[武士騎士] 古代中世総合14 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
1 :
名無し三等兵 :
2013/06/04(火) 20:25:26.77 ID:??? 軍事板の古代・中世の総合スレです。
古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する
軍の動員・編成、国家制度・住民管理・領地支配、訓練、鉄器・青銅の製造、
戦闘技術、武術、武器・兵器・長弓・クロスボウ・刀・槍・石つぶてについての運用、
甲冑・衣服、馬・馬具全般、ラクダ・ロバ・牛・鳩・犬などの軍事利用された動物全般、
舟・ガレー船・帆船の製造・運用、河川・海上の利用、道路整備と陸上交通、食料・兵站・輸送、
狼煙などの通信・作戦指揮・伝令、諜報・忍・密偵、築城・縄張・攻城技術・土木技術などのほか
戦争要因となった文化・宗教・経済・農業・民族など
上記分野も含めて幅広く駄弁るスレです。
このスレでのお約束
ソースの書籍を提示されたら否定せずにググったり、資料を借りたり、買いましょう。
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
950を踏んだ人は次スレを立てて次スレへの誘導レスすること。
970過ぎても次スレが無ければ気が付いた人が次スレ立ててください。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
関連スレなどは
>>2 以降を参照のこと。
一応、このスレは板違いなどと誤解を招かないように2ch総合案内より軍事板紹介を転載
>軍事に関係するなら時代を問わず、戦略・戦術・軍制・兵器・装具なんでもありの板。
軍事板は現代戦・近代兵器だけの板ではありません。古代・中世も含めて軍事なんでもありの板です。
前スレ
[武士騎士] 古代中世総合13 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1368063562/
2 :
名無し三等兵 :2013/06/04(火) 20:26:23.55 ID:???
3 :
名無し三等兵 :2013/06/04(火) 20:27:51.23 ID:???
4 :
名無し三等兵 :2013/06/04(火) 20:28:51.36 ID:???
5 :
名無し三等兵 :2013/06/04(火) 20:29:46.38 ID:???
6 :
名無し三等兵 :2013/06/04(火) 20:32:02.93 ID:???
>>950 は「土鍋はスレをageてない」とか主張する基地外が踏み逃げして
>>980 にしようって感じだったら今度は土鍋が踏み逃げか
酷いな
7 :
名無し三等兵 :2013/06/04(火) 21:57:56.77 ID:???
乙していい?
8 :
名無し三等兵 :2013/06/04(火) 22:20:40.80 ID:???
9 :
名無し三等兵 :2013/06/05(水) 01:24:07.29 ID:???
10 :
名無し三等兵 :2013/06/05(水) 07:03:31.00 ID:gBUP0SYb
董卓 乙
11 :
名無し三等兵 :2013/06/05(水) 09:44:39.84 ID:???
消毒薬や抗生物質がない時代に怪我したら大変で死亡率が跳ね上がる
12 :
名無し三等兵 :2013/06/05(水) 11:07:26.98 ID:???
熱した鉄を傷口に当てたり、酒とか塩をぶっかけてた?
13 :
名無し三等兵 :2013/06/05(水) 12:23:40.23 ID:???
平家物語だと灸で焼いたりしてるな
14 :
名無し三等兵 :2013/06/05(水) 13:19:06.85 ID:???
腐敗防止という観念はあったからな。 ヨモギやチトメグサのようなそこらに生えている薬草で止血する。
15 :
名無し三等兵 :2013/06/05(水) 13:45:46.77 ID:???
お灸のモグサはヨモギ葉裏のうぶ毛を集めて乾かしたものだけど、 火付きがいいんで戦場では火起こしにも一役買ったとか何かで見たな。
16 :
名無し三等兵 :2013/06/05(水) 14:14:45.08 ID:???
日本神話の因幡の白兎の説話では、毛をむしり取られた兎に対して大国主は蒲黄を体につけるように助言している。
17 :
名無し三等兵 :2013/06/06(木) 05:56:00.44 ID:???
日本におけるヅラ・付け毛の始まりである
18 :
名無し三等兵 :2013/06/06(木) 08:50:40.05 ID:???
昔の人も死にたくないから必死にいろいろ試してみる。 偶然成功した方法が秘伝として伝わる。
19 :
名無し三等兵 :2013/06/06(木) 12:03:41.48 ID:???
20 :
名無し三等兵 :2013/06/06(木) 13:11:41.65 ID:???
自分をサポート要員と割り切っているのか、落馬させて自分で 組み打ちするためのものなのかどっちなんだろうね?
21 :
名無し三等兵 :2013/06/08(土) 04:03:54.41 ID:???
>>20 相手をひっかけて落としたら、馬で踏み砕いて倒せるとか、
そういう理由かもしれんね。
当時の武士は別に決まった武装はないだろうから、
たまに熊手がすきですきでたまらん変わり者がいただけかもしれんけどw
22 :
名無し三等兵 :2013/06/08(土) 13:03:14.49 ID:???
日本の場合、少なくとも防人制度が廃れた後、織田信長が登場するまで 個人の武装に決まりがあったとは思えないんだよな(武士は自分で武装を整えて出征するものだったとしか思えない)。 日本の僧兵の評価は、これまでのスレの流れでは低いみたいだけど、私としては保元の乱で頼長が興福寺の僧兵の応援を 頼みにしていたことや、織田信長が比叡山の焼き討ちを決断したことが当時の公家の日記で特筆されていること等から 考えて、武装勢力として当時の人間の中では高く評価されていたように思われてならない。
23 :
名無し三等兵 :2013/06/08(土) 14:29:18.89 ID:???
戦国時代の装備規定は織田家では天正九年(1581年)の明智光秀家中軍法からが明確に確認される例で 虎ノ朱印文書で元亀三年(1572年)ごろには装備規定が確認される後北条氏の方が先だったのでは?
24 :
名無し三等兵 :2013/06/08(土) 17:26:21.98 ID:???
>>22 御貸具足の足軽以外、
基本的に装備の規定ってないんじゃないのか?
25 :
名無し三等兵 :2013/06/08(土) 19:54:28.91 ID:???
中国や古代ローマだと兵士の装備は統一されているけど 日本や中世欧州だと兵士の装備はバラバラというイメージがあるのだけど間違いかな。 (一応、戦国末期の日本だと大名から家臣にこれこれの装備を整えた足軽を差し出すようにと指示しだしたみたいだけど) 実際に集まった中で、槍を持った者を集めて槍隊、鉄砲を持った者を集めて鉄砲隊という感じで。
26 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 03:20:42.15 ID:???
>>25 古代律令時代の日本と、中国は装備がだいたい統一されている印象だな。
ギリシアや日本は、武器を自弁していた際は装備統一されてない、
という感じでいいんじゃないのか?
27 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 06:11:15.72 ID:???
ケントゥリオ制の自弁兵士は、 小盾を持ち寄ったという話だし、ロリカハマタも青銅製のものがあったりと 多彩なようなので、ローマ兵もかなり装備はバラつきがあるんじゃないか。
28 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 07:05:03.57 ID:???
つうか日本の武士は武装自弁なのはギリシアやローマの重装歩兵(市民兵の時代)と一緒でも結構 早い時代から目立って何ぼになってるから個性というかバラバラになるんじゃないの?目立たないと 武功を上げても恩賞が それにローマやギリシアだと装備作る工房が一つの都市に沢山あったとは思えないんだけど
29 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 07:10:24.04 ID:???
逆にひとつの都市に複数工房がないと、 兵士が装備を自弁するのって難しくない?
30 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 12:14:23.17 ID:???
ファランクスだのマニプレスだのを組まない日本の備だと、そこまで厳密に規格化された装備は必要ない。 そもそも同じ備に配属されるのは、みな同じお貸し具足を装備した、顔見知りが大半だろうしね。
31 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 12:48:37.19 ID:???
鎌倉時代の異国警固番の時には御家人の石高に応じて楯や弓や装備のノルマがかなり厳密に 決まっていたらしいぞ
32 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 14:51:30.52 ID:???
あれ持って来いこれ持って来いってのはあったらしいな しかしそういうのも北条とか武田上杉ぐらいで 織田やそれ以西になるとさっぱりだ、研究されてないのかのう
33 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 15:22:48.08 ID:???
日本人の古代から現代まで続く悪癖、員数あわせを忘れちゃいけない
34 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 15:42:33.40 ID:wH5/2wiJ
>>31 そのノルマを真面目に守っていた美談が「いざ鎌倉」
つまり守ってる方が珍しかった
35 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 15:46:50.98 ID:???
>>30 ギリシア兵だって自弁の時代は装備は結構ばらばらなのでは?
36 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 15:54:04.57 ID:???
自弁時代でも同じような武器しか作ってなければ結局揃うのでは
37 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 16:11:08.37 ID:???
どうせ末端の雑兵はお貸し具足と陣笠である程度統一できるし 装備自弁で凝ったことできるのは一族郎党を引き連れてる士分の連中だから そこまで問題にはならんでしょ
38 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 16:12:36.48 ID:???
徒歩武者とか馬廻り衆は好き勝手な武装してそうだね。 ある程度、槍はもっとけとか弓はもっとけくらいはありそうだが。 その手の基準になるような資料って残ってないのかな?
39 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 16:20:39.81 ID:???
江戸時代ならあるだろう
40 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 16:40:36.36 ID:???
種類バラバラの私物兵器持って集まった連中を、それぞれの装備や特技に分けて編成・配置しなおすこともあるだろうな。 むしろそれに合わせて改めて領地や身分を再編成する方が自然かも。 乗馬はできるけど騎射できない奴は伝令にして、乗馬ができない奴は徒士にして援護をさせる。 牛飼ってるやつは荷駄にする。
41 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 16:53:11.00 ID:???
そこらへんの編成の話は西股総生の戦国の軍隊にボチボチでてる オヌヌメする、学研だからすぐなくなりそう
42 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 16:59:17.27 ID:???
43 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 17:29:18.42 ID:???
従来の寄親・寄子制も戦国終盤期には兵種ごとに再編成されて実戦投入されていたと分析してたな。 あと錦正社『日本の軍事革命』(久保田正志著)でもでてたけど甲冑武者が西洋ほど発達しなかった「騎兵」 の代りに「決戦兵種」(缶切り)として用いられていたのでは?と出てたな。
44 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 17:39:53.71 ID:???
桐野作人も武田だったか騎兵はちゃんといるとか言ってたけど その図で確か最後列に騎兵が配備されてたような、何に使うのか正直さっぱりわからんw 幕末になると騎兵が組めないwという状況を鑑みると 騎兵という単一兵種で揃えた戦闘部隊はなかったか、あっても重視されてなかったんじゃないかと思うがねえ
45 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 17:44:12.99 ID:???
南部藩の武者とかは、 銃砲戦のあとに騎馬武者が突っ込むというドクトリンを 持ってたみたいだが。
46 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 17:50:15.94 ID:???
唐突に単純に馬の数が足りなかったんじゃないかと思った
47 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 17:58:59.47 ID:???
「数」は揃えても前線で活躍するに足る「質」はどうだったんだろう?
48 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 18:14:52.14 ID:???
江戸時代の間に駄馬として使いやすいように 馬を小さく弱くしちゃったって話なかったっけ? 個人的には江戸時代の腑抜けっぷりを見るに騎兵のノウハウが 殆どの地域で失われた技術になってたとしても不自然じゃない気がするなあ
49 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 19:07:28.11 ID:???
軽く見られたからさっさとノイウハウがなくなって、なおかつ問題にもされなかったのかと 江戸時代の軍学書漁れば江戸時代での騎兵の重要性はわかるかねえ 適当に調べてみるか
50 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 19:30:20.19 ID:???
>>46 西洋だってまともに騎兵の量と質がそろうのは近代に入ってからだろ。
51 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 19:32:43.62 ID:???
江戸時代の軍学書がどこまで実用的な話かは疑問があるんだよな。 畳の上の水練じゃないかと。 甲州流とか、山鹿流とか、いろいろあるけど実戦経験皆無なわけで。 真田藩とかが洋式兵学にあっさり切り替えたのを見ると、やっぱりダメだったのではと思う。
52 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 19:38:58.09 ID:???
53 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 20:17:11.38 ID:???
江戸時代以前の騎馬武者の任務は対指揮官白兵戦だと思うな。 足軽の弓と火縄銃で槍衾崩されたあとで、寄り親寄り騎の持ち槍騎馬武者グループと徒歩の武士が対抗するのはかなり難しい。
54 :
名無し三等兵 :2013/06/09(日) 23:19:28.30 ID:???
お、0時からの地球ドラマチックエジプトの戦車じゃねーか
55 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 00:01:55.94 ID:???
戦車はじめた かなり本格的だな
56 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 00:43:04.39 ID:???
軍事的に評価するとほぼ日本の戦争はすべて短期決戦の内紛に近く 実質紛争に値し短期衝突ばかりで軍事的に見るものが少ない 逆に対外戦争は十分戦争とよべそちらの方が十二分に状況、戦況資料が残り、軍学的考察性も資料もはるかに多い。 逆に国内で軍事の考察に値するほど活発な戦闘と戦争記録があるのは ・秀吉の軍功 ・島津の軍功 ・西南戦争 くらいしか 証拠、資料、状況、戦争性ない。 ついで ちしょう、かえい、奥州征伐、じょうきゅう紛争の4紛争これは資料は遇記と矛盾が混じり滅茶苦茶だが、軍事の時系列なら比較正確に残ってる。
57 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 00:48:39.36 ID:???
尚、以降内部の戦争は鎌倉末期以後資料と供述、状況が矛盾しており相当的に話を持っており 関東古戦録 信長記 太平記(人物捏造はある) くらいしか軍記的正確性のある史料性のあるものがない。
58 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 01:02:52.48 ID:???
エジプトの戦車見てたけど使えるのか使えないのかよくわからなかった たぶん永遠にわからないんだろうなぁ…
59 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 01:45:58.43 ID:???
60 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 08:28:05.17 ID:???
この時代の戦車道はいのちがけ
61 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 08:33:47.80 ID:???
62 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 09:30:47.60 ID:???
ガールズ&チャリオット、略してガルチャリ。 エジプト娘と中華娘の戦い。
63 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 15:56:20.57 ID:???
戦車の伝来って中国はエジプトより数世紀遅れてる 中国で戦車が活躍してた時代、オリエントでは既に戦車は騎兵に勝てなくなっていた
64 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 18:44:04.00 ID:???
>オリエントでは既に戦車は騎兵に勝てなくなっていた 勝てないから廃れたのか?より効率のいい騎兵に取って代わられたという印象だが。
65 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 19:36:12.30 ID:???
キングダムの戦車による歩兵のぜつぼうっぷりはすごかったが あんな威力あるのかと
66 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 20:12:44.71 ID:???
中国の全軍に占める戦車の割合を見るととても戦車をまとめて集中的に運用できそうな感じではないね
67 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 20:22:18.17 ID:???
戦車は地形による制限が騎兵よりきつい上に 混乱した場合に立て直すのに手間取ることから廃れたと覚えていたけど 違ったかな
68 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 20:35:55.98 ID:???
実際に戦車が騎兵とタイマンで戦うと単発機の運動性に翻弄される 双発機みたいになんのかな?
69 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 21:10:49.47 ID:???
そんなもんですね、今の乗馬と馬車を参考にするなら。 車輪がある分、一馬力で運べるペイロードは大きくなるけど、信地旋回的な機動は無理とか、加減速特に減速が不自由だとか、車輪寄与分も急坂だと減っちゃうとか・・・ 諸条件によって差異はあるけど、乗せる方は、頑張っても馬体重の半分まで、引っ張る方は馬体重の4倍ぐらいまで。 馬力荷重の違いが・・・ 速歩競走の軽駕二輪車は負荷軽いけど、やはり乗馬より不自由だし、一人乗りなら馬車の分重いし、 一人乗りだと戦車のメリットないし。 戦車が、砲兵と乗馬騎兵に整理されたのではないかな。
70 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 21:26:11.52 ID:???
戦車の武器って弓とか投槍以外には槍?中国だと戈だっけ?
71 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 21:32:51.81 ID:???
鎌つけて当たるを幸いぶったぎるというほんとか嘘かというのもあったような
72 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 21:39:01.23 ID:???
鎌戦車はオリエントで使われてたみたいだけど、アレクサンドロスの時代に出てくるのは 唐突というか倉庫から引っ張り出してきたようなイメージがある。 一応は決戦兵器なのかもしれないが当時としても古臭かったんじゃないのかな? というか鎌戦車の威力は実際にはどんなもんなのか実験で検証してほしいなあ。
73 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 21:42:50.83 ID:???
不整地で激しく動かしたら自壊しそうな気がすんごいする お馬さん刺激されたらやばそうで
74 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 21:45:01.67 ID:???
再現できるような絵画資料とか実物あるのかなぁ そもそもどこに鎌をつけるのか
75 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 21:45:33.95 ID:???
防御線構築も馬に対するより難しくなかったろうし。
76 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 21:47:38.44 ID:???
でもあんなのが正面から向かって来たら余程訓練されてでもないとその場に留まって対抗しようなんて思えないだろ それが戦車の狙いじゃないの?あんな揺れる上から弓撃とうが槍投げようがまず狙っては当てれそうも無いし武器で攻撃も 難しいんじゃないの?
77 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 21:47:52.44 ID:???
積極的攻撃よりも、横から取り付かれてしまうのを邪魔する意図じゃないかな
78 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 22:01:37.89 ID:???
地形がよければそこそこ当たる、昨日のテレビの通り だがどう見ても自分も的としてでかい…二頭立てだし暴れたら制御も大変そう
79 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 22:40:19.22 ID:???
80 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 23:28:19.69 ID:???
81 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 00:18:05.77 ID:???
どうやらその回ってる刃で切り裂くらしいんだが、そう理屈どおりにいくもんかねえ? マジで実験で検証してもらいたいわ。
82 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 03:50:45.77 ID:???
弓馬というと東洋の印象ですが欧州では弓馬は発達しなかったんですかね?
83 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 06:22:14.48 ID:???
ハブ(回る)でなく車軸(回らない)についているのではないの?
84 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 06:30:00.64 ID:???
単体で突っ込んで陣形撹乱とかそういう用途にしか使えそうに無いが 単体でむき出しで突っ込んだら弓やらスリングのいい的だろっていう... パレード用とかそういうのが一番しっくり来るな 見かけはいかにも強そうだし権威を示すにはもってこいだろ
85 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 13:11:55.30 ID:???
86 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 13:13:04.42 ID:???
>>79 軸鎌無かったらスレ違いざまに馬攻撃がかなり簡単になってしまうかな
鎌があれば大きく離れないとぶつかるから嫌な感じを与えられる
87 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 13:14:09.80 ID:???
88 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 13:19:23.86 ID:???
ラッセルクロウを見習って楯を並べてなんとか隊形取るんだよ。
89 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 13:22:06.09 ID:???
馬に盾で挑めって拷問じゃね
90 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 14:58:27.81 ID:???
戦車の搭乗員は四六時中モンキーターンしてるようなもんだな どんな身体能力してんだ
91 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 15:07:57.78 ID:???
>>83 ベアリングないと外につきだすの不可能じゃね?
>>85 四頭立てで一人乗りとかイミフすぎるw
92 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 15:10:21.77 ID:???
でも武器は全部馬車に取り付けてあるから一応御者一人が乗って走らせるだけで 攻撃になるな。実用的かどうかは知らんがw
93 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 15:11:55.87 ID:???
多頭立てって馬が暴れたら終わりだろう 輸送用の馬車ならともかく前線兵科としてどうなんよ
94 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 16:18:27.54 ID:???
まあ無理だろ エジプトが二人乗りの二頭立て ヒッタイトが三人乗りの二頭立て 中国はどうだったのか 多頭立てとか馬がもったいないような気もするなぁ
95 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 16:21:29.10 ID:???
中国も二頭立て三人乗りか しかし1990年の本だから兵馬俑とかわかる以前の想像じゃねえかなこれ
96 :
83 :2013/06/11(火) 18:07:40.01 ID:???
>>91 たとえば18−19世紀のヨーロッパの馬車などでも、ハブは堅木、軸は一段柔らかくねばり強いトネリコなどで
回転させている。車軸は下回りと固定ね。相当なポジティブキャンバー(前から見てV)だから車軸ごとは回せない。
むろん、ホイール詳細は地域時代によって異なるが、基本構造は同じではないか。
仮に車軸ごと回すにしても、その保持をベアリング抜きでやらなければならないのは同じ。
97 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 19:54:45.20 ID:???
中国の戦車が2頭立ての3人乗りというのは、史記や戦国策等の描写からではなかったっけ。 同時代の記録だから、全くの想像ということはないだろう。
98 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 20:41:36.43 ID:???
四頭立て一人乗りって、ローマの戦車競技用だよ。 そのローマでも戦車は既に時代遅れで、だからこそブリテン島の女王が特筆されたんだ。
99 :
名無し三等兵 :2013/06/11(火) 23:23:15.73 ID:???
普通の乗馬ですら馬の機嫌がどうのこうのと 銀の匙でいってんのに4足並み揃えるとかドンだけ大変なのか
そういうときマンガを例に出すなよw
学研の戦略戦術兵器・中国古代編だと西周時代が4頭立て3人乗りで、前漢時代が2頭立て2人乗り 戦車の最盛期は西周時代で、漢代になると単なる貴族の移動手段だって
戦車道とかもないの というか史実なんて散文的で盛り上がらないんだから小説で盛るのは当たり前 ということをわからない低脳は世の中に多いな 赤壁のない三国志なんて盛り下がるだろ
甲陽軍鑑って小説が確認できる最初?
