[武士騎士] 古代中世総合08 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
1 :
名無し三等兵 :
2012/10/30(火) 00:56:46.35 ID:??? 軍事板の古代・中世の総合スレです。
古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する
軍の動員・編成、国家制度・住民管理・領地支配、訓練、鉄器・青銅の製造、
戦闘技術、武術、武器・兵器・長弓・クロスボウ・刀・槍・石つぶてについての運用、
甲冑・衣服、馬・馬具全般、ラクダ・ロバ・牛・鳩・犬などの軍事利用された動物全般、
舟・ガレー船・帆船の製造・運用、河川・海上の利用、道路整備と陸上交通、食料・兵站・輸送、
狼煙などの通信・作戦指揮・伝令、諜報・忍・密偵、築城・縄張・攻城技術・土木技術などのほか
戦争要因となった文化・宗教・経済・農業・民族など
上記分野も含めて幅広く駄弁るスレです。
このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
900を踏んだ人は次スレを立てて次スレへの誘導レスすること。
950過ぎても次スレが無ければ気が付いた人が次スレ立ててください。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
関連スレなどは
>>2 以降を参照のこと。
一応、このスレは板違いなどと誤解を招かないように2ch総合案内より軍事板紹介を転載
>軍事に関係するなら時代を問わず、戦略・戦術・軍制・兵器・装具なんでもありの板。
軍事板は現代戦・近代兵器だけの板ではありません。古代・中世も含めて軍事なんでもありの板です。
前スレ
[武士騎士] 古代中世総合07 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1349768867/l50
2 :
:2012/10/30(火) 10:41:04.23 ID:???
I am Gunnery Sergeant Hartman, your Senior
get
>>2 Instructor. From now on, you will speak
only when spoken to, and the first and last
words out of your filthy sewers will be "Sir!"
Do you maggots understand that?
>>1 Bullshit! I can't hear you. Sound off like you got a pair.
>>3 You are nothing but unorganized grabasstic pieces of amphibian shit!
>>4 I'll P.T. you until your assholes are sucking buttermilk.
>>5 You had best unfuck yourself or I will unscrew your head and shit down your neck!
>>6 Holy dogshit! Texas! Only steers and queers come from Texas!
>>7 You're so ugly you could be a modern art masterpiece!
>>8 I'm gonna rip your balls off so you cannot contaminate the rest of the world!
>>9 The fucking war will be over by the time we get out there!
>>10 Hell, I like you. You can come over to my house and fuck my sister.
3 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 10:48:24.54 ID:???
ハルトマン軍曹って書くとイメージが全然違うな。
4 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 12:47:53.96 ID:???
5 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 12:49:51.76 ID:???
6 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 13:01:32.88 ID:???
7 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 13:06:56.82 ID:???
8 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 13:17:18.32 ID:???
ぴくせるまりたんを購読してるおかげでハルトマン軍曹の英語もすらすら読めるぞ。 「口でクソたれる前と後にサーと言え!」 なのだ。
9 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 13:32:34.00 ID:???
エリック・ハートマン
10 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 14:12:07.24 ID:???
11 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 16:36:45.31 ID:???
すみません質問させてください 英仏百年戦争という本を読んでいたら、英軍の長弓はスコットランド民兵由来で元来は庶民の武器という説明がありました。 日本での弓は修練が必要なため貴族の武器という説明をみたことがあるのですが、 同じ弓なのに何故真逆の扱いなんでしょうか?
12 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 17:14:11.03 ID:???
>>11 その書籍がどういったものか詳しくはわかりませんが、
歴史家は実はそんなに軍事には詳しくない人がいるので注意が必要です。
多くの書籍ではイングランドの長弓兵はウェールズ起源と唱えていますね。
エドワード一世がウェールズを征服した際、果敢に抵抗したウェールズ人の
弓兵を高く評価したということです。
弓というものが、高度な修練を必要とする平気であるのは間違いなく、
農耕民が片手間でマスターできる代物ではありません。
しかし、ヨーロッパの騎士たちは、白兵戦を好み、私生活では狩猟を嗜むにも
かかわらず、戦場では不名誉な事として、射程兵器の使用を敬遠する傾向がありました。
その理由を述べるとまた長くなりますので割愛します。
イングランドでは、そもそも修練の困難な長弓を、自営農民たちの
義務として課することで高練度の庶民軍を編成することに成功しました。
長弓奨励の方策は実に極端で、頻繁に競技会を開催し、勝者を報いると同時に
アーチェリー以外の娯楽を禁止し、休日でのトレーニングを義務付けるなどです。
13 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 18:46:48.34 ID:???
サトケンは歴史家なのかどうか。
14 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 20:05:48.33 ID:???
そもそも和弓は貴族の武器なんてことないでしょ。エミシの方が騎射がはるかに巧みだったんだから。 律令軍団の歩兵だって弓が基本装備だし。猟師だって弓で狩猟してたし、海賊も弓を使っていた。 密集した敵に弾幕はるくらいなら律令歩兵でもできる。
15 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 20:37:57.85 ID:???
隆家卿が弓で騒ぎ起したりはしてるが 刀伊を撃退したときには実戦で使ったりはしないだろうなあ。
16 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 20:57:48.54 ID:???
>>12 すみません勘違いしてました。ご指摘のように英仏百年戦争でもウェールズと書いてありましたorz
もともとウェールズが弓に長けていたのは狩猟などで日常的に弓を扱う生活だったからということでしょうか。
それにしてアーチェリー以外の遊戯を禁止というのもすごい話ですね。
日本での犬追者や笠掛け流鏑馬は武士の訓練であって平時の農民の遊戯ではなかったことと比べると違いに驚きます。
私が日本では弓が貴族(というか専門の訓練を積んだ兵士)の武器という説明を見たのは
鎌倉時代までは弓が主武装だったのが、戦国の頃になると農民兵を大量導入した戦いが主流になったため
習熟に時間を要する弓は主武器たり得なかった、というような流れでの記述だったと記憶しています。
>>14 で挙げてもらった日本の例を見ても皆普段から弓を扱う生活をしているように思います。
やはり一朝一夕で扱える武器ではないというのは東西変わらずということでしょうか。
それを考えるとクロスボウの発明は簡単に扱える飛び道具として画期的だったんでしょうね(日本では生まれなかったみたいですが)
17 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 21:04:01.09 ID:???
平安以降の公家で軍事の才があったのは隆家と北畠顕家くらいかな
18 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 21:07:17.92 ID:???
一条兼貞さんは?
19 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 21:18:27.62 ID:???
>>16 画期的というか
弩は昔からあるい日本にも伝わってた
日本では流行らなかったけどな!
馬上で使えないからだろうか?
20 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 21:27:01.21 ID:???
ヨーロッパでクロスボウが本格的に使われるようになるのって10世紀以降だよね。 日本はその時代には弩は廃れてた。
21 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 21:31:44.99 ID:???
22 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 22:40:20.83 ID:???
>>19 多分に経済的な理由が大きかったらしい
弩はけっこう高価だったからな
そういえば、投石器に関しては、「石もっこ」との呼び名で日本でもあるそうだ
集落同士の紛争とかで用いられていたとか
23 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 22:43:31.17 ID:???
>>16 通常、競技用に用いるアーチェリーはせいぜい30ポンドくらいだ。
これでも引く力はけっこう必要だが、大型動物の狩りに用いるのは弱すぎる
私の手元にある弓で、一番に強力なのは60ポンドだけど
かなりの腕力が必要だよ。
イギリスのロングボウなど、100ポンドを超えていたというから、信じられない腕力が必要だったでしょうね
24 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 23:00:46.13 ID:???
おれは150ポンドのクロスボウを持ってるけど(何に使うんだw?)、引くのはかなり大変だよ。 ところで、砲術家は鉄砲の打ち方を指南するだけでなく、鉄砲と火薬の製造と材料の調達、運用まで考えるコーディネーターだったのは忘れなさんな。 クロスボウ同様で、これを扱うのは特殊技能で、整備から前線での簡単な修理(壊れやすい)、さらに調達先に少なくとも伝手が必要だったんだ。 個人単位で雇えるものではないし、雇ったところで役には立たない、また簡単に技術を習得したり、コミュニティーに入れる訳でもない。 中世の大砲部隊が、ガンナーと呼ばれる、特権を有した独立したチームだったのと同様にね。
25 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 23:01:00.77 ID:???
26 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 23:14:17.47 ID:???
>>1 乙
馬上で再装填ができないからじゃないかね。
どうしても強いクロスボウは、足でしっかり器具を踏んで腰で引かないと、
腕力で引くのは難しい。
27 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 23:16:47.34 ID:???
>>24 私はクロスボウを漁に使ったことがあるよ
人に見つからないように、こっそりクロスボウで魚を仕留めた
出来たら狩りで使いたのだが、法律にひっかかるからな。。
うん、漁でも引っかかるかな?
28 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 23:21:56.80 ID:???
北条の領内では天正初期から鉄砲で鳥を撃つなとかの禁令が出てたんだよな。 個人の狩猟具としての普及は結構早かった。特殊技能ではあったが、伝来後40年程度で 農村にも広まっていた。
29 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 23:23:36.37 ID:???
30 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 23:38:21.27 ID:???
>>26 別に馬上で使うことに拘る必要はないのでは?
31 :
名無し三等兵 :2012/10/30(火) 23:55:40.63 ID:???
>>30 弩が日本で廃れた理由については、過去他のスレでさんざん話題にされておるので参照されたし。
大体の流れとしては、蝦夷の征服により朝廷軍の軍縮がなされたことと関係している。
このとき軍の中心は多数の歩兵から、少数精鋭の弓射騎兵に移った。
その後、朝廷の弱体化、日本の割拠下で組織的な歩兵軍を編成することが
不可能になる一方、高度な製作技術とコストを要し、騎射に適さない弩は廃れた。
再び組織的な歩兵軍を編成するようになった戦国時代には鉄砲が伝来したため
弩が復活することはなかった。
32 :
30 :2012/10/31(水) 00:07:57.78 ID:???
>>31 弩が禁兵器だったとかの視点が抜け落ちているのでは?
33 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 00:15:32.93 ID:???
高度というけど弩自体は
>>25 にあるように狩猟民族が自分で作っちゃう程度だしねえ。
どうしても必要だったら残るでしょ。
34 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 00:23:07.85 ID:???
>>32 そこまでしってんなら話題にする必要はないな。
35 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 00:40:26.94 ID:???
>>28 北条で思い出したが、氏康が幼少期に火砲の音に驚いて泣いた記録があったな。
36 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 00:45:04.48 ID:???
>>35 小田原には唐人が来てたわけだから種子島以前に明の銅銃とかあっても
不思議ではないかもね。
37 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 03:29:58.97 ID:???
38 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 05:08:20.66 ID:???
>>32 弩は別に禁じられてるわけじゃなかったと思うが。
>>33 製法を秘密にしていたところから、
実戦用のは何かノウハウがあったんだとは思うが、
弓矢が作れて簡単な器械が作れる技術があれば作れそうだものねぇ。
たまにクロスボウ絶対信者みたいな御仁がいるが、
必要でないから廃れた、と見たほうがいいな。
39 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 09:18:20.66 ID:???
狩猟用の弓は日本の農民でも律令歩兵でも使えた。 それに律令軍団の弓は復元で見ると七尺三寸よりはるかに短いし、合成弓ではなくて丸木弓ではなかろうか? 小さい弓を徒歩で射るのはわりと簡単かもしれないが、七尺三寸の合成弓を走る馬の上から連射するのは確かにただの農民では無理だ。 毎年流鏑馬やったり、騎馬打毬やったり、野馬追いやったりしてる奴らじゃないとできない。 エょっとしたらエミシと律令軍団じゃ弓の威力自体も違ったのかもしれない。
40 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 09:26:45.48 ID:???
あとは武士階級の間で一昔前の車でいう 弓→MT クロスボウ→AT限定 みたいな風潮があって「ぷっwwwお前武士のくせに弓使えねえのかよwwwww」 みたいな風潮があったのかもしれないw
41 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 10:56:47.07 ID:???
平時ならともかく命かかってるんだから 使えるものなら笑ってないで使ってただろ。鉄砲みたいに。
42 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 13:28:45.96 ID:???
源平盛衰記だと、平家の武将、妹尾(瀬尾)兼康が岡山市の福隆寺縄手で木曽義仲軍と戦ったときに使ったそうな。 此佐々迫と云所は、東西は高き山、谷に一の細道あり。左右の山の上に弩多く張り立たり。後には津高郷とて、谷口は沼也ければ、究竟の城也。 敵何万騎向たり共輙く攻落し難所也。此には兵共を指置て、我身は唐河の宿、板蔵城に引籠て、今や/\と木曾を待。
43 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 14:02:41.35 ID:???
源義経は弱い弓を使っていて、それにコンプレックスがあったようだな。
44 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 14:39:18.33 ID:???
>それに律令軍団の弓は復元で見ると七尺三寸よりはるかに短いし、合成弓ではなくて丸木弓ではなかろうか? 刀の場合は遺物があるから蝦夷のものからの影響が明らかだけど、 騎射戦術のみならず弓自体に関しても蝦夷からの影響があったのかもね。 朝廷側の長弓に蝦夷の合成弓の要素をプラスしたとか。蝦夷がどんな弓かは 知らんけど。
45 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 15:21:02.78 ID:???
46 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 18:23:23.88 ID:???
>>45 もともと弩(クロスボウ)といっても
製法によって威力はだいぶ違うから、
弩のほうが威力において優れているという前提には違和感を感じるな。
47 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 18:29:39.83 ID:???
>>46 その辺は検証されてないからなんとも。
デッキュのような狩猟用ではなく、軍事用の弩という前提で何かデータ持ってる?
48 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 18:44:39.59 ID:???
49 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 18:48:51.95 ID:???
50 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 18:52:27.89 ID:???
51 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 19:35:57.72 ID:???
北海道アイヌは乗馬しないしエミシみたいに自分で刀も作れないから別の文化だと思う。 やっぱりエミシはツングース系オロチョンの文化の影響受けてるんじゃないかなあ?
52 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 19:58:00.61 ID:???
>>46 弓より強力な時点でなんらかの弦引き機械が必要になるよな。
53 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 20:06:37.43 ID:???
54 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 20:07:44.58 ID:???
一説にはエミシというのはもともと蝦夷ではなくて、 弓人(ユミシ)が転訛したものだという。
55 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 20:30:05.74 ID:???
それ、高橋富雄の本で昔読んだな。つか、この人が言い出した説だったかも。
と思って調べたらやはりそうだったな。
http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/tohoku/emisi.htm > 「異人(けひと)の中心が日高見国蝦夷に移り、毛野中心の東国がヤマトの干城(かんじょう)に編成がえされて、
毛人たちは、勇者の意味でエミシと呼ばれるようになる。毛人がケヒトすなわち異人(けひと)であったころは、
蝦夷と同じく賤称であった。それがあずまの勇者の意味でユミシ(弓人)となり、エミシに転訛して、
美称になるのである。」(p.3)
そういうわけであくまで近代の学者の推測です。
「夷」は弓を持つ蛮族を表しているという説が根底にあると思われる。
56 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 21:40:06.48 ID:???
弩が廃れたのは連射速度が原因じゃないかなーと思ったり。 戦国時代で火縄銃が登場しても発射準備の隙を埋める為に連射速度に優れる弓が使われ続けてる。 火縄銃はそれまでに無い威力を持っていたし、十分な工業力もあって大量に運用されてるけど、 銃と比べて格段に威力が劣る弩では、弓と比べて威力があっても、 弩を量産して弓と共に運用するよりも、弓を大量に配備する方が効率が良かったんじゃないかな?
57 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 21:47:10.22 ID:???
発射の金属部分が国産できなかっただったら笑う
58 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 21:51:58.58 ID:???
59 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 22:40:55.71 ID:???
>>56 弩は器具を使うことで確かに強力にできるし、
構え狙って撃つのは弓より楽なのは本当だけど、
発射速度には確かに劣る。馬上で再装填も難しい。
弓は強弓にすると訓練も体力も必要になってくるし、
狙うのが確かに難しいけど、
@集団で撃つ
A高度な訓練を受けた専門職戦士が扱う
ことで発射速度、命中率についても弩と同程度にできる。
しかも弓に比べて複雑な構造の弩はコストも高いし、
こわれたときの修繕も考えるとなぁ。
60 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 22:48:26.64 ID:???
日本の鉄砲隊の実力は、朝鮮の役で証明済みだ。 当時の日本の鉄砲隊は、明・朝鮮軍を圧倒している。 その時の日本の鉄砲の数は、欧州の統べての鉄砲を合わせたよりも上だし 鉄砲隊の実力は、世界最強と言っても良いと思うけどね ただ、弩つまりクロスボウよりも有力な武器とは必ずしも言えない。 クロスボウやロングボウの射程距離や貫通力は、初期の先込め式の鉄砲を凌いでいた。 それだからこそ、欧州で鉄砲が弓を駆逐するまでには百年近い時間が必要だった。 日本で同じ事が起こらなかったとは考えにくい。 実際、鉄砲伝来の後も弓は使われ続けていたわけだしな
61 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 23:00:07.19 ID:???
>>58 製法を秘密にしていた、というような記述はあるが、
輸入していた、というような記述は特にない。
>>60 速射性を考えると弓は補助的に使いうるけど、
弩はないだろ。
鉄砲は口径20mm↑当時の黒色火薬でも十分すぎる威力を
もっているので、あえて弩を使う意味はないんじゃないの?
62 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 23:22:14.97 ID:???
今更ナショナルジオグラフィックの完璧な武器はどれだ!見たんだが 連弩が思った以上に情けなくてワロタ…
63 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 23:31:54.89 ID:???
室町〜戦国にかけての軍隊がどうなってたのかようわからん。 数十〜数百単位の私兵の寄せ集めで集団戦闘の訓練なんてロクにしてなかったという人もいれば 兵科毎にかなり細かく分類して備を組んで大規模な訓練をしてたという人もいる。
64 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 23:35:38.25 ID:???
>>63 備があったり、石高ごとの動員数とかある程度決まっていて、
戦場の配置もかなり精密に決めていたようなので
集団戦闘をロクにしていなかったというのは暴論も暴論だと思う。
65 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 23:37:24.55 ID:???
66 :
名無し三等兵 :2012/10/31(水) 23:40:17.22 ID:???
>その時の日本の鉄砲の数は、欧州の統べての鉄砲を合わせたよりも上だし これって鉄砲を捨てた日本人にしか載ってない与太話でしょ
67 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 00:00:39.58 ID:???
>>66 再三話に出していて悪いんだが、
退役陸将の松村氏の著作にもそういった話が出てくるし、
「鉄砲を捨てた日本人」は読んだことないが、
ちょっとぱっと出てこないが別の本にもそういった話が出てきたように思う。
68 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 00:08:07.28 ID:???
>>63 そこんとこは各大名家によって違うとしかw
意外と織田家は軍制では東国に比べて遅れてたみたい。
69 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 00:18:42.01 ID:???
>>64 戦国板の方にある軍事学スレとかそのスレまとめた哲学ニュースの米欄見ると
割と否定的な見解の人が多かったから実際どうだったんかなあ?と。
源平〜鎌倉時代の頃は本当に各御家人によってバラバラな数の私兵の集団だったようだがこれがいつまで続いてたか気になる。
70 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 00:21:02.56 ID:???
>>69 西欧でももともとバラバラの領主をまとめて戦をする、
というのがごく一般的だった時代だぜ。
制度上はそうかもしれんが、家、領主ごとにまとまって戦闘をしつつ、
それぞれの連携をとっていればさほど雑然とした戦いにはならないだろう。
部隊ごとに数や装備が違うだろうから、編合する総司令官は常に大変だろうけども。
71 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 00:41:56.18 ID:???
>>67 なんかいかにも身内びいきのバイアスがかかっていそうな人じゃないか。
だいたいヨーロッパ諸国の保有火砲数なんてほんとにちゃんと調べているんだろうかね。
>>70 ヨーロッパは16世紀に入れば傭兵が主力。
領主権の制約はなく、国王の財力が続く限りは大体思うようになる。
72 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 00:48:41.45 ID:???
>>67 同じ時期に西ヨーロッパでも軍隊規模が異常なハイペースで増加したのを忘れて計算したんだろ
1520年代のヨーロッパの遠征軍は最大のフランスでも3万程度だったが
カール5世は1536年にイタリア北部で6万、1552年にはハブスブルク領だけで15万動員
1574年には常時動員状態のフランドル駐留スペイン軍だけで8万6千
10年毎に陸海軍ともに倍増以上のペースで増えてた
当然、それに対抗する…というかそれで対抗するフランス軍も多少少ない程度の規模
因みに17世紀初期の槍と銃の割合は1対1程度
73 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 00:51:54.49 ID:???
>>71 ただそのせいで慢性赤字になった国もあるよね。
74 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 01:15:06.99 ID:???
>>73 そう。軍隊がヨーロッパを食い荒らしたね。
日本の戦国時代も、略奪と人身売買のオンパレードだったわけで、
具体的な数字でどっちが大きいかは分かんないけど。
75 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 01:43:24.66 ID:???
そもそも日本の場合は「常備軍」じゃないし 律令制が崩壊してからは「国軍」という概念が無いからね。 唐入りの際に九州の大名+毛利&宇喜多だけで十万越えてたから 単純計算なら「総兵力」はかなりの数になりそうだが。
76 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 02:11:32.07 ID:???
>>75 戦国時代の足軽がどれくらい農作業から分離していたかだね。
この時代の足軽はいわゆる農民徴募兵ではなく傭兵だという指摘がなされている。
信長以降の織田家の場合は常備軍があったと言えそうだし、
秀吉時代には一層その傾向が強まっていると思う。
大坂の陣で大阪方についた10万人が農民徴募兵で成立しているとは考えにくい。
おそらく、そのほとんどが牢人=失業傭兵であると見て良いんではないかね。
77 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 05:24:02.75 ID:???
実際は農民徴募兵もいれば完全な傭兵もいただろう。 江戸時代の徳川将軍家でも町奉行に仕える同心足軽と農民みたいな八王子同心が混在してたし、 他藩でも一領具足の子孫の土佐郷士みたいなのとか、薩摩藩の外城士みたいなのが混在していた。 石高を120万石から30万石に減らされた米沢藩でも原方衆という半農半士の藩士が主力になってた。 土豪や地侍、国人でも実際は武装した庄屋とか名主みたいなのが多かったと思う。
78 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 06:45:40.62 ID:???
戦国時代と言っても、日本の場合は、各大名が国力増強に力を注ぎ 人口もGNPも増加している。 総人口が何分の一にも激減した、欧州や中国の動乱期のそれと比較すれば、動乱の内にも入らなかったのではないかと思うが?
79 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 07:15:08.37 ID:???
>>76 百姓上がりから天下人になった秀吉だが。
秀吉の親父は百姓というが、より正しくは、平時には農業を行い戦時では足軽として戦場に出る
半農半武の身分だった。
秀吉の朝鮮出兵の目的の一つは、戦乱の終結で多くの兵士が失業したから
彼らの就職対策だったそうだし。
ついでに言えば、江戸時代には大名屋敷に出入りしていた中間と呼ばれる奴らは、町民の身分であるが有事には足軽として戦場に出る立場にあった
江戸時代では、もっぱら下っ端の雑用係だったけどね
こういう人材はあの時代には多様にいたでしょうね
80 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 07:32:33.89 ID:???
