1 :
日出づる処の名無し:
「新国語断想」
元国語問題協議会主事の土屋道雄氏が先ごろ『国語問題論争史』を刊行した。幕末・明治
以来の国字国語論流れを簡潔に整理して明解な一書である。本書には、文明開化時代に
西周のような大知識人が、国語をローマ字で書くべしという論を展開したことが書かれている。
森有礼は国語を英語にしたらどうかと述べている。
なぜこんな途方もない議論が出てくるのか。日本が西欧の植民地にされる恐怖、言い換えれ
ば「近代化」への強迫観念が時代の精神を支配していたからだ。漢字は字形が複雑で、しか
も数が多いので、記憶に負担が強いられる。こんなものに貴重な学習時間を割いていてはと
ても最新の知識の習得が追いつかない。だから、漢字を廃して国語をローマ字で書けという
論法だ。手に入れた靴が小さいから足を削れというような愚劣な議論である。その証拠に、国
語表記をローマ字に変えなくても、日本は近代国家建設に成功したではないか。
戦後国語政策を主導した文部官僚も図式的には明治の知識人のそれとまさしく相似の関係
にあった。欧米諸国はローマ字とアラビア数字だけなのでタイプライター一つあれば新聞だっ
て作れる。平仮名・片仮名・漢字・算用数字、その上ローマ字まで交ぜこぜの国語表記ではと
ても日本は欧米についていけない。当時文部省国語課で公用文の平易化の仕事をしていた
金田一春彦は、上司の国語課課長の右の考え方を全くその通りだと考えていた。
だが、ワープロの出現で新聞くらいは机上で作れるようになり、「これなら当用漢字の制限はし
なくてもよかったし、字体でも仮名遣いでも昔のままでもよかったのだ」と金田一は反省している。
科学技術の進み具合は現時点の常識では計れない。今は不可能でも、ある時点になれば誰も
不可能と思わなくなる。それが科学技術というものだ。
(産経新聞 2005年5月16日掲載 塩原経央氏)
ちとじれるかもしれんが、日本語もまともに理解できてない子供に英語習わせるってのは
同化と思ってるのは漏れだけ??
×ちとじれる
○ちとずれる
漏れこそ日本語勉強しないとな。
國語國字に關する貴重な資料, 2005/01/18
レビュアー: 週末園藝家
江戸時代に西歐の文化に觸れ、その言葉がアルファベット26文字前後ですべて書き記せる
ことを知り、日本語が多數の漢字を必要とすることと比較して、その簡便なることに驚き、自國語
の煩雜を嘆いたことから國語問題は始まつた。勿論、歐米諸語と雖(いへど)も、アルファベットを
覺えただけでは言葉を書き記すことなぞできず、多數の單語を知らなければ言語生活が送れ
ないことは、現代では誰もが知るところである。アジアの漢字は歐米の單語に相當するのである
から、比較する相手を誤つてゐるのであるが、その素朴な驚きは、明治大正の度重なる漢字制限、
表音式假名遣ひ導入への試みを經て、戰後の「当用漢字」「現代仮名づかい」に繋がつてゐるの
である。本書は國語改革に反對する立場から、國語國字に關する評論を網羅的に蒐集した、他
に類を見ない貴重な資料である。
かつて、同名の書籍がsc恆存氏の著作として出版されたことがあるが、實質的にはsc氏の
指導の下にではあつても、土屋道雄氏の筆になるものであつたらしい。本書は、その歴史的な名
著に、その後の「論爭」を追加した増補版として新たに世に出されたもので、國語國字に關心を持
つ全ての方にお薦めしたい一册である。
このレビューは、本書の主張に贊同する者として、可能な限り正字正假名で記した。
6 :
日出づる処の名無し:2006/01/10(火) 10:43:37 ID:IcShTsvp
http://kimura39.txt-nifty.com/hell/2004/08/ 言論三題
まづ國語問題協議會の設立事情。
国語問題では超低能な役所たる文部省や、無能な文部官僚とずいぶんけんかをした。
日本以外の国々がそれぞれの国語を非常に尊重しているのに比較し、日本では国語を
メチャクチャにした上、さらに機会あるごとに破壊しようとしているからだ。その元凶が文部
省である。あの新かなづかいと、漢字制限、それと通産省の所管であるメートル法、あんな
ものを実施しなければ世の中はこんなに乱れなかっただろう。ああいうものを国民に強制し、
文部省と結託して、いたいけな小学生に教え込むから世の中は混乱する。国語はやさしく
することより大切にすることが先決問題なんだ。[中略] 国語問題では、国語審議会をけん
制する意味で、ぼくのポケットマネーを出して寄付金を集め、国語問題協議会を作り、大い
に戦ったものだ。(小汀利得『ぼくは憎まれっ子』 日本経済新聞社、昭和四十六年初版)
小汀利得は日經の社長を退いた後、細川隆元とテレビの「時事放談」を始めた事でも知
られる。次の文章に登場する時事通信社初代社長の長谷川才次とも親しかつたやうである。
7 :
日出づる処の名無し:2006/01/10(火) 10:47:35 ID:cFu1Ym3q
>>4 ワザとジャマイカ?
釣られたんジャマイカ?
8 :
日出づる処の名無し:2006/01/10(火) 11:17:29 ID:LXfsDIpN
福沢諭吉は英語を日本の標準語にしろとまで言っていた。
日本一なほど自認していたオランダ語術が、黒船来航時アメリカ人の異人相手に全く通じず
どん底に叩き落とされて以来、欧にこだわり英語に執着。
9 :
日出づる処の名無し:2006/01/10(火) 11:30:30 ID:cgX0QzyZ
http://blog.goo.ne.jp/fuji2630/e/2567e0162c4f10068c2cd37b6977f9ec ブログ「日本の伝統を守らう!」より
Weblog / 2005-12-29 23:52:58
歴史的仮名遣ひを使はう!
歴史的仮名遣ひを積極的に使つて行こうかと思い立つ。
最初にネット上で歴史的仮名遣ひを使つてゐる人達がゐることに気付いたのは、神社本庁の
皇位継承問題に関する公式発表のページでした。
そして神社新報社というものを知り、そこの何故歴史的仮名遣ひを使ふのかと伝ふ説明を読み、
日常的に使はれてゐる現代仮名遣ひと云うものが、如何に理に適つてゐない欠陥のある物か
と伝ふことを知りました。全く何でかういう出鱈目な物が認められたのでせうかね。戦後に起きた
戦前の物は何でも否定する風潮と愚民化教育が相俟つたのでは無いかと想像しますが。
(後略)
10 :
日出づる処の名無し:2006/01/10(火) 11:35:44 ID:I06kaOAN
昭和20年の終戦後に、国語をフランス語しる!とかぬかした志賀直哉とかいうアホがいませんでしたっけ?
11 :
日出づる処の名無し:2006/01/10(火) 14:14:21 ID:HhZ2iiqs
>>10 國語表記を惡質改變させられるくらゐなら、フランス語のはうがまし、といふことで癇癪を起したのです。何せ潔癖な白樺派ですからね。
御本人は歴史的假名遣で一貫してをり、後で、件の發言を撤囘してゐます。詳しい事情は弟子の阿川が何處かで語つてゐました。
12 :
日出づる処の名無し:2006/01/10(火) 20:44:03 ID:GG3CIscL
http://www.jinja.co.jp/kana.html 神社新報と歴史的假名遣ひ
本紙は昭和二十一年七月の創刊以来、「歴史的仮名遣ひ」を使用してをり、今では全国唯一の
「歴史的仮名遣ひの新聞」となりました。
先人らが永い年月をかけて積み上げてきた仮名遣ひを、敗戦といふ混乱期に、ほとんど検討し
ないままに文法的にも欠陥の多い「現代仮名遣い」に変へてしまった“国語の破壊”を悲しみます。
昭和二十年以前の文学作品を古典にしてしまってはなりません。文化の核は、その民族が育てて
きた“言葉”を中心にしてゐます。
日本語の伝統を守る心は、日本の美風を守る心につながります。
本紙は「歴史的仮名遣ひ」と美しい日本語を使用することで、伝統的な日本文化の護持を呼びか
けてゐます。
13 :
日出づる処の名無し:2006/01/10(火) 22:14:21 ID:MxMzrTlz
なんで古臭いかな使いを?
言文一致でいいじゃん
諸君、横書きはあくまでも方便でしかない。縦書きこそが日本人の魂であることをな忘るな。
15 :
擬古侍 ◆lIberAli6k :2006/01/10(火) 22:22:44 ID:yDJLAmbx
江戸末期、その当時もっとも近代的だったイギリスの識字率は
たった20%であったが、江戸の識字率は50%であった。
万葉集の時代からノーベル文学賞があれば100人の受賞者が
でていたに違いない。
今週号のSAPIOより
>>13 君は、和服は古臭くて動きづらいから全部廃止して洋服に統一すればいいと思うかね?
17 :
日出づる処の名無し:2006/01/11(水) 06:29:58 ID:gq8F0VWw
>>13 あなたはその程度の認識で發言するの?
「古臭い」など何の理由にもなりませんよ。あなたの御兩親は「古臭」くないの?
