1 :
名無し三等兵 :
2011/10/11(火) 20:26:59.62 ID:uGhIO6vY プロイセン〜第三帝国までのドイツ軍の将軍を将官、佐官問わず幅広く語るスレ
2 :
名無し三等兵 :2011/10/11(火) 21:03:06.26 ID:???
じゃあシャルンホルストからどうぞ
3 :
名無し三等兵 :2011/10/11(火) 21:34:04.36 ID:???
やっぱ小モルトケやね
4 :
名無し三等兵 :2011/10/12(水) 00:01:46.03 ID:???
やはり小ですか?
5 :
名無し三等兵 :2011/10/12(水) 00:33:40.80 ID:???
あれ?クラウゼヴィッツは?
6 :
名無し三等兵 :2011/10/12(水) 15:51:51.90 ID:???
前進元帥ブリュッヘル
7 :
名無し三等兵 :2011/10/12(水) 18:39:39.31 ID:???
シュリーフェン
8 :
名無し三等兵 :2011/10/12(水) 19:23:43.86 ID:???
ティルピッツ
9 :
名無し三等兵 :2011/10/12(水) 19:53:30.85 ID:???
マイヤー
10 :
名無し三等兵 :2011/10/12(水) 20:06:47.60 ID:???
パイパー
11 :
名無し三等兵 :2011/10/12(水) 22:07:07.57 ID:???
マッケンゼンだろjk
12 :
名無し三等兵 :2011/10/12(水) 22:14:41.28 ID:???
ルーデンドルフだろjk
13 :
名無し三等兵 :2011/10/12(水) 22:36:49.87 ID:???
ヒンデンブルクだろjk
14 :
名無し三等兵 :2011/10/12(水) 23:17:20.75 ID:???
ヴァルダーゼー伯爵jk
15 :
名無し三等兵 :2011/10/13(木) 02:42:49.87 ID:???
ハマーシュタインjk…とは流石に言えないな。
16 :
名無し三等兵 :2011/10/13(木) 17:46:07.80 ID:Xcfn28Fq
フォン=マントイッフェル…メジャー過ぎ?
17 :
名無し三等兵 :2011/10/13(木) 18:00:43.91 ID:???
エトヴィン・カール・ロクス・フォン・マントイフェル
18 :
名無し三等兵 :2011/10/13(木) 18:10:09.27 ID:???
カール・フリードリヒ・フォン・シュタインメッツ
19 :
名無し三等兵 :2011/10/13(木) 18:21:00.78 ID:???
カール・ヴィルヘルム・フリードリヒ・アウグスト・レオポルト・フォン・ヴェルダー
20 :
名無し三等兵 :2011/10/13(木) 18:35:13.69 ID:???
カール=ハインリヒ・ルドルフ・ヴィルヘルム・フォン・シュテュルプナーゲル
21 :
名無し三等兵 :2011/10/13(木) 18:42:44.54 ID:???
銀英伝スレかと思った
22 :
名無し三等兵 :2011/10/13(木) 20:03:01.31 ID:???
23 :
名無し三等兵 :2011/10/13(木) 20:15:29.37 ID:???
>>ALL 彼の『組織論』を御提唱為されられた ハンス・フォン・ゼークト 閣下
24 :
名無し三等兵 :2011/10/13(木) 22:00:31.46 ID:???
ヘニング・フォン・トレスコウ
25 :
名無し三等兵 :2011/10/13(木) 23:55:22.69 ID:???
ヴィルヘルムとかフリードリヒとかルートビッヒが多すぎ。
26 :
名無し三等兵 :2011/10/14(金) 12:08:50.92 ID:???
独語 ヴィルヘルム 英語 ウィリアム 独語 フリードリヒ 英語 フレデリック 独語 ルートヴィヒ 英語 ルイス
27 :
名無し三等兵 :2011/10/14(金) 12:25:15.36 ID:???
英語にすると微妙
28 :
名無し三等兵 :2011/10/14(金) 18:16:14.14 ID:???
国防軍伝統派 ハンス・フォン・ゼークト ヴェルナー・フォン・ブロンベルク ヴェルナー・フォン・フリッチュ ルートヴィヒ・ベック フランツ・ハルダー エーリッヒ・フォン・マンシュタイン エヴァルト・フォン・クライスト エバーハルト・フォン・マッケンゼン ヘニング・フォン・トレスコウ
29 :
名無し三等兵 :2011/10/14(金) 18:16:58.20 ID:???
国防軍改革派 ハインツ・グデーリアン ヴァルター・ネーリング ヨーゼフ・ハルペ カール・デーニッツ エアハルト・ミルヒ エルンスト・ウーデット クルト・シュトゥデント ヴィルヘルム・フォン・トーマ ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン
30 :
名無し三等兵 :2011/10/14(金) 18:25:17.15 ID:???
ヴァルター・ヴェーファー ヨーゼフ・カムフーバー
31 :
名無し三等兵 :2011/10/14(金) 18:57:17.56 ID:???
参謀将校・騎兵将校 vs 機械化推進派って感じだな
32 :
名無し三等兵 :2011/10/14(金) 19:36:16.68 ID:???
ロンメルは?
33 :
名無し三等兵 :2011/10/14(金) 20:07:13.12 ID:???
国防軍砲兵出身派 アルフレート・ヨードル ヴィルヘルム・カイテル ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ フランツ・ハルダー ルードヴィヒ・ベック ヴァルター・フォン・ライヒェナウ フリートリヒ・ドルマン ヴァルター・ヴァルリモント ※終戦までで将官の40%、陸軍元帥19人の内6人までが砲兵出身
34 :
名無し三等兵 :2011/10/14(金) 21:39:13.33 ID:???
35 :
名無し三等兵 :2011/10/14(金) 21:56:47.89 ID:iocLzW5a
工兵出身はいないのか?
36 :
名無し三等兵 :2011/10/14(金) 22:21:20.49 ID:???
エルヴィン・イェーネッケ
37 :
名無し三等兵 :2011/10/14(金) 23:27:26.11 ID:???
クライストは騎兵出身ながら機甲運用は見事
38 :
名無し三等兵 :2011/10/14(金) 23:40:52.07 ID:???
騎兵総監ヴィルヘルム・クノッヘンハウアー 反グデーリアン派の急先鋒
39 :
名無し三等兵 :2011/10/15(土) 00:15:40.69 ID:???
>>35 ブレスラウ要塞の司令官だったハンス・フォン・アールフェン少将が工兵出身ではなかったかな?
40 :
名無し三等兵 :2011/10/15(土) 10:57:12.24 ID:???
ブレスラウ要塞司令官と言えばヘルマン・ニーホフ歩兵大将
41 :
名無し三等兵 :2011/10/15(土) 11:57:54.84 ID:???
ヘルマン=ベルンハルト・ラムケ
42 :
名無し三等兵 :2011/10/15(土) 18:29:33.81 ID:???
43 :
名無し三等兵 :2011/10/15(土) 23:28:29.10 ID:???
シェルナーさんの勝ち!
44 :
名無し三等兵 :2011/10/16(日) 16:23:38.20 ID:???
アンドレアス・バ―ダ― ウルリケ・マインホフ
45 :
名無し三等兵 :2011/10/17(月) 20:22:36.06 ID:???
エルンスト・リンデマン ゲオルク・リンデマン
46 :
名無し三等兵 :2011/10/18(火) 21:37:49.98 ID:???
ゲルハルト・バルクホルン ヘルマン・バルク
47 :
名無し三等兵 :2011/10/22(土) 01:24:23.99 ID:???
フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガー ヴァルター・クリューガー
48 :
名無し三等兵 :2011/10/22(土) 16:02:00.48 ID:???
フォン・テッタウ将軍が好きだなあ。 絶望的な状況でも諦めない。
49 :
名無し三等兵 :2011/10/23(日) 10:23:28.29 ID:???
プロイセンの名門軍人家系出身ながら ソ連軍に降伏するや一気に共産主義に鞍替えし反ナチに立ったザイドリッツ
50 :
名無し三等兵 :2011/10/24(月) 22:18:30.89 ID:???
ヴィルヘルム・カイテル ヘルマン・ゲーリング カール・デーニッツ 三馬鹿トリオ
51 :
名無し三等兵 :2011/10/27(木) 17:31:23.96 ID:???
フリードリヒ・キルヒナー装甲兵大将 カール・フォン・オーブン歩兵大将
52 :
名無し三等兵 :2011/11/07(月) 21:23:29.62 ID:???
ルーデンドルフ=マンシュタイン 傾向が似ているというか44年以降マンシュタインが 指揮をとっていたらルーデンドルフのようになっていたかも しれない。
53 :
名無し三等兵 :2011/11/08(火) 09:07:59.08 ID:???
"ルーデンドルフの粗暴と無定見がマンシュタインの規範だった" とハルダーが言ったそうだね
54 :
名無し三等兵 :2011/11/08(火) 22:13:00.08 ID:???
軍歴から見ると壮大なこと考えていそうだけど 考えていない、もうこの戦争は勝てないと思って ヒットラーに噛み付いたのか?
55 :
名無し三等兵 :2011/11/09(水) 20:50:46.43 ID:???
ヴァルター・ヴェンクが未だ出ていない。 最悪の時期に最善の努力をした将軍だろう。>難民の西部方面脱出の支援
56 :
名無し三等兵 :2011/11/09(水) 22:33:20.75 ID:???
ハインリキ
57 :
名無し三等兵 :2011/11/10(木) 02:00:19.50 ID:???
ヒトラーと会見後ナゾの飛行機事故で没したディートル
58 :
名無し三等兵 :2011/11/10(木) 20:21:29.24 ID:???
お山の大将のディートルさんか
59 :
名無し三等兵 :2011/11/14(月) 06:47:19.27 ID:???
「ルーデンドルフとは何物か。優秀なる一参謀将校にすぎない。 実際自分の職業についてよく知っているが、士官学校の教官のようなもので 軍隊の編成や作戦の立て方に優れるにすぎない。 第1次大戦が国の帰趨、いや国家の存亡にかかわるものであり、 その遂行のために何より重要なのは国民の愛国心であり精神力であるという 国民国家の戦争の理解を欠いていた。 1918年のドイツが欠けていたのはそこである。」 byフォッシュ
60 :
名無し三等兵 :2011/12/08(木) 16:24:25.11 ID:???
参謀本部第1部長→参謀総長を歴任して戦争前半の計画・遂行を仕切ったのに、 戦後にしゃあしゃあと戦史執筆したハルダーが一番アヤスィ
61 :
名無し三等兵 :2011/12/11(日) 06:12:41.26 ID:???
ホイジンガーと服部卓四郎、何故差がついたか…慢心環境の違い
62 :
名無し三等兵 :2011/12/11(日) 14:57:02.91 ID:???
シュパイデル中将ってよく尋問や審理を乗り切ったなあ 死刑になってもおかしくなかったのに
ナチスドイツの暗部ラインハルト・ゲーレン
64 :
名無し三等兵 :2011/12/16(金) 18:36:58.08 ID:???
ミッターマイヤーが一番優秀 同じ元帥の起こした反逆を、短時間でしずめた
65 :
名無し三等兵 :2011/12/21(水) 17:17:06.13 ID:???
オットー・フォン・ウント・フンバルト
66 :
名無し三等兵 :2011/12/22(木) 01:29:07.55 ID:???
フォン・フンバルト=ヘーデルホッフェ
67 :
名無し三等兵 :2011/12/22(木) 02:34:12.44 ID:???
ドイツ軍の始祖はフリードリッヒ大王だよ
68 :
名無し三等兵 :2012/01/01(日) 08:07:08.36 ID:p7QnimA5
ポキントウ将軍 将軍様と言えばこれでしょう、やはり。
69 :
名無し三等兵 :2012/01/03(火) 23:41:56.00 ID:GKdkih4b
戦前は戦車と縁がなかった(さらに後者2人は元アンチ戦車)が装甲部隊司令官として活躍したロンメル、クライスト、マッケンゼン 戦前の時点で装甲師団長だったが有能とはちょっと言えないシュヴェッペンブルク この差はなんだろう?
70 :
名無し三等兵 :2012/01/03(火) 23:55:29.45 ID:???
ヨーヘンパイパー
71 :
名無し三等兵 :2012/01/04(水) 00:01:19.69 ID:nqB3+X3m
>>50 デーニッツは馬鹿じゃないだろ
デーニッツ抜いてパウルス入れたら?
72 :
名無し三等兵 :2012/01/04(水) 01:19:50.48 ID:???
パウルスのどこがバカだよ
73 :
名無し三等兵 :2012/01/04(水) 04:40:19.06 ID:H26mp4PX
脅しに屈して共産主義者になったから。 一兵士ならともかく、将軍がな。
74 :
名無し三等兵 :2012/01/04(水) 11:00:32.37 ID:nqB3+X3m
まあパウルスがカイテルやゲーリングと同類ってのは言い過ぎかもしれんけどやっぱりね・・・ 降伏後のこともあるし評価が下がるのはやむを得ない。
75 :
名無し三等兵 :2012/01/04(水) 15:12:32.32 ID://VOtllM
最後の最後まで奮戦したのに何故か評価の低いシェルナー
76 :
名無し三等兵 :2012/01/04(水) 16:39:26.06 ID:???
77 :
名無し三等兵 :2012/01/04(水) 16:49:13.52 ID:???
78 :
名無し三等兵 :2012/01/04(水) 17:11:29.30 ID:mCs4uVFd
>>75 シェルナーは「上のウケは良いが下からは罵詈雑言しか聞こえてこない」
と言うやり方で戦線の崩壊を遅らせた。
79 :
名無し三等兵 :2012/01/04(水) 18:01:36.66 ID:???
シェルナーは南ドイツの赤化を防いだってだけでも大いに評価されるべき 能力的にもロンメルなどよりずっと上だろう。
80 :
名無し三等兵 :2012/01/04(水) 20:03:19.22 ID:BQacTS7e
ゼップ・ディートリヒ
81 :
名無し三等兵 :2012/01/04(水) 20:28:45.40 ID:???
バルジで能力の乏しいディートリヒなんかにSS機甲軍の指揮を任せたのは 間違いだったとルントシュテットが嘆いていたな
82 :
名無し三等兵 :2012/01/04(水) 20:43:08.26 ID:???
>>81 人望はあったみたいだから、ディートリヒ将軍はお神輿にして
だれか有能な幕僚がついていたらもう少しイケたか?と思わぬ事も無い。
83 :
名無し三等兵 :2012/01/04(水) 20:54:50.23 ID:nqB3+X3m
>>79 シェルナーか・・・確かに防御戦で戦果を出してるがセヴァストポリの件があるからな・・・
防御戦の名将と言えばやはりモーデルやハインリキだろう。
単純に司令官としてならロンメルのほうが優秀。
>>81 ビットリッヒが第6SS装甲軍の司令官だったらよかったのに、と思う。
84 :
名無し三等兵 :2012/01/05(木) 03:07:16.43 ID:Lu7txxFK
ゼップ・ディートリヒは平民で小学校しか出てないから、軍人貴族の将官から 無能呼ばわりされてるが、いくら有能な部下と新兵器を優先的に補給されても 、本人に能力が無ければ戦功は挙げられないんじゃないだろうか。
85 :
名無し三等兵 :2012/01/05(木) 11:11:20.59 ID:/tZTfAEb
ルントシュテットは大西洋の壁の実態を知らなかったのかな? ロンメルは大西洋の壁を見た時に「本当に宣伝だけだな」と思ったようだが
86 :
名無し三等兵 :2012/01/05(木) 13:20:55.44 ID:lxcaEtFQ
ヨハネス・ルドルフ・ミューレンカンプ 武装SS大佐にして戦後は西ドイツ軍将官
87 :
名無し三等兵 :2012/01/05(木) 14:56:04.27 ID:ESjjcMHo
違うよ。ルントシュテットは大西洋の壁と戦力と海岸線の距離比を知って海岸線の防衛を諦めた だが、ロンメルが来てからせっせと要塞建設をしだしたら、それには自由裁量権を与え協力している良い上司だ
88 :
名無し三等兵 :2012/01/05(木) 20:46:42.47 ID:ESjjcMHo
>>81 いくらなんでも方面軍司令官にSS装甲軍司令官の人事権は無いだろう
形式上は国防軍に人事権が有るみたいだが、親衛隊の横槍が有るだろうし
よほどのことがないかぎり解任は出来んわな
下手すらルントシュテットの首が飛ぶぞ
89 :
名無し三等兵 :2012/01/05(木) 20:59:31.62 ID:???
同じSSでもパウル・ハウサーなんかはグデーリアンから 「賢明かつ有能で勇敢な軍人で、人間的にも非の打ち所がない将軍」とゆわれてるのに ディートリヒは同僚のビットリッヒから「近代戦について何も知らない」と酷評され ノルマンディでは損害を考えない戦闘をして周囲をあきれさせ、 バルジではSS装甲軍に優先的に装備を与えてもらいながらすぐに行き詰まって マントイフェルの第5装甲軍の方がずっと進入してる。
90 :
名無し三等兵 :2012/01/05(木) 21:08:39.11 ID:ESjjcMHo
ディートリッヒは幹線道路を進軍して行き詰まり、マントイフェルは全体に浸透戦術的に進軍させたんだっけ だってハウサーは陸軍出身、ビトリッヒは空軍出身だけど、ゼップは全くの素人だもん また、前者二人はダスライヒ系の軍人だよね 親衛隊にも派閥があるのか? 総統親衛旗系→総統親衛旗、ヒトラーユーゲント 帝国系→ダスライヒ、ホーエンシュタウヘン
91 :
名無し三等兵 :2012/01/05(木) 23:07:07.59 ID:ScXRNkaj
>>69 後者の二人は戦車に対して懐疑的だったからこそ
それを頼みに無茶をしなかった
ロンメルはよく分からん
92 :
名無し三等兵 :2012/01/06(金) 01:46:03.11 ID:EbnKzA5/
シュヴァペンベルクって、名ばかりの西方機甲集団司令官だよね? 何をしてたんだ?
93 :
名無し三等兵 :2012/01/07(土) 00:08:28.98 ID:???
マンシュタインはかっけえぇぇぇぇ
94 :
名無し三等兵 :2012/01/07(土) 04:30:00.42 ID:E29WfvmK
バルジの戦いでのディートリヒの進撃路は、マントイフェルの正面より地形が 険しい。地形が険しい=米軍が手薄という事なんだろうが、地形が険しいので 幹線道路しか通れなくて失敗したんじゃないだろうか、ディートリヒに失敗の 責任をすべて被せるのはおかしいと思う。
95 :
名無し三等兵 :2012/01/07(土) 07:46:58.13 ID:fu2BvUGE
シュタンダルテって、確かに語源は(騎兵隊)旗 なんだけど 英語で、tank regimentやtank battalion を 語源からいちいち水槽連隊とか水槽大隊と訳さないように ライプ・シュタンダルテも親衛旗じゃなく親衛連隊と訳すべきだ。
96 :
名無し三等兵 :2012/01/07(土) 07:56:47.15 ID:Uy2I4U5k
そうなのか すまない。たんにLAHとしとけば良かったな
97 :
名無し三等兵 :2012/01/07(土) 08:57:51.36 ID:???
対峙した米兵が戦闘未経験もしくは傷病兵上がりの集団なのと 4年前はその貧弱な幹線道路を使ってロンメルやグデーリアンが海峡まで 突進したことを考えるとやはりディートリヒに能力があるとは思えない。 マンシュタインもその軍事教養の無さに呆れてたらしいな
98 :
名無し三等兵 :2012/01/07(土) 15:30:45.10 ID:???
しかしディートリヒがいると兵士の士気があがる
99 :
名無し三等兵 :2012/01/07(土) 18:41:30.97 ID:ZiGz6mqP
メレンティンも「ドイツ戦車軍団下」においてディートリヒについて「勇猛な軍人であったが、装甲戦について本当に理解していなかった」と評している。 第二次大戦におけるドイツ軍の軍司令官としては最も無能だったといわれても仕方ないだろう。
100 :
名無し三等兵 :2012/01/07(土) 18:49:26.07 ID:E29WfvmK
さすがに、4年前のアルデンヌと比べたら酷でしょう。ディートリヒはツキ があるのか有能なのか結果オーライなところがある。バルジで突破に成功し てたら壊滅的打撃を受けていただろう、ヒトラーの停止命令を無視してダン ケルクに突進したり、マンシュタインの第三次ハリコフ攻防戦でハリコフを 奪還したり、最後はハンガリーでヒトラーの命令を無視してソ連軍を振り切 り、米軍に降伏して兵士を救った。ツキだけで片づけて良いんだろうか。
ドイツ軍には戦略レベルの名将がいないね。 どれも戦術止まりだ。
>>095 Standarteは突撃隊と親衛隊の聯隊Regiment相当の組織を意味しているんだけど、何故か日本では軍旗の意味に引きずられているよね
独和辞典引かないで文献読めば良いのに
103 :
名無し三等兵 :2012/01/07(土) 19:39:51.48 ID:fu2BvUGE
>>102 そりゃまあ。この業界には
「Panzerには装甲の意味はない。装甲はRüstungだ」
なんてのたまう元降下猟兵のドイツ人なんてのもいたから
ドイツ語文献読み込んでる人間なかなかいないんだよ。
104 :
名無し三等兵 :2012/01/07(土) 20:09:35.00 ID:ZiGz6mqP
第3次ハリコフ戦はマンシュタインやハウサーが上司にいて 更にマイヤーやパイパーと部下にも恵まれてそのお陰みたいなもんだし バルジでパイパーが燃料なくなったから撤退したいと言うと 車両全部持ち帰るなら撤退許可するってアホでしょこの人
107 :
名無し三等兵 :2012/01/08(日) 05:50:51.61 ID:NdGlZvjT
いや、あの時のパイパーの上官は モーンケだから
108 :
名無し三等兵 :2012/01/09(月) 15:35:54.40 ID:HehKbNLX
>>104 ロンメルもモーデルも、プロイセン直系軍人貴族からは散々な言われようですよ。
それに、彼らの戦後の証言と著作は、ナチスとドイツ軍を切り離すために意図を
持って行われたモノでそのまま信用はできない。ディートリヒは無能なのに戦功
を挙げ続けたなんて、おかしな事になってるのはそのせいじゃないか。
109 :
名無し三等兵 :2012/01/09(月) 19:45:37.07 ID:eRgxGOYe
確かにロンメルやモーデルはプロイセン軍人からいろいろ言われてたらしいな。 プロイセン軍人でもマンシュタインやメレンティンはロンメルを認めていたが。 マンシュタインはロンメルに会った後でロンメルについて肯定的なコメントをシュタールベルク(マンシュタインの伝令将校)にしている。 メレンティンも「名将軍の1人として私はこの人を敬愛し、尊敬することになった」と言ってる。 ディートリヒについてだがやっぱり部下や上司に恵まれたのは大きい。 本人は無能と言われても仕方がない。 無能が極論だとしてもロンメルやモーデルと比べれば圧倒的に劣る。
プロイセン直系軍人から見ると ヴュルテンベルク出身のロンメルとかハルダーやヨードルのバイエルン人ら 南部ドイツ人がデカイ顔してのさばるようになったから負けたと言いたいんじゃ
111 :
名無し三等兵 :2012/01/09(月) 20:41:30.96 ID:eRgxGOYe
ハルダーとヨードルは貴族ではないが軍人家庭だからそれほど嫌われていないと思う
ロンメルとディートリヒはロンメルが総統護衛大隊(だったけ)長をしていたせいか関係が良いように思うのだが
113 :
名無し三等兵 :2012/01/09(月) 21:52:04.15 ID:eRgxGOYe
>>112 どうなんだろうね?
その時代のロンメルとディートリヒの関係は不明。
誰か知ってる人いるかな?
ノルマンディーの時にはロンメルがディートリヒに「私の命令が総統の命令と違っても貴方は私に従うか?」と聞いてディートリヒは「従います。」と答えた。
という話があるが。
114 :
名無し三等兵 :2012/01/11(水) 12:08:17.13 ID:PDAv4ZZb
ロンメルが反ヒトラーだったとか、反ナチスだっただのは戦後の作り話だし 、二人とも出世のキッカケはヒトラーの個人的引き立てだし、仲が悪いわけ ないね。
115 :
名無し三等兵 :2012/01/11(水) 12:14:04.69 ID:63k7QesM
ゼプとハウサーは?
