チベットに民族浄化は無い、中国は独裁ではない

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1日出づる処の名無し
http://nur.ath.cx/no0/50/?dl=2086
DL PASS igmbose166

立命館大学総領事リレー 12月2日 中華人民共和国
邱 国洪 駐大阪総領事
(演題)「友好協力は唯一の選択肢」

No.1 総領事の講演
No.2 学生との質疑応答

No.2の簡略な説明

・インターネットの発達によって共産党の独裁体制はどう変化するのか
No.02-Track001 03:10〜質問
No.02-Track001 04:15〜回答
・チベットにおける民族浄化問題について
・抗日戦における戦死者の問題(中国政府の一貫した回答が無い件)
No.02-Track001 08:50〜質問
No.02-Track002 00:45〜回答
・黄海(韓国名:西海)の名称問題で中国は韓国に対しどのような対応をしているか
・大気汚染など環境汚染にどう取り組んでいるか(40万人死亡の件など)
No.02-Track002 05:45〜質問
No.02-Track002 07:30〜回答
・A級戦犯に対する判決は不当ではないか
・国有企業と私有企業はどのように共存して行くのか
No.02-Track003 03:20〜質問
No.02-Track003 05:40〜回答
・対中ODAは経済成長や軍事費が拡大する中で必要なのか
No.02-Track003 10:45〜質問
No.02-Track003 11:35〜回答

http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1133614938/237
2日出づる処の名無し:2005/12/08(木) 19:01:20 ID:sVGoEG7R
10月に線路が完成し、試運転が始まったラサのチベット線はテラすごいよ。
これで北京と4000キロで結ばれたしね。

俺は日本のド田舎のローカル線みたいな、なんのガードもない赤茶けた細い鉄橋とか、
線路だけとりあえず延々続いてるってのを連想してたら、↓スゲー!!

http://www.asahi.com/international/weekly-asia/TKY200510040139.html
http://www.asahi.com/international/weekly-asia/image/TKY200510040133.jpg
↑鉄橋の写真(スゲー!!これがド田舎!?) しかも列車は航空機並の密閉空調をそなえたハイテク車両。

チベット人ウラヤマシス
3日出づる処の名無し:2005/12/08(木) 19:04:47 ID:n/SiRIkk
中国工作員ハケーン!
4日出づる処の名無し:2005/12/08(木) 19:11:20 ID:CSCCKymr
よくこんなスレ立てたねw
「ない」ったって無理があるだろうに。
逆に「ある」ってことが証明されるんじゃない?
5日出づる処の名無し:2005/12/08(木) 19:11:58 ID:TlmFALTR
独裁ではないってのは凄い。
言葉の定義から違うのだろう
6日出づる処の名無し:2005/12/08(木) 19:13:01 ID:qJG4SlyS
タイトルに付け加え

・・・と中国総領事語る。

字数足らんね。
7日出づる処の名無し:2005/12/08(木) 19:16:11 ID:083kZ885
外務省=中国/韓国の外郭団体

のオナニー・リリースだろ。
8日出づる処の名無し:2005/12/08(木) 19:26:04 ID:X5hJu3/I
はいはい独裁独裁
9日出づる処の名無し:2005/12/08(木) 19:31:55 ID:sVGoEG7R
チベットに文句言うならアメ公はネイティブに土地を返して
アメリカ大陸から出て行け。
10日出づる処の名無し:2005/12/08(木) 19:34:05 ID:083kZ885
いや、現在進行形で虐殺がおこなわれているのだが。
11日出づる処の名無し:2005/12/08(木) 19:35:54 ID:qJG4SlyS
>>10
総領事が『証拠はあるんですか!』とか言ってるシーンは爆笑必至
12日出づる処の名無し:2005/12/08(木) 19:48:04 ID:i8K5iD+y
因みにアメリカ政府はネイティブアメリカンに部族伝来の土地を”返却”済み。
13日出づる処の名無し:2005/12/08(木) 20:27:33 ID:3JPhTRyL
>>1
見れない
firefox入れたのにダウンロードできない

upきぼん
14日出づる処の名無し:2005/12/08(木) 23:31:26 ID:wUoJ/Jcw
>>9
お前にとっては残念だろうが、それを仮に、インディアン系の多数決で決めるとして、
そうはならんよ、まず間違いなく。 そして少なくとも今は。

戦後、特に最近のアメリカは、インディアン系に対して様々な「優遇政策」を実施して
きたからな。
15日出づる処の名無し:2005/12/09(金) 13:39:56 ID:AokQG5Zy
>>13
ほい↓なんつーか、建前丸出しの回答が凄かった。
リンク http://nur.ath.cx/no0/50/?dl=2091
DL Pass 1234
File ID 2091

独裁とかチベット民族浄化とか言われると必至に反論するのに
環境問題は40万人死亡くらいには動じないであっさりと回答してるwwww
16ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2005/12/14(水) 05:19:17 ID:N9I5+U3z BE:316858897-##
     //
   _//
/ ||_ノ          __________________
\/// ̄\      /
 |> <_> \     | 我々の要求は、沖縄県における最大規模の大図書館の建設だ。
 く\___|    <
 |∇     \   | 明日宮内庁を爆破する。
  \__/       \
    |≧||≦ ̄|       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

天皇制と文明論 〜恐るべき国民統制のカラクリ〜
天皇制の実質的な地位は、明治政府の意図した絶対的権力に基づく国家思想そのもので
あり、社会整備や、教育現場における最高権力であった。しかしながら、その時代背景
には、権力者が独占的に政治と資本を支配し、その結果、国民の無権利や、不平等格差
が非難され、政治家への暴行、及び暗殺事件が多発していたことからも示されるように、
天皇制絶対主義という位置づけがなされたのである。
さらに、日本が軍事国家として巨大化していくうちに、天皇制絶対主義はこれとは違うもう
ひとつの様相を有してきた。それが世界でも有名な、植民地支配の象徴である。日本国民
はそれまでの不平等格差を政治家や天皇に向けるのではなく、侵略することによって解消
し、それこそ子供だけでなく大人までもが、天皇制の意義を見出すようになったのである。
世紀の大混乱の中で支持された天皇制絶対主義とその思想文学は、現代においても侵略的
意義(琉球民族とアイヌ民族の国家的侵略)の組み込まれた大和民族のアイデンティティー
そのものであり、他民族圧殺という民主主義プロパガンダを脈々と流しつづけているのである。
17日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 08:39:01 ID:YLrTjejZ
はいはいテロ予告テロ予告
18日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 08:57:55 ID:q78GP+Lw
ウイグルでも自治政府主席が「自治区にテロはない。テロリストはいない」とのたまわった翌月に数千人をテロ容疑で逮捕したっけ
19日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 10:40:47 ID:7liReg2B
1946年 東トルキスタン共和国に侵攻 ・ 併合
1950年 朝鮮戦争に参戦
1951年 チベット国に侵攻 ・ 併合
1962年 インド、カシミール地方に侵攻 ・ 中印紛争
1964年 核実験に成功
1969年 ダマンスキー島事件 ・ 中ソ軍事衝突
1971年 尖閣諸島の領有権を突如主張
1974年 ベトナム領、パラセル諸島(西沙)に侵攻 ・ 占領
1979年 ベトナムに侵攻、2万人の戦死者を出して敗退
1989年 天安門事件
1992年 スプラトリー諸島(南沙)の領有を突如宣言、侵攻開始
1992年 尖閣諸島の領有を全人代で明記
1996年 台湾沖でミサイル演習、米空母2隻が出動
2004年 攻撃型原潜、漢級が日本の領海を侵犯、海上警備行動発令
2005年 中国各地で反日暴動、大使館・日本料理店等を破壊
2005年 東シナ海でガス田盗掘開始
2005年 ネパールで毛沢東派によるテロ、政府に武器供与開始

