1 :
大変な世の中だ:
「ラストサムライ」の興奮が覚めやらぬ中衝撃的事件がおきた。
青色ダイオードを発明した中村修二氏が自分の勤めていた日亜化学工業を訴え勝訴したのである。
これは武士道精神(滅私奉公)に対するアンチテーゼでは無いだろうか?
戦後、日本は企業戦士のサラリーマンに支えられ未曾有の高度経済成長期を支えるが
近代成熟期になり社会が豊かになると企業は「有能で無くても忠誠心の高い」人材より
「忠誠心が低くても有能な」人材を要求するようになる。
まあ、本当は「有能で忠誠心の高い」人材が欲しいのだけれども
交通、通信、商業、金融、保険、サービス業などの第三次産業が主流となった現代
多元的に共同体へ属する様な視野の広い人間が必要となる訳で
「忠臣ニ君に仕えず」とはいかないのである。
別に武士道精神が悪いとは言っていない。
ただ日本は戦後までの第二時産業全盛期までは武士道精神はかなり有効であった。
豊かな生活という国民的目標があったから人々にとって
幸福とは何か良き事とは何かと言う共通感覚が国や会社を共同体化出来た。
だから武士道の「仁」慈しみの心を持つとか「誠」他人には誠実であろうというとき
それがどう言う事か容易に想像でき実行できた訳だが
この国民的目標が達成されると幸福とは何か良き事とは何かを自分で見つけなければならないようになる。
そのために共通は失われ武士道精神は既に時代遅れになってしまったのである。
2 :
:04/03/13 10:38 ID:bevNspjH
朝からご苦労さん。
3 :
:04/03/13 10:44 ID:7WHpzyZd
これはもしかして朝日か何かが喚いてる論調か?
先ず根本的に間違ってることがある
中村はまだ勝ってない。
俺の予想だと次で負ける可能性が高い
>近代成熟期になり社会が豊かになると企業は「有能で無くても忠誠心の高い」人材より
「忠誠心が低くても有能な」人材を要求するようになる。
まるで戦後の復興期には優秀な人間がいなかったような口ぶりだな。
どこのバカか知らんがもう少し調べて書けといいたい
武士道を何故、日本人の自己表現だと思わないんだろうか。
5 :
日出づる処の名無し:04/03/13 11:04 ID:uYP98qSh
中村氏は武士道精神で頑張って青色LEDを改良したのだと思うんだが・・・。
武士道精神を単なる滅私奉公としか思えないのは非常に見方が貧困。
7 :
日出づる処の名無し:04/03/13 11:22 ID:CWrpIX0n
皇室を前提にしない「武士道」など日本には有害。
皇室を前提にしない「武士道」などくだらん滅私奉公。
従者の忠誠心を語る前に指導者の質に問題がある。
何か武士道を勘違いしてる奴が多いよな・・・。
10 :
1:04/03/13 12:16 ID:DDHVJUK6
やっぱり後半部分には触れてこないな。
少し難しすぎたか?
>>8 指導者の資質と言うよりも会社が共同体では無く只の機能集団だという本質が見えてきたって事でしょ。
社長も資本家も決して「殿」や「藩主」では無い訳で
これらに忠誠を誓う必要は無い。
11 :
日出づる処の名無し:04/03/13 12:37 ID:Sy+ugjqF
>>10 思想を否定するのは結構だが、そのためにいったん大げさにもてはやす
というのは本末転倒と感じるのう。産業が興隆するときに思想はどの程度
役割を果たすのかについて実証的な証明はあるまい。
おぬしの戦前、戦後観が妥当とはとてもじゃないが思えん。日本人にとって
武士道精神とは何かということと、その再評価は必要であろう。しかしそれは
こういう形ではないはずだ。
「忠臣ニ君に仕えず」というのもそうだ。ある種特殊な側面であろう。時と場合
によって二君に仕えるのがアリなのは、いにしえの武士の評価をみればわか
ろう。
12 :
日出づる処の名無し:04/03/13 12:38 ID:O/ekutiu
そこで花郎精神ですよ
13 :
日出づる処の名無し:04/03/13 12:39 ID:AnJ6GbOw
「主、主たらずば、臣、臣たらず」ってとこですか。
14 :
日出づる処の名無し:04/03/13 12:44 ID:U8dZxcR8
15 :
日出づる処の名無し:04/03/13 12:45 ID:8v/fPV9v
しかしまぁ武士道云々以前に発明したりした人はそれなりの対価を受け取って当然とは思うがね。
うちの爺ちゃんがなんかレーヨン(のようなもの)みたいな合成繊維造った時は
金一封もらっただけで、しかも研究班にたいしてだったからその班のみんなで祝勝鍋やったら
なくなっちまったていってたぞ。じいちゃん自身は別に非難的にいったんじゃなくて笑い話にしてたけど。
会社は設けたし、副産物のたんぱく質がどうのでそっち方面の会社まで設立したしで
もっともらってもよかったような気がする。
16 :
日出づる処の名無し:04/03/13 12:49 ID:U8dZxcR8
17 :
1:04/03/13 13:31 ID:lBKfncdG
>>11 > おぬしの戦前、戦後観が妥当とはとてもじゃないが思えん。日本人にとって
> 武士道精神とは何かということと、その再評価は必要であろう。しかしそれは
> こういう形ではないはずだ。
これを参考にしたんだがどうかな?
ttp://homepage2.nifty.com/jinichi/thesis2.html#5th 近代過渡期と成熟社会の違いを端的に述べれば、前者は将来のビジョンが国民全体に共有された輝
かしい未来に向かってひた走るという時代背景に立脚した社会であった。SFの舞台はまさしくその象
徴である。具体的にいえば、欠乏からの脱却という国民共通の国家目標を描けた時代ということもで
きよう。一方、成熟社会というのは、国民共通の国家目標をすでに達成した後の社会であり、そこに
は、個々人の価値観が多様化し共通的価値観の共有が、もはや困難な社会といえる。
もう少し詳細に検討していこう。A.H.マズローの人間成長論によれば、人間の本能的欲求は成長
・発達を我々に動機付け、その本能的欲求は@生理的欲求A安全欲求B所属と愛情の欲求C尊重の欲
求D自己実現の欲求、以上5段階に分類している(注13)。高次の欲求は低次の欲求に優越しない。つま
り、生理的欲求が満たされて始めて安全欲求が生じ、それが満たされると…というようなヒエラルキ
ーに沿って成長する欲求階層論である。この内、@〜Cを〈欠乏欲求〉といい人間の成長に不可欠な
基本的欲求である。
18 :
1:04/03/13 13:32 ID:BkJB1Scb
蓋し、この〈欠乏欲求〉の充足の段階がまさに、近代過渡期の国民共通の国家目標に他ならない。
〈欠乏欲求〉はそれ自体、求めるものが万人にとって自明である。それに対して、D自己実現はどう
か。個々人の自己実現を求めるのが成熟社会だという前提に立てば、社会が不透明化するのは必然的
ではないか。なぜなら、個々人の自己実現が何に当たるかそれは他人にわかるはずがない。あまつさ
え、本人にとってもはっきりしないことが多々あるのだから。いいかえれば、成熟社会においては、
個々の価値観=何が幸せか?何が面白いと感じるか?どのようなライフプランを描くか?はまさしく
多種多様。となれば、得体の知れない他者が跋扈する成熟社会は不可避だ。
このような成熟社会において、共同体が縮小化するのもこれまた絶対的に不可避である。時代がそ
のように流れている以上、共同体が縮小してアノミーをもたらすなら共同体の再構築を図らなければ
ならないと主張するような、あまつさえ、その手段は例外なく国家への忠誠を要求するという処方箋
はあまりに短絡的かつ馬鹿げている。まさに、時代に逆行した処方箋だ。
19 :
日出づる処の名無し:04/03/13 14:06 ID:4w/E27CR
最近、責任とらずに自決する奴多すぎる。
養鶏業者とか校長とか。
21 :
日出づる処の名無し:04/03/13 14:20 ID:eC/0vmJM
>>19 武士道とは死ぬこととみつけたり。
じゃああの養鶏業者は武士道だな。
22 :
日出づる処の名無し:04/03/13 14:23 ID:bQwPf9T1
∧_∧
( ´∀` ) ところでこのゴミ、どこに捨てたらいい?
/⌒ `ヽ
/ / ノ.\_M
( /ヽ |\___E)
\ / | / \
( _ノ | / ウワァァン ヽ
| / / |ヽ<`Д´>ノ|
| / / ヽ(>1)ノ
( ) )  ̄ ̄ ̄
| | /
| | |.
/ |\ \
∠/  ̄
切腹にはその行為自体に自分の汚名を雪ぎ、一族郎党の名誉を
守るという社会的なコンセサンスがあっての事なわけで。
養鶏業者やら校長やらの自殺はただの無責任、現実逃避だよ。
>>23 つーか、概念的にはそうなんだが、現実切腹して汚名を雪げた武士っていないよな。
例えば、赤穂浪士とかも討ち入りしなかった奴らは散々なことになったし、
大西中将も無責任に自殺したと後世思われてる。
切腹=ただの無責任、現実逃避だよ
といっても間違いじゃないっぽ。
>>18 >個々人の自己実現を求めるのが成熟社会だという前提に立てば、社会が不透明化するのは必然的
>ではないか。なぜなら、個々人の自己実現が何に当たるかそれは他人にわかるはずがない。
大人には「対話」という手段があるのよ。グッド・カンバセーションが大事。
自己実現と社会性が両立しないなんて、おこちゃま理論でつ。あー恥ずかし
26 :
日出づる処の名無し:04/03/13 15:22 ID:/z5xpVMh
平安の頃、東国の武者は親兄弟の屍を踏み越えて敵の首を取りに行ったものだ。
>>24 じゃあ切腹しないで済む話か?
農民が打ち首なら武士は切腹、それだけだろ。
もし切腹しなければ御家断絶になろう。
>>27 ?
何が言いたいかわからないけれど、
俺がいいたいのは、「切腹を美化する奴がいるが、切腹自体には大して意味はない。無論格好良くもない」
ってこと、その武士が切腹しようとすまいと、その前に決着がついているわけで、
事後の死刑みたいな位置にあるんじゃないかと。
>>27 >切腹=ただの無責任、現実逃避だよ
この点についてのおかしさを指摘したんですが。
わからなかったのなら残念。
文化的な意味合いの強い行動で、なおかつ自害で現実逃避はない。
>俺がいいたいのは、「切腹を美化する奴がいるが、切腹自体には大して意味はない。
>無論格好良くもない」
君の発言はただ相手を貶めているだけにしかみえないがね。
それと切腹が美化されているかどうか知らないし、恰好よく扱われたかどうか
知りもしないが、死者に対してはその気持ちを汲むくらいは、たとえどんな
死に方をしたものであれ、する必要性くらいは残る。当然、意味は残る。言い方
をかえれば、生きているものが意味を与えることになる。
生きている人間が、死者に対して振舞うべき発言なり行動というものがある。
もし、切腹を美化したからといって切腹するやつが沢山でてくるかね?
なら、さしたる罪でもあるまい。それを非難するために、死人に鞭打つほうが
よっぽど醜悪ですが。
もっと単純にいおう。
君のいうとおり、切腹を美化したり恰好がいいとおもうやつがいたとしたら
それは間違いかもしれないね。だけど君が死者に向けてした発言のほうが
よっぽど問題あるんじゃないのかな、と思う。
美化する程度なら誰にも害は与えないが、君のやることは最低限遺族には
罵声でしかないだろう。
>>29訂正
>なら、さしたる罪でもあるまい。
でてこないなら、さしたる罪でもあるまい。
32 :
日出づる処の名無し:04/03/13 19:55 ID:1+PALEym
>>29-31 なんか長くなりそうだ・・・
>>死者に対してはその気持ちを汲むくらいは
気持ちはわかるよ。そりゃあ。責任感じて自殺ってのは、相当悩んだんだろうけど、
でもなあ、同情はするけど、現実的な問題は何一つ解決していないでしょう?
道徳的観念からいっても、神道的には死者に対する非難は避けるべきって書かれているけど、
他宗教では死者への発言については問題とされていない。(自分の知ってる限り)
だから中国とか朝鮮では平気で墓荒らしして、インドでは死体は川の中へ放置なわけですが。
まあ、これだけの発言で自己を正当化するわけではないんだけれど、
切腹ってのは罪を犯したからするもんだろ。
生きている人間にとって、何もしないで切腹する奴と生きながらえて罪を功で補う奴のどっちが正しいのか。
考えてみたらどうかと・・・
遺族としては腹立たしくなるのかもしれないが、今後こんなことで死ぬ人間を減らすためにも、
意味がなかったと言うべきではないのか。
まあ主に大西中将がやったことでこう思ったわけなんだけどね。。
>>28 武士が切腹を避けて勝手に首を吊って死んだら(切腹よりずっと楽に死ねる)
一族郎党がすごく大変な事になるよ。
>>33 あ、なるほど、言いたいことがわかった。無責任じゃないと言いたいのか。
いや江戸期とそれ以降の切腹の概念が混ざってたわ。
江戸期は確かに責任感があったね。それ以降の切腹は制度化していないから、無くなったけど。
まあ俺が言いたかったのは死んでも罪はなくならないことを強調したかったんで。
上に書いてあった発言を拝借したんだけれど。。。いいわけじみてるにゃん。すまぬ。
>>1 てか武士の情けの意味わかるか?
