1985年
10、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア)  1969年



しっかしアフリカのいない自体はほんまらくでええな〜wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
誤爆スマンwww
アフリカンの記録は真の力とは言いがたい
アフリカンが大舞台を制する可能性はきわめて低いだろう
マラソン王国のケニアよりも他のアフリカ勢のほうが世界大会は強いな。
チュグワネは南アフリカだし、アベラはエチオピア。
非黒人だがモロッコのガリブは世界選手権を連覇してる。
モロッコの一流選手はイタリアやスペインの選手に近い気がするな。

ケニアはメダルまでは行くのだが、優勝とは縁が無い。
587ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/21(水) 14:04:56
ローマ世界陸上で優勝したワキウリは
ケニアといっても準・日本だったな。
ワキウリってのは、いまの留学生たちと違って
来日当時はほんとに弱かったよ。
SBのラビットとかやらされてたし。
588ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/21(水) 15:34:01
世界大会制覇の国別最多はどこ?
エチオピア、スペインとか?
とりあえずジンバブエではなさそう
590ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/22(木) 10:47:35
ペースメーカーの制度が確立してなかったらここまでケニアが早く走れたかどうか。
それくらいエチオピア勢に比べてレースの(ペース)配分と組立が下手だった。
平坦コースで冬のレース、ペースメーカーつきのみケニアの謳歌という感じだ。
591ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/22(木) 13:11:53
>>577
順位別世界記録の表は初めて見た
592ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/22(木) 20:09:14
>>591 陸マガではよく出てるがな
ところでさ、ここの住民さんは中学駅伝や全日中とかに興味ある?
あるんだったらゆっくりと話そうよ。
ない。
595ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/23(金) 07:33:43
>>593
興味あります。
596ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/23(金) 23:32:38
瀬古利彦(早稲田大学ーエスビー食品) トラック日本選手権 全成績

1977年10月 10000m 4位 28分34秒8
1977年10月  5000m 2位 13分49秒3

1979年10月 10000m 3位 28分41秒8

1984年10月 10000m 3位 28分32秒49

1985年06月 10000m 2位 28分29秒14


597ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/23(金) 23:34:29
主要ランナー 1万m ベスト記録(1985年 4月まで)

ロペス      27’17’’48 (2時間07分12秒)
S・ジョーンズ  27’39’’14 (2時間08分05秒)
中山竹通     28' 51’’67 (2時間08分15秒)
ド・キャステラ  28’02’’73 (2時間08分18秒)
スペディング   28’08’’12 (2時間08分33秒)
クレイトン    28’45’’20 (2時間08分34秒)
瀬古利彦     27’43’’44 (2時間08分38秒)
サラザール    27’25’’61 (2時間08分51秒)
宗猛       27’59’’31 (2時間08分55秒)
イカンガー    29’27’’20 (2時間08分55秒)
ディクソン    28’35’’69 (2時間08分59秒)
宗茂       28’17’’61 (2時間09分06秒)
スミス      27’43’’76 (2時間09分08秒)
ゴメス      27’57’’81 (2時間09分12秒)
ロジャース    28’04’’40 (2時間09分27秒)
伊藤国光     27’47’’35 (2時間09分35秒)
チェルピンスキー 28’28’’20 (2時間09分55秒)
トレーシー    27’48’’70 (2時間09分56秒)
598ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/23(金) 23:37:45
日本男子マラソン オリンピック・世界陸上 メダリスト

1936年 ベルリン 金 孫基禎(現・韓国)
1936年 ベルリン 銅 南昇龍(現・韓国)
1964年 東京   銅 円谷幸吉
1968年 メキシコ 銀 君原健二
1991年 東京   金 谷口浩美(世陸)
1992年 バルセロナ  銀 森下広一
1999年 セビリア 銅 佐藤信之(世陸)
2005年 ヘルシンキ 銅 尾方剛(世陸)



世界陸上 男子マラソン 歴代入賞者

(1991年 東京)  
 1位 谷口浩美
 5位 篠原太

(1993年 シュツットガルト)
 5位 打越忠夫

(1999年 セビリア)
 3位 佐藤信之
 6位 藤田敦史
 7位 清水康次

(2001年 エドモントン)
 5位 油谷繁
 8位 森下由輝

(2003年 パリ) 
 5位 油谷繁

(2005年 ヘルシンキ)
 3位 尾方剛
 4位 高岡寿成

599ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/25(日) 09:14:21
>>593
無い訳ではないがスレと題材が違うだろ
別スレ立ててそこで論じてください
600ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/27(火) 23:06:01
ゼッケン774さん@ラストコール :2007/03/21(水) 18:17:30
アフリカ勢が台頭した1980年代後半からアフリカンパワーに押されるようになり、
日米欧の非アフリカ系がマラソンに勝てなくなった、
つまりアフリカ勢が本気でなかった時代に日本が勝っていただけで、
1980年代前半でアフリカ勢が本気だったら日本人=瀬古は勝てなかった、
と言うのがアンチ瀬古派および、そんな状況でも日本人頑張っているじゃないか派の論理のようだが
これ、ちょっとおかしい

オリンピックのマラソンだけみても、アベベ−アベベ−マモ・ウオルデ、とエチオピア勢が三連覇している。
モスクワ五輪では、やっぱりエチオピアのイフターが35歳にして5000m、10000mの二冠を達成している
つまり1980年以前でもアフリカ勢は強かったのだよ

ではなぜマラソンでアフリカ勢が活躍できなかったのか?

アベベのレースは、最初からハイペースで引っ張り、周りのランナーを潰すレースをしていた
しかしアフリカ以外の国が強くなり、そういう「戦略の無い」マラソンでは勝てなくなってしまった
ちょうどイカンガーが先行逃げ切りで勝てなかったあれだよ
アベベの時代ではあれでも勝てたのだが、ショーター(および瀬古)辺りのレース巧者に後塵を浴びるようになったのだ

それが1985年に広島で行われたワールドカップマラソンで、
ジプチのアーメド・サラが従来のアフリカらしからぬレース巧者で中山を粉砕した
あれがアフリカ勢のエポックなレースで、以降アフリカ勢がレースに戦略を持ち込み、
元来の長距離における能力の高さから大レースを勝ちまくるようになったのだ

つまり、アフリカ勢がレースに出ていなかったのではない
アフリカ勢が弱かったのではない
アフリカ勢が勝てるレースをしていなかったのだ

601 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2007/03/27(火) 23:19:35
        _____
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     |::( 6  ー─◎─◎ )          q -´ 二 ヽ     |
     |ノ  (∵∴ ( o o)∴)         ノ_ ー  |     |
   /|   <  ∵   3 ∵>          \. ̄`  |      /
   ::::::\  ヽ        ノ\           O===== |
   :::::::::::::\_____ノ:::::::::::\        /          |
男子マラソン 月別 世界記録

1月 2時間08分15秒 A・エルムアジス(モロッコ) 1999マラケッシュ
2月 2時間06分33秒 G・タイス(南アフリカ)   1999東京国際
3月 2時間07分06秒 G・タイス(南アフリカ)   2004ソウル
4月 2時間05分38秒 H・ハヌーシ(アメリカ)   2002ロンドン
5月 2時間08分04秒 Z・シンク(南アフリカ)   1986ポートエリザベス
6月 2時間08分55秒 P・タンビィ(コンゴ)    2004モンサンミッシェル
7月 2時間09分14秒 J・ペーター(東ドイツ)   1984Grunau
8月 2時間08分31秒 J・ガリブ(モロッコ)    2003パリ世界陸上
9月 2時間04分55秒 P・テルガド(ケニア)    2003ベルリン
10月 2時間05分42秒 H・ハヌーシ(モロッコ)   1999シカゴ
11月 2時間07分43秒 T・ジファー(エチオピア)  2001ニューヨーク
12月 2時間06分51秒 藤田敦史(日本)       2000福岡国際
603ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/28(水) 00:02:14
アフリカ勢と一くくりにしていることが大きな間違いだな。
アフリカと言っても国によって全然事情が異なる。
604ゼッケン774さん@ラストコール:2007/03/28(水) 00:11:56
>>600 コピペなのはよく分かった しかし二行ほど消して無いかい?
タンザニアの歴代マラソンランナーといえばイカンガーが真っ先に思い浮かぶ。
日本のマラソンを2勝したヘルシンキ5位のラマダニが現在では唯一世界レベルのランナーで、
この二人の自己ベストの2:08:01がタンザニアレコードである。

南アフリカも事情が似ている。
ひっそりと千葉駅伝を2度勝つなど、スピードもあるほうだが、
マラソンにおいてはアトランタを制したチュグワネが一躍注目を浴びた。
その後福岡を制すなど、90年代後半では強いところを見せた。02年には長野マラソンも勝っている。
世界大会では振るわないが、万全のときに圧倒的な強さを誇るゲート・タイスもいる。
2月及び南アフリカのレコードタイムでもある、
東京国際で彼が出した日本国内コースレコードの2:06:33は8年立った今も破られていない。
既にベテランの域だが06年の別大を10年ぶり勝つなど、いまだにトップランナーである。
606ゼッケン774さん@ラストコール:2007/04/04(水) 16:05:16
あげ
607ゼッケン774さん@ラストコール:2007/04/05(木) 13:46:04
アフリカ勢といえばタンザニアのニャンブイも懐かしい。
90年のびわ湖ではほぼ同じ年のベテラン宗猛と競り合って4位(?)
モスクワ五輪のトラックで活躍してからのマラソン転向でトラック〜マラソンの流れを組んだ
最初の頃のアフリカランナーだろう。
自己ベストはロンドンで9分台を記録している。
608ゼッケン774さん@ラストコール:2007/04/07(土) 23:37:06
アベベ・ビキラが着順で遅れをとってゴールした映像はないだろう。
ボストンで5位というのが唯一の敗戦か。
あとはメキシコ五輪の途中棄権だけだろう。
609ゼッケン774さん@ラストコール:2007/04/16(月) 09:13:12
1985年の広島W杯でアーメード・サラが金メダルを獲得した時の新聞の見出しが

サラ金 だった。
>>609
東スポ!?
611ゼッケン774さん@ラストコール:2007/04/24(火) 23:34:27
>>607
スレイマン・ニャンブイは1989年ロンドンで2゚9'52"で走り初のサブテン。
従来の記録を1分19秒短縮しての記録だった。
ニャンブイはこの時37歳。短命のアフリカ勢としては長く競技を続けた。
特に力を発揮したのが1980年前後のトラック。80年モスクワ五輪は5千でイフターに続き、
2位に入り銀メダルを獲得(13'21"60)。翌81年には5千で室内世界記録を樹立(13'20"40)
また自己ベストは3千(7'40"30)、5千(13'12"29)だった。
81年DNガラン1万では瀬古と一騎打ち。瀬古は27'51"93でゴールも僅差で競り勝ったのが
このニャンブイだった。
86年にマラソン転向。この年のホノルル(2位)が初マラソン。
優勝は87、88年ベルリン、88年ストックホルムと3回(当時)ある。
自己ベストのロンドンはソウル五輪後のワキウリ、サラの一騎打ちレース。ワキウリが生涯記録(2゚9'3")
で勝ったレースだが、中盤でレースを引っ張ったのがニャンブイで5位。
90年びわ湖は87年ボストンにも参加して8位に入っているヘレビック、宗猛と終盤まで競る。
ニャンブイが主導権を握っていたが、終盤疲れて4位に終わっている。
>>611
瀬古がストックホルムのDN国際10000mで2位(27分51秒93)ののち
移動したオスロで練習中、激しく捻挫。まったく走れなくなりその後はキャンセル。
左足首をかばって走るうちに右ふくらはぎを痛め、つぎに左ふくらはぎ痛。そして右ヒザ裏側の腱
の炎症までに発展。復帰までに1年以上を要する。そのため82年シーズンはマラソンはまったく
走れず、同年9月の早慶対抗5000でようやく走れるメドがついた。
マラソンは実に81年4月にボストンを制してか1年10ケ月ぶりに83年2月の東京国際に参加。
2時間8分38秒の日本新、世界歴代3位で復活した。
以前、瀬古のシューズについてレスがあったと思うが、
瀬古はロス五輪で惨敗するまで、市販で発売された
マラップRS(当時4300円)を試合では使用していた。
市販と違うのは、ソールを瀬古仕様に堅くしたものを
アシックスの三村仁司氏が改良していた。
瀬古はリズムで走るタイプだったのでクッションが少ない
方がよいというのがその理由だった。
このマラップはアッパーが布製でできていた。
当時でもナイロンが主流で、一流選手で布製を使っていたのは
瀬古のみだった。瀬古以前では君原が使用していた。
瀬古はジンクスで初期に使用していたこのマラックで連勝していた
ため、この靴に愛着があったようだ。
瀬古利彦(エスビー食品) 1980−1982年 全成績

