[武士騎士] 古代中世総合21 [弓馬刀槍剣甲冑船城] [転載禁止]©2ch.net

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1名無し三等兵
軍事板の古代・中世の総合スレです。

軍の動員・編成、国家制度・住民管理・領地支配、訓練、鉄器・青銅の製造、
戦闘技術、武術、武器・兵器・長弓・クロスボウ・刀・槍・石つぶてについての運用、
甲冑・衣服、馬・馬具全般、ラクダ・ロバ・牛・鳩・犬などの軍事利用された動物全般、
舟・ガレー船・帆船の製造・運用、河川・海上の利用、道路整備と陸上交通、食料・兵站・輸送、
狼煙などの通信・作戦指揮・伝令、諜報・忍・密偵、築城・縄張・攻城技術・土木技術などのほか
戦争要因となった文化・宗教・経済・農業・民族など

上記分野も含めて幅広く駄弁るスレです。
火縄銃や大砲も分野に含まれますが現代戦・近代兵器にあまり脱線しないでください。

このスレでのお約束
ソースの書籍を提示されたら否定せずにググったり、資料を借りたり、買いましょう。
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。

このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
950を踏んだ人は次スレを立てて次スレへの誘導レスすること。
970過ぎても次スレが無ければ気が付いた人が次スレ立ててください。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
関連スレなどは >>2 以降を参照のこと。

一応、このスレは板違いなどと誤解を招かないように2ch総合案内より軍事板紹介を転載
>軍事に関係するなら時代を問わず、戦略・戦術・軍制・兵器・装具なんでもありの板。
軍事板は現代戦・近代兵器だけの板ではありません。古代・中世も含めて軍事なんでもありの板です。