介錯してやろうか?(´ー`)y─┛~~
切腹と逃避としての自殺を同義に語るから突っ込まれているんだろ。
切腹=贖罪、という単純なものではない。
37 :
日出づる処の名無し:04/03/13 20:52 ID:LF60R9DN
>>32切腹ってのは罪を犯したからするもんだろ。
腹切りにも、詰め腹、陰腹と色々あるぞ。
昔から腹芸と言うぐらいだし。
つーか、死んだ者には、死んだ者の意味があると思うぞ。
当然、意味付けするのは生きてる者達と言う事だろう。
漏れ如きが赤誠を語るのも何だが、「今在る事を素直に感謝する」と言う事も忘れたくないな。
38 :
日出づる処の名無し:04/03/13 20:55 ID:U8dZxcR8
>>38 いやいやシナ様の古代皇帝のスキモノぶりに比べたらまだまだだよ。(´ー`)y─┛~~
40 :
日出づる処の名無し:04/03/13 21:19 ID:O8J8U/sU
〉〉25
純粋なヤンキーとオタクはお互いの価値観を理解できるだろうか?
お互い許容出来ない部分もあるし己の何を高めるかもそれぞれだ。
話し合っても通じない。
極端な話例えば、ここに一つのリンゴがあるとしよう。
赤に対する色覚異常の人がそのリンゴを見たとき灰色に見えているのかも知れない。
だが、正常な人が見ればそれは赤に見える。
この違いは、人がその対象を見るとき、自己の肉体を媒介としてしかその対象を捉えることが
出来ない事による。
極端に言えば、私が赤と認識している色が他人にとって同じように見えているとは限らない。
ただ単に同じ対象に対して、赤という言語上の記号を与えているに過ぎないと考えることが
出来る訳です。
41 :
船虫Jr ◆.Tg2yBtH66 :04/03/13 21:55 ID:p78Mlpx4
>>40 >ただ単に同じ対象に対して、赤という言語上の記号を与えているに過ぎないと考えることが
>出来る訳です。
クオリアのような主観部分に違いがあろうとも、言語上は共通なんだから、
言語の上では理解しえある。そして、理解とは言語の上でのことでしかない。
2chのような言語しかないところでは何ら問題ないということだ。
おまえはクオリアを持ち出してドツボってるバカ(プ。
42 :
日出づる処の名無し:04/03/13 22:38 ID:O8J8U/sU
>>41 スレの流れを読んでいないみたいだな。
18-19を読んで出直せ。
ちなみに2chは公共圏、板やスレが共同圏として機能し分割されてている。
だから言語のみでの自己表現が容易なの。
しかも現実世界での自己実現とはまったく関係ない。
43 :
日出づる処の名無し:04/03/13 22:53 ID:O8J8U/sU
>しかも現実世界での自己実現とはまったく関係ない。
これは間違いだった
44 :
日出づる処の名無し:04/03/13 23:19 ID:p4s5YkbZ
現在のサラリーマン的滅私奉公は五人組などの相互監視システムで
飼いならされてきた農民の奴隷根性に由来するもので、
武士道とは無関係では?
だいたい、人口比で考えても武士の伝統を引き継ぐ者なんて
圧倒的に少ないんだから。
45 :
日出づる処の名無し:04/03/13 23:21 ID:jMA1ECQN
>>38 名前:日出づる処の名無し :04/03/13 20:55 ID:U8dZxcR8
>ウヨの男色好み・兄貴ヲタも大変だなw ケツの穴、拭いといで(ワラ、
サヨのエイズ無責任感染は悲惨ね。
サヨはやり逃げだからね。
46 :
船虫Jr ◆.Tg2yBtH66 :04/03/14 00:16 ID:85Bhfgj0
>>42 やっぱバカ。
おまえ、どこがどうドツボなのか分かってないないだろ?
意見の違いを言うのに、クオリアの違いに話を持って行ってるとこだ。
現実問題、意見の違いは解決困難だが、クオリアの違いは言論上の違いを生じさせない。
リンゴが赤く見えないヤツも(ホントは青く見えるヤツも)、リンゴに対して
「赤」というラベルを貼ってフツーに会話が成り立ってるわけだ。
これはおまえ自身が言ってること(
>>40)。
18-19を読んで出直す必要があるのはおまえ(プププ。
>>24 あなたは今の時代の人間としてしかモノの見方が出来ないんですね。
武士道の精神を持って生きていた人々は、常に自分の行いというものを
命をかけて恥ずかしくない様、いつでも心掛け生きていたのですよ。
そういう精神を常に持って生きている人間の集まりだったからこそ、最後に切腹
という生涯の終え方が、なにかの時の責任の取り方として、この上無いもの
だったのです。
そういった精神を持たずに生きている人間が、なにかいい加減なことを
した揚句に体裁が悪くなって自殺する、そういうのが無責任・現実逃避です。
48 :
日出づる処の名無し:04/03/14 11:13 ID:nsv6lWZE
>>46 意見の違いではなく価値観の違いを話しているのだが…
切腹が良い例だろ。
49 :
日出づる処の名無し:04/03/14 11:38 ID:lOU9vqX7
>>1 逆だボケ。
滅私奉公こそ日本の強みだった。
これから研究拠点の海外移転は避けられないだろう。
50 :
日出づる処の名無し:04/03/14 11:56 ID:nsv6lWZE
>>46 ちなみに論旨は話しあえば理解または協調できるかではなく
同じ共同体となりえるかなんだがわかってる?
>>41 まあ、なんだ。
フナ蟲よ。自分の価値観を人様に押し付けるな。
お前はあくまで日本に居させてもらってる害虫なんだから分をわきまえよ。
52 :
日出づる処の名無し:04/03/14 12:09 ID:WNKx2QA9
ビック・ザ・武道!!
(´A`).。oO(御恩があるから奉公があるんじゃねーのかよ・・・)
自分の価値を懸命に傾ける覚悟が必要であればこそ
自らのプライドにかけて自身の行いを熟慮する訳だ。
武士道の忠誠とは盲従のことではない。。
武士道の忠誠とは盲従のことではない。
武士道が見直されるのは
盲従していれば良い世の中ではなくなったからだ。
>>1 はスレ立てなんぞで油を売ってないで楠正成の逸話でも読め。
(´-`).。oO(そういえばラスト・サムライに嫉妬した某国人が、武士道はウリナラにもあるとほざいてたような・・・)
58 :
日出づる処の名無し:04/03/14 13:16 ID:7T7otwI1
こんな糞みたいな馬鹿が書いたスレにレスするな
59 :
日出づる処の名無し:04/03/14 14:56 ID:nsv6lWZE
結局、武士道の何がまずいかと言えば最優先事項が共同体だからだろ。
まず、主体性があってそのために相互扶助をするのが現代の作法だけど
武士道はそういう前提をすっとばして和とかお家とか言ってしまわないか?
李完用の息子が言うな!
>>59 逆に言えば、大勢を全く省みない朝鮮人には、個人主義って
耳触りが良いのでしょうね。
ま、朝鮮人のは利己主義っていいますが。
62 :
日出づる処の名無し:04/03/14 20:44 ID:TvJ3N+KN
武士道とは死ぬこととみつけたり。
君主が誤った道に進もうとしているのであれば、死を恐れずに君主を正すことこそ家臣の務め。
63 :
船虫Jr ◆.Tg2yBtH66 :04/03/14 23:02 ID:DJdzlQeQ
>>48 >>50 おまえは、まだ、意見にならないような価値の違いに意味があると思ってるのか?
言葉に表せないものなど無視してもよい。そんなの糞だ。
言っておくが、ここで区別すべきなのは、公的な意見と私的な意見だ。
「オレは切腹が好きだから、切腹する」なんていうヤツは勝手に氏なせてやればいい。
人間自殺する自由はある。こういうのは私的な事柄(趣味)だ。
一方、「日本人は皆、切腹すべきだ」という意見は公的な意見だ。
公的な意見ならば、さまざまな建前との整合性がなければならない。
が、問題は、これを私的な意見だと勘違いしてるヤツがいること(
>>51とか(笑い)。
「オレは切腹が好きだから、日本人は皆、切腹すべきだ」
こういうヤツは、公的な事柄は、「公(日本人)のために」という建前との矛盾に気がつかない。
自己矛盾してるのに、矛盾してない気になってる。
ま、要するにバカ。
通常、こういうバカは対話によって意見を撤回するわけだが。
日本人の場合、盲信を忠誠と言い換えて、非合理主義に陥ってる(
>>54)。
何か、例えば伝統とか天皇とかを絶対とみなして盲信し、ここに
批判不可能な領域を作り出してるのに、自己批判が可能だと思い込んでる(
>>55)。
こういう非合理主義者である自覚のない非合理主義者は
対話によって自分の意見を撤回するようなことはまずない。
もう、絶望的なバカ。
ま、切腹でもなんでもして、とっとと氏ねってことだ(プププ。
>>63 長文ご苦労。
だがお前が書く資格はない。(´ー`)y─┛~~
65 :
日出づる処の名無し:04/03/15 00:23 ID:t/XC8Ehp
滅私奉公の公=殿様という解釈だけではなかろう。
共同体、はたまた国や世界の為に頑張る人がいたからこそ
今の日本や他の国々が成り立ってるんじゃないか。
それに偉人と言われている人の大半が
なんらかの形で自分を捨てて公の為に尽くしてきた人だろう。
鎌倉〜戦国武士的には日亜化学は恩賞けちった
馬鹿主君だがな。
あんな目にあって当然じゃ。
70 :
日出づる処の名無し:04/03/15 02:41 ID:ohY+dcMx
>>1 そもそも「武士道」を書いた新渡戸稲造はクェ―カー教徒。
71 :
50:04/03/15 11:05 ID:UVBJFrVr
>>63 言葉で表す必要のない又は表せない暗黙の前提でに価値を見い出し成り立っているのが共同体。
公の場とは異なる共同体やそれに属さない者のコミニケーションや共存のルールの領域。
で、共同体がサブカルチャーやオタクの様に縮小細分化したのが現代。
言葉で理解出来ない物に価値が生じるのはヤフオクを見れば解るだろう。
>>64 っつか、NGWORD登録してないキミにリスペクト。
アンカー見て、どこのバカの書込かようやくわかった。
相思相愛とか抜かすバカのスレだけで、ヘタレ晒して
あとのスレで間抜けな「いばりんぼ」やってる知ったかぶりだったとは。
あー眼が腐る眼が腐る。
74 :
船虫Jr ◆.Tg2yBtH66 :04/03/15 12:55 ID:OXnAl9fr
>>71 >言葉で表す必要のない又は表せない暗黙の前提でに価値を見い出し成り立っているのが共同体。
>公の場とは異なる共同体やそれに属さない者のコミニケーションや共存のルールの領域。
言葉に表せないことで、どうやってコミュニケートし、
共同体が成り立つんだ?この大馬鹿者!
>言葉で理解出来ない物に価値が生じるのはヤフオクを見れば解るだろう。
アホか。ネット上のモノは全て言語に表される。
コミュニケーションに寄与してるのは、現物やクオリアではなく、言葉だ。
モノの価値は言語によって、相手に伝わるわけだ。
個人的な経験や価値にしても、経験するための手順等が言葉で表されれば、
それがどんなものか理解できる。そして、現物を見て、その理解通りだったかどうか確認できる。
もちろん、個人差はあるだろうが。その個人的経験も、どこまで共通であるのかを了解するのは
信号や、記号、文字といった言語によってだ。
何か言葉に表されない通信手段によって生活してるのは、おまえのようなデンパだけ(プ。
>>64 おまえは生きる資格がない。氏ね。
>>67 適切な文句だろが、ボケ。
おかしいと思うなら、本来、どこを突っ込むべきであって、
オレのがどう間違ってるのか言え。
75 :
日出づる処の名無し:04/03/15 15:11 ID:UVBJFrVr
>>74 なるほど「名状しがたい聖性」と言えばそれは既に言語化されていると言う訳ですな。
しかし死に「名状しがたい聖性」を感じる共同体に対して
生きる事に「名状しがたい聖性」を感じる共同体を生きるものがそれを理解出来るであろうか?
