★★おい!頼むからこれを見てくれ!★★

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1†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2

http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/6646/vol4.html


興味を持ったら
http://www.arkworld.co.jp/requiem/indexIE.html
を隅から隅まで見てくれ


駄スレスマソ。でも伝えたかった。
2日出づる処の名無し:02/03/23 19:47 ID:Vg9ESh9j
ニダ!
3日出づる処の名無し:02/03/23 19:47 ID:GVmddxQU
22222
4日出づる処の名無し:02/03/23 19:49 ID:2OlB3J3g
通報しますた
5岩清水八幡(;´A`)<ぐぅ:02/03/23 19:49 ID:qAHLAHnN
なきそうになったよー
6日出づる処の名無し:02/03/23 19:53 ID:EaHzIh71
珠玉のワンページという奴ですな。
会心の1ページとか。
長文、駄文、プロパガンダでも当然無く、
一ページを如何に美しく、説得力をもたせるか。
7†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/23 20:05 ID:snQszoQR
見ろ
8日出づる処の名無し:02/03/23 20:09 ID:CF4BUKVK
この詩は知ってたけどまた泣けた。
「赤とんぼ」のせいかな?
9岩清水八幡(;´A`)<ぐぅ:02/03/23 20:10 ID:qAHLAHnN
>>7
お前は見たのか!!!!
10日出づる処の名無し:02/03/23 20:12 ID:KcUcC2Xt
マジで泣いてしまった。身が引き締まる思いだ。
11日出づる処の名無し:02/03/23 20:14 ID:EaHzIh71
>>9
7は1だ。ボケかましてるばあいか!
12日出づる処の名無し:02/03/23 20:18 ID:CF4BUKVK
この詩こそチェーンメールでまわしたいな。
ビラでもいいけど。
13†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/23 20:20 ID:snQszoQR
この詩の作者がマレーシア人だろ。よくもまぁ今の日本人は侵略したとか
いえるよな。
14†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/23 20:23 ID:snQszoQR
海軍少佐 宮澤 幸光命 二十三歳
神風特別攻撃隊第十九金剛隊 比島にて戦死
お父様、お母様、益々達者でお暮らしのことと存じます。幸光は闘魂いよいよ元気旺盛でまた出撃します。お正月も来ました。
幸光は靖國で二十四歳を迎へる事にしました。靖國の餅は大きいですからね。同封の写真は○○で猛訓練時、下中尉に写して戴いたのです
。眼光を見て下さい。
この拳を見て下さい。
父様、母様は日本一の父様母様であることを信じます。お正月になったら軍服の前に沢山御馳走をあげて下さい。
雑煮餅が一番好きです。
ストーブを囲んで幸光の想ひ出話をするのも間近でせう。
靖國神社では甲板士官でもして大いに張り切る心算です。
母上様、幸光の戦死の報を知つても決して泣いてはなりません。靖國で待つています。きつと来て下さるでせうね。
本日恩賜のお酒を戴き感激の極みです。
敵がすぐ前に来ました。
私がやらねば父様母様が死んでしまふ。否日本帝国が大変な事になる。幸光は誰にも負けずきつとやります。
ニッコリ笑つた顔の写真は父様とそつくりですね。母上様の写真は幸光の背中に背負つています。母様も幸光と共にご奉公だよ。何時でも側にいるよ、といつて下さつています。
母さん心強い限りです。
幸雄兄、家の事は万事よろしく頼む。嘉市兄と共に弟嘉平、久平、保則君を援けて仲良くやつて下さい。
恩師に宜しく申し上げて下さい。十九貫の体躯、今こそ必殺轟沈の機会が飛来しました。小樽の叔父、叔母様に宜しく。函館の叔父、叔母様に宜しく。中野の祖母様に宜しく。
国元師顕殿、御世話を謝します。叔父さん幸光は立派に大戦果をあげます。
15†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/23 20:25 ID:snQszoQR
いざさらば 我は御国の 山桜
 母のみもとに かへり咲かなむ
16†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/23 20:26 ID:snQszoQR
散る花の いさぎよさをば めでつつも
 母のこころは かなしかりけり
17†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/23 20:26 ID:snQszoQR
清がすがし 花の盛りに さきがけて
 玉と砕けん 丈夫我は
18七氏@通りすがり ◆RXcNtpf. :02/03/23 20:27 ID:brbnLesa
別なとこで感動してました(涙

>>1のリンク先は以前読んで感動してたので勘弁してください(汗
19†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/23 20:27 ID:snQszoQR
死するとも なほ死するとも 我が霊よ
 永久にとどまり 御國まもらせ          
20†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/23 20:29 ID:snQszoQR
昭和二十年、報道班員として鹿屋基地にあった後年の時代小説家、山岡荘八氏は死を目前に控えた青年達の明るさ、朗らかさが大きな謎だった。その謎を解いてみようと、氏は遂に一人の青年に目星をつけ、当時禁句であった質問をぶつけてみた。
相手は教師を勤めた経験もある西田高光中尉(死後少佐二十三歳)である。
この人物ならどんな質問を向けてもそのために動揺する気遣いなどはないと見込んだからである。「この戦争に勝てると思っているか?」「負けても自分の犠牲に悔いはないか?」「今日の心境に達するまでどの様な心理的葛藤を経験したか?」等である。
彼は重い口調で、現在ここに来る人々はみな自分から進んで志願したものであること。したがってもはや動揺期はは克服していること。そして最後にこう付け加えた。

「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです・・・ おわかりでしょう。
われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。
そう、民族の誇りに・・・」

西田高光少佐が孤独な思索の中で紡ぎだした結論である。彼等の出撃は作戦的には全く無意味、戦果は限りなく零に近いだろう。作戦上の効果を論ずるとしたら功利的観点に立つということだが、特攻出撃は功利の観点を超越したところにある発想のものだった。
西田少佐の言葉で「講和の条件にも」つながると見ているのはこの青年の冷静な知性を窺わせ、ただ敬服するしかない。だが重要なのは敗戦必死としても「その後の日本人の運命」にひびく深刻な意味が「特攻」にはこもっているという、この一事である。
つまり「誇り」高き敗北を可能ならしめるか否かの問題である。そして現実に特攻死は誇るべき死であった。
敗戦は、当時の欧米帝国主義の視点で捉えれば、「民族追放」か「民族浄化」を意味する。どんなによくても奴隷扱い、悪ければ皆殺しである。彼等の誇り高き死があったればこそ、日本の存続を可能たらしめ、アジアの国々の独立の契機となったことは紛れもない事実である。

<歴史や尊厳まで破壊され侮蔑されるような、戦は断じてしていない>

彼が紡ぎだした結論は後世に生きる私達に語りかけてくる至誠の言葉である。西田高光少佐の絶筆はこのサイトのトップページに紹介してある。
「総ての人よさらば 後を頼む」と、この一行に込められた「最後の悲願」に思いを馳せてほしいと願う。
21日出づる処の名無し:02/03/23 20:29 ID:gF/XZdlS
22†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/23 20:31 ID:snQszoQR
散るべき時に 散つてこそ 男と生まれし 甲斐はありけり
23†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/23 20:32 ID:snQszoQR
私は忘れることができない・・・
特攻隊基地に雲雀は鳴いていた
若々しく端正の面立ち
澄み切った無垢のまなざし
あどけない綻びる紅の唇
腕と額とに鏤められた日の丸
夜光時計をささえる鮮やかな朱の紐
名の記された飴色の半靴と
兜に似た飛行帽と
目釘青くしめった太刀の落としざし
そはまことその昔の日の
緋縅の鎧凛々しい若武者の出陣の姿。

しかもこれら紅顔の若人たちは
ひとたび出撃していけば
誰一人還ってこなかった。

汚濁にみちた地球の上
ひとり燦然たるは日本民族
その血脈の凝りてふきいでたるもの
神々の伝承を瞬間に顕現し
神話の規模を一撃に圧縮し
生もなく死もなく
誇りと愛と怒りとをこめ
奔放溌剌に散りて咲く兵隊の花。
剣に篝火の赤きを映し
一献の土器に寡黙の別離をこめて
歴史の海原へただ殺到してゆくもの
科学を超える魂の飛翔

青春こそ国を護るものと
その生命をもって示しつつ
天の舞楽となって
紺碧の太平洋に
完爾たる勝ち鬨をの声をあげるもの。
ああ神雷特別攻撃隊

           火野葦平
24日出づる処の名無し:02/03/23 20:34 ID:u5jv6xUz
隅から隅まで見たよ・・・(涙
25日出づる処の名無し:02/03/23 20:40 ID:Vg9ESh9j
泣きますた…
26†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/23 20:43 ID:snQszoQR
あげ
27日出づる処の名無し:02/03/23 20:54 ID:z79HBsLB
俺のクルマには靖国のステッカーが貼ってある

不埒な奴らは近づいても来ない

神々の厚いご加護を受けているからな
28七氏@通りすがり ◆RXcNtpf. :02/03/23 20:59 ID:brbnLesa
>>27 それは何か間違ってるような…
29日出づる処の名無し:02/03/23 20:59 ID:Vg9ESh9j
>>27
最高!!(w
30日出づる処の名無し:02/03/23 20:59 ID:sq4hJ+i+
さだまさしの「聖夜」を思いだした.
http://www.sada.co.jp/songwww/text/song271.htm
31日出づる処の名無し:02/03/23 21:05 ID:rKWnuwuH
>>28
車種によるかも。
32†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/23 21:12 ID:snQszoQR
>>30二百三高地を思い出した。

米川ぁぁぁぁぁぁぁ
33†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/23 21:37 ID:snQszoQR
age
34k ◆KJWm2pec :02/03/23 22:18 ID:8LWm0ALl
【九州限定】NHKの日韓討論番組【電波受信】
http://live.2ch.net/test/read.cgi/endless/1016886168/
35日出づる処の名無し:02/03/23 22:25 ID:3c+HnIuX
(・∀・)イイ!!
36日出づる処の名無し:02/03/23 22:38 ID:SKdTAdEH
泣けるぅぅぅ!!!
37日出づる処の名無し:02/03/23 22:41 ID:AsQIrFS3
>>1
これは右翼のでっち上げです・・・と左翼は言いそうだな。
38日出づる処の名無し:02/03/24 01:39 ID:/NLTyfr1
age
39日出づる処の名無し:02/03/24 01:46 ID:wTtv1G95
お気に入り追加っと・・・
40くしなだ神社@神主:02/03/24 01:50 ID:wgq/qWSa
>>1
ここに書いてある「昔の素晴らしい日本人の中に少しだけ混じっていた
変な人」って、その多くが朝鮮人だったんじゃないかと最近思う。
最初は、もちろんそういう風には思っていなかったのだが、
色々知るにつけ、どんどんそう思うようになってきている。
41日出づる処の名無し:02/03/24 02:49 ID:/NLTyfr1
>>40
それは、言ってはいません(藁
当時の朝鮮人は一応日本人でしたから・・・
42日出づる処の名無し:02/03/24 03:18 ID:GJu2Xqm4
>>40
おいおい、考えすぎだよ。。。。

>>1
の二番目のリンクで紹介されている振武隊隊長の渋谷少佐(大尉)
の遺書は知っていた。
http://www.sokagakkai.or.jp/sokanet/HBK/Heiwa/hansen-8.html
で紹介されていたのを見たからだ。

見ての通り、「あの」創価のサイトなので、電波を警戒しながら
読んだのだが、ここで渋谷隊長を紹介している橘さんという人は
実際に振武隊の隊員として出撃した方の様で、この一文は
当時の振武隊出撃時の雰囲気を良く伝えており、電波度は薄いと
思ったので、あえて紹介させてもらう。

彼の遺書を読む度に心を打たれる。
国と家族を思う真心が溢れている。

>>1
の最初のリンクで紹介されている様な、素晴しい日本人の一人で
あられたのだと思う。
日本国民の中でも、もっとも忠良で良質だった人達。

俺がどうしても、いかに当時の日本が追い詰められててたとは言え、
特攻作戦とそれを立案した参謀に賛同できないのは
日本国民の中でも最も良質であった人達を
死なせてしまった作戦だったからだ。
43日出づる処の名無し:02/03/24 04:50 ID:I29UtRAm
>>40
当時は「同じ帝国軍人」の服着てたからな。
やったことは、ベトナム戦争のおりの、あの連中のアレと同じだ。
44日出づる処の名無し:02/03/24 07:23 ID:8kClndPA
なんだかんだ非難されていても、当時の教育レベルって
相当高かったんだよな。
今の20代に>>14の様な文章が書ける奴が、どれだけいるんだ?
45Jap:02/03/24 07:52 ID:BFcpMxI7
次場らしく嘘つき東洋鬼のイルボンチョンのウソップ怪奇童話はは原爆とともに焼かれてその馬鹿イルチョンガうごめいてるだけです。
もっとアメリカも遠慮せずに水爆を頭狂と怠ぺいに落とせばよかったのに。やはりアメリカって正義とフューマニストの国なんだ。
46日出づる処の名無し:02/03/24 07:55 ID:iGTCQ29K
>>45
そうだね。
今度アメリカに半島で戦争してくれるように頼んどくよ(w
47くしなだ神社@神主:02/03/24 11:49 ID:Z+KdDSri
>>42
考え過ぎならむしろその方が良いんだが・・・。

現在の韓国人の「立場が自分より下だと思うものに対して、
信じられないほど暴行・虐待を行なう」という性質は、
俺達が昔学校で習った「中国などの占領地で現地人を殴る日本兵」の
イメージと恐ろしいほど一致するのだが・・・。
48日出づる処の名無し:02/03/24 17:11 ID:Gu3oIncH
>>1
正直、泣いた。

日本軍にも色んな人がいたし、朝鮮人もまた然りということじゃないですか。
割合的なものはあるのかもしれないけれど。
日本のために戦われた皆さんに心より感謝です。
49日出づる処の名無し:02/03/24 23:50 ID:xiHdYQWG
>>48
ああ、俺も泣いた
しかし不思議だな、アメリカにもヨーロッパ諸国にも中国にも恨みは感じない
50†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/25 21:19 ID:liPQVlnv
定期age
51日出づる処の名無し:02/03/25 21:27 ID:MuoIHzST
>>1
泣いた。
俺はそうした人たちを貶める反日教育が許せない・・・。
52なお:02/03/25 22:14 ID:6yoBPMvy
>>47
どっかで戦時中、日本に来たタイ人の言葉で
「オレは日本人様だ」と威張り散らし差別する人間は、大概当時日本人だった朝鮮人で
もともとの日本人は優しく好奇心が強く、われわれの話を聴きたがっていた。
って話を読んだ。ソースが手元に無いのが口惜しいが。
まぁ、こればっかりは日本の監督不行届きってことで謝罪せねばなるまい。
53日出づる処の名無し:02/03/25 22:19 ID:MuoIHzST
54日出づる処の名無し:02/03/25 23:59 ID:e3IvNam4
感動あげ
55日出づる処の名無し:02/03/26 00:55 ID:yRgoNXO9
ホントの意味の良スレ。感動した
56日出づる処の名無し:02/03/26 23:27 ID:ij7Bz3mM
age
57日出づる処の名無し:02/03/26 23:47 ID:etcdpbiI
泣いたよ
58日出づる処の名無し:02/03/26 23:48 ID:QM5k8waM
泣けて読めんよ
59日出づる処の名無し:02/03/27 00:00 ID:YJPqXvbB
オレは当時の日本人を誇りに思うよ。
政府はいつの時代もクソだがな