南部藩の家老の家に生まれた原敬に足軽と呼ばれた山県有朋だって正確な身分は中間だからなあ。 坂本龍馬も郷士だし。 農民が武装しているというよりはもともと由緒正しい武士が食うために農業しているという例も実は多いと思う。
81 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 09:39:26.29 ID:???
>>78 戦争後に都市や農村の住民が皆殺しにされるか生かされるかの違いでしょ。
82 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 10:25:01.68 ID:???
皆殺しなんかしてたか
83 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 13:53:09.98 ID:???
上杉家が関東に人がりに出兵してたって説に対し それはちげーよって話を読んだな
84 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 13:54:48.07 ID:???
おおざっぱな話はたいてい眉唾。
85 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 14:16:36.71 ID:???
日本でもまったく野武士とかの乱暴狼藉がなかったとはいわんし、 略奪やら焼き討ちも当然あったわけだが、 それにしても中国では当たり前の「滅国絶祀(国を滅ぼしたら祭祀≒歴史・文化ごと断つ)」 とか領民全員虐殺とかに比べると天国のようだわ。 ヨハネスブルグとせいぜい日本の歌舞伎町くらいの違い。
86 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 16:46:35.84 ID:???
江戸時代には武士は特権階級として優遇はされていたろうが 何分にも多すぎた。 さらに中産階級が力をもって、商人や豪農と言われる人たちも幕府にとっても無視できない存在となり 切り捨て御免とか言って、無礼を働いた民を切り殺す事が容認されたとの建前はあったが、実際はそんなことは滅多に出来るものではなかったとか 跡目を継ぐことが出来た長男はともかく、そうでなかった者は武家階級でも相当、困窮したようだ。 学問に秀でていたと学者とか医師になれたものはともかく そうでないものは代筆とかして、ほそぼそと食っていたとか
87 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 16:48:57.21 ID:???
>>82 日本と違い、外国との戦いは異民族同士の葛藤ってことになるから
その対立の激しさは凄いよ
互いに支配したり殺し合ったりした歴史があるもの、互いに恨み骨髄だからね
88 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 16:50:48.18 ID:???
薩摩に侵攻された大友領は人狩りと略奪で全土壊滅状態だったようだが 秀吉の命令で多少は戻ったが その豊臣も、記録を信じれば紀伊の人口の数割根切りにした計算になるし 織田の伊賀侵攻や越前での虐殺も有名 地元勢力の歓心を得る必要が無い程の戦力が整った戦国後半は普通に虐殺は多い
89 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 16:53:05.24 ID:???
>>88 民族、文化、歴史ごと抹消するのとはやはり違うよ。
日本人の考える「虐殺」と中国人が体験してきた「虐殺」は
レベルが違うとしかいいようがない。
90 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 17:12:00.10 ID:???
上杉の関東出兵は秋冬に突出してるし、 食い扶持減らし&人身売買用の人狩りは程度のほどああっても 間違いじゃないような
91 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 17:23:56.22 ID:???
>>89 日本より中国の方が虐殺は苛烈だという印象には同感だが、
基本的には対立勢力の頭目とその一族の続滅であって、
庶民を虐殺するものとは違うと思う。
具体的に中国で民族や文化、歴史を抹消した例って何だったっけ?
一方で、集落ごと破壊して住民を根絶やし、奴隷化というレベルなら
東西で枚挙にいとまがないね。日本の戦国でもけっこうやってる。
92 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 17:28:08.67 ID:???
中国は三国志以降基本漢民族だからな 彼の国は勝ってますます強くなるという敗者吸収システムだから 戦争でそんなに虐殺しないような(長平とか時々すごいのがあるけど) 皇帝のきまぐれで殺した方が多そうw
93 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 17:54:22.87 ID:???
>>78 >>85 日本とヨーロッパでは穀物収穫率に大きな差があるから、
栄養面、人口増加率の点でも日本が上回っていたのではないかな。
加えて、虐殺や人狩がエスカレートしたのは戦国後期の3−40年
ほどと考えると、トータルでGNPが増加したからといって
単年あたりの被害者が少なかったとは言えないと思う。
だいたいGNPなんてどうやって計算してんの?って疑問もあるし。
日本にとって僥倖だったのは、ヨーロッパみたいに数世紀にわたって
拮抗する地方政権同士が大規模な軍事衝突を断続的に繰り返さなかった
ことではないかね。
信長信者じゃないけど、大規模な軍事システムが作られてからわずか
3−40年で再統一されたわけで。
94 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 18:28:45.49 ID:???
南北朝時代も数十年で終わったし、源平に至っては数年だしな。 あとヨーロッパの人口激減はペストとかも大きいんじゃね? 中国の場合は大量の難民が発生して戸籍上の人口が激減しただけで 実際にはそんなに減ってないとも聞いたが
95 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 18:34:26.38 ID:???
まあ基本的に外圧のない島国の統一を大陸と比べるのもどうかと
96 :
93 :2012/11/01(木) 18:38:32.12 ID:???
>>95 べつに、統一した信長が偉いとかそういう意図は微塵もないよ。
単純に阿鼻叫喚の戦争状態が比較的短いと言いたいだけで。
97 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 18:42:23.42 ID:???
>>96 ああいや、国土的にほぼ確定してたやすく統一という言葉が使える島国と
そもそも何を持って統一とするかさえ揉めるであろう大陸の国と比べて
統一期間が短いとは言えないだろうということ
98 :
93 :2012/11/01(木) 18:47:56.70 ID:???
>>97 統一の定義は難しくても、具体的軍事行動の規模と頻度は指標になるよ。
99 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 19:17:27.02 ID:???
だいたい戦国時代の日本のGDPの試算とかそもそも胡散臭い。 自前の銭貨さえ鋳造してない、現金経済が農村の隅々にまで普及してるわけでもない戦国時代の日本の生産金額を試算できるのか? 中央政府の機能してない状態での人口の統計というのも眉唾。 そもそも鎌倉時代・南北朝時代のン万騎の動員実数さえ確定できない状態でどう戦国時代と比較するのか?
あ、GNPか。いまどきGNPとか古くないか?
中国の虐殺の話にしてもおおざっぱで抽象的観念的すぎる。 民族、文化、歴史ごと抹消された話なんかソトツガルサングンシみたいにいくらでも捏造できる。 何王朝の何帝が何文化の何族を抹殺したのか具体例を挙げてみてくれい。
>>89 中国での虐殺は、殺した相手を食べたとか
いろいろと信じがたいことをやっているね
日本の朝鮮の役では、殺害した朝鮮兵の鼻や耳を供養を目的で埋葬したが
朝鮮の方は日本兵の遺体を、戦功として埋めた場所に記念碑を建てた
死者すら侮辱することを平然とする大陸の発想と日本のそれは違う
別に朝鮮や明が日本人や日本文化をまるごと歴史から抹殺できたわけじゃないだろ。
>>103 韓国や中国は現在進行形で日本文化の抹殺を図ろうとしていますが?
誰もそんな話してないから 巣におかえり
106 :
名無し三等兵 :2012/11/01(木) 23:32:14.55 ID:gpKTXGW5
>>99 確かに中世の武士達の戦術や編成は文献の記述がアバウト過ぎて実像が掴みにくい。
実際かなりアバウトだったんかもしれんが、そうなると
いくら士気と練度高いからとはいえ、典型的な封建制度の軍隊なのに元軍をぼこったり
対馬人だけで万を越す朝鮮の正規軍一方的になぶり殺したのがギャグみたいに思えてくる。
>>101 直近だと広州コミューンとかもまぁまぁ凄いほうだが、
張献忠による四川虐殺事件はわりと有名だと思うが。
何文化とかは知らんが、一城戮滅とかはしばしば目にするな 項羽さんとか
徳川実紀によれば享保の大飢饉の餓死者969,900人と書かれている。 しかしその数字の根拠はよくわからない。しかし徳川実記は幕府の公式記録である。 中国政府の公式記録によれば日本軍による南京大虐殺の死者は30万人。文化大革命の死者は2000万人。 しかし数字の根拠はよくわからない。 太平記の赤坂城攻め百万騎みたいなもんで大きい数字を比較の根拠にするのは危険である。
>>109 スレタイ
ウザかった自治厨も必要悪なのかとカケラぐらい思っちゃうな
このスレの時代で中国の中央政府が1文化を虐殺でまるごと消滅させた、なんて
せいぜい清のジュンガルぐらいじゃない?(これもかなり時代的にグレーだが)
西域史とか満州はよく知らんからあの辺りで何かあったら申し訳ない
そもそも戦乱で人口激減ってのもどこまでホンマなんかなあと
戦乱でしっちゃかめっちゃか ↓ まともな統計取れず。取れた分だけ集計したら激減してるように見える という可能性もあるしな
ジュンガルにしても消滅したのはどっちかっつーと天然痘のせいだしなあ。
>>102 死体の損壊なんて死者への侮辱の最たるものだが
供養目的とか何処の電波だよw
>>117 全身を持って帰ることができないような戦地では、
遺体の一部を切り取って持ち帰り遺骨変わりとする。
というのはよくある話だが。
自分が殺した敵兵の鼻や耳を切り取るのは供養のためのわけないだろ。
まあ、戦果確認で嵩張る首の替わりに鼻や耳にしたってだけ供養目的では無いわな
そもそも今の中国の人口でさえ、黒孩子(ヘイハイズ)や盲民と言われる浮浪民がたくさんいてよくわからないといわれる。 今の中国のGNPでも実際どうなのかはよくわからない。 良くも悪くも中国とはそういう国だ。
>>111 日本の場合は、人別帳って戸籍の原型のようなものが江戸時代当時にすでにあったから
そうした人数に関しては、けっこう正しいと思うが。
しかしさすがに山間部に逃亡した人たちも多かったようだし
そういう人間まで把握するのは難しかったはずだ。それを考えると誇大な数字の可能性は、もちろんあるが
ちなみにこうした数字を正確に表に出そうとするのは日本くらいではないの?
インド洋津波の際には、死者の数は二十万人だって、ばっと最初に出したが
あとでかなり修正された、いまも正確な数字は不明だが
日本の場合は、ちゃんと確認が取れたのを出している。おかげで最初のころは、海外から被害をかなり過小に見られ
寄付金も集まり難いって事も思っているくらいだ
これは国民性だな
ヨーロッパは全ての住民がキリスト教の洗礼を受けなきゃいけなかった都合上 中世初期の頃から教会がかなり正確な人口を把握してたはず
現代ですらいい加減大国の中国なので100%信じられるかはさておいて、 それでもまあ、州一つがなくなったということが一般的に信じられているのなら たしかに恐ろしい話ではあるな、張献忠。恥ずかしながら無学であったよ。 張献忠のケースは、どの都市でどの日時に虐殺という日記だったり史書だったりの 具体記録は残っているんだろうかね。 ただ、発言者に一つ苦言を呈したいのだが、あくまでもここは軍事史的興味を 満足させるためのスレなので、民族差別心や嫌悪感をむき出しにしたり 煽るような発言は控えてもらいたい。感情論を抑えた理性的会話をしたいので。
>>125 文化として滅国絶祀というものがある、
虐殺の度合いは日本より高い、というのは一般的傾向であって
まさに文化の違いについての話にすぎない。
それをやれ民族的差別心だの嫌悪感だの言い出すのは
申し訳ないが、まさに感情論だよ。
だいたいまだ見苦しく張献忠についても抵抗してるじゃないか。
張献忠の話はかなり広くさまざまな文献に記載されている。
だいたい戦国春秋時代やら史記を紐解くだけで
相当な数の一城皆殺し(城の中に住民もまるごと入っているので)の話が出てくる。
それが嘘だ嘘に違いない、というのは理性的なの?
>>126 そうやってさ、わざわざ「見苦しく」ってつけてるから荒らしなんだって。
嘘だとも思っているわけじゃなくて、より詳しい話を聞かせて欲しいんだよ。
君の発言やアバウトな300万人虐殺ていどの情報でホイホイと全面信頼なんて
できるはずもなかろう。
君の情報に確認を求めるだけでなぜ全否定されていると思うんだい?
あと張献忠の例については滅国絶祀とは繋がらんものだと思うのだがどうなんだろうね。
そろそろ史記本文に具体的にはどう書かれているかが知りたいですね。
ただ、全滅したはずの四川省で張献忠の死後も10年以上清朝に対する抵抗運動が続いていることから、清朝が四川で行った殺戮が全て張献忠が行ったと誇張されたという見方もある。 魯迅は『晨涼漫記』で、張献忠は皇帝になりたかったがなれないと分かったので、せっかく手にした宝を他人に奪われるのなら壊してしまえとばかりに虐殺を行ったと評している一方で、四川の人々が清軍がやってくるまで、 何故、抵抗もせず大人しく殺されていったのかとも皮肉っている。 『酒池肉林-中国の贅沢三昧-』(講談社現代新書、井波律子著)では魯迅のコメントを踏まえた上で、人々が清の支配を受け入れるために張献忠殺戮伝説を誇張させていったのではないかと推察している。
>>118 朝鮮の役で、日本軍が敵兵の耳や鼻を削ぎ落として持ち帰ったのは、間違いなく戦果報告のためだ
海を超えての輸送だけに、首を持ち帰るのも手間がかかるので
鼻や耳を塩漬けにして持ち帰った。それだけに過ぎない
ただ、その後に耳塚を作って埋葬したのは、慰霊のためだったってのも間違いなく
滅ぼした相手が祟らないように祀るという大和朝廷の時代からの信仰の名残でしょうけど
日本では敵兵であっても、ちゃんと死者は祭っていた
張献忠の事件で慎重にならざるを得ないのは、 規模が300万と頭抜けて大きい割に詳細がわからないからなんだよ。 1都市レベルの虐殺なら、世界中で頻繁に起こっている。 部隊、日時、対象がある程度はっきりしていて、しかも対象が包囲下に あるのだから、討ち漏らし少なく記述通りの事態が起きたとある程度信用できる。 そして、このレベルの虐殺は日本の戦国時代でも発生している。 しかし、広範な四川省の300万という人口をどうやって殺戮したのか。 それがハッキリしないから慎重になる。 実行者(実行部隊)、年代、対象集落が特定できない 清軍が占領した時には300万人口が激減していたというのが事実としても その原因が、虐殺によるのか、逃亡、餓死によるものなのかがわからない。 しかも、実行者が清か張献忠かでその評価はまるで違ってしまう。 滅国絶祇の性質を認めるとすればそれは実行者が清朝の場合であり、 そうなれば、それが漢民族特有の性質であるとの論旨に反する。 張献忠が虐殺者であった場合は、滅国絶祇というよりは、単なる 狂人の自殺行為ということ言うべきではないのか。
自民・公明じゃ何も変わらない 「民主」ならなんかやるだろ そんな感じじゃね? 民主・自民じゃ何も変わらない 「みんなの党」ならなんかやるだろ そんな感じじゃね? 民主・自民じゃ何も変わらない 「小沢」ならなんかやるだろ そんな感じじゃね? 民主・自民じゃ何も変わらない 「維新の会」ならなんかやるだろ そんな感じじゃね? 民主・自民じゃ何も変わらない 「石原」ならなんかやるだろ ←いまココ そんな感じじゃね? 民主・自民じゃ何も変わらない 「第三極大連合」ならなんかやるだろ そんな感じじゃね?
>>127 民族的差別心がどうのとか、
嫌悪感があるから云々とか、
思い込みと決めつけでレスしたのは誰だい。
アバウトな情報で全面信頼など何ももとめていないし、
中国の歴史についてもろもろ読んだりしていれば、
日中戦争でも異常な事件はたくさんあるのだから、
大陸の文化が違うというのはむしろ常識の範囲だろう。
すまんがちょっとお前さんずれてるわ。
>>132 張献忠の話は虐殺の話。
滅国絶祀の話は文化として、過去そういうことが
たくさんあっただろって話。
それをいっしょくたにして評価するのは少し変だね。
だいたい君の理論では、
日本の戦国時代と中国のこれまでの歴史では虐殺なんて
同レベルという認識なんだね?
では部隊、日時、対象がはっきりしていてかつ
被害状況や被害にあった人数が明確な戦国時代の例を挙げてくれるかね。
さて、史記の話だが、 ちょっとぱっとどの城どの部隊というのは出てこないが、 とりあえず一番有名なもので、 白起将軍による長平での虐殺事件。 捕虜にした趙軍40万を皆殺しにした事件ね。 (もっとも中国は誇張表現が多いので趙兵がそもそも40万いたかどうかは別) 秦本紀 四十三年,武安君白起攻韓,拔九城, 斬首五萬。四十四年,攻韓南(郡)[陽],取之。 四十五年,五大夫賁攻韓,取十城。葉陽君?出之國, 未至而死。四十七年,秦攻韓上黨,上黨降趙, 秦因攻趙,趙發兵?秦,相距。秦使武安君白起?, 大破趙於長平,四十餘萬盡殺之。 四十万虐殺については、 一番最後の、四十余万ことごとくこれを殺した、という話。 住民や城ごと、という部分についてはちょっと全文ひっくり返してくるから、 しばらく待っておいてくれ。
>>135 そもそも傭兵や常備軍の財政的負担がもたらす戦災について会話していた中で
わざわざ「中国の虐殺はもっとひどかったんだぜ」などと持ち出されれば
政治的意図を警戒したくもなる。
実際
>>102 >>104 みたいなのが釣られてきてるし。
荒れないように釘を指したつもりが当事者になっては本末転倒だな。
とくに反中の感情なしでの発言だったのならこちらの誤解だ。申し訳ない。
138 :
137 :2012/11/02(金) 18:49:10.57 ID:???
>>137 アンカーは
>>134 につけるべきだった。135と同一人物かはわからんけど。
中国史が残虐に満ち溢れているのは認めます。
わたしからはこの話題はおしまい。ごめんなさい。
おれはハンレイとガッキが好き。 その次はハッキ将軍だな。
まあ反中とか親中とかと関係なく論理の展開がおかしい奴というのはよくわかる。 虐殺のレベルの上下をはっきりさせたいという着眼も別にすぐれていない。 別に中国の戦争の規模の方が大きいなんてことはわかりきったことで誰も論証なんて求めていない。 日本での例では島原の乱や長島一向一揆が有名だな。
3万人皆殺しの島原も2万人皆殺しの長島も中国に比べればレベルが低いぜえええええ、 とかそんな話はどうでもいい!! ロシアで350機撃墜でもビルマで30機撃墜でもエースはエースだし、クルクスでもルソン島でも戦車戦は戦車戦なんだ!
ところで島原の乱といえば、 一揆軍側が立てこもったのは廃棄されてた原城だよね。 よく構造物とかろくに残ってない城で包囲戦に長期耐えたな。
143 :
134 :2012/11/02(金) 20:25:16.97 ID:???
>>138 こちらこそ感情的になってしまってすまなかった。
とりあえず虐殺どうこうは別にして、史記にはこのスレ向きの話題が
多いので、何か面白そうな記述見つけたらまた書き込むよ。
>>142 攻める方も代替わりして素人だからな
素人同士なら守り手の方が強いのはあることじゃね?
士気が高いならなおさら
>>142 石垣を初めとした曲輪等の基礎は残っているから、
それに土塀や矢倉を急造すれば見てくれは兎も角、
軍事施設としては十分以上の存在
146 :
134 :2012/11/02(金) 20:40:23.77 ID:???
島原の乱当時って、 戦国時代華やかりしころとちがって、 大砲や鉄砲とかにも何か齟齬があったのかね。 初期、攻めてたのが九州の大名だったと思うが、 幕府から兵器削減させられたりしてそうだが。
>>146 大砲に関しては建物が藁葺き屋根の類しか無いから、実体弾しかない当時は効果を挙げにくかった
戦後、オランダ人の助言に従い、榴弾とそれを運用する臼砲を導入している
島原の乱は当時の島原藩主の悪政が招いたものだ 外様大名だった島原藩は、幕府に気に入られたいと 身の丈を超えた分担金を支払い続けた。そこに九州一帯の飢饉が重なったもので 農民は飢餓状態になり、ついには反乱に至ったわけだ。 もともと戦略などなかったから、原城に立てこもってしまう なんて無茶なことをやって、にっちもさっちもいかなくなったわけでね この乱以後、島原藩主は斬首刑になっている。 大名が斬首されたなど、徳川幕府の歴史の中では、これだけだ。 幕府の怒りの激しさもよくわかる顛末だ
>>142 戦術の常道として、城の防衛側は、攻撃側の十倍までの戦略は何とか耐えるだったかな?
しかし事態の長期化で戦況の変化が見込めるような状況でもないのに、城にこもるなど愚行だ。
その程度の戦略を立てられるような人材も、農民側にはいなかったってことだ
>>142 日本の城は構造物に頼った防御じゃなくて、堀、土塁などの地形によるものだからってどっかで見た
当然構造物があればより有利だけど、大砲等で破壊されると士気に影響が出る。
ろくに残ってなければ大きく影響を受けないんじゃないかな
そもそも当時は実戦経験のある武将がもう細川忠興と立花宗茂くらいしか生きてなかったからね。 関ヶ原から40年近くもたってりゃそんなもんだけど。
生きてるだけなら宇喜多秀家とかだっていただろう。だからってなんでもないが。
>>150 時代は違うけど、熊本城も構造物が火災で炎上して堀と石垣しかない状態で西郷軍の攻撃に耐えたしね
>>149 島原の乱の指揮官はれっきとした武士だよ。小西や有馬の牢人。
どこまで本気かわからんけど、スペインの援軍と国内キリシタンの
一斉蜂起を期待していたらしいね。
実際、第一次攻囲の司令官板倉重昌が戦死しているし、幕府が打つ手を
間違えればなし崩し的に内乱が拡大しなかったとも言い切れん。
今から見れば勝算のありそうな戦いではないが、それだけ追い詰められて
いたとも言える。
>>152 また八丈島から泳いで参った!するのかよwwww
キリシタンはともかく、スペインがどんな状態だったかは すぐ近くでオランダ人が誇張気味に吹聴してそうなものだけど...
