オリンピック作戦・コロネット作戦を語れ

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無し三等兵
原爆が完成せず、
オリンピック作戦やコロネット作戦が現実に行われていたら、
どのようになっていたでしょうか。作戦はどう進行したでしょうか。
245/85式:2001/06/09(土) 20:53
ダウンホール作戦はどうだったのですか?
31:2001/06/09(土) 21:00
ええと、一応、
ダウンフォール作戦が本土侵攻作戦全体の名称で、そのうち
南九州侵攻がオリンピック作戦、関東侵攻がコロネット作戦だった
と思います。
41:2001/06/09(土) 21:37
トルーマンは本土侵攻は50万から100万の死傷者が出ただろう
といって原爆使用を正当化していますが、
あるアメリカの歴史家は、オリンピック作戦(45年11月から)において
戦死者は17500人、戦傷者も含めて71000人程度で、
約2ヶ月で勝負は片が付いただろうと考えているようです。

大戦末期は日本側もかなり航空機などを温存し、陣地構築も
急いでいたはずです。現実に降伏した8月から数えても、上陸作戦までまだ2ヶ月半
ありますし、8月15日時点よりもさらに陣地整備は進んでいたと思うのですが。
5名無し三等兵:2001/06/09(土) 21:40
燃料は?
61:2001/06/09(土) 21:46
終戦時100万ガロンの航空燃料があったと記憶していますが、
特攻用ならば確か5万ガロンで十分だったような。
特攻機はフィリピンでは比較的成功しましたが、
その理由としては
地形に隠れて接近できる
パイロットが比較的熟練していた
と言われています。沖縄では遠路海上を飛んで接近するので不利でした。
少なくとも前者は本土においては当てはまりそう。
7名無し三等兵:2001/06/09(土) 21:50
>>4
陣地構築は思ったより進まないのではないか?
陣地構築には機械力の支援と木材、コンクリ、鉄材等の資材が必要だが、
国内の交通網がズタズタにされた状態で、どれほど準備できたか疑問がある
また、制空権を握られているため、構築作業は夜間に限定され、
作業効率は恐ろしく低下するだろう。
恐らく、海岸陣地で戦艦の主砲クラスに抗堪できる超重掩蓋は
満足に揃えられなかったと思う。
8ふみ:2001/06/09(土) 21:54
>少なくとも前者は本土においては当てはまりそう。

とはいえ「特攻のベテラン」とか「体当たりの神様」なんてのは
生まれる余地が無いから、錬度と装備を充実させていく連合軍に
対抗できないよ。米軍は枯葉剤の散布による稲作収穫の激減も狙っ
ていたから、機雷封鎖と3発目以降の原爆投下と合わせて、昭和22年
の正月を迎える前に日本の人口が半分になる可能性もある。
9ひみつ:2001/06/09(土) 21:54
>陣地構築は思ったより進まないのではないか?
九十九里浜の視察にお偉いさんが行ってがっかりして
帰ってきたって話がありましたね
101:2001/06/09(土) 22:09
大本営も負ける戦だとは思ってたわけですよね。
本土決戦は。
ただ打撃を与えて米国世論を動揺させ、有利な講和条件を導きだしたかった
ものだと理解していますが。
それにしても
関東ではなく南九州、それも上陸作戦予定地まで日本の想定と
連合国側の予定が見事に合致しているのでどの程度対抗出来たのだろうかと。

でも原爆がなかったら、という前提じゃないと本土侵攻はないでしょうから、
三発目の原爆ってのは??ですけと。
それにしても、民間人にも相当の死傷者は出たんだろうなあ。
11名無し三等兵:2001/06/09(土) 22:28
原爆あっても降伏しなかったら本土侵攻あったんじゃないの?
ほいほい量産できるもんでもないし>原爆
12名無し三等兵:2001/06/09(土) 22:35
フトン爆弾による対戦車体当たり集団突撃爆砕人間破甲自爆撃がイチバン!
13名無し三等兵:2001/06/09(土) 22:36
>9
九十九里浜陣地の構築はむしろ、志布志湾より進んでいたようで数年前の丸(手元にないのでうろ覚え)に関係者が手記を書いていて「杉山は来たがそういう(天皇に命じられて待従武官が視察して報告、昭和帝が激怒ったという有名な話)事実はなかった」と書いていました。問題は築城より戦術の変化では。大本営は硫黄島の戦訓を生かした陣地を作らせながら45年春にいきなり作戦方針を「内陸持久」から「水際決戦」に転換します。そしたら陣地放棄せざるをえなくなったので、艦砲、艦載機により大損害を被ったと思われます。
14第八艦隊司令長官補佐役:2001/06/09(土) 22:39
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=army&key=990975472
俺が立てたスレ
描写はすべてネタだが、データは史実
151:2001/06/09(土) 22:44
>11
アメリカは何発持ってたんでしょうか。当時。
>12
シャーマンは結構もろいようで、沖縄では上陸した戦車の過半数が撃破されてますね。
>13
45年春に方針転換ですか。
知らなかった。重機がないから陣地構築は時間が掛かりそうですが、
11月までなら半年程度あります。どうだったんだろうか。
それに内陸側の陣地を生かせば縦深陣地になるのではないかと、
素人考えも浮かびますけど。
アメリカ側では、海岸線の陣地はあまり強固ではなく、数キロ内陸の
陣地が主体であったと(戦後の視察を元に)考えているようです。
161:2001/06/09(土) 22:56
>14
そうか、ソ連参戦がありましたね。
でも、そのスレ、ソ連をまず脱落させるための設定に無理があるような。

もし原爆が落ちていないと、ソ連の参戦も時期が遅れると思うのですが、
それにしても9月末くらいにはソ連は満州と樺太と千島に押し寄せていた
だろうなあ。
それを見るとアメリカも焦って上陸作戦繰り上げか。

その場合、10月の台風が「神風」になったかも。
(といっても輸送船が数隻沈没したり、沖縄に集積した補給物資が
2割くらい波間に消える程度かな)
17第八艦隊司令長官補佐役:2001/06/09(土) 23:00
>16
いちおネタと断っていたのですが・・・
しかし、ソ連は虫の息の日本と戦争がしたい。
そして8月9日はヤルタでの決まった(わけではないが)
日にちであった。

あと、俺のスレッドの、日本の資源の状況はマジ。

でも、ロシアは水際げきはされそうだ。
18名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:02
>>15
昭和20年6月の段階でアメリカは原爆四個を保有していました。うち一発はネバダで
実験に使い、2発は広島および長崎で使用、残る一発はインディアナポリスとともに
沈みました。
19軍事板の過去スレだ:2001/06/09(土) 23:03
http://yasai.2ch.net/army/kako/978/978419516.html
http://mentai.2ch.net/army/kako/965/965967537.html

後、二本あるが見る価値のない駄スレなため省く。
20名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:03
>>17
誰もキミのスレッドなんか見てないよ(苦笑
21名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:04
>>18
沈んだ一発はどっちの方式だったんでしょうか?
22第八艦隊司令長官補佐役:2001/06/09(土) 23:07
>>19
俺かいな!!!
23名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:11
>>18
ネタ?
24名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:11
インディ撃沈は帰り道。
25名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:13
>>15
1コ工兵小隊30名が150ミリ級の榴弾に抗堪する木製分隊用掩蓋を丼勘定でシュミレートすると、
1 掘開
  掩体の大きさを縦5m、横3m、高さ2mとし、遮弾層を2mとすると、
  作業の余裕を考え概ね縦6m、横4m、深さ4メートル程度の穴を掘る
  安息角も考えると概ね150立米、これを人力でやろうとすると、
  どう好意的に見ても400MHの作業所要量が必要

2 掩体構築
  既に運搬・集積・加工が終わっていると考え、
  基礎構築に30MH、側壁構築に100MH、天蓋構築に80MH
  これで210MH、ここら辺の数値の根拠は経験値としてご容赦を

3 埋戻
  掩体の体積を考えると120立米だが、締土を考慮して2割増し(これも好意的数字)
  とすると150立米程度で、作業所要量は400MH

これを合計すると約1000MHで、1個小隊30名で実施するとなると
約33時間かかる
夜間作業時間を10時間とすると3日半
しかし、半年の連続作業となると、1日の作業時間は
7時間程度に抑える必要があるので、5日間はかかるだろう
しかも、これは最も楽観的な数字だ
この後更に射撃陣地や予備陣地なんかを作らなければならない
簡単に縦深陣地というなかれ
機械力の支援のない陣地構築はこれ程大変なのだ
26名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:13
わざわざ持って帰ってどうする(藁
27名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:13
>>18
インディアナポリスは二発の原爆をテニアンに輸送後、
比島に向かう途中で撃沈されたのであって、
原爆と一緒に撃沈されたという事実はない。
28名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:22
実は、日本に落とされたものの不発だった
3発目の原爆があって、それを日本軍が捕獲して・・・・

なんて話が終戦直前に出回ったらしい(結局嘘だったけど)
291:2001/06/09(土) 23:23
>25
民間人が陣地構築をして、兵は監督をするのかと
思いました。

それで結局原爆は残っていたのかな。
ま、無ければ又造るって事なのかも知れませんが。

あと、ソ連参戦は予定ではもう少し後で、原爆で焦って
予定を数週間早めたとどこかで読んだ記憶があるのですが。
30名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:30
>>29
ソ連で、民間人を集めて対戦車壕掘ってる写真を見たことがあるが、
ただ突っ立って土を掻いてるだけで、作業力は土工作業の経験のある
工兵の3割にも満たないだろう
また、米軍の制空権を考えると、夜間に完全遮光で行わなければならない
ろくな経験のない民間人にどこまでやれるか疑問だ
恐らく事故続出と作業進度の著しい低下を招くだろう
民間人は他の仕事をして貰ったほうが効率的だと思う
31名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:35
>>30
確かにそうだとは思うのだけど、
実際は日本軍が陣地構築してるとこには、
朝鮮人労務者が結構いたりしてるみたいですよね。
32名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:36
>>29
昭和20年6月にアメリカが保有していたのはガンバレルタイプ原爆2発
とインプロージョンタイプ原爆1発の計3発。当時のウラン235および
プルトニウム239の生産能力から考えるに、昭和20年中にあらたに原爆
を生産するのはちと難しかったかも。
33名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:40
>>30
偽装工事に使うくらいならまだなんとか・・・
でもやっぱり出来が拙いからバレるか
34名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:44
>>31
確かに、対上陸用の超重掩蓋やコンクリ製掩蓋なんかでは
べらぼうな作業所要量(しかも単純作業)がかかるので
投入されたんだと思う
しかも、訓練された兵士の数には限りがあったろうし
やはり、機械力の欠如が最大の原因だろう
当たり前の話でスマソ
35名無し三等兵:2001/06/09(土) 23:59
>>15
>シャーマンは結構もろいようで、沖縄では上陸した戦車の過半数が撃破

マジ!?
36名無し三等兵:2001/06/10(日) 00:39
檜山良昭「日本本土決戦」(光文社文庫)を読もう。
37名無し三等兵:2001/06/10(日) 01:52
>>32
オリンピックまでに十発以上の生産が可能という報告がなされている。
38名無し三等兵:2001/06/10(日) 01:59
2ヶ月で戦闘終了は、オリンピック作戦の進出線に2ヶ月で達して。米軍は飛行場構築と、防衛に移るって話では?
関東に侵攻して、日本軍が長野まで後退しながら戦闘を続けたら、10万の損害ではすまないでしょう。
関東を占領したら、山間部に入るのは愚策。
39名無し三等兵:2001/06/10(日) 08:03
『相模湾上陸作戦−第二次大戦終結への道/大西比呂志・栗田尚弥・小風秀雅』(有隣新書)

茅ヶ崎市史編集委員会のメンバーによるアメリカ国立公文書館をはじめとする1995年の著作。
もともとは「茅ヶ崎市史・現代」の編集作業から生まれた。
コロネット作戦は茅ヶ崎が侵攻正面であったことが明白である事が理解できる良書。
4032:2001/06/10(日) 09:23
>>37
あ、そうなんですか?オレが前に読んだ話ではウラン235を10キロ
精製するのにだいたい2ヶ月掛かったらしいです。37さんの説に従うと
昭和20年初頭の時点でアメリカはウラン235およびプルトニウム23
9を相当量保有していたのでしょうか?
41名無し三等兵:2001/06/10(日) 12:29
コロネット作戦をやるくらいなら「首都(天皇)に向けて原爆投下」
という選択肢も現実味を帯びてくるのでは?
42名無し三等兵:2001/06/10(日) 12:31
コロネット作戦を進行させつつ、原爆もできたやつから
新潟、京都、小倉、東京、と目標に投下されてたのでは?
43名無し三等兵:2001/06/10(日) 12:47
あと、稲作地帯への枯葉剤散布モナー
441:2001/06/10(日) 15:42
>35
沖縄では上陸した戦車の57パーセントが撃破されました。
M4シャーマン戦車に対しては、日本側の37ミリ対戦車砲は無力ですが、
47ミリ対戦車砲は有効でした。
また75ミリ高射砲や野砲も有効でしたが、最も有効だったのはやはり
布団爆弾でしょうか。

アメリカではM4後継のM26戦車が本土侵攻に備えて配備中でしたので、
その配備状況によっては九州での対戦車戦はより困難になったと思いますが。

>38
そうですね、南九州の予定進出線に到達したら戦闘行動を停止するはずです。
南九州確保は関東(沖縄からの戦闘機の作戦半径外)の制空権を確実にするための
ものでしたから。

しかし、大本営としても南九州で一矢を報いて停戦に持ち込む腹だったと思いますから
個人的には原爆投下が無くとも46年2月頃には終戦を迎えたと思っています。
451:2001/06/10(日) 15:50
あと興味深いのが台風で、
アメリカ側の資料をもう一度調べたところ、史実として、
終戦後の10月9日におそったルイーズ台風により、
沖縄でアメリカ船舶12隻沈没、222隻座礁(内約80隻のみ再利用可)
でした。もし予定通り10月15日をXデイとした場合、上陸部隊に
相当の被害が起きたこと、また台風を予測して延期したとしても、
沖縄に置いて無視できない被害により、数週間から数ヶ月の延期になった
と思われます。
46名無し三等兵:2001/06/10(日) 15:52
>>45
はー、すごい被害ですね。もし日本が降伏していなかったら「神風が
吹いた」などと喧伝されたのかなあ?

ところで、
>沖縄でアメリカ船舶12隻沈没、222隻座礁(内約80隻のみ再利用可)
との事ですが、人的被害はどうだったんでしょうか?
47名無し三等兵:2001/06/10(日) 15:52
 「日本本土決戦」って改訂版を出してくれないかなぁ。
 この本、名作だけど資料のない時代に書かれたせいか細かい間違いが
多くて惜しい。
481:2001/06/10(日) 15:56
>46
人的被害は奇跡的に軽微でした。
沖縄の米軍のテントは殆どが壊れてしまったそうですが、
死者83名、重傷者約100名でした。
もちろん、上陸のために100万規模の軍が集結していた場合は
全く被害は異なっていたとは思います。

なお、アメリカ側の研究では、南九州侵攻による連合軍の被害は
ノルマンディー上陸作戦と少なくとも同等と考えられています。

手元にあるのはアメリカ側が研究した資料ばかりなんですよ。
日本側の研究って無いんでしょうか。
49名無し三等兵:2001/06/10(日) 15:58
この作戦について本出てなかったっけ?
50名無し三等兵:2001/06/10(日) 16:14
たしか、コマンド誌に「大日本帝国の最後」(だっけ?)とかいうゲームついてたぞ。
まさに、「原爆製造失敗、オリンピック・コロネット発動」というテーマ。
それを知って、めちゃほしくなったけど、すでに売り切れ&在庫無しの状況だった。
プレイした人の感想きぼーん。
511:2001/06/10(日) 16:19
私が手元にあるのはすべてアメリカで出版された本です。
DOWNFALL (Richard B. Frank)
The Invasion of Japan (John Ray Skates)
Death is Lighter than a Feather (David Westheimer)
三番目はいわゆる仮想戦記ですが、非常によくできている。
日本側についても決して悪く書いてはいません。

日本人の手になる資料としては、上にコロネット作戦の本が紹介されて
いましたので、探してみます。

神奈川県民なのでコロネット作戦には地元的関心もあるのですが、
現実にはオリンピック作戦後には大本営も終戦を決意したでしょうね。
52名無し三等兵:2001/06/10(日) 16:21
1945. 7.30 米・グローヴス少将 オリンピック作戦までに 10〜12発の原爆準備が可能と報告

http://homepage1.nifty.com/koarashi/genbaku/genbaku-4.htm
53名無し三等兵:2001/06/10(日) 16:21
日本側の資料は戦史叢書くらいしかないだろうな。
54名無し三等兵:2001/06/10(日) 16:24
8月15日に降伏しなくても、10発も落とされたら
どっちみちオリンピック作戦を実行する必要はなかっただろうな…
55少佐:2001/06/10(日) 16:26
日本はオリンピック作戦に備えて細菌人間という特攻兵器を考案していた。
細菌に感染させた人間を降伏させて敵地に送るというものだ。
アメリカが原爆使用に踏み切ったのは、こうした事情があるから。
561:2001/06/10(日) 16:27
原爆は、使ってしまったあとは、あと何発あるのか日本側には判らないので、
史実通り終戦でしょう。

オリンピック作戦はやはり原爆開発が失敗したか、遅れたか、人道的政治的考慮から
使用しなかったか、のいずれかの場合に発動されたと私は思うんですが。
57名無し三等兵:2001/06/10(日) 16:31
御聖断が軍部の手によって抑えられてしまい、
戦争継続となった場合は?
581:2001/06/10(日) 16:58
私の調べたオリンピック作戦のアメリカ側予定は、以下の通りです

オリンピック作戦
Xデイ=11月1日(暫定)
予定上陸地点と担当
全体はアメリカ第六軍ウォルタークリューガー大将麾下
串木野方面
V揚陸軍団(2、3、5海兵師団、ハリーシュミット少将)
98933名(海兵師団は各師団に一個戦車大隊を含む)
志布志湾(有明湾)方面
XI軍団(第一騎兵師団、アメリカル師団、43師団、112騎兵連隊、二個戦車大隊、チャールズホール少将)
112648名
宮崎方面
I軍団(25、33、41歩兵師団
プラス二個戦車大隊、一個対戦車砲大隊、一個揚陸戦車大隊、イニススウィフト少将)
94546名
予備 XI軍団(40、77、81、98歩兵師団
二個戦車大隊、一個対戦車砲大隊、チャールズライダー少将)
これは、X+3デイから作戦行動予定
第11空挺師団(14641名 ジョーゼフスウィング少将)も予備兵力として
Xプラス22デイから洋上待機予定
59ふみ:2001/06/10(日) 17:02

