[武士騎士] 古代中世総合07 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
1 :
名無し三等兵:
軍事板の古代・中世の総合スレです。
古今東西を問わず、主に銃が登場していない前近代の軍事・戦争に関係する
軍の動員・編成、国家制度・住民管理・領地支配、訓練、鉄器・青銅の製造、
戦闘技術、武術、武器・兵器・長弓・クロスボウ・刀・槍・石つぶてについての運用、
甲冑・衣服、馬・馬具全般、ラクダ・ロバ・牛・鳩・犬などの軍事利用された動物全般、
舟・ガレー船・帆船の製造・運用、河川・海上の利用、道路整備と陸上交通、食料・兵站・輸送、
狼煙などの通信・作戦指揮・伝令、諜報・忍・密偵、築城・縄張・攻城技術・土木技術などのほか
戦争要因となった文化・宗教・経済・農業・民族など
上記分野も含めて幅広く駄弁るスレです。
このスレでのお約束
上記すべての分野を東洋・西洋も時代の区分けも関係なく全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。
このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。
900を踏んだ人は次スレを立てて次スレへの誘導レスすること。
950過ぎても次スレが無ければ気が付いた人が次スレ立ててください。
2ch外のURLを貼るときは先頭hを外して直リンを避けること。
関連スレなどは
>>2以降を参照のこと。
一応、このスレは板違いなどと誤解を招かないように2ch総合案内より軍事板紹介を転載
>軍事に関係するなら時代を問わず、戦略・戦術・軍制・兵器・装具なんでもありの板。
軍事板は現代戦・近代兵器だけの板ではありません。古代・中世も含めて軍事なんでもありの板です。
前スレ
[武士騎士] 古代中世総合06 [弓馬刀槍剣甲冑船城]
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1347409606/
2 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 16:50:47.20 ID:bbYA5zsT
3 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 16:53:19.00 ID:???
スズメバチって食えたか?
4 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 16:59:08.93 ID:???
>>3 いきなりそれか。蜂の子は食えるけど、成虫は酒に漬け込んだりするくらいかな?
毒針を一つ一つ丁寧に取らないとまず食えないと思う。
5 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:04:19.90 ID:???
どうでもいいんで
6 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:07:29.16 ID:???
だって前スレでスズメバチの話してたじゃない
保存携行食として武士が食べていたとか、話は幾らでも広げれるぞ
7 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:08:22.09 ID:???
1乙
8 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:08:52.99 ID:???
>>6 広がってほしいとは思わない。
前スレの最後もレスが空費されただけ。
9 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:09:35.29 ID:???
埋め立てを勘違いしたアホが居るだけだろ
10 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:11:58.92 ID:???
他に蛋白源はいくらでもある。軍飯スレではない。終了。
11 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:13:49.61 ID:???
保存食は虫よりも
味噌塗った米とかを携行してたんだろ
12 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:16:06.06 ID:???
味噌汁の元とかも持ってたな
13 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:21:47.85 ID:???
>>3 食べれるよ
成虫を食べた人に聞いたところによれば、エビみたいで美味しいとさ
14 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:22:09.80 ID:???
荷駄隊って臨時編成なのかな
15 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:23:25.02 ID:???
保存食と言えば、味噌を焼いたものとか
乾燥させたご飯とか、古い時代から多くある。
一番にすごいのはモンゴルか
羊を連れて遠征に行き、食料と性欲処理に用いていたとか
16 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:29:28.61 ID:???
モンゴルの羊料理、冑で調理したって本当か?
現代のヘルメットって臭くなるし不衛生。手入れしないと冑も汚そう。
普通に調理用の鍋とか別に用意してそうな気がする。
17 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:40:10.21 ID:???
雑兵物語でも陣笠で煮炊きしてるぞ。
18 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:54:37.56 ID:???
不衛生でゲロ不味そう
19 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:56:45.23 ID:???
中世〜近世の衛生観念なんてそんなもん。ゲロ不味いのだって餓えるのよりマシ。
20 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 17:58:10.86 ID:???
火にかけるならまあええことよ
21 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 18:10:55.60 ID:???
陣笠の素材って火にかけれる代物と言う事が驚き
雑兵は金属使ってないと思ってた
22 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 18:13:57.58 ID:???
衛生観念云々というが
ヴェルサイユ宮殿にはトイレがなく、野糞・立ちションが当たり前だったように
中世のそれは確かにひどかった
日本のそれはマシな方だ。
もっと言えば、衛生観念にうるさくなったのは、この半世紀ほどの間に過ぎないよ
それ以前はけっこう杜撰なものだ
23 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 18:15:58.93 ID:???
兜や陣笠で煮炊きってのは眉唾だと思うけどな
あったとしてもあくまでも急場凌ぎで日常的にやってたことじゃないだろう
24 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 18:22:28.77 ID:???
陣笠ってことにして鍋を被ってた説
25 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 18:22:33.78 ID:???
戦国時代の兵制は知らないが
秀吉の高松攻めの際は、秀吉軍の水責めで兵糧攻めに合い
相当、悲惨な有様だったとか
城内では、死亡した兵士の肉を食うのが当たり前だったとかね
あまりの状況のひどさに、城主が、秀吉の和議の誘いにすぐに承諾したそうだが
もしその時、本能寺の変があり、秀吉が急ぎ、京に戻らねばならない状況だと知っていれば
また違ったでしょうが
26 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 18:28:26.42 ID:???
>>21 陣笠にも使われていた和紙はぺらっぺらの奴でも煮炊きに使える種類のものがあるよ。
紙製大砲なんてのもあった。使い捨てだけど。
なんだけれども、
陣笠は徐々に鉄製のものに置き換わっていったそうで、
よくあらった鉄製のものを大なべとして使って調理してたらしい。
27 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 18:30:09.85 ID:???
雑兵物語だと「銅笠」と書かれているな。
28 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 18:34:33.54 ID:???
きたないなさすが忍者汚い
29 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 18:37:24.65 ID:???
>>28 傷を負ったときに馬糞を溶いた水だの小便だのを飲んでた時代の人に何言ってんですか?
30 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 19:04:59.97 ID:???
>>21 実験してみればわかるが水があるかぎり発火点まであがらないから紙を火にかけても燃えないよ
31 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 19:56:30.82 ID:???
それほんと?
32 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 20:16:35.46 ID:???
本当、なんなら自分でやってみればいい
33 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 20:27:03.24 ID:???
日本料理だとたまに出てくるな、紙鍋って。
でも陣笠ほどに分厚くしていると炭化しちゃう気がするなぁ。
34 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 20:38:56.40 ID:???
>>29 馬糞はともかく、新鮮な小便で傷を洗うのは医学的根拠があったりする。
健康な人間の新鮮な小便はほとんど雑菌を含まないから、下手にそこらの川水を使うより安全。
飲むのは…現代でも「渇き死ぬ位なら小便飲め」派と「飲尿、駄目絶対」派にマニュアルが分かれているとか?
35 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 21:16:49.51 ID:???
なんだ、ミリ飯はオッケーなのか。
紙皿に水張ってアルコールランプでお湯沸かすって実験、中学でやったなあ。
干飯、芋がら縄のみそ汁とか旨そうに思ったよ。
36 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 21:25:48.98 ID:???
陣笠って調理に使ったのは鉄製だろ
歴史資料館で実物見れるぞ
37 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 22:17:39.37 ID:???
別に調理器具に使ったやつを必ずしも被らにゃならんわけじゃないしな
鍋釜は調理以外にゃつぶしがきかんが、員数外の陣笠を携帯してそれを調理に使ってもいいんだし
なんかで足りなくなったら味噌くさいの我慢して被ればヨロシ
38 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 22:23:30.99 ID:???
逆に考えるんだ
笠にも使える鍋だったと考えるんだ
39 :
名無し三等兵:2012/10/09(火) 23:25:37.23 ID:???
なあ、陣笠にしろ鉄兜にしろ、バケツを直接被るノリで被ったら、衝撃吸収しなくて防具の意味がないんじゃ?
詳しい構造は知らないが、常識的には何かクッションになる物を挟んで被るのでは?
で、クッションを外せば鍋になると。
40 :
名無し三等兵:2012/10/10(水) 00:30:38.53 ID:???
>>39 厚い革の緩衝材が入ってたかと。
そもそも頭にぴったりした兜ではないので、
ある程度衝撃は逃げると思うよ。
41 :
名無し三等兵:2012/10/10(水) 08:48:02.96 ID:???
鉄の一枚板の陣笠は、ほっかむりとか捻った手拭い頭に巻いてかぶってたはず
いちいち取り外すより合理的だろ
あと、形状からしたら矢や刀を滑らせる効果があるのでは
42 :
名無し三等兵:2012/10/10(水) 15:03:28.89 ID:???
>>40 兜と衝撃といえば、大坂の陣あたりだとそういう戦国の知恵もちょっと失われ気味だったらしく
こんなエピソードがある。
『常山紀談』
冑の頭心得の事
・冑の頭一ぱいにつまりたるは悪し。鉛子(たま)あたりたるときも
響つよく、気も欝してあしし。また大坂冬陣のあつかひのとき、
井伊家の物頭井楼へあがり遠見せしに、鉛子来りて冑にあたり
卒に仆れたるに、引きおこし冑をぬがせたるにぬげず、やうやうに
ぬげたりといへども疵見えず、いろいろ尋ねたる処、額の米かみの所に
あたり、玉半分ほどだけ冑へこみたり。これ冑つまりたるゆゑなり。
終に其の疵にて死したりとなり。
43 :
名無し三等兵:2012/10/10(水) 21:49:58.89 ID:???
>>42 頭にぴったりとする兜は銃にも剣にも良くないねぇ。
古代の兜はとにかく衝撃よりも破壊から守るために
頭にぴったりする兜が多かったが、
だんだん空間ができるように発達していったのもそのへんに理由があるよね。
44 :
名無し三等兵:2012/10/10(水) 21:54:18.08 ID:???
井伊家は頭成兜の具足が残ってるせいかあれを好んでいた印象があるけど、
頭成を文字通り頭の形ぴったりに作っちゃったんだろうか?
45 :
名無し三等兵:2012/10/10(水) 22:21:43.69 ID:???
頭成兜って、一応少し空間がなかったっけ。
46 :
名無し三等兵:2012/10/10(水) 23:11:10.84 ID:???
47 :
名無し三等兵:2012/10/10(水) 23:15:37.91 ID:???
恫喝、棄民説とは一体何だったのか?
48 :
名無し三等兵:2012/10/10(水) 23:40:27.96 ID:???
鉄陣笠は戦国末期でないと出て来ないので、調理は普通に鍋釜を使っていたし、米を炊く時は、一日分くらいまとめて炊いた。
その面倒を省くのが干飯で、唾液で戻しながら食べたり、水や湯で戻したりした。
また城や砦などでは、長期保存の効く餅を備蓄しており、調理器具が無くとも焼くだけで食べられるので、こちらも良く使われた。
と言うわけで、隊ごとに鍋を運んでいたし、個人毎に寝筵や木地の器を持ち歩くなど、当時の雑兵は、生活感溢れる姿だった。
あとルーブル宮には、当初からちゃんとトイレがあったよ……数が足りなかっただけで。
よって花壇は臨時トイレに繁用されたし、「花を摘む」などと言う隠語が生まれ、噴水はつねに小便混じりだった。
49 :
名無し三等兵:2012/10/11(木) 00:51:55.81 ID:???
マケドニア兵とかも荷物とか食料持って行軍してたしなあ。
軍隊と生活は切っても切れんな。
50 :
名無し三等兵:2012/10/11(木) 05:07:25.05 ID:???
>>47 日本の実力勝ちを認めたくないキチガイたちの妄想
51 :
名無し三等兵:2012/10/11(木) 05:12:04.56 ID:???
中央アジア系遊牧民の移動生活の話はよくあるが
ゲルマンの移動期ってどうなってたんだろ
52 :
名無し三等兵:2012/10/11(木) 10:59:22.73 ID:???
53 :
名無し三等兵:2012/10/11(木) 11:16:12.28 ID:???
干飯は自作した事あるが、アレを唾液で戻しながら
まともな量食べるのはすごーく辛いというか不可能に近いと思うぞ。
小腹を満たすなんて量を食べるはるか以前に喉が渇く。
行軍としてはより致命的な事に。
アレは水で戻せる、もしくはお湯使うにしても
いちいち炊かなくて済むというのに存在意義があるんだと思う。
衛生上は湯を使った方が良いだろうがそこは状況で選択したんだろうな
54 :
名無し三等兵:2012/10/11(木) 20:57:49.21 ID:???
干飯って雑炊にするんじゃないのか?
55 :
名無し三等兵:2012/10/11(木) 21:04:37.82 ID:???
業平がほしいいに涙落としてふやけたとかやってなかったっけ?
56 :
名無し三等兵:2012/10/11(木) 21:31:29.51 ID:???
>>53 まあ、そのまま囓るのは非常手段じゃないかと。
あと、食べづらいので「嫌になる」のが先に立って一時空腹を忘れる?
57 :
名無し三等兵:2012/10/11(木) 21:44:38.99 ID:???
咀嚼回数が多いと満腹中枢が刺激されて早く少ない量で
おなか一杯になるとか。
58 :
名無し三等兵:2012/10/11(木) 21:53:41.95 ID:???
中世はロマンがあるけど食事とか衛生の話になると嫌すぐる(´・ω・`)
59 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 03:19:07.56 ID:???
>>52 朝鮮史の漫画だと、
船にこっそり細工してやったと高らかに自慢してるんだぜw
沈んで死ぬのは同じ高麗人も含まれるはずなんだが、それに対して罪悪感は無いのか
次に、そういう手抜きというか欠陥工事をしていながら、それを恥だと思わないという
さらには、そういうことをしたということは、いやいやでも現在仕えているモンゴルに対して不忠を働いているということで、
もう二重三重に泥というか糞にまみれながら、
それを誇らしく語るという、
武士道にも騎士道にもあるまじき行いを臆面も無く平然とね
60 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 06:24:33.47 ID:???
>>55 当時の干飯は倉庫令が20年持つと定めてるようなカリカリな代物なので
業平が人類である限り文学的表現と考えるべきかとw
61 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 07:14:47.15 ID:???
和弓は優れた合成弓であり。
戦国時代に鉄砲が普及しても、弓の必要性が失われなかった
やはり先込め式の銃よりも、射程距離から貫通力まで全てで弓が優っていたのだろう
欧州でも、ロングボウが発達したイギリスでは、鉄砲が弓に完全に取って代わるのは百年必要だったからな
62 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 08:57:16.66 ID:???
>>60 いや、確かに文学的誇張が入ってるだろうけどほしいいをふやかさずそのまま
食べる場面だよね?
63 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 16:20:11.71 ID:???
>>61 熟練した兵士が扱うとロングボウは速射性が高いからな。
クレッシーの戦いでもイギリス長弓兵がフランスクロスボウ隊を圧倒したようだし。
64 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 16:48:18.36 ID:???
未だにロングボウとクロスボウの優劣のせいで戦いの趨勢が決まったとか思ってる化石がいるんだな。
65 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 16:56:26.02 ID:???
実際はイングランド軍の兵力構成が傭兵とヨーマンばかりで
敵貴族の身代金目当てだったフランス騎士が突撃をサボったと聞いたな
66 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:09:58.32 ID:???
クレイシーとか百年戦争前半のフランス軍は封建制の領主やその一族兼戦士階級な騎士を
半端な王権のもとに集中運用しようとすることの難しさが出てる例として面白い
67 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:17:36.40 ID:???
>>64 そうでないなら、その具体的な根拠をあげてくれたほうがいいと思うが?
批判だけならだれでもできるだろう。
熟練した長弓兵と弩なら、長弓に分がある。
68 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:25:41.39 ID:???
>>67 語尾に(キリッ ってつけるの忘れてますよ
69 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:28:03.05 ID:???
70 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:28:50.71 ID:???
>>67 どういう戦いだったかもご存じないんでしょうね。
71 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:30:50.55 ID:???
>つまり何も答えられないんだな。
だめだ、こいつまだ意味わかってないwww
72 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:35:15.21 ID:???
いや俺が意味がわかってないならないでいいんだが、
フランス軍の騎士が突撃をさぼったからといって、
当時のイギリス軍の弓兵率は非常に高かったはず。
戦いの帰趨は結局長弓の威力によるところがあるはず。
だいたいそんなソースあったか?
そうでないならちゃんと反論するなり違うということを挙げれば
いいんだがw
73 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:35:19.03 ID:???
やはり先込め式の銃よりも、射程距離から貫通力まで全てで弓が優っていたのだろう
74 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:36:32.00 ID:???
長弓の曲射は落下で加速するため威力が大きいとか信じちゃってるのかな
75 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:37:18.27 ID:???
>>72 草とかつけちゃってるけど本当に何が呆れられてるかわかってないんだな。ちょっと怖いわ。
76 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:39:17.10 ID:???
>>75 そこまでいうなら、一言で説明すればよい。
悪いが俺は本当にわかってない。
77 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:40:16.43 ID:???
今頑張ってる長弓さんはアホだと思うけど
>>65の話も怪しいというか
聞いたなじゃなくてソースくれよ
78 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:44:49.83 ID:???
長弓ですべてが決するとか考えているわけじゃないけど、
イギリス側の長弓兵率は非常に高かったはず。ソースは失念した。
それは威力があり有効だったからだろ?とは思ってはいる。
弩は再装填に時間がかかるし、
日本でも結局弩はすたれて長弓に置き換わっていったわけだから
使いにくい兵器なんじゃないの?とも思ってるけどね。
79 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:45:25.94 ID:???
ヒントとしてはクレシーもアジャンクールもポワティエも武器以前のある要素を
イングランド側は利用してるってこと。特にクレシーでは射撃戦にそれが大きく働いている。
80 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:46:04.57 ID:???
>>79 ヒントではなく、説明したらいいんじゃないのか。
そういうやり方はすまんけど自信がないからとしか思えんぞ。
81 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 17:50:51.31 ID:???
とりあえず煽り煽られでスレ浪費するのももったいない。
英語版wikiのクレシーの戦いの記述のほうが詳しそうなんで、
出典情報も含めてちょっと読んでくるわ。
その上で俺の認識がおかしかったんなら素直に受け入れるよ。
82 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:00:27.74 ID:???
83 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:13:19.78 ID:???
今日は初めてカキコするが、人をコ馬鹿にする態度はあまりよろしくない。
知ってるのであれば適切な言葉で説明するべきである。
84 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:14:39.61 ID:???
小馬鹿にするくらいならさっさとソース付で説明したらいいのにな。
85 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:16:00.93 ID:???
この頃ってまだ鎧の完全板金化されてないよな
86 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:20:24.91 ID:???
>>77 ディスカバリーチャンネルのアジャンクールの謎だったか
2時間の戦闘でロングボウの斉射は最初の数分間だけとか
あと泥濘地の隘路に英軍が陣取ってフランス軍がそこに殺到したせいで壊乱したとか
87 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:23:59.25 ID:???
88 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:28:22.35 ID:???
ソースが欲しいの「英国は傭兵とヨーマン主体だから敵貴族の身代金目当てだったフランス騎士が突撃をサボった」って話だべ
89 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:29:04.26 ID:???
>>88 それが本当なら結構面白い話だからちゃんとしたソースは煽り抜きでほしいよね。
90 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:29:27.13 ID:???
91 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:41:24.67 ID:???
1346年クレシー
1356年ポワティエ
1415年アジャンクール
前半戦でノリノリで味方のジェノバ傭兵を邪魔だぼけと蹴散らしてたフランス騎士も
後半戦では先の大敗と相手の正体がわかって萎え萎えになってたって話になるのかな
92 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:47:57.52 ID:???
もう少し言うと仏軍はクロスボウの射撃後、騎士が突撃して敵前衛を破壊した後
主力の歩兵部隊が突撃する手筈だったそう
その筈が騎士が突撃サボるわ、仕方なしに歩兵部隊を突撃させたら泥と隘路で身動きが取れず
英軍傭兵が持っていたモール(工作用の大型木槌)で一人一人仕留められたとさ
93 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:57:17.27 ID:???
>>90 >>92 同じ番組内でフランス騎士云々が解説してあるならそう書くべきだし、
ディスカバリーチャンネルのみがソースってことであってんの?
94 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:57:24.12 ID:???
クレイシーの戦いでは、イギリス軍騎兵は全員馬を降りて、長弓兵の護衛を役割とした。
更に弓兵の前に柵を作り、野戦築城を行った。
フランス軍は全体の統制が取れておらず、それぞれの少部隊ごとにイギリス陣地に対して騎馬突撃したが、
柵とイギリス下馬騎士を抜くことが出来ず、長弓によってとどめを刺された。
講談にうたわれる長篠の戦いが現実におこったのがクレイシーの戦いと言われている。
この敗戦のあと、フランス軍は下馬騎士の戦闘力を評価し、その後の百年戦争では下馬騎士戦術を多用することになる。
一番の敗因であった軍全体の統制がとれていないというのを学び取るにはさらに時間が必要であった。
95 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 18:58:47.83 ID:???
↑決戦の世界史のクレイシーの戦いの項目から
96 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 19:05:53.94 ID:???
イギリス軍は、スコットランド反乱軍に槍衾や
狭隘な地形での戦闘で苦しめられた経験から、騎士が下馬して
戦闘することを学んだんだっけか。
日本でも平安鎌倉の騎馬武者主体から、
足軽や徒歩武者主体に置き換わっていくよね。
大規模な騎兵の運用の見直しがなされるのはもう少し後の時代だが。
97 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 20:20:18.77 ID:???
>>61 弓ってのはこれ以上の貫通力があったんですね。
http://www.japaneseweapons.com/hinawajyu/iryoku/index.htm > この実験は結論から言うと、火縄銃の前には鎧は無力であることが証明できた。 秋も深まったある日、
実験は米国前装銃協会のサイロス・スミス氏の協力を得て、ニュージャージー州のロックバレー射撃場の
前装銃射場に おいて実施した。50メーターの距離に日本から持ち運んだ具足の胴の部分を置いて、
一匁五分筒を用いて射撃した。
>第一発目は胸を狙った。「ドスーン」という音がして胴が揺れる、命中はしたが、残念ながら、
胴のやや下の部分、この胴が七段になっている が、下から二段めに当たった。
この玉はいとも簡単に鉄板を貫通して、後ろの鉄板を打ち抜いている。しかも、玉の入った穴の大きさは
20ミリかける20ミリの大きなもので、 とても口径約10ミリの銃から発射されたものが開けたとは思えない
寸法である。
>次弾は胴の腹を狙う。これは狙いどうり胴の七段めの真ん中に命中する。今度はもっと大きな20ミリかける
30ミリの穴が開き、後ろにも13ミ リの穴を開ける。やはり玉は幾つかに胴の中で分かれ、もう一つ凹みができている。
胴の中に人間の身体があっても、同じ様な結果であった ろう。従ってこの弾痕を見る限りどんな処置をしようとも、
この間にある肉体が助かる余地はまったく無いと言ってよいだろう。
98 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 21:10:12.33 ID:???
弓が鉄砲以上に貫通力あるんなら鉄砲以前に甲冑の時代が
終わってるわな。誰がそんなトンデモ説を吹いてるんだか。
99 :
名無し三等兵:2012/10/12(金) 22:57:38.40 ID:???
弓の貫通力のソースは比較に出してくれないの?
