1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2012/02/15(水) 23:56:42.74 ID:Sc1h6tJ3
3 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 00:04:38.67 ID:???
4 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 00:32:07.37 ID:???
良スレ乙
5 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 00:45:31.54 ID:???
あ〜ガ島の九二式十加部隊史はどうなったのでせうか?
ご当人が貫徹夜勤モードなのでせうか?
それともキャバにでも入れ揚げてるのでせうか?
6 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 00:56:36.99 ID:???
定期的に来てくれるんだし催促してやるなw
加農と言えば大威力十加って格好良いよな
7 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 01:00:32.32 ID:???
結局バターン、コレヒドールではどれ位の火砲を鹵獲出来たのかしら?
そしてコレヒドールとシンガポールと香港の重砲の行方は?
8 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 01:01:51.32 ID:???
前スレ埋まった
9 :
43:2012/02/16(木) 01:21:38.76 ID:???
>>5 予想外にスレが進んで間に合わなかったよごめん(´・ω・`)
あと前スレの944へ
元野重七でノモンハン戦時に技本だった人が出張でノモンハンに行って火砲故障問題の調査をやってるが、
十加のほか十五榴も脚が折損してたらしいから、強度が十分とはみなされなかったんじゃないかなあ。
十加のwikiには「改善した」とか書いてあるけどどう改善したんだろう?
10 :
43:2012/02/16(木) 01:37:39.21 ID:???
今回はガダルカナル戦の最後までです。
砲撃するのは最初の3行までなのでご了承ください。
10月24日の総攻撃失敗以降、緊張の糸が切れたのかマラリア発病患者が多発、11月1日には初めて3名の病死者がでた。
11月2日、射距離短縮のためか、十加1門を沖川上流まで進出させよという命令により、1個分隊が夜間に約4キロ前進し陣地を占領した。
翌3日には飛行場へ向け射撃を行ったが、続く4日になると陣前に敵兵が出現、奇襲により撃退したが兵士3名を失い、危険と判断し牽引車に火砲を直結してコカンボナの陣地まで引き上げた。
このころにはほぼ全員がマラリアに感染、補給の見込みも全く立たないため節約に節約を重ねていたが、責任を感じたのか11月12日に段列長が拳銃で自殺した(聯隊歴史には戦死と記載)。
11月後半には度重なる故障の上に弾薬も底を突き火砲がほぼ使用不能となり、疎開のため第2小隊は段列のそばに移動した。
食料は11月20日から1日1食にその辺の植物で補うという状態で、12月に入り初めて計4回の補給があったが、それぞれ現在の人員に対し1日1食で3日分というありさまで、
毎日2人から3人の病死者・餓死者が継続的に出続けていた。12月25日には(第二?)小隊長が死亡した。
上陸後2か月半の12月末の時点で、中隊の人員は半分(約75人)まで減少していた。これは「とにかく生きている」人数であり、元気なものは数えるほどだった。
中隊は各自が自身を維持するのに精一杯な状態である。
正月の食料補給はあったものの依然不十分、医薬品や弾薬に至っては補給は絶無であり死者は減らず、1月9日の時点で人員は52名だった。
11 :
43:2012/02/16(木) 01:40:18.34 ID:???
1月19日、火砲や車両を処分して30キロ余り離れたエスペランスまで移動せよという命令が下った。自動車を使用してはならず、かつ音を立てるなという命令が遅れて来たため、
火砲と牽引車は分解のうえ海中に投棄したが、トラックについては2両を残し、残存人員37名のうち荷台に自力で上がれるものを乗せて出発した。
しかし数キロ進み、タサファロングを過ぎたところで道が通行不能となったためやむを得ず車両を放棄、保存米を分配してエスペランスへ向けて徒歩で移動した。
その様子を戦中の記録である聯隊歴史は「自決するあり或は力尽きて斃るる者等惨状言後に絶するものあり」と述べている。エスペランス到着時の残存人員は29名である。
ここからさらに10キロ先のカミンボが乗船地ということでさらに移動を続けたが、道中で(第一?)小隊長が艦砲射撃により戦死した。
2月4日夜、カミンボにたどり着いた生存者10名は駆逐艦に乗船、翌5日にブーゲンビル島のエレベンタに到着した。
その後は消毒と休養を経て3月19日にラバウルへの移駐命令を受領、26日にブーゲンビル島を出発し、28日ラバウルに到着、1942年12月末にラバウルに到着していた聯隊主力と合流した。
合流時の人員はラバウルの残置者を含めて16名、このほか2名が入院していた。入院者を含めても出征時のわずか11%の人数である。
なお、1943年1月には第二中隊への補充隊が編成されたものの、ガダルカナル島へは到達できず、4月25日にラバウルへ到着、聯隊に合流している。
…もはや何も言うまい。
12 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 08:16:52.85 ID:???
>>9-11 乙っ!!
あの危機的状況下で1門とは言え4粁も前進するとは……
そして部隊は文字通りの意味合いでの全滅(´・ω・`)
13 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 08:27:23.82 ID:HX7oktAM
第2次バターン半島攻略戦ってそんなに大日本帝国陸軍の砲兵が活躍した火力戦だったの?
14 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 15:07:44.51 ID:???
新スレ
15 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 15:08:44.41 ID:???
今日の朝のスッキリ!!ってTV番組で横須賀の旧海軍の岩盤くりぬいた砲台跡を自宅にした人を
取材していた。(砲台跡と知らずに土地を購入したそうな)
16 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 15:58:02.40 ID:???
砲台跡ってw
そんな事もあるんだね
17 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 17:05:16.90 ID:ShN3RTVG
東京湾要塞の一部、館山の洲崎砲台の跡は別荘地になっていて砲床の跡そのまんまみたいな敷地上に
普通に民家が建てられますよ。確かに見晴らしはいいけど丘陵のてっぺんなんで住んだら買い物通勤
など坂がキツイので徒歩では登り降りが大変な感じですね。
18 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 19:20:17.96 ID:???
>>9 ガ島戦記乙、催促してごめんよ
脚の内部に補強用のL字アングルでも入れたんでは?
以前にも入ってたとすると、サイズを上げたとか
19 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 19:35:00.89 ID:???
ガ島の戦記読むと、榴弾砲のほうは射程がみじかいもんで、
砲撃するや否やたちまち米軍の報復砲撃で瞬く間に数門がうしなわられた
とか書いてあるね
20 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 20:39:11.79 ID:???
二十糎砲
21 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 20:42:17.21 ID:???
コレヒドール要塞凄いな
22 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 20:59:54.86 ID:???
57mmって色んな砲架に載せまくりなんだな
九〇式野砲に九五式野砲に山砲にって
23 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 22:05:57.59 ID:???
四式徹甲弾って実際何発位作ったのかなぁ?
佐山さんの本を読むと1000発単位では作ってるけど
24 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 22:44:00.10 ID:???
九六式二十四糎榴弾砲
25 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 23:37:58.95 ID:R5i35ODE
26 :
名無し三等兵:2012/02/16(木) 23:49:24.83 ID:???
たぶん九七式自動砲かホ1、ホ3の20mm砲弾(”20x125”でググれ)
危ないからすぐに警察に連絡することを強くオススメします
27 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:02:07.03 ID:PozisAm9
>>26さん
ありがとう(^^)
ぐぐってみます
なお、中はがらんどうなので爆発とかしないと・・・しないよね?(笑
28 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:13:22.70 ID:???
>>27 中が空って薬莢の方?
この弾薬は発射薬だけじゃなくて弾丸にも炸薬が入ってるよ
29 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:13:31.43 ID:AoMZK61g
薬きょうががらんどうでも弾頭が生きているとお前が死ぬ
30 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:15:23.32 ID:PozisAm9
それはどういうことでしょうか?
ま、まさか 弾頭に何か・・・うっ
ってマジに危険ですか?
31 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:17:19.36 ID:AoMZK61g
二十ミリが人に当たって爆発すると人の形でなくなる
32 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:18:59.31 ID:???
>>30 マジに危険。
うちの祖父も戦後すぐの頃、好奇心から浜辺に打ち揚げられていた
対人地雷か何かを拾って自宅で触っていた時に突然暴発して左手
の指2本を「持って行かれている」。
33 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:19:52.45 ID:AoMZK61g
まあ徹甲弾かもしれんが写真ではちょっとわからんな
34 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:20:12.49 ID:???
>>29 リンク先の写真の点線の部分より後ろが薬莢で発射薬が入っている
それより前が弾丸でこれが飛んでいく部分で命中するとここに入っている炸薬が爆発する
古い炸薬は自然分解したり弾殻の金属と反応して不安定な物質に変化してることがあるから危険
触んないほうがいいよ
35 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:20:32.46 ID:PozisAm9
おしりの部分を外して 中を覗き込みましたが、
どうも先端くらいまで何もないようです
弾が違うのかな
ためしに頭を打ち付けてみようかと思いましたが、
爆死はいやなのでやめておきます ちょっとぞっとしました
みなさんありがとう(^^)
36 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:21:14.43 ID:AoMZK61g
37 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:22:17.18 ID:???
>>30 20mmの弾丸が暴発したら、君の身体の大半は床におっことした
スイカみたいに粉々になるだろうね。
米軍がイラクでの戦闘で対物ライフルを遮蔽物の影に隠れた狙撃兵
相手に使用している映像を見たことがあるけれど、壁越しに撃たれた
方は壁に赤黒いシミを残してひき肉になっていたよ。
38 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:24:34.01 ID:???
歴史群像アーカイブで南方作戦が出たけど
ビルマ侵攻は良く野戦重砲兵も追従したなあ
マレーの時よりはかなり上手く付いていったように思える
39 :
26:2012/02/17(金) 00:25:31.44 ID:???
装薬入って無くても榴弾だったら弾が爆発する
人間なんて真っ二つにできるぐらいの威力がある
徹甲でも曳光剤という危険な発火する薬剤がたっぷり入ってる
こいつは飛行機の燃料タンクを発火させるぐらいの力があるので
家とか服とか燃えたりするかもしれんし、指の数本ぐらいは千切る可能性もある
小さいけど「砲弾」なんだよ(旧軍でも厳密に安全管理してた危険物)
だからまず警察に電話するんだ。今なら罪に問われることは無い。
もしも爆発させちゃったりしたらそういうわけにもいかないんだ
自分と周囲の人の安全を考えて行動しよう
40 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:25:42.42 ID:???
古い炸薬って戦中だとピクリン酸とかアマトールとか使ってたんかな?
ピクリン酸とか入っている劣化弾薬なんて触りたくないな〜。
41 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:26:31.99 ID:PozisAm9
>>37さんへ
落とさないようにします(ガクプル
とりあえずなんか貫通させる目的で作られたもののように見えます
分解できる(外れる)のはおしりのところだけ
中は先端より2cmくらい手前まで空洞です(炸薬ってのは入ってないっぽい
これが貫通弾ですか?
42 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:27:49.21 ID:???
そのまま黙って保管なんてしていたら、いつ事故るか分からんし
何より警察に捕まるよね。
43 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:28:40.54 ID:PozisAm9
>>26さんへ
ありがとうm(_)m
とりあえずいじくるのはやめてそっとしておきます
明日にでも警察に届けてみます
44 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:29:22.89 ID:???
有炸徹甲弾なら普通弾底だし
お尻の部分は薬莢だから素人には見えない奥に炸薬が詰まっているかと思うので
それ以上弄らん方が良いだろう
45 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:29:26.32 ID:AoMZK61g
曳光弾かもしれんな
46 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:29:52.64 ID:???
>>41 だから、分解なんてすんなって。
今なら何も問題はないのだから直ぐに警察に連絡しとけ。
落とすとか無関係で何かの拍子に暴発するほど古い砲弾
なんかは危険な代物なんだよ。
徹甲弾だろうと何だろうとそいつは「兵器」の一部なんだから
興味本位で扱うな、死ぬぞ。
47 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:30:44.81 ID:PozisAm9
orz いじくらんようにします
皆さんありがとう
間違ってたら爆死ししてたんかな私は・・・
それにしても皆さんお詳しいですね 助かりました m(_)m
48 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:32:43.07 ID:???
むしろ通常弾底=弾底に曳光材室が無いってことは、該当するのはホ-1の通常榴弾なんじゃ・・・
49 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:33:21.93 ID:AoMZK61g
あ、おいらも質問していい?
旧軍の平射砲ってどの部隊があつかうものなの?
歩兵部隊?砲兵隊?
50 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:34:29.33 ID:???
51 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:36:52.82 ID:???
>>48 榴弾だったら
>>47は尚の事触らないほうがいいな。
暴発したら多分1〜2部屋分くらいは殺傷半径に入るから、他人を巻き込む
確率が高い。
20mm弾の高速飛翔破片なんて浴びたくないぞ。
52 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:37:04.80 ID:???
>>40 流石にWWIIの時期の日本陸軍はピクリン酸なんか使ってなかったと思うが、ヨーロッパのどっかの古い弾薬庫でWWII世代の40mm砲弾が爆発する事故があったと思うからやっぱ危険だな
53 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:38:38.62 ID:???
>>49 連隊砲として回された山砲なら歩兵だけど
WW1以降は通常火砲なら基本的に曲射平射両方出来る
片寄った奴ならむしろ曲射専用に近い火砲のが多いかも
>>50 日本軍はこの手のトラップ大好きだったね
54 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:39:20.09 ID:???
7.7〜7.9mm級でこの威力だから気を付けろ。
20mm級なんかこの数倍の炸薬が入っているからな。
> 136 名前:名無し三等兵 投稿日:2011/06/21(火) 05:06:13.85 ID:???
(中略)
> 陸軍ではマ一〇一(九九式特殊実包)の他にも、7.9mmで炸裂弾(制式名称は知らないが、海外では「Type 3」と呼ばれているそうだ)を採用している。
> 海軍でも似たような構造の炸裂弾を、.303、7.9mm、13.2mmで「焼夷弾薬包二型」として採用している。
> ちなみに近年の実験によると、これらの小口径炸裂弾には『石油缶を粉々にぶっ飛ばし』たり、薄い鋼板に径120mmの穴を空けたりする程度の威力はあるとのこと。
(以下略)
55 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:39:34.26 ID:PozisAm9
皆さん お騒がせしてすいませんでした
とりあえず倉庫へ隔離しました 弾がころげないように
助かりました 皆さん ありがとう(^^)
56 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:42:08.47 ID:???
20x125mm弾のデータが見つからなかったが、M61バルカンの20x102mm弾の焼夷榴弾は炸薬量が10gだそうな
Mk2手榴弾が56gぐらいだから手榴弾よりはだいぶ弱いが・・・
57 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:43:08.97 ID:???
>>52 第一次世界大戦のメシヌの戦いで、独逸軍陣地を破壊するために
坑道爆破作戦が実施された際に使われた爆薬の一部が不発のまま
残って1950年代に爆発事故起こしていたな。
6〜7年前にも大阪の中心部で、戦中に投下された1トン爆弾の不発弾
処理のために周辺住民が避難した事もあったから、投棄されたり
処分されずに残った砲弾とか爆弾とかほど恐ろしいものはないねぇ。
58 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:45:34.30 ID:???
まあ、実際は無炸だったって可能性はあるが
レスを読むだけではそこまでは判断付きかねるので触らずに警察に提出するのが無難
本当に榴弾だったりしたら目も当てられない
59 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:46:04.82 ID:???
>>56 炸薬量が少なくても破片が飛んできたら人間なんてひとたまりもないよ。
60 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:48:23.65 ID:???
こう考えると、榴弾って怖いよな。
対歩兵用装備とはいえ山砲にしろ野砲にしろ大口径の榴弾は
怖い。
61 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:48:35.39 ID:???
まあマジレスすると形状的に曳光徹甲弾だから大丈夫だと思われるが、
専門知識がない人に色々させるのもあれなのであえて断定はしない。
62 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:50:56.75 ID:PozisAm9
>>61さんへ
専門知識も爆発もよくわかってない私はこれ以上いじくらず
明日朝警察に相談してみることにします ありがとう(^^)
63 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:51:52.04 ID:AoMZK61g
64 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:53:50.76 ID:???
>>63 それは歩兵連隊隷下の歩兵砲中隊の装備だよ
65 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:56:21.49 ID:AoMZK61g
ありがとう。
66 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 00:56:51.99 ID:???
67 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 01:04:06.58 ID:???
>>62 「おしりの部分が外れる」というのが「莢底部がネジで外れるようになっている」という意味なら、実は単なる擬製弾だったりして・・・
68 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 01:07:07.16 ID:PozisAm9
69 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 01:19:29.02 ID:???
>>68 再度聞くが、
> おしりを外して中を覗くと、真鍮のような色合いです
の「おしりを外して〜」というのは、知恵袋の画像の弾の一番右端(太い部分)から1〜2cm位の所がねじ込み式になっていて外れるという意味か、
あるいは同画像の6.5cmと12.8cmの間の点線で区切った部分が引っ張ると外れるようになっているという意味か、どちらだろうか。
70 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 01:21:20.54 ID:???
まあ、写真のに似ているから大丈夫って判断するより警察に連絡して
安全が確認された上で所持許可を貰うほうがいいだろ。
ここで不適切な判断を回答する側が出して、もし事故が起きても
誰も責任取れんだろう。
71 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 01:21:36.35 ID:PozisAm9
>>69さんへ
前者の意味です
最高端から1cmくらいのところがねじ込みになっています
まわしてまわしていくと外れます
真ん中では外れそうにありませんでした
ぴったりとくっついていたと思います
72 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 01:26:24.31 ID:???
>>71 じゃあ擬製弾っぽいな。
それなら安全だと思うが、念のため専門の人に診て貰ったほうがいいだろうな。
73 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 01:29:53.80 ID:PozisAm9
>>72さんへ
模擬弾っぽいですか 安心しました(笑
爆発したらどうしようかと
確定はせず、仰るとおり見てもらおうと思います
(^^)ありがとう
74 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 05:03:22.46 ID:???
12.7mmのホ103のマ103でも、B-24かB-25だかの操縦席に着弾・炸裂して操縦者が重傷を負った事例を思い出した
米陸空軍が「(12,7mm装備の隼なのに)敵は20mmを撃ってきた」ってよく報告してるのもこのマ103のおかげ
>>73 色々聞かれるだろうけど、ガンバッテね
出来れば後日談もまたしれくれたら嬉しいなって
75 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 06:48:57.87 ID:???
七糎半
76 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 06:58:30.44 ID:???
砲弾に続き、じつはうちの納屋に旧軍の大砲があるんですが…
鑑定してくれませんか?とかきそうだな
77 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 07:14:50.13 ID:???
沖縄「土を掘ったら八九式15Kが、こっちは九六式15Hが出てきたぞ」
78 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 07:26:04.25 ID:???
微妙にスレ違いですが1930年代末〜1940年代初頭の米仏の砲兵トラクターってどんな感じなんでしょうか?
79 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 07:58:46.83 ID:???
フランスはやけに古臭い一次大戦の装輪式改良型とか、新型のロレーヌ装軌車など
GPF155mm牽くのに新型六輪があるね
ラブリー六輪トラックを対戦車砲、十榴の牽引に使っている
ソミュアなど各種ハーフトラックも兵員輸送だけでなく使ったんでは?
これらはグランドパワーのフランス軍別冊で写真が見れる
米軍はM3軽戦車の足回り利用した牽引車、
たしかM3中戦車が旧式化して牽引車に改造したのもあったはず
米軍は詳しくないんで、誰か補完願います
80 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 08:18:29.96 ID:???
馬匹牽引が主力のドイツ師団砲兵がすこしでも機械化しようと
鹵獲ルノーR35やソ連のT70の砲塔とっぱらって砲兵トラクターにしたんだが
日本でもハ号の砲塔撤去して…と思ったが、機甲が譲ってくれないだろうな
81 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 08:23:37.77 ID:???
九八式四屯は実質ハ号の牽引車バージョンでない?
九八式装甲運搬車は九七式軽装甲車の牽引、輸送専任型だし
82 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 08:29:45.96 ID:???
砲戦車部隊に旧砲塔チハや、下手すると八九式入れてたり
戦車連隊なのに車載機関銃もった歩兵だけの部隊が混じったりする中で
最初から運搬車として作られた以外の車両を運搬用には出来ないだろうな
発想は
>>81のいうとおり幾つか実現されてたとしてもね
83 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 08:55:55.46 ID:???
九八式六屯牽引車も確か一部共用してたな
そういや九八式四屯牽引車でも九一式十糎榴弾砲を牽引出来るし
九八式六屯牽引車はなんだろうと思ってたが
将来的に十五榴と十加が機動化された時を想定してたのかな?
84 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 12:45:14.33 ID:???
九五式十三屯牽引車と九八式四屯牽引車と九八式六屯牽引車と九八式装甲運搬車って
それぞれ何輌生産したのかな?
85 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 14:53:33.35 ID:???
86 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 16:09:54.58 ID:???
87 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 17:04:13.81 ID:P3dHBgTR
日本軍も野砲や速射砲なら正規の牽引車ではなく
よく自動貨車でも牽いてたんだよね?
88 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 18:05:12.99 ID:???
ラ式や一式はトラックで牽いてる写真があるね
1t越えの野砲だと良道以外はトラックでは苦しいと思う
はるかに重い八八式七高は九四式六輪が指定されてるわけだが
これは陸軍最良の高価な車両であり、フォードとシボレーならともかく
日産、豊田製は牽引用として耐久性や出力重量比で適さないだろう
89 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 19:43:21.81 ID:???
シケは履帯以外のハ号との共通部品はどこなの?
佐山さんの「機甲入門」なんかにでてるのか?
本持ってないんで
90 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 19:52:38.98 ID:???
あまり関係ないかもだが、WW1の時代の内燃機関として参考になりそうな
動画があった。
ニコニコ動画だけれどこの動画作っている人が色々な内燃機関の動作動画
を投稿している。
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm14390840 【発動機】大型焼玉エンジンを回してみたよ
スペック
製造メーカー:Fairbanks Morse
機種名:Z
出力:20馬力
機関分類:焼玉機関
91 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 20:18:05.18 ID:???
73が気になるが、ニュースで出てないから無事なんだろう
92 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 20:25:49.42 ID:???
シケの発動機は出力は違うけど九五式軽戦車のと親戚じゃなかった?
93 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 20:30:57.23 ID:???
日本に5トンクラスの重トラックってなかったん?
94 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 20:33:08.72 ID:???
佐山さんの要塞砲読んでて気付いたけど四五式十五糎加農の大東亜戦争時の戦歴の一部が
八九式十五糎加農と取り違えられてないか?
香港、シンガポールに投入されたのと独立重砲兵第66大隊の装備砲は八九式十五加だよね?
後、南支方面の従源作戦に四五式十五加投入って書いてるけど
十五糎加農クラスの火砲も参加してたのかな?
よく考えたら七年式十五糎加農、四五式十五糎加農、九〇式十五糎加農の
大東亜戦争期の活動って殆ど知らないなぁ
南支の従源作戦とか名前しか知らないし
95 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 20:43:22.35 ID:???
>>86 やっぱり野戦重砲兵向けかぁ
機動十五榴や機動十加でもあればもっと……
96 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 21:02:35.87 ID:???
>>93 二式自動貨車というのがあり
自重5.5t、総重量12.9tと日本の軍用トラックではもっとも重い
97 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 21:06:26.67 ID:???
>>78 コーエーの図鑑系では異色のマニアックさを誇る『軍用車両名鑑』に、
特にフランスの装輪やハーフトラックの牽引車が何台か載ってるね。
>>93 その本によれば3トン積みの一式六輪自動貨車が一番大きいそう。
あと20トン積みのTH10六輪ダンプが海軍で使われたらしい。
98 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 21:07:47.75 ID:PozisAm9
73です
昨日遺品の弾を相談したものです
警察に相談しました
この弾が何かはわからないそうです
とりあえず持ってきてくださいとのことで
月曜日に持っていってきます
月曜日の夜にまた結果を書きます
99 :
名無し三等兵:2012/02/17(金) 21:09:20.84 ID:???
とか言ってたら
>>96で間違いが判明した(´・ω・`)
この本積載量書いてなかったりするからわかりにくい…
>>98 無事そうでよかったね
このスレも人助けになるんだなぁ
>>99 海軍のやつは砂利運搬用のダンプアップできるやつだね
三十年前のマニア聖典、日本陸軍兵器集に写真が載ってる
海軍は良いダンプ持ってたんだなぁ
二式自動貨車ってその大きさなら結構な重量まで牽引出来そうだね
従源作戦ってネットだとまるで資料無いんだな
名前しか出てこない
横浜製フォード、大阪製アメリカ車という本を半年まえに買ったんだが、
パラ見しただけでまともに読んでない…
軍用トラックに関してはNHK番組の書籍化「ドキュメント昭和 アメリカ車
上陸を阻止せよ」が面白いと思う
レア本だが出版共同社の「第二次大戦 世界の軍用車輌」も大昔に古本屋で買った
イタリア、フランス、英連邦の本邦ではあまり知られていないトラックが
満載なんだよ
>>79 >>85 >>97 ありがとうございます
グランドパワーはともかくコーエーは意外でしたw
リンク先のサイトは良いですね
外国の軍事系サイトはニッチまで色々ありますね
>>105 日本資本の参加も認めてたしどうせ工員は日本人
フォードの親父も戦争になれば接収すれば良いじゃなーいって行ってたんだし
国が監督しながら国内に工場作らせたら良かったのにね
ヘンリー・フォードは黒いね。親ナチだったし
自社の車を買わせるために、工員の給与を高く設定したとか
福利厚生を厚くして勤労意欲と生産性あげようとした点とか
結果的に労働者の待遇を改善した功労者であるわけだけど
戦車設計技師クリスティも調べるとなかなか面白いよ
スェーデンを介して接触してきたドイツの戦車設計の助言をしてほしいという
申し出を断ったとか
>>103 中国軍のヘンシェル33は十五榴も牽引していたし
イタリアのランチア3ROは中戦車をトレーラーに載せて牽引できた
あれば間違いなく便利なんだけど作る余裕があったのかと言われると
ヘンシェル重トラックは格好いいね、無骨さが
もともと鉄道メーカーだからね
グランパで日本軍がラ式十五榴ともども鹵獲して牽引してる写真は半端ない
ヘンシェル社はのちにティーガーまで開発してしまったり
FIAT SPAの六輪重トラック、なんとか43もイタリアンデザイン炸裂で
アルファロメオのジウジアーロを彷彿させる感じ
90mm高射砲を載せて自走砲化したりしてる
イタリアは砂漠向けに大型の四輪車作ってるが軽砲なら確か牽引出来たよね
装甲車AB41と共通部品が多い牽引砲兵トラックを多数配備してるところは
侮れない
旧式砲でもゴムタイヤに換装して、車輌牽引型に改修してるし
師団砲兵の機械化率は砂漠以外はドイツ軍平均より上でないの?
>>108 フォードは人種差別主義者っぽいのに日本人には妙に甘いしなw
対するクリスティーは対照的にドイツや日本が嫌いみたいw
日本と仲良いポーランドには売ってるけど
フォードは反共主義者のはずなんだが、ソ連の自動車産業立ち上げにかかわってるように
商売と主義は別物の人だから
というか基本的にイタリア軍の砲兵トラクターは装輪式
ドイツは半装軌式、日本は装軌式が中心で枢軸国が見事にバラバラだったり
118 :
113:2012/02/17(金) 22:26:12.94 ID:???
あ、思い出したサハリアーナだった
あれはべーラー砲や75mm野砲を車載までしてるよ
ブレダ20mm高射機関砲も
ごめん、野砲搭載は砲兵トラクターのほうだ
べーラー47mmとブレダ20mmね
>>115 日本の芸者接待が効果あったんでは?
