@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し 10 @@
1 :
名無し三等兵 :
2012/05/24(木) 13:26:49.10 ID:???
2 :
名無し三等兵 :2012/05/24(木) 13:50:26.10 ID:???
いぢめる?
3 :
名無し三等兵 :2012/05/26(土) 17:38:53.94 ID:???
1タソ乙
4 :
名無し三等兵 :2012/05/27(日) 07:03:01.14 ID:???
リス君「いぢめる?」
5 :
名無し三等兵 :2012/05/27(日) 13:45:42.35 ID:???
___ / \ な、なに急にスレ開くんだお!! / ─ ─\ スレ開く時はノックくらいしろお!! / ( ○)三(○)\ | /// (__人_.) | .____ \ |r┬| / |\ ‐==‐ \ / ヽノ ⌒`ヽ<´ \| ̄ ̄ ̄ ̄| / | \___)⌒ \  ̄ ̄ ̄ ̄ ` ̄\ \ ,,,, \ \ /\\ \__ ゝ,,,__、___/ ヽーヽ___)
6 :
名無し三等兵 :2012/05/28(月) 02:31:37.33 ID:???
ほす&1もつ!
7 :
名無し三等兵 :2012/05/28(月) 22:41:56.90 ID:???
:: :: ___ :: ::
:: :: / u \ :: ::
:: ::/\ / \:: 動くんだお・・・動くんだお・・・
:: / >) (<) J \ ::
::|し (__人__) |::
::\ `⌒´ U /
>>1 N :: ノ \
___
/⌒ ⌒\
/( ●) (●)\ +
+/::::::⌒(__人__)⌒:::::\
| |r┬-| |
コロ・・ \ `ー'´ / +
>>1 乙⌒ ノ \
8 :
名無し三等兵 :2012/05/29(火) 22:15:41.64 ID:???
r-┐ / |  ̄| | | | | | | | | | | | | | | | |.__,| _ _ lヽ,,lヽ _| ::|_ | |Θ| ( ) )) | ̄ ̄ ̄| ̄ ̄|_ |_|_| し i |___|__|_| |_| しーJ .... ウニョッ _____ ヾ (( l、___ / / / / / チャリーン ( (__/| )) ヽ___ _,/ _ _ lヽ,,lヽ `ー _| ::|_ | |Θ( ) | ̄ ̄ ̄| ̄ ̄|_ |_|_と i |___|__|_| |_| しーJ
9 :
名無し三等兵 :2012/06/01(金) 00:12:57.27 ID:zDPP1Ckx
乙!
10 :
名無し三等兵 :2012/06/02(土) 11:01:06.72 ID:ZY9wdkW1
イギリス空母イラストリアスは、 1945年1月パレンバンを空襲した(メリディアン作戦)。 作戦中に日本軍機による反撃の空襲を受けた際、護衛の 軽巡洋艦ユーライアラスの発射した対空砲弾2発がイラストリアスに命中。 イラストリアスは12名の死者を出した。
11 :
名無し三等兵 :2012/06/03(日) 21:14:21.70 ID:???
ネタ元は『大空の覇者ドゥリットル〈下〉―欧州・日本本土爆撃』から。 元アメリカ連邦議会上院議員であり、72年にはニクソンと大統領選挙を戦ったジョージ・マクガバンの話。 大戦中はB-24の操縦士であったマクガバン、1945年3月14日の出撃の際、一個の500ポンド爆弾が落下せず爆弾架に残ったままになってしまった。 このままではいつ爆発するか分からない。マクガバンは部下に命じて手作業で爆弾を外させることにした。 しばしの格闘の末、高度3700メートルでの作業は見事成功した。爆弾は無事爆弾架から落ちて―――…… ……そのまま真下に位置していたオーストリアの農場を粉砕した。 乗組員は茫然、マクガバンも唖然。ちょうど昼飯時だ、あの農家には家族みんなが集まっていただろう…。 その後すぐに戦争は終結し、後ろめたい暗い気持ちを抱えたまま合衆国に帰還せざるを得なかった。 それから何十年も経ったある日、オーストリアのインスブルック大学で講義をしているとき、オーストリア国営テレビからインタビューを受けた。 このときマクガバンは初めて、爆弾が農場を直撃した話をし、それはオーストリア全土に放映された。 放映から数日後、テレビ局から連絡があった。ある一人の農夫が、爆弾が落ちたのは自分の農場だと伝えてきたという。 『我々は爆撃機が来るのを見ていました。私は妻と子供を家から出し、溝に隠れたんです。誰も負傷しませんでした』 マクガバンの安堵は例えようのないくらいだったという。その年は1985年、爆撃から実に40年が経過していた。
12 :
名無し三等兵 :2012/06/04(月) 09:57:03.04 ID:Ybx9oXf1
13 :
名無し三等兵 :2012/06/07(木) 21:56:15.75 ID:dUvl8upf
ジョセフ・ナイという人が書いた『対日超党派報告書』というのを、読んでみるとこう書いてある。
「東シナ海、日本海近辺には未開発の石油天然ガスが眠っており、
その総量は世界最大の産油国サウジアラビアを凌駕する分量である。
米国はなんとしてもそのエネルギー資源を入手しなければならない」
アメリカがなんで日本の・・・ふざけるな!お前らのものじゃないだろうが!
日本のものだろうが!と叫びたくもなります。
「そのチャンスは台湾と中国が軍事衝突を起こすときである。
米軍は台湾側に立ち、中国と戦闘を開始する。
日米安保条約に基づき、日本の自衛隊もその戦闘に参加させる。
中国軍はアメリカ、日本軍の補給基地である日本の米軍基地、自衛隊基地を本土攻撃するであろう。
本土を攻撃された日本人は逆上し、本格的な日中戦争が開始される。」
ジョセフ・ナイがこういう戦争計画を練っているわけです、日本を戦争に巻き込むと。
http://www.youtube.com/watch?v=IsLexZkazf4 「米軍は戦争が進行するに伴い徐々に戦争から手を引き、
日本の自衛隊と中国軍の戦争が中心となるように誘導する。
日中戦争が激化したところで米国が和平交渉に介入し、
東シナ海、日本海でのPKOを米軍が中心となって行う。
東シナ海、日本海での軍事的、政治的主導権を米国が入手することで、
この地域での資源開発に圧倒的に米国エネルギー産業が開発に優位性を入手することができる。
この戦略の前提として日本の自衛隊が自由に海外で、
軍事活動ができるような状況を形成しておくことが重要である」
つまり日中に戦争させといて両方とも疲弊させといて、そこにアメリカがPKOの形で入ってきて、
資源を横取りするという計画だそうです、それでいいの?いいわけないだろが。
アメリカが泥棒しようとしてる、アメリカが我々の資源を泥棒するために、
日中に戦争させようとしてる、とジョセフ・ナイが自分で言ってるんだから間違いない。
http://www.youtube.com/watch?v=hoi7xO_5hcM
14 :
名無し三等兵 :2012/06/08(金) 11:26:03.32 ID:???
ほのぼのしてないヽ(`Д´)ノウワァァン!!
15 :
名無し三等兵 :2012/06/08(金) 11:48:45.34 ID:???
>>13 最初の当事者があとからPKOって気違いの考えることだな
16 :
名無し三等兵 :2012/06/08(金) 18:00:43.61 ID:???
1920年代にイギリスで実施されていた、インド帝国警察官の採用試験の例。 8日間に渡る長丁場の試験で、志願者の年齢制限は19歳から22歳まで。 <1日目>英語第1部、作文試験。 「老猟場番人、または退役大佐、あるいは老農夫の性格について簡単に書くこと」 (つまり、若い受験生の身近にはいそうにない人物の人物像を描けということか) <2日目>英語第2部、作文試験。 「内閣閣僚のうちから3名の名前を挙げ、その人物観について記せ」 「登山について記せ」 「バーンズ、ワーズワース、スコット、ディケンズのいずれか1名について記せ」 (時事・教養問題だが、イギリス本土には高山がないのに登山の問題とは) <3日目>歴史からの出題。 「ピット以来のもっとも偉大な首相はだれか?」 「もし、ネルソンがトラファルガーの海戦に敗れていたならば、どうなったか?」 「1763年の英国領土を地図の上に記せ」 (いかにも大英帝国公務員の採用試験らしい問題ではある)
17 :
名無し三等兵 :2012/06/08(金) 18:01:22.93 ID:???
4日目以降は数学、フランス語またはドイツ語の選択試験が続き、 最後の3日間は、ラテン語、ギリシャ語、物理学、化学、科学概論、高等数学、絵画の中から、 3科目を選択しての試験。 (「絵画」は写真があまり普及していなかった時代、犯行現場の様子や犯人の似顔絵を描くのに必要だった) 無事、筆記試験を突破しても、それで試験が終わりだったわけではなく、 「乗馬の実技試験」が残っており、これで落ちた受験生もいたらしい。 ざっと見たらかなりの難関だが、よくしたもので、当時のイギリスには公務員試験専門の塾があり、 半年間ほど塾に通ってみっちり勉強したあと、試験に臨むのが普通だったとか。 この採用試験に合格し、みごとインド帝国警察の警察官となって40歳まで勤務、 以後は公務員年金を受け取る身分になったひとりに、ジョージ・オーウェルがいるのだが、 それにしてもこの試験の内容、いかにも当時のイギリスらしくはあるまいか。
18 :
名無し三等兵 :2012/06/08(金) 18:28:30.16 ID:???
>>13 米特務作戦部(U.S.O)のやつか。向こうじゃeight-hundred文書と呼ばれていて、結構問題になったらしい。
19 :
名無し三等兵 :2012/06/08(金) 18:48:42.25 ID:???
20 :
名無し三等兵 :2012/06/08(金) 20:27:14.77 ID:???
21 :
名無し三等兵 :2012/06/09(土) 10:21:08.94 ID:???
22 :
名無し三等兵 :2012/06/09(土) 10:27:58.51 ID:???
陰謀スレで延々とコピペを貼る奴本人かお仲間だね。 ヘイトスピーチとか出所が分らない怪文書を貼って 無知な庶民(笑)を啓蒙してるつもりなんだから ちゃんちゃら可笑しい。
23 :
名無し三等兵 :2012/06/09(土) 21:36:33.52 ID:???
24 :
名無し三等兵 :2012/06/10(日) 21:44:27.25 ID:???
ドイツがフランスへ侵攻し、既に有名になりつつあったサンテックスも軍に入隊した。 彼は偵察機の飛行士として激動の渦中にあったが、劣勢になればなるほど指揮命令系統は混乱するらしく、命令も届かずにアヒルなんか捕まえて食ったり、よろしくやっていた。 ある日、朝出撃した偵察機が帰ってくると、後席の銃手だけ居ない。飛行士に聞いてみると、リール近郊で激しい対空砲火に遭ったが大した損害もなく、そのまま帰途についた。 銃手は特に変わった様子もなく、飛行場の近くまで飛行士と会話を交わしていた。だが、そこで突然飛び降りて、機の尾翼に当たったのか衝撃を残して消えたという。 サンテックスによると、出撃の間は緊張状態が続き、気が緩むと不意に飛行機から降りたくなることがあるのだとか。 その銃手も、遂に緊張の糸が切れて飛び降りてしまったのだろう、と。
25 :
名無し三等兵 :2012/06/17(日) 00:39:44.57 ID:???
1949年、イギリス戦艦ヴァンガードがイタリアのタラント港を訪れた時の事。 ヴァンガードの副長、パット・ノーマンはイタリア戦艦カイオ・ドゥイリオの副長を招待し、一杯やり始めた。 先の大戦を生き延びた古つわもの同士、当然話題は戦いの思い出話となっていった。 大戦中は駆逐艦長だったと言うイタリア士官は、 輸送船を護衛中に攻撃してきたイギリス潜水艦を困難の中で仕留めた事を誇らしげに語り、 その功績に対し与えられた勲章を見せびらかすようにノーマンに示したのであった。 「なるほど、そいつは大変でしたな。 ・・・ところで、そのとき件のイギリス潜水艦が撃沈した輸送船の名は『パレストリーナ』ではありませんでしたか?」 「・・・え?どうしてそれを・・・?」 「実は私は当時、地中海で潜水艦『ウナ』の艦長を務めておりましてね」 「・・・それは・・・つまり・・・」 「つまり、『パレストリーナ』は私のスコアの中に入っておる訳でして」 ノーマン曰く 「彼がわたしを撃沈したとして叙勲されたことを知り、ぞっとした表情に変わるのを眺めるのは楽しかった!」 「・・・どうかこのことを誰にもしゃべらないでください」 「当分の間、しゃべりませんよ」
26 :
名無し三等兵 :2012/06/17(日) 02:48:21.93 ID:???
じゃあ何を沈めたのよ?
27 :
名無し三等兵 :2012/06/17(日) 06:08:14.48 ID:???
ブラフで油や圧縮空気を放出したんだろう
28 :
名無し三等兵 :2012/06/17(日) 06:14:56.99 ID:???
引っかかった訳だ
29 :
名無し三等兵 :2012/06/17(日) 11:54:46.15 ID:???
イギリスのU級潜水艦はスマート!シンプル!チープ!といった面構えでいかすなあ。
30 :
名無し三等兵 :2012/06/18(月) 00:18:37.44 ID:pcmtl31N
シンガポール攻略に際し、 日本には現地の200万分の1の地図しかなく、 幹線以外の侵攻は難渋した。 とくにシンガポール要塞の陸側周辺は地理不詳で侵攻困難と思われた。 だがクアラルーンプール陥落時に、軍請負印刷所最寄り駅の貨車の中から 2万分の1の詳細なカラー地図が発見され、大いに役立ったそうな。
31 :
名無し三等兵 :2012/06/23(土) 21:55:10.00 ID:???
中東戦争で何回も激戦地になった実験農場「中国農場」 中国農場という名称はイスラエル兵が付けたんだが、それはその農場で漢字が書いてある書類を発見したことにあるんだが 実際は日本企業による実験農場だったらしい
32 :
名無し三等兵 :2012/07/01(日) 01:47:39.15 ID:???
ジェーン海軍年鑑1941年版には、 日本の新造空母として、飛龍、蒼龍、蛟龍の三隻が収録されている。 おそらく後者は、同時期に建造あれた 陸軍の上陸支援船の蛟龍を混同したのだろう。。。
33 :
名無し三等兵 :2012/07/01(日) 02:14:10.98 ID:???
ジェーン年鑑欲しいよぅあんちゃん
34 :
名無し三等兵 :2012/07/01(日) 04:27:08.54 ID:???
せつこ、それジェーンやない。 ワテのチソチソや。
35 :
名無し三等兵 :2012/07/01(日) 07:43:50.42 ID:???
ジェーン カミーバーック
36 :
名無し三等兵 :2012/07/01(日) 13:40:35.35 ID:???
せつこ… ええ気持ちや……
37 :
名無し三等兵 :2012/07/01(日) 17:30:25.67 ID:???
「なんでチンチンすぐ萎えるん?」
38 :
名無し三等兵 :2012/07/01(日) 21:39:32.97 ID:???
せつこ 「あめゆちとてちてけんじや」
39 :
名無し三等兵 :2012/07/03(火) 04:35:58.69 ID:???
40 :
名無し三等兵 :2012/07/03(火) 07:27:36.83 ID:???
せつこ「としちゃん感激ーー!!」
41 :
名無し三等兵 :2012/07/03(火) 10:42:30.25 ID:???
|┃三 , -.―――--.、 |┃三 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ |┃ .i;}' "ミ;;;;:} |┃ |} ,,..、_、 , _,,,..、 |;;;:| |┃ ≡ |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;| |┃ | ー' | ` - ト'{ |┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________ |┃三 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>、 .!-' / |┃ | ='" | < 諸君、シベリアに木は |┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \ 何本あるか調べてきてくれ |┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \ |┃ ≡'"~ヽ \、_;;,..-" _ ,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ガチャッ
42 :
名無し三等兵 :2012/07/03(火) 12:43:10.27 ID:???
同志! 地獄に帰れ!
43 :
名無し三等兵 :2012/07/03(火) 19:13:29.36 ID:???
ある日、天国の扉をたたく音がする。 見てみると・・・鬼たちが大勢逃げて来てた。 どうしたのか?と聞くと・・・ 「助けて! スターリンが来た!
44 :
名無し三等兵 :2012/07/03(火) 19:41:56.73 ID:???
スタ公と一緒にアジア的やさしさ一杯の誰かもいるんだろうなw
45 :
名無し三等兵 :2012/07/03(火) 20:53:53.23 ID:???
そっちはスターリンスレから駆除しておいた
46 :
名無し三等兵 :2012/07/05(木) 12:34:39.27 ID:???
47 :
名無し三等兵 :2012/07/05(木) 19:49:40.30 ID:???
1941年、Z部隊の駆逐艦「エクスプレス」で起きたほのぼの。 『シンガポールに入港するなり艦長のジャック・カートライト少佐が従兵のクリンガムにパパイヤを買いに上陸させたんですが、 そういえばあの果実の事をクリンガムは「ポウポウ」と申して居りましたですね。 セント・ヘレナ生まれでしたからね。たぶん南アフリカあたりではそう呼ぶんでございましょうよ。 で、それをさっそく翌朝の食卓に出したんですが、まだ熟してなかったので艦長は下げさせまして、 もっとよく熟してから出すようにって命じたんですよ。 そこであの当日(マレー沖海戦)になりまして、バリバリ撃ってたその真っ最中なんでございますよ。 クリンガム従兵がポウポウの皿を艦橋まで捧げ持って上がって参りましてね。 「艦長! ポウポウが熟しましたッ。いますぐ召し上がって頂きたいでありますッ!」って申したんですよ』 ――『戦艦―マレー沖海戦―』より、駆逐艦「エクスプレス」軍医大尉T・E・バーウェル―― なお、この実が食われたかどうかは不明である。
48 :
名無し三等兵 :2012/07/06(金) 21:24:32.97 ID:???
i ::: ,.-'"" ヽ, i ,'",v,..-_ ヽ ,.. i
i'"`.::::: i , i =, `- ' i =- ?"ヽ
>>46 ヽ::::::::::. i ソl ヽ,_ ,.-" i スレタイはおろかリンク先の内容すら読めん奴は
ヽ::::::::::::.."::::":::::i ヽ i ガダルカナル島へ行ってもらおうか
ヽ ::::::::::::::::::::::::...ヽ -,. ,/."
` i ::::::::::::::::::: i
i :::::::::::::::::::: ,. -=−- y
ヽ ::::::::::::::::: ..:::: /,
ヽ :::::::::::::. ... ..::/ i,
i" ::::::::::::....:::::.....:: ,..- '" ,.'"ヘ
i :::::::::::::::::::::: _,.. -='" ヘ
i :::::::::: ヽ,::: _,.-=" ヘ=-.,,__
_,..-='",;;;; .,_ i^" ,.-, _,.",;;;;;;;;;;,,ヽ
本題に入るけどこういう話は既出かな?
浅間丸級の建造が決定し、英国の船会社にサービスを学ぶため乗組員を派遣した時の話。
ある時、「お前のところはたいそうな騒ぎだが、一体何トンの船を建造するんだ」
と聞かれたものがいた。
胸を張って「一万六千トンだ」と答えると、相手は首を傾げて曰く、
「そんな小さな船、うちの会社にはないなぁ」
―っていう話。この話は有名かな?
ソース
ttp://www.d1.dion.ne.jp/~j_kihira/arsenal/hinomaru/index.html ちなみにタイタニック号の総トン数は四万六千三百二十八トン。
やっぱり欧米の船と比べると小さい船だったんだな…。
49 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 01:42:16.79 ID:???
50 :
名無し三等兵 :2012/07/07(土) 12:54:41.27 ID:???
51 :
名無し三等兵 :2012/07/14(土) 01:57:33.18 ID:mEPTWenu
ポポーとも関係あるのかな?
52 :
名無し三等兵 :2012/07/14(土) 10:06:18.58 ID:???
ブラジルから来たレスラー
53 :
名無し三等兵 :2012/07/14(土) 22:58:15.22 ID:???
といえばアントニオ猪木。。。
54 :
名無し三等兵 :2012/07/15(日) 08:52:21.98 ID:???
アントニオ猪木がブラジルから来たときは少年だったな ブラジルから来た少年 つまり猪木は総統のクローン…
55 :
名無し三等兵 :2012/07/22(日) 09:36:04.60 ID:???
ある日、マタギのところへ動物愛護団体の人が名刺を出して 「なんで熊を殺すのですか」と抗議にきたそうな。 マタギの爺さん曰く「生きていく糧と伝統」と説明するも、 愛護団体側は「動物を殺すなんて(以下略)」と聞く耳を持たない。 それから連日抗議に来るので、煩わしく思ったマタギは知人に頼んで一芝居をうつことにした。 今日も今日とでマタギに難癖を付けにやってきた団体様。 そのタイミングを見計らい、近所の知人がやってきて「里に熊が出てきた様だ、心配だなー」と一言。 それを聞いて青ざめたのは団体の連中。 どうやらマタギをこらしめに来たはいいが、熊に襲われることは想定してなかったようだ。 恐怖を感じた団体の連中は、マタギの爺さんに 「私が熊に会っても・・・安全に帰れますでしょうか?」 と振るえながら尋ねる始末。 そんな情け無い連中に、マタギの爺さんはこう返してやった。 「熊に遭ったら、あんたの名刺を見せればいいじゃないか。 動物愛護団体だとわかれば熊も襲ってこないだろう? 襲われてもそれはそれで、愛すべき動物の糧になれるんだから名誉なことじゃないか。 それとも、まさかあんたら俺を警護につけて、 『私達の安全のために、熊が襲ってきたら撃ち殺してください』 なんて言うつもりじゃねぇよな?」
56 :
名無し三等兵 :2012/07/22(日) 09:57:41.04 ID:???
で、熊と名刺交換したのか?
57 :
名無し三等兵 :2012/07/22(日) 11:09:09.62 ID:???
え〜なんかウソっぽ〜いw
58 :
名無し三等兵 :2012/07/22(日) 12:32:22.38 ID:???
やあ、なんだかソマリア沖で海自の護衛を受けたピースボート(笑)の故事を思い出しますなぁ。
59 :
名無し三等兵 :2012/07/22(日) 15:26:06.36 ID:???
久しぶりにワロタ 北海道の牧場vs有害鳥獣駆除部隊のやり取りみたいだな 牧場「鹿に牧草食われ捲くって迷惑だ。駆除してくれや」 駆除「はいよ。射殺した鹿を回収するのに、車を入れていいかね?」 牧場「牧草が駄目になるだろうが! お前等で引っ張って来い!」 ※すごく広大であります。車の出入り口から、向うの端まで600以上とかざらです 駆除「そりゃ無理だよ。脇を通るからさ、入れさせてくれ」(森と牧場の境目を通るという意味) 牧場「駄目だ!四駆で揉まれたら、牧草が駄目になっちまう!」 駆除「解った。では、射殺し、それの報告用に尻尾を切るまではやる。始末はアンタが やってくれ。自分の牧場だろう?」 牧場「解った。さっさとやってくれ」 駆除隊、腕に覚えのある狙撃手五人が匍匐前進。一斉に射掛けて8頭ほどを斃す。 牧場主:面倒だ、とセロースだけ自分の晩酌用にとって、死体を牧場脇の森の中に 投げ捨てた。 一週間後、その牧場からヒグマ駆除の緊急コール。 茂みに投げ捨てられた鹿に、ヒグマが「わぉ、おいらのご馳走だべ。近寄ったら吼えるぜ」 とくっ付いちゃった<<すっごく危険な状況です。俺のもんだ、と思ったら絶対手放しません。 邪魔をする奴は殺す、というスタンスです。 駆除「見てきたけれど、二頭もいる。無理」 牧場主「あんたらが鹿をそのままにするからだ! 責任取れ!」 駆除「はぁ? おめえ、頭なめってんじゃねえか? おい、撤収!!」 十年ほど前、帯広の付近で起きた実話。
60 :
名無し三等兵 :2012/07/22(日) 20:15:23.89 ID:3Fvr2Na5
事故多発で配備が問題になっている オスプレイの別名は未亡人製造機である。雄プレイ?
61 :
名無し三等兵 :2012/07/22(日) 21:00:05.29 ID:???
>>59 駆除側に放置するとどうなるか説明義務があり
それをしないと不作為になりますね
62 :
名無し三等兵 :2012/07/22(日) 22:00:22.11 ID:???
羆が大喜びしたんだからいいじゃないか
63 :
名無し三等兵 :2012/07/22(日) 22:14:46.70 ID:???
>>61 駆除側は、農家に処理する事を求めている
手抜きをした農家は、なにもいえんだろ、JK
64 :
名無し三等兵 :2012/07/22(日) 23:04:01.93 ID:???
鹿撃つためにわざわざ自衛隊呼んだの?
65 :
名無し三等兵 :2012/07/22(日) 23:43:36.15 ID:???
またぎだろ
66 :
名無し三等兵 :2012/07/23(月) 00:32:41.87 ID:???
ねこまたぎ?
67 :
名無し三等兵 :2012/07/23(月) 08:15:40.97 ID:???
ねこが犬や鷹みたいに狩をするとは思えない
68 :
名無し三等兵 :2012/07/23(月) 10:39:05.16 ID:???
>55.59と連続で読んだら 牧場主「あっ、ども。私はここの牧場主です。」 名刺差し出す。 クマ「あっ、ども。私クマです。」 名刺差し出す。 って光景が頭にうかんできた。w
69 :
名無し三等兵 :2012/07/23(月) 14:43:50.68 ID:???
>>61 確かにそうだが、帯広で牧場やってながらヒグマの生態も知らんとは思わんかったんでしょ。
70 :
名無し三等兵 :2012/07/24(火) 19:57:11.37 ID:???
71 :
名無し三等兵 :2012/07/25(水) 01:20:57.19 ID:???
72 :
名無し三等兵 :2012/07/25(水) 02:39:44.85 ID:???
スイッチオン!
73 :
名無し三等兵 :2012/07/25(水) 07:30:22.87 ID:???
74 :
名無し三等兵 :2012/07/25(水) 10:17:27.75 ID:???
75 :
名無し三等兵 :2012/07/25(水) 10:28:58.17 ID:???
やっぱ、ゆうこりんがいちばん!
76 :
名無し三等兵 :2012/07/25(水) 21:17:30.17 ID:???