拝金主義や偏差値主義の者にに精神性を訴えても理解はできまい。
理解や意味を越えて尊重する事は出来るであろう。
現代には武士道に云う『主君』というものが存在しないし、武士階級も無いのだから、生まれながらに
武士道を歩むことはできない。
己の律し方により、武士道ともなり、あるいはならないかもしれない。
この道を武士のように歩むか否かは、自分自身にて決まること。
『滅私奉公』も嫌いではないが、『士は己を知る者の為に死す』という言葉もある。
「天に恥じることなく、地に両足をついて信義を重んじ約束を守って堂々と生きること。」
それがサムライだと死んだじい様(農家出身w)が言ってた。
興味があって自分なりに「葉隠」やら「武士道」やら、「武道初心集」やら読んで武士道
を調べたけどじい様の言葉が一番イイ解釈とおもたよ。
かと言って漏れはそんなに立派な生き様をしている訳ではないが・・・_| ̄|○
>>1殿のように「時代遅れ」で切り捨ててしまうのは、ちとやりすぎだと思う。
横槍スマソ
77 :
日出づる処の名無し:04/03/15 19:15 ID:UVBJFrVr
その信義を築く環境が村単位以下に縮小してしまったのが現代。
今では武士道で語れるのって友情と家族愛位じゃないの?
しかし夏目漱石の「こころの時代から」それすら曖昧になっている。
78 :
日出づる処の名無し:04/03/15 19:15 ID:UVBJFrVr
その信義を築く環境が村単位以下に縮小してしまったのが現代。
今では武士道で語れるのって友情と家族愛位じゃないの?
しかし夏目漱石の「こころ」の時代からそれすら曖昧になっている。
79 :
日出づる処の名無し:04/03/15 19:17 ID:UVBJFrVr
重複ゴメン
80 :
船虫Jr ◆.Tg2yBtH66 :04/03/15 19:44 ID:ZtAC3HoC
>>75 出来る(断言。
おまえは、お騒がせ相対主義者に洗脳されてるだけ(断言。
>>76 シューキョーでもやればぁーー(遠い目。
あるいは「天=地球」ってことで、地球市民になればぁーー(遠い目。
>>67 はあ?
あのな。やつは他人の思想を否定してるの。
(´ー`)y─┛~~つーか書かれてる内容読んでないけどな。
>>80 お前がな。(´ー`)y─┛~~
他人の思想を尊重しない香具師の戯言をまともに聞くと思うのか?
武士道は主体性といった点においては評価できるが現代では機能し得ない思想だ。
そもそも主体性のある人間など現代日本において早々滅多に出会えるものでもない。
>>44の指摘どうり大多数の日本人は百姓根性とその延長で主体性なく生きてきただけだろう
その是正を行いたければ古の思想に頼らず別の手段で行うべきだ。
しかし、武士道精神などといってもただ商品化される程度のシロモンでしかなく
日本をダメにするほどの影響力はない。
>>83 あほうが。
おまえ、農業従事者が全て「百姓根性」とでも言いたげだが。
「教科書新聞テレビが言ってたも〜ん」厨か?
>>80 >シューキョーでもやればぁ
なんてレスが付くとは思わなかったなw
86 :
日出づる処の名無し:04/03/15 23:49 ID:zSvgaJ9Q
本章のテーマを「公共性」と「共同性」の概念的相違とした。この二つの単語は、一見、語義的に
等値と見られる向きもあるが、本来厳密に区別されている概念なのである。したがって以下において、
「公共性」の概念を「共同性」と対比させつつ明らかにしていく。
まず、「公共性」はあらゆる対象にオープンである。詳らかにすれば、他者との共生を侵害しない
限りにおいて多様な価値観の存在を認め、そういった、個々の共同体の〈間〉を構成する空間を意味
する。それに対して、「共同性」は言語・民族・宗教をはじめ、所属における必然性、いかなるもの
を「共通善」とするか、というように、ある一定の価値観の共有が前提となる空間であり、異質のも
のを排除するという性質を帯びたものとして理解されるべき概念なのだ。
http://homepage2.nifty.com/jinichi/thesis2.html#5th
87 :
日出づる処の名無し:04/03/16 08:14 ID:Q96L8lYy
結局、武士道は共同体の中のみで通用するもので社会という公の場では通用しないという事ですな。
現代では武士道は個人の趣味の範疇から出る事は無いと。
そしてそれが日本のためであると。
武士道も騎士道も、道具立てとしては曖昧すぎる概念だ。
日本や欧州の経済的文化的社会的成功をこれらに結びつけるのは、
かなり強引。
日本人としては、外人達と一緒に気楽に武士道とつきあえばよろしい。
89 :
日出づる処の名無し:04/03/16 14:36 ID:6B8317iv
いや、戦陣訓のこともあるから懐疑的にみるべきだとおもうぞ
90 :
日出づる処の名無し:04/03/16 15:08 ID:U15ByNAQ
この板で尋ねるのがふさわしいかどうかわかりませんが、質問があります。
数年前だったと思うのですが、武士道と任侠道の関係を分析し、侍日本と
いうことで美化されがちな武士の本質にヤクザと同根の暴力第一主義を
看取することによって、現代の武士道精神復活の機運に対して冷却化を
呼びかけた書物があったと記憶するのですが、そのとき買わなかったので、
著者も著書名もわからなくなってしまいました。Googleでもうまくヒット
しません。どなたかご存じないでしょうか?日本史もしくは日本思想史の
学者が書いた本だったと記憶しています。
91 :
日出づる処の名無し:04/03/16 16:58 ID:Q96L8lYy
武士道もヤクザも共同体主義。
現実としての日本を見るに
武士道だか任侠道だかって問題じゃなく、我々と我々の親と、我々の(ことによると)祖父母の
各世代が、日本をダメにしているだけ、としか思えないんだけど。
どうなんだよ?
>>1 その武士道精神とやらさえ、綺麗サッパリ消去できたら、お前の
命と家族の命、これから生まれるお前の遺伝子を持つ家族の命すべてを賭けて、
日本はダメにならずに済む
と言えるのか? おふざけでスレタイ付けるの・・・・やめたらどうだ?
93 :
日出づる処の名無し:04/03/17 08:59 ID:o1UXRVxq
これからの日本の足枷となる思想を取り払っだけで日本が良くなる訳ないだろう。
誰も武士道精神がなくなれば日本が良くなるとは言っていない。
>>93 なんか、逃げてるよね?そのレス。
>>92氏は
#武士道だか任侠道だかって問題じゃなく、我々と我々の親と、我々の(ことによると)祖父母の
#各世代が、日本をダメにしているだけ、としか思えないんだけど。
ってところを特にアイキャッチしてるけど、スルーしてるよね?
そこんトコどうよ?
>>94 ここも2chだよ?
なんでそう真面目に問いつめる?
96 :
日出づる処の名無し:04/03/18 06:33 ID:sibGUgtI
まあ、悪くなっているって言うが何を良き事として悪くなっていると言っているのかわからんと答え様が無いな。
ちなみな俺は停滞と主体性が無い事だと思っているが。
97 :
日出づる処の名無し:04/03/18 11:06 ID:ca9LhHdQ
武士道は主体的だよ。
まず自分のことを知らなくてはならない。
自分がやりたいこと、実現したいこと、そしてそれに対して出来ること。
さらに、自分に組織を運営する能力があると判断すれば組織のトップにたつ。
組織を支える力があると判断すれば組織にはいる。
組織を選ぶ基準は自分のやりたいことに対するベクトルが合っているかどうかだ。
自分のやりたいこと、実現したいことに向かって力を出しているから、端からみると
滅私奉公に見えるだろう。
しかし、実際は違う。
もしある時点で組織のベクトルが変更されればいつでも組織を抜け出せばいい。
あるいはトップに対して抵抗すればいい。
抵抗の最たるものが謀反、クーデターで、これは賛同するものの数で成否が決まる。
一時はトップに立っても、組織をまとめ引っ張る力がなければ誰かに地位を譲るか
クーデターを待つしかないだろう。
武士の時代、引き抜きが盛んだった。
でも、いくら好条件で誘われたとしてもそれを断る武士がいたのは、自分の意志で
今いる組織に所属していたからに他ならない。
滅私奉公と武士道を同列に語られては武士の名折れだと思う。
98 :
武士道は無意味:04/03/18 12:04 ID:qzz7/Wje
日本人が武士道を語る事自体アホ
平和な江戸時代に儒教を都合良く取り込んで作られた物なのに
江戸時代日本人の9割は農民
武士が活躍した戦国時代、足軽は裏切り、逃亡、略奪当たり前
軍を厳しく制した信長も、忠義とは関係なく使えなくなれば切り捨てる合理主義者
そもそも戦国時代は下克上の世
武士も騎士も元々崇高な存在ではないよ
主君との利害関係の上に存在しただけ
美化や大義名分を信じ込む馬鹿になるなよ
(・∀・)イイ!!
>>97 本来そうだよね。体制の疲弊で次第に辻褄合わなくなってきてたのはあるけど。
たとえ藩主でもバカ殿と判定したら蟄居させちゃって、仕える価値無しと判断したら
いつまでも頭にいだくことしてなかった、ての結構あるし。
>>98 そういう分類だけで終わったら、日本のこと永遠にわからんよ。
101 :
日出づる処の名無し:04/03/18 13:57 ID:sibGUgtI
>>97 その前に「お家」があるだろうが。
極めて限定されたなかでの主体性だよ。
ただ教育システムは現代の日本の物より評価できる。
102 :
日出づる処の名無し:04/03/18 14:08 ID:0+p5NCOP
自ら武士を廃した日本人が、
武士道にすがるサマは情けない。
趣味や歴史事実として楽しむのは健康的だが、
現代人が己の姿に武士を投影するのは、
滑稽だし、見ていて気持ちが悪い。
103 :
日出づる処の名無し:04/03/18 14:15 ID:Q4Wmx0Ct
>>101 確かにお家大事というけどね、それは現在まで続いている過去を敬うって
意味で大事な訳で、それが一番大事と言うわけではないと思う。
勘当とか絶縁とかあるけど、それは面倒事を起こすに当たって
お家に迷惑がかからないようにするシステムだったんじゃないかな。
武士として、お家に迷惑を掛けられない、しかし見過ごすことが出来ない。
どっちも武士道としては正しくて、どちらを選ぶかは結局のところ本人次第、
つまり主体的であると思う。
変な文で申し訳ないけど、どう思う?
104 :
101:04/03/18 14:19 ID:sibGUgtI
>>97 書き忘れたが別に武士を批判している訳ではない。
全人口の5パーセントである主体性を重んじた倫理教育を受けた特別な者だけに
大前提となる当時の常識のなかで武士道は有効だった訳で現代社会では無効だと言いたいだけ。
105 :
日出づる処の名無し:04/03/18 15:07 ID:yOJZ5T0c
>>101 よく武士階級は全体の5%と言うけど、それは戦国時代も終わって何十年か経ってからの
ことだよね?