お貸し胴なら30mで三本とも貫通したってさ
伊予胴だと3mでも貫通しなかったと
名和弓雄が実験してる、同時期の実験じゃないけどな
馬力のある人ならお貸し具足ならぽんぽん抜けるんじゃね
>>100 鉄砲は実験してるからいいけど
実験もなしに刀槍弓矢は有効ってのは片手落ちだろ
計算しやすいように弓の強さを51キロとするとニュートン表示で51×9.8=499.8≒500N
計算しやすいように引き幅1メートルとするとばね定数K=N/mはそのまま500
1メートル引くためのエネルギーは0.5KX^2=0.5×500×1×1=250ジュール
効率化が進んだアーチェリーでも矢への伝達効率は60〜70%
ということで矢のエネルギーは人選びまくりの強弓の理論値で150ジュールあたりが限界
実際?の値は2chでよく見るコピペだとこんなもん
@時代 @武器 @イニシャル・エネルギー
全時代 剣、斧 60-130J
11-12C ロングボウの矢 80-100J
クロスボウのbolt 100-200J
14C 初期のHandgun+serpentine powder 250J
15C フス戦争期のHandgun+serpentine powder 500-1000J
16C 火縄銃+serpentine powder 1300J
火縄銃+corned powder 1750J
16C後期 マスケット+serpentine powder 2300J
マスケット+corned powder 3000J
(Williams, p.922)
>「雑兵物語」の中に「鉄砲は威力がある。鎧兜を付けていても、魚のふぐと同じで当たったら死ぬと思え」と言わせている。
一方、弓は…
『雑兵物語』
弓足軽小頭 大川深右衛門
・死ぬべいと思ふ時は、鑓たけより近くおつ詰て、隙間を窺て放つべし。
あくまで引き付けて具足の隙間を狙うことが推奨されます。
50メートルはあくまで実験で狙える距離というだけであって
100メートルでも同じ効果はあるだろうとしているな。
しかも火薬の量はもっと増やせるとのこと。
どこが弓以下の貫通力なんだか。
> 私自身、過去15年間にわたり、火縄銃は七千発ちかくは射撃しているので、
火縄式とはいえ銃の能力にはたいした違い無いので、50ー10 0メーター位の距離であれば
それ相当の威力があり、その貫通力は鉄板3ー4ミリはある、とみていた。従って私には
この結果は実験前より予測ができていた。
> この実験の結果、50メーターで二枚の鉄板をかるく打ち抜いているので、貫通力は
約3ミリ以上であろう。しかし火薬の量を増やせばもっと威 力は増大するので、あなどれぬ武器である。
火縄銃の殺傷圏が100メートルくらいなのは戦国後期の城の作りからも堅いだろうね
100mで当たるか?
基本的に数そろえてナンボの武器なんだろうけど、根来衆やら雑賀衆はどれくらいから
狙撃できたのかな?
当たらないのに数撃ってもバカなだけだろ…売るほど火薬と弾があるなら好きにすればいいが
戦闘にかかった時間はある程度分かるんだから弾の消費量がわかると面白いとも思うんだが
聞いたことないな
補給線にフリードリヒ大王が一会戦に30発でほとんど事足りたとか書いてあったような気がするが
どこ行ったかな…
火薬はともかく弾はそんなに不自由しないだろ。
総量と個人で携行できる量は違うからなぁ
まあ不足は聞いたことないけど籠城戦ではありそうなもんだが
パルティとか騎馬弓兵だと大量に後方に矢の補給部隊がいたらしい
クレッシーでも何本使ったんだろう
万単位の兵士が戦列対戦列で公算射撃してるのに
「黒目が見えるところまで」近づいてた訳で、
戦国時代に100mの距離から効果的に射撃して倒せてたとは信じ難いんだが
それは最初の数発で決めなければならない野戦故の特性だろ
フリントロック(17世紀ごろか)の命中率は15mだか30mだかでカスだったらしい
だから擲弾兵とか投擲兵が存在できたとか
よくそんな銃使ったな、ほんまいかいな
ただ一斉射撃というのは逆に”はずしやすい”
ちょっとでも銃口あげれば頭上高く飛んでって絶対当たらないわけだが
一斉射撃だから実戦だとそうばれない
そういう人もいくらかいたみたい
>>114 最初の数発で終わるなら1時間でそこらで勝敗がつくと思わない?
戦場における人殺しの心理学だったか、むしろまともに敵を狙って撃つ奴のほうが少なかったっての
>>116 そうそう、だから俺は一人も殺してないって威張って証言してた箇所があったはず
みつからねえw
白兵戦も混在してた時代でもそんなもんなのかよ
わざと火薬こぼして少ない火薬で撃つとか
突き固めるとき手加減するとか
やろうと思えばいくらでもごまかせるのが前装銃
不発のまま次の弾装填して弾が何個も詰まったままのマスケットとか発掘されるらしいね
ゲティスバーグでは7だか8発装填されたマスケットが見つかってるよ。
発掘では無く、戦闘直後の調査でだけど。
人殺しの心理学読んでる人多いのな・・・
あれによると、「突く」という行為は異常なプレッシャーがかかるそうだけど、
幾つかの軍事上の改革で槍を思いっきり長くして、突くんじゃなくて上から叩く
戦法に変えたら効果を上げたっていうのと関係あるのかな。
ちなみに西洋のパイクも叩いたりしてんの?
浅野幸長なんかは火縄銃で五町(約545m)先の的へ、三つの内二つに命中させている
見えるのかね
弓については15mで1ミリの鉄板を貫通
その鉄板ってのはちゃんと焼きが入った実用品の甲冑レベルのってことだよね?
>>127 焼きなんて入れない日本甲冑をディスるのはやめろ
>>128 そんなの抜けてもプレートアーマーは無理じゃん。
ロングボウならプレートアーマーはスパスパ貫通みたいなウソは
流石に最近は聞かれなくなったな。
>>130 プレートアーマーの厚さを知らんがな(´・ω・`)
1mmの鉄板を抜けるっていうだけの話だし
日本の甲冑は塗りで厚みを増しているけど鉄板自体の厚みは1mm程度だと聞いたけど
プレートアーマーは15世紀の不純物の多い鉄製なら抜けた16世紀の鋼鉄製は抜けなかった
>>124 その類の話は基本的に江戸期の大名の先祖自慢だと思って話半分に受け取る事にしてる。
つーか浅野幸長
>>129 漆の凄さ舐めんじゃねえぞコラ
>>124 その類の話は基本的に江戸期の大名の先祖自慢だと思って話半分に受け取る事にしてる。
>>129 漆の凄さ舐めんじゃねえぞコラ
大事なことなので二回言いました
>>133 まさか。
結局銃の前には甲冑はほぼ無意味。
>>137 これはロングボウの話ね
銃弾も一部防いだけどこれは減速したものだろう
甲冑が廃れなかったのは流れ弾で負傷しないためもある
火繩銃の命中率は判らないけど、ナポレオン戦争中にプロイセン軍が行ったテストの結果を。
プロイセン1809年式フリントロックマスケットを使用
大目標は200発、小目標は100発撃った結果
大目標:小隊サイズ(高さ身長分、幅約13m?)
80ヤード@76.5% 160@56.5% 240@35% 320@21%
小目標:人間サイズ
160@21% 240@4%
同じ小目標をフリントロックライフルで撃つと、
160@49% 240@21%
あくまで演習場?でのテスト結果なので、戦闘中は下がるでしょう。
1813年、ある戦いでハノーバー兵66名が60から80ヤードの距離で一斉射撃をしたところ、敵27名に損害を与えたと。
単純に考えると、大目標60-80@41%位かな?
銃に対抗するために騎兵では甲冑が胸甲に変化したけど、胸甲があったから戦闘に勝てた、あるいは
敵騎兵に対し優位に立てた例ってありますか?
>>140 一般に戦場で使われた場合はどちらも全員で1分間近づきつつ全力射撃して倒せるのは1〜2人で兵器の性能差はあんまりないとか
うっかり書きかけの送信してたわ
>148
スコッ!
/`ヽ >148
( r゚д゚)‐r}‐ ――━(Д`; )Σ
|<y\フ /( / )
_/ ヽ_ //
飛ばしたあとも弓が<)こうなってるのかよ
l)こうじゃなくて
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| 判りにくいかと |
\_____─ァ ─┐´
/ヽ /\ ─┘
\( ゚д゚)/__ノ ――━(´Д`;)Σ
| <y>|// /) /)
_/ ヽ_ //
弓返りしろよ(実戦だといちいちやってらんないそうだが)
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| 俺もそう聞いて |
\_____─ァ ─┐´
/l /\ ─┘
\( ゚д゚)_// ――━(´Д`;)→Σ
| <y>| '|/ /) /)
_/ ヽ_ //
貫通したw
何度も修正するから何度も射られるのなw
芸が細かいなw
>>138 補足すると
再現番組で検証されてたけれど
古戦場で発掘されたイングランド長弓兵の鏃は鋳造された銑鉄ばかりで
当時のメイルに使用された鍛造プレート相手には
強度不足で先端が潰れてしまい殆ど貫通出来なかった模様
ミリ単位の薄っぺらい鋼鈑相手に全く歯が立たない様は
Pak36でKV-1を相手にするが如き有り様でした
身体が変形するほどの鍛錬の成果として飛ばすのが鋳造の鏃かよ。
しかも、たしかかぶせるタイプのとりつけかたをするんだよね>長弓
日本の矢だと、軸に通す形で固定するから、鏃の質量が大きいらしい。
だから同じ強さの弓でも単純な鉄板に対する貫通力は日本の弓のほうが高いってことか。
弓以前に鏃の問題かよ。
>160
断言まではしないけれど、そういう感触であるという、弓道家はいるらしい
鉄の強度は威力に直結するからなぁ
ロングボウのwikiみたら鋼って書いてある、時代の違いか?
短い項目なのに参考文献多すぎだろ、どれに書いてあるかさっぱりわからんだろうが
単純に鏃の問題って、言われると納得するけど意外と盲点だった
考えもしなかったな。大規模運用するとなると量産しやすい鋳造鏃も
混じるということなのか、それがメインということなのか。うーん。
そもそもヨーロッパでボチボチ鋼が作られたのが14世紀だそうだから
そりゃ使い捨ての矢じりにそんな貴重品使わないだろ
兵頭二十八さんが何かに書いてたうろ覚えなんだが、
十字軍の時代になると、騎士がフルプレートで防御するようになり、
針山のように矢を受けても致命傷を負うことはなく、戦場で死ぬことがほとんどなくなった。
戦闘力を喪失するのは、落馬して転倒し、起き上がれなくなるという状況で、
その状態に敵に捕らわれても、身代金さえ払えば命が助かる。
その代わり、古代ギリシア・ローマの時代のような、命の奪い合いをするような戦いが出来なくなって、
戦士としての根性がなくなり、ついには中世イタリア傭兵のような、やらせ戦闘をするまでに成り果て、
戦場の主役の座から滑り落ちた。
とかなんとか。間違ってたらスマン。
>>166 十字軍が着ていたチェインメイルがサラセン人の細矢で射抜かれた反省から
欧州でフルプレートが流行った、そうなると死ぬ機会が減り
貴族=不死身の価値観が生まれそれがWW1に於ける貴族の子息の大量死に繋がったとか
そんな内容だったよ
いくらなんでも時代が開きすぎだろ。
アジャンクールは板金だけどクレシーポワティエはまだじゃね
そもそも大砲と機関銃がでてくるまでは、戦場で戦死って運が悪くなければ無かったのにね
大砲と機関銃って全然時期が違うんだが…
18世紀〜19世紀でも貴族たる指揮官は狙撃しちゃ駄目なんてルールがあったからね
アメリカ独立戦争でアメリカの民兵が指揮官殺しをするから英国も頭に来てホワイトハウスを焼き討ちした
>>173 英軍によるホワイトハウス襲撃は、米英戦争中の1814年の事だべ。
>>171 んなことねえよ
銃が登場してから近代の市民軍以前の軍隊の会戦って、一回戦うと勝っても負けても短期には再建困難なぐらいの損害被る
負傷しても即死せず、医療技術の低さからさんざ苦しんでから死ぬって意味ではそうかもしれんが
>>172 この場合は多分後装駐退機付きの連発砲のこといってるんだろ多分
>>176 自分が知るかぎり、病気が流行って自壊する、食料がなくなって自壊する、給料が払えなくなって自壊する
のが大抵で、戦死者が多すぎて再建できない軍隊っていうのは聞いたことがないんだけど
おれも177の方が正しいと思ふ。
信玄も謙信も第4回のあとすぐ動員かけてたし、欧州でも傭兵王は錬金術
のように軍隊を生み出してた。
他スレから
−−−−−−−−−−
南北戦争を通しての死傷者数。
a)戦死、b)負傷後死亡、c)捕虜収容所で死亡、d)病死、e)アクシデント他で死亡、f)戦傷
北軍
a)67,058、b)43,012、c)30,156、d)224,586、e)24,872、f)300,000+?
南軍
a+b)94,000、c)30,152、d)70,000+? e)不明、f)235,000+?
−−−−−−−−−−
病死が戦死+負傷後死亡の倍近いとか・・・
南北戦争でこれだから、このスレの時代だと更に増えるのかな?
負傷後死亡の割合も増えそうだけどね。
>>177 30年戦争や7年戦争の個々の戦闘の項目Wikiででも確認してみるといいが、
勝った方でも1割以上の死傷者平気で出してるよ
2割3割超えてる例もある
戦死はその数分の一だろうが、不運で済ませられるような確率ではまあない
各会戦の間がかならずしも連続してないのは、移動展開兵站の制約だけじゃなく、損害の回復の要素もあるわけで
大規模な戦争が発生すると交戦地の住民が大挙難民と化して都市に流入するから、資金さえあれば回復容易というのも事実だが
だからその通りだよね。
言葉の捉え方のような気もするが、我々的には近現代戦の悲惨な戦争の死傷の
認識があるわけで、それを前提としての運不運だし、
純粋な決戦会戦での戦死数による戦略レベルでの勝敗の行方を左右するレベルの
事例があるのかな?ないのかな?ってこと。
それと日経サイエンスだっとおもうんだが、ちょっとさがさないと自信ないけど
第一次世界大戦の死亡原因のトップがインフルエンザ・パンデミックと記載されていたよな。
人の脂ってすごいんですね。日本刀以外の刃物は大丈夫なんですか?
3 : サーバル(大阪府):2012/10/14(日) 10:31:40.71 ID:ctqxmZ1+0
>>1 日本刀で人を斬り殺すことは不可能だよ。
まず、日本刀の刃の部分は完全な直線じゃなく微細なギザギザがある。
そのギザギザが対象物に引っ掛かって切れ味を作る。(のこぎりを連想せよ)
脂などが刃物につくとそのギザギザの部分が脂で埋まり、尚且つ摩擦が減る。
それで切れ味はどんどん落ちていく。
人間の脂を甘くみるんじゃない。
イタリアの傭兵たちが八百長をしてたなんつ話は、マキャベリが著作に書いた俗説に過ぎないよ。
これはマキャベリが理想とした、古代ローマの市民による常備軍を、実現化するためのポジショントークだ。
しかし現実の市民兵は、プロ軍人たる傭兵には全く歯が立たず、マキャベリのキャリアを終わらせる結果となった。
傭兵隊が戦闘を避けたり、馴れ合いみたいに戦ったのは、兵站や兵の補充、継戦を高度に理解していたからに過ぎない。
後先考えず、死に物狂いになって戦う時代は既に終わっており「最後の金貨を掴んだ者が勝つ」ようになっていたんだ。
例えばユダヤ商人と組んでいたヴァレンシュタインや、国債の概念を始めて取り入れ、大国スペインから独立したオランダのように。
その俗説が根拠にさらに
>>166みたいな説が生まれるわけか。
>>185 二十八の言うことだし
あれの言うことをまともに受け止めるのは情弱通り越してる
>>184 しかしイタリア都市国家の壁の内側の人々が傭兵をいかがわしくなんか信用の出来ない胡散臭い人々、と思ってたことも確実なんだよな
なのに内部から防衛担当者を専業化させることが常態化しなかったのはなんでかね?てのはやっぱり疑問だが
メディチ家あたりが一度追い出される前に市政を牛耳って私兵を市の常備軍化でもしてればまた違ったか?
まあでも傭兵隊長が成り上がって一都市を支配するようなことはままあったんだし、その辺の境界は微妙ではあるね
>>180 >1割以上の死傷者平気で出してるよ
まあ数字上はそうだとして、大半が逃亡兵の気がしないでもない(病死他の可能性もあるけど)
>>182 全部でたらめだろ
>>184 専門家ゆえの慎重さを、素人はしばしば理解できないってやつですね。
現代でも技術と営業の意識の差とかでしょっちゅうある。
>>182 最近のエクストリーム鈴木信者は鈴木の名前も知らないくせに鈴木説を加速させすぎてて鈴木師匠も困るわ
世田谷の事件ではほとんど首切断まで行ってたみたいだな。
杖ついて歩く86歳の爺さんがやってそこまで行く。
その86歳のじいさん。喧嘩だと相手のおばあちゃんにマウントされてフルボッコ
だったんだよな。剣道三倍段だな。
日本刀で大勢の人間が切れるわけがないって話のそもそもが、武道家でもなんでもない、評論家の山本七平の
南京での百人斬りレースに対する反論なわけで(山本さんは旧軍にはいたが、砲兵隊少尉で装備はアメリカ製の鹵獲品で
戦ってたって変り種)、左派の言論に対する反論としてのポジショントークなわけで、科学的な検証はなんもないわな。
足利義輝が刀をとっかえひっかえして戦ったのだって、曲がったり折れたりに備える意味があったわけだし。
斬るだけならそりゃ斬れるわな。
義輝の逸話が事実なら実用よりもせっかく集めたんだから的な面が強いと予想
絶望的な大軍に対して思う存分力を振るうという極めて例外的な状況だから
あれを一般化するのはどうかと思う。
そもそも相手も鎧着て刀や槍でフル装備してる事が抜け落ちてるしw
鎧着た相手じゃ何十人も斬るのはそりゃ無理だろうな
銃持った奴を斬るほうがずっと難しそうだけど
石川五右衛門(ルパン三世)みたいに刀で銃弾防いでたんだろうな
ハイハイ
でも新撰組の源さんは銃弾を一刀両断したよね。
ソースは大河ドラマだ。
もういいって
しかし、日本刀というのは、そもそも実用的な武器なんだろうか?
日本刀は、近・現代の軍隊で言えば将校のピストルのようなもので、
バッタバッタ人を斬る必要など、最初からないんじゃないだろうか?
狭い屋内での戦闘にしか使いようがないんじゃないだろうか?
槍、弓、鉄砲、その他石つぶてなどの補助武器
これが、現実の合戦で活躍する武器な訳で。
ここまであからさますぎると付き合う気にもなれん。
やはり鈴木スレを今一度立てる必要がありそうだなw
近代以前の戦闘で人は平均何人敵を殺すのか?
日本刀といっても歴史は長いから、どの時代のどの刀が誰がどんな目的で
作ってもらって所持したかによって答えは全く違うのだろう。
まともに資料有るの近代ぐらいじゃね
中世に細かい人数が解るような資料って有るか?
一会戦における死傷率が一割と考えれば、一人の兵士が敵を倒す数など、たかが知れてると分かるだろ?
そりゃ徒か騎馬かによっても違うだろうけれど。
ただ柳生宗矩が、素肌武者とは言え七人を切り倒した話が、特筆される程度に珍しかったのは推察できる。
一割と考えればとか言われてもそれが何を根拠としているのか。
そもそも動員兵力からして審議の対象になったりするからなぁ
戦ってる本人がどこまで把握していたのやら
>ただ柳生宗矩が、素肌武者とは言え七人を切り倒した話が、特筆される程度に珍しかったのは推察できる。
戦況によるだろ。掃討戦なんか首取りが追いつかないほどになったりするわけで。
日本で一番死んだのって弘安の役で台風の後に残された鷹島の元軍10万掃討かね
たしか朝倉宗滴の資料で合戦で参加した人数と死者数と死因を書きだした物があったような・・・
数百人規模が参加する戦闘で、たいてい死者は一人か二人。
石にあたったってのが一番多い死因だった気がする。
気がするとかはいいから。
いいからとかしか言わないおまいはなんか面白いこと言ってみろボケ。
なんでこんな低レベル化してるの?
鈴木信者煽ったせい?
ようなとか気がするとか書くヤツが目立つだけで途端に低レベルに見えるよな。
三人しか切れないこと否定的に見る奴って「戦場内において日本刀以外の刀剣や長物や飛び道具は敵を十数人〜数十人殺せる(or殺さなきゃいけない)のが当たり前」だと思ってんのかねえ。
>>217 むしろ1人の兵士が相手を三人もばっさり斬れて、
それでもまだ鋼鉄の鋭い武器として戦うことができるとしたら凄い性能だわな。
もっとも、前スレで誰かが、日本刀が実用武器として使われていた時代の
文献に、日本刀が敵兵の血や脂で切れなくなる、という話そのものは
見つからなかったという人がいたが、それは確かにその通りかもしれん。
新撰組顛末記を読んでも、
けんか相手の相撲取り数十名と新撰組が戦いになってしまって
(相手は頑丈な八角棒所持)数名を即死させ、10人名に怪我を負わせたという
話が出てくるが、特に日本刀がどうのこうのなったという話はない。
日本刀は3人で終了確定
脂肪の塊を斬って特に特筆するような痛みもないなら問題無いだろ
ただ甲冑着た相手だと装甲に当たって痛みはするだろ
傷む、と言ってくれ。
はい
225 :
名無し三等兵:2012/10/15(月) 20:13:37.04 ID:ZXLtYKgz
戦国時代板あたりからガキが流れてきたのかこれは
>>218 相撲取りはあれで体脂肪率低いからなあ。
日本刀はというが、それは日本刀特有の性質だと検証されてんの?
同様の刀身を持つサーベルなんかはどうなの?
二桁殺傷事件が起きるナイフや包丁>
>>3人止まりの日本刀
素晴らしい根拠だ。説得力に満ち溢れているなあ。
>>228 ちなみにサーベルだとどうなの?3人以上殺せそう?
匈奴とかも騎射戦術だと思うんだが、漢軍はどういう戦術で戦ってたの?
胡服騎射?
とは言え、日本刀の本来の役割は、倒した敵の武者の首を切断することで、
本気で、装甲された敵や、槍を持つ敵と切り結ぶのであれば、
『目釘』
のような脆弱部を作らないでしょ?
やっぱり、複数の敵と乱戦するんであれば、足利義輝や宮本武蔵のように、
複数の刀をあらかじめ準備しておかないといけなかったんじゃないかな?
別に、日本刀をディスってる訳じゃないんだけど。
日本の槍も『目釘』のような脆弱部があるから使い物にならない。
これ豆な。
『雑兵物語』
槍担小頭 長柄源内左衛門
・又常々に目釘に心をつけて、ぬけないやうにしめされい。
まはり胴金ならば、目釘のぬけないやうにひねりまわしめされい。
目釘は脆弱部というのはどういう理屈なんだろう?
柄と茎の長さが合っていなければ切りつけたときの衝撃で柄が割れるという話はあるが、目釘なんかそう簡単に折れんだろ。
それでも実用を重視した刀では目釘を複数つけておくなどして念には念を入れているが。
アブラガーが相手にされないからメクギガーに移行しただけですね。
日本刀をディスれればなんでもいいんでしょうね。
>>234 日本には古代から袋式の矛があったが、それが茎と目釘を使う槍や薙刀に移行しているんだがどう説明する?