               中国は歴史上、他国で
     ⊂二 ̄⌒\     侵略・殺人・放火したことない♪
       )\   ヽ    
      /__   )   ∧∧        ノ) 
     ////  /|.  / 支 \       / \ 
     / / / //\ \( `ハ´ )   _/ /^\)
    / / / (/   ヽ、        ⌒ ̄_/
   ( ( (/      ノ      / ̄  


20ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2005/12/14(水) 19:30:19 ID:N9I5+U3z BE:140826274-##
>>17

通報しても無駄だ。皇国の価値をゼロにしてやるからよ。おまえみたいなロボットは全員発狂して精神崩壊するのを楽しみにしてるぜ。うへへ
21日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 21:28:57 ID:MxSq2lwu
お前の精神の方が既に崩壊してるじゃないか。うへへw
22日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 21:59:04 ID:o33l8pBj
人権問題 Human Rights
人民解放軍1950年10月7日〜同月25日
東チベット各地で5,700人以上のチベット「兵」を東チベットで「根絶」し、2,000人以上を投獄。
殺戮・殺人、拷問、僧院への砲撃、遊牧テントの一掃といった話は、数多く記録に残されている。
国際法律家委員会がまとめた、チベットに関する1960年のリポートを参照。
http://www.tibethouse.jp/international/19600808_un.html
国際法律家委員会(ジュネーブ)
http://www.icj.org/

人民解放軍1952年〜1958年
アムドのカンロ[甘南]地区で996件の反乱を鎮圧、
10,000人以上のチベット人を殺害。

アムドのゴロク[果洛]地区では、
1956年に130,000あった人口が、1963年にはおよそ60,000までに減ったという。
パンチェン・ラマ10世は、この地域についてかつて次のように語ったことがある。

「青海省での残虐行為をすべて取り収めた映画があれば、観客は大きな衝撃を受けるに違いない。
ゴロク地区では多くの人たちが殺され、死体は丘の上から濠にむけて転げ落とされた。
解放軍兵士たちは遺族に向かって、反乱が一掃されたのだからお祝いをしろと言った。
あるいはむりやり死体の上で躍らせ、最後には機関銃を掃射した。」

「アムドとカムにおいて、人々は筆舌に尽くしがたいほどの残酷な仕打ちを受けた。
10人ずつ、あるいは20人ずつに分けて銃殺されることもあった。
こうした行為は、人々の心に深い傷を残している。」

1959年3月10日にラサで発生した民族放棄が弾圧、
3日間で10,000〜15,000人のチベット人が殺された。

他方、人民解放軍チベット軍区政治委員会による1960年の秘密文書によれば、
1959年3月〜1960年10月までの間に、中央チベットだけで87,000人のチベット人が殺されている。
http://www.tibethouse.jp/human_rights/
23日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 22:00:27 ID:9G3h8zqf
>>1
中国人の友達が「中国は独裁」て言ってたけど・・。
24市民派護憲教師 ◆j0Oon93KwY :2005/12/14(水) 22:05:29 ID:t55h/Ksp
嘘をつくのはいけません。中国の方は中国政府を尊敬しています。
25日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 22:10:59 ID:LbauV4hJ
>>24
もうずっと前から汚職・腐敗が大きな問題となってるのに尊敬されてるのかw
26日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 22:12:32 ID:o33l8pBj
>>24
先生の意見によると、
ウイグル人モンゴル人、チベット人や天安門事件で殺された中国人
(というか漢民族による植民地支配を受けてる方)は中国人じゃないそうです。
27日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 22:13:27 ID:nXyPqGYf
中国共産党を信用する中国人など居りません。その地位を利用するばかりです。
尊敬?「上に法あれば下に策あり」と言われていることも知らないのですか?
中国における法令とは、賄賂を生む手段として利用されるものであることを知りませんか?
28日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 22:15:20 ID:LbauV4hJ
そもそも環境破壊や土地の強制接収で暴動が頻発していることぐらい
朝日新聞でもしょっちゅう記事にしてるぞ。
29日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 22:19:08 ID:ypkllwjI
チベットはかわいそう。
助けてやれお前ら。
俺は応援係
30日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 22:20:32 ID:s9Fwlb62
中国人だけど何か質問ある?
http://blog.livedoor.jp/orz_kawaisosu/archives/50249666.html
31日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 22:24:51 ID:WyXOFazr
たとえば「我が国は自衛以外の戦争をしたことがない」と、韓国と似たようなことを
誇らしげに教科書に載せている中国は、第二次世界大戦が終わった後も侵略を続け、
チベットを自国の領土にするための侵略では、120万人以上虐殺したうえで
『チベット男性の去勢』と『チベット女性と中国人男性の強制交種(強姦)』で
チベット民族そのものの“血統”を絶ち、『僧侶を政治犯と称して拷問・虐殺』し、
『寺院の90%を破壊』し、中学以上の学校教育では『チベット語を禁止』して
中国語を強制し、最終的には“アジア三大文明の一つであるチベット文明”を
文化・人種・言語・政治を含めて全て“中国”として作り変えるという侵略行為を
(中国では)『民族浄化』と呼んだ。

現在チベットの文化は、インド北部に逃れたダライ・ラマ14世の亡命政府に
よって細々と守られているのだが、このような酷い侵略を受けたチベットに対し、
後年、中国はなんと言ったか。

 「過去は水に流そう」

である。……これを“加害者”が言うのである。
さすが韓国の親分・中国である。謝罪など絶対にしない。

これは最近の在中日本大使館に投石する反日デモに、中国政府が謝罪せずに
「全て日本の歴史認識のせいだ。日本は認識を直すべきだ」と言ったのと同じ
中国流の対応なのである。

ほんの二十数年前にもベトナムに中国が侵攻して、数万人の死傷者と
レイプによる夥しい人数の混血児が残される中越戦争があった後に、
ベトナム外相が中国に謝罪を要請したことがあった。

だが江沢民は涼しい顔で、

 「(ベトナムは)もっと未来志向にならなくてはならない」

と逆に説教を垂れて謝罪を拒否したのである。
32日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 22:27:56 ID:ypkllwjI
質問:
ルーシーリューをどう思いますか?
1.エラ張り
2.肩張り
3.変
33日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 22:28:04 ID:o33l8pBj
で、この工事と平行して
ゴルムドからラサに至るまで14の空軍基地とパイプラインが敷設されたこととかは
朝日は報道しませんね。例によって。これで航空機による継続的展開能力の拡充を図りつつ、
テルリンカ(ツァイダム盆地の217km南東)をはじめ、
現在この高地に敷設されている24の核ミサイルサイロをつなぐように蛇行したこの鉄道と
厚い岩盤に守られたヒマラヤの地下に張られたインド、中央アジア方面を標準した
軌道式核ミサイル発射台の柔軟性に飛んだ運用システムで、
ヒマラヤを抜けたインド北部に人民解放軍を送り込む有機的な先制攻撃のシステムと、
大兵力を局所展開できる大量輸送路が出来上がるわけで。

