202 :
日出づる処の名なし:
伊藤博文公の保護政治に感謝していた当時の韓国人!!
韓国人の安寧と幸福、その生活の向上を図るため、母国日本の財政負担は三年間
に三千万円に達している。日本及び日本人を益することを少しもやらないで、
韓国及び韓国人のために図りてあまりにも忠実である。飽くまで韓国の主権を
尊重するため、中央の各部大臣や地方長官はすべて韓国人を任用し、日本人は
その下働きになっているに過ぎない。利権は韓国人のみに与えて、日本人には
荒蕪地開発の第一号を与えただけではないか。なおその上、韓国通の大陸浪人を
追放するなど、日本及び日本人から孤立した政策を採ってきた伊藤総監の心事那辺
にあるやを疑わしめるものがある。
韓国発行 「邦字新聞」より
203 :
日出づる処の名なし:04/09/24 17:47:05 ID:xxaJtH1R
日本人以上に大東亜戦争を賛美・協力した多くの韓国人!!
「ルーズベルトよ!答えよ!」
正義人道の仮面を被り、摂取と陰謀をほしいままにしている世界の放火魔、
世界一の偽善君子、アメリカ合衆国大統領ルーズベルト君。君は口を開けば
人道を唱えるが、パリ講和会議の序文に、(日本人が)人種差別撤廃文案を
挿入しようとしたとき、これに反対し、削除したのはどこの国であり、黒人と
東洋人を差別待遇して同じ席にもつかせず、アフリカ大陸で奴隷狩りをあたかも
野獣狩りをするが如くしたのはどこの国のものであったか。・・・
しかし、君等の悪運は最早尽きた。一億同胞なかんずく朝鮮半島の二千四百万
は渾然一体となって大東亜の聖戦の勇士とならなことを誓っている。
韓国の詩人 朱耀翰 (戦後韓国国会議員)
204 :
日出づる処の名なし:04/09/24 17:49:50 ID:xxaJtH1R
大東亜戦争を狂ったように賛美した韓国人たち!
「祖父の代から受け継いできた黄色人種の積憤をいまこそ晴らさなければ
ならない。一度、決戦する以上、、帝国行路のがんである敵性国家を粉砕し
新東亜建設に邁進しなければならない。」
申興雨 昭和十六年十二月十日 ソウルでの決戦報告大講演会
「米英の圧迫と屈辱から東亜民族の解放を叫ぶ決戦を開始したのである。
いまや東亜民族は圧迫と摂取を受けて骨しか残っていないが、今やその骨
で断固として決起し、仇敵米英を打倒しなければならない。」
張徳秀 普成専門学校教授
「貧欲の牙城、白人帝国主義の張本人英米をいまこそ撃滅せずには、我等
の子孫の発展を望むことはできない。」
李成煥 朝鮮農民運動の指導者
205 :
日出づる処の名なし:04/09/24 17:52:54 ID:xxaJtH1R
閔文殖による「3・1独立運動」総括!
<日本政府は併合以来十年近く、朝鮮人の生命財産を保護し、国利民福を向上さ
せる点に於いて用意周到であった。運輸交通、金融機関の整備、農工各種の産業
の発達等、旧韓国時代の悪政から朝鮮人を解放し、夢想もしなかった恵沢をもた
らせた。にも拘わらず朝鮮人の性情が偏狭・我執に傾いているためか、口では感
謝しながら、心では淋しさを感じ朝鮮人の自尊心を傷つけるなどという者が多い。
更に朝鮮人は米国を世界の自由郷を現世の楽園のように思っている者が多い。し
かし、そこは白人の天国であって、有色人種の人権はほとんど認められない。パリ
平和会議で、日本が人種差別撤廃を提案したが、オーストラリアのヒューズ首相が
強硬に反対し、それを真っ先に支持したのはウィルソン大統領ではなかったか。米
国の庇護に頼って栄光ある独立ができるなど不可能の事である。日本統治下の朝鮮
人は、米国に比べてはるかに幸福であることを認識し、穏当な方法によって民権を
拡大していくことを講ずべきである。>
閔元殖 「朝鮮騒擾善後策−鮮民の求むる所は斯くのごとし」
206 :
日出づる処の名なし:04/09/24 17:54:07 ID:xxaJtH1R
昔から春秋に善戦はないといわれているが、今度の戦争(大東亜戦争)を善戦
聖戦といわずして何といえようか。
大東亜の建設、全人類の解放、主義と信念と理想を生かすための聖なる戦いに
行くことはなんと快心事であることか。日本国民としての忠誠と朝鮮男児の意気
を発揮して一人残らず出陣することを願う次第である。
「毎日申報」昭和十八年十一月二十日 崔南善
207 :
日出づる処の名なし:04/09/24 17:55:40 ID:xxaJtH1R
安重根の伊藤博文公の暗殺に驚愕し、謝罪・追悼の意を表した官民多くの韓国人!
(安重根の収監されている監獄に面会する者一人もなし!)