>>73 美人かどうかは置いといて
スタイルは抜群だ
77 :
名無し三等兵 :2012/07/25(水) 22:06:00.82 ID:???
顔はともかく、首から下は熊田
78 :
名無し三等兵 :2012/07/25(水) 22:06:48.32 ID:???
ってか、軍版はメシネタに食いつきが良かったはずだが マンコねたはどうでもいいのか?
79 :
名無し三等兵 :2012/07/25(水) 23:47:34.89 ID:???
>>78 極限状況下でメシに関してエピソードを残すと、微笑ましいと思うが、
そっちは、ほれ、シャレにならないから。
80 :
名無し三等兵 :2012/07/26(木) 01:43:58.70 ID:???
>>78 豚野郎の売り物に食いついてもしかたないだろ
AKBの娘どもに罪はないがプロデューサーが豚な時点でもう、ね
申し訳ないが高井麻巳子ヲタだったんだ
81 :
名無し三等兵 :2012/07/26(木) 07:25:00.16 ID:???
まゆゆは?
82 :
名無し三等兵 :2012/07/26(木) 21:06:27.13 ID:???
83 :
名無し三等兵 :2012/07/27(金) 07:24:50.77 ID:???
84 :
名無し三等兵 :2012/07/27(金) 18:05:36.23 ID:???
最近の水着のパッドは特盛りだな
85 :
名無し三等兵 :2012/07/27(金) 19:19:14.91 ID:???
個人的には土手高を希望いたしまする
86 :
名無し三等兵 :2012/07/27(金) 20:01:40.34 ID:???
いいよね
87 :
名無し三等兵 :2012/07/27(金) 21:57:44.60 ID:???
88 :
名無し三等兵 :2012/07/27(金) 22:22:19.11 ID:???
89 :
名無し三等兵 :2012/07/28(土) 00:41:27.67 ID:???
公衆便所の画像貼ってる奴って何なの
おや?何やら軍紀が乱れておるな・・・ 芸者さんと遊ぶ前にこの私が根性を叩き直して差し上げよう
91 :
名無し三等兵 :2012/07/28(土) 01:59:13.05 ID:???
92 :
名無し三等兵 :2012/07/28(土) 17:39:51.27 ID:???
>>89-90 その公衆便所の画像でチンコしごいている奴の台詞じゃないなw
93 :
名無し三等兵 :2012/07/28(土) 17:57:55.84 ID:???
>>92 貧乳でチンコしごくほど落ちぶれてはいない
94 :
名無し三等兵 :2012/07/28(土) 19:42:07.18 ID:???
ゆきりんはガチ巨乳
95 :
名無し三等兵 :2012/07/29(日) 03:47:05.86 ID:???
96 :
名無し三等兵 :2012/07/29(日) 04:13:33.79 ID:???
AKBが大好きなバカの脳味噌なんて、このレベルだ。 まともな知能があればモンキービジネスの標的にはならない。 マスターベーションは身内だけでやれ。
97 :
名無し三等兵 :2012/07/29(日) 08:22:06.72 ID:???
98 :
名無し三等兵 :2012/07/29(日) 10:38:54.06 ID:???
>>96 身内をズリネタにしてんのか?
マスターベーションは身内だけにしろって、さも普通に言ってっけどさ
母ちゃんでシコッたりしてんの?
お前のきっつい性癖を普通にサラっとさも一般常識みたいに言うなよ
99 :
名無し三等兵 :2012/07/29(日) 13:59:45.59 ID:???
ファザーファッカー
モンキービジネスって単語も死語だから若くはないな 娘に性的な目を向けてキモがられてるオッサンなんだろう
ほ
キモ過ぎのパカがきて、スレが完全に止まったな。
昔々、演習に参加するノルウェー海軍のP-3が北極海を飛んでおりました。 そこへ現れたるはSU-27、スクランブル? いえいえ、領空内ではありませんからただの嫌がらせであります。 しばらくフランカーはオライオンに平行して飛び、顔もよく見えます。 しかしオライオンが逃げませんので、痺れを切らしたフランカーは前に出ます。 排気噴流で脅してやろうというわけです。 前に出てはまた平行飛行に戻るを繰り返し、フランカーは頑張ります。オライオンも頑張ります。 フランカーは短気なのか、効果が薄いと見ると速度を落とします。チキチキレースです。どちらが先に回避するか。 しかしオライオンは四発機です。鈍いです。特にロールレートはうんこです。 これにフランカーの頭の鈍さも合間って、ニアミスとなります。というか衝突です。翼端と翼端がぶつかり、フランカーは主翼、オライオンは水平尾翼に損傷を負います。 これに肝を冷やしたフランカーはすたこらさっさと逃げます。頑丈です。バカは丈夫とはよくいったもの。 オライオンといいますと、なんとか飛行を続けて帰還できました。 めでたしめでたし
107 :
104 :2012/08/09(木) 18:23:03.02 ID:???
皆さん、力不足なネタかも知れませんが流れを元に戻しましょ。
ざしきわらし?
>>108 きさまぁ〜精神がたるんどるっ
精神注入!ばしっばしっばしっ
>>113 ああ、精液注入ですねw
「命中」したら責任とりなさいよw
アイドルヲタは巣に帰れ ここは軍事板だ
軍事板住人≡アイドルヲタ
スナイパーというと一撃必殺なイメージがあるが、中にはへっぽこスナイパーというのもいるもので・・・ ベトナム戦争で、とある米軍陣地に向けて配置された北ベトナムのスナイパーがそれだった。 前任者二名は頭にきた米軍側が無反動砲をブチ込んで吹っ飛ばすほどの腕を見せたのだが、 こいつの場合はあまりに下手糞過ぎて「こいつを殺して代わりに凄腕が来たら困る」と ほったらかしにされるほどのお粗末さ。 狙われるはずの米兵もなめ切ってしまい、マギーのパンツ(射撃訓練でハズレを示す旗)を振り出す始末。 いくらなんでもこの下手さは釣りじゃねーのかという話になってさすがに挑発行為は禁止されたが、 米軍側が陣地を移動するまでの2ヶ月の間、ついに一発も命中する事は無かったそうな。
>>118 下手なのかそれとも人殺しを躊躇したのか…。
以下軍事的ぼのぼの以外はスルーで
ラッコとアライグマとシマリスはどこだ?
123 :
名無し三等兵 :2012/08/10(金) 15:00:15.49 ID:E2JMesss
既出かも、コピペ貼っとく イタズラ心を起こした 坂井三郎さんたち日本軍パイロットがオーストラリア軍基地を攻撃した後、 基地上空で編隊宙返りを3回行い、オーストラリア軍は普通なら対空砲火を 打ち上げるところですが、だまって彼らの飛行を見ていたそうです。 調子に乗った、パイロット達は更に高度を下げて同じ事を繰り返してみせたそうです。 その後、日本軍基地にオーストラリア軍から戦闘機が飛んできて 爆弾ならぬ手紙の入った通信筒を落としていったそうです。 その中のオーストラリア軍から日本軍に当てた手紙には、 見事な編隊飛行を見せてもらったお礼と、あのパイロットが今度来るときには 緑色のマフラーをしてしてきてくれれば歓迎するという内容がしたためられていたそうです。 もちろん、坂井さんたちは上官にこっぴどく怒鳴られたそうですけど、 戦後の手記には、血みどろで戦う戦場にも時には敵と味方の間に こんな風が吹くんだなとかたっておられます。
変態が編隊飛行したんですね、わかります
何十年も前から世界中に知られてたことを今更書き込むとは何たる度胸か
>>123 >こんな風が吹くんだなとかたっておられます。
法螺を吹く、の間違いだろ。
わざわざ上げて、今更な話を・・・ しかも、全部「そうです」とはね。
自分が実際に見たわけじゃないんだから、「そうです」は別に間違ってないと思う。
129 :
名無し三等兵 :2012/08/11(土) 15:17:30.81 ID:JFlagqAV
地球ドラマチック「戦争に行ったクマ〜ヴォイテクとポーランド兵たちの物語〜」 2012年8月11日(土) 19時00分〜19時45分
日露戦争開戦時、ロシア正教会で、日本を呪うミサが行われたそうな 1904年、日露戦争 1923年、関東大震災 祈りのスピードは人間の業だから光速を超えられない 神のみ業は科学なぞ超越するから、一瞬で届く …ロシア科学アカデミーが出した結論 「神は、地球から少なくとも19光年以内の所におられる」
>>130 日本だって、ルーズベルトを呪い殺したんだぞ。
>>129 ヴォイテク関連は元兵士たちがポーランド語で話しかけたときだけ
嬉しそうに檻から出てきた・・・ってエピが異常に泣ける
人間のエゴに振り回された一生とはいえ、仲間がいたことは救いだったろうな
>>133 となると3年半だから神は1.75光年先におられる訳だ
かなり近くまで接近してきたな
もしくは3.5光年か
>>130 ピョートル・カピッツアの話じゃね?
1904年の日露戦争の際に、ロシア正教会は全教会をあげて
日本に天罰を 下すように神に祈りをささげた。
結局なにも天罰は降りず、ロシアは負けた。
20年後、日本で関東大震災が発生。
ロシアの物理学者カピッツァはこの事実から
「神はわれわれから9光年以内にいる」と結論を下したという。
>129 >134 ヴォイテクは伍長殿だったのだねえ・・・
光人社の○○よもやまばなしで読んだ記憶があるのだが ある若手海軍士官が夜間に艦内の見回りをしていた ふと、どこかから騒ぎ声が聞こえる そこへ行ってみると、自分の部下たちが無断で酒盛りをしていた これがばれたら自分も部下たちも処分されるのは間違いない 凍りつくように誰も言葉を発しない その士官は下士官兵の輪の中に座り、無言で茶碗を持ち上げた それに注げと言うことなのは誰の目にも分かった 恐る恐るその茶碗に隣の下士官が酒を注ぐ 士官はぐいっと飲み干し何も言わずに去っていった その後、その士官は部下たちに尊敬されるようになった
今なら、 部下の誰かがほのぼのした話しとしてバカッターに投稿 ↓ 某巨大掲示板で話題に ↓ 防衛省に凸 ↓ 士官、部下まとめて全員懲戒処分
あの時代にツリッターがなくて本当によかった
三笠で秘密の宴会中なう
>>140 武門は信賞必罰のみにて拠って立つ所だ。
有耶無耶にすれば緊張感が欠落して凡ミスを犯すようになるんだよ
無粋な奴だな
海軍は軍規をある程度要領よく(ありていに言えばいい加減に)運用することが多かったみたいだ 水木サンだって原住民の村に行って、食い物をもらってたけど、今村均は黙認してたみたいだったし ヒゲの昌福ものんきに釣りしてたり 陸軍はなんであんなに杓子定規だったんだろう
あ、今村サンは陸軍か
ラバウルは海軍でも航空兵が多かったし、なにしろ航空兵は大雑把なのだ。
151 :
名無し三等兵 :2012/08/13(月) 21:40:21.81 ID:FyVFCjn2
知りもしねぇくせによく言うわ。
時既に遅く、151は狙撃兵に脳天を撃ち抜かれていた
昭和20年8月9日、樺太。 北緯50度線、日ソ国境を突破して侵攻してきたソ連軍の南下ルートは、 国境に通じるただ1本の国道、そして、ほぼそれに沿って走っていた樺太鉄道局線、 半田沢⇔敷香間、国境鉄道線に沿ったものであった。 それがため、国境鉄道線は8月9日以降、悲劇の攻防線と化したのである。 最北の鉄道駅、半田沢付近は同時に、日本軍の防備拠点となっていたが、 なすすべもなく8月11日にはソ連軍に突破され、日本軍にはやや南の古屯駅付近で死守命令が下る。 古屯駅付近の防備ラインを突破されれば、樺太第2の都市、3万人の人口を数える敷香まではさほど遠くはない。 8月14日までは敷香から兵員、弾薬、食料品を満載した軍用列車が昼夜を問わず運転され、 古屯駅付近を死守する前線部隊への補給が続けられていた。 古屯駅から引き返す軍用列車には、敷香を目指す避難民が満載されており、 8月14日午前8時、最後の避難列車が古屯駅を発車。 だが、最終の避難列車は敷香まで4分の1ほど進んだ千輪街駅付近で脱線、最後尾の貨車3両が川に落ちた。 避難民より先行して敷香方面に南下していた工兵隊が、ソ連に利用されるのを防ぐため、鉄道橋を爆破していたのである。 もはや避難民には、徒歩で南下するより他に方法は残されていなかった。
8月15日の終戦後もソ連軍との戦闘は続き、かろうじて敷香にたどり着いた避難民は1万5千人。 樺太鉄道局は8月15日朝から、使えるだけの車両をすべて動かし、敷香からの避難列車を運転開始する。 8月15日の時点では運よく樺太南端、大泊に着くことができれば、北海道へ避難できる可能性も残されていたのだ。 敷香まであとわずかという、上敷香駅付近にまでソ連軍が迫った8月19日、 1両のC56型蒸気機関車に、客車を1両だけ連結した列車が仕立てられた。 駐屯軍司令官と参謀を乗せ、機関車の前端に白旗を取り付けた休戦交渉の軍使列車で、 これが樺太鉄道局国境鉄道線、最後の北行き列車だったのだ。 だが休戦交渉は実らず、樺太鉄道局は8月21日、 敷香発の東海岸線南行き、大泊を目指して最後の避難列車を発車させる。 蒸気機関車2両をつなぎ、ありったけの客車と貨車25両を連結、 乗車は婦女子、または15歳以下の男子に限られていた・・・が、 8月21日の時点ではすでに敷香より南までソ連軍が達しており、 8月23日午後10時には最後の稚内行き避難船「宗谷丸」が大泊を出港。 詳細は今に至るも判然としないが、最後の避難列車の乗客が北海道に避難できた確率は極めて低い。
どこがほのぼの?
終戦の日だった。この程度の脱線は大丈夫なのでは。
昭和8年初頭、横須賀海軍工廠で空母「龍驤」の艤装工事が大詰めを迎えていたころ。 引渡し日が迫っていた「龍驤」の艦内では、夜に日を継いだ突貫工事が行われていた。 だが、ある日の夜「龍驤」当直の機関大尉が、酔って部屋から出てくると「うるさい、眠れん、もっと静かにやれ」。 夜間工事を監督していた工員組長が「われわれは徹夜で工事をしているのだから、我慢してほしい」と言い返すと、 酔っ払った機関大尉は手近にあった丸太をつかみ、逃げる組長を追い回して怪我までさせた。 翌朝、組長から報告を受けた横須賀工廠艤装部員、 それまでも型破りな人物で知られていた、玉崎造船大尉は即座に機関大尉の上官、機関長に面会を求め、 「徹夜で働いている者に酔っ払い士官が暴力をふるうような場所で、仕事を続けさせるわけには参りません。 作業員を引き揚げさせます」。 玉崎造船大尉が作業員の引き揚げを命令すると、大尉自身も驚いたことに、 直属の部下だけではなく造船、造機、造兵の全部員が「龍驤」から引き揚げ、艤装工場前に集まってきたのである。 前代未聞の海軍工廠におけるストライキで、さすがの玉崎造船大尉も軍法会議を覚悟した。
しかし、そこで玉崎造船大尉のもとに蒼い顔をして駆けつけたのは、当の「龍驤」機関長であった。 「副長が造船部長のところに詫びに出向いた、大尉はしかるべく処分する、どうか作業を続けていただきたい」。 機関長が頭を下げにきたのは、引渡しが遅れた場合、自分も責任を取らされるからなのは明白、 もともと、兵科や機関科将校の思い上がった考え方に反感を持っていた玉崎造船大尉、すぐには命令を解かず「考えておきましょう」。 すかさず玉崎造船大尉のもとに、造船部長から電話がかかってきた。 「お前、やったな!とにかく話はついた、ヘソを曲げないで、すぐに仕事を続けろ、いいな、わかったな」。 玉崎造船大尉「じゃ、そういうことにしましょうか」と、直属上官相手にさえも人を食ったような答えを返した。 玉崎造船大尉が全部員に職場復帰を命令すると、あっという間に全部員が持ち場に戻り、 のち「龍驤」の引渡しは予定通り行われている。
玉崎造船大尉の中尉時代。 大阪商船から海軍が徴用した「笠戸丸」を病院船に改装することになり、 その艤装に関する会議に、玉崎造船中尉(当時)も出席していた。 列席していたのは病院船院長予定者の軍医大佐ほか、尉官級の軍医も。 軍医が口々に一等客室を自室に使わせるよう要望し、若い軍医中尉までが言い出したとき、 玉崎造船中尉が椅子から立ち上がり、 「これから改装しようとする船は、軍医船なのですか、それとも病院船なのですか?」 軍医が住み心地のいい部屋を占有してしまえば、その分、重傷病兵は狭い船室で苦しむことになるのだが、 ひとりの軍医中尉が言い返すには、 「貴官の意見は、船に乗って長い期間航海したことのない技術科士官の愚言である。 われわれ軍医はこれから改装される船を、長期間生活場所とするのである。 患者は一航海限りの居住である、当然、われわれ軍医を主体にして艤装するのが、病院船としてのスジである」。 「なるほど」と、いったんうなずいた玉崎造船中尉、おもむろに、 「あなたがたも、いつか当然ながら負傷し、あるいは病魔に冒されて、うめくことになるでしょうな。 そのとき、押し込められた狭い部屋で、死に至る断末魔を我慢すると言われるのですな?」 発言そのものはさすがに上官からたしなめられたが、 結局「笠戸丸」の改装は玉崎造船中尉の主張に従って進められている。
難しい話だ。 あんまり劣悪な船室で長期航海をすると能力に差し障りもあるだろうし、軍医の意見もわかるような。
もともとが客船なら三等船室でもそれほど劣悪ではあるまい。 当時の海兵はハンモックで寝ていたのだから。
大正時代の海軍兵学校では朝飯は食パン半斤と砂糖大匙一杯、そしてなぜか味噌汁丼一杯 軍隊の学校に入ったのだから白い飯をタップリ食えると思っていた学生はなれないパン食に戸惑う しかし訓練は厳しいし、腹も減るのですぐに慣れて食パンをガツガツと食うようになる 食パンには当然耳がある いまだと耳の部分はタダでもらえるし、まあハズレの部類なんだろうけど 当時の学生にとっては耳は身が詰まっていて当たりだったらしい 食パンの端の半斤が自分の朝飯だったら「アーマー」と呼んで喜んだ
今のリビア人である
昭和50年春、エジプトのスエズ運河庁長官一行が来日、国鉄本社を訪れた。 「新幹線の運行管理技術をスエズ運河に適用できないだろうか? 第3次中東戦争で破壊された技術を復旧するにあたって、新技術のかたまりである新幹線を調べに来た、 協力してくれるなら、何とか導入したい。 実は運行管理技術はスエズ運河開通して以来、昔のままで、追突事故が絶えないのだ」。 当時のスエズ運河は全長169kmの単線、途中2箇所に行き違いのポイントがあり、 船が起こす波で土手の砂が崩れ落ちるのを防ぐため、航行制限速度は7・5ノットを厳守、 スエズ運河航行中はスエズ運河専属の水先案内人が乗船し、 運行管理は2・5kmごとに設けられた信号所が、昼は旗旒信号、夜は灯火信号で船の航行を管制する、 鉄道に置き換えるとローカル線の単線、それもふた昔前のようなシステムだったのである。 国鉄は船舶航法の違いから始めて鉄道との違いを洗い出し、国際法の資料も揃え、 昭和50年秋、現地に視察団を派遣する。 そこで視察団が見たものは、追突事故の原因である船の速度超過に対して信号所からスピーカーで警告するしか方法がない、 各信号所を結ぶVHF無線も聞き取りづらい、これでは事故が多いのも当然と思える実態であった。
国鉄は新幹線のシステムをスエズ運河に置き換えた、全く新しい運行管理システムを提案した。 2・5kmごとの信号所を全廃し、信号所跡にはUHF無線の受信機を置く。 受信機は新たに設けられた中央指令所とケーブルで結ばれており、指令室にはスエズ運河全体を表示する巨大な照明盤を設置する。 スエズ運河を通行する船舶に乗船する水先案内人に、あらかじめ専用のUHF無線機とコード番号を与え、 信号所跡の受信機近くを通過すると、たちどころに照明盤に船の位置情報が表示されるようにする。 速度超過や事故が起きた場合には、UHF無線で指令室から水先案内人に指示が走る。 視察団が派遣されてから2年後、国鉄の提案通りの運行管理システムが完成すると、 第3次中東戦争の戦災復旧どころか、スエズ運河における追突事故は根絶されたのである。
国鉄ですか。 やるなあ。
国鉄の運行管理システムに目を付けるって所も凄いな
両国の凄さだね。国鉄の管理システムに目を付けたエジプトも凄いし畑違いの船の事でも誠実に対処した国鉄も凄い。
第4次中東戦争のスエズ突破における舟艇やポンプ車の利用と言い、 エジプト人はたまにすごい発送の転換をするよなぁ。 問題は、それができる人が滅多に要職につけないことなんだけど。
1942年3月3日 オランダ領インド航空 の ダグラスDC-3は、 オランダ領東インドへの日本軍の侵攻に伴いオーストラリアに逃げたが、 オーストラリアのブルーム郊外約80kmのカルノー湾で、 空襲作戦中の日本軍の零式艦上戦闘機に撃墜された。 積荷には150,000〜300,000ポンドのダイヤモンドが含まれており、 墜落後失われるか現地住人に持ち去られるかした。 乗員乗客4人中4人全員が死亡。
>>171 小説のネタになりそうな話だね。
ダイヤが散るのを見た零戦搭乗員がこれを拾うべく敵地へ着陸とか、基地要員が陸攻かなんかに乗って拾いに行くとか、陸さんにばれて争奪戦とか…もったいない。
乗客乗員はどんな気持ちで財宝と相乗りしてたんだろう、スペインの黄金艦隊みたいな心境だったんだろか。
>>171 第二次大戦航空史話で読んだな
イワン・スミルノフってロシア人パイロットが操縦してたDC3だっけ?
>>171 ぜんぜんほのぼのしていないんだが…
こういう貴金属って、鑑定書のたぐいが付いてないから価値はガラス玉と同じでね?
工業用としては使えるしまあ蛇の道は蛇ではあろうが
資格を持った鑑定士が鑑定すれば宝石になるんじゃないの。
>>175 デ・ビアスかロシアの流通に乗らなきゃ、石ころとおんなじ
実際、デ・ビアスはだぶついたダイヤ、例えば最高ランクが多ければ最高ランクの値段が下がらないように、海に捨ててる
さすがに捨ててはいない ただし自分たちのところで管理して 自分たちの都合のいいタイミングで 市場に出してる
ダイアなんぞ今日日作れるんだからどうでもいい
全く不案内、不勉強なのだが、 工業用は当然造れるとしても、装飾用のダイヤモンドって人工可能なの?