>でも原爆がなかったら、という前提じゃないと本土侵攻はないでしょうから、
>三発目の原爆ってのは??ですけと。

なぜ原爆が無いかの設定も気になる。時間的な問題なら日本が降伏していない
以上、スケジュールが遅れたとしても開発を中止する必要は無い。そもそも開
発していないというのなら艦隊か方面軍がもう1、2個できる。こっちのほうが
終戦は早くなりそうだな…。
601:2001/06/10(日) 17:35
米軍内部でも
原爆使用には様々な意見があったようです。
日本を降伏させる手段としても多くの対立する考えがありました。
戦略爆撃と封鎖のみで降伏するはず、という意見も、
周辺地域(中国本土、台湾、対馬など)をじっくり攻めるという意見も、
積極的に上陸侵攻すべしという意見もありました。

アメリカでの研究も、「果たして原爆投下は必要だったのか」と言った
観点からのものが多いようです。つまり、原爆の都市への投下という非人道的作戦に頼らずとも
日本は降伏したのではないか、その場合はどのように作戦は進められ、どのような犠牲者が出たのか、
といったものです。

その結果、アメリカ側の犠牲者は全ノルマンディー作戦程度のもので済んだというんですが…。
(ブラドレーの第一軍はDデイ+48日までに63360名の死傷者(うち死者16129)でした)
611:2001/06/10(日) 17:58
なお、私は架空戦記のように
日本側に新兵器続出というのはちょっと勘弁して欲しい感じです。
震電だってプロペラこすっちゃったりして、どう頑張っても1946年春までは実戦配備は
無理ですし、エンジンオイルや燃料の質の悪さも考える必要があるし。
戦車は特に、九州で製造しないと戦場に持って来れない可能性があるし。
62名無し三等兵:2001/06/10(日) 18:33
>日本側に新兵器続出というのはちょっと

日本側に特攻自爆兵器続出だろう。
63新兵器:2001/06/10(日) 18:36
5式国民学校少年地雷兵
641:2001/06/10(日) 18:40
それは続出でしょうね。

航空特攻の効果は非常に高かったようですが、
海上海中からの特攻についてはあまり効果は期待できず、
無駄死にになってしまいそうです。
(海中で爆薬を持って待っているという方法もあったようですが、
潜りっぱなしと言うわけにも行かないでしょうから大変です。
一方アメリカ側の水中処理班というのも結局沖合から泳いでいって障害物を爆破して
また泳いで帰ってくるわけで、これも相当大変そうです)
65名無し三等兵:2001/06/10(日) 18:40
>>62
伏竜作戦(字あってるかな?)なんかも実行されたかもしれませんね。
66名無し三等兵:2001/06/10(日) 18:44
>>65
なにか違う兵器と間違えてないか?伏龍だけはどうにも使えないよ。
67名無し三等兵:2001/06/10(日) 18:49
>>66
あ、いや。兵器って言うか「潜水服着て米軍の上陸用舟艇に爆薬を
取りつける」っていう作戦なんですけど。たしか伏竜作戦ってコード
だった気がしたんだけど、オレの勘違いかな?
681:2001/06/10(日) 18:57
伏龍ですね、バンガロートーピードみたいなものを持って水中で
待機。
横須賀で4000人が訓練されていたと、アメリカの本には書いてあります。
6966:2001/06/10(日) 18:57
>>67
漏れは作戦名は知らないが、それが伏龍で間違い無いが、
その潜水服がくせもので酸素ボンベを使うわけではない。
しかも敵の上陸地点や時間は分からないことが多い。
どうやって配備する?
701:2001/06/10(日) 18:58
でも潜水服っていっても、当時の潜水服は
船から空気を送ってもらっていた様な気がしますが。
どうやって水中に待機するんでしょうか。
71名無し三等兵:2001/06/10(日) 19:04
神風特攻は命中率よりも威力に難があったと思われ。
そこで「桜花」なんてのもやったけど、これだと上空まで運ぶ
のが大変で、鈍重で脆い桜花搭載の一式陸攻は簡単に敵機にやられた。

また米艦艇側としては大火力による撃墜よりも特攻機突入を寸前で回避する技術や、
突入されても損害を最小限に食い止めるための消火施設の方が充実していたのではないか。
これはあらゆる史料が示すように、命中に比して撃沈が少ないことでわかる。
この点潜水艦の雷撃だけであっさり沈んだ日本の「重装甲正規」空母大鳳は脆かった。
72名無し三等兵:2001/06/10(日) 19:06
>>71
大鳳はどっちかっていうと運が悪かっただけって気もしますが
(ベンチレーター不足していたとか乗員が訓練不足だったため
ダメコンが上手くいかなかったってのもあるだろうし)。
73名無し三等兵:2001/06/10(日) 19:09
>>70
「机上の空論」に近い戦法は結構存在する
例えば独が計画していた自走高射重砲
任務は、第一線において、対空機関砲が
陣地占領するまでの防空掩護だった
普通は逆
741:2001/06/10(日) 19:09
海上・水中特攻兵器としては
震洋 ベニヤ板のボートに爆薬を搭載 2000〜3000隻配備
丸八 震洋の陸軍版
回天 人間魚雷 全長40フィート、速力34マイル、航続距離40マイル
海龍・蛟龍 小型潜水艇 蛟龍は乗員5名
などがあるようです。
伏龍は今調べたら、酸素ボンベ付きでした。
上陸用舟艇をねらうものですから、おそらく艦砲射撃が終わった頃に
海岸沿いの基地から飛び込むんでしょう。

調べれば調べるほど陰々滅々としてくる感じです。
75名無し三等兵:2001/06/10(日) 19:12
>大鳳はどっちかっていうと運が悪かっただけって気もしますが
>(ベンチレーター不足していたとか乗員が訓練不足だったため
>ダメコンが上手くいかなかったってのもあるだろうし)。

「運悪く」敵の攻撃を受けてもダメコンが上手ならそう簡単に沈みはし無い。
76名無し三等兵:2001/06/10(日) 19:16
つーかガソリンタンクからの配管の問題な。
ダメコンがいくらよくてもあの引火誘爆は防げんよ。
771:2001/06/10(日) 19:18
神風はアメリカには非常におそれられました。
実際、沖縄では神風一機当たり1.78人のアメリカ兵が死亡していますし、
それ以前のリンガエン湾では1945年1月6日("One Helluva Day"と言われる)
に、32機(34名搭乗)の特攻機によって将官等を含む126名が死亡しています。

特攻機対策としては艦艇が集団で防御する方が効率的なのですが、
そうすると突入してきた特攻機を砲撃するときにどうしても味方艦を
射撃してしまうことも出てきます。これも問題でした。
78名無し三等兵:2001/06/10(日) 19:19
伏龍の話はたしか文庫で出ていたと思われ(著者は元隊員)
海底にいる隊員のうち誰かが攻撃に成功したら、その周りの5人くらいが
その爆圧(?)で死ぬとか書いてあったと思われ。
79名無し三等兵:2001/06/10(日) 19:21
>>78
あと、訓練中の事故も多かったそうですね。潜水器具の故障で
死亡した人が多数いたってのを聞いた事があります。
80名無し三等兵:2001/06/10(日) 19:23
>>76 でも引火誘爆までにはいくらか時間があったろう。
81名無し三等兵:2001/06/10(日) 19:24
大鳳ネタはスレ違いだから続けるんだったらヨソでやって欲しい。
821:2001/06/10(日) 20:46
>81
まあ乗っ取られるほどでなければいいんですが。

日本側は、鹿児島県西部が第40軍、鹿児島県東部と宮崎県が57軍の管轄でした。
陣地構築は、調べたところ結構進捗していたようです。
水際決戦か内陸持久か、という話が出ましたが、
上陸地で敵を押さえつつ決戦兵力を移動させ、反撃するというものだったようです。
沖縄での教訓にもかかわらず、やはり決戦が好きですね、陸軍は。
しかし道路・鉄道は寸断されているため、決戦兵力の移動は困難を極めたと想像します。

弾薬は九州に重点的に配備したため、定足数は満たしていたようですが、その基準自体が
相当お粗末だった(「会戦分」の定義自体、圧倒的な米軍の物量の前には無意味ですが)
と思います。
83第一総軍:2001/06/10(日) 23:36
初めまして。1様、同じ分野の研究をされているようです。
私は日本側資料としては戦史叢書を資料の中心に置き、パンツァー誌や新人物往来社の別冊歴史読本を参考とし、光人社の日本殲滅をアメリカ側資料としていますが、明らかにアメリカ側資料が不足しています。1様はいろいろそちら方面もお持ちのようなのでいろいろご教授ください。
因みに、上記のDeath is Lighter than a Feather (David Westheimer) は早川書房から本土決戦の邦題で大分前に出版されていますが、その他の2冊は存じません。詳しい戦闘序列、特に師団以下の部隊、軍団砲兵や戦車大隊の参加予定なども教えていただけると幸いです。


実は私は趣味で本土決戦関係のシミュレーションボードゲームを製作中で、現在日本軍部隊の戦力をリサーチ中です。
84名無し三等兵:2001/06/11(月) 10:25
age
85ふみ:2001/06/11(月) 12:05
>日本を降伏させる手段としても多くの対立する考えがありました。

あの時点で日本の降伏は確定事項でアメリカの目下の懸案は「戦後」であった。
ソ連参戦はルーズベルトが頼んだことだから今更アメリカがヤメロと言った所で
聞きゃしない。となるといかに早期に日本を屈服させるかという話になる。
そんな時期に周辺地域をのんびり占領なんて選択肢は無くなる。そもそも「主敵」
のドイツは降伏しているのだからアメリカ兵の「死傷者」を減らすための努力は
どんなモノであろうと正当化される。

>アメリカでの研究も、「果たして原爆投下は必要だったのか」と言った
戦後のハナシでしょ。マンハッタン計画自体極秘中の極秘でトルーマンも大統領
就任後まで知らされていなかったという。もっとも「そういう兵器がある」と聞
かされた彼はソ連をけん制するいいカードが手に入ったと、すぐに使用を決定し
たらしいが。後年、トルーマンと誰だかとの会話で「原爆を投下する決定を下す
のはさぞ大変だったでしょうね」との問いに「いや、こうしたダケさ」とパチン
と指を鳴らしたそうな。

コロネット作戦でもオリンピック作戦でも想定された損害を上回るようならば、
作戦目的が「日本占領」から「日本人絶滅」にシフトしていくだろう。陸海軍
はおろか、老人や女子供まで自殺攻撃を繰り返し、政府は徹底抗戦を唱える。
そんな国家が「国体の護持」を講和の必要条件としたところで、連合国は鼻に
も引っ掛けないでしょうね。
86場違い:2001/06/11(月) 12:16
>>79
安藤昇のブヤにのってたね
871:2001/06/11(月) 14:23
>83
こちらこそよろしくお願いします。
日本側の作戦など、ご教示下さい。
アメリカ側については、今ちょっと仕事中なものですから、
また後でレスします。

>86
アメリカを悩ませたのは、日本は既に敗北が確定しているのに、
狂信的な戦闘を続けてアメリカ軍の血を流させたことで、
硫黄島、沖縄と、激戦の度合いは一層高まるし、特攻作戦を
大々的に使うしで、「どうやったらあの基地外をストップできるんだ」
という心境だったようです。

ルメイらは洋上封鎖プラス戦略爆撃を主張していました。
マカーサーらは8月時点でも本土侵攻を強く主張していたようです。
原爆については軍内部でも知らされていない事が多かったのでしょうが、
新兵器はまず疑ってかかるというのも実際に戦闘を指揮する側としては
当然の事だったと思います。トルーマン並びに統合参謀本部としては、
原爆をとにかく実戦に使って威力をソ連に見せたいという気持ちは強かった
とは思います。

また、枯葉剤のことが何度か出ていましたが、私は全く知りませんでしたので、
何言ってるんだろ、と思っていたんですが、よく調べると、
確かにアメリカ側は枯葉剤を開発し、量産体制に入っていたようですね。しかし
それよりも毒ガスの使用を真剣に検討していたようです。
それは日本側の洞窟陣地や秘匿陣地に手を焼いた沖縄・硫黄島の経験からで、
本土の実験場でマスタードガスや青酸ガスなどを洞窟に流し込む実験までしています。
オリンピック作戦で多大の死傷者が出た場合、実際に使ったのではないか、さきに
あげた本では書いています。

また、日本側の陣地はコンクリート、鉄を節約するために丸太などを大々的に利用していますが、
そのソフトさが爆撃、艦砲射撃に対して非常に効果的だったようです。
丸太を組み合わせた上に砂や土をかぶせ、草で偽装すると50フィート離れたところからでも
発見できないこともあった、ということです。

ドイツ軍のアトランティック要塞の方が格好はいいんですが、日本的な陣地構築も
なかなか手強いようです。

また、地上戦では、戦車というのはつねに随伴歩兵が必要で、それなしでは戦車など歩兵が
わらわらと群がって火炎瓶や爆雷で破壊してしまいますから、日本側はまず秘匿された陣地から
随伴歩兵を倒し、孤立した戦車を破壊するという方法がとられたようです。
88ひし形:2001/06/11(月) 14:53
何にしろ戦略機動、戦術機動ともにさせてもらえないでしょうな。
上陸前から。
あとはゲリラ戦ぐらいしか・・・
89場違い:2001/06/11(月) 16:54
>>87
日本全土に農薬(枯れ葉剤)をまき散らし、食糧生産を壊滅させる
計画はあったよ
90名無し三等兵:2001/06/11(月) 20:05
化学兵器使用は硫黄島でも検討されましたが、政治的判断から中止されたそうです。それよりも枯れ葉剤は直接対人殺傷を狙ったものではない、と後々言い訳できるため、使用のハードルは低い感じですね
91名無し三等兵:2001/06/11(月) 20:10
昨日、ホスゲンが日本で散布されました。

北の攻撃でしょうか?
92名無し三等兵:2001/06/11(月) 21:15
喜多さんの攻撃ではなさそう
931:2001/06/11(月) 21:21
本土侵攻に際して考慮されたアメリカ側特殊兵器をまとめました。

VKA(Vegetable Killer Agent 植物枯死剤)
LN剤を元に開発。人間に対する殺傷力が無い以上、毒ガスではないと
判断されたが、即効性と言うよりは戦略的な効果がある。
V-1, V-2,(ドイツより捕獲したもの)JB-2(不発V-1を元に開発したもの)
JB-2はせっかく開発したため、開発部隊は是非ともコロネット作戦での使用を
と考えたが、上陸後の橋頭堡は狭く混雑しているため、JB-2のための場所はない
と拒絶された。
Agent H(Mustard マスタード), AgentCK(塩化シアン化合物), CG(ホスゲン)
洞窟に立てこもる日本軍に対しては、毒ガスが最有力だった。
CK,CG剤ともに、洞窟内の閉鎖空間では非常に高濃度になり、ガスマスクも無力なこと、
H剤の場合は皮膚接触で十分。

こんなところでしょうか。
>91
タイムリーですね。英語文献を読んでいてPhosgeneとあっても
「ホスゲン」と気づくのにちょっと時間が掛かってしまいました。
自分の素人ぶりに笑ってしまいました。
94名無し三等兵:2001/06/11(月) 22:06
8月15日に日本が降伏しなかったら、京城に原爆投下したんじゃない?ソ連への強い牽制になるし。
神風についてだが、ノルマンジー上陸戦で、日にちは忘れたが、強い嵐が襲い、連合軍が海岸に仮設した港が全壊し、輸送船にもかなりの被害がでたが、戦況はご存じの通りである。
951:2001/06/11(月) 22:07
日本側の反撃作戦
有明湾(現志布志湾)を反撃作戦の地点と想定。
XI軍担当のこの地点に、日本側は77、25、57、216の各師団に加えて
4、5,6戦車大隊を投入して反撃するハズだった。
アメリカ側の上陸部隊は112000名余、日本側の水際陣地にはわずかに28160名
だったが、日本側は10日間持ちこたえればよかったのだ。

しかし10日間もったかどうか、そして、大部隊の移動が迅速かつ
組織的に行われ得たのか、は非常に疑問。

なお、日本側は特攻により、3割程度の侵攻部隊を海上で屠る予定だったが、
実際にはどうなっていただろうか。
96名無し三等兵:2001/06/11(月) 22:23
1割強の犠牲を出させられれば御の字では?
圧倒的に火力と航空攻撃力が違う。上陸部隊には当然数十隻の空母が護衛に着き、日本軍は手も足も出せないだろう。特攻機は飛び立つまもなく飛行場の隅でスクラップとなっているであろう。
97名無し三等兵:2001/06/11(月) 22:29
特攻は兎も角、水際陣地は(ちゃんと作っていれば)
かなり健在すると思う
しかし、日本軍が米上陸部隊に与えられる損害の大半は
恐らくO−1ライン設定までだろう
その後は一方的な虐殺・・・・
98名無し三等兵:2001/06/11(月) 22:55
そして、戦後の日本には生まれながらの茶髪や顔グロがウヨウヨとわき出すのだ。
99名無し三等兵:2001/06/11(月) 22:55
>>97
陣地防御に徹し、攻勢は避け、万歳突撃をやらなかったら結構イイ線いくかも。
100名無し三等兵:2001/06/11(月) 23:00
>>99
恐らく、水際部隊は逆襲を禁止されてるだろう
南方での戦訓から、水際部隊の逆襲は無謀と判断されてたから
でも、逆襲好きの日本軍がいつまでその誘惑に耐えられるか疑問
実際、それまでの対上陸戦でも一線部隊が逆襲を具申し、
上級司令部がそれを止めるというケースは少なくなかった
1011:2001/06/11(月) 23:14
>94
上陸後ですね。
イギリス軍が敷設した仮設埠頭が完全に崩壊しました。
兵員は殆ど上陸済みだったはずです。
しかし現実にルイーズ台風によって沖縄で相当の被害を出しているため、
これがさらに物資や兵員が集中していた場合どうなったか、また部隊が
すでに沖縄から出撃していた場合はどうなったか、は興味深い問題だと
思いますがどうでしょうか。LST等は艦底も平らで、波浪に弱いと思いますが。