実際に中国はチベットで軍基盤の「広範囲に及ぶ」展開計画を始めてますし。
34日出づる処の名無し:2005/12/14(水) 23:23:47 ID:ypkllwjI
全部破壊してしまえ。
尊い聖地を軍事基地としてしか捉えられない不粋な輩め
35日出づる処の名無し:2005/12/15(木) 20:02:54 ID:DUSVFO0B
で、何でその中国に日本はODA送ってたんだ?
36日出づる処の名無し:2005/12/17(土) 13:29:23 ID:QZPjXh5l
パルテン・ギャッツオ著
「雪の下の炎」
新潮社刊 2200円

31年間政治犯として中共の刑務所に投獄された僧侶の半生記。
惨たらしい拷問、飢え、「思想改造」集会の連続だったが、彼は圧制者の前に屈しなかった。その高潔かつ不撓の魂の記録は、読むものを圧倒する。

インドへ脱出後、1995年ジュネーブの国連人権委員会にて中共代表者を前に、中共によるチベットでの虐殺ならびに残虐行為を証言している。
37日出づる処の名無し:2005/12/18(日) 20:25:27 ID:wvuzBsou
もう、日本と中国とじゃ単語の意味が違うとしか思えないな
他に納得出来る理由がない・・・
38日出づる処の名無し:2005/12/22(木) 02:05:20 ID:QuvuPwmN
ナルホド
39日出づる処の名無し:2005/12/23(金) 13:32:33 ID:wHYH83eV
チベット独
40日出づる処の名無し:2005/12/23(金) 13:37:48 ID:vM1ExVNY
ODA を送れば日本の企業(要するに癒着政治家)にいくらかのキックバックがあるからだ。
当り前だろそんなの。お互いのワイロワイロ。
日本の税金÷2=中国商人+日本政治家
41日出づる処の名無し:2005/12/23(金) 13:54:50 ID:Dde3BvV/
中国人はとにかく残忍、力の小さい国を押しつぶすのが大好き


で、どうしようか、麻生さん、小泉さん
42日出づる処の名無し:2005/12/27(火) 23:24:45 ID:pmFYX1Yk
まことにけしからん
43日出づる処の名無し:2006/01/07(土) 01:54:19 ID:Ofbsx1xo
沖縄に民族浄化は無い、日本は独裁ではない
44日出づる処の名無し:2006/01/07(土) 02:04:39 ID:CfOS610A
>>24
はいはい暴動暴動

>>43
その通りですね。
45日出づる処の名無し:2006/01/07(土) 02:46:45 ID:nJ4QZKw+
>>1、中国は独裁では無い、民族浄化は無い、、、

ハイ、ハイ。独裁社会主義ですかね? 喜べ今日からあなたも漢民族政策ですかね。
46日出づる処の名無し:2006/01/07(土) 03:10:42 ID:Kp9yQxXn
典型的なエスニッククレンジング。サイテー。
47日出づる処の名無し:2006/01/07(土) 23:50:27 ID:bN0J2/m/
48宮台Jr.:2006/01/08(日) 00:01:21 ID:5zy9soqm
>>31
>チベットを自国の領土にするための侵略では、120万人以上虐殺したうえで

ソースは?ソースがないじゃん。ネットウヨって自分に都合いい証言だけは
証言だけで信じるのに都合悪い証言は信じないみたいねww
49日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:10:56 ID:RX5q5mcb
あたしがしょーこだよ!
50宮台Jr.:2006/01/08(日) 00:15:29 ID:5zy9soqm
miyadaiJr:
低学歴・童貞・無職の「ニート国士」が大繁殖している背景には、
全共闘時代にマルクス革命という「大きな物語」が
崩壊したこが背景にあります。
自分ががんばって「社会のために」運動して、
いつか未来にすばらしい社会を作るという「ユートピア・イデオロギー」は、
低学歴や童貞・無職の出来損ないどもに「生きる意味」を
提供したのでした。

----
右翼・公安用語の基礎知識 / 鈴木邦男(右翼)

デモは本当に楽しいものだ。60年代に学生時代を
送った人は皆、この楽しさを味わったはずだ。
「その点、今の若者はかわいそうだよな」
とオジさんたちは思う。あの頃は余り楽しみは
なかったし、腕を組んで歩いたり走ったりするだけで
嬉しかった。女の子とだって堂々と腕を組めるんだ。
そんな時でもないと女の子と腕なんて組めない。
そんな時、「ウッ、女の人って柔らかいな。あったかいな」
とデモをしながら思い、頭にカーッと血が上ったもんだ。
(P57)
----

デモがネット荒らしに変わり、行動力がさらに低下した現在でも
その基本構造自体は変わっていません。
ネットウヨは徹底的に不幸な人間です。しかしだからといって、
匿名で人種差別や偏狭なナショナリズムを煽ってもよいということには
ならないのです。
51日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:17:31 ID:CnrPz5Wx
お前らは百万年経ったって中国には勝てない
というか誰にも勝てない。子供にも勝てない
52日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:18:26 ID:jOVTJHLy
>>51
つ日清戦争(w
53日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:19:29 ID:CnrPz5Wx
>>52
お前らじゃねえじゃん。
その頃の英雄は今はいない。
この際ちゃんと中国に勝てる人間が現れるまで
日本をリセットしませう
54日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:21:09 ID:jOVTJHLy
>>53
経済的状況で勝っていますが何か?

ってか「何で戦う」んだよ。戦争か?
この平和な時代に戦争か(笑
55日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:22:26 ID:rNKKzvyV
中国のある情報筋によると、人民解放軍は1950年10月7日〜同月25日にかけて、東チベット
各地で5,700人以上のチベット「兵」を東チベットで「根絶」し、2,000人以上を投獄したという。

殺戮・殺人、拷問、僧院への砲撃、遊牧テントの一掃といった話は、数多く記録に残されている。
その種の報告は、国際法律家委員会がまとめた、チベットに関する1960年のリポートにも多数記載されている。

中国軍の機密資料によれば、人民解放軍は1952年〜1958年にかけて、アムドのカンロ[甘南]
地区で996件の反乱を鎮圧し、10,000人以上のチベット人を殺害したという。またアムドのゴロク
[果洛]地区では、1956年に130,000あった人口が、1963年にはおよそ60,000までに減ったという。
パンチェン・ラマ10世は、この地域についてかつて次のように語ったことがある。

「青海省での残虐行為をすべて取り収めた映画があれば、観客は大きな衝撃を受けるに
 違いない。ゴロク地区では多くの人たちが殺され、死体は丘の上から濠にむけて転げ
 落とされた。解放軍兵士たちは遺族に向かって、反乱が一掃されたのだからお祝いを
 しろと言った。あるいはむりやり死体の上で躍らせ、最後には機関銃を掃射した。」

パンチェン・ラマ10世は、演説の中でさらにこう指摘している。

「アムドとカムにおいて、人々は筆舌に尽くしがたいほどの残酷な仕打ちを受けた。10人ずつ、
 あるいは20人ずつに分けて銃殺されることもあった。(中略)こうした行為は、人々の心に
深い傷を残している。」

1959年3月10日にラサで発生した民族放棄が弾圧された際には、3日間で10,000〜15,000人
のチベット人が殺された。他方、人民解放軍チベット軍区政治委員会による1960年の秘密
文書によれば、1959年3月〜1960年10月までの間に、中央チベットだけで87,000人のチベット
人が殺されている。
56宮台Jr.:2006/01/08(日) 00:27:00 ID:5zy9soqm
>各地で5,700人以上のチベット「兵」を東チベットで「根絶」し、2,000人以上を投獄したという。