ドイツメイドにやられっぱなしってわけでなく
ジャパニイズ、9/1?
フォードが経営手腕は立派でも、ハニートラップにはあえなく陥落とか
昔の親日家のきっかけを探ってみると、案外そんなところなのかもしれない
帰化したドナルド・キーン氏も?
>>121 そういうのはやらなかったんじゃない。なにせ、フォードの合弁工場つくるよ
クランクシャフトの作り方から指導するよという条件を、陸軍が国産自動車の保護を理由に
蹴っ飛ばした。
戦中日本の自動車製造はデフの傘型歯車の切削技術がネックだったとか、
よく読むよね
武器学校で教育受けたある元自はM41軽戦車乗せられた時に教官から「こいつのV8エンジンのトルクに耐えられる強度のギアボックスを削り出しする技術が日本にはなかった」と教えられたそうだ
61の時もギアの欠損とか起こしてるしなぁ・・・
火砲がらみで古本屋をよく覗くんだけど、
戦中発行の「戦車工学」が8kって高いのか?
読んだら、数式ばかりで文系のおれにはきつい部分はある…
>>124 せっかくフォードがそこまで言ったのに勿体無いよな
ドイツとか米自動車会社の工場をさくっと接収してるのに
しかもフォードは最初から接収すりゃええやんって言ってるのに
やっぱり要塞砲の四五式十五糎加農の戦歴は八九式十五糎加農と一部被ってるように見える
そういや結構な数が鹵獲されて日本陸軍が滅茶苦茶気に入ったっぽい25ポンド砲用の弾って日本は作ってたのかな?
2ポンド砲弾は大阪砲兵工廠と言うか枚方で鹵獲砲向けに作っていたようだが
せっかくだから前スレで書いた呼称一覧をまとめて書き直しておきます。
佐山さんの本とアジ歴の史料から見つけたもの。
外国・外国会社に関する呼称(表記ゆれを含む)
・イギリス
アームストロング社:安式
ヴィッカース社:毘式、ビッカース
マキシム社:馬式
・フランス
カネー社:加式
サンシャモン社:参式
シュナイダー社:斯式、斯社、シナイダなど
シュナイダー・カネー社:斯加式
ダルマンシェー社:達式
ブラント社:ブ式
ホッチキス社:保式
・ドイツ
クルップ社:克式
ラインメタル社:ラ式、FE、エアーハルト
ドイツ製:独乙製など
・その他
ボフォース社(スウェーデン):ボ式、ボホース、ボツホース、ホツホース、ボツホーズなど
マドセン社(デンマーク):マドゼン
・備考
各社の社名表記の「ッ」は大文字に、「ツ」は小文字に表記ゆれする場合や、上にあげた以外にも濁点や半濁点が付いたり取れたりする場合がありえる。
ドイツ系は戦間期に他国の会社で兵器を作ったりしていたため、会社名がごっちゃになることがある。 例えばラ式十五糎榴弾砲は、ラ式十五糎短加農とかボ式十五糎長榴と呼称されていた時期もあった。
ボフォース社は同一史料の中でも表記ゆれしてたりする厄介な社名w
カタカナ単位の漢字表記
センチ:糎、珊
ミリ:粍、密
インチ:吋
重量ポンド;听、封度
兵 40 火砲証明書及操砲法送達の件申請
C08010731900
海南島の海軍警備府が作成した火砲説明書と操砲法をまとめたもの。
旧式砲が多いほか、イギリスの沈没船から引き上げて野戦式に改造した六糎砲とか、
あまりに旧式すぎて放置され、操砲法は一応作ったけど使ったことないからよくわからない十八听砲とか、
割とすごいものも混じっている。
>>133 こういうの見ると、海軍じゃ大砲なんてみんな同じなんだなと思わされる…
技術屋の集団だから、使えて砲弾があれば何でも可なんだな
のらくろのアニメ観てたら四年式十五糎榴弾砲っぽい火砲が出てきてたけど、
ちゃんと弾丸を装填して分離式の装薬も積めてて目からウロコ
この作品ってデフォルメされてるんだけどリアルだから良いわ
のらくろは軍事描写ガチだろw
豆タンク萌え〜
>>138 原作漫画はともかく、アニメでそうした表現があるのは凄いよ
今ならともかく、のらくろのアニメが作られた頃は資料なんか無かっただろうし
そもそもお茶の間に軍事表現露骨に出すのが英断
歩兵聯隊が野戦高射砲を装備・運用してたり、30年代を再現してていいよねのらくろ
香港とコレヒドールって英軍も米軍も激しく反撃の砲撃してるのに
少なくとも第1砲兵団隷下の火砲は1門も損害無かったみたいだが
なんでそんな事になったんだ?
幾ら自陣地外の観測手段が絶たれても防御側しかも要塞砲兵なんだから
盲射でも大体の位置が分かればその周辺に砲撃出来るだろうし
自身の射程内についてはある程度精度をもって砲弾落とせそうなのに
大砲撃戦で一方的に撃ち負けるなんて……
射程は足りてるみたいなのに
>>142 位置が殆ど確実にわかってる要塞側の火砲すら数日は無事だったんだから
あてずっぽうで打ち返したって中々上手くいかんのよ
つかWW1で山のような砲弾と毒ガス使ったんだって敵砲兵陣地の制圧の為でな
航空観測でもやんない限りあてずっぽうの盲目射じゃ・・・
>>143 分隊長だったかが短機関銃もっていた事もあったぞ
>>128 好きな戦車の話から数式に取り組むという方向性もある
語学はその言葉のネイティブな異性と付き合えば学習が進む的な方向性で
コレヒドールは重爆集中投入しているし
香港でも九八式軽爆か
149 :
名無し三等兵:2012/02/18(土) 17:16:44.71 ID:rPDN2wFa
戦車工学を読んだら、完全に大学の工学部の専門過程ぐらいの内容なんだよ
佐山さんは「陸軍火砲の基礎知識」で並みの読解力あれば誰でもわかる記述してくれてるけど
日本陸軍の八九式と九六式以外の十五加ってどれ位作られたんですか?
152 :
名無し三等兵:2012/02/18(土) 18:53:15.52 ID:P6R7Mh9Y
>>145 やっぱり対空火器って格好の射撃標的になったんだ
四五式改造固定式が78門(四五式、九○式の改修型)、昭和十七年十月末
の数字だが、前型改修ぶんを含むのか、新造砲のみなのかは不明
要塞用の七年式はおなじく9門製造と「要塞砲」にある
154 :
名無し三等兵:2012/02/18(土) 18:57:12.17 ID:aE2pLboy
>>150 ヘリや戦闘機が物凄いことになってるから戦車だってそうだろw
F35でようやく操作が楽な方向に改善されてるけど。
>>154 あれは開発技術者や技術評価する人間の指南書であって、当時の戦車兵の教材
ではないわけだよ
メカニズムに精緻してなくとも一般ユーザーがクルマを運転できるように
ただ、当時の故障しがちな自動車関連はメンテナンスフリー化がすすんだ現在よりずっと、使用者が構造や
修理法に慣れてなくてはならなかったけどね
四五式十五糎加農や九〇式十五糎加農やらって完全に砲床式なのに野戦に使うとか気合い入ってるなあ
でも九〇式十五加って実際の所どれ位使われたんだろうか?
157 :
名無し三等兵:2012/02/18(土) 19:34:10.20 ID:aE2pLboy
>>155 ドイツのFw190Aのモジュール化がいかに優れてたかだよなw
日本がこのレベルになるの1970年代。
四五式シリーズは砲身の性能なら、八九式より高い
射程も初速も。設計時の水準では、かなり優秀
ただ、完全に攻城加農だね。九○式と改造固定式で改良されているといっても、
野戦運用では設置に手間と時間がかかりすぎる
ラバウルまでもちこんでるそうだが
ただ九〇式、四五式共に富士の演習場で野戦運用の訓練して
実際野戦運用してるんだよね
よーやるわ
ところでシンガポール砲ことタラワの8吋砲は
実際は海軍が明治年間にイギリスに発注した奴なんだよね?
佐山さんの「要塞砲」にラ式十五糎加農の詳細が載っていたけど
オリジナル砲はやっぱりよくわからんのだな
砲身とか薬室回りとか火砲としての最重要部位はともかく他の部位は
国府の要塞設置に合わせてオリジナル砲からかなり変わってるのかねえ?
162 :
名無し三等兵:2012/02/18(土) 22:04:40.43 ID:rPDN2wFa
ラ式十五糎加農は下関行きか
>>160 シンガポール要塞で鹵獲したのを運びこんだという話が多いが、
いや、実際は内地から砲を運び込んだという説の両方読んだことがある
その記述のソースは?
>>161 「第三帝国の要塞」に似た砲塔がノルウェーに据えられているんだけど、
広田さんの「ドイツ列車砲、装甲列車写真集」には一次大戦の15cm、17cm
砲身在庫を転用して即席プログラムで列車砲を開発したとある、そのタイプ
の写真あり
ドイツ海軍に詳しい人なら原型をつきとめられると思う
>>164 ああ、そっちに載ってるのね
オスプレイ日本軍の防御陣地本のほうはもってるよ
>>159 九六式十五糎加農に凄い影響与えてそうだね
砲身性能はすばらしい、けど、運動性は?なんだね
他列強はもっと軽量で機動重視の装輪砲架の加農も開発してるわけだから
フランスのmle1932は同射程だからね
ドイツはどうせ運動性わるいなら、15cmK18から17cmに更新と
機動性を重視する帝国陸軍火砲の中じゃ異端だよな九六式15Kって
装輪じゃキツいからなんだろうけど
>>165 オスプレイのタラワによると英軍の専門家が実地で検分して
これは正規に日本から発注された物と断定したとか
ただ他のソースがないしどうなんかなあ?と
>>167 あれは名目上では21cm臼砲(と言う名の榴弾砲w)の更新だけど
そういやあの17cm例によって簡単に全周周回するそうで
三野さんが九六式とロングトムの比較を書いてたね
三野さん絶頂期の比較兵器本
三野算でググると、前スレがでてきてワロタ
171 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2012/02/19(日) 00:16:11.69 ID:LoL05LKq
>>64 歩兵砲は、歩兵連隊隷下でもあくまで砲兵じゃし歩兵と違うよ。
210 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/02/17(金) 01:04:15.90
長年の懸案に決着がついたので報告
青牛はほら吹き
49* 名前:名無し三等兵 [] 投稿日:2012/02/17(金) 00:33:21.93 ID:AoMZK61g
あ、おいらも質問していい?
旧軍の平射砲ってどの部隊があつかうものなの?
歩兵部隊?砲兵隊?
に対し、
234 :白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2012/02/18(土) 02:29:59.32
>>210 歩兵砲が、歩兵の役割か砲兵の役割かを無視して、編成上に還元
してもつまらんよ。戦記でも歩兵砲が砲隊と呼ばれとることを無視するか
読んでのうて机上の空論云うとるんか。
いま、わしが書いたんを軍板スレに載せんさいや。他者のフンドシで
借りるあんたぁ、間接的にいごくだけじゃつまらんし、わしが直接云うた
方がええわ。
軍板どのスレに質問したんか提示しんさい。
云うたんじゃが、あんた歩兵砲が歩兵じゃ云いきれるんのう?
編成上じゃのうて実際の戦場においてで。
>>169 21cm榴弾砲と砲架が共通なもんで、17cm加農の生産が優先されたんだよ
ソ連軍相手の対砲兵戦で射程が不足ぎみだったんで
17cmの生産で21cmが生産中止というのは言い過ぎ、で実際は終戦までほそぼそ
継続してる
>>168 確かに国軍は異常に火砲の運動性、機動性を尊んでるけど(戦間期にそういう世界的潮流もあったけど)
九六式15Kは七年式、四五式、九〇式のライン上にあるしあんなもんでないか?
攻城、守城砲、要塞砲でもあるし
どちらかと言うと野戦での運用性を高めた要塞砲と言うべきだから
普通かも知れん
>>172 いやそこら辺の流れは知ってるけど
一応名目的にも配置的にも前線での対砲兵戦向けだから
とりあえず21cmの代替色が強いでしょ
21cmも必要みたいで最後まで作ってたっぽいのも知ってる
175mm加農
176 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2012/02/19(日) 01:17:33.36 ID:LoL05LKq
>>171でまたここに書きよった
>>64と愉快な仲間達が連投しよったわい。
248 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/19(日) 00:20:54.36
とおもったら手遅れだったか
軍板の同志戦友兄弟たちよ
すまぬ
249 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/19(日) 00:23:08.79
>あんた歩兵砲が歩兵じゃ云いきれるんのう?
>編成上じゃのうて実際の戦場においてで。
おっ、またはじまったwww
250 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/19(日) 00:43:24.28
>>247 いつにもまして意味不明な文章だな。人と話すんなら
相手に分かるように分かりやすくかけよハゲ
251 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/19(日) 00:46:18.74
>云うたんじゃが、あんた歩兵砲が歩兵じゃ云いきれるんのう?
>編成上じゃのうて実際の戦場においてで。
せめて通じる日本語で書け
252 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/19(日) 00:50:18.56
件のヤクザは新兵で後方(本土)にいたんだから実際の戦場でどうだったかなど意味のない話だ
青牛の誤魔化しのネタにすぎない
253 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2012/02/19(日) 00:52:25.73
ま、あの書き方じゃ、あちらさんにスルーされても文句は言えんよなwww
ヘタクソヘタレだな
>>64 あんたも迷惑じゃろうが、罵倒誹謗中傷集団と込み合うとる以上、
背景も知らず答えられた以上、巻き込まれたですわい。
あとはあんたの回答次第で、わしがあんたへ意見する場合もあるけぇ、
コテ名か番号でも付けてつかわさらんか。
わしは
>>64だが他スレでこの話題は書いとらんよ
てか
>>64では歩兵砲中隊は歩兵連隊の隷下だと言う事実を述べただけで歩兵砲を使うのが歩兵か砲兵かということは知らんよ
>>167 そういや21cmと17cmは軍レベルの砲兵に大体居てたみたいだけど
ドイツ軍の15Kと10Kって何処に居たんだろ?
ドイツ軍って意外にも15Kはかなり少なくて10Kは結構居たんだよね
なんのこっちゃよくわからないけど歩兵砲なら
明確に歩兵の管轄で砲兵ではないよ
砲隊って言われてたのは砲を扱ってるだし砲を扱う部隊だねって話
九六式十五糎加農でも生産数精々30数門とかなんだよね
せめて50門以上は欲しいぞw
>>166 あの形式でなんとか野戦運用しようとしていた努力の経験は生きてるだろうな
虎頭要塞で装薬だけで砲撃して接近してきたソ連軍歩兵を焼き払ったってのが
四五式十五糎加農だよね
実際にやったのかはしらないけど
183 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2012/02/19(日) 02:26:26.96 ID:LoL05LKq
>>177 わりゃ、何言い訳しよんなら。おどれは
>>64氏じゃあるまあ。
こがん卑劣な行為して何になるんのう。
四五式15Kと九〇式15Kってどこに配備されてたの?
独立重砲兵大隊?
ニューギニアにまで八九式十五糎加農だか四五式十五糎加農だかを
送り込んだって言うのは本当なのかなぁ?
>>186 八九式のニューギニアとかされる写真なんだが、古本屋で邂逅した
毎日新聞の写真集で章のタイトルがソロモン・ニューギニアなんだね
砲後座ショットのキャプションは「ラバウルまでは重砲をなんとか送り込めたが、その先の
ニューギニアにはほとんど届けれなかった。乏しい砲弾を祈りながら撃った」
な内容
どうやら、ラバウル近郊で写したものらしい
188 :
名無し三等兵:2012/02/19(日) 11:54:49.66 ID:B/N42jbC
>>184 本当に装薬だけでブッ放していたら火炎放射機なんてレベルじゃないだろうねw
189 :
名無し三等兵:2012/02/19(日) 16:15:01.81 ID:/Drdmtd4
もし戦前に石油機関の耕運機が日本で普及してたら
大隊砲、連隊砲、山砲の牽引に重宝したでしょうかね
それを自在に使えるだけの燃料事情と、快適に動作する信頼性があれば重宝したと思うよ
牛馬が必要とする餌や水に比べれば燃料なんか重量的にも容積的にも高が知れてるし
そこで岡山県のトラクター事情というわけか
あのオッサンまだいたのか…
>>191 問題は当時の日本に大量製造する技術があったかどうか…
あの時代大量生産技術なんてアメリカの自動車メーカーしかもってないよ。
ドイツもソ連もイギリスもみんなフォードかGMの指導受けてる。日本は断ったんだから
あるはずもない。
大量生産といっても砲兵工廠でつくる大砲の数もアレなのできっと大丈夫
てか動力牽引で何をしたいのかって
軽量砲なんだから牽引労力は事実上問題にならないんだ
徒歩行軍なら馬の速度で間に合っちゃうし
膨大な各種装備・補給品も馬で動く以上一門あたり数頭で足りる馬の分が減っても
師団や連隊の馬関連補充労力は殆ど何も変わらないので補充労力軽減は無い
そして機械化部隊(トラック化)だったら耕運機の速度じゃ付いていけない
トラックあるならトラックで引っ張れば良いわけで耕運機転用じゃ何の意味も無い
馬じゃ引っ張れない重野砲以上に使える大馬力大重量牽引車なら別だが
軽砲の牽引はプラスアルファの何かが無いと導入する必然が無いんだよ
機関銃も載せて、運びませしょう
…ただその場合、またぞろ陸軍の
豆タン愛好会が砲塔付けて(ry
>>201 歩兵砲の運搬には馬が回ってこないだなんだで
段列やらが増殖する羽目になってるから歩兵砲や迫撃砲向けには意味はあるんじゃない?
>>193 正にそのまま終戦まで戦車駆逐車両として運用されて終わりだろよ
まして速射砲搭載した車両で速射砲や連隊砲を牽引とか二重の無駄だとか言われそうだし
機動九一式が牽引可能で尚且つ史実より量産に適した装甲牽引車輌があればね
やはりフォードの好意は受けるべきだった
>>201 日本の場合その馬が足りてないから問題なんだけどな
馬が足りていればドイツみたいにほぼ全馬匹軍隊でもどうにかなるんだけどね
>>206 自動貨車で牽けると思うけどなぁ
自動貨車の馬力が足りてれば
それだと結局フォードの好意はう(ry
九〇式15Kの支那事変での戦歴ってどんなのかわかる人居る?
二十一榴
>>207 馬が足りなくて耕運機があるなら
その耕運機製造メーカーにトラック作らせるだろうよ
機動九〇式野砲までなら牽ける自動貨車がそれなりにあればねぇ
火砲を牽引可能な自動貨車って当時の日本陸軍はどれ位あるんだろ?
164500って単体で見ると多いのになぁ……
「意外と」自動貨車の生産数多いよな皇軍って
最大150個師団ぐらいあったわけだから、師団平均1000台でしかないんだよ
消耗等を考えたらもっと少ないわけで・・・
師団辺り1000台以下だと途端にショボくかんじるなぁwwww
そういう計算だと国軍には最低でも史実の4倍は自動貨車が要るよね(´・ω・`)
日本軍は南方作戦で大量の自動車を捕獲したから、南方では自動車にあまり困らなかったろうなぁ
故障だらけでまともに動かず、兵士も日本製だと不満をいい、アメリカ製だと
喜んだという記録があるように、その数少ないトラックも数合わせであるだけだよ
帝国陸軍南方作戦のマレーの記事に大量に自動車鹵獲したとか書いてたね
フィリピンでも結構鹵獲してそうだな
やっぱりフォードの申し出断ったのはミスだろ
やっぱり枢軸で一般部隊まで一番自動車が行き渡っていたのはイタリア軍?
ドイツ軍は超集中主義で一般部隊は完全馬匹だし
師団あたり1000輌ってむしろそんなにあったんだと思った
とはいえ累計生産数とある時点での稼動数は全く異なるから実際はそれよりずっと少なかったんだろうが・・・
本当に師団あたり1000輌もあったら、野砲兵連隊・輜重兵連隊の全部+歩兵連隊の半数程度は自動車化できないだろうか
1000輌で歩兵まで回るかな?
確かよそだと師団辺り4000輌とかでしょ?
馬やロバも不足してたし。
馬やロバが多数いればドイツやソ連みたく戦車の機動力に随伴出来る歩兵としても…
トラックやトラクターも少なく馬やロバも少ないとなると…
そんな貧乏国家が中国大陸や、太平洋で戦争するなってことだよ
ドイツ軍歩兵師団保有自動車数942両
(※43年以降は自動車数は減少、輓馬車両増加)
ドイツ軍は歩兵師団ってある意味ソ連より馬頼りだよね
自動車はフランスでかっぱらった分(完成品〜生産設備まで)でかなり改善だし
七年式十五糎加農と四五式十五糎加農ってほぼ同年代だよね?
なんで似たような火砲を同時開発して
おまけに七年式十五糎加農はあんなに生産数少ないの?
そもそも七年式十五糎加農ってまともに見掛けないけど……
231 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2012/02/20(月) 03:00:29.62 ID:nbRUBRPR
>>194 戦史叢書を額面通り受け入れるまぬけな突撃兵君か(笑)。
>>204 歩兵砲も馬を使うとったんよ。駄載で運ぶんじゃし。
車輪馬、大架馬、砲身馬じゃの歩兵砲が運ばんでどうすんなら。
郷土戦記を読んだら、解ることじゃが、ここは兵器オタクばっかしが
集うとるんかいのう?
一応その筈だしそれが理想だが歩兵砲部隊に馬が殆ど回らず背負ってたりする例も多いんだが
つか書き方的にそれ位理解出来るだろ
それに編成表や定数通り回らないから弾薬分隊が異常に頭数多かったりするんやん
本当に定数通り回るならあんな事にならんよ
他人には編成表丸呑みだの戦史叢書丸呑みだの言うのに
自分に都合の良い部分だけ編成表、定数丸呑みってなんなの?
>>231のコテハン老人は5年以上も前からそんなダブルスタンダードだよ。
三八式十五糎榴弾砲と三八式十糎加農って支那事変以降は
なんとか運用性を向上させようと努力してたんだね
四式十五糎自走砲はフィリピンで2輌が自走砲と言うより直射メインのが多い砲戦車的運用をされるにとどまったが
最低でも十数輌準備されて自走砲であれ事を活かして
纏まって曲射して陣地転換また纏まって曲射みたいな
運用をしているとこも見たかった
幾ら旧式化しても十五榴だからかなり鬱陶しい筈
普通にヒットアンドウェイで直射されるほうが怖いって・・・
黒木大隊を見るに流石に12発以上の15榴が連続して降り注いだら嫌だと思うぞw
まあ、状況次第だけどね
1944年後半の時点で本土には何門三八式十五糎榴弾砲の在庫あったの?
238 :
名無し三等兵:2012/02/20(月) 07:58:58.37 ID:EofvrZSS
九二式十加ってあの生産数で支那戦線からガダルカナル、ビルマまで行って戦ってるのか……
>>230 七年式は東京湾要塞の備砲として開発されてるんだよ
これは十加もおなじく
>>239 あぁ、東京湾要塞専用なんですか
有難う
競作させてどちらか良い方を採用って話でもあったのかと思ってたw
七年式十五加は9門製造とある
4門が東京湾要塞金谷砲台(浦賀海峡東岸)
4門が豊予要塞佐田岬第一砲台に設置だそう、のこり1門の行方は不明
「要塞砲」は陸軍火砲のいちばん謎だった部野の多くが判明してて
英訳して毛唐の好事家におくりつけてやりたいほど
日本でも火砲研究がこれぐらいは進んでるんだぞ!で
あの内容が1050円で買えるんだぞ、雑誌の大きさなら五倍の値段でもおかしくない
写真や図版がちいさくて、読みにくい不都合は甘受せよ
>>222 ガダルカナルにも鹵獲英軍トラックもちこんで放棄してる写真がある
草思社「米軍が記録したガダルカナルの戦い」だけど
マレー・シンガポールと蘭印、比島、ビルマで鹵獲太りで旧軍は編成装備
充実したみたいね
ボフォース40mm機関砲の遺棄写真まで同書にある
英訳しなくてもそのままでもいいんじゃないのかな
うーん独立野戦重砲兵第15連隊は十四年式十糎加農と九二式十糎加農の混成部隊なの?
前スレの書き込みや幾つかの書籍を読むと
独立野戦重砲兵第15連隊は九二式十糎加農部隊なんだけど
前スレで紹介されたサイトを読むとむしろ十四年式十糎加農が主力の部隊に見える
ちなみに十四年式十糎加農自体大東亜戦争中は
実際に陸戦をしてる戦場では支那方面でしか見掛けないんだけど他の戦域には居なかったのかな?
とりあえず十四年式十糎加農装備部隊であろう
野戦重砲兵第16、19連隊は終戦時台北と松戸だし
まあ、生産数から考えて中支那と台湾と本土の関東地方で終わりでもおかしくないんですが
>>244 連中には漢字と平仮名表記がエキゾテックでウケるというのはある
毛唐のヲタが日本語のTシャツ着てよろこんでるもんなw
朕は73の続報を希望します
248 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2012/02/20(月) 23:41:18.30 ID:nbRUBRPR
>>232 「歩兵砲部隊に馬が殆ど回らず背負ってたりする例も多いんだが 」
例えばどこの師団のどこの歩兵砲でか提示せにゃあ。
馬がえっとおってもクリーク湿地なら臂力搬送、分解搬送で背負うんは
当然じゃないか。
「弾薬手は弾薬を置いて砲の搬送を手伝った。」じゃの戦場の環境に
よって生ずるもんじゃ。
誰が編成表じゃの定数じゃ云うたんない。おどれらど。
>>233 また、付和雷同に乗り誹謗中傷工作じゃの幼稚なことしか出来んのか。
田代砲が多元宇宙史上最強ですの!?♪。
>>248 第6方面軍と第14方面軍の師団、独混で見た事ある
てかああ言えばこういうならどうとでも言えるやん
最初に戻って歩兵砲の所属先に論点を絞るなら明確に歩兵
>>221 その話ってよくきくけど、制式兵器たる九四式六輪自動貨車や九七式四輪自動貨車
は比較的良品質良性能って聞くけどどうなんだろ。特に前者
民間型は低品質低性能だったけど
九七式四輪自動貨車の評判はよく知らないけど
九四式六輪自動貨車は国軍将兵から高評価だったとはよく聞くね
さすがに国産自動貨車が全部嫌われていたと言わんばかりの論調は乱暴かもしれない
野戦重砲兵部隊は十糎加農装備の乙大隊の幾つかの装備砲が謎なんだよね?
>>252 そうだよね。古臭い外見とは別に九四式は民生品のフォード、シボレーより
優秀と陸軍では看做していた。
タトラとウーズレイを参考にしたのは伊達じゃない。
>>252 >>254 だよね
九五式小型乗用車、九七式側車附自動二輪と並んで
九四式六輪自動貨車は旧軍の隠れた名兵器だと思う
六輪の長所は軍用でこそ生きる
248は耄碌してる
恍惚のひと
世間の評判とは裏腹に自身への辛い評価も厭わない帝国陸軍ちゃんが
そこまで言う以上本当に良い自動車だったんだろうね>九四式六輪自動貨車
Wikiに九四式六輪自動貨車は後ろの4輪に履帯を装着して半装軌車輌としても使用できたとか書いてあったがすげーな
民間のトラックの3倍だかの価格になったそうだが・・・
そういやコーエーの軍用車輌見てきたが確かに隠れた名本かもしれないw
搭載量抜けはたまに傷どころではないが……
日本にも普通に複数種ハーフトラック居たのね
光人社の砲に関する本買おうかな?