衝撃が走ったのは、韓国の王室ばかりではありません。十一月四日の国葬(日比谷)
には、韓国の勅使はじめ政府代表者らが多数参列しました。同じ日にソウルの奨忠壇
では、李完用首相の主催で、官民一万人が参列して追悼会がも催され、追悼会は全国
各地に及びました。
一ヵ月後の十一月二十六日には漢城府民会、その翌日は大韓商務局総会、十二月十三日
には永道寺がそれぞれ主催して、追悼式が持たれました。当時、旅順監獄に繋がれていた
安重根の所に面会に行く者はなく、伊藤博文に対しては「東洋の英雄」「朝鮮の大活仏」等
の賛辞が続きました。
そればかりではありません。朝鮮民族の罪科を謝罪するために、全国十三道に呼びかけ、
「渡日謝罪十三道人民代表臨時会議所」を設ける団体も現れました。また一方では、伊藤公
を閔帝廟のように、神として祀る運動やら銅像や頌徳碑を建立する運動も起こりました。
「日韓2000年の真実」名越二荒之助 著
208 :
日出づる処の名なし:04/09/24 17:57:46 ID:xxaJtH1R
韓国独立の志士、羅寅永らの団体「自新団」の歌
「同盟の歌」 大意
怨むなよ怨むなよ 日本人を怨むなよ 日本人を決して怨んではならぬ
日本人にあらざれば 露国の強暴免れじ 日本は凶悪なロシアを駆逐して
龍岩浦をば犯せしを 友邦日本の兵力で くれたではないか これは日本
之を千里に駆逐せり 是れ恩徳に非ざるか でなければできないことであって
我が政府に人在りて 内治外交を料理せば 恩徳ではないか 韓国政府が内外
日本の如き文明が 野心を起こす理あらんや の処理をきちんとしていればどうして
大韓国勢強盛に 東洋平和の維持あるに 文明国の日本が野心を起こそうか
大逆無道の国賊が 君を売り国を売り 韓国さえしっかりすれば東洋平和が維持
自ら請うて譲与す 争奪繁きこの時に できる それを邪魔しているのが国内の
売国奴どもだ
209 :
日出づる処の名なし:04/09/24 17:59:46 ID:xxaJtH1R
日本に併合される前の朝鮮半島はまさに死せる墓場であった!
日露戦争直後の1906年、「武士道」の著者であり人道主義者の新渡戸稲造が
朝鮮半島を旅行している。
彼は朝鮮人を「政治的野心に欠けた、かの脆弱な女性的国民」と評して次の
ように述べている。
「山野は実に墳墓に充ち、予の今過ぎる所の路傍にも土饅頭を列ねて、また、
やがて埋葬されるべき棺を列ぬ。/(朝鮮衰亡の原因は)その国の気候に非ず。
また、その土壌に非ず。かく死と密接なる国民は自ら既に半ば死せるものなり」
「枯死国朝鮮」 キリスト教徒 新渡戸稲造 (国際連盟事務次長)
210 :
日出づる処の名なし:04/09/24 18:05:02 ID:xxaJtH1R
日帝時代、朝鮮人を虐めたのは朝鮮人自身だった!
日本が韓国の警察制度の近代化に乗り出したのは、明治四十三年でし
た。警務総長には日本の憲兵司令官をあて、憲兵と警察を一元化しまし
た。
一般に韓国民衆を弾圧するためと即断されがちですが、無差別に行な
われる韓国官憲の横暴や拷問を防ぎ、「義兵」などと称して行われてい
た山賊まがいのことや、親日派韓国人のテロ、襲撃を防ぐためには断固
たる措置が必要であったのです。
しかし、日本人は語学が出来ず、民情にも疎いので憲兵・警察の補助員
として韓国人を募集しました。当時、日本人憲兵一千七人、韓国人憲兵
補助員一千十二人、日本人巡査二千二百六十五人、韓国人巡査三千四百
二十八人で、いずれも韓国人の方が多かったのです。
ところがこの補助員たちは、これまでの宿怨を日本の権力を借りて晴ら
す者が多く、悪弊を直すのに困りました。今村鞆著「歴史民族朝鮮漫談」
(昭和三年)には「朝鮮人は日本の両班取締りを感謝したが、下級補助員
(朝鮮人の補助憲兵、朝鮮人巡査、朝鮮人通訳)の横暴こそ、後の日本に
対する悪感情を生んだ。如何に横暴だったか、驚くべき事例を沢山知って
おり、一冊の本が出来る」と述べています。
「日韓2000年の真実」名越ニ荒之助著
(日本図書館協会選定図書)
211 :
日出づる処の名なし:04/09/24 18:09:26 ID:xxaJtH1R
併合前の韓国国民はあまりにも愚昧(愚か)であった!