はいはい捏造証言
57日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:34:47 ID:CnrPz5Wx
>>54
おまえみたいなこと言ってっからダメだっていうんだ。
「◯◯ですけど何か?」これが負け犬のセリフそのもの。
ド負け惜しみ
58日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:37:38 ID:uOfTDAIe
1959年の「ラサ決起」の後、中国側は叛徒の徹底的な弾圧に乗り出した。この前後に行われた
虐殺行為については国際法律家委員会のメンバーが現地人の証言をまとめ、「チベットと
中華人民共和国」というレポートを出している。
中国がまず標的にしたのは「富裕階級」「地主」「村などのリーダー」だった。それらの人々は
公衆の面前で銃殺されたり、焼き殺されたりしたという。「財産を公開しない」という理由である者は
溺死させられ、ある者は生き埋めにされた。
密告制度が導入され、人民裁判、つまり、公衆の面前で個人を卑しめたり、その罪状を糾弾させる
行為が行われた。これにより、子供は親の罪状を、親は子供の罪状をあげつらわなければならなく
なった。子供に自分の親を射殺させるなどの行為も行われた。
中国は、3階級の処刑が終わると、今度は僧侶の処刑と寺院の破壊に着手した。抵抗した僧侶らの
うち、ある者は縄で絞め殺された。その際に、縄で首をしめる道具として仏像が使われたという。
腹を切り裂く、撲殺する、糞尿を食わせる、生きたまま焼き殺したり生体解剖を行ったりと、残虐を
極めた行為で次々と僧侶たちを処刑していく。経典はマットレスやトイレットペーパーに使われた。
中国が殺したのは富裕階級と僧侶だけではない。
新婚の女性は産婦人科で知らぬうちに不妊手術を受けさせられた。「検査」と称し強制的に連行された
男性は、生殖器に何らかの手術を施され、それ以降、性的欲求をまったく感じなくなったという。
子供たちは「中国本土で教育を受けさせる」という名目で連れ去られたまま、二度と戻ってくることはなかった。
59日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:38:19 ID:i44ohz1l
>>57
国際的な常識に中共を当てはめるおまえは大バカ。
80年代後半にもなって、自国民を戦車で踏みつぶす池沼国家だぞ。
「この時代に」なんて考えが通じる相手じゃないだろ。
60日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:39:14 ID:i44ohz1l
アンカー間違った…>>57じゃなくて>>54な。
吊ってくるorz
61日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:40:47 ID:uOfTDAIe
チベット亡命政府の発表によると、「解放」の美名のもとに中国によって殺されたチベット人は
1950年から84年までの間で120万人以上。チベット人口600万人のうち、実に5分の1以上になる。
内訳は以下の通り。

・戦いや蜂起によるもの・・・・・・・・43万2705人
・餓死・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34万2970人
・獄死、強制労働収容所での死・・17万3221人
・処刑・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・15万6758人
・拷問による死・・・・・・・・・・・・・・・・9万2731人
・自殺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9002人

合計・・・120万7387人

中国側は決してこの数字を認めようとしないが、虐殺は現在も続いている。
62日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:46:00 ID:CnrPz5Wx
>>59
中共みたいなキチガイの存在も世界の常識のひとつだ。
いや中共はキチガイじゃない。正常な勢力だ。普通だ。
相手をキチガイと思い込んで逃げるのはイジメラレッコの常套手段だ。
63日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:51:48 ID:HySmxPEn
証言のみで証拠が無いとか言ってみるテスト

64日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:52:40 ID:i44ohz1l
>>62
逃げたくても逃げられないし、ごきげん取ったら
際限なくつけあがることがわかってきたから
さあどうしよう、というのが今の状況だろ?
65日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:53:37 ID:CnrPz5Wx
>>60
答えちまったじゃねえか。
日本が勝てないのは俺のせいだorz
66日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 00:54:57 ID:CnrPz5Wx
>>64
ええい
犯人は俺と決まったのだ。
俺は日本を出る。責任を取る
67宮台Jr.:2006/01/08(日) 00:55:09 ID:5zy9soqm


証  言  の  み  で  証  拠  が  な  いw
68チベット独立運動による死亡者リスト:2006/01/08(日) 00:56:22 ID:4Y7vYs8q
1 ロプサン・レグデン (21) : メド・タクチュ出身、セラ寺の僧侶。1987年10月1日、43人のセラ寺
の僧侶とともに、デモに参加。バルコルの警察署に連行される。警察署のまわりに集まった
チベット人たちは、僧侶たちの釈放を求めるデモを行い、独立要求のスローガンを叫び始めた。
警察署の中では、僧侶たちがダライラマ法王への祈祷を始め、独立要求のスローガンを叫ぶ。
警察は僧侶たちに発砲。ロプサン・レグデンは右頭部を撃たれて即死。家族は遺体を引き取る
ために600元(約9000円)を払わせられた。
2 カルセル (20) : メド・ロブサン出身、ネチュン寺の僧侶。1987年10月1日、セラ寺の僧侶たち
とデモに参加。バルコルで中国人の警察に撃たれて即死。
3 プチュン (20) : シガツェ・ニモ出身、ジョカン寺の僧侶。1987年10月1日、セラ寺の僧侶たちと
デモに参加。午後四時、バルコルで中国人の警察に撃たれる。ラサの市民病院に運ばれたが、同日死亡。
4 ゲシェ・ロプサン・ワンチュク (73) : アムド・ショチュン出身、サンドゥ・ダカール寺僧侶、仏教、
歴史学者。1959年の「ラサ蜂起」の後、アムド地方の重要な宗教指導者の一人と見なされ、逮捕。
1960年1月21日、10年の刑を言い渡される。度重なる「タムジン(糾弾)」により身体は衰弱しきった。
10年の刑期を終えた後、さらに10年を「労働キャンプ」で過ごす。1981年12月3日密かに『チベット
独立史』と題された本を書き、再び逮捕。3年半の刑期を受ける。この本は後に秘密裏に出版され、
チベット人の間に広まった。獄中にても再び『チベットの独立を証する十六の要点』と題する冊子を
作り、死刑を宣告される。だが、ダライ・ラマ法王をはじめとする多くの国際機関の介入により、18年
の刑とされた。長期間手枷、足枷をはめられていたため、手足が麻痺し、また拷問のため視力も失う。
1987年11月7日、ダプチ刑務所にて死亡。
5 ゴンポ・ソナム (61) : シガツェ、ギャンツェ・ラプラン出身、チベット語及び文学者。1959年の
「ラサ蜂起」の際、時中国軍と戦う。60年逮捕、2年の懲役。文化大革命中の66年再び逮捕され、
16年を刑務所と労働キャンプで過ごす。83年9月30日、三度目の逮捕。ダプチ刑務所に入る。
度重なる拷問のため、癲癇発作がひどくなる。85年、病状悪化のため、釈放。87年12月23日死亡。
69チベット独立運動による死亡者リスト:2006/01/08(日) 00:58:41 ID:4Y7vYs8q
6 ジャンパ・テンジン (49) : ジョカン寺僧侶。1987年10月1日、セラ寺の僧侶たちがデモを行う。
警察署に連行されたセラの僧侶たちを救おうと、市民はその警察所に火を放った。ジャンパ・
テンジンは僧侶を逃がすために 燃え盛る焔の中に走り込み、大やけどを負う。その時の写真
とエピソードは、その後チベット内外に広く伝えられた。同日に逮捕。しかし翌年の1月22日、
故パンチェン・ラマの介入により釈放。2月21日の深夜、数人の警官が彼の家に来て、激しい
言い合いがあったと言う。3月の初め、御堂の中で、首に縄を捲いた姿で死亡。死因の真相は未だ不明。