しかし、金枝篇や戦史叢書も欲しいし補給戦に関する本も欲しい。
この前読んだジェドバラって本にプジョーが少し出てた。かなりサボタージュしてたり、maquisとも繋がってたみたい。
>>261 佐山さんの「要塞砲」?なら手放しで勧めよう
あの価格で望みうるほぼ最高の内容かと思う
ただ四五式十五糎加農の戦歴だけはこれ途中から八九式じゃね?ってなってるが
気になるのはその程度
263 :
名無し三等兵:2012/02/21(火) 01:17:46.16 ID:XNAa5zho
ドイツ軍みたいに、観測戦車や装甲化された弾薬運搬車は要らないの?
観測車も装甲運搬車も居てるじゃないですか
265 :
名無し三等兵:2012/02/21(火) 01:53:35.33 ID:hTypkeVz
73です
先日祖父の遺品で日本軍の弾を発見し、このスレの皆様のお陰で助かったものです
本日警察へ行ってきました
生活安全課という課に行きました
軽く経緯を聞かれました
長さや重さを測っていました
自衛隊に相談したようです
爆発の危険性はない「らしい」とのことですが、署内でさらに検査をし、もし危険性が少しでもあるようなら自衛隊の専用の処理班を呼び、処理するようです
266 :
名無し三等兵:2012/02/21(火) 01:59:17.39 ID:hTypkeVz
73です 続き
結局弾の名称はわかりませんでした わからないそうです
あの弾は火薬を装填すれば発射可能なので、所持していてはいけませんということで没収されました
最終的には自衛隊が引き取るそうです
「資料館のようなところに陳列されますか?」と聞いたのですが、「それはないです。爆破されるか水中に廃棄されます」との事でした。
最後に調書ではないのですが、経緯を細かく聞かれ、「廃棄依頼書」ともうひとつ(ごめんなさい忘れました)の書類に記入して終了でした。
私と母は罪には問われないそうです。
が、火薬が装填されているとかいつ爆発してもおかしくないものを長期間隠し持っていた(ここが大事らしいです)ならば、罪になることは十分有り得ますということでした。
267 :
名無し三等兵:2012/02/21(火) 02:04:10.94 ID:hTypkeVz
73です 連投すいません
とにかく皆様のお陰で助かりました
もし無知なままだったら
いじくりまくって爆発させてたり(危険はないだろうとのことですが
ネットオークションに出品したりして捕まるとか
そうなっていたかもしれません(笑)
アドバイスを下さった方々 本当にありがとうございました m(_)m
感謝しています(^^)
>>265-267 乙。
模擬弾だろうと思ったけど没収されたか
てことは念のため警察に相談してよかったな
>>265-267 乙
遺品と言う事なので特に展示も保管もされずに放棄というのは思うところがあるかもしれないが
特に事故もなく無事なようなので良かった
ガダルカナルの92式10加ってヘンダーソンの奥の新設飛行場をねらうため、
射程2万8千mで撃ったそうで、脚折れ駐退機破損で、総攻撃時点で4門中
2門しか使えなかったみたい。 最大射程1万8千2百の砲なのに無理
しちゃたんだね。
1万mプラスって米独蘇の加農でもぶっ壊れるわ…
>>265-267 乙種
しょうがないけども、「装薬装填で発射可能」って乱暴だなぁ
将来また遺品になって
子孫が苦労するなら
処分で正解じゃね
>>245 >>253 南方では十四年式十糎加農って見掛けないね
毎度お馴染み奉天で製造していた可能性があるようだけど
>>271 それ既定の最大装薬と比較してどれ位増やして撃ったんだ……
あからさまに九二式十糎加農の性能限界を越えているけど
>>272 確かに
>>265-267で装薬充填で撃てるは乱暴過ぎるが
端からそういう杓子定規な運用しか想定していないんだろうね
本邦の国情的にも
>あの弾は火薬を装填すれば発射可能なので、所持していてはいけませんということで没収されました
しかしエアーソフトガンに特殊銃とスペシャルカートリッジ仕込んで、「発射できたから実銃ね
はい検挙」とやらかすのが警察だからな。どこまで本当だか。
>>265-267 乙
まあ実際の所は警察も模擬弾だとわかってはいるだろうが、鑑定ミスだった場合の責任を取りたくないから、
とりあえず適当に言いくるめて没収しとこうというのが本音だろうな。
それにしても処分とはもったいない。九七式自動砲擬製弾なら数万円の値がついただろうに。
>>274 日式の十加を製造したとあるけど、形式不明なんだね
砲弾を警察に提出した件だけど、
俺も小学生のとき沖縄旅行で20mm弾のまわりに小銃弾をくるりと巻いた土産買ってさ、
空港の荷物チェックで大騒ぎになったぞ
>>277 20ミリだったら信管付いてるだろw
空薬莢か模擬弾頭ならいいが…
小銃弾もプライマー外れてないと…
普通まあ大丈夫だろうと思うが、ウチナンチューはどうもおおらかそうで…w
>>277 お前はテロリストかww
しかし、そんなものをおみやげとして売り出すのも凄いなw
>>277 如何にも空港で騒いで下さい的エピソードでワロタwww
土産屋も小学生にそんなもん売るなよw
奉天の日本製十糎加農は謎だよね
中国人火砲オタなら知っとるのかねぇ?
そもそも国軍の幾つかの十加自体大東亜戦争中の動向に謎な部分が
>>277 俺もそれ土産に貰った事ある
25年ぐらい前だがなw
俺のは20mmの周りに12.7mmが巻いてあった
20mmの弾頭はムクだったから、模擬弾か徹甲弾か・・・
もう無いからわかんないけど。
シンガポール攻略時の砲撃が凄まじかったって話だが
参加したのは各師団砲兵、2個野戦重砲兵連隊、1個独立山砲兵連隊、九八式臼砲と鋼製十五糎臼砲装備の独立臼砲大隊一つずつだよね?
さすがにWW1の西部戦線並みは言い過ぎ?
沖縄住民にとっては砲弾はさほど珍しいもんでもないらしい
米軍の演習場やら戦跡の銃弾、砲弾、空薬莢をスクラップ屋で換金するのが手っ取り早い現金収入だったし
演習場で薬莢拾いに入って米兵に撃たれ、事件になったこともあった
あの、砲弾銃弾の土産物は各地の空港手荷物検査で問題になって、現在はもうないのでは?
金門ばりに包丁にでもするか?w
鍋とかフライパンとかでもよさげだが
南方作戦だと蘭印侵攻では結局野戦重砲兵連隊がまともに撃った事はあったのかな?
286 :
名無し三等兵:2012/02/21(火) 18:51:57.72 ID:v4jRTmJS
>>271 装薬を相当割増してたんだろうけど
それでもそれだけ飛ぶのに喫驚……
おれはガ島の九二式で装薬増しで射程20kmをやったと兵藤本で読んだ
射程28kmのソースは?
そのクラスだとロケット推進弾でも使わない限り28kmは達成できないんじゃないかな
戦後すぐのソ連海軍が持ってた70口径100mm砲が同口径級で最大だと思うけど
これでも1000m/sで24kmが限界
>>285 重砲撃つまでもなく、わりあい簡単に敵陣ぬけたんでしょ
バンドン要塞もあっけなく陥落したし
小林よしのりの戦争論で蘭印戦野砲連隊のエピソードがあるが、
それほど激戦の描写はない
九二式十糎加農と言えばガダルカナルかビルマの二択なイメージ
ビルマでは1000mを余裕で越える距離からでも
どの部位に当たっても普通にM4中戦車を抜けるから
直射で対戦車戦闘していたらしいね
291 :
名無し三等兵:2012/02/21(火) 21:28:20.74 ID:zVShIzCa
イラワジ河畔で火力支援に従事した野戦重砲兵は頑張ったよね(´・ω・`)
九四式六輪自動貨車はともかく九七式四輪自動貨車以降の
制式自動貨車の評判、性能ってどうなんだろ?
293 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2012/02/21(火) 23:35:55.26 ID:wfGLO81k
>>250 >>232を、どこの師団、旅団の例で云うとるんか銘記せえ云うたんじゃ
に、どうの、こうの空論云よんはわれど。
歩兵砲は、砲兵としての自負があったし、他部隊砲兵との対抗意識が
強かったんじゃに、わりゃ使う側の人間の視点が欠けとるけぇ
陳腐な回答するんど。
>>261 突撃兵よい。われも、砲を使うた人の戦記でも読んだらちいたぁ、真っ当
になろうが、建前教条文の戦史叢書なんか経典にしたらつまらんど。
どこの師団、旅団も糞も方面軍まで指定してるのにそこに決まっているだろ
射程1万8千を現場の対応だけで2万8千まで伸ばせるもんかね?
高地からの撃ち下ろしだったんじゃ?
無論強装薬なのは当然だけど
で、追い風にも恵まれたとか
>>287 271です。ソースは亀井宏氏のガダルカナル戦記の第二巻のP472〜475に
野重砲第四連隊の大野善兵衛氏の話で、2万8千くらいで撃ったとあるが、
この方は92式10加の最大射程を2万mと言っておられるので、オーバー
な数字のような気がしてきました。
コカンボナの陣地からヘンダーソン飛行場がどのくらいの距離かわからぬが
ヘンダーソンから新飛行場まではP429の地図で4kmぐらいありそうなので、
2万〜2万4千mぐらいが妥当なのかも。 新飛行場まで届いたのかも判らないし。
>>297 いや、だからこれは民間型じゃん
制式兵器じゃねーし
夢があっていいね
まさに「大和魂 弾込めて(砲兵の歌)」だな
ただ実際は298が仰ってる通り2万前半くらいなんだろうね
再現試験ができるとおもしろいんだけどね
「長篠の戦いで火縄銃はこのように使われた」的な
そういや遊就館の八九式15Kと九六式15H、土浦の野山榴ってちょっとは可動するんだろうか
もちろん射撃可能とかそういう大層なレベルじゃなくて
遊就館のは埋没してたやつだからなぁ。転杷まわして附仰するかどうか…
土浦の三八式野砲は程度がよかったので動くかもしれない
大昔、京都の嵐山美術館にあった九四式山砲や一式速射砲は程度がすこぶる
よかった
前スレによると、九二式歩兵砲は転杷で作動できたそうだね
何門かが土浦に移ったようだ
こういう火砲って銃刀法的な制限はどうなってるんだろう
三八式十五榴と三八式十加って大東亜戦争開戦時点で何門残っていたんですか?
>>297 九四式六輪自動貨車に限らず制式兵器たる自動貨車と
民間の自動貨車を一緒にはしない方が良いと思う
九七式四輪自動貨車とその後の制式自動貨車も技術的にはファミリーだから
そこまでは酷くないと思う
部品類も九四式六輪自動貨車並みかそれ以上に共用化の努力が図られている
308 :
名無し三等兵:2012/02/22(水) 08:53:15.64 ID:6jPROOeZ
確かに高地からの撃ち下ろし追い風って条件下だと九二式10Kでもかなり飛ばせるのか?
推測だろう
少しでも射程が延びる要因としてはそれ位かと
まあ、追い風に関してはそんなものを考慮して射程考えるとも思えないから
砲の限界超えた強装薬で、多少は高めの場所から最適仰角で撃ったんでは?
そういや九二式十糎加農の最適仰角って何度?
薬室温度が高くて、砲弾をそのまま込めた状態でしばらく温めてから撃つと、
射程が通常より延びるそうな。山本七平が書いてた
>311
嵐山美術博物館でも、その後に移転した白浜零パークでも、触り放題・写真撮り放題だったなあ。
もっと行っておけば良かった。
>>305 確かに嵐山美術館とかにあったのはかなり状態が良かったし
どういう手続きで許可を得るんだろうか?
316 :
名無し三等兵:2012/02/22(水) 18:19:08.02 ID:6jPROOeZ
やっぱり国営の軍事博物館が必要
画像検索したら数枚だが別の画像出た
嵐山美術館のコレクションはいま考えると凄かった
ポナペ島から武装解除状態で放棄されたハ号を化粧直ししたグラビア写真
がむかしの戦車マガジンに載ってる
嵐山の小冊誌は旧軍兵器のオリジナル塗装を知る部分で貴重だ
リペイントのも多く載ってるから、注意が必要だけどね
>>307 日本製トラックがアメリカのフォード、シボレー、スチュードベイカーなどの
新型軍用貨物車に劣るのは当然なんだが、制式はそれほど酷くはないね
民間から納入させた日産、豊田製が信頼性に問題があった
あと、熱河作戦の印象が尾を引いてる部分が大きい
当時は民間自動車はほぼ100%外国製で、シボレー、フォードが多かったが、
これらアメリカ車は国産車に比べて車体が軽く、スピードも速く、なにより
機械的信頼性が抜群であった。
満州の寒い朝、フォードは一発でエンジンがかかったが、国産車は前夜から
エンジンの下に練炭コンロ3個を置いて暖めていても、エンジンはかからなかった
という。
熱河作戦で使われたトラックの性能を比較すると、外車の優秀性がはっきりする。
フォードやシボレーのトラックは、国産車より3割程軽量な車体に同程度の
貨物を積載でき、エンジンは1.5倍も大きかった。
軽くて馬力が大きく、しかも燃費がいいと、まさに現在の日本車のような
もので、アメリカ製トラックは機動力では断然すぐれていた。
それに高信頼性が加わるから、日本の自動車部隊で国産車が嫌われた理由
がうなずける。
中国大陸の機械化戦争と兵器 1914〜1945
これらの教訓から、九四式六輪が制式化された経緯ですね
かなり以前よりは改善されてるとは思う
ヒトラーちゃんが大ファンのタトラも色々参考にしたんだね
フォードからの教授をしっかり受けて
九四式六輪自動貨車以降の制式自動貨車を
がっつり量産出来れば……
ドイツの兵隊が味方だとおもってソ連軍にトラックに乗ってきたり、その逆、また
はアメリカ兵がドイツ野郎も同じものに乗ってらとかいってるように
トラックに関しては、アメリカもドイツもイギリスもソ連も同じもの使ってたからな。
満州事変の成功で天狗になってしまったと思うんだよね。陸軍も国民も
費用対効果で最大限の旨みを得たもんだから
スレで話題の奉天兵工廠もほとんど無傷で接収できた。景気も大恐慌の以前よりよくなった
…それで、極端な国産品愛護運動だよ。ハイテンション・モードで逝っちゃって
緒方や山下使節団の訪欧でドイツ産業、工業基盤裾野の広さに愕然としてるん
報告を挙げてるんだが、独ソ戦勃発やらの国際情勢の激動に大童の陸軍中枢は
まともにとりあう余裕はなかったとか、土門周平の原中将伝記「戦車と将軍」
にある
>>320 総統が目をかけてた、天才ポルシェ博士もボヘミア出身なんだよ
ドイツ領外辺境出身の部分が多いと思う
おかげでポルシェ博士は戦犯で投獄までされてる
釈放されて自が設計した、アウトバーンをすれ違う対向車のフォルクス・ワーゲンみて感動したそうな
タトラのコンセプトをポルシェがパクったという話がある
占領国の権力にモノ言わせてな
ボヘミア…ラプソディ…Bicycle…
そうだ!自転車で運べば良いんだ!
一応、正史では逆だけどね
クラッシックカーの書籍読むかぎりは
将来、正史と裏面史が覆る可能性は充分ある…
ポルシェ博士は戦後ルノーに技術指導を請われたが、フランスの対独占領政策
への反感と、VWを愛してたからアドバイスに手を抜いたと云われているね
>>321 フォードが入ってきたら国内自動車産業は成立せず
そうなると戦車や牽引車作る技術も育たないぜ
何しろ統制100式エンジンは自工が作ったもので
自工は国産自動車製造の為に設立された国策会社だからね
それにフォードは海外子会社や合弁会社にB型以降をやらせようとしてない
32年から本国ではB型という超絶高性能車になったのにドイツでやっと37年
ライバルを考えなくて良いGAZじゃ戦後までずっとA型のままだった
AとBで何もかもがブレイクスルーで大幅進歩してるわけで(製品品質や精度も)
果たして日本にフォードがB型とそれに必要な技術革新を提供してくれたかな?
ピンツガウアなんての見ると技術ってのは凝り出すと際限なくなるなって思うね
>>325 お互い仲良くてアイデアはよく互いに話てたそうだし
個々の技術は当時最先端だが一般に公開されてたのが大半だから
お互いに新技術で似たコンセプトの自動車を作ったらこうなったって話みたいだけどね
だからお互いどちらがパクリパクらないみたいな単純な話でもないみたい
>>329 それどうなんだろ?
少なくともドイツじゃドイツ国内での行動に関してナチの指導を割合素直に聞いているし
日本でも日本資本参加や政府の大きな関与を認めてるんだし
国内の民族資本自動車会社、技術を保護しながらって言うのは
当時の日本でもそれなりの法整備すれば可能そうだけど
>>329 戦略爆撃調査団の報告書に、日本の戦車はアメリカと比較してフォードA型と
最新型キャデラックほどの違いがある。見るべきものは何もなにと言われたぐらいの格差だぜ。
戦後の日本人の感想でも、トラックの格差が信じられないくらい大きかったとある
さらに一番大きいのは生産量だ。たとえばドイツの話だが、ナチスに接収されたGMの配下のオペルとフォード
で3tトラックの大半をつくってたように、トラック生産は元アメリカ企業頼りだった。なにせ大量生産のノウハウ
なんてものはこの時代、アメリカの自動車会社しかもってなかったんだからな。
330をググったら航空機のルンブラー技師が発祥なのな
ポルシェ博士は高等教育はうけてないが、厨房くらいで自分ん家に自家発電
で照明灯して、父親に技術学校入校の許可をソッコー得るぐらいの天才肌だったとか
VWの本にでてくる
>>332 おれは329ではないが、法整備なりすれば日本でも可能だったと思う
ただ、論理でなく満州事変の成功の国威高揚でトチ狂い、
国内産業の実情を冷静に鑑みることができなくなり、工作機械を含め
感情的な国産品愛護主義に突っ走ってしまったのだろうと思う
フォードの場合技術の移転込みで国内での日本の自動車メーカーとの住み分けも
認めてたような状況だしある意味まんま「国産品」になるのにね
現代のディーゼルエンジンといえば、カミンズ,キャタピラー,デトロイト
レシプロ航空エンジンといえば、ライカミング,コンチネンタル
アメリカ設計のが各地でライセンス生産されているよ
>>332 その民族資本の保護が外車の排除だったんだよ
>>333 いやさ、その戦車の格差でいみじくも言われてるように
ボロいフォードAと最新キャデラックの差が自動車でそのまま起きるよってこと
アメリカ自動車産業はフォードBの登場で航空機に通用するような
高度な加工を廉価に大量に行える工程を会得したんだよ(完全にモノにするのに数年かかったが)
残念だがこれらを30年代中に日本に導入できただろうと想像するのは無理
それに自動車の格差で言うなら
ソ連はレンドリースのスチュードベイカーに感動しちゃったわけだが
その彼らはフォードと合弁でフォード生産してるんだぜ、A型だけどなw
同じことが日本で起きるだけだよ。対象が国産トラックではなく日本フォードになるだけだ。
東條英機もスチュードベイカーの乗用車で視察に乗り入れたとか
朝日の「戦争体験」に載ってる
戦中は伝説のメーカーだったんだろう
>>338 法律で販売価格を調整するとかって手法もあるが
発展途上国とか法律で外資系で技術格差のある企業を受け入れつつ
国内資本の企業の技術向上と売上保護を両立する為に
国内でも色々制限掛ける産業政策してるから
そういう手法は取れるんじゃないの?
341 :
339:2012/02/22(水) 21:37:02.70 ID:???
hidekiの愛用はパッカードだったかな?読んだ記憶なんで
スチュードは乗用造ってなかったか
>>338 だから元から格差あるんだって。組み立てだけじゃなく、部品まで日本製でつくります
そのためにクランクシャフトの製造から一から技術指導しますとフォード側は申し出てるんだよ
当時の日本では国産不可能な部品が多々あり、特に高精度の歯車はアメリカからの輸入便り
で、代替品が最後まで生産できないものもあり、またできても質が悪化したのは知ってるだろ
スチュードベイカーも乗用車造ってるね
ぶっちゃけB型は無理でもA型の大規模量産技術とクランクシャフトの技術指導受けるだけでもお釣りが帰ってきそうだw
亀頭…もとい傘型歯車の技術もついでに盗みたかったね
>>342 その部品製造技術が、フォードですら30年代末までは大したこと無かったのだよ
ぶっちゃけA型の技術で良いなら日本の戦時ですら存在してるんだよ
そんなもの指導してもらわなくても良い(実質第一次大戦前の技術なんだよ)
とてつもなく飛躍しちゃったのはB型で
とくにクランクシャフトとクランクケースは一気にとんでもないレベルになった
歯車なんかまさにコレで、強靭な素材、高精度な加工を
統一した規格で一般に製造できるようになるのはアメリカでも30年代後半で
フォードが確立するのが30年代半ば、関連諸企業にまで行き渡るのは30年代末
逆算すれば日本に提供してもらえるのは戦争になる頃だよねってこと
ところで九六式二十四糎榴弾砲の腔発ってどうなったんだろうね?
前スレで何個か紹介されてたアジ歴のページ見ても
コレヒドール後も色々弄ってたのは分かるが最終的な顛末はわからないんだよなあ
正直砲弾側の問題みたいだから火砲側に問題あるよりマシそうだが
でも多分コレヒドール後は満州に引き揚げたんだろうが
四五式二十四榴はソ連軍の満州侵攻時に活躍したとは聞いても
九六式二十四榴の動向は聞かないしなぁ……
>>346 丁度そのクランクシャフトは新しい技術を指導するよって話だったようだし
ぶっちゃけ実際に日米が開戦するまではしっかり技術指導しそうだw
フォードの体質的にw
自動車産業がもっと発達してれば、牽引車も史実よりいいものができただろうに
自ずから軽量のくびきから離れた高性能砲も
>>349 それには民需が盛り上がって自動車の需要が伸びないとね
戦前日本ではやっとオート三輪が増えてきたかなってところで時間切れ
フォード導入も含めて、あと5年あれば結構色々変わっただろうね
そのためには日中戦争するべきじゃない。あれで働き手が日米開戦以前に労働者が
不足してたし、資材も軍にとられて生産力拡大が不可能になってる。
満州謀略の石原莞爾さえ、反対したぐらいで戦争経済には見識あった
彼は天才肌なんだが、思想に中二病的な部分もあるけど
ただ、ドイツはヨーロッパ中のトラック生産設備を接収したのと、
ソ連は米英レンドリース台数が半端ない
そう考えると
ドイツは如何にチェコスロバキア、フランスにベネルクスの生産設備に依存していたか
ソ連は英米に依存していたかがわかるね
周知のことだと思ったが
いや改めて実感出来るなと
特に顕著だし
基本的に鉄道があるところで戦ってるってこと
馬匹の多寡
この辺がもうどうにも……。・゚・(ノД`)・゚・。
359 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2012/02/22(水) 23:32:52.96 ID:Qc/LfsjO
>>294 わりゃ何で、師団名、旅団名を具体的に提示せんのんなら?
おどれの曖昧な抽象的な書き込みは幼稚過ぎじゃ。
戦時の海上輸送と陸上輸送の維持では海の方が3倍資源や労働力が必要とか
アメリカの軍人がロジスティック論で語ってたような記憶がある
海上輸送の方が輸送コスト自体は安いんだろうけどボカ沈しやすいから・・・
撃沈される船舶の補充と護衛艦艇のコストを入れると跳ね上がるんだろうなぁ
>>359 当方の専門分野でありませぬので見識を高める為に観戦させてもらいましょうか。
そういや、相当月日がたちましたがフォークランドの決定的な証拠は見つかりましたかな?
プチブルになったとはいえ見識を高める資料代はバカになりませぬなぁ…
>>355 ドイツはフランス国内だと大規模なサボタージュにあってましたね。ジェドバラって本にプジョーのサボタージュが載ってましたよ。
スルーの動きが広まっていることを察知した荒らし=白馬青牛は方々の板で
いつにもまして爆撃をしかけています。アンカーを打って、対象をしぼり
そこから難局を打開しようという魂胆です。なにしろ相手からレスがもらえ
ないと詰まらないし、空っぽの心も満たされないのです。そこで、相手が
頭に来るような言葉をわざと投げかけて、強引に話題に入り込み、気持ちが
高ぶった相手からレスをもらおうとしています。
>>362 シトロエンもかなりサボタージュしてましたよ。
何年か前にミシュランの工場の壁の中から
戦中に隠されたシトロエンの試作車が発見された事もありました。
60年間壁の中で・・・・・・忘れてたら意味ねーじゃん!
>>364 シトロエンの技術者は埋めたドングリの場所を忘れるリスかw
逆にルノーはナチスに協力的だったんで
戦後国有化されちゃうんだよね。
3D、13D、27Dは時々九二式歩兵砲を歩兵が担いで運んだみたいだなぁ
まあ図解 日本陸軍歩兵でわかりやすい図が出ていたが
一応完全に人力で運搬出来る配慮はされてるんだけどさ……
完全担送するんなら迫の方がいいよなあ……。
手で運ぶのが前提なら車輪とかデッドウェイト以外の何物でもない。
九七式歩兵砲の生産が制式から2年間ほど中々進まないのは、砲身の歩留まりが向上しなかったから?
>>368 弾薬が何とかなるのが一〇〇式だからだと思う
>>314 対戦車ライフル以下小火器だと、自衛隊駐屯地収蔵管理(記念館)のものを除いて
全ては無可動化(無可動実銃)されるよね
銃身には鉄身が入れられて溶接、機関部等には大きな穴を開け、遊底も溶接
動くのはせいぜい引金(それもテンションはないカスカス状態)や照尺程度
それくらい厳密なのに火砲は…
>>341 第1総軍総司令官 杉山元元帥陸軍大将の愛車が接収したパッカードだったとか
>>311 すげぇなこの速射…オリジナルっぽい照準器までついてやがる…
源文調だな
国軍速射砲部隊魂を教育してやるかって?
支那方面での担送と言えば南部粤漢鉄道打通作戦での噴進砲第2大隊
最初噴進砲第2大隊の指揮官以下大隊側は猛反対したが
編合された部隊の指揮官が歩兵砲、山砲どころか
野砲を担送しながら戦い抜いた事があると説得されて
最後は大隊側も納得して大威力奇襲兵器としての特性を活かす為に
精力的に分解担送する方法を研究して実際に人力で運搬運用走破したらしい……
無論一部地域では自動貨車、馬匹併用みたいだが戦闘直前の作戦行動時は基本的に背負ってたみたい
>>372 源文先生に皇軍砲兵部隊の劇画、同人誌で描いて欲しいなぁ
中村…
きっと電気を使ってる
悪魔め…
九八式臼砲が火を吹いたのはシンガポール、硫黄島、沖縄、占守だよね?
ソ連軍の満州侵攻時には関東軍の九八式臼砲は防御戦闘に使われなかったのかな?