傳統と文化を擔ふこと第一と考へてください、これが我々を生かす、未來を拓く道でせうが。
歴史的かなづかひは「言文一致」ですよ。「現代かな」は發音記號に過ぎません、否、さうとも言へないか、まあ鵺的な代物でせうね。
18 :
日出づる処の名無し:2006/01/11(水) 06:36:03 ID:9l5GlkT5
自分で書けるようになってから言え
日本経済新聞 にほんけいざいしんぶん
日本経済新聞社発行の経済を専門とする日刊紙。東京・大阪両本社,西部 (福岡)・札幌両支社で
印刷発行している。創刊は 1876 年,《中外物価新報》と題し,三井物産の益田孝によって週刊で
発行された。 82 年三井物産の手を離れ,85 年から日刊となり, 89 年《中外商業新報》と改題した。
1924 年には夕刊を発刊。第 2 次大戦中の 42 年,新聞統合令により業界紙 (《日刊工業》《経済
時事》) を吸収, 《日本産業経済》と題号を改めたが,戦後 46 年に《日本経済新聞》に改題,今日
に至る。大正期に入り,日本の資本主義興隆とともに,簗田迩次郎 (やなだきゆうじろう),田中都吉,
村上幸平,小汀利得 (おばまとしえ) らの主宰のもとに着々と地歩を固め,第 2 次大戦後は日本経
済の発展とともに大きな飛躍をとげた。 51 年大阪本社,64 年西部支社,70 年札幌支社でそれぞ
れ印刷発行を開始する一方, 54 年には朝夕刊セット制を実施,64 年には東京,大阪,西部間の
ファクシミリ送信を実現した。その間,海外支局を拡充し (1996 年現在 30 支局),名実ともに日本を
代表する経済紙に成長した。 発行部数は朝刊約 290 万部,夕刊約 164 万部 (1996)。新聞製作
工程の面でも他紙に先駆けて自動化,近代化を達成したほか,経済情報の収集,蓄積,サービス
面でも次々新しいシステムをとり入れている。日本経済新聞社は本紙のほか《日経流通新聞》《日経
金融新聞》など種々の経済関係の専門紙・誌,商品情報のニューズレターの発行や,データサービ
スを実施,電波,映像媒体も駆使し,国際的にも高く評価される経済の総合情報機関となっている。
春原 昭彦
讀賣報知新聞
漢字を廢止するとき、われわれの腦中に存する封建意識の掃蕩が促進され、あのてきぱきした
アメリカ式能率にはじめて追隨しうるのである。文化國家の建設も民主政治の確立も漢字の廢止
と簡單な音標文字(ローマ字)の採用に基く國民知的水準の昂揚によつて促進されねばならぬ。
(昭和二十年十一月十二日 「漢字を廢止せよ」 )
片山哲(社会党選出の総理大臣)
「科学時代の今日、これまでのような日本語の書き方では能率があがらない。できるだけ漢字を
制限し、カナ、ローマ字をどしどし併用したらいいと思う。――将来日本語は表音化してゆくだろ
う。そして世界共通の横書きを採用し、非能率的な漢字を次第に追い出していくことになろう。そ
れがわれわれの目標でもある」(三十五・三・十七、朝日)
倉石武四郎(中国語学者 京大・東大教授)
「中国ではローマ字が一般に用いられてどんどん近代的な進歩をとげることとなろう。そのときに
日本は漢字とカタカナとひらがなとローマ字を相変らずかかえていくつもりかどうか、これはまった
く日本人の自由意志による課題である」(三十二・十二・四、秋田魁)
大熊信行(評論家 経済学者 歌人 創価大学教授)
「この(国語国字改革)運動は、なんどでもぶり返す。ぶり返さなくてはならない運命にある。とい
って、成功はしない。失敗するにきまっている。しかし失敗しても、何かは残る。火だねを残せば
いい。そしてまた、もえはじめるのである。国語国字改革運動はそのようにしてのびていくだろう。
そのうちに政治そのものの変革期がくる。潮時に乗じて、日本民族のエネルギーがばくはつする。
積みあげられ、たくわえられていた国語国字改革案のひとたばが、タナおろしされ、ほこりをはら
われ、新しい光のもとで検討され、そして精選され、たちどころに実践にうつされるだろう。そこへ
行くまで、この運動はもえてはきえ、きえてはまたもえ、くすぶりつづけていくよりほかはない」
(三十三・四・四、秋田魁夕刊)
國語國字問題の議論を國會に要望す 國語國字問題を考へる有志の會 昭和六十年
1 初めに――國語國字問題は未解決である
本年(昭和六十年)二月二十日、第十六期國語審議會は、國語審議會假名遣ひ委員會の
試案「改定現代仮名遣い(案)」を公表しました。國語審議會では、この試案に對する國民
一般の意見を聞いた上で、更に檢討を加へて來年三月に文部大臣に答申を提出すると言
つてをります。現に、本年二月から三月にかけて全國を五地區に分けて説明會を開催しました。
漢字の使用に就いては、昭和五十六年十月よりそれ迄の制限的意味を有する當用漢字表
に替つて、使用の目安と稱する常用漢字表が實施されてゐます。常用漢字表は當用漢字
表の不備を手直しするといふものでした。「改定現代假名遣い(案)」も亦、「現代かなづかい」
の不備を手直しするといふ妥協的處置の發想に係るものです。そこには、占領下に不用意
に實施された現行國語政策への反省も、その根本的な再檢討を圖るといふ勇氣も見當りま
せん。來年三月の答申が實現すれば、國語國字問題は、漢字と假名遣との兩面に亙つて、
最終的解決に達したといふ事にされるでせう。
2 常用漢字表の趣旨は活かされてゐない
が、國語國字問題は豫想されるこの答申によつて解決のつく樣な問題ではありません。常用
漢字表は、漢字使用の目安である旨を謳ひ、字數に就ては千九百四十五字を擧げ、字體に
就ては康煕字典體(正漢字、所謂舊字)を併記してゐます。けれども、日常目にする新聞雜誌
から市町村の廣報紙に至る迄、目安だといふ常用漢字表の趣旨が活かされてゐる例はどれ
だけあるでせうか。どの新聞を開いて見ても、「ふ頭」「わい曲」「しっ責」「ろっ骨」「めい福」の
やうな、漢字と假名との混ぜ書きの例は依然として罷り通つてをり、動植物も亦、相變らず片
假名書きにされてゐます。更に新たに生まれてきた子の命名の文字の制限は傲然と行はれ
てゐます。
3 「改定現代假名遣い(案)」への疑問
「改定現代假名遣い(案)」は、その性格の(2)として、「この假名遣いは、法令、公用
文書、新聞、雜誌、放送など、一般の社會生活において現代の國語を書き表すため
の假名遣いのよりどころを示すものであり、科學、技術、藝術その他の各種專門分野
や個々人の表記にまで及ぼそうとするものではない。」としてゐます。常用漢字表の
「目安」と言ひ、この「よりどころ」と言ひ、何れも俗耳に入り易い言葉であります。が、
この儘答申といふ事になれば、この「よりどころ」は全く無意味なものと化す事は、常
用漢字表の「目安」が辿つた經過よりすれば、火を見るより明かであります。「目安」や
「よりどころ」といふ不確かな基準を以ていつたい正常な國語の營みが成り立つもの
でせうか。例へば、英語でも佛語でも外國語を學習する際に、その外國語の文法や
綴字法が、「改定現代假名遣い(案)」の示すが如きものであつたとすれば、私共は
安心してその外國語を學習する事は出來ないでせう。如何なる國語に就て見ても、
その通用の實態は、歴史的に成立し、定著した慣用とその誤用とを内容とするので
あつて、社會一般用と個人用との二者を意圖的に併存させるといふ事はあり得ませ
ん。常用漢字表の例から見ても、「改定現代假名遣い(案)」は、現行の「現代かなづ
かい」と同樣な拘束力を有するものにならざるを得ないのです。にも拘らず、飽く迄
「よりどころ」であると強辯するのであれば、それは假名遣とは言ふものの實際には
假名文字の無原則な使用を公認する、即ち假名遣そのものを否定するといふ結果
になるでせう。
「改定現代假名遣い(案)」は、取つて附けたやうに、「歴史的假名遣いが、我が國の
歴史や文化に深いかかわりをもつものとして、尊重されるべきことは言うまでもない。」
とも言つてゐます。この文言の眞意は奈邊にあるのでせうか。「改定現代假名遣い
(案)」の性格の(1)では、「この假名遣いは、語を現代語の音韻に從って書き表すこ
とを原則とし、一方、表記の慣習を尊重して一定の特例を設ける。」と言つてをります。
この性格附けに從ふ限り、歴史的假名遣を正統表記として自ら習得せんとする若い
世代の國民は、依然として正則を輕視して例外の方を尊重する偏窟人といつた白眼
視に耐へなければならないでせう。
4 自由民主黨「國語の諸問題」の見識
今を去る十七年前、昭和四十三年七月に、自由民主黨は「國語の諸問題」といふ政
策册子を公表してをります。その内容は、占領下に急造された一連の國語政策を根
本的に否認するものでした。「國語の諸問題」はその結論として、漢字に就ては制限
緩和と正字體、假名遣に就ては文化の流れに即し傳統的な語法に基いた優れた表
記法として歴史的假名遣、書式に就ては「公用文は右縱書きを原則とすべきであつ
て、左横書きは學術等の分野の止むを得ないものに限るべきである。」と主張してゐ
ます。即ち、この結論は國語を通じての父祖との生ける繋りを等閑に附す事に因つ
て、日々に傳統的思考・習俗との斷絶を齎らしてゐる現行國語政策に異議を表明す
るものでした。が、政權擔當政黨による、かかる見識ある國語政策にして、なほ政府
を動かす事のない儘今日に至つたのです。
5 國語國字問題に關する最近の國會論議
さて、本年二月から五月にかけて、國會に於て注目すべき質問が繰り返して行はれ
ました。民社黨の瀧澤幸助議員が、國語の傳統を擁護する立場から現行國語政策を
批判する質問を行つたのです。瀧澤議員は口答の質問のみならず、文書にても四月
二日附にて二通の質問主意書を提出してゐます。即ち、「國語問題に關する質問主
意書」と「戸籍法第五十條に關する質問主意書」です。前者は全十一項目(細目を含
めれば二十一項目)からなる國語政策の不備を衝く各條質問主意書であり、その趣
旨は正しく曾ての「國語の諸問題」の結論と軌を一にしたものです。後者は、戸籍法
第五十條に規定されてゐる子の名前の文字の制限は廢止せよと主張するものです。
瀧澤議員の兩質問主意書には、内閣總理大臣中曾根康弘名にて、それぞれ四月十
二日附の答辯書が送附されてゐます。然し乍ら國會に於るこのやうな日本人の精神
の根幹に係る重要な問題の遣取りは、果してどれだけの國民の知る處でせうか。
6 地名改廢も法改正に依つて終止符が打たれる
民間の國語國字正常化の運動として、國語の傳統擁護を一貫して世に訴へて來た
國語問題協議會の功績を忘れる事は出來ません。然し今や、國語國字の問題は政
治の場で決著をつける秋が來たのではないでせうか。歴史的な地名の改廢の問題も
亦、最近の法改正に依つてのみやつと終止符が打たれるやうになりました。地名の
問題は正しく國語國字問題正常化の一事例であります。
國語國字問題は未解決であり、今又興廢の岐れ目にさしかかつてゐます。來年三月
の「改定現代假名遣い(案)」の答申に依つて安定が期待される樣な問題ではありま
せん。國語の傳統擁護の立場から、父祖竝に子子孫孫との精神の系譜を保つ爲に、
國民の代表たる國會の場に於て堂々たる論議が盡される事を切に望むものであります。
26 :
日出づる処の名無し:2006/01/12(木) 16:59:30 ID:dW5ixurr
7 提言――國會論議に望む五點
國語の傳統擁護の立場から當面次の五點に就て論議される事を望みます。
一、「公用文作成の要領」に示す混ぜ書きの許容の規定(「他によい言いか
えがなく、または言いかえをしてはふつごうなものは、常用漢字表にはずれた
漢字だけをかな書きにする。」)は、常用漢字表の趣旨に背くので廢止すべき
である。
二、公用文の書式は國語の傳統に從つて、縱書きを原則とすべきである。
三、學校教育に於ては、古典との繋りを重んじ、正漢字歴史的假名遣の學習を
認知すべきである。
四、教科書に掲載乃至引用される教材の文章に就ては、原典の表記をその儘に
保つべきである。
五、戸籍法第五十條に定める所謂人名漢字制限の規定は廢止すべきである。
昭和六十年九月十五日(日)
國語國字問題を考へる有志の會
小堀桂一郎
古賀俊昭
駒井鐵平
高池勝彦
中澤茂和
中村信一郎
*「國語國字問題資料 第一册」 國語國字問題を考へる有志の會 昭和六十二年發行 より
國語國字正常化運動の今後 小堀桂一郎 昭和六十年
國語國字問題を考へる有志の會は、昭和六十一年夏に内閣告示として出ることが豫想され
てゐた「現代假名遣い」の改定案を目中に置き、その内容が學問的・歴史的見地から見て
少しでも正しい方向に近づく樣に、といふことで諸種の研究・弘報活動を展開してきたので
あつたが、七月一日付で出た告示は結局あの樣に相變らずの中途半端なものとなつた。
我々は一端歪められた國語國字の姿が一片の法的乃至行政的措置を以て元の正しい形
に戻り得るなどとは、もともと期待してはゐなかつたし、考へてみたこともなかつた。從つて、
國語國字の在り方を傳統に則つての正しい姿に返さうといふ運動は、六十一年夏の改定告
示を契機として一先づその政治的目標を棄却し、今後は一箇の精神的・文化的活動として
息長く、且つ益々強靱に續行されてゆく豫定である。そしてその樣な性格のものとしての我
々の活動は必ずしも空しく曠野叫ぶ體の孤立したものではなく、又我々の呼びかけは谺も
返らぬままに虚空に消えてゆく樣な徒らなる聲でもないと、いささかの自負を以て言ふことは
許されるだらう。運動の效果と反響とは、或いは我々との「連帶」の活動等は、現に少しづつ
ではあるが我々が日々喜ばしくも確認しつつあるところである。
例へば、我々は自らが直接に政治的影響力を揮ふことを當面の目標から外したのであるが、
一部の良識ある國會議員諸氏は「國語問題を考へる國會議員懇談會」を結成して活動を開
始し、政治問題としての國語國字問題は依然として未解決の課題であり、法的・行政的次元
に於て處理すべき幾多の懸案がなほ存することを身を以て示してくれてゐる。具體的には現
行戸籍法の改正に焦點が絞られてくる、人名として使用できる漢字の制限の撤廢といふ課題
がある。常用漢字は最早制限的意味を有せず、それは使用上の目安に過ぎないことを文部
省も認めた。つまり今や「漢字制限」といふ發想は崩潰したはずである。それにも拘らず法務
省では現行戸籍法中に含まれてゐる人名漢字使用制限の原則を撤囘する意志を示してゐ
