子供の社会の教科書・資料集を見て愕然!

このエントリーをはてなブックマークに追加
719日出づる処の名無し
>>713の続き。
> 民主集中制こそは、共産党(ソビエト型であろうと、ヨーロッパの
> 共産党であろうと)の肝であった。

イタリア共産党は、89年3月の第18回党大会で、民主集中制の組織
原則の放棄を決めた。90年3月の第19回党大会で、党名を「左翼
民主党」に変更した。これに反対の左派は「共産党再建派」を
結成し、イタリア共産党は分裂して消滅した。
民主集中制と共にあった共産党を、「日本で言えば旧民社党」と
言う>>704は、デタラメである。

また、フランス共産党は「クレムリンの長女」と言われるほど親ソ的
だった。それでも、76年にはプロレタリア独裁概念の放棄を宣言し、
ユーロコミュニズムの一翼を担うに至ったが、外交政策などでは
親ソ姿勢を保ち、ソ連によるアフガニスタン侵攻(79〜89年)に
支持を表明した。(引用および参考:『世界大百科事典』平凡社)
720日出づる処の名無し:03/10/16 02:03 ID:3AxuPQIN
このように、民主集中制の放棄は、ようやく90年代ごろになってから
である(イタリア共産党は89年、フランス共産党は94年)。ところが、
ユーロコミュニズムは90年代から始まったのではない。既に50年代に
始まっており、70年代後半からこの語が広く用いられるようになった。
90年代は、むしろユーロコミュニズムの退潮の時代である。
つまり、ユーロコミュニズムは先進国革命論を主張し、ソビエト型
社会主義を批判したものの、民主集中制の組織原理は、近年に至る
まで放棄しなかった。だからこそ、彼らは「共産党」の看板を
なかなか下ろさなかったのである。

党の組織原則としての〈民主集中制〉については、ユーロコミュニズム
諸党を含めて、全世界の共産党が最近まで堅持してきたのが特徴的で
ある(『世界大百科事典』平凡社)。
また、フランス共産党が民主集中制を放棄した94年には、日本の民社党
が解散した。>>718は、相変わらずのネット検索小僧である。リンクを
貼り付けるだけで、彼自身読んでも理解できないという悲惨さだ。