前スレ
[武士騎士] 古代中世総合20 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
ttp://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1414070363/
2名無し三等兵:2015/02/11(水) 21:32:28.93 ID:BY+bGZtt
【ネットで見れる日本の中世の合戦や武者の様子がわかるかもしれない絵巻一覧】
※)a=e国宝 b=国立国会図書館デジタル化資料
伴大納言絵詞 模写 (原本:12世紀後期)  [b]
 ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2574900?tocOpened=1
前九年合戦絵巻・後三年合戦絵巻 (14世紀中期)  [a,b]
 ttp://www.emuseum.jp/detail/100319/000/000
 (模写)ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2573525?tocOpened=1
平治物語絵巻「三条殿夜討の巻」 (原本:13世紀後期)  [bowdoin大学,b]
 (一巻)ttp://learn.bowdoin.edu/heijiscroll/viewer.html
 (模写 一巻+二巻)ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287476?tocOpened=1
 (二巻 異本)ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541037
平治物語絵巻「六波羅行幸巻の巻」 (原本:13世紀後期)  [a,b]
 ttp://www.emuseum.jp/detail/100148/000/000
 (模写)ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541039
平治物語絵巻「六波羅合戦の巻」 模写 (原本:13世紀)  [国際日本文化研究センター]
 ttp://kikyo.nichibun.ac.jp/heijiemaki/html/
蒙古襲来絵詞 模写 (原本はwikiに 原本:13世紀後期) [九州大学,b]
 ttp://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/index.html
 ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2591514?tocOpened=1
結城合戦絵巻 模写 (原本:15世紀後期)  [b]
 (伊勢貞丈:明和五年)ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541007
 (天保三年)ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2541044
 (嘉永三年)ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/254090
春日権現験記 模写 (原本:14世紀前期)  [b] ・2巻p11-13、4巻p9-13、8巻p7-8、19巻p4-11あたり
 ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287489?tocOpened=1
十二類合戦絵巻 異本? (原本:15世紀中期)  [b]
 ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2590869?tocOpened=1
秋夜長物語絵巻 (16世紀)  [メトロポリタン博物館]
 ttp://www.metmuseum.org/collections/search-the-collections/65122?img=19
男衾三郎絵巻 (13世紀後期)  [a,b]
 ttp://www.emuseum.jp/detail/100332
 (模写)ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2542590
3名無し三等兵:2015/02/11(水) 21:33:09.31 ID:BY+bGZtt
年中行事絵巻 (原本:12世紀後期)  [京都大学電子図書館,b]  ・3巻P14-15、5巻、11巻27-28、12巻あたり?
 ttp://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/b35/b35cont.html
 (模写)ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2591099?tocOpened=1
天狗草紙絵巻 延暦寺他(13世紀 摸本含む)  [a]
 ttp://www.emuseum.jp/detail/100262/000
清水寺縁起絵巻 (16世紀中期)  [a]
 ttp://www.emuseum.jp/detail/101303/000/000
因幡堂薬師縁起絵巻 (14世紀)  [a]
 ttp://www.emuseum.jp/detail/100304
北野天神縁起絵巻 弘安本 (原本:12〜13世紀)  [a、b] ・1巻p26、2巻p8
 (一巻)ttp://www.emuseum.jp/detail/100260/000/000
 (模写)ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2590968/26
石山寺縁起絵巻 模写 (原本:14〜19世紀) [b] ・2巻p10-15,37-39?
 ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2589669?tocOpened=1
粉河寺縁起絵巻 (12世紀)  [京都国立博物館]
 ttp://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kaiga/emaki/item05.html
土蜘蛛草紙絵巻 (13〜14世紀)  [a]
 ttp://www.emuseum.jp/detail/100257/000/000
住吉物語絵巻 (12〜13世紀)  [a]
 ttp://www.emuseum.jp/detail/100256/000/000
4名無し三等兵:2015/02/11(水) 21:33:45.79 ID:BY+bGZtt
慕帰絵詞 模写 (原本:14世紀中期)  [b]
 ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2590849/22
一遍上人絵伝 東博本 (13世紀前期)  [a,b]
 (七巻)ttp://www.emuseum.jp/detail/100156/000/000
 (模写)ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2591573?tocOpened=1
一遍上人絵伝「遊行上人伝絵巻」一巻 (14世紀)  [a]
 ttp://www.emuseum.jp/detail/100328/000
法然上人絵伝 模写 (原本:14世紀) [b] ・1巻p28-31
 ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2589645/28
聖徳太子絵伝 秦致貞筆 (11世紀)  [a]
 ttp://www.emuseum.jp/detail/100205/001/004
聖徳太子絵伝 法隆寺献納 (12世紀)  [a]
 ttp://www.emuseum.jp/detail/101298/001/004
絵巻物データーベース[国際日本文化研究センター]
 ttp://kikyo.nichibun.ac.jp/emakimono/
5名無し三等兵:2015/02/11(水) 21:34:23.26 ID:BY+bGZtt
61:2015/02/11(水) 21:37:24.37 ID:BY+bGZtt
どこまでテンプレかわからないんで丸々コピペした
足りなかったら >>6 以降に足しておいて
7某研究者:2015/02/12(木) 13:38:20.11 ID:rokVbLY0
http://blogs.yahoo.co.jp/saint_petersburg_37/7001497.html
上の加藤嘉明の具足は袖や草摺の板札の幅が妙に大きいが
袖は
http://photozou.jp/photo/show/1849954/216344431
上の様な板袖の前段階の物の可能性も有るのかだが
草摺は革の様にも見えるが
8某研究者:2015/02/13(金) 08:55:48.02 ID:VF5n553Q
モンゴル重騎兵も革装甲を装備する割に盾は無いが
槍は両手持ちだったのかどうかだが
9某研究者:2015/02/14(土) 20:10:07.19 ID:qkyiFTIF
大身槍の穂先は30cm以上と言う事だが平均値はどの程度なのかだが
通常の槍の穂先の平均値はどの程度なのかだが
鎌槍とそうで無い槍とでは違いが有るのかだが
長柄槍の穂先の平均値は通常の槍よりは短かっただろうか
10某研究者:2015/02/15(日) 08:56:38.58 ID:XCWLR6cA
刃長175cmの太郎太刀なら
騎馬武者の平均的な270cmの槍の間合いの恐らく135cm程度を
アウトレンジ可能と言う事なのかだが
360cmのニ間槍の恐らく180cmの間合いへの対抗を狙った物の可能性も有るのかだが
6mの長柄槍の間合いへの対抗を狙った大太刀は流石に有るのかどうかだが
11某研究者:2015/02/16(月) 19:59:17.48 ID:MbC5dcyr
平安期ー南北朝期の騎馬武者同士の戦闘も
互いに矢をほぼ撃ち尽くした後に近接戦をしたのかだが
矢を発射しながら接近して早期に近接戦と言うパターンも有ったのかどうかだが
12某研究者:2015/02/16(月) 20:02:47.71 ID:MbC5dcyr
平安ー南北朝期の騎馬武者も歩兵と同時に垣盾の後ろから弓を射撃した後
幾らか矢を残した状態で騎馬突撃をし騎射戦をした後
近接戦をした可能性も有るのかだが
13名無し三等兵:2015/02/16(月) 22:55:30.83 ID:Oy+Nh/hn
某研スレになってますねw
14名無し三等兵:2015/02/17(火) 00:02:30.35 ID:2jhK8vam
平家物語では普通に騎馬武者達も近接戦してんじゃないの。
15名無し三等兵:2015/02/17(火) 01:03:00.69 ID:FJ6HOOja
>>11
ぐぐって出る情報もいいがここのテンプレも見たら?
春日権現験記絵とか
16某研究者:2015/02/17(火) 14:14:17.07 ID:FoseFvP0
騎馬武者も垣盾越しに下馬射撃をした後で
歩兵の矢が切れたら騎乗突撃し騎射戦をしたのかも知れぬが
この騎射戦は騎馬武者の矢をほぼ使い尽くす迄行われたのかどうかだが
短時間だけ射撃して近接戦に移行した例も特に南北朝期では多い可能性も有るのかだが
17名無し三等兵:2015/02/17(火) 15:18:32.33 ID:YbE4BdgG
なんで騎射の話なのに徒歩の楯突戦の場面見てんですかね
そこ以外にも合戦パートあるだろ
騎馬戦のパートで脇に弓を挟んで抜刀しようとしていたり最初から太刀を抜き払っている騎馬武者たちが
矢を射つくしているかどうか確認するだけで
「互いに矢をほぼ撃ち尽くした後に近接戦をしたのかだが」の答えになるだろ
18某研究者:2015/02/17(火) 15:53:58.53 ID:FoseFvP0
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287490/12
上の春日権現験記で騎馬格闘している者の矢の数は
一定では無い様に見えるし
殆ど矢を使用していない様に見える者が格闘戦をしているから
騎射は此れが作られた14世紀初頭では可成り廃れて居たのかだが
一発も騎乗時に矢を放たずに格闘と言う事は有ったのかどうかだが
19某研究者:2015/02/17(火) 16:15:49.02 ID:FoseFvP0
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/202125062?size=1024#content
弓も高価な物だろうから
現実には上の様に格闘時も携帯していたのかも知れぬが
肩では無く太刀に掛けた方が格闘時に邪魔には成らぬのでは無いのかだが
20某研究者:2015/02/18(水) 13:16:42.90 ID:L2MFASu6
http://photozou.jp/photo/show/1849954/218713891
この肖像画の弓が消されたのは
どう言う事なのかだが
21名無し三等兵:2015/02/18(水) 15:55:01.40 ID:ltPYTEtW
長宗我部氏も、坂本竜馬も、等しく高知県の偉人なんだがなぁ・・・