袋式の槍もあったが少数派に留まった。
毛抜形太刀に見られるような共鉄造りだと斬りつけたときの衝撃が直接手に伝わって具合が悪いから
目釘式に進化したんだよ。もしちゃんとした目釘が折れるような衝撃が加わったなら
とても保持なんかしてられない。
槍に目釘があるって一文だけ出して何の説得力があると思ったんだ?
>
>>239 目釘が脆弱部分という話はどうなったの?
使ってるうちにガタが来てグラつくとかそういうコトはあるんじゃね?
そうなったら修理すればよいだけのことだとは思うけど
239だけど、
>>234へのレスでした。分かりにくくてスマン。
刀の構造の中ではそりゃ脆弱だろうが、それを誇張しておかしな主張してるなと思って。
目釘が折れるってことは刀身も傷んでる可能性大だからな、貴重な刀がいきなり折れるより、消耗品の目釘が折れてこれ以上使うとまずいってのがわかるほうが経済的だろう。
日本刀真剣斬りって本ですな
あれに目釘のことも書かれてたよ
鉄製にすると刃に亀裂が走るんだと
だから竹製に意味がある
「目釘を湿す」なんて言葉があるとおり、目釘が日本刀の構造的な脆弱部で常時気を使わなきゃならなかったのは確かだろ
またこれが多くの場合竹や木で作ってあるしな
ヒューズ的な意味合いでこんなコトしてるんだとしてもちょっと過剰だとは思うよ
シースナイフ程度の刃物でも、刀身とハンドル材は接着かボルト結合が普通だもの
わざと負担かかる部分作って鉄じゃなくて竹にして壊れる部分を目釘に限定してたわけね
>>247 そりゃ短くて軽いナイフならそれで良いだろ、別に鎧叩くわけでもないんだしさ
>>247 それも書かれてたな
そもそも乾燥した材質使ってるんだからつばぐらいで湿らねーから意味ないって
一種のおまじないかね
>>233 戦国時代の目釘は、
鉄をぶっこんでとれにくいようにしてたよ。
そもそも複数倒せる腕のある人間だけに関係する話だし。
甲冑きた相手に何度も打撃すりゃあ西洋剣でも折れたりする。
対策はあるしお好みに応じて調整できたってことか
昔から鉄派と竹派がいて鉄は邪道とかやってそうだな…
そんな過去の文献読んだことないけど
刀装記くらい読めよ
本気で装甲された敵を倒すのなら、西洋のブロードソードのような重量で打撃するタイプの剣か、
レイピアのような脆弱部を狙って刺突する剣か、ああいう形に進化するんじゃないかな?
本当に、日本刀をディスってるつもりは全然なくて、
野戦での首の刈取り用や、屋内での護身用、工芸品・美術品としては、
日本刀は実に優れていると思う。
十分ディスってるね
愛玩動物ポニーをつれ、美術品を持ち歩くほどほのぼのとした日本の戦場
鎧を着た相手への剣術は日本も欧州も鎧の隙間だぞ
日本人はよく刀槍を用いる。
我々には堅甲がないゆえ日本人に敵わない。
そこで厚鉄を用い全身鎧を作り
この鎧を着た兵士を敵陣深く切り込ませようと考えた。
取り敢えず、全身鎧の見本を製造して、
これを試用したが、とてもその重さに堪えられる兵士がおらず、これを廃した。
刀や槍を装甲で防ごうとすると兵士が耐えられないそうだ
なんの記述だよ
>>256 西洋の鎧と日本の鎧は重量にほぼ差がない。
大鎧なら同時代の鎖帷子メインの西洋甲冑より強靭。
西洋のブロードソードと一口にいってるけど、
西洋剣にもさまざまなタイプがあるし、本気の装甲といっても、
馬上槍試合用か、城に飾る用でなければ結構隙間も多いし、
馬からおりての戦闘を考慮すると軽く薄く作らないといけない。
ドイツの傭兵隊のように大剣振り回すヤツもいれば、
スペインの剣兵のように小盾と片手剣をうまく使う兵もいるし、
イギリスのように大型の盾とブロードソードを使う騎士もいるわけで。
だいたい野戦で首をとるときは脇差を使うんだ。
日本刀をディスってるとか以前に、
西洋=重装甲、頑丈な打撃専用の剣かレイピア
日本=軽装甲、切れ味だけ鋭い弱い刀
という思い込みを何とかしてもらえないか?
>>258 実戦にむかない大型で美しいサラブレッドに乗って、
飾り用の人間が着用するのが不可能な甲冑を着て、
なぜか折れない打撃用の「西洋剣」を持って戦いにいくのかね?
西洋でもとどめはキドニーダガーだもんな
あのでかい大剣はパイクとかぶった切るのが主な仕事なんだろうか
倭寇関連、唐入り関連では日本刀で鎧ごと斬ってるくさい記述が出てくる
文永の役と弘安の役の間で日本刀が薄く切れ味重視になってるあたりからも
大陸系の鎧には力技が通用したように見受けられる
国内の鎧は漆がなかなか手強い
元寇の際、やってきた兵はほぼ布に鋲打ちしたような装備だったかと。
接近戦になれば重量でも切れ味でもすぐれる日本刀に対抗するのは
難しいと思われる。
十字軍で西洋の騎士が鎖帷子着用していたのは、
国内ではやってたからというのもあるが、
片手で使い切れ味が鋭いイスラムの剣には有効だったから。
鎖帷子は重量のある武器で殴られると衝撃がそのまま伝わるので
棍棒みたいなものでも死ぬ可能性がある。
>>267 ドイツ傭兵は、国内で剣術が発達していたので、
防御も攻撃もできる大型の剣を装備して戦ってた。
防御しつつそのまま攻撃といった刀法がはやっていたみたいだよ。
といっても組織的に戦うなら槍兵や銃兵との共同も必要だけど。
>>269 チェインメイルって軟鉄だろ?
両手持ち剣ならぶったぎれそうだ
しかし、現実に、
槍の武勇の話(1回の戦さでどれだけの敵の首を取ったなど)はたくさん残ってるけども、
刀でのそれは数えるくらいしかないでしょう?
くどいけど、決して日本刀をディスってる訳ではない。リスペクトしている。
武士が戦場で使う兵器としては、ランクが落ちるということを言ってるだけ。
武士が戦場で使う兵器は、
弓、馬、槍。後世になって鉄砲。
それとも日本刀は、シナチャンコロ兵など、百人斬っても大丈夫な、
スーパー兵器だとでも言えば、満足・納得するのかい?
それって、日本刀をリスペクトしているというよりも、
単に、山本七平をディスっって、優越感に浸りたいだけなんじゃ?
ディスってるようにしか聞こえないのは何故だろう
鈴木信者にありがちな言動は避けてるけど
>>272 えーと、刀でのそれは、
朝鮮や中国の記録に山ほど残ってて、
日本刀をわざわざ模した武器まで装備させるほどなんだけど。
日本国内では「当たり前」のことは記載されない。
それに武士が戦場で使う兵器がどうのこうのというのも一方的すぎる。
正確には「ケースバイケース」なんだって。
時代によって装備率も異なるし。
それに、戦場で使う優先度や、戦場での運用と、
日本刀がどうこうというのは全然関係ない話。
君のはちょっと偏った情報をベースにしていないかもう一度考えてみたら?
中国の鎧って肘先膝先が防護されてないような気がするけど
西洋みたいなフルアーマーってないよな?
>>268 上に出てた本にも元寇で元軍の鎧を斬るために
それまでの蛤刃から薄く身幅の広い刀が流行ったと書かれてるね
因みに実戦だと右袈裟斬りが有効だったそう
旧軍の軍刀術でも速成訓練として右袈裟を教えたと
>>277 そのあと元寇が来ないとわかるとまた刀は蛤刃に戻ったって書いてあるよ
あのね、じゃあ、この言い方。
日本刀は、武士のサブウェポン。
武士のメインウェポンは、弓、槍、馬、後に鉄砲。
これでも日本刀をディスってると言うのかい?
戦国時代の大名や、徳川幕府の軍役でも、
(○石だと、弓いくつ、槍いくつ、鉄砲いくつ、持って来い)
と定められてるけども、日本刀○振り持って来い、なんて書いてないでしょう。
足軽組でも、槍足軽、弓足軽、鉄砲足軽はいても、
日本刀足軽なんていないでしょう。
たぶん文体とタイミングが違えば当たり前すぎてスルーされてたと思うよ
>>256 レイピアを脆弱部を突くもの ブロードソードを重量で打撃するタイプって言ってる時点で釣りか無知化どっちかだな。
レイピアもブロードソードも鎧がほぼ衰退した時代の代物なんだが。
>>281 で?ポン刀ガ野戦での首狩り用室内の護身用だったって根拠は?史料を交えて頼むわ。
もし首狩り用兼室内用だったら短刀〜中脇差でいい。反りは必要ないし長大にする必要はないから大太刀長巻は南北朝になっても流行らん
打ち刀はほとんど短刀のまんまで携帯方式も変化しない。両手でも使えるように柄を長くする必要性もほぼねえな。
首狩りなんて介錯と違って刀身に衝撃がかからんから合わせ鍛えでなく鋳物で一体成型でも問題ないだろ。
介錯そのものが生まれなかったり剣道剣術も今とは違うものになってたりしたかもな。
この食い違いがタイミングの悪さ
今日は鈴木信者来てたから紛らわしい
>>284 倒した敵の武者の首を、日本刀を使わずに、いったい何で切断するの?
槍や弓じゃ切断できないでしょう?こんなのにソースがいるの?資料いるの?
屋内で、何で身を守るの?屋内に槍や弓は持ち込めないよね?
日本刀で護身するしかないじゃないの。こんなのにソースいるの?資料いるの?
自分で言ってる介錯の話。
脇差で介錯しないでしょう。日本刀で介錯するしかないじゃないか。
>>285 雑兵物語にも脇差で首を取ると書かれてるよ
>>287まず、あんたは日本刀というと何処までを指して言ってるのかわからない。
俺は打ち刀や太刀を主に指して言ってる。あんたは短刀から長巻まで全部を指して言ってるのか?
次に質問だけど首狩り用だったら反りが付いてるの?なんで両手持ちなの?何で無駄に長いの?
別に太刀や打ち刀ほどじゃなくて短刀脇差くらいでもいいよね?
史料はいいからそこらへんはどう思ってるのかね?
>>290 分りました。いいです。撤回します。
○武士が戦場で敵の首を取るとき、日本刀は使用しなかった。
○日本刀は、戦場でのメインウェポンだった。
という結論で結構ですよ。
横から見てて吹いた
ここまでくるともう釣りだとしか。
ていうかそれならなんで南北朝時代〜室町中期まではあんなにデカい太刀が流行ったの?っと
釘目があるから刀は使い物にならない、から言い訳言い訳して辿り着いたのは逆ギレかよ。
ディスるディスらないじゃなく勝手な自分の論法だけ押し付けるのはやめてくれ。
>>290 んん?ww。俺は一言も日本刀は戦場のメインウェポンだなんていってねーよw。(ただし大太刀長巻除く)
俺はあんたが言うよーな野戦での首狩り兼室内の護身専用だったら宣教師の記述や唐入りでの相手方の戦闘での記録その他国内での日本側の記録に対する反証を出してくださいよ〜wwって言いたかったのよ。
仮にあんたの言うとおりの使用法だったら日本刀の内短刀、大きくてもせいぜい大脇差くらいの「小型の日本刀」が主流になり剣術剣道もそれに伴った形になると。でも現実はそうなんなかったジャンw
297 :
名無し三等兵:2012/10/16(火) 06:53:28.35 ID:niZoU5xs
実際は酔っ払って娼館の柱にガンガン斬りつけたとかじゃねーの。アハハ。
>>291 メインウェポンサブウェポンって考え方自体に違和感があるよって話。
ケースバイケースで使い分けるんだよ。
たとえば現代の歩兵が小銃とてき弾を携行していて、どちらかがメインでサブとか
定義するのも変だろ。
誰も刀だけ主力で使ってたとか言ってないわい。
あと刀で敵の首をとるのどうのにこだわってたけど、
あの長い刀で倒れた敵の首をとるのがどれだけ大変かわかるか?
力を込めるなら脇差でいったほうがいい。
じゃあどうやって使ってのだ日本刀?
たとえば戦国時代では武士はどうやって使ってのかソース付きで
教えてほまれ。
軍板民にはスルー力が足りない
うん、バカの壁。
まあスルー力十分の無知識のド素人ばっかの掲示板ってのも読んでてつまらんけどな。
いちいちマジレスする人がたくさんいればこそ目新しい情報もたくさん出てくるわけで。
小銃もてき弾も使い方がはっきりしてると思う。
鑓も長槍も弓もてっぽうも使い方がわかるが、日本刀の使い方がわからん。
源平合戦頃より、馳せ弓主体の武士の戦い方が馬をぶつけて相手を落とすよな
ルール違反の戦いを行うようになったとか書いてある書籍があるが、
そんな時役立ちそうだな日本刀。
中世の日本は人の背丈を越える葦だらけの土地だったから
それを伐採しながら行軍や陣地構築するためのブッシュナイフとしても使われてた説
状況に応じて武器にも工具にも使われてた万能性が売りでしょ
さすがにそれは要ソースでしょw
>>299 大脇差しでさえ首が取りにくいと『雑兵物語』にあるのに不思議な説だよなw
>>304 >源平合戦頃より、馳せ弓主体の武士の戦い方が馬をぶつけて相手を落とすよな
>ルール違反の戦いを行うようになったとか書いてある書籍があるが、
何の話だ?
なんか怪しい情報ばかり書き込まれるな。
>>304 源平の時代なら、弓騎兵が接近戦になったときと、落馬したときなどに使った。
その後、次第に初めから騎射せず接近戦を挑む奴が増えたので太刀が大型化して大太刀が登場。
南北朝時代頃には大太刀が普及する一方、槍はまだ普及せず、戦場はまさに馬上太刀天国。
戦国時代に入ると大太刀より安価に作れて扱いが簡単で同等のリーチを得られる槍が普及して大太刀は次第に肩身が狭くなっていく。
槍が失われた後に使う武器として普通サイズの打刀が普及した。
長柄、鉄砲、弓を持つ足軽も打刀は持つので、多分数の上では戦場で一番多い武器。
それでも戦国の最後まで大太刀を主力武器とする武士もいただろうが、普通サイズの太刀や打刀を主力で使う人がいたかどうかは知らない。
馬上で槍とか大太刀振るうのは無理があると思うんだがなぁ
最も大太刀って何を指して大太刀っていうのかさっぱりわからんけど
長巻、薙刀、大太刀って何か基準あるの?
>>309 槍も大太刀も馬上で使える。もちろん相応の技量や体力は必要。
大太刀:長いでかい太刀。刃長三尺が境界線という話を何かで読んだがそれは現代の美術刀剣の世界の話だったと思う。
薙刀:古代の手矛から発展した武器。源平の頃は2mくらいで歩兵用。刀身は薙刀造り。
長巻:長巻の太刀。柄が長い太刀。外見は薙刀そっくりだが刀身が薙刀造りじゃなく太刀と同じ鎬造り。
長巻の薙刀、なんてものもあるから事態はさらに混迷の度を深める。
熊谷直実の平敦盛の戦いで見るように馬上組討というのもあったし、落馬させて脇差で仕留めるという方法もあった。
宇治川の戦いみたいに川底に綱張られてることもあるし、佐々木高綱みたいにそれを切り払いながら突っ込んでいく猛者もある。
馬上で太刀振るうのに無理があるとかいえば走ってる馬の上で弓射るのも無理がある。
それを当然のようにやるのが武士。
確かに馬上太刀より騎射の方がずっとむずかしいわなw
日曜日に井草八幡宮で流鏑馬やってたんで見てきたが
疾駆する馬の上で弓扱うのってすごい技術だって実感したよ
ちなみに天候悪くて馬場の状態も良くなかったんで転倒があった
人馬ともに無事だったんで良かったけどさ
馬って4つんばいのクセに転ぶんだぜ
ダセーよな
>>307 ルール違反云々ってのは、おそらく源平盛衰記にある
「最近のゆとりは騎射が超適当で端から組み討ち目的で馬ぶつけてくるDQNばっか。マジで死ねよ」
って内容の一文が形を変えて広まった俗説かと思われる。
この辺は壇ノ浦の漕ぎ手云々の誤解と似たような流れだろうね。
>>315 真光故実のことを言いたいんだろうけどそんな内容じゃないだろ。
体当たりとかどこに書いてあるの?
「この辺は壇ノ浦の漕ぎ手云々の誤解と似たような流れだろうね」とか
一見それっぽいこと書いてる人間がそんなうろ覚えじゃまずいよw
2ch定番コピペにくわえたいから原文か堅いとされる現代語訳欲しいところだな
延慶本と盛衰記で少しニュアンスが違う箇所だから
両方用意したほうがいいだろうな。
>>315 その文を軍事的に解説していたぞ。
大鎧着て馳射(騎射のうち馬が動きながら弓を打つ)する場合、左側しか
うちにくいから、武士は馬を上手に操って敵(標的)を自分の左側にもっていく
駆け引きが戦闘の要旨だったのに、以人王の例のあれ以来、田舎もんが
一斉蜂起して兵の大量動員につながって、ろくすっぽ馬をとりまわせない
バッタもんのような武士がわんさかわんさかわきでて、そいつら馳射なんかも
できないもんだから、馬はぶつけるは、馬上で組み討ってくるわ・・・
刀のことは書いてなかった。
>>320 こりゃ面白い。参考になる。ありがとう。
これって、東国武士の方が、騎射が下手で戦場の作法もなっとらん、と言うこと?
初歩的な質問ですいませんが。
確か平家物語に、太刀と薙刀の一騎打ちが語られてるし、必要とあらば騎馬戦もあったんだろ。
ただ関東ならともかく、関西では騎馬戦そのものが少なかっただけで。
>>310 槍ははじめから馬上で使うもんだが、
大太刀を馬上で使うって、どうやって使うのさ?
片手で馬を御しながら、もう片手で大太刀を馬上で振るうわけ?
いったい、どんだけの膂力がいるのよ?
バイオレンスジャックのスラムキングじゃあるまいし。
仮にそんな奴がいたとしても、超例外でしょ。
嘘くさ。
普通の日本刀を片手で振るうだけでも、宮本武蔵並みの膂力がいるだろ。
レベル落ちすぎだろ
戦場用の70キロの弓を引いてた武士だからね
>>323 馬上大太刀は馬で走りながら一撃離脱したらしい。
騎射を見ればわかるように、必ずしも手綱を持つ必要はない。
>>321 「源平合戦の虚像を剥ぐ」川合康 という本だす。
関東に限らず、武士というのは馬に乗って弓を打つ特殊技術に特化した仕事?
をする人という定義付けがあって、鎌倉時代でも大鎧のマイスターは京都にしか
なかったことからも、ものほんの武士は朝帝と深い関与があるような書きかただった。
地方だと国ガとか一宮に奉仕してきたもののような書きかた。
悪いっす今日はこれで仕事に行きます。
テニスや卓球でフォアハンドしかできないなんてありえんし
そりゃ両方射れるだろ
馬上では槍より太刀の方が使いやすいって名和が言ってた
そりゃ左右に振り回すなら軽い方が重心動かさないで済むわな
朝鮮の役では、騎馬民族などとの実戦経験が豊かだった明軍を、一時的であれ圧倒した
日本軍の戦上手は評価に足るものだと思うが
日本の戦術は、当時の明以上だってことだし
>>331 片手で手綱を持ってるように見えるんだが?
しかしみんな普通に片手で馬を御しながら長い棒ブンブン振り回してるな。
しかもぐるぐる回りながらお互いぜんぜんぶつからないのがすごい。
>>327 大太刀を両手に持って、流鏑馬のように、直線コースを疾走するのか?
>>332 しかし馬上では楽に振り回せるような刀じゃリーチが絶望的に足りない現実
馬上太刀なんて刃渡り1m以上ありそうなのはザラだし、またそれぐらいないと持っていてもしょうがない
そしてまあ、あいつらどんな体力だったんだ?とかこんなのありえね〜とかループw
>>333 「一時的」、とゆうても二度だからな。
軍事板的には、「局地的」といったほうが適切かと。
嘘か真か大太刀で馬ごと切り伏せたなんて書かれてるし
明の援軍は略奪暴行をほしいままにする軍規もろくにないごろつき連中だと朝鮮の史書には書かれてるからどうかね
明将も、当初日本軍に負けたのは、
『日本軍が、鉄砲という最新兵器を多数配備し、
備による諸兵科連合という、最新戦術で攻めてきたので負けました』
とは、朝廷に報告し辛いわな。
(倭人たちが、風変わりな剣を使うので、虚を突かれました)
と言う方が、報告し易かろう。
火縄銃は普通に特筆されてたが
降倭に作らせたり戦後劣化コピー品を配備するくらい
>>330 地位の高い武士が朝廷と関係があるのは当たり前
頼朝の御家人だって鎌倉入り時の半分ぐらいは
かつて朝廷に使えていたか、今でもそうだったような人たち
ただ、鎧関連の技術者は坂東にも多く居た
何しろしょっちゅう小競り合いやってる土地柄なのと
材料の一つである皮革の産地でもあったこと
武家は肉食してたので、お上品な「穢れ」とか気にしてなかったのか
畿内からの皮革職人が流れてきてるんよ
まあ平安末期には胴丸出てくるしな
種子島への鉄砲伝来は1543年のこと
欧州で銃の発明は十五世紀の終わりのこと
当然、朝鮮の役の時点では中国には鉄砲がなかったわけではない
ただ、当時の中国の銃は、実戦向きではなかっただけのことだ
>>343 種子島に鉄砲が伝来し
国産鉄砲が始めて作られたのは十年ほどの時間が必要だった。
鉄砲に必要なネジを作るのが、当時の日本の技術では難航したのが最大の理由だが
それ以外は、けっこう早くできていた。
つまり、それだけ当時の日本には金属加工の技術があったわけだ
結局、熱間鍛造だったみたいね。
鉄砲伝来は中国人倭寇が噛んでる説はどうなってんの?
>>338 一般人の基準で見たら、戦闘機パイロットもありえない能力だし、人間の可能性は結構広いんだろう。
大太刀もぶんぶん振り回したり切り結ぶんじゃなければ使えると思う。
>>327の言うように、すれ違いざまに一閃。騎士のランスみたいにね。
中国の戟や大刀は馬上でも使用するものだし、馬上の両手武器は、別に日本に限らない。
そう言う意味でも、存在したことだけは肯定できる。
近藤好和氏の書籍によれば、南北朝期の騎馬武者は弓射騎兵から打物騎兵にシフトし、
得物も大型化している。大太刀、長巻が流行ったのはこの時代。
近藤本読むと長刀とかいて「なぎなた」って読むんだよなぁ
大太刀って」書いてある?
>>350 あるよ。
騎兵と歩兵の中世史 P113 から。
具体的な日本刀の使い方って大抵軍記物にしか記述されてないんだよなあ。それ以外じゃ雑兵物語くらいしか思いつかない。
いや随分前に軍記物は全部ウソだなんて極論を言い出す奴が知恵袋にいたのを思い出したから
戦国時代になると、日本刀の質は劣化している。
戦場においては、槍や弓が主要武器であり。刀は補助的な武器だったから
生産は、槍や弓に流れたからだ。
実際、戦場で日本刀が使われた場面は限られていただろう
日本刀っていわれると定寸のイメージになるな
>>325 バカが意図的に落としてるんだろうね。史料も参考文献もなく
脳内ソースばっかり。
>>352 具体的な使い方って?