「朝鮮の王室と政府は腐敗堕落しきっており、、頑迷な朋党は、人民の財を略奪して
いる.その上、人民はあまりにも愚昧である。これでは国家独立の資格はなく、
進んだ文明と経済力を持つ日本に統治させなければ、ロシアの植民地になるだろう。
伊藤博文総監の施策は、朝鮮人にとって有益で、人々は反対していない」
アメリカ人の朝鮮外交顧問 ドーハム・スティーブンソン
212 :
日出づる処の名なし:04/09/24 18:11:33 ID:xxaJtH1R
韓国知識人の主張によれば、有史以来、千回も侵略を受けたが、すべて撃退した
という。しかし、前述のように嘘である。ほとんどの場合、徹底的に叩かれ、連行
を免れた者は属国の従順な民となって、宗主国に阿諛迎合したのである。
唐軍も、モンゴル軍も満州軍の侵入のときも、その負け方は、たいてい似たり寄
ったりである。それは新羅史、高麗史、李氏朝鮮史と諸史の原典記録を一読すれば
細かく記述されている。中国諸史だけでなく、朝鮮半島の歴史も大同小異である。
韓国知識人の多くは、なぜ歴史を直視する勇気がないのであろうか。/
朝鮮半島の歴代王朝の国防政策は、たいてい専守防衛だから、兵数が少ない。
李朝末期は数千人の単位程度で、ほとんど宗主国の防衛に頼りっぱなしだから北方
から異民族が侵入してくると、たいていは城を棄てて逃げ惑い、農民はわめき、哭
くばかりであった。
たいがい敵が侵入してくると、各地方の軍隊は総崩れとなり、地方の長官は競って
土地を献上し、帰順するか、逆に敵軍に従軍し、火事場泥棒を働く者も少なくなかった。
宗主国をかさに、高麗や朝鮮国王にゆすりたかりを働き、一族の利益を図るのが、朝鮮
半島の鉄則のようなものだ。千余年来、たいてい同じようなことを繰り返したのであった。
だから千年進入され、千回とも敵を撃退したのではなく、属国になると誓ってから宗主国
が兵を引いたという歴史事実が繰り返されている。
ではなぜ戦後になると韓国知識人の歴史歪曲が、日を追ってますます神話まがいのもの
までに変化していったかというと、それはどの民族も自存自衛のために欠かせない民族の
自尊心にある。
韓国人の反日台湾人の親日 黄文雄 光文社
213 :
日出づる処の名なし:04/09/24 18:13:58 ID:xxaJtH1R
韓国は壬辰倭乱(豊臣秀吉公の朝鮮征伐のこと)で焦土と化した。だから
三百年もへても立ち直れなかった。いやがうえにも倭乱のひどさを強調した
いという気持ちはわからないでもない。しかし、考えてもみると、一回の大乱
だけで三百年も立ち直れない民族は、世界中のどこにいるのか。もしあるとす
れば、もっと恥を知るべきであろう。戦後、焦土化した日本は半世紀もたたず
に再び経済大国になったではないか。千回も侵略され、すべての侵略者を撃退
したという自慢話と、三百年も立ち直れないでいるという論理を矛盾すること
もなく主張することに自己撞着はないのであろうか。
韓国知識人はつねにこのような歴史歪曲で「反日」を正当化する。
韓国人の反日台湾人の親日 黄文雄 光文社
214 :
日出づる処の名なし:04/09/24 18:15:30 ID:xxaJtH1R
シナの属国の中では沖縄よりも低い地位だった朝鮮!
そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、下国のなかの下国であった。
天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、朝鮮の使臣だけは異色
の丸首の衣である。
また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じ
られていたこと、「渓陰漫筆」に書かれている。そして、李朝時代の臣民は琉球以下の
扱いを受けたと嘆いている。
韓国は日本人が作った 黄文雄 徳間書店
215 :
日出づる処の名なし:04/09/24 18:16:48 ID:xxaJtH1R
安重根は「反日独立運動の英雄」どころか「日露戦争」の勝利を絶賛するほどの
「親日家」「親天皇派」だった!
「日本の天皇の宣戦書には、東洋平和を維持し大韓独立を強固にすると書かれていた。
そのような大義は青天白日の光線より勝っていたのであり、韓・清の人々の智恩を論
ずることなく、みな心を同じくして、賛同し服従したのである。もう一つは、日露の
開戦は黄白両人種の競争というべきものであって、前日までの日本に対する仇敵の心
情がたちまち消え、かえって、一大愛種党となるにいたったのであり、これまた人情
の順序であり、理に合うものであった。快なるかな、壮なるかな。数百年来、悪を行
い続けてきた白人種の先鋒が、鼓を一打したたけで大破してしまったのである。日露
戦争の勝利は一千古に稀な事業として万国で記念すべき功績であった。だからこのとき
韓・清両国の有志は、はからずも同じように、自分たちが勝ったように喜んだ」
「東洋平和論」 安重根
216 :
日出づる処の名なし:04/09/24 18:17:51 ID:xxaJtH1R
竹島はいうまでもなく、鬱陵島(ウルルン島)も日本の領土である!