長宗我部元親_bot @motochika_bot1
>(拡散希望)わしの最後の居城、浦戸城が龍馬記念館新設のためまた壊されようとしておる。
>現在城を残す署名を行っているので、是非皆の力を借りたい!
>所々破壊されつつあるが、400年たった現在も綺麗に遺構が残ってるのだ
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=1435981923359398&id=1422122141412043&refid=17👀
22某研究者:2015/02/18(水) 16:51:11.63 ID:L2MFASu6
雑兵物語では槍で鎧の隙間を狙えとは書いていないし
手足を斬れと言う記述が有るから
騎馬武者の介者剣術・槍術も同様だったのかだが
短刀・脇差では隙間を狙っては居なかったのかだが
23某研究者:2015/02/21(土) 12:32:27.72 ID:zmtWxou7
フサリアも下馬して両手持ち槍を構えた騎馬武者に
ランスを当てられる物なのかだが
密集して突破を試みる可能性も有るのかだが
刀を持つ徒歩武者ではフサリアに対抗可能なのかだが
乗馬した槍を持つ騎馬武者を攻撃する訓練は受けて居るのでは無いのかだが
24某研究者:2015/02/21(土) 13:36:50.72 ID:zmtWxou7
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9#cite_note-86
>朝鮮の同時代史料である懲録には「弓矢の技は百歩に過ぎないが、鳥銃はよく数百歩に及び、(中略)とても対抗できない」 

強化弓も直射なら射程は120m程度が限界かも知れぬし
実戦では東洋の弓は直射していたと言う意見も有る訳だろうか
火縄銃が射程数百歩と言うのは
一般的足軽の銃の射程は精々2歩(約240m)程度であり
一部の兵が此れ以上の距離から狙撃をして居たと言う可能性も有るのかだが
対明・朝鮮兵相手に使用されたと言う細筒使用で
精度は六匁筒より向上していたと言う事かも知れぬが
細筒では明重装歩兵の札鎧・騎馬武者の鎖帷子を遠距離では貫通出来ず共
衝撃でダメージは与えられたのかどうかだが
25某研究者:2015/02/21(土) 13:38:20.12 ID:zmtWxou7
衝撃が幾らかは止まる桶側胴なら
240mからの細筒の射撃では
打撃は余り与えられなかった可能性も有るのかだが
26某研究者:2015/02/22(日) 17:28:49.53 ID:WzoUBCG3
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1055075865
>「関ヶ原」の際には「黒田長政隊」では 敵将「石田三成」を狙撃するために「鉄砲100人隊」を作ったそうです。
 
敵指揮官を狙撃する高精度の火縄銃を装備する部隊が居たと言う事なのかだが
装填手は付いていたのかどうかだが
現実には武将は余り狙撃されていないだろうが
影武者が可成り撃たれて居た可能性も有るのかだが
備大将クラスなら可成り狙撃されていた可能性も有るのかだが
27名無し三等兵:2015/02/22(日) 17:53:57.34 ID:ecBlC9Yx
紀州雑賀の佐武伊賀守が狙撃に専念して他の者に弾込めをさせて、櫓から5丁の鉄砲を扱い、敵を撃退した。

備大将=侍大将なんでそれよりも前線に近い足軽大将や槍奉行、組頭等の方が可能性は高い
28某研究者:2015/02/22(日) 18:18:44.74 ID:WzoUBCG3
plaza.rakuten.co.jp/ntonkatu/diary/20110716/
>銃弾で穴のあいた鎧

此れは試し撃ちの跡では無いだろうが
何時頃使用された貸具足なのかどうかだが
29某研究者:2015/02/22(日) 18:37:03.27 ID:WzoUBCG3
下馬騎士に乗馬騎士が突撃した場合何れが勝つのかどうかだが
乗馬騎士が機動力を利用し兵力を一点に集中した場合は
後者が勝つと言う可能性も高いのかどうかだが
30名無し三等兵:2015/02/22(日) 21:44:26.04 ID:vfvlx2Zo
>>29
そもそも騎士が下馬して戦うようになったのは歩兵による対騎馬陣形が発達したからでしょ
(もちろんその裏には軍制の発達、さらにそれを支える社会制度や経済の発達があるわけだけど)

機動力を利用して…といっても、仮にも封建制の当時に
騎士だけを迂回させて側面攻撃させる、なんて戦術を取り得たのかどうか
31名無し三等兵:2015/02/22(日) 22:52:44.59 ID:ecBlC9Yx
>>29
> 下馬騎士に乗馬騎士が突撃した場合何れが勝つのかどうかだが
> 乗馬騎士が機動力を利用し兵力を一点に集中した場合は
> 後者が勝つと言う可能性も高いのかどうかだが

状況によるとしか
1対1なのか、軍勢同士なのか、同数なのか、指揮官の能力差はあるのか無いのか、
他の兵種の援護があるのか、開けた場所か、狭い場所か、湿地や沼地なのか、
夜討ち朝駆けなのか、遭遇戦なのか、山岳か、平地か、晴れているのか、雨なのか、
夏か、冬か、兵糧があるのか、戦いの日数は決まっているのか、勝利条件、敗北条件は何か?
32某研究者:2015/02/23(月) 16:17:29.11 ID:P8qFCdl2
http://ncode.syosetu.com/n0021bh/50/
>スイス傭兵の特徴は、同じ階層・自由農民が団結したもので強力だ。これを模倣したドイツ傭兵の特徴は、従来馬に乗っていた騎士たちを数百名を下馬させ、
>士官として、平民を主体の傭兵の中に混じえることだ。同じ目線で、敵にたちむかう。そうすることで、兵士たちの士気と連帯感が増す。

