日露戦争〜第一次世界大戦の頃を語ろう

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1名無し三等兵
ロシアでの革命騒ぎ
バルカン情勢
オスマン帝国の衰退

などなど
2名無し三等兵:2010/04/22(木) 17:40:10 ID:WLOO8NLY


日露戦争の原因は朝鮮!
http://www.youtube.com/watch?v=vJD1scMrW3k

3名無し三等兵:2010/04/23(金) 02:35:41 ID:3rUakELR
>>2
情強ですなw
4名無し三等兵:2010/04/23(金) 07:13:28 ID:94EFtzwX
関連スレ

パリ万博〜第一次大戦くらいまでのパリについて
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1166873017/
5名無し三等兵:2010/04/23(金) 07:35:38 ID:tolV5ZbJ
日露戦争か…。
懐かしい。
俺が小学校の頃か。
6名無し三等兵:2010/04/23(金) 08:59:49 ID:???
ロシア第一革命
タンジール事件
義兵闘争
東遊運動
イラン立憲革命
青年トルコ人革命
ボスニア・ヘルツェゴビナ併合
メキシコ革命
韓国併合
辛亥革命
伊土戦争
アガディール事件
第二革命
バルカン戦争
マリッツ反乱
護国戦争
7名無し三等兵:2010/04/23(金) 09:12:12 ID:???
イースター蜂起
8名無し三等兵:2010/04/25(日) 09:25:51 ID:q2WthJCH

ユダヤ人と日本の軍費調達

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0202/4/129.html

日清・日露戦争を語るなかにユダヤ人は欠かせない。
9名無し三等兵:2010/04/26(月) 14:51:55 ID:???
ロスチャイルド
10名無し三等兵:2010/04/26(月) 22:21:43 ID:???
ロックフェラー
11名無し三等兵:2010/04/27(火) 22:36:28 ID:???
モルガン
12名無し三等兵:2010/04/28(水) 15:05:55 ID:???
メロン
13名無し三等兵:2010/04/28(水) 22:18:21 ID:???
河豚計画
14名無し三等兵:2010/04/30(金) 15:19:58 ID:???
シベリア出兵
15前線豚:2010/04/30(金) 21:00:33 ID:YkfhkbtY
第1次大戦スレは別個であるんだから、それはそっちでやったほうがいいんじゃね?
日清、ボーア戦争あたりから第1次大戦が始まるまでぐらいだろ。
ニッチすぎるがw

とりあえずバルカン戦争時のブルガリア軍歩兵師団編制は、
2〜3コ歩兵旅団編制で、下手すると総員3万5千ぐらいいるという大型師団w
3コ歩兵旅団の場合、機関銃x24、火砲x72(速射砲Quick fire artilleryとそうじゃないので半々)。

セルビア軍師団は2コ歩兵旅団編制で、総員2万3千5百。
機関銃x20、火砲x36。

ギリシャ軍とオスマン軍は3単位師団。
ギリシャは分からんが、オスマン軍は軍制改革によって1910年より3単位師団に移行している。
総員13293、機関銃x12、火砲x16-24。1コ軍団は3コ師団より成る。


なんというかブルガリアでかすぎで、オスマン軍が一番小さい。
ちなみにオスマン軍は第1次大戦で動員したときも3単位師団編制のまま。
16前線豚:2010/04/30(金) 21:27:35 ID:YkfhkbtY
あと陸大の小沼治夫教官による資料『戦闘の実相(日本軍の能力特性観察)』によると、


「日露戦争において我が軍の行った戦闘の大部分は陣地攻撃であるが、
敵が真面目に抵抗した場合はほとんど全部頓挫しており、成功したものは少ない。
我が第1線師団は1日平均8%強の損害で、敵前平均6-700mの距離で攻撃どまりの状を呈し、
中には3%以下の損害で攻撃停頓した例もあった。