1980年(エスビー食品入社)

4月27日 10000m 優勝 28.46.9      群馬リレーカーニバル 伊勢崎
5月 5日 10000m 優勝 28.18.6      スポニチ国際 国立
5月17日 20000m 優勝 58.46.0 (日本新)東日本実業団 小田原
7月 1日  5000m 2位 13.30.94     ビスレット国際 オスロ
7月 7日 10000m 優勝 27.43.44(日本新)DNガラン ストックホルム
7月 9日 10000m 3位 28.09.42     ワールドゲームス ヘルシンキ
9月 6日  5000m 優勝 13.50.5      日中対抗 国立
9月15日  5000m 優勝 13.46.7      早慶対抗オープン 国立
9月20日 10000m 優勝 28.38.7      八カ国陸上 国立
9月27日 20000m 優勝 58.51.9      全日本実業団 大津
9月28日 10000m 優勝 28.24.6      全日本実業団 大津
11月 3日 20kmロード 優勝 59.03        新潟20kmロード 中条
11月23日 20kmロード 優勝 57.48.5(道路日本新)府中多摩川20kmロード 府中

(1981年) エスビー食品2年目

2月15日 30kmロード 優勝 1.29.32      青梅マラソンオープン
3月22日 30000m 優勝 1.29.18.8(世界新)30000m記録会 クライストチャーチ
  (途中 25000m 1.13.55.8 世界新)
4月12日  5000m 優勝 13.58.2      東京六大学オープン
4月20日 マラソン   優勝 2.09.26      ボストンマラソン
5月17日 10000m 優勝 28.18.1      東日本実業団 小田原
6月 6日 10000m 優勝 28.44.98     アジア陸上オープン 国立
6月14日 10000m 優勝 28.53.1      神奈川選手権オープン 藤沢
7月 9日 10000m 2位 27.51.93     DNガラン ストックホルム
10月24日 10000m 優勝 29.37.6      群馬県秋季 伊勢崎


(1982年)エスビー食品3年目

9月15日  5000m 優勝 13.36.1      早慶対抗オープン 国立
10月16日 20000m 優勝 58.29.6(日本新) 全日本実業団 福井
10月17日 10000m 優勝 28.38.9      全日本実業団 福井 

>>614
いくら黒人ランナーが手薄とはいえ、マラソンランナーで
ありながらトラックでここまで勝てる日本人選手は遡っても
いないだろう。
高岡はマラソン転向してからトラックは下降していったしな。
(年齢的にも厳しくなっていたが。。)
>>614
1980年の9月は超人的にレースこなして、全部優勝は凄い。
当時の瀬古が、いかに図抜けてたかよく分かる。
今は、こういう長距離万能型ランナーがいないんだよな。
瀬古は80-81年あたりがピークだからな。
あの頃はロード、トラックとあまり負けなかった印象があった。
>>614
80年の12月、福岡国際マラソン(2゚9'45" 優勝)が抜けてますね。
80年は五輪が不参加で欧州遠征に行き、5千が自己ベスト、1万が日本新。優勝のみを期待された
八ケ国陸上で勝ち、2万で日本新。翌81年は3万で世界新を出し、ボストン初制覇と本当に波に
乗っていた。欧州での怪我がなければ81年福岡での参加があっただろうからキャステラとの世界新
レースで死闘を演じていたかもしれないな。
結果がどうあれ、瀬古、宗のピーク期 モスクワ五輪は参加してほしかった。
今、中国との関係もあり、冗談まじりで「北京五輪は不参加しろ」なんていう者がいるが、
もう二度と五輪不参加は止めてもらいたい。
>>616

5000、10000、20000、25000、30000とマラソンで日本新を出したのは瀬古だけだからね。

高岡もそれに匹敵。10000、マラソンで日本新をだした中山とともにこの3人が他より抜けてるだろ。
>>620
記録をマークしたってことで考えると、瀬古、中山、高岡は他より抜けてるけど
高岡は勝負弱いから瀬古、中山よりマラソンランナーとしてはかなり下の評価だろうね。
五輪選考レースで日本人3位で落選では(ry
>>611
ニャンブイは翌年の91年、46回びわ湖にも招待されてます。
このレースは中間点まで8人が集団だったが、当時・大東文化大の実井謙二郎が23kmから先頭に出る。
このまま独走になるかと思われた30km手前で実井のペースが落ち始め、ムラシャニとニャンブイの
タンザニアの2人が実井を捕らえる。しかし捕らえた直後の30km過ぎにニャンブイがじわじわと後退。
32kmからムラシャニと実井の勝負。35km付近でムラシャニが揺さ振りをかけ、様子を伺う。
その実井も35km過ぎまでが限界。アッという間に差がつく。38km過ぎに後方ニャンブイが実井を
捕らえて2位浮上。実井は競技場手前で米重修一(旭化成)にも抜かれて4位。結局ムラシャニが勝ち、
ニャンブイは2時間12分09秒で2位に入った。
>>613
瀬古はロードだと靴下履いて、トラックだと素足にスパイク履いてたな。
宗は茂が靴下履いて、猛は素足だった。
中山の素足で靴のレースも見なかった
>>613
マラップRSといったら当時としてもかなり旧式なシューズだよな。
この条件で瀬古は箱根2区の驚異の区間記録やマラソンを2時間8分台で走ってるわけだからポテンシャルは
もっと上だっただろうな。
瀬古はロス五輪は大会前に炎天下の東京で走り込みをしたり、直前に現地入りしたり、
またこの布の旧式のシューズで挑んだりと夏マラソン対策が確立する前だった
エピソードだな。
瀬古利彦(エスビー食品) 1980−1983年 全成績

1980年(エスビー食品入社)

4月27日 10000m 優勝 28.46.9      群馬リレーカーニバル 伊勢崎
5月 5日 10000m 優勝 28.18.6      スポニチ国際 国立
5月17日 20000m 優勝 58.46.0 (日本新)東日本実業団 小田原
7月 1日  5000m 2位 13.30.94     ビスレット国際 オスロ
7月 7日 10000m 優勝 27.43.44(日本新)DNガラン ストックホルム
7月 9日 10000m 3位 28.09.42     ワールドゲームス ヘルシンキ
9月 6日  5000m 優勝 13.50.5      日中対抗 国立
9月15日  5000m 優勝 13.46.7      早慶対抗オープン 国立
9月20日 10000m 優勝 28.38.7      八カ国陸上 国立
9月27日 20000m 優勝 58.51.9      全日本実業団 大津
9月28日 10000m 優勝 28.24.6      全日本実業団 大津
11月 3日 20kmロード 優勝 59.03        新潟20kmロード 中条
11月23日 20kmロード 優勝 57.48.5(道路日本新)府中多摩川20kmロード 府中
12月 7日 マラソン   優勝 2.09.45      福岡国際マラソン 福岡

(1981年) エスビー食品2年目

2月15日 30kmロード 優勝 1.29.32      青梅マラソンオープン
3月22日 30000m 優勝 1.29.18.8(世界新)30000m記録会 クライストチャーチ
  (途中 25000m 1.13.55.8 世界新)
4月12日  5000m 優勝 13.58.2      東京六大学オープン
4月20日 マラソン   優勝 2.09.26      ボストンマラソン
5月17日 10000m 優勝 28.18.1      東日本実業団 小田原
6月 6日 10000m 優勝 28.44.98     アジア陸上オープン 国立
6月14日 10000m 優勝 28.53.1      神奈川選手権オープン 藤沢
7月 9日 10000m 2位 27.51.93     DNガラン ストックホルム
10月24日 10000m 優勝 29.37.6      群馬県秋季 伊勢崎


(1982年)エスビー食品3年目

9月15日  5000m 優勝 13.36.1      早慶対抗オープン 国立
10月16日 20000m 優勝 58.29.6(日本新) 全日本実業団 福井
10月17日 10000m 優勝 28.38.9      全日本実業団 福井


(1983年)エスビー食品4年目

2月13日 マラソン   優勝 2.08.38(日本新) 東京国際マラソン 東京
9月24日 20000m 優勝 58.18.1(日本新) 全日本実業団 草薙
11月13日 20kmロード (途中棄権)          高島平20kmロード 高島平
12月 4日 マラソン   優勝 2.08.52      福岡国際マラソン 福岡 

>>626
1983年はニュージーランド合宿で練習のしすぎで
肝機能障害になり、夏のスケジュールが大幅に狂い、
好転のきざしが見え始めたのが7月から8月。
9月には2万で日本新を出したが11月の高島平20kmで
スタート3kmで左足スネを負傷。
だんだん激痛に変わり17kmで初の途中棄権。
12月福岡の最終選考会に間に合うかどうか
ギリギリの治療が行われる。
なんとか間に合った福岡だけに、最後の最後、
瀬古得意のスプリント勝負でないと勝てる自信が
なかったのではないだろうか。
>>611
エルブイク(ヘレビック)はびわ湖で勝つ前年、
東京で独走・谷口につづいて2位に入った
のが印象にあるよ。天皇の崩御で1月ズレて
開催したはず。
629ゼッケン774さん@ラストコール:2007/04/29(日) 19:32:07
age
630ゼッケン774さん@ラストコール:2007/04/29(日) 19:50:02
>>626
(1982年)エスビー食品3年目
 9月15日  5000m 優勝 13.36.1      早慶対抗オープン 国立
 10月16日 20000m 優勝 58.29.6(日本新) 全日本実業団 福井
×10月17日 10000m 優勝 28.38.9      全日本実業団 福井

 →1万はラストで森口達也(神戸製鋼)に負けました。2位です。

>>619
瀬古.宗兄弟不参加

第22回(1980年) モスクワ五輪男子マラソン レース展開

(コース内容)
レーニン中央競技場を出てすぐモスクワ川左岸の川岸通りを川下へ走る。
赤の広場の南端にある聖ワシリー寺院の前で川を渡る。
対岸の出て、今度は川上へさかのぼり野外劇場や観覧車のある文化公園の中
の森陰のゆるい上がり坂を通ってキエフ駅の折り返し地点へ。

樹木の多い静かなコースではあるが、変化に乏しいコース。しかしアップダウン
がわずか10mの平坦コース。
オリンピック屈指のきわめて走りやすいコースになっている。

 1980年8月1日 午後5時16分スタート  37カ国 72人が参加

気温23度 湿度40% 快晴

スタートー 5月のソビエト国内予選で優勝したコトフ(ソビエト)を先頭に
      一団でレーニンスタジアムを後にする。

5km− モスクワ川を右に見て、東に向かって坂を登る。
     ラウエンブルク(デンマーク)を先頭に15分48秒。そのすぐあとに
     大集団が続く。

8.5km− 集団がラウエンブルクを取れえる。

15km− 先頭集団は約20人。 コトフ、モセーエフ(ソビエト)、ビレン(フィンランド)
      コウシス(ギリシャ)、アレマエフ(エチオピア)らが互いを牽制した走り。

折り返しー キエフ駅でコトフがやや飛び出した。

20km− コトフを先頭に ズマナザロフ(ソビエト)、コウシス、ビレン、モセーエフ
      ゴメス(メキシコ)、ネイブール(オランダ)らが集団で通過。
      1時間3分42秒でプレ五輪より約20秒早いラップに。