もともと、日本と韓国(朝鮮)の領土争いは竹島よりはるかに韓国側に位置する
鬱陵島を巡って行われてきました。韓国は李朝初期より明治維新に至る四百五十年
間、鬱陵島を空島とする政策をとっていたため、鬱陵島より遠くにある竹島へ朝鮮人
がたどり着くことは困難でした。日本側は慶長年間以前から多くの漁民が竹島を経由
し鬱陵島まで進出し、漁業を営んでいました。元和四年(1618)には米子の大谷
甚吉、村川市兵衛が正式に江戸幕府の許可を得て、あわび、アシカの漁猟、せき木、
桐等の木材伐採を行っています。
元禄年間になると朝鮮人も鬱陵島へ渡航し始めたため、元禄六年、(1693)
日本側は鬱陵島で朝鮮人安龍福らを捕らえて、宗対馬守を通じ朝鮮政府に引渡しま
した。対馬守は、鬱陵島に対する朝鮮漁民の侵入を禁じる旨を伝え、朝鮮側は安龍福
らを処罰することを日本側に伝えています。
「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著より
217 :
日出づる処の名なし:04/09/24 18:18:36 ID:xxaJtH1R
韓国国旗は日本の船の中でイギリス人によって作られ神戸で初めて掲揚された!
壬午軍の乱の結果、韓国の謝罪使節団は日本の明治丸に乗船して仁川港から日本に
向かった。この船中で現在も使われている韓国の国旗(太極旗)が生まれたのです。
その国旗が初めて日本で掲揚された事情を李博士が書いている。
<明治丸は船長だけはイギリス人のジェームスを雇っていたがこの船長が好奇心を持って
珍客朴泳孝修信使一行と話を交えているうちに「朝鮮国王の使節が礼訪するのだから
貴国の国旗を貸してくれればマストに掲げる」という話を持ち出した。その時まで国旗の
制定・使用をしていなかった朝鮮国王は、あわてざるを得なかった。幸い一行が出発する
前に政府要路の間で、国旗問題が論議され、修信使は「必要なときには適当に作って使用
せよ」という国王の内諾を得ていたから朴泳孝以下の使節団幹部は、明治丸の船上で、あら
かじめ構想していた太極八卦を出し、アストン総領事の意見を求めた。旗に関してアストン
よりも詳しいジェームスは、「太極の図案はよいが、周りの八卦は複雑だから、四卦だけを
四隅に配するほうがよかろう」と言い出して、一行これに同意して決定となり、ジェームス
の好意で最初の国旗標本として大、中、少の三本を画いてもらった。一行が神戸に着いてか
ら、八月十二日、宿所西村屋の屋上に韓国旗が初めて掲揚された。その日から神戸に駐屯する
国外外交官は、この珍奇な国旗を写していった> 「民族の閃光」より
「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
218 :
日出づる処の名なし:04/09/24 18:19:50 ID:xxaJtH1R
去年の「韓国音楽友の会」で慶尚道の浦項というところに行きました。
そこには浦項製鉄という東洋一の製鉄所があります。実を言うとそれは
日本の新日鉄が、プラント輸出してできた製鉄所なんです。でも、ぼくら
がそこで見せられた浦項製鉄の成り立ちについての映画は、ぜんぶ自分たち
の力でやったことになっていて、日本の「に」の字も出てきません。「東洋一
の製鉄所である。どうだ、まいったか!」という、そればっかりですよ。/
それどころか、その浦項製鉄はプロのサッカーチームを持っているんですが
このチームマスコットが、なんと「鉄腕アトム」なんです。「アトムというのは
は原子の意味だから、別に著作権とは関係ないんだ」と。そりゃそうだけど、
あの漫画のキャラクターは手塚治虫先生のものなのに。
きっと手塚先生は、ご存知なかったんでしょうね。また知ってても、ご自分か
ら訴えたりなさらなかったでしょう。でも鉄腕アトムがボールを蹴っている
浦項製鉄・プロサッカーチームのキャラクターを見ると、複雑な気持ちになる。
それで日本にきた韓国人が、アトムを見て、「日本人はけしからん!無断でわれ
われのアトムを使っている」なんて言っている。
高信太郎 「おもろい韓国人」光文社
219 :
日出づる処の名なし:04/09/24 18:21:08 ID:xxaJtH1R
今日の台湾、韓国の高い教育レベルは、もし総督府時代(日本の統治)
がなかったならば、あと百年経ったとしても今日の中国とたいして変わ
りがないと言い切ることができる。
桜田武元日経連会長は、1976年、3月に「韓国の経済的発展は、
日本の統治時代の教育のおかげである。教育制度、官僚組織、軍事制度
は日本が残した三つの功績である。韓国経済の成長を主導したのは、日本
の教育を受けた人々であった」と発言して、韓国から強い批判がわきおこ
った。それはけっして「妄言」や「暴言」ではない。そのとおりだと思わ
ないのは、むしろ歴史を知らないということだろう。
黄文雄 「中国・韓国の歴史歪曲」光文社
220 :
日出づる処の名なし:04/09/24 18:22:42 ID:xxaJtH1R
先述したように、19世紀から20世紀初頭にかけての韓国は農村から
都市ソウルまで、あらゆる地域においてきわめて不衛生な生活環境であった。
今のハングル世代は常に韓国の山紫水明を誇りにし、韓国人はどこへ行って
も生水が飲める世界でも珍しく水のきれいな国だと自慢している。
しかし、日帝時代以前の韓国を見た外国人は、赤裸々に当時の実情を記録して
いる。例えば、ダレ神父の「朝鮮事情」には、韓国の「水はまずく」、水が
原因でかかる早老病をはじめ様々な、「水土病」について書いている。
そんな朝鮮に、慈恵医院の管制が発布されたのは1909年のことであった。
本格的に近代医学医療制度が導入されたのは、朝鮮総督府時代からである。