等と有るが現実には雑魚パイク兵は乗馬騎兵を阻止出来ず
事実上下馬した騎士が乗馬騎兵を阻止していた可能性も有る訳だろうか 👀
33某研究者:2015/02/23(月) 16:19:07.40 ID:P8qFCdl2
下馬騎士も乗馬騎士に機動力を利用した一点波状突撃をされて
本隊に突入され壊滅と言う可能性も有るのかどうかだが
34某研究者:2015/02/23(月) 16:27:37.56 ID:P8qFCdl2
http://arms.cybrary.jp/db/longhandle/polearms/kagiyari.html
関ヶ原以降の槍は鍵槍が大半と言う意見も有るが
此れは長柄槍を持つ足軽以外の話であると言う事なのかだが
騎馬武者が騎士と同レベルに乗馬密集突撃した場合は
鍵槍の鍵でランスを弾いて太刀打で殴る攻撃等で
勝利と言う可能性は無いのかどうかだが
管槍の突きに馬の力を加えれば
板金鎧も危うい可能性は有るのかだが
此れは関ヶ原時点でもそう数は無いのかだが
35某研究者:2015/02/23(月) 17:22:25.38 ID:P8qFCdl2
http://page10.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m135316579?al=13
>16〜30cm程度の穂を持つ。16cm(室町時代後期)21cm(江戸時代中期)前後が普通。   

槍の穂も江戸前期ではどの程度の長さなのかどうかだが
十文字槍の穂も通常の槍と同程度の長さなのかだが
36某研究者:2015/02/24(火) 10:37:54.98 ID:UVzBPeyb
17世紀にはフサリア以外でも欧に槍騎兵は居たと言うが
数は果たしてどの程度なのかだが
16世紀中盤以降の欧騎兵に騎馬武者が突撃をした場合は
ピストルでやられる危険は有る訳だろうが
此れに対抗する為に最前列の騎馬武者のみに短筒を持たせて
スウェーデン騎兵のサーベルチャージ的運用をすれば
勝算は無いのかどうかだが
37某研究者:2015/02/24(火) 10:44:36.29 ID:UVzBPeyb
フサリアパンセルニやストラディオット等の弓で
騎馬武者がやられる可能性も有るだろうが
此れは歩兵と共同で撃退する以外無いのかだが
38某研究者:2015/02/24(火) 16:24:07.09 ID:UVzBPeyb
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150781368/
>安土桃山〜江戸前期の軍役状で見ると、騎馬武者の鉄砲装備率は結構高い。 文禄の役の加藤清正隊は、騎馬のほぼ100%が鉄砲を装備しているし、 江戸期になると騎馬武者の二人に一人くらいは鉄砲を持っている。

騎馬武者も短筒・馬上筒と通常の火縄銃を全て装備して居た物も
可成り居る可能性も有るのかだが
39某研究者:2015/02/25(水) 19:41:57.21 ID:IPRrIQLr
時代 槍 越中富山臣藤原成就作 拵え付き 登録不要 うぶ品 112a
http://page7.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g149817775

此れは太刀打に高価と言う鮫皮が巻いて有るから
実戦用では無い可能性も有るのかだが
太刀打に螺鈿や家紋が入る槍は実戦用なのかだが
40某研究者:2015/02/27(金) 07:41:08.08 ID:ft3wHXjh
戦国時代は騎馬武者の槍・薙刀使用で
刀は馬の速度を利用して斬る攻撃が無くなったから
反りが浅く成ったと言う事なのかだが
41某研究者:2015/02/27(金) 12:25:02.11 ID:ft3wHXjh
http://kodaman-empire.kir.jp/Napoleon/18c-weapons.shtml?8=weapon/weapon1.html
>最後に、最近でも議論を呼んでいる報告であるが、歴史学者(米軍准将)S.L.A. マーシャル[#3]が第二次世界大戦の硫黄島での戦闘直後に実地調査した結果、
兵士たちの中で敵兵に対して発砲したのはその僅か15〜20%に過ぎず、残りは消極的関与あるいはただそこにいただけで全く戦闘に関与していなかったというのである。