米軍の場合、台風によって被害を受けたとすると上陸作戦を延期するでしょう。
オリンピック作戦の成功の鍵は、ヨーロッパからの兵員の輸送ですね、
この点は延期によって有利になると思われます。
もちろん、延期されるほど日本側も陣地構築等の準備が進む事になりますが。
1021:2001/06/11(月) 23:15
>100
沖縄でも、逆上陸反攻作戦が無ければあと1ヶ月は持ったと言われていますね。
103名無し三等兵:2001/06/11(月) 23:19
ところで、仮に日本本土上陸作戦が行われたとして、日本側の
燃料備蓄量はどのくらいだったんでしょうか?
104名無し三等兵:2001/06/11(月) 23:20
>>101
台風は、日本側により深刻に影響すると思う
降水による陣地構築の遅延、土砂災害による交通路の遮断、
災害復旧もままならない状況で、それ程有利には働かないのでは
後、米軍は第1波の装備を全て失ったとしても、
内陸侵攻用に準備した第2波用の装備を転用するため、
それほど延期しないと思われ
1051:2001/06/11(月) 23:28
>104
日本側の被害というのは重要な指摘ですね。ホントその通りだ。
洞窟陣地で溺死、とか、崩落で生き埋めとか。

ウェストハイマーの小説は、延期を12日と見てまして、
スケーツ教授はこの点について、ペーパーバック版のあとがきで
遅延については歴史家の間で様々な意見が見られるが、ペンタゴンによる
後日調査でも類似した結論を出した、と述べています。
1061:2001/06/11(月) 23:29
そうすると、Xデイは11月12日になります。
107名無し三等兵:2001/06/12(火) 00:04
13日にはO−1ライン確保
14日にはO−2ライン
16〜17日にはO−3ライン
やっぱりクリスマスまでにカタがつきそうだ
108第一総軍:2001/06/12(火) 00:06
1様、95の志布志湾戦闘の件ですが、部隊解説を。その地区の沿岸配備部隊。
 第八十六師団は、沿岸に配備された師団で尤も精鋭と評価されています。歩兵大隊14個その他よりなり、1年以上前から同地で陣地構築と訓練を行っており、その陣地は全軍の模範とされていました。
 独立混成第九十八旅団は歩兵4個大隊と重砲兵連隊(28糎榴弾砲6門、24糎榴弾砲8門、その他)の部隊で、第八十六師団の右翼側大隈半島に布陣。
 米軍の上陸部隊が3個師団程度であれば、10日程度の抵抗は充分可能だと私は考えています。

 又、反撃部隊についてですが、
 第二十五師団は戦前からの精鋭連隊を集めた関東軍の精鋭。同様の経緯で編成された師団に沖縄で戦った第二十四師団などがあります。
 第五十七師団も二十五には及ばないものの関東軍の精鋭。当初は訓練向き編成でしたがこの時期には甲編成に改められていました。同様の経緯で編成された師団にビルマで健闘した第五十五、五十六師団などがあります。
 第七十七師団は上記二個師団には劣ると思われますが頼もしい状態にあったようで、沿岸の第八十六師団と同時期に編成されています。
 第二百十六師団は編成後間もない部隊ですが、決戦用師団として優秀な装備と兵員をもつ精強師団で、通常の砲兵連隊の他に迫撃連隊をも持っていました。
 独立戦車第四旅団、独立戦車第五旅団、独立戦車第六旅団はそりぞれ戦車二個連隊を持つ旅団で、M4よりは劣勢とはいえそれぞれ期待の三式中戦車を20輌程度含んでいたと考えられます。
109第一総軍:2001/06/12(火) 00:11
 103様、他のスレでかつて私が書いた航空燃料事情をコピーしておきます。

 確か7月の航空燃料備蓄が約8万キロリットル
 そのうち海軍が1万3千、陸軍が4万キロリットルを本土決戦用として確保.
 差し引き2万7千キロリットルが当座の作戦用で
 月の生産量1万キロリットル
 月の消費量が2万5千キロリットルだから
 一月に差し引き1万5千キロリットルが減少するのは61様のご指摘通り
 恐らく通常作戦は9月いっぱいで燃料切れ本土決戦用備蓄は残るもののそれは1万機の航空機を3乃至4回任務に出せる程度なので、全軍特攻という前提で考えれば多少余剰
 在庫を取り崩せばぎりぎり10月いっぱい作戦可能で、さらに九州作戦用の特攻機も飛ばせる.
 しかし、その後は航空戦力殆ど抜きで戦わねばならなくなる.
 生産力が維持できたとして11月から2月の四ヶ月で4万キロリットルを生産するとして、殆ど全量備蓄できたとしても関東作戦用には九州作戦より少ない4万キロリットルしか当てられなくなる。



 
110名無し三等兵:2001/06/12(火) 00:28
志布志湾の検索したけど、上陸適地だらけだ
砂浜が内陸まで広がってるみたいだから、
水際陣地の構築は大変だったろう。
内陸は山がちだから、戦車が戦力発揮するのは難しそう。
上陸予定の米第11軍団は、橋頭堡設定までは楽そうだが、
内陸侵攻は日本軍が盲爆と呼ぶところの航空攻撃、砲迫火力
中心にマターリといくものと思う。
111名無し三等兵:2001/06/12(火) 00:33
>>107
当時は現在より降雪量が多いため、冬季は日本海側の豪雪地帯の制圧は無理でしょう。皇軍残党は日本側に逃げ込んで、雪が何時までも降ることを祈るんじゃないかな?

>>109
交通網網ズタズタで日があるうちは常にヤーボが飛び交う中、有効に各部隊に燃料、弾薬を補給できたのかな?7月の段階でヤーボが我が物顔で飛び回ってたしね。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/12(火) 00:37
第二、第三の沖縄戦だろう。戦略物資の完全欠乏で総特攻あるのみ。
113名無し三等兵:2001/06/12(火) 00:38
>>111
夜間にコソーリと補給
実際、対上陸戦準備も夜間にやってる
114第一総軍:2001/06/12(火) 00:46
 113様の仰る通り夜間機動を計画していたようです。もちろん夜間であってもある程度の損害は覚悟しなければなりませんが、ドイツ軍もかつて夜間機動でそれなりに活動していたことを考えると一概に無理とは言えないと考えます。

 問題は、肝心の反撃部隊が逐次投入になるのではないかという心配ですね。一度に殺到すれば勝算も高いが、1個師団ずつ到着したらかなり苦しいのでは。

 111様、そういえば、第二総軍は日本海側の決戦用に新たに20個師団の編成を大本営に具申していたらしいです。装備が有ったとは思えませんが。
1151:2001/06/12(火) 01:10
やはり志布志湾が決戦場なんでしょうか。
スケーツ教授は、地形的には串木野方面(海兵隊担当)がもっとも
きつかったろう、と推測しています。それは戦後の現地調査に基づく
報告書によるらしいのですが、
地形的に日本に非常に有利で、海岸地域からの出口が極めて少ない
ということで、この地形では、日本の防備や反撃がそれほどでなくとも
予定通り川内(進出予定線)に向かうことは難しかったろう
と述べています。
志布志湾についても地形は非常に日本側に有利で、海岸から数キロ以内に
50−100メートル程度の崖線が存在し、ここに日本側は主陣地を構築し、
きわめて効果的な防衛戦を展開したことが予測されます。

志布志湾からの侵攻を防げないと鹿屋の基地を取られてしまうこと、
都城方面への進出を許してしまうことから、日本側もここの防備を最重要と
考えていたようですね。
1161:2001/06/12(火) 01:17
オリンピック作戦の目的をもう一度まとめますと、
関東平野侵攻作戦(コロネット作戦)のための巨視的な意味での
橋頭堡の確保、でした。
鹿児島湾、志布志湾は数十万規模の勢力展開用の艦船錨地として最適であり、また鹿屋基地などの
飛行場を利用して関東の制空権を完全なものにできること、宮崎平野も
飛行場建設に適していることが有りました。
一方九州中央の山地は北九州方面からの日本軍の反攻を困難にすると予測され、
川内ー都野の予定線に達した時点で作戦は完了と予定されていました。

日本側もこの点はよく理解しており、第二総軍としては、南九州で決戦、それ以後は
もう日本は完全に敗戦、と考え、関東配備の師団を数個寄越せと言っていたようですが、
拒絶されたようです。
117第一総軍:2001/06/12(火) 01:24
 日本軍としては、米軍の主力に反撃部隊をぶつけたかったようですが、もし判断できない場合は志布志湾に投入することにしていたようです。どの正面も米軍は3個師団ですから結局志布志が日本軍にとっての決戦場になりそうですね。
 ただし、この決戦の為に他の正面は犠牲になりますから、米軍予備の第9軍団が何処に投入されるかが勝敗の分かれ目でしょう。
 しかし、仮に志布志で米軍を撃退出来たとしても、その後に他の正面に決戦兵力を転用しても既に突破されているのではと危惧されます。終戦直前に健闘されていた第三十六軍の九州進出でもないと作戦上の勝利は得られないかもしれません。

 1様、私は米軍部隊でも師団以下の部隊は良く解っていません。砲兵や戦車大隊などの参加予定を教えていただけますでしょうか。
118第一総軍:2001/06/12(火) 01:25
誤字が多くてすみません。
119名無し三等兵:2001/06/12(火) 10:13
優良スレあげ
120名無し三等兵:2001/06/12(火) 11:46
精強な九州男児の住む地を占領すれば、日本の士気を落とすことができる、
って分析報告もあったらしー
121ふみ:2001/06/12(火) 11:58
降伏の条件ってのが出てこないな…
連合国は「ゆーこと聞かなきゃ鏖殺」だろうけど
日本の落とし所はどこになる?
122名無し三等兵:2001/06/12(火) 12:03
「オリンピック作戦」
これ、実際に行われてたら、日本人は五輪に対して
永遠に複雑な気持ちを抱きつづけることになったかと
1231:2001/06/12(火) 15:58
第一総軍様
迂回するようで申し訳ありませんが、まずは海軍から。
オリンピック作戦投入可能艦船は実に3000隻以上。
うち戦艦22隻、正規および軽空母合計27隻、護衛空母36隻、
巡洋艦50隻、駆逐艦および護衛艦458隻。その他の艦船は、
輸送艦、掃海艇、揚陸艦など2458隻で、13個師団プラスRCT(なんと訳すんでしょうか、
連隊規模戦闘部隊、ですか?)を一気に上陸地点に輸送可能でした。

恐ろしい数です。
1241:2001/06/12(火) 16:18
海軍は、第三艦隊と第五艦隊を中核と位置づけ、
ハルゼーが前者を、スプルーアンスが後者を指揮。
高速空母と新鋭戦艦はハルゼー艦隊に集められることに成っていました。
これは艦載機による攻撃と艦砲射撃のためです。
一方強襲揚陸・補給・上陸部隊援護はスプルーアンス艦隊の任務。
ハルゼーの第三艦隊は、アメリカ第二航空機動艦隊と英国機動部隊からなり、
攻撃型空母8隻、軽空母4隻、戦艦7隻、巡洋艦14隻、駆逐艦45隻で構成されます。
英国機動部隊は攻撃型空母5隻、戦艦4隻と巡洋艦、駆逐艦から成ります。
高速移動攻撃を旨とし、補給艦は最小限とされました。
1251:2001/06/12(火) 17:39
アメリカ側の編成ですが、
私の資料はどれも歴史家のものなので詳細な編成は判りません。
例えば、第XI軍団は先述の通り第一騎兵師団、アメリカル師団、第43師団から成っていました。
その他の部隊名は、112騎兵連隊の他は、二個戦車大隊、二個揚陸戦車大隊、一個対戦車大隊、
二個揚陸トラクター大隊、ということしか判りません。

アメリカの歩兵師団の標準編成や、戦時の編制などをご存じの方はご教示下さい。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2001/06/12(火) 18:03
RCTは連隊戦闘団。
1271:2001/06/12(火) 18:37
>126
なるほど。
ありがとうございます。
128名無し三等兵:2001/06/13(水) 04:43
>>39
「相模ワン上陸作戦」、お蔭様で簡単に入手できました。
これ、手ごろな割りに内容が非常に濃いです。
これほどコンパクトで水準の抜きん出た書籍は何年ぶりですかね。
皆さんにも薦めておきます、郷土史の観点から書かれているので非常に客観的です。
129名無し三等兵:2001/06/13(水) 06:24
>>128
「ワン」?
(^^;)
1301:2001/06/13(水) 21:08
伏龍について少し判りました。
酸素ボンベを背負った潜水服で、母船からの空気ホースは不要です。
深度10メートルくらいまでは大丈夫だったようで、
5時間くらいの潜水していられたようです。

5メートル程度の竿に機雷を取り付けたものをもって待機し、
上陸用舟艇やLSTを水中から破壊する事になっていたのです。
機雷が爆発すると周囲50メートルにいる潜水兵は爆圧で死んでしまう
ことが実験で判明していたのですが、どのように配置、攻撃するかといった
詳細はまだつっこんだ検討は無かったようです。

艦砲射撃がやんだら水中に入って、ガイドロープに沿って定位置に付くまでは
いいんでしょうが、そこから先が問題でしょうか。
50メートル以上の間隔で待っていたら舟艇にタッチできないかもしれないことや、
一旦「伏龍」を知ってしまったアメリカ軍は舟艇が海岸に到達する直前に適宜海面を
砲撃してしまうだろう、といった問題がありそうです。
131名無しさん:2001/06/13(水) 21:12
「実験で判明していたのですが>130」 殺したの?
132名無し三等兵:2001/06/13(水) 21:16
>>130
上陸準備射撃は、水際障害を吹き飛ばすのも目的の一つだから、
「伏龍」を知ることもなく終わってしまう可能性もあると思われ
133名無し三等兵:2001/06/13(水) 21:28
>酸素ボンベを背負った潜水服で、母船からの空気ホースは不要です。
>深度10メートルくらいまでは大丈夫だったようで、
>5時間くらいの潜水していられたようです。

実はボンベだけで5時間は潜れないので、
薬品(苛性ソーダ、違うかも)にはいた息を通して、
浄化し呼吸できる空気にするらしいです。
しかもその薬品のタンクは逆流防止弁がなく、
転ぶと一気に肺に流入して死に至ったようなのです。
134第一総軍:2001/06/13(水) 23:19
昨日は書き込めない状態になって焦っていました。
遅ればせながら、
 http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=army&key=978020518&ls=50
 のスレのあちこちに編制等の情報提供があります。
1351:2001/06/14(木) 01:30
>133
苛性ソーダ、そのとおりですね。
空気清浄缶というものがついていたようです。
水中運動さえしなければ10時間くらいは潜れたようですね。
>131
まさか!
わら人形みたいな物を潜水服に入れて、機雷を50メートル遠ざけて
ボン、と、やったわけです。すると、潜水服のガラスが顔に当たる部分に
めったやたらと刺さっていた、ということです。オソロシイ。
そうでなくとも、かなりの事故死者がでたようですし。
1361:2001/06/14(木) 01:42
>134
とても参考になりますが、最近仕事が忙しくてなかなか時間が取れません。

それにしても、九州の海岸要塞の進捗状況はどれほどだったのでしょうね。
先述のアメリカ資料でも、ソースによってまちまちで、戦後のアメリカ軍の
事後調査ではぜんぜん進んでいなかった、まるで駄目だ、というものから、
地区によっては相当進んでおり、遅れているところでも6割程度は完了していたので、
11月までにはさらに整備されていただろう、というものまで、まちまちです。

それから、アメリカ軍は上陸前に艦砲射撃と空襲を最低数日間はしますから、
これによって上陸地点が明白になってしまいます。奇襲による効果よりも徹底的に
たたくことのメリットを選択しているわけですが、その場合、後方の反撃部隊にとっては
有利になりますね。艦砲射撃の間にある程度前方に進んでおくことができます。
いずれにせよ、私は、アメリカ軍も最低20万程度の損害を出すことになったと思います。
もちろん日本側は壊滅的な打撃を受けます。殆どの特攻機や海上特攻兵器を失うため、
コロネット作戦に対する上陸前の打撃はもはや不可能。
そしておそらく終戦にいたるのではないか、と思っています。
137第一総軍:2001/06/15(金) 00:28
 落ち過ぎですね。
138名無し三等兵:2001/06/15(金) 00:47
>>136
敵の制空権下で決戦機動兵団を敵正面に投入する際、敵の事前砲撃による
上陸遅延は大して有利になるとは思えん。
139名無し三等兵:2001/06/15(金) 00:55
損害20万は大袈裟では?
その数字は、米軍上陸部隊の壊滅を意味すると思う
140名無し三等兵:2001/06/15(金) 00:57
沖縄戦の段階で特攻命中率は5パーセント也。
141名無し三等兵:2001/06/15(金) 12:47
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=990884499&ls=50
神風特攻はこのように大戦果を挙げていたので、本土決戦でも驚異と見られたろう。
142名無し三等兵:2001/06/15(金) 13:10
アメリカは本命と同じぐらいの陽動砲撃を行うからなかなか…
143名無し三等兵 :2001/06/15(金) 13:13
艦船沈没三十六隻のね、内訳を調べてみなさい。

ちなみに正規空母と戦艦は2機命中しないと撃沈不可だが、
同一目標への2機命中なんて一度もなかった。
144名無し三等兵:2001/06/15(金) 14:59
2機命中して撃沈?
25番2発で沈むほどもろいのか?(藁
145名無し三等兵:2001/06/15(金) 16:02
>>108
その構築された陣地は、戦艦20隻以上(>>124)の艦砲射撃に耐えられる程度のものだったんですか?
あの辺はシラス台地だろうから、コンクリートを使用してかなり深いものを作らないときついんじゃないかと思うんですが。

それから、燃料・弾薬の集積地はどの段階まで維持可能なのだろうか。
本土においても、補給がなく空しく撃破されそうな気が・・・
146名無し三等兵:2001/06/15(金) 16:13
ビスマルク・シーとオマニー・ベイは二機の神風で
撃沈されている。でもセント・ローは一機だけで
沈んでるから、最低一機な。

それと、撃沈は計57隻と判定されてるんじゃなかった?
147名無し三等兵:2001/06/15(金) 16:45
それは正規空母じゃないけどな。
148名無し三等兵:2001/06/15(金) 16:50
>>147
まあ細かいことは言わず、メシでも食おうじゃないか。
149名無し三等兵:2001/06/15(金) 16:57
>>147
おっと、やはり一機で撃沈されたプリンストンを
忘れておった。