7 シェラップ・テンジン (30) : ラサ出身、トラックの運転手。1988年3月5日、ラサでの大規模な
独立要求デモに参加。警官に頭部を撃たれ即死。

8 ゴンポ・ペルジョル (30) : カム出身。1988年3月5日、デモに参加。警官に頭部を撃たれ即死。
なおこの日のデモには6千人のチベット人が参加。警官隊の発砲により5人が死亡、300人以上が負傷した。

9 ロプサン・ソナム(29)ラサ・ジョブンカン出身、シンハ印刷所社員。1988年3月5日、デモに参加。
警官に背後から撃たれ、胃の右側を貫通。ラサ人民病院に運ばれたが、デモに参加したという
理由で手当てを拒否される。4月5日死亡。

10 ラクパ・ドンドゥップ(29) ラサ・ツェモンリン出身。1988年3月5日のデモに参加、グツァ刑務所
に拘留される。5月5日、拷問により死亡。

11 ロプサン・ドルマ(26) ネェタン出身、シュンセップ尼寺の尼僧。1988年5月17日、グツァ刑務所
に拘留。同年7月17日に釈放。二週間後にインドへ亡命を試みるが、拘留中に受けた拷問による
傷のため、途中ヒマラヤ山中で死亡。

12 ガワン・クンガ(27) ペンポ・ルンドゥプ出身、デプン寺の僧侶。1988年12月10日、独立要求デモ
に参加。警官に撃たれ、即死。

13 イシェ・ルンドゥプ(75) ロカ出身。政治的理由により、1987年11月24日に逮捕される。1988年
12月15日、釈放。三日後に、拷問による傷のため死亡。
70チベット独立運動による死亡者リスト:2006/01/08(日) 01:00:50 ID:MdWmerNu
14 アヌ(32)ラサ出身、大工。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に胸を撃たれる。
友人たちが病院に運ぶ途中、死亡。

15 ニマ・ダクパ(26)ラサ出身、商店経営。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。

16 ロプサン・プンツォック(51)ラサ出身、商店経営。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。

17 ペルジョル(20)カム・ツァロン出身、作業員。1989年3月5日、ラサでの独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。

18 ワンデン(30)トゥルン出身、運転手。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。

19 タシ・プンツォック(37)ラサ出身、運転手。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。

20 アヌ(28)ラサ出身、建設作業員。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれ、死亡。

21 クンチョク・ジャムヤン(21)ラサ出身。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たる。病院に運ばれたが、まもなく死亡。

22 ロプサン・ゲレック(48)カム・カンゼ出身、ラサにて商店経営。1989年3月5日、独立要求デモに参加。警官隊に撃たれる。3月24日、死亡。

23 ガワン・ゼゲン(19)トゥルン・デチェン出身、デプン寺の僧侶。1989年9月27日、独立要求デモに参加。
逮捕され、グツァ刑務所に拘留。四カ月後釈放されるが、拷問で受けた傷より、数日後死亡。

24 ロプサン・ドルマ(24)チュウシュル・ネタン出身、シュンセップ尼寺の尼僧。1988年5月17日、デモに参加。
逮捕され、グツァ刑務所に二カ月拘留。釈放後、拷問の後遺症のため、すぐに入院。回復することなく、1989年に死亡。

25 チュゼ・テンパ・チョペル(66)ノルブリンカの庭師。政治的理由により1987年12月15日に逮捕される。
1989年12月、拷問により死亡。
71チベット独立運動による死亡者リスト:2006/01/08(日) 01:03:24 ID:MdWmerNu
26 ケルサン・ツェリン(29)ペンポ・ルンドップ出身、セラ寺の僧侶。1989年12月10日、独立要求
デモに参加。警官隊に撃たれて、負傷する。一カ月後、ラサの人民病院にて死亡。

27 リグジン・チョデン(25)ロカ出身、シュンセップ尼寺の尼僧。1989年5月5日、15人の尼僧と
ともに独立要求デモに参加、逮捕される。グツァ刑務所に一日拘留された後、チュシュル刑務所に
一週間拘留される。釈放後、拷問の後遺症のため、入院。1990年3月8日、死亡。

28 ラクパ・ツェリン(19)ラサ・キレー出身、学生。反政府組織「雪獅子青年組織」のメンバーである
として、1989年11月4日逮捕される。グツァ刑務所に拘留され、2年の懲役を受ける。ダプチ刑務所
にて服役中、拷問のため体を崩すが、三度も診察を拒否される。1990年12月13日、ダプチ刑務所で死亡。

29 ジャンパ・ゲレク(26)メド・ゴンカ出身、ガンデン寺の僧侶。1988年3月5日、独立要求デモに参加、
逮捕。拷問のため、頭部損傷、聴力を失う。四カ月後に釈放されるが、拷問の後遺症のために、1991年死亡。

30 パッサン・ツェリン(34)マルカム出身。1991年7月6日、ラサのトムシカン市場でダライ・ラマの
誕生日を祝ったため、警官隊に囲まれて殴られる。人民病院に担ぎ込まれたが、まもなく死亡。

31 ツァムラ(32)ラサ・ギャルカラン出身。1989年3月5日、独立要求デモに参加。逮捕され、酷い
拷問を受ける。1989年10月10日、鉄の棒で中国人武装警官を殴ったという罪で有罪判決を受ける。
拷問で受けた損傷のため入院したが、医学生による実験手術を受ける。1991年8月25日死亡。

32 ラバ・ドンチュウ 1989年逮捕、グツァ刑務所に拘留される。拷問により、脾臓損傷。ラサの
人民病院に運ばれるが、1991年11月、死亡。
72チベット独立運動による死亡者リスト:2006/01/08(日) 01:05:28 ID:prf2GdpW
33 クンサン・チュキ(24)シュンセップ尼寺の尼僧。1989年3月1日、逮捕され、チュシュル刑務所
に拘留。1992年10月、釈放されて一カ月後に死亡。

34 リクジン・チュデン(26)ロカ・ゴンカ出身、シュンセップ尼寺の尼僧。1989年3月2日、シュン
セップ尼寺の尼僧16人とともに、デモに参加、逮捕される。リンポチェの介入により、一週間後に
釈放されるが、拷問による損傷のため入院。退院後も自宅で床に伏せる。1992年10月10日、死亡。

35 ダワ・ドンドップ(32)ギャンツェ出身。1989年3月5日、デモに参加、逮捕される。懲役2年。
釈放された後も長く拷問の後遺症に伏せる。1992年11月2日、自宅にて死亡。

36 ニマ(25)ロカ・ゴンカル出身、シュンセップ尼寺の尼僧。1989年3月2日、シュンセップ尼寺の
尼僧16人とともに、デモに参加、逮捕される。リンポチェの介入により、一週間後に釈放されるが、
拷問による肋骨損傷のためラサの市民病院に入院。精神障害も起していた。死亡日時は不明。

37 ドンドップ・ギャルポ(19)ペンポ・ルンドゥップ出身、ナマル寺の僧侶。1993年6月、政治的理由で
拘留された二人の友達を逃がす手助けをする。警官に追われる途中で、キチュ河に投身自殺。
73チベット独立運動による死亡者リスト:2006/01/08(日) 01:07:49 ID:prf2GdpW
38 プンツォ・ヤンキ(20)タクツェ出身、ミチュンリ尼寺の尼僧。1992年2月3日、デモに参加、逮捕。
懲役五年。グツァ拘置所で6ヵ月間に及ぶ尋問を受けた後、ダプチ刑務所で服役。1994年2月11日、
刑務所内で14人の尼僧らと共に、チベット愛国歌を歌う。さらに刑期が延ばされる。激しい拷問の末、
下服部に激しい痛みを感じ、看守に病院での診察を懇願したが、無視される。痛みで全く眠れまま
過ごし、九日後、意識不明に陥る。病院に収容されたものの、6日後に死亡。