>>353 価値が下がるのは美術品としてだけだよ。
武器としてどうなのか平安鎌倉のものと検証して比較した研究は
見たことがないけど。そういう研究で結果が出てるなら具体的に教えてほしい。
>>320 そういう不正確なウソ要約はいいからちゃんと原文引いてくれ。
>>342 >(倭人たちが、風変わりな剣を使うので、虚を突かれました)
> と言う方が、報告し易かろう。
質問だが文禄慶長の役に関して明側がいつこういう報告をしているの?
>>340 大太刀で馬を切るというのは倭寇との戦いで倭刀術を得た戚継光も
自分の兵士にやらせている戦法だが。日本の軍忠状を見ても馬への切り傷は
散見される。漫画みたいに華麗に真っ二つとかじゃないなら普通に行われているよ。
http://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/minda/5shyou.htm 隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、その本から見えるが、長刀及び長刀法は、
もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を
配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を
短兵として習得させる」を要求された。歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に
長刀或は短刀を配った。毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、「元の習った倭刀でやる」、
下は馬の足を斬って、上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、
素早くて、上等である」。或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。
日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという貴重な考え方を表わした(76)。
>(倭人たちが、風変わりな剣を使うので、虚を突かれました)
風変わりな剣って…。
日本刀が大陸でどういう扱いを受けてたのか知らないんだろうな。
ほんと基礎的なことを知らんよなあ。
日本人が大陸側に比べると性能の高い鉄砲を巧みに使うのはちゃんと報告されてるし。
柳成竜『懲録』
・城の上にいたわが軍が、勝字小砲でこれに応戦したが、倭の本陣は遠くにあり、
遊撃兵を出してきて交戦し、ばらばらに進み、代わる代わる出てくるので、
〔勝字小〕砲を発射しても命中しなかった。それに対し城を守るわが兵卒は
しばしば賊(日本軍)の弾丸に当たって斃れた。
はいはい
>>361 で、これは何に載ってますかね?
>(倭人たちが、風変わりな剣を使うので、虚を突かれました)
>>362 おれ342じゃないけど、あの文は状況から心理を推測して書き手が書いただけって
思うのだが、おまえさんはなにか昔の人や現在の著名な研究者が残したものがあると
おもうわけ?
なにかいここは書き手の考察は一切だめで、文献や研究論文がないといけないと、
そんなことをやりたいのであれば学会にでも行けばいいのではないか?
ここは2ちゃん。しかも軍板。おまえうざい。
>>363 ずいぶん
>>342の心理に詳しい人だね。
根拠を求められたら提示するのが当然なんだけど。
自分は根拠のない妄言で荒しまくる宣言ですか?
状況から推測って、その根拠となる状況がまず誤解と思い込みで成り立ってるんだろ。
当時の大陸での日本刀の知名度を考えればとても風変わりな刀剣なんて
話にはならないよ。
やっぱお前バカだな。
「思う」と書いたろ。じゃあおれが342の心理に詳しいソース出せ。
昔のシトの文献でいいわ。www
ただの荒らしだな。
>>367 ただの荒らしだね。
こういうバカをこっちにこさせないためにも日本史板に鈴木スレ
あったほうがいいんじゃないかな?
そうだね。そしてキミたち二人が行けばいいよ。
どうぞ。
荒らしは認めてるんだなw
頼まれもしないのに誰も問題にしていない
>>342の心理を解説してるヤツが
「俺が
>>342の心理に詳しいソースを出せ」ってw
自分語りのうんこ与太郎をつつくとわけわからんこと喚きだしてウザかったりするのはありふれてる事例だから、大概にしてくれよ、お前さんも。
鈴木信者が意図的にすっとぼけたこと書いて荒らしてるんか
鈴木をネタに荒らしてるだけで信者ですらない。
>>370 お前ほんとに馬鹿だな。
どう解釈したら荒らしを認めたことになるんだろう?
教えてくれ。
おれ暇だからとことん付きわう。
実際、首狩りで一番使いやすい獲物ってなんだろな。
1太刀・打刀
2小太刀・脇差
3腰刀・小刀
4鎌
5手斧
俺は、鎌か手斧じゃないかと思うんだが。
切るだけなら手斧。持ち運びも考えたら脇差か短刀。
厨二病患者なら組討に持ち込まず太刀の一閃で首を落とそうとして失敗する。
>>379 そんな感じだろうな。
腰に佩く長剣ってのは洋の東西を問わず、戦士階級の日用的な武具なんだよな。
日常生活の邪魔にならない範囲で最もリーチと殺傷力を兼備した武具。
前近代の軍隊が、基本的に武具自弁で召集された兵士であることを考えれば、
武士が太刀を携えた理由も用途も自明だと思う。
>>379 厨二病患者というと具体的にはどんな人がいたんだ?
>>380 つまり戦国時代の日本はあらゆる階級が戦士階級だったのか。
フロイス『日本史』
・日本では、今日までの習慣として、農民を初めとしてすべての者が、
ある年齢に達すると、大刀(エスパーダ)と小刀(アガダ)を帯びることになっており、
彼らはこれを刀と脇差と呼んでいる。彼らは、不断の果てしない戦争と反乱の
中に生きる者のように、種々の武器を所有することを、すこぶる重んじている
ヴァリニャーノ 『東インド巡察記』
世界中のあらゆる人種の中で、日本人は最も好戦的で戦争に没頭している。そのため、
若者であれ老人であれ、あるいはどのような地位の金持ちであれ貧乏人であれ、
十五歳をすぎると誰もが年がら年中、刀と脇差を帯にはさんで携行している。
>>382 レベルの低いツッコミだな。
必要条件と十分条件の違いもわからんのかね。
日常的に闘争に巻き込まれる可能性の高さを考えれば、
戦国時代の庶民はすべて戦士でなければならなかった。
実際兵農未分離で戦士階級みたいなもんじゃねえの?
なんかレベルの高すぎて怒ってる人もいるけどさw
>>382 そのフロイスとヴァリニャーノの記述が、刀剣がどれだけ日用武具として
普及してたかを証明しているわけだろう。
みんな持ってるから、戦場にも持ってく。
使える場面があるかどうかは状況次第だろ。
日常のものとして使い慣れているだけに頼りにもなるもんな。
一丈程度の槍ならその三分の一以下の長さの刀と相打ちであったり
腕を切られる恐れがあるというんだから十分持っていく価値はあるわな。
『武具要説』
鑓之事
一 横田備中守申分
・長刀など持たる敵を九尺一丈の鑓にて突事は相打に罷成候
三尺二三寸の刀にても相打になり候
『御家中武芸はしり廻り」
一 半槍の事、半槍の短に何の徳あるや。其徳未だ弁へず。若し挟みにて徳ありと云とも、
剣は広場にて使う筈の物なれば、挟みのことは論じ難し。詰りたる場所にては半槍よりも
太刀・脇差の働きより徳多かるべし。又、平日面目をかけての勝負とは、真鑓の場は
大に違ひ、九尺内の柄を一盃にたぐれば、手先き漸く四尺余り成べし。たとひ、
敵の躰を突貫たる処が我向手は必ず切落さるべし。是敵二尺の腕に二尺五寸の
刀を持添ゆれば、我先手へは十分に届くもの也。
で、
>>379のいう厨二病患者のエピソードって具体的に何かあるの?
>>386 16世紀当時日本に長期滞在したヴァリニャーノの話ではその日常的に使っていた刀を
合戦でも使っていて大部分が刀で命を奪われているものと思われる、と
報告に残しているね。
ヴァリニャーノ『東インド巡察記』
・日本人は、人を殺すことを、動物を殺すことよりも重大には考えていない。そのため取るに
足りない理由からだけではなく、自分の刀の切れ味を試すためであれば人を殺してしまうのである。
自分の屋敷でも人を殺すことがあり得るし、戦争が実に絶え間ないので、大部分の人々が刀で
命を奪われているものと思われる。
質問だが中国の槍ってのはそんなに弱いもんなんですか?
程宗猷 「単刀法選」
日本刀法は神秘的だ。
左右への変化がすさまじく誰にも予測できない。
そのせいで槍を持ってしても毎回日本刀に負けてしまう。
>>389 刀が甲冑を切れないとはいえ、全身装甲の武士ばかりじゃないからな。
足軽のお貸し具足なんかは隙間だらけ。
隙間を狙わなくても雑兵物語にあるように手足を狙うだけで
十分な気もする。
中国の槍ってのは軍でもあのしなる槍を使ってたんですかね?
それともあれは表演用?
>>392 隙間ってのは手足も含めてのつもりの発言ね。
実際手足を負傷したら、よほどの猛者とか
やる気1000%の奴以外は戦えなくなるからなぁ。
>>393 中国の武術には詳しくないけれど、あの槍は演舞用ですな
中華ファランクスみたいなのってなかったの?
>>397 尾張流の槍もだいぶしなるので、
実戦の槍もしなってた可能性がある。
中国にも「長槍」と書かれる武器はあったと思うが、
あれはパイクや日本の長槍に比肩する長さなんだろうか?
クレクレ君ばっかりワロタw
どこまで再現できているかわからんが、
ローマにある剣闘士スクールでも、
盾で敵の槍をけん制しつつすきをみてグラディウスで敵の槍の穂先を
切断するという技は教えているようだね。
>>399 貫流だろw
一応管槍って戦国時代に間に合ってたのかな?
>>400 日本の鑓は茎が長くて簡単には切り落とせない構造になっているが、
大陸の槍は袋穂で、柄の芯に金属がない。
必ずしもしなることとは直結しないと思う。
>>399 尾張貫流は戦国の槍術を残しているのだろうかね。
俺はよく知らないのだが、あれは甲冑を着なくなってからの兵法ではないかと思うのだが。
>>406 確かに貫流は俺も見たことあるけど早さに舌を巻く反面、
甲冑兵法の重さがないとも思った。
で、
>>379のいう厨二病患者のエピソードって具体的に何かあるの?
>>406 わからん。
どうなんだろうねぇ。
江戸に入ってから道場武道はある意味発達したが。
戦国時代に実戦を経験してた人が、その経験から
相手の攻撃を左手の腕で受け止めて片手面をとったら、
「そんな剣術はありえない」と怒られたとか。
ちょっとソースは失念したが、その人は
戦国時代中、腕の筋金を思い切り太くして、
敵の斬撃を受け止められるようにして戦って生き残ったとか。
>>409 篭手な
鈴木の本だったような覚えが
傷だらけの篭手を持ってきてこれが証拠だとか見せたとかなんとか
鎧に防御を任せる介者剣術と鎧を着ない剣術じゃ技術体系完全に違うからね
>>410 黒田家中の野口一成。その逸話は『日本武芸神妙記』にはあるんだが
それの出典が辿れなくて困ってる。恐らく江戸時代の逸話集とかだと思うが。
甲冑時代は多分マッチョ天国だったんだろうな。
素早いことよりも分厚い鎧を着られる方が、おそらく有利だったはず。
つかその逸話が事実だとすると
篭手で防げるような、おそらく刀での戦いをそれなりに数こなしてたってことなんだよな…
>>414 木刀を左手で受ける時点で意味が分からないといえばわからないw
>>415 確かに「太刀痕の多く付いてゐるのを示し」とあるのは刀の使用の多さを示してるねw
>また、謙信流といふ流儀には、柄の長い刀を地摺につけて敵の股倉を穿き上げる兵法もある。
これも気になるな。上杉の馬の足払い(長巻)を人間相手に使うときの操法かな?
>>416 むかし形の練習をしているときに、
片手面を多用する奴の手がすべって、木刀が額に直撃したことがあるんだが、
案外、衝撃がそんなになかった。
木刀ってもしかして中空で作られてるんじゃね?と思ってる。
左手の筋金をぶっとくしたらかなりの重量と思われるんで、
それを日常的に使ってる奴なら相当な筋肉のはず。
肉の鎧で受け止める、というのはそこまで非現実的な話じゃないと思うよ。
>>419 野口一成はボブサップ級のマッチョだったんだぜ、きっと。
>>420 そこまでマッチョでなくとも問題ないと思われる。
せいぜい山岡鉄舟級だろうよ。
鉄舟ってどうみてもボブより強そうやんけ。
>>418 どうでもいいがサスケに地泣き剣法とかあったな
手斧と鉈は違うのか?
人首ってぶっといから簡単には千切れないよね。
おれはある理由(聞かないでね)で解体をした経験があるんだが、
関節を外したり、腱や筋(スジ)を切って筋肉を剥離してとるならまだしも、
力技で千切るとなると鉈が一番な気がする。それでもなんどもなんども打ち下ろさ
ないとダメだろうな。
家畜
ふう。
俺も鶏の解体をしたときは鉈だったなあ
今日の医大生の友人が病院の流しでバラバラにした大腸の内側のウンコ洗い流した話してた。
お湯で洗ったらちょっぴりモツ鍋の匂いがしたって。
鉈にも片刃で鋭角な鉈と、両刃でなだらかな蛤刃がついてるのあるからなあ。
しかし、戦国期に武功を上げようとすれば、使う得物は普通に、槍か、鉄砲であって、
刀で武功を上げようなんてのは、宮本武蔵のような、よほどの剣術マニアくらいだろ。
この常識も間違ってるの?このスレ的には?
戦国期の戦場では、武士も足軽もみな、刀でチャンバラをやっていた、
と言わないと、このスレでは厨呼ばわり?
またスレ住人のスルー力が試される時間がやって参りましたw
南部家初代の南部光行は、手鉾と強弓を使うことで有名で、
平泉では鉾で藤原泰衡軍の猛将、白川太郎・六郎の兄弟をしとめ、糠部五郡をゲットした。
菊池槍の祖型はこの手の武器なんじゃないかと思うが。
これの柄を長くしてを初めて積極的に集団運用したのが菊池氏だというだけで。
>>419 正直言って、木刀で片手面を寸止めできる人の方がマッチョだと思います。
自分は中学時代に素振りでやってたけど、人相手に寸止めなんて怖くてでけん。
ちなみに、左手握力は45歳の今でも55kg程度あります。
>>434 正しいんでねえの。
西部劇ではみんなピストル持ってるけど、
戦争になりゃあみんなライフルで戦ったってことさ。
自分も小学校のとき剣道やってただけだけど今もって左の方が握力あるわ。
中学以降の柔道では右組みなのに絞める時だけ左の方がやりやすくてちょっと困った。
合戦で刀を使うと鞘に収まらないくらい歪んでしまうけれど、
てるてる坊主みたいに軒先にぶら下げておけば自然にまっすぐにもどって
元の鞘に収まるように成る。
って聞いたんだけど本当かな?
>>444 どこにそんな話があるんだ
すげー興味あるんだが
>>441 相手は細かったんだけど、まぁ握力は強かったんじゃないのかね。
普通の道場でなく、古武道系か何か出身だったみたいだが。
大学剣道だったんで、普通の道場出身から怪しげな流派の奴までいっぱいいて
面白かったよ。
大学から二刀に変えた先輩とかいたし。
>>445 博物館の展示に貸し出すこともあるだろうし
公開する予定があるのか、何か市販書籍になってないかを問い合わせるのが良いかと
>>434 ふと思ったけど、
日本の合戦絵巻って、戦死している武者の血だまりとか、
槍や薙刀を持って走る姿って妙にリアルに描かれているよね。
>>449 軍記絵巻は、まじまじと見るとグロいぜ。
>>413 日常的に重量のあるものを着て、重量のあるものを振り回していれば
自然にマッチョになるw
そしてマッチョは素早いよ。
>>446 それはある程度事実。
刀は弾力(復元性)があるから、ゆるく曲がった程度なら自然に元に戻ることはある。
ググれば試斬やってる人間の体験談とか出てくるんじゃないかな
直観的には塑性変形が自重で戻るとは思えんのだが
>>446 たしか2chまとめサイトで居合系の記事で読んだ記憶があるんだけど。
剣術を習っている人が刀を借りて試し切りしたら刀を曲げてしまって、
真っ青になって弁償にいくらかかるかと考えていたら先生からそんなものすぐに直ると笑い飛ばされた。
日本刀は折れず曲がらずというが、実際にはすぐに曲がるけど簡単に元に戻るんだと教えられたって話。
同じ人が、天然砥石が枯渇するというので当時の技術の粋を尽くして人工砥石の製造に挑戦したけど、
自信作が出来たのに本職の砥師の人には使いものにならないと言われた。
刃文が全然見えない?とか(ちょっと記憶が曖昧です)
砥ぐという行為の切れ味だけを追求していたが、日本刀は美術品としての価値も追求しなければならないことを学んだ。
自分たちの作った人工砥石であらためて砥いでみたらなるほど青くぬめりと光るまるで妖刀が出来上がってしまって
これは確かに失敗だと。
書いてるうちに思ったけど、ネットじゃなくて失敗学関係で読んだのかも。
>>453 だよな。弾性域を超えて塑性変形してしまったら、
もう一回塑性変形させないと元にもどらないし、
吊るして自重で塑性変形するのであれば、
普通に振るだけで塑性変形してしまう。
いくら何でも、工学的にちょっとあり得ないと思う。
ちなみに例の戸山流の本には曲がった刀をt直す道具が出てくる
道具というかなんというか長い拍子木に刀渡すだけみたいな感じだが
>>444 ちらっとでいいから何かソース的なものってない?
しっかり読んでみたい。
激戦の証として、軒先に曲がった刀を吊るした武家屋敷が絵巻に描かれていてもおかしくないな。話が本当であれば。
444だけど、与太話だったのかなあ・・・
もしそうなら時間を無駄にさせて申し訳ない
曲がった刀云々は、永倉新八の回想で読んだ気もするが・・・
作りが甘い刀が、ささらみたいになってしまった話しとかも。
記者の手がどこまで入っているのか解らないけどね。
ささらってなに?
久寿川ささら でぐぐれ
>>449 ヨーロッパもグロいやつはグロいよ。
どっかでモツぶちまけてるのとか見たことある
>>472 退却する敵を攻撃してるんじゃ?
>>471 陣地構築は古代〜中世の兵士の基本だからなぁ。
陣地構築は古代〜現代の兵士の基本では
富士川の平氏はそこらへんの基本ができてなかった。
一の谷のときも後方警戒が不十分だった。
さすがに角に松明つけた牛が集団で突っ込んでくるのは予想困難だけど。
牛は似たようなのが戦国策の田単がやってたような
まあそんなに松明牛に括り付けてりゃばれるだろ
八ぁつ墓ぁ村のぉたたr(ry
暴れ牛大量に集めて角に松明巻きつけて、ってやってりゃ察知されそうではあるな
まあ相手にしてみりゃ、ただのジンギスカン作戦と思ったのかもしれないがw
あれは架空の作戦と言うのが主流じやなかつた?
あの時代のあの地帯にそんな大量の牛がいるとは思えん
掘っても牛とか出てきてないでしょ。
火牛の計は与太話だろ。
つか、牛って意外とおとなしいんだよな
牛車戦士を編成しようず
ホルスタインはな。
種牛なんて手に負えんぞ。
5000頭近い牛をよく調達したな。
昔の山間部は今と違って牛で物を運ぶのが普通だった。駄賃付けと言う奴だ。
山では蹄が小さく、寒さに強い牛の方が馬より向いている。
なので山間部では運搬用にたくさん駄牛を飼っていた。
南部牛追い唄は有名だし、闘牛も各地に残っている。牛がおとなしいというのはウソ。
赤いマントをひらひらさせるだけでダッシュで突っ込んでくる。
まあ盛衰記にしか出てこないエピソードだしね。
牛が運搬の主役というのは納得できるけど、やっぱ火牛のエピソードは
信じられないよね。
こゆう場合でもソースがあるから真実だとなるのかな?
それは漢籍の故事に着想を得たフィクションでだいたい一致してる。
>>488 牛は赤い物に反応して興奮してるわけではないんだってね
目の前に立ちはだかる動く物に威嚇攻撃してるだけなんだって
まあ流鏑馬とか騎馬打毬みたいなもんなんだろうな。
牛が戦闘に役立ったと言うと、ズール戦争のルークス・ドリフトとか。
原始的なチャリオットを引いてたのはロバだけど、さすがにロバを
騎乗戦闘に使った軍ってのはないよね?
ナポレオンがアルプス越えの時に乗っていたのは白馬では無くロバ。
ラバじゃなくて?
古墳って墓じゃなくて モットーアンドベイリーみたいな城だったんじゃないかと思うだよな
戦略的価値がなくなったから墓に転用とか大きくて思い入れがあるから転用とか
柘植先生の源平合戦考察本があるんだですが、柘植先生はクリカラの火牛の計、
400〜500の牛は無理だが、数十頭を利用したのではないかと仰ってます。
牛は興奮すると突撃をかます生き物なので、源平合戦時に馬止めとして利用された
逆茂木やカイ盾を蹴散らす。または角に火をつけていたのなら燃やすこともできたかも?
と考えたんですが、ダメ?
戦象を装備した部隊みたいになっても良いのなら・・・
駄目とか言われてもな・・・フィクションなら好きにせいっちゅう。
>>499 普段からああいう形状の砦的なものは作っていたかもね。
だいぶ古代だが、環濠集落なんて完全に防御能力をそなえた集落だしなぁ。
>>488 牛はパワーと重量が凄いからなぁ。
海外の牛追い祭りとかも凄い。
陣地を蹴り破って混乱を起こすくらいのことは奇襲ならできそうだ。
後ろから追い立てて、牛の集団を一定方向に持っていくことができないと、
カウボーイなんてのも存在しえないもんな。
流石に頭に松明つけたらコントロールしがたいと思うけどな。
五十頭に満たない数だとしても暴れ牛の群れにいきなり押しかけられたら
大軍勢の陣営でも混乱は起こりそうだな。
倶利伽羅峠のあれが史実かはともかく。
>>504 あと非常用に食う食料としては大変美味な部類に入る
砂坂登り口というところに火牛突入の地という看板が立ってるようだが、
両側が林の峠道だから、ここで牛を放せば真っすぐ稜線で野営している平氏軍へ突っ込んでいくはず。
数十頭でも怒り狂った牛が押しかけてきたら
よほど慣れてるとか熟練の兵でない限りパニックになりそうだ。
特に狭隘な地形でやられると結構厳しそう。
牛とかって大砲を引っ張るのにも使うよね
本来の火牛は尻尾に火、角に刃物だよね(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
源平時代の装備で暴れまわる牛の群れを鎮圧するとしたら
弓を射掛けて弱らせて薙刀で足を払うとかそんなのかな?
でもちんたらやってたら牛の勢いに負けるよな。まずはバリケードで
勢いを止めたいところだけど最初から侵入を許しちゃってるし。
都では牛車があったし、地方では農耕に使ってたので、牛の扱いには慣れていただろうが、
それにしても、角に松明をつけて5000頭を暴走させるというのは、いくら何でも、
話を盛り杉
だよな。
よっぱらに牛を数千頭も連れてきて
ガンガン松明つけて必死で作業してたと考えると萌える
現実問題、地形と牛に火を一斉に付ける限界考えたら
数十頭ってところじゃないか
5000は厳しいだろうな。
限られたスペースでの誘導と一斉点火を考えると5頭でも厳しいかもな
50くらいはいけるんでは?
そもそも取扱いに長けた人間も多いわけだし。
いやー、リハーサル無しでのぶっつけ本番は難しいと思うぞ
相手が動物な訳だし角の上に火点けられる経験なんて当然無い訳だし
点ける方も経験無いんでどんなことになるのか想定出来ない訳だし
リハーサルはやってるんじゃないの?