有明海に無敵艦隊が停泊してテルシオを上陸させるのか
>>154 ぶっちゃけ、
農民一揆みたいにいわれることがあるけど
ほぼ戦力は武士と足軽経験者とかだよね。
アジア諸国を次々と植民地にしてきたスペインやらポルトガルが、日本を植民地にしようとしなかったのは 日本に敬意を払ったわけではない 単にその力がなかったからに過ぎない。 海を超えて二十万の大軍を送った日本の国力は、すでに欧州でも知られており 幾度か日本と摩擦が起きた例があるが、ポルトガル側は日本に譲歩して事なきを得たってことも何度もある。 ま、日本が欧州の国なら、また対応が違ったかもしれないが はるばる、アジアまで日本を討伐する大艦隊を派遣するなど、ポルトガルにも出来るわけはない 島原の乱で、スペインの援軍を期待したとしたら、あまりにも考えが浅すぎるが
>>154 板倉の死は、功績を焦るあまりの作戦ミスだろう
普通に考えれば、原城を包囲しての兵糧攻めが常道のはずだが
それをやらずに無理な攻略を繰り返したのだからな
>>159 正直、
どんな大艦隊を派遣したとしても、
当時の西欧のガレオン船だとどうしても人員がガレー船より少ないし、
ガレー船は遠洋航海できないからな。
武装商船まで引き連れてきたとしても、これだけ離れていると
軍船20隻程度、2000名くらいの陸戦隊が限界ってとこだろう。
(アルマダの海戦で参加軍船30隻程度、200トンくらいの小型武装商船が100隻)
特に16世紀17世紀くらいなら日本と技術格差もそれほど大きくないし、
日本の城にはそれほど艦砲射撃も有効でなかったから、
バランスをひっくり返すのは無理ゲーすぎるね。
スペイン本国から長崎までだと思うと可能性低いように感じるが、当時はすでにメキシコとフィリピンもスペイン領なんだよな。 ガレオン船もマニラで大量に作っていた。 フィリピン、メキシコ、マカオからならそう遠いわけでもない。 本気でスペイン側の立場に立って戦略考えるなら、江戸市街や大坂を榴弾で砲撃するとかの方がいいだろうな。
本気でやろうとすれば万単位の兵力送れただろ 当時のスペインは5000人のフィリピン駐留軍はじめマラッカやゴアの駐留軍を片手間で維持する海軍力があった訳で 問題はやろうとするほど当時のスペインは暇でもないし金があった訳でもないし動機すらあやしい イエズス会とスペインは当時既にどうしようもないぐらいに対立関係にあった
久しぶりに迷走してきたな
オレがメキシコシチーにいる副王なら佐渡金山上陸作戦を計画するな。 江戸幕府最大の財源である佐渡金山を副王領ににし、原城から救出したキリシタンに掘らせるわけよ。 武器さえ送れば一揆勢でテルシオや私掠船編成できるし。異教徒の北前船を接舷斬り込みで拿捕させる。 キリシタン浪人で聖佐渡騎士団を編成してもいいかもな。
当時の日本はオスマントルコ帝国それに清帝国にロシア帝国と並び 世界六大帝国にかず得られていた。 帝国と王国とは似たようなものと感じるのは早計であり 複数の国家を従える帝国は、王国よりも一段も二段も上と位置づけられていて それだけの国力がなければ認められるものではない。 日本は欧米から相応の国力のある帝国だと認められていたわけで、欧米にとってもなかなか侮れない相手だったわけよ
>>163 ほぼ同時期、欧州を席捲したナポレオンが、自ら指揮を取ったエジプト遠征で従えたのは一万程度の戦力だからな。
スペインと言えども、数万の遠征軍を送る事は簡単なことではあるまい
侮れないというか、朝鮮出兵後のフィリピンなんか今度はいつあの大軍が こっちに来るかと恐れていたわけで。
>>166 世界六大帝国に思わずワロタ、そのセンス好きだぞw
Λ_Λ < `∀´ > トンスル飲むニダヨ \ / |⌒I │ (_) ノ ______ _..レ__ ___ /r''''''i i'''''ヽ|`i i'''ヽ`'i i'´r.⌒ヽ| | | | L,丿丿 ヽ、_`''ヽ, | | i i'''ヽ`''i i、 `ヽ`} j l、 j L,丿.丿 i、ヽ.,,ノ,ノ 朝鮮総連 ブロードキャスティング システム
フィリピンの現地民数万を傭兵として雇ってマスケット銃与えても補給が続かないよ ましてや事前情報で準備を整えた火縄銃で大量武装してる島民に 文永の役の再演になるのがオチ
イマイチ文意が汲み取りづらいです
フィリピンから台湾・沖縄経由で日本に攻め込んでも距離的に補給が続かない 無理くりフィリピン人傭兵を送り込んでも火縄銃や大砲を装備した幕府軍に撃破される
当時は補給って現地で賄うものでしょ? 街のない不毛の地を軍隊が移動すれば補給不足になり、 発展した国に進軍すれば補給が容易になる。
>>174 銃の時代になると現地調達は容易ではなくなる
グスタフアドルフやマウリッツも戦争の最中、兵站の重要性に気付いたわけで
支那事変の日本軍も食料は後回しにしても武器弾薬の補給には意を払っていたくらい
伊達政宗もスペインに幕府転覆計画もちかけたって話もあるし 結果を知ってる現代人にとっちゃあスペインの限界が見えてても 当時の日本人にそこまで情報を握っている人なんて多分いないんだろうな。 とりあえずB級合戦小説のネタにはなりそうだよな。 テルシオVSサムライ軍団! アラトリステVS柳生十兵衛! もう誰か書いてるかもしれんけど。
>>176 昔チラ見した仮想戦記もので、伊達テルシオ軍と徳川幕府軍が戦うものがあったなw
スペイン副王としてはぜひ仙台藩との軍事同盟も検討したいところだな。
仙台藩は石巻でガレオン船も自作してるし、騎馬鉄砲隊というレイターも編成してたしなあ。
>伊達政宗もスペインに幕府転覆計画もちかけたって話もあるし どの程度まで話が進んでたの?
>>181 信じるなよとか言われても
>>176 が書いていることの
具体的な内容を知りたいだけなんだけど。
政宗は支倉常長を使者としてローマに派遣した(慶長遣欧使節)。このときのことを示す有力な史料もある。支倉常長はローマとの軍事同盟交渉のとき、国王・フェリペ3世に対して、 「政宗は勢力あり。また勇武にして、諸人が皆、皇帝となるべしと認める人なり。けだし日本においては、継承の権は一に武力によりて得るものなり」と発言している。 また、仙台藩の庇護を受けていた宣教師のジェロニモ・デ・アンジェリスも、次のような手紙を本国に送っている。 「テンカドノ(家康)は政宗がスペイン国王に遣わした使節のことを知っており、政宗はテンカに対して謀反を起こす気であると考えていた。彼ら(家康・秀忠父子)は政宗がテンカに対して謀反を起こすため、 スペイン国王およびキリシタンと手を結ぶ目的で大使(支倉常長)を派遣したと考えた。」 支倉常長はローマ教皇にも謁見した。この時代の日本人がローマ教皇に謁見した史実は、日本の外交史の中で特筆される実績であり、 今でもスペインのコリア・デル・リオには現地に留まった仙台藩士の末裔が多数[要出典]存在する。彼らは「日本」を意味する「ハポン」を姓として名乗っている。
使節の半分は幕府の人間だからあほな事は出来んよ つか使節団自体が幕府の船が沈んじまったから伊達が肩代わりしてるだけで 伊達単独で同行できるものじゃない 世の中じゃ面白おかしく書いているけどね。
返ってきたら全部オワになってたわけで、結局何のために送ったのかよくわからんのyじゃなかったっけ
柳生十へえって文化系だよな。
要出典ww
>>163 仮に2〜3万の兵力を送れたとしても、
まず港をきちんと占領しないとちゃんと上陸できない。
上陸したとしても、それほど技術や戦闘について格差があるわけじゃないので、
日本側の阻止を突破できるかは怪しい。
東南アジアの有象無象ならともかく、
数十年にわたって戦乱を続けてきた実戦経験のある兵が多数いる
日本を征服しきるのは無理じゃないかね。
NHKで元寇ハジマタ
と思ったが元寇は専門スレがあるのね
狗HKってだけで悪い予感しかしない
まwあwなw まあ専門チャンネル以外は放送するのNHKぐらいだしw
オワタ 実物大投石器が一番興奮した まさかここで拝めるとはw
>>189 無理だろ。
数万程度の戦力では、一時的に沿岸を占拠することはできても
すぐにタコ殴りにして滅ぼされてしまう
ヨーロッパ諸国が秀吉の朝鮮の役に驚愕したのは当然。
なぜなら、海を超えての侵攻は格段に難しいからだ。
それにも関わらず日本軍は二十万の戦力を送り込んだ。
世界の歴史でも、十万を超える遠征軍を海を越えて送り込んだ例は、第三次ポエニ戦争のローマ軍や
蒙古の日本侵略など、指で数えるくらいしか存在しない
日本の国力を世界に示したって意味では、確かに歴史的な意義はあった戦争だったな
そもそもそんな軍隊送れないだろ。アジア艦隊なんて7隻しかないし。
日本の兵力は戦国末期でもよくわからんからな 関ヶ原だけで東西15万とかどんだけ動員兵力あるんだよっていう 個人的には全く未練なくあっさり朝鮮を捨てたことが一番疑問なんだが 言葉通じないし住みにくかったんかね?
>>185 貿易のために送っただけだよ。
仙台港を太平洋横断航路の根拠地。東日本の長崎にしたかった。
>>197 島津とか伊達とかの朝鮮滞在中の手紙なんか悲愴の一言だし
ほぼ全員が帰りたかったんだから未練もないだろ
たきぎを馬鹿食いするオンドルなんてもんが標準装備になってる時点で朝鮮半島の厳しさが伺える
風土病で何人も死んだらしいしな やっぱり心情的なものか、みんな故郷がいいのか 居城を頻繁に変えた信長は異端だな 侵略戦争も大変だ…そういえばアレキサンダーも部下が東方遠征嫌がったりしてたな
安土はともかく岐阜に移したセンスは凄いな
>>197 豊臣期は100石に六人が本役だから
単純に言えば太閤検地1800万石で108万人が国内総兵力だな
渡海遠征が困難なのは間違いない。 外部勢力が単独力押しで侵略するのは確かに不可能に近いのだが、渡海先で招き入れる同盟者がいればどうだろうかね。伊達家がスペインの橋頭堡になるとまた勝算も 変わって来るのかも。独眼竜がスペインをバックに動き出したとなれば、関ヶ原の リターンマッチを望む大名もいたはず。そうすれば2~300万石は一気にスペインの 拠点となったかもだ。 コンキスタドールの中南米征服だって、補給や戦力的にかなり無茶な割には、現地の 内紛なんかで成功してしまっているしな。単純に技術格差だけなのかもしれんけど。 秀吉の朝鮮出兵は規模はデカイが、内通勢力も現地ガイドもなく始めたことからして 異文化征服の定石を踏み外しているわな。
>>200 島津は兎も角、伊達なんて文禄の役ですら一度も戦ってないのに
そんな書状送るなんてよっぽどみんな嫌々だったんだなw
やる気あったのなんて加藤清正くらいじゃね?w
>>206 原田とか桑折とか病で死んじまったからな
島津義弘が嫁さんに出した手紙なんかも涙を誘う。
石器時代で停滞してる中南米と一緒にするなよ・・・
>>197 あんなクズな人間が住んでるクズな土地が、欲しいかよw
今でもその末えいはクズ揃いで日本人を悩ませてるというのにw
まあスペイン軍日本上陸の話はもともと原城救出の話から出た話だから何もハポン征服までいかなくていい。 政宗も徳川がオランダを利用したようにスペインを利用したいだけ。 上杉、佐竹、津軽あたりは伊達・スペイン同盟についてもおかしくないな。
仮に伊達・スペイン同盟が徳川打倒に成功した場合はキリシタンは禁制にならず、 仙台が政治的中心になり、石巻がガレオン船の製造拠点になり、南蛮貿易は続き、 仙台藩は戦列艦で艦隊を編成するかもしれないな。 ただそうなるといずれイギリス海軍と対決する日が来るのは必至だが・・。
ここは東北出身者が多いのか? 東北の友人の多くが、政宗マンセーだったのを思い出したよ。
スペインの勝ちありきで語っててたまたま寄生対象が政宗なだけだろ
東北でも南部と相馬は徹底的なアンチ政宗。 仙台藩では南部と相馬の藩境にだけ要害(城)があって山形や秋田に対してはフリーパスだった。
寄生虫の能力を過大に妄想してるだろ。 >仙台が政治的中心になり、石巻がガレオン船の製造拠点になり、南蛮貿易は続き、 仙台藩は戦列艦で艦隊を編成するかもしれないな。 ただそうなるといずれイギリス海軍と対決する日が来るのは必至だが・・。 >伊達家がスペインの橋頭堡になるとまた勝算も >政宗は支倉常長を使者としてローマに派遣した・・・ とか。
まあぶっちゃけ最初からノーチャンスだよ
そうなんすか。 おれの知ってる東北のシトは青森岩手秋田山形のシトだった。
岩手でも県南は伊達。青森でも県東は南部。
青森県東は、青森中央より、岩手県北との中がいい
四国でも愛媛県の県南は伊達。
ネタに対する仕打ちが冷たいな。夢のないやつらだ。
夢では喰っていけねえだ。 とさっき東京物語2012でやってますた。
,、 /7 ,-、 ( <. | l //´ ヽ\,.ィ´ .ニニェ‐、// >、<゜> < 。>) 〈 // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ. 嫌なら 見るな!フジテレベ! | l ノ、 __!!,.、 | l ヘヘ. ヽニニソ ././ ヽヽヘ、____,,..ィ,ン′ `''‐---‐''´ ,、 /7 ,-、 ( <. | l //´ ヽ\,.ィ´ .ニニェ‐、// >、<。> <゜>) 〈 // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ. 嫌なら 見るな!フジテレベ! | l ノ、 __!!,.、 | l ヘヘ. ヽニニソ ././ ヽヽヘ、____,,..ィ,ン′ `''‐---‐''´ ,、 /7 ,-、 ( <. | l //´ ヽ\,.ィ´ .ニニェ‐、// >、<゜> < 。>) 〈 // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ. 嫌なら 見るな!フジテレベ! | l ノ、 __!!,.、 | l ,、 /7 ,-、 ( <. | l //´ ヽ\,.ィ´ .ニニェ‐、// >、<。> <゜>) 〈 // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ. 嫌なら 見るな!フジテレベ! | l ノ、 __!!,.、 | l
慶長遣欧使節は仙台藩主伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王フェリペ3世、ローマ教皇パウルス5世に派遣した使節だろ。 徳川幕府が派遣した使節ではない。
幕府と共同だよ。
ところで、なんで外様の政宗が外交権を得られたの? 政宗は使節の当事者だったのか、幕府の代理人だったのか。 wikiレベルじゃわかんないなぁ
簡単に言えば船作る金出したから長崎奉行もらった感じ
なんでそんなかねあんの?
しょせんは慶長十七年に出航即遭難した幕府派遣の第一次慶長遣欧使節団の代替だからな 政宗の野望って事にしたい人はロマンチスト過ぎ
>>229 その他もあわせて火の車で幕府に借金しまくり。
膨大な借金を残して政宗は死ぬが、息子が豪快に踏み倒しw
さすがの傾き者
まあ出航即遭難した幕府派遣の第一次慶長遣欧使節団にはロマンも何にもないからなあ。 ローマ貴族になった鉄砲足軽組頭とか、いまだにセビリアに住む700人のハポンさんとか、 どう割り引いても壮大だろ。
せっかくアメリカ大陸などへの航路がわかったのだから、 積極的に大陸入植とか考えてもよかったとは思うけどな。
それに何の意味がw
東南アジアに日本人街を作って交易の拠点にしていたように、 アメリカ大陸に拠点を持っておくのも意味はあると思うが。
太平洋越えて交易する船って流石に大変だろ
てか無理
そも何の得がある
>>228 奉行ってことは外交権委任されてんの?
支倉常長の渡したのが家康の親書じゃなくて政宗の親書。
しかも、ヨーロッパ側に残る資料ではスペイン・教皇は支倉の使節団が
幕府のものではないことを思いっきり警戒して、丁重に追い払ってる。
幕府の名代としての使節派遣にしてはいろいろと越権行為があったんではないかね。
そうだなあ。幕府の名代なら家康の花王がサインしてるはずだよなあ。 そもそも幕府の名代だったのか?ソースよろ。
別に名代ではないけど、江戸幕府は派遣を知っていたし、多少だが協力もしてたはず。 もっとも成功するはずもないし、別の修道会が妨害工作もしてたようだがね。 曰わく 「伊達正宗は地方領主に過ぎない」 「布教ではなく貿易(金)目当て」 「政権転覆の手伝いなんて止めとけ」 「日本じゃキリスト教が迫害されてる」 と実に正確な情報が先に届いているし。
>>237 伊達正宗が建造したのはアメリカ大陸や、
アメリカ大陸を超えてヨーロッパまでいって往復できる船。
その技術のすそ野を広げていけば、
欧州船の日本での補修、アジア戦略を固めるスペインやオランダへの
船や水夫の供給
(伊達家が建造した船は後に軍船としてスペインが買い取りしてる)、
自ら拠点を持つことで交易が容易になる、などのメリットがある。
てか、江戸時代であっても
東南アジアに日本人街があって大型船で交易をしていたわけでさ。
少しはスレタイ通りに中世の話しようや 伊達でも天文の乱とか南北朝の方の政宗とか
>>243 伊達家が建造といっても実際に作ったのは幕府直属の船大工だけどな
伊達にはガレオン船建築技術無いもん
アメリカ大陸を超えてヨーロッパまでって太平洋を渡るつもりかw
大平洋航路ってアメリカの造船技術進歩して横断可能な船造れるようになるまで江戸末期頃まで渡りきれなかったよぬ? それまではたいてい捕鯨船が難破漂流して日本に流れついてたけどそれをもって航路横断出来るとは言えんよね
>>247 太平洋航路はマニラ>アカプルコがスペインのアジア貿易の定期航路になっている。
遭難率は激しいが、それを補って余りあるほどの莫大な利益を上げたそうだ。
ポルトガルとトルデシリャス条約で東西勢力圏を住み分け、ケープ植民地を
持つオランダとの対立上必要なことでもあった。
そもそもヨーロッパ人だってなんの利益が上がるかわかんないアメリカ大陸に
植民を始め、世紀をかけて富を築いていったわけで、太平洋横断が困難だから
といって、一概に得にならんとバッサリ切り捨てるもんでもないだろうな。
>>247 マゼランが渡ってるし、1565年からはマニラで建造された1000人乗りの2000トン級ガレオンが
年に3隻ほどマニラとメキシコのアカプルコを往復してる
南米の銀でアジアの産品を買い付けてメキシコに運んで、メキシコを陸上で横断してイベリアに運んでた訳だ
逆に言うと当時の南北アメリカでアジアで売れる産物は銀ぐらいだったしアジア産品を買うような購買力は南北アメリカにはない
つまり大西洋ルートの存在しない日本が割り込む余地はない
日本ーアメリカ横断て出来たのか? ペリー艦隊でもヨーロッパ、インド経由で来なかったか?
ペリーはインド経由で来た。
いつまでこの話題が続くのか楽しみですね
同時スエズ運河は無かったから、メキシコに拠点を持ち、乗り継ぎの船が無ければ、ヨーロッパまでは行けないぞ。 支倉常長一行も、途中で船を乗り換えて、スペインのガレオン船でヨーロッパに向かった。
メキシコまでは幕府の人も同道してるね
>>250 1613年に日本で建造されたスペイン式ガレオン船の
サン・ファン・バウティスタ号が、若干のスペイン人と、
日本人船長の支倉、侍数十名、日本人水夫120名を乗せて
仙台発、北アメリカ経由で南米のアカプルコに到着している。
第二回航海でもほぼ同じルートを通ったのだが、
フィリピンに到着したところで、サン・ファン・バウティスタを
軍船としてほしがったスペインに売り払って、別の船で日本人が日本にもどってきてる。
そもそも当時は、
シャムのあたりにも日本人街があったくらいだし、
大型船はジャンクだったりシャムあたりから買ったりして就航していて、
海外貿易は盛んだったのよ。
>>249 日本が直接割り込む必要はなくて、
後に幕府が開港せざるをえなくなった理由のように
外国船の受け入れ、補修の請負や傭兵業、食料や水の補給だけでも
それなりに利益をあげられると思うがね。
東南アジア方面での貿易は日本人商人もルートをもって儲けていたようだから、
アメリカルートではサポート業務で儲ける、といった方法もあるよ。
良スレage
得がない、と切り捨ててる人もいるけど、 得があるからスペインにしろオランダにしろイギリスにしろ 新大陸を目指したわけで、 植民地として新大陸を目指すメリットがまるでない、と切り捨てるのは乱暴すぎるな。
地理的条件も国内の条件もまるで違うからなぁ 別に香辛料はほしくないし動機もない
強いているなら土地だな。 領地と米作。これなら大名にもメリットはある。
遠すぎるだろw どこからどれだけ輸送するんだよ 外国で独立するつもりまであるなら別だが、それなら話が違う
>>261 遠すぎるから新大陸の植民も開拓もしないというなら、
南北アメリカに欧州の植民地は出来上がらなかったわけだが。
まぁ、それだけ無理無理動機もないと言い張るなら、
これ以上話してもしょうがないからここで終わりにしよう。
ムキになってすまなかったな。
スレ違いを延々やらかした挙句それで終わりかよ
まあ実際、仙台藩士は戊辰戦争後に大量に北海道に入植してるし、 もし実際に通商してたらいまごろ西海岸あたりにダテシティとかニューセンダイ州とかあってもおかしくなかったかもな。
>>241 正使ソテロがスペイン副王宛の将軍親書を携えてったで
>>263 いいんじゃないの?流れに任せても。それだけ興味のある人がいるわけだし。
たぶんスレ違いって切ったら、とたんに沈黙が続くぜ。
それとも何か話題にしたいものがある?
君が
>>261 と一緒かどうかはわからないが、
頭っから無理無理無駄無駄動機もないとしか言わないなら
話にならんだろう。
スレ違いの話題で無理やり続くくらいなら沈黙がいいけどなあ。
>>267 そんなの材料がないいいわけじゃないかw
>>265 やっぱそういう事なんだな。
幕府の正式な使節はメキシコまでなんだ。
だから約130人の使節のうち100名がメキシコで引き返して、
伊達家の30名だけが欧州まで渡ると。
それが幕府の了承済みだったのか、どさくさに紛れての行動だったのか。
前に南部馬、奥州馬が森林系の重種って話がでていたけど、 アジアの他のどっかにも森林系の重種を使ってる民族っているんだろうか? そんなことわからんか。
>>268 それこそ君ん家で座談会やってるのとちがうし、嫌なら見なけりゃいいんじゃない?
だれかの誹謗中傷しているわけでもないんだし。
脱線した流れから、あたらしいスレ準拠の話題が派生することもあるわけだし。
>>270 使節船の建造に幕府の船大工がかかわってるし
どさくさ紛れはないだろ、そのあとどうするんだ
>>271 それはそれで興味のわく話なんだが、アジアの馬種ってなかなか情報があつまんないね。
ヨーロッパと違って血統概念もないし、民族の衰退とともに消えていったのかしらん?
>>273 メキシコにて。
ケース1
幕臣「さて、用も済んだし帰りますか」
支倉「我々はちょっと野暮用が、先に帰ってくだされ」
ケース2
幕臣1「さて、用も済んだし帰りますか」
幕臣2「お奉行、ソテロと伊達家の面々が見当たりませぬ!」
こんな感じ。
ロシア重輓馬とやらを見つけたがアジアじゃないわw
>>275 いやだから幕府無視して勝手に交渉してそれで後からケチつけられたらどうするのかと
全部秘密裏にやるならありえなくもないが(それでもばれると思うからやらないと思うが
>>268 船もいちおう話題の範囲なんだからいいんじゃない?
じゃあたとえばヴァイキングがアメリカ大陸を目指した話、
となるとこれはスレに沿う内容なのか?