116 :
名無し三等兵 :2012/01/11(水) 16:36:38.35 ID:PDAv4ZZb
ディートリヒは、ハウサーを親衛隊に連れてきたヒムラーと仲悪いんじゃ ないの。
117 :
名無し三等兵 :2012/01/11(水) 17:35:50.13 ID:u1IzHHJc
ハウサーは毒舌家だから 仲良しさんはいないのさ。
118 :
名無し三等兵 :2012/01/12(木) 21:16:48.85 ID:pZO2luNB
ロンメルが「親ヒトラーの反ナチ」と言えるかもしれない。 確かにロンメルはヒトラーと親しかった。 出世の理由は本人の優れた力量もそうだが、ヒトラーが絡んでいたのも事実。 ヒトラー「個人」と親しかったということであろう。 だがロンメルがナチの虐殺行為に賛成していたということはあり得ない。 実際にユダヤ人捕虜を処刑せよというヒトラーの命令を無視しているし。 あとディートリヒは反ユダヤ主義者ではなかったとかいう話があるがどうだろうか? 「考えうる限り最大の愚行だ。ユダヤ人にいてほしくないならそう言えば良かったのだ。そうすれば彼らは出て行けたはずだ。私自身は反ユダヤ主義者であったことは一度もない。」 「子供の頃、私はユダヤ人の家の隣で暮らしていたのだが、そのことを知りもしなかった。」 「1943年にギリシャにいた妻からの手紙でユダヤ人が駆り集められている事を知った。ヒムラーの所へ行ってそのことを訊くと、真実ではないと言われた。」 ユダヤ人はあまり働かないから集めて働かせるなどと言っていた。しかし実際にはその時にはユダヤ人はもう生きていなかったわけだ。私は戦後までそうしたことは知らなかった。」
119 :
名無し三等兵 :2012/01/12(木) 21:23:47.32 ID:pZO2luNB
アルニム将軍についてどう思う? 個人的には優秀だと思うんだがなあ。 東部戦線のボルホフ撤退戦を成功させたことはモーデルに高く評価されてる。 チュニジアでの采配も優秀
シュトゥンメは何しにアフリカに行ったんだ
>>117 ハウサーは孤高の人というか、孤独を好みそうな気がする
風貌のせいだろうか
でも人当たりが悪い訳でもなさそうだし、戦中戦後の写真をみると偏屈でもなさそうだ
122 :
名無し三等兵 :2012/01/13(金) 09:51:45.18 ID:iJ9LFipN
写真でプロファイリングするなw 写真だけならヒムラーなんか善意あふれるおじさんだわ
123 :
名無し三等兵 :2012/01/13(金) 14:39:02.10 ID:ACGcv70j
>>118 ドイツの将官たちの戦後の証言は、戦犯として訴追された中で行われたモノで
そのまま信用は出来ない。彼らの証言は大体3つで。
1.参謀本部と国防軍はナチスと関係無い、純粋な軍事組織だ。
2.武装親衛隊は戦闘部隊で一般親衛隊とは違う。
3.東部戦線はヒトラーの干渉が無ければ負けてない。
当時のアメリカは冷戦が始まりつつある中、対ソ戦の経験が無いので、ドイツ
軍と武装親衛隊の将官の知識を利用したかった。そこでナチスとの分離を図ろ
うとしていた。米側の意を汲んだドイツ将官側も「オレは対ソ戦のエキスパート」
だと売り込んだ、というのが真相だろう。
124 :
名無し三等兵 :2012/01/13(金) 18:07:01.01 ID:DGB87hHP
>>120 ロンメルの代理
>>123 確かに戦後の証言は全ては信用できない。
「ユダヤ人にいてほしくないならそう言えば良かったのだ。」と言ってるあたり、嘘ではないと思う。
少なくとも大量虐殺に反対していたのは確かだろう。
俺は国防軍が無罪潔白だとは思わないけど、一般SSと同一視するのはどうかなあと思う。
実際まともな人間の比率は一般SSに比べればはるかに高い。
国防軍は「不愉快に思いながらも保身のために関わらないようにしていた」という感じの人間が一番多い気がする。
ルントシュテットやマンシュタインは特別行動隊を見て見ぬふりして ユダヤ人狩りを黙認してたのにソ連側に引き渡されず、 A軍集団で現地住民とうまくやったのにソ連で獄死したクライストは可哀そうだな
126 :
名無し三等兵 :2012/01/14(土) 18:38:06.93 ID:8ZWHVPrZ
クライストはなんら虐殺を支持したわけでもないのにボリシェヴィキに引き渡されて獄死。 可哀想過ぎる。 ルントシュテットやマンシュタインはアインザッツグルッペンがパルチザン狩りと称してユダヤ人を虐殺していることについてどう思っていたんだろうね? 「不愉快に思いながらも保身のために関わらないようにしていた」のかな?
127 :
名無し三等兵 :2012/01/14(土) 22:56:08.43 ID:81r7rqZy
対ソ戦が始まって緒戦は連勝、軍人としての栄達を得つつある段階で、司令官 の職を失う危険を冒すなんて有り得ないし、反ユダヤ主義なんて欧米では普通 であり異常な事でも何でもなかった。
128 :
名無し三等兵 :2012/01/15(日) 01:52:31.82 ID:gvi5GiEW
まあ心の中で不愉快に思ってても勝ってる時期に司令官の職を失う危険をやらかすなんてありえないか。 考えたらあのシュタウフェンベルクもユダヤ人政策やソ連捕虜の扱いには批判的であったものの勝ってる時期はクーデターなんて考えてもいなかったな。
129 :
名無し三等兵 :2012/01/15(日) 12:11:44.49 ID:s5hC8Mt4
アメリカ軍の司令官も、日系人が収容所にブチ込まれたって「敵だからブチ込 まれた」ぐらいにしか思ってなかっただろう。ドイツ軍の司令官も同じ「ユダ ヤ人は敵だからブチ込まれた」ぐらいの考え。
まあユダヤ人については欧州全土で微妙な問題ですからねえ スレ違いですが、第一次大戦でドイツ軍にユダヤ人の将官ていたんでしょうかね あと、ナチが政権とってから職を追われたユダヤ人の軍人で最高位の階級は何だったんでしょうかね 御存じの方はおられますか
131 :
名無し三等兵 :2012/01/15(日) 13:06:54.17 ID:gvi5GiEW
アフリカ軍団参謀長のバイエルラインは混血のユダヤ人だったとか聞いたことがある。 そのことで1回軍を追われたけど復帰したとか。
132 :
名無し三等兵 :2012/01/15(日) 16:54:52.41 ID:wavM5k9J
ハインリキは?
>>95 第1SS装甲師団”親衛連隊アドルフヒトラー”か?
「…”親衛連隊AH”師団の擲弾兵連隊が…」とか
わかりにくそうw
「第1SS装甲師団”親衛連隊アドルフヒトラー”」 「…”親衛連隊AH”師団の擲弾兵連隊」 ま、そういう名前なんだから良いんじゃないかしら アドルフ・ヒトラー親衛連隊が母体なんだし 師団になったあとは良いとして、ギリシャ攻略の時は旅団だったけど、連隊という名の旅団というのもややっこしいとおもいませんか そうそう、名誉称号の親衛連隊の連隊はStandarteだけど、確か武装親衛隊としての連隊は国防軍と同じくRegimentと言っていたような気がします
135 :
名無し三等兵 :2012/01/16(月) 00:20:59.08 ID:cyl5kNEx
蒸し返して悪いけど、昔は「総統親衛旗アドルフ・ヒトラー」師団て訳されてた
親衛旗の訳は1990年台の事だった記憶が それ以前の本には護衛連隊とありました
総統護衛旅団もあるからなぁ。 バルジにはLAHと一緒に参加してるし。 ”総統護衛連隊アドルフヒトラー”師団と 総統護衛旅団が、同じ文中に並んでたら 素人にはわけわかめだろうなw
日本語だとややっこしいが、ドイツ語なら何とかなる 総統護衛旅団=Fuehrerbegleitbrigade LAH=Leibstandarte SS Adolf Hitler 多分地図上は後者は1.SS Panz.Divかな 話脱線して申し訳ないが、東独のベルリン駐屯部隊も似たようなのが二つあってややっこしかった 国防省傘下の警護連隊フリードリヒ・エンゲルス 国家保安省傘下の警護連隊フェリックス・ジェルジンスキー ドイツ人はこういうのが好きなのかも
>>137 しかも、その総統護衛旅団は、装甲擲弾兵連隊”総統護衛旅団”と
戦車連隊”総統護衛旅団”を基幹にしてるというw
第1SS装甲師団”総統護衛連隊アドルフ・ヒトラー”と記すと、
第1装甲擲弾兵連隊”総統護衛連隊アドルフ・ヒトラー”と
第2装甲擲弾兵連隊"総統護衛連隊アドルフ・ヒトラー"もでてくるので、
ビギナーは大混乱だろうwww
140 :
名無し三等兵 :2012/01/16(月) 14:47:27.77 ID:RezOJ9QF
だからさ そこまで突っ込むなら ドイツ語文献ちゅうか師団史ぐらい読んでるんだろうな。 1941年前半の旅団ていうのは実態がそうなのであって 公称はまだ連隊だ。砲兵連隊付けられて実質旅団だからな。 それからSS師団「LSSAH」 SS装甲擲弾兵師団「LSSAH」 第1SS装甲師団「LSSAH」 と公称は変わっていくがカッコ内はいちいち無理に訳すな。 通称、俗称はライプストとかそんなとこだろ。
>>127 >反ユダヤ主義なんて欧米では普通
>であり異常な事でも何でもなかった。
>>129 >「ユダ
>ヤ人は敵だからブチ込まれた」ぐらいの考え
仮に同一人物でないなら申し訳ないが、だとすりゃ
>>124 の
>少なくとも大量虐殺に反対していたのは確かだろう。
は全然確かじゃあるまいw
>>131 職は追われてないが閑職に飛ばされた(ユダヤ人であることは理由ではないが)パターンなら
空軍元帥のミルヒなんてのもそうだな
>>135-136 一等自営業もホビージャパンの連載(確か「装甲擲弾兵」)で
「親衛旗アドルフ・ヒトラー師団」と書いてるからな。
で、元々standarte:は「近衛騎兵連隊」の意味。
>>102 の言う主として歩兵の「連隊」regimentとは自ずと異なる。
142 :
<^♯^>ノシ ◆MANSEY5L0w :2012/01/20(金) 17:11:58.98 ID:5i534sPn
突撃砲三個中隊と歩兵一個中隊で500人未満の 「旅団」がいっちょあがり〜っときたもんだ♪w
143 :
名無し三等兵 :2012/01/20(金) 19:31:48.38 ID:ZQ6dg2rM
最後まで生きてた将軍は ブッセ?
元帥格ならシェルナー その一ヶ月前までマンシュタインも生きてた
マンシュタインとジューコフってどっちが優秀なの?
146 :
名無し三等兵 :2012/01/21(土) 06:45:14.00 ID:0zWee7s1
優劣もさることながら、あのレベルだと勝ち負けになってしまうでしょう
148 :
名無し三等兵 :2012/01/21(土) 07:51:10.65 ID:hjCN0dpz
マンシュタインに決まっとる
でも勝ったのはジューコフ
少なくともマンシュタインは戦術レベルではジューコフほど酷い負けは無かったと思うが それにしてもなんでジューコフがソ連で一番優秀な軍人と思われてるんだろうな あいつソ連のロンメルだろ
スターリンの寵愛を受けてたから 優秀なのはトハチェフスキーとかロコソフスキー辺りでしょ
スターリンとうまくやっていけただけでも 政治的才能があるな。 わしはドイツ厨だが、やはり勝ったジューコフの方が マンシュタインより有能だったと言わざるをえんな。
殺したソ連の将校の数でいったら、 ドイツ軍のどの将軍よりもスターリンが上じゃね?
155 :
名無し三等兵 :2012/01/23(月) 02:50:02.23 ID:33VkeonR
マンシュタインを筆頭に、ドイツの将官は第三次ハリコフ攻防戦のような機動防御戦を、 ヒトラーの干渉が無ければ実行可能だったように戦後にも言ってるが、 ソ連軍が用意した巨大戦力とジューコフのさらなる戦力の集中運用を見れば、 マンシュタインの機動防御なんて、過去の栄光でしかないのは明らかだ。
マンシュタインの第三次ハリコフ戦で1対8の劣勢ながら勝利したは大嘘 あのときソ連第6軍とポポフ機動集団は補給も受けず消耗し尽くして、定数の4分の一程度 そこへ満を持してSS装甲軍団の増強を受けたマンシュタインが一気に叩いて、 明らかに兵力差ではドイツ軍(特に戦車)の方が上だった。 ところが戦後43-44年のウクライナの敗退をヒトラーが邪魔しなければ 勝てたという証左として過度にハリコフ戦のソ連軍兵力を大幅に引き上げたのが真相
マンシュタインは超天才!
マンシュタインかっけええええええええええええええええええええええ
160 :
名無し三等兵 :2012/01/24(火) 08:58:32.35 ID:OXGAe2IT
戦機を読む能力がえらい 日本軍ならまともに守ってアボーン
・お約束 利用者が増えるに従って、頭の正常な人もそれなりに出没するようになって来ています。 頭の正常な人に関わるとなにかと面倒なことが起こる可能性があるので、注意しましょう。 基本的にスルーでお願いします。
モーデルはバルバロッサの時は第3装甲師団長なのに、 最初の冬季戦には第9軍司令官とか出世しすぎて怖い
ヒトラーが将軍の首切りすぎて怖い、では?w
マジで切りまくったスターリンに比べたら可愛いもんだ
165 :
名無し三等兵 :2012/01/24(火) 20:32:46.47 ID:aNcwkvOU
ヒトラーが権力を握った時の陸軍将官は40人で、軍備の急拡大で将官の数は 親衛隊空軍海軍も入れて4000人ぐらい、死亡が1000人(戦死〜処刑含 む)だから、将官なんて完全に消耗品扱い。
でも戦死した人ってあんまりいないでしょ
フォン・フリッチュ
168 :
名無し三等兵 :2012/01/25(水) 01:45:03.58 ID:Q9FGvAbm
テオドール・アイケ
ゲオルク・シュトゥンメ
エーリヒ・バイ(アフメド・ベイ)
171 :
名無し三等兵 :2012/01/25(水) 14:58:44.96 ID:oriR9Spk
リッチェンス
172 :
名無し三等兵 :2012/01/25(水) 15:00:55.22 ID:oriR9Spk
ちなみにモーデルはヒトラーお気に入り 連隊の優秀な少尉程度の仕事が相当だ byフォン・ルントシュテット
173 :
名無し三等兵 :2012/01/25(水) 22:04:39.82 ID:Q9FGvAbm
軍備の急拡大で急激に昇進した将官連中なんか、ルントシュテットのような 伝統のプロシャ将校から見れば、将官としての訓練と教養の足りない素人に しか見えなかったんだろう。
どうもこの人は自分と異なる意見の人を必要以上に挑発的に攻撃する上に 自分に都合のいいその場しのぎの軽はずみな発言をした後にあわててそれを取り繕う癖があるな。 もう少し人格的にも理論的にも成長が必要だろう。
までも、こんな便所の落書きごときで人格もクソもないだろw
唐突にヴィルヘルム3世・シュライヒャー宰相体制とか言ってみるテスト
177 :
名無し三等兵 :2012/01/26(木) 23:08:51.71 ID:TUyZ5HDM
シュライヒャーは長いナイフの夜で殺されたけれども、この粛清はヒトラーと ナチスの独断じゃなく、ドイツ国防軍が一致して要求した事だよ。戦後になっ てからオレ達は知らないと言ってるだけ。旧皇太子のウィルヘルム・プロイセン も国防軍の将校たちの自己保身に呆れただろう。
ヴィルヘルム・フォン・プロイセン元皇太子を演習に招いてクビになった ハンス・フォン・ゼークト
179 :
名無し三等兵 :2012/01/27(金) 07:52:09.88 ID:WyWYOMd1
ゼークトを失脚させた陰謀を用意したのも、突撃隊の元になった義勇軍を作った のもシュライヒャー。陰謀を弄んで自分の身を滅ぼした。
マンシュタインもジューコフも露西亜の泥将軍と冬将軍には勝てなかった
ドイツ軍最高の将軍、モーリス・ガムラン
実妹の娘を娶るwww 近親相姦ロリコン将軍モルトケwwww
183 :
名無し三等兵 :2012/02/03(金) 07:14:52.82 ID:kR+OvGjF
ヒトラーの地下壕から抜け出して、愛人宅で泥酔していて処刑されたヘルマン ・フェーゲライン。
184 :
名無し三等兵 :2012/02/03(金) 07:36:46.95 ID:kR+OvGjF
オスカール・ディルレヴァンガー、懲罰部隊の指揮官で本人も強姦の前科あり。
186 :
名無し三等兵 :2012/02/03(金) 22:57:16.48 ID:hqkYot/l
ルントシュテットってロンメルやモーデルを馬鹿にしているけど、実際ロンメルやモーデルのほうが実績あるぞ。
>>155 しかしながらマンシュタインが最も優秀な司令官であるのは事実。
彼と釣り合う能力を持つ司令官はいない。
おまんこ
ルントシュテットはヒトラーや参謀本部から意に反する命令がくると、 ぎりぎり命令違反にならない程度のサボタージュで抗議の意思を表明するからタチが悪い ユンカーに共通して言えることだけど
189 :
名無し三等兵 :2012/02/05(日) 05:43:04.57 ID:vJwmUW7P
だが、二度解任されて三度再任は何故なんだ ロンメルやモーデルの実績は局地戦に置けるもので、その事を「優秀な准尉」と言っていたのだろう 戦争全体の事を考えれば、ロンメルのアフリカ攻勢はどうなの?とかの問題を指摘しているのかもしれない
ルントシュテットが解任されてもその都度再任されてるのに比べ 最も優秀な(はずの)マンシュタインにまたお呼びがかからないのは何故だろう
優秀さとは関係ない人間的な魅力じゃねーの? マンシュタインは人当たりが悪くてパーティとかだといつもボッチだったって言うし
山下大将も優秀だったけど性格悪いからなあ
193 :
名無し三等兵 :2012/02/05(日) 13:58:14.40 ID:NUd4VZUU
マンシュタインが優秀な指揮官になったのは戦後なんだよ、ヒトラーは死んで 死人にクチなし、マンシュタインは戦後にナチスと軍を切り離したい将官たち と口裏を合わせて言いたい放題。
>>193 44年1月10日号のTIMEの表紙になってるくらいだし、それは無いでしょ
195 :
名無し三等兵 :2012/02/05(日) 15:10:51.09 ID:rGewbV+w
マンシュタインからはどうもルーデンドルフと同じ臭いがしてくる。 非常に優秀な参謀将校ながらも、その実力以上に自分を過信し、 さらに敵を過小評価する傾向も強い。 戦後になって、ルーデンドルフが匕首伝説を撒き散らしたように、 マンシュタインもヒトラー敗因説を撒き散らしている。
「ルーデンドルフとは何物か。優秀なる一参謀将校にすぎない。 実際自分の職業についてよく知っているが、士官学校の教官のようなもので 軍隊の編成や作戦の立て方に優れるにすぎない。 第1次大戦が国の帰趨、いや国家の存亡にかかわるものであり、 その遂行のために何より重要なのは国民の愛国心であり精神力であるという 国民国家の戦争の理解を欠いていた。 1918年のドイツが欠けていたのはそこである。」 byフォッシュ
ルーデンドルフは軍人としてあるいは参謀としてなら優秀だったってのはみんなが認めているわけだし、 戦後の評判が実態以上に先走っているからといって、 193みたいな言い方で実は優秀ではなかったまで言っちゃうのは暴論だと思うんだよ。
198 :
名無し三等兵 :2012/02/06(月) 01:28:55.54 ID:go9a8pIL
1940年のフランス侵攻作戦の立案は、ルントシュテット揮下のA軍集団参謀長だったマンシュタインだぜ
199 :
名無し三等兵 :2012/02/06(月) 13:18:04.26 ID:TMhedWoM
>>198 "電撃戦という幻"って本を参考にすると
彼以外の誰かがその作戦を思いつく可能性はなかったね
参謀「閣下!良いニュースと悪いニュースがは入りました!」 ロンメル「悪いほうから言ってみたまえ」 参「イタリアが連合軍に降伏しました」 ロ「ふむ、で良いニュースとは何かね?」 参「はっ!本日よりイタ公抜きでの作戦が立案可能であります!」
202 :
名無し三等兵 :2012/02/06(月) 16:05:02.76 ID:xSkBve5t
>>200 いくら立案しても、ヒトラーが採用しなければ実行は出来ないわけで。
男が交通事故で大怪我をして病院に搬送され手術を受けた 麻酔から醒めた男に看護士がこう告げた 「悪いニュースと良いニュースです。先ず悪い方、貴方の両足は切断しました。 次に良い方のニュース、貴方の履いてた靴を隣のベッドの人が5ドルで買い取りたいと 言ってます」
>>201 現場レベルなら有能なイタリア将兵もいたみたいだけどねぇ。
イタリア側もイタリア兵の悪口ばっか言って独断専行するロンメルを嫌ってたようだ
伊軍参謀「閣下!悪いニュースと良いニュースが入りました」 伊軍司令「先ず悪い方から言いたまえ」 参「はっ!我が政府が連合国に降伏しました」 司「ふむむ・・・で、良い方とは何だ?」 参「はっ!降伏と同時に政府はドイツに宣戦布告しました」
イタリアはドイツと同盟を結ぶまではよかったんだが・・
しかしドイツに宣戦布告してからのバドリオは…
グラッツィアーニ閣下マンセー
>207 ×同盟を結ぶまでは ○同盟を結ぶ前までは
211 :
名無し三等兵 :2012/02/08(水) 13:14:15.84 ID:GOhfmIZQ
イタリアは東西で戦うドイツの横っ腹だからな、同盟を結ばなけりゃ攻略作戦 が行われたかも。
ドイツの問題は外交で相手を味方にさせるんじゃなく 何でも軍事力で屈服させて解決しようとする点だな
政治将軍ライヘナウ
214 :
名無し三等兵 :2012/02/08(水) 15:08:18.07 ID:LTA8xb2f
ルントシュテットとマンシュタインは仲良かったのか?
モルトケが力を発揮できたのはビスマルクの外交のおかげもあるからな
>>214 お互いが「あいつが有名になれたのは自分のおかげだ」って思ってる
217 :
名無し三等兵 :2012/02/09(木) 11:23:39.32 ID:hjOocavc
>>190 ルントシュテットがドイツ軍人の象徴的存在だったからじゃないの?
マンシュタインは嫌われ者だったらしいしな。
>>191 らしいな。ちなみにロンメルとマンシュタインは結構仲良しらしい
誰が仲良いとか悪いとか女子高生か
いや重大問題ですぜ パットンとモンティとか
空軍はゲーリングの下は同格ばかりだから、まとまりナッシング 航空機開発を混乱させて自殺した曲芸師ウーデット 航空消耗戦への対応に消極的だったイェショネク 名誉アーリア人で狷介なミルヒ
微笑みのケッセルリンク
ヴェーファーさんが生きていれば・・・
223 :
名無し三等兵 :2012/02/10(金) 14:02:44.77 ID:q1MwI9y4
戦略爆撃機とジェット機の軽視はイタいけど、ヒトラーも軍首脳も短期決戦 しか考えてなかったから、空軍だけの責任とは……
それ以前に欧州のド真ん中を占める仏独の場合は1正面からしか耐えられないだろ。 歴史がそれを証明してる。
ドイツの最高首脳陣の中で独ソ開戦に明確に否定的意志を示したのってゲーリングくらいか 意外と?大局観はあったのかな
単に二正面作戦ということなら、少なくとも WWI はドイツはほとんど勝ちかけてたけどな。 実際は2+1正面(西部戦線の背後にアメリカがいる)に負けたってことじゃね?
背後の匕首だろ
だから多正面になった時点で負けなんだって なまじ七年戦争で勝っちゃったもんだからその成功体験にしがみついて ヒトラーでさえその再現を最後まで願ってたくらい
229 :
名無し三等兵 :2012/02/11(土) 01:22:52.22 ID:kepwX/KY
>>225 バトルオブブリテンで1800機失ったばかりで、間を置かず対ソ戦なんて
ちょっと待てよと言いたいところだったろう。
七年戦争は、 イギリス→プロイセン × フランス←ロシア でしょ、 やっぱ、主戦場と陸続きでない同盟国の有無が大きいのでは?
オーストリアを忘れてるだろ
日本もマレーに突っ込んだあたりでは期待されてたもんだよ
フランスとの植民地戦争に勝ったイギリスは用済みとばかりにプロイセンの資金援助を停止 しかし露皇帝エリザベータ崩御によりロシアとおまけにスウェーデンとも和約 フランスとはハノーファー・ブラウンシュバイク公国軍が戦い、 プロイセンはオーストリアとだけ戦えばよかった(→つまり一正面作戦) むしろインドや北米でイギリス軍と戦ってたフランスこそ多正面で戦ってたとも言える
ヴィルヘルム・グレーナー
ヴィルヘルム・ハイエ
ヴィルヘルム・ビットリッヒ
ヴィルヘルム・カイテル
ヴィルヘルム・ブルクドルフ
239 :
名無し三等兵 :2012/02/12(日) 18:58:32.51 ID:F+5T6wPi
ヴィルヘルム・フォン・トーマ
ヴィルヘルム・フォン・レープ
241 :
名無し三等兵 :2012/02/12(日) 22:32:26.66 ID:F+5T6wPi
ヴィルヘルム・カナリス
242 :
名無し三等兵 :2012/02/12(日) 22:42:38.49 ID:UDyFRfxh
ヴィルヘルムさん多いなオイ
243 :
名無し三等兵 :2012/02/12(日) 23:48:42.37 ID:q7G5v67P
ヴィルヘルム・モーンケ
244 :
名無し三等兵 :2012/02/13(月) 14:54:24.96 ID:t1N1mLvr
ヴィルヘルムって、日本でいうと一郎とか太郎って感じなんだろうか。
それはアドルフじゃね?