総督府が設立した大韓医院は、やがて京城帝大(現在のソウル大学)付属病院
となり、朝鮮半島の近代医学、医療発展の中心的存在となった。
各開港都市と国境都市は1910年から厳しい防疫、検疫を実旋しており、
疫病の浸入防止に取り組んでいた。コレラ、天然痘、ペストなどの大流行は
1918年〜20年が最後となり、その後は乳児の死亡率が撃滅した。
その後、地方の医療制度は清州、金州など順次各地で確立され、医師の養成
と疫病の防止に全力が注がれた。さらに、150万円の下賜金から済生会が
つくられ、李朝以来存続していた階級制度の廃止とともに、各道から市町村
に至るまで医療設備が整備されていった。賎民も国民として、近代医療の恩恵
を受けられるようになったのである。
「韓国は日本人がつくった」 黄文雄 台湾評論家
221 :
日出づる処の名無し:04/09/24 18:52:45 ID:7m5YprCK
222 :
日出づる処の名無し:04/09/24 19:09:59 ID:BKGyV6pa
白人に一度も対峙した事のない半万年奴隷の朝鮮人が
アジア人全体に対する蔑称”Monkey”を 白人になったつもりで日本人に呼び
米国人のつもりで日本人を”JAP”と呼び
中国人になったつもりで日本人を”倭人”と呼ぶ
4万人の同胞が被爆死亡しているにも係らず”戦勝国民”になったつもりで原爆投下
を喜び
韓国人が実行不可能な"中国人の有人飛行"で日本人を冷やかす。
そして風呂に入る習慣を日本人から教わった朝鮮人が中国人のことを軽蔑して
「テノム(垢野郎)」という有名な悪口を頻繁に口走る。
「韓国の歴史とはただ強い者に媚びへつらい、弱いものを圧殺するというそれだけの
歴史である。」
朴泰赫“醜い韓国人”より
223 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:17:52 ID:xxaJtH1R
「韓日合邦を要求する声明書」
日本は日清戦争を通じて韓国を独立させ、日露戦争でロシアに食われかけ
ていた韓国を救ってくれた。それでも韓国はこれをありがたく思うどころ
か、あの国にくっつき、この国にくっつきし、結局は外交権を奪われるこ
とになったが、これは我々が自ら招いたことである。丁未条約を締結する
ことになったのも、やはりハーグ事件をおこした我々に責任がある。
伊藤博文公が韓国国民を見守ってくれ、太子を導いて我々韓国のためにご
苦労されたことは忘れられない。にもかかわらずハルピンの事件がおきて
しまった以上、こんごいかなる危険が到来するのかわからない。これもまた
韓国人自らそうしてしまったのである。(中略)
それゆえ劣等国民として保護されるよりは、いっそ日本と合邦し大帝国をつく
って世界の1等国民として日本人とまったくおなじ待遇をうけながら暮らして
みよう。
1909年 12月4日 一進会(百万の親日朝鮮人会員)
224 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:21:11 ID:xxaJtH1R
韓国史で、もっとも多忙だったこの十六年間は、日本社会の影響を集中的に受けた
時代である。海一つ隔てた日本の社会は常に模範答案のようなもので、韓国人は猛烈
にそれを書き写した。/どれほど熱心かつ正確に日本のそれを書き写してきたかは、
韓国社会の日常的な社会現象を見ればわかる。/それだけではない。テレビ番組、
化粧品の種類や包装、ラーメン、ヤクルト、地下商店街、胃腸薬「正露丸」ゴキブリ
とり、ホテルやサウナ、流水プールと人工波のプール、高校生の暴力、新聞の編集
とコラム等/すでに韓国化したものも目新しいものも、ほとんどが日本を媒介にした
ものである。/新聞発商品の品名や形に首をひねるまでもない。数多い法令集の文章
や専門用語に感嘆する必要もない。/わけは簡単である。日本のそれをまねている
のだ。/癒着の範囲は人間に限らない。社会全体が、目に見えるものも、見えない
ものも模倣で蔓延しているのだ。/その結果、日本の絆から解放された韓国は、逆説
的なことに日本の模倣社会になってしまった。
1981年8月14日付 「韓国日報」
225 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:23:06 ID:xxaJtH1R
現在の韓国人の姓名は、すでに祖先の姓氏を捨てて漢姓を使っているが
「日帝時代」の創氏改名は原則的は自己申告制だった。台湾で日本時代に
行われた「許可制」による改名運動に比べたら、むしろ韓国人にとっては
「特権」であって、非常にゆるやかなやり方だ。ましてや「日帝」は万民
平等等の原則に基づいた新戸籍制度を創設して、戸籍さえ許されなかった
人口の半数近くを占める奴婢に姓氏を与えた。さらに、「皇民化」=近代
国民運動によって日本語やハングル文字を普及させただけでなく、李朝時
代以来、両班から蔑まれていたハングル文字の教育を学校で採用し、漢字・
ハングル混じりの文章を体系化させ、伝統文化の研究と再興を推進したと
いうのが、紛れもない史実だ。
「生命を奪われた」というのも、実に史実に反している。近代化の産業
発達によって優生学的な社会改革が行われたことで、有史以来の飢餓と疫病
を克服することができ、植物依存の生態系までも変えることができた。その
ため、米の生産量が一千万石から二千万石以上に倍増し、韓国の人口も倍増
した。このことを、生命を奪ったとは言わないだろう。日本は優生学的に
も人口学的にも、韓人の生命の質を飛躍的に向上させたのだ。
客観的に見れば、「日帝三十六年」の「七奪」は実質的には「七恩」と