今の日本を見てると悲しみがこみ上げてくるな。。。
60日出づる処の名無し:02/03/27 18:06 ID:CwIunUkT
あげ
61†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/27 18:18 ID:hvu5Ew7T
こういう遺書とかはぶじゅんとかで洗脳された奴はかけねーよな。
死をかけてまで伝えたかったものは史料よりも説得力があるな
62日出づる処の名無し:02/03/27 18:20 ID:Ykb+oVpL
1が本当にその詩の意味がわかってるのか首を傾げ・・
63†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/27 18:26 ID:hvu5Ew7T
作者の本当の意図まではわからんが、自分なりには解釈している
64135:02/03/27 18:26 ID:CwIunUkT
>>62
1はあれを見て、体が熱くなって、頭が熱くなって、目頭が熱くなって、
思わずこのスレを作ってしまったんだよん、たぶん・・・
65良識国民 ◆KeWZMVkQ :02/03/27 18:27 ID:CXZ+YLW6
大東亜戦争では潜水艦の事故も多かったそうだ。
イギリスで沈んだ日本軍潜水艦を引き上げて驚愕したそうだ。
普通、事故で浸水していく状況では、誰もが先を争って
ハッチに殺到するのだが、この潜水艦は違った。
乗組員の誰もが自分も部署に紐で体をくくりつけ、
沈み行く運命を静かに認めていく覚悟が見られたそうだ。

先人の潔さが偲ばれる話だと思う。

「教科書で教えない日本の歴史」より
66†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/27 18:37 ID:hvu5Ew7T
>>65だいたい軍艦はそうだったな。参謀長や艦長は船員を退避させて
自分は縄でくくって艦といっしょに死ぬってのが。

米英じゃ考えられんな
67日出づる処の名無し:02/03/27 18:55 ID:hFE558QY
のらりくらりと春休みを過ごしている自分が何だか恥ずかしくなってきた。
68†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/27 19:04 ID:hvu5Ew7T
>>67平和の証拠。先人に感謝。


即応予備自衛官って手もあります。
年に30日くらい呼び出されるだけの楽な自衛官だ。

まだ陸士長
69 :02/03/27 19:36 ID:FciWnQGT
 特攻隊の話もそうだが、俺は日露戦争に従軍した日本軍兵士のことも
記憶しておきたいね。 新興国の軍が当時世界最強の陸軍国を相手に戦った
のだから相当の覚悟、つまり負ければ日本が滅びるかもしれないという恐れを
抱きながら、必至に極寒の血で戦った歴史だ。
その僅か10年前、露西亜皇太子加害事件ではまだ露西亜の報復に震え上がって
いた日本人が覚悟を決め、犠牲を覚悟で戦った歴史も忘れられない。

この戦いも露西亜に怯える周辺国に勇気を与えたわけだ。
70†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/27 19:38 ID:hvu5Ew7T
>>69いいこといってはる。特に旅順戦だ。あれはすごい。
ただ軍ヲタじゃないから乃木が無能かと言われればそれまでだが
無能でなかった事を信じたい。
71名無しだゴルア!! ◆.0kY8lhQ :02/03/27 19:41 ID:g2ke9kTW
こらこらイギリス海軍は船と運命を共にするもんだ。
日本海軍の伝統はイギリス海軍から来たからな。プリンス・オブ・ウェールズの時も
リーチ艦長とフィリップ中将は運命を共にした。
アメリカの場合は逃げ出す。
72†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/27 19:42 ID:hvu5Ew7T
>>71大英艦隊にスマソ。日露戦争の時もイギリス人が真だな
73 :02/03/27 19:45 ID:ULS0wvwt
 日露戦争の最終決戦、奉天会戦は満州の1月末。気温は零下30度を越える
季節。
ろくな防寒装備が無く、米と味噌汁、タクアン梅干だけで日本軍兵士20万
が30万の露西亜軍兵士と死闘を繰り広げ、勝利した歴史。

日清・日露戦争合計で10万の日本軍兵士が南下露西亜に抵抗し、
満州の荒野に倒れたことを忘れてはならない。
74†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/27 19:49 ID:hvu5Ew7T
>>73むこうのほうが地形、装備的に有利だったにもかかわらずな。
守るべきもののある軍隊とない軍隊の違いだろう。
日本の精神論はすごくいいと思う。ただ大東亜戦争では大本営までもが
精神論で戦争をしていたと思う。そこに責任があると思うな。
75日出づる処の名無し:02/03/27 19:51 ID:paMeA6ea
>>65 WWII以前だが。
『佐久間艇長遺言』(昨日海軍省より発表)

 小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す,誠に申し訳なし。
されど艇員一同死に至るまで皆よくその職を守り沈着にことを処せり。
我等は国家のため職に斃れしと雖も唯々遺憾とする所は天下の士は
これを誤り以って将来潜水艇の発展に打撃を与ふるに至らざるやを憂ふるにあり。
希くば諸君ますます勉励以ってこの誤解なく将来潜水艇の発展研究に全力を尽くされんことを。
さすれば我れ等一も遺憾とするところなし。

   沈没の原因
 瓦素林潜航の際過度深入せしため「スルイスバルブ」をしめんとせしも途中
「チェン」きれ依って手にて之れをしめたるも後れ後部に満水せり。約二十五度の傾斜にて沈降せり。

   沈据後の状況
 一,傾斜約仰角十三度位
 一,配電盤つかりたるため電灯消え,電纜燃え悪瓦斯を発生呼吸に困難を感ぜり。
   十五日午前十時沈没す。この悪瓦斯の下に手動ポンプにて排水に力む。
 一,沈下と共に「メンタンク」を排水せり,灯消えゲージ見えざれども「メンタンク」は排水し終われるものと認む。
   電流は全く使用する能わず,電液は溢るも少々,海水は入らず「クロリン」ガス発生せず唯々頼む所は手動ポンプあるのみ。
  (后十一時四十五分司令塔の明りにて記す) 溢入の水に浸され乗員大部衣濕ふ。寒冷を感ず。
   余は常に潜水艇員は沈置細心の注意を要すると共に大胆に行動せざればその発展を望む可からず,細心の余り萎縮せざらんことを戒めたり。
   世の人はこの失敗を以って或いは嘲笑するものあらん。されど我れは前言の誤りなきを確信す。
 一,司令塔の深度計は五十二を示し排水に勉めども十二時迄は底止して動かず,この辺深度は十尋位なれば正しきものならん。
 一,潜水艇員士卒は抜群中の抜群者より採用するを要す,かかるときに困る故。幸ひに本艇員は皆よく其職を尽せり,満足に思ふ。
 我れは常に家を出づれば死を期す。されば遺言状は既に「カラサキ」引出の中にあり(之れ但私事に関すること,いふ必要なし,田口,浅見兄よ之れを愚父に致されよ)

   公遺言
 謹んで
 陛下に白す 我部下の遺族をして窮するものなからしめ給はらんことを,我が念頭に懸るもの之あるのみ。
左の諸君に宜敷(順序不順)
斉藤大臣 島村中将 藤井中将 名和少将 山下少将 成田少将
(気圧高まり鼓膜を破らるる如き感あり)
小栗大佐 井出大佐 松村中佐(純一) 松村大佐(竜) 松村少佐(菊)
                           (小生の兄なり)
 船越大佐
 成田鋼太郎先生 生田小金次先生
 十二時三十分呼吸非常にクルシイ
 瓦素林ヲブローアウトセシシ積モリナレドモ,ガソリンニヨウタ
 中野大佐
 十二時四十分なり

※江田島記念館に遺書が展示されているので機会があったら見に行って みましょう。
酸欠に悩まされながら書き続け、段々と筆跡が乱れて 文字が大きくなっていくのに心を打たれました。

76†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/27 19:53 ID:hvu5Ew7T
日露戦争だったか日清戦争だったか訓練で沈没した軍艦があったな。
たしか駆逐艦だったな
77日出づる処の名無し:02/03/27 19:57 ID:paMeA6ea
著書「知覧特別攻撃隊」より。

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遺書

政憲、紀代子へ

 父ハスガタコソミエザルモイツデモオマエタチヲ見テイル。
ヨクオカアサンノイイツケヲマモッテ、オカアサンニシンパイ
ヲカケナイヨウニシナサイ。ソシテオオキクナッタレバ、
ヂブンノスキナミチニスヽミ、リッパナニッポンジンニナルコト
デス。ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ。「マサ
ノリ」「キヨコ」ノオトウサンハカミサマニナッテ、フタリヲジ
ット見テイマス。フタリナカヨクベンキョウヲシテ、オカアサ
ンノシゴトヲテツダイナサイ。オトウサンハ「マサノリ」「キヨ
コ」ノオウマサンニハナレマセンケレドモ、フタリナカヨクシナサイヨ。
オトウサンハオオキナジュウバクニノッテ、テキヲゼンブ
ヤッツケタゲンキナヒトデス。オトウサンニマケナイヒトニ
ナッテ、オトウサンノカタキヲウッテクダサイ。

マサノリ キヨコ フタリヘ
                   父より。


久野正信 中佐 第三独立飛行隊
昭和二十年五月二十四日出撃戦死 二十九歳

--------------------------------------------------------------
幼い子供達にも読めるようにカタカナで書いた遺書が泣ける...
78†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/27 19:59 ID:hvu5Ew7T
こうして見ると左翼のいう天皇や軍部に洗脳されたが怪しいな。
ただ守るべきものを守るために戦ったんだと思うのだが。
79棄て:02/03/27 20:13 ID:x40EJf3+
守るべきモノが明確だったし、それを守ることに照れも無かった。
とっても羨ましい時代ですよ。
80日出づる処の名無し:02/03/27 20:18 ID:paMeA6ea
ミラン・クンデラの小説”存在のたえられない軽さ”で
触れられているエピソードから。

14世紀のアフリカで、二つの国家の間に戦争があり
30万人の人が戦死したそうです。
しかしその戦争は世界史に何の影響も与えなかった。

・・・戦争は、悲惨ではあろうが、少なくとも
歴史には残り周知されている分救いがある。誰にも知られず、
歴史に名を残すこともなく忘れ去られた無数の戦争の犠牲者が
一番悲惨な気がします。

いま、どれだけの人が大東亜戦争で戦った人たちのことを知っていますか?
勇敢に戦った兵士に謂れ無き罪を押し付け、
戦没者に対して大変な不名誉を押し付けていませんか?
81†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/27 20:21 ID:hvu5Ew7T
死ねば仏という心がないな。>>1の詩をホンマ日本人全員に読ませたい。
なぜ死んだ英霊に罪をかぶせて自分たちは無実だ〜っていってんだ?
今の日本人(サヨク)の心をあの詩はえがいてると思う。
82日出づる処の名無し:02/03/27 20:24 ID:paMeA6ea
よく「遺書は軍部に強制的に書かされた」とか言う連中もいるが。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
五六振武隊 陸軍少尉 上原良司  大正十一年九月廿七日生
本 籍 長野県東筑摩郡和田村一七三
現住所 長野県南安曇郡有明村一八六
出身校 慶應義塾大学経済学部

所感
栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ
身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。
思えば長き学生時代を通じて得た
信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合
これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが
自由の勝利は明白な事だと思います。
人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく
たとえそれが抑えられているごとく見えても
底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は
かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。

権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも
必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。
我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。
ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツまたすでに敗れ、
今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく
次から次へと滅亡しつつあります。

真理の普遍さは今現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく
未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。
自己の信念の正しかった事この事あるいは祖国にとって
恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。
現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。
すでに思想によってその闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。

愛する祖国日本をしてかつての大英帝国のごとき
大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。
真に日本を愛する者をして立たしめたなら
日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。
世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人
これが私の夢見た理想でした。
8382続き:02/03/27 20:24 ID:paMeA6ea
空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。
操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、
ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。
理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で
しいて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。
一器械である吾人は何もいう権利はありませんが
ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を
国民の方々にお願いするのみです。

こんな精神状態で征ったならもちろん死んでも何にもならないかも知れません
ゆえに最初に述べたごとく特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。
飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、一旦下りればやはり人間ですから、
そこには感情もあり熱情も動きます。
愛する恋人に死なれたとき自分も一緒に精神的には死んでおりました。
天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと
死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。

明日は出撃です。

過激にわたりもちろん発表すべき事ではありませんでしたが、
偽らぬ心境は以上述べたごとくです。
何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。
明日は自由主義者が一人この世から去っていきます。
彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

いいたい事を言いたいだけいいました無礼をお許し下さい。
ではこの辺で

出撃の前夜記す

昭和20年5月11日出撃
戦死
84†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/27 20:27 ID:hvu5Ew7T
なんというか…敬意を示したいものだ。今年の夏は靖国へ逝こうかな
85 :02/03/27 21:11 ID:dBU2ND0A
 日本軍は明治のころまでは、明治維新を潜り抜けてきた叩き上げの指揮官も
立派、下士官下級兵士も優れていたが、昭和に入ると上級将校が自惚れ、官僚化
てしまったがために失敗した。
しかし下士官、下級兵士の能力・勇気が高かったから太平洋戦争をあそこまで戦えた
のだろう。
86135:02/03/27 21:12 ID:CwIunUkT
>>83
>一器械である吾人は何もいう権利はありませんが
>ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を
>国民の方々にお願いするのみです。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。
87135:02/03/28 16:26 ID:WInkoJrZ
上げておこうか ・ ・ ・
88日出づる処の名無し:02/03/29 12:16 ID:btXL8QUA
ウヨどもの悪あがきか・・・
89  :02/03/29 12:45 ID:lICkSOpi
しょうがねえよ。戦後、日本はアジアに対して何一つ良い事をしなかったんだから。
90  :02/03/29 12:52 ID:+SK4c318
せつないね。

いろんな意味で。
91日出づる処の名無し:02/03/29 12:54 ID:AdxpfpaS
>88、89
在日は去れ
92日出づる処の名無し:02/03/29 12:56 ID:dcGjHRcO
>>89
そうだね。 戦後、アジアのために軍事力を使うことはなくなったね。
93名無しさん@お腹いっぱい。:02/03/29 12:57 ID:OLS4bsOg
悪いこともしてねーんだけどな。
94通りすがりの装甲巡:02/03/29 13:00 ID:Yca+YOG6
>>88
>>1見て恥じ入って回線切って首釣って逝け
95通りすがりの装甲巡:02/03/29 13:02 ID:Yca+YOG6
>>89
そりは“戦後の日本教育が間違っていていた”と言う事ですな?。(藁
96通りすがりの装甲巡:02/03/29 13:04 ID:Yca+YOG6
>“戦後の日本教育が間違っていていた”
         ↓
 “戦後の日本教育が間違っていた”
“いていた”って何だよ・・・・(鬱
97日出づる処の名無し:02/03/29 14:24 ID:a5mnZEcW
>>89
そうだな。戦前やった事に比べれば、だけどな。
98日出づる処の名無し:02/03/29 16:09 ID:BjSGKK8Y
そうだ、靖国に行こう
靖国に行って英霊に感謝の祈りを捧げて来よう
日頃の自分の堕落を恥じ、心を綺麗にあらいながそう
明日からまた、力いっぱい、誠実に生きられるように。
99日出づる処の名無し:02/03/29 16:19 ID:iqXRu+ii
これ見ると、彼らが洗脳されてるされてないって問題じゃなく、
一般の人たちが戦争の是非にかかわらず「何かを守ろうと命を賭けた」ってのが見えるね。

サヨっぽい俺だけどちょっと感動
100日出づる処の名無し:02/03/29 16:24 ID:GaGt44uj
戦後に日本がなかったらアジアはどん底だっての。
日本が果たした役割は大きいよ。
101  :02/03/29 16:34 ID:PaDz0CKI
> 一般の人たちが戦争の是非にかかわらず「何かを守ろうと命を賭けた」ってのが見えるね。

実際そういうもんだったんじゃないのかね。
多くの人はイデオロギーじゃ動かないさ。
(動くのは核マルとかオウムとか。。。笑)

でも、身近な、大切なもの(人)を、
自分を捨てても守ろうとしたのは感動。
102日出づる処の名無し:02/03/29 16:46 ID:qVrajbi6
>>101
だね。
一般人はその時代の流れの中で生きるしかない。
人間の素晴らしい一面がその事を悟りつつ出た感じだ。
それが戦争の中の出来事だったの非常に悲しいが、、、
103:02/03/29 17:19 ID:MuGz7oJn
今の日本人に限らず、世界中探したって
「何かを守る為に自分の命を賭ける」ことの出来る人間なんて
滅多にいない。