日常的に荷駄牛は使っているわけだし。
実験的に自領内でやってみることくらいはできるだろ。
いちいち角の上に火点ける実験なんてやるわけねーだろw
ま、数頭の牛を突進させるだけでも実現できれば充分効果はあるわけだし
火を点ける必要は特に無いもんな
角にそんなものくくりつけたらまっすぐ突進するわけねえだろ
元ネタの田単の古事ですら火は尻尾にだしな
田単よろしく、火牛の計で俺たちは勝つんだ!とばかりに平素リハーサルしてたらそれはそれで面白いけどさw
牛はパニックになったら前へ進むんヨ。
いや5頭づつ順番に峠の上り口に向かってにどんどん突っ込ませればいい話だろ。
火も順番につければいい。
リハーサルといえば、樋口党はすでにこの戦法を木曽の小領主同士の土地争いで使ったことがあるのかもしれない。
何にせよ、考案者は普段から牛を運搬につかっていて牛を熟知した山村の領主だろうな。
源平盛衰記に書いてる牛の数は5000頭じゃなく500頭だろ。
スペインの牛祭りの映像を見せてもらったけど、急ごしらえの簡単なバリケード
破壊なら有効だよね。
この時、平家は陣地構築は半日から一日くらいだしね。
牛の角に火をつけるのは照明としてよくあること見たいだしね。
誰がフィクションと言い始めたのだろうか?
北条早雲はウソっぽいけどな。
あと倶梨伽羅峠は近くに白山がある。白山神の総本家で、牛と深い関係があるよね。
>誰がフィクションと言い始めたのだろうか?
実話と言える根拠がないのが問題かと。
>>532 否定派のかたの意見ってどんなのかご存知ですか?
実話と言える根拠がないという意味がわからないのですが?
ご教授賜りたい。
>>532 実際牛は暴れれば凶暴だし、その突進の方向を決めるのも難しくはない。
記述も残っているのだから逆にフィクションと決めつけるのはどうかと。
''';;';';;'';;;,., ザッ
''';;';'';';''';;'';;;,., ザッ
ザッ ;;''';;';'';';';;;'';;'';;;
;;'';';';;'';;';'';';';;;'';;'';;;
vymyvwymyvymyvy ザッ
ザッ MVvvMvyvMVvvMvyvMVvv、
Λ_ヘ^−^Λ_ヘ^−^Λ_ヘ^Λ_ヘ
ザッ ヘ__Λ ヘ__Λ ヘ__Λ ヘ__Λ
__,/ヽ_ /ヽ__,.ヘ /ヽ__,.ヘ _,.ヘ ,.ヘ ザッ
/\___/ヽ /\___ /\___/ヽ _/ヽ /\___/ヽ
/'''''' '''''':::::::\/'''''' '''/'''''' '''''':::::::\ /'''''' '''''':::::::\
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/`ー‐--‐‐―´\ /`ー‐- /`ー‐--‐‐―´\-‐‐ /`ー‐--‐‐―´
実話派の根拠は盛衰記の記述のみという頼りない状況だな。
倶梨伽羅峠の戦いを記述した古書はどれくらい、何種類あるんでしょうか?
記述がある以上頭ごなしに否定するのではなく、検討するのが先では?
>>536 そうかもしれんが、
牛を扱うのは難しくない、当時は日常的に牛を扱っていた、
牛を暴走させるのも可能、記述もある。
という状況でフィクションだと言い張るのはちょっとおかしかないか。
>>540 日本の歴史家っつーのは、基本的に文献講読がメインだから、
現実社会を知らないオタクみたいなのが多いからな。
そのくせ史学部出以外の歴史観とかバカにしてるし。
牛を使ったって言う部分を否定って言うことと、
牛の角に松明を括りつけたって言う部分を否定っていうことを
混同している気がする。
兵法や日記、伝記など、他の文献に伝承されていない、ということは、創作の可能性が高いでOKだろ。
やけにこだわるやつだなあ
どっちが?
トロジュビロの映像見ると牛の角に松明つけるのはぜんぜんアリだな。
何か最後の方は牛も落ち着いてきてるし。
田単の故事を引用云々も単なる推測で根拠はないしな。
そもそも田単とは全く無関係かもしれない。
日本の史家は、古代の銅剣や銅矛が大型化するのをみて、
祭器になっていったと断定したりするしなぁ。
青銅器は硬いけどもろいから、実用性を高めるならより強く大きくするしかない。
薄く鋭くできるのは鉄の特徴。
鋼じゃなけりゃ鉄も同じよ
青銅器よりは粘りがあるからもう少し小さくできるよ。
牛だけでなくて、平家物語などで、一つの合戦で源氏が10万騎で攻めてきた、とかよくあるけども、
本当に10万騎なら、従卒や輜重部隊も含めたら20万人規模になる訳で。
これも、話1/10くらいに割り引いておけばいいのかな?
騎兵1万騎というだけでも、相当すごいけどね。
100騎を率いてはせ参じる有力一族が、100族も集まる訳で。
一億万円みたいなものだから、その頃の数は鵜呑みにするな
正確な数としてはあてにはできないけど、戦力比の参考には
一応なると思いたいね。
イルボンは息をするように嘘をつくから困る
日本の文献を出す→日本人は手柄を過大に申告するからなあ。
明の文献を出す→中国人は大袈裟に書くからなあ。
宣教師の文献を出す→西洋人は東洋の国を神秘化して書くからなあ。
盛衰記はほかにも当時の弩の使用を載せていたりと独自部分が光るんだけどな。
牛にしろ弩にしろ、もう少し傍証が欲しいところではあるが。
三国志の曹操のように100万とかほらふくのはむしろ当然と考えるべきだろ
あえて敵を過大に報告する場合もあります。
柳成竜『懲録』
「明国軍が碧蹄で敗れ、李如松が臆病風に吹かれる」
・(李如松)提督が、自分が〔本国に送る〕奏達文の草稿をとり出して示したが、その中に、
「賊兵、都城に在る者二十余万。衆寡敵せず」とあり、また文末に、
「臣、病甚だし。他の人をもってその任に代えんことを請う」ともあった。私は驚いて、
手でその部分を指して言った。「賊兵は甚だ少ない。どうして二十万にもなりましょうか」と。
提督は、「私がどうしてそれを知り得よう。おまえの国のものが言ったのだ」と言ったが、
どうも口実のようであった。
つーか毎週金曜日の脱原発デモでも主催者発表と警視庁発表では違うし、
祭り見に来た観光客の数でも数え方によって違うし。
ただ源平合戦のころは日本が平氏・源氏・奥州藤原氏のたった三つの政治勢力に統一されていたわけで、
勢力乱立していた戦国領主よりははるかに動員力が上だったのは確か。
奥州攻めのときも公称は鎌倉二十八万騎VS奥州十八万騎。
太平記なんかもっとすごいぞ。100万騎とか80万騎とか50万騎とか。
結局、文献資料も信用ならないものが多すぎるんだよね。
というか
源平時代の日本で自軍の総数把握してた人なんて誰もいないんじゃね?
かつては史学から相手にされなかった『甲陽軍鑑』さえ史料批判をしながら使えば色々と
利用価値があるという評価になっているのに随分と前時代的なことをいう人がいるもんだわ。
平成二十三年八月、萌えにまかせし御宅婦女子一日二十一万人、三日間延十六万人の勢にて、
東京都御台場びっくさいとにて開かせ給へるこみっくまーけっとに押寄せる。
訂正
平成二十三年八月、萌えにまかせし御宅腐女子一日二十一万人、三日間延五十六万人の勢にて、
東京都御台場びっくさいとにて開かせ給へるこみっくまーけっとに押寄せる。
ビックサイトw
ビックな男になりたいですww
関ヶ原の東軍または西軍で、騎馬武者だけで1万騎動員するのは、相当大変なんじゃ?
源平時代の戦争は『戦争』というよりも『広域暴力団同士の抗争』。
広域暴力団・平組/源組系の、○○一家、□□組、△△会のようなのが、
抗争にわらわらと馳せ参じて来て戦うと。
恩賞のことを考えれば、当然、軍勢の数は過大申告。
そうやって、軍の末端、中層、上層でそれぞれに過大申告をやれば、
あっと言う間に十万騎の大軍の出来上がりと。
頼朝さんはよきに計らえって感じでそういう自己申告を額面どおり受け取ってたんですか?
まあ入るものと出るものの数数えれば概数はわかるだろうけどな
竃もくもく、うんこもりもり
彼我の兵力差を図るのは大変そうだが
頼朝さんは自前の戦力がないからうかつにそういうところに手は突っ込めません
本人がどう思ってたかはもう誰にもわかりません
旗数えた方が分かりやすいか
定数割れはいつの時代もあるよね
相場的にどんだけ盛るかは知らんが、例えば実数で87騎率いて来たら、
『・・・国・・・一族、郎党百騎引き連れて、御加勢仕る!』
くらいのことは言ったかも知れんな。
>>574 軍目付みたいなのに、ほんとに旗を数えさせて帳簿に付けたりしたら、
(何と情けなき大将よ)と、ボロクソに言われるんじゃ?
ファランクス組むわけじゃないから、定数100が実数90や80でも、誰にも分からんという。
プロレスラーの身長みたいなもんで、正しく申告すると周りに迷惑かけて白い目で見られる
名簿ってあったのかねえ
整列!番号!
もないだろうし100人でも数えられない気がするw
ギリシャみたいに密集陣組んだら数えられるが
平時から訓練してるなら(並ぶだけでも)逃亡した時隣がいないから誰が逃げたかすぐバレルw
ローマだとトリアリィとかじじいどもが後ろから見張ってるし
市民兵だけはなりたくないな俺は
まったくチョパクリは昔からデタラメなことばかりやってるニダね。
韓国では2000年以上前から名目と実質をつきあわせて調べる刑名参同をやっていたというのに。
>>580 ギリシア・ローマ時代の戦争の死亡率がやたらに高いのは、
そういう風に逃亡しづらいという事情もあるんだろうな。
そういえば古代中国だと五人で伍長、十人で「イ十」長とかやって統制してた希ガス
律令日本でもこれと同じことやってと思うがシラネ
>>582 あの時代の戦争は一説によるとおしくらまんじゅうだからな
後列が前列をひたすら押しまくる
圧死者が大量に出たことだろう
什は普通に出るぜ。「じゅうき」で変換。
NOoooooooooooo…
俺アホス
>>583 律令日本もやってた。
ちょっと官職名は忘れたが、官職によってだいたい統率する軍団兵の数が
決まっていて、中部日本付近だと2000名くらい、東北とかの辺境の地だと
200名くらいの軍団が駐屯してたみたいだ。
防人についての本についでに載ってた内容だから詳しくは忘れてしまったけど。
律令時代の日本は紀元3世紀程度から、9世紀に白村江で唐軍に痛撃されるまで
継続的に半島で戦っていたようなので、わりとしっかりした集団だったと思われる。
それが氏族中心の数不詳の武者たちに押されて消えていくわけだから面白いよな。
もっとも当時の人々は、イギリス人なんかが紋章みてどこそこのだれだれか、
と区別つくように○○の○○氏なら○○くらいの兵力か、というのが
だいたい区別ついてたのかもしれんけどね。
>>580 盾なくすとボコられて死刑とか厳しいよな。
日本軍でもそこまでしないし。
もとも、ギリシア・ローマ時代の盾は、
実は自分でなく左となりの味方を守るための機能があるとかで、
仲間に対する責任みたいな意味合いがあるのだろうけど。
だから実際に接敵時に進撃すると、右の仲間に守ってもらおうと自然に
体が右のほうに右のほうによっていくので、
ファランクスみたいな縦隊はだんだん右に右に方向がよっていってしまったらしい。
ローマみたいな横隊だとそれはおきにくいだろうけど。
そこでえぱめいのんだすの神聖BL軍団がウホッウホッって叫びながらおしくら饅頭で突撃するんだな。
>>586 >もっとも当時の人々は、イギリス人なんかが紋章みてどこそこのだれだれか、
>と区別つくように○○の○○氏なら○○くらいの兵力か、というのが
>だいたい区別ついてたのかもしれんけどね。
なるほど。こういう常識というか、相場勘は、当時の人間の間であったろうな。
動員力と合わせて、○○氏は強い、弱いだとか。
たぶんホラ吹きまくると白い目で見られたんだろうw
>>586 >律令時代の日本は紀元3世紀程度から、9世紀に白村江で唐軍に痛撃されるまで
>継続的に半島で戦っていたようなので、わりとしっかりした集団だったと思われる。
それが、白村江からわずか2〜3百年で、公地も公民もほぼ消滅し、
あちこち荘園だらけになって、国庫は空になり、国軍(衛府)も形骸化。
公共事業は私財でやられるようになり、軍事力も私兵(武士)になると。
共和政末期のローマよりも、私財・私兵っぷりがスゴいよな。
>>589 そう考えると源平合戦で遠くから遠征してくれるって出世のチャンスだよな
地元の情報に疎いから早く取り入れば取り入るほど高待遇の可能性が高い
一種の投機だけど
>>592 そこで力をつけてきた武士が結局国の実権を持つようになるんだから、
貴族の衛士やってたころの武者は想像もできなかっただろうね。
>>593 確か那須与一も兄弟11人中、
与一ともうひとりが源氏、残りの9人はみんな平氏についちゃったんだっけか。
>>592 律令軍の歩兵が、武士になって騎馬弓兵と、兵科と戦闘ドクトリンまで変わったのは何故でしょうか?
>>587 だが薩摩の軍法はさらに異常
刀を錆びさせたら死罪、とか
鉄砲の弾薬の貸し借りをしたら死罪、とか
ほか無茶な規則ですぐに死刑になったらすい
研げばいいじゃんとか、鉄砲の口径統一しといてそれじゃあ意味無いじゃんとかのツッコミも無駄の模様w
まああそこは特殊な戦闘民族で日本じゃないと言われれば首肯せざるを得なかったりもするがw
>>596 律令時代に東国で騎射の大規模講習をやったり弓馬に巧みなものを
上級兵士に取り立てている。武士の原型は律令時代に生まれているよ。
>>596 律令制の軍団は、
たぶん歩兵中心で、主に接近戦で戦ってたんじゃないかと。私見だけど。
(甲冑が接近戦を考慮したのか分厚くて重い、
当時のまっすぐな太刀にハンドガードがついているなどから推測)
それに対して、騎馬弓兵が軽快に駆けて敵を弓で攻撃したほうが強い。
元寇でも日本に上陸した高麗兵の別動隊(歩兵)2000名が、
騎馬武者100騎ほどに襲撃されて壊滅してるよ。
>>598 おー、そうなのか。
確かに防人として集められた連中も、
御所付近を護衛するのは騎兵としてとりたてられて云々という記述はあるからなぁ。
単純に騎射のほうが強かった、というところかね。
>>596 徴兵制で集めた農民は、職業戦士と違って、そもそも気性の荒い軍馬を御して乗れないからじゃね?
逆に、生まれた時から世襲の職業戦士なら、弓術と乗馬術を一通りやるから、歩兵になる意味がないんじゃね?
http://www.sol.dti.ne.jp/hiromi/kansei/yoro17a.html ○02 隊伍条
兵士はおのおの隊伍を作ること(5人で伍、50人で隊)。弓馬が得意な人は騎兵隊とすること。
それ以外を歩兵隊とすること。主帥以上(校尉・旅帥・隊正)は、種別(騎兵/歩兵)ごとに統率すること。
両者を混成してはならない。
○13 軍団大毅条(※01条と同じ条名)
軍団の大毅少毅は、おしなべて部内の散位、勲位、及び、庶人の武芸を
称えられる人を取って充てること。校尉以下(校尉・旅帥・隊正)には、
庶人の弓馬が得意な人を取ること。主帳(軍団の書記)には、書算が巧みな人を取ること。
『続日本紀』神亀元年(七二四)四月癸卯(十四日)条
・坂東九国の軍三万人をして、騎射を教習し、軍陳を試練せしむ、
敵の蝦夷が騎射に巧みであり、歩兵戦術だけでは対抗できなくて
騎射も重視するようになったのではないだろうかね?
『続日本後紀』
・弓馬の戦闘は、蝦夷の生習にして、平民の十、その一に敵すること能わず
>>602 食い物のことまで細かく書いてある
つか個人携行品多いなおい
防人とか大変だなぁ
>>599 >それに対して、騎馬弓兵が軽快に駆けて敵を弓で攻撃したほうが強い。
>元寇でも日本に上陸した高麗兵の別動隊(歩兵)2000名が、
>騎馬武者100騎ほどに襲撃されて壊滅してるよ。
強弓を装備した騎馬弓兵って、やっぱ強いんだな・・・。
その分、養成・訓練も大変で、カネもかかるし、補給も大変なんだろうけど。
いやまあ、強さはともかく
数はあてにならんだろ…出典知らんけど
弓馬の道、それが武士。
つか、荘園の管理には欠かせなかっただろうよ。
1対20なら蝦夷が大和の平民を相手するときのキルレシオより上だなw
>>605 出典は、
元陸将の「海から見た日本の防衛―対馬海峡の戦史に学ぶ」。
>>602 その資料いいな!
しかし細かくやってるんだなぁ。
611 :
名無し三等兵:2012/10/20(土) 23:19:32.64 ID:YA1axHah
校尉以下(校尉・旅帥・隊正)には、庶人の弓馬が得意な人を取ること。
http://kotobank.jp/word/軍毅 >校尉(200人引率),旅師(100人引率),隊正(50人引率)
こういうところから上級兵士の武芸は弓馬の道みたいな
観念が生まれてきたってことか。
直接には健児制かもね。あれも役人の子弟の弓馬に秀でたものを
選抜する制度だし。
律令軍団は細かく決められてるなあと驚く反面、これじゃ戦意は期待できないよな
とも思う。手柄が一族の領地に直結する武士はそりゃエネルギーに溢れてるわ。
>>613 確かに。律令軍団って、手弁当の奴隷みたいだな。
>>604 ホントかウソか知らないけど、何百年かかっても水車一つ実用化できない人たちだから、
騎馬弓兵を撃退できる性能の長弓や、矢を防御できる兜・鎧・大盾は、持っていなかったのではないだろうか?
税の一種だから従軍中にいるものはすべて自前。農業生産性が低く生きていくだけでも精一杯なのに
一家の中で一番の働き手が取られるんだから負担はものすごく重く脱走が絶えずまた税逃れが横行した
ある国では成年男子が3人しかいないことになってるという記録もある
一応日本の弓は金属鎧貫くのが目的で進化してるからな
威力では世界最強クラスなんじゃねーか?
だから日本の武士が強いかどうかは知らんが
つまるところ、中国や朝鮮の軍隊は律令制下の奴隷に等しく、日本は封建軍だったのが、戦闘力に現れてくるのかね。
欧州でも軍団制が氏族や契約単位の封建制に置き換わっていったのあ、
戦士個人のメリットというのもあるのかもしれんね。
>>617 いろいろな説があって何ともいえんなーそれ。
621 :
名無し三等兵:2012/10/21(日) 01:43:56.56 ID:3ydgRnKn
カエサルの内乱記にある記述によると、カエサル軍がテッサリアに移動中、
ポンペイウスの優勢な騎兵の追撃を受けたが、
「これにカエサルは配下の騎兵隊を立ち向かわせ、これに軽装の前衛隊四百人を混ぜた。
彼らは見事に目的を果たした。騎兵戦を交えてことごとく撃退し大勢を害し、
味方は無傷で行軍隊形に引き上げてきた。」三巻75 とあります。
また、ファルサルスの戦いの直前には、
「わが騎兵は数の上ではるかに劣っていたので、前衛隊から機敏さを買って
抜擢した若い軽装兵に、騎兵の間に混り武器を手に戦えと命じていた。
彼らは毎日の実践から、こうした戦法を身につけていた。このやり方で千騎の騎兵が、
作戦上必要とあれば見通しに利く平原においてすら、ポンペイユスの七千騎の攻撃に
敢然と耐え、彼らの大軍にびくともしないという成果をあげた。」三巻82
そしてファルサルスの戦いにおいても、カエサルの歩騎混成部隊(歩兵600騎兵千騎)
がポンペイウスの右腕ラビエヌス指揮の七千騎の騎兵の突撃を受けてもたじろかず、
押し返すまでも至ったのが戦い全体の帰趨を決している。
ながながと引用なりしたが、歩騎混成部隊というのが、圧倒的優勢な敵騎兵を
なぜ押し返せたかというのがまったく理解ができない。
どういう事なのか分かる方いますか???
>>921 カエサルの戦術は、セオリーから外れすぎた変態戦術だからなぁ・・・。
毎回毎回、あれで何で勝てるのかが不思議。
ファルサルスの戦いも、
・戦場はポンペイウスの本拠地
・カエサルの軍は敵地で長距離行軍
・兵力でポンペイウス軍が圧倒
・騎兵でもポンペイウス軍が圧倒
・戦闘開始時点で、ポンペイウス軍がカエサル軍を、
圧倒的な騎兵戦力で左翼から片翼包囲の態勢(右翼は川)
(練度の差があった)とは言え、
これで、どうやってポンペイウス軍が負けたのか、実に不思議。
集団としての戦闘力に大きく差があったとしか
ポンペイウスの騎兵は貴族出ばかりで
槍で顔を狙うと利いたという伝説を聞いたことが(鋭い槍で顔狙われれば不細工でもビビルと思うが
というかローマの騎兵って基本役に立ってないような…
>>622 前の晩にポンペイウス陣営では「これで勝つる!」と、
宴会やら演劇やらをやってたんだよな。
ハンニバルやスキピオ以来の戦術の常識では、完全な必勝パターンになったから。
>>625 と良く言われるんだけど、そもそも騎兵って、もともと貴族出が多いのが当たり前だし、
槍で顔を狙って歩兵が騎兵に勝てるんだったら、みんなやってるよなぁ・・・。
>>627 ローマの槍は基本投槍だから例外的な処理ではあるけどね
>>628 ローマ軍のピルム(投槍)は、ファランクスの長槍より短いのに、
それでなぜ勝てたのか、ますます訳が分らんよ。
俺はファランクスの方が理解できんがな
穂先揃えて前進するだけでなんで倒せるんだか、穂先を切れる武器がなかったんだろうか
理由はともかく騎兵が面食らったとしか
マケドニア式ファランクスだった
632 :
621:2012/10/21(日) 03:27:30.58 ID:3ydgRnKn
みなさん、考えていただきありがとうございます。
カエサルは、「いつものように遠くから槍を投げるのではなく、槍を高くかざして敵兵の
顔や目を突け」と命じたとプルタルコス「ポンペイユス」69にあると、内乱記三巻の注釈
にありましたが、わたしは
>>627さんと同じく、
そんなんで勝てるの?戦術に暗いプルタルコスのいい加減な記述なんじゃないの?