つまり明治時代に西洋から騎士道という言葉が入ってきたからそれをモデルにして 江戸時代の鍋島藩藩士・山本常朝が武士道という言葉を後輩たちに説いたわけだ。
元々ヨーロッパに「kisi-do」って言葉があるからな。 ジャップはそれをパクっただけ。
単語としての武士道は葉隠以前にもあったんじゃね。 うろ覚えだし、後世の意味合いとは違うものだろうけど、戦国時代の 文献とかでも見たような?
甲陽軍鑑
なんでもかんでも○○道って付けるようになったのはいつから?
>>109 江戸期以前は「武士道」より「弓馬の道」が一般的じゃないか?
で、武士道が騎士道という言葉を基にして作られたというのは正しいの?
騎士道という訳語を当てられたのがザビエル到来と同時くらいなら間に合うかな
確かに歴史書を読んでみるのがよさそうだな
>>114 でも明治時代って限定されちゃってるからなあ
タイムスリップでもするか 仕方ない
『武士道』という言葉は戦国時代から既に存在したし、『葉隠』が武士道について、近代的な定義を決めたのも江戸時代。 それを自分で書き込みながら、「明治時代」に「騎士道の影響」とか、自己矛盾が過ぎるってもんだろ? 時系列がムチャクチャじゃないか。
まあまとまり具合からコピペと思われるし、張っただけのアホは「俺に言われても困る状態だろうし」 これだけ反応があれば喜んでるだろうしもういいんじゃね
>>102 アホすぎるから見てなかったけど、確認したら(関口 寿/ガリレオワークス)って記名記事だな
これは恥ずかしすぎる
>>85 逃げてぇ〜脇にいる雑兵逃げてぇ〜〜〜〜!
しかしこれ、馬の肩からも鎌生やしてるし、固定方法不明に槍がそこら中に生えてるし、えっらい無意味っぽく重武装だな
これって文字通り体当りすんのか?w
多頭立ての馬車の馬体突撃とか威力はスゴそうだが、一回衝突したらそこで自車も擱座しちゃいそうな悪寒
武士道の語源は騎士道とかはっきり書いちゃってるしなあ
この関口さんは葉隠どころか新渡戸の武士道も読んでないだろ
それどころかぐぐってすらいなさそうなのがなんとも
でもこんな駄文でも金が発生してんだろうなあ
>>121 馬に比べて極端に人的資源の少ない場合の活用法かもなw
スキピオアフリカヌスの指揮するローマ兵なら二つに分かれて華麗にスルーするんだろうな。
アレクサンドロスもそんな感じでダレイオスの切り札を華麗にスルーしたんじゃなかったっけ? それプラス地形に妨害工作だったかな?
「葉隠」って江戸時代は禁書扱いされた代物で、佐賀藩藩士の一部が読んでいただけで 更にいうなら著者自身が焼き捨てるように書き残した書物だと思っていたけど違うの? 何だか、江戸時代に全国に広まっていたみたいな扱いを受けているけど。 武士道という言葉が全国に広まったのは明治時代以降、江戸時代は士道という言葉が普通だったらしいけど。 幕末の時代劇で武士道という言葉が出た際に、そこは士道というべきと視聴者から苦情が殺到したらしいけど 間違いだったのか。
士道不覚悟っすか 時代がスレから飛んでしまうぞ
山岡鉄舟は自分が武士道って言葉作ったと言っているが、 葉隠の例もあるから知らなかっただけだろうな。
戊辰戦争で盛岡藩の指揮をとった家老・楢山佐渡の辞世の句は、 「「花は咲く 柳はもゆる 春の夜に うつらぬものは 武士(もののふ)の道」 だな。新渡戸稲造のBUSHIDOはこっちに由来するのかもな。
甲陽軍鑑は広く読まれたしなあ
>江戸時代は士道という言葉が普通だったらしいけど。 これに関して詳しく聞きたいなあ。どれだけ一般的だったとかさ。 まあ、甲陽軍鑑がある時点で武士道が知られてなかったって理屈は通らないけどさ。
士道が普通って時点で武士道の語源は騎士道なんて説はありえないですけどw
まあ新渡戸がどう考えてやったかはそれだけではわからんが
そこは士道というべきと視聴者から苦情が殺到したらしいけど 間違いだったんだな。
視聴者から苦情殺到とか書かれるとテレビを連想するわけだが
>>129 歌に詠まれるくらい武士の道という言葉が一般的だった
印象を受けるね。
>『葉隠』は、「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」と表現されている通り、 >死の美学を説いています。 この痛い勘違いにはうんざりだね 葉隠がなぜ発禁になったのか? 葉隠は「生きろ」と説いている 肩肘張らず普通にあたりまえに楽しく生きろと言っている<--ここが発禁の理由 武士道とは死ぬこととみつけたり=人の為に生きるならば意味はある 葉隠を正しい武士道とするならば武士道とは生きる事なり
五輪書とかにもこれは道だ、これは道だって繰り返し書いてるから、 生き方を道と表現することは普通だったと思う。
道には単純に方法に関する意味もあるよね。下のように「鼠とる道」なんて書くと そこにも深遠な哲学があるようにも見えるから困る。実際「猫の妙術」なんてのも あるしなあ。 「武士の、其暁をしらぬこそ、鼠とる道しらぬ猫なれ。」(卜伝百首)
人殺しのほうほうに道なんてつけるほど俺は堕落してはいないよ としぇーンコップがいってました
「覚悟」を生きることを諦める事と勘違いしてるヤツが多いんだよ 諦めたらクズ、負け犬、戦力外 死にたがりなんてお話にならない あとね 「覚悟」は日常、24時間、365日、一生 葉隠は要するに「そんなに頑張るなよ、覚悟は日常の事だから」 覚悟さえあればよし
覚悟さえあれば何が起きても動じる事はない 死を目前にしてまだ平気で生きる事が覚悟、士道の覚悟とは生きる事 死ぬ瞬間まで生きろ、この逆説を日本人は理解できる 死が確定してまだ戦い続ける武士 死が確定してまだ操縦を続ける特攻隊員 死が確定してまだ平気で生きる末期患者 覚悟を持って生きている人はいる
そういえば、葉隠の武士道では夜討ちや奇襲はどうなのだろう。 鳥羽・伏見だったかで、薩長側が夜襲をした際に 武士にあるまじき振る舞いと旧幕府側が怒ったらしいが。 武士は勝つためにあるのだから、卑怯こそ褒め言葉なのだろうか?
葉隠れの著者は実際の戦国時代の武士がどうだったのかみたこともない
佐賀藩の戦い方を見ると 武士道の戦いとは夜討ち朝駆け当たり前、 卑怯と謳われようと勝つことこそ至上と言ってそうだけど。 正々堂々の騎士の一騎打ちが至上という騎士道とはその点で対極的だな。
正々堂々と戦って何千人もの犠牲出すのと 人質とって楽に降伏させるのとどちらがいいかということ
秋田で盛岡藩と戦った佐賀藩兵は楢山佐渡の首を第一ターゲットにして夜襲をしかけている。 慶応4年9月19日、藩境の村である沢口村の村人惣助が明朝楢山佐渡本陣から討ち入りの計画があるという注進があった。 十二所本陣では早速軍義を開き先制奇襲を行うことを決定した。午後8時に3方から夜襲を行い、佐渡の陣に斬り込んだ。 佐渡は既に逃げてしまった後であった。佐渡がいた部屋には、銀の時計と銀つきの胴金具が残されていたという。
しかし奇襲や野戦のような戦術を用いる臨機応変な戦術で勝利を収めたベルトラン・デュ=ゲクランも、 名誉を重視してやたらと誓いを立て、エドワード黒太子に勝つまで座って食事をしないなどの制約を自らに課すようなところは中世の騎士そのままだったというから、 中世の騎士道=正々堂々の一騎打ちというのも真実かどうかはわからんよな。
義経みたいに汚い奴は 現場の将校から嫌われまくるからなあ
>>150 義経は卑怯で嫌われてたの?たとえばどんな箇所が非難されてんだろ?
舟のこぎ手殺すんじゃねえよ!
漕ぎ手を殺すのが汚いなんていつから言われ始めたんだろうな? 小説家とかの仕業か?
自分の手勢が少なすぎて将兵に対する配慮がなさすぎだからな あんな状態で普通は勝てん
騎士道と武士道だと捕虜に対する考えが異なるというのは本当なのかな。 武士道だと生きて虜囚の辱めは受けずで、捕虜になるというのは命惜しさ だから、捕虜は虐待や殺されて当然。 騎士道だと勇戦敢闘した末に武運拙く捕虜となるのだから、捕虜には敬意をもって接すべし と聞いたのだけど、これは間違い?
騎士道はそれは建前でほんとは捕虜は莫大な身代金と引き換えにするいわば金のなる木だから 殺さない。騎士道うんぬんよりも前、カエサルも海賊の捕虜になってるけど身代金払ってる(その後海賊を皆殺しにしたけど) リチャード獅子心王だったかな。捕虜になった所為で国許の家臣が駆けずり回って身代金集めたの また捕虜の側も自分の身代金が安いと自分が軽く見られた、侮辱されたと思うからそこ等へんを捕虜にした側と捕虜の身内で 交渉が行なわれる。 誰だって自分に大金を儲けさせてくれる相手は大事にするでしょ?武士だとどうぞ殺せとか言いそうだし
武士道とか余所でやってくれ
身代金とかは相手による、つまりケースバイケースだろな。ジャンヌダルクなんて問答無用で火あぶりにされたんだし。
身代金とか身分のある人間のもの ジャンヌとかたんなる土民にかね出す奴なんかいない
武士に身代金という発想がないもんね 人質はある 人質は大切に扱われる 返すんだからみっともない事はできない
>>162 徳川家康の人質時代とかを考えると武士道で人質を大切に扱っていたとはとても思えない。
所詮、人質は人質、いざというときは容赦なく虐殺される存在で、
人質として預からせてもらうというのは、相手の弱みを握るためだけ。
徳川家康は今川での人質時代は結構大切に扱われてたというよ、義元は 重臣で相談役だった大原セッサイを教育係につけたり 元服の時には自ら義の1字を与えたりと、粗末に扱うならあんなことはしないだろ、 今川も善意からというよりいずれは三河の土豪たちをまとめさせるのに使えるかららしいけどな
家康が人質時代に何か虐待されたエピソードなんかあったっけ?
孕石主水切腹させたよな 詳細知らんけど鷹狩の鷹いじめられたとか(適当
義元が孕石に指示してイヤガラセさせてたのか。 今川って相当陰険なんだな。
誰もそこまでいってねーよw
孕石主水という足軽頭にすら家康は馬鹿にされていたらしい。 ちなみに孕石主水は後に対徳川戦で捕まり、家康によって打ち首にされた。 また、三河の松平家の領土は今川家に散々搾取され、家臣はやっとの思いで生活する始末。 これで家康が大切にされていたとはとても思えない。
だいぶ無茶の上に牽強付会だな
人質を返す時に恥かかないように人質はそれなりに扱おうと考えるのが日本人 どうも日本的な事を否定して中国や中世ヨーロッパと同じと言いたがる人いるね、なんなんだろ? 日本が非常に特殊なのは内外が認める所
というか 戦国時代の人質は基本的に味方が裏切らないようにとるもので 基本味方だから成長すれば頼りになる部下になることがあるわけで 何と比較してるのか意味が分からない 女は洋の東西問わず政略の道具ですな
まあ日本人サイコーでないと困るんだろうな、日本人って事しか誇るものが無い奴は
実際、その国の人間であることを誇れるってのはすばらしいことだよな。
それしか無いのはねえ
↑こういうこと言う奴って 意に反する意見をどこぞの国の人扱いする連中とどこが違うんだろう?
家康は元服と同時に義元から元の1字をもらって義元の娘を嫁にもらってんだよ、 これはどういうことかわかる、今川の一門にしてもらったということだよ、 後に家康が天下をとったほどの器の持ち主で義元がある程度は才能を見込んでて 先行投資したというのもあるだろうが、そこまで粗末に扱うようなら、自分の娘をやって一門に 加えるだろうかね、それから主君から一字拝領を受けるというのは凄い名誉なことなんだよ
>>177 一門に加えるというと聞こえはいいけど
松平および三河の武士団を今川の統治機構に組み込もうとしていたわけで
悪い言い方をすれば懐柔だよね
家康も晩年は駿府城だしなぁ 居心地が悪かったってのはなさそう カワイソウな岡崎であった
駿府を懐かしんだ、のかな?
BSの瀧の番組で岡崎城やってたけど、地元の人は「家康が、家康が」って感じで 別段敬意も持ってない感じだったな。
信長や秀吉みたいなガチの天才にくらべると 平凡な男だな
三英雄に共通するのは、他の県に拠点持った途端に 即愛知出て行って誰も戻らなかった事
尾張・三河って拠点としてはそんなにダメなの?
どういう意味だよw 三河は知らんが尾張は豊かだよ 今川義元大軍とか言ってるけど、尾張の信長匹敵する戦力持ってたんじゃね? って話もあるからな、太閤検地を元にしたデータだったと思うが
昔は知名度の差が即士気に影響してたからな
太閤検地のデータかなんかだと尾張が57万石程度、美濃が54万石程度、三河が30万石程度、遠州が25万石程度 駿河が15万石程度、勿論平和になって開墾が進んだり、鉱山やら市からの収入とかもあるから単純に比較はできんけど 今川と織田だと1万石当たり(大阪冬か夏の陣で家康が各藩に命じた軍役だと)250人位動員してるから数を比較すれば 洋の東西を問わず近代とかに移行するまでは人口の3%程度が常備軍の上限とか聞いたな。生産力で養えるのは
戦国期は雑兵を食わせるためにも、外征を行っていたような・・ まあ雑兵は常備軍じゃないけど
反論もあってそこは混沌としてるところのような
190 :
名無し三等兵 :2013/06/16(日) 13:36:05.55 ID:x2qlP9hP
家臣の数って必ずしも石高とは比例にないからな。 貧乏家臣たくさんの武将とか、金持ち家臣少数の武将とかいろいろいる。 貧乏家臣たくさんの武将は貧乏で雑兵雇えないが、家臣同士の結束は固い。 金持ち家臣少数の武将は金持ちで雑兵たくさん雇えるが、結束はゆるい。
とは言え戦となれば石高でノルマが決まるわけで
秀吉みたいに石高以上に兵士を抱えてて、主君の信長にこんなことして大丈夫か? なんて言われる人もいるんだよね、秀吉はどうやって金や食料を工面してるかは しらないが、常に石高で雇用できる1・5倍〜2倍位の兵士を雇ってたというね
そこはそれこそ市yら鉱山からの銭じゃないかなぁ。秀吉とかは。尾張は流通も商業も盛んで現金収入の比率が 高かったんじゃないか?ってのはよく言われてるし、秀吉も領地貰ったら商業面を重視してるし それに利権というか将来を見越して金とか都合してくれる商人とかも居たんじゃないの?
戦国時代なら損耗前提、経営規模の成長前提でバンバン雇えるでしょ 秀吉は戦国バブルに乗って急成長したけども結局は経営破綻する
黒田官兵衛も関ヶ原九州戦役で留守部隊と傭兵で9000の野戦軍を組織してるから かなり無理すれば集められないこともないのかな?
危なくなったら皆逃げちゃうから思ったより良い商売かも試練、傭兵というか雑兵家業 飯は喰える、略奪のおこぼれもあるかもしれん、銭は貰える。尾張にも美濃にも記録に残ってないだけで 小規模な金銀の鉱山があってそれが信長の資金源になったんじゃないか?とかっていう話も読んだ事あるなぁ 各地でそういう後世には伝わってないけどあった鉱山とかも資金源になったんじゃね?
石見銀山は有名な話だと思うが 信玄の金山って言われるけどどこなんだろう
尾張の資金源は普通に津島や熱田でね? 信玄の金山と言っても戦国大名自身には鉱山運営のノウハウはなくて ショバ代というか通行料を巻き上げていただけじゃなかったかな? (大久保長安はまた別格)
甲州の黒川金山とか有名だな。 最近は武田氏が金山を直営していたのではなく、 鉱山の経営者を保護して上前をはねていたという説が強いらしいけど。 私にはどちらが正しいのか分からない。
金堀衆との関係もいろいろ言われるとこだな しかし上前説は知らんかった
飛騨なんて農業基準の格付けだと離島と同レベルなくらいランク低いけど、 山の資源から来る利益は江戸幕府が天領にしたがったくらいだったって言うね 鉱山とか貿易を副業にしてる中小領主も結構いただろうし、 各地域の軍事力は石高だけじゃ計れない要素も多かったんじゃない? あと、信長の急成長はやっぱり商業都市の経済力が一番でしょ 津島や熱田を取っておいてくれた信定信秀の功績はでかいよ
一向宗も武士階層だけじゃなくて農民・商工業者なども含んだ集団だけど 経済力・戦闘力は戦国大名に引けをとらなかったからな。 三河一向一揆も信仰だけじゃなくて商業利権の争奪戦(家康と中小領主)だったんじゃないかな?
南部家も石高は大したことないが、金山銅山の収入はすごかったらしいからな。 鉱山経営・販売のノウハウはやっぱりないから近江商人を移住させた。 蒲生氏郷や浅野長政とアンチ政宗で仲良くなれたのもラッキーだったかも。
金掘衆って城攻めでは動員されたんだから、武田の家臣と言えば家臣だろう。
南部家はそんな金持ちだったのか 江戸時代では毎年餓死者がでるみちのおくの貧乏藩になってたような
そもそも軍隊整備するための資金と食糧混同してる時点で… 餓死者が出るのは稲作の北限で収穫が安定しなかったからだろ 寒冷期に入ってさ
金があるなら買えばいいんだよ 金持ち藩は凶作や大飢饉といわれた時期でも金で買い集めてる でそういうときに米価が高騰して米を売って餓死者を多数だすのが恒例が南部や津軽だったりする
飢饉になったら米持ってる農家は金で米なんか売らないぞ。 いざとなったら金より米、食料だからな。
実際の話売ってるんだけどな 藩史にも天明の飢饉の際に米価の高騰で借金が返せると売ってしまって 飢饉がひどくなった話が乗ってるし天保の飢饉の際それと同じことをまたやった話もある 逆に白河藩のように金で買い集めて餓死者出さなかった話もある
東日本大震災のときでもそうだったが、いざとなりゃ金ではものは買えない。 ガソリンでも食料品でもすぐに売買は制限される。 避難所で昼飯が一人おにぎり一個ってときに、金持ちが札束出したっておにぎり二個は食えないんだよ。
それは売っても大丈夫だと思ったら年またいで飢饉が続いて ウボワーした話じゃないの?上方、飢饉で自分達大丈夫 売ろう。次の年、全国飢饉、備蓄なしって
盛岡藩って藩主権力が大きくならないまま、 御給人のような資本家階級に相当する連中が出てきたから、 藩財政が潤っているような印象ないわな
江戸時代初期に家康が金銀山を直轄領とかにしたんじゃないの?豊臣もそうじゃなかったっけ? それに東北は御用商人とかがそういう時を利用して農地を独占していったからますます小作人とかが増えて 貧乏になったんじゃ
財政改革のために監禁植物を奨励したら食糧が足りなくなって詰んだでゴザル…
まあ、自分達の分を確保した上で自藩の貧民救済にあてるか他藩へ高値で売り払うかの違いだな
足尾銅山は1765年に藩営化されてるな、もちろん実際の運営は御用商人が請け負っていたんだけど それも明治政府の井上馨に巻き上げられてるね。
>>214 外貨稼ぐために商品作物作って
米とか小麦とか輸入するでござる
構造は変わらない
そのうち台所預かりになるぞ
>>217 タイムラグと、飢饉時の穀物高騰に商品作物の値段じゃ対応できない
そもそも飢饉が発生してる状況じゃ商品作物の需要もなかろう
地方の下民が餓死しようが有るような所では普通に生活してるからなあ
『飢餓輸出』と言って、この世には北朝鮮みたいな国が絶えないんだよ。
>>221 よっ低脳。北朝鮮は冷戦期を通じて一貫して東側から食糧援助を受けてた国だろ
>>221 ,222
検索かけたら輸出してるとされてるものは農産物じゃないな。
これは飢餓輸出のタームで繰っていいの?
飢饉による死亡理由は、実はカロリー不足ではなかった、という解釈もある。 節約していればカロリー上は死ぬほどではないのに、空腹の余りへんなものを食べてしまう。 山村は別として普通の農村では野生植物の食べ方の知恵が失われていて、腹を下して・・・という。
おまえら色々ごっちゃにしてるぞ。足尾銅山は栃木だろ。盛岡藩の藩営銅山は尾去沢銅山だ。まあ足尾銅山作ったのも原敬と古川市兵衛だが。 盛岡藩は仙台藩と違って藩主権力は強大だ。給人なんてしょせんは代官所付の半農半士だ。まあ金貸しでもうけてたのは確かだが。 盛岡藩は他に砂鉄の精錬でも奥出雲に並ぶくらい、時に越えるくらいもうけていた。 飢饉のときの米の売買を考えるには掛け売り節季払いのことも考えないとだめだ。 あと豊作貧乏と言う言葉もあるように米どころだから金持ちとも限らない。
八王子同心なんかもそうだが、実際農村で金貸しやってるのは、 武士の株を金で買った農家だったりする。むしろ小作人の方が株売った元武士だったり。
飢きんに関する考察は別スレでやるべきでは?