ない。この喰ひ違ひはまさしく政治問題である。我々有志の會は精神運動としての國語國字
正常化運動を辛抱強く持續すると共に、如上の問題に關しては良識ある政治家諸氏への心
からなる支援と期待の意を表明するものである。(東京大學教授)
*「國語國字問題資料 第一册」 國語國字問題を考へる有志の會 昭和六十二年發行 より
「國語國字問題の議論を國會に要望す」への贊同者一覽 昭和六十年〜昭和六十三年
阿川弘之(作家)、秋元正秋(高校教員)、淺川肇(歌人)、淺野晃(詩人)、畔上知時
(歌人)、安齋隆(大學院學生)、池田潔(慶大名譽教授)、石井勳(石井教育研究所)、
市原豐太(佛文學者)、伊豆山善太郎(茨城大名譽教授)、伊原吉之助(帝塚山大教授)、
今道友信(放送大教授)、臼井善隆(早大教授)、内海洋一(大阪大名譽教授)、
宇野精一(東大名譽教授)、上杉千年(高校教員)、上田博和(高校教員)、江面靜彦、
江藤淳(文藝評論家)、遠藤浩一(團體職員)、大石龜次郎(元高校長)、大石泰彦
(東大名譽教授)、太田青丘(歌人)、大沼英太郎(醫師)、大野光起(歌人)、大橋伊佐男
(中學教員)、落合欽吾(新潟大名譽教授)、角山素天(易學研究家)、角山正之
(中學教員)、柏谷嘉弘、片上明(追手門學院大教授)、片岡正彦(國鐵)、勝部眞長
(お茶の水女子大教授)、河田悌三郎(歌人)、河戸博詞、川畑賢一(高校教員)、
河村幸一郎(會社役員)、河盛好藏(佛文學者)、鎌田純一(皇學館大教授)、木内信胤
(評論家)、空花圭一(元中學校長)、工藤重忠(亞細亞大教授)、倉成(中學教員)、
倉野憲司(福岡女子大名譽教授)、黒岩和夫(明治學院大教授)、見學玄(俳人)、
郷守、小谷惠造(高校教員)、小林郁夫(團體職員)、小堀杏奴(隨筆家)、小柳陽太郎
(九州造型短大教授)、齋藤貞幸(高校教員)、櫻井保、坂本太郎(東大名譽教授)、
相良順之助(宮司)、佐々木彰(會社員)、佐々木奎文(秋田大助教授)、佐多保彦
(會社役員)、佐藤通次(元皇學館大學長)、佐藤寛行(評論家)、佐藤勝(辯護士)、
佐藤松男(團體役員)、佐伯彰一(文藝評論家)、宍戸淑郎、清水幾太郎(社會學者)、
清水豐明(熊本大教授)、白井浩司(慶大名譽教授)、白井傳(元中學校長)、杉田幸三
(作家)、鈴木正次(著述家)、鐸木俊三(詩人)、鈴木洋一(水戸女子商高長)、關正臣
(舞岡八幡宮宮司)、關根知孝(能樂者)、仙北谷晃一(武藏大教授)、副島廣之
(明治神宮權宮司)、高崎一郎(齒科醫師)、高梨智弘(公認會計士)、高橋史朗
(明星大助教授)、寶邊正久(會社役員)、竹内輝芳(言文研究會主幹)、竹内俊隆(教員)、
田中卓(皇學館大學長)、田中美知太郎(哲學者)、谷省吾(皇學館大教授)、
俵孝太郎(評論家)、土屋英宇(中學教員)、角田文衞(平安博物館長)、照屋佳男
(早大教授)、那珂太郎(詩人)、中河與一(作家)、中津海茂(畫廊經營)、中村粲
(獨協大助教授)、中村隆(辯護士)、中村光夫(文藝評論家)、中村保男(飜譯家)、
中尾昭人(會社役員)、名越二荒之助(高千穗商大教授)、西川泰彦、仁科武雄
(會社役員)、新田大作(實踐女子大教授)、野口恆樹(皇學館大名譽教授)、萩谷朴
(大東文化大教授)、橋本晃朋(學生)、橋本公明(辯護士)、長谷川宏(學生)、
濱田正紀(團體職員)、林巨樹(青山學院大教授)、林三郎(評論家)、林秀彦
(評論家)、原田種成(大東文化大教授)、平川祐弘(東大教授)、平田光寛
(中學教員)、平林孝(編輯者)、福田恆存(評論家)、富士川英郎(東大名譽教授)、
藤井純一(高校教員)、古谷太郎(元日野市長)、保坂政吉、保坂政喜、本間一誠
(高校教員)、松原正(早大教授)、前川孝志(高校教員)、黛敏郎(音樂家)、三潴信吾
(元高崎經濟大學長)、宮川悌二郎(高校教員)、三宅義藏(高校教員)、武藤光朗
(評論家)、村松嘉津(佛文學者)、村松剛(評論家)、村尾次郎(歴史家)、村尾元忠
(小山高專助教授)、森田康之助(國學院大教授)、森本忠(熊本音樂短大名譽教授)、
夜久正雄(亞細亞大教授)、山内健生(亞細亞大講師)、山口康助(帝京大教授)、
山田貞藏(會社員)、山田雅夫(團體役員)、横地末次郎(寫眞家)、吉川逸治
(東大名譽教授)、吉澤正晶(高校教員)、和田耕作(前衆議院議員)、和田八郎
(會社役員)、和田正美(光陵女子短大助教授)、渡邊茂(團體役員)、渡邊眞
(會社役員)、渡邊正廣(會社役員)、井手春夫(齒科醫師)、岡田和巨、小川雅照
(會社員)、小川正夫(藤田觀光)、岡本幸治(愛媛大教授)、岡本功司(著述業)、
桶谷秀昭(文藝評論家)、小田村寅二郎(前亞細亞大教授)、青山新太郎(歌人)、
葦津嘉之(宗像大社宮司)、足立武士(辯護士)、有賀清之助、石川眞治
(正論の會幹事長)、市村眞一(京大教授)、入江通雅(青山學院大教授)、
大鳥井武司(龜戸天滿宮宮司)、大島康正(筑波大名譽教授)、乙藤眞之(會社員)、
梶山茂(病院長)、北島健、古賀勝次郎(早大助教授)、坂本愛太郎、佐々木秀信
(教員)、佐藤辰雄(會社員)、榊原邦彦(豐田工專教授)、篠田康雄(熱田神宮宮司)、
白井永二(鶴岡八幡宮宮司)、田形敏治(歌人)、津下正章(皇學館大名譽教授)、
直江孝久(辯護士)、中川八洋(筑波大助教授)、西山徳(皇學館大教授)、
日本青年協議會、野田英二郎(外務省研修所所長)、波田米治(元中學校長)、
初田育造(元中學校長)、平山三郎(作家)、廣瀬武久(高校教員)、星運吉
(辯護士)、松尾久野(住吉神宮禰宜)、松浦健二(團體役員)、馬淵房子(主婦)、
丸井和彦(酒列磯前神社宮司)、三宅萬造(會社役員)、宮本十郎(團體役員)、
室崎和彦、森重敏(奈良女子大教授)、山口達視(辯護士)、山口義孝(高校教員)、
山崎馨、吉居孝美、吉田武久(賀茂神社宮司)、若井勳夫(京都文教短大講師)、
井手榮治(教育團體役員)、狩野一史(會社役員)、川西重忠(會社員)、粉川宏
(評論家)、佐藤亮策(元東洋大教授)、高木桂藏(評論家)、田久保忠衞(評論家)、
土合茂(俳人)、萩原芳雄、平古場多四郎(長崎縣老人クラブ連合會會長)、
平山寛司(元小學校長)、松村洋史(學生)、猪瀬尚志(團體役員)、加部隆三
(團體職員)、菅原益邦(會社役員)、寺澤東彦(高校教員)、原田豐(高校教員)、
古谷善三郎(印刷業)、松永又次(病院理事長)、村上秀樹、吉原恆雄(評論家)、
秋葉忠利(大學教授)、天野公成(學生)、内山平一(醫大講師)、上條憲一
(學生)、小谷幸雄(大學教授)、坂明夫(神職)、高橋初次郎(寫眞家)、竹内孝彦
(小學校教員)、平田清美(會社員)、富士信夫(評論家)、森脇彬(會社員)、
岡田俊之輔(教員)、小田村四郎(日本銀行監事)、荒井眞弓(小學校教員)、
居關正二郎、梅田義則、勝岡寛次、鎌田道治、久保田眞、國分隆紀、竹田員啓、
橋本哲也、半本茂、平田五十一、山口二雄、清水明彦、市川晴一、勝木巖、
金子善光、田中瑛也、林英一、枡岡正浩、岡田春生、小澤俊也
(昭和六十三年十一月五日現在、計二百五十七人<内團體一>役職も當時のもの)
*「國語國字問題資料 第一册」 國語國字問題を考へる有志の會 昭和六十二年發行等 より
國語國字問題を考へる國民集會への意見(抄) 昭和六十一年〜昭和六十三年
<第一囘>昭和六十一年二月
宇野精一(東京大學名譽教授)…三月に國語審議會が假名遣の答申をすると思はれ
ますから、この際猛運動の要ありと思はれます。
大石龜次郎(國漢專攻者、九十九歳)…國語審議會がやつた國語攪亂事業は、全部
撤囘せよ。
倉野憲司(福岡女子大學名譽教授)…時宜に適したお催しで盛會を祈つてやみません。
老生、遠方でもあり、立ち居に不自由してゐますので殘念ながら缺席します。
佐藤通次(獨文學者)…私もそちら樣と同じ考への者です。
中村粲(獨協大學助教授)…大學に於いて、私は必ず歴史的假名遣を使ふことにし
て居ります。學生の中にも、正漢字、歴史的假名遣で書く學生が毎年のやうに居りま
して、感心いたします。
平山三郎(作家)…お誘ひを有難く存じます。「現代假名遣い」はまつたく不便で日本語
の本來の味はひを消してしまふ。よほどアタマのわるい役人がかんがへたものと思ひます。
文藝にたづさはる作家が雷同してゐるのはバカバカしい現象と思はれます。
黛俊郎(音樂家)…趣旨には全面的に贊成しますので、今後も御聯絡お願ひ致します。
村松剛(筑波大學教授)…文藝家協會の國語問題委員長として、できるだけのことは
二十年間して來たつもりです。文化廳は動かず、あとは政治力だけでせう。
若井勳夫(京都文教短期大學講師)…答申がせまつてゐます。差し當つて、それを延期
して愼重審議に持つて行きたいものです。
<第二囘>昭和六十一年七月
淺野晃(詩人)…最終的解決を見るまでは努力をつづけたいものです。
稻葉修(衆議院議員)…本日の集會に出席して皆さんに御禮申し上げる ことができ
ず殘念です。國語問題を考へる議員懇談會の會長を選擧後も繼續できるやうに頑
張ります。
落合欽吾(新潟大學名譽教授)…國語審議會は、實際は國語不審議會、斯る有害
無益なる機關の速かな撤去を要望す。
原田種成(大東文化大學教授)…日本語は漢字漢語を採用することによつて高貴な
言語となることができたのであり、漢文こそ日本の古典である。それゆゑ國語教育に
おいて漢文が極めて重要である。高校の漢文教育の強化増大を望みたい。
三潴信吾(昭和音樂大學教授)…文語體の小學校に於ける教育を復活し、名文名
歌に親しませること。國語は「馴れ」が大切。
吉川逸治(東京大學名譽教授)…文語體、口語體と區別しますが、口語文も文章と
して記される以上、文語文の一類です。
<第三囘>昭和六十一年十一月
石井勳(石井教育研究所)…正しく美しい言葉は正しく美しい心を養ひ育てます。
故に、美しい傳統に從つた歴史的かなづかひに據つて文章を書くやう務めなけれ
ばならないと思ひます。
大沼英太郎(醫師)…舊字體歴史的假名遣こそ由緒正しき日本語なり。正字正假
名正表記なり。眞に國語を愛する者は一字一語なりとも正表記を用ゐるべし。國民
を啓蒙すべし。
關正臣(舞岡八幡宮宮司)…(一)粉川宏先生が結びに紹介なさつた文章に心を
打たれた。(二)小堀桂一郎先生のお話の中にあつたローマ、パリでの體驗談は
切實だつた。「學問的な説明の出來かねるもの」が文化の本質には在る。便利の
次元に、假名遣を墮してはならぬ。(四)政治的な效果があるなら頻繁に。然らざ
れば(自慰とならぬ爲に)年一囘位。
山口康助(帝京大學教授)…國語國字問題はもとよりのことながら、國語教育の拔
本的改善擴充についても力を合はせてゆきたいものと存じます。
<第四囘>昭和六十二年十二月
有賀清之助…「定着」といふ言葉であくまで非を推進しようとする態度、「尊重し
ます」といふ言葉で實際には無視するやり方、これを米奴式新日本民主主義と
する。「その子の卵を奪ひて蝮を與へよ」これを對用米譯新新譯聖書とす。日本
における二十世紀の最大の思潮なり。
石井勳…正しく美しい國語は自然と美しい日本の心を養ひ育てます。その「正し
く美しい國語」は、傳統を離れては存在しません。
宇野精一…漢字の問題は、正字體か俗體かといふ問題は殘つてゐますが、使用
の上では一般的には解決したと考へます。あとは假名遣です。これも大分正假名
遣が普及して來た樣に思はれますので一層頑張りませう。
關正臣…一、日本語を國語と辨へることが日本人たることの要件であり國語を使ふ
ことに依つてのみ國民として育つて行く。二、努力こそ日本文化の推進力であるの
に、「民主」に浮かれてゐる「民」は所詮、安樂のみを追及する(私を含めて)ことを
痛感しなければ文化は到底維持し得ない。
角山素天(易學研究家)…小生は易者が本業で、命名をよく頼まれますが、人名
漢字制限の問題にいつもぶつかります。特にをかしいと思ふのは、理窟をつけて
漢字を制限しておき乍ら、次の樣な變てこといふか、馬鹿馬鹿しいといふか、問題
にならない字が入つてをる事です。例として、亡、乏、凶、仏、幻、弔、犬、匹、欠、
失、奴、尼、犯、伐、仮、刑劣、危、吐、寺、朽、死、汚、汗、灰、叫、肉、芋、虫、血、
乱、低、冷、否、困、尿、忌、妊、妨、等々いつも頭にきてをります。嗚呼。
中村粲…人名漢字の制限は、人格權(と言ふ言葉は好きではありませんが)の否定
であり、完全撤廢すべしと考へます。
三潴信吾…「戰に敗けても國史と國語を大切に維持すれば必ず國家は復興する」
と云はれますが、敵はこの兩者を正に狙ひ撃ちました。そして日本の指導者は今日、
一層この傾向に拍車をかけてゐます。改憲の理由としても「現代人に讀める樣にと
言つて用語用字の變革をしようとしてゐます。憲法以上に國民に密着した大事な
問題です。
小田村四郎(日本銀行監事)…一、人名用漢字の制限(略字の強制を含む)は基本
的人權の侵害であり傳統の破壞であります。いかに制限しても幾通りの音訓讀みが
ある以上、正確な名前の讀み方はルビを振らなければ不可能なのです。また姓に制
限がない以上、名だけ制限することも理由がありません。二、當用漢字が廢止された
に拘らず法令その他官廳文書に漢字假名の混ぜ書が跡を絶ちません。官廳文書對
策が必要と思ひます。
<第五囘>昭和六十三年十一月
石井勳…「現代かなづかい」は「歴史的かなづかひは難しい」と考へる怠惰な精神か
ら作り出されたものです。人間は、言葉によつて作られるものですから、こんなかなづ
かひを使つてゐたら、怠惰な人間になつてしまつても不思議ではありません。
宇野精一…國語問題の要點は、先づ人名漢字制限の撤廢第二に公文書の横書廢止、
この二つが實施できれば一先づ一件落着かと存じます。
大石泰彦(東大名譽教授)…當今、低俗な當て字、替へ字の廣告が氾濫してをるのは
心外の限りです。ああいふものを作つてゐる所謂コピーライタアの阿呆さ加減にも腹が
立ちますが、受け入れてゐる消費者、國民もどうかしてゐます。E電に至つては論外です。
角山素天…國語輕視の表はれでせうか、「駐車お断り」(「断」の「丱が無い)とか"入問
市水道事業管理者"の看板に「防害したものは罪せられます」とか、思はず嗤つてしま
ふものが目につきます。又、電話の應待で、自分の姓名の説明のいへない人がかなり
をります。「なべぶた」とか、「こざとへん」とか、「りつとう」といふことが判つてゐないので
す。亦、十月十五日夕刊(讀賣)の「世相センサー」に英靈を英國の幽靈、學徒を學生
運動と答へた中學生がゐた(十五年前)と書いてをります。嗚呼!