雑魚戦列歩兵は銃を撃たないが
散兵は発射して居たと言う事は無いのかだが
日本の火縄銃手も技術の有る者だけが撃って
雑魚兵は装填と言う事なら
発砲率は非常に高いと言う可能性も有るのかだが
弓兵も精鋭兵であるから
発射率は高かったのかどうかだが
42某研究者:2015/02/27(金) 12:32:24.82 ID:ft3wHXjh
弓を使えるからと言って
士気が低く解散されたトルコ軽騎兵アキンジ等は
戦闘参加は何処迄して居たのかどうかだが
43某研究者:2015/02/27(金) 12:51:02.94 ID:ft3wHXjh
テルシオのアルケブス兵は雑魚兵であるから発射率は高くは無いかも知れぬが
大型の銃を持つマスケット銃兵は果たしてどうなのかだが
オランダ・スウェーデン式大隊は銃の発射率は
高かったのかどうかだが
44某研究者:2015/02/27(金) 15:20:19.81 ID:ft3wHXjh
足軽の精鋭銃手は白兵戦でも戦闘参加はして居た可能性も有るのかだが
精鋭の弓足軽も弭槍等が有るから
戦闘参加は可成りして居た可能性も有るのかだが
45某研究者:2015/02/28(土) 09:07:32.43 ID:AwIKNRHM
200mからの六匁筒の射撃を防御可能な甲冑を装備した
精鋭銃兵等は居たのかどうかだが
http://www.japaneseweapons.net/yoroi/rei/index.htm
貸具足も装甲がやや厚い物が有る様だが
此れは精鋭銃兵が防弾の為に装備した物も有る可能性も有るのかだが
46名無し三等兵:2015/02/28(土) 09:12:08.21 ID:PFqUxDcX
弭槍が白兵戦で十分な戦力になるなら、専用の槍など持たずに弓(と弭槍)が歩兵の主装備になるのでは?
そうならなかった以上、弭槍は緊急時の護身以上には期待されていなかったと考えますが。
47某研究者:2015/02/28(土) 09:19:52.12 ID:AwIKNRHM
足軽胴から装甲の上積みの無い精鋭銃兵が
200m先からの銃弾が止まる程度の垣盾の陰から
射撃と言う事も有ったのかだが
48某研究者:2015/02/28(土) 09:23:00.14 ID:AwIKNRHM
訓練に時間の掛かる弓が使える足軽は少数であるから
弓と筈槍が主武器とは成り得ない訳だろうか
49某研究者:2015/02/28(土) 09:27:34.63 ID:AwIKNRHM
雑魚兵である槍・長巻足軽より
精鋭兵である弓足軽・足軽の精鋭銃手の方が
白兵戦でも戦闘参加率は高かった可能性も有るなら
精鋭銃手の刀をアウトレンジ出来る弭槍は
意外と使えた可能性も有るのかだが
士大将の護衛の徒武者の刀には対抗不能な可能性も有る訳だろうか
50某研究者:2015/02/28(土) 10:14:16.70 ID:AwIKNRHM
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Hiyawajyu02.jpg
上の大阪冬の陣図屏風に
火縄銃の装填手が書かれている様に見えるが
銃手と装甲の差は無い様にも見えるが
現実にはどうなのかだが
51某研究者:2015/02/28(土) 11:25:39.06 ID:AwIKNRHM
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9
>一方、懲録[80]は碧蹄館の戦いにおいて切れ味の鈍く短い刀しか持たなかった明の北方騎兵が、三〜四尺の刀を持つ日本軍の歩兵に人馬の区別なく斬り倒されたとも記録している[81]。

雑魚兵である槍足軽は戦闘参加が少なく
刀を持つ士大将の護衛の徒武者や
銃手・弓兵の刀が主に白兵戦では使用されたと言う事なのかだが
雑魚では無く精鋭の長巻兵も戦闘参加はして居たと言う事かも知れぬが
騎馬武者は明騎兵に対して槍を用いた可能性も有るだろうが
彼等の数は備の1/10程度と言う事だろうか
52某研究者:2015/02/28(土) 11:31:51.30 ID:AwIKNRHM
騎馬武者が槍で明騎兵の足を止めた後
刀を持つ銃手・弓足軽・徒武者が馬の足を斬ったと言う可能性も有るのかだが
雑兵物語に槍で馬の腹を突けと言う記述も有るが
槍足軽は何処迄戦闘参加したのかだが
53某研究者:2015/02/28(土) 12:14:56.31 ID:AwIKNRHM
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9
>三〜四尺の刀を持つ日本軍の歩兵に人馬の区別なく斬り倒されたとも記録している[81]。

http://xn--ebrq8bcy6h.com/%E5%B9%B3%E5%AE%89%E3%81%8B%E3%82%89%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%88%80/
戦国時代の刀も通常は2尺4−5寸しか無いし
明騎兵は長巻兵や野太刀兵にやられた可能性も有るのかだが 👀
54某研究者:2015/02/28(土) 12:22:53.99 ID:AwIKNRHM
http://photozou.jp/photo/show/1849954/96175461
長巻兵も絵には書かれているが馬を斬れる技術の有る者がそう大量に居たのかどうかだが
備の士大将の護衛の徒武者が野太刀を大量に装備していた例と言うのは
有るのかどうかだが
55某研究者:2015/02/28(土) 14:58:14.32 ID:AwIKNRHM
http://yarukiclub.blog130.fc2.com/blog-entry-284.html
>重くて長い薙刀なら、刃渡りが長すぎて穂先を落とすことはできないが、
>短いが故に切り落とすことができたという。
>長門が普通の刃渡りの長い薙刀を使っていたら、
>穂先を落とすことができず、勝負はどうなっていたかわからなかった。と卜伝は語ったという。

等と有るが
茎の長い槍も有るから
此れも三尺(約90cm)の太刀では斬るのは困難だったのかだが
更に刀身の長い大太刀を使用すれば果たしてどうなのかだが
56某研究者:2015/02/28(土) 15:00:00.90 ID:AwIKNRHM
槍・薙刀の柄が斬られても棒術の様な対処は
果たして出来なかったのかだろうし
棒でも刀より有利では無いのかどうかだが
57某研究者:2015/02/28(土) 15:21:22.26 ID:AwIKNRHM
刃長15cmで茎を入れても50cmも無い槍も多いし
http://www.seiyudo.com/yari_naginata.htm
上の様な梶原長門が使用した刃長一尺五寸(約45cm)も無い薙刀でも
茎を入れると64cm有るから
槍の方が柄を斬り易いと言う事なのかだが
58某研究者:2015/02/28(土) 15:31:50.73 ID:AwIKNRHM
http://www.seiyudo.com/na-08051.htm
上の薙刀の茎を入れた全長は80cmの間違いだが
薙刀の茎長は刃長と同程度有るから
刃長45cmの薙刀では45cmの茎が有ると言う事かも知れぬが
此れを装備した槍の柄を90cmの太刀で斬るのは容易なのかどうかだが
59名無し三等兵:2015/02/28(土) 15:40:55.44 ID:PFqUxDcX
塚原卜伝が使った太刀の長さを知らないが、仮に三尺とする。
相手の薙刀が刃渡り3尺茎1尺だったら、相手の間合い(卜伝の小手を切り落とせる距離)より
1尺踏み込まなければ柄を切れない。だが、茎まで含めて2尺の薙刀なら、梶原長門が間合いに踏み込むより
卜伝が長門の柄を切断できる距離に入る方が早い。
60某研究者:2015/02/28(土) 16:04:16.48 ID:AwIKNRHM
www5f.biglobe.ne.jp/~tetsu2003/paradise0106.htm
>すると卜伝は「心配に及ばない。わしは刃渡り三尺の長い太刀で立ち会うつもりだ。
>刃渡り二尺に満たない薙刀など柄の短い槍と同じだ。安心してみているがよい。」と言った。