攻撃不成功の原因は簡単ではないが、火力価値の誤断に基づく戦法の不適切、
兵器弾薬の準備、特に火砲の威力不足にあると観て間違いないようである」


と記している。ポン軍…

小沼教官は後にガ島戦で第17軍高級参謀になってひと悶着起こしてる。
どうやら日本陸軍の思考体系から少し外れていたようだ。
17名無し三等兵:2010/04/30(金) 22:09:41 ID:???
>2〜3コ歩兵旅団編制で、下手すると総員3万5千ぐらいいるという大型師団w

編成が大きい故に継戦能力(損失の許容度)が高いよりも、行軍長径とか
段列とか行李とか、総合的な運動能力が悲惨な事になってそうとかいった
マイナス面の方がデカそうな希ガスだなぁ。
18前線豚:2010/04/30(金) 23:20:58 ID:m5BxbEGH
>>17
だよねえ。
でも、『The World War 1 Databook(イマイチ信用できない資料だけど)』でブルガリア軍師団が
3コ歩兵旅団編制ってあるから、第1次大戦初期までそのままなのかも。
さすがに参戦後はドイツ軍の影響を受けて改編してると思うけど。
19名無し三等兵:2010/04/30(金) 23:43:54 ID:???
人数がソレならサイズが違う英式の連隊>旅団>師団という訳でも
ないんだろうし、お国柄的な何かあるんだろうかね。
東欧はホントよーわからん国が多い希ガス。
20前線豚:2010/05/01(土) 00:33:41 ID:KEkGKTe9
そうそう第1次大戦で参戦時のルーマニア軍師団も半分ぐらいが3コ歩兵旅団なんだよね。
地域的なブームなのか、ロシヤの陰謀なのか…


上とは関係ないが、リンク先の一番下の写真は第1次大戦東部戦線のガリツィア在中、オスマン軍部隊
ttp://www.turkeyswar.com/campaigns/galicia.htm
どうみてもドイツ突撃隊w
21前線豚:2010/05/01(土) 00:57:55 ID:KEkGKTe9
小沼資料の続き、

「夜間攻撃能力
我が軍は古来これを賞用し、奏功した例も少なくないが、その実相は一般に想像されるような
輝かしいものではない。まず第1に、夜間攻撃においては残留兵が多いことである。
昼間攻撃においても最初に敵陣に突入するのは勇敢な指揮官(特に将校)と少数の兵に過ぎないことは
すでに述べたが、夜間はその関係が甚だしく、敵前近くにおいては地上に伏せて命令号令に応じないものが
単に兵のみに限らない実情にあるようである。

かの有名な『弓張嶺』の夜間攻撃においても、敵火を受けるや地上に伏せ、
連隊長の命に応ずる者なく、ついに前日着任した勇敢な一中隊長が奮然突進したが、
敵陣地に突入したのは敵が退却を開始したときであったことを知らねばならない」


とある。
旧軍は弓張嶺の夜襲を大いに賞賛していたらしいが、「敵が退却したから」勝てたって…
イメージが崩れるなw
22名無し三等兵:2010/05/02(日) 23:02:20 ID:???
実際、後の日本の戦争でも敵が退却しなかった場合は勝ててないだろう。
夜襲に限った話ではないけれど。
23名無し三等兵:2010/05/02(日) 23:31:45 ID:???
>21-22
日本に限らず、たいていの場合は勝利=敵の退却ですが?
24前線豚:2010/05/03(月) 12:48:36 ID:V1SVEyyJ
弓張嶺の夜襲については、
「肉弾また肉弾・死を恐れず猛進し、暗夜に得意の白兵の威力を発揮して敵を恐怖に陥れた」
てな感じで旧軍が喧伝したようなものではなく、「敵が退却したから突入できた」と
夜間戦闘に対する安易で過大な期待を戒めているという話。
25名無し三等兵:2010/05/03(月) 14:16:26 ID:???
夜襲の仙台師団
26名無し三等兵:2010/05/23(日) 19:35:41 ID:???
日露戦争開戦一月前に
「現代日本(何故か在日米軍は転移せず、基地施設と兵器類も…)&台湾」が転移しました…