倉野憲司…最近國語表記の中に外來語特に英語が多くなつたことを悲しみます。國語
で表記出來るのに殊更英語を用ゐるなど以ての外です。
粉川宏(評論家)…このところ、異常氣象をさながらに、「世が世ならば」と言ひたくなるや
うな、腹の立つ出來事が相次いでゐます。國語を正す運動は、一見迂路のやうでゐて、
私どもがその怒りを現はすための、王道ではないでせうか。
村尾次郎(歴史家)…前囘に引續き、人名問題をお取上げ下さい。
山口康助…國語國字問題はもとより、話し言葉の亂れについても考へて欲しいと存じます。
小田村四郎…官廳公文書及び新聞記事の規制が國語の正常化を阻害する最大の障碍
となつてゐます。國語審議會で答申された趣旨に添つて、まぜ書きの廢止、目安に過ぎな
い常用漢字の制限緩和、更には敬語の正しい使用等が實現されなければならないと思ひます。
*「國語國字問題資料 第一册」 國語國字問題を考へる有志の會 昭和六十二年發行 より
39 :
日出づる処の名無し:2006/01/16(月) 17:26:55 ID:1qH3eaEh
國語國字 通卷DVD
http://www.literature.jp/book/0000/0000-KokugokokujiTukan.html 解説
『國語國字』(ISSN 0910-3090)は昭和三十四年(1960)十一月に發足した國語問題協議會の
機關誌です。
國語問題協議會は戰爭直後の安直な國語改革、即ち漢字制限、假名づかひの表音化
(「現代かなづかい」)に對し一貫して批判しつづけて來ました。國語の正常化は日本文化の
最重要課題であり、そのために多くの良識的な文化人(學者、作家、評論家、藝術家から財
界人、政治家、ジャーナリスト、學校ヘ師、市井の有識者にまで及ぶ。)が當協議會を通して
發言して來ました。『國語國字』はその「良心の聲」の記録であり、歴史的資料價値を有する
ものと信じます。
http://www.honco.net/japanese/03/caption/caption-2-04-j.html 現代仮名遣いへの反論
歴史家の津田左右吉(1873〜1961)は、1947年に『象徴』誌上で「現代仮名遣い」にたいして、
本当に発音どおりであるか、また音と言葉の関係を考えたうえで一貫した原則をもって定められ
ているか、さらに発音どおりの仮名遣いにどれだけの意味と価値があり、日本の言葉をよくし日
本の文化を高めるためにどれだけ役にたつか、と疑問を投げかけた。
国語学者の時枝誠記(もとき。1900〜67)は、1947年に『国語と国文学』誌上で「現代仮名遣い」
の表音主義は表記の不断の創作とならざるをえず、古典仮名遣いの困難を救おうとして、表記
の不安定という別の問題をひきおこすと指摘。仮名は時代とともに表音文字以上の価値をもつ
ものと意識されており、仮名遣いが厳密に表音的でなければならないとする根拠はない、と論じた。
評論家で劇作家の福田恆存(つねあり。1912〜94)は、1946年11 月に「東京新聞」で3回にわ
たって国語問題を論じ、問題は国語そのものにあるのではなく、それを用いるものの態度にある
と強調した。漢字がむずかしいという批判は、その規律を知り、極めようとする実践的な熱意によ
るものではなく、はじめから安易に使おうとする怠惰と無責任から生まれた愚痴であり、単なる不
平不満にすぎないとした。
これらの反論にたいして、言語学者で国語審議会副会長の金田一京助(1882〜1971)は、『国
語の変遷』(1954)で「千年もたてば発音も表記も変わるのが当然。それに応じた書き方があるべ
きだ。平安時代の人々も時代の口に合わせて表記を創案したので、まさに現代の仮名遺と同じ
性格のものである」と、推進派の考えを明らかにしている。
傳統と習慣 小林秀雄
傳統に關する一番惡い考へ方は、傳統を習慣と同じ性質のものに考へる事である。傳統と
習慣は、見たところ大變よく似てゐるが、次の點でまるで異つたものだ。僕等が無自覺で怠惰
でゐる時、習慣の力は最大であるが、傳統の力が最大となるのは、傳統を囘復しようとする
僕等の努力と自覺においてである。習慣はわざわざ見付け出して、信ずるといふ樣な必要は
少しもないものだが、傳統は、見付け出して信じてはじめて現れるものだ。傳統はこれを日に
新たに救ひ出さなければ、ないものなのである。(「傳統について」より拔萃)
http://www.naruhodo.com.tw/ 台北市、正体字を推奨 な〜るほど・ザ・台湾
台北市は2日、「正体字手帳」を発行した。中国が1956年に漢字の簡略化を押し進め、
「簡化字」が生まれたが、従来の漢字を「繁体字」と新しく命名された。しかし、もともとは
「正体字」というのが正しい。中国の省略された漢字は「簡化字」といい、「簡体字」とは
言わない。「簡体字」は教育部が1935年に発表した324の簡略した字を指す。「正体字
手帳」には正体字の長所、「簡化字」の短所などが説明されている。
漢字の共通化実現を! 九州・韓国の学者らがシンポ−−北九州市で4日 /福岡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041202-00000197-mailo-l40 ◇北東アジアの意思疎通スムーズに
北東アジアの5カ国・地域が独自に簡略化を進め、相互理解が難しくなった漢字の共通化を
目指し、九州や韓国の学者らが4日、初の研究シンポジウムを北九州市で開く。来年8月には
中国の学者も交えて中国遼寧省丹東市でもシンポを計画している。【祝部幹雄】
今回のシンポを企画したのは、福岡国際大の安達義弘教授(宗教学)や日韓中交流活動に
取り組む北九州市のNPO「グローカルネット」(金英哲(キムヨンチョル)理事長)らのグループ。
漢字は朝鮮半島や日本への仏教、儒教伝来に大きな役割を果たしたが近代以降、日本で
は当用漢字や常用漢字化、中国では簡体字として独自の簡略化が進められ「別物」になって
しまった字も多い。台湾では旧字体に近い「繁体字」を使用する。
韓国・朝鮮語では、日本語と同様に漢字交じりのハングル表記が可能だが、1945年の独立
以来、ハングル表記の比率が高まり、現在の雑誌や新聞はほとんどがハングル。漢字を使う
場合にも旧字体を使用する。
安達教授は「共通の漢字を再度整備すれば、言葉ができなくてもかなりの意思疎通が可能」
と訴える。漢字教育を受けている日本人の場合、漢文はもちろん、韓国・朝鮮語の文書も漢字
交じりのハングルなら、大まかな意味をつかめるからだ。
安達教授は「簡略化された漢字をいったん旧字体に戻し、その後に各国研究者で話し合って
共通の簡略化を目指してはどうか」と提言。一方、既に従来の漢字教育を受けた世代の負担を
軽減するため「各国の独自漢字をパソコンで旧字体や相手国式の漢字に一括変換するソフトが
ないか探し、なければその開発なども研究したい」と考えているという。安達教授は「共通漢字を
使って筆談の交流を始めれば、日本人学生が相手国の言葉を本格的に学ぶ動機にもつながる」
と期待する。
シンポジウムは午後1時半から小倉北区浅野3の北九州国際会議場で。参加費1500円。韓
国・霊山大の李于錫(イウソク)教授ら韓国人学者も、韓国や中国での漢字使用の実情などを報
告する。問い合わせはグローカルネット電話093・561・1203。
12月2日朝刊
(毎日新聞) - 12月2日17時35分更新
常用漢字、情報化時代で拔本見直し…文化審が報告書案
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050125-00000401-yom-soci 国語に関するさまざまな問題点を検討してきた文部科学相の諮問機関・文化審議
会の国語分科会は24日、パソコンなどの急速な普及で、国民が目にする漢字が増え
ていることを受け、常用漢字表を含む漢字政策の抜本的な見直しが必要だとする報告
書案をまとめた。
来月開かれる文化審議会の総会に提出する。報告書案は漢字を確実に身につける
ため、「手書き」の重要性も強調している。
日本の漢字政策は、常用漢字が文化庁、人名用漢字が法務省、パソコンなどに使わ
れるJIS(日本工業規格)漢字が経済産業省と縦割りで所管されている。昨年9月には、
法務省が名前に使える人名用漢字を大幅に増やしたほか、6000字を超えるJIS漢字も、
近い将来は1万字を超えるとみられている。
今回の報告書案では、こうした現状に対し、情報化を想定せずに作られた現行の常
用漢字表が、「一般社会で使用する目安」として、十分に機能しているかどうかを改めて
検討する必要があると指摘。新聞でも常用漢字表以外の漢字が少しずつ使われてきて
いる実態を踏まえ、常用漢字表に掲載する漢字の数のほか、その位置づけについても
抜本的に見直す時期に来ていると提言した。
また、法務省の審議会が独自に増加案を作成した人名用漢字についても、今後は
国語分科会と連携して選ぶよう提案した。
常用漢字の見直しを巡っては、分科会メンバーの間で、「人名用漢字を含めるべきだ」と
増加を求める意見がある一方、パソコンなどの普及で国民の書く力が低下しているとの指
摘もあることから、むやみに数を増やすことに慎重論もある。
一方、報告書案では、機会が減っている漢字の手書きについても、「習得に大きく寄与し、
筆順も確実に覚えられる。日本の文化としても捨ててはいけない」と、その重要性を強調した。
分科会は検討にあたり、国民の読み書き能力や、人名にどのような漢字が使われている
かなどを調査すべきだとしている。
◆ 常用漢字表=一般社会で使用する漢字の目安として、1981年に国語審議会が
1945字を答申し、告示された。それまでの当用漢字表(1850字)が「日常使う漢字の範囲」
と限定的な性格だったのに対し、かなり弾力化された。人名などの固有名詞は対象外とさ
れていて、人名には法務省が定めた人名用漢字も含めた計2928字が使える。
(読売新聞) - 1月25日10時10分更新
http://www5b.biglobe.ne.jp/~kokugoky/shuppan/ronsoshi.html 土屋道雄著『増補版 國語問題論爭史』
本書は、十六年間本會會報『國語國字』の編輯を擔當した土屋氏が、國語問題が一部の
人達の間だけではなく、廣く國民討論として發展して行くことを願つて、漢字の傳來と假名
の發生の時代から今日に至るまでの國語國字に關する議論を客觀的資料として提出し、
歴史的解明を試みた勞作である。
本書後書からの引用
[會報]編輯の仕事の傍ら、私は國語問題の歴史を徹底的に調べて國語問題の歴史を
書かうと思ひ立ち、神田や本郷の古本屋を數へ切れないほど漁り歩いて國語問題に關
する圖書を買ひ求めた。どうしても入手できないものは國立國會圖書館へ通つて書き寫
した。この時集めた資料の多くが、昭和四十四年に刊行された『國語國字教育‐史料總
覽』に收録されてゐる。
福田[恆存]先生が所持してをられた圖書や資料もすべて借りて目を通した。さうして、
およそ二年をかけて四百字で千五百枚のものを書き上げた。新潮社の意嚮で三分の一
位に縮めたのが『國語問題論爭史』である。私は福田先生の國語問題への情熱を絶えず
感じながら、二年間この仕事に沒頭した。充實した二年間であつた。
それから四十年以上經ち、若い人達から増補版を出して欲しいと言はれ、四十年前の氣
持を思ひ出しながら再び筆を執つた。私の文筆活動の原點に戻つたといふ感慨を禁じ得ない。
[中略]私は福田先生の驥尾に附して、國語問題に深く關はることになつた。四十年に亙り、
