122 :
岡田:
「岡田に告ぐ」さんにいろいろ言われたので、自分でも南京戦史等を見直してみましたが、いろいろ興味深いことが確認できました。
前スレ888>
>第一戦車連隊・第一中隊が第9師団へ12/13付けで急遽転属になったのを前述したが、
>それは、9師作命甲第126号の
・・・
>戦車第1大隊ノ1中隊
>っと明記されている。
ダウト
「戦車第一大隊ノ一中隊」は「戦車第1大隊の中の1つの中隊」と言う意味です。
第一戦車連隊・第一中隊という意味ではありません。
つまり、戦車第1大隊の中の1つの中隊が南京入場前から第9師団の指揮下にいたのです。
第一戦車連隊・第一中隊が第9師団の指揮下に入ったのは南京入場後(要するに12月13日午後4時ごろ)です。(平成5年発行 南京戦史資料集U 417P 戦車第一大隊第一中隊行動記録)
ちなみに九師作命甲第125号は12月9日午後4時、九師作命甲第130号は12月13日午前7時、九師作命甲第131号が12月13日正午です。
12月13日午後四時に第9師団の指揮下に入った第一戦車連隊・第一中隊が、九師作命甲第126号に載ってるわけが無いでしょう。
123 :
岡田:2005/11/26(土) 00:08:35 ID:ha1tt3c/
戦車第一大隊ノ一中隊についてもうちょっと調べてみました。
南京攻略戦闘時、第9師団は右翼部隊と左翼部隊に分かれ、戦車第一大隊ノ一中隊を含む右翼部隊が中山門を攻め、歩兵第19連隊を含む左翼部隊は 雨 花 台 の東の端のあたりを攻めていました。
12月11日には右翼部隊の戦車中隊に次のような命令が出されています。
「戦車第一大隊ノ一中隊ハ先ツ左第一線連隊ノ城外ノ敵陣地奪取ニ協力シタル後右第一線連隊ノ中山門占領ニ協力スヘシ」(六旅作命甲第134号 平成元年発行 南京戦史資料集 548P)
12月11日と言えば、ちょうど左翼部隊が雨花台を攻撃している最中です。
岩仲戦車隊の一部には雨花台方面の攻撃に参加するように命令が出されていたみたいですね。
岩仲戦車隊の兵士が雨花台にいても不思議ではないですね。
どうやら、中山氏の証言の信憑性は高いようですね。
中山氏の証言の信憑性は高いよう ≠ 0
>>104 確信犯であることは、東京裁判時の証拠集めが結論ありきだったこと、
目的達成のために証拠の捏造まで行ったこと、明らかに捏造だと判明
している証拠や写真などを、現在でも証拠として利用し、大虐殺を
主張していること、戦前から既に否定され、東京裁判においてすら
証拠資料として認められなかった「田中上奏文」などを現在でも持ち出し
て日本の侵略を批判していること。
プロパガンダのために作られたものを使って宣伝し、それを外交的
に利用しているわけだから、そこで強調されるものがプロパガンダ
に過ぎないのは明らかでしょう。
そして、中国では共産党政権が出来る前からこのようなことが行われ
ていました。
たとえば、国民党軍は昭和十三年に日本軍の追撃を逃れるために黄河の堤防
を爆破して水死者百万人、被害者六百万人と言われてるんだけど、これにつ
いても日本軍の仕業だと宣伝していた。
この真相について国民党政府が自白したのは、1976年の「戦史論集」においてだった
(当時の工兵参謀による「抗日戦争期間黄河決口経過紀実」)。
上海爆撃に絡んで同様の政治宣伝が為されていたことがk・カール・カワカミ
の「シナ大陸の真相」でも指摘されている。
「三光作戦」という言葉も、共産党が国民党を避難し、中傷するときには
国民党の行ったことだと宣伝し、逆に国民党は共産党の行った行為だと宣伝
するために使われた言葉だ。
だから台湾の辞書には「中共軍による地主への「精算(粛正)闘争」用
スローガンとして、「分光(分け尽くす)」・「吃光(食べ尽くす)」・
「用光(使い尽くす)」と書かれており、黄文雄氏も小学生時代に中共軍の
闘争スタイルだと教わった、と語っている。
一方中国の辞書には「槍光(奪い尽くす)」・「焼光(焼き尽くす)」・
「殺光(殺し尽くす)」で、蒋介石の国民党が人民を殺害する悪政のスローガン
だった、としている。
つまり、中国人が相手を誹謗宣伝する時に使う言葉であり、だから日本相手に
もその言葉が使われた。
同じように、黄文雄氏がかつて台湾で見た、中共の悪行の証拠であると銘打た
れた写真が、日本軍悪行の証拠として日本で紹介されているのを見た、という。
また、日本兵が中国人をくくりつけ銃剣の練習台にしているという写真
について1939年アメリカの「ローダウン」誌では、このような記事が書かれた。
「その一枚の写真は歴史は興味深いものである。
というのは、ほとんどその手の写真の歴史に光を当てることになるからである。
最初、その写真は1919年に上海で絵はがき用に売り出されたものである。
その時は内陸地方で暴虐を働く軍閥の一人を避難するプロパガンダとして使われ
ていた。
それから一、二年後に再び登場したのである。
今度は北方の地域で中国の共産主義者の将校が中国人の捕虜を虐待している
写真としてある。
それにいつまでも止まってはいなかった。
日本軍が満州へ進出すると、反日プロパガンダに使われた。
満州の危機が収束しニュース価値がなくなると、1934年に今度は蒋介石が中国紅
軍掃討作戦を行っているときに中国共産主義者によって行われた残虐行為を
写したものとして再び登場した」