>>369 それもあるのか
命中率悪いからどうこうでなく、やっぱり生産が軌道に乗ったら即座に置き換えにかかってるんだな
しかし生産が軌道に乗ったと思ったら小迫撃砲やら120mm迫が登場する不遇さ
おまけに42年〜43年、44年前半位までは緊急増産って事で九二式歩兵砲も全力生産してるので
九七式曲射歩兵砲は狭間っぽい不遇な雰囲気に……
よく見ると結構生産しているのにね
まあ本土決戦用の緊急増産号令かけられてるのは二式十二糎だし、独立迫撃大隊は軽迫だし
ペリリューの写真で有名なのは巨大な中迫で、シュガーローフは独立迫撃大隊か擲弾筒……と
九七式歩兵砲は一番生産されて使われてるにもかかわらず徹底的に日の目を見てないなあ
どうも九七式曲射歩兵砲は支那方面とかによく居るみたいなんだよなあ
迫撃大隊と迫撃砲大隊は軽迫と中迫で
結局九七式と平行で大増産の九二式の方がどうも番号が若い部隊に回された臭いし
小迫撃砲と二式十二糎量産化の目処が立った時点で
九七式曲射歩兵砲は九二式歩兵砲と共に当面の数合わせに一番適した火器以上の価値を
国軍視点で喪失したのかもね
九二式歩兵砲でもタ弾使えば500mから撃って90mm抜いちゃうんだから
最後まで生き残れたんだろうな
まともな直射噴進砲か無反動砲が量産化されていれば
また違ったかもしれないけど
>>381 曲射歩兵砲は海洋編成部隊では完全に主力重火器だけどね
師団砲兵がいないせいもあるが、物凄い数を装備してる
本来は軽迫を同じだけ装備したかったのかもしれないが……。
思うに、番号の若い部隊は比較的貨車や馬匹の充足率が高かったんじゃないか?
大隊レベルに一応配属できるくらいには
輜重・機動に問題がなければ、同じ数だけ装備させるなら
野山砲増備or迫撃砲配備>歩兵砲ってなるのは当然な訳で
同じ歩兵砲なら嘘でも前向きにぶっ放せる九二式の方が九七式より良いのも当然
逆に人間しか頼めない状況になれば火力を落とさないために九七式を配備するのが妥当
編制上砲一門につき馬三〜四頭程度要らなくなるのは大きいから
ただ、昭和二十年の本土決戦用戦備計画でも二千門程度生産が予定されてるから
隙間兵器って意識があったかどうかはわからん
小迫は射程があまりにも短いし、その割に所要人員は一名しか違わない
十二糎迫は師団砲兵代わりに使われていて、まずはそっちの充足を図っているところ
ちょっとそれらと曲射歩兵砲を絡めるのは無理があると思う
何気に日本陸軍の軽迫ってどこにでも居るなw
砲弾重量が全然軽くないからかしら?
あの生産数で良く廻せたね
それとも軽迫も実際はもっと作ってたのか?
迫撃砲も名古屋産?
>>384 九四式600門+九七式600門作ったわけで、決して少なくないと思うよ
装備先も師団砲兵でなく独立迫撃砲隊だから、あちこち転戦してるってのもある
他列強にくらべて生産数が少なすぎるよ
煽りでなくてさ
迫撃砲に命中精度をこだわって、なんとか満足できる水準の砲弾を作ったはいいが、
時期おそすぎの感が強しで
米英軍も日本がなぜ迫撃砲を普及できなかったか不思議がっとるぞ
迫撃砲と曲射歩兵砲をごっちゃにするとそういうトンチキな結論と邪推が生まれるんだな
>>388 それぐらい知ってるよ、アホかい!
砲兵と歩兵で名称ちがう自質迫撃砲の生産数が自慢できる数字かっての!
下手すると支那にも負けそうだ
あ〜レスするのも面倒くさい
390 :
389:2012/02/23(木) 22:55:30.15 ID:???
×自質
○実質
>>387 あれ不発が多いとかのが大問題だったようだし
曲射歩兵砲の問題は命中精度以外にもあったんでしょ
それに砲だけ作っても砲弾は増えそうにないし
平射能力がはなはだ疑問の九二式歩兵砲より、同じ弾数すくないにせよ、
はるかに軽いだけ迫撃砲のほうがはるかにマシだろうよ
実際、九二式は平射をほとんど実戦ではしていないそうだ
命中精度を拘った訳じゃなくて
当初まともな精度が出なかったんだよ(諸外国の有翼弾と比較しても)
悲しいけど
曲射歩兵砲の砲身は抜き物なんだけど最初生産に苦労して
官民合同でどうにか量産にこぎつけたという逸話もある
残念だけどその程度の生産水準だったのです
あと、旋転弾(施条砲)発射型の迫撃砲としては
このスレでは何度も触れられてるけど、十一年式曲射歩兵砲があり
その後継の九二式歩兵砲も実質的に平射可能な迫撃砲だったり
その手の小型迫撃砲としては八九式擲弾筒が大量にあって
むしろ米英軍からは「日本軍の迫撃砲」は脅威と受け止められてたのです
しかし九七式曲射歩兵砲の生産数はあれはあれで当時日本陸軍的には結構作ったんでね?
連隊砲の四一式山砲と大隊砲の九二式歩兵砲、後には代用師団砲兵向け二式十二糎を大車輪で量産しながら
九七式曲射歩兵砲も作ってるのに
しかも実質量産本格化は1941年になってからでしょ?
>>395 連合国軍からすりゃ迫撃砲の癖に妙に命中精度の高い5cm迫撃砲が何処にでも
数はそこまででもないがなんだか弾重が重めの迫撃砲を良く見掛けるてな印象だろうしなぁ
九七式曲射歩兵砲もイメージと違い割りと何処にでも居るし
>>394 昭和17年10月までの累計で既に1200門以上作ってる
生産が軌道に乗ったら即量産にかかってますね
昭和17年度だけで888門作ってるから、多分総生産数は九二式より多いと思われ
八九式ニーモーターはたしかに日本としては大量生産したな
しかしだなぁ、通常の81mm口径以上は生産門数すくなすぎだろうよ
九七式曲射歩兵砲ってそんなに生産数少ないか?
九二式歩兵砲と同じか下手すりゃ多そうなのに
制式化当時は代用大隊砲ですって採用したんだからよく作ったよ
迫撃砲はとくに鹵獲品の比率が多かったんではないかな
大陸で鹵獲迫撃砲部隊の写真があるし
日本の戦史別冊「兵器大図鑑」にも大陸で鹵獲使用の手記がある
>>399 仮に3000門生産したとして日本軍的には大量生産なんだろうが、
ほかの列強にくらべたら…ってことだろうね
砲弾生産量も二桁ちがったくらいだし
402 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2012/02/23(木) 23:33:06.20 ID:xIuNLFla
>>362 グルカ兵がフォークランドで白兵戦せんかった云う証拠たる文書は
見つかったんか?
ほいから、戦史叢書の建前教条文書を経典とする低脳のあんたに判断
出来る能力なんかあるまあに(笑)。
>>363で付和雷同するあんたの子分が
吼えよるで。あんたも、つまらん連中に神輿に担がれたのう。
>>400 上の方で誰かが言ってたが
42年半ばまでの日本陸軍は鹵獲太りしてそうだなw
役立たずな海式に資源設備諸々もってかれましたんで…
大和や武蔵をつくる鉄と技術があれば、われわれの装備もすべて自動小銃
に更新できるだろうに
なんてセリフが松本零次の鉄の墓標にあったな
だが皮肉にもむしろ大和型は必要って言う
海が他に色々やらかしやがったのは確かだが
>>405 >大和や武蔵をつくる鉄と技術があれば
なんでそんなことしってるんだ、とヤーボな
つっこみを
鉄があっても工作機械が無かったり、大砲を作る技術があってもバネを作る技術が無かったりと
中々上手く行かないものみたいだけどね
作る技術は有っても、量産する技術が無かったりとかね
>>407 スペックは機密でも艦名ぐらいは公表されてなかったっけ?
予算上4万t級の40cm砲艦ということになってたが
艦船を作る設備・工作機械があっても
小火器を作る設備・工作機械が無いよな
アメリカの自動車産業みたいに転用なんか簡単には出来ないだろうし
大和の装甲板プレスする機械はドイツ製じゃなかったか
>>411 そもそも苦戦敗戦の理由を装備類の不足に求めるなら
一番足りなかったのは各種船舶と艦船なわけで
日本最大の鍛造用の機械が大和型用に導入したドイツ製だったかな
そういや数年前の新聞記事にあったな
民間会社が今でもそれと同型のドイツ製機械を保有してて可動中ってのを
日本艦も米英独に比べたら二流だしなぁ…
英独は正直いって・・・特にドイツはwwww
伊号とかドイツ軍人がドン引きするレベルだったしな
海行かば溺死する屍
山行かば野垂れ死にする屍
大君の軍隊は哀れだ
見返りもなし
天コロのため戦争で犬死に、こんなこと誇れることではない
早朝から池沼の演説かw
揚陸艦たる陸軍特種船は海軍艦艇よりレベル高いよね
4TBがそこまで下がるなら3TBは6000円ぐらいだろうな
2TBはどうでもいいや
422 :
名無し三等兵:2012/02/24(金) 07:43:23.05 ID:tzL3khnv
テンコロ?おいおい日本で一番偉い奴罵倒するなよ
べつに日本人は天皇陛下のために戦ったわけじゃないからな?
国のために戦っただけ天皇陛下がいなくても結果は同じ
制度設計とか修正とかの失敗例
>>417 太鼓鳴らして海中を航行するぐらい騒音に無頓着
静粛攻撃が信条の潜水艦なのに…
大西洋上でUボートとランデブーでレーダー機器を贈られたが、
それまで使ってた、ちゃちな低性能のレーダーを見られるのが恥ずかしく、隠したとか
伊号がドイツ海軍基地に入港の際、騒音の多さにドイツ側は驚き、防音対策の改修をしてくれた
20mmFLAKの四連装をドイツから譲られ、追加装備した伊号もある
>>424 極論すると静粛攻撃なんか考慮してない
潜水による隠密性はともかく、基本的に日本海軍が想定してた潜水艦の運用法は
水に潜れる水雷戦隊だから水上性能が最重視された
無論それが机上の空論で、実際は隠密攻撃しなければならない状況になる訳だが
そのノウハウが無いと先に挙げた艦の特性もあいまって対策なんかまともにできない
20mmFLAKの四連装は優秀な対空機銃なのは間違いないけど、九六式25mmも
世界的水準からすれば決して悪くは無い
相手が頑丈な事では世界屈指の米軍で、しかも数十機が襲い掛かる戦場だから
不当に評価下げられてるけど、信頼性と量産性に優れた機銃だよ
無論それ以上の性能の同世代機銃はあるにしても、それを当時の日本が九六式並みに
量産し、安定して運用出来たかは聊か怪しい
兵器なんて単純にスペックだけ比較するのは不公平
>>424 溶接技術なんかも二流以下だったね日艦…
スペックだけを論じるなら誰にでもできるだろ。
そういう事言うなら、独逸海軍の軽艦艇の燃費の悪さはどうなるんだよ。
ディーゼル混載している軽巡の燃費ですら、日本海軍の普通の蒸気タービン型
に劣るのに。
日・夕雲型(基準排水量2,077t)
燃料600t、航続距離6000浬、燃費10.0浬/t(18kt)
独・36B型(基準排水量2,527t)
燃料812t、航続距離2239浬、燃費2.8浬/t(19kt)
燃料搭載量は独逸海軍の方が多いのにこの燃費の悪さ。
そら、日本海軍の機関性能は米英独には劣るけれど、少なくとも設計・建造技術
のノウハウ自体はさすが「一応、海軍国」を名乗れるだけはあるよ。
そう必死にならさんな
だって無知くんを相手にするにはこれ位説明しないと
大和なんか造らずに魚雷艇や潜水艦に投資してればなぁ
魚雷艇が無いせいで島嶼の戦いを通じて酷い目にあった
補給物資運搬や増援用大発が空からも海からも攻撃されて、それを防御するすべはほとんどなかった
お題目とはいえ、一応天皇陛下のおんために・・・という名目だったんだから
陛下もあやまるくらいのことはしていいと思うなあ
私のせいでみなさんに迷惑かけましたすいませんって陛下が言わないのに
なぜ生まれてもいなかった我々が戦争責任を感じなくてはならないのか?
癲脳屁以下や肛族を悪し様に言うとは許さん!
まてよ、我々なんてお前と一緒にするなよ。俺は戦争責任なんてこれっぽっちもないと
思ってるんだ。一緒にしないでくれよ
>>430 舟艇機動は陸軍の仕事(陸戦の一部なので当然だが)
彼らは大発護衛用に装甲艇という舟艇を開発してた
まあその開発コンセプトは主に地上の陣地との交戦で
高速舟艇から防衛するという面では不十分だったのは事実だが
ここが海軍の仕事かと言われると正直線引きは曖昧だと思うし
戦前に海軍が担当することになって大金投じてても
陸軍船舶が実質海軍の設計建造によるものであったんだから
金の出所が変わっただけで技術的には何も変わらんから
多少見栄えが違ったり装置の名称が違うだけの装甲艇が作られただけだよ
>>430 42年前半に既に纏まった数があってもしミッドウェーが水無月島になってたら
水上機母艦に積んでた奴がそのまま配備される予定でした
それに魚雷艇ってスリガオじゃおそらく空前絶後の好条件で
西村艦隊を襲撃してあの結果に終わった艦艇だし……
まあ、あれば便利なのは確かだが
だから日本もそれなりに造った
火砲スレなんで火砲絡みの話題に触れると
手数で圧倒的だったから圧勝した物の
何故スリガオでは米戦艦の命中率も悪かったが……
スリガオは呪われているのか?
>>435 米軍の魚雷艇って魚雷発射する時に火薬を使うので光でばれるの
そして島影を頼りにこっそり接近て戦法なんで
気づいてれば避けられないような距離でもなっかたりするわけ
ぶっちゃけマトモな戦闘艦を相手に出来るようなフネじゃないんだよ
>>430 潜水艦なんかトン辺りの建造費は戦艦なんかよりはるかに高いし
乗員だって特別な訓練が必要
大和は結果的には役立たずで終ってしまったけど、仮に戦争を回避できたり
水上艦艇中心の戦いであり続けたなら10年も20年も主力張れる
潜水艦なんか強い水圧受け続ける関係で10年もしたら二線級
古くなった潜水艦の替わりに新しいのをなんて言ってたら幾ら予算あっても足りない
魚雷艇に関して理解が無いのは同意だけど、そもそも舟艇機動なんかしなきゃいけないのは
前線輸送すら省略して決戦せざるを得ない海軍の事情も大きい
艦隊型駆逐艦では護衛出来ない、しても無駄だって意見が多数派になってるけど
末期戦では艦隊型駆逐艦が立派に船団護衛してるからこれは戦術研究含めた意識の問題
そんな意識の海軍じゃ、魚雷艇なんか作っても艦隊決戦に投入する小細工を考えて無駄に
資材を浪費するだけになるかもしれん
つくづく信州丸あきつ丸等の陸軍特種船は世界に誇れる数少ない旧軍兵器だなぁと思う
現場を知ってるってるもの(陸軍)がメインに携わったおかげか
>>437 艦隊型駆逐艦による護衛は出来る出来ないで言うなら出来る
重戦車でコンボイ護衛しながらパルチザン討伐するようなもので
そんな余裕あったら前線に回したいよね、そっちのほうがもっと役立つよねってことさ
ぶっちゃけ日本軍には何もかもが足りないけど
後方にまで兵力を貼り付ける余裕は陸軍だって海軍だって無かったわけだし
逆に言えば後方破壊ってのは前線兵力を抽出させれば一定の成功なので
護衛を送り込む時点で術中に嵌ってるともいえるんだよな、数は正義だね
何で火砲スレで海軍厨が暴れてるの?
硫黄島の海軍守備隊の亡霊が彷徨っているから
まあ艦隊型駆逐艦は長距離護衛にはうってつけだったしなぁ
戦時急造の松型なんかは贅沢過ぎるけど自前で小規模部隊の揚陸までこなせる超汎用艦だし
ところで九九式小迫撃砲って600門ばかし生産されてるけど、主にどこに配備されたの?
空挺用って話があるけど、空挺部隊で主用されたのは九七式曲射歩兵砲みたいだし
海洋編成部隊のところでちょこっと数合わせみたいに見る程度なんだが
海軍はまだいい、火砲も絡むし…
このスレで皇室批判してる連中とかなんなの?やめてくれや
政治、皇室、日本史スレとか書き込みする場所がいくらでもあるだろ?
>>440 火砲絡みなら海軍火砲とその周辺は一応スレの守備範囲内w
>>442 結果的には海洋部隊向けが割合上ては多くなったみたいね
ただ挺身連隊も確かに装備していたみたいだから
ルソンには確実に挺身連隊が持って行った筈
残りは九州だろうね
×挺身
○挺進
おお間違えてたよ
訂正ありがとう
海軍はいい、日本陸軍にドイツ、イタリア、フランス、アメリカ、イギリス、ソ連、支那、チェコ
陸戦砲兵火砲に艦砲、戦車砲、航空機搭載砲とこんだけ守備範囲範囲ひろい石原都知事風
「奉天兵工廠?いいね、やるか?大陸製日式火砲!」な、お大尽スレで
スレ違いなんてかなりのもんだぞ
当スレは海軍畑のひとも暖かく迎えます
下関要塞のラ式15Kの原型なんかつきとめたらスレの軍神だぜ?
日本発祥八木アンテナの素晴らしさについて語りたい…
シンガポールで英軍のを捕獲して、はじめて重要性に気付いたくらいで
世界に誇れる大発明なんだが
>>386 確かに1200門あって主な装備先は独立大隊の迫撃大隊だし
当初は迫撃砲大隊より数多いから日本基準だとかなりのもんだけど
ただ戦域の広さを考えると良くやるなと
まあ、大隊数は結局二式十二糎大増産で迫撃砲大隊が大増殖したから
迫撃大隊のが少なくたってしまったが……
>>448 佐山さんの要塞砲であんなに詳しく書いてたのに元型不明とか相当だよなw
まあ、当スレの記念すべき1スレ目のやり取りで候補はかなり絞り込めたし
波及効果としてラ式十五糎榴弾砲がどうもオリジナルとは多少異なる輸出専用仕様らしい事も発覚したしね
>>407 一応、四式中戦車の車長が技術将校という設定なんだよ
主砲は九九式八高の改造型88mm口径に換えられてるし
是非、ビルマ戦線に一両でも欲しかったって内容の漫画なんだよ
ついでに松本零次漫画には九九式八高のインパール敗退後の話もある
英軍戦車がイージーエイトなのが汚点だが
>>453 あの漫画は高射砲もネックだよ
どうみてもFlaK18。九九式じゃない
>>451 ラ式の誤差も砲身長の計測基準のちがいな気もするけどね
イタリアはライフリングの部分のみだそうだし
多くの国は砲弾こめた弾底まででなかったかな?
松本マンガは考証の甘さが魅力だけどね
しっかり考証してたら面白くなくなる
と言うよりあの時代に今みたいな正確な考証を望むのは無理だろ
ごく一部の軍事専門家ならいざ知らずね
その、ごく一部の軍事評論家ですら色々と説流してたんだから
九六式十五糎榴弾砲話も松本漫画であるんだが、おれは立ち読みだけだ
NHKの「わたしが子供だったころ」で放映してたけど、松本零次の父親は
陸軍航空隊の将校だったそうだ
飛燕か疾風か、良い戦闘機に乗ってたんだっけ
軍人としてそこそこだったらしいけど、戦後の世渡りは苦難の連続で
リヤカー牽いて野菜売りしてたとか再現映像でやってた
番組でやってた。世間も手のひら返したように旧軍将校には冷たいし
自分に課した×、だったかな
とーちゃん、ひこーきにのってくれよ(涙目
そういや九九式八高は砲身が自緊になっていてオリジナルと全然違うけど
砲身だけ流用すれば戦車砲に出来たのかねぇ?
固定戦闘室の自走砲用向けならともかく砲塔式の戦車、砲戦車向けに
砲身だけ流用して戦車砲かする程の手間を掛ける意義があるかは謎だけどw
>>462 生き残った人間は戦没者に負い目は当然あるだろう
小野田少尉や横井さんみたいにね、中原中也の羞恥というか…
まともな神経もってりゃね
<<463
国本さんも高射砲ベースのティーガー主砲のkwk36がマズルブレーキふくめても、
異常に軽いのを不思議と書いておった
466 :
名無し三等兵:2012/02/24(金) 21:22:12.89 ID:nIykKgYT
自緊砲身の九九式八高も砲身はそこまで重くないの?
駐退復坐機関連を重量にふくめるか否で変わってくるとも思うけど、
高射砲改造の戦車搭載型では当然、各部を軽くするはずだし
重量を砲身のみと、関連部位も含むか否かの定義が、国や製造メーカーで異なるでしょ
兵頭さんはアメリカの90mm高射砲は重厚長大だが、洗練されてない
対し、ドイツのクルップ88mmは洗練されていて砲身が軽量と書いてたな
ボフォースを改良してL60 7.5cm高射砲、さらに改良ボアアップ・スケールアップ
のFLAK18系だからね
469 :
名無し三等兵:2012/02/24(金) 21:40:39.69 ID:VkHDTYWS
冬の雷かと思ったら、アイバノ演習場の155ミリ砲の発射音で
ござった>滋賀県北部の某スキー場。ウフフ、プロポーズの祝砲
に聞こえますた。
イマイチ意味不明だが
告ったのか?
二式十二糎迫撃砲は結局何門作ったんです?
>>471 終戦までに約750門ほどらしい
NF文庫の「迫撃砲」のP144以降に詳細が載ってる
1000円でいっぱしの内容が手に入るので佐山さんの印税と続刊のため
買うことを希望します
>>469 のろけだろうが、素直に祝福するよ
砲弾事故防止のスレ功績もあったし
>>472 ありがとう
行動範囲の本屋探してもなかったから注文するか
ドイツ厨が無知のくせに日本海軍馬鹿にしたはずがフルボッコかw
様式美、なんだろうか
個々の技術とか製造機械だと確かにドイツが上だが
水上戦闘艦としてまとめあげる技術はなぁ
まあ、ここで日本が負けちゃうとドイツどうこう以前に
日本がなんなんだとなりそうだが
いや、日本陸海軍でも技術素養のある将校は欧米水準よりたいていの分野で
はるかに遅れてるのは実感してた
なんとかしたくとも、戦中の国内産業の規模と技術水準でどうにもならなかった
その努力が花開くのが50年代のカメラ、トランジスタラジオ
60年代のマン島レース各クラス制覇のモーターサイクル、70年代のアメリカ排ガス規制
による日本製四輪の台頭であってね
対米輸出攻勢の成功にあるんだよ
冷戦下で日本は軍事費を最低限に抑えて、民需に全力を注げた幸運があって
ブロック経済が無くて、もう10年平和が続いていれば大分マシになったと思うけど
大量生産の規格とかの意識改革は対米敗戦が無いと無理だったかなあ
政府の国力増強計画に先立って行われた軍の動員によって資材・技術者・施設を
食い荒らされたからな。
ドイツは技術力はあったけど艦船設計のノウハウが不足していた感じ
負けて眼が覚めて、謙虚に欧米の技術を素直に吸収したのが発展に寄与した
んだろうと思う
航空技師が戦後は二輪四輪メーカーに転職して、飛躍的に日本製の
エンジンと車体技術が上がったしね
ドイツの場合、第一次大戦の敗戦で戦車や航空機と異なり、
造船では技術の継承が上手くいかなかったんだろうね。
日米英も新型戦艦となるとブランクがあったけど
>>479 あんまし変わらないよ
戦前というか16年にはJESが制定されてるから
以降の制式品は基本的にJES準拠なんだよ
厄介なのはJES以前の独自規格の製品のほうが多数派だったってことだけで
10年経っても代替わりの激しい飛行機や戦車ぐらいしか浸透しないかと
特に平時が続いてたら装備品の代替わりも進まないし・・・
結論:ドイツは糞
>>485 これこれ、ドイツとフランスは日本陸軍の師だぞw
そもそもドイツの戦車ってそんなに良かったか?
どれも偉大なヤッツケ仕事、て奴なんだろうけど
ドイツが糞なら、日本は珍滓だっていうのかい?
>>487 設計がアレなのか性能の割に重い気がする
>>487 コンセプトの先進性はやはりすごい
稼働率は?が多いけど
ポルシェ博士の電動式トランスミッションなど理論的にはすばらしい
ソ連が戦後にその機構を重戦車で試してみたり
>>483 継承してるよそれはもう見事なぐらいに
潜水艦だって戦艦や駆逐艦だってみんなWW1の奴の正統進化系だ
ただ大型艦はWW1の時点ですら英に遅れてて(日米も英の影響下)
更に戦後の空白期間で差を広げられたので、旧式の新型になっただけ
潜水艦なんかは元々完成度が高かったからその正統進化で間に合った
>>491 >駆逐艦だってみんなWW1の奴の正統進化系だ
15cm積んだあれか?
>>487 ここの5スレ目でクリーク元帥の話題になったが独ソ戦前にT-34の量産が一時ストップする理由にされたのは
輸入したIII号戦車の試験結果との比較だったからその程度には出来は良い
ソ連側からの独ソ戦前の評価は確かに火力と装甲ではT-34圧勝だし
機動力も額面は大勝利
しかし機械、自動車としての使いやすや乗員に対する配慮がまるで違う
果たして家のT-34は前線でも戦闘能力を維持出来るか程度の疑念は抱かせた様子
少なくともソ連さんはIII号戦車に関しては意外にも相当高い評価をしたみたい
>>493 >少なくともソ連さんはIII号戦車に関しては意外にも相当高い評価をしたみたい
なんだこの冗談は?て見解とは違うのか
ソ連の技術者が四号戦車の工場を見学したとき、もっと強い戦車を隠してるに
違いないと思ったという話があるように、ソ連人といっても評価は一定してない。
なお、実際の兵隊の感想だと、ドイツ戦車は乗りやすい、だけど戦うならT-34だというもの
大昔のサンケイ本ではV号は「贅沢すぎる高価な玩具」なんてカタログデーター
ではT34が圧勝なんだが、その機構の潜在力に危機感を抱いたソ連の技師が
いたことも事実だったろう
ドイツ軍が得意げにW号戦車を「わが軍の最大重量の戦車ですう」でソ連軍将校
にみせたが、T35やKBをもってる連中は「ドイツはもっと強力な重戦車を隠して
いるのでは?」と勘ぐってみたり
から、「ドイツ
>>492 うん、実は1916年型でも15センチ積んでるんだ
>>497 >うん、実は1916年型でも15センチ積んでるんだ
馬鹿じゃないの?