言うべきだろう。/韓人に少なくとも自国史について「正しい歴史認識」を
日本は求めなければならない。
「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国 黄文雄
226 :
日出づる処の名無し:04/09/24 20:23:20 ID:uiWPu504
中国人は世界中で嫌われていること
韓国人は世界中でほとんど知られていないこと
227 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:25:27 ID:xxaJtH1R
「韓国の諸企業は、一つの商品もきちんと作り出せないでいながら、
AからZまでの最高の商品を生産していると、大風呂敷を広げている」
「ウォールストリートジャーナル誌」アメリカ
228 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:27:55 ID:xxaJtH1R
我々は五千年の歴史を自慢し、歴史を大事にすると言う。しかし
実際は、歴史を教えてくれる記念物、象徴物を惜しげもなく壊して
いる。
ソウルの歴史が六百年だと言いながら、その長い歴史の苔を教えて
くれる建物はあまりない。五千年の歴史を訪れる外国の観光客は、
半日もあればソウルの古跡をすべて見終わる。数百年前の史跡を
訪れるまでもない。我々は口癖のように「日本の統治三十六年」
を言うが、祖父母達の「恨」を蘇らせてくれる遺跡があまりに少ない。
「井戸の中の韓国人」洪思重
229 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:29:16 ID:xxaJtH1R
一方の韓国人も、いつも日本人に「過去の歴史を直視せよ」と要求
し、日本の歴史教科書にいちいちイチャモンをつけてくる。ここの
記述はこの通りに直せと、必要以上の抗議や非難を繰り返すが、
歴史を直視することを一番恐れているのは、他でもない。韓国人自身
だ。直視することを避け、歴史を都合のいいように偽造して改ざん
して生まれたのが、韓国人の自己陶酔史観に基づく韓国民族史である。
中国に文化を教えたのが韓国人だと自ら喧伝しても誰も信じない。そ
れならばと、次は日本に文化を教え、漢字を発明したのも韓国人だと
なる。韓国の歴史は中国よりも長く、超古代にはユーフラテス大陸に
韓人が建てた超古代帝国があったとも言っている。李承晩大統領は、
東洋文化の源流は韓国にあるとうそぶいた。
韓国は「侵略者はすべて撃退した」「外国に侵略したという史実がな
い」というのが何よりのお国自慢だが、それは実際の「歴史の真実」と
あまりに懸け離れている。韓国人が自国の歴史を真摯に検証する日は
いったいいつ来るのだろうか。
「龍」を気取る中国「虎」の威を借る韓国 徳間書店 黄文雄
230 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:31:20 ID:xxaJtH1R
客観性がまったくない自分勝手なご都合主義の韓国の歴史認識
韓国では、四百年経っても秀吉は悪の張本人であ。
ところが韓国は中華人民共和国(中国)の侵略行為に対しては、あまり
触れたがらない。1950年に起こった朝鮮動乱の時には、国連軍十六ケ国
の支援を受けて韓国はわずか半年で北朝鮮を鴨緑江の近くまで追い詰めた。
これで朝鮮半島は韓国路線で統一されるかに思われた。ところが中国軍が
一挙に介入して三年間に及ぶ血みどろの戦争が続き、多くの犠牲者を出した。
今から四十数年前の中国軍の韓国侵略に対しては抗議せず、四百年前の秀吉軍
の出兵には、今も恨みを忘れない。これはどうしたことか。
そしてもう一つ、韓国はベトナム戦争にも参加し、延べ三十一万人の軍隊を派遣
した。ベトナムでは今も「韓国は米帝の手先となってベトナムを侵略した」
と言っている。現在ベトナムは経済建設に多忙だが、一段落したら韓国に抗議を
行い、謝罪を要求するといっている。そのとき韓国はどう答えるのか。
「日韓2000年の真実」 名越二荒之助
(日本図書館協会選定図書)
231 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:35:08 ID:xxaJtH1R
どんな民族にも過去の栄光史があり、それを「誇り」としているが・・・
今になって、朝鮮人や韓国人がチェチェ思想を強調し、いくら歴史の自立性を
吹聴しても、せいぜい半島内でしか通用しない。韓国人が書いた朝鮮半島の歴史
を読むと、いかにも半島には英雄ばかり存在したかの記述である。
しかし、そんな偽史は世界では通用しない。実際、韓国人の中で世界史に登場し
世界の政治、経済、文化、思想に強い影響を及ぼした大英雄は一人もいないのだ。/
その一方、韓国人以上に文明開化が遅れた北方騎馬民族には、東アジアや世界史に
影響を与え、歴史を創出した民族英雄たちがいる。ジンギスカンやヌネハチもその
中のひとりである。数千年の歴史がある朝鮮半島からも、ひとりぐらい歴史を創る
英雄が出てもいいようなものだ。世界とは言わないまでも、アジアに名を残す英雄
が一人ぐらいほしかったものだ。/
韓国人は「朝鮮半島は1000回侵略されたが、すべて撃退した」と自慢するが
それが嘘であることは言うまでもない。それにそのようなことを口にすることこそ
他律的でる。抵抗史観、他律史観を自白しているとしか思えない。
「韓国は日本人がつくった」 黄文雄 台湾人評論家
232 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:37:24 ID:xxaJtH1R
韓国人が犯した世紀の大虐殺!