勿論、恥ずかしながら、工業用と装飾用の需要の割合も知らずに質問しているのですが。
>>179 CVD法って技術使えば、本気になれば透明だろうが色つきだろうが自由自在に合成できる
(鑑定すれば人工かどうかは判る)
安価なファッションとして利用する技術はもうあるけど
デ・ビアスなんかの圧力で宝石としてのダイヤモンドは製造されない
人造ダイヤは一定以上の大きさのものは作れないか、作ろうとしたら本物より高くつくと聞いた。
アメリカ、ウエストバージニア州セーレム市警察での話。 ある夜、老人医療の専門病院から警察に通報が入った。 「患者の老人が処方薬を飲みたくないとだだをこねているうちに、精神状態が陸軍二等兵時代に戻ってしまい、 大声で号令をかけたりして、他の患者さんの迷惑になっている。 かれこれ1時間あまり『ドイツ軍が攻めてくる!』と叫びながら廊下を走り回っているので、 他の病院に移送したい、手を貸してもらえるだろうか?」 病院に急行したのは、ベテラン巡査部長と新人巡査の二人組。 新人「そういう頭のおかしいやつは、どうやって取り押さえるか考えておかないといけませんね」 ベテラン「相手はただの老人じゃないか、殺人犯なんかじゃない、よく考えて行動しろ」。 病院に着いたベテラン巡査部長が新人巡査を従えて老人の病室に入ると、老人は直立不動で敬礼、 「軍曹どの、自分はお国のために戦っております、勲章もたくさん頂いております」。 葉巻入れから王冠を取り出した老人に、ベテラン巡査部長、 「よし、よく頑張った。自分とここから撤退するんだ、急げ、敵はすぐそこまで迫っているぞ」。 ベテラン巡査部長に再び敬礼した老人、巡査部長のあとについてイチ、ニ、イチ、ニと行軍を始めた・・・が、 病院の玄関に待機していた救急車を見ると、その場にしゃがみこんで動かなくなった。 ベテラン巡査部長「心配するな、あれは自分の命令でやってきた援軍の野戦救急車だ。 さあ、後方は自分が見張る、早く乗り込め!」 命令?を受けた老人、さっと立ち上がり、すたすたと救急車に乗り込んでいったのである。 あきれ返った新人巡査「はあ?あれが援軍の野戦救急車ですか?」 ベテラン巡査部長「何が悪いんだ?じいさん、おとなしく移送されていったろう?」
老人性痴呆症の治療に三八式のモデルガン持たせるようなもんだな。
リハビリには軍歌が良いのですよ。 腹から声を出しますからね。
スペインにも似た話あったな。 ぼけて老人養護施設に入ったんだが、スペイン語忘れちゃって何故かドイツ語しか話せなくなっちゃった。 それで気分は兵士、敬礼とかはしないものの、軍制の革靴をおねだりしてそれを磨きまくり。当番兵かなにかだったのか、何時も決まった時間に茶を入れる(熱湯は使わせてもらえないから、あらかじめ用意された市販品)。 特に問題もないし職員は放っといたが、雪の日に病院抜け出そうとして、非常階段のとこで眠るように死んでたってのが印象的だった。
冷戦中超能力の研究にソ連が入れ込んでいたのはご存知のとおり。 特に期待されたのが潜水艦と地上との通信で、あるときミサイル原潜に超能力者?を載せて通信実験を行ったところ 「アメリカ人がおっぱじめたぞ!モスクワが火の海だ!」 などと言い出して大暴れ。最後には政治士官が拳銃突きつけて軟禁したとか。 これには艦長も苦笑い、超能力通信というアイディアは放棄されたとか。 冷戦中のほのぼのとした一幕。
超能力というとKGBも諜報に使おうと研究してたとかなんとか
「風と共に去りぬ」などで知られるイギリスの名優レスリー・ハワードは、 第二次世界大戦が勃発後、名戦闘機を描いた「スピットファイアー」を 自ら監督主演で制作。 その後、各地で兵士達を応援する講演のため飛び回っていた。 1943年6月1日 、ハワードが搭乗したポルトガルのリスボン発、 イギリスのホワイトチャーチ行きのBOAC777便(ダグラスDC-3、機体記号G-AGBB)は、 ビスケイ湾の公海上で,ドイツ空軍のユンカースJu 88に攻撃され墜落。 この事件でハワードを含む乗員乗客17人全員が死亡した 。 第二次世界大戦当時のポルトガルは中立国で、 リスボンは枢軸国と連合国の捕虜交換の拠点となっており、 そのため各国のスパイが暗躍する舞台となっていた。 事故当時イギリスのチャーチル首相は仏領アルジェリアのアルジェを訪問中で、 たまたまハワードのマネージャーがチャーチルとよく似た年格好をしており、 またハワード本人も首相のボディガードとよく似ていたため、 ドイツのスパイがこの二人をイギリスへの帰途にある首相一行だと誤認、 首相搭乗機として通報し、追撃したものといわれる。
昭和18年暮、当時、鉄道省直営だった東京鉄道ホテル(現在の東京ステーションホテル)井上支配人のもとに、 八田鉄道相から指示があった。 ドイツ・オットー駐日大使を招いて晩餐会を開きたいので、工夫をしてくれないか、とのこと。 工夫、というのは、昭和18年も暮のこと、料理の肉や野菜はどうにか入手できる目当てがあったが、 洋酒はほとんどが軍部に押さえられ、民間ではろくなものが手に入らない有様だったのである。 井上支配人がふと頭に浮かべたのは、同じ鉄道省直営、下関にある山陽ホテルだった。 さっそく鉄道電話で山陽ホテルに問い合わせをしてみると、 ラインワインの上質なものを秘蔵しているとのこと。 井上支配人は電話口で何度も頭を下げ、秘蔵のワインを上り特急の食堂車に託してもらい、 文字通りの特急便で入手することに成功した。 晩餐会の席上、謹厳なオットー大使と八田鉄道相が満面の喜びでグラスを合わせた瞬間の感激を、 井上支配人は戦後も長く記憶にとどめていたという。 なお、ワインを提供した山陽ホテルは昭和20年7月、空襲で被災し半焼、営業を休止。 秘蔵のラインワインも山陽ホテルで眠ったままであれば、被災した可能性もなしとはしなかった。
昭和18年にまだ食堂車付きの特急が走ってたのか
>>193 昭和18年暮の時点では、他の特急列車がことごとく廃止された中、
かろうじて東京⇔博多間の特急「富士」1往復だけが食堂車連結で残っていたが、
その「富士」も昭和19年4月には廃止されている。
俺のじいさんの昔話 満州でエラいさんの車の運転手をしていた あるとき、そのエラいさんに命じられてトラックで軍の倉庫へ いろいろと物資を積み込んだ後で、 「貴様ら、酒でもタバコでも砂糖でも好きなものを持っていってヨシ」 と言われたらしい みんなで好きなだけ持ち出して、その帰路、「ロスケ」の戦闘機に機銃掃射されて戦友が一人死んだらしい (もちろんソ連侵攻前の話) どこまで本気にしていい話か分からんのだが、話の分かる上官もいたってことか
>>195 自分のものじゃないと鷹揚になる人は今も昔もある程度いる
ソ連軍機に機銃掃射されたってことは、戦争の超末期だろ? その頃になると満州方面の日本軍は直接ソ連軍と戦っている 前線部隊以外は軒並み総崩れ状態で、軍記も壊滅状態。 軍需品倉庫からあるだけ取り出して後方へ撤退というのはよくある時期だぞ。
国民党軍のI-15/16あたりをソ連製の戦闘機→ロスケの戦闘機と呼んだだけじゃろ
戦争前でソ連機に機銃掃射・・・ハッ!まさかノモンハン!? (まぁ、そのじっちゃんが朦朧していると考えるのが一番自然だが)
>>195 の祖父さんは多分、ソ連侵攻と物資貰った日が近くて
長い年月の間に記憶を混同したんだと思う
爺「ロスケの戦闘機が…」 孫「ロスの銭湯?」
203 :
195 :2012/09/09(日) 12:59:31.30 ID:???
あんまりまともにとらえないでほしい ウチの死んだ爺さんはほら吹きだったから 自動車の運転手になったのも、上官からは馬の世話をしろって言われたけど、 「自分は天皇陛下に命をささげる所存で(略)自動車の運転手をさせていただきたくあります」 とねじこんだらしいから ただ、満州の銀行の通帳を見せてもらったことがあるんだが、数百円の残高(今となってはタダの紙切れ)を見せてもらったことがある 徴兵の一兵卒はずなのになぜ? という疑問については爺さんが死んでから気付いた
>>202 アメリカ人には日本の銭湯ってやたらと熱く感じられる上、
そもそもアカの他人の前で全裸になって風呂に入るのにかなりの抵抗があるらしい。
日本は資本主義だから問題なくね?
アカの意味が違うw
ロシア人は大のサウナ好きと聞いたが
日露戦争中の日本側の捕虜優遇は有名 ロシア兵は投降するとき「マツヤマ〜」と叫んだとか 松山には捕虜収容所があり道後温泉もある ロシア兵も浸かりに行ったんだろうな
吉村昭「海の史劇」だったか、 松山捕虜収容所でロシア兵を温泉に連れていこうとしたところ、 最初は嫌がっていたらしいんだが、病気治療や疲労回復に優れた効き目があると知るや、 先を争って温泉に入るようになった、というくだりがあったな。
>>210 長い目で見ると、捕虜の権利をある程度厚遇したほうが
そうやってすぐ投降してきてくれるから本来戦争には有利なんだよなぁ。
しかしなんで捕虜収容所の所在地まで知ってるんだ?という 都市伝説かただのデマじゃねえの?
捕虜交換→マツヤマ〜かな
まさに至れり尽くせり
捕虜郵便のこととて検閲があるにはあったが、さほど厳重なものではなかったらしい。 ひとりふたりが「松山いいとこ」と書いたんなら「日本軍に脅されて書いたんだろ騙されてたまるか」だろうけど、 われもわれもと「松山いいとこ」と書いたんなら「こりゃ本当のことだろう」と受け取った側は判断するわなあ。
日露当時は、捕虜の取り扱い関係は緩そうだよな。特に収容所の位置も隠したりしていなかったんじゃない? そもそも、不参戦の宣誓をすれば国に帰れた訳だし。
まあ日本本土にまで救出部隊が来るようなら戦争はあかんしな
日露と日中戦争の凄惨さの違いはなんなんだ…
中国側がゲリラを積極的に多様してたからねぇ。 日露戦争は他人の土地でやっていたからまだゲーム地味た公平さが 確保できたが、人の土地でその人と戦うと血みどろの戦いになるのは 歴史上通例。 WW2でも、西部戦線では比較的国際法が守られたけど、東部戦線は血みどろ。 んでもって西部戦線でも、フランス解放後はフランス国民がドイツ人や対独協力者を 血祭りに上げていたし。
昭和初期、岡山にあった日本食堂で洋食を学んでいた若い見習い料理人がいた。 召集され、中国大陸に出征したのだが、召集前の職業を買われて幹部付きのコックとなり、 中国大陸を北部から南部まで転戦しつつ、各地のさまざまな食材で料理をすることになった。 中国大陸で料理人が学んだことのひとつに、中国人の豚の調理法があった。 肉、骨、皮を余すところなく食材に使い、どこも無駄にしない。 昭和23年、料理人は復員し、岡山市内に食堂を開いた。 このとき料理人は、他の店にない独自のスープを使ったラーメンを考案した。 スープを豚骨から取る店は他にもあったが、この店の場合、豚骨に加えて豚の皮もスープの材料に使い、 じっくり煮込んだ豚の皮から出る旨味を加えたのだ。 中国大陸での料理の経験が、充分に生きたスープであった。 さらにはそのスープを濃い目に取った魚のダシと合わせ、出来上がったラーメンは、 他店にはない自慢のメニューとなり、 二代目が店を継いだ現在も創業時の味を引き継ぎ、好評を博している。
>>222 ググってもいまいちわかりませんでした
恐れ入りますが店舗名教えていただけないでしょうか
>>223 岡山市表町「やまと」どちらかというと洋食メインの食堂。
おれもここのラーメンを食べたことがあり、確かに美味かったのを思い出しながら書いてみた。
ドーリットルのB-25による本土初空襲を受けて、 被害が少なかったことを強調した陸軍の海外向けコメント。 「アメリカの隊長の名前は、ドゥ・リトルと言うらしいが、 日本の被害は、ドゥ・ナッシングだった。」 陸軍にしては気の利いた駄洒落と、当時 日本の関係者では好評だったらしい。
ゆっくりしてえ
してきなよ
>>225 陸軍に英語教養のあるやつはいたのかw
フランス語かドイツ語教育が陸軍ではデフォだったはず。
駐露や駐英駐米など、色んな国の武官経験者がおるからね・・・
サルを完全に破壊する実験って知ってる? まずボタンを押すと必ず餌が出てくる箱をつくる。 それに気がついたサルはボタンを押して餌を出すようになる。 食べたい分だけ餌を出したら、その箱には興味を無くす。 腹が減ったら、また箱のところに戻ってくる。 ボタンを押しても、その箱から餌が全く出なくなると、サルはその箱に興味をなくす。
で、最後は餓死するっていう実験か?
>>213 日露戦のこの時代、日本は3等国。土人国家。
欧米列強からは、比喩じゃなくて文字通りドジンあつかいで人間あつかいされてなかった
不平等条約改正にやっきになっていた
鹿鳴館で列強を接待ダンスしまくって、国家予算の5%が使われたとか、そういう時代だ
だから、軍は国際法に過敏で、必要以上に紳士的に振る舞ったし、
捕虜は必要以上に優遇した
ww1でも、ドイツ捕虜を優遇して、
ソーセージづくりを教えてもらったとか、音楽を教えて貰ったとか、
(習志野、徳島etc)
交流の逸話がある
>>213 「我が軍の捕虜収容所は快適ですよ〜」
ってのは古今東西昔からある典型的な情報戦の一つだからねぇ。
これで敵軍の投降者が増えてくれるなら儲けもの。
太平洋戦争での日米両軍、それどころか独ソ戦でも独ソ両軍やってた
(信じる奴何人いたのだろうか・・・?)
ドイツとかソ連兵捕虜を野原に有刺鉄線張っただけんとこに放置だからな。
ヒトラーはロシア人の事を奴隷と言って人間扱いしてないからな 上意下達って事だろう
運の良い連中は、労働力として大西洋沿いで トーチカ作っていたみたいだけどね。 (貴重な労働力なので、最低限のカロリー補充はする。) 負傷兵? 知らんな。
米軍も、ナチス・ドイツの降伏直後、ドイツ兵捕虜はタコツボ掘らせてそこに入れていただけなんで、 風雨にさらされ衰弱し、病死者が続発したそうだ。
ぜ、全然ほのぼのしてないでごじゃる・・・。
降伏後の独軍将兵の扱いは、英軍が最もマシだったらしいな。 噂を聞きつけ、英軍に投降しようとして加軍やANZAC軍に投降した連中は、かなりひどい目にあったらしいが。 まぁ、それでも、仏軍をはじめとする被占領諸国軍や、パルチザンに捕まるよりは、よっぽどマシだったらしいが。
話は少し戻るが戦艦ポチョムキンの台詞にも "日本軍に捕まった奴らの方がもっといいもん食ってるぞ!" ってのがあるらしいな。
イタリア軍の捕虜となった場合には...。
味方の兵でさえ栄養失調や風雨に晒されて病死する者がいるのに 捕虜ばかり客扱い出来ない
>>243 前レスにあった日露戦争の折の露軍捕虜厚遇に対し、日本の一般国民からは反対の声も起きていた。
「国民が窮状に耐えているというのに、捕虜の度外れた厚遇はどうしたことか」。
さらには、ある捕虜収容所では露軍の将校から、兵と同じ待遇ではなくもっと厚遇せよという不満も出たが、
こちらは「日本軍では将校も兵と同じものを着ている、これを見たまえ」、
説得にあたった日本軍将校が、自分の着ていた外套と部下の兵の着ていた外套を見せたところ、
露軍の将校は黙り込んだという。
245 :
名無し三等兵 :2012/10/03(水) 09:24:34.85 ID:AzCOocVK
自衛隊ネタを1つ。 厨房の頃に通っていたガンショップの店長さんに聞いた話。 そのガンショップからほど近いところにある、陸上自衛隊某駐屯地。店長はある隊員と仲が良く、隊員の方もよくお店に出入りしていたそうな。 で、ある時、壁にディスプレイされていた、今は亡きTOP製64式小銃を手に店長が提案。 「これ、お前んとこの武器庫に置いたらどうなるかな?」 「面白そうっすね、やってみますわwwww」 …かくして、某駐屯地の武器庫にこっそりと置かれたTOP製64式小銃。 すぐにバレるだろう、と誰もが思ったが、なぜか数日間誰も気が付かず(笑) 気付かれたのは数日後。点検に来た隊員が64式の数を数えて真っ青。 「い、一丁多い!?」 減るのも問題だが、何故増えた!?と慌てて調べ直したところ、すぐに分かった。 「誰だ、オモチャなんて置きやがって!」 その隊員とTOP製64式がそのあとどうなったかは、教えてくれたんだったか、単純に俺が忘れたんだったか… 関係者の方、ご存知でしたらご一報を(笑)
11丁ある!ですね><
247 :
名無し三等兵 :2012/10/03(水) 20:39:27.08 ID:Bu8/hlJj
朝鮮戦争初期、初めて戦場に現れた英国兵を見た北朝鮮軍は 彼等をソ連兵と勘違いし、“やあ同志”と呼びかけ近寄って肩を叩いたり、煙草を進めたりしたそうだ。
英国兵 「・・・ボルシチ」
>>246 「分解掃除、組み立て」の演習をしているときに、
こっそり余分なネジを置き逃げするとか、
そういうお茶目な教官っていないのかな
自分が思い付くくらいだから、古今東西、
誰かやってそうな気もするんだけど
銃の分解じゃなくて申し訳ないが。 連隊長殿が起床前にこっそり官舎から来て。まあそんな早い時間から来たらびっくりするわな営門の衛兵w 「シー!」 さらに兵舎内に行って不寝番に「シー!」しつつ 「お前の寝台はどこだ?」 不寝番の寝台に潜り込んで起床喇叭を待つ連隊長。 そして起床喇叭。初年兵は真っ先に飛び起きるけど古兵は初年兵任せだから寝てる。 そこで初年兵と共に起きた連隊長殿が 「こら貴様ら起床だっ!いつまで寝てるんだ!」 古兵達ビビるわなw こんなお茶目な連隊長殿が居たと言うお話でした。
どこで聞いた話かは忘れたんで信憑性については何とも言えんが・・・ 陸自の射撃訓練のお約束と言えば撃ちガラ薬莢の員数合わせ。 で、これまたお約束の一個足りなくて部隊全員で大捜索・・・ どこを探しても出てこず、時間が空しく過ぎていく訳だが、 こなれた古参の曹がいたりすると胸ポケットからこっそり取り出したブツをそっと転がし 「おい、そこに落ちてるのは何だ!」とやって一件落着となる事もある、らしい・・・ ところがここに、こなれた古参の曹が二人いたりなんかすると・・・ なんで一発多いんだ、と逆にえらいこっちゃ状態で大変な事になったとかならないとか。
いやそういうとき一士か士長がコッソリと撃ちガラ薬きょうを「提出」するらしい 錆が出て変形して(踏みつけられたのか)今撃ったばかりではないと誰の目にも分かるのだが、そこが陸軍からの伝統 員数が合っていれば機能しないものでも「合格」なのである
>>249 その余分なネジはどこから調達するんだ?
>>253 もちろんベストは同型の廃銃から取り出したジャンク部品だろうけれど、
似た形状で、似た質感のものなら、何だっていいかと
ネジよりも、小スプリングのほうが焦るかもしれない
日本本土爆撃を終え、サイパン島基地に帰還する途中だった、あるB29のパイロット。 数キロ前方に、味方海軍の空母を認めた。 爆弾を全て投下した後だったので機体は軽い、燃料の残りも充分にある。 1基のエンジンをフェザリングさせ、空母めがけて機体を緩降下させたパイロット、 次にはフラップと降着装置を下げ、空母に着艦するかのような最終着陸態勢を整えた。 空母の着艦管制官は気が狂ったように旗を振り、 そのうえ、甲板員を動員して、腕、帽子、上着、何でもかんでも振らせたが、 パイロットはそのままB29を降下させ、 あわや着艦?の寸前、フルスロットルで加速。 甲板の端から端まで、B29は轟音を上げて通り抜け、そのまま遠ざかった。 幸いというか、空母側にB29の識別番号や部隊マークを確認した者がいなかったらしく、 パイロットに直接のおとがめはなかったのだが、 翌日、海軍側から「未確認の飛行機が着艦体勢を取った場合は撃墜する」という通達が出たため、 以後、B29が空母をおどかすことはできなくなったのである。 当のパイロット「海軍は、この手のスポーツが苦手なんだよな」。
カミカゼがいっぱい飛んでくる御時世の話だろうからなぁ。
いやまあ問答無用で撃墜されなくてよかったね、って話だな
艦長軍法会議ものだとおもうぞ 日本軍に鹵獲された飛行機ならあぼんだし
259 :
11ですが :2012/10/22(月) 05:25:14.94 ID:???
それより主翼が艦橋に引っ掛からないか?
B29全幅:43.1 m エセックス級飛行甲板(新造時)幅32.9m 端に寄せれば、一応載っかるんだね 着艦はフックないから、どのみち無理だろうけれど
B52は無理だけどB29ならぎりぎり空母に乗っかるんだな みずぽも満足だろう
264 :
名無し三等兵 :2012/10/28(日) 00:43:33.01 ID:HppavRFc
おっ
265 :
名無し三等兵 :2012/11/03(土) 01:39:15.23 ID:goku2g2p
動物に関連した話ってのはあんまりないのかな
上野動物園の悲劇しか聴かんねえ
戦艦ビスマルクのオスカーとか、ポーランド軍のヴォイテクとか
>>265 こないだNF文庫で読んだお話。
近衛師団のある部隊、鶏小屋を襲ったニシキヘビを退治して食ったらうまかったそうで。
後日、現地人の誘いで3人の兵士がイノシシ狩りに行きました。
なかなかイノシシが見つからずイライラしていた時、大蛇がとぐろを巻いているのを発見。
「あれニシキヘビじゃないのか?」
早速捕まえようと近寄る兵士たち。身の危険を感じて藪に逃げ込もうとする大蛇。
一人の兵士が尻尾を持って引きずり出すと大蛇は起こって鎌首を持ち上ながら威嚇。
もう一人の兵士がすかさず
「この野郎!蛇のくせに人間様に逆らうのか!」
棒で頭をぶん殴ったら大蛇即死。
「イノシシは捕れなかったけど土産が出来たなあ」
大蛇をトラックに載せ帰隊。
「少尉どの。でかいニシキヘビが捕れました。」
「ほう。あれ?模様が違うぞ。これニシキヘビじゃ無いな。おいちょっと首の横引っ張ってみろ。ああやっぱり、これキングコブラって毒蛇だ。」
知らぬと言う事は恐ろしいwそんな毒蛇相手に尻尾引っ張ったりとかw
殴った兵士と尻尾引っ張った兵士はショックで一晩寝込んだそうな。
ちなみに現地の新聞に 「日本兵お手柄!コブラを退治」 「コブラをも恐れない勇敢な日本兵」 とか取り上げられたそうです。 著者の少尉どの曰わく 「勇敢じゃなくて知らなかったから。コブラって知ってたら恐怖心で躊躇して噛まれてるかもしれない。」 と。 しかしコブラも災難だわなw普通自分を見たら逃げる筈の人間が襲って来るんだし。
日本兵ヤバいマジヤバい!
コブラはいつもみんなが逃げてくれるので、いざ襲われると対処法を知らない。
戦時中の話ではないが、半島の南側に有る某国との共同訓練の為、日本の艦がその国の港に入った。 訓練は順調に進み、終始良い雰囲気で終了した。 が、後日、同艦の乗員が趣味も兼ねて撮影した沢山の写真を、同僚達と見ていると妙な違和感の有る写真を見付けた。 拡大して見てみると、写っていたのは良い表情でこちらに銃を向ける兵士達だった。 当然、戦時下の同国の兵隊は実弾を装填している。 彼等とは分かり合えないんだなと、心から思ったそうな。
日本軍は東南アジアで虎狩りもしてたな
かつての狩猟民族の血が意外に強いのかそれとも食い物関係だからか。
実弾云々は、聞いたことないなぁ。 油断していると、ハングルで「独島は韓国の物」って書かれた看板の前で記念撮影する羽目になるってのは、 聞いたことがあるが。
で。コブラは旨いのか?
>当然、戦時下の同国の兵隊は実弾を装填している んなのデフコンレベルや兵員の配置場所によって変わるわ。 38度線なら兎も角、その後方地域ではマガジン装填はせんぞ。 (警衛所で保管し、すぐに使えるようにしている。)
>>277 結局食べなかったみたい。
虎やイノシシは食べる下りがあったけど。
レッテル貼り乙
蛇は肉から良いスープがとれますな。 目に良いとか、産後の肥立ちに良いとされて中華料理でも珍重されています。
いや兵隊さん相手に産後の肥立ちが良くなるとか言われましても
ソースも無い書き込みなんてスルーすりゃ良いんだ。 銃を向けられた云々は知らんけど、俺の経験だと韓国兵は普通に弾倉入れて立哨してるのは見たこと有る。装填云々なんて分かるかバーロ
蛇は美味。 トカゲも美味いですよ。
なぜか蛇は蒲焼きというイメージがある
蛇は焼酎につけて飲むイメージ。
吾輩は猫であるで、寒月君か誰かが蛇の雑炊を食って 目が悪くなったとか言っていたのを思い出した
迷亭だぬ
>蛇の雑炊を食って目が悪くなった 寄生虫...。 ((;゚Д゚)ガクガクブルブル
>>268 ラバウルで守備兵をしていた陸軍兵士の実話で、空襲があって手近な防空壕に
飛びこんで一安心したが目が暗さに慣れたら何と蛇が数匹いた。
この著者は蛇が大嫌いで思わず壕を飛び出して別の壕を探したが爆弾が続々と
炸裂してその場にずっと伏せているのが精一杯で結局防空壕に入らなかった。
空襲が終わりヤレヤレと蛇のいた壕を見たら直撃弾で吹っ飛んでいた。
自分が生きているのは蛇のおかげだが蛇はやはり好きになれないと本人談。
292 :
名無し三等兵 :2012/11/09(金) 15:50:13.29 ID:mygPctFO
293 :
名無し三等兵 :2012/11/09(金) 17:42:46.10 ID:NcC/Hwgu
>>288 ハゲるんだよ。蛇食った翌朝、やかん頭が顔を洗ってるのでじーさんかと思ったら
娘だったと。「蛇ってのはのぼせるからねえ」という記述を覚えている。
迷亭のホラだがな
お陰でこの通り目が悪くなりました、みたいなことも(迷亭だけど)言ってたような・・・
「僕は禿にはならずにすんだにはならずにすんだが、その代りにこの通りその時から近眼になりました」と金縁の眼鏡をとってハンケチで叮嚀に拭いている。
うげ、コピペミス
ヘビはウナギに似た味だが、ニオイがきつい 焼いても生臭いらしい ソースは中学校の時の社会の教師(昭和1桁)
鰻というより歯ごたえのある鳥肉って感じだったような
ウミヘビなら沖縄で食べたことあるけど、リクヘビはないな。
蛇は茹でてから焼くといいらしいぜ
302 :
名無し三等兵 :2012/11/10(土) 18:27:32.28 ID:OEDcDOCm
303 :
名無し三等兵 :2012/11/10(土) 18:29:14.00 ID:OEDcDOCm
陸軍(陸自)でヘビのことを山ウナギと言うのは正しいんだなあ
ニコニコ動画の話だがサバイバルやる動画で 蛇を捌いて焼いてうまいうまいって言いながら 食ってる動画あるけど、どうなんだろう 蛇の燻製とかも作ってたが
小骨が喉に刺さる気がする
頭落としただけの百足を喰える人が小骨を気にするとは思えん
カンボジアでアリゲーターと蛇を食べたけど、普通に美味かった。 現地の人が臭いがキツイけど大丈夫か?って心配してくれたけど、大量の胡椒で臭みを消してたから全然平気だったよ。 よ〜く見ると、蛇の皮の模様が見えたりしてな、良い思い出だ。
子供の頃、元自衛官で山男の叔父が持ってきた自作のマムシの干物はとても臭くて 結局ゴミになってた。 どんな臭いかは忘れたけど腐っている臭いではなかった。
マムコの干物はとても臭くて に見えた
昔、山で捕まえたマムシをためしに食べようと皮をはいで調理の準備を してるうちに犬に食われたことがあったなあ。
ヘビはともかくカエルは美味いんだろうか 中国とかで食用カエルを食った人が言うには「鶏肉みたい」ってことらしいが アマガエルじゃ食うところないから無理だろうけど それと亀って美味いんかな 「海亀のスープ」ってエピソード(創作だが)もあるし、哺乳類の肉に近いんだろうか
>>315 カエルは、あっさりした風味で、本当に鶏肉みたいな感じ。
ただし、食用とはいえカエルだから、鶏肉ほどは骨に肉が付いていない。
亀は食べたことないんで分かんないな。
ワニならあるが、こっちもあっさり風味。
すっぽん鍋はさっぱりした感じだった。
カエルは美味いですね。 ウミガメはアオウミガメは美味でアカウミガメは臭いと、開高健さんが書いてたような・・・
食用ガエルは昔「村さ来」のメニューにあったと思ったが、今はないんだな・・・
>>315 美味い。
小骨の多いチキンみたいな感じだ。
俺は普通に牛肉や豚肉の方が旨いと思った。
牛肉や豚肉より美味い珍味とかハードル高すぎだろう
アザラシはそこいらの牛肉や豚肉より美味しかったぞ。
食い物の話になると盛り上がるなあ 俺が食ったことのあるのは スズメ(焼き鳥屋で) 猪(ボタン鍋) くらいだわ 猪は豚肉よりも牛肉に近くて、何でこんなに豚と違うんだと思った スズメは食うところ少ないからわざわざ頼むことなかったな
熊 鹿 猪 蛙 雀 これだけ食べた。 熊も美味しかったよ
トナカイは微妙だったが、鹿より臭い感じだった。
大きめの獣は部位によるね。 美味しい所は美味しいけど、不味い所が多い;。 すね肉でもそれなりに美味しい牛肉は偉大だ。
沖縄で山羊肉入りのすば食ったことある TVでは臭いって言ってたけど癖がなくて美味かった 羊のハムも食ったことある 淡白な味わいで豚の歯ざわりと鶏肉の味に近かった
トナカイはフィンランドで食べましたよ。 デカいステーキで、ブルーベリーソースがかかってました。 >326さんと同じ、微妙でしたな。 熟成が足りないんじゃないかと、フィンランド人が言うてました。
330 :
326 :2012/11/25(日) 01:08:40.60 ID:???