>>494 使ってる技術と車輌としての仕上がりコンセプトは評価してるみたい
バスケットも完備だし
IV号戦車の工場見た時の勘繰りもこいつ等なら
十分もっとデカいの作れる技術はあるだろうという評価の裏返しだし
まあ、個々の技術や製造機械と最終製品はまた違う話にもなるけどね
他所のスレからの転載だけれど、英米仏伊駆逐艦の燃費
米・ギアリング型(基準排水量2,616t)
燃料740t、航続距離4500浬、燃費6.1浬/t(20kt)
英・バトル前期型(基準排水量2,322t)
燃料754t、航続距離4400浬、燃費5.8浬/t(20kt)
仏・モガドル型(基準排水量2,884t)
燃料721t、航続距離4000浬、燃費5.5浬/t(18kt)
伊・ソルダディ型第2群(基準排水量1,645t)
燃料525t、航続距離2,200浬、燃費4.2浬/t(20kt)
どう考えても、独逸駆逐艦の燃費は列強中最悪レベル。
鉄鋼生産力で列強中では日本にも劣る伊ですら、艦艇の設計は独逸より
かなりマシ。
あまりの燃費の悪さにディーゼル機関と蒸気タービンを混載した艦艇も
あったけれど、ディーゼルとタービンの切り替えに職人芸が必要だったり
マジな話独逸に潜水艦以外の船は作らせてはいけない気がしたくらい。
ソ連はドイツの技術に尊敬と憧れがあったのは歴史的事実
クルップ砲も導入してる、出来のわるいやつだけどw
戦間期はドイツ人技師を招聘して各種兵器を製造してる
失敗作の三八式重砲シリーズを導入してる日本としては、嗤えないところだが
T34は何だかんだ言って30t近いからなあ
ドイツ戦車はエンジンがでかくて車体が大きくなってしまったとか
比べられるV2エンジンがチートだったんだろうけど
当時の日本にT-34のエンジン量産できる工場が沸いて出てきたらなぁ
>>495 >>496 逆に言えばクリスティーやビッカースの模倣からたった10年なのに
中〜重戦車に関しては他の国が不況に喘ぐ中でソ連が進み過ぎた。
アメリカなんか1940〜41年頃まで大型旋回砲塔のノウハウなくて
とりあえずM3中戦車みたいになったわけだし。スレ違いスマン。
>>504 原作のほうだと、九二式十加か八九式十五加だね
ロシア・ソ連の伝統として、先進的なコンセプトを提案するトップレベルの
技師、工学者の水準は高かった半面、それを具体化する労働者や生産技術の
レベルはまだ低かった、てところだろうか。ロシア史でよく言われるように、
インテリと農民は別の国に住んでいたとかね。
戦後のソ連科学者のノーベル賞ラッシュだって、実際の研究活動はこの時期に
行われたものが多いわけで。理論面の研究水準はもう世界レベルに達していたんだろう。
高田さんとか古是さんとか、ソ連軍陸戦兵器の大御所も書き込みしてそうだな
>>499 V号戦車にはたしか砲塔バスケットなかっただろ?
スウェーデンのランズベルク戦車参考のトーションバー・サスペンションは
KB重戦車とならび、路面追従性で優秀機構だよね
>>496 そういう勘繰りがあったのは事実だろうね
見えざる脅威に対抗するために、彼らは1941年に早くも70t〜100tの超重戦車を計画し一部試作まで進んだ
KV重戦車のパラノイア的装甲強化もそういう理屈かと
まあ陸軍国のドイツと海軍国の日本の陸海軍を個々に同列で語っても仕方ない。
>>1 >大日本帝国の砲兵が使う火砲全般を語りましょう。
>
>・砲兵以外の兵科が扱う小口径火器についてはスレ違いです。
>・自走砲は可、砲戦車は不可。
>・火砲と無関係な雑談(戦略論など)や脱線はご遠慮下さい。
戦車はスレ違いだ
514 :
名無し三等兵:2012/02/25(土) 06:27:08.67 ID:BP9qkYjX
あ、sageチェック外れてた
大日本帝国陸軍の中迫撃砲が投入された戦場ってどことどこなんでしょうか?
ペリリューで鹵獲された中迫の写真があるですよ
蘇民祭ばりのガチムチ米兵が一緒に写ってるやつな
ウホッ、いい迫撃砲
あれ見ただけで異様にでかいのが分かるけど
本来はあの床板の下に砲そのものより重い巨大な木材床板を敷く
重さだけで山砲を軽く上回る重量級火砲・・・
国軍の中迫撃砲は化け物かっ!?
確か弾重は160mm迫より上だっけ?
>>514 3号戦車に砲塔バスケットが付いたのはH型からで、
それ以前の型は,砲塔リング部に座席がついていた。
>>522 ありがとう、昔読んだ本では砲塔バスケットがないとか書いてたんで
謎が氷解したよ
火砲スレなので本題を書くと
V号戦車の5cm砲はヒトラーが60口径の装備を命令したのに、
量産車が42口径だったもんで、マジ切れした有名なエピソードがあるね
兵器局の担当は左遷くらいですまなかったのでは?とは、よく昔から
PANZERや戦車マガジンで記述してるね
>>517 たしか、あの米兵はガチムチのみならず、胸毛がゴイスー熊系だったろ?
その筋に大人気の
九七式中迫撃砲は副床板が木製なのに、なんであんなに重いんだ?
反動に耐えるため、丈夫に造ってあるのは想像がつくが
内部に補強の鋼材アングルでも入っているのか?
木材副床板370kgっておかしくね?なんだよなぁ
写真見る限り縦横2mX1mぐらい厚みは20cmぐらいかな
硬くて頑丈な木材だと比重0.6〜0.8ぐらいだから、ざっと240〜320kg
補強用の金具とか入れれば370kgってのは不思議でもない数字だと思うが
堅い木材は比重があり、東南アジア産で水に沈むやつすらある
木造建築で使うのは、加工のしやすい比重のない柔かめのやつが主流
木刀の類に使用するのは堅い種類だろう
バットとか、銃剣術の木銃、海軍の精神棒は堅い材質のはず
銃床は胡桃が最適らしいね
スレ違いだが、精神棒でケツをしばく制裁は当然だと思う
フルスイングで頭に振り落としたら、死ぬぞ
>>531 ケツだって希に死ぬ奴も居たらしいし
陸軍だと素手でビンタか酷くてもベルトやスリッパで殴るぐらいなのに太い木の棒で殴るとか異常だろ
>>522 クリーク元帥一派の幼稚な嫌がらせによる生産停止がどうたらこうたらって話で
生産停止派の論拠とされたソ連が買ったIII号戦車がH型だったような?
棒で叩くことに性的な興奮を伴っちゃってたりしたんだろうな
あのバキによれば平手は痛みメインということだからな
棒だと身体ダメージが来る
ストッパーといって、縄の先に錘ついてるやつでけつをなぐるつもりが、しなって殴られた
やつが男じゃなくなったこととか異常だよな。爺さん連中の話聞いても当時兵隊だった
ほうは二度とごめんだ、あれは地獄だった、士官だったほうはいい時代だったと真っ二つだ
近衛行った年寄りの話だとベルトで新兵の面殴ったとか
>>533 スターリンは技術の素人なんだけど、兵器選択のセンスが異様にあったらしいん
だよね、多砲塔を却下して単一砲塔タイプのKB重戦車を採用させたり
ヒトラーはクルマ、戦車好きで知られていたが、砲威力に関しては妥当だが、頓珍漢
な指示だしたりしてる
ともに巨砲主義者ではあるだろうな
クリーク元帥は巨砲信奉してたのに、政敵を追い落とすのが最優先でふるまいが一貫
してなかった点がソ連の軍需生産計画と開発にただならぬ悪影響あたえて
処刑されたのも当然だろう
>>536 帝国陸軍は海軍と比べたら凄い平等だったもんなぁ
>>539 海軍は英国の伝統を学んで上下の差別意識も吸収しちゃったから。
上に都合の良い伝統はなかなか直せない。
>>533 ソ連が購入したのが1940年だから、V号G型の線が強い
42口径5cm砲搭載の型というのは間違いないね。H型かもしれない
こいつらこそが真の戦犯。海軍の予算拡大を目的に、日本を暴走させた張本人。
■海軍の4バカ愚将
@山本五十六
海軍次官として海軍予算拡大のため、大量の航空機を配備してその宣伝のため中国都市空爆を計画した張本人。
盧溝橋事件以前から企画していた、中国に対する計画的な侵略戦争。
ルーズベルトは隔離演説で海軍の南京空爆を非難。
皆の反対を押し切って米国本国であるハワイを攻撃し、日米を全面戦争に突入させた張本人。
国の方針(対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案)では、米国との和平を視野に入れていたが、
ハワイ攻撃(東条首相ら政府は知らされていなかった)によってそれは絶望となった。
A米内光政
日中戦争を勃発、泥沼化させた張本人。第一次近衛内閣の海相として、中国に対する武力行使を強力に進言。
近衛内閣で上海派兵を要求、南京攻略を要求。
都市無差別空爆を敢行。
「頑迷不戻な支那軍を膺懲する」と、支那への宣戦布告とも見倣し得るラジオ演説。
閑院宮参謀総長らによるトラウトマン和平工作を妨害。
小磯首相の終戦工作を妨害。
陸海軍統合案を妨害。
鈴木内閣では豊田、大西の主戦派を軍令部に登用して終戦を妨害。
海軍の省益と組織防衛しか考えていなかった人物。
B長谷川清
米内、山本らと結託し、南京空爆を実施した司令官。
無理やり日中間を戦争状態にした。
C井上成美
重慶無差別空爆を敢行。
何の警戒もせずにガダルカナルに飛行場を建設し、完成と同時に米軍に奪われる。
ポートモレスビー攻略を失敗し、その任を陸軍に丸投げ。
亀レス失礼
>>241 宗谷臨時要塞充当兵器移動の件
C04120612100
これによれば東京湾要塞金谷砲台にあった4門は、横須賀と函館の重砲兵聯隊に各2門ずつ貸与されたらしい。
>>271 前スレの最後の方にあった野重七聯隊の話では、最大射程18000メートルぎりぎりの17000メートルで射撃したとなってるね。
新刊の「はじめてのノモンハン事件」でも九二式十加は最大射程はやってない
野戦重砲兵第一連隊(九六式十五榴)の第一大隊は、距離7000〜8000で砲撃し、
少なくとも、敵の火砲拠点五、六ヶ所に損害を与えた。
同第二大隊は6000〜6500(それがいちばん有効度が高かった)で射撃を開始し、
最初はなかなか敵火砲まで届かなかったが、その後、8000〜10000まで射程を
伸ばし、少しずつ敵火砲を捉えることができるようになった。
ホルステン河の北側に陣取っていた独立野戦重砲兵第七連隊(九二式十加)
の第二大隊では、距離7800から14800で射撃した
普通は三分間に一発撃つところを、最高潮に達すると一分間に一発射撃した。
同第四大隊では強力な軍用二五倍距離測定器が使用できたおかげで、暴露
された目標に対して効果があった。
「中隊観測所にいた軍曹は肉眼でもソ連軍陣地の”上空にけし粒のようなもの
がまき散らされた”のを見ることができた。−−多分掩体からばらばらに
吹き飛ばされた砲であったろう。
ある下士官は「まるでマッチ箱を通して映画を見ているようなものでした」
と描写しており、彼は日本軍重砲の威力を誇らしく思った」
クックス「ノモンハン 上」
また、もう一つの重砲兵部隊である穆稜重砲兵連隊(八九式十五加)は、野戦
重砲兵第一連隊の後方から射撃している。距離12000から三分で二発の割合
で砲撃した。
こうして砲兵団は、初日の二十三日には総計11400発を消費している。
記述を書き込み者が読みやすいよう変えた部分もあり
内容は新書で安いので、オススメします
547 :
241:2012/02/26(日) 19:12:44.02 ID:???
>>545 補完乙
「要塞砲」では、あそこまでしか書いてないんだね
きょう大型古書店でPANZERを四冊買った
持ってるんだが、旧軍火砲関連しらべるのに、押入れから掘り出すのが面倒で重複するのが二冊…
100円のが三冊、380円のが一冊
2011年9月号で松井史衛さんが九二式歩兵砲の記事、以前はこのひと佐山さんの
重複ペンネームかと思ったが、どうやら別人のよう
91/2から三回連載、桑島昌孝さんの「日本陸軍の火砲」も子気味よくまとまって
いる
記事では三八式野砲は1600門以上、四一式山砲が1450門くらい、九四式山砲が約784
門の製造門数となっている。現在判明してる数字とはちがうが、
「今まで、わが国の火砲の生産量は不明であったが、筆者が永年努力した
結果、生産数量がつかむことができたので、今回初めてPANZER誌上に掲載した」
と断っているので当時では最新の数字
木俣滋郎さんの九四式山砲記事のも買ったんで、そのうちにUPしたい
549 :
545:2012/02/26(日) 19:38:21.66 ID:???
>>547 さらに補足
>>545の通達は1938年のものだが、
兵器返納の件
C01000057200
1942年2月に函館重砲兵聯隊を隷下に置く第7師団と技本に返納の命令が出され
(ということは横須賀重砲兵聯隊には配備されなかったのかな)、
兵器増加補給の件
C01000075600
同月に計4門を豊予要塞に補給する通達が出てるから、
最終的に豊予要塞に8門が集まったんだろう。
残りの1門については
兵器調弁並改修の件
C01006366800
ここから推測するに1号砲を大阪の砲兵工廠で保管してたのではあるまいか。
>>548 結果的に山砲はもっと多い事がわかったんだよね
特に九四式山砲
やはり研究は日々進歩していくのだなぁ……
ところで松井さんって何者なんだろうね?
よくお名前はここでも拝見するのだが
結局九九式十糎山砲って本土それも伊豆諸島含めて関東に集中していたらしいって事でFA?
>>549 七年式は初速がたかいんで、高初速用各種砲弾の試験用とかにのこした可能性
はあるね
試製高射砲砲身転用の大威力十加の例もあるし
保管転換海軍砲も部品取り用や予備の補充用で、譲られた全門を据えつけたわけでないからね
しかし転換海軍砲は部品取り、予備補充用と言うには少し多いから勿体無いな
サイパン辺りに対馬海峡、コレヒドールやハワイ、クリミア半島ばりに据え付けて
要らん労力でも米軍に強要したかった
周囲に高射砲、高角砲沢山付けて敵航空機誘引して戦闘する場所にしたりして
>>550 いや、この記事の出来は1983/2発行だけど、現在の眼でみてもかなりいいぞ
現物よむとわかるけど
木俣さんの兵器記事はアッサリしたもんが多いんで、そう思うのも無理はないが
昔、中学生のおれを木俣記事がこの世界に優しくハマらせたんだな
たびたび話題になる国軍迫撃砲だが大隊単位で見ると
迫撃砲大隊は小笠原、フィリピン、支那方面
残りは大半が本土
迫撃大隊は満州に結構居て支那方面からジャワ、ニューギニア
フィリピン、小笠原方面と割りと広範囲に分布しているな
微妙に傾向がわかるようなそうでもないような
後、意外にも大隊単位で見るとビルマ方面に迫撃砲が居ない
二式十二糎迫撃砲がビルマにあったら、
かなり重宝されたのかな?
>>557 やはり、大陸で使う兵器じゃないって思ってたからなのかな?
毒ガス散布用か、第二線向けの代用火砲か、ジャングル・島嶼戦の特種兵器と。
結構使えたんじゃない?
インパールとか北部ビルマとか雲南国境にこそ迫撃砲は必要かも
しれない
松井さんの九二式歩兵砲の記事
1937年(昭和12年)7月以降の日華事変で実際に使ってみると、精度や強度に欠陥
があり、操作が不便であるとのクレームが続出した。
中国戦線やフィリピンで戦った第四師団(淀兵団、大阪の兵)のK大尉は
「九二式歩兵砲は失敗作だった。野砲としては射程が短すぎたし、迫撃砲
としては仰角が不足していた。その上車輪があるため重たくて山中の移動
が不便だった」と述べている。
また、台座がグラグラするので、石を詰めて撃たなければならないほどだった。
佐山本とはちがう記述のおもしろさがあるね
ペリリューのように大隊単位で見ると居ない筈の場所に迫撃砲が居たりもするんで
中迫や軽迫みたいな大日本帝国陸軍の中でも確かに「迫撃砲」って制式名称の兵器は居た可能性高いと思うけどね>ビルマ
2B9 82mm自動迫撃砲って大日本帝国陸軍のお眼鏡にかなう良兵器だろな
間違いなくw
ビルマは英軍鹵獲の迫撃砲が結構あったんでないの?
ビッカース3.7インチ高射砲をラングーン防空隊で使ったし、25ポンド砲も
ビルマで使ってるぐらいだし
国産品を送らなくても事足りたんでは?
そういや25ポンド砲って国軍が異常に気に入ったみたいだけど
結局ビルマで前線投入された分と本土にドナドナされた分以外は
南方軍がマレーとシンガポールに溜め込んでたのかな?
あれこそ纏めてフィリピンにでも送り届けたり補充用砲弾を生産したりすりゃ良かった
九九式八高砲弾の弾帯うすくするだけで、25ポンド砲で撃てそうだ
25ポンド砲って外見は単脚砲架で古臭いんだけど、新式野砲で精度や使い勝手
が、スタイル的にたいしてかわらん一次大戦型野砲と大きな差があったんではないかな
1980年代まで平気で現役だもの
口径的に他国10cm級軽榴弾砲との砲弾威力差が気になるが
英軍豪軍砲弾炸薬が糞というのは前にあったな
全周砲撃用の円形板がデフォで付いてるしね
本気でアマトールだからな
びっくりするわ
大日本帝国陸軍とか代用すら平寧薬なのに
旧車二輪四輪が当時パターン復刻の現在のタイヤを履いたら走りが当時
新車時より劇的によくなるんだね
ゴムのコンパウンドが格段の進歩してるもんで
そのノリで25ポンド砲弾を日本で生産してれば、相当威力があがったことだろう
2ポンド砲用の砲弾は枚方で作ってるのにな
574 :
名無し三等兵:2012/02/26(日) 21:56:28.19 ID:UpLWTNS/
四式四十糎噴進砲は、二十糎噴進砲みたいに金属製の専用ランチャーを作る計画は無かったのかな?
あったよ
ただ資材不足かつ木製の専門発射器で事足りたから中止
九八式臼砲と四式四十糎噴進砲を史実の10倍位硫黄島に投入したい
ついでに沖縄にはもっと欲しい
サイパンは据付コンクリート砲床の海軍砲の準備が整わなかったんで、
装輪式の四年式十五榴をさらに12門追加装備してれば、倍以上の米兵
5000人殺傷もイケたと思う
結局は玉砕の時間がのびるだけだが、よりおおく損害を与えるのは無駄ではない
サイパンと言えば海岸に据え付けられた短12センチ砲の写真思い出す
キャプションで砲台長曰くこんな変な大砲より25o機銃をもらった方がよっぽどマシだとかあるやつ
短20cmもサイパンとグアムに現存してるよ
木俣滋郎さんが30年前のPANZERでマボロシの火砲をみつけた!でよろこんで
いたな
うまく使えば、25mm機銃とはまたちがった威力があるんだけどね。腐っても大口径で
上陸舟艇をを迎え撃つには機銃のがよさそうな気はする
海岸で炸裂させるなら大口径榴弾がいい
上手い事短20糎を海岸堡に叩き込めたたら上陸後の米軍大混乱だな
重巡の正20p砲弾の在庫対策だっけ
硫黄島にもなんだかんだ言って十五榴欲しいような
しかしあそここそ四式十五糎自走砲が欲しいな
584 :
名無し三等兵:2012/02/26(日) 23:34:57.59 ID:QaaHxjJf
終戦間際の第13軍がかなり凶悪
>>538 以前に話題になった時はクリーク元帥の主張もそれなりに妥当性はあったり
意外に言ってる事もそれなりに評価出来る点もありみたいな話だったかと
>>540 独ソ戦まではかなり気前良く売ってるし
兵器も新兵器を良く見せいているからH型でも変じゃないと思う
そういや日本と満州国にとってもソ連はかなり重要な輸出相手国なんだよなあ
戦前の経済、工業を語る系のスレで話題になるが
ソ連って20年代からの経済成長でかなり支払いの良い良輸出相手国だったようだ……
>>549 七年式十五糎加農って最後は豊予要塞に集結していたのか
残りの1門は
>>553の推測通り実験用だったのかもね
ところで山砲のタ弾ってなんで四一式臼砲ばかりで
九四式山砲の話題は殆どみないんだろうか?
連隊砲か否かも大きいのだろうが
幾らなんでも九四式山砲がタ弾を使用した事例の話題が少ない気がする
そしてタ弾の話で疑問なのは引き付けて撃てって話を時折見掛ける所
仕組み上一定以上の弾速なら問題無いし
むしろ当たりさえすりゃ残速が遅くなってる遠距離のが良くね?
587 :
名無し三等兵:2012/02/27(月) 00:37:19.64 ID:9lRRiVgt
ペリリューってよく中迫や九五式野砲絡みで話題になるが
意外に日本側の火砲火力がショボいよね
よくやったわマジで
あれで硫黄島並みの火力があったらマジヤバいな
>>586 その当たるかどうかが距離でだいぶ違うからじゃね?
比較的軽量のタ弾は遠距離じゃ急速に弾道悪くなりそうだし
何発も連射できるほど弾数もないだろうし
実際タ弾の残速ってそこまで極端に低下するのかな?
さすがに500m〜600m位なら許容出来る範囲の命中率に収まると思うが……
伊軍の野砲のEP(成形炸薬)弾も300-400mで射撃するって某スレにあったな
歩兵砲がブレンガンキャリアにやられた例もあるしそんなもんだと思うが
そう言えばなんかの戦記で九二式歩兵砲でも30mまで引き付ければM4を撃破可能と言う記述を見たが、あれはタ弾(外装式か?)の有効射程の事だったのかも知れない。
九二式歩兵砲の場合側面なら徹甲弾でも抜けそうだがどうなんだろうねぇ?
92式のAPは、射程100mで30mm(おそらく第二種鋼板対象)が限界値らしい
594 :
591:2012/02/27(月) 02:04:44.75 ID:???
>>592 うろ覚えの書き込みで申し訳無い。
山砲用の外装式タ弾の必中距離が50mなんて記事も見た事があるから、元から命中精度が悪い歩兵砲ならなおさらだと思ってね。
そう言えば山砲用や歩兵砲用のタ弾って外装式と通常の弾薬筒式の2種類あったんだろうか?(擲弾筒用のタ弾もあったらしいがこれはさすがにスレチだな)
九二式歩兵砲の30mmは多分一式徹甲弾じゃないよね?
一式徹甲弾が使えるならもう少し上ぶれすんじゃないか?
そう考えるとそれなりに弾重稼げそうな三八式十二糎先生の出番がっ!?
>>594 歩兵砲用の外装式タ弾って初めて聞いたわ
ソースくれ
30mは多分側面1.5インチを徹甲弾狙い
歩兵砲の場合、臼砲や迫撃砲に近い短砲身低初速なんで弾道が安定しない
不発が多発する原因もそれなんで
直射の場合とにかくブレても当たる位置まで引き付けないと信用ならなかったらしい
初速上げたら上げたで弾底信管が外れるという問題(94式7cm戦車砲)もあるんで
もう根本的にどうしょうもないのかもしれん
ただし
タ弾は500mで90mmってのが公称数値なんで
なんぼなんでも30mまで引き付けないと無理ってのは考えにくいが
正面から撃って貫通できるのが30m程度ってことかしれない
シャーマンの前面は垂直換算で90mmちょいだからね
それ以上は弾道がブレブレで真っ直ぐに当たらん=貫通できない可能性大、とかもありそうで怖い
>>595 初速が初速だから一式でも大して変わらんと思うぞ
大日本帝国陸軍の十二糎榴弾砲って鴨緑江会戦で最初期の野戦重砲として華々しくデビュー戦を飾って
間接射撃を披露して露軍の砲兵を圧倒した時が頂点だったね
そして最後はノモンハンで華麗に役立たずぶりを披露した訳か
正直代用歩兵砲としちゃ悪くないと思うんだが
歩兵連隊レベルで120mmクラスの大砲を運用できる日本軍ではなかったのであった
車輌か馬匹がそれなりに揃っていれば三八式十二糎榴弾砲も重量級歩兵砲として使えたんだろうけどね
ドイツ軍には150mm重歩兵砲が居るし
でも車輌が充実した大日本帝国陸軍って普通に想像出来るって言うか
一応自動車化師団もあったけど
馬匹が充実した大日本帝国陸軍ってまるで想像出来ねぇwwwww
>>597 タ弾なんかの成形炸薬弾の威力って、弾頭直径が貫通可能な装甲厚
だったっけ?
うまくライナー設計すれば直径以上の貫徹ができる
ただ、最先端のドイツですら、ライナー設計の最適化に試行錯誤してたのが当時の状況
>>601 とりあえずは直径は達成したい
ただ山砲用タ弾の威力が100mmに到達したとはこのスレでもよく見掛けるし
戦車系スレを見てもよく書いているがタ弾の性能は日々改善されていたとか
最後まで改良され続け威力増加の努力が行われている
97式中戦車用のタ弾もあったらしいが、初速が遅いという事は
命中のタイミングがずれるってことだよね?
タ弾に関しては余り速過ぎるのも問題
だから山砲やチハの57mmなんかには最適
ただし命中率は最初から徹甲弾や通常榴弾には負ける
そもそも57mmだと限度があるのかあまり熱心ではなかったようだ
本命は75mm級以上
まあ、噴進砲や無反動砲だとまた違うようだが
短砲身57mm砲の威力って全部の弾種総合しても
今で言うと40mmグレネーダーのマルチパーパス弾程度なんだよね
有効射程が長いだけで
>>601 一応主戦力の75mmタ弾では100mmくらいは達成してるみたいよ
57mm砲では50〜55mmで碌な戦力にならないけど
反面12cm榴で140mm、15cm榴で150mm程度で、大きくなればなったで設計か製造が難しかった模様
四式自走砲がタ弾なしで戦場に送り込まれたのもむべなるかな
あれだけ弾量があると榴弾で充分だったんだろうねえ
流石に十五榴になるとブチ当てるだけでも十分だったんだろうね
当時のタ弾は設計が確立しきってないのもあって、性能には半ば運の要素もあるね。
ドイツではパンツァーファウストとパンツァーシュレックの口径と貫通力が逆転してるし、
日本でも小銃40mmタ弾は米軍の資料で100mm貫通とある。
これは撃たれる側の米軍が脅威を重めに見積もった可能性もあるけど、
マチルダを撃破した事例から考えても最低70mmは抜いたとみていいはず。
当時でも口径の倍以上抜くタ弾は十分あり得たが、狙って出せる性能でもない様子。
軟鋼(mild steel)に対して100mmって話なんだけどね
旋回安定だから、メタルジェットが引きちぎられてかなり性能さがるし、
装甲抜いただけではだめで、メタルジェットが吹き込んだ先に、なにか致命的なものが
ないと意味がない。抜けたことは抜けたけど、搭乗員が焼けどしただけで終わりという例もある
その辺が戦後、HEATが戦車の装甲厚に対して怪物的に進化を遂げなくてはならなかった理由だな
穴開いてもそれだけって可能性もあるからねぇ
>>609-610 40mmタ弾って二式小銃擲弾の話で、静止試験で軟鋼に対して100mmじゃなかったっけ
旋回が悪さをするなら九二式10KでG弾を叩き込んでやればM4中戦車なんていちころ!!
って冗談はともかく大日本帝国陸軍は回転がHEATに悪影響与えるって知らなかったの?
外国、少なくともドイツは知ってた臭いが聞かなかった?
>>612 本当だ、軟鋼に対しての静止試験だね
こいつも一応旋転安定だし、鋼板の質も考えると、大分割引かれそうだ
戦後のHEATってなんであんなに口径に対する威力が向上しているの?
一体どんなブレイクスルーが?
ライナーの最適な形状が分かったんでね?