24km− ゴメスが果敢に飛び出す。集団に50mの差をつける。
      後続集団は7人。チェルピンスキー(東ドイツ)、ビレン、モセーエフ、マグナニ
      ズマナザロフ、ネイブール、ネディ

30km過ぎー ゴメスのペースが鈍り始める。
        後続のネイブール、コトフ、チェルピンスキーらがその差を
        20mとつめてきた。

35km−クレムリンの赤い壁を見る地点。
     先行するゴメスをネイブールが捕らえトップに立つ。
     チェルピンスキーとネイブールの2人がゴメスを交わして
     2人の争いに。

     しかしその後、チェルピンスキーがするすると先頭を奪うと
     ネイブールにじりじりと差を広げはじめる。

40km− 2位に上がってきたズマナザロフに100m引き離す。
      このあたりからチェルピンスキーが独走態勢。

チェルピンスキーのリズミカルな走法が冴え渡る。モントリオールで見せた
後半の走りを再現。少しも崩れぬフォームでレーニンスタジアムに帰ってくる。

ゴールー 2時間11分03秒 五輪史上、アベベに続く2連覇を達成。



第22回(1980年) モスクワ五輪 男子マラソン 成績

1、2時間11分03秒 チェルピンスキー(東ドイツ)
2、2時間11分20秒 ネイブール(オランダ)
3、2時間11分35秒 ジュマナザロフ(ソビエト)
4、2時間12分05秒 コトフ(ソビエト)
5、2時間12分14秒 モセーエフ(ソビエト)
6、2時間12分39秒 ゴメス(メキシコ)

7、2時間12分44秒 ネディ(エチオピア)
8、2時間13分12秒 マグナニ(イタリア)
9、2時間13分27秒 リスモン(ベルギー)
10、2時間14分31秒 ド・キャステラ(オーストラリア)

11、2時間14分55秒 トロッペル(東ドイツ)
12、2時間15分18秒 セケレス(ハンガリー)
13、2時間16分00秒 スメ(ベルギー)
14、2時間16分47秒 ネディマンドイ(タンザニア)
15、2時間16分47秒 シャハンガ(タンザニア)
16、2時間17分04秒 ペレイラ(ポルトガル)
17、2時間17分06秒 チバドイザ(コロンビア)
18、2時間17分28秒 スフークス(ベルギー)
19、2時間17分44秒 スタール(スウェーデン)
20、2時間18分02秒 コウシス(ギリシャ)
21、2時間18分04秒 エベルディング(東ドイツ)
22、2時間18分16秒 アントン(スペイン)
23、2時間18分40秒 マーティン(タンザニア)
24、2時間18分40秒 アレマエフ(エチオピア)
25、2時間19分23秒 ランドリアナリ(マダガスカル)
26、2時間20分03秒 ピエルシンカ(ポーランド)
27、2時間20分08秒 高春鮮(北朝鮮)
28、2時間20分42秒 ワードロー(オーストラリア)
29、2時間21分10秒 李(北朝鮮)
30、2時間21分11秒 ペルソン(スウェーデン)
第22回 モスクワ五輪 優勝者 W・チェルピンスキー(東ドイツ)

ラップタイム

5km(16分10秒)
10km 31分37秒   (15分27秒)
15km 46分49秒   (15分12秒)
20km 1時間03分42秒(16分53秒)
25km 1時間18分43秒(15分01秒)
30km 1時間33分50秒(15分07秒)
35km 1時間49分50秒(16分00秒)
40km 2時間04分35秒(14分45秒)
2.195km (6分28秒)

2時間11分03秒



1980年12月まで  マラソン世界歴代10傑

1、2時間08分33秒6 デレク・クレイトン(オーストラリア) 69年アンベルス
2、2時間09分01秒  ゲラルド・ネイブール(オランダ)   80年アムスタルダム
3、2時間09分05秒6 宗茂(日本)             78年別府大分
4、2時間09分12秒0 イアン・トンプソン(イギリス)    74年クライストチャーチ
5、2時間09分27秒  ビル・ロジャース(アメリカ)     79年ボストン
6、2時間09分28秒  ロン・ヒル(イギリス)        70年エジンバラ
7、2時間09分41秒  アルベルト・サラザール(アメリカ)  80年ニューヨーク
8、2時間09分45秒  瀬古利彦(日本)           80年福岡
9、2時間09分49秒  宗猛(日本)             80年福岡
10、2時間09分55秒  ワルデマル・チェルピンスキー(東ドイツ)76年モントリオール
>>633
しかし激しいラップの変動だな。
後半はゴメスの飛び出しが引き金になってペースアップになったんだろう。
ラストの6'28"は強い。2位以下も1分以内に4人入ってるようだから皆、ペースアップしてるんだろうね。
モスクワ五輪はチェルピンスキーが連覇したが、チェルピンスキーほど福岡国際を活用した選手はいない。
11、13、14、1516、18回大会と6回参加。だがモスクワ前年の14回大会まで3位、32位、
途中棄権と不振を強く印象づける。「チェルピンスキーは過去の選手」という声が強く、アベベに次ぐ
五輪連覇実現はまったくの意外だった。だがチェルピンスキーは「いちばん集中しなければいけないのは
4年に一度だけ」と五輪一本槍を強調。その言葉の裏には、当時、世界の強豪が集まる福岡は、勝つため
ではなく、世界のマラソンの流れをつかみ、自分の調整の目安にしていたようだ。
シュミット・東独コーチも「モントリオールからの3年間は低迷の連続。彼はその苦しさの中から
精神力を蓄えた。福岡は彼にとって常にいい刺激の場」と語っている。そんな中でも瀬古の強さには
脱帽だったと認めている。
>>636
ヘルシンキの世陸で3位に来たのはモスクワ以上に驚いたよ。
案外、ロスを走ってたら35km過ぎのスペディングの仕掛けは
チェルピンスキーがしてたりしてな。
638ゼッケン774さん@ラストコール:2007/05/07(月) 20:18:49
マラソン史上最強のランナーは
日本のマラソン通の5割はアベベ・ビキラと答えるだろ。
639ゼッケン774さん@ラストコール:2007/05/07(月) 20:29:12
40以上はそうかもな。
30台は瀬古、20台は・・・。
640ゼッケン774さん@ラストコール:2007/05/07(月) 20:42:07
メキシコ走らなければ良かったのにね。
あれがなければ最強の印象がかなり強かったな。
641ゼッケン774さん@ラストコール:2007/05/21(月) 10:49:52
君原
642ゼッケン774さん@ラストコール:2007/05/23(水) 20:01:30
強いというより息の長い選手
643ゼッケン774さん@ラストコール:2007/05/30(水) 23:39:38
君原は女子でいえば有森のような存在ではないかな。
現役時代、優勝13回でボストン優勝やアジア大会2連覇があるとはいえ、
記録面で日本のトップに立ったことはなく当時では君原より走力のあるランナーは数人いたようだ。
苦しいときには「まず次の電柱まで走ろう」と念じながら走った。
ことしの「かすみがうら」でお会いした。>君原さん
スタート前一時間ぐらいのとき、販売ブースを冷やかしていた。
誰も気がつかないのが不思議なぐらい、私が見てオーラが出ていた。
たいへん気さくな方で、私とのツーショットに笑顔で応えてくれた。
この大会では盲人ランナーの伴奏をするそうだ。
646ゼッケン774さん@ラストコール:2007/06/05(火) 01:32:45
ミュンヘン五輪のレースは中盤以降、ショーターの独走になった。
第二集団を形成したムーア、クレイトン、宇佐美、マモ、そして後続のリスモンはかなりヘばった。
特に宇佐美、クレイトンは消耗度が高くて大きく後退。
そんな中、ベテラン君原が後方集団から上がってくる。
結局、5位に入ったが2-4位のリスモン、マモ、ムーアがペースダウンが大きかっただけに
「もう少し距離があればメダル圏内だった」 という報道もいくつかあった。
647ゼッケン774さん@ラストコール:2007/06/16(土) 08:36:46
君原さんのように引退後チャリティーランナーとして過ごすランナーも多い
648ゼッケン774さん@ラストコール:2007/06/19(火) 13:54:39
>>646
ショーターは西ドイツ生まれで アメリカ国籍を持つ
モスクワの前には引退を表明したが、ロス五輪の前に現役カムバックの記事が上がった
649ゼッケン774さん@ラストコール:2007/06/26(火) 20:19:49
カユイ
マラソンは近年は優勝者が混沌としてるからなぁ。
今回はガリブが三連覇なるかってトコに注目が集まるわけだが。
651ゼッケン774さん@ラストコール:2007/07/01(日) 17:53:31
同一大会連覇記録ってどうなんだ
652ゼッケン774さん@ラストコール:2007/07/01(日) 18:10:30
君原さんより為末さんのほうが上
>>652
そうだな。
為末の方がマラソンの完走回数で
はるかに上だからな。
654ゼッケン774さん@ラストコール:2007/07/01(日) 18:16:08
君原さんの陸上に対する考え方稚拙
655ゼッケン774さん@ラストコール:2007/07/07(土) 21:04:39
瀬古の福岡3連覇はすごい
656ゼッケン774さん@ラストコール:2007/07/07(土) 21:21:23
最強ランナーはエリックワイナイナ
>>487

1972年9月3日  ミュンヘン五輪 10000m 決勝 レース展開

この時の10000mは世界記録最新を期待されていた。
それは脅威の世界記録保持者ロン・クラーク(豪州)に代わり、イギリスの
ベドフォードが出現したため。しかしクラーク同様、ベドフォードも
スパートのきかないランナーで五輪の優勝は難しいであろうというのが
定評であった。

序盤でレースを引っ張ったのがそのベドフォード。
スタートから果敢に飛び出し、1周59秒9の自殺的とも思える超ハイペース
で通過。後続も1列をなして続いた。
2000mではクラークの世界記録の途中経過を28秒も上回る
高速で飛ばす。
思わぬアクシデントが起きたのは12周目のバックストレッチに差し掛かる
ところだった。先頭集団に入っていたビレン(フィンランド)が突然、つまずき
転倒してしまう。そこに背後を走っていた64年東京五輪1万銀、68年メキシコ五輪
5千金のモハメド・ガムーディ(チュニジア)が足を獲られてのしかかる。
しかしビレンはすぐに立ち上がりそのまま走り始める。ガムーディは棄権。
先頭に遅れること10mで順位は7位に転落した。
ビレンはじりじり先頭を追い上げて6000mでトップのベドフォードを捕らえる。
以後、終始先頭でレースをリード。7000m過ぎについにベドフォードに
疲れが見え始める。後退。代わってビレンのあとはエチオピアのイフター、
プテマンス(ベルギー)、アロ(スペイン)。優勝争いは4人になった。
ペースが落ち始めていたが、残り1周半でビレンが猛然とスパート。
9000mでは世界記録から10秒遅れていたが、残り1000mは2分29秒2。
800mが1分56秒4、ラスト1周が56秒4という、当時の専門家の度肝を
抜く驚異的なスパートだった。
ビレンが優勝。記録は27分38秒4で世界新記録を樹立。フィンランドに
35年ぶりの長距離金メダルをもたらした。
このとき、ビレンをはじめイフター、アロはあまり知られていなかった
ランナーが上位に入賞。マラソンで金メダルを獲得することになるショーター(アメリカ)
は5位に入賞した。1位から5位までが自己記録を最新した。
658ゼッケン774さん@ラストコール:2007/07/13(金) 12:17:31
ミュンヘン五輪 10,000m 決勝結果

世界記録 27分39秒4 クラーク(オーストラリア)
五輪記録 28分24秒4 ミルズ(アメリカ)



1、27分38秒4 ビレン(フィンランド) 世界新 五輪新
2、27分39秒6 プテマンス(ベルギー) 五輪新
3、27分41秒0 イフター(エチオピア) 五輪新
4、27分48秒2 アロ(スペイン)    五輪新
5、27分51秒4 ショーター(アメリカ) 五輪新
6、28分05秒4 ベドフォード(イギリス)五輪新