39 ラダル(33)カム・リタン出身、リタン寺の僧侶。1994年8月18日、リタン寺の僧侶たちと独立要求
デモに参加し、逮捕される。拷問のため、数日後、拘置所の中で死亡。

40 ロプサン・ユンテン(65)ロカ・ゴンカル出身。幼少の頃、デプン寺にて出家。1959年のラサ蜂起の
際に逮捕。23年間を刑務所と労働キャンプで過ごす。1987年、ラサで六人の子供たちに文字を教え
始める。いずれも、経済的事情等で学校に行けない子供たちであった。1993年には、60人の子供たち
を抱える学校になり、ロプサン・ユンテンは「ツァスルおじさん」と呼ばれるようになった。1993年5月17日
から23日までラサを訪れた、ヨーロッパからの視察団に連絡を取ろうとして、逮捕される。1994年10月30日、
拷問による傷害のため死亡。
74チベット独立運動による死亡者リスト:2006/01/08(日) 01:11:00 ID:s/L/zPG/
41 ゲルツェン・ケルサン(24)ラサ近郊ニャンデン出身、ガル尼寺の尼僧。1993年6月14日、
11人の尼僧とともに独立要求のデモに参加し、逮捕。二年の懲役。拷問による内臓損傷の
ため、起き上がれなくなる。1994年11月、入院。容体は悪化し、下半身不随、言語障害に
陥る。1995年2月20日、死亡。

42 シェラップ・ガワン(18)メド・ゴンカール出身、ミチュンリ尼寺の尼僧。1992年2月3日、
尼僧4人とセラ僧院の僧侶1人と共に、独立要求デモに参加、逮捕。懲役三年。ティサム
刑務所に送られる。1994年8月10日の夜、尼僧たちと一緒にチベット愛国歌を歌う。激しい
拷問を受けた挙句、手錠をされたまま独房に3日間入れられた。以後、記憶がちぐはぐに
なり、言動がおかしくなる。1995年2月2日、刑期を終え、釈放。入院したものの、同年4月17日
死亡。拷問が原因で死亡した最年少の政治犯。

43 タシ・ツェリン(59)シガツェ・ヤンモガブリン出身、ドンツェ寺の僧侶。1989年11月28日、
独立要求のポスターを貼ったために、逮捕される。懲役七年。ダプチ刑務所で服役。
1994年9月、病気のため、釈放。1995年5月17日、死亡。

44 ワンドゥ(26)シガツェ・シェトモン出身、タシルンポ寺の僧侶、11世パンチェン・ラマの
霊廟の管理人。1995年、中国人の工作隊が寺に来て、ダライラマ法王が認めた12世
パンチェン・ラマを非難するように強制する。1995年6月24日、非難することに耐えられず、
自ら死を選ぶ。

45 ダワ・ツェリン(28)ラサ出身。1989年3月5日、ラサでのデモに参加。8日、逮捕。
サンイップ刑務所に、1990年5月まで拘留される。拷問による後遺症のため、背中が曲がり、
まっすぐ立つことができなくなる。病院に入院。五年後の1995年8月19日、退院することなく死亡。

46 ケルサン・ダワ(29才)ペンボ出身、画家。1993年の4月、或いは5月に、チベット国旗と
チベット独立要求のポスターを制作したため、逮捕。サンイップ刑務所に送られる。ある夜、
酔った看守が部屋に突然入ってくるなり、寝ていなかったケルサン・ダワを翌朝まで撲打し続けた。
この日から彼の心身は異常をきたし、強い頭痛を訴え、「一人にしないでくれ」と泣き叫ぶようになる。
95年10月14日、部屋で首を吊って死んでいるのが発見された。
75チベット独立運動による死亡者リスト:2006/01/08(日) 01:14:34 ID:JBr/ZVjK
47 ツェニ(23)ラサ出身、「西蔵日報」新聞社に勤務。1990年2月にインドに亡命するも、父の
葬式のためラサに帰国する。1994年、税金値上げ反対のデモに参加。デモは数時間後に
独立要求デモとなる。逮捕され、グツァ刑務所に拘留。妊娠していたのにも拘らず、拷問される。
一時的に釈放されたが、常に監視され、脅され続けられる。精神的に耐えられず、自殺。後には、
一才にも満たない子どもが残された。

48 ソナム・タシ(56)ラサ出身、商店経営。1993年5月25日、独立要求デモに参加。5月27日、逮捕。
1994年に釈放。1995年に、拷問による傷害が原因で死亡。

49 プルブ・ツェリン(36)ラサ・ダナクショ出身、セラ僧院近郊の経文印刷所工員。1989年3月、
独立要求デモに参加。公安派出所で、武装警官隊に鉄パイプでめった打ちされる。頭蓋骨
損傷を受け、意識不明になる。手術を受け、4ヵ月間入院。その後自宅に戻ったが、半身不随
になり、度々全身痙攣を起しす。回復することなく、1996年2月7日、死亡。

50 サンゲ・テンペル(19)ウマ出身、ダムシュン・カンマル寺の僧侶。1995年4月、政治的理由
で逮捕。グツァ刑務所に4カ月拘留された後、ダプチ刑務所にて服役。1996年5月、ダプチ刑務所にて死亡。

51 プルブ チャムド・ダヤップ出身、ダヤップ・マゴン寺の僧侶。1996年5月、寺に工作隊が来て、
ダライラマ法王の写真を没収し、僧侶たちに思想再教育を強制的に受けさせた。プルブは法王の
写真を工作隊に渡すのを拒み、公安に連行される。五日間、拘留され、激しい拷問を受ける。
翌日、橋から投身自殺をする。数時間後、川に死体が見つかった。

52 ルンドップ・テンダル(66)ナムリン出身、ガンデン・チョコル寺の僧侶。1996年6月、寺に来た
工作隊の尋問に耐えられず、ナムリン川に投身自殺を計る。
76チベット独立運動による死亡者リスト:2006/01/08(日) 01:17:11 ID:JBr/ZVjK

53 ケルサン・トゥトップ(49)トゥルン・サンダ出身、デブン寺の僧侶。デブン寺で結成された
「フリーダム運動」のメンバー。「世界人権宣言」のチベット語翻訳、「チベット民主憲章」と
題される秘密文書の作成、印刷をする。1989年5月、メンバー4人が捕まった後、ケルサンは、
警察から逃れるためにインドへ亡命を試みる。だが、国境の町ダムで、ケルサンと仲間が
乗っていたトラックが事故で横転。怪我をした仲間を病院に運ぶ。病院で二人とも逮捕される。
懲役18年。ダプチ刑務所で服役中の1996年7月4日、尋問室に連れて行かれる。2時間後、
帰された時には、うめくばかりで、一言も口がきけない状態だった。その夜、病院に収容
されたが、翌朝4時に死亡。鳥葬に立ち合った者たちは、睾丸が一つ無残に潰されていた
ことを確認した。