あと、現在の戦車砲のHEAT-MPは施条砲から撃っても回転しないようになってたと思うんだが、カールグスタフとかは施条あるけど見た目普通だな
>>615 炸薬の進歩が一番かな
戦後のやつはライナーの工作精度や適性設計でも進歩するんだけど
炸薬もRDXやHMXといった高速炸薬で配列も工夫してとすごい進歩してる
(日本軍のHEATは淡黄色なんで戦後のに近い性能の炸薬なので有利ではある)
>>613 無論知ってはいたが、それ以上に貧乏な日本としては命中率が必要だったし
発射に大量の火薬類必要とするロケットランチャーや無反動砲は忌避された
大口径噴進弾に関しては簡便な上に精度高い工作が不要だから作られただけで
歩兵用火器としての噴進弾は試作だけ
あの手のものに速射砲並みの命中率と、山砲並みの威力を同時に求めるのがね><
619 :
名無し三等兵:2012/02/27(月) 16:31:16.54 ID:e9HyYn4B
戦場で阿片煙凪がせば良かったのに
>>618 でもロタ砲&砲弾は状況考えたら物凄い数作られてるよね
単純に研究開発が間に合わなかったんだと思うよ
ストークブラン式迫撃砲と同じで、知られてないだけで大車輪で増産にかかってた内の一つだと思う
有翼弾が少なくて旋転弾ばかりなのは、そっちの研究が先行していて早期に戦力化できるからってのもあるし
更に、昭和15年頃まで鋳物で有翼弾の精度を出すのが大変だったという側面もあるから何とも
おっ、丸で青島攻略戦の記事が出てるな
重砲含めて結構鹵獲してる臭いが国軍はこの時の鹵獲どないしたん?
>>611 > 抜けたことは抜けたけど、搭乗員が焼けどしただけで終わりという例もある
>>612 > 穴開いてもそれだけって可能性もあるからねぇ
HEATってそんな物なのか
狭い車内に高温高圧のガスが吹き込むんだから、全員蒸し焼き状態だったり
気化爆弾みたいに窒息死したりするかと思ってた
>>622 装甲を貫通するメタルジェットのエネルギーの多くは装甲部分で
失われてしまうからねぇ。
>>622 状況次第だね
本当に装甲抜くだけで殆ど減衰仕切っていて
文字通り穴が開いただけみたいな事例も確かにあるようだ
>>622 HEATはガスを吹き込むものではなく
爆発で流体金属化した金属製のライナーが超高速で装甲板を貫くもので
すごく貫通力のある超小口径の金属実弾みたいなもの
鉄骨切断とかでも使われるぐらいで、なんていうか意外としょぼいよ
>>622 単純なHEATの場合に起きてしまう、その問題を解決するのが「HEAT-MP」とか「HEP」。
「HEAT-MP」なんかは高威力を保ったままスラグが装甲を突き破って(仕事をするのは
メタルジェットだが)中に入り込むから乗員は下手すればミンチになる。
>>620 確かに無反動砲とか歩兵向け噴進砲は投入機会が殆ど得られなかっただけで本土決戦用に大量生産真っ最中だったみたいね
沖縄に無反動砲や歩兵向け噴進砲が投入されたとかしないとか
無反動砲は確定らしいけど
>>622 イスラエルが使ったG弾も複雑な機構で炸薬量が少なくあたり所が悪ければ
命中しても逃げられたって話もあった。
とりあえず、硫黄島の砲兵&歩兵砲@戦史叢書(※は日本陸軍機械化部隊総覧)
混成第2旅団砲兵隊 三八式野砲(10) 三八式12榴(6) 四一式山砲(5) ※同じ
歩兵第145連隊砲兵大隊 三八式野砲(9) 三八式12榴(4) ※同じ
戦車第26連隊砲兵中隊 九〇式機動野砲(8) ※記載なし
独立臼砲第20大隊 九八式臼砲(12) 軽迫(28) ※九八式臼砲(12) 軽迫(12〜24)
中迫撃第2大隊 記載なし ※九六式中迫撃砲(12) 軽迫(12)
中迫撃第3大隊 九六式中迫撃砲(10) 軽迫(6) ※同じ
独立迫撃第1中隊 記載なし ※海軍制式三式迫撃砲(12)
第109師団噴進砲中隊 噴進砲(40) ※20糎・40糎噴進砲(46)
第109師団高射砲隊 記載なし ※記載なし 「高射戦史」によれば2個中隊(装備記載なし)
独立速射砲第8〜12大隊 一式機動47粍砲(各12)
独立歩兵第309〜312・314大隊歩兵砲中隊 九二式歩兵砲(各2) 九四式37粍砲(各2)
歩兵第145連隊第1〜3歩兵砲中隊 記載なし
独立混成第17連隊第3大隊 記載なし
特設第20・21・43・44機関砲隊 記載なし 「高射戦史」によれば海軍九六式25粍単装機銃(各12)
>>630 実数は前後しそうだが硫黄島の地積を考えるとやっぱり結構な火力だなあ
ペリリューとは段違いだ
>>574-575四十糎噴進砲のランチャーを五式砲戦車の車体に搭載すれば、正に和製シュツルムティーガーだな。
>>616-617 成る程炸薬の性能やライナー形状が全然違うのか
国軍のタ弾がメタルジェットにあまりよろしくない回転が掛かっているのに
それなりの威力を維持出来たのは炸薬のお掛けか
回転速度(の遅さ)じゃね
>>626 HEPはまた違うし
HEAT-MPはメタルジェット形成に悪影響を与えない部位に
榴弾効果を得られそうな物をくっ付けてるんでしょ?
メタルジェットでブチ抜いた先にも飛ぶのかしら?
>>618 足掻きまくって結局無理だったんだなぁ……
九四式速射砲の外装式タ弾の写真は比較的知られていると思う
640 :
名無し三等兵:2012/02/27(月) 21:59:27.38 ID:T0H59EIL
>>630 九一式十糎榴弾砲と九四式山砲が居ないのが意外
それに三八式十二糎榴弾砲を投入するなら十五榴も行こうぜw
乗員が火傷すればそれでおkというか
九四式山砲もタ弾の実戦使用例がビルマでしられているんだが、「大砲入門」では
試験中で実用化されてなかったそう
おそらく現地部隊の発案で四一式山砲弾頭に九四式の薬莢を組み合わせたんでないかな
九四式山砲用のタ弾ってそんなに開発遅れていたの?
硫黄島って確か九四式速射砲も居たよね?
後「軽迫」の実態が気になる
初速がちがうんで、砲弾扇動の影響で成型炸薬の効果が四一式よりシビアと
思われるね
日本軍お得意の最適化にこだわったんでは?
>>630 このスレのヒロイン三八式十二榴が10門もあったのか
三八式12Hお嬢様は実は12門居たとかも聞くな
お嬢は山本七平と浮名をながして、キワモノ人気になったんだろ?
>>594 スレチでお詫び申し上げるがせっかく見つけたので
弾薬補給の件
C01000734500
1942年10月7日付の第17軍に対する弾薬補給の通達。
内訳は40粍タ弾(wikiを見るに外装式のグレネードランチャー用か?)発射薬筒2000発と、
独立山砲兵第10連隊向けの四一式山砲榴弾30000発。
速やかに発送せよとあるが時期は第2次総攻撃の直前。
これらの弾薬はガダルカナル島に届いたのだろうか…。
>>645 昔どこかに貼った気がしたんだが見つからないのでもう一回
アメリカ陸軍指揮幕僚大学の下にあるCombined Arms Research Libraryの史料
Defense installations on Iwo Jima
ttp://cgsc.contentdm.oclc.org/cdm/compoundobject/collection/p4013coll8/id/669/rec/2 硫黄島の戦い後に米軍が調査した日本軍の防御陣地に関する解説。
防御陣地を掲載した詳細な地図が付属しているほか、写真付きで各種陣地・砲座が解説されている。
迫撃砲についてはPart3に解説と写真があり、
・320oのスピガット・モーター(多分九八式臼砲)
・150o迫撃砲
・81o迫撃砲
これらの火砲と砲座の写真が掲載されている。
またこれらのほか、小口径の迫撃砲も使用されたと書いてあるね。
ちなみにPart1には全体の概説が載っているが、迫撃砲に関しては九八式臼砲は発射数が少なくその効果は疑問としている。
>>650 島嶼戦スレに貼られていませんでしたか?
>>651 そんな気もしたんで探したんですが見つかりませんでした。
同じページから探したであろう、他の方が貼ってる史料はありましたが。
>>645 書き忘れたけど九四式速射砲についてはPart3冒頭に写真が載っているほか、
数ページ下に陣地の写真が掲載されている。
>>625 イラク戦争後の治安戦でパトロールを終えたM1の防盾にエンピツ程の直径の穴が車内まで貫通していてどうやら知らない内に新型のRPGで撃たれていたらしい?と言うニュースを覚えているよ。
何とか装甲を抜いても小穴を空けるだけで精一杯だったんな。
メタルジェットの進路上に乗員や可燃・爆発物がなかったのが幸いしたんだろうけど、WW2レベルのスチール製防盾なら大穴が空いてスポールやらスラグやら爆発ガスやらでひどい事になってたんだろうなあ。
戦車って命中弾があっても気付かないものなのか?
貫通するしないはともかく、RPGなら爆発は有っただろうに
アメちゃんはアバウトだからな
気付かなかったんじゃね?
それだけG3MBTに分類される車輌の主防御区画が頑強と言う事なのでは?
大方、車内でエロ話でもりあがってたんだろ?
「おれのプッシー・、キャットがさ〜」とかw
97式中戦車で中国で戦った人の戦記で
バズーカ砲で撃たれたことが何度かあったけど
何の威力もなかったって書いてたな。
たまたま戦車側に都合の良い場所に当たったんでは?
おれは子供向けwインパール戦記でバズーカ(多分、本当の所はPIATだと思うが)で撃たれた日本戦車が瞬時に火だるまになったと言うのを読んだ事があるよw
スレチはこの辺にして、やっと「要塞砲」買ったよ。これからじっくり楽しもう。
>>630 皇軍の砲兵部隊の編制マジ複雑…
硫黄島はまだマシな方ではあるけど
>>643 それ見ても最後のスラグ状の残り滓は破孔に当たって塞いだ上、変形してるじゃん……
>>650 中迫のと三式迫撃砲か曲射歩兵砲と思しい写真はあるけど軽迫がないのが気になるね
しかし中迫でかいな……
大日本帝国陸軍の中迫撃砲って確か砲弾の重さが160mm迫撃砲より上の筈
軽迫、中迫といった重迫撃砲は弾の重さよりも射程の長さの方が後座抗力というか射撃反動により影響しそう
中迫と同等の口径の米軍の155mm迫撃砲なんて、砲自体も軽いしかなりちゃちな駐退機で済んでる
その代わり射程は2km程度しかないけど
攻城臼砲除いたら、中迫以上の大射程大口径迫撃砲運用してたのはソ連だけじゃないか?
何気に迫撃砲大好きな日本軍
あんなお化けみたいな迫撃砲を使うのは大日本帝国とソ連位
試製四式重迫撃砲を作ったのはなかなかのこだわりだよな
668 :
名無し三等兵:2012/02/28(火) 12:51:14.62 ID:qlcEDxO7
迫撃砲って運用戦術上、そんな射程いらんだろ
迫撃砲を師団砲兵として考えると日・ソの運用になり、大威力と最低4000〜5000m級の射程が欲しくなる
※もっとも日本の迫撃砲の約4000mって射程は元々瓦斯弾の使用が前提だけど
日本の二式十二糎とかまさに師団砲兵の代用だから、資源に困窮してても軽量小型化できずあの射程が必要だった
迫撃砲を歩兵支援火器として考えると2000mもあればいいし極端にでかい砲弾である必要もない
日本で言うと曲射歩兵砲とか擲弾筒とか小迫撃砲みたいなものでいい
つーか、日本陸軍の言う「迫撃砲」の主目的はガス弾の投射で砲兵の所管。
支援火力として歩兵が持つストークプランは曲射歩兵砲。分けて考えないと。
砲兵と言うか化学兵じゃなかったか?
まあ、対戦車砲を速射砲と言ったり、対戦車ライフルを自動砲と言っても機能は変わらんし
一般的なイメージ通り曲射歩兵砲=迫撃砲で良いと思うよ
結局相手に劣る戦力で戦うとなれば射程か威力か命中精度かどれかは秀でないとだから
その辺の兼ね合いじゃないの?
>>667 愛すべき禿な人のフューチャーウェポンで
アメリカの前装式自動装填迫撃砲が出ているのを見て
どっかで見たよなこのギミックと思ったら四式だったw
>>670 だから師団砲兵として使う場合と断ってんじゃない
日ソの場合はそういう方向にも積極的な投入を試みたからね
化学戦部隊としての迫撃砲部隊は米化学迫撃砲大隊とか独の類似部隊とか
割りと普遍的に存在しているが
日ソは更に砲兵として一歩踏み込んでいる感じ
>>671 瓦斯弾使う場合も一応扱うのは砲兵の皆さんだね
端からそういう任務が主任務だし
一般の砲撃も最初からする予定だった筈だが
>>672 まあ、一般に「迫撃砲」って言ったらある形態の火砲を指すんだけど
日本陸軍の場合は機能とか運用で「(中・軽)迫撃砲」と「曲射歩兵砲」を分けてるからね
第二次大戦中は「軽迫」の代わりに曲射歩兵砲を配備したりと泥縄だけどね
「軽迫」は射程は瓦斯弾の使用が前提で4000mを目処とし、薬液量の関係で口径を決定しているから
射程の優越とか榴弾威力の優越なんて全然関係ないよ
九七式軽迫撃砲は当初空中投下も考えてた
実現たら偉かったのだが物料箱二つに分けないと入らなかったのでポシャったらしい
どの道空挺降下自体やれる状況じゃなくなってたんで関係ないけど
言うほど曲射歩兵砲と軽迫撃砲の間の垣根は高くなかったのでは?
ソ連の160mm重迫撃砲と国軍の中迫撃砲だと
国軍の中迫撃砲の方が砲弾の重量重たいのけ?
で、日本軍の迫撃砲弾が仮に重いとして
ソ連軍の榴弾炸薬は性能的、成分的にどうなんだろう?
英連邦砲弾は後進的で糞ということらしいが
>>549 じゃあ、東京湾要塞の三年式十五加というのは
参式砲塔加農二基(四門)でいいのかな
戦史叢書は聞き取り調査がからまとめたものが多いそうなので
発音がおなじ、参と三で誤記してしまったものか
アマトールだからWW1頃だと普通だろうし糞、糞言われる程ではないかも
ただWW2だと微妙感が漂う
迫撃砲
口径/放列重量/主要弾の重さ/同射程/名称
82mm/56kg/3.05kg/3040m
120mm/280kg/16.0kg/6000m
160mm/1170kg/40.8kg/5150m
日本
81.3mm/67kg/3.35kg/2850m/九七式曲射歩兵砲
90.5mm/159kg/5.41kg&11.36kg/3800&1450m/九四式軽迫
90.5mm/106.5kg/5.26&11.23kg/3800m&--/九七式軽迫
120mm/260kg/13.1&20.05kg/4200&--/二式十二糎
(重榴弾と普通の榴弾がある)
150mm/530kg/20.0kg/2000m/九〇式軽迫
150.5mm/722kg/26.39kg/3900m/九六式中迫
150.5mm/342+370kg/24.35kg/3800m/九七式中迫(長)
150.5mm/232.5kg/24.11kg/1600m/九七式中迫(長)
ああ、いけね、上段はソ連軍のね
ちゃんと探れば真っ当な理由があるんだろうよ
ただ結果しか見ない(見えない)から糞だと感じるのでは
まあいろんなことに当てはまるんだろうが
ソ連の120mmがやたら高性能に見えるw
さすがに160mmは重いね
ただ中迫でも周囲に降ってきたらやだろうなぁこれw
結局日本での重/中迫撃砲の運用の仕方は、他国に比べると「変態」なのか?
90mmのやつは、威力はあまりあがってないのに、迫撃砲の簡便性をそいだ失敗作に見えるな
似たような性能のものをこうもたくさんつくらんでもいいだろうに
大日本帝国陸軍にとって迫撃砲の性能追及はそれだけの価値がある行為だったんでないの?
>>684 比較相手は米の化学迫撃砲大隊とかソ連の師団砲兵以上に配備された迫撃砲だろうし
あんなもんなんじゃないの?
で、結局硫黄島には九四式山砲は居なかったのかな?
三八式十二糎榴弾砲は山本七平に変な砲弾撃ってたとか言われてたが破甲榴弾の事だよね?
硫黄島でも悪神M4中戦車に破甲榴弾叩き込んでたの?
主用砲弾は九八式榴弾だろうが……
>>688 師団砲兵が山砲兵連隊でないと望み薄でない?
それでさえ、四一式の場合があるし
戦争画の硫黄島描いたやつは四一式だな
>>690 軽迫と曲射歩兵砲、あるいは軽迫と中迫はもう少しうまく統一できなかったかなあ。
>>683 炸薬量は同口径の通常火砲より、ずっと多いし、
しかも大落下角で弾片がまんべんなく降りそそぐんだよ
暴露目標だとひとたまりもないよ
命中精度が低いのが、撃たれるほうには救いだが
大陸戦線と、昭和十八年の対米戦闘で日本兵死傷トップが敵の迫撃砲によるものだよ
硫黄島こそ独立山砲兵連隊、大隊が必要だったのではないか?
>>685 そもそもの開発経緯がガス弾の投射装置としてストークブラン式を選択しただけだから
半端に見えるのは仕方がないかと
素直に拡大したら反動がでかくなりすぎて床板がでかくなりすぎ、慌てて駐退機付けたって代物だぜ
>>692 上で誰かが書いているように軽迫撃砲は米の化学迫撃砲大隊の107mm迫撃砲みたいなもんだし
中迫撃砲はより大意力を狙い、曲射歩兵砲は所謂「普通のストークブラン式迫撃砲」だから
軽迫撃砲との統合って一番やりにくくね?
>>694 うーん、フィリピン戦の教訓だろうか、米軍はタ弾対策でM4の側面に
木版貼ったりしたのを硫黄島くらいから投入してくる
山砲での撃破はむずかしくなってきてるんでは?
九○式野砲が配備されてた史実がむしろ幸いだったと思う
山砲の役目は海軍の三式迫撃砲を使って、陸軍が全うしたと思う
>>692 九七式曲射歩兵砲の方が軽迫より使い勝手良くて
射程とわずかな威力差以外どう見ても優秀なんで太平洋戦線では積極的に代用されてる
実戦では軽迫は結構冷遇されてる印象が強い
このスレで以前判明したところでは
海洋編成部隊の「軽迫」はほぼ全部曲射歩兵砲で代用されてる
硫黄島の「軽迫」も曲射歩兵砲の分があったかもしれない
瓦斯弾使用前提で作られた軽迫と中迫を統合して
榴弾発射機として使い勝手と威力を両立させたのが二式十二糎だから
まあ、統合はされてるし、淘汰もされてるって見るのが妥当かなと
いやまあ、別に対戦車任務に限定する訳ではなく
普通に砲撃の為にねどっちかと言うとこちらが主目的で
ちなみに対戦車任務はその場合
最初に榴弾を当てて余計な物吹っ飛ばしてから
タ弾当てるみたいな協同作業が必要かな?
幸か不幸か瓦斯弾は使われなかったし
威力たっぷりの中迫撃砲と違いより専用色の強い軽迫撃砲が微妙になるのは仕方ない
ちなみに射程6000m、重量550kg(砲365kg+走行装置185kgの合計重量)の試製機動十二糎迫撃砲って
まるでロシヤの120mm迫みたいなやつも研究はされてるけど昭和18年に不急兵器として却下されてる
やっぱり手で運ぶつもりバリバリだったんだなぁ……(´;ω;`)
砲身が軽量な抜き物で作れなかったお陰で
軽迫・中迫・12cm迫がみんな重たい砲になってしまっているのが残念
>>700 いや、それがね大陸では使ってるわけよ。ガス弾かはわからんが確実に毒ガスを
大陸で皮膚が真っ黒に変色した支那兵三遺体の写真があるぞ。非対称戦だからね
やりたい放題。使用効果の記録で写したものらしい
日本軍は対米英戦で返り討ちを怖れて、ガス弾使わなかったみたいなんだ
>>700 やっぱり後知恵っぽくなっちゃうか。
でも軽迫と中迫で射程が同じっていうのもなあ。
瓦斯を使う都合上かな?
ああ、そういや支那戦線で使用していたか
確か場所的に迫撃大隊いた気がするから軽迫で瓦斯弾投射かな?
81mm口径のストークブラン式迫撃砲は、分解して三人で背負える火器として
ベストバランスだそうだね
>>703 >日本軍は対米英戦で返り討ちを怖れて、ガス弾使わなかったみたいなんだ
正しい考えだよ?
硫黄島とかでも、大量に用意してたらしいし>コメ
四式二十糎噴進砲も背負って運ぶぜ!!
木製の魚骨型御輿みたいなので、運ぶんでなかったかな
大勢でワッショイ、ワッショイで
人力搬送前提なら組み立て式木製ランチャーに15糎ロケットがベターな気がする
ただし同弾重級で同射程級の12糎迫に対して
精度はもちろん相当落ちる上、装薬量10倍という経済性が問題か・・・
>>710 だから四式二十糎で良いやんw
とりあえず危害半径でデメリットはカバーだ
>>702 抜き物の技術は結構改善したんだっけ?
ただある程度改善するまで大日本帝国だと
ストークブラン式迫撃砲の大増産は難しそうだね
実際の所最終的な生産数を見るに史実ではよくやった感動したって位の感じでね?
>>711 20糎は射程が短いのよ
連射できない&発射位置がバレるというネックを考えると
最大2500mというのはかなり運用が限定されてくるし
弾丸を分解して搬送するより
完成体で搬送できて射程4200mの15糎のほうが運用性は高いんじゃないかな
危害範囲は弾数でも補えるし(多連装出来ればだが)
歩兵砲部隊並みに大人数で背負って行って射点で木製多連装ランチャー組み立てて発射後即待避か
>>712 抜き物砲身は曲射歩兵砲でどうにか量産に漕ぎ付けた
一旦目処が付いてからはかなりがんばって生産してる
但し迫撃砲砲身には最後まで利用されてない模様
軽量化のために抜き物であることが求められたので
砲身重量より発射反動の吸収が大問題になる迫撃砲では抜き物である必要はない
ソ連の迫撃砲が軽量な理由は床板を小型にしているため
床板の陥没対策という点でソ連の方が見切りが良かったのだろう
マレー、シンガポール攻略時の第25軍って迫撃砲大隊居たのか
緒戦時、特にシンガポール攻略時の第25軍の砲兵部隊ってかなり砲弾を集積していたらしいが
結局シンガポール攻略に投入された火砲と砲弾ってどれくらいなの?
たしか、日本軍の砲弾が尽きかけていたので、山下がパーシバルの降伏を強引に迫ったんだよな
秘密兵器ム弾が活躍した戦場であるね
>>717 実際どこまで本当なんだろうね?>砲弾不足で降伏を迫った
>>719 ガダルカナル戦最末期の大日本帝国陸海軍にM4中戦車とか虐めだなw
そもそもシンガポール攻略戦で日本側の砲弾が不足しているから強硬に降伏を迫ったんです、まる
って話の元の元になる情報ソースってなんなんだろうか?戦史叢書にでも書いてるのかな?
ただなんか釈然としない物を感じるんだよね
結局マレー戦は迂回と浸透、強引な突破が填まりに嵌まったが
本来大本営ですらあそこまで上手くいくなんて当然思っておらず
山砲以上の各種火砲の砲弾は結構準備されていて
マレー半島南下で消費されるであろう砲弾の補充と
要地、要塞攻略戦と見られていた「シンガポール要塞」攻略用の砲弾が送られていたとかも時折聞くし
そもそもイエスかノーか自体あんた等本当に降伏する気あんのかね?
程度の意味合いである意味普通の問い掛けが誇張された局面が強いみたいだし
まあ、よく考えたらマレー、シンガポールの戦史叢書ってかなり前に1回さらっと読んだだけだし
この週末にでも図書館行って借りてこよう
>>719 ガ島攻防戦にはM4は配備されてないよ
太平洋戦域では昭和十八年のマキン・タラワ戦が最初の実戦投入のはず
このころガ島は米軍の後方基地と化してたから、ソロモンの他島から
損傷戦車を修理等でもちこんだものと思われ
アプリケ装甲など戦訓を反映した改修をしたM4A3なので、
1944年以降の使用車輌
ブーゲンビルあたりから運んだのでは?
ボ島で小銃タ弾を日本軍が使った様子が日本の戦史「兵器大図鑑」手記に載ってる
724 :
723:2012/02/29(水) 10:40:46.23 ID:???
×使用
○仕様
>>721 山下将軍伝記を読むと、山下が通訳の菱刈だったか?の英語が下手でうまく敵将と意思の疎通ができず
「単刀直入に降伏がイエスかノーかを訊けッ!」と怒鳴ったというのが真相らしい
>>725 全然ちげーよ、荒れた機甲スレを覗く気もないしな
ならば、自分でしらべてみろよ
>>719 >>722 どうも調べてみたところ訓練のために射撃標的用として
他の戦線で損傷して使えなくなったM4を持ち込んだようだ。
貫通口については日本の火砲かも知れないが。
沖縄戦ですらガダルカナルに集結していた部隊がいたからね
訓練用に持ち込んだってのなら納得
>>726 イエスかノーかにはそんな裏話があったのか
砲弾不足はどこ発の話なのかなあ?事実か違うのか判断が付かない
「バターン 死の行進」も降伏した米比軍がマラリア患者が多いフラフラが
多かったのと日本軍の装備するトラック数が少なかったから、やむなく
徒歩で後送して死者続出というのが真相
完全装備背負った警護の日本兵は水筒と飯盒だけの捕虜を羨ましく思った
とか
先進国と後進国でインフラに大きな差があるのに、同等の待遇を求める
のは酷と思う
山本七平もこのあたりのこと書いてたな…
戦後、マニラの軍事法廷に出頭した本間元司令官
被告人弁護のヨメさんが「わたしは本間の妻であることを誇りに思っております キリッ!」
いいハナシダナー、本間退役中将が号泣したとか
こういう女と結婚すべきだという話…って違うか?
本間さんは最初の嫁さんがアレだっただけに余計に良く出来た嫁さんに見えるなw
バターンの話はアメリカの夫婦の研究者が書いた割りと気合いが入ってて公平な本が
かなり分厚いハードカバーで翻訳出版されてるみたいだな
旦那が元海兵隊員でベトナム帰還組の作者の奴
本間さんは再婚なの?
当時高級将校なら、よほど本人に問題なけりゃ引く手あまただったろうな
本間中将は若いころ、美形で通ってたし
アメリカの駐在武官もしてるんだよな
735 :
名無し三等兵:2012/02/29(水) 12:48:39.18 ID:KXPZo4Wl
>>731 日本軍には大したことのない距離でも疲労困憊した米兵にはきつかったみたいだな。
連中はへたに機械化されてるもんで、完全装備での徒歩行軍なんかが
苦手なんだよ
行軍のお家芸さでは日本陸軍は世界に冠たるんでは?
あちこちのエッセイなんかで歩きの記述がでてくる
日本の軍靴は出来がわるくて、湿気吸うと糸がきれてバラバラになるとか
接着剤グッドイヤー製法の鹵獲した敵の靴を羨ましがったとか
737 :
734:2012/02/29(水) 13:24:18.82 ID:???
ごめん、本間は駐英武官だったな
美男子で身長六尺とはモテただろうな
毎日新聞社の日本の戦史別巻「兵器大図鑑」は解説は三十年まえの水準で
ふるいが
サイパン陥落後の日本軍砲台写真のオンパレード
や八八式七高、大陸での鹵獲迫撃砲、ブーゲンビルでの小銃タ弾、
はてはニューギニアで航空爆弾を地雷がわりに埋めてM3中戦車二台を吹っ飛ばした
とか手記が満載だぞ
古書価が高くないのでオススメ
739 :
738:2012/02/29(水) 13:52:28.06 ID:???
