神風特攻隊は有効な戦法だった! パート2

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366名無し三等兵
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi?bbs=giin&key=995133043

こいつは侮れん!元特攻隊、田英夫!

1 名前:ゼーフント 投稿日:2001/07/15(日) 02:50
東大学徒出陣 震洋特攻隊 第一次南極観測隊員派30年まえに
192万票でトップ当選、1989年東京選挙区でもトップ当選
田嶋なんか叩いてる場合でわないぞ! 2ch諸氏!

2 名前:無党派さん 投稿日:2001/07/15(日) 02:51
あざらし?

3 名前:ゼーフント 投稿日:2001/07/15(日) 02:51
http://www.ne.jp/asahi/den/hideo/

特攻隊のこと

航海学校時代の私は一分隊二区隊の第四班であった。寝室(居住区)では階段ベッドで私は下段、上段は
松本素道君だった。すぐ隣の上段が荻野雅君、下段が蓼原一夫君だったと思う。
昭和一九年の一〇月のある日のタ方、私たち予備学生、生徒が突然剣道場に「総員集合」を命ぜられた。
いつになくモノモノしい雰囲気で、入口には教官が立ち並び、窓はすべて閉められていた。壇上に立った
田口学生隊長は、「おまえたちの中から特別攻撃隊員を募る。種類は潜水艦によるもの、魚雷によるも
の、舟艇によるものである。応募者は明朝○八○○までに区隊長に申し出ろ。以上」一瞬私たちの間にピ
ーンとした緊張感が走った。剣道場を出てもだれも口をきく者はなかった。タ食、そして夜の学習の時も
皆口数が少なかった。
「巡検終わり。タバコポン出せ」の号令がマイクで流れても、いつものように雑談をする者もない。一分
隊二区隊第四班の私の部屋もシーンと静まりかえっていた。皆ベッドに入ってはいるが眠れない。しきり
に。寝返りをうつ者が多い。私の上段の松本素道君もベッドをきしませて返りをうつ。私もまったく眠れ
ない。「走馬灯のように……Lという言葉のとおり、幼かつたころのこと、父母と旅行したときのこと、
そして私の上段で悩みぬいていた松本素道君は「大和」で戦死してしまった。良い男であった。(一分隊
二区隊四班)文集から

1945年

海軍横須賀航海学校入学

震洋特攻隊員として出征