7、28分15秒2 コリカ(ユーゴスラビア)五輪新
8、28分18秒2 ザデム(チュニジア)  五輪新
9、28分23秒6 ヤンスキー(チェコスロバキア) 五輪新
10、28分44秒2 マルチネス(メキシコ)
11、28分46秒4 アンドレエフ(ソビエト)
12、28分56秒4 アルバレス(スペイン)
13、29分03秒0 モーゼ(ケニア)
14、29分10秒2 ポルニス(ベルギー)

ガムーディ(チュニジア) 途中棄権


宇佐美彰朗  予選1組 10位 29分24秒8 落選
沢木啓祐   予選2組 12位 29分29秒0 落選
1972年 9月10日 ミュンヘン五輪 5000m レース展開

10,000mの決勝とは打って変わってスローペースな展開になる。
前半の8周は66秒台。互いに先頭を譲り合い、ペースが落ちる。
1000m2分46秒26、2000m5分32秒6。
ラストに自身のあるビレンは先頭集団の背後につけ、勝機を伺う。
9周目、業を煮やしたプリフォンテン(アメリカ)が仕掛けに出る。
1周ごとのラップが61秒5、60秒3とペースを上げ、レースは俄然
速い展開になる。
さすがのプテマンス(同五輪1万銀 ベルギー)は疲れて圏外に落ちる。
残り1周の鐘がなると、バックストレッチでガムーディ(チュニジア)が
トップに出る。ここからビレンがギアを切りかえす。最終コーナーで
ガムーディを抜き去ると、6mの差をつけて優勝。13分26秒4の五輪新記録
での長距離2冠となった。


5,000m 結果
 
世界記録  13分16秒6 クラーク(オーストラリア)
五輪記録  13分39秒6 クーツ(ソビエト)
日本記録  13分33秒0 沢木啓祐


1、13分26秒4  ビレン(フィンランド)   五輪新
2、13分27秒4  ガムーディ(チュニジア)  五輪新
3、13分27秒6  スチュアート(イギリス)  五輪新
4、13分28秒4  プリフォンテン(アメリカ) 五輪新
5、13分30秒8  プテマンス(ベルギー)   五輪新
6、13分32秒6  ノルポト(西ドイツ)    五輪新
>>646

1972年9月10日  ミュンヘン五輪 男子 マラソン レース展開


スタートー15時02分  参加人数74人

トラックを2周したあと次々と第3コーナーから場外に出る。
先頭はアルゼンチンのモリナ。
5kmで宇佐美がトップに躍り出る。後続はヒル(イギリス)、クレイトン
(オーストラリア)のサブテンランナー。ラップは15分51秒。
ヒルが先頭に立つ。君原は50m後ろの第2集団の中ほど。采谷(うねたに)は
その後方10mの第3集団にいる。
先頭集団は10kmで15人に絞られる。10kmラップは31分10秒。
先頭に東京五輪3,000m障害金のローランツ(ベルギー)が出てくる。
ヒル、宇佐美、クレイトンのほかに前回金のマモ・ウォルデ(エチオピア)、
1万で5位に入ったショーター(アメリカ)も含まれている。
15kmでスピードランナーのショーターが揺さぶるをかける。ラップは46分21秒
依然、スローペースの展開。第1集団にいる宇佐美はまだ余裕がある。
ニッカリ(フィンランド)、ムーア(アメリカ)、バチェラー(アメリカ)、
リスモン(ベルギー)、マクレガー(イギリス)あたりも集団にいる。
この後、先頭に立ったショーターが引き離す作戦に出た。
20kmで200mほど集団をリード。後続の集団は宇佐美、クレイトン、マモ、ヒル、
バチェラーの5人になった。
君原は20kmで1分45秒遅れ。采谷は3分以上の遅れ。
25kmではショーターの独走が始まった。マモ、クレイトン、ムーアの3人に
300mの差をつける。ついに日本のエース宇佐美が遅れ始めすでに3人から300m差。
ショーターとは600m差となりメダル圏外に去った。
ズルズル後退して8位まで順位を落とす。
25kmのショーターのラップは1時間17分05秒。
30km。 宇佐美はかなり疲れている。10位まで後退。代わりに後続君原が
宇佐美を捉え8位に浮上してきた。
2位以下はショーターから離れること600mでマモ・ウォルデ。かなり
足取りが重い。世界記録保持者のクレイトンはすでに脱落している。
後続から欧州選手権優勝の若手リスモン(ベルギー)が3位に上がって来る。
これにムーアが続き、君原がニッカリ、バチェラー、ヒルを抜いて6位に。
先頭のショーターからはすでに1000mになってしまった。
宇佐美は12位。采谷は21位。入賞も厳しい情勢になっている。
40kmでショーターはほぼ金メダルを手中に収めたような表情。600m差で
2位にリスモンが浮上。しかしリスモンの表情は青ざめ、足取りが重い。
3位マモ、4位ムーアでその後方に君原が5位に。2,3,4位と疲れが大きく、
君原の足取りはしっかりしている。ピッチが上がってきた。
左右に首を振り始めているが君原独特の走法。6位にヒルが猛追してきた。

ショーターが優勝。2時間12分19秒で欲しくも五輪レコード、東京でのアベベの
記録を最新することは出来なかった。2位は新鋭リスモン。3位はデフェンディング
チャンピオンのマモ。合計3個目のメダルとなった。
君原は後半追い上げたが5位。ミュンヘン五輪陸上陣、唯一の入賞となった。
メダル候補の本命宇佐美は結局12位。采谷は36位に沈んだ。



 
ミュンヘン五輪  男子マラソン 結果

世界記録 2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア)
五輪記録 2時間12分11秒2 アベベ(エチオピア)
日本記録 2時間10分37秒8 宇佐美彰朗


1、2時間12分19秒8 ショーター(アメリカ)
2、2時間14分31秒8 リスモン(ベルギー)
3、2時間15分08秒4 マモ・ウォルデ(エチオピア)
4、2時間15分39秒8 ムーア(アメリカ)
5、2時間16分27秒0 君原健二(日本)
6、2時間16分30秒6 ヒル(イギリス)

7、2時間16分34秒4 マクレガー(イギリス)
8、2時間16分56秒2 フォスター(ニュージーランド)
9、2時間17分38秒2 バチェラー(アメリカ)
10、2時間18分36秒8 ベダネ(エチオピア)

11、2時間18分49秒4 ニッカリ(フィンランド)
12、2時間18分58秒0 宇佐美彰朗(日本)
13、2時間19分49秒6 クレイトン(オーストラリア)
14、2時間20分02秒2 ベリコロデニ(ソビエト)
15、2時間20分10秒4 バラノフ(ソビエト)
16、2時間20分19秒0 アンゲンウォース(西ドイツ)
17、2時間20分39秒6 マブサ(スワジランド)
18、2時間20分44秒0 デミシェ(エチオピア)
19、2時間21分06秒4 パウコーネン(フィンランド)
20、2時間21分54秒8 カーカム(イギリス)

25、2時間22分49秒6 レッセ(東ドイツ)
32、2時間24分25秒4 フィリップ(西ドイツ)
36、2時間25分59秒0 采谷義秋(日本)
662ゼッケン774さん@ラストコール:2007/07/13(金) 23:09:45
>>657-659

ビレンはミュンヘン五輪後は精彩を欠いたんだよ。怪我もあったけど1万で28分が
切れないで特に75年は5千、1万とも世界ランクからも外れたはず。
モントリオール五輪開幕直前の76年6月にようやくDNガランで27分43秒で走って復活。
そしてその勢いでモントリオール五輪は連続2冠となった。
まぁビレンは血液ドーピングの疑いが強かったが五輪に体調がピークになる強運も持っていた。
>>660
マモはこのミュンヘンの記録が生涯記録のはず。マモもビレンほどではないが
オリンピックになると好成績を残している。君原が後年語っていたがマモには2敗しかしていないが
その2敗がメキシコとミュンヘンの両オリンピックだったと言っていた。
そういやガリブは世界選手権三連覇が掛かるな。
有力選手の大量回避で、間違いなく優勝候補筆頭。

個人的にはガリブとジェンガの一騎打ちになりそうな感じがするなぁ。
665ゼッケン774さん@ラストコール:2007/07/22(日) 08:28:04
森下
666ゼッケン774さん@ラストコール:2007/07/22(日) 15:58:58
千里
667>>664 ないな それは:2007/07/22(日) 15:59:41
三津谷
668ゼッケン774さん@ラストコール:2007/07/22(日) 16:00:18
葉子
がくっ、
恋のビッグバンビッグバ〜ン それは突然ビッグバ〜ン
>>662

ラッセ・ビレンはミュンヘン、モントリオールでの5千、1万2連覇と
マラソン5位は話題にされているが、五輪3連覇を目指して80年の
モスクワ五輪にも出場している。
このときビレンは31歳。峠を過ぎていたが1万に出場。28分45秒8
の平凡な記録ながら予選を4位通過。決勝ではモスクワの猛暑の中、
ラスト1周で果敢にトップに出る。このとき、観衆は大歓声。ビレンの
3連覇を期待しての声援であったが、イフター他のスパートについていけず
27分50秒5で5位入賞が精一杯だった。

そして1万から5日後、日本勢が不参加をしたマラソンにもエントリー。
しかし27km付近で途中棄権に終わった。
>>657

モントリオール五輪5千m決勝でビレンはラスト1周を55秒4でカバー。
ニュージーランドの2位デック・クアックスと、後に2時間8分ランナーになる
ロドニー・ディクソン(4位)がビレンの末脚の良さにびっくりしていたのが
印象的。
当時としてはビレンのラストは驚異的だった。
1966年12月まで

男子5,000m 世界歴代10傑

1、13分16秒6 クラーク(オーストラリア) 1966
2、13分24秒2 ケイノ(ケニア)      1965
3、13分24秒8 ノルポト(西ドイツ)    1966
4、13分27秒6 ジャジー(フランス)    1965
5、13分30秒0 ヘルマン(東ドイツ)    1965
6、13分33秒0 ウイッグス(イギリス)   1965
7、13分35秒0 クーツ(ソビエト)     1957
8、13分35秒2 ハルバーグ(ニュージーランド)1961
9、13分36秒2 沢木啓祐(日本)      1966
10、13分36秒4 ガムーディ(チュニジア)  1966


1967年12月まで  

男子10,000m 世界歴代10傑

1、27分39秒4 クラーク(オーストラリア) 1965
2、28分10秒6 ローランツ(ベルギー)   1965
3、28分12秒6 ハーゼ(東ドイツ)     1966
4、28分17秒6 ミルズ(アメリカ)     1965
5、28分18秒2 ボロトニコフ(ソビエト)  1962
6、28分22秒0 デュトフ(ソビエト)    1965
7、28分24秒8 ガムーディ(チュニジア)  1964
8、28分26秒0 フレアリー(イギリス)   1966
9、28分27秒0 メッチェール(ハンガリー) 1966
10、28分27秒8 フリストフ(ソビエト)   1967

1967年12月まで

男子マラソン 世界歴代30傑

1、2時間09分36秒4 クレイトン(オーストラリア) 1967
2、2時間11分17秒0 佐々木精一郎(日本)     1967
3、2時間12分00秒0 重松森雄(日本)       1965
4、2時間12分11秒2 アベベ(エチオピア)     1964
5、2時間12分25秒8 マッケンジー(ニュージーランド)1967
6、2時間13分33秒4 君原健二(日本)       1967
7、2時間13分41秒0 寺沢徹(日本)        1965
8、2時間13分45秒0 ウッド(イギリス)      1966
9、2時間13分55秒0 ヒートリー(イギリス)    1964
10、2時間14分04秒6 ライアン(ニュージーランド) 1966