北朝鮮は全員に平等に食料を配れば餓死は無い そういう事だよ ちなみに東日本大震災では餓死者が出ている 案外あっけなく餓死してしまう
餓死するは物が運べないと同義
「おにぎり食べたい」
人間の共食いは食糧が少ないというよりたんぱく質の供給源が少ない地域でおこる パプワやニュージランド、アステカなんか。合理的な行動ではあるんだろうが 現在の道徳観からはオゾマシイ選択
司馬遼太郎の街道をゆくや吉村昭の彦九郎山河でも天保の大飢饉が出てたな 元ネタは高山彦九郎の日記で南部藩の状態を 「野草の類も食いつくすと、人々はイノシシ、シカ、イヌ、ネコ、ウシ、ウマも食いあさり、 それらも絶えて人の肉を食うようになった。親が死ぬと子はそれを食い、子が死ねば親が食う。 さらに山中や野外に捨てられた人の死骸も、彼らの食欲の対象になった。 その頃、人の肉を食った村人に聞くと、馬の肉の味はサルやシカのそれよりまさり、 さらに人肉のそれは、ウマの肉より優れている、と語ったという」とあり 「村内で人肉を食ったものは、それがたたったらしく十人中七人は死んだ」 他にも吉村昭の取材ノートあたりで子供を食った女性の記録を取材先の旅館で読んでたら そこの女将とその女性の姓が同じことに気がついた・・とあったような・・
>>227 兵站に関することならアリだと思うんだがさすがに逸脱しすぎてるしねえ。
では兵站に話を絞ってモンゴルの遠征だと馬連れて行って血を食料にしたっていうけど 欧州や東アジアでは遠征時に家畜をどの程度、生きたまま連れて行ったのかな? 遊牧の歴史ざっと漁った時、一年単位でイベリア半島やペロポネソス半島を 南北に縦断して移動させてるルートが乗ってるのあったから 生きたまま軍隊に同行できそうな気するんだけどな とりあえず、航海の時に羊乗っけて肉欲と食欲満たしたってのは見つけたw
生きたままってのは最も鮮度を保てる保存方法
馬って処理方法ちゃんとせんと、 臭くてまずいんだよね。 しかし馬刺しはうまいと思うが、 あれどうやって処理してるんだろうか……。
モンゴル人は馬とラクダと羊と山羊と牛は必ずセットで飼うからな。
遠征時に家畜を連れて行くのは遊牧民族くらいでは? 家畜を連れていくというのは意外と牧草や穀物が必要なので効率が悪い。 馬1頭の1日の馬糧で人2人分に相当するそうだから。 だから騎兵1人の補給は歩兵の3倍かかるらしい。
そもそも遊牧民が移動するのは米や麦が収穫できない牧草地だからな。 人間が食えない馬一頭分の牧草を人間二人分の米と比較するのは意味がない。
>>237 焼いても美味しくない
でも日本人は気づいてしまった、生だと美味しいぞ
馬肉は生だと寄生虫がいる可能性がある。 生肉全般がそうだけど。 だから寄生虫にやられたくなかったら生肉は止めておけ
>>240 馬の食事時間削って人を乗せるなんて重労働させといて粗飼料だけで済ますとか虐待だろ
>>243 濃厚飼料一定以上食わせっと一発で下痢するぞ
焼いても美味いよ、重種とポニーは。
別人だが補足しよう。 馬は戦国時代から、藁や干し草だけでなく、豆や穀類に加えて、酒粕などを添加した配合餌を与えられていた。 牛などの消化器官の発達した動物と違い、馬はその辺の草だけ食べさせても、全力では動けなかった。 他にも、干し草などで済ませた場合、一定以上の水も飲ませないと、消化器官に異常を起こすことがある。 オレ自身は知らないが、逆に濃厚飼料を与えた場合でも、配合には神経質に拘る必要があるのだろう。 ぶっちゃけ、その辺の足軽大将なんぞより、扱いは優遇されてたってこったよ。
>馬はその辺の草だけ食べさせても、全力では動けなかった。 自然ではあり得ない過酷な運動させるので粗飼料だけでは足りなかった 粗飼料だけでは食いきれない量になってしまうし、それだけの量の粗飼料の確保も難しい もっと少量の餌で馬を働かせたい->濃厚飼料
お馬さんは100円、兵隊は1銭5厘
ところで濃厚飼料ってなんだよ
近代の畜産の用語だから古代・中世の軍馬の餌を指す用語としては不適当だと思う
言いたいことはなんとなくわかるが
>>248 に該当するようなのは手元ひっくり返しても見当たらんな
難しくはないだろ? 牧草だけだと広大な牧草地が必要だし馬は一日中草食ってやっと必要摂取量摂ってる もっと高カロリーな餌食わせれば広大な牧草地は不要、食事時間も短くて済む
>>252 馬の一日の摂食時間てえさ場の移動がなければ2時間前後だった気がすんだけど
牧草地は不要でも飼料栽培地がいるじゃん ついでに飯の時間惜しんでなにさせるんだ
高カロリーの餌は馬には与えちゃいけなかったと思うんだが反芻できないから
それはなさそうな 馬 濃厚飼料でぐぐると一発目にPDFがでてくるがそれにいろかいたる
>>256 確認した。やっぱり1日に与える濃厚飼料は0.25キロまでにとどめておけとあった
うん、いろいろと制約は書いてある、とはいえ >このように馬はエネルギー源として繊維を利用できる草食動物の一種である。同じ草 >食動物である牛と比較すると一般的に馬のほうが粗飼料(乾草など)の消化性が低いた >め、運動量が増加すると穀物などの濃厚飼料を給餌する必要がある。 ここを忘れちゃいけない
伝令みたいなのでめっちゃ急がせたら馬って1日何時間くらい乗れて何キロくらい行けるんだ
>>257 引用はきちんと。
正 体重100kgあたり乾物で1.25kg以下、全飼料の50%以下
ただ、これは若いサラブレッド「のみ」が対象なので・・・
サラは濃厚飼料過多に弱いが、にも関わらず、濃厚飼料の多給が必要な運動強度だから難しい。
太い馬は案外平気。馬房から逃げて蓋していない餌置き場で飽食しちゃった場合、運動させて腸の蠕動促したりはするけどね。
濃厚飼料の一般名しての古名はぴんとこないねえ。他地域と比較できるようになる前は個別の飼料名で呼び、
一般名称はなかったんじゃないか?
英国だとカラスムギがその代名詞。ジョンソン博士とボズウェルの掛け合いは有名。
カラスムギはイングランドでは馬の餌だが、スコットランドでは人が食べるのか。
だからイングランドでは素晴らしい馬が育ち、スコットランドでは素晴らしい人が育つんです。
日本で自分の知っている範囲だと「ふすま」で代用するこはがある。中身がふすまだけではなくても。
>>253 それは濃厚飼料やるから。
>>259 高低差、道の整備の度合い、馬を換えるか一頭で行くか、一頭なら全長なんぼかによって変わる。
馬車の歴史、平凡社、にいろんな例があったな。図書館に返してしまったからスマは引けないが。
おおまかには、一頭に乗り続けなら、一日に30〜50kmぐらい。
換えるのなら、平均時速20km強で1時間置き、20km弱で2時間置きぐらいが目安かな。
後は人の体力と、人も換えるか次第だね。
ぶっちゃけ日本の場合、だいたい総重量100kgしか運べない馬よりも、牛の方が荷物を運べたからな。 飼料のことも考えると、荷馬を使う利点は余り多くないんだろうよ。
日本の荷駄隊は馬使ってるイメージだったが牛が主流なの?
意外だろ
牛は牛で扱いが・・・「こってうし」というぐらいで、一人で複数頭操るのは馬より難儀。 放牧の行き来とは違うから。 で、牛は100kgよりうんと多く積めるのか? 在来の雌牛だと体重200kg程度だが。 雄牛はパワフルだよ。小岩井のホルの種が騒ぐとレンガ造りの牛舎が揺れる。 が、数をまとめての運用はできまい。 雌牛だったら、馬よりうんと効率よいとも思えない。 むしろ、西日本と東日本の歴史の差、慣れの差のほうが大きいのではないか。
馬だって野生の馬は飼料なんか食わんからな。
草ならただだもんな 理由があって大きくしなきゃそりゃそうだろう
粗食に耐えるって意味でもモウコウマは扱いやすいんだろうね。
そこら辺に生えてる草喰わす方針だと飯に6〜8時間かかるんか
武将の覚書か何かで飼い葉について語ってるのとかあった気がしたが ぱっと思い出せん。
馬にとって草は消化効率が悪く食っても食ってもなお足りない 草だけだと食う寝る移動するのループで働かせる時間がない
8時間放牧でおkなら仕事内容によるな
>>270 雑兵物語で馬の世話の仕方があったような気がする。
モンゴルは大草原 日本には馬が生息できる草原はどれくらいある? 日本では草だけ食わせるのは無理
モンゴルでは草だけが基本だが、羊の乾燥肉を与えることもある、らしい。はみだし生物学、小松左京、たぶん。 競馬の前には草の摂食さえ制限して馬体を絞ることもする。モンゴルの馬と草原、だったか、獣医さんのモンゴル騎行、だったか。
>>270 戦場はひたすら飢餓だから目に付いた物は落ち葉でもとっておけとあったような
落ち葉=飼葉でね?
日本でそんなに簡単に牛馬の飼料が手に入ってたら江戸時代を通じて牛馬の保有数が下るわけ無いよなぁ
どれくらい保有数が下がったの? 人間と食うものがかぶるんなら減るだろうなあ。
喰うものというか平野部では草は貴重な肥料になるし、牛馬の世話に費やす時間を商品作物等に掛けた 方がお金になるから減っていったらしい。そりゃ1頭当たり草だけで飼おうと思ったら半端の無い面積がいるから だからそういう手間が比較的要らない、草が多量にある中山間地域では余り減らなかったそうだよ。後は商品の輸送で どうしても必要な地域とかは
280 :
名無し三等兵 :2013/06/25(火) 14:15:24.34 ID:hjK+KCiV
BSの里山のヤツで見た。山の手入れにもなるみたいだな。
なるほど、そいつらがいればジンギスカン作戦も成功したのだな
日本に野生の馬はいなかった 野生が生息できる環境が無かった 野良馬が細々と生きているケースはあるけども
生息できる環境がないのに生きてるのか 不思議なこともあるもんだな
野良はいても野生はいないなら生息出来ない環境で良いんじゃね
生育できる環境がない説とはいったい何なのか? ソースよろ。
寒立馬なんて現代でも野生に等しいけど? 因みに日本の話な。 あと牛と馬の違いだけど、どうやら牛は高低差に弱く、山間部は馬の方が強いみたい。 矢張りこれも、富士の麓で、現代でも営業してる馬借が、事実と証明してくれる。
ウマ一族はもともと滅びつつある。ウマはモウコノウマ、ロバがソマリア〜とシマウマ数種しかいない。 ウシ・シカ一族200種を数える。植物の消化効率の差が大きい。 日本にも新石器時代までは野生のウマがいたが、おそらくは縄文期の温暖化・草原の減少・森林の増加によって絶滅したと考えられる。 変化に適応しながら個体数が維持できる/できない と、広域的な遺伝子のシャッフルなどに人の手を借りられるのは違う。 むろん偶然もある。帰化種は日本で暮らしていけるけど、もとはいなかったわけで。
そうかそうか
>帰化種は日本で暮らしていけるけど、もとはいなかったわけで。 わかったから生息できる環境がない説についてもそろそろ語ってくれよ。
奇蹄類自体が地球に不人気なのですよ〜 時代は偶蹄類なのですよ〜 だから何といいたいわけではない 元はいないとか関係ないよね 増える外来種なんて珍しくないし、馬は米にもおらんかったんだし
野良馬が生息できるなら環境あるじゃん
野良馬は何食べてるの? 野良猫みたいに人の出すゴミとか食べてるの?
縄文人に狩られて食い尽くされたんだろ
軍事スレなんだから野生の馬の話なんかどうだっていいよ。
少数の野良馬がギリギリ生きれる程度の草原しか無い 大陸ではないのだよ
何を言っているのかわからん
延喜式 左馬寮式 凡細馬十匹、中馬五十匹、下馬廿匹、牛五頭、毎年四月十一日始メテ青草ヲ飼フ。 十月十一日以後ハ干草ヲ飼フ、(馬日ニ二束半、牛二束、束別重サ十斤二両)其飼丁ハ馬別一人衛士ヲ以テ充ツ。 但青草ヲ刈ル丁竝飼牛丁ハ惣テ七十四人竝仕丁ニ充ツ。 其秣ヲ飼フヤ、冬細馬ハ日米三升、大豆二升、中馬下馬各米一升、大豆一升、牛ハ八合トス。 夏細馬日ニ米二升。中馬一升。下馬及牛ハ須ヰズ。
西日本の馬の飼い方が奥州に比べてヘタクソなことは有名だからな。 まあ奥州では単なる林間放牧なんだけど。
冬細馬ハ日米三升、大豆二升 細馬は痩せ馬の意か、すんなりした良馬の意か? いずれにしてもかなり思い切った量だね、疝痛怖い。特に豆・・・先にうるかしてほとびらせておいたのかな? 自分の知っている所だと、500kg級のサラや中間種で、ふすま2:大麦圧ぺん1の混合物を日に二升、 米は 必ず 先にうるかしてほとびらせておいた日に二合が基準。それも寒期、繁忙期、試合や草競馬の前だけ。 米を多くするとぶっ飛んで大変だし・・・
合戦になると大豆八升を喰らう八升栗毛なんて馬がいたとか
まずうるかすって言葉は標準語じゃないと思うんだよね
「大豆」「米」が何を意味しているのかも考えなくちゃかな。 米にしても、籾付きと精米後では、容量が倍ぐらい違うし、大豆も鞘の産むなどあるかもしれぬ。
すまん、うるかす、ほとびらす、は標準語ではないと思うが、良い代替がみつからず。
政府管轄のお馬様様だからでかかったのかね 唐が大規模牧場経営?で大量に馬飼育してたし うるかす聞いたことあるのか知ってるなぁ ほとびらしゃ知らんけど
うるかすもほとびらすも標準語じゃふやかすっていうんじゃないのかね
更にいうと古代と現代では単位も異なる。 例えば、奈良や平安時代初期の1升は現代の4合に相当する。 だから、そのあたりも考えないと話がおかしくなる。
>>277 江戸時代は期間を通じて開墾や新田開発が行われていて、まあぶっちゃけそっちに土地が転用された可能性も高い
人口が江戸初期と末期で略4倍になってるんだからまあ馬の食い分なんてそう取っておけない
馬ってのは草だけ食っていても生存カツカツ、動力源にはならない しかもだ、馬一頭が生きるのに必要な草原の面積は日本の感覚では広大になる 食い尽くしたら移動する遊牧なんて日本ではできない
お前は同じことしか言わないが 何か根拠はあるのか
ステップ系の草原wwってそんな草wwwwwww生えてるのかよwwwwwww
野良って何代目から野生になるんだろ
日本ではあれこれ均すと「馬一頭に一町歩」。堆肥生産が基本の目的だから草だけ、かな。 働かせるには加増がいるんだろう。 そか、4割で、かつ籾付きならツジツマ合いそう。ポペロー(フィリスの馬ね)は燕麦8リッターとか食ってるし。 日本馬のサイズには緒論あれど、サラより重いことはあり得ない。 ふやかすともちがうんだ、ふわふわと柔らかく増積するわけじゃない。 うるかすは潤かす、ほとびるは潤びる、だな。 水に漬け置いて、隅々まで水を行き渡らせる、ただし、ふわふわ柔らかくではなく、せいぜい弾力が出るぐらい。 ステップに限らず、ハイジのヤギなんかもそうだが、草原は季節ごとにピンポイントで利用するもの。 草の種類、水分、生長度合いと、家畜の種類、雌雄、年齢その他とすりあわせて。
馬に米を食わすとは聞かないな、糠なら聞いたことがあるけど 馬はデンプンを分解する唾液アミラーゼを分泌しないし
都井岬なんて小さなエリアですら野生化してるのに日本は馬が生きるのには 狭すぎるなんて不思議な話もあるんだな。
馬の飼料として大麦が用いられたとよく聞くけど あれもでんぷん質じゃなかったけ?
唾液に頼らなくても。 都井岬で何年間維持できるだろうか? 遺伝的多様性の観点からまあ安心なのは、 創設者効果やボトルネック効果のない1000個体とされている。 野良や半野生、粗放的飼育、保護下の野生と、有史以前のような「全くの野生」では条件が違うし、タイムスケールも違う。
土鍋なみにいらないヤツだなこいつ
生育できる環境がない説とはいったい何なのか? ソースよろ。
もしかして:アミロペクチン
>>284 >野生が生息できる環境が無かった
これはもう撤回したのか?未だに言い張ってるのか?はっきりしろ
遊牧ということで連想というか思い出したこと。 ステップ地帯といってもやっぱり草の生え方等はいろいろ違い 馬の飼育に適したところがある。 例えば、オルドス高原は馬の飼育に古来から適したところで 前漢と匈奴の頃から、北方騎馬民族にとって重要な地帯だったとか。
授業に退屈した中学生が地図帳見ながら世界戦略練ってる感覚だな。
日本に野生の馬はいなかった事実があるわけで 馬よりもっと広大な草原を必要とする象はどこにいる? 日本の国土は野生馬の生存を許さなかった
こいつ土鍋?
ナウマン象は絶滅したがいたわけだが 馬だって、古代の野生馬の化石が確認されているのにねえ
木曽馬の存在でもって原生馬がいなかったと思ってそう
話の通じなさは土鍋レベルだわな。 そもそも彼の主張によると日本には馬の生育環境がないとのこと。
日本の国土って言われるほど特異な環境でもないからなあ。 前に、日本でファランクスが発達しなかったのは山地が多い日本では 狭くて長い槍が使えなかったから、とかほざいてるの見てさすがにいろいろな意味で 笑ってしまったw
スイスのパイク兵はその人の中では幻想なのだろうな。
>馬だって、古代の野生馬の化石が確認されているのにねえ それも絶滅した 日本には野性の象も馬もライオンもトラもいない
だから日本でもパイクのような長槍は使えたはずがない。 それが使える地形が存在しないのだから。
とりあえず日本地図みて平野部の広さがどれ位あるか見てみたらどうか?それに狭いっても5mの長さを数百人が振り回すなら ちょっとした都市があるような開けた所なら問題無いだろ
日本の地図だけ見ても分かんないよ ヨーロッパと比べないとな 現代の戦争の話でも日本は狭いとか言うのは居るけど、メルカトル図法だとヨーロッパは大きめだからか?
>とりあえず日本地図みて平野部の広さがどれ位あるか見てみたらどうか?それに狭いっても5mの長さを数百人が振り回すなら お前の家の中でそれができるか? できないだろ? つまりそれが日本に長槍兵がいなかったことの証明になる
え?長槍って室内戦闘で使うのか?欧州とかじゃ?それは知らんかった。ちょっとどこの戦闘で長槍が室内で使われたか 書いて見て? 5m位の槍が室内戦闘に使える城や建物ってどこにあるんだよ
まさかあの書き込みでつられる奴がこの世に存在するとは
>>344 正直俺も驚いてるわ
なんか申し訳なくなった
2ちゃんでこんな気持ちになったのは初めてかもしれない
パイクの長さってどのくらいなの?
戦争技術の歴史・近世編では6m、戦場のスイス兵「1300‐1500」では4〜7mぐらいと出てた 時代や地域によってバラつきがあるんでね?