フィンランドではトナカイよりザリガニさんが好みでした。 あの国のスーパーの冷凍食品コーナーに雉やら兎が売っていたので食えばよかったとちょっと後悔。 ムスタマッカラと言う豚の血だったかを固めたソーセージも食いましたが一般的なレバーより臭みも無く普通でした。
昔の人はウサギと鳥だと言うことにしてよく食ったらしいが、今ウサギ料理なんてお目にかかれないな 野生の狸は山走ってたらよくいるが、野ウサギって見たことないや
兎肉は安物のハムやソーセージのつなぎに結構使われてるけど 兎肉や兎肉の加工品は見たこと無いなあ。
今、結構家で非常食用に飼っている人がいるから、知らないだけで食べられているのかもしれない
厚木にいた海軍302空。 食肉用に近隣農家から仕入れたウサギは、隊員たちのペットとして可愛がられていました。 ちゃんとしたオリを作って餌をやって、みんな楽しそうにしてる写真があります。
撮影後に隊員が美味しくいただきました
そして革はパイロットのみなさんの航空帽になりました
完全に食い物スレになっとるな ところで虫系は軍事的にどうなんだろう 太平洋戦争中に南方でナメクジを何とか食い物にできないかと試行錯誤して、結局「これは食えんな」って所に落ち着いたらしいが 昆虫やその幼虫で何とかしようって考えはなかったんだろうか
>>337 水木しげるのラバウル戦記だったかに、やたら大きなカタツムリを発見した兵隊が、
料理人だった兵隊にそれを持っていったら「こりゃエスカルゴだ! 高級食材だぞ」
って言われて料理して食べたら本当においしくて、
最初は闇鍋のノリだったのがガチ食い状態になったってエピソードがあったような。
302空は内地の有力部隊だった故か、様々なペットを飼ってますな。 雷電隊は赤松中尉が貰っていた子犬「マル」。 山田中佐は乗馬が趣味で、何頭かの馬を飼育してた。 忙しい中佐はなかなか乗馬できなかったけど、馬術部出身の予備士官は大喜びで乗りまわしておりました。
>>331 うさと鹿はジビエを食わせるフランス料理屋とかいけば食える。
美味いと思うが、それなりののレストランでそれなりの値段を出すものだからうまくて当たり前かも。
鹿被害(花壇の花まで食われるとか)のおおい奈良で鹿料理なんて出したら暴動が起こりそうだ 鹿は神の使いだからな
鹿はウマいらしいぞ。 最近は鹿被害対策で、鹿肉の販売所を作ってる地方自治体もある。 つか、うちは某政令指定都市なんだが、普通に猪・鹿・兎は食ってる人がいる。
ステーキと言えば元々は鹿肉だからな。 牛肉や豚肉を使う場合は、わざわざ「ビーフステーキ」「ポークステーキ」と言うくらい 鹿肉は一般的な食材だったそうな。
>>337 部隊や兵士個々人でかわるみたいだなぁ<虫食
「虫はチョット・・・」と絶食状態でもまったく食べなかった奴もいれば、現地人に混じって食いまくった奴もいるようだし。
たいしてカロリーのないキノコを食って、中毒で死ぬよりも 明らかに毒のない昆虫を食って栄養にした方が賢明だよな ところで生物毒には血液中に入るとマズいもの(ヘビ毒とか)と、経口摂取するとマズいもの(キノコやフグ毒)とがるが、血液に入るとヤバい系を食った場合は胃袋で分解されて無害になるんだっけ だったら毒蛇丸呑みしても平気なんか?
信州出身の兵隊さんは虫食大丈夫だったのかなあ。
寄生虫の心配も考えると、素直に火を通した方が ヘビの毒も蛋白だから過熱調理で消えるはずだし
ハチノコやイナゴなら食えるだろうけど、南方のでっかいカブトムシとかアリとかは抵抗あっただろうな
虫は、得られるカロリーの割には採集にかかるエネルギーがでかいからなぁ。
朽木の中の幼虫とかを狙うんだ。
狙わねーよw
>>337 ラバウルのカエル食いは有名だよね
爆撃の穴に出来た水溜まりによくいたそうで、カエルの足焼きを
小鳥の足と偽って食べさせたそうだが、ちょっと苦みはあったが
平気で食えたそうだ。
小鳥の足って そんなの食うところないやんか だまされるほうも、腹減ってたから分かってて、いや分からなくなるくらい腹減ってたのか
>>353 戦争体験者の証言とかで「空腹」と「飢餓状態」は別次元のレベルだって話がよくあるしねぇ・・・
光人社の本でフィリピンで空腹のあまり、石ころ詰めた飯ごうを持って、「メシができたぞう」「食え食え」って石ころ本当に食うくらい錯乱した兵士をみたとかのエピがあったなあ
うわあ全然ほのぼのしねえ
>>354 俺たちの言う「腹減ったーーー」ってのは、単に「腹一杯じゃなくなった状態」にしか過ぎんらしい
飢餓状態になったら普通の食事取っても 胃が受け付けなくて吐くからな
南方から生還した人の話であの時、おろし金があれば飢餓で苦しまなくてすんだというのを見たことがある。 ジャングルに生えているクワズイモなんかはシュウ酸カルシウムを多くふくむから 食べられないが、おろして水にさらせば食えるとかなんだろうか。
>>359 それはそれで食えるとなれば一瞬で食い尽くして飢餓状態に落ちるタイミングがわずかに遅れるだけだったかと
その環境で自給自足で生活可能なキャパシティをはるかに超える人間がいきなりさまよいこんだのが問題の根本だからさ
まあその僅かなラグで生還できた方も多いかもしれないが
日本に住んでいると食い物がなくても山に行けばどんぐりや山菜が取れるから人口が希釈なら何とかなりそうな気もするが 熱帯だと食える野生植物ってのがほとんどないんだろうな 石垣島の山の中歩いた時、本州じゃ見ることもないシダ植物ばかりだった こんなの恐竜が食うならいいだろうけど
神戸マラソン参加して、スタートに二万人が密集したのみたけど、 あれだけの人間がガタルカナルにいたら、そりゃ大変な事になるわとおもった
>>359 後年、現地でやってみた人が居たそうだが、イモが硬くておろし金では歯が立たなかったそうな。
戦後ニューギニアのジャングルで10年暮らした人の本読んだけど、食べ物は 動物質が多かったな。ヒクイドリとか、野豚とか。 戦中から食べてたサゴヤシ澱粉が主要な植物性食品だったみたい。 あと、塩の調達に苦労したそうな。
>>361 「ジャングル」と「森林」は似て非なるものらしく、
日光があまり差し込まず、その上年中蒸し暑いジャングルは、
人間の手の届く範囲に食用植物がほとんどないんだそうな。
太平洋は海の砂漠、ジャングルは森の砂漠なんだそうで。
普通に考えて食料豊富なら既に多くの人が住んでるよな
367 :
名無し三等兵 :2012/12/09(日) 19:32:44.06 ID:csCecK/Y
食い物以外に何かないのか笑
戦場でほのぼのって 食い物、ネコ、犬あと人情話かなあ 女関係のネタが少ないよな
369 :
名無し三等兵 :2012/12/09(日) 23:24:41.80 ID:p1WxO4uX
山本七平によれば飢えた日本兵がサゴヤシの芽まで筍みたいに食べて枯らすので比島人に恨まれたとか
370 :
名無し三等兵 :2012/12/09(日) 23:26:35.99 ID:p1WxO4uX
サゴヤシの幹のゾウムシ、カミキリムシの幼虫は現地人のオヤツとして重要 デンプン製造の役得
>>364 中学生の時、林間学校で海に行った際に担任の先生が「お前ら、塩作るぞ」って、近所の農家から借りたデカい釜に海水を入れては煮立て、入れては煮立てを繰り返し、エラい時間をかけてやっと食べられる塩が出来たよ。
それと平行して濃い牛乳を瓶に入れて、ひたすら振りまくってバターも作ってみた。
そして手作り塩&バターを蒸かしたジャガイモに付けて食べたけど、とてもおいしいかったわ。
戦線で食料の調達をするのは大変だろうけど、調味料の調達なんてのはもっと大変だろうね。
372 :
291 :2012/12/10(月) 01:52:49.16 ID:???
塩は嗜好品ではなく、必需品だからなぁ。
食う物の話で思い出したんだが、 出す物の話を執拗にするシベリア帰りのおじいちゃんがいたのを思い出した。 ※一応 下ネタ注意※ (以前、ソ連軍の防寒着の話をしていた技術伍長だったおじいちゃん) シベリアではあまりにも寒いせいで、便所に投下するモノが瞬時に凍ってしまうため、 汲み取るとかそういう形にならず、なんとボットン便所の頂上まで山を作ってしまうんだそうな。 それで、当番制で鉄パイプを使ってその山を突き崩す。 当たり前というか、誰しも嫌がる当番だったらしい。 「わしゃあ何度も突いたんじゃ……これでもか、これでもかっちなぁ」 銃弾飛び交う戦場での話と同じくらい真剣な顔で語っていたあたり、 トラウマレベルに嫌だったんだろうなと心中を察するしかなかった……
374 :
291 :2012/12/10(月) 01:57:28.01 ID:???
凍ってしまえば、臭いも少なくなり突っついても飛び散る事もないから気にする物でも無いんじゃね、 なんてあまい事は無いんだな。
>>374 言ってしまえば茶色いドデカイ氷塊を叩き割る作業だから随分な重労働。
ひいひい言いながらそんなんを延々続ける抑留生活は、
十分に地獄絵図だったんだろうなと話の前後で察せられたよ・・・
シベリア抑留記でよく出てくる話だね。 なにがキツイかって、破片が飛び散って服について、それが暖かい部屋に帰ってくると…… ってな記述を複数読んだ記憶がある。
377 :
291 :2012/12/10(月) 02:12:00.18 ID:???
題名は失念したがイラクの米海兵隊の映画で、今でも懲罰として汲み取り作業をやらされていたなぁ。 イベント会場の簡易トイレの清掃も大変な作業なんだろうな。 ところで、日本のイベント会場の簡易トイレは和式だが、 西洋でも同じ外見の簡易トイレはよく見掛けるが、当然洋式なんだろうな。 どっちが使う方としてまだましなんだろう?
今は民間委託かな
日本にも洋式の簡易トイレあるよ。 座る気はしないけど。
小でも大でも必ず洋式便座に触れなくてはならない女性にとっては切実だろうな 今の公衆便所やスーパーのトイレはほとんどが洋式だからなあ 古い建物の公共施設だと、和式便器が残ってるけど、見るとなんかほのぼのするのはなぜなんだろう
軍隊で使う場合、バイオトイレと燃焼式トイレではどちらが使い勝手がいいんだろうか 野○ソだと処理に限界があるよね
しかし、トイレ担いで移動するのもなあ
>>372 なんか他のスレでも番号入れてレスしとるようだが、一体どのスレの291なんだ?
混乱のもとだから気づけ
済まない。 指摘、ありがとう。
簡易トイレとか現場では掃除せずにまるごとユニックやトラックに積んで移動だろ 工事現場とかに長期設置する場合は、汚物槽のユニット交換する場合もあるが 槽だけ交換するとどうしても臭いが出るから、まあ普通はまるごと交換みたいだが 幹線道路とか眺めてると、簡易トイレ積んだ車がよくサービスで走ってるわ あれが事故って中身撒き散らしたら悲惨になことになるだろうなあ、と思うと期待してしまうw
>380 南米の方に移民した日本人の間には 洋式便器の上にウンコ座りする事によって 便座に触れないで用を済ます方法があったとか。 やはり伝染病などの衛生面の危険があったためらしいが。 で、これが何に書いてあったかというと旅客機パイロットのコラムで 機内のトイレに入ろうと思ってロックのかかって無いドア開けたら中には先客が・・・ それが上記の姿勢で大股開き状態の老婦人。 当然パイロットはえらいこっちゃで米搗きバッタ、「大変申し訳ありません!」と平謝り。 老婦人は「ロックをしてなかったこちらも悪いのだから・・・」と許してくれたところで、 失礼ながらいったい何であんな恰好を?とパイロットが聞いたら 実は私は南米移民で幼いころからこういう風にやれと躾けられて・・・ってな話だった。
国内でも洋式が普及する前はよく言われたな、 便座に靴のあとかくっきりととか
俺は今でもそうやって使ってるよ。 他人とケツキスするのなんて嫌じゃない。 靴はちゃんと脱いでるけど。
>>373 おいらが子供のころ、うち(@北海道)の便所がまだ汲み取りの時のことだから、正直ずいぶん古い話ではあるが、うちでも冬になると、シーズンで何度か「凍ったクソ柱」を突き崩す作業が必要だった。
シベリア抑留者と同じだったのね・・・
食い物の話が延々と続いたかと思ったら、今度はクソの話ってお前らどんだけ
入れるのと出すのは、表裏一体でござるよ。
真面目な意味でのクソスレとなっております。
確率なんてクソ食らえですね
ニダー「糞は飲み物ニダ」
薬でしょ?
災害の被災地で一番、困難なことは食料の問題とかじゃなく トイレの設置と排泄物の処理が問題だとTVの特集でやっていたな。 だから、今では蓋を開けたマンホールの上に設置するタイプの 簡易トイレ(当然洋式)が災害用の備蓄設備として備蓄が進められているらしい。 自治会単位でも備蓄が進められているとか。
中国の立ち退き拒否の家みたいに、道の真ん中にポツンと簡易トイレが 設置されるのか。
東北のど田舎ならそこらの山中で人目に隠れてするなり、 穴でも掘るなりすればなんとかなるかもしれないが、 都市部ではその後処理含めて大問題だよな。
メシとクソの話はもう飽きたから次は風呂か寝るの話で というわけで風呂の話 石原莞爾が仙台の歩兵第4連隊長になったとき、真っ先取り組んだのが風呂の浄化装置 大隊ごとに風呂を持っているが最後の兵が入る頃には「ライスカレー」と呼ばれるほどドロドロになっている それで浴槽に浄化装置を取り付けて、常にきれいなお湯が循環するようにした 兵にはすごく好評で、石原連隊長も風呂場をのぞくことがあったよう もちろん連隊長がやってくるのだから、兵士は直立してフルチンで敬礼する あとで石原は「風呂に入っているときは敬礼はいらん」と言ったらしい 確かに素っ裸のむさくるしい男がフルチンで敬礼するのはおかしいが
で、連隊長が入って来た時にかけられた号令は「捧げ筒!」 だな?
その時なぜか息子も直立してたやつがいるらしい 興奮?したら若い奴はそうなるわな
>>400 お風呂に浸かる前に身体を洗っても「ライスカレー」状態になっちゃうの?
刑務所だとキッチリあらって入るて本で見たのう、内風呂や銭湯だと流し場で鼻かんで股関や毛の有る所を洗って流し入るんぢゃが、パンヒキは違うんかのう
洗ってから入るにしても、500人も入ったらなぁ……。
塵も積もれば山となる
オーストラリアに初めて上陸したイギリス人が、 二足でピョンピョン跳ねる珍しい動物を見て、 現地人に、あれはなにかと訊ねたら、 「カンガルー」と答えたので、カンガルーと名付けられた。 しかし現地人の言ったのは「知らない」を意味する言葉だったのだ。
よし、今度オーストラリア行ったら現地人に 「『こんからかる』の『こんがる』とはなにか?」 って聞いてみるわ。 「カンガルー」と答えてくれたら余は満足ぢゃ。
「ベララベラ」島の由来も、面白いですなあ。
>>400 今の自衛隊でもそんな感じだよね。
任務に支障が出る場合や風呂や食堂では敬礼しなくていい。
あと演習で状況中だと、例え中隊長でも連隊長でも敬礼したら怒られた。
どこで敵の狙撃兵が見てるか分からないから(狙撃兵は指揮官を狙ってくる)。
>>411 つまり、実戦になったらイヤな上官ほど丁寧に対応されるってことだなw
>>412 自衛隊の知り合いに、レーザー銃で撃ち合う演習(FTGとか言ってたっけ?)の時に、
まんまそんな感じで上官が部下に撃たれる事があるって聞いたな。
嫌いな上官に手柄立てさせないために、どさくさ紛れに脳天ぶち抜くんだそうな。
過去、一発だけなら誤射かもしれないって見て見ぬふりができたものの、
ある上官はよっぽど部下から嫌われてたのか、敵部隊と銃撃戦になった瞬間、
3人の部下に同時に後頭部をぶち抜かれ(全員完璧なヘッドショットだったから狙ってなきゃ不可能w)
たので明るみになったんだとか。
>>411 旧日本海軍だと、ガンダムの世界のような
「第一戦闘配備」とか「第二戦闘配備」とかあって、
それぞれの状況に合わせて敬礼しなくてもいいケースが定められていたとか。
このコピペも信ぴょう性が…… 私がホテル勤めをしていた頃の話。 ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。 披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。 自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。 自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には 苦労を掛けていると思う事。 たとたどしくですが話されました。 同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが 段々背筋が伸びていき神妙に聞き入っていました。 挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」 と尋ねると、新郎は小声で「大和です」 それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり 直立不動で敬礼を送りました。 おじいさんも見事な答礼を返されました。 私はその後は仕事になりませんでした。 どうも挙手の敬礼をしているかのような感じがするんだが、屋内だよな 脱帽時の敬礼は一般人にとっては浅いお辞儀にしか見えんだろうし
カツラ着けてても脱帽扱いだよな、多分
こないだ片っぽが警察官の結婚式に出たけど、みんなテーブルの上に帽子置いてたな。 外で集合写真撮るときはかぶってたけど、屋内ではかぶらなかった。
418 :
名無し三等兵 :2012/12/28(金) 10:58:05.32 ID:OwKqOvJB
ビルマ戦線のラングーンでは、鹵獲したカーチスP-40に日の丸を描き、 臨時の防空隊が飛行第五十戦隊の高野明中尉以下4名の操縦者で結成された。 初陣の夜間迎撃では、爆撃機を追尾し見事に撃破する戦果を上げた。 だが、不時着大破した爆撃機は、飛行第十二戦隊所属の 九七式重爆だったのだ。。。。
心あたたまるお話ですね
全米が泣いた!
三式戦も米軍機と間違われて撃たれたって話もあるよな
ヒント:嫌いな上官が載ってた
いや撃ったのは海軍の局地戦が多かったらしいけど
ヒント 海軍は陸軍が大嫌い
なんか冬だなあ
不時着大破したのが、英国が鹵獲した九七式重爆だったら、 両者、鹵獲機同士の入れ違い戦闘で、ギネスにも載ったろうに・・・・
∧l二|ヘ (・ω・ ) 『おいらをどこかのスレに送るんよ ./ ̄ ̄ ̄ハ お別れの時にはお土産を持たせるんよ』 | 福 | | | 袋 | |,,,....  ̄ ̄ ̄ ̄ 現在の持ち物:篠山半太『君が衛生兵で歩兵が俺で』 エンゼルマーク銀(1枚)、西郷札、井伊直弼の首級 肝練用の火縄銃 西住殿のパンツ
429 :
名無し三等兵 :2013/01/05(土) 20:57:37.12 ID:TBSAEtNH
明けましておめでとう
>>430 ∧l二|ヘ
(;;)ω・ )
./ ̄ ̄ ̄ハ
| 福 | |
| 袋 | |,,,....
 ̄ ̄ ̄ ̄
ん?送られた先は東アジア板か?株・先物板か?
>>431 まだ帽子があるじゃないか
まだ袋が残ってるじゃないか
命が残っておればそれでええ。
パンダのクソ小説をもらってくれるなんて優しい人がいたものだ
風船爆弾に使った労力をほかのところに傾けていればなあとは思う なんであの計画が実現されたのか 日本にもパンジャンドラム信者のような人達がいたのか
原爆の開発を一週間遅らせる戦果上げたじゃないか。
風船爆弾は、アメリカの生物化学兵器使用を思い留まらせた説もあるから、案外馬鹿に出来ん。 報復手段になり得るからな。 もっとも、本土決戦前には稲を枯らす枯葉剤を使う寸前まで準備進んでたし、結局は原爆落とされた訳だが。
迎撃用に三個戦闘飛行戦隊貼り付けさせたしな。 旧式機中心だけど、パイロットはベテランだったりする。 意外と落とし難かったみたいだ。
戦果は風まかせ、戦果確認は敵さんの自己告待ち、 真っ当な状況なら手を出すシロモノじゃないんだが・・・
>>437 ただ、市井からコンニャクが消えたとかなどの影響はあったが、必要な生産資源は他の軍需品の生産と
あんまりかぶらないからの。
どっちみち、コンニャクイモはカロリー低いから食糧増産計画で栽培転換される予定だったから コンニャクが市場から消えていただろう事には変わりないと思う。
自家用の畑削ってまでコンニャクイモを守った農家が国賊扱いだったからなあ
戦時中、軍命令により東南アジアでコンニャクイモを大量栽培させた 商社マンの本を読んだことがある。 Uボートが大量の再生タイヤを積んで帰ったが、 それはちょっと走るとゴムが剥がれる粗悪品だったとか。。。
コンニャクイモって米や麦・イモ類等と違って収穫できるまで数年位かからなかったっけ。
昭和20年3月9日、東京・吉原遊郭。 この日は吉原の勤労奉仕の日に当たり、 芸者衆は見番の二階に集まり、麻縄を編んで国会議事堂にかぶせる偽装網を作っていた。 ただでさえ戦時のことで栄養失調の芸者衆が、力の要る仕事をやったため、 夕方、勤労奉仕が終わったときには、皆疲れ果てていたという・・・が、 翌日、3月10日未明の東京大空襲で、偽装網どころか吉原遊郭は全滅してしまう。 生き残った花魁たちには店主の意思で自由選択が与えられ、 故郷へ帰ったり、知り合いのところへ身を寄せたりと、吉原を離れていった。 しかし、5月になると当局から、吉原遊郭の貸座敷の組合に復興命令が下った。 「東京の男たちの戦意昂揚のため、また東京の治安を守るため、遊郭は必要である」。 吉原にはかろうじて焼け残った鉄筋の建物が7軒あり、 そのうち4軒が疎開先からかき集められた大工の手で、大急ぎで補修され、 何とか娼館として営業できる体裁が整った、 そうなると、今度は吉原を離れた花魁を呼び戻さなくてはならず、 吉原の組合が花魁の落ち着き先を調べて連絡を取り、戻った花魁は四十数人。 8月5日、吉原遊郭が仮の建物で営業を再開すると、たちまち行列が出来るにぎわいを見せたのだが、 8月15日、終戦と同時に閉店。 わずか10日ばかりの営業のあと、建物はすすきに覆われるばかりとなったという。
「国会議事堂にかぶせる偽装網」ってアンタなんて無茶なモンを
まさに大風呂敷、と言いたいところだが、 アメリカ西海岸のボーイング工場では、 巨大な工場をすっぽりと サボテンぽつんぽつんの荒れ地にしか見えない 巨大な偽装ネットで覆っていただろ
下町は焼夷弾しか落とさないから議事堂は問題無いでしょ
>>449 建物の高さとか。
そもそもそこに国会議事堂があるのはばれてるし。
よく燃焼する様に被せるためでは?
上空からあたかも破壊されたかのように見えるようにすれば完璧
これが実行されていればクリストアートを先駆けることができたのに (´・ω・`)
>>449 あっちはデカイとはいえ平屋で周りも平原だし、一方の国会議事堂は・・・
昭和16年初め、東京・帝国ホテル。 当時の料理長、石渡文治郎が、部下の若手コック13名に指示を下した。 「調理場の銅鍋を集め、隠せ」。 日露戦争を経験していた石渡文治郎、このまま戦争が激化すれば、 鉄や銅製品はいずれ没収されることになり、 料理人の魂ともいうべき銅鍋も、必ず取られることを予見していたのである。 隠し場所は帝国ホテルからやや離れた、直営レストラン「リッツ」の地下二階。 大八車に銅鍋を積み、菰をかぶせて荒縄で縛り、 裏道を通るとかえって怪しまれるとばかり、日比谷の表通りを経由して丸の内警察署の横を通り、 500個以上の銅鍋のこと、一度運ぶのに20分を毎日、それが一週間以上続いたのだが、 堂々と運んだのが功を奏したのか、一度も見咎められることはなかった。 作業が一段落してしばらくすると、案の定、政府から8月30日に「特別金属回収運動」が発令され、 やがて調理場に残されていた鍋は、ほとんどが献納されてしまった。 「帝国ホテルが鍋を献納」が、新聞に大きく扱われた一方で、 石渡料理長が部下たちに、堅く口止めをしたのは当然の成り行きであった。 太平洋戦争が開戦になると、作業にあたった若手コック13名はことごとく召集され、 うち10名が戦死、終戦後、帝国ホテルに帰ってきたのはわずかに3名。 その3名も、戦後の混乱の中、隠した銅鍋のことはすっかり忘れてしまっていたが、 やがて古株のコックから「戦前に使っていた銅鍋がどこかにあるはずだ」という話が出た。 では一度確かめよう、ということになり、調べにいくと、 隠したそのままの状態で眠っていた銅鍋が発見されたのが、昭和29年。 13年間眠っていた銅鍋は、今もなお、帝国ホテルの調理場で使われている。
銅鍋はキッチンに飾ってるだけでも絵になるからな。
>>448 もっと壮大?なのが印パ戦争の折のインド。
タージ・マハルを空襲から守ろうということになり、こちらは実際に偽装網がかぶせられている。
しかし、偽装網をかぶせたところで大きなタージ・マハルを偽装し切れるはずもなく、
タージ・マハルの周りに対空砲部隊を配置し、万全を期していた。
だが、戦後に明らかになったところでは、
もしタージ・マハルを空爆すれば世界的な文化財破壊のかどで国際世論を敵に回しかねず、
戦術的意義も薄い、と判断したパキスタン軍は、タージ・マハルを爆撃目標から外していたとか。
銅鍋って熱伝導率がいいらしいがそれで味まで変わるんかな アルミのやかんで湯を沸かしていると、なかなか沸騰しなくてイライラするが 鉄と銅ならそんなに変わらんのじゃないかと思う
銅鍋は熱伝導率がいいので均一に加熱できる。
テフロン加工みたいにこびり付きが少なく後片づけも容易とかは?