ヨハンだろ。英語でジョンだし。
皇帝がヴィルヘルムだから、それに肖って名前付けた人多そう。
248 :
名無し三等兵 :2012/02/15(水) 01:57:00.29 ID:DaxMhEjQ
ドイツ皇帝もプロイセン王も、名前はヴィルヘルムとフリードリヒを交互に 使ってるね。
249 :
名無し三等兵 :2012/02/17(金) 00:27:31.02 ID:yHkc5M1q
極めて有能な現場監督
250 :
名無し三等兵 :2012/02/18(土) 21:41:11.47 ID:99wiBrRP
251 :
名無し三等兵 :2012/02/18(土) 23:08:52.72 ID:QqQf6mJp
マンシュタインとルントシュテットは戦後の過大評価、ってのがこのスレの 結論では。
カール・シュトレッカーについて書かれた文献とかないですか?
政治については政治家しか責任が取れないのだから軍人の活動は軍事分野に限定すべきだと言うマンシュタインと、 軍事は政治の一部なのだから軍人は政治についても責任を負うべきだと言うベックやブラウヒッチュは、 どちらが正しかったのだろうか。
ヒットラーが軍拡に好意的な政治家だからと言って ナチスの台頭を支持した国防軍は間違っていたということさ。 結局ヴェルサイユによる賠償を免れるどころか 領土を相当失ってしまったからな。プロイセン地方、シュレージェン地方 アレはドイツのものだったに!
フリードリヒ大王の功臣 フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ騎兵大将
256 :
名無し三等兵 :2012/02/20(月) 05:02:32.18 ID:i0ms7YfS
軍事的に不合理でも政治的に必要な作戦ってあるからね、ブラウ作戦とか城塞 作戦とか。
城塞作戦は駄目だろw
258 :
名無し三等兵 :2012/02/20(月) 09:38:02.06 ID:i+TCd/Kn
カイテル、ヨーデルの無能コンビはお前らの中でどんな評価?
ヒトラーの幕僚長はだれもつとまらないと思う
260 :
名無し三等兵 :2012/02/20(月) 16:03:26.30 ID:i0ms7YfS
>>257 城塞作戦は軍事的には失敗だけど、同盟国の離反を防ぐっていう政治的目標は
ある程度達成(石油資源があるルーマニアの離反を防いだ)してるよ。
装甲兵力無くなっちゃったけどな
ジューコフ
264 :
名無し三等兵 :2012/02/22(水) 06:48:54.13 ID:S0PrhFac
マンシュタインとハルダーは、戦後に軍人が回想録を書く場合のルールを作っ たが、これは全ての責任をナチスに負わせ、軍を免罪して再建するのが目的な ので、この二人が低評価を下した人物・組織・作戦についてはマユツバだと思 って間違いないだろう。
この二人は黄色作戦を考えたのはわしだと互いに主張していがみ合ってるみたいだな
ハルダーってクレフェルトの補給戦では無能と断じられているな
イェンショネクってどうなの? というか、空軍に関して思うんだが、長距離重爆作らなかったのって悪い事なのか? そもそも長距離重爆があろうが無かろうが、海軍が貧弱なんだからイギリス陥落なんて無理でしょ 直接海を渡らないと陥落なんて結局は無理だった モルヒネの大言壮語って問題もあっただろうが、ドイツ軍全体で準備不足だったと思う
イェションネクじゃないかと
対英航空戦敗北の責任は英戦闘機残存戦力を読み間違えた第二航空艦の微笑みの人に帰せられる
マンシュタインかっこよすぎ
グデーリアンかっこよすぎ
それらに勝ったジューコフもっとかっこよすぎ
そのジューコフに勝った日本軍もっとかっこよすぎ
いつ日本軍がジューコフに勝ったんだよ
275 :
名無し三等兵 :2012/02/23(木) 01:22:03.48 ID:vL2p/z2o
ジューコフは終戦まで一度もまけてないだろ
277 :
名無し三等兵 :2012/02/23(木) 16:28:25.32 ID:Qd76czPO
>>276 「あれだけ自軍の兵隊を殺してもよければ、サンドハーストの卒業生の半分は
”名将”になれるだろう」(モンゴメリー)
>>277 スターリンすら「感心」していたそうだな、ジューコフの兵士の消費レベル。
ジューコフ無敗神話とかまだ信じてる奴いたんだ
>>277-279 モントゴメリーとか、ぶっちゃけエル・アラメイン以外マトモに勝ち戦と呼べる戦績の無い奴に言われてもなw
で、モスクワ前面然りスターリングラード然りクルスク然り
独軍側の攻勢限界を見切り、一番弱い部分に兵力を集中し突破―包囲殲滅に持ち込む手際は十二分に名将の名に値するし
結果的にも勝ってる訳だから問題あるまいw
逆に言えば、そんな奴にすら勝てなかった奴って何なんだよw
一回二回負けても他でもっと勝ってりゃいいんじゃね? ソ連軍は多少損害が出ても他国軍ほど痛くねーし。
>>277 逆に考えると
サンドハーストの残りの半分はどんだけバカなんだよw
◆ノモンハン事件 元ソ連参謀本部大佐手記詳訳 平成16年9月2日(木)産経新聞 日本軍が一九三九年、中国東北部の満州とモンゴルの国境地帯でソ連軍と交戦し、大敗したとされるノモンハン事件。 日本軍の対ソ開戦論の後退につながった同事件で、ソ連側も日本以上の犠牲者を出し、 混乱していた様子を克明に記した元参謀本部士官、故ノボブラネツ大佐の手記がロシアの歴史専門雑誌「戦史公文書第五巻」に掲載された。 大佐は手記の中で、軍を指揮した同国の英雄、ジューコフ将軍が報告書を隠蔽(いんぺい)し戦史を大きくねじ曲げたとも批判している。 手記の詳訳を掲載する。 私たちがモンゴル−満州国境のチタに到着するまでに、国境での事件は大規模な衝突に発展していた。 チタには前線の空気が充満していた。 ザバイカルと極東管区では予備役の招集がかかった。 すでに前線司令部も設置され、司令官にシュテルン陸軍大将、参謀長にはクズネツェフ少将が任命されていた。 ハルヒン・ゴル(ノモンハン)付近にいた部隊は、三つの飛行連隊と二つの戦車旅団、砲兵数連隊が増強され、第一軍に再編された。 全軍の司令官にはジューコフ将軍が任命された。 私の任務は実戦部隊への武器と弾薬、燃料、食糧の補給だった。 その責任は重く、任務はきわめて困難を伴った。 私たちのベースキャンプからザバイカルのソロビヨフスコエ駅(第七十九駅)までは鉄道も舗装道路もなかった。 大草原が広がり未熟な運転手なら簡単に道に迷ってしまうのだ。 しかも、ベースキャンプから前線までは千百キロもあった。夏の焼けつく暑さ、冬のいてつく寒さ、 風と砂嵐の中で運転手がこれだけの距離を克服する方法を考えなければならなかった。
私の指揮下には十二の車両大隊があった。 司令部門のなかでも後方支援を担当した私の仕事は戦闘に必ず間に合わせ、決して武器、弾薬、燃料と食糧に不足が生じないようにすることだった。 後方支援部隊は、司令部から一度も小言を言われたことはないし、「戦功」のメダルも授与されたのである。 しかし、もし日本軍の飛行機がシベリア鉄道の駅を一つか二つ爆撃していたら、モンゴルの私たちの軍隊には燃料も武器弾薬もなくなっていただろう。 バイカル・アムール幹線鉄道の建設に、どれだけ大きな軍事的意味があったかを指摘しておきたい。 ノモンハンでの出来事は、私たちの国と軍隊にとって重大な意味があった。 それは、大きな戦争への備えがあるかどうか、私たちを試したのである。 最高指揮官や司令部の知識や作戦能力が試されるとともに、下士官と兵卒は勇気と規律、新しい武器を使いこなす能力が求められた。 率直に認めれば、赤軍兵士と若手指揮官だけが申し分のない状態にあった。 彼らだけが事態の深刻さを認識し、いつでも命令を遂行する態勢にあった。 赤軍兵士はこの地で赤軍の耐久力を試そうとする日本人の意欲をそいでおかねばならないことを承知していた。 しかし、ジューコフ将軍率いる第一軍司令部の行動は満足できる状態にはなかった。 より正確に言えば、私たちが日本人に勝ったのは、兵力と武器類の面で優位に立っていたからであり、戦闘能力で勝利したのではない。 「楽勝だと大言を吐いた」がゆえに、全く正当化されない巨大な損失が生じたのだ。
私たちは二週間、防衛する日本の師団を攻撃したが、一日に八十−百メートル前進しただけだった。 各部隊の共同作戦はなく、おおまかな作戦計画をかたくなに守り、それぞれが独自に行動していた。 たとえば、戦車は敵の後方深く突き進んで貯蔵燃料を撃滅したが、戦車の助けを得られない歩兵は、日本軍の銃撃で死んでいった。 航空部隊も敵後方を攻撃しながら、戦場の歩兵を支援しなかった。通信技術は完全にまずかった。 すでに無線はソビエトの人々の生活にも浸透していたが、部隊との連絡には使用されず、司令部は戦闘を操る基本的手段を持たなかった。 戦闘の初期は、司令部はいつも各部隊からの連絡士官で人だかりができていた。 ジューコフ将軍は技術的進歩を無視し、ナポレオン時代のように連絡のためだけに士官を使っていたのだ。 ナポレオン時代と違っていたのは、士官たちが馬を飛ばしたわけではなく、車に乗っていたことだ。 連絡士官らは戦場に戻る途中、果てしない大草原で道に迷い、砂丘の中を迷走しているうちに銃撃されて死んだ。 指揮官の命令が各部隊に届かず他の決定が必要な状況に陥ったり、 現場からの連絡士官が足りずジューコフ将軍が司令部の士官を前線に散らせることもよくあった。 司令部にいるのは指揮官と幹部だけということもあった。 私たちが、能力でなく数の面で優位だったから勝利したという事実は、 ソビエト小百科事典(三版)の第十巻の記載(添付の戦闘地図を含む)からも分かる。 つまり、私たちの側の七師団に対し日本は不完全な二師団。端数を切り捨てて有利に見れば四対一。 戦車と大砲の数では圧倒的に優位に立っていた。 損失でも私たちは悲しくも「優越」していた。 チタでは死傷者の数がおびただしく、その多くはただちにイルクーツクへ運ばれ、 さらにシベリアのあらゆる都市を通ってソ連の欧州部、クリミアやカフカスの保養地へと送られていった。 われわれは勝利を世界中に喧伝(けんでん)する必要などなかったし、ソビエトの人民を欺いてはならなかった。 必要なのは、ノモンハンの悲劇的経験からまじめな結論を導くことだった。
シュテルン司令官はノモンハンの戦いの最中、幾度となくジューコフ将軍にそれを理解してくれるよう努力したが、まったくダメだった。 反対に悲劇的な結果をもたらした。 スターリンに直接連絡ができたのはジューコフ将軍とシュテルン司令官だったが、シュテルン司令官が報告した正直で正当な情報はすぐさま、 ジューコフ将軍に都合がいいようにゆがめられたのだ。 一九四〇年にシュテルン司令官は、突然私たちの前から姿を消し、それ以後の彼の運命は誰も正確には知らない。 われわれが日本人に勝つことができたのは、シュテルン司令官の功績によるものだ。 シュテルン司令官は、(ジューコフ将軍の)部隊の運用に激しく介入したのに加え、上司であるジューコフ将軍の数々の誤りを正した。 だが、それが、シュテルン司令官の死につながる「亀裂」を生んだ。 軍は、大きな戦争の前にまた一人、実践的で戦略的な大局観をもった才能ある指揮官を失った。 スペイン内戦のとき、シュテルン司令官は共和国軍の軍事顧問を務め、有能な指揮官として才能を発揮した。 当時、スターリンと軍事行動や計画について交わした私信が見つかっている。 スペインから帰国後、ソ連邦英雄勲章を授与された。 ただ、シュテルン司令官には大きな「欠点」があった。 彼は、自立心旺盛な思考力と大胆な決断力を兼ね備えていたが、スターリンは、ザバイカル地方での現地調査にシュテルン司令官を送り込んだ。 彼を「消す手伝いをした」部下とともにだ。
シュテルン司令官は、ノモンハンでの苦い経験から学ぼうとした。 彼は参謀本部の将校たちが得たばかりの戦闘経験を研究し、司令部のすべての過ちと、軍の戦争準備で不足していた点を解明するよう命じた。 そして、すべてを報告書にまとめるよう指示した。 それを最高指導部に報告した後、極秘資料として出版し、各部隊の全司令官にノモンハン戦の経験を学ばせるつもりだった。 参謀本部もそれを要求していた。 報告書の作成委員会には、次の参謀本部士官が加わった。 軍とジューコフ将軍の動きを現地で幾度となく観察していたペチェネンコ最前線作戦準備部長、 増援部隊の最前線への輸送を担っていたロモフ最前線機動化部長、陸軍参謀団作戦部長のテストフ大佐、 部隊の補給責任者だったノボブラネツ大佐(自分)。そのほかにもいたが、名前は覚えていない。 報告書作成の指揮をしたのは最前線作戦部長のクレストフ大佐だった。 委員たちは全員、戦闘の参加者であり証人でもあり、状況を把握していた。 ただ、われわれは参謀本部の文書や個人的印象には頼らなかった。 戦闘に参加した兵士、パイロット、部隊司令官ら数十人への聞き取り調査を、戦闘の「生々しい痕跡」が残る現場で行った。 ジューコフ将軍にも聞き取り調査を行ったが、将軍は調査に落胆し、その後は一切協力しなかった。 われわれは、それらの資料をもとに、すべての戦闘の客観的な全体像をつかんだ。 軍の戦争準備不足や司令部の誤り、失策、計算違いの数々を含む全容が解明された。
シュテルン司令官は、報告書を読み満足し、出版準備をするよう命じた。 しかし、その報告書は日の目を見ることはなかった。軍はノモンハンの苦い経験を生かすことができなかった。 その詳細は語らないが、最終段階はこうだった。 この手書き報告書を受け取った参謀本部東部作戦部のシェフチェンコ大佐は、それが価値をもち、 赤軍の司令官たちに不可欠であるとの結論に達し、参謀本部長のメレツコフ将軍に出版許可を要請した。 メレツコフ将軍は賛同したが、そのとき、ジューコフ将軍が後任の参謀本部長に任命された。 ジューコフ将軍はすでにノモンハン戦を自賛する内容の著書を出版していた。 それを知らないシェフチェンコ大佐は、出版許可を取るため報告書をジューコフ将軍に渡したが、 激怒した将軍はシェフチェンコ大佐を怒鳴りつけ報告書を自分の金庫に葬った。 報告書がその後どうなったのかは不明だが、歴史のためにも捜し出し出版することは問題とはならないだろう。 この労作は興味深く、示唆に富む内容のはずである。
ノモンハン戦の後、フィンランドとの戦いが始まった。ナチス・ドイツは、われわれの戦闘能力を知っていた。 そして、ここでも、われわれは世界の物笑いになった。一師団がノモンハンでの失敗を繰り返し、包囲され全滅したのだ。 さらなる悲劇は、厳しい寒さだった。ソ連軍部隊に防寒着やスキーが配布されなかったことも笑いのタネだった。 半年間も前線を一歩も前に進められなかったのだ。最後は、フィンランドに勝利を収めたが、大変な犠牲を伴った。 少なくとも犠牲者はフィンランド側の三倍にのぼった。膨大な数の死傷者と凍傷に苦しむ兵士が続出した。 その結果、軍はどのように戦うべきかを本格的に考え始めた。 しかし、大きな犠牲を払うことになった一九四一年からの大戦争に向けて軍を準備するには、あまりに時間が足りなかった。 (訳 モスクワ・内藤泰朗/外信部・遠藤良介) ■ワシーリー・ノボブラネツ大佐(1904−84年) ノモンハンの戦いに後方支援部隊長として参戦。 大祖国戦争(第二次大戦)にも加わった。軍参謀本部情報総局(GRU)情報部長などを歴任。 著書に「諜報員の回想録」がある。
>>288 >シュテルン司令官は、(ジューコフ将軍の)部隊の運用に激しく介入したのに加え、上司であるジューコフ将軍の数々の誤りを正した。
これの具体的な内容がわからんとなぁ
日本の奇襲を予知できずに事態の収拾にも失敗したフェクレンコをクビにして経験豊かで補給の大切さをよくわかっている グリゴリー・シュテルンに替えたため、ソ連軍のこの問題は徐々に改善していく。 現に7月9日にザバイカル軍管区と第57特別軍団を統合した「前線集団」の司令官にシュテルンが任命され、 道路を造り電話線を引き、また規律を重んじて通信網、補給路、軍の組織を整えてからは日本軍は敵わなくなっているではないか。 その代わり、シュテルンよりあとに任命されたゲオルギー・ジューコフとの確執が問題になってくるが、 シュテルンもジューコフのごり押しに負けてはいない。
○脆弱な通信網 部隊間の連絡がとれずに、友軍であるモンゴル騎兵を攻撃したり、ソ連機が自陣営を爆撃したり、 歩兵(自動車化狙撃)部隊が迷子になって戦車部隊が単独で日本軍のただ中に突入したり、散々である。 誤射・誤爆は一度ならずあったらしく、ここで紹介されている報告書では「地上部隊は意気消沈した」と あっさり書かれているが、味方の誤爆くらいがっくりする話はない。 ○貧弱な補給線 日本軍はソ連側の鉄道が数百km離れていて補給がうまくいかないことを期待したのだろうが、 弾薬も食料も充分でない日本軍が歯を食いしばって叩いても、ソ連軍は翌日にはけろっと回復していて、 物資は無尽蔵であるかのように見えたのは、前述のようなシュテルンの尽力のたまものだったのだ。 ○将兵の訓練不足 ソ連兵は白兵戦を嫌ってすぐ逃げてしまったと日本側の参加者が度々指摘している。 ソ連軍はウラル軍管区の予備役から編成されており、兵器を初めて手にする者さえ少なくなかったのだという。 ソ連(というかスターリン)ご自慢の航空部隊が初期に壊滅といっていいほどの打撃を受けたのも、 ソ連の戦闘機イ15が96式戦闘機に比べ性能が劣っていたのに加え、パイロットの経験不足が大きかったという。 スムシケーヴィチ率いる経験豊かで腕の良いパイロットが投入され、 またジューコフに鍛えられながら度重なる実戦で兵士たちの経験値は否応なくあがっていく。 …とまぁ、ソ連が弱点を克服していった様子を見るだけでも、戦いが長引けば長引くほど日本が勝てる気がしない。 それに加えて、ヨーロッパ情勢との絡みでソ連には決して負けられない理由があったのだという。
>>285-291 この「手記」著者のノボブラネツは
>>289 によれば、シュテルンが中心になって作成された報告書の作成委員会メンバーなんだろ。
で、
>>290 によればその報告書は「日の目を見る事はなかった」し、上司のシュテルンも粛清された。と。
つまりジューコフはノボブラネツにとって、「自らの仕事と上司を葬る片棒を担いだ憎っくき対立派閥のボス」な訳だ。
そういう人物の個人的回想を鵜呑みにするなんざ、メディアリテラシーを疑われても仕方ないレベルだなw
ついでにいえばシュテルンはジューコフがソ連・モンゴル前線軍集団司令官に着任する前の38年から極東方面軍の参謀長を勤め、ノモンハン事件の初動対応に当たった人物であり、
その拙さ故に司令官として派遣されてきたジューコフに含む所があったであろう事は想像に難くないし、
ノボブラネツが
>>291 でこき下ろしている冬戦争でも第8軍司令官を勤めている。
従って、そもそもシュテルンや、彼が作ろうとした報告書が、ノボブラネツがべた褒めしてる程価値のある代物か否かも怪しい。
あと、死傷者数に至っては具体的数値すら示されておらず考察に値しないw
いずれにせよ言えるのは、ノモンハンでも冬戦争でも独ソ戦でも、戦争目的を達成した。即ち勝ったのはソ連であった。
「戦争とは通常と異なる形態で行われる政治であり、その目的は彼をして我が意志に服従せしむるにある。」
この名言を遺したのは、確かドイツ人の将軍の筈だがなw
297 :
名無し三等兵 :2012/02/23(木) 21:49:32.09 ID:Yj2Ol0zW
逃げの将軍ヴォロシーロフ
なるほどジューコフはノモンハンでの苦い経験から真摯に学び取ったことで、 遂にはドイツ国防軍を破ったというわけか
299 :
名無し三等兵 :2012/02/24(金) 01:53:23.94 ID:B3l7g9T0
ソ連軍の失敗を教訓に修正してくる能力はすごいよ。マンシュタインは第三次 ハリコフ攻防戦の再現を狙ってたが、同じ手に何回も引っかかる相手じゃない。
逆に言うとドイツの将軍ってのは、そういう敵の出方を読む事を含む
敵情把握全般が弱いよな。
>>269 の件然り。
だからそれなりに均衡した兵力を相手に小手先の戦術では善戦できるけど
圧倒的な兵力差では太刀打ちできないし、閃絡的な読みは甘いから
結局戦闘で勝てても戦争に負けることになる。
「閃絡的」は戦略的の誤記なw
第三航艦の象さんは英戦闘機残存機数を正しく把握してなかったか
303 :
名無し三等兵 :2012/02/25(土) 12:10:31.69 ID:J12B5q96
>>251 ルントシュテットは過大評価だと思うが、マンシュタインは過大評価か?
普通にドイツでもっとも有能な将軍だと思うが
>>280 モントゴメリーは少なくともエルアラメインにおいては有能だったと思う
モントゴメリーじゃなくてもいずれは勝利するだろうが時期は遅れた可能性が高い
マンシュタインは勿論有能だし、特に作戦家としてはドイツ軍随一だと思う ただ己の敗因を全てヒトラーにおっ被せる神経が解せん。 あとリデルハートによればモンゴメリーはロンメルよりむしろ ルントシュテットの方が一層手強い相手であると言っていた。
305 :
名無し三等兵 :2012/02/25(土) 16:30:23.06 ID:RKQZwRS+
>>303 ルントシュテットやマンシュタインのような、プロイセン貴族出身の軍人達は
ヒトラーが急造したロンメルやモーデルの様な将官達を、戦術家であって戦略
家ではないとか、ただの現場監督とか、死人にクチ無しをいいことに戦後吹き
まくってるが、そういう事を言ってる当の本人達も高次元の良い仕事はしてい
ない。ソ連軍に軍事理論のレベルで負けていると分析して危機感を持った軍人
はドイツにはいなかった。結局みんな現場監督レベルだった。
306 :
名無し三等兵 :2012/02/25(土) 19:06:03.36 ID:J12B5q96
>>305 ルントシュテットはロンメルやモーデルを馬鹿にしているけど、実際ロンメルやモーデルのほうが実績ある。
ロンメルモーデルのほうがはるかに優秀。
嫉妬してるんじゃないの?
あとマンシュタインとロンメルはお互いに認め合ったようだが。
307 :
名無し三等兵 :2012/02/25(土) 19:11:23.25 ID:J12B5q96
>>304 モントゴメリーは確かにそう思っていたようだな。
ただルントシュテットがロンメルより優秀とは到底思えないな。
ルントシュテットは部下に恵まれただけだろ。
ポーランド・フランスでは参謀長にマンシュタインがいた。
1944年秋に連合軍の進撃が停止したのはルントシュテットではなくモーデルの実績。
ルントシュテットって本当に過大評価されてるよな。なんでこうなった?