また戦後の中国では、日中戦争時の中国側死者数も政治的都合によってどんどん
水増ししている。
こういった捏造の文化は現在の中国マスメディアにも脈々と受け継がれている。
揚子江を泳ぐ毛沢東の写真報道で人民日報が偽造を行ったことは世界中で知られ
ているし、これは毛沢東を神格化するためになされたものだ。
四人組打倒の後、毛沢東の葬儀の公式写真から江青らの姿が抹消されたことも有名。
当然こういったことは、情報を独占している中国共産党の意志があってこそ
出来ることだ。
このような中国が行ってきたプロパガンダの例から、あるいは歴史をも
政治に利用するという中国の伝統的な考え方と、先述した東京裁判での証拠集め
のやり方、明らかに捏造と判明していることを今でも利用しつづけていると
いったことから判断して、プロパガンダ以外の何ものでもないだろうと。
また、アメリカの議会に提出された報告書でも、中国政府が戦争問題を日本
に対して持ち出すのは、日本に対して外交的優位に立ち、援助を引き出すため
だと指摘されているし、中国共産党筋の発言で、歴史カードでまだまだ日本から
金が引き出せるという発言があった、あるいは、二十万しかいない南京で三十万
虐殺されたというのはおかしいから、日中共同で調査しようという日本人の提案
に対して「三十万人は党で決定されたことだ。調査の必要はない」と答えたと
いう話などから考えても、プロパガンダに過ぎないのは間違いないだろうと。
こういうことです。
>>121 どのような手法で兵士だったかそうでなかったかの判断をしたと思われます?
また、どのような方法で、それが日本軍による犠牲者だと判明したと思われます?
129 :
岡田:2005/11/26(土) 00:40:13 ID:ha1tt3c/
128>
>どのような手法で兵士だったかそうでなかったかの判断をしたと思われます?
スマイスレポートの都市部での調査はサンプリング調査です。
50戸に一戸の割合で家族内で犠牲になった人数を調査票に書いてもらい集計しています。
この方法だと家族で暮らしている人しか調査対象になりません。
家族の無い人は調査対象から外れます。(家族の無い人が殺されても、この調査方法では被害を報告する人がいない。
家族単位で同じ部隊の兵隊になっていて、南京でも家族で生活していると言う奇特な兵士以外の兵士は、この調査方法では集計されません。
>また、どのような方法で、それが日本軍による犠牲者だと判明したと思われます?
スマイス報告は調査票を使ったサンプリング調査です。(要するにアンケート調査の一種)
死亡の原因については、回答者の自己申告です。
あと、現在中国は、アメリカの学校の全ての図書館に、日本軍が虐殺、残虐行為
を行った証拠だと彼らが主張する写真帳を置くよう働きかけたり、南京大虐殺記念
館を世界遺産にするために動いているんだとか。
>>128 そういうことはわかってますが、私が聞きたいのは、兵士でなかったのはどのような
材料に基づいてなのか、ということです。
南京で戦えるものは誰でも兵士にされたというのだから、当然南京住民もいる
はずなので。
また、丹波春喜教授によると、単身者・独身の割合がこの2400人に限って異常に
高くなっている、ということだそうですけど。
133 :
岡田:2005/11/26(土) 01:02:34 ID:ha1tt3c/
132 >
>丹波春喜教授によると、単身者・独身の割合がこの2400人に限って異常に
>高くなっている、ということだそうですけど。
私は丹波春喜なる人物も、その説も知らないので、何を根拠に上記のような主張をされているのか分かりません。
少なくともスマイス報告では「犠牲者内の単身者・独身の割合が高い」に該当する部分は見当たらないみたいですけどね?
丹波教授の統計学的見地から分析した論文が、「自由」という雑誌の平成十三年
四月号に掲載されたそうです。
私は北村稔氏の著書からの孫引きなんですけどね。
おそらく、この2400人に限って、ということなので、郊外での調査には当て
はまらないとは思いますが。
丹波教授によると、この2400人の中にだけ現れる単身者・独身者の割合で
なぜこれらが兵士でなく市民だった、と判断できたんでしょうか?
日本軍に殺されたと「自己申告」したとのことですが、日本軍に殺された
と言う家族の中に、その近親者は兵士でもあった、と証言する人はいなかった
わけですか?
あ、ちょっと席はずします。
ただいま。
>>123 お前受けるなwww
散々、第一戦車大隊が第10軍傘下にいる可能性を主張してた割には、
自分で調べたら、上海派遣軍でしたが攻撃参加してた可能性があるってwww
初めから調べろハゲw
ようするに、先日までは自分がデンパ主張繰り返してたのを認めたんだなwww
ちなみに、北村氏の著書からの孫引きでは、1938年春の総人口から未成年
男子を差し引いた成人男子に対する「独身者・単身者」の比率が5.2%なのに
対して、2400人中に現れる数値は44.3%なんだとか。
そこから、本来の南京市民でないものがかなり含まれていると判断しているらしい。
まぁ
田中と板倉が、デンパの岡田が調べる程度でわかる物を、ウソといったんだ。
なんかあるんだろうw
週末にでも俺も調べてみるわ。
今のところ第一大隊の一部も参加してそうだな。
まぁ転戦連戦命令が出てるのに「後段」が・・・って考察が皆無なのは一応指摘しておこう。