ただ、「自分の利益を守る為に他人の命を売る」ことの出来る人間はたくさんいる。
戦前の日本人を悪だと言い張る反日日本人がそうだ。
104日出づる処の名無し:02/03/29 17:47 ID:G7L2xPmJ
>>102
極限状態だからこそ隠れていた人間性が剥き出しになるのだと思うのだが。
勇敢な者、卑怯な者、利己や保身に走る者、自己犠牲の精神を発揮する者。
105優しい名無しさん:02/03/29 18:03 ID:lICkSOpi
あのままロシアが朝鮮に南下してたらどうなってたか想像してみろ、今頃凄い国になってたぞ。
106日出づる処の名無し:02/03/29 18:39 ID:zaG/UamK
>>71 そういう伝統はカコイイが、そんなもんで有能な軍人を無くしまくって
負けんねん。
107q:02/03/29 18:47 ID:m8oEZnBx
>>105
あんな4等国の北朝鮮の工作船だけでも日本は激震したのに
ロシアなんかに半島のすべての沿岸部押さえられたら
もう負けほ。
108棄て:02/03/29 18:57 ID:sVWyuHXE
まあ、それこそ共産主義・反日主義の方々が、
声を大にして、無欠開城なんてほざくだろうね。

えらいことになるぞ。
109 :02/03/29 21:16 ID:9LmWveiD
>>89

インドネシアの武官がアジア駐在武官会議の席で、「韓国が日本の側にあった
ことで、どれだけ韓国経済は日本の恩恵に与ってるか認識汁!」って言ってたらしいよ。
110†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/30 20:59 ID:ewQD3Afg
日本はアジアにとても迷惑をかけました。それは事実です。
しかし独立という贈り物はこの上ないと思います。
誰かが言ってましたね
「奴隷としての自由はいらない」
11164:02/03/30 21:04 ID:tEyv03Bq
http://challenger.lg.co.kr/japanese/webcast/2000/whoareyou/air/contents13.shtml

これもみてくれ
チョンの見苦しさが即わかりますから
112†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/03/30 21:26 ID:ewQD3Afg
>>111オタク話にワラタ
113あげ:02/03/31 08:07 ID:SCEh7REI
あげ
114日出づる処の名無し:02/03/31 15:56 ID:weEoOYLh
感動した。あげ
115あげ:02/04/01 17:04 ID:u4uHhRQq
あげ
116泣き虫:02/04/01 17:28 ID:BDOtH2uA
俺はなんと恥ずかしい人間か
どこでも攻めてきてみろ俺は命をかけるぞ。
どうせ惰性で生き長らえてる命さ
この国と大事な人のため散るとも。
117日出づる処の名無し:02/04/01 19:14 ID:IbZrkY3v
>116
惰性の命なんて悲しい事言うな。
自分で大事な人がいるって、言ってるぞ。
118ANDOu:02/04/01 19:36 ID:MTZ0ot6H
>117さん
ごめんなさい!自分も116さんと”全く”同じ考えです!!
119日本(・∀(以下略:02/04/01 20:10 ID:VbB3D4VT
ちょっと、もう、カンベンしてくださいよ…

「一市民として貢献」 京都市に初の外国籍一般職
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2002apr/01/W20020401MWA1K100000032.html
120日出づる処の名無し:02/04/02 18:34 ID:IYHkUFJ6
あげ
121敵であった国ですらこうなのに:02/04/03 00:05 ID:RvhXl/uc
*靖国神社ウェブサイトよりコピペ

松尾敬宇海軍中佐 熊本県出身  海軍兵学校第66期
昭和17年5月31日歿、満24歳

憂国の烈士・三島由紀夫は『行動学入門』の中に、“行動の美の典型”として
「オーストラリアで特殊潜航艇が敵艦に衝突直前に浮上し、敵の一斉射撃を浴びようとしたときに、
月の明るい夜のことであったがハッチの扉をあけて日本刀を持った将校がそこから現れ、
日本刀を振りかざしたまま身に数弾を浴びて戦死したという話が伝えられているが、
このような場合にその行動の美しさ、月の光、ロマンチックな情景、悲壮感、
それと行動様式自体の内面的な美しさとが完全に一致する。
しかしこのような一致した美は人の一生に一度あることはおろか
歴史の上にもそう何度となくあらわれるものではない」 と記した。

この海軍士官こそ、殉忠菊池氏の流れをくむ熊本県山鹿市出身の松尾敬宇中佐(当時大尉)その人なのである。
中佐は真珠湾攻撃に次ぐ第二次特別攻撃隊員として、遠くシドニー港の奥深く突入、壮烈な戦死をとげた。

中佐は壮途につく直前(昭和17年3月29日)、両親と兄姉を呉(広島県)に招き一夕を共にすごす。
この時、父から贈られたのが前記の『行動学入門』に「日本刀をふりかざし‥‥‥」と記された伝家の菊池千本槍(短刀に柄のついたもの)である。
その夜、中佐は「俺はお袋と一緒に寝る」と母の懐に寄り添って床に就く。
二十四年育て上げ、唯一筋に国に捧げまつろうとする吾が子の肌の温もりに、
今宵が最後の夜を予感、春寒を遮るようにその五体をわが胸に引き寄せる母であった。

昭和17年6月5日の大本営発表によれば
「帝国海軍部隊ハ、特殊潜航艇ヲ以テ、5月31日夜、濠州東岸シドニー軍港ヲ強襲シ、湾内突入ニ成功、
敵軍艦一雙ヲ撃沈セリ。本攻撃ニ参加セル我特殊潜航艇中三雙未ダ帰還セズ」と。

この大胆不敵な作戦は濠州の人々の心胆を寒からしめたが、日本海軍軍人の忠勇武烈に深く感銘した濠州海軍は6月4日、
松尾艇、翌5日に中馬艇(海軍中佐中馬兼四)を引き揚げると共に、艇内から収容した四勇士を6月9日、海軍葬の礼を以って弔ってくれた。

この時、敵国軍人に対する海軍葬について非難の声が挙がったが、シドニー地区海軍司令官ムアーヘッド・グールド少将は
『勇気は一特定国民の所有物でも伝統でもない。これら日本海軍軍人によって示された勇気は、誰によっても認められ、
かつ一様に推賞せらるべきものである。これら鉄の棺桶に入って死地に赴くことは、最高度の勇気がいる。
これら勇士が行った犠牲の千分の一の犠牲を捧ぐる準備のある濠州人が幾人いるであろうか』
と全国にラジオ放送して反対の声を制し、海軍葬を執行したのである。
122つづき:02/04/03 00:06 ID:RvhXl/uc
 戦後、濠州海軍は松尾艇、中島艇を切半して一艇とし、首都キャンベラのオーストラリア連邦戦争記念館に安置、
御遺品と共に丁重に展示している。「この勇気を見よ!」と説明が特筆大書され、内外の参観者に大きな感銘を与えているとのことである。

昭和43年4月、中佐の母堂は濠州へ答礼感謝の旅に出る。
83歳の老母は「訪豪に当たりて」の一文を草した。
『昭和17年5月31日、貴国シドニー港内にて戦死いたしました松尾敬宇の母でございます。
当時、戦時中にもかかわらず、世界に例を見ぬ海軍葬の礼を以て厚く葬っていただき、その上遺骨は日章旗で覆い、丁重に遺族へ届けていただいて、
10月9日、鎌倉丸(戦時交換船)横浜に着くや全国民の感激はとても言葉に尽くせませんでした。
(中略)ただ貧しい老いの身をかこちながら年ごとの5月31日は遥かに貴国を拝し、感謝合掌しておりました。
この度はからずも、松本先生(地質学の泰斗松本唯一博士)始め多くの方々の御尽力を戴き、貴国を訪問、御礼言述べ得ますことは、こよなき喜び、かつ光栄に存じます。』

とつ国のあつき情けにこたえばやと老いを忘れて勇み旅立つ

母堂まつ枝刀自は会う人の全てを魅了する玲瓏玉の如きお人柄で、その上、素晴しい歌人でもあった。
訪豪の十日間、“勇士の母”として濠州は海軍をはじめ朝野を挙げて、あたかも国賓を迎えるごとく歓迎した。

一行は中佐ゆかりの戦跡を巡るが、狭い湾口を見詰めた母堂は
「よくもこんな狭いところを‥‥‥母は心から誉めてあげますよ」とつぶやき、
湾内では戦死した6名の勇士の名を心に叫びながら、故郷の押し花、色紙と日本酒を海にまいた。
湾内を見下す断崖からは、中佐の許嫁だった女性から託された和歌二首を記した紙片を海に投じた。
その人の真情が母堂の手で手向けられたのである。中佐への何よりの供養であったろう。
連邦戦争記念館では、中佐の御遺品の数々に涙を注ぎ、愛艇を撫でさすり、菊池神社の神酒と花輪を供えた母堂は、

愛艇を撫でつつおもふ呉の宿名残りおしみしかの夜のこと

と、吾子に添い寝をした最後の夜を回想する。そして館長からは、中佐が最後まで締めていた血染めの千人針などの御遺品が返却された。
一行の行く先々に大勢の記者が待ち構えていて、新聞は母堂の各地での写真と詠歌をトップ記事で競って報道したため、濠州国民を感動の渦に巻き込んだ。

昭和55年(1980)1月24日、母堂は95歳の一生を終えた。27日の葬儀には、中佐の忠烈を讃え、母堂を慕う400余人が辺鄙(へんぴ)もいとわず全国から参列。
オーストラリア大使館からの弔電をはじめ、霊前には数々の弔辞が述べられ、詩吟、和歌などが献詠されて、葬儀は3時間に及んだという。(おわり)
123日出づる処の名無し:02/04/03 00:08 ID:RvhXl/uc
左ノ電文ヲ次官二御通報方取計(とりはからい)ヲ得度(えたし)

沖縄県民ノ実情二関シテハ県知事ヨリ報告セラルヘキモ 県ニハ既二通信力ナク
32軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルニ付 本職県
知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非(あら)サレトモ 現状ヲ看過(かんか)スルニ忍ヒス 
之二代ツチ緊急御通知申シ上ク

若キ婦人ハ率先軍二身ヲ捧ケ 看護婦烹飯婦ハモトヨリ砲弾運ヒ挺身斬込隊スラ申出ルモノアリ
所詮(しょせん)  敵来リナハ老人子供ハ殺サレルヘク 婦女子ハ後方二運ヒ去ラレテ毒牙二供セラルヘシトテ
親子生別レ 娘ヲ軍衛門二捨ツル親アリ 看護婦二至リテハ軍移動二際シ 衛生兵既二出発シ身寄リ無キ重傷者ヲ助ケテーー

沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ 県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

124†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/03 19:45 ID:K1lHftqg
age
125日出づる処の名無し:02/04/03 20:43 ID:bp2YPokA
死ぬ為に戦うのではなく、生きる為に戦う。
其れが真の勇気だ。
例えば、命を捨てても生きると言う事か、、、。
126東京精神病院救急隊員:02/04/03 21:07 ID:Sd6YaY6Q
先日靖国へ参拝に行き、遊就館での「近代日本
かく戦えり」と言う特集を見学して来たのですが・・・
数々の直筆の遺書は、本当に見ていて悲しかったですね。
南京攻略戦の際、百人切りを行ったとされた
向井中尉の日中友好を祈る遺書や、
第109師団栗林忠道中将の「たこちゃん、お元気ですか〜」
から始まる、我が子へ宛てた遺書は特に。
今更臭い物言いですが、誰の犠牲の上に
生かされてるか、少しばかり思い出した気分でした。
今年の夏にも又行ければ良いのですが・・・
127†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/03 21:45 ID:K1lHftqg
九段か…遠いな。
128東京精神病院救急隊員:02/04/03 22:31 ID:AzzbZYuV
先程の栗林中将の遺書がありましたので・・・

「たこちゃん、元気ですか」

「お父さんは、お家に帰って、お母さんとたこちゃんを連れて
町を歩いている夢などを時々見ますが、
それはなかなか出来ないことです」

「たこちゃん。お父さんはたこちゃんが大きくなって、
お母さんの力になれる人になるばかりを思っています。
からだを丈夫にし、勉強もし、お母さんの言いつけをよく守り、
お父さんに安心させるようにしてください。
戦地のお父さんより」

129日出づる処の名無し:02/04/04 01:46 ID:QZcWMW/6
(T^T) >128泣かせるねぇ 日本男児なら靖国にいくべき 国の礎となった御霊の
言葉は重い、受け止められるのか?今の日本
130     :02/04/04 01:54 ID:4KYaXMvZ
ううっ泣いちまったじゃねえか
今週末靖国行ってくる…
131:02/04/04 02:19 ID:UiIYwzln
もし機会があれば、ここにも行ってあげてください。
江田島の教育参考館。
http://www.jda.go.jp/JMSDF/lib/lib_04.html
132 :02/04/04 02:53 ID:hs0m2W4E
日本政府はシドニーオリンピックの時 妙に
シドニー港攻撃隊の英霊達を無視していた
昔の悪事をバラされたく無いみたいにさ
マスコミは全く触れなかったね
犠牲は感謝されず 無駄死に犬死にだったね
133もう嫌だ:02/04/04 04:13 ID:iaBK1VKo
みなさんは特攻隊の遺書は軍部による検閲の元で書かれて
いたことを御存じないのでしょうか?特攻隊の方々の御冥
福は祈るとしても、彼等の死は結局侵略に繋がり、多くの
アジアの人々を傷付け、剰え多々の虐殺の一部となってし
まったことに思いを馳せる方はいないのでしょうか。
天皇は神と言われ、全てを正義だと思わされた彼等の悲劇
を、どうか繰り返さないで下さい。
不況や政治不信、会社、学校でのストレス、様々な原因か
ら来る心の疲れに対し、ナショナリズムと言う物は麻薬の
様に作用します。
どうか心を落ち着けて、歴史の真実を世界に生きる者の視
点から紐解いて下さい。
http://mallkun.to/hikoki/tegami/4gou.html

>>1の下のリンクの所に上記の様にかき込んで来た。
134もう嫌だ:02/04/04 04:15 ID:PQ2ezqKo
本当は私はコヴァ拠りの保守だ。
http://www.senyu-ren.jp/MAGO/MAGO.shtml
このサイトなんか良いな、と思う。
だが毎年一万人の韓国人が帰化していると聞くに及び、もう疲れ果てた。
社民党がいなくならないわけだ、治安が悪くなるわけだ。
もう疲れた。
死にたい。
135日出づる処の名無し:02/04/04 04:35 ID:0gTZC0OM
>>134
戦いはこれからじゃて。
皇軍兵は最後の一人まで玉砕するまでやせ細った体で戦った。
136日出づる処の名無し:02/04/04 06:55 ID:CJhSYPyb
>>134
騙りは愉しいですか?
恥じを恥とも思えませんか?
137日出づる処の名無し:02/04/04 07:45 ID:sKUavUJo
私には右も左も関係ありません。
天皇を神とは思っておりません。
平和主義、戦争放棄の教育をうけております。
しかし、もしこの国で、この先、大きな戦争があったとしたら
もし、特別攻撃隊があったとしたら
私は迷わず参加する事でしょう。
それが、この歳まで惰眠をむさぼっている私のせめてもの償いです。
なにせ、日本は私のふるさとであり、父と母が居りますから。
138日出づる処の名無し:02/04/04 07:54 ID:0gTZC0OM

在日はもう帰るか早く日本に帰化帰化帰化しろよ。
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧_∧
 <=( ・∀・)
 (    )
 | | |
 〈_フ__フ
139日出づる処の名無し:02/04/04 08:35 ID:53h1pmOs
ttp://isweb9.infoseek.co.jp/diary/windsban/ISYO.HTM
東条英機の遺書
これもなける
140日出づる処の名無し:02/04/04 08:37 ID:53h1pmOs
思うに、今後は、強者に拝跪し、世間におもねり、
おかしな理屈や邪説におもねり、雷同する者どもが
少なからず発生するであろう。しかし諸君にあっては
日本男児の真骨頂を堅持していただきたい。
真骨頂とは何か。忠君愛国の日本精神。これだけである。
141楠木正成:02/04/04 12:20 ID:CJhSYPyb
七生報国
142日出づる処の名無し:02/04/04 12:27 ID:OiOGTxv5
私の遺書 アジア太平洋戦争 / NHK出版/編

本書は1994年8月にNHK総合テレビで放送された「太平洋戦争 私の遺書」、
および同年12月に放送された「太平洋戦争 私の記録」において募集された
遺書、軍事郵便、手紙、手帳、日記等の記録をもととする。

漏れはこの本を読んでてマジ泣きしてしまった。
143日出づる処の名無し:02/04/04 16:07 ID:QhDT7YIS
>>134
まあ落ち着け。
あれだけ帰化反対!民族の誇りニダ!とか言ってた連中が
帰化してるんだよ?それもしてるのは三世、四世。
彼らは日本語しか話せない者も多く、
どこから見ても日本人にしかみえないことが多い。
考え方も日本人そのもの。
あと彼らは80%以上が日本人と結婚してる。
むしろ帰化は歓迎すべきことだよ。
不安分子が減っていくということだし。

>>133
「侵略」というほどの何をやったのか?
組織的に虐殺を行ったなどという形跡は無い。
あくまでも国際法にのっとった戦争だったんだよ。
他国がやっていたように。

天皇は神ではない、「あらひとがみ」だ。
一神教の信仰の対象ではなく、あくまで
「八百万の神々を祭る日本部族の、族長」
という位置付けなんだよ。勝手に一神教の神だと
誤解したのはGHQおよび白人だよ。

昭和天皇が病床のとこにいらっしゃったとき、
その年の稲の出来具合を心配していたのは知ってるか?
戦後国民を励ますため日本各地を巡幸されたのは知ってるか?
昭和天皇が戦前海軍の船に乗られていたとき、
はるか沖に見える漁火に向かって、いつまでも
敬礼されていたのは知っているか?