>460 そういえばアウトドア用のチタン鍋は チタン自体の熱伝導性が宜しくないのでよく焦げ付く、とか聞いたな。
463 :
名無し三等兵 :2013/01/20(日) 09:45:50.92 ID:3QPt5swQ
日本海軍の場合、艦内でも酒を呑むことはできた。 (大威張りで酒が呑めるのは、母港や補給地に入ったときか、通常航海の ときだけだった) アメリカ海軍の場合、艦内飲酒は厳禁されている。敗戦後、戦艦「長門」へ 連絡にきた連合軍士官が、山ほど貯蔵されている酒やビールのたぐいに、 目を丸くしてびっくりしたという。本音はうらやましかったのかも知れない。 これはアメリカ海軍で高く評価され、有名となった。 戦後の海上自衛隊はアメリカ流となった。あるとき、アチラの海軍士官が 海上自衛隊の士官にたずねた。 「ところで、君たちの艦(トコロ)は、酒はどうなっているんだい?」 自衛隊士官「もちろん、アメリカ海軍を見習って、艦内は禁酒です」 アメリカ海軍士官は憮然となって一言、 「つまらないことを真似したもんだ」
アメリカ海軍の艦内ではアイスクリームがデフォで大量に食うことができるからなあ
>>463 米海軍が酒禁止なのは艦内で乱闘騒ぎが収まらないから
>>466 どこかで、戦間期にアメリカで盛り上がった禁酒運動の名残って聞いたような気がする。
禁酒法が施行されるまでは、作戦行動中の艦内でも、ちょっとぐらいは飲めたらしいの。
酒じゃなくって般若湯ってことにすれば飲めるのに
帝政ロシア海軍は艦内での飲酒にはおおらかで、 夕食時には乗員に一人あたり1杯のラム酒を配給していた艦もあった。 現在のロシア海軍では、艦内での飲酒は全面禁止されている。
大航海時代の海軍とか、酒と艦内生活って大航海時代とか切り離せないものだったらしいな。 酒の配給量の増減で賞罰を決めたりしてたらしいし。
栃錦はやっと十両に昇進したときに軍隊にとられたが、その新兵時代に 相撲に自信のある古参下士官がいて、「おい、そこの大塚というデッカイ新兵、 相撲で鍛えてやるからマワシをつけろ」と、ご指名をうけた。 その古参下士官はまさか彼が本職で、しかも十両力士だとは夢にも知らなかった。 栃錦は、相手は上官だから手加減をしようか・・・と思っていたが、古参下士官は 栃錦の素振を(この初年兵、おれを怖がっているな)と解釈して「うおおう」と 双差しを組んできた。 栃錦は、なるべく優しく巻き返して古参下士官を土俵に沈めたが、負けず嫌いの 下士官は「おい、もう一番来い!」 だが、三番とったが結果は同じ。むきになる下士官に初年兵の一人が声をかけた。 「班長殿、いくらなんでも十両には勝てませんよ」 大相撲の十両と聞いても、その下士官はしばらく信じられない様子だった。 それほど栃錦は小兵であったのである。 しかし、相手が本職の十両だと知ると、他の兵隊たちも 「本職と取り組んで、あそこまでやったのはさすがに古参士官殿だ」 何とか面目は保てた。 「栃若時代」 小坂秀二著
wikiだと178cm、132kgってある 十両の時はもっと軽かったんだろうけど(1947年入幕時75kg!)、身長178cmは当時としてはかなりの長身だ 今だと190cmの大男に170cmの普通人が挑みかかるようなもんか
大男を小男がブン投げて上官の威厳を見せつけようとしたところか
830 あ [sage] 2013/01/13(日) 12:28:17.38 ID:3K8/dKCR0 Be: 自衛隊の事務所に用事があって電話したときの自衛官の会話に和んだ 私「資料請求をした山本(仮)という者ですが、担当の○○さんはいらっしゃいますか?」 自衛官A「ああ!ちょっとお待ちくださいね〜」 ----電話の向こう側で---- A(○○さん!資料請求された山本さんってわかります?) B(ん?山下さん?山田さん?) A(ヤ!マ!モ!ト!さんです) B(えー!わからない!どうしよう!) A(えー!わからない!?) B(あ!看護の子かな?) A(聞いてみます) A「もしもしお待たせしました!看護の問い合わせをされた山本さんですか?」 私「いえっ曹候と自候の…」 A「あっ!山本喪男さん?」 私「い、いえ、山本喪女です」 A「ヘーンッ(;´Д`)」←吹きそうになった 私「頂いた手紙には○○さんという方が担当と書かれています」 A「ああ!ちょっ、ちょっと待ってくださいね」 A(やっぱり○○さんじゃないですかぁ〜) B(えへへ、そうだったの?) A(えへへ、じゃありませんって!電話電話!早くー!) B「お待たせ致しました、担当の○○です(キリッ)」 今更キリッとされても、と和んだ会話でした
835 あ [sage] 2013/01/13(日) 15:12:49.08 ID:tffKXkV80 Be: レスありがとうございます その後事務所に行った時にも、電話で会話していたであろう 2人がキャッキャウフフと仲が良さそうでなによりでした 元々なのか自衛官だからなのか声が大きく、 事務所の奥から応接室まで筒抜けでした B「あ、もうこんな時間!お昼にする?お昼にする?それともお・ひ・る?」 (ごはんにする?お風呂にする?それともわ・た・し?のテンション) A「お・ひ・る♪」 B「今日のお昼はなんと!」 A「なんと!」 B「妻のお弁当〜!」 A「キャーッ///」 B「新婚アツーイ///」 A「そんな私は、、、妻のお弁当〜!」 B「キャーッ///」 たしかこんな感じでした それから何度か事務所に行くことがあったんですが、 毎回色々やらかしてくれて行くのが楽しみでした 自衛官という堅いイメージの職業だからか、余計に和みます (しかも2人とも180cm以上ありそうながたいのよさ) 後出しですみません
途中まで女性自衛官の会話とばかり思って読んでたが、男だったんだ...。 ( ゚д゚)ポカーン
何故か攻殻のバトーとサイトーの二人で脳内再生された・・・・
>>475 そんな奴らもいざとなると銃持って人を殺す訓練受けてるんだぜ
はいはい
俺も婦人自衛官だとばかり その二人と酒飲みたい のり良さそうじゃん
おいおい、オイラも参加するぜ
>>471 誰だったかは忘れたけど、陸軍に召集された力士が、
新兵生活のあまりのつらさに泣いていた戦友を、
「泣くな、これぐらい、相撲部屋に比べれば遊んでるみたいなもんだ」と慰めたところ、
その言葉がどこからか小隊長の耳に入り、呼びつけられる破目に。
「貴様、軍隊をなめとるのか!その相撲部屋の暮らしとやらを言ってみろ!」
力士が仕方なく、小隊長に相撲部屋の毎日を事細かに語ったところ、
「う〜ん、確かに軍隊は遊んでるみたいなもんだなあ」。
>>483 素直に納得しちゃう小隊長可愛いなおいwww
相撲部屋ってそんなにすごいところなの?
無理やり喰わされる 無理やり昼寝させられる
昭和20年7月12〜15日にかけて愛知県庁の西側で、
捕虜となったB-29搭乗員たちの公開処刑が行われた。
大勢の見物人が詰めかけたが、そのなかにいた女学生(証言者)を見つけ
わざわざ最前列に出して、嫌がる女学生に、
「珍しいからよく見ておけ」と言って、斬首したと。
捕虜たちを座らせ、真っ赤な布で目隠しして、
「一本でも日本刀!」と大声を発して見事に切ったって、
兵隊さんサービス精神過剰??
DVD「名古屋空襲を語る 〜今を生きる人へ〜」.
http://www.youtube.com/watch?v=g-qZ5YCE6K4
捕虜の肉を食わされる
アラーアクバール! アラーアクバール! アラーアクバール! アラーアクバール!
捕虜の肉を喰う奴って何で他人にも喰わせたがるんだろうな、美味いなら独り占めしろよと
同罪にしたいのさ
捕虜が豊漁なのでお裾分けに参りました
父島人肉事件・・・ ブッシュ父も食われていたかも下手すれば
歴史が確実に変るな
495 :
名無し三等兵 :2013/01/24(木) 03:21:00.38 ID:vaY8HrJL
おとといの鹿児島の南日本新聞にシベリア抑留体験者のおじいさんが出ていた。 なんでも、日本兵たちは収容所の看守の女兵士にパンと引き換えに性行為を求められたらしい。 しかも同じ部隊の人らも誘われてたとか!?(・_・;? その人は性病が怖くて断ったらしいが、こんなウラヤマケシカラン体験ってよくあることなの? やっぱり「ただしイケメンに限る」なのかな? 俺のイメージではひたすら凍えてソビエト兵に殴られながら丸太を製材してるイメージだったんだけど.... 文のまとめは、白人ロシア人はうつくしかったな〜 というものでした。
>>495 当時のロシア人は、排便しても拭かなかったんだがそれでもウラヤマケシカラン?
>白人ロシア人はうつくしかったな〜 そのロシアの女兵士、臭い、ゴツイ、ブサイ・・・ってわけじゃなかったのね。
>>495 独ソ戦で2000万人も死んで夫不足は深刻だったらしいから、
おかしな与太話でもないんだよなそれ。
そういえば、ドイツ軍に捕虜にされたソ連軍の女兵士が、紳士的だったドイツ将校に惚れて、
戦後になって東ドイツまで探しに行って結婚したエピソードとかもあったね。
ろしあ女は歳とるごとに増加装甲が追加されるというからなー それさえ無ければいいかもね
495さん 私、新潟在住ですが、近所の御爺さんから同じ話を聞いた事が有ります。 戦後、その人が地方の温泉に行った時、風呂場で一緒になった人から、シベリア抑留中の話として聞いたそうです。 「ただ、風呂場で見ただけだが、そんなに立派な持ち物でもなかったけどなあ、いざとなると違うのかのう」とか言ってましたが。
503 :
名無し三等兵 :2013/01/24(木) 14:04:00.97 ID:vaY8HrJL
495です、後方勤務で戦闘中でもないですからそこまで不潔では無いかと。 食糧不足の点が濃厚ですが、今の草食系男子と違って当時の日本人は超肉食系(バチカン、スイス、スウェーデン、タイ以外みんな敵)でしたからタフガイ好きの外人女性に好かれても不思議はありません。
自分の管理下にある収容所の日本人捕虜と姦通するなら噂も漏れないし、 浮気とかにもってこいの存在だったとか何か事情もあったのかもね。
収容所の捕虜もオトコ、性欲処理にゃ困ってただろしまさに渡りに船だろ。
まっ、自慢話の法螺のセンが
>>503 後方勤務かどうかと、ウンコシッコした後に拭かないってのは全くの別問題じゃないのか?
軍事に関係ないけど 赤塚不二夫の娘が小さい時に、排便が終わったあと紙で肛門を後ろから前に拭いていた それを見た赤塚が「女の子は前から後ろに向かって拭かなきゃダメだよ」って言った 普通こういうことはお母さんから教わるものなのに、私(娘)は父親から教わった これって異常な事なんでしょうね、とか ちなみに赤塚娘は父親の愛人と温泉に行ったことがあるらしい もうなんかね
赤塚さんのお宅は・・・ 人智を超えておりますよ・・・
赤塚さんには奥さんが二人いたからなあ。
しかも、前奥様と現奥様が無二の親友。
>>508 なして?
実をマムコにこすりつける(かもしれない)から?
すげーやりづらい気がするんだが
オメコにばい菌が入るからだろ
ロシア女兵士と似た話で、ビルマで戦った日本軍兵士がタイの捕虜収容所で労務作業の帰りに オランダ女性に引っ張り込まれたってのがあったな。 後日、そのようなことは拒否しろとの通達があり、捕虜の間ではしばらくその話がもちきりだったらしい 噂では戦争中にそのオランダ人が、南方の収容施設で日本軍将校と仲良くなってたんだとか。 あとビルマで警備中の部隊の兵士が現地の既婚女性に誘われて、何度か関係を持ったが 性病をうつされてしまい、軍医に麻酔なしで手術されて泣いたという話もあった。
赤塚娘のエピソードは「ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘」の中に出てきた 水木、赤塚、手塚の娘たちがいろいろと語って面白かった 赤塚は満州育ちで引き上げ時に苦労したそうだが、漫画の中ではあまり語っていない 水木のラバウル、手塚の勤労奉仕とかのエピは漫画で描かれているが よほどトラウマだったのか、戦争時の記憶がブッ飛んでしまったのか
赤塚さんは満州引き上げで、母親がそれはもう苦労したであろう事はよく分かっておられましたね。 そんな苦労して日本にたどり着いて実家についた翌日に、下の妹が死亡。 これを赤塚さんは「親孝行」と語っておられましたな。
深いな
南方にいた民間人は戦況激化の前に国に帰されたけど、満州は本当に侵攻されるなんて思ってなかったから、悲惨だっただろうな 今まで安全地帯だと思っていたところがいきなり戦場になるんだから
ちばてつや氏が終戦の混乱時、満州での出来事を作品にしているよ 父は現地人に化けて農作業で働き、 情勢が安定するまで現地人の屋根裏を借りて 一歩も外に出ずに兄弟(弟はちばあきお氏)で漫画を描いていた
520 :
名無し三等兵 :2013/01/27(日) 01:00:56.21 ID:C4zsKVnP
>>507 拭かないわけ無いだろ、痒くて気が狂いそうになるわwwwwwwwwwww
ロシアは洗うんだっけ?
サイパン島防衛戦の体験記から 米軍上陸のあったアキガン岬に、玉砕も覚悟で横一特の落下傘部隊百四十名が 殴りこみをかけた。 隊員はひとりとして帰投しなかったが、そのときの夜襲が大いにきいたらしく、 それ以後、米軍はわが軍の夜襲を極度に恐れるようになった。 あるときなどは前線陣地にマイクをとりつけ、二世の声で、 「日本軍ノ皆サン夜ハ動カナイデクダサイ、アメリカ軍ハ、夜ハ目ガ見エマセン・・・・」 などと放送したりしていたが、これにはこちらが大いに驚かされたものである。 当時55警備隊第7分隊 石川倉太郎氏
あのサイパンでそんな事を言われてもなあ
サイパンでの民間人虐殺は決して忘れない
>>521 日本軍「敵の弱点を突くのは当然のこと。夜襲をかけるぞ!!」
米軍「来るかなー(集音マイク、照明弾、機関銃等で準備万端)」
こんなとこじゃね?
525 :
名無し三等兵 :2013/01/28(月) 10:39:56.40 ID:oo9My1Sr
精鋭の落下傘部隊を、こんな地上のバンザイ突撃で損失するなんて。ほのぼの。。。
予算と人材を大量に集めてミッドウェイの前に原爆を完成させてたら 日本は負けなかったのに… (´・ω・`)
材料もそうだが理論的にも原子爆弾の核爆発について理論的にもイマイチ理解 してなかったと言う話しを読んだ事があるなぁ。 (当時は朝鮮半島含む国内のウラン鉱脈は発見されてたっけ?戦争末期には朝鮮での 採掘は始まっていたようだけど)
アメリカの科学者も1945年7月の核実験まで 「原爆の効果はゼロから無限大と予想」 つまり不発もあるだろうし、宇宙崩壊もあるだろうってこと
その後も水爆実験で威力の見積もりが間違ってたなんてのもあったな
>>528 Wikipediaによると、福島県石川郡石川町内で見つかったウラン鉱脈から掘り出していたそうだ。
もっとも、ウラン含有率が低く、必要量を確保できるようなものではなかったようだけれどね。
人形峠鉱床や東濃鉱床など、国内の比較的マシな鉱脈が見つかるのは、戦後になってから。
北朝鮮の有力な鉱床も、戦後になってからっぽい。
人形峠ですら原発の燃料にするだけのウランが採掘出来ずに閉山だぞ
>>527 アメリカやドイツが研究に入る前にウランを買い集めておけばよかったのに (´・ω・`)
ウランは売らん! なんちて
>>534 言いたいことはわかったからお前はウランケーキでも食ってろ
そもそも日本に爆縮レンズの設計が出来る計算力のある技術者は 当時居たのか?
ガンバレル型で頑張れる ・・・そんな目で見ないでっ!
1 名前:守礼之民φφ ★[] 投稿日:2013/01/30(水) 04:43:49.99 0 人気アニメ『ガールズ&パンツァー』は、女子高生が淑女のたしなみとして戦車に乗る 「戦車道」をきわめるために仲間たちと切磋琢磨していく物語だ。ミリタリーと萌え要素の まさかのコラボで日本だけでなく外国でも人気を博している。 『ガールズ&パンツァー』、通称「ガルパン」は、中国でも親しまれているのだが、 先日、中国解放軍主管の軍事紙がガルパンを名指しで批判をし注目を浴びている。 なんと「ガルパンには美少女を隠れ蓑とした軍国主義の悪意がしくまれている」と批判したのだ。 話題の記事を発表したのは軍事系新聞『中国国防報』だ。 同紙では、ガルパンの批判にほぼ紙面まるまる1ページが割かれている。 かなり力が入っているようだ。以下がその内容である。
【中国国防報のガルパン批判内容(抜粋)】
・ガルパンは、一見、可愛い女子高生が仲間と助け合い成長していくいい話。
・しかし、各校は、米、英、独、ソ、伊、そして日本それぞれの国を想起させる。まさに第二次世界大戦そのものである。
・戦車の描写はミリタリーファンも納得できるほど緻密で正確。戦車のメンテや通信、偵察方法なども軍の教材としても使えると言ってもいい。
・劇中で軍歌が多用されているのも問題。特にプラウダ高校の「カチューシャ」のネット上での盛り上がりぶりはひどかった。
・「萌え」でごまかすとは非常に巧妙。ガルパンには美少女を隠れ蓑とした軍国主義の悪意がしくまれていると言える。
この記事に対し中国ネットユーザーは
「萌えが全くわかっていない」
「たかがアニメじゃん……」
「深読みしすぎ」
「一体何に洗脳されたんだ!」
「クソ笑った。もっと続けろ」
「番宣に見えるのだが(笑)」
「中国の戦車が出てこないから悔しいんだろ(笑)」
「平和なときもわざわざ問題を探すなんて大変だね」
「アニメの世界くらいほっといてよ」
などとコメント。冷ややかな反応が多い
ちなみに国防報の紙面では、劇中の人物やエピソード例が多く挙げられている。
非常に詳しく、ネット上でさらっと調べた程度ではないようだ。
実は、ガルパンのファンなのだろうか、それとも論破するために
「敵を知る」ところから始めたということか……真意が気になるところである。
ソース(ロケットニュース):
http://rocketnews24.com/2013/01/29/289090/
つまり、「オレたちもファンになったぞ!」ですね。
>>536 仁科研が開発していたのはウラン方式で、プルトニウム方式じゃないぞ
第八駆逐隊にバリ島奇襲攻略の命令が下った。 暗夜に敵艦影が見え、バリ島沖海戦が始まった。 海戦が終わりに近づいたところ、駆逐艦「朝潮」は異様な浮遊物を発見した。 見れば、敵兵が5,6人つかまっており、さかんに手をふっていた。 ロープで引き揚げてやったが、こちらにも向こうさんにも、言葉を通じる者は いなく、彼らが愛嬌を振りまき、身ぶり手まねで、なにやらいってるが一向に 分からない。たった一つ分かったのは、どうやら「デロイテル」と、いってる ことらしい、だけである。 われら乗員がめずらしがって、ビスケットや水、煙草などを進呈すると、ひじょうに 喜んで表情をくずす。 警戒兵をつけて彼らを監視するが、艦内の各所からは、みながかわるがわる 見学にやってくる。 彼らのひとりからお返しとして濡れた煙草をつかまされた乗員もいたが、 断ることもできず、お互い愛想笑いして握手をかわしていた。 「第八駆逐隊」太平洋血戦記 駆逐艦「朝潮」乗組、海軍兵曹長 藤田千代吉
戦争がなければお互い仲良くなっていたかもしれないが 戦争がなければお互い知り合う事もなかった敵同士ではあるな
>>543 ちゃんと捕虜として拘束しろよw
デロイエル乗員だとオランダ語か…
一人ぐらい英語のできるやついなかったのかねえ…?
駆逐艦じゃあ都合よくドイツ語系の言語ができる将校も乗ってないか
ボルテスVはフィリピン政府転覆を図る 若者の群像劇だった
>>536 計算力で言ったら、釜賀一夫ならフォン・ノイマンレベルの能力はあると思うので
出来たと思う。あとは高木貞治くらいかな。
>>545 警備兵つけてるだけ立派じゃないか
このスレの住人辺りだとニコニコ握手求められたら、あばばばばってなるぞ
太平洋戦争の頃は本国オランダはドイツに落とされているからかな? あきらめが早いのは、うなづける。
>>546 最終回の放送を禁止されたことにより
最終回見たさの国民はマルコス政権を打倒した
551 :
名無し三等兵 :2013/01/31(木) 10:14:38.63 ID:fz9XGcPa
映画「もうひとりのシェイクスピア」も、 貴族が匿名で革命劇を書いて、民衆を蜂起させる物語だった。
>>545 デロイテルで検索しても何も出てこないんだが
いったいどんな船なの?
オランダ軍「ジャワ」型巡洋艦2隻 「ジャワ」、「デロイテル」
オランダ軍の潜水艦は、かなり活躍してるね。
>>554 だがデロイエルを巡洋戦艦だったと主張していたHPが存在したw
で?老いてる?
de老いてる
ルーテーズを思い出した。
ルー大柴を思い出した。
1980年、中国・陝西省、秦始皇帝陵そば。 兵馬俑が出土したすぐ近くで、当時の戦車とも言える馬車の模型「銅車馬」の一部が出土。 中国国家文物局の副局長が派遣されることになり、大規模な発掘が行われる準備が整った。 だが、銅車馬の一部が出土した、という噂は、尾ひれがついてまたたく間に広がり、 「どうやら生きている馬と本物の馬車が出土したらしい」というデマに化けた。 現地住民、現地の共産党幹部、外国人観光客までがデマを信じ、発掘現場周辺に殺到。 殺到した野次馬に農作物を踏み荒らされた周辺の農民は一計を案じた。 発掘現場の周りに囲いを立て、入り口を作って入場料を徴収し始めたのだが、 銅車馬の発掘現場では国家文物局のスタッフ2名が藁葺きの掘っ立て小屋を建て、 野次馬や農民から銅車馬を守るべく籠城戦を試みる一方、 援軍とも言うべき、陝西省文物局の幹部をはじめとした考古学関係者は、入場料を払わないと追い出される破目に。 中国考古学当局が取った手段は、人民解放軍の出動要請だった。 1個小隊の人民解放軍が到着、農民から遺跡の奪還、解放にかかったが、 農民は人民解放軍と交戦、重傷者1名を含む負傷者数名を出しつつ果敢に抵抗。 戦闘のさなか、藁葺き掘っ立て小屋に立てこもった国家文物局のスタッフ2名は、最後まで発掘現場の陣地を守り抜いた。 最終的にこの局地戦は、銅車馬の発掘をできるだけ早く進め、復元は別の場所で行い、 農民には発掘のときに土砂を運ぶトラック1台当たり300元、 農民ひとり当たりの年収に等しい入場料を払うことでケリがついている。
>>562 農民が自国の軍隊相手に徹底抗戦するあたり中国らしい事件だww
普通の国なら軍隊来た時点で話終わってるんだろうなw
いや普通の国なら最初の段階で話し合うだろうw
大陸人は逞しいな
ていうか、普通は軍隊だすような事態にならないだろw
ごく最近でも駐車場が一杯なのに腹を立てた軍医が民間人に 「俺を誰だと思ってる!?」って言って殴ったら、 周囲の人間が暴徒化して軍医の車を破壊した事件があったよなw
結局、C酷人って上から下まで屑ばっかり
日本では屑はネットの中で納まってるからな
あそこはいつまでたっても国家という概念がない国 村社会のあつまりだからそうなる
中国なら、シナ事変〜第二次大戦における蒋介石の資金集めのセコい話 中国空軍は実質紙上の存在に過ぎなかった。書類のうえでは500機あるはずの 飛行機も、実際に使えるのは91機にすぎなかった。 飛行機を購入するための資金は、中国各都市で寄付金によって集められていた。 1つの都市で集会が開かれると、新しい飛行機が1機持ちこめられた。 寄付金がクライマックスに達すると、その都市の名が機体にペンキで書き込まれた。 だが、実際には、同じ機体が次から次へと各都市をたらいまわしされていたのである。 新しい集会ごとに機名を変えるのである。 集められた寄付金は、しばしば政府の金庫のなかに消えてしまい、中国空軍は いつまでたってもオンボロのままであった。 フライング・タイガースのシェンノートが義勇軍を結成する原因でもあった。 中国=ビルマ=インド ドン・モーザー著
日本の献納機式典でも似たような話がありましたなあ。
2010年8月5日に発生したチリのコピアポ鉱山落盤事故で、 閉じ込められた鉱山作業員の救援物資のひとつとして送られたのは、 プチプチシートだった。 気泡をプチプチつぶすのが、ストレス解消になると。
昭和23年、国鉄大井工場工機部(現在のJR東日本東京総合車両センター)。 戦後の物資不足の中、旧日本海軍向けの濃色緑色塗料を入手できた大井工場では、 早速山手線の電車の中から6両編成1本を選び、塗ってみることにした。 だが、塗料にばらつきがあったのか、1両ごとに少しずつ違った仕上がりになってしまい、 国鉄が取った苦肉の策は「これは色見本電車です、どの色がよいですか?」というポスターを作って張り出すことだったが、 あまりの反響のなさに、それっきりになってしまった。 同時期、戦時中に汚れ果てた流線型電車、モハ52を関西から運んできて、 東海道線での高速度試験のため大井工場に入場させたときも、 塗料不足を補うための旧海軍用塗料を使い、緑色に塗り替えられている。
京王線の2000系の色はその名残か?