あったらそれがすべてというわけではないが 現物残ってるのかね 消耗品はだいたい残らないのが世の習い
絵画や版画では結構でててオランダ軍が始めた使用マニュアルも残っているんじゃないかな? まあ近代の絵画では「市民」の象徴としてかなりフレームアップされて「歩兵」は取り上げられているそうだけど。
画像検索しても当時品らしいものがなかなか出てこない。 儀杖用という役目があったハルベルトとかの方がまだ残存率は高そうだ。
釣りは釣りとして・・・ ヨーロッパでも見渡す限りの平地や平原で行われた戦いばかりでは無いよね。 川(海)と高地に挟まれた土地や、高地と高地に挟まれた土地での戦いも、そこそこに。 新戦略の創始者(原書房)には、マラトンの古戦場を訪れた19世紀末のプロシア軍人が 「1個旅団が展開(演習だったかも?)する事さえ不可能」 と語ったエピソードが載っていたよ。 まぁ、海岸線の変化をどの程度考慮したのか不明だけど。 WW2の東部戦線だと、桁違いの平原で、桁違いの兵力が激突・・・
ペロポネソス半島やイタリア半島なんか山多いしなあ
中世の僧兵は刃物持ってはいけなかったらしいですが クロスボウなどは使えたんですか? モーニングスターとか棘の沢山ついた武器は使ってたみたいで その辺の線引がよくわからないのですが
>>354 僧職者の流血をもたらす武器の使用は法王が禁じたと言われているけど
「戦闘技術の歴史」では俗説だと紹介してた。
そもそも聖堂騎士団がいるんだからなぁ。一応、みんな修道士扱いだけどガンガン戦争してるし
ありがとうございました
>>353 そう考えてみると
よくファランクス戦術がギリシャで発展できたな。
あれこそ長槍を使った戦術の代名詞の1つじゃないか。
逆に狭くて戦場が限られたからこそ、騎兵が発達せず、歩兵戦を強制させられたんだよ。 しかも前線を伸ばすことが出来ないし、だけど勝つためにはマンパワーを費やしたい。 簡単かつ確実に戦力を強化出来るから。 いきおい、狭い場所に密集して、オシクラマンジュウみたいな戦法を使う事になる。 後はミックス・アップだ。
まあ文化というか合戦というか いろいろ戦争のルールというか儀式やしきたりがあっていつも同じところでぶつかってたらすぃ 猫の額のような戦場で真正面からぶつかって殺戮をするのが初期の古代ギリシアの流儀だったようだ
>>359 そういえば山がちなスコットランドで、
長槍持った高地人にイギリス騎士がやられたな。
それ以降イギリス騎士は徒歩戦術も重視するようになったと聞いた。
山がちな地形は歩兵戦術を発達させるのかもね。
戦場でもさることながら、戦場までの機動も馬を連れていると何気に大変だし。
因みにスイス傭兵も、ハプスブルクからの独立紛争がキッカケで発生した。 元々は山岳戦で、ハルバードなんかを使ってたんだが、やがて独立が成立すると、余った軍備を輸出するようになった。 いくつかの戦闘で、平地におけるハルバードは不利だと学び、その結果として長槍を用いる戦術が確立する。 歴史的経歴から、神聖ローマ帝国やオーストリアなどハプスブルク家とは仲が悪く、主な顧客は対立するブルボン朝フランスだった。
アルベドの戦いではパイクの活躍でミラノ騎兵に勝利したの? そう書く本もあるようだけど、オスプレイの本ではハルベルトの戦術的効果について 再考を余儀なくされた戦いであって、スイス軍は勝利どころかなんとか血路を開いて 「北方へ逃げのびることに成功した」程度でしかないらしいんだよなあ。 実際の史料ではどう書かれているのか詳しい人に教えてもらいたいんだが。
基本的にスイス傭兵が壊滅したんだから、スイス傭兵軍の勝利と呼ぶのは無理があるだろ? この戦いは、下馬した騎士がいわゆる『メン・アット・アームズ』として、歩兵戦で威力を発揮することを証明した。 重装甲で長大なランスを武器に戦う彼らは、初戦で壊滅した前衛騎士とは異なり、スイス傭兵軍を降伏寸前まで追い詰める。 ただし重装備で、バランスの悪いランスを使うから、後半では疲れ果てて、スイス傭兵軍の増援は追撃できなかった。 このスイス傭兵の増援は、騎士団側面から横腹を突いた形になったが、少数でありほほ同時に本隊が壊滅したので撤収してる。 こうした大規模な会戦では、ハルバードを主兵装とするのは問題があり、スイス傭兵がパイクを導入する要因となった。
え?じゃあこれは何なの?
http://www41.atwiki.jp/bukipedia/pages/72.html >1422年のアルベドの戦いにおいて、スイス軍がイタリアのミラノ騎兵の対策として使ったことが始まりである。
この頃、スイス軍ではハルバード、バトルアックスといった長柄武器を使っていたが、騎兵のランスに対抗するには短かった。
毎度戦争で騎兵にフルボッコされた結果、「じゃあこっちはもっと長いので戦えばいいじゃないの」と言うことになり、パイクが作られる。
常識的に考えて長すぎるパイクは、イタリア第一と言われたミラノ公のミラノ騎兵を叩きのめし、このことからパイクはスイス軍の主力兵器となった。
パイクを装備したスイス軍は、ヨーロッパの中では最強の軍隊となった。
うろ覚えなんだが市川なんとかって人が新紀元社の本でスイスのパイク勝利みたいなこと書いてたような。 ちょっと調べてみる。
「武勲の刃」という本のことかな。 アルベドの戦いでパイクが登場して効果的に戦えるのが判明したけど 戦い自体はスイスの敗北と理解していたけど違うのかな。
物語スイスの歴史にのってねーや しかし戦争に明け暮れててワロタ
山がちな方が食料生産が低くて医療とか改善されると人口を養いきれなくて傭兵とかになるんかな ギリシアでも人口が増えたら移民とか傭兵になってたし
>>369 その本だね。これがガセを広めた元凶かはわからないが。
市川定春と怪兵隊「武勲の刃」
P196
1422年6月30日、ミラノ公とスイス軍による「アルベドの戦い」で、はじめて
ヨーロッパにパイクが登場しました。この戦いで長い柄を持つスイス兵は
イタリア第一といわれていたミラノ騎兵を撃退し、それによってパイクは
スイスの主要兵器となりました。
>>371 まあ人口があふれると盗賊とか山賊とかはびこるからな
あるいは乞食か
たぶん医療はあんま関係ないだろう
人口が増えると移民が起こるのは昔から変わらないな 中国の王朝交代には北方遊牧民族の人口増が関わっていることが多い。 遊牧民族の人口が増える。 南の豊かな中国の大地を遊牧民族は目指す。 遊牧民族を防ぎきれなくなった時に王朝は崩壊する。
中国側の農業生産力の限界を超え いわゆる「人口崩壊」が起こって王朝交代 外的じゃなく内的要因で説明されることの方が多いと思うが
黄巣みたいに終わらない時もるしなぁ
中国は各地域の独立性閉鎖性は高いから、 中央の権力が崩壊すると各地が好き勝手なことやりだして、 まとまった異民族にやられてる……という認識だったが、 実際はどうなんだ?
今度からうちに税金納めてくれたら今まで通りやってていいよ うんわかった これで懐柔出来てしまうからな
多数派はいつも支配される側 清王朝は満洲族の王朝だった その後は共産党王朝
民族なり政党なり恣意的に多数−少数派を決めて 中華民国無視したり、明朝以前の大多数を考慮に入れなければ 「いつも」になる罠
>>367 によるとアルベドの戦いって
ミラノ 参加 16000 戦死 1000
スイス 参加 2500 戦死 500 捕虜 300
参加戦力、戦闘推移の割には、
彼我の損害でスイスがかなり善戦してるけど一体何あったん?
日本人は中国人という民族が居ると勘違いしてる人が非常に多い 中国人という民族は存在しない、中国は多民族国家 他民族国家においては支配する民族-支配される「その他」民族になるので少数-多数になるのは必然 そういう歴史を積み重ねてきた国が独裁になるのも必然
日本は満州族の独立国家を支援した(むろん善意ではない) でも中国人という単一民族が居ると信じる人には意味が通じない ここいらから認識を修正していかないとダメなのよ 中国は漢民族という単一民族説を言い出したけどナチスが飛びついたアーリア人より眉唾だ
帰ってきた土鍋
他民族国家には優等人種と劣等人種が作られる そういう口実がないと差別、搾取できない みんな同じ中国人じゃないか、では困る 欧米は肌の色で優等劣等を決める事を思いついた 植民地、奴隷を正当化する口実 みんな同じ人間じゃないか、では困る そんな中で劣等人種と格付けされた日本は肌の色に関係なく対等になろうとした なんとしても列強に追いつけ
>>381 確かに善戦しているみたいだけど
全軍の3割以上が戦死または捕虜ということは
壊滅的打撃だぞ。というか、よくそこまで戦ったものだ。
全軍の2割が死傷した時点で敗走してもおかしくないのに。
>>388 全軍の2割が死傷した時点で敗走した戦ってあったっけ?
中世から近世のヨーロッパの死傷率なんてめっちゃくちゃだろ たぶん大半は逃亡だと思うが(よく考えると死傷率じゃない気がするが)
大陸じゃあんまり無いかも知れんけど日本じゃ結構そんなもんじゃないかい
何に準拠した数字なのかは気になるところ。 あまりに戦力差がありすぎると日本でいう軍記物みたいな文献から 引いてきたのでは、と疑いたくなってしまう。 あちらの史料に詳しい人がいれば力を借りたいな。
軍記物みたいなもの以外に何かあるのだろうか 中国の史書も基本エピソードの塊だしな
双方の動員記録みたいなのがあれば最高なんだが。
倭寇の武装ってどんな感じですか?
お前の言う倭寇とはいつの時代だ
倭寇図巻でも見れ
素朴な疑問 白兵戦になったら弓隊鉄砲隊は何してるんじゃろ? 鉄砲隊が鉄砲の他に長槍担いでってイメージないし下手に撃ったら味方撃ちもあるし
『雑兵物語』 胴乱一杯ぶちまけたらば、朔杖をひん抜て、鉄炮を腰にひつばさけて、 刀を抜て敵の手と足をねらつて切めされい。
この頃の話し言葉って格好いいよね
>朔杖をひん抜て カルカ抜いてどうすんの?
その朝日出右衛門の話の最初のほうで鉄砲を入れるためのなめし袋は捨てないで 替えの朔杖を二本でも三本でも突っ込んでおいて胴のすいたところにでも 差しておけと言っているから、それが白兵戦で邪魔になるのかもしれない。 教育社新書の現代語訳も「腰の朔杖を抜き」とあるだけだわ。
鉄砲と白兵戦用の武器を別に持たないといけないのは やっぱ大変だな。 そういう意味では銃剣は本当にエポックメイキングな発想だったわけだね。
日本だと同時代の弭槍をヒントに思いつきそうな気もするが、結びつけようとは思わなかったんだねえ。
当時の鉄砲の脆弱性とかもあるのかもしれんね。 どの程度の強度があるかはわからんけど……。
そういえば鉄砲で殴れって指示もないな。安くはない鉄砲の機構部に 悪影響が出ることを恐れてかもしれんが。もしかしたら砲術流派の伝書を 見ていくとあったりするのかも。
安物の火縄銃は作りも簡単というか簡略化されてるから殴ったら曲がるんじゃなかろうか 鋼じゃなくて鉄の棒に薄い鉄を巻き付けながら作るんだろ、安いのは巻き付ける回数も少ないらしいし
126 名前: セルカークレックス(やわらか銀行)[sage] 投稿日:2013/07/08(月) 02:21:19.12 ID:IQXe4Xn80 長槍の刃の根元には固い素材で作られた部分があって 突くより、それで殴るほうが破壊力がある ちなみにその部分の名前が「太刀打ち」ね 太刀打ちってのは殴るための部分なんですかね?
初期の鉄砲は超高価な代物。 そんなもので殴り合いをするなんてとんでもない。 鉄砲が安価になり、銃兵が当たり前になってくると、初期の銃剣が登場してくる。
日本だと鉄砲は天正以降、特に慶長元和のころは結構な量が行き渡ってたよね。 もちろん根拠のない世界一云々は言わないが、百姓層でも持ってたくらい。
>>408 マジで?
だから雑兵物語では、槍はつくんじゃなくてみんなで一斉に叩くべぇ、
みたいに書かれてたのか?
>>410 数字的データがほしいよな。
鉄砲保有量の。
安物でなくても曲がるよw つーか現代のアサルトライフルも殴ったら曲がる 銃剣=槍はOKだけど銃刀はNGです ちなみに狙撃銃は壁に立てかけたら怒られるくらい精密機器
>>411 それなら長い棒きれでもよかったんでね?っていう
先端に刃物が付いてるってことは最終的には突いて止めさしてたんじゃないの
騎兵用のホイールロックなんてグリップのけつに殴るためのポンメルとかあったろ カルカなんてマウケット時代は木製だろ 気休め以外の何物でもないと思うのだがw 力強く押し込むと折れるような代物だろ?w
カルカっていきなり何の話?
叉杖で殴ってるのをカルカとか勘違いしてんのかな?鉄砲を支える銃架なんだから あれは結構頑丈にできてるんじゃないかと思う。
銃剣が結構な発明だったと再確認できるな
銃剣は確かに結構な発明だけど そろそろ近世スレで話すべきでは? 古代中世では銃は時代が違うと思う。
銃剣はともかく銃はスレ違いじゃないというコンセンサスはだいぶ前に できたと思っていたが。
マズルローターのハンドガンはむしろ殴る道具 ライフルはないねぇ
日本のは銃床がないから殴らなかった?
そういや日本だと火縄銃用の叉杖ってないような。 サイズが小さめだから?
>>416 相手の馬止めたりするときには必要なんじゃね?
突撃の際も必要だと思うし。
インド副王が秀吉に贈ったものの中に銃が取り付けられた剣というものが あったと思うんだが、どんな外観だったんだろうか? どうしても例の軍刀を想像してしまうし、普及しなかったところをみると やはり性能的にも不満足な代物だったんだと思うが。
信長が三間の長槍を発明したってのは本当なんですかね?
斎藤道三じゃなかったか
秀吉は短い槍を作って突くのではなく振り回させた 長槍を使うには練度が要る 槍は掴まれたらアウトなわけで下手に持たせても役に立たない
朝倉家も長槍の導入が早かったよ。 「秀吉が考えた」ってのは、後からできた俗説だろうな。
信長が考えたとしたらそれを上杉武田もあたりも採用したってことになるんだよな。 信長の影響力って大きかったんだなー。
>>427 そういわれると確かに例の軍刀想像するな……。
長槍が有利といわれるけどどこまで真実なのかな。 ギリシャの長槍主力のファランクス戦術はローマの剣が主力のコホルト戦術の前に惨敗しているし。 日本でも島津とかは短槍を採用していて、関ヶ原等で活躍している。 長槍が絶対有利というのは講談の世界の気がする。
素人が用いるのなら、長いほうが良い ただし長すぎると、重くて扱えなくなるがw
島津は機動力重視だからか?
そもそも島津関ヶ原で活躍してないじゃん
大活躍? 井伊直政鉄砲で撃ったぐらいだろ 槍関係ないし
毛利他普通に退却できてる軍もあるしなぁ
もちろん、毛利他が主戦場にいなかったのは理解してる 東軍の追撃が必ずしも活発じゃなかったんじゃないかって
武具要説 原美濃守 申分、槍と申は刀長刀にてなるまじきと思う場にて敵をしほする為の槍なれば、二間より短きは詮なき事に御座候
幽斎覚書や三河物語を見ると扱いづらいからといって槍を折って短くするなんてとんでもないことだ って記述があった。二間の槍のほうが強いのはわかっててもやっぱり持つ側の本音としては 短くて軽いほうがラクだよってのがあるんだろうな。
上のスイスのパイクの話題だけど、新紀元社の公式サイトでもこう書いてあるわ。
この人がアルベドの戦い勝利とかガセ広めてるっぽい。
Truth In Fantasy VIII
武勲の刃
市川定春・怪兵隊 著
http://w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/4-915146-23-5p.html 1422年6月30日、ミラノ公とスイス軍による「アルべドの戦い」で、はじめてヨーロッパにパイクが登場しました。
この戦いで、長い柄を持つスイス兵はイタリア第一といわれていたミラノ騎兵を撃退し、これによってパイクは
スイス軍の主要兵器となりました。このパイクの威力によって、当時のスイス兵はヨーロッパでもっとも強力な
軍隊であったのです。
短槍は侍が使うから強いんじゃないの?
覚えがある武士が自分の手に合った長さとして短槍使ってる分には強いだろうな
引いたのがミラノ軍だから別にスイス勝利でもガセとはいえんのでは
スイス軍が血路を開いて北方に逃げ延びたって話は?
んなことは書いてないなぁ
>>451 何に書かれてる書かれてないと言ってんの?
基準がわからん。
みんな大好き戦闘技術の歴史中世編だよ
カラーイラストとか載ってて楽しい本ですね
>>364 なんだけど史料準拠で教えてくれる人が未だに一人もいないんだよなあ。
当時の記録とかどうなってんのかな。
武勲の刃買ってきて自分で探せばいいじゃん あのシリーズなら参考文献のってるでしょ
>>434 少し間違えてるよ。陣形を維持して穂先を揃えられるなら槍の方が圧倒的に有利
マケドニアファランクスもローマと同等の武装していたケルト傭兵は打ち破ってる
ローマ軍との戦いで追撃しようと陣形崩した時に小規模な部隊で自主的に動ける
ローマに反撃の機会をとられたことが大きな敗因
>>342 一度、日本に入ってきて廃れたのに薙刀、鑓と復活してるぞ
復活後は両手武器になったけど
>>456 なぜか『武勲の刃』持ってるけど何から引いたかなんてわからないような体裁なんだよ。
ちなみにアルベドではスイスがなんとか逃げ延びたと書くオスプレイのスイスのも
参考文献に入ってる。自分こそ持ってないんなら的外れな指摘はやめてくれ。
>>458 >復活後は両手武器になったけど
ん?
じゃあ逆に律令時代の4メートルくらいある長鉾は片手武器だったの?
>>459 たんにお前が引用の参照理解できないだけなのかw
>>460 うん、そうみたい。両手で取り回すための仕組みが柄にも医師付にも発達してないんだって
>>461 おかしい人だと思ったけど見事に話が通じてないな。
相手にするだけ無駄ってことかな。
>>461 律令時代は楯があったから肩に担ぐとか小脇に抱えるように構えたとかでは?
ギリシャやマケドニアの重装歩兵みたいに。
>>466 両手で槍(鑓)使うときは、石づきのとこに手を当てて滑らかな柄に手を添えて扱いて使うんだけど
それが矛(鉾)の時代にはそういう加工がされてないんだって
しごくようにできてないってことか 槍は突くべからずとただたぐりよせるべしとかそういえば何かにあったな しかし片手持ちとも考えられんから突くとか薙ぐとかやってたんじゃなかろうか
>>457 つまり長槍部隊は、特定の状況には強いが、
乱戦になったり陣形が乱れたりすると弱くなることがある……のかね。
マケドニア勢の場合は十分な騎兵が援護していたので、
その弱点が露呈しづらかっただけとも考えられるが。
アテネやスパルタは騎兵自体少なかった記憶があるが、どうだろう。
>>469 重装歩兵を軽装歩兵でチクチクと攻撃して勝利したレカイオンの戦いという例がある
その時の指揮官が有名なイフィクラテス
>>467 なんか誤解してないかな?日本刀講座の正倉院の長鉾調査の報告なら引けるけど、
鉾は後世の鑓と違って柄を片手の手のひらに滑らすようにして繰り出すことは
できない構造ってだけで、片手遣いなんてことは言われないぞ
兵法上の分類=戦国期の分類じゃないぞ
鑓は突くもの鉾は振り回すものだろ
>>472 > 鉾は後世の鑓と違って柄を片手の手のひらに滑らすようにして繰り出すことはできない構造
なんで?ただの棒だろ?
『槍』と『矛』の最大の違いは、槍が突くことに主眼を置いてるのに対して、矛は斬ることも想定している点にある。 具体的に言えば、矛の穂先は木の葉のように幅広く膨らんでいたり、蛇行したりして重くなっているし、三叉に別れた物などもある。 ただ、これは形状より、開発された時代背景に関係があり、矛の発祥は青銅器時代に、小剣・短剣へ柄を付けたのが発端だった。 正倉院の手矛もくの字に屈折しており、バランスも悪く、片手持ちの武器に柄を付けて延長する思想がそこに見える。 青銅で作られた、製造方法がまだ洗練されていない筑紫槍が、その後になって徐々に発展していった物と考えれば良い。 一方で槍は、最初から突くことを主眼に作られており、こちらは石器時代から、狩猟などに使われていた物が発展していった。 日本の鎌槍や十文字槍、特に穂先が60cmもある佐分利流の大片鎌槍も、普通の槍から発展してきたので、分類上は槍となる。 用法としては「槍は斬るもの」として伝える以上、中国の矛と大差ないように思われるけれど。 最後に「槍の祖は筑紫槍」なんて、現代的な広い視点での、歴史や考古学を知らない人間が、勝手に唱えた説に過ぎない。 「じゃあ中国や東南アジア、洋の東西を問わない槍はどうなの?」って話になるわな……
日本では一旦鉾がすたれた後に筑紫槍ができて薙刀、そして鑓に変遷していったてだけだろ なんで外国の話が出てくんだ
>>472 律令時代の軍制だと長鉾使う兵も手持ちの盾持ってなかった?
そこから片手で使用する武器だと思ってたけど
『筑紫槍』ってなんだよ? 『菊池槍』だろ? どちらも、良く知りもしないで、何をディベートしてんだよ。
普通にどっちも使われてまんがな それ言ったら「菊池鑓」にまでこだわれよ
筑紫槍ではないが、 筑紫薙刀の凶悪なデザインは好き
忍者って体術の修行はしてたんですか?
夏だな〜
大多数の忍者はしてないよ
やっぱり現実の忍者はただの諜報員だったんですかね? イメージの忍者は体術や手裏剣術の達人、 足腰が強く走りでの長距離の移動が可能など武士より強そうな感じですが
体術や手裏剣術はどちらかというと武芸者の領域ですし
重装備の職業軍人層より体力ある忍者っていたらそっちの方が怖いと思う
「老人伝聞記」、真偽不明とわざわざHPで断わってるものをひっぱてくるならそこまで書こうな
ひっぱてくる?日本語不自由なのが紛れ込んでるのかな?
忍者関係で真偽がはっきりわかってることがどれだけあるかっての
(…そもそも忍者なんて江戸期の講談のせいで成立したもんをそのまま歴史スレで取り上げんなよ)
真偽を知ってる人が厳選されたソースからの情報を提供してくれるってことだろ
俺は真実を知ってるけど掟があるから話せないわ
>>493 武芸者関連にしろ忍者関連にしろ物知らずほど講談講談言いたがるんだよなあ
お前が無知なのも講談のせいかよ
で、同時代の史料はいつ出てくんの?
ソース出さずに言葉尻とらえた揚げ足取りが 続くのを見て夏だなと慨嘆しようと思ったが このスレではいつものことだと気づいた
身体能力は高かくても武芸に優れていたわけではない もし武芸に優れていればもっといい仕事につける 全くの普通の人を使う事もあるので身体能力についても一概には言えない いずれにせよ身分は低い、信用ならぬ者、使い捨て、バイト、部外者
一応有能なのは商人として生業得れるよ…
遠方に諜報活動に赴く際、その土地の方言とか身につけなきゃならんよね その辺はどうしてたんだろう
>>501 島原の乱では潜入成功したのに見事に方言がわかりませんでした。
一応、方言の深化は江戸時代に入ってからが大きいから 領土の取りあいやるレベルならそこまで気にしなくてもいいんじゃね 商売用の共通語はなくても筆談はできるわけで
>>493 詳しそうなので質問なんですがその江戸期の講談ってのは
元和年間より前に忍者を扱ってたんですか?