國語問題のみならず、言葉や漢字に關する本を出版し、樣々な形で意見を發表してきた。
私の願ひはただ一つ、有史以來の美しい日本語、正しい日本語をそのまま次の世代に傳
へたいといふことである。そんな私の目に近頃の日本語は病んでゐるやうに見える。悲鳴
を上げてゐるやうに思はれる。
學者は日本語の亂れを單なる變化だと言ひ、誤字誤用を正さうとしない。規範となるべき
辭典は、無知による誤字誤用、不用意による誤字誤用、醜惡な造語を先を爭ふやうに採
入れてゐる。
福田先生は明治以來、日本の近代化の過程において、僅かに吾々の手に殘された日
本固有のものと言へば、日本の自然と歴史と、そしてこの國語しか無いのである(『福田
恆存評論集』第七卷「後書」)と書いてをられる。私達は自然と歴史と國語を何よりも大事
にしなければならない。日本人を育て、日本人をつくるものだからである。
若い人達にも本書を是非讀んでいただき、國語改革派と改革批判派のいづれが是か
非かの判斷をして、この問題に積極的に參加していただきたいと思ふ。
平成十六年十二月 玉川大學出版部刊 A5判四百余頁 定價五千圓
國語問題協議會 推薦圖書(新刊)
新しい小学校教科書「国語」 読売新聞
漢詩・漢文や旧かな登場
「発展」の導入で、古典や漢文、外国語など、より高度な教材がお目見えした。六年生
の教科書には、中学校で習う孔子の「論語」、孟浩然の詩「春曉」といった漢文が登場。
「おうぎ」を「あふぎ」と書く歴史的仮名遣い(五年生)や、各国の動物の鳴き声表現を
ルビ付きの言語で紹介するもの(四年生)もある。
活字離れを食い止めようと、読書の時間を設ける学校が増えたのに合わせ、図書紹介
が充実したのも特徴。巻末などで、文学、科学、福祉、いじめや難民問題といった様々な
分野の本を紹介している。
「役わり」「連らく」といった交ぜ書きの使用は相変わらず。文科省によると、検定では、ル
ビ付きの漢字でも、分量がその学年で学ぶ漢字数の三分の一を超えた場合、修正を求
める意見を付けるという。
文化審議会は今年二月、「小学校で常用漢字の大半を読めるように」とした国語力に
関する答申の中で、教科書の交ぜ書き見直しも提言した。しかし、文科省は「学校では、
教科書に載った漢字はルビ付きのものもすべて指導する傾向にあり、子どもの負担にな
る」と説明している。
*来年から使われる小学校の教科書には、各教科で学習指導要領の範囲を超える「発
展的記述」が盛り込まれた。学力低下論を背景に、教科書会社はそれぞれに工夫を凝ら
した内容を掲載し、識者からも評価する声が上がった。一方で、記述の手直しを求める検
定意見の多くが、この「発展」に集中しており、どこまでの記述が許されるのか、今後に課
題も残った。
*平成十五年付読売新聞二十五面より
祖國とは國語 藤原正彦著
學力崩潰、安全神話の崩潰、格差の擴大・・・・・・。
なぜ荒廢は進んだのか。新刊『國家の品格』(新潮新書)で著者は、「論理と合理」を優先
する近代精神は限界にぶつかつてゐると喝破する。それに代はり「情緒と形」を尊ぶ日本の
國柄を大切にすること、卑怯を憎み、惻隱の情を大切にする武士道精神の復興を訴へる。
時代錯誤にも見えるが、迷走する現代を變へるには荒療治も必要なのだらう。三十萬部超
のベストセラーになつてゐる。
しかし、武士なき世でいかに武士道精神をはぐくむのか。三年前の單行本を文庫化した
本書では、日本人としてのアイデンティティーを支へる國語の教育こそ重要と説く。美しい
詩歌、自然を謳歌した文學に親しみ、名譽と恥、卑怯を憎む感動の物語を讀むことで、情
緒を培ふべきとする。
論理の頂點を極める數學者が、情緒の大切さを説くのは不思議にも見えるが、<數學研
究とは、高い山の頂にある美しい花を取りに行くやうなものだから、その美しさに感動>する
心が必要といふ。本書も「論」といへば「論」だが、"時代遅れの日本男児"の熱き「情」が流
れてゐる。(新潮文庫、四百圓) (飼)
* 平成十八年一月八日付「讀賣新聞」九面より
日本の土着的民族文化の崩壞を目指す
〇
昭和五十年一月四日附の英國經濟誌「エコノミスト」は、「太平洋の世紀、一九七五年
――二〇七五年?」と題する二十頁に及ぶ日本特輯を行つた。その中で「エコノミスト」は、
かつてハーマン・カーンの描き出した日本の輝かしい未來像が、同年(一九七五・昭和五
十年)一月一日すでに始つたとし、一七七五―一八七五年が鐵道に基盤を置く英國の
時代、一八七五―一九七五年が自動車による米國の時代、そして一九七五―二〇七五
年が通信網を自在に使ふ日本の世紀になるだらうと言つてゐる。だが最後に同誌は次の
樣に結ぶ。
「日本語が難しく、その他の條件とも併せて、日本に文化的なルネッサンスが來るかどうか
は疑問である」と。
「エコノミスト」もまた英語優位、表音優位の幻想にとりつかれてゐるやうだ。
假にルネッサンス乃至産業革命が、英語、佛語、伊語、獨語などの表音文字によつて齎さ
れたものであるにしても、それによつて築き上げられたヨーロッパ―英國の文化が、果して
賞讚すべき高貴なものであつたかどうか、その點についての眞劍な反省は第二次世界大戰
を經ても、當の英國に於ては何らなされてゐないのではないか。
そして、表音文字英語を使ふ英國が何故に急轉直下沒落するに至つたのか。まさか、英國
が「難しい日本語」を國語にしたわけではあるまい。
ともあれ、そのルネッサンスのおかげで、アジア、アフリカは慘憺たる植民地地獄と化した。
ヨーロッパのルネッサンスはアジア、アフリカにとつては暗黒化に役立つただけだつた。
「エコノミスト」の言ふ英國、ひいてはヨーロッパの時代に終止符を打ち、一切の植民地を一
掃したのは、「エコノミスト」のいふ「難しい日本語」を使ふ日本であつた。ヨーロッパの終りこそ
アジア・アフリカのルネッサンスに他ならない。「エコノミスト」は、何を以て現在の日本が文化的
ルネッサンス以前の状態といふのだらうか。
ルネッサンスを經、高い文化を誇る筈の英國で、何故プロテスタントとカトリックとが何年も何年
も血で血を洗ふ殺し合ひを續けなければならぬのか。自分一個の戀の爲に、國王の使命を
抛棄し、祖國をも捨てて、外國フランスに遁れ住むウインザー公に、我々は英國の精神的沒落
の姿をまざまざと見る。
日本の心は、そのやうな亡國的利己的僞善的ルネッサンスを斷乎として拒否するだらう。
まして況んや、國語の傳統を破壞し、表音化することによつて得られる文化なるものが、さやう
なヨーロッパ的ルネッサンスであるならなほさらのことだ。
〇
英國の「エコノミスト」は、日本語を否定することによつて、日本にプロテスタンテイズムによる
ルネッサンスを期待し、以て日本の土着的民族文化の崩壞をめざしてゐる。
マッカーサー占領行政は、強權を以て日本語の改造を強要し、歴史傳統と民族とを切り離し
て、キリスト教民主主義による日本の國體破壞を目論んだ。
だが、日本民族の心は、斷乎としてこのいづれをも拒否する。
國語は一日も速かに正しく美しく純粹な本來の姿に復元されねばならないし、ヨーロッパ的
ルネッサンス文明開化、キリスト教民主主義によつて汚濁された民族文化は、速かに洗ひ清め
られなければならない。
日本の眞正ルネッサンスは、英米流ルネッサンスを根柢に於て拒否する所に開けるだらう。そ
れが日本的ルネッサンスといふものであり、維新に他ならない。
日本民族の眞のよみがへりの爲に、戰後の國語改革一切を一日も速く破棄しよう。
その爲に我々が今すぐにでも出來ること、それは日本人一人一人が改造漢字、新假名遣ひを
拒否し、今日只今より正漢字・歴史的假名遣ひを深い祈りをこめて思ひ起こし復活使用することだ。
その程度のことさへ爲さうとせずに、日本の心の再建や建直しを幾萬言叫ばうとも、そのやうな
ものは、寢てゐる人を起す類であつて、欺瞞でなければ自己陶醉に過ぎない。(五十五・十一・十五)
(佐々木奎文著「我が皇國史觀」曉書房より)
*昭和二十一年三月五日來日したジョージ・D・ストダードを團長とするアメリカ教育使節團が
同年三月三十一日にマッカーサー總司令官に提出した「日本の教育に關する報告書」より
「日本語を書くのにひろく用ゐられる漢字の暗記が、生徒に重すぎる負擔をかけてゐることは、
實際上ほとんどすべての有識者の一致した意見である。小學校時代を通じて、生徒はただ
國字の讀み方と書き方を學ぶだけの仕事に、ほとんどの勉強時間をさかなくてはならない。
このたいせつな數年間に、ひろい範圍にわたる有用な言語や計算の能力と、自然界や人間
社會についての基礎的な知識との修得にあてられるべき時間が、文字を習得する苦しい努
力のために使ひはたされてゐる」「使節團の判斷ではカナよりもローマ字に長所が多い。その
上、ローマ字は民主的公民としての資格と國際的な理解との成長に大いに役立つであらう」
54 :
日出づる処の名無し:2006/01/23(月) 09:57:54 ID:MH2Hw2ew
昭和二十二年四月八日附朝日新聞「國語の問題については、日本側の學者、教育家
および政治家よりなる委員會において十分檢討する必要があるが、ローマ字の採用が
望ましい」
森鴎外「自分は日本文化の將來については些かの懸念もない。ただ假名遣ひを變へようと
する運動があることだけが、氣がかりでならない」
山田孝雄「國語假名遣は決して難しくなく英語の綴字などに比ぶれば信に易々たるものであり、
その氣があれば一週間で記憶せしむることを得るは、吾人多年の經驗に徴して明かなり。要す
るに假名遣改定案は學術上の根據を缺けるのみならず、國語の語法を破壞し、國民の習慣を
無視するものなるを以て、吾人は總括的にこれが廢止を望み、かかる企を見合せられむことを
望むなり」
芥川龍之介「山田孝雄氏の痛撃たる、尋常一樣の痛撃にあらず、その當に破るべきを破つて
寸毫の遺憾を止めざるは殆どサムソンの指動いてペリシテのマッチ箱のつぶるるに似たり。この
山田氏の痛撃の後に假名遣改革案を罵らむと欲す。誰か又蒸氣ポンプの至れる後、龍土水を
持ち出す嘆なきを得むや。臨時國語調査會委員諸公の便宜たるを信ずるは諸公の隨意に任
ずるも可なり。然れども僕等も諸公の如く便宜たることを信ずべしとするは少くとも諸公の樂天主
義も聊か過ぎたりと言はざるべからず。繁を省けるが故に直ちに便宜なりと考ふるは最も危險な
る思想なり。明治三十三年以來文部省の計劃したる幾多の改革は一たびも文章に裨益したるを
聞かず。卻つて語格假名遣の誤謬を天下に蔓延せしめたるのみ。僕は警視廳保安課のかかる
常談を取締まるに甚だ寛なるを怪まざる能はず」
島崎藤村「人々の意見も相違し、また疑問の起つて來る問題を少年の讀本に試みるのは、自分
一個としては見合せを希望する」
與謝野晶子「古今の文獻に書かれた言葉は、全く國民精神の結晶であつて、その言語を記載した
文字は、單に口頭の發音を耳に送ると云ふ機械的な役目のもので無く、それに由つて我々の祖先
が忠孝し、交友し、思索し、學問し、文學し、道コし、戀愛し、政治し、商業して來たのである。我々
もまた此の言語と文字とに由つて同樣の生活を未來へ亙つて展開して行くので御座います。新舊
二重の假名遣を學ばば、其等の書を通して尊貴な傳統精神を知ることが出來なくなり、假名遣を改
めたが爲に國民は莫大な精神上の損失を招くに到ります。便宜主義に偏することの非なる一つの
理由は此點にあります」
萩原朔太郎「ローマ字論者や假名文字論者に對して、尚且つ僕が滿點の贊意を表せず、時に大
いに反感の敵意をさへ表するのは、彼等の"誤つた實利主義"が往々にして僕等の美的藝術意識