天皇は民の竈を眺めるものなんだよ。
中国の皇帝のように、圧制を敷き信仰され富を誇る者ではない。
144日出づる処の名無し:02/04/04 16:19 ID:iEgjYq8o
たしかに昭和天皇はカリスマ性があったな。
想い出すと泣けるノスタルジーそのものだ。
日本人の持つ美質を体現する象徴として…
145日出づる処の名無し:02/04/04 19:09 ID:jeGQSnIr
私も昭和天皇の話は、前に本で読んで泣いたひとりです。あげ。
146日出づる処の名無し:02/04/04 19:19 ID:uUSE8ZhO
>あと彼らは80%以上が日本人と結婚してる。
>むしろ帰化は歓迎すべきことだよ。
>不安分子が減っていくということだし。

朝鮮顔のブッサイクが増えるだろが。
それはどうすんの?
147日出づる処の名無し:02/04/04 19:22 ID:uUSE8ZhO
>どこから見ても日本人にしかみえないことが多い。

朝鮮人にしか見えん奴の方が多い。
148日出づる処の名無し:02/04/04 19:27 ID:uUSE8ZhO
>>134
まあ落ち着け。
あれだけ帰化反対!民族の誇りニダ!とか言ってた連中が
帰化してるんだよ?それもしてるのは三世、四世。
彼らは日本語しか話せない者も多く、
どこから見ても日本人にしかみえないことが多い。
考え方も日本人そのもの。
あと彼らは80%以上が日本人と結婚してる。
むしろ帰化は歓迎すべきことだよ。
不安分子が減っていくということだし。
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ∧_∧
 <=( ・∀・)
 (    )
 | | |
 〈_フ__フ
149†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/04 19:31 ID:4PDxCyGu
そもそも中国や朝鮮に民族の誇りがあったとは…
150サヨクシネー ◆uWlY5obU :02/04/04 19:35 ID:rSiFLH9f
>>148
>あれだけ帰化反対!民族の誇りニダ!とか言ってた連中が
>帰化してるんだよ?それもしてるのは三世、四世。
より日本から効果的に金せびるための悪知恵だよどうせ
>彼らは日本語しか話せない者も多く、
>どこから見ても日本人にしかみえないことが多い。
>考え方も日本人そのもの。
お前は心が読めるのか?サイコ・マンティスか?(藁
>あと彼らは80%以上が日本人と結婚してる。
それが一番怖いことだよ
>むしろ帰化は歓迎すべきことだよ。
>不安分子が減っていくということだし。
不安分子の潜伏先が内部化して余計不安



それにしてもどうやって縦読みするんだ(藁
151日出づる処の名無し:02/04/04 20:04 ID:gEC6Lp64
少なくとも帰化しようとしている在日には兵役の義務を課すべきだな。
そうして徹底的に日本に対する愛国心を確認してから帰化を許可すべきだ。
152日出づる処の名無し:02/04/04 20:12 ID:qSGKHOnC
>>150
ウヨなりすまし鮮人なんとかしてくれ。
153日出づる処の名無し:02/04/04 20:16 ID:Csdvy3v6
>>150 AA貼ってる時点でネタ確定やん。
154日出づる処の名無し:02/04/04 20:19 ID:qSGKHOnC
ネタじゃないよアレ。他スレの在日右翼の書き込みだよ。
155糞スレ汚し在日チョンでてけ!:02/04/04 20:29 ID:1E05HnCd
糞スレに成り下がったな。
156あげ:02/04/05 08:38 ID:sSXAybfO
復興あげ
157名無しさん@お腹いっぱい。:02/04/05 09:12 ID:EbBi0xRB
今はじめてこのスレを読んだから遅レスだけど・・・

>>20
>「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです・・・ おわかりでしょう。
われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人の運命にもつながっていますよ。
そう、民族の誇りに・・・」

わかっていたんだね、きっと勝てないって事を。
わかっていてそれでも命をかけたんだね。
そんなに立派な人の命を、こんなに情けない子孫のために・・・
そしてただ一言、「日本を、日本人をなめるな!」と世界に向けて言うために・・・
どうして、小さい頃の僕にかつてこういう男がいたことを教えてくれなかったんだよう・・・
158日出づる処の名無し:02/04/05 10:00 ID:CSe8XIRn
進歩のない者は決して勝たない。負けて目ざめることが最上の道だ。
日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。私的な潔癖や徳義にこだわっ
て、本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外にどうして
日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺たちはその先
導になるのだ。日本の新生にさきがけて散る。まさに本望じゃないか。
(昭和二十年四月、沖縄特攻に赴く戦艦大和艦上での臼淵磐大尉の言葉。
吉田満著『戦艦大和ノ最期』より)
159日出づる処の名無し:02/04/05 10:20 ID:ujCtl37Y
2ちゃんねらーって意外と涙もろいのだな。
160日出づる処の名無し:02/04/05 10:24 ID:m3al94aM
極東マンは人が良い人が多いと見たw
161日出づる処の名無し:02/04/05 10:36 ID:CSe8XIRn
著書「知覧特別攻撃隊」より。

-----------------------------------------------------------------
遺書

政憲、紀代子へ

 父ハスガタコソミエザルモイツデモオマエタチヲ見テイル。
ヨクオカアサンノイイツケヲマモッテ、オカアサンニシンパイ
ヲカケナイヨウニシナサイ。ソシテオオキクナッタレバ、
ヂブンノスキナミチニスヽミ、リッパナニッポンジンニナルコト
デス。ヒトノオトウサンヲウラヤンデハイケマセンヨ。「マサ
ノリ」「キヨコ」ノオトウサンハカミサマニナッテ、フタリヲジ
ット見テイマス。フタリナカヨクベンキョウヲシテ、オカアサ
ンノシゴトヲテツダイナサイ。オトウサンハ「マサノリ」「キヨ
コ」ノオウマサンニハナレマセンケレドモ、フタリナカヨクシナサイヨ。
オトウサンハオオキナジュウバクニノッテ、テキヲゼンブ
ヤッツケタゲンキナヒトデス。オトウサンニマケナイヒトニ
ナッテ、オトウサンノカタキヲウッテクダサイ。

マサノリ キヨコ フタリヘ
                   父より。


久野正信 中佐 第三独立飛行隊
昭和二十年五月二十四日出撃戦死 二十九歳

--------------------------------------------------------------
幼い子供達にも読めるようにカタカナで書いた遺書が泣ける...
162日出づる処の名無し:02/04/05 10:57 ID:qSgZq706
こういう事を教科書に載せるべきなのに。1ページでいいんだから。
先人は恥じではない。むしろ誇りである事をしるべきなのに。
あと、東条の遺書とかもな。
はぁ、、、。

163日出づる処の名無し:02/04/05 11:01 ID:CSe8XIRn
五六振武隊 陸軍少尉 上原良司
大正十一年九月廿七日生
本 籍 長野県東筑摩郡和田村一七三
現住所 長野県南安曇郡有明村一八六
出身校 慶應義塾大学経済学部

所感
栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ
身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。
思えば長き学生時代を通じて得た
信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合
これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが
自由の勝利は明白な事だと思います。
人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく
たとえそれが抑えられているごとく見えても
底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は
かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。

権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも
必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。
我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。
ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツまたすでに敗れ、
今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく
次から次へと滅亡しつつあります。

真理の普遍さは今現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく
未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。
自己の信念の正しかった事この事あるいは祖国にとって
恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。
現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。
すでに思想によってその闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。
164日出づる処の名無し:02/04/05 11:02 ID:CSe8XIRn
(続き)
する祖国日本をしてかつての大英帝国のごとき
大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。
真に日本を愛する者をして立たしめたなら
日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。
世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人
これが私の夢見た理想でした。

空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。
操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、
ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。
理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で
しいて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。
一器械である吾人は何もいう権利はありませんが
ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を
国民の方々にお願いするのみです。

こんな精神状態で征ったならもちろん死んでも何にもならないかも知れません
ゆえに最初に述べたごとく特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。
飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、一旦下りればやはり人間ですから、
そこには感情もあり熱情も動きます。
愛する恋人に死なれたとき自分も一緒に精神的には死んでおりました。
天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと
死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。

明日は出撃です。

過激にわたりもちろん発表すべき事ではありませんでしたが、
偽らぬ心境は以上述べたごとくです。
何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。
明日は自由主義者が一人この世から去っていきます。
彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

いいたい事を言いたいだけいいました無礼をお許し下さい。
ではこの辺で

出撃の前夜記す

昭和20年5月11日出撃
戦死
165日出づる処の名無し:02/04/05 11:04 ID:CSe8XIRn
この人の愛読書(哲学者クローチェを論じたもの)には、
本文のところどころに赤い印がしてあった。
その、印をしてあった文字をたどってつなげたのが、
次の文章。

京子ちゃん、さやうなら。
私は君が好きだつた。
しかしその時既に君は婚約の人であつた。
私は苦しんだ。そして君の幸福を考へた時、
愛の言葉をささやくことを断念した。
しかし私はいつも君を愛してゐる
166日出づる処の名無し:02/04/05 12:13 ID:CSe8XIRn
>>164
×する祖国日本をしてかつての大英帝国のごとき
○愛する祖国日本をしてかつての大英帝国のごとき

ネタ仕入れたらまた来ます。
良スレになりますように。。。
167日出づる処の名無し:02/04/05 14:58 ID:o4KoWrF5
仕事中に泣いちゃったyo
168↑ます:02/04/06 18:28 ID:3hkCroKk
ageます
169日出づる処の名無し:02/04/06 22:50 ID:pktnQcnV
漏れも仕事中に泣きました。
いま読み返してまた泣いた。
こんな先祖がいたことをなぜ教えてくれんのか。
NETがなかったらおそらく一生知らずにいただろう。
皆様に感謝。
170日出づる処の名無し:02/04/07 00:06 ID:M0sbiJ0E

   。 o  。      。o          。   。          。o
      。 o  。         o  。      。 o               o  。
o  。o          。 o  。          。   。o           。
 。   。      /⌒o⌒⌒⌒⌒⌒⌒゜⌒⌒⌒。⌒⌒⌒⌒)o                o  。o  
o       。   ( ( ∧_∧    o   )   ヾ   )/ヽ) 。       o     。
          ,/   (@∀@-) も    。     。  /`、 ヽ) 。 o  。
      。 o ゚(  ) ,         絶賛の味!o   )/.===、ヽ    ,-― ー  、  o  。   。  o  。
え〜うどん  (_(___,.(      o   )   ヾ    /_____ヽ /ヽ     ヾヽ
 うどんは…   |=  赤 | ノ ̄ ̄ ̄|ノ ̄ ̄ ̄|ノ ̄ ̄ ̄| ||  .| ゜  /    人( ヽ\、ヽゝ    o    o       。
 ゴニョゴニョ… |= う  =:|______ノ______ノ___ノ| ||  .| 。o |   ノ ⌒,,  ⌒,,`l     。 o  。
         |= ど 軍..:| ||                 | ||  .|   |   /(o )  (o )  |         。
  .,ぇ.⌒てっ o |=ん =:| ||       。o   。      | ||  .|    /ヽ | ー   ー   | コラ!後ろ!   o  。
  ノ))人し川   ~~~~~~~| ||==┻==           | ||  .|   | 6`l `u   ,  、 | もっと声ださんかい!
゜ ノ/u.´.ハ.`ゞ     | ||:::::::::::::| |  o  。o   | ||  .| o ヽ_ヽ   、_(、 _,)_/  
   ヾ_/〜|/     ┌┴.───┴┴────―-┴┸┬┴┐゜  \   ヽJJJJJ  元キャスターやろ! 
    ノ\v/ヽ  . ┌┴―─────────――-.┬┘  | 。   \_  `―'/       o
  ( つ   二つ└┬―/ ⌒ ヽ┬────/ ⌒ ヽ───-.┴―┬ つ──つ
 / ゝ 〉/     。|  |  ○  |       |  ○  |        / ゝ 〉/   o    o  
(__)_)          .\  ノ        \  ノ        (__)_)
⌒⌒ ⌒⌒⌒⌒⌒ ⌒⌒⌒⌒⌒⌒ ⌒⌒⌒⌒ ⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒


171日出づる処の名無し:02/04/07 01:29 ID:zICNTmUS
遺言書

イヨイヨ現実ニ死ヲ考ヘサセラレル時ガ参リマシタ。
然シ私ハ今、死ヲ恐レル気持ニモナリマセンシ又、死ニタイトモ思ヒマセン。
生キタイト言フ願ヒハ、人間ノ持ツ感情ノ中デ、一番貴イモノデス。
然シ私ハ、国家ノ為トカ民族ノ為ニハ、間接的ニナルカモ知レマセンガ、
自分自身ノ為、修養ノ為、死ト言フ門ノアル道ヲ歩イテマス。
二十五才ノ今、人生ノ半分ヲ過ギテ来マシタガ、先ノ事モ大体
想像デキル様ニナリマシタ。今マデノ楽シカツタ事ヤ苦シカツタ事ガ、
一ツ一ツ想ヒダサレマス。然シ私ノ本当ノ考ハ少シバカリ勉強シタ
老荘ノ思想ト同ジ様ニナリマシタ。大キナ夢ヲ見テマス。今其ノ夢ガ
終リヲ告ゲテ、新シイ生命ニ入ツテ行ケルカモ知レマセン。
此ノ様ナ気持デス。