まず忍者の大半は、素破とか乱破などが主流で、それは諜報部員と言うより、世事に長けた野伏せりの類が大半だった。 件の黒臑組にしても、伊達政宗が滅ぼした敵方の地侍を郷士として召し抱え、一種の同心として使った史実が背景にある。 ただし、黒臑組とは呼ばれてなかったようだし、情報工作や撹乱に参加したと言う話しは、後世に作られた伝説だろう。 では情報部員としての忍者は存在したのだろうか? 存在したとして、その本当の姿とはどういったものか? 非正規の山伏や高野聖、旅芸人などの住所不定の人間達、敵領地との中間線に住み、両方に半分ずつ年貢を収める領民。 諜報部員的な忍者の仕事とは、現代の公安などと同じく、そうした協力者(しばしばアウトサイダー)を、管理する手腕を買われることが多い。 もちろん、アウトサイダーの中には、腕の立つ盗賊などもいただろうし、そうした者は優れた忍者として名を残しもしたろう。 ただし大部分は素人で、島原の乱でも、一揆勢の城に忍び込んだ者もいれば、堀にすら近づけない者だっていた。 細川藩では、召し抱えていた伊賀者が当てにならず、結局は目付役の侍が、代わりに仕事をした程だ。 上の書き込みあるように、例え侵入できたとしても、訛りや南蛮語の多い島原勢からは情報が手に入らなかった。
現地調達しやすいようなネットワークも往時はあったんだろうが 島原の乱のころには機能しなかったんだろうな
各地の同郷者のネットワークを頼っていたんだろうけど 大名権力の伸張で戦国期の横断的な活動の余地は狭まくなってただろうね。
伊賀忍者を重用していた幕府でも吉宗の頃には忍者が役立たずになってそれに代わる組織として御庭番を創設したんだっけ?
お庭番だって幕府公認の武家の事書いた本に収入から家族構成まで載ってますがな 主な仕事は市政の生の声やら雰囲気とか伝えるのが主な仕事だったとか
511 :
名無し三等兵 :2013/07/24(水) 14:47:33.28 ID:dlGspfBR
滋賀南部の古くから続く家の長男で二十何代目らしいが、いい年のオッサンなんだが、 通勤の車の中で鉄の塊をひざの上にのせて、そこへコブシを撃ち付けて、 コブシを堅める修行?をしている人なら実際にいた(昭和60年代)。 勿論通勤と書いた通り、忍術で生活はしてないけどね。 筋肉質ではなく痩せ型だったが、まあまあガッシリしてるような体型だった。
くのいちの性技は現代に伝授されてないんですか?
隠密仕事というか、忍者の業績というのは不明の点が多いからな。 吉宗が御庭番の実力を暗に示そうとして 島津継豊に対し、薩摩藩内の噂話を伝えたという話がある。 薩摩藩は厳しく外部からの侵入を取り締まっていたので 慌てふためく羽目になったそうだが。 こういうのも裏は取れないからな。
514 :
名無し三等兵 :2013/07/24(水) 18:39:50.83 ID:dpw2dUXS
忍者武器も実際はどれだけ使われたものか
とりあえず、間諜を実生活から隔離して育てるなんて ソ連並みに仮想状況整備できる状況でなければ 対人関係のノウハウ身につかないと思うんだ
>>515 旅の商人だの歩き巫女だので訓練させんのが結局ベストかな
あるいはそこからスカウトするのもよさそうだが、よほど首根っこ押さえてないと
二重三重のスパイになってそう
商人虚無僧山伏あたりが定番だろ まあ道のりとか道の状況とかかかる時間調べるだけでも有用だよね
源平のころの情報戦もやはり奥州からの金売りなんちゃらとかの商人が 活躍してたか
わざわざスパイ放つまでもなく敵地の領民買収すればいいし 暗殺するより婚姻関係で懐柔すればいい 「忍者」なんていないだろ、普通の渡りの商人が情報売ってた時代に
忍者は俺たちの心の中にいる!
月はいつもそこにある
敵地の領民が果たして本当のことをいうのかどうかもわからんのに 戦国時代なら519みたいなお花畑はだまされてあっという間に滅亡だな 偽情報を意図的に流すチャンネルにされることだってあるのに
>>523 まさか、情報聞くときになんの担保もなしに聞くとでも
複数経路・家族人質から札束で頬ひっぱたくまで
確実性あげる手段は使い倒すだろ
それだったら専属で雇った方がよっぽど楽だろ
>>525 >>523 と同じ人かな?信用できない相手をなおさら専属では雇わないんじゃないの?
部外者を短期的に利用するのと手駒で長期的に使うんでは、注意点も異なるだろうし
そこまで大掛かりにやって敵にばれないとでも思うあたりがお花畑だな そういうのを素人がやって大やけど負うからこそ専門家がいるんだ
金で雇われる奴がその都度の仕事でいい加減な事してたらすぐに噂が広まって次からの仕事が来なくなるから 1回毎の仕事はきちんとやるんじゃねえの?評判が悪い奴は誰も雇わないじゃん 忍者と違うけどスイス人傭兵が親衛隊とかによく雇われたのは雇い主を裏切らないっていう信用の為だろ
素人相手にやるときはばれてもかまわない情報得るためだろ 地域の間道やら有力者間の風聞やらいったい さっきからなにをもってお花畑と言ってんだ?
そういうことをやってる不審者を敵が生かして帰すと思うあたりがお花畑 よそ者が金ばらまいて不審なことやってるぐらい注進するやつは出るし 金で裏切るならさらなる大金ならもっと簡単に裏切るだろう 517の素人スパイは処刑されて終わりってことだ
少なくとも歴史はそれと反する事態を示してるね どんだけ異郷の征服者が現地住民を水先案内人に 使ってんだよ
お前らそれいじょう、思い込みで語らずソース出して話し合いな
それの数十倍数百倍もの不審なよそ者というだけで処刑されてきた歴史を無視して ごくまれな少数例だけ取り出すとかまさに詭弁のガイドラインそのものだ
>数十倍数百倍もの不審なよそ者というだけで処刑されてきた 相手の領地をこの状態に追い込めただけで諜報活動成功してるって 理解できないんだ。不審者狩る方が潜入してくる方よりコストかさむのは 言われないでも理解できるだろ
名物の根拠なしの揚げ足取りが始まりました。いいぞ、もっとやれ ついでにあげてやってくれNGすんから
おいこむも何もごく普通の状況にすぎず疑われたら殺されることもよくあるからこそ いかに疑われずに潜入するかが鍵なのに素人スパイ君なら敵国の通常警戒網すらくぐれず壊滅するだけの金の無駄だね そうして必要な情報を何一つ得られず専門家をやとった敵国に滅ぼされる
素人しか雇わないと、状況によって素人も雇うの違いが理解できない ならいい加減黙れよ。使える手段はいろいろ使って相手のリソース 消耗させんのはいつの時代でもやることだろ
さあ、張った張った。どちらが最後まで言いつのるのかチキンレースが始まりました NGにするからとっとと上げろよ
お前は専門家なんかいらない、素人だけでいいと珍説を主張したんだろ つまり自分は間違ってましたという敗北宣言ということだな
>>539 素人を使うときの状況に勝手に限定かけた文盲乙
でもって最初からお花畑呼ばわりで反論されるとレッテル貼りで
逃げると。みっともないね
君なんかまともな反論なんかしてたの? 定説にも記録にも反する珍説をソースなしでわめいただけでしかないんだけどな
>>541 はい、ソース出してね。そのせりふはいた以上だせるんだろ
519 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2013/07/24(水) 20:24:04.38 ID:??? わざわざスパイ放つまでもなく敵地の領民買収すればいいし 暗殺するより婚姻関係で懐柔すればいい 「忍者」なんていないだろ、普通の渡りの商人が情報売ってた時代に 君の発言だよ、君記憶喪失でもあるのかな
>>542 定説に反するトンデモ論を吐く馬鹿がまず出すもんだよ
>>544 定説も何も、間諜なんてろくに整備されてない戦国時代には
相手勢力と地縁・血縁ある武将が個別に調略かけたり
農村の有力者に渡りつけたりで専門家なる集団いないんだけど
いったい何を読んでいると主張してるの?どこの大名も持ってないからこそ
全国にネットワークある寺社の交易網に情報、頼ってたんじゃないの
お前こそいったいどこから戦国時代には専門のスパイがいるなんて
とんちきな主張引っ張り出してきたんだよ
もしかして忍者は江戸時代の講談が起源とか吹いて笑われてた人?
どうやら自分以外は全員同じ人間に見える病気になったな
>>545 伊賀衆とよばれて城へ潜入したとかあるし伊達秘観では政宗が
あらかじめ敵陣に忍びを潜入させ敵の情報を報告させてたとあるように
自前か傭兵かともかく専業の集団がいたことは確かなのにどこからそんな妄想もってきたの
伊達秘観ではちゃんと在地の自勢力外の勢力を 黒ハバキ組と雇ったと書いて立ったように思うが これ「敵地の領民」を雇ってるように見えんだけど気のせいかな? 裏を返せば伊達氏の有力な様な大名でもそれまで忍者 集団をもっていなかったってことだろ
ついでに言えば伊達秘観の成立時期って18世紀入ってからだった気がすんだけどな だから17世紀には存在しない黒脛巾なるものの名が付いた集団があったりと
wikipediaのほうがお前らよりよっぽど詳しいな
>>550 政宗公兼て慮りあって、信夫郡鳥屋の城主安部対馬重定に命じて、偸になれたる者50人をえらみ、扶持を与へ、これを黒脛巾組と号す。
慣れてるものを選んで扶持を与えたとしかないんだけどまたうそを息をするように吐くね
>>553 ああ、「老人伝聞記」の方だったね
其の所々の百姓共の内、力量もこれ有り、打物も覚え候様の者をすぐり立、
五十人・三十人一組に致し侯て、所々の御案内申し上ぐる。
又は悪党共忍び入り候を捜し出し候か
とあるのはでもってこっちの方が成立した時期古いんだけど、百姓や悪党と
自分の部下でないこと明記されてるね
>>553 でもって18世紀まで黒脛巾組の活躍は知られてなかったんだけどこれはどういうことなのかな?
>>554 敵地の領民などどこにも書いてないが君の愉快な思考回路だと都合のいいものが何か見えるのかい
>>556 其の所々の百姓をすぐり立てて、所々の案内をさせたんだぞ
自勢力下でなんでそんなことするんだ。いやほんとにさ
18世紀まで黒脛巾組の活躍が文献に出てこないのはなんでかと 17世紀に黒脛巾なるものが存在してなかったとの指摘はどう答えるの?
17世紀じゃないや16世紀だ
>>557 ちゃんと続き読めば組頭の名前と居場所があって
政宗の領土内の地名なんだけどね
敵地に伊達家の部下でございという人間が数十名単位で住めるとでおもってるならやっぱりお花畑だ
忍者というものは、その存在が明らかになってはいけないもの 何者かがわかっていたらすぐに捕えられてしまうし、役立たたない 記録に出てこないほうがむしろ当然だと思うがね
>>561 そうだね戦国から150年以上たって記載されたらそれは立派な創作だろうね
>>560 いや確認したならなおさら1589年まで蘆名氏の所領だったところだよ
それを味方の領民呼ばわりするの?いや何度も言うけど冗談だろ
何度もいうが敵の領土の真ん中で伊達の手先でございで生きていけると思うのか それこそ冗談だ
で、まさかこれで終わりなんて言わないよな
こんな頭の悪い煽り合いの議論は終わらせてやれよ
情報部員としての専門家を大名が 囲ってたこと示してくれれば私の誤り で消えるのにいつまでたっても同時代の 資料出してくれず、しょっぱなからお花畑だ 何だ煽る相手と議論は続けるだけ無駄
>情報部員としての専門家を大名が囲ってたこと示してくれれば 大名家に仕えた戦国の生き残りがそれについて書き記している場合はおk?
>>568 家中職制まで見れる資料あるならそれで、お金の流れあるから一定規模
で備えてるならどうしてもそんざいするなら資料残るよ。手柄立てたら褒美も
与えないといけないし。むしろそういうのがあるからいわゆる服部半蔵が忍者
なるものではないと主張できるわけだし
すごいね この人にかかれば裏帳簿だろうがなんだろうが真実を見抜いてくれそうだ 頼もしいですね
武芸者関係調べてるものなんだが旗本ではない武芸者に対して 大名や国人領主クラスがどのくらいの金で遇したとか免許をもらうのに いくらもらったとかが公文書からわかったりするんですかね?
>>571 大名家なら基本的にその手のも記録残るはずだけど
専門職ならいくらで雇われたってこと明らかにできなければ
次の職を求めるときにも困るし、大名家もいくらで雇ったか
記録取ってなければ家中統制できないし
>>572 たとえば『戦国遺文』で武田や今川なんかの史料を根こそぎ見てもそういう記録ないんだよ
具体的にはどういう史料集見ると出てくるんですかね?
調略にいくらいくら使ったなんて文書でわかるもんなんですかねえ
納銭方等で記録はつけてるだろ。それが現存するかどうかはおいといて
>>569 で聞いてんのは忍者を江戸時代も抱えてた大名家なら当然
家中に記録残ってるだろってこと。伊達なら伊達で黒脛巾組にあたる
もん出せばいいのに出せないってことは忍者に当たる組織抱えてなかった
ということだろ
70レス,
>>505 を超える具体的な話が出てきてない…
忍者の働きにも感状の類が出たりするんだね 天正8(1580)年8月 伊賀衆が大和国内の城に忍び込む 【原文】 以上、 和州宇智郡坂合部兵部大夫城江、夜中ニ伊賀衆忍入候処、南より水堀ヲ越、諸口一番乗、 於城中無比類働共、諸人之目渡リ、其かくれなき儀、難申尽候事、恐々謹言 金剛峯寺 惣分沙汰所 辰 八月四日 一摶V(黒印) 二見密蔵院殿 参 (犬飼家文書)
>>576 思い込みしか書いてないレスを普通は具体的とは言わんよね
そうやって印象操作してるわけだ
>>577 まさしく、自前の部隊いないから外部から人雇ってるね
>>523 への反論自分であげて御苦労さま
>>577 内容的に一番槍じゃないのかこれ
犬飼?現八?(なわきゃない
581 :
576 :2013/07/25(木) 23:12:22.27 ID:???
>>578 一人で自演して荒らしてるのかどうだが知らんが、専用スレにも行かず上げもせずここでクダまいてるのがいるから皮肉ったんだけど。
皮肉の下手な人だー 俺も通じてなかったw
583 :
576 :2013/07/25(木) 23:33:58.21 ID:???
一番鑓だったら一番ニ鑓ヲ入レとか入るんだけどな 感状見たこと無い人かな?
他に一番槍の感状で忍び入りとか使われてる類例があれば説得力あるんだが
>>580 は明らかに思いつきで書いてるしなあ
警察が泥棒やヤクザを使うようなもん 忍者は侍に非ず
で、どこが一番槍なのか?
現在の職業で最も忍者に近いのは探偵ですかね?
>>588 探偵は、もともと本来の意味は「私立刑事」みたいなもん。
個人的な治安対策や調査を頼むためのものであって、
忍者とは違うと思うが。
一番近いのは特殊部隊じゃね?
特殊部隊は公務員だろうに 忍者は正規雇用にあらず、よくて無足人まで むろん例外もあるが
工作員かな
ヤクザだろ 非公式の暴力装置
日本じゃないけどロシア・コサックあたりは近いのかな
>588 映画とかドラマの中のスパイとか殺し屋が近いような希ガス
手裏剣も焙烙玉も忍者独特の武器じゃないが、専用の忍者道具なんて 本当にあったんだろうか?
クナイとか?
くないはただのナイフだし
そんなものあったら一発でばれるだろ 忍者でございなんて道具つかうはずがない
忍者は卑怯卑劣が売り 正々堂々と戦えばお話にならないが闇夜に紛れて後ろからブスリとやる もっと卑劣に一服盛るか 真田だったか伊賀者だったか 集団戦闘に長けていたという話もあったような 一人を大勢で取り囲み一斉に斬りかかる、簡単そうで難しい 武士はタイマン、忍者はリンチ
武士はタイマン?
アイヌって戦闘能力はどれくらいだったんですか?
銃持ったオッサンで戦闘力5だからそれよりは低いと思う
序盤で剣士に無双される蛮族
律令時代の蝦夷はともかく、アイヌは普段はせいぜい村落同士の戦いで敵の村を 皆殺しにする程度の平和な人たちでしょ。
(((( ;゚Д゚)))根切りっすか・・・
和人と比較すると体格が良かったらしいですが強くはなかったんですね 東北の蝦夷のほうが戦闘には長けていたんですかね
律令時代の蝦夷は騎射に巧みでしたし
蝦夷って山岳民族じゃなかったっけ 馬乗ってたんだ
都に馬を売りに来たりする連中もいた
奥州は馬の産地として古来から著名のはずだが。 江戸時代も南部駒とかいろいろあったし。
信長って槍を三間の長さに統一したってだけで、長槍自体は昔からあったの?
×三間の長さに ○三間以上の長さに
長槍といっても、細かく考え出すと結構難しくなるな。 以下、あくまでも私の理解なので、突っ込み求む。 日本だと槍の登場は、鎌倉時代後期になってから。 それ以前の日本のいわゆる長柄武器は薙刀とか矛だった。 歩兵の集団戦術が普及しないと槍は役に立たない。 世界史レベルでみると古代ギリシャのファランクス戦術なんて長槍なくして成り立たない。 つまりそれくらい古いレベルで世界史レベルだと長槍はある。
あ、申し訳ない そういう大きな話じゃなくて信長以前に戦国時代の日本で 三間の槍が普及していたか否かの疑問
お前前スレでも聞いてたな
vipのスレの方でそういうやり取りがあったから聞いてみただけだが… 前スレに答えがあるの?
ない
そうか 意外とわからないもんなんだな
長槍は村上義清や斎藤道三が創始と言われているから 信長の前に信玄や謙信が使っていた可能性もあるわな
群像シリーズによると ・後北条は二間半だったが本能寺の変から三間 ・武田は昔から三間 しかし出典元はなし
槍の長さは兵の質と関係がある 本質はそっち 大胆に素人を戦力化した 武士を職業軍人とするなら徴兵した平民が長槍部隊 幕末になると長槍に代わって小銃になる
いや、そういう一般論には興味ないんで
戦国時代の足軽ってどうやって戦ったの? 開戦時に槍で叩き合ったりするっていうのは聞いたことあるけど、戦の終了時までそれやってるわけじゃないでしょ? 起動力がある訳でもないし、元が農民なら弓とか刀とか使えなそうだしやることなさそう
一番数が多い槍隊の足軽がやることないってもう戦闘終わってる
備見ると長柄組は最前列だけどそこまで数が多いわけじゃない 両翼の鉄砲隊の援護とともに長槍で叩き合いの後敵陣が崩れると 後詰の持ち槍隊が雪崩れ込むというのが定石だったんじゃないかな
>>624 当時の農民は弓や刀使えるぞ。
何のために刀狩りしたと思ってるんだ。
ファランクスって実際やってみると行軍速度がダダ下がりだよな? 実戦で使われたことってあるの?
戦場までの機動→戦闘隊形への変換も大変そうだな。 うろおぼえなんだがスペインのテルシオはの陣形組むのに 半日近くかかると聞いた。 どこで読んだのか忘れたけどね……。
>>628 戦場と敵の行動が丸わかりな状況である種のおしくら
饅頭やるために特化した陣形だから。そもそも行軍中は
どの軍隊でも陣形は縦隊だと思うよ
行軍と実際での会戦とを混同すると話がかみ合わない。 史実の関ヶ原や川中島といった行軍からそのまま会戦へと突入する方が例外的。 会戦というのは、双方が会戦の決意を固めないと行われないのが基本。 大抵の場合、劣勢の側が会戦を回避して睨み合いが続くことになる。
それは何出典なんですかね?