でも戦国時代は農民も武士であり武士も農民だった訳で主君家臣という構図は
農民と武士で違いがなかったと思う。
地方の豪族なんて農民の集まりだったり一向一揆なんていわゆる武士はいてないけど
国を形成してたりしてたしね。
そういったごちゃごちゃした時代からまとまった時代そしてそれが安定した時代に移り行くなかで
重んじられてきたものが武士道だと思う。
武士道というと武士だけの話に思われるけど、それは主君ー家臣のように立場が上のもの下のものの
関係において美徳とされるものであり、武士ー農民の間でも成り立つ。
そういった意味?で武士道てのは人すべてに当てはまる倫理道徳なんだと思います。
ただ、戦争を経験していない世代が主な働き手になってからは
階級に縛られるようになったようだけど。
現代社会はこの状態に近いね。
江戸中期から後期のように支配者層と被支配者層が明確になって、
武士道というものが形骸化してしまい家臣はイエスマンであることを求められる。
上へはいい顔をして下へは厳しい顔をする。
でも、こんな現代だからこそ、上に対してはいつでも寝首を掻きますよ、
だから下をおろそかにしないでね、という武士道精神が必要なんじゃないかな
って思ったりする。
権威は支えられてこその権威だと自覚させるためにね。
でも有効無効という話なら無効なのかなあ。
無効と認めたくないけどそれは有効であって欲しいと思うから目が曇ってしまってます。
これじゃ実のある話し合いはできないので、これにて退散します。
長々とした文でなおかつ結論なくてごめんなさい。
106 :
船虫Jr ◆.Tg2yBtH66 :04/03/18 16:29 ID:dfFzMvHH
要するに、武士道は儒教を武士階級に合わせたものなんだから、
武士がいなくなった今、武士道の根本にある儒教を広めるべきだってことだな。
ぷぷ、そこまで武士道や侍を妬まなくていいのに・・
見苦しいぞ
結局、武士道うんぬんと言う連中が非難する時の傍証と言うか、まわりを固めているイメージって
水戸黄門をはじめとするTV程度でしか無いんだな。
109 :
船虫Jr ◆.Tg2yBtH66 :04/03/19 14:01 ID:aRaha6QE
>>107 いい加減、武士は存在しないという事実を認めろよ、妄想厨(プ。
見苦しいぞ。おまえが、いると思い込んでるのは、時代劇を演じる俳優(笑い。
本物の武士はとっくに氏んじゃったんだよ(プププ
現在の日本が見習うべきは、儒教の優等生である李氏朝鮮だ。
少しは真実の歴史を勉強するんだな(プ。
船虫Jrってやっぱ向こうの人だったのか
キモ
112 :
日出づる処の名無し:04/03/19 15:36 ID:EsX0SY11
「滅私」や「死」といった表現が多いが主体性について書かれたものが無い事から
当時の人間は我が強く血の気が多くリビドーに溢れていたと推測できるな。
船虫は
李退渓、陶山書院の作男。 血統はない
本来、ゲゼルシャフトであるべき組織がゲマインシャフトになると
当初はうまくいっても、そのうち組織の維持、拡大自体が目的になり、
本来の目的(企業なら利潤の拡大)が見失われ、衰退する
ってのが戦前の日本軍や戦後の日本企業の行き詰まりの原因だろ。
今武士道と言われるものは、江戸期の、藩がゲマインシャフトだった
時代のもので、ゲゼルシャフトである企業や官僚組織に適用できる
ものじゃない。
115 :
日出づる処の名無し:04/03/19 15:52 ID:/QIpDB+z
いやいや、でもさあ、まー武士がいるかどうかは知らんが、先祖に両班がいないってのは幸せだよなあ。朝鮮人は哀れなもんだ。
日本人には誇れる歴史があるけど、朝鮮人には何も無い。過去も、未来も、現在も、真っ暗闇だもんなあ。
いやあ、日本人に生まれて良かったなあ。
>>115 別に日本に誇れる歴史があるからといって、あなたが優れているということには
ならないでしょ。朝鮮人だって世界レベルのインテリや芸術家はいるわけだが・・・
しかし日本人は世界中に出かけて現地で職人をやってるよ。
119 :
,:04/03/19 16:35 ID:vUKC4llr
少なくとも先人に恥じないという意識は持ちたいですよね
120 :
日出づる処の名無し:04/03/19 17:54 ID:/QIpDB+z
>>116 俺が優れてるなんて一言も言ってないだろ?ただ立派な民族に生まれて良かったなあっつってるだけ。
朝鮮人みたいな惨めな民族に生まれなくて本当に良かった。(笑
優れたインテリや芸術家の朝鮮人なんているの?
例えば誰?
>>119 >>120 同意
武士・士族階級がもはや存在しないことは明らかだ。
いわゆる『武士道』というものが矛盾だらけで、明確に定義できないのも知っている。
ただ、かの国ではなく、恥を知り、武士の情を知る人々のいる国に生まれ育ってよかった。
123 :
日出づる処の名無し:04/03/19 21:49 ID:MKDZ7zsx
>>1 ∩___∩
| ノ u ヽ i⌒i
. i ヽ / ● ● | | 〈 また朝鮮人が僻んでるクマーーー!
. | i | u ( _●_) ミ/ .フ 妬んでるクマーー!
し 彡、 |∪| / | 彡
\ \ ヽノ /. ノ
\ ヽ i |
_| ̄ヽ \∩ノ ノ
\ ̄ ̄ ̄ ̄(::)(::) ̄ \
||\ \
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
125 :
1:04/03/19 23:26 ID:vyWZ8N09
>>122 > ただ、かの国ではなく、恥を知り、武士の情を知る人々のいる国に生まれ育ってよかった。
現代と比べて遥かに不便で貧しい当時を生き抜く為には当然の事だが
日本人は血の気が多く、短気で、我が強く、欲深かった。
つまり常に「生」を実感しリビドーに溢れていたが
その様な快感原則にそのまま従っていては、
人間はまわりとの絶え間ない衝突を生み出して
自己や種族の保存どころか、種族の破滅に陥る。
だからそれを抑圧し環境との折り合いをつけるために
武士道の様な道徳が産まれその環境の中で恥や情けが美徳とされた訳だ。
現代の豊かになってしまった日本で武士の情や恥じを体感できるだろうか?
>>125 武士道が貴ばれているからこそテレビの時代劇が支持されているのでは。
揣摩臆測で武士道を語るスレはここですか?
>>125 ∩_∩
(・(ェ)・` ) <
>>125 ココは侍の何ヲ語るスレクマ?。
と ヾ
(,,___○,)
129 :
1:04/03/19 23:51 ID:eXHlgAv5
131 :
日出づる処の名無し:04/03/20 00:48 ID:/bLy1XkN
時代劇や映画や文学があるから武士道が尊ばれている訳で逆じゃ無いだろ。
>現代の豊かになってしまった日本で武士の情や恥じを体感できるだろうか?
結構『体感』しているような気がするなぁ、明確な『武士道』って訳じゃないけどw。
>>1さんはさりげない日常でなんとなく『武士道』のこころを感じることはありません?
私の「錯覚だ」とか、「独りよがりだ」とか言われたら、それまでなんですけどね。
133 :
1:04/03/20 21:42 ID:49mGKvOh
間違い無く独りよがりだ(w
剣道や居合をやっているなら道場内ではあるかもしれんが普段の生活の中ではねえ。
まあ、日本の風土と気候の中で育った感受性なら『体感』することは良くあると思うよ。
趣味盆栽だし(w
武士道より環境が目まぐるしく変化し過去との断絶が連続的に起きている事を体感しないか?
武士道ね・・・何だか最近一人歩きしてるな
大体、武士道を明確に定義できる香具師がいるか?
定義は大きく二つに分かれるが、どう考えても現代日本人に根ざしているとは思えんな
「日本人だから武士道を感じることが出来る。誰にでもある」
これは誤っていると思うが
>>132 どういった「武士道」のこころを感じるんだ?
自分の母方の祖先は侍ですた 私に流れる血に武士道を感じます
縁なき衆生は度し難し
138 :
日出づる処の名無し:04/03/21 02:33 ID:/dfK9qXx
漏れは「佐竹氏」でつ。
武士道って、実は肥前藩の閑職か浪人が、江戸時代中期に朱子学論理で組み立てたものらしいでつ。
「佐竹氏」は平安末期から挫折と復活を繰り返して存続してました。
それは殺し殺されの権謀術数の真ん中でした。
「佐竹氏」の生き様は武士道とは程遠いものでつが、地獄で生き延びることのリアルを教えてくれまつた。
>>138 それは数ある説の一つだろ
まぁ、武士道の骨格に儒学+朱子学が入るのは一つの流れだし、狭義での武士道はそれにあたるのかもしれんが
俺の家は都落ちした貴族の流れだから、武士道の欠片も無いだろうな
地名も川も京都のと同じ
武士道が日本人全員に浸透してるという空気が理解できん
武士は食わねど高楊枝
と言うのを、昔小馬鹿にしていた表現が一人歩きしていたこと、あったよね。
「やせ我慢」とか「見た目だけ補う中身なし」とか「見栄っぱりでみっともない」とか。
で、正直が一番の内容が過激で個人が「情報公開」してるのがイイ!みたいになっていった。
例え食べていなくても、いかにも腹一杯のようにしてでも、節を曲げてはいけない。
これって、破綻するほどサラ金に頼ったりする連中と比較してみると悪いとばかり言えないんじゃ?
自分に見栄を張る、と言うか自分に強がると言うか、そういう考え方って悪くないと思う。
141 :
日出づる処の名無し:04/03/21 04:05 ID:hEq4dw2Q
男はカッコつけられなくなったら終わりだよ。
by伊藤「今日から俺は!」より
日本人のアイデンティティーを武士道にのみ求めるような風潮は
いい加減終わって欲しい。つうか何か?李登輝がそんなに偉いのか?
金持ちがそんなに悪いのか?一生懸命働いて、成果も出して
その報酬として多額の金をもらって何が悪い?
日本がアメリカみたいな度の過ぎた資本主義社会になるわけないだろ。
極論で資本主義批判してる連中はもう少し程度を考えろよ。
143 :
日出づる処の名無し:04/03/21 09:08 ID:l2G4/gTd
武士道は武士だけのものであり、一般大衆に影響をもたらさなかったとでも思ってるのか?
新渡戸稲造読んで出直してこい。
144 :
日出づる処の名無し:04/03/21 09:54 ID:DIXqf/H1
>>1 (「武士道」奈良本訳より引用)
武士道は一つの独立した道徳の掟としては消滅するかも知れない。
しかしその力はこの地上から消え去ることはない。
その武勇と文徳の教訓は解体されるかもしれない。
しかしその光と栄誉はその廃墟を越えて蘇生するにちがいない。
あの象徴たる桜の花のように、四方の風に吹かれた後、
人生を豊かにする芳香を運んで人間を祝福しつづけることだろう。
何世代か後に、武士道の習慣が葬り去られ、その名が忘れ去られる
ときが来るとしても、「路辺に立ちて眺めやれば」、その香りは遠く離れた、
見えない丘から漂ってくることだろう。
この時、あるクエーカーの詩人はうるわしい言葉で歌う。
いづこよりか知らねど近き香気に、
感謝の心を旅人は抱き、
歩みを停め、帽をとりて
空よりの祝福を受ける。
###
19世紀の末に書かれたこの文章を読むと
おれとしては「武士道」が時代遅れだなどとはとうてい思えない。
むしろ、100年後のおれたち日本人に向けたメッセージに思える。
「ちょっと立ち止まって、感謝の気持ちを持てば、人生は豊かだよ」
と優しい手紙をもらったような気持ちになる。
一豊の妻、利家の妻、先代萩の政岡もダメでつか。
>>143 同感。
「農民が大多数で武士は少数だった」と言ってる時点で、「武士道」を読んでない証拠だな。
切腹とか恥とか、
>>142のずれた発言とか「武士」と「武士道」の違いを全く理解していないと思われ。
日本人は農民精神だがな
「出る杭は打たれる」「長いものには巻かれろ」「村八分」
とにかく個性や差異を認めない傾向が強い
2ちゃんでも「空気を嫁」発言が多い
「農民が大多数で武士は少数だった」から農民庶民は武士にあこがれて、武士の行動を模範としていた
こともあった訳で。
もちろん、武士の中には、いばりちらすだけの連中も少なくなかったから、「どさんぴん」とか
「浅黄裏(これは田舎武士かw)」とか庶民に陰口も言われてもいたけどさ。
>>147 だから「武士道」読んでから出直してこい。
俺の主観で定義したってどうせ納得しないんだろ。
『武士道』読んでみた
長い上に文献の参照が多く、表現や字体が古い(刷が古いからか?)ため時間がかかった
漏れが暇な学生だから良かったが、社会人の方々にはには読破する時間が厳しいかと
だが読み応えがあるな。何回か読み返したくなる内容。
ただ、幾つか引っかかった箇所がある。
先ず新渡戸稲造が武家の出生である所為か、武士→庶民の流れで日本がつくられたと論じている点。
支配階級であるから庶民はそれに感化された、といった感じに書かれているが、実際は武士と庶民の文化や思想には壁があると思う。
外国向けに書かれた武士道だが、実際に来日した外国人の手記には武士と農民の違いが第三者的に記されている。
そして手記の多くは庶民の規律、技術、祭りなどの大衆文化に頁を割いている。
武士による影響もあっただろうが、庶民文化を軽視している部分が気になる。
さらに、新渡戸稲造が歴史に疎かったこともどうかと思った。
鎌倉幕府の成立年を間違えていたり(誤植かと思って調べたが、彼自身歴史に深くはないと分かった)、日本人の無宗教感を打ち出す傍ら仏教の記述が食い違っている部分もあった。
武士についても、武士の過渡期と安定期を一まとめにしてしまっている。果たして戦乱、裏切りが常の戦国と平和に満ちた江戸時代の武士を同一視できるだろうか?
外国で書かれたため資料に難があったためか、葉隠等が参考文献に無いのは如何ともしがたい。
日本人の心にこみ上げるものはあるが、これをして武士道が日本人に浸透しているとは言えないのでは?