11、2時間14分05秒2 広島日出国(日本)      1966
12、2時間14分12秒0 ヒル(イギリス)       1964
13、2時間14分28秒0 エデレン(アメリカ)     1963
14、2時間14分40秒0 蓬原正嗣(日本)       1967
15、2時間14分43秒0 キルビー(イギリス)     1963
16、2時間14分44秒8 アルダー(イギリス)     1963
17、2時間14分49秒6 采谷義秋(日本)       1967
18、2時間14分50秒2 宇佐美彰朗(日本)      1967
19、2時間14分52秒0 岡部宏和(日本)       1966
20、2時間15分17秒0 ポポフ(ソビエト)      1958

21、2時間15分17秒2 井上俊(日本)        1967
22、2時間15分26秒0 フドメル(チェコスロバキア) 1964
23、2時間15分35秒0 杉原勇(日本)        1966
24、2時間15分37秒0 テイラー(イギリス)     1964
25、2時間15分37秒0 中尾隆行(日本)       1965
26、2時間15分39秒4 渡辺和己(日本)       1963
27、2時間15分41秒6 ラジ・アブデセレム(モロッコ)1960
28、2時間15分42秒0 松原一夫(日本)       1967
29、2時間15分44秒0 ジュリアン(ニュージーランド)1967
30、2時間15分55秒0 南三男(日本)        1966
1967年12月まで

男子5,000m 日本歴代10傑

1、13分36秒2 沢木啓祐(順大)    1966
2、13分54秒8 土谷和夫(日大)    1966
3、13分55秒0 岩下察男(旭化成)   1964
4、13分59秒6 白井省(中大)     1966
5、13分59秒8 佐々木精一郎(九州電工)1966
6、14分00秒0 若松軍蔵(東急)    1966
7、14分00秒2 大槻憲一(日大)    1966
8、14分02秒2 円谷幸吉(郡山山自衛隊)1964
9、14分03秒0 稲垣清市(旭化成)   1966
10、14分05秒0 井上鉄石(中央発条)  1966


1967年12月まで

男子10,000m 日本歴代10傑

1、28分52秒6 円谷幸吉(郡山自衛隊)1964
2、28分59秒0 沢木啓祐(順大)   1966
3、29分01秒0 君原健二(八幡製鉄) 1964
4、29分05秒2 土谷和夫(日大)   1966
5、29分06秒6 船井照夫(東急)   1963
6、29分10秒4 渡辺和己(九州電工) 1963
7、29分11秒2 鈴木従道(日大)   1966
8、29分13秒8 大槻憲一(日大)   1966
9、29分17秒2 佐々木敏治(電電中国)1967
10、29分18秒2 藤田国夫(日大)   1967
>>674
クラークは断トツだな。
全盛期が高地のメキシコ五輪ていうのも悲運だったな。
メキシコでのトラック長距離はほとんど高地民族でないとメダル取れなかったようだしな。
ロン・クラーク(オーストラリア)

183cm 74kg

クラークは1,500mからマラソンまでのすべてのレースに出場し、
次々に驚異的な世界記録を樹立していったが、肝心のレースは勝運に
恵まれなかった。その原因の一つに練習方法の欠陥が指摘されていた。
クラークはトラック練習をほとんどしなかったため、スピードが不足
しラストスパートでことごとく敗れた。練習方法はファートレクのなか
インターバルを織り込んだり、持続走やビルドアップ走を含めたりした。
しかしほとんどは時計をしないで、芝生の上や道路で練習していた。
373 :ゼッケン774さん@ラストコール:2007/02/25(日) 22:45:11
メルボルンオリンピックの最終聖火
ランナーだったロン=クラークは5000,10000で当時の世界記録を大幅に塗り
換えて他を圧倒していたがオリンピックは勝てなかった。東京で3位になるの
がやっと。メキシコでは周回遅れになった(と思う)。ひとえにキックのなさ
のなせる業。クラークは東京ではマラソンを走ってハイペースで飛ばしアベべ
の驚異的世界記録達成に一役買っている。ちょうどクラークやクレイトンは
中山に相通じるところがある。
680名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 04:49:20
age
681名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 10:08:54
>>674 その時点の歴代9位に沢木の記録が上がっているが、ロンドンの競技会
での記録。その競技会には当時他を圧する世界記録を保持していたクラークや
五輪で数多くのメダルを取ったチェニジアのガムーディ等の一流ランナーが出
場していた。レースではラストスパートに入った段階でクラークを振り切り、
ゴール間際でガムーディをかわしてゴール。2位のガムーディの記録も表の歴代
10位に入っている。沢木はゴール後、帖佐の胸に飛び込み感涙を流した。
682名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 10:22:06
>>676
10000mの円谷さんの記録は東京五輪=アンツーカーでの記録ですよね
高岡は除いても昨今アンツーカーで10000mで28分台で走れる日本人、何人いるだろう....
そう考えるとトンでもない記録だよな
683名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 11:16:42
>>682

念のためにいっておくと、円谷の東京五輪でのタイムは28分59秒4。
このタイムは君原とともに8月の札幌での記録会でマークしたもの。ただ、いずれにしてもオールウェザーのトラックではなかったはず(アンツーカーかシンダー)。

それより驚くのが、この円谷と君原の記録はフルマラソンを走った直後(確か4日くらいしかたっていなかった)にマークしたものということ。
>>683

このレースは1964年8月に札幌・円山陸上競技場で開催された1万mの記録会。
五輪標準記録の29'25"0を土谷和夫(日大)と渡辺和己(九州電工)などの有力ランナーに突破
してもらうために円谷、君原が友情出場となった。スタートしてすぐに君原がペースメーカーになる。
すぐ後ろに円谷がつき土谷、渡辺の順に。円谷は後半からペースメーカーになる予定だった。
5000mを14'31"8で通過。6000mから円谷が前に出る。
しかし肝心の渡辺が6500mで、土谷が7000mで脱落。結局は君原との一騎打ちとなる。
8000mが23'17"0で通過。当時の日本記録より10秒早いラップ。君原は10mほど後退したが
首を振りながら粘りをみせる。9000mで君原がペースを上げ、円谷に迫ったが円谷もスパート。
ラストは30m引き離してゴール。記録は船井照夫(東急)の持つ日本記録29'06"6を破る、初の28分台、
28'52"6。デュトフ(ソ連)の28'54"2を上回る、この時点での1964年世界ランク1位の記録となった。
2位君原も29'01"1の日本記録。同世界ランク11位に入るものであった。
685ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/01(水) 15:37:55
age
>>683
>>684

久しぶりに覗くと、レスが少ないがマニアックだな(笑)
この記録会の4日前のマラソンは第7回タイムスマラソンで北海道選手権を兼ねた。
昭和39年8月23日実施で東京五輪を2ケ月に迫っていた。
当時の日本のエース・君原が2時間17分12秒で優勝。円谷が2時間19分50秒で2位。
この時、君原サイドはローマ五輪で優勝したアベベ(エチオピア)のラップタイムを意識して
そのまま実施し話題になったレースだったようだ。20キロまでは当時としてはハイペースの15分台
を刻んでいる。夏のハイペースだけに後続の円谷は800mの差をつけられる。
その4日後の2人が樹立したトラック日本新記録は驚異的。
687ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/08(水) 16:02:03
円谷のトラックでの全盛期は38年10月だろう。この月は国立で東京国際スポーツ大会が開催。
(いわゆる五輪前年に開催されるプレ五輪) 円谷は5千と1万に出場。
5千決勝はタロー(イギリス)、ベルナール(フランス)、ガムーディ(チュニジア)らと集団を形成。
円谷は2千からのタローのスパートに離され5位。タイムは14'14"0の日本新記録。
1万決勝はベイリー(NZランド)、イワノワ(ソ連)、ガムーディとの接戦。ゴール前200mでガムーディがスパート。
しかしゴール前でイワノワとベイリーが最逆転。29'44"6でベイリーが優勝。円谷は日本最高位の4位。
タイムは29'45"8 4日後は仙台で国際親善試合があり5千に出場。前出のイワノワに勝ち優勝。タイムは14'13"8の
日本新記録。9日後の山口国体5千では予選で14'8"8の日本新記録。決勝で優勝。タイムは
14'8"6の連日の日本新記録。
まさに破竹の勢いで記録ラッシュを見せていた。
>>681

その後、沢木はメキシコ五輪の年(1968)6月に欧州遠征で日本新を連発する。
ヘルシンキで1万に出場。怪物クラークに続き、2位。28分35秒2の日本記録。
その後はスウェーデンのジモで開催された3千では2位。7分56秒2の日本記録。
最後はストックホルムで5千に出場し、5位ながら13分33秒0で日本記録3連発となった。

全盛期にメキシコ五輪を迎えたが、2300mの高地には適応できず、5千が予選9位で敗退。
1万は決勝29位で31分25秒8も要してしまった。
5千で世界歴代10傑に入ったのは戦前の村社と沢木だけじゃないかな。
沢木啓祐は大阪・春日丘高在学中の1960年(昭和35)に開催された神戸インターハイで気温35度の中、
男子5000mに出場。15分12秒6で優勝。この時、1500mと合わせて2冠に輝いた。
その後、順天堂大に進学。高校、大学、社会人のカテゴリーで日本一になる。
1967年(昭和42)に開催された東京ユニバーシアードでは最終聖火ランナーを経験。
本番では5000mを14分03秒8、10000mを29分00秒0で両種目を制覇。
>>691
沢木は東京ユニバの前に65年のブダペストユニバでも勝っている。
この時は5千で13'45"2の日本新記録での優勝だった。
また翌年のバンコクアジア大会は千5百、5千で2冠にもなっている。
沢木の全盛は65-67年だろうな。
693692:2007/08/14(火) 22:09:46
ちなみに66年の別府マラソンに沢木は初マラソンに挑戦している。
このレースは君原も参加したが、東京五輪以降初となるもので1年4ケ月振りとなった。
レースは前年、スローとなり折り返しまで30人の大集団。25キロ過ぎに4連覇のかかる寺沢徹が
仕掛けて世界記録保持者の重松森雄、岡部宏和、佐々木精一郎、宇佐美彰朗、山崎久雄の6人に絞られる。
沢木は50m後方で君原と併走。先頭集団を追った。35キロで先頭に追い付き、寺沢、重松の後ろに
君原、佐々木、岡部、沢木、広島日出国が続いた。36キロで寺沢がスパート。沢木は後半スタミナ切れを起こした。
結局、寺沢が優勝。2゚14'35"の大会新。君原は3位で2゚15'28"の自己新記録で復活した。
沢木は8位に入り2゚16'06" 結局、このタイムが生涯記録となった。
沢木啓祐  主な戦績(国際大会 海外遠征)

(1965年)

第4回ユニバーシアード ブタペスト大会

5000m 優勝 13分45秒2 (日本新)

(1966年)

6月09日 ワルシャワ       1500m  優勝  3分46秒6
6月19日 クソチンスキー記念   3000m  3位  7分57秒0(日本新)
6月22日 ロンドン・4カ国対抗  5000m  優勝 13分36秒2(日本新)
6月29日 ヘルシンキ      10000m  優勝 28分59秒0
7月03日 ズナメンスキー記念   5000m  優勝 13分47秒2
7月05日 ストックホルム     5000m  5位 13分58秒2
7月07日 ヘーセルホルム     3000m  4位  8分03秒8
7月12日 オスロ        10000m  7位 29分33秒2


(1967年)

第5回ユニバーシアード 東京大会

 5000m 優勝 14分03秒8
10000m 優勝 29分00秒0

(1968年)

ヘルシンキ    10000m 2位  28分35秒2
ジモ        3000m 2位   7分56秒5
ストックホルム   5000m 5位  13分33秒0(日本新)



五輪成績

1968年 メキシコシティー

 5000m  予選 9位 15分00秒8
10000m  決勝29位 31分25秒2

1972年 ミュンヘン

 5000m  予選 7位 13分44秒8(落選)
10000m  予選12位 29分29秒0(落選)   
沢木はメキシコのあと不調でミュンヘンの前に復活したイメーがある。
歴代の日本人ランナーで「エリート」といえるのは沢木と瀬古だけだな。
>>694

