【政治経済】平成床屋談義 町の噂その38

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235日出づる処の名無し
>>181
これまで、この話は基本的に黙ってきたが安倍氏辞任〜小
沢辞任未遂までの流れは、以下の逸話を思い出させる。
Wikipediaより
(前略)
「楚では時の君主悼王に寵愛され、令尹(宰相)に抜擢さ
れ法家的な思想を元とした国政改革に乗り出す。
元々楚は宗族の数が他の国と比べてもかなり多かったため、
王権はあまり強くなかった。
これに呉起は、法遵守の徹底・不要な官職の廃止などを行
い、これにより浮いた国費で兵を養い、富国強兵・王権強
化に成功した。
この事から呉起は法家の元祖として見られる事もある。
しかしその裏では権限を削られた貴族達の強い恨みが呉起
に向けられ、呉起もそれを察知していた。
呉起が無事なのは悼王の寵愛があればこそだが、悼王は既
に高齢であった。
236235:2007/11/08(木) 22:42:13 ID:fJWqLkDI
(続き)
「紀元前381年、悼王が老齢で死去すると、反呉起派は呉
起を殺すために宮中に踏み込んだ。
呉起は敵が来ると悼王の死体に覆いかぶさり、その上から
矢が何本も突き刺さり、呉起は絶命した。
だが、父の跡を継いだ粛王は、反呉起派の放った矢が亡父
の悼王にも刺さった事で激怒し、粛王の厳命で悼王の遺体
を射抜いた者達は大逆の罪で一族全員処刑された。
呉起は最後に自分を殺した者に対して復讐したと言える。」
(中略)
「厳しい法によって国を治め、周りの恨みを買って殺され
てしまったという生涯が後世の商鞅と重なって見える。
呉起の死後、呉起の法を全て廃止し旧態に戻った楚が滅び、
商鞅を殺しても法は存続させた秦が最終的に中国を統一し
たのが非常に対照的である。」
(後略)
://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89%E8%B5%B7