存在自体が国防軍の象徴だから
国防軍の三長老 ゲルト・フォン・ルントシュテット ヴィルヘルム・フォン・レープ フェードア・フォン・ボック 軍内での影響力は絶大
軍事的才能ではルントシュテットに及ばないにしても ユダヤ人殺害を止めさせようとしたボックや ヒトラーに嫌気をさして自ら北方軍司令官解任を申し出たレープは人間的に勝ってる
311 :
名無し三等兵 :2012/02/25(土) 20:06:24.45 ID:J12B5q96
ルントシュテットがユダヤ人殺害に乗り気だったとは思えないがな。 おそらく消極的反対というところだろう。
ルントシュテット=杉山元 レープ =寺内寿一 ボック=畑俊六
ダンケルクの奇跡の主犯はルントシュテット
ノルマンディーにおけるルントシュテットは航空券軽視以外の何物でもない まあロンメルの言うとおりにしていれば100%撃退することができたとは言えないが ただ個人的にはロンメルが正しかったと思う。
航空券も買わないで搭乗しちゃダメでしょ
航空券→制空権 訂正。
ブッキングしてキャンセル待ちだったんじゃね
318 :
名無し三等兵 :2012/02/26(日) 02:04:03.15 ID:NsoqbEIw
>>307 戦後に生きていたかどうかが大きい。死んだ人はしゃべれないから。
319 :
名無し三等兵 :2012/02/26(日) 02:53:55.61 ID:1N5oXtMu
モスクワ前面もスターリングラードもクルスクも、みんなプロイセン軍人の言う通りやって居れば勝ててた みんな戦略家面した伍長とその取り巻きのラカイテルのせいで負けたんだよ 戦争と言うものには速やかな撤退と反撃が有るんだよ 無意味な死守命令とか無謀な作戦とか、伍長さんは旧日本軍と同じく無能
320 :
名無し三等兵 :2012/02/26(日) 03:03:53.35 ID:1N5oXtMu
1944年秋の連合軍の進撃の停止はモーデルの手腕ではなく、連合軍の補給が続かなくなったため 特に燃料な そんな中で目の前にいる英第21軍集団に対して包囲されている第15軍に攻撃命令を出したモーデルは無能 ルントシュテットは、速やかにオランダへの後退を命じている その結果、英軍は追撃出来ず第15軍の大部分が後退してオランダで体勢を立て直した
一人で逃げたシェルナー、降服してソ連の協力者に鞍替えしたパウルスに比べると 自殺したモーデルは立派
>みんなプロイセン軍人の言う通りやって居れば勝ててた つWWI
>みんなプロイセン軍人の言う通りやって居れば勝ててた つ第二次上海事変
>>319 伍長とラカイテルが無能なのは同意だがプロイセン軍人の言う通りやって居れば勝てたってのはないな。
そもそもモスクワが陥落してもどこかに首都を移動して戦争を継続するだろ。
325 :
名無し三等兵 :2012/02/26(日) 12:27:25.92 ID:NsoqbEIw
伍長とラカイテルが無能というのは、戦後にプロイセン軍人が言ってる事 だから真に受けるのはどうかな。
勝てたって戦術、戦略レベルの話だろ。誰も戦争に勝てたとまでは言ってないけど。
WWIのロシアは講和に追い込んだけど 西部戦線じゃ戦術・作戦・戦略全てのレベルで勝てなかったろ
ドイツの軍人ってアンシャン・レジームに属しながら、 国民戦争を遂行する折衷的な部分が無理臭い罠
329 :
名無し三等兵 :2012/02/26(日) 17:52:18.16 ID:1N5oXtMu
ハルダー参謀総長はスターリングラードとコーカサスを同時に取るブラウ作戦は不可能と反対したのに伍長らがやれと命令してあの始末 モスクワの件も、フォン・ボックが言うように早期に撤退し兵力を温存すれば、反抗して再占領可能性は高かった 全ては伍長らが悪い
330 :
名無し三等兵 :2012/02/26(日) 17:54:34.59 ID:1N5oXtMu
ドイツ軍人は政治に口出しせず軍事に専念するプロフェッショナルを良しとするからな
ボックは野心家でモスクワの征服者として名を残すことを切していたからな。
ハルダーって戦後言ったことと、 戦中の国防軍OKH議事録や自身が書いたメモと比べると全く言ってることが違うらしいなw
ドイツ流の総力戦って、政府と軍の一方がもう一方を従属させる不健全なもんだからな ルーデンドルフ然り、ヒトラー然り
>>310 私的な土地を買うための資金をヒトラーに無心したレープが
「人間的に勝ってる」と言えるかどうか。しかも、レープがヒトラーから
もらった金(総統下賜金)で買った土地は、今も子孫が所有していて、
国庫に返す意思はないとのこと。
土地所有はユンカーの特権だ!
ヴェーファーが生きていれば、ドイツ空軍は四発重爆でイギリスや ウラル以東に疎開したソ連の工場を爆撃出来ていたかもしれないな。 ヴェーファーは熱烈なナチズム信奉者で、政治力や事務処理能力にも 長けていたから、ミルヒとも互角に渡り合えただろうに。惜しい人物をなくした。
去年出た『ドイツ史と戦争』という論文集で、ヴェーファーと彼が起草した 航空戦要綱が取り上げられていたな。
マーレーはヴェーファーをミルヒ以上の逸材だったと評価しているから、 根っからのパイロットで、政治力や機体開発、事務処理には疎いウーデットの 急降下爆撃偏重方針も押さえ込めたかもしれないな。
>>330 つカップ一揆
どの口が政治的中立って言うんだか
340 :
名無し三等兵 :2012/02/27(月) 01:12:42.20 ID:E3WmZJnl
>>329 ブラウ作戦を立案したのは参謀本部、自分で作って自分で反対したのかよ。
ソビエト一の無能将軍ジューコフ
じゃぁドイツ軍ましてや日本軍の将軍なんてのはその無能以下だなw
マンシュタインやグデーリアンを誉めれば誉める程それを撃破ったジューコフの株は上がり、 反対にジューコフを貶めればそれに敗れたドイツの将軍達が余計惨めになるというw
ま、世の中結果が全てだからねぇ。 ロシアには「鏡にケチをつけてもブスは治らない」なる諺があるんだとかで 良い歳こいた大人が気に入らない結果に駄々捏ねてみた所で、 却ってミジメでみっともないだけだと思うんだが。
>>343 マンシュタインを褒めてもジューコフの株は上がらない
ロンメルを褒めてもモントゴメリーの株は上がらない
明らかに連合国のほうが様々な条件において優勢だからな
不利と解って戦争したら案の定負けました。 でも頑張ったんだから誉めてちょうだい。ってか? あほらしw
WW1のドイツ帝国軍将官ってなんつうか神々しいよね ヴィジュアル的に
戦争って必ず同人数、同条件で戦うスポーツなの? スポーツだったら不可侵条約破ったドイツはルール違反でアウトになるんだが
「様々な条件において有利」な相手なら、そもそも戦争を避けるべき旨を進言し、 それでもやむを得ず戦わざるを得ないというなら、必ず勝利できるだけの戦略戦術を立案実行するのが、 軍事のプロフェッショナルたるべき将軍や参謀の仕事だろ。 そのいずれも行い得なかった時点で、WW2独軍の将軍連はプロ失格だし、 局地的な戦術上の勝利やキルレシオの優勢のみを取り上げ弁護してみた所で、 「情状酌量事由」にはなり得ても「免責事由」にはなり得ない。 「不利な条件下善戦敢闘した」所で、負けては何の意味もないし、むしろそういう相手に勝った側の評価が上がるだけだw
350 :
名無し三等兵 :2012/02/28(火) 06:51:38.25 ID:smaNOVrq
>>349 そんなのやったらスキャンダルで更迭でござる
351 :
名無し三等兵 :2012/02/28(火) 07:05:32.24 ID:qlcEDxO7
進言しても伍長どのが癇癪起こしていうこときかないもん プロフェッショナル失格ではない
>>350-351 なら勝てば良い。でも勝てなかった。
挙句戦後に他人に責任転嫁して「こうすれば勝てた」とか「あと一個大隊が足りなかった」等と、
後知恵混じりの負け惜しみと自己正当化に汲々として恥じる事が無い。
その見苦しさも激しくプロ失格だわなw
>>352 そうやって進言した指揮官は片っ端から更迭されて
後任として自分より経験の浅い指揮官が重責を押し付けられるのがわかってるのに、出来るわけねーだろw
戦争やって負けるよりゃマシだろ。 職を賭して負ける戦争止めさせる覚悟が無く、 国家の存亡より自らの保身や組織防衛を優先し、勝つ見込みの無い戦争やりました。だからボクたち伍長の被害者です。なんて軍人の風上にも置けないチキンじゃんw
355 :
名無し三等兵 :2012/02/28(火) 12:45:56.59 ID:qlcEDxO7
プロイセン軍人の基本は義務と献身 例え相手が伍長でも だから伍長はなんとしても統帥権を手に入れたかった
要するに忠誠の対象が国家ではなく一個人だと
なるほど
>>328 の説得力ある事w
>>355 仮にそれならそうでそれを戦後も貫きゃ良い。
ところが実態は伍長に責任転嫁し「失われた勝利(笑)」だろw
呆れた卑怯未練ぶりだなw
>>357 負けた国の将軍なんぞどこもそんなもんだろ
敗戦後も筋を曲げなかった国がどんだけあるんだよ
「失われた勝利」ってマンシュタインの本心かね よく本のタイトルって出版側で勝手に付けられたりするから
>>358 だとすりゃつまり平凡な敗軍の将に過ぎない。ってことじゃん
にもかかわらず持ち上げすぎなんだよw
>>359 だとしても一頃の洋画の邦題じゃあるまいし
余りにかけ離れた内容の題名は普通付けない罠。
>>360 ドイツ将官の自画自賛は
東西冷戦下で対ソ戦のノウハウを模索していた西側陣営に、自分達の知識と経験を売り込ためのセールストークと
NATO内における西ドイツ軍のプレゼンス確保を目論んだアピール活動という面を備えているので
単純に我が身恋しさだけでやってたと判断するのは短絡的
(まぁ売り込むにあたってナチス信奉者なんてレッテルが貼られると進退に不都合だと考えてたのも確かだけど)
まぁ、なんだ、回顧録や言論が展開された時代背景を知らなければ歴史を学ぶのは難しい。
負けたナポレオンは屑 戦闘を避けて無血開城した上引退後も見苦しくピーピー言わなかった慶喜は神 これでいいだろはい終了
363 :
名無し三等兵 :2012/02/29(水) 01:48:23.77 ID:nivWfhH4
旧日本だって国家ではなく個人に対する忠誠と義務だろ 日本の場合はそのトップが戦争やりたくなくても無理やり無能な幹部軍人が勝手に身の程知らずな戦争やりだすし 全く統帥のとれていない無茶苦茶な国ですな
(どんな損害を出そうと)勝ったジューコフは神 戦闘を避けレイテに突入しなかった上戦後も見苦しくピーピー言わなかった栗田も神 これでいいだろはい開始
>>361 理由はどうあれそういう意図が背後にある以上、それを鵜呑みにして賞賛するのは馬鹿げてるなw
>>362 WW2の独軍将官連にナポレオン程エポックメイキングな軍事能力があったかも怪しい
慶喜は実際一封建領主としては相応しい決断をしたし、それが明治政府でも徳川家が安堵され、
剰え爵位や貴族院議長の座をも手に入れる事に繋がった訳で、
自らの領民と、一族を保全しするという意味での「朝敵」の汚名を雪ぐという戦争目的は果たしたんだから問題あるまいw
>>363 当時の日本は立憲君主制であり、国家主権は天皇に存するのだから当然だ。
しかしナチスドイツは全権委任法によって行政権に立法権が委任されはしたものの
ヒトラー一個人に主権が帰した訳ではない。
更に言えば君主制の時代ですら、1918年11月のヴィルヘルム2世による革命鎮圧のためのベルリン進撃命令に対する抗命の例を見ても解るように、
君主や一個人に対する忠誠を誓ったとしても、国家や民族の不利益となる軍事作戦には反対するのが
義務とまでは言わなくても軍人の職業的良心だろ。
そういう職業的良心の欠如が「プロ失格」と言ってる訳。
あと「戦争に反対しなかったこと」のみ論うやつが多いが
もっと重要なのは「勝てる戦略戦術を立案実行しなかったこと」だ。
例えばバルバロッサはどう見ても補給上、攻勢限界点を超えたモスクワを作戦目標にしているし、
その勝利の見込みも「奇襲でアワ食ったソ連指導部内部でクーデタが起こり政権崩壊」っつー皮算用に基づくもので、
じゃぁソ連指導部の誰かを調略し、内応の段取り付けてるかといえばそうでもない。
こんなザルな作戦で戦争おっぱじめ結局負けた挙句、たまたま局地的な戦闘で戦術的勝利納めたり
キルレシオが多少高かった程度で「勝った側を能力で上回る名将」もヘッタクレもあるまいw
>>364 実際ジューコフは名将だろ。
あの戦いでソ連は勝たなきゃ国家崩壊は勿論、ヘタすりゃ民族の存亡すら危うかったからな。
で、栗田の場合は戦術的撤退ですらない怖気づいた逃亡で、その理由は唯の我が身可愛さだろ。
戦争が始まる前の避戦論と戦争が始まった後の一作戦における一部隊の撤退や逃亡の区別がつかないのなら
背伸びして将軍論や戦略を語らない方が良いんじゃね?w
>軍事作戦には反対するのが義務とまでは言わなくても軍人の職業的良心だろ あんたの絶賛するソ連の将軍様はフィンランド侵攻に反対しましたか?
>>367 フィンランド戦は勝ち、結果ソ連の国益が増進しましたが何か?
ちゅうかよ、戦争ってのは政治目的の達成のためにやるもんであって
戦闘の勝ち負けはその手段に過ぎないってんのは
あなたの大好きなプロイセンの将軍が仰った事なんですけどw
「戦争を避ける事」の引き合いに「戦闘から逃げた」栗田を出す不釣り合いさもそうだけど ここで必死にナチスドイツ軍を擁護してる手合いってのは とりあえず目先の戦闘にさえ勝てて自分の部隊さえ無事ならば、 戦争全体の勝敗や国家の存亡はどうでもよいって考え方としか思えんな。 そういうせいぜい尉官級レベルの考え方で将官を論じられてもねぇ
勝った将軍だけが名将だったらわざわざ語る意味もないと思うけどな。 ジューコフは異論なく名将だろうし、マンシュタインだって名将には違いないだろ。
あらら、変な名前になっちゃった。
>>366 何でそんなに偉そうなのかなあ。
戦後60年以上経って、各方面からの資料が出尽くした現在の目で分析して、
プロ失格とかなんとか言うのは簡単なことじゃん。
君は実社会で働いたことないでしょ?
中二病をこじらせちゃって、俺様万能感が肥大し過ぎてるようにしか見えないが。
373 :
名無し三等兵 :2012/03/01(木) 05:14:12.89 ID:lNj/j3Zo
現在のドイツ連邦軍も、マンシュタインの第三次ハリコフ攻防戦での成功した 記憶を基に造られてるけど、日本海海戦を再現しようとしてた日本海軍を笑え ないと言うか、ドイツ連邦軍最強とかレオパルト戦車最強とか書いてる軍オタ 雑誌を目にするたびに、プロパガンダは怖いなと思う。
>>370 >勝った将軍だけが名将だったらわざわざ語る意味もない
しかし判官贔屓のつもりなんだろうが、実際の結果を出して無い人物を
多分に希望的観測を交え「実は名将」と褒め殺すのも、行き過ぎりゃ単なる妄想でしかない訳で、
手前一人のHPなりチラ裏に書くならまだしも、不特定多数が読み書きする掲示板に書いた以上、
そういう妄想を共有することを強要されたり、ましてや勝者を貶したいがために敗者を持ち上げる類の負け惜しみに賛同する謂れは無い罠w
>ジューコフは異論なく名将だろうし、マンシュタインだって名将には違いないだろ。
>>341 や
>>343 みたく贔屓の引き倒しで必死に「マン>ジュー」って事にしたい奴が居ついてるからな。
そのアンチテーゼの意味も込めて多少辛口の批評をしてやったけど、今だに情緒論の域を出ない反論しか返ってこないんだがw
>>372 >戦後60年以上経って、各方面からの資料が出尽くした現在の目で分析して、
>プロ失格とかなんとか言うのは簡単なことじゃん。
つまりあんたは>361が語るような冷戦時代の政治的バイアス下、限られた資料しか出回らなかった時代に形成された
「ナチスドイツ軍=悲劇の名将に率いられた悲運の精鋭」的な神話を墨守したい。とw
そういう知的怠惰の方がよっぽど「簡単なこと」だし、
その尻馬に乗って異論を封殺しようとする方がよっぽど「偉そう」なんじゃねぇの?w
>君は実社会で働いたことないでしょ?
お〜お〜遂に書くに事欠いて憶測で人格批判ですかい?くやしいのぅくやしいのぅw
つかそうやって論理的な反論に詰まった途端、相手の人格批判に論点すり替えるのって
典型的なクレーマーの論法なんだよね。
で、生憎とあんたのご心配には及ばず俺にも職はある訳で、
これまでそのテのクレーマーにもリアル/ヴァーチャル問わず職場で何人も応対したけどさ、
社会的に成功していると言える部類の手合いにはついぞお目にかからなんだがなぁw
あんた、毎日の生活うまく行ってんの?(p
きも……
>>375 そんな一行煽りレスでもとにかく書き込む事で、
何か反論したような気になりたかったんですね?w
>>374 やっぱり発想が引きこもりだよな。
俺が言いたいのは冷戦下の限られた資料によるバイアスとか、そういうことじゃないぞ。
いいかい、当事者である将軍たちは、現役であった当時、自分の置かれた環境の中で、
自分が知り得る情報を頼りに決断・行動することしかできなかったのだよ。
それを現在の豊富な資料を元に分析して、したり顔で語るのはフェアじゃないってこと。
それともう一つ、その時代の、その状況下における物の考え方というのがある。
たとえば戦後社会では、ヒトラー=悪という価値観が絶対的に確立しているから、
ヒトラーが無謀な命令を下しても「そんな逆らえばいいじゃん」と思うかも知れない。
しかし、当時、逆らえたかどうか。処罰が怖いとかいう理由だけじゃなくて。
ドイツ軍人貴族としての考え方の問題もあるだろうし、あるいはヒトラーのことを
半分は馬鹿にしていたとしても、何らかのカリスマ性も感じていたので逆らえないということもあったかもしれない。
そうした当時の高官の一人称の思考・感情・気分について、君に何が分かる?
もちろん俺にもわからないし、知りようがない。
しかし、わからないことはわからないと認めた上で、妄想を膨らしたり、
ロマンとして語るというのも、趣味の分野ではひとつの楽しみ方だろうよ。
「ジューコフは勝ったから偉い。それ受け入れないヤツは馬鹿」って。
だから何?って話だよ。
要するに君が言っているのは、「最も偉大なロックミュージシャンは誰?」という話題に対して、
それぞれの時代のインパクトや人気や影響力なんかと一切無視して、
「一番売れたヤツが一番偉大に決まってるだろ、馬鹿ども!」と言っているようなもの。
自分なりに自信を持った「正論」で、ぶった斬ってるつもりかもしれないが、
あまりに考え方が狭いし、偉そうなのがみっともない。何よりつまらない。
リアルで中二なのではないかと思ってしまうぞ。
相手にすんなよ。ただのスレ汚しになるだけだぞ。
ヒトラーと国防軍軍人の関係は、 現代日本の政権と官僚の関係とそっくりだ
>>377 「ボクちゃんの気持ち良いオナニーの邪魔しないで」まで読んだ。ってか?w
>いいかい、当事者である将軍たちは、現役であった当時、自分の置かれた環境の中で、
>自分が知り得る情報を頼りに決断・行動することしかできなかったのだよ。
>それを現在の豊富な資料を元に分析して、したり顔で語るのはフェアじゃないってこと。
はぁ?じゃあ何か?ただただ無批判に賞賛しろってか?
つかここは「語るスレ」なんだろ。
ならお前個人が気に入らなかろうが、「現在の豊富な資料を元に分析し」語る事にケチ付けられる謂れは無いね。
つかWH将官の戦略、とりわけバルバロッサに関するそれは、当時の知見に照らしてすら拙劣だ。
例えば上でも指摘したようにモスクワは独軍の攻勢限界を超えている。
その理由はロシアの冬の酷寒により大量の補給品の需要が生じるにも関わらず、春秋の泥濘により補給路が貧弱になる事な訳だが、
冬の寒さ然り道の泥濘然り、ナポレオン時代にもWW1でも経験してるにも関わらず、その対策を打たない。
のみならず「電撃戦の成功」を前提にそういう無謀な作戦を正当化してる訳だが、
その「成功」の目論見のご都合主義さ加減と、にも関わらずその実現の為に何の手も打たない怠慢さは犯罪的とさえ言って良い。
>ドイツ軍人貴族としての考え方の問題もあるだろうし、
上でも指摘したが、帝政時代ですら君主(ヒトラーのような僭主ではなく正真正銘の皇帝だ)の命令より自らの良心を優先し、抗命した軍人も居た。
>あるいはヒトラーのことを
>半分は馬鹿にしていたとしても、何らかのカリスマ性も感じていたので逆らえないということもあったかもしれない。
だとすりゃ人を見る目と勇気のいずれか、或いは両方が無かったか、戦略眼か曇ったってこったろw
>>380 続き
>しかし、わからないことはわからないと認めた上で、妄想を膨らしたり、
>ロマンとして語るというのも、趣味の分野ではひとつの楽しみ方だろうよ
俺から言わせればそれこそ「だから何?」だ。
「とにかくマンシュタイン始め独軍の将星は連合国の将軍を上回る名将!」なんて贔屓の引き倒しに、
お前個人がどう「ロマン」とやらを感じようが虚しい妄想膨らまそうが自由だが、
それをこのスレの共通認識かの如く押し付けたり、
異論に対し反論になってない罵詈雑言を投げつける権利はお前にはあるまい。
それこそスレ主気取りで何偉ぶってるんだ?w
>やっぱり発想が引きこもりだよな
>あまりに考え方が狭いし、偉そうなのがみっともない。何よりつまらない。
>リアルで中二なのではないかと思ってしまうぞ。
それ、幾つだか知らんが情緒論と罵詈雑言しか投げつけられないお前にそっくり当てはまるんだがw
>>378 マトモに反論できない悔し紛れの一行煽りってんのも
スレ汚しの最たるもんだねぇw
とりあえず、ホトとモーデルはけっこう好き。評価なんて知らんけど。
「今度の戦争におけるドイツの将軍たちは、その職業人という点から言えば、 最上の出来の人達ばかりであった。 ただもし彼らの視野がもっと広くて、かつその理解力が深ければ、更に一層良かったであろう。 けれどももし彼らがそれ程立派な『達人』になっていたとしたならば、 彼らは軍人たることをやめたであろう。」(リデルハート著『ヒットラーと国防軍』)
無駄に喧嘩っ早いの誰だかだいたいわかっちゃったw
388 :
名無し三等兵 :2012/03/02(金) 02:47:24.54 ID:TvkBwTh2
>>386 リデルハートとドイツ軍将官たちは共犯関係だよ。ドイツの将官たちはリデル
ハートの著作を読んで参考にしましたって迎合してる。
要は軍人の能力には限りがあるということさ
いや、政治家が戦争の可否について軍人に専門的見地からの助言を求める事はあるだろ。 大東亜戦開戦前、開戦後の見通しについて楽観論を伸べた杉山元に対する昭和帝のツッコミとか 近衛の質問に対する山本の「一年や二年は暴れまわる」発言のエピソード見ても解る様に。 その際に無理な戦いは無理と説明すりゃ済む話。
>>390 無理な戦いは無理とは言ってもそれを証明する方法が無い。
現代みたいに物的差が決定するという認識がまだ無い時代だし。
>>390 社会人なら分かると思うが、上から可否を聞かれて無理ですなんて答えたら信用を失うだけ。
求められているのは、どうすれば可能なのかの方法。
もし誰であっても絶対不可能な事について問われたら、その時その場面でその地位にいた不運を嘆くしかない
現代日本の社会人の常識にそんなに普遍性があるとは知らんかった
>>393 まあ軍人である以上、負けるとは言えないしね
上の五十六の話も言葉を濁すに留まってるし
それに軍隊も予算で動いてるんだから、信用を失って予算減らされる訳にもいかないし
その辺は現代の日本と大して変わらない
>>394 まあ軍隊って、官僚組織だからな
官僚の悪い所は軍も持ってる
縦割り行政の弊害
まあ、軍隊経験無いんでなんともいえないが、 今の日本のまともな会社(誰でも名前を知ってるような大企業とその直系子会社とか、 直受けレベル)なら、「できません」は言えるよ。むしろ言う義務がある。 この辺りはお欧米のマネジメント手法を取り入れたというか、 ISOその他の認証取得の関係で取り入れざるを得なくなったというか。 ただし、なんでできないかを筋道立てて誰でも納得できるように説明できなきゃならない。 ところが欧米と違って、日本では「筋道立てて誰でも納得できるように説明」する、 って訓練を学校でも企業でもやってないんだな。
絶対に100%失敗する ということを証明するのは難しいんだな。
大手や受け元がお客さんに”出来ません”と言うことは当然ある。 でも下請けや請負会社が発注者、特にお得意様にはできませんとは言い辛い。 次から仕事来なくなったりするから上司から善処を尽くせと言われて 無理にでもやらなきしゃならない中小独立系の悲哀
民事と軍事を同列に語るのってアリなの ていうマジレスはあり?