一応正規空母。軽空母だけど・・・

ていうかさ、神風で撃沈された大型正規空母や戦艦
なんて存在しないんだから、143の二機以上なんたら
って主張はおかしいんと違うか? 実は三機必要
だったかもしれんし、十機でも沈まなかったかもしれん。
1501:2001/06/15(金) 18:01
>142
陽動作戦は砲撃のみではなく、もう少し本格的な物が
四国に対して予定されていたようです。
>145
コンクリート製の恒久陣地ではなく、沖縄、硫黄島で見られたような
洞窟陣地が主体とすると、シラス台地での構築は難しいようにも思いますが、
戦後撮影された多くの洞窟陣地があるところを見ると、岩場も結構あったのかな。
木製の陣地の意外な強さについては以前にも述べましたが、アメリカ軍も
驚嘆しています。つまり、材木を並べて砂や珊瑚を敷き詰め、草木で覆うわけですが、
ソフトなために衝撃を吸収してしまうのです。
151名無し三等兵:2001/06/15(金) 19:25
>>150
>アメリカ軍も驚嘆しています。

それは、「普通土や砂利のロクにない場所で陣地作っても強度が足らんだろう」
と思っていたところ、以外と強靱な陣地だったので「砂や珊瑚でも意外とイケルじゃん」
と驚いたのです。
後、木製掩蓋の利点と欠点については、WWU以前の戦訓や経験から米軍も十分承知しています。
彼らも木製掩蓋の構築について未経験ではないからです。

海岸地域等の砂地の築城は、普通土に比べて掘開土量が大きい、
砲弾の貫徹量が大きく、遮弾層が深くなるといった欠点があり、
普通土と同程度の強度の掩蓋を構築するための作業所要量は
3割から5割増しと言われています。

蛇足ながら、木製掩蓋の致命的な欠点を一つ、
コンクリート製掩蓋に比べて水の影響が非常に大きいことです。
陣地の構築位置は、水道や雨水のたまりやすい低所と一致する場合が多く、
降雨や地下水が遮弾層から浸透し、木製掩蓋は雨漏りと湿気で著しく居住性が悪化し、
掩体自体の強度も木材が腐って低下するでしょう。
2〜3日から1週間程度の防御戦闘ではまだ我慢できるかもしれませんが、
月単位の対上陸戦では恐らく丸太の隙間からヨーグルトキノコが・・・・

勿論、木製陣地の構築や資材の調達が容易といった利点は否定しませんが。
152名無し三等兵:2001/06/15(金) 19:46
>>149
大型艦撃沈には同じ場所への2機命中が必須と見られていた。
これが解決できるかどうかが特攻開始時での問題だった。
第一回目のフィリピンでの攻撃の時、援護でつおていった、零銭パイロット
が「正規空母(軽空母じゃないよ)に2機同時命中撃沈確実」(誤報)
と報告したので、この点がクリアされたと軍は思って、特攻が本格化した。

実際どうだかはもちろん折れも知らん。しかしそういう話が軍の技術将校によって、
また現地空軍の指揮官によって考えられていたのは事実だ。
10機云々の話は全く聞いた事がないよ、ちなみにね。
153名無し三等兵:2001/06/15(金) 19:47
>零銭

零戦だね。スマソ
1541:2001/06/16(土) 00:59
>151
なるほど。ヨーグルトキノコで飢えをしのぐわけですね。

いずれにしても米軍は島嶼攻略においては
日本側木製陣地の防御力を軽く見ていたようですよ。
所詮木製で、大型爆弾や主砲弾の直撃にはひとたまりもないのは確かですが。
しかし木製とはいえ、その構築方法はおそらく全く異なると思われ、
現地でのアドリブによるところも多かったと思います。ただし、島嶼で使われたのは、
主にやしの木ですから、国内で用いる木材とは全く強度や特徴が異なります。
日本兵はまともな木材が無いので困惑し、仕方なくやしを用いたと思いますが、
やしの木の方が弾力があり、思わぬ強さを持っていて、
結果として直撃以外の被弾は実に効果的に防いでくれた、ということでしょうか。
建物でも日本の在来木造と2x4では全く構造的原理が異なりますよね。
(在来木造は建築構造でいうとピン構造、2x4は壁式構造になります)

日本側もコンクリートをふんだんに使えれば使いたかったのでしょうが、
セメントは原料の石灰岩には事欠かないけれど、鉄筋が無いのだけは如何ともしがたい。
鉄筋なしでは強度が全く変わってしまうのが困り者です。

それから砂地は困ったんだろうな、と思います。
深い杭を打ち込まないと不同沈下しやすいし、海岸沿いでは地下水面も高いですからね。
塹壕なんかも大変だったのではないかと思います。洞窟陣地はその点は楽ですね。
155名無し三等兵:2001/06/16(土) 01:04
木製陣地は奮戦してもブルドーザーで遣られてますな(TT)

あの板で運転席を隠して・・・
156名無し三等兵:2001/06/16(土) 01:09
>>154
151の言ってるヨーグルトキノコってのは、
湿気た材木同士の間に発生する
白い粘状のカビのことを指してる
間違っても喰うものじゃないぞ
関係ないのでsage
157名無し三等兵:2001/06/16(土) 01:33
陣地の強度ってのは基本的に遮弾層の深さと土圧に耐える掩体の強度で決まる
まず掩体を埋めてその上方1m程度の高さに遮弾板を敷きつめ、その上に遮弾層を盛る。
遮弾層は、その陣地が想定している砲弾や爆弾の貫徹量を上回る深さを持ち、
まず遮弾層で砲弾の貫徹を受け止め、信管作動後、爆圧や衝撃が
掩体本体に及ばぬようにするために遮弾板が存在する

遮弾板は通常細長い鉄板を並べるのだが、鉄材が不足していた南方では
現地調達した椰子等を使用したものと思われる

1の言う木製陣地とは、掩体本体が木製なのではなく、
この遮弾板が木製であるものと思われ

実際、土圧に耐えられれば掩体など木製でもコンクリート製でも問題ない
勿論、居住性や排水の問題は別だが
158157:2001/06/16(土) 01:36
追加
トーチカのような露出した掩体と違い、掩蓋における掩体とは、
極言すれば土圧に耐えることだけが仕事であり、
敵弾を防ぐのは遮弾層と遮弾板の仕事である
159名無し三等兵:2001/06/17(日) 08:10
茅ヶ崎海岸での陣地構築は土質が砂で、かなり苦労しているね。
1601:2001/06/21(木) 18:33
>156
え、そうなの?名前はおいしそうだけど。
>157
遮弾層か。なるほど、ご教示ありがとうございます。
南方で作られた陣地では掩体の上に椰子の木の材木を一面に並べていたようですから、
それが遮弾層なんでしょう。さらにその上に砂なんかを分厚く盛ったようですね。
161名無し三等兵:2001/06/21(木) 18:58
>>160
すまんが勘違いしてるぞ
一面に並べた椰子の木や木材が遮弾板であり、
その上に分厚く盛った土砂が遮弾層だ
1621:2001/06/21(木) 21:24
>あ、なるほど。そうですね。
ところでボスニア内戦時に、狙撃兵が積み上げた土嚢の間を狙ったとか
煉瓦造のモルタル部分を狙ったとか聞きましたが、そういうのは「遮弾板」
が無いから可能、という理解になりますか?

しかし詳しい方ですね。陣地構築なんて現在仕事なさそうだけどな。
私も戦争になればそっちをやらされそうですが、普通の建物だとせいぜい
躯体厚250ミリ程度です。業界では自衛隊や米軍の弾薬庫の工事で躯体厚5mの
コンクリートを打ったとか、噂は耳にしますが。
163名無し三等兵:2001/06/21(木) 21:42
>>162
>>157のいう陣地とは掩蓋陣地のことで、基本的に大落角で落ちてくる
砲弾や爆弾から身を守るために殻を被った陣地のことで
基本的に真上からの攻撃を想定している
>>162のいう陣地は、砲弾ではなく直射火器に対処するためのもので、
掩体陣地に近い(実際には掩体は殻を被らない穴のことだが)
基本的に想定している脅威の種類が違う
遮弾板とは掩蓋陣地のパーツの一つなので、用語の使い方としては
間違っていると思う
「『遮弾板』が無いから可能」ではなく、
「『遮蔽物』が貧弱だから可能」が正しいと思う
第一、狙撃弾に抜かれるのは単に防御する兵士側の手抜きだと思う
通常、土嚢は隙間を作らないよう千鳥状に積むのが常識だから
164163:2001/06/21(木) 22:08
申し訳ない、こっちも用語の使い方間違ってた
掩体とは大抵は築城構築物全般を指すので、上記の記述は正しくない
>掩体陣地に近い(実際には掩体は殻を被らない穴のことだが)
ではなく、基本的に塹壕に近いものといったほうが適当
すまん、俺も「伏竜」かついで逝ってくる・・・・
1651:2001/06/21(木) 23:22
>163
毎度毎度勉強になります。
ボスニアの時は市民が狙われたようですから、陣地と言うほどのものでも
無かったのかも知れません。
当時のサラエボの写真とか見ると、市内の建物の出口という出口に二階建てくらい
の棒を何本か立てかけて、それに土嚢を積んでいたようです。
ドアを開けたとたんにやられちゃうのか、とかなり背筋が凍りました。
それから、建物の陰に何人も人がいて、突然通りをダッシュで渡ったりしてました。
その通りを渡るときに何人もねらい打ちされてるようで、狙撃のメッカなんだ、
と説明されていましたけど。
166名無し三等兵:2001/06/29(金) 06:00
湘南を語ってください。
167名無し三等兵:2001/07/07(土) 02:05
ログ倉庫落ち防御!。
168名無し三等兵:2001/07/07(土) 22:41
防腐剤投下。
169名無し三等兵:2001/07/08(日) 04:16
sage
170名無し三等兵:2001/07/09(月) 04:02
sage
171名無し三等兵:2001/07/10(火) 18:23
sage
172第一総軍:2001/07/12(木) 00:08
ここはかなり名スレだったので、できれば1様他、皆様に戻っていただき復活させたいですね。
173名無し三等兵:2001/07/14(土) 01:06
それならばageるべきだな
174名無し三等兵:2001/07/18(水) 02:24
age
175名無し三等兵:2001/07/18(水) 03:01
もうあの濃い会話は復活しないにゃー
176名無し三等兵:2001/07/18(水) 08:45
「海上護衛戦」には昭和20年秋の時点で
食料、塩が不足するってあります。
米軍の本土上陸作戦は11月以降だから
飢餓状態で迎え撃つことになるのでは?
腹が減っては戦は出来ぬ、だからお手上げでしょう。
177名無し三等兵:2001/07/18(水) 08:59
友食いする。
178:2001/07/19(木) 15:06
「米兵が食料に見える」位言って欲しい。
179第一総軍:2001/07/20(金) 23:53
 復活を祈ってあげておきます。これから未だコロネット作戦編があるのですから。
180名無し三等兵:2001/07/21(土) 00:00
>>179
確かに、最後は夜戦築城ネタになってしまったからな
ここは一つ貴官が何かまっとうなネタを挙げるべきだ
181名無し三等兵:2001/07/21(土) 00:01
伊豆のあたりに上陸予定でしたっけ
182第一総軍:2001/07/21(土) 01:03
180様、何かまっとうなネタの件、考えておきます。部隊紹介あたりしか出来ないんですが。
 ここの1様は司会進行が上手で、良く研究されている方だったので戻ってきて欲しいですね。
183180:2001/07/21(土) 01:31
>>182
頑張ってくらさい
築城ネタしか持ってないワタクシはこれ以上レス付けるのを自粛イタシマスノデ・・・・
184第一総軍:2001/07/21(土) 01:48
180様、築城ネタ良かったですよ。私の知識が不足している分野だったので大変参考になりました。
185名無し三等兵:2001/07/21(土) 21:54
age
186名無し三等兵:2001/07/25(水) 08:36
倉庫行き防止
187名無し三等兵:2001/07/25(水) 09:20
>>176
特別編成の斬り込み隊による米軍物資集積所の夜襲によって、食料を奪うのさ。(w
188名無し三等兵:2001/07/25(水) 10:06
>>187
切り込み隊員の腹が「グゥゥー」と鳴り
米兵に気づかれ十字砲火でお仕舞い。
189名無し三等兵:2001/07/25(水) 10:27
でもねぇ、本土上陸作戦が行われなくて、本当に良かったと思うよ。

各地の守備隊撃破・部隊の組織的戦闘終了

将兵はバラバラに後退

一部は軍服を脱いでゲリラ化、さらに一部の住民による竹槍攻撃

米兵には日本人の区別不能

恐慌を起こした米軍による一般市民への無差別攻撃

全国でソンミ村どころじゃない虐殺が行われていた可能性が高いのでは。
190名無し三等兵:2001/07/25(水) 10:39
一般市民に無差別攻撃したら、それこそ米軍兵士はあちこちで
竹やりで襲撃されるな。まさに悪魔のループ。
191名無し三等兵:2001/07/25(水) 14:47
 本土決戦時、何を根拠か(笑)瀬戸内海運は存続できると判断されていた
ようですが、この期に及んでこんな希望的観測がまかり通る「決戦」って何?

 当時って幹線道路にも舗装なかったんでしょう?愛知三菱工場から牛車で
零戦が運ばれたのは、未舗装道路を高速移動すると壊れるというのも理由だ
ったし。国道一号線レベルでこれだから、各僻地は推して知るべし。
1921:2001/07/25(水) 20:22
皆様、
仕事が非常に忙しく、2chを楽しむこともままならぬ状況でしたので、
このスレも当然倉庫に行ってしまったかと思っておりました。
以外にもまだ残っていて、驚き嬉しくなりました。

さて、第一総軍様にもいろいろお気遣いいただき、大変ありがとうございます。

確かに、オリンピック作戦ばかりでコロネット作戦は未だ語られていないような。

とりあえず復帰第一弾として、
オリンピック作戦でアメリカ軍が各ビーチに付けたコード名を書かせていただきます。

串木野方面:ロードスタービーチゾーン
北から、ゼファービーチ、ウィントンビーチ、スタッツビーチ、スチュードベーカービーチ、
スタービーチ、サクソンビーチ、ロールスロイスビーチ、リオビーチ、ポンティアックビーチ、

頴娃方面:リムジンビーチゾーン
西から、プリマスビーチ、パッカードビーチ、オーバーランドビーチ、オールズモビルビーチ

指宿方面:デリバリーワゴンビーチゾーン
南から、ナッシュビーチ、マックスウェルビーチ、マーセディスビーチ、ムーンビーチ、

垂水鹿屋方面:コンバーチブルビーチゾーン
北から、ロコモビルビーチ、リンカンビーチ、ラサールビーチ、ハプモビルビーチ、ハドソンビーチ
グラハムペイジビーチ、

志布志湾方面:ステーションワゴンビーチゾーン
南から、フランクリンビーチ、フォードビーチ、エセックスビーチ、デューセンバークビーチ、
デソートビーチ、

宮崎方面:タウンカービーチゾーン
南から、ドートビーチ、コードビーチ、クライスラービーチ、シボレービーチ、
キャディラックビーチ、ビュイックビーチ、オースティンビーチ、

このように各ビーチを数キロ単位で区切り、自動車に関係ある名前を付けていました。
(1945年8月10日 COMPHIBSPAC OP PLAN)
よくみるとメルセデスみたいな敵性国のクルマの名前も付いていたりします。それとも
アメリカ車でもメルセデスという名前があったんでしょうか。

>191
終戦前に瀬戸内海の航路はすでに完全に機能しなくなっていましたね。
日本を敗戦に追い込んだのは、実は機雷だったとすら言われています。

ただし、鉄道は結構キチンと走っていたようです。敗戦の日もそれなりに
定時運行していたとか。
どうやら機関庫や操車場はルメイの爆撃目標リストからは大幅に漏れていたようです。
占領後の事を考えていたのでしょうか。
大本営は鉄道を兵員輸送の中心に据えていたので、オリンピック作戦前に鉄道を
ずたずたにされると致命的だったろうと思いますし、当然艦砲射撃や空爆でそうなったでしょうね。
そうすると反攻部隊は徒歩で移動しなければならず、しかも昼間は艦載機の空襲があるから
大変です。ノルマンディのドイツ軍と同様、移動も思うようにいかない状況に陥ったでしょう。

>189
日本兵がゲリラ化して抵抗を継続するとしたら、本土だけに
住民が敵対的ではないハズで、その点でフィリピンなどより有利でしょう。
まあ、住民もアメリカに占領されるとすぐになびいてしまうかも知れませんが。
(小松左京の小説にそんな例がありました)

とりあえずこの辺りで復帰第一号といたしまして、その後コロネット作戦にも
すすみたいと思っています。何しろ私の地元湘南地方が主戦場ですので。
193名無し三等兵:2001/07/25(水) 22:12
>ただし、鉄道は結構キチンと走っていたようです。敗戦の日もそれなりに
>定時運行していたとか。

とんでもありません。客車も機関車も電車も貨車も、すべて不足していました。
ダイヤなんてあってなきがごとしです。
たしか戦災罹災の鉄道資材のデータがあったと思うんですが、今見つけられません・・・。
194セントレア:2001/07/25(水) 23:40
愛知万博、テ−マ、人類の創造と叡智、2005年4月より開幕、
中部新国際空港、愛称「セントレア」2005年3月開港!!
万博へのアクセス、

セントレア(中部国際空港)より、
名鉄空港線経由名古屋駅より下記手段にて、

新幹線、各線、名古屋駅より
JR中央線経由愛知環状鉄道「万博会場駅」下車、 (直通運転)
名古屋市営地下鉄東山線藤ケ丘乗換え、HSST東部丘陵線、八草駅下車、

名古屋市内各地より、
栄より、瀬戸線終点「尾張瀬戸」駅よりシャトルバス、
笹島タ−ミナル、(プレ会場)よりリムジンバス、

21世紀最初の万博の成功を皆で盛り上げよう!!
195第一総軍:2001/07/26(木) 00:50
 1様、お帰りなさい。私は現在陸軍スレで日本軍師団編制シリーズを進めているので、こちらでも日本軍部隊の情報提供を中心にしていきたいと思います。
 行く行くは日米部隊の比較まで踏み込みたいのですが、太平洋の陸戦の交換比率などについての良い資料が手元に無いので大変そうです。ビルマ戦のものなら結構信頼できそうなのもあるのですけど。