等と有るが
梶原長門の使用した薙刀は刃長一尺五寸(約45cm)だろうし
茎も他の同程度の寸法の薙刀を見る限り刃と同程度の45cm程度の長さでは無いのかだが
61某研究者:2015/03/01(日) 16:11:32.50 ID:JSkBecC5
塚原卜伝が標準的と言った刃長90cmの薙刀の刃・茎長は180cm程度有るのかだが
此れは重量が重過ぎて槍に対抗困難の可能性も有るのかだが
全長も騎馬武者の槍より短い220cm程度だっただろうか
62名無し三等兵:2015/03/01(日) 16:13:55.71 ID:jWf9Hn9d
七尺じゃね
63名無し三等兵:2015/03/01(日) 16:26:49.17 ID:ApZPMueI
俺のご先祖、戊辰戦争で会津の娘子隊に切り殺されたんだが、左肩から腰骨にかけて肋骨ごと切られ真っ二つになったそうです。
64名無し三等兵:2015/03/01(日) 16:37:08.65 ID:XhktKKv9
三尺の太刀は茎も三尺あるとお考えか? そんな長い茎は必要ない。薙刀の場合も同じ。
65某研究者:2015/03/01(日) 20:51:20.18 ID:JSkBecC5
http://www2.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyo/bunkazai/shi/shi34.html
>刃長91.2センチメートル、茎長1メートル、全長205.2センチメートルにも及ぶ大薙刀である。

等と有るから刃長90cmの薙刀でも
茎は刃の倍異常の長さが有る訳だろうか
66名無し三等兵:2015/03/01(日) 21:00:13.35 ID:NdEwT+c0
そもそも人間を真っ二つにする程の豪の者がいたかどうか(江戸太平
戦国時代初期では胴斬りってのがあって横薙ぎに人間を二つにする兵や将がいたらしいが
永禄以後、殆どそういう人種は絶滅したとか
67某研究者:2015/03/01(日) 21:01:23.80 ID:JSkBecC5
http://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/n141-010.html
>刃の長さが80.6cm、茎の長さは130.6p、反りが3.8pの大薙刀である。

此れは茎が妙に長い大薙刀である訳だろうが
重量はどうなのかだが
68名無し三等兵:2015/03/01(日) 21:25:09.24 ID:oZ9m/bWU
なんか先祖が娘子隊に薙刀で斬り殺されたって、かえって自慢になりそうというか・・。

薩摩に示現流で殺されてもあんまり面白くないというか・・。
自分の先祖は盛岡藩の近江商人で、新潟にいってライフル銃の買い付けに行っただけ。
69某研究者:2015/03/01(日) 22:08:40.13 ID:JSkBecC5
具足の胴を横に両断する訳にも行かぬだろうが
当世具足の揺糸部分や革製の草摺部分なら
両断出来る可能性も有るのかだが
70名無し三等兵:2015/03/01(日) 23:05:53.47 ID:NdEwT+c0
成る程。
71某研究者:2015/03/02(月) 13:52:42.04 ID:LvtRJ19I
薙刀も標準で90cmの刃+100cm等の茎では重量はどうなのかだろうし
余程の腕力が無い限り槍には太刀打ち出来るのかどうかだが
72某研究者:2015/03/02(月) 15:11:36.39 ID:LvtRJ19I
http://bunka.nii.ac.jp/ResultImage.do
上の結城合戦絵詞の薙刀の刀身は90cm有るのかだが
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/217577181?size=1024#content
上の黒田屏風の薙刀の刀身は
結城合戦絵詞の物と比べやや短い様に見えるが
73某研究者:2015/03/02(月) 15:25:35.44 ID:LvtRJ19I
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/217577181?size=1024#content
上の黒田屏風の槍戦の場面では恐らく兜を装備する騎馬武者の中に
陣笠を装備する足軽が少数混じって戦っているが
現実にこの様な戦い方をしたのかだが
先ず槍足軽同士が戦って陣形が崩れた所に下馬した騎馬武者が突入すると言うのが
基本戦術では無いのかだが
現実には下馬した騎馬武者同士が先に白兵戦をし
やる気の有る少数の槍足軽だけが此れを支援したと言う可能性も有ったのかどうかだが
74某研究者:2015/03/03(火) 15:25:28.00 ID:Tnf0wONF
http://photozou.jp/photo/photo_only/1849954/217577181?size=1024
中央左上に兜が恐らく無く烏帽子を被る兵が居るが
此れは朱槍を持っている様にも見えるから
騎馬武者なのかだが
75名無し三等兵:2015/03/03(火) 15:30:35.15 ID:9McquCr1
襖絵とかどこまで参考になるのやら
後世に描かれたものが多いし
76名無し三等兵:2015/03/03(火) 16:04:27.70 ID:MEXKBjYc
>>75
襖絵の描かれた時代と描いた人の参戦体験や知識によって
絵から伝わる情報精度が変わりそうだ