とはいえ、我々の大部分が自分の経験として知ってる組織は 民間企業なわけで、同列には語れないということを認識しつつ、 それを援用して考えるしかないんじゃないかね。 実体験として組織に揉まれたことのない人間が、 本で読んだ知識だけで組織を語るよりはマシな話ができると思うんだが。
>>401 そういう謙虚な話ならいいけど、399とかはあきらかに「リーマンの愚痴」なんで、
まだジューコフ論をぶっていた人たちのほうがスレの趣旨には沿うでしょ。
ということで、無理をどうにかしちゃったフーチェルあたりの
評価を聞いてみたかったりする。
ドイツの軍人って、作戦レベルでの有能さと政治へのセンスのズレが
でかいなぁと思うんだけど、この人もそんな感じで理解していいものかね。
フルーチェが食いたくなったぢゃないか
フーチェルの弱い箇所を狙って突破→包囲殲滅って ドイツ流軍事学からすればセオリー通りで、 戦術はともかく作戦スタイルとしては特に新機軸という程ではないような
>>405 それはいくら何でもリクツすぎだろ。
弱いところを突くのは何時の時代/何処の国でも一緒。
じゃあ、あの塹壕線のどこに「弱い箇所」があるのか、あり得るのか
ということに現実面で答えだしたんだから。
それがどうってことない存在だとういなら、それまで
答えを出せなかった他のドイツ軍人はみな白痴で無能としかいえんじゃないか。
おれはそれでもいいけど。
なんかフルーチェが食いたくなった
>>405 WW1以前のドイツ流兵学って迂回→包囲じゃなかったっけ?
WW1で迂回ができなくなったから突破せざるをえなくなったけど。
久しぶりにフルーチェ買ってみた
ハラ減った
>>405-406 弱い箇所を見つけ出すために少尉どころか下士官にまで
イニシアチブを持たせたのがドイツ流かと
WW1のドイツ軍に背後からの一突きをしたのはユダヤ人で左翼でもなく ルーデンドルフがトドメの一突きをたんだろう・・・・・
>414鉄橋か。
>>414 ひたすら行き当たりばったりの戦争指導に終始したあげく、
アメリカの参戦を招いて、カイザー攻勢に失敗すると、今度は
和平だと喚き散らし、少し戦局が持ち直すと、すぐさま、徹底抗戦を主張。
これじゃあ、国民だって付き合いきれなくなるよね。
その上、自分が悪かったとはちっとも思わない。
参謀としてはきわめて優秀なんだけど、これじゃあ・・・
非政治的なドイツ将校団の中の政治的将校、 その中でもっとも先鋭化していたのがルーデンドルフだあね
418 :
名無し三等兵 :2012/04/15(日) 23:50:31.90 ID:qLXS5Rys
遅まきながら「砂漠のキツネ」を読んだが リッター・フォン・レープ フォン・アルニム (ノД`)感動したよ
419 :
名無し三等兵 :2012/04/16(月) 00:07:19.60 ID:xrP9hwuj
ロンメルの作戦参謀でバルジの戦いのときは西方軍の参謀長を務めたヴェストファルって異常に知名度が低いな。 なぜだ? ヴェストファルの知名度はバイエルラインとかメレンティンとかアルニムと比べてもかなり低い
420 :
名無し三等兵 :2012/04/16(月) 00:55:04.78 ID:E6MCFFuD
西方軍には、長くブルーメントリットがいたからじゃないのか?
メレンティンが高いのは自伝が邦訳されたから バイエルラインが高いのは第3装甲師団、装甲教導師団長とか メジャー師団の司令官だったから アルニムは・・・高かったっけ?それでも 第5装甲軍司令官か。 ヴェストファルは、メジャーな部隊指揮官でないからだろ
ロンメルの作戦参謀と言えば戦後NATOの司令官を務めたあの人
シュパイデル?
COMLANDCENTやね
フォン・シュヴェッペンブルク
426 :
名無し三等兵 :2012/04/16(月) 21:03:58.80 ID:xrP9hwuj
>>421 バイエルラインとアルニムも有名とは言い難いと思うが・・・
>>422 シュパイデルか?シュパイデルは作戦参謀じゃなくて参謀長。
ちなみにアフリカではなくノルマンディー
427 :
名無し三等兵 :2012/04/20(金) 14:40:35.56 ID:vSe89E8N
西方装甲軍集団司令官(笑)
将帥知名度 S ロンメル ゲーリング A グデーリアン マンシュタイン ルントシュテット デーニッツ B カイテル ヨードル パウルス C ボック モーデル クルーゲ レーダー ガランド アルニムはロンメルの後釜として知名度はそこそこあると思う
ビットリッヒは?
430 :
名無し三等兵 :2012/04/20(金) 22:36:29.48 ID:vSe89E8N
映画になるまで知らなかったからなあ
431 :
名無し三等兵 :2012/04/21(土) 08:53:42.64 ID:UTaiwpSu
ヒトラー暗殺計画(7/20事件)を事前に知らされたマンシュタインは、 ちょうどその前後にバルト海の保養所を予約させて引きこもり、洞が峠を決め込んだ。 ロンメルはドイツ敗戦がいかに悲惨なものになるか予期していたが、 マンシュタインはドイツと西側が講和してソ連にあたれると楽観していた。 作戦の神様であったと思うが、政治的視野は狭かった。
>>431 貴族の殿様には別の価値観や行動基準があるだけで、
そういう認識はちょっと違う
433 :
名無し三等兵 :2012/04/21(土) 11:04:13.77 ID:KxEk791J
>>431 マンシュタインはドイツと西側が講和してソ連にあたれると楽観
ルーズベルトが生きてる内は無理だったね。
「マンシュタインがヒトラーの戦争指導が敗因と言っている」とよくネットやこのスレでも言われているが、 それはどこがソース? 「失われた勝利」は読んだが、邦訳されてない証言があるのか? 「失われた勝利」を読む限り、マンシュタインはむしろヒトラーの戦争指導について好意的で (マンシュタイン計画を認めたのがヒトラーなわけで)陸軍や国防軍首脳より正しい判断だったとさえ言ってる そして、スターリングラード戦以前のヒトラーはきちんと議論が通ったと 以後、「将軍が知り得ない別の方面の情報を理由に議論を煙に巻こうとするようになった」と 人材の「4つのタイプ」がマンシュタインが言ったと仮託されてるように ヒトラー敗因説はマンシュタインに仮託されてるだけでの気がするが
マンシュタインって43年以降のソ連軍が膨大な出血と引き換えに 以前とは比べものにならないほど能力を向上させていたことに気がついていたのかなあ? もし仮にマンシュタインがヒトラーの介入なしに東部戦線の全ドイツ軍を指揮できたとしても ドニエプル渡河やバグラチオン作戦を撃退できたとは到底思えないんだけど。
実際のバグラチオン作戦は誰が指揮しようと防げない 但し、バグラチオン作戦発動は西側の上陸作戦成功を確信したD-dayから16日も後で 結局、上陸作戦を早期に撃退できるかにかかっている この上陸作戦撃退用の予備兵力を得るというのが、ヒトラーの城塞作戦 マンシュタインは機動防御、モーデルは現戦線の維持を主張してる 43年後半〜44年前半に実際よりましな戦果を得てフランスへ戦力を回して上陸作戦を撃退できたら ソ連の上陸作戦と連動した大攻勢は無いか、フランスから兵力を回して撃退できるかもしれない 俺が水際撃退のロンメル派なのは、時間をかけたらソ連が攻勢をかけてきて意味がないから 無論、一回撃退して1〜2年稼いでも講和に持ち込めるかとは話が別だがなあ
米英軍最高幹部連中は、一部をのぞいて過度に慎重で、ドイツ軍の抗戦能力を過大評価してたからなあ 第二戦線構築以降も 「ドイツ軍はなお忌まわしいぐらいに強力」とか
438 :
名無し三等兵 :2012/04/22(日) 01:03:32.67 ID:y8LEF6K2
イタリア戦線は「ヨーロッパ最大の自給式捕虜収容所」と揶揄され、 マーケットガーデン作戦は失敗。 慎重になってもおかしくないような。
>>436 カレーで遊んでいた部隊をノルマンディに投入しなかったのがドイツの敗因か
>ドニエプル渡河やバグラチオン作戦を撃退できたとは到底思えない 16倍のソ連軍を撃退したと豪語するハインリッキやティッペルスキルヒは ヒトラーのせいでバグラチオンは負けたとリデルハートに大見得切って語ってるよ
よく言うよね。 ソ連軍の欺瞞行動に見事に騙されて、攻勢正面を見誤っている時点で 勝ち目はないっていうのに。 ドクトリン単位でのソ連軍の進歩も完全に見落としているしさ。 全縦深同時制圧を単なる平押とおもっているあたり、完全にダメ。
ドイツ軍は、作戦次元って概念をわかってなかったっぽいからなぁ
>>441 ガリチア作戦の可能性とかがあるからバグラチオンの前に戦線の整理をしておかなければならなかったんだがなあ
城塞作戦と逆に両翼を後退させるわけにはいかなかったんだろうか
>>441 包囲殲滅戦じゃないと平押しとしか理解できないとかもうね
ケッセルシュラハト、フェアニヒトゥングシュラハトが固定観念になっちゃってたんだろうな
D-DAYで空軍がいなくなった後は偵察力の差で誰が司令官だろうとダメだろ バグラチオン作戦とガリツィア作戦が天秤にかかっていて 誰かが完全にバグラチオン作戦を読み切って第4装甲軍を正面に残しても それは上から丸見えでガリツィア作戦に切り替えられてしまう そして実際のバグラチオン作戦級の大準備もドイツ側は察知できなかった
そうなのか。全縦深同時制圧って単なる平押しじゃなくてものすごい平押しのことだと思ってた。 シンプルなものほど隙がないせいで、NATOも困っていたのかと。 いろいろオモシロス
>>447 その辺の解説は名物おじさんがやってくれるだろうw
めいぶつおじさんって誰のことかな? にはは (これから、お風呂入ってご飯だから、また後でね)
その前にひとこと >442 独軍にも作戦次元の概念はあったと見なした方が言いと思います。 ソ連とは表現や使い方やは、かなりの違いはありますが。
全縦深同時打撃ですが、これは突破攻撃の部隊がそのまま敵後方へ進撃するものではなく 突破口攻撃部隊は突破口を開けて維持するだけ 突進部隊は別に用意され、突破口から縦深にむけ進撃し目標を確保し敵を包囲します。 それとは別に第2梯団が、さらに奥の目標に向かい発進し、 別途、襲撃部隊(OMGの前身)が、突進部隊のさらに先に進み、敵増援を阻害します。 つまり1つの集団の任務は非常に簡素なのですが、それが段階的に組み合わされ車輪のように連続的に駆動していきます。 という事で、全縦深同時打撃は、連続作戦理論とも深く結びつきます。
また、ソ連が平押しと勘違いされやすい部分ですが… 平押しというよりは、狭い範囲に次々と絶え間なく部隊を押し込むといった方が良いと思います。 これがソ連のスチームローラーです。 しかし、ソ連は作戦部隊数を多数用意し、これを複数箇所で行うので 一見、平押しとも取られかねないのかと… よくみれば粗密あるんですが、なにしろ規模がでかいので…
また、これらの計画を廻すには、ともかく多数の作戦単位が必要です。 それぞれ一つの作戦単位に与えられる任務は簡素であり、長期間の行動ではないので 実は継続戦闘能力はあまり求められません。 短時間の間、十分な攻撃力を発揮して敵を圧倒すれば、 後は、第2梯隊の任務となっていきます。 つまり、数が必要だが、小型でも良い これで、ソ連が西側(WW2時の独軍も含む)に比べ、 同階梯部隊の規模が小型なのか(戦後日本の陸自を除く)という理由だと思います。 そして小型で小回りが良く、さらに固定的な行動のみを行えば良いので 行動サイクルが西側大型部隊に勝り、機動戦(機略戦)という意味で優位を保てます。 (これが西側でも、ここ10年程がんばってるRMAの素地ともいえそうです) (つまりRMAの元祖はソ連!(実は、言えそうじゃなくて、完全にそうなのは秘密です)
さて、これらの全縦深同時打撃が素晴らしいドクトリンだとしても、それだけでは勝てません。 正しく作戦目標を設定しなければいけません。 実は、作戦術の一番重要な部分はこっちだったりします。 そこで出てくるのが「重心」 はい、プロイセン伝統の重心です!
という事で、作戦次元の根本となる最重要要素である重心はプロイセン・ドイツが最初な訳です。 つまり、ドイツ軍は作戦次元の概念がなかったという認識は間違っていると考るべきではないかと思う訳です。 さて、それでが「ドイツ軍」と_「ソ連軍」は何が違っていたのでしょうか? 私は作戦次元における「連続作戦理論」の部分ではないか?と考えています。
連続作戦理論では 「一つの会戦(作戦)では戦役は終らない、連続的に会戦(作戦)を作為し、それをもって戦役とし計画する」 となる訳で、日露戦争における地上戦がソ連において、その理論を進める走りになった部分があるようです。 つまり、大規模な会戦であっても、それだけで戦争が終らならず、連続的に複数の会戦が起きたにも拘らず 結局、最後まで会戦だけでは決着が付かなかったのが日露戦争の陸戦です。(陸戦部分だけをとって見た場合) ソ連は日露戦争と、その後のWW1そして革命後の内戦により、それを実感していきました。 そこに、WW2前にドイツとの短い蜜月の時期に、重心の概念を習得し 重心を伴った連続作戦として作戦術を完成させていったと考えています。
ここで、ドイツ側を振り返ってみましょう。 彼らには「重心」という重要要素を確実にモノにしていましたが、 連続作戦という概念が欠けていたのではないでしょうか? ドイツ軍の作戦はどれもしっかりしたモノではありましたが その作戦に続く展開は、その作戦が終わってから考えていた節があります。 (まあ、失敗したら、その先はどうせ考えなおさなくちゃいけないのですが) 仏侵攻で仏を潰したが、その後の対英戦は全く考えておらず、あわてて準備する始末 ソ連侵攻も、連続作戦ではなく、実は単なる巨大な単一作戦と考えられるのではないでしょうか? という事で、単一の作戦では重心をよく理解していた独軍は強力であったのですが 連続作戦を考慮していなかったが為に、無理な大型作戦になり失敗していった… 作戦次元という概念は重心などでありました、つまり軸はありましたが 連続作戦という車輪を欠いていたのではないかと・・・ お風呂入りながら思った、さあ、ご飯がたけるぞ、ご飯だご飯だ がお、がお
しっかし、ソ連もよくこんなもの考えついて、それをここまで完成させたものだ。 大粛清で全縦深同時打撃のいいだしっぺ、トハチェフスキーを始め 高級将校の過半を失っておきながら、ドクトリン研究に支障はなかったのかね?
>458 36年の労農赤軍臨時野戦教範の段階で、教科書はほぼ完成済み 後は、それが出来るように部隊が成長するのを待つだけ
粛清で大量にポストが空いたので、老害や抵抗勢力、派閥に悩まされること無く 頭の柔らかい優秀な若手をどんどん登用できたって面もあるそうですよ。 明治維新直後の日本みたく。
でも、ソ連軍は有利な条件下での攻勢作戦でも、自軍の損害が多すぎるように思える どうしてだろう
ソ連にとって最終的な勝利の前には損害が許容すべきものなのです。 さらに、第1線では一時的に壊滅的損害が出たとしても、部隊が交替するので1線の戦闘力は低下しない このように一見、損害を度外視してるように見えますが、作戦が成功すれば後半の損害は激減するので 一時的に大損害が出ても、総合的な累積損害は、損害を恐れ少数の損害で攻防を繰りかえすより少ない と考えていたそうです。 (彼らの主張では、過去の損害を分析するとそのような結果になると言ってます) (その参考資料がどのようなものかは公表されてませんが)
ここはドイツ将軍スレなんでスレ違いにならないようにそこに絞って聞きたいが スターリングラードとバグラチオンでの突破には成功したが マンシュタインには何度も逃げ切られたのはナゼだろう?
ソ連は作戦面では格段の進歩を遂げましたが、戦術面では当時まだまだ未熟です。 よって、そこを突かれれば、当然進撃は止める事は出来なくても、遅らせる事はできます。 (でも遅らせただけなので、最終的には敗北する訳で・・・) ちなみに、ポポフたんの突進は、各部隊の任務を単純化し専念させたは良いが 他部隊との連携がおろそかになり、そこを突かれた典型的なものかと・・・
マンシュタインは戦後になってからマンシュタイン計画で電撃戦の親玉だと知られるようになったが、当時知られてなかったからじゃないかな セヴァストポリ要塞を攻略した要塞戦の名手と言う評価があって、わざわざ運動戦を挑んでる気がする ポポフも相手がグデーリアンだったらあんな突進しなかったろうに
第3次ハリコフ戦時前くらいのことだと思うけど、ポポフ機動集団が(ハリトノフの第6軍もだけど)突進したのは マンシュタインの南方軍集団が戦略的撤退を、ソ連のスパイのヴェルテルとソ連の軍首脳も、 南方軍集団の破滅的撤退と読み違えたからじゃなかったかな? ハウサーのSS装甲軍団の総統命令無視のハリコフ撤退がその考え(破滅的撤退)をさらに裏付ける証拠になって ドニエプル川をドイツ軍が渡る前に包囲するために、ポポフ機動集団とハリトノフの第6軍を突進させたんじゃなかったかな
>467 ポポフたんの突出が上層部の判断ミスだとしても、単独で突出させたのは連携の失敗に他なりません。 つまりキッカケは判断ミス(作戦上のミス)ですが、それによる連携の失敗が破滅の直接的原因(戦術的ミス)と考えるべきかと 戦略のミス、作戦のミス、戦術のミス おなじミスでも違うと思うのです。 そしてポポフたんが、あれほどの大失敗になったのは 作戦上の指導ミスが、戦術ミスでされに拡大されたからだと思います。 作戦判断ミスであっても、戦術的ミスがなければ、 作戦が成功したとは言いませんが、損害は激減できたと思うのです。 そして、その戦術ミスをしてしまうというか、連携が出来ないあたりが 当時のソ連軍の限界を示してるように思えます。
469 :
名無し三等兵 :2012/04/23(月) 18:42:06.70 ID:wsLEADKz
単独で突出させたというよりドニエプロペトロフスクを取りに行かせたんだろ。
>>467 ヴェルテルはエニグマを解読した結果をスパイによると偽装したもので
暗号は傍受できてもヒトラーが直接出向いてマンシュタインに会って決めた作戦は分からない
ということだっけか、詳細は公表されてないから永遠に分からないだろうけれど
471 :
名無し三等兵 :2012/04/24(火) 15:33:45.16 ID:pvDEw9Vd
スターリングラード戦の直後だから、ドイツ軍を一気に壊滅出来ると甘い判断 をしたんだろう。
因果関係が逆というか、 ヒトラーからの暗号指令「撤退するな」 マンシュタインと会った際「撤退を許可する」 で、ヴェルテルからの情報はドイツ軍の後退を命令違反の崩壊中の敗走としていて、 ソ連はそれを信じて突撃を続けたが、実際は戦略的撤退だった。 そしてヴェルテルの失敗はこの時くらいのものなので、 ヴェルテルがヒトラー側近の人間ではなく、暗号解読機だと話が通るということ。 無論、これだけが証拠ではないけれど。
ほんとは全面的敗走だったのが、 敵の燃料弾薬食料なし、全ての車両動かず至急補給送れって無線を傍受して こりゃチャンスだとばかりにとって引き返して反撃したら 予想以上にポポフが弱体化してて一蹴出来たってのが真相では
そんな偶然はない
ロンメルは薄々エニグマを疑っていたから巧く行ってたという話もあった。 ヒトラー敗因説がよく言われる原因の一つに、ヒトラーに指示をあおぐとしばしば裏をかかれるというのがある。
476 :
名無し三等兵 :2012/04/28(土) 00:52:02.70 ID:B7TGEK4e
コンピューターは戦後に発明されたなんてウソついてたけど、実は戦中に完成 していてエニグマを解読してたんだから、イギリスすごすぎ。
紅茶パワーです
ロンメルが神出鬼没だったのは英軍の無線をよく傍受して敵の行動を読んでたから ところがそれを知ったモンゴメリーがわざとニセ情報を流すと それにひっかかったドイツ軍が待ち伏せにあうようになりロンメルは負け始めた
もしルーズベルトが早めに死んで 西方と講和できたら 東部戦線の進撃を食い止められたのか? ドイツの将軍達に
当初のヒトラーの指示通りに、ロンメルが地域防衛を第一義とした場合は、英雄ロンメルは生まれなかったかもしれないけど、枢軸の戦争資源は相当節約されたな 補給戦のクレフェルトが述べているように、ドイツイタリア軍がアレキサンドリアやカイロを制圧するのはハナから無理なんだし
せめてマルタ島ぐらいは制圧しろよ
そもそもイタリアがギリシアに手を出さず、 ギリシア攻略に費やした分(増援21個師団)を順次北アフリカに送っておけば、 ドイツ軍を派遣する必要無かったんじゃないのか
東アフリカのイタリア軍はどうすれば…
>>483 山に立て篭もって抵抗するしかないね
物資が続かないから半年もしないうちに降伏するしかなくなるけど
>>479 バグラチオン作戦が始まるのが西側上陸作戦から結構遅く成功したのを確信してからだから
西側と講和できていれば(将軍は将軍でも)ソ連側の将軍が止めてくれる、とでも言うのかな
トハチェフスキーvsマンシュタインというの見てみたいんだけどなあ。 もっとも、大粛清がなければ流石のヒトラーも独ソ戦を思いとどまったかもしれないけど。
>>483 そもそも中立を保ってなにもしなければ・・・
日本は中立を保つと石油が切れるけど、イタリアは何が不満でああなった
地中海は我々のものってことさ。
Mare Nostrum
492 :
名無し三等兵 :2012/05/16(水) 15:01:24.10 ID:FjV0S1wo
そもそもイギリス地中海艦隊よりイタリア海軍のが戦力あるだろ なぜマルタを攻略出来ん? ジブラルタルとかも
デチマ・マス師団
494 :
名無し三等兵 :2012/05/20(日) 21:06:20.32 ID:LwFIE9lh
山下将軍にドイツアフリカ軍団を与えても同じくらい奮戦しそうだが
じゃあ参謀は堀栄三で
>>492 油がない
戦艦1隻(または重巡2隻)、軽巡少々、駆逐隊数個を動員するだけでカツカツ
イタリア海軍が地中海艦隊を圧倒できるような状況自体が存在しない
>>492 理由としては
・活発な行動を担保する燃料がない
・イタリア海軍が開戦以降の船舶の補充が難しく存在で牽制する
現存艦隊ドクトリンを選択した事
(イタリアは沈められればおわりだがイギリスは補充は幾らでも利く)
・艦隊運用時の制空権が確保できないのも積極的な運用を阻害
・ジブラルタルはドイツがフェリックス作戦を策定したが大前提となる
スペインの協力が得られず事実上放棄(スペインの安全保障、国家運営上の物資提供をドイツが断った為)
・マルタは攻略寸前まで行った、数ヶ月に渡って爆撃をし続け補給も海上封鎖で遮断されて
現地司令官は降伏もやむなしとの判断をし、マルタ現地の燃料関係が切れたら
降伏する所まで追い詰めた
それに対してイギリスはペデスタル作戦を立案損害に構わず輸送を成功させる
現地の最も欲した物資の補給に成功し現地の守備隊降伏は当面回避はされたが
依然危機的状況は変わらずドイツ側もイタリアに支援を申し出、直接占領を計画する
そのために準備された兵力は数ヶ月の準備を経て作戦開始寸前でエルアラメイン戦に転用され
枢軸がマルタを攻略するチャンスは永遠に失われた
OKWの構想ではイタリア軍はどう使うつもりだったんだろうか
/⌒⌒⌒⌒\ _ハハィ/L_ / ヽ / \ | /)ノ)人(ヾ(ヽ | / ノノ从从从ヘ ヽ | / ⌒ ⌒ ヽ| |イ ― ― ヽ | ( | ・ ・ | ) 彡| ( ゜)/ ( ゜) |ミ .| ‥ | (6.| | |6) | ┬┬┬ | Y| ヽノ |イ .ヽ  ̄ ̄ ノ |ハ ヽ・皿 ノ ハ| /二⊃ー イ \  ̄ ̄ / | 二⊃__ノ \ (V) _>ー-イ _(V) / ソ | | (⊂) |∧><∧| (つ) (__/ | | 小モロトケ 大モロトケ
字が違うし偉大でもないし 片っ方は日本人ですらない
/⌒⌒⌒⌒\ _ハハィ/L_ / ヽ / \ | /)ノ)人(ヾ(ヽ | / ノノ从从从ヘ ヽ | / ⌒ ⌒ ヽ| |イ ― ― ヽ | ( | ・ ・ | ) 彡| ( ゜)/ ( ゜) |ミ .| ‥ | (6.| | |6) | ┬┬┬ | Y| ヽノ |イ .ヽ  ̄ ̄ ノ |ハ ヽ・皿 ノ ハ| /二⊃ー イ \  ̄ ̄ / | 二⊃__ノ \ (V) _>ー-イ _(V) / ソ | | (⊂) |∧><∧| (つ) (__/ | | 小モロトケ 大モロトケ [Molotke the Younger] [Molotke the Elder]
重複スレ
ブラウ作戦生誕70周年記念
505 :
名無し三等兵 :2012/08/10(金) 00:56:38.93 ID:HOztQZZI
506 :
名無し三等兵 :2012/08/10(金) 17:54:35.88 ID:IolBfDVw
あまり話題に出てないけどクルーゲってどうよ
たしかグデーリアンと犬猿の仲だっけ?<クルーゲ
508 :
名無し三等兵 :2012/08/10(金) 22:13:44.58 ID:IolBfDVw
上司受けは良いけど破天荒な部下を使いこなせなくて、 自分の能力を超えた事態に遭遇すると思考停止しちゃう 秀才ってイメージだな。
悪賢いハンスもヒトラーをかわしきれなかったか
クルーゲはヒトラーを立会人としてグデーリアンに決闘」を申し込んだ
512 :
名無し三等兵 :2012/08/12(日) 08:04:40.11 ID:TAD6EE4T
>>513 西方総軍司令官を解任されて自殺してるから、その前か。
ヒトラー宛の遺書にもグデーリアン参謀総長とうまくいかない
みたいなこと書いてたっけ。
>>514 クルクス戦前の作戦会議中にクルーゲとグデーリアンの意見が対立して
クルーゲがぶちきれて決闘を申し込んだと言われている。
ヒトラーから重要な作戦前に何馬鹿なことやってるんだと怒られて
決闘を諦めたというエピソードだけ見るとどっちが常識人だかわからないが、
ナチによって野蛮だと禁止される前のドイツ帝国時代にはプロイセン軍人には
決闘権があったり、学生間の決闘はメンズーアと呼ばれてスポーツのように
推奨されていたという経緯もある。
>>515 スコルツェニーとかハイドリッヒの顔のキズもそれが原因だっけ
立会人と思わせて実は二人でヒトラーを射殺する腹積もりとか
確かクルーゲとグデーリアンて西方戦役の頃からベルリン戦で解任されるまで
クルーゲが溜まった鬱憤が
>>515 みたいになったんかな確か
ソ連みたいに戦車派と騎兵派の対立があったと思うけど
クルーゲは砲兵出身じゃないの。
突撃砲の取り合いが原因かねえ
521 :
名無し三等兵 :2012/08/14(火) 10:06:49.47 ID:qIesAPG7
突撃法のとりあいって何だよw 従来の作戦、戦術を取ろうとする第4軍司令官クルーゲと 新兵種で暴れまくりたいグデーリアンの軋轢だろ それがモスクワ前面の撤退で「誰が言い出したのか」が問題になる。 グデーリアンはクルーゲの許可を取って撤退したはずなんだが ヒットラーにグデーリアン君は勝手にしちゃいました と申告したからグデーリアンだけ解任。 それを根に持っちゃったわけだ。
522 :
名無し三等兵 :2012/08/14(火) 10:09:49.42 ID:qIesAPG7
×突撃法 ○突撃砲
523 :
名無し三等兵 :2012/08/14(火) 14:52:29.65 ID:9l343qNw
>>521 どうみてもクルーゲが悪いじゃないかw
グデーリアンカワイソス
ほとんど同じ兵器をを砲兵科は突撃砲と呼び、機甲科は駆逐戦車と呼んで別に開発するほどこの二つは仲が悪い クルーゲとグデーリアンの対立は個人の問題もあるが、組織の象徴的というか宿命的対立だよ
>>524 装甲兵総監と砲兵総監ならまだわかるが。
クルーゲはそんなポジションにいなかったろ?