八八式七高は砲弾はあるが、砲身が磨耗して当らない、九八式二十粍高射機関砲は砲弾がすくなくて困ったとかいう、ラバウルの軍医証言
がある
彼はガンマニアで事故機の航空機銃を陸戦用に溜め込んだとか
軍医が航空機銃溜め込むとか架空戦記ライトノベルとかでやったら叩かれそうな展開だなw
ラバウルはマジで愚連隊要塞みたいになってたの?
地下のラバウル工廠とかも変態染みてるよね
>>725 機甲スレはスレ主が悪名高い荒らしだからなぁ。
そのうち、このスレも毒牙に掛ける気なんじゃネ?
>>740 今の若造が「ありえねー!」の展開を、さして珍しくもなくやってるのが前線の日本軍
なんだよな
そのへんの未曾有の実戦で鍛えられた臨機応変さが、戦後焼け野原の日本に復員した彼らが
奇跡の復興を成し遂げた要因なのだろうな
七年式三十糎のダイエー中内さんとかね
ダイエーの人が砲兵なのは知ってたがまさかあの有名なルソンの七年式三十糎の部隊とは思ってなかったから
以前このスレで知って驚いたw
生前から評価ブレが両極端なひとだったな
阪神淡路大震災のとき、無償でコロッケとか被災者に振る舞ったのは、戦中に極限を体験したからだろう
893のYも被災者支援活動をした
中内さんとおなじく侠気の発露だろうしね
戦後、新橋なんかの闇市で三国人があばれまくったのを鎮圧したのも警官でなく、任侠の輩だからね
でも徴兵して最前線に出したら怯えて一番使い物にならなかったのが893らしいし
人間よくわからんね
そら、平時の893が相手にするのは法律に縛られたパンピーだもんよ。
なかなか、殺す気でかかってくるやつは居ない。
けど、戦場の相手は必ず殺しにかかってくるからね。
サイパン・タイガーは伝説だぜ
もと炭坑夫だかの墨入りが
>>731 落伍した捕虜が殺害されたという報告がいくらもあるじゃん。
そんな言い訳が通るなら、シベリア抑留だって「日本兵には木を切らせただけで、
虐待していない。あの頃はロシア人だって困窮していたんだし、日本兵だけ
御馳走を食べさせる義理は無い。」って言い訳も通るだろう。現にそう主張する
ロシア人もいるよ。
893ではないが、愚連隊の神様 万年東一は映画兵隊やくざのモデルになったほど
ボクシングが得意で明治と東工大に在籍したインテリでもあった
万年上等兵の活躍は宮崎学の「不逞者」に詳しい
751 :
名無し三等兵:2012/02/29(水) 16:46:05.01 ID:OL3ylsC+
>>731 >>749 フイリピン・バターンの捕虜は合法捕虜、シベリア抑留はポツダム宣言違反
の非合法な拉致監禁強制労働だ
>>749 そういった残虐行為が実際あったことも否定しないよ
でも、命令だしてても現場の部隊が遵守しない例が日本軍に限らず、各国の軍隊で見られるし
何より当時の陸軍は支那の南京大虐殺キャンペーンで戦果と反対にイメージが世界で失墜したもんだから、名誉挽回に必死だったんだよ
当時のマニラ民間人捕虜でも日本軍は南京の悪評に懲り、進駐してきた部隊は軍規は厳正だったと書いてるし
それが火砲と関係あるのか?
>>751 シベリア抑留だって、捕虜とした行為自体は合法だよ。強制労働などの
虐待行為が違法なのは日本軍も同様だよって話。
>>752 各国の軍隊で見られるってのはその通り。そのうえで、では全体の傾向はどうで
あったか、例えば捕虜の生存率で比較すれば、日本軍の捕虜への待遇は明らかに劣悪だったよ。
日本軍に拘束された米軍捕虜の死亡率は、史料によって異なるけど、低くても
29%、高いと40%だよ。単純には比較できないが、シベリア抑留の死亡率は9.5%。
とはいえスレ違いだね。失礼。
脱線が続いたので、本題に軌道修正しよう
マレーシンガポール戦の日本軍砲弾備蓄状況やコレヒドール要塞、九六式24Hの腔発について語ろう
少なくともシンガポールではどの程度以上の火砲でなのかはちょっと不明だが1門当たり数百発は最低でもあったみたいだよ
火砲の種類によっても偏りはあるだろうが
少なくとも大日本帝国陸軍基準だと砲弾不足かは微妙でないのか?
勝ちいくさでトチ狂い逝っちゃってアドレナインが脳内ドバドバでバカスカ撃って、
ハッと冷静モードに戻ったら、あらぁ砲弾が足りないわだったのでは?
「やっちゃった〜テヘッ」(*´∇`*)で
PANZERの最新号で丁度マレー電撃戦
国軍は鹵獲しまくりだね
そして国軍視点だと味方火砲が豊富だw
関係者のかたですか?
PANZERはたまに良記事があるから今でも侮れないな
三十年来の愛読だが
半分以上は古本なのは勘弁してねw
だって新本だと高いんだもの
>>757 いや、それもなぁ……
大日本帝国陸軍って1会戦分どころか半会戦分も砲弾を持たせたら
下手するとかなりの激戦でも数ヶ月持たせて戦い抜くような連中だし
おまけにシンガポールは要塞攻略戦に近いと思っていた訳で
歴史群像アーカイブの帝国陸軍南方作戦のフィリピンのとこに事前の会議で
本間さんがなんだフィリピンは全然重点じゃないのか
他に比べてショボいと杉山元帥の前でぶっちゃけてかなり険悪な空気になったみたいなエピソードが載ってるが
実際問題砲弾もマレー最優先だったみたいだし
あの状況で他の部隊が追従していたのに集積していた砲弾がどっかで滞留していて
シンガポールには届いてなかったって言うのもなんかなあ
そしてブリテン側に立つと相手は砲弾不足でハッタリをかまして上手く言っただけだ
俺達が本気で抵抗すればとんでもなく酷い事になってた!!
となる訳でなんだか如何にもブリテン人が捻り出しそうな言い訳に見えてくるw(超偏見)
その結果、第一次バターン戦ではだいぶ苦労を。
>>754 スレ違いだけど、シベリア抑留はもっとたくさん死んでると思ってた
開戦当初の南方軍は兵力転用が過早な例が多いね
使える駒が限られたせいか
川口支隊も台湾の四八師団も重砲部隊も転用しまくりだ
フィリピン戦も決着しないうち蘭印派遣とか
マレーシンガポールからビルマを経てガ島投入された四年式十五榴とか
香港から蘭印、ガ島投入とか
ボ式山砲が抜けてた
香港、蘭印、ガ島ね
PCで繋がらないんだが
携帯だといける
鯖不安定なのか?
>>766 軽砲で陣地攻撃で450発/日、中口径砲は120〜200発/日だそうだから
1500〜2000発/門だと、軽砲は4〜5日、中口径は一週間から10日ぐらいか
準備射撃期間が5日あったから
実際の消費ペースがどうだったのかで変わってくることではあるけど
いい気になって連射してると軽砲(野砲)は欠乏が始まり
中口径(15榴)もそろそろ怪しくなるという感じではあるね
上級司令部では細かい数字で把握するなんてことはしてないから
1500〜2000発で10〜15基数ぐらい、陣地攻撃は1.5〜3.0基数/日が標準つまり3〜10日分
現実消費の集計と再分配なんかはやってるだろうけど
そう長く引き伸ばせない状態になりつつあるぐらいの意識はあっただろうな
>>740 >>742 ラバウル要塞は今村方面軍司令官閣下の方針で徹底的な現地自活を早くからやってたもんな
閣下は自活兵器の開発とか指示されてるし
>>769 ただこれ手持ち分で追加が送られてたような?
>>759 いやいや全然違うよw
たまたま書店でPANZERの最新号見掛けからだよ
丁度スレの話題に沿っていたし
最近、よほど大きな書店に行かないと
お目にかかれなくなったな
去年の号が古本屋で100円だったりすると、よろこんで買う俺…
ワールドムックの日本陸軍兵器集も三十年前と思えない内容
中学生でドイツ軍ものと併せ買ったな
現在不測の事態にそなえ二冊ずつもってる
どんな事態だよw
大地震とか、隣国の侵攻など
はてはおれ自身が金策に窮する事態もないとは限らんでなぁ
仮に侵攻あっても、軍ヲタは連中にもいるからチャーハン一皿ぶんくらいの物々交換には
なるだろ?
泥棒「金目の物がない家だな…お!これは佐山先生がご執筆された改造三八式A記事が載ったグランパ○月号!」
旧車や骨董、古書の世界ではマニアによる盗難がいちばんタチがわるいんだよ
いいものだけを盗っていく。目利きゆえに
現行電車の部品なんかでも紛失おおいんでないか?
現用のものはともかく保存されてる鉄道車両はよく部品が盗まれるというなぁ
おれも旧軍重砲の照準器とかほしいもの
そこに付いててこそ価値がある物だろうに引っぺがしていくなんて
やっぱり部品を引っぺがすんじゃなくて靖国神社の八九式十五加を丸ごと家に持ってかえらんと
>資料蒐集に関しては、こんなこともあります。
>あるご遺族が研究家経由で雑誌社(現在はない)に資料を貸したところ、
>一部が戻って来ず、それに懲りて以後、一切外へ出さなくなったという例。
>また、ある特攻隊員のアルバムは元々3冊あったそうですが、ご遺族が請われるままに貸していたところが、
>又貸しされて行方不明。現存は1冊のみという、とんでもない話もあります。
>私が知っているだけでこうですから、同様な事例は、過去にいくつもあったのではないでしょうか。全く、情けない話です。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~s244f/albumtop.htm 酷い酷い
あと個人的には柵だけで簡易展示されてる兵器なんかは触れられない様にするべきだなぁとは思う
昔は嵐山の九二式iGは操作出来たとか、土浦の三式MTKの砲塔回せたとか聞くけど後の事を考えたら…
盗まれる懸念だけでなく動かすと磨耗したりするからなぁ
だから国がちゃんと戦争博物館、軍事博物館を建てるべき!!
おれは旧軍の軍服のみならず、平気で山砲弾を売ってた骨董屋を思い出す
あれはきちんと安全処理したものだったのであろうか…とか
ほかの店でおれがマニアなのに気付き、いそいそと無切断の三十年式銃剣出してきた
店のおやじもいたな。違法だろっての!
さらにほかの店、遺品で十四年式拳銃がでてきたが、お縄になってしまうので
銃身切断して捨てたと云ってた
>>755 >>347でコレヒドール後の九六式二十四糎榴弾砲の話題振ってみたが
知ってる人居ないみたい
コレヒドール後の九六式二十四糎榴弾砲って気になるが
アジ歴にでも史料が埋まっているのかねぇ?
それは佐山さんの榴弾砲本を待つしかないな
>>787 >銃身切断して捨てたと云ってた
それ警察に届出してないだろw
>>787 遺品として出てきた拳銃とか家族も知らんかったろうし
国が専門機関設けて引き取り保管展示するべき
結局国立の軍事系博物館がないせいで戦後無為に失われた貴重品はあまりに多そうだ
二十四糎榴弾砲だと四五式がソ連侵攻時に一矢報いたとか
1スレ目から出ているがソースはなんなんだろうか?
書籍なら是非そのエピソードが出ている本を読みたい
遺品でじいさまが隠していた十五糎加農が出てくるかも知れないしな
本間は凄いよなー
当時180センチの将軍って・・・
特に1940年代の若者でなく、50代の人が180センチなんだから
山下も175センチあって大柄だった
未処理の砲弾はワンサとでてくる可能性が高い
東急線のこどもの国あたりはいまでも陸軍弾薬貯蔵の横穴がポコポコ開いてるしねぇ
専修大学の工事でなんどか入ったけど、ちょっとユンボで掘ると、登戸研究所
の痕跡が続々出てくるんだよ
いや、戦前の写真だね
戦前から英軍はスラックス型に移行なって、乗馬ズボンに長靴というスタイル
が戦中はきわめて稀になってくる
長老級の将軍がドイツ降伏後のジャージー諸島要塞視察の写真で着用くらいでしか
確認できない
本間の頭のカタチって、大阪のビリケン人形か映画コーンヘッドみたいだな
本間らが九八式軍衣を着用していることと、英軍将校の服からみて
昭和13〜15年ころの撮影と思われる
798 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2012/03/01(木) 00:17:47.42 ID:yWgEhlTd
>>746-747 また、戦記を読んどらん人間が大嘘吐きよるんか。
最前線で一番勇敢なんは、上官に逆らう悪兵、ヤクザ兵じゃ。
広島39Dと陸軍中野学校卒業生で作られた特殊部隊の桜挺進隊でも、
勇敢で先頭で突進したんは、中隊長から所払いと追放された
上官に不服従の人らじゃ。優秀で選抜されたり志願した人たちよりも、
運命のいたずらで挺進隊員になった人らは、戦闘好きで「好きこそものの
上手」じゃけぇ、思想の熱い思いで志願する人らより、天性の戦闘者
じゃけぇ戦闘に強いんは当たり前のことよ。
一番の弱兵は、陸軍中野学校出身のN川少尉で、少尉の癖に先頭で
突撃出来ん臆病者じゃった。そのくせ現地民への青酸カリで
殺害実験するこたぁ熱心な臆病な分だけ酷かったようじゃ。
>>750 山形県人ゆえ弘前師団で山西で戦われた、愚連隊の万年東一氏も悪兵の
典型じゃね。
不逞者のP92〜P102あたりは読んでも面白い。
まあ上官を脅し頭を下げさせ、夜は麻雀三昧じゃが敵襲があると
撃退するんは、いつも麻雀組で真面目な柔順な兵より余程強い。
>>796-797 昭13制冬衣だけど、後方の佐尉官が兵科部胸章を佩用してないから最低でも昭和15年以降だと思うけどな
あとこの様な改まった場所(しかも英軍将校は佩用してるのに)、
しかも屋外なのに皇軍軍人が軍刀を佩用してないのはまずおかしい
あとこのブログの元記事が終戦時の本間閣下だから…
刀を佩用してないこととテーブルについたわけでないのに無帽なことは、
リラックスした状況か、特別な事情かのどちらかだね
本間の表情みると、過酷な運命が予想される戦後の撮影ではない気がするね
>>793 成長期に良い物食ってると身長は伸びやすいらしい
イギリスも将校は背が高いけど一般の兵隊は低かったて誰かが書いていた
マレーの独立山砲兵連隊って中途退出なのな
南方作戦の部隊運用がアクロバティック過ぎてわろっしゅw
ガダルカナルで三十一年式野砲を使ったそうだが、
どの部隊が使ったのか知ってる人いる
三八式十五糎榴弾砲の輸入品と国内生産分の総数わかりますか?
生憎グランパのその号もってないんだよ
三八式十五糎榴弾砲は何年の何月号でしょうか?
2009/8号だね 健闘を祈る
ありがとう
古本屋で見付けたら即確保する
>>789 骨董屋の父親が憲兵少尉だったそうな、でその繋がりかしらんが十四年式拳銃
がもちこまれたんだと
中西先生の「日本の軍装」プレゼントしたら、ひどく喜んでたよ
商売柄、軍隊ものも入ってくるんだが、鑑定のいい資料が当時なかったもんで
おれには陸軍将校長靴二足を値札の半額で譲ってくれたよ
>>808 バックナンバーでその号は在庫あったと思う
首都圏在住なら、神保町で新古本と新刊割引でグランパ買える店が何軒かあるよ
ところでシンガポール攻略戦って結局直接参戦した火砲は何門位で
何発位砲弾を消費したのでしょうか?
812 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2012/03/02(金) 00:16:59.57 ID:IirYnvsf
>>798の訂正。陸軍中野学校出身のN川中尉。
>>801 イギリスの将校は背が高いが、ええ物食うとらんよ。パブリック・
スクールで飢えん程度の栄養しか採っとらんけぇのう。
西洋、特に英国の寄宿舎学校へ入学する上層部は、武人たる精神の鍛練
されるが、日本の中流階級的貧弱なIQの高いエリートは駄目じゃ。
http://shinsho.shueisha.co.jp/column/campus2/050912/index.html 「軍曹や植民地の公務員、裁判官、学校長、議員、行政官といった
社会のリーダーを供給するほどに拡大した支配層が必要とされていた。
そのため、学業ではなくマナーや責任感といった人格面が強調されたのだ。
実際、イートン、ハロー、ウィンチェスター、ラグビーなどの九つの元祖
パブリック・スクールに倣った学校が、次々と新設された。」
第一回のダッファリン・コミッション・リポートは「軍隊の有能な
将校の 中には、パブリック・スクールでの学生時代に学業が揮わなかった
者も いる」と報告した。パブリック・スクールで養われるとされる
特性を 重要視する傾向は長く続き、第一次世界大戦、そしてある
程度は 第二次世界大戦においても、パブリック・スクールの卒業生には
将校という地位が期待されていた)。」
「学業成績を軽視する点はほぼ一致していた。物を言ったのは<人格>で
あり、冷たい風呂、寒い寮、雨天の一走り、質素な食事など、
チームプレーと苦難によって鍛えられた。階級制度の中では、暗黙の
取り決めによって縛られた自らの地位を意識しなければならない)。」
「 パブリック・スクールは支配階級を創出するためにあり、過去の帝国は
支配階級が贅沢好みで柔弱になったために崩壊したという認識が浸透して
いた。生徒が週に二度も熱い風呂を浴びた事実を耳にした寮長は、
「そのような行為がローマ帝国を滅ぼしたのだ」と彼を厳しく
注意した)。」
なんか見えないレスがあるんだが、荒らしの爆撃?
せっかくフィルタしているなら流せよw
>>810 残念ながら近畿w
だが在庫あるなら本屋で注文するか
お布施も大切だし
>>813 貴様それでも皇軍砲兵か
擬装は火砲の生命線だぞ
ソ連の砲兵ってクルスク戦あたりだと、10mに一門ある計算になるんだけど
そんなばかげた物量投入してくる国とどうやって戦う気だったんだろうな。
今月末に初めて東京行くんだけど、夢にまでみた遊就館の
八九式15Kと九六式15Hを拝見出来るかと思うとワクワクしてきた
近畿って保存兵器とは悉く無縁なんだよなぁ、自衛隊施設(併設の記念館)も少ないし
国内だと珍しく大阪にホ103とホ5があるくらい
>>817 戦する身と空の鳥 いずくに果つる飛行機か 空の兄弟頼んだぞ 地は引き受けた日本刀
>>817 日本も沖縄やサイパンにそれだけ投入出来ていれば……
そんな国なら大東亜戦争になってないんじゃない?とかは禁止で
もし御存知の方が居れば教えて欲しいのだが
鋼製十五糎臼砲と鋼製九糎臼砲の生産数と
支那事変と大東亜戦争での戦場での活動が実際どんな物かわかりますか?
大阪に国立戦争、軍事博物館を建てろ!!
>>817 だから30年代以降は対ソ融和の方向で模索してるじゃん・・・
>>818 大昔に修学旅行で京都嵐山美術館で写真とりまくった口だが、
あそこのコレクションはすごかったな
館員が毎朝磨くのが日課だったそうで、大概程度のいい兵器が多かったし
戦後最大の旧軍コレクションだったろうな
それらが散逸して白浜ゼロパークで潮風にさらされていたり、海外に流出してしまった
のは、はなはだ残念
>>812 記述自体は為になる内容なんで、火砲の話題でお願いします
シンガポール、硫黄島、占守と活躍した九八式臼砲だけど
実際の効果はいか程?
ブテキマ高地攻略で重砲移動の困難な密林地帯で大威力の砲弾を
敵陣に放つことができたとか、たしか日本陸軍兵器集に書いてあったな
>>823 対ソの軍事的緊張が本格化したのは、
満州で事実上国境を接するようになった30年代では?
>>828 ところが参謀本部も産業界もソ連との融和に力がはいるのもこの時期
満州事変で国境を接してしまったからともいえるかも
そもそも30年代どころか大東亜戦争中も主要な交易相手だからな>ソ連
ある意味米帝様との関係以上におかしな事になっとる……
火砲も30年代を通じて馬鹿みたいに増えてくのを横目で見守る状況だし
ZIS-3だけで戦中戦後で十万門生産したんだよな
戦前の小麦輸出優先のウクライナ人為的飢饉など国民生活を大きく犠牲にしてね
ソ連は近代史で異質な国だったと思う
支那と並んで
大日本帝国だって他人の事言えた義理かともおもうが…
国民や前線の兵隊が飢えてたのを憂慮はしてたでしょ
その対策なりは真剣にしてる、全然、現実対応には至らなかったが
ハナッから、国民や末端の兵隊を慮らないソ連や支那の上層とは意識がちがう
戦中の日本は父権意識が濃厚でしもじもの人間の世話をするのが、上にたつ者の義務とされていたよ
実際、私欲に走ってそうでない事例も多いが
でなけりゃ、あんなに船舶の損害が多くて成果のすくないガダルカナルの十七軍への
補給作戦を継続するかい?
あれは日本軍の最大限の努力というか、死力を尽くした補給活動だぞ
実際、ガ島海岸ちかくでは米俵を集積してる
内陸の前線まで、陸路で運ぶのが著しく困難だったんだね
一平卒に至るまで降伏を絶対に許さない、自殺部隊の大規模な編成という点で、
日本帝国は異質性を主張する資格充分だと思うよ。
ところで君は中国の事をシナ、シナと呼ぶのは、他人の自称を敢えて用いないという
嫌がらせなのかな? じゃあ、天皇を日王、日本人を倭奴やJAPと言われるのは
大歓迎なんだろうね?
シナを中華など称することについては、紛々たる議論あれども、余は差支えなしと
思う。諸国自ら美称を用うるは、当然のことにて、日本というもまた美称の意
なるべし。しかして、かれよりは、我が国を日本国と称するなり。ただに国
のみならず、人々自家の名をえらぶもまた、美称を用うることなり。他人
これを呼ぶを恥づるものなし。 西園寺公望
降伏を許さないって、中国軍の捕虜になったら死ぬまで戦ったほうがましな目にあうし
アメリカ軍は、情報収集に必要最小限度以外には捕虜はとらず、それ以外は皆殺しに
する方針だった。降伏するなって命令には合理的な理由があるんだよ
だから支那は英語のチャイナとおなじ語源だって
王朝がかわるたび呼称を換えるほうが不合理だ
現在は共産党王朝な
戦後の外務省通達で支那という呼称は中共政権が嫌がるので、敗戦国日本は自粛しましょう、
という踏襲が、差別語と誤解される所以
>>836 マリアナで軍人だけで3000人くらい捕虜になってるだろ
民間人は1万人以上収容してるし
それにちゃんと部隊で降伏すれば、いくらなんでも皆殺しは無理
両方ともスレから脱線してるから落ち着けよ
>捕虜になったら死ぬまで戦ったほうがましな目にあう
>捕虜はとらず、それ以外は皆殺し
それは日本軍の事を言ってるのかね?
日本軍が捕虜を大量に殺害したという報告は南京に限らないがねえ…
中国軍や米軍が捕虜に組織的虐待を加えたとか、皆殺しを訓令したとかいう
事も、何の証拠も無い与太話だね。君は「皆殺しにする方針だった」と言ったんだから、
個別的散発的事例じゃ駄目だよ? 組織的関与の証拠をださなきゃね。
まあ、スレ違いだから、別に証拠とか言い訳とかしないで好いや。とりあえず
趣味のスレをネトウヨ宣伝に使うのはやめておくれ。
>>840 いい加減に機甲スレに帰れよ、キチガイ機甲スレのスレ主めが。
>>821 3日居るから土浦も行きたいけど、妹も居るしちょっと遠いかなぁ
三式・八九式MTKも観たい…
でも土浦ってあくまで陸自の施設だし、火砲館や小火器・航空機関銃砲
は普段は一般公開してないんだっけ?
>>830 30年代はそこそこの軍事交流もしてるんだよね
労農赤軍の赤色空軍将校操縦者が太刀洗の4FRに留学してたり
土浦は二回行ったが、屋外展示の戦車と火砲、建物内部の旧軍火砲はふつうにみれたよ
小火器がイベント時でないと一般公開しないはず
小火器展示はおれ見てないもの
あそこは意外と交通が不便なんで、駅からバスで行かなくちゃならない
>>843 ありがとう
また今度は1人で行ってみるよ
ホ103や九八式旋機、九七式車載重機まである銃火砲のメッカだよね
靖国遊修館、神保町の古本屋と軍装品店めぐりぐらいなら、妹さんも許して
くれるだろう
距離も近いし、喫茶店とか寛げる店が多いしね
おれが神保町古本屋街にいったときは、だいたい「いもや」の天丼を食べる
大学生時代からかわらない習慣なんだ
やはり旧軍火砲のベストショットを挙げるとすると、
沖縄洞窟陣地で発見された八九式十五加だろうな
米軍が大判のスピード・グラフィックで撮ったのであろう
写真が趣味であるおれとしては、照明の当て方(おそらく発光電球)で
施条もはっきり写ってるし、背景の漆黒と併せ不気味な迫力を醸しだしてる
火砲のベストアングルだよな真正面って
長砲身の加農だと後斜もなかなかだけど
>>846 場所と戦歴が凄いよね
これが他の写真だとあの迫力は出せない
>824
残念ですね、本当に。
白浜の施設は海の真ん前で、潮風直撃。
あれは酷かったものだ・・・
全く、機械に対する愛がない奴が多すぎる!
おれは三十四年まえの650ccのバイク乗ってたりするんだが、信号待ちで
ずっと年上のジィさんバァさんによく声かけられるよ
鉄のぬくもりなんてのが、わかる世代なんだろうね。松本マンガでないけど
非レストアのオリジナルコンデションで妙に調子いいので、来月はユーザー車検で通すつもり
851 :
849:2012/03/02(金) 19:04:23.45 ID:???
>>850 機械っつーよりモノっつたほうが適切だったかな…
金属フェチというか、プラスチック製のクルマ、バイク、カメラに辟易してる
連中は若者にもいるね
材質のチープさに飽き飽きしてるんだよね
「もっと、存在感のあるモノがほしい!」で
鉄道趣味に兵器マニアは共通すると思う
趣味人口の多さと基地外の絶対数もむこうが断然うえだが
本屋の鉄道コーナーには、独り言つぶやくアレなやつがめずらしくなく散見される…
そんな連中と並べると軍オタも可愛く見えるだろw
鉄道は内部の派閥争いがすごい
鉄ちゃんは細分化がすごいよな
乗り鉄、撮り鉄、模型鉄とか、駅舎鉄とか
おれ、二回ほど青春18きっぷで帰省したが、乗り鉄でも18きっぷ専とかいるみたいで
北海道までおなじ行き先だったやつがいたわW
軽合金と樹脂でできた銃よりは鋼と木でできた銃のほうがいいよなおまえら
>>820 あの十五糎臼砲と九糎臼砲は結局日清戦争から沖縄戦まで戦い抜いたんだよね
まあ、臼砲って兵器だったからこそなんだろうが
あそこまで国軍に奉仕してくれる事になるとは誰も考えてなかったろうねw
しかもソ連侵攻時に満州に居た可能性も濃厚だから
本当に半世紀近く国軍の最後までを連れ添った事に
>>833-834 いやガダルカナルの補給に尽力したのも事実だし
別に大日本帝国が臣民の生命に無頓着でなかったのも事実だが
ガ島戦なんて総攻撃を決意した段階で御前会議でも最早力押ししか無しって認識なんだから
そんな道徳観やらソ連との比較を持ち出さなくても良いだろう
そりゃ将兵への配慮や心配はするだろうし御前会議においてあんな認識が示された以上
純粋に作戦上の要求からも補給には全力を尽くすよ
「軍」まで送り込んでこのスレで言えば野戦重砲兵連隊まで投入してるのに
果たして大日本帝国にそもそも史実のガ島戦に勝利する能力がなかったか
決して無い訳ではないが作戦指導の問題で破綻したかは議論があるけど
そしてソ連の話とわざわざ比較する必要なんか無いだろw
あれはあれで「全く配慮してない」とか言い切ったらただの言い掛かりなる
まあ、あんな国ろくでもないのは確かだろうけど
ガダルカナルに繋げる意味がわからないというか繋がらないだろw
詭弁に近い話の展開になってるか止めといた方が良いよ
このスレなら木製が多数派だと思う
>>842-844 火砲スレだからある意味火砲が見れるなら
良いが小火器を普段展示してないのは勿体無いね
やっぱりちゃんとした展示用博物館でも欲しい
>ソ連との交流
経済的繋がりもどんどんとズブズブになったからね
火砲開発のインスピレーションを与えてくれる相手だし
国境紛争の相手ではあったが大規模戦争の相手にするには色んな意味合いでどんどん辛くなったw
>>846-847 何枚かあるけど砲列姿勢の九六式十五糎加農を軽く斜めから撮った写真は良いなと思う
沖縄のあの異常な迫力、雰囲気が映像越しなのに伝わる八九式十五糎加農は別格だけどw
ところで九式十五糎加農って大東亜戦争中も生産続行していて
終戦時に半途品とかあったのだろうか?