 193様、そのような資料をお持ちとは只者では有りませんね。引き続き宜しくお願いします。

 日本軍としては、本土決戦時の部隊移動については基本的に徒歩行軍を覚悟して計画していたようです。終戦時の鉄道の詳細については193様にお願いするとしても、一応決戦準備に伴う軍需品の緊急輸送は概ね好成績だったようです。但し、米軍の攻撃が本格化すれば、国鉄も地域輸送のレベルに転落すると考えていたようです。
1961:2001/07/26(木) 12:16
>193
そうですね、定時運行というのはちょっと言い過ぎですね。
遅れは日常化していたでしょうし、車両不足もおっしゃるとおりだったと思います。

国内輸送網の攻撃は、青函連絡船など徹底的に行った例(全船舶喪失)や、
私鉄によっては全車両を喪失してしまった例もあるのですが、
鉄道省は多大の被害を克服してそれなりに機能していたと思っていました。
より詳細な資料をお持ちのようですのでご教示ください。

>第一総軍様
どうも今後もよろしくお願いいたします。
頻繁にアクセスできるかどうか自信はありませんが。

コロネット作戦についてはオリンピック作戦ほどの詳細な計画は
まだ立案されていなかったようですが、少しづつまとめてみます。
全体としては相模湾上陸と九十九里上陸、相模湾がメインで、北進しつつ一部は
横浜の確保に動き、主力は八王子方面に抜けた後東に向かって東京を制圧、
なおさらに一部は八王子から熊谷方面に進んで日本側の反攻や増援を断つ、という
物だったと思います。九十九里方面(茂原付近)からは上陸後千葉、船橋、東京とすすみ、
一部が銚子方面や館山方面へ向かう予定だったようです。

相模湾が主になったのは、背後に広大な平地(相模原台地)が広がるため、
大軍の移動に有利だと考えたためのようです。
197名無し三等兵:2001/07/27(金) 05:08
>>196
39 名前:名無し三等兵 投稿日:2001/06/10(日) 08:03
『相模湾上陸作戦−第二次大戦終結への道/大西比呂志・栗田尚弥・小風秀雅』(有隣新書)

茅ヶ崎市史編集委員会のメンバーによるアメリカ国立公文書館をはじめとする1995年の著作。
もともとは「茅ヶ崎市史・現代」の編集作業から生まれた。
コロネット作戦は茅ヶ崎が侵攻正面であったことが明白である事が理解できる良書。
198名無し三等兵:2001/07/27(金) 13:47
>>193
こんなんだっけ? 国鉄のみだが。

爆撃 403回
機銃攻撃 494回
艦砲射撃 15回
軌道破壊 延べ1600キロ
駅舎破壊 198カ所
通信線破壊 延べ90000キロ
車両工場破壊 14カ所
機関車被災 891両
電車被災 563両
客車被災 2228両
貨車被災 9557両

関係者懸命の努力によって、路線は被災しても5日ほどで復旧していたそうだ(応急措置とは思うが)。
でも失われた車両だけはどうしようもなかったと思われる。
特に貨車がひどい。昭和17年に船舶徴用のため石炭の鉄道輸送が決定され、
年間で北海道炭250万トン、九州炭750万トンを工業地帯に運ぶ予定だったが、達成できなかったはず。

余談。京急横浜、戸部間に平沼という駅があって、廃止されているのですが空襲を受けたそのままの姿で残されています。
焦げたレンガ、骨組みだけの屋根もあったりしてかなりびびった。
199第一総軍:2001/07/31(火) 00:07
 最近ちょっと多忙で申し訳ありません。ヒマが出来たら何か書き込みましょう。
2001:2001/08/02(木) 22:30
コロネット作戦
ヨーロッパ戦線からの第一軍と、第八軍が主体の予定で、
沖縄用に編成された第十軍はなぜか投入されない事になっていました。

上陸作戦の対象としては、鹿島灘、九十九里、相模湾の三つの可能性を
検討した物の、鹿島灘は東京から遠く、利根川を渡河する必要がある等の
理由で候補から落ちました。

作戦計画は1943年半ばから始まりました。
当初は三個軍25個師団を投入する大規模なもので、このときは鹿島灘も
上陸予定地でした。
しかし1945年夏に変更されます。
というのも、ヨーロッパからの大規模な兵力投入は問題が多いため、
全体に規模を縮小する必要があったためです。
二個軍で十分とされ、鹿島灘が削られます。全体で23個師団で、そのうち
三個師団が予備とされました。
相模湾がメインで、九十九里はセカンダリーです。

九十九里では、Dデイに片貝方面に一個軍団(三個師団)、飯岡付近に一個軍団(二個師団)
が上陸し、片貝の軍団はそのまま東京に向かいます。飯岡の軍団は銚子港を制圧し
片貝軍団の右翼を担って房総半島制圧を行います。Dデイ+35日後には2個装甲師団を含む
9個師団が上陸を完了します。

Dデイ+10日に相模湾上陸作戦が開始されます。
大磯から片瀬海岸にかけてが作戦範囲です。
米軍はこの10日間に予備兵力や決戦主力を房総方面に移動させていることを
期待していました。
そのため、この相模湾上陸部隊を乗せた船団はDデイ+7日から8日頃に鹿島灘沖合で陽動作戦を
行うことになっていました。この船団はその後相模湾にDデイ+14頃戻り、
上陸するわけです。
相模湾攻撃の全兵力は8個歩兵師団と3個装甲師団で、Dデイ+30までに
上陸を完了する予定で、三浦半島、横須賀、横浜を占領後全力で北上し、
東京を西側から脅かす予定でした。

作戦立案上の問題としては、ヨーロッパからの第一軍の移動の問題の他、
九州を制圧したとして九州の航空基地からで関東地方の制空権を完全に握れるのか、
という問題が懸念されていました。航続距離が長い戦闘機でないとこの距離はカバー
出来ないというのです。そのため、仙台、四国のどこか、浜松、伊豆諸島などを
先に占領し、基地を設ける必要があるのではないか、という意見がありました。
結局この意見は、効果の割に犠牲が大きい可能性があるとして退けられます。

大戦終了直前までこの作戦立案は続けられ、終戦時には最初の案がまとまりかけた
所でした。

より詳細な計画はまた後日にします。
201第一総軍:2001/08/03(金) 00:02
 おおっ1様、詳しい計画、楽しみにしております。相模湾攻撃の米軍機甲師団ですが、3個だったのですか。私は2個だと思い込んでいました。
 又、九十九里の米機甲師団投入は全く知りませんでした。より詳しい資料の提供をお願いいたします。

 あと、なぜか投入されないことになっていたとされる第十軍ですが、確か指揮下の全師団を抜き取られて実戦部隊を失い、単に支援任務に当たるだけの軍になっていたようです。
 第十軍は、沖縄攻略後にスチルウェル将軍が着任したのですが、マッカーサーはこれらの外様将軍を重視しなかったのも一因しているかもしれません。

 では私は、1様がアメリカ側の詳しい部隊編成や作戦計画を発表されるのを待って日本側の部隊や計画に触れてみようと思います。但し、日本側に関しては他に沢山詳しい方もいらっしゃるので是非私の不足している点を補って下さい。
2021:2001/08/03(金) 14:04
Armored Division
は機甲師団ですね。装甲師団と誤訳してしまいました。
第一総軍様がさりげなく訂正してくださいました。
ありがとうございます。

英語からだととっさに訳語が出てこないことが多くなってきました。
もう年ですかね。

それから
日本の「軍」はアメリカの「軍団」に当たるようですね。
規模から言うと。アメリカの本では必ずこの点に触れています。
というのも、アメリカ側は忠実に日本の「軍」をArmyと訳していますが、
アメリカではArmy>Corps>Divisionということですね。

第一総軍様初め皆さんには初歩的な知識とは思いますが。念のため。
203第一総軍:2001/08/05(日) 23:24
 1様、装甲師団でも間違いではないと思います。ただ日本では、装甲はドイツ、機甲は西側連合軍、戦車は日本、ソ連の部隊に使用することが多いので私も機甲師団と書き込んだだけです。手元の資料の中にもアメリカ装甲師団としているものもあります。
 しかし、201にも書き込みましたが、コロネットの米機甲師団数については、1様の資料は私の資料とは違っているようなので大変楽しみです。製作中のボードゲームの内容がかなり変わってくるかもしれません。わくわくします。
204名無し三等兵:2001/08/07(火) 14:32
sage
205第一総軍:2001/08/08(水) 00:21
 連休が始まったら少し書き込めると思います。暫しお待ちを。
206名無し三等兵:2001/08/10(金) 09:52
ageるぞゴルァ
207名無し三等兵:2001/08/10(金) 09:57
薩摩隼人が黙っとらんよ。
示現流で叩っ切るさ。
208名無し三等兵:2001/08/10(金) 22:32
>オリンピック作戦やコロネット作戦が現実に行われていたら、
>どのようになっていたでしょうか。作戦はどう進行したでしょうか。

あらゆる面で第二、第三の沖縄戦になっていたでしょう。
実際米側も日本側もそのつもりでいました。
209名無し三等兵:2001/08/11(土) 11:34
日本人の全員がくたばるまで「沖縄戦」を続行していくことになろう。
実際沖縄では海上封鎖・大空襲にも関わらず米側の出血はあれだけだった。
210名無し三等兵:2001/08/11(土) 18:04
「タイムズ・アトラス 第二次世界大戦歴史地図」
(ジョン・キーガン編 滝田毅訳)P169より
沖縄防衛で、11万人の日本人が死亡した。アメリカの戦死者は2万195人、
戦傷者は5万5162人に達した。しかし、日本側は、太平洋戦争中初めて
相当数の投稿者、7400人を出した。連合軍は38隻の艦船を沈められ、
763機の航空機を失いながらも、日本海軍のとっておきの軍艦を沈め
(「大和」は救援部隊として日本を出発したが、アメリカの爆撃機に
沈められた)、体当たり攻撃の190機余りを含む691機の
日本の航空機を撃墜した。
211名無し三等兵:2001/08/12(日) 23:03
アメリカ人って結構怠け者かもね。ベルリンだって取ろうと思えば取れたのに
あっさり放棄してしまうし、対日戦でさえもロシアの参戦なんぞ期待するとは。
212第一総軍:2001/08/13(月) 23:59
 現在日本陸軍の戦闘能力スレで簡単な師団編制シリーズをやっているんですが、ようやく本土決戦師団編に入ってきましたので、興味のある方はどうぞ。
 近い分野のスレに出入りしているとどちらに書き込もうか考えてしまいますね。
 こちらのスレでは作戦や師団以外の部隊も含めて書き込む事になりそうですが。
21345/85式改:2001/08/14(火) 00:04
第一総軍様、頑張って下さい
21445/85式改:2001/08/14(火) 00:36
名スレage
215名無し三等兵:2001/08/14(火) 00:50
神奈川県民ならコロネット作戦で米軍が進むルートが大体想像つくよね。
けど横須賀に突入するの大変だと思うけどなぁ。
厚木はあっさりと占領されるな大した川もないから横浜も簡単にけりがつくはず。
216名無し三等兵:2001/08/14(火) 01:07
返レスを期待しているのか煽ってるのかわからんが、
具体的な話をしないと誰も喰いつかんぞ
217名無し三等兵:2001/08/14(火) 18:38
ドイツのものは第二次世界大戦の終了とともにマークされて、1945年5月8日および、
1945年8月15日の日本の譲渡に降参します。戦争の間に貢献した概算1600万人の
アメリカ人のうち、406,000人が死にました。また、ほとんど79,000は見当たり
ませんでした。ドイツとの戦いはおよそ24,000に帰着しました、未釈明、
そして54,000以上の日本と。これらのうち、ほとんど16,000の個人が、
ヨーロッパ(この数は、大西洋の戦いで失われたものを含んでいます)に没頭
していました。追加の4,000は大西洋の西部水域で失われました。さらに、
北アフリカの地中海およびペルシャ湾の南および西に役立つほとんど4,000人
のサービスマンが、ドイツとの戦いに没頭していました。東に、54,000以上は
太平洋およびアジアで失われました。これは、真珠湾に対する攻撃の間に道に
迷ったアメリカの死傷者を含みます。400人以上の追加のサービスマンが米国
本土太平洋沿海[2]に没頭していました。
http://www.cilhi.army.mil/DoD-DPMO%20Fiscal%20Year%202000%20World%20War%20II%20Report%20to%20Congress.htm#_Toc496494139
http://www.excite.co.jp/world/text/
218第一総軍:2001/08/15(水) 15:39
 本土決戦時の日本軍の関東地方配備部隊です。
第十二方面軍
 第三十六軍
  第八十一師団(教導部隊を含む精鋭師団)
  第九十三師団(教導部隊を含む精鋭師団)
  第二百一師団(重装備の決戦機動師団)
  第二百二師団(重装備の決戦機動師団)
  第二百九師団(重装備の決戦機動師団)
  第二百十四師団(重装備の決戦機動師団)
  戦車第一師団(関東軍から転用された精鋭師団)
  戦車第四師団(教導部隊を含む精鋭師団)
  独立山砲兵連隊2個(内1個終戦時未完結)
  独立機関銃大隊1個
  独立速射砲大隊1個
  迫撃砲大隊7個(内3個終戦時未編成)
  独立工兵大隊4個(内3個終戦時未編成)
  電信連隊1個
 解説
  第三十六軍は当時の日本軍の最精鋭部隊で、千葉、茨城、埼玉、栃木近に配備され、米軍主力の上陸地点に機動攻撃を行なう任務を持っており、もし米軍が複数の地点で上陸した場合は先ず九十九里方面の米軍を撃滅した後に他の地点に向かう予定であった。
  終戦時には九州へ一部または全部の転用も検討されていたが、帝都防衛に欠かせない戦力であるため実現の可能性はそう大きくなかっただろう。
219第一総軍:2001/08/15(水) 15:39
第五十一軍
  第四十四師団(19年編成の師団、優良装備?)
  第百五十一師団(沿岸配備師団の第一陣)
  第二百二十一師団(機動師団)
  独立混成第百十五旅団
  独立混成第百十六旅団
  独立戦車第七旅団
  第七砲兵司令部
  砲兵情報連隊1個
  野戦重砲兵連隊1個
  同大隊1個
  独立山砲兵連隊1個
  独立重砲兵大隊2個
  独立機関砲中隊1個独立工兵大隊3個
  電信連隊1個
  特設警備大隊1個
  兵站地区隊本部1個
  兵站勤務中隊1個
 解説
  第五十一軍は茨城県鹿島灘付近の防衛を担当する沿岸軍であり、米軍が鹿島灘に上陸した場合は第三十六軍の到着まで持ちこたえることが任務であった。(但し、米軍は鹿島灘への上陸は計画していなかったが)
 第百五十一、二百二十一の2個師団と独立混成旅団2個を沿岸に配備し、第四十四師団と独立戦車第七旅団で機動打撃を行なう計画であったようである。
220第一総軍:2001/08/15(水) 15:40
 第五十二軍
  近衛第三師団(19年編成の師団)
  第百四十七師団(沿岸配備師団の第一陣)
  第百五十二師団(沿岸配備師団の第一陣)
  第二百三十四師団(機動師団)
  独立戦車第三旅団
  戦車第四十八連隊
  独立速射砲大隊1個
  第八砲兵司令部
  砲兵情報連隊1個
  重砲兵連隊1個
独立重砲兵大隊2個
野戦重砲兵連隊個
  同大隊2個
  独立山砲兵連隊1個
  迫撃砲大隊1個
  独立機関砲中隊1個
  独立工兵大隊5個
  電信連隊1個
  特設警備中隊2個
  兵站地区隊本部1個
  兵站勤務中隊1個
  野戦勤務隊本部1個
 解説
  第五十二軍は千葉県九十九里浜付近の防衛を担当する沿岸軍であり、米軍上陸の際には第三十六軍の到着まで持ちこたえることが任務であった。
  独立戦車第三旅団を後方に置き、その他の兵団の殆どを沿岸地域に配備する計画であったようである。
  日本軍は九十九里を米軍主力の上陸地点と考えていたが、米軍は相模湾を重視していた。
 