新しい刷とは食い違う部分があるかもしれんが、大学の図書館には古いのしかなかった( ´・ω・`)
ade
153 :
日出づる処の名無し:04/03/21 22:48 ID:bIbccRUj
>>151 その本読んでないんで詳細は解らないが、
明治以降
武家の制度(習慣)がかなり庶民層や一般社会に降りてきている事は間違いないと思う。
たとえば、結婚式などの招待状や各種挨拶状などの儀礼様式などは、まさに庶民文化とは次元の違う儀礼。
また、葬儀後の喪中や忌中なども武家社会の習慣を明治時代に法令化したと思った(忌服制度かな?スマン忘れた)
ここら辺は儀礼様式が中心なので「武士道」に関連があるか解らないけど・・・。
>>142 ンフフン パチンコ屋、必死だな ンフフン
155 :
1:04/03/21 23:59 ID:1pjWbrEf
>>144 それはこのスレの主旨そのものだろ。
武士道は過去の遺物だが現代の礎の一部。
156 :
日出づる処の名無し:04/03/22 00:04 ID:o2pDvkf1
武士という階級が無くなって、日本人は武士になりました。
そういゆう事です。
親の代から不法滞在を続けている外国人には絶対わからないだろうね。
157 :
日出づる処の名無し:04/03/22 00:07 ID:F8kHokJt
まぁ漏れが武士なら国奸は無条件で斬る訳で。
158 :
日出づる処の名無し:04/03/22 00:29 ID:XjA11HLy
勝手に言ってろ(´,_ゝ`)
159 :
日出づる処の名無し:04/03/22 12:37 ID:Rz68wt0G
このスレを読んでいて気が付いたが日本とは武士道を中心とし
同芯円的に成り立つ共同体で近代的な「公」の概念なんてなかったんだね。
>156
そのたうり
>>159 明治期に来日してたイギリス人がそんな感じの本だしてたな。
だけど、武士道中心ではなく、神道中心だったような・・・・。
>>162 専用の刀に換えて「天誅」で万事おっけー
164 :
日出づる処の名無し:04/03/23 12:11 ID:JUhDo4ij
「公」の概念がないという事は武士道には公共性も無いという事ですね。
公の概念がなかったら、
武士にハラキリはあり得ませんな。
166 :
1:04/03/24 21:49 ID:RLsSojLH
それは前時代的な公の概念
あ、
>>166 にいちゃんやっぱり
愛国心スレで頑張ってるひとだな。
http://tmp2.2ch.net/test/read.cgi/asia/1070739987/l50 前時代的?
歴史は伊達じゃ無いぞ。歴史を盲信してはいかんが、歴史の意味は知ってやらにゃ。
時代の最先端にいる我々は、最先端の技術知識を持っているのでは無く、
歴史の恩恵を受け、場合によっては甘やかされてしまうこともある。
それをはっきり自覚して懸からないと、歴史の劣化コピーや劣化反転コピーを体現することになりますぜ。
武士と比べるにはなんとも心許ないが、公の存在を知ったればこそ、
鳥インフルエンザで対応を誤った某農産会長はこないだ首を吊ったのだ。
ちなみに、武士は首を吊る以上に苦しい方法で自刃する。
武士道精神を批判するなら、まず武士道を正しく身に付けてからにしたまえ。
汝、汝が無知を知れ。あなたは愛国心スレでもそこが抜けている。
武士道とは、、、
(己が)『信念に』死ぬことと見つけたり。
信念ってのは、人によって違うでしょ?
「君主」だったり、「家」だったり、「思想」だったり。
それを貫くために、命すら投げ出せる者。 ソレすなわち武士(もののふ)と言ふ。
>>168 つまり武士道は他の国にも普遍的にある訳ね
日本の独占物では無いという訳だ
>>169 騎士道なんかとも共通するところはあるだろうね。
ただ、騎士道を詳しく走らないが、ちょっと違うらしい。
こないだの報道2001で、中曽根が「恥を知ること」と言ってたのはそのあたりなのかも知れんね。
>>170 武士道騎士道関係なくどの国にもあるって事だよ
168の定義だと
大体武士道騎士道などと曖昧な定義を持ち上げて威張りたがる輩にロクなのは居らん
歴史は全然崇高ではない
>>171 そんな万能猫型ロボットじゃあるまいし…。
世界のどっかに崇高な歴史が有ったら教えてくれw
武士道があったらなんでもうまくいく
武士道のある国のひとはみんな武士道を持っている
自称武士道を持つ人間はみんな武士道を持っている
全部間違い。
では武士道とはなんなのかといえば、解る人にしか判らない。
まぁ、世の中にそんなもんはいくらでもあるが。芸術なんかある意味みんなそうだなw.
あなたがよく理解しないまま武士道を否定しちゃいたいのは勝手だが、
武士道をことさら持ち上げるわけでもなく、ひたすら身心を鍛えて武士道を問いつづける
映画か小説のような人も実在して居るのだな、広い世の中には。
武道家や政治家に限らず、公に触れ関わる立場のひとなら、おそらく武士道に意味を見出す人は居るんだろうねェ。
>>168を弁護するなら、彼の感じている定義はおそらく武士道の一部なんだろう。
それが万国共通であったなら、日本においてはそれが武士道に含まれることだったのだ。
ところで、ハンドル間違えた。私=
>>170ね。
>>172 武士が活躍する戦国時代の本質は猿山の権力闘争と変わらないよ
だから歴史は全然崇高ではない
>ひたすら身心を鍛えて武士道を問いつづける
>映画か小説のような人も実在して居るのだな、広い世の中には。
それはその人が野球より武術の方に夢中になれるタイプなだけだろ
何かをやり続けて心体の強さや何らかの哲学を得られるのは武術に限らない
>>173 > それはその人が野球より武術の方に夢中になれるタイプなだけだろ
「君はほんとうにバカだな!」(AA略
本読めとまではいわんから、せめてレスの内容くらい把握してくれ。
>>173 武道家や政治家に限らず、公に触れ関わる立場のひとなら、
武道家や政治家に限らず、公に触れ関わる立場のひとなら、
武道家や政治家に限らず、公に触れ関わる立場のひとなら、
武道家や政治家に限らず、公に触れ関わる立場のひとなら、
おそらく武士道に意味を見出す人は居るんだろうねェ。
>>174 有難ふ。
176 :
173:04/03/27 02:26 ID:5KPZWsrM
>>174 言いたい事は把握してるつもりだよ
>>174 >>175 >武道家や政治家に限らず、公に触れ関わる立場のひとなら、
>おそらく武士道に意味を見出す人は居るんだろうねェ。
公の立場に関わる人が、公の意識や国家のために自己を捧げる精神を見いだすかも知れないね
俺が言いたいのはなぜそれを刀を振り回す武士と結びつけるのか分からんという事だよ
そう言う人は武士の居ない外国にもいるし
戦国時代の足軽にしても最後に天下を取った家康にしても民草のために自己を犠牲にする精神が豊富だったとは思えないが
江戸時代に儒教を取り入れて「武士道」を作ったけど、どうもお上に都合が良いよねぇ
>ひたすら身心を鍛えて武士道を問いつづける
>映画か小説のような人も実在して居るのだな、広い世の中には。
これは大半が武術マニア
>これは大半が武術マニア
武術と武士道は直接関係無いぞ。
武士道はまず、あくまでサムライのもんだからな。もちろん明治以後はその限りでない。
おれが武道家や政治家に限らず…といったのは、
職業がなんであれ、公に触れ関わる立場の人間が武士道に興味を持った時に、
武士道の意味を問い続けて、意味をだんだんと見出すからだ。
別に、会社の社長だろうが部長だろうが、役人だろうが政治家だろうが、家族の中だろうが
そういうひとはいると思うよ。べつに武道やってるかどうかは関係ない。
ついでに言うと武道と武術じゃぁ、日本じゃ少し意味が違ってもきますがねw
また、昔は武道場で色んな思想や考え方も、師から弟子へと受け継がれたものだ。
今の武道団体なんかにも場合によっては見られるが。
そも、武道は腕力に対する哲学でもあるからな。
武士道と武道は同じものでは無いが、両方ともサムライのもつべき教養であったことは確かだ。
お上に都合が言い云々気になるのは、
まずあなたが、個人の自由を義とする現代日本の人間であるからだな。
なんで武士道がそう見えるかとか、武士道の育まれた江戸時代の日本の国家構造などを「客観的に」知りたければ、
この本を呼んでみたまえ。
■「アメリカの鏡・日本」 ヘレン・ミアーズ/著 伊藤延司/訳
1949年日本占領連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが日本での翻訳出版を禁じた衝撃の書。
半世紀を経て、遂に刊行。
ttp://product.esbooks.yahoo.co.jp/product/keyword/keyword?accd=19559184 ちなみに、現代でも武士道が取り沙汰されるのは、
「公」が、社会において普遍的に価値を見出されるものであることと、武士道が日本の公に対する哲学であるから。
そして、今でも通用すると考える人が多いからである。
やっぱりハラキリは武士道の特徴を示してるよ。
処刑でもなく、ただの自殺でもない。重力も化学力も使わない、文字通りの「自殺」だからな。
そこまでする理由が、己が公に対しての「恥」を感じるか否かってことにある。
ま、仕方なくやった連中も居るだろうが。
パブリック・マインドの欠如。これは日本人にとっては宿痾ですよね。
昔からそうなんで、そうでなかったことがない。いつも所属集団の内輪の視線しか感じることができなかった。
内輪が国家である場合は、韓国でキーセン観光したり、タイで少女売春っしまくったりする。
内輪がオラが町である場合は、校長先生や教頭先生が隣町に行って女子高生たちと援助交際したり3Pしたりする。
内輪がストリート仲間である場合は、街頭や電車で地べた座りして交通妨害になったり、街頭キスしまくったりする。
大人から子供まで全部同じ。内輪が大きいか小さいかというだけの話。
内輪が大きいのがエラいんだというのが小林よしのり的認識ですよ。
だったら、八紘一宇まで広げろって(笑)。
こうした日本の大人たちのパブリック・マインドの欠如。
これが、家や地域が単に学校の出店となる「学校化」の背景と重なっているんだよ。
子どもの視線から言えば、学校的な価値の物差しの外側で自尊心を抱くチャンスが、推奨されるどころか、
むしろ徹底的に抑圧され、尊厳を貶められるようになったのは、日本における近代的パブリック概念の不毛に、原因があるということだ。
問題は、自分が「公」だとおもっているものの「外」がその視野からは消えてしまうことだろう。
その議論のなかでは、その「公」のなかにしか「外」が存在しない。
そしてその「公」が叫ばれるときに、無私でいることが美徳とされる「私」が登場するが、
実はそこには「公」の顔をした「私」がいるにすぎない。
そしてそこでいう「私」は、「個」ではなく、無前提に存在しているさまざまな共同体の一部としての「私」である。
だから、その「私」の「公」には「外」が存在しないし、
またその「外」では「公」で美徳とされるエートスがはぎとられてしまう。
つまり、「公」でいかに「公」の顔をしていたとしても、「所属集団の内輪の視線」のないところでは、
なにをしているかわからない。「公」としての「道徳」はあるが、内的な「倫理」が欠如しているわけである。
http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/siso/saifa.html
なにげに良スレ
182 :
戯れ言:04/04/01 22:20 ID:PkmrSGPk
>>168だが、
武士道とは、
日本のとある時期、限られた極一部の人種に発生した、一種の精神論。
特殊な 『道徳観念』 に他ならない。(騎士道なども内容は違うが同義)
その時代の、限られた集団の中では、確かに 「美徳」 とされたが、
今の時代からすれば、「死」すら内包した道徳など、ナンセンス以外の何物でもない。
言ってみれば、「時代遅れ」の観念であると言えよう。
それでもなお、現代において「武士道」などという言葉が出てくるのは、
現代人には無い、死を賭してまで行使する「潔さ」や、「公明さ」
(ある種ストイックな格好良さ、とでも言おうか)と言ったものが
その言葉に「言霊として(*)」存在するからであろう。
* ここで言う言霊とは、決してオカルトな意味では無く、
その言葉そのものが持つ、一般的な「雰囲気(ニュアンス)」程度に認識してもらいたい)
つまり、決して潔くも公明正大でもない「自称」大和魂共が、
自身の腹黒さを覆い隠す(カムフラージュする)ためだけに持ち出した、
ただの張り子の虎だということだ。
それに、本人すら気付けない(気付きたくない)所が、最大の問題だろう。
ちなみに道徳とは、
「その社会を構成する人々の無意識が作り出した強迫観念」
だと私は思うが、どうか?(聞くなそんなもん)
>>182 青臭い話になるのであまり突っ込みたくないけど
行動指針を強迫観念と思ってしまう、そんな自分がいるならその内面を観察してみれ。
コンプレックスやストレス、逃避などが、ぐるぐる回ってるのでは?
自分の名誉、誇りといった意識を、強迫されたものと感じるようなら
かなり疲れてるんだろう。
まあ、ガンバレ
http://www.geocities.jp/yaekotravel/venez/venez.htm それは軍人が生き物を殺す穢れた人達だからです。
だから、天皇家は穢れた軍人を嫌ったのです。
軍人は当然不満に思います。
そして、自分達で幕府をつくります。
この幕府ですが、これは現代の暴力団みたいなものであり、
正式な日本の統治者は天皇家のままですし、
当時の人達は幕府と呼んでいませんし、正式な組織ではありませんでした。
当時の日本の政府のような感じがしますが、政権は天皇家にあります。
幕府という名称で呼ぶようになったのは江戸時代に入ってからです。
それでも明治時代までは、幕府というのはあくまで天皇の配下であり、
日本は律令国家でした。
軍隊を持たない天皇家には逆らっても怖くないけど、軍人集団の幕府は怖いから、
軍隊を持たない天皇家は守ってくれないけど、幕府は盗賊や浪人から守ってくれるから
当時の人達は幕府に従っていたのですね。
警察が民事不介入で助けてくれないから、暴力団にお金を払って守ってもらっているようなものです。
(´-`).。oO(可哀相に…)
186 :
戯れ言2:04/04/05 19:21 ID:/V/D3JQo
>>183 ああ、言い方がきつかったか。
んじゃ、
「環境によって生ずる、一定の強制力を持った固定観念」
て言い方はどうよ?