さぁどんな物語になるのやら…
27名無し三等兵:2010/06/14(月) 18:55:29 ID:???
>>26
日本は、朝鮮半島から一切手を引く。現代日本の経済力・軍事力があるなら、
半島に関わる必要は全く無いですから。
28名無し三等兵:2010/06/19(土) 15:25:25 ID:???
>>26
未来からやってきた台湾というか中華民国がどう動くか気になるな。
中国本土奪還のチャンス到来に動くか否かが気になるところ。
29名無し三等兵:2010/06/19(土) 23:56:43 ID:???
>>26
>>27も言ってるが、半島から一切手を引く、
それから台湾政府と秘密交渉で軍事同盟(この間に孫文先生確保こちらの事情説明を行う)、
日露開戦したら可及的速やかに満州および樺太確保、&オハ、満州油田、海底天然ガス(この施設も転移?)の稼動を急ぐ
あとは満州利権にアメリカかませて技術のパテントで安泰…かな?
30名無し三等兵:2010/06/22(火) 11:00:40 ID:???
>>26>>29
転移前の明治政府の結んでた不平等条約っていちいち守らないといかんのかな?
自衛隊の軍事力と平成の科学力を背景に「こんな不平等条約は履行できない、平等な条約にするまで凍結する」とか
31名無し三等兵:2010/07/30(金) 17:18:57 ID:Bf8OsTsQ
ネット時代は兵器より情報が勝敗決す
日本人よ、日露戦争当時の知恵と真摯さを思い出せ!
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4092
32名無し三等兵:2010/08/25(水) 02:23:34 ID:???
日清戦争は日本が東アジアの秩序を破壊した戦争である。
日清戦争のせいで清は国力が大きく弱体化し列強が清にバンバン租借地を作り
その反発が義和団を生み、その鎮圧を口実にしたロシアの満州占領、更には朝鮮のロシア接近、
ロシアの北朝鮮利権獲得を生んで日露戦争を余儀なくされてしまい、
日露戦争の結果、ロシア帝国も弱体化して共産主義台頭のきっかけを作り
清崩壊後の中国の内戦はその後の満州事変、支那事変、大東亜戦争のきっかけとなった。
33名無し三等兵:2010/10/02(土) 16:04:25 ID:???
34名無し三等兵:2010/10/03(日) 14:42:33 ID:T7Thn/iL
乃木って
・三回も同じような方法で突撃を繰り返した旅順の肉屋
こう書くと無能だけど
・当時東洋一の永久要塞を、通常の半分の期間で陥落させ
・戦役の命運を賭けた奉天会戦では、補充兵を率いてさらに二倍強の敵兵を相手に怯まず猛進し、半翼包囲を完成させる寸前まで行った。
 敵将があのクロパトキンでなければロシア軍を包囲殲滅できたであろう
こう書くと名将に見えるよな
35名無し三等兵:2010/10/03(日) 17:54:15 ID:3bxOuLKJ
当時の日本の司令官・将官で機関銃の火力を経験したことのあるのは長岡藩と戦った官軍か、
回天に斬り込んだ幕府軍くらい。まして掩蓋かぶせた機関銃に斜射・側射・背射・十字射撃とかされたことある奴いない。