54 ドルジェ・カンチリ(66)アムド・ツェゴタン出身。公安が家に押しかけ、ダライラマ法王の
写真を見つけると、罰金として8,000元($750)を要求した。ドルジェが反抗すると、公安は
彼に殴る蹴るの暴行を加えた。入院したものの、二十日後に死亡。

55 プルブ(34)ラサ・ガリンシャ出身。1989年3月、独立要求のデモに参加。人民病院へデモ
行進中に、警官に撃たれる。入院し、手術を受ける。足を切断。退院したものの床から起き
上がることはできなかった。1996年9月3日、死亡。

56 ジャンペル・ティンレー(25)チャムド・ツァワベンダ出身、チャムド寺の僧侶。1996年3月30日、
公安が寺に来て、ダライラマ法王の写真が隠されていないか、全ての僧房を捜査した。公安は
ジャンペルの部屋で独立要求のビラを発見。ジャンぺルと二人の僧侶が逮捕され、チャムド
警察署に連行された。厳しい尋問と拷問を受ける。1996年9月13日、治療を理由に釈放。五日後、死亡。

57 ワンドゥ(24)シガツェ・トンモン出身、タシルンポ寺の僧侶。寺に来た工作隊に、ダライラマ
法王と寺の座主チャデル・リンポチェの批判を強制される。チャデル・リンポチェは、ダライラマ
法王と連絡を取って、パンチェン・ラマ12世を指名したことで、逮捕されていた。ワンドゥは
工作隊に反抗し、批判するのを拒んだ。しばらくした後、自殺しているのが発見された。
77チベット独立運動による死亡者リスト:2006/01/08(日) 01:18:51 ID:4ePDha4i
58
58 リクジン(61)ガリ・ラプラン出身。自宅の仏壇にダライ・ラマ法王の写真を飾っていたとして、
1996年8月、或いは9月に逮捕される。懲役3年。ガリ刑務所にて服役中に、拷問のため、立ち
上がれなくなり刑務所内の病院に収容される。一ヵ月後、様態が悪化し、釈放される。1997年
2月11日、自宅にて死亡。

59 ジャンペル・リンレー(28)チャムド寺の僧侶。1997年春、僧院に独立要求のビラを貼ったため、
逮捕。拷問のため、昏睡状態に陥る。病院に運ばれたが、四時間後に死亡。

60 テンチョク・テンペル(27)サキャ・シャパ出身、サキャ・トゥペ寺の僧侶。1996年末、寺に来た
工作隊は、僧侶たちにダライラマ法王を非難する文書の提出を強制する。1997年9月1日、テン
チョクは法王を賛嘆する文書を提出、逮捕される。サキャ刑務所に拘留され、拷問を受ける。
15日後、独房で首を吊って自殺。

61 ジャンパ・チョデン(21)チャムド・タワテン出身、僧侶。1997年夏、政治的理由で、拘留される。
釈放されたが、再逮捕されると知り、自殺を計る。

62 パッサン・ダワ(21)タクツェ出身、デチェン・サンナック寺の僧侶。1994年12月8日、ラサにて
独立要求デモを一人で行い、逮捕される。懲役五年。ダプチ刑務所にて服役中、度重なる拷問
のため、内臓障害で苦しむ。病院で治療を許可されたが、毎夜、刑務所に戻らねばならなかった。
容体は悪化し、1997年12月17日、死亡。
78チベット独立運動による死亡者リスト:2006/01/08(日) 01:22:26 ID:zNyWmVAE
63 トゥプテン・ゴドゥップ (60) チベットのシガツェで生まれる。タシルンポ寺にて出家。1959年に
ダライ・ラマ法王を追ってインドに亡命するまで僧侶であった。インドでは、他の多くのチベット人
がそうだったように、道路工事の人夫をして数年過ごす。当時、道路脇の粗末なテントで寝起き
するような劣悪な待遇のため、栄養失調や結核で亡くなるチベット人は絶えなかった。1964年、
インドの軍隊に入る。23年務めた後、1987年からはダラムサラのツェチョリン寺にて料理人を
していた。1998年4月27日午前七時、焼身自殺を計る。あらかじめ用意していた灯油をトイレの
中で被り、ハンスト用テントの前でライターに火を付けた。直前まで、皆とごく普通に会話をして
いたという。興奮した様子は全く無く、いつものように冷静だった。4月29日午前12時15分、死亡。
敬虔な仏教徒で日々祈りを欠かさず、いつも朗らかな優しい人だったと生前の彼を知る人たちは言う。
ツェチョリン寺にあった彼の小さな家は、身寄りが誰もいないため、寺に寄贈された。家のまわりには、
手入れのよく行き届いた花が今日もたくさん咲いている。

64 ガワン・デキ(25)ダムシュン出身、ポト尼寺の尼僧。1995年、独立要求デモに参加、逮捕される。
懲役6年。ダプチ刑務所で服役中、1998年1月5日、拷問による損傷のため、病院に入院。1998年1月
21日、死亡。家族は、死亡するまで、状況を知らされなかった。

65 イシェ・サムテン(22)タクツェ・デチェン出身、ガンデン僧院僧侶。1996年5月6日、ダライラマ
法王の写真の撤去を命じた工作隊に、僧侶たちは強く抵抗し、90人の僧侶が逮捕される。イシェ
・サムテンは懲役2年を受ける。トゥルン・ティサム刑務所に入れられる。2年の刑期を終了し、
1998年5月6日、釈放。だが、度重なる拷問と刑務所での劣悪な待遇により、重体だったため、
即入院する。釈放後6日目、1998年5月12日、死亡。
79チベット独立運動による死亡者リスト:2006/01/08(日) 01:24:14 ID:zNyWmVAE
66 チュキ・ワンモ(21)ペンポ・ルンドップ出身、シャルブンバ尼寺の尼僧。1994年6月、四人の
尼僧とともに独立要求デモに参加。懲役5年。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での
独立要求デモに参加。拷問により死亡。

67 ガワン・チュキ(26)ペンポ・ルンドップ出身、シャルブンバ尼寺の尼僧。1994年6月、四人の
尼僧とともに独立要求デモに参加。懲役5年。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での
独立要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられ、遺体を引き
取ることはできなかった。

67 タシ・ラモ 尼僧。1992年、独立要求デモに参加、逮捕される。懲役6年。1998年5月1日、
4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに参加。拷問のため、危篤に陥る。1998年6月7日、
病院にて死亡。刑期が終わろうとしていた矢先のことであった。

68 ケドゥン・ユンテン 尼僧。ニェモ出身。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立
要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられる。

69 デキ・ヤンゾム 尼僧。ニェモ出身。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立
要求デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられる。

70 ロプサン・ワンモ 尼僧。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求デモに
参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したと告げられる。

71 ガワン・テンキョン (28) ガンデン寺の僧侶。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での
独立要求デモに参加。5月5日、拷問により死亡。

72 ケドップ(26)ガンデン寺の僧侶。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立要求
デモに参加。拷問により死亡。家族は、自殺により死亡したという文書に無理やり署名させられた。
遺体は引き渡してもらえなかった。

73 ロプサン・チョペル (22) カンマル寺の僧侶。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での
独立要求デモに参加。一週間後に自殺したと伝えられる。
80チベット独立運動による死亡者リスト:2006/01/08(日) 01:26:13 ID:oyPv+LSO
74 ガワン・テンジン ナランダ寺の僧侶。1998年5月1日、4日に起きたダプチ刑務所での独立
要求デモに参加。6月7日、拷問により死亡。