父母上様ヤ恩師、先輩、親友ノ人々、又御先祖様ニモ申訳アリマセンガ、
井原ノ家カラコンナ人間モ、昔シハ生キテオツタト思ヒダサレタ時ニハ、
私ハ必ズ別ノ世界デ伊原ノ家ノ事ヲ考ヘテマス。
172171の続き:02/04/07 01:30 ID:zICNTmUS
弟妹ヘ
哲君、悦子、兄サンハ本当ニ馬鹿ナ兄サンダツタ。
自分ハ又此ノ世界デ一番親不孝ナモノダツタ。
自分ノ果サレナカツタ事ヲ、君達ニ頼ムノハ無理カモシレナイガ、
父母上様ノ事ヲ頼ム。
ソシテ二人共、立派ナ人間ニナツテ呉レ。

父母上様ヘ
本当ニ親不孝バカリシマシタ。何一ツ御恩返シモセズ、
異境ノ草ノ上カ水ノ中デ、折角頂イタ生ヲ捨テル様ニナリマシタ。
誠ニ申訳アリマセン。
何卒御健康ニ注意サレテ、御長命ヲ祈リマス。

昭和十七年九月十九日          不肖ノ子
173172の続き:02/04/07 01:32 ID:zICNTmUS
井原雄治

静岡県出身。
東京府立三商卒業。
上海同文書院卒業。
日本油脂入社。
静岡連隊初年兵として入隊。
日本は負けるといって幹部候補生を受けず。
陸軍軍曹。
昭和18年1月23日、ガ島に於て戦死。

--------------------------------------------------------------
彼が餓死で無かったことだけを祈る…
174†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/08 17:17 ID:G+durHHA
定期age
175日出づる処の名無し:02/04/08 19:13 ID:hCrIPQ+P
感涙age
176†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/08 19:44 ID:M176R8YF
定期age
177東京精神病院救急隊員:02/04/08 20:21 ID:aFf46b5D
忘れ難い物の一つの中に、靖国神社の境内に据え
られていた高射砲があります。
この事は「今日われ生きてあり」の「第十話 雲ながれゆく」
に浦和の秀才、平柳四兄弟の話として書きましたが、
その次男の平柳三郎少尉は、地獄の戦場と言われた
ニューギニアのウェワクで六門の高射砲がたった一門と
なるまで戦い、戦死。第十八軍野戦高射砲隊第六十二大隊
の生存者は、将校、下士、兵を含めて僅か三十二人。

その生存者の一人で、横浜で呉服卸商を営んでいる
Y元二等兵は、慰霊巡拝団の一員としてウェワクを
訪れた時、今も木一本生えていないと言う
高射砲陣地跡で、彼らが最後まで死守したあの
高射砲が一門、天を睨んでいたそうです。
それを見た瞬間、Yさんは赤錆びた砲身に抱きついて
「日本へ帰ろう!みんなのところへ、靖国神社へ行こう!」
と声を叫げて哭いたといいます。
(続く)
178東京精神病院救急隊員:02/04/08 20:26 ID:aFf46b5D
その高射砲を、Yさんたちはとうとう靖国神社へ
持って帰って来た。そうした人たちの心のよりどころ
というものを一般からシャットアウトして、
何が国政か、と言いたい。アーリントン墓地や外国の
無名戦士の墓に参拝する閣僚が、自国の靖国神社に
参拝しないというのは、戦没者への大きな裏切りでは
ないですか。

語らざれば憂いなきに似たり、だから言いますが、
いま、日本の政府が真っ先にしなければならないのは、
無念のうらみを抱いて亡くなった国民の犠牲者に
詫びる事ではないですか。その反省から初めて
"戦後"が始まるのと違いますか。

―以上、神坂次郎氏著「特攻隊員の命の声が聞こえる」より
179日出づる処の名無し:02/04/08 21:07 ID:FKvC+mV5
最近、鬱になるニュースを見るたびに「英霊よ日本を守ってくれ」
とつい願ってしまう。何の力も無い自分が悔しい。
180東京精神病院救急隊員:02/04/08 21:18 ID:aFf46b5D
>>179
寧ろ、今まで英霊を蔑ろにしてしまった私等への
天罰かもしれませんな、今の状況は・・・・・。
181日出づる処の名無し:02/04/08 21:19 ID:jJINNNOW
自分も初詣や神社にお参りするたびに、
御祭神と英霊はじめ日本の先祖の霊に日本を守ってくれるよう祈ってしまうな。
182α:02/04/08 21:23 ID:JYyrgIIy
>>179-180
いろんな意味でそれはダメだと思ふ、
未来は私達に託されたのだから、彼らに失礼というものだ。
183:02/04/08 22:20 ID:xrhjCPGj
 英霊は見守ってくれてはいると思う。
 我々のがんばりをきっと見ていてくれていると思うよ。
 だから絶対に情けないことはできない。
184 :02/04/08 22:50 ID:5U9E7ONR
今、父親となってはじめて、素子の父親の気持ちが、解る。
一度読むと、涙が止まらなくなるな。
1851/4:02/04/08 23:09 ID:Q6FKHoUb
 この遺書は、先の太平洋戦争で南方にて戦死した、
祖父の姉の長兄のものでございます。(中略) 
 治夫さんは、海軍だったためか、遺品も遺骨も無く、
戦死の報告と共にこの遺書だけが送られて来たそうです。
母親は、信じられず、しばらくの間帰りを待っていたとの事でした。
そして亡くなるまで大事にこの遺書を持っていたようです。
 この遺書をを初めて読んだ時、私と同じ年頃の青年が、
このような文章を書けるのかと大変なショックを受けました。
そして、この遺書を受け取った母親の気持を思うと、
非常に胸が痛みます。

             宮城県名取市 関谷直樹
1862/4:02/04/08 23:09 ID:Q6FKHoUb
遺言
日本人として国家の為に死す。男子と生まれて皇国に生を承け
しかも戦場に屍を晒すは軍人として此れ以上の名誉なし。
此の世に生を受けてより二十年余、慈愛深き胸に抱かれて、
今日迄一度も親孝行らしき事も出来ずに先立つこと心残りに思ひます。
然し共、国家が立つか倒れるかの秋、少しも私情を伝々すべからず、
君国の為に報ゆるはこの秋である。かねて母上様よりのご教訓に
「国の為に死するは最大の親孝行なり」と申された事を肝に銘じて
他の人に負けぬ様、最後の御奉公致す覚悟です。
さればとて先立つ不孝は、なにとぞお赦し下され度、母上様には、
私の亡き時のお覚悟は充分あられる事と思ひますが、若し戦死の報あらば
「治夫よくやつた」と一言おほめ下され度。
あまりお歎きになつて身体にさわられる様な事あらば重ねて
親不孝の罪をつくることになります。
母上様には一人淋しく銃後を守られる事が心残りです。

我れ征きて 心残りは唯一つ ひとり残せし母の身の上
1873/4:02/04/08 23:10 ID:Q6FKHoUb
又輝昇には、兄らしく面倒を見てやる事が出来ず申訳なく思ひます。
もつと可愛がつて兄弟らしくなごやかにやりたいと思つては居りましたが、
後の後悔先に立たづで出来ないのを残念に思ひます。
町会や総監部の皆様や諸先生、諸先輩の皆様にいろいろとお世話になり、
お礼も出来ず先立つ罪は母上様よりよろしく申して下さい。
我れ死せば何物も残らず、この遺書のみが残るものと思はれますればまずこれ迄。
母上様には御身御自愛の程、九段よりお祈り致して居ります。
我れ婦女関係なし
我れ金銭貸借なし

身はたとへ 南の土地に草むすも 倒せ米英大和魂

母上様へ               
1884/4:02/04/08 23:10 ID:Q6FKHoUb
岡本治夫

東京都新宿区出身 
所属部隊不詳
昭和19年6月頃南方洋上(ラングーンか)に於て戦死。
20歳

--------------------------------------------------------------
日本海軍の兵士は、何があっても持ち場を離れず、
諸外国を驚かせたという。
彼のような若者の犠牲が今の日本の礎となっている、忘れてはならない。
189日出づる処の名無し:02/04/09 00:05 ID:UK2Trgs4
遺書は何回読んでも頭が下がる・・
190α:02/04/09 16:54 ID:6TwTaQMS
定期↑
191p5028-ip01gifu.gifu.ocn.ne.jp:02/04/09 17:32 ID:QOF3VZ/+
age
192日出づる処の名無し:02/04/09 17:58 ID:QOF3VZ/+
ただ、のたれ死んだボケと違って
自分なりの信念や、意地を持って死んでいったところがとてもえらいし、
見習わなければいけない。
193†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/09 18:01 ID:R4zxWVat
>>187英国海軍も「一部」ではあったみたいです。
参考までに。
194age太郎:02/04/09 18:49 ID:QOF3VZ/+
大和魂(謎)
195α:02/04/10 17:31 ID:NN4k464K
定期あげ
196†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/10 19:30 ID:nS3B1Cb8
1971/3:02/04/10 20:58 ID:XqNfpGOE
京都大学を出て内務省に入り、「水を制する者は国を制する」と
砂防ダムに情熱をそそいで熱弁を奮った姿が昨日の様に思い出されます。
二十年八月十五日は主人の両親と零歳と二歳の長男と四人で終戦を迎え、
二十二年にビルマで行方不明という広報が来ましたが、亡くなったとは
信じられず、それから五十年過ぎてしまいました。
もしかしたら生きているかも知れないとビルマにも行きましたが、あの
密林の白骨街道を見てあきらめました。

                         近藤きみ子
198日出づる処の名無し:02/04/10 20:59 ID:XqNfpGOE
きみ子どの

かくあわただしく海をへだてて別れてしまうふのはいささか本意ないが、
お互に覚悟は充分に出来て居る筈だ。さて、考へて見ると、俺の人生の
前半は母によつて全く幸福過ぎる程幸福な生活をさせて貰つたが、後半
の始めは全くお前に依つて生活が完全に近づいて行つたと思ふ。お互い
に世界一之夫婦だと信じて居る事は平信でも述べた通り。

もう一寸で又楽しい生活が来ると思つたのに、かくなるのは残念だが、
之も戦局の然らしむる所、大いに修養して立派な母となり立派な子供に
仕上げて欲しい。ほんとに良き妻であつて呉れた。心より感謝の念で一杯だ。
もし俺の身上に万が一の事があつたら重点を正明に置いて考へよ。
正明が立派な人間になるあてどがついたら次はお前自身の幸福を考へて宜しい。
然し、……。俺は頑張つて来るぞ。

楽しかつたお前との一日、一刻は何処に居ても忘れない。考へて見ると長い
様で実際は短くはあつたが充実した生活だつたと思ふ。お前には物質的には
何一つ満足なことをしてやれなかつたがカンベンして呉れ。あとはお前が柱石だ、
俺に代つて充分親孝行を頼むよ。言い度い事は山の如くして意尽し難し、
身体を大切にして頑張つて呉れ。
1993/3:02/04/10 21:00 ID:XqNfpGOE
近藤正三
福岡県出身。
ビルマ派遣森8909部隊。
菊第8909部隊。陸軍少尉。
昭和20年3月10日、
ビルマ・メイクテーラに於て戦死。
31歳。
200日出づる処の名無し:02/04/10 22:08 ID:SE6v6cpv
涙がとまらない。
昨日までラウンジで直角祭してた自分が恥ずかしい。
ほとんど勉強せずに浪人して、
さらに春休みに怠けてばかりいる自分が恥ずかしい。
今日から心を入れ替えて、勉強がんばろう。
将来は官僚になって、日本を内側から変えていきたい。
くさい文章だな(w
今度、夏休みに大学見学にいくから
そのとき靖国神社にいってこよっかな。
合格祈願でもしてくるよ。
201日出づる処の名無し:02/04/10 22:11 ID:9tBsQ1MV
どうもだめだ、この話だけは・・うるうる
2021/2:02/04/10 23:45 ID:XqNfpGOE
鈴木顯道(すずきけんどう)

千葉県銚子市出身。
威第17600部隊(高野隊)。
陸軍伍長。
昭和20年6月25日、
ミンダナオ島サンボアンガに於て戦死。
30歳。
2032/2:02/04/10 23:46 ID:XqNfpGOE
千代子、顯、克也へ

お前達はこんな至らぬ自分を夫と呼び父と呼びよくもこんなに慕いてくれたね。
夫として父としてお前達に心からお礼を言ふ。

千代子、お前は靖国の母として立派に活きぬく覚悟はすでに前回応召以来出来てゐるね。
嘆く勿れ。悲しむ勿れ。雄々しく起て。そして迷うこと勿れ。
人生は一切空だよ。生もない、死もないのが悟りの世界だ。
俺のことを思ひ出す時は何時でも般若心経を読め。必ず俺の気持が分る筈だ。
唯心残るのは夫として妻なるお前に十分なる事の何一つ為し得なかつたことだ。

顯や克也も父として大したお世話も出来ず成人して必ず必ずヒガミを起こしてはならんぞ。
父は死んだのではない、活きてゐる、永久に活きてゐるんだ。
お前達の体内に脈打つその赤い血潮は父が米英撃墜の為に戦場の草葉を紅く染めた尽忠の
血潮と全く同じなのだ。父は斯くして永久に死なない。
大日本帝国のあらん限り靖国の神としてお前達の成長を見護つてゐる。
お母さんは本当にいいお母さんだ。
素直なよい子になつてお父さんの為し得なかつた分まで働いておくれ。では

                                愚な父より
204日出づる処の名無し:02/04/10 23:49 ID:zz8DKFkv
陸軍特別攻撃隊 殉義隊(じゅんぎたい)
隊長 敦賀真二(つるが・しんじ)陸軍中尉

<遺書>
大命遂に降下す。
輝かしき特攻隊長としてこの武人最高の名誉を忝す。
一億国民はもとより三千年の祖先の血潮は脈々として
我が満身に湧溢す。
まさに皇国忿怒の魁として
一億の刀の切尖として敵艦に玉砕あるのみ。
たとえ暗夜海上遠く出撃して消息不明のこともあろう。
又、誰一人見ていてくれる者もない敵中深く自爆して
爾後不明のこともあらん。
何れにせよ、花々しき勲功は敢へて希望せず。
私の死後、お上から下さる金など、
それから私の貯金は全部航空機献納資金として
陸軍に献納して下さい。
薫より。
父上様、母上様

当時の陸軍報道班員の話
「敦賀隊長は全機に異常のないのを認めると
最後に機上の人となった。
その直前まで最後の整備に心を込めていた少年兵たちが
機の後方に身を退く。そのまま出発かと思っていたら
思いがけないことに隊長は体をねじ曲げで後方の少年兵の
一人一人に実に真情のこもった挙手の礼をした。
たまりかねたのが一人の少年兵がつと飛行機にかけあがると
今拭いたばかりの防風ガラスをもう一度拭き始めた。
手はガラスの上で動いているが、
眼は隊長の顔をしげしげと見ている。
もういい、もういいと隊長がうなづくと
やっと少年兵は飛行機を降りた。」
205日出づる処の名無し:02/04/10 23:49 ID:zz8DKFkv
西川俊彦中尉の遺書