という感想です。
また、優勢な敵騎兵突撃を打ち返す有効な新戦術が確立されたとなれば、
必ずその後すぐにその戦術は踏襲されるはずだとも思っているのですが、
ローマ帝政前期には、どうもそういう形跡がないように感じています。
(理屈っぽいカキコしてますが、不勉強であまり他の資料を読んでいませんが、、)
そんなことで不思議に思う気持ちがますますつのっています。
でも基本的にローマ騎兵の弱さには定評があるし、ハンニバルにせよスキピオにせよ、騎兵隊はガリア人かヌミディア人頼りだったろ。
加えてポンペイウスは現場の人間ではなく、高所高見から命令を下し、クレオパトラの接待で遊んでるような人間だった。
敵地に侵攻して何年も漂泊したハンニバルはもちろん、そのハンニバルと父親の代から戦い続けたスキピオとは比べものにならん。
カエサルだって、必要とあらば、自ら盾を取って前線で戦い、軍団を支えたりしてるんだしな。
牟田口が率いた軍隊なんて、どんな精鋭でも大敗すると思うが? (ポンペイウスはそこまで極端では無いにしても)
というか騎兵が正面から突っ込んでもよく訓練された歩兵は崩せないって方が定説だよ
>>633 ポンペイウスも一応歴戦の将だよ
とは言え、後世の俺らが後知恵を使っても、ポンペイウスの立場に立ってみれば、
>>627以上はやりようがないんじゃ?
カエサルやハンニバルやスキピオが大横綱とすれば、
ポンペイウスやスッラやマリウスは立派な横綱級であって、ポンペイウスの軍事能力は、
陸士・陸大でのペーパーテストが得意なだけの牟田口とは比べ物にならない。
それに、女好きと言ったら、ポンペイウスよりもカエサルの方が・・・。
クレオパトラも孕ませてるし。
それからローマ軍、少なくとも大隊制を取ってからのローマ軍の百人隊は、衝撃力では負けても粘り強いぞ。
敵ファランクスで隊を崩されても、隊長と旗持ちの下にすぐ集結して、再び編成を終えればまた戦えた。
その間は別の百人隊が戦い、それが崩れれば、再編成を終えた部隊がまた前線を支えるようになっている。
混戦になれば、前後の部隊が少しずつ交代し、いつの間にか入れ替わっている、なんて芸当すらやってのけたんだ。
ローマ軍が初戦では押されても、最終的には逆転できたのは、指揮系統が細かい、この大隊制に由来するんだよ。
100×100の一万人を数人が指揮するファランクスと、百人毎に複数の隊長がいるレギオンとの、統率力の差だね。
鐙まだ無いし、騎兵突撃の物理的な衝撃力はたいしたことないのでは
>>630 マケドニア式ファランクスの場合、叩くのは騎兵
歩兵は騎兵が横を突破して包囲するまで敵をつなぎとめておく役目
>635
リアルな話なんだから、負けフラグとは言わないが、戦う前から宴会開くなぞ、堕落したとしか言いようが無いよ。
三国志でも何でも、そうやって滅びた国が、中国の歴史には山ほどあるだろ?
軍人やスパイには「逆境に耐える」とか「質素を忍ぶ」資質が欠かせない。
クレオパトラを孕ませたのは、ポンペイウスも同様だが、カエサルは溺れはしなかったろ?
相手が悪かったのもあろうが、政治権力に王手をかけて、油断し自惚れたとしか思えない。
負けたから油断慢心と取られる
勝ってたら景気づけに酒を振る舞い士気をあげ〜
となる
宴会の準備をしただけで宴会はしてなかったと思うが
後知恵でも、どうやったらポンペイウスが勝てたか分らないところが、
カエサルの訳の分らない意味不明な強さだと思う。
>>632 >また、優勢な敵騎兵突撃を打ち返す有効な新戦術が確立されたとなれば、
>必ずその後すぐにその戦術は踏襲されるはずだとも思っているのですが、
>ローマ帝政前期には、どうもそういう形跡がないように感じています。
なるほど。確かにそれはそうだな。
ということは
誰も真似ができないから残されなかった
戦術で勝ったのではなかった
二つのうちのどちらかか
意味不明度で言えば
包囲軍を圧倒的に上回る兵力の解囲軍と包囲された部隊の共同攻撃
包囲軍の一辺を撃破
そのまま包囲軍の本陣を直接攻撃
何故か解囲軍の方が壊滅
アレシアもなかなかのものだと思う
お前らって最強の軍師だと思ってたけど実はわからんことも多いのか。
軍師なんてポジション無いから
遠くから槍を投げてお茶を濁すんじゃなくて勇気をもって接近して戦えみたいなことかもね。
騎兵も投槍を使う時代であるということを考える必要もあるかもしれない。
それに対して接近戦を挑むということかな?
有名なヌミディア騎兵も投槍を武器としていた。
おらは
ポンペウスとカエサルの戦いは
秀吉と家康や電光バズヤットとティムールや傭兵王とグスタフの戦いと
いっしょくらいワクワクする名人戦だと思うだ。
騎兵に突撃されれば普通は壊乱するが、持ちこたえたカエサルの軍団の士気と練度
元老院派の騎兵がカエサルの騎兵との戦闘で隊列が崩れていたと考えられる
ハンニバルやスキピオやマリウスやスッラやポンペイウスが、
なぜ勝てたのかは明晰に説明できても、カエサルが何で勝てたのか、
史家でもうまく説明できないでしょ。
そこがカエサルの謎であり魅力。
>>632 >カエサルは、「いつものように遠くから槍を投げるのではなく、
>槍を高くかざして敵兵の顔や目を突け」
これ、カエサルがやらせたんじゃなかったら、
「ボクが考えた、歩兵で騎兵をやっつける最強の戦法!!!」
レベルだよな。
カエサルの(軍団が損耗しても新兵を補充しない)という異様なポリシーのため、
同じ人数・同じ維持費で考えれば、最高の練度・最強の兵士を抱えていたというのはあるだろう。
>>655 それもやっぱり、後で誰も真似してないんだよな。カエサル一代限り。
弓や投擲系以外の武器を扱う白兵用騎兵が、もっとも衝力を出せるのは突入時。
突入後の乱戦は動き廻れるならまだしも、止まってしまったら逆に不利な立場に。
それを補う為、騎兵に随伴歩兵を付けるのはアレクサンド大王もやっていたよ。
ヘタイロイに対してのヒュパスピスタイとか。
ヘタイロイとペゼタイロイ(重装歩兵)間の隙間を補う意味も有ったけど。
後世、騎兵の衝力を復活させたグスタヴ・アドルフも、騎兵大隊と騎兵大隊の間に歩兵旅団から派遣されたマスケット銃兵を配置していたし。
紀古佐美の律令歩兵軍団がアテルイのエミシ騎射部隊に完敗したのは、
単純に律令歩兵対エミシ騎兵と言う以上に、アテルイが地形を上手く利用して包囲攻撃したこともある。
田村麻呂が律令歩兵でどうやってアテルイに対抗したのかよくわからないのが残念だが・・。
城・柵の整備と、調略だろうけどな。
紀古佐美がアテルイが巣伏で戦ったときの損害表の、
戦死者25人、矢にあたる者245人、川で溺死する者1036人、裸身で泳ぎ来る者1257人
って、軍記の万騎単位の計算に比べるとやけに詳細で生々しいんだよな。
やっぱり律令制の方が行政事務はしっかりしてたんだな。
>>660 これは面白い。
軍記物の(数を数える時はザクッと万)が、昔からデフォじゃなかったんだな。
>>660 おお!戦死者より溺死者の多いのがとてもリアルだ!
やっぱ武士より律令制だな。武士なんていいかげんで内乱してばかりで役に立たん。
クソ幕府なんて潰して律令制にしようぜ。
麻呂の城はどんな城?
zip城
>>662 てか溺死は戦死に数えてもらえないんだな…
確実に戦闘中死亡だろうに
20世紀以降の市民軍みたいに遺族に保障があるとも思えんが全くなしってこともあるまいに
だから戦闘時死亡と区別するのかもしれんが
>>660>>661 役所の記録は昔からきちんととってたってことだろうね
後の武士の戦争は、一面多国籍軍の編成みたいなもんだからな
損害消耗について詳細まで軍上層部が所管する立場にない
それ以前に軍記物は所詮小説なわけだがw
>>667 単に戦死の概念が違うんじゃない?
現在は戦争で死んだら戦死だが、
当時は戦って死んだら戦死、おぼれて死んだら溺死、くらいの区別なんでは。
>>660 これどっちが川を渡ってどっちの被害なの?
>裸身で泳ぎ来る者1257人
全部流されたか捨てたってことなのかね
666さんありがとう。
wikiの軍団(古代日本)だと、軍団兵士の個人装備は、
個人装備(自弁)
弓1、弓弦袋1、予備弦2、矢50、矢入1、太刀1、小刀1、砥石1、藺笠1、飯袋1、水筒1、塩袋1、脚絆1、鞋1。
個人装備(官給 ただし所定の数量を自弁で軍団庫に納入するため実質は自弁)
乾飯6斗、塩2升。
これをみんな捨てて対岸まで泳ぎきったか、そのまま溺れて死んだか・・。
想像すると弓道始めて半年、弓道大会新人戦初出場の弓道部新入部員100人を、
流鏑馬歴10年以上の射手奉行10人が一走三連射でなぶり殺しにしていく感じか。
>>674 もったいないと思って躊躇した奴から死んだんだろうな
>>674 全員が弓も持たされるのか。
えらいこっちゃな。
>>675 訓練体系はわからないけど、
モチベーションもメリットもない徴兵を集めて
ちょこちょこ訓練したところで、日常的に狩りやら何やらで
弓や剣を鍛えた蝦夷と矢戦もいやだし、接近戦もいやだな。
そのわりには半島では軍団兵が善戦しているようだから、
当時の兵隊の質はどこの国も案外そんなものなのかもしれんけど。
>>677 むしろ弓がメインだろ
しかしそれにしてもかなりな負担だよな
自弁つっても完全な個人負担じゃなくて送り出す共同体の負担だろうが
そりゃ戸籍逃れが横行するわw
海の向こうの死地なら逃げる場所がないからだよ
どんな弱兵も勝つか死ぬしかないところに追い込めば命もいらない勇者となるからな
>>674 個人装備に盾がないのはどうしたんだろうね?
それにしても、これだけの装備を自弁で揃えるというのは、
(武装は同じ村からの兵役組で使い回しが出来たのかも知れないけど)
当時の農民にとっては一財産だな。
>>682 律令時代の兵士って、盾持ってなかったっけ?
>>683 盾は重くて他の荷物と一緒に持って歩いたら兵士が速攻で潰れるので
兵士全員が装備したわけではなく、要所の兵だけが装備したと思われる
やはり国民国家が形成されるまでは、徴兵制は非効率的だろ?
カントン制度だって、プロセインがハプスブルク帝国に挑戦する最中に成立したんだし、それとて傭兵はいたし、軍律を守らせるのにかなり苦労している。
まぁフランスや神聖ローマ帝国までは傭兵、スペインやオランダ辺りまで来て、ようやく常備軍が成立するんだが。
>>684 つまりブロントさんのような盾ジョブがLSメンバーを前列で守ったってことか
>>685 市民軍のはしりとされるナポレオン軍だが、その強さは国民国家であることに非ず。
当時のフランスはヨーロッパ随一の人口を有しており、まず数で他のヨーロッパ諸国よりも優位に立っていた。
そして、その人的資源を惜しげもなく内戦と対外戦争(主に防衛戦だが)に注ぎ込んだ。
従って、ナポレオンがヨーロッパを舞台に大戦争を始めるころには、
フランスにはヨーロッパで最高の戦闘経験を持った恐るべき古参兵たちが集中していた。
無論、そこに到達にするまで、おびただしい数のフランス人が内戦で命を落としたが、
フランスの大きな人口はそれに耐えた。
市民軍は傭兵軍より強かった?当たり前だ。
そこらの傭兵よりも戦闘経験豊富なフランス市民がそろっているのだから。
ナポレオンがワーテルローで再起不能になったのは、
ナポレオンの天才から生み出される作戦を実現できる古参兵をすべて失ったから。
古参兵を失ったために完全に打ちのめされて敗北を認めたのは、ハンニバルもそうである。
ハンニバルはザマの敗北でスペイン以来の古参兵をすべて失った。
その後、ハンニバルは積極的にカルタゴをローマに降伏させた。
錬度の低い英独軍にワーテルローで大敗してるやん。
ワーテルローで不足していたのは、将校間のコミュニケーション。
古参兵は多く参集してた。
ハンニバルはカルタゴ降伏後にアジアに渡って再びローマ軍と戦うが、
そのときのハンニバルはもはや往年の冴えを見せることなく敗れ去り、逃げた。
天才も、天才の作戦を実現できる戦闘経験豊富な兵士がいなくては、勝てない・・・。
>>689 確かに相手も経験が浅いが、ナポレオンにも数的優位がなかった。
ていうか思いっきり劣勢だった。
ハンニバルの必勝戦術に必要な騎兵の数も質もスキピオに劣り
そのスキピオはハンニバルの必勝戦術使ってくるんだから勝てるわけがない
ワーテルローはナポレオンのミスだろ
あんな曖昧な指示だして遊兵作り出せば最後の時点で負けるわ
獅子に率いられたヒツジというのはウソか。
名選手が名監督を作るというのがほんとか。
ウェリントン閣下の反斜面方陣は砲撃は回避するわ、騎兵の全力突撃は阻止するわで、
まさに英兵の真価を発揮しましたな。
ナポレオンは会戦中に寝てるのがよくない。ウェリントンはちゃんと起きてた。
お前らいくらなんでも時代が違いすぎるぞw
日本も、長い戦国時代で戦闘経験を積んだ足軽たちが、朝鮮征伐で大活躍している。
日本軍が負けたのは、戦闘経験だけではどうにもならない海の戦いだった。
朝鮮征伐のころの軍船には2種類ある。
朝鮮水軍のような火力と装甲を増強したために船が重くなって航続能力がない沿岸専用の軍船。
そして、日本水軍のような日本から朝鮮への航海には耐えるが武装が貧弱な軍船。
一応、秀吉も火力を目いっぱい増強した巨大軍船を作ってはいるが、重すぎて朝鮮へ行くことすらできなかったため、1隻つくっただけで終わった。
日本丸のことである。
>>692 ナポレオンについては、戦役や作戦レベルでの機動や、会戦レベルでの戦術の妙を上げられる事が多いけれど、
まとまった兵力が有ると力押しに走ってしまうみたいだよね。
アスペルン・エスリング、ワグラム、ボロジノ・・・
歩兵の機動力を落とすので一度は廃止した歩兵砲中隊を復活させたりとかも。
逆に兵力の劣っていた初期の頃や末期のフランス戦役の方に見るべき物が有るかと。
その意味ではワーテルロー戦役は腕の見せ所だったはずなのに・・・
個々の会戦では兵力が上回っていたから?
ウエリントンより劣っていたから?
結局を渡洋してボカスカやるにはガレー船や安宅船ではダメで、
ロイヤルネイビー方式でやるしかないのか。
日本丸はわずか3門の重砲しか持ってない。
それでは朝鮮水軍の亀甲船には対抗できん。
ていうか日本丸は普通に朝鮮にいってるだろ。
海戦で負けたけど。
亀甲船ってのは史実ではどういうのだったの?
ウリジナルファンタジー史の信者に聞いたってまともな答えが返ってくるはずもなし、しょうがなかろ。
せめて史料にはどういう風に登場するのかとか。
ファンタジー準拠はさすがにいいです。
倭寇対策で対斬り込みと火砲に特化していったのが役だったんだろうとは思うけど
>>699 渡る「海」にもよるかと。
後は使い方かな?
ガレー船は沿岸の洋上警備に向いていたみたいで、18世紀まで使われていたし。
李成桂はもともと倭寇討伐で権力握った奴だし、
倭寇も絶え間なく続いていたから、文弱な陸軍と違って、
朝鮮海軍は戦闘経験が多かったのかも。
文禄で全羅道の海上交通を阻んだのは評価できるけど
結局釜山航路の閉鎖には失敗してるし海軍が撃退したという論調はどうかと
一隻あたりの火力で優勢でも日本側に集団運用されると強みは消えてしまう
ドラゴンの口から毒ガスがでるニダ
それには日本側もびっくりだな。
海上で毒ガス出しても自爆するだけです!
助けてくださいシャア少佐!
復元した亀甲船は見事沈没した事は秘密ニダ
むしろ全周装甲を施したあのクラスの船の推進力が櫂だけって少なすぎ
普通に考えて補給船でも帆張って風下に逃げれば交戦は避けられるだろ
装甲ではなくあくまで斬り込み防止のバリケードなんでしょうね
論拠はボロでも心はボロやな。
ドラゴンの口から毒ガスがでるニダ
→苦しいニダ
全方位に大砲ニダ
→煙で何も見えないニダ
装甲船ニダ硬いニダ
→ひっくり返ったニダクエンチャナオ
実は櫂で進むニダ
→遠洋に出るどころか港から出るまでで疲れたニダ鈍足ニダ
実は帆船ニダ
→アイゴー!!自慢の棘に刺さったニダ
本当はよくわからないけどこうだったらいいニダ
→知ってた
>>697 なにげに日本海は海流がぶつかる地域なので海難事故が発生しやすく、
朝鮮半島南部に直接向かうのは地形と海流の関係で難しいらしいね。
>>528 実験したんすか?
頭に火の点いたパニック牛の動向とか誰か試したんすかね
>>718 牛の種類とかもいろいろあるだろうけど
ほっとんど意に介してないな
さぞ熱いだろうに
牛の扱いに慣れてる者がやるとパニックにさせて前進させられるんだろw
wikiには、
この元祖「火牛の計」は、角には剣を、そして尾に松明をくくりつけるというもので、突進する牛の角の剣が敵兵を次々に刺し殺すなか、尾の炎が敵陣に燃え移って大火災を起こすというものである。
この方法であれば、尻をあぶられてたまらない牛は前方に猛突進するというのは、理屈にあっている。
って書いてるけど、尻をあぶられたから前方に猛突進するのが理屈にあってるっていうのも強引な説明だよな。
馬の目の前にニンジンぶらさげたから早く走るみたいな発想。
>>721 パニック云々はともかく、
日常的に駄牛を扱ってたなら、取扱いについてのノウハウは
現代人よりもあるだろう。
次は尻尾に火がついた牛の動画を探すんだ
動物愛護団体の訴えで削除されますた(ありそう
>>722 角にわざわざ剣をつける意味があるのだろうか
回収大変だぞw
>>723 現代でも牛の扱いに慣れてる者はいるからそいつに訊くのが早そうだ
豚に火をつけて敵陣に
今ちょうどニュースで復元した投石機の話をやってたが
2kのものを最長44mだそうだ
手榴弾でもないと役に立たんな
投石機にもいろいろあるだろ。
それはどこの国のどういう投石機だろうか?
>>718 むしろ牛が鈍くて盛り上がりに欠けているように見えるが
牛追いまつりのスタートってどうやって勢いよく牛を走らせるんだろうか?
そのやり方でやれば牛の群れを敵陣にけしかけるのも可能では?
>長崎県では、去年、松浦市の鷹島の沖合で、およそ700年前の鎌倉時代の元寇で沈んだとみられる船の一部が見つかり、
火薬を詰めてさく裂させる陶器の弾とみられる破片も周辺の海底に散乱していました。
「投石機」は、この弾をどのように飛ばしていたのかを探ろうと、長崎市にある県立長崎工業高校の生徒たちが県の依頼を
受けて3か月かけて復元しました。
何を復元したのかがそもそもわからない。投石機の遺物については触れられてないし。
3分の2か…あまり参考にならんか
武器と防具の方には襄陽砲として乗ってた
大きさとか書いてないから仕様についてはほとんどわからんわ
いわゆるトレビュシェット Trebuchet だよね。
石弾の重さや錘で飛距離がかなり変わるんだろうが、正確な距離を狙って飛ばすのは
無理だろうな。どういう目安で狙いを定めていたとかの覚書とか残ってないかね?
好事家が大勢いるなw
一応マール社の武器にいくつかの実測値と推定値が乗ってる
参考程度だが
古代の投石機は獣の腱のよじれの力が動力というが、それがどれだけの力を生み出すのか
イマイチピンとこないんだよな。何本も束ねて使うんだろうけど。
こういうの博物館でもやれよ、と思う。
>>744 残念ながら本邦の投石器ってきいたことがないからどっちにしろw
日本には城壁ないから投石器はいらんな
倭名抄にあるような「石はじき」のサイズとかまったく伝わってないからな。
律令時代に存在したってことしかわからない。
http://www.sol.dti.ne.jp/hiromi/kansei/yoro17a.html ○11 衛士上下条
衛士は半分に分けて、1日は勤務し1日は非番とする(=毎日交互に上番勤務する)こと。{特別な事情のない日を言う。}
下日(非番の日)ごとに、当府(衛士府)で弓馬を教習させ、刀を用い、槍〔ほこ〕を弄〔と〕り、また弩〔おおゆみ〕を発射し、
投石機を操作させること。午の時(昼12時)になったならおのおの解放して帰らせること。こうして本府は試練して、
その技術の向上を確かめること。別勅でない場合は雑仕は(教習)してはならない。
>>749 弩も投石器も持ってたくさい。
どういうものかは伝わっていない。
日本人が思ってるよりも律令制軍って、
大陸型の軍隊に近いみたいよ。
>>749 マジで知らなかったのかよ。
律令時代には大型の弩も手弩もあるし、投石機もあった。ただ役に立ったかどうかは定かではない。
少なくとも、騎射による野戦中心で城塞にこもるわけではない蝦夷相手には効果が薄かったんじゃないかな?
非番の日に操作できる投石器っていったい…
いや当直で投石器の練習はなかろ
ちゃんとした軍組織がないと、
半島でもろに中国の影響を受けた百済新羅高句麗なんかと
戦ったり屈服させたりできるはずがないものね。
それが騎射中心の武者に置き換わっていったのは、
おそらく健児制にしてもなかなかモチベーションや質の問題を
解決できなかったんだろうなぁ。
柵上に楼櫓を構え、鋭卒これに居す。河と柵との間に亦隍を堀り、隍の底に刃を倒立し、地上に鐵を
蒔く。また遠きは弩を発しこれを射る。近きは石を投げこれを打つ。偶々柵下に到らば、
沸湯を建てこれを沃し、利刃を振るいこれを殺す。十六日卯の時より攻め戦う。終日通夜
積弩乱発す。矢石雨の如く、城中固く守りこれを抜かれず。官軍の死者数百人なり。
律令時代の蝦夷討伐時の遺物かね?盛衰記にも弩が出てくるようだが、これも新規で作って備えたというより
前時代のものを活用したんだろうな。頼朝を迎え撃った平泉にも弩が備えてあったなんて想像もできるな。
475 :人間七七四年:2009/12/01(火) 23:15:03 ID:MVt9hcxQ
>>473 もうちょっと後かな。
源平盛衰記には以下の3例がある
1、山門南都同心せば、合戦ゆゝしき大事也、三井寺には、大関小関を伐塞、山には東西の坂に弩はり、
2、此佐々迫と云所は、東西は高き山、谷に一の細道あり。左右の山の上に弩多く張り立たり。
3、大形高所には弩を張柵を掻、卑所には堀ほりひしを植、屋形屋形の前には、此にも彼にも赤旌立並て、
いずれも拠点防衛のために設置されていて
前記2は大日本史にも引用され
「この後の戦闘、弩みるところなし」と述べられているそうだ
律令時代より前だけど、壬申の乱では両陣営とも弩とか投石機を活用したんだろうかね?
落とすにしろ、放つにしろ、石弓というのか。
そういえば、弩はいしゆみと読んで、
石を放つのも矢を放つのも律令制軍は一緒にしてるのよね。
中国だと区別していたかと思うが。
初期の鉄砲も石弓だったような
倭名抄だと弩の訓は「於保由美=おほゆみ」。
いしゆみと訓をふるようになるのはいつからだろうか?