弱い者虐めの伝統ここに極まる!
韓国の場合、アメリカからいくばくのお金を与えるといわれて、なんの
関係もないベトナムに軍隊を送ったあげく、無辜(むく)の良民を見分ける
こともできず(というより、武器もたない良民だからこそ)虐殺したのは
わずか30年前のことだ。
当時の韓国軍がいかに残酷だったことか、ベトナムではタイハン(韓国軍)
が来たといえば泣いていた赤ん坊もぴたりと泣きやんで、恐怖に震えたと
いう話が伝わっている。また、韓国兵は幼い子どもらにアメをやるといって
呼びせ、悪戯半分で撃ち殺したという。このように韓国軍の残虐さを記録した
資料は計り知れないほどある。ベトナムの人々は韓国軍に抹殺された村ごとに
碑を建て、「タイハン」の残虐行為を忘れまいと誓ってあっている。米軍はべ
トコンがいそうな村に入って住民を殺す必要があるときは、きまって韓国軍を
利用したという。こうして五年足らずのベトナム参戦中で韓国軍が虐殺したベト
ナム人は三十万をこすと推定されている。
金完燮 韓国人評論家
233 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:39:24 ID:xxaJtH1R
国王の復活など考えもしなかった韓国人!
韓国人は「国王」を奪ったと日本を非難攻撃する。2002年ワールドカップの
中心人物である韓国サッカー協会会長などは、もし、現在の韓国に国王が残って
いたら、日本に天皇があるように、韓国政治の安定になんらかの好影響があるだ
ろう、大統領だけなのは悔しいかぎりだ、などと、歯ぎしりしている。韓国では
最近、国王を懐かしがる声がいろいろ挙がっているようだ。
韓国の国王に対する旧懐の情は、冷めるのが非常に早い。だいたい、それほど国王
を愛していたにもかかわらず、「日帝三十六年」の間の韓国民衆、社会、思想運動
は、もはや、李朝復辟を考えることはなかったではないか。それどころか、
「三・一独立運動」後の朝鮮国王はすでに韓国人自らの手によって棄てられていた
のだ。/
抗日運動各派は社会主義や民主、民族運動と抗争に夢中になり、上海の臨時政府も
大統領制となった。つまり、国王は反動的、革命の対象となったのだ。こうして
戦後に分断国家となった韓国では、国王の存在さえ忘れられてしまった。
それを世界的ブームだからといって国王復活を口にする。どうせ、すぐ飽きだろうが
そのたびにいちいち日本を巻き込むことはない。
もともと、韓国人は、先祖を敬うことを重視している割には、前代のことを忘れ去る。
あるいは、消し去る傾向が強い。
李朝では前代が後代によって否定されることが常であり、それを実現するために、
政治的粛正と虐殺を繰り返す。この歴史が韓国人の民族性を形成してきたのである。
このような前代否定の政治は、韓国建国後の李承晩から金大中政権に至るまで、
現在でも続いている。
「韓国は日本人がつくった」黄文雄 徳間書店
234 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:41:04 ID:xxaJtH1R
「完全な日本人になる以外に別の道が朝鮮人に開かれているとするならば、
それは苦悩衰微への道である。
要は小乗的で朝鮮的なものを掲棄清算することである。朝鮮語と朝鮮の衣服、
朝鮮の家、形式的な祖先崇拝、朝鮮史、こんなものを完全に止揚して、改め
て精神的に日本的な感情に染まらなければならないのである。
朝鮮人的心情を完全に殺して、生まれ変わらなければならないのである」
「朝鮮人の進むべき道」玄永燮(京城帝国大学卒 無政府主義者)
注 京城帝国大学−現ソウル大学 日本によって創立される
235 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:43:11 ID:xxaJtH1R
「民族独立記念館」の「日本軍による市民処刑の写真」
とされるものはゲリラの処刑写真である!