残念なる哉(かな)、遂に敗れました
○月○日栄(はえ)ある特別攻撃隊長を命ぜられて以来○ケ月、最愛の
部下五名と共に、ひたすら敵艦轟沈の日を心待ちつゝ、
愉快なる訓練を續けて居りましたが、測(はか)らざりき遂に
忠節を盡(つ)くすを得ざる事となって仕舞ひ(い)ました。
心中は十分御察し頂ける事と存じます。大東亜戦争必勝の私の
信念は、茲(ここ)に砕かれましたが、
尚(なお)私年来の世界観は絶対に誤(あやまり)無きを確信して居ります。
即ち、皇國は神国にして、世界の中心たりと謂ふ事であります。
畢竟(ひっきょう=結局)私は此の戦争で日本が苦しみ苦しみ
苦しみ抜いてはじめて、世界の中心たり得べき、大日本帝國となり、
はじめて世界の指導者たり得べき、神人日本人が完成するものであると
考へて居りましたが、茲(ここ)に到り、
更に戦争だけでは尚不足である、との結論に達しました。
尓後(じご)幾年か皇国は辛苦(しんく)を経る事でせう。
然(しか)れ共、遂には世界の中心たり得ること必定であります。
天の與へ給う最后の試練である筈です。
然し乍ら我が伝統に輝く皇軍は一時姿を消す事となりました。
 我々軍人は只、天皇陛下の御命令により行動するのみです。
此處(ここ)で独断愛機を駆って太平洋に到り、
はた又、浦塩(ウラジオ)に刹判(?)し敵艦を沈むるはいとも簡単であります。
然し乍ら、それは只よく敵兵五〇〇〇を殺し得て
我同胞一億を苦しましむるの輕舉に他なりません
 然(しか)りとは謂(い)へ、愛機を焼き、此の身一つ生延るとも、
生まれてより二十二年、只戦場に忠節を盡す為にのみ育って
来た私にとりては、何の益無きのみか、到底忍るべからざる事であります。
部下の處置も大体定まり、もう私が居なくても間違はあるまいと存じます。
 茲で私は独断、皇國の再起して遂には世界の中心たり得る事を
固く信じつゝ、愛機と共に、我が浅間山項に鎮(しず)まる事に決しました。
 私は朝夕浅間山頂より皇國の、郷里の勃興を静かに見守って居ります。
立上る煙を見る毎に、思い興して下さい。
嚴として山頂に愛機と共に在ります。
私の處置は褒(ほ)むべき事では有りませんが、
決して皇軍将校、就中(なかんずく)、
特別攻撃隊長として悪い處置ではない と信じます。
206つづき:02/04/10 23:50 ID:zz8DKFkv
只、最后迄部下の面倒を見てやれなかったのが心残りです。
 父上、母上には誠に申譯ないと存じます。何一つ孝行をして
 上げる事も出来ず、尚私一人先に死ぬと謂ふ事は
 不孝此の上なし、と存じて居ります。
 只、生命は になかったものとして あきらめて下さい。
 然し私は決して死にはしない心算(こころずもり)です。
 皇国勃興の暁(あかつき)までは浅間山頂に嚴として
 活きて居ります。之だけは信じて居て下さい。
 当分の間、母上一人御苦労をなされる事でせう。
 私は母上を信じます。必ず此の難関を切抜けて下さい。
 支那にある父上の為、又皇國勃興の國柱たるべき、東海衛、孝堆、
 悌雄、満佳の爲に、浅間山頂より、蔭ながら御援助致します。
 畏多(おそれおお)き事乍ら、
 上に 天皇陛下 在します國体は嚴然として揺るぎません。
 申過ぎた言分ながら、之が母上の忠節を盡す最良の道と存じます。
 次に東海衝、孝雄、悌雄、満佳に申し遺す。
 みんな俺と同じやうに残念だろう。
 然し國民の進むべき道は示された。
 お前達は此の道を眞直に進みさへすれば良い。
 黙々として直ちに実行に移せ。
 母上は之から苦労をなさるだらう。並大抵の御苦労ではないんだぞ。
 そこでお前達は自分と言ふものをすっかり忘れてしまって、
 一から十まで母上を助けなければいけない。分るか。
 その上で、将来日本を背負って起つべき、國柱としての勉強を
 しなければならんのだ。いゝな。その為には、孝雄以下は、
 よく東海ちゃんを敬って、何事につけ、ハイ、ハイと
 言ふ事を聞かなければいけない。
 そして、みんな仲良くしつかり心を結び合はせて、
 お母ちゃんを助け、又勉強をしなければいけない。
 俺の言ふ事はよく分って呉れる事と思ふ、いゝな、しっかり頼んだぞ。
 それから、之からの修養に関し一言する。
 l、先ず明朗活発でなければいかん
  日本は負けた、然し之は天の與へ給うた試練なのだ、
  此の試練を経て、はじめて眞の日本、眞の日本人が出来上るのだ、
  従ってお前達は,眞の日本人となって、眞の日本を
  造り上げなければいけない、そして、此の世界を指導するのだ。
  その為の苦行なのだ。
  くよくよすることは少しもない、
  神國日本を信じ、御神勅を信じて明朗活発に生活せよ。
 2、敬神、崇祖を忘れるな
 3、しばらくの間は思想的に乱れるだらう。
  自由主義、民主主義,個人主義とか、共産主義  その他いろいろの
  ものが入って来て、日本人も少しは,いや或は少なからず之に染まるかも知れない。
  然し、之は絶対に間違って居る。敵は日本精神をなくする爲に、
  こんなものを入れて来るのであって、結局、精神的には日本人をなくして仕舞ひ、
  世界から怖いものをなくさうとする肚(はら)に他ならないのだ。
  日本中、これになって仕舞ったら、日本は(すで)に滅亡だ、
  之をお前達は嚴然として追抜わんといかん。
  みんなの苦労するのも分かる。然し頑張って呉れ。
  之がお前達の忠節を盡くす道だ。俺は常に浅間山頂に居る。
  元気にやれよ       さようなら
207つづき2:02/04/10 23:50 ID:zz8DKFkv
詳細

昭和20年8月18日(第二次世界大戦が終わって3日目) 午前8時頃
西川中尉は岩村田国民学校に遺書を投下すると、お父さんの生まれた中佐都村、
お母さんの実家である御牧村(現浅科村)、
自分の母校野沢中学校(現野沢北高等学校)上空を旋回し、
北に進路をとって浅間山外輪山の前掛山南斜面に激突した。
208日出づる処の名無し:02/04/10 23:51 ID:zz8DKFkv
 瀬島龍三の「幾山河」。立ち読みだったので詳しくは覚えていないが・・・・。
 5月12日の米軍アッツ島上陸以来、昭和帝は同地の守備隊の模様をいたく気にかけられ、毎日のように戦況を御下問されていた。
 5月29日夕刻、守備隊から最後の電報が発せられる。
「機密書類全部焼却。是レニテ無線機破壊処分ス」
 陸軍大臣は直ちに参内し、アッツ玉砕を天皇に奏上した。天皇は大臣の報告を黙って聞いておられたが、報告が終わるとひと言、
「アッツ島守備隊はまことに良くやってくれた。そのことを伝えよ」
とおっしゃった。大臣が
「しかし陛下、彼らは無線機を既に破壊しており、勅語をお伝えする手段がございません」
と申上げると、天皇は、
「それでも構わぬから、兎に角そういう電報を発してやれ」
直ちにアッツ守備隊に向け電報が放たれたが、もはや返信がかえってくることはなかった。

アッツついでにもうひとつ。
 圧倒的な米軍の猛攻を受け、じりじりと敗退していく日本軍。山崎大佐の部隊本部も砲撃と空爆に晒され、転進を余儀なくされていた。
 容赦なく降り注ぐ弾丸の雨の中、一人、また一人と本部員が倒れていく。
 ふいに道端にしゃがみこみ、力無く肩を落とす山崎大佐。
「部隊長殿、どうされました?」
 部下の一人が慌てて駆け寄ると、56歳の老大佐は目に涙を一杯浮かべ、
「ああ残念・・・・数多の兵を殺して済まん・・・・これが大陸だったらなあ・・・・この小さな島では、どうすることも出来ん・・・・許してくれ・・・・」
 と、声を震わせて嗚咽した。
 残り少ない本部員たちは粛然として言葉無く、ただ無念の涙を堪えるばかりだったという・・・・。
209日出づる処の名無し:02/04/10 23:53 ID:zz8DKFkv
光人社刊 土井全二郎著 「歴史から消された兵士の記録」ヨリ
以下多少の省略にて
英国最大の植民地シンガポールを攻略せんとする日本軍は各地で激しい攻防戦を繰り返しながら
マレー半島を縦断してシンガポールへ南下していた。
攻略も近い昭和十七年二月九日、シンガポール北方百キロ、クルアン飛行場に展開していた
陸軍飛行第八十一戦隊は、夜間、敵機による不意の空襲を受けた。
跳ね起きた飛行整備軍曹、武富登巳男が幕舎を飛び出したときは、もう爆音が頭上にあった。
敵機は一機。しかも低空飛行だ。武富は戦い慣れた耳でそう判断した。
「ナメているのか」「よほど大胆な奴なのか」判断のつきかねる敵機の行動であった。
夜空を貫くサーチライトの先に敵機が浮かび上がった。英空軍ブレンハイム中型双発爆撃機だった。
その一点をめがけ、対空砲火が集中していく。
「だが、鈍重ながら、敵機はまだ落ちない。なおも、しつように旋回、爆弾投下を続けている。
急角度に、超低空で急旋回して、サーチライトの光芒から離脱しようと必死のあがきを続ける」
そのとき、ふいに敵機がぐらりと傾いた。ぐわーっと火の手に包まれた。高射砲弾が命中したのだ。
「やったあ」「落ちるぞーっ」 大きな歓声があがった。 巨大な炎の塊が近くのゴム林に落ち、
大きな火柱が立ちのぼっていく。     翌日早朝―
英軍機の墜落現場にトラックで駆けつけた武富らは、そのあまりの凄惨さに、思わず息をのんでいる。
「ゴム林の一角が直径三十メートル位の円形に焼き払われ、機体は影も形もとどめず、ばらばら。
四人いたと思われる搭乗員は遺体は無く、木の枝に肉片や衣服がひっかかっていた」
あたり一帯、ゴム、ガソリンの焼けたにおいが立ち込めている。
ざまあ見ろ、であった。これまでさんざん悩まされてきた憎い敵機なのだ。
この月の初め、部隊から戦死者を出したばかりでもあった。 兵隊の中には、
焼けたゴムの木の一つに小便をひっかける者もいた。   そのとき、
一隊の引率責任者である日向英吉准尉(当時28)が、周囲に静かな口調で語りかけている。
「いい気味ではあるが、立場を変えて考えてみろ」
「圧倒的に優勢な敵、その日本軍占領地の真っ只中に単機で突っ込むなんて、
たいした度胸だし、勇敢な奴だとは思わんかね」
この一言で、はしゃいでいた兵たちは、「しゅーんとして」しまっている。
操縦、偵察、通信、整備といった兵科の別はあっても、みな、大空に命をかけている者ばかりだ。
夜間、単機で殴り込み攻撃をかける使命の困難さ、そして、
とうてい帰還は望めぬ任務であることを知り尽くしている者ばかりなのだ。
―ここで、全員が墓づくりにとりかかっている。
近くの中国人の店から買ってきた太いチーク材による碑が出来た。長さ三メートル、三十センチ角の
立派なものだった。 そこに英国兵の肉片や飛行服の断片が集められて埋められた。
南国の色とりどりの花が供えられた。 日向准尉が「黒痕鮮やか」に筆をふるっている。
<英空軍無名戦士の墓>
祖国の急を救うべく決然と立ちし汝等よ
されど死して国境なし 果敢なる戦いを讚え 我等さらに前進せん
勇士の英霊 静かに安らかに眠れかし
    昭和十七年二月十日、隼第二三八○部隊森屋隊之建立
「英空軍無名戦士に敬礼、捧げぇー銃」 昼なお暗いゴム林のなかで、全員が整列して敵国兵の
鎮魂を祈っている。
210日出づる処の名無し:02/04/11 00:02 ID:tJ/588AK
嗚呼・・順番間違えた。

アッツネタその3

 昭和18年5月29日14時35分。アッツ守備隊、最後の電文の内容は以下の通り。
「一、 二十五日以来、敵陸海空ノ猛攻ヲ受ケ、第一線大隊ハ殆ド壊滅。前線ヲ通ジ残存兵員約七五〇名。ヨッテ要点ノ大部ヲ奪取セラレ、辛ウジテ本一日ヲ支ウルニ至レリ。
 二、地区隊ハ、海正面ノ防備兵力ヲ撤シ、本二十九日、攻撃ノ重点ヲ大沼谷地方面ヨリ後藤平敵集団地点ニ向ケ、敵ニ最後ノ鉄槌ヲ下シ之ヲ殲滅、以ッテ、皇軍ノ真価ヲ発揮セントス。
 三、野戦病院収容中ノ重傷者ハ各自覚悟を決メ、処置スル処有リ。非戦闘員タル軍属ハ各々兵器ヲ執リ一隊ヲ編成、攻撃隊後方ヲ前進セシム。共ニ生キテ虜囚ノ辱メヲ受ケザル様覚悟セシメタリ。
四、五、六(略) 」

 捕虜になるくらいなら死ね、という考えは間違っていると私も思う。
だが、このアッツを魁として幾多の部隊が全滅するまで戦ったおかげで、銃後の悲劇が1分1秒でも先延ばしされたのは確かであるし、
「日本人恐るべし」というイメージを全世界に喧伝して、日本の生残性を高めたのもまた事実だ。
 いまはただ、祖国の礎となって散華した勇士達に哀悼の意を奉げ、そのご冥福を祈るのみ。

アッツネタその四。アッツ守備隊の医官であった辰口信夫軍曹の手記。最後の3日間分をご紹介する。

五月二十七日
下痢のため苦悩甚だし。アヘン、モルヒネ、手当たり次第に服用して一時の睡眠をとる。その期間だけ安静なり。
爆弾のため屋根崩れ落つ。我が守備軍は最初の二千の兵力減じて千人以下となる。海軍防備隊員も負傷し、野戦病院及び郵便局員以外は皆戦線に立てり。

五月二十八日
食料はあと二日分を残すのみとなる。我が砲兵隊は全滅しただ臼砲と高射砲とあるのみ。アッツ富士の大隊はただ一人の生存者のみとなる。
米川支隊にはなお生存者ありや否や判明せず。他の部隊も皆一人か二人かの生存者を残すのみなり。第三百三大隊は全滅せり。
米沢大隊はなお馬の背を保持せりや否や。自殺者続出す。司令部の半分は吹き飛ばさる。
重傷者はモルヒネ四百本を注射して永遠の眠りに就かしめたりとの話しを聞く。乾アザミのフライを食す。
新鮮なものを食せしは最近六ヶ月にこれが始めてなり。かなりの風味なりき。病院を島内に移せとの命令ありしも、後に取りやめとなる。

五月二十九日
午前八時一同司令部に集合す。医員もまた然り。最後の一戦始まる。病院内の傷者は皆自殺す。
我が三十三の生涯もここに終わりを告ぐ。少しの遺憾なし。天皇陛下万歳。我が精神は安静なり。神は我を愛し給う。
午後六時重傷者を処理し終わる。
・・・・・・さようなら我が愛する耐子よ、お前は最後まで私を愛してくれた、感謝する、また天国にて逢いましょう、
さようなら・・・・・・みさ子よ、お前は丁度四歳になる、どうぞ丈夫に育って下さい。
睦子よ、お前はこの二月に生まれてまだ父の顔を知らずにいるが可哀そうだ、
孝ちゃん・・・・・・助ちゃん・・・・・・正ちゃん・・・・・・みっちゃん、さようなら・・・・・・
211α:02/04/11 12:52 ID:YhNqdiG4
↑↑↑
2121/2:02/04/11 13:36 ID:CXATmHI4
「昭和の遺書」より

太田 暁

長崎県出身。
佐世保海兵団(部隊名ウ90ウ19)。
海軍二等通信兵曹。
昭和19年2月6日、
南洋群島クェゼリン島にて戦死。
19歳。
2132/2:02/04/11 13:37 ID:CXATmHI4
拝啓 昭和十九年の新春を迎へ、一月も既に十二日が過ぎました。
父上様始め皆様お変り御座居ませんか。

戦闘も日増しに激烈となり私たちの部隊でも正月はありません。いよいよ
彼我の決戦が間近かに迫つて参りました。私も報国の一念、思ふ存分戦ひ
たいと思ひます。想へば大正十五年十一日、この世に生を享け暖ひご両親
様の愛情に包まれて育ちましたことを此の上もない幸せと存じます。
「滅私奉公」これは父上が常に私達に教へ下さつたお言葉でした。
私はこの御教訓を胸に刻んで決戦に向ひます。