共通認識としての道徳ってのは、「学んだ」物であって、確かに誰に強制されたものではないけれど、
周囲の環境が「そうあるべき」ものであるから、そのように認識するのですよ。
当たり前すぎて自分では気付けないかもしれないが、
ソレには確かに自分以外の意志が介入しているものなんですね。
例えば、
「牛を殺すなんてとんでもない」なんて国もあれば、
人を殺して食う部族もあったりするし、
日常で銃を持ち歩く国もあったりするわけだ。
自分で感じる「正しいこと」ってのは、所詮自分が育った環境の価値観でしかないってこと。
独自の価値観を持ち続けることは大切なことだけれども、
周囲の環境に合わせられなければ、ただの犯罪ってこと。
ま、そんだけ。
振り返って、武士道を見てみようか、
「間違いや汚名を晴らすためには、死な(殺さ)なければならない」
ってのは、強迫観念といっても過言では無いのではなかろうか?
「忠臣蔵」とか見る度に思っちゃうんだよなぁ・・・。
おお、ほんっとに青くせぇや(笑
いやいや、失礼いたしました。
>>186 とりあえず「銀河鉄道999」でも読んでみたら。
188 :
日出づる処の名無し:04/04/14 14:29 ID:QCuUCkoK
道徳、名誉、罪悪感、誇り、全て脅迫観念。
コンプレックスやストレス、逃避、危機感、などが、ぐるぐる回って出来上がる。
それが人間。
武士道精神そのものを最初に正確に定義して、そこから演繹して何の役にたつ
か考えてみても自分には難しすぎる。
けれど現在ただ一国で文化、経済、科学技術において西欧社会とタメをはる
までになった日本という存在から出発して、特に他のアジア諸国には無い
何が今の日本にはあったのか?、と帰納してみてゆくと、その原因の一つが
つまりは武士道精神だったのではないか、と思えてくる。
190 :
戯れ言3:04/04/15 11:53 ID:Y5O3loSn
「ソレら」は、自が身に「課す」モノ。
すなわち、
『脅迫「する」のも「される」のも、他ならぬ「自分自身」である』
191 :
日出づる処の名無し:04/04/15 15:03 ID:FVS/vbUk
その自分自身とは何だろうか?
本能に従うことがそのまま自己保存の方法でもあるような動物と違って、
人間は「現実原則に従う自我と快感原則に従うエスとの対立」あるいは分裂状態にあるところにその根本的原因があります。
人間は、自己の快感原則にそのまま従っていては、まわりとの絶え間ない衝突を生み出して、
自己や種族の保存どころか、自己や種族の破滅に陥る(「人間は本能が壊れている」)ため、
むしろ、それ(快感原則に従うエス)を抑圧し、環境との折り合いをつける、自己や種族を保存をするための「自我」が形成される。
自分自体が脅迫観念から生まれたと言っても過言では無い。
>>189 >何が今の日本にはあったのか?、と帰納してみてゆくと、その原因の一つが
>つまりは武士道精神だったのではないか、と思えてくる。
帰納してないじゃん。
他のアジア諸国にはどうして武士道精神の様なものが産まれなかったのだろうか?
日本に道徳意識が生まれるために必要な何があったのだろうか?
って考えるだろ。
武士道精神があったから日本は西欧社会とタメをはるまでになったという考えは思考停止しているだけだ。
だから、武士道精神は日本をダメにするんだよ。
>日本に道徳意識が生まれるために必要な何があったのだろうか?
武士道と総称される道徳意識、そういう元々の流れも便宜的に総称して
「武士道」と呼んでいる訳だろ?
定義がバラバラの要因に還元されたら各人の好き勝手な解釈になって
議論が成立しなくなるから。
まあ、あったから欧米とタメをはる
というのはダイレクトすぎる結び付けだ。
その素地についての掘り下げは歓迎する。
だが、決して
無いほうが良かった訳でも良い訳でもないな。
思考停止しているというなら掘り下げれば良いだけ。
それも「武士道精神」の掘り下げ、ということになる。
日本に必要なのはサウラビ精神。
武士道精神じゃない。
それならばスレタイのような
武士道精神=日本をダメ
というのも同様に停止していると思う。
>日本に道徳意識が生まれるために必要な何があったのだろうか?
>って考えるだろ。
これは多いにけっこうなこと。
・武士道精神=日本ダメ
・武士道精神=日本ナイス
この2つは両方とも停止してるだろ?
>>191
197 :
日出づる処の名無し:04/04/15 16:24 ID:RHSZhDDx
武士道精神が何故日本をダメにするかは
>>114で簡単に説明されている。
社会の構造が激変したんだからしょうがない。
>>197 その説明が正しいと仮定してみても、それは
組織論に武士道を持ち込もうとした場合においての話でしかない。
その話をするならば限定的なテーマにしてスレを分けるべき。
>>197 「日本」=「企業、官僚組織」でそれは本来ゲマインシャフトであるかどうか
から論じなければならなくなるのと、武士道は完全にそれと対立するのか、
そうすると何故ダメなのか、の説明が無い。
ここまで説明されていて「一理ある」と思うが
本スレッドの全体テーマを表現するものではない。
これについて議論思考したければ派生スレッドの作成をお勧め。
200 :
日出づる処の名無し:04/04/15 17:47 ID:dqsnBP5y
「日本」=「国家」=「ゲゼルシャフト(機能集団)」
「企業、官僚組織」=「ゲゼルシャフト(機能集団)」
武士道は神道を中心としたゲマインシャフト(共同体)内の道徳である。
「共同性」は言語・民族・宗教をはじめ、所属における必然性、いかなるものを「共通善」とするか、
というように、ある一定の価値観の共有が前提となる空間であり、
異質のものを排除するという性質を帯びた概念である。
成熟社会においては、個々の価値観=何が幸せか?
何が面白いと感じるか?どのようなライフプランを描くか?はまさしく多種多様。
となれば、得体の知れない他者が跋扈する成熟社会は不可避です。
このような成熟社会において、共同体が縮小化するのも絶対的に不可避である。
「公共性」のそれは、人と人との〈間〉における事柄・関心事への意識に求める。
いいかえれば、「公共性」は「共同性」のように所属の必然性を
アイデンティティに求めるような空間ではなく、
アイデンティティに依拠しない、多様な価値観を持った共同体を超えた
「間共同体的」コミュニケーション空間なです。
こういった近代的な公共の概念が武士道には無い。
武士道の公とは共同体を指すもので現代の日本では通用しない。
武士道の公的道徳観は現代においても多くの部分で通用するから
再評価されているのではないの?
もともと海外向けの近代の著書だし。
>何が面白いと感じるか?どのようなライフプランを描くか?はまさしく多種多様。
>となれば、得体の知れない他者が跋扈する成熟社会は不可避です。
>このような成熟社会において、共同体が縮小化するのも絶対的に不可避である。
このへんは、まあわかるが。
武士道の公的道徳観は現代においても多くの部分で通用するから
再評価されているのではないのか?
再評価のうえ近代の懐古にとどめず
現代的な発展が必要だという事であれば賛同。
>>200 そのゲゼルとゲマインの定義については、異論が出る可能性もあるけど・・
204 :
sage:04/04/15 18:19 ID:PNxfkxHJ
維新以来の東京タコ集団の田舎侍の武士道精神。これが一貫して日本をだめにしてきた。
205 :
日出づる処の名無し:04/04/15 19:13 ID:ZuqgiHYU
>>200 そこで、当然のように定義するのは疑問だな
西洋の企業はゲセルシャフトにすぎなかったのだろうが、
80年代までの日本企業は「家」制度のような、古い体質をもつゲマインシャフトの要素を多分に含んでいた。
それは、西洋の批評家が日本特殊論として良く指摘していたし、その背景として幕藩体制の頃の歴史文化
をよくとりあげられた。
昔は会社を辞めるというのは、裏切り行為のようで肩身のせまい思いだったし、会社の中でも「武士に二言はない」とか
「武士の情け」とかおもわず突っ込みを入れたくなるような言葉が普通に使われていた。w
今でこそ、個人の利益と自由の決断で転職こそ容易になってきたわけではあるが、
その古い日本企業の体質に関して完全否定できるかといえば難しいだろう。
ま、これらが崩壊して、一番喜んでいるのは外資系企業だったりするわけだが。
206 :
戯れ言4:04/04/15 19:42 ID:bg+4MSkJ
当時、「死」は神聖なものであった。
「死」を回避する術は皆無と言えるほどに少なく、
当然として人は「死」と向き合い、「死」に意味を求めた。
そのような時代にあって武士道が「死」を内包するのは、
それほどの覚悟に価値を見出していたからだ。
(それだけ、「死」の価値が高かったとも言える)
しかし、現代。 「死」は、忌避されるものとなった。
人々は狡猾に「死」を避け、「死」から目を背けている。
故に、日常に「死」を知覚せず、突然且つ必然の「死」に驚く。
最早「死」に意味など無く、「死」に価値を見出すことも無い。
そのような現代で語られる武士道とは、
当然の如く「死」の概念が薄められた劣化品でしかなく。
ただの綺麗事を語る理念へと形を変えた。
あえて言おう、「覚悟無き理念なぞ、犬の糞にも劣る」と。
ツッコミ所満載なんで、この辺で止めときます。
死に価値を求めるというのは、
まさに死の瞬間までどう生きたか、という事です。
死んでから自身が死の価値を問う訳ではないからね。
何に懸命に殉じたか。
正直、カッコいい。
現代では個人の持ち得る価値も広く浅くで
(自身含め、簡単にいうとヘタレ)だから
こういう覚悟と実践は難しいな。
あ、道徳観の話とは別ね。
210 :
日出づる処の名無し:04/04/15 20:46 ID:capaPWyl
日本人の90%は百姓の出、武士道を体験した先祖が少なすぎる。
211 :
日出づる処の名無し:04/04/15 20:47 ID:capaPWyl
百姓の精神はやっぱ、七人の侍の百姓ですよ。
212 :
日出づる処の名無し:04/04/15 20:50 ID:okmJS7BK
一言、
朝鮮人精神が日本をダメにする。
終わり
213 :
日出づる処の名無し:04/04/15 20:50 ID:mzIBsSWl
日本人種の血統の純度がいかにも低いように見せかける三国人の工作が
2chには頻繁に見られるが、世界中、純粋な人種などは極めて少ない事など
は当然ある。
問題なのはその純度であり、日本人は、中国人や朝鮮人などと比べて、
極めて純度の高い北方モンゴロイドである事をgm遺伝子が証明している。
日本人種は、純度の高い北方モンゴロイドであり、コーカソイドと
分かれた頃の古モンゴロイド形質を残しているという世界でも珍しい
とても貴重な人種。
世界の宝たる日本人種の血統を絶対に汚してはいけない。
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
武士が「死」に殉じる のだとすれば、
百姓は「生」に殉じる のですよ。
215 :
日出づる処の名無し:04/04/15 21:05 ID:IPNE0g1b
>>1 武士道においては命を捧げるほどの心意気で仕える相手は選べるのだよ
勘違いしてないかい?
>日本人の90%は百姓の出、武士道を体験した先祖が少なすぎる。
社会に組み込まれた戦士階級としては、けっこうな数では?
>>215 その通りだよなぁ。
「保険とかめんどくせーから単純労働はフリーターにして労働力を搾り取ろうか」
なんて企業が増えてる今、愛社精神がどうとか言うのがおかしい
>>213 朝鮮人はほんと血統にこだわるね!