というのをいちいち考えると肩がこるぜ。
延々脱線続けてるヤツが開き直ってるwwww これはスレ違いの話題が出たら見逃さず即座にやめさせることを 徹底したほうがいいってことだね。
>じゃあたとえばヴァイキングがアメリカ大陸を目指した話、 >となるとこれはスレに沿う内容なのか? これを江戸時代の話と一緒にできるとか思ってるヤツにはこのスレに 来てほしくないですなあ
>脱線した流れから、あたらしいスレ準拠の話題が派生することもあるわけだし 明らかに脱線した流れがダラダラ続くだけでしたが。
>>276 まあ、実際「伊達殿には謀反の恐れあり」と言われていたわけだしな。
その一因がこれなんじゃないかと。
実際、幕府の許可を得ての通商外交なら、支倉も堂々と帰国してもよいわけだろ
というか、幕府のキリスト教禁止やカトリック貿易禁止はすでに始動しているのに
許可を得ているとか考えにくい。
>>280 DNA研究による裏付けがあれば面白いんだが。
>>282 まあ俺は基本「素顔の伊達正宗」って本の受け売りだからw
数ページ載ってるだけだけど興味あるなら読んでみたら
洋泉社の歴史新書だから安いしw
>>279 時代だけで厳密に区切って仕切るのはよくないんじゃないの?
前も戦国時代の話が出たら銃砲の話は近世スレに、という奴がすぐ
湧いてきて面倒だった。
そんなに気になるなら止めさせるとか上から目線ではなく自分から話題振って流を変えればいいんだよ。
家康が水軍廃止したのは日本の船じゃ西洋船相手に役に立たないという判断かな
>>287 日本の水軍=地方大名の水軍的性格の強い軍を動員するだけ
に近いから、幕府直轄でない他藩の大名が
好き勝手にやられると困る、というのが理由でないかな?
>>286 江戸時代の話を延々やっておいてその開き直りはないわ
>>287 それなら外国船買って調べるだろ
鉄砲みたいに
>前も戦国時代の話が出たら銃砲の話は近世スレに、という奴がすぐ 湧いてきて面倒だった スレ違いを自重せずに開き直りに走るとそういう自治厨につけいるスキを 与えてしまうというのがわからない子供? もう少し節度を守ろうや。
つか、この際面倒くさいから鉄砲の話も全面解禁でよくない? 近世スレとか個人的にいらないんだよね。 俺だけじゃなくてみんなも面倒くさいと思ってたみたいだし。
>>270 幕府はスペインの商教一致を非常に嫌っていて
通商はしたいけど布教の言質は取られてくない
そうだ伊達が勝手にやったことにしよう!という流れ
戦国前期と後期でスレが分かれるのはバカバカしさの極みだと思う。
>>293 賛成。
火砲も出てくる一方、刀や槍も廃れたわけじゃない戦国時代付近、
16世紀〜17世紀がグレーすぎる。
こっちは近世こっちは古代中世総合、
これはスレ違いだろその反応は子供だみたいな話が面倒くさすぎる。
近世スレで関ヶ原の話なんかされたって迷惑だしな 日本は慶長元和あたりまでこのスレでいいだろ
>>295 ただすぐ幕末の話しだすからな。せめて島原の乱あたりまででの線引きは必要だと思う
自治厨装ったおかげでいい流れにスレをコントロールできたぜ。 この板はラクだわ。
>>299 古代中世スレ
基本の話、古代〜戦国時代終了くらいまで
近世スレ
幕末〜
緩衝地帯
江戸時代付近
くらいでいいんでないか?w
>>280 そんじゃ、馬の話でもつづけよっか。
以前、重騎兵の馬は基本デカイほうが強いって言ったら、さんざん
反論されたんだが、みんなどう思う?
でかくても足が弱かったら弱いで
>>305 そりゃ、「100kgあればフライ級ボクサーに絶対勝てるわけじゃない」みたいな理屈じゃない?
フライ級がヘビー級と打ち合ってどっちが勝つかの理屈とは違う。
でかい方が強いから品種改良でわざわざデカイ馬作ったんだろ 騎士の時代が終わってから
デカいっつーか、農耕馬一歩手前みたいな馬が重騎兵には向いてるのは事実かな フランス重騎兵とかはそんな感じだし
>>260 アメリカ初期植民地とかオーストラリア初期植民地みたいに、国内のあぶれた奴らを植民させるとか
朝鮮で懲りたのでやりません。
自民・公明じゃ何も変わらない 「民主」ならなんかやるだろ そんな感じじゃね? 民主・自民じゃ何も変わらない 「みんなの党」ならなんかやるだろ そんな感じじゃね? 民主・自民じゃ何も変わらない 「小沢」ならなんかやるだろ そんな感じじゃね? 民主・自民じゃ何も変わらない 「維新の会」ならなんかやるだろ そんな感じじゃね? 民主・自民じゃ何も変わらない 「石原」ならなんかやるだろ ←いまココ そんな感じじゃね? 民主・自民じゃ何も変わらない 「第三極大連合」ならなんかやるだろ そんな感じじゃね?
キリスト教というのは、ローマもそうだが 歴史的に迫害される傾向が強い キリスト教の独善性などが多くの場合に嫌悪されるからだ。 だが、下層階級への奉仕などでの布教の成功で、次第に国を乗っ取っていくものでね 実際、当時の宣教師たちは、欧州の植民地の尖兵だったところもある それを考えれば、キリスト教の布教制限は必要なことだったようにも思うがね
>>308 ところが、イギリスのロンドン博物館の調査では14−15ハンド(140−150cm)
ロイヤル・アーマリーズの調査では15−16ハンドという数字が出ていて、
いわゆる重種馬ではなく、中間種に属しているらしい。
各種の騎士関連の書籍もそういう数字を上げるものが多いね。
中世から存在していた馬種としてはアンダルシア種やホルシュタイン種が
だいたいそれぐらいで、これらは現在の乗馬競技に用いられる運動性の高い
品種でもある。
100kg程度の騎手の負荷をかける範囲内で、最も俊敏に動ける品種が重宝
されたというところではないかな。
鉄砲伝来からスレチは懐が狭い気がする 俺としては近世は許容できる でも軍事なんだから交易話からのもしも予想は違うと思う そこから発展する軍事話は妄想フィクションにしかならなそう と変な横槍いれて去ります
でかいから剣が長かったとか
らくだはだく足とか言って歩き方が左右交互だから揺れが激しいとか プラットフォームとしては馬より不便そうだ
馬は品種改良の成果だが、ラクダは当時からこんなデカイのかな
ちょw
>>319 家畜化当時から大きさ変わってないよ
その時点でデカ過ぎて乗り降りに多少不便を感じるぐらいなので
大きくしようとは思われなかった
>>321 それはオチですかい?(笑)
そういえばラクダが荷車を引いている姿を見たことがないな。
ラクダと馬を比較した場合、馬の方が骨格的に重量負担に強く、
なおかつ馬力があるという話を聞いたことがある。
まあ品種によりけりかもしれんが。
あとは、馬ほど従順でなく、318の言うように鞍上が揺れるとか。
325 :
324 :2012/11/05(月) 23:02:05.57 ID:???
ラクダから落ちると乗りなおすの大変らしいな
馬を上回るとも思えんがそう悪いとも思えない 飼育繁殖が難しいのかな?
最優秀ではないがそれなりに戦える性能で、最優秀兵科にはない 利点も備えているってのがなんか好みだわ。 ラクダに騎乗しての騎射なんかもやってたみたいだな。
>>327 既に馬がいたから砂漠地帯以外でわざわざ劣るラクダに変える必要性を感じなかっただけかと
ラクダというのは、馬ほど従順ではなく 無理な命令をすれば、怒って動かなくなったりするらしい 使役用の家畜としては、馬には及ばないな 砂漠のような特殊な環境以外では馬を差し置いて使う理由はなかったのだろう
反芻動物は高消化率を有する半面、反芻によってその活動が制限される。 高速長距離移動は不可能。
14−15ハンド(140−150cm) だとほとんど南部馬の基準の四尺八寸、145・5cmと同じだな。 日本の武士はポニーに乗っているとかいうが、この基準なら西洋の騎士は南部馬のようなものに乗っていたといってもおかしくない。 ところで重種・森林系とか中種・草原系とかって単なる馬高の違いじゃなくて食生活とかライフスタイルも違うんだよね。
そういえば日本陸軍でもモンゴルではラクダを大量に使っていたそうだ。
ラクダを使った方が楽だからね
貴公の首は柱に吊されるのがお似合いだ
決定版!やらせブームの作り方!! 1 数の原理 操作可能なランキングは全て操作 売り上げは自社買いで伸ばす 人気の根拠を数値に求め、スポンサーへのプレゼンに使用 動画サイトはとにかく再生回数を増す それらの数値を総合して「売れている感」をバックに メディアで煽っていく 1-2白痴の量産 洗脳し易い環境を維持していくため、あらゆる手段を使い、愚民を増やし続けることに努める。合法、非合法は問わない 2 安価主義 極めて安いギャラ、権利関係等の無償提供によりメディアへの敷居を下げ 大量露出による継続的刷り込み作業を可能にする 3 資金調達 税金を毟り取る 政府が出資する文化推進枠などの補助金を全部横取りし、工作資金に使う (文化推進枠は元々、政府と広告代理店が税搾取の為に作ったオブラート)
>>335 高麗で橋に吊るされたラクダ(´;ω;`)ブワッ
>>332 やはり大きさにそれほど違いはないな。
何となくなんだが、
日本人が日本の武士を連想するとき小柄な江戸時代や明治の人を連想し、
西洋騎士を連想するときはハリウッド映画にあるような、
サラブレッド系に乗って大剣を振り回す大柄な現代の白人を連想するから、
体格に相当な差があるように感じるのかもしれんね。
馬よりもパワーはあるんだな。ただ、これはフタコブラクダのことのようなので、 騎兵が使うヒトコブラクダに全面的に当てはまるわけではないだろうな。 >意外に感じる人もいるだろうが、ラクダは駄用(背に荷物を積む)だけでなく輓用(車輌を牽く)でも 使うことができる。むしろ満州では輓用が主流だった。輓用の場合、馬の積載量がおよそ400kgだったのに対し、 ラクダは500〜600kgの積載量を誇った。一方でラクダ特有のウィークポイントもいくつか述べられている。 しかし「状況に応ずる速度の増加困難」とか「休憩に時間を要す」など、なんとなくおかしい。
ラクダ面白いなw
アルパカ騎兵
サラブレットは軍馬としては不向きだろう。 あの種の馬は、競走馬として短距離走に向くように、また姿かたちが美しいように改良を繰り返された馬で スタミナや丈夫さはない。 軍馬とか農耕馬に使おうものなら、すぐにダメになってしまうよ
シェトランドポニーかわいい
いま調べたが、確かに日本原産馬はポニーくらいの大きさだな サラブレッドの体高が160-170 体重が450-500に対して 日本原産馬は、体高は100から135に過ぎない 木曽馬などポニーに分類されている
その辺は常識
ポニーくらいの大きさって何? 体高が148センチ以下の馬が入るカテゴリーが「ポニー」というだけですが。
アラブを除いて騎兵はどこもポニー
147cmって書いてあった
またモンゴルポニーが大陸を席巻した話に戻るわけか
ポニー乗った蒙古騎兵に蹴散らされたヨーロッパ軍 まぁ相手もポニーだが
十字軍の後アラビア馬交配させてでかくしてなかったっけ 馬の世界史どこへいったー
最寄の図書館にはないが、中央図書館にはあったから今度その馬の世界史見てくるわ。
新書だぞw 類書が見当たらんから俺は気に入ってるけど
>>356 ぐぐって尼で中古買おうかと一瞬思ったくらいだからどういう本かは知ってる。
とりあえずわかりやすい本を軽く読んでみる気持ちで手にとって見るわ。
358 :
324 :2012/11/06(火) 16:12:47.20 ID:???
なんでポニーの比較対象がサラブレッドにしかならんのだ。 普通に軍馬として使用された馬種がいくらでもあるだろ。 それと和種馬を比較してみろって。
馬の話はループだな。
鈴木信者が鈴木批判者を全員論破してスレを終了させたんだよな。よく覚えてるわ。
ポニーなんて現代規準を気にするから見えなくなる。 130cm 300kg と 140cm 400kg で大きな体格差があるのは自明じゃないか。
あれだけ隆盛を極めた日本の馬はポニーサイズwwwうぇwwが 今や日本の馬を実際より有利にする言葉になってしまってるんだな
そうだね。133センチ以下の馬が多くを占めるスウェーデン騎兵なんて実際は 活躍できたはずがないよね。
本を売るための衝撃的キャッチコピーとして ポニーサイズ =シェトランドポニー100〜110センチ 130〜160kg って一般人の連想を利用しただけだから 真面目に分類するうえでは何の役にも立たない
しかも川合康が言い出したことをさも自分の発見のように大々的に主張して 本の売り上げを伸ばした鈴木大先生の宣伝センスは目を見張るものがあるな。
商魂たくましい事は否めないw 知ってることを片っ端から書き散らかしてる印象はある
>>365 そうだよ。
スウェーデン騎兵はドイツの騎兵にもポーランドの騎兵にも劣っている。
グスタフ・アドルフ自身も認識している。タイマンでぶつかると勝てないから
特命マスケット隊で火力の援護を必要としたんだ。
有名なフィンランド騎兵は軽騎兵であって、重騎兵と戦ったら蹴散らされる運命。
接触を避けながら斥候、斥候狩り、後方攪乱をするのが役目。
劣った騎兵に抜刀突撃なんて無理させてたんだな。 こんなのが活躍できるわけないわ。 『グスタヴ・アドルフの騎兵』 ・グスタヴは、部隊後列は敵と接触するまではピストルを使わないよう指示し、 かわりに抜刀突撃を行うよう命令。 ピストルはあくまで混戦の際の武器であることを強調した
>>371 それで何を言いたいかよくわかんない。
突撃が有効なことが、スウェーデン騎兵が馬の質で劣っていないことの
証明には何もなっていない。
サッカーでゴール前でパスを回さずシュートをしろという指示は、
小学生でもプロでも有効な指示だろ。
>>372 蹴散らされる運命の子馬に抜刀突撃させてるのなんておかしいでしょ。
虐待だわ。
軽騎兵は重騎兵に会うと蹴散らされる運命なので、軽騎兵中心のモンゴルは ヨーロッパを征服することができなかった。これ豆な。
ナポレオンの時代の騎兵突撃はどれくらいの馬でやってたん?
>>373 いろいろと間違った認識してるでしょ。
抜刀突撃っていったって軽騎兵が重騎兵に突っ込むわけじゃないよ。
重騎兵の突撃先も違う。相手の重騎兵と正面激突するんじゃなくて、
歩兵戦列に突っ込むのが役目。
騎兵同士の激突では勝てないので、マスケット兵の火力援護で相手の
突撃力を殺ぐ必要があった。
ピストルを接近戦まで使用しないように指示したのは、接近戦じゃないと
当たらないから。火器を否定して格闘戦一本に賭けたワケじゃない。
こういう指示をしないと、射程ギリギリで発砲して、弾込めに逃げる
チキンな野郎が続出したから。
>>374 またモンゴル厨か。
じゃあ、モンゴル騎兵とフィンランド騎兵の装備言ってみ。全然違うやろ。
いや、普通にピストルの近距離射撃で胸甲騎兵の甲冑を破ったりしてるんだが。
>>377 知らないのか?軽騎兵は重騎兵とあったら蹴散らされる運命なんだよ。
これは運命だから仕方がないんだ。
鈴木信者は定期的に発作を起こすな
自分たちで馬鹿信者を呼び寄せといていうことじゃないけどな
モンゴル弓にせよピストルにせよ軽騎兵に外から一方的アウトレンジされて 追いかけても重さゆえに追いつけないのが重騎兵 それだけで負けるわけじゃないが
十字軍はよくイスラムにそうやってはめられたそうだな モンゴルにも同じことやられてるが
ところでグスタフアドルフ時代の重騎兵ってどんなの?もう全身甲冑は廃れてくる頃だよね? どの道そんなものでは銃に対する防御力は割に合わないものに成り下がってるし。
>>382 17世紀の重騎兵はピストルも装備してるよ。
グスタフアドルフの時代って役に立たんピストル騎兵ばっかりだから 抜刀突撃が一種の革命だったような
>>385 主武器がピストルになると軽装でピストル複数もってる方が安い
馬もポニーカテゴリでいい
>>387 まず抜刀突撃で接近するのに主武器がピストルなの?
つか、主武器って何?
>>386 突撃兵科である槍騎兵がポーランド除いて消えていったからパイクも居なくなって
軽騎兵によるサーベル程度でも突撃の衝撃力を期待できるようになった
って理解してる
>突撃兵科である槍騎兵がポーランド除いて消えていったからパイクも居なくなって だったらパイクを増やせばいいわけだけど、 逆に三十年戦争の時代にますますパイクが減少していくんじゃなかったっけ?
マスケット戦列歩兵同士の激突の方が重要視されたんだろう
>>390 兵力の総量を同じとすれば、パイク兵を増やすと、火力が減るよね。
騎兵の脅威よりも、火力戦で劣らないことが重視されたわけだと思う。
もし、日本も元和で戦乱の世が終わらなかったら槍足軽も廃れ、武将の基本武装が鉄砲になり、 全体的に軽装になったんだろうかね?
馬上筒は否定的に見られがちだが、実際アレの実用性はどうなんだろうか?
>>394 グスタフと同じく至近距離でブッ放せばそこそこ使えると思う。
でもどうしてもコストの問題が出てくる コスト無視なら西洋の重装槍騎兵ももっと長く残っただろう
騎乗歩兵として使うか、馬上射撃をやらせるかは実戦期間を長くしてどう落ち着くかの結論を見たかったかな
日本の大坂の陣までの馬上筒って火縄だったっけ? それだとかなり使い道が限定されそうだな。
>>390 パイク戦術に対抗する騎兵の手段が銃による武装でもあるわけで…
歩兵・騎兵とも銃の装備率が上がると、パイクは流行らんようになるのです。
>>398 騎馬鉄砲単体だと文字通りの単発の攻めになってしまうだろうから、
それを突破口にして後に続く軍勢が攻め入ったりするんだろうかね?
17世紀からの騎兵がピストル主武器と言い切るのはちょっと行き過ぎだろうと思うね。 前装式ピストル2丁、有効射程はせいぜい5-10m、外せば間髪いれず格闘戦にはいる わけだからな。 実際、ナポレオン戦争まで騎兵はあくまでも格闘兵科。 ピストルは一発逆転の隠し球ぐらいじゃないのかね。
騎兵は日露戦争どころか、第一次大戦まで存在した 日露戦争で登場した機関銃は、騎兵にとって決定的な脅威となったと思うが それにしては、ずいぶんと長く存在したものだな。 何らかのメリットが騎兵にはあったか?
オートバイの開発研究がもっと早くになされていたら消えていたかもね。 軍用のオートバイがモノになったのって結構遅いよね?
騎馬時代はまだアフガンでもやってるしなぁ
そもそも乗馬歩兵は騎兵扱いしていいのか 後期竜騎兵並に乗馬戦闘もやってるならまだしも
やっぱりセイバーチャージこそ騎兵の魂っすか。
そういや何の記録か忘れたが三木合戦でも 羽柴方と別所方で馬上から撃ち合いながら突撃したみたいな記録無かった?
>>371 オスプレイの「グスタフ・アドルフの騎兵」を読んでるんだったら、
まさにグスタフが弱い騎兵を戦術で活躍させたって論旨になってるでしょ。
まぁ現代でも一応、クルド人と一緒に行動する 米軍特殊部隊がイラクで馬乗ったりラクダ乗ったりはしてるしなぁ。
パチンコ迫撃砲がシリアで活躍中だし、投石機も騎兵もまだまだ現役か。
>>403 機関銃なんてくそ重いもの、お互いに戦場に移動しての会戦じゃ使ってられねえ
秋山好古はもともと野戦用に車輪付重機関銃を採用して、実際多用したし、 ソ連軍もタシャンカという重機関銃馬車を多用したそうだ。 まあすぐに装甲自動車や快速戦車に代替されるけど。
装甲車で思い出したが雑賀の「船鉄砲」なるものは本当にあったの? 司馬遼の小説で読んでインパクトはあったけど、その小説でしか見た事がないような。
清正の亀甲車みたいなのに鉄砲隊を詰めたりはしたかもな。
戦国時代の鉄砲を解禁したとたん話題が近代に飛んじゃったな
実際問題として、しっかりした資料が残っているのが火器登場以降だしね。 個人的には、モンゴルの騎兵が、平均130cmの現存蒙古馬一択だったのかどうか 気になるね。発掘調査とか、一時史料とかの具体的数字が見たいんだけど、 それっぽい書籍に当たったことがない。 誰か知らない?
戦国時代の軍船は竹のバネで飛ばす焙烙火矢飛ばし機を備えていたらしいけど、 それを改良して陸上で使おうとか思わなかったのかな?
>それっぽい書籍に当たったことがない。 まず自分でそれっぽい書籍に当たれよw
>>421 話がズレてるな。自分じゃまったく調べてないの?ってこと。
いくらか調べてみたが具体的な数字が出てくる書籍に出くわしたことがない 誰かこれって本知らない? って意味だと思った
前にモウコウマでは重騎兵は無理なんだー、きっと重騎兵は大型の馬で 編成したんだー、根拠はないけどー、って暴れてた人だろ。
>>422 うんにゃ。
だいたいモンゴル系の書籍って言うと、いわゆるモンゴル帝国の政治史や
社会史に視点が向けられるものばっかりで、中央アジアの軍事史に突っ込んだ
考察のある書籍ってオスプレイぐらいしか見たことない。
あれも、馬自体に対してはそれほど深い資料に基づいているように見えない。
そもそも中央アジアって資料が残りにくいし、政治経済的に発掘の難しい
土地だから、そういう研究が進んでいるかどうかすらわからない。
だから、ひょとして知っている人がいるかどうか聞いてみただけ。
>>424 暴れてないし、無理とも言ってないけど、現存する馬甲から考えて、
蒙古馬に乗っていたと断言できるのかって疑問。
すまんね。 聞いても出るはずのない答えだったな。
遺跡から複数の馬の骨が発掘されて最大150cm、最小130cmって数字をどこかで見たんだけど 書名忘れてちょっと探したけど見つからなかった
モンゴルが西進してアラブ馬に接したときの反応ってどうだったん?
日本でも古墳時代からあるな。
現存品じゃなくて復元じゃないのか?
>>431 蒙古馬のように足が太く重量を支えられるタイプの馬が、
馬甲を身に着けられないという主張をしていらっしゃる?
シカゴのフィールドミュージアムの方の馬甲を身に付けた馬は体高130センチ程度じゃないの? 革製の鎧だし、そこまでの負担でもないと思うんだが。
馬は小さい和種馬の、それも駄馬でも120kg程度は乗せられるようだから、 60kgの人間、30kgの甲冑武具を乗せてもまだ余裕があるな。 続日本紀の記載では、8世紀の時点で もともと駄馬は背負う重さは120kgと決められていたようだが、 馬を大切にするために90kgにしたそうだ。 まぁ、西洋でもそうだが盾持ち槍持ちがいるのは、 平常時は人間と甲冑だけの重量でできるだけ負担をかけないようにして、 戦闘時重量を増したのだろう。
>>437 全然そんなつもりはないよ。
不可能可能を気にしているんじゃなくて、世界中から良馬を選りすぐれる
モンゴル帝国にどういう馬の選択肢があったか知りたいだけ。
441 :
440 :2012/11/07(水) 12:03:09.36 ID:???