西洋美術での扮装肖像画で歴史画風に演出する場合
描かれている衣装がその当時のものとは限らないそうで…
77某研究者:2015/03/03(火) 17:20:29.14 ID:Tnf0wONF
黒田屏風は大阪夏の陣直後に書かれた物の様だから
資料的価値は無いのかどうかだが
78名無し三等兵:2015/03/03(火) 18:22:59.97 ID:dBHBbtM/
平家物語の絵なんかでも年代によっては江戸時代の装備だったりする

もっというと、明治時代の写真なんかでも
「一世一代の行事だしいっちょカッコつけて写真取るべ」
って事で、時代錯誤な格好をしてる写真が結構有るんだとか。
79某研究者:2015/03/03(火) 19:00:31.08 ID:Tnf0wONF
分厚く体とのスペースの有る鎧の胴正面部で敵の斬撃を受けて
自由と成っている腕で確実に反撃と言う方向は有るのかだが
西欧の板金鎧の籠手も腕との間にスペースが有るから
この部分で敵の攻撃を受けると言う戦術は有るのかどうかだが
http://en.wikipedia.org/wiki/Plate_armour#mediaviewer/File:Italian_-_Sallet_-_Walters_51580.jpg
上の板金鎧の脚部に有る様な鎬で敵の斬撃を態と受けると言う事は有ったのかどうかだが
膝や肘の装甲も体とスペースが有るから
この部分で敵の斬撃を態と受けた例も有るのかどうかだが
80某研究者:2015/03/03(火) 19:08:25.48 ID:Tnf0wONF
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Henry_VIII's_expensive_armour.jpg
上のプレートアーマーに有る様な衿部で
態と敵の斬撃を受けると言う方向も有ったのかだが
兜の鶏冠部で態と斬撃を受けると言うのは
首がやられる可能性が有るから
果たして有ったのかどうかだが
81某研究者:2015/03/04(水) 16:49:23.95 ID:bMMaiuKq
en.wikipedia.org/wiki/Maximilian_armour#mediaviewer/File:Zbroja_1514.JPG
上の様なマクシミリアン甲冑の首の直下が盛り上がっているのは
防御力を強化する為の物なのかどうかだが
82名無し三等兵:2015/03/05(木) 12:22:23.39 ID:stZahY5C
どこで質問すればいいかわからなかったので
ここでお聞きしたいのですが、本田忠勝の鹿角兜について質問です。

この兜には太くて立派な鹿角の装飾が施されていますが、これに
使用されているのはなんていう鹿の種類なんでしょうか。
ホンシュウジカ、エゾシカ、カモシカ等の鹿角だとかなり細くて
全然違うのが分かります。

唐頭みたいに輸入されたものなんでしょうか。
83名無し三等兵:2015/03/05(木) 12:44:52.60 ID:+/0A0K9D
?単なる装飾品御様式であって動物の鹿の角を素材にしてるわけではないんだが
84某研究者:2015/03/05(木) 13:01:21.03 ID:JgMIAyqW
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%A4%9A%E5%BF%A0%E5%8B%9D
>兜は「鹿角脇立兜」。鹿の角をあしらった脇立は何枚もの和紙を貼り合わせて黒漆で塗り固めたもの。

本多忠勝の兜の角は和紙製である訳だろうか
85某研究者:2015/03/05(木) 13:54:39.10 ID:JgMIAyqW
本多忠勝の兜と同様に巨大な角の有る
http://japanspotting.info/?p=1996
黒田長政・福島正則が使用した黒漆塗桃形大水牛脇立兜の角は
根本が木製・他は紙製の様だが
86名無し三等兵:2015/03/05(木) 15:12:57.76 ID:stZahY5C
あ、wikiに簡単に答え載っているとは。
スレ汚し失礼しました。
87名無し三等兵:2015/03/05(木) 17:46:30.18 ID:rmzJcGTM
ああいう大きな立て物は
引っかかったときに簡単に壊れてくれないと首が逝くからな
88名無し三等兵:2015/03/06(金) 07:34:14.79 ID:mQ/hVtam
単純に軽いという軟弱な理由だと思ってた
89名無し三等兵:2015/03/07(土) 14:28:36.69 ID:6VD5Fk6N
誰だっけ、戦場で目立とうと、巨大な指物を作ったまでは良かったが、あまりの重さに、
本人はともかく、馬が全く動くことができず、結局出陣できなくて、自害した武士の話を、
何かの本で読んだことがある
90某研究者:2015/03/07(土) 15:35:43.31 ID:Oy4wfYss
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-979.html
>長さ二間(3.6m)の大きな位牌を作らせ、そこに辞世の句、
>「咲く頃は花の数にも足らざれど 散るには洩れぬ 矢部虎之助」と彫り込んで、
>勇んで出陣した。

恐らく大阪の陣で動けなかった
矢部虎之助と言う事だろうか
91某研究者:2015/03/07(土) 16:50:32.55 ID:Oy4wfYss
http://photozou.jp/photo/show/1849954/219477305
上の槍は友田金平の槍と言うが
長さは二尺九寸一分五厘(約88cm)も有る十文字槍と言う事なのかだが
文禄五年(1596年)の作の様だから戦国期の物と言う事だろうが
この様な物は何処迄使われたのかだが
92某研究者:2015/03/08(日) 15:59:35.63 ID:QkxlAOZ9
http://photozou.jp/photo/show/1849954/219517885
上に有る様な枝が外せる懸外十文字槍と言うのもがたつく等と言うし
実戦では使用されたのかだが手違い十文字槍とは幹と枝が直角に付いている槍と言うが
http://www4.kcn.ne.jp/~hozoin/ubu0903.html
片桐且元が此れは使用したのかどうかだが
93某研究者:2015/03/08(日) 16:13:08.16 ID:QkxlAOZ9
plaza.rakuten.co.jp/sengokulily/diary/201401110000/
>大身槍 長船祐定 紀州徳川家に清正の槍として伝えられた。別に250cmの青貝螺鈿の柄が 付属している。