朝鮮人にほとんどみられず、日本人の遺伝子の3割くらい占めてるのが
古モンゴロイド遺伝ファクタ。今の朝鮮人が純度が高いと誇りにしてる
北方モンゴロイドというのがモンゴル人なのだから笑えてしまう。
まあコピペだろうけど。
219 :
日出づる処の名無し:04/04/16 04:19 ID:rW3rLzPZ
>>1 アナタが考えてるほど、武士道精神は日本に根ずいてません。
だいたい武士って、日本の人口の1割以下ぐらいでしょ。
だから日本人は‘武士道精神’を理解してないと思う。
220 :
日出づる処の名無し:04/04/16 08:20 ID:14YaMFoa
>>207 >死に価値を求めるというのは、
>まさに死の瞬間までどう生きたか、という事です。
ニーチェは人生に意味や価値をも求めるものを「弱者」として扱っている。
人は望む通りのことが出来るものではない。
望む、生きる、それは別々だ。くよくよするもんじゃない。
肝心な事は、望んだり生きたりすることに飽きない事だ。
【出典】ロマン・ロラン(仏, Romain Rolland)「ジャン・クリストフ」
いまだせいをしらず、いずくんぞしをしらんや
【出典】孔子『論語』
【意味】生の意味も知らないのに、まして死の意味など知ることができようか。孔子が死の問題に関わらぬよう弟子に論した言葉。
【備考】生にも死にも意味はない。生きて居ることに意味があるとすれば、死んでは居ないと云ふだけのことだろう。
>>215 >武士道においては命を捧げるほどの心意気で仕える相手は選べるのだよ
それがどうした。
現代は、命を捧げるほどの心意気で仕える必要も無ければ、
雇う方も能力主義でそんな心意気は必要としない。
武士階級は確かに人口の1割程度だった。だからこそ、武士は百姓町人の模範となるべく、
心身を鍛え、己を律すように心がけた。いばり散らす武士も少なくなかったろうし、
「どサンピン」なんて陰口もあったが、武士は基本的に尊敬され、憧れの対象であり、
模範であった。
「武士道」には完全な定義が確立していなく、色々な解釈もあり、日本人が武士道精神
の「全て」を理解したとは言わないが、250年続いた武家政治における武士の行動が
現代までの日本人の道徳的規範に大きな影響を与えたといえるのではないでしょうか?
222 :
日出づる処の名無し:04/04/16 09:17 ID:hN/Ynl4G
東京に巣くう高級官僚にその真髄はと聞くと「もののふ、武士、の心」と返って来るそうだ。
東京タコツボの田舎侍の、特有の視野の狭さ、毅然、粛々の類。維新以来の日本の宿ア(持病)の伝統。
223 :
日出づる処の名無し:04/04/16 10:28 ID:hR503sa6
>250年続いた武家政治における武士の行動が
>現代までの日本人の道徳的規範に大きな影響を与えたといえるのではないでしょうか?
それが根底からひっくり返ってしまったのが現代。
【アノミーの類型学】
■今から百年以上前に活躍したエミール・デュルケームという社会学者は、『自殺論』と
いう有名な書物で、「金持ちが急に貧乏人になって自殺するケース」と「貧乏人が急に金
持ちになって自殺するケース」とを対比させている。
■デュルケームは、自殺の原因は一般的にアノミーすなわち「どうしていいか分からない
状態」に由来すると見なしたが、「金持ちが急に貧乏人になるケース」と「貧乏人が急に
金持ちになるケース」とでは、直面するアノミーの種類が違うと考えた。
■五十年後、社会学者ロバート・K・マートンが、前者を「機会のアノミー」、後者を「目
標のアノミー」と名づけた。機会のアノミーは「手段のアノミー」とも言うが、金持ちが
急に貧乏人になると、今まであった機会(手段)が失われ、追い込まれることに相当する。
■目標のアノミーは「目的のアノミー」とも言うが、こういうことだ。貧乏人はいつも金
持ちになりたいと思い、何か問題があると自分が貧乏だからだと考える癖がある。それが
急に金持ちになると、目標が失われ、問題の帰属先も失われて、追い込まれてしまう──。
■一般に、「物の豊かさ」が達成され、何が幸いなのかが各人で分岐する「近代成熟期」
が到来すると、自分の不幸は貧乏のせいだといった「機会のアノミー」よりも、何をして
いいのか分からない、生きる意味が分からないといった「目標のアノミー」が重大になる。
■「機会のアノミー」が優越する場合には、自分から機会を剥奪しているものを攻撃する
という具合に「外への志向」が際立ち、「目標のアノミー」が優越する場合には、生きる
意味や実感が沸かない自分を責めるという具合に「内への志向」が際立つことになる。
「目標のアノミー」が日本に蔓延したのは歴史上初めての事でしょう。
武士道精神はこれに対応する事が出来ない。
224 :
日出づる処の名無し:04/04/16 12:07 ID:hN/Ynl4G
>>222に追加。桜が、思いっきりぱっと咲いて、これまた思いっきりぱっと散るのを
見るこの季節。つくづく思うのは、その瞬間型の潔さ。桜のようにわれ死なんの侍精神。
「毅然、粛々、、」の政治用語に見る、思考なし、基礎なし、視野なし。ましてや時空的
地平概念なんぞ、夢のまた夢。子鼠の瞬間タッチ断言型。
現実適応競争のポストモダンの時代。まさに東京タコツボ野郎が日本を世界から淘汰させるポ。
時を重ねて幼稚を極める人類。
邂逅の日はさらに遠のく。
226 :
日出づる処の名無し:04/04/16 13:27 ID:VQZp953b
今の日本の情けない状況は、すべて百姓主義が造っているんだろ。
責任回避に責任転嫁に集団主義、公私のけじめがつけられない
くだらない世界。
「祭り」で集団発狂している日本国民を見ていると、
情けなくて涙が出てくるぜ。
武士は維新のときに滅んだが、百姓は滅びなかった。
百姓のまま「国民」になったが、近代国家の「市民」の
意味を学ばなかった。
右や左の煽動を受けてウロウロするばかり。
お上に頼って上手くいかなければ左翼に頼む。
誰も(右も左も)彼等に「自立」を教えなかったし、
要求しなかった、百姓が自分の頭で考え始めると都合が
悪いのは、左翼も右翼も同じ。
その結果が現代日本というわけだ。
227 :
日出づる処の名無し:04/04/16 14:28 ID:hN/Ynl4G
田舎侍が維新政府を作ったことは周知の事実。その後の、周辺国に対する殺伐主義。ヨーロッパの騎士道の
殺伐には、時の為政者が宗教で対応したと聞く。
228 :
日出づる処の名無し:04/04/16 14:35 ID:hN/Ynl4G
序でにいうなら、責任転嫁、責任回避では稲は育ちません。狭い範囲ですが一定の責任感とこまめな工夫。
これは、列島人の土ぐも百姓の、大陸人に対する優れている点と思います。
229 :
日出づる処の名無し:04/04/16 14:43 ID:ZoVv0T/S
はあ?、
「狭い範囲」
のどこにパブリックて思想があるんだよ。
明治から現代まで国民国家の体裁は続いているけど、
百姓が自主的意志に基づいて社会に参加したことなどないぜ。
外罰的要因、つまり法や村社会、郷党からの圧力で動いている
だけじゃん。
かくすれば
かくなるものと知りながら
止むに止まれぬ大和魂
231 :
日出づる処の名無し:04/04/16 20:06 ID:ozNmbrNr
「3匹の大蛇」 「日本おとぎ話」より
むかしむかし、ある国に、3匹の凶悪な大蛇がいました。
大蛇は人々をさらっては食い殺し、その恐ろしい雄叫びは人々の心を狂わせました。
しかしその国の領主は何もせず、ただうろたえ、その国は廃れて行くばかりでした。
ある時、その国を通りかかったひとりの若武者を見て、領主は言いました。
「若武者よ。どうかあの3匹の大蛇を退治して下さい。そしたら報酬をあげよう。」
この国の惨状を見た若武者はこれを憂い、さっそく大蛇の所へ行く事にしました。
大蛇を見つけると、まず若武者は経を唱えて大蛇の恐ろしい雄叫びをかき消し
ながら、持っていた吉備団子を2つ取り出して、3匹の大蛇の前へ投げました。
すると、3匹の大蛇は吉備団子を取り合って仲たがいをし、争いを始めました。
そのすきに若武者は1匹目の大蛇めがけて剣を振り、退治してしまいました。
ところが2匹目の大蛇は鱗が硬く、剣が通じません。
そこで若武者は腐った鼠の死体を探して見つけだし、大蛇の口に放り込みました。
しばらくすると、大蛇は体内から毒素に侵されて、狂って死んでしまいました。
しかし、3匹目の大蛇は鱗も硬く内臓も丈夫で、剣も鼠の死体も通じません。
そこで若武者は大蛇の周りの動物たちを全て捕まえて、隠してしまいました。
すると大蛇はエサを探し回った挙句、ついに飢えて死んでしまいました。
232 :
日出づる処の名無し:04/04/16 20:07 ID:ozNmbrNr
大蛇を退治した若武者は、うかれて喜ぶ領主に向かって言いました。
「領主よ、私への報酬はいりません。そのかわりに、私の話を聞いてください。
見ての通り、たとえ凶暴な大蛇であっても、鱗が弱ければ簡単な攻撃で死にます。
また、どんなに鱗の硬い大蛇でも、免疫力が弱ければ内部から侵されて死にます。
あるいは、鱗が硬く免疫力があったとしても、エサを得られねば、衰えて死にます。
領主よ、あなたの国もこれと同じです。
だからこの国の防衛力を整え、敵の内部工作を排し、資源の供給先を確保して下さい。
また、国が孤立せぬ様、同盟国どうしを離反させる敵の吉備団子や分断工作を潰し、
人々の心を狂わせる敵の恐ろしいプロパガンダの雄叫びに、反論して下さい。
民がさらわれても見て見ぬふりをする様な、いけにえ政治はもう終わらせなさい。」
そして若武者は去って行きました。平和を取り戻したその国は、3匹の大蛇に
南チョソ、北チョソ、シナと言う名前を付け、後々まで語り伝えたそうな。
おしまい。
234 :
日出づる処の名無し:04/04/16 21:42 ID:hN/Ynl4G
>>223「目標のアノミー」の蔓延は世界的傾向。中国でも順調に行けばいずれそうなる。
ポストモダンの行き詰まりの様相の一つと思う。
235 :
日出づる処の名無し:04/04/17 01:26 ID:Z/LN2f89
すげー。
みんなバラバラな事言って見事に噛み合ってない。
こんなスレ始めて見た。
236 :
日出づる処の名無し:04/04/17 01:38 ID:y5L8xWRz
武士道精神って正直「公務員の心得」だろ
>>236 『自が身「のみ」を振り返れ』
アレ? ナンカチガウ・・・・・・・・・
>>235 それはねぇ、武士道の「定義」つーもんが存在しないからなんだな。
何かを定義づけるためには、「基点」が必要なんだけれども、、、
武士道の基点ってナニよ?
などと、禅問答になるのが目に見えている質問をしてみるテスト
238 :
日出づる処の名無し:04/04/17 17:50 ID:9axVUSKy
武士道ってのは人に仕えるもんで
会社に仕えるものじゃないよ
239 :
日出づる処の名無し:04/04/17 18:36 ID:o1UXRVxq
現代では他人に遣えてる様じゃ通用しないんだろうな。
240 :
日出づる処の名無し:04/04/17 19:19 ID:XHNxg3f0
さて、日本人種の未来についてだが、
現在の日本の国際結婚率が約5%だから、
新生児の約5%が異種との混血児と推測できる。
平均的に約30才で子供を出産したとすると、
30年で5%ずつ日本人の血が異種の血に占められていく訳だから、
このペースで行くと、約300年後には、日本人の血の半分は
異種の血で占められてしまい、現在の日本人とは
全 く 違 っ た 人 種 に な っ て し ま う 。
241 :
日出づる処の名無し:04/04/17 23:11 ID:hqe3dvfp
Pu!
どんな計算してるんだよ。
242 :
日出づる処の名無し:04/04/18 01:58 ID:APVZkNx8
>>235 議論できるほど、昨今では人々の興味・関心を得ていなかったと言う証拠だよな。
まぁ、「武士道」に関心を持たれると都合が悪い連中が世論形成を牛耳っているからね。
ほとんど雰囲気としての言葉だけが残っていたものね。
内容に一歩踏み込んではみたものの、このようなありさまよ。
武士道とは……死ぬことと見つけたり
武士は……食わねど高楊枝
武士道とは……厳しい上下関係?滅私奉公?
武士道とは……卑劣な行為を禁じるフェアプレーの精神
武士道とは……自己犠牲を崇高とする精神 などなど
「武士道」とただ言ったときには、武士の理想の姿、程度の語義的に抽象的な詞であるから
個々人が挙げる事象がばらばらなのは当然。
時代時代によっても変わってきたし統一すべきものでもない。
「徳」の一種みたいなもんだから唱える人によって含蓄は変わってこよう。
しかし、武士道という言葉が絶えることなく日本人に唱え続けられてきた、
ということは武士道という言葉によって日本人(や共鳴する他国人でもいい)には
共通する何かがよびおこされる、ということだ。その何かとは?