と衝突し、且つ卻つて國語の純粹性を破壞するところの、反日本主義的のものに思はれるからで
ある」「"花は咲く"とか"僕は嫌ひだ"とかいふ場合の"は"が、果して實際に"わ"と發音されて居るの
だらうか。この場合の正しい發音はいかに考へてもHAの外になく、斷じてWAではない筈である。
故にこれを日常語で會話する時、そのHAのHがサイレントとなつて省略され、Aだけが後に殘つて、
普通の聽覺上には"僕ァ嫌ひだ""俺ァ嫌だ"といふ風に聽えるのである」「我等の美しい大和言葉を、
そもそもこんな風に惡化したのは、かつて支那の文字を輸入した時その原語の發音を等閑にし、
平仄も抑揚もなく、無韻の日本讀みでデタラメに發音したからである」
小汀利得「わたくしの新聞(日本經濟新聞社)では四千二百字をつかつてゐる。むりな漢字制限は
實行できない」
歴史的假名遣を用ゐる理由 中村粲
假名は音標文字ではなく、假名遣は發音表記ではない。假名遣は飽くまで假名の遣ひ方で
あり、歴史的假名遣とは歴史的に確立されてきた假名遣の定りなのである。云ひ換ればそれ
は日本の國語文化そのものであり、理論理窟ではない。 例へば「こひ」と書いて「戀」と讀ませ
るのは理窟ではなく定りなのだ。「戀」は「こい」と發音するのだから「こい」と書くべきだとするの
は淺薄な合理主義であり、斯樣な發音主義に立つならば「東京へ行く」は「東京え行く」と書く
べきだし、「東京」の假名表記き「とうきょう」でなく「とおきょお」或いは「とーきょー」等と書き表す
方がより合理的な筈である。
だが、それが實際に行はれてゐないのは、現代假名遣が實は完全に合理的でも發音尊重主
義でもなく、中途半端な代物でしかないことを立證してゐよう。
假名遣は發音にではなく「語に隨ふ」といふことは福田恆存の名著「私の國語教室」の繰返し
説く所である。「戀」は「こい」と書くより「こひ」と書く方が美しい。「こひ」と書いて「戀(こい)」と讀
ませるといふ床しい定りが歴史的假名遣なのであり、私はその美しく床しい日本の國語文化を
守り、傳へることに聊かでも努力したいと願ふ氣持で歴史的假名遣を使つてゐるのです。
いま、ここに「愛國百人一首」甦る
『たまのまひゞき』 日の本文化繼承刊
私の家では親の代から朝日新聞を購読しています。夫婦別姓制度には以前から疑問を感じて
はいたのですが、時代の流れに遅れてはいけないという気持ちもあって、賛否を決めかねてい
ました。ですが、これを会社の飲み会で話題にしたところ、同僚のK君から「夫婦別姓というのは
親子別姓ということですよ」と言われてはっきりと目が醒めたのです。
字の書き方なんかどうでもいいじゃないかとも思っていたのですが、K君から勧められて『政治
問題としての國語問題』(動向社刊)を読んでみましたら、また目が醒めました。青木英實氏の
推薦文に「國語を通じて我々は父祖と繋がつてゐる」とあります。親子別姓では父祖と繋がりま
せん。
私は来年四十歳になりますが今まで何をしてきたのでしょう、でも今からでも遅くはないと思い
ます。書き方はまだよく分かりませんが、これからは歴史的かなづかいで書きます。
先日、K君が嬉しさうな顏をして「出ましたよ」と言つて『たまのまひゞき』といふ本を見せてくれ
ました。完全正統表記なので嬉しいさうです。K君の嬉しい氣持ちはまだ私にはよく分りません
が、もともと讀書好きですので中を開け拾ひ讀みをしてみましたら、歌集でありながら歴史の勉
強にもなる内容です。貸してくれるといふので家に持ち歸り、妻に見せましたら「きれいな本ね」
と言つてそのまま取られてしまひ、なかなか返してもらへません。妻には繪心がありますが柿本
人麻呂以下百人の作者のイラストが氣に入つたやうで、しきりに「誰の繪かしら」と言ひます。
やつと妻の手から取り返し、「はしがき」を讀んで私はびつくりしました。それにはあのフーテン
の寅さんの「天皇論」が紹介されてゐて、それにびつくりしたのです。
學校では「父祖との繋がり」は教へてもらへませんでした。K君は年下なのにどうやつて學んだ
のでせうか。『政治問題としての國語問題』を讀んで私は子孫への責任を感じました。『たまのま
ひゞき』を讀んで萬葉の時代から大東亞戰爭の頃までは日本人は健全であつたことを知り、おそ
まきですが、先祖への感謝の心、そして歴史への愛情も身につけました。
昭和天皇の「おほぢのきみのあつき病の枕べに母とはべりしおもひでかなし」を讀んだ際、目
頭が熱くなりました。『たまのまひゞき』には歌心の無い私でさへ感じ入る良い歌ばかり載つて
ゐます。 評・松本修
*平成十三年十二月二十五日附「國民新聞」四面より
なぜ歴史的假名遣ひなのか
豐源太、川畑賢一、中村信一郎共著
『政治問題としての國語問題』動向社
今囘動向社から、標記の書物が刊行されました。著者の豐源太、川畑賢一、中村信一郎各
先生は、何れも日本語變換ソフト「契沖」のユーザーであられ、本書の中でも取上げて頂き、
卷末には弊社の聯絡先まで御掲載頂き、開發者として感謝に堪へません。
豐源太先生の論文(以下豊論文と略記、他の論文も同じ)の冒頭、「國語問題を語る前に」
で「何でも政治問題化する風潮」を批判された論説には、全く同感です。法律や政治以前に、
民族にとつて、また個人の人生にとつて、根底となるものが存在するといふ認識こそ、人間が
人間たるの本質であるにも拘らず、近年の日本でこれが喪はれつつあるのは、偏へに言語生
活といふ民族の基本的な營みの中に内閣訓令や戸籍法などの形で法律萬能主義が入り込
んだからに他なりません。
正統の用字・假名遣、或いは美しい敬語・言葉遣を實踐するといふ健全な言語生活を營ま
ないがゆゑに亢進した、謂はば、文化の生活習慣病が今や根本的治療を要するまでに「政
治問題」化してゐると言へませう。ただ、その解説を、法的手段を含む「政治」に求めるとすれ
ば、「政治の文化への越權行爲」を批判することと矛盾する可能性を孕むやうにも思はれます。
しかしだからといつて、「政治問題」から眼を背けることはできません。その最大の問題は目
前に迫つた憲法改正であります。中村論文にある如く、所謂「民族派」が國語に無關心で、
頻りに「占領憲法」の改廢を叫びながら、同時に、また確實に、豫想される「占領表記」への書
換へには全く無頓着なのが気懸りです。現行憲法が「當用漢字」、「現代かなづかひ」を免れ
てゐるのは、昭和二十一年十一月十六日の内閣告示の僅か十三日前に公布されたからで、
この天佑ともいふべき事蹟を大切にせずして、どうして眞の主權恢復が出來ませうか。川畑論
文にある、日本共産黨などからの「教育現場での旧かな批判」などにも、憲法の学習上必要と
反論できたと思はれます。特に首相公選制が国体を危くする虞さへ出て来てゐる現在の政治
情勢下では、憲法の国体条項と国語表記とには絶対に手を著けてはならないといふメッセージ
こそが最も喫緊に求められてゐるのではないでせうか。その意味で本書がこの問題に触れてゐ
ないのは残念ですが、続編に期待したいものです。
ともあれ、本書は仮名遣の誤植が全くないのも嬉しく(「契沖」使用の効果?)、博く江湖の関
心を呼んで、民族文化への回帰の契機となりますことを心から祈念してをります。
最後に細いことですが、「生徒は左横書きが日本語の正書法だと思ひ込む」とあつて、扁額
の読み誤りの例が挙がつてをりますが(八十四頁)、これだと「右横書きが正統」との誤解を与
へかねません。一行が一字の「縦書き」はあつても、右からづらづら横へ二行以上に亙る国語
の「右横書き」は本来あり得ません。 評・市川浩申申閣社長
* 平成十三年六月二十五日付「國民新聞」四面より
62 :
日出づる処の名無し:2006/01/25(水) 21:11:15 ID:xn5dTIQi
完全にスルーされてんじゃねえか
國語を正しく遣ふ勇氣を與へる
『私の國語教室』福田恆存 文春文庫
今年(平成十四年)はサンフランシスコ講和條約が發效して五十年目の節目の年である。
大東亞戰爭敗戰後、占領を経て我が國に主權が恢復してから五十年である。占領中に
改變せしめられた憲法や教育制度はその間改めることもなく今日を迎へた。青少年の犯
罪、中國や韓國への土下座外交などなどの諸現象を見れば、これが憲法や教育に起因
することは一目瞭然。
國民の精神を健全ならしむべき教育は、最近では男女同一混合名簿の實施などに見ら
れる如くますます我が國の習俗を破壞する方向へと向ひつつある。學力の崩潰は週休二
日の完全實施によつて加速するだらう。
我が國のさう言ふ風潮にあつて國語の正統表記は、細々とだが断乎として守られ、最近
では正漢字正仮名遣ひで文章を書く人も大部増えたと言ふことを識者は御存じだらうか。
真つ當な學者や眞面目な人々の御陰だが、その功績の第一は何と言つても福田恆存の
著書『私の國語教室』である。
本書は戰後の國語政策がいかに出鱈目であるのかを詳細に論證し、正しきに就く方途を
示した。私も『私の國語教室』を読んで假名遣ひと漢字使用を正統表記に改めた者の一人
である。その良き書物は昭和五十八年に中公文庫で再刊されたのを最後に絶版となつて
書店から消え、長い間入手したくても手に入らなかつた。今囘實に十九年ぶりに文春文庫
から發賣された。本書の出版を順に追へば、新潮社から單行本で出たのが昭和三十五年、
新潮文庫の發賣が昭和三十六年、同じく新潮文庫で増補版の出版が昭和五十年、續いて
中公文庫、文春文庫である。
我が國に獨立自尊の氣風を釀成する好機たる主權恢復五十年と言ふ記念すべき年を政
府は無爲に送らんとし、政府公認の國語に從ひながら自主獨立もあつたものだとは思へぬ
が、それらが保守派言論人ともてはやされる時節に本書五度目の出版はまことに天の時を
得たと言ふべきだらう。
言葉の亂るる國の亂るる證據である。戰後國語政策は國の乱れを國自身が起こしたまこ
とに何とも馬鹿げたことであつた。今日に至るもこの政策に根本的變革は無い。國の亂るる
所以である。
現行國語政策は古典と國民とを斷絶した。道徳も倫理も我が國柄さへ最近では不明にな
りつつあるではないか。古典に道を閉ざしたからである。本書はそれを打破し、國語を正しく
遣ふ勇氣を讀者に與へる。勇氣は己が一個の人間として獨立する源である。『私の國語教
室』は救國の書である。 評・川畑賢一(八木中學校教諭)
* 平成十四年五月二十五日付「國民新聞」四面より
http://www.bookreview.ne.jp/book.asp?isbn=409387378X 『国語100年』
著:倉島長正
14cm / 2500円 / 小学館
20世紀、「国語」をめぐって国が行おうとしてきたこと、文学者や知識人が求めてきたこと、
庶民がそれらをどのように見つめてきたかを詳細に描き、古書肆「日本書房」の西秋松男
氏の証言とともに浮き彫りにする。
明治33年(1900)に語調査会が発足し、平成12年(2000)に国語審議会が廃止される
までの100年の間、「国語」をめぐって国が行おうとしてきたこと、文学者や知識人が求めて
きたことなどを詳細に描き、古書肆「日本書房」の西秋松男氏の証言とともに浮き彫りにす
る。明治35年に国語調査委員会が示した基本方針「文字ハ音韻文字ヲ採用スルコトゝシ」
に国語施策が長い間縛られ、「当用漢字表」など戦後の諸施策はいわばその集大成であった
ことが明らかになる。しかし、その後「常用漢字表」の前文で初めて「漢字仮名交り文」が公認
されるに至った経緯が述べられ、国語審議会が最後にまとめた「表外漢字字体表」がはらむ
諸問題についても具体的に検証する。
漢字文化破壞
元兇は自治體
歴史のある漢字文化を破壞してゐるのは自治體だ――。摩訶不思議な假名漢字交じりの