グデーリアンが装甲兵総監になる前から仲悪いし。
ボックが性格が悪いわりにドライだったのに対して、 あのボックに仕えたってだけで評判が良かったクルーゲは 妙に粘着質なんだよね。 元々そういう性格なのか、ボックに仕えてるうちに性格変わっちゃったのか。
ソリの合わない者同士を、重要なポジションに置くなんて良くないな。
日本陸軍でもなんかあったな。 上層部が、同期だかなんだかの理由でこいつら仲良いだろうとわざわざ同じところに配属したら、 実は犬猿の仲で gdgd になったとか。
第一次大戦タンネンベルクの戦いの時のロシア軍レンネンカンプとサムソーノフの仲もひどかったとか。 日露戦争の奉天会戦の時はお互い殴りあったらしいし。お互い助けることもせずドイツ軍に包囲殲滅されちゃった。
530 :
名無し三等兵 :2012/08/15(水) 08:51:25.12 ID:CQ1pcxEa
>第一次大戦タンネンベルクの戦いの時 まあ、あの戦場はロシア第1軍と第2軍かなり離れてるからな。 ロシア軍が協調性がなかった、愚図だったというより ドイツ軍の鉄道輸送を利用しての急速集中展開が 非常に勇猛果敢だったといわざるをえんわ。 ホフマンがこの作戦を実施するに当たり、レンネンカンプとサムソノフ の仲の悪さを見てたからっていう動機付けとしては納得できるが。
モルトケはもらっとけ
マンシュタインとクライスト将軍も犬猿の仲だったらしいが こと作戦上に関してはお互い私情を捨てて 素晴らしい連携で幾多の作戦を成功に導いてる ただ、ヒトラーはソリの合わない同士を好んで競わせる 人事を行ってたとされ マンシュタインとクライストがヒトラーの前で罵り合う様を 見ながら 「二人の仲が悪いのは分かってたからわざとそういう配置にした」と 笑いながら副官に語っている
クルスク戦後苦境に陥った南方軍集団を立て直すために マンシュタインがヒトラーに中央軍集団から機甲師団引き抜いて コッチに寄こせと言ったことにクルーゲがその傲慢ぶりに怒ったという。
もっとも クルーゲはマンシュタインの能力に関しては認めていたがな 後にロンメルを交えた会談の場で クルーゲ自身が戦況の推移によってはマンシュタインの部下になる事も 厭わない発言をしているし
八原と神だろ
八原と長では
陸大出→参謀畑→エリートコースが日独を滅ぼした
539 :
名無し三等兵 :2012/08/16(木) 21:54:38.91 ID:Pyc0xcn8
日本は東条英機がまさにそのエリートコースだけど ドイツのどのエリート将校が滅ぼしたんやw
二度も負けながらドイツ参謀本部の名声だけは維持されるという不思議
>>540 実はドイツって本当の意味で軍国主義で
シュリーフェン・プランのように軍事的要請が政治的要請に優先されて
少数の兵で多数を倒して名声が上がるが、敵をたくさん作って敗れる
>>541 ドイツが制度的に軍国主義に移行したことはないし、
敵を作ったのはヴィルヘルム2世やヒトラーなど政治指導者の責任
シュリーフェンプランにしても存在そのものに対する疑問が呈されている
>>538 永田鉄山とか、そういうエリートを山縣有朋は嫌っていて、存命中は重要な
地位には就けなかったそうだ。
544 :
名無し三等兵 :2012/08/17(金) 09:01:45.15 ID:OP/DYPoo
しかし、明治の頃やいつの時代も戦争ばっかりしてるプロイセン軍なら 実戦の実績で司令官や参謀長も選べるが 平時が長く続くと成績優秀者を優先的に軍の中枢にすえるしかあるまい。 もともと(プロイセン)ドイツ参謀本部が 一人で何でもできる超優秀司令官ナポレオンに ちょっとした(プロイセン)ドイツの秀才でも対抗できるように発達したものだから それをソ連軍にも教えてしまった以上 ドイツ軍の作戦的優位は、優位差は少なくなるだろ。
シュリーフェンプランこそ中立国を侵犯して敵を増やした原因であって カイザーら政治指導者はあまり関係ないと思う。 (小モルトケがこれを実施しないと戦争に負けるとカイザーにせっついた)
いや、シェリーフェンも別に伊達や酔狂であんな強引な計画を立てたわけじゃないだろ。 二正面作戦不可避という戦略的状況に対して、 勝ち目のある戦術を考案した結果、ああなったに過ぎない。
>>545 独露再保障条約の再延長拒絶で露を孤立させ、
海軍熱で英の海上権益に挑戦して、三国協商への道筋を作ったのは
全面的にヴィルヘルム2世のせい
仮に独露再保障条約が再延長されたり、英仏協商がなかったとしても ベルギーに飛び込めばイギリスは黙ってないつーの
1941年モスクワ攻略戦後 第2装攻集団のグデーリアン→許可なく撤退させた廉で罷免 第4装攻集団のへープナー→許可なく撤退させた廉で罷免→軍籍剥奪 同じような事由なのにへープナーが軍籍まで剥奪された理由はどうして?
550 :
名無し三等兵 :2012/08/17(金) 21:53:05.22 ID:OP/DYPoo
ヘープナーは元々、反ヒトラー派だから 騎兵科のエリートだから、成り上がりが嫌いなんだよ
>>549 どっちもクルーゲの讒言によって罷免されてるんだよねー
なんか獅子身中の虫って感じがしてきた
違いはイベント発生時までのヒトラーへの好感度値による分岐ですね
どうも普仏戦争やWW1の軍司令官や軍団長の名前がワカラン? 有名になった人も居たの?
大モルトケとルーデンドルフ
WW1緒戦でのドイツ軍最右翼第1軍司令官のクルック パリを目前にして東に急旋回してパリから飛び出したフランス軍に 側面を突かれてマルヌで敗退
>>553 どっも普仏とWW2の軍司令官や軍団長じゃないよね?
556 :
名無し三等兵 :2012/08/19(日) 10:47:59.40 ID:htoHvQRx
ルーデンドルフは第8軍参謀長だったけどな 第8軍司令官はヒンデンブルク
マッケンゼンは名門の生まれで、自身もWW1で勇名を馳せた。
ゴルリッツのときのマッケンゼンの副官はゼークト
プロイセン軍人は、名門で金持ちが騎兵科に、金はないけど有能なのが砲兵科に、それ以外が歩兵科にってイメージがある。 だけどルントシュテットやマンシュタインは歩兵科だ。
ロンメル ってロンメルはプロイセンじゃないか
プロイセンはvonが付いている人だよな確か
プロイセン以外の貴族は貴族にあらずですか・・・ ドイツが熱くなるな
563 :
名無し三等兵 :2012/08/29(水) 11:36:43.60 ID:1pphIGMM
騎兵科将校は各国、金持ち貴族しかなれんわ かのチャーチル家も父ちゃんがアメリカの富豪の娘をもらったけど それでも騎兵は金がかかるから泣く泣く断念。 砲兵は戦場ではチャート使って計算するとはいえ 弾道計算が基本的にできないといかんから 数学の得意な者の進路になりやすい。 それで、出世の王道、陸軍大学学生や、参謀将校にも選抜されやすいわな。
ドイツ軍名将列伝読んでると、砲兵将校が多いような気がする
クライストやアレンビーは金持ちの家だったか
>>564 「罷免」という言葉をかなり見た希ガス、本屋でチラッと見たとき
特に陸軍
>>565 クライスト家はフリードリヒ大王の時代からある名家
ナポレオンも砲兵将校出身だよね
ナポレオンは士官学校で騎兵の点数は最下位、数学はトップだったのは有名な話
砲兵は複雑な弾道計算とかがあるから数学的素養、才能がある者があることが多かった。 (当然コンピューターなんてない時代の話だあるいは今でもそうなのかも)
>>564 後方にいるので戦死する確率が低かったからと言われている
砲兵出身の将官って戦死者どれくらいいたっけ? 連合軍のノルマンディ上陸直後に亡くなった人しか思い出せん
ロンメルはシュヴァーベン人で、そこの出身者は「狡い」「がめつい」と思われていたらしい
>>573 砲兵将校に戦死者が少ない説は第一次大戦に対するもの
騎兵将校や歩兵将校は勇敢に敵に突撃をして戦死したが、砲兵野郎どもは後ろから撃つだけで
ほとんど戦死しなかったせいで、戦間期〜2次大戦初期の参謀本部の中枢は砲兵科ばかりだったって説。
当然与太話の類。
与太話じゃなくて事実だよ 但し「戦死者が少なかったために昇進が遅れて数が多いが階級は低くなっているから必ずしも有利だったとは言えない」 が続く
第一次大戦時のドイツ軍砲兵科って他兵科からねたまれたりしなかったのかね 歩兵などと比べて死傷率が低くて そりゃカウンターバッテリーなどで完全に安全じゃないことは分かるよ でも、穴ぼこだらけの荒野をかけぬけ十字砲火をかいくぐって敵陣地にとりつけと命令されるよりは、はるかにマシな立場でしょう
突撃ーって敵陣に突っ込むならアフォでも出来るが 間接射撃や高度な砲術を駆使するには優秀な頭脳が必要
579 :
名無し三等兵 :2012/08/31(金) 14:18:54.92 ID:CKhdbCDX
>突撃ーって敵陣に突っ込むならアフォでも出来るが おっと、マンシュタインの悪口はそこまでだ。
ゲーリングってパタリロのモデルにしか見えんw
砲兵科の昇進が遅いのは勲章を取る機会が少ないからってのもある で、数少ないチャンスが作れる突撃砲を手放したがらなかった
582 :
名無し三等兵 :2012/09/01(土) 08:29:06.91 ID:mNsx2lQK
突撃砲なんて、大隊単位で運用すると指揮官は少佐 昇進のチャンスが作れるって、あっても些細な理由だな。
昇進の機会っていうより勲章の機会だね
デイトンの『電撃戦』によると、ドイツ上級将官たちに砲兵出身がやたら多いのは WWIになって精密な計画に基づく軍事作戦行動がとられるようになった結果、 砲兵隊指揮官たちが高度な作戦立案に参加することが必須となったことから生じたんだと
砲兵将官といえば、カイテル、ヨードル、フリッチュ、クルーゲ、ヴァイトリ ング、ロクな死に方してないな。
ブランデンベルガーって砲兵大将から装甲兵大将に改任したのか
砲兵出身ながら空軍に転籍し、ウラル爆撃機計画を頓挫させ BoBと北アフリカでも一敗地に塗れながらいつもほほ笑みのケッセルリングさん
ロンメルは歩兵出身で装甲兵大将になってるけど……
>>579 歩兵科の方が危険だけど昇進できる例かなマンシュタイン
ロンメルは歩兵部隊→野砲兵連隊→歩兵連隊→山岳兵大隊→歩兵部隊→総統護衛大隊→第七師団長 ロンメルもフランス戦で師団長する前に色々やってるなww
エルヴィン・イェーネッケ上級大将
>ドイツとは全く異なる貧しく汚い野蛮人集団 その野蛮集団を最も頑強な相手と称えたジューコフにみじめに負けたドイツ軍の立場
↑すまんスレち
マンシュタインって写真みると1:9分けっぽいけど、ハゲ隠しなのかな?
まあ息子も禿げてるしな…
ヒトラーが敗戦の免罪符になってよかったですねとしかいいようがない
>>592 ドイツ戦ではなくて、ノモンハンが一番苦しかった、と言った話か
>>515 俺も小学6年生まではクルクスだと思ってたわ
今日はブリュッヒャーの命日らしいぞ
ノルウェー海軍の射堡にやられたんだっけ?
601 :
名無し三等兵 :2012/09/12(水) 18:49:55.05 ID:YRjJS5WL
ブリュッヒャーは元スウェーデン軍将校 捕虜になってプロイセン軍に転向した。
ツィタデル作戦・ツィタデレ作戦・チタデレ作戦
604 :
名無し三等兵 :2012/09/21(金) 17:52:45.64 ID:uV50YsJu
明日はカイテル元帥の生誕130年だぞ ドイツでは子孫か誰かが祝うのか、呪うのか…
元帥にまで登りつめたのに、むしろ子孫は恥をカイテル おあとがよろしいようで
カイテルって言われてるほど無能ではないよな 軍政家としては
そりゃ無能なだけの人間はそもそも参謀本部なんてこれないからエリートなんだろうけど・・・ 参謀本部課長では「想像力が貧困で、制度問題だけに熱心な謹厳な男」って言われてた。 カイテルが参謀本部時代に、非武装の師団を作成して、有事になったら装備を渡すっていう計画を作って 「非武装師団なんて敵に捕虜になる兵を増やすだけ、机上の空論」って大反発をくらって潰れた。 その尻拭いで新しい案を出したのが平参謀だったマンシュタインで、傲慢なマンシュタインはカイテルに 対する侮蔑を隠そうともしなかったので、カイテルは一生マンシュタインを恨んだという・・・
>非武装の師団を作成して、有事になったら装備を渡す 自衛隊・・・
>>608 自衛隊は平時から武装してるしなー
逆に有事になっても武装を強化するなんて計画もないからどっちが良いかは分からんが
カイテルの案は非武装なら10万人枠にとらわれないっていうことかな?
でもすでに義勇軍で訓練とかスポーツクラブで軍事訓練とか色々やってるしなー
カイテルは有能だよ。日本軍の無能将官どもに比べたら遥かにマシだ。
いや日本軍の最底層よりは有能だろうが並の将官と較べてもどうかというレベル
有能なのに総統からドアマン呼ばわりされてベソカイテル元帥
当時からラカイテルって言われてたぞ
官僚としてのルーチンワークは得意だけど 独創性や想像力が欠片も無いのでヒトラーはカイテルを軽蔑していたんだよな 本人に面と向かって才能の無いお前を使うのは絶対的な忠誠を持っているからだけ とか言い切っちゃうヒトラー そしてそれを言われて、総統のおっしゃるとおりでございますハイルヒトラー! と返すカイテル なんだかな〜
>>565 ホーエンツォレルン家がプロイセン王になる前から忠実な貴族であった名門中の名門
トレスコウ家
ファルケンシュタイン家
マイントフェル家
クライスト家
>>615 トレスコウってワルキューレの失敗で前線で自決したあの人か
ドイツ参謀本部興亡史にも書かれてたけど、ワルキューレに関わった連中は名門ばかりで真のプロイセン参謀は消滅しちゃったな
>>607-609 マンシュタインの功績は色々があるが、実は将来に渡って評価されるのは
平時に少ない人員で部隊の組織を維持し、戦時に大動員できるようにしておくシステムかもな
そんなのブランデンブルク選帝侯時代からあるわ
ヴェルサイユ条約の厳しい制限下の話だから価値があるんじゃね
>>617 バリーリーチのドイツ参謀本部によれば、10万人軍隊の状態で
兵は下士官の教育を、下士官は将校の教育を、将校は将軍の教育を受けることで
徴兵が再開されれば小隊を中隊に、中隊を大隊に編成して短期間で軍隊を3倍まで増強できる。
っていうコア部隊の計画を立てたのはマンシュタインらしいね。
突撃砲のアイデアもマンシュタインが出したって言われているし、
どんだけ万能だったんだ・・・
ベックの失脚に巻き込まれなければ、ハルダーの代わりに参謀総長になってたのはマンシュタインだったんだよな。
それってマインシュタインじゃなくても同じような状況に追い込まれれば似たようなことは思いつくと思うが
人の名前を間違える馬鹿が何言ってるの
>>621 その思いつくっていうのは、ワイマール共和国軍がそれをやったという知識があるからじゃないの?
少なくても階級制の香りが残る時代に一段階上の教育ってかなり大掛かりなプロジェクトだと思うけど。
突撃砲の元である自走歩兵随伴砲なら1920年代に開発されている
一応採用されていたが予算不足のためか量産はされていない
マンシュタインの突撃砲案は、この自走砲の性能強化版であるので
>>620 氏が考えているほど独創的ではないだろう
それまでの知見の積み重ねに加えて1930年大半ばでの技術的進展を掛け合わせれば
実質的な歩兵戦車である突撃砲のアイディアは出るべくして出たというもの
レニー・フォン・クラヴィッツ
フンガー・フォン・フランケンシュタイン
ガイル・フォン・ベネッケンドルフ und リトバルスキー・ブロッケンJr.
フリッチュの失脚によって後任にライヘナウが上げられた時、ナチに近すぎるという理由でルントシュテットが反対して 結局ブラウヒッチュが陸軍総司令官に就任したけれど、ヒトラー信奉者ではあってもけっしてイエスマンではなかった ライヘナウがもし陸軍総司令官になっていたら、思想的にはともかく軍事面に関しては反対も含めた適切な助言が可能で、 ヒトラーにしても自分の信奉者からの反対であればもっと聞く耳をもったのではないだろうか。 ところでライヘナウって第6軍や南方軍集団での指揮ぶりから勇猛果敢な前線指揮官型人物だと思ってたけど 電撃戦によると冷静沈着なインテリタイプなのね。
両方だったんじゃないの? 普段は冷静沈着だが戦場では勇猛果敢な将軍がいてもおかしくはない。
賢いハンスが決闘を申し込むんだもんな
クルーゲは別に冷静沈着じゃないだろ 上には弱いけど下には傲岸不遜な典型的な北東ドイツ人だ
そう考えるとクルーゲってイヤな奴だな
そもそもドイツ軍人に性格の丸い奴がいない
そもそも軍人を生業としておればそうならざるを得ないかと
なんでマンシュタインとかグデーリアンって皆ボッチなの?
ドイツ軍人の知名度ランク作ろうぜ
ヒトラーは軍人にカウントしていいのか?
ヒトラーはWW1では勇敢な兵士だったが職業軍人ではないからな
まあロンメルだろうな ウィキペディアの量の多さからして
ロンメル クラウゼヴィッツ シャルンホルスト グナイゼナウ ヒンデンブルク モルトケ シュリーフェン ゲーリング グデーリアン マンシュタイン の順かな。
ルーデンドルフは?
ヒトラー やめんか  ̄ ̄| )ノ ┌‐┐ __|_ '´ _l__|_ ┌‐┐ `m /⌒ヽ \ / (^ω^) _l__|_ 7 ⌒い _( ^ω^) X. /⌒ヽ / ヽ (^ω^) | l /フ ̄⌒ヽ n/ \ (^ω^ )_ 卍 l / 卍ヽ 卍 \ (/l、__\__ソ (^Vヽ  ̄ 、 \ l | \ /っ / ,(_\ ー' 人 ̄ )(つ │/_/ /__ノ 〈__r‐\ \ ___)─' └--' └-┘ (フ │ | │ クルーゲ グデーリアン ┤ ト-ヘ クルクス戦前の作戦会議中にクルーゲとグデーリアンの意見が対立し クルーゲがぶちきれてヒトラーを立会人にして決闘を申し込んだ ヒトラーから重要な作戦前に何馬鹿なことやってるんだと怒られて決闘を諦めた
Курск:Kursk クルスクだっちゅーの
俺も昔クルクスって憶えてた、なぜだろう
ハバロフスク ノヴォシビルスク チェリャビンスク オムスク クルスク
クルスクってのは沈没したヤツじゃん。
クスクスだと美味しいんだけどな
多分日本で一番有名なのはメッケルじゃないか
そういやメッケルを忘れてたな モルトケより有名かもしれんw グデーリアン、マンシュタインはベスト10落ちだわ
オイゲン・オットーは?
パウル・ヴェネッカーの方が有名だろw
キーワード:クルクス 検索方法:正規表現 抽出レス数:4 俺もそうだった、ナゼ?
おまえら、ゆとりだろ
優秀だった(はず)なのに本格的に活躍する前に退場しちゃった惜しい将軍イチオシはオイゲン・フォン・ショーベルト。 後任がマンシュタインで、すぐにセバストポリ攻略しちゃったから影が薄いこと薄いこと。
英語だとXで終わるボックス、フォックス、マックスみたいな単語があってなじみ深いからだと思う
>>655 マンシュタインは本当になんでもこなすな
「アラメインの戦い」から70年の式典で、花輪をささげるフランス人退役軍人 ってなんだよw ケーニセグのフランス人部隊かな。マイナー集団の人たち
ヒトラーのインドやエジプトをどうにかしてイギリスと講和しようという考えを将軍たちはどう思ってたんだろう 軍事的には無理だと思うんだが
ヒットラーの親英政策は、 フリードリヒ大王のザクセン(サクソニー)宥和政策と同じだから。 歴史の再現をするという歴オタ、アドルフの嗜好がそうさせたんだ。
マンシュタインは一か八かイギリスへ上陸するしかない、みたいな意見だっが 成功率が低いのは覚悟の上で
663 :
名無し三等兵 :2012/11/15(木) 10:30:28.80 ID:Zu9vdBe3
ロンメル将軍、11月15日の誕生日おめでとうございます。
日本サッカー協会(JFA)は17日、同協会の広報犬を長く務めたロンメル (ミニチュアダックスフント・オス)が死去したと発表した。享年18歳。
三三≠彡 - .._ ヽメj{
三彡'´ - ―- . ` ー- Yリ!
ー'´ 、 ヽ `ー ._ ` 、 iく
_,.ゝ-=ミ≧ヽ、 ` 、 ` .kヽ、
,x`⌒ ̄``⌒ヾミミヽ、.` ` 、 .::|彡'
>>664 / _、x==-.、 ヾミソノハィ _ヽ}rヽ
:. i! rく:i't_`ヾヽ V彡'′ , { '´
:. l| ヽ ヽー'.___ハ }::. ,.-≦彡彡イ
. :.:.. l! ` ` ̄ , /_二ニ.⌒´Y
:.:.:.:... li ー --‐ '´ kft'_`iヽ/
:.:.:.. li | `ゞ'._ノ'´
:.:.. li, , . lイ ヽr'′
.:.: .. ヾ / : l`ー 1
: . . . ヾ {ー- .:_ l ノ _,. -‐
. ::. {ヽ、 ` ー- ._ ,ノ ./ /
::.ゞミミ、_z, :}i::::: ̄ / /
-‐‐- 、ー‐'^' ; ;:;:、:. / _,,. -''´
::. `ヽ`_ー‐ヾミ,≠==‐'"´
`ヽ ー‐- .、_ ` ノ:::/ ̄´
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:;: -''´
ダレ(Dare)
(生1904年5月11日 - 没1989年1月23日 スペイン)
WW1のドイツの司令官は年寄りがやたら多いと感じるのは俺だけ? ヒンデンブルクは兎も角、マッケンゼン然り、クルック然り、ビューロー然り
Anton Dostler (1891-1945) 歩兵大将 イタリア戦線の第75軍団長時に米兵捕虜15人を処刑した戦争犯罪のかどで銃殺刑
いつになったら ビスマルクの野望ってゲームが出るんですか?