75 ソナム・ワンドゥ(44)ラサ出身。大工。1988年3月5日のラサで起きた大規模なデモに参加し
逮捕される。度重なる拷問により、下半身不随となり、1993年、病気を理由に釈放され、自宅
軟禁となった。逮捕後、二人の幼い息子はインドへと亡命し、難民学校に通っていたため、
管を通して排泄される尿便の処理は、叔母が面倒をみていた。持っていた財産の全てを
没収されて失ったため、ソナム・ワンドゥは車椅子に乗ったまま、古くなった机やテーブルの
色を塗り替える仕事をして、なんとか生計を立てていた。だが、病状は悪化する一方で、常に
激しい頭痛に悩まされ、次第に話すことも、聞くことも難しくなっていった。1999年3月、死亡。

76 プンツォ (60) ラサ出身、元タールン寺の僧侶。インドにあるチベット亡命政府へチベットの
人権侵害を記した手紙を送ったことで、1995年に逮捕される。2年の懲役を受けるが、拷問に
よる障害のため、治療を理由に釈放される。回復することなく、1999年9月2日、死亡。

77 ソナム・リンチェン(27)メドクンガ出身。1987年のデプン寺僧侶たちによる初めてのデモに
感化され、メドクンガの村に独立要求のポスターを貼り、ビラをまく。1990年、メドクンガでの
政治集会にて、村近郊で行われている採掘事業の取りやめを要求。1992年6月12日、政治
集会で四人の仲間とともに「チベット独立」「ダライラマ法王万歳」などのスローガンを叫び、
逮捕される。懲役15年。ラサのダプチ刑務所で服役中の2000年1月、拷問により死亡。
81日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 01:43:27 ID:JsXjB9xm
>>67
自分でググればぁ〜?
動画も写真もあるぞ。

ママが居ないと何にも出来ないんでちゅか?オボッチャン?
82日出づる処の名無し:2006/01/08(日) 09:57:25 ID:vEnfvlhO
>>77-80
乙。

酷い話だな。
でもこれらの悲劇は、ほんの一部にすぎないのだろうね。
83日出づる処の名無し:2006/01/11(水) 11:58:03 ID:TyUAxu0V
チベット「虐殺」審理へ/人道の罪、スペインで

 【パリ10日共同】スペインからの報道によると、マドリードにある全国高裁は10日、中国によるチベット支配で多数が殺害されたとして、中国の江沢民前国家主席や李鵬元首相ら7人を人道に対する罪などで告発した非政府組織(NGO)の訴えについて審理入りを決めた。

 告発したのはマドリードにあるNGO「チベット支援委員会」など。中国がチベットを統治下に組み入れた1951年以降、100万人以上のチベット人が殺害されたり、行方不明になったりしたと指摘。7人はチベットでの大量虐殺や拷問を認めたと主張している。

 全国高裁の予審判事は昨年9月、いったん訴えを退けたが、同委員会などが上訴。同高裁は10日「訴えは大量虐殺があった可能性を示しており、取り調べの必要がある」と判断した。
http://www.shikoku-np.co.jp/news/kyodonews.aspx?id=20060111000091
84日出づる処の名無し:2006/01/11(水) 12:24:51 ID:Rq5BAu2v
証拠もないのに、過去の日本の戦争時の人権侵害を
事実と断定して批判しまくる朝日や左翼の人権屋は、
何故、現在進行形で行われている可能性が高い
中国によるチベット人権侵害を、全然批判しないのだろう?

朝日や人権屋には、人の心がないのだろうか?

そういえば、未だに従軍慰安婦の強制連行は事実だと言い張る
田島陽子も、チベットのことは全然批判しない。
心も顔も、日本一醜い女だな、奴は。
85日出づる処の名無し:2006/01/11(水) 14:45:32 ID:TyUAxu0V
スペインでチベット「虐殺」審理へ 当時の中国首脳らを告発
>>83と同じ内容)
 スペインの法律は人道に対する罪について、外国で行われた場合でもスペインで裁くことを認めているが、最高裁は2003年、審理できるのは被害者にスペイン人が含まれている場合に限られるとの判断を示した。
しかし、憲法裁が昨年10月、スペイン人の被害者がいなくても大量虐殺について審理できるとの新見解を示し、今回の審理入りに道を開いた。
http://www.sankei.co.jp/news/060111/kok035.htm
86日出づる処の名無し:2006/01/12(木) 11:30:30 ID:LeKedyNf
『これが中国の国家犯罪だ』 ジャムヤン・ノルブ 戸根 由紀恵・訳 発売1月12日

こんなにひどい中国製品を買ってはいけない
■内容紹介■
多数の死刑囚からの移植用臓器摘出、強制堕胎、宗教弾圧、ならずもの国家への核兵器供給、こんな中国には不買運動で抗議すべきだ

著者はチベットの反中国抵抗運動家で、現在はアメリカに住みながら作家として活躍中です。
中国がいかに非人道的な政治をしているか、さまざまなメディアに報じられた断片をつなぎ合わせ、全体像をつかみやすく描きだしました。
強制的堕胎、死刑の乱用、処刑した囚人の臓器の売買、精神病院を利用した弾圧、核兵器の輸出など、こうしてみると、改めて大変な国が隣りにあるのだと痛感させられます。
中国を考えるうえでまず読んでおかねばならない基礎文献といえるでしょう。(KN)

定価(税込) 1600 円 ページ数 176ページ 判型 四六判並製カバー装 初版発行日 20060115
http://www.bunshun.co.jp/book_db/html/3/67/77/4163677704.shtml
87日出づる処の名無し:2006/01/12(木) 12:00:04 ID:plUsiRcB
>>83
これ、なんとか、こちらが緑豆や筑紫のようなキチサヨではないという証明と、
賛同し応援してますということを伝える方法はないのか。
88毛沢東 ◆MwKQAfxIM6 :2006/01/12(木) 12:23:22 ID:OuGUHJa6
おまえらが何やっても中国には無力だから安心して死ね(^^)
89日出づる処の名無し:2006/01/12(木) 12:26:02 ID:0amKsQ0O
>>88
ケザワ、合格おめでとう。
もう、ヒマになったのかい?
それから、高級学校卒業は?
90日出づる処の名無し:2006/01/13(金) 00:23:50 ID:mcdjDVuA
>>88
まあ〜無力って意味じゃお前も一緒なwケザワちゃんwww
91日出づる処の名無し:2006/01/16(月) 13:21:15 ID:dNWg62BG
無力なら歌で戦いを止めてはどうだろう?
92日出づる処の名無し:2006/01/16(月) 13:50:29 ID:QBDoNrzQ
>>88
あっ、お、おめでとうございます。m(_ _)m

これで、晴れて、「東   大   生」ですね。
93大和 ◆JApAN.yB6w :2006/01/16(月) 13:54:17 ID:1RS+CBR6
帝国大学うかったの?
頭いいなw
94日出づる処の名無し:2006/01/18(水) 20:10:11 ID:BOrVSXnG
>>54
中国擁護派は戦争が大好き
ネットサヨクは戦争が大好き
自称平和主義者は戦争が大好き
95日出づる処の名無し
>>50
「反日」という人種差別を煽り、偏狭な中韓ナショナリズムを擁護する
ネットサヨは徹底的に不幸な人間です。
低学歴・童貞・無職の「ニート左翼」は、
「出来損ないの自分達に生きる意味を提供してよー」と、
大昔に崩壊した「マルクス革命」という詐欺カルトの幻想を追いかけて、
真っ当に現実を見つめる民族派を妬み、必死で噛み付くわけですね。
ミジメな宮台Jrに大笑いw