表記を強要する自治體が出始めた。
埼玉縣志木市では四月から公文書において「障害」は全て「障がい」に統一した。「障害」に
は否定的な印象があるからといふ。その他にも「子供」の供が、主從關係を意味するとして、
東京都から「子ども」の表記が全國に廣がつた。
市町村名を假名表記にする自治體も増える一方で、役人による漢字文化破壞に齒止めを
掛ける必要がありさうだ。
*平成十五年十二月二十五日付「國民新聞」より
現在、國語力が低下してゐる石井勳
「二十一世紀の世界は、日本が最も活躍する世紀になるであらう」とは、"水平思考"で一世
を風靡したイギリス劍橋(ケンブリッジ)大學教授デボノ博士の豫言ですが、その根據は「イギ
リスではせいぜい百の單位でしか讀まれない學術專門書が、日本では千、乃至、萬の單位
で讀まれてゐる」といふ事に在りました。一國の興廢は、國民の多くが學問を尊重してゐるか
否かに關つてゐますが、それは學術專門書の讀まれる量の多寡に現れる、と考へられるか
らです。
然し、この状況は今も變りが無いでせうか。私は甚だ疑問に思ひます。讀書力の基礎は漢
字に在りますが、その力が年ごとに低下してゐるからです。その原因の第一は、前の章でも
述べましたやうに、敗戰の原因が繁雜な漢字の使用に在つたとしてその廢絶を圖つた爲に
漢字教育が甚しく輕んぜられ、その教育を受けて育つた今の教師たちには漢字を教育する
力が無い、といふ事に在ります。
その上にもう一つ、國語の學習時間が外の國に較べて極端に少ない事が擧げられます。世
界のいづれの國でも、小學校の前半の三年間の學科は國語と算數に限られてゐて、中でも
國語の時間が特に多く、全體の半分以上を占めてゐる、といふのに、我が國だけが全體の四
分の一の時間で濟ませてゐるのです。前に述べましたやうに、ドイツでは一週間の學習時間、
二十四時間のうち國語の時間が十四時間もあるのに、我が國では僅かに六時間しか無いのです。
ドイツではこのやうにして三年間に國語力を十分に伸ばし、その力を四年生以降の他の學
科の學習に活用します。ドイツでは四年生になつて初めて理科がありますが、その時間は僅か
に二時間です。我が國では戰後から平成三年度までずつと一年生から理科が二時間もあり、
三年生、四年生では三時間もありました。然し、時間ばかり多くあつても國語力が未熟では、
理科の學習は決して深まらないでせう。幸ひ、平成四年度から理科や社會科は三年生以降に
改められましたが、その替り"生活科"といふ新しい學科が増え、國語の時間はちよつぴり増え
ただけです。
どこの國でもしてゐますやうに、我が國でも初めの三年間の學習は國語と算數だけに絞るべき
です。その方が結局他の學科の學習にも有效なのです。我が國でも戰前は四年生で初めて理
科をやり、五年生で地理や歴史をやりました。それが良いのです。一日も早く元に戻す事が必
要です。(原文略字正假名)
*『漢字興國論――IQを高める漢字教育』 (日本教文社)石井勳 より
私の歴史的假名遣ひ習得法 土屋道雄
私は福田恆存氏に勸められ、昭和三十五年から十六年間、國語問題協議會の主事として
「國語國字」の編輯と校正を擔當したが、專攻は國語には縁のない土木工學であり、中學
時代と高校時代の國語の成績が惡かつたことを自慢にしてゐるほどである。勿論、成績の
惡かつた原因が戰後の國語改革にあるなどと言ふつもりはないが、當時の漢字輕視の風
潮が國語輕視の思想を煽り、それが兒童にまで微妙な影響を與へてゐたやうである。
中學一年の時だつたと思ふが、國語の漢字書取りの試驗に白紙答案を出して、先生にひ
どく叱られたことがある。その時「漢字を無理に使はなくても、平假名で十分意味が通じる
のだから漢字を憶える必要はない。漢字の書取りなどで時閧潰すのは馬鹿げてゐる」と
抗辯したために一時間以上も脂を絞られた。そのやうな私でさへ、舊字體・舊假名遣ひの
「國語國字」の校正をするに當り歴史的假名遣ひを獨習したが、極くわづかな時間で身に
つけることが出來た。豫想に反してあまりにも易しいのにむしろ驚いたほどである。
「現代かなづかい」が不合理なものであることは既に述べたので、ここではその説明は省く
ことにする。「現代かなづかい」を制定した根據は「国語を書きあらわす上に、従来のかなづ
かいは、はなはだ複雑であって、使用上の困難が大きい。」といふ點にあるのだが、果して
歴史的假名遣ひで文章を書くのはむづかしいのであらうか。斷じて「否」である。歴史的假
名遣ひで不自由なく書けるやうになるまでに、一體どれほどの時閧ェかかると言ふのであらうか。
山田孝雄博士の主張されたやうに一週閧ナ身につけられてもむづかしいと言はねばならぬ
のか。三日でもむづかしいと言ふのであらうか。一日ではどうか。三時間ではどうか。
歴史的假名遣ひで文章を書く場合に注意を要するのは、わづかwa、i、u、e、o、gi、zuの七
音である。結局、この七音を平假名で書く時にだけ注意すればよいのである。私の新聞調査
によると、現行の表記を歴史的假名遣ひに改める場合、訂正を要する字數は全字數の二パ
ーセント強に過ぎない。しかも、その二パーセントのうちの四十パーセントは記憶を必要としな
い「ハ行活用」の動詞であり、三十パーセントは「ゐる」の「ゐ」である。以下「このやうに」の「やう」
が六パーセント、「かうして」の「かう」が三パーセント、「さうして」の「さう」が一.五パーセント、
「まづ」の「づ」が一.二パーセント、「いづれ」の「づ」が〇.七パーセント…といふ順になつて
ゐる。なほ、この中には「うへ」や「きはめて」や「あづける」なども含まれてゐるが、これを漢字で
「上、極めて、預ける」と表記する人は、それだけ勞力が省けるわけである。とにかく、七十パー
セントは「ハ行活用」の動詞と「ゐる」なので、殘りの三十パーセントのうち使用頻度の高いもの
を數十語記憶し、あとは一枚の表に纏めて傍に置けば、それで不自由なく文章が書ける。
紙幅の關係でここに私案を示すわけにはいかないので、一例をwa音にとつて説明しよう。wa
音が語頭にある時には「わ」と書き、語中・語尾にある時には「は」と書く、といふ原則を立て、
この原則に合致しない語を記憶するのであるが、その語數は、送り假名のつけ方と漢字使用の
度合とによつて各人各樣となる。平假名ばかりで書く人は、
あわ(泡)、いわし(鰯)、しわ(皺)、あわてる(慌)、かわく(乾)、ことわる(斷)、さわぐ(騷)、すわる
(座)、たわむ(撓)、しわい(吝)、よわい(弱)、ゆ(い)わう(硫黄)、たわいない
等の十三語を暗記するわけであるが、右の語をすべて漢字で書く人は、「たわいない」一語を暗
記すればよいことになる。
これと同じことを他の六音についても行つて、自分に適した一覽表を作成すればよいのである
が、それには福田恆存著「私の國語教室」の「第三章 歴史的かなづかひ習得法」を参照すると
便利である。もつとも、現行の新聞の表記を基準とした一覽表が公にされれば、殆どの人はそれ
で間に合つてしまふ。
私が歴史的假名遣ひ三時間習得説を唱へる根據はここにある。新聞・雜誌の記者諸氏が歴史的
假名遣ひで記事を書くやうになるのに三時間あればよいといふのである。記者諸氏の希望があれ
ば三時間でお教へしよう。徒らに誇を張らうとしてゐるのではなく、私の經驗と調査とに基いたもの
である。(土屋道雄著「日本語よどこへ行く」日本教文社 より)
「歴史的假名遣習得法」 荒魂之會
歴史的かなづかひ(正かなづかひ)には、國語かなづかひ(大和言葉)と字音かなづかひ
(漢字の音讀み)との二種類がある。字音かなづかひは、漢字かな交り文に於ては、殆ど
かなづかひとしては表れないので、かなづかひの中心は國語かなづかひである。發音が
同じでも語によつて使ひ分ける場合は、次の七種である。
@わ、は Aい、ひ、ゐ Bう、ふ Cえ、へ 、ゑ Dお、ほ、をEじ、ぢ Fず、づ
この大部分は活用語の活用語尾である。活用語の中で最も澤山出て來るのは、「何々して
ゐる」の「ゐる」(居る)であつて、この「ゐる」を覺えれば、正かなづかひの四割を覺えた事
になる。
活用語で「ワ行」の「ゐ」を書くのは、この「ゐる」と「率ゐる」と「用ゐる」の三語だけである。
(用ゐるは、用ひる、と「ハ行」活用として扱ふ説もある。)
「ワ行」の「ゑ」が活用語に出て來るのは、下一段活用の「植ゑる」「飢ゑる」「据ゑる」の三
語である。
また、「ヤ行」に活用するものは、上一段活用は、「老いる、悔いる、報いる」の三語。下一
段活用は、「消える、見える、越える」等かなりあるが、これは文語では終止形が「消ゆ、見ゆ、
越ゆ」と「ゆ」で終るので、「ヤ行」活用である事が分るであらう。
更に、活用語で「ぢ」の出て来るものは、「ダ行」上一段活用の「閉ぢる、綴ぢる、恥ぢる、
怖ぢる、攀ぢる、捩ぢる、捩ぢる」の七語だけである。
「ア行」活用は「得る」と「心得る」の二語だけである。
以上は數も少ないし、餘り出て來ない。最も澤山出て來るのは、「ハ行」の活用語である。
四段活用の語は、打消の「ない」を附けると未然形が「……は(ワ)ない」となるからすぐ分る。
上一段活用は、「用ひる、強ひる」の二語、下一段活用は、「考へる、答へる、教へる、支へる、
加へる」等がある。文語の終止形が「ふ」で終るので分る。尚、一般に活用語尾のかな表記
が送りがなであるが、先の助動詞「ない」を附けると、未然形の語尾と活用の種類が分る。
語尾がア段(走らない)なら四段活用イ段(落ちない)なら上一段活用、(「しない」はサ行變
格活用)エ段(捨てない)なら下一段活用である。但し若干の語に就ては例外がある。(見る
は、「見みない」となる爲、「見ない」と書く。)
■活用語以外の語の書き方■
これは、普通漢字で書く事が多いので、漢字を覺えてしまへば、大部分は忘れてしまつてもよい。
◎原則◎
一、語中と語尾で「ワ」と發音されるものは原則として「は」と書く。
二、語中と語尾で「ジ」と發音されるものは、原則として「じ」と書く。
三、語中と語尾で「ズ」と發音されるものは、原則として「づ」と書く。
四、語頭の「イ」は「い」と書き、語中と語尾の「イ」は「ひ」と書く事を原則とし、「ゐ」はすべて
例外として記憶する。
五、語中と語尾の「ウ」は「ふ」と書く事を原則とし、「う」と書く場合を例外として覺える。尤も、
「う」は殆ど音便によるものである。
六、語頭の「エ」は「え」と書き、語中と語尾の「エ」は「へ」と書く事を原則とし、「ゑ」は例外と
して記憶する。
七、語頭の「オ」は「お」と書き、語中と語尾の「オ」は「ほ」と書く事を原則とし、「を」は例外と
して記憶する。
例外◎
例外といつてもそれ相應の理由があるので、合成語を分けて考へたり、語原を辿つたりすれ
ば、丸暗記しなくても良いが、次のやうに歌で覺える暗記法がある。
鐵道唱歌(汽笛一聲新橋を)の曲に乘せるとうまく歌へる。他にも、「どんぐりころころ」や「浦島
太郎」(昔むかし浦島は)や「兎と龜」(もしもし龜よ龜さんよ)等、七五調四行の歌なら曲を
借りる事が出來る。
【一の例外の歌】(語中語尾でも「わ」と書く語)
さわぐ(騷)さわやか(爽)あわ(泡)あわつ(周章)たわむ(撓)たわやか(嬋妍)あわただし
(煌遽)かわく(乾)ことわる(斷)いわけなし(稚)いわし(鰯)ひわ(鶸)しわ(皺)みわ(酒)
おもわ(面輪)よわし(弱)たわやめ(手弱女)よわ(弱)しわし(吝嗇)くつわ(轡)うわばみ
(巨蛇)くつわむし(聒々兒)くるわ(廓)はらわた(腸)たわ(撓)すわる(坐)くわゐ(慈姑)
ことわざ(諺)こわづかひ(聲用)
【二の例外の歌】(語中語尾にあつて、「ぢ」と書く語)