パラドのVictoriaシリーズじゃいかんの?
バンバンバンバンバンバンバンバンバンバン バンバンバンバンバンバンバン バン(∩`・ω・)バンバンバンバン゙ン / (((つ/~~~\))) ⊂⊃ /; ´・ω・`\ ⊂⊃ ..........,,,,傘傘傘:::::::::傘傘傘.............
:・ _ ∩∵ ⊂/ ノ ) / /ノV し'⌒∪ l|l ∩ | | |/ ̄ ̄\ やかましいわ / ´・ω・` \ 富士山
>>666 普仏戦争から転戦してきたりした将軍・・・
>>615 プロイセン王国の軍事内局長は、マントイフェルの後任がトレスコウなんだよな
674 :
名無し三等兵 :2013/05/22(水) 23:51:48.25 ID:xGPyfB7k
テスト
>>615 マントイフェル……直訳すれば人間悪魔……
14〜15世紀に非道っぷりからそうあだ名され、バルト海・北海を荒らしまわるも
最後は絞首刑になった海賊がいたなぁby「海賊の世界史」フィリップ・ゴス
/⌒ヽ ネオナチはすでに京都に多数集結してたよ。 / ^ ω^j、 支部が地図に鉤十字(卍)マークで示されていて、ためしにそのウチの _, ‐'´ \ / `ー、_ いくつか回ってみてきたがどこもスキンヘッドのネオナチで溢れてた。 / ' ̄`Y´ ̄`Y´ ̄`レ⌒ヽ建物に入ってみたらドラッグもやってるようで、部屋中変な香りと { 、 ノ、 | _,,ム,_ ノl煙で溢れてて全員で壁に向かってなにかブツブツ唱えてた。 'い ヾ`ー〜'´ ̄__っ八 ノ聞いても何を話してるのかよくわからなかったんで多分ドイツ語 ヽ、 ー / ー 〉なんだろうな。熊本や宮城の地図にも多数拠点があったから、 `ヽ-‐'´ ̄`冖ー-く かなり広範囲で活動してるみたいだぞ。なんか各地域で荘厳な 党集会開いてるらしいし。京都では山に火を放つテロ行為にまで及んでる。
クルスク戦勝利70周年記念age
ура!
ここまで名作曲家にして名将のリストが出てこない
やはりロンメルが最強
実際ロンメルってアフリカのような副戦場だったから良かっただけで 東部戦線だったらせいぜいグデーリアン程度の活躍だよね
フランスじゃ助攻方面担当だったのにあやうく主攻を食うような侵攻をしたし、 北アフリカじゃ機動戦は十分準備された火力戦には勝てないと理解したら あっさり機動戦を捨てて火力戦指向になる柔軟さがあったし。 ロンメルさんはすごい人だよ。
やはりマンシュタインが最強
ロンメルは兵站軽視の無能という評価が軍板の総意
クレフェルトの補給戦は、戦史について兵站の観点から分析したものであって、いわゆる結果論。 あれをもってロンメルは兵站軽視の無能って言っちゃうのは、読み方を間違っているとしか言えない。
て言うかクレフェルトはロンメルを戦術の天才と評しているわけで無能には程遠い評価だろう
ハンニバルは制海権軽視の無能という評価が我々の総意 とかって言われたら困惑するようなものかな?
688 :
名無し三等兵 :2013/07/18(木) NY:AN:NY.AN ID:sMIAQA6p
やはりロンメルが最強
間接的にモンゴメリー持ち上げるのヤメろよ
モンティは大規模な砲兵部隊を運用する能力をもっていたがそれ以外の才能は無いじゃん
偽の無線情報を流して傍受したドイツ軍を混乱させ、 エルアラメイン南部に擬似パイプラインを敷いて南から攻勢すると思わせた 砂漠のキツネをだまくらかしたモンティ
モンティがWW2最優秀陸将という評価が軍板の総意だから問題ない
戦争で難しいのは同じ土俵で勝負しなくてもいいってことだね
土俵のはるか外に大関ロンメルを投げ飛ばした小結モンティ
マーケットガーデン(ボソッ
ドイツはジークフリート線 フランスはマジノ線 イギリスはモントゴメリー腺
失脚後のブロンベルクって加藤茶みたいだったんだろうね
ドイツの将軍は背後の一突きといい、国防軍神話等 責任転嫁や自己宣伝が得意。
モンティ「アイゼンハワーのせいで英軍の進撃が鈍った。 私が連合軍司令官ならベルリンまで進んで早く戦争を終らせてた。」
最後の空軍総司令官グライムさんって、側近までぞくぞくと逃げ出しているのに ヒトラーの元にかけつけた律儀さと、捕虜になったら自決した潔さ、 あと人気のあったライチュさんがべた褒めしてるからなんだか優秀な人に感じるけど、 BoB中はパリにいたし、独ソ戦でも穴埋め部隊として分割運用されたりとたいした実績あげてないよね。
>>701 ライチュってフォン・グライムの愛人だったんだろ?
うん ライチュは愛人だったよ
704 :
名無し三等兵 :2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:AR0703W8
!Mokuton
ロンメルってなんで死んだんだっけ
ヒトラー暗殺事件の関与を疑われて自殺させられた と言われている
空襲による負傷は治っていたのかな?
1944年10月14日、ウルムの自宅において療養中のロンメルの元に軍令部長マイゼル中将とブルクドルフ中将が訪れ、家族の安全と引き換えに自殺を強要したとの事。
自殺を受け入れたロンメルは近くの森に入りそこで服毒自殺したとされている
>>705 醜いコテ付けるな
森じゃなくて隣村に通じた田舎道でまわりは畑 車の中で服毒 こんなとこで、と思うような寂しいところ それよりロンメルが当時住んでいた家は三十年代はユダヤ人子弟の寄宿舎だった
>>709 車のなかだったのか
車はクルーゲだと思っていたんだが
森はうろ覚えで書いただけwすまんな
うん、そうとも言い難い 実は自決現場の記念碑の写真を撮ると背後に木がうつって森に見えるが、実は木の密度としては林以下 反対側は何もない畑
>>687 ロンメルもそうだが
できないことはできないと言う勇気が必要だと思うんだ
マンシュタインは解任されちまったが
出来ないとか無理って言う将軍は、ほとんどが更迭された
ロンメル元帥の御子息マンフレートさんは敗戦時フランス軍の捕虜になったがフランス軍は気をつかって庇護してくれて、そして長らくシュツットガルト市長を勤められました
>>708 ブルクドルフといえば総統閣下シリーズw
総統副官兼陸軍人事局長ってやっぱりものすごいエリートコースなんだろうなあ ヒトラーがその死を嘆き悲しんだシュムントも
初期の総統副官ならヴィーデマン、ホスバッハ それなりに著名
720 :
名無し三等兵 :2013/11/21(木) 10:31:16.56 ID:s9PbBXTB
誰もいなくなったから、 701のレスで指摘されているように、 >なんだか優秀な人に感じるけど、 >BoB中はパリにいたし、独ソ戦でも穴埋め部隊として分割運用されたりと >たいした実績あげてない。 グライム将軍のような人物でも起用される、と?
グデーリアンが最後かな解任されたの
マンシュタインが尊敬していたのは、典型的なプロイセン人参謀のベック。 しかしベックの方はマンシュタインをそれほど評価していなかったのか、 マンシュタインが左遷されたときには通り一遍の反対をしただけですぐに手放している。 部下には慕われるが、同僚や上司に対しては「耐え難いほど傲慢」と評されたマンシュタインは ベックにとっても扱いづらい部下だったのだろう。 つまり片思いであった。 そのマンシュタインを一番評価し、最大限に引き上げたのはベックの前の参謀長だったアダム。 しかしマンシュタインの方はバイエルン人のアダムをそれほど評価していなかったようで、 後にアダムが三軍統合学校の校長に就任した際には非協力的で、 陸軍からは最良の人材を入校させるべきではないと反対している。 こちらも片思いであった。
マンシュタインが東部戦線総司令官だったら、、 本人もそういう地位を望んでいたようだが
マンシュタインが東部戦線総司令官になっても、 あいかわらずヒトラーが口出しするんだろうなぁ…
マンシュタインはマンシュタイン計画の指揮をとってなくて マンシュタイン計画で他の将官が出世した為に、出遅れたのが痛かったな
726 :
名無し三等兵 :2013/11/29(金) 02:57:14.17 ID:viQEj6H5
マンシュタインが東部軍司令官でソ連に連勝してもドイツが勝てたかは疑問 米軍の制空権や物量で西部では負けただろう だが少なくともポーランドあたりまでは西側陣営になっていたな
独ソ開戦の時点で枢軸側は国力的に詰みゲー 米国の参戦・レンドリース無しでもソ連はドイツに勝てた
レンドリース無しでもドイツ軍が結果が変わる可能性はないけど その場合、ソ連軍はアメリカより先にベルリンにたどりつけたかな?
レンドリース分の機関車1,900両、鉄道貨車10,000両、 トラック370,000両、ジープ50,000両なしに、どうやって 兵站を維持すると?
史実と同じ大攻勢かけるには兵站の維持にそんだけ必要かもだけど、 単に撃退してゆっくり押し返すだけならいらんでしょ。
詰みゲーだのチートだの幼稚な言葉を使う連中が増えたなあ。
史実のように飽和攻勢をしかけないと、ドイツ側の機動防御の餌食。
独ソ開戦時の国力は、ソ連側こそスターリンの粛清の影響で崩壊状態。 特に民生部門は壊滅状態で、レンドリース無しには戦争継続できんね。 まともな機械産業は正面装備くらいで、民生用のクルマとかほとんど 作ってないし。
レンドリース無しだと43年くらいからの機動力が発揮できないだろうな
ソ連の逆侵攻がなくなっても、ヒトラーが無理な攻撃を続けるだろうから 待ち構えて撃退だけでドイツ軍はどんどん減っていくだろうな
レンドリースの効果評価は戦略爆撃の効果評価なみに意見が割れるな
ロシア相手の戦争は侵攻した時点で負けフラグという。 これを破ったのはモンゴルだけ。
モンゴルが攻め込んだ時のロシアはキエフ公国とかいうド田舎の小国があるだけで、残りは寒村しかなかっただろうが。
英独停戦と日本の北進が実現できればソ連は40年代半ばで崩壊してた
スターリンが無理な攻勢をしかけて損耗する可能性は無視ですか? 信頼と実績の戦死者2千万人ですが。 もう2千万人死んでもソ連は持ったかな。 ウクライナの回復も遅れるし。
つか、戦争しかけなくても90年代に崩壊してるし。 条件が揃えば、ソ連の崩壊は普通にあり得るでしょ。 その前のロシア帝国もWW1の途中で崩壊してポーランド、 バルト3国を失ってる。
>>740 攻勢かける足が無いから防御に徹するだろうって考えたけど、
たしかに足がないけど攻勢かけるって判断する可能性もあったね。
ドイツ統一後の大モルトケの防勢をベースとした戦役計画は興味深い。 周囲の国も矛盾を抱えた国ばっかりで、時間を味方にじっくりと 戦略的防勢で構えた方が、科学技術面の進歩も込みでドイツに 有利だったな。
>>742 42年の春季にソ連側からハリコフでしかけて大敗してるし、43年の
融雪期にも学習能力なくハリコフでしかけて、有名なマンシュタインの
「バック・ハンド・ブロウ」を食って、2個方面軍を崩壊させてるし。
そもそも、41年に奇襲されて主力を包囲殲滅されたのも、攻勢を意識
して前方配置してたからで。
同志・スターリンの攻勢嗜好を抑制するのは「シベリア送り」を覚悟
しないと。
ホト厨なんですが、ヘルマン・ホトの「戦車作戦」はいつ和訳販売されるのでしょうか?
ドイツ語を勉強したまえよ。
(´;ω;`)ウッ…
少将どまりのクルト・マイヤーさんの自伝は和訳されてるのに糞禿ホート親父の著作は和訳されないんだね。 上級大将で独ソ戦大活躍だけど第三帝国ヲタ以外には影と髮が薄いからね。仕方ないね。
韋駄天マイヤー
>>748 パンツァー・マイヤー → イケメン
アドルフ・ガランド → イケメン
ハインツ・グデーリアン → ナイスミドル
ヘルマン・ホト → ハゲ
残念ながら当然。
てめえ、ホト厨なめんなよ(#`Д´)
ドイツの将軍でイケメン、ブサメン、ナンバー1はだれ?
ロンメルもイケメンの部類だよな 少年漫画に出てくるドイツ将校のイメージそのもの マンシュタインも知的な顔立ち
モーンケはすごい悪人面だよな
一番カッコ良いのはガランド中将ではないか。一昔前の日活映画に出てくる不良のようにカッコ良い。 というか、あんな帽子の被り方が軍隊で許されるのか・・・?
あいつは夢の国に喧嘩を売った初期の人物でもあるからな かなりパンクな人物ではあったようだ
まがりなりにも空軍中将が戦闘機パイロットとして戦うことを許されたのは
上司に嫌われすぎて「コイツが前線で死のうが知ったこっちゃねえ」と厄介払いされたからってのマジは?
>>754 個人的にはヴァルター・モーデルがとんでもなく性格悪そうな面をしてると思う。
死に方は男前だったが。
パパ・ゼップも体型こみだとブサメンの方かな
モーデルの参謀長のワグナー少将もすごいな ルール地帯ごと包囲されたのにまだ戦えると主張する将兵を「貴官らは敗北を結論できぬほど無能で感傷的であったのか」と一喝するところとか ドイツ軍の参謀達は司令官に降伏を勧めたり、敗北を認めることにあまり躊躇がないようにみえる 某帝国陸軍の参謀達とはえらい違いだ
クルーゲもイケメンだな
>>759 まぁ連隊長あたりが勝手に敗北を結論するのはマズイから
参謀が説得するくらいで調度いいと思うけど、
某帝国陸軍の某参謀は「負けたと思ったら負け」などといって
誤魔化してしるからなぁw
ゲーリングだって若いころはイケメンだった
某帝国陸海軍の参謀は、ほとんど馬鹿で有害だからな
某国の参謀は司令官に自殺するべきだろうかって聞かれて 「そう聞かれては立場上自殺を止めないわけには行きません。本当に責任を感じてるなら何も聞かずに黙って死んでください」 って答えたそうだけど、ドイツの参謀なら 「それがよろしいでしょう。残された部隊、遺族の件は私に任せて心残りなく死んでください」 ってはっきり言うだろうね。
>>764 そうだね。ドイツの貴族が多いから「拳銃にしますか?毒にしますか?」
くらいも言うだろうね。
そもそもその某作戦自体が発起されないか、修正されるか。
ゲーリングはおデブちゃんになってからも表情はキュートだと思うが
クルーゲはたしかにイケメンだと思うが、グデーリアンファンの多い日本では不当に低く評価されてるよな(苦笑)
ゲーリングさんはホモにもてそうな感じやね。 と言いますか、パウル・ハウサーが出てない!見た目も中身もイケメンなのに!
げーリングは薬物中毒になってから姉が影武者してたから オカマだって説が出ていたって噂があったな
つまりゲイリングだったってわけか・・・
ゲーリングって第三帝国最高首脳の中では少数派の対ソ戦反対論者だったり、そもそも対フランス戦にも当初は反対だったりして、ドイツの実力を見極める大局観はあったんだよな 航空艦隊司令官としては無能だけれども
貴族は美形と結婚するものだから、貴族の血を引いていると美形になりやすい。
ハウサーはイケメンというよりも 渋い 燻銀のシブさ 一段上じゃ
片腕のフーベとかどうだろうね? イケメンじゃなくて、いかつい顔。 飛行機事故で死ななきゃ、ヒトラーが自分の後任の陸軍総司令官に任命する積りだったらしい、とかいう説もあるけど。
マンシュタインは実父と息子が見事に鍵鼻がそっくりだったな
マンシュタインって、軍団司令官の頃、キューベルワーゲンで前線走り回っては、連隊レヴェルの部隊で直接戦闘指導したみたいなことを回想録で書いてるよな。 あれって、どうなんだろう? ドイツ陸軍的には好ましい事なのかな?
>>777 連隊が直面している状況を知りたければ実際に行って確かめるのが
ベスト。ドイツ陸軍的にも指揮官先頭なので問題はないはず。
メリットがあればもちろんデメリットもある。
>>777 それ読んだわw
連隊どころか最前線の塹壕からはい出て、進めなくなってる部下に
マンシュタイン「このくらいの陣地は突破できる、突撃しろ」
と言った途端、ソ連軍の砲撃があって、慌てて塹壕に戻って兵士達に笑われたって話だろw
本人が死ぬのは勝手だけど、あそこで軍団長が戦死したら大混乱だわな
>>754 悪人ヅラといえばディルレワンガーもなかなか
そいつは悪いのはツラだけじゃないから
悪人ヅラといえばスコルツェニーだな
ハゲてて片眼鏡かけている写真をみると悪人面にみえてしまうな
スコルツェニーが悪人面に見えるのは、主に刀傷のせいだろ
>>783 片眼鏡はタイガーマスクのミスターXのい影響が強いな
ヒトラー やめんか  ̄ ̄| )ノ ┌‐┐ __|_ '´ _l__|_ ┌‐┐ `m /⌒ヽ \ / (^ω^) _l__|_ 7 ⌒い _( ^ω^) X. /⌒ヽ / ヽ (^ω^) | l /フ ̄⌒ヽ n/ \ (^ω^ )_ 卍 l / 卍ヽ 卍 \ (/l、__\__ソ (^Vヽ  ̄ 、 \ l | \ /っ / ,(_\ ー' 人 ̄ )(つ │/_/ /__ノ 〈__r‐\ \ ___)─' └--' └-┘ (フ │ | │ クルーゲ グデーリアン ┤ ト-ヘ ドイツ軍人の間では決闘がよくあったそうだが、スコルツェニー15回ってのは凄いな
ギレとドイツ軍の将軍かどうか微妙だけどロシア解放軍のウラソフは大学の教授見たいな顔してるな
イケメンではないと思うが、オスター少将はいかにもというぐらい、端正で理知的な顔立ちだと思う。 インテリ顔だけど、何考えてるか分からんシュパイデルなんかより好感もてる。
>>777-779 軍団長時代は最前線に出ていたが
たった一つ昇進して軍司令官になると事務作業に追われたそうだな
>>789 そりゃそうでしょう。大体現場を見に行くといっても2結節くらい下
まででしょう。ドイツの軍司令官だと少なくても2個軍団(4個師団)
の面倒をみないといけなくなるし。
当時のドイツ軍の制度だと、軍、が占領地の一種の行政単位になってた 当時の最重要輸送機関、鉄道の管理が軍の単位だから、民間との折衝も多い 死刑命令書にも軍司令官のサインがいるから、軍団長と違って出歩かれては困る
命令書のサインまで参謀長に代筆させて狩猟に熱中していた軍団長がいたようで
参謀がサインだけすればいいように書類作ってくるもんだが それでも大量になって「紙の戦争」って言われる
帝国陸海軍の場合は最後に印鑑押したのかな
占領地の市長が逃亡すると、市立学校の決裁書類まで回ってくるって話
モーデルが軍司令官の時に大隊の先頭に立って突撃したそうだけど 戦死すると大変なことになってたのか
モーデルと言えば「連合軍がわしをさらいに来よった!」
>>797 それ映画でしか見た事ない。原作にはなかったよ。
「イッヒ!」とか叫んでた奴か
ライアンの原作では、ビットリヒの司令部にいきなり駆け込んで来て 「危うく奴ら(英軍)に捕まるとこだった!」と言ったとビットリヒが証言してる。 あとモーデルは「独断的でこちらの言うことはろくすっぽ聞きもせず、 いつも不可能なことばっか次から次へと要求してくる」人物だという。 ルントシュテットは「立派な准尉になれる素質はある」とモーデルを評してる。
実戦部隊の指揮官までってかんじなのかねえ
>>801 あんまり真に受けないほうが。
なんせ「今の若いもんときたら。わしの若い頃は」
みたいなことだから。
もう一つ上がって軍集団司令官になるとむしろ軍事作戦を指揮してる気もするな
804 :
名無し三等兵 :2013/12/29(日) 20:24:56.99 ID:UlCQ0T7S
>>701-703 ライチュとグライムがそういう関係だったのはよく書かれてるけど、当時のグライム(既に50代で、ライチュとは20歳差)は奥さんや子供はいたの?
ライチュは生涯独身だったみたいだし、愛人ってのが不倫だったとしたら軍やナチス内部から色々言われたと思うんだけど、そういう記述は見た事ないな・・・
グライムの家族関係は調べても出てこないんだけど、生涯独身だった?
ルントシュテットは何故評価されてるか謎
ルントシュテットは白と黄での軍集団指導で普通に合格点じゃないかな。 ダンケルクとか、個々の失敗はあっても、あれでダメだしされたら将軍のなり手がいないだろ。
人が良いのが問題じゃないかな ダンケルクだと、手柄を独占せずにB軍集団にも手柄を、ってな気配りができるが そのちょっと待ったのが命取りになった
>>805 戦後捕虜収容所でリデル・ハートに最大限協力したから。
見返りにドイツ国防軍の良心と宣伝してもらった。
ルントシュテットはSSでもないのにヒトラーが開戦から敗戦まで信頼していた将軍なんだから優秀なんだろ
軍の長老である70年世代としてはボックに次ぐ第2位の人材だったと思う・・・ って書こうとして念のために調べたら、ボックって80年産まれだったのね。 同世代だと思ってた。ルントシュテットより5歳も上だとは思わなかった。 70年世代は根こそぎヒトラーの人事的粛清によって一掃されているのに、 ルントシュテットだけ経歴に傷をつけないで生き残ってる。 よく考えたら恐いよこれ。 どんだけ生き残り技術に長けていたんだって。 ただ優秀だっただけなら、ヒトラーに好意的だった人間も含めて粛清された人間がいっぱいいるもの。
「年齢の問題がなければ国防大臣に任命していた」とヒトラーが言うくらいなんだから、特別な存在だったんだろうな
ダンケルクって、ヒトラーがイギリスとの講和夢見て、進撃停止に全面同意したからそうなったんだろう。 普通なら、現地の軍集団司令官と、陸軍総司令部と参謀本部の意見が割れた場合、最終的には中央の意見が通るだろ。 ダンケルクの突進を止めた最大の責任者は、ヒトラーでFA。 ヒトラーが突進を止めたもう一つの根拠が、脱出する英軍は、空軍だけで叩けると言い出したゲーリングの大口。 マンシュタインは、偶々配下の快速部隊の整備状況を心配していただけ。それでも突進しろと言われたら、当然そうしていただろう。
>>812 ダンケルクで軍を止めたのはルントシュテット
理由は、陸軍参謀本部が現場の意見を聞かずに部隊を取り上げたりしたことに対する意趣返し
前線部隊でも現地司令部でも中央司令部でも、前進を支持する人間と停止を支持する人間がいて、
対立が決定的になって崩壊する前にヒトラーは現状を追認する形で停止を正式に命令した
だから権限としての責任者としてはヒトラーでFAだが
戦犯としての責任者としてはルントシュテットじゃないか?ってなことが電撃戦に書いてあった
814 :
812 :2014/01/05(日) 12:04:09.07 ID:???
おっと、マンシュタインってのはルントシュテットの間違いでした。
マンシュタインはマンシュタイン計画に参加してないってのが笑える いたら状況が変わってたかな
左遷させられる前はA軍集団(ルントシュテット)の参謀長だったよな おそらくダンケルクに突進するように進言するだろうね そうしたら30万のイギリス海外派遣軍が捕虜になっただろう
マンシュタインプラン原案のままで戦ってたら、南へのびる二本目の鎌があったはずだから、 南からくる存在しない敵におびえてたびたび進軍停止なんてことにはならなかったと思う。
参謀本部もヒトラーの好みがマンシュタインプランの方だと分かるや否やそれに乗っかってさも自分たちが当初から考えていたプランであるかのように振る舞うとか、狡猾やな
西方電撃戦でグデーリアンの隣をすすんだラインハルトって地味だよね。 マンシュタインが軍団長に左遷されるにしても、ラインハルトの代わりに 41軍団長として対フランス戦に参加していたら何か変わったかな?