日本人が負っている輝かしい歴史あるいは歴史上の英雄たち、祖先への誇りに他ならない。
そこから生まれる人間の理想像が今の「武士道」であり
これは民族的叙情の問題であると思う。
ぶっちゃけ、サムライという名の理想の人間像の一つへの集団幻想といってもいいな。
分からない人にはぜんぜん分からない。そんなもんだろう。
※特定の書物、時代、人物に帰属する「武士道」に関してはちゃんと別の定義がある。
245 :
日出づる処の名無し:04/04/19 12:21 ID:EsX0SY11
それを言うなら歴史や伝統、祖先への誇りというより
自分達が誇りに思う事や輝きをそれらがもっていて欲しいという
願望から産まれた幻想が武士道でしょう。
もちろん事実と重なる部分もあるだろうけど。
名を惜しめ。
247 :
日出づる処の名無し:04/04/19 16:27 ID:ITlkdAsJ
おれ235だけど、
平安期の在地武装集団の「一所懸命」から
戦国期の戦闘請負人の「七度主を変え」を経て、
官僚制度下の「滅私奉公」の江戸時代まで一括りに
「武士道」を語るってのも、なんか違うようナ気がする。
248 :
235:04/04/19 16:28 ID:ITlkdAsJ
そこらへんドウよ?。
249 :
日出づる処の名無し:04/04/19 19:02 ID:pOZyYDB/
でも、一貫して中世の主義主張。現代に引きずるとその視野の狭さが際立つ。東京タコ壷の田舎侍
(維新以来の国の為政者)が日本をダメにした理由はこの視野欠損。
>>247 それが歴史だろ。「武士道」は伝統的な民族意識に裏うちされてるってこと。
新渡戸はそれを海外に紹介しただけ、創作したわけじゃない。
歴史的変遷があって当然。
251 :
日出づる処の名無し:04/04/23 09:28 ID:JUhDo4ij
歴史的変換があって当然という事は今はもう無いといって当然という事。
字面のみに引き摺られる者との乖離は無くならんよ、永遠に。
253 :
日出づる処の名無し:04/04/25 04:25 ID:nqAB8OKd
>>251 君自身にも子供の頃があって、多分これから大人になっていくんだと思うよ。
十年前も十年後も「君」であることは変わらないだろ。精神面では変わっていたとしても。
それと同じことだよ、伝統というのは。
お、定義の話になってきたね。
>字面のみに引き摺られる者との乖離は無くならんよ、永遠に。
それは、否定したい人も肯定したい人もね。
スレタイを見ても、同様に。
>>245 願望でもあるだろうけど
そうあるべきだ、として規範に持つことは
あれもしたい、これもしたい、みたいな
単なる願望とは違うと思う。
幻想、という言葉もあったね。
幻想を理想の規範として持ち、そのようにあろうと
するのは、新渡戸の指摘の通り宗教的な規範に
通ずるかもね。
257 :
235:04/04/25 15:15 ID:rtCgajPm
定義だけの話だと事は簡単で、
「名誉のために時には腹を切る」という一点で、
武士の価値観は、平安から江戸末期まで一定している訳で、
思うに、これは宗教的規範ではなく、美学の問題であると
思考するが、「開拓武装集団」から『官僚制度」までの
社会規範とはまた別のように思う。
上手く言えないが、、、。
だれか上手いこと説明してもらえないかな?。
西洋での宗教による道徳規範の維持の話に絡めていうなら、
幻想は絵空事ではなく現実に影響し、効力も持つことになる。
なにが最も重要で変わらない価値観か、何が枝葉末節で
変わりうるものかは、切り分けが必要かも。
>>258 倫理を見つけ出すって事ね。
果してあるかな?
260 :
日出づる処の名無し:04/04/26 10:46 ID:zVgF3sOS
武士道は身内に対してどう振る舞うか?どう責任をとるか?
というもので時代、状況によって変わる身内の都合で
変化してしまうもの。
普遍的な倫理なんてない。
261 :
日出づる処の名無し:04/04/26 11:42 ID:a3YCQt3H
武士道って言ってて戦争に負けた。
精神論は自殺行為。
262 :
日出づる処の名無し:04/04/26 12:09 ID:zVgF3sOS
>>253 武士道が社会が幼年期の時の規範というなら同意。
263 :
235:04/04/26 12:49 ID:DaksXF4D
>260
逆でしょう、
「末代までの恥辱」といって腹を切るのは、
外に向かっての美学では?。
264 :
日出づる処の名無し:04/04/26 22:41 ID:pxtKFFUe
ノモンハンの時、日本陸軍は航空戦で優位に立ちながら、「飛行機から地上を攻撃する
のは武士道にもとる」という精神でやらなかったとか。
日本海軍は、敵戦艦を叩くことに熱心で、後方補給路寸断のために敵輸送船団を叩くと
いう発想がまったくなく、逆に自国のそれを防衛する思想もなかった。
日米海戦の明暗を別けた電探(レーダー)も、だいぶ前から日本でも考案されていたのに、
砲術担当者ら、エリート系がそれを載せようとしなかったそうだ。科学より精神に重きを
置いていたから、アホらしいと相手にされず、そんな技術は「卑怯だ」とかいう声まで
あったそうだ。
軟弱系の精神って、けっこう大事なのよ。
>>261 昨今は精神論が曲解されていて、
現場士気が低くなるような上からの無茶な押し付け
論理を「精神論」と呼んで非難する傾向がある。
精神論、というか精神的支柱となる考え方は有効だよ
曲解して押し付ける馬鹿な上役さえ居なければ。
>>264 余談だけどな。。
相手方が共通の美学を同程度に持っている場合にのみ通用するんだよな。
武士道のアホラシさと清らかさ、両方表してるいい例だね。
倫理として、子供を盾にしてる敵に機関銃打てるか?っていうとこと同等と
考えれば、今でも理解可能。
269 :
日出づる処の名無し:04/04/27 10:31 ID:k1RHdMuI
>>263 末代っておもいっきり身内じゃん(w
恥だって相手が共通感覚をもっている内輪の存在だという前提の概念。
270 :
日出づる処の名無し:04/04/27 16:34 ID:cIVYcivN
「明の多勢に、奉行は臆病風にふかれたのか!」と罵った小早川隆景、
「米が無くて戦えぬというなら、砂を食ってやる。」と嘯いた加藤光泰、
彼らは容易に退却に同意しませんでした。
http://www.shirofan.com/mm/018.html “武士道”の欠陥の典型だね。
ガダルカナルでも粘着的にしがみつく東条首相のもとを石原莞爾が訪ね、
「勝負があったところからはさっさと兵を引け!」と忠告したのだった。
アメちゃんなんて、戦死者が多いと兵力がもったいないし、国内の反戦世論も高まるしで、
いかに兵の損害を最小限にとどめるかという思考が中心だった。
そういう軍隊の方がある意味強い。
前線の概念なんだよな。そういうところはある。
最強の軍隊、っていう話だっけ?
アメリカの将軍、ドイツの将校、日本の下士官
見落としてたが、「勝負あったら潔く」っていうのも武士道な気がする罠。
273 :
日出づる処の名無し:04/04/29 01:37 ID:W844XUxN
状況によってコロコロ変わる様なものが規範として成り立つだろうか?
>>270 つーか、そもそも東条英機は武士道で戦争してたのか?
あれはもっと別物のような……。
275 :
日出づる処の名無し:04/04/29 12:37 ID:mSzfDHe5
私が抱きついてゆくと三島さんは急に体の向きを変えて抱き返してきて
小さな声でささやいた。
「しばらくぶりだったね、会いたかったよ。」
、、、、懸命に三島さんの首から、胸、腹に、強いキスを浴びせかけていった。
、、、三島さんはこちらが驚くほどの、甘えた子供のような声をほとばしらせた。
1966年、昭和41年8月27日、熊本、ホテル・キャッスル。
三島由紀夫42歳、福島次郎36歳、中年男が汗まみれで抱き合う昭和武士道のメルクマール。
力強い生活の日常を伴う女性との愛の排除によって男性集団のひ弱な結束の緊密性を確保し、
礼と義の関係を築くという笑止で情けない未熟な出立が武士道を貫いている。
武士道にはキリスト教のような大きな「愛」が欠けていると新渡戸稲造は書いているがどっちもどっちであろう。
義として浮気を堅く戒め、命を捨てる覚悟(葉隠)などという戯画的な男たちの心性。
これは二君にま見えずという思想=主君への恋心と情けない被支配に通じた。
それゆえ武士道の美意識は、「刀」という不健全で幼稚な小道具に行きつく。
桜の下、白い着物をつけた美少年、切腹による赤い血とはまさにその文脈に受け継がれたイメージである。
江戸、明治、昭和と死を賭した精液同士の恋として、仇討ち、殉死が頻発した。(赤穂浪士、乃木希典、天皇万歳切腹等々)
遂に自立することの出来なかったひ弱で情けない男達の自慰の歴史である。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/9/0017960.html
276 :
日出づる処の名無し:04/05/04 01:55 ID:tYn9V9Gx
命をかけてやりとげる様な事なんて現代には無い。
それ故に命をかけて何かをやりとげた人間に憧れる
武士道とは退屈な日常から逃避するためのロマンチシズムである。
鍋島藩主もそうだったであろう。
てーか、レーダーに武士道は関係ないだろ。
むしろ、それなりに研究されていたがゆえに「闇夜の提灯論」(電波探知機を使用した場合、レーダー
の探知距離の五割増程度で探知されてしまうので、「闇夜に提灯を照らすようなものだ」と言われた)
が幅を利かせたのだと思うが。
ついでに言えば、初期のレーダーと、職人芸に達していた夜間見張り員の探知距離はほぼ同格だった、
らしい。それを考えたら、完全に電波を発しない探知システムである夜間見張り員>レーダーと判断を
下しても不思議ではないだろう、と。
実のところ、こういう曲解が日本という像をゆがめてるんじゃないかな、と思う。
特に歴史については。
278 :
日出づる処の名無し:04/05/24 06:10 ID:tcfyqHXt
軍人勅諭に「朕は汝等軍人の大元帥なるぞ」といい、
だから今後は朕が親ら兵馬の権を取る、
そうして「再び中世以降の如き失態なからんことを望むなり」とあります。
「軍人勅諭」によれば、武家政治は中世以来七百年の"失態"なのです。
大元帥陛下として天皇が兵馬の大権を取って、その上に明治国家が築かれる。
だから、「武士」のエートスと「軍人勅諭」を基礎とする
近代日本の――文武"官僚制"の一翼をになう――軍人精神とは非連続なのです。
後者の、国家による武装の立場から批判すれば、
「自己武装」の原則に立った武士の存在は、七百年にわたる「失態」にほかなりません。
のっぺらぼうの「武士道」の連続的伝統を説く論者は、新渡戸稲造から三島由紀夫まで、
その辺をまったく混同しているように思われます。
丸山真男「「文明論之概略」を読む」より
279 :
正義の見方:04/05/24 11:48 ID:MeO0S9hH
武士道精神が滅私奉公とは初耳ですね。武士道とは二つの選択肢があるばあい自己の利害で判断
しないということでしょう?なにも死ぬことが武士道じゃないんです。平たくいえば名を惜しむ
ということでしょう。名より実をとるのは戦国時代も現在も同じなんです。だから精神論として
武士道に憧れるのです。
国家のために命を捨てるとか、上官の命令に従うという規律ではないののです。人間としての規
範なのです。
280 :
日出づる処の名無し:04/05/24 11:53 ID:sfwD1AWR
| / / |_|/|/|/|/|勝った〜ぁ♪勝った〜ぁ♪また勝った〜ぁ♪
| / / |朝|/ // /∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
|/ /. _.| ̄|/|/|/ <`∀´∩ ∩`∀´ > <ヽ`∀´∩
/|\/ / / |/ / ( つ ノ ヽ と ) (つ ノ
/| / / /ヽ ( ヽ ノ (⌒) ( ) (_)
| | ̄| | |ヽ/| し(_)  ̄(__) (__)
| | |/| |__|/ よーわいチョッパリにまた勝った〜ぁ♪
| |/| |/ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
| | |/ <ヽ`∀´>∩ ∩`∀´ > <ヽ`∀´∩
| |/ ( つ ノ ヽ と ) (つ ノ
| / ( ヽ ノ (⌒) ( ) (_)
|/ し(_)  ̄(__) (__)チョッパリはさっさと♪米よこせ〜♪
281 :
日出づる処の名無し:04/06/21 23:50 ID:K08ASU2X
保田與重郎とか日本ロマン主義とかそっちの人達って賢くって
伝統的共同体を生きる人間は日々生きるのに用いる作法が伝統そのもので
伝統と言う概念は近代化を通して見い出せる物だと良くわかってた。
近代を徹底する事によってしか日本が日本である事は観念化出来ないって事。
こういう事を無視して近代化より武士道が大切と言うのは反日と同じ。
ラストサムライでは武士は終わってるって事だ。
アルグレンだラストって事だ。
だから奴は武士じゃ無い。
解ったか?
解ったらもう寝ろ。
だから。
この中でちゃんと新渡戸稲造読んだ人いるの?
何人かはいるだろ。最終章引用してる人もいたし。