あはぢ(淡路)をぢ(伯父)おぢ(怖)うぢ(氏)ちすぢ(血筋)くぢら(鯨)あぢ(鰺)ふぢ(藤)
かぢ(楫、舵、梶)ことぢ(琴柱)かうぢ(麹)あぢさゐ(紫陽花)ひぢ(臂)もみぢ(紅葉)わらぢ
(草鞋)ねぢ(螺旋)とぢ(閉)はぢ(恥)あぢはふ(味)
【三の例外の歌】(語中語尾にあつて、「ず」と書く語)ねずみ(鼠)すずむし(鈴蟲)もず
(百舌鳥)すずめ(雀)みみず(蚯蚓)くず(葛)すず(錫)すず(鈴)すずし(涼)
すずり(硯)すなずり(腴)きず(疵)ゆはず(弭)やはず(矢筈)いしずゑ(礎)はず(筈)
はずみ(機勢)すずな(菘)すずしろ(清白)かず(數)すずき(鱸)こずゑ(梢)たたずむ(佇)
たたずまひ(佇)すずろ(漫)かならず(必)かるはずみ(輕佻)すずし(生絹)いしずゑ(礎)
うず(髻華)あんず(杏)
【四の例外の歌】(「ゐ」と書く語)
ゐもり(蠑○)ゐのこ(豕)ゐ(豬)ゐくび(豬首)あぢさゐ(紫陽花)しほさゐ(潮騒)あゐ(藍)
くれなゐ(紅)ゐ(井)ゐど(井戸)ゐなか(田舍)かもゐ(鴨居)しきゐ(敷居)くらゐ(位)
もとゐ(基)ゐ(居)まゐる(參)
【五の音便の説明】
かうして(かくして)かうばしい(かぐはしい)ありがたう(ありがたく)なつかしう(なつかしく)
なかうど(なかひと〈仲人〉)かりうど(かりひと〈狩人〉)こうぢ(こみち〈小路〉)てうず
(てみづ〈手水〉)「さうして、どうして、どうも」等は「さ、ど」の延音。
助動詞の「う」「よう」(文語の「む」。四段活用には「う」それ以外の動詞には「よう」)は勿論
「う」である。
【六の例外の歌】(「ゑ」と書く語)
ゑ(繪)ゑる(彫)ゑがく(描)こゑ(聲)ともゑ(巴)ゑ(餌)ゑひ(醉)ほほゑむ(頬笑)ゑみ(笑)
ゑくぼ(靨)いしずゑ(礎)つくゑ(机)すゑ(末)こずゑ(梢)ゑぐる(抉)ゆゑ(故)つゑ(杖)
ゑちご(越後)ちゑ(智慧)
【七の例外の歌】(「を」と書く語)
をとこ(男)をぢ(伯父)をひ(甥)をさ(長)をつと(夫)をみな(女)たをやめ(手弱女)をば(伯母)
をとめ(乙女)みさを(操)たをやか(嬋妍)あを(青)かをり(薫)
をととひ(一昨日)を(小)を(緒)をみなへし(女郎花)をがむ(拜)をさめる(治、收、納)をる(居)
をどる(踊)をしへる(教)をしむ(惜)をる(折)をはる(終)
をめく(叫喚)しをれる(萎)をこがましい(愚拙)をさない(稚)をかしい(可笑)をす(牡)ををしい
(雄々)をしどり(鴛鴦)をばな(尾花)をぎ(荻)しをり(栞)かつを(鰹)うを(魚)さを(竿)みをつくし
(澪標)をろち(巨蛇)をり(檻)をの(斧)をけ(桶)をとり(囮)をか(岡)を(尾)をりをり(折々)
とを(十)いさを(功)
(荒魂之會編少年讀本第二輯「國語國史の常識」より)
「歴史的假名遣概説」 申申閣 住金コスモプランズ
歴史的假名遣は昭和二十一年十一月に制定された「現代かなづかい」によつて口語文に
使用することは禁止に近い制限を受けることになりました。しかし文語文は依然として、歴史
的假名遣ひを使用し、我が國の歴史文化を再評價する動きも高まり、昭和六十一年七月
内閣告示第一號で「現代かなづかい」を廢止し、新に「現代假名遣い」が制定されるに伴ひ、
「歴史的假名遣が我が國の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして、尊重されるべきこ
とは言うまでもない」とその前文に明記して、四十年ぶりに歴史的假名遣の復活を認めるに
至りました。從つて文語文は固より口語文を歴史的假名遣で表記することはなんら差支へ
ありません。
しかし四十年間の歳月は餘りにも長く、歴史的假名遣は國民の記憶から消えかかつてをり、
この間に開發普及したワープロも對應できませんでした。
そこで「『おもふ』がサッと『思ふ』になつてくれたらどんなにいいだらう」(歌人俵萬智先生
平成四年八月六日 夕刊讀賣新聞)といふご要望に應へて開發されたのがこの「契冲」です。
歴史的假名遣は國文法に深く關はつてをり、整然とした文法規則が歴史的假名遣によつて
保持されます。特に必ず假名書きされる用言の活用語尾、助動詞及び助詞の假名遣を國
文法に則つて習得することによつて、歴史的假名遣の運用が全く容易になります。
* 以下にその實態を見ることにしませう。
一、ワ行五段動詞とよばれるものは全てハ行四段動詞である。「〜ない」と續けたとき、活用
語尾が「わ」と發音される動詞の活用語尾はハ行で書けばよい、といふことになります。
(例 ) 思う+ない→おもワない→思はない、思ひます、思ふ(時)、思へ(ば)
二、意志・推量の助動詞「う」は否定の「ず」「ぬ」と同じ形に附く。
「現代假名遣い」では同じ未然形でも「う」が附くか「ず」「ぬ」が附くかで活用語尾が變りま
すが、歴史的假名遣では共通です。
(例 ) 書かう・書かず、指さう・指さず、行はう・行はず、清からう・清からず、良からう・
良からず、美しからう・美しからず、静かだらう・静かならず
(形容動詞は静かだらぬとは言ひませんが、文語のナリ活用の規則を當て嵌めます)
書きませう、大きいでせう、大きいだらう、書きさうだらう、書くやうだらう
(これらは口語特有の助動詞ですが上記の法則から理解することができます)
三、一段動詞の活用語尾のア行、ハ行、ヤ行、ワ行の見分けかた
<對應する文語の二段活用を見ます。>
ア行 「得(う)」と「心得(こころう)」の二語のみで、得(え)ない、得(う)るとア行に活用します。
ヤ行 上一段は「射る」「鑄る」のみで、射(い)ない、射(い)るとヤ行に活用します。
下一段は二段動詞として終止形語尾が「ゆ」となるものがヤ行に活用します。
老いる(老ゆ)、報いる(報ゆ)、越える(越ゆ)、 聞える(聞ゆ) など
ワ行 上一段は「居る」「率ゐる」「用ゐる」の三語のみで、居(ゐ)ない、居(ゐ)るとワ行に活用
します。下一段は「植う」「飢う」「据う」の三語のみで、植ゑない、植ゑる とワ行に活用します。
ハ行 上記以外で二段動詞として、終止形が「う」の音で終るものはハ行に活用します。
強ひる(強ふ)、考へる(考ふ)、傳える(傳ふ)など
四、ウ音便は單純に活用語尾を「う」で置換へる。
「現代假名遣い」ではウ音便の表記が
(買)かう→こうた、(有難)ありがたい→ありがとう、(美)うつくしい→うつくしゅう、
などと複雜に變化しますが、歴史的假名遣では單純に
(買)かふ→かうた、(有難)ありがたい→ありがたう、(美)うつくしい→うつくしう、
と語尾變化の部分が「う」に變るだけです。
*注意 このウ音便規則は應用範圍が廣いので、國語の語彙の理解にも役立ちます。
例 「神々しい」の仮名遣は、「神々(かみがみ)しい」のウ音便と判りますから、單純に「み」を
「う」に替へて、「かうがうしい」が得られます。さうすれば「神戸」「神津」も「かうべ」「かうつ」と
どんどん廣がつて行きます。
五、促音便は單純に活用語尾を「つ」で置換へる。歴史的仮名遣では、「っ」と小書きしない
のが原則です。
例 言つた、立つた など
六、助動詞、助詞の内、仮名遣の異るもの
<助動詞> さうだ、やうだ、ぢや(「だ」の意)
<助詞> くらゐ(ぐらゐ)、さへ、だつて、づ、づつ、は、ゆゑ
注意一 意志・推量の助動詞「よう」と比況の助動詞「やうだ」との區別は重要です。「見よう」
「見るやうな」に明らかなごとく、「よう」は一段動詞、カ變、サ變の未然形につき、「やうだ」は
連體形につき、且つ必ず「だ」(又は「ぢや」)の活用語尾がつくことで判定します。
注意二 「組んづほづれつ」の「づ」は文語の助詞「つ」が「組つ」→「組んづ」と濁つたもので
すから、「組んづ」とします。但し、「現代仮名遣い」でも「組んず」「組んづ」の兩方を認めて
ゐます。
注意三 終助詞の「は」は、「現代假名遣い」では使用される形によつて、「は」「わ」の書き分
けが必要ですが、歴史的仮名遣では「は」のみです。
例 嫌ですは、行くはよ、負けるとはねえ(「現代假名遣い」では嫌ですわ、行くわよ、負ける
とはねえ)
七、接續詞、副詞、連體詞の假名遣
<これらの語の内、假名書きが一般的なもので假名遣の異るものを示します>
こそあど語
かう さう 「かういふ」「かうして」「かうだ」と複合が多いので はつきり記憶して下さい。
接續詞
幸ひ、從つて、つひに、たうとう、なほ、まづ、ゆゑに
注意 「或いは」を「或ひは」とするのは誤りです。
副詞
おひおひ、きはめて、しをしを、わづか、きつと、もつと、まつたく など「つ」と「っ」の
違ひに注意します。けふ、きのふ、をととひ なども覺えておくと便利です。
連體詞
いはゆる
八、「じ」「ぢ」、「ず」「づ」の區分
<動詞のザ變とダ行動詞の區分>
「信じる」「感じる」、「閉ぢる」「綴ぢる」「恥ぢる」「煎ずる」「投ずる」、「出づる」
上記以外の區分は、やや專門的になるので、辭典等で確認します。一般には漢字
で表記するのが無難です。
(歴史的假名遣變換辭書ソフト「契冲」の使用説明書より拔萃)
政府提出の「君が代」法案 歌詞が現代假名遣ひ? 國民新聞 平成十一年
政府提出の國旗國家法案で君が代の歌詞が「君が代は千代に八千代にさざれ石の
いわおとなりてこけのむすまで」となつてゐることが識者の間で指摘され、法案の今後
の行方に大きな影響を與へさうだ。
問題の箇所は「いわお」。これは「いはほ」として歴史的假名遣ひで表記すべきといふ
もので、關係者の主張は次の通り。(一)歌詞の出典は古今和歌集もしくはそれ以前の
ものであり、また歌意は君民一體の國體の彌榮を壽ぐ内容となつてゐることからしても、
表記は文化、傳統との關係を斷ち切る現代假名遣ひではなく、わが國史上の全文獻を
統一的に表記し得る正統表記法(歴史的假名遣ひ)でなされるべき。(二)現代假名遣
ひに從ふとしても、その適用範圍は「現代文のうちの口語體のもの」に限られる。古文は
もとより、現代文であつても文語體のものは歴史的假名遣ひで表記するのが現代假名
遣ひの原則だ――としてゐる。
* 平成十一年六月二十五日附「國民新聞」一面より
國語に關する輿論調査 文化廳が實施 國民新聞 平成十一年
文化廳は四月二十八日、平成十年度「國語に關する輿論調査」の結果を發表した。調査は
今年一月に實施、全國の十六歳以上の男女三千人を對象に行はれた。
調査結果の中で敬語の使用について「敬語を使ふべき時に使はないで話すのは感じが良
くない」と八十・八%と敬語が明確に意識されながら、ファーストフードで一人で行つて十人
分注文して店員が「こちらでお召し上りですか」と尋ねることが「氣にならない」と答へる十代、
二十代が半數を超えるマニュアル通りの對應を不自然と感じない人が多いことが分つた。
またワープロの普及によつて漢字が簡單に打出せることから漢字を多用する文章が増えて
ゐるが、これを「望ましい」とする囘答が三十九・四%、逆に「望ましくない」が四十五%だつた。
またワープロの漢字の字體不統一が問題となつてゐるが、不統一を「望ましくない」四十九・
八%、「構はない」が三十九・四%だつた。
外來語も多用されてゐるが、「スキーム」(計畫)、「アカウンタビリティー」(説明責任)、
「コンセンサス」(合意)などを「わかりやすい」と答へた人は一割に滿たなかつた。
「英文中で日本人の姓名の順をどう表記すべきか」との問ひに對して「姓−名」の順で表記す
べきと答へたのは三十四・九%、「名−姓」の三十・六%を僅かに上囘つた。「どちらとも言へな
い」も二十九・六%を占めた。
*平成十一年六月二十五日附「國民新聞」六面より
91 :
日出づる処の名無し:
seminaire