1968年のジモの3千は日本記録ですね。
当時、沢木は世界レベルの選手だったよ。
しかし瀬古同様に五輪は縁がなかったな。
698ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/19(日) 19:43:43
欽メダルには届かなかった
話題は沢木になってるようだが、他にも沢木の実績としてアジア大会がある。
1966年のバンコクアジア大会で沢木は1500m(3分47秒3)、5000m(14分22秒0)
で2冠になっている。
余談としてマラソンは気温31度、湿度78%(アスファルトの照り返しは45度)という最悪な条件の中、
君原健二と世界記録保持者の重松森雄が18キロから独走態勢に入る。君原が33.5キロからスパートして
優勝。ゴール後は失神した。タイムは2時間33分22秒8。重松が2位で2時間35分04秒2。
また400mでは東京五輪で最終聖火ランナーに選ばれた坂井義則が銀メダルを獲得している。
>>697
メキシコの沢木は入賞を期待されたが、高地に適応できなかったのと
1万決勝では2400mで押されて転倒。右ふくらはぎを強打して
まったく精彩をかいた。
1970年12月31日まで  男子5,000m 世界歴代10傑

1、13分16秒6 クラーク(オーストラリア) 1966.7.5
2、13分22秒8 I・スチュワート(イギリス)1970.7.25
3、13分23秒4 マッカファーティ(イギリス)1970.7.25
4、13分24秒2 ケイノ(ケニア)      1965.11.30
5、13分24秒8 ノルポト(西ドイツ)    1966.9.7
6、13分26秒2 テイルー(イギリス)    1970.6.13
7、13分27秒6 ジャジー(フランス)    1965.6.30
8、13分28秒0 ワドゥー(フランス)    1970.7.8
9、13分29秒2 メッチェール(ハンガリー) 1968.7.3
10、13分29秒8 ラシュマー(イギリス)   1970.7.25

13、13分33秒0 沢木啓祐(日本)      1968.7.3



1970年12月31日まで  男子10,000m 世界歴代10傑

1、27分39秒4 クラーク(オーストラリア) 1965.7.14
2、28分04秒4 ハーゼ(東ドイツ)     1968.7.21
3、28分06秒2 ベドフォード(イギリス)  1970.9.12
4、28分06秒4 ケイノ(ケニア)      1968.7.21
5、28分06秒6 テイラー(イギリス)    1969.6.22
6、28分09秒0 スビリドフ(ソ連)     1968.7.21
7、28分10秒6 ローランツ(ベルギー)   1965.8.21
8、28分11秒8 L・スチュワート(イギリス)1970.7.18
9、28分12秒4 ミキティエンコ(ソ連)   1968.7.21
10、28分13秒8 バイデューク(ソ連)    1969.6.11


42、28分35秒2 沢木啓祐(日本)      1968.6.27
1970年12月31日まで  男子5,000m 日本歴代10傑

1、13分33秒0 沢木啓祐(順天堂大学教員) 1968
2、13分53秒2 佐々木精一郎(九州電工)  1968
3、13分54秒8 土谷和夫(日本大学)    1967
4、13分55秒0 岩下察男(旭化成)     1964
5、13分55秒8 鈴木従道(東洋ベアリング) 1969
6、13分57秒0 小山隆治(順天堂大学)   1970
7、13分58秒4 藤田国夫(鐘紡)      1969
8、13分59秒6 白井省(中央大学)     1966
9、14分00秒0 若松軍蔵(東急)      1966
10、14分00秒2 大槻憲一(日本大学)    1966

13、14分02秒2 円谷幸吉(郡山自衛隊)   1964
17、14分04秒4 宇佐美彰朗(桜門陸友会)  1970
20、14分05秒6 浜田安則(鹿児島中央高教員)1970
26、14分10秒0 鎌田俊明(鐘紡)      1970



1970年12月31日まで  男子10,000m 日本歴代10傑

1、28分35秒2 沢木啓祐(順天堂大学教員) 1968
2、28分40秒8 佐々木精一郎(九州電工)  1968
3、28分42秒8 鈴木従道(東洋ベアリング) 1969
4、28分52秒6 円谷幸吉(郡山自衛隊)   1964
5、28分55秒6 宇佐美彰朗(桜門陸友会)  1969
6、29分01秒0 君原健二(八幡製鉄)    1964
7、29分05秒0 浜田安則(鹿児島中央高教員)1970
8、29分05秒2 土谷和夫(日本大学)    1966
8、29分05秒2 藤田国夫(鐘紡)      1970
10、29分06秒4 大槻憲一(日本大学)    1969

12、29分10秒4 渡辺和己(九州電工)    1963
19、29分20秒2 小山隆治(順天堂大学)   1970
22、29分22秒0 谷村隼美(クラレ)     1970
23、29分27秒6 中尾隆行(東急)      1962
25、29分30秒2 若松軍蔵(東急)      1967
1970年12月31日まで  男子マラソン 世界歴代30傑

1、2時間08分33秒6 クレイトン(オーストラリア) 1969.5.30
2、2時間09分28秒0 ヒル(イギリス)       1970.7.23
3、2時間10分37秒8 宇佐美彰朗(日本)      1970.12.6
4、2時間10分47秒8 アドコックス(イギリス)   1968.12.8
5、2時間11分12秒0 オレイリー(アメリカ)    1970.4.20
6、2時間11分12秒8 ドレイトン(カナダ)     1969.12.7
7、2時間11分17秒0 佐々木精一郎(日本)     1967.12.3
8、2時間11分35秒8 ムーア(アメリカ)      1970.12.6
9、2時間12分00秒0 重松森雄(日本)       1965.6.12
10、2時間12分03秒4 谷村隼美(日本)       1969.12.7

11、2時間12分04秒0 アルダー(イギリス)     1970.7.23
12、2時間12分11秒2 アベベ(エチオピア)     1964.10.21
13、2時間12分12秒0 采谷義秋(日本)       1970.12.6
14、2時間12分17秒8 フォスター(ニュージーランド)1970.12.6
15、2時間12分19秒0 フェアクロス(イギリス)   1970.7.23
16、2時間12分25秒8 マッケンジー(ニュージーランド)1967.12.3
17、2時間12分52秒8 ガリド(メキシコ)      1969.12.7
18、2時間12分58秒4 ファーリントン(オーストラリア)1970.12.6
19、2時間13分06秒4 佐々木敏治(日本)      1969.12.7
20、2時間13分21秒0 吉田昭雄(日本)       1969.12.7

21、2時間13分25秒8 君原健二(日本)       1969.4.6
22、2時間13分26秒2 ムスタッツァ(ルーマニア)  1968.5.19
23、2時間13分37秒6 上岡忠明(日本)       1968.12.8
24、2時間13分41秒0 寺沢徹(日本)        1965.6.12
25、2時間13分43秒6 アケイ(トルコ)       1968.12.8
26、2時間13分44秒0 ウッド(イギリス)      1970.7.4
27、2時間13分45秒2 ブッシュ(東ドイツ)     1968.5.19
28、2時間13分55秒0 ヒートリー(イギリス)    1964.6.13
29、2時間14分04秒6 ライアン(ニュージーランド) 1966.11.27
30、2時間14分05秒2 広島日出国(日本)      1966.11.27


36、2時間14分40秒0 蓬原正嗣(日本)       1967.12.3
38、2時間14分44秒0 山下和夫(日本)       1968.12.8
39、2時間14分52秒0 岡部宏和(日本)       1966.2.13
45、2時間15分17秒2 井上俊(日本)        1967.2.5
47、2時間15分19秒0 井藤一夫(日本)       1967.12.3
48、2時間15分22秒4 藤田国夫(日本)       1969.12.7
>>702
佐々木精一郎の記録は沢木と欧州で一緒のレースだったと思うよ。
この頃の沢木は西ドイツのマインツ大学留学中か、怪我で帰国したかの前後だろう。
705ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/24(金) 20:07:47
ボルディンはどのような存在?
706ホラン司祭:2007/08/25(土) 09:52:06
流れぶった切ってスマソ

このスレで書くことじゃないかも知れんが、
土曜の朝から起きて男子マラソンを見ていた人間には
日本の男子マラソンがキラキラと輝いていた頃をしっている者が多いはず。
そんな人間は、「日本団体金メダル」と騒ぎ立てる報道を見てしらけてしまうのにな、TBSもうちょっと考えて欲しい。
団体なんていらないでしょ。
三大会連続金といわれても白けるだけだ。
わざわざ設けたのは日本の要望というのは勘ぐりすぎ?
708ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/25(土) 14:13:24
>>706 しかし世界大会で3人入賞なんてバルセロナ五輪くらいしか記憶にない。
快挙には違いないのだが。
709ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/25(土) 14:16:36
>>708
セビリアも3人入賞じゃな。
710ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/25(土) 14:22:32
バルセロナ五輪=3/3
セビリア世陸、大阪世陸=3/5

割合が違うな
711ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/25(土) 14:22:53
このスレ結構面白いと思いながら見てるけどどっかの本の丸写しなんだろ。
真剣に読んでる俺自身あほらしくなってきた
712ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/25(土) 14:26:37
ははは、本当にあほだなw
>>706
同意。ホントしらけるよ。
意味ないのにな。織田が団体で金って誇らしげに言う度に
「言ってて恥ずかしくないのかな?」
って思う


何より選手達は少しも嬉しくないと思う
714ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/25(土) 17:43:06
>>713
何より選手達は少しも嬉しくないと思う


本当にそんな感じでしたね。
715ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/26(日) 17:00:32
やはり日本の男子マラソンは強いな〜。
キラキラ輝いていたころより世界大会で結果を残してくれるからいいよね。
716ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/26(日) 18:00:28
>>715
30歳代後半より上の親父世代が一番羨ましい。
なぜなら昔は冬マラソンで黄金時代を築いた日本勢をリアルで見て語れ、
今は世界大会大会で入賞を繰り返せるようになった夏マラソンの日本を見れる。
そして比較できるのは羨ましいよ。
俺はバルセロナは子ども過ぎてまったく語れない(涙)
>>716
それを言うなら40歳以上だよ

今の40歳が、中学校で陸上部に入り、
陸上競技を陸上競技と見られるようになる13歳当時といえば(今から27年前なので)1980年

1979年の暮れ、福岡の死闘(瀬古-宗茂-宗猛の2秒差毎の1,2,3)
1980年の日本勢がボイコットしたモスクワ五輪、
1981年に瀬古がビル・ロジャースを破ってボストン2連覇
1980年福岡では日本人四人(瀬古、宗兄弟、伊藤国光)が、モスクワ五輪優勝者チェルピンスキーを粉砕
と、本マラソンが昇竜のごとくマラソンの一流国になる過程は、30代では記憶が薄いはず
その辺の過程を見た上で、ロスの瀬古惨敗→中山の台頭→谷口、森下の興隆→日本マラソンの停滞というサイクルを
感受性の強い時期に見られた40歳〜45歳というのが、マラソンを観衆として見られた最高の世代だと思うが

漏れは30代後半だが、リアルタイムで見て、尚且つうっすらと覚えているのは1980年の福岡ぐらい
1982年以降(例えば1983年の東京で瀬古がR・ゴメス、イカンガーを破って優勝したとか)は記憶に鮮明に覚えているが、それ以前はあまり記憶にない

そんな意味で、40台前半の方はどう思うのか聞いて見たいが
>>717
初めて書き込みさせていただきます。
私も同意です。40歳手前ですが、やはり最初の記憶は79年の福岡国際でした。
翌日、毎日新聞に瀬古、宗兄弟のイラストつきでモスクワの展望が記載され、凄い大きく取り扱われたのをうっすら
覚えてます。
親父の昔話批判といわれでしょうが、やはり80年代の黄金期の人気は凄かったと覚えてます。
まあ正直に親父世代は羨ましいよ。
瀬古と中山の全盛期は見たかったょぅ。
720ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/28(火) 17:12:13
30代後半の吾が輩がマラソンのニュースをリアルタイムで見たのが宗茂の世界歴代2位の新聞記事。
80年代のマラソンの視聴率は凄かった。ぜひDVD化して発売してもらいたいものだ。 
721ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/28(火) 17:20:42
私は30代半ば。
おふくろが君原ファンで、79年12月に君原のラストランを福岡に見に行ったのが小1。
早稲田の瀬古が優勝したのをはっきり覚えている。