マンシュタイン計画の原案では、局地戦の勝利や敵兵団の殲滅ではなく 最終的に勝利するために、南へ突破口を開いておきそこへなだれ込む予定だから むしろダンケルクを無視してパリへ突進することになる
先にパリ落としてフランスが降伏したら、ダンケルクでとぐろ巻いてた部隊も 逃げないで降伏するものかね。
第二次大戦時のパリは第一次大戦時とは違って戦略的価値が低いとか言われてはいるな でもパリが落とされたらイギリス派遣軍をある意味守っていたフランス軍も降伏するか
823 :
812 :2014/01/15(水) 02:27:23.09 ID:???
ところで、ヘルムート・シュティーフの身長を知ってる人、教えてくれない?
825 :
名無し三等兵 :2014/02/08(土) 15:15:06.50 ID:tuejJMZW
さすがホモ爆弾の国だな
原文あたれるほど語学力ないので実際のところはわからないけれど、 計画の杜撰さから見ても命じた方もやってる方もどこまで真剣だったのか・・・ 予算獲得のための捨てプロジェクトかなんかだったんじゃない?
>>824 失われた勝利にそんなこと書いてあったな
マンシュタインの原案が二本の鎌だったってのは電撃戦か電撃戦という幻にも書いてあったけど、 二本目の鎌がパリへの攻撃を目的としていたって書いてあったっけ? マンシュタインの戦術は伝統的プロイセンの機動戦術で、戦場における敵野戦軍の包囲殲滅だと思ってた。
二本目の鎌はフランスの防衛線再構築を阻止するのが目的じゃなかったっけ? 電撃戦という幻に書いてたがよく思い出せん
参謀本部が黄色作戦、赤色作戦の2段階で実行した作戦を、 マンシュタインは連続する一つの作戦だと考えていたって話?
独ソ戦に関するドイツ側の作戦の考察で、 ドイツ側はそれぞれの目的をもった複数の作戦を順番に実施する予定だったが、 OKHはそれぞれの作戦目標の優先順位について深く考えなかったために、 最終的に独ソ戦はどうすれば勝利できるのかさえ見失ってしまった。 これはマンシュタインが原案を作成した西方電撃戦とは対照的で、 作戦の連続であるより大きな戦役という概念について、 マンシュタインは理解していたがOKHは理解していなかった。 って書いてあったのを思い出した。
第一次大戦の時も、勝利条件を勘違いしてたからな
マンシュタインも本気でA-Aラインまで到達出来ると考えてたのかな。
東部戦線総司令官に任命してくれたら勝たないまでも負けはしないという自信はあったっぽいな 当時のソ連の生産力や戦備やドクトリンを知っている現在の人間からみれば、マンシュタインが東部戦線総司令官として知略を尽くしても、敗北(ドイツ本国内まで攻め込まれてベルリンを占領される)は免れないというのは分かる マンシュタインですらソ連を見くびっていた
二正面作戦をした時点で敗北は必至でしょ 第一次大戦から何を学んだんだか…
英国を敵にした時点でもう既に敗北確定
ドイツ人はすぐ前と後の3pに走るって表現した人がいたな
教師「はい2人1組で同盟組んでー」 ドイツ「おいやめろ」
>>837 マンシュタインの回想録では、あの当時、カサブランカ宣言でドイツの解体の危機を認識させられたドイツ軍将帥が、
東部戦線という持ち場で何とか引き分けに持ち込もうとするの当然で、その可能性を信じて何が悪い、戦後の視点でとやかく言うな、てなこと言ってるな。
カサブランカ時点でのドイツ人はどんな戦後処理を想定してたの? 史実通りのもの? 神聖ローマ帝国状態にされると思ってた?
表と裏があるけれど 既に冷戦が始まっていたから、それほど悪くならないと思っていた節がある たとえば地中海にいたドイツ軍が無傷で撤退できたのは 地中海の戦力はバルカン半島での対ソ連戦に使う、との密約があったからだと言われている
ヒトラー自身も「共産主義者どもに対抗するためにはドイツの力が必要なはずだ」みたいなことを側近や将軍連中に語っていたしな
日本もソビエトへの降伏をだしに使ったと言われてるな
ルーズベルトが死んだらなんとかなると思ってたらしいなあ
女帝が死にました、という実例があったからな
デーニッツの回顧録で、海軍総司令官になった際に「私の指揮権に対する障害となり得るので上位の提督たちには退役してもらった」 みたいなことがさらっと書かれてたと記憶してるんだけど、この時追い出されたのって誰々だかわかる?
>>849 ロルフ・カールスだったかな?
レーダーが辞任する時、後継者の第一候補として上げた人物。
デーニッツは第二候補だった。
ヒトラーはデーニッツを選んだ。
デーニッツが総司令官になってからすぐに予備役入りしている。
ハヤカワのバレンツ海海戦という本ににその辺の顛末が載っているな
>>850-851 ありがとう
ポープの「バレンツ海海戦」をさっきめくってみたら「デーニッツよりも先任の提督数人を退役させた」と書いてあった
カールス以外にも何人か放り出されてるんかな
ヘルマン・ベームと、ヴィルヘルム・マーシャルの両名とも 43年中に長官職を罷免されてるね。 デーニッツによるものかどうかは分からない。
ドイツ海軍の将官級ってなかなか名前があがってこないな レーダー、デーニッツはまあ大丈夫だとしても、リュッチェンス、チリアックス、クメッツ、カナリスで自分は限界だ
>>854 の他で自分が思いつくのは・・・
ザールヴェヒター(チャンネル・ダッシュ作戦時の西部方面海軍司令長官)
シュニーヴィント(海軍作戦部長、後に艦隊司令長官)
フリッケ(シュニーヴィントの後任作戦部長)
フリーデブルク(デーニッツが総統になった後の海軍総司令官兼潜水艦隊司令長官)
あたりかなあ
やっぱドイツ海軍の有名人はUボート乗りが多いから将官クラスは地味めなのかね
Z計画達成の前に戦争始めちゃったから地味に戦うしかない 開戦を10年遅らせてたら主戦場は大西洋でド派手な艦隊決戦が行われてたかも
最初の装甲師団長3人のうち、フォン・ヴァイクスやグデーリアンは出世したし有名でもあるけど、 フェスマンって印象薄いよね……
ヴァイクスが有名なのってスターリングラードでの軍集団司令官って悪いイメージが大きいんじゃないか
あとF軍集団時代の戦争犯罪関与疑惑とか
>>849 ひでえなと思ったが
年齢の序列の問題で水雷の南雲が機動部隊を指揮することになったよりはましか
あのころのドイツ軍というと高級将校はユンカーが多かったらしいが、 気位ばかり高くて役立たずの絵にかいたような 貴族軍人がけっこう幅を利かせたりしてたのかね。
「ベルリン・ダイアリー」を読むとその辺りの雰囲気が書かれてる 買うのが面倒だったら図書館に行けばあるんじゃないかな 暗殺未遂事件絡みの本でもあるから、扱ってる図書館は多いと思う
古い本は文章が読みづらいんだよね・・・ とりあえずどんな感じか教えて欲しい。多分それで読むきっかけになるから。
>>860 陸軍は残った高齢将軍が総司令官や参謀総長を人前で小僧呼ばわりして、
それで規律が保たれるのかなーなんて思ったりした。
日本人的感覚なのかもしれないけれど・・・
同期が最高職についたら、自動的にそれ以外の人間は予備役入りする日本的システムも、
最初からそう決まっていれば角も立たなくて合理的だと思う。
ヒンデンブルグの伍長殿に対する態度も基本的にそんな感じだったらしいしな・・・。
>>863 いやただの日記だから読みづらいとかないよ?
それに本というのは自分で読んで評価を下してこそじゃないか
頑張れ
>>849 陸軍だと先輩を追い抜くってのがたくさんあったのにな
ヒトラーは陸軍の高級幹部人事にはガンガン口を出していたけど、海軍や空軍に対してはそうでもなかったようで。 その辺の違いかな。
空軍はゲーリングが居たからねぇ
レーダーも1928年から海軍総司令官だしな 1928年ったら党が初めて国政選挙に打って出た年だぜ
ヒトラーは海軍に関してはよくわからないのでレーダーに任せちゃっていて、事後承諾すら許していたようだしな
日本もドイツも、 戦争を始めたのは陸軍出身者で降伏したのは海軍出身者だったな。
ハンモックナンバーの問題はどこでもあるからなあ ハンモックナンバーって英語のように米国軍がおおもとらしいけれど 航空攻撃の指揮を水雷の専門家にとらせるってのはなあ でもマンシュタインがマンシュタイン計画に参加してないんだからドイツが一番酷いかなw
階層社会万歳のイギリスも老害居座り幾星霜のフランスもその辺りは似たようなもんだしな
一方日本は終戦の指揮を水雷の専門家にとらせた。
>>865 ヒンデンブルグは国家元首である大統領だから、もともと首相より優位。
>>876 シュライヒャーやパーペンにはそれほど尊大な態度はとってない気がするが。
>>843 当時のドイツにとって無条件降伏に関する直近の先例とは、他ならぬドイツ自身がユーゴスラビアに受諾させたものだった
1941年4月16日、休戦を求めるユーゴ軍代表に対しドイツは無条件降伏を要求し、軍隊だけでなく国家そのものを解体した
なので、ドイツは自分たちがそのようにしたのだから連合国も(口では何と言おうが)同じようにするに違いないと考えていた
まぁ実際のところ、ドイツの予想はあまり外れてはいなかったかもしれないw
アメリカは階級社会でないことが誇りなので少なくとも建前では公平を重んじる 戦時には戦功が重視されるが、平時はテストの点などハンモック・ナンバーが世界一重視される 南北戦争では徴兵した兵士に知能テストを班長や分隊長の選考基準にした もっとも、アメリカ海軍では核兵器と原子力航行のテストで満点をとらないと昇進できないので カンニングが横行していたことが最近発覚して大問題になっている
士官学校出と予備士官養成課程出だと昇進等で差別されるのかな アメリカでは それと、3軍の士官学校(ウエストポイント・アナポリス・コロラドスプリングス)の入学の難度はどの程度なのかが分からん 空軍士官学校が最難関だとかは聞いたことがあるが、それはアイビーリーグやパブリックアイビー、名門リベラルアーツカレッジとかと比べてどのくらいの位置なのか
米軍はは学歴が無いと士官に昇進することが難しいかわりに 低学歴でも功績があった兵士の為に陸軍最先任上級曹長なんて階級を作った 高卒で一番頭の良い奴が東大の学長に直接意見が言える制度みたいなもの 自衛隊も真似してるけど 旧ドイツ軍だと兵士としては破格の戦功があったヒトラーが伍長止まりだったけどな
近代に入って各国が士官を金持ちの中流階級に開放しているなかで、 ドイツだけが貧乏ユンカーが士官を独占していたからな。
蛮族だから仕方ない
軍はだめだったが、武装SSだと准尉になれたと思った 外国人の受け入れもそうだったがドイツ陸軍は保守的だな
んなことはないわ。 すでにフリードリヒ大王の時代のプロイセン軍、 7年戦争終了時に 平民出身の将軍が23名いたというのに。
米軍の現役士官って半分くらいROTC卒だろ?
つか、その問題の大前提のベルサイユ条約による軍備制限を忘れてはいかん ナチスドイツ誕生前のドイツ軍なんてそれこそ代々軍人みたいな一族くらいしか軍人でいられなかった 武装親衛隊はその制限の抜け道
リデル・ハートは、ドイツ軍人は下士官クラスでも自主的な判断を基に行動をとる能力があると言ってるらしいけど。 イギリス軍では、士官が全滅した時点で降伏するより他は無いが、ドイツ軍はで下士官が居れば戦闘を継続する例が多々あるとか。 ドイツ陸軍って、案外保守的ではないのかも。
リデル・ハートはナチス軍人贔屓だから割り引く必要ある
>下士官クラスでも自主的な判断を基に行動をとる能力があると それは下士官に幹部教育をしていたからだね。
下士官が優秀な国の軍隊は強いんだよ ただし戦争に勝てるかどうかは別だが
軍隊は強くて国は勝てないってことは 兵隊さんがいっぱい死ぬってことですね。
士官が優秀なら下士官兵が無能でもどうにかなると思う 下士官が優秀でも士官と兵が無能だと駄目だろうな 敵より1.5倍優秀な兵士揃えても敵が何倍も居れば勝てないしな
士官が優秀であれば、勝ち易きに勝つから、軍が強いって言う印象が残りにくいんだろうな。
強制ID制仮導入ノ是非ヲ問フ投票ヲ4.19ヨリ決行セリ!総員参加セヨ!自ラノ意思ヲ示ス戦ヒニ!
【4/19〜4/25までの期間、強制ID表示の是非を問う再投票を行います】
議論中失礼いたします。
皆様お気付きのように3/19に、軍事板では任意ID制から強制ID制への変更が行われました。
今回の導入は飽くまで仮導入のため、実施一ヶ月後に是非を問う投票を行います。
投票当日に向けての議論は現行自治スレにて、自治スレ他で指摘された強制ID制導入
に伴うメリット・デメリットのまとめはまとめウィキにて行っています。
自治スレッド53(ID強制表示本採用投票4/19予定)
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1395286401/ 軍事板強制ID制メリット・デメリットまとめWIKI
http://idtroops.wiki.fc2.com/ これらを参考に、強制IDに賛成の方も反対の方も共に、投票による意思表示をお願いします。
896 :
名無し三等兵 :2014/04/04(金) 17:55:35.54 ID:wxAXjDg/
大モルトケが結婚したとき42歳かなり遅いなと思ったら奥さんはなんと16 歳。こりゃ反則だ。
897 :
名無し三等兵 :2014/04/04(金) 18:14:29.53 ID:oMfe3w8Y
898 :
名無し三等兵 :2014/04/05(土) 09:38:44.37 ID:Va3qE/Wz
しかもその嫁、義理の姪でもあるから おまえらの非難を浴びてもシャーないな。 モルトケたんw
899 :
名無し三等兵 :2014/04/05(土) 11:04:26.98 ID:YUu/nrlS
>>898 義理とはいえ姪との結婚はタブー視されてないの?
ヒトラーは姪との関係が非難されてたと思ってたんだけど、貴族と平民では違うのかな?
900 :
名無し三等兵 :2014/04/05(土) 11:35:14.86 ID:Va3qE/Wz
わたしの伯父は、軍務を終えて屋敷に帰ってくると 夜な夜なわたしの寝室に来て いやああ。わたしまだ15歳なのにいいい とか想像力逞しくしてはいかん。 妹の旦那は再婚で、その連れ子だから遺伝子的には問題ない。 しかも旦那はイギリス人(イギリス暮らし) モルトケが妹(義母)に送る絵葉書の挿絵が見事だったのでこの義理の伯父さんを好きになったという。
901 :
名無し三等兵 :2014/04/05(土) 16:30:08.41 ID:/OCY1k9Z
>>899 アロイス・ヒトラーとクララの結婚も大姪(弟の孫娘)との結婚だったので
教会に特別許可状発行を申請して、許可状が発行されてから結婚式挙げてる
ハプスブルク家でも叔父と姪の結婚はよくあって、その度に教会から許可貰ってた
ただ、19世紀まではカトリック教会も許可を出すのにやぶさかではなかったが、
20世紀に入って教会法が変わって以降は許可してない
902 :
名無し三等兵 :2014/04/17(木) 18:50:41.89 ID:NQBRVqtc
この教官って誰だかわかります?
457 名前:水先案名無い人[sage] 投稿日:2014/04/17(木) 00:58:14.39 ID:yq4VKyHn0
>>447 修学旅行の起源は、陸軍士官学校の授業で旅行しながら
「この地形で戦争になったらどのように戦うか」の授業がもとになってる。
始めたのは日本人じゃなくて、ドイツ人の教官。
メッケル
904 :
名無し三等兵 :2014/04/21(月) 19:05:30.87 ID:u9BGzmtM
あー韓国の修学旅行船沈没で修学旅行は日帝残滓って言い出したんだな そもそもドイツでは修学旅行やってたのか?
905 :
名無し三等兵 :2014/04/21(月) 21:23:55.17 ID:ZxlUh7Bb
>>904 日本の学校教育の元が、日本の士官教育。
日本の士官教育の元が、ドイツの士官教育。
日本の学校教育とドイツの学校教育に直接関係はない。
906 :
名無し三等兵 :2014/04/21(月) 22:36:44.34 ID:+NHty7fP
欧米だとサマーキャンプが該当する形になるのかなぁ
907 :
名無し三等兵 :2014/04/26(土) 05:59:32.36 ID:6PHROohG
>>888 ドイツ軍は第一次大戦で、塹壕を歩兵で突破するための浸透戦術をやろうとして
低い階級でも自主判断できる部隊編成をとっただけ、進歩的か保守的かという話
ではない。イギリスはそういう部隊ではなく戦車を造ったのだ。
908 :
名無し三等兵 :2014/04/27(日) 21:12:59.23 ID:YngeuA+N
下士官に多くの自由裁量が認められているのはシャルンホルスト以来のドイツ陸軍の伝統 そもそもイギリスは最初戦車を陣地突破用に用いたんだけど
909 :
名無し三等兵 :2014/07/07(月) 20:54:51.49 ID:ECnzWsGY
ヴァレンシュタインどうよ
910 :
名無し三等兵 :2014/07/10(木) 10:37:02.21 ID:9vV/Xs7x
ドイツ・レーウ監督「試合前に練り上げた作戦通りに戦えば、結果はついてくると信じていた。」 緻密に作り上げられた作戦通りにやれば必ず勝てるっていかにもドイツ人らしいわ
911 :
名無し三等兵 :2014/07/11(金) 10:20:42.38 ID:N8sCW9JA
融通の利かなさ、臨機応変の不得手に関しては日本人と似てる。
912 :
名無し三等兵 :2014/07/14(月) 17:47:06.18 ID:HQAaZZ5S
このイエモンが世界に冠たるドイツと比べるとは。 わきまえよ。
913 :
名無し三等兵 :2014/07/15(火) 00:53:36.42 ID:ID5/cBlb
南米じゃドイツ流のパスサッカーは全体主義的と嫌われてるらしい それで、今どんな気分なんだろうな
914 :
名無し三等兵 :2014/07/15(火) 01:11:20.26 ID:oYRapfjh
暴動起こしたくなる気分なんじゃねぇの? 戦後、将官クラスで南米逃げたヤツっていたかな……
915 :
名無し三等兵 :2014/07/24(木) 15:23:53.77 ID:8s6Wh3yd
元帥閣下の本名(実際はもっと長い) エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル
916 :
名無し三等兵 :2014/07/26(土) 03:56:31.19 ID:+ncUwibI
>>914 フォン・アルフェンスレーベン親衛隊中将とかヴァルター・シュライバー国防軍准将とか
917 :
名無し三等兵 :2014/07/26(土) 12:24:17.45 ID:qlVydTRh
>准将とか 准将って何よww
918 :
名無し三等兵 :2014/07/26(土) 12:43:41.20 ID:20644eoh
児島譲の本とかだとドイツ軍の階級に上級大将がないんだよな 大将の次は元帥にしている
919 :
名無し三等兵 :2014/07/26(土) 14:48:20.46 ID:NhkDkxck
あんたが大将!
920 :
名無し三等兵 :2014/07/28(月) 20:14:10.77 ID:vHH6LOUb
昔の独軍は肩章の星?菱形?の数が他国より一個少なかったから、外国行った際にうっかり階級間違われたりしなかったんだろか
921 :
名無し三等兵 :2014/09/06(土) 00:19:15.21 ID:22nPa05Y
922 :
名無し三等兵 :2014/09/19(金) 10:44:18.02 ID:oKWKsvS/
子供は出来なかったのが不幸かな。プロイセン・ドイツの。 実子がいれば 甥が優遇されることも無かったろうに。
>882 >ドイツだけが貧乏ユンカーが士官を独占していた ドイツ軍事学が効率性重視というのも せちがらい貧乏貴族によって占められてたからかな しかも気位が高いゆえ計画変更にも中々応じようとしない。
924 :
名無し三等兵 :2014/10/14(火) 20:42:01.21 ID:Fa8W1oZm
今日で没70年である。 今生きていたら・・・・。
925 :
名無し三等兵 :2014/10/26(日) 22:20:41.40 ID:VPIzEShS
独ソ戦はまさにライバル同士の死闘という感じだったが 日米戦は(緒戦を除いて)もう一方的な虐殺 喩えるならプロ野球選手と高校球児くらい差があった
926 :
名無し三等兵 :2014/10/29(水) 23:11:52.36 ID:OHfUZEqU
独ソ戦こそ虐殺だろ、但し一方的ではないけどな
927 :
名無し三等兵 :2014/11/19(水) 21:41:38.40 ID:r059MhJL
yuekidakaraageteoku
928 :
名無し三等兵 :2014/12/14(日) 20:34:47.08 ID:d29hupQg
実はさ、大戦初期において、陸軍の将官はヒトラーの案を具体化させただけであって、 ヒトラーが考えつかなかった事を立案出来たのは、デーニッツだけなんじゃあ…
929 :
名無し三等兵 :2014/12/14(日) 22:45:07.03 ID:quS2F8SE
海のことは訳わかってないだろう
930 :
名無し三等兵 :2014/12/14(日) 23:22:48.92 ID:JYJM1jQN
潜水艦作戦ってWW1と同じじゃんか 航空機で戦艦撃沈出来るとか言い出すならまだしも
931 :
名無し三等兵 :2014/12/14(日) 23:31:46.84 ID:d29hupQg
932 :
名無し三等兵 :2015/01/25(日) 14:17:15.66 ID:VBl/VsKS
総統閣下シリーズでおなじみの シュタイナーの肖像画がアメリカの陸軍士官学校に飾られているらしいけど なんでだろ
933 :
名無し三等兵 :2015/01/26(月) 17:23:34.67 ID:K+eStubr
【訃報】薬局のじいさん死去。→ 正体はWWUのドイツ国防軍のエース戦車兵、オットー・カリウス(c)2ch.net
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1422227336/ 1946-1948 Apothekenausbildung/Vorpraktikum in der Sonnen-Apotheke in Zweibrucken
1948 Vorexamen als Apothekerassistent
1948-1951 Studium der Pharmazie in Freiburg/Breisgau
1951 Kandidatenhalbjahr in der Munster Apotheke in Freiburg
1952-1956 Angestellter Apotheker in der Fortuna Apotheke in Zweibrucken
Seit 01.07.1956 bis 31.01.2011 Leiter der Apotheke in Herschweiler-Pettersheim
1963 Buchautor
01.02.2011 bis 24.01.2015 Apotheker in "Teilzeit?", d. h. wenn es ihm gut ging arbeitete er bis zu letzt voll mit
gestorben am 24.01.2015 im 93. Lebensjahr
http://www.tiger-apotheke.de/personal/otto-carius/ http://www.tiger-apotheke.de/s/cc_images/cache_1794405.jpg オットー・カリウス(Otto Carius, 1922年5月27日 - 2015年1月24日)は、
第二次世界大戦中のドイツ国防軍の軍人。最終階級は中尉。
戦車長として150両以上の敵戦車を撃破したカリウスは、ミハエル・ヴィットマン親衛隊大尉やクルト・クニスペル曹長、
エルンスト・バルクマン親衛隊曹長と共に、最も優れた戦車兵の一人として認められる。
戦後、薬剤師の勉強に励み、1956年に薬局を開業、その名も「ティーガー薬局」。
上のURLはティーガー薬局のHP
934 :
名無し三等兵 :2015/01/26(月) 20:12:24.16 ID:Lgh600mv
マジか! 亡くなられてしまったか・・・ ご存命の間に泥まみれの虎がアニメ化されて欲しかった・・・
935 :
名無し三等兵 :2015/01/28(水) 02:16:33.09 ID:7FPSwvGF
>>その名も「ティーガー薬局」 凄く効きそうな気がする。
936 :
名無し三等兵 :2015/01/30(金) 04:02:31.13 ID:cr9VJCiY
>>930 というよりドイツ海軍は完全に通商破壊に徹してれば勝てたし。実際WWIでもドイツの統計学者が無限潜水艦作戦をあと3ヶ月続けてればドイツは勝てたとか言ってた。
デーニッツはUボートの重視、生産の優先を求めたけどヒトラーは空軍がイギリス海軍やってくれるだろうと考え却下された。デーニッツが海軍総司令になった1943年じゃUボートの損失率が補填率を上回ってた時点で手遅れだったし。
そもそもドイツは海洋に対する理解が低すぎるだろ。WWIでもそうだしWWIIもそう。
やっぱ陸軍国だからかな?
937 :
名無し三等兵 :2015/02/01(日) 08:48:05.34 ID:I5TGaHb4
ドイツ再軍備宣言って1935年だからね。 大砲やら飛行機やらも、その前から研究進めてるけど 日本で言えば、利根型筑摩、朝潮型起工の年、大和起工は1937年。 第二次世界大戦引き起こすのが早すぎたんだよ。 ビスマルクも40センチ砲戦艦作るための習作に過ぎない。
938 :
名無し三等兵 :
2015/02/01(日) 14:29:09.01 ID:wIxvwK2b >そもそもドイツは海洋に対する理解が低すぎるだろ WW1以前は英国はプロイセンの味方か少なくとも敵ではなかった。 この辺が影響しているんジャマイカ。