スペインが枢軸国に加わらずに中立だった訳は?

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85名無し三等兵
>>84
少し電波が入ってるかもしれませんが、むしろフランコがケマル・アタテュルク
の戦略をなぞっているフシも見受けられます。トルコ革命〜列強との戦いにおい
て、WW1以後の経済混乱や厭戦気分の蔓延で列強が本腰を入れてトルコに介入
できないことを彼は見抜いていました。
フランコもまた(時こそ流れていたものの)英仏が介入してこないことを読み切
ったからこそ内戦に勝てたといっても良い。
ケマルが逝去したのは38年11月。恐らくのらりくらりとかわしたのだろうけど
57歳という年齢を考えると、すぐにやってきた冷戦に彼がどう立ち向かった
だろうかということにも興味が湧きます。以上関係ない書きこみ失礼しました。