南雲忠一中将を再評価するスレ(止)

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179名無し三等兵
>>171

> 真珠湾から南太平洋海戦まで客観的に眺めれば、少なくとも「愚将」や「凡将」とは
> 言えないと思いますよ。

南雲、草鹿、場合によっては源田までは、「愚将」と揶揄されても仕方ないじゃないかな?
真珠湾の成功と、ミッドウェーの大失敗を両方考慮し、特に下記の文章を読む限りでは。
黒島も同様。

真珠湾とミッドウェーの違いで、結構大きいところで言えば
■真珠湾
黒島が基本構想を取りまとめたが、山本は大西にも研究させている。
大西は源田に研究させてはいるが、源田案を修正して山本に報告しているという。

■ミッドウェー
黒島が基本構想を取りまとめたが、真珠湾のときと違って、保険的な研究はロクにない。
源田起草の作戦実施案は、南雲・草鹿はほぼスルー状態で実施されている。

大西少将や山口少将あたりが、真珠湾の成功を担保した真の要因か、と考えて見たくなる。


(「良い参謀良くない参謀」(吉田俊雄氏): 恐らく原典は淵田・奥宮「ミッドウェー」)
源田参謀が同期の淵田飛行総隊長に洩らしたという。
「いつでも自分が起草した案がスラスラと通ってしまう。(中略)
大西少将や山口少将あたりが上にいてくれると、必ずチェックして
あらゆる角度から叩き直して突っ返してくれる。そうなるとこちらも安心して、
自由奔放な作戦構想が練られるというものだが。」

淵田隊長がいう。「源田の苦衷は、私にもわかる。まさにその通りだ。」