誰か訓読みを。。。
意味はわかるでしょ。和名○○ってところだけが万葉仮名。
和名はこれをもって波之岐とし、
大木を建てその上に石を置き、發機をもって敵に投げる。
でいいのかな?
發って漢字は、中国の移動式投石器の發石車にも使うよね。
「石を置きその上に」じゃね
和名のところは万葉仮名で訓音を表しているだけ。
和名のところは「以(い)之(し)波(は)之(し)岐(き)」「於(お)保(ほ)由(ゆ)美(み)」というように読むのが
この本のルール。
国語の勉強は嫌いで頭が痛くなる。
でもなんか武器の威力や形態を考える上で大事そうだから不思議だ。
だれか於保由美を擬人化して美少女キャラにしてくれ。
「・・わたしね、本当は人間じゃないの。」
「・・な、なにを言ってるんだ、由美?」
「わたしね、本当は弩なの。・・・だからもう軍団に帰らなきゃいけないの。」
「由美っーーーーーーーーーー!!」
銀魂に出てきそう。
勉強になるんだが、ちっとも頭に入らない。
あ〜イライラする。
ダメだ。助けてくれ〜
自分語りってウザいよね
カチャ
( ゚д゚) ;y=ー( ゚∀゚)・∵;; . ターン
(|779|V .(|778|)
ドマイナーな時代まで詳しい人がおる
得難いスレだな
とはいえ本体だけ出土で華奢な代物が実戦用とも言い難かろう
実戦に向かない=すべて祭祀品みたいな考えがちょっと受け入れがたい。
サンプルとか試作品とかもありえるわけで、祭祀用と決め付けるのは
どうかと思ってしまう。
>>781 儀礼全般ひっくるめて祭祀って認識なんじゃないの?
漢書や後漢書でも大陸との交流の記録はあるんだし、存在していた武器が全く知られてなかったってのも断定しがたいよな
祭祀に使うなら実用に供する本格的なものの存在も背後に見ておくべきだろうが、それは今後の発掘に期待するしかないね
>>783 それも考えたけど確率的には祭祀用と考えた方が合理的な気がする
まあ出土地がどんなとことこだったかにもよるんだが
まあ解釈の余地が色々あるってことで。
祭祀とすれば当時の最先端兵器を祭って武運を祈願したか?
きゃしゃだから祭祀って、
どうきゃしゃなのかもわからんし、何をもって実用品と考えているか
分からないな。
日本の学者はすぐ祭祀用だ、と決めつけるからなぁ。
用途不明=祭祀用みたいなところがあるな
後漢や晋と関係があるなら、五胡十六国とだって関係を持っているだろう。
騎馬民族が渡来したのではなく、倭が五胡の国々から騎馬戦術や軍事政権を模倣した。
遣隋使や遣唐使と同じだよ。
文献とセットじゃないと結局想像しかないからな…
>>790 騎馬民族がやってきたことを示す文献もない。
「大陸の文化を学ぶ」の延長上で五胡十六国の文化政治軍事を学んだとするほうが無理がないぞ。
だいたい当時の祭祀がどんなものかもいまいちわかってないんだから、
>>788のいうように
用途不明なもの=祭祀としておこう、という不文律でもあるんじゃないのか。
強度とか、この材質はそもそも弦をはれるかはれないのかとか、
どれだけの強さの弩にするかによっても違うだろうに。
戦国時代に鉄砲という新兵器を持った異民族が侵入し、またたく間に日本国中が
彼らに支配されてしまった。その証拠は大量に使用されるようになった鉄砲である。
その例を踏まえれば騎馬民族侵入説は理解しやすい。
>>791 当時の倭国は、魏晋朝からの流れで南朝に朝貢していた
北朝との接触がゼロということはなかろうが、学ぶならまあ南朝からだろ
>>794 距離的に考えたら、朝鮮半島経由で北朝にアクセスするほうがありそうだと思うが。
近藤さんの本読んでたら
弩とかいて「おおゆみ」と読むのが正しくて(古典だとおほゆみなのかね、よく知らん)
「いしゆみ」と読むのは間違いなんだそうな
根拠は書いてない
>>795 朝鮮半島に領土を持ってはいたが、大陸への通路は敵国だし
外交関係結べる状況じゃない
北朝って、まあとんでもない野蛮人の集団だし
後の遣唐使でもエラい危険は高かったが南ルートで使節送ってるし、そっちを選んだんだろ
>北朝って、まあとんでもない野蛮人の集団
東晋人乙
写真見る限りどう見ても実用品だと思うんだが。鏃もみつかってることだし。
どこがどう華奢なのかさっぱりわからない。長さ90cmもあれば矢を射るにはむしろでかいくらい。
弩を模した木製品という説明にも根拠がない。実物だって木製だろう。
それにクワの木は楽器につかわれるくらい硬いことで有名だ。
考古学者ってバカだな。
>>796 日本書紀推古26年の条や和名類聚抄で弩(オホユミ)とイシハジキ(=イシユミ)ははっきり区別されてる。
弩をイシユミと訓じるようになったのはこれらよりも後の時代だから。
あの戦乱期なのにな
民族構成も大幅に変わっていったとかもタブーなんだろうな
考古学専攻の従姉妹がお花畑なこと言ってたのを思い出したよ・・・
豊かで平和で争いのないとか云々って
考古学の世界は狂ってるんじゃないかと思う
780〜の東北で律令軍ってどういう戦い方してたの?
後北条と真田の戦いみたいなイメージしてしまった
>>804 そいつはお花畑だな…
>>802 弩アレルギーがあるわけじゃないし
唯一の事例をもって断定しないのは普通の姿勢だと思うぞ
まあ木製品はそもそも残る可能性低いだろうから永遠に解けない問題かもな…
弥生時代に弩使ってると何か困るの?
権威ある人が言っている定説に反するから、
確実な証拠が出るまでは慎重な表現にならざるをえない
っていうのは有るのかもしれない
慎重なのは悪い事では無いけどね
でも明らかにおかしい部分でも訂正遅いような
慎重な姿勢はもちろん大切だが、不明なものをとりあえず祭祀のためだとか、
あちこちで見つかる鏃を全部青銅製品の原料目的であるかのように
誘導するような意図が見える感じなのはなあ。
まず実用品としての弩があった可能性を出してからその辺の説を並べるべきだろうと思うわ。
後北条と真田の戦いがイメージできないのだが、どんなかんじなのか?
>>795 距離的にはそうかもしれないけど、
前に出した松村元陸将の「海から見た防衛」によると、
どうも朝鮮半島の間は海流の関係で、まっすぐ南部に上陸するのが難しいみたい。
一度西側に大きく進んでから、海流を間切るようにしていかないと
いけないらしく、また島や暗礁が多いので難易度は結構高いとのこと。
しかも波も荒く気流もある。
だから文禄の役でも対馬の宗氏を先導にしている。
さらにいうと朝鮮半島北部って、わりと昔から異民族がいきかう地域。
それを考えると中国からの直接伝来って、朝鮮半島と同じくらいルートが
太くてもおかしかないと思うんだが。
倭国からの中国への使節って半島経由で到着したとか聞いたことないし。
>>802 たしかに慎重になるのは結構だけど、
争いがあったはずがない、高度な軍事技術があったはずがない、
という大前提がある臭いがどうしてもするんだよね。
海外の史家だと一応実験してみたりとか、
軍事技術についてもちゃんと再現しようとしてみたりとか、
色々やって詳細な研究も出ているけど、
日本の史家は文献講読一点張りな気がしてならない。
稀に和船再現プロジェクトとかやってても全部民間発だし。
>>814 遺跡とか地域の教育委員会、つまりは学校に繋がるんで
いろいろと影響あるんじゃね?
半島から来た民族に攻め滅ぼされましたとか、始終争って殺しあってましたとか
やっぱ書きにくいところなんだろうよ
>>815 >半島から来た民族に攻め滅ぼされましたとか、
弩があるのは大陸系の民族に在地系が支配されたって解釈?
確かに戦国時代も鉄砲というそれまでなかった武器を所持した
外来勢力に日本が支配されたのは明らかですしねえ。
>>815 そんなもんを理由に歴史をゆがめるほうが怖いし、
むしろ半島起源説のものが古代史にはあまりに多いからね。
稲作が実は半島よりも日本のほうが早かったという事実とかは
抹殺されがちだし。
だいたい半島ー日本間は近いように見えて案外行き交いが大変なので、
何でもかんでも半島経由にするのはどうかと。
>>818 騎乗戦闘の技術を持った騎馬民族が渡来して古代日本を支配したように
鉄砲関連の技術を持った外来勢力が戦国時代に日本に来て国を支配したんですよ。
それまでなかった戦闘技術が普及したのだから外来勢力が支配したのは誰の目にも
明らかです。
>>819 えーと、騎馬民族征服説はまだ確定情報じゃなかったはず。
それから鉄砲関連の技術を持った外来勢力が日本を支配って聞いたことがないんだが、
その「外来勢力」って何を指してるの?と聞いているのだが?
>>804 考古学では入れ替わり説は採用してないからな
海外だとどこそこの民族が来て建築して居座ったとか追い払ったとかあるが日本は無かったことにしてる
いきなり中国歴の石碑が出てきてもそんなことは考えない
そりゃ自分が迫害された先住民だとは思いたくないからな
縄文期にはほとんど人口が居なかったから地にいきなり万単位の人口が表れて西日本に勢力を伸ばしつつあった東日本人を屈服、支配していくなんてな
おれも挽肉だと理解していたぞ。
ここは軍板なのに、やけに文化系歴史学的考察を披歴する方々多数いるので、
>>822 なるほど理解した。
確かに鉄砲というものが入ってきたから=外来勢力による屈服
という図式が成り立たないもんな。
弩が入ってきたからといって云々も同様に成り立たないということか。
すまんすまん。
>>821 縄文期土着じゃなく、
中国の戦国春秋時代に日本に流れ着いた民が大和民族になったと
かんがえるほうが自然かもしれんけどな。
必ずしも最初から日本に住んでた民族=日本民族と考えなくてもいいわけだから。
そもそも今でこそ戦国春秋時代の国家も=中国人と思ってるけど、
当時の中国国家なんて民族性も違えば言語も違っただろうからね。
今ですら中国は省が変わればまともに北京官話も通じなくなるし。
騎馬民族説にもそれなりに根拠はあるんだよ。
1 4世紀後半に古墳の祭られ方が変わる
2 副葬品の変化が、急激すぎて不自然
3 農耕民族は保守的で、異質な文化を拒むはずだ
4 北方騎馬民族の文化が、丸ごと輸入された(人が移動?)
5 馬と牛の数が、いきなり増えた
6 武装した王侯貴族の副葬品が出土する
7 古墳が軍事的な要地に集中していく
8 騎馬民族が、海を越えて征服した例は少なくない
われわれは呉の太白の末裔だよ。
ものいいだ。
>8 騎馬民族が、海を越えて征服した例は少なくない
そんな事例あるんですか?
>>825 まあ時期の早い遅いはあっても日本人は全部どっかから流れ着いた民族なわけだが。
騎馬民族説の大本の江上によれば、五胡十六国の頃の日本は、北魏に似ているらしい。
そこから「日本に騎馬民族がやってきた」とした。
だが、別に騎馬民族が来なくても、大陸文化を貪欲に摂取するのは日本のお家芸であるからして。
>>826 どうなんだろうね。
単に新しい貿易ルートができた、
大量の帰化民が出来た、とも考えられるし、
何らかの戦争が起きてその結果、馬や武器を増やさざるをえなかった、
とも考えられる。
騎馬民族説の場合って、
その数も出自もいまいちわかってないんだろ?
日本はなんだかんだかなり大きな面積を持ってるから、そこの土着民を
征服しつくすほどの数がわたってくるとなると、
半島や中国の史書にも何らかの記載があってもおかしくないと思うけどね。
大体古墳時代はまだ農耕民族って言うほど時間経ってないし
日本人は海外文化を好む民族だしな
シナはともかく、半島って史書なんか残ってるの?
騎馬民族であった蝦夷を、歩戦主体の騎馬民族であった大和が征服、というのもつくづくおかしな話で。
>>834 だとするとローマが拡張できた理由も説明できなくなるよ。
ぶっちゃけ騎馬民族じゃねーだろ、大和。
そもそも蝦夷が騎馬民族ってのも正解なのかい。
,---γ''''''''-、、
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/ノノノノノノ从 ヾミミミヽミミミミミミヽミ
/;;;;ノノノノ ノリ 从ヽミヽミミミミミノ从 正解じゃない
;;;;;;;ノノ -=・ =・ゝ ;ミミミミミミ
;;ミミミl ;; ノミヽミミ
ミ从 (、_、 ) ;;;|ミミリノ
ミミlミ ___ _ ノ;;;|ミミミリ
ミlミ::: ー===-' /;;ノミミリ
| ヽ::  ̄ /|ミ/
|::: ヽ、___, ' |
>>626も皮肉とか釣りの類にしか見えないほど突っ込みどころが多いな。
>3 農耕民族は保守的で、異質な文化を拒むはずだ
日本人「一体なんのことですだそりゃ?」
確かに日本では外来の仏教は普及しなかったし、
戦国時代も頑なに昔からの武器だけで戦い続けたっけ。
>>837 蝦夷って狩猟採集民族だとは思ってたけど、
騎馬民族って話はどっからでてきたんだろう?
>戦国時代も頑なに昔からの武器だけで
?
>>843 >確かに日本では外来の仏教は普及しなかったし、
汚客さん対応か・・・。
……。
日本人は異質な文化を好まない農耕民だから
唐風の文化を受け入れることもなかったしな。
律令時代なんてなかったんや。
もし律令時代があったとしたらそれは大陸の民族に
征服された結果ということになるわ。
このどちょんまげ
形骸化した官位だけ残って
実業家がひしめく国に変化してったのは面白いね
日本は仏教国だし、土着の神道も信仰されてるよ? 葬式は仏教式だし、初詣なんて珍しくもないだろ。
よく「日本人は無宗教だ」とか言われるけれど、それって実は日本人自身が主張してるだけだ。
上記を欧米人に説明すれば「それを信仰と呼ぶんじゃないのか?」と反論するだろう。
むしろ日本人は、クリスマスやハロウィンに見られるように“多神教”と呼ぶべきなんだ。
八幡神のように土着の神でありなが
、自身は仏教徒、なんて神も存在するくらいでね。
また戦国時代こそ、もっともキリスト教が普及した時代で、この当時は人口の一割がキリスト教徒だった。
まあだいたいヨーロッパ人自体、トナカイに乗ったサンタクロースとかがおりこうさんだった子供にプレゼントくれるとか、
カボチャかぶった子供がお菓子くれないといたずらするぞ〜〜とか、
あきらかに聖書に記述のない、キリスト教の皮をかぶった土着の民間信仰を信じてるしな。
実際、ヨーロッパ人も自分たちが思ってるほど一神教ではない。
>>850 仏教国になったのはそれなりに時代が下った後だと思うんだが
お前らいつの時代の話をしてるんだ
デボン紀
じゃあ俺は先カンブリア紀
仏教伝来って562年だっけ?
別に時代を限った話はしてないだろ。
「異質な文化を好まない農耕民」なんてことはないって話をしてるだけで。
>>851 欧州も国によってサンタクロースの衣装や内容も違うけどね。
そもそも聖書自体が、「悪魔」として土着の神なんかを取り込んできた歴史があるわけだし。
話が関係ないところに飛んでるしもういいだろ。
ところで投石機の動画を見て以来、バリスタの再現動画も探してるんだが、
これと言ったのがなくて困ってる。ねじれが動力じゃなくて弓のしなりを
つかってるのとか、構造はいいんだが小さいのとか、なんか満足出来ないのが多い。
オススメのバリスタ動画はないですか?
>>859 今ひとつどう操作しているかわかりにくいのがちょっと残念かな。
装置の動作自体はわかりやすくていいんだが。
無銘伝山浦清麿どうなんだろうね
864 :
名無し三等兵:2012/10/24(水) 18:32:33.79 ID:gsYDk5bZ
人殺し集団
織田信長
織田勢は素早く比叡山の全ての出口を封鎖した。3万の軍勢で山麓を囲み、退路を完全に遮断したのである。
佐久間信盛や武井夕庵ら臣下の諫止は一切受け付けず、黄金を贈って信長の怒りをなだめようとした山門の
申し出も一蹴、信長は宗徒を根絶やしにする姿勢は決して崩さなかったのである。
合図とともに鬨の声をあげながら、織田勢は攻めかかった。見つけられた者は僧俗、老若男女構わず無差別に殺された。
山頂においても徹底的な破壊と殺戮が行われ、根本中堂をはじめ、4、5百という堂塔坊舎の全てに火がかけられた。殺された者は3、4千人(諸書によって違いがある)にものぼり、比叡山は累々たる死体で埋め尽くされたという。
徳川家康
1569年の遠江堀川城攻めで気賀一揆を老若男女撫で斬りにした。
後で捕らえられ首をはねられた農民も合わせて千七百名が殺されている。
伊達正宗
政宗は大阪夏の陣の時。水野勝成勢の神保相茂隊約300人全滅の味方討ちを実行した。
その理由が「度々我ガ手先ヘ働キ来ル事ヲ口惜ク思ヒケルニヤ、鉄砲ヲ打掛ケル」(『難波戦記』)とある。
つまり伊達隊に割り込んで戦功を立てた事を悔しがって突然味方に襲いかかったのである。これは当たり前の事
ながら諸大名の大ヒンシュクを買い、特に島津家では『薩藩旧記増補』等で散々にこき下ろされている。
松永久秀
度重なる裏切り、将軍暗殺、東大寺を消失させたなどの悪行の限りを尽くした。
年貢未進などの百姓を処罰するにあたっては、蓑を着せ、火を放ち、もがき苦しんで死ぬ様を「蓑虫踊り」と称して、
楽しんで見物したとも伝えられ、彼の死を領内の民は、農具を売って酒にかえ、大いに祝ったとも口伝えられている
865 :
名無し三等兵:2012/10/24(水) 18:49:00.90 ID:gsYDk5bZ
沖縄で、薩摩藩の武家の出身だと言ったら、ほとんど嫌われる。
>>865 そりゃそうだ
まあ、沖縄本島が他の島にやってた事のコピペだけどね
>>861 その時には丁度アルキメデスが居たので
西洋の学者はスーパー兵器開発したり使える奴らが多いな
東洋だと墨家以外ほとんど口先だけなのに
沖縄本島に逆らった石垣島のオヤケアカハチは一族郎党皆殺しにされたもんな。
ソーラレイ発射!!
アステカは哀れな被害者!→アステカは散々他の部族を狩りまくってました
みたいなもんか。
神道や天皇家の祭祀に、獣を屠るようなものが皆無。
むしろ潔癖なまでに血の穢れを忌避していることを考えれば、
天皇家が騎馬民族の末裔でないことは明らか。
例えば、仮に天皇家が騎馬民族の末裔とすれば、
古事記でスサノオが、機屋に皮を剥いだ馬を投げ込む場面があるけども、
機織娘は驚きで機織り機で女陰を突いて死んでしまうどころか、
(馬はこの後、機織娘みんなで、美味しくいただきました)
(スサノオさんありがとうございました)
という描写になるはず。
古来の大和言葉に馬の去勢やら牛馬をほふることに関する詳細な専門用語が多数残されているとかなら
わかるがそういう形跡がないからな。
騎馬民族が征服したよりも、農耕中心に権力を蓄えた勢力が新しい兵科として
騎兵を積極導入したということのほうがはるかに説明しやすい。
>>872 だよね
騎馬民族征服説って一時その新奇さでもてはやされたけど、
20年以上前にもう終わった学説だろ
アルキメデスの鏡のヤツとかって実験されてんのかな?
>>874 ハンバーグ焼いたりくらいはできるんじゃなったっけ。
ものすごく気長に停泊している船に当て続けるとじきに煙があがるとかそんなレベルか?
鏡だと焦点距離調整できんから役に立つとも思えないが
鏡があるだけでもすごいけど
アルキメデスの鏡については、イタリアが実際に軍隊を動員して実験している。
青銅の盾を磨いてた鏡を、数十人が一斉に当てると、快晴の日なら数十分で、船の帆へ着火したそうな。
つまり条件が厳しいが不可能ではない……嫌がらせにはなったろうし、射程はべらぼうに長い訳だ。
沿岸から追い払うくらいには役立ったことだろう。
それから、アルキメデスのクレーンはローマ側にも記述が残っているし、これも事実と目されている。
またアルキメデスは、カタパリトを使った、ある種の要塞砲も考案している(マンガの物とは違うが)
これは脆弱部を守るため、攻城兵器をアウトレンジして、寄せ付けぬ事を主眼としていた。
もう感覚からして現代人的としか言いようがなく、当時の人間から見れば、明らかに天才だったろうね。
アルキメデスは。
879 :
名無し三等兵:2012/10/25(木) 00:02:27.25 ID:vxnjiZQT
人殺しの話 続けるの?
騎馬民族じゃなくても多民族によって建国されたのが日本だろうね
・魏志倭人伝に馬の記述無し
・騎馬民族に征服された弱小日本
・日本の馬はポニーサイズで騎乗戦闘に適さない
・日本は明治になるまで蹄鉄無し去勢無しで馬の扱い方わかってないと馬鹿にされる
馬の扱い方も知らないのに騎馬民族を名乗る集団が
わざわざ大陸から騎乗に適さない小さな馬を持ち込んで
卑弥呼ジャパンを征服した
まとめるとこうなった
>>882 日本馬は蒙古馬を源流としているので、
大きさ的には全く問題ないですが。
もしかしてでかい馬に乗った騎兵じゃないと強くないと主張してた人?
南部馬の最高級軍馬は150cm以上あったらしいからな。
南部藩の殿様の馬は5尺2寸5分(157・5cm)あったそうだし。
それは藩内に8万頭いた馬の中からから選ばれた最高級軍馬。
今の日本の男子高校生の平均身長でダルビッシュや大谷や藤浪のピッチングを想像しろといっても無理だろう。
>>886 南部馬は蒙古馬とは系統が異なってるのかな?
>>878 燃えやすいところを狙うのは確かに当たり前だよね。
あとは計算された一定の角度で光線を集束させるとか何か伝わってない秘密があったのかもな。
色々考案して活躍させているところを見ると数学的天才だけじゃなくて
軍事的感覚もあった人なのかな?
>>888 大和朝廷が東北遠征した頃にはすでに土着の馬がいたので
独自の日本海貿易ルートで北方から渡来したと思われ
>>890 いや、馬ぐらい在来種がいるだろw
化石では存在が確認されてるんだし
倭人伝では馬なしなんて記述されてるけど弥生時代の日本に馬がいたのは確実なんだよな
家畜化されてなかったからわからなかったんじゃないかなんて歴史家はいうが
明治以前の日本の家畜管理の特徴が去勢による選別と血統管理の不在だから、もし海外から血統が入ってきててもこれだけ時間が経ってたらもうわからんだろ
邪馬台国じたい幻国家というか
どっかの小島の話かもしれんし
りうきうとかだったりしてな
>>891 魏志倭人伝は西日本のことだけ言ってる可能性も
>889
どうも軍事的才能と言うより、科学全般に関わる、特異的な才能があったみたいだよ。
と言うか、逆にまともな軍人だったら、海岸沿いの城壁に、クレーンを設置したりはしないだろ?