律令制下の日本の騎兵が馬甲をつけていたことも、南北朝期に鎖の馬甲が 使用されたという記述も、戦国時代に馬甲つき騎馬を要求する陣ぶれが あったことも全部ひっくるめて、和種馬でも十分馬甲騎兵は運用できたと思っている。 ただし、運用可能と優秀は別次元の話。 和種馬以外に選択肢のなかった日本と違って、モンゴルには選択肢があった。 そもそも、モンゴル帝国は世界中に広がったのに、現在モンゴル高原に 生息する馬だけが、モンゴルの騎兵を構成したというのが疑問。 モンゴル系の帝国は元を除けばほとんど現地に居座って同化している。 モンゴル騎兵の血統はユーラシア各地に散らばっていると考える方が自然ではないのか。
>モンゴル系の帝国は元を除けばほとんど現地に居座って同化している。 ああ、つまりバクダッドを落としたころの精強なフレグ軍は蒙古馬による重騎兵を運用していたが、 弱体化して分裂する頃のイルハン国の騎兵は現地の馬だったってことか。
>>441 アホみたいに大量に揃えるから選んでられないんじゃね
日本みたいに代え馬が一頭二頭じゃないし、歩兵まで馬に乗せられてたし。
時代が下って元やハン国みたいに土着し始めたらまた別の話だが
土着して落ち着いた頃の馬が現地の馬だったとか言われても 征服事業とは関係なくね?
そういえば、日本で馬甲の現物って残っているんだろうか? 各種の記録から、存在したのは間違いないと思うんだけど、 日本に馬甲は存在しないって断言する「専門家」も多数いらっしゃるのが何とも
447 :
440 :2012/11/07(水) 12:37:45.58 ID:???
>>443 >>445 逆だよ。モンゴル帝国人が現地で同化した以上、彼らが連れてきた馬も
現地で同化してんじゃないのってこと。
モンゴル統一期はいざ知らず、ある程度国ができれば交易で領地外の
馬は手に入れられるし、ホラズムの占領で、トルクメン種の産地を手に
しているし、アラブ種も手に入る。
蒙古馬に至っても、サイズはピンキリで大きいものは140cmを越えている。
そういうなかで、重騎兵に使用された馬がどういうものなのか。
>>444 家畜が財産基準で、馬と生活し、馬で生死が決まる民族が馬を選ばんのか。
それは新鮮な発想だ。
>>447 またちょっと話がループしてきているので、
モンゴル軍が蒙古原産の乗り慣れた馬以外の馬に
乗り換えたり現地で馬を調達したというソースをくれないか?
>>441 馬が大きい=優秀
だとしたら常にアラブ騎兵が世界最強じゃないとおかしいことになるぜ。
>>446 確か戦国期の鎖帷子で出来た奴がどっかに無かったっけ?>馬甲
汗血馬の子孫は中国にはいないの?
>>452 中世期ですら絶滅したと言われていたからなあ
>>448 サンクス
埼玉にもあるんだ、今度見に行こうかな
>>453 気候が合わないとか繁殖が難しいとかかね?
王朝交代時の混乱で掠奪されて失われるとかもあるしなあ。
そもそも、生物学的に血の汗を流す馬はあり得ないので、別の理由で身体が赤く見えたとか、 本来は別の意味だったとする説が有力
>>456 いや、さすがにそんなこと誰も話題にしてないだろw
上で汗血馬の話題が出てるだろ 結局、正体が不明だから、絶滅したかどうかも誰にもわからない
四尺八寸(145・5cm)が基準とされる南部馬にしても、 別に南部藩にいる馬の平均体高が四尺八寸な訳ではなくて、 領内にいる8万頭の馬を上中下の三つにランク分けしてでかくて勇敢なのを上級武士の乗馬にして、 小さくて臆病な馬は駄馬にするという風に合理的に使い分けているわけだ。 たとえば寄親の馬が寄騎の馬よりでかいのは当然だろう。 蒙古馬にしても何千何万頭いる蒙古馬の中から、でかいのは重騎兵用に、 小さいのは弓軽騎兵にと馬格によって使い分けるのは当然のことだろう。
>>449 そもそも、どんな馬に乗っていたのか具体的な数字がわかんない。
むしろ自分が聞きたい。みんな十把ひとからげに平均体高130cmの
モンゴルポニーが世界を席巻したって言ってるけど、その根拠は
なんなのって。
個体差もあれば、拡大ごとに馬種も増えるんだから、そこから
兵科ごとに最適の選択をすりゃ自然と重騎兵はできるだけ
大きい馬になるのが理にかなっているんじゃない?
>>450 実際中東からヨーロッパまで、みんなアラブ種の血を欲しがったよね。
日本の例でもわかるように、重武装する騎兵にとって名馬は入手範囲内で
大型の馬。このスレの前の方にあがっていた南部馬だってそうでしょ。
記録に残る名馬の寸法も、全て和種馬の平均よりずっと大きい。
大きさが絶対ではなくとも、小さい馬が名馬として重宝されることはない。
だいたい、モンゴル帝国が一時的に世界を制覇したからって、蒙古馬が
一番優秀だなんてわからんでしょ。モンゴルは馬の優秀さで勝ったのかい?
そんなに優秀なら、なんでロシアからヨーロッパまで、蒙古馬の血統を
積極的に取り入れなかったのかと疑問に思う。気候的に考えれば、
アラブやトルクメンよりもずっと適合している。
侵入を受けたヨーロッパ側の記録に、タタール人の馬は小型だったとする記録が複数ある ただ、目撃証言だけでは不正確だと言われればその通りだし、元居住地から同じ馬を使った根拠もないが
463 :
461 :2012/11/07(水) 14:35:52.98 ID:???
なんとしても俺は蒙古馬を否定したい! 根拠はないが否定したいんだ!
なりすますにしてももうちょっとやる気出せよw
他地域の馬に比べて蒙古馬が劣ってると考えられたんなら モンゴル人の飼う馬だって混血が進んで見る影がなくなったりするんじゃないの? ところが実際は相変わらずモンゴルポニーを買い続けたわけで。
総合的には別に劣って無いってことだろ
>>463 別に蒙古馬だって構わんし、結果として130cmの重騎兵でも構わん。
ただ、具体的な数字資料もないのに130cmが一人歩きしている気がする。
>>461 >だいたい、モンゴル帝国が一時的に世界を制覇したからって、蒙古馬が
一番優秀だなんてわからんでしょ。
そうですね。ヨーロッパを恐怖させ、世界を制覇したモンゴル人が乗っていたのがたまたま蒙古馬ってだけですよね。
>>469 どっちの意味で使っているかわかんないけど、そういうことだよ。
ローマが地中海とガリアを征服したのはローマ人が超人的肉体を
持っていたからじゃないし、アレクサンダーの東方遠征だって
馬が優秀だなんて言われない。
遊牧民が馬に求めるスペックは戦場での強さだけじゃないだろう
そうそう。他の馬を駆っていてもモンゴル人は世界を制覇しただろうと言われている。 これ豆な。
サラブレッドじゃ無理だな
>>473 劣ったモンゴルポニーよりマシ。全然体の大きさが違う。
馬の価値は体の大小で決まるんだぜ。
もうただのネタスレになってしまったのか
時代劇じゃみんなサラブレッドに乗ってるよね… 撮影用の武具だからいいけど、本物の甲冑や武器を持って騎乗したら、骨折しちゃわないか心配である
>>470 そういう話だと、人馬ともに頑健であり、騎乗戦闘が身体に染み付いていることが
蒙古の強さだと評価する人もいるよ。
撮影用に100キロ乗せて走っても、競馬であがり32秒台とか出すよりは負担少ないだろう
日本の馬が小さくて戦いに向かないって話の根拠は 南北朝時代の遺跡から見つかった数百頭の馬のサイズだっけ?
>>479 だいたいそんなとこ、あと、小田原だったか躑躅ヶ崎館の堀からだったかで
発見された馬。
何度も断っておくけど、日本の馬が騎馬戦に使えないなんて言う気はないので。
>>461 君の主張はさ、
@重騎兵は馬が大きいほど優秀なはずだ
A蒙古は版図が広かったから大きな馬のいる地域から
@のために馬を仕入れたはずだ
というあやふやな主張を元にしてるわけじゃない。
体格が大きければ、甲冑が重ければ強い、というよくわからない主張だよそれ。
>>482 そんなこと以前に、モンゴル軍が乗った馬の実測値がないって言っているんだよ。
>>481 君は特徴的な主張をしているから、
名前欄にわかりやすい名前をつけてくれないか?
それに騎馬戦に使える使えないじゃないという主張を君はしてるけど、
明らかに大きい馬のほうが優勢だし強い、
強かったモンゴル軍が大きい馬に乗ってないわけがない、
というロジックは使ってるよね。
>>483 だから何なんだよw
嫌な言い方するけど、実測値がなかったらでかい馬に乗っていたかもしれない、
いや乗っていたはずだ、
欧州側の記録には蒙古軍の馬は小さいと出ていてもそんなの関係ねぇってか?
わかりにくいから主張をまとめて名前欄にちゃんとわかるように書けよ。
いや、もういい。 別に君らを論破したいわけでもなんでもない。 記録も発掘もないのに、自分の得たい答えは出てこないから。 全部論破されたでいいよ。全面敗北。
子供が迷い込んできたのかな?
得たい答えって何なんだよ
>>488 都合のいい答えに決まってますがな。はい論破。
モンゴル帝国が戦車(タンクの方)を使っていなかったという証拠は無い あの版図は戦車あってこそに違いない 誰か戦車使ってたってソース知らね? やってることはこういうことだろ
この手合いはこれからも居座り続けるんだよなあ。 迷惑かけたくない気持ちがあるなら固定つけてほしいわ。NGできるから。
>>486 >記録
当時のヨーロッパ側の記録に、モンゴル人は小型の馬に乗っていたって記述が複数あるんだが
具体的な実測値が不明でも、当時のヨーロッパの一般的な馬より、
一目で区別できるほど小さかったってことの証明には、十分な根拠じゃないのかな
そもそも西進してアラブ種の騎兵を持っていたホラズムやアッバース朝を破ってる事実は無視ですか??
>>494 それはモンゴル軍が強いからであってモンゴルの馬が優れているわけではない(キリッ
重騎兵=万能で強いってわけでもないし、 馬の体格ですべてが決まるとは思えないもんな。
軽騎兵は重騎兵に会うと蹴散らされる運命だと聞いたことがある。 運命だから仕方がない。
お前が馬鹿なのも運命だから仕方がないね
ネタにしても糞つまらない流れだな
ポニー論破おじさんが作った流れだからな。
ポニー(Pony)とは、肩までの高さが147cm以下の馬の総称 なので、ポニー種でもでかい奴はそこそこでかい。
普通の日本人は、ポニーと言われると、体高1m前後のシェトランド・ポニーを連想するからなあ 俺も、理屈ではわかっているんだが、つい、あのサイズの馬にまたがったおっさんのビジュアルが浮かんでしまう
そりゃアラブ種やバルブ種の成獣でも体高147センチ以下のがいるくらいだし。
ジンギスカン焼肉騎馬軍団の場合、馬格以前に統一使用できる馬の数が多いからな。 95個千人隊で、予備馬抜きでも定数9万5000騎を焼肉皇帝が統一指揮できるわけで、 森林系重種馬に跨った誇り高い白人装甲騎士1000騎が蒙古馬弓騎兵1万騎を集団体当たりでグチャグチャメチョメチョに踏み潰したとしても、 その間に残りの焼肉騎兵8万5000騎が後ろに回って荷馬車とか麦倉庫とかをヒャーとか叫びながら燃やし尽くしたら、 勝ち誇った白人装甲騎士もすぐに腹ペコになるわけよ。
今のモンゴルポニーと蒙古帝国時代の馬が同じかどうかはわからないけれど、 モンゴルポニーって走ってもびっくりするくらい上下振動が少ないんだよ。 観光客がいきなり乗っても楽しめるくらい。 騎射するには振動が少ないってすげー有利なんだろうなと思った。
材木座遺跡から出た馬の体高が109cmから140cmの間として、 それらがみんな大鎧武士の乗馬かはわからない。駄馬かもしれない。 源義経の青海波が体高142cm、和田義盛の白浪が144cm、 畠山重忠の秩父鹿毛が144cm、佐々木四郎高綱の生食が145cmであるのを考えれば、 やはり大鎧武士の乗馬の標準は140cm以上と考えるのが普通だろう。
接舷戦闘が主なので小回りが効く方が良い
御座船はあったわけだし大型船を造れないわけじゃないでしょ。 宋や元との貿易だって手漕ぎ船で行ってたわけじゃないだろうし。
帆走しながら戦闘するのは大砲が登場してからだと思うよ
>>511 実朝チンの作らせた遣宋船が重すぎて沈んだってのはホントなんかねえ?
唐船を作るノウハウはあったはずだけど、大きく作りすぎたのか? 実朝の渡宋なんてバカな計画を阻止するためにあえて壊れるような作りにした?
壇ノ浦の戦いで平家が唐式の船を囮にしてたくらいだし普通に作れただろ。
地中海だとギリシャ火が有名だが、平安鎌倉の海戦ではあまり火を放つ類のことは やらないような。
>>514 母親がトンデモナイ鬼母だからシナでもいいから逃げたくなる気持はよく分かるw
ギリシアの火は典型的古代ローマの遺産だから、欧州でも大半の国は使ってないだろ
>>509 それは元寇のときの絵だろ?
北条時宗はもともと大型船を作って戦いたかったようなんだが、
金と時間がかかりすぎるのであきらめて、とりあえず小舟を集めて
奇襲、接舷しての戦闘に切り替えたらしい。
源平合戦のときも大型の平家の船に対して
小型の源氏の船が矢の雨をあびせたりしてるだろ。
大型船がなかったわけでも作れなかったわけでもない。
>>520 平家の唐船は大陸のものだよ。
平安鎌倉時代の日本に独自にジャンクみたいな構造船つくれる技術なんて無いから。
その絵に描かれてる和船も室町以降の様式だしね(
>>509 の船と比較してみるといい)
鎌倉時代までは丸木舟をベースに上部構造乗っけて大型化させる準構造船が主流(遣唐使船の技術は失伝)
近代以前の日本の造船技術については「ものと人間の文化史」シリーズの和船1,2を読むといい。
>>522 ほうほう。
そうすると絵巻の唐船は大陸から輸入している?
唐の船を模した和船ではなくて?
>>523 日本画の表現として二本マストで描かれた船はまず外国船を現す記号と思っていい。
(幕末まで和船の大多数は一本マストであり、欧米の船が和船を識別する目印にもなった)
平家の唐船は絵画的表現法からも時代的背景からも日本の船とは思えず、
輸入もしくは外国商船を徴用したものと思われ
大陸とのつながりの深さが窺われる
遣唐使船以降の日本でジャンクが再び建造されるようになるのは、関ヶ原以降かと
海賊王の船か
ってことは鎌倉幕府が元への攻勢を計画していたときは 物資輸送は徴用唐船でまかなうつもりだった?
ラムなんかついてない簡単な作りの船だし、矢は楯を並べれば防げちゃうし、 敵の舟を熊手みたいなので引き寄せて乗り込んで 白兵戦しか決定打を与える手段はないのか?
>>519 平家は後半ボートピープルというか客家というか、海上生活者状態だからなあ
ある程度の規模の船所持してないとまず生活が成り立たなかったろうね
火つけて燃やす
そこで鎮西八郎ですよ
>>529 西欧でも大砲が登場してさえも、
まだ最終的には乗り込んで切り込みくらいしか
決定的手段はなかったと思うよ。
西洋でもスコーピオンというかバリスタみたいなのは船に搭載してなかったの?
バリスタもカタパルトも装備してたけど揺れる船上から移動する船へは当たるもんじゃない
当たらんものわざわざ搭載してたのか
西洋でも炸裂する砲弾が実用化されるまでは砲撃はあくまでも帆を倒したり戦闘力をそぎ落とすのが 目的で戦列艦クラスになると砲撃で沈む事は余りないので、最後は接近して切り込みですよ 切り込みで優位に立つ為に砲撃する感じ
そんなこと 今更ドヤ顔で書くなよ、恥ずかしいぞ
焙烙火矢なんていつごろからあったんだろうか?
どこから来たのかも気になる。
何故国産だと考えられない! 俺も思えない
倭寇が持ち帰った震天雷の一種じゃないのかな。 焙烙火矢を使用した村上水軍の一派は倭寇のうちの真倭として 活動したこともあったようだし。
てつはう!
決定版!やらせブームの作り方!! 1 数の原理 操作可能なランキングは全て操作 売り上げは自社買いで伸ばす 人気の根拠を数値に求め、スポンサーへのプレゼンに使用 動画サイトはとにかく再生回数を増す それらの数値を総合して「売れている感」をバックに メディアで煽っていく 1-2白痴の量産 洗脳し易い環境を維持していくため、あらゆる手段を使い、愚民を増やし続けることに努める。合法、非合法は問わない 2 安価主義 極めて安いギャラ、権利関係等の無償提供によりメディアへの敷居を下げ 大量露出による継続的刷り込み作業を可能にする 3 資金調達 税金を毟り取る 政府が出資する文化推進枠などの補助金を全部横取りし、工作資金に使う (文化推進枠は元々、政府と広告代理店が税搾取の為に作ったオブラート)
548 :
名無し三等兵 :2012/11/08(木) 20:33:45.99 ID:zT26oUYF
うはつて!
ゆるかわてつはう少女たちが活躍するアニメなんだな。
毎週自爆アニメかよ
551 :
名無し三等兵 :2012/11/08(木) 20:44:29.41 ID:YaagmXnx
>>521 まあ16世紀に日本に来た宣教師たちも 日本人はでかいともチビとも報告書にも書いてないもんな。
あれ?報告書に日本人の背丈に関して言及した奴ってあったっけ?
確か天正少年使節関係を見てたらヨーロッパ人が 彼らをヨーロッパ人の中くらいよりもやや小さいと評してのがあったと思ったな。 まあ、少年使節の名の通り、フィレンツェだのローマだのに着いたときですら 15、6歳程度だったみたいだがw
>>552 身長は20歳くらいまではのびるからなぁw
豊臣秀頼の身長は6尺5寸(197cm)、お母さんの淀君は約170cm、 爺さんの浅井長政は180cm、婆さんのお市168cmなどと言う一家もおるがな。 まあ戦国時代にも花巻東の大谷や大阪の藤浪みたいなのはいたんだろうな。
当時身体測定とkないから jこいつでけえ、ぐらいの意味じゃないの? 秀頼でかすぎるだろw そりゃ家康もビビルわw
>>552 成長期に当時の過酷な船上生活長期にじゃ、そこで成長止まっちゃいそうなw
水夫とか体使う労働があればまた違うかもしれないが
平均身長が低かった江戸時代でさえ巨人連隊に余裕で入隊できる 山岡鉄舟みたいな人もいたわけで。
遺骨の調査による秀忠の推定身長が157cm程度 筋骨隆々だったとか梅干し博士の本に書いてあったと思うが…馬の骨もあったような 例によって記述が見つからないw
当時で157は普通以上じゃないの?肉付きがよけりゃ貧弱ではないと思うけど
一説によると157が平均だから 可もなく不可もないな、流石二代目w 秀頼が20cmサバ読んでたとしてもものすげー見劣りするのは間違いないが
ちなみに馬の平均体高は133cmだそうな
デカイ奴はデカイ
そもそも秀頼の体格については逸話レベルしかないからな
>>554 いくらなんでも190センチを超えているのは言いすぎだ。
多分、かなりサバ読んでいるのだろう
坂本龍馬の身長も180センチを超えているとの記載もあったが
彼の衣服などから170センチ代だったことがわかっている。
平均身長が150センチそこそこの当時は相当、長身に見えた、それだけのことだろ
秀頼の実父は大野治長との説がある 秀吉は小柄だったというし、秀頼の父であるとの説もある明智光秀も小柄だったとの話もある それに対して秀頼はかなり大柄だったとのことだ 大野治長は、秀頼に負けない大柄な人物だったという しかも秀頼の母、淀君とは乳兄弟の間柄で、幼い頃から親しかっただろう 二人に関係があった可能性はかなり強いな
山岡鉄舟といえば長竹刀で有名な幕末の剣豪、大石種次は7尺(212cm)だったというから、 感覚的にはウサイン・ボルトが道場破りにくるようなもんだな。
例え大谷冶長と淀君に密通があったにせよ、秀頼の誕生日から逆算すると、親子関係は否定される。
┌─────────────┐ │ 朝日新聞. 東京本社編集局. │ └─────────────┘ . . ┌──人_从_人_人_从_人人_从_人_人_从_人人_从_人_人_ . . . . |彡 ) おるぁ!!2ch対策室!! アク禁解除されたぞ!! . . .∧,_,,∧ | Y⌒YY⌒) 徹夜じゃ!! 気合い入れていくぞっ!!! (=@Д@) ..| .| Y⌒YY⌒YY⌒YY⌒YY⌒YY⌒YY⌒YY⌒ ( O ).つ|) |  ̄ ̄ ̄ ̄し―-J | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 国策だ!! ヒキコモリニートが!! ウヨ氏ね! ウヨ氏ね! なぜこのタイミングで!! 陰謀だ!! ニート部落民が!! カタカタ ∧_∧ カタカタ ∧_∧ カタカタ ∧_∧ カタカタ ∧_∧ <`Д´l|;>. (@∀@l|) (@∀@=) (@∀@jl) ハァハァ… _| ̄ ̄||_ )__ ._| ̄ ̄||_ )__ _| ̄ ̄||._)__ _| ̄ ̄||_.)_ /旦|――||// /| /旦|――||// /| /旦|――||// /| /旦|――||// /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . | | しゃっきり.. |三|/ | 過剰演出 |三|/ .| アサヒるw |三|/ . | 編集局員(49).|/ 政権交代! ネトウヨ! ネトウヨ! 政権交代! 謝罪セヨ! 賠償セヨ! 私は悲しいのです・・ カタカタ ∧_∧ カタカタ ∧_∧ カタカタ ∧_∧ カタカタ ∧_∧ (@∀@l|) (@∀@l|) (・∀・l|;)=> <゚ ー ゚#> ハァハァ… _| ̄ ̄||_ )__ ._| ̄ ̄||_ )__ _| ̄ ̄||._)__ _| ̄ ̄||_.)_ /旦|――||// /| /旦|――||// /| /旦|――||// /| /旦|――||// /| | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| ̄| . | | K Y .|三|/ .| フルタチるw |三|/ .| NYTオオニシ |三|/ | アジここ. |三|/
数週間前の読売新聞に、関西方面の大学だったと思うけど、秀頼は秀吉の子で はないという説が載ってたよね。秀吉が朝鮮征伐で名護屋に行ってるときに 祈祷によってできたと。秀吉も知っていてこたび淀一人の行いとかなんちゃらかんちゃら 書かれてる手紙だかなんかがあるらしいとかないらしいとかうろ覚えごめん。
秀吉の正妻のねねは、秀吉が下層の時代から付き従ってきた女性だけに 所謂、肝っ玉母さんで、豊臣恩顧の大名たちすら、ねねにはいろいろとお世話になっていたので頭が上がらなかったそうだ。 このねねが目を光らせている以上は、淀君の密通は無理だったのではないか そのような説もあるけど。私は秀吉がもしある程度容認しているのなら、可能だったのではないかと思ったりする 秀吉としては、豊臣の家門を守ることを最優先し、自身の子供が欲しているなら淀君のそういうことも黙認したのではとね。 まあ、どうせ永遠に結論が出ないことだけどさ それこそ淀君の懺悔の手紙でも発見されて、秀頼は誰それの子供ですと書かれた記載でもない限りは さすがにそんなのは発見されることはあるまいからな
>>567 その七尺とかそういうのは、あまり信じない方が良いのではないの?
