日本は解放戦争をしました 参

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213abc
>>208 ハルノートは交渉の為の叩き台で最後通告では無い

天皇陛下の意を受け近衛文麿と東条英機が如何に開戦を避けるべく
譲歩の譲歩を重ねたか。然るにルーズベルトはフライングタイガーで
実質的に日本と戦争状態にあり「ハルノート」はリメンバー謀略を引き
出すための小道具で「叩き台」なんて言う代物ではありません。
 兎に角ルーズベルトは戦争がしたくてしたくてたまりませんでした。
そして日本が米軍にちょっかいを掛けたが最後、袖振り払うが如く
一掃し、そして欧州戦線に駆けつけて利権にありつこうとしました。

ところがあに図らんや、日本軍は袖の一降りとは行かず。苦悶のあげく
病死してしまうのです。このとき天皇陛下にあっては礼儀正しく弔電を
下し賜りますが鬼畜米国は原爆の引き出物をくれるのでした。

【何故ルーズベルトは無条件降伏に拘ったか】
http://www.jiyuu-shikan.org/frontline/sugihara/mujoukenkoufuku.html
前略
 アメリカ国民は、戦争が終われば、大統領が日本の外交電報を読んでいたことを知る。史料をいかに操作し
ても、この解読電報の史料の公開は避けられない。だとしたら、大統領の掲げた正義は、言うに言えない後ろ
めたいものに
なる。汚れ、立ち行か なくなる恐れすらある。いやがるアメリカ国民を編すようにして戦争に誘い込んだルーズ
ベルトとしては、それを何としてでも防がなければならないことになる。
 とすれば、戦後、戦争開始に関して決して相手国に発言権を与えてはならない。そ して相手国はこの世界に
存在しなくなったかのような新たな国際秩序を作らなければならない。とすれば、この戦争では、敵国がこの地球上に存在しなか
ったかのよう に、敵国を徹底的に破壌しなければならない。(ここまでルーズベルトの悪しき心が成長したとき、歴史の女神はさす
がに日本を哀れに思い、ルーズベルトを天に召し上 げた、と、つい文学的なことを言いたくなる。なお、ルーズベルトが日本を戦争
に誘う過程については、杉原誠四郎「日米開戦以降の日本外交の研究」亜紀書房=一九九 七年 を参照されたい。)
後略
214abc:03/11/21 09:25 ID:t5a0fTm9
>>212 補遺

【参考】
操られたルーズベルト
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog096.html

太平洋戦争史
http://www8.ocn.ne.jp/~senden97/daitouasensou1.html