221第一総軍:2001/08/15(水) 15:40
 第五十三軍
  第八十四師団(19年編成の師団)
  第百四十師団(沿岸配備師団の第一陣)
  第三百十六師団(沿岸配備師団の第二陣)
  独立混成第百十七旅団
  独立混成連隊2個(内1個は東京湾兵団に配属されて房総南部に配備)
  独立戦車第二旅団
  第十一砲兵司令部
  砲兵情報連隊1個
  野戦重砲兵連隊1個
  独立重砲兵大隊2個
  迫撃砲大隊1個
  独立工兵大隊3個(終戦時未編成)
  電信連隊1個
  特設警備中隊3個
  兵站地区隊本部1個
  兵站勤務中隊1個
  野戦勤務隊本部
 解説
  第五十三軍は神奈川県相模湾付近の防衛を担当する沿岸軍である。一応、第三十六軍の増援が期待されていたが、日本軍は九十九里方面を決戦場と考えていたので、実際にはほとんど独力で戦わなければなかったと考えられる。
  その為、他の軍と違い徹底した沿岸配備ではなく各兵団の縦深抵抗によって米軍を阻止し、独立戦車第二旅団を機動打撃に使用する計画であったようである。
222第一総軍:2001/08/15(水) 15:41
東京湾兵団
  第三百五十四師団(沿岸配備師団の第一陣)
  独立混成第九十六旅団
  独立混成第百十四旅団
  東京湾要塞重砲兵連隊
  東京湾要塞砲兵隊2個
  野戦重砲兵大隊1個
  迫撃砲大隊1個
  東京湾要塞工兵隊2個
  独立工兵大隊1個(終戦時未編成)
  東京湾要塞通信隊
  特設警備中隊1個
 解説
  東京湾兵団は、千葉県房総半島南部、神奈川県横須賀地区の要塞地帯を防衛し、米軍の東京湾内への直接侵入を阻止する任務を負っていた。
  部隊は左程強力ではないが、要塞地帯であることや第五十二、五十三軍の協力が期待できること、米軍が房総南部をそれほど重視しなかった事からそれなりに長期間抵抗できたのではないだろうか。
223第一総軍:2001/08/15(水) 15:41
 東京防衛軍
  警備第一旅団
  警備第二旅団
  警備第三旅団
  独立工兵大隊2個
 解説
  関東地方の防衛を担当した第十二方面軍は、沿岸地域での米軍との決戦を計画していたため、万一決戦に敗れた場合は帝都が無防備の状態となってしまう。
  その為、多分に名目的ではあるが東京防衛軍を編成して帝都を死守することとなった。
  この軍の戦力は貧弱であるが、第十二方面軍直轄部隊や東部軍管区部隊の支援、又、東北地方の第十一方面軍、東海地方の第十三方面軍からの増援を期待できた。
224第一総軍:2001/08/15(水) 15:41
第十二方面軍直轄部隊
  第三百二十一師団(伊豆大島に配備)
  独立混成第六十六旅団(伊豆新島に配備)
  独立混成第六十七旅団(八丈島に配備)
  高射第一師団(関東要地の防空に従事)
  第二砲兵司令部
  野戦重砲兵連隊5個
  独立野砲兵連隊1個
  自走砲大隊4個(内3個終戦時未編成)
  第六工兵司令部
  第七工兵司令部
  独立工兵連隊1個
  独立工兵大隊3個(うち2個終戦時未編成)
  第十二方面軍通信隊(詳細略)
  第三警備隊(詳細略、日本海側警備)
  その他
 解説
  第三百二十一師団及び独立混成旅団は伊豆の離島に配備された。これは、米軍が主力の上陸に先立って基地獲得の目的でこれら離島に上陸することを警戒したものである。
  これ以外の砲兵、高射砲部隊は関東地方各地に配備され、それぞれの軍に協力することとされていたと思われる。
225第一総軍:2001/08/15(水) 15:42
第十二方面軍と協力する東部軍管区部隊
 近衛第一師団(4単位師団)
特設警備大隊4個、特設警備工兵隊2個を含む。
 東京師管区部隊(ほぼ師団規模。但し低装備と推測)
  特設警備大隊14個大隊、同中隊1個、特設警備工兵隊15個を含む。
 東京地区司令部(特設警備隊42個)
 甲府地区司令部(特設警備隊11個)
 横浜地区司令部(特設警備隊20個)
 浦和地区司令部(特設警備隊15個)
 千葉地区司令部(特設警備隊20個)
 宇都宮師管区部隊(ほぼ師団規模。但し低装備と推定)
  特設警備中隊1個、特設警備工兵隊5個を含む。
 宇都宮地区司令部(特設警備隊14個)
 水戸地区司令部(特設警備隊18個)
 前橋地区司令部(特設警備隊18個)
 長野師管区部隊(ほぼ師団規模。ただし低装備と推定)
 野戦重砲兵連隊補充隊3個
 重砲兵連隊補充隊1個
 迫撃連隊補充隊1個
 砲兵情報連隊補充隊1個
 独立工兵連隊2個
 電信連隊補充隊1個
 その他
解説
 これらの後方部隊は、戦闘部隊の大量編成のため装備は低かったと思われるが、各地域で後方の警備や治安の維持、米軍の侵攻に際しては直接戦闘に加わるものとされた。
 近衛第一師団は4単位師団の精鋭部隊で、通常の作戦任務を持たず皇居の守護に当たってたが、米軍の帝都侵攻に際しては東京防衛軍に協力することになったと考えられる。
226第一総軍:2001/08/15(水) 15:42
 関東地方への増援が予定された部隊
第十一方面軍よりの増援部隊
 第七十二師団(19年編成師団)
 第二百二十二師団(機動師団)
第十三方面軍よりの増援部隊
 第十三方面軍からの増援予定ははっきりしないが、第七十三または二百二十四師団のどちらかと独立戦車第八旅団が予定されていたと思われる。
227名無し三等兵:2001/08/15(水) 16:18
国民義勇戦闘隊の編成とかってわかる?
それとも特設警備隊がそうなのか?
228第一総軍:2001/08/15(水) 23:24
 227様、特設警備隊と国民義勇戦闘隊は別物です。
 国民義勇戦闘隊は、市町村単位、職場単位で編成されており、決まった定数などは無かったようです。
 又、普段は国民義勇隊として軍に協力しつつ一般生活を送り、米軍の侵攻時に戦闘可能人員をもって国民義勇戦闘隊を編成するつもりだったようです。
 但し、私も国民義勇戦闘隊にはそれほど詳しくないのでそのおつもりで。
229名無し三等兵:2001/08/16(木) 18:42
>>210
確か沖縄戦での玉砕した正規の帝国陸海軍は6万5千で、
残りの3、4万は現地臨時徴収軍であったはず。
当時日本本土には陸軍二百二十五万三千、海軍百二十五万、
計三百五十万余の兵力が依然として温存されており、更に臨時徴収
国民義勇軍2千万(こっちはソ連参戦であっさり瓦解したように無理矢理
に近くあまり戦力にはならないかもしれないが)が用意されていた。
沖縄戦は例の如く空で海で徹底封鎖され補給は皆無に近かったが
それでもあれほどの激戦だった。本土決戦ともなれば何度の
沖縄戦が起こったであろうか。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog034.html
230名無し三等兵:2001/08/16(木) 19:06
つーか、オリンピック作戦で膨大な損害を出した米軍は本土上陸から海上封鎖に
よる兵糧攻めに転換となりコロネット作戦は延期になったはず。
昭和20年の米生産高は最悪だったから餓死者は間違いなく発生するので枯葉剤と
無差別爆撃だけで充分よ。
231名無し三等兵:2001/08/17(金) 18:02
「敗勢は明らかながら温存兵力を残したまま降伏」であった。
この場合は戦勝国といえども領土分割は成しえない。
第一次大戦のドイツがそうであったのと同じだ。

国土が全土壊滅なら、ポーランドといいドイツといい分割は免れない。
232第一総軍:2001/08/18(土) 10:49
訂正

東京湾兵団
  第三百五十四師団(沿岸配備師団の第二陣)

としてください。
  
233名無し三等兵:2001/08/20(月) 23:28
メンテ
234第一総軍:2001/08/21(火) 01:05
230様、全くその通りです。
万一そうされたら完全にお手上げです。
235名無し三等兵:2001/08/21(火) 10:11
↑現に沖縄でもそうだったけど、あれだけの激戦になったんだよ。
236第一総軍:2001/08/21(火) 23:35
235様、仰る通りですが沖縄は日本本土を孤立させ、本土侵攻の為に必要不可欠の基地であったと考えます。
 日本本土に侵攻するにせよ、封鎖するにせよ沖縄は必要不可欠の基地ですからアメリカにとってもここで躊躇する理由は無かったでしょう。
 潜水艦の活躍で一応日本と南方との海上輸送は途絶しつつありましたが、大陸との連絡は細々と続いていたようです。
 それを利用して、第二十五、五十七、戦車第一師団を満州から引き抜くと共に、雑穀などの輸入に努力中でした。
 沖縄を基地化することによって侵攻する場合にも封鎖する場合にも有益な結果となるわけです。
 又、確かに沖縄でのアメリカの損害は非常に大きなものでしたが、資料によっても違いますが死傷6万〜7万の損害ではアメリカの戦意を失わせるには足りなかったのでしょう。

 皆様よくご存知の通り、アメリカにも日本本土侵攻派(主として陸軍)と、封鎖派(主として海軍、陸軍の航空隊)がありました。
 一応南九州侵攻のオリンピック作戦の実施は決定されていましたが、コロネットについては保留されていたようです。
 万一日本軍の第十六方面軍(九州)が善戦した場合、コロネット作戦が延期又は再検討される可能性は無視できないと思っています。
 アメリカは日本が抵抗を続けた場合、耕作地に対しても爆撃を行なう計画であったようなので(効率は悪そうですが)、弾薬はともかく食料が尽きてしまいそうです。
 戦後の日本がアメリカからの食糧援助を受けてさえあれだけ苦しんだのですから、援助どころか田畑まで爆撃されたらたまったものでは無いでしょう。

 しかしもう一つの可能性として、九州でてこずったマッカーサーが意地になってコロネットを予定通り強行する可能性も捨てきれません。
 関東での本格的な大会戦は、この場合にのみ起こりそうですね。
 
237名無し三等兵:2001/08/21(火) 23:46
ブロンコ作戦発動! 上陸目標・藤沢!
238第一総軍:2001/08/22(水) 00:45
>>226の日本軍増援計画が大雑把過ぎでしたね。
週末により詳しく書き込みたいと思いますので暫くお待ちください。
239名無し三等兵:2001/08/22(水) 00:53
>>237
えーっ!うちに来るの?(w
まあ、飛行場もあるしね。
240名無し三等兵:2001/08/23(木) 11:01
「ルーズベルト秘録 上」(産経新聞社)P77
 日本本土上陸戦が現実になりつつあったこの頃、米軍は戦略の練り直しを迫られていた。
中国大陸での日本と中国の戦闘を無視し、太平洋の島づたいに北上する飛び石作戦は
順調に進んでいたのだが、死傷者の数は欧州戦線に比べてかなり多かったのである。
米国防省の記録では、欧州方面での戦死者が十三万五千人であったのに対し、
太平洋方面は十七万人を超えていた。
 いずれは本土上陸を決断しなければならない米総合参謀本部は、激しい抵抗を
少しでも弱める必要から、OWIなど政府機関に対し天皇への攻撃的言動を禁じていた。
同時にこの頃から、ソ連軍参戦による上陸作戦の負担減、および早期の日本降伏の
可能性を探る考えが芽生えつつあったのである。
 ソ連の対日参戦と日本の早期降伏という二つのアイデアはその後、ルーズベルトの
掲げた無条件降伏についての解釈に加え、スターリンや蒋介石の思惑も絡んで複雑な
経緯をたどっていく。
241名無し三等兵:2001/08/23(木) 11:03
>>239
日本が共産化した場合の、再占領計画なので
可能性はほぼ0。 安心してね。
242名無し三等兵:2001/08/23(木) 13:10
afdw
243名無し三等兵:2001/08/24(金) 23:44
犯罪者として生きるくらいなら死んだほうがまし。軍部が一億玉砕を
叫び続けた気持ちもわかる。俺だって刑務所行くくらいなら自殺する。
244名無し三等兵:2001/08/25(土) 15:41
神風特攻・集団玉砕が愚劣で非合理極まりないものだったのなら、
それはそれでそのような愚劣な旧日本軍はなおさら全軍特攻で
この地上から完全に消滅してしまえば良かった。原爆を落とされた
のも日本軍が悪い、日本軍のやったことは全て残虐で無益な
侵略戦争だったのならそのような悪い奴はみんな死ねば良かった。
その方が中国人もアメリカ人も嬉しいであろう。

神風特攻隊はいかなる観点からしても大いに肯定できる!
245名無し三等兵:2001/08/25(土) 15:42
敗戦国の軍人を犯罪者として裁く感覚に酷い違和感を感じる。
オレもこんな馬鹿に殺されるなら戦って死ぬね。
246第一総軍:01/08/26 23:33 ID:P4jbYfLk
では今回は関東地方の決三号作戦に伴う他の地域からの増援について検討してみます。
一応手元には資料もあるのですが、そのまま転載するだけでは不十分です。
なぜなら、その資料は決三号作戦(関東)が起こった場合の兵力運用の表であるが、実際には決三号に先だって決六号作戦(九州)が発生しそれによって先に兵力が運用され、その上で決三号の運用が行なわれるからである。
又、ソ連軍による北海道侵攻も懸念される為それについても勘案しなければならないだろう。

では先ず、今日のところはアメリカ軍のオリンピック作戦に対する我が決六号作戦の兵力運用。
中国地区から2個師団を北九州に投入。
師団名は不明だが、第五十九軍の第二百三十一、第二百三十師団の2個師団ではないかと考えられる。

中部地区から1個師団を北九州に投入。
師団名は不明だが第十五方面軍の直轄であり、第二総軍の戦略総予備である第二百二十五師団と考えられる。

東海地区から1個師団を北九州に投入。
師団名は不明だが、第十三方面軍直轄で機動打撃任務を予定していた第七十三師団と考えられる。
しかし、何分鉄道網が寸断した状態で東海地区から九州まで本当に派遣されるのかは疑問もある。

関東地方より大阪又は状況によっては京都に3個師団を進出させる。
これについては第三十六軍の師団であろうと考えられる。但し、帝都の防衛に必要不可欠の部隊でもあり検討の粋をでなかったのは既述の通り。

関東地区から状況によっては東海地区に2個師団を進出させる。
 これも第三十六軍ではないかと考えられる。もちろん、上記の通り実現するかは微妙だろう。

東北地区から1個師団を大阪に進出させる。
 これは第十一方面軍直轄で機動打撃任務を計画していた第七十二師団であろうと考えられる。
 但し、ソ連軍の北海道侵攻が危惧される状況下で実現されるかは微妙であろう。

北海道から状況によっては2個師団を東北地方に進出させる。
 これも対ソ作戦上不可能になると考えられる。第五方面軍は北方領土の部隊を除くと僅かに3個師団と3個旅団基幹なのだ。

 では、関東作戦に入る前の前提はここまで。
 次回以降、整理がすんだらこの前提を元に関東への増援に入ります。
247名無し三等兵:01/08/31 12:55 ID:moV7KRnQ
age
248名無し三等兵:01/09/03 03:22 ID:AbFGE7Nc
メンテ
249名無し三等兵:01/09/05 00:09 ID:ejFQl6u.
本土決戦ならば作戦はは集団自爆攻撃以外に有効なものは無い。

爆装特攻機、桜花、回天、震洋、伏龍、震天、対戦車特攻・・・・・
250名無し三等兵:01/09/05 00:44 ID:ejFQl6u.
251名無し三等兵:01/09/05 04:51 ID:EcqS4H8Q
>>249 竹やりモナー
252名無し三等兵:01/09/07 00:17
age
253名無し因果応報:01/09/07 00:35
>第一総軍様
勉強になります。日本陸軍スレ以外でもこうした資料が見られるのは本当にありがたいです〜。

個人的には上陸にあたって海軍がそれなりに大量生産していた咬龍がどのくらい活躍できるのか
興味深いです。
性能が悪くないので震洋なんかより戦果が上がりそうに思えるのですが……。
254名無し三等兵:01/09/08 22:18
age
255第一総軍:01/09/10 23:56 ID:MgAYodw2
先週末は陸軍スレの方に沢山書いたのでサボらせていただきました。

253様、ありがとうございます。私も咬龍に期待します。米軍の対潜能力を考えると単独では苦しそうですが、駄目駄目な震洋と併用して敵が混乱したところに投入すれば多少の戦果を挙げられるのではと贔屓目に見ることにしています。
256名無し三等兵:01/09/13 07:28 ID:WTv4C7aE
sage
257名無し三等兵:01/09/13 12:54 ID:Fw2hC7qM
倉庫落ち防止あげ
258名無し三等兵:01/09/16 13:15 ID:tjOyNr/c
海自の艦艇も漢字表記してほしいです
259名無し三等兵:01/09/16 13:15 ID:tjOyNr/c
誤爆しました。ごめんなさい
260第一総軍:01/09/16 23:53 ID:ij0T2ljA
259様、御丁寧にどうも。何かのご縁でしょう宜しかったらご贔屓に。

では今回はいよいよ関東作戦に予想される日本側増援を検討してみたいと思います。

コロネット作戦に対する決三号作戦の他地域からの兵力運用考察
北海道から状況によって2個師団を東北地方に進出させる。
 兵団名は不明だが、ソ連軍の北海道侵攻の可能性を考えると可能性は殆ど無いと思われる。

東北地方から3個師団を関東に投入する。(長野、松本可能性もある)
 第七十二師団、第百四十一師団、第百五十七師団の3個師団になると思われるが、ソ連軍の北海道侵攻が成功していた場合には1乃至2個師団に減少するかもしれない。
 又、決六号作戦(九州)に伴い、先に大阪に1個師団が進出している可能性もあり、その場合は更に投入兵団が減少するかもしれない。

東海地方から2個師団を関東に投入する。
 資料では第七十三師団、第二百九師団となっているが、第二百九師団はそれ以前に関東の第三十六軍に編入されており、疑問がある。
 又、1個師団が決六号作戦に伴い九州に投入されている可能性もあり、兵団数は減少するかもしれない。

中部地方から1個師団を関東に投入する。(長野、松本の可能性もある)
師団名は不明だが第十五方面軍の直轄であり、第二総軍の戦略総予備である第二百二十五師団と考えられる。
但し、先に決六号作戦に伴い北九州に投入されていると考えられるので実施される可能性は低い。

中国地区から2個師団を関東に投入する。(長野、松本又の可能性もある)
師団名は不明だが、第五十九軍の第二百三十一、第二百三十師団の2個師団ではないかと考えられる。
但し、先に決六号作戦に伴い北九州に投入されていると考えられるので実施される可能性は低い。

四国地方から2個師団を京阪地区に進出させる。
 師団名は不明だが、第十一師団と第二百五師団と考えられる。
 但し、九州に米軍が侵攻している状況では事実上不可能であろう。

九州から2個師団を関東に投入。(長野、松本)又、3個師団(状況によっては更に1個師団追加)を奈良に進出させる。
 これは米軍の侵攻により全く不可能になるだろう。

第十七方面軍(朝鮮)から状況によっては1個師団を九州に進出させる。
 師団名は不明だが、米軍の九州侵攻、ソ連軍の朝鮮侵攻によって不可能になっているだろう。
 但し、比較的早期(米軍の九州侵攻時)に済州島から1個師団程度を引き抜く可能性はあるかもしれない。





 
261名無し三等兵:01/09/17 21:53 ID:RmBdORFo
講義期待してます。保全
262名無し三等兵:01/09/18 20:32 ID:.vYu4.WM
263名無し三等兵:01/09/21 20:07 ID:mVry90VM
age
264名無し三等兵:01/09/25 09:30 ID:r3vDL2HQ
265名無し三等兵:01/09/25 12:47 ID:iH9ZxEfI
定期age
266名無し三等兵:01/09/29 00:45 ID:xtZgZMM2
267名無し三等兵:01/09/30 23:05 ID:PZC5iZA.
http://www.mtholyoke.edu/acad/intrel/giangrec.htm
Truman and Marshall were intimately familiar with losses
in the Pacific during the previous year: over 200,000 casualties
from wounds, fatigue and disease, plus 10,000 American dead and
missing in the Marianas, 5,500 dead on and around Leyte, 9,000
dead during the Luzon campaign, 6,800 at Iwo Jima, 12,600 at Okinawa,
and 2,000 killed in the unexpectedly vicious fighting on Peleliu.
268名無し三等兵:01/10/01 00:16 ID:K.act.Ww
ちょっと質問なんですが、米の上陸作戦が行われた場合、ソ連はどのような予定だったんですか?
ソ連も、米に呼応するかたちでの本土攻撃計画を有していたのでしょうか?
269大陸打通太郎:01/10/01 18:11 ID:dhHztkhI
>>267
大陸打通作戦の日本陸軍大勝利によって、中国軍に対日戦を任せられなくなり、
米国はソ連に大幅な譲歩を迫られた。大陸打通作戦の勝利によってアジアにおける
日本軍の勢力区域が大幅に回復して、米国は対日戦を更に続けなければならなくなった。
270第一総軍:01/10/01 23:36 ID:GOxpTjPw
 266、267様、資料のご提供ありがとうございます。後でよく読んでみます。