当時の平均身長は、せいぜい150センチくらいだ。
170センチの人だって、当時の平均身長より一割余りも高かったのだから
現在の日本人の平均身長が170センチ少々だから、現在の感覚では190センチ近い巨漢に見えただろう
190の巨漢を前にしたら、誰だって本来の身長より高く見えるだろう。それと同じようなもので、七尺とか八尺とか身長を記したのではないか?
>>572 実測値というよりは雰囲気だろうね。
あいつでけーから八尺かな、とか。
一応鴨居の高さが目安にはなるんではあるまいか あれに頭がつかえるようなら六尺OVERぐらいの
和服を作るときには尺寸で身長計るんじゃないの?
>>577 はかりはするだろうけど、その記録が残ってるか?とか、
歴史書書く奴が調べるか?とかは別じゃないのかな?
まぁ西欧でも正確な身長をはかりはじめたのは、 ナイチンゲールが最初とかいわれてるしな。 それより昔はだいたい雰囲気か目測だろう。 服を仕立てるときはちゃんと測るだろうけど。
>>577 坂本龍馬は六尺、つまり180センチを超えた巨漢との話だったが
彼の残した着物を計測したら、高くとも170センチ半ばくらいだったそうだ
こんなものだ
藤堂高虎は一説に身長6尺2寸(190cm)、 斉藤義龍は一説に身長6尺5寸(197cm)、 確実なところでは、 伊達政宗159・4cm(遺骨) 藤原清衡159cm(ミイラ) 藤原基衡164cm(ミイラ) 藤原秀衡160cm(ミイラ)
>>574 秀吉の時代当時には、すでに囁かれていた
秀吉には、両家の姫君を全国から何十人もあつめて側室にした
そのほかの愛人云々は、さらに多かったはずだ
だが、ほかの姫君は誰一人子供ができないのに、それなのに淀だけが二度も生んだのはおかしいからな
ただ、秀吉が種が無かったというのは間違いだ。
過去に秀吉は、二度ほど子供を儲けている。
死産だったり、早くになくなったりして歴史にもほとんど知られていないだけだ
だから、淀君が一度だけ生んだってのなら、まあ、そういうこともありえるとなるけど
二度になればね・・・・。
>>580 当時はほら、ちょんまげが加算されるからw
>>582 早逝した子供二人が秀吉の種だった保障もないw
日本の権力者は本格的なハーレム作らないからね
万世一系のお家からそこらの庶民まで、DNA鑑定が可能になるまではもう、信頼関係とあとは結局認知の問題w
保元物語によると源為朝の身長は7尺(210cm)で、左の二の腕が右より四寸(12cm)長かった。 弓の長さは八尺五寸(2m90cm)で刀の長さは三尺八寸(1m40cm)。 陸奥話記によると安倍貞任の身長は六尺有余(180cm以上)で胸囲だかウエストだかが七尺四寸(224cm)。 ウエストの寸法が書き残される奴って珍しいよね。 淀君のバスト100cmとか記録あれば面白いのにね。
六尺はちょうど六尺棒の長さということで測りやすいのかもしれない。 だいたい六尺棒くらいって感じ。
和服ってのは体格差にフレキシブルに対応できるのが売りだろ
脚の長い人間の言う1町は長く、脚の短い人間の言う1町は短い 手の大きい人間の言う1合は大きく、手の小さい人間の言う1合は小さい なんてよく言われるとおり、昔の人間の言う単位はあてにならないかと。
徳川の歴代将軍は、遺体の研究で身長がほぼ分かってるんだけど、例外だよな
『保元物語』といえば、合戦の経験から言って夜討ちに勝るものはないと
夜襲と火付けを提案して貴族から乱暴だと拒否されるような武士が、元寇の時代になると
名乗りを上げて一騎打ちなんかやってたんでしょうか?
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/9333/hog6.html >畏まって「為朝は長い間鎮西に居住し申し上げて、九州の者たちを従えます
際に、(行った)大小の合戦は数も知れません。中でも力を尽くした戦いが二十数度。
敵に囲まれて強い陣を破るときでも、またあるいは城を攻めて敵を滅ぼすにも、
すべて有利になるのは夜討にまさるものはございません。ですからたった今から
高松殿に押し寄せて、三方に火を放ち、(残る)一方から支えますと、
火を逃れようとする者は矢を避けることはできません。矢を恐れる者は
火を逃れることはできません。主上の味方をする者たちは恐れるに足りません。
>左大臣殿は「為朝が申すところは、もってのほかの乱暴である。
年が若いためにしてしまったことだろうか。夜討などという事は、
お前たちの(武士)同士の戦や、十騎や二十騎の私戦である。
主上と上皇との御国を巡る争いに、源平が総力で両軍にあって
勝負を決しようというのに、むやみとそのように(夜討など)してはならないのだ。
>為朝は院に対しては(作戦の撤回を)承服申し上げて、御前を退いてから呟いたには、
「(左大臣殿の詳しいという)和漢の先例や、朝廷の礼法とは似ても似つかないもの
なのだから、合戦については、武士にこそ一任されるべきなのに、道理にもない
ご思慮はどうだろうか。義朝は軍略の道について奥義を極めた者だから、きっと今晩攻めてくるでしょうに。
明日まで生き延びれば、吉野の法師も奈良の大衆も参軍するであろう。たった今攻めて、
風上に火を放ったらば、戦ってもどうして有利になろう。敵が勝ちに乗じてくるようであれば、
誰が一人で安穏としていられようか。悔しいことだなあ」と申した。
>>589 1900年頃の日本人は○○だったのだから、現在の日本人が××なのはおかしい
って言われて納得できる?
得宗専制時代は門注所とかできて、治安の悪い院政時代みたいに、 いちいち土地争いで合戦とかしなかったから平和ボケしてたかもな。
そもそも名乗って一騎打ちしてたんですか?
>>592 物語とかにこんな正々堂々と戦いを挑みそれを受ける武士は古今東西有り難きものなりとか記される程度には
鎌倉時代って平和で武士たちは泰平の世を謳歌していたんですか?
やぶさめで毎日遊んでた ブックメーカがいて、賭けを仕切ってたりしてた
自民・公明じゃ何も変わらない 「民主」ならなんかやるだろ そんな感じじゃね? 民主・自民じゃ何も変わらない 「みんなの党」ならなんかやるだろ そんな感じじゃね? 民主・自民じゃ何も変わらない 「維新の会」ならなんかやるだろ そんな感じじゃね? 民主・自民じゃ何も変わらない 「石原」ならなんかやるだろ ←いまココ そんな感じじゃね?
599 :
名無し三等兵 :2012/11/09(金) 21:50:54.97 ID:45lEMnaj
>>596 戦国時代ほどじゃないが小規模な内戦ばっか
奥州藤原氏の武装は東国の武士たちなんかとだいたい同じような感じなのかな?
鎌倉時代は10年に一度の割合で大きな地方蜂起や内乱や内紛が起きてるイメージ
>>583 家康は結城秀康を自分の種かどうか疑ってたんだつけ?
家光みたいに二世将軍二世権現と公然といってくれればわかりやすいんだけどな
>>596 鎌倉幕府成立〜元寇までに中央政権が絡むだけでも
梶原景時の変、比企義員の変、畠山重忠の乱、和田合戦
承久の乱、三浦合戦、二月騒動とこんだけあるし地方の小競り合い含めたらもっとあるだろう
>>590 1950年ころの日本人は○○だったのに、
1970年ころの日本人は○○など絶対にしてるはずがない!
というのが一騎打ち信者の言い分なんだけども。
もっとも前者が見えない人のほうが多いが。
>>605 590だけど、だから昔そうだったというのは今そうである理由ではないから
605の言う一騎打ち信者のいうこともおかしいでしょ。
20年程度なら同じ人間が参加している可能性が高いからちょっと微妙な例だけど・・・
20年前に今を想像できたか?
おれはウルトラマンとか見てたから想像できた。
経済停滞が続きGDPで中国に抜かれるなんて想像も出来なかったな。
それはできなかった。
ああ、なるほど。つまり鎌倉時代というのは軍装などを見ると一見 平安時代とさほど変わってないように見えるが、実は近代日本や グローバル化が進む現代と同じようなめざましい速度で日々発展を遂げていたんですね。 その結果、夜襲が当たり前という感覚から「やあやあ我こそは」に変化を 遂げた、と。
>>604 衝突として表面化しなくとも、勢力同士が絶えず緊張状態にあったことは想像に難くない。
>>611 100年前にそうだったというのを理由にしてその時点というか100年後もそうだったとは言えない
って言ってるだけなのに、なんでそれが一騎打ち肯定になっちゃうのかな。
一騎打ちしてたかどうかってのはまた別の問題でしょ。
モンゴルポニーおじさんに似てるな
保元物語の時代→武士は夜襲推奨。勝てばいいという姿勢が貴族から非難される。 春日権現験記絵の時代→武士たちが集団で入り乱れての騎射戦打物戦、歩射による楯突戦も描かれる。 ただし、これらは源平合戦を扱う軍記などにも現れるもので、それほど合戦様式の変化は 窺えない。 元寇の時代→この時代、武士の戦闘様式は変化を遂げ、やあやあ我こそはと 名乗りをあげ、間抜けにも正面からの一騎打ちを挑むようになっていた。当然元軍の集団戦術には当然通じず なんとか神風に撃退してもらう。 ただし蒙古襲来絵詞には集団での騎射を行い蒙古を蹴散らす武士団の姿があり、元側の文献にも 「騎兵は結束す」と記されている。
一騎打ちが何を想定してるか知らんけど 平家物語の熊谷次郎直実みたいなもんじゃねーの?
やあやあ我こそはとかのセリフって講談とか歌舞伎とかの演出なんじゃないの? 当時の武士が当時リアルで行ってた習慣なのかどうなのか まぁとりあえず遠距離戦から始める機動有利な騎馬武者には 喧伝や恩賞の証人作りにリソースを使える余裕があったのかもしれないけどね 徒歩ならそんな余裕は端から無いけど
名乗りは、功績査定員である軍鑑や証人になってもらう周囲の同僚に 俺、これから軍功上げるからちゃんと見てみてぇと、味方に対してやるもんだ
今でもって言うか、おれが学生の頃の応援団もやあやあ言ってたぞ。
これから一緒になぐりにいこうか
たとえばアルカイダやタリバンだって自爆テロ後にネットに動画流したりするし、 事前に犯行予告をするテロリスト、猟奇殺人犯もいる。 政治目的のある戦闘戦争の場合、存在を誇示すること自体が目的の場合もある。 竹崎季長みたいに親戚内で冷遇されてた奴にとっては元寇がガラガラポンの人生一発逆転のチャンスだっただろうから、 別にモンゴル人が聞いてなくても普段自分を馬鹿にしてる親戚を見返すためにたとえモンゴル兵のターゲットになってもてつはう爆発しても、 力の限り自己アピールをしなくてはならない。 二軍落ち寸前の新人投手や新人打者に巡ってきた中継ぎや代打みたいなもんだな。
>>614 同じ匂いがするな。
てかモンゴルポニーおじさんとは言いえて妙だなw
モンゴルポニーおじさんには出現するときはコテハンで書いてくれと あれほどお願いしてるのに。
結局「やーやー我こそは」みたいな非合理的で生ぬるいことやってた日本武士しょぼい
って言いたいだけなわけだが、主張してる馬鹿もこれが戦争において不自然な動きだとは理解している
戦争で弱くなるような不自然なことをやってたと言うならば、主張する奴がなんらかのソースをもってこなければ
話にならないが、相変わらずの悪魔の証明スタイルでゴリ押し
>>590 するだけ
だいたい本当に一騎打ちしかしてないというなら、 武装した徒歩の郎党は何なんだよ、とか。 モンゴル軍の集団戦法にやられて最初はさんざんだったが、 やがて集団戦法を覚えて抵抗した、とかいってる奴もいるがこれが 最高に不自然。 合図にしろ集団での武器の取り回しにしろ陣にしろ、 本当全くやってなかった軍が急に対応できるわけないだろう。
元寇でも朝鮮の役でも、当初は日本軍を舐めていたが 実際に戦ってみると、圧倒されてた そんなことが繰り返されている。 元寇での初戦で、蒙古側がかなり苦戦しているからな
>>624 何故なんでもかんでも親日反日のイデオロギー論争にしたがるのか
>>624-625 一騎打ちしかしてないとは誰も言ってない。
ある程度の儀式的・様式的戦闘方法としての一騎打ちは存在したことは確実だろう。
でも言ってる奴に悪意がないわけではないね
モチベーションの根源がイデオロギーじゃない証拠は無い
大方嫌儲あたりでジャアアアアアアアップとか叫んでる厨房だろ
ポニーおじさん固定つけてよ。
元寇スレの痛い人の方が頭良さそうだな
一騎打ち否定側も、感情論で否定してるようにしか見えない不思議
ポニーおじさんへの感情的な拒絶だな
>「今日の合戦は、総力でぶつかり合うのではなく、大将同士で決着をつけたいと思うが、どうか」 こういうやり取りをしてる時点で一騎打ちで合戦の決着をつけるのが例外的な 戦闘だってことがよくわかるね。 さらに時代が下り為朝の時代になると、こういうのどかな合戦観さえ見られなくなり まずは勝つこと、という姿勢が全面に出ている。
>>634 パフォーマンスコンクールも頭おかしいけど
あいつなりに考えて根拠出してくるからね。
根拠はないがそうじゃないとはいえない、が定番の
モンゴルポニーおじさんよりは確かにマシに思えるわw
出発点の 此の二人、兵の道を挑みける程に、互に中惡しく成りにけり。 ここからして兵法者のノリだな 領土なら権益を賭けた戦いだったらそうはいかんだろう
×一騎打ちが成立している特殊な例 ○一騎打ちが成立している特殊な戦闘
そもそも何でも地主の一騎打ちで決着すれば城も館も寄騎も要らないわけで。 石橋山の戦いだって、富士川の合戦だって、般若野の戦いだって、倶利伽羅峠の戦いだってみんな夜討ちだしな。 しかし石橋山の戦いでは闇夜の暴風雨のなかで、北条時政と大庭景親が名乗り合いよりさらにレベルが上の「言葉戦い」をやってるんだな。 まあ知ってる同士の戦いだと戦闘中のおしゃべりも増えるだろうな。
別段、特殊事例とはいえ一騎打ちはあったんだから、 それでいいじゃない。
それだとモンゴルポニーおじさんが納得できないだろう 特殊な例という言葉が邪魔で
誇示するための名乗りだったら島原合戦になってもやってる。 鍋島勢への目付榊原飛騨守職光の息子の職信が原城の二の丸に一番乗りしたとき 大音声でそれを誇示した。
その辺の戦闘が普遍的な戦い方であったと主張できるなら、 バノックバーンの戦いの一騎打ちを拡大解釈して 西洋では14世紀になっても王族や上流貴族が戦場で一騎打ちを行っていたとか 論じることも無理ではないなw
589 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 21:00:51.40 ID:???
『保元物語』といえば、合戦の経験から言って夜討ちに勝るものはないと
夜襲と火付けを提案して貴族から乱暴だと拒否されるような武士が、元寇の時代になると
名乗りを上げて一騎打ちなんかやってたんでしょうか?
引用略
590 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2012/11/09(金) 21:24:04.74 ID:???
>>589 1900年頃の日本人は○○だったのだから、現在の日本人が××なのはおかしい
って言われて納得できる?
-------
事の発端はこうですのであまり離れすぎないように
後三年の役では義家軍が金澤の柵を包囲してるとき 敵の武衡から「つまんねぇから一騎打ちさせようぜ」って手紙が来て部下達を一騎打ちしている 結果、義家側の鬼武が勝つんだが敵側が味方の首を取られまいと乗り込んできて乱闘になってる まぁその前に行軍中に三十騎の伏兵が草むらに潜んでいたのを義家が雁の飛ぶのを見て見つけとかあるけど
そういう名乗りをあげての一騎打ちとかは殆ど無いからこそ記録されるからな
元々が元寇で名乗り上げて一騎打ち待ちしてたら集団でぼこられて武士涙目って定説?に対する疑問だから 手紙で事前にアポとるとかやられると何の参考にもならない
そもそも、元寇のときに一騎打ちをしたと記述してある書に「八幡愚童訓」というのがあります。 これは武士が書いた書ではなく、神官が八幡神の神徳の普及を目的に作成したもので、その中での記述に 「日本ノ戦ノ如ク、相互二名乗リ合テ、高名不覚ハ一人宛ノ勝負ト思フ処」 と一騎打ちが行われたと書いているのですが、この「八幡愚童訓」の元寇の部分の原本である『八幡ノ蒙古記』によると 「日本の軍の如く、相互に名のりあひ、高名せすんは、一命かきり勝負とおもふ処に」 となっており、日本の軍の中で相互に名乗り合って、戦功の保証人になってもらうとなっており、 『八幡愚童訓』が書写するときに、写し間違えたというのが真相です。 これは、実際に文永の役に参加した竹崎季長の合戦録である『蒙古襲来絵詞』の中に 「互ひに証人に立つ。筑後国の御家人光友又二郎、首の骨射通さる。同じく証人に立つ」 とお互いの戦いぶりを観察し、戦後に戦功の証人になってもらっている様子が描かれています。 つまり、日本軍の中で相互に名乗り合って、互いに証人になってもらっていたのです。
>>648 社会の発展の度合いが全然違うので例えとしておかしい。
おしまい。
>>653 関ヶ原の戦いから大坂の役まで15年間戦がなかっただけで、戦のやり方を知らないって
年寄りが嘆くほどになってしまったのだから、100年間大きな戦いがなかったら
戦いに対する意識ややり方が変わっててもおかしくないんじゃないか?
一騎打ちをやらなかったという結論の根拠として、100年前は野蛮だったから
っていうのは強引だと思うが。
>>654 だが実際には百年以上前と代わり映えしない騎射戦や組み打ちをやってたのが現実。
久しい平和の時代に武士の戦い方やそれに対する観念の変化が裏付けられる史料でもあればいいんですがねえ。
>100年間大きな戦いがなかったら それは一体どこの世界の鎌倉時代の話なんでしょうか?
>>654 >関ヶ原の戦いから大坂の役まで15年間戦がなかっただけで、戦のやり方を知らないって
>年寄りが嘆くほどになってしまったのだから、
煽りとかじゃなくて自分が無知なんで教えを乞いたくて聞くんですが、
これってどういう文献に出てくるんですか?興味あります。
本文中にも刀を抜いて戦うことは書いてるのに武士は刀では戦わない、と
題するってどういうこと?
http://www5a.biglobe.ne.jp/~sanokazu/65172036/ >b武士は刀では戦わない
名乗り終わったあと、一騎打ちで最初使う武器はなにか、生徒に発問する。
答えは弓矢だが、生徒は驚く。馬に乗りながら、弓矢を射ったり回り込んだりしながら戦う。
ところが、お互い鎧兜をつけているので、なかなか当たらない。テレビで鎧の上から矢が刺さって
武士が死ぬシーンを見かけるがあれもウソ。鎧はもっと頑丈。矢が目とか脇とか兜のてっぺんの穴とか
から刺さらない限り、弓矢だけでは決着がつかない、そのうち矢が尽きる。そして、はじめて刀を抜いて戦う。
ところが、刀も鎧のせいで効果がない。よくテレビで鎧の上から切られて死ぬシーンがあるが、それもうウソ。
鎧はそんなに弱くない。刀の刃がボロボロになる。刀でも決着がつかないと、最後は、馬に乗りながら取っ組み合いになり、
馬から落ちる
そりゃ武士よりもこの先生の精神状態の方を疑えよ。
>>659 臨床心理士の資格を持ってるという方に対して無礼な!
所詮民間のオカルト資格だけどwww
テンプレすぎてワラタ 文永の役の様子を「蒙古襲来絵巻」を用いて説明する。 その時、日本の武士がまず名乗り(自己紹介)を日本語でし、 モンゴル軍に笑われたこと。自己紹介しているうちに攻撃されて、 卑怯だと考えたと思われること、さらに、モンゴルが集団戦法で 攻撃してくることも卑怯だと思っていたと考えられることを説明すると 生徒も笑顔をみせている。 やがて、文永の役、弘安の役という蒙古襲来も2度とも暴風雨のおかげで、 元の船が沈没したため日本は元の襲撃を退けることができたこと。 この偶然の暴風雨を鎌倉時代の人々は「日本の神々が日本を守るために吹かせてくれた風だ」 と考え「神風」とよんで称えたこと 。さらに、その考えが700年後の太平洋戦争の時にも生きていて「日本は外国と戦争しても神々が守ってくれ、 神風がふくので負けない」という考えに繋がっていったことを説明する。
,、 /7 ,-、 ( <. | l //´ ヽ\,.ィ´ .ニニェ‐、// >、<゜> < 。>) 〈 // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ. 嫌なら 見るな!フジテレベ! | l ノ、 __!!,.、 | l ヘヘ. ヽニニソ ././ ヽヽヘ、____,,..ィ,ン′ `''‐---‐''´ ( <. | l //´ ヽ\,.ィ´ .ニニェ‐、// >、<。> <゜>) 〈 // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ. 嫌なら 見るな!フジテレベ! | l ノ、 __!!,.、 | l >、<゜> <。>) 〈 // ´ ノ( 、_, )ヽ ヘヘ. 嫌 なら 見るな!フジテ〜〜! | l ノ、 __!!,.、 | l
2度とも暴風雨ww 蒙古襲来絵詞で説明とはいうけど、 白石勢の場面はその説に不都合だからもちろんカットですよねw
河合隼雄やユング風に鎌倉武士の戦いを語るのか? つまり鎌倉武士が一騎打ちの前に名乗りを挙げるのは平安時代の田村麻呂とアテルイの戦いの時代から続く個人を超越した記憶の蓄積によって成立した原型を反映した、 集合的無意識によるものなんだな。
刀なんて男根のメタファーですから象徴として大事なだけで 実戦では使いません。 ってこれはフロイトか。
島原合戦記を見てると一揆勢が高所から投げ落とす石とか大木で相当被害が出てるな。 武蔵がやられたってのもこれじゃないのかな? ところで軍忠状でこれらの籠城側の落とす石による傷と野戦の投石による傷って 区別されてるの?