言ってることが無茶苦茶だろ とりあえず大抵の例ってのを教えてもらいたいもんだが
思いつく例だと劣勢側が一方的に領土蹂躙されるの防ぐために会戦に持ち込んで 予想道理の結果になる方が多いな。せいぜいハンニバル戦争でぼろ負け後、徹底して 回避したローマぐらいか
本当に劣勢なら立てこもるからな
クトゥーゾフみたいに逃げ回る奴もいることはいるか 条件が揃えば有効だよね にらみ合いとは言わないが
会戦に持ち込むのに大抵苦労しているイメージしか湧いてこないけどな。 とりあえず、ギリシャ・ローマ時代だと第二次ペルシャ戦争ではマラトンでは会戦に突入したけど (それでも数日はにらみ合いをしてミルティアデスが将軍になってようやく開戦) 第三次ペルシャ戦争ではプラタイアまで会戦は回避されている (ちなみに戦場で10日ほどにらみ合った末にようやく開戦) ポエニ戦争でも似たり寄ったりで、会戦を始めるのに数日かかるのが当たり前。 中々会戦というのは行えない。
大抵の場合ってのはつまりはイメージか
んなこと言ったら第四次川中島だって上杉が決戦できなくて困ってたわけだが
>>637 第三次ペルシャ戦争、プラタイアの前にどこで会戦いどめんだよ
>>637 >会戦というのは、双方が会戦の決意を固めないと行われないのが基本。
>大抵の場合、劣勢の側が会戦を回避して睨み合いが続くことになる。
の主張をトーンダウンさせずにとっとと例出せよ。プラタイアでも劣勢のギリシャ勢
会戦を回避してねえぞ
゚ 。 : ..:| |l ̄| : 。 ..:| |l島| このスレはしまむらくんに ゜ : ..:| |l村| 監視されています ゜ : ..:| |l_| : ゚ ..:|;:;:.... | ゚ : ..:|;:;:.... | (~) ゜ : ..:|;:;:.... |´⌒`ヽ 。 ゚ ..:|;:;:.... |:i:i:i:i:i:i:} : : ..:|;:;:.... |・ω・`) ゚ 。 : : ..:|;:;:.... |::⊂ノ : : ..:|;:;:.... |-u' ,,.,、-‐''"´~ `ー-‐'
ファランクスって上から見ない限り敵からは正面しか見えないから優勢か劣勢かは簡単には判断できない。 エパミノンダスみたいにひそかに左翼に最強軍団整列させてる奴もいる。
第二次ポエニ戦争でハンニバルがカンネーの戦いの後に会戦を行ったのはザマまで見当たらないけどな。 ハンニバルは無能だから例にならないか
>>643 だから丘の上は便利なんだよ
といってもあいつらはだいたい真正面でガチンコしかやってなかった気がする
旗指物とか相手の視界を遮る意味もあるのではないのかとかと
考える今日この頃皆様いかがお過ごしでしょうか
>>644 古代最強と言われるハンニバルを無能とはw
俺の方が強いし
まあお前には勝てんな でもそれはしかたない ハンニバルは十分に有能
ハンニバルが有能なら、カンネーの後、何でローマとの間で会戦が行えなかったのか 説明してほしいものだ。 ハンニバルが有能なら、幾らでもローマ相手に会戦を挑み、勝利を重ねてローマを崩壊させることが できただろうに。会戦は有能な側が希望すれば幾らでも行えるものではなかったのか? 633とか、そう主張しているけど。
兵力も物資も足らん
>>649 別に有利じゃないんだよなぁ
敵国の本土に孤立した状態で冬営地確保と兵に食わせるために南イタリアからの収奪に明け暮れてた10年だから
あの状態で手出し出来ずに籠もるしかなかったローマがしょぼいって方向ならともかく 決戦できなかったハンニバルが無能ってのは斬新だな
対立する軍勢がいれば、会戦など簡単に成立する、そう言ってる人への皮肉だろ。
何が言いたいのか相変わらずよくわからんが ハンニバルは兵力不足で会戦できなかったぞ だからカプア包囲軍を撃破できずにカプア落ちちゃったし とはいえカンネーの後もローマ軍撃破してたはずだが 今資料見つからんけど
ハンニバルの部下にはローマに侵攻しろってのもいたことはいたが ローマ側は敗戦でファビウスの持久策が国是になったから ハンニバルがいくら企図したところで決戦は起きないだろ
ローマを攻略すれば決戦には応じるけど5万人をローマが落ちるまで食わせるだけの食料なんぞないわけで
ハンニバルの自己評価としては 1位アレクサンドロス大王 2位ピュロス 3位ハンニバル
ピュロスの勝利よりもさらに下の勝ち方しかできないってこと?
亡命先でのエピソードでしょ スキピオ 「誰が一番つえーの?」 ハンニバル「俺三番目」 スキピオ 「ザマで勝ってたらどーよ」 ハンニバル「アレキサンダーぬいて史上最強」 調べたら出典はプルタークらしい
うまい作り話だとは思うけど、ザマで勝っててもいずれ滅ぼされてるよな
ローマの歴史家も救国の英雄スキピオ<<ハンニバルの評価だからな
ハンニバルは確かに野戦将軍としてのスキルもある人だと思うが、 ザマの戦いの後、カルタゴの財政立て直しにも成功してるのがすごい。
カルタゴの指導層が無能すぎたんだろ カルタゴ滅亡に至るまで 当事者意識の無さは異常だよ
英雄の英雄たる所以は背負った運命にありスキルは添え物にすぎない 仮に今の日本にハンニバルを遥にしのぐスキル、才能の持ち主が生まれても彼は何も成さずに平凡な人生を送るだけ
映画グラディエイターや三国志とか見ると、投石機に火をつけた油甕みたいなのをボンボン飛ばしていたんだが あんなに派手に燃えるものだったのだろうか? あれぐらい燃えるなら、火炎びん作ってファランクスに投げまくれば効果絶大な気がする 油が高価で無理だったのかもしれないが、やはり映画演出で、あんなに燃えるものじゃなかったのかな?
グラディエーターの火の付いた投石や矢は想像だと映画のパンフレットに監督が書いていたなぁ 想像は点火方法だけだったかも?
>>666 想像だったのか
ギリシア火薬みたいに、硝石とか硫黄とかを混ぜないとあの時代の油だと、あんなに火が付きそうもないよなぁ
火炎瓶はガソリンと硫酸の半々だっけ?
火壷というのがあったと思うがあれは中世かな?
よく考えたらそんな危ないもの投げなくても松明でもほうり投げればいいけど 投げにくいとか火の粉で自分も危ない上に あんまりたくさん投げると自分たちも前進できんなw 何だったかな、火矢を再現したら途中で燃え尽きて難しかったとか 何かで読んだ覚えが
グラディエーターの冒頭戦闘シーンは色々とフィクションも入っている様だけど好きだなぁ ヘルメットの下にライナー代わりにバンダナ状の物を巻いている兵士とか、 個人戦に持ち込む為、森の中から出ようとしない蛮族と、それを炙り出し集団戦に持ち込もうとするローマ軍の対比とか。
ゲルマン族が全く飛び道具を持ってないのはどうなのとは思った せめて投げ斧くらい出そうぜ
レギオンに切り込む前に弓矢打ってただろ。
盾が最強過ぎて 軽そうだし
ローマ軍団式のスクトゥムって結構重くなかったっけ?
映画の話ね
火矢は日本の場合は、矢に縄を巻いてそれを油で浸して火をつけてうってたそうだけどね、 縄は藁だからよく燃えそうといえば燃えそうだよね
松脂とか使うのかと思ってた
そもそも油ってのがなんなのかわからんけどな 菜種油は江戸以降だっけ
平安時代から使われているエゴマの油かな?
大山崎の油座が扱ってるのが荏胡麻油だしなあ
>>677 松の枯葉とかそれはそれはめちゃくちゃよく燃える
だがあんな勢いで燃えたら固定できない上にすぐに消えてしまうw
厨房の時ファイアーダンスやったがタオル巻いて確か灯油浸したな
それぐらいやれば振り回しても消えることは少ない
浸したりなかったのか俺のは消えてしまったがw
投石機みたいなのでゲル化した油を上空から降らせたあと火矢を 射掛ければ必勝じゃね?
>>677 平家物語の法住寺合戦で今井兼平が鏑矢の中に火(松脂か何か?)を入れたとかあったな
>>668 硫酸を混ぜるのは、(自主規制)との化学反応を利用した、瓶が割れると自然発火するタイプ
火を付けてから投げるタイプの火炎瓶なら、ガソリンとかの燃料だけを詰めるのが普通
>>671 知り合いから聞いたのだが、中世の小国が割拠していた頃の欧州では、
国境線が一般的な山の稜線ではなく、山裾にある例が見受けられるらしい
山地での戦いを得意とする部族と、平野での戦いを得意とする部族の、
勢力圏の境目が、山裾に来るんだって
菜種油や荏胡麻油は高級品なので、火矢なんかには勿体なくて使えないんじゃないかなあ 多分、魚油とかではなかろうか
エゴマ油は灯油としても使われていた 源平あたりで魚油がどんな扱いうけてたのかはわからんなあ
荏胡麻油は確かに、平安時代から灯火用に利用されているけど、高価なので、庶民は大抵魚油を使った (魚油すら買えず、夜になったら寝てしまう庶民の方が多数派だったと思うけど) 荏胡麻油や菜種油などの植物性油に比べ、魚油は臭いがきつく、煙や煤が大量に出る欠点があるが、 火矢や建物の焼き討ちなら、燃えれば何でもいいから、魚油で十分ではないかと
食成分表には可食部100gでマイワシ生で13gくらいか 安いって言っても大量に使おうとしたら大変そうだ 松脂の方が手軽そうだなぁ
当然、松脂も使っていた筈だが、文献に「油」とある以上、液状の油も使っていただろうからなあ ふと思ったが、日本ではタールの兵器としての利用はなかったのかな? 新潟辺りの油田の存在は、古代から知られていたわけだが
タールはなかなか燃えないぜ 揮発成分が抜けた残りがタールなんだから
>>668 ナフサじゃないのかな。中東から北アフリカだと結構露出して取れてなかった?
694 :
学生運動乙 :2013/08/15(木) 13:45:45.91 ID:???
ガソリンだけだと瞬間的に爆発するだけなので、燃焼時間を長くするため、ガソリンと灯油を半々に混ぜる。 更に合成洗剤などを入れてゲル状にすると、対象に付着して流れ難くなるし、砂を混ぜれば、ワイパーなどで拭き取り難くなる。 砂にかんしては、ガソリンと灯油だけでは、軽すぎて投げにくいって理由もあるが。 自動着火装置については、別途に試験管などで作り、必要に応じて使用する際に、テープなどで火炎瓶に貼り付ける。 作り方は、専門知識が必要なんで、俺も覚えていないが、硫酸などを使うのは、こっちの着火装置の方だね。
戦車攻撃用の火炎びんにしても 瞬間的に爆発するだけなのでガソリンは使われないからな。
爆発するのは気化したガソリンだよ、液体のガソリンはメラメラ燃える
697 :
名無し三等兵 :2013/08/15(木) 21:24:08.64 ID:vVExTwKN
>>696 じゃあガソリンスタンドとかで爆発事故が起こるのはなんで?
ガソリンって揮発性高いの?
>>697 気化したガソリンが理想的な爆発をする混合比(内燃機での)は、
ガソリン:空気=1:14.7
これから外れる程(濃くても薄くても)爆発は小さくなり単なる燃焼へ、そして最後は着火さえしなくなる。
瞬間的な爆発を発生させるなら、気化したガソリンも有効だよ。 燃料気化爆弾なんてのもあるくらいだからね。 だから、理想的には爆発する分と、爆発四散した後に燃える分とがあると良い。 『ギリシャの火』なんかは、その辺どうだったんだろう? どうもナパーム的な使い方で、爆発を伴うものではなかったようだけど。
昨日の福知山花火大会の火災も、発電機用のガソリンに引火したのが原因らしいな ガソリンが危険物だって認識が薄すぎる
まさかガソリンって揮発性高いの? と聞く奴がいるとは思わなんだ…
ギリシャ火って、火炎放射器みたいな使い方をしてたんじゃないの?
石巻出身国会議員の安住は、震災直後にガソリンをプールに貯めればいいとか言ってたからな。 軽自動車だから軽油を入れるドライバーもいるそうだし。
ドロモーン船(大型火炎放射器を搭載したガレー船)と、野戦用の小型サイフォン(歩兵が使える小型の火炎放射器)はそう。 ただしそれとは別に、オナガーなどで使う、投擲用のフラスコ入りもあったらしい。
ガソプーはNHKで働いてたほどのエリートだぞ
706 :
名無し三等兵 :2013/08/16(金) 17:32:01.50 ID:oexG97s2
>>696 >液体のガソリンはメラメラ燃える
厳密には液体から気化した分が燃えるのであって液体そのものが燃えるわけではない。
そんなこと言ったら気体の形を取らずに燃焼するもんなんて 自然状態でどんだけあるんだ。いわゆる液体燃焼か気体燃焼かってことだろ
闘魂が燃えるときも気体になってから燃えるんだろうか?
探したけれどどんな兵器かわからない。どこの地域でいつごろに使われてたもの? 固形燃料でも燃えるときは気体化してるって冗談じゃないよね
どれに対するレスなんだ…
712 :
710 :2013/08/18(日) 02:52:11.94 ID:???
安価が抜けてた
>>709 に対するレス。中国の宋代以降の火器について手持ちの本ひっくり返しても
見つからないんで、別名など情報あったら教えてほしい
アントニオ猪木の燃える闘魂とかのネタレスだと思ってまるっきり相手にしてなかったので 俺は知らない
うわあ、言われて気づきました。すげーはじいorz
ガチだったのか・・・
うわぁ…
oh・・・
珍しい展開だなw
No!
ほ、ほら震天雷とかそういう名称あるから闘魂という兵器があっても…
「闘魂」は日本の真の歴史を伝える文献にも登場する由緒正しい言葉です
http://www.asios.org/tsugaru.html 「和田家文書」には1930年発見の冥王星が出てきたり、「民活」「闘魂」など
江戸時代どころか明治期にもないような用語が頻出したりする。寛政年間頃成立の文献で
こんなことはありえないし、明治期の書写(及び加筆)を認めたとしても、説明がつかない。
>>721 よくこんなの見つけて来たなw
お前流石だわw
闘魂ってファイティングスピリットの和訳として作られた言葉かな? 猪木以前に八田一朗御大が使ってたと思った
嫌儲にくっさい奴が涌いてる引き取れ
ではその臭いのを屏風から出してください
>>724 そいつにブチのめされてこっちに逃げてきたのかよ
かわいそうなヤツだなwww
引き取れとか偉そうに言ってるけど 自分たちの力じゃ手に負えません助けてください>< ってことでしょ
すみません、質問なのですが 第二次ポエニ戦争頃の騎兵の装備と戦い方は どの様なものだったのでしょうか?
ヌミディア騎兵は投槍を使っていたのは確かだが
少なくとも鐙が無かったのは確か。 だから、馬の両脇を締めて騎兵突撃という芸当はとても無理。
キングダムの歩兵は鎧とかつけてない、ひどいもんだ
>>730 鐙の出現前だから馬の重量いかした突撃で、槍は投てきか白兵戦時に使用されたのかな
ヌミディア騎兵は投槍と片手持ちの小さな盾だけで鎧は付けないとかじゃなかったかな(何時の時代までそうだったか 知らんけど)
あぶみ(鐙)とよろい(鎧)はぱっと見、見分けられないな しばらく混同してたよ
>>732 >馬の重量いかした突撃
まだ馬で体当たりしてたような認識の人がいるんだな
そんな事したら馬も怪我するし騎乗者も飛んで行くぞ
人間の重量じゃひっかけられても障害物にすらならんけど どこで馬が怪我するの?労役に使う馬が暴走して人なぎ倒した 記録なんて江戸時代でも珍しくないぜ
>>735 日本でも「馬蹄に掛けて蹴散らす」という慣用句が成り立つ程度には馬で体当たりしてると思うな
昔の馬のサイズ、体高の話は良く出るけど重量はどれくらい?
重装騎兵乗っけるようなのは1トン超えるのいるし アラブ馬でも400kg前後あるんじゃないかな
馬鹿でかい重種は騎士時代終わってからだから
重装軍馬のペルシュロンは10世紀にはいたと思うけど?
源平期の軍馬なら体高130cm、重量280kgぐらい。まあ、人蹴散らすには十分な重量だね
軽くぐぐったら17世紀時点でペルシュロン 15 to 16 handsって出てきた 品種改良進みまくる前からかなりデカイのね
ランスチャージって体当たりのエネルギーを槍に集中させるようなもんだよな
『新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事 ・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。 ・下なるものをおいかけてつくも、せなかおびの上下やりさきあてがい、馬にてつかせたるよし。 乗り手は槍をしっかり持って馬を走らせる勢いで突くわけだから
馬が直接体当たりするなんて事はあり得ないんだよ バイクで人をはねるのをイメージすれば理解しやすいと思うが 重力のある大型バイクだろうがバイク側もダメージを受けるだろ 当然馬だって怪我をするし死ぬんだよ
それを言ったら、自然界で狼やライオンを馬が蹴り殺すことはなくなるな〜
そらまあ馬が速度出してるのに腕の力でついたら意味ないわなぁ というか腕痛める可能性もありそうだ
前に競馬場で馬同士の正面衝突事故の動画あったな
群れで生活する大型の草食獣が体当たりを防御手段にもってなければ かなり不可解なレベルw牛、馬は当然として羊や豚でさえ体当たりで 人間殺せちゃうのに
角も牙もないけどな、馬
>>746 白兵戦をしたら人間も怪我をしたり死んだりするのですが・・・
それでも白兵戦は起きていますよね?
貴重な人馬を消耗しつつ行われるのが戦争かと。
馬を体当たりさせるとなるとかなり勢いというか 走らせたうえでないとできないと聞いたけど 本当かな? 馬は憶病なので何か障害物があると止まろうとするらしい。 だから、ある程度の空間が無いと騎兵突撃はできないので それを逆用してカエサル等の名将は騎兵に対し歩兵を突撃させて勝利を収めたらしいが。 これは嘘なのだろうか?
槍襖やパイク方陣は騎馬を迎撃するのではなく そもそも本能的に馬がそういうものに突っ込みたがらないとか聞いたな すごいうろ覚えですまんけど
>>754 あってんじゃね?騎兵が駆け足で陣形に近づく
陣形が恐怖で崩れたら突撃、崩れなかったら引き返して
再編成(このとき、騎兵が逃げたと勘違いして歩兵が追撃しようと陣形崩すことがよくある)
して突撃のやり直し。あるいは複数槍持っていって近づく過程で
投槍して陣形崩すとか(スペインがよくやってたけれど仏には通用しなかった)
馬は腹を刺すとひっくり返る
日本だと個々の足軽に恐怖心を起こさせたり恐慌を起こさせないために 槍足軽には下向かせて構えさせるとか叩き槍のときも下向かせるとかあったような 雑兵の個々の判断なんて役に立たないから組頭の指示通りに動くマシーンに徹しろって発想だね
民主主義国家の兵隊と戦乱の時代の雑兵では 単純に同じようには論じきれないと思うけどな 正面見るなってのは敵に仏心起こすからというのではないだろうし
槍や斧って鞘はあるんですか? また、持ち歩く際は槍は背中、斧は腰にかけるんですか?
専用の鞘は見たことないが、布巻いてるのはなんかの挿絵で見たな 重量・大きさによって腰か背中か決まるから槍なら斧ならって括りは ちと乱暴じゃね。
もちろん
>>761 の言うように布巻く簡便な鞘もあるが
槍にも斧に専用の鞘はある
洋の東西を問わず、抜き身で持ちあるくの不便だろう
槍鞘のことは雑兵物語にも出てくるよ
洋の東西問わず、自分ら文明人、規律ねーけど野蛮な蛮族こええ って話が出てくるのは(ガリア戦記のゲルマン人やばいとか) やっぱ昔も殺しへの忌避があったからじゃないの で、蛮族どもは全部が殺せる2%のマジやばい人らに見えると
確かに蛮族は怖いな ヴァリニャーノ『東インド巡察記』 日本人は、人を殺すことを、動物を殺すことよりも重大には考えていない。 そのため取るに足りない理由からだけではなく、自分の刀の切れ味を試すためであれば 人を殺してしまうのである。各自は自分の屋敷でも人を殺すことがあり得るし、戦争が 実に絶え間ないので、大部分の人々が刀で命を奪われているものと思われる。
実際の騎兵突撃は敵歩兵にぶつかるんじゃなく間を走り抜けるもの 貴重な馬を特攻兵器として使う馬鹿はいない
ランスチャージとは一体?
18世紀だけど、 「敵の表情が見えるまで発砲するな。」 と兵士を訓練していた指揮官がいたね。 まぁ50ヤード以内まで引き付けろって意味だけど、相手の顔を見詰めて発砲しろってのも・・・
>>767 ランスチャージで馬をぶつけたりしないだろ
>>769 いや、間を走りぬけるってことに関するツッコミなんで
「馬が直接体当たりするなんて事はあり得ないんだよ」とか完全に断言してしまったり
色々日本語おかしい人だね
>>759 それが教育で撃てるようになる75%に該当する感じかね
ただの日常が現代の殺しの教育みたいなもんで
>>768 白目が見えるまでひきつけろじゃね?
意味は一緒だが
白兵戦の話で、逃げてく相手は顔見なくていいから殺す負担が減るって話が面白いと思った
走り抜けたいけど走り抜けられるとは限らないもの
>>770 > 「馬が直接体当たりするなんて事はあり得ないんだよ」とか完全に断言してしまったり
これは断言していい
騎兵が歩兵に突っ込んで歩兵が吹っ飛ぶなんてのは三国無双とかのゲームの中だけの話
そもそも突っ込もうとしても馬が避ける
>>776 なら「馬蹄にかけて蹴散らす」なんて実際には起きえないの?牛馬にはねられて
死んだって事故報告は捏造なの?少しはもの考えて言えよ
それは比喩表現だろ
軍馬は人を踏み殺すように訓練されてる 警察犬が人を噛むように訓練されているのと同じ事 そこまで訓練された兵器馬の例がどれほどあったかは別の話になるけどね 最低戦場の喧騒でも怯えないようには訓練する 荷役用軍馬と戦闘用軍馬は別物 牛は戦闘の役にたたない、馬は案外凶暴なのかもしれない
2歳から訓練はじめんだっけ
事故と、狙って行う行為とは分けて考えるほうがいい。 馬蹄にかけるは軍ぐつの音等と同じくブンガク的な表現かと。 足先ぐらいならともかく、人体の太いところを踏んだら馬の足が保たない。 遊び半分では体当たりするが、馬の攻撃行動に体当たりはない。 ほぼ毎日馬に触っている自分が言うんだ、信じてくれ。
てことはシマウマはライオンと格闘戦なんてすることないのかよw そっちの方がでたらめだよ。野生や軍用と人間になれて従順に 動くように品種改良された品種同視すんなw
とりあえず大坪流馬術の「乗用三段」は馬体による体当たりが可能なことを 前提としてなければ成り立たない戦術だと思うんだけど 馬の体による体当たりなんて存在しないと主張する方はどうお考えで
>>776 うかつに完全に断言してるのがアホだって言ってるのに
日本語わからないヤツだな
>>781 >ほぼ毎日馬に触っている自分が言うんだ、信じてくれ。
足が簡単に折れて薬殺処分になる馬を扱ってるあなたの言うことではねえ
動物の訓練においては、生得的な行動の根っこが必要なの。 ハトはボタンつつき、ラットは前足でレー押し下げ、ブタはレバーを鼻で押し上げ、と訓練するのは、別のやり方を教えても前記動作になっていってしまうため。 品種改良でも基本の生得的行動は変えられないよ。 シマウマが外敵と戦う際は、噛むか、後足で蹴るか。家畜ウマも同じ。野生の王国〜ダーウィンが来たでさんざん見ているはず。 馬がピットブルをかみ殺す動画をよっく見てみ。後足で蹴る、噛む、噛む際に草食うときと違って、他のウマと喧嘩する時は同じように、首を曲げる、よって前足も曲がる、前足は犬を踏まないように避けている。 ゾウにスイカやったら前足で踏んで割る。人を踏むことも教えられなくはない。 ウマには、意図的に踏む、という 行動の根っこさえない。 シカなら、前足で前方に蹴ることを教えられる。母シカがキツネ等を攻撃する生得的な行動がある。シカは上の門歯がないから、噛んでも攻撃にならないわけで代替が必要なのと、蹄が耳の上に届くほど前足の可動範囲が大きいことなどあるから。 が、ウマは前蹴りも無理。前掻きは出来るが、前へ強く速く動かすことはできないから。 馬の喧嘩で動画検索してみ。併走しながら肩をぶつけるのはあっても、ヒツジのような体重と勢いを乗せた正面からの体当たりはないから。 実戦的ではなく儀礼的なものだが、 カプリオールCapriole (跳びながらハイキック) 古典的カプリオールCapriole(classical manner) (跳びながらローキック) クルーパード(リュアード)Croupafe(Ruade) (前足地面に付けてハイキック) (いずれも国際馬事辞典 元は旧字 恒星社厚生閣)のような、後ろに蹴る動作の調教はあるが、敵を踏み殺すような調教はその痕跡さえないのよ。
>>786 いいから馬の体当たりで人死にが出る事故が洋の東西
問わず普遍的にあることへの反論さっさと出せよ
刀は刃で受けると刃こぼれして使い物にならなくなるから絶対に刃では受けない、みたいな理屈とよく似てますね
古代から中世にかけて馬が人踏みつけてる彫刻結構あると思うんだが これらが現実に基づかない文学的表現だと言われんのはちと理解できん
戦闘中に壊走する敵が足がもつれて馬の目の前で転んだら踏んだ馬も死亡か 突然現れる地雷みたいだな 馬防柵なんか作らずに馬が踏んだらもたないという人体の太いところみたいな固さのものを 拠点の前に並べとけば騎兵は踏み込んで馬を潰して自滅させられる 名案じゃね?