日露戦争の開戦にあたって、「日韓議定書」が締結されました。この議定書は
戦争に当って日本の邪魔をしないことを約束したもので、第五条は「本協約の
趣旨に違反すべき協約を第三国との間に締結することを得ざる事」となってお
りました。にもかかわらず(韓国王)高宗は、ロシアに密書を送っています。
日本が敗れた場合の保障をとりつけようとしたのでしょうか。その他日本軍の
電話を切断したり、鉄道爆破の事件を起こした背景に、皇帝の意志が働いてい
たとされています。
世界のどの軍隊もそうですが、日本軍も戦争遂行のために、これらのゲリラを
発見したら厳重に処断しました。韓国、天安市に建てられた「民族独立記念館」
に行けば、日本軍によって公開で銃殺されている韓国人(朝鮮人)たちの写真
が大きく展示されています。この写真だけを見れば、日本軍はひどいと印象づけ
られていますが、「戦時国際法」によりば、ゲリラの処刑は当然だったのです。
更に高宗は日本が英米人に干渉できないことを利用してハルバート(米人)や
ベッセル(英人)にこっそり金を渡して反日新聞を発刊させました。戦後の明治
三十八年十一月には、ハルバートに密書を持たせてアメリカのセオドア・ルーズ
ベルト大統領に、日本への干渉を依頼しました。大統領は「韓国のために日本とは
戦えない」とにべもなく断りましたが、この玉璽入りの写真版が公開されると、例
によって偽造と言って、
その事実を否認しました。あの当時韓国には「親米主戦」というべき考えが強く、
太平洋の彼方から韓国を助けに来ると無邪気にも信じていたのです。
* 明治三十八年1月三日京釜鉄道爆破の首謀者の処刑写真を韓国の「民族独立記念館」
では「日本が無実の市民を殺した」というキャプションをつけて展示している。
「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
(日本図書館協会選定図書)
236 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:47:10 ID:xxaJtH1R
われわれがまず明らかにしなければならないことは、この(日本からの)解放
が盗人のように不意に訪れたということだ。解放後の腹立たしいこと、醜いざま
は一つや二つではないが、その中でもほんとうに腹立たしいのは、この解放を
盗もうとするやつらが多いことだ。彼らは、自分達だけはこのことを早くから
わかっていたと宣伝する。それは彼らが盗人のようにやってきた解放を、さも
自分が送り込んだようにして盗もうとするためである。それは嘘だ。もし彼らが
あらかじめわかっていたなら、それほど先見の明があったなら、どうして八月十四日
までへりくだって服従していたのか。そのときひと言でも予告して民衆を慰め、勇気を
ひきしめさせていたなら、今になってことさら宣伝しなくても民衆は指導者としてお迎
えしただろう。そういうことはやめて素直になろう。君も僕もみな知らなかったのだ。
みんな眠っていたのだ。神社参拝をしろと言われれば腰が折れんばかりに拝み、姓を
改めろといわれると競い合って改め、時局公演といえばありったけの才能を傾け語り、
米英を罵倒し、転向しろといわれば実にアッサリ転向し、よく見られようと聖書も直し
教会も売り、信用が得られるとなると四つん這いになり、犬の鳴き声もしてみせた。
この国の志士、思想家、宗教家、教育者知識人、文人に、また海外流浪何十年と格好は
よいが、その実、互いに博士派、先生派、なになに派、なになに団と、ハワイや
サンフランシスコではアメリカ人の召使をしながら、勢力争いをし、重慶・南京では
とうもろごし粥をもらって食いながら地位争いをしていた人たちが、なにをあらかじめ
わかっていたというのか。思想はなんの思想で、政治はなんの政治運動をしたというのか。
この国が解放されるとあらかじめわかっていた人など一人もいないのだ。
「意味から見た韓国史」 咸錫憲(韓国の民族運動家)
237 :
日出づる処の名なし:04/09/24 20:50:05 ID:xxaJtH1R
「強制連行」など起こりようがない!!
ひと頃、朝鮮人労働者「強制連行」の問題が頻りに取りざたされたが、
この問題に対する一般の認識には多くの誤解が含まれている。/
その第一は、終戦時約二百万を超えた朝鮮人労働者の大部分は本人の
自主的な意志によって渡航してきたもので、「強制的」に「連行」され
たものではない、ということである。所謂「強制連行」は、大東亜戦争
勃発に伴う労働力不足を補完するため、戦争中の昭和十七年に、それまで
自由募集であった朝鮮人労働者を「官斡旋」即ち、朝鮮総督府が募集する
ことにし、間に立った朝鮮人ブローカーが強引な徴用を行ったことを指して
言う場合が多いようだが、その実態は甚だ不明である。
そもそも日韓併合以降、貧しい韓国から豊かな日本へ移住しようとする
朝鮮人は引きも切らぬ有り様だったのであり、朝鮮総督府や日本政府は法律
の網の目を潜ってでも日本で働こうとする朝鮮人の密航者には、終始、頭を
痛めていた。法律を犯してでも日本に入国しようとする朝鮮人が一杯いたと
いうのに、何で「強制連行」の必要があるのだろうか。その必要はなかったし
むしろ日本側は迷惑していた。
「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著
(日本図書館協会選定図書)