のぼうの城って映画見てきたジョ。 投石機出てきたジョ。焼け石投げてた。 グッさんが片手上段に挙げたポン刀ではじこうとしたら、刃がぶっ飛んで 柄だけになったCG面白かった。 フィクション部分多いが面白かった。
面白そうだなレンタルで見てみるか
>>639 元寇スレ見たら今日もパフォコンさん絶好調でワラタ
毎度アレの相手してる人凄いわw
高所から投げ落とす石ってのは石弓のことだな。
モンゴルで思い出したが、近年はワールシュタットの戦いも
実は殆ど小競り合いで大した戦闘じゃなかったって説があるな。
>>669 忍城攻めって実際はよく言われてるような派手な出来事は殆ど無くて
単に準備してる間に小田原城が先に落ちたから終了しましたってオチで
かの甲斐姫も創作の可能性が高い(現場近くの博物館ですら甲斐姫は架空人物と言い切ってる)とか。
もし本当に三成が成田記に書かれてるレベルの失態やらかしてたら
いくら秀吉のお気に入りでも処罰は免れないだろうしなあ。
弩と石弓ってどこで混じったんだろう?
>>317 随分と遅いレスだけど、ラクダは馬のようにギャラップを状態で出来ないから1時間ほど走らせると消耗してしまうのと
速歩でも馬のようにスタミナがない。それから出身地以外での生殖がすぐ不安定になるのが欠点で
馬のように騎乗動物として世界に展開しなかったと聞いたことがある。
675 :
674 :2012/11/12(月) 03:39:42.17 ID:???
読み込んでなくて話題が進んでたのに恥ずかしいことを書いてしまったorz
>>674 いや、面白い話だからいいんじゃないかw
つまり体格や戦闘時、使いようによっては強いけど、
汎用性に欠けるというのがラクダなのかな?
砂漠での戦略的機動性だけは馬より上と聞いたことがあるけどどうなんだろう。
俺もちょっと興味あるから嬉しいわ ギャロップができないから消耗激しいのか〜 なんかそのあたり詳しい書籍あるかな
アラビアのロレンスに移動手段に限定して、攻撃は銃撃とか伏撃とか、線路爆破とかでやればいいんだろ。 フランス外人部隊もラクダ部隊あったな。ラクダで砂漠の中逃げる賊を追跡するにはラクダで追うしかなかったとか。
「砂漠では馬よりラクダの方が優れている」よりも「砂漠では馬が使い物にならないからラクダを使うしかない」の方が 実態には近かったんだろうか?
もうちょっと情報源がはっきりしてるとありがたいんだが。
だなあ。ちょっと自分でも調べてみたが確かなソースがなかなか見つからん
Λ_Λ < `∀´ > トンスル飲むニダヨ \ / |⌒I │ (_) ノ ______ _..レ__ ___ /r''''''i i'''''ヽ|`i i'''ヽ`'i i'´r.⌒ヽ| | | | L,丿丿 ヽ、_`''ヽ, | | i i'''ヽ`''i i、 `ヽ`} j l、 j L,丿.丿 i、ヽ.,,ノ,ノ 朝鮮総連 ブロードキャスティング システム
ラクダレース用のラクダはギャロップするし時速も60kmぐらいはでるよ ラクダも馬と同じように荷物運び用とか騎乗用とかレース用とか分かれてるんだ
685 :
名無し三等兵 :2012/11/12(月) 16:09:43.47 ID:J0F9VmJA
近眼が多くて、メガネが手放せない現代人 まあ、特に日本人はそうだが そういう人たちならともかく。 当時の人たちの五感は、現代人よりずっと優れていた。 アラビアのロレンスも、双眼鏡でみても、点にしか見えない部隊を アラブの人たちは裸眼でちゃんと敵味方を識別できたと驚いていたな
>>674 馬だって一時間もギャロップなんてできませんよ?死んじゃいます。なんかの間違いでは?
生殖が不安定だから広まらなかったというのは、銃・病原菌・鉄にもつながる話ですね
出身地以外で生殖不安定ならオーストラリアで何十万頭も野生化したりしないだろ・・・
やりまくる場合も不安定ってことでないの?w 二代目以降関係ないしな〜w
>>676 というか、砂漠だと水とか馬の飼料輸送がネックになるんじゃね?
木が生えてる土砂漠でも、オアシス以外は地面にこびり付くような草が多少あるぐらいだし
692 :
名無し三等兵 :2012/11/13(火) 07:13:52.64 ID:RTFjaYv9
福島原発周辺では、いまや犬や牛ばかりか、ダチョウまで野生化している これはって、天敵が存在しないからな そういう環境なら家畜も、けっこう生きられるものだ
討論の主題は、 「ラクダは馬のように兵器として世界標準にならなかった理由」でよろしいのか?
つまりなぜ武田ラクダ軍団とか南部ラクダとかが日本で生まれなかったという・・。
馬のほうがラクダったからだろ
牛飲馬食って言葉が確かあるはずだから馬は多量の飼料を必要とするから砂漠じゃ無理だろう
アラブ美味
エロゲ板に帰れ
ラクダは高温も寒さも乾燥も耐えるけど多湿は駄目ないきものだから日本じゃ無理
面白いな 目釘の位置、定寸の刀はテンプレに沿えばいい状態で簡単そうだけど 戦国期までの長いのやらごついのやらいろいろあった時代はどうしてたんだろう 実験段階の失敗作もけっこうあったりしたのかな
千代金丸とかいう琉球の片手打の刀は、ヘンテコな目釘穴をしてるらしい
鳥取砂漠ならラクダ使えるんじゃね?
なんに使うんだよw
一度いけばあまりのしょぼさにこれ本当に有名な砂丘かよと思うぞ
そもそも日本人昔からラクダ知ってたの?と思ったが 調べたら日本書紀に記載あるんだな
>日本書紀に記載あるんだな え?
そんなに驚くことかな?推古天皇の時代だよ。
>>711 推古天皇(巻22)
七年夏四月乙未朔辛酉、地動舍屋悉破。則令四方、俾祭地震~。秋九月癸亥朔、百濟貢駱駝一匹・驢一匹・羊二頭・白雉一隻。
因みに前年には 新羅貢孔雀一隻なんて記載もある。珍獣ブームだったんだろうか。
細かい話になるんだがその駱駝って現在でも駱駝っていうのかね 別の動物だったりしない?
動物園は世界のミニチュア世界を制覇した表れって話もあるから 珍獣献上とかは国威発揚でよくあることでしょ
盛岡藩では飼うの面倒くさくなった家康からもらった虎を二匹飼ってたそうだしな。 名前は牡丹丸と乱菊丸。 一匹は逃げたときに南部利直が火縄銃で射殺して、 もう一匹は長生きしたが、えさとして与えた犬に逆にかみ殺されたそうな。 藩主はその毛皮で羽織をつくって寒い日に着ていたとさ。どんどはれ。
>>714 古事記の「ワニ」(実は鮫)の例もあるからな、
あと麒麟(ジラフにあらず伝説の怪獣)とかもw
日本語と大和言葉の乖離って結構あるからな
麒麟や駱駝は大和言葉じゃないからなw
お前らの駱駝知識がちょっと好きだわw
集合知はすごいな。 必ず何かしら知ってる人がいるw
ググって知った情報貼りつけてるだけだろう? 買い被りもいいとこだw
>>720 関係ないけどどえらくきれいだなこれ
いつの写本だ?
おうふ
727 :
名無し三等兵 :2012/11/14(水) 17:56:48.92 ID:I3TxAh79
>>716 虎が犬に食い殺された?
当時の犬は、一番に大きなものでも紀州犬だったはずだ
大型の秋田犬ならともかく、このサイズの犬が老いたといっても虎を咬み殺すとはな
728 :
名無し三等兵 :2012/11/14(水) 17:59:20.81 ID:I3TxAh79
>>714 シルクロードを通じて、唐にも駱駝はもたらされていたはずだし
唐の皇帝が、外国に贈り物をしようとすれば、ちょっと手に入らないものを選ぶわけだから
そうなれば駱駝のような、日本にはいない珍獣を贈るってのは、充分にあることだと思うがな
ちょうど、いまの中国のパンダ外交と同じだよ
江戸時代にも象を贈られたり犀を贈られたりしとるしな。
日本史を調べると尾利場亜訓という猿とも人ともつかぬ珍獣が 献上された例もあったみたいだな
>>730 アフリカからゴリラやチンパンジーが来たとは考えにくいし
そうなればオラウータンのことかな?
>>735 それの上と下は本当によく似た話だよな。
?同じアドレスだからそりゃ一緒だろ
虎はブラックバスみたいにリリースしちゃいかんだろ。殺すのはかわいそうだと思ったのか?
742 :
名無し三等兵 :2012/11/14(水) 20:28:24.26 ID:I3TxAh79
>>738 キリシタンが虎の餌にされたってのは、どうにも信じられないが
そこまで苛烈なキリシタン弾圧が行われた例は、島原の乱につながった
島原藩の弾圧くらいしか知らない
そもそも、肉食獣に人間を食わせれば手に負えなくなるよ
何か面白いからぐぐってみたら、
虎の飼育係は元マタギで虎と戦って身体障害者のなった片目の小六。
虎を食い殺したのは小六が飼っていたマタギ犬(南部犬)のヨヅ。
虎の眉間を撃って殺した南部利直の超DQN息子、南部重直がキリシタンを虎に食わせようとした理由は、
犬がいなくなってきたから(笑)
http://togetter.com/li/297898
745 :
名無し三等兵 :2012/11/14(水) 22:02:50.61 ID:I3TxAh79
普通、虎は犬を食わないものらしい そもそも雑食性の犬は、肉食動物の虎にとって美味しいものではないからな 野生環境で、虎が犬を襲った例はありますけど、いずれも餌不足で虎が飢えていた場合に限られる
信玄ってマジで毒矢使ってたの?
毒矢伝説は色々あるけど、 時代が時代だし、矢傷が細菌感染しただけじゃねーの? という説もある。 毒は効果が不確実なうえに、取り扱い難しいし。
748 :
名無し三等兵 :2012/11/14(水) 23:44:57.13 ID:I3TxAh79
以前、どっかのサイトで、手裏剣で致命傷を負わせるのは無理だから 毒などを塗って使っていたと書いていて驚いた だってさ、十字手裏剣とかに毒を塗って使うのなら、危なくて仕方ない うっかり指先でも傷つけたら、大変なことだろ。 手裏剣で致命傷を負わせるのは、確かによほどのクリティカルヒットでなければ無理だが 相手を牽制することは可能だ。そういう使い方をしていたって言われる方が理解が早い
>>747 アイヌなどが矢毒として用いていた、トリカブト毒を用いるとか
そういうことはあり得ると思う
戦国時代に合戦などで用いたかどうかは知らないが、蒙古軍などは普通に毒矢を用いていたと聞いているし
フロイス情報によると朝鮮人は毒を入れた小箱を使用するとのことなので 射る前にそれに鏃を突っ込むとかするんだろうかね?
>>748 よく誤解されてるが手裏剣は基本的に目を狙って打つものなんだよ
昔の人だってあんなもので致命傷与えられるとは思ってないさ
>>745 美味いかどうかより、狩るのに危険があるかどうかじゃね?
>>751 >手裏剣は基本的に目を狙って打つものなんだよ
伝書か何かに書いてあるの?
>>753 昔読んだ古書に載ってたんだが書名は忘れたわすまんな
蟹目の大事なんかの解説もあったが、まあソースは曖昧ってことで
蟹目の大事は聞いたことあるけど、目を狙うんだっけ? 敵の目が蟹の目が飛び出すように見える瞬間に投げろとかじゃなかった?
手裏剣で致命傷を負わせる事は無理でも、傷つけることは充分に出来る。 相手に投げつけることで、戦闘力を削いだり。 戦闘の際に牽制を加えるために放つ ってのなら、ありえるとは思うよ
西洋のダーツみたいに棒手裏剣投げてるのは分かるが、 漫画や映画でお馴染みの平型の奴のメリットが分からん 嵩張るだけじゃないかアレ
758 :
名無し三等兵 :2012/11/15(木) 09:12:02.41 ID:TxuCvPnf
まあ西洋のナイフ投げみたいなもんだな。 実用性よりもヒマなときの一人でできる楽しみというのもあるだろう。 別に牽制で投げるなら石でも十分だしな。 不良少年がバタフライナイフやカミソリ持つみたいなもんだろ。
760 :
名無し三等兵 :2012/11/15(木) 11:17:57.21 ID:4cwrql7s
手裏剣って石礫を空力的、殺傷力的に洗練させたものと考えてもいいかも 石より携行性に優れているのもいい コストはかかるけど 平型手裏剣は野球みたいな飛距離とスピードはでるけど回転のかかる投げ方で必ず?刺さるのがポイントでは
>>759 手裏剣術は武芸十八般の一つに加えられることもあるほどだ
ただの暇人の遊び程度の位置づけではないでしょう
状況は限定されるかもしれんが、 半弓みたいに目立つものを持ち歩くわけにいかない 偵察とか忍びとかの状況では必要になることもあるかもしれんね。
手裏剣術が武芸として伝わってるんだからそれなりに認められてたって事でしょ。手裏剣術
一揆の記録を分析していくと一揆勢は遠戦志向であることが判明した(ウソ 武井弘一『鉄砲を手放さなかった百姓たち』 ・膨大な一揆のデータを分析して、これまでの一揆像を再検証した研究者・保坂智は、 以下のように説明している。 (中略) (3)竹槍 竹槍でヒトが殺された例はたった二件しかない。しかも一つは参加者を殺害された報復として もう一つは百姓同士の規律を守るために使用されたことがわかっている。したがって、 戦闘や殺害のために竹槍が持参されたわけではない。 (4)鉄砲 鉄砲は百姓たちを一揆に結集させたり、一揆の行動統制のための合図の鳴物として 使用されていた。だから武器として使用は可能であっても、百姓一揆のための武器であると 考えてはならない。また、正確に言えば得物の範疇にも入らない鳴物なのである。 一揆は武装蜂起ではなくあくまで抗議行動だけど、あくまで記録に残るものを見る限り 竹槍の殺害数というのは思った以上に少ないんだな。あと、鳴物とは言え、鉄砲を 持ち出してるのにもイメージを裏切られた。
農民といっても帰農した武士がキリシタン弾圧を利用して起こした反乱だからなぁ
>>748 十字手裏剣とか忍者マンガのガジェットだろw
>>751 それはそれでそんな都合よく当たるわけがないというw
>>766 >十字手裏剣とか忍者マンガのガジェットだろw
新陰流の『玉成集』という伝書に「りうしゅけん」「三光」という名前で
あのタイプの手裏剣が出てる。タイ捨の伝書にもあったな。
存在してたことは間違いない。
>>684 ラクダの駆け足は馬の速歩に該当する走り方だと思ってたけど襲歩できるの?
できたら資料教えてほしい
thxウサギの走り方の方が似てるな
ウサギは前足と後足を交互だろ
>>764 の事例を例外だと言いたいんだろう
どの部分に反応したかのはエスパー3級の俺にもわからない
777
十字手裏剣の事だけど、最後の将軍・徳川慶伸も稽古してたそうだから、けっして絵空事ではないみたいだよ。 ただし十字手裏剣、特に凝った形状の物は高くつくので、貧しく身分の低かった下忍には使えなかったろ。 特に切っ先が鏃状になった物、折り畳める物などは、明らかに高級武士の個人所有だ。 因みに徳川慶伸の手裏剣は、畳める物と、二つに分解出来る物と、二種類あったそうだ。
クナイの話もお願します。 形状のバラエティ、サイズ、手裏剣との区別・・・等々
アマガイの話もお願いします。
雁股の矢ってのは実際使えたんですか? 突き刺さるというよりは切る効果があったみたいだけど。 あと他国にもあるものでしょうか?
確か、源平合戦で壇ノ浦の合戦にて与一が扇を落としたのが雁又の矢だったな
>>778 慶伸って誰だ?w
ちなみにそっちが言ってる形状のものなら確実に十字手裏剣じゃないだろw
畳めるってならフォールディングナイフみたいなもんだろうし、2つになるなら多分切り出しとかみたいな感じだろ
日本の刃物は柄と刀身が別体のものは普通だし
本物か?ってそれは誰にもわからんかw どうやって開いた状態で固定してるんだろ?
>>785 凹凸でもつけて引っかかって止める様にしてるんでもなきゃフリーだろ
しかしこんなの見ると手裏剣の実用性の無さが再確認できるな
これじゃ刃がついてないからよっぽどの速度で投げなきゃ刺さらないし、
かといって歯をつけたら危なっかしくて持ってられない
まだ畳んだまま投げたほうが実用性ありそう
もともと手裏剣は刺さらなくても鉄の塊が当たることによっての打撃でダメージを与える事を狙ってんじゃ ないの? 刺さらなくてもある程度の重さがあるものがあたりゃそれだけで相手には堪えるでしょ
十字手裏剣の形状では、どんなに深く刺さっても致命傷とはなりえないだろう。 慣れた人間なら、カーブで投げる事もできるそうだが 結局、殺すよりも、相手を無力化することを目的とした武器だよ 戦闘の主力武器とはなりえない
>>787 その使い方なら礫の方が実用的じゃないかな
実際は美術品というか、厨二武器というか、眺めて触ってニヤニヤするためのものなんじゃないの?
つぶて持つなら携帯用に形を調整された手裏剣やくない持った方がよほどまし 重量比でも小さくできる。相手に致命傷与えられなければ実用的でないって…
クナイは手裏剣とは違っていろいろ役に立つよな。 ミミズ掘ったり、木登りに使ったり、切岸登るのも、石垣のぼるのもできるよ。
実在するのも知らず忍者マンガのガジェットとか断定しちゃったのが 恥ずかしかったんだろw
>>790 実用って致命傷ってことじゃなくて、狙いやすさ、手の中に隠しやすさ、取り出しやすさとかだよ
787を受けてその使い方って言い方しているのだから最初から致命傷とかって考えてないことくらい分かるでしょうに
本当に礫よりも折りたたみ十字手裏剣の方が実用的だと思う?
あとサラリーマンの能力としてゴルフの腕が評価された時代があったように、
武士が実戦に使えないものの訓練を推奨したことがあってもおかしくないと思うけど。
大げさにならずに手軽に能力を誇示できる余技として。
>>793 あー、だめだこいつ。なんで印字打ちにとどまらず、棒や十字が発達したか全然分かってない
腕に仕込んどいたら斬りつけられたときに防御にも使えるらしい 隠し武器と隠し防具が合わさり最強に見える。
797 :
790 :2012/11/17(土) 09:21:11.33 ID:???
>>793 手裏剣やくない一般とつぶての実用性比較したレスに対する返答が
十字手裏剣云々て論点のすり替えにしか見えない
>>796 自分で調べろよ低脳。これだけだと煽り扱いされるから礫として使われた石の形状・大きさと
くないの違い。それから持ち運び方中心に調べてみろよ。今からなら公立の図書館も
十分利用できるだろ
相手を小馬鹿にしないと会話もできないのかお前らはw
800 :
790 :2012/11/17(土) 09:35:14.71 ID:2f5RE+zU
なにか、荒れる発端作ってしまったな。とりあえず印地打ちなどの道具を 使う投石術と素手投擲を基本にする道具を比べない方がいいと思うよ
十字手裏剣が額にあたって死んだ 何て、漫画とかでそんなシーンがちょくちょく出るけど 実際、あんなことがあっても、死ぬ事はないと思うよ 人間ってのは意外と丈夫なものだ、頭の表面が少し傷ついたくらいでは、障害は残るだろうが死なない 延髄のあたりに脳幹と呼ばれる、生存にもっとも基本的な機能を及ぼしている部分があるから そこが破壊されたら一撃だが、手裏剣ではそこまで届かないだろうな
いやいや、忍者は汚いから毒を塗っておくんだよ 神経毒 だから一瞬で回って即死 忍者汚い
現代の兵隊(の特殊部隊)なんかが、 無音武器を練習するのと同じで、使うシチュエーションはだいぶ 限定はされてたんだろうけどね。 そもそも忍びは潜入するなり、現地の草から情報を確実にとって 戻ってくるのが任務なんだから、そもそも斬りあいになったり、 手裏剣を使ったりする状況に出会わないように行動するのが本筋なんだろう。
>>781 雁股の矢って、本来は狩猟用じゃなかった?
忍者の手裏剣はいろんなことに使うマルチツールだから 武器として投げるのは最後の使いかただ
サバイバルナイフ投げつける特殊部隊
猫又も二つだよな。
>>802 なんだその不思議毒wそもそも神経毒で即死ってすさまじいばかりの愚かさ披露してるな
誰が見てもバカなヤツを相手にしてるとあんたまでバカに見えるぞ。 下らない空気を引きずるなよ。
まぁまぁ、のんびりいこうぜ。
ギリシャからローマにかけた発展した歩兵の戦術がヨーロッパでなんで廃れちゃったんだろう
>>807 鏃の形が雁の群れの形(V字型)だから雁股ってのが通説
なお、雁股の矢は鏃が常に地面と平行になるよう、通常の3枚羽根ではなく、
4枚羽根の矢を使用する(飛翔中に矢が回転しないので)
>>812 鐙の普及で騎馬の技術が大幅に向上したからではないの
騎兵一騎で歩兵四人に匹敵すると言われているものね
>>812 鐙の普及もあるだろうし、その前の時代から騎射戦術には
分がよくなかったからねえ。
>>816 それよく言われるけど、ローマは対抗戦術確立してた。馬上使用の弓より飛距離長い弓を歩兵の方が持てるから
それと基本的にペルシャの騎兵はローマの歩兵集団の夜戦に負けるため、遠征してきても攻める都市からかなり
離れたところで宿営しなければならない制約があったよ
いろいろ回答はあるだろうけど 社会自体が変わってしまったからじゃないかなぁ 市民歩兵というタテマエが崩れたら成り立たなくなってしまったのでは あの歩兵戦術がどれほど優秀なのかというとまた別の難しい話だと思うが
ローマのように10年単位で訓練受けたあげく読み書き前提の軍隊なんてなかったからな 帝政初期までは元老院貴族たちも家門ごとに戦争のノウハウ蓄積してたし
そのローマが滅んじゃうんだから、わからんものだなぁ。 ゲルマン人を傭兵として雇い入れて戦のノウハウがどんどん なくなっていったんだろうけどね。
>>819 読み書き前提の軍隊とか近代の軍隊みたいだな
古代ギリシャだと兵士として戦場に行くのは特権
ペルシャとの戦争以降にアテネでは漕ぎ手として参加した下層市民の力が増して衆愚化しちゃったせいで 無謀な帝国路線に…海戦の勝利者の船長をでき死者助けられないから死刑とかやっちゃってスパルタに 海戦で負ける羽目になるし
>>812 端的に言って、歩兵を形成する市民層が壊滅した為
「纏まった数で装備を揃え戦列を維持出来る歩兵」が存在しなくなり
封建社会で日常的に発生した領主層による私戦は極小規模で
生産に従事せず機動力の高い騎兵戦力に軍備が偏重した
>>824 うーん、共和制ローマならともかく帝政期は市民層なんて消滅してるんじゃない?
共和制末期から帝政期は傭兵制に移行してたし
>>825 軍団兵は帝国市民が条件で、下層市民には出世と土地がもらえる機会
だから4世紀内乱まではそれなりに機能してた
827 :
826 :2012/11/17(土) 20:48:30.85 ID:???