なんだか馬が体当たりすると信じ込んでる人って 馬に乗った事どころか見た事すらなさそう 踏み殺す訓練??初耳っすね〜ww ぜひともソース提示してほしいわ
体当たりなんて大げさなものじゃなく、馬基準でちょっと擦った程度で人間は倒れる 野生の本能で避けてくれるはあんまり信用できない
中世の西洋では軍馬の訓練にふつうに含まれてたと思うが それこそ英語のwikiでもソース必要と指摘されないレベルでw
体当たり厨の脳内イメージって ほんとにトータルウォーとか三国無双なんだな
ゲームだと綺麗にぴたっと止まってね? あんま知らんけど
極論で煽れば煽るほど向きになったのがせっせと資料探してくれるので労せず 知識増やせます…お前ら何回引っ掛かれば済むんだ
今年になってからも、馬車調教中の馬が暴走する事故を目撃した。 当事者として、馬事公苑のメインアリーナで落ちて蹴られて(というか馬が避けきれなかった)鼻を折ったこともある。尾てい骨も曲がったままだ。 動画を教えてもらうまでもなく、事故は何度も見ているし体験している。昨日もポニーに足踏まれてスニーカーが裂けた。(ただ、サイドステップについては感謝。この個体は初見だ。ルシターノいいよね、欲しい) でも、事故と、調教すれば狙ってやらせられる戦法は違うでしょ、と。 >>1分27秒当たり 咬みにいっているだけ。まさに体当たりする行動レパートリーがないことを示すシーン。そもそも、789/793のこの動画の喧嘩はかなり温くないかい? 体当たりはランスチャージから発展した話題なんだから、運動エネルギーが鍵なはず。 体当たりアリ派に聞きたいんだけれど、馬の体のどこでぶつかるの? 鼻? おでこ? ぶつかって平気な体のつくりじゃないのはわかるよね。 肩? 馬同士、肩で押し合いはあり得るよ。乗馬した2騎の組み討ちで馬の肩を相手の馬にぶつける戦法もある。 でもね、馬の肩の下には前足がある。歩兵にぶつかって足が出ないとバランス崩す。肩の後ろには乗り手の脚がある。止まっている歩兵相手じゃ危なくって・・・ 航空機の空中衝突、衝突やむなしの攻撃の結果の衝突、狙った体当たり攻撃はWW1からたくさん例があるけれど、カミカゼが特記されるのは、その場の判断ではなく、戦法として行われたから、でしょうが。 「戦法としての」体当たり、踏みつけの有無と、事故とを混ぜてはいかんよ。
でたぞー自称専門家様のありがたい説法。そのくせ内容皆無w皆皆様方、謹んで傾聴するように
混ぜてはいかんというか、たかが人間相手に勢い付けてぶちかます必要が無いし 馬同士だと勢い付けたら自分も死んじまうわな
>>801 おまえは
>>791 の突っ込みに答えられない時点で消えとけよ。専門と主張して長文
書いてるくせに横蹴りにすら言及してないってどんだけ無知なんだ
>>801 人間大の大きさ・重量のものに馬がぶつかってバランス崩すってどんな冗談だ
2足歩行60〜120kgと4足歩行300〜1000kg走行エネルギー付き、一人じゃ壁にもならんぞ
長文で突っ込みどころが多すぎてなんかもうね
闘牛で牛の突撃受けても平気で動き回る馬は 不思議なことに人間に突撃して踏みつけると大怪我をするんだよ 専門家様が言ってるから間違いない
体当たり厨はどのぐらいの速度でぶつかる妄想してんの?お馬さんは全力疾走?
体当たり厨w もっと専門家らしい言葉を使ってくださいよ
乗馬経験のある体当たり否定派チーム VS 馬を見たことも無い体当たり厨 噛み合うわけがないな しかも否定派は一人だと信じ込んでるようだし
まさか人を踏んだだけで軍馬の足が折れるなんてアホな話を信じてるのが 複数いるとは思いたくないけどなあww
乗馬経験のある人が4本足の動物と二輪車を一緒にするとは思えないんだけどなあ
騎兵が体当たりって衝突事故そのものだろ 二輪車だろうが動物だろうが物理法則は同じなんだから 双方に被害が出るに決まってんじゃん
着地でバランス崩して足捻るってのはあるかもね 少なくとも立ってる人間ごときにぶつかった衝撃で怪我するよりはそっちの方がまだあるだろう
漫画やゲームに騙されちゃってる人がこんなにいるなんて驚き
誰を煽ってるの?
>>813 体重重いのが軽いのはねた場合、エネルギー軽いほうが受け取ることになるから
軽いほうにはるかに大きな被害出る
それは違うだろ 馬にとってどうということのないエネルギーでも、人間にとっちゃぶっ飛ぶレベルってだけで
人を踏まないように避けてたら戦場では使い物にならないよ 乗馬用は人を踏まないように訓練すると聞いた事がある 訓練次第で兵器にも平和な乗り物にもなる
ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130804/dst13080400350000-n1.htm 人を踏んだら折れるような脚なら、人を蹴り殺したら自分も折れちゃわないんですか?
アスファルトの上を走らせると蹄と脚を痛めると言いますが、具体的にどのくらい痛むかデータはあるんですか?
人体を踏み抜いた時のダメージは蹄鉄の有る無しで多少変化すると思いますが、その辺どうなんですか?
グランドナショナルでは4マイルと4ハロン走る間に4〜5フィートの高さの生け垣を30回もジャンプしますが、
人を踏んで折れるような脚、とりわけ「ガラスの足」などと言われるサラブレッドの繊細な脚がどうして持つんですか?
プロの方、どうかよろしくお願いしますm(_ _)m
人間の足首の構造だと、飛んで着地したときに想定外の何か踏むと捻ったりすることもあるけど 馬はどうなんだろう
>>822 突撃なんだろ?
全力疾走しながらぶつかるんだろ?
あと馬が蹴るのは後ろ足だからな
条件違いすぎるだろ
>>825 全力疾走で突撃???え?戦闘やそれに類するもので馬が全力疾走できたのって
槍試合ぐらいじゃないの
歩兵が紙のように吹き飛ぶそうだから全速力なんだろw
体当たりは衝突事故だから双方に被害が出る。 予期せず何か踏めば挫いたり折ったりすることがある。 戦争だからどちらも仕方ないリスクではあるが、高価な馬で、訓練してまでわざとやるのはおばかさんだよなあ。
>>829 馬に助走つけて体当たりさせるくらいなら、槍で突けよって所?
>>829 仕方ないリスクとして存在するはずなのに専門家さんがそういう事態は絶対ありえないとか
がんばってるからおかしな話になるんだよなあ
否定されたのは「敵を踏み殺すよう訓練すること」「体当たりで歩兵を倒すよう訓練すること」、また、戦場で 意 図 的 にそうした戦法をとること。 戦場では混乱のうちに、馬が人体を踏んだり、馬が歩兵にぶつかったりすることもある、ということは、もともと、誰も、否定していないと思うが。
最初は偶然でも有効な手法ならできるように訓練するだろ。むしろ訓練しないで おいたらそんな事態になったときに対処できないよ
特攻自殺攻撃の訓練なんてするわけ無いだろ
足が折れるから絶対にありえないからずいぶん主張が変わってきたなあ 専門家さんも柔軟なんだね
ぶつかり稽古じゃなくて、すり抜けで止まらない訓練だろうねえ 馬同士でぶつかると死ぬ 人間相手ならかすめる程度でも吹っ飛ばせる どかんと当たりたい場面はない
>>766 の専門家さんの話だと騎馬突撃というのは間を走り抜けるだけで
ランスチャージもやらないみたいだしな
チャージが無いまで行くとなんのためのランスだよと
>>836 闘牛で牛の体当たり受けても闘牛士乗せて平気で動き回ってるからよほど
正面衝突でもしない限り大丈夫なんじゃないかな
人間に体当たりしたくらいで馬が役に立たなくなるレベルの怪我したら
闘牛なんてありえないね
>>834 特攻でも自殺でもない単なる一攻撃手段なんだろ
>>839 軽自動車と正面衝突したけれど軽いけがですんだ事故なかった?
古今東西馬に踏み殺される話には事欠かないが 踏み殺される処刑の話さえ伝わっている
追っている敵が目の前で転倒したときに 専門家さんの騎兵は馬蹄にかけてやろうなんてまったく考えず、 倒れた敵の隣りを走り抜けて止まってから攻撃するんだろうな
複数人の意見を混ぜて「主張が変わった」って、あーた。
>>792 の闘牛の映像でぶつけられているところはないよ。
踏み殺した馬が高確率で無事でなければ、戦法にはならんだろ、と、何度も。事故は事故。
踏み殺す処刑法詳しく。牛馬の力で裂く、馬で引きずるのはよくあるが、踏み殺すのは初耳。
追っている歩兵が目の前で転倒したら、騎兵も馬もとりあえず避けるだろ。飛越するか左右に切れるかはともかく。相手の攻撃か、もがいたり馬が踏んだ弾みに武器が跳ね上がるか問わず、腹の下をわざわざ危険にさらすことはない。
止めさしてない兵を背後に残す方がよほど怖いなw
騎兵が追いかけてるときにそれに随走できる歩兵がいたらホラーのレベルなんだが
騎兵が敵陣内に突撃したからには、転んでもいない無傷の敵も大勢、後方に残すことになるのは仕方ない。 インベーダーゲームじゃあるまいし、最前列から一列ずつ殺せるわけはない。 後方に敵を置き去りにしつつ、速度を落とさず、敵陣の向こうまで突き抜けるほうが大事。 騎兵の利点は速度。高コストと、飛び道具に対する脆弱性にも関わらず整備されたのは速いから。歩兵の倍だもん。 「抜ける」可能性が高い。多少の戦果の拡大より、敵陣を「抜く」のが大事。 「抜き」さえすれば、次の選択肢を持てる。敵は、風穴抱えて、前後二正面に対応しなくちゃならなくなる。 騎兵が敵陣の途中で遅くなり、止まってしまえば、多少敵をやっつけようが、押し包まれて終わり。 混成で、騎兵を歩兵戦車のように使う場合は、討ち漏らしは随伴歩兵が美味しくいただくんだろうが、歩兵に合わせてわざと遅くするのは今の話柄ではないよね。
追いかけてるときとあるから敗走時の追撃戦じゃないの?
競馬中に観客の一人が飛び出る→轢かれる→馬横転 www.youtube.com/watch?v=h0Z-sUMpyqE
サラブレッドのようにもろい馬を軍馬と同視して語る奴ら多すぎ
乗用軍馬としてはサラは普通だったし、各国の近代軍馬も、たいていは在来の小型で鈍くさく扱いやすい他目的馬とサラ・アラブの配合なんだが・・・ ちなみにサラは、選抜を繰り返したアラブの一系統ね、成り立ちは。
サラブレッドは脆さよりも自分自身がスピード出しすぎなのが問題だと思うわ 単独走でもしょっちゅう怪我するしいろいろカツカツだべ
F1みたいな物か
今回の●個人情報流出騒動に絡み2ch閉鎖の噂もあるので念のため
2ちゃんねる 避難板一覧
http:// kisekiwo.com/hinan/
>>844 馬に踏み殺させる処刑はモンゴルのものだったと記憶してる
袋詰めにして馬の大群に踏ませる物で斬首等に比べ出血が無いので貴人向けという位置付けになってる
身動き取れない状態で寝かせて行うものだが馬を走らせてるかどうかの記述は見た事がない
体当たり厨は極論ばかりだな
そだね。体重に対して華奢と言うより、スピード・パワーに対して華奢。 早熟でもある。 プロが扱って5〜6歳まで(発情し始めるぐらい)無事に競走に出せる程度のおとなしさは(2人引き4人引き可、枠入り、大観衆、ファンファーレ等への耐性は必要)必須だが、それ以上(素人でも、年齢重ねても)のおとなしさは淘汰上考慮されない。 不整地歩く際の器用さも問われない。 そこで在来馬とのミックスが乗用軍馬の主流になるわけだが、在来馬は基本サラより小さいまで、そのミックスはサラに比べて足が特に頑丈というわけじゃない。 強いて言えば足が短い分、多少は頑丈かな、ぐらい。遅くて落ち着きがあるから事故が少ない、事故った後に騒がず二次的な怪我を重くしづらいという側面が強い。 「ゼロ戦は旋回性能がいい」「マスタングは速い」レベルの印象論を越えて、品種や用途ごとに細かく考える必要があるかと。
>>850 画質悪すぎてわからんが、最後歩いてる馬が当たった馬?
ここまで体当たりで人間が吹き飛ぶソース無し
人間"だけ"が吹き飛ぶソース無し だろ
>856 d。ヒントもらったんでぐぐってもみた。 どういう体位、どういう布の袋がわかる? 馬が比較的抵抗なく踏む姿勢はどんなかなあとか、よほどしっかりした袋でないと、死亡確認が難しそうだなとか。確認が早すぎたらまだ存命、遅すぎたら血が袋を通過して地面に血が触れてしまう。 馬の大群に・・・ということは乗り手なしなんだろうけど、どうやってその位置を歩かせるのか知ってる? 普通なら誘導する柵を作るんだろうが、モンゴルは木が貴重だし、王宮さえ可搬性が重んじられたわけだし、大量の木材はゲルを分解でもしないと入手できないような・・・かといって死刑に使った材でゲルの屋根(天に近い)をもう一度支えるのも・・・
「人にぶつかった程度で倒れる」って主張しているひとはいないと思うんだけど?
競馬レース中並に全力疾走してればちょっとした衝撃でも転けるんじゃね
革袋か。だとしても、中がぐちゃぐちゃに縫い目から血が漏れてしまうには変わりない。 耐圧密閉は容易でないし、仮に密閉できたら踏ませる前に窒息死してしまう・・・ 血が出ない、血が地面に触れない云々はコンセチュアルなものなのかな? 騎兵の突撃は20~30km/h、よほど理想的な場合でも40km/h、人にぶつかったぐらいで倒れることはない。 ただし、その速度でも、足が何かに引っ掛かったり、躓いたり、蹄が滑ったりしたら割と簡単に転ぶ。 バギー的な馬でもそこは同じ。 本当に転びにくい馬だと突撃速度もうんと遅くなって、衝突自体がとっても起こりにくくなる。
騎馬突撃ってのは歩兵部隊を恐怖によって崩壊させるものでしょ ある程度速度が出てないと意味が無いし 歩兵部隊の眼前で止まってしまえば死んだも同然
>>868 革袋ってのはうろ覚えでソース無し
そのモンゴルの処刑は血を流さない事が重要なので撲殺に近い感じになるんじゃないかな
>>868 引っ掛かても蹴りあげたり、躓き難く、蹄も滑りにくい、丈夫な足だと思うよ
F1とバギーの足廻りが全くの別物と同じように
体当たり厨がF1バギー厨に変化した
>>870 d。革でも布でも、止めどころをどう判断したのかな、と。
どう踏ませるかにも関連する。どこから大群を連れてくるのか?
モンゴルは人に対する馬の価格がもっとも安い文化圏だろうが、調教ずみの馬はやはり高く付く。
野生馬の群連れてくれば一個体あたりのコストは下がるけど、連れてくるコストが別途発生するし、複数の群だと喧嘩もするし・・・。何頭必要なのかも大いに関係する。
モンゴル馬のような素朴な品種だって、頭蓋骨踏んだら一定の確立で足を損なうんだから。馬場に放牧する際に、障害片付け忘れて横木を残置しちゃダメ、なのと一緒。
馬は、放牧地に見慣れないものが落ちているだけでその一角に近寄らないほど物見するんで、革か布かに包まれた人体を踏ませるのは容易じゃない。
どのように「その一点へのコース」を設定するのか、ゆるゆると進ませるのか、馬を損なうリスク承知で追って走らせるのか。
「馬の大群に踏ませる」って、そう簡単じゃない、もし自分が実施責任者だと想定したら。
>>871 うわあ、それってどんな馬? 教えてくださいよ。そんな馬があるなら世界中で引っ張りだこですから。
闘牛馬のサイドステップ動画が紹介されていたけど、闘牛場に出す前の障害物競走的な競技があるんだが、下手な馬はバギーちっくな品種でもバタバタだし。
とってもバギーなクォーターホースばかり出場するバレルレースでも躓く滑るは頻出でしょ。horse accident でつべ見てよ。肋骨よりうしろ拍車いれて跳ねられるのと同じぐらい、回転時に人馬の重心がずれて蹄が滑るのが出てくるから。
鉄打ってない蹄同士くらべたら、サラのが柔らかくて滑りにくいこと、知ってる? 削り比べたことありませんか?
柔らかく粘るけど早く減るから鉄履かせなきゃだし、履かせたらバギー馬の鉄なし蹄よりむろん滑るけどね。バギー馬の蹄は堅く減りにくいけど割れやすく鉄打ちづらく、結果かえって裂蹄させてしまいやすいとか、知りませんか?
鉄打ってたらマンホール、グレーチング、氷(スバイク蹄鉄は除く)は要注意だが、野外の地べたの上では鉄の有無で滑りやすさは変わりませんよ? 蹄の質なんか・・・
>>873 崖を下る馬なんかいるから、脚の強さは折り紙つきだと思うんだがね
日本馬はそういうのには強いそうだが ランスチャージみたいな騎兵突撃はしないだろ
つっても元朝秘史のエピソードではあったんだかないんだかわからんが
和種は確かに斜面に強い。山岳ポニー(ハフリンガー〜やウェルシュマウンテン〜)と同様に。小柄、体格に比例する以上に蹄が小さい(立っている)、肩も尻も貧弱でちょこちょこ歩く、からだね。突撃には向かない・・・
ただし(PDF注意)、
http://ir.lib.miyazaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10458/2581/1/179.pdf にあるように、空馬でもしばしば転落する。数年前、家畜管理学会だったかで発表があっさた木がするが、最近でも傾向変わらず死因一位。
群から離れて出産しようとする牝、春の草を食べようとする若駒、牡の闘争が高リスクと聞いた。
小格馬に人が乗っていればなおさら。鵯越は無茶したからエピソードになるわけで。
人の体重を苦にしない大きさで斜面に近い馬は存在しない。
馬車は平坦地、整備された道でないと使えず、山岳地では駄載が有利。荷を積むには馬が小さくないと。
山岳地にはまとまった面積の、土が深く、深く耕したい耕地は稀。馬耕にも大型馬はいらない。
蹄の硬さと粘りは相反するから、特別高性能な蹄は作れない。
他方、二乗三乗則によって、同じぐらいの面圧に押さえるためには、大きい馬ほど対角以上に大きい蹄が必要となり、斜面・浮き石に弱くなる。
人を乗せて突撃できて崖も降りられるバギーは理想だが、ね。
フランスの騎兵が崖を降りる訓練を撮った写真を見た覚えがある
これとか鵯越えどころじゃないな livedoor.blogimg.jp/gurigurimawasu/imgs/d/7/d7725fa6.jpg
882 :
名無し三等兵 :2013/09/03(火) 17:42:12.96 ID:phzRDnVk
本気で思うべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべき
883 :
名無し三等兵 :2013/09/03(火) 17:43:58.13 ID:phzRDnVk
諦めないべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべきべき
まあ奥州では昔からそれくらい普通だから。
>>875 そもそも頑強な敵に正面からランスチャージして勝てた戦が
どの程度あるのかって話でもある。
成功した正面突撃は敵が牽制に引っかかって左右に寄ったときや、一時退却の直前に行うもので、 無謀な強行突撃ではない。
自称馬に詳しい人の話だと人を踏んだら足が保たないって言ってたからその辺の事例は気になるな ワーテルローで円陣組んだの銃剣向けないと突っ込んでくるからじゃないのかな
いいかげん体当たり厨は諦めて降参しろよ
ランスチャージなんか無かった 間を走り抜けてただけ
皆、0か1かの極論が好きなんだね
馬術としちゃ最上級だが、こうしてみても馬はつくづく急斜面や岩場に向かない生き物だねえ。イヌ、クマ、ライオンとか、カモシカとか、ヤギとかと比べて。 無辜の民を馬蹄にかけるのと違って、密集した歩兵陣だと、人体以外に盾だの兜だの胴丸だの剣だの槍だのが存在する。 たとえば人間は、10kgぐらいのニホンザルの死体(足先なら踏みつぶして走れる、腿や腹だとぐにゃっ、骨盤や頭蓋骨だと浮き石っぽく堅かったり途中でぐしゃっと崩れる)や鍋の蓋やヤカン、包丁、麺棒や擂り粉木が散らかっている中を走れるだろうか? 騎兵の集団は鉄のフレーム等で連結されているわけでないから、「衝撃力」とかいっても、比喩的なものなわけで。 排障器ついている機関車がなんでもかんでもはね飛ばすとか、装履車両がなにもかもふみつぶしていくとか(これらも誇張されているが)のようにはいかんだろうと。
間素通りで十分なんだよ 歩兵側が寸断されて統制が効かなくなった時点で 下っ端に逃げる自由が発生するからそれだけで崩れる だから侵入させないために分厚い槍衾形成して全く動けないアホみたいな陣を作る
騎兵が間を素通り出来る位の間隔って、かなり広くないか? しかも騎兵が歩兵に接触せずに素通り出来るとなると・・・
チャージするなら騎兵はガチガチに間合い詰めて食らう歩兵も同じくつめまくりだと思うんだが
また無理な想定して突っ込まれてんのかよ
ナポレオンの時代でも方陣組む時は隣の歩兵と肩がぶつかる位間隔を詰めて銃剣で槍衾を引かないと 飛び込んできたサーベル騎兵に切りまくられてしまうから、馬+馬上から攻撃は単独じゃ対抗できないんじゃね?