黒溝台のロシア軍、ソンムの英軍、シャンパーニュの仏軍、マルヌ・ベルダンの独軍、みな乃木みたいに正面突撃繰り返させた。
36名無し三等兵:2010/10/03(日) 20:31:42 ID:???
むしろ日露戦争という明らかな戦訓があったはずなのに
第一次大戦で肉団子の山を築いた欧米列強の方が(ry
37名無し三等兵:2010/10/03(日) 21:11:01 ID:???
>>36
日露戦争に派遣された英軍観戦武官のイアン・ハミルトン将軍が、本国に
「機関銃で防御された陣地を前にして騎兵ができることは、歩兵のための食事の用意ぐらいだ」
というレポートを送ったら、本国のお偉方が
「ハミルトンは長い東洋暮らしで精神異常を来したらしい」と本気で心配したって有名な逸話があるな。
38名無し三等兵:2010/10/04(月) 16:18:01 ID:???
常備軍もいて、予備役も後備もたくさんいたから
どんどん突っ込んじゃえと思ったんじゃないの?
39名無し三等兵:2010/10/07(木) 10:31:53 ID:???
>>37
そのハミルトンも、ガリポリではトルコ軍の陣地を相手に多数の死傷者を出していて、
日露の戦訓から学んだとは言い難い
40名無し三等兵:2010/10/07(木) 13:34:27 ID:???
>>39
おお、そうだったのか
41名無し三等兵:2010/10/07(木) 22:28:36 ID:???
旅順は他の戦場より砲による損害が大きくなってる。
野戦じゃ砲兵が付いていけないが、要塞戦なら攻防両者とも全力投入できるから。
直射砲がまだ多くを占める時代だし、要塞なら直射砲で攻撃側を薙ぎ倒せるが
野戦ならそうはいかないだろうと考えるのが普通じゃないか。
42名無し三等兵:2010/10/08(金) 12:54:36 ID:???
>>39
ガリポリでのハミルトンは、度重なる増援・補給要請を断られ続け、
手持ちの乏しい火砲と弾薬、トルコを下回る兵力での攻勢を取らざるを得なかったから、
仕方ない部分もあると思う。
43名無し三等兵:2010/10/08(金) 20:36:31 ID:???
>>41
旅順の露軍が持ち堪えられなくなったのは、兵員が死傷・減少したのも勿論だが、
重砲弾が枯渇して、対砲兵射撃も突撃破摧射撃も実施できなくなったのが大きかったそうな。
砲弾そのものは徴発した鍋釜を鋳潰して製作できても、信管はそうもいかないからねえ。
44名無し三等兵:2010/10/09(土) 02:34:34 ID:???
>>43
片道貨車で延々補給来てたわけじゃないのか。
45名無し三等兵:2010/10/09(土) 02:35:58 ID:???
むしろどうやって届けろと
46名無し三等兵:2010/10/10(日) 05:08:23 ID:???
>>35
でもさー乃木は台湾征討時に賊を相手に 機関銃陣地と電流鉄条網によって
対処しているんだよね。

その上で機関銃陣地に突入だから たいしたことないイメージでももってたのでは?
47名無し三等兵:2010/10/21(木) 14:11:04 ID:swFcW2LF
撃つ経験と撃たれる経験は違うんだろうな。
撃たれた方は忘れないが撃ったほうはすぐ忘れるとか。
48名無し三等兵:2010/10/21(木) 22:32:16 ID:???
>>42
俺もあれは無理だったと思う。
49名無し三等兵:2010/10/22(金) 00:42:52 ID:???
>>46
相手の防備は攻めてみないとわからないw
旅順は軍港で封鎖都市だから、戦前情報がまるで収集できてなかった
バルチック艦隊回航問題もあって、時間に余裕のない力攻めを強いられ続けたしね
それでも、第一回総攻撃が大被害を出して失敗して以降は、重火砲を回送したり対壕を掘り進めたりと、なるべく被害を出さない努力をしてる
50名無し三等兵:2010/10/22(金) 02:15:33 ID:???
横からすみません。
日露戦争の頃の日本兵は白兵戦に弱く、苦戦したため、戦後やたらと白兵戦に
力を入れた云々なんてのが最近ネットにやたらと書かれ始めているけど、実際
のところいかがだったのでしょうか?