 268様、ソ連軍の計画については近日中に調べなおしてみます。
271名無し三等兵:01/10/05 00:00 ID:gDwEEMzA
>>240 >>267が事実なら「日本本土攻略は死傷百万」は説得力がある。
272 :01/10/06 03:36 ID:YlE5qMk6
保全age。
終わり。
273大陸打通太郎:01/10/06 12:47 ID:8lH4E8Kc
ヤルタ会談の内容から、大陸打通作戦がいかに米中離間を促進し、
また米国の世界性略を混乱させたかがわかる。中国軍がヘタレで
対日戦を任せるに足らず、対独進軍停止とソ連参戦で補う必要があった。
274名無し三等兵:01/10/06 15:16 ID:gCGAprQw
ソ連の日本本土侵攻については、スターリンはやる気マンマンだったが
ジューコフから「装備完全充足の3個軍が必要」と言われて諦めた。
という話を聞いた。
275まいこ:01/10/06 15:17 ID:wsI0PRFg
276名無し三等兵:01/10/06 17:47 ID:jKsuZlus
>第一総軍殿

ソ連軍の対日侵攻企図については、ボリス・スラヴィンスキー著「日ソ戦争への道
ノモンハンから千島占領まで」共同通信社という本にあるかもしれない(自信ない
けど)。
高価な本ゆえ書店または、図書館にて確認されたし。

朝鮮・北海道からの兵力移動はほぼ不可能と思われ。
機雷封鎖されてましたからな。
本州の鉄道輸送に賭けるしかないか。
兵力移動の困難さを、シュミレーションゲームで再現するのは難しいかもしれませ
んが。

米軍百万人死傷説の真贋については、斎藤道雄「原爆神話の50年」中公新書に要領
よくまとめてある。
百万人説の発端は、1947年にスティムソン元陸軍長官が「ハーパーズ・マガジン」
誌2月号に寄稿した「原爆投下の決定」と題した論文とのこと。
当時、原爆投下に批判的な論が提起されてきたので、投下決定擁護と世論操作の
ために書かれたそうな。
しかし、戦争中に懸念されていた日本本土上陸に伴う死傷者数は3〜4万人程度
だったそうで、100万人説は戦後スティムソン論文で突然現われたもよう。
でも戦後アメリカでは、元陸軍長官が言うのだから間違いなかろう、てなことで、
そのまま定説化。
なお、スタンフォード大学バーンスタイン教授の最近の研究によれば、当時の
米首脳陣は、6万3千人程度の死傷者を予想していたのではないかとのこと。
これは、1945年6月18日にホワイトハウスで行われた作戦会議(大統領、統合
参謀本部、陸・海軍長官等参加)において、マーシャル将軍が述べた数字。

なお、太平洋戦域での米軍の損害は、死者92,904人、負傷者208,333人という数字
がある(「沖縄戦 衝撃の記録写真集」高文研)。
米国立公文書館の数字だと陸軍(太平洋戦域のみ)50,385人、海兵隊(全戦域)
19,733人、海軍(全戦域)36,950人、陸軍(ヨーロッパ戦域)176,031人。
アメリカ軍配備状況は、1945年当時で対日向け250万人、対独向け1,100万人。

ご参考まで。
277大陸打通太郎:01/10/06 18:52 ID:8lH4E8Kc
中国軍には大陸打通作戦で連戦連勝であったから、ソ連参戦が無ければ
日本陸軍がそう簡単に降伏したとは思えない。岡村寧次将軍も、
「われわれは勝っている、降伏など論外だ」と言っていた。
278中国人1:01/10/06 18:55 ID:HynBmC4c
私の国地積イパーイアルネ此れ使わない手ナイネ
279大陸打通太郎:01/10/06 20:24 ID:8lH4E8Kc
大陸打通作戦での中国軍の完敗が明確になった以上、アメリカはヤルタ
でソ連に対日参戦を「お願い」しなければならなくなったのだ。
280五式小銃:01/10/06 23:14 ID:CSDp/.jc
本土決戦を想定してストックしておいた兵器も,戦後いろいろな形で廃棄されたらしいね。
自分は九州在住だが,知り合いのじいさんから「戦車をM池に沈めたよ。」という話を聞いた。
景気がよくなったらどこかの篤志家が「幻の本土決戦遺跡・遺物」の発掘をしてくれることを
期待。
281名無し三等兵:01/10/07 02:39 ID:uPASq4yE
あの打通バカといえどもソ連参戦で大陸での勝利は水泡に帰したと言ってる。
ソ連参戦は既にヤルタ協定で確約されているのだから、原爆が完成せずとも、
オリンピック作戦やコロネット作戦が現実に行われることは無かったはず。
ルーズベルト大統領もマーシャル将軍も>>267の状況は認識しながらも、
ソ連を参戦させれば日本の屈服は必至であることは見抜いていた。
282名無し三等兵:01/10/07 12:44 ID:FV.V/KhM
>>281
原爆の完成が遅れソ連の参戦が先になったとしたら、それこそ日本本土上陸作戦
の必要性は増したことだろう。
空爆は激化し、作戦の繰り上げすら検討されたかもしれない。
283第一総軍:01/10/08 01:55 ID:kgl/KGc2
 274様、確かにその話は聞いたことがあります。戦車と重砲を装備した闘志溢れる3個軍でしたか。
 実際には北海道の日本軍は比較的手薄なので3個軍は要らないと思いますが、問題はそれだけの部隊の上陸や補給用の船舶ですよね。
 まあ、比較的近距離の海上輸送なので不可能とは言い切れないかもしれませんが。

 276様、詳しい解説と資料のご紹介ありがとうございます。
 ゲームのほうでは日本軍の鉄道輸送は不可能としようかと考えています。実際に日本陸軍も徒歩行軍を中心に計画していたようですし。
 よくあるルールですが、航空部隊による移動妨害もルール化しないといけませんね。
 海上輸送については、日本海方面は終戦時にも大陸からの雑穀の輸入を行っていたので全くの不可能ではないかもしれません。(但し荷揚げが終わってもその仕分けが遅くて滞貨の山だったそうですが)
 しかし、米軍のオリンピック作戦までにさらに機雷封鎖が厳重になり、残存船舶も撃破されてしまうでしょうからやはり現実的ではなさそうですね。
 これからも、戦史的にもゲーム的にもお知恵をお貸しください。最近はヤマト戦略級の製作中で本土決戦シリーズは中断していますが。

 281様、282様、どちらのご意見にも説得力がありますね。私としても今すぐ結論の出せる問題ではなさそうです。今後議論を重ねたい興味深い内容かと。

 ああっ1様はどうされているのでしょうか。お忙しそうですが復活をみんなで祈りましょう。
 1様から詳しい米軍計画が発表されたら簡単な演習をみんなでやってみたいですね。
284大陸打通太郎:01/10/10 11:30 ID:PISok7/6
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi-ichgo3.html
>果敢な急襲によって3月27日 老河口飛行場を占領次いで老河口
>市街の陣地を攻撃したが城門突破は阻止され成功しなかった。
>老河口は防備強固なるため重砲・第13戦車隊を招致、さらには
>第115師団と協力し、4月8日 これを占領した。

>これは世界戦史における騎兵の最後の戦闘と言われ、
>我が騎兵第4旅団は見事に最後を飾った。

日本陸軍が降伏したがらなかったのは、このような大陸打通作戦
の勝利があったからだ。米国には完敗でも中国には完勝であったのだ。
285名無し三等兵:01/10/10 23:09 ID:o5AKcnjA
はいはい打通バカは自慰に耽っていればいいでしょう。
286秘密指令10・4・10・10:01/10/11 13:00 ID:ObW/QEtg
打通作戦が成功したところで、
朝鮮半島から日本への海上輸送路は、
既に失われているから何の意味も持たない。
287中国人:01/10/11 13:04 ID:V2Ajw6CE
リーベン海ノコッカアルネ。海ワタレナカッタライミナイアルネ。
288大陸打通太郎:01/10/11 23:09 ID:3CxV4.4s
明治以来の諸悪の根源は中国であり,最優先で撃破しなければならない敵であった。

太平洋でどんなにぼろくそに負けたとしても,大陸打通作戦で中国軍には
完全勝利を収めたのであり,東亜百年戦争の意義は達成されたのだ。
289大陸打通太郎:01/10/14 22:56 ID:OWQ0SQU4
 米国は1943年半ばごろから太平洋戦線で余裕を見せるようになり,
同時に欧州第二戦線も着々と進んでいった。カイロ会談で明らかなように,
対日戦は中国に任せて米陸軍主力は欧州に出かけることになった。
 しかし,中国軍はあまりに弱すぎ,米陸軍がノルマンジーやバルジ
でよそ見をしている間に中国大陸は真っ二つに打通されてしまった。
これで当初のドイツ打倒第一主義を放棄してヤルタ協定でソ連に
東欧支配を認め,米軍はエルベ川で対独進撃を止めることになった。

大陸打通作戦は米国の世界戦略を根本的にひっくり返したのだ。
290神奈川県人:01/10/14 23:03 ID:U2a9XQhW
コロネット作戦ではやはり厚木基地、座間陸軍士官学校制圧する予定だったの?
相模川沿い北上して多摩川はどの当たりを渡河する予定だったのか関心ある。
地元が戦場になってたと思うと ー合掌ー
291名無し三等兵:01/10/15 14:12 ID:grEsyTxU
米参謀本部としては一致してソ連参戦が日本屈服の決定打と見ていたろう。

日本政府がソ連を和平のよりどころにしていたのはみんな筒抜け。
292名無しさん:01/10/21 00:12 ID:wIFpRrkY
>290
艦砲射撃で支援できるように河口付近じゃないでしょうか。
293名無し三等兵:01/10/21 08:22 ID:qlqgZfkh
>289
http://kaba.2ch.net/test/read.cgi/asia/1001767360/l50
ニュース極東板でこんなスレが立っていたが、お前これどう思う?
それともお前自身が駄痛作戦の意義を強調したいためにやったのか?
ちなみにお前のコピペをはってやったからな。
294名無し三等兵:01/10/22 13:50 ID:Jaj1c1PE
http://www.mtholyoke.edu/acad/intrel/giangrec.htm
Truman and Marshall were intimately familiar with losses
in the Pacific during the previous year: over 200,000 casualties
from wounds, fatigue and disease, plus 10,000 American dead and
missing in the Marianas, 5,500 dead on and around Leyte, 9,000
dead during the Luzon campaign, 6,800 at Iwo Jima, 12,600 at Okinawa,
and 2,000 killed in the unexpectedly vicious fighting on Peleliu.
295名無し三等兵:01/10/26 23:17 ID:QRzMaoL2
やはり本土攻略は死傷100万が妥当か。
296名無し三等兵:01/10/26 23:19 ID:s2v0bBbk
>>295
で、日本の軍民の死傷者はその数倍?
297ちょっと:01/10/26 23:25 ID:YFHIIy3x
話しそれるかもしれないけど、日本軍は末期では頻繁に洞窟に立て篭もって抗戦しま
したよね。それでも比較的短期間に掃討されてたのは自分から突撃していたからなんですか?

当時の戦争で、陣地から一切出ずにひたすら粘るという戦法は取られなかったのでしょうか?
298名無し三等兵:01/10/26 23:36 ID:1l//ha9e
>297
ウマー乗り戦法でアボーンされちゃったの。
299名無し三等兵:01/10/27 19:08 ID:MhKB26Uj
>>295
あんまし安易に信じちゃいかんよ。百万説は原爆投下の正当化のために作られた
側面があるのだから。
300名無し三等兵:01/10/28 02:35 ID:YJooBlpT
ageとこう。
301名無し三等兵:01/11/01 15:48 ID:CdeERf+y
硫黄島では21252(20211)の損害を与え自軍の損害は28686(6821)。カッコ内は死者数
沖縄では約9万の死者に対して米軍は約12500人の死者。
重深性が全くなく、島内全域において艦艇の支援を受けられる状態でありながら
これだけの損害を被ったのだから本土上陸となれば100万というのもあながち嘘
とも言えないのでは?
302名無し三等兵:01/11/01 22:47 ID:9eBaeqYE
>>301
全てはifの世界だからどんな可能性もあるだろうね。
ただ、本土と沖縄・硫黄島との違いは狭い島嶼戦ではないこと。
作戦区域の狭さを利用し効果をあげた、ペリリュー・硫黄島・沖縄のような全島要塞化
は本土では無理。
一方比較的大島嶼での戦いをみると、日本軍はニューギニア・レイテ・ルソンともに
連合軍とは比較にならないほどの大損害を被っている。
広い地域での重深性を利用できるのは、最低限機動力や火力、柔軟な指揮通信システム
などが備わっている場合だと思うが、日本軍にはそれらの要素が欠けていたように思う。

それと本土ならではのファクターかもしれないが、士気喪失による軍の崩壊も考慮に
入れる必要があるかもしれない。
戦争末期になればなるほど日本軍からの投降兵は増大していたし、逃げ場が見込める
本土ではなおさら多かったのではなかろうか。

以上の点から、米軍による本土上陸作戦は大島嶼での戦いと同じような結末をみたと
思うのだが。
303名無し三等兵:01/11/02 23:09 ID:3gyzYnoH
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=09350825 P26
 日本は降伏しない、完全に破壊されるまで戦い続ける、天皇も死ぬ、ゆえに占領
軍最高司令官が天皇の代理をしなくてはならなくなる、と米陸軍は考えたのである。
 とうのも、作戦当局者は十一月一日の九州上陸に続き、一九四六年三月に関東
地方上陸作戦を予定している。両作戦に動員される陸海兵力は五百万人、戦争終結
は一九四六年秋、米軍の損害は死傷百万人をこえ、その代わりに日本人も「二千万人」
が死ぬと推定していたからである。
 陸軍長官スチムソンは、この判定に不安を感じた。
「これは戦争のワクをこえる。破滅だ。米国にそれだけの破滅を日本に与える権利
はないし、米国人百万の生命をかける名分もない」
 陸軍長官スチムソンは、国務長官グルーに連絡して、日本を政治的に降伏させる
政策案の提示を求めた。
304名無し三等兵:01/11/02 23:14 ID:yKzJafzt
>>302
沖縄は全島要塞化なんかされてない。
説明するのが面倒だから防衛庁のサイトにあがってる
セキュリタリアンを読め。
305ベンゼン中尉 ◆fjTeojqQ :01/11/02 23:15 ID:VwgXpFoK
千葉の九十九里には当時近衛師団が待機していたそうな。
アメリカ側の50万の予想死傷者は、大袈裟すぎるね。
306名無し三等兵:01/11/02 23:57 ID:3gyzYnoH
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=06728546 P141
 連合軍最高司令官アイゼンハワー元帥の報告では、米軍はライン川から
ベルリンまで進撃するとすれば、「一〇万人」の損害がみこまれる。
ということは、兵力温存のためにソ連軍の戦いを求める必要がある。
 対日戦では、近く硫黄島、沖縄上陸作戦が実施され、秋には九州上陸
作戦も予定されているものの、その九州上陸作戦の損害は「二七万人」
と推算され、日本軍は日本本土だけでなく、満洲、中国でも戦い続ける
可能性もある、と、陸海軍当局は推理する。  

(参考)http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/992087445/240
307名無し因果応報:01/11/03 00:22 ID:Az0fYCwY
百万はちょっと……だとしても、十万人単位ならあり得るね〜。

しかしそれにしても、日本陸軍スレと共に息長く勉強になるスレですな。応援age
308名無し三等兵:01/11/03 03:23 ID:ylFxk6eq
>>303および>>306>>276も参照されたし。
「玉砕神話」の崩壊については
(参考)http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30779823
うう、パブロフ「厨房」二等兵みたいだ・・・。

>304
全島要塞化の定義は何だろうか?
沖縄の戦備は、当時の日本軍としては最大限成し得る状態にあったと思うが。
遅くとも昭和19年8月19日に那覇港に到着した第62師団の配備以降、沖縄の戦備は
着々と進められたのであり、米軍上陸を迎えた状態は当時の日本軍の実力そのもの
だったのでは?
沖縄の防衛体制は、当時の日本軍としては最大限の迎撃準備だったと考えるが。
そして、日本本土ではそれすらも望めなかったと思う。
309大陸打通太郎:01/11/03 06:44 ID:adbVOyNN
>一方比較的大島嶼での戦いをみると、日本軍はニューギニア・レイテ・ルソン
>ともに連合軍とは比較にならないほどの大損害を被っている。

更に広大な戦場であった大陸打通作戦は空では米空軍に辛うじて対抗できた
だけであったが、地上軍は開戦当初顔負けの快進撃。いくら米式装備で身を
固めようが中国のナラズ者ゴロツキチンピラ軍団なんぞ白兵戦に持ち込みさえ
すれば日本陸軍の敵では無かった。それは刃物持った大勢のチンピラどもが
素手の格闘家一人にコテンパンにやられたのと同じ。 中国のナラズ者集団は、
「三光政策」だなどと悲憤慷慨して負け惜しみと逆恨みを喚き散らすしか無かった。

>昭和19年8月19日に那覇港に到着した第62師団

本来は装備も素質も良くないといわれる警備師団である第62師団が
沖縄に派遣されたのは、まさに大陸打通作戦の勝利があったからなのだ。
大陸打通作戦は米中離間を決定的にし、太平洋で連敗の日本軍全体の
士気を鼓舞して戦争継続を可能にせしめた、大東亜戦争の天王山であった。
310名無し三等兵:01/11/03 06:49 ID:0RMG50Ng
また中国での戦争ゴッコが好きな馬鹿が出てきた
311名無し三等兵:01/11/03 21:03 ID:j7L1VuDw
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi/army/989154351/434
の同書1194ページの Deployment of the Army,April 1945によれば,
European THeatreが3,065,505、Mediterranean Theatresが493,876、
South-West Pacific Theatreが802,504、Pacific Ocean Theatreが
405,902、China and indea-Burma Theatresが198,830,Principal
theatres Combinedが5,011,667で,Source:Greenfield,Paimer,and Wiley。
312名無し三等兵:01/11/03 21:12 ID:yowVTIMM
>>309
つまんねえんだよ!馬鹿!
313名無し三等兵:01/11/04 22:43 ID:vrZHurOe
日本軍が玉砕的抵抗を続けたのも、ソ連の仲介を期待してのこと。
本土決戦になったとしても仲介国が存在する限りは望みがあった。
これは開戦当初からそのつもりであって、日本は三国同盟を堅持し、
更に対ソ戦には参加せず一貫して独ソ和平を何度も申し入れていた。
ルーズベルトもこの事情をよく知っていたからこそ、対ソレンドリース
でソ連の対独進撃を促進し、ヤルタ会談ではソ連の対日参戦を促した。
降伏が決まったのは原爆では無くてソ連の対日参戦であることは明らか。
314大陸打通太郎:01/11/05 12:31 ID:qXnGPpgV
>494 :名無し三等兵 :01/10/27 17:07 ID:9BaVwGMp
> 一四日(午後三時発信)、岡村大将はふたたび「百万の精鋭健在の儘
>敗戦の重慶軍に無条件降伏するが如きは如何なる場合にも絶対に承服し
>得ざるところ」と、電報した。同時に岡村大将は参謀長を通じて天皇に
>対しても上奏し(午後十時二十五分発信)、「外電の伝うるが如き
>屈辱的平和は光栄輝く帝国を邁進すべく御聖断あらんことを伏して
>祈り上げ奉る」と言上した。

いくら太平洋の島々で敗退を続けようとも、それだけでミソもクソも一緒にして
>>276のような「帝国陸海軍は崩壊寸前だった」というのは間違いだ。もしそう
であったのなら、日本本土占領にあたっても中国の介入があってしかるべきだ。
だが中国大陸では崩壊どころか「百万の精鋭健在」であって、中国の腐れ外道の
チンピラ集団には何の発言権も無く、内戦でぐちゃぐちゃになるしか無かった。
315名無し三等兵:01/11/05 12:47 ID:m8PCgAuZ
自分でとっととスレ立てろや>大陸打通太郎

また徹底的に叩いてやるから。叩かれるのが嫌で馬鹿スレ立てたり馬鹿レス
他のレスに書くんだろ?

