南雲忠一中将を再評価するスレ(止)

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730名無し三等兵
>>726
いえいえ、こちらも好きで調べてるだけなので。
それに調べても、第二次ソロモンにおいて電探情報が翔鶴の艦橋に届いていなかったらしい件については、
艦橋の大きさと司令部要員の数が影響を与えたかどうかも含めて、真相はまだわからないままですし。

さて、当時の21号電探の能力からすると、探知できたのは敵機が母艦上空にやってくる10分から15分前で、
翔鶴が攻撃を受けたのが1310ですから、探知できた時刻は1255から1300の前後だった可能性が高いと思います。
その時間帯の翔鶴では、1250に艦隊の直援機が発進し、1255から1300にかけて第一次攻撃隊が発進し、
さらに1400に発進をする第二次攻撃隊の準備が大急ぎで実施されているというかなり慌しい状況でした。

個人的には、理由はともあれ、艦橋が攻撃隊の発進に手一杯だったので電探情報を有意義に活かせなかったのではと考えています。
ある意味、長官が仰っているような情報処理能力の拙さが要因なのは間違いないのでしょう。