お母さん、やさしいお母さん、今日までのいろいろなお心遣ひまことに有り
がたう御座居ました。お体をおいとひあつて長生きをして下さい。残念な事は
孝養の一端も果たし得ずしてお別れする事が何より残念でなりません。
どうかお許し下さい。

ああ、再び帰ることのない懐かしひ故郷の歌声が聞えて来るやうです。
あの山、あの川、あの小道、懐かしひ想ひ出ばかりです。
今となりましては、ここは戦地のこととて何もお届けする品とてはありませんが、
先日畏れ多くも天皇陛下より頂きました恩寵の煙草がありますのでお送り致します。
親類の人々にも分けて上げて下さい。

暁も日本帝国海軍軍人として、立派に最後を飾る所存です。ご安心下さい。
何れ靖国神社のお社でお会い出来ることを楽しみに致しております。
御両親様、どうか末永くお幸せであられますらうお祈り申し上げます。

昭和十九年一月十二日                暁
214日出づる処の名無し:02/04/11 15:53 ID:CXATmHI4
上田 貢(うえだ みつぐ)

富山県出身。
比島セブ派遣憲兵隊所属。
憲兵曹長。
昭和21年6月6日
フィリピン・ルバウにて刑死。
30歳。


(一)
最愛なりし愛子へ
1余と結び、日時短少なりといへども、よく余につかへ、命征きし後、恵子の養育に
 これ務めたるを、心より感謝に堪へず、然るに余、君を遇するに足らざるありを恥づ。
2尚、我逝きし後、君に対する苦難の道多々あるを思ふ。ねがはくは大和撫子の真髄を
 発揮し、君が希望せらるる道を邁進せられん事を。
3君が処世上、若し恵子、重荷となる事あらば、我が両親にこれを托せよ。

(二)
未だ見ざりし恵子へ
1お前の父さんは、国に忠義な立派な人だよ。
2お前の祖父母さんや母さんも立派な日本人です。父さんか無くても、祖父母や母さんの
 お教へを良く守り、立派な人になるのだよ。
3お前が学校へ行く頃は、アメリカ流の教育になつてゐると思ふが、アメリカ流でも、
 良いところは進んで習ひ、人に負けてはいけないが、日本人だといふ事を寸時も忘れ
 てはいけないよ。
 お父さんは永い間外国に居て、外国の女は偉いとは思はなかつた。やはり女の人は、
 日本の女が世界第一立派であつたと思ひます。
 だから大きくなつたら、立派なお母さんになつて、りっぱな日本男子をたくさん生んで、
 父さんがアメリカと戦つて、立派な戦死をした事を伝へて下さい。

 昭和二十一年四月二十三日 於マニラ
215†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/11 18:25 ID:u7VXBqgw
あかん…目から汗が出てくる。

昨日ビデオ屋逝ってビルマの竪琴借りてきた。
なんというか…泣いた。水島上等兵マンセー。
本当の話じゃないらしいけど皆も見るべし!

左翼が戦争を美化していると言ってます。
216東京精神病院救急隊員:02/04/11 19:32 ID:CrIwxM0G
>>215
私は近所のビデオ屋で、久々に「連合艦隊」を
借りて来ました。あの最後の大和沈没シーンの
「お父さん、貴方よりほんの少し長生き出来る事が、
せめてもの親孝行です。さようなら」
と言う特攻隊員の台詞は効いたな・・・・・
217日出づる処の名無し:02/04/11 21:28 ID:AWP8pjC3
号泣age
218†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/12 18:17 ID:7StGMgVC
>>216連合艦隊イイ!大和沈没の際の火傷する人に(・∀・)

そういえば漏れの教科書に731について書いてあった。
マルタ小屋やら収容所などは書いてあったが水を濾過するような施設等は
一切書いて無く人体実験しかやってないと書いてあった。
そりゃあ人体実験したんだろうが
731→人体実験
原爆→ただの爆弾
という解釈はどうかと思うのだが…
219日出づる処の名無し:02/04/12 18:23 ID:kAD/7OCh
>>218
人体実験がどういうものだったのかで、ある程度信用あるのはアメリカのフェルレポートという
ことになるんだが、実験の結果なんらかの病気なり死者なりでたということはなかったそうだ。
死刑囚とはいえ倫理的に問題ないとはいえないかもしれないが、実際になんら被害者というのは
でていないから、何万もの死者を出した原爆と、実質ゼロの実験がつりあうものとはさすがにいえない
だろう。
220某戦車中隊指揮官:02/04/12 18:29 ID:D9+BsNG9
>「連合艦隊」
ある意味あの映画こそ、最良の反戦映画でしょうね。
イデオロギーを交えず、只事実と人の心の動きのみを
淡々と描写する。本当の意味で戦争を描いた、傑作と
言えると思います。余談ですが、伊藤整一中将の
ご子息は、大和沈没の二日後に特攻隊員として
戦死されたそうです。

>731、原爆
まあ歴史教科書に、南京大虐殺の犠牲者数は
四〇万なんて電波が乗る時代ですからねえ(藁
私も高校時代、世界史の教師が「日本軍は世界征服を
目指して云々」と言い出して吹き出した覚えがあります。
221東京精神病院救急隊員:02/04/12 18:41 ID:CrDVtCs3
>>220
ありゃ、HN戻すの忘れてましたわ(汗
222日出づる処の名無し:02/04/12 19:01 ID:kWazx/XQ
教師ってデンパが多いのでおれも鼻で笑ってたなあ。
でもそのデンパにしっかり教育された良い子ちゃんが一番タチが
悪いねえ。
223HAB'IT:02/04/12 19:48 ID:V90zyBcL
でも、レインボーマンは好きだったな。。。。
224ton:02/04/12 23:58 ID:1UQfGSbQ
こういうスレだったとは・・・気がつかなかった。
既出かもしれんけど、一応、本家スレというか、関連スレ。
要チェックのこと。

泣ける話@軍事板第4章
ttp://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/1015673299/l50
2251/2:02/04/13 13:36 ID:aMSzbiTf
前田萬右エ門

萬右エ門さんは彦根商高を卒業して教師となった。
昭和12年、すゑさんと結婚、その直後にサイパンの実業学校に転勤、長男の義光さん
が誕生した。しかし、義光さんは2歳のときにテング熱を患い、聴力を失う。
昭和19年、萬右エ門さんは陸軍司令官として出征。その前後、和綴のノートに筆で
長男への遺書を認めた。
蹴和21年、「戦死広報」が入るが、詳細はわからなかった。後に戦友の手紙により、
戦死の状況が判明。それによると、昭和20年7月、インパール作戦中、ビルマのコン
クリークで英軍の至近弾を大腿部に受け、戦友が背負って脱出を図った直後に敵部隊
が侵入、自決したという。
2262/2:02/04/13 13:37 ID:aMSzbiTf
義光君

義チヤンの不幸に付いてはもう書かないことにします。思へば思ふ程目の前が真暗に
なつて来て断腸の思ひに身が切られる程苦しくなつてきます。何卒父チヤンを堪忍し
て下さいね。

父チヤンが死ぬ時には何卒この父チヤンの耳と口を義チヤンにやつて下さる様、一生
懸命神様に御祈り致します。若し神様が御聞き届け下さつたら此れ以上嬉しいことは
ありません。必ず神様が御聞き届け下さる様一生懸命お祈りします。義チヤンの将来
に付いては暮々も母チヤンによろしく御願ひして置きました。母チヤンの御言付けを
よく守り立派な人間になつて父チヤンや母チヤンを喜ばす様にして下さいね。

父チヤンが居無くなつても決つして淋しがつては駄目だよ。義チヤンは男だもの、
それに目に見へなくても父チヤンは何時も母チヤンや義チヤンや美子チヤンの側に居
て皆様を御守りしてゐます。淋しがらず安心して、母チヤンの御言付けをよく守り、
美子チヤンと仲よく御暮らしなさい。そして将来何でも結構ですから必ず一人立ちの
出来る様に努力して下さいね。

身体を大切にして病気にならない様、そして何時も元気に御暮らしなさいね。
では失敬

昭和十九年九月九日                       父より
227日出づる処の名無し:02/04/13 13:43 ID:aMSzbiTf
書いてて泣きました。
息子の義光さんは、障害を乗り越え
草津で理容店を開店したそうです。
228東京精神病院救急隊員:02/04/14 03:03 ID:sCAJNgFy
感涙age
229日出づる処の名無し:02/04/14 03:19 ID:OMbjL/KZ
菊水一号作戦を迎え撃った米艦隊
駆逐艦乗船の従軍医師が、特攻に失敗した日本兵を引き上げた
事切れる直前の日本兵
米兵「このJapはもう駄目だな」
日本兵「oh。。。sun。。oh。。。sun。。。。」
米兵「?? 先生、こいつ何って言ったんですか」
医師「ああ、彼等には自然信仰が有って、土木水太陽を
    崇めるのです、太陽への感謝でしょう、、多分」
日本兵は米兵に葬られた。


数十年後、その医師はその出来事を知り合いの日本人に話す
と、それを聞いた日本人。
日本人「それは違います。きっとお父さんかお母さんを呼んだんでしょう
   或いはその両方だったかも。」
230日出づる処の名無し:02/04/14 03:41 ID:0wiF6uz2
>>225
>後に戦友の手紙により、(中略)自決したという。

かってな邪推だが、この手紙は遺族を気遣ってのものだと思う。
昭和20年7月のビルマ戦線で名誉ある死に方を出来た日本人がいただろうか。
この人の無念を思うと、涙が止まらない。
231日出づる処の名無し:02/04/14 07:21 ID:QbTgkv2c
日本人は今も昔もお人好し過ぎるんだよ!
今も昔も変わらず朝日新聞の煽りにノせられて、破滅への道を突っ走る・・・

だけど漏れはそんなお人好しでバカヤローな国が大好きだ!
日本に生まれて良かった!
232日出づる処の名無し:02/04/14 17:16 ID:+5dT5Jg9
>>158
その文章は泣けたよ。
初めて知ったのは『その時歴史が動いた』の中で
紹介されていた時だったけど、無茶苦茶感動した。
233日出づる処の名無し:02/04/14 18:02 ID:5X6+mV6S
ようやく>>1を見た。
同じ名前の人がいたよ。

美枝さん、貴女の命は絶対に無駄にしません。
私に何が出来るかわからないけど、いつか貴女の望んだ日本の姿を
作り出して見せます!
234日出づる処の名無し:02/04/15 01:42 ID:nhcv6K1h
愛国心を持つ人は嬉しい
例えオナニースレだとしても
今までの日本人はオナニーを避けてきた
だからいいじゃないか、思いっきりオナニーをしよう
恥ずかしがることも、後ろめたいこともない
先人にバカにされないために、未来のためにオナニーをしよう
235日出づる処の名無し:02/04/15 01:49 ID:nhcv6K1h
>>234
自己レス訂正
>愛国心を持つ人は嬉しい

>愛国心を持つ人が増えるのは嬉しい
ゴメン・・・・・
236日出づる処の名無し:02/04/15 06:32 ID:PgMFNAgN
>>234>>235
貴様のような奴は要らん。消えろ。
237 :02/04/15 07:31 ID:g1nrZ1WM
                 ◯                  _______
                 //           ____/   ,,;|||||||||!!"\___
                // |\_____/ ||||||  ,||||"  ,,;;|||||||!"     ,,,;;;||/
                // │ `||||||、  `|||、  |||||  ,||||"  ,,;|||||||"    ,,,;;;||||||/
               // │   `|||||、  ||||  |||| ,|||" ,,;;|||||"   ,,,,,;;;|||||||||||(
               //  │||ii、  `!||||、 `|||,,,||||,,,|||" ,,;||||"  ,,,,,;;||||||||||||!!!!"" )
              //  │!!|||||||ii、  `|||,,;||||||||||||||||||||" ,,,,;;;;||||||!!!""     /
              //   │  ""''!!!||i;:|||||||||||||||||||||||||;ii|||!!!""         |
             //   /,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,||||||||||||||||||||||||||||||||,,,,,,,,,,,,,,;;;;;iiiiiiiiiiiii|||||||||i
             //   /||||||||||!!!!!!""|||||||||||||||||||||||||||||||"!!!!!!!!!!||||||||||||||||||||||i
            //   /    ,,,,,,,;;iiii|||||||||||||||||||||||||||||iiii,,,,,,        """""|
            //   / ,,,;;iii||||||!!!"" ||||||||||||||||||||||||| `!!!!|||||||iii,,,,,       |
           //  /|||||||||||!""  ,;i|||!"`|||"|||!!!|||: `|||l、  `!!!!||||||||||||iiii、  /
           // /||||||||!!"   ,,;;|||||!" ,i|||' |||| `|||、 `|||||、   `'!!!!!|||||||||||||(
          //<|||||||||"   ,,;;i|||||!'  ,||||" ||||  ||||、 `!!|||||i     `!!!!|||||||||\
          //  \__ ,,,;;i|||||||"  ,;|||||" ,|||||__|||||、__`||||||||i、/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         //       \________/ ̄    ̄    ̄ ̄ ̄
   ___ //
   ヽ=@=/ //  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ・∀・)// < 旭日旗掲揚
  (    つ   \_________
  | | |
  (__)_)
238>>234>>235:02/04/15 14:31 ID:nhcv6K1h
>>236
何か誤解なさってるような・・・・・
239日出づる処の名無し:02/04/15 15:40 ID:lXExDl98
>>238
言いたいことは(少しだけ)理解できるけどな、
表現が悪い。それに面白くもなんともない。
240日出づる処の名無し:02/04/15 16:09 ID:lXExDl98
†名モ無キ少尉さんへ
ここは名スレだと思う、けどタイトルが分かりずらい。
この際【レ ク イ エ ム】等、分かり易いスレに
立て直してはどうか?



241†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/15 19:33 ID:OhS9J9AZ
れ く い え む

スイマセンねぇ。当初は一発ネタ的なスレにしようと思ってたんで。
きっとこのスレタイのほうが皆関係無く見てくれると思ったし。
もし1000まで逝ったら考えてみるよ。
242日出づる処の名無し:02/04/15 20:57 ID:5ZAoC/Ue
昔、戦記関連本で読んだんだけど、九州の連隊だったか、最初に
ガタルカナル奪回作戦の川口支隊に編入されて全滅し、再建された
後にビルマ戦線に送られて叉インパール作戦に投入されて殆ど全滅。

結局太平洋戦争中を通しての生き残りは連隊の3%だったとか、
243†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/15 22:04 ID:4JZnI2sX
>>242日露戦争時の第七連隊となぜかだぶりました。
〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
http://www.jttk.zaq.ne.jp/nihontou/sensou/sensou.htm
244†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/16 19:16 ID:IN7ENRRY
age
245日出づる処の名無し:02/04/16 23:16 ID:Ior0pzpv
このスレタイに引かれて来ましたが・・・・・・・
私的には、こっちを紹介したい。誰かスレ立てて欲しいよん。
http://www02.so-net.ne.jp/~utoro/index_j.html

在日のHPです。
246 ◆FEIv/YO. :02/04/16 23:21 ID:dhRluPFD
>>245
  何  の  つ  も  り  だ
247日出づる処の名無し:02/04/17 01:32 ID:oNPB8kHT
げ、ウトロかよ。
248:02/04/17 01:36 ID:WMPRMUr3
>>245
そこを読んで、世論を盛り上げて強制送還して欲しいのか?
249東京精神病院救急隊員:02/04/17 03:57 ID:4JTNE9Tl
このスレを読んで・・・・・・
今でも自分達の祖先に敬意を払える人達、
自分達がどの様な犠牲の上に暮らしているかを
知っている人達が少なからずいる事を知り、
何故だか嬉しかったです・・・・・。
250†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/17 19:13 ID:u7JkG55y
ってか正直な話在日にも別に特別な感情は無いので。まぁ反日感情むき出し
ってわけじゃありませんしね。むかつくのはメディアですね。
ありゃクーデターが起きても直りませんわ。
251 ◆FEIv/YO. :02/04/17 21:49 ID:cqR4XQpM
>>250
いや、自分もそうですが、あれは激しく関連性がないので…。
脈絡もなくHP宣伝用のスレを立ててくれと依頼するとは、これ如何に?と思いまして。
煽りの可能性もあるので、それに乗ってやる気もないですが。
自分としては928やコリ天の相手してる方がまだ楽しいですよ(w
252あるふぁ:02/04/21 12:06 ID:ZAV7YwZ/
久しぶりに、あげ
253日出づる処の名無し:02/04/22 12:41 ID:m7AdCSJA
小野田元少尉

「私は戦場での30年、「生きる」意味を真剣に考えた。
戦前、人々は「命を惜しむな」と教えられ、死を覚悟して生きた。
戦後、日本人は「命を惜しまなければならない」時代になった。
何かを”命がけ”でやることを否定してしまった。
だが、死を意識しないで、日本人は「生きる」ことをおろそかにしてしまってはいないだろうか」

254†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/22 19:17 ID:qM/OyzG+
255日出づる処の名無し:02/04/22 19:32 ID:CS457lyj
>>254
すごいね。攻め込んでくりゃいいのに。
海自と空自は錬度においても装備においても連中の比じゃないから、攻め込んでくる前にあぼーんだけど。
でも陸戦に持ち込まれるとちときついやね。連中は国民皆兵(男は)だからなぁ。
256†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/22 19:36 ID:qM/OyzG+
>>255みたいな感じで日本は自国を過信しすぎが現状だな。
むこうは兵役もあるしもし戦争になったら沢山志願してくるだろ。
でも日本は逃げたりデモ起こす奴のほうが多くないか?