喫水面ぎりぎりで隠れるよう、海底に杭でも打って、やれば済む話なんだから。
深すぎて無理だったとしても、クレーンより先に打つべき手はありそうなもんだ。
それこそ前述の砲塔だの、何らかの火炎放射器だのと。
ガントリークレーンみたいなのを据えつけたんだろうか?
897 :
名無し三等兵:2012/10/25(木) 19:48:34.08 ID:vxnjiZQT
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|:::::ハ .i::/ !::| ●` ●ヾハ| |:ミ ●` ● ミ/| | | ●` ● i | |::| ●` ● ゙|:::|:::::::::|
Ww\ ・ _ノ /ハ::::: :::レ/ !ハ::::: :::レ メ ! |::::: :::i | !::i::`ー-' `ー-' i::/:::::::::!
/ヾ ̄下~ i_/ ´\ ・ ,ノヽ /!´\ ・ ,ノ' i `i / |\ ・ ,ノ| .| /!:;:;\ ・ ,ノヽ:::::::/
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なんかNGしてる奴が書いたみたいだなw
つかアルキメデスが使ったクレーンってひょっとしたら兵器じゃなくて、
単に荷揚げ用クレーンだった可能性もあるな。何も知らないローマ軍が防御兵器と勘違いしただけで。
>>891 その化石になってる馬が新石器時代まで日本で生き残っていたという証拠は今のところ無い
故に現在の日本在来馬の先祖は大陸から渡来してきたというのが斯界の定説。
その説だと南方系の小さい馬は雪の下の草食えないのに、
南部馬や寒立馬が雪掘って草食えるのも理屈に合うな。
網野善彦の本だったか、長野県から発掘された遺跡には北方遊牧民の習俗
が描かれていたそうだ。馬の尻に旗を立てる描写だったかな。
このことと日本の東西での馬の飼育方法の違いから、東国の馬は西日本と
は別ルートで渡来したと結論付けていた。
西では川や海など湿潤な水辺の流通路にそって牧が小規模に点在しているが、
東では冷涼な高原や台地で大規模な牧が経営されていた。飼育文化がちがうんよね
東国にも、温暖な上総に大規模な牧があって
頼朝の軍事力の根本の一つとなってたししどうだろ
単に融合しただけかも知れないけど
阿部比羅夫は北海道まで行ってたし、渤海とも国交あったから、色んな文化は当然伝わっているはず。
>>900 どんな暴論よw
その場合絶滅した証拠か何か遺伝的種族的特徴の存在が逆に必要だろw
908 :
名無し三等兵:2012/10/27(土) 02:25:43.24 ID:ESjxxCnR
二人遊んでろ。メール交換でもして
混血して残ってると言いたいんだろ
純血がいないことには変わりあるまい
面白い話ではあるんだけど、道灌の騎馬足軽を除いてて、中世日本には騎兵の概念がない。
身分制度と不可分の『馬上』が、小規模な騎馬戦を行ったのが史実だから、ここで結論を求めても意味が無いのでは?
そもそも学会ですら定説の出てない意見なんだし。
そんな小規模騎馬戦も外から見ると結束した騎兵に見えたらしいな。
王ツ『汎海小録』
「兵杖には弓刀甲あり、しかして戈矛無し。騎兵は結束す。殊に精甲は往往黄金を以って之を為り、珠琲をめぐらした者甚々多し、
刀は長くて極めて犀(鋭い)なるものを製り、洞物に銃し、過。
但だ、弓は木を以って之を為り、矢は長しと雖えども、遠くあたわず。人は則ち勇敢にして、死をみることを畏れず」
そもそも何故騎兵の概念が無いとはっきり言えるんだか。
日本は原始的な小競り合いに終始していたという先入観ありきで語ってないかい?
源平時代から戦国時代までそうなんだけど
戦闘の単位が分からん
現代なら師団が主たる独立した戦闘単位か?
ローマなら兵種別に振り分けるだろうから人数によって大小はあっても戦闘単位は一個
スライムとキングスライムみたいなもんだな
一族郎党が基本単位なら騎兵隊はおろか槍組や弓組といった区分けも難しい
関ヶ原見てるとまんま連合軍で東西軍とも一つの単位じゃない
最大でも大名(?)単位
島左近や蒲生が三成と独立して戦ってたなら有力家臣がそれぞれ一単位になる(あとは大将直参か)
仮にそういった親分子分システムだと親分の力は一最小単位子分の寄せ集めにすぎなくなってしまう
そうすると最小単位の子分それぞれに槍組とか弓組とか必要になったりして全体が統括する「〜組」というものがないことになる
つまり寄せ集めw
まあ一番槍システムとか名誉を重んじるならこれでも吶喊吶喊で戦えると思うが、野蛮そのものだなw
(十字軍の騎士がそんなんだったきがするが)
大将のやることは手綱を締めるか、鞭を打つかの二つだけ
実際どうだったんだろうね?
何を聞きたいのか意味不明だな(笑)
現代では師団を戦術単位(unit of action)にすることはあまりない。
日本の陸上自衛隊なら連隊戦闘団、今の米軍なら旅団戦闘団、Brigade Combat Teamだな。
ロシアもほとんどの師団を廃止して旅団に改編している。
備が独立して作戦行動が取れる最小単位じゃなかったっけ?
備
士大将、騎馬隊、弓組、鉄砲組、長柄組、旗組、軍監・目付、太鼓・貝、小荷駄
戦国時代では1万石で外征時に200人程度、領内で350人程らしい
侍+奉公人+足軽+その他の人夫で各組が構成されるけど、
騎馬隊は侍+奉公人で構成される
一応井伊家現当主が書いたそのものずばり「赤備え」って本があって
そこにも多少乗っててるんだが
独立戦闘を求めるのを備と呼んだだけって感じでそれぞれの備に共通項は見出しにくい
先手二組が千四百と千四百弱
で本体が
左右の備えで四百五十づつ
殿軍が五百とあと旗本
先手二つと本体合わせて三軍
先手二備に左右と旗本殿軍合わせて六備えだが
旗本を上記のように殿軍に含めて五手という
と、いかにも言葉のぞんざいな使い方が
細かい内訳もそれなりに載ってるけど割愛
>>913 日本語が不自由な上にバカにしてるような書き方が凄く不愉快です
だいたい近世ヨーロッパの連隊とか大隊とかも千差万別で必ずしも統一した概念とは言いがたい。
もともと中隊も連隊も戦闘の単位ではなく、経理・会計や軍事行政の単位だった。
中隊で編成された連隊があったり、大隊で編成された旅団があったり、大隊で編成された連隊があったり、連隊で編成された旅団があったりする。
連隊長は必ずしも指揮官ではない。世襲の連隊長もいれば、連隊編成権を売買するやつもいる。
連隊も一族郎党単位で編成したりしていた。〜公爵連隊とか、郡連隊とか、自営農民騎兵連隊とか、〜ハイランド連隊とかあって、
編成も必ずしも共通していない。大隊の数も連隊によって違う。1個大隊の連隊も多い。
イギリスでは連隊は軍事行政の単位で、戦闘の単位は大隊。しかし騎兵では大隊がなくて中隊が単位だったりする。
>>913 十字軍時代どころかマウリッツさん以前はヨーロッパもそんなもんじゃなかった?
騎兵の概念の有無というよりも、封建的社会システムのもとでは分かっていても、
権力構造的に兵科の分類や指揮系統の整理ができなかったんではないのかね。
現代で言えばPKOが一つの軍として統一されていないって文句をいうようなもんだしね
最近読んだ「戦国の軍隊 学習研究社 西股総生」では、全体の論調には飛躍が
感じられたものの、後北条氏の知行割を詳細に分析して、戦国後期の指揮官
クラスの武士が分権的領主権から切り離されているという主張は興味深かった。
当然ながら同じ戦国時代でも時代や大名家によってかなり実情は違うんだろう。
武士の直臣化が進んでいるところは、軍の指揮系統も整理がしやすい。
というか、それが直臣化の目的の一つだろうな。
「備」自体に画一的な規格がないとしても、集権的な指揮系統を持つ軍隊が
遅くとも桃山期には出現していたとは言えそうだ。
>>920 マウリッツの時代は、
オランダ人が一致団結してスペイン軍に抵抗する意思を固めていたから
できたことで、
マウリッツの前のウィレムの時代は有象無象のドイツ人傭兵に頼ってた。
>>913 ついでにいうと欧州の場合は、
騎士の部下の騎士は部下ではない、という特殊な状態でして。
あくまで契約関係は騎士同士の直接の主従には適用されるが、
そのさらに下となると命令すら守る義務がない、ということでめちゃくちゃ。
なんか西欧=常に先進的で優れた軍制
日本=野蛮で遅れている
みたいな思い込みを持ってないかね?
>>910 平然と祭器の証拠もないのにこれは祭器です、
環濠集落をみてもこれは獣に備えるためで防御用じゃありません、
と主張する史学会自体が信用できないんだけど。
>>917 >一応井伊家現当主が書いたそのものずばり「赤備え」って本があって
は?あの本の著者が井伊家の現当主?
西股の本は面白かったね。
歴史学者は軍事がわかってないと何度も書いてたね。
>>917 あれは徳川家先手の更に先手という立場から、部隊規模(特に鉄砲隊の数)が多いため
備は戦時編成だから状況によって内容も異なる
「諸兵科連合の独立戦闘が可能な最小単位」という基準で見て、定数は家中単位で見るべき
兵科の分類にしても、ナポレオン以前は戦略・戦術の需要で分けているというよりも、
一族郎党の特技や家業で分けているような状態だった。
ウェールズ人猟師=弓歩兵、ジェノバ人=弩歩兵、スイス人=槍歩兵、ポーランド人=槍歩兵、
ハンガリー人=軽騎兵、コサック=遊撃騎兵、山賊まがいのクロアチア人=遊撃歩兵、鋳物職人=砲兵、
猟師=猟兵、商人=主計兵
>>930 ポーランドは騎兵が有名じゃないの?
それとも騎兵が有名になる前に歩兵が暴れた時代があるの?
訂正:ポーランド人=槍騎兵
寄親・寄騎、馬廻りというのも一応鎌倉時代以後の乗馬部隊の単位や階級なんだろうな。
寄騎や馬廻りが寄親の命令なしで動くというのは原則的にないだろう。
惣領制度というのも一種の階級制度だ。
寄騎同心制とかを考えると必ずしも戦国時代以前の部隊編成が、
封建的社会システムに縛られていた融通の利かないものだったわけでない。
源義経軍や北畠顕家軍のような公称〜ン万騎の騎兵集団も寄騎同心制によって臨時編成できた。
>>934 つまり、部隊編成が時代ごとに単純に正方向に進化したわけじゃなくて、
個別ケースごとに、総大将が個々の領主権にどれだけメスを入れて組織
できたかが異なるのではなかろうかと思うよ。
そういう個人の力量や政治関係によらずにシステマチックに組織化される
のが近代軍隊と言うこともできるな。
その分野だと秦以来中央集権官僚国家の中国が一番進んでるだろうな
>>924 それはそれで傭兵に対して負の先入観で語りすぎではないんかね。
領主権なんかの政治的問題を気にせず、金で自由になる傭兵は封建軍より
使える軍隊でもあるだろう。
欧州近世の軍制改革は傭兵だったからこそできたもの。
傭兵を臨時雇いから常時雇用に変えたから常備軍と呼ばれるだけ。
国民軍概念が出来るまでは、近世ヨーロッパのほとんどの軍隊は傭兵だろう?
無理やり集めた連中は戦意が低くて弱いので戦乱の時代は地方の豪族の私兵とか塞外の異民族の
傭兵とかが主力だからそうでもない
宋軍の驚異的な弱さを見るとアレがいいというのは同意しかねる…
日本ももともとはローマ軍団のような一律編成だった。
千人の軍団(大団)は、大毅1名と少毅2名が率いた。
六百人以上の軍団(中団)は、大毅1名と少毅1名が率いた。
五百人以下の軍団(小団)は、毅1名が率いた。
校尉が二百人を率いた。二百長とも呼ばれた。
旅帥が百人を率いた。百長とも呼ばれた。
隊正が五十人からなる「隊」を率いた。隊正は隊長とも呼ばれた。
火長は十人からなる「火」を率いた。火は兵士の生活・行動・補給の単位で、おそらく一つの火で十人分の食事を作ったことに由来する。
伍長が五人からなる「伍」を率いたとする説があるが、明確な規定がなく発掘資料にも見えないことから、存在を疑う者もいる。
その他に主帳が事務を取り扱った。
>>939 宋は官軍じゃなくて将軍が集めた私兵(岳家軍)の方が強かったからね
すっごい整った官僚組織なのになんで宋負けてしまうん?
秦は商鞅さんの法治でむっちゃ強かったのに
強さとは直接関係なからな
偉い人が好きなようやりたいというのに比較的便利なだけで
ちょっと前の律令軍の話題じゃないけど、将軍の私兵に比べて
兵士一人一人のモチベーションの高さが低そうだな。
秦とか中華の観点からすれば半分蛮族みたいなもんだし
やっぱり半分南蛮に足突っ込んでる楚と最後に潰し合いと
経済問題だろ
塩の専売とか始めると王朝の軍隊が弱くなる
>>946 塩の専売と軍隊の脆弱性の関係なんてのは初耳だな。
中華王朝の軍の弱さは、農耕民、経済的豊かさ、腐敗官僚の組み合わせじゃないのか。
狩猟民で普段から殺生に慣れていて、貧しさゆえにハングリー精神のある北方民族とは
根本的に差がある。しかも、軍事技術的に近世までは騎兵優位の時代。
ひとたび優秀なリーダーが現れて割拠状態の北方部族がまとまると対抗できなくなる。
「野蛮」では農耕文明を支えることは出来ない。
ゆえに元も清も官僚組織を受容したわけでさ。
>>937 >>913に対する答えだったので、
ちょっと傭兵に対してきつい書き方になってしまったと思う。
どちらかというと制度的な話でいうと有象無象だよ、というつもりで書いた。
(定数がない、傭兵隊長次第で数や装備が決まる、
支払がないと防衛側の傭兵が侵略軍になる、など)
まぁそれを考えるとモチベーションの高い国民軍を編成する、
ということ自体が軍事的革命だったのだなぁ。
>>948 そうだね。
平和で豊かな生活は、厳しく殺伐とした軍隊生活と両立は困難だし、
農耕文明の宿命でもあるな。
中国に限らず、インドやメソポタミアもそういう歴史だし。
そこで屯田制ですよ
>>949 というか国家という概念が革命だな
民族という区分けは…帝国主義からあるか
953 :
名無し三等兵:2012/10/29(月) 00:56:16.11 ID:pxFd7C9X
カタパルトやバリスタのレプリカを見ると非常に大型なものがあるけど、
あれでどのくらいの重さの岩石や槍をどこまで飛ばせるのか凄い気になる。
ググって調べても殆ど情報が出てこないしここに偉い人いたら教えてくれー!!!
まぁwikiのトレビュシェットの項目でも見てみると一番大型のモノで140kgの石弾を300m飛ばしたらしいよ
元が使ったのは90kgの石弾を飛ばしたらしいし
バリスタ でぐぐったらコーヒーとか電気部品しか出てこないし、更に石弾を付け加えるとモンハンしか出てこないなぁ
バリスタは人間との比較で重さを考える無いのかな
モンティ・パイソンズなら雄牛を150mは飛ばせるぞ
おれバリスタもってるよ。
朝昼使ってる。便利だよ。
宋が弱かったのは徽宗みたいな文弱皇帝とか朱熹みたいな文弱科挙官僚が軍事行政仕切ってたからだろう。
文献購読偏重の歴史家に軍団の指揮を執らせるようなもんだ。
軍事官僚と優秀な野戦指揮官はなかなか両立しない。石田三成もそうだし。
しかし大軍団の編成事務には優秀な軍事官僚が必要だ。
シーザーやナポレオンは軍事官僚を使いこなせた。
つまり軍事官僚の文化と、乗馬や白兵戦を恐れない蛮族の文化の両立が必要。
パットン、チャーチル、ジューコフ、ドゴール・・、そんな奴らが必要。
徳川家だな
>>947 歴史的に見て人類が軍隊を持つのは農耕を始めてからだよ。
余剰生産物が無きゃ、軍隊なんて養えない。
つか、そこで言ってるのは狩猟民じゃなくて、時々農耕民の略奪をしている遊牧民じゃないかと。
中国とか兵力50万みたいな、一度に50万人動いてる雰囲気あるけど
ぜったい嘘だよねw
歴史の殆どって嘘っぽい。
道も整備されてないのに、100人だって動けたもんじゃないでしょ・・・
>>959 そうだね。主に遊牧民だ。
ただ、金とか清とかは狩猟民であったので、まあその辺を意識してしまったわけだ。
あとは、遊牧民たちがどれくらいの割合で狩猟に従事していたかだな。
そのへんの詳しい資料は読んでないんだが。
ところで、余剰生産物についてだが、たしかに余剰品がなければ軍隊は養えない。
ただし、必ずしも自らのグループ内で余剰生産物を生み出す必要はないんだな。
まあ別に狩猟民と遊牧民を細かく区分する必要もないかもしれない。狩猟遊牧民という考え方でもいいかもしれない。
アメリカ独立戦争のときの州兵とかは農民といってもヨーロッパに多い武装解除された小作農民ではなく、
ほとんどがライフル猟銃で武装していて半農半猟が当然だった自営狩猟農民とも言える。
だから森林遊撃戦では狩猟技術を応用してイギリス常備軍に抵抗できた。
熊やら猪やら狼やら頻繁に出るような土地柄なら
触手に関係なく武装は必要であっただろう
だから日本もタ大量に火縄銃が出回ってたんじゃなかったっけ
北条の領内で特定の場所で鉄砲使うなって百姓に向けて触れが出てるから天正年間には
相当数が農村に出回っていたと思われるとか。
そういや、マタギさんたちって、鉄砲(村田銃)が前提だと思うんだけど、意外と歴史は浅いのかな。
中国の巨大城壁都市の中で生活するなら別に武装しなくてもいいのかもな。
蹴鞠したり、焼き物焼いたり、漢詩読んだり、水墨画描いたり、京劇見たり、阿片吸ったり。警備は傭兵にやらせて。
で、蛮族に襲われたときはパニックになって逃げまどうと。
銃の前は普通に弓矢で獲ってたよ
宇田川さんが当初、鉄炮の技術は狩猟のために伝播したと言っているね
>>960 ウソだよね、というかあの数が誇張なのは確定。
ある程度数が確定できる近代の明軍で、
総兵力60万、うち日本側の侵攻に対応できたのが20万くらい。
ちなみに春秋〜三国時代だと、
農村7戸で1人兵を出すのが限度だったようなので、当時の人口から推計して
学研ソースの推定だと蜀軍8万くらいの動員数が限度だったんじゃないかと
書かれていたよ。
>>968 そもそも日本で流行したのは、
当時の戦闘用肩当式じゃなく、狩猟によく使われていた頬当式だしね。
結構近代にいたるまで狩猟用の銃と戦闘用の銃はさほど差がないから
それで十分だったわけだが。
yutubeに投石動画いろいろあるよ
再現物から鉄製で自動車ぶん投げるのまで
>>957 >文献購読偏重の歴史家に軍団の指揮を執らせるようなもんだ。
つまりヤン・ウェンリーさんみたいなのはリアルでは弱いと
まぁ補給とか色んな補助や裏方は他人まかせでしょ。あの人。まぁ帝国もだけど
ヤンはともかく、信玄というのも文献好きじゃないのかい?
強いか弱いか微妙だけど。
以外に家康も書物好きだようだけど、
まあ試験とか受けた資格持ちじゃないか。
>>973 普通はそうだろうw
中国の歴史上、文献講読偏重の人が奇跡的に兵法にかなった
運用で川を渡った、というくだりが絶賛されてわざわざ記載されてるくらいだ。
じゃ実際、合図はどうすんの?とか、
敵がいま混乱してるの?普通なの?立て直し中なの?の判断ができるのか、とか、
騎兵や歩兵はこれくらいの地形を進むのにどんだけかかるんだろう?とか
そういうこまかーいことは全くわからんだろうし。
ヤンさんは士官学校出だからそのへんはある程度できただろうけどw
北方水滸伝でも元塾講師とかのそういう本読み軍師を活躍させてて違和感あったわ。
小説家としては感情移入させやすい対象なんだろうが。
ヤンってヤン・ジシュカの方かと思ったわ
楊ウェンリーさんでしょ
>>971 目の前に迫ってくる敵を直接照準で狙うとか無理そうだな。
モノにもよるんだろうけど。
大塩平八郎とかも脳内では完璧な作戦立ててたのに実戦では全然ダメだったな。
それに比べると大村益次郎は文献購読と実行が一致できた稀な実例と言っていい。
>>976 その典型的な例が馬謖か
登用する危険性をわかっていた劉備は流石だな
岩手百科事典によると、
南部馬の起源はツングース系騎馬民族であるオロチョン族から伝わった森林系(重種)、
草原系(中種)と、南部家が連れてきた朝鮮半島経由の高原系(軽種)である甲斐馬を交配したもの。
岩手から発掘される鉄製馬具の古いものは6世紀後半から7世紀後半で形状は北アジア系。
>>982 それをいうなら趙括だろう
ことわざにもなってるし
馬謖の場合は自身の無能さではなく孔明先生側のことわざだし
>>973-984 現実に目の前で起きている現象が、文献のどのケースに当たるのかを正確に
理解するだけでも難しいよな。孫子を読んでる奴も、経営のHow to 本を読ん
でる奴も世の中には五万といるが、成功するとは限らない。
>>983 東アジアにも重種馬がいるんだ。新鮮な驚き。
「東アジアといえば蒙古系」以外の話を耳にすることがほとんどないので。
その場合、蒙古馬は中種に入るんだろうか、軽種に入るんだろうか。
そろそろ次スレよろ
ヤンのモデルはヤン・ジェシュカであってると思うぞ
田中本人は色々な人からモデルとったと言ってるけど、
・内紛で所属組織が瓦解した≒同盟
・荷駄を盾にして効率的な射撃を行った≒アムリッツァ前哨戦の戦術
・死後神聖化された≒ヤンウェンリー
これだけ共通点あるからな
文人肌で、それまで奇麗事ばかり吟じてた詩歌を、風俗や恋愛ものに変えた、ポップ・ミュージシャンみたいでも、実戦が強い奴は居たよ。
巍の曹操とか。
もっともこいつは例外中の例外で、それまで迷信や空理空論の多かった『孫氏』を、実践的な物に編纂し直した程の文才があった訳だが。
現在に残る、いわゆる『孫氏』とは、実は曹操が改めた『巍武註孫氏』のことなんだよね。
上杉謙信も近衛稙家から和歌の奥義を伝授されてたり、源氏物語みたいな恋愛物大好きで、自分でも恋歌読むのが好きだったり、琵琶を奏でるのが好きだったり。
むしろこういう頭固くない奴の方が実戦では強いのかも。
趣味で何やってようと関係ないってだけだろ。
人妻でもどんどん手を出すようなスケベ度数が、将軍の価値を決める(ニチャリッ
>>988 それは逆で、武将で武人だったけど詩歌も得意だっただけだろう。
逆に詩仙といわれた李白も実は実戦に参加させられてるけど
特に活躍したわけじゃないし。
文献購読偏重を批判してた王陽明は確かに実戦でも強かったらしいな。
>>990 でもだったら公家出身の軍師とかいてもよくないかな?
軍師ってw
ここで話続いても意味ないから埋めておこう
埋め
うめ
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1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。