コスモタイガーが緑なのもそういうわけか
あれは草色では?
つまりは、陸軍色ということか?
宇宙戦艦ヤマト=○ゆ説
どちらかというとあきつ丸では
582 :
名無し三等兵 :2013/02/12(火) 21:10:05.95 ID:gGIMXXov
献納機といえばやはり95式艦上戦闘機 報国-86「女學生號」でしょう しかも献納命名式で「女學生號」を操ったのはあの源田実大尉だったそうで。
あの人非人か
電気機関車を1両1色に塗り上げるのに、塗料は一斗缶ひとつで事足りるとか
585 :
名無し三等兵 :2013/02/13(水) 11:46:12.83 ID:baxP4Dlp
出航後まもなく、乗艦して日の浅い水兵が、無断で船外便所に入り、用を足していたところ、急に潜航し始めた。 あわてて艦内に入ろうとしたが、すでに艦橋ハッチは閉まっていた。 そのうちに深度が深くなり、艦橋にもいられなくなったので、伸びてきた潜望鏡に抱きつき、深度を増すにつれて上へのぼった。 そして、ついに潜望鏡の先端にしがみついてしまった。 驚いたのは潜水艦長である。急に潜望鏡が見えなくなったので、急いで浮上したところ、潜望鏡の先端に、若い兵隊が必死でしがみついていた。 おそらく、艦内便所がふさがっていたので、我慢できなくなって、鑑外便所に飛び込んだのであろう。 それいらい、鑑外便所の使用は、水上走行中でも、当直将校の許可が必要になった。
想像してワロタ
>>艦外便所 お魚の餌投下器ですな
ラッタル上がってく時に誰かしらクルーが気づかね?
>>585 ふむふむ、「ゴスタン」沖 一 著の漫画にはネタ元があったのですか?
590 :
名無し三等兵 :2013/02/15(金) 10:08:45.23 ID:3LHiKzIu
585は、「どん亀艦長青春期」板倉光馬 著 の中にあるエピーソド。 大正の末期、末次信正少将が潜水艦隊の司令官として、潜水艦の戦術的用法を改革すべく、夜に日をついで、猛訓練を続けていた頃の話ということです。 伝聞なので、本人の体験というわけではありません。 潜水艦は、小型の奇襲兵器として開発されたため、重量や容積が極端に制約されたため「どん亀」といわれた初期のものには便所がなかったそうです。 そのため、大小便は上甲板で処理されていたとのことです。 その風習は、近代化されても残り、潜水艦長のなかには、潜航前に艦橋で用便をするものも見受けられたとのこと。
自分の親父は払い下げ駆逐艦のころ乗ってたけど 何かをする前後に小便しろって口うるさかった そのころは旧海軍の伝統が生きてたからそれの名残だったんだろうか? 現役の従兄弟に雑巾がけの仕方を話したら、それは昔のやりかたですよって言われた
関係無いけど初代ヤマトには一体何機艦載機が積めるんだ?四時元ハンガーでもあるの?
30機位積んでるっぽい
板倉さんはスゲエエピソードばかりだ それも酒絡みの
>>592 30機+2機以上の150機オーバー(ヤマト3でコスモハウンドを救出する時に出た発艦シーンのパンク画参照)
596 :
名無し三等兵 :2013/02/21(木) 03:29:27.93 ID:UGqw78V1
あおう
>>585 浮上したらシャチに「可愛がり」されていたとか、じゃないのか・・・
シチリア空挺作戦で、アメリカのC47輸送機部隊は、 味方のアメリカ海軍艦隊上空で誤射され27機が撃墜された。
>598 ほのぼの…? それにしても多すぎだろw
俺たちのイージスも 米帝の飛行機をキルしかけた
イントルーダー撃墜したよね。
>>599 日本なら27機も撃墜されたら部隊が消滅するが、どんだけ(ry
シチリアへのC47輸送機の降下作戦は、午前0時の夜間降下と強風という 最悪の条件下で行われたため、味方の艦船部隊からの誤射が発生し、 27機が被撃墜、約300名が死亡という大損害を生じた。 このため落下傘降下は、予定の倍のスピードと3倍の高度から開始され、 降下した部隊は広範囲にバラバラになってしまった。 しかしこの事態が結果的に幸運をもたらした。 広範囲に渡って降下したことで、敵には 大規模な数個師団が上陸したとの衝撃を与えたのだ。 おかげでイタリア軍はまったくやる気をなくし簡単に投降し、 ドイツ軍もヘルマン・ゲーリング戦車師団以外はあっさり白旗を挙げた。
>>603 それ独破戦線の「降下目標、シシリー」のレビューのコピペじゃん。
いくつか間違ってるから訂正入れとくと
降下作戦は7月9〜10日と11日の二度に分けて行われ、強風と
機位の損失による広範囲への降下は英第一空挺師団と第505降下歩兵連隊の第一次降下作戦でのこと。
誤射は7月11日11時半のことで、シチリア島への第二次降下作戦中の
第504降下歩兵連隊での出来事だから、誤射と広範囲に降下したことに因果性はない。
また、誤射が発生したのはドイツ軍機の空襲経路と空挺部隊の飛行経路が丸かぶりしたせいで、
事前連絡は行われていたものの午後11時過ぎまで空襲を受けていたおかげで空挺団と
敵機の見分けがつかなかったことが直接的な原因とされている。
また、艦隊も米英等連合軍艦隊によるものだったから、通達の不備があったことも指摘されている。
一方で、撃墜された機体は144機中23機、300名以上の搭乗員と降下兵の損害の内には、
第82空挺師団副師団長のケーランス准将も入っている。
あえてこの件でほのぼのした話をするなら、
第一次降下作戦を受け持ったパイロットたちは(何故か)降下目標にどんぴしゃに降ろしたと確信して喜んでいたこと。
後に何十マイルも外れて降下させたと知らされた際には、空挺隊員も同情するほど意気消沈したらしい。
ナショナルジオグラフィックの特集「空挺部隊」でやっていた内容。 誤射撃で大損害を出してさすがに解隊まで検討されたらすい。。
86 名前:本当にあった怖い名無し[sage] 投稿日:2013/01/02(水) 21:06:32.68 ID:0LIY2d34O 江田島にある、海上自衛隊の第一術科学校には「教育参考館」と言う施設がある。 ここには山本元帥や東郷元帥、ネルソン提督、旧海軍縁の品々が展示されているんだが、ここでの体験談。 夏の昼下がり、ここには観光客も訪れるんだが、施設が施設だけに見学時間や時期によっては全く人が居ないことがある。 俺は自衛官だったから案内も着かず、同期と二人で見学してた。 ある部屋を見て廻っていたとき、背後から黒い袖をした誰かに袖口を引かれた。 思わず振り向いたら、夏ばなのに黒い冬制服姿の男が次の展示室に入っていくところで、不思議に思って後を追ったんだけど、無人… 周りを見回して納得したね。 そこは特攻隊員の遺書の部屋だったんだよ。 他にも沢山このての経験はあるし、体験談も聞いたけど、恐怖心は無いね。 英霊と言っても、先輩後輩の仲だしな。
ほのぼのとした話というよりオカ板に書くべき怖い話になるけど書いちゃってもいいかな? 日本海軍がセレベス島のケンダリーを占領した一月二十四日の後のこと。 その日の午後、ケンダリーに到着した一○○一空の隊員達が飛行長の命令で宿舎を探し、オランダ軍のとある兵舎を見つけた。 しかしその兵舎は実は、夜の十二時が過ぎると必ず窓際に寝ていた誰かがうなされ、大声を上げてとび起きるという・・・。 こうした事件はあとを断たず、毎晩続いたそうな・・・。 九六式陸攻の機長であった東秋夫一飛曹は、ペアをからかいながらも実験台にたってみることにした。 午前三時頃、自身の足元に黒いものが近づいたかと思うと、足先から痺れ始めた。 足を動かそうとするが、その足は動かない。 そのうち胸を圧迫し、どうにもならなくなった東一飛曹は、横にある拳銃を握った。 途端に、手に力が入り、幽霊を払いのけたのだった・・・。 <続く>
<続き> 気がつくと東一飛曹の体はびっしょり汗をかき、隣の部下が彼をさかんに揺さぶっていた。 部下曰く、あまりの大声にびっくりしました、という。 一○○一空総員は仕方なく一キロ離れた西の方にあるトタン屋根の小屋に引っ越すことにした。 ケンダリーの幽霊話は南方各地の海軍航空隊に広まったそうな。 しかし引っ越した先のトタン小屋でも同じ事は毎夜起こった。 しまいには入院患者が出だし、不寝の番兵までがうなされる始末だったという・・・。 <『奇蹟の中攻隊 予科練一期生の生還』(著 東秋夫 光人社NF文庫)より>
>不寝の番兵までがうなされる 不寝番が寝てちゃダメだろ 幻覚を見てもダメだろ
フツーにレム睡眠の金縛りに遭っただけのようだが。
起き抜けに銃をとり、横に寝ている同僚を撃った・・・とかのオチじゃねーのかw
撃っちゃ駄目w ケンダリーだったかな、夜になると大木にとりついた蛍が一斉に点滅して 凄く綺麗だったとか言う話。
昔、合宿で一緒に訓練をした操縦幹部から聞いた話。 その人は演習の際、近接した航空団にフェ―カ―としてF-15で出発した。 結構長丁場なので缶コーヒーを持ちこみ、ちびちび飲みながらフライト、 計画通り相手側航空団との訓練後、基地に帰投した。機体から降りようと して、缶が無いのに気がついた。機内を見廻すとコーヒーの染みが点々と 座席の後ろ側についていて、奥の穴で染みが途切れている。 整備に頭を下げて取り出すよう頼んだが、取り出せずIRANまでそのままに。 そのため飛行中はカラカラ後ろから音が聞こえる状態が続いたとか。
あんなぶっといエンジン響かせて 内部のカラカラ位の音が耳障りになるのか 防音してる旅客機だってわりとうるさいぞ どうせならサイダー撒き散らして整備の人間におこられてほしい
サイダーじゃないとダメか? 炭酸飲料じゃだめか? 今時わざわざイーグルドライバーが三ツ矢サイダー指名買いか?
言うまでもなくゼロ戦ネタだろw どうせなら小便漏らすのでもいいが…
旧陸軍航空隊では操縦士用に航空魔法瓶なるものも考案、配備されていたが、 今の戦闘機パイロットはそういう飲み物ボトルは装備してないんじゃろか? なお件の航空魔法瓶、片手で飲めるように色々工夫がされた中々大した代物である。 中身は基本的に好みの飲み物なら何でもよいとされたが、 ストローみたいな飲み口を使うので熱すぎるとまともに飲めない事が注意喚起されていた。
イーグルなんて1時間くらいしか飛行しないシナ 飛ばすとものすごく金食うし 空中給油しないかぎり飲食とかいらんだろ
619 :
名無し三等兵 :2013/03/04(月) 01:19:06.96 ID:7bg8SKfx
国内で連合軍捕虜を移送中の英国人捕虜の話。 大阪駅についた時、捕虜たちに駅弁が配られた。 ちゃんと一人に一個づつ。 白飯に沢庵、おかずは鯨のフライだった。 金沢駅でも駅弁とお茶が出た。 ホームに出て休んでいるとスイカ売りの少女が大きなスイカをくれて皆で食べた。
>>617 今どきなら真空断熱携帯マグのストローつきがあるじゃないか
持ち込めるかどうかは知らんが
>>619 英国人が駅弁食ってスイカかじってる姿を想像したらなんか可笑しい
当の本人達は不安で喉を通らなかったかもしれんが
623 :
名無し三等兵 :2013/03/04(月) 12:29:33.12 ID:7bg8SKfx
意外とのんびりしてたらしいよ。 駅までの徒歩で暗くてバラバラ迷子になってやっと集まったり駅のトイレでヒゲ剃ったり 想像してたより自由な感じ。 脱走しても島国から逃れられんからだろう。
>>619 そんなわけあるかよ。
戦場にかける橋を読めよ。
小説だが、日本軍の捕虜経験者が書いた物だぞ。
625 :
名無し三等兵 :2013/03/04(月) 13:40:45.32 ID:7bg8SKfx
戦場にかける橋は小説 英国人のは体験記手記 戦場にかける橋など南方の捕虜収容所では監視に朝鮮人軍属が多く 小説ではあるが「影の獄にて」=戦場のメリークリスマスの原作にもあるように 朝鮮人監視人らの捕虜虐待が横行していた。 実際極東国際軍事裁判で処刑されてる。 対して日本国内の捕虜扱いは殆どが日本人。
626 :
名無し三等兵 :2013/03/04(月) 13:47:58.87 ID:7bg8SKfx
戦場にかける橋の作者ピエール・ブールは元から工作員であった上にエゴが強くレイシストなフランス人だ。 「猿の惑星」で日本人を猿扱いした事でも分かるでしょうが。
日本人と猿との違いを教えてください
628 :
名無し三等兵 :2013/03/04(月) 14:44:54.40 ID:7bg8SKfx
猿の惑星では日本人=チンパンジーで、賢猿や親切夫婦らがいた。 ひたすら野蛮に描かれているゴリラ=朝鮮人軍属のことらしいな。
少なくとも建前上は同じ「帝国臣民」だった日本民族と朝鮮民族とを毛唐共が見分けられるのかよ
>>630 射精ってどういう意味だ?
お前の家に行かず後家でもいるんか?
>>624 時期によりけりかと。
まだ戦況に余裕があった頃ならわかる話。末期なら日本人が食うや食わずだから。
以前収容所の日本兵に親切にしてくれたインド兵の話読んだ事ありますわ。こっそり煙草とかくれたりとかね。
そのインド兵は戦争の初め頃捕虜になって日本の収容所に送られてたけど交換船で帰国出来たとか。
で収容所生活時代に日本のご婦人からおにぎりの差し入れを頂いたと。日本人から親切にして貰ったから今が恩返しだってね。
誰かの親切が他の誰かに返る。
こんな感じで廻り廻ってるんじゃないの世の中は。
PKOか何かでインド兵が自衛隊の医官に盲腸の手術してもらい 数年後インドで旅行者の日本人に親切にしてくれた話と似てるな 南方軍が収容されたタイでは労務作業の間にインド兵がこっそり 缶ビールやナンを分けてくれたそうだ 食堂勤務のインドネシア人も手伝いの日本兵にあまった焼き飯を 飯ごうに詰め水筒にはコーヒーを満たしてくれて 「今度は日本が勝つ」と励ましてくれたという
そりゃ親切にしてやれば 大抵の奴は親切を返すだろ
何事にも例外はある
空母信濃が横須賀から呉への初航海で潜水艦から雷撃を受けた後、 艦内各所では応急作業要員が懸命に防水措置&修理回復作業を続けていた。 信濃には回航中も工事続行のため横須賀海軍工廠の工員が千名以上乗艦していたが、 阿部艦長は彼らは一般人であり、保護ならびに足手まといにならないようにとの配慮から、 「工廠の工員、上甲板」の命令を出した。 信濃の艦内は電源喪失でスピーカーが使えないため、 命令伝達は伝令員が「工員・上甲板」と言って各所を走り回った。 ところが、この伝令が人づてで「総員・上甲板」と誤って聞き取られて、 かなりの応急作業要員が上甲板に上がってしまい、艦の沈没を早めることとなった。 伝言ゲーム恐るべし。。。
638 :
名無し三等兵 :2013/03/04(月) 21:19:53.21 ID:7bg8SKfx
629 あんたは極東国際軍事裁判の内容を読んだことも無いん? 収容所の捕虜兵士らは朝鮮人をきっちり見分けていたからこそ名指しで処刑されたんだろが。
ウリはキムチになりたい
戦後の話ではあるが。 兄が昭和十七年に海軍志願で出征し、海軍整備兵として、軍務に従事して いたため、三神氏は零戦を意識していた。 三神氏は、戦後三十数年ぶりに零戦が日本の空を飛ぶ。 というのを聞きつけ、セミネ・エアポート(宮城県)の零戦ショーへ馳せ参じた。 ショーの零戦は、滑走路すれすれの超低空で観衆の目前をかすめ、エンジン 全開で上昇反転、水平垂直の背面飛行にうつり・・・と、華麗な美技を繰り返した。 パイロットは二十五歳のアメリカ人というが、三神氏のとなりにいた甲飛三期の 方が、「なかなかやるな」と感心しておられた。 三神氏は、この零戦にあるいは手をかけたかもしれない兄の姿を思い浮かべながら シャッターを切り、八ミリを回していた。
複座なら後ろに載せてあげるよな粋な事出来なかったのかな〜。
心臓発作とか起こされるとヤバいじゃん
643 :
名無し三等兵 :2013/03/07(木) 15:55:01.93 ID:aDSEtbR0
探偵ナイトスクープであったね。 元戦闘機乗りのおじいさんのもう一度操縦したい夢を叶えるやつ。 操縦は無理で牽引グライダーに乗せて貰ってたけど。 ご満悦のおじいさんの表情が良かった。
ナイトスクープにはたまに戦争モノがありますね。 輸送船上で撮影されたと思しき写真の主を探す依頼。 どこでどうたどって行ったのか、中攻会に行きついて壹岐さんが出てきたものです。
ナイトスクープは必ず我が福岡市を博多市、北九州市を小倉市と表記する大馬鹿放送局。
646 :
名無し三等兵 :2013/03/07(木) 20:15:26.00 ID:aDSEtbR0
ナイトスクープの「レイテ島からの葉書」 知らん人はぐぐってみ。 動画が削除されてるのが残念。
「鶴瓶の家族に乾杯」 これにも軍旗兵だったとか、敵艦の対空砲火をくぐって爆撃したというお爺さんが 登場してましたな。
ナイトスクープじゃないけど、アメリカ本土を水偵で爆撃したパイロットが 現代の航空機で再び飛行するドキュメンタリーがあったな 米側のパイロット が結構気を使っていたのが印象的だった
>米側のパイロットが結構気を使っていたのが印象的だった どういう意味で?
被害は森林火災程度だけどアメリカの歴史上唯一の外国軍用機による空襲で 成功させたパイロットはアメリカだとすごい英雄で名誉市民になって 後々植林等の慈善活動が主な理由だけどその戦果も込みでレーガン大統領から星条旗を送られてるくらい そんな人に万が一があったら色々と大変なことになるだろ
ノルマンディ上陸作戦で防御の強固なオマハビーチには、 新兵器のキャンバス製の浮上航行装置を装着したシャーマンDD戦車が投入された。 浮上航行戦車はキャンバス製の囲いで浮力を得て、 車体後部のスクリューで走行する仕組みである。 シャーマンDD戦車は、沖合5.5キロの地点で輸送船から海上に降ろされたものの、 当日は2メートルの波高のため、浸水やキャンバスが破れるなどで、 発進した29輌のうち次々と27輌が海没、 ようやく浜辺まで到着した2輌も役に立たなくなっていた。...
実験失敗じゃなくて実戦投入されたときに沈んだのかw
653 :
名無し三等兵 :2013/03/08(金) 21:01:40.39 ID:VzvjFp8X
高橋淳さんはご健在なんだろうか。 数年前に徹子の部屋に出ていた時はカクシャクとして老人なのに今もモテそうな感じだった。
ノルマンディー上陸作戦で、上陸地点のオマハビーチ西橋に位置する オック岬には30メートルを越える急峻な断崖の上に、 ドイツ軍の巨大な155mm 海岸砲が据えつけられていることが偵察写真で確認された。 この海岸砲を制圧するため、特別訓練を受けたレンジャー部隊が ロケット砲で先端にかぎを取り付けたロープを断崖上に打ち上げ、 フックを崖に引っかけて、必死に断崖をロープをよじ登った。 ドイツ軍守備隊は崖の上から激しい銃火を浴びせ、 レンジャー隊員は多大な損害を出しながら、何とか砲台を占領した。 だが、その砲台はまだ建設中で、155ミリ砲は設置されておらず、 電信柱が偽装に置いてあったのであった。。。。
>653 去年、NHK「50VOICE」に出演されてましたね。 お元気そうでした。
>>656 ナショ ナルジオグラフィックスTVの特番
「ノルマンディー上陸作戦」でやってたぜ。
ノルマンディーのその逸話は、両方とも結構有名ですよね。
>>651 オマハビーチの米第741戦車大隊のシャーマンDDの話で、資料により上陸成功した2両は戦闘に参加した
という話もあるそうです。またオマハには米第743戦車大隊所属のシャーマンDDも居たようです。一方、ユタ
ビーチでは米第70戦車大隊所属の28両が上陸成功したそうな。
>>654 この逸話はまんま「史上最大の作戦」で描かれてますね。
659 :
名無し三等兵 :2013/03/09(土) 18:35:21.64 ID:z8RMQHZZ
世界初の電子戦が行われたのは日露戦争の旅順攻略戦 日本艦隊が発信した電文をロシアの通信兵が同じ周波数で乱打しました。 旅順要塞降伏後、捕虜になったロシアの通信兵と日本の通信兵がお互いに顔を合わせ 「お前だったのか!!!」と大爆笑。特徴があるので通信兵はお互い分かるらしい。 二人は無線機を前に通訳官を間に談笑していたが、数時間後殴り合っていたらしい。 何でも原因は電波の受信を最大にするには出力を大きくするか?、使っていない周波数に合わせるか? だったそうです。 その後、八木アンテナが開発されて、喧嘩の原因は解決しました。
>>658 命の代償に得たものが何ら価値のない電信柱…
逸話というより戦争のバカバカしさを伝える話だな
>>658 プライベート・ライアンでも
戦車のために障害物を爆破しようとする工兵
戦車があれば楽勝なのにとぼやく軍曹
戦車は全部沈んだと戦況報告する大尉
とシャーマンDDは大人気w
「プライベート ライアン」ではちゃんと本物のシャーマンをDD仕様にして、撮影しました。 スチールは残ってますが、本編ではカット。
以前、このスレに書いた話の元ネタを発掘したので、お知らせを。 まとめサイトにある、2007/01/18の記事「あのアニメを作った人は・・・」の話です。 出典は 「SFアニメがおもしろい」 潟Aスペクト 発行日1997年1月20日 にあった記事で、執筆者はダイナミック企画海外事業部のコルピ・フェデリコ氏(当時)です。彼の両親が 「未来ロボ ダルタニアス」について話した感想等の内容でした。内容は、昔書いた話とおおむね同じなん ですが「あのアニメを作った人は、戦争をよく知っている人だったのだろう。」という下りはありませんでした。 うろ覚えの記憶で書いたので、勘違いしたんでしょう。スマソ。
サイパン島に上陸した米軍を叩くため、銀河爆撃隊の護衛となった 零戦「虎部隊」の菅原氏。 米軍の対空砲火で被弾し、機体が火達磨になってアスリート飛行場に強行着陸 したが、そこはすでに米軍の占領下におかれていた。 燃える機体からひきはなされ、大ヤケドを負っている菅原氏に米兵が数十人とりまき、 外科治療を行い、一段落して点滴治療がはじまった直後に、突然に銃撃が始まった。 薄暮の日本兵の反撃である。銃撃がはじまった途端、菅原氏のまわりにいた 米兵はすばやく掩体壕の下に掘られた穴に避退し、残ったのは衛生兵と菅原氏の 二人のみになった。 衛生兵は激しい銃撃になんら動ずる気色もなく、腹ばいになって、私の点滴に 注目していた。 この衛生兵の態度には、すでに死を覚悟していた菅原氏でさえ、顔の上二、三十センチ を飛ぶ銃弾には、あまりよい気持ちがしなかったから、その任務に忠実なことに 感心させられた。 零戦「虎部隊」マリアナ沖の痛恨 元海軍上飛曹 菅原氏
侍魂と開拓者精神といったとこか。
>>665 その菅原氏は結局生きながらえたのか(だから今我々が知ることができるのだろうが)
それにしても衛生兵gj
>>667 まさに衛生兵魂。
例えは違うけど「軍医のお笑い従軍記」で著者の堀慶介先生が敵機の機銃掃射の真っ只中で手術する話があったなあ。
怖かったけど「手術中に死ぬなら医者として本望」と腹括って手術したと。
昭和18年10月、連合軍総司令官マウントバッテン卿が インドから中国へ空路向かうとの情報を得たビルマの 飛行50戦隊は待ち伏せ攻撃に戦闘機を出撃させたが、 搭乗機を発見できず失敗した。 もし成功していれば、山本五十六なみの世界的大ニュース。。。
tea timeと重なるから、急遽予定時間を変更したにちがいない。
>>669 その26年後にIRAが…
遺言で日本人の葬儀参加を拒否したらしいな
山×ェ・・・ケツの穴が小さいな
モデルグラフィックスに載ってたトンデモ記事。うろ覚えですが。 イー15やイー16の次期戦闘機として、ソ連の技師が飛行機を 設計試作した。 いざ試験飛行のため、飛行場に搬出しようとしたら、プロペラの翅が 長すぎて地面を削ってしまう、ということが判明した。 技師は考慮したのか、浅はかなのか、なんと翅を切って短くしてしまった。 航空関係者や政治党員が見守る中、試験飛行に試作機は飛び立ったが 当然、航空力学のバランスが、短くなった翅のために崩れてしまい、 試作機は高度(たしか)400m以上は上昇できなくなってしまっていた。 試験飛行は早々と中止され、テスト以前の問題だと指摘されたとか。 この試作機を設計した技師は、その後、消息不明になったとか、ならなかったとか。
「駄っ作機」ですな。 単行本に収録されていますよ。
大和沈没時のエピソード 大和沈没後、通じて生き延びた乗員たち。 早くも海上で「士官以上のものは兵を集め救助を待て」と号令もかかり 浮遊物を掴み、人の輪を作り漂う中歌を歌うことになった。 あるグループでは真っ先に軍艦マーチを歌い始めたが誰かが呟いた 「大和も沈んだのに守るも攻めるもあるかいな」 「……なんかあわないぞ」 結局、唱歌や童謡を歌い始め救助を待つことになったそうな
なんかシュールでいいなw
>>676 そういやNHKの戦艦大和の特集で聞いたことあるなその話
個人的にほのぼのというより少し悲しく感じるな
>>678 悲しくも思えるが、淡々とした諦めというか、飄々とした気持ちも感じられて
ほのぼのもするよ
歌といえば、海軍で駆逐艦の機関兵やってた近所のじいさまは、 軍艦で軍歌以外を歌ってたらビンタ喰らうけど、 機関科は騒音だらけの環境な上に上官もあまり視察にこないもんだから、 パッキン締めながら口笛吹いたり戦前の流行歌を歌ったりと 自由にやれてたのが良かったわって言ってたな。 ただし魚雷喰らうと死にやすい場所なのが玉に瑕だとかw
でも戦記読んでると、体力の消耗に繋がるから歌うのはやめよ……というのばかり見るな
ビルマの竪琴みたいに歌う中隊もあるにはある ってあれは童話かw
ビルマのお坊さんは、歌舞音曲のような俗世の物とは関わりを持たないそうな。
ああ、トリビアでもやってたな。 ちょっとでも異性と触れるのもアウトだから、 航空会社は特例としてビルマの僧侶が飛行機に乗る際は、 両脇に女性が座らないように席を考慮しないといけないとか。
その辺はお国で違うみたいね。 タイのお坊さんはお金は不浄なものだとして触らないそうだけど、ビルマのお坊さんは お金で買い物してたな。 まぁ、タイのお坊さんもデジカメとか持ってたから、お金使うんだろうけど。
>>686 これいいね〜とかジーっと見ながら褒めると、信心深い人は喜捨してくれるんだよきっとw
戦争末期に陸軍の小部隊がビルマの寺院で大休止してたら お坊さんが「日本のみなさん食事のおかずあるか?タバコあるか?」と聞くので「ない」と答えたら 村人に呼びかけていっぱい持ってきてくれた話を思い出した
ビルマの竪琴の原作小説でも、 山賊が日本兵の斥候を銃を突きつけて捕らえたら、 「おめさガリガリでねえか? ちゃんと食ってるのか?」 って心配して何も盗らないで解放しちゃうエピソードがあったねw
「人の情けが身に沁みる」というか「皇軍も地に落ちた情けない」というか
ビルマで笑える話っていったら便壷でカレー作っちゃった話が戦記に出てたw
昼時にクソ話する糞野郎はクソの臭いも気にならん奴だと戦記に書いてあったな。
>>691 中国の金持ちのおまるだと知らず寿司桶みたいできれいだという理由で
それに食事盛って出したら古兵に制裁喰らったのは初年コ時代の高崎伝さんだったな
>>693 あれにそんな記述あったっけ…?