モスクワ出られなかったときは悲しかったよ。
83年福岡の時、小学6年。
トラックで瀬古がイカンガーを突き放した翌日は、校長の朝礼の話が延々瀬古の話題だった。
中山のW杯広島の時は中学2年。翌日の陸上部の話題はもちろん中山だった。

しかし成人してから興奮して見れたのもあった。それは00年福岡の藤田と02年シカゴの高岡。今は夏マラソンで頑張ってほしい。
723ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/29(水) 00:16:29
>>722
同じくらいの都市だな。
あとは中山が雪の福岡を前半から飛ばしたのぐらいかな。
ほかにあそこまで飛ばしたのを見たことがない、
724ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/29(水) 00:46:18
幸吉や…(´・ω・`)
>>723
中山が全盛の頃、中山が入りのラップを14分40秒台なんて当たり前のように見ていたが
時代が変わってレースの流れが整備された現代は、当時が異常な入りだったのがわかった感じだ。
円谷幸吉の偉業は五輪で銅メダルを獲得した他に競技者として自己ベストをマークした点だ。ら
日本での代表に限るとこの円谷以降、五輪で自己ベストをマークした選手は出ていない。
夏マラソンが定着した五輪レースだけに円谷の偉業は43年間も継続され続けている。

ちなみに五輪最高記録は宗猛の2時間10分55秒。
ロペスの五輪記録と共に23年間継続され続けている。
1980年度  男子5,000m 世界10傑

1、13分16秒38 イフター(エチオピア) 
2、13分17秒5  ケディル(エチオピア) 
3、13分17秒9  ミュイア(イギリス)
4、13分18秒2  ベイ(タンザニア)
5、13分18秒6  ニャンブイ(タンザニア)
5、13分18秒6  マクチェスニー(アメリカ)
7、13分19秒1  バージン(アメリカ)
8、13分19秒24 キプロティッチ(ケニア)
9、13分19秒76 ヴェシングハーゲ(西ドイツ)
10、13分19秒8  ロノ(ケニア)




1980年  男子10,000m 世界10傑

1、27分29秒16 バージン(アメリカ)
2、27分31秒38 ロノ(ケニア)
3、27分37秒88 マメーデ(ポルトガル)
4、27分42秒7  イフター(エチオピア)
5、27分43秒44 瀬古利彦(日本)
6、27分44秒3  マーニンカ(フィンランド)
7、27分44秒58 アンチポフ(ソビエト)
8、27分44秒7  ケディル(エチオピア)
9、27分46秒5  コツ・トロッサ(エチオピア)
10、27分46秒71 スコット(オーストラリア)


11、27分47秒35 伊藤国光(日本)
13、27分48秒59 喜多秀喜(日本)

1980年度  男子マラソン  世界20傑

1、2時間09分01秒 ネイブール(オランダ)  4.26
2、2時間09分41秒 サラザール(アメリカ) 10.26
3、2時間09分45秒 瀬古利彦(日本)    12.7
4、2時間09分49秒 宗猛(日本)      12.7
5、2時間10分05秒 伊藤国光(日本)    12.7
6、2時間10分09秒 ヘンリー(オーストラリア)12.7
7、2時間10分14秒 ゴメス(メキシコ)   10.26
8、2時間10分19秒 サンドバル(アメリカ)  5.24
9、2時間10分20秒 ビヨクルンド(アメリカ) 6.21
10、2時間10分23秒 宗茂(日本)      12.7

11、2時間10分24秒 チェルピンスキー(東ドイツ)12.7
12、2時間10分29秒 ペファー(アメリカ)  12.7
13、2時間10分41秒 ダーデン(アメリカ)   5.20
14、2時間10分44秒 ド・キャステラ(オーストラリア)12.7
15、2時間10分47秒 クァックス(ニュイージーランド)9.7
16、2時間10分52秒 ゴ・チュンソエ(北朝鮮) 3.16
17、2時間10分55秒 ヘフナー(アメリカ)   5.24
18、2時間10分58秒 コトフ(ソビエト)    5.24
19、2時間10分59秒 ホッジ(アメリカ)    9.7
20、2時間11分02秒 ペルソン(スウェーデン)11.16


24、2時間11分27秒 武富豊(日本)     12.7   
円谷幸吉(自衛隊体育学校) トラック全成績

60.10.25 国体         5000m     15.08.6 5位
61.10.09 国体         5000m(予選) 14.24.2 1位
   10.10 国体         5000m(決勝) 14.58.8 2位
         全日本        5000m     14.59.6 6位
62.07.13 アジア大会最終予選  5000m     14.28.6 2位
   08.11 勤労者大会      5000m     14.48.2 2位
   10.07 一般対学生      5000m     14.36.2 2位
   10.12 全日本        5000m     14.20.8 優勝
   10.14 全日本       10000m     29.59.0 優勝
   10.23 国体         5000m     14.22.8 優勝
63.04.27 東日本実業団     5000m     14.39.4 3位
   04.28 東日本実業団     1500m      3.58.9 2位
   05.10 東京選手権      5000m     14.39.4 3位
   05.12 東京選手権     10000m     30.05.8 2位
   06.01 全日本実業団     5000m     14.29.6 2位
   06.02 全日本実業団    10000m     29.38.0 2位
   07.07 一般対学生     10000m     30.49.2 優勝
   08.24 ニュージーランド記録会  20000m     59.51.4 2位
                              (世界新記録)
   08.24 ニュージーランド記録会 同 1時間走      20081m  2位
                              (世界新記録)
   09.15 シドニー国際大会  10000m     29.25.2 優勝
   10.13 東京プレ五輪     5000m     14.14.0 5位
                              (日本新記録)
   10.15 東京プレ五輪    10000m     29.45.8 4位
   10.19 国際親善試合     5000m     14.13.8 優勝
                              (日本新記録)
   10.28 国体         5000m     14.08.8 優勝
                              (日本新記録)
   11.10 五輪候補記録会   10000m     29.13.8 3位
64.04.25 東日本実業団    20000m     62.37.2 優勝
   05.23 全日本実業団     5000m     14.25.8 6位
   06.07 国体         5000m     14.02.2 優勝
                              (日本新記録)
   08.20 五輪候補記録会   10000m     29.19.2
   08.27 五輪候補記録会   10000m     28.52.6 1位
                              (日本新記録)
   10.15 東京オリンピック  10000m     28.59.4 6位
65.08.14 関東選手権      5000m     14.33.4 優勝
   10.02 埼玉選手権      5000m     14.23.8 優勝
   10.02 埼玉選手権     10000m     30.28.4 優勝
   10.29 国体        10000m     29.27.0 2位
66.05    久留米記録会     5000m     14.54.0
67.03.05 青梅マラソン     30km    1。37.50.0 2位
   04.22 東日本実業団    20000m     63.42.4 4位
   05.04 埼玉選手権      5000m     14.24.8 優勝
   05.04 埼玉選手権     10000m     29.48.8 優勝
   05.27 全日本実業団     5000m     14.36.0 6位
   05.28 全日本実業団    10000m     29.54.4





円谷幸吉 マラソン全成績

1、1964.03.21 中日マラソン 5位 2.23.23.0 
2、1964.04.12 毎日マラソン 2位 2.18.20.2
3、1964.08.23 タイムスマラソン 2位 2.19.50
4、1964.10.21 東京五輪   3位 2.16.22.8
5、1965.08.29 タイムスマラソン (途中28km棄権)
6、1967.03.19 水戸マラソン 9位 2.23.37.0
1985年 男子5,000m 世界10傑

1、13分00秒40 アウイタ(モロッコ)
2、13分01秒15 マリー(アメリカ 旧南アフリカ)
3、13分10秒06 コバ(イタリア)
4、13分13秒49 ビックフォード(アメリカ)
5、13分15秒44 パディラ(アメリカ)
6、13分15秒90 ゴンザレス(スペイン)
7、13分17秒27 リーフェル(スイス)
8、13分17秒64 キプコエチ(ケニア)
9、13分17秒91 ミロニヒ(オーストリア)
10、13分18秒47 ムーア(イギリス)



1980年 男子10,000m  世界10傑

1、27分37秒17 ビックフォード(アメリカ)
2、27分40秒85 ネナウ(アメリカ)
3、27分41秒05 アイストーン(アメリカ)
4、27分41秒09 マメーデ(アメリカ)
5、27分42秒17 瀬古利彦(日本)
6、27分43秒90 キゲン(ケニア)
7、27分44秒65 パネッタ(イタリア)
8、27分45秒00 エレラ(メキシコ)
9、27分45秒80 ピタヨ(メキシコ)
10、27分49秒36 コバ(イタリア)


11、27分50秒05 新宅雅也(日本)
17、27分55秒05 金井豊(日本)


1985年  男子マラソン 世界20傑

1、2時間07分12秒 ロペス(ポルトガル)    4.20
2、2時間07分13秒 S・ジョーンズ(イギリス)10・20
3、2時間08分08秒 ジャマ(ジブチ)     10.20
4、2時間08分09秒 サラ(ジブチ)       4.14
5、2時間08分15秒 中山竹通(日本)      4.14
6、2時間08分34秒 スペディング(イギリス)  4.21
7、2時間08分48秒 ド・キャステラ(オーストラリア)10.20
8、2時間08分55秒 プラーティエス(南アフリカ)5.4
9、2時間08分58秒 プラジェ(南アフリカ)   5.4
10、2時間09分03秒 ハイルマン(東ドイツ)   4.14

11、2時間09分05秒 メコネン(エチオピア)   4.14
12、2時間09分16秒 ハットン(イギリス)    4.21
13、2時間09分23秒 ヘーレ(西ドイツ)     4.21
14、2時間09分43秒 ヨルゲンセン(西ドイツ)  4.21
15、2時間09分51秒 新宅雅也(日本)      4.21
16、2時間09分58秒 グラハム(イギリス)    4.20
17、2時間10分01秒 谷口浩美(日本)     12.1
18、2時間10分23秒 ピッツオラート(イタリア) 4.14
18、2時間10分23秒 宗茂(日本)       10.13
18、2時間10分23秒 宗猛(日本)       10.13


27、2時間11分04秒 阿部文明(日本)      3.10
30、2時間11分09秒 須永宏(日本)       3.10
733訂正:2007/08/29(水) 08:57:27
1985年 男子10,000m  世界10傑

1、27分37秒17 ビックフォード(アメリカ)
2、27分40秒85 ネナウ(アメリカ)
3、27分41秒05 アイストーン(アメリカ)
4、27分41秒09 マメーデ(アメリカ)
5、27分42秒17 瀬古利彦(日本)
6、27分43秒90 キゲン(ケニア)
7、27分44秒65 パネッタ(イタリア)
8、27分45秒00 エレラ(メキシコ)
9、27分45秒80 ピタヨ(メキシコ)
10、27分49秒36 コバ(イタリア)


11、27分50秒05 新宅雅也(日本)
17、27分55秒05 金井豊(日本)

日本男子マラソン   オリンピック 歴代10傑

1、2時間10分55秒  宗猛    1984ロサンゼルス 4位
2、2時間11分05秒  中山竹通  1988ソウル    4位
3、2時間13分11秒  油谷繁   2004アテネ    5位
4、2時間13分24秒  諏訪利成  2004アテネ    6位
5、2時間13分41秒  瀬古利彦  1988ソウル    9位
6、2時間13分45秒  森下広一  1992バルセロナ  2位
7、2時間14分02秒  中山竹通  1992バルセロナ  4位
8、2時間14分13秒  瀬古利彦  1984ロサンゼルス 14位
9、2時間14分38秒  宗茂    1984ロサンゼルス 17位
10、2時間14分42秒  谷口浩美  1992バルセロナ  8位
男子マラソン  オリンピック  歴代10傑