九六式だった……
>>861 九八式臼砲は知っているけど占守にも十五糎臼砲か九糎臼砲居たのか
本当に何処にでも気付いたら湧いて出てくる臼砲ですね
>>862 麻呂も検索しそうになったでおじゃる…
「要塞砲」に記載ないんで、アジ暦調査しかないんでは?
当スレで佐山本以上の成果も出してることだし、アジ暦得意な人もいる
大日本帝国陸軍って偏執的な曲射火砲マニヤだな
加農ももっとほしかったんだが、製造に手間かかるし価格も高いしじゃねぇの?
しかし日清戦争の頃に半世紀使う臼砲を作って
日露戦争でお手製迫撃砲投入とか曲射砲大好き過ぎだろ
九六式十五糎加農って公称の30何門だかを大東亜開戦前に揃えてた訳じゃないんでしょ?
攻城、守城兼用の十五糎加農だしある程度野戦能力も与えてるから30〜40門揃えた後も中止はしてないんじゃね?
そうこうしてる内にサイパン陥落で本土決戦準備が本格化するし
8月12日に千島沖で漁船で海上機動中にアメリカ水上部隊にやられた陸軍部隊って、
九八式臼砲装備の独立臼砲大隊だったのか。
前にtwitterで漁船が通り魔に会った話だけ読んで悲惨だなと思ってたけど、積荷はしらなんだ。
二十八サンチ榴弾砲も日露戦役での活躍が長寿の理由のひとつなのだろうな
JS3重戦車もベルリンの戦勝パレードで西側の度肝を抜くインパクトがあまりにも
大きかったため、意外と生産期間が長引いたとか
占守には九八式臼砲は居たけど十五糎とか九糎は居ないんじゃないか?
俺が知らないだけか?
ちなみに占守の九八式臼砲は見事ソ連将兵の集団のど真ん中で炸裂してソ連側は度肝を抜いたらしいよ
>>872 独立臼砲第18大隊の一部だね。
ほかに独立臼砲第15大隊(98式臼砲)も第42師団と一緒に中千島進出も、
松輪島で揚陸中に輸送船が食われて海没。
下手人の潜水艦ヘリングは、陸上砲台の反撃で仕留めてるが。
>>874 要塞砲は加農砲があったけど、普通の臼砲は無かったと思うな。
九八式臼砲もあちこち出てくるね。
西はインパールにも行ってるし、北は占守にもいるし。
東はどこまで行ってるんだろう?
占守は野砲の活躍も異常
上陸用舟艇を撃ちまくる所か射程内の輸送船にまで砲撃して
上陸された後は榴弾を撃ち続けて最後は榴霰弾による近接砲撃に移行
しかもたった1門w
たった1門だが味方速射砲が近くに居て
離れた場所にももう1門
十糎加農も参加しているが……
宗谷臨時要塞の九六式十五加も砲撃で海軍航空隊と共同で国籍不明の潜水艦を
仕留めてるんだよな
海軍機の戦果だそうだが
占守の国軍火砲と砲兵には何かが憑いていたとしか思えんのだが……
本土進攻をなんとしても阻止せねばならなかったからね
ポツダム敗戦で有終の美を飾りたかったし
事実、スターリンは北海道と東北の占領まで目論んでいた
砲が一門でも生き残ってると損害でかいな。沖縄でたった国軍の4門の砲に
アメリカの軍団砲全部が向けられたわけもわかる
11TK 97MTK(47)の機甲兵が無双した事は知られてるけど、砲兵in占守はもっと評価されるべき
>>879-880 詳しく
そういうのをみてると、連合艦隊もフィリピンとか呉とかで米軍の手柄なるよりも
千島においておけばもうちょっと有効に使えたかもナ
九六式十五加のロバトカ砲台沈黙化以外に、艦砲射撃をぶっぱなしてほしかったね
宗谷海峡で沈んだのは、1943年10月11日の「ワーフー」だね。
日本海を荒らしたあと宗谷海峡を浮上突破しようとしたとき、
警戒強化してた宗谷要塞の砲に見つかって撃たれた。
潜航して逃げたんだけど、海軍の水偵に3時間くらい追跡され、
呼び寄せた駆潜艇の爆雷攻撃でとどめを刺された。
砲撃を受けた後も潜航してるから、直撃弾は無かったものと思われるけど、
油をひいてたと言うから、衝撃か破片で多少のダメージは与えていたようだ。
宗谷海峡はちょくちょく米潜水艦の通り道にされてるけど、うまく捕まえたのはこれっきり。
終戦近くには8隻の集団で浮上突破されるという・・・優秀なレーダーがあればなあと。
>>878 昭和17年9月に独立臼砲第1連隊の一部(第2・3・6中隊)がラバウルに行ってる(昭和19年4月に独立臼砲第1大隊に改編)
そのため、沖縄で玉砕した独立臼砲第1連隊は3個中隊編成だった
>>848 占守の火砲はがっつり防護されていたから
唯一海岸に居た野砲も被害を逃れて延々撃てたらしい
舟艇が接近して来た時から限界まで撃ちまくったようだ
しかし榴霰弾もかなり撃ったようだし国軍も普通使用したんだなあ
以前にソ連軍を別にすれば国軍は結構榴霰弾を使用した方とかこのスレの何スレ目かに書いてたが
本当だったんだね
占守島には今もなお九六式15Kが眠ってるんだよね…
写真観ても砲身なげぇ
ネットで見れるし時々雑誌にも載るがあっちはあっちで凄い雰囲気だよね
同じく眠ってた11TKの95LTKか97MTKはつい数年前にロスケさんがお持ち帰りして戦争博物館に行っちゃったな
占守の火砲陣地は時間的余裕がたっぷりあったから凄まじい堅陣っぷりだったらしいが
ちゃんとした陣内からだと撃ちまくってても撃破されんもんなんだなぁ……
>>893 ソ連側の絶望的な火力不足ってのもあるわな。
艦砲射撃といっても国境警備艦レベルだし、
航空機も各種合わせて100機ちょいが霧の中飛んでくるだけ。
砲兵も揚陸能力が足りなくて対戦車砲数門くらいしか上がってない。
一番怖いのが対岸の130mm沿岸砲台数門ってところだから。
これで永久陣地潰せたら、逆に大したものだと思う。
味が薄いじゃないの 小便は
旨みが足りないのよ
大便は本人を喰ってるっていう気分になる
実際大便のほとんどは食品のカスなどではなく(んもちろんそれもあるけど)
はがれた腸壁なんだから 愛しい人の臓器喰ってるわけさ!
肝心要の130mm加農4門は九六式十五糎加農1門との対砲兵戦に敗北して沈黙
更に上陸海岸には九八式臼砲2門から1発ずつとは言え最悪の場所で炸裂
速射砲も海岸に1門内陸部に1門だがやりたい放題
野砲1門も(ry
九二式十糎加農は対砲兵戦を横目に見ながら上陸海岸に釣瓶打ち
これがフルボッコか……
東洋の小オマハビーチか。
4門の130mm加農がいくら凶悪な九六式十五加とはいえ1門に負けるなんて・・・ww
あっちは陣地ちゃんと構築してなかったのか
精密に狙われて陣地ごと十五加に潰されたのか知らんが、なんだかなあ・・・
榴霰弾って結構大事なんだな
確かに弾道が低伸する距離まで接近されると戦車みたいな硬目標ならともかく
人馬ならそりゃ榴霰弾のが効率よく殺傷出来るよなぁ
対米戦でも自衛戦闘に使われてそう
後はビルマの英印軍相手とかにも
>>899 日本側は既に射撃諸元を棄てていたが部隊長である小隊長が暗記していたから
元から撃つ地域は決まっていたから暗記していた通り砲撃
ただ僅かに1門だし射撃諸元はしっかりしていたが
あまり精密な砲撃では逆に効果がないだろうと
相手の4門が居るであろう地域を決めてその地域一帯に砲弾が着弾するように
決めた地域の端から端まで順番に塗り潰すように修整しつつ砲撃を続行してたら
相手は火制されたのか砲撃が鈍くなり弾薬を集積していた場所に直撃喰らって終了してしまったとか
>>901 ほぼ同内容でなんかの雑誌に載ってたな
まあ、ソースは同じだろうから当たり前だが
丸とか歴史群像とかで占守の写真や記事が載ってた時があるが
凄いもんね
>>902 砲兵の本領だな
塗り潰し砲撃はヘンダーソン飛行場相手の金剛・榛名が有名だけど
人的被害はともかく、どうやっても重機材の逃げようがないってのがでかいわな・・・
>>842 旧ソ連とドイツが軍事協定を結んで共同訓練をしていたことは有名だけど、日本ともそういうことあったんだ
占守って九二式10Kも居たんだ…
ところでその赤軍の130mm加農って、著名なA-19 122mmじゃなくて海軍の沿岸砲だっけ
>>906 留学というかお客さん扱いに近いんだけどね
ソースは田形竹男准尉の戦記だった筈
この人がノモンハン事件における赤色空軍の指揮官って書いてるけど、どうなんだろ
>>907 詳細は不明だが、戦中のソ連軍陸戦用で130mm口径はないので海軍砲のはず
おそらく一両のみ造られたT100改造自走砲の備砲と同系ではないだろうか
>>907 130mm口径と言うのが正確であれば、130mm/55 Pattern1913 という海軍砲じゃないかと思う。
WW1期にロシア海軍の戦艦・巡洋艦の副兵装として150門くらい作られた砲で、
沿岸砲に転用されたのも結構あったようだ。
もっと新しい130mm/50 Pattern1936という砲もあって、
WW2期の新型巡洋艦・駆逐艦以下の艦載砲として多用されたのがあるから、こっちかもしれないけど。
あの4門は最初から配置されてた沿岸砲らしいから口径は130mmでまず間違いない筈
しかし1門に撃ち負けたのは屈辱的だなw
>>907 九六式十五糎加農と仲良く同じ地区に配備されて海峡方面を睨んでいたようだねぇ
対岸に配備されてたってことは、
ソ連軍の130mm砲も射程で占守に届くはずだよな?
対岸って事は相手もしっかりした陣地を作れるような気がするけど、どうなんだろう?
>>912 確かその筈だよ
>>914 弾薬庫ぶち抜いて盛大に誘爆させたからこその大勝利みたいだし
破甲榴弾メインで砲撃してたんじゃない?
普通の榴弾もまぜてだろうが
何にしても神がかってたね
913の画像みたら、ロパトカの130mm砲四門とは連装砲塔二基だったのでは?
と思えてきた
きょう、本屋で一冊100円PANZERのバックナンバー七冊買って気付いたこと
松井史衛さんは木俣滋郎さんの別ペンネームであることが判明した
1982年の?号と2011/7の四年式十五糎榴弾砲の記事が写真レイアウトが異なる
ほかは内容がまったく同じ
立ち読みの範囲では九四式速射砲もそう
今回は火砲記事で濃そうなのを択んで買えたので、スレのネタが増えたよ
おいおい小出しにしていこうと思う
>>907 弩級戦艦や軽巡用の速射機構を取り除いたカノン砲だったかと
>>918 >松井史衛さんは木俣滋郎さんの別ペンネームであることが判明した
まじかw
軍事ライターの層は薄いんやなあ
桑島昌孝さんのPANZER91/3「日本陸軍の火砲 2」によると
九五式野砲は昭和十一年一月から昭和二十年までに548門生産されたとある
佐山グランパ記事は昭和十七年十月末の調査+終戦時の半途品、完成品
のみの数字であったので書き込んだ
実はもってるんだが、押入れに埋もれて発見できないので、今日仕事かえりに
大型古書店でもう一冊買ったというオチ
>>920 まったく、再録なら再録と記載すればいいのにな
紛らわしいったら、ありゃしないわw
九七式中戦車や九五式軽戦車は竹内昭さんの70年代記事は完成度たかかったんで、
断って後年再掲載してるんだが
木俣さんは戦記できわめて年少者でも読みやすいよう、きわめて平易に
書いていたんだよ
80年代は火砲の記事でもあっさりした記述だったし
おれ、83年の九四式記事よんで昔にしては結構出来がいいなと思ったもの
松井名義は佐山さん以外に目をかけてたし
また、97/11高橋昇さんの「日本陸軍の捕獲兵器8」によると、九九式十糎山砲は
自衛隊市谷駐屯地の庭に砲架の一部欠損のがあったそうだが、
いまでもあるのか?
>>921 それ普段よく言われる公称の倍以上じゃないかw
しかも支那戦線で殆どみないからやっぱり以前スレで言われてた推測通り新型野砲として殆ど満州それも初期の目的通り東部正面に集中配備されてんじゃね?
>>924 そのほとんどは本土決戦用に温存されていたと書いてあるね
いやぁ灯台もと暗しだなぁ、もう一冊おなじ号が家のどこかに埋もれてる…
wikiの記載を前提に議論とかするんでなく
おまいら、PANZER、戦車マガジン、グランパ、文林堂の写真集なんかでまず、
足元を固めなさいってことでないの?カミサマの思し召しで
ネットは便利ではあるけどさ
一応、出版された書物には執筆者の文責が生じるからね
このスレの話題でも、最初からグランパもってりゃとっくに謎が判明してただろ?
が多いしね
日本の海軍砲、機銃でいい書籍を教えて頂きたいです
928 :
名無し三等兵:2012/03/03(土) 22:51:47.87 ID:HQnqXhFV
結婚したんで世界の艦船、丸、パンツアー、ミリタリークラシック、ミリ萌え本を処分したい
良い方法はないか
このスレで有志に譲るのがいいんでないか?
萌えは嫁にみられたら、ふつうのエロ本より恥ずかしいだろうな
浅田次郎が占守戦の小説を書いてるんだな
そのうち読もうと思っているが
三島由紀夫の自決に感化されて自衛隊に入ったと、エッセイで書いてた
奇しくも市谷の部隊で
931 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2012/03/03(土) 23:08:44.14 ID:f9H+QuuZ
>>825 火砲の話題でも、ここのスレは火砲を扱う人間の話が無ぁですのう。
歩兵砲と独立山砲の射撃要領の違いとかの話題が出てきませんね。
それは教本が古本で手元にあったり、実際操作した人間でないと書き難いでせうよ
独立山砲と師団砲兵の山砲の違いなら気になるな。もし、あるんならだが。
大体軍から割り振られて師団に配属されているから
大抵は増強師団砲兵みたいなもんかと
まあ、完全に軍直轄運用も皆無ではないようだがどうなんだろうね?
ボ式の独立山砲兵大隊は三八師団にくっついているね
大陸、香港、蘭印、ガ島と
防衛大で展示してるボ式山砲は蘭印で鹵獲したものと思う
オランダ軍仕様のゴムタイヤで
大陸鹵獲は木製スポーク仕様のみのようだ
937 :
907:2012/03/04(日) 00:53:06.11 ID:???
せっかくリンク貼ってくれた人が居るんだし
>>901を見てみようず
火砲についてはネットでは古参な某サイトの記述が佐山さん本他の丸パクリって知ったときは残念だった
>>925 って事はやっぱり言われているより生産期間もかなり長そうだね
まあ、以前にスレに張られたの見ると南方に転出した在満州部隊にやたら居るから
関東軍も結構持ってるのは間違い無さそうだけど
でもやっぱり新型2線級野砲の扱いではないよね
こうなると支那派遣軍に送られた九五式野砲が実際どん位かが気になるw
>>926 まあ、そうだが初版しか刷られていないとか
雑誌だと既に入手困難だとか多いから
勿論可能な限りチェックして自分の情報は更新する努力はしているけどね
ただこんなスレでも何とか過去の雑誌を確認出来て場合とか以外は
間違ってそうな俗説に支配されがちになるとわかり
良い教訓になったよw
>>928 それを捨てるとは勿体無い!!
まあ、廃棄は勿体無さ過ぎるから軍事系の充実した古書店に持ち込み
>>929が言うようにスレ住民にとか
スレ住民にとかなら事前に出品日時をスレに書き込みヤフオクとか
なんなら密林の中古に登録とか
>>929 しかし自分で一次資料収集したり連隊史集めたりしないとそれ以上は厳しい……
まあ、さも自分で調べましたみたいなサイトの作りだと問題かもしれんが
占守も凄いけどサイパンの野戦重砲もやっぱ凄いわ
水際崩壊後の中部山岳地帯での防御戦闘を覗けば
米側の死者のかなりが上陸直後の十五榴のもんだろ
半端ないな
硫黄島にもやっぱり12門程持ち込んで上陸軍への最初の大規模な砲射撃に参加させていれば……
確かに島の地勢的に野戦重砲はちょっとという判断はわかるが
使えない訳ではないしねぇ
それにせっかくの海軍砲が期待出来ないから自前のがあっても罰は当たらないだろう
帝国陸軍「橋頭堡撃破の為に野戦重砲欲しいな…でも海軍の沿岸砲があるしいいか…」
海スケ「栗林閣下の命令無視して上陸用舟艇とか撃ってたら戦艦に撃ち返されて全滅しました」
硫黄島の海軍部隊「腰抜けの陸軍野郎の言う事なんて聞けないじゃないですかヤダー」
マジこんなノリで傍目から見てもムカつく件
「硫黄島からの手紙」は全体的に忠実通り海軍を役立たずに描いてくれていたけど、
演出の為か海岸砲だけは橋頭堡撃破に活躍した様に描写してたね…
劇中出てきた噴進砲はやっぱり四式二十糎噴進砲で合ってるのかな
あと陣地構築シーンで隅っこに三八式野砲モデルが映ってたり
沿岸砲陣地は艦船から撃たれる場所でもわけで
どれを狙おうとも撃ち出したらそこで場所バレて終了じゃないかな
(そして砲の仕様から内陸側に隠して曲射はできない)
それにあの時期は上陸前の事前砲爆撃でボッコボコにしてた最中でもあるから
あそこで我慢してても、果たして本番前に生き残れてたかどうかもわからん
(上陸は三日後だったわけで、その間ずっと執拗な大規模準備射撃があった)
もちろん指示に従わなかったことは責められるべきだが
たぶん居ても居なくても結果に殆どなにも影響はないかと
(まだしも舟艇少しくえただけましかもしれんぐらい)
一応潰すのに時間は掛かってるから陸軍の火砲と呼応して我慢して撃つ目標も栗林司令部の指示と意図通りなら割りとマシだった可能性はある
あんな潰されたのは上陸前には完全に位置が露見したからだし
おまけに制止を振り払い設置した魚雷が癌過ぎワロタ
ところで臼砲の名を冠した連隊は独立臼砲第1連隊だけですよね?
後、独立臼砲大隊の数と配備兵器の中身はどうなってるんでしょうか?
とりあえず知っている中で一番数字が大きな部隊は独立臼砲第27大隊ですが欠番もあるようですし
どれが九八式臼砲でどれが十五糎臼砲(時折九糎?)かわからない……
>>944 師団砲兵に重砲兵連隊お下がりの四年式十五榴がはじめて配備されたのが二四師団
で沖縄投入
硫黄島からの手紙の制作費って当時のレートで15〜20億円くらいなんだってね
今日も不発弾処理があったんか・・・
那覇の8インチ艦砲弾ってやつか
沖縄は宅地造成も怖くて、ユンボでガンガン掘れんなぁ
映画ウインド・トーカーズのサイパン日本陸軍重砲は加農なんだよな
実際、八九式でも配備されていたらとは思うが、砲弾威力はかわらんもんな
サイパン程度の広さの島嶼では長射程もいらんし
アメリカでは、橋頭堡への四年式十五榴の猛威が過大伝承されてるらしい
十五榴ってのはWWUの陸戦では最大級の脅威だと思うよ
そりゃあ撃たれるだけならもっと大口径砲の方が嫌だろうけど
そんな砲は移動も遮蔽もままならない
>>950 あれ、24Dも第一陣だっけ?
関特演で複数の師団砲兵が野砲兵連隊の師団の複数が同時改編されたんだよね?
>>928 興味のある人間がもってるのが一番いいんだな。自分が不要になったものを
ほかのひとが愛読するとか素敵なことではないの。意思を継ぐ感じで
「日本の戦車」「日本の大砲」なら尼で高値がつくが、
雑誌はそうでもない。古書店の買取もね
>>956 木俣(松井)さんの四年式記事ではそう書いてる
情報が旧いのかもしれないが
>>955 持続力もあるし基本的にそうだろうなあ
ただサイパンみたいな状況の場合、黒木大隊みたいな形で事前に準備出来るなら
二十榴や二十四榴のが良いかもしれないけどね
>>958 ならそうなのかな?
第一陣でもおかしくはないので間違いないのかも
サイパンの四年式十五糎榴弾砲って短時間で死者だけで1000人近く発生させてるだろ、あれ
四年式の戦果のみではないが、米軍の上陸を二回撃退してるんでなかったか?
もっとも砲の位置を暴露させるため、米軍があえてそうしたとかいう話もあるが
サイパンは第1派は撃退してた気がするけど
第2派も撃退してたっけ?
サイパンと硫黄島行きの十五糎臼砲は海没してしまったんだっけ?
辿り着いていれば……
>>962 撃たれることは覚悟してるし
撃ってきたら場所確定してふっ飛ばすつもりだったのは間違いないだろうけど
(戦艦2隻、重巡2隻が張り付いてたわけだし)
いきなり1000人も2000人も吹っ飛ばされるような事までは想定してないだろ
死傷者2000とかになったら師団一個使えなくなったに等しいんだぜ・・・
これ当たってる?
加農砲・・・高初速、長射程、低伸弾道、命中精度良好、貫徹力優秀、炸薬量少ない、大きい、重い、高技術、高価。
榴弾砲・・・低初速、短射程、曲射弾道、命中精度悪い、貫徹力小さい、炸薬量多い、小さい、軽い、低技術、安価。
WW1以前みたいな区分けだな
いや貫徹力が大きかったり高価だったりは間違いないけど
>>966 命中精度は難しいな
狙った場所に弾が行くかどうかだと榴弾砲のほうが高精度な場合は珍しくない
狙いが多少ずれてても直撃になるかどうかは落角次第なんで加農が有利
例えば戦車を1000mで狙うなら加のほうが良いが
10km離れたトーチカに撃つなら榴弾砲のほうが当たる可能性が高いかもしれん
貫徹力も垂直に立てた壁や戦車なら近距離から高初速で撃つほうが強いが
船舶の甲板とか地下陣地を貫くならやまなり弾道で上から落とす方が良いので
そういう目的の重砲は大口径の榴弾砲がメインになる
多分命中精度とか貫徹力とか上の奴だと直射か低伸弾道の場合しか考慮していないように見受けられる
それに加農が大仰角を取れない前提の話みたいだ
あとは比較対象が同一口径なのか、同一重量なのかでも違うな
10加と15榴なら重量は同じぐらいだが
ごく至近距離の貫徹力と最大射程以外は10加が勝るところはない
また同一時期の同一国なら使われてる技術は同じぐらいで
どっちが高技術ということもない、技術差が性能差に直結するという点も変わらん
低性能(射程が短い)榴弾砲は使い道があるけど
射程の短い加農は使い道に困るという点はあるけどね
やっぱり光人社NF文庫のニューギニア山砲兵とルソンの野戦重砲兵は良いなぁ
間違いなく当スレ必読書
後は佐山さんの高射砲の頭にある火砲基礎知識の項目か
どなたか次スレをお願いします
974 :
名無し三等兵:2012/03/04(日) 22:04:19.52 ID:yDJIJo2p
>>954 サイパンの十五榴ってあれだろ
まだ砂浜で米軍将兵がドタバタしてた時に降り注いだんだろ?
相当効率良く人間を殺傷出来ただろうね
>>975 次スレ乙です
サイパンの海岸は部分的にはオマハ海岸より酷い感じになってたんじゃないかなぁ?
本当に四年式十五糎榴弾砲が釣瓶撃ちされていたようだし
977 :
名無し三等兵:2012/03/04(日) 22:32:58.83 ID:ubYffFgl
次スレ乙です
>>954 ウインド・トーカーズって確か四五式二十四糎榴弾砲もサイパンに居たよね
やっぱりアメリカでは砲撃の激しさが語り草になってるの?
埋め
うめ
サイパンの四年式十五糎榴弾砲
サラクサクの九〇式野砲
占守の九六式十五糎加農は神
観測所
983 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2012/03/04(日) 23:24:10.48 ID:KUDn3glJ
>>933 広島の郷土戦記の『遥かなる戦場』から。
宜昌作戦における広島第231連隊は、予定された名古屋第三師団と
仙台第十三師団を後塵に置き、イケイケで敵主力とカチ合い、
僅か一個連隊で当陽主陣地を陥したわけじゃが、
その際、歩兵砲と協力した久留米独立山砲との違いについて、
「歩兵砲は、しばしば戦場のスターとなる。一発必中を信条とし、
初弾から命中か有効弾を期待する。だから第一弾の発射までに、慎重な
準備をかける。
面白いのは、同じ山砲でありながら、聯砲と独山では、射撃要領が全く
対照的なことである。
独山は、初弾発射のスピードを重視する。だからともかく一秒でも早く
発射したい。つまり弾着は、おおむね敵側にあればよい。第二弾は修正して
射つ。」
との解説があるんよ。やっぱし広島の歩兵砲の方が久留米独山より早う
命中させたけんのう。ただし発射は久留米独山の方が早かったけど。
聞かれてるのは師団山砲と独立山砲の話だろ
連隊砲は連隊長側近砲なんだからそういち違いが出るのは当たり前
>>984 >やっぱし広島の歩兵砲の方が久留米独山より早う命中させたけんのう。
これが言いたいだけなので・・・
そもそも当陽じゃ13Dは南方から迫ってるし置き去りにされるも糞も無いだろ
特に231iRだけ極端に突出したりはしてないし
支那事変なら野戦重砲兵の華って感じである
火砲大国たる労農赤軍でさえ、主力のA-19 122mm加農は3,000門も作ってないんだな
>>981 沖縄の九六式15Hは神を越えてるぜ…
沖縄は八九式十五糎加農と合わせて超神で
おっと虎頭の試製四十一糎榴弾砲を忘れてもらっては
そういや占守対岸の130mm加農だが
上の方で連装2基では?って推測があったがどうなんだろうね?
サイパンには九五式野砲がいるな
活躍出来たんだろうか……