珍しい電信兵の方の戦記だからそっちの方の内容期待して読んだらそれほどでもなくてちょっと失望した記憶
と思いつつ確認したら、カレー粉入り味噌汁だったでないか
>>695 私は結構面白く読んだな
カレー汁の話もあったね
怪人風の兵隊さんとか味のある人物が多かった
戦国時代後半の「ルソン壷」
フィリピンから輸入されたその陶器は、日本国内では、
茶道においてわびさび利いた茶碗の名品だと高額で売買されたが、
現地ではありふれた生活雑器であり、その用途は(以下検閲済)
>>691 を読んで、ああ同じ日本人なのだと思った
検閲じゃあ
高級士官でうんこ箱に葉巻入れて、それを見た将官があとでこっそりお付きの人に教えたって話をよんだことがあるなあ
ベルリンに入城した赤軍は、家屋の大便器でジャガイモ洗ってたと言うし 価値観の違いはお互いおかしなもんだ
701 :
名無し三等兵 :2013/03/24(日) 18:43:00.95 ID:PNfD6EEq
>>700 それは田舎から徴兵された連中限定じゃないの?
奪った腕時計(手巻き)を何個も腕に嵌めて、止まったら壊れたと思って捨てるとか、
水道の蛇口を取り外して、それがあれば水が出てくると思い込んでいるとか、
電球を取り外して大事そうに持ち帰り、それがあれば光が(ry
702 :
名無し三等兵 :2013/03/24(日) 19:08:55.57 ID:Ipa6XhLY
>>694 アヘン戦争で英国兵が婦人用のオマル(漆器や螺鈿細工)を高級士官用のディナー盛り付けに使用してからの伝統だ
と書いたが御褒美の様な気もしてきた
>>701 いつも思うけどそれ本当の話なのかな?
なんぼなんでも大馬鹿すぎると思うんだけど
ロスケの田舎者だから無いとも言い切れないがw
敗戦後間もない頃のドイツを舞台にした映画 主人公のドイツ人女性が乱暴されるヤツ・・なんだっけな? そこで確か「ソ連兵は二階には上がってこない」とかあったな (二階建ての家に住んでいる人がいないから?)
>>704 水道の蛇口とか、有名な話で戦史にも出て来るよ。
ルソン壷が便所壺というのは一説であって、確定的なものではない。 むしろ酒や調味料を入れる家庭の一般的な容器というのが一般的な説。
>>706 むう・・・予想を上回る大馬鹿ってのは居るもんなんですね
そういやシンガポール攻略戦かなんかで日本軍にも同じような話があったような。 建物に突入したら南国なのに中は寒い、なんだこりゃ気持ち悪い外へ出よう←クーラーを知らなかった。 みたいな。
710 :
名無し三等兵 :2013/03/25(月) 00:55:49.21 ID:PueWL2YZ
ビデはもちろん洋式便器も日本兵には馴染みが無かったから。。。
瓶ビールはすぐに銀蠅されたけど缶ビールは誰もビールと思わなくて最後まで余っていたとかね
米兵も「一升瓶ゲットー、サケだぜー!」ってラッパしたら、中身がお酢でグハーみたい話あるからな。
>>712 ウチの大学の寮でもあったな
しかも中身はある寮生の水虫退治用の酢(何度も繰り返し使う)というオチ付きで、、、
何という生き地獄!
そらひでえわw
当時の缶ビールはチャーチキーが必要なタイプだよな 流石にそんなものは…
オーデコロンをウイスキー思ったとか、チーズを石鹸と思ったとか、まあ色々有ら〜ね
内地に向かう九七大艇。 これに便乗した某士官さんの回想。 キャビンの内装がえらい豪華で、どうやら緒戦期に某地の洋館から内装を拝借してきたものらしい。 なんと冷蔵庫まで有った。 しかも、着水事故を起こし大破、転覆。 死者は出なかったけど、水没した冷蔵庫は勿体無かった・・・
>>705 ロシアは厳寒の地だから、そういった地方出身のソ連兵は地下室はめざとく見つけても、
天井裏までは気が回らなかったらしい。そのため、満州とか朝鮮半島北部で日本の若い娘
たちは天井裏に隠れたそうだ。
大藪晴彦が書いてたような記憶がある。
そういや満州で志ん生師匠がロスケに殺されそうになったんだよね
シベリア抑留中に、故障したソ連製カメラのフェドを 将校に頼まれて手先の器用な日本兵が修理してやった。 、 やがて1990年代になりクラシックカメラブーム。 日本に輸入され故障した中古のフェドが修理屋へ持ち込まれた。 で、修理家がそのカメラの下カバーを外したら、 その昔シベリアで自分が修理したとき刻んだ イニシャルが現れて涙涙・・・の実話を読んだことがある。
ここで読んだ話か忘れたが、シベリア抑留兵が過酷な労働をしているのに 見かねた肝っ玉母さんや嫁さんが待遇改善をするよう軍に文句を言ったり、 こっそりイモを恵んだりしていたらしい
724 :
名無し三等兵 :2013/03/26(火) 02:42:18.92 ID:E8+hQN/n
き?うぼさ?うぼさ?うぼさくうーー
725 :
名無し三等兵 :2013/03/26(火) 02:49:38.57 ID:E8+hQN/n
こ?んえまg?んえまg?んえまgしししししししししししししししし
726 :
名無し三等兵 :2013/03/26(火) 03:00:57.61 ID:E8+hQN/n
かーーーーーー?んえもg?んえもg?んえもgくssっそ
2月に他界した祖父が駆逐艦雪風の乗り組み員だったらしく雷撃された艦が撃沈され、海を漂ってるところに海亀が助けに来てくれたそうです。 そのことがなければ父や自分もいないと思うと感慨深くて…
なんで雪風が沈んでんだよw
729 :
名無し三等兵 :2013/03/26(火) 08:17:04.52 ID:8+ZsLSvS
しれっと嘘つくなw
撃沈されて海にただよう 兵を助ける亀がいるなんて感動的だと思う イルカやクジラもダイバーを助けた話があるんだし
インディアナポリスが沈んだ時も水兵さんを助けようとして魚が集まってきたんだよね
>>731 それは「ほのぼのとした話」とは真逆の「さめざめとした話」ぢゃ
水族館でイルカが溺れた人を助ける実演をやってた。 海底に沈んだ人をイルカが水面へ引き揚げてくれて感心した。 なお溺れるときは、魚をポケットへ入れておくことを忘れないように。(イルカへのお礼)
生魚一匹で命が助かるなら安いものだ!
と思って魚を持って沈没する船から海に飛び込んだら
>>731 コースだったでござる。
フカを助けた話(栄養的な意味で)
褌を赤く染めていれば、、、
褌を伸ばして鮫より長くしておけば襲われないって話だろ
おいおいおい♪ここで褌か? 出しちゃうぞコノ野郎 飛ばされないようにしっかりつかまってろよ!ガンガンいくから!
フカには褌は有効だが、サメやワニには??
全部一緒やん。
>>742 オーストラリアは海にワニがいるし、池や川にサメがいるからな。
>>741 有効かどうかは学術的に議論の分かれるところである
フカさんフカさん、私を向こう岸まで渡してくれたら 私よりも美味しいものをご馳走しますよ!
実は鮫が生きている人間を襲った記録ってほとんどない。 ジョーズの原作者は鮫を悪者にし過ぎたって反省してるし。 人間は普段は海中にいる生物でないので、大型の鮫は獲物と認識しない。 逆に獲物と誤認されると危ない。 サーフィンのパドリングはウミガメに見えるらしい。 溺死体なんかは海の仲間のご馳走だけどな。
>>747 ついでにいうと、そのパドリング中を狙ったサメの攻撃ってのは
餌かどうかを認識する甘噛なんだよな
甘噛ですら、人間を破壊し得る危険行動ってことなんだけど
サメに捕食の認識も攻撃の認識もないという
でも現に日本各地でも 人が喰われてるわけだが
インデイアナポリスの乗組員は、相当数フカのエサになったそうな。
非人道兵器運んだから天罰だ。 って、広島で被爆したばーちゃんが言ってた。
乗組員の殆どは積み荷が何かも知らなかったが
インディアナポリス最期の艦長マクベイ3世は、なんだか海軍上層部の一部からよく思われてなかったらしい。
鮫は黒っぽい服を(ウェットスーツ)身に着けてるとアザラシやオットセイと 思って襲うって聞いたけどどうなんだろう。
ソロモンの空戦で海面に落ちたパイロットの フカ話は必ずあるな 記録しようにもそのときは死んでるから記録できないだけだろ
>>749 怪我してて血が海面に流れてたんじゃないか?
連中の嗅覚は想像を絶するぞ
別に怪我人だけが襲われてるわけじゃないよ?
80年代にショッキング映像満載のドキュメンタリーが流行ったけど オーストラリアで鮫に襲われたダイバーは衝撃的だった 黒いウエットスーツの片足が腿から無くて船の甲板一面に血がブワーって流れる 南西諸島でも漁師が鮫に襲われるのはよくあることだそうだ
まぁ、人間がサメを襲ってることの方が圧倒的に多いけどな。 中国のフカヒレ漁船なんて、釣りあげたサメのひれを切り落として 本体は海に捨てちゃう。人間で言えば、四肢切断して打ち捨てるようなもんだ。
>>759 そのサメの四肢切断、だいぶ前に日本の遠洋漁船がやってオーストラリアのTV局に
空撮されて、海外から非難されたな。
あぁ、それで最近は地産地消でサメ料理が出てきたのか サメフライってどんな味なんだろうか?
最近ははんぺんにサメのすり身をつかわないのかなあ。
鮫肉は臭くて硬くて不味いよ
ディスカバリーチャンネルでは 原爆運んだ戦艦が沈んだ後、海に漂って食べられたのは死体だけって 検証結果を流したと聞くけど
重巡インディアナポリス撃沈の事かな。
そのインディアナポリスです 番組は視てないので、なんとも言えませんが^^;
インディアナポリスは任務の機密性のせいで、単艦航行だった上に救助が遅れた.からね。 その間にサメの餌食になったのだろう。
※インディアナポリスの乗員はあとでサメさんがおいしくいただきました
昨夜のBBCトップギア・新シーズン見てたんだが・・・ ジェレミーが自作の超小型自動車で大英図書館内を散策していた時の発言。 >ジェレミー = 何かとWW2、対独戦に絡めたジョークを言う戦争ヲタ ジェ 「 オッ! ドイツ語の百科事典まで置いてあるぞw 負けた・・・orz って書くだけなのに こんなにページ数が要るのかw 」 見ながらワロタよw 英国人の対ドイツ感、戦争観が出てる発言なんだろなと。
772 :
名無し三等兵 :2013/04/05(金) 01:20:07.16 ID:bTFAxhzL
なーる!
鮫肉はアンモニアが含まれていて腐敗しにくいから、 昔は山地など海の無い地方でも味わえる海の幸として珍重された。
>>764 新鮮なサメ肉は淡白で美味いらしよ。
千葉の方ではお祝いの時に食べるご馳走だそうな。
そういえばこの前、鉄腕DASHでサメ捕まえて刺身にしてたな。 獲れたて〆たてなので凄く美味いと言うておった。 その後はサメではんぺん作って残ったスジと一緒におでんに仕立ててた。
くぅ〜ウマソー
インドネシアの津波被害に救援に駆けつけた日本の自衛隊。 衛生部隊が野外医療設備を設営し、 医務官達が現地の人々の病気や怪我を無料で診察することになった。 すると、開設の翌日には朝から長蛇の列が! 医務官が「どこの具合が悪いのですか?」と尋ねると、 笑顔でオヤジがこう答えた。 「お医者様というのに生まれてこの方診てもらったことがないので、 タダって聞いて隣町からやってきました」 最初はマジでこんな有様だったらしい。
>>777 おれもオヤジと同じ立場だったら隣町から駆け付けた自信がある
真珠湾攻撃したとこいにセスナ機に搭乗していた少年は・・・
陸自の連絡機乗り逃げした酔っ払い整備士は
781 :
名無し三等兵 :2013/04/06(土) 01:12:40.31 ID:5qmcGgUY
すんげえ長時間信管だな
>>784 イギリス人の嫌がらせなんだ
念入りに決まってるだろ
英国近衛兵に寄生したダニはドイツの生物兵器か?
違う国の生物兵器ニダ
在日にも時限信管ついているといいのになあ
あれは爆弾の類じゃなくて生物兵器の類ですから
そういやイギリスの方でもBoBの爆弾がまだ残ってるらしく・・・ TopGearでおなじみのジェームズ・メイの番組で 「男の嗜み」として不発弾解体を覚える、と言うネタがあった。
とりあえずまず下着は新品に履き替えな
すぐ汚れんじゃん
793 :
名無し三等兵 :2013/04/21(日) 04:29:53.31 ID:KC2PtWGR
そこをなんとか
できません
赤道を通過するとき船上でお祭りするやつ 海軍でもやってて土人のコスプレとかで記念撮影してた
練習航海とかのなら結構あるわな
艦長が「赤道神」を演じて、通過の鍵を渡してますなあ。
今時のアニメならメイドも出ます
メイドガイは?
太平洋戦争末期。 かつて大和乗り組みだった水兵は、試験を受けて内地へ帰還。これで電気関係の部署で過ごせるかと思っていたのだが、配属が決まったのは志望と打って変わって瀬戸内海の小基地だった。 そこでは三人乗り小型潜航艇の訓練が行われており、体当たりではないにせよあまり生還の望めそうにない処だった。 訓練中に爆撃を受けたりしながらも、水兵はもはや心を決めて任務に望んだ。 彼らの任務というのは、その頃から四国沖に現れるようになった敵機動部隊への攻撃であり、敵出現の報があれば至急四国沖へ向かうのである。 しかし、それにはどうにも速力が足りず、着いた頃には敵は何処へやら。決死の覚悟が宙ぶらりんになって苦しい思いを続けた。 しかしやがて、奄美群島方面への攻撃が決まった。これでいよいよおしまいですかとなったが、攻撃予定は8/17だった。 なんとか戦争を生き延びた水兵だったが、上官は終戦翌日に一人沖縄方面へ出撃し、途上自決して発見されたそうである。 結局、彼はバスの整備士として職を得、酒を飲むと昔のことを思い出してか出さずか「そこへ並べ!!」と子供たちを立たせ、片っ端から頭をはたき、恐れさせたという。
子供達はいい迷惑だな
ただの酒乱だろソイツ 沈没して死ねばよかったのに
特攻崩れの心境じゃないのか
赤道祭りで思い出した。 古参兵が新兵にしたり顔で言ったそうだ。 「間もなく赤道を通過する。よく注意してみておれ、赤い帯を越えたらそれが 赤道通過の瞬間だ(※赤い帯を越えたら其れが赤道だ、お前も一人前だ、かも)」 純真だった筆者達、真剣に見ているが解らない。 跡でさんざん古参兵に馬鹿にされたとか。 昔読んだ本にこんな文章があった。だれか読んだことあるかな。
別バージョンとして 古参兵「おい、赤道と言うのに赤い線が見えんぞ、見張りはぶったるんどるんじゃないのか?」 (これで後で罰直かけたる(シメシメ ) 初年兵「(あ、あかん、今夜も死ぬわ(ガクブル)」 見かねた船員「ハッ、この辺は前線に近いので偽装網で欺瞞しているときいているでアリマス」 と助け船をだして古参兵から一本取ったとかとらないとか
雑想ノートの安松丸物語に同じようなのがあったから船乗りの定番ネタなのかもなぁ
零戦搭乗員の人も書いてたなー 赤道を超えるときに赤い帯(?)が見えると聞いていたのに(上空から)何も見えなかった、とか もちろん本気で信じてたわけじゃなさそうだけど。
明石辺りの道路(第二神明だったかな)には東経135°子午線の標識があったな。
サンデンの人丸前駅にも引いてあるね、標準子午線。
811 :
名無し三等兵 :2013/04/30(火) 08:16:12.61 ID:HfCx1btd
仕事中にお客さんから聞いた話。 某空挺団で有名な、関東の某所。 そこのお客さん、職場兼自宅が演習場から直線距離にして1kmも無い。 なので演習があるとヘリコプターやら空挺降下やら、おなじみの景色を毎年見ているそうな。 そんな空挺団の地元ならではの風物詩が「木になる自衛隊」。 降下中に風に流されて演習場を外れた末に、庭の木に自衛官がぶら下がっている光景は、もはや慣れっこだとかw でもそれよりもブツブツ文句を言っていたのは、 (地元民にとって)「あんなに広い演習場なのに、端っこのフェンスのすぐそばでヘリコプターから降りてこないでもいいだろうに。埃が来て大変だ」 というのは、双方にちょっと同情した。
事故もあってね 結構殉職者を出してるよ
俺の家には、風で流された空挺隊員が二階の屋根に墜ちてきたよ。 すぐに部隊の人が来て、翌日には壊れた屋根を直してくれた。 隊員さんは怪我は無かったみたい。 今から35年も前の話。@東習志野8丁目
昼寝しているときに屋根に落ちてきたら ・・・平然と寝続ける自信がある
ドイツで土地かったんだけど 1年もしない間にスターファイターが無料で手に入ったよ
そら1960年から917機導入したうち1991年の退役までに291機も落ちてんだからな
31.7% ?! さすが未亡人製造機 …ほのぼのしない
ハルトマンもケチ付けたがために昇進が…
鈴鹿を空襲されたとき、米艦載機を五式戦闘機隊が迎撃した そのうちの一機は低空でグラマンに喰いつかれてしまった 日本軍パイロットは身を乗り出して後方を確認すると、急速上昇から失速反転に移り 地上スレスレで水平飛行に立て直した 敵機はこの機動についていくことができず飛び去っていった
あんましほのぼのした話ではないけれどおじいさんの話。戦争末期、おじいさんは呉にいた。 おじいさんは一応海軍の飛行兵だったが飛行時間はたったの十時間。赤トンボと呼ばれる練習機に乗っただけだった。 呉に行ったのもエンジンの修理とか整備の仕事だったそうだ。そこで学んだ技術のおかげで戦後は農業機械の仕事にありつけたわけだが…。 で、呉は軍艦の工場だったからやっぱりすごい空襲だった。対空砲は立派なのが何個かあったけど決して撃たない。台座につくだけ。 なぜかというと爆撃機が多すぎて撃って位置がバレると一斉に攻撃されるから。でも兵隊が防空壕に逃げ込むのは許されないから一応撃つ準備はしてあった。 ある日、その中の一つが耐え切れなかったのか撃った。そしたら一斉にすごい数の爆弾が落ちてきてあっという間に破壊されてしまった。おじいさんはその後片付けをしたそうだ。 別の話だと、おじいさんは呉から原爆の火を見たと言っていた。ものすごい轟音がして、爆撃かと思ったら山の向こうが夕焼けのように真っ赤に染まっていたそうだ。 おじいさんはその後すぐに九州に飛ばされた。そのまま戦争が続いていたらたぶん特攻隊になっていただろうとおじいさんは言った。 もしおじいさんがいた対空砲が耐え切れず撃っていたら、(後から知ったことだが)もし原爆が呉に落ちていたら、もし戦争が少しでも長く続いていたら俺はここにいないのだ。
俺たちの祖父も、何処かで戦友だったり、束の間でもすれ違ったりしてたかも知れない。 そう考えると不思議。
最終的には500万人くらい兵士として動員されてたんだっけ 軍需産業に従事していた人も含めると若年者はほぼ戦争に参加してたわけだもんねぇ……
ウチのじいさんは戦争終わった時は19だったけどきっちり徴兵されてたからなぁ…やっぱし飛行隊だった その時は何にも知らされてなかったらしいがあとで特攻隊の予備兵だったってわかってぞっとしたそうだ
うちのじいちゃんは小学生
うちの父ちゃんはサラリーマン
ママは小学4年生
おっさんだー! おっさんが居るぞー!
JSを孕ませた不届き者はどこだ
ママ4とかライジンオーとか、 つい昨日のことのようだ。 ミンキーモモは二期の方だったな。
オッサンが充満している! 状況、オッサン!
広島市内での話。 あるご一家は市内でバラバラに被爆。しかし、大きな怪我もなく6日の晩には家族全員が合流できた。 近所の家も焼けてしまったが自宅は台所が潰れただけで済み 避難途中に乾パンももらい明日は市内の親戚の消息を訪ねようとしていた。 「大変!台所で誰か死んでるわ」 母親の声に皆が集まると潰れた台所からは赤黒い液体が…… 早速瓦礫を片付け助けようとしたところ……瓦礫の下からは梅干しを漬けていた壺が出てきたそうな
こえーよ
「梅干しはスタッフが美味しく頂きました」
セシウムセシウム
広島の話に便乗して終戦後の広島市内での話 ぼつぼつ焼け跡にバラックが建ち、疎開先から戻ってきた人 復員した人、生き延びた人々の生活が始まった。 上空からの写真を見ると市内はほとんど建物がなく辛うじて コンクリート製の建物が残っているだけの焼け野原。 だがそれでも元気な子供たちというのはいるもので 「いやあ、焼け跡は面白かったですよ」「ピストル、勲章、鉄兜。焦げてるけどなんでもあった」 「全部拾い集めて戦争ごっこしましたね」 大変ではあったがこんな風に暮らしていた人もいた様子。
復興の芽生えだな いい話だねえ
まだ残留放射能レベルは高かった時期では? 広島駅・正面口出て左側、広電の円光橋とかいうエリアは今でも まんま当時のバラック街そのものだね。 広島在住者に訊くと 曰くつき のエリアらしいが。
広島の放射能は一体何処へ行ったんだろ?
核爆発で生成された放射性物質の大半は爆散しちゃったし 核爆発なんて一瞬で、放射線の照射時間も一瞬だから放射能帯びる周辺物なんて限られてるし それも風雨に表面は削られてわずかずつでも減ってくし 当然半減期もあるし ぶっ壊れた原子炉がいつまでも放射線を垂れ流し続けることに比べれば核爆発の長期的な害なんて可愛いものではある
広島型原爆はウラン75kg(濃縮で235が80%)使用で、反応したのが2%の1.5kgくらいだから 70kg以上がぶち撒かれたはずだけど、雨で流れたんでしょ。
>>839 今でも立ち入り金の核実験場、世界各地にあるぞ。
それで世界に拡散された放射性物質もかなりの量だしな。
>>841 同じ場所で実験繰り返したり地下核実験が主流になってたりするからな
広島の残留放射能は1、2週間がピークだったんじゃないの? 中性子浴びてできるリン32とかの半減期がそれくらいらしいから。 古い資料で申し訳ないけどDS86によると爆心地付近で一日10時間〜20時間×7日で被曝線量0.1グレイ、500m圏内で0.01グレイ 炸裂時に一キロ圏内で4グレイの放射線が降り注ぎ さらに近い場所では50グレイ近い放射線浴びたらしいから一瞬でも危ないわな。 コンクリの壁と柱、2つの遮蔽物のお陰で自分は助かったけど 目の前で同僚たちは突然痙攣起こして死んでたなんて証言もあるし。 ほのぼのじゃないけど自分も便乗して広島の話を。 8月6日の広島市内を写した写真は5枚だけ。 しかし、ひょっとしたら他にも写せた人がいたかも知れない。 一人は産経新聞の記者。 紙屋町で被曝し重傷を負ってたが知り合いの記者にあったさいは 「(自分の怪我は)大したことはないよ」「カメラがやられたのが惜しい」 と話しながら火傷した手にひしゃげたライカのカメラをぶら下げていた。 5枚の写真を撮影した松重カメラマンは 明け方まで広島城(司令部所在地)にいて直接出社せず 朝食を食べに帰宅、出社社中に便所に行きたくなり帰宅の偶然で助かりあの日を撮影する。 もう一人、あの日を撮影できたかもしれないカメラマンは正体不明。 郊外から市内に入ろうとしたところを橋を封鎖していた憲兵隊に止められて 「いいから通せ!」「危ないから通せん!」「危ないのはわかっとる!!通せこのヤロー」 「このヤローとはなんだ!」 と憲兵隊と押し問答している姿が目撃されている。 大きなカメラを持っていたから新聞記者では?と目撃した人は語る。 最終的には憲兵隊に川に投げ込まれ、正体も消息もようとしてしれない。
広島でも原発でも地球でも、放射線量のピークは一番最初だろ。 再臨界とかしない限りは。 放射性物質が放射線を出すってことは、放射能が衰えるってことなんだから。
的外れかも知れないが ・地上核爆発>もう最悪 ・空中核爆発>ちっとまてば問題なくなる らしいぞ
>>844 残留放射能が高かったのが1〜2週間の間って話でしょ
放射線その物は爆発の瞬間より少し前に降り注ぐ中性子が一番危ない
中性子線も放射能じゃない。
アメリカが散々核実験やったビキニ環礁は、今はクレーターにダイビングできるくらい放射線減ったそうだぞ。 長門にも潜れるそうな。 まだ立ち入り禁止な核実験場は、砂漠で雨で流されない所じゃないの?