まず前提として歩兵は集団であって騎兵側から見れば肉の壁 迫り来る騎兵の恐怖に耐えて陣形を崩さなければ突撃は防げる
騎兵の突撃を防ぐにはバカみたいに密集した歩兵陣が必要。 騎兵は横撃を狙う。 バカみたいに密集した歩兵陣は左右への正面変更が難しいし、敵の緩い歩兵陣とぶつかると、アレ、実際戦えている割合少ないし。 みたいな、じゃんけん的なハナシは千年も前からあるでしょ。 長柄武器の発達、騎兵の突撃に耐える歩兵の士気(ブラフ同士だ)、弓矢や銃の発達等によってそのときどきの利得は変化するが・・・ 騎兵同士は、どんなに間隔詰めても、左右において脚がつぶれない程度が限界。 常歩なら(よく訓練してあれば)馬間はゼロ馬身(前の馬の尻に後続馬の鼻がつく)にできるが、 突撃となれば完全な同期は無理なんで、左右で0.5馬身ぐらい、前後では1馬身ぐらいは空く。 待ち受ける歩兵は、士気統率が高レベルなら、肩を接し、前へならえの前後間隔で陣を組むことが物理的には可能。 物理的に可能なみっちみちな密度を歩兵が保てるか否か、が基本原則な気が。
>>893 は、兵士と兵士の間では無く、部隊と部隊の間と言う意味なのかな?
ナポレオン軍のユサールや騎馬猟兵の戦術で駆け抜け的な物は有ったけど・・・
チャージ後で隊列の乱れた騎兵へのカウンターチャージや、隊列の乱れ掛けた歩兵へのチャージでは、兵士や部隊の隙間を駆け抜けた後、Uターンして駆け抜けを繰り返し、隊列の乱れを決定的にする戦術が有ったよ。
隊列の乱れていない相手には正面からチャージ、隊列を乱せなければUターンして再編後、再びチャージを繰り返す戦術も。
どちらの場合も敵が混乱し始めたら胸甲騎兵等の重騎兵が仕上げにチャージ。
こちらは駆け抜けずに敵の中に留まり蹂躙する。
こんな様子だったので、お膳立てが出来るまで動かない胸甲騎兵の事をユサールは薄のろ扱いし、他の兵科はユサールの事を自殺志願者の群と呼んだと。
ナポレオンとエジプトで戦ったのはマムルークの連中だったっけ? あの騎兵はだいぶ左右の間隔が緩かったそうな 個人で暴れまわるスペースではなかろうかとかなんとか従軍記に書かれた覚えが 結果的にはものの見事に歩兵方陣に粉砕されるわけだが
902 :
名無し三等兵 :2013/09/05(木) 01:49:23.63 ID:gy/znMpb
東方遠征軍がムラード・ベイを冗談みたいにぼっこぼこにしたあれか つっても衝突した騎兵は3000前後なんだよな
マムルークのシパーヒー騎兵はユサールと同じ軽騎兵、というか騎射騎兵。 そもそもユサールのサーベルはもともとシパヒ騎兵のシャムシール。 スペインのカラコールももともとシパヒの戦術。弓が拳銃になっただけ。 胸甲騎兵等の重騎兵が仕上げにチャージ。こちらは駆け抜けずに敵の中に留まり蹂躙する。 決戦時の馬は消耗品。足が折れようが腹撃たれようがネイみたいに何度でも乗り換える。
>>903 ワーテルロー戦役だけで7頭だっけ?
最後はランシェ・ルージュのコルベール将軍から替え馬を借りたと。
リチャード獅子心王は、イスラムの英雄サラディンの軍勢を、騎兵による突撃で打ち破っている。 強固な密集戦法の前に、イスラムの優秀な弓兵でも防げなかった しかし、前線に立ちたいとは思わないな 想像するだけでも、死亡率が高そうな戦法だ。 それはともかく訓練された騎兵は、それだけ強力であり 歩兵四人に匹敵する戦力といわれている
アレクサンドロス大王の金槌役も騎兵だったしね
相変わらずお前らは何の話をしてるのかわからんな
マスケットに銃剣つけても長さ的にランスに全然及ばんよな ワーテルローでも戦術的にフランス失敗してるのに、突撃がかなり効いてるけど これがパイクなら全く寄せ付けずに歩兵の完勝だったのかな
18世紀中頃フランスの元帥が、槍兵の再採用を検討していたような。
パイクぶすまだったら騎兵の突撃前に騎砲で撃たれりゃ終わりだろ。
役に立たんから廃れたわけだしな
パイクだと歩兵の銃撃に勝てない 銃剣の発明以前は騎兵の突撃を防ぐパイクと歩兵同士の戦いのための銃の 割合をどうするかが問題で銃剣によってすべて銃にすることが可能になって パイクが不要になり、その結果歩兵の持つ槍の長さが短くなって騎兵突撃が有効になった という流れなんだからそれは無意味な仮定だな
ファランクスとかの密集陣形に正面以外から騎兵に突っ込まれると崩壊するが アレってぶつからないように気を付けたりとか死人を踏まないように注意してたのか? 象もあまり人は踏まないと言うが戦象はどうだったんだろうか
踏んで踏んで踏み倒すに決まってる。生きてる奴も死んでる奴も関係なく踏み潰す。 密集白兵戦は警備がいいかげんな花火会場のようなもので、全体の方向が決まればそっちに前進するだけ。 下手すると味方でも踏み殺される。 乗馬突撃は意図的にそういう状況を作為するのだともいえる。
つまり馬に群集雪崩をおこさせて敵兵の隊列を将棋倒しにさせるんだな。
>>910 サックス元帥ですね。
18世紀、古代軍制の再評価の流れの中、マケドニアのファランクスを参考にした者もいましたが、サックスが参考にしたのはローマのレギオン。
単にパイクを復活さるのが目的では無く、レギオンの持つ柔軟性の復活が目的だった様です。
(連隊の半数が13フィートのパイク、残り半数は銃剣付きのフリントロックマスケット装備)
古代軍制を参考にした各種軽兵(歩兵、騎兵共に)の創設も目指していました。
流石にパイクマンの復活は無理でしたが各種軽兵は創設され、一部はフォントノワの戦い(1745年)で戦果を上げています。
チャリオットや戦象の復活を試みた近代軍人はいなかったのか…
>>918 復活も何も、インドでは現役でしたね
>戦像
>>919 いやいや、近代西洋でマケドニアのファランクスを参考にした人がいたっていうから
ついでにマケドニア系の戦象を参考にした人はいないのかなって思って
フォントノワでは英軍右翼の森林に隠れた散兵が、隊列組んで行進してくる英兵を各個射撃で撃ちまくったのだ。 君が先に撃ちたまえなんてのはあくまで局所の状況なんだよな。 フレンチインディアン戦争の仏軍散兵もある意味サックスの規定どおりだった。
>>921 参考にはしていないだろうが、第一次世界大戦の重戦車は戦象的な役割だな
映画『ブレイブ・ハート』で、 イングランド王が、弓は金がかかるといってるけど、 これは、傭兵代のほかに、別途、矢の代金がかかるという意味?
イングランド長弓兵に関しては、訓練時間めっちゃかかってるから その経費もあってお値段高くなっております
>>923 弓兵として熟練するのに年単位の時間がいる
骨格が変形して弓を引く側の腕だけ筋肉が異常発達するくらいにまで鍛錬して一人前だから
当然そんな専門性の高い兵種は平時から養わないといけないので
金食い虫そのものとなる
926 :
名無し三等兵 :2013/09/07(土) 00:36:21.86 ID:OnOZK09d
「選抜射手連中が腕盛り上がってて気持ち悪い」みたいな手記がなんだったかにあった その点クロスボウすげぇよな!最後までたっぷり巻き上げ(ry
愛馬の日も近いから東京のひとは見に行くとよいが、各種馬術の供覧の中で、警視庁騎馬隊が際だって下手だから。 個人的にやっている場合は別として、異動があるから、キャリア5年以下の乗り手しかいないので。 騎兵は弓兵より高く付いたことだろう。
馬がなきゃ生きていけない遊牧民族か農耕民なら限られたエリートだけの兵種だ
>>927 馬事公苑?
あそこは、朝早い世田谷通りの横断歩道を馬が渡って行くんだよね。
南部地方は米が獲れない高原草原ばっかりだったから逆に馬は寒立馬みたいなのがいっぱいいた。
戦争ほど無駄な経済活動は存在しない しかし戦争に備えないことは、もっと無駄だ 紀元前の時代のギリシャの賢者が、こんなことを述べている 軍事の無駄ってのは、古くからよく知られている
手元には電池と手動発電が可能で、ラジオも携帯電話の充電も それにLEG電灯がついたものがある。 これは非常事態だけではなく、ツーリングやキャンプとかにも使っているよ
現代に通ずる古代の格言で思い出したがエジプトの遺跡に 「近頃の若いものは」という古代の落書きがあるとかいう話があるが 具体的にはどこの遺跡なんだろうか?
935 :
名無し三等兵 :2013/09/08(日) 09:03:54.59 ID:8rrOq3gm
調布市の名所は深大寺、神代植物公園です。市民の憩いの場で深大寺は蕎麦が有名です。
ところが市民でも、深大寺、神代植物公園の傍にありながら、国指定史跡になってるお城があったことを知らない人が意外に多いのです。
それが扇谷上杉氏の深大寺城で、ここに推定復元模型があります。
深大寺城は水生植物の入り口から入って植物園の沼の背後にあります。
http://century660.sakura.ne.jp/castle/
深大寺城というと歴史群像でも取り上げられていたな。 史実では1940年の独仏戦におけるマジノ線のごとく結果的に対後北条氏戦に役立たず仕舞いだったみたいだが。 扇谷上杉氏の思惑通りに活躍させてあげたい城ではあるな。
中世ヨーロッパに常備軍はなかったとされるけど、 弓兵は、最初の常備軍?騎馬=貴族は、常備軍とはみなされないし。
職業軍人という意味では違う気がする
だがまてよ、職業軍人を常備軍の元と考えると武士とは何ぞやという問題に直面してしまうな
戦士階級
>>931 人類は戦争により進化してきたわけで戦争は必要なコストという悲しい宿命
職業軍人というからには国家から給料が支払われてそれだけで生活しなけりゃ職業とは言わないと思うなぁ 武士や騎士は土地の支配権というか土地を持っててある意味土地に縛られてるから階級だろうねぇ
ああそうか貨幣制度が必要だな つかそう考えると中国はだいぶ昔から常備軍かね
ローマ軍団兵は職業軍人で良いのかな? 土地を貰え、それに縛られるのは満期除隊後だし。
古代中央集権国家は常備軍なんじゃね
いやもう古代エジプトも早くから傭兵とか雇ってたよ。その頃はビールや塩とかの現物支給だけど エジプトじゃ金券じゃなくて国の倉庫かなんかに持っていくと穀物と交換してくる券が流通してたらしい 物が穀物なんで収穫期から時間が立つとどんどん価値が下っていったらしいけど そもそもソルジャーの語源は塩で給料を払われてたからだと聞いたような
傭兵と娼婦ともう一つ世界三大最古職業という胡散臭いものがあったと思ったが 傭兵は常備軍とは違うしなぁ
練度は徴兵より傭兵の方が上 常備軍と言っても全員職業軍人なんてありえないわけで
職業軍人でなくていいなら アテネの重装歩兵が常備軍のはしりか
ハンニバルの部下はみんな純粋な傭兵。 カルタゴは商業都市で貨幣経済も普及していた。 カルタゴの成金は基本的にカネだけ出して自分で戦う気なし。 まあ子弟で編成した騎兵隊はあったけど。
あとアテナイにはスキタイ人奴隷弓兵というのもいたし、 クセノポンはペルシャに雇われて傭兵軍団組織した。
職業軍人も、やめて、敵側につくこともあるよね。
弓兵といえばクレタの弓兵も傭兵みたいな感じなのかな?
クレタの投石兵なんて投石兵ならクレタって言われる位だから当然傭兵でしょ あの狭い島で人口が増えりゃ傭兵になる奴も出るよなぁ。ギリシア人だってそうだし
アテネの重装歩兵は普段仕事してるんだから州兵とか屯田兵みたいなもんだろ。 今の日本で言えば消防団員みたいなもの。
>>954 投石で有名な島はロードスやバレアレス諸島じゃね
クレタは弓だし、そのせいかゲームのAOEではミノアは弓メインの戦術だった
>>955 訓練も週何回か退勤後にやってたのかな?
ギリシア人の歩兵部隊はアレクサンドロスの頃には傭兵になってペルシア側に雇われてたのもいる メムノンとか
クセノポンも傭兵だよな
なかなか勤務時間があわなくてファランクス組めないからレスリングとかパンクラチオンやってたんじゃないか? 徒歩槍試合とかもあったみたいだが。
投石兵のことを一部でバレアス(ギュムネス)と呼んだように、投石兵と言えばバレアス諸島だろう 訓練と言えば、バレアス島民は出稼ぎで味を占めて幼少期から投石訓練を行わせていたらしいが、ロードスの投石兵は記述が少なくて困る おまけにマケドニアやローマに召集されたことについてほとんど触れられていないのは、単に活躍が無かったせいだろうか
>>955 自警団だよ
自分らが戦うしかないんだから
アフル・スンナみたいな物か?
そういや都市国家の人口ってどんなもんなの? その都市人口によってはマジで村の自警団クラスになっちゃうかもね
スパルタ自警団は300人とかだろ。
紀元前400年代に遡れば、アテネやローマが15万、バビロンやカルタゴで20万と言ったところ 更にこれ以下の規模の都市が大半であり、結びつきの緩い各都市が一定数の職業軍人を常時抱えるとなると、国家そのものの構造をつくりかえた結果、スパルタ状態へ向かいかねない 同時期、レウクトラ内戦を経たスパルタの成人男性をわずか1500人とする推定すらある 大マリウスの軍制改革によって市民兵から職業軍人に移ったころ、ローマの人口は50万弱 末期共和制ローマ全体で4000万〜6000万となり、単純にのちの世と比べられないとは言え、まあ妥当な国家規模ではなかろうか この頃の共和制ローマ領ギリシアですら300万前後の人口と言われるので、貧民にまで一定の装備と訓練を施すと言う考えに至る余裕が無かったのも頷ける
アテネ・ローマの人口は今の東京でいうと青梅市とか東村山市くらいか。
>>965 スパルタの場合は、スパルタの市民に対して支配下にある奴隷の数が非常に多かった
確か市民の三倍くらい奴隷がいたのではなかったかな
それだけに少数の市民で多数の被支配者を支配するために市民たちの錬度が必要だった
それがいわゆる、スパルタ教育のような、厳しい軍隊教育を市民に課すようになったわけだが
一方で、女性の権利に関しては、スパルタは強く
男性に負けないくらい女性は豪快だったそうだが
>>966 一万の部隊を編成するためには、その三倍の三万戸の人口が最低必要と孫子には言及されている。
人口が四千となれば、戸数で言えば700戸から1000戸くらいか
兵力は最大で200万から300万あまりくらいが限度かな。
総人口が6000万程度だった明の戦力が300万程度だったはずだから
ローマ軍の総戦力も最盛期で300万程度が限界だったってことか
971 :
名無し三等兵 :2013/09/12(木) 13:26:19.04 ID:aUOypqJO
動員兵力は敵と戦うまでの移動距離とか、地域の基幹産業が何かとかにも影響するから単純には計算できない。 馬に乗れない貧民でも手漕ぎ船の漕ぎ手としては動員できるし。 城壁の上から一斉に矢を射るだけなら少年や老人でも兵力になる。 野戦兵力が一番金も体力もいる。
ローマが用意できた兵力は、人口比にして1%程度のことが多い ハンニバルに対して大兵力を対応させている状況でも、人口比は2%を越えるほどに留まり、これ以上の兵力を維持することができず逐次編成している さらに、この状況を数年間続けた結果、男性農業従事者の不足と飢饉が問題となり始めている 一戸から兵を取れば七戸が自分の畑に集中できないというのは中国に限らない 400万人ほどしかいないローマ市民権保有者が多く失われるというのも問題になったはずだ 下って初代皇帝アウグストゥスの治世、総兵力は補助軍団・近衛・首都守備含めても30万を下回り、内戦中であっても50万前後 国境に配置された正規軍団員が15万程度で、常備兵力はこの辺りが限界だろう
ただの人口じゃなくて働き盛り人口の多くを取ることになるんだもんな 独ソ戦終わったあとのソ連も成人男性人口が減りすぎて後々までの人口構成に 色々影響あったとか聞く
まぁ洋の東西を問わず常備軍はある程度社会が発展しても人口比3%程度までだったらしいからなぁ 日本だった大阪城攻めで短期でケリをつけるつもりの徳川家康が大名に出した動員でも1万石当たり250人だったはず 短期で終わるつもりで多めに出させたんじゃなかったかな
関ヶ原だけで兵力15万とか意味が分からない
決戦でしかも首がかかればみんな必死になる ローマが金ケチりながらやってきたとき、対する蛮族は明らかに根こそぎだろって兵力出してるし
ハンニバルの時とか、日本全土より広い国土で集めた10万くらいの軍団を常時遠征させてたんだから、方向性が違うだけでかなり頑張ってる 近代以降の大動員とか見てるとどっちも霞むが
>>974 朝鮮出兵の時に秀吉が1万石につき500人の動員をかけているし
関ヶ原直前の上杉征伐の時に上杉軍は石高120万石にもかかわらず、7万人をかき集めているはずだが。
朝鮮出兵のときは外征で動員数も西日本の大名と東日本の大名では違うから、やはり一律とはいえない。 関が原の上杉軍が領内の専守防御だから移動距離も短い。
ちなみにペロポネソス戦争突入時のアテネ市の人口は奴隷までかき集めて23万人 そのアテネ市の陸軍は動員時に陸軍3万2000人、海軍6万人に達したと 歴史家トゥキュイディデスは書いている。 実際に「戦史」の描写を見る限り、この9万2000人の動員は正しいみたい。 となると古代史の人口がいかにいい加減か分かるが。
追加、この9万2000人はシチリア遠征にも動員されたので完全な外征軍。 専守防衛での国民総動員でないのに、これだけ動員できたとは 古代ギリシャ恐るべし。
>>980 成年男子全員出しても足りんだろw
ところで次スレ頼む
一応言っとくが、兵隊をかき集めるのはアテネ市の中だけじゃねーぞw てかむしろアテネ市の外からが主成分なくらい
成人男子の数の倍になるし、そもそも市内からじゃ不可能 外縁にも人がいるし、規模で劣るが何百と言う他の都市もあるし、なにより重装歩兵以外はほぼ全部余所から傭兵雇うからな
次スレのテンプレ改変していい?
輜重の牛馬の動員率は? 地域・時代によっては、牛馬さえ残してくれれば成年男子以外でもなんとかなったのに、ということもありそう。
>>985 何する気だよ
変えたいならもっと早く言え
てかトゥキディデス自体が「よくわっかんねーけど、多ければこれくらいだろ」って数字出してるからどうなんだろう実際
>>987 秋夜長物語絵巻とか法然上人絵伝の模写とかを見っけたから
ごめん 次スレ建てられないから次次スレあたりで貼るわ•••
朝鮮出兵のときは わざと過重な動員掛けたんじゃなかったっけ? 特に九州に
じゃあ立ててみるか
>>990 途中で追加してくれればいいだけじゃね?
うめ
忍者修行中でURL貼れないねん
まぁ途中で貼ります うめ
998
999
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。