お前さぁ、言っとくけど匿名でもお前のカキコは分かるんだよ。
吊るし上げられない内に止めとけって
316名無し三等兵:01/11/05 20:15 ID:nqNZXubW
「大陸打通太郎」なんてずっと前から叩かれてて平気。

耐久力は「某研究者」並で,唯我独尊でわが道をゆくのみだ。
317名無し三等兵:01/11/06 18:53 ID:I+OD0dOB
何のかんの言ってもヤルタ会談でソ連参戦を求めたのは米英であり、
その代償として米英はソ連に大幅な譲歩を余儀なくされた。
日本の「悪あがき」は結果的に米英に一泡吹かせたことになる。
「帝国陸海軍は崩壊寸前だった」なんてのは「後知恵」に過ぎん。
318名無し三等兵:01/11/06 18:59 ID:Xi8rcZXv
糞駄通、今度は名無しで書き込みか?
折角いいスレだったのに恥ずかしい馬鹿のせいで台無しになったな
319名無し三等兵:01/11/06 19:02 ID:k5EIdUn/
「日本政府が和平仲介にソ連を頼りにしたのは甘かった」
とも言われるが、ソ連参戦で痛い思いをしたのは米英中も同じ。
日本も北方領土やシベリア抑留などはかなり悲惨だったが、
もう一方で国共内戦や朝鮮戦争で「漁夫の利」を得ることができた。
320築城:01/11/07 16:02 ID:9ofMiI+3
(沖縄戦 1)

沖縄の防衛計画では、
他部隊の収容も考えて自隊の三倍も収容できる築城の完成を期しました。
ですが、
1)第9師団の台湾転配
2)材木の不足
等の理由により、計画は縮小します。
その結果、各部隊は自隊の築城構築に留まることになり、作戦計画が二転三転します。
それでも、沖縄の主陣地洞窟の総延長は約100kmに達し、
昭和40年代初頭の東京地下鉄総延長(90km以下)よりも長いものになりました。

さて、これを全島要塞化と言えるかどうかですが、
防御面に関しては、全部隊を堅牢な地下施設に保存出来ました。
しかし、火力面では全然足りません。

62、24師団の重砲総数は46門で、計画値の18%前後です。
第9師団は重砲を36門保有していたので、台湾への転配は、
沖縄兵団における重砲戦力の44%を一気に喪失したことになります。
321築城:01/11/07 16:03 ID:9ofMiI+3
(沖縄戦 2)

沖縄の面積は、1,211平方キロと東京都の7割弱の面積です(都島部除く)。
そこに、太平洋艦隊の全主砲弾を七日間で消費したと言われる砲爆撃が集中しましたが、
それでも米の損害は戦死者20,195名、戦傷者55,162名に達しました。
これは、頑丈な洞窟が無数にあることも手伝って、部隊の防御が上手くいったことを意味します。
ですが、攻撃面ではそれが仇となりました。

洞窟陣地が堅牢な為、それに見合う砲座の設置が困難となり、
資材不足と限られた時間のために簡易的なものしか作れなかったのは、皮肉な状況です。
つまり、火網の密度を高め、破綻した戦線を繕うための移動が困難となり、
部隊は固定したまま陣地体勢に留め置かれることになったのです。
先にも記した“三倍もの収容陣地”とは、この陣地移動戦を行うためでしたが、
実際には各陣地毎に逐次侵食され、支援が限定されたものに留まりました。
322築城:01/11/07 16:03 ID:9ofMiI+3
(沖縄戦 3)

防御された陣地があっても、退却が許されない状態でしたので、
戦闘員(義勇兵含む)で110,000余名、非戦闘員では94,000名もの被害に達しました。
沖縄戦は、限定地域での強固な陣地防御という背景から、
即、本土防衛と当てはまらない部分もありますが、戦力比と戦闘結果の参考になると思います。

本土抵抗の種類にもよりますが、交通通信途絶による物資の未配、医療の混乱、飢餓、
略奪などにより、直接戦闘以外の戦死傷者の発生を防ぐ手立てが無くなります。
1946年の秋に戦闘終結とすると、その年の作物収穫は惨々たる状況なのは確実で、
米軍とてどれだけの戦後支援を与えられるか解りません。
323大陸打通太郎:01/11/08 22:23 ID:7vQLKU3T
今月号の雑誌「歴史群像」の特集は大陸打通作戦で、内容はほぼ我が意を得たりであった。
米空軍に対しては辛うじて対抗していたに過ぎないが、中国軍相手に白兵勝負に持ち込む
ことができたのも第五航空軍のおかげだ。陸軍航空部隊はこれで十分よくやってくれた。
これで邪悪極まりない中国のクサレ外道を一網打尽にし、米中離間を決定的にせしめた。
これでもうアメリカは中国に対日戦争を任せてはおけなくなった。日本陸軍は最も重要な
戦場で最も決定的な勝利を収めかつ降伏時でさえも「百万の精鋭健在」であったのだ。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_1/jog034.html
324大陸打通太郎:01/11/12 01:00 ID:8pGv5Sg/
「日中戦争 VOL3」(児島襄 文藝春秋版)P592
「中国白書」によれば、米国は一九四四年(昭和十九年)、
中国の戦力と戦意が「全面的に崩壊」しつつある、と判断した。
 この年、日本軍は、前述した如く、北京―漢口打通作戦をおこない、
さらに桂林攻略作戦も実施した。
 日本軍は、いずれも作戦終了後は根拠地に引き上げたものの、
中国軍の対応は消極にすぎ、駐中国大使C・ガウスは、
「中国人は本気で抗日する意思があるのか」と疑い、その「内紛と無神経」
が矯正されない限りは、「共産党の勝利は不可避だ」と、米政府に報告した。

マリアナ・レイテの戦果無しのあっけない完敗、本土空襲は事実だが、
大陸打通作戦は1945年3月末までで老河口飛行場制圧で連戦連勝。
アメリカにだけ降伏というならともかく、中国も含めた無条件降伏
なんて論外だ。岡村大将も言ってる通り「百万の精鋭健在」なのだ。
崩壊寸前だったのは海軍だけ、陸軍に関しては断じてそうではない。
325名無し三等兵:01/11/13 12:43 ID:PN0pW5J+
戦後の米中関係は東京裁判最中の国共内戦で混迷を極めたが、
「大陸打通作戦」がいかほど関係していたのであろうか。
326少佐:01/11/13 14:28 ID:qMptybM3
陸軍をひたすら国内に集結温存し、強固な野戦陣地を構築さしていれば上陸してきた
アメリカ軍は大打撃を受けただろう。
327名無し三等兵:01/11/14 05:07 ID:i9gRuEKh
>岡村大将も言ってる通り「百万の精鋭健在」

それだけにアメリカも戦後処理が大変であったと思う。ドイツ本土決戦・首都陥落
が既に為されてしまった欧州とは違い中国にも東南アジアにも広範囲にわたって
日本軍とその現地傀儡義勇軍が存在しており,連合軍にとっては内戦やら独立戦争
やらで実質的にアジアでの戦争は継続状態にあったのかもしれない。
328名無し三等兵:01/11/17 09:52 ID:xLHyHeeD
もともと日本があてにしていたのがソ連とドイツを通じての和平交渉であった以上、
両方の望みが消えれば本土決戦なぞあり得ない。だからこそアメリカはソ連の対日
参戦を日本降伏の決定打としてヤルタ会談で熱望しのであって、ここで日本の戦力
を不必要に過大評価してソ連を付け上がらせたというのは「後智慧」にすぎない。
329名無し三等兵:01/11/17 10:12 ID:D/pY2Dk5
100万の精鋭も本土にいなけりゃ
何の役にも立たないというわけですな。
330おやぢ:01/11/17 10:51 ID:jtzxXOX9
満州事変を起こして満州国を勝手にオッ建てた"関東軍"司令部を、俺は許せん!断じて許せん!。それに積極的に関わった連中は全て、軍法会議にかけて最重刑を科す可きだった。
日米が険悪になった発端は"排日土地法"だったが、"満州建国"は日中間の修復を困難にした。トドメは"日独伊三国軍事同盟"でサ、これでアメリカのWWU参戦を画策するルーズベルトのカモにされちゃった。(憤怒

以下は結果論だが...
蒋介石は、アメリカから援助を引き出すために抗日戦を利用し,国民政府の権力維持のために反共を利用した節がある。だもんで、大陸から帝國陸海軍が自ら兵を退いたとしても日中の関係改善が捗らなかった可能性はある。
しかし、その後の日中戦で無意味に費やされた莫大な国費を、仮に陸海軍の近代化に投資できていたならば...って思う訳ヨ。
つまり対ソ・朝鮮半島防衛っつー課題だったら、んじゃあ南満州で機甲兵力による機動戦でもやって、前進防衛&縦深確保したるか!っつー方針になったら、帝國陸軍のハード面だって大幅にマシになってた可能性が無きにしも非ズってね。
それでも日米戦になってたとしても、南方戦線で兵力不足になる事もなかったろーし、内南洋群島の要塞化だって事前に&周到にデキてたかも判らん。モッタイナー
もっとも、帝國陸海軍はアメリカに較べて戦略的思考とシステム的な取り組み方が著しく劣っていたから、当時のアメリカと正面から戦うのを避ける可きだったっつー事は変わらんヨ。
331名無し三等兵:01/11/19 06:13 ID:7rSiHb8v
>>330
戦後視点のみで過去を断罪。
332むむ@ chba040n085.ppp.infoweb.ne.jp:01/11/19 20:05 ID:SEh/GYgk
age
333名無し三等兵:01/11/19 20:20 ID:N+iV7cnn
> 330

おおむね賛成。

> 331

たしかにそうだがあれぐらいの大きな戦争は
結果責任だけで責任者を断罪しても不都合なし。

事実を直視せず、いいわけの発明に努力
するよりよほどいい。
334名無し三等兵:01/11/23 22:09 ID:0nauJD0I
http://www.billtotten.com/japanese/ow1/00122.html
しかし1989年に公開された、陸軍省諜報部による1946年の最高機密調査では、
日本の降伏に原爆はほとんど関係がなかったという大胆な結論が出されている。
そして第二次世界大戦終結の決定的要因はソ連の宣戦布告であったとされ、
米国の大規模な日本侵略が行われることはなかったであろうと記されている。
つまり、「日本を降伏に追い込んだのは、ロシアの参戦であるといっても
過言ではない」というのが同調査の結論であった。
335名無し三等兵:01/11/23 22:25 ID:ubOM3Hfl
>>334
当時、原爆投下からわずか一週間程度で
原爆のなんたるか(世界史にまで影響を与えるその真のパワー)を
洞察出来た日本人が何人いたろうか?

日本の戦略的にいえばソ連参戦は致命的だからね。
336名無し三等兵:01/11/24 06:03 ID:C3/U4gG8
そういえば、以前神奈川に住んでいたんだけど、
高校の裏山が旧軍の要塞陣地跡地だったみたいで、
コンクリート製の銃眼跡とかあったよ。
当時からマニアだったんで、詳しく見てみたかったけど、
完全に木に埋れていてよく全体像がわからなかった。

近くの川でも大量の銃弾が見つかって、
自衛隊が引き取りにきていたこともあった。
337名無し三等兵:01/11/24 06:32 ID:xmuvhZWj
>330
国家を危機にさらし、国際的信用を失墜させた関東軍の独断専行は
当時のあり方としてみても、やはり責められるべきだったと思いま
す。それをやらなかったからあんな事になったんだ、という部分を
含めて。
338おやぢ:01/11/24 09:21 ID:mOEPCXMC
>>337
将にその通り、禿しく同意

>>334
賛成。
ただ原爆に関して云えば、アメリカは当時4発しか持っていなかったそーな。
ロス・アラモスでの実験に1発,広島に1発,長崎に1発で計3発を使った。んで、小倉に落とす予定だった最後の1発は、運んでいた重巡ごと潜水艦に沈められた。
だもんで、実は終戦時には『必殺の切り札』が1枚も残ってなかったとゆー...ジャン2
339大陸打通太郎:01/11/24 10:26 ID:hpnqAbS4
日本降伏は原爆で無くてソ連参戦、というのには禿しく同意だが、
ここで重要なのは、日本は太平洋戦線での敗北は万人の認める
ところであったが、中国に対しては岡村寧次大将が力説するように
『百万の精鋭健在』であって、誰も負けたとは思っていなかった。
大陸打通作戦の成功はマリアナ・レイテの完敗を補って日本の抗戦
能力を大幅に回復、米中離間を決定的にせしめた。だからこそ米国
は万難を排してソ連に対日参戦を申し入れるしか無かったのだ。
そしてこれによってもたらされた米中離間こそ『良き遺産』となった。
340名無し三等兵:01/11/24 11:10 ID:JQHx1uTA
>>338
重巡洋艦インディアナポリスは原爆運んだ後にフィリピン東方海上で撃沈されてます。
原爆ごと沈んだのは仮想戦記。
341おやぢ:01/11/25 01:17
>>340 コリャドーモ
機会が見付けてキチンと確認しておきます。ミナサマ、スマソ
>インディアナ・ポリスの件
342名無し三等兵:01/11/28 19:18
http://www.nara.gov/publications/rip/82/rip082ap.html
Army Casualties (Wounded and Dead) by Year
Army casualties (Wounded and Dead) by Theater
343名無し三等兵:01/11/28 21:45
米軍も損害が比較的軽微だったのなら,比島も硫黄島も沖縄も無視して,
九州から北海道まで丸ごと「日本列島打通作戦」って発想もあり得たろうな。
344大陸打通太郎:01/11/29 13:13
日本軍が大平洋で敗北していたのは何の異論も無いが、中国大陸では
「百万の精鋭健在」であり、岡村大将をはじめ敗戦意識は乏しかった。
1944年は米独陸軍決戦の年であり、対日戦は中国にかかっていた。
しかしながら大陸打通作戦で中国軍はぼろくそに負けて、急遽米陸軍
主力は対日戦に転じねばならなかった。これはルメイ将軍を始め、
年明けになってから大平洋への転属が進んだことでよくわかる。
中国は沖縄の米中共同占領を申し入れたがこれは全く通らなかった。
大陸打通作戦の勝利は中国の野望を打ち砕き、戦後日本の有利条件となった。
345大陸打通太郎:01/11/29 13:19
http://www.nara.gov/publications/rip/82/rip082ap.html
>Army Casualties (Wounded and Dead) by Year
>Army casualties (Wounded and Dead) by Theater

太平洋は日/米共に海軍主力の戦いであり、陸軍主力はそれぞれ
中国/欧州であった。日本にとっては中国こそ最優先で打倒され
るべき主敵であり、これはマリアナ/レイテ海戦の大敗とは
無関係に大陸打通作戦の完全勝利で締めくくられたのだ。
346名無し三等兵:01/11/29 13:23
>>336

 日吉ですか?でしたらあれは元連合艦隊司令部です。塾高の校舎
ごと使用されておりました。現在でこそ塾高は白亜の校舎ですが、
ペンキを削ると迷彩塗装が出てきます(笑。

 前は年に1〜2回、学内希望者で内部探検を行っておりました。
残念ながら数年前に完全閉鎖され、現在では入ることはできません。
347大陸打通太郎:01/11/29 13:34
太平洋でどんなに敗北をくりかえしても、大陸打通作戦が
完遂する1945年春までは絶対に降伏してはいけない。
大陸打通作戦がなければ沖縄の中国領化は絶対に避けられない。
348名無し三等兵:01/11/29 15:21
「オリンピック作戦」も「コロネット作戦」も作戦計画として
存在しているのだから、ソ連参戦が無い場合はそれも有り得たろう。
349名無し三等兵:01/11/30 05:21
大陸打通太郎が出てこなかったら良いスレだったのだが。
ザンネン!
350第一総軍
 最近書き込めなくてすみません。
 理由は陸軍スレに。