849 :
名無し三等兵 :2013/05/11(土) 21:37:10.34 ID:QYyWb5Rn
>広島の放射能は一体何処へ行ったんだろ? 昭和20年9月の枕崎台風で、かなり洗い流されたって話もあるみたいね。
へえ〜
フクイチの放射能が怖くて沖縄移住、中国侵攻が怖くて福岡に移住、 大陸からの黄砂、PM2.5が怖くて結局東京へ舞い戻った例の馬鹿家族、広島ってチョイスは これからも無いんだろなw
何かと精神論で日本軍勝利を煽る陸軍が多い中、岩畔豪雄少将は特異で個性的な 人物であった。 第十五軍のインパール作戦の状況が悪くなったとき、部下の大沢が「勝てますか?」と 言った。 岩畔は、「負け方次第では、負けてよいときがある。この戦争は日本の負けだが、 わずか二個師団で、敵の五個師団を相手に、よくこれだけ頑張れたと思う。 人間業で、これが最善の作戦だろう」。 昭和二十年八月十二日にイギリス空軍からビラで「日本軍降伏」が伝えられたとき、 デマだ、敵の宣伝だ、という部下に対し、「宣伝ではない、本物だ。敗戦は早く から覚悟していた。日本の将来を期して打つべき手は色々ある。日本は決して ほろびない。任せてくれ。心配することはない」。 敗北主義者として一時期、参謀本部から敬遠されていたものの、現実を直視した 慧眼で、彼は戦後の復興に尽力した。 どもんしゅうへい著「日本の命運に係わった陰の男たち」
上手な負け方って本当に難しいんだよね
>>852 >>昭和二十年八月十二日に
気が早すぎだろw
>>854 ポツダム宣言受諾そのものは8月10日に通知されてる
連合国側から条件(国体護持)付受諾を認めない回答があったのが11日
んで条件撤回をした上で受諾したのが14日
15日国内発表
だから12日に伝単がばらまかれても不思議ではない
>>852 最後の海軍大将 井上なるみも似たこと言ってなかったか?
卒業式の訓辞で、おまいらの戦場は敗戦復興だ、みたいな
戦争で上手な「今日はこのくらいにしといたらぁ」はなかなかない
>853 でも日本はまだ上手く負けた方だよな。あとフィンランド。
海軍は負けると分かっていたけど、艦隊決戦やりたいがために戦争したんだよね
おう
ムッソリーニはドイツの足を引っ張ったという観があるが、ムッソリーニも ドイツに振り回された。 1943年七月に連合軍がシシリー島に上陸すると、突如ファシスト党幹部に 反乱を起こされ、ムッソリーニは逮捕された。バドリオ新政権は連合軍と 休戦したが、ヒトラーのムッソリーニ救出により、北イタリアに「イタリア 社会共和国」を樹立してムッソリーニは戦争継続の政権を握った。(傀儡であったが) ところが戦後に明らかにされたところによると、大戦末期にイタリアを占領 したドイツ軍は、ムッソリーニに内密で連合軍への降伏を交渉しており、 それを知ったムッソリーニは「ドイツは最後まで余をだましおった!」と 激怒したという。 そういうムッソリーニだけに日本には最後まで強い信頼感を寄せ、 時の日本大使館に個人的な重要書類を委託し、これはいまでもスイス銀行に 保管されてあるのことである。 また日本の潜水艦で日本に渡航する計画も日本側から出されたが、 ムッソリーニは「好意は有難いが、余はイタリアで最後を迎えたい」と 断ったともいわれる。
ムッソリーニが処刑されたときは、連合軍の兵士から哀悼の声が多く上がった とか
愛人と一緒に亡骸晒されたものね… かといってムッソリーニの死に場所は何処だったかと言われればわかんない。
イタリア人て怖いよね
イタリアは中立でいるべきだったよぉ…。
イタリアのほのぼのした話はラテン気質によるものかねー 『バトル・オブ・ブリテン―イギリスを守った空の決戦―』(R・ハウ&D・リチャーズ著)より一つ投下。 バトル・オブ・ブリテン(1940年7月10日〜10月31日)も終了しかけた10月29日のこと。 平均気温5℃と寒さが本格化したイギリス上空に、今大戦で初めてイタリア軍機が姿を現した。 これは数か月前に自国を爆撃されたムッソリーニが(渋るゲーリングを説き伏せ) 報復と称して送り込んだ爆撃機15機、戦闘機70機の堂々たる大編隊。 が、しかし。その編成はBR.20爆撃機(日本が戦前に輸入したイ式重爆と同型)と CR.42戦闘機(複葉!)という凄まじさで、加えて塗りなおす暇がなかったのか、 どの機体も薄緑に鮮やかな青というエキゾチックな地域に相応しいド派手なカラーリング。 この航空ショーさながらの編隊には、道行く人々も、また日頃の空襲で鍛え抜かれた 高射砲班も同様に面食らった様子で、この日は砲火もほとんど開かれぬままであった。 初冬の空を飛ぶ色鮮やかな編隊は、やがて敵地上空を飛ぶことに満足したのか 郊外に数発の爆弾をばらまいてから、行きと同じように整然とした編隊を組んだまま帰って行ったという。
>>868 粋な話だね〜
爆弾を郊外に落としてったのにも
良心を感じる
「イタリアのものが好き」
ほんでもBOBでばたばた落とされてたはず<イタリア空軍 マルタじゃたかが三機に翻弄されやがって!!!! ちなみにハンフリーボガート主演で「マルタの鷹」という映画が存在するが、マルタ島攻防戦とは全く関係ないサスペンスものである。サハラ戦車隊を期待して買うと泣きを見るので注意。ただ普通に名画なのでおすすめ。
イタリア軍と言えば、最新兵器を持って侵略したのに第一次大戦時の旧式の兵器しか なかったエチオピア軍に手こずって毒ガス使って、ようやく勝てたというのも凄い話だw
イタリア人は国家なんてものに忠誠心を持ってないからお国のために命を捨てるなんて馬鹿馬鹿しくてやってられない。 やつらの忠誠心の対処はせいぜい自分の町、実際にはファミリー、特にマンマに対してのみだからね。
くだらない愛国心より大切な郷土愛って事でけっこうなものだ
イタリア兵の後ろでママが睨みを利かせてたらコマンド部隊並みの働きをしそうだ
イタリア兵は女と誇りが絡めばガチなのは良く知られた話だと思ったが・・・ ちょっと前に米海兵隊との諍いからガチンコの撃ち合いに発展して マリンコを圧倒しかけたと言う話もあったはずだが。
>>877 >マリンコを圧倒しかけた
あの話は、結局、ヨタってことで決着したような。
まぁ、イタリア本土戦での南北両軍の敢闘を考えると、女と誇り、あと愛郷心がかかると、強いんでないの?
>878 にゃんだ、ヨタだったのか。 あ、あと少人数になると強い気はする。
カンパニリズモは都市国家としての歴史が長かったイタリアじゃ大きいよね。 しかし日本やドイツも1870年頃まで藩や諸王国に分かれてたわけで、どこで差異が生まれたのやら。 イタリア軍弱兵の原因はおよそエチオピア〜スペインと続いた長い戦いとそこからくる酷い軍需品不足にもあったような。 しかもギリシャじゃ占領地のアルバニア兵なんか投入して、何考えてたんだ?
イタリア人は11人の時最強になる それ以上でもそれ以下でも全くダメ
>>880 イタリアはローマ帝国崩壊後から、完全に独立した都市国家だったけど
日本は天皇が一番上にいて、幕府の管理の元で各藩が土地を治めていて
改易とかもあったりした完全な独立した国家ではなかったこととの違いでしょうね。
ドイツは知らない
883 :
名無し三等兵 :2013/06/04(火) 06:46:11.58 ID:Cn9mevfJ
884 :
名無し三等兵 :2013/06/05(水) 20:40:09.75 ID:s4lw/S5U
お
沈没した日本船の乗員機銃掃射とか同じだろw
日本語でおk
887 :
名無し三等兵 :2013/06/10(月) 01:07:19.54 ID:y/YaMLK1
あtr
まあ、90式戦車は贅沢にもクーラーなんか搭載して、 その結果底面装甲が川底の石で穴が空くほど脆くなっている。 まともに戦車というものを考えて設計されているとは思えない。
田中芳樹乙
90式に電子レンジと冷蔵庫、電気釜、電熱鍋、水道、流し台、風呂が欲しいわ
日本の主力戦車は野戦炊飯車と兼用ですがなにか
>>892 田中芳樹の創竜伝
田中芳樹は一次資料を充分踏まえた作品を書く小説家として有名
これは笑いどころですか?
どう見てもレス乞食だろ。 いつからあるネタだと思ってんだ。 おさわり厳禁。
だが、洗練された殿堂入りの伝統芸能である
B-36に乗ってキッチンで調理された飯を食いベッドで寝てみたい
小説がソースです!!!!!!!!!!!!!!!!
二度漬けは禁止だ
900get!
>>888 は非常に面白い伝統芸能だから
今後も何度も何度もやって行くべき
岩にこすったくらいで穴が開くならトンカチで岩をぶったたいたらトンカチが砕けるって事になるよな 田中芳樹は石材屋に行って石と鋼鉄どっちが頑丈か聴いて来いっての
>>902 田中芳樹が何を言ったかは知らんが、鉄板と岩、鉄の塊と岩を比較する反論は説得力がなさすぎる。
かくてフィクション小説の仮想戦車が、現実と違うとファビョる低能は後を絶たないのである。終
この期に及んでこんな面白いことをまだ信じてる人が居ることにほのぼの
この期に及んでこんな田中芳樹の言っていることをまだ信じてる人が居ることにほのぼの
小説・マンガ・アニメ・Wikipediaを揺るぎないソースとして信じる人にほのぼの
第二次大戦前夜、ダラディエ内閣は右派と左派の暴動で色々大変だったが、ドイツのチェコ併合を受け、軍事予算の大幅増を決めた。 ダラディエ「で、軍の近代化に幾ら必要なんだね」 軍部「は、90億フランほど…」 ダ「よし、では140億フランだ!!」 軍部「使いきれねぇよ…」 かくして、39年度の軍予算は何十億フランも残ってしまった。
確かに予算だけ増やされても生産ラインの拡張にせよ、部隊の増設にせよ単年度じゃ準備できんわな
軍板では有名な板倉光馬中佐のエピ 上官に無理やり勧められたお見合いを断るために、見合いの席で丼になみなみと酒を注いでもらってへべれけになるまで飲んで島足そうな 気づいたらいつものように朝になっていて、まだ見合いの料亭にいたとか しかし嫁の母ちゃんが「若いころはこのくらい元気があったほうがいい」って言って縁談まとまっちゃった 母ちゃんgj
一方、兵学校の遠洋航海の寄港先での一般開放で、ご婦人ご令嬢が乗艦され際にはエスコートするのが礼儀なのではあるが、 そんな鼻の下伸ばすようなナンパな真似ができるかと一人だけ突っぱね、しまいにゃマストの上に1日中見張りと称して降りてこなかった厨二びょ…、若気の至りな方もおりまして 醍醐の宮様wでなければ処分確実なエピだよなw
どっちも笑える いまの時代、そういう人はいるのかねえ
見合いの席で酔っ払うと そのまま既成事実作られることになるから危険 女の男をくわえ込む執念をあまくみてはいけない
うむ。
板倉さんの場合、嫁さんがかなりおびえていたようだ 板倉さんの記憶がまったくないので何があったかは分からないが、無理やり抱きつくとかあったんかも知れん 元気があってよろしいってのは○○○のことなんだろうか
板「がははははは! そーら、ご開帳!」 娘「きゃあああああああああああああああ!」 板「汽笛一番港を出ればってね〜!」
板倉さんの奥さんかなりの美人だった ご本人も性格と言うか酒癖からは想像できないような美男子 なんかもうわけ分からん世界だ
海軍士官の夏用白色制服補正も凄いとはいえ クソっ、ここでも※ただしry かよッ
板倉光馬で画像検索すると牟田口ドヤ顔が目に突き刺さるほのぼの
部下の結婚式にフルチンで乱入
こんな屑軍人ばかりが東南アジアに進駐したから、せっかく歓迎されてたのに みんな反日になっちまったんだよ。
>>919 あれぇ?と思ったらやっぱあれ牟田口だよなw
なんでやねん?w
ディスカバリーチャンネル「世界を変えた兵器」で M1エイブラムズを紹介してたが、砲手が19歳の若造だった。 通常は砲手は軍曹クラスのベテランが担う重要な役割だが、 彼はテレビゲームでハイスコアを叩き出し、抜擢されたそうな。
俺パンツァーフロント超得意なんだけど……って、昔そんな小説があったなw
>>923 陸自でもそんな若造の砲手がいる話を聞いた事があるな
ていうかその若造こそ軍曹なんでは?
いまだに昔の戦争映画に出てくるようなおっちゃんの鬼グンソーをイメージしてるなら
その歳にもなって戦車に詰め込まれて大砲撃ってるなんて
どんだけ無能なんだ
という話になる
陸自は90式以降装填手必要なくなったからな 隊長車以外は操縦手と装填手が兵で砲手と車長が下士官かな
>>925 19歳で軍曹はないだろ
最低でも一期は兵隊やらないと
実は中卒でって可能性はある、か?w
オッサンで下士官で現場勤務だから無能はないわー 軍隊の階級についてなんか勘違いしてないか
ほんとに有能なら、いいかげんある程度の歳になったら 指揮に携わったり後進の育成の為に教官に抜擢されるだろ いつまでも一つの仕事で面倒見てもらってる爺なんて それこそ昔気質の職人かなんかと勘違いしてないか
>>929 「プラトーン」で小隊長の新米少尉が部下の軍曹に頭が上がらなかった(という描写がされた)件について。
>>927 アメリカならあっさり飛び級しそうだな。
日本でも少年工科なら20歳で軍曹か
下士官が指揮に携わらないと思ってんのか
たいていの軍隊なら士官学校出たての新品少尉より 現場叩きあげの軍曹の方が普通は年上だろう。 戦時で戦功あげてどんどん昇進する状況なら判らんが。
本社設計部の人間が、工場の職人さんから、 図面のデキが悪いと怒られるようなもんで、 指揮系統と、頭が上がる上がらないは別ではないかと。 現実問題として、新米士官がベテラン下士官を コントロールできるはずもなく。
>929が一体どんな認識なのか気になるな。 自衛隊に限らず官公庁や一般企業の組織や人事に対しても。
らくだ君だって軍曹になれたんだから大丈夫
下士官て軍の屋台骨やん。 新任少尉の現場補助なんか隊付きのベテランさんがやるわけやし、余程優秀でもなければ曹長で終わりと聞いたで。 まあ名目上、部署とかによっては若くても下士官とかならいくらでもあるんちゃいまっか〜。
フツーの下士官は良くて准尉さんで終わり、ひょっとすれば特務中尉とかになるかも?ぐらいでそ 将校とそれ以外は(一応のタテマエ上は)人種が違うんだから
俺の伯父さんは、二等兵から少尉にまでなったって自慢してた 嘘か本当かは知らん。ちな陸軍
二等兵からの叩き上げで有名なのは、拉孟守備隊長だった金光恵次郎少佐(戦死後大佐)だな。 大正5年に20歳で徴兵入隊、満期後も軍に残って大正15年30歳曹長で少尉候補者になって、 2年後の昭和3年に少尉任官、昭和16年に46歳で少佐に昇進、昭和19年に拉孟守備隊長として戦死、 死後特進で大佐。
拉孟守備隊の話は泣けるな
二千人少々の戦力で五万近い敵軍相手によくまあ三月以上も戦いぬいたもんだ
>>930 あの映画ではキャスティング上
オッサン俳優が軍曹やってただけ
おまんこ
叩き上げといったらのらくろだろうが
誰もらくだ君にのってこなくて寂しい
948 :
名無し三等兵 :2013/06/24(月) 00:58:19.25 ID:k0++aTTV
お前らほのぼの話はどうしたんだ
>>938 特務士官なんぞ制度は帝国陸軍には存在せん
951 :
名無し三等兵 :2013/06/27(木) 01:22:12.69 ID:FlRfBw7/
ボーノ!
ボーノ!
ほのぼの話は?
ホノボーノ!
>>415 いつも思うんだが、そのコピペおじいさんが大和じゃなく海防艦42号乗組だったら無視だったのかいなと
このコピペは長門のパターンもある しかし階級が分からんのに直立して敬礼するのはおかしいよな 「爺さんは帝国海軍の少将でした」とかなら分かるが
階級の話じゃねえだろw
>>956 メンコの数じゃね
弟が防大出て3尉任官したとき祖父が敬礼で迎えたのを思い出した
なお祖父はポツダム軍曹
ちなみに俺は一任期の予備自w
震災のときは危うく弟の指揮下に入るところだった
仕事中じゃない自衛官は反射的に敬礼できる物なのか?
と言うか
>>959 も十分このスレの対象だな
祖父や父親、兄が上官という話はよくあるけど、 弟の指揮下に入る気持ちってどんなだろう
>>955 >>956 示し合わせたかのように全員一斉に敬礼なんて不自然だよな
先達に敬意は抱いてるにしても
その反応はオーバー過ぎるw
一般の人から見ると一斉に揃って敬礼すると見えるのが、答礼を見慣れた人間が見るのとは違うだろうしな 酔った勢いとか祝宴のノリとかあるだろうけどさ、 野球部の連中なんかが監督が来ると誰かが立ちあがって挨拶するじゃん。 そしたら何故か野球部の連中は背中向けて掃除中でも何故か気づいて続いて挨拶するようなもんでさ、 集団行動とか身に付いた連中なら条件反射的に動いてしまったのかもしれんよ。
暇だ・・・暇すぎる・・・男たちはダレきっていた。 山の向こうには世界最高の歓楽街の一つがあると言うのに、ここには何もない。 ネヴァダ砂漠南部のグルームレイク。そう、ここはエリア51 別に仕事が無いわけじゃない。時は1968年、ベトナム戦争真っ最中。 本来ならガッチリと実験のスケジュールが入ってるのだが、その「実験」のスジが悪すぎた。 イスラエルに亡命したMig21の実機を持ちこみ、その空戦性能を探らんと言う重要実験。 ついでに中東各地からちょろまかしてきたソ連製のレーダーをずらりと並べて各種データを取ろう・・・ それがソ連にばれちゃった。 当然激怒したソ連側は、最短45分と言う間隔で偵察衛星を通過させ厳重な監視体制を敷いたのだ。 これではのこのこ機材を外に引き出して実験をする時間などありゃしない。 ほとぼりが冷めるまで男たちは砂漠の真ん中で缶詰と言う事に相成ったのである。
思いつく限りの暇つぶしはもうやった。 クイズにギャンブル、果ては車のハンドルを握ると電気ショックが流れるいたずら・・・ せめて山向こうのラスベガスで放送してるTVが見たい、と 電子工学の専門家集団の知識と腕を総動員して宿舎の屋根にアンテナを設置したが 受信できたのは・・・何故かスペインの国際放送だけ。 いいかげん闘牛にも飽き飽きした頃、誰かが思いついた。 「どうせならロシア人に暇つぶしの相手になってもらおうぜ」 そうと決まれば話は早い、偵察衛星が通過したのを見計らって外に飛び出すと 地面に「現実にはありえない奇妙な形の飛行機」のシルエットを描く。 さらにご丁寧なことにヘアドライヤーなどを使ってその輪郭や エンジンなどの熱源があるっぽい所を暖め、衛星の赤外線カメラに捉えさせるという念の入れ様。 ・・・もっともこの「暇つぶし」にソ連側がどういう感想を持ったのかは定かではない。 ちなみにこの同時進行していた実験二つからは ・トップガンの創設 ・レーダー反射波のパターンから航空機の種類を識別する基本概念 ・そこからステルス技術への応用 という結構重要な成果が生み出されてたりする。
わろた
外では敬礼するなと言われているけど式典やら行事だと
誰かに合わせて自然と動いてしまうと聞いている
>>955 コピペに似た話だけど海自の旦那さんと嫁さんの結婚式で
花嫁さんのおじい様が歴戦の船乗りだった、という話だけ事前に伝わっていて
おじい様の挨拶が終わった時に出席した海自の人全員が
「偉大な先輩に敬礼」と号令のもと敬礼、あとになって第二艦隊の生き残りだったと聞いて
驚かれたという話を知ってる
観閲式とかの練習(行進とか)の最中だと、休みの日に幼稚園の運動会の横を通ると 音楽にあわせていつの間にか分隊整列して歩調合わせて歩いてしまったとかもあるな
あんぱんまんマーチで歩調を取るの?
抜刀隊が流れる幼稚園かもしれんぞ
幼稚園で軍歌って… 軍艦マーチや錨を上げてくらいがせいぜいじゃね
またガセネタか
パチンコ屋の前を通るときは歩調合わせちゃうんですねわかります
有名なコピペかもしれんが 室内において誰かが 「上官」と叫べば、室内全員は 起立、敬礼は習慣付いているが... いわゆる「大和です...」が 上官の号令と同じ意味だと思われ
んなわけあるかい
>幼稚園で軍歌 幼稚園のおゆうぎ曲のいくつかは、 軍事教練の体操用曲からの転用、 ってのがある 「ぶんぶんぶん、蜂が飛ぶ」 「まぁるいみどりのやまのてせん」 これらの元歌は軍歌だったはず
>>969 冗談みたいな話なんだか、歩調揃えてしまう時はあるそうだ
その人が言うには、何人かで歩いていて先頭の人が音楽とマッチしするのが目に入ると、
無意識のうちに歩幅歩調と腕の振りが揃ってしまうのだとか
>>971 思想洗脳と直結なので、幼児曲に軍歌・軍曲はけっこう多い
体操用音楽、行進用音楽だけでなく、
童謡は故郷愛育成用・愛国心涵養のために用いられた
「むすんでひらいて」の軍事ver歌詞とかが分かりやすい
日本の「修学旅行」は戦前、 「日本のイイトコロや先祖の偉大さ、日本の長く続く歴史を、じかに見て」 故郷愛育成用・愛国心涵養のために、大々的に行われるようになった 「童謡」が幼児教育で使われたのと同様
Yankee doodleとかThe battle hymn of the republicとか Die Wacht am RheinとかRule, Britannia!(コンマを忘れてはいけない(ヤンキー除く))は けっこうメジャーな気がする。 戦友って軍歌扱いでよかったっけ?
しっかりせよと抱き起こし 仮包帯も弾の中 これで腐女子は抜けるらしい
哨戒艇102号にて 士官室で昼食後、駄弁をろうしていたところ、士官室から艇長室へ通じる 伝声菅が開いていて、一部始終が艇長の耳に入ってしまった。 まもなく士官室に降りてきた水谷艇長の大喝があった。 しかし、三日前に対空戦闘で38名の戦死傷者が直後であり、心痛されて いた水谷艇長は不謹慎な駄弁に我慢できなかったのであろう。 部下思いの水谷艇長が、ただ一度落としたカミナリであった。 元海軍大尉 吉見友嘉氏の回顧録
南方軍総司令部の参謀長がマレー、インドシナ地域を飛行機で視察するため、 閣下ご一行を運ぶ役目となっていた清水陸軍大尉。 スマトラ島のメダンで市街地の酒保に行き、内地の香りのする料理を 食べていたときの事。 同伴の上等兵が、給仕のインドシナ娘に、日本語は通じないと思って 「おい」、「おい」と呼んでいたら、娘から手厳しく、 「女性においおいって、兵隊さん、失礼でしょ」と現地訛りの日本語で たしなめられた。 これには、上等兵も清水陸軍大尉も「まいった、まいった」と頭をかいた。
そろそろ次スレを…
スマトラにインドシナ娘がいたのが驚き どうやって来たんだろう
慰安用に徴用された
>>986 このレス見て、どこかの自称元慰安婦が
「日本の警官にジープに押し込まれてインドの慰安所に送られた」
って話を思い出した
インドシナ娘は言葉のアヤだろ 許してやれよw
土人と呼びゃあまたぞろケチつけるんだろ?
まあるいみどりの山手線、は元々が独立戦争か何かの軍歌だべ ジョン・ブラウンは戦死して埋められたけど彼の魂は行進し続ける、だっけか
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名無し三等兵 :2013/07/10(水) 10:24:17.37 ID:fgX8jyYL
台風接近で空模様が荒れていたが、機長である私の権限で、八丈島へ 飛び立った。 ところが、八丈島の飛行場は新設で、滑走路の末端が海岸の断崖となっている。 崖へすいこまれる下降気流にあって機体は、急激に高度が下がり、 両脚が折れて滑走路に胴体着陸となってしまった。 空輸の人員二十五名と荷物は無事だった。だがそれよりも左翼大破という 大事故で、大切な機材をうしなったことを申し訳なく思った。 その一方で、機体は八丈島の陸戦隊が穴を掘ってそのままうめこみ、 ソファつきの防空壕ができた、とよろこんでいた。 元第1023航空隊・海軍飛行兵曹長 近藤義宣氏
硫黄島でも一式陸攻の胴体部が避難壕にサイコーってかっぱらわれてたな