ごめん3世紀の間違い
>>812 そもそもいまの西欧の基礎を築いたのは、
ローマを滅ぼしたゲルマン人やその周辺の蛮族たちで、
文明も破壊しちゃったのでほぼ継承できなかった。
ギリシア・ローマの文明って、いったんアラビアに吸収されて、
そこから再輸入されてルネッサンスがはじまったくらいだから、
連続性はないとみていいと思うが。
ローマ人が自堕落になって、 ゲルマン人傭兵に使ったりせずにちゃんと 市民兵を維持できていれば、ロケット飛ばすのはもう500年くらい 早かったかもしれんなーとは妄想している。
>>828 さすがにロマンス語やら教会制度やら無視した発言はどうかと
イベリア半島も西ゴート時代はローマの遺産それなりにあったけど
イスラムの侵略で崩壊してるよ
ガリアは鬱蒼とした森の広がる原野のままとし、軍の予算はフクシに使えばよかったんじゃ。
まともな東ローマでさえペルシャと殴り合ってダブルノックアウトしてたところ イスラムに食い荒らされたから西ローマは市民兵残ってもあの時代の寒冷化で 文明崩壊したんじゃないかなー
>>830 キリスト教自体は、そもそもがローマから迫害を受けていたわけで、
国教になれたあとも独立性はある程度たもってただろう。
その後西欧の主流になっていくのはフランク人やゲルマン人で、
その間、ギリシア・ローマの遺産は東ローマ帝国のほうに移動、後に
アラビアのほうに吸収されていくだろ。
イタリアルネッサンスの始まりはアラビアからのギリシア・ローマ文明の
再輸入だ、というのは定説だと思ってたけど違うのか?
>>833 教会がローマの貴族層吸収して司教座維持し、そこでローマの制度残ってるんだけどな
失われたのはメロウィングの内乱と気候変動でヴィラが維持できなくなって来てからだから
フランクなどの侵入によって文明が失われたという説は現在は少数のはず。実際、ガロローマ
までは貨幣鋳造技術やローマの軍制残ってたんだから
機動力をいかした蛮族の侵入を防ぐには歩兵でやるなら広大な国境線に多数軍団基地を 建設し大量の歩兵を常に貼り付けておく必要があるが末期のローマ帝国はそんなことができる余裕はなくなった 防衛法は国境線での侵入阻止から領内に侵入した蛮族を少数の騎馬部隊での迎撃になった
836 :
834 :2012/11/17(土) 22:20:57.11 ID:???
>>833 それからローマ帝国がキリスト教取り込んでからは皇帝が公会議主催してるから
皇帝の権威下にキリスト教そんざいしてる状況だと思うよ
>>834 なるほど。
教会で文明を維持し、メロヴィング朝下で文化文物が維持されていたという
話が出てきているのか。
ちなみに工学とか数学も維持されていたのか??
>>837 何を持って工学が維持とまで言うのかは分からんが都市設備の維持と
貨幣鋳造はそれなりの期間残ってるよ。自分はゲルマンの侵入によって
文明が荒廃したと主張してるわけでなく、その後の内乱で荒廃したと主張してるんで
メロヴィング朝下で文化文物が維持されていたなんて主張してないんだけど
オスプレイのガリア人読むと、ローマ人がガリア人に圧倒的に勝利できるようになったのは、 カエサルからで、そこまでは一方的にローマがガリア・ケルトに勝利してたわけでもないんだよな。 ガリア人がローマ人に対して圧倒的に劣ってたのは築城技術。 しかしガリアの兵数表現も太平記の万騎表現と同レベルでにかわに信じがたいけど。 キンブリ族の正方形歩兵方陣は20万人1万5000騎で一辺6kmとか。
一週間と食料が持たずに自滅しそうな数だw
ふーむなるほど。 しかしそれにしても何かしら歴史にしろ詳しい人が必ずいるものだな。 いやありがとう。
ケルトの戦車の使い方を戦場タクシーなんて嘲笑する人もいるが ガリア戦記ではそれが「新戦術」として評価されてたりするんだよな。
戦車と象の倒し方が一緒だとの指摘は読んで面白かったな 隊列空けて奥に通す。動きが止まったところを両側から攻撃って 戦車ならともかく象にはぜってえやりたくないw
像はなー、普通に数トンとか体重あるからな。 そんなのが突進してくるとか考えるだけで嫌だわ。
>像はなー、 うごくせきぞうが相手かよw
象つっても鉄より硬いわけじゃないんだから投げ槍でも弓でも傷はつくし そのあとでうまく制御できるのかと
積極的に散兵が前に出て象追い払ったのって双角王の遠征中にあったような
>>846 そんなわけで戦象の上から弓や投槍をなげたり、護衛として軽装歩兵が付くようになっている
戦車(タンク)随伴歩兵みたいだな
鑿と槌持ったのが暴走に備えて騎乗してるってのも酷な扱いだよな
実際タンクに最も近い古代・中世の兵科が戦象だと思う。
「歩兵戦車」的だが。
>>846 そこは象側の鎧も色々開発されてる。ラメラータイプが多いみたいだが。
ローマ帝国はGNPの四割以上を軍事費に費やしていた 現在の北朝鮮が世界でもっともGNP比で軍事費に費やしている国だが それでも29%程度だ。 ローマの軍事費への傾斜は、当時と現在では単純に比較できないと言っても相当なものだ いまの時代にはとてもマネできないことだよ
そういえばエレファントっていう駆逐戦車もありますた。 クルクスではソ連狙撃兵にボコボコにされたけど。
>>843 象に鎧衣を着せるようなことは出来ないでしょう
人間は自分の体重プラス200キロくらいのものを持ち上げることが限界と言うが
象には、自分の体重にプラスして動かせるだけの筋力の限界が非常に小さい
陸生の動物としては、最大のサイズだから、余剰の筋力はほとんどないのよ
そういう意味で、象ってのは案外、非力なのよ
>>852 その試算が正しいかどうかはおいといて軍が公共事業のかなりの部分と輸送業務やってるんだから
その割合を考慮しないといけないから近現代の軍事人単純な比較できないと思う
後継者戦争での最も効率的な戦象の運用が対騎兵
訓練した象を大木の運搬に使った記録どこかで見たけど この鎧見る限り十分に運ぶ能力ありそう
>>857 のまん中のヤツはプラッシーの戦いのときのだと思われる。
この時代ではもはや的でしかなかったろうな。
>>855 というか昔の政府のやることって今と違ってやることそうないだろ
人件費ぐらいじゃね?
というか軍事費も人件費入るな
>>858 タイでまだやってるんじゃないかな
東南アジアで象にシャブ打って働かせるのが問題になってたな。
踏まなくてもわかるクソつまらないネタのせいでせっかくの流れが止まった。
ネタのかこれ 実際は違うの?
古代の戦争ではライオンとかを使っていた事もあったようだが それは早々と姿を消した 戦場で興奮したライオンなどの猛獣を御することが出来るわけはなく 放てば敵味方関係なく襲いかかるか、さっさと逃げるかするからだろう そんなものを戦争に使えるわけがない。 象は、かなり知能が高い動物だから シツケも出来るが そうは言っても、密集での突撃以外には使い道はなく ポエニ戦争でのハンニバルの象部隊が分断されると、簡単に倒された 対処法が知られると、もう使い物にならなくなったのだろう しかしハンニバルの使った象はペルシャ象と言われている いまは絶滅してしまったな。 憐れなものだ
カルタゴは森林象じゃないの?アフリカ象の亜種でまだ湿潤だった今のアルジェリアの辺りに生息してた
斧片手に象に突撃して腱を切って倒してたキチガイ軍隊が居たらしいが…
象は使い方が難しいっていうよりも、繁殖できないから野生の象を捕まえてくるしか無いってのが致命的だった。 品質が安定しないし数も揃えられないから戦術も発達しようがなかった。
>>868 象隊にポン刀かざして突撃した山田長政率いる日本人傭兵隊?
練度の高い兵に戦象は弱いが、それは戦象よりも希少な存在だからな
戦国時代から安土桃山時代まで、もっとも鉄砲を有効に用いたのは日本軍だろう 当時の欧州の全ての鉄砲よりも多くの鉄砲を保有したとされる 日本の鉄砲の生産量を考えれば、日本軍がそれだけ鉄砲を重視し、有効に用いれた証だ 朝鮮の役でさえ、日本の鉄砲部隊には、明軍は圧倒されているのだからな
釣りか…さよなら
象ってどうして獣ヘンついてないん。
素直にかたちを表す象形文字から象の漢字が発展したから。ダジャレみたいだな
象という動物は、哺乳動物の中でもっとも知能が高い動物の一つだ しかも感情が豊かなことでも知られていてね 過去には自分をしつける役目だった飼育員を踏み殺した上に何度もその死体を踏みつけた象の行動も目撃されている 自分をしつけとして暴力を振るった事への復讐だと考えられている それだけに調教次第で命令に従わせる事も可能だけど しかし大変だよね 何しろ象の寿命は人間と同じくらいだ 成体になるまでには人間と同じくらい年齢を重ねる つまり成人を十五歳と考えれば十五年もかかるってわけだ。 子象の時からしつけが必要な以上、それは大変なことだよね
つまり中国人は象を知っていた?
>>870 アレクサンドロスのインド遠征でのエピソード
東方遠征の到達点からして大規模な戦象部隊との交戦が無い訳が無いので
嘘とは考え辛い
>>873 >当時の欧州の全ての鉄砲よりも多くの鉄砲を保有したとされる
これって鉄砲を捨てた日本人にしか載ってない与太話でしょ
勃起薬と印鑑のために獲り尽くされたのか・・・
いや、単に気候の寒冷化・乾燥化で生息域消滅、エジプトも似たようなこと起きてる
いや冗談のつもりなのにマジレスされても
>>880 俺はその本は読んでないけど、
別の文献にもそのような話があったような気がする。
実際日本は軍勢が多かったし鉄砲の装備率も高かったからね。
それは西洋のマスケットが積算されずにどんどん消滅してる計算になってないか
しかし実際どうなんだろう。 日本の鉄砲生産量と、 欧州の鉄砲生産量、保有数など何かまともな文献はないものなのかな。
胸甲騎兵なんか一人でピストルを二丁装備してたりするのに。
当時の鉄砲は手作りだからなぁ…
日本は戦争ばっかりやってた時代だから地盤はあるだろうけど
武田の勝頼とか鉄砲持って来いって言ってたけどあれ誰に対してだっけ
農民というか一般の雑兵に対して言ってるんだったらすでに相当普及してんな
動員数から比率賭けておおざっぱに出すしかないんじゃね
>>888 騎兵はそういないだろ
>>877 ムツゴロウさんが言ってたね。
まあムツゴロウさんの言うことだからかなり盛ってるけど、
象の調教師は必ず象に殺されると。
16世紀ヨーロッパの槍と火縄銃の比率は時期にもよるけれど、おおざっぱには、 テルシオ /槍8:銃2 マウリッツの大隊/槍5:銃5 この辺りから逆算する? 火縄銃は日本の方が多いって説、アルクビューズだけ数えて、マスケットは数に入っていたいとか・・・まさかなぁ
どっちみち大砲はヨーロッパの方が圧倒的に多かったわけで。
>>891 テルシオはスペインだけのものだし、
マウリッツの大隊はオランダ独立戦争の中でもかなり後期のものだろう。
前者は欧州で猛威を振るった軍勢だし、
後者はそのスペイン軍を追い払った部隊だしなぁ。
>>889 農民層には鉄砲で狩猟をやるなとかの触れが
天正前半に出るくらいには普及してる。
>>892 大鉄炮とか大筒を加えれば、結構差は縮まる
いうたら日本も短筒だとか馬上筒とか生産してたしな。 大砲についてはほぼ輸入だったか? だとしたら大砲の生産は確実に欧州>日本だろうな。 しかし欧州全域と日本を比べるのもな。
>>891 テルシオがその比率なのは15世紀の話じゃね
16世紀初頭で3割、半ばで5割が銃の筈
いくら信憑性が薄い本でもありもしない記述までこの本のせいにするなよww
現実に近い数字では、朝鮮の役の時点で、国内の総数は6〜7万丁で、その内5万丁が朝鮮半島で使われたそうだ。
>>900 数字を出してくれるのはありがたいがそこはソースがほしいところだな。
追記すると日本は鍛造技術は高いけど鋳造技術は低いんだよね
鉱石資源があんまり採れないからね 古代から、大陸のスクラップを輸入して、叩きなおしてた 砂鉄から作る玉鋼を信仰してる人もいるけど、むしろ苦肉の策
今昔物語に鉄掘りの男が坑道に生き埋めにされる話がある。 昔は鉄鉱石掘ってたんだろうな。
鉱石資源ってのが何を指すかわからんが、銅なんかはむしろ産出国だったわけで。 まさか「鉱石」が「鉄鉱石」の代名詞なんてお考えの人はいないと思うので一応。
>>904 鉱石資源がない、というのは
現代日本の工業力に対して足りない、という話であって、
種類は豊富だし絶対数が貧弱、というほどではなかったと思うが。
鉄鉱石が掘れる国ならタタラがあんなに大規模にならんだろうしなぁ。地元が近いけどだけど田辺氏なんて 凄い地主になるぐらい大規模だったし、ヤマタノオロチも砂鉄絡みの話では?っていうくらい古くから砂鉄でしょ 日本の製鉄は
鉱石資源って言葉はあまり一般的ではないからよくわかんないけど 銀鉱石とかも少なかったっけ?どうなんだっけ?
>>908 みんなは製鉄ではなく「鉱石資源」の方を気にしています。
製鉄方法も資源の有無に関する話だからいいんでないの?
一時期の世界の銀の何割かをまかなった国が鉱石資源が少ないですって? そろそろ鉱石資源について教えてほしいんだが、何を指してるんですか?
>>908 潤沢に鉱脈があるから露出した砂鉄で量まかなえたのに。それからたたら吹きは木材使って鉄
溶かす温度出すために発達したもんで砂鉄かどうか関係ないよ
914 :
913 :2012/11/19(月) 17:20:47.54 ID:???
アルミ以外で日本で算出しないのって何があるかな?白金族の一部がきついか
尼子氏は鉱石資源が乏しい国のたたらで作った鉄を 明や朝鮮に輸出していたそうな。
いまの日本の工業力が高すぎるので、 それに見合う資源が足りないという話を、 「日本はそもそも資源が少ない貧弱な国だ!」と教えちゃう 高校教師とかもいるからな。
鉱石資源に乏しい資源小国である日本は石炭も輸入に頼っていますね。
相手を小馬鹿にしないと会話もできないのかお前らはw
>>918 小馬鹿にしてるわけでなくっ突っ込み入れてるだけだでは。草まで生やして顔真っ赤にするなら
「鉱石資源」の説明はやく
ちょっと質問させてプリーズ 中世あたりに活躍してたようなガレオン船とか回船(でいいのかな?)ってどうやって荷降ろししてたんでしょう 巨大なものになると板を立てかけて人足があげおろしってわけにも行かないだろうし 船着場自体が相当高く作られていたりしたのでしょうか? ヨーロッパの一部港ではクレーンが使われていたみたいだけどそういうのがないとこでのやり方を教えて下さい
>>919 なんか鉱石資源クンは別人のフリして流れを変えようとしてそうだなw
>>920 出雲鉄を輸出してたレベルのことに史料もとめるって自分は無知ですと大声で叫んでるようなもんだけど
よく恥ずかしくないな
>>921 その質問なんでここでしてるんだ?スレ違いの上流れにも乗ってないぜ。小舟がなんのためにあるか考えろ低脳
すまん、船で検索じゃなくて質問で検索スレばよかったか
ちょっと質問させてプリーズ 中世あたりに活躍してたようなガレオン船とか回船(でいいのかな?)ってどうやって荷降ろししてたんでしょう 巨大なものになると板を立てかけて人足があげおろしってわけにも行かないだろうし 船着場自体が相当高く作られていたりしたのでしょうか? ヨーロッパの一部港ではクレーンが使われていたみたいだけどそういうのがないとこでのやり方を教えて下さい 別のスレで小舟がなんのためにあるか考えろと言われたんだけど、巨大な輸送船の荷降ろし小舟でやってたってことなのかな? 皇国の守護者漫画版のよく転覆してた小舟みたいな感じ?
ぐわああああマジですまん
>>926 つくづく豆腐しかつまってない頭の持ち主のようだw
金剛蔵王ってのは日本オリジナルな神らしいけど、なんの神様なのかな? 水銀?金?銀?鉄?それらすべて?
>>880 鉄砲を捨てた日本人ていつ頃の本だ?
20年以上前でもその旨言及してる本はあった
具体的な論拠や統計が挙げられてた覚えはないがw
>>917 採算が取れないのと、質が悪いせいで、
いまでも掘ろうとすれば惚れるらしいが>石炭
>>935 銅なんかもやろうと思えばまだ取れるけど採算が合わないみたいだな。
>>934 原著が1979年
日本語版が1984年
邦訳後書きに1965年10月号のニューヨーカー誌に 「givin up the gun(鉄砲の放棄)」として掲載したのが元になっている と書いてある。ペリン氏は相当昔からこの主張をしてきたんじゃないかな?
日本の労働コストで鉱業はもうね… どこぞのヒトモドキを強制連行してまでやることでもないだろw 労働コストもあれだが鉱山がみんな山奥でそれ以外の採掘コストもバカにならんから、露天掘りでほとんど全自動で採掘できるような鉱山に太刀打ちできるわけがない
一か所楽に天然ガス取れるところあるけど、掘ったら首都圏が海の底になっちゃうからなーw
>>940 軍艦島のような人口密度以外は好条件なところでも
彼らにかかると朝鮮人虐殺収容所みたいな扱いになるからwww
>>942 あの言い草にはワロタwww
強制収容所で女が抱けるかっつーの
>>935 なんか水ぶち込んでもう使えないみたいな話も聞いたことが
日本に足りないものは精錬技術です 特にレンガの技術がないのがキツイ
一時期銀が大量に取れてたから日本は鉱物資源が豊富ってのは流石に 青銅器時代に開発され紀元前にはユーラシア中に広まってた技術を、戦国時代にもなって灰吹法とか呼んで 新技術扱いするぐらい精錬技術が遅れてた地域に一気に技術流入したらそりゃ一時的に大量に産出されるだろ 結局それは1世紀程度しか続いてない訳で 本当に多いのは長年輸出してた銅ぐらいじゃないか? 和銅も精錬技術が低くて、戦国以前には日本で安く買い叩いた後に中国で再製錬して 金銀取り出して美味しいですなんて話もあったが…
ていうか砂鉄しか採れなかったとかアホか? 東日本中心に普通に鉄鉱石も算出してたんですけど。
>>948 南蛮吹きは外国からの流入だし、金銀といった融点低いのが対象
でもその鉄鉱石を利用した精錬は長く続いて需要を満たすぐらい出来たの?
日明貿易で刀輸出してるけど 一方で金属がないから銭を輸入してたとかなんとかってのも聞いた覚えが たえだこっちは日宋貿易だったような
倭寇が鍋でも鍬でも金属製品ならなんでも買ってゆくという記録もあるけど
鈴木スレ系の刀使えない論だと、その輸出された刀も鋳つぶされてただの鉄資源扱いだったとか
鉱石資源クンはまだいるのかな?
>>956 仕方ない
彼の国はすでに木材資源を使いすぎて燃料が不足してたらしい
ローマの時代から鉱山は奴隷労働で精錬は環境破壊のトップだからな
>>952 銀の話してんだが。銀も鉱石資源だからその精錬を語るのは何も間違ってないぞ。
ひょっとして鉱石資源=鉄鉱石とか決め付けちゃってる人ですか?
>>949 未だに自給100行けるのは石灰と石炭だそうだ
そろそろ次スレ頼む 俺はたぶん連投制限に引っかかる
>>960 いや、大砲製造に関する銅・鉄の鋳造技術について
精錬技術が低いって割には、 刀が主要な輸出品だったよね。日宋貿易のあたりから。 奥州藤原3代も金でがっぽうっはだったし。
次スレ行ってくるわ
スマンスレ立て規制だった
そもそも当時に「日本」なんて国は無かったからなあ 鉄鉱石産出する国が隣にあったとしても、それが敵対国だったら流通絞られるから 海を超えた第三国からくず鉄輸入するしかなくなるし
レンガの技術があった中国でも大型の鉄の大砲の鋳造は行えてないぞ。 鋳造技術が西洋に比べて劣っていることが「天工開物」には書かれていたな。
>>970 鋳鉄砲は色々と偶然の産物だからね
後、小型とは言えフランキ砲を鋳鉄で製造しているのだから大したもん
以前、銃砲史学会で聞いた中国の鋳鉄の内筒に青銅を巻いた複合素材の
大砲の話は面白かった
日本が資源がないとか言うが、そんなことはない。
充分にあるよ。
アメリカとかロシア・中国のような巨大国家であっても、必要とする資源を全て自前でまかなう何でできないのだ
これだけの国土のワリには、かなりの資源が日本にあるよ。石油とか現在、特に求められている資源はないがね
>>961 海洋領土内の資源を活用すれば、レアメタルや石油などの自給も不可能ではない
ついでに言えば、金とかだって今の技術でかなり採掘が出来るそうだ
ただ、それをやってしまえば、金鉱脈が尽きるのが早くなる
技術の伝承などもできなくなるので、増産は避けて細く長くやっているのだと
まあ海洋にあっても採掘法とコスト問題が解決されるかわからん ところで誰か次スレを
精製技術と採掘量って別に関係なくね?
スコットランド人の槍襖は彼らの発明? もちろん時代から言って起源とかそういうのじゃなくて 何のベースもなく彼らの試行錯誤で編み出されたのかなってことで。
>>976 騎兵が少ないスコットランドがイギリス騎士と戦うための知恵だろう。
似たような戦術はいたるところにあるけど、馬上の騎士・武士と戦うなら
自然に編み出される戦術なんじゃ。
弩でこのスレを検索汁
ボウガンの話です!
こだわるならお前が言うボウガンとは何時代のどこの何を指してるのか最低それぐらいは説明してくれたまえ どうでもいいが板違いじゃないのかそのスレ
火縄銃じゃありません、マッチロックのアルクビューズです! みたいな質問だな。
日本にハンドガンは伝わっていたんですか?短筒じゃありません! みたいなもんか。
>>979 の研究によるとの研究って何?
弩は文献上の存在で、実際には技術は伝わってなかったなんて研究でもあるの?
アルケビューズだと思ったが最近はアルクビューズっていうのか? マスタングかムスタングみたいなもので厳密にどうこう追求したいわけじゃないぞ
>>986 どう考えても正しいのはムスタングだぞ。だってマスタングじゃイメージ的に弱そうだし。
>>988 しかし研究によると弩の技術は伝播していないという。
連合軍の捕虜がドイツ軍の収容所から脱出するために、ハンガーとか集めて 手作りのクロスボウを作っていたくらいだ。 弩を作るのは、構造さえ伝えられるなら、そんなに難しくはない
兵部省ってとこで厳重に管理されてた 日本の気候だと湿気で腐るからな
>>994 皮肉のつもりで挙げただけなら、
俺にいちいちレスすんなよw
そういう連中に言わせると鈴木大師匠のも専門家による最新の研究らしいからな。
だいたい本当に弩も作れないような 原始人ウホウホ文化みたいな文明だったら、 日本海があろうがとっくにどこかの国に征服されて存在しなくなってるだろうに。
そのスレには日本には盾の概念が芽生えなかったとか アホなこと言ってるのがいるわw
昔はアホが野放しだったけど、今は突っ込みが入るから安心
>>998 すげーなそれw
手盾の意味で使ってるんだろうけどなw
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