ロシア兵捕虜の負傷要因で刀剣等による負傷が2%で、砲撃によるものはそれに
比較しても大して多くなかったことに軍部が失望したというのは昔読んだことがあったけど
(読売新聞社?の「日本の歴史」のシリーズだった)、これだとむしろ接近戦に頼らざるを得ない
日本の砲兵の力量を嘆いていたという風に解釈できるんだが…!?
51前線豚:2010/10/22(金) 10:02:38 ID:???
まず>>16>>21を見てくれ。
ソースはたしか『日本陸軍「戦訓」の研究』。

日本兵は白兵戦に弱かったという論説は、見たことがないなあ。
ナポレオン戦争後から第1次大戦初頭までは、兵器の進化に戦術が追いつかなくて
正面攻撃は多大な損害を覚悟しなきゃならなかった。
南北戦争のフレデリクスバーグとかゲティスバーグのピケットの突撃とか…
ボーア戦争とかもね。

ただ日露戦争前と日露戦争後の歩兵操典の内容が著しく異なってるのは事実。
後者は精神主義的性向がみられる。


当時は主に小銃戦だったと思うが、失望することかな?
52名無し三等兵:2010/10/23(土) 01:37:28 ID:???
まず、満州平野での野戦では白兵戦は殆ど生起せず、例外的だった。
もちろん、弓張嶺とか奉天会戦の三軒家みたいな例もあるけどね。
ロシア兵がチャージをかけてきても、我が三〇年式歩兵銃の精確な銃火で薙ぎ倒すことが出来た。
この銃は、当時世界一命中精度が良い小銃だったと云われている。

しかし、旅順での要塞戦では、ロシア兵の突撃を受けた日本兵が恐慌状態になって退却してしまう例はままあった。
互いの対峙距離は近いし、夜戦は多いし、ロシア兵は決死だしで、必然的に白兵戦が多発したんだろうね。
つっても負傷原因の統計を見ると、やっぱり砲創・銃創が圧倒的に多くて、白兵創は少数派なんだが。

だから、その苦い経験をした日本軍が銃剣格闘を重視するようになったというのは、一面の真実ではないかな。>>50
ただし、本当の意味で白兵に傾倒するようになるのは、むしろ第一次大戦後のことだと思う。
53名無し三等兵:2010/10/24(日) 00:09:58 ID:???
>>51-52
うーん、ありがとう。
概ね、そうだと思った。

>当時は主に小銃戦だったと思うが、失望することかな?

ロシア軍に比較して、砲弾の極度な少なさと技量の問題を嘆いていたような
ことを書いてあったと思います。
小銃弾やら、ましてや白兵戦なんぞで敵になんとか勝つようでは危なっかしいので
(兵の技量によっては難しいからか?)、その前に近代の軍らしく砲撃で敵にある程度
ダメージを与え、確実に勝つようなのが理想的ってな発想だったと思います。

因みに小銃弾による負傷はかなりうろ覚えだったから書かなかったけど、40〜50%
くらいだったと思います。
砲弾によるものは10〜15%?くらいだったかな?
他は自傷やら事故やら…だったかな?
54名無し三等兵:2010/10/24(日) 00:43:19 ID:???
>つっても負傷原因の統計を見ると、やっぱり砲創・銃創が圧倒的に多くて、白兵創は少数派なんだが。

うーん、まあそうでしょうね。
技量の低い兵によっては敵の突撃にパニックになって逃げても、銃剣で殺すには追いかけんと
いかんですから…(笑)

ソースの甘い質問にまじめに答えてくれて、ありがとうございました。
55名無し三等兵:2010/10/24(日) 19:07:08 ID:???
たしかイアン・ハミルトンの証言だったと思うが、死傷原因の割合は
小銃80%、砲20%、白兵1%未満だったはず。
56名無し三等兵:2010/10/30(土) 11:35:33 ID:???
日露戦争を戦訓にヘルメットと防弾チョッキの導入って無理?
57名無し三等兵
ヘルメットは短距離で減速する榴弾の破片や榴撒弾の弾子、飛んで来る土砂への対策なので
日露戦争はまだ銃創の割合が高いからあまり意味はないのでは。