んでもって自衛隊は弾薬が足りないんですよ…
257ななすぃ:02/04/22 19:43 ID:i3HvjV3q
>>256

いくら平和ボケしているとはいえ、平時の国民意識と、有事の国民意識が
同じとは思えないのだけど。
258 :02/04/22 19:53 ID:BF+9ltTL
http://www.kyoto-u.com/lounge/discuss/html/200204/02040035.html
ここでブサヨクが電波発信中。
259 :02/04/24 00:42 ID:XNgNit8n
ageage
260日出づる処の名無し:02/04/24 19:59 ID:PdHBuzd0
http://yasai.2ch.net/army/kako/984/984375960.html
軍事板 泣ける話

ここで出てくる話も↑のスレでガイシュツ
261†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/04/26 18:38 ID:xXXtDaUV
母を慕いて

母上お元気ですか
永い間本当に有難うございました
我六歳の時より育て下されし母
継母とは言え世の此の種の女にある如き
不祥事は一度たりとてなく
慈しみ育て下されし母
有り難い母 尊い母

俺は幸福だった
遂に最後迄「お母さん」と呼ばざりし俺
幾度か思い切って呼ばんとしたが
何と意志薄弱な俺だったろう
母上お許し下さい
さぞ淋しかったでしょう
今こそ大声で呼ばして頂きます
お母さん お母さん お母さんと

                 相花信夫 少尉 第七十七振武隊
                 昭和二十年五月四日出撃戦死 十八歳
262 :02/04/29 20:24 ID:65E2t0QS

保守
263日出づる処の名無し:02/04/30 06:44 ID:P2Bt+Z0h
264日出づる処の名無し:02/05/02 09:12 ID:zUC2q8ia
実際に戦争が日本であった場合、普段から逃げるとか言ってる奴は
本当に逃げ回るのか?友人同胞がどうなっても。
265日出づる処の名無し:02/05/05 00:38 ID:feeW40aj
266日出づる処の名無し:02/05/05 00:44 ID:loeWubVa
>>264
みんなで逃げるらしい、逃げたく無い奴はどうでも良い(自分で決めたから)らしい、
戦う奴はキチガイ(理解できない)らしい、不思議な人たちです。
267日出づる処の名無し:02/05/05 01:36 ID:BBibJrpd
>>1
読んだよ。悲しかった。ほかの掲示板にも貼っておいたよ。
268愛国者:02/05/05 01:42 ID:qGnz92xG
日本を捨てることなんかできなァ
日本で生まれて
日本で育って
今、こうして日本で
暮らしてることが
本当にうれしいよ
日本人でよかった
ありがとう日本。
俺は決して
今の政治には満足していない
誰だってそうだろう
左翼だって満足してない
右翼だって満足してない
どんなことをしてでもこの日本を
仮想敵国から守りたい
これが日本人の
常識的考えじゃないのか
あくまでも公的な意見だが・・・
269日出づる処の名無し:02/05/05 01:55 ID:UG3ri9Z1
>>266
そんな人はどの国も受け入れてくれないし、
受け入れてくれたとしても、周囲から軽蔑の目で見られることは
確実なのにね。
270日出づる処の名無し:02/05/05 02:00 ID:X3BIO/vB
要するにサヨは汚物。
271愛国者:02/05/05 02:04 ID:qGnz92xG
汚物以下の単細胞だろ
272日本好き好き人:02/05/05 02:12 ID:TSNHTe/G
いざとなったら自分の作った核爆弾で一騎打ちといこうじゃないか
なぁに簡単だよ、今のプラントを一部変更するだけで直ぐに作れる
チャンスがあれば、日本人の誇りをきゃつらに見せてやれるのに残念
273日出づる処の名無し:02/05/05 02:32 ID:TSNHTe/G
機体は三菱製、エンジンは石川島製、垂直尾翼に八咫烏
塗料は松下製のステルス塗料、電機各社による電子制御
超低空で進入して、ドッカン!!
274日出づる処の名無し:02/05/05 09:54 ID:VP3RXZdu
>>269
悲しい事に知り合いにも逃げればすむと思ってるのがいる。
後先考えずに判断してるとしか思えない。
国を捨て同胞を裏切って逃げると、どこの国も受け入れてくれないことがわかってないんだな。
275くしなだ神社@神主:02/05/05 10:53 ID:XhYUEOog
>>274
結局は、サヨ教育によって、明らかな相手側による侵略の可能性を
全く考えられないようにされているからだと思う。

日本が明らかな侵略をする場合に徴兵忌避や反戦運動をすることと、
相手側の明らかな侵略に遭った時に祖国を捨てて逃げることが、
そういう人の頭の中では等価になってしまっている。
日教組がまともな教育をしてさえいれば、こんなことにはならなかったのにね・・・。

祖国を捨てて逃げた者を受け入れてくれる国があったとして、
その受入先の国がピンチになったときにもまた逃げるのかと問いたい。
小一時間問い詰めたい。
276日出づる処の名無し:02/05/05 11:15 ID:019FFBJp
>>275
むしろ、明らかに相手の侵略を招こうとして、「反戦平和」と称して日本を
非武装化させようとしてきたのが左翼。自力で共産革命を起こす力が無いとは
いえ、かなり情けない。
277日出づる処の名無し :02/05/05 16:27 ID:nWUDb07t
共産主義の呪縛から解き放たれた世界は、元の様に民族自決主義・国民国家主義を基調とする
帝国主義の時代に戻るような気がします。
はっきり云って今の日本人にはその自覚と準備が有りません。
自由主義、人権主義、個人主義を許容する世界ではなくなりつつあると悟らなければならないと思います。

かつて西郷隆盛が言ったという「西欧近代とは野蛮である」との認識が正鵠を射たものであり、
日本人は本来の日本人的価値観に立ち戻らなければならないと云えます。

抽象的ですが、「日本精神の復活」とでも申し上げときます。

278読後数ヶ月、思うこと書いてみる:02/05/05 16:53 ID:pj3rZqxR
つーかねぇ、結局戦後習ってる歴史って、
戦勝国の側から見た歴史なんだよねぇ。

それがアメリカ正当化した歴史だったり
ソ連正当化した歴史だったりするだけで。
結局自分らで考えてないことには変わりない。

まあでも戦後世代を責めてばっかりいるのも
酷だと思う。時流の流れもあるし、それまで
負けたことがなかったから負けた後何されるか
わかってなかったというのもあるだろうし。

必要なのは自分たちで歴史を作って、前回の
戦争を今後に生かすことじゃないかね。

今後は、戦争に負けても
負けた後の態度というか、国体まで奪われないよう
洗脳教育されないように国民全体が気をつけるとか。
軍が勝手に突っ走らないような仕組みを作っとくとか。
それ以前に外に対して主張が見えるような国にするとか。

できることはいろいろあるとおもうよ。
つーか戦後民主主義なんて地に足がついてないから
日本人の本来のあり方を阻害してる。
日本人の本来の美徳が開花するのを、教育によって
わざわざ歪め続けてるとしか思えない。
そういう点も踏まえて国民の性質にあった
国づくりを今後していくべき。
279くしなだ神社@祝詞:02/05/05 16:58 ID:kLJuA5sO
>>278
激堂!
280?@:02/05/05 17:03 ID:d3K8GknS
>>278
ソレダ!
281278:02/05/05 17:20 ID:pj3rZqxR
教育勅語
http://www.meijijingu.or.jp/intro/education/
http://www.sun-inet.or.jp/~hba7615n/tyokugo07.htm

終戦の詔書
http://www.kisweb.ne.jp/personal/mondaishu/1945.8.15.htm

東条英機の遺書
http://isweb9.infoseek.co.jp/diary/windsban/ISYO.HTM

これら↑は現代にも通用する。
いや、今だからこそ重要だと思う。
282日出づる処の名無し:02/05/05 17:43 ID:52ep2h1M
東条英機の遺書にはちょっと目頭が熱くなった。
教科書もこう言うのを載せれば良い。

もし彼が「犯罪者」だとすれば、「犯罪者の人權」って大切だよねぇ?
283日出づる処の名無し:02/05/08 13:54 ID:qQeBqPaY
284†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/05/08 20:36 ID:F+/+fOwF
負けたからって勝者のご機嫌はとりたくねーな。
勝とうが負けようが正義はこちらにあると信じないかんな。
285 :02/05/10 21:26 ID:oBg4q8l2
hosyu
286 :02/05/13 00:36 ID:pG4q3QGA
TAKAHA
287くしなだ神社@月読 ◆NPN3QJ/U :02/05/14 00:44 ID:gMQ1fJQ4
支援物資として保全します。
 
288日出づる処の名無し:02/05/14 14:48 ID:mX8PGXWW
まだ戦後は終わってないな
289再UP 1/2:02/05/14 15:53 ID:Z+8E/jCs
近藤正三
福岡県出身。
ビルマ派遣森8909部隊。
菊第8909部隊。陸軍少尉。
昭和20年3月10日、
ビルマ・メイクテーラに於て戦死。
31歳。

京都大学を出て内務省に入り、「水を制する者は国を制する」と
砂防ダムに情熱をそそいで熱弁を奮った姿が昨日の様に思い出されます。
二十年八月十五日は主人の両親と零歳と二歳の長男と四人で終戦を迎え、
二十二年にビルマで行方不明という広報が来ましたが、亡くなったとは
信じられず、それから五十年過ぎてしまいました。
もしかしたら生きているかも知れないとビルマにも行きましたが、あの
密林の白骨街道を見てあきらめました。
近藤きみ子
290再UP 2/2:02/05/14 15:55 ID:Z+8E/jCs
きみ子どの

かくあわただしく海をへだてて別れてしまうふのはいささか本意ないが、
お互に覚悟は充分に出来て居る筈だ。さて、考へて見ると、俺の人生の
前半は母によつて全く幸福過ぎる程幸福な生活をさせて貰つたが、後半
の始めは全くお前に依つて生活が完全に近づいて行つたと思ふ。お互い
に世界一之夫婦だと信じて居る事は平信でも述べた通り。

もう一寸で又楽しい生活が来ると思つたのに、かくなるのは残念だが、
之も戦局の然らしむる所、大いに修養して立派な母となり立派な子供に
仕上げて欲しい。ほんとに良き妻であつて呉れた。心より感謝の念で一杯だ。
もし俺の身上に万が一の事があつたら重点を正明に置いて考へよ。
正明が立派な人間になるあてどがついたら次はお前自身の幸福を考へて宜しい。
然し、……。俺は頑張つて来るぞ。

楽しかつたお前との一日、一刻は何処に居ても忘れない。考へて見ると長い
様で実際は短くはあつたが充実した生活だつたと思ふ。お前には物質的には
何一つ満足なことをしてやれなかつたがカンベンして呉れ。あとはお前が柱石だ、
俺に代つて充分親孝行を頼むよ。言い度い事は山の如くして意尽し難し、
身体を大切にして頑張つて呉れ。
2911/2:02/05/14 19:57 ID:Z+8E/jCs
長谷 八太郎
東京都出身。
北部第63部隊、陸軍上等兵。
昭和18年1月6日
アリューシャン列島・鳴明島北方にて戦死。
21歳

東京の部隊から北海道に転属になった後に、部隊日記に書き記されていた遺書。
兄宛の遺書もあり、「自分は国の為に自我を没します。兄さんは家庭の平和の為
に今迄より以上に自我を没却して下さい。老いた両親の生涯を安らかに過ごさす
様に努力して下さい。」と訴えている。
2922/2:02/05/14 19:57 ID:Z+8E/jCs
御両親様

私物一切を家へ送ります。
之だけで今度の札幌行が如何なるものであるか大凡の想像は着くものと思つて居ります。
上野で御母さん始め皆さんに御逢ひしたのがきつと最後に成るものと思つて居て下さい。
征途に着く身として、一目でも御父さんに逢へなかつたのが何よりも残念で成りません。
こんなに迄立派に育てて貰つた八太郎は、何の孝養もできず、大君の御為に散つて行く
覚悟です。何ひとつ満足な事も出来なかつた八太郎も、国に殉じる事によつて最初であり、
そして最後である所の、日本人として一番尊ひ孝を致せるわけです。

泣かないで下さい。八太郎は良く死んで呉れたと笑つてやつて下さい。
又言ひます。決して決して、泣かないで下さい。八太郎もやつと御国の役に立てたのです。
喜んで死んで行きます。
さようなら。今日迄の深い慈愛をしつかりと心に包んで、征途に上ります。
御身体を大切に。

十月二十七日                         八太郎 拝
293†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/05/14 21:00 ID:JDUZaw6U
age
294日出づる処の名無し:02/05/15 19:25 ID:exJjvHUs
感涙age
295日出づる処の名無し:02/05/17 16:18 ID:eR/qMwlw
保全あげ
296日出づる処の名無し:02/05/18 15:28 ID:ZcbWopya
News板という事で。
今月は、こういう月だそうです。


語り継がれる戦争悲話=旧日本軍攻撃から60年−豪シドニー
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020518-00000186-jij-int

【シドニー18日時事】1942年5月に旧日本軍が特殊潜航艇で
オーストラリア・シドニー湾を攻撃してから今月31日で丸60年になる。
敵国による攻撃ながら、豪州では日本の若者の勇気や母子の情愛をめぐる
戦争悲話としても語り継がれており、最近では、同湾に侵入した
特殊潜航艇の軌跡を小型ボートで巡るツアーが人気を博している。 
(時事通信)
297日出づる処の名無し:02/05/21 14:07 ID:F3NTUEzd
                       
298日出づる処の名無し:02/05/24 03:20 ID:4vIKrUmM


299日出づる処の名無し:02/05/26 09:01 ID:DX//cVrD
               
300日出づる処の名無し:02/05/26 09:13 ID:SDLIZB5B
300
301ヤホー:02/05/26 10:48 ID:D2trQKCb
俺はいつでも日本のために戦う
たとえ死んだってなぁぁぁぁぁー
302†名モ無キ少尉 ◆VqvB7vJ2 :02/05/29 20:25 ID:WyxLkx/T
 
303日出づる処の名無し:02/05/29 20:50 ID:sMQGA1Ox
何かと思ったら唯の反日宣伝じゃないか。
1は何を言いたいんだ。
304日出づる処の名無し:02/06/01 04:43 ID:og44qPtE
305日出づる処の名無し
こう言う物もある・・・・・

http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/index.htm