刃長が二尺四寸四分(約73cm)も有る此れを清正が使用したと言う説も有るが 
果たしてどうなのかだが
94某研究者:2015/03/08(日) 16:24:25.65 ID:QkxlAOZ9
大身槍と薙刀の使用率は
戦国時代末期では前者の方が多い可能性も有るのかだが
大身では無い十文字槍や鍵槍の方が
多かったのかどうかだが
95某研究者:2015/03/10(火) 16:38:06.39 ID:jhGXAxb5
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%A9%E6%94%BB%E5%9B%B2%E6%88%A6
>十字軍は補給線を築いて防衛することが得意ではなく、このため軍内において飢餓や装備の不足などが広範囲に発生することになった。   
>キリスト教徒は殺したトルコ人やサラセン人を食べるに躊躇しなかったのみならず、イヌまで食べた

十字軍もこの様な状況で騎兵は何処迄
運用出来たのかどうかだが
96某研究者:2015/03/10(火) 17:17:48.44 ID:jhGXAxb5
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%91%E3%82%B4%E3%82%B9
>ハルパゴスはキュロスのリュディア遠征に参加し、リュディア軍との会戦において(馬は駱駝を恐れるという性質を利用して)駱駝に騎兵の兵士を乗せるという奇策を献策し、勝利の立役者となった

此の様な戦術は後には使われたのかどうかだが
97某研究者:2015/03/11(水) 13:48:48.22 ID:WtsAAP4B
戦国期の本多忠勝が使用している様な
小札が固定されて居ない伊予札甲冑は鉄砲の防弾は考慮して居るのかだろうし
装甲の薄さと動作性を重視している可能性も有るのかだが
構造上足軽胴よりは動き易いが重量はやや重い可能性も有るのかだが
より防御力の高い最上胴でも動作性は十分と言う事は無いのかどうかだが
98某研究者:2015/03/11(水) 14:01:42.47 ID:WtsAAP4B
プレートアーマー時代の騎士も動作性や軽量性を重視してか
ブリガンダインを使用している例も有る様だが
16世紀に有る最上胴の様な構造の動作性の高いプレートアーマーを使用した方が
良かった言う事は無いのかだが
99某研究者:2015/03/12(木) 10:02:35.63 ID:idbW4JVZ
http://www46.tok2.com/home2/jyunrei88/ima/siro2k03.JPG
上の一番下の槍は
http://p.twipple.jp/K3kIh
上の四方鍵が付いている様に見えるが
戦国期に此れは使われたのかだが
100某研究者:2015/03/12(木) 15:53:51.07 ID:idbW4JVZ
皮の小札鎧の下に鎖を着ている例が中国に有ったかも知れぬが
此れは皮鎧で矢を止めて鎖で斬る攻撃を防護すると言う事なのかだが
日本にも完全に革製の具足は有るが
下に鎖を装備した例は有るのかどうかだが
革製の佩楯や草摺も多いが此れの下には
鎖が有る例も有るのかだが
101某研究者:2015/03/12(木) 20:52:55.33 ID:idbW4JVZ
http://www.sengokudaimyo.com/katchu/graphics/11graphs/koteset3L.jpg
上の様なミトン型の籠手は西欧甲冑の影響は有るのかだが
http://www.kyoto-minpo.net/event/archives/2010/10/12/2010_46.php
上の金唐革襷懸南蛮胴具足(江戸時代初期)の指が防護されている籠手や
http://museum.umic.ueda.nagano.jp/hakubutsukan/kachu/kachu.html
上の籠手は西欧甲冑の影響は有るのかだが
戦国期に同様の物は果たして有るのかだが
102某研究者:2015/03/12(木) 21:18:59.13 ID:idbW4JVZ
騎馬武者も槍が出る以前は通常の太刀で薙刀に応戦していた例も多いのかだが
槍登場後も暫くは太刀で槍に対抗していた例も多かった可能性も有るのかどうかだが
103名無し三等兵:2015/03/12(木) 21:27:16.86 ID:BZEmnPTF
日本国の全武士が、ある日一斉に槍に持ち替えるってのはないでしょうねぇ。
特にこれまで太刀で生き残っていた人たちは。
104某研究者:2015/03/12(木) 22:05:22.36 ID:idbW4JVZ
騎馬武者の大太刀が多用されたのは
馬上で薙刀が多用された後と言う事は無いのかだが
105名無し三等兵:2015/03/12(木) 22:14:00.52 ID:+XDpYapE
きばむしゃのおおだちって
越前だけじゃないのか
106名無し三等兵:2015/03/13(金) 00:47:05.91 ID:usFHHezb
単純に弓と槍は同時装備できないからと違うか?
あと、大太刀カッコイイブーム
107某研究者
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A4%AA%E5%88%80
太平記には越前以外にも大太刀を持った騎馬武者は出て来るし
戦国期でも上杉軍に大太刀を持つ力士隊が居たと言うが
此れは騎馬武者なのかだが

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1287490/12
騎乗して薙刀や熊手を持つ騎馬武者も
春日権現験記に書かれているが
弓を使用する場合は薙刀や熊手は何処に装備して居たのかだが
従者が持っていたのかどうかだが