1、2時間09分21秒  ロペス(ポルトガル)     1984ロサンゼルス 1位
2、2時間09分55秒0 チェルピンスキー(東ドイツ) 1976モントリオール 1位
3、2時間09分56秒  トレーシー(アイルランド)  1984ロサンゼルス 2位
4、2時間09分58秒  スペディング(イギリス)   1984ロサンゼルス 3位
5、2時間10分11秒  アベラ(エチオピア)     2000シドニー   1位
6、2時間10分31秒  ワイナイナ(ケニア)     2000シドニー   2位
7、2時間10分32秒  ボルディン(イタリア)    1988ソウル    1位
8、2時間10分45秒8 ショーター(アメリカ)    1976モントリオール 2位
9、2時間10分47秒  ワキウリ(ケニア)      1988ソウル    2位
10、2時間10分55秒  宗猛(日本)         1984ロサンゼルス 4位
10、2時間10分55秒  バルディーニ(イタリア)   2004アテネ    1位  
736ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/29(水) 11:04:08
過去の栄光という名の幻想
737ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/29(水) 11:28:43
瀬古の全盛期の強さはマラソン、トラック問わず圧倒的なものだった。
日本がボイコットしたモスクワ五輪では出場していればマラソンは
もちろを70173に出場しててもメダルは獲っただろう。
印象に残るレースは東京でメキシコのゴメスとのデットヒート、ちなみ
にこのレースがイカンガーの初来日であった。
>>737
イカンガーが逃げて、バルチャ、瀬古、ゴメス、宗猛がフォローした1983年の東京国際マラソンだよな
瀬古とゴメスの一騎打ちになって、赤坂見附の上り坂で瀬古が仕掛け、後は独走の圧勝だった
瀬古は膝に故障を抱えていながら、あの頃はその故障も癒え、絶好調だった
>>737
>>738

1983年に開催された第3回東京国際マラソンですね。
参加メンバーはモントリオール、モスクワ五輪連覇のチェルピンスキー(東ドイツ)、
この大会の半年後に開催される第1回世界選手権で銀メダルを獲得するバルチャ(エチオピア)
、モスクワ五輪7位ネディ(エチオピア)にモントリオール五輪5千5位、
モスクワ五輪6位で第1回大会に優勝しているゴメス(メキシコ)、そして
前年(82年)の英連邦大会で2位に入りサブテン入りしたマラソン3回目・
初来日のイカンガー(タンザニア)が主な海外招待。
日本では81年のボストン優勝以来、怪我で復帰の瀬古利彦と宗茂・猛の兄弟が参加。
 有力なアフリカ勢の参加で戦前からスピードレースになるだろうと言われていた。

レースは5km過ぎからイカンガーが引っ張り、当時としては驚異的の5区間連続で
ラップ14分台を記録。30kmを1時間29分56秒で通過。これは78年の
別大で宗茂が記録して以来、2回目の1時間30分以内のペース。

ペースが落ちてきた38.4kmの赤坂見附の坂でついにゴメスがスパート。
集団が解体さてる。ゴメスに唯一ついたのは瀬古。39km過ぎはゴメスが
脇腹を押さえるしぐさをし苦痛に。この頃、後続の宗猛がグングンと2人に
接近。39.8kmで宗猛が背後まで迫ってくるのを瀬古がチラッと確認と
同時に再スパート。神宮外苑に入る手前でゴメスを引き離した。

740738:2007/08/29(水) 20:28:02
>>739 チェルピンスキー出てた?
1983年 東京国際マラソン

優勝 2・08・38  瀬古利彦(エスビー食品) 日本記録 世界歴代4位
2位 2・08・55  宗猛(旭化成)      日本記録 世界歴代6位
3位 2.09.12  ゴメス(メキシコ)         世界歴代9位
4位 2.10.39  ネディ(エチオピア)
5位 2.10.54  イカンガー(タンザニア)
6位 2.12.07  バルチャ(エチオピア)
7位 2.12.40  チェルピンスキー(東ドイツ)
8位 2.12.41  トルッペル(東ドイツ)
9位 2.12.57  ザルツマン(西ドイツ)
10位 2.13.18  宗茂(旭化成)

16位 2.17.07  坂口泰(早稲田大学)
17位 2.17.22  ハイルマン(東ドイツ)
38位 2.27.04  遠藤司(早稲田大学)
42位 2.27.39  木下(現在・金)哲彦(早稲田大学)
742738:2007/08/29(水) 22:41:39
>>741
出てたねぇ>チェルピンスキー
ありがとうございました

しかし何気でメンバーが強烈...
>>742
バルチャ同様、チェルピンスキーもこの大会の半年後に世界陸上で銅メダルを獲得してますね。
この頃のマスコミの一部は「世界の4強」ということで瀬古、キャステラ、サラザール、ゴメスを挙げていました。
そのゴメスに勝ち、のちの世陸で銀・銅のバルチャ、チェルピンスキーに勝ち、また暮れの福岡でサラザール
と初対決で勝つ。そして2強として瀬古とキャステラがクローズアップされていった。世界陸上で勝ったキャステラは
公式インタビューで「あとは瀬古だけ」と話していた。
そんな中、4月のロッテルダムでキャステラに2秒負けたロペスが瀬古の記録に1秒差に迫ってくる。
ロペスはトラックも好調で84年にかけて自己新を記録。世界クロカン元王者がダークホースに挙げられてきた。
そして「アフリカの黒豹」イカンガーの台頭。83年からロスの展望はこんな感じではなかったでしょうか。
744ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/30(木) 00:44:05
瀬古はというより中村清は1万のレースはマラソンの練習の一環
としてとらえていた。つまり瀬古は1万の為の練習はしていなかった。
またマラソンもそうだがトラックにおいても相手なりに走るスタイル
で記録狙いの走りをすることはなかった。当時瀬古が本気で記録を
狙えば1万においても10秒〜20秒の記録短縮は可能であったと今でも
信じて疑わない。
6月のトラック欧州遠征でもストックホルムのDNガランは毎年キーポイントになってたな。
瀬古もマラソン強化で出場していたがそこそこ上位でゴールに帰ってきたのを覚えている。
よく東京キーでは日曜日の午後にテレビ東京で欧州遠征など海外レースを放送していた。
中山の1万の日本記録で走ったレースもそこで見た記憶があるよ。
746ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/30(木) 01:41:03
児玉、谷口、伊藤国光が自己最高を出している北京は
絶対に距離が足りなかったと思うのだが。
マラソン転向前に記録を狙った高岡がやっと破ったのが中山、瀬古の記録だった。
2人はマラソン強化としてトラック走ったから潜在能力はもっと高かったかもしれないな。

瀬古は箱根も調整の一貫で2区を走ったし。


>>746
当時、北京はIAAFが完全に公認距離と主張したからな。疑惑があっても公認記録が抹消はないな。
748ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/30(木) 10:41:28
以上、過去の栄光という名の幻想から抜け出せない方々でした。
>>748
このスレは過去に遡って語るんだからいいんじゃない。
いろいろな意味で知らないおいらは参考にはなるよ。
750ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/30(木) 23:27:40
当時世界一のラストスパートと言われた瀬古のラストの切れ味。
8カ国対抗の1万ではラスト400を55秒200を26秒でカバー。
瞬間的にトップギアにチェンジするその様は圧巻と言う他ない
ものであった。
中山、高岡はスピード持続は素晴らしかったが、ラスト1周の強さと速さは瀬古が歴代1位だろ。
752ゼッケン774さん@ラストコール:2007/08/31(金) 10:44:20
78年の別代の宗茂は凄かった。
前走の福岡国際では2時間50分以上を要して
完走選手中最下位。
その悪夢を振り払うかのような劇走であった。
最後は強い向かい風に邪魔され世界記録更新
は阻まれたが大幅な日本記録の更新。
あの走りが日本マラソン界の黄金時代の始まりだった。
>>750
瀬古は100b11秒4で走るからな

ラスト勝負になったら普通のマラソンランナーじゃまず勝てないよ
>>752
そうだね。話は前後するけど、あの走りは中山と共通する凄さを感じたよ。

>>753
83福岡のラスト100が、確か12秒台だったと記憶してる。
>>752
しかも宗茂はあの別大では一度も水を取らなかったらしいからな
水を取れなかったのではなく、
競技中は水を取らない方が良い、という迷信の元に取らなかったらしい

しかも福岡の52位の後、走りこみ直したのではなく、
福岡を目指しての走りこみの溜めを、如何に良い方向に調整しなおすかに徹したらしい
(「振り向いたら負けや」(1985年1月〜月刊陸上競技での兄弟対談集の書籍化)(講談社)が詳しい)

まだまだマラソンが科学ではなく、根性で走っていた時代
(もっとも宗兄弟は上述「振り向いたら負けや」で、「俺等、根性ないから練習している」と言っているが)

ソウル五輪の日本の惨敗でスポーツ科学を駆使し始めたけど、
今はそれを使う以前の問題だからなぁ
>>753
瀬古は高校時代に400を48秒で走ってるからな。

ラストの切れ味は日本歴代最強だろうな。
757ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/02(日) 19:42:42
上げておくよ

こういう良スレは落としちゃいかん
758ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/03(月) 07:45:19
日本男子マラソンは団体で金メダルだね。
759ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/03(月) 07:49:58
瀬古がもしモスクワ五輪に出場していたなら、以降の五輪成績も違っていたと思う
強かったが運はなかったな
760ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/03(月) 08:29:41
モスクワの時くらいが瀬古の全盛期だったからなぁ
761ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/04(火) 16:54:00
87福岡の中山のラップある?
762ゼッケン774さん@ラストコール:2007/09/04(火) 17:44:11
通史を語れるのはアベベを生で見ている世代からだな
>>761

1987年  福岡国際マラソン  優勝  中山竹通(ダイエー) 

ラップタイム

5km 14分35秒
10km 29分05秒(14分30秒)
15km 43分40秒(14分35秒)
20km 58分38秒(14分57秒)

中間点 1時間01分55秒

25km 1時間13分48秒(15分11秒)
30km 1時間29分02秒(15分14秒)
35km 1時間44分25秒(15分23秒)
40km 2時間00分45秒(16分20秒)

2.195km 7分33秒

2時間08分18秒 (1987年度世界ランキング 1位)





1986年  男子5,000m 世界10傑

1、13分00秒86 アウイタ (モロッコ)   8.6  
2、13分10秒15 バックナー(イギリス)   8.31 
3、13分11秒57 メイ(イタリア)      8.31 
4、13分12秒88 ハッチングス(イギリス)  8.31
5、13分13秒15 イグナトフ(ブルガリア)  8.31
6、13分14秒62 マリー(アメリカ 旧南ア) 9.10
7、13分15秒01 ルソー(ベルギー)     9.10
8、13分15秒18 レイタオ(ポルトガル)   9.10
9、13分15秒31 ドゥルーズ(スイス)    7.7
10、13分15秒86 コバ(イタリア)      8.13


30、13分24秒29 瀬古利彦(日本)      7.11



1986年  男子10,000m 世界10傑

1、27分20秒56 ニーナウ(アメリカ)    9.5
2、27分26秒11 アウイタ(モロッコ)    7.5
3、27分34秒68 クンツェ(東ドイツ)    5.31
4、27分39秒52 アンティボ(イタリア)   7.5
5、27分43秒31 キプコエチ(ケニア)    5.30
6、27分43秒89 ハイネ(東ドイツ)     5.31
7、27分43秒97 メイ(イタリア)      7.5
8、27分44秒53 ムゲ(ケニア)       5.30
9、27分44秒57 バイニオ(フィンランド)  7.5
10、27分45秒45 瀬古利彦(日本)      7.5


37、28分02秒5  米重修一(日本)      4.20
42、28分05秒5  阿久津浩三(日本)     10.26
44、28分07秒0  中山竹通(日本)      10.26
48、28分09秒47 新宅雅也(日本)      7.5